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[23289] Re3:納豆と醤油&政治と哲学の話(前編)返信 削除
2020/8/12 (水) 02:13:31 マンネルへイム

▼ 徳翁導誉さん
> ▼ 納豆とワサビの話
> > 6月末ごろ少し警戒が緩んだ雰囲気になったじゃないですか。
> > その時に友人とラーメン屋に行ったんですが本当に空間除菌してましたね。
> > 正直、管理人様のこの投稿を見た時は、「は〜他所はそんなこともやってるんだ」と他人事の印象でしたが、
> > こんな片田舎でも空間除菌なるよく分からない代物を採用しているのかとびっくりしました。
> > 友人が困惑しながら「これって人体に有害なんじゃ……」と言っていました。
> > 不幸中の幸いなのは、飲食店特有の外扉と中扉の間の待合室的な場所に空間除菌装置が置かれていたことですね。
> > ご飯を食べるときは気にしないで済みました。
> まあ、次亜塩素酸の噴霧に関しては、厚労省や文科省の方からも、
> 「吸引すると有害であり、効果が不確実である」として、
> 注意喚起が行われていますから、まだマシな方なのかな?
> 少なくとも、学校や公共施設での使用は、停止された所が多いみたいですし。
> 「そもそも、やるなよ」と言いたくなる面も、無くは無いですけど、
> とは言え、こうした人↓が文部科学大臣を務めるのが、今の日本ですからね(苦笑)。
> https://togetter.com/li/429656
> https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_4388/
> 
三文小説の登場人物みたいな政治家が沢山居ることを知れたのは、安倍さんのおかげです。勿論、安倍さんがそういう人とまでは思っていないので支持者の方にはご容赦いただきたいです。
特に親学って何なんでしょうね?特定の生き方を好む男性と特定の生き方を選んだ女性以外の個人を個人として認めない思想ですよね、あれ
「朝食は食べさせよう!」位しか共感できることが無いんですけど

> > > わさび納豆は既にあるのでは?と思い、検索してみた所、
> > > 納豆レビューのサイトを発見!?(笑)
> > > http://nattoureviewenn.huuryuu.com/NattouReviewEnnHonnWasabi.html
> > > あと、納豆単体ではなく、手巻き寿司ではありますが、
> > > セブンイレブンで「わさび納豆巻」が売られてるらしいですよ。
> > あー見たことある、ってなりました。
> > どこで見たことあるのか思い出せないんですけど、どっかで売ってました。
> > 画像を見るまで存在を忘れていましたが、最悪信州で探せば見つかるという事は分かりました(笑)
> こうやって、思わぬ記憶の扉が開くのも、雑談の良さなのかも知れません(笑)。
> 
そうですね。

> では、当時のスポーツ紙の記事↓を貼っておきますね(笑)。
> https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/p-sc-tp2-20111118-864950.html
> 豚カツにもワサビ、白米にもワサビという感じだったそうです。
> 
> ・・・って、今になって思うと、ワサビが好きだったという以上に、
> 実は日本食の味付けが、口に合っていなかったのかも?
> 実際、ブルガリア出身の琴欧洲や、スイス出身の空手家アンディ・フグとかも、
> 白米が苦手だったという話を聞いた事があるので。
> まあ、納豆や刺身が苦手と言われるのは、日本人も想定内でしょうけど、
> 意外と白米も、「味がしない」とか、「臭いがダメ」とか言われて、
> 苦手とされる事があるというのは、あまり認識されてないのでは無いでしょうか?
> 
> 
あーなるほど。自分も白米は味がしない派でしたね。
今は「甘い」という感覚も分からなくも無いのですが、白米単体で食べると味気ないですし、あまり量は食べられないです。
臭いというのは言われてみて気づきました。確かに白米にも臭いはありますよね。
不健康な時とか限界を超えて胃袋に食べ物を詰め込んだ時とかに白米の臭いを嗅ぐと気持ち悪くなりません?
それはまた違う話かな?

> ▼ 醤油と味噌、そして食文化の話
> > 関西で美味しい蕎麦を食べた記憶は確かに無いんですよね。
> > そもそも食べる機会が少なかったのかもしれませんが。
> > こっちの蕎麦はたまに食べる分には良い物ですね。うどん3回に対し蕎麦1回位の比率で食べたくなります。
> 私の方は逆に、うどんよりも蕎麦派ですかねえ?(笑)
> やはり、何だかんだで濃口醤油が好きなんだと思います。
> 
そういえば東京の友人に自分の愛用しているだし醤油を進めた所拒否されましたね。
濃口醤油しか無理って彼も言っていました。

> 文字通りに「主に食べる食糧」という意味での主食は、もちろん世界中にもあるのですが、
> パン食の国とかであっても、メインは牛肉という感覚の地域もあるなど、
> まあ基本的には、「有るモノを食べる」というのがスタンスであり、
> 日本人とお米のように、特別な関係にあるのは珍しいとは聞いています。
> 
> その理由を考えてみると、神話にも刻まれた日本人と米との関係から始まり、
> 仏教伝来によって、食肉が避けられる傾向があり、とにかく米を食べた事。
> そして何より、泰平の江戸時代において、石高制が採用された事で、
> 全ての基準が米となり、日本人の米に対する特別感が高まった気はしますね。
> 実際には農民なんて、戦後くらいまで、白米を常食していた訳でも無いでしょうに、
> それでも白米が特別視されるのは、米が全ての基準である上、憧れの存在だったからかと?
> 逆に言うと おかずも、戦後くらいまでは、そこまで頻繁に食べられて無かった印象。
> 
関係のある話かは分かりませんが、漫画「仁」で脚気が「江戸病」と言われていました
地方の庶民は玄米を食べるから脚気にならないが、江戸の庶民は白米を食べてるから脚気になる、みたいな。
これはつまり、江戸時代までは米だけで栄養を採って、おかずも殆ど常食されていなかったということでしょうね。

特定の食物が原因で何度も暴動が起こった国って他にあるんですかね?
「飢饉」が原因と言えばありふれているんでしょうけど。


> 私も、大阪風のお好み焼きなら、ご飯と一緒に食べられますけど、
> 広島風のお好み焼きの時は、ご飯と一緒に食べた記憶が無いですね。
> やはりこういうのは、経験の差が生むとなる固定観念なのかと?
> ただまあ、「炭水化物+炭水化物」という意味では、
> 関東にもラーメンライスがあるけど、関西の方にはあったかなぁ?
> ラーメン&チャーハンではなく、ラーメン&ご飯です。
> ・・・って、本場の中国人からすると、ラーメン&チャーハン&餃子のセットなんて、
> 「炭水化物+炭水化物+炭水化物」な訳で、「何じゃこりゃ!?」って感じでしょうね(笑)。
> 

