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[23834] Re:アニメ版「俺ガイル」(全3期)を見ての感想返信 削除
2022/2/15 (火) 04:03:30 旧トルコ担当


20日までは五輪観戦モードとのことですが、書けたので投稿しておきます。
返信をせかす意図はありません。

▼返信について

個人的なことなのですが、今の文章量ですとどうにも返信に時間がかかるため、話題ごとに時間かけて少しづつ返信することにします。
今までは、夜中にその場の勢いで返信を書いてしまうことが多く、それが色々良くなかったと思うので、返信量を削減する分、時間をかけて、しっかり考えた文章で返信していきたいと思います。
しっかり考える癖をつけないと、頭悪くなるな、とも思ったので。

▼俺ガイルについて

管理人さんの感想を読んで正直に思ったことを書けば、「おんなじ作品を見たのに、こうも違うのか」でした。
今までの話は、経済にしてもオタク話にしても、持っている情報に違いがあるという前提だったため、管理人さんと意見がズレても当たり前だと思っていましたが、
全く同じ作品を見てこうも見え方が違ってくるのか、というのは衝撃的でした。

例えば、

> それでは具体的に、この新しい層とは何かとなると、
> 「1人で居る事を見られるのが苦痛な人たち」とでも言えば良いのでしょうか?
> 適切では無いかも知れませんが、もっと解りやすい表現を用いるなら、
> 「便所メシをするような人たち」の登場って事ですね。
> これは実際に、便所メシをしてるか否かという話ではなく、
> そういう状況になれば、そうした発想に至る層という意味です。
> 今までにも、1人の状況を嫌がる人や、ぼっちである人というのは、普通に居たんですけど、
> 1人である事自体ではなく、それが他人の目から どう映るかを気にして、
> トイレで飯を食うにまで至るのは、ここ10年15年くらいの現象なので・・・・
> 便所メシという単語が登場したのは2005年頃の話で、その時は半ば「都市伝説」な扱いでしたが、
> 2015年頃になると、便所メシ経験者が1割を超え、確実に一定の層を形成するようになりました。


> で、俺ガイルの特に第1期を見て、最初に感じた設定というのが、
> まさしく、「便所メシしそうなタイプだな」って事だったんです。
> いや勿論、作中では便所メシをしている訳じゃありませんけど、
> 昔ながらの「ぼっち」とも違って、心の奥底では陽キャ・グループを意識しながらも、
> 上手い距離感や望んだ位置が得られないが故に、そこには属する事が出来ず、
> かと言って、陰キャ・グループに属する事は、自らの自尊心が許さず、
> 孤高を気取ってはみるものの、他人の目が気になって仕方がない・・・って感じかな?


これですが、
まず明確に、主人公及び俺ガイルを支持している層(私を含め)は、便所飯をする層、する可能性のある層とは明確に違いますよ。

全くもって、一人で居る事を見られるのが苦痛でない、というわけではありませんが、
そもそもボッチにとっては、まずいじめの対象にならないだけで天国ですし、
小中学生ならともかく、高校生にもなれば、一人で居る事を見られること程度には慣れきってしまうんですよね。
そして、上手い関係を作れないからどのグループにも属さないというよりも、面倒だからどのグループにも属さない、というのがボッチの心理ですね。

「ヲタクに恋は難しい」(https://comic.pixiv.net/works/1530)というマンガに出てくるキャラクターがちょうど説明しやすいのですが、
俺ガイルの主人公は二藤君タイプで、便所飯するのはこう君タイプであり、
このタイプは、ボッチという点では同じでも、それを気にしているのかしていないのかという面で、実は真逆なんですよね。

これは俺ガイルという作品を読むうえで、ベースとなる認識で、ここの認識が異なってくると、作品の解釈が全部ずれてくるんです。

重要な点なので、もっと例を挙げれば、
私も高校生時代は教室で堂々と一人で食事してましたし、同じクラスにも女子生徒でそういう子がいました。
私もオタクですし、女子生徒の方も確か、腐女子でした。
クラスにもオタクグループみたいなのはあったのですが、別にそことも仲よくしたりはしませんし。
それこそ女子生徒の方は、夏休み前の一学期の音楽のテストで、先生の前で一人ずつ歌うという試験があったのですが、
その試験の後、クラスの男子に「○○さんの声初めて聞いたわ」って陰で言われていましたし。
もしかしたら偏差値の低い高校では、そんなことをしていればいじめの対象になったのかもしれませんが、
私はそれが嫌で、まあこの高校なら変なことは起きないだろう、というレベルの高校に行きましたし、
なのでクラスメイトもみんないいやつで、不干渉でいてくれるんですよね。(そういう意味で、俺ガイルの舞台が学区域内トップの公立校というのは重要なポイントです)
ですけど、友達がいないのが原因で夏休み以降くらいから不登校になってしまったクラスメイトもいました(特にいじめなどがあったわけではありません)。
おそらく、便所飯するタイプって後者だと思います。

