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[23802] オタクの教養と古典の素養(その1)返信 削除
2022/1/12 (水) 21:16:12 徳翁導誉

> けっこうな期間放置してしまいました。
> すみません。

いえいえ、実を言うと私の方も、年末年始は結構バタバタしてたので、
どうしても長文化してしまう返信を避けられ、却って助かった側面も(笑)。
結局、昨年内までだった配信アニメも、あれから1作品も見れませんでしたし、
年越し前までに読んでおきたかった本も、全く読めませんでしたし、
別スレッドで語っていたゲーム作りも、完成まで あと1歩の段階まで進みながら、
この1ヶ月、完全放置になっちゃってたので・・・・
(とか言いつつ、気分転換に、巨大な「世界HEXマップ」とか作っちゃってましたが・苦笑)


▼ デジタルな恋人・娘・ペットの可能性
> > それこそ、リアル恋愛に伴う煩わしさを思うと、手軽な疑似恋愛が良い事もあり、
> > そうした需要が高まれば、これまたビジネスとして成り立ちますからねえ。
> > しかもAIであれば、最も費用が嵩む人件費も不要ですし(笑)、
> > ビッグ・データによって、個々人に最適化されたサービスを受けられるかも?

> 会話できるAIは、恋人じゃなくて娘になると思うんですよね。
> まず、私は幸せとは不足が満たされることだと考えています。
> お腹が減っているときに、おいしいものを食べると幸せなのも、不足が満たされるからだと。

これは、半分正解ですけど、もう半分が足りないかな?
凄い簡単に話をすると、まず人間には「喜怒哀楽」という4つの基本的な感情があります。
そして、この「不足が満たされる」とは、ここで言う所の「楽」に該当します。
しかし、これだけでは、決して「喜」の方の感情は満たされないんですよね。
それこそ食事の例え話を続ければ、確かに空腹が満たされる事で得られる満足感はありますが、
ただ単に腹を満たすだけ満足が足りるかとなると、なかなかそうはなりません・・・・
具体的に言えば、「おいしい」という方面の満足も欲するのが、人間というモノです。

ここで、喜怒哀楽という感情を簡単に解説すると、
まず最初に、縦軸に「正(プラス)」と「負(マイナス)」の感情があり、
続いて、横軸に「動」と「静」の感情があると考えてみて下さい。
そして、喜とは「正&動」、怒とは「負&動」、哀とは「負&静」、楽とは「正&静」な感情で、
喜と楽は、同じ正の感情ではあるものの、動と静では正反対の感情でもあります。
ですから、どれだけ満腹を重ねても、決して美味しいには辿り着かないんですよね。
下手をすれば、「怒り過ぎて笑えてくる」とか、「号泣したら楽になった」など、
動と静が同方向の方が、負から正へと転じやすいモノなのかも知れません、感情というのは。

それを踏まえると、そう単純な話では無いものの、
「恋人」と「娘」というのは、また別物なんじゃないですかねえ?
例えば、どれだけ娘を溺愛してる男性でも、
だからと言って、浮気をしないというモノでも無いでしょうし(笑)。

> この考え方で、「なぜ現代のオタクの間で、BLや百合が流行るのか?」ということを考えると、
> 「イケメンキャラや美少女キャラは、既に飽食の状態にあると。
> もうイケメンや美少女にみんなお腹いっぱいで、食べ飽きている。
> 美少女キャラが溢れているからこそ、自分は新しく出てきた萌えキャラにガチ恋できない。
> 満たされているからこそ、幸せにはなれない。
> そこで、他人の恋愛に共感することで、不足を自身の中に作り出しているのがBLや百合である。
> ある女の子にガチ恋している女の子に共感することで、自分はガチ恋できない女の子に、疑似的にガチ恋でき、
> そしてそれが満たされることで、自分も幸せになれる。
> だからオタクの間で、BLや百合が流行る」と考えているのですが、

う〜ん、こちらに関しても、半分正解で半分不足かな?
確かに、作品数などのコンテンツ面で言えば、飽和状態にあるのは事実でしょうけど、
その一方で、平成前半の生まれを「さとり世代」などと呼ぶように、
満たされてるから満足してるのでは無く、満たされてないから満足点が低く設定されていて、
良く言えば手堅くて堅実、悪く言えば挑戦や冒険を避けがちな傾向がある為、
共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じるんですよね、私には。
だって、人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無いでしょうし、
結果は同じであっても、自ら進んで選んだのと、環境的に選ばざるを得なかったのは別ですけど、
しかし一方で人間は、自分の心理的負担を減らす為に、自ら選んだと思い込もうとしがちだと。

> 大学生の勝手な見解ですが、おじさんになっても生きがいを感じて何かに打ち込んでる人って、
> 自分のために、よりも誰かのためにやっている人が多いと思うんですよね。

こちらも、半分正解、半分不足って感じでしょうかね(笑)。
「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上」なんて言葉を、後藤新平も残してますし、
「自分の事よりも、他人の事」って姿勢の偉い人は多いのでしょうが、
でもこれも、「情けは人の為ならず」と似たようなモノで、
「自分の為に、他人を助ける」という側面は、実際にあると思うんですよね。
人一人がカバーできる範囲など、高が知れていますし、
自分だけの満足を追うより、他者の満足まで自分の一部に加えた方が、
結果的に、より大きな満足度を得られるモノですからねえ。
だからこそ、組織とは腐す対象にするよりも、上手く活用する方が賢いと!
もしくは、もっと単純に、「満足感のお裾分けを得る」という側面もあるでしょうか。

