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[23765] Re10:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/11/16 (火) 19:35:52 徳翁導誉

すみません。
前回、投稿直前の新着記事を見落としていた為、
返信が1週間遅くなってしまいました。

> > > > > > そういう意味では、私は個人的に「VTuber」という存在を、
> > > > > > 「地下アイドルの延長線上」に見ていると言いますか、主戦場さえネットに移してしまい、
> > > > > > 「会いに行けるアイドル」ならぬ、「交流できるデジタル地下アイドル」という印象なんです。
> > > > > > また、アイドル的な活動とは別方向で、
> > > > > > VR風俗とか、VRキャバクラなんていうのも、近頃は現れ始めており、
> > > > > > こちらの分野は、まだこれからなので、新規参入の余地があるかも知れません。

> > > > > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > > > > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> > > > では、もう1度 考えてみて下さい。
> > > > VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> > > > そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> > > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> > > > 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> > > > そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?

> > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、
> > > それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?

> > え〜と、「大抵のモノは同じ」とか、そこまで大きな意味で、言っている訳ではありませんよ。
> > 例えば、VR恋愛とアニメ・ゲームとでは、異なる分野ですけど、
> > VR恋愛とキャバクラであれば、根っこは同じというくらいの話です。
> > ここで本質部分と言っているのは、それぞれに伴う「疑似恋愛」感情の事です。
> > 要するに、アナログか?デジタルか? 男性向けか?女性向けか? 一対一か?一対多数か?
> > その辺りの違いがあるだけで、疑似恋愛を楽し本質部分は同じという話です。

> 前々回の話になりますが、確かに「疑似恋愛を楽しむ本質部分は同じ」というのは理解できるのですが、
> 逆に言えば本質的に新しかったもの、それまで全く存在しなかったもの、
> というのは今までの歴史の中で存在したのでしょうか?
> 例えるならば、江戸時代の落語も、現代の漫才も、笑いという本質部分は一緒ですよね。
> 結局人類文化の歴史というのは、本質部分では大した変わりはなく、せいぜいそのバリエーションが増えたり、
> 一部の人々しか楽しめなかったものが庶民でも楽しめるようになったり、という程度なのではないでしょうか?

まあ、大きく捉えてしまえば、私も同意見ですよ(笑)。
古代人だろうと、現代人だろうと、人間の本質なんてほぼ変わらないでしょうし、
そこが大差ない以上、求められるモノにしたって、それほど大きくは変わらないかと。
特に「笑い」などという、泣く、怒るなどと同じく、超基本的な感情の1つですし、
まさに おっしゃられる通り、このレベルだと「バリエーションが増える」くらいの話で、
「恋愛」に関しても、性欲や生殖欲に繋がる、非常に根幹的な欲求に由来しており、
突き詰めれば人間の社会なんて、今でも「気持ち良い・便利・儲かる」の3つで、ほぼ語れますから。

また、科学的に言ってしまえば、感情を司っているのは脳であり、
その脳にしても、ドーパミン・セロトニン・エンドルフィン・オキシトシン・ノルアドレナリンなど、
情報ごとに伝達物質を受け取り、化学反応的に信号を送ってるだけの事ですからねえ。
究極的に言えば、そうした伝達物質を如何に分泌させるか?という、「手段」の話だったりします。

> これに関して、本質部分が異なった文化が新しく誕生した例を何でも良いので教えて欲しいです。
結局の所、どの地点を基準にして「新しい」のか?
どの程度の違いによって「異なる」のか?
そのラインを具体的に定められてないと、やはりハッキリはしませんよね。
前にあったパイン缶詰の話も、食欲とか甘味への欲求という意味では、新しくはありませんが、
戦後になって、料理のバリエーションが増えたという意味では、新しいに該当するでしょうし、
例えばこれは、今年もコンビニ・スイーツの新商品が出たとか、そのレベルの新しさとは違うと。
また、仮に同じ事柄でも、それが手段であるか、目的であるかで、意味合いも変わりますからねえ。
正直、この辺の前提が曖昧だと、「教えて欲しい」と言われても漠然とし過ぎですし、
そもそも論を言えば、「既存の延長線上ではない」って発言されたのは、
もっと言うとVR恋愛とキャバクラを結び付けたのも、旧トルコ担当さんの方な気がしますけど、
(まあ、私の見解ともそこまでズレていなかったので、そのまま話に乗っかりましたが)
でもまあ、興味深いテーマだとは思うので、一緒に考えてみましょうか(笑)。

例えば食べ物にしても、太古の昔から、食事という行為は行われ続けてきた訳で、
生命活動に直結するからこそ、その行為で快楽や満足感が得られてた所は変わりません。
センサーである味覚にしたって、時代と共に進化した訳ではありませんから。
とは言え、新しい料理の登場というのは、たびたび起こっていて、
その都度、人間は新たな刺激を得てきたのですから、そのレベルなら「あった」とも言える。
また、江戸や明治の頃までは、日本の地理的な条件などもあり、
完全に「新しい」というモノもありそうですが、戦後や平成以降でとなると難しいかな?
未知の海外食品とか、新技術で可能となった調理法とか、そういうのなら在りそうですが。

う〜ん、パッと思い付くレベルで言うと、他にはスポーツとかですが、
例えばサッカー観戦なんて、Jリーグ誕生やW杯出場までは、一般的では無かったものの、
今では、W杯の日本代表戦なんて、最高視聴率を叩き出すコンテンツになっています。
自分で行うスポーツだと、ランニングが流行したのも、ここ10年くらいの話でしょうか?
もちろん、「走る」という行為自体は、人類の誕生以前から存在しますし、
鍛錬の為に走ったり、必要があって走ったりはしましたけど、
大人が娯楽として走るなど、最近までは、あまり一般的では無かったはず。
一昔前までは、代表サポーターも、皇居ランナーも、ほとんど居らず、
そういう意味では、新しい事は新しいですし、異なる事は異なるかと。
それこそスポーツなんて、ルール次第で、新しいモノは幾らでも誕生し得ますし、
ルールを知らない人が見れば、単なる遊びに過ぎないモノであっても、
一旦普及すれば、多くの人々を惹き付けて止まない存在となります。
「スポーツ観戦の興奮も、スポーツをする快楽も、狩猟や戦争の延長線上だ」と、
極端に見る事も可能ではあるのですが、やはり、どのレベルで語るかですよね、そこは。

