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[24050] Re:私から見る80,90年代返信 削除
2022/10/18 (火) 21:16:40 徳翁導誉

> 管理人さんの話を聞いていると、80,90年代というのはすごくパワフルな時代だったんですねぇ、としか思えないです。
あっ、それは確かに、そうでしょうね!!
何と言っても当時は、世界的にも「Japan as No.1」と言われて、
日本人の多くも、本気で「アメリカ越え」を狙っていた時代でしたから、
もう社会全体が、今とは比べ物にならないくらい、活気と自信に溢れていたのは事実です。
恐らくは現在の中国以上に、「行け行けドンドン」な感じでしたね、当時の日本と日本人は。

> 80年代に学校が荒れたのは、地獄の受験戦争をドロップアウトした組が、ある種のルサンチマンとして暴れてたというのも、
> 競争に負けてドロップアウトしたにもかかわらず、「まだ暴れる元気があるのかあ……」というのが正直な感想ですし。
> 今の世代であれば、受験戦争からドロップアウトすれば引きこもるでしょう。

「集団レイプする人は、まだ元気があるから良い。まだ正常に近いんじゃないか」という
太田誠一(元農水大臣)の発言を、何だか思い出してしまった(苦笑)。

まあ、それはさておき、暴れる元気があるというか、
同級生にせよ、兄弟にせよ、とにかく人数が多い世代ですから、
暴れでもしないと、誰も自分を見てくれないとか、
より派手に暴れないと、自分に注目が集まらないとか、そういう心理は確実にあったのでしょう。
そういう意味では、現在とは表現手段が異なると言うだけで、
その行動原理が「承認欲求」にあるという意味では、人間ってそれほど変わらないですよね。

逆に言うと、今は少子化の影響もあり、当時より遥かに1人1人に目が届く時代ですから、
だからこそ、「そのままだと埋もれるから、悪目立ちでも良いから目立ちたい」ではなく、
「そのままだと目立つから、悪目立ちしないよう埋もれたい」と、なるのかも?
でもこれって、結果としての行動は正反対でも、最初のスタート地点が異なるだけで、
人間の行動原理としては、似たり寄ったりな感じはしますけどね。

あとは、当時は今と違って、経済状況が良かったですから、
別に、受験戦争でドロップアウトしても、余程の道の外し方でもしない限り、
土木関係の労働者として、働き口は豊富にあり、それで人並みの生活を送れたので、
「俺も昔は悪くてさぁ」なんて毎晩飲みながら、それでも普通に家庭を持てる時代でした。
そういう意味では、現在の「ドロップアウト観」とは、大きく異なるのも事実でしょうね。

> アニメ版カイジ1期のED曲(https://www.youtube.com/watch?v=7F8xpgcw8oM)が、
細かいツッコミですが、これは「破戒録篇」なので、1期ではなく2期のエンディング曲ですね。

> 「あの娘は彼氏候補の男と グループでスノボに行った 残された俺たちはつぼ八で飲みました」という、
> モテないことへの屈折した感情を歌ってる曲なんですけど、
> 今だったらつぼ八で男だけで楽しく飲んで楽しい思い出で終わりそうです

個人的なイメージで言っちゃいますけど、
今の若い世代って、そもそも、集まって居酒屋とか行きます?
いや、もちろん行く人は行くんでしょうし、昔より頻度が減ってるだけかも知れませんけど、
ここ十数年くらいの間で、若者のファミレス離れや居酒屋離れが、かなり進んだ印象なので。
しかも、ここ2〜3年はコロナ禍もあり、その傾向が更に加速してそう・・・・

> ですがまあ私より若い世代は、小学生女子の読むマンガでさえ「両思い」ではなく「つき合う」らしいので、
> まだまだ私の世代は恋愛に夢や希望を抱いているのでしょうかね。

んん!?
この一文↓を何度も引用していたのは、旧トルコ担当さん自身なのでは?
> > > 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
> > > https://lee.hpplus.jp/column/2113728/

これって結局、例えば「オタク」という単語が、
「コア層」を指す言葉から、意味が拡大して、「ファン全般」を指す言葉へと変化したように、
「付き合う」という言葉も、意味が拡大して、「両想い」の状態も含む言葉となった・・・という話なのでは?
言うなれば、まだ恋人段階である彼氏や彼女の事を、旦那とか嫁と呼ぶ、昨今の感覚とも似た感じかと。
(オタクが「○○は俺の嫁」とか言ったりするのも、ここからの派生ですね)
要するに、単純に言葉の意味が拡大されたと言うよりは、
自分に対する「特別感」を演出したいが故に、敢えて一段高い言葉を用いる訳ですが、
そうした用法が多発される事で、次第に言葉の特別感は薄れてしまい、済し崩し的に意味が拡大される具合かな。

実際の所、小学生の「付き合う」って、具体的な「行動」として何を行うんでしょ?
それこそ昔は、好きと付き合うは明確な区別があり、「恋愛のABC」などと言われましたが、
(念の為に言っておくと、Aはキス、Bはペッティング、Cはセックスを指す隠語)
現在は、そこを分ける隔たりが、希薄になってきたというだけの話な気はしますね。