> それは人間の遺伝子本能的にも、一定以上の年齢を過ぎれば、
> 自身の子供を作れ、という命令から、自身の子供を守り育てろ、に変わるわけで。

いや〜、それは本能や遺伝子とかいうレベルの話ではなく、
育った社会の道徳や規範に依るモノなんじゃないですかねえ?
例えば、江戸時代の日本においては、家の存続が何よりも最優先事項であり、
その為にも、自分よりも子供を守る考え方が一般化しましたけど、
お隣の中国では、1人っ子政策以降の現代中国はまだしも、
それ以前の儒教的な社会においては、親あっての子供であり、
だからこそ、劉邦や劉備が逃げる為に子供を捨てるエピソードがある訳です。

また、赤ん坊を守ろうとする母親とかは別として、
他の動物で、群れを守る以上の感じで、実子を特別に守る行動が見られるかとなると、
少なくとも私は知らないですし、そんな遺伝子が見つかったという話も聞かないので、
そう断言される根拠が、何かあるのでしたら、是非とも伺い所ではありますね。

> 高齢化社会だからこそ、AIは娘だと思うんですよね。
正直、リアルな娘を守るが如く、AIの娘を守ると思います?
また、バーチャルな存在であろうAIの娘を「守る」というのは、
具体的に、どのような行動を指すのでしょうか?

ぶっちゃけた話、AIの娘なんて言うのは、
デジタルなプログラムであり、データですよねえ。
そんなモノを守る事を、リアルの自分を守る事に優先させるんですか?
それにそもそも、プログラムやデータを襲う、それほどに真剣な危険って何?
「子育てクイズ マイエンジェル」を、更に進化させるのは面白そうですが、
でもそれも、結局はゲームに過ぎませんし、どれだけハマり込めるモノなのか・・・・
いや勿論、1つのゲームのテーマとしては、凄く面白い要素ではあるでしょうけど、
ダビスタで競走馬を育てるのと、馬主や調教師がリアルに育てるのは、まるで別でしょうし、
逆に言えば、だからこそ世界中の金持ちは、馬主や球団オーナーになりたがると!

> ひろゆきが昔、金も、社会的地位も、家族も持たない無敵の人が増えて、犯罪が増えるから、
> 政府は彼らにペットを配れ、みたいなことを言っていたと思うんですが、

ほ〜、その意見は初耳ですが、なかなか理に適ってると思いますよ。

それこそ最近、無敵の人による、社会を巻き込んだ事件が増えてますが、
これらの事件に対して、「1人で勝手に死ね」とか、「他人を巻き込むな」など、
厳しい意見が反乱するのは、気持ちは解るものの、あまり良い風潮ではなく、
そういった不寛容で無理解な意見こそが、こうした事件を増やす遠因にありますからねえ。
しかも、こうして厳しい意見を述べる人たちこそ、自らの状況が悪化した場合、
そうした事件を起こしかねない予備軍である事を、本人たちは全く自覚できてないはずで、
無敵の人による事件というのは、減る所か、今後ますます増えていく一方だと思います。

逆に言えば、そうした事件の発生を減らそうと思うのであれば、
端的に言うと、「無敵」状態を抑え込む、何らかの「縛り」を用意すべきであり、
この場合、アメとムチや、北風と太陽で言うなら、ムチや北風が効かない無敵状態ですから、
言い方は悪いかも知れませんけど、アメや太陽で縛り上げるしかないと。
まあ具体的には、何も持っていないからこそ無敵である以上、
まずは心理的なり、実利的なりの「依存物」を与え、それを失う恐怖を餌に縛るのが有効で、
そう考えると、ペットを配るというのは、1つの方法としてはアリかと思いますよ。
「繋がり」と「しがらみ」は、物事の表裏に過ぎませんし。
ただ実際、それを現実的に、政策として行おうとすると、いろいろ困難でしょうけどね。
可愛がりはしても、世話をしないタイプは相当数居るでしょうし、
野良猫や鳩などに餌をあげる人だけでも、これだけ問題になっているのに、
それがもっと増えるとなれば、近隣住民は勿論、飼われるペット側も迷惑なので。

> AI娘がいた方が社会が安定する、という考え方もあるんじゃないですかね。
う〜ん、全く効果が無いとは言いませんけど、それでは縛りとしては弱いでしょうね。
「たまごっち」のようなバーチャル・ペットや、「AIBO」のようなロボット・ペットなど、
過去にも流行った事がありますし、それなりのブームを生んだ事は確かですが、
あくまでブーム止まりであって、リアルなペットの代替には成り得なかったので・・・・
(ただし、老人ホームなどで、ロボット・ペットが一定の癒し効果を与えてるのは事実)

もちろん、中にはドップリとハマる人だって居るでしょうけど、そうした人は限定的であり、
どのレベルの「AI娘」を想定されているかは解りませんが、育成ゲームの延長線上では、
それで「社会が安定する」という感じには、とてもじゃないですけど、程遠い気がします。
言い換えるとすると、「ゲームが生き甲斐だ」という理由から、
犯罪や自殺を思い止まるような人、もしくは、それだけのゲームというモノが、
一体どれだけ存在するのか?という事でもありますよね。

