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[23735] Re6:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/10/26 (火) 22:41:26 徳翁導誉

> > > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> > では、もう1度 考えてみて下さい。
> > VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> > そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> > 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> > そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?

> パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、
> それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?

え〜と、「大抵のモノは同じ」とか、そこまで大きな意味で、言っている訳ではありませんよ。
例えば、VR恋愛とアニメ・ゲームとでは、異なる分野ですけど、
VR恋愛とキャバクラであれば、根っこは同じというくらいの話です。
ここで本質部分と言っているのは、それぞれに伴う「疑似恋愛」感情の事です。

まず始めに、VRゴーグルで恋愛ごっこが、
疑似恋愛を楽しむ行為である事は、特に説明を要しませんよね?
そもそも、ヴァーチャルが前提で楽しむ遊びですし、
美少女キャラを演じるのであれば、尚更、解った上での演技です。
まあ中には、本気になっちゃう人も居るでしょうけど、それはキャバクラだって一緒(笑)。
そしてキャバクラの方も、解った上での疑似恋愛を楽しむ場所ではあります。
単に性欲を発散したければ、ソープにでも行くでしょうし、
女の子との会話を楽しみたいのなら、バーとかがあるので。
女性客相手であれば、ホスト・クラブとかも、疑似恋愛を楽しむ場に該当するかな?
もっと言えば、アイドルの追っかけ活動とかも、似たような部分があります。

要するに、アナログか?デジタルか? 男性向けか?女性向けか? 一対一か?一対多数か?
その辺りの違いがあるだけで、疑似恋愛を楽し本質部分は同じという話です。
そして、VRであれば非人間型のキャラも扱えるのに、結局は美少女キャラに行き着くのも、
所詮は人間である以上、技術はデジタルでも、アナログな感情を脱しきれないんです。
また、ノンケな男性向けの百合AVと、ガチ同性愛者向けのレズAVが別物であるみたいに、
ユーザーが共に男性で、キャラが共に美少女であっても、それも結局は、
「中の人は女性が好き」という範疇を、なかなか超えるモノではありませんからねえ。
逆に言えば、だからこそ以前、その壁さえ突破しそうだった「らぶデス555」を紹介したんです。


> > > > ただ一方で、今回のコロナ禍の影響もあってか、芸能人のネット流入に引き続き、
> > > > 最近では映像制作のプロもYouTubeなどに参入してきて、また一段階 進んだ印象を受けます。
> > > > また、資金・技術・人員をもつ映像業界のプロ集団が、本格的に参入してくると、
> > > > 素人や個人が同じ土俵で戦っては、なかなか太刀打ち出来無いでしょうし、
> > > > 一定数は生き残れるにしても、多くのYouTuberは苦境に立たされるのかも知れません。
> > > > つまりは、現状の「短く、薄く、軽い」といったネット・コンテンツだけでなく、
> > > > 今後は、逆方向の「長く、濃く、思い」ネット・コンテンツも、一方で台頭してくるかも?

> > > 個人的な予測をすれば、「長く・濃く・重い」ネットコンテンツも、
> > > 結局はYouTubeの切り抜き動画のように、一番面白いところを切り抜かれて、
> > > 結局メジャーの流れは変わらないと思うんですよね。

> > いや〜、それはどうでしょうかねえ?
> > 例えば漫才とかの場合、最後のオチだけ聞いたって、決して面白くありません。
> > 映画やドラマにしたって、簡単な粗筋を追うだけでは、感動も泣けもしません。
> > でも確かに、漫才や映画というコンテンツを楽しむ目的ではなく、
> > 周囲と話を合わす目的であれば、オチや粗筋だけ知るのも意味がありますし、
> > 実際、そういったニーズが一定量あるのも解ります。
> > かと言って、それが全てでは無いですよねえ?
> > 漫才や映画自体を楽しみたいニーズだった、普通に存在するんです。
> > まあ簡単に言ってしまえば、それぞれはニーズの層とか方向性が異なるんですよ。
> > 言うなれば、そうした切り抜き需要というのは、
> > 「結論」だけを手っ取り早く知りたい層にとって、非常に価値があっても、
> > 結論に至る「過程」にも価値を見出す層には、あまり有り難がるモノではありません。
> > う〜ん、何と言えば良いのか、「切り抜きだけで十分」という人たちは、
> > 主な情報源が動画になっていて、動画の弱点である拘束時間の長さを少しでも削る意味でも、
> > 結論や概要だけを知る為に、そうした切り抜きを重宝する傾向が強い気がするんです。
> > ですが、動画以外にも情報源を持つ人の場合、動画には動画だからこその価値を欲する訳で、
> > そうなると、拘束時間の長さには目を瞑ってでも、そこから欲しいモノを得ようとすると。

