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[23816] オタク・学校・経済・AIの話(その2)返信 削除
2022/1/26 (水) 21:14:24 徳翁導誉

▼ ニコニコ動画とYouTube
> > > ニコニコは1アカウントでフォローできる上限が600であるので、
> > > 仕方なく私は2つ目のアカウントを作ったのですが、両アカウントで700以上フォローしてますからね。

> > ひょっとしたら、こういう楽しみ方自体、既に違いが現れているのかも?
> > 当時の他の視聴者がどうだったかは断定できませんが、少なくとも私の場合、
> > あくまでも主役は動画であって、特定の投稿主をフォローする意識は希薄だったというか、
> > ニコ動は2chの流れを汲んでいたので、元々は匿名文化っぽい空気があった気がします。
> > そういう意味では、フォロー上限の600を超えるというのは、ちょっと驚きがありました!

> ニコ動も初期は匿名の2ch文化が強かった、という話は聞いたことがありますが、
> 匿名文化が強かった時代というのはフォロー自体が今より重視されてなかったんですね。

「これスゲー」→「自分もやりたい」→「やってみた」
という好循環のループが、初期の頃にはあった感じですかねえ?
気の利いたコメントをするにも、当然センスが求められましたし、
そういう意味では、需要と供給の間というか、需給双方に股を架けた
古い時代の「オタク的な世界」が、ネット上にも具現化されてた感じだったかも。

その一方で、昨今のように、消費者(需要)と創作者(供給)が明確に2分化されてしまうと、
「これスゲー」となった後、自分もやりたいではなく、「同じ様なのを もっと見たい」となるでしょうし、
だからこそ、フォローという行為に主眼が置かれたり、
匿名の作品ではなく、特定の作者に、目が行くようになる気がします。
こうなると、「再生産」から「消費」の文化へと移っていきますし、
消費者傾向が強まるほど、YouTubeに対する分は悪くなる一方であると・・・・
交流の場ではなく、発信の場が求められるなら、規模の勝負になりますからねえ。

> > > ニコニコ見るなら、最低限の教養として
> > > ハルヒ、ローゼンメイデン、らき☆すた、くらいは押さえとかなきゃダメでしょ、
> > > と思って全部見たくらいにはニコニコにどっぷりでした。
> > > ただ、アイマスはさすがに沼が深すぎて、オールスターズ押さえるくらいにとどまってますね。
> > > 東方も一応原作ゲームを少し遊ぶ程度には押さえましたし。東方も沼が深すぎますが。

> > その時々の外部の流行を取り込み、それがニコ動的に調理され、
> > コンテンツとして少しずつ積もり貯まっていく様子を、リアルタイムに味わっていた世代からすると、
> > 1歩ずつ進んでいたので、「押さえなきゃ」とか「深すぎる」とか、特に感じ無かったのですが、
> > 貯まりに貯まったものを一気に取り込もうとすれば、それは凄く大変でしょうねえ・・・・

> そんなに大変という訳ではなかったですけどね。
> その辺を押さえれば、やる夫スレなどの存在も知り、そっちも読むようになりましたし。

そう言えば、前回の時も少し気になったのですが、
アイマス・東方や、ハルヒ・らきすたほど、圧倒的では無いものの、
ニコニコ内で、そこそこ人気のあった「カブトボーグ」は押さえてませんでしたね。

まあ実際問題、このレベルの人気題材まで押さえるとなると、凄く大変ではあるのでしょうけど、
本放送時はBSテレ東のみで 地上波放送が無く、1年モノながら ほぼ無名だった この作品が、
それなりの知名度を得たのは、コメントでツッコミできるニコニコ動画で人気を高めたからであり、
「ニコニコ動画の歴史の1ページ」として、第1話とベスト10ランキングくらいは押さえて損は無いかも?
ちょうど数ヶ月前から、再配信が始まったタイミングでもありますからね。
https://www.nicovideo.jp/watch/so39063160
https://www.nicovideo.jp/watch/sm5774115

・・・って、今更ながらに気になったのですが、
旧トルコ担当さんって、どこでアニメ(特に新作)を視聴されてます?
一昔前までは、それこそテレビ放送一択でしたけども、
今では正直、ネット配信の方が視聴しやすいでしょうし、
ニコニコ動画とかだと、コメント付きでの視聴も可能ですよねえ?
と言いますか、そもそもコメ付きでアニメを視聴したりします?
ちなみに私は、1回目はテレビで、2回目はニコニコでって時期もあったかな(笑)。
もちろん、気に入った作品かつ、コメ付き視聴に合うアニメである事は前提として。
ちなみにカブトボーグは、コメントがあった方が断然面白いタイプのアニメでしたし、
だからこそ、ニコニコ動画との相性も良く、ここから再注目されたとも言えますね。

