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[23921] ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その2)返信 削除
2022/4/26 (火) 21:09:54 徳翁導誉


▼ いちゃらぶ革命
> とはいえ、話の重点は「いちゃらぶが増えていること」や「失恋ものが描かれなくなっていること」ではなく、
> 「登場人物が幸せになるような話しか望まれていない」ということですので、
> いちゃらぶ革命という名称が適切でないかもしれません。

ですね。
そうした傾向を示したいのであれば、適切な名称とは思えません。
神聖ローマ帝国の事を、「神聖でも、ローマでも、帝国でもない」と揶揄する言葉がありますが、
その言葉を借りれば、「イチャイチャでも、ラブラブでも、革命でもない」って所でしょうか(笑)。
強いて言うなら、メタ視点(神様視点)からの「ニヤニヤ系」くらいの表現が適当かも?
この表現であれば、例として挙げられた「かぐや様」も該当するかと。

> > > > 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> > > > 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> > > > 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> > > > これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)

> > > そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。

> > それって結局、流行ってはいない証だと思うんですよね。
> > 何らかの概念が生まれ、それが人の口を膾炙するには、
> > やはり、それを簡潔に示す「単語」の存在が不可欠なので、
> > 広く出回ってる単語が無いという事は、そうした共有が行われていない事を意味するかと。

> 誤解が起きているので訂正しますと、
> まず少女小説というものが80年代、90年代に流行しました。
> しかし、00年代ごろからは、ライトノベルやボカロ小説、ケータイ小説に
> 少女小説の読者層である10代女子を奪われ、衰退がはじまりました。
> その衰退の中で、20代の少女小説読みの間で流行ったのが姫嫁作品ですね。
> 大本の少女小説自体がもう沈み始めていたので、その中で流行っている姫嫁作品も、大して流行っていない、ということです。

う〜ん、そういう話をしている訳では無いのですが・・・まあ、それはそれとして、
でしたら具体的に、その「姫嫁作品」の代表作って、実際どんな作品名が挙がるのでしょうか?
私は全く知らないので、ちょっと知ってみたい所。

> > 「かぐや様」のアニメは1期も2期も見てますし、今週から始まる3期も見る予定ですよ(笑)。
> > といいますか、前回、「いちゃらぶモノが流行ってる」という話が出た際に、
> > 「かぐや様は違うな」と、すぐさまパッと浮かびましたもん!!

> いや、そうだと思いますよ。
> 「かぐや様」という作品単体を見て、目新しいとは思わないと思います。
> 私が主張しているいちゃらぶ革命って、恋愛もの全体が失恋からいちゃらぶへカーブしている、という話ですので、
> 1作品だけを挙げても、なかなか分かりずらいかと思います。

ハッキリ言って、「昔の恋愛モノ=失恋系」という、旧トルコ担当さんの見方自体が、
固定観念というか、そもそも話が噛み合わない原因だと思いますよ。

それこそ昔から、ラブラブ系やら、ドロドロ系やら、片思い系やら、失恋系やら、
一言に「恋愛モノ」と言っても、様々なジャンルの作品があったと思いますし、
そうしたジャンルの種類自体は、別に昔から変わらないと言うか、
最近になって、新たに登場したジャンルというのも、特に無い気がするんです。
あるとすれば、それは時代のニーズに合わせた、各ジャンルの割合の変化くらいの話で、
それだって劇的な変化でもなければ、あくまでも「傾向」であって、とても「革命」などとは呼べないと。

まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、
別に私も、その事実自体を否定するつもりは、毛頭ありません。
ただ、旧トルコ担当さんの意見は、ちょっと強調しすぎというか、偏って見てる印象を受けるんですよね。
白黒ハッキリさせた方が解りやすいでしょうけど、現実ってグレーがほとんどでしょうし、
その中で、グレーの色の濃淡を見る方が、より正確に状況を把握できるかと思われます。


▼ VRとAIについて
> > > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> > いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> > デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> > マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> > 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> > 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> 個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
> それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

正直、SAOは最初の数話を見ただけなので、断言は出来ませんけど、
恐らく、旧トルコ担当さんが想定しているモノとは、全く違うと思いますよ・・・・
仮想空間にフル・ダイブして楽しむとか、そういう話では無いので。
って、それとも本当に、SAOの中にも、そんな描写があるのかな?
もし あるのだとすれば、具体的に何話くらいのエピソードですか?

