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[23936] Re3:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その2)返信 削除
2022/5/4 (水) 21:39:06 徳翁導誉

▼ オタク文化
> > > 私の考えは反対ですね。
> > > AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> > > であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

> > えっ!?
> > マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。

> 90年代のジャンプ黄金時代には、クラスの男子の半分は(毎週でないにしろ)ジャンプを読んでた、
> というイメージなのですが、これって結構違いますか?
> ゲームも私が小学生の時にはクラスの半分はポケモンしてたイメージですが、
> 実はこれって私が結構偏った場所に住んでたってこと?

別に、それ自体は間違っていませんよ。
とは言え、それって「子供」の話ですよねえ?
それこそ、マンガも、アニメも、ゲームも、昔からありますけども、
それはあくまで子供が楽しむモノであって、大人が楽しむようになったのは、
もっと言うと、大人向けに作品が大量生産され出すのは、ここ10年とか20年の話です。
ですから、昔に比べれば一定の層は形成していても、やはり少数派である事実は変わらないですよ。
例えば、そのクールの覇権アニメとかって、大人はどれくらいの人が見ているのでしょう?
正直な話、数パーセント程度で、1割を超える事もないと思います。

> > 「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
> > 精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。

> では管理人さんのフェチズム(精神的な嗜好性)理解ってどんな感じなのでしょうか?
> いや、聞かれていませんし、自ら表明することでもないですから言いませんでしたが、私もフェチズムの一つや二つは嗜んでますし、
> そこまで全面否定されるのであれば、逆にもっとそのディープな世界は教えて欲しいですw

自分では語らないのに、先に相手の方から語れと!?(笑)

> ロリコン系って、フェチズム的な、精神的な部分って少ないと思います。
> 幼児体系なんて言葉があるように、体がメインであって、心は別に欲していないというか。
> だからロリコン系のエロって、レイプ系が多いのではないでしょうか?
> ロリコンに精神的なフェチズムが求められているなら、いちゃらぶ的なロリコン作品もこんなに少ないわけないですし。
> (もちろん、フェチズムだからこそ、あえてレイプ系が好きな人もいるでしょうが)
> あと、ロリコン系エロがレイプ、特におじさんによるレイプになりがちなのって、ロリコンに対する罪悪感の表れだと思うんですよね。
> 罪悪感があるからこそ、自らおじさんがレイプするという方向のマンガが選ばれ、いちゃらぶのロリエロが選ばれないと。

「アニメなんて見てるオタクなんて、社会不適合者で、犯罪者予備軍!」くらいの
偏見に満ち溢れた見方をしてますね、ロリコンに対して(笑)。
でもまあ、ここまで言われると、「オタク的な感覚ではなく、一般人的な感覚で見てるよね」という、
前回の指摘は、やはり間違ってなかったのだな・・・と実感できます。
となると、化物語レベルで「本気のロリ愛」を感じてしまうのも、致し方ないのかな?とは思いますね。
って、逆に言うと、旧トルコ担当さんにとっては、「化物語」って そういう作品扱いなのかぁ・・・・(苦笑)

ただ、自らの見解に固執しがちなタイプの方が、これだけ偏見に満ちた状態だとなると、
こういうヤバめ系の話題を真剣に語っても、こちらがダメージを負うだけというか、
正直な所、こういう相手に、あまり真面目に語っても損だな・・・と思ってしまいました。

・・・と、これだと何だか言い放しになってしまうので、少しだけ語ると、
ロリコンって別に、必ずしも性的嗜好(エロ)とは限りません。
そこがイコールで結ばれるのは、どちらかと言えばペドフィリアの方かな?
イメージ的に言うと、ロリコンは「幼女萌え」の方が、感覚的に近いかも知れません。
もちろん、だからと言ってエロを含まない訳では無いですし、正直内包もしてますけど、
「レイプになりがち」とか、そういう捉え方に関しては、
アニオタを「リアルの女の子に接触できず、2次元の妄想に逃げてる人たち」と見なすのと同じで、
まあ確かに、そういう人も少なからず居るとは思いますけど、だからと言ってイコールでは無いと。
そんな感じですかねえ?

