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[23608] ラノベの歴史に関して返信 削除
2021/6/16 (水) 21:01:37 徳翁導誉

▼ 今までの流れの返信
> > > その上、どう説明しても管理人さんには私の見えている風景とが伝わらないので、
> > > こ〜れは管理人さんの方が間違ってるんじゃないか?と。

> > 「伝わらない」から「間違ってる」って、この2つが何故イコールで繋がるんですか?
> > それぞれ、まるで異なる概念じゃないですか・・・・
> > それをイコールで結んでしまうのは、自分中心で物事を見てしまうからであり、
> > 厳しい事を言いますと、そうした姿勢を無意識に取ってしまっているからこそ、
> > 自分では聞く耳を持ってるつもりでも、持ってないように映る原因だと思いますよ。
> > また、旧トルコ担当さんの見えている風景というのも、
> > 私なりには、それなりに理解しているつもりではいるんですよ(笑)。
> > では、何故それに賛同しないかというと、同時に他の景色も見えてるつもりだから。

> もちろん、そういったことも重々承知です。
> ですから、管理人さんのおっしゃっていることをできる限り理解しようとしましたし、
> 既に2、3回は今までの返信を全部読み返したりもしました。
> しかし、それでも全く管理人さんの指摘されている風景が私には見えてこないうえに、
> 私の言っていることが理解されているようにも思えなかったので、疲れたというのが正直なところですね。
> もう後1年はこのことについては考えたくないです。

すみません、そこまで負担が大きかったのですね。
では、この話題はここまでという事で。

> 上の文章だと管理人さんを非難しているような文章になってしまっているので、
> 別にそういう意図ではないということではないので、追記しておきます。

「そういう意図ではないということではない」だと、2重否定なので、
「非難する意図だった」と、改めて宣言する意味の文章になっちゃいますよ(笑)。
頭の中がパニック状態なのは伺えますし、この件に関しては、
「もう終了」と割り切った方が、旧トルコ担当さんも気持ち的に楽かと?

> まあ、あと結局は過去のこと知らないと何も言えない、ということに今更ながら気が付いたというのもありますね。
> 過去の動向を知らずに現在や未来について動向分析するのって、例えるのなら女の子と付き合ったことない男が
> 必死に女の子の気持ちを想像してるようなもんであって、それはたいてい的外れなわけです。

そうですね。
現在だけを見るのと、過去から通して現在を見るのとでは、やはり厚みが異なるでしょうし、
未来の事まで予測しようとすれば、過去から現在に至るデータが、やはり重要かと思います。
また、現在の同じ物事に対しても、見る人ごとに見え方は千差万別なので、
他人の事は完璧に理解するのは無理ですが、可能な限り違いを推し量ろうと努力する事でしょうね。
結局の所、「多角的な視点」というのが、最大のキーワードなのだろうと思います。

でもまあ、それって普通は、なかなか簡単な事では無いと思うんですよ。
私などは転勤族として育ち、数年単位で日本各地を転々とさせられたから、
地域ごとに異なる「常識」に対して、常に対応を強いられて身に付いただけであり、
あれこれと客観視するよりも、素直に主観で身を置けた方が、精神的にはずっと楽なはずなので。

> 何が納得できないのか、は明確にはならないですが、やはりひとつには私の日々の実感とズレている、というのがあるのかなぁ。
> ネット化により障壁がなくなった結果、過剰に淘汰が進んで、マニアックな世界ですらも
> 流行っているものそうでないものの差が顕著になった、というのは確かに大いに納得するのですが、
> 何かそれはあくまで一面的な見方な気がするんですよ。

う〜ん、「もう終了」と割り切った方が良いよ、と薦めた手前、
これ以上返信するのも、正直、どうしようか悩んでしまう部分はあるのですが、
「あくまで一面的な見方」というのは、全く以て、その通りですよ。

別に私も、一例として挙げているだけで、それが全てだとは全く思ってませんし、
更に言うと、こうして挙げてる実例や比喩は、あくまでも話を理解しやすくする為のオマケであり、
その前で述べられてる前提条件と、その後で述べている結論や考察の部分こそが、
私からすると「話の本題」なんですよね。
ですので、解説用に用いた実例や比喩の部分に、主に反応されて、
「それだけでは無い」とか「それは極端」と言われると、「そりゃそうですよ」となりますし、
そこを理解のキッカケにして、本題である前と後の話を解ってもらいたいんですよね。
要するに、「それを踏まえた上で」みたいな感じで、踏み台を使って、棚の上の話題を扱いたいのに、
どうも踏み台の方に注目が行っている印象を受け、そこで「ズレ」が生じてる気がするんです、私には。