> 近未来の人類は、AI娘を喜ばせるために働いたり、色んな場所に行ったり、
> 何らかの作業をして、その過程で人生の喜びを得るんじゃないんですかね。

「AI娘を喜ばせるために働く」って、なに、そのディストピア!?(苦笑)
人類補完計画ならぬ、人類経済奴隷計画みたいな話じゃないですか???
まあ近未来どころか、一部の人たちは既に、例えばソシャゲ廃人の課金地獄のように、
良いように、新自由主義経済のカモにされてる人たちが実在しますけど、
それを人類規模にまで広げるだなんて、相当悪い冗談にしか聞こえませんけどねえ・・・・

それこそ以前、こうした返信↓を書きましたけど、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r23740
> > となると、こんな自己正当化の御題目に過ぎ無そうなモノを、わざわざ大学で教わり、
> > それをそのまま信じてしまってる訳で・・・って、推測に推測を重ね過ぎだな(苦笑)。
> > もしそうなら、何だかヤバい感じがして、少し心配になっちゃったんですけど、

これは何も、「大学の教授に影響されている」と言いたかった訳ではなく、
現在の新自由主義の経済システムにおいて、そうした御題目を信じて働いてくれるなど、
「使い捨てに都合の良い人材」として、最適に育ちつつあるという危機感ですね。
今回、ちょっと厳しめに意見したのは、「もう少し冷静に考えてみて下さい」と言いたかったと。
別にオタ話であれこれトラぶっても、別に大した実害なんて出ないですけど、
こちらに関しては、下手をすると人生を左右しかねない危険性を孕んでる気がするので。
・・・って、でもまあ、結果が出るのはずっと先の話であり、単なる取り越し苦労かも知れず、
出世次第では、使い捨てられる立場から、使い捨てる立場になれてる可能性もありますし(笑)。

と、何だか思い話となりましたが、まあそれはさておき、
「色んな場所に行ったり、何らかの作業をして」という部分に関しては、
10年前のラブプラス・ブームを思い出しましたね(笑)。
実際に当時は、ゲーム内の彼女を連れて、リアルに旅行するのが流行りましたし、
「MR(複合現実:Mixed Reality)」の技術が進歩すれば、
それらの可能性は、更に飛躍しそうな感じはあります。
ただ一方で、それがどれだけ長続きするかは別問題ですよね。

正直、あれだけ流行った たまごっちも、ラブプラスも、
今では一体、どれだけのプレイヤーが遊んでいるかとなると・・・・
これが、リアルなペットであったり彼女であれば、そう簡単な話ではありませんが、
手軽なバーチャルだからこそ、良くも悪くも「縛り」が乏しいんですよね。
また、リアルなペットと違い、「死なない」事が売りの1つだったロボット・ペットも、
結局は、経済的都合による「サービス終了」という現実があった為、
普通に飼うよりも、短い一生に終わるような話となった訳ですが、
バーチャルなAI娘の場合、サ終したソシャゲのように、
一気に無に帰す可能性も、普通にあるんじゃないですか?
それこそ本気で思い入れてた場合、これは却って「安定」とは逆のトリガーとなりそう。


▼ オタクの教養と古典の素養
> > > もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、
> > > オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
> > > 世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

> > あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
> > こうなると、どの辺りのラインまで来れば、これが恥ずかしく感じなくなるのかも、
> > ちょっと興味が湧いてきてしまいました(笑)。
> > となると、90年代の「機動戦艦ナデシコ」とか、どうなんでしょ?
> > 同じ90年代でも、「真ゲッターロボ」みたいな振り方の作品なら、大丈夫ですよねえ?
> > って、そもそもナデシコや真ゲッターを視聴済みかどうかも、解らない所ではありますが。

> 未見です。
> 昔のアニメで見てるのって、ヤマト・ガンダム・エヴァ以外では、
> 「未来少年コナン」「バビル2世」「銀河鉄道999(半分くらい)」くらいですかね。

あ〜、90年代アニメは昔の作品かぁ・・・(笑)
まあ単純に、旧トルコ担当さんの年齢的に、という面もあるのでしょうけど、
個人的には、深夜アニメが始まり、子供アニメが減った90年代中期を、
アニメの歴史的に、1つの境界線として認識してましたが、
映像的には、デジタル作画に転換された00年代中期も、もう1つの境界線に当たるのかな?

そして現在、世界的なアニメの波としては、2DCGから3DCGへという流れが確実にあり、
もちろん、2Dならでは表現方法とかもあるのですが、
その世界的な流れに乗れないようだと、TVゲームや携帯電話がそうなったように、
日本産のアニメというのも、一気にガラパゴス化して、
そのまま縮小していく危険性も、かなりの確率で有り得そうですよね・・・・

それこそ、以前話題に上った中国産アニメの方は、若者向け作品の方はまだまだでも、
「BabyBus」↓に代表されるように、幼児向けアニメの方では、既に太刀打ち出来ないと言うか、
https://www.youtube.com/channel/UCwYFFFgr4wl5Oby8gBbAZzg
中国の方が世界戦略として、大きく成功を収めている感じがありますし、
それを見て育った子供たちが若者となる頃には、一体どうなっている事やら???
日本アニメの世界的人気にしても、小遣い稼ぎに格安でバラ撒かれた子供向け作品が、
結果的に、大きな下地を築いたという実状もありましたからねえ。
海外での日本アニメ放送は、世界での日本的な価値観普及に一役買った面がありますが、
現在の中国アニメの場合、結果的にそうなったではなく、最初から意図してる感もありますし。