といいますか、便所飯をするタイプって管理人さんが想定しているよりも何倍も繊細な人たちだと思います。
そんな、ぼっちぶるなんてことができるのであれば、便所飯なんてしませんよ。
こういった感覚が一切伝わらないのって、世代差はやはり大きいんですね。

> そして、予想以上に「全然リアルじゃないじゃん!」というのが、正直な感想でしたね。
> いや本当、今までは何となく、共通認識がある前提でお互いに話してましたけど、
> 「ファンタジー」と「リアル」の定義について、もう1度キチンと再確認した方が良いように感じました。
> リアルの定義は難しいにしても、ファンタジーの線引きって、どの辺りからのか???
> 例として持ち出された「県議会議員の娘」という設定も、別にリアルさを感じさせないというか、
> 私的にはオタク・ファンタジーって印象でした・・・・
> 大きな真実の中に小さな嘘が混ざるよりも、大きな嘘の中に小さく真実を混ぜる方が、
> 人間というのはリアリティーを感じやすいモノであり、
> これはペテン師の常套手段かつ、作劇法の基本ではありますね。
> 今回の件で言えば、「県議会議員の家ってこんな感じ」というイメージを、
> 具体的に想像できるか否かも、感じる「リアルさ」の違いになってる可能性はありそう。
>
> って、あくまでもラノベなのですから、それが別に悪いという話では無いんですけど、
> 事前に「徹底的にに全てがリアル」と説明されていただけに、却って気になってしまったかも?
> 異世界じゃないですし、転生もしませんし、魔法や突飛な発明品も出てきませんけど、
> 普通によくある、学園モノ作品の設定だな・・・という感じで、リアルさの点は特に。
> まあ、原作ラノベは読んではいないので、あくまでもアニメ版からの印象ですけど、
> 比べるのは何ですけど、あれだと「けいおん」とかの方が、よりリアルに私は感じたかな。
> 残念ながら、少なくとも「普通のラノベではないことは分かる」とは、なりませんでした。


俺ガイルがリアル、という件については申し訳ないですが、誤解を与えたと思います。
俺ガイルのリアルさというのは、状況設定の客観性(あり得る度)、というよりも、主人公の心情のリアルさ、という意味で使っていました。
例えば、親が金持ちで、散財しなければ一生働かずに暮らせる、という人の存在は、世の中に実際ある程度はいる、という意味では状況設定の客観性(あり得る度)は高いのですが、
読者にとって近い存在か、読者にとってあり得ることなのか、という意味においては、リアルではないわけです。
極端に言えば、少年がイスラム国の戦士になる、というのも、自分から遠いという意味でリアルでないと。
まさか管理人さんがアニメ全部見るとは思っていなかったので、雑な説明になってしまっていました。

では、俺ガイルがどうリアルなのか、ということなのですが、何回か書いてみたのですが、なかなか伝えるのが難しいので、少なくとも今回は待ってください。
もしかしたら、次回以降、書けるかもしれません。

一応、「もっと冷めてるんだと思っていました。」という、ディズニーランドの後のシーンのセリフの意味を考えてもらえれば、分かりやすいのではないでしょうか?
ちなみに冷めていると思っていたのは、人間関係全般に対する態度のことです。

小説とアニメで終わり方が違うことはありませんし、あの終わり方はやはり「ずっと一緒エンド」だと私は思っています。
屋上シーンの解釈も、私から言わせれば、表面しか見てない気がします。

偉そうに書きましたが、わざわざアニメを見るほど俺ガイル人気の理由を知りたいということであれば、もう少し俺ガイルを理解できた方が、よりメタ的な意味でも面白がれるのではと思い、色々書いてみました。

> それに、「ifルートの想定自体が難しい」との事でしたけど、想定ルートは結構あった気が!?