ただ言えるのは、「私の日々の実感とズレている」というのも充分解るんですよ。
近年の風潮のように、心地良いコミュニケーションを求めるのであれば、
「こうだよね?」「うん、そうそう」と、1つの視点を認めてあげれば快適なのですが、
(ただし、「それなー」みたいな空返事は、私には却って虚しく映りますけども)
そこを敢えて、それとは異なる視点を挙げる事で、物事がより多角的・立体的に見えてきますからね。
1点だと単なる棒だったモノが、2点なら梯子となり、3〜4点なら櫓が組めるように、
安定感を増していった方が、俯瞰的に物事を見つめられますし、
逆に言うと、最初の1点を否定している訳でもなく、
別に示した1点が私の見解だと述べている訳でも無いんです。

って、こういう話をすると、また混乱させてしまうのでしょうけど・・・・


▼ オタク文化に関して
> > ただ一方で、好きという感情が感じ取れなかったという話に戻すと、
> > この前の「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」に関する記述は、
> > その中では、少し熱量が溢れるのを感じましたでしょうか。
> > > > > そもそも『俺ガイル』自体が2010年代のエヴァだったと思うのですが、
> > > > > こういうのが取り上げられないのは完全に人口減少が大きいんでしょうね。
> > > > > (俺ガイル自体は1000万部越えの人気作なのですが)
> > > > > まあラノベはアニメよりも見えにくいというのもありますし、
> > > > > 近年の作品はエヴァ以上に上の世代の人が見てもわからない作品が多いので、
> > > > > そういう理由もあるのでしょうか。百合もそうですね。
> > > > > もっと精神性みたいなものが重要だから、見る側にそう言った
> > > > > 文脈みたいなものが共有されていないと理解されないわけです。

> > 何でしたら、「俺ガイルが2010年代のエヴァだ」と思われた詳細を、述べられてみます?
> > なぜ話が噛み合わないかを長々と分析されるよりは、気分的に話しやすいテーマかと(笑)。

> 書こうと思えばかけますが、というか下書きまではしたのですが、いろいろ止めておきます。

そうですか・・・・
ただ今回の事で、私の中の「気になる作品リスト」に載りましたから、
その内、まとまった時間が取れる時期になれば、
アニメの方ですけど、まとめて見てみようかな?とは考えています(笑)。

> 昔はコミケ創設メンバーの大学生たちが自分の好きな漫画を語っていた、みたいな文献を見て
> 「なんで漫画を語る、なんていうつまらないことを昔のおたく(おたく原人?)はしていたんだろう?
>  やっぱ学生運動上がりのおたく世代はよくわからんわ」と思っていたのですが、
> この年になると自分の好きな作品を語ることの面白さがようやくわかってきました。

これなんてまさに、私が前回発言した
> > オタクというのは「好きの体系化」を行う人種
に、通ずる感覚なんでしょうね。
現在では、オタクとファンの世間的な定義って、非常に曖昧になってますけども、
少なくとも、古い世代の私には、「好きを語れてこそオタク」という感じはあります。
作品を楽しんで「面白かった」・・・では、終われない人たちであると(笑)。

それと、勘違いして貰いたく無いので、念の為に言っておくと、
語り合うようなコミュニケーションは、あくまでもオタクにとってはオマケであり、
尋ねられれば語れるくらい、自分の中の「好き」を追求していくのがメインでした。
近年は、文化や社会的にも「コミュニケーション偏重」の傾向が強いですけど、
現在を基準で過去を眺めてしまうと、やはり見誤る可能性が高くなる気がします。

> なるほど、年を取るというのはこういう面白さがあるんですね。
まだ若いでしょうに、高齢者みたいな口振りになってますよ(笑)。
こういう場合は、「年を取る」よりも「大人になる」の方が適当でしょうかね?

