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[23813] オタク話(追記あり)返信 削除
2022/1/22 (土) 22:42:52 旧トルコ担当

▼ 百合とBL
> > 個人的な偏見では、異性へのあこがれより同性への嫌悪の方が強いのがBL、
> > 同性嫌悪より異性へのあこがれが強いのが百合だと思っていますが、これはさすがに根拠に乏しいかな?
> > 特に百合は女性ファンも一定数いますし。

> BLの方はまだしも、百合に関しては、そこまで見当違いじゃ無いと思いますよ。
> と言いますか、これってBLや百合というジャンル特性が どうこうという以上に、
> 各ジャンルのターゲットが、男性メインか? 女性メインか? の違いが大きい気がします。
>
> あと、「百合は女性ファンも一定数いる」と言うのは、確かにそうでしょうけど、
> 数は少ないかも知れませんが、それはBLだって同じでしょうし、
> BLアニメが地上波に登場し始めた頃、ちょっとした「純情ロマンチカ」ブームがあり、
> 実際、私も普通に恋愛モノとして、楽しんでみてましたからねえ(笑)。
> と言いますか、旧トルコ担当さんって、BLアニメは見てます?
> 逆に言うと、御自身が百合アニメを観るから、女性ファンの存在に気付くのであって、
> BLアニメの方は観ないから、男性ファンの存在に気付かないような気もしたのですけど?


百合ファンは男性7:女性3程度なのに対して、BLは9割女性な印象。しっかり調べたわけではないですが。
あと私はBLアニメもマンガも読みませんが、ラノベは勝手にBL妄想してたりします。
BLは好きか嫌いかでいえば好きではありますが、そこまで入れ込んでは無いですね。
腐女子の友達もいませんし。

> また、「同性嫌悪」だと表現的に過剰な気がするので、「同性不要」くらいに止めますけど、
> これに関しても、メイン・ターゲットが男性か女性かで、ちょっと異なる感覚。
> と言いますか、女性向け作品の場合、別にBLに限らずとも、
> そもそも同性不要な作品が多いと言いますか、
> 女性キャラは基本、主人公以外は要らない傾向が強い気はするんですよね。
> 少年マンガだと、スポーツ系を中心に、男同士の繋がりを描く作品は多いですが、
> 少女マンガでは、女同士の繋がりを軸に据えた作品は、そこまで無い気がしますし、
> 女同士の繋がりを扱う作品となると、主に萌え系が多いと感じるので。
> で、そうした萌え系作品の場合には、今度は、読者層と同じ男性が不要になりがちだと(笑)。
> この違いは、男性同士は婚姻の競争相手ではあると同時に、集団で狩りを行う仲間である一方、
> 女性同士だと婚姻の競争相手であり、仲間ではあっても、考えの基本単位が家族だからかと?


個人的な主観というか偏見ですが、女性の方が共感性が高く、男性の方が低いので、
結果的に女性向けはBL以前の普通のマンガや小説でも男キャラが多く、逆に男性向けは女キャラはサブキャラ止まりな印象。
だからこそ、同性愛は女性オタクの方がファンが多く、時期的にも早く取り入れられたのに対して、
男オタクの同性愛は女性オタクに比べ時期も遅く、ファンも比較的少数。

> > 「人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無い」という意味においては、
> > 恋愛結婚が少数派だった時代には、手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、ファンタジーとしてロマンチックに語られ、
> > そしてそれがいざ手に入る時代が来ると、自由恋愛の嫌な点が目に付くようになり、
> > 今度は同性愛が手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、
> > ファンタジーとしてロマンチックに語られるようになっている、ということでしょうか。

> う〜ん、これって以前にも散々説明しませんでしたっけ・・・・
> 「本質的」というのは、そんな表層的な話をしているつもりは無いのですが、
> これを繰り返すとなると、「人間の本質的な欲求」という話は、今後避けた方が無難なのかな?
> 恐らく、旧トルコ担当さん的には、前出の「本能」とか「遺伝子」という用語も、
> そこまで深い意味で用いてる訳じゃないでしょうし、
> 逆に言うと、それだと私の言いたい事って、まるで伝わらないと思いますので(泣)。


余計なことを書いて、重要な部分書かなかったので誤解を招いてしまっていて申し訳ないのですが、
「人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無い」というのは賛同する一方、
たかがエンターテイメントごときの好き嫌いに、本質的な欲求まで深く関係するか?とは考えています。
それこそ、BLや百合が流行って同性愛カップルが続々表れているというのであれば話は別ですが、
BLや百合の流行を論じるために、本質的な欲求とまで持ち出すのは、ラーメンの旨い旨くないに、食欲本能からして〜、と論じるようなナンセンスさを感じるのですが、どうでしょうか?

