| > では、中南米は私が担当しましょうか(笑)。
> と言う事で、パナマ・ドミニカ・ボリビア・パラグアイ・ブラジル・ウルグアイ・アルゼンチンを追加。
お疲れ様です。ルーマニアなのですが、
ルーマニア書記長(1961年 - 1965年)
と変更をお願いしたくあります。
> > > ただ、少し贅沢を言わせてもらうと、
> > > 1行の文章を、もう少し短めにして戴ければ有り難かったです。
> > > 長すぎますと改行が必要となり、結局4行以内に収まらなくなりますので。
> > いやはや、長すぎました。とりあえずで書いてみたのですが、収まったのは南アだけですね。
> > 改訂版を書いてみましたので、お好みで差し替えて頂ければ。
> わざわざ、すみません。
> 筆名ともども、変更しておきました。
ありがとうございました。新規投稿です。
Ibrahim Abboud
スーダン共和国初代大統領(1958年 - 1964年)
親エジプト派のアズハリ初代首相をウンマ党との結託による官製クーデターで
追い落とすことに成功し、初代大統領に就任。政治的混乱と経済危機に拘わらず、
出身母体の軍部の為に軍事費を増大し続け、南部政策を強圧的に進める。市民は
共産主義者からイスラム原理主義者まで団結、十月革命によって打倒された。
Aden Abdullah Osman Daar
ソマリア共和国初代大統領(1960年 - 1967年)
独立直後のソマリアは大ソマリ主義、南北・氏族対立に苦しめられ、非常に
厳しい中で初代大統領に選任された。63年にオガデン地方のソマリ人が
エチオピア政府の新税に反対して殺害され、エチオピアを支援するアメリカから
離れてソ連と中国から援助を受ける。67年の大統領選挙で敗れ辞職した。
Mamadou Dia
セネガル共和国初代首相(1960年 - 1962年)
セネガルはマリと共にマリ連邦として60年に出発し、ディアも副大統領職に
あったが、ケイタ大統領と親仏のサンゴール議会議長の路線対立があったため
僅か二ヶ月で分離独立し、初代首相に収まる。しかしディアも大統領の
サンゴールに社会主義を主張したために、嫌疑を掛けられて幽閉され、失脚する。
William Vacanarat Sharach Tubman
リベリア共和国第19代大統領(1944年 - 1971年)
アメリコ・ライベリアンの真正ホイッグ党独裁の下で大統領に就任する。44年に
連合国側で参戦、51年には原住民に選挙権を拡大する傍ら、原住民の対立候補を
反逆罪に処した。便宜置籍船制度を確立し、アメリカの援助を受けつつ
多方面外交を展開。71年、入院の為に滞在していたロンドンで死去。
Felix Houphouet-Boigny
コートジボワール共和国初代大統領(1960年 - 1993年)
1944年のブラザヴィル会議にコートジボワール代表として参加し、60年、圧倒的支持を
得て大統領に選任される。50年代からの「イボワールの奇跡」による堅調な発展、
ウフェボワニのカリスマによる一党制によって、アフリカで珍しく軍政と無縁だった。
しかし80年代になると歪みが生じ始め彼の死後、国内は内戦によって破壊される。
Modibo Keita
マリ共和国初代大統領(1960年 - 1968年)
マリ連邦の大統領に就任するも、反帝国主義・汎アフリカ主義・社会主義を
掲げたために追い出されてマリ共和国の大統領となる。フラン圏離脱によって
国内経済は悪化し、民族解放組織と連帯してアフリカ統一を目指すが、文化革命
と人民軍の新設が軍部との決定的対立に至り、クーデターを招いて投獄される。
Ahmadou Babatoura Ahidjo
カメルーン連邦共和国初代大統領(1960年 - 1982年)
カメルーンは東部と西部で対立があったが、親仏路線を進める。しかし72年に
単一の共和国となり、親仏を止めて東側に接近。カメルーン人民同盟の下に
一党支配を確立した。しかし、西カメルーンでは不満が燻り、79年にはクーデター
計画が露呈。部族的に分配した内閣改造でも御しきれず、健康上の理由で退任。
Leon Mba
ガボン共和国初代大統領(1961年 - 1967年)
自治共和国首相を57年から61年まで務める。ガボン民主ブロック(BDG)を率い、
強力に親仏政策と独裁化を進めていく。64年に陸軍の初級将校がクーデターを
引き起こすが、フランスの軍事介入のお陰で復権。鉱物資源を開発し、歳入を
増加させフランスの軍事支援を受ける。一党独裁を築きあげ、在任中に逝去した。
これでひとまず大量投稿は止めようかと。ちょぼちょぼ書いてはいこうと思いますが。
他のアフリカ指導者は資料が不足してまして、残念です。 |
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