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[23728] Re5:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/10/20 (水) 01:15:45 旧トルコ担当

▼ 文化って何

> > > そして、ファスト化されたオタク・コンテンツなどというのは、
> > > ラベル的な名称がオタク文化なだけで、それはもう実質的なオタク文化では無いのでは?
> > > と言うのが、あの文章の主旨というか、本題です。
> > > だからこそ、投稿文のタイトルも「ファスト化されるオタク文化?」な訳ですね。
> > > マクドナルド大好きな美食家とか、ユニクロを愛用する着道楽なんて、正直違和感ありますし(笑)、
> > > ファスト文化とオタク文化というのは、そもそも対極的な立ち位置にあると、個人的に思うので。

> > この辺はもう、オタク文化をどう定義するかの違いになるのでしょうね。
> > 個人的にはファスト化したオタク文化もなんだかんだ言って好きなので、
> > オタクではなく萌えキャラ好きの変態と名乗ったほうが良いのかな?

> 要するに、オタク文化が生み出したコンテンツがファスト化され、
> それを消費する行為まで含めて、「オタク文化」と呼んで良いのか?という事であり、
> また、同じ消費であっても、向上や独自性などの成長サイクルが伴えば、消費も文化と呼べますが、
> ファスト化された消費って、文化的欲求よりも経済的都合が原動力となって回るサイクルな為、
> その消費自体が文化を生み出す構造には、為っていないと思うんですよねえ・・・・
>
> 結局は、「文化とは何ぞや?」「消費とは何ぞや?」「オタクとは何ぞや?」って事なんですけど、
> もしも、何を言っているのか解らないという事であれば、
> 雑談の最初の方に出てきた、例の「オタク・イズ・デッド」という理解でも構いません(笑)。
> まあ私の中では、厳密に言うと少し違う意見ではあるのですが、
> 大雑把なイメージ的には、似た感じで捉えてもらっても、そう大きな瑕疵は生じないと思うので。


> > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> では、もう1度 考えてみて下さい。
> VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?
> 結局、プレイヤーも客も「人間」である以上、行動の根源には「欲求」があり、
> そうした欲求のタイプは、それほどバリエーションが多くある訳ではなく、
> 枝葉で目新しさを演出するだけで、根幹は変わらないなんて事は、よくあるんですよ。


パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?
逆に根幹の部分で全く新しかったものって何があったのでしょうか?具体例を提示していただきたいです。
以下の話にもつながることですし。

> 人間の欲求というのは、「五感と心の刺激」を求めるモノであり、
> それを如何に満たしていくかという方法論が、これで頭打ちだとは思えませんし、
> 今は存在しない「何か」が新たに誕生した折りには、また同じ事が起こりますよ!!
> だからこそ、その新しい「何か」を求めて、前回も私は話してた訳であり、
> 「幅」だの何だのという話も、それくらいの視野を含んでの話だったんですよね。
> 逆に言えば、旧トルコ担当さんの方は、そうした新しさが範疇の外であったとなると、
> 話が噛み合わないのも当然だろうなぁ・・・とは思います。
> ただ、若い人の方が、将来を見て語らないというのは、ちょっと問題かも?(笑)
> でもその辺りが、今の社会を覆う停滞感なのかも知れませんね・・・・
> (面白い事は真っ先に味わいたいというのは、育った時代の強欲性にも左右するのかな?)


▼ 切り抜きについて

> > > ただ一方で、今回のコロナ禍の影響もあってか、芸能人のネット流入に引き続き、
> > > 最近では映像制作のプロもYouTubeなどに参入してきて、また一段階 進んだ印象を受けます。
> > > 例えば、テレビ東京が提供するYouTube独自の番組であったり、
> > > テレビ朝日が出資するAbemaのオリジナル番組などは、
> > > 地上波みたいに時間や需要に囚われる事なく、比較的自由な番組制作が出来てますし、
> > > 今年の春、テレビ局を退社してフリーとなった、人気者の佐久間プロデューサーなどは、
> > > 自身のYouTubeチャンネルで、思うままに番組作り↓を始めちゃいましたからねえ!!(笑)
> > > https://www.youtube.com/channel/UCaPJaMy0_OZlNjq7BVyTnkA
> > > また、資金・技術・人員をもつ映像業界のプロ集団が、本格的に参入してくると、
> > > 素人や個人が同じ土俵で戦っては、なかなか太刀打ち出来無いでしょうし、
> > > 一定数は生き残れるにしても、多くのYouTuberは苦境に立たされるのかも知れません。
> > > つまりは、現状の「短く、薄く、軽い」といったネット・コンテンツだけでなく、
> > > 今後は、逆方向の「長く、濃く、思い」ネット・コンテンツも、一方で台頭してくるかも?