まあ、それはさておき、となると、
前回も貼ったように、コチラで挙げた「私がハマった作品TOP30」も、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20466#20466
00年代前半までの作品が多いので、ほとんど未見な感じですかねえ?
もしかしたら、「これは見た」や「これは知らない」という作品を挙げる方が、
未見の作品を挙げてもらううよりも、却って早かったりするのかなぁ・・・・

> あとは銀英伝は2周しましたが。
私は、気に入った作品は何周もするタイプなので、
BGM替わりの掛け流しも含めれば、銀英伝の旧作版は6〜7周くらいしてそう。

> どの作品だから恥ずかしく感じる、というより、本気で好きな作品が恥ずかしいと感じますね。
> 例えば萌えアニメは、客観的に見ればすごく恥ずかしいものですが、
> 私は萌えアニメではそこまで恥ずかしくならなくて、
> それはメッチャ萌えアニメが好き、というわけではないからなんですよね。
> ですが、本当に好きな作品というのは、その本気の分だけ、やっぱり恥ずかしくなるので。
> 作品そのものの性質より、個人的な思い入れの強さが影響しますね。

え〜と、「好きを他人に語る」のが恥ずかしいという感情は、まだ解るのですが、
「トップをねらえ」に関して言うと、「見た時に強烈に恥ずかしかった」んですよねえ?
好きな作品だと、その分だけ本気になるとか、思い入れが強くなるのは解りますけど、
そこから「恥ずかしい」となる経緯が、いまいち私にはピンと来ていないかも・・・・

もう少し解りやすく書くと、「恥ずかしい」という感情って、
基本的には、他者の存在(目)があってこそ、
自らの言動などとのギャップから、生じるモノだと思うんですよ。
自分で自分が恥ずかしいと言うのも、主観的な自分と、客観的な自分とが居て、
客観的な自分を、他者の存在に代替させた場合に、生じるようなメカニズムでしょうし。
そうあんると、この場合の旧トルコ担当さんの恥ずかしさとは、
「何に対して、どのような恥ずかしさ」なんですかねえ?

・・・って、こんな事が気になるのも、私からすると「オタク的行為」ですし、
私の定義からすると、自問自答して、自己分析する人種こそ、オタクな気はしています。
「この作品は、なぜ面白いのか?ツマらないのか?」から始まり、
「自分は面白いのに、ツマらないと言ってるヤツが居る」や
「自分はツマらないのに、面白いと言ってるヤツが居る」という分析を経て、
最終的には、観測者としての自分自身の傾向を見出す方向に進むイメージがあるので。
言い換えば、「好き」を突き詰めて行けば、自分が感じる「好き」とは何ぞや?に至ると。
好きで満足するのはファンでしょうし、好きをコレクションするだけではマニアなので。

> > > 私は中学生の時に源氏物語を読んで以来、ずっと恋愛ものは好きですからね。
> > 源氏物語かぁ・・・
> > 気にはなるけど、読んでないなぁ・・・・
> > 何となく粗筋は把握しているものの、漫画「あさきゆめみし」すら読んでませんね。
> > ちなみに旧トルコ担当さんは、誰の現代訳版で読まれたんですか?
> > それとも、まさかの岩波や角川あたりの原文版?

> 色々読んでますが、「紫の結び」というのが一番長いやつかな。
> その前に、もっと短いやつで大方の内容を把握してはいましたが。
> 何度か全訳にもチャレンジしたのですが、あまりの長さにいつも1巻の半分くらい挫折してます。

調べてみた所、アニメ化もされた「RDG レッドデータガール」の作者・荻原規子が、
源氏物語の現代語訳に挑戦した作品みたいですね。
そして、「紫の結び」というのは、源氏物語の作品の中から、
紫の上にまつわるエピソードを抜き出して、1つの物語に紡ぎ直したモノだそうで、
確かに言われてみると、これはこれでストーリー的に解り易そうですね!!
ある意味では、ラノベ作家が真っ正面から挑んだ「抄訳版・源氏物語」とも言えそうですし。

> > > > でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
> > > > 旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。

> > > うーん、この辺はどうなんでしょうね。
> > > 確かに、オタク史的に名作とされるアニメを見ることは価値もありますが、
> > > やりすぎれば結局、流行りものを追っかけているJKと変わらないと思うんですよね。
> > > いや、流行りものを追っかけること自体は別に好きにやればいいと思うのですが、
> > > 周囲に流されて自分で判断しない姿勢というのは、オタクとは呼べないと思うんですよね。

> > まあ私としても別に、「あれも、これも」と言っている訳ではなく、
> > 例えばオタク文化に限らず、あらゆる分野においても、
> > 「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」
> > みたいなモノは、いくつか在ったりしますからねえ。
> > ただ、これに関しても、全話隈無く押さえろと言うよりは、
> > 総集編くらい見て、大体の基本情報とかは押さえておこう程度の感覚ですね。

> 個人的には、現在のオタク文化って、
> (1)萌え登場以降のオタク文化(95年以降)
> (2)おおざっぱに昭和のオタク文化(75年以降)
> (3)それ以前の昭和子供文化(手塚治虫など)や、アメリカ文化など
> の3層構造でできていると思っているので、
> 「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」的なものって、
> 現在のオタクだと(1)がメインな気がするんですよね。