とは書いてみたものの、結婚に関しては昔と比較して結婚しない人が当たり前になっているわけで、その点からすれば本質的な欲求も結構変わるのでしょうか?
まあ昔だってもちろん、結婚しない人たちがいなかったわけではないのは理解してますが。

> > という風に、私には百合・BLはポスト大量消費社会の一つとして見えているんですが、
> > 管理人さんには退化に見えるのかぁ。

> 「退化」なんて単語、私が1度でも良いから使いましたっけ???
> これだけ言葉を尽くして尚、それくらいの理解のされ方だとなると、
> 正直、かなりの徒労感に襲われるのですが・・・・
> まあ、私の書く文章って、お世辞にも読みやすくは無いと、自分でも自覚してますけども。


> う〜ん、こちらに関しても、半分正解で半分不足かな?
> 確かに、作品数などのコンテンツ面で言えば、飽和状態にあるのは事実でしょうけど、
> その一方で、平成前半の生まれを「さとり世代」などと呼ぶように、
> 満たされてるから満足してるのでは無く、満たされてないから満足点が低く設定されていて、
> 良く言えば手堅くて堅実、悪く言えば挑戦や冒険を避けがちな傾向がある為、
> 共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じるんですよね、私には。
> だって、人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無いでしょうし、
> 結果は同じであっても、自ら進んで選んだのと、環境的に選ばざるを得なかったのは別ですけど、
> しかし一方で人間は、自分の心理的負担を減らす為に、自ら選んだと思い込もうとしがちだと。


「退化」というのは「共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じる」という辺りから、勝手に解釈していたのですが、どういった意図だったのでしょうか?

▼ 80年代後半から90年代前半のオタク文化

> > オタク第二世代についても、正直よく分かっていなかったのですが、
> > なるほど確かにオタク第一世代とは結構違いますね。

> 言うなれば、初期の信長の野望シリーズに似た関係かも?(笑)
> 信長の野望シリーズは、奇数作品で新しいシステムに挑戦して、
> 偶数作品でシステムが成熟したみたいに、
> オタク第1世代が切り開いたモノを、オタク第2世代が享受した感じですよね。
> この構図は、オタク第3世代(ネット第1世代)と、オタク第4世代(ネット第2世代)でも、
> 見受けられる傾向かもありませんね。


前回の「1が、10にも100にもなった時代」というのと合わせて、かなりこの時代のイメージが掴めました。
そういう意味では、私がそれまで抱いていた、何となく80年代後半から90年代前半ってオタク史の暗黒時代だよねっていうのは、そこまで間違った印象でもなかったんですね。

> > あと、80年代後半〜90年代前半のオタク史が分かってくると、
> > 管理人さんの新しい文化が生まれてきていない、というのも確かに結構納得できます。
> > まあ私が思うには、新しい文化自体は生まれているけど、
> > それが高齢化によりパワー不足になっている、という気がしますが。

> いや〜、たぶん読み違えてるようなぁ・・・(苦笑)
> 私が言ってる「新しい文化」って、この話で言えば「第1世代」に相当するモノで、
> 深夜アニメの第1世代ではあっても、アニメ自体の第1世代では無いですからね。
> もちろん、マンガやアニメの黄金期のようなモノは体験できたかも知れませんが、
> 決して、マンガやアニメの第1世代的な「新体験」が味わえた訳ではありません。


読み違えていました。

> > で、スレイヤーズ以前のお約束破りをしない作品や、厨二心をくすぐらない作品ってどんな感じだったんでしょう?
> > あるいは具体的な作品名としては何になるのでしょうか?

> これはラノベじゃないですけど、多くの日本人ファンにとって、
> こういった世界観の原型的なイメージとなっている作品って、
> 恐らく、ファミコンの「ドラゴンクエスト」だと思うんですよ。
> そして王道的なストーリー展開というのは、
> 主人公は男の勇者で、冒険を重ねてドンドン成長していき、最後に魔王を倒す感じですが、
> スレイヤーズの場合、主人公は女の魔法使いで、始めから最強魔法をブッ放し、
> しかも いきなり、本来ならクライマックスに来るべき魔王戦が訪れるというのは、
> まさしく「お約束破り」と言うか、王道路線の逆張りを意図的に行ってヒットした作品であったと。


ああ、なるほど。
児童文学とかそっち系の「少年の冒険と成長の物語」的な流れの強かったファンタジーに、いきなり俺強えええ設定を持ってきた、みたいな感じだったのでしょうか?
ドラクエが日本のファンタジー文化の事実上の元祖、という話は理解しているつもりでしたが、ドラクエが元祖と言うことは、同時にファンタジー=冒険と成長的なイメージを持たせたのかな?

