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[24026] Re3:「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/9/19 (月) 23:34:13 旧トルコ担当


すみません、返信が大変遅れました。
唐突に自身の考えを短くまとめられるようになったので、読みやすくはなっていると思います。

> > > 作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
> > > (昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)

> > 日本人が皆巨人ファンだった時代があったのは知っていましたが、

> 中日ファンの私が、一応指摘しておくと(笑)、
> さすがに、「日本人が皆」というのは大袈裟にしても、
> ライトなファンまで含めれば、「国民の半分」くらいは巨人ファンな時代がありましたね。
> (主婦層とかでも、巨人の中心選なら、、普通に何人も名前を挙げられるくらい)
>
> 十数年前までは、地上波で毎日のように巨人戦が放送されていて、高視聴率を取ってましたし、
> 特に男性の場合、コミュニケーション・ツールの一環として、
> 野球に関心が無い人でも、とりあえず巨人の情報は押さえておくという時代が長かったです。
> ニュース番組で未だに、巨人戦の試合結果が詳しく報じられるのは、その頃からの名残ですね。
>
> > 月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
> > 東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。

> 先日、小学生は「SMAP」の存在を知らなくて驚いたので(まあ、解散が6年前ですからね)、
> 「月9」に関しても、そんな感じかな?・・・と一瞬思ったのですが、
> でも旧トルコ担当さんの年齢を考えると、単に世間への関心が薄かっただけかも!?(笑)
> 確かに、5年くらい前は視聴率1ケタを連発していましたが、
> 10年くらい前までは普通に10%台後半を取ってましたし、今では2ケタを確保してるので。
>
> 一昔前の月9枠は、特に若い女性層向けで、
> 視聴率20%台(最終回は30%超)が当たり前だった当時は、
> 中高生だと恐らく、クラスの女子生徒の過半数は見ていた感じでしたが、
> でもまあ、逆に考えると、ちょうど旧トルコ担当さんが中高生だった頃、
> 月9枠は「暗黒期」を迎えていたので、クラス内でも話題になる機会が無かったのかも?
> (2018年を境に、従来の恋愛ドラマ路線から転換して、視聴率的には復調傾向)
>
> そういう意味では、旧トルコ担当さんの少し前くらいから、
> 「世間(クラス)共通の話題」という存在が、急速に失われた世代かも知れませんね。


これに関しては、私が世間(クラス)に関心が低かっただけという説が濃厚です。

> > > ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
> > > いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
> > > 情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
> > > 逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
> > > わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
> > > そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
> > > 早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。

> > 私の場合は、アニメや映画などを倍速視聴することは無いですが、ニコニコやYouTubeは基本2倍速視聴しています。
> > この手のパターンは割と多いのではないのでしょうか?

> でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
> アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
> まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
> だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。


ファスト化は情報収集の一環ではないですね。
ファスト化とか、タイパ意識っていうのは、俯瞰するとそういった言葉になるのですが、
それらの行為を個人の感覚としては「待てない」というだけだと思うんですよね。
この映画が、いつ面白くなるのか。面白いシーンまで待てないし、つまらないシーンは飛ばすし、
2時間の映画を飛ばし飛ばしで見てしまったとしても、サブスクなので他に映画はいくらでもあるというだけだと思います。

> > 何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。
> それは、そうでしょうね。
> 特にビジネスの場合、需要があってこその供給という面も強く、
> 「作品を当てたい」思いがあるならば、ニーズに合わせるのは常套手段なので。
> 例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
> 報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。


最近、カノッサの屈辱(テレビ番組)のテレビの歴史をYouTubeで見て、初めてニュースのワイドショー化という話を知りました。
私が生まれたころには既にああだったので、昔からそんなものだと思っていましたが、昔はもっとテレビも真面目だったんですね。

> > > > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > > > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> > > う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> > > 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> > > 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> > > ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> > > その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
> > > もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> > > 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?

> > 私は、そういった格差などの世知辛い現実を見ないようにしてきた人間なので、
> > 自信がないことが家庭環境の格差にあるのかは全く分かんないんですよね。
> > 昔の時代も知りませんし。

> まあ、これは旧トルコ担当さんの話を聞いた上での、私の仮説に過ぎませんけどね。
>
> それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
> 厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
> チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
> 目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
> 簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・
>
> 90年代から00年代前半に産まれ、不況下に育った「欲がない」若者層の事を、
> ネットやメディアでは、10年くらい前に「さとり世代」と呼んでいたのですが、
> この「悟り」の正体って、実は「諦観」なのだろうと、私などは見ているんです。
> だからこそ、学業にせよ、容姿にせよ、「こんなモノだろう」という所で妥協すると。
> で、そうした妥協点の高低基準が、分野ごとではなく、人ごとになっているから、
> 何でも持っている人と、何も持っていない人との差が、大きくなっているんじゃないですかねえ?