> > 個人的な予測をすれば、「長く・濃く・重い」ネットコンテンツも、
> > 結局はYouTubeの切り抜き動画のように、一番面白いところを切り抜かれて、
> > 結局メジャーの流れは変わらないと思うんですよね。


> いや〜、それはどうでしょうかねえ?
> 例えば漫才とかの場合、最後のオチだけ聞いたって、決して面白くありません。
> 映画やドラマにしたって、簡単な粗筋を追うだけでは、感動も泣けもしません。
> でも確かに、漫才や映画というコンテンツを楽しむ目的ではなく、
> 周囲と話を合わす目的であれば、オチや粗筋だけ知るのも意味がありますし、
> 実際、そういったニーズが一定量あるのも解ります。
> かと言って、それが全てでは無いですよねえ?
> 漫才や映画自体を楽しみたいニーズだった、普通に存在するんです。
>
> まあ簡単に言ってしまえば、それぞれはニーズの層とか方向性が異なるんですよ。
> 言うなれば、そうした切り抜き需要というのは、
> 「結論」だけを手っ取り早く知りたい層にとって、非常に価値があっても、
> 結論に至る「過程」にも価値を見出す層には、あまり有り難がるモノではありません。
> それこそアニメにしたって、「総集編があれば、本編は不要」なんて、
> そんな視聴者ばかりじゃ無いはずだと思いますけど?(笑)
>
> う〜ん、何と言えば良いのか、「切り抜きだけで十分」という人たちは、
> 主な情報源が動画になっていて、動画の弱点である拘束時間の長さを少しでも削る意味でも、
> 結論や概要だけを知る為に、そうした切り抜きを重宝する傾向が強い気がするんです。
> ですが、動画以外にも情報源を持つ人の場合、動画には動画だからこその価値を欲する訳で、
> そうなると、拘束時間の長さには目を瞑ってでも、そこから欲しいモノを得ようとすると。
> で、その場合、そうした重要なモノって、過程とか前振りからの積み上げの中にあるんですよね。
> もちろん、全体的なニーズから言えば、後者よりも前者の方が多数派なのでしょうが、
> しかし、それでも、後者にだって それなりのニーズがあるのも確かだと思うんです。


私は、切り抜き=情報源とは限らないと考えています。
それこそ、ゲーム実況がそのよい例ではないでしょうか?
自分で時間をかけてゲームをするよりも、誰かのやっているゲーム実況動画を見た方が手軽で、時間的な効率も良いと。
もちろん、ゲーム実況動画を見ただけでは実際にゲームをした時の30%程度しかその面白さを味わえないかもしれません。
しかし、その残り70%を味わうためにゲームを何時間もプレイするよりは、その時間で他のゲーム実況動画を見て新たな30%を得た方が時間当たりの効率は良いと。
また、ゲーム実況も大勢のプロが競い合っているフィールドですから、仮に自分が同じゲームを遊んだとしても、ゲーム実況動画のようなゲーム体験をできるとは限らず、実際にゲームをプレイすることがゲーム実況動画の劣化版にしかならないという面もあると思います。
エアプ勢なんていう言葉もありますし、ゲーム制作側では「実況で再生数が伸びる動画と、遊ばれる動画は必ずしも一致しない」という言説も出ていますから、いやいや少数派でしょ?とは言えないかと。
それこそ前に話題にした時間観の変化の話も、主原因はこうした時間コスパを意識したコンテンツが溢れているからだと私は考えています。

要は、ファスト化≒省時間化というのが私の見解ですね。
その原因は、IT化によりコンテンツの流通コストがほぼゼロになってしまったからだと。

▼ 科学の発展について

> > > > 文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するものなので。
> > > > 90年代、00年代の萌えなんかも、突然出てきたものではなく、80年代にすでにその萌芽はありましたし、
> > > > ロボットアニメやプラモデルやらなんでも同じでしょう。

> > > いや別に、突然変化するとも、突然出てくるとも、言ってませんけどね。
> > > ただ、その変化の程度というのは、常に一定だとは限りません。
> > > ずっと停滞し続ける事もあれば、一気に飛び抜ける場合もあります。
> > > そして、そういった状況の変化を、つぶさに観測していない人たちにとっては、
> > > 突然変化したり、突然現れたりという感じに、映る事もあるとは思ってますが。
> > > で、そうした激変が生じるケースというのは、臨界点を突破した時に見られるもので、
> > > そこには技術的革新なり何なりの要素が、絡んでいる事も多いのが実際の所かと?