> 東方とアイマスは、そのあともシリーズ展開が続いているので、
> 自分は知ったときに既に「なんかキャラがメッチャいるワケわからんコンテンツ」だったのですが、
> そっかぁ、ニコニコ初期だと東方もまだまだキャラ数が少なかったんですね。

どんな作品でも、最初はそうですよね(笑)。
歴史の長い作品ほど、新キャラ登場が何度も繰り返されてるだけの話であり、
仮に、最初から大勢キャラを用意しても、注目を浴びるのは、その中の一握りですから。

アイドル・グループのファンとかも、実際そうだよなぁ・・・とか思いましたが、
でも一方で、自分の子供の頃を思い出すと、プロ野球選手とかって、
毎年毎年の入団選手と引退選手は限定的なので、更新作業は楽なモノでしたけど、
しかし1番最初は、自然とですけど、全球団の全選手を覚える作業をしてるんですよね(笑)。
それを思うと、どんなに数が多くたって、本当に のめり込んでいれば、結構覚えられるのかな?
ポケモンや遊戯王の情報をコンプリートしてる子供なんて、そこら中に居た事でしょうし。

> で、その後は本当にYouTubeに既存層が流れ始め、ヤバいと思ったのか、
> 劇的に視聴環境が改善していったのが、18年くらいからだったかな?
> とはいっても、会員登録せず動画が視聴できるようになったとか、
> なんで今までそんな単純なことしなかったんだよ、というレベルの話でしたが。

でも結局、大勢の視聴者を抱えようと思うなら、
仕様はマニア向けよりも、一般向けに最適化した方が良い訳で、
そうなると、再生環境が安定していて、高画質で、動作も軽い事が求められるでしょうし、
その為には、設備投資の資本力がモノを言ってくるでしょうから、
今からYouTubeに対抗しようとしても、既に無理ゲーではあるのでしょうが・・・・
また、こうした一般化の流れは避けられないので、次第にマニアは居場所を失うと(苦笑)。

> なるほど、YouTubeAIはなかなか扱いが難しそうですね。
> そして私の場合は、リラックスしたい時に動画を見るので、

旧トルコ担当さんの好みとは、異なるかも知れませんけど、
YouTubeって、環境映像やBGM音楽も非常に充実しているので、
そういう意味で「リラックスしたい時に見る動画」としても良いですよ!!
少し前までは、NHK-BS深夜の「フィラー(穴埋め番組)」くらいしか無かった為、
それこそYouTubeは、4K/8Kの高画質な映像コンテンツが最も豊富な所と言って良いかと。


▼ オタク的なリアルとファンタジー
> > > 俺ガイルの3人(主人公と、ダブルヒロイン)って、建前として
> > > 「私たちは部活だけの関係で、お互いそんな仲良くないよね」という体で人間関係やってるんですよね。
> > > なので、この3人が部活動の範囲を超えて、個人的な友達として学校を出て遊びに行くときは、
> > > 毎回毎回何らかの「だったらしょうがないよね」という理由を用意して遊びに行くんですよ。
> > > 大抵は、主人公の妹が空気を読んで、何らかの学校外で遊ぶ理由を用意してくれるのですが。
> > > (自分で文章にすると、改めてその異常性を確認させられますw)

> > まあ確かに、リアルの世界で考えれば、レア(異常)な感じかも知れませんけど、
> > でもオタク作品の世界観だと、結構よく見る設定じゃないですか?(笑)
> > 非リア充な主人公が、非リア充というスタンスを維持したまま、
> > それでもリア充的な体験をさせるには、いろいろ設定を組まなきゃいけないですし、
> > それこそ、以前に名前を挙げた「はがない」とかも、似たような設定じゃありません?

