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[23809] Re3:オタクの教養と古典の素養(その1)返信 削除
2022/1/19 (水) 21:16:40 徳翁導誉

▼ デジタルな恋人・娘・ペットの可能性
> > > 近未来の人類は、AI娘を喜ばせるために働いたり、色んな場所に行ったり、
> > > 何らかの作業をして、その過程で人生の喜びを得るんじゃないんですかね。

> > 「AI娘を喜ばせるために働く」って、なに、そのディストピア!?(苦笑)
> > 人類補完計画ならぬ、人類経済奴隷計画みたいな話じゃないですか???
> > まあ近未来どころか、一部の人たちは既に、例えばソシャゲ廃人の課金地獄のように、
> > 良いように、新自由主義経済のカモにされてる人たちが実在しますけど、
> > それを人類規模にまで広げるだなんて、相当悪い冗談にしか聞こえませんけどねえ・・・・

> いえ、私はAIに支配される近未来社会を肯定しているつもりも、支持しているつもりもないです。

でしょうね、だと思いますよ。
逆に言うと、だからこそ、敢えて苦言を呈するようなキツい書き方を前回しましたし、
解ってて意図的に言っているのではなく、無自覚に発言していて、
その事を指摘されても、恐らくは認識されないであろう状況の方こそ、根が深い問題であると。
でもまあ、こればっかりは、他人がどうこう出きる話ではなく、
結局は本人次第なので、この話はここまでという事で!!(笑)
今は意味は解らないかも知れませんが、今後 何らかのタイミングで ふと思い出した際、
多少なりとも、安全ブレーキとして働けば良いなぁ・・・くらいの気持ちで、私も書いた程度ですからね。

> ですが育成ゲームの延長線上というのも、スケールが小さすぎないですかね?
> で、そうしたレベルに達したAIはもう道具やツールではなく、一つの仮想人格だと思うんですよね。
> 仮想人格だからこそ、それに奉仕することで快楽を得る人も出てくるでしょうし、
> AIが戦争を煽ることもあれば、AIが逆に戦争の和平を仲介することだってあるかも?

え〜と、こういう発言をすると、何だかマウント取りみたいな感じで嫌なのですが、
濁さす言った方が伝わりやすいと思うので、ハッキリと述べてしまうと、
それこそ私は、旧トルコ担当さんの年齢と同じくらいの年月、
人工知能に関して、本職では無いものの、関心を持って学び続けていますから、
「スケールが小さすぎる」と言うよりは、AIを漠然としたイメージとしてではなく、
より明確なイメージ像で捉えて語っている為、恐らくは話が噛み合わない気がするんですよね。

例えば、「AIはもう道具やツールではなく」と発言されてますが、
私からすると、「近年ようやく、道具やツールとして使えるレベルになってきた」感じですし、
人工の知能を考える上で、人間の知能や感情もかなり調べたり考えてきましたから、
既に「一つの仮想人格」という言葉は、人工知能の事も、人間の知能の事も、軽く見すぎな気がして、
いつかは それを実現したい願いや、そこまでの道のりの遠さや困難さを思うと、
「まあ世間一般のAIイメージって、そんなモノだよな」という、感覚は一応あるものの、
「そんな簡単に言ってくれるなよ・・・」という所は、正直言ってありますね(笑)。

あとは、「本能・遺伝子」とか、「当然」とか言われると、
AIに対する思いが深いからこそ、私自身が科学的に反応してしまうというだけで、
旧トルコ担当さんが言わんとしてる所も、決して解らない訳では無いんですよ。
人間が、AIに感情移入するという事も、普通にあると考えてますし、
何なら、自分たちの手で、そうしたモノを作り上げたい願望だって正直あります(笑)。
だからこそ、この当たりの話題を続けるのであれば、私も本気になってしまうでしょうし、
逆に言うと、何となくのイメージで雑談を重ねるには、ちょっとキツい題材でもあると・・・・

ぶっちゃけ、これ以上に深く話を進めるのであれば、
相応の前提知識を、旧トルコ担当さんにも求める事になるでしょうし、
それに掛かる負担を思うと、却って、この話題はここで切り上げた方が良いのかな?とも。
そうでない話題設定としては、「育成ゲームの延長線上」あたりになりそうですが、
「スケール小さすぎ」と言われちゃいましたし(苦笑)、
もっと言うと、実際に育成ゲームをプレーされた上での返信なのかも、ちょっと解りかねてますので。
ちなみに、90年代ゲームの「森川君2号」とか「シーマン」あたりは、御存知なのでしょうか?


▼ BL・百合の背景
> > > この考え方で、「なぜ現代のオタクの間で、BLや百合が流行るのか?」ということを考えると、
> > > 「イケメンキャラや美少女キャラは、既に飽食の状態にあると。
> > > もうイケメンや美少女にみんなお腹いっぱいで、食べ飽きている。
> > > 美少女キャラが溢れているからこそ、自分は新しく出てきた萌えキャラにガチ恋できない。
> > > 満たされているからこそ、幸せにはなれない。
> > > そこで、他人の恋愛に共感することで、不足を自身の中に作り出しているのがBLや百合である。
> > > ある女の子にガチ恋している女の子に共感することで、自分はガチ恋できない女の子に、疑似的にガチ恋でき、
> > > そしてそれが満たされることで、自分も幸せになれる。
> > > だからオタクの間で、BLや百合が流行る」と考えているのですが、

> > う〜ん、こちらに関しても、半分正解で半分不足かな?
> > 確かに、作品数などのコンテンツ面で言えば、飽和状態にあるのは事実でしょうけど、
> > その一方で、平成前半の生まれを「さとり世代」などと呼ぶように、
> > 満たされてるから満足してるのでは無く、満たされてないから満足点が低く設定されていて、
> > 良く言えば手堅くて堅実、悪く言えば挑戦や冒険を避けがちな傾向がある為、
> > 共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じるんですよね、私には。

> 百合・BL論は例として語ったのであって、本気で唱えているわけではないです。
> 実際に百合・BLが広がった最大の要因は、異性に求めるハードルが高くなりすぎ、
> 同時に中途半端な現実よりも完璧なファンタジーの方が良いという、価値観が拡大したからでしょうし。
> (岡田斗司夫風に言うなら、ドリーム・ファースト)
> あとは自己嫌悪と同性嫌悪から、異性にファンタジーを求める、というのも大きいでしょう。

でしたら、私としても、そこまで異論は無しかな?

