| ▼ 徳翁導誉さん
> それ以上に、インドや中国など「上海協力機構」の枠組みを活かした経済連携を進めていますね。
インドが意外なんですよね。日米と仲良くするのかと思いきや、
中国とも仲良くしているような?経済協力だったでしょうか??
でも中国とは領土問題があるんですよね。
中国軍がインド支配地に侵入したとかで東シナ海よりも深刻そうです。
> ただ現在30代の人にとっては、ちょうど小中学生の時代に祖国が消滅した訳で、
> 確かに政治などへの理解は乏しくても、「学校」を介して社会とは繋がってますからねえ。
> と言いますか、教育の現場こそ、そうした社会の変化をダイレクトに受けるものですし、
> しかも多感な年頃ですから、変わってしまう今までの社会の事を、却って強く覚えてると思うんです。
その話は実際に現地の人に聞いてみないと分かりませんね・・・。
>
> 例えば、日本社会で生まれ育ち、日本語しか話せない在日コリアンの場合、
> 本人が「私は朝鮮人だ」と考えていれば、その人は朝鮮人でしょうし、
> 本人が「私は日本人だ」と考えていれば、その人は日本人でしょうね。
> そして考えというのは、その時々の状況で変わってくる為、民族意識は不変ではありません。
その件で言うと韓国人が不思議です。本筋とはそれるかもしれませんが、
韓国人は日本で権利を得ることに抵抗感が無いみたいなんですよ。
「日本人と結婚して日本に永住したい」と平気で言いますから。
「日本人」ではあっても「大和民族」ではないということでしょうかね?
下記のハプスブルク家や、今や崩壊しそうなイギリス、すでに崩壊したソ連とも関係してきそうな話です。
要点だけ先に言うと、多民族国家を統治したければ「民族を超えたナショナリズム」を育てよということだと思います。
ソ連はそれが失敗して完全に崩壊し、イギリスは「British」ではなく「European」に「民族を超えたナショナリズム」が移行してしまったのかなと。
本筋に戻すと、民族と国家の帰属意識は別で、客観的に見ると言語が民族を分ける重要な要素になっているのではないかと。
可能性の話は別として韓国語しか離せない人が「自分は日本人だ」と思っても無理がありますから・・・。
ヨーロッパだと言語と宗教で民族を分けてませんでしたかね?
> 日本の統治は数十年でしたから、こうした人たちの存在は政策的に考慮される事はありませんでしたが、
> ウクライナみたいに、ロシアの統治が数百年続いていると、やはり大変ですよね(しかも地続きですし)。
上記のことから個人レベルだと日本は統合にかなり成功したと言えるかもしれません。
> ちなみにゲーム内では、民族が固定なのは勿論、「1エリア1民族1宗教」となってますけど、
> もしも同一エリアに、複数の民族や宗教が混在するシステムを導入した際には、
> 将来的には「同化政策」や「改宗政策」なども表現できるよう、
> 民族設定に「言語・宗教・帰属」という3つの変動パラメーターを用意しようかと考えていました。
>
> 言語や宗教は解ると思いますが、最後の帰属というのは「帰属意識」の事で、ゲーム的には都市で設定し、
> 例えば日本ですと、現在は国内全エリアで首都である東京に設定されますけど、
> 江戸時代の日本であれば、当時は幕藩体制による連邦国家だったので、各藩ごとに帰属されます。
> オーストリアであれば、第二次大戦前は大ドイツ主義により、帰属都市はベルリンとなりますが、
> 敗戦によりドイツと袂を分かった後は、帰属都市はウィーンとなります。
> この通り、民族的にはほぼ同じでも、帰属意識が異なる事で、分裂国家とは言えなくなると。
> 逆に言えば、分裂国家である双方が見ている朝鮮半島の場合は、北朝鮮でも帰属都市はソウルとなりますし、
> 独立志向が高まっている台湾ですと、帰属都市の割合が北京から台北に移行しつつあるって感じですね。
> もちろん、言語や宗教と同じく、政策次第で民族の帰属割合をゲーム的に変動させる事が可能です。
> つまり大ドイツの再興を狙うプレーなら、オーストリア住民の帰属都市をベルリンへと変えていく訳ですね。
> また、国家よりも宗教への帰属意識が高いアラブ諸国では、帰属都市は首都でなくメッカになると(笑)。
> って、構想案自体はいろいろあるものの、結局、導入までには至らないんでしょうけど・・・・
帰属都市の概念、特にいいと思います。
旧ソ連復活をもくろむロシアと、結果としてロシアを中心にまとまったほうが
利益の大きい周辺国なんて構図も出来るでしょうし、海外領土も表現できそうです。
もしかすると、占領地というシステムじゃなくて、帰属都市で表したほうが色々と都合がいいかも?