> 私は、切り抜き=情報源とは限らないと考えています。
> それこそ、ゲーム実況がそのよい例ではないでしょうか?
> 自分で時間をかけてゲームをするよりも、誰かのやっているゲーム実況動画を見た方が手軽で、時間的な効率も良いと。
> もちろん、ゲーム実況動画を見ただけでは実際にゲームをした時の30%程度しかその面白さを味わえないかもしれません。
> しかし、その残り70%を味わうためにゲームを何時間もプレイするよりは、
> その時間で他のゲーム実況動画を見て新たな30%を得た方が時間当たりの効率は良いと。

そもそも論として、ゲーム実況動画の視聴者って、何を目当てに観てるのでしょう。
ゲームの攻略法? 面白そうかの確認? プレーの疑似体験? 超絶技巧の堪能?
もちろん、それらも楽しみ方の1つだとは思います。
ですけど最も多いのは、その実況者のファンであり、その空間を楽しむ層だと思いますよ。
(と言うか、攻略法やゲーム紹介、超絶プレーや疑似体験は、実況とは また別種の配信者かと)
そういう意味では、誤解を恐れずに言うと、
プレーされるゲーム自体は、重要ではあっても道具に過ぎません。
何をプレーするかは、新規客を獲得する上では重要ですけども、
固定客が求めているのは、何をプレーするかよりも、誰がプレーするかなので、
言うなれば、実況者の魅力や話芸であったり、企画力などが、最大の売りとなります。

要するに、ゲーム実況の視聴者というのは、自身のプレーの代理作業を求めてるのではなくて、
一昔前で言えば、子供が友達の家に遊びに行き、他の人がするファミコンを一緒に見る感覚に近く、
それは別に、攻略法を学ぶとか、上手なプレーを見るとか、自分も遊んだ気になるとか以上に、
そこでワイワイやってる空気感が楽しいのであり、傍目で見つつマンガを読んでても良いんですよ。
まあ今の時代ですと、少子化で子供の数も少ないですし、習い事などで忙しい事も多く、
ゲームで遊ぶにしても、外で携帯機だったり、それこそオンライン対戦とかだったりで、
こうした昔は普通の光景が、現在だと、どれくらい行われているのかは解らないのですが、
でも結局、友達がリアルに集まるか、ファンがヴァーチャルに集まるかの違いだけで、本質は一緒かと?
また、そうしたワイワイした「空間の共有」こそ、ゲーム実況の最大の魅力なので、
配信時間も定期的で、しかも長時間になるのだと思います。

更に言えば、アナログしか無かった時代に、こうした大規模な空間の共有というと、
人気DJによる深夜ラジオが、それに該当したかと思います。
異なる点を言えば、公共の電波を任せられるDJは、実力充分なプロであるのに対して、
それこそネットは誰でも出来るので、実力に関わらずチャンネルを開設できますし、
ゲーム実況であれば、ネタとして語る話題探しの労力も、かなり軽減できます。
言うなれば、少人数の身内を笑わせる「クラスの人気者」と、
一方通行で不特定多数を笑わせる「プロ」とでは、実力の上では天と地の差ですが、
だからと言って、特定の個人が相手の場合、プロよりもクラスの人気者の方が面白い事もある。