> > まあ確かに、一昔前のオタクたちの方が、
> > 概して「知識の守備範囲」が広いイメージはありますね。
> > おっしゃれるように、各分野のオタクが横断的に触れ合っていた面もありますが、
> > それ以外にも、好きな分野を深堀りするには、その周辺分野の知識も必要となる為、
> > 「あれも知っておけ、これも知っておけ」みたいな風潮があったのも事実かと。
> > (そういう意味では、私も昔ながらの気質のタイプでしょうか・笑)
> > で、ネットで何時でも誰とでも気軽に繋がれる時代では無かったからこそ、
> > 合える貴重な時間で情報を交換し、その情報を深く摂取する時間が充分に取れたのかも?
> > 今の時代、圧倒的な情報量の処理やコミュニケーションに押し流されて、
> > 「1人で考え抜く」という行為が、かなり疎かになってる感覚もありますし。

> この辺はもう、オタクに対してどんなイメージを持っているか、という違いなんでしょうね。
> 私の場合は、結構腐女子の人に対してもあこがれがあるので、そういう作品の消費の仕方もオタク的と分類しているのですが、
> この辺は管理人さんの定義するオタクではなさそう。

このスレッド内でも、以前に少し書いたかと思いますが、
私にとってオタクとは、自分の「好きを体系化」している人の事ですね。
上述の引用部から持ち出せば、「好きな分野を深堀り」する人と言い換えても構いません。
それは別に、範囲が広いとか、狭いとかに関係無く、とにかく愛情の深さみたいな話かな?
昨今のオタク定義との違いを言うなら、オタクとは「ディープ」であってこそオタクだと考えているので、
「ライトなオタク」なんていうのは、「それはオタクじゃなくて、ファンだろ!」という感覚はあります(笑)。

そういう意味では、別に腐女子であっても、我が道を貫いているのであれば、充分にオタクでしょう。
これは何も知識量に限定される話では無く、常人離れした妄想力とかでもアリです。
要するに、その人にとっての「ディープな世界観」さえ築けていれば!!
例えば、実写ドラマ『グラップラー刃牙はBLではないかと考え続けた乙女の記録ッッ』とか、
https://www.telasa.jp/series/11866
https://filmarks.com/dramas/10707/14930
たまたま本屋で原作書籍↓を見つけた際には、タイトルを目にしただけで、
https://www.amazon.co.jp/dp/4309028438/
今まで無かった視点でしたけど、「ああ、確かに!」と思わず心の中で叫んでしましたし(笑)、
まさか、それが実写ドラマ化されるだなんて驚きで、しかも なかなか出来が良かったんですよね。
ああいった世界観を築けているのなら、腐女子も充分にオタクかとは思います。
(同時に、あれが実写化される事自体、何だかんだで日本のオタク文化は凄いと再認識も・笑)

とは言え、個人的には、腐女子だからと言って、必ずしもオタクとは限らないと言うか、
オタク分野の1ジャンルではあっても、オタクだけに限定されないってイメージもありますね、腐女子の世界は。
う〜ん、何というか、例えばアイドルもオタク分野の1つではあると思いますし、
アイドル・オタクという人たちが確実にいる反面、
熱狂的なアイドル・ファンだからと言って、必ずしもアイドル・オタクとは限らない感覚に近いのかなぁ?

> > そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
> > 実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
> > 歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
> > 特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
> > 自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。

> 当時の作品にいきなり触れても、結構分からないものですよ。
> 例えば前に挙げた『ロードス島戦記』(88〜93年)は第1巻を読んでみましたが、最後まで面白さは分かりませんでした。
> 『きまぐれオレンジロード』(84〜87年)も無料公開されているので読んでみましたが、第2巻の途中で挫折していますし。
> 今は面白さが分からなくても、まず最後まで読んでみろ、そしたら面白さが分かるはずだ、というのもありますが、