> 同じ話になってしまいますが、
> 確かに、オタク作品だとよく見る設定なのですが、俺ガイルはリアリティレベルが現実とほぼ一緒なので、
> そのリアリティでこれやられると、すごい異常感があるんですよ。

なるほど。
「異常」というのは、そのオタク的な世界観の設定自体ではなく、
その設定を、比較的リアルな世界観の作品に持ち込んだという事に関してなんですね。

> 「はがない」は読んでいないのですが、同作者の「妹さえいればいい。」は読んでるので、
> そこから推測するに、はがないも結局はオタク・ファンタジーでしょ、と。

まあ確かに、同じ学園モノでも、オタク・ファンタジーではあると思いますよ。
ですが一方で、「妹が空気を読む」の部分を、「妹の為に」と書き換えれば、
そこまでの説明文って、そのまんま、はがない でも使えちゃう無いようなんですよね(笑)。

そういう意味では、この「リアリティ」という所がポイントなんでしょうけど、
でもこれって、ラノベである事を考えると、「オタクがリアルと感じるリアリティ」かも知れませんし、
(「卒業したら友達と別れる社会規範を否定したのが衝撃的」という評価が、何より引っ掛かります)
繰り返しになってしまいますけど、リアルな創作作品という舞台設定になると、
小説や映画などともバッティングするので、どのレベルでの話か?っていうのも出て来るんですよね。
「ラノベでは新しいけど、小説では珍しくないよ」って事だと、
私はオタク系のジャンルしか触れない訳では無いので、そこでの目新しさや衝撃度は薄くなるので。
・・・って、もうここまで来ると、アニメ版でも実際に見ないと、これ以上は無責任に語れ無さそう(笑)。

あと、別に私的には構わないんですけど、
そこまで俺ガイルに入れ込んだ世代のオタクなのに、
2年しか違わない・・・と言うか、2年先んじてる「はがない」を押さえていないのは、
「オタク的な教養」という面では、一体どう捉えられているのでしょうか?
設定は似ていても、その切り口は別でしょうし、作風も異なるでしょうから、
はがない700万部、俺ガイル1000万部なので、後発である事を考えても、
単純に「楽しむ」だけなら、先に俺ガイルに触れていれば、
はがないを今更消化する必要は薄いかも知れませんが、
それでも後発だからこそ、間違いなく大なり小なりの影響は受けているはずで、
そこを把握する意味でも、手を出してみるのがオタクのような気はするんですけどね、個人的に。
これ系の作品の先駆者として、「ラノベ界の未来の為に」と、映画実写化も為された訳ですし。

と、考えてみれば、俺ガイルってそこまで「リアルさ」が売りであるなら、
何でも実写化したがる今の時代に、映画化なり、ドラマ化なりの話って無いんですかねえ?
もちろん、ラノベやアニメのファンは、基本的に実写化なんて望んでないのは百も承知ですが、
実写市場って規模が違いますし、初めから「別物」と割り切れば、そんな悪い事では無いですけど。

> > Wヒロインとの重婚エンドは、50年前の「いなかっぺ大将」から既にありますけど、
> > 宗教的な事由とか、法律的なケジメまで付けてる作品を、少なくとも私は知りませんからね。

> 法的ケジメうんぬんより、やはり気持ち的な問題が大きいかと?
> 恋愛ならともかく、結婚ともなればやはり重婚というのはハードルが高く、
> もっと言えばそこまで責任取れるの?ということでしょう。
> 好きな相手だからこそ、相手の将来の幸不幸まで考えてしまいますし。

恐らく途中で、作品的な話とリアルの話がゴッチャになってる感じもしますけど、
実例として持ってきたのって、一昔前の妾(愛人)の話だったのですか!?
「1人の男性が3人の女性と夫婦になり、法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になる」
との話から、共同生活を営んでるくらいのイメージではいましたけど?

でもまあ、それでしたら、昭和の終わりくらいまでは、不倫にうるさい今と違って、
一角の人物であれば、2号さん、3号さんと居るのが、別に珍しくも無かったですし、
自分が死んだ後の事を考え、財産分与が為されるように、養子縁組をしておくケースはありましたね。
子供が居るならまだしも、そうでなければ、法的には1円も残せませんから。

> 「高校生にもなって友達と同じ大学行こうとする」のはちょっと待ってって感じじゃないんですかね?
> 確かに、自分の見てきた世界なんて狭いですし、拘りがなければ同じ大学で良いのでは?というのも分からなくはないですが、
> 大卒サラリーマン家庭の世界で育ってきた身としては「大学受験でそれは無いんじゃない?」としか思えないですね。
> 作品の舞台も千葉の学域内トップ公立高校ですし。

そこまで言うから、モデルとなった高校の「合格実績(昨年度)」を調べちゃいましたよ(笑)。
  日本大学 96人
  立教大学 71人
  法政大学 64人
  明治大学 62人
  東洋大学 62人