> > しかし残念なことに、そんな素晴らしいオタクの時代は、89年の宮崎事件で終わりを告げてしまうわけです。
> > 小さな世界で、オレ達こういう幼稚なアニメ好きだよねって、言っていられる時代は終わり、
> > 闘いの時代が始まったわけです。

> あの頃の記憶はありますけど、そんな「素晴らしい」時代だったかなぁ???(苦笑)
> 宮崎勤事件の前も後も、オタク趣味が白眼視されてた事に違いはありませんし、
> 違いを言えば、事件前は「変な人」扱いで、事件後は「危ない人」扱いだった事か?
> 事件を機に、世間の風当たりが更に強くなったのは確かでしょうけど、
> 人の噂も75日じゃ無いですけど、イメージの悪化はあったとは言え、
> 悪い意味での世間の関心は、それほど長続きもしなかった記憶ですけどねえ。
> まあウチの場合、衝撃的に報じられた宮崎勤のビデオ部屋以上に、
> 我が家には、映画好きな父のビデオが大量に溢れていたので、印象はさほど(苦笑)。
>
> ちなみに、事件の逮捕劇があった1989年(平成元年)7月って、
> ちょうど「魔女の宅急便」が劇場公開された時でもありまして、
> 前作の「トトロ&火垂るの墓」から、興行収入が4倍に急増するヒット作となった事により、
> 「アニメの中にも素晴らしい作品がある」とか、「ジブリだけは別」って認識になってましたし、
> (ちなみに、世間の風が完全に一変したのは、2001年の「もののけ姫」大ヒット以降かな?)
> マンガの方も、1990〜1995年が少年ジャンプ500万部超えの時期に当たるので、
> 言われているほど「暗黒時代」って訳でも無かったんですよ(笑)。
> そもそも、少数派が肩身の狭い思いをするのは、いつの世だって変わらない傾向ですからね。
> しかも、多くの人が楽しむ大衆作品は存在したので、徹底的な弾圧があった訳でもありません。
>
> まあ実際の所、センセーションで悲劇的・残虐的な事件ではありましたし、
> 物事の流れを簡潔に説明しようとすれば、格好のポイントであったのは確かですけど、
> (「10万人の宮崎勤」デマなんてあったように、オタク側的にも象徴化させやすい事件でした)
> 世間のネガティブなオタク・イメージを定着&増強させたのって、
> 直接的な事件の影響以上に、あの事件に便乗する形で、
> 世間が望むキモオタ像を、まさしく体現する演出で売れっ子となった
> 批評家でタレントの「宅八郎」の影響が、非常に大きかったとは思うんですよね。
> 今風に言えば、世間が望む迷惑系YouTuber像を演じる事で、人気者となった感じに近く、
> 実際に宅八郎も、風体的なキモさを見せるだけでなく、数々の炎上事件を起こしたんです。
> へずまりゅう じゃないですけど、こうして自らを道化化する事で、悪い意味での世間の要望に応えたと。


推測ですが、一番不幸だったのは、あの時代に学生時代を過ごし、親にオタク趣味を禁止された人たちなんでしょうね。

> もっと言うと、当時のオタク世代にとって、真の意味での黒歴史というのは、
> 解りやすく批判しやすい、宮崎勤事件などよりも、
> 当時の新興宗教ブームにおける、「オウム真理教に対するシンパシー」の方でしょうね。
> ・・・って、シンパシーというと近過ぎるので、親和性とか類似性とかの方が無難かな?
> まあ ともかく、新興宗教ブームの中で、そこにオタク文化やサブカルを取り入れたのがオウムであり、
> 彼らの勧誘場所も、秋葉原やコミケ会場だったりした訳で、
> 近い存在だったからこそ、ヤバさも世間以上に実感できてた反面、
> そのまま惹かれて入信・・・ってケースも、決して皆無では無かったはず。
> エヴァの放送開始は、地下鉄サリン事件の半年後でしたが、当時のインタビューで庵野は、
> 「自分たちのオウム的な部分は、作品として昇華させた」みたいに語ってたはずですし
> オウム事件が歴史となった現在においては、この辺りに触れるのはタブーな話題でしょうけど、
> 当時の空気としては、普通に理解できる感覚の発言ではあったんですよね。
> ある意味、オタク的な妄想をリアル社会で実現させてしまったのが、数々のオウム事件なので。


