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[23775] Re11:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/11/28 (日) 00:54:41 旧トルコ担当

> すみません。
> 前回、投稿直前の新着記事を見落としていた為、
> 返信が1週間遅くなってしまいました。


こちらも、1週間間を空けてしまいすみません。
時間かけて文章を練ろうと思ったのですが、時間かかても特によくならないというw

> > > > > > > そういう意味では、私は個人的に「VTuber」という存在を、
> > > > > > > 「地下アイドルの延長線上」に見ていると言いますか、主戦場さえネットに移してしまい、
> > > > > > > 「会いに行けるアイドル」ならぬ、「交流できるデジタル地下アイドル」という印象なんです。
> > > > > > > また、アイドル的な活動とは別方向で、
> > > > > > > VR風俗とか、VRキャバクラなんていうのも、近頃は現れ始めており、
> > > > > > > こちらの分野は、まだこれからなので、新規参入の余地があるかも知れません。

> > > > > > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > > > > > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> > > > > では、もう1度 考えてみて下さい。
> > > > > VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> > > > > そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> > > > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> > > > > 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> > > > > そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?

> > > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、
> > > > それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?

> > > え〜と、「大抵のモノは同じ」とか、そこまで大きな意味で、言っている訳ではありませんよ。
> > > 例えば、VR恋愛とアニメ・ゲームとでは、異なる分野ですけど、
> > > VR恋愛とキャバクラであれば、根っこは同じというくらいの話です。
> > > ここで本質部分と言っているのは、それぞれに伴う「疑似恋愛」感情の事です。
> > > 要するに、アナログか?デジタルか? 男性向けか?女性向けか? 一対一か?一対多数か?
> > > その辺りの違いがあるだけで、疑似恋愛を楽し本質部分は同じという話です。

> > 前々回の話になりますが、確かに「疑似恋愛を楽しむ本質部分は同じ」というのは理解できるのですが、
> > 逆に言えば本質的に新しかったもの、それまで全く存在しなかったもの、
> > というのは今までの歴史の中で存在したのでしょうか?
> > 例えるならば、江戸時代の落語も、現代の漫才も、笑いという本質部分は一緒ですよね。
> > 結局人類文化の歴史というのは、本質部分では大した変わりはなく、せいぜいそのバリエーションが増えたり、
> > 一部の人々しか楽しめなかったものが庶民でも楽しめるようになったり、という程度なのではないでしょうか?

