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[23931] Re2:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか返信 削除
2022/5/1 (日) 05:01:53 旧トルコ担当


掲示板を読み返していると、追加で返信したいことが増え、それを全部書いていたら、とてもまとまりのない文章になりました。
すみません。

▼ 伝えることについて

> あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。


ああ、まあ、管理人さんの指摘も分からなくは無いです。
同じ情報を得たとしても、見解が変わって来るのは当然であり、
「自分と見解が違う→これは、持ってる情報が違うからに違いない、同じ情報を得れば、同じ見解になるはず」という思考では、
相手の理解をする努力が全くされていないと。
それでは、堂々巡りだよね、ということですよね?

とはいえ、ハッキリ言わせて貰えば、それは誤解です。
私は管理人さんの文章を何度も読み返していますし、
それでも尚理解できないから、「私にはこう見えていますよ、私はこう思うのですが、管理人さんはどう思われますか?」
という意図で自分の主張とその根拠を繰り返し別の角度から書いているんですよね。

> まあ、最近の長文癖の悪化は、自分自身も「酷いな」と感じてますので(苦笑)、
> 返信はいつでも結構ですし、全てに返信しようと思われなくても大丈夫ですよ。
> 以前までは、投稿文を読んで、頭に浮かんだ内容の2〜3割を返信文に起こしてたのですが、
> 最近は、ほぼ無編集に9割方、読んで思い浮かんだまま垂れ流してる感じ・・・・


長文は全然構わないと言いますか、むしろ大歓迎なのですが、
問題は管理人さんが自分でしか分からない文章になっていることだと思うんですよね。
例えば、管理人さんがAという情報を見てBということを考えた際に、
掲示板ではA→Bという発言になるのですが、脳内ではそのAとBとの間に、暗黙の思考としてCやDが隠れていると。
「中国で少子化が急激に進んでいる」というニュースを見て「中国この先大丈夫だろうか?」という感想を抱いたとしても、
その間には暗黙の思考として、「中国はまだ経済成長の途上にあり、貧しい人がまだまだ多い」というものがあるはずです。
ところが、「中国この先大丈夫だろうか?」という結論だけ書かれると、
私には間の「中国はまだ経済成長の途上にあり、貧しい人がまだまだ多い」が分かっていないため、なんでそういう結論になるのか、こちらにはよく分からないと。

> 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。

> まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
> そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
> 現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
> 俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。


少なくとも、これ↑では何が言いたいのか、よく分からない、ということですね。

前の文化の衰退の話の時も、文化の幅というキーワードが出て来るまで、全く管理人さんの主張って分かりませんでしたし。

偉そうにすみません。
この文章は実は前にも似たような文を下書きしたのですが、失礼かと思い投稿しなかったんですよね。
ただ今の返信状況だと、早めに書いておけば良かったと思います。

前の文化の話の時とかも、「文化の幅」というキーワードが出てくるまで、何度読み返しても管理人さんがなにを言いたいのか全く分からんかったので。

我ながら生意気だなあw

後は、今回のホワイト革命の動画の後半部分を追加で説明したのは、私が最初にホワイト革命の話を聞いたのが有料の別動画であり、
管理人さんにリンクを貼った動画だけを見たのでは、印象が異なるかもしれない、と思ったからなんですよね。
岡田斗司夫って、たまに前後半セットの動画を、前半だけ無料公開することがあるので(前半だけ見せられた視聴者は何の話なのか分からないはず)、
今回もその手の動画であったことを後から思い出したので、細く説明として後半部分を追加で説明したんですよね。

といいつつ、まあそんなことは管理人さんも分かってるんですかね?
その上で、また足りねーよ、ということなのかもしれません。

> もう少し解りやすく説明すると、人はそれぞれ独自の視点を持っているモノであり、
> 同じ状況下でも、AさんにはAの、BさんにはBの、CさんにはCのモノの見え方の違いがあるんです。
> ですから普通は、「自分的には こうだ」という認識はあるにしても、
> 「あの人的には ああだろうし、この人的には こうだろうな」という想定を行うものなのですが、
> どうも旧トルコ担当さんの場合は、「自分的には こうだ」に続いて、
> 「だから、あの人も、この人も、そうだろう」と、ついつい見てしまいがちな傾向が見受けられます。
> 恐らく本人的には、「いや、そんな事はないよ!」って感じだとは思いますが、
> これはもう、20年以上サイトを続けてきて、多くの人達と触れ合ってきた上での、私なりの実感ですね。


