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[23810] Re4:オタクの教養と古典の素養(その2)返信 削除
2022/1/19 (水) 21:17:15 徳翁導誉

▼ オタク的なリアルとファンタジー
> 俺ガイルの3人(主人公と、ダブルヒロイン)って、建前として
> 「私たちは部活だけの関係で、お互いそんな仲良くないよね」という体で人間関係やってるんですよね。
> なので、この3人が部活動の範囲を超えて、個人的な友達として学校を出て遊びに行くときは、
> 毎回毎回何らかの「だったらしょうがないよね」という理由を用意して遊びに行くんですよ。
> 大抵は、主人公の妹が空気を読んで、何らかの学校外で遊ぶ理由を用意してくれるのですが。
> (自分で文章にすると、改めてその異常性を確認させられますw)

まあ確かに、リアルの世界で考えれば、レア(異常)な感じかも知れませんけど、
でもオタク作品の世界観だと、結構よく見る設定じゃないですか?(笑)
非リア充な主人公が、非リア充というスタンスを維持したまま、
それでもリア充的な体験をさせるには、いろいろ設定を組まなきゃいけないですし、
それこそ、以前に名前を挙げた「はがない」とかも、似たような設定じゃありません?
また最近は、少女漫画の恋愛モノでも、この手の設定は増えてるような気はします。

> そして、社会規範という表現が出てきたのは、この3人は一緒の大学に進学するの?ということに対してであり、
> 友達と一緒の大学に行きたいから、志望校を下げる、というのはかなりリアルな問題でしょう。

そもそも、今回の件に関して言うと、俺ガイルの設定やストーリーがどうこうでは無く、
この「社会規範」という、旧トルコ担当さん自身のワード選択に対して、
ツッコミを入れてる面が大きかったんですけどね(笑)。
(言い換えれば、作品自体のリアルさではなく、旧トルコ担当さんのリアル感覚が主題)
社会規範って平易に言い換えると、モラルとか常識という意味なので、
「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」なんてモラルや常識が、社会に存在するか?
という事を、問い直してみた訳ですね、前回の話の主旨的には。

あと、日本って良い悪いは別として、未だに男性中心社会なので、
「彼女と同じ大学に行きたくて、志望校を下げる」という例は少なくても、
「彼氏と同じ大学に行きたくて、志望校を下げる」という例は結構ありそう。
もっと言えば、下げる方向ではなく、彼氏・彼女・友達と同じ大学に行くべく、
「頑張って勉強して、志望校を上げる」というのは、普通によくありますよ。
こういう共通目標の設定は、受験勉強のモチベーション・アップに、非常に効果的ですし、
ある意味、そこでWヒロインの片方だけ落ちれば、その時点で実質決着エンドかと?(笑)

それに、大学の数自体は日本国内に多くあれど、
「現実的な選択肢って、それほど多いか?」というのも、ありますね。
俺ガイルの学力設定がどうなってるかは解りませんが、ある程度の進学校になると、
上京しないのであれば、地元の国立大学を狙うのが一般的ですし、
上京するのであれば、私立大学だと、まずは早慶って感じですからねえ。
MARCHとか、日東駒専とか、同程度の偏差値帯にある大学群は、それほど数ある訳じゃなく、
同程度の偏差値帯であれば、余程の拘りの学校が無い限り、仲間と同じ大学で良いのでは?
まあ、旧帝レベルを目指すとなると、少し事情は違って来ますけども、
リアルにその辺を狙うとなると、ドラゴン桜みたいに、また別の要素が作品に加わりそう(笑)。

> > > > > まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、
> > > > > 法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、

> > ちなみにこの例、後から少し気になったのですが、
> > 洗脳や調教と言うよりも、宗教的な話だったんですかねえ?
> > ハーレムを作っちゃう人は、リアルに存在するにしても、
> > 養子縁組までして、キチンと法律的にも繋がろうとする例は希少でしょうし、
> > そこまで行うとすれば、日本の法律では重婚が禁止されているものの、
> > 教義的に、4人まで結婚OKのイスラム教徒とかであれば、現実味も増すのかな?と。

