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[23815] オタク・学校・経済・AIの話(その1)返信 削除
2022/1/26 (水) 21:13:14 徳翁導誉

▼ 百合とBL
> > > 個人的な偏見では、異性へのあこがれより同性への嫌悪の方が強いのがBL、
> > > 同性嫌悪より異性へのあこがれが強いのが百合だと思っていますが、これはさすがに根拠に乏しいかな?
> > > 特に百合は女性ファンも一定数いますし。

> > あと、「百合は女性ファンも一定数いる」と言うのは、確かにそうでしょうけど、
> > 数は少ないかも知れませんが、それはBLだって同じでしょうし、
> > 逆に言うと、御自身が百合アニメを観るから、女性ファンの存在に気付くのであって、
> > BLアニメの方は観ないから、男性ファンの存在に気付かないような気もしたのですけど?

> 百合ファンは男性7:女性3程度なのに対して、BLは9割女性な印象。しっかり調べたわけではないですが。

まあ、大体そんな感じですかねえ?
私も別に、調べた事がある訳じゃ無いですけど(笑)。
ただ、BLの男性ファンよりも、百合の女性ファンの方が、人数も割合も多いのは確かかと。
これが、ゲイやレズと言ったガチ向けのアダルト・コンテンツまで含めると、
もう少し話は違ってくるのでしょうけど(直接的なコンテンツは男性層の方が好む傾向アリ)、
BLや百合という表現になると、ソフトでストーリー性も重視される感じになりますし、
そうなると、女性層や一般的ノンケ層でも、コンテンツとして楽しめる人が増える印象があるので。

> > また、「同性嫌悪」だと表現的に過剰な気がするので、「同性不要」くらいに止めますけど、
> > これに関しても、メイン・ターゲットが男性か女性かで、ちょっと異なる感覚。
> > と言いますか、女性向け作品の場合、別にBLに限らずとも、
> > そもそも同性不要な作品が多いと言いますか、
> > 女性キャラは基本、主人公以外は要らない傾向が強い気はするんですよね。

> 個人的な主観というか偏見ですが、女性の方が共感性が高く、男性の方が低いので、

私も偏見で述べると、恐らく女性というのは、
「他人に共感したい」のではなく、「自分に共感してもらいたい」生き物であり、
だからこそ共感するような態度は見せても、それはあくまでもコミュニケーション手段であって、
自分自身が楽しむコンテンツにまで、共感する事を求めるかとなると、どうなんでしょうかね?

> 結果的に女性向けはBL以前の普通のマンガや小説でも男キャラが多く、
> 逆に男性向けは女キャラはサブキャラ止まりな印象。

これって、「女性は共感性が高く、男性は低い」という話と、一体どう繋がるんですか?

> だからこそ、同性愛は女性オタクの方がファンが多く、時期的にも早く取り入れられたのに対して、
> 男オタクの同性愛は女性オタクに比べ時期も遅く、ファンも比較的少数。

ここで単に「同性愛」という単語を使われると、ゲイの事だか、レズの事だか解らなくなる(笑)。
でもまあ、薔薇族が先にあった上で、後から百合族という事が生まれたように、
男性向けのゲイ・コンテンツは、女性向けのレズ・コンテンツよりも、時期も早くて数も多いでしょうし、
その一方で、男性向けのレズ・コンテンツも、AVとかで昔から一定の需要があったでしょうから、
そういう意味では、女性向けのゲイ・コンテンツである「BL」というのは、実は後発組で、
それまで需要が低かったからこそ、オタク的な分野で隙間産業的に発展した印象もあるんですよね。

とは言え、1982年の段階で、土曜の夜7時半に「パタリロ」なんて放送していた事を思うと、
ある意味では、ガチ勢以外に向けての娯楽コンテンツ化は早かったと言いますか、
先鋭的だったのか? はたまた配慮が足りなかったのか?(苦笑)
そう言えば5年前、とんねるずの「みなさんのおかげでした」30周年特番として、
昔人気だった「保毛尾田保毛男」というキャラが復活した際には、抗議で大炎上してましたね。

> > う〜ん、これって以前にも散々説明しませんでしたっけ・・・・
> > 「本質的」というのは、そんな表層的な話をしているつもりは無いのですが、
> > これを繰り返すとなると、「人間の本質的な欲求」という話は、今後避けた方が無難なのかな?

