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[23778] Re12:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/11/30 (火) 22:40:59 徳翁導誉

> > すみません。
> > 前回、投稿直前の新着記事を見落としていた為、
> > 返信が1週間遅くなってしまいました。

> こちらも、1週間間を空けてしまいすみません。
> 時間かけて文章を練ろうと思ったのですが、時間かかても特によくならないというw

でも、練ろうとした行為は、外部出力として上手く纏まらなかったとしても、
脳の内部処理としては良い刺激になっているはずで、
そうした「脳の筋トレ」みたいな事を続けていくのは、
その時には小さな変化に気付かなくても、後々に好影響を及ぼすかも?
また、もうオッサンの時間感覚だと、週1も、月1も、そんな大差が無いので、
返信に関しては、旧トルコ担当さんの好きなペースでOKですよ。
それに、そもそも雑談ですからね(笑)。


> 前回は、管理人さんが「かつては、恋愛レベルの新しい文化がドンドン登場していたが、現在はそうではない」
> というようなことを言っているのかと思っての書き込みでしたが、私の誤解でした。すみません。

まあ、私の長文癖だと、詳しく説明しようと長文化する事で、
却って本旨を、しっかり理解して貰えないケースが、まま有りますからねえ(苦笑)。
なので、別に気にしてませんよ。

> 人間は情報の7割を視覚から得ているなんていいますし、
> 自分の見た目を変えられるVRであれば、自分は○○である、という自意識を変えることが可能になると。

数値が一人歩きしている感はありますが、カリフォルニア大学の研究によると、
脳がインプットする情報量は、「視覚83%・聴覚11%・嗅覚3.5%・触覚1.5%・味覚1%」なのだとか。
また、聞いた話によると、脳が認識している視覚情報というのは、
目からの直接的なインプット情報が1割ほどで、残る9割は脳内補正された情報らしいです。
実際、寝ている時に見る夢などは、目からの直接的な情報はゼロなのに、
それでも鮮明な映像として見られるのは、如何に脳の働きが大きいかを表していると。
極端な話をすれば、私たちは目で見る以上に、脳で見ている訳ですね!!
(そして、直接 脳に見せる映像技術も、遠くない未来に実現しそう)

そういう意味では、ファミコン時代のドット画でも、当時の子供たちが熱狂できたのは、
映像的な刺激よりも、脳内妄想を掻き立てさせるトリガーとしての刺激が強かった為です。
で、これを逆に捉えると、どれほどグラフィックスが美麗に進歩しても、
それはあくまで、わずか1割程度しかない部分の向上であって、
その部分だけに囚われ、却って脳内トリップさせる要素が減じてしまうようだと、
結果的に、「映像は凄いけど、興奮できない」作品になってしまう事も・・・・

そういう意味では、没入感の高いVRって、トリップさせる道具としては、
従来の平面モニターよりは、格段に優れていると思いますし、
現在では大型ビジョン一辺倒の4K・8K技術も、実はVRゴーグルに活路がある気がしますが、
まあ、それはさておき、どんない優れていても、道具は道具なんですよね。
つまりは、VRゴーグルを使わせる事で、満足してしまう作品ではなく、
VRゴーグルという手段を用いて、如何に満足させる作品が作れるか?であると。
例えば映画の3Dや4DXにしても、結局は「用いるだけ」の作品ばかりなので、
費用対効果の面からも、特に邦画では下火になってしまった印象があります。

> それは別にVR以前にもインターネットの出現で起こったことではあります。
> 現に、大学生に過ぎない私が、私の2倍か3倍の年齢の管理人さんと対等(?)に話せているのも、
> 掲示板という文字のみのコミュニケーションだからですし。

いやいや3倍も上なら、還暦になっちゃいますけど!?(苦笑)
そこまで上だったら、自称もオッサンではなく、ジジイとしてるでしょうし、
実際には、2倍前後ですよ。
まあ、それでも充分に上の年齢ですし、
このサイトが21歳なので、サイトより年下の方も居るでしょうね。

その一方で、古参の方の中には、私よりも年上の人も居ますし、
そもそもサイト開設当時から、上は還暦過ぎから、下は小学生まで居て、
おっしゃられる通り、そうした年代の幅広さは、ネットを始めた当時、
学年主義の日本においては特に、「ネットならでは」の空間を認識させられました。
また、北は北海道から、南は沖縄まで・・・どころか、
一時期は、アジア・アメリカ・ヨーロッパからのゲーム参加者などもいて、
時には英語や中国語まで、プレイヤー間で飛び交ってましたから、
そうした地理的な広さもまた、ネット以前に比べて、衝撃ではありましたね。

あと、「文字のみのコミュニケーションだから」という面では、
しっかりとした中学生も居れば、身勝手なオッサンも居てと、
年功序列な日本において、「実年齢よりも精神年齢」の重要さを、
デジタルなネットの世界だからこそ、まざまざと感じさせられたかな?(笑)
そこはサイト管理者なので、いろいろとトラブル処理する事も多かったですし、
恐らく一般的なネット・ユーザーよりも、如実に実感していると思います。

> ねほりんぱほりんのバ美肉の回では、それまでおっさんだった人がVTuberで美少女になって皆にちやほやされていると、
> おっさんでも少女の心を持つようになる、という話が紹介されていました。
> その元おっさんVTuberの配信中に少しスカートの中が見えそうになって、
> 視聴者が「見え」なんてコメントすると、おっさんは「私のこと、そんな目で見ていたの」という風に、
> 性的な視線で見られたことに対して(おっさんなのに)嫌悪感を示すと。