歴史を知りたいのか? 面白さを味わいたいのか?
その目的が異なるだけで、作品への接し方だって大きく変わりますよ!
昔の名作が「最後まで読めば面白いか?」となるかと言えば、必ずしも そうとは限りませんし、
正直言って、そのやり方だと、どちらも中途半端に終わる気がします・・・・

> それよりも30年、40年の年月というのはそれだけ大きいということだと思うんですよね。
> だからこそ、その当時の受け取られ方を知るということが重要なんです。
> 『宇宙戦艦ヤマト』なんかも、SFブームだとか、アニメ史といった背景を知ってから見れば、
> ああなるほど、ヤマトはこういう風に面白いんだな、というのが分かり、ちゃんと楽しめましたし。

結局の所、歴史自体に興味があるというよりは、
昔の作品を楽しむ為の「スパイス」として、歴史的な知識を欲している印象を受けるかも?
って、まあそれはそれで、別に悪い楽しみ方では無いですけどね(笑)。

とは言え、これは全ての分野に関して言える事なのですが、
歴史を調べる事が、目的ではなく手段であった場合、
どうしても、自分にとって都合の良い説を拾い集めがちになると言うか、
政治系だと、陰謀論にハマる人の黄金パターンなので、
一応、自覚というか、注意だけはしておいた方が良いかも?

> で、こういう作品の見方って、もう芸術作品の見方と同じなんですよ。
> 私は中学生のころに源氏物語を読んだときは、初めは面白さが分からなかったのですが、
> 中学生であまり他の娯楽を知らなかったこともあり、分からなくても読み続けていると、
> 段々と平安時代の習慣とか、恋愛観とか、短歌の読み方が分かるようになり、面白さが分かるようになりました。
> オタク作品も、これと同じやり方が必要なんですよね。

もし、過去の文章に対して、それが行えるのだとすれば、
なぜ、他人の意見に対して、それが行わないのでしょう?
現在進行形の事だから? それとも自分が関わる事だから?
「やらないんじゃない、出来ないんだ」という話と、これは相反する気がしますけど?

> 私の場合は、そういった勉強をせずにナチュラルに楽しめる範囲って、00年代前半〜90年代後半くらいが限界点ですね。
> それ以前になると、最低限は「この作品は名作と言われているんだから、どこかに面白い部分があるはず」という覚悟を持って、
> 多少分からなくても我慢しないと見れません。

言わんとしている所は解ります。
と言うか、オタクとして良いか否かは別として、それって実に「普通の感覚」ですよね。
ほとんどの人にとっては、やはり自分が育った地域や時代の価値観が、絶対的に基準となりますし、
そこから外れるほど、親しみ難くなるというのは、正直あるかと思われます。
そういう意味では、時代の変革期に、各地を転々としながら育った私は、
異なる価値観も、結構すんなり受け入れらますけど、そういうタイプは少数派なのでしょう。

もちろん、時代や文化の背景が解らないと楽しめない作品も、当然ありますけど、
時代や文化の違いを越えても、「面白い作品」というはも、数多くあるじゃないですか?
な〜んて思うのも、私がそういうタイプだからなのかも知れませんね(笑)。
例えば私は、白黒アニメの「佐武と市」とかも、純粋に凄い好きですけど、
デジタル作画が当たり前になった世代だと、アナログ作画というだけ拒否反応を示すとか、
そういったケースも、決して珍しい事では無いですから。

ちなみに、旧トルコ担当さんは「グレンラガン」って視聴済みですか?
あの作品は全4部構成で、第1部が70年代、第2部が80年代、第3部が90年代、第4部が00年代と、
それぞれの時代のロボット・アニメの作風を意識して作られており、
視聴者によって「第何部が好きか?」とかが分かれていて、結構面白い作品なんですよね。
・・・って、旧トルコ担当さんは、あまりロボット・アニメとか見て無さそうな印象ですし、
恐らくメインは10年代前半だろうと考えると、そもそも作品自体が合わなかったりして?(苦笑)