オウム事件は全く勉強してないですね。
いつだかにTwitterに流れてきた「オウムとオタクは両方とも常に家のカーテンを閉めている」というのは反論できないなw、と思っていましたが。

> > エヴァンゲリオンはトップとは真逆を行く、「最高にクールで、知的な感じのする」アニメでした。
> > それは言ってしまえば、もうそういう、外に見せても恥ずかしくないアニメじゃないと駄目だった、
> > そういうアニメでオタク文化を守らないと、未来がなかった時代だということだと思うんですよね。

> う〜ん、エヴァが「クールで知的」なアニメかぁ・・・・
> いや、別に解らなくは無いんですけど、
> 私的にはエヴァって、良い意味で「キモいオタアニメ」認識だったので(苦笑)。
> それこそ当時は、「子供っぽいけど好き」と同じ様に、「キモいけど好き」って感じでしたけど、
> 椎名林檎を、素直に「かっこいい」と感じるか、メタ的に「ダサかっこいい」と見るかみたいに、
> 同じ作品を楽しんでいても、感じ方は人それぞれって面はありますからね。
> あの衒学的な雰囲気や、昭和映画から持ち込んだスタイリッシュな演出、クラシックのBGMなど、
> 素直に「かっこいい」と楽しんだ人も、当時から多かったですし(ブームになって以降は特に)、
> 四半世紀を経た今となっては、そういう感想になったりもするのかな?


エヴァは実際そんな感じだったんですねぇ。
この辺は完全にNHKの戦後日本サブカルチャー史に、エヴァ観見たいのものを引っ張られています。

> ただし今回、旧トルコ担当さんの返信というか回答は、
> 文章に熱量があって、そこは非常にオタクっぽくって好印象だったものの、
> でも この内容は、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、相当量が自分自身の考えではなく、
> コピペ的というか、誰かの受け売り比率が高い気がしちゃうんですよねえ・・・・
> それって結局、自分の「好き」を突き詰めるオタ活動とは、内面的にズレる行為でしょうし、
> それをこの熱量で行ってしまうのは、ちょっとマズい進路方向なのかな?という印象も・・・・
> 簡単に言ってしまうと、もっと自分らしい言葉で語って良いんじゃないですかねえ?(笑)


完全にコピペというわけではないものの、オタクの歴史を調べるにあたり、書籍だけで100冊程度は読みましたので、色々勉強にはなった分、そこで得た知識には引っ張られてしまうんですよね。
まずまっさらな状態で作品を見てから、というのが理想だとは分かっていましたが、オタク史全部を知ろうとすると全作品を見るわけにもいかず、先にいろいろ情報を知ってから見た作品も少なくないです。
それこそ、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は合計5回くらいネタバレ食らいましたしw

> > 「日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!」
> > というのはもちろん賛同しますが、
> > 日本アニメ史やサブカル史って現在の平均的なオタクの興味の対象なんですかね?
> > 萌えアニメの歴史や教養であればオタクとして押さえておけよ、というのは理解できますが、
> > 日本アニメ史まで範囲を拡大するの?という感じです。

> それは「アニメのオタク(アニオタ)」ではなく、「萌えアニメのオタク(萌え豚)」なのでは?
> (伝わりやすいよう略称を用いただけで、別に萌えアニメのオタクを腐す意図はありません)
> 野球界で例えるなら、プロ野球ファンと巨人ファンは別だというのと同じですね。
> 当然、プロ野球ファンであり、なおかつ巨人ファンであるという人は大勢居ますけども、
> 巨人ファンだからと言って、必ずしもプロ野球ファンであるとは限りません。
> 熱烈な巨人ファンであっても、パ・リーグの球団名は全て言えない人は居るでしょうが、
> 「プロ野球ファンを名乗る以上は、全12球団は言えて当然」みたいな感覚があるように、
> 萌え系は現在、アニメ界の巨人や阪神に相当する人気かも知れませんけど、
> アニオタを自称するなら、それ以外の系統も最低限の知識は必要だよね、という話です。


何となく察していましたが、やはりアニメオタクというのは何を指すのか色々ずれますよね。

> > 今の作品=今アニメで放送されている作品、あるいは今後2期、3期が来そうな作品、
> > というのが今のオタク的な感覚ではないでしょうか?
> > なので、俺ガイルはアニメ最新作が20年放送で、原作ラノベが現在も刊行されているから今の作品。
> > ソードアート・オンラインも映画が続編製作中で、原作も刊行中なので今の作品。
> > ポケモンも新作が作られ続ける限りは今の作品という扱いです。