あれは、ねほりんぱほりんの中でも、神回の1つでしたし、
だからこそ印象的だったのか、岡田斗司夫の切り抜き動画でも、
まさしく、その回の話が出てましたよね。
変身願望を叶えるという意味では、これほど手軽なツールというのは、
今までは、なかなか無かったとも言えますし。

ただ一方で、これで得られるのは、あくまでも疑似体験ですし、
多くの場合、演じる側も、一時の戯れとして楽しんでいる範疇の話であって、
例えば、これをキッカケに、本気で性転換を望むような人は皆無だと思うんですよ。
(もともと性同一性障害の人が、ヴァーチャルに性を取り戻すケースは別として)
だからこそ、この件に関しては、リビドーがどうのとか、そういう話してた訳です。
娯楽としての変身や匿名性というのは、昔から多くあった行為ですし、
それがデジタル化したり、ヴァーチャル性が増したという以上の事は、特に感じられなかったので。
やはり我々はリアルな身体に持つ為に、どうしても精神性も縛られるモノですし、
現状のヴァーチャル技術では、そこを切り離して変質させるレベルにまでは、未だ達せておらず、
それ故に、そこで得られる新しさというのは、自ずと限界がある・・・という話を今までしていたと。

> それは逆に言えば、ちょっとグロテスクなことに興味のある普通の人が、
> VRで殺人ゲームをしているうちに、感覚がマヒしていって、
> 最終的にリアルで殺人を犯す、ということになってしまうわけですが。

う〜ん、こうしたケースは皆無では無いのでしょうけど、
実際に、どれくらい起こり得るかとなると・・・・
このレベルの話を認めてしまうと、
「アニメやゲームの所為で、殺人やレイプを起こす人が!」という意見を、
全く否定できなくなりますよねえ?

> ただどちらにせよ、今まで他人とのコミュニケーションは自分の容姿であったり、
> 年齢であったり、社会的地位だったりに、どうしても左右されていたものが、
> そこから完全に自由になる、というのは結構新しい変化になると思うんですよね。

いや〜、それもちょっと微妙かなぁ・・・・
結局の所、他人との関係を築いていく上で、コミュニケーション能力というのは、
容姿よりも、年齢よりも、地位よりも、圧倒的なパワーを発揮すると思いますし(笑)。

まあ確かに、それらの要素が大なり小なり、関係性を左右させる事もあるでしょうけど、
ヴァーチャル空間で無ければ、それを切り離せないかとなると、そうでも無い気はします。
例えば大人なら、飲み屋であったり、雀荘であったり、町内会やPTAであったり、
子供でも、塾であったり、スポーツ・クラブであったり、趣味の場であったりで、
会社や学校、家庭での関係とは、また異なった関係を作れる場は、普通にありますからねえ。
もちろん、その中でもネット空間というのは、特に手軽で付加要素も少ないとは思いますが、
デジタルであるが故に、リアルと違って欠落する要素もありますから、
そこまで「新しい変化」をもたらすかとなると・・・・
って、これも結局は、その「新しさ」を、どの程度に見積もるかの違いなんでしょうけどね。

> 今の社会でも、大学生が私服で受ける大学の講義は学生はだらっとしていますが、
> スーツを着ると突然ビシッとしますからね。

と言う事は、スーツで授業を受けるようになれば、大学の講義もビシッとなるのかな?
高校生は制服を着ていますが、必ずしも、そうでは無い気がしますけど(苦笑)。
まあ最初の内は、そうした部分もあるとは思いますけど、
一度慣れてしまえば、ビシッとした状態なんて続かないでしょうし、
見も蓋もない事を言うと、ビシッとすべき場だから、ビシッとするだけな感じも。

> 葬式には皆が黒い服を着ていくことで、その場の雰囲気が出るわけですし。
「葬式って初めていくと意外とみんな明るくてビックリする」
銀魂・第231話 サブタイより(笑)

という事で、旧トルコ担当さんって今までに、どのくらい葬式に出られてます?
まだ若いと、なかなか機会も少ないでしょうから、意外に思われるかも知れませんが、
早世や急逝で無ければ、同窓会や宴会みたいな雰囲気になる事も多いんですよ、葬式って(笑)。
それに、地方によっても違いますけど、
しっかりした服装だと、その人が死ぬのを待っていた意味になりかねない為、
告別式はまだしも、お通夜に関しては、平服で行く所も珍しくはありませんね。
それに男の人の場合、スーツも、学生服も、どのみち黒系統が多いですし、
葬式は服装がどうこうよりも、遺族の振る舞いが、雰囲気を作る所はあるかな?

> と思っていたら、そういうのは「メタバース」っていうんですね。
> https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211122/k10013357101000.html?utm_int=detail_contents_tokushu_003

GAFAの一角であるFacebookが、社名を「Meta」と変更したのを機に、再び盛り上がってる話題ですよね。
ただ、この「再び」というのが、実はミソでして、
20年近く前にあった、「セカンド・ライフ」の狂騒を覚えていると、
盛り上がり的には、あの時と比べるまでも無いほど小さいですし、
技術面は向上していますが、それ以外に飛躍的な発展があったかとなると・・・・
正直、Facebookが一枚噛んでいるから、話題になってる側面が強い気がしますし、
デジタル・アートの世界でも、資産価値として「NFT」という概念が普及しつつあるのは確かですが、
ああしたモノが、一定以上の人数が集まる世界でも成り立つかとなると、私は懐疑的ですかね?