「そんなことないよ」とは思ってませんよ。
私は頑固者ですし、自分の考えを曲げたことは、おそらく人生で一度もありませんw
とはいえ、相手の説明を聞いて「自分の考えが違ったな」と思うことはありますし、逆に言えばそう思うまで考えを変えないと。
正直言えば、掲示板でやり取りをする中で、管理人さんの話をちゃんと読めていなかったな、読解力が足りていなかったな、
とは思っていますので、前に比べれば、今の方が実はまだ、聞く耳としては改善されていると思います。
とはいえ、私の根底には、「見解が異なるのは、持ってる情報が違うからだ」という考えは依然強いですし、
だからこそ「互いに持ってる情報を全部出せ」という発想になるんですよね。
これを言い出すと、ほぼ100%付き合ってられない、という反応になるのですが。

▼ ホワイト革命

ホワイト革命について自分の言葉で語ってみろ、とのことですので、
Twitter以外にもうひとつ例を挙げるとすれば、「推し」だと思うんですよね。
「推し」という言葉には、推してる自分と推す対象との間にちょっと距離感があると思うのですが、
その距離感って「自分の住んでいるこちら側の汚い世界と、推しの住んでいる尊い世界」みたいな価値観が前提にあると思うんですよね。

若者の恋愛離れとかも、ここ10年に限れば、この辺の影響も受けてると思うんですよね。
自分の好きな人はホワイトであってほしいし、だから好きな人と自分が付き合うなんてありえない、と。
だって自分はそんなにホワイトじゃないから。
そうなると行き着く先はCP厨だと思うんですよ。
遠くから、尊い二人を見ていたいとなるので。
おそらくですが、BLの拡大にはこの価値観が影響しているはずです。
で、これもホワイト化の一種だと。
(逆に言えば、なんで腐女子の人たちは80年代というかなり早い時期に推しカプという概念にたどり着いたんですかね?
まあ、女の子は小学生のころから割と他人の恋愛話に興味がある、というのはありますが)

nhkのねほりんぱほりんに出演していたイケメンキャラ好きの女性が
「リアルの男は毛深いのが生理的に無理」「リアルの男はウンコするのがイヤ」
って言っていましたけど、これもホワイト革命においては、割りと極端とは言えない価値観だと思うんですよね。

まあ、後は『千歳くんはラムネ瓶の中』というラノベがあり、まだ1巻しか読んでないのですが、ホワイト化を感じましたね。
ラムネ瓶は私よりももう数歳年下世代がメインターゲットだと思うのですが、わずか数年の差でこんなにも価値観が違うのかと。
内容としては、オタクの引きこもり高校生が、クラスの女の子をとっかえひっかえしているリア充野郎に不登校を矯正されるというだけで一巻が終わるのですが、
私の世代であれば、もっとリア充とかへのやっかみとか、逆張りでリア充はクズ、みたいなのがあったのですが、それがないんですよね。リア充全肯定。
これもまた、リア充=ホワイトの側、という価値観が浸透してるからだと思います。(ちなみに、リア充の側もメッチャいい奴w)

私にとって岡田斗司夫のホワイト革命論が衝撃的だったのは、割りと上記みたいな価値観って、オタク的な価値観だと思っていたのですが、
それが若い世代ではかなり普遍的だということを知ったからでした。

ちなみに、前に出した、顔の良しあしが成績に影響しているのではないか、という話もこの辺が前提にあります。
自己肯定感とか、メンヘラなんて言うのも、この辺をこじらせているのでしょうね。
そういう意味で、私は本当にデブでなくて良かったと思っているんですよ。
もし私がオタクな上に太ってたら、おそらく自己肯定感とかが壊滅していて、今頃はどうしようもない無気力状態にあったと思うので。
太るか太らないかはDNAが大きく影響しているらしいですが、本当に太るDNAを受け継がなくて良かったと思っています。

まあ、管理人さんの「選挙だって、今の時代だけ見ればトランプは民主主義の終わりくらいに巨大な存在に見えても、歴史的、ミクロ的にはよくあるパターンでしょ。
同じように私の言うSNSのホワイト化も、数ある流行パターンのひとつにすぎない」というのも分からなくはないんですよね。

管理人さんがホワイト革命論をあまり大きな変化と捉えないのって、結局は視点の違いなのかな?
私の場合、岡田斗司夫のホワイト革命論を聞いた際に、「あれもそうだ、これもそうだ、確かにホワイト化されている」となったのですが
(今まで書いた例以外にも、まだまだいくらでも例示できます)、
なまじ最新の若者文化には触れてないだろう管理人さんからすれば、ミクロな視点がない分、
かえってマクロな視点からしか見てしまい、そんなにか?ということになってる、ということなのでしょうか?
いや別に、若者文化なんて分からないのが当然だと思いますので。
私も「エヴァンゲリオン」を見て、まあまあ面白かった以上は、「95年のオタクはこんなのが好きだったんだな〜」としか思えませんでしたし、
私が25年前のオタクの若者の気持ちを分からなかったのだから、管理人さんが今の若者の気持ちを分からなくても、当然だと。

で、ホワイト革命って、結局は
「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」
ということだと思うのですが、このことに対してはどう思われますか?