> 個人的な偏見では、異性へのあこがれより同性への嫌悪の方が強いのがBL、
> 同性嫌悪より異性へのあこがれが強いのが百合だと思っていますが、これはさすがに根拠に乏しいかな?
> 特に百合は女性ファンも一定数いますし。

BLの方はまだしも、百合に関しては、そこまで見当違いじゃ無いと思いますよ。
と言いますか、これってBLや百合というジャンル特性が どうこうという以上に、
各ジャンルのターゲットが、男性メインか? 女性メインか? の違いが大きい気がします。

あと、「百合は女性ファンも一定数いる」と言うのは、確かにそうでしょうけど、
数は少ないかも知れませんが、それはBLだって同じでしょうし、
BLアニメが地上波に登場し始めた頃、ちょっとした「純情ロマンチカ」ブームがあり、
実際、私も普通に恋愛モノとして、楽しんでみてましたからねえ(笑)。
と言いますか、旧トルコ担当さんって、BLアニメは見てます?
逆に言うと、御自身が百合アニメを観るから、女性ファンの存在に気付くのであって、
BLアニメの方は観ないから、男性ファンの存在に気付かないような気もしたのですけど?

また、「同性嫌悪」だと表現的に過剰な気がするので、「同性不要」くらいに止めますけど、
これに関しても、メイン・ターゲットが男性か女性かで、ちょっと異なる感覚。
と言いますか、女性向け作品の場合、別にBLに限らずとも、
そもそも同性不要な作品が多いと言いますか、
女性キャラは基本、主人公以外は要らない傾向が強い気はするんですよね。
少年マンガだと、スポーツ系を中心に、男同士の繋がりを描く作品は多いですが、
少女マンガでは、女同士の繋がりを軸に据えた作品は、そこまで無い気がしますし、
女同士の繋がりを扱う作品となると、主に萌え系が多いと感じるので。
で、そうした萌え系作品の場合には、今度は、読者層と同じ男性が不要になりがちだと(笑)。
この違いは、男性同士は婚姻の競争相手ではあると同時に、集団で狩りを行う仲間である一方、
女性同士だと婚姻の競争相手であり、仲間ではあっても、考えの基本単位が家族だからかと?

> 「人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無い」という意味においては、
> 恋愛結婚が少数派だった時代には、手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、ファンタジーとしてロマンチックに語られ、
> そしてそれがいざ手に入る時代が来ると、自由恋愛の嫌な点が目に付くようになり、
> 今度は同性愛が手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、
> ファンタジーとしてロマンチックに語られるようになっている、ということでしょうか。

う〜ん、これって以前にも散々説明しませんでしたっけ・・・・
「本質的」というのは、そんな表層的な話をしているつもりは無いのですが、
これを繰り返すとなると、「人間の本質的な欲求」という話は、今後避けた方が無難なのかな?
恐らく、旧トルコ担当さん的には、前出の「本能」とか「遺伝子」という用語も、
そこまで深い意味で用いてる訳じゃないでしょうし、
逆に言うと、それだと私の言いたい事って、まるで伝わらないと思いますので(泣)。

> という風に、私には百合・BLはポスト大量消費社会の一つとして見えているんですが、
> 管理人さんには退化に見えるのかぁ。

「退化」なんて単語、私が1度でも良いから使いましたっけ???
これだけ言葉を尽くして尚、それくらいの理解のされ方だとなると、
正直、かなりの徒労感に襲われるのですが・・・・
まあ、私の書く文章って、お世辞にも読みやすくは無いと、自分でも自覚してますけども。

> ちなみに、私は詳しくないですが、異性との恋愛が何らかの要因でうまくいかなくなった時には、
> 同性との恋愛がオッケーになっていくのは普遍的な法則なのでしょうか?
> 平安貴族も、平安後期には異性間の恋愛の事由がなくなり、男同士の恋愛ごっこに夢中になっていったようですし。

「普遍的な法則」とまで言うと強いですが、まあ普通にある事ですよね。
その理由は主に2つあり、1つ目は性欲や恋愛欲求を晴らす為の、異性代替の同性愛。
そして2つ目が、群れ内部の調和や集団戦闘の団結を計る為の、コミュニケーション的な同性愛。
こうした同性愛(特に男同士)行為は、人間だけでなく、動物においても意外と多く見られますね。
で、この場合は、1つ目のそれに該当するのかな。

例えば現代でも、刑務所とかは男性だけ、女性だけの収監となる為、
そこで同性同士の恋愛関係に発展するケースは、決して珍しい事例ではないと聞きます。
また、古くは古代ギリシャのスパルタとか、日本でも戦国・江戸の衆道などがあり、
戦前戦中の軍隊生活とかでも、そこは男性ばかりの世界ですから、そこで男色を覚え、
戦後の上野公園は、ハッテン場(男性同士の出会いの場)としても栄えてたんですよ。

ちなみに、なぜ上野だったかと言うと、江戸時代の頃から、寛永寺の門前町として栄え、
大勢居る僧侶相手の男娼売春宿も、多くあったという歴史の流れと、
鉄道の路線的に、上野が東北の玄関口だったという関係からですね。
数年前に、 豪華寝台特急「四季島」の特別ホーム開設で撤去されるまで、
上野駅の13番線ホームにあった男子トイレは、行きずりのヤリ場として有名でしたし、
不忍池のほとりに建つ、日本最大のポルノ映画館の2階席は、
暗黙の了解として、ゲイによる痴漢行為が平然と行われる場所でしたし、
昭和の終わり頃まで、世界遺産となった西洋美術館と上野駅との間には、
「竹の台会館(通称おかま長屋)」という、男娼窟が存在してましたからねえ。

今でこそ、ゲイの街と言えば「新宿2丁目」が有名ですけど、
あの辺りは元々、江戸郊外の宿場時代からの遊郭街(当時は宿場と売春宿は同義)であり、
そこが戦後の赤線(半ば公的な買春黙認地帯)廃止で廃れた所に、
上野浄化作戦で追われた男娼たちが、逃げ込んで発展した歴史があるらしく、
それでも未だに上野は、新宿2丁目に次ぐ日本第2のゲイ・タウンなんだそうです。
・・・って、ちょっと余談というか、話が脱線し過ぎたかな?(笑)


