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[23903] Re:「ホワイト革命」の動画を見ての感想(一部追記)返信 削除
2022/4/14 (木) 00:00:49 旧トルコ担当


▼ ホワイト革命

> 言っている事は、そこまで的外れでは無いと思うものの、
> それが「革命」と呼べるレベルまで大きいかとなると、ハッキリ言って同意しかねると。
> 「当たり前の傾向」と「当たり前の変化」が、大袈裟に感じ取れてるって感じでしょうか。


なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。
そうすると、後半全部なしになるので、感想としては中途半端になるのも納得。
申し訳ないです、おススメした私のミスでした。

簡単に後半の内容を紹介すると
https://twitter.com/hayaokiinoue/status/1472724635141963776/photo/1

(1)社会意識のさらなる向上
今多くの人が普通にやっているような、人前でちょっと悪口を言ったり、不平不満を言うことは、犯罪者予備軍として見られるようになる
現在のアニメ等もまた、美男美女しか出てこないのは差別的だ、と言われるようになる
(2)排除の時代
それでもなお、他人の悪口を言ったり、ルッキズム的な発言をしたりする人は、まともな社会から排除される
 (例えば、AIによりネットの裏アカウントなどが特定されるようになり、裏カウントで差別的なことをツイートしてる人は、就職・転職面接でこっそり排除される)
つまりは、現在、有名人が差別的な発言をすると叩かれ、社会的地位がはく奪されるのと同じようなことが、一般人相手にも行われるようになる
かつての家柄社会から学歴社会へ社会が移り変わったように、これからは学歴社会、実力社会から、ホワイト社会(ホワイトかどうかによって、社会的地位が決まる社会)になる
(3)ネットも同じ
かつての2ちゃんのような、リアルで言えないえげつない悪口も、ネットでなら言える、という時代は過去のものになりつつあり、
そうした悪口を言うようなSNSアカウントは、不快なのでみんなからだんたんミュートされている(が、本人たちは気づいていない)
(4)ホワイト世代の台頭
こうしたホワイト革命の担い手は、現在の30代以下〜10代後半以下のホワイト世代である
彼らは、マンガやアニメなどの綺麗ごとを肯定する物語を見てきた世代のため、前の世代と比較して非常に良い子化が進んでいる

という感じです

> まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?


そうですね。
「生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変(の法則)」
というのは、私も同意です。

映像の世紀を見ていると「1960年代ってこんなに汚かったのか!」と衝撃を受けますし、
生活レベルが上がれば、衛生に対する意識から、人権などの意識まで向上する、というのは私もホワイト革命の動画を見る前だって思っていました。

しかしその上で、ホワイト革命が衝撃だったのは、
その法則を現代にも適用すると、ちょっと先の未来はどうなるのか、ということを予測した点だったと思います。
私たちは過去のことは客観的に見れても、自分たちのことは客観的に見つめられませので。

> それと、1&2と3は、全く纏まりの無い括りのように感じるのですが、
> 恐らくは、心理的な「潔癖主義」と、物理的な「潔癖主義」を、同じモノとして捉えて、
> 潔癖から「潔白」を連想しての、「ホワイト革命」という表現なんですかねえ?


そうだと思いますよ。

> まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?
> もちろん、時にはバンカラ文化や不良文化などが、一部で流行ったりもしましたが、
> それにしたっって、あくまでもアンチテーゼとしてのカウンター・カルチャーであり、
> そうしたモノが流行るのは、それだけ急速に生活レベルが上がってる証拠なんですよね。
> 向上が急スピードだからこそ、敢えて逆らおうとする反骨心の現れでもありますし、
> 逆に言えば、そうしたカウンターが生じないのは、それだけ勢いが乏しい時代だと言えるかも知れません。
>
> また、「好き/嫌い」と「良い/悪い」は本来 別の概念ですけど、
> (「良い」と「正しい」も異なりますが、話が面倒になるので割愛・笑)
> ここでは、それを混同しているのは、岡田斗司夫自身が区別できていないのか?
> はたまた、区別できないレベルの人々を、想定しているのか?
>
> まあ、それはさておき、この1と2で実例として挙げた「おにぎり」と「不倫」の例も、
> 私自身はしっくり来なかったと言うか、正直言って、正しく認識できてない印象を受けました。
> そもそも岡田本人がサイコパスを自称しているくらいなので、
> 自分の損得が関わらない限り、他人の心の機微を読み取るのは、恐らく不得意な人だと思いますし、
> そういう正確だからこそ、却って自分に都合良く解釈している感じはするんですよ・・・・
> オタクとして「作品考察」する分には面白いですし、主観的な解釈でも構わない世界ですが、
> しかし、社会における「人間観察」というのは、主観性が客観性の邪魔をしてたらダメでしょうね。
>
> 「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられない」という有吉の話も、
> 実を言えば、私も少し苦手意識があるので解るのですが(苦笑)、
> あれって、その感覚が解らなかったり、深く考えたりしない人だと、衛生面の問題だと誤解するのですが、
> 実際はそうではなくて、心理的な壁、つまりは「ATフィールド」の話なんですよ!!(笑)
> 自分のお母さんの手が衛生的だから、安心して おにぎりを食べられるという事ではなく、
> 家族という同じグループの一体感(安心感)から食べられるので、
> よそのお母さんは、異なる家族というグループに属するから、心に境界線が生じるんです。
> そして、核家族化や地域社会の疎遠化により、一体視できるグループの範囲は年々縮小していると。
> ですから、別に おにぎりでなくても、加熱された手料理だってNGなんですよね。
> 手料理は心が籠もる(魂が宿る)為、心を許せていれば心地良い反面、心を許してなければ障害になるので。
> 職人やコンビニの料理なら大丈夫なのは、衛生面の問題以上に、そこに余計な愛情が含まれないからなんです。
> 品の無い例えですけど、「風俗は不倫じゃない」みたいな話の感覚に似ているかな?
> って、私自身で言うと、職人が握った寿司にしても、少し苦手意識はありますが(苦笑)、
> だからと言って、職人がビニール手袋を着けて握っていても、そこまで意識は変わらない気がしますし、
> 実際、有吉自身も番組開始当初、夏目アナの手料理の差し入れを「迷惑!」と切り捨てていましたけど、
> いざ夏目アナと結婚すると、彼女が握った おにぎりも、普通に食べると言ってましたからね(笑)。
>
> 続いて、不倫話に関して言うと、不倫してる人が全てバッシングされる訳じゃないんです。
> 元々アンチ層を抱えてる芸能人が不祥事を起こして、心置きなく叩ける免罪符を得られたり、
> 大して好きではなかったが、好感度で商売していたタレントが、それに反するような行為をしたり、
> 初めから不祥事の肩書きを背負い、「こいつは叩いてもOK」な扱いで登場するから、炎上するのであって、
> 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。
> 逆に、雨上がり宮迫は、芸達者であっても、格好付けな性格が昔から嫌われてもいた為、
> 闇営業の問題で あそこまでのバッシングを受け、そんな性格が事態を更に悪化させたのですが、
> あの問題を、ここまでの大事件に発展させてしまったロンブー亮は、そこまで叩かれていないと。
> 結局、良い悪いという判断の話も、好き嫌いという感情の話に帰着してしまうんですよね・・・・
> そして、こうした判断と感情を混同する人の割合は、今の時代になって増えたと言うよりも、
> ネットの時代になって、存在が目立つようになり、悪い意味での影響力も増しただけだと思うんです。
>
> また、Twitterで悪口がミュートされるという例にしても、
> 悪い内容だから弾かれるのではなく、不愉快な内容だから弾かれる訳ですね。


