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[23935] Re3:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その1)返信 削除
2022/5/4 (水) 21:38:37 徳翁導誉

▼ 考え方、意見交換の意義について
> > あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> > 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> > 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> > その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> > 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> > 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> > その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> > まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。

> そうなのですか。
> 私の考えとしては、「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」といいますか、
> 「互いに情報を共有すれば、相手がどうしてそう考えるのか、理解しあえるはず」というように考えています。

物事の対象次第ですけど、まあ論理的には可能かな?
とは言え、人間には、感情や能力の側面も絡みますし、
完全に情報を共有させる事自体、そもそも現実的には不可能ですからねえ。
それこそBLEACHでも、藍染が言ってるじゃないですか?
「憧れは 理解から最も遠い感情だよ」と(笑)。

それに、「理解しあえる」と本音の部分では、
「相手を理解できる」事よりも、「自分を理解してもらえる」事への望みが伺えるので、
その姿勢のままでは、恐らく、理解し合える事は無いでしょうね・・・・
逆説的に言えば、自分を理解してもらいたい願望を捨て去る程に、
相手への理解が深まる傾向があると言えますし。

> > あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> > 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> > 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> > その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> > 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> > 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> > その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> > まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。

> ああ、まあ、管理人さんの指摘も分からなくは無いです。
> 同じ情報を得たとしても、見解が変わって来るのは当然であり、
> 「自分と見解が違う→これは、持ってる情報が違うからに違いない、同じ情報を得れば、同じ見解になるはず」という思考では、
> 相手の理解をする努力が全くされていないと。
> それでは、堂々巡りだよね、ということですよね?
> とはいえ、ハッキリ言わせて貰えば、それは誤解です。
> 私は管理人さんの文章を何度も読み返していますし、
> それでも尚理解できないから、「私にはこう見えていますよ、私はこう思うのですが、管理人さんはどう思われますか?」

ハッキリ言って、「それは誤解です」というスタンスから始まってる時点で、
「私は1歩も動くつもりがありません!」と宣言しているようなモノですから、
もうそこで、私が旧トルコ担当さんへ同調しない限り、「堂々巡り」確定なんですよね・・・・
そんな態度では、私がどれだけ言葉を費やした所で、その内容が理解できる事は無いですから。

> という意図で自分の主張とその根拠を繰り返し別の角度から書いているんですよね。
いや、私から見ると、別に角度は変わっていないんですよね。
と言いますか、より厳密に言うと、変えるべき角度の部分が そもそも違うと言いますか、
だからこそ例え話で、2次元がどうの、3次元がこうの・・・と述べた側面があります。
同じ座標に居たまま、角度だけを変えるのと、
座標を変える事で、自然と角度も変わるのとでは、まるで異なりますからねえ。
恐らく、こういう話をすると、「抽象的すぎて解らない」と言われると思うので(笑)、
まあ別に、この話は、聞き流してもらって構いませんけども。

> > その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> ここでいう「立ち位置や状況」ってどんなものを想定されているのでしょうか?
> 抽象的な指摘だと分からないので、具体例があると非常にありがたいです。

具体例も何も、そもそも、それが「俺ガイル」や「ホワイト革命」の感想の話じゃないですか!?

> 管理人さんの言い方ですと、まるで議論しても意見が一致することは無いから、意味がない、みたいな印象すら受けます。
う〜ん、どちらかと言えば、因果が逆かな?
まあ別に、議論の目的として、「意見の一致」など求めてはいませんけど、
少なくとも、「意見の理解」くらいはして貰いたいなと思って、話し合いをするのですが、
最初から「結論ありき」なのであれば、そもそも話し合う「意味がない」とは考えていますね、私自身は。

って、こういう事を言うと、大体は「結論ありきじゃないよ!」という反応が返ってくるのですが、
「自分の認識を常に疑う」事が出来ていない人の場合、
自覚できてないだけで、結局は結論ありきで考えがちなんですよね。
信じたい場合は疑って掛かり、疑いたい場合は信じて掛かるというのが、
「背理法」を用いた、論理的な思考法であり、
これが行えていないと、最終的には感情論に行き着いてしまうので。
とは言え、こんな思考法で物事を見ている人の方が、少数派である事は解っています(笑)。
まあ世間的には、論理よりも感情で動くケースの方が圧倒的に多く、それが悪いとも思っていませんし、
私自身も、自分の理系的な人格が論理的なだけで、アート的な人格の方は世間以上に感情的なので(苦笑)。

> > まあ、最近の長文癖の悪化は、自分自身も「酷いな」と感じてますので(苦笑)、
> > 返信はいつでも結構ですし、全てに返信しようと思われなくても大丈夫ですよ。
> > 以前までは、投稿文を読んで、頭に浮かんだ内容の2〜3割を返信文に起こしてたのですが、
> > 最近は、ほぼ無編集に9割方、読んで思い浮かんだまま垂れ流してる感じ・・・・

> 長文は全然構わないと言いますか、むしろ大歓迎なのですが、
> 問題は管理人さんが自分でしか分からない文章になっていることだと思うんですよね。
> 例えば、管理人さんがAという情報を見てBということを考えた際に、
> 掲示板ではA→Bという発言になるのですが、脳内ではそのAとBとの間に、暗黙の思考としてCやDが隠れていると。
> 前の文化の衰退の話の時も、文化の幅というキーワードが出て来るまで、全く管理人さんの主張って分かりませんでしたし。