  東京大学 1人
  早稲田大 31人
  慶應義塾 12人

もちろん、無理して同じレベルの大学に行く必要は無いですけど、
同じ高校から これだけの合格者が居て、似たような偏差値グループである事を考えると、
同じ大学に通う事が、そこまでのレア・ケースであるとは、私には思えないんですよね。
千葉から東京に通うとなると、多少の偏差値の差よりも、
自宅からの通い易さというのも、大学を選ぶ重要なファクターになってきますし、
同じ地域の高校に通っているなら、その辺りの地理的条件が被る事だって普通ですから、
正直、「大卒サラリーマン家庭で育った」とかは、あまり関係無い気がします。

まあ確かに、これで東大に受かった1人が、
友達と同じ大学に行く為に、東大の合格を蹴るとかは無いでしょうし、
逆に、合格者数の上位5校も併願なはずで、皆が進学する訳じゃないでしょうけど、
でもこの感じだと、早慶に受かった子は、そのまま進学する子が多そうな気がするので、
1つの高校から早大30人くらいであれば、作中の3人がそこに入る事だってあるのでは?

アニメ画からの判断で申し訳ないですが、黒髪ロングは勉強できそうな典型キャラに映るので、
もしそうなら、女子より男子が出来るパターンよりも、男子より女子が出来るパターンの方が、
追っかける側の成績が上がりやすい印象があるので、一緒の大学を目指すのは好材料になりますよ。
ラノベ主人公だと、全くヤル気は無いけど、ちょっと本気出せばスゲー出来る演出されそうですし。
ただ一方で、もう片方のピンク髪は、逆に勉強できなそうなキャラっぽいデザイン。
女子が女子に教える、しかも双方の関係が微妙ともなれば、それほど急成長は望め無さそうですが、
それだと大学進学ルートでヒロイン決定ですし、主人公の成績が上がれば猛烈に追い上げるタイプかな?
・・・って、ここまでキャラデザのテンプレから勝手に推測しましたけど、大外れだったりして(笑)。
賢そうで逆にとか、馬鹿っぽいけど実は、ってパターンも最近は有り得るのです。
あと、ついでにですが、Wヒロイン以外の女性キャラは、ほぼ端役みたいな話でしたけど、
この他にもう1人、茶髪の存在感が強いのですが、これはメイン・キャラじゃないんですか?
ひょっとして、これが前出の「空気を読む妹?」とも思いましたが、キャラデザ的に違いそうな感じ。

> これが彼氏・彼女なら、まだ分かりますが、
> そうなると今度は、2又かけることになり、やはり社会規範的にどうよ?って話ですし。

こちらの「社会規範」は、私的にも使い方が合ってます(笑)。
って、「彼氏・彼女なら、まだ分かる」という事であれば、
俺ガイルって、メイン3人はこっち寄りではなく、友達関係なんですか?

あと、「ズッ友(ずっと友達だよ!の略)」という言葉が、定着して随分経つので、
実際そうなれるかは別として、最近の意識としては強いんじゃないですかねえ?
「おな中(同じ中学出身の略)」なんて言葉も、昔はヤンキー用語であり、
聞かなくなって久しかったのが、最近は結構 耳にしたりしますし、
社会のデジタル化が進む昨今、人同士の直接的な繋がりが薄れがちだからこそ、
学生時代の繋がりを担保しておこうとする傾向は、確実に増してる印象があります。


▼ 私にとって、オタクが恥ずかしい理由
> > あと、前回も含め、私の発言の主旨としては、
> > 新自由主義システムの未来が、どうこうと言う以前に、
> > どんなシステムにも「建前(理想)と本音(現実)」があり、
> > 建前(理想)の方を信じてしまうと、結果的に痛い目を見やすい忠告なんですよね。
> > まあ、余計なお世話かも知れませんけど、これも何かの縁ですし。

> 俺ガイルにしても、90年代のジャンプ作品にしても、オタク(サブカル)作品というのは
> 「本当の友情とか、人を好きになる気持ち」とかをどんなところまでも肯定しますし、

う〜ん、最近であれば、そうじゃない作品もありそうですけどねえ?
いや別に、具体的に作品名を挙げられるほど詳しくはないですけど、
タモリと林修が「友達不要論」で盛り上がったのが、確か8年くらい前ですし、
まだ当時は、ぼっちを隠したがる「便所メシ」な時代ですけど、
今だと「ぼっち肯定」な人も、かなり増えてるような感じはするので、
そうした層が一定数居るのであれば、そっち系の需要を満たす作品も現れているはずかと。