> > まず前提として、私は新しい文化(形態)の登場の最大の要因は科学技術だと思っているので、
> > そこは管理人さんとは多少違うのかな?

> んん? いや、いや、いや、いや。
> 技術革新の重要性に関しては、私の方がしつこく主張していたという認識だったのですが!?
> 文化と科学技術の関連性については、そこそこ触れてきたのに、ほぼスルーだったのは、
> 旧トルコ担当さんは理系じゃないみたいですし、そんなに関心ない話なのかと思ってましたけど、
> 詳細な内容以前に、その話の大枠すら、全く理解して貰えていなかったって事???
> えっ、では一体、旧トルコ担当さんの解釈では、私ってどんな主張をしている事になってるんですか?
>
> また、そうなると、以前おっしゃった
> 「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」
> という旧トルコ担当さんの発言は、一体どのような主旨で述べられたのですか?
> 新しい文化の登場は、経済発展に全く寄与しないという考えなのですか?
> それに前回、「文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するもの」
> と述べられてましたけど、この発言との整合性はどの様に着けられてます?


私の考えを述べますと、まず
1)人間の欲望には限界がある
2)市品・サービスの質が限界に近づけば近づくほど、その差は大したものでなくなる(限界効用)
> 例えば、1950年代、普通の家庭に生まれた小学生の女の子が、お金持ちの友達の家に遊びに行った際、おやつにパイナップルが出てきて「世の中にはこんなにおいしいものがあるのか」と感動したという話を聞いたことがあるのですが、
> 今これって成立しないと思うんですよ。今の高いお菓子って、高級な味がするだけですから。

(年末年始にやっている、芸能人格付けチェックという番組があります。芸能人に高級なお菓子と、コンビニのお菓子を目隠しして食べ比べをさせて、どっちが高級品か判別できるのか?という内容ですが、あの番組が成立することが限界効用のもっとも良い例かと)
3)技術革新により、生産効率だけは上昇していっている
という3つの前提があった上で、1・2だけであれば大した問題は起こりませんが、実際にはIT化やAIにより、3の性質がますます進み、どんどん失業が進むのにも関わらず、大して有効な需要が創出できていない、というのが日本及び世界の先進国の現状であり、今後も続く傾向なのではないでしょうか?
「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」というのも、限界効用という壁がある以上、科学技術の発展は3の傾向をますます強めるだけであり、むしろ状況を悪化させると思うんですよね。
ということに関しては管理人さんの見解もそこまで食い違っているわけではないのでは?

> 私たちは資本主義社会に生きている以上、この無限ループからは逃れられませんし、
> 状況的に言うと、もう1つの対立軸として社会主義が存在していた冷戦期に比べ、
> そのループの進行スピードは、早さを増して行くばかりです・・・・
> そして、デジタル化とグローバル化により、仕事の集約が更に加速され、
> 新たな需要創出が、新たな余剰労働力をカバー出来なくなった時、対策方法としてあるのは、
> 無理にでも雇用を創出するか? 最低限の生活費を配るか? 手を差し伸べず見殺しにするか?
> でもまあ、そんな彼らも一方では消費者である事を考慮すると、
> 3番目の選択肢は無く(それでも個々人の心情的には、こんあ気になる人も増えるはず)、
> 1番目の方法が、従来方式のケインズ的な公共工事や、もしくは社会主義であり、
> 2番目の方法が、昨今 唱えられる機会も増えたベーシック・インカムですね。
> そして、以前の話の中で、社会における「政治・経済・文化」と「技術」の話をした際、
> 詳細までは語りませんでしたけど、私なりに考えてる方法が、1と2の中間みたいな感じかな?
> 時間と共に価値が減るデジタル地域通貨を、生活必需品との交換や、文化消費に用い、
> リアル・マネーを介在しない形での、需要と雇用を生み出すようなアイデアなので。


一方でだからこそ、楽観的に
> 人間の欲求というのは、「五感と心の刺激」を求めるモノであり、
> それを如何に満たしていくかという方法論が、これで頭打ちだとは思えませんし、
> 今は存在しない「何か」が新たに誕生した折りには、また同じ事が起こりますよ!!

と考えられるのが、私には理解できていないところです。
管理人さんがそうおっしゃる以上、何らかの根拠があると思うのですが、その根拠というか、具体例を示してほしいと。

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