[スレッド全体]

[21856] 夏休み特別企画?(笑) 「勉強の仕方について考える」返信 削除
2018/8/14 (火) 10:06:51 徳翁導誉

元々、こちらのスレッド↓で話題にしていた
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r21527
「AIと教育(読解力)」や「大河ドラマの通史化」等から考え始めた事でしたので、
話の流れ的には、そのまま同スレッドで続けるべきかとも思いましたが、
ロシアW杯という中断期間を挟み、また随分と時間が経ってしまいましたので、
独り言になるかも知れませんが、新スレッドで徒然に書いていきたいと思います(笑)。

もちろん、皆様方からの横レスも大歓迎ですよ!!
私みたいに、もう受験はとっくに終わった人も、
いま受験を控えている人も、これから受験を迎える人も、
やはり「勉強の仕方」というのは、誰もが関わりある話題でしょうからねえ。
と言いますか、私の知らない方法とか聞ければ、それが一番嬉しいかも?
まあ、もし興味のある方が居られたら、少しお付き合い下さい(笑)。


【受験勉強と生涯学習は別物?】
  まず最初に、「受験勉強」と「生涯学習(大学教育なども含む)」は、根本的に異なります。
  受験勉強には、試験日や出題範囲、そして入試の点数という明確な数値が存在しますが、
  生涯学習の方では、ある意味で、受験勉強のような解りやすいゴールは存在しません。
  だからこそ生涯学習の勉強法は、常に知識を増やしていく「足し算&掛け算」となりますし、
  学習方法としては、こちらの方が本来は一般的なのですが、
  しかし受験勉強の方は、合格を勝ち得る事こそが最大の目的であり、
  「点数」という形で目標が見える為、「引き算&割り算」の勉強法が効率的になってきます。
 
  要するに受験勉強では、高校入試であれ、大学入試であれ、
  その試験日までの日数が明確に出ており、出題範囲や受験科目なども限られ、
  そして目指す学校の「合格ライン点数」も、ある程度は解っているのですから、
  現状での自らの学力を把握すれば、あとは合格まで何点必要かを引き算し、
  目標までの距離を計れたら、最後は残る日数で割り算して、1日のノルマを出すだけです。
  つまり、「受験勉強は引き算&割り算」と言ったのは、式に表すとこういう事↓ですね。
 
   「合格=(合格に必要な点数−現時点の学力での点数)÷(試験日−今日)」
 
  この辺の仕組みを理解しないまま、ただ闇雲に勉強したとして、
  そうした積み上げ式の勉強法は、足し算&掛け算の生涯学習では良くても、
  「合格こそが最終目標」である受験勉強には、あまり適した方法ではありません。
  ただ、ノルマが決まっても、そこは性格的な個人差がありますから、
  毎日コツコツできる人は1日単位のノルマでも問題ないでしょうけども、
  その人ごとによって、1週間単位とか、1ヶ月単位のノルマ設定でも良いと思います。
  要するに、最終的に、時間内に目的地まで辿り着ければ良いのですから。

【受験勉強は効率的に!】
  正直、個人的には、こうした受験勉強の類は好きでは無いのですが、
  今の日本社会において、進学が大きくウェイトを占める以上、なかなか避けられない事ですし、
  逆に言えば、だからこそ、無駄に時間を掛け過ぎず、
  効率的に合格を目指す方法が、受験勉強には求められるな気がします。
 
  その為にも、まず何より重要なのは、ターゲットとなる入試問題の情報ですよね。
  例えば、目指す学科に理科の入試科目が無いのであれば、
  合格を目指すという点だと、理科の勉強は必要ない事になりますし、
  各校の試験問題の特徴を事前に知る事で、出題傾向に応じた学習配分を取れ、
  そして、各教科の配点を把握する事で、自らの得手・不得手を踏まえた戦略を立てられると。
 
  まさに孫子が言う所の
  「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」
  ってヤツですね!!
 
  「早めに過去問をやれ」と言われるのも、自分の今の実力を知る以上に、
  過去問をやる事で出題傾向が解り、今後どのように勉強すれば解る事が大きい訳です。
  例えば、埼玉県の公立高校入試の日本史ですと、
  古代から幕末明治までが5割、幕末明治から現代までが5割という配点で出題される為、
  過去問をやり、その傾向を早めに掴んでおけば、古代から全ての時代を満遍なく勉強するよりも、
  明治までの1500年間は、文化史も含めて、浅くても良いから広く押さえておき、
  明治以降の150年間は、特に政治外交史を中心に深く覚えておく事で、高得点が期待できます。
  入試本番まで時間が無ければ、現代から逆に時代を遡って勉強していく方法も有効でしょうね。
  これを知っているか、知らないかでは、結果に大きな違いが出てくるはすです。
 
  少なくとも、「結果」を求めて受験勉強を行うのであれば、
  自分自身の学力と、目標校合格に求められる学力を、
  まずはキチンと把握してから勉強を行った方が、遥かに効率は良いはずです。
  ぶっちゃけた話、受験勉強に「近道」など無いとは思いますが、
  「地図」を手にして道を進む受験生と、ただ闇雲に道を進む受験生とでは、
  到達する時間は、まるで変わってくるはずです。
  要するに、近道など無いけど、多くの人は回り道をしていると。
  だからこそ、出来るだけ回り道をしないのが、効率的な方法になる訳ですね。

【生涯学習の方法で受験勉強】
  とは言え、この「効率的な受験勉強」の方法を極め過ぎてしまうと、
  ただ単に、TVゲームのように点数を上げる作業に突入してしまい、
  その方法だと、結果的に「テストで高得点を取る」能力しか身に付かないと・・・・
 
  よく、「学校の勉強は役に立たない」などと言われたりもしますが、
  これは学校教育における「生涯学習」の面を無視して、
  「受験勉強」の面のみで捉えるから、そういう感想になる気がします。
  結局、良い大学は出ていても、義務教育の基礎知識すら身に付いてない人が多いのも、
  テストで点を取る技術だけ学んで、その教科本来の中身を学んでいないからでしょうしね。
 
  ・・・という事で、何だか前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題(笑)。
  「生涯学習」の学び方で、その教科の知識を身につけつつ、
  「受験勉強」の方にも、結果的に繋げられる勉強法は無いモノか?
  な〜んて事を、ちょっと考えてみたいと思います。
  有り体に言えば、「楽しみながら、知識が身に付き、受験にも役立つ」学習法は無いかと?

【地歴の勉強法】
  「ゲームや動画を通して、歴史の楽しさを伝える」という、
  このサイトの主旨からしますと、地歴の学習法が一番身近でしょうかねえ?
  例えば、赤い嵐をプレーした事で、世界地理に詳しくなった方も居るかと思います(笑)。
  でもまあ、ここにあるゲームは、別に「受験勉強に役立つ」目的では作られていませんし、
  逆に言うと、このスレッドの主旨からすれば、
  「受験勉強に役立つゲーム」とは、一体どんなモノか?という感じになるでしょうか。
 
  確かに、歴史や地理というのは、主要教科でありながら、
  それを「趣味」とする人たちも多い分野ではあります。
  ですが多くの場合、興味の対象は戦国や三国志など特定の時代であり、
  そこのマニアックな武将知識というのは、受験にほとんど影響を与えません。
  でもこれが、「全時代&全世界の通史的なゲーム」であったり、
  「時代無視のオールスター的なゲーム」であったら、どうでしょうか?
 
  このサイトのゲームで言えば、「Super三國志」や「ナポレオンの野望」などで、
  古代から現代まで、自由に時代のシナリオを選べるとしたら、
  各時代の勢力図に、国名や君主名などは、もっと気軽に覚えられるかも知れませんし、
  それ以外の出来事・重要人物・重要政策なども、イベント・カード的に加えれば、
  歴史全体の流れみたいなモノは、ずっと身に付くかも知れません。
 
  また逆に、時代性など無視して、例えば信長の野望みたいなゲーム・システムで、
  各勢力を、日本史であれば都道府県、世界史であれば現国家の単位とし、
  各武将を、その地域の歴史上の人物をオールスター的に登場させれば、
  マニアックな武将も、山川の用語集に掲載されてるような人物達になりますし、
  勢力の単位が現代なので、そこを作り込めば、地理の知識も身に付くゲームにできます。
 
  あとは、前スレッドの続きのような話ですけど、
  ドラマであれ、マンガであれ、動画であれ、特定の人物や出来事に焦点を当てた作品を、
  通史という形で通して見られれば、歴史全体の流れも把握しやすいように思えます。
  このサイト的に言うなら、歴史Flashの作品群で時代の流れを繋げる感じでしょうか?
  とは言え、それを個人でやるのは、さすがに難しいので、
  そういう意味でも、通史モノの大河ドラマとかを見てみたいんですよね(笑)。
  「日本通史・大河ドラマの主人公リレー25名案」↓
  http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=c21670
  (昔は「歴史の勉強に大河を見なさい」と言われたモノですが、最近は聞かない台詞ですね)
 
  それと地理に関しては、前述のように、赤い嵐みたいなゲームで予備知識を得られれば、
  世界のニュース報道とかに触れても、いろいろと得られる情報は多いでしょうし、
  もっとシンプルな遊びであれば、世界地図のパズルなんかも良いと思います。
  3Dプリンターが普及した今なら、触覚&視覚を通して、地形を覚える事が出来るかと。
  まあ、3Dプリンターは無理でも、ボール紙などを使えば、簡単に自作も出来ますしね。
  そして地図パズルという形であれば、各世紀ごとの勢力地図パズルを、
  その時代の主要な人物や事件、戦争の行軍ルート付きで作れば、歴史の勉強でも使えるかも?
  ゲームとして考えるなら、単純にスゴロクとかでも充分に面白いモノが作れそうですし、
  世界遺産とか観光名所などで、歴史要素も絡めつつ、カード・ゲームとかも出来そうです。
  ウチの弟のように、「桃太郎電鉄」で日本の地理に詳しくなったり、
  サッカーで世界の地理に詳しくなった人は、きっと大勢居る事でしょうし、
  地理という科目も、なかなかどうして、娯楽との相性が良いモノなのでは無いでしょうか?
 