> まあ、だってオタク命名が1983年、もう40年近く昔です。
> この40年間、あまり日本社会が変化していないから、なんか感覚が狂いますが、

いや いや いや いや、ここ10年という話なら まだしも、
40年間という事であれば、めちゃくちゃ変化してますよ、日本の社会も!?
「昭和から平成、そして令和へ」という一言だけでも、それが容易に想像できるかと(笑)。

> > 噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りました
> これは半分くらい間違っていますね。
> 今のオタクにとっては、今の作品こそ、スルメ的な読みごたえがあるんですよ。
> 作品の見え方が違うということですね。
> まあ、管理人さんの言うような、旧来的な意味での読み応えのある作品、という意味では減っているのも事実ですが。

「スルメ的に楽しむ」事と、「スルメ的な内容」である事とは、まるで違うと思いますけど?

> うーん、オタク・イズ・デッドって、オタクの劣化とか、作品の大量消費化とか、そういう話ではないですよ。
> 往々にして、そういう風に誤解されますが。(岡田斗司夫の話が長いのが全部悪いんですw)
> オタク・イズ・デッドというのは、オタクという共通意識の喪失であり、
> ジャンルが違うオタク同士が仲間意識を持たなくなったことを指しています。

まあ、「オタク・イズ・デッド」自体が、岡田斗司夫の自説ですし、
私自身は別に、旧トルコ担当さんほど、岡田斗司夫に拘ってはいないので、
旧トルコ担当さんがそう解釈されているのなら、それはそれで、正直 特に言う事は無いです。

> > また、「評論系は割と適当」との事ですが、ああいうのって、
> > 自分とは異なる「こういう見方があるのか」と気付かされたり、
> > 自分の中で纏まらない考えを、スッと的確に表現していて腑に落ちるだとか、
> > そうしたモノを求めて読むモノなので、そもそも読み方を間違えているというか、
> > 旧トルコ担当さんの場合、誰から「正解をもらう」事を、求めすぎてる感じがするんですよね・・・・

> 評論が嫌いなのは、オタクの歴史を勉強する中で、本当にどうしようもないような
> 低レベルの評論も初期には一生懸命読んでいたからなんですよね。
> それこそ、「ラノベ読者は表紙の絵にしか興味はなく、なんと本文は読んでいなかったのだー」とか
> 書いてしまう大学教授とかの文章とかも読んでいたので。

その文章自体を読んでいないので、正直 何とも言えないのですが、
始めから目的の作品を買いに行くのではなく、本屋で何となく新たな作品に手を出す場合、
中身の文章をパラパラ眺めて選ぶ人よりも、表紙絵とタイトルで選ぶ人の方が、
アンケート調査の結果からも、実際に多かったように記憶してますからねえ。

> あとまあ、本当に作品の解釈などというものがあるのであれば、
> それはアカデミズムなんかよりも、オタクの方がちゃんとできているはずです。

それって、論評がどうこう、オタクがどうこうという話では無く、
ただ単に、旧トルコ担当さん自身の中で、情報の取捨選択が上手く行かなかっただけなのでは?
別に、著者の肩書きが大学教授であったとしても、ビジネス目的で一丁噛みしてる本なんて幾らでもありますけど、
それをもって「アカデミック」と指すのは、認識として間違っている気がしますし、
そもそも同じ様な事は、著者がオタクであっても、普通に起こり得る事じゃないですか??

と言いますか、真面目に書いていても暴走する確率は、却ってオタクの方が高いと思いますし、
それでもオタク著者の方が、圧倒的にマトモに見えるのだすれば、
結局の所、オタク的な視点を共有という「同調性」だけの話であって、
逆説的に言えば、自分に合うモノだけ好んで選んでいると、
「歴史」を見るという意味では、最も重要な「客観性」を失ってしまうような気がします。

▼ いちゃらぶ革命
> > そうしたジャンルの種類自体は、別に昔から変わらないと言うか、
> > 最近になって、新たに登場したジャンルというのも、特に無い気がするんです。
> > あるとすれば、それは時代のニーズに合わせた、各ジャンルの割合の変化くらいの話で、
> > それだって劇的な変化でもなければ、あくまでも「傾向」であって、とても「革命」などとは呼べないと。

> とはいえ、昨今の急激な失恋コンテンツの減少とか、ちょっと異常じゃありませんか?