▼ オタク史

> そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
> 実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
> 歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
> 特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
> 自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。


当時の作品にいきなり触れても、結構分からないものですよ。
例えば前に挙げた『ロードス島戦記』(88〜93年)は第1巻を読んでみましたが、最後まで面白さは分かりませんでした。
『きまぐれオレンジロード』(84〜87年)も無料公開されているので読んでみましたが、第2巻の途中で挫折していますし。
(https://www.sukima.me/book/title/kimagureorangeroad/)
まあ、好みとは違ったというのもありますし、
今は面白さが分からなくても、まず最後まで読んでみろ、そしたら面白さが分かるはずだ、というのもありますが、
それよりも30年、40年の年月というのはそれだけ大きいということだと思うんですよね。
だからこそ、その当時の受け取られ方を知るということが重要なんです。
『宇宙戦艦ヤマト』なんかも、SFブームだとか、アニメ史といった背景を知ってから見れば、
ああなるほど、ヤマトはこういう風に面白いんだな、というのが分かり、ちゃんと楽しめましたし。

で、こういう作品の見方って、もう芸術作品の見方と同じなんですよ。
私は中学生のころに源氏物語を読んだときは、初めは面白さが分からなかったのですが、
中学生であまり他の娯楽を知らなかったこともあり、分からなくても読み続けていると、
段々と平安時代の習慣とか、恋愛観とか、短歌の読み方が分かるようになり、面白さが分かるようになりました。
オタク作品も、これと同じやり方が必要なんですよね。

私の場合は、そういった勉強をせずにナチュラルに楽しめる範囲って、00年代前半〜90年代後半くらいが限界点ですね。
それ以前になると、最低限は「この作品は名作と言われているんだから、どこかに面白い部分があるはず」という覚悟を持って、
多少分からなくても我慢しないと見れません。

まあ、だってオタク命名が1983年、もう40年近く昔です。
この40年間、あまり日本社会が変化していないから、なんか感覚が狂いますが、
39年前って、2022年-1983年-1944年-1905年-1866年ですよ。
可視化されないだけで、結構な変化が内的にはあるはずなんですよね。

▼ 作品の大量消費化

> > > > あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> > > > 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> > > > 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> > > > コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

> > > まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
> > > アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
> > > 目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
> > > とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
> > > だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。
> > > でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
> > > これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
> > > それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。

> > うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、
> > 悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
> > Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
> > 昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
> > それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
> > 一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
> > 1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。

> う〜ん、そうとも言えますし、そうとも言えない面もあるのかな?
> テレビやビデオしか無かった時代に比べると、作品の寿命が延びたというか、
> ピークが過ぎ去った後の「低空飛行な人気」というのが、非常に長くなったのは事実だと思います。
>
> でも一方で、作品が消耗品として、大量生産されるような時代でもありますし、
> ストレスの多い現代社会を反映して、噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りましたから、
> 1作1作のピークの高さや、その長さ自体は、やはり小さくなってる気はするんですよね。
> 解りやすく言うと、「老後」の期間が凄く伸びた感じなので、
> そういう意味では、単純に「1作あたりの寿命が延びた」と捉えて良いのか否か・・・・


まあ、この辺は「低空飛行な人気」というのをどう捉えるかにもよるんでしょうね。
私のオタク観では、BLというジャンルを下から、つまり商業的な上からではなく、ファンの方の下から作った、
80年代後半の腐女子たちこそ、オタクの中のオタクだと思っていますし、
なので、低空飛行期に行われる同人活動とか、pixivに二次創作小説を投稿したり、ツイッターで作品の解釈をツイートしたり、
というのが、オタク度の高い行為だと評価しています。80年代後半の腐女子も同じ事をやっていたと思いますので。

> 噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りました

これは半分くらい間違っていますね。
今のオタクにとっては、今の作品こそ、スルメ的な読みごたえがあるんですよ。
作品の見え方が違うということですね。
まあ、管理人さんの言うような、旧来的な意味での読み応えのある作品、という意味では減っているのも事実ですが。