つまり、ゲーム実況を始めとした配信者というのは、ネットという技術の登場によって、
学校という枠の外まで、クラスの人気者を広められるようになった存在であり、
プロほどの技量には乏しくても、友達とワイワイやる空気感を伝えられる人たちで、
友達の家に集まり、みんなでファミコンをして遊ぶような具合に、
少人数のファンを相手にする、ニッチ化された現代版のラジオDJだと感じるんですよ。
とは言え、この前にも言ったように、本格的にプロが参戦してくるとなると、
やはり今後は苦しくなってくると思うんです。
(ちなみに、ここで言う「プロ」とは、旧トルコ担当さんの言うプロ↓とは別の意味)
> また、ゲーム実況も大勢のプロが競い合っているフィールドですから
具体的に言えば、人気や実力のある芸能人によるゲーム実況ですよね。
芸能人的には小遣い稼ぎ程度の活動でも、既存の実況主はかなり苦境に立たされるのでは?
そもそもゲーム実況だって、18年続く長者番組、よゐこ有野の「ゲームセンターCX」が元祖ですし、
プロの真似事で上手く行くのは、プロが乗り込んでくる前まででかと。
逆に言えば、それでも引き続き生き残れるレベルの人が、真のプロと呼べるのかな。

> それこそ前に話題にした時間観の変化の話も、
> 主原因はこうした時間コスパを意識したコンテンツが溢れているからだと私は考えています。

でしたら、その実例として「ゲーム実況」を持ち出すのは、不適当なのでは?
ゲーム実況なんてネット配信でも、それこそ長時間コンテンツの代表格じゃありません?
一般的には、5〜10分くらいの動画が好まれる中、2〜3時間とかザラですし、
視聴者も真剣に観るよりは、BGM替わりというか、ながら見してる層が多いと思うんです。
というか、私自身は実際にそうしてます(笑)。
また、ゲーム実況って、そういったタイプの動画ですから、
神懸かったシーンだけを切り抜いた動画だと、やはり見え方は違ってくるかも?
これがまだ、実況名場面とかの切り抜きだと、雰囲気が伝わるんですけどね。

> 要は、ファスト化≒省時間化というのが私の見解ですね。
私が用いてる「ファスト化」の意味は、もう少し絞られてますかね。
もちろん、語源としては「早くて、安くて、手軽」なファスト・フードにあるのですが、
この風潮が、世界的に、あらゆる分野で広まった現象の事を、個人的には指しているので、
グローバル経済発展のもと、トレンドを取り入れた、均質的で低価格な商品が、
世界規模で大量生産・大量消費されるサイクルおよびシステムの事を想定して語っています。
そうじゃないと、単に早い意味だけでは、ファスト・ファッションとか意味不明になっちゃいますし。

> その原因は、IT化によりコンテンツの流通コストがほぼゼロになってしまったからだと。
で、私はそこから更に、
「では何故、コストがほぼゼロでも成り立つのか?」
という話をしていると。
その事が、ファスト化という現象にも大きく絡んでくるので。


> > > まず前提として、私は新しい文化(形態)の登場の最大の要因は科学技術だと思っているので、
> > > そこは管理人さんとは多少違うのかな?

> > んん? いや、いや、いや、いや。
> > 技術革新の重要性に関しては、私の方がしつこく主張していたという認識だったのですが!?
> > 文化と科学技術の関連性については、そこそこ触れてきたのに、ほぼスルーだったのは、
> > 旧トルコ担当さんは理系じゃないみたいですし、そんなに関心ない話なのかと思ってましたけど、
> > 詳細な内容以前に、その話の大枠すら、全く理解して貰えていなかったって事???
> > えっ、では一体、旧トルコ担当さんの解釈では、私ってどんな主張をしている事になってるんですか?
> > また、そうなると、以前おっしゃった
> > 「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」
> > という旧トルコ担当さんの発言は、一体どのような主旨で述べられたのですか?
> > 新しい文化の登場は、経済発展に全く寄与しないという考えなのですか?
> > それに前回、「文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するもの」
> > と述べられてましたけど、この発言との整合性はどの様に着けられてます?

> 私の考えを述べますと、まず
> 1)人間の欲望には限界がある
> 2)市品・サービスの質が限界に近づけば近づくほど、その差は大したものでなくなる(限界効用)
> 3)技術革新により、生産効率だけは上昇していっている

