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[23586] ネット時代の超ローカル文化と雑談返信 削除
2021/5/22 (土) 16:45:36 旧トルコ担当

▼ 有意義な無駄について

> 電車を待つ数分、エレベーターを待つ数十秒、そして食事中や移動中の時間。
> 1つの動画を見たり、1つの記事を読んだり、新着チェックをしたりする。
> 一見すると、限られた時間を無駄なく使ってるように感じられるかも知れません。
>
> しかしこれは、「時間が貴重になった」と言うよりも、
> 「わずかな時間さえ市場化された」と言うのが実状でしょうし、
> やる事が多すぎて「時間的余裕」が削られる以上に、
> 一息つく暇さえ消費に追われて「精神的余裕」が削られてしまい、
> 結局は気付かぬ内に、市場原理に飲み込まれてるんだと思うんですよ。
> スマホのソシャゲなどは、最も解りやすい例では無いでしょうか?
>
> これと似た構造なのが、食べ放題やバイキングですね。
> 元々は、支払額を気にせず、好きなだけ食べる事に集中できるシステムのはずですが、
> そこに「コスパ」という概念が持ち込まれ、「元を取ろう」という気持ちが働くと、
> 吐きそうになるまで量を食べたり、原価の高いモノだけを食べるようになる。
> でもこれでは、損する事を恐れる 強迫観念にかられての行為になってしまい、
> そこで得られるのも、食事的な満足感ではなく、経済的な満足感になってしまいます。
>
> 無料や定額(サブスク)の中、選びきれないほど大量に存在し、
> わずかな隙間時間さえ狙うべく短時間化&単純化が進む、コンテンツの数々。
> こうなると、その中身を楽しむ以上に、手段である消費自体が目的化しちゃいません?
> また、ネット通販にしても、その商品をゲットする事で得る喜びよりも、
> 買うか否かを悩み、ポチる事で得られる解放感の方が、実際には強い気がするんですよね。
> ネット通販には、掘り出し物の発見や、作業的な買い物の効率化など、確かに利点はありますし、
> サブスクにより、過去の名作に触れる機会が格段に増えたのも、素晴らしい事だと思います。
> そして、そもそも、食べ放題的なコンテンツ消費の楽しみ方自体を否定している訳ではありません。
> ただ、社会全体が安価な「コスパ至上主義」に覆われてしまい、「有意義な無駄」が失われ、
> そうしたコンテンツしか、新たに生み出されない環境となる事を危惧しているんです。


これについて、完全否定するつもりはないんですよ。
ただ一方で、具体的に「有意義な無駄」とは何でしょうか?
もちろん、ソシャゲのログインボーナスを毎日欠かさずにゲットするという行為が必ずしも有意義なのか?というのは自分も疑問を持ちます。(自分はその辺が嫌でソシャゲを短期間で辞めたので)
ですが一方で「電車を待つ数分、エレベーターを待つ数十秒、そして食事中や移動中の時間」に存在した「有意義な無駄」とは何だったのでしょうか?(食事中は目の前の食事に集中しろよとか、スマホの画面見てないで一緒に来てる人と会話しろとか、まだありますが)

あと、管理人さんの言っていることは少なくとも前回の返信で挙げられている具体例に関しては極端だと思います。
例えば食べ放題にしても、吐きそうになるまで量を食べたり、原価の高いモノだけを食べるようになる、というのは大げさではないでしょうか?
少なくとも私の周りでは、食べ過ぎることはあっても、吐きそうになるほど食べる人は見ませんし、原価の高いものばかりだべるというのもあまり見ません。
ネット通販にしろ、ソシャゲにしろ、然りです。

▼ 中間の喪失につてい:多様性の罠、不可知化と分国

> > > 文化というのは、幅や時間や厚みを持った、もっと大きな枠組みのモノであり、
> > > キツイ言い方になってしまいますけど、そもそも「新しい文化は無限にある」だなんて、
> > > そんな小さな意味合いで「文化」という概念を、少なくとも私は捉えていません。
> > > 例えば無数に存在するのは、文化を構成する個々の作品とかであって、
> > > 文化自体が、決して無数に存在している訳では無いでしょうからねえ。

> > 申し訳ありませんが、この辺の規模感については正直よくわかりません。
> > 多分管理人さんは私よりもより高い位置から色々な現象を見渡せているのだと思いますが、
> > 私自身まだまだ勉強不足なので、科学技術の発展や社会形態みたいなより
> > 具体的なものならばまだわかるんですが、文化とは何か?
> > (傾向やブームとは何が違うのか)みたいな抽象性の高い話には全くついていけないんですよね。
> > 投げやりに返信しているとかではなく、本当にその視点から言われるとどうしようもないんですよね。

> はい、投げやりな対応だとか、そうで無いのは解ってますよ(笑)。
> まあこの辺は、私が理系の人間という事もあり、
> 「言葉の定義にうるさい」って面があるんだと思います。
> 普通はもっと、フワッとした感じで言葉を用いてるでしょうからね。
>
> ただ、感想なら主観で書けますけど、論評となれば客観性が不可欠でしょうし、
> 世間一般の感覚だと、そんなのは「面倒な事」と捉えられるにしても、
> そこを突き進むのが、学問やオタクの世界だろうと個人的には考えています。
> 別の言い方をすれば、主観的な「好き嫌い」と、客観的な「良い悪い」を、
> キチンと分けて考えられるか否かって感じですかねえ?
> 個人的に楽しむだけなら、「好き嫌い=良い悪い」でも構わないのですが、
> オタクを自称する以上は、それではダメかな?と。
>
> 「文化」の意味というのは非常に広いので、ちょっと説明が難しいのですが、
> 例え話を用いるとすれば、1つ1つの「学校」みたいな単位でしょうか?
> そして、その地域の学校群みたいな存在が「文明」であり、
> 学校内のクラスや部活などの組織が、文化の中の「小さな文化」と言って良いかも。
> 言うなれば、日本文化とかフランス文化とかが、それぞれの学校単位のようなモノで、
> その大きな集合体として、東アジア文明や西ヨーロッパ文明みたいなのがあり、
> 学校に相当する日本文化の中に、クラスに相当する和食文化だったり、
> 部活に相当するアニメ文化があったりするイメージですかね。
> ちなみに、ここで用いたクラスと部活の使い分けは、
> クラスは基本的に学校内で完結する組織であるのに対して、
> 部活というのは、サッカー部とか野球部とか他校との横の繋がりもある感じ。
> メイン・カルチャーとサブカルとかは、運動部と文化部くらいの枠組みに相当するかな?
>
> で、これまでの書き込みで、旧トルコ担当さんがおっしゃっていた「文化」の対象は、
> それよりも小さく、個々の生徒であったり、仲良しグループくらいの単位に見えたので、
> 「それは学校や部活とは同規模じゃないでしょ!?」となった訳ですね。
> ここで言う生徒は「作品」に相当し、グループは「ジャンルや傾向」に相当するでしょうか。
> 言ってしまうと、例えば近年は、商業高校や工業高校などが次々と無くなり、
> 「どこもかしこも似たような普通科高校ばかりになってしまった」と話してる時に、
> 「でも私のグループには、○○君が加わって雰囲気が一変したよ」と返されても、
> 「いや、そういう話をしているんじゃないから・・・」となる感じですかねえ?
> これはもちろん、生徒がどうこうとか、グループがどうこうという話ではなく、
> それこそ繰り返してになってしまいますが、対象とする規模の違いがあると。
> まあ確かに、生徒個々に凄い人が居たり、グループでまとまり行動したりなど、
> それだけで何かを生み出す場合には、その規模でも「小さな文化」と呼べるケースはありますが、
> やはりそれは特異な例だと思うので、基本的にはそぐわないでしょうね。