  まあ正直、私は理系だったので、文系の事情はあまり詳しく無いのですが、
  大学受験の地歴は、上位校(特に東大)ほど、歴史マニアが高得点を狙えると思いますし、
  趣味として成り立つからこそ、好きになれば「勉強の息抜き」に使える教科にも為ろうかと!!
  って、あくまでも受験目的であれば、好き嫌いなく広い時代や地域をカバーしつつ、
  息抜きの時間(地歴の勉強)ばかりにならないよう、注意しなければなりませんがね(笑)。

【理科の勉強法】
  ・・・これは、あまり万人向けの受験勉強法では無いと思いますけど、
  理科の場合、中学や高校で習う中途半端な内容よりも、
  大学以降に習う本格的な内容の方が、学問的に絶対面白いと思うので、
  受験勉強とか、ほぼ無視して、いきなり大学用の教科書とかで独学してました。
  まあ、大学の専門内容が理解できれば、それなりに受験問題も解けますしね(笑)。
  ただ、これだけだと今回の主旨に、ちょっと反してしまいますので、
  もう少し、「物理・化学・生物・地学」の科目ごとに、勉強法を考えてみたいと思います。
 
  まずは私の専門分野である「物理」に関してですが、
  そもそも物理学とは、万物自然界の法則(理:ことわり)を解き明かす学問であり、
  王道的な学び方として、「力学はこうなっている」「電磁気学はこうだ」という、
  既に結論が出ている解釈を、そのまま受け売りで、知識として取り入れるのも良いですけど、
  「人類はどのように自然界の法則を解き明かしてきたか?」という、
  歴史的な流れから順々に、学んでいくのも1つの方法では無いかと思うんです。
  それこそ、紀元前の学者達が辿り着いた結論は、比較的に理解しやすい事柄ですし、
  そこから一歩ずつ、人類の理解の歴史と歩調を合わせていけば、理解もしやすいのでは無いかと?
  アートとかでも、確かに個々の作品や、印象派などの作品群を、単体として鑑賞しても、
  それはそれで楽しめるのですが、そこにある歴史的な「アートの文脈」を把握すると、
  作品の背景などまで感じられて、より深くアート鑑賞を楽しめますからねえ。
  ですから同じ要領で、歴史的な「物理学の文脈」を学んでおけば、
  近現代における物理学の急速な発展を、より実感できそうですし、
  理学的な発見と工学的な発明の繋がりも、理解できそうな気がします。
 
  続いて「化学」ですが、これは意外とゲームとの相性が良い気がします。
  もし仮に、ポケモンに登場するモンスターが、それぞれ元素の名前で、
  各元素の特徴を持ちながら、原子番号や質量数などが攻撃力や防御力だったら、
  日本中に化学好きの子供達が溢れていたかも知れません(笑)。
  周期表も上手く工夫すれば、トランプの7並べみたいなゲームが作れそうですし、
  有機や無機の化学合成も、麻雀風のカードゲームとか作れば面白そうなので。
  水素カード2枚と、酸素カード1枚で、水を作る・・・みたいな要領で、
  相手の作った化合物を、分解反応させてポイントを下げたり、
  化学反応を起こして生じたエネルギーを、ボーナス点として得られたりすれば、
  戦略的にも、いろいろ出来そうで、なかなか面白いゲームが作れるかも?
 
  次に「生物」ですけど、一応、私は受験で物理と化学を選択していたのですが、
  近年の発展が目覚ましい生物学にも興味があったので、少し手を出してました(苦笑)。
  とは言え、この科目こそ、現在の理科教科の中で、最もホットな題材でしょうし、
  そうした現在進行形なニュースに触れていく為にも、
  最初に「万人向けでは無い」と言った、「本格的に学ぶ」という方法も、
  この生物という分野に関しては、意外と間違えでは無いのかも知れません。
  それに、子供達に大人気の動物・昆虫・恐竜なども、考えてみれば生物学の分野ですし、
  だからこそ、上野の国立科学博物館に行っても、展示品はかなり生物関連が多いんですよね。
  改めて考えてみますと、生物学というのは、一般的に最も身近な理科科目なのかも知れません。
  ・・・って、結局は、どんな学び方が良いかとなると、まずは生物学を好きになって、
  科学博物館に行き、いろいろ展示品を解説できるレベルになれば、受験でも点は取れるかも?(笑)
 
  最後に「地学」ですが・・・これを理系で選択できる大学や学部は限られる一方、
  国立志望で、文系でもセンター試験では理科科目が必要な大学なら、
  地学という選択肢も、決して悪くは無いモノでしょうし、
  何より、東大文系みたいに地歴科目の選択を2つ求められる場合、
  学問的に、それぞれリンクしている「世界史&地理+地学」という組み合わせは、
  正直言って、最強コンボなのでは無いでしょうか!?
  それに地学は、気象や地形、地質に海洋などなど、
  ある意味で、私たちの生活に最も深く関わる学問の1つですから、
  英語とは正反対で、受験用と実用の知識が、かなり近い関係にある気がします。
  ニュース番組のお天気コーナーを見るだけでも、学べる所はあるでしょうからねえ。

【英語の勉強法】
  正直、英語は私の苦手教科だったので、どんな学習法が良いとか、あまり無いのですが、
  それでも今は「DVD(Blu-ray)」で、映画やドラマから気軽に英語を学べるのは良いですよね!!
  なので、「その教科を好きになる所から始める」という意味では、
  英単語や英文法などから入るよりも、英会話やドラマ視聴から入る方が向いてると思います。
  ただ、単純にテストで高得点を狙うなら、英単語や英文法から入った方が近道でしょうから、
  英会話やドラマ視聴から入るのは、時間がある場合や、実用目的などの場合でしょうね。
 
  そういう意味では、受験用と実用の乖離が最も大きい教科って、この英語なのかも?
  まあ確かに、100年以上昔に日本で英語教育が始まった当時であれば、
  英語の書物を翻訳・読解する事こそ重要だったのでしょうけども、
  その方針が100年以上経った現在でも、あまり変わらないまま続いた結果、
  難しい文章を読み書き出来るけど、簡単な文章を聞き話し出来ない学生を量産したと・・・・
  だからこそ、中学1年の頃は「英語が好き」という生徒が多数派なのに、
  高校3年の頃になると「英語が嫌い」という生徒が多数派となる状況を生んでいる気がします。
  であればこそ、まずは「英語が好き」という気持ちを持続させる事こそ、
  「急がば回れ」じゃないですけど、遠回りに見えつつ近道のように思うんです。
 
  で、前置きが長くなってしまいましたが、
  北米TVドラマの人気ジャンルである「シットコム(シチュエーション・コメディ)」は、
  舞台演劇が原型なので、設定や登場人物なども毎回大きく変わらず、
  1回25分前後の一話完結型ですから、かなり気軽に作品を楽しむ事が出来ますし、
  人気ジャンルだけあって様々な作品があり、気に入る作品も見付けやすいのでは無いでしょうか?
  教材として繰り返し視聴する事を考えると、「気に入る」というのは非常に重要な事かと。
  もちろん、お気に入りの洋画とかがあれば、そちらでも構わないのですが、
  ドラマの方がトータルの時間が長く、会話劇が多いので、やはり教材向きな気がします。
  逆に言うと、アクション系やサスペンス系の作品ですと、
  台詞が少なく、短文のスラングが多い事などもあって、あまり教材向きでは無いのかな?
 
  そんなシットコム作品の中から、教材としてオススメするとすれば、
  日本だとNHK教育で放送されていた「フルハウス」ですかねえ?
  NHK教育の平日夕方にやってたくらいなので、中高生の教材としては安心ですし(笑)、
  主人公が子供なので、そんなに難しい英文やスラングは登場しません。
  逆に言えば、だからこそ、英語の初学者向きの作品とも言えます。
  具体的には、まずは日本語吹き替えor日本語字幕で視聴して、話の流れを把握したら、
  次は1回、英語音声&英語字幕で視聴してみて、どれくらい解るかを把握してみる。
  そして2度目は、解らない単語や文章を書き出してみて、意味を調べて、
  台詞の意味まで解るようになった3度目以降は、台詞を聞き真似して音読にも挑戦。
  最後に、英語字幕を消してみて、音読も聞き取りも出来るようになっていれば、
  次のストーリーに移る・・・といった具合の学習方法ですね。
 
  また教材選びに関しては、もしもアニメが好きな人であれば、いっその事、
  英語吹き替えされた、日本のアニメ作品を「北米版Blu-ray」で入手するのも手かと?
  (北米版DVDは日本と再生仕様が異なる為、基本的には北米版Blu-rayがオススメ)
  北米版の方が、日本版よりも、ずっと安く購入できますし、
  だいたいの場合、副音声でオリジナルの日本語音声も入ってますからねえ。
  要するに、英語の勉強として視聴するのであれば、
  台詞が英語で、その台詞を英語字幕を同時に見られれば良いのですから、
  繰り返し視聴しても苦にならない作品があるのなら、日本のアニメでも良いと思います。
  特に「ジブリ作品」などは、主人公が子供の作品も多くて、台詞の英語も簡単ですし、
  多くの人は、既にストーリーを熟知しているでしょうから、元の台詞を思い浮かべつつ、
  「ああ、こういう言い回しをするんだぁ」と、気軽に英語を学べるのでは無いでしょうか?
  近年、徐々に比重を増しつつあるリスニング対策としても、有効な独学方法かと。
 
  とは言え、現実的には「入試まで、もう時間が無い」という人も居るでしょうし、
  前述のように、やはり実用英語と受験英語とでは、現実的に乖離がありますからねえ。
  まずは「DUO」やZ会の「速読英単語」で、とにかく語彙数を増やして、
  続いて、桐原と駿台の「英頻」で文法や語法を押さえつつ、
  最後に、伊藤和夫の「英文解釈教室 or ビジュアル英文解釈」で構文読解を身に付け、
  あとはひたすら問題集や過去問を解きまくるのが、やはり手っ取り早いのかな?
  って、この辺の参考書は古典過ぎて、今の受験生には時代遅れなのかも知れませんが(笑)。
 
