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[23520] 日本サブカルの市場規模と、その影響力(その2)返信 削除
2021/3/9 (火) 23:42:07 徳翁導誉

▼ 百合文化と女装、そしてリアルお嬢様学校
> > 私も別に「マリみて」の存在を軽視している訳では決してありません。
> > ただ、元々の話の流れって、これ↓からですよねえ?
> > > > > オタク的な文化として高まり始めるのは『マリア様がみている』や
> > > > > 『東方Project』などが流行し始めた04年あたりからです。

> > まあそれ以前に、私と旧トルコ担当さんとの間で、
> > 「オタク」や「文化」に定義の違いがある事は、もう何度も語っているのですが、
> > そこ以上に大きいのは、実在する「女子校」の存在感の違いなのかも知れません。
> > それこそ、戦前のエス文化とか、「櫻の園」の映画の話とかもしましたけども、
> > もっと根本的な話として、近年は少子化や共学化の流れにより急減してますけど、
> > 90年代までは女子校って、もっと身近で一般的な存在だったんですよ。
> > なので、お嬢様学校に抱く理想化されたイメージとか、女の園における理想と現実ネタとかは、
> > 別にオタク的な想像上の世界観ではなく、見え難いものの普通に存在してた世界なんです。

> これは全く知りませんでした。
> どうしても百合の歴史のほうをさかのぼると90年代ではなく戦前のエスの方に目が行きがちなので。

返信を重ねる内に「もしかしたら?」と思ったのですが、やはりそうだったんですね。
正直な話、私としても結構盲点な部分でした!!
戦前の女学校ほどでは無いにしても、マリみて的な世界観というのは、
もちろん多分に理想化されてるものの、お嬢様学校などでは存続していたモノですし、
世間的にも、それは何となくイメージとして伝え聞いてはいましたからねえ。
(今みたいにネットで生の声とか届かないので、それこそ伝聞の世界ですけど・笑)、
ちなみに、現在でも「ごきげんよう」と挨拶する女子校が実在していたり、
女子しか居ないからこそ、独自進化したバレンタイン文化とかは、
結構有名だと思うのですが・・・・あまりリアリティーとか無いのかな?

半減したとは言え、「今でも女子校くらい残ってるでしょ?」と、最初は思ったものの、
それは都心や一部地域の話で、地方だと場所によって壊滅的な所もあるみたいですし、
受験戦争が日本よりも厳しい中国人のオタク学生が、日本の学園アニメを見て、
「放課後に部活やバイトなんて、妄想が生んだフィクションの世界だろ」と感じるみたいに、
マリみて的な世界観も、あの作品が独自に作り上げたと思えたのかな?と。
まあ今の時代、そんな深窓の令嬢で育てられても、後々苦労するのもあって、
女子校が減っている側面もあるんですけどね(苦笑)。
それこそ、森永製菓の社長令嬢として、聖心女子学院で育った
前首相夫人である安倍昭恵さんの浮き世離れっぷりを見れば、それも少し実感できるかも?

> ただ、それを聞いた上でもやはり90年代の百合と現在の百合はやはり変化していると思いますよ。
変化はあるだろうと、私も思っていますよ。
と言いますか、別に初めから「変化の有無」を問うていた訳ではありません。
また、そうした文化内の変化を「新しい文化」と呼ぶのは不適当で、
その時々の「傾向」だよね、というのは繰り返し述べている通りです。
もっと具体的な話をすると、「最近は2chもニコニコ動画も元気ないよね」という時に、
「現在の百合の変化」が、それを穴埋めして余りあるモノか?という話なんです。
百合文化そのものがじゃなくて、その「変化」がですよ!?
ましてや始めの話では、「秋葉原や神保町の魅力低下」に対する話だった訳で、
正直な所、とてもじゃないですけど、それが代替物足り得るとは思えません。

まあ、それはともかく、マリみてについては、こう表現すると解りやすいですかねえ?
セーラームーンが第1波であったとすれば、マリみては第2波であったと。
そして、例えば東日本大震災や熊本地震の時のように、
後から来たの方が大きい場合には、2発目が本震で、1発目は前震と呼ばれますけど、
でも大体の場合、1発目の方が大きくて、2発目以降が余震と呼ばれるモノです。
セーラームーンとマリみての関係も、そんな所だと思いますよ。
そもそも、もし仮に物理的には同程度であったとしても、
やはり第2波より、最初に訪れる第1波の方が、人々に与えるインパクトは大きいですし、
この件に関しては、セーラームーンとマリみてが同程度であったとも言えないと思うんです。
身も蓋も無い事を言ってしまうと、マリみてが水曜深夜のローカル放送だったのに対して、
セーラームーンは土曜ゴールデンの全国放送でしたし、放送話数もかなり差がある為、
視聴者の規模(影響を与えた人々の範囲)が、圧倒的に違うんですよね。