> もちろん、現実はそんなファンタジーじゃないんですが、オタクっぽい=子供っぽい作品をバンバン吸収すると、
> 世間知らずになると言いますか、よく言えば純粋になるんですよね。

でもこれって、順序的にはどうなんですかねえ?
それを既に自覚しちゃってる時点で、最初はそうでも、途中からは逆転して、
オタクっぽい作品をバンバン吸収するから、純粋なのではなく、
純粋性を保ちたいから、世間知らずを装い、オタクっぽい作品に逃げ込んでるかも?

だからこそ昔のアニメとかって、「あくまでも子供の為の作品」というスタンスでしたし、
「大人になる為のステップ」とか、「大人になったら卒業しろ」というメッセージ性が込められ、
それは恐らく、エヴァくらいまでは残ってた空気感だとは思うんです。
ですが、深夜アニメの登場により、良くも悪くもターゲット層が高齢化した為、
そんな説教臭いメッセージ性は、あまり好まれないようになり、
純粋に欲望に応えつつ、時代のニーズにも合わせて、萌え系やBL系が成長した気もするんですよね。
ハッキリ言えば、現実逃避の為の消費財だって良いじゃないか?と。
奇しくも現実社会は、「明日は今日より良くなる!」なんて時代じゃなくなってますし。

> 新自由主義に対しても、おそらく私が純粋だからこそ、無根拠に人間の善意を信じてるだけだと思うんですよ。
> 現実とラノベをごっちゃにして。

新自由主義って、「人間の善意」とかどうとかではなく、
欲望むき出しというか、それを是とするような思想じゃありません?
「みんなで助け合おう」という、社会主義的な政策が機能不全を起こしたからこそ、
世界恐慌の破滅劇で一旦は引っ込んだ自由主義を、リバイバルして再登場させたモノなので。

> それに恥ずかしさとか、気後れを感じると、BLや百合の世界に入っていくんですよね。
> 自分では信じられないけど、異性という自分から離れた世界にすることで、純粋性を肯定するといいますか、
> コッチの世界ではそうじゃないけど、アッチの世界はそうだよ、と。
> だから、百合が好き、BLが好き、というのはまだ言えるのですが、
> 男で同年代くらいの主人公の作品の名前を出すのは恥ずかしいんです(俺ガイルもそうですが)。

となると、具体的に作品名を聞いた所で、他の人からすれば普通な印象でも、
旧トルコ担当さんの中では、恥ずかしい思いをする感じなのかなぁ?

私の場合で言うと、中学生の時に初めてラピュタを見て、凄く興奮して感動した反面、
「オマエはもう、ここまで純粋じゃないだろ」と責められてる感じで、自己嫌悪にも覆われ、
また同時に少しだけ、上手く言えないけど、作り手としての宮崎駿の作為的なイヤらしさも感じ取って、
「とても面白いけども、嫌な気持ちにもさせられ、少し見え透いた作品」という印象になったんですよね。
その時点で、既に視聴済みだったトトロや火垂るの墓では、ここまで複雑に心を揺らされなかったので、
ある意味では、私にとっての宮崎作品・ジブリ作品の中で、ラピュタというのは原点的なのですが、
であるが故に、好きであると同時に見たくないという思いも、正直あったりするんですよね。
でもまあ、世間一般の普通の感覚で言えば、ラピュタってそんな作品扱いじゃないですし(笑)、
「あまり見たくない作品」としてラピュタを挙げても、恐らく大多数の人は「???」なんだと思うんです。

あと、中原中也とか、梶井基次郎あたりの、100年近く前の作家が、
そうした壊れやすい、不安定な心の内からの叫びみたいな作品を、既に残したりしてません?
「汚れっちまった悲しみに」や「檸檬」などは、国語の授業でも習いそうですけど。
って、よくよく考えると、この2人って「文豪ストレイドッグス」に出てくるのかな?(笑)
まあ私は作品自体、マンガ未読&アニメ未視聴なのですが、
「名前を借りてるだけで、作家や作品への敬意が足りない」とか批判も聞くものの、
でもこうやって、知られる機会が増えるというのは、良い事だとは思うんですよね。
これで10人に1人でも、実際に作品に触れてくれれば、ファンだった増えるでしょうし、
作家とは、誰からも忘れられた時に死ぬモノだと考えれば、その事は非常に重要でもあると。