▼ 新自由主義の未来
> そこまで深く考えているわけではないですが、結局新自由主義も、加速して、
> 行くところまでいった末の崩壊が無いと終わらないんじゃないですかね?
> プロレタリア独裁も、ファシズムもそうでしたし。

ここは、私も同じ見立てですね。
人類の歴史なんて、その繰り返しとも言えますし。

> もしその予測が正しいのであれば、今は新自由主義がドンドン加速して行っている段階から、
> 社会の矛盾が大きくなっていく段階の途中にあり、
> 次には対立と悲劇的な結果、そして新自由主義の反省があるんでしょうね。

こちらに関しては、ちょっとだけ私の見立てとズレているかな?
社会の矛盾が大きくなっていく「途中」ではなく、
現在はまさしく、その「段階」に至っている感覚でいます。
まあ確かに、日本国内に限って言えば、そこまででは無いものの、
グローバル社会な現在、世界を見渡せば、確実にそうなってる気がしますからねえ。

> 今大学生の私の場合、あと数十年間でその一連の流れがあり、
> 人生100年時代なら50歳から70歳くらいで、新自由主義の消え去った次の時代を目撃できるのかな?
> まあしっかりとデータ集めて、考えた論ではありませんが。

そして、最も見立てが異なる部分が、ここかな?(笑)
この文章ですと、ポスト新自由主義は「30〜50年先」の話と捉えているように感じますが、
歴史を見れば、ファシズムは20年、冷戦も40年そこそこで終わってるんですよ!?
ケインズ経済の盛衰とかを見ても、1つの社会システムって、現代世界では、
だいたいは1世代(20年)、長くても2世代(40年)で限界に達するイメージがありますし、
時代変化のスピードが早まっている現在においては、
1つの周期が短くなる事はあっても、逆に長くなる可能性は低いと思うんです。

日本視点だと小泉改革以降の20年、世界視点だと冷戦終結以降の30年、
米英視点だとレーガンやサッチャー以降の40年が、新自由主義の時代と呼べますが、
果たして、これが更に30年も50年も続くかとなると、私はかなり懐疑的ですし、
既に問題が表面化している時点で、内部ではもっと進行していると見るのが無難であり、
冷戦の時もそうでしたけど、瓦解する時というのは、本当に一気に進むモノなんです・・・・
ゆっくりとジワジワ崩壊なんて、そんな悠長な例は、近現代史的に見ても稀ですので。
一連の流れが数十年も続くだなんて見立ては、相当甘いとしか思えませんよ。
数十年って、大日本帝国(77年)も、ソ連(69年)も、誕生して崩壊する長さですから(笑)。

また、歴史的な経験則だけでなく、実際の市場拡大を見ても、
ここ30年の間で、東欧・旧ソ連・東南アジア・中国・中南米・南アジア・中東の順に広げ、
今や、最後のアフリカも半ば手を着けてしまった段階に至っており、
多くの先進国では人口が減少し、世界的な人口増加も そろそろ頭打ちになりつつある昨今、
世界規模で、限られたパイの争奪戦が、今後も繰り返されるとすれば、
格差(負け組の割合)は更に広がる一方なはずで、新自由主義はかなり限界に来ている印象です。
まあ当分は、グローバルな大企業が、コスト削減で未成熟な既存市場を喰らい更に膨れ上がったり、
そうした弱肉強食な世界からこぼれ落ちた、ニッチな隙間産業に余地があるかも知れませんが、
それらだって大きな視点で見れば、別に全体のパイ自体が増えてる訳じゃないですからねえ・・・・
逆に尋ねるとすれば、一体どうすれば、新自由主義が今後も存続可能になるでしょうか?

それに、私の感覚で言うと、新自由主義はポスト冷戦とセットだと見ている為、
今後、アメリカ一極体制が終焉を迎えたとすれば、新自由主義の寿命も尽きるだろうと見ています。
そういう意味では、従来の覇権国家と、台頭する新興国家は、衝突を起こす確率が高いという
歴史法則「トゥキディデスの罠」に、米中関係がまさしくハマりつつある昨今、
このままで30年も50年も、動きのないまま続くはずが無い・・・という見立てで居ますね。
(これは、仮に米中衝突がアメリカの勝利で終わっても、衝突した時点で時代は転換点を迎えます)
数年前に流行ったピケティの「21世紀の資本」じゃないですけど、
戦争や革命という形で、歪みの補正が暴力的に行われる可能性は、今後十分あるでしょうし、
変な話、新自由主義のシステムが延命すればするほど、不満の風船も膨らみ続ける為、
それが破裂した時の反動も、風船が大きくなる程に、威力を増すだろうと推測されます。
このコロナ禍でさえも、ソフト・ランディングの機会として活かせませんでしたから。

あと、前回も含め、私の発言の主旨としては、
新自由主義システムの未来が、どうこうと言う以前に、
どんなシステムにも「建前(理想)と本音(現実)」があり、
建前(理想)の方を信じてしまうと、結果的に痛い目を見やすい忠告なんですよね。
現在進行形である、新自由主義に関しての話だと、ちょっと解り難いかも知れませんが、
例えば50年前に、共産主義の理想や建前を信じて、熱心に行動した若者が、
一体どのような末路を辿ったか・・・みたいな事を見れば、自ずと解るような気もします。
そして一方で、戦前くらいならまだしも、70年代くらいであれば、
その気になれば、相応の情報だって得られたでしょうに、それでも盲信してしまった危うさを、
今の時代に繰り返すべきではない・・・みたいな話でもありますね。
まあ、余計なお世話かも知れませんけど、これも何かの縁ですし。


▼ オタクの教養と古典の素養
> > > > > もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、
> > > > > オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
> > > > > 世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

> > > > あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
> > > > こうなると、どの辺りのラインまで来れば、これが恥ずかしく感じなくなるのかも、
> > > > ちょっと興味が湧いてきてしまいました(笑)。
> > > > となると、90年代の「機動戦艦ナデシコ」とか、どうなんでしょ?
> > > > 同じ90年代でも、「真ゲッターロボ」みたいな振り方の作品なら、大丈夫ですよねえ?
> > > > って、そもそもナデシコや真ゲッターを視聴済みかどうかも、解らない所ではありますが。

> > > 未見です。
> > > 昔のアニメで見てるのって、ヤマト・ガンダム・エヴァ以外では、
> > > 「未来少年コナン」「バビル2世」「銀河鉄道999(半分くらい)」くらいですかね。