中間の喪失が招いたものというのは、不可知化だったと思います。
大きいものがいくつかと、あとそれなりの数の中くらいのものがあって、さらに細かい小さな塊が存在する、そういう時は、大きいものと中くらいのものを認識することが出来るわけですが、現在のように大きな塊が少しと小さなものが無限にある場合には、大きなものしか見えなくなって小さなものは不可視になると思うんですよね。
さらにネット化がそれに拍車をかけたと。(正確に言えば、ネット化が大きな塊と無数の小さなものだけ、という状況を形成したわけですが)
で、その結果起きたことは分国だと思うんですよ。
30年前までは、管理人さんの例のように、ある程度の規模の学校が存在して、その中にいろいろなクラスや部活、生徒がいたからこそ、それが多様性だったわけです。
しかし、現在起きていることというのは、その大きな学校が崩壊して、無数の学校が勝手に独立し始めた、そういうことではないでしょうか?
これはオタク文化においてもそうですし、現在の世界が置かれている状況にも当てはまると思います。

で、私はオタクなのでオタク話しかできないのですが、アイマスなんかが面白いのは失われた中間を独自に再創造しているところだと思うんですよね。
数百人のアイドルがいて、さらに定期的に新シリーズをやることで新規世代の参入障壁を低くし、複数の形態でコンテンツを発信することで、アイマスというのはそれなりの規模の学校に多様性のあるメンバーがいるという、旧世代の中間を再創造しているんですよ。
それは別に個性豊かなアイドルがいるとかそういうことではなく、ファン層の中に年齢高めのオタクから10代までを網羅し、アイマスはなんだかんだんで声優の文化が強いのですが、私みたく声優に全く興味のない人間も普通にいると。
ゲームを拠点としながらも、既に紹介した二次創作小説から、商業漫画、アニメに音楽、ニコ動・YouTubeなど、幅広いメディアミックスを成功させています。
そういう意味で、アイマスはポスト1995のガンダムなのかな?
かつては東方もこれに近かったと思います。
結局東方がアイマスになりえなかったのは、ZUNが同人でやっているがゆえに公式での展開力がどうしても弱かったことでしょうね。
アイマスは背後にバンダイがいたのでどんどんキャラを増やしていったり、東方ではできなかったアニメ化も非常に上手にやっていきました。

まあそんなオタク話は置いておくにしても、不可知化=分国というのは結構大きいと思うんですよね。
例えばDiscordなんかも、クローズドだからこそTwitterよりも質の高いコミュニケーションが取れて、私としては非常に楽しいのですが、そういうのってクローズドSNSだからゆえに外からは全く見えませんからね。
別に現代のネットというのはTwitterの炎上だけではないのですが。
といいますか、管理人さんの望むような長文の話なんかもDiscordであれば実現可能だと思うのですが。人さえうまく集められれば。
私はさっぱりですが、オンラインサロンなんかもそういった不可知化=分国の一例なのでしょうか。
ともあれ20世紀に存在していた公共空間が没落していって、私的でも公的でもない第三の社会が今後どうなっていくのかというのは歴史好きとしても結構気になるところです。

▼ 時間感覚の加速がもたらすもの

> > > え〜と、昨今ある「時間が貴重になった」という論調には、私はちょっと懐疑的かな?
> > > じゃあ、そうやって作った時間で何をしているかとなると、別に大した事はしていないと(笑)。
> > > 正直、情報が有ろうが無かろうが、大昔だろうが現在だろうが、
> > > 1日が24時間なのは全く変わってませんし、時間は貴重なんて事は数千年前から言われ続けてます。
> > > もっと言っちゃえば、昔の方が平均寿命が短いので、今より時間が貴重です(笑)。
> > > ともかく、やるべき事、したい事が多い人ほど、時間をフル活用するモノですからね。

> > いやまあ大したことをしてないのは事実なんですけどね、自分も含めw
> > ただ時間貴重感の増大というのはそこまで間違ってないと思っています。
> > 私自身も、スマホを使うようになってからエスカレーターの待ち時間とかがやたらもったいなく感じるようになりました。

> そう、そこなんですよ、私が言いたいのは。
> 重視されてるのは「時間」そのものではなく、時間に伴う「感覚」の方な気がするんです。
> 要するに、本当に「時間が貴重」と思えるほど、現代人が忙しくなったというよりは、
> 時間が貴重というコンセプトにより、「心理的な余裕」が奪われてるのが真相なのでは?
> そして、心の余裕と交換に、我々が何を得たかというと、それは「便利さ」なのでしょうが、
> ですけど便利さ自体が、心の余裕を奪ってる訳では無いと思いますし、
> それを奪うのは、便利さに抱き合わされた「商業主義」の方だと思うんです。
> で、その商業主義を覆い隠す為に用いられるコンセプトこそが、「時間が貴重」では無いかと。
>
> > あまり詳しくはないのですが、最近の音楽はサビから始まるなんていうのも、
> > サビが始まるまでとりあえず聞いてみようという人が減ってきたからだと思いますし、

> 「最近の音楽」と言いますか、その歴史は音楽界でも何度も繰り返されてる感じですね(笑)。
> まあこれは音楽に限らず、顧客の数が増える「大衆化」を迎え、
> ツカミやインパクト、解り易さなどを重視する「陳腐化」が起こり、
> そして飽きられて沈んでいき、また時間が経って盛り上がり始めるサイクルを辿ると。
> ですから、サビから始まる曲自体、カラオケ・ブームによりCDが馬鹿売れした90年代にも、
> カラオケでの盛り上がりを重視して、やはり同じ様な傾向は見受けられましたし、
> もっと言うと、縁遠いと高尚と思われがちなクラシック音楽の世界でさえ同様で、
> 実はベートーベンというのは、そうやって大衆人気を得た人なんですよね!!
> 「ジャジャジャジャーン」で始まる交響曲第5番「運命」など、ツカミ狙いの典型例です(笑)。