> ・・・となると、「ぶっちゃけガンダムは古い」という、最初の話が揺るぎませんか?
> 最近だって、「ハサウェイ」や「オリジン」があった訳ですし、
> そういう意味ならばガンダムも、現在進行形の「今の作品」となるはずですが(笑)。


追記:まあ、私の言葉の定義は曖昧、というか私の都合によって変わっている部分があり、管理人さんの指摘も分かりますが、
しかし、特にSNSを基準で考えれば、ハサウェイは今の作品だけど、ファーストガンダムは古くて、みたいな感覚って通じませんかね?
人間の感覚なんて適当なものですし、そこをあまり厳密に定義するのは、かえって本末転倒な気がします。
古い昔の作品も、昔でいえば再放送されたり、今でいえばリメイクされることで、今の作品化され話題になり、多くの人が見ることになるので、
厳密にいえば各アニメも、1期と2期の放送中は今の作品でも、その間の期間は古い作品扱いですし。

> > 何でしょう、書き方が悪かったのでしょうか?
> > 「絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする」という趣旨ではなかったのですが。
> > 例えば、アニメ人口100万人の90年代中期にアニメA、B、Cが放送されていたとして、
> > アニメAを80万人が見て、Bを10万人、Cを10万人が見ていた。
> > 同じく現在、アニメa、b、cが放送されていたとして、
> > アニメ人口が50万人ならば、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人見ていたとすると、
> > 各アニメの世代動員率(=人気集中率)がどうであれ、
> > 全体の母数の100万人、50万人というのは変わらない、ということを言いたかっただけです。

> では、「全体の母数は変わらない」という話が、
> 「エヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然」
> という最初の話に、一体どのように繋がるんですか?
> もっと言うと、そもそも「盛り上がる」とは、どのような意味合いで用いてるんですか?
> 要するに、厳しい言い方をすると、「書き方が悪い」と言うよりも、
> 明確な定義を欠いたまま、ふわっとしたイメージで用語を用いてる為に、
> その時々で、意味合いがコロコロ変わってる印象を受けちゃうんですよね。


> それこそ上述の例で言うならば、
> アニメ人口100万人だと、アニメAを80万人、Bを10万人、Cを10万人が見ていて、
> アニメ人口50万人だと、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人が見ていたとしてますけど、
> これは何故、単純に半減して「アニメaを40万人、bを5万人、cを5万人」じゃダメなんでしょう?
> 「人気集中率がどうであれ」と言いたいだけなら、「アニメaを45万人」だって良いはずで、
> これだと80万人という絶対的値では劣るものの、比率は80%と90%なので相対的値では逆に勝ります。
> ではこの場合、人口50万人の方は、盛り上がれていない事になるのでしょうか?
> そして、そう見なすのは、果たして当然の事なのでしょうか?


これに関しては、100万人のうち80万人の方が、50万人のうちの45万人よりも盛り上がっていると思います。
もちろん、そのジャンルで圧倒的な存在を持つ作品というのも分かりますが、やはり人口力こそ長期的に見れば絶対なんじゃないんですかね?
「盛り上がる」というのは、今回は単純にSNSでバズってるという程度の意味合いで使っています。

▼ ニコニコ動画

> > ニコニコは1アカウントでフォローできる上限が600であるので、
> > 仕方なく私は2つ目のアカウントを作ったのですが、両アカウントで700以上フォローしてますからね。

> ひょっとしたら、こういう楽しみ方自体、既に違いが現れているのかも?
> 当時の他の視聴者がどうだったかは断定できませんが、少なくとも私の場合、
> あくまでも主役は動画であって、特定の投稿主をフォローする意識は希薄だったというか、
> ニコ動は2chの流れを汲んでいたので、元々は匿名文化っぽい空気があった気がします。
> そういう意味では、フォロー上限の600を超えるというのは、ちょっと驚きがありました!


