| > > って、こうして考えると日本って、
> > お菓子や菓子パンの種類も、外国に比べて豊富そうですよね。
> 日本には外国のお菓子つまり洋菓子がありますが逆に外国には
> 日本のお菓子である和菓子は普通に売っているのでしょうかね?
> ってまあ日本だから洋菓子があるのかもしれませんけどw。
> だって日本に例えば中国のお菓子があるかって?聞かれたらありませんしね。
中国の菓子と言う事でしたら、杏仁豆腐や月餅などはコンビニでも見かけますけど?
と、まあそれは良いとして、「菓子の種類が豊富」と言うのは、
和菓子だけでなく、洋菓子などもあると言う事ではなく、
例えばクッキー1つを取ってみても、
日本では、その食感、味、トッピングなどに様々なバリエーションがあり、
そう言った種類の豊富さは、海外ではちょっとお目に掛かれないですよねえ?
と言う事を言いたかった訳です。
> > と、少し話はズレてしまいますが、
> > 「飯がマズい国の軍隊は強く、飯がうまい国の軍隊は弱い」と言う言葉から考えると、
> ああだからフランス軍は弱いと言われるんですかねw。
特に弱いと言われるのは、イタリア軍ですね。
「へたれのイタリア」と言う事で、日本では「ヘタリア」とか揶揄されてますし、
そう呼ばれるだけの伝説に事欠かない軍ですから(笑)。
「イタリア人は個人だと英雄的だが、集団が大きくなるほどダメになる」とも言われますし、
個人ではあれだけど、集団では強くなる日本人とは真反対の民族なんでしょうね。
ちなみに、イタリア人の集団が強いと言えるのは、
最大で11人(サッカーをやる人数)までだそうです(笑)。
まあ考えてみれば、歴史上で人間が動く一番の動機というのは食料ですし、
世界各地へ出向くと言うのも、
移動中の粗食に耐え、移動先の料理に口を合わせる事と同義ですので、
自国の料理がうまい民族には不向きなんでしょうね。
ギリシャの軍事都市国家であったスパルタも、
兵に敢えて満足な食事を与えず、ハングリー精神を養ってましたから、
飯と軍隊との関連は、それなりに的を射た話なんでしょうね。
> > 逆に言うと、東アジア混乱→食料輸入が壊滅→食うにも困る状況→強い軍隊復活?
> > 卵が先か?鶏が先か?みたいな話ですが、
> > 飯のうまいマズいを言っている間は、日本は平和なんでしょうね。
> 食料輸入がままならなかったら根本的な面において軍が弱いきもするが・・・(笑)
腹が減るからこそ、略奪に燃え上がるんです(笑)。
北朝鮮の兵士なんかも、
「このままジワジワと飢えに苦しみ、死んでいくくらいなら、
韓国に侵攻して、うまいモノをたらふく食ってから死にたい」って感じだそうですし。
って、上層部は飢えてませんので、そんな理由で開戦する事はないでしょうけど、
兵士達が「このまま飢え死ぬくらいなら、クーデターを」となる可能性は有りますよね。
革命みたいなものは大体、食糧不足がその発端となりますので。
> > そう言えば関西では、「肉」と言えば「牛肉」の事なんですよね。
> > 関西では「肉まん」と言わずに「豚まん」と言うのも、
> > 「肉=牛肉」と言うイメージが強い関西だからこそですかねえ?
> ぬお〜私は知らなかったですよ、関西は肉まんが無いことを。
> ふつ〜に肉まんってつかっていたし。だったら関西が豚まんと言うのも
> そのような理由かもしれませんね。
関西で「肉まん」と言うと、「豚まんだ」と直されますね。
でも、「豚まんだ」と訂正させる方も、「豚まん=肉まん」と考えがちです(笑)。
豚まんと肉まんとでは、味が全く別物なんですけどねえ。
個人的には、豚まんの方が好きですね。
関東にいると、なかなか食べる機会が無くて残念なんですけど。
> > でも、こう言う事を考えると、
> > 日本ってイスラム教徒やユダヤ教徒には住み辛い国なんでしょうね。
> > アメリカなどでは、イスラム教徒用の店やユダヤ教徒用の店が多くあるそうですし。
> > まあ逆に考えれば、信者数の多寡は別とした上で、日本では
> > アメリカほど宗教に関して、良くも悪くも気を使ってないですよね。
> へぇ〜アメリカはそのような気遣い?があるんですか。アメリカは一応宗教が
> 確立している国、きちんと他の宗教に対する気遣いがあるんでしょうね。
> その点日本は宗教が確立してないものだから「気持ち」自体が
> わからないんでしょうけど。
例えば現在、日本政府は日本の観光立国化を進めようとしてますが、
日本の文化を売り込もうと言う気持ちだけが強すぎて、
イスラム教徒の観光客に、お好み焼きを薦めて怒られたり、
ヒンドゥー教との観光客に、すき焼きを薦めて怒られたりと、
相手の宗教を考慮しない振る舞いが、不興を買ったりしてますからねえ。
まあ日本人からすれば、宗教上の理由で食べられないモノがあるって感覚がないので、
ある程度は仕方のない面もあるのかも知れませんが、
それでも、人を呼ぼうというなら、その人の立場に立って考えられなければねえ・・・・
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