> (1)技術進化について
> AI YouTuberは可能だけど、お客様サポートが当分困難、というのは個人的には腑に落ちないのですが、どうなのでしょう?
> それとも、お客様サポートが困難というのは近いうちは難しくて、将来的には可能であり、AI YouTuberはそのさらに先の話ってこと?
> だとしたら、AI YouTuber・お客様サポートが実現可能になりそうなのって、ざっくりどれくらいなんでしょう?
> AI YouTuberには個人的に見てみたいので、20年後くらいじゃない、とか言われたらちょっと残念w

YouTuberは基本的に、「一方通行」の発信であるのに対して、
お客様サポートは、「双方向」のコミュニケーションだからですね。
そして、対象となる相手も、お客様サポートだと多種多様な想定を強いられますが、
YouTuberのファンであれば、それが限定されるという話です(合わなければ離脱するだけなので)。
要するに、求められる技術のレベルが、かなり違うって感じでしょうか?

逆に言うと、AI YouTuberが登場したとしても、人気の大勢を占めないだろうと言うのは、
そこまで狙える技術レベルとなると、単に登場させるよりも、遥かに高いモノが求められるからです。
また、その一方で、一方通行なデジタル音声や録音音声による
お客様サポートは、既に実用化されてはいるものの、充分に実用的であるとは言えないレベルであると。
でもまあ、相当に技術が進歩していけば、その内どちらも実現可能であるとは思いますけどね。

で、それがいつ頃 実現しそうか?となると・・・明確な根拠とかはありませんが、
私の皮膚感覚で述べるなら、お客様サポートの方は10年掛からないかなぁ?
言っても、普通の会話と違って、業務対応の会話なら内容が絞れるでしょうし。
そしてAI YouTuberの方は、万人ウケではなく、一部にファンを獲得できるレベルであれば、
それほど時間を要さないと言うか、求める完成度の程度にも拠りますけど、
今の技術でも、それなりのモノは作れそうな気はするので、5年以内には現れるのでは?
と言いますか、年内に現れても、それほど驚きはしないと思います。

> (2)AI YouTubeの可能性
> 私の考えは反対ですね。
> AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

えっ!?
マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。
だからこそ、いつも不満ばかり言われるのに、実写化の流れは止まらないんです(笑)。
そりゃ、一握りの話題作とかは別ですけど、基本的には市場規模がまるで違います。

> グラビアだってCGではなくリアルだからみんな見る、とのことですが、ではこれってエロ漫画はどうなのでしょう?
> エロ漫画だってコンビニで売られてるくらいに、需要はあったと思います。
> 別にリアルの人間である必要って、そんなにないのでは?

こちらも、同じ話の繰り返しになりますけど、
確かに需要があるのは事実ですが、その需要の規模はまるで違います。
例えばAVにしても、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要は確実にあるものの、
だからと言って、「別にノーマル系である必要はない」とは、ならないのと同じ事です。

一昔前ほどでは無いにせよ、オタク文化というのは、未だにマニアックな世界であるという認識は、
それなりに持っておいて然るべきかとは思いますよ(笑)。

> AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
もし本気でそう思われているのなら、大きなビジネス・チャンスですから挑戦されてみれば?
仮に実現出来たなら、アッと言う間に億万長者になれるはず(笑)。

と、茶々を入れるのは、この辺にしておいて、
以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。
そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、
少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
今だと、せいぜい「大喜利AI」程度でしょうか?
でもこれも、膨大なデータ・ベースの中から、突拍子もない返しが来るから面白いのであり、
人が聞き入るレベルの会話となると、とてもじゃ無いですが無理です・・・・

と言いますか、AIがどうこうという以前に、そもそも人間同士の会話において、
どうすれば上手く伝わり、どうすれば興味を持ってもらえ、どうすれば面白いかなど、
その「難しさ」というのは、充分に理解できそうな気がするのですが、
仮に、それすら気付けていないとなると、
天性のコミュニケーション能力が半端ない人間か? それとは正反対の人間か?
そのどちらかのタイプになりません?(笑)