> という事で、前回の投稿後、今更ながら「パスタでたどるイタリア史」を読んでみました。
> まさか本書にも、日本とお米や、朝鮮とキムチの例えが、登場していようとは!?(笑)
> 
> パスタがイタリアの南北で違いが生じるという話は、何だか、
> カレーがインドの南北で異なるみたい話と似てるなと思いましたけど、
> それに関しても、あとがきで少し触れられていたかな?
> やはり、「衣・食・住」と「地理・歴史」の絡み合いは、興味深い題材かと!!
> 正直な所、既に知ってる内容も多かったものの、初耳な情報もあり、
> 特に、トマトソースがスペイン支配下の半島南部から広まったという話は盲点でした。
> トマトの原産地であるアンデスを、植民地統治していたのがスペインでしたからねえ。
> と言いますか、トマトソースが「スペイン風」であるという認識も持ってませんでした。
> 
> そんな具合で、私があまり料理に興味が無い事も、改めて再認識させられたと・・・・
> 本書の中で、「知ってて当然」と列記されるイタリア料理の数々が、
> まるで馴染みの無いモノばかりで、その辺りは正直チンプンカンプンでしたので。
> 横文字や専門用語ばかりで、話を聞いてても理解できない感覚に近いのでしょうか?
> 折角の料理なのですから、せめて、これが実際に舌で味わえたりだとか、
> そこまで行かずとも、映像的に目や耳で楽しめれば、もっと違ったのかも?
> まあ、そこが「書籍のもつ限界」という事なのかも知れませんけどね。
> 
そうですね……私も料理、当然パスタについても詳しくないので、同じような心持で読んでいた気がします。
正直、読んだのが大分昔な事もあって内容も大まかにしか覚えていないんですよね。

> > > それにしても、前出の10年前の雑談もそうですが、
> > > 同じ話を繰り返してるのは、私が成長してないのか、加齢で物忘れが激しいのか・・・・
> > いやいや、もっと単純な話で、私は殆どレスしないですけど、
> > 管理人様は山ほどレスしているからではないでしょうか?
> > 私にしてみれば数少ないレスの一つですが、管理人様からすると山ほどあるレスの一つですもん。
> いや〜、実を言いますと、十数年前の掲示板での雑談内容とかも、
> 私は意外と覚えてるタイプだったりするんですよ!?(笑)
> 感情が絡んだり、頭を働かせたりした内容の記憶は、4〜5歳頃のモノでも鮮明に残ってますし。
> 
> ただ、正直に言ってしまうと、トマトのないイタリア料理とか、唐辛子のない韓国料理とかは、
> 雑談の流れの中から思い付いた話のネタでは無く、それ以前から抱いていた考えの1つを、
> 話の流れで披露しただけであり、印象的な記憶としては刻まれていなかった事情がありそうです。
> もっと言うと、「この話は前にも3回ほど書いたな」という記憶はあったのですが、
> まさか同じ相手に、同じ話をしていようとは、完全に想定外だったと・・・・
> 要するに、「何を話したか」は覚えていても、「誰と話したか」を覚えていなかった訳ですね。
> 逆に言うと、今回挙がった大豆発酵食やトリエンナーレの話題は、私も雑談キッカケなので、
> マンネルヘイムさんのハンドル名と共に、今後もずっと覚えてると思いますよ(笑)。
> 
> 
それは嬉しいですね。7〜8年目にしてようやく管理人様に認知していただけました(笑)
管理人様と雑談という形で話したのは今回の話と前のパスタの話くらいですから、当たり前ですけどね。
ただ、割と掲示板はしっかり見ている方で、他の方と管理人様の雑談もちょくちょく拝見していました。

> ▼ 人間の行動原理や哲学の話
> > そうですかね……?まあそれで倒閣みたいなことには絶対ならなかったと思いますけど、
> > 流石に多少の打撃にはなりそうな気がします。裁判所側は打撃にならないような言葉選びをしたとは思いますが……。
> > あーでも財務次官がセクハラしても大した打撃にはなってませんでしたし、そういう意味では影響ないのかなぁ。
> まあ、あいちトリエンナーレの事など、大して話題になってない上に、
> (正直な所、私も、こうして話題に挙げられるまで、半ば忘れてました・笑)
> 他の数々のトラブルに比べれば、大した事無いというのが、私の印象ですね。
> もっと言ってしまうと、安倍首相の総裁任期は来年の秋までなので、
> 仮に裁判になってた所で、任期中に判決は出ないんじゃないですかねえ?(笑)
> 
安倍さんが昔、森友問題の時だったかな?
臨時国会を開かなかった事を思い出します。
誰がどう見ても憲法違反でしかなく、取り繕う術も無い大スキャンダルだったはずですけど、
それが分かる人間が少なかったからなのか、はたまた私が不勉強で実は安倍さんが正しかったからなのか……。
少しばかりメディアで取り上げられるだけであっという間に風化しましたよね。
最近また問題になってるみたいですし、地裁レベルで違憲判決が出たみたいですが。
是非最高裁まで争って欲しいですね。多分「原告には訴えの利益がない」とかいって逃げると思いますが、
司法反動も少し抜けてきた感じもしないでもないし、傍論とかで少しくらいは釘を刺してくれるんじゃないでしょうか。無理かな。

やっぱりセンセーショナルじゃないとダメなんですかねぇ……分かりやすく悪そうな出来事じゃないといけないんですかねぇ。
でも多分同種である「地味で分かりにくいけど大分ヤバい不祥事」の検察庁問題が何故か盛り上がったことを考えると、不祥事が追及されるかは国民の気分次第としか言いようがないのかな?

> その事以上に、この件で気になっているのは、前回の投稿後、
> にわかに「大村知事のリコール運動」が勃発した事ですね!!
> しかも発起人が、高須克弥・百田尚樹・武田邦彦・竹田恒泰・有本香という実に香ばしい面々(笑)。
> 最初は理由を、コロナ問題への対応と、その税金の使い方を問題視していたはずなのに、、
> (さすが、脱税で医師免許停止を喰らい、母親を刑務所送りにした高須院長は、お金に厳しい・苦笑)
> やはり結局の所は、あいちトリエンナーレの件に集約されてきましたね。
> 予想通りの展開とは言え、本音が出るのがあまりに早い!?
> まあ、それはそれで別に構わないのですが、愛知県知事をリコールするには、
> 2ヶ月間で、県民86万人の署名&捺印が必要なんですけど、実際どれくらい集まるんでしょ?
> とてもじゃないですけど、リコールが成立する数なんて集まらないと思いますけど、
> どれくらい集まるかというのは、正直ちょっと興味はありますね(笑)。
> それにしても、沖縄の基地問題では「他県民は口を出すな」と言いながら、
> 他県民なのにリコール運動に参加しちゃう人たちには、ちょっと笑っちゃいます。
> 
なんか「日本の為に最期の御奉公を」みたいなことを仰っていましたが、
毎度思うのですが彼等がそこまで躍起になって奉仕しようとする「日本」って一体何なんでしょうね?