う〜ん、何だろう? この違和感の正体は・・・・
旧トルコ担当さんって、経済学部か経営学部の学生さんなのかな?
理路整然としてるのに、実感が伴ってないというか、自分の言葉で語ってない感じがして、
大好きなオタク文化の際は、自論と岡田論を組み合わせようと錯誤して語ってた一方、
今回の経済に関する語り方は、教科書の要約をコピペしたかのような味気無さで、
言うなれば、好奇心から身に付けた知識と、義務感で身に付けた知識の違いみたいな印象。
それでいて、目先の利益を求め、中長期の展望を犠牲にする、最近流行の理論を唱えつつ、
それなのに、将来的な雇用の事は気に掛けるという、アンバランスぶりが見られるのは、
現場で実践するような立場ではなく、学問として学んでいる立場だからな気がして、
となると、こんな自己正当化の御題目に過ぎ無そうなモノを、わざわざ大学で教わり、
それをそのまま信じてしまってる訳で・・・って、推測に推測を重ね過ぎだな(苦笑)。
もしそうなら、何だかヤバい感じがして、少し心配になっちゃったんですけど、
まあ、所詮は私の勝手な邪推からの流れなので、適当に聞き流して貰って構いません(笑)。

そんな与太話は兎も角、結局はいつもの如く、対象として考える規模の違いの話になるのかな。
旧トルコ担当さんのおっしゃっている規模の場合、例えば3に関して言うと、
それは技術の「改良」や「改善」であって、個人的に「革新」とは呼ばない感じですね。
既存品を品質改良や効率改善するのであれば、現在地点があり、目標地点があるので、
その差を埋める事を目指す、「引き算と割り算」の技術開発になるんです。
このケースであれば、述べられている内容も、そこまでおかしいとは思いません。
スタートとゴールが見えていると、手堅く利益を計算しやすい一方で、
効率化を進めるほど、その開発で見込める利益は小さくなるばかりでジリ貧であり、
少しくらい変わった所で、所詮は既存品ですから、大きく需要が増える訳でも無く、
この方法では、手を加えるにも限度があるので、確かに1や2も満たします。

ですけど、あくまでこれは、「引き算と割り算」の技術開発だからであり、
画期的な新商品を目指す、「足し算や掛け算」の技術開発だったら、どうでしょう?
既に持っているモノと、似たようなモノは2個も3個も要らないという意味では、
「人間の要望には限界がある」という主張は成り立ちますが、
1個も持っていない魅力的な新商品で、他の人たちが買い始めたならば、
やはり欲する願望が沸き上がるのが人というもので、1は満たさなくなります。
2に関しても、無限の広野に降り立った新商品なのですから、
向上の余地は豊富にあり、2のような問題が生じるのは先の話となります。
そして、新商品を生み出す革新は、効率をアップさせる3のような改善・改良とは別物です。
で、その元手となるのが研究開発への投資であって、ここを削れば目先の利益は上がりますが、
それは、タコが自分の足を食べるような行為であり、中長期的なジリ貧から脱せなくなります。
とは言え、ある程度の見当が付く「引き算と割り算」の技術開発とは違い、
「足し算や掛け算」の技術開発は、当たれば大きい変わりに、何が当たるかは見当も困難です。

まあ、旧トルコ担当さんの好みに合わせて、アニメ制作に例えれば、
「引き算と割り算」的なのがマンガ原作付きで、
「足し算や掛け算」的なのがオリジナル作品みたいな感じですね(笑)。
そして2に関しても、続編や同系統の作品ばかりだと、その内に頭打ちですが、
今まで見た事のないジャンルの作品が生まれれば、新たな裾野も広がりますし、
同じく1に関しても、甘いモノは別腹とばかりに、新ジャンルに飛び付くかも?
また、「アニメなど昔からあっただろ」という事であれば、
例えば、以前にも話題に上ったフィギュアとかは、近年に開拓された新市場ですし、
今後はリアルだけでなく、ヴァーチャルなコレクション市場だって広がる可能性もありそう。

って、もうちょっと具体的な例の方が良いのかな?
それこそ解りやすいのが、3丁目の夕日のような高度成長期ですけど、
テレビ・洗濯機・掃除機・冷蔵庫・炊飯器・クーラー・自家用車などなど、
次々と新商品が生まれた時代があった訳で、その頃のい人々は欲しいという願望まみれですし、
従来の家事を楽にする家電もあれば、生活に新たに加わった家電もあった訳です。
そして、それらの新商品が普及して、各社競争と大量生産がされるようになれば、
品質も良くなり、価格も安くなり、その点では上限もあるのでしょうが、
しかし一方で、白黒テレビからカラーテレビに、
ビデオからDVD そしてBlu-rayへとか、大きな転換点もあった訳ですし、
次々と新商品が生まれる為、洗濯機の次は冷蔵庫、その次はクーラーみたいな転換もあり、
国内の買い換え需要とかでも不十分なら、海外市場に打って出る手もありました。