> 宗教的、ということは無いですよ。
> 主人公は千葉県のオタクの高校生であり、文化祭やったり、修学旅行へ行ったりする、ごく普通の平和な話です。

いや別に、これは俺ガイルの話をしてる訳じゃ無いですよ(笑)。
旧トルコ担当さんが以前挙げた「1人の男性が3人の女性と夫婦になり」という実例に対してです。

逆に言えば、そんな宗教性を帯びたと言うか、異世界モノならまだしも、現代社会モノで、
ハーレムを正当化する為に、宗教まで持ち出すラノベ(オタク作品)というのが、
本当に存在するのであれば、それはそれで少し興味深いなと、ちょっと思っちゃいました(笑)。
Wヒロインとの重婚エンドは、50年前の「いなかっぺ大将」から既にありますけど、
宗教的な事由とか、法律的なケジメまで付けてる作品を、少なくとも私は知りませんからね。

> 個人的には、管理人さんのマイルド・ヤンキーでは普通でしょ?という指摘から、
> また作品に対する考察が深まって勝手に楽しめました。

まあ正直、転勤族として日本各地を数年おきに転々として育ち、
「地元」というモノを持てなかった私にとっては、
「地元大好き」で、子供の頃からずっと関係が続く人々というのは、羨ましくもあるんですよね。
私は地方暮らしも経験している為、マイルド・ヤンキーとかで無くても、
地元に残った人というのは、リアルにそんな感じな事は、実例として知っていますし、
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」と歌った室生犀星にさえ、
「望郷の念に涙ぐめるだけ、まだ恵まれてるよ」と思ってしまう(苦笑)。

> > > それもありますが、そもそもifルートを書いて面白いラノベといもの自体が珍しいと思うんですよね。
> > > ラノベとして商業出版する以上、ifルートも一定以上面白くないといけないわけで、それってなかなか難しいですし。

> > う〜ん、ラノベの事は詳しくないので、その辺の事情はよく解りませんが、
> > 面白いストーリーである程、ifストーリーの需要が高まるのが、一般的では無いですか?
> > だからこそ、人気の歴史if小説みたいなモノが、これだけ量産されてる訳ですし、
> > ストーリーの出来が良ければ良い程、「あの時、ああしていれば」「こうしていれば」と、
> > 読者の方から、ジワジワと欲求みたいなモノが沸き上がるような気はします。

> 物語として、背後の流れみたいなものが出来上がっていれば、そういったifルートも作りやすいのかもしれませんが、
> 今の作品はキャラクターありきだからか、ifルート想定すること自体が難しい気がしますが。

いや〜、キャラ立ちしていれば、しているほど、
ifルートに限らず、舞台設定さえ与えれば、
キャラが勝手に転がりだして、ストーリーが出来上がるモノだと思うのですが、
まあこれは結局、個々の作家の創作法次第かも知れませんね。

それこそ、今月亡くなった水島新司など、三振のシーンを描いてたつもりが、
キャラが勝手にホームランを打ってしまう事があったそうで(笑)、
さすがに、そこまでの例は珍しくとも、
「このキャラなら、この場面で、こう動くよな」くらいまで、キャラ作りできてると、
その場の状況と顔触れで、独りでにストーリーが決まって来るという話は、よく聞きますし。


▼ 評価経済社会とベーシック・インカム
> 私は、評価経済論などは、何となく正しい気はするけど、実際のところよく分からない、けど面白い。
> みたいな感覚なのですが、評価経済っていうのはどういうことなんでしょうか?

まあ将来の事など誰も解りませんし、これはあくまで私の個人的な見解ですが、
ネットの発展、特にSNSの登場によって、多くの人からの「評価」を手軽に得られるようになった昨今、
「いいね!」を求める承認欲求というのは、高まっていく一方な社会状況ですし、
社会格差の拡大により、経済的な満足感が得難い時代となって行くなら、
この傾向は、更に強まっていく事が予測されますからねえ。
逆説的に言うと、それだけ今後は、「評価」による心理的な満足感の価値が高まりそうだと。

ただ、その「評価」が、「経済」と呼べるようなモノにまで発展するかは、ちょっと不透明そう。
ある意味でそれって、ネットを介した物々交換の世界でしょうし、
交換される商品は、昔のような実用品に限らず、オタク的やアート的な嗜好品であったり、
それこそ実物など存在しないような評価や関係性であっったりなど、かなりのレベルアップが必要で、
それを上手く回して、経済や社会と呼べる程までにシステムを完成させるのは、結構至難の業かと?