> > あ〜、90年代アニメは昔の作品かぁ・・・(笑)
> > まあ、それはさておき、となると、
> > 前回も貼ったように、コチラで挙げた「私がハマった作品TOP30」も、
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20466#20466
> > 00年代前半までの作品が多いので、ほとんど未見な感じですかねえ?
> > もしかしたら、「これは見た」や「これは知らない」という作品を挙げる方が、
> > 未見の作品を挙げてもらううよりも、却って早かったりするのかなぁ・・・・

> その中だと、見てるのはエヴァ・まどマギ・銀英伝・school daysくらいですね。

30作品中で4作品となると、想像してた以上に少ない印象かな?
マニアックな好みの作品も含まれてますが、多くはメジャー所だと思いますし、
ガンダムやエヴァほどでは無いにせよ、その内の幾つかは、
オタク的に押さえておいた方が良いような作品も、結構並んでる気はするんですけどね。

「カウボーイビバップ」や「トライガン」などは、
普段はアニメなど見ないような大人の男性層にも、普通に薦められる作品ですし、
逆に、子供向け作品でありながら、大人(制作陣)が本気で悪ふざけしている
「カブトボーグ」や「はれ ときどき ぶた」は、1周回ってオタクにオススメかな?(笑)
でもまあ、以前に旧トルコ担当さんが薦めてくれた作品タイプを見ると、
あまり、旧トルコ担当さん好みの作品というのは、少ないのかも知れませんね。

> > > どの作品だから恥ずかしく感じる、というより、本気で好きな作品が恥ずかしいと感じますね。
> > > 例えば萌えアニメは、客観的に見ればすごく恥ずかしいものですが、
> > > 私は萌えアニメではそこまで恥ずかしくならなくて、
> > > それはメッチャ萌えアニメが好き、というわけではないからなんですよね。
> > > ですが、本当に好きな作品というのは、その本気の分だけ、やっぱり恥ずかしくなるので。
> > > 作品そのものの性質より、個人的な思い入れの強さが影響しますね。

> > え〜と、「好きを他人に語る」のが恥ずかしいという感情は、まだ解るのですが、
> > 「トップをねらえ」に関して言うと、「見た時に強烈に恥ずかしかった」んですよねえ?
> > 好きな作品だと、その分だけ本気になるとか、思い入れが強くなるのは解りますけど、
> > そこから「恥ずかしい」となる経緯が、いまいち私にはピンと来ていないかも・・・・

> 個人的には、トップを見て恥ずかしくなるのがオタクで、
> そうならないのが何だかんだでオタクの世界にも来てるけど、オタクの世界に住んでない人、だと思っているのですが、
> 「トップをねらえ!」っていうのは、オレ達オタクってこういう奴らだよな、っていう作品なんですよ。
>   (中略)
> ということは、管理人さんも分かっていたのかな、と思っていたのですが、

え〜と、そもそも前々回の段階で、既に私はこう書いてる↓んですけど、
> > > > あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
> > > > 80年代のオタク作品だから、今みたいに上手く隠せていないと言うか、
> > > > 「周りから白眼視されても、素直に好きだと言えるヤツだけ付いてこい」みたいな感じが、
> > > > あの当時の作品だからこそ、却って溢れているとでも言いますか・・・・
> > > > 「オマエら、こんなの好きだろ!」って感じの、開き直った てんこ盛りで、
> > > > 言うなれば、変にカモフラージュせず、オタク的な欲望を剥き出しにしている所が、
> > > > 今のオタク世代からすると、気恥ずかしく感じさせるというか、そんな具合なんですかねえ?

返信が1ヶ月以上空いて、年を越した事で、話の流れとか忘れちゃいましたか?(笑)
少なくとも私としては、今回の旧トルコ担当さんの主張と、同じ事を述べたつもりなのですが・・・・
と言いますか、その辺りの事情は百も承知の上で、
更にもう1歩踏み込み、なぜ「本気で好きな作品が恥ずかしいと感じる」のか?を、
自問自答の機会を与える意味も込めて、敢えて問うてみた側面もあったんですけどね。

例えば、今回出てきたキーワードからすると、
「子供っぽいから」とか、「幼稚だから」とかいう理由で、恥ずかしく感じるんですか?
でもそれって、前回の繰り返しになりますけど、世間の目を気にするからで、
自分の内面から発する「好き」という感情に、素直に向き合った場合、
好きは能動的で、恥ずかしいは受動的なのですから、分けて考える事も出来ますし、
オタク趣味って客観性よりも主観性ですから、結局は受動性より能動性が勝ると思うんですよ。
まあ確かに、「恥ずかしい」と思う部分も実際あるかとは思うのですが、
でも本当に、そんな気持ちが強くあるのなら、例えば庵野も学生時代に、
マスクを被らないウルトラマンの自主制作映像なんて、絶対に撮ってないはずなんです(笑)。
アニメが話題だと感情が交じり、冷静に観察し難いという事であれば、仮に食べ物の話をすると、
子供ってハンバーグが大好きですけど、大人になってもハンバーグが1番は恥ずかしいかも知れませんが、
でも「本気で好き」であるのなら、わざわざ恥ずかしがる必要なんて無いじゃないですか!?
ハッキリ言ってしまうと、「おたく、かくあるべし」との格言を知ってしまったが故に、
「自分もそうあろう」と、却って自らを縛ってる印象も、正直少し受けるんですよ。

そもそも今の時代って、「漫画・アニメは子供のモノ」という価値観が、相当薄れたと言うか、
そもそもアニメなんて基本的に深夜枠しか無く、本来のメイン・ターゲットであった子供たちも、
今では深夜帯に放送されたアニメを、ネット配信とかで見てる時代じゃないですか?
アニメとは全く関係のない商品のCMでも、アニメ・キャラが起用されたり、
自衛官の募集ポスターに「ストパン」が、政府広報CMに「東リベ」が使われるような(苦笑)、
ワンピースやドラゴンボールのフィギュアを、普通に恥ずかしく感じず買えるような時代です。
となると、「トップをねらえ」が制作された、80年代当時と同じ「恥ずかしさ」というのが、
果たして今でも、同じように存在するのか?は、やはり1つのテーマに成り得るとは思うんですよ。
ただし今回、旧トルコ担当さんの返信というか回答は、
文章に熱量があって、そこは非常にオタクっぽくって好印象だったものの、
でも この内容は、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、相当量が自分自身の考えではなく、
コピペ的というか、誰かの受け売り比率が高い気がしちゃうんですよねえ・・・・
それって結局、自分の「好き」を突き詰めるオタ活動とは、内面的にズレる行為でしょうし、
それをこの熱量で行ってしまうのは、ちょっとマズい進路方向なのかな?という印象も・・・・
簡単に言ってしまうと、もっと自分らしい言葉で語って良いんじゃないですかねえ?(笑)