また例えば、百合ではなく「やおい」に関して言うと、
アニメ「純情ロマンチカ」のヒットは、ゲイでも腐女子でもないノンケな男性アニオタにまで、
やおい文化を広めた存在として、非常に大きかったとは思うんです。
視聴者層が増えた事で、BLアニメの市場(作品数)も拡大しましたしね。
ですけど、純ロマ以前と以後で一変したのは、それこそ一般アニオタ層での話であり、
やおい文化全体で見た時には、そこが最大の転換点であったとまでは言えない気がします。
「東京タワーとエッフェル塔。どっちが攻めで、どっちが受けか?」論争の方が、
やおいに新境地を切り開いたインパクトとしては大きかったかも知れません(笑)。
という事で、やおいにおける「純ロマ」が、百合における「マリみて」って印象かな?
確かに、当時のアニオタ目線で主観的に語るなら、それらは一大転換点となるでしょうけど、
そのジャンルの通史として客観的に見た場合、幾つかある大きな波の1つだと感じるんですよね。

って、でもまあ結局は、これも「文化」の時と同じで、
「転換点」という言葉の定義に対する、双方のイメージにおける規模の違いなんだと思います。
繰り返しになっちゃいますけど、私も決して、
百合文化における「マリみて」の存在を過小評価するつもりは無いので。
ただ、「個人的な経験」と「社会的な歴史」が異なる事は、ハッキリ言っておきたいですね。

> 多分この辺が現在のオタクの最も気持ち悪い部分だと思うのですが、
> 10年代以降の百合というのは男オタクの女の子になりたい願望が強く影響しているんですよね。
> やたらと女装したがるのもそうですし、もっと言えば女の子になって女の子と恋愛したい、というのが
> 現在の百合の根底にあると思います。

ちなみに、それを示す資料か何かはあったりするのでしょうか?
難しければ、そんな願望を叶える作品の存在とか。
いや別に、男オタクの少女趣味とか少女化願望というのは、昔からあったりしますし、
それこそ昨今、キャッキャウフフを眺めていたいという願望だけでなく、
キャッキャウフフに混ざりたいという願望があるとは聞きますけど、
それがイコールで、「百合」というモノに繋がるとは必ずしも限らないと思いますし、
「女の子になって女の子と恋愛したい」というのが、果たして百合なのか?というのあります。

それと女装に関して言うと、昭和の頃から原宿などに出没する
キャンディ・ミルキィさんという有名人が居られるので、今更キモいとかは思わないかな?(笑)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A3

> だからこそ、ここ最近はキャラの年齢層が低いきらら系よりも、
> キャラの年齢層高めのアイマスやラブライブ、艦これの方が百合人気としては強いわけで。

こちらも、百合人気の違いを示すデータとかは、何かあったりするのでしょうか?
上記を含め、この2点に関しては、ようやく具体的に聞けた「百合の変化」ですので、
是非とも返信を期待したい所ですね。

いや、東方・アイマス・ラブライブ・艦これといった題材が、
もう古典として、今でも安定的な人気を保っているのは承知の上で、
それでも特に「百合人気」を測るというのは、なかなか難しい事だと思うので。

> VTuberが流行したのも、もちろん視聴者側の需要もありましたが、
> 一方でかわいい女の子になってみんなからかわいいかわいい言われたいという
> 供給側の需要もあったと思うんですよね(ただその大半が再生回数3桁レベルなのが現実の悲しいところですが)。

この場合のVTuberとは、男性が美少女アバターをまとう「バ美肉(バーチャル美少女受肉)」の事?
それとも、普通に女性がCGキャラを演じる一般的なアイドル系VTuberの事でしょうか?