ifルートの話って、俺ガイルはifルートを作者が書いてるんだよね、って話から始まってませんでしたっけ?
俺ガイルはifルートあるけど、他のラノベとかではifルートの想定って難しいよね、という話だったと思います。

▼校園四覇について

> ちなみに、俺ガイルの設定を聞くだけの段階では、「はがない」に近そうな印象でしたけど、
> 主人公がこういう拗らせ方をしてる感じだと、「氷菓」の方が近いですかねえ?
> 氷菓は未見ながら、何となく、そんなイメージ。
> という事で、ちょっと調べてみた所・・・なんと中国オタク界隈では、
> 「校園四覇」なんて括り↓で呼ばれてるみたいです!?(笑)
> http://i2.hdslb.com/bfs/archive/00febf8e0edee2d0af707970d38c7cb23d057355.jpg
>  【自爆】 比企谷八幡 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」
>  【節能】 折木奉太郎 「氷菓」
>  【騒話】 梓川咲太  「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」
>  【無情】 綾小路清隆 「ようこそ実力至上主義の教室へ」
>
> 漢字2文字の愛称まで付けて呼ばれてる所は、三国志っぽくって無駄に格好良いですし、
> 国境や文化の壁まで越えながら、日本のオタク文化と、この拗らせ思春期な価値観が、
> 伝わり、広まり、共有できている事実に、ちょっと感動までしました!!
>
> あと余談ながら、旧トルコ担当さんは、この校園四覇は制覇されてます?
> と言いますか、この4人の括りって、実際的確に映りますでしょうか?
> 正直、私の方は、今回ようやく俺ガイルを突破しただけで、
> 特に、「よう実」と「青ブタ」に関しては、一定の人気がある事は知ってたものの、
> これらが一括りにされる扱いの作品だという事は、今回初めて把握しました(笑)。
> でもまあ、これらは単に、中国でウケた作品群ってだけで、
> 氷菓以外はラノベとして、そこまで尖った作品で実際無いのかも知れませんけど、
> この2作品も、ちょっとだけ「私、気になります」レベルには格上げされたかな?(笑)
> アニメ版なら、共に1クールで済むみたいですし。
> ・・・って、同じ1クール作品ならば、まずはそれらより、
> 弁さんとの雑談時に紹介された「映像研には手を出すな」を見るのが、先かも知れませんね。


俺ガイル、よう実は読んでいましたが、氷菓と青ブタは見てないなと思い、書店で買ってきたのですが、氷菓は中学の時に読んでますね。内容ほとんど覚えてないですが。
氷菓は本の装丁からしてラノベではない感じなので、これは先にアニメ版を観た方がよさげなかんじですね。京アニですし。

そして、校園四覇は人気作品をまとめたというより、主人公のダメさ加減を茶化している感じだと思いますよ。
「トラウマを作らない」ことが目標にもかかわらず、「自爆」してトラウマを作る比企谷八幡に、
自分を好きになってくれた女の子を退学に追い込む「無情」な綾小路清隆。
このあだ名は結構笑えました。

ただ一方で、中国の若者が俺ガイルを評価しているのか、というのは正直怪しいと思います。
青春ファンタジーをやっている、普通の青春系オタクコンテンツが中国で受容されるのは分かるのですが、
俺ガイルって現代の日本の学校文化の中でしか通用しない、非常に特殊な作品だと思うので、特に経済が成長している中国では通用しなさそうなイメージ。
経済が成長していれば、モテるモテないも、容姿より学歴がもっと関わってきそうですし。

もっと言えば、大人社会に肯定的なイメージが無いからこそ、高校生=人生で最も輝いている時期、という図式が成立するわけであり、
高校生=人生で最も輝いている時期、という図式が成立するからこそ、その高校時代に青春出来ない=負け組、という俺ガイルの語られすらしない根本原理が成立するので。
アニメにあったかは忘れましたが、主人公が中3の川崎大志に言っている、「中学から高校になって変わる点は、みんなが高校生っぽくふるまうようになるだけだ」というのはそういった意味ですね。
もちろん、俺ガイルはモテが全てだ、という価値観の作品ではありませんが(むしろ友情の方がテーマ)、ただそういう背景が違えば、根本的に色々ずれてくる気はするんですよね。
高校でどんな負け組であろうと、そんなものが可愛いくらいの超超経済格差社会の中国においては、高校出た後に勝ち組になれるかの方が重要でしょうし、そういう世界で俺ガイルって共感されるのでしょうか?