正直言ってしまうと、ここ最近、私の文章が以前にも増して長文化しているのは、
半分以上、旧トルコ担当さんの影響というか、所為なんですけどね(苦笑)。

このサイトを始めて、既に20年以上が経過してますけど、
容量オーバーで返信が分割になったのは、それ以前に3度しか↓ありませんでしたが、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20420#20420
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23343#23343
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23555#23555
前回の雑談スレッド以降、分割投稿が頻発しちゃってます(笑)。
「解らない、でも解りたい」とか、「深い話や、当時の話を知りたい」との事だったので、
それまでは読みやすさを優先して、カットしていた部分や、触れなかった話題などを、
出来るだけ情報量を増やすべく、削らなくなった事で、自分でも収拾が付かなくなってしまったと。

そういう意味では、本来なら もっとポンポンと間を飛ばす所も、冗長的に書くようになりましたし、
あまり適当では無いかも知れない例え話も、理解の助けになればと、付け加えるようにしたんですけどね。
まあ、例え話の増加に関しては、却って意味不明にさせてしまった面があるかも知れませんけど(笑)、
基本的には例え話、何となくイメージが共有できるモノだけを摂取して、
ピンと来ないモノに関しては、そのままスルーする方がベストな気がします。
コチラとしても、ピンと来なかった例え話まで解説するのは、正直キツい所がありますので・・・・

ちなみに、それでも話が飛んでいる事があるとすれば、
そこの詳細に関しては、以前にも同様の事を述べている事が多いですね。
正直な所、私は同じ説明を3回以上繰り返すのが好きじゃ無いというか、美しくないと感じており、
そういう場合は、言い換えを行ったり、詳細を省いたりする傾向は、確かにあるかと思われます(苦笑)。
そこは悪癖として、リアルでも時々問題になるので、一応 気を付けてはいるのですが、
雑談スレッドで それを行うと、更に長文化してくるので、あまり行いたくない所もあったりするかな?

相手側が どこまで解ってるかが解らず、ことごとく説明を入れていくと、結局 解り難くなりますし、
ぶっちゃけた話、「何が解らないか」を示してもらうと、こちらも詳細に説明できるのですが、
何が解らないかが解っている「無知の知」って、意外とハイレベルで身に付き辛いモノであると!!
もっと言うと、厳しい話をすれば、旧トルコ担当さんの「解ります」発言は、
私から見ると「解ってない」と映る事が、しばしばなんですよね・・・・
実例として出された「文化の幅」の件も、私の中では「結局 伝わらなかったな」という認識になってますし。

> 我ながら生意気だなあw
別に、生意気だとは感じてませんよ(笑)。
ネット上・・・というか、このサイト内だと、皆さんから どう見られているか解りませんが、
少なくともリアルの私は、上からは恐がられる反面、下からはナメられるタイプの人間なので(笑)、
この程度では、自分の方から「生意気」なんて単語自体が、頭の中に浮かんでは来ませんから。

> 後は、今回のホワイト革命の動画の後半部分を追加で説明したのは、私が最初にホワイト革命の話を聞いたのが有料の別動画であり、
> 管理人さんにリンクを貼った動画だけを見たのでは、印象が異なるかもしれない、と思ったからなんですよね。
> 岡田斗司夫って、たまに前後半セットの動画を、前半だけ無料公開することがあるので(前半だけ見せられた視聴者は何の話なのか分からないはず)、
> 今回もその手の動画であったことを後から思い出したので、細く説明として後半部分を追加で説明したんですよね。
> といいつつ、まあそんなことは管理人さんも分かってるんですかね?

少なくとも、私の中では、そういう認識かな?

> その上で、また足りねーよ、ということなのかもしれません。
で、本音を言うなら、「足りねーよ!」ではなく、「もう充分だろ?」って感じかと。
「一を聞いて十を知る」じゃないですけど、
限られた情報量であっても、そこから意図を読み取ろうとする習慣が身に付いてますからね。
そして、更に情報の追加を求めているのは、
岡田斗司夫の主張ではなく、旧トルコ担当さんの主張を知りたいからなんです。
「あの人は、こう言っていた」なんて伝聞情報だけでは、会話のキャッチボールが成立しないですし、
「自分は、こう信じる」という話になると、「ああ、そうですか」で話が終わってしまうので。

> > もう少し解りやすく説明すると、人はそれぞれ独自の視点を持っているモノであり、
> > 同じ状況下でも、AさんにはAの、BさんにはBの、CさんにはCのモノの見え方の違いがあるんです。
> > ですから普通は、「自分的には こうだ」という認識はあるにしても、
> > 「あの人的には ああだろうし、この人的には こうだろうな」という想定を行うものなのですが、
> > どうも旧トルコ担当さんの場合は、「自分的には こうだ」に続いて、
> > 「だから、あの人も、この人も、そうだろう」と、ついつい見てしまいがちな傾向が見受けられます。
> > 恐らく本人的には、「いや、そんな事はないよ!」って感じだとは思いますが、
> > これはもう、20年以上サイトを続けてきて、多くの人達と触れ合ってきた上での、私なりの実感ですね。