> まあ、大きく捉えてしまえば、私も同意見ですよ(笑)。
> 古代人だろうと、現代人だろうと、人間の本質なんてほぼ変わらないでしょうし、
> そこが大差ない以上、求められるモノにしたって、それほど大きくは変わらないかと。
> 特に「笑い」などという、泣く、怒るなどと同じく、超基本的な感情の1つですし、
> まさに おっしゃられる通り、このレベルだと「バリエーションが増える」くらいの話で、
> 「恋愛」に関しても、性欲や生殖欲に繋がる、非常に根幹的な欲求に由来しており、
> 突き詰めれば人間の社会なんて、今でも「気持ち良い・便利・儲かる」の3つで、ほぼ語れますから。
>
> また、科学的に言ってしまえば、感情を司っているのは脳であり、
> その脳にしても、ドーパミン・セロトニン・エンドルフィン・オキシトシン・ノルアドレナリンなど、
> 情報ごとに伝達物質を受け取り、化学反応的に信号を送ってるだけの事ですからねえ。
> 究極的に言えば、そうした伝達物質を如何に分泌させるか?という、「手段」の話だったりします。
>
> > これに関して、本質部分が異なった文化が新しく誕生した例を何でも良いので教えて欲しいです。
> 結局の所、どの地点を基準にして「新しい」のか?
> どの程度の違いによって「異なる」のか?
> そのラインを具体的に定められてないと、やはりハッキリはしませんよね。
> 前にあったパイン缶詰の話も、食欲とか甘味への欲求という意味では、新しくはありませんが、
> 戦後になって、料理のバリエーションが増えたという意味では、新しいに該当するでしょうし、
> 例えばこれは、今年もコンビニ・スイーツの新商品が出たとか、そのレベルの新しさとは違うと。
> また、仮に同じ事柄でも、それが手段であるか、目的であるかで、意味合いも変わりますからねえ。
> 正直、この辺の前提が曖昧だと、「教えて欲しい」と言われても漠然とし過ぎですし、
> そもそも論を言えば、「既存の延長線上ではない」って発言されたのは、
> もっと言うとVR恋愛とキャバクラを結び付けたのも、旧トルコ担当さんの方な気がしますけど、
> (まあ、私の見解ともそこまでズレていなかったので、そのまま話に乗っかりましたが)
> でもまあ、興味深いテーマだとは思うので、一緒に考えてみましょうか(笑)。
>
> 例えば食べ物にしても、太古の昔から、食事という行為は行われ続けてきた訳で、
> 生命活動に直結するからこそ、その行為で快楽や満足感が得られてた所は変わりません。
> センサーである味覚にしたって、時代と共に進化した訳ではありませんから。
> とは言え、新しい料理の登場というのは、たびたび起こっていて、
> その都度、人間は新たな刺激を得てきたのですから、そのレベルなら「あった」とも言える。
> また、江戸や明治の頃までは、日本の地理的な条件などもあり、
> 完全に「新しい」というモノもありそうですが、戦後や平成以降でとなると難しいかな?
> 未知の海外食品とか、新技術で可能となった調理法とか、そういうのなら在りそうですが。
>
> う〜ん、パッと思い付くレベルで言うと、他にはスポーツとかですが、
> 例えばサッカー観戦なんて、Jリーグ誕生やW杯出場までは、一般的では無かったものの、
> 今では、W杯の日本代表戦なんて、最高視聴率を叩き出すコンテンツになっています。
> 自分で行うスポーツだと、ランニングが流行したのも、ここ10年くらいの話でしょうか?
> もちろん、「走る」という行為自体は、人類の誕生以前から存在しますし、
> 鍛錬の為に走ったり、必要があって走ったりはしましたけど、
> 大人が娯楽として走るなど、最近までは、あまり一般的では無かったはず。
> 一昔前までは、代表サポーターも、皇居ランナーも、ほとんど居らず、
> そういう意味では、新しい事は新しいですし、異なる事は異なるかと。
> それこそスポーツなんて、ルール次第で、新しいモノは幾らでも誕生し得ますし、
> ルールを知らない人が見れば、単なる遊びに過ぎないモノであっても、
> 一旦普及すれば、多くの人々を惹き付けて止まない存在となります。
> 「スポーツ観戦の興奮も、スポーツをする快楽も、狩猟や戦争の延長線上だ」と、
> 極端に見る事も可能ではあるのですが、やはり、どのレベルで語るかですよね、そこは。
>
> 昨今は、e-Sportsなどとも呼ばれる「TVゲーム」にしても、
> 電子機器が発達するまでは、自らの動作に、計算して反応してくれる装置など存在せず、
> アナログなゲームは在ったにせよ、新しくて異なったモノであったのは確かですよね。
> 解りやすく言えば、対人戦でも無い限り、それまで双方向なゲームは有り得なかったと。
> そう考えると、アニメだって新しいですし、そもそも映画だって そうです。
> だからこそ、映画が登場した際、フランスの文化人の間では、
> 「建築・彫刻・絵画・音楽・演劇・舞踏・文学」という、伝統的な7つの芸術に対して、
> 新たな芸術の誕生という意味で、映画は「第8芸術」と称されましたし、
> (演劇と舞踏を1つに数えて映画は第7とか、写真を第7に入れて映画は第8という意見も)
> その半世紀前には、写真の登場により、存在意義を問われる事となった絵画芸術が、
> 印象派やキュビズムなど、写真とは違う、独自の表現方法を模索するようになりました。
> また再び、フランスの文化史観的な見方を引用すると、
> 写真や映画が、古代から固定されてきた芸術世界に、突如登場した新ジャンルであり、
> そこに更に続いたのが、アニメであり、TVゲームであったという見方なんですよね。
> ですから中には、アニメを第9芸術、TVゲームを第10芸術と捉えている人たちも居ます。
>
> ちなみに、そんな彼らが第11芸術と呼んでいるのが「デジタル・アート」ですね。
> 古代から続く伝統芸術に対する、新芸術が近代以降に誕生した背景には、
> それを可能とする科学技術の発展が、もちろん含まれているのですが、
> これは、その最たるモノで、デジタル表現をリアル空間に投影する事により、
> デジタルとリアルを融合して、画面越しではなく、実体験で味わうアートというのが、
> 最近では流行ってきてますし、現在進行形の「新しくて異なる」モノなのかも?
> 例えば、お台場や豊洲にある、チーム・ラボが提供するアート施設がそうでしょうし、
> 建物の形状に合わせて映像を投影する、プロダクション・マッピングもありますね。
> もっと身近な例だと、映画の4DXとかも、これに少し近い感じなのかな?
> 私が、VRの先にあるARやMRについて言及するのも、こうした流れがある為です。
> それこそ旧トルコ担当さんの言葉を借りれば、アニメ・キャラが2.5次元どころか、
> 3次元にまで飛び出し、しかも一対多ではなく、一対一で独自に相手をするとなれば、
> これは表現方法として、今までとは、かなり違って見えるのでは無いでしょうか?
