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[23361] ww2onlineの改善提案返信 削除
2020/9/29 (火) 01:43:09 トルコ担当

一次大戦系戦場ですが、勝負が長引きすぎる傾向にあるので、30Tで生産力トップの国家が優勝と言うルールに変更してはどうでしょうか?
現在行われている欧州戦場も、もう何回も担当者が入れ替わっていますし(私も途中参戦です。

追記:20周年おめでとうございます


[23364] 第一次大戦のゲームを作るなら返信 削除
2020/9/29 (火) 21:44:59 徳翁導誉

> 一次大戦系戦場ですが、勝負が長引きすぎる傾向にあるので、
> 30Tで生産力トップの国家が優勝と言うルールに変更してはどうでしょうか?
> 現在行われている欧州戦場も、もう何回も担当者が入れ替わっていますし(私も途中参戦です。

う〜ん、でもWW1関連シナリオは、扱う時代性の違いもあり、
元々、WW2関連シナリオよりも、ゆっくり進む意図で作られてますし、
奇襲決着が難しく、じっくりと外交に当たれる仕様にしてあるんですよね。
そういう意味では、もしも早期決着がお望みなら、
WW2関連シナリオの方を選べば良い気もします。

あと、大体の目安としては、WW2関連シナリオは30ターンくらい、
そしてWW1関連シナリオは50ターンくらいで終わるバランスにしてあるので、
それを大きく超えるようだと、ゲーム展開自体の話にもなってきますし・・・・

ただ、もう最近は「がっつり駆け引き」という遊び方では無くなってきてますし、
マニア向けであるWW2オンラインのシステムを、無理して弄るよりも、
WW1なら「連合国×同盟国」、WW2なら「連合国×枢軸国」、冷戦なら「資本国×共産国」と、
個人戦ではなく、2陣営による団体戦として、勝利を目指すゲームを、
新たに作った方が、結局は適しているのかも知れませんね。
マップは「欧州&北米」に限定し、シナリオは「WW1→WW2→冷戦」と回す感じで、
団体戦仕様として、1つのエリアに複数国の軍隊を駐屯できるようにして、
エリア自体にも「支配率(占領率)」とか設定すれば、展開が大味にならずに済むかも?

まあ、2陣営による単純な殴り合いよりも、
3陣営の方が駆け引きも生まれて面白いという事であれば、
十字軍シナリオにして、「カトリック×東方正教×イスラム」でも良いでしょうけど。
単純に3勢力だと、個人的には「朝鮮三国時代」とか、少し興味があるのですが、
高句麗・百済・新羅と1勢力1国なので、団体戦向きの題材では無いのかな?
倭の五王&五胡十六国とか、聖徳太子&隋建国とか、大化改新&唐建国など、
日本や中国まで舞台を広げれば、東アジア史としても刺激的な時代ですし、
逆に言うと、この三国時代が終わり、新羅が半島を統一して以降は、
1200年に亘って、朝鮮は中国隷属の時代に入り、日本も大陸との関わりが薄れるんですよね。

> 追記:20周年おめでとうございます
どうも、ありがとうございます。


[23370] 1次大戦戦場終了報告とCGIサーバーの相談返信 削除
2020/10/4 (日) 20:01:16 旧トルコ担当


1次大戦・欧州戦場がフランスの勝利で終了しました。初期化と保存をお願いします。
http://w2.oroti.net/~tokuou/frame/ww1_europe/ww1_europe.html

> > 一次大戦系戦場ですが、勝負が長引きすぎる傾向にあるので、
> > 30Tで生産力トップの国家が優勝と言うルールに変更してはどうでしょうか?
> > 現在行われている欧州戦場も、もう何回も担当者が入れ替わっていますし(私も途中参戦です。

> う〜ん、でもWW1関連シナリオは、扱う時代性の違いもあり、
> 元々、WW2関連シナリオよりも、ゆっくり進む意図で作られてますし、
> 奇襲決着が難しく、じっくりと外交に当たれる仕様にしてあるんですよね。
> そういう意味では、もしも早期決着がお望みなら、
> WW2関連シナリオの方を選べば良い気もします。
>
> あと、大体の目安としては、WW2関連シナリオは30ターンくらい、
> そしてWW1関連シナリオは50ターンくらいで終わるバランスにしてあるので、
> それを大きく超えるようだと、ゲーム展開自体の話にもなってきますし・・・・


完全に個人的な趣味なんですが、ww1の行動力制の戦場で1か月くらいサクッと遊びたいんですよね。
ただゲームシステム上、ダレルときは100ターン以上にわたってだらだら続くこともあり、
早期決着を望んでいるというよりは、だれるのを防止する目的で、制限ターン数をつけて欲しい、という感じです。
30ターンだと短すぎるということであれば、50ターン、あるいは75ターンでの判定というのはどうでしょうか?

> ただ、もう最近は「がっつり駆け引き」という遊び方では無くなってきてますし、

大国を担当するのはやることが多いうえに、自分の都合・スケジュールに関係なくゲームが展開するためめんどくさくなる、というのが大きいように思っています。
そうすると東西冷戦や二次大戦あたりを舞台にして、一か国を複数人で担当するほうが良いのかな?

私も以下のようなJavaScriptゲームを作ってみたのですが、できればCGIを使って複数人で遊ぶゲームを作りたいんですよね。
アジア新時代 https://devum765.github.io/javascript-game/
歴史ゲームというよりはミリタリー系のゲームを志向しているのですが、どうしても一人用はAI設定が大変になるので。
ただサーバーのことがよくわからなくて、おススメのサーバーなどあれば教えていただけませんか?


[23373] Re:1次大戦戦場終了報告とCGIサーバーの相談返信 削除
2020/10/6 (火) 20:55:18 徳翁導誉

> 1次大戦・欧州戦場がフランスの勝利で終了しました。初期化と保存をお願いします。
お疲れ様です。
過去戦場にアップしておきました。
http://kakolog01.g1.xrea.com/ww1euro_session/ww1euro_32.html


> > > 一次大戦系戦場ですが、勝負が長引きすぎる傾向にあるので、
> > > 30Tで生産力トップの国家が優勝と言うルールに変更してはどうでしょうか?
> > > 現在行われている欧州戦場も、もう何回も担当者が入れ替わっていますし(私も途中参戦です。

> > 個人戦ではなく、2陣営による団体戦として、勝利を目指すゲームを、
> > 新たに作った方が、結局は適しているのかも知れませんね。
> > マップは「欧州&北米」に限定し、シナリオは「WW1→WW2→冷戦」と回す感じで、
> > 団体戦仕様として、1つのエリアに複数国の軍隊を駐屯できるようにして、
> > エリア自体にも「支配率(占領率)」とか設定すれば、展開が大味にならずに済むかも?

> 完全に個人的な趣味なんですが、ww1の行動力制の戦場で1か月くらいサクッと遊びたいんですよね。

題材的に、WW1の欧州に拘りがある感じなのでしょうか?
それとも、例えば同じ7つくらいの大国数なら、
中国の戦国七雄とかでも、どちらでも良い感じなのでしょうか?
いや別に良いのですが、今まで扱ってない題材の方が目新しいかな?と(笑)。
以前は不評で止めてしまいましたけど、今ならターン更新時に一括処理でも、
逆に手軽に遊べて良いかも知れず、ここで話が深まれば実現する可能性も!?
1週間分のコマンド予定を、事前に入力できても良いですね。
・・・って、手軽に遊べるようにする程、安易な放置も増えてしまうかな?
まあ、登録日数が長かったり、未ログイン期間が短いほど、
事前に入力できるコマンド日数を増やしても良いかも知れませんけど。

> > あと、大体の目安としては、WW2関連シナリオは30ターンくらい、
> > そしてWW1関連シナリオは50ターンくらいで終わるバランスにしてあるので、
> > それを大きく超えるようだと、ゲーム展開自体の話にもなってきますし・・・・

> ただゲームシステム上、ダレルときは100ターン以上にわたってだらだら続くこともあり、
> 早期決着を望んでいるというよりは、だれるのを防止する目的で、制限ターン数をつけて欲しい、という感じです。
> 30ターンだと短すぎるということであれば、50ターン、あるいは75ターンでの判定というのはどうでしょうか?

システム的な事を言うと、部隊ユニットに行動制限が無いと30ターンくらい、
有っても50ターンくらいを過ぎると、行動力が必要以上に貯まる事で、
一気に決着まで行きやすいゲーム・バランスにはなっているんですよね、一応。
逆に言えば、ゲーム本来の「駆け引き」を楽しむ為には、そうなる前に決着する方が望ましく、
言い換えてしまうと、バランス反転後の奇襲決着が、判定的な意味合いがあるとも言えます。
言うなれば、積極的なプレーを促しているシステムではあるのですが、
だからと言って、必ずしもプレイヤーが積極的に動く事を保証するモノではなく、
ここに「判定勝利」という要素を加えてしまうと、積極性を更に奪う危険性があると思うんです。

もちろん、プレイヤーは全てのゲームにおいて、
積極的に行動し、駆け引きを行わなければならないって訳では無いのですが、
少なくともWW2オンラインというのは、そういう主旨で作られてるゲームですので、
そこを変に弄ってしまうと、ゲーム自体の意義も失われかねませんし、
だとしたら、新たに別のゲームを作るというのが、正しいような気がするんです。

> > ただ、もう最近は「がっつり駆け引き」という遊び方では無くなってきてますし、
> 大国を担当するのはやることが多いうえに、自分の都合・スケジュールに関係なくゲームが展開するためめんどくさくなる、というのが大きいように思っています。
> そうすると東西冷戦や二次大戦あたりを舞台にして、一か国を複数人で担当するほうが良いのかな?

1ヶ国を複数人でプレーする方式は、「集団ディプロマシー」で試した事がありますけど、
新たに国内調整が加わるので、1人1国の時よりも、却って大変になる印象でした。
まあ、国家は単なる器で、プレーは個人単位であれば、それも可能なのかな?
例えば米ソ冷戦であれば、アメリカかソ連で登録したら、
その後は大統領や書記長を目指しつつ、相互に米ソに影響を及ぼし合うとか。

> 私も以下のようなJavaScriptゲームを作ってみたのですが、できればCGIを使って複数人で遊ぶゲームを作りたいんですよね。
> アジア新時代 https://devum765.github.io/javascript-game/

おお、凄いじゃないですか!!
いつ頃から作り始められたのですか?
こういうのを見せられると、私も久しぶりに何か作りたくなりますね(笑)。
キチンとした1人用ゲームは、もう10年以上作ってませんけども、
作ってみたいアイデア自体は、あれこれ沢山ありますし。
って、逆に尋ねますと、これから扱ってみたい題材とか、いろいろあるのでしょうか?

> 歴史ゲームというよりはミリタリー系のゲームを志向しているのですが、どうしても一人用はAI設定が大変になるので。
確かに、思考ルーチン(今風に言うとAI)を作るのが、
1人用ゲームだと、かなり大変な部分なんですよね!!
特に、システムが複雑に為れば為るほど、AI作りは困難を極めますし、
その点、多人数ゲームであれば、そこはプレイヤー担当になるので、
プログラム的にはAI作りまで考えなくてもOKになり、システム作りに集中できると(笑)。
この辺の話は、確か16〜17年くらい前に、旧掲示板の方で、
緑川縁石さんと話した記憶がありますけど・・・当時を知る人は当然居ないでしょうね。

ただ一方で、これだけ機械学習が普及してくると、ゲームAIに関して、
そうやって強くしたり、場合によっては個性を演出したりなど、
一昔前に比べると、いろいろ出来る事は増えた気がするので、
そこに挑戦してみるというのも、ちょっと面白いかも知れませんけどね。
それこそ以前のゲームAIは、チート行為だって珍しく無かったですが、
囲碁や将棋のAIが人間を超えたように、プレイヤーと同じ条件の下、
純粋に最適なコマンド選択を探し出して、実力として上回る事も、
今では可能な時代になっているでしょうからね。
今後の実用面を考えれば、その辺の技術を身に付けておくのは、良い事かも?

> ただサーバーのことがよくわからなくて、おススメのサーバーなどあれば教えていただけませんか?
良いサーバーがあるのなら、私が教えて貰いたい所だったり(笑)。
とりあえず私が知っている中で、CGI可&無料で最も無難だったのが、
「XREA」であり、だから現状だと、そこを利用している訳ですね。
とは言え、この前のように、長期のサーバー不調とかありましたが・・・・
あとはGeoCitiesの閉鎖当時、月額500円ほどの「さくらサーバー」も検討したかな?
こちらも、値段の割には、そこそこ評判が良かったので。

まあ、ビジネス目的であれば、それなりに投資した方が良いのでしょうけど、
趣味として無料で公開するのであれば、そうしたカネ勘定に気を回したく無く、
出来れば無料で、気楽に運営したい気持ちが強いですね、個人的には。
って、そんな古いタイプのネット世代だから、今の時代に合わないんでしょうね(苦笑)。
昔のようにユーザーを「仲間」ではなく、「お客様」と割り切って考えた場合、
それなりに投資して、サイトの環境や使い勝手をキチンと整備した上で、
広告収入や課金などでビジネス的に回し、ちゃんと積極的に運営を行う方が、
ユーザー側にも、運営側にも利があり、それが可能な時代となっていますので。
分野は違いますけど、コミケなんかも現在では、そんな感じなのでは無いでしょうか?
小さな趣味人の世界観が好きな私からすると、少し物悲しいですが、
それだけネットも一般社会に広まり、大きく普遍化したって事ではあるんですよね。


[23375] Re2:1次大戦戦場終了報告とCGIサーバーの相談返信 削除
2020/10/8 (木) 21:08:19 旧トルコ担当


> > > > 一次大戦系戦場ですが、勝負が長引きすぎる傾向にあるので、
> > > > 30Tで生産力トップの国家が優勝と言うルールに変更してはどうでしょうか?
> > > > 現在行われている欧州戦場も、もう何回も担当者が入れ替わっていますし(私も途中参戦です。

> > 完全に個人的な趣味なんですが、ww1の行動力制の戦場で1か月くらいサクッと遊びたいんですよね。

> 題材的に、WW1の欧州に拘りがある感じなのでしょうか?
> それとも、例えば同じ7つくらいの大国数なら、
> 中国の戦国七雄とかでも、どちらでも良い感じなのでしょうか?
> いや別に良いのですが、今まで扱ってない題材の方が目新しいかな?と(笑)。
> 以前は不評で止めてしまいましたけど、今ならターン更新時に一括処理でも、
> 逆に手軽に遊べて良いかも知れず、ここで話が深まれば実現する可能性も!?
> 1週間分のコマンド予定を、事前に入力できても良いですね。
> ・・・って、手軽に遊べるようにする程、安易な放置も増えてしまうかな?
> まあ、登録日数が長かったり、未ログイン期間が短いほど、
> 事前に入力できるコマンド日数を増やしても良いかも知れませんけど。


いえ、題材には大してこだわりはないのですが、今遊んでる赤い嵐がもう少し(個人的な主観ですが)遊びやすくなればなー、と考えているだけです。
新しいゲームを作るとなると、時間も手間もかかりますが、既存のゲームを少し改良するなら簡単にできるのではないかと。

> > > あと、大体の目安としては、WW2関連シナリオは30ターンくらい、
> > > そしてWW1関連シナリオは50ターンくらいで終わるバランスにしてあるので、
> > > それを大きく超えるようだと、ゲーム展開自体の話にもなってきますし・・・・

> > ただゲームシステム上、ダレルときは100ターン以上にわたってだらだら続くこともあり、
> > 早期決着を望んでいるというよりは、だれるのを防止する目的で、制限ターン数をつけて欲しい、という感じです。
> > 30ターンだと短すぎるということであれば、50ターン、あるいは75ターンでの判定というのはどうでしょうか?

> システム的な事を言うと、部隊ユニットに行動制限が無いと30ターンくらい、
> 有っても50ターンくらいを過ぎると、行動力が必要以上に貯まる事で、
> 一気に決着まで行きやすいゲーム・バランスにはなっているんですよね、一応。
> 逆に言えば、ゲーム本来の「駆け引き」を楽しむ為には、そうなる前に決着する方が望ましく、
> 言い換えてしまうと、バランス反転後の奇襲決着が、判定的な意味合いがあるとも言えます。
> 言うなれば、積極的なプレーを促しているシステムではあるのですが、
> だからと言って、必ずしもプレイヤーが積極的に動く事を保証するモノではなく、
> ここに「判定勝利」という要素を加えてしまうと、積極性を更に奪う危険性があると思うんです。
> もちろん、プレイヤーは全てのゲームにおいて、
> 積極的に行動し、駆け引きを行わなければならないって訳では無いのですが、
> 少なくともWW2オンラインというのは、そういう主旨で作られてるゲームですので、
> そこを変に弄ってしまうと、ゲーム自体の意義も失われかねませんし、
> だとしたら、新たに別のゲームを作るというのが、正しいような気がするんです。


確かに、既存のゲームバランスを崩すのであれば、新しいゲームを作るべきというのは納得しました。

> 1ヶ国を複数人でプレーする方式は、「集団ディプロマシー」で試した事がありますけど、
> 新たに国内調整が加わるので、1人1国の時よりも、却って大変になる印象でした。


なるほど……

> > 私も以下のようなJavaScriptゲームを作ってみたのですが、できればCGIを使って複数人で遊ぶゲームを作りたいんですよね。
> > アジア新時代 https://devum765.github.io/javascript-game/

> おお、凄いじゃないですか!!
> いつ頃から作り始められたのですか?


製作期間としては10日、100時間弱くらいだと思います。
その後のアプデでさらに30時間くらいかな?
時間のわりに内容は大したものじゃないんですがw

> こういうのを見せられると、私も久しぶりに何か作りたくなりますね(笑)。
> キチンとした1人用ゲームは、もう10年以上作ってませんけども、
> 作ってみたいアイデア自体は、あれこれ沢山ありますし。
> って、逆に尋ねますと、これから扱ってみたい題材とか、いろいろあるのでしょうか?


作りたい一人用ゲームとしては、ナポレオン戦争以降から第二次世界大戦終戦までくらいをテーマにした政治・経済・軍事の要素があるゲームを作ってみたいとは前々から思っています。
似たゲームにVictoriaちというゲームがあるのですが、ゲームとしては作業量が多くて、プレイするのに時間もかかるんですよね(1プレイ100年くらいがだいたい15時間くらい)。
これは何でかというと、個人的なゲームデザイン論になるのですが、(以下長いです)

シミュレーションゲームはゲームシステムを複雑にする必要があるわけです。
(そうでないと賢いプレイヤーは何度かプレイしてすぐに勝ちパターンなり、最適な行動を見つけてしまうので)
そこでいかにゲームを複雑にするのかが問題になるのですが、私は2つ方法があると思っていて、
1つがプレイヤーの操作できる要素を増やすこと、もう1つが各要素の関連性を複雑にすることです。
例を上げれば、信長の野望の開墾コマンドはプレイヤーの操作できる要素を増やす方向性のものです。
私がやったシリーズの信長の野望では、開墾コマンドは政治の高い武将に開墾を割り当てると勝手に国の農業値が上昇していくんですよね。
でもこれは他の要素との関連性が低く、プレイヤーの作業量を増やす割にはゲーム性自体はあまり複雑になっていないと思っています。
(強いて言えば、政治の高い武将は一部武力にたけた武将もおり(織田家だと秀吉とか)、こういった武将を内政に回すか、軍事に回すかはゲーム性を高めてはいると思いますが)
逆に各要素の関連性を極限まで増やしているのが将棋です。あれは操作(とはアナログゲームでは言わないけど)は簡単な割に、すごく考えさせられますよね。
それは駒を一つ動かすことが、非常に複雑に多くの要素と絡み合っているからです。
要するに、各要素の関連性をゲーム内部で増やしていけば、プレイヤーの作業量を増やさずに、面白いゲームが作れると。
で、今回作ったアジア新時代も可能な限りその方向でゲームを作っていて、あのゲームは操作こそ簡単ですが(作業量が少ないということ)、
戦争一回するにも各国の勢力バランスを考えなければならず、それを誤れば一回の操作で一気に滅亡への道のりを歩むように作ったつもりです。
話は戻りますが、ナポレオン戦争以降から第二次世界大戦終戦まで辺りを再現するゲームも、そんな感じで簡単操作で複雑なゲーム性を与えたいんですよね。
Victoiraとかはどうしても作業力が膨大で時間がかかるゲームなので。

あともう一つやりたいのが、完全な歴史シミュレーションを作ってみたくはあります。
時代は前近代を舞台にして、プレイヤーは一切干渉せずに、ゲームの中でランダム生成された国家やキャラクターが勝手に動いて歴史を作っていくような。
キャラ数は歴史上の大帝国ならば1000人くらいが生成されて、皇帝は熱心に政治をする奴もいれば、遊び惚けるやつもいると。
貴族(官僚)は人民のための政治を目指すやつもいれば、外戚政治で権力を握ろうとしたり、将軍は場合によっては反乱を起こしたりと。
商品も50種類くらい用意して、それが商人によって交易ルートに乗って世界中に運ばれたり、それを狙う海賊がいたり。
発明とか宗教とかの要素も用意したいですね。
地形生成なんかも完全にランダムにして、西はアメリカから東は日本までくらいの地球を自動で生成すると。
はじめは各地域がばらばらな歴史を形成していくんだけれども、科学技術が発展していくにしたがって世界の一体化が進んでいくみたいな。
あるいは大火山の噴火によって地球の平均気温が下がると、それまで繁栄していた大帝国が衰退していくみたいな。
飢えた農民が反乱を起こしたり、都市で打ちこわしが起こったり、人口が農村に流出したり、犯罪が取り締まられなくなったり。
そういう時に限って無能な皇帝が即位して、実力ある部下がクーデターを起こすけれど帝国の末端まで掌握しきれなかったりと。
そんな感じの歴史シミュレーションを作って、掲示板なんかでワイワイ観察するのも面白いかなー、と考えています。

> > 歴史ゲームというよりはミリタリー系のゲームを志向しているのですが、どうしても一人用はAI設定が大変になるので。
> 確かに、思考ルーチン(今風に言うとAI)を作るのが、
> 1人用ゲームだと、かなり大変な部分なんですよね!!
> 特に、システムが複雑に為れば為るほど、AI作りは困難を極めますし、
> その点、多人数ゲームであれば、そこはプレイヤー担当になるので、
> プログラム的にはAI作りまで考えなくてもOKになり、システム作りに集中できると(笑)。
> ただ一方で、これだけ機械学習が普及してくると、ゲームAIに関して、
> そうやって強くしたり、場合によっては個性を演出したりなど、
> 一昔前に比べると、いろいろ出来る事は増えた気がするので、
> そこに挑戦してみるというのも、ちょっと面白いかも知れませんけどね。
> それこそ以前のゲームAIは、チート行為だって珍しく無かったですが、
> 囲碁や将棋のAIが人間を超えたように、プレイヤーと同じ条件の下、
> 純粋に最適なコマンド選択を探し出して、実力として上回る事も、
> 今では可能な時代になっているでしょうからね。
> 今後の実用面を考えれば、その辺の技術を身に付けておくのは、良い事かも?