> 「そんなことないよ」とは思ってませんよ。
> 私は頑固者ですし、自分の考えを曲げたことは、おそらく人生で一度もありませんw
> とはいえ、相手の説明を聞いて「自分の考えが違ったな」と思うことはありますし、逆に言えばそう思うまで考えを変えないと。

ですから、そういう所の話ですって・・・・
正直言って、私だって世間的に見れば、かなりの頑固者ですよ(笑)。
でも、頑固者である事と、異なる視点で物事を見る事とは、全く別の話です。
頑固であるのと、偏屈であるのは、一見似ているようでも、まるで異なりますからねえ。

もう少し言い方を換えるなら、別にいきなり、意見を変える必要なんて無いんですよ。
変えるのは見解ではなく視点であり、それも恒常的にではなく一時的で良いんです。
要するに、一時的に相手の視点に立ってみて、そこから異なる景色を認識し、
そして再び、元居た場所へと戻ってくれば良くて、
その時に多少なりとも、以前よりも全体像が異なって見えたなら、
意識的に意見を変えるのではなく、自然と意見が変わってるモノなんです。

簡単に言えば、シミュレートしてみるって事ですよね!
例えば、将棋や囲碁をしていて、自分の側から「ああしよう、こうしよう」と考えるだけでなく、
時には相手の側から、「もしも自分を攻めるなら」という見方をしてみる事で、
自らの弱点であったり、相手の狙いであったり、そうした全体像が見えてくると。
逆に言えば、自分側の事ばかりに目が捕らわれていると、勝てる勝負も落としてしまいます。

って、旧トルコ担当さん向けに、岡田斗司夫の言葉を借りるなら、
どこかの動画で見掛けた「脳内学級委員会」の話に近いですよね。
漫画のネタを用いるなら、「秘技マサル会議」です(笑)。
つまりは自分の脳内に、リトルひろゆきだと、様々な別人を飼う事で、
自分と異なる複数の視点を確保して、同じモノでも多角的に捉えるという話です。
とは言え、それらはあくまでも参考意見であって、中心となるのは自分自身である事は重要!!

ですけど、旧トルコ担当さんの現状は、何と言いますか、
リトル岡田斗司夫だけが頭の中にいて、しかも主導権まで握られている感じとでも言いますか、
そうなってしまうと、「そんな事はないよ」と思っていないと言っても、結局は同じ事なんですよ。
また、時には意見が変わる事があると言っても、それは視点が変わるのではなく、見る対象が変わる感じで、
言うなれば、リトル岡田斗司夫から、リトル・ホリエモンに乗り換えたとか、そういう感じになるような気がします。
でもそれって、本人的には大きく変わった認識でも、他人から見れば大して変わってないように見えると・・・・
「自分の事場で語りましょうよ!」と、口うるさく言うのも、
「判断の主導権を自分に取り戻せ!」と言っているのと、基本的には同義ですね。
とは言え、今回の返信を読むと、それは旧トルコ担当さん自身が望んでいない印象も受けるかな?

> 正直言えば、掲示板でやり取りをする中で、管理人さんの話をちゃんと読めていなかったな、読解力が足りていなかったな、
> とは思っていますので、前に比べれば、今の方が実はまだ、聞く耳としては改善されていると思います。
> とはいえ、私の根底には、「見解が異なるのは、持ってる情報が違うからだ」という考えは依然強いですし、
> だからこそ「互いに持ってる情報を全部出せ」という発想になるんですよね。

では仮に、同じ情報量を得れば、同じ認識になると仮定して、
情報処理能力が同じで無かったとしても、その仮定は成り立つのでしょうか?

> > もう少し解りやすく言うと、Twitterを含めて、SNSというのは単なる1つの道具であり、
> > 道具である以上、使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノなんですよ。

> 道具が考え方を変えることもあるんじゃないんですか?
> テレビは一番最初、自宅映画館としての使用法が想定されていらしいですが、
> 後に家で見るのに映画みたいな長いものは向いていないということが分かり、
> 今のバラエティ番組を寝っ転がってだらだら見るというスタイルが確立されましたし。
> 印刷術が識字率の爆発的増加を起こし、新聞がナショナリズムを作ったことは、人類の歴史に決定的な影響を与えましたが、
> それも初めから想定されていた使い方、というわけではないでしょう。

それでも、テレビは映像と音声で、新聞は文字で、情報を伝える根幹部は変わりませんし、
どれだけ視聴者や読者の意見を採り入れようと努力しても、基本的には一方通行な配信メディアです。
ですから、双方向で やり取りしようとか、情報伝達以外の利用をしようとかしても、
あまり上手く行かないと言うのが、「そんなに使用用途を逸脱しない」の意図ですね。

これは以前にも用いた例なので、繰り返し用いるのは避けたかったのですが、
例えばTwitterとかは、「ネット上の拡声器」であると、私は考えているんですよ。
拡声器というのは、1人が大人数に話す際には便利ですし、
開けた場所で、遠くの相手と言葉を交わす時などにも、使えるかも知れません。
しかし一方で、近くの人と会話をする際に、拡声器なんて使っても邪魔なだけですし、
同じ空間で、同時に複数の人が拡声器で話すと、うるさくて話の内容なんて頭に入ってきません。
そういう意味では、拡声器が使用される場面って、その機能的に自然と集約されてくると。