もちろん、仮想世界で過ごす快適性が、今後も上がり続ければ、
それを満喫するユーザーの数というのも、確実に増えていくとは思うのですが、
上でも少し触れたように、我々にはリアルな身体がある以上、
ヴァーチャル空間というのは、あくまでもヴァーチャルの枠組みを超えられないんです。
言い方を換えるなら、リアルの持つ強味に、ヴァーチャルはなかなか勝てないと・・・・
セカンド・ライフ失敗の原因は、いろいろと語られているとは思うのですが、
身も蓋もない事を言ってしまえば、現実逃避した先のヴァーチャル空間よりも、
何だかんだ言って、現実社会の方が楽しいんですよ(苦笑)。

「格差社会」という言葉が広がり始めた当時、
ヴァーチャル空間で第2の人生を送るというコンセプトは、
良い悪いは別として、非常に有望な新フィールドだと見なされていましたが、
現実には、自分の世界からは距離のあるリアルが、ヴァーチャル化したとでも言いますか、
解りやすく言いますと、ヘイトやバッシングやリンチが娯楽化した印象なんですよね。
それまでは、例えば時代劇のように、作り物の世界で溜飲を下げていたのが、
標的となるターゲットが指定されると、傍観的なテレビ視聴者から、
安全な位置(と思い込んでる所)から、実際に自分も参加できるアトラクションが生まれたと。
リアルに存在するけど、縁遠くて実感は伴わない人物に対して、追い落とす快楽を得られて、
そうした自身の行為を正当化する情報は、ネットの海に溢れており、
同じ思考をする仲間が集められた仮想的なバブルの中で、それを現実だと誤解する。
リアルな社会で報われないからと、ヴァーチャルな世界で努力するよりも、
ヴァーチャル感覚で、リアルな人間を追い落とす方が、ずっと手軽で快楽も大きいですし、
ヴァーチャルな世界だって大きくなれば、リアル世界の経済力がモノを言う事になるはずです。

で、メタバースの可能性となると、サークル規模の人数であったり、リモートの延長であったり、
そのくらいが関の山で、そこまで大きな世界には育たない気がするんですよね、個人的には。
それこそ、身体性を切り離せるくらい、リアルな感覚のヴァーチャル技術が生まれれば別ですけど、
逆に言えば、そこまで技術的に進歩した場合、敢えてデジタルに人間関係を結ぶ必要性があるのか?と。
まあ、この話題に関しては、この後に続きます。

> なんだかんだで、人間の最大の文化って他人との会話だと思いますし、
> それが根本的に変わるとすれば、かなり巨大な変化になるんじゃないでしょうか。

会話を始め、「コミュニケーションこそが最大の娯楽」というのは、
古今東西を問わず、普遍的な真理ではありますよね。

ただ一方で、今までだとコミュニケーションというのは、対人でなければ不可能なモノでしたが、
AIやロボットやVRが進歩すれば、その限りでは無くなる可能性も出てくる訳で、
もしそうなれば、それこそ「巨大な変化」なのかな?
それこそ、コンピューターの知性を計るチューリング・テストのように、
文字だけの会話や、音声だけの会話、実写ではないCG映像での会話などで、
仮に画面の向こうの相手が、人間ではなくAIだったとして、その事に会話相手が気が付かなければ、
別に対人でなくても、コミュニケーションの満足感は変わらず得られると思うんです!!
例えば今でも、SNSの承認欲求くらいであれば、いいねボタンを押して、適当なコメントを付ければ、
それを行ったのが人間ではなくAIであっても、知らなければ満足感は同じだろうと(苦笑)。

また、対人のコミュニケーションの場合は、
それを成り立たせるにも、相手への気遣いが必要になりますが、
そうした気遣いは、基本的には利益ではなく、必要経費的な損失であって、
非対人コミュニケーションであれば、そうした負担は背負わずに、
コミュニケーションで得られる快楽さえ貰えれば良いと考えれば、
相手は人間でもAIでも構わなかったり、却ってAIの方が良いなんてケース・・・・
それこそ、リアル恋愛に伴う煩わしさを思うと、手軽な疑似恋愛が良い事もあり、
そうした需要が高まれば、これまたビジネスとして成り立ちますからねえ。
しかもAIであれば、最も費用が嵩む人件費も不要ですし(笑)、
ビッグ・データによって、個々人に最適化されたサービスを受けられるかも?
そう考えれば、巨大なビジネス・チャンスが転がっている市場とも言えそうな気がします。
まあ個人的には、ディストピアな印象は拭えませんけどね(苦笑)。
同じ「もうリアルの恋愛はいいや」でも、VR越しの対人と、AI相手とでは、また次元が違うので。
言うなれば、一線を越えてしまった「ラブプラス」なのかな?


> > > > > ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。
> > > > > 1位 響け!ユーフォニアム
> > > > > 2位 言の葉の庭
> > > > > 3位 夏雪のランデブー
> > > > > 4位 月がきれい

> > > > まずは、オススメありがとうございます。
> > > > で、開口一番ですけど、俺ガイルは入ってこないタイプの作品なのでしょうか?
> > > > と言いますか、この3作に俺ガイルの1期・2期も加えて、
> > > > おおよそ2013年前後に、オススメの作品が集中してません!?
> > > > これってつまり、この頃が、旧トルコ担当さんにとっての、アニメ激熱期だったって事なのかな?