> あと、これが「オタク・イズ・デッド」という話に繋がるかとなると・・・私は繋がらないと思います。
> 後述する通り、確かに一昔前のオタク層の方が、広範な知識を持っている傾向はありましたが、
> でも、だからと言って、そうじゃ無ければオタクじゃ無いという訳でも無かったはず。
> 要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
> 「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。
> もっと言えば、ジャンルの限定化とかは関係無く、深堀りをする事を止めてしまい、
> 提供される大量のコンテンツの、単なる消費者となったが故の、オタク・イズ・デッドな気がします。
>
> 例えば欧米だと、「リベラル・アーツ」と呼ばれる、広範な一般教養の知識を土台にして、
> その上で、自らの専門分野を築く事が理想とされていますけど、
> それでも、他の分野には目もくれず、専門分野を徹底的に極めた人が、充分に尊敬はされます。
> リベラル・アーツが伴ってないなんて理由で、「あいつは専門家じゃない」とは言われませんよ(笑)。
> 対象分野における体系的な知識に欠けているから、専門家では無いと見なされるだけの話で。


うーん、オタク・イズ・デッドって、オタクの劣化とか、作品の大量消費化とか、そういう話ではないですよ。
往々にして、そういう風に誤解されますが。(岡田斗司夫の話が長いのが全部悪いんですw)
オタク・イズ・デッドというのは、オタクという共通意識の喪失であり、ジャンルが違うオタク同士が仲間意識を持たなくなったことを指しています。
ですので、
> 要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
> 「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。

というわけではなく、タコツボ化した結果、マンガオタクがSFオタクが何が好きかを知らない、興味もない、となったからオタクが死んだんです。
別に、オタクが自分の好きなジャンルのことしか知らないのは昔からそうですが、それでも昔はオタク同士が巡り合える確率が低かったため、
必然的に、何となく今美少女フィギュアでこんなのが人気だ、とか、そういう話を聞いたことぐらいあったんだろうし、だから何となくの共通意識もあったのだと思います。
でも、ネットでショートカットができるようになった結果、興味のない美少女フィギュアの話は、一般人と同じレベルの認識しかないオタクが増えた。だからオタクは死んだのだと思います。

▼ ホワイトコンテンツ

> まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
> 癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、


うーん、ストレスの多い社会になっている、というのは本当なんですかねえ?
昭和の方が週休1日で、上司との飲みに付き合わされたりするのも多そうで、ストレスが溜まりそうなイメージですけど。
結局、昭和の方がストレスが溜まっても、それでも給料が上がるから我慢できた、希望が持てた、ということなんでしょうね。
うーん、やはり昭和って今といろいろ違うんだろうなあ。

あと、ここがやはり世代差なのかもしれませんが、正直そういった消極的な理由のみでこうした作品が選ばれている、というのは間違いだと思いますよ。
伝わるかどうかわかりませんが、今のアニメとかの見方って、下のツイートにあるように、涙を流しながら見るような部分があるので。
https://twitter.com/Ui0518/status/1520312033333628929
ホワイト化って、こういうことなんですよ。
どう書けば伝わるのか分かりませんが、要は徹底的に登場人物に感情移入して、涙を流したりするので。
これってアニメに限らず、私がちょっとやったソシャゲのストーリーもそうでしたし、
私はHoneyWorksという女子中学生くらい向けの音楽ユニットが好きなんですけど、ハニワもそうなんですよ。
繰り返しになりますが、これって単純に私の趣味とか、昨今のオタクの傾向くらいに捉えていたのですが、
岡田斗司夫のホワイト革命が衝撃だったのは、これがむしろ今のスタンダードで、別にそこまで極端にオタク的な傾向ではない、という点だったので。
言ってしまえば、ホワイトコンテンツとでも命名すべき、マンガやアニメやゲーム(のストーリー)が生まれてきている、ということなんでしょうね。

ホワイトコンテンツがどんなものかを説明するため、銀英伝をホワイト化した、ホワイト銀英伝なるものを妄想するなら、
銀英伝のフォーク准将とか、門閥貴族とかって、ヘイトキャラなんですよ。ああいうのはミュートの対象なので、そもそも作品に出さない。
あるいは、作品に出てきたとしても、主人公をはじめとするホワイトキャラ達とは、一線が引く。
じゃあ悪者なしでどうやって物語を動かすのかと言えば、基本的には物語後半の、ロイエンタールとミッターマイヤーの対立のような、
ホワイトキャラ同士の問題や、誤解による対立で物語を動かしていきます。

具体例を出したので、より抽象的なホワイトコンテンツの特徴を挙げると、
・ヘイトキャラが出てこない、出てきても他のホワイトキャラとは一線が引かれている
・物語を動かすために=主人公たちに試練を与えるために、出てくるキャラクターは3パターンに分かれ、
 ・単純なヘイトキャラ(昔風に言えば悪役)、出てきたとしてもホワイトキャラとは一線が引かれる
 ・ホワイトキャラ同士の誤解や、信念の対立、往々にして対立の後にはお互いの誤解が解け、仲直りする