で、それはTwitterにおいても、同じ事であるという話ですね。
みんなでワーワー騒いでいても収拾が付かないので、敵と味方に分かれて次第に収束していき、
また別の揉める題材が現れると、その度に離合集散を繰り返していく感じでしょうか?
まあ、それ自体は、Twitterの開設当初から変わっていませんし、
利用人数が増えた事で、自らも当事者となる確率が、自然と高まったくらいの話かな。
その繰り返しに辟易して、Twitterからは去ったとしても、
ネット自体には留まって、また別のSNSなりアプリを使っていれば、それは大局的に同じ事ですし、
人間社会には必然的に、そうした需要が一定数あるからこそ、結局は逃れられないんですよね。
そんな事が可能であるのなら、そもそもTwitterなどのSNSが、ここまで流行はしなかったはずなので。

> > 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。
> メタ視点だと、どんな感じで見えるのでしょうか?

一言で言ってしまえば、「エコー・チェンバー」や「フィルター・バブル」の事ですね。
SNS利用者の感覚からすると、「確かに、そう見えるのだろうな」と思えるのですが、
SNS全体を俯瞰的に見れば、「それだけじゃ無いでしょ」と映るという感じです。

局地的な現象としては、決して間違った認識はしていないと思いますけど、
森の中では木だけが見えて、森自体は見えないというか、
より具体的に言えば、「正義の共通見解ができた」などというのは幻想であり、
実際は、掲げる正義ごとにブロック化が進んだだけ、という話ですね。
まあ利用者ごとに、そのブロック化の程度は異なるのですけど、
SNSのデータ的に見ても、そうした傾向は普通に見て取れます。

また、SNSの世界にも、サイレント・マジョリティはあるでしょうし、
そんな誰も彼もが、意見を一致だなんて、現実的には出来ませんよ・・・・
ただ単に、2chよりもヤフコメの方が、ヤフコメよりもTwitterの方が、
それが見辛い仕組みというか、見易いように人為的に整備されているだけの話であり、
整備された中から視点では気付けなくても、他が存在しない訳でも消滅した訳でも無いと。

> > まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
> > そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
> > 現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
> > 俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。

> どんな視点なのでしょうか?

例えば、富士山について語る時に、
静岡側から見れば、裏側にある宝永火口は見えませんし、
山梨側から見れば、海越しの姿は見えません。
なので、富士山の全貌を知るためには、ぐるりと1周する必要があるのですが、
常日頃から富士山を見ている静岡県民や山梨県民は、いつも見ている為の固定観念から、
「富士山はこうだ!」と、1面だけの姿を、まるで全てであるかのように誤解しがちって事ですね。
そして、例え富士山を1周したとしても、山頂にある火口の中の様子は解りませんし、
そうなると、本当に富士山の全貌が知りたければ、高さを含めた3次元で見る必要があり、
時には、近景や遠景の違いや、時間帯や季節の違いなども、考慮が必要になってくると。

まあ、そこまで行かないにしても、仮に富士山を1周していれば、
静岡側から見た富士山の景色も、その人は理解する事が出来ますけど、
静岡から動かず、宝永火口を見た事がない人には、
幾ら富士山を見た回数は多くても、別の富士山の姿を思い浮かべられないみたいな話かな?
その場に止まったまま、何度理解しようとしても、それはやはり難しいですよね。
結局は、自らが動いて視点を変えてみないと、見えないモノは基本的に解らないんです。

って、これは単なる例え話であり、
「いつもと異なる視点から物事を見よう!」というだけの事なんですけどね、主旨としては。

> 正直、管理人さんって言いっぱなしというか、
> その時文章を読んで自分が感じたことをそのまま描いただけってことが多いと思います。

まあ最近は特に、読んだその場から書いてますので、その傾向は否定できないと思います(苦笑)。
とは言え、もともと私の中に考え方の軸のようなモノに、沿いながら書き進めているので、
話のたびに、言っている内容が変わるという事は、ほとんど無いとは思っていますよ。
もしも違って見える事があるとすれば、それは見る角度を変えてみたり、
前提条件を変えてみたりして、語っているケースがほとんどかな?
自分自身の考え方を大きく変える際には、言い訳じゃないですけど、一応 表明はしていますし。

> まあ私の理解力が低いのも事実ですし、私に理解する気がないのかもしれませんが、
> 私としては管理人さんの文章は毎回3回以上は読み返していると思いますし、

う〜ん、そもそも繰り返して読むような、大層な文章を私も書いていませんし(笑)、
もっと言うと、それ以上に根幹的な部分で、話が噛み合っていない印象がありますから、
「解らないから」と、何度も読み返す行為は、正直あまり効果的では無いかも?
何と言いますか、論理的と言うよりも、もっと感覚的に理解してもらおうとして、
無題に長文化している側面も、あったりしますからねえ・・・・

> 返信もかなり推敲して文章書いてるんですよね(してないときもありますが)。
> って私がこれだけ苦労してるんだkら、そっちも多少は報いろ、なんて論理はネットでは主張することではありませんが、
> 本当にもうちょっとだけ詳しく説明してもらえればうれしいです。