  それと、これは試験テクニックみたいなモノですけど、
  英語の長文問題というのは、読むのに時間がかかる為、如何に速く読むかが重要です。
  もちろん、長文をサッと素早く読めるのが理想ですが、なかなか難しい事ですから、
  不要な箇所は読み流す判断力が、時間が限られたテストでは地味に大事になってきます。
  その為の1つのテクニックとしては、先に「問い」の方を軽く目を通しておき、
  下線や括弧の位置から、答えを書くのに不要な箇所を切り捨てるというのがありますね。
  また、単語や文法など、すぐに答えられて、長考しても答えが出ないような問題は、
  最初にさっさと片付けておき、時間のかかる長文問題や作文問題なの時間を残すなど、
  配点を考えながら、テスト全体の時間配分をするのも、結構重要な事だと思います。

【国語の勉強法】
  う〜ん、とにかく国語の勉強法は、ちょっと私には解りません・・・・
  現代文にせよ、古典にせよ、それほど勉強せずとも、
  センター試験で9割は取れてましたから、理系の私にはそれで充分でした(苦笑)。
  思い返してみると、小1の頃のアダ名が「漢字博士」だった程、昔から漢字は出来ましたし、
  高校の頃に読んだ歴史小説が、現代文の読解力を高めでもしたのでしょうか?
  理系でしたから、構文に対する論理的な捉え方も、自然と身に付いていたかも知れません。
 
  また古典の方も、私が転勤族として育った為、「方言適応力」が普通の人より高く、
  その影響か、古文も漢文も、それほど苦も無く読めてしまったんですよねえ・・・・
  標準語と少し違うというのは、ある意味で、古い言葉も方言も同じ様なモノなので。
  それと、私が歴史好きだった為、その時代背景や文化背景を理解していた事も、
  古典の読解には、意外と大きな役立っていたのかも知れませんね。
 
  ぶっちゃけた話、国語の勉強法に関しては、他の方の意見も多く聞きたい所ですし、
  私から言える事は、「歴史小説を読めば、有利なのでは?」って事くらいです。
  特に漢文に関しては、中国史の小説を読んでいるか否かで、身近さが違ってきますし、
  そこから「孫子」や「三十六計」などに足を踏み込むだけでも、大きく変わってくるかと?
  あとは古文ですと、「百人一首」に親しんでおくのは、何かと有利かも知れませんね。
  最初はゲーム目的で、意味も解らず丸暗記した和歌も、古文で大きく活きてくると思います。
  あと、現代文というのは、出来る人と出来ない人の間でも、そこまで点差が付かないので、
  国語で差を付けようと思えば、この古典の部分が、結構重要になってくる気がします。
 
  それと、これは入試用の得点法ではありませんが、
  学校の定期テストで国語の点を取ろうと思えば、
  基本的に、授業で扱った教科書の文章から出題される訳ですから、
  授業の解説を覚えておけば、読解力とかに関係なく、高得点が取れますけどね(笑)。
  まあ、内申点を押さえておく目的であれば、これはこれで有効な手段かと?
  私は転校続きでしたし、不良では無いものの意外に問題児でしたので、
  内申点など最初から期待できず、ほぼ気にした事はありませんでしたけども、
  推薦入学であったり、入試の加点分を考えれば、やはり内申点は重要でしょうからねえ。

【数学の勉強法】
  え〜と、国語に続き、数学の勉強法も、なかなかに難しい問題ですよね・・・・
  しかも英語と同じで、受験用の数学と、実用?(生涯学習)の数学とでは乖離があり、
  受験用の数学では、論理的な思考を養うとかでは無くて、
  ただただ、出題された問題を解く、ある意味でクイズやパズルに近いモノですから。
  そういう意味では、クイズやパズルとして、受験数学を楽しめれば良いですけど、
  そうで無い場合は、単にテストで高得点を取るテクニックを身に付けるだけの話になります。
 
  まず、高校レベルの数学で、与えられている定義を覚えておき、
  それぞれの問題で、どの定義が使うべきかを、解法パターンとして訓練していく。
  そして、それを問題集や過去問などで、反復的に訓練し続ける事で、
  「こういう問題では、この定義を使う」と、即座に判断できる力を鍛えると。
  言うなれば、多くの解法パターンを覚える事で、手持ちのカードの数を増やし、
  そのカードを場面場面に応じて、適切に出せる勝負勘を養うようなイメージでしょうか?
  ただ、クイズやパズルとして楽しめなければ、本当に単なる点を取る為の作業ですよね。
 
  数式をCGアート化して、視覚的に数学を楽しむ方法とか、
  いろいろと考えてみた事はあるのですが、
  正直な所、受験数学を楽しくする方法というのは、私には思い浮かびませんでした。
  でもまあ、物理学にとって、数学とは「言語」のような存在ですし、
  クイズやパズル気分で楽しめた訳では無かったですけど、
  受験数学が決して嫌いでは無かったですし、それなりに点数も取れてましたね。
  あと、こうして改めて考えてみると、定義とパターンを覚えたら、
  後は反復練習で精度を上げるというのは、まさに言語の学習に近いモノなのかも?

【最後に】
  と、まあ、ここまでダラダラと書いてみましたけど、
  そもそも私自身、学校の授業をキチンと聞いてたのは小学3〜4年くらいまでで、
  中高生になると、まるで聞いていなかったくらい、
  いわゆる、一般的な学校教育とは合わなかった生徒なので、
  学生時代から、いろいろと自分に合う勉強方法を独自に模索していたんですよね。
  そういう意味では、あまり他の人には参考にならない意見なのかも知れません(苦笑)。
  ただ逆に、私はこんな感じだったからこそ、他の人の勉強法であったり、
  一般的とされる学習方法などに、興味があったので、少し書いてみた次第です。


[21891] Re:夏休み特別企画?(笑) 「勉強の仕方について考える」返信 削除
2018/9/7 (金) 23:30:11 マンネルへイム

▼ 徳翁導誉さん
> 【国語の勉強法】
>   う〜ん、とにかく国語の勉強法は、ちょっと私には解りません・・・・
>   現代文にせよ、古典にせよ、それほど勉強せずとも、
>   センター試験で9割は取れてましたから、理系の私にはそれで充分でした(苦笑)。
>   思い返してみると、小1の頃のアダ名が「漢字博士」だった程、昔から漢字は出来ましたし、
>   高校の頃に読んだ歴史小説が、現代文の読解力を高めでもしたのでしょうか?
>   理系でしたから、構文に対する論理的な捉え方も、自然と身に付いていたかも知れません。
>
>   また古典の方も、私が転勤族として育った為、「方言適応力」が普通の人より高く、
>   その影響か、古文も漢文も、それほど苦も無く読めてしまったんですよねえ・・・・
>   標準語と少し違うというのは、ある意味で、古い言葉も方言も同じ様なモノなので。
>   それと、私が歴史好きだった為、その時代背景や文化背景を理解していた事も、
>   古典の読解には、意外と大きな役立っていたのかも知れませんね。
>
>   ぶっちゃけた話、国語の勉強法に関しては、他の方の意見も多く聞きたい所ですし、
>   私から言える事は、「歴史小説を読めば、有利なのでは?」って事くらいです。
>   特に漢文に関しては、中国史の小説を読んでいるか否かで、身近さが違ってきますし、
>   そこから「孫子」や「三十六計」などに足を踏み込むだけでも、大きく変わってくるかと?
>   あとは古文ですと、「百人一首」に親しんでおくのは、何かと有利かも知れませんね。
>   最初はゲーム目的で、意味も解らず丸暗記した和歌も、古文で大きく活きてくると思います。
>   あと、現代文というのは、出来る人と出来ない人の間でも、そこまで点差が付かないので、
>   国語で差を付けようと思えば、この古典の部分が、結構重要になってくる気がします。
>
>   それと、これは入試用の得点法ではありませんが、
>   学校の定期テストで国語の点を取ろうと思えば、
>   基本的に、授業で扱った教科書の文章から出題される訳ですから、
>   授業の解説を覚えておけば、読解力とかに関係なく、高得点が取れますけどね(笑)。
>   まあ、内申点を押さえておく目的であれば、これはこれで有効な手段かと?
>   私は転校続きでしたし、不良では無いものの意外に問題児でしたので、
>   内申点など最初から期待できず、ほぼ気にした事はありませんでしたけども、
>   推薦入学であったり、入試の加点分を考えれば、やはり内申点は重要でしょうからねえ。

私も国語について書いてみます。

管理人殿の言う通り、定期テストは決まった範囲からしか出ませんから、その範囲をどれだけしっかりやるかがそのまま点数に直結しますが、
センター入試や各大学の個別試験は一発勝負ですから、結局これまでの読書経験で決まると思います

小さい頃から多くの本を読んでいれば、出題される文章のお約束のようなものが分かるようになるかと。
たまにそこから外れた本もありますが、漠然とした定型を知っていることで、そこからどう外れているのかが何となく分かります。
なんか非常に感覚的な話になってしまうのですが・・・勉強せずに国語で点数を取れる人は大体、「こうなるのが自然」「こうだった方が面白い」みたいな感覚で現代文は解けちゃうと思いますね。
古文や漢文は現代の感覚とズレがありますが・・・歴史小説等に多少触れておけば修正できます

私の場合はどうしても恋愛を題材にした古文と和歌が全く理解できず、そこだけはほぼ捨ててました。
大体読めるのですが、何故か理解できていないようで、回答を誤っていましたね。
逆に恋愛を題材とした古文なら読めなくても大体解けると言う友人が居ました、何故解けるかは分からないとも言っていました。

とはいえ、読書経験が浅くても受験なら過去問を解くことでカバーできると思いますね
その際、読書経験が多い人が無意識でやっている、要点纏めや重要な文章の抜き出しを意識してやれば、
高い点数を取ることも可能だと思います。数をこなす必要があるでしょうが・・・。


[21898] 国語という教科と、その勉強法 返信 削除
2018/9/14 (金) 20:01:35 徳翁導誉

> > 【国語の勉強法】
> >   う〜ん、とにかく国語の勉強法は、ちょっと私には解りません・・・・
> >   ぶっちゃけた話、国語の勉強法に関しては、他の方の意見も多く聞きたい所ですし、
> >   私から言える事は、「歴史小説を読めば、有利なのでは?」って事くらいです。

> 私も国語について書いてみます。
> 管理人殿の言う通り、定期テストは決まった範囲からしか出ませんから、
> その範囲をどれだけしっかりやるかがそのまま点数に直結しますが、
> センター入試や各大学の個別試験は一発勝負ですから、結局これまでの読書経験で決まると思います

少し話題はズレますけど、これを機会に最近知ったのですが、
30年ほど続いたセンター試験も、来年度が最後の実施で、
2020年度からは、新たに「大学入学共通テスト」というのが始まるんですね!?