まず、時間感覚の変化の要因は商業主義の浸透というよりも、スマホが要因だと私は考えています。
音楽を例にするとわかりやすいと思うのですが、
かつて巨大なコンサートホールでクラッシック音楽が演奏されていた時代、人々はその場にふさわしい適当な服装をわざわざ着て来て、ホールまで歩いて(あるいは馬車などで)音楽を聴きに行きました。
そういう時代の音楽というのは、演奏時間も数十分とか、下手すると数時間のような、長い曲ばかりだったわけですよ。
なぜならば、ホールに行くのにも変えるのにも、それなりの時間と手間を使って、聴きに行き、なおかつ嫌いな曲がかかっても個人の好みで別の曲を演奏しろ、とヤジを飛ばすわけにはいかなかったからです。(強いて言えばホールを出て次の曲までタバコを吸っていることはできたのでしょうが)
しかしそれがレコードの時代になると、別にホールまでわざわざ音楽を聴きに行く必要がなくなり、さらに気に入らない曲を無理に聞く必要もなくなったわけです。
それでもまだレコードは何よりも値段が高かったわけですが、しかし現在はスマホによってその手間やコストというのがほぼゼロになってしまったんですよね。
その結果、人々は少しでも気に入らないとその曲を全部聞き終わる前に別の曲の動画に切り替えてしまいますし、曲を聴く体勢も寝っ転がってパジャマのまま聴くようになったわけです。
なので、「最近の音楽はサビから始まる」と。

あるいは映像を例に例えるのであれば、
映画は当たり前のように2時間とか上映時間がありますが、それがテレビ番組になると30分番組が増え、YouTubeになると10分の動画や、TikTokだと15秒になってしまうと。これも、どれだけ手間がかかっているかが動画時間を決定しているわけです。
映画館に30分の映像を見に行こうとはあまり思いませんし、逆にYouTubeで2時間見ないと面白くない動画というのはウケないんですよ。
小説もそうですね。なろう小説をいくつか冒頭だけ読んでもらえればわかるのですが、ネット小説というのは特に最初のほうは展開がめちゃくちゃ早いんですよ。
当然ながら、最初の数ページで何かないと、続きを読んでもらえないからこそ、そうなるわけです。
ネットコミュニケーションも同じです。ネット接続が高かった時代には、掲示板の書き込みを読み込んだらネット接続を切って、オフラインで返信を書くからこそ、遅いけど濃いやりとりができたわけです。
それがツイッターのように140文字になると、感情的なやり取りに終始してしまうと。

で、何もスマホが変えてしまったのはこういったコンテンツの時間間隔だけでなくて、現実の時間感覚そのものを変えてしまったと思うんですよね。

> > 特に最近私が感じたのは、SNSをやっている時と、
> > 本を読んでいる時で時間の流れ方(正確にはその感じ方)が全然違うということですね。
> > 本読んでるときは「俺って時間セレブだよなー」みたいな感じです。
> > なんというか、金がたいしてあるわけでもないのにお高い店でランチを食べているような、
> > 読書にはそんなリッチさを感じるようになりました。

> はい、解りますよ、その感覚は(笑)。
> でもそれって、今までは普通だった事が、今では特別な事になってる訳で、
> 客観的に見た場合、果たして良い方向に進んでいると言えるのでしょうか?
> 例えば、経済発展重視で環境が軽視され、空は煙に覆われ、川は排水溝に化したとして、
> そうした社会の中で、雨の晴れ間に見えた青空や、ドブの隙間に見えた魚の姿などに、
> 思わず感動してしまう構図と似たモノだと思うんですよね。
> もちろん、そこから社会が改善されていく時も、同じように感じるのでしょうが、
> 環境が破壊された時と比べるか? 環境が破壊される前と比べるか?
> で、その評価は、まるで異なるモノとなるはずです。
> 言ってしまえば、環境改善で北京市民が抱く感動を、私は別に羨ましいとは思わないと。


時間感覚のスピードが早くなることは、環境汚染のように完全な悪なのでしょうか?
時間感覚が早くなろうと、別に本を読むことはできるわけで、別に後退だとは私は思いませんが。
それって例えるなら、高度成長期に日本経済が豊かになって外食が増えたため内食が減り、「内食が衰退して日本はダメになった」といっているようなものだと思うのですが。
もちろん、時間感覚の加速による弊害もありますが、そればっかりに目を向けるのはあまり正しいとは思えません。

▼ SFと昔のオタク文化

> > いえ、私はオタクですし、今でもかつて(80・90年代くらい)のガチオタに憧れるので、
> ちなみに、主にどんな分野のオタクなんですか?


特に何のオタクとかいうのはないです。ラノベも読みますし、アニメも見ますし、ゲームもしますよ。
庵野秀明がアニメも好きだし、特撮も好きなのと同じようなものです。

> > ネットを漁って80年代のSFボードゲームが手の届く価格で売ってないか検索したりしているのですが、
> そう言えば旧トルコ担当さんは、アシモフのSFが好きとの事でしたが、
> 昔から、ちょっと気になっていたんですけど、
> アイザック・アシモフというと、世間的にはSF作家として有名なのですが、
> 彼の本職は生化学者であり、化学や生医学の著作もあるんですけど、
> アシモフ・ファンの方は、そちらも読まれたりするモノなのでしょうか?
> 日本語だと「化学の歴史」や「生物学の歴史」あたりが出版されてますけども。
> https://www.amazon.co.jp/dp/448009282X
> https://www.amazon.co.jp/dp/4062922487
>
> あとSFと言えば、最近話題のSF小説「三体」って、既に読まれてます?
> 全3部作で、私はまだ第1部しか読んでないんですけど(第3部の日本語版は今年発売予定)、
> SFファンの中では、一体どんな評価なのかな?と気になりまして。
> まあ、そもそもSF自体、私はほとんど読んで事が無いんですけど、
> 近年活況を呈していると聞いてはいた中国産SFの、これが初体験でした。
> で、この作品が中国国内で累計2000万部と知り、そんなに市場が大きいんだなと!!
> 前回も少し話しましたが、単に日本と中国の人口の差という以上に、
> 中国のネット投稿小説の市場は、日本よりも先んじて既に大きく発展しており、
> サブカルを含めた文化面で、日本が成熟期なのに対して、中国には成長期の勢いがあります。
> (例えば成都というと、三国志の印象が強いですけど、今ではSF都市として力を入れてるそうで)
>
> 一昔前までは、日本に入ってくる中国の小説というと、武侠小説が主でしたけど、
> 今では、中国でヒットした作品が、英訳されて欧米でも流行り、
> その後で日本語版も発売されるという流れになってきているみたいです。
> 政治問題に触れない限り、中国政府も国家戦略として全面バックアップしてますしね。
> (政治的要素を含む作品は、作家たちも台湾の方で出版すると・笑)
> この三体も、オバマやザッカーバーグが絶賛した事で、日本語への翻訳が決まったとも?
> 本来なら中国から直接の方が近いのに、欧米経由じゃないと入ってこないというのは、
> 中国に対する評価の問題や、日本市場の魅力の問題など、いろいろ抱えていそうですけど、
> それでも、言葉の壁を越えて市場開拓している姿は、日本も大いに参考に出来るかも知れません。