昨今は、e-Sportsなどとも呼ばれる「TVゲーム」にしても、
電子機器が発達するまでは、自らの動作に、計算して反応してくれる装置など存在せず、
アナログなゲームは在ったにせよ、新しくて異なったモノであったのは確かですよね。
解りやすく言えば、対人戦でも無い限り、それまで双方向なゲームは有り得なかったと。
そう考えると、アニメだって新しいですし、そもそも映画だって そうです。
だからこそ、映画が登場した際、フランスの文化人の間では、
「建築・彫刻・絵画・音楽・演劇・舞踏・文学」という、伝統的な7つの芸術に対して、
新たな芸術の誕生という意味で、映画は「第8芸術」と称されましたし、
(演劇と舞踏を1つに数えて映画は第7とか、写真を第7に入れて映画は第8という意見も)
その半世紀前には、写真の登場により、存在意義を問われる事となった絵画芸術が、
印象派やキュビズムなど、写真とは違う、独自の表現方法を模索するようになりました。
また再び、フランスの文化史観的な見方を引用すると、
写真や映画が、古代から固定されてきた芸術世界に、突如登場した新ジャンルであり、
そこに更に続いたのが、アニメであり、TVゲームであったという見方なんですよね。
ですから中には、アニメを第9芸術、TVゲームを第10芸術と捉えている人たちも居ます。

ちなみに、そんな彼らが第11芸術と呼んでいるのが「デジタル・アート」ですね。
古代から続く伝統芸術に対する、新芸術が近代以降に誕生した背景には、
それを可能とする科学技術の発展が、もちろん含まれているのですが、
これは、その最たるモノで、デジタル表現をリアル空間に投影する事により、
デジタルとリアルを融合して、画面越しではなく、実体験で味わうアートというのが、
最近では流行ってきてますし、現在進行形の「新しくて異なる」モノなのかも?
例えば、お台場や豊洲にある、チーム・ラボが提供するアート施設がそうでしょうし、
建物の形状に合わせて映像を投影する、プロダクション・マッピングもありますね。
もっと身近な例だと、映画の4DXとかも、これに少し近い感じなのかな?
私が、VRの先にあるARやMRについて言及するのも、こうした流れがある為です。
それこそ旧トルコ担当さんの言葉を借りれば、アニメ・キャラが2.5次元どころか、
3次元にまで飛び出し、しかも一対多ではなく、一対一で独自に相手をするとなれば、
これは表現方法として、今までとは、かなり違って見えるのでは無いでしょうか?

あと、科学技術が生み出す新分野という話とは、少し異なりますけども、
「紙の上の女の子に欲情する」というのも、実は「新しくて異なる」モノのかも?(笑)
もちろん、江戸時代の頃から、日本には春画があった訳ですし、
エロい絵画なんて、それこそ今東西を問わず、存在していたのは事実です。
でも それって、基本的には3次元の延長線上と言うか、代替物であったでしょうし、
「リアルの女なんて糞だ!2次元こそ萌える」という現象は、比較的に新しい気がします。

いや、でも結局、「異性に興奮を覚える」という点では、基本 変わらないので、
もう少し視点を変えて考えてみると・・・「素数に興奮する数学マニア」とか、
「ただの石に宇宙を見てしまう水石マニア」みたいな、そういう世界はどうでしょう?
捉えようによっては、フィギュアとかも、これに該当するのかな。
これらはフェチの方向性が、トンデモない方に進んでしまったという事で、
強引に解釈すれば「歪んだ性欲」と捉える事も、一応は可能でしょうけど、
この辺りならOKという事であれば、こうした世界は今後もドンドン生まれるはずです。
さすがに大衆文化にまでは発展せずとも、一定数の愛好家が居れば、文化は文化なので。
(ちなみに私は、マニアでは無いものの、素数も水石もフィギュアも好きです・笑)

でもまあ、突き詰めて考えると、脳の伝達物質を引き出す為の「ネタ探し」なんですよね。
で、こうした伝達物質を過剰分泌させたり、逆に抑え込んだりする為に、
化学的に物質を用いるのが、要するに「ドラッグ(麻薬)」な訳ですが、
このまま技術開発が進めば、伝達物質のコントロールだって行えるようになるでしょうし、
もっと進めば、伝達物質の受け渡しなど不要で、信号を直接コントロールする事でしょう。
こうなると、感情を変化させる道具としてのネタは、別に必要なくなるので、
脳の処理としては同じでも、文化としては根幹から変わるかも知れません。
何らかのネタを用いるにしても、それはリアルではなく、ヴァーチャルでも良い訳ですし、
早ければ十数年後、遅くても今世紀中には、実現しそうな気がします。
で、仮に実現出来たとして、その時に、これは第何芸術と呼ばれてるんですかねえ?(笑)
(要するに、それまでの間に、一体いくつの新芸術が登場するのかな?という話)

最後に整理すると、まずは根源的な欲求として、「暴食」や「買春」などがあり、
そこから派生し、興奮用のネタとして、「格闘」とか「賭事」などがあり、
また同時に、化学的にもたらすのが、「飲酒」であり「喫煙」であり「麻薬」であり、
人類が文明を築くと共に、「絵画」や「演劇」といった、伝統的な芸術が生まれ、
そこから近代に至ると、「映画」などの技術革新による新たな芸術や、
都市集中や労働者化の影響として、「スポーツ」の進化や、それに伴う「プロ競技」が生まれ、
そこから、趣向の多様化や、技術の進歩によって、様々なコンテンツが増えたのが現代であり、
一方で、フェチの新規開拓や、化学的なコントロールには、まだまだ無限の広野が広がっていると。

・・・って、これだと話が抽象的で、もうちょっと具体的に語った方が良いのかなぁ?
多分、私の話が伝わり難いのって、物事に関するレベルの階層分けが行われているからで、
普通の人だと、その辺りは結構フィーリング的というか、明確に細かく分類してないと思うんです。