> > > 作品が2013年に偏っているのは偶然です。リアタイではほとんど見ないので。

> > という事は、2013年頃の流行というか作風が、
> > 旧トルコ担当さんの好みに、合っていたという感じですかねえ?
> > となると、そういった系列の作品が、旧トルコ担当さんの好みであり、
> > 「オススメできる」ではなく、「オススメしたい」って感じなのかなぁ?と。

> いやぁ、自分の一番好きな作品を他人に宣言するのって、恥ずかしくないですかね?
> 他のオタクの人はどうなのでしょうか?

特定分野への好きが高まり過ぎ、隙あらば漏れ出すのがオタクというモノであり、
「自分の好きを語らずして、何がオタクか!?」という思い込みがあった為、
関係性が薄い一般人が相手ならまだしも、これだけ話を重ねてきた上で、
「好きを宣言するのが恥ずかしい」という反応が返ってくるとは、正直 想定外でした(笑)。

それに、そんな事を言われてしまうと、既に前回の雑談スレッドの段階で、
「私の好きなアニメTOP3」0↓とか貼ってる私が、まるで恥知らずな感じにも(苦笑)。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23598#23598
> > ちなみに、5年前の雑談時に書いた、私の好きなアニメ・ランキングはこんな感じ↓
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20466#20466
> > ただ、このコロナ禍で、結構な作品数を一気見しましたから、
> > 今だと近年の作品も加わり、もう少しランキングも変わってくるのかな?
> > 当時と現在とで、微妙に評価が変動した作品だってあるでしょうし。

ちなみに その後の視聴で、「シュタゲ」が20位以内、「Dr.STONE」が30位以内、
「ゴールデンカムイ・ぼくらの・リゼロ」が40位以内、「弱ペダ」が50位以内に入った感じ。
でもまあ、少なくとも「自分の嫌い」を語るよりは健全かな?と思ってますけどね。

そもそも「オタク」という言葉の語源自体、
「オタクはどうなの?」というような、2人称から来ており、
となれば当然、「対話」や「主張」が大前提になる訳ですからねえ。
その一方で、マイノリティーな趣味で在ればこそ、なかなか語る機会を得られず、
逆に一度機会を得れば、空気も読めずに多弁となりがちなのが、
ステレオタイプとしての、オタクのイメージな訳ですし(笑)、
そう思うと、機会があるなら、語ってナンボの人種な気はしますけどね、個人的に。

ただ、恥ずかしいと考えられてるとは、露にも想定していなかった為、
その点に関しては、配慮を欠いていた事を謝罪いたします。
申し訳ありませんでした・・・・

> もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、
> オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
> 世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
80年代のオタク作品だから、今みたいに上手く隠せていないと言うか、
「周りから白眼視されても、素直に好きだと言えるヤツだけ付いてこい」みたいな感じが、
あの当時の作品だからこそ、却って溢れているとでも言いますか・・・・
「オマエら、こんなの好きだろ!」って感じの、開き直った てんこ盛りで、
言うなれば、変にカモフラージュせず、オタク的な欲望を剥き出しにしている所が、
今のオタク世代からすると、気恥ずかしく感じさせるというか、そんな具合なんですかねえ?

でも、今の時代はオタクを公言しても恥ずかしくないとする一方で、
オタク丸出しな作品は、自分で見ても恥ずかしく感じるというのは、
何だか面白いというか、実に興味深い指摘ですね!!
そうか〜、一般人はまだしも、今やオタクが見ても、恥ずかしく感じるのかぁ・・・・
こうなると、どの辺りのラインまで来れば、これが恥ずかしく感じなくなるのかも、
ちょっと興味が湧いてきてしまいました(笑)。
となると、90年代の「機動戦艦ナデシコ」とか、どうなんでしょ?
同じ90年代でも、「真ゲッターロボ」みたいな振り方の作品なら、大丈夫ですよねえ?
って、そもそもナデシコや真ゲッターを視聴済みかどうかも、解らない所ではありますが。

> おススメできるアニメランキングは、私の好きなアニメの中から
> (1)好きな作品と宣言して恥ずかしくないもの
> (2)個人的に好きなだけでなく、客観的にクオリティが高いもの
> (3)アニメ版が一番良いもの(漫画原作アニメで、原作漫画の方が出来が良いものなどは除外)
> という3つのフィルターをかけて、作成したランキングになります。
> そしていざそれを作ってみると、案外数が残らなかったという。
> 逆にそれだけ選んだ作品なので、おススメ度はどれも高く、
> どの作品を見るか?という参考には十分なるという自信はあるのですが。

となると、1位のユーフォニアムなんて、特にオススメという事ですか。
同じ京アニで、女子高生の音楽モノとなると、既に「けいおん」があったので、
あそこからキャラを増やし、ストーリーにも重みを加えたとは言え、
実を言うと、そこまで食指が動くタイトルでは無かったんですよねえ・・・・
また、これも別物なんでしょうけど、「ラブライブ」とか人気が高かったものの、
個人的には正直イマイチな感じでしたし(スノハレの演出は凄いなと感心しましたけど)、
ストーリー系で音楽モノとなると、「のだめ」という高い壁がありますので。

> 私は中学生の時に源氏物語を読んで以来、ずっと恋愛ものは好きですからね。
源氏物語かぁ・・・
気にはなるけど、読んでないなぁ・・・・
何となく粗筋は把握しているものの、漫画「あさきゆめみし」すら読んでませんね。
ちなみに旧トルコ担当さんは、誰の現代訳版で読まれたんですか?
それとも、まさかの岩波や角川あたりの原文版?