こう言っては何ですけど、通常なら全返信を一晩くらいで書き終える所を、
旧トルコ担当さんへの返信があると、それだけでプラス一晩 費やすと言うか、
だいたいは、その都度、読書予定の時間を潰しているのが現状ですし、
もともと長文な上に、なかなか会話のキャッチボールが成り立たない為、
同じ文章量でも、恐らく通常返信の2〜3倍くらいの時間を掛けて、というか掛かって、
こちらも一応 苦労しながら、返信を書いてはいるんですけどねえ・・・・
まあ、それでも確かに、私自身も至らない返信内容になっている自覚はありますし、その点は申し訳なく思っていますが。

> 枝葉末節の論はどうでもいいので、
> ひとまず「使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノ」
> 「俯瞰的な、3次元の視野で見えてくるもの」については非常に興味あるので、
> ヒントをもらえればありがたいです。

いやいや、その部分自体が「枝葉末節」なので・・・・
と言いますか、本来 私は「根幹部分」を中心に語りたいタイプなんですよ。
物理学って、事象を大胆にシンプル化しても、物事の本質を探る感じの学問ですので。
しかし旧トルコ担当さんの場合、それだと伝わらないケースが非常に多いですし、
それでも「解りたい」という反応を示されるから、結果的に枝葉末節の話が増えている訳で、
実際、根幹よりも枝葉の方が、旧トルコ担当さんの食い付きも良いですからね。
ぶっちゃけ、私なりに旧トルコ担当さんへ合わせた事で、こういう感じになっているのに、
「枝葉末節の論はどうでもいい」と言われてしまうと、正直 私も「えっ!?」とはなります(苦笑)。

まあ、お望み通り、本質的な話をするのであれば、
自分と異なる見解と接した際に、その相手の立場に立って考えない見えない所はあるし、
自分の立場から見るだけだと、必ず見誤るという事を言っているだけですね、最初から。
そして、あくまでも自分の立場を変えようとしない人は、
幾ら言葉で「見る意思はある」と言っても、実際に見ようという「行動に移していない」状態であると。
簡単に言えば、「見たいなら動け、動かないなら見る気がない」という話です。

▼ 岡田斗司夫
> > > なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
> > > ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。

> > という事は、旧トルコ担当さんは、岡田斗司夫サロンの有料会員なんですね!
> > そこまでしているとは、なかなか入れ込んでますねえ(笑)。
> > ちなみに、他にも誰かのサロンの有料会員になってるのですか? それとも岡田斗司夫だけ?

> 岡田斗司夫以外には、特に他の有料サロン等には入っていませんよ。
> (ちなみに、ご存じかもしれませんが、岡田斗司夫の有料会員は動画が配信されるだけで、サロン機能はありません)

となると、やはり旧トルコ担当さんにとって、
岡田斗司夫というのは、「特別な存在」って事なのでしょうね。

> > 正直な所、岡田斗司夫レベルであれば、そこまで「実害」も無いと思いますけど、
> > 安易に信仰してしまうタイプになると、それこそ新興宗教や洗脳商法のカモにされかねませんし、
> > そうやって人生を狂わされた人を、実際に私も何人か見てきてはいるので、
> > そうならない為にも、自分の事場で語るというチャレンジは、行ってみて損は無いかと思います。

> 私自身、「誰かに自分の絶対的な師匠になって欲しい」という欲望があることは小学生の時くらいから把握していたため、
> あえてそういった師匠になりそうな人間とか、崇拝されている感じの人間とか、そういうのには近づかないようにしていましたし。
> 私がYouTubeを見ないのも、変な動画に引っ掛かりたくないからですね。
> (岡田斗司夫の場合は、わざわざニッチなニコニコ動画という場所で動画を投稿していたのが、私がハマるきっかけになっていますし)

つまりは現状だと、岡田斗司夫が「絶対的な師匠」になった感じなのかな?
でも、その一方で、「変な動画に引っ掛かりたくない」みたいに情報を制限していると、
ますます情報の隘路に迷い込むと言いますか、
却って、変な所にハマりやすい体質になる気がしますけどねえ・・・・
方向性こそ違えど、「ネットde真実」でネトウヨにハマる人たちも、似た傾向がありますし。

> > 繰り返しになりますけど、「これを見てくれ、これを読んでくれ」だけでなく、
> > 旧トルコ担当さん自身の言葉で語ってみて下さい、お願いします。

> うーん、ホワイト革命の件については、ツイッターの例でかなり上手に自分の言葉にできたと、個人的には思っていたんですけどね。

もう、その反応自体が、客観的に見ると、
「理解よりも、信仰を優先している」ように映るので、
自分の見解と異なる意見を、理解しようという体制が整っていない感じになりますね。

> と、いいつつ、極論では、新興宗教にハマるくらいなら、別にそこまで悪いことではないような気もするんですけどね。
> ナショナリズムとかいう新興宗教が世界中で流行っていますが、
> アレだってみんなが信じているから国民国家が事実になっているだけでしょ。
> アリもしないものを見せている、という点では、新興宗教もナショナリズムも一緒だと思います。
> まあ、新興宗教は少数派になるため奇異な目で見られますし、マルチ商法はお金をだまし取られるため、
> 損得でいえば引っかからない方が得ですが。
> また、鍛えればそういったものに騙されなくなるということもなく、ナチスなんかは時の知識人たちも多くだましましたし。