それでは、昨今の「恋愛リアリティー・ショー」人気の高さとかは、
旧トルコ担当さん的に、どのように映っているのでしょうか?
ネット配信では、アニメと並んで高い人気を誇ってますけど、
あくまでも、オタク界隈限定の話をされているんですかねえ?

▼ VR
> > > > > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> > > > いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> > > > デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> > > > マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> > > > 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> > > > 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> > > 個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
> > > それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

> > 正直、SAOは最初の数話を見ただけなので、断言は出来ませんけど、
> > 恐らく、旧トルコ担当さんが想定しているモノとは、全く違うと思いますよ・・・・
> > 仮想空間にフル・ダイブして楽しむとか、そういう話では無いので。

> 脳の感覚中枢(なんてあるのか?文系(を言い訳にしている人間)には全く分からないw)みたいなところに、
> 直接信号を送る、みたいな話なのでは?
> 違うのでしょうか?

う〜ん、技術的な話としては、その通りなんですけど、
「SAOの世界の事でしょ?」と言われると、やはり違うという感じがする(笑)。
見出しが「VR」となってますけど、バーチャル体験ではあっても、リアリティー体験では無い為、
VRと言えばVRかも知れませんが、少なくとも、現在イメージされるVRとも大きく異なりますからね。

それこそ、前述に例として、マンガ版「攻殻機動隊」の話を出しましたけど、
草薙素子が「ナメクジの交尾(レズ3P)」をしている際に、電脳にアクセスしたバトーが、
「自分の体に無い器官からの体感情報を脳に受けて苦しんでいる」シーンが、最も解りやすい気がします。
で、この場合、私が言う電脳ドラッグとは、レズ3Pの方よりも、バトーが苦しむ体感の方ですね。

既存の神経系を、デジタルな信号で人為的に刺激し、快楽を得るというのも、
電脳ドラッグの1つだとは思うのですが、それはあくまでもアナログ的なドラッグの代替に過ぎず、
この分野の発展性としては、脳自体を機械と繋いで、新たなデジタル処理が行えるようにする事で、
既存の快楽とは異なる、また新たな刺激を得られる可能性・・・みたいな話ですね。
例えば、五感の刺激を直接的に脳に送り込むだけでは、五感から得られる延長線上の快楽しかなく、
ここへ新たに、6番目や7番目の感覚を開発する事で、今までに無い快楽を得られるみたいな感じかな?

▼ AI
> > > AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> > > AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

> > そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
> > 以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
> > 「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
> > そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。

> コスト、はよほどのニッチAIでなければ、開発費にいくらかかろうと、確実に安くなるのでは?

それは、人間の持つ能力をあまりに低く見積もり過ぎです・・・・
と言うか、あまりに低く見積もってたから、AIでも簡単だと思えたのかな?

AIだと少しイメージし難いでしょうから、作業用ロボットの話をすると、
もちろん、ロボットは長時間労働をこなせて、文句だって言いませんから、
採算が合うのであれば、人など雇わずに、ロボットに仕事を任せた方が得です。
でも、単純作業ではあっても、細かな仕事が必要となってくる場合、
ロボットにも可能な作業ではあっても、その制作費や運用費を考えると、
結局は、人を雇った方が安上がりという事も、多々あるのは事実なんです。
単純作業ですら そうなのですから、頭脳労働など尚更ですよ!!

> アニメやマンガよりも、映画やバラエティ番組など、
> 本物の人間が出ている方が圧倒的に市場規模が大きいというのは事実ですけど、
> とはいえ「一握りの話題作」という話を管理人さんもしているように、
> マンガやアニメを一切見ない人、全くハマったことがない人、というのも少数派だと思います。
> それっていわば、マンガやアニメにのキャラクターものに対する教養というか、
> それらを楽しむための土台は多くの人が持っているということなので、
> そちらのクオリティが上がれば、そっちに流れる人もたくさんいると思うんですよね。