この辺も、申し訳ありません。ホワイト革命論が前半のみで中途半端なため、論の趣旨が伝わらず、言葉のニュアンスが伝わってないんでしょうね。
とはいえ、ホワイト革命論っている内容って、かなり抽象度の高い話ですので、岡田斗司夫の言っていることを解釈しないと、話が分からないと思うんですよね。

「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられないのは、清潔度ではなく、ATフィールドだから」という話も、岡田斗司夫はおそらく、分かっていると思います。
そのうえで、細かく正確な話というより、全体をつかむ大雑把な話として、おにぎりの話を清潔度の例として持ってきたのだと思いますし。

不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

> また、Twitterで悪口がミュートされるという例にしても、
> 悪い内容だから弾かれるのではなく、不愉快な内容だから弾かれる訳ですね。
> ネットの使われ方が変わったと言うよりは、当時は利用者が一部に限られていたモノが、
> 今ではそれだけ、一般にもネットが、広く普及したという事かと思われます。
> そして、ここでいう「悪口」とは、社会通念的に悪いと認識されている発言と言うよりは、
> 個人的に「不快」となる発言が悪であり、例え悪口でも「快感」を得られれば善となると。
> だって、行き過ぎたバッシングだって、充分に悪口に該当するでしょうけど、
> バッシング集団の中に身を置けば、自分たちこそが正義であり、自分たちの行為は正当化される。
> 言うなれば、社会全体の空気感を読んで、正義とか常識を自らの損得に摺り合わせてた時代から、
> 始めから自らの損得を出発点に、正義や常識を自由にセレクトしたり、カスタマイズする時代となり、
> そういう意味では、自身の攻撃対象とさせない、攻撃対象となっても炎上させない為にも、
> ここで言う「ホワイト化」は意義があるかも知れません。
> しかし、それはあくまでも道具や材料に過ぎ無い事も、キチンと認識しておくのが重要かと?
> 要するに、原因と結果を取り違えるべきでは無いというか、
> 革命的な変化が起こっているのだとすれば、それは「正義の娯楽化・個人化」であり、
> 綺麗にしてれば安全とか、脛に傷があるとヤバいとか、そう単純な話でも無いって事ですね。


この辺も、私の認識は異なりますね。
確かに、正義の娯楽化+正義や常識を自由にセレクトしたり、カスタマイズする時代というのはSNSで一時期ものすごく盛り上がったんですよ。
ただもうそれは既に数年前くらいに次の段階に来ていて、SNSによりものすごい勢いで毎日のように正義論争が起きた結果、正義の共通見解ができたんですよ。
それはどういった共通見解かというと、完全な1ミリも間違っていない正論です。
ちょっとの悪でも許さない、絶対的な正義、きれいごと、これがコロナ前からのSNSの正義論争の終着点なんですよね。
もちろん、たまには「奥さんを侮辱されたハリウッドスターが、侮辱した司会者を殴った。正しいのはどちら?」みたいな、意見が割れるような論争も起きるのですが、
基本的にそういった(面白い)事件が起こることはまれです。

私の印象ですが、まだ2チャンネルとかには、そういったオレの正義的な雰囲気は残ってるんでしょうね。
オリンピックのエンブレム問題なんかも、火をつけたのは、2ちゃんねらーでしたし。
2チャンネルみたいな、板があって、スレッドがあって、そこで住人同士のすみ分けが行われている世界では、そういった排他的な正義が生まれるのですが、
SNSは意外とそれが難しいんですよね。
ある程度盛り上がれば、どうしても他の文化圏の人間が入ってきてしまう。
そうすると、排他的な正義なんて言うのは意外と成立しにくいんですよね。
(そういう意味では、実はSNSによる社会の分断なんて言うのも、実は昔から意見の隔たりはあって、SNSによってそれが可視化されただけという面もあるのかも?)