ここが一つの分水嶺ですねぇ。この悪辣であるか、愚鈍である人々の行動によって全国の政治家に対し、
負の委縮効果が発生している事だろうと思いますが、この上このとち狂ったリコール運動が成立だけでもしてしまうと、
もうまともに国民を代表して行政を統括しようという政治家は居なくなるんじゃないかなぁ。

> ただ、名古屋の河村市長までもが、彼らの流れに乗っかり、
> 高須院長と一緒に、先頭に立ってリコール運動に参加してしまった所は、
> 愛知や名古屋の事を考えると、「何やってるんだよ!?」って感じにはなりますよ、本当。
> ここまで対立を先鋭化してしまうと、もう県と市の関係修復なんて不可能でしょ?
> もちろん、別に政治的に禁止されてる行為をしてる訳じゃないですけども、
> 私にとって名古屋は、少年期を過ごした故郷に近い場所なので、
> 協力し合わなきゃいけない苦しい時に、対立関係に陥るのは・・・・
> あと、それに加えて、大阪府の吉村知事まで「応援します」と参戦したのには、
> 正直言って、思った以上に軽率な政治家だなあ・・・と、評価を下げましたね。
> まあ、大村知事の「東京や大阪は医療崩壊を起こした」という発言に、
> 吉村知事もムカついたのは解りますけど、愛知県と大阪府は政治的に無関係ですし。
> 感染症予防法的に言うと、感染者は全て病院などへの隔離を要するのに、
> ベッド数が足りないからと、自宅待機の陽性者が数百人単位で出ていた時点で、
> 医療崩壊の定義次第では、別に的外れな発言でも無いんですよね・・・・
> とは言え、無駄に敵を作る大村発言も、本当に為政者としての資質を疑います。
> 地元マスコミまで敵に回して、ネガティブ記事を書かれてるのは愚の骨頂ですよ。
> 
> また、大阪維新の会としても、予定通りに実施されるのであれば、
> この秋にも再び「大阪都構想」の賛否を問う、重要な住民投票がある訳で、
> そんな大事な時に、こんな無駄な揉め事へ感情的に参戦するなど、
> 「何を考えているんだか?」と、本当に思ってしまいました。
> 私は維新の支持者じゃないですけど、大阪都構想に関しては応援しており、
> 味方を増やしたが、敵も増やして失敗した橋下流の失敗は、繰り返して欲しくないんです。
> それに、緊急事態宣言の全面解除から1ヶ月が経った時点で、
> 特別定額給付金の給付率が、大阪市3%、名古屋市9%というのは、
> リコール運動より前に、行うべき仕事があるのでは?と思ってしまいます(苦笑)。
> (まあ給付金は、吉村知事ではなく松井市長の仕事ですが、さすがに3%は低すぎ)
> もちろん、大都市ほど給付作業が大変なのは理解しますけども、
> 同じ時点で、札幌市92%、神戸市78%だった訳ですからねえ・・・・
> 
吉村知事もこの集団に支持を表明した事については流石に松井市長から苦言を呈されたようで。
私も軽率というか、偉そうに言わせていただくと世論の見極めが甘いなぁと。
高須・竹田・百田の三氏あたりは国民からの知名度も高いと思いますが、別に好感度が高い訳じゃない。
右に振れやすいネットに限って見ても評価は芳しくない、と……。物事について自由に語って良い場があれば、
必然的に不満を持つ人間の方が意見を表明することが多いですし、そこは割引いて考えないといけないでしょうけど。
とにかく、界隈が大村知事のリコールを始めた所で支持する国民なんてほんの一握りですよね。
維新支持者って考えると割と大きい一握りなのかもしれませんけど、大阪府民とか、国民って観点で見ると、大多数は「どうでも良い」でしょうし、
支持する一握りと同程度の反発もある訳で……。
わざわざ吉村知事があの場面であのセリフを言わないといけない理由はないですし、メリットも無いですよね。
まさしく管理人様の言う通り「無駄に敵を作る」だけの話ですし。

それで「吉村知事大丈夫か?」と思ってたら派手にやってくれましたね。
「うがい薬がコロナに効く」は目を疑いました。
信じられない内容であった故に逆に「(少なくとも吉村知事の主観あるいは限られた環境では)本当かも」という思いも二割位はありましたけど、
翌日か翌々日の本人たちの言葉がしっかりトーンダウンしているのを見て、やっぱりダメだったんだなと。
吉村知事の支持者からは何故か「メディアが悪い」という批判が出ているみたいですけど、どうなんでしょうね?
最近はテレビを見ないので分かりませんけど、最終的には吉村知事の責任だと思うんですよねぇ。
吉村知事に過失が全くゼロの状態でメディアの過失だけでこの騒ぎになるって……有り得ないでしょう。


> > いやいや、勿論管理人様の言うような意味で疑いを持って行動するのは大事だと思いますよ。
> > 私が念頭に置いているのは一般的な議論でそういう事を持ち出す方々です。
> 話的には少し脱線するのかも知れませんが、何だか急に、
> ユダヤ人の哲学者アーレントが記した、アイヒマン裁判の傍聴記録を思い出しました。
> https://toyokeizai.net/articles/-/231743?page=2
> アイヒマンはナチス・ドイツにおいて、ユダヤ人虐殺を指揮した責任者とされており、
> アルゼンチンで逃亡生活を送っていた所を、イスラエルへと非合法に拉致され、
> 裁判の結果、最後は処刑されるに至ります。
> で、そんな歴史上の大罪人とは、果たして どのような人物だったかと言うと、
> 実際はごく普通の人物であり、それをアーレントは「悪の陳腐さ」と表現しているんですよね。
> 曰く、「悪とはシステムを無批判に受け入れる事である」と・・・・
> 
> 安易に想像される、悪の権化のような存在は、現実にはまず存在せず、
> 本当に悪影響を及ぼす人というのは、ただ単に目先の自己利益を追いつつ、
> 無自覚に周囲の雰囲気に流され、その責任を全く感じてないタイプですからねえ。
> そして、それが集団と化した時の暴走力と言ったら・・・・
> 1人よりも集団の時の方が、犯罪行為も激化するのは、そうした事情があります。
> 
「界隈」も多かれ少なかれそういう方が多いのでしょうね。
左派全盛期に旗揚げしたという彼等のルーツを考えると、信念をもってやっている方も居るのでしょうけど。
> > > あと、マンネルへイムさんの年代だと、ご存知無いかも知れませんけど、
> > > 「なぜ人を殺してはいけないのか?」というのは、
> > > 1997年の事ですから、今から23年も前の話なのですが、
> > > 知識人を中心に、メディアを騒がせたフレーズだったんですよね。
> > > 1997年というと、神戸の中学生が小学生5人を殺傷した
> > > いわゆる「酒鬼薔薇事件」が起こった年なのですが、
> > > その年の夏、筑紫哲也のニュース23で行われた終戦日の特別企画で、
> > > 高校生たちの討論会を行ったのですが、これはその時に出たフレーズでした。
> > > 1人の高校生が発した何気ない問いに、居並ぶ大人たちは誰も明確に答えられず、
> > > スタジオの議論はそれ一色となり、その反響は番組の枠さえも飛び越えて、
> > > 様々なメディアで、様々な知識人が、様々な答えを表明する出来事があったんです。
> > 「何故人を殺してはいけないのか?」で最初に思い出すのはドラマ「相棒」のエピソードですね。
> > 主人公の杉下警部の恩師が自分が指導した生徒の中で特に優秀な者を集め、
> > 監禁し、「何故人を殺してはいけないのか」という問いに答えて、
> > 自分を納得させてくれと頼む話です。
> > 結局、その問い自体に切り込むことは無く、普通の?殺人事件で話は終わりましたが……。
> 仲間由紀恵が出てきて、地下室に閉じ込められるエピソードですかね?
> 私は相棒を見ていないので・・・と、答えようと初めは思いましたが、
> ウチの父親は全話Blu-rayに保存している相棒マニアで(笑)、
> リビングのテレビでは よく映っているので、断片的には知ってる回もあります。
> ・・・って、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対して、
> 番組の方では、特に見解を述べる事なく終わってたんですね、知りませんでした。
> 
> > 自分なりにその問いに考えてみるきっかけにはなったと思います。
> > 結局、その時に出した答えをずっと覚えていますしね。
> ちなみに、マンネルへイムさん的には、どんな答えに至ったんですか?
> 差し支えなければ、ちょっと伺ってみたい所ではありますね。
> と言いますか、他にもROMってる方の中にも、意見がある方が居られれば、
> いろいろと話を聞いてみたいテーマではあります!!
> 
何故人を殺してはいけないのか?という問いに対しては
「他者の自由を侵害するから」と答えます。
これだけでは説得力もないし、よく分からないでしょうから、
どうしてこういう答えになるのか説明します。