「今は全てが満たされていて、何も無かった昔とは違う」と思われるかも知れません。
私も子供の頃は、少し前までと違って、今は何でも揃ってる時代だと感じてましたが、
それでも、電子レンジの登場が、冷凍食品という新たな分野を生み出しましたし、
それこそ、インターネットの登場により、PCやスマホが新たな家電として現れました!!
正直、「自分が子供の頃にネットがあったら」とは、よく考えちゃいますよ。
それくらい、ネット前とネット後とでは、人々の生活スタイルが一変したのも事実です。
「もう、これ以上は無いよ」と思われるかも知れませんけど、
恐らく、まだまだ新たなモノは産まれ続けて行くでしょうし、
バイオとか、ナノテクとか、AIとか、すぐ目の前まで来ている技術は多いです。
もっと具体的な実例を挙げるとすれば、ガソリン車から電気自動車への転換点が、
10年以内に訪れそうですし、そうなれば世界規模での買い換え需要が発生しますね。
まあ、自動車産業が柱な日本としては、ちょっと厳しい状況ですけども・・・・

> という3つの前提があった上で、1・2だけであれば大した問題は起こりませんが、
> 実際にはIT化やAIにより、3の性質がますます進み、どんどん失業が進むのにも関わらず、
> 大して有効な需要が創出できていない、というのが日本及び世界の先進国の現状であり、
> 今後も続く傾向なのではないでしょうか?

まあ確かに、新たな無駄を生むのでは無く、既にある無駄を削る一辺倒の、
現在のような儲け方が続くばかりであれば、需要や雇用の創出なんて難しいですよね。
そもそも、そんな事を考えて無いというか、却って逆方向のやり方なので。
とは言え、同じ様なやり方が何十年も続くかというと、それはそれで難しい所があり、
それは歴史的に見てもそうですし、変化のスピードが速い昨今なら尚更です。

ですけど、このままの流れで行くと、好転するよりは暗転する可能性が高そう・・・・
例えば、社会状況の悪化が続くと、自分だけは落ちまいと右傾化が起こりやすく、
まさしく現在は、そうした傾向が世界的にも見受けられると思いますが、
更に状況が悪化して、既に落ちてしまった人の数が増えれば、今度は左傾化しやすくなります。
100年前にロシア革命が起こり、世界を共産主義の波が襲ったのも、そんな時代でした。
ただ、感情よりも理性を重んじる左傾化は、理想は高邁でも実現は苦難でしょうし、
そうした動きが再び起こるにしても、どの程度の事が起き、どの程度まで実現できるかは未知数。
でもAIやITが組み合わされば、例えばベーシック・インカムとかも上手く回る可能性もあるかも?
ともかく、20年や30年でシステムが変わる流れを見ていると、
現行のシステムだけが不変だなんて思えませんし、そこまで絶対的に安定したシステムだとも感じません。

また、人類というのは、何度も何度も新たな技術を生み出して、
その度に、必要となる仕事の人手を減らし続けてきましたし、
それに反して、人口自体は増えていきましたけど、
社会が充実すると、求められる「新たな無駄」が現れ続けてきたと。
で、その新たな無駄の正体こそが「文化」であり、それが雇用を満たしてきましたからねえ。
とは言え、いつも すんなりと好転してきた訳では無く、紆余曲折は経てきているので、
有り難くは無い事でしょうけど、我々はそんな苦しい転換期の生き証人になれるかも?(苦笑)

> 「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」というのも、限界効用という壁がある以上、
> 科学技術の発展は3の傾向をますます強めるだけであり、むしろ状況を悪化させると思うんですよね。
> ということに関しては管理人さんの見解もそこまで食い違っているわけではないのでは?

まあ、私も所詮は門外漢ですから、そこまで別に気にしないのですが、
経済学で用いられる「限界」って、数学で言う所の「微分」の意味だと思いますけど、
「限界効用という壁」と表現してしまうと、一般的な「限度」の意味になっちゃいませんか?