>   地政学10箇条
>   第3条、善悪は擬装の道具である。
>   第2条の続きとも言えますが、国際政治は生存競争である以上、
>   生き残るためには、善悪に関係なくどんな手段でも実行すべきです。
>   所詮善悪は、自身を正当化したり、相手を非難したりするだけの道具です。
>   現在、「人権カード」はこれのもっとも最たるものでしょう。
> なので、こういう風に「人権カード」とか書かれると、割と本気で傷つくんですよw
> 自分の信じている善意を否定されたみたいでw

そもそも、この突然出てきた文章は、一体何処からの引用?・・・と思い、
ネットで検索した所、17年前に私が纏めたモノですね、これ(苦笑)。
自分で目にするのも15年ぶりくらいなので、存在自体を完全に忘れてましたよ。
でもまあ、考えてみると、これを書いた頃がちょうど、
今の旧トルコ担当さんの年齢と同じくらいなじゃないですかねえ?
我ながら、「随分と稚拙な文言が並んでるなぁ」と、本気で思っちゃいます・・・・

ちなみに、これを書いた2005年当時というのは、小泉郵政選挙のあった年で、
政治のネット利用(工作)が、本格的に始まった時期でもあり、
人権カードへのカウンター戦略として、「自己責任論」の嵐が吹き荒れてた頃でしたね。
ブッシュJr.が父親の雪辱戦として始め、小泉政権も支持に回ったイラク戦争が終わった後、
治安が悪化する一途だったイラクに、人道支援や取材目的で日本人が入国していたのですが、
身代金目的での誘拐事件や、原理主義グループによる殺害事件が発生すると、
「日本国民を守れ」という人権カードが、政権への攻撃材料となるのを防ぐべく、
「危ないと解ってて行った奴らが悪い!」と、被害者をバッシングする空気を作ったんです。
そういう意味では、人権カードくらいで傷付いてたら、今の時代は大変ですよ(苦笑)。

> まあ、いい子ちゃんといいますか、世間知らずのお嬢様みたいなもんなんですよね。
> で最近、自分があまりに純粋すぎるんだな、というのをようやく自覚するに至り、恥ずかしいなあ、と。

でも、状況把握を欠いた善意や純粋性というのは、
一転すると、無責任な攻撃性にも繋がるんですよねえ・・・・
自分の正義を信じて疑わない人ほど、他者への危険な言動が目立つタイプは居ませんし、
また、それこそ上述の人権カードの話のように、
自分の純粋性というか、心地よさを守ろうと思えば、
集団でバッシングする側に回るのが1番という真理もあったりします(苦笑)。

例えば、「大津いじめ自殺事件」とか、「日大アメフト問題」みたいに、
正義の鉄槌を振るって悦に浸る事で、加害者と見なした人々に集団リンチを行い、
結果的には、世間が大いなる加害者となりながら、全く自覚が無いなんて事態も生じており、
それこそ最近なら、北京五輪に関連して、いま騒がれてるウイグルでの人権問題とかも、
本気でウイグル人の為を思って訴え、状況改善を最優先する人が、一体どれだけ居るのか・・・・
この場合、「利用してやろう」と悪意をもって動く人間の方が、自覚を出来てる分だけ、
無自覚なまま善意で行動して「利用される」人間よりも、遥かにマシだったりします。
意図的な悪人は、利益の出る範囲内でしか害悪を起こしませんが、
無自覚な善人は、無制限に害悪を撒き散らし続けるモノですからねえ。
もう少し解りやすく説明すると、例えば、善意からデマを拡散するようなタイプは、
積極的に拡散に荷担しますし、同じ過ちを何度だって繰り返す、みたいな話です。

いや別に、旧トルコ担当さん自身が、そうだと言っている訳では全然無いのですが、
もう自覚が出来ていて、恥ずかしいとも感じられる段階であるのなら、
「純粋すぎる」なんてコーティングは、早く剥がせた方が良いかも?みたいな話ですね。
逆に今の社会って、元々は判断力のある まともな人だったのに、
ドンドンと「ネットde真実」に取り込まれていって、デマ拡散器みたいになってる人が、
引退した団塊世代を中心に、地味に社会問題化していたりもしますからねえ。
気付いたのなら、抗っていかないと、そのまま時流に押し流されちゃうかも知れませんよ。