> トップが恥ずかしいというのが分からないということは、そうではなかったのでしょうか?
上述の通り、「トップが恥ずかしい」といのは、別に解らない訳では無いのですが、
では実際、私自身が視聴した際に、恥ずかしかったかと言うと・・・恥ずかしいは恥ずかしいでも、
それは自分自身が恥ずかしいというよりは、他者の恥ずかしい行為で自分も恥ずかしくなる感じで、
正直に言えば、好意的な意味での「恥ずかしいヤツらめ!」って感じですね(笑)。
これは、「好きなヤツなら、滅茶苦茶ハマりそうだな」というのもありますが、
それを狙って作り、それこそ前々回にも書きましたけど、
制作側の「オマエら、こんなの好きだろ!」という意図が、透けて見えてしまったので、
何だか、その辺りのイヤらしさも込みで、「恥ずかしいなぁ」って感想でした。
どちらかと言うと、90年代のナデシコの方が、その辺りのイヤらしさを、
巧みに隠そうとしている感じが読み取れて、ちょっとした嫌悪感も抱いたかな?
いや別に、トップも、ナデシコも、どちらも作品として普通に楽しめましたけどね。

> ちなみに、この話は私の妄想というわけではなく、岡田斗司夫が言うには
> 「1〜4話が総集編、5話・6話は特撮で作られた続編、だから6話は(あの時代の特撮なので)白黒になる」だそうです。

う〜ん、白黒の部分に関しては、ちょっと後付けの理由ぽいなぁ・・・・
まあ実際、「ぶっちゃけ、やってみたいから やっただけ」って
インタビュー記事も読んだ記憶がありますし、
(制作費や作画作業の圧縮も念頭にあったものの、効果は無かったなんて話も・笑)
計画的に歴史の順を追うだけなら、5話が白黒で、6話はカラーでも良かったはずです。
ですから、多分に演出的な意味合いも大きかったと思いますよ、あの白黒演出は。
特撮の歴史が動とかに関係無く、「カレカノ」の最終話でも、同じ手法を使ってませんでしたっけ?

ちなみに、ずっと白黒映像で、最後にカラーを入れる事で、より劇的に見せる演出方法は、
日本映画だと、1963年の黒澤作品「天国と地獄」であったり、
もっと古い例だと、戦中戦後に撮られたソ連映画「イワン雷帝(第2部)」で、用いられてる手法ですね。
そういう意味では、まさしく「トップにオリジナルなし」なのかな?(笑)
(でもまあ、こういうのって、開拓者の後を進む第2世代以降の自虐・自嘲でもあるんですよ)
私は幼稚園児の頃、ゴジラが大好きだったので、白黒の特撮映画とかも見てましたし、
作品の出来さえ良ければ、別に白黒作品でも、別に避けたりする事も無いかな?
実際、私のランキングの中でも、3位に白黒アニメの「佐武と市」を入れてますしね。

> だって、私の好きな作品も全部全部子どもっぽいし、
> 自分の一番好きな作品は、この掲示板にかけないくらい、子どもっぽくて恥ずかしいんですよ。

そこまで言われると、却って気になるじゃないですかぁ!!(笑)
無理にとは言いませんけど、やはり作品名を聞きたくなりますよ。
まあ、「恥ずかしがる事が、恥ずかしい」みたいな事は言うかも知れませんけど、
少なくとも、「子供っぽい」なんて理由で、馬鹿にするような事は無いですよ。

と言いますか、私個人のランキングの中でも、
大学時代にハマった「おじゃる丸」を4位に入れてる時点で、
他人の事を「子供っぽい」とか、どうこう茶化せる立場でも無いですしね(苦笑)。
(おじゃる丸のオモチャ欲しさに、マクドナルドでハッピーセットを頼みまくってました時期も)

> しかし残念なことに、そんな素晴らしいオタクの時代は、89年の宮崎事件で終わりを告げてしまうわけです。
> 小さな世界で、オレ達こういう幼稚なアニメ好きだよねって、言っていられる時代は終わり、
> 闘いの時代が始まったわけです。

あの頃の記憶はありますけど、そんな「素晴らしい」時代だったかなぁ???(苦笑)
宮崎勤事件の前も後も、オタク趣味が白眼視されてた事に違いはありませんし、
違いを言えば、事件前は「変な人」扱いで、事件後は「危ない人」扱いだった事か?
事件を機に、世間の風当たりが更に強くなったのは確かでしょうけど、
人の噂も75日じゃ無いですけど、イメージの悪化はあったとは言え、
悪い意味での世間の関心は、それほど長続きもしなかった記憶ですけどねえ。
まあウチの場合、衝撃的に報じられた宮崎勤のビデオ部屋以上に、
我が家には、映画好きな父のビデオが大量に溢れていたので、印象はさほど(苦笑)。

ちなみに、事件の逮捕劇があった1989年(平成元年)7月って、
ちょうど「魔女の宅急便」が劇場公開された時でもありまして、
前作の「トトロ&火垂るの墓」から、興行収入が4倍に急増するヒット作となった事により、
「アニメの中にも素晴らしい作品がある」とか、「ジブリだけは別」って認識になってましたし、
(ちなみに、世間の風が完全に一変したのは、2001年の「もののけ姫」大ヒット以降かな?)
マンガの方も、1990〜1995年が少年ジャンプ500万部超えの時期に当たるので、
言われているほど「暗黒時代」って訳でも無かったんですよ(笑)。
そもそも、少数派が肩身の狭い思いをするのは、いつの世だって変わらない傾向ですからね。
しかも、多くの人が楽しむ大衆作品は存在したので、徹底的な弾圧があった訳でもありません。