ああ、諦めというのはありそうですね。
それこそ、低い位置であっても"まあまあ"な娯楽がある分、努力してまで手に入れたいとか、思わなくなりがちですし。

> > > > ・若者の失恋離れ
> > > > これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> > > > ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> > > > が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> > > > 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> > > > かなり納得しました。

> > > まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
> > > 時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
> > > 世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。
> > > そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
> > > 日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
> > > ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> > > そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。

> > 個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
> > 未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、
> > 00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
> > 経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
> > 出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
> > 未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

> う〜ん、何だか話が脱線している気はしますけど、それは別に良いとして(笑)、
> この感じだと、経済と景気の違いが区別されていないと言うか、
> 経済の成長は社会のシステムを変容させ、それは出生率にも影響を及ぼすという、
> 大きな要素としては、「経済こそ主要因」と見なして良いと思うんです。


社会システムの変化まで「経済」として扱っていた、ということだったのですね。
わたし的には、社会システムの変化まで来ると経済ではなく「社会」のつもりだったので、景気論の話だと誤解していました。

> では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
> 「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
> https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
> 出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
> 出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
> その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?


私の意見も特別なものではなく、ごく普通の「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」という辺りだと思っています。
消えた第3次ベビーブームから既に約30年ですし、「なぜかられ彼女らが結婚を選択しなかったのか?」はインタビューなどできる内容ですので、
世間や学問の世界であまりに的外れな論が展開されていれば、当事者たちからそれは違うだろとなるはずであり、
よって今の世間一般の主流の考えが正解だと思っています。

> > > 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> > > 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> > > リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> > > 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> > > しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。

> > おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
> > 時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
> > 私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
> > 基本的には各種値が変化した時期と一致します。

> 「ソースが少女マンガなの!?」というツッコミはさておき(笑)、


ソースが少女マンガくらいしか無いんですよね。
管理人さんの話でいえば、オウム真理教をめぐる当時の雰囲気みたいな、
そういった空気感・価値観みたいなものが一番残らないものなので、
当時の結婚や恋愛をめぐる価値観を調べようとしても、なかなか信頼できる文献が無いんですよね。

> > 私が一緒にゲームしているおじさん曰く、
> さらりと書いてますが、どういう繋がりで知り合ったオジサンか気になる所(笑)。
> ・・・って、別にリアルではなく、オンライン上の話なのかな?
> ファミコン世代からすると、「一緒にゲーム」と言われた場合、
> イコールで「同じ空間を共有」と考えてしまうモノで・・・・


オンラインですね。
最近はDiscordでゲームしていますが、昔はスカイプ通話、もっと昔は掲示板だったそうです。

> > 最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
> 最近のトッドの著作は・・・あまり、まともに読んでないかなぁ?
> それこそ、「第三次世界大戦はもう始まっている」も、
> 本屋の立ち読み(斜め読み)で済ましちゃいました。
> 年齢の所為かも知れませんけど、正直、最近のトッドが書く内容って、
> フランス中心主義の主観的な感情論が多く、あまり得る所を感じないんですよね。
> 日本についての論評も、「相変わらずズレた事言ってるなぁ」って感じですし(苦笑)。


フランス中心主義というと、多文化主義の観点から、フランスの文化的同化政策を称賛してる件ですかね?
日本についてはまあ、「90年代に日本の結婚がキリスト教会で行われるようになったのは、日本の脱宗教化ではないか」
みたいなことを言っていて、ズレてますよね。(上記はゼクシイ等結婚雑誌の普及と、晩婚化に伴うカップルのお金持ち化が理由らしいです)

> > ・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
> > ・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
> > など、のことが指摘されており、
> > ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、

> 民主党が「資本家・インテリ層・黒人」の党へと路線転換したのは、
> もう100年以上も前の事なので、今更と言えば今更の話ですし、
> 国内人口比における有色人種、特にラテン系の割合が増え続けている昨今、
> 時が経つほど、民主党有利&共和党不利になるのは、既定路線として語られており、
> そうした流れへの悪あがきというか、最後のカウンター行動として、
> 極端だけど、団結させやすい、トランプのような論調が現れた部分はあるんですよね。


私が不勉強みたいですが、私のイメージではトランプ以前は民主党が貧困層より、共和党が富裕層寄りで、
トランプがそれを逆転させた、というイメージだったのですが、この辺も実態はもっと複雑なのでしょうか?