> だってみんなそんなに人間味を求めているなら、こんな文字だけの掲示板よりもYouTube見るでしょ。
掲示板よりも、YouTubeを見てるのは、事実かと(笑)。

> (3)AIの可能性
> もしAI YouTuberが可能なくらいAIに技術的可能性があるのであれば、
> AIはYouTuberなどではなく、やはり娘になると思いますよ。
> そういうものが日常になっていけば、AIにだって情は沸きますので、
> いつしかAIに喜ばされるだけではなく、AIを喜ばせるようになる(=娘化する)のではないでしょうか。
> 別に、人間相手だって、相手によって話題は選びますし……
> それでもAIは充分需要はあるでしょうし、というかそっちに慣れてしまえば、
> もうリアルの女の子とつきあうとか、ストレスが多すぎてできなさそう。

まあ、言いたい事としては理解できますし、そこまで否定する気もないんですけどね。
要するに、感情移入が出来る対象であれば良い訳で、
逆に言うなら、別に「娘」とか「恋人」みたいな、既存の形態に拘る必要も無いと。

で、この場合に用いる単語としては、「娘」というのも悪くはないと思うものの、
実質的には、「ペット感覚」の方が近い感じはするんですよね。
言い方は悪いですが、愛玩用の人間とでも言いますか、
倫理的に、奴隷文化が廃れた現代社会においては、
その欲望を叶えられそうな技術として、AIなりロボットなりが発達中であり、
もっと言うなら、娘とか恋人に喩えるには不適当なくらい、そこには本質的な暗い欲求が存在すると。
言うなれば、AVが視覚的な刺激を与える商品だとすれば、こちらは精神的な刺激を与える感じでしょうかね。
(ちょっと難しい話ですけど、これは別に、ストレートな性的刺激に限定される話ではありません)
もちろん、この分野は今後、大きな市場と成り得る可能性は持っていると思いますよ。

って、こんな何歩も先を行き過ぎた話をすると、また内容や意図が誤解されそう(笑)。
う〜ん、もう少し解りやすく、その手前の話題をするとすれば、
「虚しさ」を抱いた時に生じるマイナス面の影響が、ほとんど考慮されてない点を指摘すれば良いのかな?
あとは、「繋がり」と「しがらみ」って表裏一体なモノなので、
ストレス回避ばかり気にしていると、上澄みみたいな薄いプラスしか得られない部分もあるかな?
とりあえず、旧トルコ担当さんの主張するプラス面に関しては、私も同意できる部分は多々あるものの、
物事(特に商品)というのは、正負両面をトータルで見ないと、語れないモノですからねえ。
そして、隙間を埋める需要と、ガシッとメインを押さえる需要とは、かなり異なる事も認識しておくべきかと。


▼ 物語シリーズについて
> > > 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> > > 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> > > オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> > > 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> > > はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> > > ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> > > 管理人さんはどっちでしたか?

> > で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
> > 今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
> > 正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
> > あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
> > かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。

> いや、こういうこと書くと、お前の性癖の話かよ、と思われそうですが、私はそっちのロリには全然興味ないんですよ。
> で、普通はそういうのって、その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらないと思うのですが、
> 物語シリーズってその辺のロリ愛が、そうでない人間にも伝わってきたので、
> これオタク以外の人にも分かっちゃうんじゃないのかなあ、と感じたのですが、
> やはり普通の人には伝わってなかった感じですね。

う〜ん、気を使って回りくどい表現をした為に、まるで伝わってないみたいですね・・・・
解りやすいようハッキリ言ってしまうと、旧トルコ担当さんが感じるような事は、
いわゆる「普通の人」にだって、当たり前ですけど、充分に伝わってますよ(笑)。
だって、旧トルコ担当さんの抱いている「感覚」って、
当人的には「オタク的な感覚」と思われているようですが、明らかに「普通の人の感覚」なので。
逆に、ガチロリ勢の感覚からすれば、「あの程度で『本気のロリ愛』ってwww」という感じかと。