まあ結局、この件に関しては、繰り返しになりますけど、
お互いの「オタク」という言葉の定義の違いに帰着するんでしょうけどね。
私の場合、「おたく・オタク・ヲタ」や「ファン・マニア・オタク」などの単語を使い分けてますし、
その「オタク文化の区分」も、双方が異なる年代(事象)で区切ってますので。
以下、以前の記述を、そのままコピペ↓

http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23406#23406
  もちろん、それは私の中での、オタクという単語の定義の問題かも知れませんが。
  私が言う所の「ヲタ文化」が、旧トルコ担当さんが言う所の「オタク文化」に相当するのかも?
  いつも厳密に使い分けている訳では無いですけど、個人的な用語としては、
  バブルが崩壊した辺り、90年代初頭までのアナログ一辺倒な時代を「おたく文化」、
  台頭してきたデジタルと、アナログが同居していた過渡期の時代を「オタク文化」、
  東日本大震災に前後する、10年代辺りからのデジタル優勢な時代を「ヲタ文化」としてますね。
  (場合によって、おたく・オタク・ヲタのサブカル総称として「オタク」を用いる事もありますが)

> 要は、ぶっちゃけガンダムは古いと。
> といいますか、私もいろいろ勉強する前は、オタク=萌える人であり、
> ガンダムファンがオタクだとは思っていませんでしたので。

ぶっちゃけ、私からしても、ガンダムは古いですよ(笑)。
別に私も、リアルタイムで見てた世代じゃありませんからね。
ですが、こと「教養」という観点から見るのであれば、
その基準となるのは「古い・新しい」ではなく、「重要か否か」であるはずで、
日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!

それこそ、前述の源氏物語を引き合いに出して言うとすれば、
教養として「日本文学」を語る際に、「古いから」なんて理由で源氏物語を欠いては、
とても満足に、日本文学の知識が充分だとは言えませんよねえ?
もちろん、源氏物語を全巻読破する事に越した事は無いでしょうけど、
仮に読破して無くても、源氏物語の粗筋や歴史的立ち位置を把握していれば、
日本文学に関して、それなりに語る事は可能かと思います。
しかし、そういった基礎的認識まで欠けているとなると・・・・
例えば、これがファンであるとか、現代小説に限定するとかであれば、
村上春樹しか読まないとか、ラノベしか読まないとかでも、問題無いと思いますけど、
それで、日本文学の素養が充分かとなれば、やはり別問題な感じがします。

そういう意味では、年代ごとで3層に区分している所から、
私との定義の違いも、一見すると「おたく・オタク・ヲタ」の差異に該当しそうですが、
実際には「ファン・マニア・オタク」という差異の方こそ、該当しそうな気はしますね。
簡単に言ってしまえば、「そのレベルだとオタクじゃなくてファンだろ?」みたいな感じで。
とは言え、これは狭義的な意味でのオタク定義であって、
近年では「≒サブカル」という、広義的な意味でのオタク定義が、世間的に広まっている事もあり、
一般的な話題として触れるのあれば、そこは広義的な意味合いでも気にしないのですが、
専門的な話題として扱う場合には、やはり狭義的な意味合いで用いたい思いは、少しあるかな?
そうしないと、内容が表面を滑るだけで、深い所までなかなか進めないでしょうし。

> そういう意味で、オタク的な教養はせいぜいエヴァまでな気はします。
それって、何か明確な基準があっての、エヴァでの線引きなのでしょうか?
もしも、旧トルコ担当さんの世代的にという話であれば、
エヴァだって25年前の作品ですから、これだって充分に古いでしょうし、
それこそ、旧トルコ担当さんよりも更に若い世代から見れば、
11年前に連載が始まった俺ガイルにしても、充分に古い作品でしょうからねえ。

> > > ふと気になって調べてみたところ、
> > > エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
> > > そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

> > でも、単純に人口比の数字だけで言うのであれば、
> > 今から20年後に劇場公開して、470万人(シン・エヴァの7割)を動員できる作品が、
> > 2010年代アニメの中に、果たして在るのか?って事でもありますよね。

> もちろん、世代動員率とでも名付けるべき値がエヴァは非常に高かったというのも承知しています。
> ですが、世代動員率には世代の総人口が必ずかかっているわけであり、
> 世代の総人口が減れば文化的な厚みは減って当然ですよね。

いや〜、人口とは絶対的な値であり、動員率とは相対的な値なのですから、
絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする事を、
「当然」であるとは、私はまるで同意できませんけどね・・・・
逆に言うと、なぜ「当然」と思われるのか、その理由を伺ってみたい所。
これはもう、エヴァがどうとか関係無く、純粋に科学的な話として。

> > > まあ、私の独断と偏見で言わせれば「オタクとは自分の好きなものを突き詰める人間」なのであって、
> > > 何も昔の名作アニメを履修する必要性はないと思っているんですよね。

> > う〜ん、単に「大好き」ってだけであれば、そこまでする必要性は無いでしょうけど、
> > 「突き詰める」という部分まで加わってくると、外せない古典を押さえる必要は出てきそうですし、
> > そうした義務感が無くても、「面白い作品があるなら、古くても気にしない」とか、
> > 自らの好きを体系化していけば、どうしたって歴史(過去作)に至るのは必然だと思うんですよ。

> あと、私が「昔の名作アニメを履修する」ことをやたら否定的にとらえているのも、
> かなりオタク文化自体の高齢化を見させられているからなんですよね。

う〜ん、これってそもそも、「履修」という言葉に対するイメージの違いがあるのかな?
取得を義務づけられた単位を収める行為というのは同じでも、
卒業資格を得る為に仕方無くか? 学問理解を深めるのに不可欠か?
そのどちらの視点で捉えるかで、見え方は大きく異なってくるでしょうけど、
私の場合、単位は取り難くなるものの、自分の好奇心の赴くまま、
他学部や他学科の専門講義まで取ってたタイプなので(単位認定は一般教養扱い)、
ここでも当然、後者の意味合いで使ってました(笑)。

