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[24018] Re2:「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/8/23 (火) 19:42:03 徳翁導誉

> > 作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
> > (昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)

> 日本人が皆巨人ファンだった時代があったのは知っていましたが、

中日ファンの私が、一応指摘しておくと(笑)、
さすがに、「日本人が皆」というのは大袈裟にしても、
ライトなファンまで含めれば、「国民の半分」くらいは巨人ファンな時代がありましたね。
(主婦層とかでも、巨人の中心選なら、、普通に何人も名前を挙げられるくらい)

十数年前までは、地上波で毎日のように巨人戦が放送されていて、高視聴率を取ってましたし、
特に男性の場合、コミュニケーション・ツールの一環として、
野球に関心が無い人でも、とりあえず巨人の情報は押さえておくという時代が長かったです。
ニュース番組で未だに、巨人戦の試合結果が詳しく報じられるのは、その頃からの名残ですね。

> 月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
> 東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。

先日、小学生は「SMAP」の存在を知らなくて驚いたので(まあ、解散が6年前ですからね)、
「月9」に関しても、そんな感じかな?・・・と一瞬思ったのですが、
でも旧トルコ担当さんの年齢を考えると、単に世間への関心が薄かっただけかも!?(笑)
確かに、5年くらい前は視聴率1ケタを連発していましたが、
10年くらい前までは普通に10%台後半を取ってましたし、今では2ケタを確保してるので。

一昔前の月9枠は、特に若い女性層向けで、
視聴率20%台(最終回は30%超)が当たり前だった当時は、
中高生だと恐らく、クラスの女子生徒の過半数は見ていた感じでしたが、
でもまあ、逆に考えると、ちょうど旧トルコ担当さんが中高生だった頃、
月9枠は「暗黒期」を迎えていたので、クラス内でも話題になる機会が無かったのかも?
(2018年を境に、従来の恋愛ドラマ路線から転換して、視聴率的には復調傾向)

そういう意味では、旧トルコ担当さんの少し前くらいから、
「世間(クラス)共通の話題」という存在が、急速に失われた世代かも知れませんね。

> > ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
> > いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
> > 情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
> > 逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
> > わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
> > そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
> > 早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。

> 私の場合は、アニメや映画などを倍速視聴することは無いですが、ニコニコやYouTubeは基本2倍速視聴しています。
> この手のパターンは割と多いのではないのでしょうか?

でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。

> 何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。
それは、そうでしょうね。
特にビジネスの場合、需要があってこその供給という面も強く、
「作品を当てたい」思いがあるならば、ニーズに合わせるのは常套手段なので。
例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。
で、こうした解りやすいモノばかり量産される環境になると、深みのあるモノは産まれ難くなると・・・・

逆に言うと、戦後昭和の頃は、買った人の数%しか読まないような全集とかが、
見栄やステータスとして、それなりに売れる時代だった事もあり、
一部のマニアしか喜ばないようなコアなモノも、
格好付けで買うだけの大多数の人たちに支えられて、産み続けられる環境ではあったんですよね。
言い方を換えれば、そうした自己満足な虚栄心による消費が可能なくらい、
人々の懐事情余裕があった時代とも言えますし、
今はそれだけの余裕が無いからこそ、無駄な出費は抑えられ、
それなりにニーズのあるモノしか、生き残れない傾向が強くなっているかも?

> > > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> > う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> > 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> > 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> > ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> > その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
> > もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> > 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?

> 私は、そういった格差などの世知辛い現実を見ないようにしてきた人間なので、
> 自信がないことが家庭環境の格差にあるのかは全く分かんないんですよね。
> 昔の時代も知りませんし。

まあ、これは旧トルコ担当さんの話を聞いた上での、私の仮説に過ぎませんけどね。

それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・

90年代から00年代前半に産まれ、不況下に育った「欲がない」若者層の事を、
ネットやメディアでは、10年くらい前に「さとり世代」と呼んでいたのですが、
この「悟り」の正体って、実は「諦観」なのだろうと、私などは見ているんです。
だからこそ、学業にせよ、容姿にせよ、「こんなモノだろう」という所で妥協すると。
で、そうした妥協点の高低基準が、分野ごとではなく、人ごとになっているから、
何でも持っている人と、何も持っていない人との差が、大きくなっているんじゃないですかねえ?