> で、私の無い歴史知識から考察すると、現在の二極化は経済うんぬんかんぬん、みたいなことではなく
> シンプルにネットの浸透だと思うんですよね。

誤解の無いよう、念の為に言っておくと、
別に私は「経済至上主義」を述べているのでも何でも無く、
時代や地域であったり、経済・政治・文化・戦争など対象が違っても、
人間の基本的な「行動原理」、更に言えば、全ての生物の「本質」は、それほど違いは無いモノであり、
ただしその中でも、その傾向が最も端的に現れるのが、経済活動であろうから、
理解のしやすさも含めて、その話題について触れているに過ぎないんですけどね。
恐らく、小難しい事をゴチャゴチャと言ってるな、って感じに受け取られそうですけど、
実はそれ程、難しい内容の話はしていないつもりです(笑)。
興味ある話題じゃ無いかも知れませんが、それこそ初めの方で触れていた「歴史物理学」みたいな話です。

> ネット以前と言うのはそれこそオタクじゃなくても、
> ある程度物事に関して自分で知識を体系化するのが当然だったわけですが、
> 今はSNSのトレンドだけ追いかけておくのが一番効率的になった、ということでしょう。

いや〜、これはネット以前の人々の事を、買い被って高評価しすぎと言いますか、
それこそ人間なんて、そんな簡単に変わるモノでは無いですよ(笑)。
鵜呑みにする情報源が、マスコミからネットに替わったとか、
リアルの口コミから、SNSの口コミに替わったとか、その程度の話です。
ただし、リアルだと人々はブレーキをよく踏みがちだけど、ネットだと逆にブレーキを踏みがちなので、
どちらの方がメリットが多いか? どちらの方がデメリットが少ないか? みたいな話かも知れません。
あとは、人が集まる時のサイズ感とか、その頻度とか、密度とか、その辺の違いもあるのかなぁ?

> で、なまじ過去の遺産が優れているからこそ、新しいものが余計に生まれにくいと。
> とりあえず萌えアニメ作っておけば、作る側も儲かるし、見る側もまあまあ面白いと。

とは言え、これを創作者側から、消費者側へと視点を移すと、
今はネット配信の充実などもあって、過去の名作に触れられる機会も断然増えていますし、
新作だろうが、旧作だろうが、個人レベルからすれば、良い作品は良い作品な訳で、
そういう意味では、決してマイナス面ばかりでも無いんですよね。

実際、私自身も、録画したっきり未見だった作品を、配信キッカケで一気見して、
「評判通りに名作だったな」と感じた事は、ここ1年でも何度かありましたので(笑)。
ただ、本放送時に週1話ペースで視聴するのと、再放送で毎日1話ずつ視聴するのと、
配信やソフトなどで一気に視聴するのとでは、同じ作品を見ても、やはり違ってくるでしょうね。
そういう意味では、リアルタイムの新作って、良くも悪くも視聴に心的な負荷が掛かかりますし、
自分の年齢や精神状況、社会の環境や制作年代などでも、視聴しての感じ方が変わってくると。

> うーん。
> この違和感はいわばバズリ至上主義への違和感なんでしょうかね。
> > > > 選択肢の豊富さ、という点では考えるまでもなくこの30年というのは大きく進歩したと思うのですが。
> > > その「選択肢の豊富さ」というのは、数の事ですか? 幅の事ですか?
> > > 「考えるまでもなく」との事ですけど、改めてキチンと考えてみましょうよ。

> この文章で言えば、いや数であっても幅は幅でしょ、ということになるのでしょうか。
> 例えば私自身、ニコ動で好きな動画を10個選べ、と言われたら、その半分は再生回数1万未満の動画になるんですよ。
> > 要するに、人知れず存在するだけでは、ニッチにもマイナーにも成り得ないんですよ。
> > そして、ニッチにもマイナーにも成り得ない存在は、悪いですけど私には「数」としか映らないと。
> > 逆に言うと、数以外の「価値」なり「利点」を具体的に示して戴ければ、素直に納得できます。
> > 何度も言っていますが、別に私も、否定したいが為に論じている訳ではなく、
> > 却って、求めてるのに見つからないからこそ、寂しがっている訳なので。

> 確かに限界集落未満の集落はもはや村ではないのかもしれませんが、
> でもそういったものが大好きな人間からすれば、数と言われるのは複雑なんですよね。
> いや違うな。
> 確かに文化なんですよ。その要件を満たしうるだけの人口を抱えているはずなんですよ。
> だから不可知化なんですかねぇ、やはり。

前回、お互いに異なる「オタク」の定義についての話をしましたけども、
そもそも論として、私と旧トルコ担当さんとの間で、
「幅」もそうですし、「文化」もそうでけど、
それぞれ異なる定義をしているであろう事を、旧トルコ担当さんは気付かれてます?