それこそ御自身でも、既に表明してるじゃないですか?
「ロリには全然興味ない」とか、「その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらない」って。
それなのに何故、こうも自信満々と「自分は解っている!」つもりに、なれるのでしょうか?
これは全快の私の書き方が悪かった部分もあるのでしょうが、
「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。
って、世間一般の感覚からすると、そんなの理解できる必要なんて、全く無いんですけど(苦笑)。

> > まあ、あの当時の西尾維新作品って、純文学とラノベの中間あたりに位置していて、
> > 書店とかでも、独立してコーナーを設けられるくらい、人気のある作家でしたからねえ。
> > また、アニメ化に関しても、新房昭之&シャフトという組み合わせであり、
> > 同じタッグだった「まどかマギカ」とかもそうですけど、やはり映像がスタイリッシュなんですよね。
> > なので、実際にマイルド・ヤンキー層が好むような作品かは さておき、
> > (それこそ今なら、「東京リベンジャーズ」とか好きそう)
> > 少なくとも、原田陽平は好きそうだよなぁ・・・とは思いました(笑)。

> 話の本題は、マイルドヤンキーの人たちも化物語なんか見るの?ということでしたが、
> 管理人さんの解釈としては、あれはマイルドヤンキーの人たちが好きなのではなくて、
> 原田陽平の個人的な趣味っていうことであってますか?
> そうであれば、原田陽平はマーケティング分析本に自分の趣味を入れる、結構な人物ということになってしまいますが。

いや〜、そこまで強い主張はしていませんよ(笑)。
え〜と、何と言えば良いですかねえ?
簡単に言えば、「見る」と「好き」とは別ですし、
同じ「好き」にも度合いの違いがあるって感じでしょうか。
ぶっちゃけ、流行ってるから見る・・・それ以上でも、それ以下でも無いかと?
例えば、エヴァが流行ってるから、エヴァを見るのであって、
考察談義に花を咲かせるようなオタク的な楽しみ方は、別に、ほぼしていないと思うんです。
で、前述した通り、当時の西尾維新は、かなり人気がありましたからねえ。

そういう意味では、マイルド・ヤンキー層が、特出して好んだという事ではなく、
世間と同程度に、マイルド・ヤンキー層の中にも、見た人が居たってだけの話だと思いますよ。
それに、「彼らに趣味を尋ねると、暴走行為よりも、アニメ鑑賞が多いんです!」って、
今の時代、「そりゃそうだろ」としか思いませんけどね(笑)。
あくまでも「マイルド」なんですし、暴走族なんて今や絶滅危惧種じゃないですか?

また原田陽平って、私的には、面白い話や目新しい話は特にしない印象ですが、
その一方、世間ウケはしそうな表層的な話を、好んで多用する感じはあるので、
ああいうオシャレな感じの作品は、気に入ってそうだよな・・・って具合です。
でもまあ、マーケターというのは、それで良いんでしょうけどね(笑)。
ブームの波に乗ってサーフィンするのが、彼らの仕事なのでしょうし。


▼ オタク史について
> > > > ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> > > > オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> > > > さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> > > > 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?

> > > オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、

> > なるほど、諸々含めて100冊って事ですか。

> そのくらいオタク史にはハマっている、ということです。
> > > といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?
> > う〜ん、あまりパッと思い浮かばないかなぁ・・・・
> > でもまあ、1冊で網羅的にであれば、以前の雑談スレッド時にも紹介しましたけど、
> > 「オタク的想像力のリミット 歴史・空間・交流から問う」は良かったですよ。
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
> > 様々な人が書いた 30ページくらいの小論文が、14本掲載されています。
> > あとは、「思想地図β vol.1」とかは、
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4990524306/
> > 創刊号という事で、採算度外視で好きな事を詰め込んだ感が、個人的に面白く思えたので、
> > その編集を務めた東浩紀の半生記とかは、オタク的かはともかく、読んでみて損は無いかと?