> 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
まあ「結婚」であれば、明確に契約ですし、法律的な効力が発生する為に、
それは一面において、「社会的関係」とも言えるかも知れませんが、
「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

それこそ、別に恋愛でなくても、「買い物に付き合う」みたいな表現をするじゃないですか?
例えば これが、阪神タイガースのファンの話であれば、
両想いというのは、お互いが阪神ファンである事を認識した状態の事を指します。
そして付き合うとは、「じゃあ今度、一緒に甲子園球場へ行こうか」みたいな事です。
同じファン同士、阪神についての会話をするのが楽しい・・・くらいのレベルは、
両想いだけど付き合ってはいない、みたいな感じですよね。
(両想いを付き合うと表現するのは、会話レベルまで「行動」の対象に含めるイメージ)
逆に言うと、別に両想いじゃなくても、付き合う事は可能なように、
別に阪神ファン同士じゃなくても、一緒に甲子園へ野球観戦に行く事は可能です。

> 私は「小学生のころからそんなに大人にならなくてもいいじゃん」なんて思うのですが、
> 私より下の世代からすれば、私の世代はパワフル……というより、イタいんのでしょうね。

つまり、上記の結論からすると、
私と旧トルコ担当さんとで、「オタク」という言葉の定義が異なるのと同じように、
旧トルコ担当さんと今の小学生とで、「付き合う」の言葉の定義が異なるのに、
そこを同一と捉えてしまうから、「そんなに大人に」という感想を抱くのでは?

いや勿論、時代と共に、子供たちの認識も、どんどんマセていくのは事実なのでしょうけどね。
それこそ戦前までは、「男女七歳にして席を同じうせず」みたいな感覚があったでしょうし、
戦後昭和の頃も、男子と女子の間に、大きな壁があったのは確かですが、
今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> 私の場合はちょうど中学生のころにLINEとスマホが普及し始め、
> そういった技術進歩による社会の変化を感じられて、歴史好きとしては面白い時代に生まれた半面、
> まだまだYouTubeではなくテレビに思い入れのある上の世代ともジェネレーションギャップを感じますし、
> 一方で小学生のころからLINEやYouTubeを使ってきた世代とも、大きなジェネレーションギャップを感じるんですよね。

まあ、生まれた時からネットがある「デジタル・ネイティブ世代」という意味では、
今の大学生も、小学生も、同じ括りになるのかも知れませんが、
20年くらい前はデジタル黎明期であり、ここ10年ほどでデジタル技術も飛躍的に進歩した事を思うと、
確かに、全く同じという訳ではありませんよね。

それこそ、再来年からは小学校でデジタル教科書が本格導入される予定ですし、
現段階においても、まだ平仮名の練習をしている小学1年生が、
ノートPCを開いて、先生から送信された学校の宿題をしていたりするのを見ると、
紙の教科書しか無かった世代とは、また違ってくるのでしょう・・・・
ちなみに、数年前の文科省の計画では、再来年度の共通テスト(旧センター試験)から、
キーボード入力での回答に移行する予定もありましたが・・・まあ、間に合わないでしょうね(笑)。
英語はTOEICやTOEFLに完全移行し、共通テストから英語科目を除外する予定も、現状では頓挫してますし。

とは言え、アナログしか無かった時代を知ってる私世代からすると、
デジタル世代間のギャップなんて、そこまで大きなモノとは感じませんけどね(笑)。
それ以上に、アナログ世代とデジタル世代のギャップの方が、遥かに大きいですから。

> もちろん、どの世代だってそんなものなのかもしれませんが、
> やはりここ十数年の技術進歩の速度は世界史でも有数の速さだと思いますし。

でも、それって、今後は更に凄いスピードで動くのでしょうけどね。
技術の進歩というのは、加速度的に勢いを増して行っていますから。
そういう意味では、これまでの10年より、これからの10年の方が速く、
これからの10年より、更にそこからの10年の方が速いはず。

あと、同じく「技術」と言っても、「発明的な技術」と「改良的な技術」とがあり、
社会に与えるインパクトという点では、前者の方が格段に大きかったりします。
そうした観点からすれば、確かに ここ10年ほどの進歩は大きいとは言っても、
それで大きく変わったのは、利便性や安さであったり、選択肢の数であったりが中心で、
「今まで出来なかった事が、何か新たに出来るようになったか?」と問われると・・・・

もう少し、解りやすい指標に置き換えるとすれば、
では世界史的に見て、今の人々は、過去の人々と比べ物にならないほど、
技術の進歩に「熱狂」しているか?となると、決して、そうとは言い切れませんからねえ。
そう考えると、絶対的な変化量ならまだしも、相対的な変化量として、今が本当に凄いのか否か?
例えば、100年後、200年後とかに、20世紀や21世紀を俯瞰的に歴史として見た際、
「2010年代の進歩は凄いな!」となるかとなれば、正直、そうはならない気がするんですよ。
身も蓋もない言い方をするなら、人類史的に「凄い時代だった」と言うよりも、
旧トルコ担当さんの個人史的に「凄い時代だった」という所に、落ち着きそうな感じがします(笑)。

> おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

いや〜、正直言って私には、
岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。
例えば、今で言う「推しが尊い」みたいな感覚は、80年代のアイドル文化にもありましたし。

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