う〜ん、日本からノーベル経済学賞が出ないのは、
日本の経済学が、理系ではなく文系に属しているからだとか、聞いたりしますけど、
同じ概念でも用語がバラバラなのは兎も角、経済学の数学乖離は何とかしたい所かも。
数学的とは言いませんけど、まだマルクス経済学とかも一緒に学んでた時代なら、
もう少し、科学的に経済学の捉える傾向もあったのでしょうけど、
今時は経済専攻でもマルクスなど学ばないでしょうし(さすがにケインズは学ぶ?)、
経済学に関心があるなら、せめて長沼伸一郎の著書くらいは、読んでおいても良さそう。
(物理学が専門な人が書いた経済学の本なので、少なくとも私には読みやすかったです)

「現代経済学の直観的方法」
https://www.amazon.co.jp/dp/4065195039/
「経済数学の直観的方法」
https://www.amazon.co.jp/dp/4062579847/
https://www.amazon.co.jp/dp/4062579855/

って、経済学は法学の次に興味がない私が、こんな事を言っても説得力が無いですけど(苦笑)。

> 例えば、1950年代、普通の家庭に生まれた小学生の女の子が、お金持ちの友達の家に遊びに行った際、
> おやつにパイナップルが出てきて「世の中にはこんなにおいしいものがあるのか」と
> 感動したという話を聞いたことがあるのですが、

前回読んだ時は、まあ個人の感想なので何とも言えないものの、
「当時のパイナップルって、感動できるほど美味しかったのだろうか?」と、
ちょっと引っ掛かってしまったのですが、
今回読んで、ようやく気付きましたけど、これって恐らく、
パイナップルそのものではなく、砂糖シロップ漬けのパイン缶ですね。
でしたら、時代を考えても、何となく納得(笑)。
考えてみたら、果物が急激に甘くなったのは、ここ20年くらいの話で、
昭和の頃なんて、果物缶の味はパインに限らず、ほぼシロップの甘みでしたから。

> 今これって成立しないと思うんですよ。今の高いお菓子って、高級な味がするだけですから。
う〜ん、それはどうなんですかねえ?
味の感動というのは、経験に依存するモノでしょうから。

90年代にイタリア料理が普及し、00年代に韓国料理が普及したみたいに、
日本の社会レベルで見ても、馴染みの薄かった味の発見は起こり得ますし、
我々はまだ、世界中の料理を味わい尽くした訳でも無い上、
新たな食材や料理法との出会いが、新たな料理を生み出す可能性だって充分に有り得ます。
それに今では、甘味・塩味・苦味・酸味・旨味を分析できる機会も現れており、
食感・匂い・見た目も合わせ、自分好みのオリジナルな調合も、近い将来は現れるかも?

そして何より、どれだけ社会的に普及していたとしても、
全ては各々の個人的な体験次第ですから、世間的には珍しくない料理でも、
初めて食べて感動するなんて事は、普通に起こり得る気がするんですよね。
タピオカ・ブームみたいに、世代が1周すると、定期的に再燃するモノもありますし。

> (年末年始にやっている、芸能人格付けチェックという番組があります。
>  芸能人に高級なお菓子と、コンビニのお菓子を目隠しして食べ比べをさせて、
>  どっちが高級品か判別できるのか?という内容ですが、

どうでも良い話ですけど、コンビニのお菓子が登場した回ってありましたっけ?
あの番組で食べ物だと、牛肉とか刺身など、素材系の出題が多いイメージで、
お菓子となると、待合い室で食べてたり、お菓子で出来たフェイク盆栽の記憶しか無い(笑)。
元日のゴールデン帯なんて、家族一同で見られる番組なんて限られてますし、
(2016年の「芸人キャノンボール」は面白かったですが、家族向けではなく、録画して見ました)
ちゃんと見てる訳じゃないですけど、ほぼ確実にチャンネルは点いてたはず・・・・