> 余計なことを書いて、重要な部分書かなかったので誤解を招いてしまっていて申し訳ないのですが、
> 「人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無い」というのは賛同する一方、
> たかがエンターテイメントごときの好き嫌いに、本質的な欲求まで深く関係するか?とは考えています。

その逆ですよ、逆。
「たかがエンターテイメントごとき」だからこそ、本能的な欲求に応えようとするんです!!
理性や倫理観に基づいて作られたエンタメなんて、一体どれだけの人が面白いと感じるんですか?
大多数の人にウケようとすれば するほど、そうした本能的な欲求への表現が直接的になりますし、
そこまでダイレクトだと下品だと感じる層には、より婉曲的となりますが、それだけ伝わり難くなります。
深いと言うよりも「根幹」だからこそ、全ての中心であり、代替が効かないんですよ。

もうちょっと具体的に書けば、まずは「食欲」と「性欲」であり、
そこが満たされれば、「喜」や「楽」といった心の充足になります。
そして、食欲や性欲から派生するのが、「独占欲(支配欲)」や「収集欲」であったり、
また、シンプルな喜や楽に慣れてしまうと、怒からの喜や、哀からの楽など、演出を求めるようになると。
あとは、その表現手法が複雑化していくと言うだけの話ですよ、結局はエンタメというのは。

> それこそ、BLや百合が流行って同性愛カップルが続々表れているというのであれば話は別ですが、
「話は別」と言う事は、「実際には そうじゃない」って事ですよねえ?
だったら尚更、私の言う通りだと思いますけど・・・・

要するにそれって、同性愛のガチ勢では無いという事であり、
では何故、そうしたコンテンツを求めるのかとなると、有り得る主な理由は2つ。
その1つ目は、嘲笑や弄りを目的としたモノですけど、少なくとも今回の話題はこれでは無い。
(とは言え、男性のBLファンの中には、こうした層も一定数は居ますけどね)
なので、もう1つの方である、「異性恋愛の代替としての同性愛」に当たるのだろうと。
そして、今まで語っていた「人間の本質的な欲求」というのは、ここで言えば「異性恋愛」の事であり、
そもそも、それをコンテンツとして楽しむ恋愛モノ自体が、当人的には単なる観客に過ぎ無いのに、
それすら耐えられないから、わざわざ同性愛を求めるのですが、
それにしたも、本当に同性愛を求めているのではなく、結局は異性恋愛の代替であると。

でもこれって、どれだけ遠回りしてるの?って話ですし、
しかし一方では、最終的なゴールは別に変わっていない事でもある訳です。
で、それが美食に飽きてのゲテモノ食いであったり、マニアックな趣味を満たす目的ならまだしも、
そうした遠回りに走らせる原因があって、それが満たされるのも一定数がニーズがあるからで、
そこを突き詰めると、単なる趣味嗜好の多様化なんて話だけでは無さそうだ・・・という事なんです。
「歌は世につれ、世は歌につれ」などとも言われるように、
コンテンツの人気や需要というのは、時勢の影響を受けて変化する「指標」でもありますからねえ。
どういった作品が好まれるかは、その時代性を表す鏡でもあるんですよ。
人間が求める根幹的なモノは変わらなくても、その時々の状況下で、置かれた心理状況は変わるので。

> BLや百合の流行を論じるために、本質的な欲求とまで持ち出すのは、
> ラーメンの旨い旨くないに、食欲本能からして〜、と論じるようなナンセンスさを感じるのですが、どうでしょうか?

料理というのは、「味付けはサイエンス、盛り付けはアート」ですよ!(笑)
「ウマけりゃ良いじゃん!」というのも1つの真理ですが、それでは単なる客に過ぎません。
そこをナンセンスと感じるのって、結局はオタクではなく、ファンである証なのでは?
ウマいと感じるからには、何らかの理由が絶対に存在しますからねえ。

それは、何か特別な食材を使ってるからかも知れませんし、
調味料の絶妙なバランスであったり、苦心の上に見つけた調理法があるのかも知れません。
でもそれは、舌というセンサーが感じるからこそ、それぞれの味を感じられる訳で、
その舌のセンサーも、基本となる5つの味覚に、触覚や嗅覚などが反応したモノであり、
センサーを最も敏感に反応させるのは、それが身体に効果を表す物質や分量だからなんです。