と、こうした何気無い「好き」の一言からも、話題というのは広がっていきますし、
逆に言うと、だからこそ、私も余計な補足情報とか書き加えてる面はあります(笑)。

> ただ、それが相手の好みの合うかはわかりませんし、あくまで「参考」ということで。
今期の覇権アニメは、再放送中の「カブトボーグ」という好みです。
一応、参考までに(苦笑)。

って、今の時代は新作が溢れすぎてて、とにかく数をこなす傾向が高まってますけど、
私なんて古い世代ですから、好きな作品だと平気で何周もしちゃうんですよね。
まあ、私ですら そんな感じなので、これがオタクともなれば深堀りなど当たり前で、
だからこそ、今の人から見ると、昔のオタクの方が濃い印象になるのかも?
そもそも当時は作品数自体が限られていたので、大量の中から厳選する作業も要らず、
好きを突き詰めようとすると、自ずと深堀りになるような時代でしたから。

> > > > って、旧トルコ担当さんは以前、岡田斗司夫のガンダム全話解説について触れられてましたし、
> > > > オタクを称される以上、ファースト・ガンダムは当然 押さえているだろうと思ったものの、
> > > > これまでの「オタクの定義」の相違を踏まえると、必ずしも、そうとは言い切れないのかな?

> > > ガンダムは一応見てますよ。
> > > 世代ではないですが、ヤマト、ガンダム、エヴァ、ハルヒは一応抑えています。マクロスは見てないですが。

> > おお、なるほど!!
> > でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
> > 旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。

> うーん、この辺はどうなんでしょうね。
> 確かに、オタク史的に名作とされるアニメを見ることは価値もありますが、
> やりすぎれば結局、流行りものを追っかけているJKと変わらないと思うんですよね。
> いや、流行りものを追っかけること自体は別に好きにやればいいと思うのですが、
> 周囲に流されて自分で判断しない姿勢というのは、オタクとは呼べないと思うんですよね。

まあ私としても別に、「あれも、これも」と言っている訳ではなく、
例えばオタク文化に限らず、あらゆる分野においても、
「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」
みたいなモノは、いくつか在ったりしますからねえ。
そういうレベルでの話ですね、この前の話は。
で、少なくともガンダムというのは、アニオタを称するなら押さえておくべき古典だろうと。
ただ、これに関しても、全話隈無く押さえろと言うよりは、
総集編くらい見て、大体の基本情報とかは押さえておこう程度の感覚ですね。

> ふと気になって調べてみたところ、
> エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
> そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

でも、単純に人口比の数字だけで言うのであれば、
今から20年後に劇場公開して、470万人(シン・エヴァの7割)を動員できる作品が、
2010年代アニメの中に、果たして在るのか?って事でもありますよね。
以前にも少し書きましたが、秋葉原が電気街から「オタクの街」に変えたのは、
エヴァの存在が非常に大きかった訳で、あのクラスの作品はなかなか無いですよ。

> まあ、私の独断と偏見で言わせれば「オタクとは自分の好きなものを突き詰める人間」なのであって、
> 何も昔の名作アニメを履修する必要性はないと思っているんですよね。

う〜ん、単に「大好き」ってだけであれば、そこまでする必要性は無いでしょうけど、
「突き詰める」という部分まで加わってくると、外せない古典を押さえる必要は出てきそうですし、
そうした義務感が無くても、「面白い作品があるなら、古くても気にしない」とか、
自らの好きを体系化していけば、どうしたって歴史(過去作)に至るのは必然だと思うんですよ。
それは何もアニメに限らず、映画であれ、小説であれ、絵画であれ、音楽であれ。
なので、「自分は2010年代アニメのオタクだ」と、範囲を限定とかしない限りは、
やはり、押さえておくべき作品というのは、幾らか存在するモノだと私は思います。

だって例えば、オタク同士で語り合う場合に、
一般人とは異なる、オタク同士ならでは共通認識は当然ある訳で、
その段階で、オタク的には一般教養的な知識を、実は知らないとなれば、
相手側からすれば「えっ!?」ってなるでしょうし、一旦そうなってしまえば、
「オタク同士の会話」という大前提が、そもそも崩れて仕舞いかねません。
で、そうなった場合、相手から「本当にオタクなの?」と疑われても致し方ないかも知れず、
そうした不信を覆すには、それを上回る別の何かを見せる必要が出てきますからねえ。

言うなれば、ファンと ほぼ同義語と化した、現代のオタクの定義ではなく、
昔ながらのオタクの定義で行くならば、オタクとは自称ではなく他称なので、
自分でオタクと思う以上に、相手側からオタクと思われてこそ、やはりオタクと言えるものかと。
例えば今回の話でも、ここまで来て、もしも「実はエヴァって見た事ない」と言われたら、
私だって、気持ち的に ずっこけるでしょうし(笑)。

> あと、中国のオタク文化に期待を寄せているのも、結局は人口問題があるからだったりします。
まあ時代が違うので、中国から手塚治虫や宮本茂が現れるのは難しい気がしますが、
それでも、現在の良作レベルの作品であれば、そのうち中国でも多く生まれる気がします。
そもそも中国自体は、数千年に及ぶ文化先進国であった訳で、
アニメやゲームといった、比較的に新しい文化であっても、
それを嗜む人口が増えれば、自然と作品だって充実してくるはずであり、
このまま成長を続けていけば、あとは時間の問題な感じがします。
例えば現代アートの世界なんて、今では日本よりも中国の方が完全にリードしてますし、
また、産業面から見ると、中国政府としても、国産育成に力を注いでいますからねえ。