と言う事で、例えば食事をした際、「おいしー」と幸福感に包まれるのは、
身体に必要な栄養素を摂取する事により、神経伝達物質が分泌されるからですね。
仮にこれを、第1段階(レベルとか階層と言っても良いです)としましょう。
続いて、伝達物質の信号を受けて、嬉しいとか満足といった感情が発生します。
実際においしいと感じるのは、この第2段階ですね。
で、食事で得られる感情とは、基本的に快楽ですから、それを再び得たい欲求が生じると。
これが要するに食欲というモノで、これは第3段階に相当します。
更に、人間くらい知能が発達すると、食事という行為自体や、それに付随する喜びも含め、
そこに楽しさを覚えるモノで、これを第4段階とします。
また、肉を食べたいとか、野菜を食べたいというのと同じレベルで、
甘いスイーツを食べたいという欲求があり、これを第5段階としましょう。
そして、そのスイーツの中にも、チョコやケーキ、饅頭など、
様々な種類があって、これを第6段階とします。
最後に、チョコというジャンルの中でも、各メーカーは新商品を出してきます。
こうした商品の豊富さが、第7段階にあたる感じですね。

前置きが長くなりましたが、こうした7層のピラミッド構造だと考えてみて下さい。
まず、私が「文化」と言っているのは、おおよそ第4段階から下の話であり、
広義の意味では第7段階まで含みますが、断りが無ければ狭義的に第4〜5段階くらいかな?
(まあ、第4段階は文明レベルで、第5段階くらいから文化なのかも知れませんけど)
で、私の中では「VR」って、あくまでも手段であり、道具であって、
この7つの段階の、どこかに属すると言うよりは、
各段階の物事に付属して、変化をもたらしてるレベルの捉え方ですね。

そういう意味では、まずはVTuberって、基本的にYouTubeという動画コンテンツに属するモノで、
YouTube自体は、動画を誰でも制作でき、そして発信できるという点では画期的だったものの、
それは他の一般商品に例えると、生産と流通に革命をもたらしたというレベルの話で、
動画それ自体は、種類が膨大だというだけで、テレビ番組とは違う画期的な何かには乏しいです。
現状の人気はともかく、動画にコメントを乗せたニコニコ動画の方が、その点ではYouTubeより上かな?
その辺りを考えると、物語や交流を楽しみたいなどの欲求が第4段階で、
そうした要素を含む、動画を見たいという欲求が第5段階くらいにあり、
YouTubeやテレビというのは、それを実現する為の道具であって、
各番組のカテゴリーが第6段階にあたり、
VTuberというのは、この6と7との間くらいにある存在かなぁ?と。
(例えばチョコでも、第6.5段階くらいに、ビターとかクリーミーとかタイプがある感じ)
「既に1つのカテゴリーだよ」と見なしても、それでもまだ第6段階ですよね。
少なくとも、私が求めるような、第4〜5段階(狭義的な文化)の新しさとは違うかな・・・・
あと、疑似恋愛に関しても言うと、
性欲や生殖欲が第3段階に、恋愛そのものが第4段階にあって、
疑似恋愛が第5段階、VR恋愛やキャバクラが第6段階って感じかな?

ところで現在のVRが、後々に見て、転換点に成り得るかというと、
2016年の「VR元年」という単語は、その時代を表す用語として、自然発生した訳ではなく、
「これからVR市場を発展させていこう!」という、業界側の合い言葉みたいなモノでしたし、
実際の「転換点」というのは、もっと爆発的な現象なんですよね。
例えば、Windowsとか、PlayStationの起こした突風というのは、「後から見れば」ではなく、
「その時点で見ても」・・・と言うか、現在進行形だからこそ如実に体感するんです。
そういう意味では、転換点となる前から、地道な技術開発は続けられていて、
転換点の後にも、緩やかな技術発達は続いていくのは確かですし、
一連の流れの中、本当にピンポイントで「ここが転換点!」と指定するのは困難でも、
こうした技術の普及というのは、基本的に、追憶ではなく体感で解ると思うんですよ。
そう考えると、今のVRが、一般的にそこまでインパクトを残せてるようには見えませんし、
だからと言って、ゼロをイチに、そして二に、という段階は終わっていますから、
これから成長する前の、雌伏している状況って感じじゃないですかねえ?
今後、大きく変わるにしても、それはVRから一段上がって、ARやMRの頃だと思いますので。

続いて、今回の例にあった「お笑い」に関して言うと、
そもそも笑うという行為自体は、第4段階に属しており、
お笑いとは、それを意図的に誘発する行為ですので、第5段階あたりかな。
笑いを誘発するトリガーも、ギャップや逆転だったり、緊張からの弛緩だったり、
満足感や愉悦、時には侮蔑の笑いだったりと、様々なタイプがありますし、
その中で、落語や漫才などのジャンルは、第6段階に当てはまるのかなぁ?
まあ、この辺りは笑いのネタとして、第5段階の要素を用いるので、
縦割りでキレイに区分されてるって訳では無さそうですけどね。
ただ、個々の芸人やネタに関しては、第7段階に属すると見なして良いと思いますし、
第1世代の萩本欽一、第2世代のビートたけし、第3世代の松本人志あたりが、
画期的だったという部分も、あくまで6と7との間くらい話でしょうかねえ。
いや勿論、それはそれで凄い事ですし、賞賛されるに充分な功績はあったと考えてますけど、
コントや漫才のブームは起こしても、コントや漫才に並ぶ新ジャンルを生んだ訳では無く、
ましてや、今までになった笑いのトリガーを、新たに見出した訳でも無かったですからね。
例えば、シュールな笑いとかは、まだまだ未成熟で開拓の余地がありそうですけど、
しかし一方で、お笑いというのは大衆向けの面が強いので、結局の所、
売れる為に芸風を変えるか? 売れずに突っ走って消えるか? で、長続きしない印象。

ちなみに、以前あった戦後のパイナップルの話で行くと、
エピソード的な感じだと、これは一見、第6段階の事のように感じられます。
ですが実際は、当時の社会状況を踏まえると、日本は深刻な砂糖不足にあった頃であり、
目新しいフルーツに衝撃を受けたという以上に、何より甘味に飢えていた時代でしたから、
恐らく衝撃の中身としては、実際の所、第3〜5段階のレベルだったと思うんですよ。
戦前にフルーツが無かった訳では無く、平成以降も新しいフルーツは登場してたので。
そういう意味では、確かに現在、そうした甘味の商品不足は考え難いですから、
「今は成立しない」という、旧トルコ担当さんの意見も解るんです。
ですが一方で、先進国においても、貧富の格差や、食のファスト化により、
値段が割高である、新鮮な野菜や果物を食さない(食せない)人が増えており、
特にアメリカでは、広大な国土に伴う輸送コストの経済的事情とも相俟って、
深刻な社会問題となっていて、対策にあたったオバマ大統領夫人も空回ってました・・・・
(学校給食の改善に乗り出すも、企業圧力で「ピザは野菜」なんて認定に・苦笑)
https://www.excite.co.jp/news/article/Mogumogunews_252/
なので、アイスやチョコの味は知っていても、無加工なフルーツの味を知らない子供たちが、
それを初めて食べて、衝撃を受けるなんて事もあるかも知れませんし、
そして何より、平和な今を基準に考えるから、一見そう思えるだけで、
何らかの有事により、砂糖不足が発生する事態だって、絶対に無いとは言い切れませんからねえ。