▼ ラノベの歴史について
> > ・・・って、そんな話をしていたら、ついつい、
> > 「リナがつき、ブギーがこねしラノベ餅、座りしままに食うは涼宮」
> > なんて戯れ歌を、10年以上前の雑談↓で書いたのを思い出しました(笑)。
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r7034
> > それまでは、ジュブナイルと呼ばれていた若者向けの小説が、
> > アニメ風の表紙絵と挿し絵を入れ、「ライトノベル」と呼ばれるようになり、
> > 書店の一角にコーナーができ、存在感を表し始めたのが2000年前後頃で、
> > 2010年くらいまで、年々売り場スペースを拡大させていった印象かな?
> > そしてここ10年では、なろう系の存在感が際立つと。

> この辺のラノベ史は勉強になりました。
> 現在のラノベにあたるものは90年代初期に誕生した、というのが私の認識だったのですが、
> やはり90年代ラノベはあまりラノベっぽくなかったのでしょうか?

それこそ、「スレイヤーズ」の刊行が1990年ですので、
ラノベが「90年代初期に誕生」というのは、歴史の文脈的には正しいのでしょうけど、
何事でもそうですけど、一気にバッと転換するのでは無く、ジワジワと変化するものですからねえ。
そういう意味では、上記の戯れ歌のように、ラノベの道を切り開いたのが「スレイヤーズ」であり、
その道を広げたのが「ブギーポップ」で、道を舗装したのが「涼宮ハルヒ」だと考えています。
で、世間的に言うと、やはり舗装道路の開通というのが、最もインパクトが大きいモノであると。

そういう意味では、現在のラノベっぽくなるのは、00年代の前半でしょうし、
90年代の頃は、人気漫画のノベライズ版とかは既にあったので、
当時のラノベというのは、「原作漫画を持たないノベライズ版」みたいな印象でした。
実際、私の通ってた書店では、漫画コーナーのノベル棚に並んでた記憶があります。
ジュブナイルなど、従来からある青少年向け小説との違いは、
表紙や挿し絵に、漫画風(アニメ風)のイラストが用いられた事であり、
しかも、そのイラストが作品の世界観に欠かせない程、重要な存在であったのが特徴ですね。
逆に言うと、原作があれば予備知識を元に、文章だけでも世界観を思い浮かべられますが、
原作なしのオリジナルだと、その世界観を補完するイラストの存在が不可欠であり、
そして、キャラデザ付きのアニメ脚本みたいなモノなので、いざ映像化するにも適していると。

> 一般に00年代前半にラノベブームが起きたなどと言われますが、
> ライトノベルの出版部数は90年代から大きな変化はなく(『ライトノベルの現状と将来』)
> ・それまで雑多であったライトノベル、ヤングアダルト、ジュブナイルなどの名称が
>  ライトノベルにおおよそ統一された(『ライトノベルから見た少女/少年小説史』)

上記の続きの話となりますが、「ライトノベル」という名称に統合されたのは事実ですが、
漫画の小説版として派生したラノベと、小説の青少年版として続いてきたジュブナイルとでは、
そもそも系統が異なりますので、統合された後、ラノベの1強状態になったのが、実像に近いかな?
それと、「90年代から大きな変化はなく」というのは、正直疑問符。
まあ、ラノベをどう定義するかで数値も変わりますし、
ラノベ界隈のデータが詳細に録られ始めるのは、2010年くらいからなので、
明確に示すのは難しいものの、やはり2010年頃までは右肩上がりだったと思います。

> ・90年代のラノベを読んでラノベを書き始めたライトノベル世代が作家として登場した(『ライトノベルよ、どこへ行く』)
これは完全に、私自身が昔から抱いているイメージなのですが、
恐らくラノベの原点って、「絵が描けない人が書く漫画」だったと思うんですよ。
それこそ80年代後半は週刊少年ジャンプの黄金期であり、刺激された子供たちは多かったものの、
漫画だとストーリーの全てを絵で描かねばならず、それはアマには非常に高いハードルでした。
(ノートに鉛筆で描く程度ならまだしも、ペン入れやトーン貼りは道具も技術も要するので)
でも文章であれば、絵よりも容易に書けますし、表紙絵や挿し絵くらいなら頑張れもします。
そして商業作品のレベルとなれば、イラストは別の得意な人に頼めば良いですし、
漫画の原作&作画の分業作業に比べれば、ラノベの方がずっと分業に向いてる気がします。