ただし、これも繰り返しになりますけど、
欧米人からすれば、日本風味も、中国風味も、それほど違いは感じないでしょうけど、
私たちは日本人である以上、他の人々より、違いに敏感に反応してしまう訳で、
日本の作品が国際競争に負け、衰退していくような事があると、正直厳しい所だと・・・・

> > また、「俺ガイルに興味がある」と言うよりは、
> > 旧トルコ担当さんが「2010年代のエヴァ」と言った、理由の方に関心があったので、

> 「2010年代のエヴァ」というのは布教用の宣伝文句ですので。
> 俺ガイルとエヴァでは、そもそもファン人口が1桁くらい違いますし。
> ですが、このワードによって管理人さんにも興味を持ってもらえたわけですし、
> 布教戦略としては有効なワードだったのかな?

いや〜、それで結局、誇大広告だと感じられれば、却って反感を生む訳ですし、
最初に、期待値のハードルを上げてしまうと、合格点も上がってしまうので、
期待させずに見せて「面白かったよ!」と言わせるのが、最良の宣伝方法かと(笑)。

でもまあ、わざわざ録画ディスクは探し出した訳ですし、
原作ラノベの方を読む事は、まず無いと思うので、
「気が向いた時に見られれば」って感じですね、現状だと。
とりあえず早くても、年明けの視聴にはなるのかな?
前回も少し書きましたけど、年内で配信期限を迎える未見作品が多いので(苦笑)。
(って、それらの多くも、本放送時に録画してはありますから、いつでも見られるのですが)


> > まあ元々、今の20代前半くらいの世代が、ちょうど中高生だった2010年代中盤、
> > ラノベ原作の人気アニメは、「SAO・リゼロ・俺ガイル」がトップ3という印象でしたけど、
> > 今回、その人気の理由みたいなモノは、少し掴めたかな?といった感じです。
> > 異世界転生系や、俺TUEEE系の作品が量産される昨今、
> > 読者(視聴者)を悦にさせる作風というのは、何だかんだで人気だと思うんですよ。
> > でもトップ3の作品って、オタク層を喜ばせるような世界観を用意しつつも、
> > 実は結構、主人公に厳しいというか、読者(視聴者)に対するメッセージ性がありそうな感じ。
> > う〜ん、何というか、意外に甘やかしてくれない感じとでも言いますか、そんなイメージ(笑)。
> > それこそエヴァから引用するなら、萌えとか、俺TUEEEとか、受け身ハーレムとか、
> > 消費者を夢の世界に導こうとする作品が席巻した、2010年代の当時、
> > 「逃げちゃダメだ」と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだったのかな?と。
> > (俺TUEEE系も全否定はしてませんよ、「魔王学院の不適合者」とか意外に面白かったですし・笑)
> > って、ちゃんと見たのはリゼロだけなのに、推測で物事を語り過ぎたかな?(笑)

> 「『逃げちゃダメだ』と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだった」というのは否だと思います。
> 一応3作品とも見ましたが、(SAO、俺ガイルは何度も読み返しており、リゼロはアニメを1度見ました)

まあ別に私としても、「俺ガイルは2010年代のエヴァ」という所から、
無理矢理に引っ張ってきただけの話なので、そこまで本気で言ってる訳では無いかな?(笑)

ただ、リゼロに関して言うと、18話の自己否定シーンとか、
2期の前半にあった転生前の回想シーンとかって、視聴者的にどうなんだろう?と感じたのは事実。
あとは、視聴前から、異常なレム人気の高さは把握してましたけど、
実際に1期を見て、完全にメイン・ヒロインを喰ってるなと実感した反面(笑)、
よ〜く見ると、思いっ切り男の尻を叩くタイプのキャラなので、
そこまで含めての人気なのか? そこを見ないでの人気なのか? そこは謎として残ったかな。

> これらの作品って、そもそも「友情・努力・勝利」みたいなジャンプ3原則とは、
> 倫理観とか理想観が違って、岡田斗司夫の言葉を借りれば「自分の気持ち至上主義」なんですよね。

よく読んでもらえれば解ると思いますけど、
その3作品がジャンプ3原則的だなんて、私自身も全く言っていませんし、
そもそも、引き合い元となったエヴァ自体が、別にジャンプ的な作品では無いでしょ!?

> (多少ネタバレになりますが)例えば俺ガイルであれば、俺ガイルはハルヒの流れを継ぐ謎部活ものなんですが、
> 最終的にこの話はその3人だけの部活の、主人公とダブルヒロインの友達関係をどう維持するのか?
> ということがテーマになっていきます。

何とな〜くですが、俺ガイルのストーリーは把握しているんですよ。
と言いますか、「はがない」に似た感じを受けたので、今まで見なかった主な要因かも?
いや勿論、別の作品ですから、異なる部分なんて山のようにあるのは解っていますけど、
私自身の嗜好として、ラブコメはOKでも、「ハーレム系は苦手」という事情があるので・・・・