まあ前者の場合、中の人が男性だからこそ、同性の心の機微に通じてるみたいな感じで、
「こんな可愛い子が女の子のはずがない」的な世界観を築いてる方も、きっと居るのでしょうが、
しかしボイス・チェンジャーとかを使っても、やはり男性の声は騙し切れませんし、
もちろん、美少女の皮を被る事で得られる快感も、確かにあるのでしょうけど、
基本的には、メタ的に、男性でありながら美少女を演じるエンタメ要素が強い印象も・・・・
って、百合趣味少女×女装ドS少年の「まりほり」くらいなら、まだギリとしても、
バ美肉おじさんまで行くと、果たして百合文化の範疇で捉えて良いモノなのでしょうか?
私も詳しく知ってる分野では無いので、いろいろ話は聞いてみたい所ですけどね(笑)。

ただ個人的には、10年前の3DCGオンライン・エロゲー「らぶデス555」の衝撃が強かった為、
http://asitagamienai.blog118.fc2.com/blog-entry-810.html
バ美肉おじさんみたいな存在を聞いても、「そうなんだ」くらいの感じがしちゃいます。
VR風俗でも、中の人が男性だったり、アバターが非人間キャラだったもあるそうですし。
https://www.youtube.com/watch?v=DYjeynmbR4c
ついでに言うと、こちら方面の話も、もし詳しければ伺いたい所だったりします!!
これこそ、ある意味では、私の知らない新しい文化でしょうから(笑)。

続いて、もしも後者だった場合は、
AKBに端を発する会いに行けるアイドルから、地下アイドルの分野が派生して、
その中から、ネット上での活動だったり、仮面を被って素性を隠しての活動など、
様々な形でのアイドル活動が生まれた中、デジタルな仮面を被ってのネット地下アイドルこそ、
まさに、一般的にイメージされる女性VTuberだと思うんです。
ですので、「かわいい」と持て囃されたい願望があるのは確かでしょうけど、
個人的には、こちらは百合文化の延長というより、アイドル文化の一部といった印象ですね。
VTuberが出演するテレビ番組も幾つか有りますが、扱われ方は従来のアイドル枠そのままですし。


▼ 宮台真司の監修本を読了
> > > > ちなみに、例えば、ここで挙げた両名に関して、
> > > > 「違うなぁ」と感じさせた書籍とかは、実際にどんなモノがあるのでしょうか?
> > > > 正直、私自身は両名に関して詳しく知らないので、具体的な著書名をいくつか挙げてもらえると、
> > > > それを読む事で、私の方からも、もっと詳しい返信が行えるかと思えます。

> > > いやいや、私自身もきっちり読んだわけではないので、そこまでされなくても結構ですよ。

> > でも、学者や論評家の意見に対して、漠然とした切り取りやイメージだけで、

>>  安易にどうこうと、自分の意見は述べられませんからねえ。
> > そういった拘りの強さこそが、学術的やオタク的な気質だろうと、私なんかは考えていますね。
> > とりあえず、これをキッカケに現在、宮台真司が監修した
> > 「オタク的想像力のリミット」を読み始めましたけど、
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
> > 10人くらいのミニ論文集って感じで、なかなか良くまとまってる本ですよ。

とりあえず、上記の本は読了。
この本で、宮台真司の寄稿は第1章と最終章だったのですが、
これを読んだ限りでは、やはり彼自身は「オタクではない」と言いますか、
それ以上に、もともとサブカルの愛好者ではあるみたいですが、
彼が大人になって以降、サブカル界で主流を占めるようになったオタク文化に対して、
「キモい」という感じで、明らかに嫌悪感を抱いているようですね。
その一方で、サブカルを扱う社会学者として、オタク文化には研究的に接していると。
なので、オタク文化ファンから見た場合に、世代とか視点の違い以上に、
こうした批判的な価値観に基づく論説が、内容以前に癇に障るのかも知れませんね。

ちなみに、その論説内容の中身について言うと、
他の研究者などの論説を引き合いに、全体的な流れを述べてる部分は、
ネガティブな見解も含めて、そこまで的外れでは無いというか、無難な感じでしたし、
将来的な見立てに関しても、私と同意見になる箇所は多々ありましたので、
大筋のオタク文化論的には、そこまで間違ってないんじゃないの?といった所。
ただし、それはあくまで客観的に述べている時に限った話でして、
これが主観的に自説を述べ始めると、かなり香ばしい印象に替わってきますね(笑)。
別に自説自体も、「まあ、そういう見方も一面では出来るよね」という内容なのですが、
それを全てと捉えて断言し、自画自賛が過ぎる所に、学者としての質の低さを感じさせます。
特に、専門外である歴史学や文化学からの引用は、自説補強の為の怪しい解釈が目立ちますし、
まあ言ってしまうと、学者としての立ち位置自体が、王道ではなく「サブ」である為、
その屈折から生まれる、自己肯定と他者否定の狭視野な全能感で自尊心を保ってる印象が、
皮肉にも、彼自身が嫌うキモオタと「瓜二つ」に映ってしまいます(苦笑)。
そういう意味では、オタク文化への嫌悪感も、実は同族嫌悪が根底にあるのかも知れませんし、
育った時代や視点の違いを除いて見ると、それこそ、まさしくサブカル界隈の人なんでしょうね。