しかも、2024年度以降には、更なる変更を加える予定だという事で、
その間に大学受験を迎える世代は、安倍教育改革に振り回される結果になりそう・・・・
で、とりあえず英語に関しては、有識者メンバーだった楽天・三木谷の強い推しもあり、
TOEICやTOEFLなどが、共通テストの英語試験の役割を担う方向になりそうなのだとか。
1発勝負ではなく、1年間に複数回の実施とかなら、私も良いと思いますけど、
そちらに関しては、どうやら採用を見送られたみたいですし。

> 小さい頃から多くの本を読んでいれば、出題される文章のお約束のようなものが分かるようになるかと。
> たまにそこから外れた本もありますが、
> 漠然とした定型を知っていることで、そこからどう外れているのかが何となく分かります。
> なんか非常に感覚的な話になってしまうのですが・・・勉強せずに国語で点数を取れる人は大体、
> 「こうなるのが自然」「こうだった方が面白い」みたいな感覚で現代文は解けちゃうと思いますね。
>  (中略)
> とはいえ、読書経験が浅くても受験なら過去問を解くことでカバーできると思いますね
> その際、読書経験が多い人が無意識でやっている、要点纏めや重要な文章の抜き出しを意識してやれば、
> 高い点数を取ることも可能だと思います。数をこなす必要があるでしょうが・・・。

でも私の場合、高校2年の夏休みまでは、
読んだ本の数など、全部で2〜3冊くらいだったんですよねえ。
(夏休みに「信長の野望」にハマり、そこから歴史小説へと入りました・笑)
国語の問題集とかも、その頃はまだ手を付けてなかったと思いますし、
その辺を考えますと、やはり『国語(母国語)』って事なんですかねえ?

で、ふと思ったのですが、日本の場合だと英・数・国・理・社で主要5教科と言われますが、
アメリカやイギリスなど、英語が母国語の国だと、英語こそが国語になる為、
主要教科は「数学・国語(=英語)・理科・社会」の4教科なんですかねえ?
外国語の授業もありそうですが、日本の大学の第2外国語くらいなイメージがあります。
でもまあ、日本でも小学校は4教科ですから、別にそれでも不思議は無いですけど。

> 古文や漢文は現代の感覚とズレがありますが・・・歴史小説等に多少触れておけば修正できます
現代文にも、古典にも、そして歴史の勉強にも役立つ歴史小説は、
意外と良い受験アイテムなのかも知れませんね?(笑)
もちろん、歴史小説を読む事が得点に直結する訳では無いので、
受験教材として読むよりは、受験勉強の息抜きとして読む方が適切でしょうけど。

> 私の場合はどうしても恋愛を題材にした古文と和歌が全く理解できず、そこだけはほぼ捨ててました。
> 大体読めるのですが、何故か理解できていないようで、回答を誤っていましたね。

現代の恋愛小説とかは、どうなのでしょうか?
そちらも理解できなければ、古典とか関係なく、そもそも恋愛小説が無理って事でしょうし、
現代なら大丈夫という事であれば、当時の恋愛感覚が理解できないって事になりますけど。

・・・って、私などは恋愛小説どころか、小説そのものをほとんど読まないんですけどね(笑)。
半年くらい前には、評判の良かった小説を試しに読んでみたのですが、
100ページ以上読み進めても、一向に面白くならなかった為、途中で読むのを辞めちゃいました。
読んだ事がある小説は、ほぼ歴史小説に限定されますし、
それすら、高2以降の数年間くらいの話で、
歴史小説すら、もう10年くらいは読んでいないと思います。

でもまあ、逆に考えてみると、小説は未開拓な分野という事になるのかなぁ?
特に古典などは、学校や受験の勉強以外で、触れる機会すらありませんでしたし、
物は試しで、「源氏物語」とかに手を出してみても、面白いのかも知れません(笑)。


[21901] Re:国語という教科と、その勉強法 返信 削除
2018/9/14 (金) 23:36:16 マンネルへイム

▼ 徳翁導誉さん
> 少し話題はズレますけど、これを機会に最近知ったのですが、
> 30年ほど続いたセンター試験も、来年度が最後の実施で、
> 2020年度からは、新たに「大学入学共通テスト」というのが始まるんですね!?
>
> しかも、2024年度以降には、更なる変更を加える予定だという事で、
> その間に大学受験を迎える世代は、安倍教育改革に振り回される結果になりそう・・・・
> で、とりあえず英語に関しては、有識者メンバーだった楽天・三木谷の強い推しもあり、
> TOEICやTOEFLなどが、共通テストの英語試験の役割を担う方向になりそうなのだとか。
> 1発勝負ではなく、1年間に複数回の実施とかなら、私も良いと思いますけど、
> そちらに関しては、どうやら採用を見送られたみたいですし。
>

そう、そうなんですよね。私の後輩達は本当に運が悪かったと思います。
一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。

正直な話、現状のセンターのマーク式が英語力の無い人間でも高得点を取れるテストというのは事実でしょうね。
私もセンターの英語は胸を張れる点数ではありませんでしたが、一応、他でカバーできる程度には踏みとどまれました。
しかし、新方式で受験していたら大学入学を断念したのではないかと思う程度には英語力が無い人間です。
少なくとも記述式のテストでは数問ある記号問題やリスニングを運で当てに行くような有様でした。

民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。
そして、一番疑問に思うのはそういう民間の英語試験を組み込んで、本当に海外で役に立つような英語力が身につくのかという事です。
確かに現行のセンター英語テストで高得点を取れても海外では通用しないでしょうけど、TOEIC等を入試に活用すれば即座に海外で通用する英語力が身につくようになるというのは信じがたい気もするんですよね。

さらに言えば、英語ってそんなに重要ですかね?
勿論、重要には違いないでしょうが、極端な話、国語や数学が出来ない人間も他の教科で高い点数を取れればそれぞれの適性にあった進学先に行ける訳です。
全教科しっかり取れる人間よりは当然、幅が狭くなりますが、それでも道は断たれません。
それなりに自分の能力を活かすことが出来るでしょう。

ところが、英語が出来ない人間は他の教科でどれほど点数を取れようが、それこそ何かの賞を受賞しようが、
一気に進学先が無くなります。
英語は大事でしょうが、万人が必ず出来なければならないような代物ですかね?
英語能力が無いと他の能力の有無は問題にならなくなるほど重要な要素なのでしょうかね?

> でも私の場合、高校2年の夏休みまでは、
> 読んだ本の数など、全部で2〜3冊くらいだったんですよねえ。
> (夏休みに「信長の野望」にハマり、そこから歴史小説へと入りました・笑)
> 国語の問題集とかも、その頃はまだ手を付けてなかったと思いますし、
> その辺を考えますと、やはり『国語(母国語)』って事なんですかねえ?
>
> で、ふと思ったのですが、日本の場合だと英・数・国・理・社で主要5教科と言われますが、
> アメリカやイギリスなど、英語が母国語の国だと、英語こそが国語になる為、
> 主要教科は「数学・国語(=英語)・理科・社会」の4教科なんですかねえ?
> 外国語の授業もありそうですが、日本の大学の第2外国語くらいなイメージがあります。
> でもまあ、日本でも小学校は4教科ですから、別にそれでも不思議は無いですけど。
>

そうですね。国語っていうより母国語って事だと思います。
国語も記述式になるのでしょうが、それは悪くない変更かもしれません。
英語程ドラスティックに変える訳じゃないでしょうし、二次試験でたまに見かけるマーク・記述混合式みたいな感じになるのでしょう。
現行の国語は読解力と知識面を試すものだと思います。しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。

その疑問は私も持ったことがありますね・・・。
やっぱり選択で外国語を勉強するんじゃないかと思っていましたが・・・。

> 現代文にも、古典にも、そして歴史の勉強にも役立つ歴史小説は、
> 意外と良い受験アイテムなのかも知れませんね?(笑)
> もちろん、歴史小説を読む事が得点に直結する訳では無いので、
> 受験教材として読むよりは、受験勉強の息抜きとして読む方が適切でしょうけど。
>

同感です。
昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。

> 現代の恋愛小説とかは、どうなのでしょうか?
> そちらも理解できなければ、古典とか関係なく、そもそも恋愛小説が無理って事でしょうし、
> 現代なら大丈夫という事であれば、当時の恋愛感覚が理解できないって事になりますけど。
>
> ・・・って、私などは恋愛小説どころか、小説そのものをほとんど読まないんですけどね(笑)。
> 半年くらい前には、評判の良かった小説を試しに読んでみたのですが、
> 100ページ以上読み進めても、一向に面白くならなかった為、途中で読むのを辞めちゃいました。
> 読んだ事がある小説は、ほぼ歴史小説に限定されますし、
> それすら、高2以降の数年間くらいの話で、
> 歴史小説すら、もう10年くらいは読んでいないと思います。
>
> でもまあ、逆に考えてみると、小説は未開拓な分野という事になるのかなぁ?
> 特に古典などは、学校や受験の勉強以外で、触れる機会すらありませんでしたし、
> 物は試しで、「源氏物語」とかに手を出してみても、面白いのかも知れません(笑)。