まあ今時のアニメって、美少女キャラが多数登場する作品なんて一般的ですし、
どの辺りからハーレム系と見なすかは、個々人によっても違ってくるのでしょうけど、
最近で言うと、「五等分の花嫁」の人気がやたらと高い事は把握していた為、
その理由を知りたくて2期まで視聴したものの、ストーリー的に動き出したのは2期の後半で、
正直な所、そこまではかなりの苦行だったんですよねえ(苦笑)。
なので、その苦手を上回る何かが無い限り、似た系統はそんなに要らない感じがありました。

> だから、この3人の関係性はもうそろそろ終わりだし、どう終わらせるか考えなきゃね、
> というだけなのですが、紆余曲折合った末の結論は「ずっとこのまま」なんです。
> いや、これ本当にどうするんでしょうね。

え〜と、これはエンドを考えさせる事で、私に興味を持たせようという手法なのか?
それとも、本当に未決着エンドだったのか? どちらの意味の文章なんでしょう(笑)。
でも、ifルートがあるという事は、前者の意味合いなんですかねえ。

> 大学3人で同じところに行くんですかね?まだ中学生ならそれもアリかもしれないし、
> 俺ガイルがよくあるオタク・ファンタジーならばそういう結論もアリかもしれませんが、
> 俺ガイルって徹底的にリアルなんですよ。

う〜ん、同じ大学に行くのも、ファンタジー扱いなんですかぁ・・・・
まあ、地方であったり、学区制が厳しい県だったりすると、選択の幅が狭く、
同じ中学から、同じ高校に進む人数も、結構多かったりするのですが、
しかし一方で都会の高校ですと、選択肢が多すぎて、結構バラけるんですよねえ。

それに高校だと、似た様な学力の生徒が集まりますから、
特に進学校とかだと、同じ高校から数十人も同じ大学に行く事が珍しくない反面、
単に同じ地域の住民という集まりの公立中学では、なかなか高校が一緒にならない事も。
だって高校って、1学年あたり200〜300人って所でしょうけど、
大学だと1学年1万人を超える所もあり、学部や学科を問わなければ、意外と被りますよ。

また、地方から東京に上京する場合なら、「同じ大学に行く」だけでなく、
「一緒に東京に行く」というだけでも、繋がりは続きますからねえ。
同棲とか、ルーム・シェアとかまで行かずとも、互いに近所に住むだけで、
知り合いも居ない土地で暮らすなら、関係性がより深まっても おかしくないですし。

> まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、
> 法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、

一応、念の為に言っておくと、私の中にある「有り得る基準」って、
身近な件だと1割、実例という意味では1%が最低ラインなので、
こういうケースがあるのは知ってますけど、これをリアルだとは感じませんよ(笑)。
2股、3股なんて例ならまだしも、リアル・ハーレム婚は日本だと希少例すぎますから。
とは言え、これが洗脳や調教を扱った話題であれば、その限りではありませんけどね。
例えば、漫画だと「奴隷日記」とかは、ある程度のリアリティーを感じましたし。

> > ちなみに余談ながら、リゼロのタイム・リープの系譜について脱線すると、
> > 元々タイム・リープって、小説や映画では珍しくないネタではありましたが、
> > それがオタク文化に根付いたのは、エロゲーが泣きゲー化した際、
> > シナリオ分岐による複数のストーリーと、それに伴うイラストを、
> > 効率良く味わって(収集して)もらう手法として、導入されたイメージですね。
> > で、それを同人作品でサスペンス・ホラーと組み合わせたのが ひぐらし、
> > それを家庭用ゲームに用い、後にアニメ化もされたのがシュタゲで、
> > ひぐらしやシュタゲを、異世界転生モノとしてラノベ化したのがリゼロ、
> > リゼロをマガジン伝統のヤンキー漫画化したのが、今年ヒットした東リベって印象。

> 俺ガイルも既に2シリーズほどシナリオ分岐(?)的なif展開を作者が書いてますね。

1つの物語として、作品を仕上げる感覚が強かった、一昔前までは、
ifルートを公式で扱ってしまうのは、一種のタブー的な認識があったかと思いますけど、
そういう意識が薄れてきたのって、描き手がゲーマー世代になったからなのか?
はたまた、プロ作家の同人活動が珍しく無くなってきたからなのか?

> > と言いますか、ラノベ作品なのに、マイクロソフトとか実名で登場するんですか!?
> > ラノベとは言え商業作品だと、その辺りは全て架空の企業名になりそうな気がしますが、
> > 少し調べてみると、その作品の出版社はアスキー系列の電撃文庫ですし、
> > 昔のアスキーは、マイクロソフトと深い関係にある企業でしたから、
> > 今でも何らかの関係性が残ってるんですかねえ・・・・
> > もしくは、あくまでも「元」なら、アスキーからマイクロソフトに移った人も多いので、
> > そこから更にアスキーへと出戻り、自らの武勇伝を作中で代弁させている可能性も?(笑)
> > まあ、作品制作の為の取材協力って事でしたら、その辺りは容易にアポが取れそうですし。

> すみません、元マイクロソフト社長というのは、
> 話を分かりやすくするための表現であり、実際は実名ではなかったと思います。

なるほど、さすがに実名では無かったのですね。
でもまあ、電撃文庫がアスキー系列である事を思えば、
モデルとして用いるのに、最も身近な例だった可能性はありそうですね。


> > 今回は2010年代アニメの話も多かったので、ついでに聞いてしまいますが、
> > 「教養としての10年代アニメ」って、旧トルコ担当さんは既に読まれました?
> > https://www.amazon.co.jp/dp/459115338X
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4591158322

