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[9056] キューバ危機版スタート返信 削除
2008/11/1 (土) 16:34:18 徳翁導誉

と言う事で、予定の土曜日になりましたので、
「赤い嵐:キューバ危機版」のスタートです!!
超大国プレイヤーの方も、以下のように決まりました。

米国:シャルルさん
ソ連:モロトフさん
中国:高田さん

超大国のみなさん。
大変でしょうが、よろしく御願いします。


> > 3.共産国家のみ、軍の維持費を「75%」に削減しました。
> >   例えば4個師団の場合、共産国だけ維持費が3となります。
> >   これは開始時に、自由主義陣営の75%しか生産力が無く、
> >   ターン数上限を設けた事もあり、バランスを取る為の処置です。
> >   まあ共産圏では、人件費が(命の値段も)安いですしね(笑)。

> これはちょっと、反対ですね・・・、
> バランスの回復にしても共産陣営の利益が多すぎないでしょうか。

「時間制限あり」で、「3/4を2倍に」と言うのは、
現実問題として、かなり厳しい条件だと思われるので、
「有利すぎないか?」と少し思われるくらいのバランスにしないと、
自由主義陣営と共産主義陣営が同条件にならないので?と考えたんですが、
あのルールはさすがに、ちょっと極端すぎましたかねえ?

> > これがソ連だけへの措置なら未だバランスも取れるかなぁと思いますが
> でも人が沢山のとりえのソ連と後中国くらいの共産国家なら
> この制度を入れても何の問題も無いと思いますが如何でしょうか?

そうですね、では「75%特典」はソ連だけにしましょう。
と言う事で、あらためて前回からの変更点を。


1.1968年を迎えたら、時間切れ終了です。
  この場合、勝者なしの引き分けとなります。
  勝利条件の方は、変更なく「敵生産力の2倍以上」です。

2.中央アジアをトルコ民族から切り離しました。
  トルコがそれら都市を制圧しても、本国扱いにはなりません。
  しかし、それ以外の同一民族(アラブ民族など)の扱いは変わりません。

3.ソ連のみ、軍の維持費を「75%」に削減しました。
  例えば4個師団の場合、ソ連だけ維持費が3となります。
  これは開始時に、自由主義陣営の75%しか生産力が無く、
  ターン数上限を設けた事もあり、バランスを取る為の処置です。

4.現代版にあった「占領返還」コマンドを追加しました。
  これにより、一度国土を失っても復活が可能となります。
  その代わり「国債市場」は廃止しました。
  返還先は初期配置国であり、そのエリアの軍隊は消滅します。
  ただし、超大国が陣営国に返還する場合に限り、駐留軍へ移行されます。

5.水爆製造にかかる行動力を半分にしました。
  また、水爆製造への年表記載を停止しました。


[9098] まとめレス2返信 削除
2008/11/4 (火) 19:32:27 徳翁導誉

先日、対応して書き忘れていたんですが、
取り敢えず、列伝の中南米部分は埋めておきました。
それと銀凡伝同様に、「赤い嵐っぽい」BGM機能も付けておきました。


> > 登録後の一定期間は陣営の変更ができなくなるように処置のご検討を
> > お願いします。(10時間よりは、長く・・・)

> いったいどのタイミングで制限を解くのかという問題もあります。

まあ、「陣営変更」という概念がある限り、
どれだけ制限時間を延ばしても、根本的には同じ事ですしね。
だからこそ、荒らし対策用としての「10時間設定」になっています。

> また、ソ連に与えられた優遇措置は、
> 『開始時国力の差+制限時間』を埋める為に設けられた訳ですし、
> こういった離脱が共産圏でも発生した可能性もありました。

バランス調整とは、ゲーム開始の前段階でバランスを取る事で、
始まってしまえば、幾らでもバランスは崩れていきますしねえ。
と言いますか、「敵陣営の2倍」なんて勝利条件自体が、
相当バランスを崩さない限り、実現しないものですので。

また、米ソだけでなく「中国」も立候補制にしたのは、
中国の「登録直後の離脱」は、さすがにゲーム・バランスを著しく崩しすぎる為で、
逆に言ってしまうと、それ以外の大国の登録直後の離脱に関しては、
「好ましくはない」ものの、「バランス崩壊までには至らない」という想定もあります。

> 私としては、たいした理由も無いのに陣営を抜けた場合、
> 離脱国にしてもそれだけのリスクを背負う事になる訳ですし、
> 各陣営はルールで縛る前にやれる事があると思います。

結局の所、これに尽きるでしょうね。
中立国として振る舞いたいのであれば、最初から中立の国家もあるわけで、
わざわざ陣営を離脱して中立国家になる事は、
旧所属陣営の諸国から反感を買うという、マイナスからのスタートでもあります。
また、中立化ではなく敵陣営へ流れるのであれば、
敵陣営側に加盟申請を認めないよう圧力を掛け、離脱国を孤立化させたりも出来ますし、
その辺も含めて、「外交ゲーム」なのだと思います。

まあ冷戦期というのは、軍事クーデターや革命、政権交代などにより、
一夜で国家方針が180度変わるなんて事態も、決して珍しくない時代でしたし、
「雰囲気」という面では、「ああ、政変が起きたんだなあ」と解釈すれば良いかと(笑)。
ある意味では、プレイヤーの交代などもそれに入るかも?