▼学校文化の昨今
> 前にスクールカーストの話が出てきていたと思うのですが、
> 私の中学校では、だいたい顔の良い順に成績もよかったのですが(特に上位層)、昔もそんなもんだったんですかね?
> だいたい、成績の良い上位3分の1のグループのうち、3分の2は、容姿の良い上位3分の1のグループとメンバーが共通でした。

無いでしょ、そんなの(笑)。

昔というのが、一体どの辺りを指すかは解りませんが、
例えば80年代から90年代前半にかけては、ヤンキー全盛時代でしたから、
解りやすく言えば、「ビー・バップ・ハイスクール」や「今日から俺は」な世界で、
顔が良いの定義にも依りますけど、モテるのは「不良」という感じだったかと?
そんな時代は、勉強の出来るヤツなんて、ステレオタイプ的には陰キャであり、
カーストというのとは少し違いますけど、リア充基準で見るなら底辺扱いですよ(笑)。
日本経済も絶好調期で、別に学歴なんて無くたって、それなりに食えた時代ですし、
逆に言うと、そこまでガリ勉しても、一億総中流なので高が知れてると。
って、そもそも「ガリ勉」という呼び名自体、ネガティブな印象ですからね。

と言いますか、そもそも「顔の良さ」と「成績の良さ」って、どんな相関関係があるんですか?
顔の良さと成績の良さ、双方に働く何らかの遺伝子でもあると思われてます?
まあ成績の良さは、家庭の経済状況(学習環境)に結構依存するので、
恵まれた環境に育つと、生活習慣が正しく、身なりも綺麗だし、表情も明るいとか、
そうした雰囲気の良さが、顔の良さのように感じたりするんですかねえ?
だって、普通に考えれば、そんな所に繋がりは無いはずで、
たまたま、旧トルコ担当さんの1例が、そうだったというだけかも知れませんし、
もっと言えば、そう思っていたから、そう見えていただけかも知れませんよ(笑)。
もしくは、これって実は「俺は顔&頭が良い一員だったけどね!」という隠れアピール?(笑)

まあ、強引に こじつければ、稼ぎのある父親なら、奥さんが美人の割合が高く、
その間に産まれた子供は、勉強もできるし、顔も良い・・・とか言えそうですけど、
恐らく、そんな遺伝的な話では無いでしょうからねえ。
一昔前のように、悪っぽいとか、運動が出来るとか、評価基準が幾つもある時代じゃ無いですし、
結局の所、成績が良いと自信を持てて、表情も良くなる程度の話なんじゃないですか?
「優秀な子には、キラキラネームが少ない」という方が、まだ相関関係がある気がします(笑)。

とは言え、よくよく考えてみると、20年くらい前までは逆に、
これは女性限定の話ですけど、「顔の良さ」と「成績の良さ」は両立しないと言うか、
顔が良ければ、別に勉強なんて出来る必要が無かったですし、
顔も良くて頭も良いと、却って男性から敬遠されると、バカを演じる傾向はあったかな?
そうした変化を思うと、何だかんだ言って、男女平等の方向へ進んではいるんでしょうね。
勉強は出来るけど、結婚の事を考えて、敢えて偏差値を下げた大学を選ぶとか、
今の感覚では、ちょっと想像もしにくいでしょうし・・・・

> オタク史はまあ、ある程度把握したかな、みたいなところがあるので、
> 今は学校文化の歴史に興味があるのですが、なかなか良い参考資料がないんですよね。

対象となる時代はいつ頃で、学校文化とは具体的に何を指すのかで、
いろいろと条件は変わってくるでしょうけど、
例えば戦前なら、こんな本があるみたいですよ↓

「学校文化の史的探究」(2015 東京大学出版会)
http://www.utp.or.jp/book/b306985.html

あとは戦後であれば、まだ歴史では無く、記憶の範囲でしょうから、
研究対象として、1つにまとまった本は無いかも知れませんけど、
それこそ個別の体験記であれば、却って山のように出てくるのでは?
また、ネットを探せば、生の声だって聞けるでしょうしね。

とは言え、そんな本気の研究みたいな事はしたくないとなれば(笑)、
モデルとなる1つの時代を選んで、現在と比較してみれば良いんですよ。
そうすれば、変わった部分と、変わってない部分が見つかりますし、
変化した部分の変遷を追っていくのであれば、調査対象が具体的なので調べやすく、
そして、幾つかの時代をポイントとして、その点々を結んでいけば、大体の流れは追えるかと。
データは膨大にある時代なので、あとは検索のテクニック次第かな?