> > ・初等教育の普及が平等の潜在意識を与え、高等教育の(不平等な)普及が不平等の潜在意識を産む
> 階級社会の風潮が、未だに色濃く残るイギリスの大学制度、
> 一握りのエリート校と、その他とが極端に分かれるフランスの大学制度、
> 学校間の実力差を無くし、良くも悪くも平等が貫かれるドイツの大学制度など、
> 同じヨーロッパであっても、各国ごとに大学制度は大きく異なりますからねえ。
> ドイツを敵視し、フランスの視点でばかり語る、昨今のトッドの論調からすると、
> そうした欧州内での違いさえ、あまり念頭に置かず、語っちゃってるんじゃないですか?
> まあ、トッドが言わんとしていている所は、決して解らなくは無いですけども・・・・


これに関しては、全世界の、それも数世紀単位のマクロの話をしているので、
欧州の個々の教育事情をトッドが理解していない、というわけではないと思いますよ。
私が脱文脈化しているので、管理人さんに誤解させてしまったようです。

> > >  【Q.最も公正な分配基準は?】
> > >    2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
> > >    2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
> > >    2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%
> > > 日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
> > > 機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
> > > そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。

> > 相変わらず同書は斜め読みしただけですが、
> > 私の感覚だと、上記のデータは「まあ、そんなもんだろうな」という感じですね。
> > それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> > もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> > というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

> ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
> 「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
> 「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。
> 言い方を換えれば、自分の見えない所で、知らない内に、
> 可哀想な敗者が居る分には気にならないと言うか・・・実は、どこまでも利己的な感じ。
> 日本レベルの話とは言え、個人主義の強まりというのも、ここ十数年でかなり進みましたし、
> 近年は「公」が叫ばれる割に、逆に「公」への意識はかなり薄まったというか、
> 公私の分別が乏しくなって、私を公と称するケースが非常に増えている印象さえあります。
> 従来の「集団主義の中の個人志向」と、現在の「個人主義の中の集団志向」の違いとでも言うのか・・・・
>
> う〜ん、何と説明すれば、もっと伝わるのか、
> そもそも「平等」には、「(見知らぬ者への)助け合い」というのが、
> 暗黙の内に含まれているモノだと、私なんかは思うんですけど、
> どうも、ここで50%を超えている「平等」には、それが含まれてない印象を受けちゃうんですよね。
> 平等に扱って欲しい「自分」は念頭にあっても、平等に扱って欲しい「他人」は埒外と言うか、
> この「平等」には、血肉が通ったリアリティーを感じないんですよ、個人的に。
> 王陽明の「知行合一」じゃないですけど、思いと行動に差は生じるのは仕方無いとしても、
> 本当に今の若者層に、そこまで「思い」があるなら、実際の「行動」があまりに少なすぎて、
> だからこそ、私自身、この数字に対する引っかかりが生じているのかと?
> (「良い子症候群」という呼び名に しっくり来ないのも、この辺りの感覚が原因なのでしょう)


「可哀想な敗者を見るのが辛い」だけ、というのはまさしくそうだと思います。
私としては、割とそういう感覚が当たり前だと思っていたのですが、割と最近の個人主義的な感覚なんですかね。

> 恐らく、この引っかかりというか、違和感の正体というのは、
> 十数年前に、小泉政権が政治的な意図をもって、
> 日本社会に定着させた「自己責任論」が、大きく関わっていると思うんです。
> 私などは世代的に、自己責任論が唱えられる前の日本も、そう塗り替えられていく過程の日本も、
> 既に定着してしまった現在と同様、それらの日本社会の姿を、しっかり覚えているのですが、
> 定着後の日本しか知らない世代だと、この感覚はなかなか伝わらない気がするんです・・・・
> それが当たり前すぎて、何が おかしいとか違うとかが、なかなか実感できないと思うので。


政権が自己責任論を定着させるなど、そういうことって出来るのでしょうか?
多くの大衆はそもそも政治に関してあまり興味がありませんし、
そういった人々の価値観は言論というより、ライフスタイルや社会の雰囲気などで、ゆっくり変化していくものでしょうし。
まあ政策を決めるのは政治に興味のある層なので、政権が何か言えば、政治に興味のある人の間で論争がおこり、
自己責任論的な政治論調が強くなっていくというのはあるのかもしれませんが。

> もしくは、「平等であって欲しい」という思いの先として、
> 能動的に「平等にしよう」ではなく、受動的に「平等にして」って感じなのかな。


若者に関しては、まさしくその通りだと思います。
(とはいえ私も偏った人間なので、私の若者像もあまり信用できないですが)

> > 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> > 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> > 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> > そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> > 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

> いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
> より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・
>
> デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
> 探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
> 前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
> 一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
> 能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
> その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
> (この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)


これに関しては、私は完全に否定的ですね。
確かに、マニュアル依存というか、手っ取り早く、自分の頭で考えず、みたいな層が増えているというのも分かりますが、
例えば腐女子の人たちが日々得ている、推しカプのキスを見て脳内麻薬がドバドバ出るのって、快楽としてはかなり上位に位置すると思いますし、
それは手っ取り早く快楽を得られるから選ばれているだけではないと思うんですよね。
おそらく「推し」というのも、同様なのではないでしょうか?

私自身も、アニメのキャラで勝手に百合妄想とかしていると、その時の感覚は本当に人生で圧倒的に一番幸せを感じますし、
毎日のようにそういった感覚が続く腐女子の人たちは、本当に人生の質が違うんだろうな、と思います。

ちなみに、管理人さんのイメージしている「努力(費やした時間や労力)の差」による「アニメを楽しめるかどうか」って具体的にどういったイメージですか?

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