| ▼ 徳翁導誉さん
> ▼ 白米の栄養素について
> > > 文字通りに「主に食べる食糧」という意味での主食は、もちろん世界中にもあるのですが、
> > > パン食の国とかであっても、メインは牛肉という感覚の地域もあるなど、
> > > まあ基本的には、「有るモノを食べる」というのがスタンスであり、
> > > 日本人とお米のように、特別な関係にあるのは珍しいとは聞いています。
> > > そして何より、泰平の江戸時代において、石高制が採用された事で、
> > > 全ての基準が米となり、日本人の米に対する特別感が高まった気はしますね。
> > > 実際には農民なんて、戦後くらいまで、白米を常食していた訳でも無いでしょうに、
> > > それでも白米が特別視されるのは、米が全ての基準である上、憧れの存在だったからかと?
> > > 逆に言うと おかずも、戦後くらいまでは、そこまで頻繁に食べられて無かった印象。
> > 関係のある話かは分かりませんが、漫画「仁」で脚気が「江戸病」と言われていました
> > 地方の庶民は玄米を食べるから脚気にならないが、江戸の庶民は白米を食べてるから脚気になる、みたいな。
> > これはつまり、江戸時代までは米だけで栄養を採って、おかずも殆ど常食されていなかったということでしょうね。
> はい、「一汁一菜」なんて言葉がある通り、
> 江戸時代・・・というか、地方だと戦前くらいまで、
> 麦飯に味噌汁と漬け物、そして時々焼き魚というのが一般的だったかと。
> ここまで、おかずのバリエーションが豊富になったのは、明らかに戦後になってからですね。
> 米というのは、必要な栄養素をほぼ含んだ食材であり、
> それを玄米のまま、麦や大豆(味噌)などと一緒に食べれば、それで過不足が無いんです。
> 日本食の弱点を挙げるとなると、塩分がちょっと多い事かな?
> まあ、あとは見た目的に、貧相な膳ではあったんですけどね(笑)。
>
> ただ、米と大豆だけで必要なエネルギーを得ようとすると、
> それこそ、かなりの量を食べなくてはならなくなります。
> 明治になり、徴兵令が実施された際、その売り文句は「白米1日6合」でした。
> 今風に言うと、1日でご飯茶碗12〜13杯分ですから、相当な量です。
> 逆に言うと、日本人の米消費量の減少というのも、パン食の普及以上に、
> おかずの充実によって、1回に食べる米の量が大幅に減った事が大きかったりします。
> その一方で、今の高校球児とか、身体が途轍もない仕上がりになってますけども、
> 身体作りの為に、トンデモない量の米を食べさせられる為、
> 今では練習よりも、食事の方が地獄・・・なんて事態に陥っていますね。
> トレーニングを行い、エネルギーを補給すれば、確かにデカくはなるのですが、
> 短い学生期間で結果を出す為に、無理な身体作りをさせられている面もあります・・・・
>
私の友人に二人ほどスポーツに力を入れている高校に通っている人間がいましたが、
二人共口を揃えて「食事が大変だ」と言っていました。
細かい分量はもううろ覚えですが、おにぎりのノルマ?みたいのがあって、それを毎日休み時間中に達成するのが非常に大変そうでした。
いやはや、野球もスポーツも好きではありますが、こういう話を聞くと運動部の事は好きになれませんねぇ……。
全員がそうとは申しませんが、一部の指導者は自分が教え子の人生に一定の責任を有していることを自覚していないように思えます。
「聖職者」とも言われる教職とはいえ、一々教え子の人生に責任を感じてはいられないというのは分かりますが、
それなら教え子に干渉して人生を左右するような決断をさせるようなことや、10代後半の最も多感で重要な時間を浪費させるようなことはしないでいただきたいですね。
平均値を取った時に、民主主義国家日本において最も民主主義的ではなく、人権が無視され個人を蔑ろにされる集団が運動部だと私は確信しています。
勿論、「平均値」であって、そうではない運動部も多々あるとは思いますが……って大分脱線してしまいました。
> って、話題が逸れてしまいましたが、それだけ米は栄養豊富という事です!!
> ただし、玄米を白米にしてしまうと、ビタミンB群などが削られる為、
> おっしゃられる通り、それで脚気になる事を「江戸わずらい」と言ったりしました。
> 参勤交代で江戸に行くと罹り、故郷に帰ると治る病気だったので。
> これがビタミンBの不足により起こる事は、明治から大正に掛けて、ようやく解明され、
> その大きなキッカケとなったのが、日露戦争における陸軍と海軍の患者数の差でした。
> 森鴎外を始め、脚気の細菌説を採っていた陸軍は、白米1日6合の謳い文句もあり、
> 白米食を押し進めて、多くの患者と死者を出す事となります・・・・
> 一方で海軍では、同じくビタミンC不足で起こる航海の病「壊血病」が知られており、
> パン食や麦飯を導入する事で、兵士には不評でも、患者数を大幅に減らす事に成功しました。
> そして日露戦争後、化学者の鈴木梅太郎が、米糠からビタミンB1の抽出に成功!!
> 日本語で発表された為、世界的な影響は皆無でしたが、これは人類初のビタミン発見だったんです。
>
> ちなみに、この病気が江戸で起こった理由は、江戸が豊かだっただけでなく、
> 石高制の中で、江戸に多くの白米が集まり、そこで換金されてたからですね。
> 米のままでは経済は回せませんし、100万都市の江戸は多くの人口を抱えており、
> 全国から集まった白米が、江戸の市中で消費されていったと。
> つまり、徴税や換金用だから白米に加工された訳で、普通に食べるなら玄米のままで良く、
> また一説では、ビタミンBを含む蕎麦の普及は、脚気対策の側面もあったとか?
> でもまあ結局は、「銀シャリ」なんて言葉があるくらい、白米への憧れは強く、
> だからこそ、江戸っ子の白米信仰を強めた側面が大きいのかも知れません。
>
白米が一種のステータスになっていた感じですね。なるほど。
> > 特定の食物が原因で何度も暴動が起こった国って他にあるんですかね?
> > 「飢饉」が原因と言えばありふれているんでしょうけど。
> それこそ、日本が稲作に偏ってた証なんでしょうね。
> 江戸時代は米が全ての基準でしたから、稲作に適さない地域の藩でも、
> 無理して米を作ってましたし・・・・
> 逆に言うと、もっと多様な農作物に溢れていたら、
> 江戸時代に起こった大飢饉も、ある程度は被害を低く抑えられたのかも?
>
うーん、他のアジア諸国でもそこまで稲作一辺倒の食糧事情だったら分かるんですけど、多分そうではないですよね。
日本人は何故ここまで稲作に傾倒したんでしょうね。
> > > > > それにしても、前出の10年前の雑談もそうですが、
> > > > > 同じ話を繰り返してるのは、私が成長してないのか、加齢で物忘れが激しいのか・・・・
> > > > いやいや、もっと単純な話で、私は殆どレスしないですけど、
> > > > 管理人様は山ほどレスしているからではないでしょうか?