まあ実際の所、センセーションで悲劇的・残虐的な事件ではありましたし、
物事の流れを簡潔に説明しようとすれば、格好のポイントであったのは確かですけど、
(「10万人の宮崎勤」デマなんてあったように、オタク側的にも象徴化させやすい事件でした)
世間のネガティブなオタク・イメージを定着&増強させたのって、
直接的な事件の影響以上に、あの事件に便乗する形で、
世間が望むキモオタ像を、まさしく体現する演出で売れっ子となった
批評家でタレントの「宅八郎」の影響が、非常に大きかったとは思うんですよね。
今風に言えば、世間が望む迷惑系YouTuber像を演じる事で、人気者となった感じに近く、
実際に宅八郎も、風体的なキモさを見せるだけでなく、数々の炎上事件を起こしたんです。
へずまりゅう じゃないですけど、こうして自らを道化化する事で、悪い意味での世間の要望に応えたと。

もっと言うと、当時のオタク世代にとって、真の意味での黒歴史というのは、
解りやすく批判しやすい、宮崎勤事件などよりも、
当時の新興宗教ブームにおける、「オウム真理教に対するシンパシー」の方でしょうね。
・・・って、シンパシーというと近過ぎるので、親和性とか類似性とかの方が無難かな?
まあ ともかく、新興宗教ブームの中で、そこにオタク文化やサブカルを取り入れたのがオウムであり、
彼らの勧誘場所も、秋葉原やコミケ会場だったりした訳で、
近い存在だったからこそ、ヤバさも世間以上に実感できてた反面、
そのまま惹かれて入信・・・ってケースも、決して皆無では無かったはず。
エヴァの放送開始は、地下鉄サリン事件の半年後でしたが、当時のインタビューで庵野は、
「自分たちのオウム的な部分は、作品として昇華させた」みたいに語ってたはずですし
オウム事件が歴史となった現在においては、この辺りに触れるのはタブーな話題でしょうけど、
当時の空気としては、普通に理解できる感覚の発言ではあったんですよね。
ある意味、オタク的な妄想をリアル社会で実現させてしまったのが、数々のオウム事件なので。

> エヴァンゲリオンはトップとは真逆を行く、「最高にクールで、知的な感じのする」アニメでした。
> それは言ってしまえば、もうそういう、外に見せても恥ずかしくないアニメじゃないと駄目だった、
> そういうアニメでオタク文化を守らないと、未来がなかった時代だということだと思うんですよね。

う〜ん、エヴァが「クールで知的」なアニメかぁ・・・・
いや、別に解らなくは無いんですけど、
私的にはエヴァって、良い意味で「キモいオタアニメ」認識だったので(苦笑)。
それこそ当時は、「子供っぽいけど好き」と同じ様に、「キモいけど好き」って感じでしたけど、
椎名林檎を、素直に「かっこいい」と感じるか、メタ的に「ダサかっこいい」と見るかみたいに、
同じ作品を楽しんでいても、感じ方は人それぞれって面はありますからね。
あの衒学的な雰囲気や、昭和映画から持ち込んだスタイリッシュな演出、クラシックのBGMなど、
素直に「かっこいい」と楽しんだ人も、当時から多かったですし(ブームになって以降は特に)、
四半世紀を経た今となっては、そういう感想になったりもするのかな?

ただ、少なくとも私個人としては、「トップとは真逆」という感じは持っていませんね。
同系統・・・とまでは言いませんけど、オタク的に好きなモノを色々詰め込んだ作風は、
同じGAINAX制作な事もあって、かなり似た印象を、私的には受けましたし、
トップと同系統となると、エヴァと同時期に作られた「機動戦艦ナデシコ」の方なのかな?
制作年代も違えば、製作会社も違い、OVAと地上波の違いもあるので、もちろん同じじゃないですけど。

> やっぱりオタクじゃないというのは本当なのかな?
別に私は、「自分はオタクじゃない」と嘘を付いてる訳じゃありませんよ(笑)。
少なくとも私自身は、自分の事を、オタクではないと思ってます(オタク的ではあるけども)。
まあ実際、アニメも漫画もゲームも好きなので、「ファン」であるのは確実ですが、
自分をオタクと呼ぶには、圧倒的に「好きの熱量が足りない」と感じているので。

ですが、その一方で、自分で言うのも何ですけど、
知識量で言うなら、それなりに有る方なんじゃない無いですかねえ?
少なくとも、一般的なファンのレベルは超えているでしょうし、
逆に言うと、オタクを称する人には、非オタな私以上の知識量は正直欲しい所(笑)。
でもまあ、オタクって本来、知識の量を競い合う世界じゃないと思ってますし、
その界隈の一般教養レベルの知識は、持ってた方が良いとは考えてますけど、
しかし最も重要なのは、その分野への熱量であったり、独自の世界観構築だと思うんですよ!!

そういう意味では、普通の「好き」を超える熱量を持ってた分野って、
私にとっては、「野球とサッカー」だったでしょうし、
そこから遠く離れて、「科学」「歴史」「文化(アート)」の3分野という感じ。
で、私がサブカル分野の知識も、ある程度は持っているのも、
人並みにアニメ・漫画・ゲームが好きだった事に加えて、
「歴史」と「文化」の視点が、そこへ更に加わっているからですね。
ですから、同じ様な感じで、「科学」と「歴史」の知識から、
鉄道オタクの友人とも、普通に鉄道オタ話が出来るのですが、
しかし、だからと言って、私は別に鉄道オタクという訳ではありません。
とは言え勿論、そうしたオタ話を楽しめる程には、鉄道好きではありますけどね。

それと、以前も少し書きましたが、元々「オタク」って自称ではなく他称なので、
私自身はオタクだと思って無くても、もしも旧トルコ担当さんがオタクだと感じているのなら、
それはそれで、私の事をオタクだと思ってくれていても、別に構いませんよ(笑)。

> > ・・・って、こんな事が気になるのも、私からすると「オタク的行為」ですし、
> > 私の定義からすると、自問自答して、自己分析する人種こそ、オタクな気はしています。
> > 「この作品は、なぜ面白いのか?ツマらないのか?」から始まり、
> > 「自分は面白いのに、ツマらないと言ってるヤツが居る」や
> > 「自分はツマらないのに、面白いと言ってるヤツが居る」という分析を経て、
> > 最終的には、観測者としての自分自身の傾向を見出す方向に進むイメージがあるので。
> > 言い換えば、「好き」を突き詰めて行けば、自分が感じる「好き」とは何ぞや?に至ると。
> > 好きで満足するのはファンでしょうし、好きをコレクションするだけではマニアなので。

> 好きを突き詰めるって、どんな感じなんでしょうねえ?