>
> あと、科学技術が生み出す新分野という話とは、少し異なりますけども、
> 「紙の上の女の子に欲情する」というのも、実は「新しくて異なる」モノのかも?(笑)
> もちろん、江戸時代の頃から、日本には春画があった訳ですし、
> エロい絵画なんて、それこそ今東西を問わず、存在していたのは事実です。
> でも それって、基本的には3次元の延長線上と言うか、代替物であったでしょうし、
> 「リアルの女なんて糞だ!2次元こそ萌える」という現象は、比較的に新しい気がします。
>
> いや、でも結局、「異性に興奮を覚える」という点では、基本 変わらないので、
> もう少し視点を変えて考えてみると・・・「素数に興奮する数学マニア」とか、
> 「ただの石に宇宙を見てしまう水石マニア」みたいな、そういう世界はどうでしょう?
> 捉えようによっては、フィギュアとかも、これに該当するのかな。
> これらはフェチの方向性が、トンデモない方に進んでしまったという事で、
> 強引に解釈すれば「歪んだ性欲」と捉える事も、一応は可能でしょうけど、
> この辺りならOKという事であれば、こうした世界は今後もドンドン生まれるはずです。
> さすがに大衆文化にまでは発展せずとも、一定数の愛好家が居れば、文化は文化なので。
> (ちなみに私は、マニアでは無いものの、素数も水石もフィギュアも好きです・笑)
>
> でもまあ、突き詰めて考えると、脳の伝達物質を引き出す為の「ネタ探し」なんですよね。
> で、こうした伝達物質を過剰分泌させたり、逆に抑え込んだりする為に、
> 化学的に物質を用いるのが、要するに「ドラッグ(麻薬)」な訳ですが、
> このまま技術開発が進めば、伝達物質のコントロールだって行えるようになるでしょうし、
> もっと進めば、伝達物質の受け渡しなど不要で、信号を直接コントロールする事でしょう。
> こうなると、感情を変化させる道具としてのネタは、別に必要なくなるので、
> 脳の処理としては同じでも、文化としては根幹から変わるかも知れません。
> 何らかのネタを用いるにしても、それはリアルではなく、ヴァーチャルでも良い訳ですし、
> 早ければ十数年後、遅くても今世紀中には、実現しそうな気がします。
> で、仮に実現出来たとして、その時に、これは第何芸術と呼ばれてるんですかねえ?(笑)
> (要するに、それまでの間に、一体いくつの新芸術が登場するのかな?という話)
>
> 最後に整理すると、まずは根源的な欲求として、「暴食」や「買春」などがあり、
> そこから派生し、興奮用のネタとして、「格闘」とか「賭事」などがあり、
> また同時に、化学的にもたらすのが、「飲酒」であり「喫煙」であり「麻薬」であり、
> 人類が文明を築くと共に、「絵画」や「演劇」といった、伝統的な芸術が生まれ、
> そこから近代に至ると、「映画」などの技術革新による新たな芸術や、
> 都市集中や労働者化の影響として、「スポーツ」の進化や、それに伴う「プロ競技」が生まれ、
> そこから、趣向の多様化や、技術の進歩によって、様々なコンテンツが増えたのが現代であり、
> 一方で、フェチの新規開拓や、化学的なコントロールには、まだまだ無限の広野が広がっていると。
>
> ・・・って、これだと話が抽象的で、もうちょっと具体的に語った方が良いのかなぁ?
> 多分、私の話が伝わり難いのって、物事に関するレベルの階層分けが行われているからで、
> 普通の人だと、その辺りは結構フィーリング的というか、明確に細かく分類してないと思うんです。
>
> と言う事で、例えば食事をした際、「おいしー」と幸福感に包まれるのは、
> 身体に必要な栄養素を摂取する事により、神経伝達物質が分泌されるからですね。
> 仮にこれを、第1段階(レベルとか階層と言っても良いです)としましょう。
> 続いて、伝達物質の信号を受けて、嬉しいとか満足といった感情が発生します。
> 実際においしいと感じるのは、この第2段階ですね。
> で、食事で得られる感情とは、基本的に快楽ですから、それを再び得たい欲求が生じると。
> これが要するに食欲というモノで、これは第3段階に相当します。
> 更に、人間くらい知能が発達すると、食事という行為自体や、それに付随する喜びも含め、
> そこに楽しさを覚えるモノで、これを第4段階とします。
> また、肉を食べたいとか、野菜を食べたいというのと同じレベルで、
> 甘いスイーツを食べたいという欲求があり、これを第5段階としましょう。
> そして、そのスイーツの中にも、チョコやケーキ、饅頭など、
> 様々な種類があって、これを第6段階とします。
> 最後に、チョコというジャンルの中でも、各メーカーは新商品を出してきます。
> こうした商品の豊富さが、第7段階にあたる感じですね。
>
> 前置きが長くなりましたが、こうした7層のピラミッド構造だと考えてみて下さい。
> まず、私が「文化」と言っているのは、おおよそ第4段階から下の話であり、
> 広義の意味では第7段階まで含みますが、断りが無ければ狭義的に第4〜5段階くらいかな?
> (まあ、第4段階は文明レベルで、第5段階くらいから文化なのかも知れませんけど)
> で、私の中では「VR」って、あくまでも手段であり、道具であって、
> この7つの段階の、どこかに属すると言うよりは、
> 各段階の物事に付属して、変化をもたらしてるレベルの捉え方ですね。
>
> そういう意味では、まずはVTuberって、基本的にYouTubeという動画コンテンツに属するモノで、
> YouTube自体は、動画を誰でも制作でき、そして発信できるという点では画期的だったものの、
> それは他の一般商品に例えると、生産と流通に革命をもたらしたというレベルの話で、
> 動画それ自体は、種類が膨大だというだけで、テレビ番組とは違う画期的な何かには乏しいです。
> 現状の人気はともかく、動画にコメントを乗せたニコニコ動画の方が、その点ではYouTubeより上かな?
> その辺りを考えると、物語や交流を楽しみたいなどの欲求が第4段階で、
> そうした要素を含む、動画を見たいという欲求が第5段階くらいにあり、
> YouTubeやテレビというのは、それを実現する為の道具であって、
> 各番組のカテゴリーが第6段階にあたり、
> VTuberというのは、この6と7との間くらいにある存在かなぁ?と。
> (例えばチョコでも、第6.5段階くらいに、ビターとかクリーミーとかタイプがある感じ)
> 「既に1つのカテゴリーだよ」と見なしても、それでもまだ第6段階ですよね。
> 少なくとも、私が求めるような、第4〜5段階(狭義的な文化)の新しさとは違うかな・・・・
> あと、疑似恋愛に関しても言うと、
> 性欲や生殖欲が第3段階に、恋愛そのものが第4段階にあって、
> 疑似恋愛が第5段階、VR恋愛やキャバクラが第6段階って感じかな?