で、私が考え付く範囲で、その方法論を探ろうとすると、
ベーシック・インカムの導入は不可欠だと思いますし、
そこに、アメリカにあるような食糧クーポンや、欧州にあるような地域通貨の仕組み、
更には、電子マネー化が容易となるであろう、時間と共に価値が減る通貨を組み合わせていくと、
配るお金は従来通りの通貨ではなく、言うなれば「地域発行の仮想通貨」でも良いんですよね。
こうやって、活きていく上で必要な最低限の経済通貨を、リアル通貨とは切り離して存在させられれば、
その生活に満足して、あとは心理的満足感を求めるのであれば、評価経済社会も成り立つでしょうし、
物々交換ではなく、評価の数値化をその仮想通貨に組み合わせば、実現性はもっと増しそう。
言うなれば、リアル通貨の方は、勝ち組生活者の経済的満足感を満たす為に存続し、
負け組生活者の「健康で文化的な最低限度の生活を営む」通貨として、
新たに、評価経済や仮想通貨を用いるようなイメージですかね?

・・・って、よくよく考えると、学生とは言え、
旧トルコ担当さんの方が、経済を専門として学ばれているのですから、
経済に関して疎い私があれこれ語るのも、何だか妙な構図かな?(笑)

> それこそ評価経済が正しい未来予測なのであれば、私も普通の会社で匿名の社員をやるより、
> 今は不安定でもいいから、とにかく私自身の名前を認知してもらえるような仕事をした方が、良いということになりますし。
> 実際、評価経済社会って、今のインフルエンサー程度が終着点なのか、
> それとも本当にお金よりも評価が優位になる社会が来るのでしょうか?

え〜と、何だか危なっかしい感じなので、ハッキリと言ってしまうと、
悪い事は言いませんから、まずはシッカリと「普通の会社員」をやりましょう!!(笑)
(ちなみにこれって、匿名の社員じゃなくて、無名な社員の事ですよねえ?)
前回も少し書きましたけど、余程の能力や行動力のある人間でも無い限り、
微少な個人が、大きな力や守りを得るには、何よりも組織に属するのが重要であり、
組織に属さず個人活動するよりは、組織に属した上で個人活動する方が、圧倒的に有利です。
とりあえず最初は組織に属し、後から独立してフリーになるルートはあっても、
最初がフリーで始まり、後から組織に入るルートというのは、日本だと ほぼ存在しませんしね。

それこそ現在の新自由主義が、今後も30年50年と続くと考えておられるなら、尚更の事!!
だって、仮に評価経済社会が広がる時代になったとすれば、
従来の貨幣経済とは共存可能であったとしても、少なくとも新自由主義の崩壊は必須条件でしょうし、
逆説的に言えば、新自由主義が存続する限りは、まず間違いなく評価経済社会なんて訪れませんよ。
まあ、新自由主義が続いた上で、「評価こそが生き甲斐」という社会は築かれるかも知れませんが、
でもそれは、そこしか縋る糧のない、大量の経済的奴隷(負け組)を生み出す社会であり、
少なくとも、評価と社会との間に、「経済」が入り込むようなモノには、成り得ようも無いはずです。

オタキングやホリエモンの主張に共通するのって、その他大勢にとっては実現困難でも、
当人は可能であれば、それがあたかも社会的・普遍的に当てハマるかのように語る所であり、
実現性を真面目に考えて、そこを指摘してくる意見には、
「そんなの知らねぇ」と切り捨ててしまう印象があるんですよね(笑)。
まあ、それくらい自分本位な人の方が、行動力としては高くなるのでしょうけど、
何か大きな仕事をしようとする場合、広範な人々の事を考慮できない為、実現力は落ちるのかな?
な〜んて、それ以下な人間が偉そうに語っちゃってるのですが(苦笑)、
でもまあ彼らは、そこそこのポジションを築いていて、発信力などもあり、
その気になれば相応の仕事が可能である事を思うと、その辺りが実に残念ではあるんですよね。


▼ 80年代後半から90年代前半のオタク文化
> > > 80年代後半から、90年代前半のオタク文化って、個人的にどうしても印象が薄いんですよね。
> > 70年代後半から80年代前半が、0から1になった時代だとしたならば、
> > 80年代後半から90年代前半は、1が10にも100にもなった時代であり、
> > この時代があったからこそ、今の人たちも楽しんでいる「オタク文化市場」が生まれた訳で、
> > 逆に言うと、この爆発的な成長期が仮に存在しなかったとしたら、
> > アニメだって、ゲームだって、マンガだって、今のように多くの人が楽しむ社会になってませんよ!!