『三体』は読んでないです。
前にハリ・セルダンの名前を出したからだと思うのですが、SFは勉強のためにちょっと読んだだけなんですよ。

> > 昔のオタクはもっと濃かったみたいな話は他の場所でもまれに聞くのですが、実際どんな感じだったのでしょう?
> > 私もなんとなく昔の濃いオタクにあこがれる気持ちはあるのですが、
> > では濃かったと言われる昔のオタクが具体的にどのレベルなのかは全然知らないんですよね。

> いや〜、私自身が実際にオタクだった訳では無いので・・・・
> でもまあ、言えるとすれば、例えばアニメなんて今よりもずっと作品数が少なかったですし、
> ゲームも今よりずっと高額だったので、1作1作をヤリ込む風潮は強かったですよね。
> それがオタク層ともなれば、1作を更に深く掘り下げると。
> だからこそ作り手側も、それに耐え得るように作り込む作品が一定数あった訳です。
> 今と比べれば小さな世界でしたから、極めようとすれば必然的に濃くなると。
>
> しかし現在では、アニメ作品は量産化され、ゲーム作品も無料化や低価格化が進み、
> 1作1作を味わい尽くすよりは、次から次へと消化していく楽しみ方がメインとなり、
> オタク的な楽しみ方も、掘り下げ型からデータベース型に移行していった気がします。
> もちろん、データベース志向の楽しみ方自体は、ずっと昔から存在するのですが、
> 以前であれば そうした層は、オタク層というよりは「マニア層」に分類されていたかな?
> そういう意味では、オタクの定義そのものが、マニアまで含む広い意味になったと同時に、
> 王道とされた従来のオタク的楽しみ方が、マニア的楽しみ方に主流を奪われた感じかも知れません。
> 言うなれば、「狭く深く」しか無かった所から、「広く浅く」へと変わっていった感じでしょうか。
>
> ちなみに、昔のオタク・レベルの具体例となると、解りやすい所でパッと思い付いたのは、
> マンガ夜話の「攻殻機動隊」の放送回(アニメ夜話の方じゃ無いですよ)でしたが、
> う〜ん、20年以上前の放送だから、今だと何処かで見られるのかなぁ?
> BSとは言え、NHKでそういう番組が出来てた時代が、確かにあったんですよねえ・・・・
> 逆に言うと、あんな地味でマニアックな放送内容なのに、
> それが人気番組として10年以上続くくらい、そういう濃い視聴者も多く居た訳です。
> という事で今回、記憶も曖昧になっていたので、内容の再確認がてら、
> 10年ぶりくらいに見返してみましたけど、やはり神回でしたね(笑)。
>
> って、そもそも、「マンガ夜話」って番組の存在自体は御存知ですか?
> 1つのマンガ作品を、1時間掛けて、徹底的に語り合う生放送番組でした。
> BSデジタル化に伴う、NHKのチャンネル削減の影響を受けて打ち切られたので、
> 最後の放送が10年くらい前でしたから、さすがにリアルタイムでの視聴は厳しいのかな?
> とりあえず、番組出演者の1人であった岡田斗司夫が、
> YouTubeで何本か、攻殻機動隊のマンガ解説動画をアップしているみたいなので、
> それを見れば部分的にでも伝わるかも?(いや私はYouTubeの動画は見てませんけど・笑)


マンガ夜話は一応知っていますよ。
といいますか、時代にかかわらずオタクの上位層がとてつもない知識量・考察を有しているのは知っているんですよ。
それこそ岡田斗司夫さんなんかはYouTubeで機動戦士ガンダム完全講座という狂気の動画シリーズで、ガンダム1話に対して毎回2、3時間語っていますから。
https://www.youtube.com/watch?v=mU_EqvPcE0w&list=PL1TOJRTrkimJYayzdGGrTuqMlBavE9rGK
ですが、別にオタクが全員そんなことができるわけではないと。
かつてオタクもレベルが高かったというのは、上位層の話ではなくて、全体としてという話だと思うのですが、かつてのオタクのミドルクラスはどの程度の知識があったのでしょうか?
いや、まあこんなことをオタクでもない管理人さんに聞いても答えられるのか分からないのですが。

> > > > > > 【以下追記】 > > > > >
>
> その後、YouTubeを見ていたら、何の巡り合わせか、
> ここ1〜2週間で、マンガ夜話を上げまくってる人を発見!!
> 全144回のうち、142回分あるみたいなので、ほぼほぼ揃ってますね。
> https://www.youtube.com/playlist?list=PLqYyhPV7mfynIxW4-GDMFfukCNvvNc369
> って、これだけ多いと、さすがに選ぶのも大変でしょうから、
> 個人的に面白かった回を、記憶頼りに思い付くまま、適当にラインナップ(笑)。
>
>  1位「攻殻機動隊」 https://www.youtube.com/watch?v=fzbqxGGg0kY
>  2位「肉弾時代」 https://www.youtube.com/watch?v=7QEQ2ztWjbk
>  3位「ブラックジャック」 https://www.youtube.com/watch?v=fnyp5ggNPxA
>  4位「燃えよペン」 https://www.youtube.com/watch?v=JwBrEpzrefw
>  5位「嗚呼!!花の応援団」 https://www.youtube.com/watch?v=Sd40TNbQxcE
>  6位「みどりのマキバオー」https://www.youtube.com/watch?v=fssggJrVfhg
>  7位「できんボーイ」 https://www.youtube.com/watch?v=Yl4UmyDffL4
>  8位「アストロ球団」 https://www.youtube.com/watch?v=NUM2UPDsbMU
>  9位「あしたのジョー」 https://www.youtube.com/watch?v=D18lVcvm66w
>  10位「魁!男塾」 https://www.youtube.com/watch?v=U68d6R38Nnc
>
> こうして改めて並べてみると、2000〜2002年が番組中期で最も脂の乗ってた頃かな?
> 2002年4月の「3夜連続・手塚治虫」(通常は1作家1作品に限定)により、
> 番組として1つの到達点に至った感じが、放送を見ていた当時も少しありましたからね。
> ちなみに この番組は、自分が読んでない作品の回でも充分に楽しめますし、
> オタク史的に見たいのであれば、却って知らない作品の方が、変に先入観が無くて良いかも?
> 個人的な思い入れがあると、批評に対して「それは違う!」と感情的になりやすいので(笑)。


いやー、私はむしろ真逆の意見ですね。
自分で作品を見て、自分なりにこの作品はこうなんだというのが面白いのであって、見たこともない作品の批評を見てなるほど、と思うのは、例えるのであればそれこそ石田徹也的な世界観かと?