こういう見方って、一番早くそれをやり始めたのが、腐女子の人たちだと思うのですが、あれが一番最初に流行ったのは80年代後半からですし、
バブル崩壊で世知辛い社会になって、だからそういう傾向のコンテンツが流行っているのだとすれば、バブル崩壊前の80年代にBLが流行り始めたことは説明がつかないと思うので、
単純に世知辛くストレスが多い社会になったとか、そういう面だけじゃないと思いますよ。

> で、逆に尋ねますと、ここ10年あまりで、具体的に「これ」といった新文化って何か生まれました?
> 私が知らないだけだったり、付いていけてないだけなら、却って嬉しいんですよ!!
> 過去を懐かしむよりは、見知らぬ未来にワクワクするタイプですから、
> もしも気付けていないだけで、新しい刺激が存在するなら、是非とも知りたいので。
> 平成の30年間で、最初の10年間は、土台にあった戦後昭和の文化が成熟期から爛熟期を迎え、
> 続く中間の10年間は、ネットという新しい環境の変化が、様々な文化を生み出しました。
> しかし、平成最後の10年間となると・・・少なくとも私には思い浮かばないんですよね(泣)。


そういう意味で、この10年の新しい刺激って、ホワイトコンテンツなんでしょうね。
であれば、管理人さんも、無理して新しい文化を知る必要もないのではないですか?
私も、オタクの歴史を勉強する中で、「オタク史の色々な本で紹介されているのだから、きっと凄い作品に違いない」と思って見た作品が、
「あれ、案外面白くないな。凄い作品なのは分かるけど。20年、30年前の作品って、やっぱり面白く感じられないものなのか」という経験がありましたし、
(エヴァンゲリオンなんかそうでした)、私は過去の作品を見て、案外面白くないな、でしたけど、
これって逆に言えば、未来の作品もまた、案外面白くないな、と思うということだとも思うので。
だって、かぐや様も見てて、リゼロも見てて、それでホワイト革命に否定的ならば、世代差による見え方の違いだと思うので。
逆に、それが嫌なら勉強しましょう。勉強すれば、世代が違っても分かるようになること「も」あります。
かぐや様を読んでいるのであれば、同作者の『推しの子』というマンガはどうでしょうか?
5〜7巻あたりの、2.5次元舞台編はかなりホワイト的な価値観全開ですので、勉強としては格好の題材かと。
(一応追加説明しておけば、推しの子はホワイトコンテンツの中でも、部分ミュート型なので、ヘイトキャラが多少出てきていますが、
基本的にはヘイトキャラとホワイトキャラの間に一線が引かれています。
あるいは、ヘイトだった側のキャラが自ら反省すること、誤解が解けることによって、ホワイトの側にくる場合もありますが)

と、言いつつも、別に若者文化が全てホワイトコンテンツなわけではなく、
前に出てきた「よう実」なんかは、割とそういったホワイト文化的なものに対しては、一定の距離を取っています。
とはいえ、よう実の場合は、そういったホワイトコンテンツ的な考え方は出てきていますし、
それもまた完全に否定されているわけでもないので。

ちなみに、あらゆる社会論って、
・論の概要 (既存の社会認識と異なる、新たな社会認識の提唱)
・具体例
・変化の要因 (なぜそのような社会変化が起きているのか)
の3つの要素から構成されると思うのですが、
岡田斗司夫のホワイト革命論って、具体例と変化の要因の説明がなく、
論の概要だけがかろうじて「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」
と説明されているんですよね。
でも、それだけで視聴者は「ああ、確かに、私の周りでもこんな例とか、あんな例がある、あれ全部ホワイト革命で説明できる!!」
となるのだと思うんですよね。
で、「ああ、確かに」が無い時点で、管理人さんが新しいホワイト文化に気づいていないだけではないのか、と判断しています。

といいつつ、ホワイトコンテンツなんて言うものが幻想であり、昔からあったものなのかな?
正直、私もメチャクチャ昔の作品に詳しい、とかではありませんし。
少なくとも、岡田斗司夫のホワイト革命論がなければ、
ホワイトコンテンツ論に対しては、いやそんなの昔からあったでしょ、と反応していたでしょうし。

とはいえ、恋愛コンテンツでいえば、明らかに
バブル期の失恋ものが割合として多かった時代→90年代後半から00年代前半の、悲劇的な恋愛が多かった時代→昨今のハッピーエンドが多い時代
というのがありますし、自分で作品を追っていても、10年前と傾向が違うよな、というのはあるんですよね。
やはり論を展開するには、当たるべき作品の数が圧倒的に足りてない気がする。

▼ ロリコン

> > > > 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> > > > 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> > > > オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> > > > 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> > > > はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> > > > ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> > > > 管理人さんはどっちでしたか?

