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[24081] Re4:私から見る80,90年代(追記あり)返信 削除
2022/11/9 (水) 23:59:53 旧トルコ担当


> > > > > 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> > > > > チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

> > > う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
> > > 「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
> > > その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
> > > 結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

> > 例えば、付き合っているのに別の誰かを好きになれば、それは少なからず裏切りになるでしょうし。
> > あと、付き合うというのはその関係をオープンにすることであり、
> > 周囲のクラスメイトなどから、そういった扱いを受ける、というニュアンスも含まれています。

> あ〜、なるほど。 何だか解りました。
> これは以前にも話題とした、「便所メシ」世代の話と通ずる部分があるかも?
> こうした認識が、若い世代に共通なのか、それとも旧トルコ担当さん個人の感覚かは解りませんけど、
> そもそも恋愛というのは1対1の個人的関係であり、そこに第3者を交えるかは関係無いはずです。
> ですけど、周囲の目を気にする事が、無自覚の内に大前提となっているが故、
> 上記のようなニュアンスも含むと決め付けてしまい、「社会的関係」であると思い込んでいるのかも?
> 言ってしまえば、自分(たち)の常識が、必ずしも世間の常識とは限らないと言う話ですね。
>
> それこそ一昔前までは、中高生の恋愛って校則で禁じられてたりしましたし、
> であればこそ、実際に付き合っていたからと言って、
> その関係性をオープンにするとか、周囲に認知させるとか、そうした事はイコールではありませんでした。
> では、それは昔の話であり、今は違うのかとなると、必ずしも そうとは言い切れず、
> まあ中高生はまだしも、会社内とか大学サークル内とかの恋愛は、周囲に余計な気遣いを生じさせる為、
> 今の時代であっても、「隠れて付き合う」というのは、決して珍しい事では無いはずですよ。
>
> と言いますか、何度も繰り返すようですが、
> 付き合うというのは1対1の「個人的関係」なので、
> そこに第3者が介在するような「社会的関係」が、大前提では決して無いですからねえ。
> 解りやすく言えば、そういうケースも確かにあるかも知れませんが、それが全てではありませんし、
> 便所メシの件もそうですけど、飯を食うのに、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのと同じく、
> 1対1の恋愛に、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのは、正直あります。


岡田斗司夫が10年くらい前の動画で「今の若い世代は告白という儀式があり、付き合っているというのを周囲に宣言する
昭和の時代はそんなへんてこな儀式なんかなくて、付き合うというのは当事者同士が宣言するものではなく、周囲が勝手に認定するものだった」
というようなことを言っていて、気になったので調べたところ、確かに「きまぐれオレンジ☆ロード」では周囲が勝手に主人公とヒロインを付き合っている認定していたんですよね。

何となくその辺の感覚がよく分からなかったのですが、やはり付き合うにしても周囲の視線を気にしすぎる世代なんですかねえ。
まあ隠れて付き合ってる的な感じもそりゃ今だっているでしょうけど(大学のサークルとか職場は特に)、
中高生くらいの恋愛と言えばオープンなのが当たり前というか、ひっそり付き合っているのは、何かおとなしめのタイプというイメージですね。
少なくとも恋愛マンガの題材にはなりにくそう。

> 今は解りませんが、部活の先輩を「くん付け」などしたら、折檻モノでしたね。
> とは言え、私も「男子には くん付け、女子には さん付け」を当たり前に育った世代なので、
> 正直な所、あまり詳しくは知らないと言うか、変化の体験談みたいなモノはありません(笑)。


私の時は部活の先輩に君付けはあり得ませんでしたよ。
とはいえ、管理人さんの話を聞く限りでは、今の小中学生はまた色々と違うようなので、これに関しては分かりませんが。

> > > 今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
> > > 一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
> > > 異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> > 確かに私も異性の友達が当たり前の世代ですので、友達の延長線としての異性関係というのも非常になじみ深いので、
> > だからこそ、「両想い」ではなく「付き合う」という言葉が当てはめられているあたりに、あ〜あという気がするんですよね。

> まあ私は昭和世代なので、私が子供の頃は、
> 男子と女子が仲良く話すだけでも、冷やかされたり馬鹿にされたりした時代だったので、
> 正直言って、男女の間には壁があるというか、
> ぶっちゃけて言うと、「敵対関係」「冷戦状態」みたいな感じでした(笑)。


確かに、小学生中学年くらいのまではそんな雰囲気ありました。

> そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
> 逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
> 言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?