大前提として、人間はだれしも自由に生きたいという願望を抱いているとします。勿論、政治的な姿勢として自由権に制約を加える方向性を好む方も居ますが、
そのような方も、自らの希望として自由に制約を加えたいのであり、誰かからいきなり自分の意に沿わない形で自由に制約を加えられるのは望まないでしょう。
ここでいう自由とは何かをしたいと思う人間の気持ちそのものと言って良いでしょう。「自由」といいつつ憲法13条でいう幸福追求権が一番近いのかな。
ここまで自由を広く捉えるのであれば、人間にとって、「自由」とは最も価値のある至上の存在である、と断じても反論は無いのではないでしょうか?

皆が自由に生きようとすれば当然、衝突が起こります。殺人はこの衝突が原因と言って良いと思います。
このレベルまで抽象化すると、殺人は自由権の衝突によって起こる、と言って良いでしょう。
さて、自由権の衝突によって起こる殺人は禁止されるのでしょうか?
やや恣意的な仮定ですが、ここで全ての人間が自身の位置づけについて無知であると考えます。
無知、とされる範囲は社会規範(法等)や倫理(道徳)も含めます。
つまり、隣人に対する愛情や憐憫を一切持たない代わりに、憎悪や蔑視もありません。
この無知な人々が、様々な組み合わせ、状況で自由権の衝突を「繰り返し」体験する場合、
恐らく人々は自由権の最大限の保持の為に、衝突を回避するよう努めることになります。
自由権の衝突の結果の殺人を認めれば、人々は常に何者かから自身の自由権を侵害されるリスクを負うことになります。これは許容出来る筈がありません。
自身が世界で最も、そしてあらゆる状況・意味で強いと確信できる人間など存在しませんし、絶対に自分より弱い相手としか自由権の衝突が起きない人間なんてものも存在しません。
纏めれば、以下のようになると思います。
無知な人々が辿り着き、合意するであろう正義、「人間は他者の自由に生きる権利を承認することで自分が自由に生きる権利を獲得する生き物である」
その一側面が、「人を殺してはならない」だと思います。

このように考えてくると、他者を殺害することは、「自由」の否定です。
殺人は、他者の自由権に対する究極の侵害です。これを肯定すると、「自由」にまつわる全ての論理が破綻します。
他者の「自由」を否定した時点で、自己の「自由」を肯定することは出来なくなります。
ですから、殺人は否定されます。人は殺してはいけません。

……と長々と書いていて思ったのは、「殺しなさい、ただし君も殺される」というのはまさしく至言といいますか、
本質を突いているな、と。
ただ個人的には「殺されたって良いさ、殺してやる」という逃げ道を封じたいと思いました。

> ▼ 嫌韓の流れや愛国心の話
> > そうですね。私は「世界のトップを目指し、良くも悪くも「上を見ていた」日本」を知りませんが、
> > 単純に「日本スゴいとか、○○よりマシと言って、「下を見ている」姿」は格好悪いと思います。
> > 裏返しで他所の国の悪い所だけを見るのも情けないと思いますし、
> > 国であれ個人であれ、他者に敬意を払えない国民になるとすればそれが一番恥ずかしい事です。
> 物心ついた頃には、既にネットが普及していた世代の事を、
> 「デジタル・ネイティブ」とか言ったりしますけど、
> マンネルへイムさんと話していて気が付いたのは、今の日本に、
> 「嫌韓ネイティブ」と呼べる若者世代が、確実に育ってるという事ですね。
> まあ、嫌韓ネイティブなんて単語自体は、いま私が思い付いた造語ですけども(笑)、
> 2002年の日韓W杯の頃から、そうした嫌韓的な風潮が日本に生まれ始めましたので、
> 日韓W杯を覚えていない、今の大学生くらいの年齢からは、
> 物心ついた頃から嫌韓的な風潮があり、それを当たり前に育ってきた世代とも言えるかと?
> 要するに、それまでは意識的に、韓国を嫌いになっていたものが、
> 無意識なまま、知らず知らずに何となく、韓国を嫌うようになってきた感じでしょうか。
> 
鋭い御指摘だと思います。
「嫌韓ネイティブ」世代というのは私が思うに、韓国だから嫌いという世代では無いんですよね。
もっとライトと言いますか、個人対個人の関係と同じで、嫌な事をしてくる相手だから嫌い、というだけの話なんですよ。
基本的な思いとして、やはり個人対個人の関係と同じで仲良く出来るなら仲良くしたい、という思いはあると思います。
「どうせ無理だ」という方向にキレちゃって過激な言論に同調しちゃう人も居るとは思いますけどね。