ジブリ作品を見たからと言って、その人が深夜アニメまで見始めるか別の話。
例えばサッカーも、4年の1度のワールドカップは、それこそ国民的な関心を集めますが、
だからと言って、その人たちがサッカーにハマって、Jリーグの試合まで見に来るかとなると、
皆無とは言わないものの、それほど影響が無い事は、データ的にも既に示されているんですよね。

それと同じように、「一握りの話題作」というのも、
「話題作」だから多くの人が見に行くのであって、
その内の大部分は、「アニメ作品」である事を意識して、見に行ってる訳じゃないんですよ。
ですから、「そっちに流れる人もたくさんいる」というのは、恐らく幻想でしょうね・・・・

> 少なくとも、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要、とかとは完全に異なるはずです。
> だって、あれはほとんどの人が一度も見たことないものでしょ。

テレビ視聴者における、深夜アニメ視聴者の割合とか、
マンガ読者における、エロ漫画読者の割合なんて、
AV視聴者における、アブノーマル系視聴者の割合と、多分そんなに変わりませんよ?
恐らく、旧トルコ担当さんの立ち居から見て、近い・遠いで違って見えているだけで、
平均的な一般層から見れば、どれも「キモい」分野と映る事かと思います(笑)。

> AIってコンピュータの計算速度さえお金を出して向上させれば、いくらでも動画を作れるので、
> 例えば1日に1万本の動画を作る、みたいなことも可能だと思うんですよね。
> で、1万本も作れば、中には偶然面白いものが生まれることもあると。
> どれだけしゃべりの技術を向上させても、人間には寿命というものがあり、
> 1日24時間に投稿できる動画数には限界があるということを考慮すれば、
> 人間がそこまで優位性を持っているともはあまり思えないんですよね。

正直、「無限の猿定理」みたいな印象を受けますね。
「猿がランダムにキーボードを叩けば、そのうちシェイクスピアの作品を打ち出す」みたいな。

まあ、それはさておき、では仮にそうして面白い傑作が偶然生まれたとして、
恐らくは駄作の山であろう1万本の中から、どのように傑作が発掘されるんですか?
動画を見る方の人間だって、時間や人数は有限なんですよ!?


▼ マスク
> マスクは、し続けるんじゃないですか?あと5年か、もしかしたら10年くらい。
> コロナに明確な終わりがない以上、マスク圧力は続きそうですし、また現在既にその価値観変化、が起きているというか、
> 「完全に元に戻る」ということはないかと。
> マスクに離れたし、もうこれが普通という感覚の人は結構いそう。

いや〜、5年10年というのは、さすがに無いかな?
別に、皆が皆、マスクをしたくて している訳でも無いでしょうし、
恐らく大多数の人たちは、同調圧力というか、周囲に合わせてマスクをしているはずで、
マスクをしなくても許される空気となれば、する人の数は明らかに減ると思われます。

もちろん、だからと言って、コロナ禍以前の状態に「完全に元に戻る」とまでは言いません。
化粧の手間が省けるとか、感染云々より相手の飛沫が嫌とか、潔癖性やホコリ対策などで、
マスクをしたい人たちも一定数は居り、そして今や、マスクを着けられる大義名分がありますからねえ。
それこそコロナ騒動が始まる1ヶ月前、イオンが従業員に対して「マスク着用の原則禁止」方針を打ち出し、
客目線と従業員目線とで、賛否両論の分かれる大きな話題となっていましたけど、
コロナ以後は、マスクをしたい従業員も、大手を振ってマスクを着けながら働けるはずです。
しかし一方で、そうした方針が示されるくらい、マスクを嫌がる人たちが居る事も事実なんですよね。

マスク生活に慣れたと言っても、何だかんだ言って、マスクは暑苦しくて邪魔臭いですから、
別にマスクをしなくてもOKとなれば、やはり多くの人は外す気がします。
そういう意味では、完全ではなくても、「ある程度は元に戻る」って感じかな?
新聞社のアンケート調査によると、終息後もマスク着用すると答えた人が4割弱だったそうで、
現状ですら その数なのですから、実際に周囲の人たちがマスクを外しだした頃には、
1割とか2割って数になってるんじゃないですかねえ?
実際、100年前のスペイン風邪の際も、マスクを着ける日常生活が行われていましたが、
その生活が現在まで続いていたかとなると、そうじゃ無いのは知っての通りです。
マスクを外して、素顔を見せるのは恥ずかしい行為とか、それくらい世間の認識が変わらない限り、
マスク着用が常識化する事は無いかと思われます。

