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[24009] Re:若者論とロリコン論返信 削除
2022/7/26 (火) 20:54:53 徳翁導誉

▼ 若者論
> 『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』という本を読みました。
> (正確には本屋で斜め未読みしただけですが)

おっ、ちょっと面白そうな本ですね。
ちょうど今、私自身が読書モードに入っている最中なので、近々読んでみようかと思います。
紹介ありがとうございました(笑)。

ちなみに私の方は、2ヶ月ほど前にコチラの本↓を読んだのですが、

「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ -コンテンツ消費の現在形-」
https://www.amazon.co.jp/dp/4334046002/

その時の感想が、「旧トルコ担当さんに紹介したいな」と思ったんですよね(笑)。
以前、このスレッドで語っていた内容が、うまく纏まってる感じで、
この本を読んでもらった方が、私の話したかった意図が、上手く伝わるかも知れませんし、
その後、今月始めの「岡田斗司夫ゼミ #447」で、ちょうど この本が取り扱われていた為、
尚更、旧トルコ担当さんにはオススメかな?と感じてた所だったんですよ。
なので、こうして伝えられる機会が得られて、私も少し嬉しかったり(笑)。

> 現代の大学生=いい子化が進んでいる、という内容だったのですが、非常に面白かったです。
> 何より、管理人さんの俺ガイルの感想(http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c23821)
> 便所飯を例に出しているのも、この本読んで腑に落ちました。
> 私自身はそこまでこの本で指摘されているような"いい子"ではないですが、
> それでも傷つきたくないあまり他人の目を気にしすぎるというのは、
> 多かれ少なかれ自分にも当てはまっているといいますか、
> やはり世代的な傾向として「傷つきたくない」というのがあり、
> それは世代内でのみ比較すれば「いや、自分は違うよ」となりますが、
> 世代間に渡って見ると私も傷つきたくない人間に分類されるんでしょうね。

今だから言ってしまうと、この辺りの話に関しては、
私も、ちょっと説明下手だったかな?とは、反省していたんですけどね。
亀の甲より年の功とか言いますけど、やはり私の方が年齢が倍ですし、
今だからこそ、自分の世代と他の世代とを比較して見られる訳で、
例えば、同じく私が大学生の頃、そこまで客観的に物事が見られていたか?と考えれば、
必ずしも、現在ほどでは無かったはずなので、そこは配慮が足りなかったかなと。

でもまあ、多少なりとも、こうして話の意図が伝わった訳で、
不快な思いをさせるかも知れないのは覚悟で、敢えて述べてみた甲斐はあったのかも?(笑)
「折角の縁だし、仮に嫌われても、長い目で相手の役に立つなら」と、
当たり障りのある(笑)余計な お世話をするのは、私の悪癖のようなモノですが、
とは言え、真意の程が伝わらず、嫌われるだけで終わるのは、やはりキツイ所があるので(苦笑)。

・・・って、そんな独り語りはさておき、
今の時代と、一昔前の時代の、違いを上手く示しているという意味では、
それこそ前述の「映画を早送りで観る人たち」も、それが上手く描けていたかと思います。
作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
(昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)
旧トルコ担当さん自身も、そうした現状を苦々しく見つつ、
思考的には、そうした今の時代性を土台に立ってる面が伺えるのは、
第3者でオッサンである私から見て取れるものの、なかなか自分では気付けないと思うんですよ。
やはり、余程の変人(笑)・・・と言うか、個の強い人でも無い限り、
時代には無意識に流されたり、少なくとも影響は受けたりするモノですから・・・・
と、そうした面を客観視する意味でも、この本はオススメかも知れません。

ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。
あと、好きなシーンだけを繰り返し見る傾向は、これ自体は昔からあったものの、
世知辛い時代で、誰もが心の癒しを求めているからこそ、特に目立つようになってきたのかな?