> とりあえず、ここで「嫌韓」への流れを順に追っていきますと、
> そもそも20世紀まで、韓国というのは「近くて遠い国」と言いますか、
> 冷戦が終わり、グローバル化が本格化するまで、世界的にも外国との関わりなど薄かったんです。
> 平成の30年間で、世界の海外旅行者は年間4億人から14億人に急増し、まさに段違いの状況。
> しかも日本の場合、島国でしたし、アジアで唯一の先進国でしたからねえ。
> 今でこそ韓国や台湾は、日本とあまり変わらないイメージですけども、
> 90年代に韓国や台湾がキチンと民主化されるのは、両国とも独裁政権下でしたし、
> 当然ながら経済力には日本と大きな差があり、文化的にも目を見張るモノは無い感じでした。
> ただでも人々の往来が少ない時代に、これでは、「旧植民地」という以上のモノはありません。
> そんな日本に変化をもたらしたのが、2000年の民放BS開局だったんです。
> 
> ここで少し時間をさかのぼり、韓国側の話をしますと、
> ようやく民主化が成った韓国を、1997年にアジア通貨危機が襲います!!
> その結果、韓国の国内経済はガタガタとなり、これを機に大胆な輸出政策へと舵が切られます。
> その中には、音楽やドラマといったエンタメ産業も含まれていたんですよね。
> それ以前の韓国というのは、軍事政権下のもと、旧宗主国の日本文化流入を規制しており、
> だからこそ、日本文化の劣化コピーで済ませていた時代が続いたのですが、
> 90年代、民主化が進むごとに、日本文化の解放も進むと、自国文化の育成が強化され始め、
> そして輸出政策が始まると、海外でウケるコンテンツ作りと大規模な宣伝戦略が行われます。
> 要するに「韓流ブーム」の始まりは、通貨危機から復興する為の「韓国の国策」だった訳です!!
> ちなみに、対GDP比で文化予算を見ると、韓国は日本の10倍らしいです・・・・
> 大学教育としてエンタメを扱うというのも、確かに日本では聞きませんね。
> https://news.yahoo.co.jp/articles/250406a52b2234c0d8da34e2419302476740d5cb
> 
> で、日本に話を戻しますと、韓流促進政策が始まった1年後、
> 前述の通り、日本では民放5局が揃って、BS新チャンネルの放送が始まるんです。
> ただし民放各局にとって、メインはあくまでも地上波であり、
> BS放送に関しては、新規参入を防ぐ為に放送枠を押さえたのが実際の所でして、
> 予算も少なければ、番組表を埋めるコンテンツにも欠く有様でした・・・・
> そんな中、格安で内容も悪くなく、文化的にも近い韓国のコンテンツは、
> 番組表を埋めるのに打って付けだった訳ですね(笑)。
> 当初は、台湾や香港のドラマとかも買い付けていたのですが、次第に韓流一色となり、
> 折しも2002年に日韓共催でのサッカーW杯が予定されていた為、
> 日本の放送局側も、韓流ブームを持ち上げるようになっていくんです。
> そして2003年に「冬のソナタ」が日本でも大ヒットすると、世間的も認知されるようになると。
> 
> まあ、この頃はまだ、日韓双方の単なるビジネスだったんですよね。
> (言うなれば、日本のアニメが世界に普及した構図と、似通ったような所はあります)
> しかし、そこに変化をもたらしたのも、日韓W杯の存在であり、
> そしてもう1つ、この頃、急拡大を始めたインターネットの存在でした。
> W杯史上初の共催であり、しかも支配した側とされた側の日韓両国で行うという事で、
> 政治的に「演出された友好ムード」というのは、確かにあったのは事実です。
> でもそれって、決して悪い事では無いですし、何より前回のフランスW杯予選では、
> 日韓は同組となり、韓国が一足早くW杯出場を決めると、
> 1度もW杯出場経験がないまま、次回の自国開催を控えた日本に対して、
> 韓国のサポーターたちは「一緒にW杯に行こう」と言って、日本を応援し始めたんです!!
> 韓国が独立を果たし、朝鮮戦争が終わったばかりの1954年のW杯予選で、
> 当時の李承晩大統領は「日本代表に韓国の地は踏ませない」と、2試合とも日本で行われ、
> 「もし負けたら玄界灘に身を投げろ」とまで言った所から始まった、サッカー日韓戦の歴史。
> それが、こんな所まで来たのですから、本当に信じられない光景でした・・・・
> 韓国人の反日感情というのは、現在とは比べ物にならないくらい、以前の方が強かったですし。
> 
> そうした事もあって、韓国側での親日感情は、この日韓W杯の時がピークだったらしいんです。
> 一方で日本側は、このW杯を境に、反韓感情が目に見えて増していく事となります。
> 最初のキッカケは、実に些細な事だったと思うんですよねえ・・・・
> 簡単に言ってしまえば、日本のW杯は、ベスト16で早々に終わってしまったのに対して、
> 韓国の方は3位決定戦まで進み、大会の最後まで熱狂が続いて、羨ましかった所に、
> 疑惑の判定やラフ・プレーなどが重なり、それが不快感となって募っていきます。
> その上、ネットの発達によって、友好ムードを演出するマスコミが報じない
> 韓国の生の声が直接、日本にも伝わるようになった事で、雰囲気が少し変わっていきました。
> まあ、相手の姿がよく見えない頃は、植民地支配という歴史の事実があり、
> また高齢層は当時の事を覚えている世代でしたから、負い目に感じる世論もあったものの、
> 実際に相手の姿が見えてくると、やはり腹が立ちという人間の心情はあっただろうと思います。
> 
「日韓戦」と聞けば私はWBCの方を思い浮かべますね。
第二回の予選でマウンドに韓国旗を刺す様子を見てイチローが激していたのが印象的です。

> そして日本側も当時は、小林よしのりのマンガ「戦争論」がブームになるなど、
> 良く言えば戦前日本の見直しと再評価、悪く言えば右傾化と歴史修正主義の動きが出てきて、
> 加害者意識から来る反省モードから、反発・挑発モードに変化していった頃でもありました。
> 更に、戦争論に影響を受ける形で、マンガ「嫌韓流」がヒットすると、
> 出版不況の中、新たな売れ筋分野が登場したとして、この手の本の量産が始まり、
> 競争が激化すると、質の低下に拍車が掛かっていくんですよねえ・・・・
> 情報の正確さなどよりも、耳障りの良い情報の方が、多くの読者を引き付け、
> 出版社側や書店側もそちらの方が儲かるので、知識低下の負のスパイラルに陥っていくと。
> そうして嫌韓の沼にハマると、韓流ブームとかも全て、陰謀論とかで切り捨て始めます(苦笑)。
> 忖度など皆無なアジアの海賊版市場を見ても、ドラマや音楽は日韓の人気が逆転してる印象。
> 元々マンガ市場は言語の壁を越え難く、ゲームも往時の勢いは見る影もないので、
> 未だに日本がリードしているエンタメ分野は、アニメとAVくらいでしょうか?
> 輸出産業で見ても、家電は韓・中・台に敗れ、半導体は壊滅的、自動車も先行き不安な感じ。
> いや本当、これからの日本って、何で食って行くんでしょう・・・・
> 
まあ「伸びしろが無い」という点に目を瞑れば、日本よりもまずい状況にある国家はいくらでもあるので、身の丈にあった暮らしをする分には不自由もない日本はまだマシだろうと思いたいです。
「身の丈〜」の部分は怪しいかもしれませんけどね……。