もしくは、もっとライトな知識で良いよ、という事であれば、
その時代時代のニュース映像とか漁れば、当時の空気って意外と知れるモノですよ。
ローカル・ニュースだと、意外と生活密着な映像とかも多いですし、
当時のアナウンスの口調では、「さも当然」といった語り口でも、
今の人から見れば、「えっ!?」って情報に溢れてたりしますので。
例えば先週、電車内で喫煙する男性を注意した高校生が、暴行を受ける事件があり、
世間的にも「何て異常な事件だ!」といった感じになってますけど、
鉄道各社が電車内を禁煙化したのは90年代後半ですから、
平成初頭のニュース映像を見ると、みんな普通にスパスパやってます(笑)。

> 例えば、夏休みにカップルが花火大会に行く、みたいなお約束は、いつ頃成立したのか?
> おそらく70年代、80年代だと思うのですが、その辺の成立過程とか興味あるんですよね。

対象としては、具体的に「中高生」あたりですかねえ?
だとすると、そもそも90年代くらいまでは、普通に「男女交際禁止」の校則が残ってましたからねえ。
性的交渉が禁止なのではなく、そもそも付き合うのが禁止なんです。
例えば、芸能人が通う事でも有名な堀越高校では、この校則が未だに存続しており、
2019年11月、当時3年生の女子生徒が、同級生との交際が発覚した為、
自主退学を迫られ、大学進学の推薦も取り消されたなんてケースがありました。
で、この女子生徒が「退学は不当!」と裁判に訴えたから、ニュースになっただけで、
さすがに退学は極端でも、未だに男女交際禁止の校則を掲げる学校は、意外と残っていそう。
進学率アップを狙う学校だと、「成績上位なら交際容認」の餌をブラ下げる所もありますし(笑)。

また、花火大会に関して言うと、日本で最も有名なのは、
江戸から続く「隅田川花火大会」でしょうけど、明治維新以降は中断と再開を繰り返し、
今の形で再開されたのは1978年の事ですから、花火大会自体の歴史が意外と浅いかも?
戦後になってから、各地に桜が植えられて、どこでも花見が楽しめるようになったように、
花火大会というのも、企業からの協力金が不可欠な事を思うと、増えたのは高度経済成長以降かな?
打ち上げが派手になったのは、バブル以降なイメージ(ちゃんと調べてはいませんけども)。
そして、ここ10年くらいは、縮小の一途といった感じで、個人的には寂しい限り。
更には、そこにコロナ禍まで襲ってきて、一旦休止となった花火大会の幾つが再開できるのか・・・・

と、それはさておき、唯でさえ男女交際禁止が当然な風潮の時代に、
夏休みとは言え、夜中に子供だけで外へ出掛ける訳ですから(当時は門限も厳しい時代)、
恐らく、旧トルコ担当さんが想像される以上に、中高生の花火大会デートって、
90年代くらいまでは、「不良(ヤンキー)」のイメージも強かったような気がします。
花火大会の治安の悪さって、今もありますけど、当時は現在の比じゃなかったですし・・・・
いや勿論、だからと言って、非ヤンキーの花火大会デートが無かった訳では無く、
それこそ「社会規範」に反する行為だったからこそ、却って盛り上がった側面もあり(笑)、
そういう意味では、当時の作品で描かれてるのは、願望的なファンタジーかも?
まあ、そうしたファンタジーで育った世代が出てくると、それが一般化する傾向はありそう。
(実際、AVの普及によって、風俗でのプレーが一般にまで広がったりしましたので)

何となくですが、この辺り変化は感覚的に、中高生のケータイ所持率の上昇と被るイメージ。
それまでは、子供の個人情報って、基本的に親が管理してましたけど、
ケータイ保有が中高生にまで及ぶ事で、管理が行き届かなくなった面は確実にありますし、
子供の人権や自立性などを尊重する風潮以上に、そういった現実面も大きかったかも?
その一方、家庭の懐事情が苦しくなってたり、スマホ利用料が別途掛かったりで、
子供の小遣いは減額傾向が続いているみたいですし、
これによって、子供がトラブルに巻き込まれやすい世の中に、なっているかも知れません。
別に遊興費だけの話ではなく、借金して大学に進学する子供の割合が、
1996年の2割から、2010年の5割超まで、急拡大したまま高止まりが続いてますからねえ。

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