> 漢字の「冬」をモチーフにした、今回の北京冬季五輪のエンブレムを見ても思いましたけど、
> これって恐らく、全世界の中でも、日本人と中国人の間だけで存在するシンパシーであり、
> 現状では互いに反日的・反中的な風潮が目立つものの、この存在は将来的に面白いかも知れません。
> だって、世代の異なる日本人同士よりも、世代が同じ日本人と中国人の方が、
> 1つの作品に対して共感し合えるって、これは冷静に考えると、本当に凄い事なので!!
> また、四天王とか作りたくなる中2的センスが、海を越えてるのも嬉しい(笑)。
> って、仏教がインドから中国を通って日本に伝わった事を思えば、共通の根を持っているのかな。


中国のオタク文化受容って実際どうなのでしょう?
個人的な見方では、中国人の一部に日本マニアがいて、でも人口が10倍だから日本から見るとそのマニアの多さに圧倒される、というだけであり、
何も中国人の若者の間にそこまでオタクが多いとは思えないんですよね。
日本史の崩し字を翻訳するAIの制度を競うコンテストを開いたら、優勝したのが中国人のチームだったということがあったらしいのですが、それに近いのかな?
ただ、私の大学の中国人留学生も日本のアニメ大好きですし(スマホのホーム画面が萌えキャラでこっちが恥ずかしいw)、やはり中国でも大きな勢力なのでしょうか?
私は、オタク史を勉強しようと思った一番初めの時に、ひとまず国内だけやって海外は手を出さないと決めたので、海外情勢は一切知らないんですよね。

▼学校文化の昨今

> > 前にスクールカーストの話が出てきていたと思うのですが、
> > 私の中学校では、だいたい顔の良い順に成績もよかったのですが(特に上位層)、昔もそんなもんだったんですかね?
> > だいたい、成績の良い上位3分の1のグループのうち、3分の2は、容姿の良い上位3分の1のグループとメンバーが共通でした。

> 無いでしょ、そんなの(笑)。


まあ、中学生の時の印象ですしから誤って可能性も十分あります。

> と言いますか、そもそも「顔の良さ」と「成績の良さ」って、どんな相関関係があるんですか?
> 顔の良さと成績の良さ、双方に働く何らかの遺伝子でもあると思われてます?
> まあ成績の良さは、家庭の経済状況(学習環境)に結構依存するので、
> 恵まれた環境に育つと、生活習慣が正しく、身なりも綺麗だし、表情も明るいとか、
> そうした雰囲気の良さが、顔の良さのように感じたりするんですかねえ?
> だって、普通に考えれば、そんな所に繋がりは無いはずで、
> たまたま、旧トルコ担当さんの1例が、そうだったというだけかも知れませんし、
> もっと言えば、そう思っていたから、そう見えていただけかも知れませんよ(笑)。
> もしくは、これって実は「俺は顔&頭が良い一員だったけどね!」という隠れアピール?(笑)


中学の時に考えた理由としては、
見た目が良ければ、自分はできる奴だ、という自信が生まれるため、当然勉強も自分は周囲の奴よりもできるはずだ、と思い、勉強するため実際に成績が良くなる。
逆に、容姿が悪ければ自己評価も低くなりがちであり、テストの点も相応で満足してしまう。
という感じです。
中学レベルの勉強なんて、やるかやらないかですし、ですがそのやるかやらないか、というのは他者と比較して「自分はできるはずだ」と思うか、「自分はこんなものだ」と思うかどうかじゃないんですかね。
そういった自己評価には色々な要素がも関わっているのですが、クラス内でどの場所に自分が位置しているのか、という自己評価に関しては容姿というのは大きなウェイトを占めてると思うんですよね。

> 多分これって、デジタル・ネイティブで、みんなが普通に繋がっていたり、
> 社会的に成熟して喧嘩も減り、みんなが良くも悪くも優しく接するようになり、
> それでいて、兄弟は減り、放課後に集まって友達と遊ぶ機会も減り、ついでに小遣いも減りと、
> ある意味では、こうして子供の間の隔たりが薄れてきたからこそ、価値基準の画一化してしまい、
> スクール・カーストのようなピラミッド化が、勝ち組・負け組の明確な線引きが起きたとすれば、
> 一昔前までの学生生活や人間関係と比べると、相当に隔世の感があるような気がしますね。