> > > で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
> > > 今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
> > > 正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
> > > あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
> > > かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。

> > いや、こういうこと書くと、お前の性癖の話かよ、と思われそうですが、私はそっちのロリには全然興味ないんですよ。
> > で、普通はそういうのって、その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらないと思うのですが、
> > 物語シリーズってその辺のロリ愛が、そうでない人間にも伝わってきたので、
> > これオタク以外の人にも分かっちゃうんじゃないのかなあ、と感じたのですが、
> > やはり普通の人には伝わってなかった感じですね。


> う〜ん、気を使って回りくどい表現をした為に、まるで伝わってないみたいですね・・・・
> 解りやすいようハッキリ言ってしまうと、旧トルコ担当さんが感じるような事は、
> いわゆる「普通の人」にだって、当たり前ですけど、充分に伝わってますよ(笑)。
> だって、旧トルコ担当さんの抱いている「感覚」って、
> 当人的には「オタク的な感覚」と思われているようですが、明らかに「普通の人の感覚」なので。
> 逆に、ガチロリ勢の感覚からすれば、「あの程度で『本気のロリ愛』ってwww」という感じかと。


ああ、やはり伝わっているんですね。

> それこそ御自身でも、既に表明してるじゃないですか?
> 「ロリには全然興味ない」とか、「その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらない」って。
> それなのに何故、こうも自信満々と「自分は解っている!」つもりに、なれるのでしょうか?
> これは全快の私の書き方が悪かった部分もあるのでしょうが、
> 「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
> 精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。
> って、世間一般の感覚からすると、そんなの理解できる必要なんて、全く無いんですけど(苦笑)。


ロリコン系って、フェチズム的な、精神的な部分って少ないと思います。
幼児体系なんて言葉があるように、体がメインであって、心は別に欲していないというか。
だからロリコン系のエロって、レイプ系が多いのではないでしょうか?
ロリコンに精神的なフェチズムが求められているなら、いちゃらぶ的なロリコン作品もこんなに少ないわけないですし。
(もちろん、フェチズムだからこそ、あえてレイプ系が好きな人もいるでしょうが)
あと、ロリコン系エロがレイプ、特におじさんによるレイプになりがちなのって、ロリコンに対する罪悪感の表れだと思うんですよね。
罪悪感があるからこそ、自らおじさんがレイプするという方向のマンガが選ばれ、いちゃらぶのロリエロが選ばれないと。

それでも時代が下るにつれ、ロリ系のいちゃらぶも増えてるのかな?
00年代の妹モノも、レイプ系ではないですし。
『化物語』はそれが他人のロリに対しても広がった、ということなのかな?
あるいは罪悪感のリミッターが外されたというか、それだけ世間体を無視して、オタクの理想の世界を描いているんですよね。
個人的には、そういったロリといちゃいちゃすることに何の疑問もない、理想のオタクワールドを描いている部分が、化物語に本気度を感じましたね。

▼ マスク

> > コロナが明ければ元に戻る、というのも日本人だけの考えで、
> > マスク無しが当たり前になっている海外では、既にコロナが明けている、という意識なのかな?
> > https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220414/k10013581791000.html

> 「明けている」とまでは言いませんけど、
> 既に欧米では、「共存の時代(withコロナ)」に入ったんだと思いますよ。
> そもそもコロナは、アデノやライナと並び、いわゆる風邪の3大ウイルスの1つですし、
> その中で「新型が現れた」というだけの話ですから、出現当初は「ただの風邪」とは言えずとも、
> いったん蔓延して定着してしまえば、「普通の風邪」の仲間入りみたいな所はありますので。
>
> > 日本人からすれば
> > コロナ前→今もコロナ禍→コロナが空ければ、国内の規制(マスクなど)も、海外との規制もなくなる
> > と考えがちですが、
> > 外国人は
> > コロナ前→コロナ禍→今は国内規制の無い段階→将来的に海外との規制もなくなる?なくならない?
> > という風に見えてるのかもしれない、ということです。

> かも知れないと言うか、そのまんま、その通りだと思いますよ。
> と言いますか、欧米よりも東アジアの方が、規制解除まで時間を要しそうなので、
> 必然的に、そうした流れとなろうかと。
>
> あとは日本国内の場合、感染対策というよりは、
> 世間の目みたいなモノを気にして、皆がマスクを着けている所があるので、
> マスク解除のタイミングが、一体どのようにして行われるのかは、かなり興味がある所(笑)。
> 欧米社会のように、ルールで規制を行っていたのなら、ルール撤廃と共に規制解除となりますが、
> 日本社会の場合、周囲の空気を読んでの自粛による精神的な規制ですから、
> 明確に「解除!」となるには、それ相応の仕掛け(キッカケ)が必要になってきますし、
> それが仕掛けられないとなると、長い時間を掛けて、済し崩し的にジワジワ緩んで行くしか無さそう・・・・