で、私がTwitterを見ている範囲では、政治ツイートなんかも、昔に比べて盛り上がらなくなってきている印象があります。
それこそ、前に例示した「宇崎ちゃん論争」の時なんかも、
Twitterではオタクとフェミニスト(?)の人たちが物凄いリプ合戦をしてたんですよ。
で、そういう意見が異なる者同士の争いというのはドンドン過激になっていき、両方とも相手へのバッシングや、集団での嫌がらせになっていくと。
ですが、こういうことって、された方も精神的にきついですが、意外とする方も精神的にきついんですよね。
結果として、私の狭い観測範囲の中でも、「もうTwitterで政治の話はしません」みたいな宣言をする人が何人かいますし。
そうして残されるのは、過激な嫌がらせをするのにもされるのにも精神的に耐えられるような、ある意味タフな人たちだけなので、
より過激になっていき、ですが大衆からはもう支持されないと。
(追記ここから)つまりミュートされるわけですね。
で、自身もまた、誰かの発言に怒るようなツイートもしないし、そもそもそういった自分の心を怒らせるようなものをミュートするので、
自分自身もまた、怒りの感情自体が沸いてこなくなる。これがホワイト化だと思います。(追記ここまで)
私はTwitterしか知りませんし(それもほんの一部ですが)、他SNSや、あるいはトランプが大統領にまでなってしまったアメリカなんかは違うのでしょうが、
管理人さんの印象ほど、バッシング集団の中だけで固まるのって、簡単じゃないと思うんですよね。

ふと思い出してみれば、下記のツイートがされたころには、もうTwitterは正義論争が起きてたんですよね。
https://twitter.com/sovietunion1945/status/1090349608377638912
上記のツイートの通り、何も最初からそうだったわけではなく、いつからか急激に変わりだしだしたんですよ。
確か、トランプ以前にはあまりそういう傾向ってなかった気がするので、2016年〜2019年の間くらいだったかな。

岡田斗司夫曰く「若者が高齢者以上に自民党よりなのは、野党の政権批判が汚く感じられるからだ。
野党はもっと与党批判のやり方を変えて、『私たちは自民党の味方ですよ。一緒に日本をよくしていきましょう。
ですが、自民党には自民党さんでいいにくいこととかあるでしょ。だからそれを私たちが代わりに言ってあげますよ。』
みたいな方向に転換した方が、より選挙戦略として正しい」とのことですが、
私も結構これには賛成ですね。
いってしまえば、野党の公明党化みたいなものでしょうか?
かつては安保運動の雰囲気みたいなものがあって、太平洋戦争で軍部に流されてしまった反省があったからこそ、
反体制=正義であり、体制側を厳しい言葉で非難することには、特に左寄りの人たちからは支持されたのですが、
今の若者からすれば、厳しい言葉を使っている時点で、攻撃的な嫌な人、という印象を持たれ、不利なんですよね。

> そもそも、本当にそんな時代となれば、岡田斗司夫も完全排除される側の人間ですし(笑)。

そうですね。岡田斗司夫自身、私は排除されてもいいんですw、と有料部分で言ってますw
ホワイト社会の完成は2030年代から40年代というのが岡田斗司夫の予測ですが、そのころにはもう本人は70代80代ですし。

▼ いちゃらぶ革命

いちゃらぶ革命の話も、あまりうまく伝わっていないようだったので、説明しなおすと、
「ホワイト革命世代は、恋愛ものというジャンルにおいても、誰かが傷つくような失恋の話を好まず、
いちゃらぶのような登場人物が幸せになれるような話しか望んでいない。
私の予測では、おそらく20年後には失恋もののアニメやマンガ、ドラマなどが、『平成っぽい・昭和っぽい』と言われるようになる」ということです。

とはいえ、話の重点は「いちゃらぶが増えていること」や「失恋ものが描かれなくなっていること」ではなく、
「登場人物が幸せになるような話しか望まれていない」ということですので、いちゃらぶ革命という名称が適切でないかもしれません。
例えば失恋を描かず、なあなあの友達以上関係をずっと維持するという方法もあります(俺ガイルはある意味これですし)。

例えるなら、モノを欲しがらない若者世代における、ミニマリストのようなものでしょうか。
全体として、モノを欲しがらない若者世代がいて、それが若者の車離れだとか言われるわけですが、そうした傾向の最も極端な形がミニマリストであると。
同じように、登場人物が幸せになる物語しか見たがらない世代が台頭しつつあり、それが失恋離れにつながっており、その再極端に位置するのがいちゃらぶであると。