ニコ動も初期は匿名の2ch文化が強かった、という話は聞いたことがありますが、匿名文化が強かった時代というのはフォロー自体が今より重視されてなかったんですね。
なるほど。

> > ニコニコ見るなら、最低限の教養として
> > ハルヒ、ローゼンメイデン、らき☆すた、くらいは押さえとかなきゃダメでしょ、
> > と思って全部見たくらいにはニコニコにどっぷりでした。
> > ただ、アイマスはさすがに沼が深すぎて、オールスターズ押さえるくらいにとどまってますね。
> > 東方も一応原作ゲームを少し遊ぶ程度には押さえましたし。東方も沼が深すぎますが。

> その時々の外部の流行を取り込み、それがニコ動的に調理され、
> コンテンツとして少しずつ積もり貯まっていく様子を、リアルタイムに味わっていた世代からすると、
> 1歩ずつ進んでいたので、「押さえなきゃ」とか「深すぎる」とか、特に感じ無かったのですが、
> 貯まりに貯まったものを一気に取り込もうとすれば、それは凄く大変でしょうねえ・・・・
> 何となく、夏休みの宿題をイメージしてしまいました(笑)。
> 毎日 少しずつ行えば楽でも、最終日に まとめて行うのは苦しいみたいな感じに。


そんなに大変という訳ではなかったですけどね。
その辺を押さえれば、やる夫スレなどの存在も知り、そっちも読むようになりましたし。
東方とアイマスは、そのあともシリーズ展開が続いているので、自分は知ったときに既に「なんかキャラがメッチャいるワケわからんコンテンツ」だったのですが、そっかぁ、ニコニコ初期だと東方もまだまだキャラ数が少なかったんですね。

> ちなみに「らきすた」って、同時の時代性も反映されての人気作だと思うのですが、
> あの作品って、10年くらい後から見て、楽しめるモノなのでしょうか?


自分は普通に楽しめましたが。
ただ、存在に気づいていないネタなどはあったかもしれません。

> > ただ、どこかのタイミングでニコニコ自体がニコニコを見捨てたのも事実でしょう。
> > ただそのタイミングは16年以降じゃなかったけな?

> ちなみに、「ニコニコ自体がニコニコを見捨てた」というのは、
> 具体的に、どのような事象を指しての事でしょうか?
> また、それが2016年以降の事だというのも、同じく何か具体的な事象があるのでしょうか?
> 正直な所、私自身はそれ以前にニコニコ動画を見捨ててしまったので(苦笑)、
> 仮に何かあったのだとしても、全く知らないんですよねえ・・・・


すみません、ニュースソースはもう忘れてしまったのですが、スマホ普及に伴い、ニコニコ既存層ではなく、スマホユーザーの新規開拓に走った、というような内容だったと思います。
しかも、16年以降ではなく、おそらく16年以前ですね。
で、その後は本当にYouTubeに既存層が流れ始め、ヤバいと思ったのか、劇的に視聴環境が改善していったのが、18年くらいからだったかな?
とはいっても、会員登録せず動画が視聴できるようになったとか、なんで今までそんな単純なことしなかったんだよ、というレベルの話でしたが。

▼ YouTube

> > YouTubeAIは嫌いなんですよね。
> > 頭の悪そうな解説動画ばかりおススメしてくる。

> 確かに私も、最初の内は、そうした動画紹介が嫌だったのですが、
> 使っていくうちに、良くも悪くも、私向けに最適化さていき、
> それ以降は、そうした動画の紹介頻度はかなり低くなりましたね。
> なので、単純に再生回数や高評価の多さ(信者の多さ)だけで、オススメしてくる訳ではなく、
> それほど機会は無いものの、自分では見なかったであろう動画を紹介してくれて、
> それが面白かったりする事も時々あるので、「価値はあるな」と思うようになりました。
>
> 解りやすく言えば、何本もの動画を薦めてくれたとして、
> そのうち7割が微妙で、しかも2〜3割りは不快でも、数本の当たりがあれば、
> 情報源の1つとして許容できる範囲内とでも言いますか、
> 言うなれば、昔の2chみたいな感覚なのかも知れませんね(笑)。
> 駄スレや糞スレが大量にあっても、その中に光る良スレも含まれれば、目を通す価値はあり、
> 逆に、駄スレや糞スレばかりで、良スレが見当たらなければ、目を通す価値は無いみたいな感じで、
> そしてYouTube AIの打率は・・・個人的には、満足とは行かずとも、使用可能なレベルかな?と。
>
> > しかも、それが面白そうなんですよね。
> > なので、この動画をおススメしないボタンを使ってAIが変なものをお勧めしないようにしてます。
> > 多分、ここでAIにおススメされる動画ばかりを見るようになると、
> > 自分でものを考えない人間にさせられる気がするんですよね。

> まあ実際には、そういう人が大多数だからこそ、そうした動画の再生数が凄いのでしょうし、
> ほとんどの視聴者は、そんな事さえ考えずに、動画を楽しんでいるでしょうから、
> 自分自身で「危なそうだな」と意識できる分だけ、かなりマシだと思いますよ。
> そうした思いが頭の片隅にあれば、誘惑に流されないよう注意するだけで、そう騙されない気もしますし。