マスクは、し続けるんじゃないですか?あと5年か、もしかしたら10年くらい。
コロナに明確な終わりがない以上、マスク圧力は続きそうですし、また現在既にその価値観変化、が起きているというか、
「完全に元に戻る」ということはないかと。
マスクに離れたし、もうこれが普通という感覚の人は結構いそう。

大学のリモート授業なんかも、「ああこの教授は、コロナ明けてもリモートでやるだろうな」という人はいますし。
(逆に大学から命令されない限り対面に拘る教授もいますが。)
何がいいたいかと言えば、コロナ明けても教授によってはリモートを続けるのと同様に、
コロナが明けてもマスクをし続ける人はし続けるので、「完全に元に戻る」ということはないのではないか、ということです。

▼ AIYouTuber

(1)AIYouTuberが受け入れられる可能性

> > 私の考えは反対ですね。
> > AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> > であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

> えっ!?
> マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。
> だからこそ、いつも不満ばかり言われるのに、実写化の流れは止まらないんです(笑)。
> そりゃ、一握りの話題作とかは別ですけど、基本的には市場規模がまるで違います。
>
> > グラビアだってCGではなくリアルだからみんな見る、とのことですが、ではこれってエロ漫画はどうなのでしょう?
> > エロ漫画だってコンビニで売られてるくらいに、需要はあったと思います。
> > 別にリアルの人間である必要って、そんなにないのでは?

> こちらも、同じ話の繰り返しになりますけど、
> 確かに需要があるのは事実ですが、その需要の規模はまるで違います。
> 例えばAVにしても、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要は確実にあるものの、
> だからと言って、「別にノーマル系である必要はない」とは、ならないのと同じ事です。
>
> 一昔前ほどでは無いにせよ、オタク文化というのは、未だにマニアックな世界であるという認識は、
> それなりに持っておいて然るべきかとは思いますよ(笑)。


アニメやマンガよりも、映画やバラエティ番組など、本物の人間が出ている方が圧倒的に市場規模が大きいというのは事実ですけど、
とはいえ「一握りの話題作」という話を管理人さんもしているように、マンガやアニメを一切見ない人、全くハマったことがない人、というのも少数派だと思います。
それっていわば、マンガやアニメにのキャラクターものに対する教養というか、それらを楽しむための土台は多くの人が持っているということなので、
そちらのクオリティが上がれば、そっちに流れる人もたくさんいると思うんですよね。
例えるなら自動車免許みたいなものでしょうか?
皆が自動車免許を持っていないのであれば、いくら安くて高性能な車を作っても売れないでしょうが、
自動車免許は持っているけど、車は持っていないという状態であれば、車の性能向上と価格低下で市場が拡大する余地はあると。
少なくとも、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要、とかとは完全に異なるはずです。
だって、あれはほとんどの人が一度も見たことないものでしょ。

(2)AIの技術的可能性

> > AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> > AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

> そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
> もし本気でそう思われているのなら、大きなビジネス・チャンスですから挑戦されてみれば?
> 仮に実現出来たなら、アッと言う間に億万長者になれるはず(笑)。
>
> と、茶々を入れるのは、この辺にしておいて、
> 以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
> 「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
> そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。
> そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、
> 少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
> 今だと、せいぜい「大喜利AI」程度でしょうか?
> でもこれも、膨大なデータ・ベースの中から、突拍子もない返しが来るから面白いのであり、
> 人が聞き入るレベルの会話となると、とてもじゃ無いですが無理です・・・・
>
> と言いますか、AIがどうこうという以前に、そもそも人間同士の会話において、
> どうすれば上手く伝わり、どうすれば興味を持ってもらえ、どうすれば面白いかなど、
> その「難しさ」というのは、充分に理解できそうな気がするのですが、
> 仮に、それすら気付けていないとなると、
> 天性のコミュニケーション能力が半端ない人間か? それとは正反対の人間か?
> そのどちらかのタイプになりません?(笑)


しゃべりの技術が難しいというのは確かにそうですが、
AIってコンピュータの計算速度さえお金を出して向上させれば、いくらでも動画を作れるので、
例えば1日に1万本の動画を作る、みたいなことも可能だと思うんですよね。
で、1万本も作れば、中には偶然面白いものが生まれることもあると。
数うちゃ当たる戦法は、それこそ自動運転や電話対応では使えませんが、
YouTubeなどでは使える戦法ですし、
どれだけしゃべりの技術を向上させても、人間には寿命というものがあり、
1日24時間に投稿できる動画数には限界があるということを考慮すれば、
人間がそこまで優位性を持っているともはあまり思えないんですよね。