おおよそ同じような認識です。
前回は、管理人さんが「かつては、恋愛レベルの新しい文化がドンドン登場していたが、現在はそうではない」というようなことを言っているのかと思っての書き込みでしたが、私の誤解でした。すみません。

ただ、VRに関しては私は可能性はあると思っています。(といっても、第5,6段階くらいの「新しい」ですが)
現在はまだVRで作ったVTuberをスマホで二次元映像として見るという段階ですが、VRゴーグルが普及すれば、コミュニケーションの仕方が変わると思うんですよね。
例えばVRChatで美少女に扮しているおっさんが、言葉の語尾に「〜だにゃ」とつけるようになるとか。
人間は情報の7割を視覚から得ているなんていいますし、自分の見た目を変えられるVRであれば、自分は○○である、という自意識を変えることが可能になると。
それは別にVR以前にもインターネットの出現で起こったことではあります。
現に、大学生に過ぎない私が、私の2倍か3倍の年齢の管理人さんと対等(?)に話せているのも、掲示板という文字のみのコミュニケーションだからですし。
あるいは、リアルではごく普通の人が、ネットでは人格が変わったように炎上している人を叩く、ということであったり。
平成ネット史では、2ちゃんによって、それまで男性9割で女性がなかなか入っていきにくいような話題でも、匿名だからこそ女でもマニアックな話ができた、なんていうことも紹介されていました。
ただ、VRはスマホやPCと違って没入感が違いますから、そういったネット世界の第二人格を得る人ってどんどん増えると思うんですよね。
それこそ、自分の容姿に自信のない人なんか、VRでイケメンや美少女になって、同じく美少女やイケメンと会話したり、恋愛したりできるなんて言ことになれば、「もうリアルの恋愛はいいや」と思う人の数って、もっと増えるんじゃないですかね?
ねほりんぱほりんのバ美肉の回では、それまでおっさんだった人がVTuberで美少女になって皆にちやほやされていると、おっさんでも少女の心を持つようになる、という話が紹介されていました。
その元おっさんVTuberの配信中に少しスカートの中が見えそうになって、視聴者が「見え」なんてコメントすると、おっさんは「私のこと、そんな目で見ていたの」という風に、性的な視線で見られたことに対して(おっさんなのに)嫌悪感を示すと。
それは逆に言えば、ちょっとグロテスクなことに興味のある普通の人が、VRで殺人ゲームをしているうちに、感覚がマヒしていって、最終的にリアルで殺人を犯す、ということになってしまうわけですが。
ただどちらにせよ、今まで他人とのコミュニケーションは自分の容姿であったり、年齢であったり、社会的地位だったりに、どうしても左右されていたものが、そこから完全に自由になる、というのは結構新しい変化になると思うんですよね。
今の社会でも、大学生が私服で受ける大学の講義は学生はだらっとしていますが、スーツを着ると突然ビシッとしますからね。葬式には皆が黒い服を着ていくことで、その場の雰囲気が出るわけですし。

と思っていたら、そういうのは「メタバース」っていうんですね。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211122/k10013357101000.html?utm_int=detail_contents_tokushu_003

なんだかんだで、人間の最大の文化って他人との会話だと思いますし、それが根本的に変わるとすれば、かなり巨大な変化になるんじゃないでしょうか。

▼ 好きなアニメについて

> > > > ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。
> > > > 1位 響け!ユーフォニアム
> > > > 2位 言の葉の庭
> > > > 3位 夏雪のランデブー
> > > > 4位 月がきれい

> > > まずは、オススメありがとうございます。
> > > で、開口一番ですけど、俺ガイルは入ってこないタイプの作品なのでしょうか?
> > > 以前の「2010年代のエヴァ」という発言から、旧トルコ担当さんの中での、
> > > 俺ガイルというのを、ちょっと知りたかった部分は大きかったので、結構意外でした。
> > > と言いますか、この3作に俺ガイルの1期・2期も加えて、
> > > おおよそ2013年前後に、オススメの作品が集中してません!?
> > > これってつまり、この頃が、旧トルコ担当さんにとっての、アニメ激熱期だったって事なのかな?