> > > > 私にしてみれば数少ないレスの一つですが、管理人様からすると山ほどあるレスの一つですもん。
> > > いや〜、実を言いますと、十数年前の掲示板での雑談内容とかも、
> > > 私は意外と覚えてるタイプだったりするんですよ!?(笑)
> > > 感情が絡んだり、頭を働かせたりした内容の記憶は、4〜5歳頃のモノでも鮮明に残ってますし。
> > > 逆に言うと、今回挙がった大豆発酵食やトリエンナーレの話題は、私も雑談キッカケなので、
> > > マンネルヘイムさんのハンドル名と共に、今後もずっと覚えてると思いますよ(笑)。
> > それは嬉しいですね。7〜8年目にしてようやく管理人様に認知していただけました(笑)
> > 管理人様と雑談という形で話したのは今回の話と前のパスタの話くらいですから、当たり前ですけどね。
> > ただ、割と掲示板はしっかり見ている方で、他の方と管理人様の雑談もちょくちょく拝見していました。
> それまでも、別に認知してなかった訳じゃないですよ(笑)。
> まあ、「マンネルヘイム」というハンドル名自体が、
> ソ連との冬戦争を戦ったフィンランドの英雄 そのままの名前でしたので、
> 早くから記憶には残った一方、個性の特定は却って邪魔をした感じだったかな?
> 「この人は、こういう性格」と掴むには、やはり独自の固定ハンドルが有効ですし、
> そして何より、事務連絡とかよりも、雑談の方が断然情報量が多いと。
> 昨今のリモート・ワークとかでも、何気ない雑談が出来ない事が、
> 意外と支障になってるとも聞きますからね。
>
>
今思うと畏れ多いハンドルネームを名乗ったものだと思うのですが、
当時、「自分と一切関わりのないハンドルネーム(間違っても特定には至らないハンドルネーム)」かつ「忘れないハンドルネーム」を名乗ろうと考えた結果、
このサイトに辿り着くまでの過程で触れた冬戦争のフラッシュ動画から名前を頂くことにしました。
> ▼ 愛知県リコールと大阪都構想の住民投票について
> > 特に親学って何なんでしょうね?
> > 特定の生き方を好む男性と特定の生き方を選んだ女性以外の個人を個人として認めない思想ですよね、あれ
> まあ、ああいうのは「ゲーム脳」とかと同じで、
> まず先に、自分たちが欲する結論があって、
> それを正当化する根拠みたいなモノが、後から作られる感じですからね。
> ですから、「自分は正しい」と思えれば、それで十分な訳で、
> それが「本当に正しい」事なのかは、特に関心が無いモノなんだと思います。
> 正直、個人が勝手に行う分には、好きにしてくれって感じですけども、
> それを政治的に世間にも広めようとする所が、面倒な所ではありますが・・・・
>
日本の教育政策は客観的な統計に基づいていないとよく指摘される所です。
「親学」なんて代物が政治家の間で平気で語られるのは、
教育政策が個人個人の「教育論」で議論されている土壌が原因でしょうかね。
> > > その事以上に、この件で気になっているのは、前回の投稿後、
> > > にわかに「大村知事のリコール運動」が勃発した事ですね!!
> > > しかも発起人が、高須克弥・百田尚樹・武田邦彦・竹田恒泰・有本香という実に香ばしい面々(笑)。
> > > 最初は理由を、コロナ問題への対応と、その税金の使い方を問題視していたはずなのに、、
> > > やはり結局の所は、あいちトリエンナーレの件に集約されてきましたね。
> > > 予想通りの展開とは言え、本音が出るのがあまりに早い!?
> > なんか「日本の為に最期の御奉公を」みたいなことを仰っていましたが、
> > 毎度思うのですが彼等がそこまで躍起になって奉仕しようとする「日本」って一体何なんでしょうね?
> まあ、ここでいう日本とは、「国民の集合体としての国家」でない事は確かですね。
> 高須院長がそうかは別として、最近よく言われるのは「自分と国家の同一視」です。
> サブカルの世界では、90年代後半から00年代に掛けて、
> 主人公と周辺の小さな関係が、中間にある社会を飛び越え、大きな世界の危機と直結する、
> いわゆる「セカイ系」と呼ばれる作品群が流行しましたけども、
> 昨今の国家観というのは、このセカイ系の愛国心版なんだと思うんです。
>
> 本来で言えば、自分や周辺の他にも、1億人以上の日本国民が居るのですが、
> そうした存在をすっ飛ばして、直接 日本国と繋がってしまうと。
> ただ、そこには多様な国民は存在しませんから、自分の価値基準と一体化した日本像になります。
> なので、自分と合わない意見に対しては「日本から出ていけ」という態度になり、
> また、ネット上で同意見ばかりに囲まれていると、自分の意見こそ多数派だと疑う事がない。
> 特に最近のAIは優秀なので、自分が欲しい情報ばかりを与えてくれますからねえ(苦笑)。
> 注意しないと知らない内に、自分にとって都合の良い情報に囲まれる状況になってしまいます。
>
そうですね。私はあまりニュースサイトを見ないのですが、やはり都合の良い情報に囲まれたくないという思いからですね。
> > > まあ、それはそれで別に構わないのですが、愛知県知事をリコールするには、
> > > 2ヶ月間で、県民86万人の署名&捺印が必要なんですけど、実際どれくらい集まるんでしょ?
> > > とてもじゃないですけど、リコールが成立する数なんて集まらないと思いますけど、
> > > どれくらい集まるかというのは、正直ちょっと興味はありますね(笑)。
> > ここが一つの分水嶺ですねぇ。この悪辣であるか、愚鈍である人々の行動によって全国の政治家に対し、
> > 負の委縮効果が発生している事だろうと思いますが、この上このとち狂ったリコール運動が成立だけでもしてしまうと、
> > もうまともに国民を代表して行政を統括しようという政治家は居なくなるんじゃないかなぁ。
> う〜ん、個人的には、そんな大層なモノとは感じてません(笑)。
> リコール運動自体は、憲法や法律で認められた、歴とした国民の権利ですし、
> 現在、愛知県以外にも、カジノ誘致に絡んで横浜市長へのリコール運動が起こっています。
> それに都道府県や政令市の規模だと、リコール成立の条件を満たすのが、ほぼ非現実的です。
> この規模でリコールが成ったのって、2011年の名古屋市議会解散くらいじゃないですか?