とは言え、一般的には、前者の意味合いであろうとは理解してますし、
そちら視点で見た場合、「文化の高齢化」とかが どうこうよりも、
ただ単に、「古い作品で知識マウント取ってくる古参オタ、うざっ!」というのが、
その言葉の奥底にはあるんじゃないかな?という印象もあったり(笑)。
まあ確かに、そうした輩の存在が、鬱陶しいのは私も解りますし、
逆に言うと、そんな次元で満足してるタイプには、こちらも興味が無いんですよね。

ですが、マウントを取られたくないという思いから、義務感的に消化したりとか、
反対に、そういうのはウザいから、意地でも見ないとかなると、
それはそれで、彼らと同じ土俵に乗るようなものですし、
自分が古参になった時には、却って同じ様な行動を取る可能性が高い気もすると。
そして、対古参オタではなく、自分自身のオタ探求を突き詰めていくなら、
古い名作に手を出したり、歴史を学ぼうとする行為は、極めて一般的だとも思うんです。

言うなれば、卒業資格を得る為に、仕方無く履修するよりも、
自らの学びの為に、積極的に履修した方が、絶対に身にはなるでしょうし、
講義であれ、作品であれ、履修を求められるような対象であれば、
得ておいた方が望ましい知識であるのは、確かでしょうからねえ。
なので私は、否定すべきはマウント系のオタの方であって、
履修自体を否定すべきじゃないような気はするんですよ。

> 特にSNSで世代関係なく情報が流通するようになった結果、
> 世代の人口差重力が非常に強く影響するようになったと思います。
> 新エヴァだって、SNSで盛り上がってたから見に行ったという若年オタクは多いでしょうし、
> それは結局オタク文化全体の高齢化にしかならないと思うんですよね。
> もちろん、ある程度であれば旧作リバイバルも別に否定しないのですが。

いや〜、それは穿ったモノの見方じゃないですかねえ?
確かに、今の若者世代よりも、団塊Jr.世代の方が、人口そのものは多いでしょうけど、
SNSの利用率であったり、その発言頻度であったり、それがオタ的話題である割合などは、
そうした人口の絶対数を覆すほど、実際には差があると思いますし、
ネットの登場によって、年の離れた世代とも、話せる機会が増えた事は事実で、
それにより、他世代から影響を受ける事が多くなったのも、また事実でしょうけど、
それで全体の流れが操られるなんていうのは、さすがに言い過ぎな気がしますがねえ。
特にSNSは、ボーダレスな世界と言うよりも、フィルターバブルに包まれた世界なので。

また、歴史というのは、積み重ねが多いほど、古い方に導かれるモノでもなく、
単純に、長くなれば長くなるほど、押さえるべき事柄が増えるという事でしかありません。
そういう意味では、日本のTVアニメって、1963年の「鉄腕アトム」の放送開始から、
実に59年もの長い歴史があり、その分だけ文化的な厚みがある訳で、
若いオタクが、それらの知識を収めようとすると、凄く大変なのは解りますし、
そういう意味では、リアルタイムで体験してきた古いオタクの方が、有利は有利でしょう。
ですが一方で、古参オタクの方だって、オタクである事を維持する為には、
次から次に現れる新しい情報を、押さえ続けなければならない大変さがあります。
例えば、どれだけガンダムやヤマトを押さえていても、
今なら鬼滅や呪術廻戦や東リベを押さえてないと、現役のアニオタとは名乗れないでしょうし、
年齢的な事を踏まえると、これはこれで簡単な事では無いですよ!!
要するに、長い歴史があるからこそ、古い作品も、新しい作品も数多くあり、
その分だけ、押さえておくべき作品数も増えるというだけの話で、
若手のメリット・デメリットがあれば、ベテランにもメリット・デメリットがあると、
そういった視点が抜け落ちていては、結局、主観の垂れ流しになってしまう気がします。

あと、ネーム・バリューに拘るというのは、世代の人口がどうこうよりも、
現在のビジネス・モデルが、とにかく その点が重視されるからであり、
旧作の名作ほど、そうしたバリューが確固として解りやすいので、
続編とかリバイバルばかりになりがちな傾向は確かですが、
それは新作の人気作も一緒で、勝ち馬に乗る行為が過剰というか、
一握りの勝ち組と、その他大勢の負け組という構造になりがちですよね。
つまりは、新作だの旧作だのに関係無く、同じ1つの経済論理で動かされているだけの話だと。


▼ オタク的なリアルとファンタジー
> > > (多少ネタバレになりますが)例えば俺ガイルであれば、俺ガイルはハルヒの流れを継ぐ謎部活ものなんですが、
> > > 最終的にこの話はその3人だけの部活の、主人公とダブルヒロインの友達関係をどう維持するのか?
> > > ということがテーマになっていきます。

> > 何とな〜くですが、俺ガイルのストーリーは把握しているんですよ。
> > と言いますか、「はがない」に似た感じを受けたので、今まで見なかった主な要因かも?
> > いや勿論、別の作品ですから、異なる部分なんて山のようにあるのは解っていますけど、
> > 私自身の嗜好として、ラブコメはOKでも、「ハーレム系は苦手」という事情があるので・・・・
> > まあ今時のアニメって、美少女キャラが多数登場する作品なんて一般的ですし、
> > どの辺りからハーレム系と見なすかは、個々人によっても違ってくるのでしょうけど、