その具体的な証拠として、
・最近のりぼんでは、失恋からいちゃいちゃへ大きくシフトしている
 (再掲載)『りぼん』編集部に聞く!「小学生の恋愛」は少女漫画でどう描かれてる?親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?(https://lee.hpplus.jp/column/2113728/
 Q 親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?
 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
 また、つき合うことへのハードルが下がっていて、“つき合った後”が描かれることが多いです。
 親世代は片思いの間のすれ違いを大事にしていたので、これは大きな違い。主人公がイチャイチャしているところ、幸せそうな様子が見たい、というのが今の子どもたちの気分のようです。
・2000年代後半の少女小説でも、姫嫁作品と呼ばれる、一話完結で、ヒロインと主人公のカップリングが最初から確定している恋愛ものが出現している
 「背景には長引く不況の中で、現実につかれた社会人がロマンティックでハッピーエンドな恋愛に癒しを求めているということが考えられている」(コバルト文庫で辿る少女小説変遷史)
・かぐや様もまた、失恋要素がうまく削られ、いちゃいちゃっぽくないか?
といった点を挙げています

あと更に追加として証拠を挙げるなら、
・「逃げるは恥だが役に立つ」はどうなんでしょう?私は見てないのですが、これもちょっと調べた感じでは失恋という感じではないですし……
 逃げ恥がいちゃらぶと呼べるかはともかく、バブル期の「東京ラブストーリー」はハッピーエンドではなかったらしいですし、
 恋愛ドラマ自体が減少する中で、失恋を描いたドラマってどんどん減ってる印象
・少し調べた感じだと、恋愛ソングでも失恋離れが進行しているみたいですね。
 https://realsound.jp/2018/04/post-185155.html
 https://agenda-note.com/customer/detail/id=1460
 https://kindaipicks.com/article/001740
 上記の記事の中では、失恋ソング離れはスマホの普及により、若者の恋愛が変化したからだ、としていますが、そんなわけ無いと思うんですよ。
 だって、恋愛をしていたら、失恋は絶対するでしょ。そこは変わらないはずです。
 そして、恋愛ソングを聞くのは恋愛をリアルでする層だけではなく、リアルでは恋愛をしないけど、恋愛ソングは聞く、という層もいると思うんですよ(特に学生は)。
 そういう層にとっては、現実の恋愛の変化というのは、あまり関係ないと思うんですよね。

> > > 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> > > 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> > > 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> > > これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)

> > そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。

> それって結局、流行ってはいない証だと思うんですよね。
> 何らかの概念が生まれ、それが人の口を膾炙するには、
> やはり、それを簡潔に示す「単語」の存在が不可欠なので、
> 広く出回ってる単語が無いという事は、そうした共有が行われていない事を意味するかと。


誤解が起きているので訂正しますと、
まず少女小説というものが80年代、90年代に流行しました。
しかし、00年代ごろからは、ライトノベルやボカロ小説、ケータイ小説に少女小説の読者層である10代女子を奪われ、衰退がはじまりました。
その衰退の中で、20代の少女小説読みの間で流行ったのが姫嫁作品ですね。
大本の少女小説自体がもう沈み始めていたので、その中で流行っている姫嫁作品も、大して流行っていない、ということです。

> 「かぐや様」のアニメは1期も2期も見てますし、今週から始まる3期も見る予定ですよ(笑)。
> といいますか、前回、「いちゃらぶモノが流行ってる」という話が出た際に、
> 「かぐや様は違うな」と、すぐさまパッと浮かびましたもん!!
> だって、あの作品、原作マンガの方はまだしも、アニメ版では未だカップルにすらなっていませんし、
> 双方の内面描画によって、秘めた「スキスキ」(すとぷりの曲じゃないですよ・笑)は存分に描かれているものの、
> 別に作品的には、イチャイチャも、ラブラブもしてませんからねえ。
>
> また、視聴者や読者は神目線で、両想いな事が解っているから、ニヤニヤしながら楽しめる作品であれば、
> それこそ昔から、数多くあると思いますしね。
> ですから「かぐや様」も、面白い作品だとは思いますけど、
> 別に目新しいとか、今風だよなと感じる事は、ハッキリ言って無いですね、少なくとも私は。


いや、そうだと思いますよ。
「かぐや様」という作品単体を見て、目新しいとは思わないと思います。
私が主張しているいちゃらぶ革命って、恋愛もの全体が失恋からいちゃらぶへカーブしている、という話ですので、
1作品だけを挙げても、なかなか分かりずらいかと思います。

▼ コロナ戦争

参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=gslo9O1ED3w

世界大戦、というのは(岡田斗司夫がちゃんと説明してないので)正直私にもよくわかってないのですが、
おそらく第一次世界大戦、第二次世界大戦においての、アメリカの戦前・戦後の変化を指して、
今回もそれに類似する激変がこの4年程度で起こる、ということなのだと思います。

ただこれに関しては、私はアメリカ社会史はサッパリですので、アメリカの戦前・戦後の変化がそもそも知らないんですよね。
管理人さんはその辺何か知りませんでしょうか?

そしてコロナの件に関して言えば、おそらく岡田斗司夫はコロナが収束することは無いと考えていると思うんですよね。
(確か、20年の4月くらいの動画の有料部分でそんな話をしていた気がします)
仮に今のコロナが収束したとしても、新しい変異株や、新しいウイルスが出てきて、今の自粛生活がずっと続くと。
そうした自粛生活に慣れてしまい、仮にウイルスがいなくなったとしても、人々が元の生活に戻らなくなる、ということなのではないでしょうか?