▼ スクールカーストについて

> > > > 私のクラスにもスクールカースト上位なんだけどガチの腐女子みたいな子がいたんですけども。
> > > > そういう女の子がカースト上位にいるのも、多様性の肯定でみんな優しくなっているともいえるのですが、
> > > > なんというか、その女の子が学校外でどういう存在で、
> > > > どういうことをしていようと、みんな関心がないといいますか。

> > > これは逆に質問なのですが、実際の所、「スクール・カースト」ってどんな感じなんですか?
> > > 元々、アメリカの学校には、そうした階級制度っぽい構図があって、
> > > それが2011年にNHK-BSで放送された、海外ドラマ「glee」のヒットをキッカケに、
> > > 日本でも広まっていった概念なので、実は10年にも満たない学校文化であり、
> > > 正直言って、私には実状が、よく解らないんですよね・・・・
> > > もちろん、それ以前の学校にも、漠然としたグループ分けはありましたけど、

> > うーん、大学生なのであまり学校外の社会のことは知りませんし、
> > 昔の学校を知っているわけでもないので、説明が非常に難しいのですが、
> > やはりカーストという言葉がピッタリだと思われて、世間で使われだすくらいには階級社会という感じでした。

> 例えば、「階級社会」を感じさせた具体的なエピソードとかって、何かあります?


いやー、難しいです。
私自身、結局は小中高12年間しかいませんでしたので、昔の学校と比較できないので。
まだLINE以前と以後の変化とかであれば、直撃世代なのでかなり語れますが。

それこそお時間があれば『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を読まれては?
ラノベなのでちょっとだけ誇張はありますが、かなりリアルな現在の学校を描いてはいると思います。
読まれるのであれば、1巻読んだ後に4巻を読むのがおすすめです。
ちゃんとお嬢様の美少女ヒロインが出てくるラノベなのに、4巻ではいじめをテーマに取り扱うんですよね。

あるいは、学校内に階級規範みたいなものがあったからこそ階級社会っぽかったのかな?
とはいっても、前述のとおり、今の学生はみんな多様性を認めて、自分とは異なる文化の相手を認めて(無視して)くれますので、なにも階級社会で地獄、というのも違うんですよね。
もちろん小学校などはまだまだ野蛮なところはありますが。

> > > それに一般的な腐女子文化だと、下から逆マウントを取りたがるスタンスなので、
> > > カースト上位でというのは合わず、何となくライトな印象を受けてしまいます。
> > > まあ、ちょっとマニアっぽい部分をチラッと見せて、男心をくすぐるというのは、
> > > 女性のモテ・テクニックとして、昔からありましたので、それだと腑に落ちますしね。

> > ガチ腐女子なのかどうかは、私にはわかりません。私は腐ってもないですし、女でもないので。
> > ただ男オタクから見て、こいつはなんちゃってオタクだよなと
> > 見抜けるほどではなかったので、ある程度はガチなんだと思います。
> > 男心をくすぐるため説というのもないと思いますよ。普通にかわいい子だったので。
> > というか、容姿がよくなければカースト上位はまずは入れませんし、
> > もしかしたらこの辺の容姿第一主義がスクール・カースト時代の特徴なのかな?

> 容姿そのものと言うか、その「見せ方」の方が重要なんじゃ無いですかねえ?
> もちろん、元の素材が良いのに越した事は無いでしょうけど、
> オシャレとか、カワイイとかは、「雰囲気」で結構演出できる部分なので。
>
> また、「モテ・テクニック」と書いた事で、意味的に限定して捉えられたかも知れませんが、
> 相手の心を掴むテクニックというのは、やはり存在すると思いますよ(私は苦手ですが・笑)。
> 知らなきゃ出てこないような名称や単語を、自然に1〜2度出すだけで、
> ほとんど知識なんて無くて、相手は勝手に「詳しいんだ」と誤解してくれますし、
> その分野が好きな人からすれば、それだけで心を許してしまう上、
> 語れるほど知らないから聞き役に回るだけで、好きで語りたい人には却って好印象に映ると。
> 例えば、アシモフやクラークの名前くらいなら、一般人からでも出てきそうですけど、
> 「谷甲州」という名前や、「シュバルツシルト半径」という単語を出すだけで、
> 多少なりとも、SFを知ってそうなイメージになりませんか?(笑)


うーん、雰囲気ではあまりとりつくろえないと思いますよ。
お化粧しているわけでもないですし、その辺の基準はもっと残酷に顔だと思います。
またカースト上位であることとモテることはまた微妙に別ですので、仮にテクニックで何人かの男の子の心をつかんだところで、全体の評価は変わらないと。

▼ 中間が喪失した要因?について

私はこれからの社会、人間関係グローバル競争社会なんじゃないかと思っているんですよ。
どういうことかというと、資本主義で経済的利益をめぐる競争が行われてきたように、人間関係も競争の中で勝ち取るものになっていくと。

そもそもですが、自由化というのは聞こえはいいように見えて、結局は自由化=格差社会であり、それが進めば階級社会にしかなりえないと思うんですよ。
例えば資本主義がそうです。ギルドとかが廃止されて、だれでも身分制度に縛られず自由に仕事を選べる自由経済社会というのは、結局のところどれだけお金を稼げるか競争する社会に過ぎず、それは所得格差を生み、さらに階級を生んだと。
自由恋愛もそうです。70年代に自由恋愛社会が到来したときは、今までの親に決められたお見合い結婚に縛られず、自由に結婚相手を選べると、あの時代誰もが夢を見たと思うのですが、それは結局どれだけ持てることができるかの競争にしかすぎず、モテ格差は早くも80年代初めにオタクを生み、さらに現代では生まれつきの容姿によって、恋愛をできる層とできない層がはっきりしてしまったと。
階級社会というのはそれをさらに一歩進めて、上の階級と下の階級が別々のことを考え始める社会だと思うんですよね。
資本主義における階級は説明するまでもないでしょうし、現代の恋愛においても、モテない奴ほど自分は恋愛に興味がないと思っている。それは格差社会的な負け犬の遠吠えではなく、階級社会の自分で自然とそう思うことができる、優しくて残酷なシステムだと思うんですよね。
今、人間関係はその段階にきていると。
自由化による格差社会はそろそろ終わりを告げ、そろそろ下層階級は友達はいらないと思い始めている。
『俺ガイル』の主人公も、またそういう人間の一人だからこそ、私はすごく共感できますし、1000万部を買っている読者も同じなんじゃないかと推測します。
ベーシックインカムとかも、その延長線上にあると思うんですよね。
BIが普及した世の中というのは、働いたら負けだと思っている下層階級と、働くことこそ生きがいだと思っている上層階級に分裂すると思うんですよ。

これに関しては自分でもそんなに単純なのか?とは思っているので、そこまで信じ切っているわけではないですが。

▼ 百合について

> > > > 多分この辺が現在のオタクの最も気持ち悪い部分だと思うのですが、
> > > > 10年代以降の百合というのは男オタクの女の子になりたい願望が強く影響しているんですよね。
> > > > やたらと女装したがるのもそうですし、もっと言えば女の子になって女の子と恋愛したい、というのが
> > > > 現在の百合の根底にあると思います。