あと、少し話題は逸れますけど、「絵を描くハードルの高さ」に関連して、
アマでも本格的に描く人の数は、一昔前に比べると、かなり増えた印象があります。
まあこれは、ネットの発達により、アマの絵に触れる機会が圧倒的に増えた事もありますが、
その他にも、絵を描くという行為が、アナログからデジタルに移行したのも大きいかも?
それこそ、絵を描くハードルが下がったんですよね。
ただ一方で、プロも御用達だった高級色鉛筆「三菱ペリシア」のような画材が、
生産中止に追い込まれたりする事例は、従来の絵描き層からすると厳しい現状に・・・・

> ・出版産業が順調に部数を減らしていく中で、ライトノベルだけは出版点数は減少しなかったため、
>  相対的に出版業界の中でのライトノベルの存在感が増した

これに関しては概ね、その認識で間違ってないかと、私も思います。
出版不況が叫ばれて久しい現在、一時の勢いは無いものの堅調なラノベは、
相対的に見ても、出版業界での存在感が増しているのは事実なのでしょう。
(ただ、読者層があまり入れ替わらず、そのまま高齢化の傾向にあるとも聞きますが)
ちなみに、これに関してはマンガの単行本についても言えるかな?
連載されてる週刊誌の売り上げは落ちてますが、単行本で読む層の増加で、
マンガの売り上げは堅調と言いますか・・・電子版も含めれば、増えているんですよね。
ただ、こちらでも、売れる一部の作品が異常に売れる状況が現れていると・・・・

> ・ラノベの内容が90年代のファンタジーブームから学園モノへトレンドが入れ替わった
> これらの要因の結果、ライトノベルがブームを起こしているように錯覚させ、
> その結果誕生したのが00年代のライトノベルブームだと認識しているのですが、実際どうだったのでしょう?
> 確かに90年代のラノベってファンタジー物中心ですし、興味のない人から見れば
> ライトノベルというよりゲーム小説とかそういった認識だったのでしょうか?

前述の「ラノベは漫画からの派生」という説を続ければ、
学園モノが中心になっていったのも、頷けると思うんですよね。
そもそも漫画において学園モノは、最大ジャンルとも言えますので。
ちなみに、学園モノが最大ジャンルに為り得たかと言うと、
画一化された戦後日本の教育カリキュラムにより、
世代・地域・偏差値などに関わらず、どの学校でも似たような行事が行われ、
それが大人も子供も共通体験として持っている為、ターゲット層が異様に広いんです。
これほど幅広い共通体験のあるジャンルって、他にはちょっと思い浮かびませんからねえ。

また、あまりにも「ライトノベル≒ラノベ」のイメージが強くなってしまった為、
今ではファンタジー系の作品を、ライトノベルとして認識してない事情もあろうかと?
それこそ、21世紀に入って最大のヒット作は、ハリーポッター・シリーズでしょうけど、
児童文学である あの作品は、昔ながらのジュブナイルと見なすのに違和感は無くとも、
ラノベ・イメージが強い、現在のライトノベルと見なすのに、違和感を抱く人は多いと思います。

あと、中世ヨーロッパ風なファンタジー世界観の原点は、恐らくアメリカ発であり、
日本において大きかったのは、多分、ファミコンの「ドラゴンクエスト」なんですよ。
もちろん、海外作品の翻訳本や、それに影響を受けた日本語作品を楽しむ層は居たでしょうけど、
そうしたファンは少数派で、やはり大ヒット・ゲームの存在が一番だったと。
で、ドラクエという作品は、その誕生時から、週刊少年ジャンプと深い関わりがありまして、
「メディア・ミックス」という用語が普及する、ずっと前から、
ゲーム・マンガ・アニメ・ノベルスを巻き込んだ、巨大なメディア・ミックスだったんです。
そういう意味では、ゲーム小説がファンタジー系なのも、当然と言えば当然なのかな?
とは言え、当時のノベルスの市場というのは、今とは比べ物にならないくらい小さかったかと。