> それこそ、成り行きを粛々と見守れば良い訳で、成立が非現実的な以上、
> これらもまた政治的パフォーマンスと考えれば、下手に騒ぐだけ彼らを利するだけです。
> 行き過ぎた行為があれば、社会的には勝手に自滅して行くでしょうし。
>
確かに……成立しない公算が高いというのは同感ですが……。
政策的な反発でのリコールでは無く、行政権が行政の本分を果たした結果としてのリコールというのは
各首長に与える動揺も大きいのではないかと思いました。
果たして何票集まりますかね……。
> それと、日本政治の分水嶺という意味では、その時期はとっくに過ぎたかな?と・・・・
> 旧民主党は既に勝手に自壊しましたが、自民党だって信頼をもう失ってますし、
> このまま既存政党への不信感が高まり、ポピュリズムの台頭を許せば、
> 右に左にへと極端な意見に揺さぶられ、外国と衝突して一丁あがりと。
> 正直、今ここから政治的に好転するシナリオを、私はまるで思い描けません(泣)。
> 逆に質問となりますけど、好転するシナリオって何か浮かびます?
>
思い浮かばないです。
ただ好転する条件として漠然と考えているのは、中国との関係でしょうか。
そう簡単な話では無いとは思うのですが、日本がアジアの大国であろうとすることを諦め、
中国がアジアの大国であることを認められれば、中国との結びつきが強まり多少は経済が好転する余地もあるのかな、と。
アメリカではトランプに代わってバイデン氏が大統領に就任するのではないか、と言われていますが、
そうなれば米中の貿易戦争も多少は落ち着くのではないでしょうか?
落ち着く、とは言っても完全に収まるとも思えないので、そこで日本が中国に接近する余地も生まれてくるのではないかなと。
今は民主党・共和党問わず経済的な反中傾向が強いそうなので、そううまくはいかないかもしれませんが……。
> > 維新支持者って考えると割と大きい一握りなのかもしれませんけど、
> > 大阪府民とか、国民って観点で見ると、大多数は「どうでも良い」でしょうし、
> > 支持する一握りと同程度の反発もある訳で……。
> 維新支持者だからと言って、必ずしもリコール賛成派では無いでしょうし、
> 大阪中心の地域政党である維新は、愛知県に支持基盤を持っておらず、
> それに何より、維新が党としてリコール運動に乗った訳では無いですからねえ。
> この件で維新以上に影響があるのは、名古屋の河村市長が運動に乗った事です。
> 何だかんだ言って、名古屋での河村人気は、それなりに高いので。
> とは言え、積極的にリコール賛成派になるかとなると・・・・
> ただ1つ言えるのは、愛知県と名古屋市が敵対しても、地元に何の得も無い事です(泣)。
>
仮定の話として、リコールが成功したら誰が大村知事の対抗馬として次の選挙に出馬するんでしょうかね?
河村さん自身か、その支持者とか?昔、確か専決処分を濫用して鹿児島の方で市長のリコールが成立しましたが、結局再選されてましたよね。
> > > あと、それに加えて、大阪府の吉村知事まで「応援します」と参戦したのには、
> > > 正直言って、思った以上に軽率な政治家だなあ・・・と、評価を下げましたね。
> > > また、大阪維新の会としても、予定通りに実施されるのであれば、
> > > この秋にも再び「大阪都構想」の賛否を問う、重要な住民投票がある訳で、
> > > そんな大事な時に、こんな無駄な揉め事へ感情的に参戦するなど、
> > > 「何を考えているんだか?」と、本当に思ってしまいました。
> > 吉村知事もこの集団に支持を表明した事については流石に松井市長から苦言を呈されたようで。
> > 私も軽率というか、偉そうに言わせていただくと世論の見極めが甘いなぁと。
> > わざわざ吉村知事があの場面であのセリフを言わないといけない理由はないですし、メリットも無いですよね。
> > まさしく管理人様の言う通り「無駄に敵を作る」だけの話ですし。
> > それで「吉村知事大丈夫か?」と思ってたら派手にやってくれましたね。
> > 「うがい薬がコロナに効く」は目を疑いました。
> ハハハッ、やはり あのイソジン会見にはビックリしましたよね!?
> 維新の会ならぬ、イソジンの会とか揶揄されてますし(笑)
> 会見のニュースを初めて聞いた時に、私もここでの一連の話とリンクして、
> 「ついに目立つ形でヤラかしたか」と思いましたからねえ。
> 「吉村さん、頑張ってるなぁ」と、何となく支持してた人たちも、
> さすがに このヤラかしには、否定的に捉えてる人も多いかと思います。
> しかも今回は、松井市長まで同席しちゃってますからねえ・・・・
> 愛知県のリコール云々した影響は微少でも、こちらは結構大きいんじゃないでしょうか?
> 少なくとも、都構想の住民投票でプラスに働くとは、全く思えません!!
>
> あと、緊急事態宣言中は、あそこまで槍玉に挙げていたパチンコ店ですが、
> これだけ市中感染が広がる中、パチンコ店でクラスターは発生しているのでしょうか?
> 結局の所、1にも2にもパフォーマンス政治なんでしょうね。
> そしてヤラかしても、素直に「ごめんなさい」とは言えないと。
> まあ、それくらい面の皮が厚くないと、サラ金の顧問弁護士とか出来ないでしょうけど(苦笑)。
>
> そして、これまた案の定、高須院長からの援護射撃が!!
> もう、これって絶対、もしも同じ事をしたのが大村知事なら、
> ボロクソに叩いてる絵が、安易に想像できちゃうんですよね(笑)。
> 結局は、医者としての立場より、個人としての好き嫌いを優先していて、
> それでいて、その事に全く無自覚であると・・・・
> でもまあ、それはそれで、本人自身は幸せなのかも知れませんね?
> 振り回される周囲の人間は、堪ったものじゃないでしょうけど。
>
>
話はやや変わりますが、このイソジン騒動を受けてメディアがどう動くか見ていましたが、
あんまり吉村さんを批判しない感じですよね。橋下さんが露出して積極的に庇ったのもあると思いますが……。
橋下さんに古館さんが丸め込まれているのを見て、メディアの人たちもやはり人間だなぁと感じました。
人気のある政治家の批判は出来ませんし、橋下さんが「あれは確かにやり過ぎだった」とか出鼻を挫いてきたら何となく責めるのが悪い気がしちゃうんでしょうね。
> ▼ 殺人の否定と自由について
> > > > > あと、マンネルへイムさんの年代だと、ご存知無いかも知れませんけど、
> > > > > 「なぜ人を殺してはいけないのか?」というのは、
> > > > > 1997年の事ですから、今から23年も前の話なのですが、
> > > > > 知識人を中心に、メディアを騒がせたフレーズだったんですよね。
> > > > 「何故人を殺してはいけないのか?」で最初に思い出すのはドラマ「相棒」のエピソードですね。
> > > > 自分なりにその問いに考えてみるきっかけにはなったと思います。
> > > > 結局、その時に出した答えをずっと覚えていますしね。
> > > ちなみに、マンネルへイムさん的には、どんな答えに至ったんですか?