うーん、でもあまりAIが強くても人間が勝てなくて面白くないと思うんですよね。
勝敗が7:3でプレイヤーが勝てるくらいのバランスが、理想的な対AIゲームだと個人的には思っていて、
私が作ったゲームでもやろうと思えばもっと賢いAIも作れるのですが、その辺は多少がばがばにあえてしていますし、
ディープラーニング的なものを組み込んだ信長の野望で、中小大名では絶対に天下統一できないバランスも、それはそれで面白くないでしょうしw

> > ただサーバーのことがよくわからなくて、おススメのサーバーなどあれば教えていただけませんか?
> 良いサーバーがあるのなら、私が教えて貰いたい所だったり(笑)。
> とりあえず私が知っている中で、CGI可&無料で最も無難だったのが、
> 「XREA」であり、だから現状だと、そこを利用している訳ですね。
> とは言え、この前のように、長期のサーバー不調とかありましたが・・・・
> あとはGeoCitiesの閉鎖当時、月額500円ほどの「さくらサーバー」も検討したかな?
> こちらも、値段の割には、そこそこ評判が良かったので。


なるほど、やはりxreaくらいしか無い感じなのですか。
アカウントを作る際にクレカの番号を請求されたので別のサーバーを探していたんですが、有料ではないんですね。
 
> まあ、ビジネス目的であれば、それなりに投資した方が良いのでしょうけど、
> 趣味として無料で公開するのであれば、そうしたカネ勘定に気を回したく無く、
> 出来れば無料で、気楽に運営したい気持ちが強いですね、個人的には。
> って、そんな古いタイプのネット世代だから、今の時代に合わないんでしょうね(苦笑)。
> 昔のようにユーザーを「仲間」ではなく、「お客様」と割り切って考えた場合、
> それなりに投資して、サイトの環境や使い勝手をキチンと整備した上で、
> 広告収入や課金などでビジネス的に回し、ちゃんと積極的に運営を行う方が、
> ユーザー側にも、運営側にも利があり、それが可能な時代となっていますので。
> 分野は違いますけど、コミケなんかも現在では、そんな感じなのでは無いでしょうか?
> 小さな趣味人の世界観が好きな私からすると、少し物悲しいですが、
> それだけネットも一般社会に広まり、大きく普遍化したって事ではあるんですよね。


うーん、ちょっと違うような気もしますけどね。例えばコミケなんかも相変わらずサークルの8割までは100部以下しか売れてませんし、
コミケの注目度が高くなったことで大手の儲かっているサークルばかりが目立ちはしていますが、あの辺の本質は変わっていないと思います。
コミケは一般的な知名度も上がったことでお客さん率も相応ですが、それ以外の即売会はやはり特有の熱気があります。
特にオンリーイベントなんかはまだまだ濃い人たちが集まってる感じですね。
ただそういうのは本当に限られた範囲の間でしか情報が流通しないので、部外者にはほとんど分かりませんが。
しかしネットインフラが整ってビジネスにしやすくなったことで、趣味でやっているアマチュアの人がお金を得やすくなって、その辺りの境界線があいまいになってはいると思います。
中小動画投稿者がお小遣い程度のお金を稼げたり、pixivなんかでも気軽の募集・応募できるイラスト及び漫画のリクエスト機能が最近できたりと。


[23383] 1人用ゲームのAIとシステムに関して返信 削除
2020/10/13 (火) 20:58:01 徳翁導誉

> > > > > 一次大戦系戦場ですが、勝負が長引きすぎる傾向にあるので、
> > > > > 30Tで生産力トップの国家が優勝と言うルールに変更してはどうでしょうか?
> > > > > 現在行われている欧州戦場も、もう何回も担当者が入れ替わっていますし(私も途中参戦です。

> > > 完全に個人的な趣味なんですが、ww1の行動力制の戦場で1か月くらいサクッと遊びたいんですよね。

> > 題材的に、WW1の欧州に拘りがある感じなのでしょうか?
> > それとも、例えば同じ7つくらいの大国数なら、
> > 中国の戦国七雄とかでも、どちらでも良い感じなのでしょうか?
> > いや別に良いのですが、今まで扱ってない題材の方が目新しいかな?と(笑)。

> いえ、題材には大してこだわりはないのですが、
> 今遊んでる赤い嵐がもう少し(個人的な主観ですが)遊びやすくなればなー、と考えているだけです。
> 新しいゲームを作るとなると、時間も手間もかかりますが、
> 既存のゲームを少し改良するなら簡単にできるのではないかと。

んん? 赤い嵐の話なんですか?
確かに赤い嵐は、WW2オンラインの延長線上にあるゲームですけど、
私の中では、WW2オンラインと赤い嵐は、完全に別ゲームの扱いになってますね。
また、WW2オンラインに関しては、ゲーム的にかなり作り込んである為、
目先の人気対策に捉われ、下手に蛇足を加えて、その完成度自体を失わせるくらいなら、
いっその事、こちらは倉庫送りにし、新たに別ゲームを作った方がマシだと考えているんです。

キツい言い方をすれば、その変更は改良ではなく、改悪であると。
自分で言うのも何ですけど、「WW2オンライン」と「日本大統領選挙」に関しては、
それくらい、我ながら良くできたゲームだと自負していますし、
2度の優勝者大会の白熱した戦いが、その証左になっているかと思っています。
言い換えると、これらを変に弄るより、新たに別物を作った方が精神的に楽なんです(笑)。


> > > 私も以下のようなJavaScriptゲームを作ってみたのですが、
> > > できればCGIを使って複数人で遊ぶゲームを作りたいんですよね。
> > > アジア新時代 https://devum765.github.io/javascript-game/

> > おお、凄いじゃないですか!!
> > いつ頃から作り始められたのですか?

> 製作期間としては10日、100時間弱くらいだと思います。
> その後のアプデでさらに30時間くらいかな?
> 時間のわりに内容は大したものじゃないんですがw

ちなみに、これは第1作目なのでしょうか?
それとも、まだ他にも、作られた作品があるのかな?
また、プログラムの勉強に関しても、これキッカケで始められたのでしょうか?

> > こういうのを見せられると、私も久しぶりに何か作りたくなりますね(笑)。
> > キチンとした1人用ゲームは、もう10年以上作ってませんけども、
> > 作ってみたいアイデア自体は、あれこれ沢山ありますし。
> > って、逆に尋ねますと、これから扱ってみたい題材とか、いろいろあるのでしょうか?

> 作りたい一人用ゲームとしては、ナポレオン戦争以降から第二次世界大戦終戦までくらいをテーマにした
> 政治・経済・軍事の要素があるゲームを作ってみたいとは前々から思っています。
> 似たゲームにVictoriaちというゲームがあるのですが、ゲームとしては作業量が多くて、
> プレイするのに時間もかかるんですよね(1プレイ100年くらいがだいたい15時間くらい)。

おお、この辺りの好みは、私とかなり似通ってますね(笑)。
世界史Flashで扱った題材の多さからも解るかも知れませんが、
私は、七年戦争(1754)から第一次大戦(1914)に至る時代、
言うなれば、「帝国主義時代」や「長い19世紀」と呼ばれる時代が結構好きでして、
ゲーム的に作り込んでみたい題材ではあります。

より具体的に言うと、Victoriaを光栄ゲーム的に料理すると言いますか、
蒼き狼4・EuropaUniversalis・Civilizationを足し合わせた感じのゲームが理想型かな?
光栄ゲームはぬるいのですが、プレー中の脳汁は海外ゲームよりも湧くんですよね(笑)。
箱庭マップ上で、イギリスに工場を建てたり、シベリアに横断鉄道を敷いたり、
植民地でプランテーション農場を作ったりなど、視覚的に楽しめるのは魅力ですし、
キャラ化した史実人物を縦横無尽に活躍させると、脳内の妄想世界を表現できる強味です!!
まあ、箱庭内政や人物キャラ化みたいに、そこまでゲーム的な表現に走らなくとも、
洋ゲーほどのシビアさよりは、世界征服できるくらいの自由度が欲しい所。

「秀吉の野望」や「信玄の野望・世界編」の構想も、その延長線上にあると言えますね。
史実では朝鮮半島止まりでも、戦国オールスターで世界に打って出たいですし、
それはさすがに妄想が過ぎるという事で有れば、帝国主義時代を題材にして、
提督の決断ならぬ、「帝国の決断」を作ってみたいんですよね。
そして、帝国の決断を汎用的なシステムで作れば、全時代&全地域対応のゲームに出来るかな?と。

> シミュレーションゲームはゲームシステムを複雑にする必要があるわけです。
> (そうでないと賢いプレイヤーは何度かプレイしてすぐに勝ちパターンなり、最適な行動を見つけてしまうので)

う〜ん、そこは私の考えとは正反対かなぁ。
私自身は「Simple is BEST!!」が、ゲーム上の個人的な信念であり、
ボードゲームをPC上で豪華に表現するのが、理想型の1つではあります。
シンプルだけど奥深いシステムこそ、頭をフルに回転できると思いますし、
アナログ的に扱える範囲や表現が、人間にとってのリアルな手のひらサイズだと思うんです。
その上で、コンピューターの優れた計算力や視覚表現などを、そこに加えていくと。

> 1つがプレイヤーの操作できる要素を増やすこと、もう1つが各要素の関連性を複雑にすることです。
要素や項目をあれこれ増やすのは、解りやすく伝わりやすい目新しさはあるのですが、
結局の所、それらってゲーム・システム的には、蛇足になってしまいがちなんですよね。

> 逆に各要素の関連性を極限まで増やしているのが将棋です。
> あれは操作(とはアナログゲームでは言わないけど)は簡単な割に、すごく考えさせられますよね。
> それは駒を一つ動かすことが、非常に複雑に多くの要素と絡み合っているからです。

こちらに関しては、是であり、非でもあります。
例えば戦闘とかで、レベルの数値に応じて強弱が決まるよりも、
ジャンケンの三竦みのように相性とかが絡み合う方が、駆け引きが生まれて深みが増しますし、
少ない要素を組み合わせる事で、多種多様な表現が行えるのも理想ではあります。
ただ一方で、その絡み合いがブラック・ボックス化してしまうと、
どういう因果関係が結果が出ているのかが把握できず、プレー上のストレスになる事があります。
例えば赤い嵐の治安要素なんて、5つの要素が増減に影響する為、
どうして増減するかが把握しにくく、不満の種になる事がありますからねえ。

> 話は戻りますが、ナポレオン戦争以降から第二次世界大戦終戦まで辺りを再現するゲームも、
> そんな感じで簡単操作で複雑なゲーム性を与えたいんですよね。
> Victoiraとかはどうしても作業力が膨大で時間がかかるゲームなので。

「何時間でも遊べる」よりも、「短時間で遊べる」方が、
時代的にも適してる面はあるでしょうしね(笑)。
あれくらいエリアが細かく分かれているのも良いのですが、
コンパクトに楽しむなら、もっと大まかな分け方でも良いでしょうし。
まあ、CGIゲームとかだと時間が掛かっちゃうのですが、
1人用ゲームであれば、赤い嵐くらいのサイズで良いのかも知れません。

> あともう一つやりたいのが、完全な歴史シミュレーションを作ってみたくはあります。
> 時代は前近代を舞台にして、プレイヤーは一切干渉せずに、
> ゲームの中でランダム生成された国家やキャラクターが勝手に動いて歴史を作っていくような。

半年くらい前に、弁さんとの雑談で話題に出てきた
「下天3」や「ガイアチャンネル」に、イメージ的には近いのかな?
シミュレーション・ゲームと言うよりも、歴史シミュレーター的な感じで。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22954#22954
同じく、雑談で語った「歴史物理学」によるシミュレーションであったり、
「人工生命」の生態系をサーバー上に作ったりなどの企画案にも、通ずる所があるかも?
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22804#22804
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20453#20453

また、昔の同人ゲームですと、架空戦史観戦ソフト「歴史隆々」というのも有りましたね。
https://note.com/yokan404/n/nd0952fae73a1
あとは、スーパーファミコン「アクトレイザー」の内政パートのように、
神の視点から、多少は干渉できるくらいの方が、やはり見ていて面白いかも?

> 地形生成なんかも完全にランダムにして、西はアメリカから東は日本までくらいの地球を自動で生成すると。
地形はランダム生成なんですね。
「Civilization」シリーズとかもそうなのですが、
もちろん、そちらの方がゲーム性が上がるのは解るものの、
個人的には、やはり史実マップの方が燃えるんですよね(笑)。

> そんな感じの歴史シミュレーションを作って、
> 掲示板なんかでワイワイ観察するのも面白いかなー、と考えています。

掲示板でとなると、ちょっと厳しいのでは?というのが、正直な感想ですね。
「ワイワイ観察」となると、やはりリアルタイム実況的になりますので、
Twitterとかの方が向いてる気はしますが、そうなると今度は同時視聴の制限が掛かり、
結局の所、ニコニコ動画のような「疑似リアルタイム」的な方法が最適な感じがします。
ライフゲームの勢力争い動画とか、コメント付きの方が面白いですしね。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm766671


> > > 歴史ゲームというよりはミリタリー系のゲームを志向しているのですが、
> > > どうしても一人用はAI設定が大変になるので。

> > 確かに、思考ルーチン(今風に言うとAI)を作るのが、
> > 1人用ゲームだと、かなり大変な部分なんですよね!!
> > 特に、システムが複雑に為れば為るほど、AI作りは困難を極めますし、
> > その点、多人数ゲームであれば、そこはプレイヤー担当になるので、
> > プログラム的にはAI作りまで考えなくてもOKになり、システム作りに集中できると(笑)。
> > ただ一方で、これだけ機械学習が普及してくると、ゲームAIに関して、
> > そうやって強くしたり、場合によっては個性を演出したりなど、
> > 一昔前に比べると、いろいろ出来る事は増えた気がするので、
> > そこに挑戦してみるというのも、ちょっと面白いかも知れませんけどね。

> うーん、でもあまりAIが強くても人間が勝てなくて面白くないと思うんですよね。
> 勝敗が7:3でプレイヤーが勝てるくらいのバランスが、理想的な対AIゲームだと個人的には思っていて、
> 私が作ったゲームでもやろうと思えばもっと賢いAIも作れるのですが、その辺は多少がばがばにあえてしていますし、
> ディープラーニング的なものを組み込んだ信長の野望で、
> 中小大名では絶対に天下統一できないバランスも、それはそれで面白くないでしょうしw

でも最終的には、AIの出来自体よりも、その強さの匙加減ですよね!?
とりあえず強いAIを作っておけば、そこから弱くする事は可能ですし、
後はプレイヤーの要望に合わせて、その強さを調節すると。
接待ゴルフや接待麻雀にしても、結局は、その相手に応じた匙加減が重要なはずで、
また、指導碁のようにレッスンが望みなら、そこにも合わせていく事が必要となります。
それこそ、将棋や囲碁の世界では、AIがプロ棋士を圧倒するようになり、
プロ棋士もAIを使った研究を、当然のように行うようになりましたけど、
でもまだ、適切に指導レッスンをしてくれるAIというのは、そこまでじゃ無いんですよね。

また、AIがプロ棋士の脅威になり始めた当時、棋士の中には恨み節を吐く人も居ましたけど、
考えようによっては、今や、人とAIが共存する世界の最先端に居るんですよね。
史上最年少のタイトル保持者となった藤井聡太2冠なんて、趣味が自作PCであり、
タイトル獲得の記者会見でも、「落ち着いたらパソコンを1台組みたい」と発言していましたが、
期待通りと言いますか、以前ここでも少し話題に触れた、
「Ryzen Threadripper 3990X」という50万円64コア128スレッドの化け物CPUを購入したとか!?
個人レベルで、この性能のCPUを活かせる人なんて、実際は限られているでしょうけど、
藤井2冠に関しては、その数少ない1人でしょうね(しかも趣味と実益を兼ねている)。
そして近年は、GCP(Google Cloud Platform)やAWS(Amazon Web Services)など、
クラウドで高性能なコンピューターを手軽に利用できるサービスも登場してきてますし、
将棋以上に、計算よりも感覚で打てる囲碁の世界では、AI活用が進んでいるようです。
AIの手を計算的に真似るのは困難でも、感覚的に真似る事は、まだ可能ですからねえ。

『女流囲碁トップ棋士が語る、相棒AIとの付き合い方』
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01132/122400009/

・・・って、何だか話が脱線してしまいましたけど、
要はAIの使い方次第だと思うんですよね。
それこそプロ棋士も、AIと対戦しても勝てない為、実際に対局するよりも、
候補手を探したり、自分の手を採点したりに、AIを活用しているらしいので、
確かに、本気モードのAIにタコ殴りにされたいプレイヤーは皆無かと思います(笑)。
その一方で、プレイヤーの好みというのは、それこそ千差万別であり、
海外ゲームのように、シビアな強さを求める人もいれば、
もっと自由に世界観を展開できて、妄想に浸れる方を求める人もあり、
その中間として、「天下統一」であったり、信長なら「天翔記」を求める人がいると。
ですから、その人の要望に合わせて、AIが手を緩めてくれたり、
いっその事、過去のプレー・データや傾向の統計、感情データの取得などにより、
適切な接待プレーをしてくれたりも良いかも知れませんが、
とりあえず面白そうなのは、AIに各大名ごとの行動個性を持たせる事でしょうか?
強さの方で余裕があれば、そちらの方向にAI能力を回せる気がするんですよね。

と言いますか、20年くらい前、歴史ゲーム好きが集うマニアックな掲示板では、
今ほどパソコンが高性能では無かった時代に、
「チート行為をしなくても、手応えのあるAI」だとか、
「プレイヤーの勢力拡大スピードに合わせて、AI大名も拡大させるAI」とか、
「大名ごとの個性を表現できるAI」とか、いろいろ語り合われてましたね(笑)。
今でも、そういった場所があれば嬉しいんですけど、難しいんだろうなぁ・・・・

> > > ただサーバーのことがよくわからなくて、おススメのサーバーなどあれば教えていただけませんか?
> > 良いサーバーがあるのなら、私が教えて貰いたい所だったり(笑)。
> > とりあえず私が知っている中で、CGI可&無料で最も無難だったのが、
> > 「XREA」であり、だから現状だと、そこを利用している訳ですね。
> > とは言え、この前のように、長期のサーバー不調とかありましたが・・・・
> > あとはGeoCitiesの閉鎖当時、月額500円ほどの「さくらサーバー」も検討したかな?
> > こちらも、値段の割には、そこそこ評判が良かったので。

> なるほど、やはりxreaくらいしか無い感じなのですか。
> アカウントを作る際にクレカの番号を請求されたので別のサーバーを探していたんですが、有料ではないんですね。

どこの無料サーバーも、大体そうだとは思いますけど、
無料プランの他に、サービス内容を充実させた有料プランがあるかと思います。
ですので、クレジットカードの番号入力を要求されたという事は、
有料プランの申し込みページだったのかな?と思われます。
少なくとも、1年半前のGeoCitiesの閉鎖に伴うXREA移設の際には、
そうした作業を行った記憶が、私にはありませんので。


> > 昔のようにユーザーを「仲間」ではなく、「お客様」と割り切って考えた場合、
> > それなりに投資して、サイトの環境や使い勝手をキチンと整備した上で、
> > 広告収入や課金などでビジネス的に回し、ちゃんと積極的に運営を行う方が、
> > ユーザー側にも、運営側にも利があり、それが可能な時代となっていますので。
> > 分野は違いますけど、コミケなんかも現在では、そんな感じなのでは無いでしょうか?
> > 小さな趣味人の世界観が好きな私からすると、少し物悲しいですが、
> > それだけネットも一般社会に広まり、大きく普遍化したって事ではあるんですよね。

> うーん、ちょっと違うような気もしますけどね。
> 例えばコミケなんかも相変わらずサークルの8割までは100部以下しか売れてませんし、
> コミケの注目度が高くなったことで大手の儲かっているサークルばかりが目立ちはしていますが、
> あの辺の本質は変わっていないと思います。
> コミケは一般的な知名度も上がったことでお客さん率も相応ですが、それ以外の即売会はやはり特有の熱気があります。
> 特にオンリーイベントなんかはまだまだ濃い人たちが集まってる感じですね。
> ただそういうのは本当に限られた範囲の間でしか情報が流通しないので、部外者にはほとんど分かりませんが。

いや〜、言わんとしている事は解るのですが、
私が言いたいのは、そういう所では無いんですよねえ・・・・
趣味人の気質というのは、今も昔も大して変わらない気がするのですが、
それを取り巻く環境というのは、かなり変わった感じがするんです。
それまでは繋がる事が難しかったコミュニティーが、
ネットの登場により、一気に広まったのは良いのですが、
今やコントロールできないほど、広がってしまったのでは無いかと?