逆ですよ。文化的に完全に分断されてしまったからこそ、スクール・カーストが発生したんです。
90年代の島宇宙化の果てにあるのがスクール・カーストです。
そういう意味においては、スクール・カーストは勝ち組・負け組がある格差ではなく、互いが別の世界に住む階級といった方が良いのかな?
個人の間に格差があるというより、個人の属するグループの間に上下が存在している感じです。
そして、上の者が必ずしも得をするわけではなく、むしろカースト上位の方が大変そうなのも階級っぽいところかな?
格差であれば勝ち組の方が間違いなく得ですが、階級となれば一概に上の方が得とも言い切れませんし。
ちなみに、私は全く知らないのですが、インドのカースト制というのはどんな感じなのでしょうか?
もしかしたら、カーストという名前が管理人さんに誤解を与えているのかも。

▼ ホワイト革命

> ところで、その「いいひと戦略」とやらは、
> ここでの雑談時にも、発動していたりはするのでしょうか?(笑)
> ・・・って言うか、いいひと戦略って具体的に何!?
> そもそも、目指すべき「いいひと」像のイメージってあるんですか?


いいひと戦略の前提には、現代の日本は見た目至上主義だよね、という認識があり、
そのうえで、評価経済+見た目至上主義=いいひと戦略
だったのですが、
最近その見た目至上主義論が「ホワイト革命論」というものに進化して、滅茶苦茶面白い論になっているのでおススメですよ。

ホワイト革命論 https://www.youtube.com/watch?v=k_zV08mCfFI
いいひと戦略論 https://www.youtube.com/watch?v=hB5ncWZvVbw

> > もちろん、現実はそんなファンタジーじゃないんですが、オタクっぽい=子供っぽい作品をバンバン吸収すると、
> > 世間知らずになると言いますか、よく言えば純粋になるんですよね。

> でもこれって、順序的にはどうなんですかねえ?
> それを既に自覚しちゃってる時点で、最初はそうでも、途中からは逆転して、
> オタクっぽい作品をバンバン吸収するから、純粋なのではなく、
> 純粋性を保ちたいから、世間知らずを装い、オタクっぽい作品に逃げ込んでるかも?
>
> だからこそ昔のアニメとかって、「あくまでも子供の為の作品」というスタンスでしたし、
> 「大人になる為のステップ」とか、「大人になったら卒業しろ」というメッセージ性が込められ、
> それは恐らく、エヴァくらいまでは残ってた空気感だとは思うんです。
> ですが、深夜アニメの登場により、良くも悪くもターゲット層が高齢化した為、
> そんな説教臭いメッセージ性は、あまり好まれないようになり、
> 純粋に欲望に応えつつ、時代のニーズにも合わせて、萌え系やBL系が成長した気もするんですよね。
> ハッキリ言えば、現実逃避の為の消費財だって良いじゃないか?と。
> 奇しくも現実社会は、「明日は今日より良くなる!」なんて時代じゃなくなってますし。


ホワイト革命という意味においては、私の「純粋」というのも、私だけの属性でもなく、ましてやオタクだけの性質でもなく、
単なる時代精神であり、それがちょっと強いだけ、という側面もあるんでしょうね。

▼ アニメ

簡単に返信できるので、ここだけ返信しておきます。

> ・・・って、今更ながらに気になったのですが、
> 旧トルコ担当さんって、どこでアニメ(特に新作)を視聴されてます?
> 一昔前までは、それこそテレビ放送一択でしたけども、
> 今では正直、ネット配信の方が視聴しやすいでしょうし、
> ニコニコ動画とかだと、コメント付きでの視聴も可能ですよねえ?
> と言いますか、そもそもコメ付きでアニメを視聴したりします?
> ちなみに私は、1回目はテレビで、2回目はニコニコでって時期もあったかな(笑)。
> もちろん、気に入った作品かつ、コメ付き視聴に合うアニメである事は前提として。
> ちなみにカブトボーグは、コメントがあった方が断然面白いタイプのアニメでしたし、
> だからこそ、ニコニコ動画との相性も良く、ここから再注目されたとも言えますね。


昔はテレビで見てましたが、今はサブスクで見てます。
ただ月額課金となると、どうしても色々観なきゃ損という気分になり、そこまで興味もないゾンビ映画とかまで見ちゃうんで、見たいものがあるときだけサブスクに入ってますね。
それと、新作アニメはほとんど見ないかな。チェックはしてるのですが。


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