ついでに、旧トルコ担当さんが以前、私に見た「楽観的」の正体を言うと、
まずはアートが、第4段階に属しているとすれば、
アニメやTVゲームなど、新旧芸術の各ジャンルが第5段階にあり、
今ならデジタル・アートが成長しているように、このレベルの話であれば、
まだまだ頭打ちだとは思っていませんし、更に新しいモノが今後も生まれると思います。
そして何より、これとは次元の異なるレベルで、現在研究中の科学技術では、
第1段階や第2段階で、今までに無い新たな分野が、人工的に切り開かれつつあり、
そういう意味では、何十年後の話かは解りませんけども、
そこから生まれる第3段階以降のモノも、格段に増えていくだろうと考えています。
ですから2つの意味で、今後も新たな可能性がある見ている訳ですね。

言うなれば、動物界・脊椎動物門・哺乳綱・霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒト種である
ホモ・サピエンスの事を、我々は「人間(人類)」と呼んでいる訳ですが、
その人間も更に、黄色人種で、日本人で、○○県民で、××市民でとなり、
それらを、どの段階で見るかによって、話は異なって来るって感じでしょうか?
「同じ国民だから一緒」と言うのと、「同じ霊長類だから一緒」と言うのでは、
同じ一緒でも、その中身はかなり違ってきますからね。

> > > ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。
> > > 1位 響け!ユーフォニアム
> > > 2位 言の葉の庭
> > > 3位 夏雪のランデブー
> > > 4位 月がきれい

> > まずは、オススメありがとうございます。
> > で、開口一番ですけど、俺ガイルは入ってこないタイプの作品なのでしょうか?
> > 以前の「2010年代のエヴァ」という発言から、旧トルコ担当さんの中での、
> > 俺ガイルというのを、ちょっと知りたかった部分は大きかったので、結構意外でした。
> > と言いますか、この3作に俺ガイルの1期・2期も加えて、
> > おおよそ2013年前後に、オススメの作品が集中してません!?
> > これってつまり、この頃が、旧トルコ担当さんにとっての、アニメ激熱期だったって事なのかな?

> 作品が2013年に偏っているのは偶然です。リアタイではほとんど見ないので。

という事は、2013年頃の流行というか作風が、
旧トルコ担当さんの好みに、合っていたという感じですかねえ?

> 俺ガイルがランキングに入ってこないのは、私が原作厨で、
> 原作ラノベの縮小再生産にしかなっていないアニメをあまり評価していないというのと、

となると、アニメ版の俺ガイルは、
旧トルコ担当さん的には、あまり評価していないという事?
「2010年代のエヴァ」と言っていたので、てっきりアニメの話かと思ってました。
エヴァはアニメのオリジナル作品ですし(漫画連載があったのは知ってますよ)。

一応、いつでも見られるようにと、念の為に録画しておいたディスク群の中から、
1期から3期までの分を探し出して、手元に置いてはあるんですけどね(苦笑)。
(ビデオ時代から、デジタル時代となり、見ないけど録ってある作品が山のように・・・)
もしも、「アニメ版はオススメじゃないよ」という事でしたら、
いつか見たいと思いつつ、未だ見れてない作品も、まだまだありますので、
候補リスト内の優先順位を、下げてしまっても良いのかも知れませんね。
ちなみに最近は、ここ数週間は止まっていますけど、今更ながら「化物語」シリーズを新規視聴中。

> 好きなアニメランキングではなくおススメできる作品ランキングだからですね。
「好きな作品」と「オススメ作品」とは、別である事を解っているのに、
好きな作品を尋ねられて、敢えてオススメ作品を書いた意図は、少し気になるかも?(笑)
だって、好きな作品とオススメ作品は違うという事が解っているのなら、
好きな作品を紹介するよりも、オススメ作品を紹介する方が、
ずっと難しい作業である事は理解できてるでしょうし、
その割には・・・言っては悪いのですが、その点で苦心した感じを見て取れなかったので。

失礼ながら、ぶっちゃけて言うと、私の好みなど全く考慮されてないでしょうし、
私特定ではなく、一般向けであっても、どこか似通った作品ラインナップに思えました。
何と言うか、「無理なく実写ドラマ化が可能な作品が並んでる」といった印象。
そういう意味では、普段アニメは見ないけど、ドラマなら見るよという人を想定して、
オススメするラインナップとしては、妥当な気もしますけど、
もし そうなら、「ここまでオタク話をしてきて、今更?」といった話にも(笑)。
となると、そういった系列の作品が、旧トルコ担当さんの好みであり、
「オススメできる」ではなく、「オススメしたい」って感じなのかなぁ?と。

> > って、旧トルコ担当さんは以前、岡田斗司夫のガンダム全話解説について触れられてましたし、
> > オタクを称される以上、ファースト・ガンダムは当然 押さえているだろうと思ったものの、
> > これまでの「オタクの定義」の相違を踏まえると、必ずしも、そうとは言い切れないのかな?