> 「1が10にも100にもなった時代」、なるほどそういうことだったんですね。
> というのも、何となく80年代後半から90年代前半は、「アニメ冬の時代」のイメージが強く、
> というのはオタク第1世代史観が強く反映されていたからなんでしょうかね。
> 図書館で読んだ本なんかも、どうしてもオタク誕生の70年代後半をメインに扱った書籍が多く、
> そうするとどうしても80年代後半からは、テレビでのアニメブームが終わり、OVAの時代、みたいな感じになりがちでした。
> でもこれって、明らかに70年代後半にオタクになった、第一世代の史観なんですよね。
> オタクの歴史系の本でも、80年代後半から90年代前半のアニメ等があまり扱われないのって、
> 逆にメジャーすぎて「あえて書く必要ある?」という感じだったのかな?
> いやー、長年の疑問がかなり整理されました。
> 前々から、数字でオタク史見なきゃいけないとは思っていたのですが、なかなかそんな数字は出てこないんですよね。

まあ歴史的に語ろうとする場合、どうしても転換点となった「ポイント」に目が行きがちですが、
成長や没落するタイミングや その前後であったり、変化の度合いや速度というのは、
数学的に言えば微分みたいな感じで、「傾き」具合に注目する観測方法もあるんですよね。
とは言え、「この頃の傾斜角度がエグい!」とかよりも、
「この時、傾斜がプラスからマイナスに転じた」という方が、劇的なのは確かですし、
言い換えると、「萌芽から成長」や「成長から停滞」は語りやすくても、
「順調に成長中」というのは、意外と語りにくい面はあるような気がします。
それこそ、ブームという現象は語りやすく、ブームの定着後は語りにくいみたいな感じで。

それこそ、80年代後半から90年代前半の時期というのは、
旧トルコ担当さんもおっしゃられた通り、ジャンプ黄金期にあたる訳で、
そんなジャンプの名作が次々とアニメ化され、テレビ各局のゴールデン帯を席巻してた頃、
団塊Jr.世代は分厚かった為、夕方も夜も、今とは違ってアニメ番組ばかりで、
言うなれば、「全局テレ東状態」みたいな感じだった訳です(笑)。
(夕方枠は再放送も多かった為、自然と過去の名作も押さえてました)
ドラゴンボールも、北斗の拳も、スラムダンクも、聖闘士星矢も、こうしてアニメ化され、
あのジョジョでさえ、アニメ化の順番が回って来なかった時代ですからねえ・・・・
なので、決して「アニメ冬の時代」であったとは、個人的には思わないかな?
もちろん、「新たな変化」という観点から語るなら、OVA勃興の時代だと私も思いますけど。

> 「当時(注:70年代後半)オタクは100人の村であった」という氷川隆介さんの発言や、
> 「オタク第二世代(80年代後半から90年代前半あたり)からオタク・グッズが出てきて、
>  自分たちの時にはグッズなんてなかった」という岡田斗司夫の発言も、
> 自分としてはかなり謎発言だったのですが、なるほどそういうことだったんですね。
> 第一世代のオタクはみんなお坊ちゃん・お嬢ちゃんというのも、確かに納得。
> 70年代後半から80年代後半のオタク史のイメージも結構変わりました。
> そうか、ガイナックスもそういう時代にアニメ作ってたんですねえ。

当たり前の話かも知れませんけど、オタク第1世代当時の作品群というのは、
制作者はオタクじゃないですし、オタク向けの市場というのも皆無だった訳ですが、
そこから育った彼らオタク層が、まずは消費者として、続いて制作者として、
新たに作られる作品への関与が深まるごとに、作品内容も市場も変わっていった面はありますよね。
そして、そんなオタク的な制作者の第1世代に、GAINAXも含まれていたと言って良いかも。

> そうか、逆に90年代中期くらいがオタク文化の1つの最盛期と捉えることも可能なんですね。
最盛期と言うよりは「一般化」と呼ぶ方が、個人的には しっくり来るかな?
まあこれも、「オタク文化」の定義次第かも知れませんが(笑)。

> オタク第二世代についても、正直よく分かっていなかったのですが、
> なるほど確かにオタク第一世代とは結構違いますね。

言うなれば、初期の信長の野望シリーズに似た関係かも?(笑)
信長の野望シリーズは、奇数作品で新しいシステムに挑戦して、
偶数作品でシステムが成熟したみたいに、
オタク第1世代が切り開いたモノを、オタク第2世代が享受した感じですよね。
この構図は、オタク第3世代(ネット第1世代)と、オタク第4世代(ネット第2世代)でも、
見受けられる傾向かもありませんね。