> > 作品が2013年に偏っているのは偶然です。リアタイではほとんど見ないので。

> という事は、2013年頃の流行というか作風が、
> 旧トルコ担当さんの好みに、合っていたという感じですかねえ?
>
> > 俺ガイルがランキングに入ってこないのは、私が原作厨で、
> > 原作ラノベの縮小再生産にしかなっていないアニメをあまり評価していないというのと、

> となると、アニメ版の俺ガイルは、
> 旧トルコ担当さん的には、あまり評価していないという事?
> 「2010年代のエヴァ」と言っていたので、てっきりアニメの話かと思ってました。
> エヴァはアニメのオリジナル作品ですし(漫画連載があったのは知ってますよ)。
>
> 一応、いつでも見られるようにと、念の為に録画しておいたディスク群の中から、
> 1期から3期までの分を探し出して、手元に置いてはあるんですけどね(苦笑)。
> (ビデオ時代から、デジタル時代となり、見ないけど録ってある作品が山のように・・・)
> もしも、「アニメ版はオススメじゃないよ」という事でしたら、
> いつか見たいと思いつつ、未だ見れてない作品も、まだまだありますので、
> 候補リスト内の優先順位を、下げてしまっても良いのかも知れませんね。
> ちなみに最近は、ここ数週間は止まっていますけど、今更ながら「化物語」シリーズを新規視聴中。


> > 好きなアニメランキングではなくおススメできる作品ランキングだからですね。
> 「好きな作品」と「オススメ作品」とは、別である事を解っているのに、
> 好きな作品を尋ねられて、敢えてオススメ作品を書いた意図は、少し気になるかも?(笑)
> だって、好きな作品とオススメ作品は違うという事が解っているのなら、
> 好きな作品を紹介するよりも、オススメ作品を紹介する方が、
> ずっと難しい作業である事は理解できてるでしょうし、
> その割には・・・言っては悪いのですが、その点で苦心した感じを見て取れなかったので。
>
> 失礼ながら、ぶっちゃけて言うと、私の好みなど全く考慮されてないでしょうし、
> 私特定ではなく、一般向けであっても、どこか似通った作品ラインナップに思えました。
> 何と言うか、「無理なく実写ドラマ化が可能な作品が並んでる」といった印象。
> そういう意味では、普段アニメは見ないけど、ドラマなら見るよという人を想定して、
> オススメするラインナップとしては、妥当な気もしますけど、
> もし そうなら、「ここまでオタク話をしてきて、今更?」といった話にも(笑)。
> となると、そういった系列の作品が、旧トルコ担当さんの好みであり、
> 「オススメできる」ではなく、「オススメしたい」って感じなのかなぁ?と。


いやぁ、自分の一番好きな作品を他人に宣言するのって、恥ずかしくないですかね?
他のオタクの人はどうなのでしょうか?
もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

おススメできるアニメランキングは、私の好きなアニメの中から
(1)好きな作品と宣言して恥ずかしくないもの
(2)個人的に好きなだけでなく、客観的にクオリティが高いもの
(3)アニメ版が一番良いもの(漫画原作アニメで、原作漫画の方が出来が良いものなどは除外)
という3つのフィルターをかけて、作成したランキングになります。
そしていざそれを作ってみると、案外数が残らなかったという。
逆にそれだけ選んだ作品なので、おススメ度はどれも高く、どの作品を見るか?という参考には十分なるという自信はあるのですが。

そして、「無理なく実写ドラマ化が可能な作品が並んでる」「ここまでオタク話をしてきて、今更?」とのことですが、一応はそれでも私の好みが反映されたランキングになってはいます。
見ての通り4作品中3作品が恋愛もので、私は中学生の時に源氏物語を読んで以来、ずっと恋愛ものは好きですからね。今まで読んできた(見てきた)恋愛ものの中では、どれも非常にレベルが高い作品です。
ただ、それが相手の好みの合うかはわかりませんし、あくまで「参考」ということで。

> > > って、旧トルコ担当さんは以前、岡田斗司夫のガンダム全話解説について触れられてましたし、
> > > オタクを称される以上、ファースト・ガンダムは当然 押さえているだろうと思ったものの、
> > > これまでの「オタクの定義」の相違を踏まえると、必ずしも、そうとは言い切れないのかな?