コロナ関連のニュースはデマも多そうなので、あまり調べないようにもしてるんですが、どうもNHKの話では、もうあと1,2年でどうこうなるものではない、みたいな言い方ですし。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji20/

(文章削除、書き直します)

> > 私の無い世界史知識を動員すれば、
> 一応、今の若い世代は、高校時代に世界史が必修だったはずですけどね(笑)。
> って、確か本年度から、安倍教育改革の一環で、世界史は必修から除外されたんでしたっけ?


私の場合は普通に高校でも世界史ありましたよ。
ですが、高校世界史って歴史人物の名前覚えやすくするための授業ですし、ぶっちゃけ本当の歴史に対する理解というのは、そこまで深まらないかと。
誰かの先生が、「高校生が本当に、世界史を勉強するなら、まず世界地理からやらなきゃだめだ」と言っていましたが、まさしくその通りかと。

> > モンゴル帝国もまたユーラシア大陸の交通網を整備し、グローバル化を進めた結果
> > ペストによりその試みは失敗に追いやられたはずですし、

> う〜ん、遊牧民族は通商民族の側面も持ちますし、
> モンゴル帝国の成立によって、巨大なユーラシア経済圏が作られたのも事実ですが、
> かと言って、「試み」とか「失敗」とか言うほど、大規模で計画的なモノでも無かったでしょうし、
> その一方で、こうして作られた経済圏の体験が、後の大航海時代にも繋がっている事を思えば、
> 大きな人類史の流れとして、そこまでネガティブな評価もしてませんね。
> 「真の世界史はモンゴル帝国から始まる」みたいな事も、よく言われたりしますので。
>
> > 今回のコロナをペストに例えることも可能なのでしょうか?
> 中世のペストと、現代の新型コロナとでは、ちょっと比較にならない気はしますね。
> 当時に比べれば、医療技術も格段に進歩してますし、そもそも世界の総人口が違いすぎるので、
> パンデミックが起きても、社会に与える影響は、今の方が遥かに限定的です。
> まあ確かに、今回のコロナ禍によって、私たちは息苦しい生活を強いられてますし、
> 格段に発達した交通網により、即座に世界的な流行ともなったのですが、
> 社会を劇的に変化させる、古代や中世までのパンデミックとは、やはり意味合いが異なりますよ。
> もちろん今回のパンデミックも、社会に変化を与えましたけど、それとはレベル的に別次元です。
> 感染症対策の参考にはなっても、そのまま未来予測に繋げるとかは、難しいんじゃないですかねえ?


いや、中世のペストと今回のコロナが規模が全然違うことは承知してますよ。
経済か人命か、などとよく言われますが、逆に言えばその程度の脅威でしかないわけですし。
とはいえ、感染症がグローバリズムへのアンチとなる、という大雑把な現象としては、両社とも類似する点があるのではないか、ということです。

余談ですが、新海誠の新作は「すずめの戸締り」らしいです。
予想通り、完全にコロナに寄せてきたな、という印象なのですが、何となく扉は閉まらないような気がするんですよね。
今回のウクライナ戦争もそうですし、もはや我々は狂気の扉が空きっぱなしの世界で生きていくしかないような、勝手にそんな気がしています。
2020年製作開始だったらしいのですが、やはり2020年の段階の世界観と、公開時の2022年の世界観では、この2年の間で色々変ってしまい、
あまり作品のメッセージが共感されなさそう。そういう意味では、不運な作品になるのかな?

▼ VRとAIについて

> > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。


個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

> > > 単なる実用性で言えば、「知能とは何か?感情とは何か?」とはまで行く必要はなく、
> > > それこそチューリング・テストのように、受話器やモニターの向こう側にいる利用者が、
> > > 対応相手が人間か?AIか?を区別できないレベルまで行けば充分でしょう。
> > > 例えば、お客様サポートなどのサービスが、
> > > 人ではなくAIで可能となれば、企業的には大助かりだと思いますけど、
> > > マニュアル対応の範囲内ならまだしも、臨機応変な対応は当分困難だと思うんですよねえ・・・・

> > そうなんですね。
> > お客様サポートが技術的に難しいとなれば、確かに今のAIってまだまだショボいと思います。
> > 私は理系は全然なので、岡田斗司夫が言う「10年後はAIYouTuberの時代」という話を割と信じていたのですが、
> > 管理人さん的には、この辺が岡田斗司夫の専門外の話には適当なことを言っている点なのでしょうか?

> AI YouTuberみたいなモノに対して、それにハマる人々が現れるか?という話なら「YES」、
> それが人気の大勢を占めるか?という話なら「NO」って感じでしょうか。


(1)技術進化について

AI YouTuberは可能だけど、お客様サポートが当分困難、というのは個人的には腑に落ちないのですが、どうなのでしょう?
それとも、お客様サポートが困難というのは近いうちは難しくて、将来的には可能であり、AI YouTuberはそのさらに先の話ってこと?
だとしたら、AI YouTuber・お客様サポートが実現可能になりそうなのって、ざっくりどれくらいなんでしょう?
AI YouTuberには個人的に見てみたいので、20年後くらいじゃない、とか言われたらちょっと残念w