150年くらい前まで、アカデミック(学問)とオタク(娯楽)って未分離だったというか、
そもそも「博物学」あたりは、当時の「オタク・コレクション」みたいなモノでしたから、
基本的には、学問的な知識の追求と、そんなにスタンスは違わないと思うんですよ。
それが産業革命を契機に、社会の近代化によって、学術的に求められる知識の枠組みが確立され、
アカデミックとオタクとは、明確に線引きされる事になる訳ですが、
この両者を分けたモノって、何を探求の中心に据えたかの違いであって、
アカデミックは「客観的な正しさ」を、オタクは「主観的な楽しさ」を軸にしたと。
そういう意味では、中心軸の設定が異なるだけで、「知の体系化」という追求の仕方は一緒かな?

> > > 要は、ぶっちゃけガンダムは古いと。
> > > といいますか、私もいろいろ勉強する前は、オタク=萌える人であり、
> > > ガンダムファンがオタクだとは思っていませんでしたので。

> > ぶっちゃけ、私からしても、ガンダムは古いですよ(笑)。
> > 別に私も、リアルタイムで見てた世代じゃありませんからね。
> > ですが、こと「教養」という観点から見るのであれば、
> > その基準となるのは「古い・新しい」ではなく、「重要か否か」であるはずで、
> > 日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!

> 「日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!」
> というのはもちろん賛同しますが、
> 日本アニメ史やサブカル史って現在の平均的なオタクの興味の対象なんですかね?
> 萌えアニメの歴史や教養であればオタクとして押さえておけよ、というのは理解できますが、
> 日本アニメ史まで範囲を拡大するの?という感じです。

それは「アニメのオタク(アニオタ)」ではなく、「萌えアニメのオタク(萌え豚)」なのでは?
(伝わりやすいよう略称を用いただけで、別に萌えアニメのオタクを腐す意図はありません)
野球界で例えるなら、プロ野球ファンと巨人ファンは別だというのと同じですね。
当然、プロ野球ファンであり、なおかつ巨人ファンであるという人は大勢居ますけども、
巨人ファンだからと言って、必ずしもプロ野球ファンであるとは限りません。
熱烈な巨人ファンであっても、パ・リーグの球団名は全て言えない人は居るでしょうが、
「プロ野球ファンを名乗る以上は、全12球団は言えて当然」みたいな感覚があるように、
萌え系は現在、アニメ界の巨人や阪神に相当する人気かも知れませんけど、
アニオタを自称するなら、それ以外の系統も最低限の知識は必要だよね、という話です。

> そういう意味では、私の思う萌え系のオタクは、管理人さんの言うアニメオタクとはある程度違うイメージ。
> ガチのアニメオタクというと、私のイメージでは、
> 宮崎キャラの走り方と高畑キャラの走り方の違いかを語っている、本当の意味でアニメーションが好きな人ですね。
> この辺、管理人さんとしてはどう思われるのでしょうか?
> 管理人さんとしては、ABC押さえたうえで、いやガンダムも見ろよなのか、
> いやエロゲとかはそこまで重要ではないでしょ、ということなのか。
> あと、ガンダムは必須として、手塚治虫とか、戦後アメリカのSFとかはどうなんでしょう?
> オタクならそこまで押さえとくべき?

1つ1つの作品の要不要を問うよりは、もっとザックリしたイメージで言うと、
オタク同士で話していて、出てくる用語や作品の説明をわざわざする必要が無く、
共通認識として語れるレベルって感じですね、個人的には。
そういう意味では、どの程度のオタクを目指すかという事なので、
要したり、欲したりする知識量は、個々人や各分野ごとに異なるでしょうし、
「自分はどの当たりで満足するか?」 「相手には最低限、どの程度を望むか?」
というのは、自ずと出てくる課題ですよね。

もう少し解りやすく言うと、学校に例えるならば、
小学生レベルか? 中学生レベルか? 高校生レベルか? 大学生レベルか? 研究者レベルか?
自分自身が現在どのレベルに居て、どのレベルを目指し、
相手がどのレベルだと、ストレス無くオタク話を楽しめるか・・・みたいな感じで、
前者の方で求められる知識量が決まり、後者の方でその人がオタクと認めるラインが定まると。
一言に「数学が得意だ」と言っても、中学レベルの数学と、大学レベルの数学は違いますし、
英語は大学レベルだけど、理科は小学レベルの人は、総合的に大学レベルと呼べるのか?とか、
コンピュータは扱えなくても、生物学を極めていれば、その人は理系だよね、って具合でしょうか。

・・・と、これだけでは話が抽象的でしょうし、具体的に質問に答えると、
もう何度も繰り返して言ってますけど、現在では、
広義的な意味での「オタク」という単語使用が広まり、
「ファン」と同じ様な意味で使われることが増えているので、
それをどうこう言うつもりは一切無いんですよ、言葉は生き物ですし。

ただ一方で、私が個人的に「この人はオタクだなぁ」と感じるラインとなると、
少なくとも私自身は、自分の事を「オタクと呼べるレベルにはない」と見なしているので、
私よりも上のレベルの人と言うか、その人のオタク分野の知識や活動を聞いた時に、
関心させられるレベルの人を、オタクだと見ている感じですね。
そういう意味では、手塚治虫も、SFも、エロゲも、ガンダムも、
私が気遣いする事なく、わざわざ説明せずとも話が通じる相手であれば理想ですけど、
その辺りの知識がごっそり欠けていても、専門分野の知識が豊富であれば充分ですよ。

もう少し具体例を述べるなら、それこそ上段で「トップのねらえ」の話題が出ましたけど、
そこで私は、「ナデシコ」とか「真ゲッター」の名前も既に出してましたから、
もしも旧トルコ担当さんが、これらの作品を視聴済みであったり、
少なくとも、どういった感じの作品で、どういう系統の代表作を把握していれば、
互いに共通認識となる土台を築けていたので、無駄な空回りする展開を避けられたと(笑)。
まあ、オタク分野に限らず、何らかの専門的な話をする際って、
この辺りの前提知識を共有できていた方が、深い話をする際にスムーズで良いんですよね。
それこそ、全く同じテーマに関して語り合うにしても、
中学生同士と、大学生同士と、研究者同士とでは、それぞれ話の密度が変わってくるみたいな。