> ああ、やはり評論系が多いんですね。
> 私としては、評論系は割と適当なこと言ってる本も多いので苦手なのですが、まあ多少は手を出してみようかな、と思いました。
> ありがとうございます。

そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。

また、「評論系は割と適当」との事ですが、ああいうのって、
自分とは異なる「こういう見方があるのか」と気付かされたり、
自分の中で纏まらない考えを、スッと的確に表現していて腑に落ちるだとか、
そうしたモノを求めて読むモノなので、そもそも読み方を間違えているというか、
旧トルコ担当さんの場合、誰から「正解をもらう」事を、求めすぎてる感じがするんですよね・・・・
「歴史の本」にしたって、別にそこに書かれてる内容が、全て正解って訳でもありませんし、
単なる受け売りだけでは、「歴史を調べる」行為にはならないので。
(本とは絵の具であり、歴史って、それらを用いて全体像を描いていく作業に近いかも?)


▼ アニメ
> > ちなみにラノベに関しても、別に新作は追ってなかったんですかねえ?
> そこまで新作は追っていませんでしたね。
> といいますか、アニメは今期のアニメ中心に放送されますが、ラノベって書店の本棚見てるだけでは何が新作か分かりませんし、
> ラノベで新作追っかけている人って、ある程度コアなファンのイメージ。
> テレビ放送と、書店の本棚という形態の違いですね。

出版されてる巻数が少ないのに、目立つよう平積みされていれば、
それが「話題の新作」って事では、あるんでしょうけどね。
とは言え確かに、確かな人気を得てから、作品化されるアニメとは違って、
ラノベだと「発見」が大変でしょうし、コアなファンのイメージになるのは解ります。
発見するには、「探索」に掛ける労力も必要になってきますので。

> > 必ずしも、全てがそういう作品ばかりだとは限らないので、
> > 逃がした魚があった時に、追わなかった事を後から悔いる事もあるかも知れませんが、
> > でもまあ、「効率的(コスパ)」を重視するとなれば、損をしても時間の方が大事だったりするかも。
> > とは言え、コスパ重視という価値観もまた、今風の流行と言えば そうなので、難しい所・・・・
> > コスパ重視になってしまう、現在の社会状況というのも充分に解るのですが、
> > その一方で、それでは新しいモノや面白いモノに、なかなか出会えない現実もあるんですよね。

> まあ、コスパ重視というほどのものでもないと思いますが。
> 何も、過去の話題作だけを追いかけているというわけではなく、稀にニッチな昔のアニメ見てたりもしますし。

ちなみに、過去の話題作なら まだしも、
「ニッチな昔のアニメ」となると、一体どのように辿り着くんですか?
具体的に言えば、どういうキッカケで、それを見ようと思うのでしょう?

> 新作も多少は見ますよ。リゼロとかはリアルタイムで見てましたし。
特にリゼロの第1期は、週1でリアルタイムに観る方が、味わいが深くなりそう(笑)。

> > > あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> > > 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> > > 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> > > コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

> > まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
> > アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
> > 目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
> > とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
> > だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。
> > でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
> > これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
> > それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。

> うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、
> 悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
> Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
> 昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
> それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
> 一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
> 1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。

う〜ん、そうとも言えますし、そうとも言えない面もあるのかな?
テレビやビデオしか無かった時代に比べると、作品の寿命が延びたというか、
ピークが過ぎ去った後の「低空飛行な人気」というのが、非常に長くなったのは事実だと思います。

でも一方で、作品が消耗品として、大量生産されるような時代でもありますし、
ストレスの多い現代社会を反映して、噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りましたから、
1作1作のピークの高さや、その長さ自体は、やはり小さくなってる気はするんですよね。
解りやすく言うと、「老後」の期間が凄く伸びた感じなので、
そういう意味では、単純に「1作あたりの寿命が延びた」と捉えて良いのか否か・・・・

> とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、
> それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
> 私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
> 私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
> とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
> そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

これは上述の「消耗品化したアニメ作品」という話とも繋がるのですが、
今の時代って、言うほど1つの作品を、深掘りとかしてますかねえ?
同じ1つの作品を見続けたとしても、それは時代劇や新喜劇を見る感じに近くても、
要するに「安心感」を得るような行為であって、
旧来のオタク的な楽しみ方とは、また別物かな?という気もします。