例えば前回、「子供はハンバーグが大好き」という話をしましたけど、
「なんでハンバーグが好きなの?」と子供に尋ねても、「おいしいから」としか答えないですよ(笑)。
でも科学的に見れば、子供は体を大きく成長させる為に、大人よりも高い割合でタンパク質や脂質を欲しますし、
その一方で、咀嚼する力はまだ弱く、肉の歯ごたえを楽しむなんて余裕もありませんから、
ステーキ肉ではなく、あらかじめ粗挽きしてくれた肉を好む訳ですね。
私たちの食欲というのは、無自覚ではあっても、体が求めるだけの栄養素の種類と分量を欲しますし、
逆に言うと、そこから逆算するような形で、狙って美味しいモノを作れたりもするんですよ!!

まあ、実際の料理人というのは、そこまで科学的ではなく、経験則に基づいて試行錯誤しますが、
それにしたって、何故そこに辿り着いたかを問えば、科学的な答えが求まる話でもあり、
とある料理の美味しさの秘訣を知りたい場合には、舌を通して「味の因数分解」を行ったりするんです。
そして この場合、因数分解の方法を知っていてば、答えに辿り着くのが非常に容易になると。
(野球だと、私が変化球を覚える際は、とにかく投げ込みではなく、科学的にアプローチしてました)
・・・って、単純に「ウマい!」で終わるなら、そんな小難しい知識は不要ですけどね(笑)。
あとは結構、蘊蓄を垂れるのが好きな層は居ますが、そういうのはオタクのマウント取りと同類なので、
それで満たされるのは個人の自由ですが、少なくとも私の興味の範疇外ではあるかな?

また、これは非常に重要な事ですが、それこそ蘊蓄満足に陥らない為にも、
貯め込んだ知識で味わおうとするのではなく、それを頭の隅に追いやる事も重要です。
「蒼天航路」第6巻(70話)で、曹操の軍師・荀ケが修行の旅から帰国した際、
「あらいゆるものを見聞し 頭の中に天下をおさめて
 しかもそれらをすっかり忘れて 戻ってまいりました」
と報告する名場面があるのですが、これなんて実に最たるモノかと?
ちなみに この台詞、アニメ化された際にはカットされていて、
その程度の理解度のスタッフが手掛けたからかは解りませんけど、
恐らくは「ベルセルク」に続く深夜アニメの大作として、日テレから期待を掛けられ、
潤沢な制作予算と、「4クール+α」という放送枠を与えられながら、
あまりの評判(出来)の悪さに、わずか半年で打ち切りの憂き目にあっちゃうんですよね・・・・

と、そんな話はさておき、博物館や美術館、名所旧跡などを訪れる時もそうですが、
最初は何の予備知識も持たず、先入観に捕らわれない、真っさらな心で眺め、
2回目は、その時代背景や作者の意図などを、事前に頭に入れてから学び、
そして3回目以降は、それらを一旦忘れて、自らの血肉とした上で楽しむと、
そこからは、相当いろんな事が見えるようになってくるんですよ!!
これくらいしないと、面白い気付きとかは、なかなか得られませんしね。
で、こういう手法というのは、サブカルを深めるオタクにも有効だと思います。
少なくとも、何の意図もなく1作品を何周もするよりは、理解が深まるんじゃないですか?

> とは書いてみたものの、結婚に関しては昔と比較して結婚しない人が当たり前になっているわけで、
> その点からすれば本質的な欲求も結構変わるのでしょうか?
> まあ昔だってもちろん、結婚しない人たちがいなかったわけではないのは理解してますが。

そもそも論で言うと、昔だって結婚しないと言うか、結婚できない人は多く居ました。
それは、得られる富の中から、暮らせる人数が限られていた為で、次男三男となると結婚も難しく、
その状況が一変したのが、産業革命や農業革命による近代化であり、富国強兵の為の人口増進政策でした。
そういう意味では、結婚したければ出来る社会状況となったのは、ここ100年とか150年の話であり、
別に結婚しなくても良いのに、結婚する人の割合が95%を優に超えたのは、それが本質的な欲求だからで、
逆に言うと、男性の生涯未婚率が25%を超えてる現状って、一体どうなんでしょう?
結婚を望まない人がそれだけ増えたのか? はたまた、再び結婚できない人の割合が増えたのか?
旧トルコ担当さんは、果たして どちらの要因の方が大きいと思われます?