> > > 差し支えなければ、ちょっと伺ってみたい所ではありますね。
> > 何故人を殺してはいけないのか?という問いに対しては
> > 「他者の自由を侵害するから」と答えます。
> > これだけでは説得力もないし、よく分からないでしょうから、
> > どうしてこういう答えになるのか説明します。
> > (中略)
> > ……と長々と書いていて思ったのは、「殺しなさい、ただし君も殺される」というのはまさしく至言といいますか、
> > 本質を突いているな、と。
> > ただ個人的には「殺されたって良いさ、殺してやる」という逃げ道を封じたいと思いました。
> え〜と、この場合、「人を殺す自由」とかって、どう処理されるんでしょ?
> 「なぜ人を殺してはいけないのか?」というのは、まさにそういう話ですよねえ。
> 何だか、極端な話をして、煙に巻いてるような印象を受けるかも知れませんが、
> 例えば江戸時代までの日本には、仇討ちという「人を殺す権利」が法的に存在しました。
> つまりは、人を殺す権利というモノを、世間の方も容認していた訳ですね。
>
江戸時代までの社会では万人に平等な権利が与えられていた訳では無く、それについての議論も深まることは無く、
今改めて「人を殺す権利」について考える時に、かつて「人を殺す権利」が存在したことはそれが妥当であったかどうかの検討対象にはなり得ると思いますが、
今「人を殺す権利」を肯定する根拠とはならないと思います。
仇討ちについて考えると、「何故尊属の敵討ちは認められ、卑属の敵討ちは認められないのか」等、今の自由主義的価値観から検討して妥当ではないと考えられる点が多いと私は考えます。
かつての儒教的価値観では論ずるまでも無く正しい事だったと思いますが、
少なくとも私の立論においてそのような価値観は否定され、人間にとって至上の価値を「自由」と置いています。
その立場からすると、「人を殺す権利」は万人に平等にそれが認められるか、万人に平等にそれが認められないか、答えは二択になると思います。
> では、「人を殺す自由」に関しては、どうでしょうか?
> 「そんな自由など、そもそも存在しない」と、頭から否定してしまうのは簡単ですが、
> 実際の所、そうした価値観が存在しないと言う訳ではありません。
> これはただ単に、「殺されない自由」を支持する人数が、
> 現状、殺す自由よりも、圧倒的多数であるからという話であり、
> マンネルへイムさんの言葉を借りれば、衝突する自由権の結果と言っても良いかも知れませんね。
少し違います。私は今「殺されない自由」を支持する人が多いからそれが正しいと言っているのではありません。
ロールズの考えにかなり影響を受けているのは自覚していますが、
要は、仮定の話として人間が無知のヴェールの中にあるときに、殺す権利と殺されない権利を比較してどちらを選ぶかという話です。
無知のヴェールの中にありますから、自分が軍人か、プロレスラーか、大学生か、赤ん坊なのか、それすらも分かりません。
そんな状況で殺す自由、奪う自由、騙す自由、そんなものを肯定できるでしょうか。肯定できないとすれば、それらを否定する方向に合意が形成されます。
その形成される合意、それこそが最も普遍的に近い価値観であるはずです。
> とは言え、これもあくまで「現状」であって、常に普遍的な価値観であるとは限りません。
> 例えば独裁政権下において、不当な犯罪も裁かれない世の中であったとします。
> この場合、「殺されたって良いさ、殺してやる」というのが、本当に否定されるのでしょうか?
先程、人を殺す権利と人に殺されない権利を比較して人間は後者を選ぶとしました。
しかし、最初からその選択の余地がなければ、つまり、人を殺す権利と人に殺されない権利が不可分のものであれば、結論はやや変わります。
「正当防衛」と「緊急避難」、これが許されることに関しては、恐らく無知のヴェールの中に居る人々の間でも合意されるでしょう。
人を殺さなければ、人に殺される、そういう状況に置かれたときも殺人は否定されるのか?
否定はされます。ただし、命を守ろうとしたことに関しては肯定されます。法的に言えば、違法性が阻却される、という事です。
無知のヴェールの下に置かれる時点で、仮定は排斥されると思いますが、
仮に抽象化して、「法の庇護が無く、殺人を肯定しなければ生きていけない」として、肯定する方向で合意が形成できるでしょうか。
恐らく、自身が殺される側である危険性から、合意は出来ないでしょう。
では「法の庇護が無く、殺人を肯定しなければ殺される」としたら、肯定する方向で合意できるでしょうか。
恐らく、自身が殺さなければ殺される状況にある危険性から、合意に至れるものだと思います。
先の仇討ちの例と絡めて具体化すると、こうなります。
母を殺した男がそのまま襲ってきた場合、抵抗の結果として殺人が発生してしまう事はやむを得ないでしょう。
母を殺した男がそのまま去った場合、それを追いかけて殺すことは許されないでしょう。
母を殺した男を、政府が裁かなかった場合、その政府に反抗し独裁者を殺害することは、法の庇護を回復し、自身の命を守る為に限定的に許される余地もあるでしょう。
> また、それ以外にも、死刑執行や犯人の射殺、軍事行動での敵兵殺害など、
> 「公権力による殺人」というのも、どう処理されているのでしょうか?
>
死刑執行による犯罪抑止効果が確認できない現状で、死刑制度を採用していることには忸怩たる思いもあります。
全ての犯罪を、正しく立証し、刑罰を科すシステムが完成していない現状で、死刑制度を採用している事については、危機感を抱いています。
勿論、私も例えば闇サイト殺人事件のような話を聞けば憤りを覚えます。死刑を求める遺族の言葉を面と向かって否定はできません。
しかし、やはり論理で考えると、死刑制度はどうしても正当化できないんです。
犯人の射殺については公権力かどうかではなく、やはり正当防衛・緊急避難にあたるかどうかが問題になると思います。
「軍事行動について」これが非常に難しい問題です。
攻撃側と防衛側、加害者側と被害者側、そう簡単に色分けが出来る戦争は本当に僅かです。
東京裁判ではこの問題が顕在化しましたね。
ただ、このような複雑な問題を考える上ではやはり、原則に立ち返るべきです
「人を殺す権利」は存在しない。許容されるのは正当防衛・緊急避難の場合のみ、
そう考えると、極々限られた場合でしか軍事行動による敵兵射殺は許容されないでしょう。
> その他に、最近の事件で言えば、「ALS患者への嘱託殺人」がありましたけども、
> これなどは「殺される自由」とも言える問題ですよね。
> これはこれで難しい問題なのですが、まずはその前に、
> 嘱託殺人や安楽死処置も、殺人である事には変わりませんけど、これはどうなんでしょ?