私の中で宮台というと、TBSラジオ「デイ・キャッチ」で触れる機会が主で、
たまにネットの再配信(ポッドキャスト)で聞く事があったのですが、
月曜から金曜まで、各曜日ごとにいる5人の番組コメンテーターの中でも、
個人的に最も話がツマらなかったのが、実はこの宮台だったんですよね(笑)。
(月曜:青木理 火曜:小西克哉 水曜:近藤勝重 木曜:山田五郎 金曜:宮台真司)
基本的には山田五郎がメインで、気になる話題が目に止まると、他の人のも聞く感じでしたが、
これまで私が宮台をツマらないと感じてた理由が、今回の事で何となく理解できた気がします。
全11人いた、この本の執筆者の中でも、最もツマらなかったのが宮台の章でしたからね。
1人だけ年代が違う上、経歴的にも長い(最も活躍してたのが90年代前半)という事もあり、
客観的に論じるよりも、主観的に自説を述べる方が、当人的に需要が高いのかも知れませんが、
少なくとも私は、宮台真司を求めるファン層では無い為、大して面白く感じないんだと思います。


▼ イラストのネット投稿について
> PixivとSNSでイラストレーターの存在が大きく向上
> スマホ時代になってからですが、PixivやTwitterで簡単にイラストが拡散されるようになったので、
> イラストレーターの存在感がやたらと大きくなりました。
> クリエイターになりたい系オタクのあこがれはゲームクリエイターでもアニメーターでもマンガ家でもなく、
> 声優と神絵師(神のように上手なイラストレーター)ですよ。
> イラストなんて言うのは00年代にはラノベの表紙がせいぜいの活躍場所だったはずなんですけどね。

え〜と、「イラストレーター(プロ)」と「絵師(アマ)」とを、
ゴッチャの意味で用いてる気がしますけど・・・まあ、それはさておき、
確かに、趣味で描く絵師の発表の場としては、ネットの登場は大きかったですし、
(pixivは一応、サイトの発足当初から知ってますよ)
イラスト・ソフトやペン・タブレットの性能も、本当に格段の進歩をしましたから、
投稿数は勿論の事、上位クラスの作品レベルは凄い事になってますよね!!

ただ一方で、イラストレーターの「活躍場所」って、一体どれだけ増えたのでしょう?
「ラノベの表紙」とか「声優と」となると、プロの話な気がしますが、
供給する人数が増え、供給する質も上がった上で、需要の方は相応に増えたのでしょうか。
私からすると、ちょっとそのようには見えないんですよね。
また、「なりたい系オタクのあこがれ」との事ですが、
それはゲームやアニメを作ったり、マンガを描いたりするのに比べれば、
声を当てたりとか、絵を描いたりというのが、まだハードルが低いからでしょう。
そして、そこに目を点けた専門学校が増えた事で、人材の飽和状態が生まれてる気がします。
いや本当、単に個人の趣味なら良いのですが、それ目的で専門学校に通う人は少数派なはずなので。

> あとやたらアジア系外国人が多いのも特徴です。言語の壁が関係ないからなんでしょう。
欧米では「ファンアート」と呼ばれる分野で、それこそ日本よりも歴史が古かった気が?
「アジア系が多い」という印象も、恐らく日本アニメの視点から見ているからでは?
確かに、イラストに言語の壁は無いのですが、元になる作品自体には言語の壁がある為、
作品自身が言葉の壁を越えていかない限り(吹き替え版や字幕版の作成)、
こちらから壁を越えなければ、向こうから越えて来てくれるのを待つしかないのかな。

> ぶっちゃけこっちの方がコミケ有料化よりもよっぽど大きい激変ですし、
> 同人界隈のピラミッドが二極化していっているのも、その最先端を走っているのはこういった神絵師だと感じます。
> 絵の美しさに関しては、ここ10年でアニメの絵の進化とともにオタク界は見違えるほど変わりました。

「コミケ有料化」もそうですけど、何だか文章の意味よりも、
その単語自体に反応されてる感じが・・・・

絵のレベルが格段に上がったのは、確かに間違いない事実だと私も思います。
これは、将棋棋士の羽生善治九段が語った「学習の高速道路論」にも通ずる話ですが、
ほとんどの分野は、環境が整い、人口が増えれば、全体的な質は上昇するモノですからねえ。
紙に描いた線画をスキャナーで取り込み、マウスで着色していた頃とは大違いでしょう(笑)。
また、そうした絵師たちに外国人が含まれるのも、まさにネット時代の反映ですよね。
今や日本のアニメ関連収益は、その半分を海外市場で売り上げているのですから。
でもそれらの事って、コミケの有料化と比べるような話なんですか?