> > > > 確かに、作品数などのコンテンツ面で言えば、飽和状態にあるのは事実でしょうけど、
> > > > その一方で、平成前半の生まれを「さとり世代」などと呼ぶように、
> > > > 満たされてるから満足してるのでは無く、満たされてないから満足点が低く設定されていて、
> > > > 良く言えば手堅くて堅実、悪く言えば挑戦や冒険を避けがちな傾向がある為、
> > > > 共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じるんですよね、私には。

> > > という風に、私には百合・BLはポスト大量消費社会の一つとして見えているんですが、
> > > 管理人さんには退化に見えるのかぁ。

> > 「退化」なんて単語、私が1度でも良いから使いましたっけ???
> > これだけ言葉を尽くして尚、それくらいの理解のされ方だとなると、
> > 正直、かなりの徒労感に襲われるのですが・・・・
> > まあ、私の書く文章って、お世辞にも読みやすくは無いと、自分でも自覚してますけども。

> 「退化」というのは「共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じる」という辺りから、
> 勝手に解釈していたのですが、どういった意図だったのでしょうか?

「消極的な後退」は、上段の「挑戦や冒険を避けがちな傾向」に掛かっており、
こうした傾向を自己正当化する為の手段として、
「共感や投影」という名目が用いられている、という意味の文章ですね。
って、何だか国語の授業みたいですけど(苦笑)。


▼ 80年代後半から90年代前半のオタク文化
> > > オタク第二世代についても、正直よく分かっていなかったのですが、
> > > なるほど確かにオタク第一世代とは結構違いますね。

> > 言うなれば、初期の信長の野望シリーズに似た関係かも?(笑)
> > 信長の野望シリーズは、奇数作品で新しいシステムに挑戦して、
> > 偶数作品でシステムが成熟したみたいに、
> > オタク第1世代が切り開いたモノを、オタク第2世代が享受した感じですよね。
> > この構図は、オタク第3世代(ネット第1世代)と、オタク第4世代(ネット第2世代)でも、
> > 見受けられる傾向かもありませんね。

> 前回の「1が、10にも100にもなった時代」というのと合わせて、かなりこの時代のイメージが掴めました。
> そういう意味では、私がそれまで抱いていた、
> 何となく80年代後半から90年代前半ってオタク史の暗黒時代だよねっていうのは、
> そこまで間違った印象でもなかったんですね。

結局、ここでも重要となるのが「オタクの定義」なんです。
解りやすく言えば、コアなオタク層からすれば、試行錯誤に挑戦されてる時代が好みで、
それが成熟して、良作でも既知感ある作品が量産されてるのは退屈でしょうけど、
しかし一方で、ライトなオタク層からすれば、そちらの方が満足度が高いと。
そういう意味では、その人それぞれの視点というか濃度・密度によって、
同じ時代であっても、「黄金時代」にも見えれば、「暗黒時代」にも見えるのだと思います。

> > > で、スレイヤーズ以前のお約束破りをしない作品や、厨二心をくすぐらない作品ってどんな感じだったんでしょう?
> > > あるいは具体的な作品名としては何になるのでしょうか?

> > これはラノベじゃないですけど、多くの日本人ファンにとって、
> > こういった世界観の原型的なイメージとなっている作品って、
> > 恐らく、ファミコンの「ドラゴンクエスト」だと思うんですよ。

> ドラクエが日本のファンタジー文化の事実上の元祖、という話は理解しているつもりでしたが、
> ドラクエが元祖と言うことは、同時にファンタジー=冒険と成長的なイメージを持たせたのかな?

ドラクエって、キャラクター・デザインに鳥山明が関わってるくらい、
少年ジャンプとの関係性が深い作品でしたから、
明確に「友情・努力・勝利」を掲げてたとまでは言いませんけど、
ジャンプ読者が喜ぶような世界観作りというのは、恐らく念頭にあったと思いますよ。

> > そして王道的なストーリー展開というのは、
> > 主人公は男の勇者で、冒険を重ねてドンドン成長していき、最後に魔王を倒す感じですが、
> > スレイヤーズの場合、主人公は女の魔法使いで、始めから最強魔法をブッ放し、
> > しかも いきなり、本来ならクライマックスに来るべき魔王戦が訪れるというのは、
> > まさしく「お約束破り」と言うか、王道路線の逆張りを意図的に行ってヒットした作品であったと。

> ああ、なるほど。
> 児童文学とかそっち系の「少年の冒険と成長の物語」的な流れの強かったファンタジーに、
> いきなり俺強えええ設定を持ってきた、みたいな感じだったのでしょうか?