> > > ちなみに、それを示す資料か何かはあったりするのでしょうか?
> > > 難しければ、そんな願望を叶える作品の存在とか。
> > > いや別に、男オタクの少女趣味とか少女化願望というのは、昔からあったりしますし、
> > > それこそ昨今、キャッキャウフフを眺めていたいという願望だけでなく、
> > > キャッキャウフフに混ざりたいという願望があるとは聞きますけど、
> > > それがイコールで、「百合」というモノに繋がるとは必ずしも限らないと思いますし、
> > > 「女の子になって女の子と恋愛したい」というのが、果たして百合なのか?というのあります。

> > 百合かといわれると微妙ですね。隣接文化でしょうか。ガンダムシリーズとガンプラみたいな。
> > 一応別の文化だけど、深く関係している感じです。

> では、百合と女装コスプレが「隣接文化」である事を示す根拠はあるのでしょうか?
> ガンダムとガンプラなら、それを示すのも容易でしょうけど、
> 百合と女装コスプレは、それすらちょっと難しくありませんか?
> 現状では、旧トルコ担当さんが、そのように感じたというだけの話な気がして、
> 厳しく言うと、少なくとも現時点では、私はまるで腑に落ちていません。


いやー、難しいです。
この辺は本当に、それこそ岡田斗司夫さんが『オタク学入門』で指摘している"見立ての文化"なので、その外の文化圏の人に説明するのがすごく難しいんですよ。
例えるなら、オタク文化と縁もゆかりもない70台のおじいちゃんに、なぜ中身がおっさんのVTuberに萌えられるのかを説明するようなものかと?

> > > > ただ、それを聞いた上でもやはり90年代の百合と現在の百合はやはり変化していると思いますよ。
> > > >  (中略)
> > > > だからこそ、ここ最近はキャラの年齢層が低いきらら系よりも、
> > > > キャラの年齢層高めのアイマスやラブライブ、艦これの方が百合人気としては強いわけで。

> > > こちらも、百合人気の違いを示すデータとかは、何かあったりするのでしょうか?
> > > 上記を含め、この2点に関しては、ようやく具体的に聞けた「百合の変化」ですので、
> > > 是非とも返信を期待したい所ですね。
> > > いや、東方・アイマス・ラブライブ・艦これといった題材が、
> > > もう古典として、今でも安定的な人気を保っているのは承知の上で、
> > > それでも特に「百合人気」を測るというのは、なかなか難しい事だと思うので。

> > うーん、百合人気の違いを示すデータといわれるとなかなか厳しいです。
> > なんとなくの感覚しかないですが、きらら系の低年齢キャラの百合は30代以上の社会人メインな気がします。
> > それに対して、高校生以上くらいになってくるとどちらかというと20代以下くらいが多い印象かな?

> 要するに、旧トルコ担当さんの個人的な肌感覚って事でしょうか?
> pixivの話とかされていたので、作品ごとの新規投稿数と、
> そこに付けられる百合タグの比率の違いとか、その辺の考察を想像してました。
>
> ちなみに、きらら系の人気は年齢層が高めというのは、何となく私も解ります。
> アニメ化基準で言うと、2007年に「ひだまりスケッチ」、2009年に「けいおん」で、
> 2011年に「ゆるゆり」、2013年に「きんモザ」、2014年に「ごちうさ」がですから、
> きらら系のブームがあったのって、今から10年くらい前の話ですからねえ。
> 10年経てば、当時の大学生も社会人になってる訳で、投稿活動とかも減ってる事でしょうし、
> ブームがあったからこそ、その時代を象徴し、時間の経過と共に落ちて行くなど、
> そうした傾向は、もちろん「あるんだろうなぁ」とは思います。
>
> あと、誤解の無いように言っておくと、
> 別に私自身は当時から、きらら系のファンだったとか、そういう事では無いですし、
> そもそも百合自体、ほぼ関心がない事を、改めて言っておきます(笑)。
> 旧トルコ担当さんが、私の知らない「百合の変化」があると話されたので、
> 百合文化が萌え要素を内包した際の実例として、きらら系の話を出しただけですから。
> で、結局の所、その変化というのは具体的に何だったのでしょうか?
>
> 「対象キャラの年齢層が高まった」という事であれば、それはそれとして変化なのでしょうけど、
> でも一方で、百合が萌えまで含んだ際に、萌え方面に引っ張られていた状況が、
> 時間経過と共に落ち着いたと捉えると、それは「元に戻った」という変化なのでは?
> もし仮にそうだとすれば、大本の話だった「新しい文化」とまでは呼べませんよねえ?
> あと気になったのは、アイマス・艦これ・ラブライブあたりも10年戦士だと思いますが、
> この10年の間に、一世を風靡するような、新しい百合題材の登場は無かったのですか?
> そうなると結局、そちらの方面からも「本当に新しくなってるの?」という疑問は生まれます。


元に戻ったというのは違うと思いますよ。
百合キャラクター対象年齢が上がったというのは、より百合がシリアスになった、ということですね。
例えるなら、マジンガーZ以降のスーパーロボットと、ガンダム以降のリアルロボットのような違いでしょうか?
きらら系というのは、年齢低めのキャラクターの友情と百合がもう少し未分化なところを主に扱っていて、そもそもきらら系が仕事に疲れたおじさんオタクたちが癒しを求めて読むものだと。
それに対してここ10年の年齢高めのキャラクターの百合というのは、もう少し重くて、より癒しよりも恋愛ものに近い、という感じです。
あと一世を風靡する作品がないというのは、百合に限らず時代の傾向かと?
個人的には、鬼滅の刃みたいな大ヒット作品は、リアルな人間関係の中から生まれ(極グローバル)、極ローカルはネットの中から生まれると思っていますので、百合は基本的にリアルなコミュニティではないところで受容されている以上、巨大作品が生まれないのは必然だと思うんですよね。

ちなみに、百合界の中で最もファンの多いカップリングはVTuberのかえみとなんですよね(Pixivの作品数基準)。
要因としては、やはり他の百合作品が切り抜き動画による知名度だと考えています。
他の作品形態、例えば漫画であればお金を出して購入する必要がありますし、アニメであればテレビ放送であれば時間を合わせてみなければならないなど、どうしても拡散性に難があるのですが、Vの切り抜き動画はタダで見れて、おまけに拘束時間も短い。
この辺はソシャゲの優位性と全く同じですね。