って、コンビニでお菓子と言うから、スナック菓子みたいなのを想像しましたが、
パティシエが作る高級菓子と食べ比べるのであれば、いわゆるコンビニ・スイーツの事かな?
私自身は見た記憶が無いけど、それなら有り得そうな気はしました。
という事で、何だか気になり検索してみたら、
どうやら2013年の放送で、コンビニのプリンが登場したみたいですね。
2013年の正月となると、父親が大きな手術をして入院し、バタバタしてた時で、
しかもチャンネルを回してたのは、いつも父親でしたから、その年は見てなかったのかも?
な〜んて、どうでも良い方向に、考えが脱線(苦笑)。
ちなみに「芸能人格付けチェック」は、特番出演を賭けた芸人予選の方が好きだったので、
昨年から その放送枠が無くなってしまい、個人的には面白さが半減。

>  あの番組が成立することが限界効用のもっとも良い例かと)
う〜ん、もっとも良い例・・・ですか?
ビールは最初の1杯が一番旨いとか、ポテチは最後の1枚が一番旨いみたいな方が、
価値は同等でも、満足度が異なる例として、解りやすい気はしますけどね(笑)。
それに、何でも金額ベースで語ってしまうと、薄っぺらい感じになりますし、
限界を微分と捉えれば、この「1杯」「1枚」という表現こそ、限界の意味が深まると。

でもまあ、言いたい事は、何となく解るんですよ。
例えば、100万円のワインを、1万円のワインと飲み比べても、
別に100万円のワインが100倍 美味しい訳じゃない、みたいな話ですよね?
格付けチェック風に言うなら、タラバガニとカニカマの味の違いも解らないなら、
格段に安いカニカマ食って満足しとけや・・・みたいな感じで(笑)。
確かに最近は、一昔前の「安かろう悪かろう」という時代とは違い、
100均の充実を始め、「安くても品質そこそこ」な商品が増えたのは事実です。
(とは言え、だから、あのような番組が成り立つというのは、ちょっと違う気はしますけど)

それこそコンビニ・スイーツとかも、「この値段で、この味が出せるか」と、
感心させられる事はありますし、その企業努力は素直に賞賛するんですけども、
とは言え、それなりの値段を払えば、相応に美味しいスイーツが食べられるのも事実ですし、
その辺りの充実ぶりこそが、世界に誇れる日本(特に東京)の文化的強味であろうかと?

ちなみに、「値段が2倍になると、味は2割増しになる」というのが、私の個人的な経験則(笑)。
あとは各個人で、どの辺りが満足できる最大値かって事ですよね。
同じ値段なら、2個食べられる方が良いのか? より美味しい方を1個食べるのか?
それこそ余裕のある人なら、美味しければ、どれだけ高くても構わない人も居るでしょうし、
逆に、食に対する拘りが乏しければ、カネはあっても安物で充分だという人も居るでしょう。
結局は、人それぞれの価値観に基づく「コスパ」が求められれば充分なんです!!
しかし現状は、経済的事情も相俟って、コスパ自体の選択肢が狭まり、
「コスパ=妥協できうる最安値のモノ」の意味合いになりつつあると・・・・


> 一方でだからこそ、楽観的に
> > 人間の欲求というのは、「五感と心の刺激」を求めるモノであり、
> > それを如何に満たしていくかという方法論が、これで頭打ちだとは思えませんし、
> > 今は存在しない「何か」が新たに誕生した折りには、また同じ事が起こりますよ!!

> と考えられるのが、私には理解できていないところです。
> 管理人さんがそうおっしゃる以上、何らかの根拠があると思うのですが、
> その根拠というか、具体例を示してほしいと。

歴史的に、そして科学的に見れば、当たり前の話だと思うからですよ。
それが「楽観的」と映るのは、悲観的と言うよりも「独善的」なモノの見方なのでは?

冷戦終結の直後、日系アメリカ人の政治経済学者フランシス・フクヤマが記した
「歴史の終わり(原題:The End of History and the Last Man)」という本が、
世界的にヒットして、欧米を中心に広く受け入れられてました。
その内容を簡単に要約すると、民主主義と自由経済が冷戦に勝利した事で、
我々人類の政治体制は、安定的な最終形態、つまりは完成形へと遂に達して、
今後の世界は、小さな変化や事件などは起きても、大きな変動は起こり得ない。
つまり、我々は成長を体験した人類最後の世代であり、現代社会は上限に達し、
大きな意味での「歴史」というのは、ここに終わったのだ・・・という主張ですね。
では実際、あれから30年あまりが経ちますけど、
未だ「歴史は終わった」と考えている人が、どれほど居るかといえば・・・・(苦笑)
と言いますか、こうした考え方自体が「奢り」であるという事は、
冷戦の勝利に浮かれていた人でも無ければ、当時でも解っていたはずです。
冷戦直後だけでなく、人類は何度だって、そんな同じ誤解を繰り返してきましたから。