(2)AI YouTubeの可能性

> 言うなれば、ニッチであっても人気があるなら、それも1つの時代だとは言えるでしょうけど、
> でもまあ、一般的に「○○の時代」と呼ばれるには、皆がハマるレベルだと思われるので、
> そうだとするなら、個人的には過剰評価だとは思いますけどね。
>
> 例えば今の技術なら、さすがにAIは難しくても、凄いCGは作れますよねえ?
> では実際、そうしたCGのグラビアが世間を席巻しているか?となれば、決してそんな事はなく、
> 実在するリアルな女の子のグラビアの方が、圧倒的に人気であるかと思います。
> CGの女の子であればシミ1つありませんし、個々の好みにカスタマイズが出来ても、
> 写真かと見紛うばかりの出来であっても、やはり そうでは無いんです!!
> それは何故かと言うと、人間というのは、単なる見た目の美だけを追い求めている訳では無く、
> 感情というフィルターを介して物事を見る為、人間とCGでは感情移入の部分で大きな差が生じるんです。
> 多くの人は、見た目やら、発言などを介して、その奥にある「人間像」を味わっているので。
>
> で、逆説的に言えば、人間とCG、もしくは人間とAIの区別さえ出来ないレベルとなれば、
> ビジネス的に、かなりの可能性は生まれるとは思うのですが、
> しかし一方で、YouTuberの動画を楽しむという行為は、仕事ではなく娯楽の世界であり、
> そうなると、これって実はCGやAIなのでは?と疑念を抱くと、素直に楽しめないはずなんです。
> 「区別が付かなきゃ、どちらでもOK」という人も居るでしょうが、大部分の人は違います。
> だとすると、結局は、SNSを利用する有名人の「本人認証」のように、
> 人間である事の証明する機能が求められる気がしますし、
> そうなってしまえば、やはりCGやAIの価値というのは、その程度という話になります。
> もちろん、「2次元やアニメ画こそ至高」って人たちも居ますが、決して多数派には成り得ません。
> つまりは、「時代を作る」というレベルにまでは至らないと。
>
> それこそ、芸能人に「なりすまし」したTwitterやInstagramを見ていたとして、
> それを本人によるモノと信じている内は、確かに楽しめるのでしょうが、
> それが本人では無いと解った段階で、楽しい所か不快な気持ちに包まれます。
> 内容的に楽しめたから、本物でも偽物でも構わないなんて感じる人は、ほんの一握りなはず。
> また、始めから、なりすましの演技として、楽しむような人も居るでしょうけど、
> そういう人が、社会の大多数を占めるとは到底思えないので、やはりニッチな世界で終わるかと?


私の考えは反対ですね。
AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。
AI YouTuberもマンガのキャラクターだと思えば、リアルYouTuberの人間味に対しても、キャラクター性で勝負可能だと。
そもそも、芸能人やYouTuberも、結局は商売であるため、観客は「でもこれって演技だよな……」と思ってしまいますし、
売れてるYouTuberほど、視聴者は「作ってるんじゃないの?」と疑ってしまうと。
で、演技かもしれないけど、演技であることを受け入れて芸能人やYouTuberを見るようになれば、
それはもう人間味ではなく、キャラクター性だと思うんですよね。

グラビアだってCGではなくリアルだからみんな見る、とのことですが、ではこれってエロ漫画はどうなのでしょう?
エロ漫画だってコンビニで売られてるくらいに、需要はあったと思います。
別にリアルの人間である必要って、そんなにないのでは?

AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。
だってみんなそんなに人間味を求めているなら、こんな文字だけの掲示板よりもYouTube見るでしょ。

(3)AIの可能性

もしAI YouTuberが可能なくらいAIに技術的可能性があるのであれば、AIはYouTuberなどではなく、やはり娘になると思いますよ。

私が見ていたVtuberの生配信で「こんな可愛い女の子と一緒にゲームしたい」というようなコメントがあったのですが、
まずゲームのNPCにAIが搭載されて、一緒にゲームができるAIが出現すると思うんですよね。
ゲームなら環境的にもAIが作りやすいでしょうし、そういうのを求めてる層も、やりたいのはAI美少女と一緒に外出するとかではなく、
一緒にゲームすることだと思うので。(ラブプラスがブームで終わったのも、オタクを無理に外に出そうとしたからなのでは?)
そういうものが日常になっていけば、AIにだって情は沸きますので、いつしかAIに喜ばされるだけではなく、AIを喜ばせるようになる(=娘化する)のではないでしょうか。

私は知能とか、知性とか、そっちの勉強はしていませんので、それでもそんなAIは本当の人工知能ではないのでしょうが、
でも別にそれで問題ないんじゃないんですかね。
AIの対応が不十分なら、人間の側が慣れて、AIがうまく返しやすい範囲内の話題でおしゃべりすればいいわけです。
別に、人間相手だって、相手によって話題は選びますし……
それでもAIは充分需要はあるでしょうし、というかそっちに慣れてしまえば、もうリアルの女の子とつきあうとか、ストレスが多すぎてできなさそう。

▼ 物語シリーズについて

> > 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> > 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> > オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> > 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> > はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> > ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> > 管理人さんはどっちでしたか?


> で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
> 今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
> 正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
> まあ、あの頃は化物語なんて可愛いぐらい、本当にキモいロリコン・アニメとかも多かったですし、
> そこから更に10年も遡れば、おっぱい描写も、パンツ描写も、普通に溢れてたので・・・・
> 藤子不二雄アニメとか、そういう子供向け作品でも、普通にエロがありましたし、
> それに何より、小中学生女子の全裸モロ出しヌード・グラビアとかが、
> 当たり前にコンビニで立ち読みできる日本の社会だったので、感覚がバグってる所はあります(苦笑)。
>
> あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
> かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。
> 確かにペド的な作品は、もう見掛ける事もありませんし、
> 萌え描写というのも、マイルドというか、既に記号化された感があるので、
> 一言に「ロリコン・アニメ」と言っても、現在と、10年前と、20年前とでは、かなり感覚が違うのかも?