> あと、80年代後半〜90年代前半のオタク史が分かってくると、
> 管理人さんの新しい文化が生まれてきていない、というのも確かに結構納得できます。
> まあ私が思うには、新しい文化自体は生まれているけど、
> それが高齢化によりパワー不足になっている、という気がしますが。

いや〜、たぶん読み違えてるようなぁ・・・(苦笑)
私が言ってる「新しい文化」って、この話で言えば「第1世代」に相当するモノで、
深夜アニメの第1世代ではあっても、アニメ自体の第1世代では無いですからね。
もちろん、マンガやアニメの黄金期のようなモノは体験できたかも知れませんが、
決して、マンガやアニメの第1世代的な「新体験」が味わえた訳ではありません。
ですが一方で、TVゲームやネットの第1世代では有り得ましたし、
格的には一段落ちるものの、深夜アニメやライトノベルの第1世代でもあったのかな?

そういう意味では、逆説的に問うとすると、
今でも「新しい文化」が生まれているのだとすれば、
今の世代って、具体的に何の第1世代なのでしょう?
また、新しい文化って基本的には、その時々の若者が先導するモノだと思いますし、
少子化の影響はあるかも知れませんが、高齢化というのは、ちょっと違うかな?とも。
「若者の高齢化」となると、正直、意味が解らないですし(笑)。
とは言え、「若者らしさを抑え込まれた若者」という事でしたら、充分に有り得るでしょうし、
それこそが、「さとり世代」などという呼ばれ方で現れているんじゃないですかねえ?
要するに、若者であるのにアクティブで在り難い、現在の社会状況の影響があると・・・・

> > > ちなみに、これも教養かと思い、『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ』を第1巻のみ読んでみたのですが、
> > > 正直あまり面白くなかったんですよね。
> > > まあ、好みもありますし、私が上記2作の面白さを理解できるだけの能力がなかったということかもしれませんが、
> > > 結構前に管理人さんがおっしゃっていた『スレイヤーズ』の革新性ってどの辺だったのでしょうか?

> > ハハハッ、そりゃ今、スレイヤーズを読んでも、あまり面白くは無いでしょうね(笑)。
> > 当時は、「RPG的なファンタジー世界って、こんな感じだよね」という、
> > 王道的な作品しか無かった時代に、王道作品における「お約束」をことごとく破り、
> > まだ「厨二病」なんて単語も存在しない頃に、厨二心をくすぐる要素を詰め込んだ作品でしたからねえ。
> > 今現在から見れば、よくある設定の作品ですし、古い作品なので稚拙さなども目立つでしょうが、
> > 「それら全ての作品の源流となった作品」と見たならば、それが如何に「革新的」だったかが解るかと!!

> この辺は私の場合、庵野爆発で実感しましたね。
> 凄いと言われた庵野秀明の爆発を期待してみても、案外すごくない。
> けど、庵野以前の爆発を見たらビックリするくらいお粗末なんですよね。

まあ現実的に、どんなに画期的で新しいモノであっても、
素晴らしければ素晴らしいほど、普及・定着すれば多用されますし、
そこから更に、洗練されたモノになって行きますから、
そこまでの発展過程を遡らないと、在り来たりや、古ぼけて見えるでしょうね。
これは全ての分野に関して、言える事だと思いますよ。

> で、スレイヤーズ以前のお約束破りをしない作品や、厨二心をくすぐらない作品ってどんな感じだったんでしょう?
> あるいは具体的な作品名としては何になるのでしょうか?

これはラノベじゃないですけど、多くの日本人ファンにとって、
こういった世界観の原型的なイメージとなっている作品って、
恐らく、ファミコンの「ドラゴンクエスト」だと思うんですよ。
そして王道的なストーリー展開というのは、
主人公は男の勇者で、冒険を重ねてドンドン成長していき、最後に魔王を倒す感じですが、
スレイヤーズの場合、主人公は女の魔法使いで、始めから最強魔法をブッ放し、
しかも いきなり、本来ならクライマックスに来るべき魔王戦が訪れるというのは、
まさしく「お約束破り」と言うか、王道路線の逆張りを意図的に行ってヒットした作品であったと。