好んで読む訳じゃないですが、雑食なので恋愛系の作品を読むこともあります。
読んでて不愉快な作品やこっちが恥ずかしくなるような作品もありますが、
一般受けして尚且つ、理解できない作品というのはあんまりあったことがありませんね。

「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない


[21911] センター試験の廃止と、共通テストの導入返信 削除
2018/9/21 (金) 19:45:16 徳翁導誉

▼ 大学入学共通テストの話
> > 少し話題はズレますけど、これを機会に最近知ったのですが、
> > 30年ほど続いたセンター試験も、来年度が最後の実施で、
> > 2020年度からは、新たに「大学入学共通テスト」というのが始まるんですね!?
> > しかも、2024年度以降には、更なる変更を加える予定だという事で、
> > その間に大学受験を迎える世代は、安倍教育改革に振り回される結果になりそう・・・・

> そう、そうなんですよね。私の後輩達は本当に運が悪かったと思います。
> 一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、
> マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。

マーク式だと役立つアドバイスって、具体的にどんな感じでしょう?
スレッドがスレッドですので、ちょっと興味がある所です(笑)。

> 正直な話、現状のセンターのマーク式が英語力の無い人間でも
> 高得点を取れるテストというのは事実でしょうね。
> 私もセンターの英語は胸を張れる点数ではありませんでしたが、
> 一応、他でカバーできる程度には踏みとどまれました。
> しかし、新方式で受験していたら大学入学を断念したのではないかと思う程度には英語力が無い人間です。
> 少なくとも記述式のテストでは数問ある記号問題やリスニングを運で当てに行くような有様でした。

いや別に、マーク式が全廃されて、全て記述式に置き換わるという話ではなく、
基本はマーク式で、そこに記述式も一部加わる感じだと思いますよ。
ほぼ全ての受験生が受けるテストですから、記述問題ばかりだと採点が困難ですし、
先んじて導入された私大入試の記述問題も、申し訳程度という所が多いですからねえ。
それにTOEICやTOEFLにしても、私が受けた頃と変わっていなければ、マーク式だった気が?

> > で、とりあえず英語に関しては、有識者メンバーだった楽天・三木谷の強い推しもあり、
> > TOEICやTOEFLなどが、共通テストの英語試験の役割を担う方向になりそうなのだとか。

> 民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
> 英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、
> その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。

私が気になってしまうのは、受験生に対する平等性であったり、
国家としての教育に対する責任性みたいな所なんですよねえ・・・・

TOEICやTOEFLがダメとは言いませんし、何度も受けられる利点はありますけど、
それなりの受験料が掛かる事から、家庭の経済力によって左右されたり、
試験会場は大都市ばかりなので、地方在住者は受ける事が困難だったりと、
その受験機会の回数が、不平等を生み兼ねない気がするんです。
しかも、大学入学共通テスト単独での合否判定には否定的な態度なので、
受験料も安く、試験会場まで出向かなくて良い、私大センター利用入試が無くなるかも知れず、
そうなると、貧しい受験生や、地方の受験生は、更に苦労を強いられる事になります。
都会に暮らし、経済的にも恵まれている受験生は、現状でも有利な状況にあるのに、
国が率先して格差を更にを広げるのは、私の公教育観とは全く合わないというのが正直な所。

また、移行期間のように、大学入学共通テストに英語のテストがありつつ、
各大学ごとの判断で、TOEICやTOEFLの点数も利用できると言うなら良いのですが、
5教科の中で英語に限り、国が作るテストを無くしてしまうと言うのは・・・・
現行のセンター試験に問題があるなら、国が責任を持って新たなテストを作るべきで、
「そうした能力すら、いまの日本には無いのか?」と、悲しくもなりますし、
いっそ全廃して民間テストに丸投げするなら、英語だけなどという中途半端な事はせず、
高校入試の業者テストのように、他の教科も含めて、民間業者に任せるべきです。
それに、そもそも、2次試験では各大学がそれぞれ入試テストを課すのですから、
1次試験である共通テスト(センター試験)には、それこそ統一性こそが重要な気がしています。

> そして、一番疑問に思うのはそういう民間の英語試験を組み込んで、
> 本当に海外で役に立つような英語力が身につくのかという事です。
> 確かに現行のセンター英語テストで高得点を取れても海外では通用しないでしょうけど、
> TOEIC等を入試に活用すれば即座に海外で通用する英語力が
> 身につくようになるというのは信じがたい気もするんですよね。

でもまあ、1つの目安には成り得ますよね。
学歴にしても、資格にしても、ある意味では同じ事だ思います。
そもそも、「即座に通用」というレベルを期待されていない気もしますし。

> さらに言えば、英語ってそんなに重要ですかね?
> 勿論、重要には違いないでしょうが、
> 極端な話、国語や数学が出来ない人間も他の教科で高い点数を取れれば
> それぞれの適性にあった進学先に行ける訳です。
> 全教科しっかり取れる人間よりは当然、幅が狭くなりますが、それでも道は断たれません。
> それなりに自分の能力を活かすことが出来るでしょう。
> ところが、英語が出来ない人間は他の教科でどれほど点数を取れようが、それこそ何かの賞を受賞しようが、
> 一気に進学先が無くなります。
> 英語は大事でしょうが、万人が必ず出来なければならないような代物ですかね?
> 英語能力が無いと他の能力の有無は問題にならなくなるほど重要な要素なのでしょうかね?

それでもまだ、日本の状況はマシな方ではあるんですよね。
日本では、母国語である日本語で、大学の授業を受けられるのですから。
これって実は当たり前の事のようで、全然そうではありませんし、
英語なり、旧宗主国の言語なりで無いと、高等教育を受けられない国の方が多数派かと?
そうした国々では、学問をする上で、英語が出来る事が前提条件となりますし、
だからこそ必要に駆られる為、英語に堪能な学生が多くなると。
逆に言えば、日本だとそこまで、英語の必要性を迫られてないって事なんですよね(笑)。
国によっては、説明書や契約書なども、非母国語である英語で書かれており、
学問だけでなく、生活するにも仕事をするにも、英語が必要な所だったあるくらいですし。

で、そうした日本の現状が悪い事なのかと言えば、決してそうとも言えません。
何より、母国語で学問が出来る事で、絶対数が増え、全体のレベルも上がりますからねえ。
もちろん、諸外国の学生は英語も出来て、それこそ「即座に通用」するレベルかも知れませんが、
そうした人材はトップの一握りであり、日本でもトップなら相応の英語力はあるでしょうし、
また、2008年にノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学の益川教授は、英語が出来ない事で有名でした。
英語は出来ないのにノーベル賞を取れる人材を輩出できる国など、日本くらいかも知れません(笑)。

それに、ここまでAI技術が発達すれば、そう遠くない将来に、
日常レベルの翻訳機能に関しては、AIがこなしてくれる時代が訪れそうですからねえ。
まあ、このスレッドの大元となったスレッドで話題に上がった
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の著者は、AIに翻訳は不可能と言ってましたけど(笑)、
そうした時代が到来したら、英語を話せる事よりも、何を語れるかが、遥かに重要になろうかと。
楽天・三木谷が自身の英語コンプレックスを振り回し、自社内の公用語を英語にするも、
(国の後援を受けながら)海外展開が上手く行ってないのは、経営者個人の勝手ですけど、
安倍政権の政策ブレーンとして、国民全体の教育まで振り回すのは、正直勘弁して貰いたい・・・・


▼ 国語の話
> > でも私の場合、高校2年の夏休みまでは、
> > 読んだ本の数など、全部で2〜3冊くらいだったんですよねえ。
> > (夏休みに「信長の野望」にハマり、そこから歴史小説へと入りました・笑)
> > 国語の問題集とかも、その頃はまだ手を付けてなかったと思いますし、
> > その辺を考えますと、やはり『国語(母国語)』って事なんですかねえ?

> そうですね。国語っていうより母国語って事だと思います。
> 国語も記述式になるのでしょうが、それは悪くない変更かもしれません。
> 英語程ドラスティックに変える訳じゃないでしょうし、
> 二次試験でたまに見かけるマーク・記述混合式みたいな感じになるのでしょう。
> 現行の国語は読解力と知識面を試すものだと思います。
> しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
> まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。

「とっさの説明」は・・・私も下手かも知れませんね(苦笑)。

> > で、ふと思ったのですが、日本の場合だと英・数・国・理・社で主要5教科と言われますが、
> > アメリカやイギリスなど、英語が母国語の国だと、英語こそが国語になる為、
> > 主要教科は「数学・国語(=英語)・理科・社会」の4教科なんですかねえ?
> > 外国語の授業もありそうですが、日本の大学の第2外国語くらいなイメージがあります。
> > でもまあ、日本でも小学校は4教科ですから、別にそれでも不思議は無いですけど。

> その疑問は私も持ったことがありますね・・・。
> やっぱり選択で外国語を勉強するんじゃないかと思っていましたが・・・。

私も実際の所は解りませんけど、
海外ドラマとかだと、そんな感じのイメージです(笑)。

> > 現代文にも、古典にも、そして歴史の勉強にも役立つ歴史小説は、
> > 意外と良い受験アイテムなのかも知れませんね?(笑)
> > もちろん、歴史小説を読む事が得点に直結する訳では無いので、
> > 受験教材として読むよりは、受験勉強の息抜きとして読む方が適切でしょうけど。

> 同感です。
> 昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは
> 昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。

数学の方で出た話題ですけど、やはり学問の上達には、
「教わる」よりも、「教える」事の方が、遥かに効果があると考えれば、
国語力を養おうとすれば、読む事は勿論、自ら書いてみる方がもっと良いのかも?(笑)
まあ流石に小説とかはハードルが高いかも知れませんが、それこそブログとかでも言い訳ですし、
考えようによっては、文字を書く機会の多い現在の若いデジタル・ネイティブ世代の方が、
一般的なイメージとは逆に、意外と国語力が高いという事も有り得そうな気がします。