で、ついでに語りますと、そうやってドラクエが築いた(欧米から輸入した?)
ファンタジー作品の「お約束的な世界観」というのが、一般的にも広まりまして、
それを踏まえた作品が、次々とゲーム・マンガ・アニメ・ノベルスで誕生したのですが、
そうした「お約束」を破る作品として登場したのが、例の「スレイヤーズ」だった訳です!!
言うなれば、既存の王道路線に反抗した、新たな邪道路線の誕生であり、
その斬新さは、それこそ中二病年代の心を鷲掴みにしていきます(笑)。
ただ、こうした邪道路線は「破壊」行為なので、新機軸はドンドン先細りますし、
王道あってこその邪道なので、王道作品の人気が落ちると、遅れて邪道作品の人気も落ち、
先鋭化で生き残りを図ると、ターゲット層がみるみると狭まって行くんですよね・・・・

そうなると今度は、過去の名作の良い所取りをして、今風にアレンジしたり、
お約束を土台に、何か特徴的なアイテムを付け加えたりなど、無難路線に落ち着いていくと。
なろう系の最大ジャンルである異世界転生モノが、ほとんど大喜利的な状態となり、
同じ1つの お題を元に、如何に他作品との違いを見せられるかの争いになっているのも、
そうした傾向の典型例だと思うんですよね。
このような無難路線は、消費者側には負担が少なく、多くの良作を生み出す反面、
枝葉の方法論に終始してしまい、革新的な傑作は なかなか生まれ難い気がします。
でもまあ、どんな分野も一旦成熟してしまうと、新しく切り開くのは困難なモノですけどね。
だからこそ逆に言えば、その分野が新たに始まったとき程、最も活気に満ちてるとも言えますが。

P.S.
最後に、御存知かも知れませんけど、
12年前に私がアップした、ラノベの人気ランキング動画を紹介。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm6231914
10年以上も時間が経過すれば、これ自体も既に歴史ですね(笑)。


▼ 輝かしい未来像と現実とのギャップ
> クレヨンしんちゃんのオトナ帝国の逆襲(2001年)は見ていますか?
はい、もちろん見てますよ。
と言いますか、当時はネット上で布教活動とかしてました(笑)。
クレヨンしんちゃんと言う、子供向けのアニメでありながら、
原恵一の「オトナ帝国」と「戦国大合戦」に関しては、
子供の引率で仕方なく見てる父親を、完全に狙い撃ちにした作品でしたからねえ!!
宮崎駿の「カリオストロの城(ルパン3世)」や、
押井守の「ビューティフル・ドリーマー(うる星やつら)」と同様、
既存の人気作を利用して、監督が自分色に描き上げてしまったという点では、
傑作に仕上がった正の面と、原作を自慰に用いた負の面とがあり、当時から侃々諤々でした。
(ちなみに私個人は、「素晴らしい作品だよ! クレヨンしんちゃんでは無いけどw」という評価)

> あれって、20世紀生まれの大人たちが「かつて未来はもっと輝いていた」と言ってるんですが、
> 実際輝いていたはずの21世紀が「案外しょぼいな」ってなった理由って、
> 失われた10年や少子高齢化などの日本的な要因と、科学技術の進化が案外しょぼかったという要因と、
> どっちが大きかったのでしょうか?

まず始めに、オトナ帝国で描かれてる元ネタは、1970年の大阪万博なので、
私からしても、2周りくらい上の世代の話ですね(笑)。
当然ながら、私自身も生まれていません。
そして、万博当時の「科学万能主義」は あの頃がピークで、次第に熱から冷めていくので、
それが潰えたのは、平成に入るよりも ずっと前の時代です。
既に当時から、数々の公害問題が、人々に健康被害を及ぼし始めていましたし、
1973年に第1次オイルショックが起こり、経済成長の熱狂から一時的に立ち止まった際、
科学主義がもたらした負の側面に、改めて気付かされた・・・という展開だと聞いています。

ただし万博当時は、ライト兄弟の初飛行(1903)から、アポロ11号の月面着陸(1969)まで、
わずか66年で成し遂げてしまった時代であり、その成果の発表の場こそ、あの万博でしたから、
人々が純粋に「科学技術による輝かしい未来」を夢見たのも、そう不思議では無い気はします。
また、実際の所を言うと、科学自体には善も悪も無く、それを用いる人類次第なのであり、
そして人類は、経済優先で自然環境を蔑ろにした為に、公害問題が生じるんですよね(苦笑)。
例えば福島の原発事故にしても、科学的には事故を起こさない技術を持っているのですが、
経済的な都合から対策のラインを引き、あの震災がその想定を超えてきたのと同じ事かと。