まあ確かに、見方によっては、スレイヤーズって俺TUEEE系の元祖的な所もあるのですけど、
そこに爽快感を求めるようなタイプの作品でも無いので、
恐らくファンからすると、そう言われるのは嫌がりそうなイメージがあります(苦笑)。

> > もっと言うと、当時のオタク世代にとって、真の意味での黒歴史というのは、
> > 解りやすく批判しやすい、宮崎勤事件などよりも、
> > 当時の新興宗教ブームにおける、「オウム真理教に対するシンパシー」の方でしょうね。
> > ・・・って、シンパシーというと近過ぎるので、親和性とか類似性とかの方が無難かな?

> オウム事件は全く勉強してないですね。

では逆に、予備知識が無い現段階で、オウム事件ってどんなイメージですか?
多分これって、リアルタイムで知らない世代が、後から知識を得ようとすると、
却って、当時の実状から懸け離れてしまう感じがするので・・・・

地下鉄サリンの前までは、オウムって非常にネタ的な存在で、面白おかしく扱われてましたし、
事件が起こった後も、かなり不謹慎な感じで弄られてたり、逆にヒステリックに糾弾されたり、
そして何より、警察もマスコミも、自分たちが犯したミスには蓋という感じで、
今になってオウム事件を知ろうとすると、都合良く記憶を忘却したり、神妙ぶったりが目立ち、
当時の空気感というのが、まるで伝わらないんだろうなぁ・・・という感じはしているんですよね。

まあ結局、人間社会などというのは、そんなモノなのでしょうけど、
だからこそ「オウム事件」って、そうした課題を考える上での、格好の題材だと思うんです。

> > > エヴァンゲリオンはトップとは真逆を行く、「最高にクールで、知的な感じのする」アニメでした。
> > > それは言ってしまえば、もうそういう、外に見せても恥ずかしくないアニメじゃないと駄目だった、
> > > そういうアニメでオタク文化を守らないと、未来がなかった時代だということだと思うんですよね。

> > う〜ん、エヴァが「クールで知的」なアニメかぁ・・・・
> > いや、別に解らなくは無いんですけど、
> > 私的にはエヴァって、良い意味で「キモいオタアニメ」認識だったので(苦笑)。
> > それこそ当時は、「子供っぽいけど好き」と同じ様に、「キモいけど好き」って感じでしたけど、

> エヴァは実際そんな感じだったんですねぇ。

繰り返しますけど、もちろん当時も感じ方は人それぞれですよ。
それに、世間的にもブームとなった以上は、クールで知的と感じた人たちも多かったはず。
逆に言えば、私自身がオタク的だったからこそ、「キモいオタアニメ」だと、
見ていて、認識してしまうと言いますか・・・(苦笑)
でもまあ実際、旧劇場版のラストって、「気持ち悪い」というアスカの一言で終わりますからね。

確かに、戦略自衛隊の戦闘シーンや、エヴァ量産機の登場シーンなどは、
格好良くってテンションも上がるんですけど、その辺りの描写も含めて、
やはりオタク好みな作りですし、当時のオタクが置かれていた社会環境を考えても、
「キモいオタアニメ」という当時の見立ては、そこまで見当外れでは無い気がしています。

> > ただし今回、旧トルコ担当さんの返信というか回答は、
> > 文章に熱量があって、そこは非常にオタクっぽくって好印象だったものの、
> > でも この内容は、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、相当量が自分自身の考えではなく、
> > コピペ的というか、誰かの受け売り比率が高い気がしちゃうんですよねえ・・・・
> > それって結局、自分の「好き」を突き詰めるオタ活動とは、内面的にズレる行為でしょうし、
> > それをこの熱量で行ってしまうのは、ちょっとマズい進路方向なのかな?という印象も・・・・
> > 簡単に言ってしまうと、もっと自分らしい言葉で語って良いんじゃないですかねえ?(笑)