> ガンダムは一応見てますよ。
> 世代ではないですが、ヤマト、ガンダム、エヴァ、ハルヒは一応抑えています。マクロスは見てないですが。

おお、なるほど!!
でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。

一昔前までは、夕方や夏休みに、アニメの再放送枠があったので、
名作は世代を超えて、視聴される傾向がありましたけども、
今の世代だと、わざわざ見る気がなければ、なかなか視聴しないでしょうからねえ。
でも逆に言えば、ネット配信がここまで盛んになった事で、
その気さえあれば、却って視聴しやすい環境になったとも言えそう。

と言うか、私自身も、そうやって未視聴だった10年前の名作とかを、
ネット配信とかの機会を得る事で、ようやく視聴するケースが増えてきてますし、
配信期限があるので、視聴順はそちらが優先されやすい一方、
期限が設けられているから、実際に視聴する行動に移されるんでしょうね。
それこそ、個人的に録画しておいた作品の方だと、
いつでも見られるからこそ、いつになっても見ませんから(苦笑)。
ただ一方で、なまじ配信期限があると、「配信終了までには見なければ」と、
半ば義務感と言うか、脅迫的な感じになり、消費や消化といった感覚に近くなる事も・・・・
こうなってしまうと、視聴はしても、鑑賞には なって無かったりするんですよね。
実際に私も現在、年内いっぱいで配信期限が切れる作品を、
「早く見ないと」と、少し急かされた気分になってますし(笑)。
(放送当時の録画ディスクはあるのですが、画質も操作性も配信の方が上なので)
また、ビデオ時代は見る為に録ってましたけど、
今では、恐らく見ないだろうけど、コレクション的に録ってる所があり、
そういう意味では、「手段の目的化」という沼に、私自身もハマってますね(苦笑)。

あと、ネット配信で一気見するようになって、改めて気が付いた事は、
新作の放送時に、毎週1話ずつ見るのと、
再放送とかで、月〜金で毎日1話ずつ見るのと、
配信などで、まとめて一気に全話見るのとでは、
同じ作品を見ても、作品を味わえる総量というか、記憶の残り方が明確に違いますよね。
まあ最近は、1クール作品も多いですし、続編が数年後とかも普通なので、
熱量や没入感を途切れさせずに楽しむには、一気も良いですし、何より手軽ですが、
しかしそれは、作品をゆっくり咀嚼する機会を、同時に失ってはいるんですよね。
これは漫画でも、連載で読むか? 単行本で読むか? 完結してから読むか?
という事は起こるのですが、アニメは漫画以上に視聴が受動的だからこそ、
視聴タイプの差が、かなり濃厚に出るような気がするんです。

> 俺ガイルについて少しその特殊性を説明すれば、
> 俺ガイルってオタク文化でほとんど唯一ウソが存在しない作品なんですよ。
> 普通はどんなオタク作品にも、オタクに都合の良いファンタジーが入ってきます。
> ところが、俺ガイルっていうのは徹底的にに全てがリアル。
> それでいて、ちゃんとラノベとして面白いイベントが起きる。
> 10数巻のちゃんとヒロインと恋愛もするし、ハーレム作る。
> さらにその上で、エヴァのような消費者に対して単なる快楽以上のものを投げつけてくるんですよね。
> もし俺ガイルに興味があるのでしたら、原作読んでみてはいかがでしょうか?
> とりあえず、1巻読んで、飛ばして4巻読めば、とりあえず普通のラノベではないことは分かると思います。

そもそも私は、ラノベ以前に、小説自体をほぼ読まないですからねえ。
「I love you をそう訳したのは、太宰だったか、漱石だったか…」と、前回引用したものの、
太宰の「人間失格」も、昨年ようやく読んだくらいですし、
漱石の「坊っちゃん」などは、未だに読めていなかったりしますので。
いや、著名作家の代表作くらいは、せめて押さえておきたい気はあるんですけど、
弁さんとの雑談時↓にも書きましたが、今までに読んだ小説となると、ほぼ歴史小説ばかりです。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c22815

数少ない、私が読んだ事あるラノベも、この掲示板で、
セシウさんからオススメされた「Fate/Zero」が最後なので、
かれこれ10年は読んでいませんね、私のラノベ読書履歴的には。
まあ、私の正直な気持ちを言うと、わざわざ活字で小説を読むのに、
ライトな内容というのを、あまり望んでいないという所はあるのかも?(笑)
私は、作品の世界観に入り込むより、本の内容と対話しながら読むタイプなので、
特に小説の場合などは、作品を通して、作者の頭の中を覗く感じになっちゃうんですよね。
なので、世界観自体を楽しむとなると、余程の出来の作品でも無い限りは、
アニメの方が入りやすいという事情が、私個人に関して言うと、あるでしょうか。

アニメは絵や色が付き、キャラも動いて話すから、取っ付きやすい面がありますし、
だからこそ、受動的な態度でも作品を楽しめるので、手軽ではあるんですよね。
逆に漫画や小説だと、そもそも「見る」よりも「読む」の方が、自発性が高い上に、
脳内で補う要素も強くなるので、気になる箇所があると、引っ掛かりやすくなると。
勝手にストーリーが進むのではなく、自分で進めないとストーリーが進まないので。
これが良い方向に作用すれば、深く考えさせられたり、世界観に浸ったり出来るのですが、
でも大概は、作品の穴や粗が目立つ感じなので、欠点になっちゃうケースが多いのかな?
例えば、最近流行の東京リベンジャーズとかも、アニメだったので見れましたが、
あれが仮にノベル版だったら、ツッコミまくりで読み進められなかった気がします(苦笑)。

また、「俺ガイルに興味がある」と言うよりは、
旧トルコ担当さんが「2010年代のエヴァ」と言った、理由の方に関心があったので、
今回の返信により、その点も ある程度は掴めましたから、
残念ながら、わざわざ原作を読むまでの熱量は、ちょっと無さそうですね。
しかも学園モノである事を踏まえれば、そもそも私の年齢的に、
現役学生の読者層とかと比べると、そこに投影される熱量自体も違ってきますし。

とは言え、「オタク作品なのにファンタジーが入らない」という理由は、
「なるほど」と、少し腑に落ちた感じ!!
いや個人的には、エヴァの存在って、もっとアニメ史とかオタク文化史的に捉えているので、
客観的に言えば、「2010年代のエヴァという表現は適当じゃないだろ?」と思いますし、
「そこで挙げるなら、2010年代なら まどマギの方が妥当かな?」とも思うんですよ。
でも同時に、それこそ鬼滅ブームのキーワードとして挙げたように、
「リアルタイム性」という点を踏まえると、旧トルコ担当さん自身は解りませんが、
直撃世代の人たちにとっては、何となく、大きな存在の作品である事は伝わってきました。
言うなれば、「2010年代のエヴァ」と言うよりは、
「2010年代が思春期の世代にとってのエヴァ的に刺さった作品」という意味合いで。
(とは言え、四半世紀後に劇場版が公開され、「卒業式」と評されるような事は無さそう)