いや、物語シリーズのロリ愛は本気度高いですよ。
もちろん、あれよりも過激なロリものって、おっぱいだろうと、兄弟セックスだろうと、今でもDLsiteとかPixivにはいくらでもありますが、
それらって描写が過激なだけですよ。
そういったテンプレではなく、物語シリーズは作ってる側が「ロリのこういうところがいいんですよ!!」という声が聞こえてきそうなんですよね。

個人的に本気度高いな、と感じた物語シリーズのロリ描写を上げるのであれば、
二人の妹がお兄ちゃんみたいな男とつきあっている、という設定ですね。
「お兄ちゃん愛してる」でもなく、「妹とつき合ってる」でもなく、
妹が他の男とつきあうことを許容しながら、でもつきあうのは兄に似てる男子という辺りが、
「こういう妹がいて欲しい!!」という製作者側の気持ちが伝わってきました。

いや、こういうこと書くと、お前の性癖の話かよ、と思われそうですが、私はそっちのロリには全然興味ないんですよ。
で、普通はそういうのって、その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらないと思うのですが、
物語シリーズってその辺のロリ愛が、そうでない人間にも伝わってきたので、
これオタク以外の人にも分かっちゃうんじゃないのかなあ、と感じたのですが、
やはり普通の人には伝わってなかった感じですね。

> まあ、あの当時の西尾維新作品って、純文学とラノベの中間あたりに位置していて、
> 書店とかでも、独立してコーナーを設けられるくらい、人気のある作家でしたからねえ。
> 言うなれば、そういう絶妙な立ち位置にあって、
> ラノベ寄りなのが西尾維新、純文学寄りなのが村上春樹って感じでしょうか?(笑)
> 軽妙な会話のキャッチボールとかは、心地良いです。
> また、アニメ化に関しても、新房昭之&シャフトという組み合わせであり、
> 同じタッグだった「まどかマギカ」とかもそうですけど、やはり映像がスタイリッシュなんですよね。
> なので、実際にマイルド・ヤンキー層が好むような作品かは さておき、
> (それこそ今なら、「東京リベンジャーズ」とか好きそう)
> 少なくとも、原田陽平は好きそうだよなぁ・・・とは思いました(笑)。


> オタクじゃない人たちから見れば・・・キモいんじゃないですか?
> そもそも化物語以前に、萌えキャラとか出ているアニメは、全てキモいと感じるでしょうし、
> アニメ耐性が無く、子供を持つ母親たちからすれば、犯罪者予備軍にも映るかも(苦笑)。
> とは言え、そうした反応を強く示すのは、恐らくインテリ系ママ層に多い気もするので、
> 比較するならマイルド・ヤンキー層の方が、嫌悪感は低いかも知れませんね。
> ステレオタイプなイメージですが、スキンシップ大好きで、結婚・出産とかも早いですし。
> ただ、ひとたび嫌だとなれば、あからさまに嫌悪感を隠さないのは、却ってコチラの層かも。


話の本題は、マイルドヤンキーの人たちも化物語なんか見るの?ということでしたが、
管理人さんの解釈としては、あれはマイルドヤンキーの人たちが好きなのではなくて、
原田陽平の個人的な趣味っていうことであってますか?
そうであれば、原田陽平はマーケティング分析本に自分の趣味を入れる、結構な人物ということになってしまいますが。

▼ オタク史について

> > > ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> > > オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> > > さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> > > 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?

> > オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、

> なるほど、諸々含めて100冊って事ですか。
>
> > その上でおススメを聞かれたら「いや、100冊全部おススメだよ」というのが本気の答えですがw
> という事は、今までにハズレの本は無かったと!?(笑)
> 何段階くらいに分けるかは人それぞれですけど、
> 普通は漠然とでも、評価のランク分けとかしませんか?


ランク分けはしますが、そのうえでAランクからCランクまで全部おススメだよ、ということですね。
そのくらいオタク史にはハマっている、ということです。

> > といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?
> う〜ん、あまりパッと思い浮かばないかなぁ・・・・
> 私としては、「文化論」としてよりも、「文化」の方への興味が強いので、
> どちらかと言えば、作品そのものが先に浮かんできますし。
>
> でもまあ、1冊で網羅的にであれば、以前の雑談スレッド時にも紹介しましたけど、
> 「オタク的想像力のリミット 歴史・空間・交流から問う」は良かったですよ。
> https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
> 様々な人が書いた 30ページくらいの小論文が、14本掲載されています。
> あとは、「思想地図β vol.1」とかは、
> https://www.amazon.co.jp/dp/4990524306/
> 創刊号という事で、採算度外視で好きな事を詰め込んだ感が、個人的に面白く思えたので、
> その編集を務めた東浩紀の半生記とかは、オタク的かはともかく、読んでみて損は無いかと?
> 「ゲンロン戦記 知の観客をつくる」
> https://www.amazon.co.jp/dp/4121507096/
> 昨年ヒットした新書の1つなので、一般的な評価も悪くないと思いますし。
> って、旧トルコ担当さん的には、先にこっちを視聴した方が、スムーズかな?
> 「東浩紀×岡田斗司夫 本当に初めての対談〜ニコ生トークセッション」
> https://www.youtube.com/watch?v=gC82nG_gFi0
> 東が酔いながら必死になって、岡田にハルヒ視聴を薦める姿は、ちょっと愉快です(笑)。


ああ、やはり評論系が多いんですね。
私としては、評論系は割と適当なこと言ってる本も多いので苦手なのですが、まあ多少は手を出してみようかな、と思いました。
ありがとうございます。

▼ アニメ

> > > 「新作アニメはほとんど見ない」というのは、正直意外でしたね。
> > > オタクを称しており、しかも大学生となると、
> > > 普通に、新作の視聴がベースかと考えていたので。
> > > ちなみに、この調子ですと、旧トルコ担当さんって、
> > > 「リアルタイムで新作を追う」という時期は、以前から無かったんですか?