今の依存対象が大丈夫だからと言って、体質的に本人が変わらなければ、
後々、そういったモノにハマる危険性が、普通の人よりも高い訳なんですけど、
でもまあ、こういう態度であるのなら、今更他人が何と言っても無理なんでしょうね・・・・

> > ・・・って、そう言えば岡田斗司夫って、実母は新興宗教の教祖(神様)であり、
> > 自宅が教団施設で、信者たちが自宅内を行き来するような環境で育ったんでしたっけ?
> > となると、意識的にせよ、無意識にせよ、そうした手法が身に付いていても、おかしくは無さそう。

> そうなんですか?
> 岡田斗司夫の実母が新興宗教の教祖、という話は、母が税務署から税金を取られるのが悔しくて、
> 会社を宗教法人にして、上手く脱税するための方法だった
> (が宗教法人にした辺りからまったく別件で事業がうまくいかなくなったので、あまり意味はなかった)、
> という認識なのですが、あれって本物の信者とかいたんですか?

すみません・・・・私の勘違いですね。

恐らくはソースは、同じ動画だようなぁ?と思い、再チェックしてみた所、
最初は脱税目的だったモノが、新興宗教ビジネスの人たちに乗せられていく内に、
自分には本当に神様が付いてると思い込むようになり、
母親を満足させる為に、家族が信者の役をやらされたって話でした。

で、話の「白装束で家の中をウロウロ」という表現が出てきて、特に主語が無かったので、
その前文に「新興宗教ビジネスの人たち」とあった所から、オウムやパナウェーブの画が浮かび、
白装束で家の中をウロウロしていた人を、「信者たち」と脳内補完していたのですが、
改め聞いてみると、この主語は、教祖である母親であり、信者役である家族たちの事ですね。
という事で、赤の他人という意味での「信者」は、どうやら居なかったみたいです。

▼ ホワイト革命
> > > > 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。
> > > 不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
> > > 大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
> > > ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
> > > 不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

> > 今の千鳥の一般人気は、「中規模」なんてレベルではないですよ!!
> > それこそ、不倫で干された渡部や東出よりも、ずっと上です。

> えっと、中規模有名人最強論の話は、今回の話とは別です。
> 前に語ったことがある、というだけの話で、
> 今回の千鳥さんを岡田斗司夫が中規模有名人と言っているわけではないのでは?

まあ、「中規模有名人最強論」って、私が持ち出してきた話題では無いですし、
別に私は岡田論の信者では無いので、別の話なら、別の話で構わないのですが、
では何故、千鳥 大悟の不倫は叩かれないのでしょう?
その理由を「ホワイト革命」的に、是非とも説明して戴きたい所です!!

> > 「未来を予測する見方」というモノに、衝撃を受けたのでは?
> とのことですが、
> 過去の歴史から法則性を見出し、未来を予測する、という歴史好きなら誰でも考えているけど、
> 実際にはとても難しいことを実行したことに衝撃を受けました。

予測した事が「実現」したからではなく、「実行」した事が衝撃なのですか!?
でしたら、今回のウクライナ戦争に関する報道でも、
近未来の展望予測なんて、それこそ、星の数ほど行われていませんか?

> 「推し」という言葉には、推してる自分と推す対象との間にちょっと距離感があると思うのですが、
> その距離感って「自分の住んでいるこちら側の汚い世界と、推しの住んでいる尊い世界」みたいな価値観が前提にあると思うんですよね。
> 若者の恋愛離れとかも、ここ10年に限れば、この辺の影響も受けてると思うんですよね。
> 自分の好きな人はホワイトであってほしいし、だから好きな人と自分が付き合うなんてありえない、と。
> だって自分はそんなにホワイトじゃないから。
>  (中略)
> 「リアルの男は毛深いのが生理的に無理」「リアルの男はウンコするのがイヤ」
> って言っていましたけど、これもホワイト革命においては、割りと極端とは言えない価値観だと思うんですよね。

80年代のアイドル文化が、割と そんな感じだったかと?
だから今更、目新しく映らないのかも知れませんね。

> (逆に言えば、なんで腐女子の人たちは80年代というかなり早い時期に推しカプという概念にたどり着いたんですかね?
> まあ、女の子は小学生のころから割と他人の恋愛話に興味がある、というのはありますが)

カップリングの原点かぁ・・・・
百合に関しては、明治以降の女学校に原点があると思われますし、
BL的なモノも、恐らくは そこから派生した事が想像されますけど、
確かに、カップリングとなると、私もパッとは歴史的に思い浮かびませんね。

歌舞伎の世界に、それに近い源流はあったかも知れませんが、それが直接的に繋がる気もしませんし、
子供を産む側の性である女性は、誰がくっついたとか、そういう恋愛話が大好きなのも事実ですけど、
東京タワーとエッフェル塔では、どちらが攻めで、どちらが受けか?なんて、
そんなレベルにまで飛躍したルートは、かなり謎な感じがします。
例えば同人イベントとかで、どこが最初に、何をやったかとかは、詳しく調べれば解るかも知れませんけど、
それも結局、現象として表面化した瞬間というだけあり、
それ以前の流れというのは、他に確実にあるはずですからねえ・・・・