> こうして振り返ってみると、日本に嫌韓的な風潮が定着したのは、10年くらい前なのかな。
> それを思うと、民主党による政権交代のあった時期とも重なる訳で、
> ひょっとしたら、「愛国=嫌韓」などという、訳の分からない公式が成立したのも、
> 矮小な自身を国家と一体視して満足感を得る、セカイ系的な愛国心ブームの中、
> 「現実の日本を愛せない」という捻れた感情が、根底に存在したのかも知れませんね。
> まあ、ここで言われる愛国心とは、実在する日本の国民や国家とはリンクせず、
> 自尊心を満たす抽象的な概念さえあれば良いので、「嫌韓=愛国」でも破綻はしないでしょうし。
> (民主党政権の頃も、彼らは「嫌なら日本から出ていけ」と言っていたのか? 言われていたのか?)
> そして再び自民党返り咲きに、安倍政権が誕生すると、愛国心の暴走が始まっていくと・・・・
> ただ、それすら既に8年前の事だと考えると、嫌韓ネイティブ世代にとっては、
> 民主党政権すら歴史上の出来事であり、安倍政権の日本しか知らないのかも知れませんね。
> そう考えると、若者層は致し方ない面がある気もしますが、同調する昭和世代は御し難い(泣)。
> 
> って、話が何だか脱線してしまいましたけど、
> ハッキリ言ってしまえば、韓国側の常軌を逸した言動に対して、
> 腹を立てると言う事も、それは確かにあると思いますし、その気持ちも理解は出来ます。
> しかし、もっと前の韓国も知っていると、これでも相当に改善したんですよ!!(笑)
> その一方で、そうした負の感情を強く抱くというのは、
> 韓国の事を対等(同レベル)に見ている証左なのかも知れませんね。
> AAコピペで見る「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない」ってヤツでしょうか?
> 韓国政界の事情も、まだ民主化して20年そこそこと考えれば、大目に見られるのも、
> 「日本は韓国よりも上だ」という上から目線を、自然と抱いている所はありそうですし、
> 植民地支配をしたという加害者の意識も、同時に支配した歴史の優越感を内包しています。
> そういう意味では、上から目線だから「余裕」があり、対等と思うから「余裕」が無く、
> また、韓国のレベルが上がったきただけでなく、日本も落ちてきての僅差で、
> しかも日本から下りてきて、同等レベルに振る舞うからこそ、嫌韓が不快なのかも知れません。
> 本気で日本の事を考えるなら、レベルを上げる努力をしてくれよと・・・・
> 
> まあ、平成の30年間が、そのまま「失われた30年」になってしまい、
> 相対的な経済力は、落ちていく一方だった日本に対して、
> 韓国はこの30年間で、1人あたりGDPが日本の20%程度だった所から、
> 今では実に日本の85%くらいにまで引き上げましたからねえ。
> 言い換えるなら、日本人は1年間で韓国人の5年分を稼いでいた平成初期は、
> 韓国人の側としても、日本人に対する劣等感をやはり抱いていたでしょうけど、
> 日本の地方住民よりも、ソウル市民の方が稼ぐようになった平成末期において、
> 日本人に対する韓国人の引け目など、既にほとんど存在しないのかも知れません。
> それを考えると、対等に見て非難する日本人の対応も、実は現状に即しているのかな?
> とは言え、同等レベルまで近付いたのなら尚更、協力関係を築ければ双方にメリットが生まれ、
> 逆に対立すれば双方にデメリットが生じるのも、自明な気がしてきますね。
> 何だかんだ言っても、まだ日本の方が有利な立ち位置にいる間に、
> システムを作れた方が利益も大きくないますし(中国とは既に遅きに失した感じ)。
> 
> 
> ▼ 表現の自由と公共心の話
> > > この文章を書いた時に、書き忘れた部分を思い出したので、今更ながらに追記(笑)。
> > > ちょっと危ない内容なので、返信の方はノーコメントで構いません。
> > > 例えば、拝金主義に抗議する意味で、1万円札を燃やすアートがあったとして、
> > > それに対して慶応大学は、「福沢諭吉先生に対する冒涜だ」と抗議するでしょうか?
> > > また、戦前の学校には、教育勅語と共に、御真影と呼ばれる天皇の肖像写真が飾られ、
> > > その写真を空襲や火災から守る為に、何名もの教師や生徒の命が犠牲になり、
> > > 御真影を守る為に、「奉安殿」という格別に頑丈な建築物が、学校内に建てられた訳で、
> > > その辺りの事情も加味すると、昭和天皇の写真を、政治的なアートの題材にする事は、
> > > 普通に有り得る気がするんですよねえ・・・・
> > ただ昭和天皇を一人の個人と考えると、その肖像画を燃やしたり何なりするのを容認するのは抵抗があったりします。
> > 「天皇様だから」ではなく「個人だから」ですね。
> はい、そこは私も同感ですよ。
> こうした話をしてますけど、別に賛同している訳では無いですし、良い気もしません。
> ただ、それは誰に対しても平等であるべきで、これは昭和天皇に限らず、
> 例えば対象が、トランプであれ、金正恩であっても同じ事です。
> 「この人はNGだけど、この人ならOK」というのでは、単なる個人の好き嫌いになりますし、
> それはそれで、個人の内に留まっていれば構わないのですが、
> 自らの価値観を絶対として、他者にも押し付けて良いモノではなく、
> ましてや、脅迫を行ったり、暴行を働いたりなどというのは論外ですね。
> そんな行為はまさしく、「公共心の欠如」に他なりませんから。
> 
> そういう意味では、こうした作品を「嫌いだ」とか、「気に食わない」と発言するのは、
> 「言論・表現の自由」として認められていますし、大いに結構ですけども、
> 相手の側にも、等しく「言論・表現の自由」はある訳ですから、そこは尊重すべきなんですよね。
> 「自分の権利は尊重されるべきだが、相手の権利は尊重しない」という態度では、
> 自分の権利さえ尊重され難くなりますし、その言説には説得力が伴わなくなります・・・・
> 前出の殺人の話で言えば、殺人犯が自らの命の大切さを訴えた所で、
> 他の人たちには、まるで響かないのと同じ様なモノですね。
> (まあ、だからと言って、公権力までその雰囲気に乗っかるのはアウトですけども)
> 
> では、こうした作品が「言論・表現の自由」として認められるか?という点になると、
> 一個人ではあっても、一般人ではない。
> つまりは「公人」であるという部分が関係してくるでしょうね。
> 公人である場合、個人としての権利が制限されるというのが、一般的な解釈ですから。
> そういう意味では、トランプや金正恩の写真が燃やされたりするのも、
> 個人的に行儀の良い行為とは思いますけど、禁止すべき行為だとは別に思いません。
> 彼らの写真は、権威や権力の象徴性を帯びていますし、
> 敬意や崇拝の対象と祭り上げられる以上は、同時に扱き下ろされる覚悟は持つべきです。
> 前者だけ認めて、後者を断ずるのでは、それこそ非民主的で不自由な独裁国家ですからねえ。
> まあ、自分は体制だと思い込んでる人は、それでも構わないと思いがちなモノですが、
> でも結局、自らが叩かれる側に回ってしまった場合、一緒に叩いてきた層は一斉に敵へ回り、
> そんな時に擁護してくれるのは、それまで蔑んできたリベラル層しかいなかったりすると。
> 
> って、それはさておき、トランプや金正恩と同様、
> 昭和天皇も戦前は国家の中枢にいて、その名の下に戦争も行われたのですから、
> 表現対象としても、それ相応のモノまでは許されると思うんですよね。
> この辺は、令和の天皇でも、平成の天皇でもなく、昭和天皇であるというのが肝です。
> また、この件に関して言うと、「天皇の肖像画」が燃やされたのではなく、
> 天皇の肖像が組み込まれた「アート作品」が燃やされてている訳で、
> それも前述の通り、図録を焼却処分された事に対する、抗議の意図がある作品なんですよね。
> ですから別に、天皇の肖像画を燃やす作品でも無ければ、天皇の肖像画そのものでも無いと。
> ただ、その辺の違いを、あまり理解できずに批判している人は多いので、
> 前回は、福沢諭吉が描かれた1万円札の例え話を用いた訳です。
> 
> とは言え、それでも理解を示さない人は、変わらずそのままでしょうね。
> 例えば これは、南北融和で建てられた北朝鮮のケソン工業団地で実際にあった話ですけど、
> 韓国人の技術指導員が、読み終えた新聞を2つ折りにして机に置いた際、
> 北朝鮮の労働者たちが猛烈に怒り、指導員は吊し上げに合うという事態がありました。
> 新聞の1面には金総書記の写真が掲載されており、それを折るとは何事かと!!
> 韓国人からすれば単なる新聞紙でも、北朝鮮人にとっては御真影な訳です。
> それと同じで、アート作品も天皇の顔が載っていれば、御真影にしてしまう日本人が居ると。
> そして、御真影などと言って祭り上げれば祭り上げるほど、
> 扱き下ろされる対象としての価値を、自らマッチポンプのように高めている訳ですね。
> まあ、考え様によっては、こういうのは両者の共依存関係なんでしょうけども・・・・
> 
この辺りは難しい話ですよね……。理屈としては分かるのですが、それでも首肯出来ない何かがほんの一握り心に残っている感じがします。