では、どのタイミングでマスクが外されるかとなると・・・テレビの力が大きいのかなぁ?
恐らく目安は、首相や都知事が会見時に、マスクや衝立を外した時でしょうね。
例えば国際会議の場とかで、海外メディアの取材にはマスク無しで答えるも、
国内メディアの取材にはマスクを着けるとか、そういうギャップが映像化されると、
それを見ている視聴者の側も、何だか馬鹿らしい気持ちになってくるでしょうし、
また、現在の保守派・・・というかネトウヨ系って「反マスク、反ワクチン」の傾向が強く、
自民党内からも、「そろそろマスクを外しては?」という圧力が、そのうち掛かりそうな気がします。

で、昨今のテレビ業界って、かなり政権の顔色をうかがって報道してますので、
首相や大臣たちがマスクや衝立を外せば、ニュース番組の方も恐らくは同調してくるでしょうし、
そうなるとバラエティー番組の方も、喜んでマスクや衝立を外すでしょうから、
ニュースの視聴者よりも、バラエティーの視聴者が、次第にマスクを外し始め、
そこから次第に人々がマスクを外していくのかな?・・・というのが、私が想像する1つのシナリオ(笑)。
ニュース番組で「本日の感染者数」が報じられなくなった時が、頃合いとなるような気もします。

> 大学のリモート授業なんかも、「ああこの教授は、コロナ明けてもリモートでやるだろうな」という人はいますし。
> (逆に大学から命令されない限り対面に拘る教授もいますが。)

ちなみに、旧トルコ担当さんの大学では現状、
授業の何割が対面で、何割がリモートなんですか?
また、リモート授業のメリット or デメリットって、旧トルコ担当さん的には どんな感じです?

自分の学生時代を思い浮かべると、授業1コマの為に大学へ行くのは面倒でしたし(笑)、
自宅から遠距離通学している友人とか、めちゃくちゃ大変そうだなぁ、と見えていたのですが、
これだけリモート授業が増えると、そういうケースって増えている印象があり、
ますます、大学へ足を伸ばす機会が減っちゃいそうなイメージですけど、実際どうなんでしょう?
リアルに集まる機会が減ると、サークル活動とかも支障を来しそうですけど、そちらの方は?
それと、対面授業とリモート授業が連続する時とかって、
リモートでも大学内で受講するしか無い気がするんですけど、それだけの設備って整っているんですか?

あと、まあ理系ですと、実験であったり、TAのサポート抜きには理解が困難な授業があるので、
今でも対面形式の時間は、それなりに多そうな気がするのですが、
これが文系ですと、かなりリモートでも大丈夫な感じがしますけど、こちらも どうなんでしょう?
解りやすく言うと、将来的にリモートのみでも成り立ちそうなレベルですかねえ?
もし そうなれば、日本に居たまま、通信で海外の大学に入学とか、今後は増えそうな気がしますし、
逆に言うと、英米名門校の少人数対面ゼミの価値が、更に上昇しそうな気もします。

ちなみに、もともと出席も取らない、大教室で行うような授業だと、
あれをリモートで行う場合、学生側のカメラ画像って、わざわざ写してたりするんですか?
受講生も大勢いるでしょうから、そこにスペースを割くと画面的にうるさそうですし、
そもそも一方通行な講義スタイルなので、やはり映像を垂れ流すような感じなのでしょうか?