趣味の世界というのは元来、ビジネスの世界と違って、
「クリエイター」と「ユーザー」は明確に分かれておらず、
小さい世界だからこそ、両者は地続きの存在だったと思うんですよ。
例えばネット上の動画投稿サイトにしても、
初期のニコニコ動画というのは、視聴者層こそが投稿者を生む苗床であり、
視聴者もコメントを介して、一緒に「動画」を作り上げていく部分がありました。
しかし、現在のYouTubeを見ていると、確かに視聴者数は爆発的に増えた一方で、
投稿する層と視聴する層が完全に分離し、投稿者のプロ化も進んでいる印象です。
そしてニコニコ動画も今ではYouTube以上に、有料配信などのビジネス化が進んでいます。
もちろん、ニコニコ動画の方に関しては、視聴者数の減少が、
そうした方向性に進ませている大きな要因と言えますけど、
そもそも視聴者が減少した原因は、投稿動画の質の低下にあると感じており、
その理由も、投稿者と視聴者の分離という「お客様化」にあった気がするんです。

2chにせよ、ニコ動にせよ、利用者が増えれば必然的に、玉石混淆の石の割合が増え、
彼らは無自覚なまま、空気を白けさせるのに絶大な効果を発揮します・・・・
そうなってしまえば、クリエイター側も創作意欲を削がれると。
ぶっちゃけ趣味というのは、「楽しいから」行っている訳ですし、
それが楽しくなくなれば、「つまらなさ」の負のスパイラルが起きると思うんです。
でも、そうした仲間内の空気感というのは、規模が小さいから保てるモノで、
その規模が大きくなればなるほど、それを保つのは非常に困難な事なのでしょうね。
そして規模が大きくなると、それを持続させる為に、ビジネス化が避けられない気がするんです。
ニコ動衰退の原因として挙げられる「回線の細さ」や「画質の悪さ」などの不満点は、
もう既に、視聴者がお客様化した後の話だと思いますし、
そこに論点が移ってしまうと、質を担保できる資本力の差の勝負になってきます。
だからこそ、以前よりあったYouTubeが、ここに来て存在感を爆発させているのかも知れません。

コミケに関して言うと、入場が有料化された時点で、
そうした割り切りが行われたように、私には感じるんですよね。
まあ、あれだけの規模のイベントが、今まで入場無料だった事自体が凄い事なのですが、
でも逆に言うと、これだけ大きくなってしまえば、昔ながらのノリのままとは行かないはずなんです。
もちろん、だからと言って、昔からの趣味的な世界が一掃される訳では無いですし、
残された数少ない居場所には、以前よりも濃厚な空気が生まれる事はあります。
ただ、一旦そうなってしまうと、新規層の開拓が非常に難しくなる所があるんですよ・・・・
簡単に言えば、アクセスが難しくなってしまうと。
(ちなみに「サークルの8割までは100部以下」というのは肌感覚? それともデータあり?)

話題はコミケから離れてしまいますが、例えば現在、1年ぶりにサッカーの代表戦が行われており、
森保JAPANのサッカーに関して、いろいろと考えたり、知りたい所があったりするので、
詳しい人の話を聞きたい気持ちは強いのですが、ここ最近のネット世界というのは、
単なる感情論が溢れまくり、そうした専門的な話を行える場所が無くなってしまいました。
別に、サッカーが好きな人や、詳しい人が減った訳でも、もちろん全滅した訳でも無いのに、
それを行えなくなったと言うのは、ネット利用者の規模の拡大により、
語りたい少数派が、文句を言いたい多数派に飲み込まれたからでしょうね。
まだ何処かに、そうした事が語り合われる場があるのかも知れませんが、
残念ながら、それを知らない私には、そこにアクセスする事が叶わない状態にあります。

・・・と、何だかこれだと愚痴ばかりで、変化の過渡期を懐かしむばかりな感じですが、
しかし、現実は現実としてある訳ですから、その事に文句を言いたいと言うよりも、
そうした実状に合わせて、いったい何が出来るのか?という話をしたい気ではあります。
私も古い世代なので、「趣味で儲ける事の嫌悪感」というのが正直あるのですが、
しかし一方で、資金が有れば政策や運営だった上手く回るのは事実ですし、
逆に言うと、日本のクリエイト・ビジネスって、やり甲斐の搾取が横行している所もあり、
ネットの普及やグローバル化によって、そうした古くからの価値観が一変するのも、
捉え方によって、決して悪い事では無いのでは無いか?とは考えています。
とは言え、趣味人世界の空気感というのは、アクセスしやすい何処かで残って欲しい気持ちもあります。
最近、秋葉原や神保町に行っても、昔みたいにテンションが上がらないのは、
決して、私が年を取っただけが理由の全てでは無いと思うんですよねえ・・・・
ネットの利便性が向上すれば、リアルな集積地の価値は、どうしても低下を免れないでしょうから。


[23387] Re:1人用ゲームのAIとシステムに関して返信 削除
2020/10/19 (月) 10:01:12 旧トルコ担当


> > > > > > 一次大戦系戦場ですが、勝負が長引きすぎる傾向にあるので、
> > > > > > 30Tで生産力トップの国家が優勝と言うルールに変更してはどうでしょうか?
> > > > > > 現在行われている欧州戦場も、もう何回も担当者が入れ替わっていますし(私も途中参戦です。

> > > > 完全に個人的な趣味なんですが、ww1の行動力制の戦場で1か月くらいサクッと遊びたいんですよね。

> > > 題材的に、WW1の欧州に拘りがある感じなのでしょうか?
> > > それとも、例えば同じ7つくらいの大国数なら、
> > > 中国の戦国七雄とかでも、どちらでも良い感じなのでしょうか?
> > > いや別に良いのですが、今まで扱ってない題材の方が目新しいかな?と(笑)。

> > いえ、題材には大してこだわりはないのですが、
> > 今遊んでる赤い嵐がもう少し(個人的な主観ですが)遊びやすくなればなー、と考えているだけです。
> > 新しいゲームを作るとなると、時間も手間もかかりますが、
> > 既存のゲームを少し改良するなら簡単にできるのではないかと。

> んん? 赤い嵐の話なんですか?
> 確かに赤い嵐は、WW2オンラインの延長線上にあるゲームですけど、
> 私の中では、WW2オンラインと赤い嵐は、完全に別ゲームの扱いになってますね。
> また、WW2オンラインに関しては、ゲーム的にかなり作り込んである為、
> 目先の人気対策に捉われ、下手に蛇足を加えて、その完成度自体を失わせるくらいなら、
> いっその事、こちらは倉庫送りにし、新たに別ゲームを作った方がマシだと考えているんです。
>
> キツい言い方をすれば、その変更は改良ではなく、改悪であると。
> 自分で言うのも何ですけど、「WW2オンライン」と「日本大統領選挙」に関しては、
> それくらい、我ながら良くできたゲームだと自負していますし、
> 2度の優勝者大会の白熱した戦いが、その証左になっているかと思っています。
> 言い換えると、これらを変に弄るより、新たに別物を作った方が精神的に楽なんです(笑)。


すみません、赤い嵐ではなくてww2onlineですね。単なる書き間違いです。

> > > > 私も以下のようなJavaScriptゲームを作ってみたのですが、
> > > > アジア新時代 https://devum765.github.io/javascript-game/

> > > いつ頃から作り始められたのですか?

> > 製作期間としては10日、100時間弱くらいだと思います。
> > その後のアプデでさらに30時間くらいかな?
> > 時間のわりに内容は大したものじゃないんですがw

> ちなみに、これは第1作目なのでしょうか?
> それとも、まだ他にも、作られた作品があるのかな?
> また、プログラムの勉強に関しても、これキッカケで始められたのでしょうか?


このゲームがほとんど1作目ですね。
その前にもっとプログラム的に簡単なゲームは作っていますが、本当に簡単なゲームですし。
あとその前にはほかのゲームのmodの制作もしていたので、それも含めれば完全なプログラム初心者ではないですが、本格的なプログラミング言語に関してはこれが初めてです。
開発環境も何使っていいのかわからなかったのでメモ帳使って作りましたし。
勉強のきっかけも、完全にゲーム作るためです。

> > 作りたい一人用ゲームとしては、ナポレオン戦争以降から第二次世界大戦終戦までくらいをテーマにした
> > 政治・経済・軍事の要素があるゲームを作ってみたいとは前々から思っています。
> > 似たゲームにVictoriaちというゲームがあるのですが、ゲームとしては作業量が多くて、
> > プレイするのに時間もかかるんですよね(1プレイ100年くらいがだいたい15時間くらい)。

> おお、この辺りの好みは、私とかなり似通ってますね(笑)。
> 世界史Flashで扱った題材の多さからも解るかも知れませんが、
> 私は、七年戦争(1754)から第一次大戦(1914)に至る時代、
> 言うなれば、「帝国主義時代」や「長い19世紀」と呼ばれる時代が結構好きでして、
> ゲーム的に作り込んでみたい題材ではあります。


> より具体的に言うと、Victoriaを光栄ゲーム的に料理すると言いますか、
> 蒼き狼4・EuropaUniversalis・Civilizationを足し合わせた感じのゲームが理想型かな?
> 光栄ゲームはぬるいのですが、プレー中の脳汁は海外ゲームよりも湧くんですよね(笑)。
> 箱庭マップ上で、イギリスに工場を建てたり、シベリアに横断鉄道を敷いたり、
> 植民地でプランテーション農場を作ったりなど、視覚的に楽しめるのは魅力ですし、
> キャラ化した史実人物を縦横無尽に活躍させると、脳内の妄想世界を表現できる強味です!!
> まあ、箱庭内政や人物キャラ化みたいに、そこまでゲーム的な表現に走らなくとも、
> 洋ゲーほどのシビアさよりは、世界征服できるくらいの自由度が欲しい所。


> 「秀吉の野望」や「信玄の野望・世界編」の構想も、その延長線上にあると言えますね。
> 史実では朝鮮半島止まりでも、戦国オールスターで世界に打って出たいですし、
> それはさすがに妄想が過ぎるという事で有れば、帝国主義時代を題材にして、
> 提督の決断ならぬ、「帝国の決断」を作ってみたいんですよね。
> そして、帝国の決断を汎用的なシステムで作れば、全時代&全地域対応のゲームに出来るかな?と。


> > シミュレーションゲームはゲームシステムを複雑にする必要があるわけです。
> > (そうでないと賢いプレイヤーは何度かプレイしてすぐに勝ちパターンなり、最適な行動を見つけてしまうので)

> う〜ん、そこは私の考えとは正反対かなぁ。
> 私自身は「Simple is BEST!!」が、ゲーム上の個人的な信念であり、
> ボードゲームをPC上で豪華に表現するのが、理想型の1つではあります。
> シンプルだけど奥深いシステムこそ、頭をフルに回転できると思いますし、
> アナログ的に扱える範囲や表現が、人間にとってのリアルな手のひらサイズだと思うんです。
> その上で、コンピューターの優れた計算力や視覚表現などを、そこに加えていくと。


> > 1つがプレイヤーの操作できる要素を増やすこと、もう1つが各要素の関連性を複雑にすることです。
> 要素や項目をあれこれ増やすのは、解りやすく伝わりやすい目新しさはあるのですが、
> 結局の所、それらってゲーム・システム的には、蛇足になってしまいがちなんですよね。


> > 逆に各要素の関連性を極限まで増やしているのが将棋です。
> > あれは操作(とはアナログゲームでは言わないけど)は簡単な割に、すごく考えさせられますよね。
> > それは駒を一つ動かすことが、非常に複雑に多くの要素と絡み合っているからです。

> こちらに関しては、是であり、非でもあります。
> 例えば戦闘とかで、レベルの数値に応じて強弱が決まるよりも、
> ジャンケンの三竦みのように相性とかが絡み合う方が、駆け引きが生まれて深みが増しますし、
> 少ない要素を組み合わせる事で、多種多様な表現が行えるのも理想ではあります。
> ただ一方で、その絡み合いがブラック・ボックス化してしまうと、
> どういう因果関係が結果が出ているのかが把握できず、プレー上のストレスになる事があります。
> 例えば赤い嵐の治安要素なんて、5つの要素が増減に影響する為、
> どうして増減するかが把握しにくく、不満の種になる事がありますからねえ。


私は真逆で、できる限りリアルにシミュレーションしたい派ですね。
赤い嵐の治安要素とか大好きですし、19世紀のゲームで世界統一できたりするとえーと思ってしまいます。
(批判になってしまいそうですが)来年の治安予想や、どういう要素で治安が変動しているのかを可視化できれば、ブラックボックス化も解決できるじゃないかなーと考えています。
例えば「現在治安50%→(基本治安向上率)5%*(隣接地域の軍事力補正)0.90*(占領地補正)*0.80→次年度治安予想53%」みたな感じのものを表示するとかですね。

あと単純に歴史ゲームには相応の史実再現度を求めてしまうので、史実再現させるためにはどうしてもルールが複雑になってしまうのは致し方なしと思っています。

> > 話は戻りますが、ナポレオン戦争以降から第二次世界大戦終戦まで辺りを再現するゲームも、
> > そんな感じで簡単操作で複雑なゲーム性を与えたいんですよね。
> > Victoiraとかはどうしても作業力が膨大で時間がかかるゲームなので。

> 「何時間でも遊べる」よりも、「短時間で遊べる」方が、
> 時代的にも適してる面はあるでしょうしね(笑)。
> あれくらいエリアが細かく分かれているのも良いのですが、
> コンパクトに楽しむなら、もっと大まかな分け方でも良いでしょうし。
> まあ、CGIゲームとかだと時間が掛かっちゃうのですが、
> 1人用ゲームであれば、赤い嵐くらいのサイズで良いのかも知れません。


> > あともう一つやりたいのが、完全な歴史シミュレーションを作ってみたくはあります。
> > 時代は前近代を舞台にして、プレイヤーは一切干渉せずに、
> > ゲームの中でランダム生成された国家やキャラクターが勝手に動いて歴史を作っていくような。

> 半年くらい前に、弁さんとの雑談で話題に出てきた
> 「下天3」や「ガイアチャンネル」に、イメージ的には近いのかな?
> シミュレーション・ゲームと言うよりも、歴史シミュレーター的な感じで。
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22954#22954
> 同じく、雑談で語った「歴史物理学」によるシミュレーションであったり、
> 「人工生命」の生態系をサーバー上に作ったりなどの企画案にも、通ずる所があるかも?
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22804#22804
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20453#20453
>
> また、昔の同人ゲームですと、架空戦史観戦ソフト「歴史隆々」というのも有りましたね。
> https://note.com/yokan404/n/nd0952fae73a1
> あとは、スーパーファミコン「アクトレイザー」の内政パートのように、
> 神の視点から、多少は干渉できるくらいの方が、やはり見ていて面白いかも?


「歴史物理学」って良い表現ですね。今まで考えていたことを的確に表現してくれた感じです。

> > 地形生成なんかも完全にランダムにして、西はアメリカから東は日本までくらいの地球を自動で生成すると。
> 地形はランダム生成なんですね。
> 「Civilization」シリーズとかもそうなのですが、
> もちろん、そちらの方がゲーム性が上がるのは解るものの、
> 個人的には、やはり史実マップの方が燃えるんですよね(笑)。
>
> > そんな感じの歴史シミュレーションを作って、
> > 掲示板なんかでワイワイ観察するのも面白いかなー、と考えています。

> 掲示板でとなると、ちょっと厳しいのでは?というのが、正直な感想ですね。
> 「ワイワイ観察」となると、やはりリアルタイム実況的になりますので、
> Twitterとかの方が向いてる気はしますが、そうなると今度は同時視聴の制限が掛かり、
> 結局の所、ニコニコ動画のような「疑似リアルタイム」的な方法が最適な感じがします。
> ライフゲームの勢力争い動画とか、コメント付きの方が面白いですしね。
> https://www.nicovideo.jp/watch/sm766671


個人的に考えていたのは、1日で120ターン分(1ターン1か月で)が自動更新されて、リアル1か月で300年、ゲーム内の1200年(リアルの4か月)で1世界終了、1年間で3世界を回す、といった形式です。
なので地形生成もランダムにして、世界が変わるごとに全く新しい地形でシミュレーションが始まると。
そこの掲示板で「○○帝国は今後50年以内に滅びる」みたいなエマニュエル・トッドというか、ハリ・セルダンごっこがしたいんですよね。
これだとあまりにマニアックすぎるので、本当はニコニコとかでやったほうがより多くの人に楽しんでもらえるのでしょうが。

> > > > 歴史ゲームというよりはミリタリー系のゲームを志向しているのですが、
> > > > どうしても一人用はAI設定が大変になるので。

> > > 確かに、思考ルーチン(今風に言うとAI)を作るのが、
> > > 1人用ゲームだと、かなり大変な部分なんですよね!!
> > > 特に、システムが複雑に為れば為るほど、AI作りは困難を極めますし、
> > > その点、多人数ゲームであれば、そこはプレイヤー担当になるので、
> > > プログラム的にはAI作りまで考えなくてもOKになり、システム作りに集中できると(笑)。
> > > ただ一方で、これだけ機械学習が普及してくると、ゲームAIに関して、
> > > そうやって強くしたり、場合によっては個性を演出したりなど、
> > > 一昔前に比べると、いろいろ出来る事は増えた気がするので、
> > > そこに挑戦してみるというのも、ちょっと面白いかも知れませんけどね。

> > うーん、でもあまりAIが強くても人間が勝てなくて面白くないと思うんですよね。
> > 勝敗が7:3でプレイヤーが勝てるくらいのバランスが、理想的な対AIゲームだと個人的には思っていて、
> > 私が作ったゲームでもやろうと思えばもっと賢いAIも作れるのですが、その辺は多少がばがばにあえてしていますし、
> > ディープラーニング的なものを組み込んだ信長の野望で、
> > 中小大名では絶対に天下統一できないバランスも、それはそれで面白くないでしょうしw

> でも最終的には、AIの出来自体よりも、その強さの匙加減ですよね!?
> とりあえず強いAIを作っておけば、そこから弱くする事は可能ですし、
> 後はプレイヤーの要望に合わせて、その強さを調節すると。


なるほど。

> 接待ゴルフや接待麻雀にしても、結局は、その相手に応じた匙加減が重要なはずで、
> また、指導碁のようにレッスンが望みなら、そこにも合わせていく事が必要となります。
> それこそ、将棋や囲碁の世界では、AIがプロ棋士を圧倒するようになり、
> プロ棋士もAIを使った研究を、当然のように行うようになりましたけど、
> でもまだ、適切に指導レッスンをしてくれるAIというのは、そこまでじゃ無いんですよね。
>
> また、AIがプロ棋士の脅威になり始めた当時、棋士の中には恨み節を吐く人も居ましたけど、
> 考えようによっては、今や、人とAIが共存する世界の最先端に居るんですよね。
> 史上最年少のタイトル保持者となった藤井聡太2冠なんて、趣味が自作PCであり、
> タイトル獲得の記者会見でも、「落ち着いたらパソコンを1台組みたい」と発言していましたが、
> 期待通りと言いますか、以前ここでも少し話題に触れた、
> 「Ryzen Threadripper 3990X」という50万円64コア128スレッドの化け物CPUを購入したとか!?
> 個人レベルで、この性能のCPUを活かせる人なんて、実際は限られているでしょうけど、
> 藤井2冠に関しては、その数少ない1人でしょうね(しかも趣味と実益を兼ねている)。
> そして近年は、GCP(Google Cloud Platform)やAWS(Amazon Web Services)など、
> クラウドで高性能なコンピューターを手軽に利用できるサービスも登場してきてますし、
> 将棋以上に、計算よりも感覚で打てる囲碁の世界では、AI活用が進んでいるようです。
> AIの手を計算的に真似るのは困難でも、感覚的に真似る事は、まだ可能ですからねえ。
>
> 『女流囲碁トップ棋士が語る、相棒AIとの付き合い方』
> https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01132/122400009/
>
> ・・・って、何だか話が脱線してしまいましたけど、
> 要はAIの使い方次第だと思うんですよね。
> それこそプロ棋士も、AIと対戦しても勝てない為、実際に対局するよりも、
> 候補手を探したり、自分の手を採点したりに、AIを活用しているらしいので、
> 確かに、本気モードのAIにタコ殴りにされたいプレイヤーは皆無かと思います(笑)。
> その一方で、プレイヤーの好みというのは、それこそ千差万別であり、
> 海外ゲームのように、シビアな強さを求める人もいれば、
> もっと自由に世界観を展開できて、妄想に浸れる方を求める人もあり、
> その中間として、「天下統一」であったり、信長なら「天翔記」を求める人がいると。
> ですから、その人の要望に合わせて、AIが手を緩めてくれたり、
> いっその事、過去のプレー・データや傾向の統計、感情データの取得などにより、
> 適切な接待プレーをしてくれたりも良いかも知れませんが、
> とりあえず面白そうなのは、AIに各大名ごとの行動個性を持たせる事でしょうか?
> 強さの方で余裕があれば、そちらの方向にAI能力を回せる気がするんですよね。
>
> と言いますか、20年くらい前、歴史ゲーム好きが集うマニアックな掲示板では、
> 今ほどパソコンが高性能では無かった時代に、
> 「チート行為をしなくても、手応えのあるAI」だとか、
> 「プレイヤーの勢力拡大スピードに合わせて、AI大名も拡大させるAI」とか、
> 「大名ごとの個性を表現できるAI」とか、いろいろ語り合われてましたね(笑)。
> 今でも、そういった場所があれば嬉しいんですけど、難しいんだろうなぁ・・・・