あと、小説という点では、何も歴史小説に限らず、
科学の小説であったり、数学の小説であったりというのも、
やり方によっては、面白い内容にできて、かつ受験教材にも為り得る可能性はあると思うんです。
何でも漫画化してみたり、とにかく萌え化や擬人化してみたりなど、そうした教材は既にありますけど、
どうも、やっつけ仕事の感が強く、作品としても教材としても不十分なばかりな印象がありますし。

> > 現代の恋愛小説とかは、どうなのでしょうか?
> > そちらも理解できなければ、古典とか関係なく、そもそも恋愛小説が無理って事でしょうし、
> > 現代なら大丈夫という事であれば、当時の恋愛感覚が理解できないって事になりますけど。

> 好んで読む訳じゃないですが、雑食なので恋愛系の作品を読むこともあります。
> 読んでて不愉快な作品やこっちが恥ずかしくなるような作品もありますが、
> 一般受けして尚且つ、理解できない作品というのはあんまりあったことがありませんね。
> 「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
> 藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
> 感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
> その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
> 解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
> 解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
> そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない

う〜ん、単純に考えると、後者って事になるのでしょうが、
何だか、それも違う気がする・・・・

ひょっとしたら、感情移入をし過ぎているのかも知れませんね(笑)。
入り込んでしまうからこそ、主人公に同調して、深読みや裏読みをしてしまう。
でもテスト問題の読み方って、もっと表面的じゃないですか?
例えば、「主人公は喜んだ」と書いてあれば、
主人公の感情として適当な選択肢は「喜び」が正解になるのでしょうけど、
作品に入り込むと、「この主人公なら、本心では悔しいはずだ」と感じ取る事もあるはずです。
だからと言って、解答として「悔しさ」を選んだら、それは間違いとして判断されてしまうと。

もしくは、そもそも個人の感覚が、一般的な感覚からズレているなんて可能性も?(笑)
そもそも現代の恋愛小説とかは、基本的にテスト問題として出てこないでしょうし、
実際にテストがあった場合、実は自信満々の答えが不正解なんて事も有り得るかも知れません。
前術の例で言えば、「悔しいはず」と感じたのは、個人の思い込みで、
本当に主人公は、純粋に「喜んでいた」というケースですね。


[21916] Re:センター試験の廃止と、共通テストの導入返信 削除
2018/9/26 (水) 13:57:18 マンネルへイム

▼ 徳翁導誉さん
> ▼ 大学入学共通テストの話
> > そう、そうなんですよね。私の後輩達は本当に運が悪かったと思います。
> > 一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、
> > マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。

> マーク式だと役立つアドバイスって、具体的にどんな感じでしょう?
> スレッドがスレッドですので、ちょっと興味がある所です(笑)。
>

そんな大した話ではないですよ(笑)
大体マーク式は4択や5択の問題ですよね
だから模試やワークを解くときに選択肢に〇や×をしておきます。
正解だと確信できた選択肢に〇、間違っていると確信できる選択肢に×をつけておきます。
どちらか判断がつかない選択肢には△をつけておきます。余裕があれば、その選択肢のどの部分が間違っているかまで記号を付けておければ良いかと。
そして最後に△を含まない問題、つまり確実に正解しているという自信がある問題を大体計算して、自分がこのテストでどれくらい点数が取れそうか予測しておきます。

自己採点の後、事前に予測していた点数を上回っていたとしても、それは△を含む問題を「幸運にも」正解できただけだとわかりますから、
自分の実際の実力を見誤らないで済みます。
下回っていた場合は、自信のある問題を間違えていることに気づけます。

見直しの際には回答中につけた記号が役にたち、効率的・効果的に見直せます。
具体的には自分が〇や×を自信をもって付けて答えたにも関わらず、誤答してしまった問題は、
「分かったつもり」になっている問題ですから、最優先で見直しをしないと本番で足をすくわれかねません。
こういう「分かったつもり」の問題を無くすことで着実に点数を伸ばしていけますし、尚且つ自分の実力を常に正しく把握できるようになります。

△を付けた問題はその時点で「分からない」問題ですから、時間が無ければ後回しにしても大丈夫です。
なんなら、放置して次のページなりプリントなりをやっても良いかもしれません。
△を付けたという事は少なくとも自分が「分からない」ということは分かっている問題ですから、本番までのどこかで時間があるときに集中的に復習すれば無駄なく点数を上げられます

> いや別に、マーク式が全廃されて、全て記述式に置き換わるという話ではなく、
> 基本はマーク式で、そこに記述式も一部加わる感じだと思いますよ。
> ほぼ全ての受験生が受けるテストですから、記述問題ばかりだと採点が困難ですし、
> 先んじて導入された私大入試の記述問題も、申し訳程度という所が多いですからねえ。
> それにTOEICやTOEFLにしても、私が受けた頃と変わっていなければ、マーク式だった気が?
>

確かにマーク式ですけど、半分がリスニングですし、リーディングも文法や単語問題の比率がセンター試験より高いのがネックですかね?
読解問題は確かにこれまでのセンター対策と通じる部分があると思いますが、総合的にはより負担が大きくなっているのは間違いありません。

> > 民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
> > 英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、
> > その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。

> 私が気になってしまうのは、受験生に対する平等性であったり、
> 国家としての教育に対する責任性みたいな所なんですよねえ・・・・
>
> TOEICやTOEFLがダメとは言いませんし、何度も受けられる利点はありますけど、
> それなりの受験料が掛かる事から、家庭の経済力によって左右されたり、
> 試験会場は大都市ばかりなので、地方在住者は受ける事が困難だったりと、
> その受験機会の回数が、不平等を生み兼ねない気がするんです。
> しかも、大学入学共通テスト単独での合否判定には否定的な態度なので、
> 受験料も安く、試験会場まで出向かなくて良い、私大センター利用入試が無くなるかも知れず、
> そうなると、貧しい受験生や、地方の受験生は、更に苦労を強いられる事になります。
> 都会に暮らし、経済的にも恵まれている受験生は、現状でも有利な状況にあるのに、
> 国が率先して格差を更にを広げるのは、私の公教育観とは全く合わないというのが正直な所。
>
> また、移行期間のように、大学入学共通テストに英語のテストがありつつ、
> 各大学ごとの判断で、TOEICやTOEFLの点数も利用できると言うなら良いのですが、
> 5教科の中で英語に限り、国が作るテストを無くしてしまうと言うのは・・・・
> 現行のセンター試験に問題があるなら、国が責任を持って新たなテストを作るべきで、
> 「そうした能力すら、いまの日本には無いのか?」と、悲しくもなりますし、
> いっそ全廃して民間テストに丸投げするなら、英語だけなどという中途半端な事はせず、
> 高校入試の業者テストのように、他の教科も含めて、民間業者に任せるべきです。
> それに、そもそも、2次試験では各大学がそれぞれ入試テストを課すのですから、
> 1次試験である共通テスト(センター試験)には、それこそ統一性こそが重要な気がしています。
>

センター利用型入試が無くなるとすればそれは地方高校出身の学生には大きな影響を与えますね・・・。
単に旅費の問題だけではなく、試験会場で試験を受けるという状況自体学生には負担が大きいです。
勿論、数をこなして慣れるという考え方もあるでしょうけど、それも限度があるかと。
例えばMarchのセンター利用型に片っ端から出した上で本命だけは直接会場で受けるというような事が出来なくなりますよね・・・。
あるいは滑り止めの為だけにわざわざ大阪なり東京なりに行く必要が出てきます。

> でもまあ、1つの目安には成り得ますよね。
> 学歴にしても、資格にしても、ある意味では同じ事だ思います。
> そもそも、「即座に通用」というレベルを期待されていない気もしますし。
>
> それでもまだ、日本の状況はマシな方ではあるんですよね。
> 日本では、母国語である日本語で、大学の授業を受けられるのですから。
> これって実は当たり前の事のようで、全然そうではありませんし、
> 英語なり、旧宗主国の言語なりで無いと、高等教育を受けられない国の方が多数派かと?
> そうした国々では、学問をする上で、英語が出来る事が前提条件となりますし、
> だからこそ必要に駆られる為、英語に堪能な学生が多くなると。
> 逆に言えば、日本だとそこまで、英語の必要性を迫られてないって事なんですよね(笑)。
> 国によっては、説明書や契約書なども、非母国語である英語で書かれており、
> 学問だけでなく、生活するにも仕事をするにも、英語が必要な所だったあるくらいですし。
>
> で、そうした日本の現状が悪い事なのかと言えば、決してそうとも言えません。
> 何より、母国語で学問が出来る事で、絶対数が増え、全体のレベルも上がりますからねえ。
> もちろん、諸外国の学生は英語も出来て、それこそ「即座に通用」するレベルかも知れませんが、
> そうした人材はトップの一握りであり、日本でもトップなら相応の英語力はあるでしょうし、
> また、2008年にノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学の益川教授は、英語が出来ない事で有名でした。
> 英語は出来ないのにノーベル賞を取れる人材を輩出できる国など、日本くらいかも知れません(笑)。
>
> それに、ここまでAI技術が発達すれば、そう遠くない将来に、
> 日常レベルの翻訳機能に関しては、AIがこなしてくれる時代が訪れそうですからねえ。
> まあ、このスレッドの大元となったスレッドで話題に上がった
> 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の著者は、AIに翻訳は不可能と言ってましたけど(笑)、
> そうした時代が到来したら、英語を話せる事よりも、何を語れるかが、遥かに重要になろうかと。
> 楽天・三木谷が自身の英語コンプレックスを振り回し、自社内の公用語を英語にするも、
> (国の後援を受けながら)海外展開が上手く行ってないのは、経営者個人の勝手ですけど、
> 安倍政権の政策ブレーンとして、国民全体の教育まで振り回すのは、正直勘弁して貰いたい・・・・
>
>