まあ元々、今の20代前半くらいの世代が、ちょうど中高生だった2010年代中盤、
ラノベ原作の人気アニメは、「SAO・リゼロ・俺ガイル」がトップ3という印象でしたけど、
今回、その人気の理由みたいなモノは、少し掴めたかな?といった感じです。
異世界転生系や、俺TUEEE系の作品が量産される昨今、
読者(視聴者)を悦にさせる作風というのは、何だかんだで人気だと思うんですよ。
でもトップ3の作品って、オタク層を喜ばせるような世界観を用意しつつも、
実は結構、主人公に厳しいというか、読者(視聴者)に対するメッセージ性がありそうな感じ。
俺ガイルは見てないので解りませんが、まさしくリゼロはそんな感じがしましたし、
SAOは最初の数話しか見てませんけど、それっぽい気はしたんですよね。
う〜ん、何というか、意外に甘やかしてくれない感じとでも言いますか、そんなイメージ(笑)。
それこそエヴァから引用するなら、萌えとか、俺TUEEEとか、受け身ハーレムとか、
消費者を夢の世界に導こうとする作品が席巻した、2010年代の当時、
「逃げちゃダメだ」と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだったのかな?と。
(俺TUEEE系も全否定はしてませんよ、「魔王学院の不適合者」とか意外に面白かったですし・笑)

ただ、一昔前の作品を考えれば、それって別に珍しい事じゃありませんでしたけどね。
それこそ戦後昭和な世界は、日本社会自体も右肩上がりの頃で、
リアルの方もスポ根的なノリで、大体の物事は上手く行く時代でしたので、
娯楽作品の方でも、「友情・努力・勝利」みたいなジャンプ3原則が大手を振っていました。
しかし、失われた平成の30年間を経て、日本社会が停滞から衰退の時代へと移りつつある昨今、
現実が厳しいからこそ、娯楽に現実逃避要素が求められる傾向もあるのでしょうから、
本来的なファンタジーとは意味の異なる、ご都合主義的なファンタジー要素が含まれるのは、
時代のニーズだと言えば、そうなんだと思うんですよね。
それは何も娯楽コンテンツに限らず、ヤバい事に、リアルな政治や報道などに於いても・・・・
ですけど、そんな中でも、そうした作品に人気が集まるなら、決して捨てたモノでも無いのかな?
って、ちゃんと見たのはリゼロだけなのに、推測で物事を語り過ぎたかな?(笑)

ちなみに余談ながら、リゼロのタイム・リープの系譜について脱線すると、
元々タイム・リープって、小説や映画では珍しくないネタではありましたが、
それがオタク文化に根付いたのは、エロゲーが泣きゲー化した際、
シナリオ分岐による複数のストーリーと、それに伴うイラストを、
効率良く味わって(収集して)もらう手法として、導入されたイメージですね。
で、それを同人作品でサスペンス・ホラーと組み合わせたのが ひぐらし、
それを家庭用ゲームに用い、後にアニメ化もされたのがシュタゲで、
ひぐらしやシュタゲを、異世界転生モノとしてラノベ化したのがリゼロ、
リゼロをマガジン伝統のヤンキー漫画化したのが、今年ヒットした東リベって印象。

あと、最後に茶々を入れる意図は無いのですが、
「嘘の混じらない作品」って、確かにラノベでは少なそうな気がするものの、
青少年向けのジュブナイル小説まで、広い意味でのラノベに含めるとすれば、
等身大の世界観の作品なんて、それほど珍しくない気はしちゃうんですけどね(笑)。
そもそもラノベ自体、本来の意味でのファンタジー要素が強い作品群でしょうし、
だからこそ、他作品との差別化が図れる面とかもありそうですが、
それを敢えてラノベで行うのは、若い読者には取っ付き易さとか、
作者自身がオタク世代だとか、そういう事情もあるのかな?
まあ、SAOはオンライン・ゲーム上の世界をメイン舞台にしてますし、
リゼロは異世界転生モノな上に、ラノベ的にはタイム・リープ系の走りなので、
世界観的にも、物語的にも、ファンタジー要素が含まれないというのは、
痛快さが求められる娯楽作品に於いて、俺ガイルならではの特徴なのかも知れませんけど。

って、こんな話をしていたら急に、「僕の人生には事件が起きない」という
ハライチ岩井が書いた、エッセイ集のタイトルを思い出しました。
日常の生活に特別な事などまず無い、というイメージの連想なのだろうか?
・・・と言うか、1ヶ月前に発売されたエッセイ集・第2弾のタイトルが、
「どうやら僕の日常生活はまちがっている」らしいので、
世代的には30代前半ですけど、彼もオタクな事を踏まえれば、完全に狙ってそう(笑)。
こうして改めて見ると、第1弾のタイトルも、どことなくラノベっぽく感じてくるなぁ。
でもこれって、20代前半から1回り上の世代にも波及するくらい、影響力があったと言う事?
世間的な認知度で言えば、相方の澤部の方がダントツでも、
お笑い好きには岩井が人気なのは、この辺りの感性に要因があるのかな。
ちなみに、ハライチの「澤部じゃない方」扱いだった岩井を、人気者にしたのが、
以前名前を出した、テレビ東京・佐久間プロデューサーの「ゴットタン」でした。

> 「なれるSE」というシステム・エンジニアのお仕事ものライトノベルがあるのですが、
> それですら、やはり物語が進んでいくと、話がどんどんファンタジーになっていくんですよ。

でもまあ、充実した学生生活を送ってもらおうと、
3年間のスケジュールが、きっちり出来上がって用意されてる学園モノと違って、
物語上のイベントの並びを、作者が組み立てる必要がある訳ですから、
自由にストーリーを構成できる反面、物語のインフレ化は避け難い実状もありますよね。
逆に言えば、誰もが共通体験として持っている学園モノという題材は、
予備知識を説明する必要も無く、それでいてイベント豊富な、最強コンテンツなんです。

例えば、同じ野球マンガを描くにしても、
プロ野球を題材にするより、高校野球を題材にした方が、
作品として ずっと作りやすいですし、人気も出やすいと(笑)。
だからこそ、インフレ化の呪縛からも、逃れやすい側面はありますよね。
だって、テンプレ的なストーリー展開が既に用意されていて、
それを なぞるだけでも、それなりに面白く出来ちゃいますから。