> > > > ただサーバーのことがよくわからなくて、おススメのサーバーなどあれば教えていただけませんか?
> > > 良いサーバーがあるのなら、私が教えて貰いたい所だったり(笑)。
> > > とりあえず私が知っている中で、CGI可&無料で最も無難だったのが、
> > > 「XREA」であり、だから現状だと、そこを利用している訳ですね。
> > > とは言え、この前のように、長期のサーバー不調とかありましたが・・・・
> > > あとはGeoCitiesの閉鎖当時、月額500円ほどの「さくらサーバー」も検討したかな?
> > > こちらも、値段の割には、そこそこ評判が良かったので。

> > なるほど、やはりxreaくらいしか無い感じなのですか。
> > アカウントを作る際にクレカの番号を請求されたので別のサーバーを探していたんですが、有料ではないんですね。

> どこの無料サーバーも、大体そうだとは思いますけど、
> 無料プランの他に、サービス内容を充実させた有料プランがあるかと思います。
> ですので、クレジットカードの番号入力を要求されたという事は、
> 有料プランの申し込みページだったのかな?と思われます。
> 少なくとも、1年半前のGeoCitiesの閉鎖に伴うXREA移設の際には、
> そうした作業を行った記憶が、私にはありませんので。


なるほど。

> > > 昔のようにユーザーを「仲間」ではなく、「お客様」と割り切って考えた場合、
> > > それなりに投資して、サイトの環境や使い勝手をキチンと整備した上で、
> > > 広告収入や課金などでビジネス的に回し、ちゃんと積極的に運営を行う方が、
> > > ユーザー側にも、運営側にも利があり、それが可能な時代となっていますので。
> > > 分野は違いますけど、コミケなんかも現在では、そんな感じなのでは無いでしょうか?
> > > 小さな趣味人の世界観が好きな私からすると、少し物悲しいですが、
> > > それだけネットも一般社会に広まり、大きく普遍化したって事ではあるんですよね。

> > うーん、ちょっと違うような気もしますけどね。
> > 例えばコミケなんかも相変わらずサークルの8割までは100部以下しか売れてませんし、
> > コミケの注目度が高くなったことで大手の儲かっているサークルばかりが目立ちはしていますが、
> > あの辺の本質は変わっていないと思います。
> > コミケは一般的な知名度も上がったことでお客さん率も相応ですが、それ以外の即売会はやはり特有の熱気があります。
> > 特にオンリーイベントなんかはまだまだ濃い人たちが集まってる感じですね。
> > ただそういうのは本当に限られた範囲の間でしか情報が流通しないので、部外者にはほとんど分かりませんが。

> いや〜、言わんとしている事は解るのですが、
> 私が言いたいのは、そういう所では無いんですよねえ・・・・
> 趣味人の気質というのは、今も昔も大して変わらない気がするのですが、
> それを取り巻く環境というのは、かなり変わった感じがするんです。
> それまでは繋がる事が難しかったコミュニティーが、
> ネットの登場により、一気に広まったのは良いのですが、
> 今やコントロールできないほど、広がってしまったのでは無いかと?


> 趣味の世界というのは元来、ビジネスの世界と違って、
> 「クリエイター」と「ユーザー」は明確に分かれておらず、
> 小さい世界だからこそ、両者は地続きの存在だったと思うんですよ。
> 例えばネット上の動画投稿サイトにしても、
> 初期のニコニコ動画というのは、視聴者層こそが投稿者を生む苗床であり、
> 視聴者もコメントを介して、一緒に「動画」を作り上げていく部分がありました。
> しかし、現在のYouTubeを見ていると、確かに視聴者数は爆発的に増えた一方で、
> 投稿する層と視聴する層が完全に分離し、投稿者のプロ化も進んでいる印象です。
> そしてニコニコ動画も今ではYouTube以上に、有料配信などのビジネス化が進んでいます。
> もちろん、ニコニコ動画の方に関しては、視聴者数の減少が、
> そうした方向性に進ませている大きな要因と言えますけど、
> そもそも視聴者が減少した原因は、投稿動画の質の低下にあると感じており、
> その理由も、投稿者と視聴者の分離という「お客様化」にあった気がするんです。


> 2chにせよ、ニコ動にせよ、利用者が増えれば必然的に、玉石混淆の石の割合が増え、
> 彼らは無自覚なまま、空気を白けさせるのに絶大な効果を発揮します・・・・
> そうなってしまえば、クリエイター側も創作意欲を削がれると。
> ぶっちゃけ趣味というのは、「楽しいから」行っている訳ですし、
> それが楽しくなくなれば、「つまらなさ」の負のスパイラルが起きると思うんです。
> でも、そうした仲間内の空気感というのは、規模が小さいから保てるモノで、
> その規模が大きくなればなるほど、それを保つのは非常に困難な事なのでしょうね。
> そして規模が大きくなると、それを持続させる為に、ビジネス化が避けられない気がするんです。
> ニコ動衰退の原因として挙げられる「回線の細さ」や「画質の悪さ」などの不満点は、
> もう既に、視聴者がお客様化した後の話だと思いますし、
> そこに論点が移ってしまうと、質を担保できる資本力の差の勝負になってきます。
> だからこそ、以前よりあったYouTubeが、ここに来て存在感を爆発させているのかも知れません。


> コミケに関して言うと、入場が有料化された時点で、
> そうした割り切りが行われたように、私には感じるんですよね。
> まあ、あれだけの規模のイベントが、今まで入場無料だった事自体が凄い事なのですが、
> でも逆に言うと、これだけ大きくなってしまえば、昔ながらのノリのままとは行かないはずなんです。
> もちろん、だからと言って、昔からの趣味的な世界が一掃される訳では無いですし、
> 残された数少ない居場所には、以前よりも濃厚な空気が生まれる事はあります。
> ただ、一旦そうなってしまうと、新規層の開拓が非常に難しくなる所があるんですよ・・・・
> 簡単に言えば、アクセスが難しくなってしまうと。
> (ちなみに「サークルの8割までは100部以下」というのは肌感覚? それともデータあり?)


「コミックマーケット35周年調査・調査報告」ってやつですね。2011年の調査なので結構古いやつですが。
(というか確認したところ、100部未満はサークルの半数、50部未満が30%ってなってますね)

> 話題はコミケから離れてしまいますが、例えば現在、1年ぶりにサッカーの代表戦が行われており、
> 森保JAPANのサッカーに関して、いろいろと考えたり、知りたい所があったりするので、
> 詳しい人の話を聞きたい気持ちは強いのですが、ここ最近のネット世界というのは、
> 単なる感情論が溢れまくり、そうした専門的な話を行える場所が無くなってしまいました。
> 別に、サッカーが好きな人や、詳しい人が減った訳でも、もちろん全滅した訳でも無いのに、
> それを行えなくなったと言うのは、ネット利用者の規模の拡大により、
> 語りたい少数派が、文句を言いたい多数派に飲み込まれたからでしょうね。
> まだ何処かに、そうした事が語り合われる場があるのかも知れませんが、
> 残念ながら、それを知らない私には、そこにアクセスする事が叶わない状態にあります。


> ・・・と、何だかこれだと愚痴ばかりで、変化の過渡期を懐かしむばかりな感じですが、
> しかし、現実は現実としてある訳ですから、その事に文句を言いたいと言うよりも、
> そうした実状に合わせて、いったい何が出来るのか?という話をしたい気ではあります。
> 私も古い世代なので、「趣味で儲ける事の嫌悪感」というのが正直あるのですが、
> しかし一方で、資金が有れば政策や運営だった上手く回るのは事実ですし、
> 逆に言うと、日本のクリエイト・ビジネスって、やり甲斐の搾取が横行している所もあり、
> ネットの普及やグローバル化によって、そうした古くからの価値観が一変するのも、
> 捉え方によって、決して悪い事では無いのでは無いか?とは考えています。
> とは言え、趣味人世界の空気感というのは、アクセスしやすい何処かで残って欲しい気持ちもあります。
> 最近、秋葉原や神保町に行っても、昔みたいにテンションが上がらないのは、
> 決して、私が年を取っただけが理由の全てでは無いと思うんですよねえ・・・・
> ネットの利便性が向上すれば、リアルな集積地の価値は、どうしても低下を免れないでしょうから。


あー、なるほど。
私の場合、インターネットを使い始めたころには既にネットが一般化してたので、ネットでちょっと検索しただけではそういった世界にたどり着けないのは当たり前、みたいな感覚です。
その時代知らないので間違っているかもですが、かつては秋葉原もインターネットもコミックマーケットも「知る人ぞ知る」だったからこそ、仲間内の空気感があったわけで、そこにたどり着くにはいわば高度な情報網みたいなものが必要だったと。
で現在はアキバもネットもコミケも情弱でも知っているものになってしまった。だけど高度な情報網みたいなものさえあれば、仲間内の空気感のある場所にはたどり着ける(こともある)から、結局は昔と大して変わってないんじゃないかなーと勝手に思っています。
アクセスが難しい場所にしかそういった場は生まれないと。


[23390] 20年前と現在の社会の違い&歴史物理学返信 削除
2020/10/20 (火) 20:42:06 徳翁導誉

> > > > > 私も以下のようなJavaScriptゲームを作ってみたのですが、
> > > > > アジア新時代 https://devum765.github.io/javascript-game/

> > > > いつ頃から作り始められたのですか?

> > > 製作期間としては10日、100時間弱くらいだと思います。
> > > その後のアプデでさらに30時間くらいかな?
> > > 時間のわりに内容は大したものじゃないんですがw

> > ちなみに、これは第1作目なのでしょうか?
> > それとも、まだ他にも、作られた作品があるのかな?
> > また、プログラムの勉強に関しても、これキッカケで始められたのでしょうか?

> このゲームがほとんど1作目ですね。
> その前にもっとプログラム的に簡単なゲームは作っていますが、本当に簡単なゲームですし。
> あとその前にはほかのゲームのmodの制作もしていたので、
> それも含めれば完全なプログラム初心者ではないですが、
> 本格的なプログラミング言語に関してはこれが初めてです。
> 開発環境も何使っていいのかわからなかったのでメモ帳使って作りましたし。
> 勉強のきっかけも、完全にゲーム作るためです。

なるほど、ありがとうございました。
あと、話題はちょっとズレちゃいますけど、
誰でも気軽にMODが投稿できるシステムや環境にしておく事は、
ネット時代の現代において、改めて重要な事だろうなと思いました。

また、例えばNPCの思考AIとかも、投稿型に出来れば面白いでしょうし、
それを昔あったPlayStation「カルネージハート」のように、
プログラム知識が無くても、AIを構築できるシステムにすれば、
そこにもゲーム性が帯びてきますし、この方が観戦プレーも盛り上がるかも?
要するに、途中で操作は一切無く、自律したAI同士の対戦を観戦する訳ですね。

> > > シミュレーションゲームはゲームシステムを複雑にする必要があるわけです。
> > > そこでいかにゲームを複雑にするのかが問題になるのですが、私は2つ方法があると思っていて、
> > > 1つがプレイヤーの操作できる要素を増やすこと、もう1つが各要素の関連性を複雑にすることです。
> > > 例を上げれば、信長の野望の開墾コマンドはプレイヤーの操作できる要素を増やす方向性のものです。

> > ただ一方で、その絡み合いがブラック・ボックス化してしまうと、
> > どういう因果関係が結果が出ているのかが把握できず、プレー上のストレスになる事があります。
> > 例えば赤い嵐の治安要素なんて、5つの要素が増減に影響する為、
> > どうして増減するかが把握しにくく、不満の種になる事がありますからねえ。

> 私は真逆で、できる限りリアルにシミュレーションしたい派ですね。
> あと単純に歴史ゲームには相応の史実再現度を求めてしまうので、
> 史実再現させるためにはどうしてもルールが複雑になってしまうのは致し方なしと思っています。

え〜と、これは物理学的なモノの考え方なのかも知れませんけど、
何かをシミュレートしようとする場合、そのモデルは可能な限りシンプルな方が良く、
現実は複雑だからと要素を増やせば、却ってリアルから遠ざかってしまうと思うんです・・・・

未来のスーパーAIなら解りませんが、少なくとも人間の頭脳というのは、
複雑な問題を複雑に扱っても、まともに処理できるほど高性能では無いですし、
(ゲームのルールはシンプルで奥深いのが理想なのも、こうした理由からです)
数理モデルの意図を理解できないまま、算出される結果を受け取ったとしても、
果たして、それが正しいのか? 間違っているのか? を判断する事すら出来ません。
そして、どれほど複雑に見えるモノでも、その根幹部分は意外とシンプルな事が多く、
数多くの要素が絡んでいても、その中心となるのは極一部に限定される事も多いです。
逆に言えば、そこが解らないようだと、物事の本質を掴めている状態とは言えないかも?

また一方で、1つ1つは複雑に絡み合っていて、とても理解など不可能なように見えても、
無数に集まって1つの集団と見なせれば、そこにはシンプルな規則性が見えてきたりもします。
物理学でいう熱力学とか、統計力学とかは、そういった分野ですね。
粒子の1つの動きはシンプルですけど、それが2つ3つと増えると複雑になり、
100個1000個ともなれば扱う事も不可能ですが、無数の集まりとなれば再びシンプルになると(笑)。
私も詳しく知りませんけど、社会物理学などの分野では、
こうした熱力学などの考え方を、人間社会にも応用しているのだと思います。
人間も100人1000人の規模だと予測不能でも、国家規模になれば結構予測が可能になりますし。

> 19世紀のゲームで世界統一できたりするとえーと思ってしまいます。
これは逆に、「20世紀ならアリ」って事なのでしょうか?(笑)
まあ考え様によってはポスト冷戦って、アメリカによって世界統一された時代な訳ですし、
文字通りの世界征服も、政治的には困難で無意味でも、技術的には可能にはなってますので。
って、パクス・アメリカーナではなく、パクス・ブリタニカの時代を考えれば、
19世紀にしたって、世界統一に近い事は起こってますし、本当にそれが有り得なかったかと言えば?
例えば、チンギス・ハーンが活躍しなかった世界線の人から見れば、
あの広大なモンゴル帝国なども、それこそ「有り得ない」存在に映るかも知れませんし、
1つの結果に定まる前には、様々な歴史展開の可能性が有り得た訳で、
あまりに史実に囚われてしまうと、その可能性すら見落としてしまうかも知れませんよ。

ですから、武田信玄が世界を征服する可能性だって・・・って、それは無いか(笑)。
ただまあ、そこはゲームなんですし、AIの話と同様に設定次第で、
リアルな展開も、荒唐無稽な展開も、どちらでも遊べるのが理想でしょうか?

> (批判になってしまいそうですが)来年の治安予想や、どういう要素で治安が変動しているのかを可視化できれば、
> ブラックボックス化も解決できるじゃないかなーと考えています。
> 例えば「現在治安50%→(基本治安向上率)5%*(隣接地域の軍事力補正)0.90*(占領地補正)*0.80→次年度治安予想53%」
> みたな感じのものを表示するとかですね。

う〜ん、そうなってしまうと、それこそリアルから遠のいてしまうのでは?
ここで扱うブラックボックスとは、ビジネスみたいに意図的に中身を隠しているのではなく、
どうして、そういう結果に至るのか、中身の経緯が解らない事を指しています。
言い換えてしまえば、「ああすれば、こうなる」みたいな明確な公式が解っていれば、
政策判断において、為政者は誰も苦労しないって話ですね(笑)。

とは言え、もちろんゲーム内においては、そうした公式が存在してますし、
それを解き明かそうというのも、個々のプレイヤーの自由であり、
ある意味では、そうした考察は現実の政治(問題解決の思考法)にも繋がるかも知れませんが、
公式を表示してしまうというのは、あまりにゲーム的に過ぎると私には思えてしまうんです。


> > > あともう一つやりたいのが、完全な歴史シミュレーションを作ってみたくはあります。
> > > 時代は前近代を舞台にして、プレイヤーは一切干渉せずに、
> > > ゲームの中でランダム生成された国家やキャラクターが勝手に動いて歴史を作っていくような。

> > 半年くらい前に、弁さんとの雑談で話題に出てきた
> > 「下天3」や「ガイアチャンネル」に、イメージ的には近いのかな?
> > シミュレーション・ゲームと言うよりも、歴史シミュレーター的な感じで。
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22954#22954
> > 同じく、雑談で語った「歴史物理学」によるシミュレーションであったり、
> > 「人工生命」の生態系をサーバー上に作ったりなどの企画案にも、通ずる所があるかも?
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22804#22804
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20453#20453

> 「歴史物理学」って良い表現ですね。今まで考えていたことを的確に表現してくれた感じです。

歴史が趣味で、物理が専門の私が、勝手に作った造語ですけどね(笑)。
統計物理の手法が用いれる程、歴史って客観的なデータがある訳じゃ無いですけど、
近年、経済物理学や社会物理学といった学際的な新分野が、注目を集め始めていますし、
所詮は人間が集団として利を求める動きが、おおまかな歴史の流れを築いていくので、
厳密性には欠くでしょうけど、おおよその数理モデル化は出来ると思うんですよ。

とりあえず、「人口」というのは、歴史で扱える数少ないデータの1つですし、
人口データには及びませんが「経済」や「生産力」も、それなりに扱えるはずです。
実際、当サイトの企画コーナーにある「世界都市の人口変遷」や「数値で見る国力の推移」も、
チャンドラー(Tertius Chandler)や、マディソン(Angus Maddison)などの研究を基にしています。
http://tokuou.g1.xrea.com/kikaku/city_population.html
http://tokuou.g1.xrea.com/kikaku/kokuryoku.html

そして、人類社会に大きな変革をもたらす要素としては、
「画期的な技術革新」であったり、「膠着化による政治停滞」などもあるのですが、
世界規模で見ると、「気候変動」や「疫病の流行」の影響が、実はかなり大きかったりしますし、
後者の2要因に関しては、資料やデータが結構豊富なんですよね。
また、それらに連動して、温暖で豊作な時代が続くと、人口が急増する農耕民の勢力圏が拡大する一方、
寒冷化や疫病・天災で食糧不足が起こると、戦争や革命が起きたり、遊牧民が農耕民を襲う傾向があると。
ですから、科学的には不十分でも、それっぽいモデルは作成可能な気がするんです。

で、とりあえずでも歴史モデルが作れれば、そのシミュレーションを重ねる事で、
ある歴史上の出来事が、必然的だったのか? それとも偶発的だったのか? というのも、
客観的に見えてくる事になるのかも知れません。

> > > そんな感じの歴史シミュレーションを作って、
> > > 掲示板なんかでワイワイ観察するのも面白いかなー、と考えています。

> > 掲示板でとなると、ちょっと厳しいのでは?というのが、正直な感想ですね。
> > 「ワイワイ観察」となると、やはりリアルタイム実況的になりますので、
> > Twitterとかの方が向いてる気はしますが、そうなると今度は同時視聴の制限が掛かり、
> > 結局の所、ニコニコ動画のような「疑似リアルタイム」的な方法が最適な感じがします。

> 個人的に考えていたのは、1日で120ターン分(1ターン1か月で)が自動更新されて、
> リアル1か月で300年、ゲーム内の1200年(リアルの4か月)で1世界終了、1年間で3世界を回す、といった形式です。
> なので地形生成もランダムにして、世界が変わるごとに全く新しい地形でシミュレーションが始まると。
> そこの掲示板で「○○帝国は今後50年以内に滅びる」みたいな
> エマニュエル・トッドというか、ハリ・セルダンごっこがしたいんですよね。

「エマニュエル・トッドは解るけど、ハリ・セルダンって誰?」と思い、
調べてみると、アイザック・アシモフのSF小説に登場する
「心理歴史学」なる分野を作った天才数学者の事なんですね(笑)。

> これだとあまりにマニアックすぎるので、本当はニコニコとかでやったほうが
> より多くの人に楽しんでもらえるのでしょうが。

いやいや、14分24秒の頻度でターン更新があり(10分or15分1ターンの方が切りが良さそう)、
それが4ヶ月も続くとなれば、ニコ動より、Twitterとかの方が向いてる気はします。
ただし最大の関門は、「どうやって関心を持たせ、それを持続させるか」でしょうか?

でも、YouTubeのライブ配信とかの視聴者数を見ていると、
思わぬ映像でも、意外と人数が居たりしますし、
史上初のWebカメラと言われるのも、ケンブリッジ大学のコーヒーポットのネット配信で、
元々は研究者が無駄足を防ぐ為のモノでしたが、それが部外者にも人気だったんですよね(笑)。
私も、水槽の映像を垂れ流してる配信とか、結構点けっぱなしにしてたりしますし、
そういう意味では、ボーっと見られて、それでいて ついつい見ちゃうような内容となると、
出来る事なら、ターン制よりはリアルタイム制の方が、視聴者を引き付けるには良いのかも?
それこそ、YouTubeのライブ配信とかにすれば、そこのチャット機能も使えますし、
ライブ配信の映像にチャットも組み込めば、後から視聴しても空気感は味わえますので。


> > > 例えばコミケなんかも相変わらずサークルの8割までは100部以下しか売れてませんし、
> > > コミケの注目度が高くなったことで大手の儲かっているサークルばかりが目立ちはしていますが、
> > > あの辺の本質は変わっていないと思います。

> > (ちなみに「サークルの8割までは100部以下」というのは肌感覚? それともデータあり?)