あとは、「技術はあっても、資金がない」という問題もありますね。
例えば、核分裂の発見(1938)から、日本への原爆投下(1945)まで、
わずか7年しか掛からなかったのも、1939年に始まった世界大戦の時代だったからで、
上述の宇宙開発競争も、米ソ冷戦の代理戦争という側面があったからですね。
要するに、経済利益よりも戦争勝利が優先される、非常事態の時代であったからだと。
ですが70年代になると、ソ連の月面着陸断念で、宇宙開発競争はアメリカの勝利に終わり、
(あのまま続いていれば、火星への有人飛行も既に実現していた可能性は高そう)
軍事方面でも、米ソは「デタント(緊張緩和)」の時代を迎えた事で、
利益を生まない資金投入に疑問の目が向けられ、科学発展にブレーキが踏まれた面はあったかな?

60年代までは、日本ほどでは無いにせよ、先進国は経済発展を続けていましたが、
70年代になると停滞から低迷の時代となり、新自由主義的な経済政策が唱えられ始め、
80年代には、ソ連の軍事力よりも、日本の経済力の方が、アメリカにとって脅威と見なされて、
アメリカではレーガン大統領の、イギリスではサッチャー首相の誕生となります。
そして、1985年に結ばれたプラザ合意により、円高ドル安の傾向が強まると、
日本経済はバブルを迎え、「Japan as No.1」などと呼ばれて、アメリカを追い越す勢いとなり、
万博当時とは違った形で、日本人たちは「夢の未来図」を思い描くのですが、
バブルは崩壊し、その後に失われた平成の30年間を経て、このまま凋落の時代を迎えそうと・・・・

まあ結局、身も蓋も無い事を言ってしまえば、全ては「カネの問題」ですね(苦笑)。
60年代後半に、皆が夢を見た頃は、高度経済成長の時代でしたし、
80年代後半に、皆が夢を見た頃は、バブル景気の時代でしたから、
科学に投ずれば科学が発展し、文化に投ずれば文化が発展した訳です。
資金があり、人材を集え、機材を揃え、目標を掲げて、競争が起これば、
人類というのは、かなりの事を、途轍もないスピードで成し遂げる存在だと思うんですよ。
それこそ、アポロ計画やマンハッタン計画が、短期間の内に成し遂げられたように。
そして、それは時代性に関係無く・・・と言うか、「資金のある時代には」って事なのかな?
火星有人飛行や核融合炉だって、その気さえあれば、既に実現していても おかしくなかったかと。

という事で、凄く遠回りをしてしまいましたが(笑)、
旧トルコ担当さんの問いに答えますと、
1970年頃に抱かれた未来像が潰えたのは、「科学技術の進化」が滞ったのが要因でしょうし、
1990年頃に抱かれた未来像が潰えたのは、バブル崩壊後の「失われた10年」が要因でしょうし、
「少子高齢化」が要因として現れるのは、これから迎えるであろう令和の凋落期においてです。
いや本当、ここ10年の日本の凋落ぶりは目を覆うばかりでしたが、
これからの10年20年で体験する凋落の程は、その比では無いと思われるので・・・・
確かに未来予測は困難なものの、人口統計に基づく予測は、それなりに可能ですからねえ。
人口が減り、子供たちが居なくなる中、老人ばかりが増えるのは、やはり将来的に厳しいですよ。

また、前回述べた、2000年頃に抱かれたネットの未来像が潰えたのは、
現象的に言うと、皆で多くの情報を共有し合う社会を思い描いていたのに、
実際は、GAFAのような超巨大企業が情報を独占する一方で、
ネットが大衆化する事により、心地良さが優先され出したって事なのでしょうけど、
2chやニコニコ動画に続くネットの新コンテンツが、日本から現れなっかたのは、
意外と、リーマンショックや東日本大震災で落ち込んだ、日本経済に遠因があったのかも?
いや、これに関しては、いま書いてて、ふと思い浮かんだだけで、全く考察とかしてませんがね。

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