> オタクやってるのも、アニメの話してるときはそういったものが関係なくなるから、という側面もありますし。
> これも無自覚な時代適応なんでしょうね。

う〜ん、そういう側面もあるのかも知れませんね。
確かにアニメって、現実とは切り離された「架空の世界」を楽しむ娯楽ですし、
良くも悪くも、観ていて疲れる「重い作品」というのも、近年は好まれなくなったのは、
ストレス解消の清涼剤的な役割が、特に強く求められるようになったからかも?

> > > ・若者の失恋離れ
> > > これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> > > ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> > > が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> > > 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> > > かなり納得しました。

> > まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
> > 時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
> > 世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。
> > そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
> > 日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
> > ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> > そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。

> 個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
> 未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、
> 00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
> 経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
> 出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
> 未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

う〜ん、何だか話が脱線している気はしますけど、それは別に良いとして(笑)、
この感じだと、経済と景気の違いが区別されていないと言うか、
経済の成長は社会のシステムを変容させ、それは出生率にも影響を及ぼすという、
大きな要素としては、「経済こそ主要因」と見なして良いと思うんです。

その一方で、景気の善し悪しが、結婚や出産に影響を及ぼす面も、確かにあるのですが、
こちらの影響は部分的というか、小さな要素ですよね。
そういう意味では、「景気が主要因」とまでは言えないのですが、
しかし日本の新卒一括採用システムの場合、決して無視できないのも事実です。

・・・って、この辺りの話題を続けると、
「歴史人口学」や「人口統計学」など、テーマが大きく成り過ぎてしまうので、
少し話を合わせる感じで語りますと、ここで1つ、旧トルコ担当さんに質問(笑)。

では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?

> > 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> > 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> > リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> > 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> > しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。

> おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
> 時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
> 私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
> 基本的には各種値が変化した時期と一致します。

「ソースが少女マンガなの!?」というツッコミはさておき(笑)、
見合い結婚と恋愛結婚の「比率」の変化は、こんな感じ↓
https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-10.gif
見合い結婚と恋愛結婚の「総数」の変化は、こんな感じ↓
https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-11.gif
恋愛結婚が、見合い結婚を上回るのは、60年代半ばって所ですね。

> 私が一緒にゲームしているおじさん曰く、
さらりと書いてますが、どういう繋がりで知り合ったオジサンか気になる所(笑)。
・・・って、別にリアルではなく、オンライン上の話なのかな?
ファミコン世代からすると、「一緒にゲーム」と言われた場合、
イコールで「同じ空間を共有」と考えてしまうモノで・・・・

> 「若者の草食化は今に始まったことではなく、日本の若者は昔から恋愛が苦手。
> なぜなら、内婚制の社会においては結婚は親が取り決めるものであったから。
> 今いるのは恋愛できない若者ではなく、子どもに結婚圧力をかけられない親がいるだけ」
> とのことですが、お見合い結婚に関しては全く詳しくありませんが、割とこの辺が事実なのかなと私も思っています。

お節介ババァや説教ジジィの存在が、実は社会を円滑に回していたというのは、
確かに一面では真理なので、そういう要素も勿論あると私も思いますよ。
とは言え、それって別に、日本に限った話でも無いと言いますか、
その辺りの条件は踏まえた上で、更に話している所ではあるんですけどね、私的には。

例えば、1990〜2000年代の「恋人あり率」というのは、
1980年代や2010年代に比べますと、「25%」ほど高い数値が出ています↓
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/arakawakazuhisa/00258826/image-1631925907243.jpeg
1980〜2010年代と言いますと、
前出の恋愛結婚率を見た場合、そこまで大きな違いは現れていない期間です。
そう考えると、この25%のアップ&ダウンというのは、何の有意性を持たない数値なのでしょうか?

ちなみに、このリンク先の著者は「独身研究家」という事で、
「こんなのは誤差の範囲」「40年前の水準に戻っただけ」という論調ですけど(笑)、
今年、急速な円安により、円の実力が50年前の水準に戻った事が話題になりましたが、
「こんなのは誤差の範囲」「50年前の水準に戻っただけ」と、皆が見ているか?って話ですね。
恐らく、「日本の国際競争力が落ちた」と認識する人が、多数派かと思われます。
それと同じく、「昔から恋愛が苦手」というのは、その通りだとしても、
その一方で、「ここ10年で恋愛に奥手となった」という傾向は、確実に見受けられるかと?