> ・容姿学力比例論
> 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。

もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?
解り難いかも知れませんが、子供たちの情報格差・経済格差・環境格差など、
家庭的に「恵まれているか?否か?」で生じる差が、一昔前よりも、格段に大きくなっているんです。
例えば今年の大学受験では、国立理系の合格者のうち、
中学時代から大学受験の勉強を始めた子の割合が、ついに半分を超えたそうなんです。

要するに、中高一貫校などで、事前に大人にレールを敷いてもらわない限り、
国立理系に合格するのは、なかなか難しい時代になってしまったと・・・・
だって、普通の中学生が、高校受験を控えた段階で、
大学受験の事まで先を見据え、自発的に行動し始めるなんて、まず無理ですよ。
となると、中高一貫校の子の半分くらいの勉強時間で、同じだけの成果が出せなければ受からず、
それが可能な子というのは、本当に優秀な一握りに限られてきてしまう事でしょう。

昨今は「メリトクラシー」と言って、能力至上主義的な傾向になっており、
能力が絶対的な基準とされるのは、一見、平等のようにも映りますが、
子供が能力を伸ばせるか否かって、かなり家庭環境に左右されますからねえ。
言い方を換えれば、なかなか直接的な見た目では現れ難い
「持っている人(恵まれた子)と、持っていない人(恵まれない子)との差」が、
容姿とか、学力とか、自信という形になって、表面化してるような気がするんです。

これと似たような話は、以前読んだ「無理ゲー社会」にも書かれてたかな?
https://www.amazon.co.jp/dp/409825400X/
正直、個人的にはライトな内容で、そこまで響く1冊では無かったものの、
世間的には、この本が突き刺さる人も多いようなので、
一応、参考までに紹介しておきますね。
話下手な私の文章よりも、プロの方が格段に読みやすい(頭に入って来やすい)のは確かですし、
事前に知識の下地が整えば、何を言っているか解り難い私の話も、意外にスッと入って来るかも?(笑)

> ・若者の失恋離れ
> これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> かなり納得しました。

リンク先の東洋経済の記事を読みましたが、
う〜ん・・・そこまで反論という所までは行かないものの、
「それは結果であって、原因では無いかな?」というのが、個人的な素直な感想。
まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。

そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。
例えば、「最近は安定志向が強まり、公務員人気が高まった」とか言われますが、
戦後昭和の時代は、多くの民間企業だって「安定的だ」と思われていた訳で、
安定志向は昔から高く、今の時代は安定的な職の数が減っただけの話であると・・・・

言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。
とは言え、それはそれで、社会システム的に言うと、
ただ大人しく搾取される側に回り、それが固定化され、そこから抜け出せなくなる構図にある為、
ミスで解りやすく奈落に落ちない替わりにに、静かに茹でガエルとなるだけの違いなのかも?
ピケティの論調じゃないですけど、変化無き平和な時代の持続は、格差の拡大と固定化を招くので。


▼ ロリコン論
> 「ガンスリンガーガール」は相変わらず未見ですが、
> ツイッターから「ろりともだち」(2012)(東浩紀絶賛)を知り読んでみたのですが、
> 管理人さんの化物語にロリの本気度を感じないというのも納得しました。
> 確かに、00年代のロリって「投薬を用いて、精神的な従属を強いていたり、身体を弄って、
> 物理的な支配を行っていたりなど、性的描写は皆無でも、ロリコン的な欲求が、根幹の作品設定に」みたいな感じですよね。
> 確かに、10年代に入った辺りから、ロリコンの健全化と言いますか、
> レイプ的なものが減ったイメージは私にもあります(管理人さんに言わせれば、浄化作戦は成果を挙げたと)。

え〜と、こちらに関しては誤解が続いていると言いますか、
ロリコンというのは、性欲や支配欲が中心ではなく、もっと精神的なモノなんですよね。
肯定的にせよ、否定的にせよ、少女の成長途上を愛でるのが根幹にあり、
体型だの、支配だのは、個別の感情の発露に過ぎ無いとでも言いますか、
それもロリコンの一部ではあるものの、必ずしもロリコンとイコールではない、みたいな感じかと。
(こうした集合論的な話って、数学的な考え方の土台が無いと、意外に伝わり難いのかな?)