> 「コミックマーケット35周年調査・調査報告」ってやつですね。2011年の調査なので結構古いやつですが。
> (というか確認したところ、100部未満はサークルの半数、50部未満が30%ってなってますね)

お〜、データがあったんですか!?
ありがとうございます!!
コミケって、そんな所までデータを取ってたんですね、知りませんでした。
そう言えば、ゲームショウのパンフレット巻末に載ってるデータ類も、結構好きだったなぁ。
ちなみに、他にも何か面白そうなデータとか載ってます?
・・・って、「35周年調査・調査報告」という書き方を見ると、
コミケのカタログとかに載ってるというよりは、そういう報告書があるのかな。
そう思って検索してみた所、ネット上で公開されてますね(笑)。
サークル側だけでなく、入場者の方のアンケート調査も、思う以上に載ってました。

> > 話題はコミケから離れてしまいますが、例えば現在、1年ぶりにサッカーの代表戦が行われており、
> > 森保JAPANのサッカーに関して、いろいろと考えたり、知りたい所があったりするので、
> > 詳しい人の話を聞きたい気持ちは強いのですが、ここ最近のネット世界というのは、
> > 単なる感情論が溢れまくり、そうした専門的な話を行える場所が無くなってしまいました。
> > 別に、サッカーが好きな人や、詳しい人が減った訳でも、もちろん全滅した訳でも無いのに、
> > それを行えなくなったと言うのは、ネット利用者の規模の拡大により、
> > 語りたい少数派が、文句を言いたい多数派に飲み込まれたからでしょうね。
> > ネットの普及やグローバル化によって、そうした古くからの価値観が一変するのも、
> > 捉え方によって、決して悪い事では無いのでは無いか?とは考えています。
> > とは言え、趣味人世界の空気感というのは、アクセスしやすい何処かで残って欲しい気持ちもあります。
> > 最近、秋葉原や神保町に行っても、昔みたいにテンションが上がらないのは、
> > 決して、私が年を取っただけが理由の全てでは無いと思うんですよねえ・・・・
> > ネットの利便性が向上すれば、リアルな集積地の価値は、どうしても低下を免れないでしょうから。

> あー、なるほど。
> 私の場合、インターネットを使い始めたころには既にネットが一般化してたので、
> ネットでちょっと検索しただけではそういった世界にたどり着けないのは当たり前、みたいな感覚です。
> その時代知らないので間違っているかもですが、かつては秋葉原もインターネットもコミックマーケットも
> 「知る人ぞ知る」だったからこそ、仲間内の空気感があったわけで、
> そこにたどり着くにはいわば高度な情報網みたいなものが必要だったと。
> で現在はアキバもネットもコミケも情弱でも知っているものになってしまった。
> だけど高度な情報網みたいなものさえあれば、仲間内の空気感のある場所にはたどり着ける(こともある)から、
> 結局は昔と大して変わってないんじゃないかなーと勝手に思っています。
> アクセスが難しい場所にしかそういった場は生まれないと。

いえ、その逆ですね。
確かに当時は「知る人ぞ知る」という、その世界だけの話で、
関係ない部外者にとっては、世界の中は伺い知るのが困難な時代だったでしょうけど、
心理的な面と、地理的な面の壁さえ越えれば、誰でもアクセスが可能な世界でした。
要するに、キモいという心理の壁と、東京など大都市のみという地理の壁であり、
そこは勇気とカネさえあれば、解決できる課題でしたので。

例えば秋葉原は昭和末期、あの街1つで、全国の家電売上の1割を担っていて、
とにかく秋葉原に行けば何でも有るし、そこに無ければ何処にも無いという状態でした。
そして「家電なら秋葉原」みたいに、代名詞的にイメージが定着してしまえば、
放っておいても人は集まってきますし、そうなれば店だって更に集まってきて、
店が増えれば価格競争が起きて商品安くなり、そこで更に買い物客が集まって、
買い物客が増えれば、マニアックな需要に応えても採算が取れるようになり、
それこそ「何でも有る」街として、好循環で発展していった感じですね。
で、そんな秋葉原の街へは、電車さえ乗れば、誰にだって行けた訳です(笑)。
マニアックな店とかも、別に情報とか無くても、足さえ使えば見つけられましたし、
コミケにしても、「マーケット(市場)」を謳っているくらい、
最初からオープンなイベントであり、そうして既に半世紀近い歴史がある訳です。

う〜ん、この辺の感覚は、「本屋」とかで喩えれば伝わりやすいですかねえ?
本屋というのは、その存在自体は当然知っていても、
興味ない人には縁遠く、どんな本が置かれているかも計り知れないでしょうし、
街の小さな本屋とかは、初めてだと確かに立ち入りにくい雰囲気がありました。
でも、一旦勇気を持って中に入り、お金さえ持っていれば、誰でも好きな本が買えるんです。
そして神保町の書店街まで足を伸ばせば、マニアックな本さえ探す事が出来たと。
別にそこには、「高度な情報網」みたいなモノは特に必要ありません。
ただ、交通費と時間を使って、わざわざそこまで足を運ぶ手間が必要という意味では、
やる気が無いと越えられない障壁があり、それに囲われた世界観や空気感はありましたし、
インターネットにしても、1時間繋いで500円とか1000円かかった2000年頃までは、
誰でも利用できるけど、本気で利用したい人しか居ない、濃密な空間であった訳ですね。
ちなみに私が、読む時間と、書く時間と、投稿する時間を分けているのも、
通信料を抑える為の、当時のネットの使い方の名残だったりします(笑)。

と、本屋の例から離れてしまいましたので、話を元に戻すと、
まずは90年代、急速に全国拡大を始めたコンビニに、売れ筋の雑誌や漫画が置かれるようになり、
続いて2000年の大店法改正により、あちこちで広大な売り場面積を持つ大型書店が現れ出し、
それに少し遅れて、ネットの普及に伴うAmazonの登場と、Kindleなどの電子書籍の発売がありました。
言ってしまうと、過渡期の00年代というのは、本好きにとって夢のような時代だった訳ですね。
昔ながらの街の本屋や、神保町の書店街は、まだ生き残っている状態で、
よく読む雑誌や漫画とかは、24時間どこでも買えるコンビニに置いてあり、
大型書店に行けば、無数の本に囲まれるテーマパークのような空間が広がり、
Amazonでネット注文すれば、手間を掛けずにマニアックな本さえ買えたのですから。
でもそれは一時の夢物語であり、平成の30年あまりの間に、
本屋の数は3万店から1万店へと激減し、コンビニに置かれた雑誌や漫画もめっきり減り、
多くの大型書店は縮小や閉店を余儀なくされ、残されたのはネット空間のAmazonだけな現状に・・・・

もちろん、Amazonを始めとしたネット通販は、非常に便利なのは確かなんですよ。
転勤族として都会でも地方でも育った私からすると、昔の地方の不便さというは覚えていますし、
ネット通販とショッピング・モールの登場が、地方の生活を劇的に変化させた事も解るんです。
この地理的格差の解消というのは、不便さの実体験が無い都会人には解らないほど大きい!!
ただ一方で、街中から本屋が姿を消した現実も、目に見えて感じてますし、
今では駅前の商業施設やショッピング・モール以外に、ほとんど本屋が残されていない現実を、
今回のコロナ禍による大型店舗の一斉休業によって、如実なまでに実感しました!!
池上彰が以前テレビで、本屋の事を「知識のドンキ」と表現した時、
「まさにその通りだ!」と相槌を打ったのですが、
専門書からゴシップ誌まで、様々な知識が所狭しとジャングル陳列されてる「リアル書店」は、
Amazonみたいな「ヴァーチャル書店」には無い、異なる本同士の空間的な繋がりがあるんですよね。
AIによるオススメ書籍は、ビジネス的には一理あっても、知識の広がりには貢献しませんし。

と言う事で、例え話が長くなってしまいましたけど、
Amazon登場によって得られた便利さがある反面で、リアル書店が消滅しかかっている現実もあり、
それは、本屋という空気感が好きな私からすると、非常に残念な状況であると。
そして、このような現象は、何も本屋だけの話に限らず、
秋葉原やネットの世界でも起こっており、コミケの世界もそうなのでは無いか?という訳です。
別に本屋なんて言うのは、そう簡単に「たどり着けないのは当たり前」な場所では無かったものの、
確かに今では、そうした感じになりつつあるのかも知れません・・・・
で、秋葉原やネットも同様に、と言うか、一歩も二歩も先んじてる実感はあります。
ぶっちゃけた話、アクセスし難いだけで、まだ何処かに世界があると言うよりは、
もう何処にも、そんな世界は残っていないのでは?というのが、正直な感想です。

・・・って、改めて立場を変えて考え直してみると、
「自分の記憶にない時代は対象の埒外」という感覚は、至って一般的な事なのかも知れませんね。
秋葉原の駅前にバスケコートがあり、歩行者天国がカオスであった時代。
ネットの無法地帯とされた2chでさえ、意外とまともな議論が行えた時代。
わずか十数年前の姿であっても、それを知らない若い世代からすれば考慮の範囲外でしょうし、
そうした世代差が無くても、普通の人の考え方だと、前後数年くらいの範囲が当たり前な一方、
無意識に数十年規模で捉え、自分が生まれる前の過去や、自分が死んでいるであろう未来さえ、
当然のように考慮して見てしまう私の考え方は、一種の変わり者と言えるでしょうから(苦笑)。
(転勤族として育ち、その土地ごとに変わる常識へ対応した経験が、私をそうさせたのかも?)
言うなれば、失われた時代しか知らない世代からすると、
そこに残された「残り香」を見ると、それが「ある」と感じるのでしょうけど、
失われた過程を見てきた世代からすると、残り香くらいじゃ「ない」のと同じと。
要するに、比べる基準の違いになってくるんだと思います。

ネット検索にしても、アナログ時代の情報収集から見ると、
時には図書館で缶詰めとなり、時にはカネを払い、時にはコネを築いて、
それでも得られなかった情報が、今では簡単にタダで手に入る時代となった訳で、
その当時と比べると、「たどり着けないのは当たり前」とは逆の感想に至ります。
(もちろん、ネットや無料じゃ得られない情報も、未だに数多く有りはしますけど)
しかし一方で、アナログ時代は「情報の水たまり」のデータ量しか無かったものが、
今では「情報の海」と呼べるくらい、把握できない規模のデータ量になりましたからねえ。
そういう意味では、ネットやデジタルの黎明期にあった「情報の池」の頃が、
手に負える範囲での理想的なデータ量だったのかも知れません。

それこそ、発信者数が限られていた以前のネットは、有益な情報率が高かったものの、
誰でも手軽に発信できるようになると、有益な情報の絶対数自体は増えていても、
ゴミのような情報が圧倒的に増えた事で、有益な情報率としては激減している感じです。
しかも、その当人に都合の良い偽情報とかも増え、そうした情報を自ら集めるだけでなく、
AIによるオススメ機能により、無自覚なまま溺れてしまう事例も増えている為、
「アナログ時代と現代」ではなく、「デジタル初期と現代」という視点に立てば、
以前に比べて大変となったというのも、一面では事実なのだと思います。

で、デジタル初期さえ知らない若い世代からすると・・・現代が全てなのでしょうね。
自身の短い記憶から、数年前と比較対象しても、長い目から見ると大して変わっていませんし、
成長期に築かれた価値観のまま、時代が変わってもアップデートされないようだと、
自分が年を取った時に「最近の若者は・・・」と、愚痴をこぼす事になると(苦笑)。
まあ多くの人々が、そんな事を数千年も繰り返した訳で、よくある光景と言えばそうなのですが、
結局の所、既にあった過去の価値観をインプット出来ない様では、
未来に訪れる価値観をアップデートする事も、なかなか難しいんじゃないでしょうか?
もちろん、過去と違って未来は、本人の体感も加わるので、全く同じでは無いですけども。
って、何だか最後は、まるで関係がない話になっちゃいましたね(苦笑)。
結局の所、同じ「趣味人世界の空気感」と言う単語を用いても、
それぞれに思い浮かべる世界のイメージ像が、互いにかなり異なってるんだと思います。
そもそも、このサイト自体、開設から20年も経っていますし・・・・


[23393] Re:20年前と現在の社会の違い返信 削除
2020/10/24 (土) 21:12:53 旧トルコ担当


> > > > 例えばコミケなんかも相変わらずサークルの8割までは100部以下しか売れてませんし、
> > > > コミケの注目度が高くなったことで大手の儲かっているサークルばかりが目立ちはしていますが、
> > > > あの辺の本質は変わっていないと思います。

> > > (ちなみに「サークルの8割までは100部以下」というのは肌感覚? それともデータあり?)

> > 「コミックマーケット35周年調査・調査報告」ってやつですね。2011年の調査なので結構古いやつですが。
> > (というか確認したところ、100部未満はサークルの半数、50部未満が30%ってなってますね)

> お〜、データがあったんですか!?
> ありがとうございます!!
> コミケって、そんな所までデータを取ってたんですね、知りませんでした。
> そう言えば、ゲームショウのパンフレット巻末に載ってるデータ類も、結構好きだったなぁ。
> ちなみに、他にも何か面白そうなデータとか載ってます?
> ・・・って、「35周年調査・調査報告」という書き方を見ると、
> コミケのカタログとかに載ってるというよりは、そういう報告書があるのかな。
> そう思って検索してみた所、ネット上で公開されてますね(笑)。
> サークル側だけでなく、入場者の方のアンケート調査も、思う以上に載ってました。
>
> > > 話題はコミケから離れてしまいますが、例えば現在、1年ぶりにサッカーの代表戦が行われており、
> > > 森保JAPANのサッカーに関して、いろいろと考えたり、知りたい所があったりするので、
> > > 詳しい人の話を聞きたい気持ちは強いのですが、ここ最近のネット世界というのは、
> > > 単なる感情論が溢れまくり、そうした専門的な話を行える場所が無くなってしまいました。
> > > 別に、サッカーが好きな人や、詳しい人が減った訳でも、もちろん全滅した訳でも無いのに、
> > > それを行えなくなったと言うのは、ネット利用者の規模の拡大により、
> > > 語りたい少数派が、文句を言いたい多数派に飲み込まれたからでしょうね。
> > > ネットの普及やグローバル化によって、そうした古くからの価値観が一変するのも、
> > > 捉え方によって、決して悪い事では無いのでは無いか?とは考えています。
> > > とは言え、趣味人世界の空気感というのは、アクセスしやすい何処かで残って欲しい気持ちもあります。
> > > 最近、秋葉原や神保町に行っても、昔みたいにテンションが上がらないのは、
> > > 決して、私が年を取っただけが理由の全てでは無いと思うんですよねえ・・・・
> > > ネットの利便性が向上すれば、リアルな集積地の価値は、どうしても低下を免れないでしょうから。

> > あー、なるほど。
> > 私の場合、インターネットを使い始めたころには既にネットが一般化してたので、
> > ネットでちょっと検索しただけではそういった世界にたどり着けないのは当たり前、みたいな感覚です。
> > その時代知らないので間違っているかもですが、かつては秋葉原もインターネットもコミックマーケットも
> > 「知る人ぞ知る」だったからこそ、仲間内の空気感があったわけで、
> > そこにたどり着くにはいわば高度な情報網みたいなものが必要だったと。
> > で現在はアキバもネットもコミケも情弱でも知っているものになってしまった。
> > だけど高度な情報網みたいなものさえあれば、仲間内の空気感のある場所にはたどり着ける(こともある)から、
> > 結局は昔と大して変わってないんじゃないかなーと勝手に思っています。
> > アクセスが難しい場所にしかそういった場は生まれないと。

> いえ、その逆ですね。
> 確かに当時は「知る人ぞ知る」という、その世界だけの話で、
> 関係ない部外者にとっては、世界の中は伺い知るのが困難な時代だったでしょうけど、
> 心理的な面と、地理的な面の壁さえ越えれば、誰でもアクセスが可能な世界でした。
> 要するに、キモいという心理の壁と、東京など大都市のみという地理の壁であり、
> そこは勇気とカネさえあれば、解決できる課題でしたので。
>
> 例えば秋葉原は昭和末期、あの街1つで、全国の家電売上の1割を担っていて、
> とにかく秋葉原に行けば何でも有るし、そこに無ければ何処にも無いという状態でした。
> そして「家電なら秋葉原」みたいに、代名詞的にイメージが定着してしまえば、
> 放っておいても人は集まってきますし、そうなれば店だって更に集まってきて、
> 店が増えれば価格競争が起きて商品安くなり、そこで更に買い物客が集まって、
> 買い物客が増えれば、マニアックな需要に応えても採算が取れるようになり、
> それこそ「何でも有る」街として、好循環で発展していった感じですね。
> で、そんな秋葉原の街へは、電車さえ乗れば、誰にだって行けた訳です(笑)。
> マニアックな店とかも、別に情報とか無くても、足さえ使えば見つけられましたし、
> コミケにしても、「マーケット(市場)」を謳っているくらい、
> 最初からオープンなイベントであり、そうして既に半世紀近い歴史がある訳です。
>
> う〜ん、この辺の感覚は、「本屋」とかで喩えれば伝わりやすいですかねえ?
> 本屋というのは、その存在自体は当然知っていても、
> 興味ない人には縁遠く、どんな本が置かれているかも計り知れないでしょうし、
> 街の小さな本屋とかは、初めてだと確かに立ち入りにくい雰囲気がありました。
> でも、一旦勇気を持って中に入り、お金さえ持っていれば、誰でも好きな本が買えるんです。
> そして神保町の書店街まで足を伸ばせば、マニアックな本さえ探す事が出来たと。
> 別にそこには、「高度な情報網」みたいなモノは特に必要ありません。
> ただ、交通費と時間を使って、わざわざそこまで足を運ぶ手間が必要という意味では、
> やる気が無いと越えられない障壁があり、それに囲われた世界観や空気感はありましたし、
> インターネットにしても、1時間繋いで500円とか1000円かかった2000年頃までは、
> 誰でも利用できるけど、本気で利用したい人しか居ない、濃密な空間であった訳ですね。
> ちなみに私が、読む時間と、書く時間と、投稿する時間を分けているのも、
> 通信料を抑える為の、当時のネットの使い方の名残だったりします(笑)。
>
> と、本屋の例から離れてしまいましたので、話を元に戻すと、
> まずは90年代、急速に全国拡大を始めたコンビニに、売れ筋の雑誌や漫画が置かれるようになり、
> 続いて2000年の大店法改正により、あちこちで広大な売り場面積を持つ大型書店が現れ出し、
> それに少し遅れて、ネットの普及に伴うAmazonの登場と、Kindleなどの電子書籍の発売がありました。
> 言ってしまうと、過渡期の00年代というのは、本好きにとって夢のような時代だった訳ですね。
> 昔ながらの街の本屋や、神保町の書店街は、まだ生き残っている状態で、
> よく読む雑誌や漫画とかは、24時間どこでも買えるコンビニに置いてあり、
> 大型書店に行けば、無数の本に囲まれるテーマパークのような空間が広がり、
> Amazonでネット注文すれば、手間を掛けずにマニアックな本さえ買えたのですから。
> でもそれは一時の夢物語であり、平成の30年あまりの間に、
> 本屋の数は3万店から1万店へと激減し、コンビニに置かれた雑誌や漫画もめっきり減り、
> 多くの大型書店は縮小や閉店を余儀なくされ、残されたのはネット空間のAmazonだけな現状に・・・・
>
> もちろん、Amazonを始めとしたネット通販は、非常に便利なのは確かなんですよ。
> 転勤族として都会でも地方でも育った私からすると、昔の地方の不便さというは覚えていますし、
> ネット通販とショッピング・モールの登場が、地方の生活を劇的に変化させた事も解るんです。
> この地理的格差の解消というのは、不便さの実体験が無い都会人には解らないほど大きい!!
> ただ一方で、街中から本屋が姿を消した現実も、目に見えて感じてますし、
> 今では駅前の商業施設やショッピング・モール以外に、ほとんど本屋が残されていない現実を、
> 今回のコロナ禍による大型店舗の一斉休業によって、如実なまでに実感しました!!
> 池上彰が以前テレビで、本屋の事を「知識のドンキ」と表現した時、
> 「まさにその通りだ!」と相槌を打ったのですが、
> 専門書からゴシップ誌まで、様々な知識が所狭しとジャングル陳列されてる「リアル書店」は、
> Amazonみたいな「ヴァーチャル書店」には無い、異なる本同士の空間的な繋がりがあるんですよね。
> AIによるオススメ書籍は、ビジネス的には一理あっても、知識の広がりには貢献しませんし。
>
> と言う事で、例え話が長くなってしまいましたけど、
> Amazon登場によって得られた便利さがある反面で、リアル書店が消滅しかかっている現実もあり、
> それは、本屋という空気感が好きな私からすると、非常に残念な状況であると。
> そして、このような現象は、何も本屋だけの話に限らず、
> 秋葉原やネットの世界でも起こっており、コミケの世界もそうなのでは無いか?という訳です。
> 別に本屋なんて言うのは、そう簡単に「たどり着けないのは当たり前」な場所では無かったものの、
> 確かに今では、そうした感じになりつつあるのかも知れません・・・・
> で、秋葉原やネットも同様に、と言うか、一歩も二歩も先んじてる実感はあります。
> ぶっちゃけた話、アクセスし難いだけで、まだ何処かに世界があると言うよりは、
> もう何処にも、そんな世界は残っていないのでは?というのが、正直な感想です。


なるほど。
20年前はマニアックな世界が非常にアクセスしやすかった。
しかしこの20年間で書店がアマゾンになり、ネットが質の低い情報で溢れ、秋葉原が有名無実化し、コミケが商業化してしまった。
結果、マニアック世界はどんどん見えなくなってしまったので「もう何処にも、そんな世界は残っていないのでは?」と思っている、ということで合っていますかね?