正直、前のレスで踏み込むかどうか迷った点です。やはり問題ですよね。
私の場合、嘱託殺人・安楽死処置というよりはもっと単純に「自殺」として頭においていました。
つまり、「自分を殺す権利」はどうなのか?と。
私としてはこの問題を、「殺す権利」とは別の問題に分けて考えたい所です。
つまり、「死ぬ権利」です。……私は社会的要請として自殺幇助や自殺教唆が処罰され、
自殺行為が一定の抑止を受けることには賛成ですが、どうしても自殺行為自体を誤りとは言えないのですよね。
どういったらよいのでしょう……自殺に賛成している訳ではありません。むしろ、目の前に自殺者が居れば全力で止めようとするでしょう。
ただ、仮定の話として、自殺の悪影響(念頭に置いているのは人身事故でのダイヤの乱れとか、事故物件化での資産価値の低下とか)が一切ない状態で、
「死ぬ権利」を行使することは否定されないのではないか。つまり「死ぬ権利」はあるのではないか、そう思う事もあります。
> 正直な話、「逃げ道を封じたい」という心情はよく解るのですが、
> それを入れようとする事で、却ってあちこちに齟齬を来してしまう気はするんですよね。
> そして最後に、次第に身体の筋肉が動かなくなるALS患者に対して、
> 「患者が死を望むなら」と、安易に尊厳死を持ち出す意見も多いのですが、
> 実際の所、筋肉が動かなくなっても、五感や頭の方は正常だったりしますし、
> 延命治療を選択しない患者が8割いる一方で、
> 本心を言えば、生きていたい患者も8割いるそうなので、
> 現実的には、「死を選んでいる」というよりは、「死を選ばされてる」現状があると。
> そういう意味では、ALS患者を国会に送り込んだ れいわ新選組には、
> 賛否両論な意見が寄せられましたけども、この件に関して、当事者として、
> 「死ぬ権利よりも、生きる権利」を訴えた時、その価値があったと感じさせられましたね。
>
嘱託殺人や安楽死処置に関しては上に書いた死刑制度に賛同できない理由と同じような理由で、
軽々に賛同は出来ない所です。「死ぬ権利より、生きる権利」これは非常に重要な観点だと思います。
私には「死ぬ権利」を否定できませんが、そうだとしても「生きる権利」を無視しては進められない問題です。
> > 大前提として、人間はだれしも自由に生きたいという願望を抱いているとします。
> > 勿論、政治的な姿勢として自由権に制約を加える方向性を好む方も居ますが、
> > そのような方も、自らの希望として自由に制約を加えたいのであり、
> > 誰かからいきなり自分の意に沿わない形で自由に制約を加えられるのは望まないでしょう。
> > ここでいう自由とは何かをしたいと思う人間の気持ちそのものと言って良いでしょう。
> > 「自由」といいつつ憲法13条でいう幸福追求権が一番近いのかな。
> > ここまで自由を広く捉えるのであれば、人間にとって、
> > 「自由」とは最も価値のある至上の存在である、と断じても反論は無いのではないでしょうか?
> う〜ん、そもそも論として、そこまで「自由」を、
> 至上の価値として、大前提にしちゃって良いんですかねえ?
> アメリカやフランス的な価値観としては、そうなのかも知れませんけど、
> それが人類全体の普遍的な価値観であるかは、正直、甚だ疑問ではあります。
>
> 自由というのは、一面においては熾烈な競争を強いるモノであり、
> 自由至上主義(リバタリアニズム)では、弱者を救済する富の再分配さえ否定されます。
> 究極的に言うと、自由と平等は相反する価値観ですからね。
> 特にアジアの価値観において、「自由」というのは至上な存在どころか、
> 「身勝手さ」という面で、ネガティブに捉えてきた歴史があります。
> 日本人にしたって、自由という価値観を尊び始めたのは明治の文明開化以降であり、
> それがGHQの占領統治で更に深く植え付けられたものの、本当の根っ子の部分はどうなのか?
> 例えば、「中国も豊かになれば民主化する」という見方にしても、
> それは欧米人が自分たちの価値観で見ているからで、本当にそうなるのか否か?
> 自由よりも、平和や豊かさを優先したって、別に不思議は無いですからね。
>
> そういう意味では、「幸福追求権」と「自由」とが本当に、
> イコールで結ばれるのか?という問題点も、あるような気がします。
> そこには、敗者や弱者が救済されない自由もある訳ですからねえ。
> 例えば日本史で言うと、最も自由があったのは、それこそ戦国時代でした(笑)。
> 武士は勿論、農民だって、自由に土地を離れてしまいますし、
> 統一された権力が無いので、商売も自由、文化も自由でした!!
> そういう意味では、下手な規制に縛られる事もなく、非常に活力ある世界だった一方、
> 奪われる自由や、殺される自由、野垂れ死ぬ自由とも、背中合わせな自由世界です。
> その反面、江戸時代は不自由だったかも知れませんけど、平和には暮らせましたよね。
> そう思うと人は、自由を幸福と感じるか? 平和を幸福と感じるか?
>
私個人がややリバタリアニズムに親和的な人間であるために、文面からもリバタリアニズム的な「自由」のニュアンスが感じられるかもしれませんが、
私が言う自由とはもっと素朴で抽象的な物です。「選択肢がある、それを選べる」その程度の話です。
仮に管理人様が「自由」という名称で違和感を抑えられないのであれば、
全て「幸福追求権」と言い換えて良いかと思います。私個人は「自由」と「幸福追求」は同一とは見做せないものの近しいモノと考えていますが、
その点に関しては正直、管理人様と私で「幸福追求」の概念に大きな隔たりが無いのであれば無視して良い点だと思います。
なお、リバタリアニズムに親和的とは言いましたが……彼等は世代間の衡平に全く気を配りません。
その点で私はリバタリアニズムを好いていませんし、支持もしていません。一応補足までに。
> > この無知な人々が、様々な組み合わせ、状況で自由権の衝突を「繰り返し」体験する場合、
> > 恐らく人々は自由権の最大限の保持の為に、衝突を回避するよう努めることになります。
> 本当に自由競争の社会であれば、衝突の回避は調和ではなく、
> 強者が一方的に自由権を最大にして、弱者に我慢を強いらせる構図かも知れませんよ?
>
すいません。他人のふんどしで相撲を取るような気がして嫌で、自分の言葉だけで話そうとしたために誤解が生まれているようです。
私としては、「無知な人々」を「無知のヴェールに包まれた人々」と同義に考えていました。
つまり、彼等は自身が強者であるか弱者であるかも全く知りません。彼等が自身の所属を知っていれば、間違いなく管理人様の言う通りになるでしょう。
ですが知らなければ?統計的に強者より弱者の方が圧倒的に多く、不利益も大きいのですから、
そうであることを想定して人々は考え、行動し、合意するはずです。
> > 自由権の衝突の結果の殺人を認めれば、人々は常に何者かから自身の自由権を侵害されるリスクを負うことになります。
> > これは許容出来る筈がありません。
> 「リスクを負うから、許容できる筈がない」というのも、実際はどうなんですかね?