▼ ニコニコ動画とドワンゴ
> > 黎明期から成長期に掛けての時期というのは、それこそカンブリア大爆発のように、
> > 誰もが手探りの中、様々な実験的な作品が生まれ続けた頃でしたし、
> > 「新しいモノを発見できる」楽しさとしては、本当に満ちあふれてた時代だったかな?
> > そして、成長期から成熟期への転換点を象徴が、2012年に始まった「ニコニコ超会議」だったかも。
> > ネットに限らず、アニメやゲーム、そして世の中の様々な事柄が そうなのですが、
> > 挑戦や実験を繰り返すフェイズから、安定や拡大を求めるフェイズに移り変わると、
> > ファンの数は急拡大していくものの、同時に新しい面白味は失われていっちゃうんですよね・・・・
> > まあそれ自体は、個人的には少し寂しいモノですが、社会的には致し方ない面はありますし、
> > 人を選ぶ尖った楽しみは減っても、多くの人が楽しめるモノに変異するのは、悪い事ではありません。

> 情報ソースは忘れてしまいましたが、超会議は超会議で儲け重視というより、
> 新しい文化をさらに開花させるための投資だった、という印象。
> 超会議で赤字になり、その赤字により社員をリストラせざるを得ず、それでも超会議はやり続けたらしいですし。

いや、別に私も、ドワンゴが超会議で儲ける気でいたとは、考えていませんよ(笑)。
そうではなく、マニア向けから大衆向けへと客層を広げて、
ビジネスの拡大化と安定化を狙っていたのだろうな、と考えています。

2014年の角川買収とかも、その一環戦略だったでしょうし、
ネットやデジタルに囚われず、リアルやアナログともリンクさせるというのは、
狙いとして、決して間違った方向では無かったはずで、それなりに期待もしてたんですよ。
ですけど、その両方を上手く繋げる所か、元々の足場さえ揺るがしてしまった・・・・
要するに「ビジネス的にも失敗した」というのが、私の印象ですね。

一方で角川の方は、今後も出版業界は大変でしょうけど、
1年ほど前に「角川武蔵野ミュージアム」をオープンさせるなど、
ちょっと興味深い動きは見せていますね。
鷲宮神社(らきすた)や神田明神(ラブライブ)のように、
オタク文化の人気に便乗した神社は数あれど、自社作品の宣伝も兼ねたとは言え、
実際に神社まで作った例↓は、他に無さそう(笑・のぼり旗に書かれた文字に注目)。
https://partner-web.jp/image/main.php?id=2280

> ただ、どこかのタイミングでニコニコ自体がニコニコを見捨てたのも事実でしょう。
> ただそのタイミングは16年以降じゃなかったけな?

ちなみに、「ニコニコ自体がニコニコを見捨てた」というのは、
具体的に、どのような事象を指しての事でしょうか?
また、それが2016年以降の事だというのも、同じく何か具体的な事象があるのでしょうか?
正直な所、私自身はそれ以前にニコニコ動画を見捨ててしまったので(苦笑)、
仮に何かあったのだとしても、全く知らないんですよねえ・・・・

> > ちなみに、私個人としては「ニコニコ技術部」系の動画とか好きでしたけど、
> > 旧トルコ担当さん的には、一体どんな系統の動画が好みだったんですか?

> 結構何でも見てますけどね。
> ニコニコは1アカウントでフォローできる上限が600であるので、
> 仕方なく私は2つ目のアカウントを作ったのですが、両アカウントで700以上フォローしてますからね。

ひょっとしたら、こういう楽しみ方自体、既に違いが現れているのかも?
当時の他の視聴者がどうだったかは断定できませんが、少なくとも私の場合、
あくまでも主役は動画であって、特定の投稿主をフォローする意識は希薄だったというか、
ニコ動は2chの流れを汲んでいたので、元々は匿名文化っぽい空気があった気がします。
そういう意味では、フォロー上限の600を超えるというのは、ちょっと驚きがありました!

> ニコニコ見るなら、最低限の教養として
> ハルヒ、ローゼンメイデン、らき☆すた、くらいは押さえとかなきゃダメでしょ、
> と思って全部見たくらいにはニコニコにどっぷりでした。
> ただ、アイマスはさすがに沼が深すぎて、オールスターズ押さえるくらいにとどまってますね。
> 東方も一応原作ゲームを少し遊ぶ程度には押さえましたし。東方も沼が深すぎますが。

その時々の外部の流行を取り込み、それがニコ動的に調理され、
コンテンツとして少しずつ積もり貯まっていく様子を、リアルタイムに味わっていた世代からすると、
1歩ずつ進んでいたので、「押さえなきゃ」とか「深すぎる」とか、特に感じ無かったのですが、
貯まりに貯まったものを一気に取り込もうとすれば、それは凄く大変でしょうねえ・・・・
何となく、夏休みの宿題をイメージしてしまいました(笑)。
毎日 少しずつ行えば楽でも、最終日に まとめて行うのは苦しいみたいな感じに。

ちなみに「らきすた」って、同時の時代性も反映されての人気作だと思うのですが、
あの作品って、10年くらい後から見て、楽しめるモノなのでしょうか?