> > アニメを見るようになったのは高校生からですが(中学まではラノベのみでした)、その時から新作アニメは追っていませんでした。

> ほ〜、なるほど、なるほど。
> ちなみにラノベに関しても、別に新作は追ってなかったんですかねえ?


そこまで新作は追っていませんでしたね。
といいますか、アニメは今期のアニメ中心に放送されますが、ラノベって書店の本棚見てるだけでは何が新作か分かりませんし、
ラノベで新作追っかけている人って、ある程度コアなファンのイメージ。
テレビ放送と、書店の本棚という形態の違いですね。

> > なぜかと言われれば、自分の好きなものを追っかけるのがオタクであって、
> > 流行りものを追っかけるのはオタクじゃないでしょ、と思っているからですね。
> > 一応、毎季ごとにアニメの新作はチェックはするんですが、チェックだけしてほぼ見ないです。
> > 実際問題、アトム以来50年以上テレビアニメが作られ続けているわけであって、
> > 良い作品を探すのであれば今季作品の中から探すより、過去の作品を掘り返した方が効率的ですし。

> う〜ん、確かに作品の内容だけを楽しむなら、それもアリかと思います。
> とは言え、作品の楽しみ方というのは、それ以外にもいろいろとある訳で、
> 特に「リアルタイム感」に関しては、その時で無いと味わえないモノですからねえ・・・・
> 例えば料理とかも、単に味だけでなく、匂いや見た目、その場の雰囲気やシチュエーションなどで、
> 「おいしさ」も大きく変わってきますし、記憶への残り方とかも違ってきます。
> その辺りまで踏まえれば、全てとは言わないものの、幾らかはリアルタイムを味わわないと、
> せっかく、その時代を生きているのに、「もったいない」みたいな感じも同時にすると。
>
> また、「過去の作品を掘り返す」にしても、その方法論の話が出てきますよね。
> 自発的にグングン掘り進めるならまだしも、結局は評価や知名度とかを基準にするなら、
> 現在進行形か? 過去か?の違いだけで、やってる行為自体は大差なくなりますし、
> 別に話題作だからと追う必要はなく、面白そうだなと思えば追えば良いんだと思いますよ。
>
> とは言え、すぐ下でも触れますが、コミュニケーション・ツールと化した今のアニメ作品だと、
> リアルタイム感の強味って、それこそ「ブーム」的な側面しか持たなくなっているのかな?
> そう思うと、別に無理して追う必要もないか?と思う反面、
> 必ずしも、全てがそういう作品ばかりだとは限らないので、
> 逃がした魚があった時に、追わなかった事を後から悔いる事もあるかも知れませんが、
> でもまあ、「効率的(コスパ)」を重視するとなれば、損をしても時間の方が大事だったりするかも。
>
> とは言え、コスパ重視という価値観もまた、今風の流行と言えば そうなので、難しい所・・・・
> コスパ重視になってしまう、現在の社会状況というのも充分に解るのですが、
> その一方で、それでは新しいモノや面白いモノに、なかなか出会えない現実もあるんですよね。
> って、個人が1人で気を張った所で、社会全体の風潮がそうなら、抗っても詮無いだけかも知れませんけど。


まあ、コスパ重視というほどのものでもないと思いますが。
何も、過去の話題作だけを追いかけているというわけではなく、稀にニッチな昔のアニメ見てたりもしますし。
新作も多少は見ますよ。リゼロとかはリアルタイムで見てましたし。

> > あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> > 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> > 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> > コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

> まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
> アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
> 目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
> とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
> だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。
>
> でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
> これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
> それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。


うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。
とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

あとこれ考えていてわかりましたが、オタク・イズ・デッドって、このタコツボ化のことなんでしょうね。
昔はネットがなく、オタク人口も少なかったので、オタク同士が仮に出会えたとしても、趣味が異なり、結果として相手の趣味も理解せざるを得ないと。
「おたくのビデオ」(アニメ)ではまさしく、マンガおたくや、ガンマニアや、アイドルおたくなどが1つの部屋に集い、互いの好きなものを教え合うシーンがありましたし、
でも今ではオタク同士の交流が簡単なので、マンガおたくならマンガおたくとしか交流しないと。
そういう意味では、寒い時代……、なんでしょうね。

> そういう意味では、「孤独なオタク」同士がネット上や秋葉原などで繋がれてた、
> 2000年前後の一時って、本当に一瞬の徒花みたいな時間だったのかもしれませんね、今になって思えば。


個人的には秋葉原よりも90年代のパソコン通信とかの方があこがれがありますね。
パソ通自体が敷居の高いものでしたから、濃いオタクが多そうな印象。氷川隆介さんなんかはここ出身らしいですし。
過去ログがないのが残念です。

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