> 例えば、銃社会のアメリカなんて、それで多くの人命が失われている訳で、
> リスクであるのは確かなはずですけど、一向に銃規制が進む感じはしません・・・・
>
これは問題を分けて話すべきだと思います。
「人を殺す権利」について、無知のヴェール下で否定する方向で合意する一方で、
「銃で自衛する権利」について、無知のヴェール下で肯定する方向で合意することはあり得ると思います。
ただ、そもそもの話としてアメリカの銃社会はその建国からの歴史が大きく関わっています。
私は敢えて原初状態という抽象的な仮定からより正しい価値観を導き出そうとしています。
故に、私がその方法で導く結論と、アメリカの自分の立場と国の歴史に無知ではない人々が導く結論が、
変わってくるのは当然の事だと思います。私の結論の是非は分かりませんが、少なくともアメリカが別の結論を出したことを理由に
否定される類のものではないと思います。
> また、人を殺しても罪に問われないような無法地帯にあっても、
> そんな、やたらめったらに殺人が行われる訳では無いですし、
> それこそ究極の自由社会ですから、実際は強い者ほど身を守れたりもします。
> まさしく、「ヤクザな世界」な訳ですからねえ(笑)。
> ヤクザになれば殺されるリスクがあるからと言って、
> ヤクザが居なくなるなんて事は、現実社会でも起こってはいませんし。
>
この辺りも同様ですね。
自分が強い者か弱い者か、人々が判断できない状況に置かれて、
「さあ、ヤクザな世界に行くかい?普通の世界に行くかい?」そう聞かれた時に前者の世界を選びますかね?
博打好きだったりして選ぶ人も居るかもしれませんけど、一般的にです。
> > 自身が世界で最も、そしてあらゆる状況・意味で強いと確信できる人間など存在しませんし、
> > 絶対に自分より弱い相手としか自由権の衝突が起きない人間なんてものも存在しません。
> > 無知な人々が辿り着き、合意するであろう正義、
> > 「人間は他者の自由に生きる権利を承認することで自分が自由に生きる権利を獲得する生き物である」
> > その一側面が、「人を殺してはならない」だと思います。
> ぶっちゃけ、自らが弱い存在である事を認める事が出来、
> それ故に、他人の権利まで守る意識がある人間というのは、
> 実は「強い人間」であって、そうした人は少数派なのだと思いますよ。
> それこそ、上でも書いてるような、独善的な愛国心を振り回すタイプなどは、
> 弱いからこそ、強く有りたいと思い、そこで生じたギャップにより暴れるのであり、
> それくらい心に余裕が無いのですから、他人の権利を守る所まで意識が行きません。
> 正直言って、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と尋ねた高校生に対し、
> この主張内容では、納得させる事が難しい気がするんですよね・・・・
>
この点に関しては同感ですね。
> と、せっかく返信をしてもらって、何なのですが、
> やはり重たいテーマの話ですし、このまま続けるのが厳しいと思われた時は、
> いつでも、終わってもらって構いませんよ。
> 返信の義務感とかで扱うには、ちょっとしんどいテーマでしょうし。
>
>
これに関しては考えていただけあって、すんなりと書きたい方向が纏まったのですが、
単純にまとまった時間がないのと、中選挙区制について見識を深めるのに時間を取られて(笑)
> ▼ 象徴天皇制と敬称について
> はい、そうした判断基準の一貫性があるのであれば、
> それはそれで全く構わないと、私は思いますよ。
> ただ多くの場合、天皇の写真を燃やす事は抗議する人であっても、
> トランプなら無関心で、金正恩なら却って賞賛みたいな感じがする為、
> その行為自体ではなく、対象次第で評価が180度変わると言うのでは、
> それは社会的正義とかではなく、単なる個人の感情だと言いたい訳ですね。
>
なるほど。承知しました。
> > > 大統領や首相、国王などと同じく、「天皇」という呼称は、既に敬称的な意味を含んでますし、
> > > それでも更に加えたい場合には、現状だと「天皇陛下」となるのが一般的ですからねえ。
> > > まあ京都の方ですと、昔ながらに親しみを込めて「天皇さん」と言う事もありますが。
> > うーん、私の周囲では「天皇様」と「天皇陛下」の二択かなぁ。
> > 前者の方がかなり多い気がします。「美智子様」とか「紀子様」とかと同じ感じですね。
> > やはり、「陛下」は君主制国家の言葉なのかなぁ?理屈を知って、意識して「陛下」を使うことは私も有りますし、
> > きっと多くの同世代の方も同じでしょうけど、無意識的に、極自然に呼ぶときは「天皇様」と「天皇」の二択ではないかなと。
> > でも「天皇」は畏れ多い気がするので、結局言葉にするときは「天皇様」に落ち着くと。
> 確かに、テレビや新聞などのマスコミ報道でも、
> 公的な場面では、「皇后陛下」や「皇太子殿下」と呼ばれる一方で、
> 親しみを込める時には、「皇后さま」や「皇太子さま」と呼ばれますね。
> (親しみやすい柔らかな表現として、「様」ではなく「さま」を使用してるそうです)
> ですが天皇だけは、一貫して「天皇陛下」と呼ばれていたかと思います。
> 「雅子さま」や「秋篠宮さま」とは呼んでも、「徳仁さま」とは呼ばないですしね。
>
> そういう意味で、「天皇様」という表記は、やはり珍しいかと思われます。
> 世間的に言っても、メディアで聞き慣れた表現が用いられるのが、一般的ですしね。
> とは言え、敬称の使い分けとか意識しないレベルで報道に接し、
> しかも、「さま」付けで報じられるニュースばかりを注目していれば、
> そのような呼び方がされる事が無くい「天皇様」でも、特に違和感が無いのかな?
>
> もちろん、マスコミで使われてないからと言って、
> それ以外の用法が否定される訳では無いですけども、一般的とも言えないと思うんです。
> 例えば、「天皇だけだと畏れ多い気がする」との事でしたが、
> 安倍総理の事は、別に「首相」だけでも、恐れ多いとは感じませんよねえ?
> また、「首相様」だとか、「安倍さま」とか呼んでる人も、まず居ないかと思います。
> そこはやはり「首相」か「安倍さん」、時には敬称略で呼び捨てになりますよね。
> で、それは結局、マスコミでの用法が、世間的な用法になるからだと思うんです。
> もしくは逆に、世間一般で広く使われる用法が、マスコミでも採用されるか。
> ・・・って、ゴチャゴチャ言ってますけど、個人的には別に、呼び方は何だって良いかな?(笑)
>
変な拘りですけど、何の意識も無く「天皇様」と呼んでいた自分の事を少し誇らしい気持ちにはなりましたけどね(笑)
自分は「陛下」じゃ嫌なのか、でも呼び捨ても嫌なのか、となんか腑に落ちた気分です。
> > これがもし、若者世代全般に当てはまる傾向だとすれば、象徴天皇制の成果と言って良いのではないではないでしょうか?