前のレスで書いたことにも通じますが、じゃあ例えばトランプ大統領の写真が焼かれたら私はどう感じるかというと、多分不快になるんですよね。止められるなら止めようとするかもしれません。
金一族でもそうでしょうし、ヒトラーでもスターリンでもそうだと思います。
ただ、ここに行為主体の話が関わってくると難しい。
一番分かりやすいのは今アメリカで起きているコロンブス像破壊ですが、これをやめさせようと、私は果たしてするのか、と。
下でも話題になっていますが、コロンブス像破壊自体にフォーカスが当たっているので、こちらで触れます。

> あと、これは別に茶々を入れてる訳では無いのですが、
> 「天皇様」という表現は、佐藤優以外に使ってる人を初めて見たかも?(笑)
> 大統領や首相、国王などと同じく、「天皇」という呼称は、既に敬称的な意味を含んでますし、
> それでも更に加えたい場合には、現状だと「天皇陛下」となるのが一般的ですからねえ。
> まあ京都の方ですと、昔ながらに親しみを込めて「天皇さん」と言う事もありますが。
> ちなみに私は、普通に他者と話す場合は「天皇」を用いますけど、
> (更に陛下の敬称を付けるなら、他国の国家元首にも同等に敬称を付けるべきと考えてます)
> 私の中でしっくり来るのは、明治以前から使われてきた「みかど」の方ですね。
> 天皇、特に陛下の呼称は、明治になって新たに築かれたイメージが色濃い印象なので。
> 
うーん、私の周囲では「天皇様」と「天皇陛下」の二択かなぁ。
前者の方がかなり多い気がします。「美智子様」とか「紀子様」とかと同じ感じですね。
やはり、「陛下」は君主制国家の言葉なのかなぁ?理屈を知って、意識して「陛下」を使うことは私も有りますし、
きっと多くの同世代の方も同じでしょうけど、無意識的に、極自然に呼ぶときは「天皇様」と「天皇」の二択ではないかなと。
でも「天皇」は畏れ多い気がするので、結局言葉にするときは「天皇様」に落ち着くと。

これがもし、若者世代全般に当てはまる傾向だとすれば、象徴天皇制の成果と言って良いのではないではないでしょうか?
上皇様も「陛下」と畏まってひざまずく国民より、「様」とお辞儀をする国民の方が嬉しいんじゃないかとも思うんですが。

> > ……そうは言いながらも海の向こうでコロンブスやら何やらの銅像が倒されているのを見ると、
> > 「それはダメだろう」と思いながらも「適切な手段で撤去するのは無理だったんだろうな」とも思ってしまい、
> > 容認こそできなくても非難する言葉をあまり思いつきません。
> > 勿論法的にダメなのは当たり前ですが、そこから離れて
> > 倫理やら正義やらに基づいて何か言おうとすると何も言えなくなります。
> 昨今のアメリカで起きている黒人デモ(Black Lives Matter運動)の影響で、
> 南部の象徴でもあるサザン・クロス旗(南軍旗)が、公共の場から姿を消したり、
> 南軍の将軍たちの銅像も、各地で引き倒されたりしてるんですよね・・・・
> 「南軍=奴隷制支持」として、敗れた側を安易に全否定しちゃってますけど、
> 南軍にだって、奴隷制には否定的ながら、故郷の為に戦った将軍もいる一方、
> 北軍には、南部の都市を焦土と化した将軍もいる訳で、
> 「北軍だから、南軍だから」とか、「勝者だから、敗者だから」と、
> 単純に全肯定や全否定できる問題でも無いでしょうに・・・・
> 
> そもそも、奴隷解放の父とされるリンカーンにしても、
> 先住民インディアンに対する政策は、歴代大統領の中でも苛烈を極め、
> 虐殺と呼べる行為を、平然と行っていますからねえ・・・
> その一方で、南北戦争が終結する際、南軍で最後まで戦った将軍こそ、
> チェロキー族出身でインディアン騎兵隊を率いたスタンド・ワティだったりする訳で、
> 北軍が人権尊重で、南軍が人種差別的だったとは、一概に言えない所ではあります。
> もしも問題が、黒人からインディアンにまで飛び火した場合には、
> ワシントンの記念堂にある、巨大なリンカーン像も撤去なのでしょうか?
> 
> また、アメリカ建国の父として、尊敬を集めているワシントンにしても、
> 大農園主として数百人の黒人奴隷を所有し、違法な手段を用いて解放を拒んだり、
> 先住民インディアンの民族浄化を命令したりしてましたから、
> この運動が際限なく続いていった場合、ターゲットとされる可能性もあろうかと?
> 場合によっては、首都の名前さえ変えろ!という動きが出てくるかも知れません。
> そうなった時、「自分は南部の人間じゃないから」と、叩く側であった人々が、
> 今度は祖国の英雄たちを叩かれる側に回った場合に、一体どうなるのか・・・・
> アメリカは、その歴史からして「脛に傷の無い英雄」など居ませんけども、
> 一方で、そうした英雄史こそが「国家の礎」になっていますから、非常に難しい問題です。
> 
その辺りは昔からちょくちょく突っ込まれていますよね。
私は、アメリカ合衆国に都合の悪い歴史とか事実から上手く目を逸らすことで成功してきた国という側面があると思っています。
これは悪口でも何でもなくて、あんなデカくて人種の坩堝な国が一つになって波風も立てずやってくにはそうするしか無かったと思っています。
そうやって目を逸らされていた側から声を挙げて国民に問題を直視させたのがキング牧師なんでしょうけど、今のブラックライヴズマター運動にはそういう象徴的な指導者が居るんですかね?
聞くところによると、インターネットを介して急速に広まった運動だそうですが、
それ故に秩序を保てなくなっている、という事もあるのかな、と。