> ハーレム系とは言えないと思ってます。
> 最終的にそうなるというだけであって、それまでに散々関係がこじれますので。
> 原作第3巻では、ダブルヒロインの片方が部活の関係が気まずくなって、
> そのまま何も言わず部活に来なくなっちゃったりしますし。

結局の所、美少女キャラが多く登場すれば、ハーレム系の最低基準を満たすとした上で、
その後は、その作品がハーレム系と感じるか否かは、それこそ個々の価値観次第でしょうから、
最終的には、自分で見てみるしか無いんでしょうけどね。
例えば、前出の「はがない」にしても、私の中ではハーレム系に属しますが、
それでも、コメディー要素があったので、普通に視聴は出来ましたので。

> > 最近で言うと、「五等分の花嫁」の人気がやたらと高い事は把握していた為、
> > その理由を知りたくて2期まで視聴したものの、ストーリー的に動き出したのは2期の後半で、
> > 正直な所、そこまではかなりの苦行だったんですよねえ(苦笑)。

> 五等分の花嫁よりは間違いなく苦行ではないと思います。
> 私もハーレムアニメが苦行というのはわかりますし、そこは保証できるかと。

念の為に言っておくと、話が動き出して以降は、それなりに面白く感じましたし、
この辺りのエピソードがあったから、単なるハーレム作品に終わらず、
人気作になったんだろうなぁ、とは思えましたよ(笑)。
ただ一方で、だからこそ、ヒロイン人気に格差が生じたんでしょうね。
まあ個人的には、普通に人間味を感じるようなエピソードって印象でも、
ハーレム作品として楽しんでいた層には、刺激的なエピソードであったからこそ、
更に深くハマった反面、キャラの好き嫌いが如実に現れもしたでしょうし。

> > > だから、この3人の関係性はもうそろそろ終わりだし、どう終わらせるか考えなきゃね、
> > > というだけなのですが、紆余曲折合った末の結論は「ずっとこのまま」なんです。
> > > いや、これ本当にどうするんでしょうね。

> > え〜と、これはエンドを考えさせる事で、私に興味を持たせようという手法なのか?
> > それとも、本当に未決着エンドだったのか? どちらの意味の文章なんでしょう(笑)。
> > でも、ifルートがあるという事は、前者の意味合いなんですかねえ。

> 原作はそこで終わりですね。
> 未決着エンドといいますか、悩んだ末に回答が出たので、それで作品としては完結、ということでしょうか。

という事は、「いや、これ本当にどうするんでしょうね」の一文は、
私に対する問い掛けではなく、旧トルコ担当さん自身の心の中からの問いだったんですね(笑)。
この文章の流れで、最後にそうした一文が混じるというのは、
それだけ、旧トルコ担当さんが、俺ガイルに対する思い入れが強い事は、充分に伝わりましたし、
言い方を換えると、それくらいオススメの作品なのかな、とは感じましたよ。
まあ、録画したディスクは既に用意済みな訳で、後は時間と気持ちの問題ですか(笑)。

> > > 大学3人で同じところに行くんですかね?まだ中学生ならそれもアリかもしれないし、
> > > 俺ガイルがよくあるオタク・ファンタジーならばそういう結論もアリかもしれませんが、
> > > 俺ガイルって徹底的にリアルなんですよ。

> > う〜ん、同じ大学に行くのも、ファンタジー扱いなんですかぁ・・・・
> > まあ、地方であったり、学区制が厳しい県だったりすると、選択の幅が狭く、
> > 同じ中学から、同じ高校に進む人数も、結構多かったりするのですが、
> > しかし一方で都会の高校ですと、選択肢が多すぎて、結構バラけるんですよねえ。
> > それに高校だと、似た様な学力の生徒が集まりますから、
> > 特に進学校とかだと、同じ高校から数十人も同じ大学に行く事が珍しくない反面、
> > 単に同じ地域の住民という集まりの公立中学では、なかなか高校が一緒にならない事も。
> > また、地方から東京に上京する場合なら、「同じ大学に行く」だけでなく、
> > 「一緒に東京に行く」というだけでも、繋がりは続きますからねえ。
> > 同棲とか、ルーム・シェアとかまで行かずとも、互いに近所に住むだけで、
> > 知り合いも居ない土地で暮らすなら、関係性がより深まっても おかしくないですし。

> アニメとか、ラノベって社会規範に対してはかなり保守的ですし、
> その中で、「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」という社会規範を否定したのは、
> かなり衝撃的だったと思うんですよね。

う〜ん、「学校の友達は、卒業したら疎遠になりがち」という傾向は、当然あるでしょうけど、
それが「社会規範(社会生活を営む上で遵守すべきルール)」だなんて考えている人は、
まず存在しないと思いますけど・・・これは何か、用語の意味を間違えてるのかな?

また、会う機会が減れば、疎遠になりがちという傾向は確かにあるにしても、
別に学校を卒業したって、友人関係や恋人関係が続くなんて事は、別に珍しくも無いでしょ!?
まあ環境が変われば、関係性を維持する為に、今までと異なる「労力」を要する事も多いでしょうが、
その労力に見合うだけの価値を見出せるなら、程度にもよりますけど、
関係性の継続は不可能じゃないでしょうし、そもそもルール違反なんて感覚は皆無です。

実際、結婚するカップルのうち、実に3割が、学生時代からの付き合いみたいですし、
地元大好きなマイルド・ヤンキーは、友人関係を維持したまま、家族単位で仲良くなるそうで、
これらを「ファンタジー」と捉えてしまう感覚こそが、
まさしく「オタク・ファンタジー」的な、モノの見え方なのかも知れませんよ(笑)。
と言いますか、もっとハッキリ言うと、これはオタク的な見方と言うよりも、
ただ単に、旧トルコ担当さん個人のリアル/ファンタジー感覚なのでは?

> > > まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、
> > > 法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、

> > こういうケースがあるのは知ってますけど、これをリアルだとは感じませんよ(笑)。
> > 2股、3股なんて例ならまだしも、リアル・ハーレム婚は日本だと希少例すぎますから。
> > とは言え、これが洗脳や調教を扱った話題であれば、その限りではありませんけどね。

ちなみにこの例、後から少し気になったのですが、
洗脳や調教と言うよりも、宗教的な話だったんですかねえ?
ハーレムを作っちゃう人は、リアルに存在するにしても、
養子縁組までして、キチンと法律的にも繋がろうとする例は希少でしょうし、
そこまで行うとすれば、日本の法律では重婚が禁止されているものの、
教義的に、4人まで結婚OKのイスラム教徒とかであれば、現実味も増すのかな?と。

とは言え、イスラム教の重婚許容という教義も、そもそもは戦争未亡人や遺児の救済目的ですし、
現代的な価値観とも合致し難く、経済的にも負担が大きい為、
今ではムスリム社会でも、余程の富豪か、途上地域でも無い限り、あまり見られない事なので、
単に日本在住のイスラム教徒というだけでは、そうそう無い話ではありますが。

> > > 俺ガイルも既に2シリーズほどシナリオ分岐(?)的なif展開を作者が書いてますね。
> > 1つの物語として、作品を仕上げる感覚が強かった、一昔前までは、
> > ifルートを公式で扱ってしまうのは、一種のタブー的な認識があったかと思いますけど、
> > そういう意識が薄れてきたのって、描き手がゲーマー世代になったからなのか?
> > はたまた、プロ作家の同人活動が珍しく無くなってきたからなのか?

> それもありますが、そもそもifルートを書いて面白いラノベといもの自体が珍しいと思うんですよね。
> ラノベとして商業出版する以上、ifルートも一定以上面白くないといけないわけで、それってなかなか難しいですし。

う〜ん、ラノベの事は詳しくないので、その辺の事情はよく解りませんが、
面白いストーリーである程、ifストーリーの需要が高まるのが、一般的では無いですか?
だからこそ、人気の歴史if小説みたいなモノが、これだけ量産されてる訳ですし、
ストーリーの出来が良ければ良い程、「あの時、ああしていれば」「こうしていれば」と、
読者の方から、ジワジワと欲求みたいなモノが沸き上がるような気はします。

また、ifルートとは少し違うモノの、近年はスピンオフ作品や続編など量産されがちですし、
人気タイトルであるほど、一定数の売り上げは計算できる為に、
商業的にも却って、言葉は悪いですけど、二番煎じ・三番煎じ的なビジネスが、
経済的にも余裕がない昨今、非常に増えている印象はありますけどねえ・・・・

> > > 自分も、なんだかんだで岡田斗司夫の二番煎じしか言えてない、みたいな部分は自覚していますので。
> > ちなみに、「教養としての10年代アニメ」は、
> > 近畿大学での講義を、書籍化したモノらしいのですが、
> > 四半世紀前、東京大学で岡田斗司夫が行った講義も、
> > 「東大オタク学講座」として書籍化されてますけど、
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4062759381
> > こちらに関しては、旧トルコ担当さん的に、どのような扱いなのでしょう?
> > 大学での講義として、オタク文化を語っているから、同じ穴の狢?
> > それとも、岡田斗司夫の講義であれば、また別格?

> 「東大オタク学講座」はそんなに面白くなかった印象。
> やはり、オタク人としての岡田斗司夫の最高傑作はYouTubeのジブリ解説と、ガンダム講座でしょう。

YouTubeのジブリ解説やガンダム講座が出色の出来である事は、私も同意(笑)。
対象とする作品の放映時間よりも、長く話せて飽きさせないのは、
もうそれだけで、話の内容が面白い証拠ですからねえ。

> あと、岡田斗司夫自身はアカデミズム系ではない人間が、たまたま東大で講師をやったという認識ですね。
あ〜、岡田斗司夫はアカデミズム系の人間じゃないというのは、確かにそうでしょうね。
これはもう、岡田本人も半ば認めている事なので、ハッキリ言ってしまうと、
サイコパスを自称するくらい、視点が常に自分中心で、都合良く話に嘘を混ぜる為、
そうした言説は、エンタメ的に面白くはあっても、やはり学術的には致命的ですから。
(東大での特別講義も、学生からの推薦枠によるモノだったかな?)

でも、だからこそ逆説的に言えば、岡田斗司夫の話って、
「どこまで本当なんだか」という疑いを、頭の片隅に抱いて聞く感じなので、
そのまま素直に受け売りとか、ちょっと難しいタイプの人ではありますよね。
まあ この辺りは、オタキングとして一世を風靡した一方で、
様々な悪評やトラブルも、同じくリアルタイムで見聞きした世代の捉え方と、
それを知らない世代の視聴者層とでは、やはり大きくイメージが違ってきそう。
ひろゆきとか、ホリエモンとかも、似たような感じですけどね。

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