> 第13巻では入社2年目の主人公が、マイクロソフト元社長との商談中に、
> 「ソーゴー商社は日本経済の要だ。君はそれを海外に売り渡そうというのかね?
>  君に愛国心はないのかね?」と言われるんです。
> 私はこのセリフかっこよくて好きなんですけど、
> やっぱり2年目の新入社員がそんな商談してるはずがないわけで。

う〜ん、まあ、「普通は無いよね」ってレベルの話かとは思いますが、
だからと言って、「絶対に起こり得ない」というレベルの話でも無いはずで、
結局は、その世界観の設定次第なのかな?と、実際の所は。
だって、これくらいであれば、立志伝が語られるような成功者の話なら、
リアルにあっても、そこまで受け入れられないエピソードでは無い気がします。
コツコツ積み上げるタイプも多いでしょうけど、一気に出世するタイプも実在するので。

言うなれば、有り得るレベルが10%とか1%くらいの話に対して、
無い方の90%や99%を見るか、有る方の10%や1%を見るかって事ですし、
リアルでも、その10%や1%を掴む人は実在する訳で、
架空世界の娯楽作品なら、別に構わないのでは?という思いも、個人的にはあるかな。
少なくとも、99%無いのと、100%無いのとでは、かなり異なる事なので。
それこそ、メジャーリーグで活躍する大谷の二刀流とかも、
野球マンガで描けばファンタジー認定でしょうけど、リアルにそれをやってる訳で、
逆に言えば、だからこそファンたちは大熱狂する訳ですよね!!
「プロで二刀流など無理」と、初めから決め付けていたら、あの興奮は存在しなかったと。
また、あそこまで極端な例では無くとも、例えばスポーツ漫画とかで、
高校生がプロ級のプレーをするのは、リアルと映るか? ファンタジーと映るか?
実現可能というレベルではリアルですし、プロと高校生の差を考えればファンタジーです。
ただ、プロでも即戦力な超高校級という選手は、実際に出てくる事がありますし、
作品で扱われる世界の基準はトップ・クラスの事だと思えば、それほど違和感は無いかも?

後はまあ、一個人が「これが現実」だと認識している範囲なんて、
全体の現実からすれば、極一部に過ぎ無いでしょうし、変に悟らない方が却って良い場合も?
例えば、その作品を読んで、「スゲー」と思う人より、「ネーヨ」と思う人の方が、
痛い目を見る確率は低いのでしょうけど、成功する人は結局前者の方から出る事が多い気がします。
もっと言っちゃえば、宝くじだって、買わなければ当たらないのと同じように、
事前の確率の数字だけ見て、解った風に、挑戦の機会を逃してしまうくらいなら、
無知でも果敢に挑んだ方が、意外と上手く行くなんて事も、実際あるでしょうし、
失敗覚悟に思い切って飛び込めるのも、若い内の特権ですよ・・・な〜んて話を、
元若者のオッサン的な立場から、ちょっと偉そうに伝えてみる遊び(笑)。

あと、その作品の世界設定が解らないので、ハッキリとは言えませんが、
もし仮に、主人公の会社が、急成長中のベンチャー企業とかでしたら、
2年目でも現場の重要人物という場合はあり、商談に挑むケースだって無くは無いでしょうし、
それに、マイクロソフトという大企業の現社長となると、ちょっと無さそうですが、
あくまでも「元社長」という事であれば、今は小さな企業の経営していたり、
若手ベンチャーを支援する、エンジェル投資家みたいな立場であるかも知れず、
そういう相手だったら、身軽に商談に出てくる事だって、別に有り得そうな感じはしますね。
この段階の人だと半ば道楽的に、半端な実績よりも、実際に人物を見て判断しそうですから。

また、その作品の主人公は恐らく男性でしょうけど、これが美人な女性であれば、
言い方は悪いですが、その場を彩る「花」として、若手が加わる事は有り得そう・・・・
もしくは、これが元社長側からの売り込み企画で、受けた会社側が重要視しなかった場合、
経験を積ませる意味でも、その仕事を若手に任せてしまうケースも、普通にある気がします。
例えば、元大物が自らの自伝を出版したいと持ち込んだとして、
そんな著書の優先順位は低い出版社側が、元大物の御用聞きに若手を送ったら、
その若手が、そこからコネクションを広げて、一気に偉くなったなんて話もあったかな。
実際、政治家に着いて回る番記者は、体力的にも若手の起用が多いですが、
そこで取材対象に気に入られ、記者から政治家に転身するなんて事も、珍しくありませんし、
時には、虎の威を借る狐のように、その政治家の威光をバックに社内で出世する記者もいます。

まあSEであれば、「技術的な事は、コイツしか解らない」と、若手でも加わる事はあるのでは?
そうなれば、契約面の話はともかく、技術面での話は、その若手と重ねる事になるかと。
・・・って、結局は、その作品の設定次第ですけどね、リアリティーがあるか否かは。
リアルな意味で「総合商社を売却する若手SE」って話なら、確かに有り得ないとは思いますし、
大手企業同士の大きな商談であれば、若手SEが出てくる幕など無いでしょうけど、
これがどんな場面で出た台詞で、どういう意味合いなのか、いまいち把握できてませんからね。

それと、「マイクロソフト元社長」というキーワードを聞くと、
その肩書き以外に、特に目立った功績を知らない、コメンテイターの成毛眞を思い出す(笑)。
これが、初代社長の古川享とかであれば、人間的に面白い人でしたし、
ビル・ゲイツの信任も厚くて、アメリカ本社の副社長まで兼ねてましたから、
「元社長」などという肩書きだけで、わざわざ語る事も無いかな?といった印象。
オタク文化史的に言うと、マイクロソフトのゲーム機参入(X-BOX)にも関わってた人で、
ゲーム機から撤退する「SEGA後継機としてのX-BOX」という構想が、もしも実現していたら、
日本のゲーム業界が歩む、その後の歴史も、少しは違ったのかな?とも妄想しますね。
また、マイクロソフト日本法人の社長という経歴は、確か無かった気はしますが、
アスキー創業者の1人であり、マイクロソフト草創期の中心メンバーだった西和彦も、
マイクロソフト本社の副社長でしたけど、技術畑での実績や、経営者としての経歴があり、
こちらも、元社長とか元副社長という肩書きだけでは、あまり語られないかな。
同じくオタク文化史的に言うと、画期的だったPCの共通規格「MSX」の生みの親ですし。