> う〜ん、考えてみると、ヤヌコビッチ大統領の逃亡って、徳川慶喜のそれと酷似しているかも?
> 当人たちの真意がどうかは別として、結果的に最悪の事態(泥沼の内戦化)は回避できてますし、
> ウクライナ東部での衝突も、戊辰戦争みたいなもので、新政権の強硬姿勢が招いた事でしたから。
確かに、政権が新しくなって旧権力者の影響力がほぼ無くなった点は
似ていると言えるかもしれません。
> ちなみに、その時の雑談スレッドでも書いたのですが、
> ここ100年を見てもも、都市リヴィウの人口変動っぷりは途轍も無いです!!
>
> WW1まで オーストリア領レンベルク(ポーランド人5割・ユダヤ人3割・ウクライナ人2割)
> ↓
> 戦間期 ポーランド領ルヴフ(ポーランド人6割・ユダヤ人3割・ウクライナ人1割)
> ↓
> WW2後 ソ連領リヴォフ(ウクライナ人5割・ロシア人3割・ポーランド人1割・ユダヤ人1割)
> ↓
> 冷戦後 ウクライナ領リヴィウ(ウクライナ人9割・ロシア人1割)
この時期の複雑な歴史が魅力的に見えるのは私だけでしょうか?笑
> > 西部はポーランド王国に帰属する期間が長いと思ってました。
> 確かに、ポーランドに属していた時代も、長いことは長いですけど、
> ポーランドとリトアニアが連合していた「ヤゲウォ朝」や「貴族共和制」の頃、
> つまりは14〜18世紀の話であり、当時はまだ民族意識も希薄な時代でしたからねえ・・・・
> その後の展開もいろいろと複雑ですし、現在の人が帰属意識を持つには、やはり昔過ぎるかと?
> しかも、良い記憶ならまだしも、支配する側とされる側とで民族的な対立もありましたし、
> 更には、短期間で終わった第二共和制ポーランドの支配下でも、同様の問題を抱えていましたので、
> ウクライナ人の側からすれば、それを懐かしむ空気は、なかなか醸し出されない気がします。
> 一方でハプスブルク家の統治は、何だかんだで民族の融和と自治をそれなりに進めてましたからねえ。
でもやはりハプスブルク家は無理があるような?
WIKI情報で恐縮ですが、旧ポーランド王国(これはいわゆる旧ポーランド共和国も入ると考えてます)は
異民族が支配層に移行するのが比較的容易だったようです。
民族対立より、階級対立のほうが激しかったようですよ。結果として、被支配のウクライナ人が
「ポーランド人貴族」に反感を覚えるようになったと・・・。
>
> > > ちなみに先月時点での避難者数は、東日本大震災が14万4000人、熊本地震が1000人となっています。
> > > 世界規模で見れば誤差レベルかも知れませんけど、これはこれで凄い数だと思います。
> > そうですねえ・・・。地震は怖かったですが、どこか楽観的に考えていたところもありました。
> > 特に動揺することもなく、ここまでは被害ないだろーなんてのん気でした(笑
> > 東北はまだ14万人もいるんですね。驚きです。
> やはり、原発事故に伴う「放射能被害」の影響が大きいですよね。
> これがもし、地震や津波の被害だけでしたら、もう5年以上が経過してますので、
> 当時の被害がどんなに大きくても、既に復興への道筋が成り立ってるはずなんですけど、
> 如何せん、原発事故の影響は現在進行形で続いている問題ですからねえ・・・・
地震後に福島にいったことがありますが、内陸は案外、普通でした。
原発付近にはさすがに近づけませんでしたが・・・
> > 私関東に住んでますが、火山の噴火で慣れてるんですかね?
> 桜島を抱える鹿児島とかなら解りますけど、関東で火山慣れしてるって一体どこ!?(笑)
> 地理的には関東ではない伊豆諸島や小笠原諸島を含むなら別ですけど、
> 関東平野では、噴火による地震どころか、火山灰の影響すら、私には記憶が無いのですが・・・・
富士山の近くですが、噴火したら関東は住めなくなると聞いて育ってます(笑 |
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