> > ガンダムは一応見てますよ。
> > 世代ではないですが、ヤマト、ガンダム、エヴァ、ハルヒは一応抑えています。マクロスは見てないですが。

> おお、なるほど!!
> でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
> 旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。


うーん、この辺はどうなんでしょうね。
確かに、オタク史的に名作とされるアニメを見ることは価値もありますが、やりすぎれば結局、流行りものを追っかけているJKと変わらないと思うんですよね。
いや、流行りものを追っかけること自体は別に好きにやればいいと思うのですが、周囲に流されて自分で判断しない姿勢というのは、オタクとは呼べないと思うんですよね。
日本全体が高齢化していて、かつSNSで全部見えてしまう今の時代、数に従えば昔の名作アニメの方に流されるのは当然でもありますし。
ふと気になって調べてみたところ、エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

まあ、私の独断と偏見で言わせれば「オタクとは自分の好きなものを突き詰める人間」なのであって、何も昔の名作アニメを履修する必要性はないと思っているんですよね。
あと、中国のオタク文化に期待を寄せているのも、結局は人口問題があるからだったりします。

▼ 俺ガイル

> また、「俺ガイルに興味がある」と言うよりは、
> 旧トルコ担当さんが「2010年代のエヴァ」と言った、理由の方に関心があったので、
> 今回の返信により、その点も ある程度は掴めましたから、
> 残念ながら、わざわざ原作を読むまでの熱量は、ちょっと無さそうですね。
> しかも学園モノである事を踏まえれば、そもそも私の年齢的に、
> 現役学生の読者層とかと比べると、そこに投影される熱量自体も違ってきますし。
>
> とは言え、「オタク作品なのにファンタジーが入らない」という理由は、
> 「なるほど」と、少し腑に落ちた感じ!!
> いや個人的には、エヴァの存在って、もっとアニメ史とかオタク文化史的に捉えているので、
> 客観的に言えば、「2010年代のエヴァという表現は適当じゃないだろ?」と思いますし、
> 「そこで挙げるなら、2010年代なら まどマギの方が妥当かな?」とも思うんですよ。
> でも同時に、それこそ鬼滅ブームのキーワードとして挙げたように、
> 「リアルタイム性」という点を踏まえると、旧トルコ担当さん自身は解りませんが、
> 直撃世代の人たちにとっては、何となく、大きな存在の作品である事は伝わってきました。
> 言うなれば、「2010年代のエヴァ」と言うよりは、
> 「2010年代が思春期の世代にとってのエヴァ的に刺さった作品」という意味合いで。
> (とは言え、四半世紀後に劇場版が公開され、「卒業式」と評されるような事は無さそう)


「2010年代のエヴァ」というのは布教用の宣伝文句ですので。
俺ガイルとエヴァでは、そもそもファン人口が1桁くらい違いますし。
ですが、このワードによって管理人さんにも興味を持ってもらえたわけですし、布教戦略としては有効なワードだったのかな?

▼ ラノベ論?

> まあ元々、今の20代前半くらいの世代が、ちょうど中高生だった2010年代中盤、
> ラノベ原作の人気アニメは、「SAO・リゼロ・俺ガイル」がトップ3という印象でしたけど、
> 今回、その人気の理由みたいなモノは、少し掴めたかな?といった感じです。
> 異世界転生系や、俺TUEEE系の作品が量産される昨今、
> 読者(視聴者)を悦にさせる作風というのは、何だかんだで人気だと思うんですよ。
> でもトップ3の作品って、オタク層を喜ばせるような世界観を用意しつつも、
> 実は結構、主人公に厳しいというか、読者(視聴者)に対するメッセージ性がありそうな感じ。
> 俺ガイルは見てないので解りませんが、まさしくリゼロはそんな感じがしましたし、
> SAOは最初の数話しか見てませんけど、それっぽい気はしたんですよね。
> う〜ん、何というか、意外に甘やかしてくれない感じとでも言いますか、そんなイメージ(笑)。
> それこそエヴァから引用するなら、萌えとか、俺TUEEEとか、受け身ハーレムとか、
> 消費者を夢の世界に導こうとする作品が席巻した、2010年代の当時、
> 「逃げちゃダメだ」と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだったのかな?と。
> (俺TUEEE系も全否定はしてませんよ、「魔王学院の不適合者」とか意外に面白かったですし・笑)
>
> ただ、一昔前の作品を考えれば、それって別に珍しい事じゃありませんでしたけどね。
> それこそ戦後昭和な世界は、日本社会自体も右肩上がりの頃で、
> リアルの方もスポ根的なノリで、大体の物事は上手く行く時代でしたので、
> 娯楽作品の方でも、「友情・努力・勝利」みたいなジャンプ3原則が大手を振っていました。
> しかし、失われた平成の30年間を経て、日本社会が停滞から衰退の時代へと移りつつある昨今、
> 現実が厳しいからこそ、娯楽に現実逃避要素が求められる傾向もあるのでしょうから、
> 本来的なファンタジーとは意味の異なる、ご都合主義的なファンタジー要素が含まれるのは、
> 時代のニーズだと言えば、そうなんだと思うんですよね。
> それは何も娯楽コンテンツに限らず、ヤバい事に、リアルな政治や報道などに於いても・・・・
> ですけど、そんな中でも、そうした作品に人気が集まるなら、決して捨てたモノでも無いのかな?
> って、ちゃんと見たのはリゼロだけなのに、推測で物事を語り過ぎたかな?(笑)