▼ 経済
> 新自由主義が導入されたのって80年代らしいですが、
> これってつまり70年代には資本主義経済があまりうまくいかなくなってた、
> ということですよね?
> うまくいっていたのであれば、あえて変えようとするはずがありませんし。

資本主義経済が・・・と言うよりは、
アメリカやイギリスの経済が、上手く行っていなかったイメージ。
逆に日本はその当時、資本主義経済による繁栄を謳歌していた訳で、
国際的な経済システムが どうこうではなく、
負け組に陥った国が、勝ち組となるべく変革を仕掛けた感じの方が、適当な気がします。

> で、新自由主義もまた、全然良い経済体制ではなかったんですよね?
見も蓋もない事を言えば、勝ち組にとっては、良いシステムですよ(笑)。
逆説的に言えば、不満を貯め込む負け組が増えるほど、
「悪いシステムだ!」との声が大きくなるだけで。

結局、どんなシステムだって、長所と短所があるモノですし、
その時々で、不満の声が最も少なくなった時のシステムが、
結果論として、「良いシステムだ!」と呼ばれるだけの話かと考えています。

> ということは、資本主義ってこの半世紀ほど上手くいっていないってこと?
> 経済理論的にはこの半世紀失敗続きであるとするのであれば、
> 資本主義って思っていたほど強固な体制ではないのかも。

共産主義の終焉が見え始めた80〜90年代の頃、
「共産主義は20世紀最大の宗教だった」という意見が出てきたんですよね。
まあ実際、その論評は そこまで的外れでは無かったと、私も思います。
で、その言葉と対をなすような感じで、
「資本主義は21世紀最大の宗教となるだろう」とも言われていたと。
そして、それから30年あまりが経ち、こちらの指摘も存外 的外れじゃなかった気がするんです。

とは言え、資本主義(信仰?)の時代は、まだまだ続きそうですし、
少なくとも、「この半世紀」で見たならば、共産主義に打ち勝った時代でもあるので、
そこで過信や傲慢さが生まれた、負の側面も確かにあるものの、
「上手くいかなかった」とまでは、さすがに言え無い気はしますね。
冷戦終結後のグローバル経済が、途上国を発展させたのは、紛れもない事実ですし、
先進国が受けたダメージも、富の独占が崩れたというのと、同義であったりもしますので。

> もちろん、新自由主義がうまくいっていないと言っても、経済が崩壊したわけではないでしょうし、
> むしろスマホやらPCやらが普及して生活が豊かになったのも事実ではあるでしょうけど、

この「豊かさ」というのが、ちょっと難しい所ではあるんですけどね。
確かに、一昔前に比べると現在は、便利で、安価で、手軽となった商品が多いですし、
経済格差・地域格差・情報格差などによって、それらを今まで享受できなかった人たちにとっては、
「豊かになった」というのも、決して間違いでは無いと思うんです。
しかし、これらって基本的に、効率化などを進める事によって得られたモノであり、
言うなれば、トップとの差を詰める「引き算と割り算の経済」なんですよね。

でも一方で、その方法は、新たな商品を生み出すような「足し算や掛け算の経済」では無い為、
社会全体の「平均点」としての豊かさは、確実に上昇していたとしても、
社会全体の「最高点」としての豊かさは、果たして上昇できているのか?というのはあります。
で、中間層や下位層が上昇基調の頃は良いにしても、その上昇が一定まで達して鈍化し始めると、
社会全体がマンネリ化して、行き詰まってしまう可能性が、かなり在るようには思えます。
なので、その停滞ムードを破る為にも、足し算や掛け算による「積み上げ」が必要な気がしますが、
しかし現状、AI時代だ何だと言われていますので、そこに至るのは まだまだ時間が掛かりそう・・・・
正直、今の技術のAIは、引き算と割り算に特化している為、
こちらの方向で進んでも、「更なる効率化!」を求める袋小路に入り込みそうですし、
勝ち組と負け組の格差拡大・・・というか、負け組の増産化が進みそうな気がするんですよね。


P.S.
ゴールデンウィークが明けたら、そろそろゲーム作りを再開したいな、という思いがある為、
今後の雑談返信は、短く&遅くなるかも知れません。
御了承下さい。
ちなみに、「この箇所は特に返信が欲しいな」みたいな所があった場合、
それを示していただければ、そこを重点的に返信いたします。

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