> 完全にコピペというわけではないものの、オタクの歴史を調べるにあたり、
> 書籍だけで100冊程度は読みましたので、色々勉強にはなった分、そこで得た知識には引っ張られてしまうんですよね。

もちろん、リアルタイムで体験してない世代なのですから、それは仕方無いと思うのですが、
いくら勉強したとしても、実際に体験した事にはならないので、そこには一定の線引きが必要と言いますか、
断定口調にならず、あくまで伝聞情報として客観的に語った方が、より信頼してもらえると思うんですよね。
熱量があるのは良い事なんですが、度が過ぎると それこそ、
「講釈師 見てきたような 嘘を言い」みたいに なっちゃいますし、
しかも今回の話題の場合、私の方は曲がりなりにも、実際に「見てきた」世代ですので、
見てない世代にズレた話を断定口調でされると、正直「おいおい」とは感じますよ(笑)。

> まずまっさらな状態で作品を見てから、というのが理想だとは分かっていましたが、
> オタク史全部を知ろうとすると全作品を見るわけにもいかず、
> 先にいろいろ情報を知ってから見た作品も少なくないです。

これはもう、しょうがない事ですよね。
それこそ、今から「タッチ」や「あしたのジョー」を見ようと思っても、
メインキャラの衝撃的な死を、既に知った状態で見ざるを得ない情報環境ですし、
素直に楽しむよりも、「あのシーンは何処で来るんだ?」と、どうしても身構えそうですから(苦笑)。

> それこそ、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は合計5回くらいネタバレ食らいましたしw
ビューティフル・ドリーマーって、そこまでネタバレ云々なタイプの話でしたっけ?
ちなみに、宮崎駿のルパン3世「カリオストロの城」とかもそうですけど、
この辺りの「1つの映画としては面白いものの、原作の世界観は壊してる」作品というのは、
評価する上で、本当に難しくなりますよね(笑)。
純粋に単なる映画ファンであれば、作品の面白さだけで評価するでしょうけど、
アニメ・漫画のオタクとなると、原作クラッシャーの側面を無視は出来ないでしょうし、
一方で押井作品や出崎作品は、その改変っぷりこそが、作品の新たな魅力にもなっているので難しい所。

> > > 萌えアニメの歴史や教養であればオタクとして押さえておけよ、というのは理解できますが、
> > > 日本アニメ史まで範囲を拡大するの?という感じです。

> > それは「アニメのオタク(アニオタ)」ではなく、「萌えアニメのオタク(萌え豚)」なのでは?

> 何となく察していましたが、やはりアニメオタクというのは何を指すのか色々ずれますよね。

例えば、「私は大の日本文化オタクだ!」って外国人が居たとして、
話を聞いてみたら、日本のアニメしか知らなかったら、
別に悪い人とは思いませんけど、オタクとしての評価は疑問符が付きません?
確かにアニメは、日本文化の一部ではあっても、アニメだけで日本文化な訳じゃないので。
そういう意味では、アニメ全体と、萌えアニメという1ジャンルを、一緒くたでは語れませんよ。

「ガンダムは古いので、エヴァから押さえておけば」というのも、
例えば、ある人が巨人ファンだったとして、
過去の名選手を一切知らなくても、今現在のチームを熱烈に応援する事は出来ますし、
それが決して悪いという事ではなく、そうした楽しみ方もアリだとは思うんすよ。
でも一般的な感覚に、相手が「私は熱烈な巨人ファンだ」と自ら称していれば、
普通、「王や長島の事は知っていて当然」という前提で話すと思うんです。
別にそれは、「熱狂的ファンなら巨人の歴史を押さえておけ!」とか、大層な話ではなく、
実際にリアルタイムでは見ていなくても、最低限 把握しておくべきレジェンド選手は居ると。

で、ガンダムという作品は、それこそアニメ界における王・長島的な存在だと思いますし、
そこで「今なら原以降を知っていれば良い」と言われても、やはり不十分に感じる上、
そもそも原以降という基準自体が、その人の個人的な基準に映る訳ですね。
もちろん、「原は現在の監督だから」とか、いろいろ理由付けは出来るでしょうけど、
しかし、それだったら「松井や由伸以降」という基準も、同程度に説得力があるはずで、
そこまで行くなら、「現役選手だけでOK」という基準の方が、却ってスッキリするかと。