そもそも私が以前したコミケ有料化の話題は、一般参加者の「お客様化」についてがメインで、
コミケ自体の変化がどうこうとか、そういうモノでは無かったはずですが?
と言いますか、コミケというのは、外部から狙い打ちされると厳しいイベントなので、
本当に守りたい部分を守る為に、結構割り切って「自主規制」を重ねて来たイベントだと思います。
例えばコスプレにしても、無法地帯と化して禁止に追い込まれた秋葉原に比べると、
コミケは露出度チェックに、エリアの限定、更衣室使用の義務化や有料化など、加え続けました。
そんな中でも、「運営者も、出展者も、来場者も、みんな等しく参加者である」という、
かなり重要な理念にまで、ついに手を付けざるを得なかったという事実は、
これだけイベントが巨大化してしまった必然として、仕方なかった面があるとは思いますけど、
お客様化という時代の流れに対して、やはり抗えなかった面があるとも感じるんですよ。
掲げる理念自体は降ろさないにしても、それを全員で共有する理想は降ろさざるを得なかったと。
まあ、外面よりも内面の変化なので、それが与える影響の大小は、それこそ人それぞれでしょうね。


▼ 文化の大量消費について
> > あとは、ある所で滅びがあっても、別の所で興りがあれば良いんですけど、
> > グローバル化と新自由主義により、文化の消費サイクルさえ加速度を増していて、
> > 最近は、行き過ぎた焼畑農法が、砂漠化を招くような状況を、生んでいる気がするんですよ。
> > 次から次へと大群で食い荒らしていくという意味では、「蝗害」に喩えても良いのかな?
> > どちらかと言うと、そちらの方がより深刻で、私が心配している部分かも知れません。

> 結構前からの引用になりますが、これについても具体例を交えて説明していただけませんでしょうか?
> 私は結局のところ自分の興味のないところは全く興味を持たないので、
> 全体の大きな流れというのはよくわからないんですよね。

「ブーム」と言うモノは、大体の場合、そんな感じじゃないですか?
ブームとなる以前には、それを今まで育んできた愛好家たちが居る訳で、
逆に言うと、そうした人たちが居ない限り、コンテンツというのは育たない訳ですが、
いったんブームになると、話題性や目新しさに惹かれて、ドッと人が押し寄せると。
ブーム自体は昔からある現象なものの、しかし近年は押し寄せる人の数が違っていて、
そこにビジネス・チャンスがあるとなると、一攫千金を狙って押し寄せる人たちも増える。
まあ、そんな人たちは一過性の楽しさや、目先の利益が楽しみなので、
コンテンツの持続性や育成、その後の事なんて意識が無く、飽きれば飛び去ってしまい、
元々の愛好者たちに残されるのは、そんな人々に荒らされてしまった場であると・・・・

って、具体的にとなると、どんな実例が説明に適当なのかなぁ?
個人的には日韓W杯の時がそうだったんですけど、御存知無いですよねえ?
一昨年にあったラグビーW杯とかも、ちょっと近い感じはありましたけど、
う〜ん、「元に戻すのが大変」という意味では、自然を対象としたモノで、
登山ブームとかキャンプ・ブームとかは、そうした面があったと思いますよ。
あと、これは最初に言った事の繰り返しになりますけど、
ブームと呼ばれる現象が過ぎ去った後には、ほとんどのケースで当て填る気がします。
だからこそ、敢えて露出を避ける人気店とかは、普通にあったりしますからねえ。
一見さんが大量に訪れて、常連客の足が遠退けば、ブーム後に店は傾いちゃいますので。

例えば、一般アニメに百合厨が大量に湧いた事で、普通のファンは逃げ去ってしまう、
そして百合厨も次のターゲットに移っていったとなれば、その作品は目も当てられないと、
そんな感じの所ですかねえ?(実際に有りそうながら、本当に有るかまでは知りませんが・笑)
と、無理にアニメとか話に絡めなくても、ここの多人数ゲームとかでも良いかな。
2chとかから一斉にやって来て、暴れるだけ暴れて、去っていった後、
元から居た人も減ってしまうなんて経験は、1度や2度じゃ無かったですし。
それでも私は「来る者、拒まず」の信念があった為、特に規制などは設けませんでしたが、
そうやって潰された個人サイトは、数多く見てきてますからねえ・・・・

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