そういう意味では、クジラックスとか心島咲などのエロ漫画って、
一見すると、その過激なロリ性描写こそが、人気の秘訣のように映るかも知れませんけど、
恐らく、彼らの作品が人気なのって、そういった部分以上に、
事前・事後の心理描写や、行為に及ぶまでのストーリー描写が丁寧だからなのでは?
例えば、周防正行の監督デビュー作である「変態家族 兄貴の嫁さん」とかも、
「あの周防正行による、小津安二郎風味のポルノ映画」という
キャッチーな見方だけでは、表層的な評価のように感じるのと似てるかも。
これだけ語り継がれるのは、やはり単純に、作品として魅力が在るからなんですよね。

東浩紀が評価しているのも、ロリとかレイプとかが混ざるから解り難いですけど、
実際の所は、青春友情物語としての完成度の高さに関して触れている訳で、
言うなれば、強盗や殺人を繰り返しつつ、逃避行を続けたボニー&クライドの青春恋愛物語が、
残虐な犯罪者カップルでありながら、一部で熱狂的な支持を受け、何度も映画化された事に近いかと。
それこそ、後述の旧トルコ担当さんの言葉を借りるなら、
ワンピースのような冒険譚を、より「リアリティ」を上げたような感じですね!!(笑)
もちろん、行うのは義賊的な海賊行為ではなく、ガチでクズな犯罪行為なんですけども(苦笑)。

> とはいえ、ネット漁ればロリレイプなんていくらでも出てくるわけで、
> 原因としては浄化作戦というよりオタク側の趣味の変化の方が大きそうな感じはうけますが。
> (とはいえ、その趣味の変化も浄化作戦の影響を受けているという可能性はあります)

別に私も統計とかは取ってませんけど、肌感覚的に言えば、
レイプ題材の作品って、エロ作品やAVとかでも、確実に需要が減少してる気がしますよ。
恐らく、「無理矢理 思い通りにする」というのが、今の時代にあまり合わないのでは?
って、ただ単純に、昨今はコンプラ云々がうるさいので、
相応の利益が望めないのなら、敢えて作ろうとしないというだけの話かも知れませんが。

> その上で「化物語」に対して私が感じた本気度というのは、作品の「リアリティ」レベルの問題で、
> 普通のロリものはリアリティが低くて、ファンタジー的なんですよね。
> 「ガンスリーガールズ」は現実ではありえない設定がされていますし、
> 「ろりともだち」もなかなかそこまでする気持ちにはなれないというか、
> 実際に手を出すのはちょっとファンタジーだと思うんですよね。
> 「ロウきゅーぶ!」はファンタジーな設定の出てこない、リアリティレベルが高い作品ですが、
> 「いや、小学生にバスケ教えるだけだから」という言い訳ますし。
> でも、物語シリーズは仙石撫子ちゃんとお家デートしちゃうじゃないですか。
> もちろん、物語シリーズ自体は怪異が出てくるロー・ファンタジーですが、そうした怪異とはそこまで関係なく、
> 「妹の友達」と仲良くなっちゃうので。

う〜ん、こういう話となると、私が考えていた前提とは違ってくるのかな?
「本気のロリ愛」という事でしたので、化物語のそれは、
「倫理的には知らんが、俺はこういうのが好きなんだ!」という、作り手側の欲情が描かれているのではなく、
「君たちロリコンは、こういうのが好きなんでしょ?」という、作り手側の嫌らしさが透けて見える感じで、
あれを本気のロリ愛と呼ぶのは違うだろうし、まんまと踊らされる層は本当にロリか?という疑問を抱いたんです。

でもまあ、現実的か否かを問う「リアリティ」の話をするのであれば、
怪異であったり、軽妙な会話などを除けば、確かに化物語はリアルな作品なのかも知れません。
ただ、その事が作品として、本当にそこまで重要な事か?と問われると、ちょっと解らないかな?
もちろん、私たちの日常生活に近い設定の方が、感情移入をしやすい面はあるでしょうけど、
作品にとって重要なのは、それで伝えたいメッセージ性やテーマであって、
その事を考えると、却って非日常的な世界観の方が、心理描写などが立つ側面もあるんですよね!!