> > 上皇様も「陛下」と畏まってひざまずく国民より、「様」とお辞儀をする国民の方が嬉しいんじゃないかとも思うんですが。
> う〜ん、象徴天皇制の成果ですかぁ・・・・
> それが本当に親愛の情からの表現なら、そうなのかも知れませんけど、
> 実際の所、そこまで皇室に感心が無い証のような気もしちゃうんですよね。
> これが敬称くらいの話であれば、大きな問題では無いのですが、
> 例えば「女性天皇」や「女系天皇」の話の場合、その違いを理解しないまま、
> 「時代の流れだから」とか言って、何の気無しに賛成している人が多い気がするんです。
>
> 皇統の維持を何よりも重んじ、千数百年の歴史を紡ぎ続けてきた天皇家にとって、
> 女系天皇など絶対に飲めない提言なのに、象徴天皇制とかいうモノの存在の為に、
> 自分たちの家のアイデンティティーを守りたい気持ちすら、自由に表明する事が出来ず、
> 漠然とした民意で運命が決められてしまうとなれば、果たして心情は如何ばかりか・・・・
> 「象徴としての天皇」「元首としての天皇」「当主としての天皇」「祭祀としての天皇」
> 天皇というのは、様々な側面を内包した役割がある訳ですが、
> その象徴性を重視した場合に、それ以外の面をどれくらい意識してるのか?って事ですね。
> 何だか、その辺りのキチンとした配慮が足らず、象徴性だけを押し出すと、
> 言い方は悪いですけど、象徴天皇制って「国民のペット化」しちゃうと思うんですよね・・・・
> 天皇を敬う敬わない以前の話として、これでは1人の人間の扱いとして可哀想な気がするんです。
>
>
これは耳が痛い話です……。昨今の男女共同参画社会推進と同じ頭の枠組みで、
私も女性天皇の話を考えている傾向がありました。
しかし天皇家も象徴天皇制を抜きにすると、日本一の旧家であり、家の伝統があり、アイデンティティーがある。
当たり前の話です。天皇様も象徴天皇である前に人間である。最高裁が(守るためとはいえ)天皇様の人権を限定する方向の判決を出したのは良かったのか?
なーんてことを言っていた身としては猛省したいですね。
> ▼ 日韓戦と旭日旗について
> > > 忖度など皆無なアジアの海賊版市場を見ても、ドラマや音楽は日韓の人気が逆転してる印象。
> > > 元々マンガ市場は言語の壁を越え難く、ゲームも往時の勢いは見る影もないので、
> > > 未だに日本がリードしているエンタメ分野は、アニメとAVくらいでしょうか?
> > > 輸出産業で見ても、家電は韓・中・台に敗れ、半導体は壊滅的、自動車も先行き不安な感じ。
> > > いや本当、これからの日本って、何で食って行くんでしょう・・・・
> > まあ「伸びしろが無い」という点に目を瞑れば、
> > 日本よりもまずい状況にある国家はいくらでもあるので、
> > 身の丈にあった暮らしをする分には不自由もない日本はまだマシだろうと思いたいです。
> > 「身の丈〜」の部分は怪しいかもしれませんけどね……。
> その「身の丈」というのが、どの程度を想定されてるか次第ですね。
> 相対的な現状維持という事でしたら、正直、ちょっと難しいかも知れません。
> 例えば、今回のマスク不足にしたって、一昔前の日本であれば、
> もっと海外から輸入できてたと思われますが、
> 国際競争力が落ちた現在の日本では、なかなか買えないのが現実だった訳で、
> これがまだマスクだから良いようなものの、食糧や石油でそうなったら・・・・
> 平成の米騒動の際には、「マズい、マズい」と言いながらタイ米を食べたり、
> 結局は食べずに廃棄してたりしましたけど、今後はどうなる事か?
>
自分は多分独身のままだと思うので単身で労基法を守る企業で仕事をしながら三食好きな物を食べられたらそれで良いですかね。
好きな物、と言ってもようはうどんとか納豆とか、まあ肉とか魚とかそんな高いモノを志向している訳でもないので、
それ位は私の生きている間は大丈夫だろうと信じたい所。
> しかも、これから更に日本の少子高齢化が進み、
> 人口が半減して、人口の半分が高齢者なんて時代になったら、
> 状況は今よりも苦しくなるはずですからねえ。
> 日本より下の国を見て、心を落ち着かせると言っても、限度がありますよ。
> 実際、今回のアベノマスクにしたって、
> 「海外には給食マスクすら手に入らない国がある。安倍さん、ありがとう」
> なんて国民の反応には、なってませんし(苦笑)。
>
> また、最近の研究では、世界全体の人口自体が、2050〜2070年くらいに掛けて、
> 人類史上初の「人口減少時代」を向かえるなんて意見が増えてきてますし、
> そうなると、日本だけでなく、世界規模での停滞経済期に陥っていく恐れがあります・・・・
> コロナ禍ですら、これほどの大混乱なのですから、ちょっと想像が付きませんね。
> もう本当、国全体としてどうこうより、個々人がどうするか?という時代になって来てるのかも。
>
そう、逆にそれを理由に「だから日本が人口減少するのは仕方ない、むしろ適正人口になるんだ」と言っている人が増えてきていますね。
なんか一昔前の「温暖化正常論」と似た臭いを感じて迂闊に信じられないんですけどねぇ……・
> > 全く畑違いの話ですが、つい最近アニメ化された作品のキャラの服装から旭日旗が消えてひと悶着ありましたね。
> > 作者的には「間違った昭和の番長」というコンセプトのキャラで、旭日旗も記号的な意味しか無かったものの、
> > グローバル化した「アニメ」を牽引する作品の一つとして旭日旗は残しておけなかったんでしょうねぇ。
> なんの話かな?と調べてみたら、「とある」シリーズでしたか(笑)。
> 削板軍覇というキャラで、7人しか居ないレベル5能力者の1人なんですね。
> 一応、インデックスとレールガンの第1期は、共に見ているはずなのですが、
> もう10年以上前の話なので、中身はほとんど覚えてませんね・・・・
> 関係ない話ですけど、最近は続編までのスパンが、物凄く長くなってません?