> 管理人さんがホワイト革命論をあまり大きな変化と捉えないのって、結局は視点の違いなのかな?
> 私の場合、岡田斗司夫のホワイト革命論を聞いた際に、
> 「あれもそうだ、これもそうだ、確かにホワイト化されている」となったのですが
> (今まで書いた例以外にも、まだまだいくらでも例示できます)、

繰り返しになりますけど、程度の差こそあれ、そうした現象は私にも見えてはいるんですよ。
ただし、それと同時に、それと同じ事は、20年前にも30年前にもあったし、
逆に現在においても、それに当てはまらないケースが、あれこれ ある事も見えていると言うだけの話です。
だから別に、衝撃とかは受けませんし、革命なんて表現は大袈裟だと感じると。

> なまじ最新の若者文化には触れてないだろう管理人さんからすれば、ミクロな視点がない分、
まあ確かに、大学生に関しては、そうかな?(笑)
でも一方で、小中学生に関しては、恐らく私の方が触れ合う機会が多いと思います。
それに、鬼滅ブームの話題になった際も、却って私の方が正確に認識できていた印象を受けましたし。

> かえってマクロな視点からしか見てしまい、そんなにか?ということになってる、ということなのでしょうか?
「ミクロとマクロ」と言うよりは、「短期的と長期的」という方が適当かな?
ちょっとした事でも、10年後20年後まで想定して考える癖は、充分に世間ズレしている自覚があります(笑)。
とは言え、それは年齢的なモノと言うよりは、科学や歴史やアートが好きだからでしょうね。

> いや別に、若者文化なんて分からないのが当然だと思いますので。
> 私も「エヴァンゲリオン」を見て、まあまあ面白かった以上は、
> 「95年のオタクはこんなのが好きだったんだな〜」としか思えませんでしたし、
> 私が25年前のオタクの若者の気持ちを分からなかったのだから、管理人さんが今の若者の気持ちを分からなくても、当然だと。

この仮定で納得できている内は、
恐らく、私の考え方は理解できないと思いますよ(笑)。
いや、これって、世間一般の人に対するステレオタイプな見立てとしては、かなり当てはまると思いますけど、
自分で言うのも何ですけど、上述の通り、私の感覚って世間一般から大きくズレてますからね・・・・

でもまあ、お言葉を返す様ですけど、
もう解らないなら解らないで、無理して解ろうとする必要も無いんじゃないですか?

> で、ホワイト革命って、結局は
> 「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、
> 若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」
> ということだと思うのですが、このことに対してはどう思われますか?

話を単純化しすぎだし、昭和も長かったから一言に世代と言っても様々だわな、という思いはありつつ、
そういう細かいツッコミを抜きにして語るのであれば(笑)、
不良が子猫を拾う姿を見てキュンとするみたいな、
いわゆる「ギャップ・ルール」が、未だに健在であるのであれば、
これは単なる、置かれた環境の違いであって、本質的な部分は全く変わってないって所でしょうね。

もう少し解りやすく言うと、山あり谷ありのジェット・コースターに乗るのと、
平坦でカーブも少ないゴーカートに乗るのとでは、どちらが楽しいか?って感じかな。
そして、汚れるとか、綺麗なままだとか、そういうのは単なる道程の結果であって、
そもそも、その部分にジェット・コースターやゴーカートの、楽しさの本質がある訳ではありません!!
また、昭和の頃なら、山あり谷ありでも、最終的には終始がトントンや多少プラスであっても、
令和の今は、谷があったら落ちっぱなしで終了な社会である事を踏まえると、
本当にジェット・コースターよりも、ゴーカートの方が楽しいと思って選んだのか?という疑問も出てきます。

でもまあ、結局の所、人間なんていうのは置かれた環境次第で、
善人にも悪人にもなるモノでしょうし、誰もが最初から その両面を内包していて、
状況により、そのどちらの面が、より色濃く現れるかだけの話であると考えるなら、
昭和世代と令和世代の違いは、単に昭和社会と令和社会の違いと、見なせるかも知れませんね。

▼ ホワイトコンテンツ
> > まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
> > 癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、

> うーん、ストレスの多い社会になっている、というのは本当なんですかねえ?
> 昭和の方が週休1日で、上司との飲みに付き合わされたりするのも多そうで、ストレスが溜まりそうなイメージですけど。
> 結局、昭和の方がストレスが溜まっても、それでも給料が上がるから我慢できた、希望が持てた、ということなんでしょうね。
> うーん、やはり昭和って今といろいろ違うんだろうなあ。

まあ確かに、昭和の方がストレス負荷の度合いが、高かったのは事実かな?(笑)
でも一方で、ストレス解消の度合いも、今とは比べ物にならないくらい高かったと。
だから、正負のトータルで見ると、現在の方がストレスの多い・・・というか、
より厳密に言うと、ストレスが貯まる社会であるのが、正しい認識ではないでしょうか?
もしくは、ストレスが解消できないストレスというのも、精神面をかなり傷付けるモノではありますし、
子供たちの教育環境の変化などもあり、全体的にストレス耐性が弱くなっている事まで思うと、
ストレスの総量よりは、ストレスによる「ダメージ量」の問題なのかも知れません。

で、それは結局、身も蓋もない事を言ってしまえば、
経済が右肩上がりか? 右肩下がりか?による社会背景の違いが、最も大きかったとは思うのですが、
そうした事情はさておき、やはり市民感覚からすれば、
ネガティブに生きているよりも、ポジティブに生きている方が、ずっと楽しいのは事実ですからね。
「明日は今日よりも良くなる」というのを、誰もが常識として暮らしてた社会は、
将来の不安に怯えながら暮らしてる社会よりも、精神的に遥かに健全ですよ!!