マニアックな世界がアクセスしやすかった時代が存在した、というのは今まで知りませんでした。
そういえば最近アマゾンで何冊か雑誌を取り寄せたのですが、ほとんど生まれて初めて読む雑誌というものの情報の濃さと質の高さに本当に驚かされました。
現在雑誌はもう何十年も衰退の一途をたどっており、確かに情報があふれる社会になったはものの、その質自体はかなり低下しているというのを実感させられます。

ただやはり若者としては、昔は良かった、現在は悪い、というのは感情として受け付けないので(笑)、多少反論させてもらえば、「そんな世界は残っていない」というのは大袈裟ではないかと。
インターネットの発達によって情報があふれる社会になった結果、今までならば決して広まる規模にはならなかった世界のものに対してアクセスしやすくなったというのはあると思いますし、
(例えば雑誌ならば赤字にならないため最低限度必要な量の読者というのがあり、それを下回る規模の文化はなかなか拡大しえなかったですし、)
無限の情報の中からちゃんとそういったものを拾い上げることができれば、やはり現代はそんなに悪い時代ではないと思うんですよね。
大学生の私がアシモフのSF小説で面白そうなのがあるなんて言う情報も、ネット時代だからこそ手に入った情報ですし。
(仮に書店にSFマガジンなんかが置いてあったとしても、手に取ることはなかったと思うので)
書店も完全に絶滅したなんて言うことはなく、どんなに電子化が進んだとしても、ハブ駅周辺にある大型書店なんかは確実に残るでしょう。
自宅周辺で気軽に行ける本屋がなくなったのは事実ですが、むしろアマゾンのおかげで本が安く簡単に手に入るようになったわけで、書店とアマゾンが共存する今の時代は20年前に比べむしろ読書環境は良くなっているのではないでしょうか?
コミケの商業化も企業ブースが誕生した95、6年ごろにもさんざん騒がれたことでしたが、結局コミケの理念みたいなものは変わってないと思います。(だいたい商業化だったら90年代初頭にBLの世界でバンバン商業化していますし)
むしろ商業化・大規模化することで同人文化がより広く社会から認知され、同人文化は拡大したのではないかと。(それこそ80年代なんかはコミケの存在を知ること自体が地方では難しかったわけで)
コミケ有料化も、実際カタログ購入により入場料を取ってきたコミティアはちゃんとその文化を維持していますし、同人文化の存続ということであれば海賊版サイトが今後対処されるのか?という点のほうがよっぽど重要ではないでしょうか?
(海賊版サイトに関しては最近新たな判決が出て、今後よくなりそうな流れは存在しています)

ただまあ、それもここ10年くらいしか知らない大学生の考えなので、かつての「趣味人世界の空気感」が実際どういうものだったかは知らないですし、秋葉原や神保町の書店街も一度観光に行ったくらいなので、その辺の雰囲気は失われているのかもしれません。
ですがそれも結局、古い文化が廃れ新たな文化が生まれているだけだなのでは?新たに生まれてきている文化を知らない、あるいはついていけていないだけなのでは?と思ってしまいます。

追記:文章がなんか反抗的なのは許してください、あとAIとかの話は後で追記します

さらに追記

ガレージキットというのがありまして、80年代に熱狂的な模型マニアが自ら模型を自主製作していたのですが、90年代にそれは広く認知されるようになりました
で、ガレージキットにはワンダーフェスティバルと言うまあガレージキット版のコミケが存在するのですが、90年代にこれがドンドン拡大していくわけです
しかしそれはそれまでの熱狂的な模型マニアが増えたのではなく、ガレージキットというファンアイテムでファン活動をする人々がワンフェスに押し寄せてきたんですね
80年代からの熱狂的マニアは模型としての質を追い求めますが、90年代に入ってきたライト層は自分の好きなアニメのフィギュアが作れれば、模型としての高みを目指さなくていいという感じで、
90年代にワンフェスの雰囲気は学祭の模擬店やフリーマーケットに近いものになっていきます
そこで00年、ワンフェスを主催していた海洋堂と言う熱狂的模型集団がワンフェスのリセットを宣言するんですよね
その時の広告文がこうでした「ガレージキットは文化(カルチャー)じゃない、精神(スピリッツ)だ」
ガレージキットなんて言う言葉すらなかった時代から、模型好きがこうじて模型の自主製作をしていた人々(それが金になるなんて露とも思わず)らしい言葉ですよね

自分はカルチャー寄りの人間なので、スピリッツがなくても生きていけるんですね
コミケが多少商業化しようとも、あるいはコミケで惰性的、馴れ合い的にコミュニティで群れていても、そういった文化は好きなんですよね
別にスピリットがなくてもいいじゃん、と

かつて岡田斗司夫さんと言う方が「オタク・イズ・デッド」という講演をしたことがあって、(現在はYouTubeで公開中)
これもオタク「精神(スピリッツ)」の終焉宣言であり、オタク「文化」の終焉宣言ではなかったと思うんですよね

管理人さんの言葉に私が共感できないのって、やっぱりこのスピリッツ側の人間なのか、カルチャー側の人間なのか、というのが大きいと思うんですよね

まあ正確に言えばコミケの元来のスピリッツはオリジナル創作にあったので、そういう意味ではコミケのスピリッツはコミケ2、3年目で早くも失われていたのかもしれませんがw


[23397] 現在の日本の文化環境に対する危機感返信 削除
2020/10/28 (水) 06:01:18 徳翁導誉

> なるほど。
> 20年前はマニアックな世界が非常にアクセスしやすかった。
> しかしこの20年間で書店がアマゾンになり、ネットが質の低い情報で溢れ、
> 秋葉原が有名無実化し、コミケが商業化してしまった。
> 結果、マニアック世界はどんどん見えなくなってしまったので
> 「もう何処にも、そんな世界は残っていないのでは?」と思っている、
> ということで合っていますかね?

厳密に言うと少し違うのですが、まあ大体はそれで良いです(笑)。
都会と地方の格差は今以上だったので、無条件にアクセスしやすかった訳でも無いですし、
秋葉原やコミケに関しても「以前に比べて」という傾向論で、白か黒かでは見てないですけど。

> マニアックな世界がアクセスしやすかった時代が存在した、というのは今まで知りませんでした。
> そういえば最近アマゾンで何冊か雑誌を取り寄せたのですが、
> ほとんど生まれて初めて読む雑誌というものの情報の濃さと質の高さに本当に驚かされました。
> 現在雑誌はもう何十年も衰退の一途をたどっており、確かに情報があふれる社会になったはものの、
> その質自体はかなり低下しているというのを実感させられます。

そうですね。
平成の初頭頃までは、特定の一部読者を対象とした、
そうしたマニアックな情報を扱う雑誌が、かなり多かったと思います。
それが今では、そのほとんどが廃刊となり、残っていても抜け殻状態だと・・・・
確かにネットの誕生により、情報量自体は雑誌時代よりも格段に増えてますけど、
一方で、ネット情報は閲覧数が重要な為、ライトな記事ばかりが量産されたり、
場合によっては、煽る記事やフェイク記事なども溢れていて、
雑誌を買えば手に入ったレベルの情報は、今だと何処で得られるの?って感じです。
カネを払わせて読ませる記事と、無料で読ませてカネになる記事とでは、やはり違ってきますよ。

> インターネットの発達によって情報があふれる社会になった結果、
> 今までならば決して広まる規模にはならなかった世界のものに対して
> アクセスしやすくなったというのはあると思いますし、
> (例えば雑誌ならば赤字にならないため最低限度必要な量の読者というのがあり、
> それを下回る規模の文化はなかなか拡大しえなかったですし、)
> 無限の情報の中からちゃんとそういったものを拾い上げることができれば、
> やはり現代はそんなに悪い時代ではないと思うんですよね。

では実際、「拾い上げること」って現実的に出来てます?
もちろん前述の通り、ネットの利点は利点として私も認めています。
それは下手をすると、ネットが当たり前なデジタル・ネイティブ世代以上に、
その発展過程をつぶさに体験してきた、私たちの世代の方が実感しているかも知れません。
また、既にアナログ的な調べ方を身に付けていたからこそ、
デジタルを道具として使い調べる方法も、自然と身に付いている面はあると思いますが、
最初からデジタルがある世代だと、情報を使うより、情報に踊らされる面が強い気も・・・・
まあ、それはさて置くとして、サッカー日本代表なんてメジャーな題材が、
まもとに語られてる場所を見つけられないのは、私の拾い上げ方が悪いんですかねえ?
サッカーは門外漢かも知れませんけど、何処かにあったりします???

> 大学生の私がアシモフのSF小説で面白そうなのがあるなんて言う情報も、
> ネット時代だからこそ手に入った情報ですし。
> (仮に書店にSFマガジンなんかが置いてあったとしても、手に取ることはなかったと思うので)
> 書店も完全に絶滅したなんて言うことはなく、どんなに電子化が進んだとしても、
> ハブ駅周辺にある大型書店なんかは確実に残るでしょう。
> 自宅周辺で気軽に行ける本屋がなくなったのは事実ですが、
> むしろアマゾンのおかげで本が安く簡単に手に入るようになったわけで、
> 書店とアマゾンが共存する今の時代は20年前に比べむしろ読書環境は良くなっているのではないでしょうか?

では実際の所、読書人口って増えているんですかねえ?
これまた前述の通り、ネット通販や電子書籍の登場によって、
選択肢が大幅に広がり、特に地方民などは格段と便利になったのは事実ですし、
ネットの書評とかで、今まで知り得なかった名著に触れる機会が増えたのも事実でしょう。
でも結局、それらは自分から「本を読もう」と積極的に動く事が大前提の条件で、
そもそも身近で本に触れる機会が乏しければ、どれだけ「本を読もう」となるでしょうか?

こうした傾向は、スポーツ中継でも言えると思うんですよ。
確かに今では、有料の衛星中継やネット配信によって、
一昔前では考えられないほど、様々な試合をフルで見られるようになりました。
それはそれで、既にスポーツ観戦が好きな層には、実にありがたい時代です。
しかし一方で、スポーツに興味が薄い人でも目にする機会が得られる
無料の地上波放送というのは、めっきり姿を消してしまい、
新規の顧客層を掴むという意味では、どの競技も非常に難しい状況となっています。
目先の利益を考えれば現行がベストかも知れませんけど、将来的に長い目で見ると・・・・
実際にそうするかは別として、身近に機会が有るか?無いか?とでは、やはり大きな違いですよ。

また、「ハブ駅周辺にある大型書店なんかは確実に残る」との ご見解ですが、
それが姿を消したり、売り場面積を大幅縮小している現状が、
既にあるからこそ、こうして言っている話でして・・・・
東京都心だと新宿・池袋・渋谷・上野、地方の大都市だと京都・名古屋・福岡など、
大型書店が閉店している実状があるんですよ(泣)。
駅前書店の代表格である文教堂も、次々に店舗を閉鎖してますからね。
さすがに東京都心で全滅する事はないでしょうけど、地方や郊外には大問題で、
「上京しなければ手に取り買えない」となれば、それこそ昔のマニア市場同然ですよ。
(読書が普通だった時代から、マニアのモノに為りつつある傾向はあるかも知れませんが)
やはり本というのは、実際に手に取り、パラパラと中を軽く覗いてみて、
初めて解る部分は多いですし、それはどんなに書評の数が多くても補えません。
そして、その本の周辺に、どんな同分野の本があるかも、ネットでは解りません。
デジタルとアナログ、ネットとリアルの違いを意識しなくなるくらい、
技術が発展してこないと、この辺の問題解決は困難じゃないですかねえ?

> ただまあ、それもここ10年くらいしか知らない大学生の考えなので、
> かつての「趣味人世界の空気感」が実際どういうものだったかは知らないですし、
> 秋葉原や神保町の書店街も一度観光に行ったくらいなので、
> その辺の雰囲気は失われているのかもしれません。
> ですがそれも結局、古い文化が廃れ新たな文化が生まれているだけだなのでは?
> 新たに生まれてきている文化を知らない、あるいはついていけていないだけなのでは?と思ってしまいます。

そうした部分は・・・全く無い訳では無いんでしょうけどね(笑)。
神保町では、古書店が減少する替わりに、カレー店が増えましたし、
秋葉原でも、マニア向け店舗が消えて、メイドカフェやオフィスビルが現れ、
若者の街とされた渋谷や原宿なども、商業ビルやチェーン店ばかりになりました。
それが今の日本の「新しい文化」なのかも知れませんが、
個人的には、どうも面白味に欠けるのは事実なんですよねえ・・・・

まあ、メイドカフェとかは特殊な例なので、ちょっと置くとして(笑)、
飲食店やチェーン店、商業オフィスも、あるのが悪い訳では無いのですが、
これらの「特別な街」を、特別たらしめていた要素が弱まり、
何処にでもあるモノや、何処にあっても良いモノに占められるのは、味気無くはあります。
とは言え、それも、新しいモノが出てきて、旧来のモノが駆逐されたというよりは、
旧来の特別な店が減って出来たスペースを、新しい一般的な店が穴埋めした面があると。

そもそも文化というのは、それをメインで牽引するのは やはり若者層であり、
それを育むのに重要なのは 何だかんだで経済力と時間に余裕がある社会で、
そこに、今まで蓄積された土台となる文化や、時代の変化がもたらす革新性などが絡みます。
そういう意味で言うと、今の若者世代は1学年100万人(子供は90万人)前後なのに対して、
団塊世代は1学年270万人で、団塊ジュニア世代が1学年210万人と、絶対数が違う上、
日本の経済状況も、高度成長期やバブル期と、失われた平成期とでは、雲泥の差ですので、
今の個々の若者がどうこうでは無く、置かれている条件面が圧倒的に悪いと思うんですよ・・・・
古い文化が廃れ、新たな文化が生まれる事自体に関しては、
私も歴史好きですから、時の流れとして、別に普通の事だと考えていますし、
客観的で論理的な見方を好むので、主観的な懐古主義に陥ってるつもりも無いんです。
古いモノから、新しいモノまで、刺激を与えてくれるなら時代も地域も分野も問いません(笑)。
まあ私も人間ですし、完全に客観視できてるとは限らず、懐古主義的な部分もあるかも知れませんが、
少なくとも、安易に懐古主義という先入観で見られてしまうと、却って私の真意が伝わらないかな?
歴史好きだからこそ、百年とか千年なんて幅で見てしまう事も しばしばですし(苦笑)。

で、逆に尋ねますと、ここ10年あまりで、具体的に「これ」といった新文化って何か生まれました?
私が知らないだけだったり、付いていけてないだけなら、却って嬉しいんですよ!!
過去を懐かしむよりは、見知らぬ未来にワクワクするタイプですから、
もしも気付けていないだけで、新しい刺激が存在するなら、是非とも知りたいので。
平成の30年間で、最初の10年間は、土台にあった戦後昭和の文化が成熟期から爛熟期を迎え、
続く中間の10年間は、ネットという新しい環境の変化が、様々な文化を生み出しました。
しかし、平成最後の10年間となると・・・少なくとも私には思い浮かばないんですよね(泣)。
近年の「日本すごい」ブームとかも、新しいモノを築けず、過去の積み上げでマウントを取り、
本当に凄いかは関心が薄く、苦しい現状を認識しつつ、とにかく心の充足感を得たい感じがして、
これこそまさく、「日本やばい」の状況証拠のように映ってしまうんです・・・・

とは言え、私の受信アンテナが錆び付いてる可能性も、十分に有り得ます(笑)。
鬼滅の刃が、何故ここまで小学生にウケているか、ちょっと解らなくなってますし。
いや、面白い作品だというのは、私にも解るのですが、
この作品だけが特別だという理由が、私には正直思い浮かんでいません。
人気に火が付いたのは、やはりアニメ化されてからだと思いますけど、
UHF系の深夜アニメを、小学生たちが見ていたとは思えませんし、
(PG12指定作品が小学生にブームなのは異例な社会現象かと・苦笑)
その辺りは、ネット配信なども含め、近年の視聴手段の多様化があり、
外出自粛機関が、人気を更に加速させたのは解るのですが、
何処かに、そもそものキッカケがあるはずで、それが解らないと・・・・

映像的にキレイだとは思いますが、最近のアニメはどの作品も結構キレイですし、
演出の和テイストも「海外ウケしそう」とは感じたものの、国内では珍しくなく、
女性作者なので絵や話がシンプルで解りやすいというのも、決定打には欠け、
ドラゴンボールやナルトと違い、子供にとってはリアルタイムの作品というのも、
1つの理由ではあると思うのですが、それがこの作品である必然性は無いと。
となると、アニメの視聴者層や、ジャンプの読者層が、昔に比べて高年齢化して、
園児向きの作品とかはあっても、小学生向きの作品は近年意外と乏しく、
主人公の年齢も、他作品よりは小学生に近いからかな?・・・な〜んて感じに、
あれこれ無駄に考えるのが、後で話題に触れますけど、オタクというモノなのでしょう(笑)。
「鬼滅、大好き!」と、原作マンガを買い、映画を見に行くだけではファンの範疇でしょうし、
グッズを揃え、細かい設定とかにも詳しいだけでは、マニアであってもオタクでは無いと。
って、私自身はオタク的ではあっても、オタクだとは思ってませんけどね(笑)。

> 追記:文章がなんか反抗的なのは許してください、あとAIとかの話は後で追記します
いえいえ、別に全く気にしてませんよ!!
と言いますか、下手に気を使われる方が、却って自由に語り難くなりますし(笑)。

> そこで00年、ワンフェスを主催していた海洋堂と言う熱狂的模型集団がワンフェスのリセットを宣言するんですよね
> その時の広告文がこうでした「ガレージキットは文化(カルチャー)じゃない、精神(スピリッツ)だ」
> ガレージキットなんて言う言葉すらなかった時代から、模型好きがこうじて模型の自主製作をしていた人々
> (それが金になるなんて露とも思わず)らしい言葉ですよね

関係ない話ですが、ステイホームの影響もあったのか、
ここ1年で数万円ほど、海洋堂に投じちゃってます(苦笑)。
まさか、仏像のフィギュアだとか、アート作品のガチャまであるとは!?
1体買うと、ついついシリーズで揃えたくなる泥沼状態に・・・・
ああいうのは意外と場所を取るので、今まで手を出さなかったんですけどね。

> 自分はカルチャー寄りの人間なので、スピリッツがなくても生きていけるんですね
> コミケが多少商業化しようとも、あるいはコミケで惰性的、馴れ合い的にコミュニティで群れていても、
> そういった文化は好きなんですよね
> 別にスピリットがなくてもいいじゃん、と
> かつて岡田斗司夫さんと言う方が「オタク・イズ・デッド」という講演をしたことがあって、(現在はYouTubeで公開中)
> これもオタク「精神(スピリッツ)」の終焉宣言であり、オタク「文化」の終焉宣言ではなかったと思うんですよね

う〜ん、そこは用語の定義の話になってくるかと思いますが、
「ファン」と「マニア」と「オタク」とを明確に区分した場合に、
「精神性なき文化」というのは、果たしてオタク的だと言えるんですかねえ?
個人的には、好きが高じて生じる、何らかの主体性があってこそのオタクだと思いますし、
ただ単に好きなだけだとか、受け身で消費するだけであるなら、
それはファンやマニアの範疇であって、オタクの世界では無い気がするんですよ。
ここでいうオタク文化が、サブカルやPOPカルチャーの事であれば、
まだ意味としては通じるんですけどね。

例えばコスプレ行為とかにしても、そこまで行くと、
もう単なるファンという領域は超えてると、私は思いますが(笑)、
既製品のまま楽しむのはマニアと呼べても、オタクとは呼べない感じでしょうか?
自作は勿論、拘りのオーダー・メイドであったり、既製品に一手間加えるでも良いですけど、
とにかく何らかの主体性があった場合に、それがオタク的なコスプレと呼べる気がするんです。
別にこれは、コスプレ文化としてとか、サブカル分野の一環として見た場合には、
既製品だろうが、自作だろうが、そこに優劣とかは無いと個人的に思っていますし、
そうやって愛好家の枠や世界が広がり、ビジネスとしても広がっていく分には、
却って好ましくも感じています(もちろん既存の楽しみも残るのが大前提ですが)。
もっと言うと、サブカル方面だけでなく、メイン・カルチャーでも普及して欲しいくらいです!!
美術館や博物館の在り方とか、展覧会や演奏会の在り方など、言いたい事は多々あるので(苦笑)。

> 管理人さんの言葉に私が共感できないのって、
> やっぱりこのスピリッツ側の人間なのか、カルチャー側の人間なのか、というのが大きいと思うんですよね

大雑把に言ってしまうと、その見立てで合っているのかも知れません。
ただ一方で、ここで言うカルチャーというのを否定している訳ではありません。
惰性や馴れ合いであったり、商業化があったりしても、別に構わないとは思うんです。
それと同時にコアな部分も残るなら、全体としては大きくなってると言う証ですし、
仮にドーナツ化していっても、それはそれで移り変わりの面で仕方ない時もあるでしょうから。