「『逃げちゃダメだ』と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだった」というのは否だと思います。
一応3作品とも見ましたが、(SAO、俺ガイルは何度も読み返しており、リゼロはアニメを1度見ました)
これらの作品って、そもそも「友情・努力・勝利」みたいなジャンプ3原則とは、倫理観とか理想観が違って、岡田斗司夫の言葉を借りれば「自分の気持ち至上主義」なんですよね。
(多少ネタバレになりますが)例えば俺ガイルであれば、俺ガイルはハルヒの流れを継ぐ謎部活ものなんですが、最終的にこの話はその3人だけの部活の、主人公とダブルヒロインの友達関係をどう維持するのか?ということがテーマになっていきます。
それは何も特別な事情ではなく、もう高校2年の3学期で、高3になれば受験があり、そのあとはきっと大学別々のところに進学することになるよね、というだけの話です。
だから、この3人の関係性はもうそろそろ終わりだし、どう終わらせるか考えなきゃね、というだけなのですが、紆余曲折合った末の結論は「ずっとこのまま」なんです。
いや、これ本当にどうするんでしょうね。
大学3人で同じところに行くんですかね?まだ中学生ならそれもアリかもしれないし、俺ガイルがよくあるオタク・ファンタジーならばそういう結論もアリかもしれませんが、俺ガイルって徹底的にリアルなんですよ。
まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、同じ大学に行くくらい大したことないのかもしれませんが。
ソードアート・オンラインも、大勢の命を奪った大犯罪者の茅場明彦に非常に同情的なんですよ。
それもやはり、「彼がやりたかったんだから、しょうがないじゃん」という。
まあ簡単に言えば、80年代は努力・競争・勝利だった価値観が、現代は友達にやさしく(気持ちを分かってあげて)・自分の気持ちを大切に、という道徳観に変化しており、あくまでその道徳観の中の作品であると。
だから、SAOや俺ガイルでも主人公は壁にぶち当たるんですけど、それは「自分の気持ち」を守れない、という壁か、あるいは「自分の親しい誰かの気持ちを叶えてあげられない」という壁なんですよね。
そういう意味で甘やかしてくれない、というのは「自分の気持ちに妥協をするな」というメッセージですし、「親しい誰かのあきらめてしまった表情を、見て見ぬふりをするな」というメッセージになります。

追記
俺ガイルの作者が書いた上下巻完結のラノベに「どうでもいい、世界なんて」というラノベがあります。
ジャンルとしては異能力モノで、アンノウンという使徒みたいな怪物が表れて人類文明が一度崩壊しかけた世界で、異能力に目覚めた少年少女が戦うという、ここだけ見るとよくある設定なのですが、
このラノベでは、既にアンノウンという一度は人類文明を滅ぼしかけた怪物が、既に異能力に目覚めた少年少女にとっては雑魚になっており、それでも定期的に湧き出てくるアンノウンを少年少女たちがスコア目的に駆るだけのルーティーンになっているんですよね。
この日常となったアンノウン狩りで活躍するとスコアが貰え、高いスコアで卒業すると、その後の人生を国家に保証された特権階級として生きることができるのですが、主人公は持っている能力が使えねーということで、戦闘部隊から外され生産部隊に回されます。
その出向先(このラノベには出向という単語が出てきます)は、釣瓶朝顔というJKが生産課課長として仕切っており、部下たちに厳しいノルマを課しているのですが、
物語中盤で、釣瓶朝顔は「ほとんど戦闘課にしか与えられないスコアの査定基準を変えて、戦闘課で活躍できるような異能力に恵まれなった人たちでも、それ以外の部署で頑張れば一定のスコアが得られるようにしたい」という理想を持っており、
「そのために生産課でバンバン魅力的な商品を開発して、存在感を高めて、形骸化している選挙制度を利用して、初めての戦闘課出身ではない生徒として初の主席になって、理想を達成したい」と生産課の部下たちに告白するんですよね。
結局、この形骸化選挙制度を利用した合法的クーデターはあらぬところからの一撃で失敗に終わり、内戦やったうえで妥協政権が成立するのですが、
タイトルの通り、それでも主人公の態度は「どうでもいい、世界なんて」なんですよね。
この作者はテーマを深く掘り下げるためにアンチテーマを肯定するという手法をよく使うのですが、釣瓶朝顔ちゃんもこの物語では結局、アンチテーマ役でしかないんですよね。