また、以前にも言いましたけど、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体ですからねえ。
これはもう、その人の気持ち次第で、プラスにも、マイナスにもなるでしょうし、
精神的に余裕が持てていたからこそ、それらの多くはプラスに転じていたとも言えます。
逆に言えば、今の時代は、それがマイナスに転じる事が多い社会と言えるのかな?
そういう意味では、今の感覚だけだと、マイナス要因としか映らない事象も、
当時の感覚になると、プラス要因であった事が理解できないかも知れませんね。
「給料が上がるから我慢」というのとは、ちょっと違った感覚です。

上司との飲みの席も、ストレスがある反面、やはり楽しさもあるから、みんな飲んでた感じです。
まあ私は、子供として付いて行くだけでしたけど、会社の慰安旅行や運動会などの空気感は、
学校の修学旅行や体育祭とも通じる所があって、楽しい雰囲気が漂っていた事は覚えています。
でも今の時代、学校の修学旅行や体育祭でさえ、ネガティブ・イベントと捉えている人も増えましたし、
ストレスが貯まると、解消しにくい時代背景だからこそ、「ノー・ストレス」が推奨され、
その傾向が却って、ストレス解消のキャパを狭めていく、負のスパイラルに陥っている面も・・・・

> 私はHoneyWorksという女子中学生くらい向けの音楽ユニットが好きなんですけど、ハニワもそうなんですよ。
「CHiCO with HoneyWorks」という形であれば、
銀魂のOP曲やED曲を3度担当しているので、一応 私も知ってますね。
とは言え、あくまでも「with」側ですから、実質 知らないようなモノなのかな?(笑)

> ちなみに、あらゆる社会論って、
> ・論の概要 (既存の社会認識と異なる、新たな社会認識の提唱)
> ・具体例
> ・変化の要因 (なぜそのような社会変化が起きているのか)
> の3つの要素から構成されると思うのですが、

これだと、最も大事な「反証可能性の検討」が抜けていると思います。
そこが欠けると、簡単に陰謀論レベルの話が、罷り通ってしまいますので。

> 岡田斗司夫のホワイト革命論って、具体例と変化の要因の説明がなく、
> 論の概要だけがかろうじて「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、
> 若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」と説明されているんですよね。
> でも、それだけで視聴者は「ああ、確かに、私の周りでもこんな例とか、あんな例がある、あれ全部ホワイト革命で説明できる!!」
> となるのだと思うんですよね。
> で、「ああ、確かに」が無い時点で、管理人さんが新しいホワイト文化に気づいていないだけではないのか、と判断しています。

何度も繰り返しになりますけど、「ああ、確かに」が見えないんじゃなくて、
「以前にもあったな」や、「この場合は当てはまらないな」というのが、同時に見えているだけです。

因果関係が無いのに、あたかも因果関係があるかのように見える「疑似相関」とか、
「原因と結果」や「手段と目的」を逆に解釈したり、
「必要条件」と「十分条件」を誤って取ったりなど、
そういうミスを避けようとする思考が、自然と身に付いている所はあるでしょうね。

扱う対象が数字では無いから、あまりピンとは来ない人が大多数なのですが、
こういう思考法って、何も専門的ではなく、学校の数学の授業で習う概念なんですよ!!
「高校で物理を習ったので解ります」とか言うのも、
ここまで理解して、初めて「習った」と言えるのかな?とも。

> といいつつ、ホワイトコンテンツなんて言うものが幻想であり、昔からあったものなのかな?
> 正直、私もメチャクチャ昔の作品に詳しい、とかではありませんし。

結論から言うと、昔から普通にあったと思います。
ただし、旧トルコ担当さん個人の好みとして、
昔から存在していても、それを楽しめないのであれば、結局は同じ事かな?
とは言え、それはあくまでも、旧トルコ担当さん個人に限定される話であって、
それがあたかも、普遍的であるかのように感じるのは、ハッキリ言って幻想かと思われます。

> 少なくとも、岡田斗司夫のホワイト革命論がなければ、
> ホワイトコンテンツ論に対しては、いやそんなの昔からあったでしょ、と反応していたでしょうし。

それはつまり、旧トルコ担当さん自身は、
そうした過去の存在を、認識なり、想像なり、出来ていたという話ですよねえ?
では何故、ホワイト革命論を知った事で、それは覆ってのでしょうか?
より具体的に問うと、ホワイト革命論で示された、過去の類似物との明確な「相違点」とは何ですか?

> とはいえ、恋愛コンテンツでいえば、明らかに
> バブル期の失恋ものが割合として多かった時代→
> 90年代後半から00年代前半の、悲劇的な恋愛が多かった時代→
> 昨今のハッピーエンドが多い時代というのがありますし、

「明らかに」という事でしたので、
各時代の代表作を幾つか、具体的に明示して戴けないでしょうか?
正直、現状では、どうも腑に落ちない感じですけど、
実際に示していただければ、「ああ、確かに!」と納得できると思うので!!(笑)

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