>
あらら、特定されてしまった。
そうですねぇ……。多分、原作となり得る作品が増えすぎて、どれが当たりか制作サイドも読めなくなって、
必然的にシリーズファンが見込めるかつての名作に回帰したのかなと思います。
購買力のある青年・壮年が食いつきますし、そこも含めてかな。
レールガンとインデックスの他にも、SAO、PSYCHO-PASS、STEINS;GATE、リゼロ、fate、ログホラと
あくまで私が聞いた限りですけど、全体的に4〜10年とかつては1年とか2年で続編が出ていたことを考えるとかなり間が空くようになった気がします。
> まあ、キン肉マン世代としては、ハーケンクロイツどころか、
> ドイツ出身の超人は「ナチスガス殺法」とか使ってましたので、
> 「間違ってない昭和」は、ある意味でヤバいです(苦笑)。
> この後の旭日旗の話もそうですが、当時は情報って海を越えませんでしたから、
> 外国から指摘される事もなければ、問題として意識する事もありませんでした。
>
> その一方で現代では、日本のサブカル市場も国際化した事で、
> 過剰とも思える配慮が、目立つようにはなってきたんですよね。
> 例えばワンピースとかでも、主人公ルフィの兄・エースが所属する
> 「白ひげ海賊団」のマークは、最初はヒゲ付き骸骨に卍マークだったのですが、
> 何の前触れもなく、途中で卍マークは十字架に変わってしまいます。
> まあ、卍マークがハーケン・クロイツを連想させるって配慮なのでしょうけど、
> 仏教の卍マークが駄目で、キリスト教の十字架がOKというのは・・・・
> とは言え、ビジネス的に考えれば、面倒なトラブルは事前に避けるのが賢明であると。
>
> そういう意味では、とあるの旭日旗キャラのデザイン変更も、
> 日本市場だけなら押し通したかも知れませんが、
> 世界市場を見据えた場合の配慮かも知れませんし、
> 特に日本のアニメ制作は、韓国や中国の下請けに支えられている為、
> 彼らが仕事を受けないデザインにする事は、作業的にも不都合な面もあったかと?
>
そうですね。私のアンテナ的にまず出てきたのが削板の話でしたけど、
世間一般的には僕のヒーローアカデミアの登場人物の名前が朝鮮差別?とかで炎上した事件の方が有名だと思うんですけど、
まあ、あれは過剰な配慮では無かったと思いますがジャンプが海外でも読まれる作品で無ければ、
誰も問題視するような話では無かったですしね……。
> > ただ、根本的に疑問なのですが、旭日旗って使えないと何か問題があるんですかね?
> > 日章旗が使えれば良いのでは?
> ぶっちゃけた話、中国の事を「シナ」と呼ぶのと同様、
> 旭日旗を使うと反発が来るから、それ目的で使いたい主旨なのかと?
> 実を言うと、韓国が旭日旗を騒ぎ出したのって、ここ7〜8年の話なんですよね。
> それまでは、特に意識される事もありませんでした。
>
> その一方、日本国内で旭日旗が「普通の旗」だったかというと、
> 正直、そんな事は全然無くて、戦後昭和は軍国主義の象徴と言いますか、
> より厳密に言いますと、街宣右翼の象徴として用いられる旗でした。
> なので、老人の居る家とかが、祝祭日に掲げる時以外は、
> 旭日旗を掲げるのって、「自分は街宣右翼だ」と脅す行為だった訳で、
> もう、それだけでヤバいヤツとして、白い目で見られる感じでしたね。
> それが徐々に変化していったのが、2000年前後だったかな?
>
> 1989年に冷戦が終結し、それまでの左右対立構図も一変して、
> 街宣右翼の活動も減少していった一方で、
> 旭日旗のもつデザイン性というのが、見直された所があると思います。
> また、ちょうどこの頃、サッカーの代表戦が急激に国民的な関心事となり、
> デザイン的な格好良さと、右翼的なフーリガン文化とが合わさって、
> サッカー・スタジアムにおいて、旭日旗やそれに似たデザインの旗が増えました。
> そして、サッカーの国際試合というのは、世界に開いた窓であり、
> これまた、ちょうどこの頃、インターネットが爆発的に普及した事もあって、
> 旭日旗がもつ、デザインの良さという正の側面と、軍国主義イメージの負の側面が、
> 同時に世界へと広まっていったんですよね。
> 年代的に言うと、2010年前後だったかと思います。
>
> まあ始めの内は、韓国や中国でも、騒いでいたのは一部の人間だけでしたが、
> 2011年のアジアカップ準決勝で、日本と韓国が激突した際、
> 韓国のキ・ソンヨンがゴール後に、猿真似パフォーマンスをやって叩かれたんですよね。
> 欧州のサッカー界では、猿真似って「有色人種への差別」を意味する行動であり、
> それをアジア人が、同じアジア人に対して行う事自体、実に馬鹿げた行為なのですが、
> 苦し紛れの言い訳に、「観客席の旭日旗への抗議」と嘘を付くんです・・・・
> しかし、その行動が韓国のネットに、旭日旗問題を植え付けるキッカケとなり、
> そして翌2012年、日本で自民党が政権を奪い返し、第2次・安倍内閣が発足すると、
> 日本の右傾化と旭日旗問題が合わさり、韓国世論で「戦犯旗」の異名が付くに至る訳ですね。
>
はーなるほど……。つまり最初から旭日旗を巡る争いがあった訳では無いのですね。
確かに日本の現代史を振り返っても国旗掲揚問題とか日章旗を巡る争いはあっても旭日旗を巡る争いは効いたことがないですし。
> > > > とりあえず前半という事で区切らせていただきます。
> > > あとは他に何の話してたっけ?
> > > ・・・と思い返してみると、中選挙区制の話とかしてましたね。
> > 後半がフェードアウトしそう……。
> では、後半からは話題をピックアップして、
> 「中選挙区制復活の問題点」と「人口減少の弊害はこれから」に絞ってみます?
> この2つは、マンネルへイムさんからの意見を受けての返信だったので、
> それに対して、どういう反応が返ってくるのか、少し気になる所はありますし、
> 返信がある事を念頭に、コチラも少し強めに書いている所もありますから(笑)。
「人口減少の弊害」について多分一般論以上の事は書けないと思いますね……。
「中選挙区制復活の問題点」というより「適正な選挙制度とは?」という話なら少し。
といっても、前に聞いた話を改めて整理した上で少し調べた程度ですけどね。
管理人様は中選挙区制復活の問題点を指摘されましたが、
中選挙区制の問題点というのはその他にも「金権政治」の横行があるようですね。
背景にあったのは同じ政党から数人の立候補者が出て、尚且つそれが敵同士だったこと。
これによって党ではなく派閥単位での争いが激化し、また同じ党であれば政策も近しいので、
政策以外の面、必然的に公共事業やら利権やらで票を集めるしかなくなる、と。
選挙制度改革と同時に政治資金にも規制が入りましたが、今中選挙区制を復活させてもサービスによる集票は小選挙区制以上に横行しそうですし、
人気投票化にも拍車がかかりそうです。
一方で、恐らく私に中選挙区制を解説してくれた人は、
この「党ではなく派閥単位での争いが激化」した点、言い換えると「派閥による疑似的な政権交代」が起きた点と、
二大政党制の実現を志向した結果生まれた、現状の大政党(というか自民党)に有利な小選挙区比例代表並立制を比較し、
結局中選挙区制の時の方が自民党内部での疑似的な政権交代が多々起こっていたという事を指摘したんだと思います。
それを私は単純化して「中選挙区制も良い所があった」と誤って覚えていたのでしょう。
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