そもそも文化というのは、どんな世界であれ、最初は少数の物好き達から始まり、
それが広まって大衆化する事で、一部の趣味から、広範な「文化」へと変化する訳ですが、
しかし大衆化は同時に、多数の人間に受け入れられる為に、どうしても陳腐化は避けられず、
そこに商業化が加わると、2番煎じや置きに行った続編の量産で、
陳腐化のスピードが更に加速され、やがては使い古されて、捨てられていきます・・・・
そうなると結局、文化に昇格した時点で、「消費」は避けられない運命であると。
誰も意識しないくらい一般的な消費財と化し、生き残っていくのは極一部かな?
基本的に文化とは消耗品で、乱雑に扱われるほど、その寿命も短いモノです。
原理主義的に死守しようとした所で、先鋭化して、分裂して、先細るのが関の山ですしね。

まあ、どんな分野であれ、最初には地を這う黎明期があり、
そこからグングン伸びる成長期があり、それがピークを迎える最盛期があり、
腐り始めだけど芳しい爛熟期があって、最後には腐り落ちる没落期がある訳ですが、
大衆化されるのは最盛期の後半で、最も人口が多いのが爛熟期な一方、
最も楽しいのは成長期で、本当に好きな人は黎明期から居るモノだと思うんです。
そういう意味では、栄枯盛衰が避けられない事も、一応は理解してますし、
最初から言っている通り、成長期や過渡期を経験できた事は、幸運だったのだろうと。
それはそれで寂しい事ですけど、永続繁栄するなんて事はまず無理でしょうし、
せめて延命させたい願望が正直あり、命を縮める「お客様」化を出来るだけ遅らせたい訳です。

また、「そんな世界は残っていないのでは?」というのも、
時が移ろい、栄枯盛衰がある以上は、そんなおかしな話では無いかと思います。
成長期や過渡期の状況もまた、永続するなんて事は無いのでしょうからね。
コミケの同人文化拡大を言われてますが、それは既に爛熟期に入ってる状況かも知れませんよ?
それに、この発言自体は、文化や担い手がどうこうという話と言うよりも、
もっと単純に「集える場所の喪失」という意味で用いていますし、
コミケに関しても、一例として挙げているだけで、それが話の主題ではありません。
要するに、「あんなのは名前が同じだけで、本来のコミケじゃない」とか、
そんな主旨の発言では全く無いという事ですね、念の為に言っておくと(笑)。
この辺りは、短期的な話と長期的な話、部分的な話と全体的な話が入り乱れているので、
ちょっと解り難いかも知れませんけどね(私の文章構成も優れてるとは言えませんし・苦笑)。

あとは、ある所で滅びがあっても、別の所で興りがあれば良いんですけど、
グローバル化と新自由主義により、文化の消費サイクルさえ加速度を増していて、
最近は、行き過ぎた焼畑農法が、砂漠化を招くような状況を、生んでいる気がするんですよ。
次から次へと大群で食い荒らしていくという意味では、「蝗害」に喩えても良いのかな?
どちらかと言うと、そちらの方がより深刻で、私が心配している部分かも知れません。
我々の世界は20〜40年後、未開地が無くなると共に、人口が減少するという、
人類初の時代を迎えるとも危惧されており、そんな未曾有の停滞時代に、
「果たして文化の発展はどうなるのか?」 日本だけでなく、世界規模でも未知数です。
「今まで大丈夫だったから、大丈夫だろう」とは、気軽には言えない状況なんですよね。
明治維新や戦後の実例から、何だかんだで「いざとなれば日本は大丈夫」と思ってた気持ちも、
ここ10年あまりの状況で、すっかり諦めモードというか、達観状態になってしまいました。
スペインなどの大国が没落した時も、こんな感じだったのだろうなと・・・・
そして、国家は衰退したけど、文化は隆盛したという例を、少なくとも私は知りません。

> まあ正確に言えばコミケの元来のスピリッツはオリジナル創作にあったので、
> そういう意味ではコミケのスピリッツはコミケ2、3年目で早くも失われていたのかもしれませんがw

それは勿論、オリジナル創作であれば理想ですけど、
2次創作であっても、稚拙な創作であっても、「創作」という意味では同じですし、
どんな分野であれ、そうした裾野の広さこそが、全ての土台となってくるので、
目に見える氷山の一角だけでなく、水面下の氷塊をも意識すべきだと思うんです。
クール・ジャパンだとか言って、成長戦略に組み込みたいのなら、尚更。
これは何もサブカル分野に限らず、スポーツでも、学術でも、政治でも、起業でも同じかと?
草サッカーの経験があるだけでも、ただ見るだけのファンとは見方が変わるはずですし、
ピラミッドの底辺が広くなれば広くなるほど、その高さも大きさも増していくはずですから。

でもそれらは、あくまでもプレイヤーとしての裾野の広さであって、
消費者や観客としての裾野は、プレイヤーを育てる養分という面では意味があっても、
その辺は海外にだって求められますし、逆に海外から養分にされる事だってあります。
例えばゲーム業界なんか、家庭用ゲーム機の事を一般名詞として、
北米では「NINTENDO」、西欧では「PlayStation」と呼ばれるくらい、
以前は隆盛を誇っていたのも、今では昔の話ですからねえ・・・・
現在進行形で、今の日本が世界を魅了している分野って、実際に何かあるのかなぁ?
まあ世界はさておき、絶えずサブカルを産み続けた日本の国内的土壌が、
かなり危機的な状況にあるのでは?というのが、私自身の肌感覚なんですよね。
もっと言うと、どうすれば衰退を回避し、繁栄の道を築けるのか、方法を知りたくはあります。


[23399] 無限にグローバルか、無限にローカルか返信 削除
2020/10/30 (金) 01:34:38 旧トルコ担当

・相対的低下

> > なるほど。
> > 20年前はマニアックな世界が非常にアクセスしやすかった。
> > しかしこの20年間で書店がアマゾンになり、ネットが質の低い情報で溢れ、
> > 秋葉原が有名無実化し、コミケが商業化してしまった。
> > 結果、マニアック世界はどんどん見えなくなってしまったので
> > 「もう何処にも、そんな世界は残っていないのでは?」と思っている、
> > ということで合っていますかね?

> 厳密に言うと少し違うのですが、まあ大体はそれで良いです(笑)。
> 都会と地方の格差は今以上だったので、無条件にアクセスしやすかった訳でも無いですし、
> 秋葉原やコミケに関しても「以前に比べて」という傾向論で、白か黒かでは見てないですけど。
>
> > マニアックな世界がアクセスしやすかった時代が存在した、というのは今まで知りませんでした。
> > そういえば最近アマゾンで何冊か雑誌を取り寄せたのですが、
> > ほとんど生まれて初めて読む雑誌というものの情報の濃さと質の高さに本当に驚かされました。
> > 現在雑誌はもう何十年も衰退の一途をたどっており、確かに情報があふれる社会になったはものの、
> > その質自体はかなり低下しているというのを実感させられます。

> そうですね。
> 平成の初頭頃までは、特定の一部読者を対象とした、
> そうしたマニアックな情報を扱う雑誌が、かなり多かったと思います。
> それが今では、そのほとんどが廃刊となり、残っていても抜け殻状態だと・・・・
> 確かにネットの誕生により、情報量自体は雑誌時代よりも格段に増えてますけど、
> 一方で、ネット情報は閲覧数が重要な為、ライトな記事ばかりが量産されたり、
> 場合によっては、煽る記事やフェイク記事なども溢れていて、
> 雑誌を買えば手に入ったレベルの情報は、今だと何処で得られるの?って感じです。
> カネを払わせて読ませる記事と、無料で読ませてカネになる記事とでは、やはり違ってきますよ。


> > 大学生の私がアシモフのSF小説で面白そうなのがあるなんて言う情報も、
> > ネット時代だからこそ手に入った情報ですし。
> > (仮に書店にSFマガジンなんかが置いてあったとしても、手に取ることはなかったと思うので)
> > 書店も完全に絶滅したなんて言うことはなく、どんなに電子化が進んだとしても、
> > ハブ駅周辺にある大型書店なんかは確実に残るでしょう。
> > 自宅周辺で気軽に行ける本屋がなくなったのは事実ですが、
> > むしろアマゾンのおかげで本が安く簡単に手に入るようになったわけで、
> > 書店とアマゾンが共存する今の時代は20年前に比べむしろ読書環境は良くなっているのではないでしょうか?

> では実際の所、読書人口って増えているんですかねえ?
> これまた前述の通り、ネット通販や電子書籍の登場によって、
> 選択肢が大幅に広がり、特に地方民などは格段と便利になったのは事実ですし、
> ネットの書評とかで、今まで知り得なかった名著に触れる機会が増えたのも事実でしょう。
> でも結局、それらは自分から「本を読もう」と積極的に動く事が大前提の条件で、
> そもそも身近で本に触れる機会が乏しければ、どれだけ「本を読もう」となるでしょうか?


読書文化の後退は単純にインターネットという新たな競争相手が現れたからであり、それはそこまで懸念すべき問題ではないと思うんですよね。
例えるならばテレビの普及によりラジオ文化が後退したのと同じだと。
もちろんフェイクニュースという非常に重要な問題はありますが、それと単なるコンテンツの相対的地位低下を混ぜて語るとおかしくなってしまうと思うんですよね。

> こうした傾向は、スポーツ中継でも言えると思うんですよ。
> 確かに今では、有料の衛星中継やネット配信によって、
> 一昔前では考えられないほど、様々な試合をフルで見られるようになりました。
> それはそれで、既にスポーツ観戦が好きな層には、実にありがたい時代です。
> しかし一方で、スポーツに興味が薄い人でも目にする機会が得られる
> 無料の地上波放送というのは、めっきり姿を消してしまい、
> 新規の顧客層を掴むという意味では、どの競技も非常に難しい状況となっています。
> 目先の利益を考えれば現行がベストかも知れませんけど、将来的に長い目で見ると・・・・
> 実際にそうするかは別として、身近に機会が有るか?無いか?とでは、やはり大きな違いですよ。


うーん、それもネットの普及により新しいコンテンツが生まれた結果、競争が激化し、既存のコンテンツが新規顧客を獲得しにくくなっているだけだと思うんですよね。

・ネット書店

> また、「ハブ駅周辺にある大型書店なんかは確実に残る」との ご見解ですが、
> それが姿を消したり、売り場面積を大幅縮小している現状が、
> 既にあるからこそ、こうして言っている話でして・・・・
> 東京都心だと新宿・池袋・渋谷・上野、地方の大都市だと京都・名古屋・福岡など、
> 大型書店が閉店している実状があるんですよ(泣)。
> 駅前書店の代表格である文教堂も、次々に店舗を閉鎖してますからね。


そうなんですか……
これは知りませんでした

> さすがに東京都心で全滅する事はないでしょうけど、地方や郊外には大問題で、
> 「上京しなければ手に取り買えない」となれば、それこそ昔のマニア市場同然ですよ。
> (読書が普通だった時代から、マニアのモノに為りつつある傾向はあるかも知れませんが)
> やはり本というのは、実際に手に取り、パラパラと中を軽く覗いてみて、
> 初めて解る部分は多いですし、それはどんなに書評の数が多くても補えません。
> そして、その本の周辺に、どんな同分野の本があるかも、ネットでは解りません。
> デジタルとアナログ、ネットとリアルの違いを意識しなくなるくらい、
> 技術が発展してこないと、この辺の問題解決は困難じゃないですかねえ?


あと未だにネット書店って無いんでしょうか?
あなたへのおすすめ順ではなく、リアル書店ならこんな感じで本棚作るよ、みたいな感じで題名と表紙とアマゾンへのリンクがまとめられてるサイトがあれば、興味のある人はけこう見てくれると思うんですよね。
仮にそういうサイトがあっても、大半の人はもう自分の興味の範囲内でしか見ないがゆえにフェイクニュースなどが問題になるのであって、というか本当にそういうサイトが無いのであれば私が作ろうかなぁ。
いや真面目にこれお金になるアイデアだし、とっくにもうそういうのがあるものだと思っていたのですが。

・語れる場所

> > インターネットの発達によって情報があふれる社会になった結果、
> > 今までならば決して広まる規模にはならなかった世界のものに対して
> > アクセスしやすくなったというのはあると思いますし、
> > (例えば雑誌ならば赤字にならないため最低限度必要な量の読者というのがあり、
> > それを下回る規模の文化はなかなか拡大しえなかったですし、)
> > 無限の情報の中からちゃんとそういったものを拾い上げることができれば、
> > やはり現代はそんなに悪い時代ではないと思うんですよね。

> では実際、「拾い上げること」って現実的に出来てます?
> もちろん前述の通り、ネットの利点は利点として私も認めています。
> それは下手をすると、ネットが当たり前なデジタル・ネイティブ世代以上に、
> その発展過程をつぶさに体験してきた、私たちの世代の方が実感しているかも知れません。
> また、既にアナログ的な調べ方を身に付けていたからこそ、
> デジタルを道具として使い調べる方法も、自然と身に付いている面はあると思いますが、
> 最初からデジタルがある世代だと、情報を使うより、情報に踊らされる面が強い気も・・・・
> まあ、それはさて置くとして、サッカー日本代表なんてメジャーな題材が、
> まもとに語られてる場所を見つけられないのは、私の拾い上げ方が悪いんですかねえ?
> サッカーは門外漢かも知れませんけど、何処かにあったりします???


無いんですかねえ。
オタクの私は好きなアニメを語る場も歴史好きが集まる場も持っているので、他の人もそういうもんだと思っていたのですが違うのでしょうか?
ただライト層が集まる中間的な場所がなくなているというのは分かる気がします。
例えば模型も、YouTubeで模型マニアの人たちが語る場所はありますが、町の模型店みたいなものは無くなっていますからね。
私が歴史好きで集まっているのも招待制のディスコードの部屋ですし、そういう意味で場に入るための努力みたいなものが求められる時代に合ったような気はします。
最近ではオンラインサロンなるものが流行っているらしいですしね。
この辺私が関心薄いのは、オタクやっていればどこであれそういう同志のいる場所にたどり着けるという自信があるからなんですが。

・新しい文化は無限にあります

> > ただまあ、それもここ10年くらいしか知らない大学生の考えなので、
> > かつての「趣味人世界の空気感」が実際どういうものだったかは知らないですし、
> > 秋葉原や神保町の書店街も一度観光に行ったくらいなので、
> > その辺の雰囲気は失われているのかもしれません。
> > ですがそれも結局、古い文化が廃れ新たな文化が生まれているだけだなのでは?
> > 新たに生まれてきている文化を知らない、あるいはついていけていないだけなのでは?と思ってしまいます。

> そうした部分は・・・全く無い訳では無いんでしょうけどね(笑)。
> そもそも文化というのは、それをメインで牽引するのは やはり若者層であり、
> それを育むのに重要なのは 何だかんだで経済力と時間に余裕がある社会で、
> そこに、今まで蓄積された土台となる文化や、時代の変化がもたらす革新性などが絡みます。
> そういう意味で言うと、今の若者世代は1学年100万人(子供は90万人)前後なのに対して、
> 団塊世代は1学年270万人で、団塊ジュニア世代が1学年210万人と、絶対数が違う上、
> 日本の経済状況も、高度成長期やバブル期と、失われた平成期とでは、雲泥の差ですので、
> 今の個々の若者がどうこうでは無く、置かれている条件面が圧倒的に悪いと思うんですよ・・・・
> 古い文化が廃れ、新たな文化が生まれる事自体に関しては、
> 私も歴史好きですから、時の流れとして、別に普通の事だと考えていますし、
> 客観的で論理的な見方を好むので、主観的な懐古主義に陥ってるつもりも無いんです。
> 古いモノから、新しいモノまで、刺激を与えてくれるなら時代も地域も分野も問いません(笑)。
> まあ私も人間ですし、完全に客観視できてるとは限らず、懐古主義的な部分もあるかも知れませんが、
> 少なくとも、安易に懐古主義という先入観で見られてしまうと、却って私の真意が伝わらないかな?
> 歴史好きだからこそ、百年とか千年なんて幅で見てしまう事も しばしばですし(苦笑)。
>
> で、逆に尋ねますと、ここ10年あまりで、具体的に「これ」といった新文化って何か生まれました?
> 私が知らないだけだったり、付いていけてないだけなら、却って嬉しいんですよ!!
> 過去を懐かしむよりは、見知らぬ未来にワクワクするタイプですから、
> もしも気付けていないだけで、新しい刺激が存在するなら、是非とも知りたいので。
> 平成の30年間で、最初の10年間は、土台にあった戦後昭和の文化が成熟期から爛熟期を迎え、
> 続く中間の10年間は、ネットという新しい環境の変化が、様々な文化を生み出しました。
> しかし、平成最後の10年間となると・・・少なくとも私には思い浮かばないんですよね(泣)。
> 近年の「日本すごい」ブームとかも、新しいモノを築けず、過去の積み上げでマウントを取り、
> 本当に凄いかは関心が薄く、苦しい現状を認識しつつ、とにかく心の充足感を得たい感じがして、
> これこそまさく、「日本やばい」の状況証拠のように映ってしまうんです・・・・
>
> とは言え、私の受信アンテナが錆び付いてる可能性も、十分に有り得ます(笑)。
> 鬼滅の刃が、何故ここまで小学生にウケているか、ちょっと解らなくなってますし。
> いや、面白い作品だというのは、私にも解るのですが、
> この作品だけが特別だという理由が、私には正直思い浮かんでいません。
> 人気に火が付いたのは、やはりアニメ化されてからだと思いますけど、
> UHF系の深夜アニメを、小学生たちが見ていたとは思えませんし、
> (PG12指定作品が小学生にブームなのは異例な社会現象かと・苦笑)
> その辺りは、ネット配信なども含め、近年の視聴手段の多様化があり、
> 外出自粛機関が、人気を更に加速させたのは解るのですが、
> 何処かに、そもそものキッカケがあるはずで、それが解らないと・・・・
>
> 映像的にキレイだとは思いますが、最近のアニメはどの作品も結構キレイですし、
> 演出の和テイストも「海外ウケしそう」とは感じたものの、国内では珍しくなく、
> 女性作者なので絵や話がシンプルで解りやすいというのも、決定打には欠け、
> ドラゴンボールやナルトと違い、子供にとってはリアルタイムの作品というのも、
> 1つの理由ではあると思うのですが、それがこの作品である必然性は無いと。
> となると、アニメの視聴者層や、ジャンプの読者層が、昔に比べて高年齢化して、
> 園児向きの作品とかはあっても、小学生向きの作品は近年意外と乏しく、
> 主人公の年齢も、他作品よりは小学生に近いからかな?・・・な〜んて感じに、
> あれこれ無駄に考えるのが、後で話題に触れますけど、オタクというモノなのでしょう(笑)。
> 「鬼滅、大好き!」と、原作マンガを買い、映画を見に行くだけではファンの範疇でしょうし、
> グッズを揃え、細かい設定とかにも詳しいだけでは、マニアであってもオタクでは無いと。
> って、私自身はオタク的ではあっても、オタクだとは思ってませんけどね(笑)。


ここ最近の新しい文化といえば、私の知る限りではやはりスマホゲームとVtuberでしょうか。
スマホゲームに関してはゲーム性の弱さを文化の後退として否定的にとらえる論者も少なからずいますが、私としてはスマホゲームはSNSと合わさった現代のコミュニケーションゲームは一定の新しさと文化的価値を備えていると思うんですよね。
Vtuberのほうに関してはあまり詳しく知らないです。あれは何時間という配信が下手すると週に何度もあるという見る側もめちゃくちゃ大変な世界なので。

でまあ布教して良い、という言質が取れたので遠慮なく布教させて貰えば、「百合」(女性同性愛)はどうでしょうか?
元からたどれば吉屋信子の時代からある意味存在するのでしょうが、オタク的な文化として高まり始めるのは『マリア様がみている』や『東方Project』などが流行し始めた04年あたりからです。
オタク一般(なんて存在するのか?)に浸透していったのはその後10年代に入ってからなので、新しい文化ではあるという条件はクリアしているかと。
最近だと普通のアニメ(百合ファン向けでない普通のオタク向けアニメ)にもそういった百合的な要素が入っていたりしますし、逆にそういうあからさまなものを入れて百合営業とかも言われたりしていますね。
個別作品ですと、「安達としまむら」(ライトノベル・アニメ)や「響け!ユーフォニアム」(小説・漫画・アニメ)とかおススメです。いろんな意味で刺激にはなると思います。
ってまあオタクでもない人に百合を勧めてもしょうがないのは分かってるんですけどね。

あと鬼滅の刃を牽引してるのはたぶん女性層ですよ。(データ見てないので想像ですが)
元々あの人たちは少年漫画大好きですし、多分劇場に何回も足運んだりしてるのも彼女たちなんじゃないでしょか(いや小学生も見に来ているでしょうけど)。
小学生からお小遣いで商売しても大して儲かりませんが、それこそ結婚してない20代30代の女性ならジャンジャンお金使ってくれますし、それらが鬼滅の数字的な強さを作って、数字が強いから話題にもなる、という感じなのではないでしょうか?