それを言われると弱いですね・・・。
フィンランドやオランダでは言語利用者が少ない為に、採算が取れず、学術書も児童書も自国語に翻訳されることは無いとか。
それ故に基本的に本という本が英語で書かれており、まさしく英語を学ぶことが必要不可欠な環境に置かれているそうです。
ただ、一方日本のように言語利用者が多い為に英語学習が必要不可欠とまではいかない状況が悪いとも言えず、
その環境を日本人が率先して破壊していくのは軽率だ、というような本を読んだ記憶があります。

個人的にはAIの発達を期待したいです。
仕事が無くなったら元も子もないですけどね・・・。
> ▼ 国語の話
> > そうですね。国語っていうより母国語って事だと思います。
> > 国語も記述式になるのでしょうが、それは悪くない変更かもしれません。
> > 英語程ドラスティックに変える訳じゃないでしょうし、
> > 二次試験でたまに見かけるマーク・記述混合式みたいな感じになるのでしょう。
> > 現行の国語は読解力と知識面を試すものだと思います。
> > しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
> > まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。

> 「とっさの説明」は・・・私も下手かも知れませんね(苦笑)。
>

私も下手です。
それに最近、文章での説明も下手になってきた気がして焦っています。
紙媒体の読書量が減ったのが原因なんでしょうかね・・・。

> > 同感です。
> > 昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは
> > 昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。

> 数学の方で出た話題ですけど、やはり学問の上達には、
> 「教わる」よりも、「教える」事の方が、遥かに効果があると考えれば、
> 国語力を養おうとすれば、読む事は勿論、自ら書いてみる方がもっと良いのかも?(笑)
> まあ流石に小説とかはハードルが高いかも知れませんが、それこそブログとかでも言い訳ですし、
> 考えようによっては、文字を書く機会の多い現在の若いデジタル・ネイティブ世代の方が、
> 一般的なイメージとは逆に、意外と国語力が高いという事も有り得そうな気がします。
>
> あと、小説という点では、何も歴史小説に限らず、
> 科学の小説であったり、数学の小説であったりというのも、
> やり方によっては、面白い内容にできて、かつ受験教材にも為り得る可能性はあると思うんです。
> 何でも漫画化してみたり、とにかく萌え化や擬人化してみたりなど、そうした教材は既にありますけど、
> どうも、やっつけ仕事の感が強く、作品としても教材としても不十分なばかりな印象がありますし。
>

うーん、ネット小説とかならともかく、いわゆるSNSやブログだと文章を書くというより、
話し言葉を文章化したような印象を受けます。
といってもそれが悪いという訳でもなく、コミュニケーション能力の向上には繋がるでしょう。
ただ、文章力の向上に繋がるかは正直微妙ではないでしょうか?

> > 好んで読む訳じゃないですが、雑食なので恋愛系の作品を読むこともあります。
> > 読んでて不愉快な作品やこっちが恥ずかしくなるような作品もありますが、
> > 一般受けして尚且つ、理解できない作品というのはあんまりあったことがありませんね。
> > 「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
> > 藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
> > 感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
> > その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
> > 解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
> > 解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
> > そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない

> う〜ん、単純に考えると、後者って事になるのでしょうが、
> 何だか、それも違う気がする・・・・
>
> ひょっとしたら、感情移入をし過ぎているのかも知れませんね(笑)。
> 入り込んでしまうからこそ、主人公に同調して、深読みや裏読みをしてしまう。
> でもテスト問題の読み方って、もっと表面的じゃないですか?
> 例えば、「主人公は喜んだ」と書いてあれば、
> 主人公の感情として適当な選択肢は「喜び」が正解になるのでしょうけど、
> 作品に入り込むと、「この主人公なら、本心では悔しいはずだ」と感じ取る事もあるはずです。
> だからと言って、解答として「悔しさ」を選んだら、それは間違いとして判断されてしまうと。
>
> もしくは、そもそも個人の感覚が、一般的な感覚からズレているなんて可能性も?(笑)
> そもそも現代の恋愛小説とかは、基本的にテスト問題として出てこないでしょうし、
> 実際にテストがあった場合、実は自信満々の答えが不正解なんて事も有り得るかも知れません。
> 前術の例で言えば、「悔しいはず」と感じたのは、個人の思い込みで、
> 本当に主人公は、純粋に「喜んでいた」というケースですね。

いや、感情移入しすぎというよりは私の思考形式が特定の状況では世間の思考形式とズレちゃうんだと思います。
基本的に文章題は世間様の常識を意識して読んでいるのですが、極稀に私の常識がズレていることがあるみたいで・・・。

それに加え、蜻蛉日記の場合は背景を知っていることが逆効果になっているのかもしれません。

蜻蛉日記は藤原道綱母が夫の藤原兼家に失望して、子の藤原道綱を育てることに生きがい?を見出していく話で
そこに至るまでの藤原道綱母の心情が滲み出ているからこそ高く評価されているのだと認識しています。
最初に読んだ蜻蛉日記の説明がそんな感じだったので。
それ故に兼家に対する道綱母の心情を厳しめに想定しすぎているのかもしれません。
最初の方は兼家に未練だらだらですからね・・・。


[21919] Re2:センター試験の廃止と、共通テストの導入返信 削除
2018/9/27 (木) 19:57:52 徳翁導誉

> > > 一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、
> > > マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。

> > マーク式だと役立つアドバイスって、具体的にどんな感じでしょう?
> > スレッドがスレッドですので、ちょっと興味がある所です(笑)。

> そんな大した話ではないですよ(笑)
> 大体マーク式は4択や5択の問題ですよね
> だから模試やワークを解くときに選択肢に〇や×をしておきます。
> 正解だと確信できた選択肢に〇、間違っていると確信できる選択肢に×をつけておきます。
> どちらか判断がつかない選択肢には△をつけておきます。
> 見直しの際には回答中につけた記号が役にたち、効率的・効果的に見直せます。
> 具体的には自分が〇や×を自信をもって付けて答えたにも関わらず、誤答してしまった問題は、
> 「分かったつもり」になっている問題ですから、最優先で見直しをしないと本番で足をすくわれかねません。
> こういう「分かったつもり」の問題を無くすことで着実に点数を伸ばしていけますし、
> 尚且つ自分の実力を常に正しく把握できるようになります。

なるほど、模試や問題集をする時の話だったんですね。
「マーク式が英語力の無い人間でも高得点を取れるテスト」とありましたので、
私はてっきり、入試本番で選択問題の正答率を上げる裏技でもあるのかと?(笑)。

> > いや別に、マーク式が全廃されて、全て記述式に置き換わるという話ではなく、
> > 基本はマーク式で、そこに記述式も一部加わる感じだと思いますよ。
> > ほぼ全ての受験生が受けるテストですから、記述問題ばかりだと採点が困難ですし、
> > 先んじて導入された私大入試の記述問題も、申し訳程度という所が多いですからねえ。
> > それにTOEICやTOEFLにしても、私が受けた頃と変わっていなければ、マーク式だった気が?

> 確かにマーク式ですけど、半分がリスニングですし、
> リーディングも文法や単語問題の比率がセンター試験より高いのがネックですかね?
> 読解問題は確かにこれまでのセンター対策と通じる部分があると思いますが、
> 総合的にはより負担が大きくなっているのは間違いありません。

そもそも「マーク式ってそんなに悪いかなぁ?」という思いが、私自身には正直あるんですよね。
数学や物理などの計算問題では、単に答えを書くだけなら、記述式とそんな大差ありませんし、
確かに、4択問題なら25%、5択問題なら20%の確率で、当てずっぽうに答えても正解しますけど、
十分な問題数さえあれば、平均点を引き上げたり、点差を縮めたりはあるものの、
最終的には、それなりに学力差はキチンと反映されるだろうと考えているので。


> > > 民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
> > > 英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、
> > > その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。

> > 私が気になってしまうのは、受験生に対する平等性であったり、
> > 国家としての教育に対する責任性みたいな所なんですよねえ・・・・
> > TOEICやTOEFLがダメとは言いませんし、何度も受けられる利点はありますけど、
> > それなりの受験料が掛かる事から、家庭の経済力によって左右されたり、
> > 試験会場は大都市ばかりなので、地方在住者は受ける事が困難だったりと、
> > その受験機会の回数が、不平等を生み兼ねない気がするんです。
> > しかも、大学入学共通テスト単独での合否判定には否定的な態度なので、
> > 受験料も安く、試験会場まで出向かなくて良い、私大センター利用入試が無くなるかも知れず、
> > そうなると、貧しい受験生や、地方の受験生は、更に苦労を強いられる事になります。

> センター利用型入試が無くなるとすればそれは地方高校出身の学生には大きな影響を与えますね・・・。
> 単に旅費の問題だけではなく、試験会場で試験を受けるという状況自体学生には負担が大きいです。
> 勿論、数をこなして慣れるという考え方もあるでしょうけど、それも限度があるかと。
> 例えばMarchのセンター利用型に片っ端から出した上で
> 本命だけは直接会場で受けるというような事が出来なくなりますよね・・・。
> あるいは滑り止めの為だけにわざわざ大阪なり東京なりに行く必要が出てきます。

そして、大学入試ほどでは無いにしても、TOEICやTOEFLの受験だって移動は大変です。
私自身は転勤族として、都会や地方を数年単位で連れ回せれて育った為、
都会の長所と短所も、地方の長所と短所も、両方理解しているつもりですが、
どうも都会暮らしの人は、自分が恵まれた環境下にある事を理解してないと言いますか、
どれだけ地方暮らしが不便を強いられるかを、あまり想像できてない感はあるんですよね。
確かに、ここ10年くらいで、「ネット通販」と「ショッピング・モール」の登場により、
生活面における都会と地方の差というのは、急速に縮まった所があるものの、
実際に現地へ足を運ばなければならない分野(試験や手続き、観戦・鑑賞など)に関しては、
もう物理的な差なので、その辺は未だに厳然として存在していますし・・・・