> あとこれ考えていてわかりましたが、オタク・イズ・デッドって、このタコツボ化のことなんでしょうね。
私のイメージだと、「タコツボ化」というのは、
旧トルコ担当さんのイメージする以上に、もっと狭い範囲の専門化を想定するので、
このまま話を続けると、噛み合わなそうな感じはしますね(笑)。
上述の例のように、「アニメだけが好き」みたいなレベルであれば、
タコツボ化と言うよりは、ジャンル化くらいの方が適当な気がしますし、
タコツボ化と言われると、「この作品の このキャラが好き」くらいまで限定されそう。

あと、これが「オタク・イズ・デッド」という話に繋がるかとなると・・・私は繋がらないと思います。
後述する通り、確かに一昔前のオタク層の方が、広範な知識を持っている傾向はありましたが、
でも、だからと言って、そうじゃ無ければオタクじゃ無いという訳でも無かったはず。
要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。
もっと言えば、ジャンルの限定化とかは関係無く、深堀りをする事を止めてしまい、
提供される大量のコンテンツの、単なる消費者となったが故の、オタク・イズ・デッドな気がします。

例えば欧米だと、「リベラル・アーツ」と呼ばれる、広範な一般教養の知識を土台にして、
その上で、自らの専門分野を築く事が理想とされていますけど、
それでも、他の分野には目もくれず、専門分野を徹底的に極めた人が、充分に尊敬はされます。
リベラル・アーツが伴ってないなんて理由で、「あいつは専門家じゃない」とは言われませんよ(笑)。
対象分野における体系的な知識に欠けているから、専門家では無いと見なされるだけの話で。

> 昔はネットがなく、オタク人口も少なかったので、
> オタク同士が仮に出会えたとしても、趣味が異なり、結果として相手の趣味も理解せざるを得ないと。
> 「おたくのビデオ」(アニメ)ではまさしく、マンガおたくや、ガンマニアや、アイドルおたくなどが1つの部屋に集い、
> 互いの好きなものを教え合うシーンがありましたし、
> でも今ではオタク同士の交流が簡単なので、マンガおたくならマンガおたくとしか交流しないと。
> そういう意味では、寒い時代……、なんでしょうね。

まあ確かに、一昔前のオタクたちの方が、
概して「知識の守備範囲」が広いイメージはありますね。
おっしゃれるように、各分野のオタクが横断的に触れ合っていた面もありますが、
それ以外にも、好きな分野を深堀りするには、その周辺分野の知識も必要となる為、
「あれも知っておけ、これも知っておけ」みたいな風潮があったのも事実かと。
(そういう意味では、私も昔ながらの気質のタイプでしょうか・笑)

で、ネットで何時でも誰とでも気軽に繋がれる時代では無かったからこそ、
合える貴重な時間で情報を交換し、その情報を深く摂取する時間が充分に取れたのかも?
今の時代、圧倒的な情報量の処理やコミュニケーションに押し流されて、
「1人で考え抜く」という行為が、かなり疎かになってる感覚もありますし。

> > そういう意味では、「孤独なオタク」同士がネット上や秋葉原などで繋がれてた、
> > 2000年前後の一時って、本当に一瞬の徒花みたいな時間だったのかもしれませんね、今になって思えば。

> 個人的には秋葉原よりも90年代のパソコン通信とかの方があこがれがありますね。
> パソ通自体が敷居の高いものでしたから、濃いオタクが多そうな印象。氷川隆介さんなんかはここ出身らしいですし。
> 過去ログがないのが残念です。

パソコン通信は・・・私も少し触れた程度で、ほぼ経験が無いと言って良いかな?
とは言え、Windows95や98が発売され、ネット網が急拡大した「BBS時代」は、
パソ通の雰囲気を残しつつも、そのまま繋がりが大きくなった感じがするので、
「2chの一強化」までの90年代後半の数年間は、濃度と情報量が両立できてた一瞬だったかと。

パソ通はパソ通で、中身は濃くても、1つ1つの規模としては小さかった印象ですし、
逆に、2chを経てSNSの時代になっていくと、規模は超巨大でも、中身は薄くなった印象。
また、そんなネットが、リアルとも結び付いた、あの時代の秋葉原というのも、やはり特別ですよ。
これは別に懐古趣味的な話では無く、歴史の転換点みたいな話であり、
2つの色が混じり合う時の景色は、完全に色が混ざり合った今しか知らないと、ちょっと想像しにくいかも。

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