▼ おたく評論

> また、「評論系は割と適当」との事ですが、ああいうのって、
> 自分とは異なる「こういう見方があるのか」と気付かされたり、
> 自分の中で纏まらない考えを、スッと的確に表現していて腑に落ちるだとか、
> そうしたモノを求めて読むモノなので、そもそも読み方を間違えているというか、
> 旧トルコ担当さんの場合、誰から「正解をもらう」事を、求めすぎてる感じがするんですよね・・・・
> 「歴史の本」にしたって、別にそこに書かれてる内容が、全て正解って訳でもありませんし、
> 単なる受け売りだけでは、「歴史を調べる」行為にはならないので。
> (本とは絵の具であり、歴史って、それらを用いて全体像を描いていく作業に近いかも?)


評論が嫌いなのは、オタクの歴史を勉強する中で、本当にどうしようもないような低レベルの評論も初期には一生懸命読んでいたからなんですよね。
それこそ、「ラノベ読者は表紙の絵にしか興味はなく、なんと本文は読んでいなかったのだー」とか書いてしまう大学教授とかの文章とかも読んでいたので。
あとまあ、本当に作品の解釈などというものがあるのであれば、それはアカデミズムなんかよりも、オタクの方がちゃんとできているはずです。
オタクはそれにある意味人生かけているわけですし、また人数としても、オタク作品を評論する先生の数よりも、作品を解釈するオタクの数の方が圧倒的に多いはずなので。
まあ、そうした評論というか、作品解釈をある程度読んだうえで、ではアカデミズムという違った立場からはどう見えるのか、ということであれば、
そういう評論も役に立つのかな?

▼ おたくの作品の見方

> > とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、
> > それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
> > 私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
> > 私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
> > とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
> > そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

> これは上述の「消耗品化したアニメ作品」という話とも繋がるのですが、
> 今の時代って、言うほど1つの作品を、深掘りとかしてますかねえ?
> 同じ1つの作品を見続けたとしても、それは時代劇や新喜劇を見る感じに近くても、
> 要するに「安心感」を得るような行為であって、
> 旧来のオタク的な楽しみ方とは、また別物かな?という気もします。


失敗したくないから、安心感を求めて、同じ作品を見る傾向がある、というのは理解できます。
とはいえ、例えばアイドルマスターで10年間同じ女の子キャラの担当してます、みたいなオタクもいますし、
そういった、旧来のオタク的な楽しみ方とも、効率重視とも違う意味での、同じ1つの作品を見続ける、というのもあるかと。

▼ 経済

> > もちろん、新自由主義崩壊の過程で暴力的なことが起きる可能性は十分ありますし、
> > ポスト新自由主義が必ずしも今よりも良い時代かどうかは疑問ですが、

> 自由主義がリバイバルして、新自由主義の時代になった事を思うと、
> 次に来るのは、社会主義をリバイバルしての「新社会主義」なのか?
> はたまた、ケインズ主義をリバイバルしての「新ケインズ主義」なのか?
> 新社会主義であれば、ベーシック・インカム(BI)がキーワードになるかも知れませんし
> 新ケインズ主義であれば、現代貨幣理論(MMT)がキーワードになるかも知れません。
> まあ別に、BIも、MMTも、新自由主義でだって導入するメリットがあるのですが、
> どのシステムで導入されるかによって、その意味合いは大きく変化しそう・・・・
>
> って、リバイバル自体は別に否定しませんけど、
> それしか出てこないのは、やはり新たな発想力に乏しい時代なのか?
> それとも、私の知らない何処かで、最先端の理論が生まれていたりもするのかな?
> それこそ旧トルコ担当さんの方が、そういうのは専門なんじゃありません?


専門ではないですよ、という話は確かしたと思いますが、
専門外として適当なことを言わせてもらえば、
新自由主義が導入されたのって80年代らしいですが、これってつまり70年代には資本主義経済があまりうまくいかなくなってた、
ということですよね?
うまくいっていたのであれば、あえて変えようとするはずがありませんし。
で、新自由主義もまた、全然良い経済体制ではなかったんですよね?
ということは、資本主義ってこの半世紀ほど上手くいっていないってこと?
もちろん、新自由主義がうまくいっていないと言っても、経済が崩壊したわけではないでしょうし、
むしろスマホやらPCやらが普及して生活が豊かになったのも事実ではあるでしょうけど、
それらは科学技術の発展によるものであり、
経済理論的にはこの半世紀失敗続きであるとするのであれば、
資本主義って思っていたほど強固な体制ではないのかも。

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