> > > 私はニコニコのタグ検索に慣れきってしまっているので、
> > > いまだにYouTubeでどう検索すればよい動画が見つかるのか分からず、
> > > そこまで動画を見たいという欲求もないので、
> > > 結局YouTubeには移住せずじまいで、過疎化したニコニコ島に今も取り残されてます。

> > また、YouTubeは長く使い続けていくと、それこそGoogleグループなだけあって、
> > AIがドンドンと最適化され、オススメ動画の質も上がって来るんですよね(笑)。
> > AIに好みを管理されると言うのも、あまり気分が良くない面も少しあるのですが、
> > それでも、自分からは見なかったであろう動画を知る機会は、確実に作ってくれており、
> > これはこれで便利だと思いますよ(AIに好みや認知を誘導される危険性はありますが)。

> YouTubeAIは嫌いなんですよね。
> 頭の悪そうな解説動画ばかりおススメしてくる。

確かに私も、最初の内は、そうした動画紹介が嫌だったのですが、
使っていくうちに、良くも悪くも、私向けに最適化さていき、
それ以降は、そうした動画の紹介頻度はかなり低くなりましたね。
なので、単純に再生回数や高評価の多さ(信者の多さ)だけで、オススメしてくる訳ではなく、
それほど機会は無いものの、自分では見なかったであろう動画を紹介してくれて、
それが面白かったりする事も時々あるので、「価値はあるな」と思うようになりました。

解りやすく言えば、何本もの動画を薦めてくれたとして、
そのうち7割が微妙で、しかも2〜3割りは不快でも、数本の当たりがあれば、
情報源の1つとして許容できる範囲内とでも言いますか、
言うなれば、昔の2chみたいな感覚なのかも知れませんね(笑)。
駄スレや糞スレが大量にあっても、その中に光る良スレも含まれれば、目を通す価値はあり、
逆に、駄スレや糞スレばかりで、良スレが見当たらなければ、目を通す価値は無いみたいな感じで、
そしてYouTube AIの打率は・・・個人的には、満足とは行かずとも、使用可能なレベルかな?と。

> しかも、それが面白そうなんですよね。
> なので、この動画をおススメしないボタンを使ってAIが変なものをお勧めしないようにしてます。
> 多分、ここでAIにおススメされる動画ばかりを見るようになると、
> 自分でものを考えない人間にさせられる気がするんですよね。

まあ実際には、そういう人が大多数だからこそ、そうした動画の再生数が凄いのでしょうし、
ほとんどの視聴者は、そんな事さえ考えずに、動画を楽しんでいるでしょうから、
自分自身で「危なそうだな」と意識できる分だけ、かなりマシだと思いますよ。
そうした思いが頭の片隅にあれば、誘惑に流されないよう注意するだけで、そう騙されない気もしますし。


▼ 池上彰とニュース解説番組
> > あと、余談ついでに話を加えると、2011年の東日本大震災を境に、
> > その前と後とでは、日本社会全体の空気感というか、日本人の考え方みたいなモノが、
> > 上手くは言えませんけど、ちょっと一変してしまった感じはあるので、
> > ニコニコ動画の方も、その影響を受けた可能性は・・・多少なりとも、あるかも知れませんね。
> > ただまあ、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、「東日本大震災以前の日本社会」のイメージが、
> > どれだけしっかり記憶されているかは、ちょっと微妙な所ではあるのでしょうが。

> 東日本以前の社会というのがほぼイメージゼロですね。

小学生の頃となると、私にとっての「冷戦終結」に相当するのかな?
とは言え、冷戦時代の社会イメージは子供ながらに持っていたので、
(だって、次の日 起きたら、世界が終わってるかも知れない時代でしたからね)
その前後というか、価値観がガラッと変わる原体験は、私の方が強かったのかも。
って、維新や敗戦でガラッと変わった世代に比べれば、これでも大した事ないですけど(笑)、
ただし、多くの人が抱く「今の仕組みが今後も続く」という錯覚は、子供ながらに拭えた感じ。

> 私は、東日本ちょっと前くらいから小学生にして池上彰にハマっており、
その頃となると番組は、火曜夜7時のテレビ朝日「学べるニュース」かな?
確か当初は、2011年3月をもって、池上彰は充電休養の為に番組卒業の予定が、
卒業直前に大震災が発生してしまい、却って特番連発になっちゃったんですよね。
まあ現在は、一時休養から復帰した池上が、同局の土曜夜8時に後継番組をやってますけど、
劇団ひとり&土田晃之が脇を固めていた「学べるニュース」の方が、個人的には好きだったかな?