> > で女装率が急激に上昇してるのがここ1、2年でしょうか?
> こちらに関しても、データではなく肌感覚ですかね?
> まあ別に、私はデータ至上主義者でも無いので、肌感覚も指標の1つにはしてますが、
> ただ、私の肌感覚とは異なってる為、そうなるとやはり客観的なデータの登場ですよね。
> 前回も少し触れましたが、例えばコミケはコスプレの無秩序化を防ぐ目的で、
> 更衣室使用の義務化&有料化を始めた為、データが残されているのですが、
> それを見ると、男性レイヤーの女装率までは解りませんけど、レイヤーの男女比が、
> 20年前は「男1:女4」、10年前は「男1:女3」、そして現在は「男1:女2」なのが解ります。
> 全体のレイヤー数は増加し、女性レイヤー数も微増なので、
> つまりは、男性コスプレイヤーの絶対数が増えている訳ですね。
>
> その一方で、近年はコスプレ・イベントの商業化が進んだ事で、
> 「男性レイヤーの女装コスプレ禁止」を謳うイベントが、かなり増えてるらしいんですよ。
> だからと言って、女性レイヤーの男装コスプレを禁止しているイベントは無いと!!
> これは、文化としてコスプレを見た場合には、非常に不健全な状態と言えますが、
> コスプレする側は圧倒的に女性が多く、それをカメラで撮る側は男性が多い現実を踏まえつつ、
> 商業主義的な視点に立てば、「お客様が望まない商品は置かない」という姿勢になります。
> まあ元々、男性の女装はネタに走りやすい傾向がありましたし、
> スネ毛の処理などをしないと、非常に見苦しい印象を受けるのは確かなので、
> 排斥したい意見が多いのは理解できますけど、実際に排斥して良いかは別問題なんですよね。
> 性別・容姿・年齢・人種などで差別が横行しては、趣味の世界が窮屈になりますから。
>
> で、結局は何を言いたいかというと、本当に女装率が増えたのかは解らないものの、
> 「男性レイヤー自体の増加」と、「女装コスプレに対する不寛容化」という2つの現象が、
> 現在起きているのは客観的な事実なので、女装率が急激に増えたと言うよりは、
> 単に「目に付くようになっただけ」という可能性も、有り得そうという話ですね。
> それこそ、前々からある街中の広告看板とかでも、今までは気にも止めてなかったのに、
> 子供が産まれれば保育園の、自分が病気をすれば病院や保険の、親が歳を取れば介護や葬式の看板が、
> 急に目に入ってくるみたいに、周囲の変化より自身の変化で見え方は大きく変わるモノなので。


はい、この辺もぶっちゃけ肌感覚です。
自分としてはそう間違っている気もしてはいないのですが(ネットだけでなく、学校でも女装や百合の話はしていましたので)、客観的なデータじゃないから信用できん、というのは最もかと。
ちなみに女装というのはコスプレではなく、私服の女装ですので、コスプレイベントはあまり関係ないかと。

> > > この場合のVTuberとは、男性が美少女アバターをまとう「バ美肉(バーチャル美少女受肉)」の事?
> > > それとも、普通に女性がCGキャラを演じる一般的なアイドル系VTuberの事でしょうか?
> > > まあ前者の場合、中の人が男性だからこそ、同性の心の機微に通じてるみたいな感じで、
> > > 「こんな可愛い子が女の子のはずがない」的な世界観を築いてる方も、きっと居るのでしょうが、
> > > しかしボイス・チェンジャーとかを使っても、やはり男性の声は騙し切れませんし、
> > > もちろん、美少女の皮を被る事で得られる快感も、確かにあるのでしょうけど、
> > > 基本的には、メタ的に、男性でありながら美少女を演じるエンタメ要素が強い印象も・・・・
> > > って、百合趣味少女×女装ドS少年の「まりほり」くらいなら、まだギリとしても、
> > > バ美肉おじさんまで行くと、果たして百合文化の範疇で捉えて良いモノなのでしょうか?

> > ボイス・チェンジャーとかを使っても、やはり男性の声は騙し切れませんし
> > →いえ、慣れると案外気にならないらしいですよ。
> > 確かねとらぼでそんなアンケート結果(美少女VTuberの声がおじさんでも応援しますかみたいなやつ)があったのですが、
> > 8割くらいの人が応援できるだったと思います。

> いや別に、気になる気にならないの話をしているわけでは無いので・・・・
> と言いますか、気にならなくなる事くらいは私も解ってますよ(笑)。
>
> 例えば、NHKで人気のチコちゃんとかも、5歳の少女という設定ですが、
> 中の人がオッサン(芸人の木村祐一)である事に、いつまでも違和感が残るようでは、
> あのような人気を獲得する事など出来ないと思うんですよね。
> ですが、その一方で、あの声を本当に5歳の少女のモノだと信じてる人もまず居ないと。
> 要するに、そうしたギャップも含めて、1つのキャラクターとして認知されてる訳です。
> であるのに、5歳の少女という設定部分だけを切り出して、
> その人気を「日本ロリコン化の象徴」なんて意見が出たら、「ハァ?」となるのと同様、
> バ美肉という現象を、百合文化に求めるのは違うんじゃないの?と言いたかった訳です。


この辺も女装と関連するのですが、結局百合というのは女の子になりたい願望が強く出ていると思うんですよね。
バ美肉おじさんというのも、いわば女装の一種であると。

いや、ほんとこれ説明できないんですよ。
見立て文化というのは、『オタク学入門』によれば、竜安寺の石庭の砂が波に見えるようになるとか、人形浄瑠璃の黒子が見えなくなるとか、ジャンプ漫画がBL漫画に見えてくるみたいな、その文化圏においてはある見方・見え方が共有されているという文化なので。
こう、このジャンプ漫画のAとBは絶対付き合ってるじゃん、みたいな、そういうのは外の世界には本当に説明しずらいんですよ。

▼ 世代の共通体験について

> > 2010年代くらいに書かれた本だったと思うのですが、
> > その著者曰く、今の若者世代には共通の言語というものが存在しないと。
> > それは漫画でもいいし、ライトノベルでもいいんだけど、
> > この世代ならばみんなが何となく知っている何かという共通のものを持っていたほうがいいと思うのだけれど、
> > 今の世代にはそういうものが無いと。
> > で、この話って若者世代である私からすれば正しいと思うんです。
> > 確かに我々の世代には、何かみんなが知ってる漫画とか、そういうものって無いんですよね。
> > そしてその共通の言語みたいなものを持たなかった、作れなかったというのは、我々世代の選択だと思うんですよ。
> > 決してそれは貧しいからではなく、我々はそういう方向性を自らの意思で選んでいったと。

> ぶっちゃけ、そんな主体的に「世代の選択」を皆でとかしてると、本気で思われてます?
> 大半の人は文化を消費するのみという、これまでの話とは、まるで異なる解釈になってると思いますよ。
> それに例えば現在、鬼滅の刃が異常にヒットそてますけども、その理屈で言うと、
> 今の子供たちが「これを私たちの共通作品にしよう」と、そんな感じで選んだと思えますか?


周囲で流行っているものをどりだけ意識的に取り入れるか、というのは大きいと思いますよ。
みんなが鬼滅面白いと言っているから、とりあえず読んでみようと思うのか、自分は興味ないやと思うのか、そこは意識しているのでは?