> ちなみに余談ながら、リゼロのタイム・リープの系譜について脱線すると、
> 元々タイム・リープって、小説や映画では珍しくないネタではありましたが、
> それがオタク文化に根付いたのは、エロゲーが泣きゲー化した際、
> シナリオ分岐による複数のストーリーと、それに伴うイラストを、
> 効率良く味わって(収集して)もらう手法として、導入されたイメージですね。
> で、それを同人作品でサスペンス・ホラーと組み合わせたのが ひぐらし、
> それを家庭用ゲームに用い、後にアニメ化もされたのがシュタゲで、
> ひぐらしやシュタゲを、異世界転生モノとしてラノベ化したのがリゼロ、
> リゼロをマガジン伝統のヤンキー漫画化したのが、今年ヒットした東リベって印象。


俺ガイルも既に2シリーズほどシナリオ分岐(?)的なif展開を作者が書いてますね。

▼ マイクロソフト元社長

> それと、「マイクロソフト元社長」というキーワードを聞くと、
> その肩書き以外に、特に目立った功績を知らない、コメンテイターの成毛眞を思い出す(笑)。
> これが、初代社長の古川享とかであれば、人間的に面白い人でしたし、
> ビル・ゲイツの信任も厚くて、アメリカ本社の副社長まで兼ねてましたから、
> 「元社長」などという肩書きだけで、わざわざ語る事も無いかな?といった印象。
> オタク文化史的に言うと、マイクロソフトのゲーム機参入(X-BOX)にも関わってた人で、
> ゲーム機から撤退する「SEGA後継機としてのX-BOX」という構想が、もしも実現していたら、
> 日本のゲーム業界が歩む、その後の歴史も、少しは違ったのかな?とも妄想しますね。
> また、マイクロソフト日本法人の社長という経歴は、確か無かった気はしますが、
> アスキー創業者の1人であり、マイクロソフト草創期の中心メンバーだった西和彦も、
> マイクロソフト本社の副社長でしたけど、技術畑での実績や、経営者としての経歴があり、
> こちらも、元社長とか元副社長という肩書きだけでは、あまり語られないかな。
> 同じくオタク文化史的に言うと、画期的だったPCの共通規格「MSX」の生みの親ですし。
>
> と言いますか、ラノベ作品なのに、マイクロソフトとか実名で登場するんですか!?
> ラノベとは言え商業作品だと、その辺りは全て架空の企業名になりそうな気がしますが、
> 少し調べてみると、その作品の出版社はアスキー系列の電撃文庫ですし、
> 昔のアスキーは、マイクロソフトと深い関係にある企業でしたから、
> 今でも何らかの関係性が残ってるんですかねえ・・・・
> もしくは、あくまでも「元」なら、アスキーからマイクロソフトに移った人も多いので、
> そこから更にアスキーへと出戻り、自らの武勇伝を作中で代弁させている可能性も?(笑)
> まあ、作品制作の為の取材協力って事でしたら、その辺りは容易にアポが取れそうですし。


すみません、元マイクロソフト社長というのは、話を分かりやすくするための表現であり、実際は実名ではなかったと思います。

▼ 「教養としての10年代アニメ」

> P.S.
> 今回は2010年代アニメの話も多かったので、ついでに聞いてしまいますが、
> 「教養としての10年代アニメ」って、旧トルコ担当さんは既に読まれました?
> https://www.amazon.co.jp/dp/459115338X
> https://www.amazon.co.jp/dp/4591158322
>
> 近畿大学の名物講義が、こうして書籍化されてたのは知ってましたけど、
> 「受講条件は週20本の深夜アニメ視聴」などという謳い文句(笑)を見て、
> 個人的に2010年代は、ほとんどアニメを見ていなかった事もあり、
> 今まで読んでは来なかったのですが、今回こうして2010年代アニメを話題にしましたし、
> 実際に見てない作品が多くても、読んでみる価値がある本なのかなぁ?と。
> 特に第1巻では、まどマギやSAOと並び、俺ガイルにも1章が割かれてましたので。


読んでないですね。読む予定もないです。
そもそも、こういう本を読む時間があれば1本でも10年代アニメを見た方がよいと思いますし、まあしょせんは学術系の人間だろ?と。
彼らは経済のこととか、社会のことを語っていればいいのに、なぜわざわざ自身の専門領域から出てきて、アニメの話をしてしまうのか。
餅屋は餅屋、アニメの話はオタクに任せとけばいいと思うんですよね。
というのが半分、もう半分は、この手の作品の解釈論の本を読むと、自分で作品の解釈をしなくなってしまうので、あえて読まないという意味もありますね。
せっかく自分でオリジナルな作品解釈を作り上げてる最中なのに、完成品を持ってきてしまえば自分の解釈作業がそこで終わってしまいますので。
それこそ、この手の本を読めば質は高いのでしょうが、各オタクごとに存在した偏見交じりのオリジナルな解釈が失われてしまうという話は、本題である文化の幅が失われている、という話と直結するかと?
自分も、なんだかんだで岡田斗司夫の二番煎じしか言えてない、みたいな部分は自覚していますので。
まあ社会論は岡田斗司夫の二番煎じでもよいのですが、さすがにオタクを自称している以上、アニメくらいは自分のオリジナル解釈があってもよいと思うんですよね。

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