また、特定分野の知識しか持ち合わせないと、
「凄いモノを見た!」「新しいモノが現れた!」と感動しても、
「それって○○からの流用だよ」という事は、実際には非常に多いですし、
ただ単に、個々の作品を楽しむだけなら、別に知る必要ない知識かも知れませんが、
好きを追求するというか、ファンではなくオタクだという事であれば、
その辺りも押さえておきたい所ですし、
結果的には、そちらの方が「更なる面白さ」に繋がると思うんですよね。
(百合関連の話題の際に少し触れましたけど、寺山修司の実験的な試みとか、今でも面白いですよ)
例えば学校生活では、遠足で博物館や美術館だったり、修学旅行で名所旧跡を訪れますけど、
同じ「行く」にしても、知識があるか否かで、楽しみのレベルが異なってきますし、
皆でワイワイやって楽しいだけでも良いですが、オタクなら そこの楽しさも欲しい所だと。
知識を持った上で、馬鹿をやりながらも、真面目もあった方が、同じワイワイにも幅が出ますし、
そこで楽しさを覚えたなら、学校行事だけでなく、自発的にも行きだして良いんです!!

例えば、評判のラーメン屋に行き、「これは美味しい」とリピーターになるのも良いですけど、
そこから更に、「もっと美味しいラーメンを知りたい」と、自らラーメン屋歩きを始める事が、
好きの追求というか、オタク的な在り方のようにも思えるんですよね。

> > > そういう意味で、オタク的な教養はせいぜいエヴァまでな気はします。
> > それって、何か明確な基準があっての、エヴァでの線引きなのでしょうか?
> > もしも、旧トルコ担当さんの世代的にという話であれば、
> > エヴァだって25年前の作品ですから、これだって充分に古いでしょうし、
> > それこそ、旧トルコ担当さんよりも更に若い世代から見れば、
> > 11年前に連載が始まった俺ガイルにしても、充分に古い作品でしょうからねえ。

> 今の作品=今アニメで放送されている作品、あるいは今後2期、3期が来そうな作品、
> というのが今のオタク的な感覚ではないでしょうか?
> なので、俺ガイルはアニメ最新作が20年放送で、原作ラノベが現在も刊行されているから今の作品。
> ソードアート・オンラインも映画が続編製作中で、原作も刊行中なので今の作品。
> ポケモンも新作が作られ続ける限りは今の作品という扱いです。

・・・となると、「ぶっちゃけガンダムは古い」という、最初の話が揺るぎませんか?
最近だって、「ハサウェイ」や「オリジン」があった訳ですし、
そういう意味ならばガンダムも、現在進行形の「今の作品」となるはずですが(笑)。

> > > > > ふと気になって調べてみたところ、
> > > > > エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
> > > > > そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

> > > > でも、単純に人口比の数字だけで言うのであれば、
> > > > 今から20年後に劇場公開して、470万人(シン・エヴァの7割)を動員できる作品が、
> > > > 2010年代アニメの中に、果たして在るのか?って事でもありますよね。

> > > もちろん、世代動員率とでも名付けるべき値がエヴァは非常に高かったというのも承知しています。
> > > ですが、世代動員率には世代の総人口が必ずかかっているわけであり、
> > > 世代の総人口が減れば文化的な厚みは減って当然ですよね。

> > いや〜、人口とは絶対的な値であり、動員率とは相対的な値なのですから、
> > 絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする事を、
> > 「当然」であるとは、私はまるで同意できませんけどね・・・・
> > 逆に言うと、なぜ「当然」と思われるのか、その理由を伺ってみたい所。
> > これはもう、エヴァがどうとか関係無く、純粋に科学的な話として。

> 何でしょう、書き方が悪かったのでしょうか?
> 「絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする」という趣旨ではなかったのですが。
> 例えば、アニメ人口100万人の90年代中期にアニメA、B、Cが放送されていたとして、
> アニメAを80万人が見て、Bを10万人、Cを10万人が見ていた。
> 同じく現在、アニメa、b、cが放送されていたとして、
> アニメ人口が50万人ならば、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人見ていたとすると、
> 各アニメの世代動員率(=人気集中率)がどうであれ、
> 全体の母数の100万人、50万人というのは変わらない、ということを言いたかっただけです。

では、「全体の母数は変わらない」という話が、
「エヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然」
という最初の話に、一体どのように繋がるんですか?
もっと言うと、そもそも「盛り上がる」とは、どのような意味合いで用いてるんですか?
要するに、厳しい言い方をすると、「書き方が悪い」と言うよりも、
明確な定義を欠いたまま、ふわっとしたイメージで用語を用いてる為に、
その時々で、意味合いがコロコロ変わってる印象を受けちゃうんですよね。

それこそ上述の例で言うならば、
アニメ人口100万人だと、アニメAを80万人、Bを10万人、Cを10万人が見ていて、
アニメ人口50万人だと、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人が見ていたとしてますけど、
これは何故、単純に半減して「アニメaを40万人、bを5万人、cを5万人」じゃダメなんでしょう?
「人気集中率がどうであれ」と言いたいだけなら、「アニメaを45万人」だって良いはずで、
これだと80万人という絶対的値では劣るものの、比率は80%と90%なので相対的値では逆に勝ります。
ではこの場合、人口50万人の方は、盛り上がれていない事になるのでしょうか?
そして、そう見なすのは、果たして当然の事なのでしょうか?

> > > あと、私が「昔の名作アニメを履修する」ことをやたら否定的にとらえているのも、
> > > かなりオタク文化自体の高齢化を見させられているからなんですよね。

> > う〜ん、これってそもそも、「履修」という言葉に対するイメージの違いがあるのかな?
> > 取得を義務づけられた単位を収める行為というのは同じでも、
> > 卒業資格を得る為に仕方無くか? 学問理解を深めるのに不可欠か?

> 私も履修自体を否定しているわけではありませんし、
> 今絶賛ガンダムを見ているのですが、別に義務感で見ているわけでもないです。

でもきっと、義務感から昔の名作を「押さえる」べく視聴する、若手オタクは多いでしょうし、
逆に、置いてかれない為、流行の話題作を「押さえる」べく視聴する古参オタクも居るはずで、
視点を変えれば、昔の名作だけでなく、現在の話題作だって「履修」の対象に成り得ると。
それこそ昨今であれば鬼滅なんて、それを見てるだけではオタクと呼ばれませんが、
それを見ていないと、さすがにオタクとは呼べない気がしますからねえ(たとえ興味の対象外であっても)。

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