> 最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
最近のトッドの著作は・・・あまり、まともに読んでないかなぁ?
それこそ、「第三次世界大戦はもう始まっている」も、
本屋の立ち読み(斜め読み)で済ましちゃいました。
年齢の所為かも知れませんけど、正直、最近のトッドが書く内容って、
フランス中心主義の主観的な感情論が多く、あまり得る所を感じないんですよね。
日本についての論評も、「相変わらずズレた事言ってるなぁ」って感じですし(苦笑)。

> ・乳児死亡率においてはアメリカはロシアよりも高く、
「アメリカの平均寿命は、非難しているキューバよりも低い」って、
昔から、よく揶揄されてましたからねえ(苦笑)。
アメリカの医療レベルは確かに世界一ですが、それがアメリカ国民に行き渡ってる訳ではありません。
日米で比べると、個人負担額も、公費負担額も、アメリカの方が上ですけども、
アメリカ人の大多数は、国民皆保険制度のある日本並みの医療を受けられないのが現実かと。
それなのに、「日本もアメリカの医療制度を取り入れろ」と要求してくる訳ですから・・・・

> ・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
> ・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
> など、のことが指摘されており、
> ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、

民主党が「資本家・インテリ層・黒人」の党へと路線転換したのは、
もう100年以上も前の事なので、今更と言えば今更の話ですし、
国内人口比における有色人種、特にラテン系の割合が増え続けている昨今、
時が経つほど、民主党有利&共和党不利になるのは、既定路線として語られており、
そうした流れへの悪あがきというか、最後のカウンター行動として、
極端だけど、団結させやすい、トランプのような論調が現れた部分はあるんですよね。

でもまあ、非白人層だって一枚岩で民主党支持って訳でも無いですし、
白人回帰路線を共和党が捨てられるなら、結局モノを言うのは経済なので、
その時々の景気次第で、民主党の黄金時代が到来するって訳でも無さそうですが。
(景気が悪くて失業者が増えた場合、貧困層の批判の声は、富裕層へと向かうでしょうし)

> 西側民主主義世界そのものが行き詰っているのだなと感じさせられました。
> 本書では、後半
> ・形式的な制度ではなく実態として、英米はリベラル寡頭制であり、むしろ露中の方が権威的民主主義である
> とまで断言していますし、
> これまでにもトッドは
> ・私はもう高齢なのでその答えを見ることはできないと思うが、ヨーロッパで民主主義は失われるのだろうか?
> など指摘しており、
> ああ、本当にそういう民主主義の存続すら危うい時代なんだな、と思わされました。

民主主義のメリットだけを見て、民主主義と見なすか?
民主主義のデメリットも含めて、民主主義と見なすか?
どちらの立場を取るかで、「民主主義の危機」への答えは変わってくるでしょうね。
衆愚政治と化したり、ポピュリズムに陥るのも、また民主主義の特徴の1つなので(苦笑)。

> ・初等教育の普及が平等の潜在意識を与え、高等教育の(不平等な)普及が不平等の潜在意識を産む
階級社会の風潮が、未だに色濃く残るイギリスの大学制度、
一握りのエリート校と、その他とが極端に分かれるフランスの大学制度、
学校間の実力差を無くし、良くも悪くも平等が貫かれるドイツの大学制度など、
同じヨーロッパであっても、各国ごとに大学制度は大きく異なりますからねえ。
ドイツを敵視し、フランスの視点でばかり語る、昨今のトッドの論調からすると、
そうした欧州内での違いさえ、あまり念頭に置かず、語っちゃってるんじゃないですか?
まあ、トッドが言わんとしていている所は、決して解らなくは無いですけども・・・・

> 「お金不足よりは時間不足だよな」と感じるくらいには我慢しているという感覚はない半面、
> もし日本経済がこれからも上向き続けると確信していたら、余っているお金で余計なもの(そこまで欲しいわけではないもの)を買って、
> バイト代は全部使いきっていただろうな、とは思います。
> ニコニコ大百科の掲示板かなんかに、「今の若者は金のかかる遊びを知らない」という指摘がありましたが、
> 管理人さん的にはどう思われます?
> 私としてはあまり実感わかないのですが。

「時間はあるけど、カネが無い」というのが、一昔前までの大学生像でしたけど、
ここ四半世紀で、仕送り額は3分の2に減り、逆に学費の方は増えている事を考えると、
「(遊ぶ為の)カネがない」だったモノが、「(通う為の)カネがない」になりつつあり、
実に半数の学生が、平均300万円くらいの借金を背負い、大学に行く時代になってますからねえ。