> 基本的にヒット作というのは、産むモノなのではなく、産まれるモノなんです。
> マンガの話であれば、例えば「ジャンプ黄金期」と呼ばれる時代は何度か訪れましたけど、
> 逆説的に言うと、黄金期と黄金期に挟まれた「冬の時代」は、どうしたって出てくるんです。
> それは運的な要素もありますし、時代の巡り合わせというモノもあるのですから、
> 別に、素直に「自分たちの世代はヒット作に恵まれなかったね」で良いじゃないですか。
> そこを無理して、変な理由をあれこれ付け加える事こそ、却って拗れさせてる印象を受けますよ。
>
> あと、そんな言うほど、本当に「誰もが知ってる作品」って無かったんですかねえ?
> 実際に少年マンガで考えてみると、
> 60年代から70年代にかけて「あしたのジョー」「巨人の星」があり、
> 80年代には「北斗の拳」「キン肉マン」「タッチ」があり、
> 90年代には「ドラゴンボール」「スラムダンク」「幽遊白書」があり、
> 00年代には「ワンピース」「ナルト」「名探偵コナン」があり、
> 10年代には「進撃の巨人」「銀魂」「キングダム」があり、
> 20年代となった現在も「鬼滅の刃」「呪術廻戦」があるじゃないですか。
>
> まあ確かに2010年代のラインナップは、他の時代に比べると少し弱い気もしますが、
> でもそれは、2000年代の作品が長期連載だった事も大きいと思うんですよね。
> 要するに、00年代の代表作は、10年代においても代表作であったと。
> 人気作でも連載期間が数年だった2000年以前は、
> まさしく、「これは俺たち世代の作品だ!」って独占感がありましたけど、
> 数世代に渡る人気作には、話が通じる幅の広い共有感がありますし、
> 独占感が弱くても、世代的な共通言語の役を成さない訳では無い気がします。


いやー、「誰もが知ってる作品」は有りませんでしたよ。
これに関しては実際に経験してきたことなので、結構自信を持って言えると思います。

> ただその一方で、単行本よりも週刊誌で読む方が、
> リアルタイム的な連帯感は、強まっていくかも知れませんね。
> (前述した深夜ラジオも、生放送ゆえに、そうした連帯感は非常に強かったですし)
> また、週刊誌であればこそ、毎週毎週決まった曜日に、常に盛り上がれる話題があり、
> 時には校則に反して学校に持ち込み、先生に隠れて、みんなで回し読みをした経験は、
> 作品それ自体(共通言語)以上に、「共通体験」として強く記憶に刻まれてるはずです!!
> そう考えると、その世代を代表するヒット作の有無よりも、
> 週刊誌から単行本、更には電子版へと移行し、マンガが個別体験となった所こそ、
> 「共通言語の消失」という面では、実は大きいのでは無いでしょうか?


確かに、内容以上に共通の体験をしてきたというのは大きいと思います。
それこそ、みんなで読みまわしをしたなんて言うのは、内容以上に世代の共通体験になっているのでしょうね。
それはあると思います。

▼ 検索手段について

> > 私自身は今の、マニアックなものでも検索すればたいていたどり着ける環境というのが好きですし、
> > 昔とどちらが良いかと聞かれれば、本屋が失われて選択肢の幅が狭まったのを知ってもなお
> > 昔より今の環境のほうが好きです。

> ふと感じたのですが、ネット検索の限界って、どれくらい感じられてます?
> また、その時の対処法って、どのような手段を持たれてます?


> それと「検索する」にしても、事前に取っ掛かりが無いと「調べる」事さえ行えないですよねえ?
> また、前回も少し触れましたけど、調べる前から、それっぽい答えを与えられると、
> ググらない若者のように、わざわざ調べようともしないですし、
> いざ調べようと思っても、本格的に調べるコツが解らない・・・・
> サジェストされる候補ワードの中から選び、出てきた1ページから探すだけでは、
> まともに深い情報なんて出てきませんし、それで満足できちゃう程度だとも言えます。
>
> そういう意味では、検索エンジンの特性を知る事だったり、
> 本当に欲しい情報に辿り着く為に必要な事前の用語知識だったり、
> 余分な情報を排除する為のワード・センスだったり必要となりますけど、
> それらを駆使しても尚、ネット上にある情報だけでは限界に達するんですよね。
> どんなに検索した所で、デジタル化され、公開されてる情報には限りがありますから。
> そうした場合、やはり残されるのは、アナログ的な情報取得になります。
> もちろん、アナログ情報だけあれば充分な訳ではなく、
> アナログにはアナログの、デジタルにはデジタルの、それぞれ長所と短所があり、
> それを上手く組み合わせていくのが理想的な姿なのですが、
> 最近は、アナログが姿を消し、デジタル化一辺倒になりつつあると・・・・
>
> そして、これは「ノイズ」の話にも繋がるのですが、
> デジタル情報だと、ほぼ自分が欲しい情報しか入って来ないようになる為、
> アナログ情報みたいに、別に求めてなかった情報まで入ってくる機会が少なくなります。
> そうなると、どうしたって視野は狭くなりますし、調べる取っ掛かりすら得難くなります。
> 最も解りやすいのはニュース情報とかでしょうか?
> テレビや新聞なら、知ろうとも思わなかった情報が、思わず手に入ったりしますが、
> ネットだと知りたい情報ばかりとなり、自ら新たに知ろうというのも実際は難しい。
>
> 言うなれば、食事における「配膳方式」と「バイキング方式」の違いみたいなモノですよね。
> 配膳方式だと、苦手な料理も出てくる一方で、新しい出会いもあり、そして何よりバランスが良く、
> バイキング方式だと、上手く使えば理想的なものの、実際は好きなモノばかりでバランスを欠きがち。
> なので学校給食などでは、バイキング方式よりも配膳方式の方が適しているでしょうし、
> もしも小中学校でバイキング方式を採用する場合は、事前の「食育」が必須かと思われます。
> そういう意味では、ネット使用の食育にあたる「情報リテラシー」教育も重要だと感じますが、
> 現実問題として、それが充分満足に行われているとは、とても思えず・・・・
> ネットは、あくまでも「道具」なので、使い方を覚えれば非常に便利ですけど、
> 逆に、その道具に振り回されてしまうような現状というのは、あまり望ましい状態とは思えません。


今私が持っているやり方では、グーグル検索以外に、CiNiと図書館検索くらいですかね。
グーグルは便利ですが、結局全部は出てこないと。
グーグルで出てこないものを調べるには、図書館でとりあえず思い当たるワードで検索しまくって、ヒットした本の目次をざっと見てみる。
それで目当ての情報がありそうであれば、本文も読んでみるという感じですかね。
あと重要なのが巻末の参考文献。下手な本だと、本文よりこっちのほうが役立ったりしますw
リアルな本は時間がかかりますが、ネットにない情報を得る手段は自分はこれしか知りません。
あとあるとすれば、ツイッターでフォロワーに聞くとかですかね。
これに関しては、私は教えるばかりで使ったことはあまりないです。

私の場合こんな感じなのですが、実際検索スキルとしては高いのでしょうか?低いのでしょうか?
あとおススメの検索方法などあれば教えてください。

(追記しました) https://ux.getuploader.com/dialogues_txt/download/478
パスワードは522です

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