> > 日本では、母国語である日本語で、大学の授業を受けられるのですから。
> > これって実は当たり前の事のようで、全然そうではありませんし、
> > 英語なり、旧宗主国の言語なりで無いと、高等教育を受けられない国の方が多数派かと?
> > そうした国々では、学問をする上で、英語が出来る事が前提条件となりますし、
> > だからこそ必要に駆られる為、英語に堪能な学生が多くなると。
> > 逆に言えば、日本だとそこまで、英語の必要性を迫られてないって事なんですよね(笑)。
> > 国によっては、説明書や契約書なども、非母国語である英語で書かれており、
> > 学問だけでなく、生活するにも仕事をするにも、英語が必要な所だったあるくらいですし。

> フィンランドやオランダでは言語利用者が少ない為に、
> 採算が取れず、学術書も児童書も自国語に翻訳されることは無いとか。
> それ故に基本的に本という本が英語で書かれており、
> まさしく英語を学ぶことが必要不可欠な環境に置かれているそうです。
> ただ、一方日本のように言語利用者が多い為に英語学習が必要不可欠とまではいかない状況が悪いとも言えず、
> その環境を日本人が率先して破壊していくのは軽率だ、というような本を読んだ記憶があります。

別にそれは珍しい主張では無いと思いますし、基本的には私も同意見ですよ。
英語が出来ないよりも、出来たに越した事が無いのは当然ですが、
その代償として、国語の能力だったり、その他の学力が、それ以上に落ちるようでは、
本末転倒も良い所だろうと思いますので・・・・
例えば東大なども、そこまで気にする事も無い、世界の大学ランキングを上げようと、
国際化の方針を図った結果、肝心の研究面や教育面で評価を落として、
結局、ランキングの順位を落としたりなどは、本当に愚の骨頂に見えます。

あと、児童の英語教育という話ですと、
日本では2020年から、小学校で「英語の教科化」の始まる予定だそうですね。
もう既に数年ほど前から、週に1回のペースで、英語に親しむ時間は取られていたそうですが、
2年後から遂に、英語の授業時間が相応に取られ、教科書を使い、成績まで付くらしいです。
もちろん、言語教育というのは早ければ早いほど良いというのは、一面では真実ですけども、
だからと言って、今まで中学1年生から始めてた事を、小学校高学年を前倒しするだけで、
しかも、専門的な研修や経験を積んでいない小学校の先生が教えるようでは、
無理があると言いますか、英語嫌いになる年齢を早めるだけな気がするんですよねえ・・・・

もともと現状の英語という教科は、学び始める中1の頃は生徒からの人気度が高いのに、
中3の頃には人気がガタ落ちするという、深刻な構造的問題を抱えている訳ですし、
小学校に英語を導入するにしても、純粋に「楽しむ」だけに徹した方が、遥かに良い気がします。
「道徳の教科化」と言い、「プログラミング教育の必修化」と言い、
これからの日本の小学生をどう育てたいのか、私には本当に意味不明です・・・・

> > それに、ここまでAI技術が発達すれば、そう遠くない将来に、
> > 日常レベルの翻訳機能に関しては、AIがこなしてくれる時代が訪れそうですからねえ。
> > まあ、このスレッドの大元となったスレッドで話題に上がった
> > 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の著者は、AIに翻訳は不可能と言ってましたけど(笑)、
> > そうした時代が到来したら、英語を話せる事よりも、何を語れるかが、遥かに重要になろうかと。

> 個人的にはAIの発達を期待したいです。

私の予想では、10年かからない内に、自動翻訳機が普通に使われる時代になると思いますし、
とりあえず総務省は、2年後の東京五輪に向けて、本格利用を目指していますね。
少なくとも、海外旅行や日常生活で使えるレベルのモノは、
数年の内に、実用化&普及するのでは無いでしょうか?

> 仕事が無くなったら元も子もないですけどね・・・。
その辺の事を含めて、AIとセットで「BI(ベーシック・インカム)」が語られる事が多いですけど、
産業革命を始め、今までも人類は、そうした大変革期を体験してきて現在に至ってる訳で、
ある意味では、古い時代の仕事が無くなり、新たな時代の仕事が生まれるのは、歴史の常かと?
そして、大きな変革は大きなな格差を生み、その歪みが限界に達すると、ガラガラポンが起きると。

強いて違いを言えば、時代が進めば進むほど、変化のスピードも加速度的に速くなってる事でしょうか?
IT革命によって社会は大きく変わりましたが、その変革も、ここ十数年間の話ですし、
これから本格化するであろうAIの発達は、更なる変革を社会にもたらすでしょうけど、
その後に来るナノやバイオの技術革新は、今までの歴史にも存在しなかった、
人類が自らの手により「人工的に進化」する時代を、到来させるでしょうからねえ・・・・
もし世界大戦レベルの戦争があれば、私たちが生きている内に見られるかも知れませんよ(苦笑)。


> > > しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
> > > まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。

> > 「とっさの説明」は・・・私も下手かも知れませんね(苦笑)。

> 私も下手です。
> それに最近、文章での説明も下手になってきた気がして焦っています。
> 紙媒体の読書量が減ったのが原因なんでしょうかね・・・。

やはり皆さん、今は電子書籍で読まれる時代なんですかねえ?
私は未だに紙じゃないと駄目なので、本を読むなら紙媒体ですし、
電子情報も数十ページあれば印刷しても読み、本を買うのもAmazonではなく本屋です。
そう考えると、私はかなりのアナログ派なのかな(笑)。

> > > 昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは
> > > 昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。

> > 数学の方で出た話題ですけど、やはり学問の上達には、
> > 「教わる」よりも、「教える」事の方が、遥かに効果があると考えれば、
> > 国語力を養おうとすれば、読む事は勿論、自ら書いてみる方がもっと良いのかも?(笑)
> > まあ流石に小説とかはハードルが高いかも知れませんが、それこそブログとかでも言い訳ですし、
> > 考えようによっては、文字を書く機会の多い現在の若いデジタル・ネイティブ世代の方が、
> > 一般的なイメージとは逆に、意外と国語力が高いという事も有り得そうな気がします。

> うーん、ネット小説とかならともかく、いわゆるSNSやブログだと文章を書くというより、
> 話し言葉を文章化したような印象を受けます。
> といってもそれが悪いという訳でもなく、コミュニケーション能力の向上には繋がるでしょう。
> ただ、文章力の向上に繋がるかは正直微妙ではないでしょうか?

明治の頃、言文一致運動の中、話し言葉で書かれた夏目漱石などの近代小説は、
それこそ当時の文化人たちからは、「低俗」として切って捨てられていましたけども、
現在、彼らの書いた小説作品は、果たしてどんな評価をされているでしょうか?
平安時代の日記と現代のブログや、江戸時代の俳諧連歌と現代のLINEには、
各時代性の違いという以外に、一体どれだけの違いがあるのでしょう?
また、純文学に大衆文学、ラノベにケータイ小説、ブログにSNSと、
全て繋がって見えるこれらは、どこかで明確に線引き出来るモノなのでしょうか?
そして例えば、ブログ以上に話し言葉に近い、この掲示板でのやり取りなども、
文章力の向上には、まるで繋がらないのでしょうかねえ?(笑)

それに何より、文章力や読解力というのは、コミュニケーション能力の一要素では無いでしょうか?
先日、文化庁の調査で、「なし崩し」や「檄を飛ばす」といった言葉は、
本来の意味で用いられるより、誤用の方が7割近いという結果が発表されてましたけど、
言葉とは時代によって変わる生き物である以上、ここまで来れば、誤用こそ正しいとも言えますし、
教科書的に正しいとされる意味にしても、時代を遡れば、誤用が定着した例など枚挙に暇がありません。
ですから、教科書的な正しさを絶対的な1つの基準として、それ以外は間違いとするのではなく、
その辺を含めてキチンと理解できる事こそ、本当の意味での国語力だと思いますし、
よく「近頃の若いモンは」となるのは、何か若者に問題があるという以上に、
若者との世代間ギャップを埋まられない、当人の問題が大きいと思うんですよね。
・・・って、国語のテストとなると、逆にその「教科書的な正しさ」が絶対になるのですが(苦笑)。

> > > 「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
> > > 藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
> > > 感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
> > > その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
> > > 解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
> > > 解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
> > > そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない

> > ひょっとしたら、感情移入をし過ぎているのかも知れませんね(笑)。
> > もしくは、そもそも個人の感覚が、一般的な感覚からズレているなんて可能性も?(笑)

> いや、感情移入しすぎというよりは
> 私の思考形式が特定の状況では世間の思考形式とズレちゃうんだと思います。
> 基本的に文章題は世間様の常識を意識して読んでいるのですが、
> 極稀に私の常識がズレていることがあるみたいで・・・。

「極稀に」と言うのが、却って厄介なのかも知れませんね(笑)。
私の場合、基本的に世間様の常識とズレている事の方が多いので、
「自分の見方」だけでなく、常に「一般的な見方」を意識しています。
そうしないと、面倒事ばかり増えてしまいますから・・・・
でもまあ、考えようによっては、そうしたズレがあるからこそ、
客観的視点とか、多角的視点みたいなモノが、自然と身に付いたのかも知れませんし、
あちこち転勤しながら育った為、土地が変われば世間の常識も変わる事も覚えたのかも?

> それに加え、蜻蛉日記の場合は背景を知っていることが逆効果になっているのかもしれません。
> 蜻蛉日記は藤原道綱母が夫の藤原兼家に失望して、子の藤原道綱を育てることに生きがい?を見出していく話で
> そこに至るまでの藤原道綱母の心情が滲み出ているからこそ高く評価されているのだと認識しています。
> 最初に読んだ蜻蛉日記の説明がそんな感じだったので。
> それ故に兼家に対する道綱母の心情を厳しめに想定しすぎているのかもしれません。
> 最初の方は兼家に未練だらだらですからね・・・。

文章から結構な熱量を感じるのですが(笑)、
マンネルへイムさんは、現代の作品よりも、古典の方が好きな感じでしょうか?
それとも、現代とか古典とか関係なく、「蜻蛉日記」が良い作品という感じでしょうか?
どうも私は、この辺の分野の本を、まるで読まないもので・・・・

[▼次のスレッド]
INCM/CMT
Cyclamen v3.72