| 東西独とチトー元帥だけの予定だったのですが、
何だかんだと+5人作成してしまいました。
オーストリアの首相さんは、情報が全然ありません。
日本語は無論の事、英語版Wikiでも殆どありませんでした(汗
ノヴォトニー書記長については大統領職も兼任ですが、どっちが良いんでしょうね。
赤い嵐戦場の場合は、時期的にはちょうど兼任時期ですけれど。
アデナウアー首相 ( Konrad Adenauer )
ドイツ連邦共和国(西ドイツ)初代首相 (1949年 - 1963年)
第二次世界大戦前から一貫して反共、反ナチズム主義者だった。
1949年に首相就任。経済的急成長に成功すると共に、積極的な外交政策を展開した。
イスラエルやソ連との和解にも成功したが、東ドイツだけは承認しなかった。
1960年頃から指導力に翳りが見えはじめ、首相を辞任する。
ウルブリヒト書記長 ( Walter Ulbricht )
ドイツ民主共和国(東ドイツ)首相 (1950年 - 1971年)
戦前からのドイツ共産党員で、政権獲得前は一時ナチスとの協力関係も持った。
筋金入りのスターリニストである一方、経済政策では現実的政策を実施。
「東側の優等生」と称されるが、西側を追い越す事は遂にかなわなかった。
1961年にはベルリンの壁を建設。1971年、引退に追い込まれた。
チトー元帥 ( Josip Broz Tito )
ユーゴスラビア連邦終身大統領(1941年 - 1980年)
第二次大戦時、パルチザンを結成して抵抗運動を展開。ドイツ軍の駆逐に成功する。
「自主管理社会主義」を標榜し、カリスマ的なバランス感覚によってユーゴを運営。
外交面では、スターリンとの決別後、第三世界のリーダーとして活躍した。
1980年死去。チトーの死によってユーゴは崩壊し、泥沼の内戦へと突入する。
ゴムウカ書記長 ( Władysław Gomułka )
ポーランド人民共和国第一書記長(1956年 - 1970年)
元対独レジスタンスであり、戦後も要職を歴任するが、一時粛清対象とされる。
スターリンの死後に釈放され、党に復帰。第一書記長に就任する。
農業集団化の廃止や教会との和解に成功し、当初は民衆に歓迎された。
しかし、自由化運動が激化するとこれを弾圧。1970年、辞任。
ノヴォトニー書記長 ( Antonin Novotny )
チェコスロバキア社会主義共和国第一書記長/大統領(1953年 - 1968年/1957年 - 1968年)
ゴットワルト死後、党第一書記長に就任し、後に大統領を兼任。
スターリン批判に起因する体制の動揺を食い止める事に成功するが、
1960年代に入って経済成長が鈍化し、スロヴァキア共産党と対立。
体制への批判は、大統領職を兼任する彼に集中し、辞任した。
ゴルバッハ首相 ( Alfons Gorbach )
オーストリア(1961年 - 1964年)
第二次世界大戦中は、政治犯としてダッハウ収容所に収監されていた。
オーストリア国民党に所属。1961年、オーストリア首相に就任する。
カーダール書記長 ( Kadar Janos )
ハンガリー人民共和国首相(1961年 - 1965年)
戦後のハンガリーで内相を務めたが、一時終身刑。スターリン死後釈放された。
1956年、ハンガリー動乱においてソ連からの支援を受けて首相に就任。
大量のリーダー格を処刑したが、彼の時代、ハンガリーは比較的自由だった。
経済的な行き詰まりと自身の健康問題から、首相、後に党指導部を引退した。
ホッジャ書記長 ( Enver Hoxha )
アルバニア人民共和国最高指導者(第一書記長)(1944年 - 1985年)
スターリニズムに基づいて政権を運営し、ソ連と対立したユーゴと国交を断絶。
後に、スターリン批判を展開するソ連とも国交を断絶し、中国に接近。
しかしその中国がアメリカに接近するに及んで、中国との関係も途絶。
事実上鎖国状態となる。遺言により、没後の弔問外交すら拒否している。 |
|