例えば、映画「バトル・ロワイヤル」とかも、中学生に殺し合いをさせるという過激な設定から、
国会でも取り上げられ、R-15指定による劇場公開となりましたけど、
内容的には青春群像劇であり、学徒動員で戦争を体験した深作欣二の思いも詰まった作品で、
それこそ、却って中学生にこそ、観てもらいたいような作品だったんです。
そういう意味では、そうした表面的なリアルさというのは、
私個人としては、正直、あまり重きは置いていないと言うのが、実際の所かも知れませんね。
もちろん、リアルさがテーマの作品であるならば、話はまた違ってきますけども。

> 結局何が言いたいかというと、俺ガイルにしても、ロリコンにしても、
> 管理人さんに指摘されないと、偶然その答えが目に入ってもスルーしていたと思うので、
> 管理人さんのおかげで勉強になり、ありがとうございます。

お役に立てたのなら、何よりです(笑)。
私の主旨としても、異なる視点への「引っ掛かり」を与えようという所がある為、
以前の指摘が、こうして巡って、気付きのキッカケになったのであれば、
まさにそれこそ、望んでいた結果でもありますしね!!

ちなみに、私がアート鑑賞を好むのも、そうした「引っ掛かり」を得やすいからであり、
逆に言うと、日本のアート教育って、こういう部分が抜け落ちていると言いますか、
お上品な教養的に、「この作品は何年の誰々の作品で…」と、知識偏重に陥っているから、
欧米などに比べると、一般庶民から縁遠い存在になってしまっている気はしますね。
海外から名作が来日して大行列が出来ても、実物から何かを感じるより、
とにかく「実物を見た」という体感イベントとしての側面が強い気が・・・・
でも、アートって基本的に、言語を用いない自己表現ですから、
地域・時代・趣向の違いを越えて、作者の思いがダイレクトに伝わって来やすい世界なんです。
もう少し解りやすく言えば、他者の主張から何らかの「引っ掛かり」を得る機会であると。

また、以前にも少し書きましたが、私がリアル店舗を大事だと言っていたのも、
ネット店舗に比べて、こうした「引っ掛かり」を得やすい場所だからなんです。
一目で入ってくる余計な情報量(雑音)は、アナログな方が段違いに多いですし、
自分好みにカスタマイズされてないからこそ、他の人々の好みも入って来やすいと。
もともと好きなジャンルで、新たに面白い作品を見つけるのも良いですけど、
興味が無かったり、却って苦手だったジャンルで、新たに面白い作品を見つける方が、
自分の「楽しいの範囲」が確実に広がりますし、新規開拓の期待感も伴いますから嬉しく、
そして、その第1歩となるのが、まさしく、この「引っ掛かり」という感覚なんですよね!!

で、その年齢で「引っ掛かり」という「気付きのフック」の感覚を掴めたというのは、
偉そうな言い方ですが、今後の旧トルコ担当さんの成長に、何かと活きてくるかも?
この感覚は一生身に付かない人も多いですし、視野の広がりは それだけで大きな武器になるので。


P.S.
話は逸れますが、昨年から早稲田の政経学部が入試で数学を必須化したように、
デジタル化が加速する近年は、理系以外でも「数学の重要性」が認識されるようになり、
(と言いますか、日本は経済学が文系扱いなので、ノーベル賞が取れないとの話も?)
日本の大学の経済学部や商学部でも、「数学の必修が増えた」との噂を聞くのですが、
実際の所、どんな感じなのでしょうか?
具体的には、どれだけのコマ数が数学に割かれ、どのレベルの数学をやっているのかな?と。

特に私立文系の場合、大学受験対策として、ほぼ数学を学ばない高校も珍しくなく、
そうなると、「大学(経済学部や商学部)で数学を学ぶ」と言っても、
理系の高校数学と大差ないレベルなのかな?とか、少し気になったので。

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