なるほど、YouTubeAIはなかなか扱いが難しそうですね。
使いこなせる人はそうやって使いこなせるのでしょうが、簡単ではない印象。
そして私の場合は、リラックスしたい時に動画を見るので、ちょっとでも見たくないものを見せられると、すぐミュートするんですよね。
そういう意味でも、管理人さんのような使い方は合ってないかな。
といいますか、2chをちょっと覗いてみたときも、似たような理由で使わなかったんですよね。

▼ オタク的なリアルとファンタジー

> > 俺ガイルの3人(主人公と、ダブルヒロイン)って、建前として
> > 「私たちは部活だけの関係で、お互いそんな仲良くないよね」という体で人間関係やってるんですよね。
> > なので、この3人が部活動の範囲を超えて、個人的な友達として学校を出て遊びに行くときは、
> > 毎回毎回何らかの「だったらしょうがないよね」という理由を用意して遊びに行くんですよ。
> > 大抵は、主人公の妹が空気を読んで、何らかの学校外で遊ぶ理由を用意してくれるのですが。
> > (自分で文章にすると、改めてその異常性を確認させられますw)

> まあ確かに、リアルの世界で考えれば、レア(異常)な感じかも知れませんけど、
> でもオタク作品の世界観だと、結構よく見る設定じゃないですか?(笑)
> 非リア充な主人公が、非リア充というスタンスを維持したまま、
> それでもリア充的な体験をさせるには、いろいろ設定を組まなきゃいけないですし、
> それこそ、以前に名前を挙げた「はがない」とかも、似たような設定じゃありません?
> また最近は、少女漫画の恋愛モノでも、この手の設定は増えてるような気はします。


同じ話になってしまいますが、
確かに、オタク作品だとよく見る設定なのですが、俺ガイルはリアリティレベルが現実とほぼ一緒なので、そのリアリティでこれやられると、すごい異常感があるんですよ。
「はがない」は読んでいないのですが、同作者の「妹さえいればいい。」は読んでるので、そこから推測するに、はがないも結局はオタク・ファンタジーでしょ、と。

> Wヒロインとの重婚エンドは、50年前の「いなかっぺ大将」から既にありますけど、
> 宗教的な事由とか、法律的なケジメまで付けてる作品を、少なくとも私は知りませんからね。


法的ケジメうんぬんより、やはり気持ち的な問題が大きいかと?
恋愛ならともかく、結婚ともなればやはり重婚というのはハードルが高く、もっと言えばそこまで責任取れるの?ということでしょう。
好きな相手だからこそ、相手の将来の幸不幸まで考えてしまいますし。

> > そして、社会規範という表現が出てきたのは、この3人は一緒の大学に進学するの?ということに対してであり、
> > 友達と一緒の大学に行きたいから、志望校を下げる、というのはかなりリアルな問題でしょう。

> そもそも、今回の件に関して言うと、俺ガイルの設定やストーリーがどうこうでは無く、
> この「社会規範」という、旧トルコ担当さん自身のワード選択に対して、
> ツッコミを入れてる面が大きかったんですけどね(笑)。
> (言い換えれば、作品自体のリアルさではなく、旧トルコ担当さんのリアル感覚が主題)
> 社会規範って平易に言い換えると、モラルとか常識という意味なので、
> 「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」なんてモラルや常識が、社会に存在するか?
> という事を、問い直してみた訳ですね、前回の話の主旨的には。
>
> あと、日本って良い悪いは別として、未だに男性中心社会なので、
> 「彼女と同じ大学に行きたくて、志望校を下げる」という例は少なくても、
> 「彼氏と同じ大学に行きたくて、志望校を下げる」という例は結構ありそう。
> もっと言えば、下げる方向ではなく、彼氏・彼女・友達と同じ大学に行くべく、
> 「頑張って勉強して、志望校を上げる」というのは、普通によくありますよ。
> こういう共通目標の設定は、受験勉強のモチベーション・アップに、非常に効果的ですし、
> ある意味、そこでWヒロインの片方だけ落ちれば、その時点で実質決着エンドかと?(笑)
>
> それに、大学の数自体は日本国内に多くあれど、
> 「現実的な選択肢って、それほど多いか?」というのも、ありますね。
> 俺ガイルの学力設定がどうなってるかは解りませんが、ある程度の進学校になると、
> 上京しないのであれば、地元の国立大学を狙うのが一般的ですし、
> 上京するのであれば、私立大学だと、まずは早慶って感じですからねえ。
> MARCHとか、日東駒専とか、同程度の偏差値帯にある大学群は、それほど数ある訳じゃなく、
> 同程度の偏差値帯であれば、余程の拘りの学校が無い限り、仲間と同じ大学で良いのでは?
> まあ、旧帝レベルを目指すとなると、少し事情は違って来ますけども、
> リアルにその辺を狙うとなると、ドラゴン桜みたいに、また別の要素が作品に加わりそう(笑)。