> マップでの部隊確認するとページエラーとでます。
> また表示マップ上でのクリックを、移動先選択に連動させます。とてで
> 増設数など表示も元首達の顔も表示されません。修正お願いします

う〜ん、その説明ではちょっと状況がよく掴めないのですが、
その症状は、ずっと続いているのでしょうか?
そうでない場合、ページを完全に読み込む前にプログラムを実行させ、
その影響でエラーが出る事はあります。


> > 中東のマップが現代版とキューバ版が混在しているため、
> > アラビア半島が少々おかしくなっています。

> すいません、再読込したら直りました。

PC内に、前回マップのキャッシュが残ってたんですね(笑)。


> > 簡易説明のアメリカ初期占領地に、「琉球諸島」があります。
> > 沖縄諸島の誤りと考えられますので対処お願いします。

> この二つは名前は似てますが指し示す範囲が違うのです。
> 琉球諸島⊃沖縄諸島
> 沖縄諸島は本島周辺で、琉球諸島は宮古・石垣・奄美などまで含める広範囲なものです。

う〜ん、この辺は「定義」がいろいろとあって、難しい所なんですよねえ。
沖縄諸島では大東諸島を含むのに、琉球諸島では含まなかったりする場合もありますし。
まあ、どちらの名称が馴染んでいるかと言えば、現在では「沖縄」でしょうし、
このゲーム内では「沖縄諸島」で統一します。
どのみち、エリア名ではなく都市名表記ですしね、このゲームは。
ただ、諸島エリアは特殊エリアですし、そこの最大都市の知名度も低い為、
全ての諸島エリアは、「○○諸島」という表記で統一されています。

> 当時米軍は奄美や宮古などの先島まで支配してましたから琉球諸島が正しい気がします。
キューバ危機に先立つこと約10年、奄美諸島は既に返還されてましたよ。
奄美に関しては、沖縄返還の20年前に返還されてますので。
この辺の事情に関しては、Flash作品が作れるくらいの経緯がありますね(笑)。


> 共産陣営の各国家で軍備の維持費が通常の75%と思われる現象が発せしております。
> 事前の設定ではソ連殿のみ75%ととし、他の共産国家は通常との発表でしたので、具合と思われます。

あれ、確かに修正したはずだったんですが、
いま確認してみたら、未修整のままになってますね。
修正時、上げるサーバーでも間違えたのかなあ?
データファイルの方に、それらしきモノが混入してましたし。
まあ兎に角、プログラムの方は修正しておきました。
浮いた25%分に関しては、今回はボーナスと言う事で(笑)。


[9125] 新規加筆返信 削除
2008/11/7 (金) 17:38:20 東トルキスタン

またお願いします。

(King Hussein I)
 ヨルダン第三代国王(1952年 - 1999年)
  祖父の暗殺と父の退位を乗り越えて、16歳の若さで玉座に就く。西側諸国と良好な
  関係を基調とし、67年の第三次中東戦争ではヨルダン川西岸地区を失陥。70年に
  暴走したPLOと対決して黒い九月事件を引き起こすも、国内からの追放に成功する。
  湾岸戦争では独自行動を採るが、ヨルダンの発展と福祉に貢献した王であった。

(Cemal Gursel)
 トルコ共和国第四代大統領(1961年 - 1966年)
  ガリポリとトルコ革命に従軍した英雄であり、国民の人望も高かった。イスラム化を
  進める政府に軍部は反発し、クーデターを決行。臨時政府首班に推戴され、巨大な
  権力を持つことになる。軍部独裁を否定して首謀者を処断。新憲法を制定し、民主制
  の回帰に尽力した。西側、ソ連、イスラム諸国と関係を深めたが、病気により死去。

(Abd al-Karim Qasim)
 イラク共和国初代首相(1958年 - 1963年)
  自由将校団を指導してハーシム王家をクーデターにより転覆させる。シリアや
  エジプトと親交を深めヨルダン王家を包囲した。その後ナセル主義勢力を粛清し、
  共産党との蜜月を築くがキルクーク事件によって距離を置くことになる。
  国内外の孤立を深め、63年にバアス党将校のクーデターに敗れて、処刑される。

(abdullah as-sallal)
 イエメン・アラブ共和国初代首相(1962年 - 1963年)
  ムハマッド王が即位して僅か一週間後に、エジプトの支援を受けたクーデターで
  政権を握る。しかし、追放された王はジッタからサウジとイギリスの援助で反攻し、
  国内は内戦状態に陥る。また、政権内でもアムリーらとの間で首相座を巡って
  権力闘争を繰り返し、67年11月に職を解任され、完全に失脚した。

http://www.atlaswords.com/YEMEN%20DEL%20NORD.htm
サラル首相と思われる写真があったので、ご参考までに。

(Saud bin Abdul Aziz)
 サウジアラビア第二代国王(1952年 - 1964年)
  第四皇子のファイサルを皇太子として即位。ハーシム家との敵対からナセルとの
  同盟、またハーシム家との接近など、場当たりな外交政策の為に親族によって一時
  ファイサルに権限を譲る。しかし60年に巻き返してファイサル派を除外し、「自由
  プリンス」を登用。その後ファイサルとの権力闘争に敗れ、ギリシャへ亡命した。

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