旧トルコ担当さん自身の生活環境は解りませんけど、こんな状況では、
「遊びにカネを使わない」と言うよりは、「遊びにカネを使えない」と言う方が適当かも?
まあ、そもそも日本って、一億総中流な戦後昭和の時代だけでなく、天下泰平の江戸時代の頃から、
世界的に見ても、「庶民の文化」というのが非常に充実した社会でしたし、
その反面、金持ちのパトロンが支える「大掛かりな文化」が、あまり育たなかった所があり、
「小金で楽しむ遊び」は豊富なものの、「大金で楽しむ遊び」が貧弱という素地が元々あるんですよ。

そういう意味では、例えばバブルの時代に、金額に見合う楽しみがあったか?は正直疑問ですが、
一方で、相応の出費で楽しむというのは、近年 減ってきてるかも知れませんね。
それこそアニメやゲームにしても、「安かろう悪かろう」な一昔前まで比べると、
タダだったり、少額な定額で楽しめる娯楽の質は、格段に上がったのは事実だと思うんです。
しかし反動として、娯楽の為に、それなりの金額を支払う機会が減り(ハードルが上がり)、
その分だけ、作品制作に投じられる金額が減ってしまう訳で、
そこそこの良作は増えても、心に残る傑作や奇作は産まれ難くなるという感じでしょうか?
また、大金を投じた超大作というモノは、却って近年の方が多いのですが、
そういう作品って必然的に、大多数にウケる内容に集約して、結局は良作止まりになりがちだと。

・・・と、何だか少し話は逸れてしまいましたが、
「金のかかる遊びを知らない」と言うよりかは、
「金をかける遊びが選択肢に入らない」と言う方が、何となく適当な気がしますね。
アニメで言うなら、見られるサブスク作品の中から、見たい作品を選ぶ感じ今と、
わざわざレンタル店まで足を運び、見たい作品を金を払って選んでた昔の違いであり、
カネを払い、自ら選んだからこそ、「意地でも楽しんでやろう」という気持ちで見るのと、
見ても見なくても金額的には同じだから、「時間の方が大事」と、
ツマらなそうなら、簡単に切る気持ちで見るのとでは、
同じ作品を見ても、やはり違いますよ!!
簡単に言えば、選択肢として頭に浮かばない以上、実感なんて湧かないはずです。

それに現状、「収集癖」とかがない限り、あまり散財する機会が乏しいというか、
湯水のようにカネを払うオタク向けのビジネス・モデルって、今は昔の話って感じも強く、
そもそも、カネをかける選択肢(商品やサービス)自体が、激減している面もありそう。
(強いて在っても、ソシャゲへの課金くらいでしょうか?)
要するに、選択肢として頭には浮かんでも、実際に選択肢として提供されてないって感じで、
そう考えると、需要と供給の両面から、「今の若者は金のかかる遊びを知らない」となるのかも。

> >  【Q.最も公正な分配基準は?】
> >    2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
> >    2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
> >    2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%
> > 日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
> > 機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
> > そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。

> 相変わらず同書は斜め読みしただけですが、
> 私の感覚だと、上記のデータは「まあ、そんなもんだろうな」という感じですね。
> それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。
言い方を換えれば、自分の見えない所で、知らない内に、
可哀想な敗者が居る分には気にならないと言うか・・・実は、どこまでも利己的な感じ。
日本レベルの話とは言え、個人主義の強まりというのも、ここ十数年でかなり進みましたし、
近年は「公」が叫ばれる割に、逆に「公」への意識はかなり薄まったというか、
公私の分別が乏しくなって、私を公と称するケースが非常に増えている印象さえあります。
従来の「集団主義の中の個人志向」と、現在の「個人主義の中の集団志向」の違いとでも言うのか・・・・

う〜ん、何と説明すれば、もっと伝わるのか、
そもそも「平等」には、「(見知らぬ者への)助け合い」というのが、
暗黙の内に含まれているモノだと、私なんかは思うんですけど、
どうも、ここで50%を超えている「平等」には、それが含まれてない印象を受けちゃうんですよね。
平等に扱って欲しい「自分」は念頭にあっても、平等に扱って欲しい「他人」は埒外と言うか、
この「平等」には、血肉が通ったリアリティーを感じないんですよ、個人的に。
王陽明の「知行合一」じゃないですけど、思いと行動に差は生じるのは仕方無いとしても、
本当に今の若者層に、そこまで「思い」があるなら、実際の「行動」があまりに少なすぎて、
だからこそ、私自身、この数字に対する引っかかりが生じているのかと?
(「良い子症候群」という呼び名に しっくり来ないのも、この辺りの感覚が原因なのでしょう)