また、ついでなので、この際ハッキリ尋ねてしまうと、
「ファン・マニア・オタク」の区分けに関して、
もう世間的には、ほとんど区別されなくなってる事は、私だって理解してますけど、
では実際、旧トルコ担当さん自身は、これら3つの使い分けってしてます?
世間が抱くオタク像であるなら まだしも、オタクが抱くオタク像であるなら、
この辺りの区別を、キチンとした上で語れた方が、話の内容が深まると考えていますけども。
(要するに、一般用語で話をするより、専門用語で話をする方が、より適してそうという話)

> > > > > そういう意味で、オタク的な教養はせいぜいエヴァまでな気はします。
> > > > それって、何か明確な基準があっての、エヴァでの線引きなのでしょうか?
> > > > もしも、旧トルコ担当さんの世代的にという話であれば、
> > > > エヴァだって25年前の作品ですから、これだって充分に古いでしょうし、
> > > > それこそ、旧トルコ担当さんよりも更に若い世代から見れば、
> > > > 11年前に連載が始まった俺ガイルにしても、充分に古い作品でしょうからねえ。

> > > 今の作品=今アニメで放送されている作品、あるいは今後2期、3期が来そうな作品、
> > > というのが今のオタク的な感覚ではないでしょうか?
> > > なので、俺ガイルはアニメ最新作が20年放送で、原作ラノベが現在も刊行されているから今の作品。
> > > ソードアート・オンラインも映画が続編製作中で、原作も刊行中なので今の作品。
> > > ポケモンも新作が作られ続ける限りは今の作品という扱いです。

> > ・・・となると、「ぶっちゃけガンダムは古い」という、最初の話が揺るぎませんか?
> > 最近だって、「ハサウェイ」や「オリジン」があった訳ですし、
> > そういう意味ならばガンダムも、現在進行形の「今の作品」となるはずですが(笑)。

> 追記:まあ、私の言葉の定義は曖昧、というか私の都合によって変わっている部分があり、管理人さんの指摘も分かりますが、
> しかし、特にSNSを基準で考えれば、ハサウェイは今の作品だけど、ファーストガンダムは古くて、みたいな感覚って通じませんかね?
> 人間の感覚なんて適当なものですし、そこをあまり厳密に定義するのは、かえって本末転倒な気がします。

え〜と、ここで本来 問うているのは、
「古い」という言葉の意味を、厳密に定義しようという意図では全く無く、
それこそ古いと感じるか否かなど、人それぞれである事を踏まえた上で、
あくまでも旧トルコ担当さん個人の「古い」という感覚を、
あたかも一般的な「古さ」の基準として、混同しているのではないか?という指摘をしているんですよ。

俺ガイルという作品が、今の20代前半くらいオタク層に、絶大な影響を与えた作品なのは知ってますし、
その時代を象徴する作品の1つ捉えても過言では無いでしょうけど、
だからこそ逆に、今の10代前半くらいオタク層からすれば、どう考えたって「古い作品」扱いですよ。
世間的にも「十年一昔」なんて言葉があるくらいですし、
20代前半の10年と、10代前半の10年とでは、感覚的な長さがまるで違いますからねえ。
それは別に、完結編となるアニメ第3期が2020年に放送されたからとか、そういうのとは関係無いんです。
例えば「キン肉マン」や「キャプテン翼」も、未だに連載は続いていますけども、
やはり これらの作品は、ジャンプ黄金時代を支えた「80年代の代表作」と見なすのが普通でしょうし、
連載期間が長期化する昨今は特に、作品としての「ピーク」で見るべきではないでしょうか?
そして一般的には、アニメ化・第1期の頃がピークという作品が大部分なのかな。
シーズンを重ねる事に面白さが増していき、ファンも増えていく作品って、そうは無いので。

なので、私の感覚からすれば、ガンダムやエヴァが古い作品であるのは勿論の事、
昨年 劇場公開されたからと言って、シン・エヴァも、ハサウェイも、
さすがに古いとは言いませんが、今の若者層がメイン・ターゲットと言うよりは、
当時の古いファン層を、主に狙った作品ではあると思いますよ。