> 読んでないですね。読む予定もないです。
> そもそも、こういう本を読む時間があれば1本でも10年代アニメを見た方がよいと思いますし、
> まあしょせんは学術系の人間だろ?と。

了解しました。

> 彼らは経済のこととか、社会のことを語っていればいいのに、
> なぜわざわざ自身の専門領域から出てきて、アニメの話をしてしまうのか。
> 餅屋は餅屋、アニメの話はオタクに任せとけばいいと思うんですよね。

この本の著者に関しては、私も正直把握していないのですが、
でも東浩紀とか見ていると、「オタクが学者になった」パターンだと思うので、
学術方面から、研究題材としてオタク文化を選んだという人たちとも、
また ちょっと違う気はするんですよね。
彼らは、学者になる前の根っこの部分が、そもそもオタクなので。

解りやすく言うと、「自分の好き」を探求すれば、それがオタクでしょうし、
そこから更に、自分だけでなく「みんなの好き」を探求すると、それは学問になると。
勿論、作品を見て「楽しい」と感じる事を直接理解できるのは、自分自身の心だけですので、
そういう意味では、「小難しい事は考えず、楽しければ良いんだよ」というのも正解ですし、
だからと言って、「なぜ自分は楽しく感じるのか?」と考察するのも、決して間違いではなく、
そして、「自分だけでなく、みんなも楽しんでるのは何故?」と分析するのも、アリな気はします。
まあ確かに、オタク文化への理解もないまま、都合良く自論に用いるのはウンザリにしても、
オタク文化の普及や歴史的長さを踏まえると、
オタクが学者になるパターンも、今では珍しくないようには思えるんですよね。

> というのが半分、もう半分は、この手の作品の解釈論の本を読むと、
> 自分で作品の解釈をしなくなってしまうので、あえて読まないという意味もありますね。
> せっかく自分でオリジナルな作品解釈を作り上げてる最中なのに、
> 完成品を持ってきてしまえば自分の解釈作業がそこで終わってしまいますので。
> それこそ、この手の本を読めば質は高いのでしょうが、
> 各オタクごとに存在した偏見交じりのオリジナルな解釈が失われてしまうという話は、
> 本題である文化の幅が失われている、という話と直結するかと?

あ〜、なるほど、なるほど!!
私などは、もう年齢的に、良くも悪くも、
自分なりの「モノの見方の軸」が定まっている感じなので、
あくまでも参考意見として、変に振り回されずに情報を得る事が可能なのですが、
旧トルコ担当さんは「軸を定めてる途上」であるのなら、
他者に影響され過ぎる不安感を抱くのも理解できますし、
そうした警戒感があるというのは、却って良い傾向かも知れませんね。
特に昨今は情報過多な時代な事もあって、「信じられる情報」よりも、
「信じたい情報」を無自覚に集め、踊らされてしまう人が非常に増えていますから、
自らの危うさもキチンと認識できているというのは、それだけで既に強味かも?

また、そうした事情を踏まえて、改めて考えてみると、
私の発言に対して、「半ば同意」みたいな反応が返ってくるのも、
心理的なバッファー部分というか、敢えて全面肯定しない思惑とかが含まれていたのかな?
こちらとしては、半ば同意と言われると、
「では、同意できなかった部分は?」とか、「同意できなかった理由は?」みたいに、
不明な箇所を知りたかったり、間違いや異なる視点があるなら把握したい思いから、
具体的な話を聞きたいと、尋ねるような返信を書いていたのですが、
なかなか返答が来なかったのは、問い詰めるような感じで気分を害したのでは無く。

> 自分も、なんだかんだで岡田斗司夫の二番煎じしか言えてない、みたいな部分は自覚していますので。
ちなみに、「教養としての10年代アニメ」は、
近畿大学での講義を、書籍化したモノらしいのですが、
四半世紀前、東京大学で岡田斗司夫が行った講義も、
「東大オタク学講座」として書籍化されてますけど、
https://www.amazon.co.jp/dp/4062759381
こちらに関しては、旧トルコ担当さん的に、どのような扱いなのでしょう?
大学での講義として、オタク文化を語っているから、同じ穴の狢?
それとも、岡田斗司夫の講義であれば、また別格?

> まあ社会論は岡田斗司夫の二番煎じでもよいのですが、
「岡田斗司夫の社会論」という点では、旧トルコ担当さんに感謝ですね(笑)。
こうして話題に上り、実際に動画を見るようになるまでは、
オタキングという側面以外にも、いろいろ考察を述べていた事は知りませんでした。
まあ正直な所、オタク以外の分野だと、「う〜ん」と首を傾げる割合も増すものの、
杓子定規なモノの見方では無いので、面白い視点から語る事も多いですし、
特に「評価経済社会」論に関しては、私が15年くらい前から漠然と感じていた内容を、
既に25年も前に著述していた事には、正直 驚かされましたからねえ!!
不遜の物言いですけど、岡田斗司夫を再評価する、良いキッカケになりました。
ありがとうございます(笑)。

> さすがにオタクを自称している以上、
> アニメくらいは自分のオリジナル解釈があってもよいと思うんですよね。

この一文は、大きな示唆を含んでいると言いますか、
今まで、話の噛み合わなかった部分の原因が、解った気分ですね(笑)。
旧トルコ担当さんの見解で、これまでに何度か引っ掛かっていたのは、
「個人的な感想が強く、普遍性が弱い」ケースが、時に見受けられる事だったのですが、
主観と客観とを分けるという以前に、まずは主観で語っていくスタイルだったのかな?

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