恐らく、この引っかかりというか、違和感の正体というのは、
十数年前に、小泉政権が政治的な意図をもって、
日本社会に定着させた「自己責任論」が、大きく関わっていると思うんです。
私などは世代的に、自己責任論が唱えられる前の日本も、そう塗り替えられていく過程の日本も、
既に定着してしまった現在と同様、それらの日本社会の姿を、しっかり覚えているのですが、
定着後の日本しか知らない世代だと、この感覚はなかなか伝わらない気がするんです・・・・
それが当たり前すぎて、何が おかしいとか違うとかが、なかなか実感できないと思うので。

まあ私に言わせれば、「自己責任論かつ平等」なんてモノは有り得ないので、
「平等」を目指すのであれば、現在の「自己責任論」は改めるべき前提なのですが、
自己責任論が前提で育った世代には、それを覆そうとする考えが伴っていないというか、
共存し得ないモノを掲げているので、画餅に映るというか、本気度を感じないんでしょうね。
結果の平等って、他者の為に、自己の損失すら甘受を求められるシステムなのに、
結局の所、そこまでの覚悟を感じないと言うか、自分可愛さでは絶対に無理なモノですし、
もっと言うと、共産主義国が実在し、資本主義国も少なからず
社会主義的な政策を行った冷戦当時の肌感覚が、良くも悪くも無い為に、
「平等」のリアルなイメージが、なかなか現実的には浮かんで来ないのかも?
もしくは、「平等であって欲しい」という思いの先として、
能動的に「平等にしよう」ではなく、受動的に「平等にして」って感じなのかな。

> むしろ管理人さんにとっては、このデータが衝撃であったという点の方が衝撃というか、
> 半数が努力、4分の1が実績を元にした分配を良いものだと感じていた、2000年のデータもそうですけど、
> やはりこの20年って凄い変化があったんでしょうね。
> 2000年代って個人的にイメージ薄いんですけど、そんな時代だったんですね。

2000年代が そうだった・・・と言うよりは、90年代までは長らく そうで、
2000年あたりを境に、徐々に変化していく途上にあったのですが、
社会が変わり始めた時期だった事もあり、人々の意識まではまだ変わっていない、最後の頃だったかと?
日本が世界に存在感を示せていた、最後の頃だったと言っても良いかも知れません。

> > と、これ以上 続けると、教育方面の話題に脱線しそうなので、話を元に戻しますが(苦笑)、
> > 同書にもあった、現在は「見えざる壁(格差)」の時代だという意見は、私も同調しました。
> > 簡単に言えば、近代以前の階級社会では、まさしく格差が「見える壁」として存在し、
> > それを壊そうとして、能力主義が台頭してきた訳ですが、これだけ長く続くと、
> > 効力の良い能力の高め方というノウハウに加えて、
> > 教育面への新自由主義の侵食であったり、ネット普及が却って招いた情報格差であったり、
> > そうした諸々の要素が合わさって、一見しただけでは判らない「壁」が、確実に生じつつあると・・・・

> 見えない壁が増えている、というのは私も一定程度そうなんだろうなあ、と思っていますが、
> 個人的には、格差というか能力の差がインターネットによって見える化された、という部分も大きいと思うんですよね。

う〜ん、それは今回の話題で挙げている「格差」や「壁」とは、また別の話なんですけど、
とは言え、そうした「トップとの差」が、ネットによって身近化したのは、一面で事実ですね!!