と言いますか、ラノベ作品なのに、マイクロソフトとか実名で登場するんですか!?
ラノベとは言え商業作品だと、その辺りは全て架空の企業名になりそうな気がしますが、
少し調べてみると、その作品の出版社はアスキー系列の電撃文庫ですし、
昔のアスキーは、マイクロソフトと深い関係にある企業でしたから、
今でも何らかの関係性が残ってるんですかねえ・・・・
もしくは、あくまでも「元」なら、アスキーからマイクロソフトに移った人も多いので、
そこから更にアスキーへと出戻り、自らの武勇伝を作中で代弁させている可能性も?(笑)
まあ、作品制作の為の取材協力って事でしたら、その辺りは容易にアポが取れそうですし。

ところで、「総合商社」という事で言うと、以前の話題にも名前が出てきた伊藤忠ですけど、
私が高校生の頃、毎年行われる卒業生の講演行事で、伊藤忠の社長が来た事があり、
それこそ「総合商社は日本経済の要だ」みたいな話をして、在校生を勧誘してましたが、
当時の私は伊藤忠という会社を詳しく知らず、「ふ〜ん」って感じで聞いてましたね(苦笑)。
同じく、財務省の主計局長が来た年も、「へ〜」ってくらいの感じだったのですが、
著名なニュースキャスターが来た年は、「おぉ、有名人!」とミーハー的に思いました(笑)。
高校生だった当時は、世間知らずだった事もあり、よく理解してませんでしたが、
大人になって思い返すと、卒業生たちの肩書きが凄いなぁと、再認識させられましたし、
忙しい中、わざわざ時間を割いて、地方にある母校に来てくれていたのかと、感心しました。
(とは言え、面白い話や関心する話をしてくれた記憶も、ほとんどありませんけどね)
また当時、OBの教師が「○○に依頼したら、講演料を要求しやがった!!」と怒っていた事も、
急に思い出して、恐らく交通費くらいしか出してなかった事に、今更ながら気が付くと(笑)。
愛校精神が相当強い校風だったので、無給奉仕が当たり前って感覚だったんでしょうね。
それに講演する卒業生の側も、故郷に錦を飾るみたいな感じで、誰もが上機嫌だったかな。

まあ、中学3年の夏に他県から引っ越してきて、よく解らぬまま入学した高校でしたけど、
今になって思い起こすと、多分、一般的な高校とは ちょっと違ってたんだろうなぁ・・・・
一県立高校なのに、OBたちの寄付金で、立派な図書館まで校舎と別棟で建ててましたし、
修学旅行や林間学校などは無く、替わりに「鍛錬合宿」があるような学校だったので(苦笑)。
「下履きは下駄とする(ただし革靴・運動靴は可)」なんて校則、他にある所あるの?
日露戦争の日本海海戦を祝して始まったボート競争が、春の恒例行事として残ってましたし、
恐らく、100年を超えるような伝統校だと、かなり風変わりな校風が意外と残ってる気がします。
って、こんなエピソード集を語ると、旧トルコ担当さんからファンタジー扱いされそうですが、
これにしたって、普通じゃないでしょうけど、実在する高校の話ではありますからね!!(笑)

> お仕事ものでも、オタク文化のリアリティっていうのはこのレベルなんですよ。
でもまあ、一昔前の団塊世代のオッサンたちも、
「サラリーマン金太郎」や「島耕作」とかを喜んで読んでた訳で、
必ずしも、オタク文化だから、このレベルのリアリティーって事でも無いのかも?
例えリアルでは無くても、「相棒」を楽しんでみてる警察官だって多いでしょうし、
時代劇を見て、「江戸時代って、こうだったのか」と思う人も少ないでしょう。
結局の所、娯楽作品であるのだから、面白い事が最重要であり、
リアリティーがどうかとか、その辺りには主眼が置かれていないと思うんですよね。

もっと言えば、リアリティーだけでない、ファンタジーだけでない、
有り得そうな話と、無さそうな話を、巧みに融合している作品こそが、
大きな人気を得る秘訣だったりしませんかねえ?
「半沢直樹」とかも、原作者の池井戸潤は元銀行員なので、
細かい部分や、あるあるネタでは、経験者ならではのリアリティーを出しつつも、
特にドラマ版においては、エンタメに徹して、時代劇や歌舞伎の要素を取り込み、
大枠では、痛快なファンタジー作品に仕上げられていて、
だからこそ、あそこまでの大ヒットを記録したのだと思いますよ。

それと上の方で、受動的なアニメ視聴と、自発的なノベル読書の話をしたように、
もしも作中に、少し気になる点があっても、手を止めて考えてしまう小説版と違い、
映像版だと勢いで押し流せる為、ファンタジーでも違和感を抱かせない特徴はあるでしょうし、
そういった意味では、同じ作品であっても、媒体ごとに見せ方を変える事もあるのかな?と。
逆に言えば、その作品も、ラノベだから気になった点があったとしても、
アニメ化されてしまうと、意外に気にならないなんて事だって、有り得るかも知れませんね。

また、リアルなSEを題材としたオタク作品となると、
漫画で「ぼく、オタリーマン。」とか、既にありますしね。
というか、作者は本職がSEで、趣味で漫画をネット公開してた人で、
実録モノに近い作品でしたから、ファンタジーも別に無かったかな?
オタク&SEの等身大な あるあるネタが、作品の中心だった印象。
続編にあたる「理系の人々」は、実写ドラマ化もされてたはずで、
10年くらい前には、世間的にも少し話題になって作品でしたよ。
まだ当時は、完全デジタルで描かれた漫画も、珍しい時代でしたし。


P.S.
今回は2010年代アニメの話も多かったので、ついでに聞いてしまいますが、
「教養としての10年代アニメ」って、旧トルコ担当さんは既に読まれました?
https://www.amazon.co.jp/dp/459115338X
https://www.amazon.co.jp/dp/4591158322

近畿大学の名物講義が、こうして書籍化されてたのは知ってましたけど、
「受講条件は週20本の深夜アニメ視聴」などという謳い文句(笑)を見て、
個人的に2010年代は、ほとんどアニメを見ていなかった事もあり、
今まで読んでは来なかったのですが、今回こうして2010年代アニメを話題にしましたし、
実際に見てない作品が多くても、読んでみる価値がある本なのかなぁ?と。
特に第1巻では、まどマギやSAOと並び、俺ガイルにも1章が割かれてましたので。

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