根拠はないですけど、それはありそう。
「俺ガイル」だってその辺がテーマですし。

> > > > おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
> > > エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
> > > と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
> > > 却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> > いや世間一般からすればずっとキモかったのでしょうけど、オタク層の年下世代からもそう思われるだろう、ということです。
> > これはエヴァに限らず、その後のセカイ系や今のなろう系、あるいは萌え系そのものも含めて、
> > キモイと言われるだろうということなんですよね。

> 例えばセカイ系なんて、今では新海誠が「国民的なアニメ監督」となってる時点で、
> キモいと言われる所か、エヴァ以上に「一般化」してしまった印象すらありますけどね(笑)。
> 萌え系にしても、どこも かしこも それ系のマスコット・キャラが作られていますし・・・・
>
> って、それはさておき、オタク内での話であったとしても、
> やはり、エヴァがキモくて イタいのは、当時からだと思いますけどねえ(笑)。
> 旧劇場版における最後の台詞も、「気持ち悪い」という一言であり、
> それは、アスカからシンジに向けられたメッセージであるだけでなく、
> 庵野監督からオタクたちに向けられたメッセージでもあるのでしょうし。
>
> あと、時代や世代が変われば、評価だって様変わりするのも、当然と言えば当然の事で、
> 我々人類の文化は、そんな事を何度も繰り返してきてますから、
> 当時と現在だけをピックアップして、そこに特別な意味を込めさせる必要も無い気はします。


時代変化で作品の評価や受け取られ方が変わるのは当たり前ですけど、
やはりいざ自分の好きな作品やジャンルが衰退するかもしれないという恐怖を感じると、冷静ではいられないですね。
交通事故で死者が出るのは仕方ないことだと皆考えていますが、いざ自分が交通事故にあって障害が残るようなことになれば、そうは思わないでしょうし。

> > > > 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> > > > 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> > > > それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> > > > おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

> > > いや〜、正直言って私には、
> > > 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
> > > 何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。

> > 岡田斗司夫のホワイト革命論も、「先生、みなの前でほめないでください」も、
> > 私としては「あ〜あるある」というのが多分に含まれていたんですよね。
> > 私は「スカッとジャパン」みたいなものが凄く嫌いなんですけど、
> > 岡田斗司夫のホワイト革命論に触れるまでは、私だけの個人的なものだと思っていましたし。
> > 今の世代にとって「スカッとジャパン」みたいなものは朝鮮人差別や中国人差別に近いので、
> > 若者から嫌われたくない年上の人は絶対見るのやめた方がいいと思うんですけど、その辺の理解が進んでいないんですよね。
> > 私としては、それがちょっと年上の世代の人を見ていて、ちょっとかわいそうに思えるんですよね。

> う〜ん、腑に落ちる感覚がして、スカッとするのは別に良いのですが、
> その快楽に呑まれると言うか、確証バイアスみたいな感じで、全てを色眼鏡で見てしまい、
> そこを指摘されると、自らを省みるより、相手が間違っていたり、認識不足を疑うのは、
> 思考の構図として、陰謀論などにハマるのと大差ありませんし、
> それこそ対象や方向性が異なるだけで、嫌韓反中やQアノンと変わりませんよ・・・・
> そうした事に、どれだけ自覚を持ててますか?
>
> 似たような内容の話は、これまでに何度も行っていますけど、
> 自分の中で腑に落ち「なるほど!」と思えた場合こそ、自分の中での反証が重要なんですって!!
> 「あれも当てはまる、これも当てはまる」と、都合良く証拠を追い求めてしまうと、
> 無自覚なまま、1しかないのに10に見えたり、当てはまらないモノは視界の外に追いやったり、
> そうしながら、これが正しいと思い込んだ結論に、ハマってしまいがちなんです。
>
> 例えば、それこそ、この論法を用いる事により、
> 「スカッとジャパンが人気だったのも、ホワイト化の現れ!」と見なす事だって可能です。
> ですが、この場合、旧トルコ担当さんの中で「この番組は嫌い」という感情がある為、
> 「これは当てはまらない」と、なるのでは無いでしょうか?(笑)
> で、もしも実際、そう思われたとすれば、
> それは何よりも、「ホワイト革命を恣意的に適用」していた証になろうかと。
> 要するに、あの番組内容にハマれずムカっとすれば、それを嫌う事がホワイト化と映るでしょうし、
> 逆に ハマれてスカッと出来れば、汚いヤツを裁く痛快劇としてホワイト化の象徴のように映るはず。
>
> また、イヤミ課長役で人気を博した木下ほうかの、若手女優への性的強要が発覚した際の反応を見ても、
> 一定の若者人気(特に女性層)がある番組なのは感じ取れてましたから、
> 「中高年が好んで見ていて、若者は好まない番組」と決め付けているのは、正直 違うと思いますよ。
> この部分に関しても、自分中心の視点で物事を判断しがちな傾向が顕れてませんか?
> 私からすると、「特定の世代」を反映してると言うよりは、「今の時代」を反映してる番組だと感じます。
> ちなみに、一応 念の為に言っておくと、
> 「スカッとジャパン」は視聴率の低迷により、既に半年前に番組終了してますね。
> あと、最後に言っておくと、あの番組は私も好きじゃありませんでした(笑)。