それこそ一昔前までは、一般人でもトップの世界が覗けるのって、
例えばプロ野球であったりとか、本当に一部の分野に限定されていました。
逆に言えば、大部分のトップの世界って、縁遠くて見えないモノであったと。
それがネットの普及により、どんな分野であっても、様々な情報が見られるようになりましたし、
ネットを介する事で、非常に身近な存在として、人々の映るようになったと思うんです。

でも、これには一長一短があって、例えば将棋や囲碁の世界などは、
強い相手と戦わなければ強くなれない為、今までは地域間格差というモノが大きかったですが、
ネットが登場した事で、地方や外国であっても、強い相手と気軽に対戦できるようになり、
その上、強力なAIの出現によって、多くの子供がトントン拍子で強くなったりもしています。
一方で、全国とか世界でも一握りしか居ないような実力者が、あまりにも身近な存在となってしまい、
その人との実力差を比べる事で、悲観的な勘違いに陥るというか、安易に諦めやすくもなっていると。
「凄い人は凄い」とか、「凄い人も最初から凄かった訳じゃない」という、実に当たり前の事が、
当たり前だと解る前の精神年齢で触れてしまうと、簡単に絶望しちゃうんですよね・・・・
以前は、凄い人に触れる機会や、凄いという事を理解できる能力も、
当人がそれなりに凄くならなければ、なかなか得られないモノでしたし。

> 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・

デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
(この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)

ただ、この「楽しい」というのは、今後の社会における重要なカギだと思うんですよね!!
それこそ以前の雑談時、最後にチラッと書きました↓けども、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c23948
「楽しいの お裾分け」というのが、これからのキーワードであろうと、私自身は考えているので。

> あるいはこの掲示板でも、自分なりの教養みたいなものがある管理人さんは、同じ本を読んで色々考えられるのに対して、
> 私はまだまだ「ふーん」で終わってるよなあ、と感じさせられますし。
> とはいえ、こういうことはもっと本読んだり、自分で考えたり、ということを繰り返せば、
> 後々自分なりの見方とか考え方を手に入れられると思うので、
> あまり悲観してはいないのですが。

それこそ、前々回にも書いた、異なる視点への「引っ掛かり」次第ですよね。
この「引っ掛かり」を育てず、ただ漠然と読書量を増やしたとしても、
単に「情報」が増えるだけで、整理された「データ」や、体系立った「知識」にはならないと思うので。

また、「自分で考える」というのも、
「自分の中の別視点」を、いくつ作れるか?という所でもあるんですよね。
いくら自分なりに考えても、それが感情的な主観1つだけであれば、独善的な見方へと陥りますし。

> 私はあまり周囲を見ない・見ていない人間なので、こうした感覚がどの程度普遍的なのかは分かりませんが、
> 例えばYouTubeのゲーム配信なんかも、そうした勝者側が敗者におこぼれを与えているというか、
> ゲームを楽しむ才能も、時間も、金も、面白い遊び方も、一緒に遊ぶ友達も持っているYouTuberが、それらが無い敗者に対して、
> その様子を動画にすることで疑似体験をさせているという様にも見えるんですよね。
> 鈴原るるという今は引退したVTuberの生放送に「こんな可愛い子と一緒にゲームしたいな」というコメントがあったのですが、
> それを持っている側を見せつけられるのがインターネットの一つの性質だと思うんですよね。

「勝者」とか、「敗者」とか、「おこぼれ」などと言うと、また少し感じ方が変わりますが、
こういうのも、上述の「楽しいの お裾分け」だと見なしてますね、個人的には。

生活するのに大きな不自由は無いけど、特に何らかの満足感を得られる事も無く、
そうした状況下では、「楽しい」と感じられる事が、何よりの欲求となるものの、
飼い殺される社会システムの中だと、餌付け的に与えられる以上の楽しみは、自発的に得るのが難しく、
それが出来る人間が、自分の「楽しい」を、他人にも疑似体験として「お裾分け」する事が、
これからの時代に、かなりの価値を持つ・・・みたいな話ですね。

でもまあ、自分から「楽しい」を作ってる側にしても、
苦しんだり、辛かったりするかは別として、相応の苦労や努力はしているはずで、
その部分を感じ取らずに、安易に羨んだり、嫉妬したりするのは、ちょっと違うかな?という気も。
それこそプロの野球選手やサッカー選手だって、好きな事でメシを食えてるのは憧れますけど、
あれが、どれほど高いレベルで、どれほどの頑張りや競争の結晶であるかを解っているか否かで、
その見方だって大きく異なってくるでしょうし、小学生のように安直な思考には戻れないかな。
「スポーツ推薦で名門大学に入るのはズルい」なんて意見も、
スポーツでそのレベル目指すくらいなら、勉強で入る方が遥かに楽な事が解っていれば、
そう簡単には、そんな考えにも至らないとは思うんですよね(苦笑)。
大学への貢献度で言っても、スポーツ選手を上回る一般学生なんて、ほぼ皆無でしょうし。

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