「人間の欲望には限界がある」 「商品やサービスに限界がある」
では、人類の歴史を見てみた時に、そんな時代が過去に、いつあったのですか?
それとも、このタイミングで、歴史は終わってしまったのですか?
もちろん、長い歴史を振り返ると、数十年と停滞した時代は実際ありますよ。
直近で言うと、18世紀の後半とかが、それに当てはまるんですかねえ。
しかし、その停滞がいつまでも固定化されたかと言えば、決してそんな事は無く、
市民革命の時代、そして帝国主義から世界大戦・冷戦へと、歴史は激変して行くんです!!
その時点では限界に思えた事も、実際に時が経てば、既に超えてる事は往々にあります。

まあ確かに、世界市場は大部分が開拓され、世界的にも少子高齢化が進む
21世紀の中期というのは、300年ぶりの「停滞の時代」を迎えるのかも知れません。
そういう意味では、現時点と近未来を見て「停滞=限界」と捉える事もあるでしょうが、
だからと言って、そんな停滞の数十年が、未来の全てでは無いですよ。
人類の歴史とまでは言わなくても、人生100年時代とか称される昨今、
20年後30年後の世界など、別に自分には関係無い事だとか、ならないはずです。
これはもう時間の巡り合わせであり、青少年期に成長の時代を迎えるか、
青少年期は停滞の時代だったが、中高年期に成長の時代が来るとかは、運次第です。

それに、人間の欲望には限界があり、商品やサービスに限界があるだなんて、
そんな社会全体が悟った世界、一体どこに存在するんですか?(笑)
本当に存在するなら、共産主義だって、こんなに簡単に瓦解してないですよ・・・・
諦めや無知で満足ラインが低い事と、欲望に限界がある事とは、根本的に違います。
そして、今の社会に見られる症状は、基本的に後者ではなく前者の方です。

また、科学目線で言うと、生存欲・生殖欲・食欲・睡眠欲など、
人間に限らず、生命体を動かす仕組みこそが「欲求」であり、
見方を変えれば、我々が欲求と呼ぶような強い衝動というか、行動原理が、
個や群れを存続させる上で、非常に適しており、
そして残り、増えたモノの事を、生命体と呼ぶとでも言えば良いのでしょうか。
そういう意味では、そもそも生命体と欲求は切り離せないモノなのですが、
そんな欲求の存在を自覚できる生物となると、人間以外に居るのかな?
まあ、それは兎も角として、自覚できるからこそ「願望」が生まれる訳で、
欲求の願望、つまりは欲望こそが、人を人たらしめているとも言えます。

ですから、現実と摺り合わせて、妥協できるラインを探る事はあっても、
人間に欲望自体の限界があるかと問われれば、答えはノーだと思うんです。
その欲望の存在を知っていて、それが実現可能であるなら、
基本的に人というのは それを行いますし、需要があれば供給を行おうとしますよ。
あとは、経済的事情と科学技術によって決まるモノで、
そこさえ乗り越えられれば、妥協ラインなんて固定式ではなく可変式です。
逆に言うと、状況や環境の悪化で、そのラインは固定や低下されたりもしますが、
それ自体は「限界」というのとは、また別次元で決まります。

あと、工学的に言うのであれば、
ああいう技術があれば、こういう技術があれば、というモノの数々が、
今すぐとは言わないまでも、かなり実現まで近付いている実感があるからですね。
要するに、既に願望はあるものの、技術的な制約によって叶わない実状に対して、
もしも、それが実現されれば、現時点の限界を突き抜ける事も可能です。
例えば夢を見る原理で、眼を介さずに視覚情報を得られれば、VR技術は一変します。
そういう意味では、望遠鏡では見えてはいるけど、到達できてない新大陸が存在するのに、
自分の足下だけを見て、限界だ何だという風な考え方にはなりませんし、
ここにあるのは技術的な制約であって、それは欲望の限界とは完全に別物ですからねえ。

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