管理人さんの言うことも分かりますし、
私も「仮説ですが」とか「私の知っている限られた情報から判断すれば」とか、ちょくちょく入れているんですよね。
とはいえ、私が(世代論など含め)歴史や社会科学が好きなのは、管理人さんの言うところの「腑に落ちる感覚がして、スカッとする」があるからなので、
この感覚のために時間を使って本読んだり色々考えたりしてるので、それを辞めるとなると歴史の勉強なんてやってられるか、みたいな気持ちはあります。
飲まなきゃやってらんねえよ、みたいな感じで。

私も自分の信じている仮説って本当に正しいのだろうかと不安になることはありますし、
なんなら最近は、勉強しても勉強しても、むしろ勉強すればするほど、「自分は何もわかっていないんじゃないのか」という不安が大きくなり、
正直歴史を勉強するのがしんどいんですよね。(そんなに本読んでないだろというツッコミはナシでお願いしますw)

私にとって岡田斗司夫が面白かった理由は、この"分かる感覚"を岡田斗司夫が簡単に与えてくれたからであり、
ある程度の論理性と、非凡な発想力、そして少し変わった表現力と、自信満々に断言する傲慢さが合わさり、奇跡のように"分かる感覚"を量産した人なんですよね。
とはいえ、岡田斗司夫は自分の仮説が外れても全然恥じない厚顔無恥の人間ですし、やはり胡散臭い人間ではあるのですがw(この辺も含めてあれは才能ですねw)

あとはまあ、結局は(社会)科学の力をあまり信じていないというのもあるのかな。
2015年の時点でアメリカがあんなことになるなんて予測していた人は少数派でしたでしょうし、
歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
(歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)
まあ、学問自体に期待していないので、私が多少科学的じゃなくても、どうせ学者だって似たり寄ったりだろ、みたいなことも"極論"思うようになりました。
反知性主義といわれるかもしれませんが、そのくらいの距離感が社会科学に対する丁度よい距離感なのかな、と。

1調べて「なるほど」と満足するのがダメで、
10調べて「分かった」と感じるのがダメで、
100調べても詳しい人を名乗ってもだめなら、
どれだけ調べれば私は気持ち良くなっていいんですかね?
数学はもうだいぶ忘れていますが、これって確か数学的帰納法じゃありませんでしたっけ(調べたら全然違いました)。

一応、私も200冊オタク関係の本を読んだ経験から、「テーマ史で新たな視点を獲得する」という方法論は持ち合わせています。
例えば戦後日本史は、「戦後日本史」的なタイトルの本だけ読んでいると、どの本にも「敗戦→高度経済成長→バブル→失われた30年」みたいなおなじみのパターンの話しか出てきませんが、
これを少女文化史とか、学校文化史とか、子ども文化史とか、そういったテーマ史で調べると、全然違った視点から戦後史を見ることができました。
あとはまあ、200冊読む過程で、最初に建てた仮説がいかにお粗末であるか、30冊くらいの時に建てた仮説がいかにピントがずれているか、を身をもって体感しましたので、
何事も何かを言い切るほどの傲慢さは持てなくなりましたね。
結局は、真実が知りたければ史料(表現が大げさ)に当たるしかないですし(なのですかっとジャパンは若者にも人気みたいなことを積み上げていくしかない)、
そして結構な時間を使って色々当たったとしても、当事者からすればまだトンチンカンなこと言っているレベルにしかならないのは、
それこそ管理人さんの書き込みで痛感しましたし。(みんな当たり前のことは文章にしないので、当たり前のことほど分からないんですよね)
そういう意味で、本当に200冊のオタク関係の本を読むという経験は非常に勉強になりました。

> > 「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
> > 私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、
> > 会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
> > これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

> 実は、「皆の前で褒めないで」というのが、
> 意外と曲者というか、深いモノがある気がします。
>
> SNSにおける、異様な承認欲求の高さなどとも通じるのですが、
> 決して「褒めないで」ではなく、あくまでも「皆の前で」なんですよね。
> つまり、物凄く褒めて貰いたい、認めて貰いたいという感情が、
> 根源的な部分には、見え隠れしていると(笑)。
>
> そして更に言えば、皆の前で褒められるのが、本当に嫌なのかというと、
> きっと恐らくは、褒められたくない訳では無く、それ所か内心では褒めて欲しいのが本音なのに、
> 期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など、
> その事で他者から負わされる諸々の事を、負担に感じるというか、請け負える自信が乏しい為、
> メリットとデメリットを秤に掛けて、逃げの方向に回避したくなるのが、実際の所なのでは?


これもそうですね。
何を今さら感が私にとっては強いのですが、当事者じゃないというのはそれだけ分からないということなんですよね。

追記
管理人さんの文章に引っ張られて、よく考えずに書いてしまったので訂正します。
若者は褒められたくないというのが私の私見です。
もちろんSNSなどの承認欲求というのもありますが、身近な人か好かれたい・嫌われたくないというのが若者の関心事項であり、
大学の教授に褒められるというのは、苦痛でしかないと思います。
また、仮に相手が身近な人であったとしても、褒められたいというよりも、その欲求というのはもっと消極的に存在を認めてほしい、程度であって
褒められたい、というのはやはりパワフルさというか、意識の高さみたいなものを感じます。

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