また、ついでなので、ここで「オタク的な教養」という話を続けるならば、
ハサウェイに関して、「主人公のハサウェイって誰?」となった時に、
「ブライトの息子だよ」という一言の説明で、どんな作品かを ある程度 想像できれば、
別にZZや逆シャアまで全話押さえて無くても、それはオタク的な教養があると言えるでしょうし、
「そもそもブライトって誰よ?」と聞き返すようなら、それはオタク的な教養が無いように映ると。
これがまだ、ガンダム自体を完全無視であるなら、そういう世代のオタクと見なせす事も可能ですが、
「ガンダムの新作映画には興味ある」オタクであれば、ブライトは知っていて当然の知識となります。
ブライトの息子の存在を忘れてる人は居ても、さすがにブライトを忘れるオタクなど皆無でしょうから。

> 古い昔の作品も、昔でいえば再放送されたり、今でいえばリメイクされることで、
> 今の作品化され話題になり、多くの人が見ることになるので、

そういう意味では、ネット配信が全盛となった現在って、
「今」とか「古い」とかの分類も、かなり ぼやけて来てると思うんですよね!
まあ、毎週1話ずつリアルタイムに追ってる作品は別にしても、
前クールに終わった作品も、10年前に終わってる作品も、
ネット配信で一気見する分には、そこまでの違いは無いと思いますし。

> 厳密にいえば各アニメも、1期と2期の放送中は今の作品でも、その間の期間は古い作品扱いですし。
いや〜、この定義が厳密だとは、個人的には同意しかねるかなぁ・・・・
これだと、分割2クールの作品って、中断中は古くなっちゃうんですか?(笑)

そもそも「古い」というのは、相対的な感覚ですからねえ。
それこそ、明確に定義なんて出来ないモノですよ。
例えば、50歳の人にとっての1年は50分の1でも、10歳児の1年は10分の1であり、
絶対的には同じ1年であっても、相対的には10歳の1年は50歳の5倍長いです。
まあ こう言うのを、「ジャネーの法則」だとか、「光陰 矢の如し」とか言うのでしょうが、
イメージ的には、物心が付いて以降の年数の3割を越えると、「古い」って感じる気がします。
幼稚園児とか、小学1・2年生って、1年前を普通に「昔」と表現しますしね(苦笑)。

> > それこそ上述の例で言うならば、
> > アニメ人口100万人だと、アニメAを80万人、Bを10万人、Cを10万人が見ていて、
> > アニメ人口50万人だと、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人が見ていたとしてますけど、
> > これは何故、単純に半減して「アニメaを40万人、bを5万人、cを5万人」じゃダメなんでしょう?
> > 「人気集中率がどうであれ」と言いたいだけなら、「アニメaを45万人」だって良いはずで、
> > これだと80万人という絶対的値では劣るものの、比率は80%と90%なので相対的値では逆に勝ります。
> > ではこの場合、人口50万人の方は、盛り上がれていない事になるのでしょうか?
> > そして、そう見なすのは、果たして当然の事なのでしょうか?

> これに関しては、100万人のうち80万人の方が、50万人のうちの45万人よりも盛り上がっていると思います。
> もちろん、そのジャンルで圧倒的な存在を持つ作品というのも分かりますが、
> やはり人口力こそ長期的に見れば絶対なんじゃないんですかね?
> 「盛り上がる」というのは、今回は単純にSNSでバズってるという程度の意味合いで使っています。

盛り上がるが「SNSでバズってる」程度の意味合いであるのなら、
8割(100万人のうち80万人)よりも、9割(50万人のうちの45万人)の方が、
確実に「盛り上がってる」と言えるはずですけど???

そもそも この話って、四半世紀の時間的ギャップがある前提で、両者を比較しているのですから、
ここで問題となるのは、人数よりも割合になってくるはずなんです。
1人の人間が処理できる情報量なんて、高が知れている以上、
80万人と45万人の違いなど、なかなか実感できるモノではありませんし、
ここで仮に、現在8割を占めてる話題と、20年後に9割を占めてる話題を比べた場合に、
一体どちらが「盛り上がってる」と感じられるかとなれば、明らかに後者の9割なはずです。
もしも人数こそが基準となると、SNSは英語ユーザーが圧倒的多数なのですから、
少数派である日本語ユーザーの間で「SNSでバズる事はない」と、言い換えられてしまいますよ!?
言うならば、盛り上がりというのは、スープの量ではなく、スープの濃さの話なので。

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