今の番組は出演者との関係が、先生と生徒みたいな感じで、一方通行っぽいですが、
以前の番組は、劇団ひとりと土田の2人が、もう少しバランスを取っていたと言いますか、
そもそも番組開始時は、実を言うと、劇団ひとりがメイン・キャスターであり、
池上が時事ニュース担当で、土田が芸能ニュース担当だったのですが、
池上のニュース解説コーナーが人気を博すと、途中でメイン交代になっちゃうんですよね(笑)。
劇団ひとりは自身の結婚すら、この番組で発表&密着取材させるくらい、身を切っていたのに(苦笑)。
でもまあ、池上彰の認知度が急激にアップしたのは、この番組キッカケでしたし、
その後の世間的な影響力を考えると、価値ある交代劇ではあったのかな?

池上解説は、いろいろと文句を言われる事はありますけど、
あの当時、2匹目のドジョウを狙って、新坊治郎など多くの人がニュース解説に挑戦しましたが、
結局、池上以外はことごとく失敗してますし、池上解説って意外と「独自色」が薄いんですよね。
逆に言うと、他の人たちが失敗するのは、どうしても自分の意見や解釈を混ぜ込むからで、
それだと同意見の人からは評価されても、他の意見をもつ人からは批判されますし、
一部の人は批判しても、大多数から評価されると言うのは、かなり難しい事です。
批判する事は簡単ですが、自分で解説する事を想定すれば、どれだけ難しいかは解りますし、
それすら想定できない人ほど、却って安易に批判してるかな?という印象もあります。
ぶっちゃけ、自分が言いたい事だけ言えば良いって役割では無いですし、
実際の所、フジテレビや日本テレビの出演時には、池上のスタンスも少し変わっており、
これは各局・各番組ごとに、求められる方向性のニュース解説を、プロとして行っているからなんですよね。
こうした違いって、それほど視聴者には意識されていない気がします。

もっと言っちゃうと、そもそも池上自身の専門分野って「ソ連経済」なので、
冷戦終結やソ連崩壊後は、専門を活かせる場を失ってしまった記者・キャスターであり、
だからこそ、NHK時代は子供向けニュース番組に回されたり、定年後に解説委員として局に残れなかったりして、
フリーになった後も、その頃の経験が活きたとは言え、専門外のニュースを解説する立ち位置となった訳で、
そういう意味では、解説の独自色が薄いのも納得ですし、そこが却って良かったのかも知れません。
とは言え一方で、充電休養中に、ひっそりとBSで放送された
池上彰のロシア現地取材特番は、なかなか良い出来だった記憶がありますし、
きっと世間的な需要は低いのでしょうが、冷戦時代と社会主義を扱った池上彰の番組を見てみたい所(笑)。

> 名前の知らない、顔も知らない人たちで構成されている社会というのを意識するようになったのがこの辺であり、
> 私が政治や社会や歴史に興味を抱くきっかけになったのがこのあたりですからねえ。

私の場合、そこまで早熟じゃなかったかな(笑)。
確かに、周囲の同年代と比べれば、ニュースとかに詳しい面はありましたが、
それは決して自発的ではなく、テレビが一家に1台だった当時、
父親が絶対的なチャンネル権を握っていて、子供番組を見る機会が少なかったからですし、
その反動で、1人暮らしを始めてからアニメ視聴が増えた為、
オタクという程では無いものの、普通の人よりはアニメに詳しいと(苦笑)。

同じく、私の歴史知識の下地としては、父親が見ていた大河ドラマが確実にありますけど、
自分自身から歴史に興味を抱いたのは、高校の夏休みに「信長の野望」にハマったのが始まりで、
そこから歴史小説も読み始め、ついでに私の読書歴も、ここからスタートした次第です。
それまでは本当、野球&サッカーが、私の中の9割以上を占めてましたし(笑)。
ついでに言うと、政治や社会に関しては、歴史(現代史)の一環程度の関心度合いで、
特に東日本大震災後の変化以降は、両方とも、ほぼ関心を失ってしまいましたね・・・・
子供の頃から習慣化していたニュース番組視聴も、今では全くしてませんし、
ネットから得られる情報だけだと、把握してない大きなニュースとかも結構多そう。

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