> って、他人事のように言ってますけども、少なくとも南軍旗の撤去に関しては、
> 日本にも「旭日旗」の問題がありますから、決して他人事でも無いんですよね。
> 日本人の感覚からすると、北部人も南部人も等しくアメリカ人ですけども、
> 「俺たちも日本人と同じく、ヤンキー(北部人)にやられた仲間だ」なんて事を言う人も、
> 南部人の中にはいるそうですけど、南部を象徴する旗が降ろさせられた現状を考えると、
> 今のグローバル社会の中では、旭日旗への風当たりが更に強まるかも知れません。
> 銅像の引き倒しは、アメリカから海を越えて、ヨーロッパでも始まりましたし、
> ハーケンクロイツを連想させるなんて理由で、卍マークも使用を避けられつつある現在、
> 敗戦国である日本が、軍国主義の象徴として、旭日旗の撤去を求められた際、
> 例えば五輪やW杯の舞台で、それに抗う事が日本側に可能かとなると・・・・
> 
全く畑違いの話ですが、つい最近アニメ化された作品のキャラの服装から旭日旗が消えてひと悶着ありましたね。
作者的には「間違った昭和の番長」というコンセプトのキャラで、旭日旗も記号的な意味しか無かったものの、
グローバル化した「アニメ」を牽引する作品の一つとして旭日旗は残しておけなかったんでしょうねぇ。

ただ、根本的に疑問なのですが、旭日旗って使えないと何か問題があるんですかね?
日章旗が使えれば良いのでは?

> > > と言いますか、それがダメと言う人は、こういう姿の日本がお望みなのかな?
> > > 「将軍様の肖像画と一緒に高校生を溺死させる北朝鮮の思想教育」
> > > https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20161010-00063072/
> > > まあ実際、戦前の台湾では、地震で倒壊した建物の下敷きになった台湾人少年が、
> > > 君が代を歌いながら死んでいった事を、美談として教科書にも載せましたし、
> > > 戦後・・・というか、未だに美談扱いしている人たちがいますからねえ。
> > お望みの人も居るんじゃないでしょうか。
> > あるいはそれを望んで無くても「今よりマシ」と思う人も居るのではないでしょうか。
> > 私はそうは思わないですが。
> 少なからず居るだろうとは、私自身も思ってますよ。
> だからこそ、台湾の君が代少年の話も書いた訳ですしね。
> ただ、この場合、こうした北朝鮮での出来事も同じく賞賛するようなら、
> 賛同するかは別として、それはそれで1つの価値観として整合性が取れてると思うんです。
> しかし実際は、対象が北の将軍様となれば、同じ行為でも蔑むのでは無いでしょうか?
> それだと結局、その人にとっての個人的な損得的感情に過ぎないんですよね・・・・
> そして、「敵ながら天晴れ」と賞賛できる精神こそ、理想的な武士道だとすれば、
> こうした私的な損得勘定による価値観は、その正反対に位置するモノに他ならないと。
> その人自身は満足しても、客観的にその行動が、天皇を「将軍様」にしてしまう訳ですし。
> 
なるほど。全く以ってその通りですね。

> > > みんな学校で、美術や音楽は習ってきてるはずなのに・・・と言いますか、
> > > 日本のアート教育が、受験科目でない副教科として軽視される一方、
> > > 実技のみが重視されている方針が、こういう認識を生んでいるのかな?
> > > これは、日本の学校教育 全てに関して言える事かも知れませんが、
> > > テストで点数を取る事に執着して、楽しみ方を伝える事を疎かにしている為、
> > > 結局は、各分野の本質が理解できないまま、終わっているのかも知れませんね。
> > そうかもしれませんね……。最早音楽の時間の記憶は薄れていますが、大層苦労した覚えがあります。
> > クラシックを聴いて、その音色を如何に大仰で美麗で長大な感想をかけるか、
> > それが評価に直結した記憶があります。……楽器が上手ければそんな苦労しなくても何とかなったんでしょうけど(笑)
> まあ私も、子供の頃は音楽の素養など皆無でしたけど、
> その良さに気付かされたのって、実はアニメだったりします(笑)。
> 特にクラシックに関しては、エヴァと銀英伝の影響が大きいかな?
> そうしたキッカケから始まって、他の曲も聞くようになり、
> また、クラシック音楽の歴史なども追うようになると、西洋絵画史との関連性や、
> 例えばベートーベンの交響曲とか、もろに大衆ウケを狙って作られてる事が解ってきて、
> 当時の欧州のポップスとして、気軽に楽しめば良いんだとなりましたね。
> 同じ曲でも指揮者によって、曲の印象がまるで違ってくるなど、
> 実際に聞く比べなければ、知りもしませんでしたよ、本当・・・・
> 
銀英伝は良いですね……。交響曲第9番「新世界より」第4楽章が好きすぎて仕方ないです。
アムリッツァ前哨戦でウランフ提督がビッテンフェルトを迎え撃つ時に流れた曲です。
ただそこからクラシックへと興味関心が移らなかったですね。
精々、自分が聴きたいときに検索できるようにいくつか登場した曲名を調べた位です。

> あと、これだけデジタル技術が進むと、PC1台・・・いやケータイ1台あれば、
> 楽器が演奏できなくても、譜面が読めなくても、手軽に作曲が行える時代になりましたし、
> 交響曲とかも、別に大勢の演奏者を揃えなくても、簡単に作れる時代になってる訳です。
> 更に言うと、楽器も西洋のモノに拘らず、例えば日本の和太鼓や雅楽楽器を用いたり、
> そもそも楽器の音じゃなくてもOKだったり、聴覚だけでなく他の感覚も刺激したりなど、
> 今のデジタル時代であれば、もっともっと自由に音を楽しめると思うんですよね。
> クラシックだの、ジャズだの、ロックだの、そういった枠組みも不要でしょうし、
> 今後はAIを用いて、過去の名曲を思い通りにアレンジとか、出来るようになるかも知れません。
> ・・・とか言いつつ、前述の通り、私には音楽の素養が無い為、
> 具体的な実現方法までは思い浮かびませんから、
> 新しい音楽の学習方法に関しては、素養のある人に頑張って切り開いて貰いたい所!!(笑)
> 
これを読んでいる方の中に素養のある方が居れば是非頑張ってください(笑)
> > とりあえず前半という事で区切らせていただきます。
> あとは他に何の話してたっけ?
> ・・・と思い返してみると、中選挙区制の話とかしてましたね。
後半がフェードアウトしそう……。

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