「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」なんてモラルや常識だとは思っていませんけど、「高校生にもなって友達と同じ大学行こうとする」のはちょっと待ってって感じじゃないんですかね?
確かに、自分の見てきた世界なんて狭いですし、拘りがなければ同じ大学で良いのでは?というのも分からなくはないですが、大卒サラリーマン家庭の世界で育ってきた身としては「大学受験でそれは無いんじゃない?」としか思えないですね。
作品の舞台も千葉の学域内トップ公立高校ですし。
これが彼氏・彼女なら、まだ分かりますが、そうなると今度は、2又かけることになり、やはり社会規範的にどうよ?って話ですし。

▼ 私にとって、オタクが恥ずかしい理由

> あと、前回も含め、私の発言の主旨としては、
> 新自由主義システムの未来が、どうこうと言う以前に、
> どんなシステムにも「建前(理想)と本音(現実)」があり、
> 建前(理想)の方を信じてしまうと、結果的に痛い目を見やすい忠告なんですよね。
> 現在進行形である、新自由主義に関しての話だと、ちょっと解り難いかも知れませんが、
> 例えば50年前に、共産主義の理想や建前を信じて、熱心に行動した若者が、
> 一体どのような末路を辿ったか・・・みたいな事を見れば、自ずと解るような気もします。
> そして一方で、戦前くらいならまだしも、70年代くらいであれば、
> その気になれば、相応の情報だって得られたでしょうに、それでも盲信してしまった危うさを、
> 今の時代に繰り返すべきではない・・・みたいな話でもありますね。
> まあ、余計なお世話かも知れませんけど、これも何かの縁ですし。


俺ガイルにしても、90年代のジャンプ作品にしても、オタク(サブカル)作品というのは「本当の友情とか、人を好きになる気持ち」とかをどんなところまでも肯定しますし、
もちろん、現実はそんなファンタジーじゃないんですが、オタクっぽい=子供っぽい作品をバンバン吸収すると、世間知らずになると言いますか、よく言えば純粋になるんですよね。
新自由主義に対しても、おそらく私が純粋だからこそ、無根拠に人間の善意を信じてるだけだと思うんですよ。現実とラノベをごっちゃにして。
それに恥ずかしさとか、気後れを感じると、BLや百合の世界に入っていくんですよね。
自分では信じられないけど、異性という自分から離れた世界にすることで、純粋性を肯定するといいますか、コッチの世界ではそうじゃないけど、アッチの世界はそうだよ、と。
だから、百合が好き、BLが好き、というのはまだ言えるのですが、男で同年代くらいの主人公の作品の名前を出すのは恥ずかしいんです(俺ガイルもそうですが)。

地政学10箇条

第3条、善悪は擬装の道具である。
第2条の続きとも言えますが、国際政治は生存競争である以上、
生き残るためには、善悪に関係なくどんな手段でも実行すべきです。
所詮善悪は、自身を正当化したり、相手を非難したりするだけの道具です。
現在、「人権カード」はこれのもっとも最たるものでしょう。

なので、こういう風に「人権カード」とか書かれると、割と本気で傷つくんですよw
自分の信じている善意を否定されたみたいでw
まあ、いい子ちゃんといいますか、世間知らずのお嬢様みたいなもんなんですよね。

で最近、自分があまりに純粋すぎるんだな、というのをようやく自覚するに至り、恥ずかしいなあ、と。

▼学校文化の昨今

前にスクールカーストの話が出てきていたと思うのですが、
私の中学校では、だいたい顔の良い順に成績もよかったのですが(特に上位層)、昔もそんなもんだったんですかね?
追記:すみません、これ数字入れないと伝わらないですね。だいたい、成績の良い上位3分の1のグループのうち、3分の2は、容姿の良い上位3分の1のグループとメンバーが共通でした。

オタク史はまあ、ある程度把握したかな、みたいなところがあるので、今は学校文化の歴史に興味があるのですが、なかなか良い参考資料がないんですよね。
例えば、夏休みにカップルが花火大会に行く、みたいなお約束は、いつ頃成立したのか?おそらく70年代、80年代だと思うのですが、その辺の成立過程とか興味あるんですよね。

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