でまあ何が言いたいかといえば、少なくとも現代に生きるオタクからすればネットのおかげで面白いものは無限に溢れていて、むしろそれを楽しむ時間こそ足りないんですよね。

・オタクについて

> > 追記:文章がなんか反抗的なのは許してください、あとAIとかの話は後で追記します
> いえいえ、別に全く気にしてませんよ!!
> と言いますか、下手に気を使われる方が、却って自由に語り難くなりますし(笑)。
>
> > そこで00年、ワンフェスを主催していた海洋堂と言う熱狂的模型集団がワンフェスのリセットを宣言するんですよね
> > その時の広告文がこうでした「ガレージキットは文化(カルチャー)じゃない、精神(スピリッツ)だ」
> > ガレージキットなんて言う言葉すらなかった時代から、模型好きがこうじて模型の自主製作をしていた人々
> > (それが金になるなんて露とも思わず)らしい言葉ですよね

> 関係ない話ですが、ステイホームの影響もあったのか、
> ここ1年で数万円ほど、海洋堂に投じちゃってます(苦笑)。
> まさか、仏像のフィギュアだとか、アート作品のガチャまであるとは!?
> 1体買うと、ついついシリーズで揃えたくなる泥沼状態に・・・・
> ああいうのは意外と場所を取るので、今まで手を出さなかったんですけどね。
>
> > 自分はカルチャー寄りの人間なので、スピリッツがなくても生きていけるんですね
> > コミケが多少商業化しようとも、あるいはコミケで惰性的、馴れ合い的にコミュニティで群れていても、
> > そういった文化は好きなんですよね
> > 別にスピリットがなくてもいいじゃん、と
> > かつて岡田斗司夫さんと言う方が「オタク・イズ・デッド」という講演をしたことがあって、(現在はYouTubeで公開中)
> > これもオタク「精神(スピリッツ)」の終焉宣言であり、オタク「文化」の終焉宣言ではなかったと思うんですよね

> う〜ん、そこは用語の定義の話になってくるかと思いますが、
> 「ファン」と「マニア」と「オタク」とを明確に区分した場合に、
> 「精神性なき文化」というのは、果たしてオタク的だと言えるんですかねえ?
> 個人的には、好きが高じて生じる、何らかの主体性があってこそのオタクだと思いますし、
> ただ単に好きなだけだとか、受け身で消費するだけであるなら、
> それはファンやマニアの範疇であって、オタクの世界では無い気がするんですよ。
> ここでいうオタク文化が、サブカルやPOPカルチャーの事であれば、
> まだ意味としては通じるんですけどね。
>
> 例えばコスプレ行為とかにしても、そこまで行くと、
> もう単なるファンという領域は超えてると、私は思いますが(笑)、
> 既製品のまま楽しむのはマニアと呼べても、オタクとは呼べない感じでしょうか?
> 自作は勿論、拘りのオーダー・メイドであったり、既製品に一手間加えるでも良いですけど、
> とにかく何らかの主体性があった場合に、それがオタク的なコスプレと呼べる気がするんです。
> 別にこれは、コスプレ文化としてとか、サブカル分野の一環として見た場合には、
> 既製品だろうが、自作だろうが、そこに優劣とかは無いと個人的に思っていますし、
> そうやって愛好家の枠や世界が広がり、ビジネスとしても広がっていく分には、
> 却って好ましくも感じています(もちろん既存の楽しみも残るのが大前提ですが)。
> もっと言うと、サブカル方面だけでなく、メイン・カルチャーでも普及して欲しいくらいです!!
> 美術館や博物館の在り方とか、展覧会や演奏会の在り方など、言いたい事は多々あるので(苦笑)。


この辺のオタク話はすごく興味あります。
多分エヴァとときめきメモリアルあたりからオタクが変わっていったと思うのですが、いかんせんそんな時代は生まれてもいないわけで、すごく知りたいんですよね。

・SNSと場

> > 管理人さんの言葉に私が共感できないのって、
> > やっぱりこのスピリッツ側の人間なのか、カルチャー側の人間なのか、というのが大きいと思うんですよね

> 大雑把に言ってしまうと、その見立てで合っているのかも知れません。
> ただ一方で、ここで言うカルチャーというのを否定している訳ではありません。
> 惰性や馴れ合いであったり、商業化があったりしても、別に構わないとは思うんです。
> それと同時にコアな部分も残るなら、全体としては大きくなってると言う証ですし、
> 仮にドーナツ化していっても、それはそれで移り変わりの面で仕方ない時もあるでしょうから。
>
> そもそも文化というのは、どんな世界であれ、最初は少数の物好き達から始まり、
> それが広まって大衆化する事で、一部の趣味から、広範な「文化」へと変化する訳ですが、
> しかし大衆化は同時に、多数の人間に受け入れられる為に、どうしても陳腐化は避けられず、
> そこに商業化が加わると、2番煎じや置きに行った続編の量産で、
> 陳腐化のスピードが更に加速され、やがては使い古されて、捨てられていきます・・・・
> そうなると結局、文化に昇格した時点で、「消費」は避けられない運命であると。
> 誰も意識しないくらい一般的な消費財と化し、生き残っていくのは極一部かな?
> 基本的に文化とは消耗品で、乱雑に扱われるほど、その寿命も短いモノです。
> 原理主義的に死守しようとした所で、先鋭化して、分裂して、先細るのが関の山ですしね。
>
> まあ、どんな分野であれ、最初には地を這う黎明期があり、
> そこからグングン伸びる成長期があり、それがピークを迎える最盛期があり、
> 腐り始めだけど芳しい爛熟期があって、最後には腐り落ちる没落期がある訳ですが、
> 大衆化されるのは最盛期の後半で、最も人口が多いのが爛熟期な一方、
> 最も楽しいのは成長期で、本当に好きな人は黎明期から居るモノだと思うんです。
> そういう意味では、栄枯盛衰が避けられない事も、一応は理解してますし、
> 最初から言っている通り、成長期や過渡期を経験できた事は、幸運だったのだろうと。
> それはそれで寂しい事ですけど、永続繁栄するなんて事はまず無理でしょうし、
> せめて延命させたい願望が正直あり、命を縮める「お客様」化を出来るだけ遅らせたい訳です。
>
> また、「そんな世界は残っていないのでは?」というのも、
> 時が移ろい、栄枯盛衰がある以上は、そんなおかしな話では無いかと思います。
> 成長期や過渡期の状況もまた、永続するなんて事は無いのでしょうからね。
> コミケの同人文化拡大を言われてますが、それは既に爛熟期に入ってる状況かも知れませんよ?
> それに、この発言自体は、文化や担い手がどうこうという話と言うよりも、
> もっと単純に「集える場所の喪失」という意味で用いていますし、


いやいや、それこそSNSは集える場を生んでいるのでは?(昔を知らないのでry)
かつての年に数回だけ同好の士と会うことができ、あとは手紙とか雑誌の投稿欄とかでやりとりしていた時代と比べれば、集える場所こそ一番発展したのではないでしょうか?
(それゆえにいろいろなトラブルもあるようですが)

・無限にグローバルか無限にローカルか

> まあ、メイドカフェとかは特殊な例なので、ちょっと置くとして(笑)、
> 飲食店やチェーン店、商業オフィスも、あるのが悪い訳では無いのですが、
> これらの「特別な街」を、特別たらしめていた要素が弱まり、
> 何処にでもあるモノや、何処にあっても良いモノに占められるのは、味気無くはあります。
> とは言え、それも、新しいモノが出てきて、旧来のモノが駆逐されたというよりは、
> 旧来の特別な店が減って出来たスペースを、新しい一般的な店が穴埋めした面があると。
> 神保町では、古書店が減少する替わりに、カレー店が増えましたし、
> 秋葉原でも、マニア向け店舗が消えて、メイドカフェやオフィスビルが現れ、
> 若者の街とされた渋谷や原宿なども、商業ビルやチェーン店ばかりになりました。
> それが今の日本の「新しい文化」なのかも知れませんが、
> 個人的には、どうも面白味に欠けるのは事実なんですよねえ・・・・


> あとは、ある所で滅びがあっても、別の所で興りがあれば良いんですけど、
> グローバル化と新自由主義により、文化の消費サイクルさえ加速度を増していて、
> 最近は、行き過ぎた焼畑農法が、砂漠化を招くような状況を、生んでいる気がするんですよ。
> 次から次へと大群で食い荒らしていくという意味では、「蝗害」に喩えても良いのかな?
> どちらかと言うと、そちらの方がより深刻で、私が心配している部分かも知れません。


これは半分賛成ですね。
結局今の文化って、無限にグローバルか無限にローカルかしかないと思うんですよ。
20年かそこらか前には日本の中で文化的グローバリズムが進み、いずれは世界的にものすごいグローバルな文化により世界の半分は統一されると。
そしてマクドナルドが世界を席巻したように、いずれは世界中の町がどこもかしこも似たり寄ったりの風景になるんでしょうね。
20年前には日本の都市がプチ東京になって地方ごとの特色が失われたわけですが、20年後には世界中の都市が似たり寄ったりの風景になると。
で、無限にグローバルな側では、焼畑農業的な、凄まじい速度での文化消費が起きているですけど、一方には無限にローカルな場所もあると思うんですよ。
私が今からマニアックな歴史ゲーム作ろうとしているのも、その無限にローカルな世界でのことですし、百合とかもローカルな側なんでしょうね。
ところがこのローカルはローカルが故になかなか見えてこないので、まるで新しい文化がないかのように見えるんですが、実はあるんです。
そして何がないかといえば、中間がない。

追記:興味ないかもですが、同人文化に関して面白い資料が手に入ったいので少し
というのも、ここ20年くらいの同人誌即売会ではオールジャンル即売会(どんな同人誌でもOKのイベント)が減少し、オンリージャンル(特定のジャンル限定の同人誌即売会、例えば鬼滅の刃のBL同人誌専門イベントみたいなもの)ばかりになっていると
コミケが商業化していく裏では、本来マニアックだった同人の世界が更にマニアックな世界へ小さく小さく分裂して行っているようです

・少子高齢化と人口問題

> 我々の世界は20〜40年後、未開地が無くなると共に、人口が減少するという、
> 人類初の時代を迎えるとも危惧されており、そんな未曾有の停滞時代に、
> 「果たして文化の発展はどうなるのか?」 日本だけでなく、世界規模でも未知数です。


これは新しい視点だと思います。
もしかしたら世界的な高齢化の波は人類文化の停滞を招くのかもしれませんね。

・国力と文化力

> 「今まで大丈夫だったから、大丈夫だろう」とは、気軽には言えない状況なんですよね。
> 明治維新や戦後の実例から、何だかんだで「いざとなれば日本は大丈夫」と思ってた気持ちも、
> ここ10年あまりの状況で、すっかり諦めモードというか、達観状態になってしまいました。
> スペインなどの大国が没落した時も、こんな感じだったのだろうなと・・・・
> そして、国家は衰退したけど、文化は隆盛したという例を、少なくとも私は知りません。
>
> > まあ正確に言えばコミケの元来のスピリッツはオリジナル創作にあったので、
> > そういう意味ではコミケのスピリッツはコミケ2、3年目で早くも失われていたのかもしれませんがw

> それは勿論、オリジナル創作であれば理想ですけど、
> 2次創作であっても、稚拙な創作であっても、「創作」という意味では同じですし、
> どんな分野であれ、そうした裾野の広さこそが、全ての土台となってくるので、
> 目に見える氷山の一角だけでなく、水面下の氷塊をも意識すべきだと思うんです。
> クール・ジャパンだとか言って、成長戦略に組み込みたいのなら、尚更。
> これは何もサブカル分野に限らず、スポーツでも、学術でも、政治でも、起業でも同じかと?
> 草サッカーの経験があるだけでも、ただ見るだけのファンとは見方が変わるはずですし、
> ピラミッドの底辺が広くなれば広くなるほど、その高さも大きさも増していくはずですから。
>
> でもそれらは、あくまでもプレイヤーとしての裾野の広さであって、
> 消費者や観客としての裾野は、プレイヤーを育てる養分という面では意味があっても、
> その辺は海外にだって求められますし、逆に海外から養分にされる事だってあります。
> 例えばゲーム業界なんか、家庭用ゲーム機の事を一般名詞として、
> 北米では「NINTENDO」、西欧では「PlayStation」と呼ばれるくらい、
> 以前は隆盛を誇っていたのも、今では昔の話ですからねえ・・・・
> 現在進行形で、今の日本が世界を魅了している分野って、実際に何かあるのかなぁ?
> まあ世界はさておき、絶えずサブカルを産み続けた日本の国内的土壌が、
> かなり危機的な状況にあるのでは?というのが、私自身の肌感覚なんですよね。
> もっと言うと、どうすれば衰退を回避し、繁栄の道を築けるのか、方法を知りたくはあります。


うーん、日本文化にこだわる必要はないんですよね。
例えば、20世紀中盤にはアメリカ文化が世界を席巻しましたが、20世紀後半にはアメリカ文化は世界の中で徐々に力を落としていきました。
で、それはアメリカ文化そのものの後退を示すのか?と言われればそうではないと思うんですよ。
そもそもアメリカ文化が世界の中で強い影響力を持っていたのはアメリカが世界の中で圧倒的に豊かであったからであり、20世紀後半にアメリカ以外の国々(日本など)が豊かになっていくとアメリカの文化的影響力は相対的に下がらざるを得ないと。
私が子供のころに見た中国映画なんて本当にひどいものでしたが、最近見た中国のアニメは結構おもしろかったんですよね。
で、中国が豊かになって中国のアニメが面白くなればなるほど中国における日本文化の影響力は低下していきますが、それは日本文化がつまらなくなることとイコールではないわけです。
人口の多い国に経済力でかなわないのと同様に、文化力でも人口こそが絶対正義です。
任天堂やプレステが世界を席巻できたのは一時的な過渡期のことで、正常な世界においては世界70億人の中のたった1億人に過ぎない日本人の文化が世界を席巻するなんてありえないはずです。
かつて70年代くらいのイギリスでは英国病なんてことが盛んに議論されたらしいですが、あれも要は産業革命を他国が吸収した結果、英国のあるべき位置(それは人口に決まる)が正常な位置に落ち着いたということでしょう?別にイギリスの経済力が衰えたわけではないんです。
で、これから中国で面白いゲームが生まれてくるならば我々は素直にそれを楽しめばよいと思うんですよね。
現在でもイラストレーターなんかは言語に関係なく活動できるので、中国や韓国のイラストレーターがどんどん日本で活躍していますし、逆に我々が中国のアニメを見ることも昔に比べてはるかに簡単になったと。
そんな時代に無理に日本という中途半端な文化単位にこだわることはあまり意味がないと思うんですよね。

ただまあ結局は文化の豊かさというのをどこに基準を置くのかにもよると思います。
私は一応、他文化(多民族であったり他宗教であったり)にどれだけ影響力を与えられるかがその文化の豊かさを測る基準だと思っているのですが、それも結局は外側から勝手に言ってるだけですからね。
たとえ歴史的には長く愛好されなかったり、ほかの文化圏には影響を与えなかったりした文化であろうとも、その文化圏の人たちが楽しければ、それをどうこう言うのはナンセンスなのかもしれません。


[23406] オタク文化の今昔&鬼滅の刃ブーム(その1)返信 削除
2020/11/4 (水) 18:43:59 徳翁導誉

▼ 相対的低下
> > では実際の所、読書人口って増えているんですかねえ?
> > これまた前述の通り、ネット通販や電子書籍の登場によって、
> > 選択肢が大幅に広がり、特に地方民などは格段と便利になったのは事実ですし、
> > ネットの書評とかで、今まで知り得なかった名著に触れる機会が増えたのも事実でしょう。
> > でも結局、それらは自分から「本を読もう」と積極的に動く事が大前提の条件で、
> > そもそも身近で本に触れる機会が乏しければ、どれだけ「本を読もう」となるでしょうか?

> 読書文化の後退は単純にインターネットという新たな競争相手が現れたからであり、
> それはそこまで懸念すべき問題ではないと思うんですよね。
> 例えるならばテレビの普及によりラジオ文化が後退したのと同じだと。
> もちろんフェイクニュースという非常に重要な問題はありますが、
> それと単なるコンテンツの相対的地位低下を混ぜて語るとおかしくなってしまうと思うんですよね。
> > こうした傾向は、スポーツ中継でも言えると思うんですよ。
> > 確かに今では、有料の衛星中継やネット配信によって、
> > 一昔前では考えられないほど、様々な試合をフルで見られるようになりました。
> > それはそれで、既にスポーツ観戦が好きな層には、実にありがたい時代です。
> > しかし一方で、スポーツに興味が薄い人でも目にする機会が得られる
> > 無料の地上波放送というのは、めっきり姿を消してしまい、
> > 新規の顧客層を掴むという意味では、どの競技も非常に難しい状況となっています。
> > 目先の利益を考えれば現行がベストかも知れませんけど、将来的に長い目で見ると・・・・
> > 実際にそうするかは別として、身近に機会が有るか?無いか?とでは、やはり大きな違いですよ。

> うーん、それもネットの普及により新しいコンテンツが生まれた結果、
> 競争が激化し、既存のコンテンツが新規顧客を獲得しにくくなっているだけだと思うんですよね。

テレビの普及により、ラジオ文化が後退したというのは解ります。
これは、自動車の普及により、馬車が無くなったり、
電灯の普及によりガス灯が、ガス灯の普及によりロウソクが無くなった事にも通じますし、
そういう事と同じであれば、私だって「時代の流れ」として、特に意識もしない事でしょう。
消えていく文化に哀愁はあっても、それ以上の新たな発展性がありましたから。

では、お尋ねしますけど、「読書」や「スポーツ観戦」をも上回る、
もしくは比肩しうる「新たな文化」って、本当に何か誕生しているんですか?
読書やスポーツ観戦って、人類文化史の中でも相当巨大なコンテンツですよ!?
それが、ラジオに替わってテレビが台頭したように、何か具体的に登場しているのでしょうか?
もちろん、可処分時間におけるコンテンツ消費の優先度として、
読書やスポーツ観戦が、相対的な地位低下を招いている事は重々承知しています。
しかしそれって、多分にビジネス的な話であって、ここで語っている文化の話と別なのでは?

また、確かに経済と文化は密接にリンクしてますけども、ここで語った書店や有料放送の話は、
ビジネス的な都合により、文化と接触する機会が失われつつある点の提議であって、
これは経済と文化の両面をもつ話題ではありますが、あくまで主題は文化についてですし、
厳しい言い方をすると、「混ぜて語る」という意味では、それこそ旧トルコ担当さんの方が、
却って未分離のまま、文化とビジネスを語られている印象を受けますね。
もっと言うと、与えられたコンテンツを消費する立場でしか、文化を語っていない感じがします。
別に、個々人がどんな文化を消費しようと、それは勿論当人の自由なのですが、
その一方で、多様な文化があってこそ、選択の幅も広がり、自由も担保されると思うので、
個々人ではなく、社会全体で見た場合には、この辺は非常に重要な事だと思うんです。
まあ私の文章も、上手く伝えようと話題を広げたり、例え話を多用した結果、
却って上手く伝わらずに、混乱させちゃってる面はあると思うんですけどね(笑)。

▼ ネット書店
> > さすがに東京都心で全滅する事はないでしょうけど、地方や郊外には大問題で、
> > 「上京しなければ手に取り買えない」となれば、それこそ昔のマニア市場同然ですよ。
> > (読書が普通だった時代から、マニアのモノに為りつつある傾向はあるかも知れませんが)
> > やはり本というのは、実際に手に取り、パラパラと中を軽く覗いてみて、
> > 初めて解る部分は多いですし、それはどんなに書評の数が多くても補えません。
> > そして、その本の周辺に、どんな同分野の本があるかも、ネットでは解りません。
> > デジタルとアナログ、ネットとリアルの違いを意識しなくなるくらい、
> > 技術が発展してこないと、この辺の問題解決は困難じゃないですかねえ?

> あと未だにネット書店って無いんでしょうか?
> あなたへのおすすめ順ではなく、リアル書店ならこんな感じで本棚作るよ、みたいな感じで
> 題名と表紙とアマゾンへのリンクがまとめられてるサイトがあれば、
> 興味のある人はけこう見てくれると思うんですよね。

そうした「本棚」的な見せ方も、多くはないですけど、無くはないですね。
それこそ個人経営のリアル書店だと、店内の写真をそのままアップなんて事も(笑)。
とは言え、そこにはやはり、画面サイズと解像度という物理的な制約が加わるので、
リアルと大差なくと言うのは困難ですし、そして繰り返しになりますけど、
「実際に手に取り、パラパラと中を軽く覗く」という行為が、ネット書店だと出来ないんです。
本の並びの見せ方以上に、本の中身確認の点が最も大きな違いでしょうね。
まあ逆に言うと、封がしてあって中身が見られないマンガの単行本は、どこでも一緒かな?

> 仮にそういうサイトがあっても、大半の人はもう自分の興味の範囲内でしか見ないがゆえに
> フェイクニュースなどが問題になるのであって、
> というか本当にそういうサイトが無いのであれば私が作ろうかなぁ。
> いや真面目にこれお金になるアイデアだし、とっくにもうそういうのがあるものだと思っていたのですが。

そう思われるのであれば、実際に作ってみるのも良いと思いますよ。
「自分だけのアイデア」なんてモノは、実際には皆無なモノであり、
現実には、どんなアイデアを持っているかより、どんなアイデアを実現させたかが重要で、
それは技術力や資本力もありますが、まず何よりもスピード感が最重要ですから、
「兵は神速を貴ぶ」じゃないですけど、とりあえずは実現させてみせる事ですからね!!

ただ一方で、それが利用者を惹き付けるには、利便性が関わってくるので、
そうなると、「お金になる」という動機よりは、
単純に自分が「好きである」とか、異なる需要を叶える「普遍性や多様性がある」とか、
そういったモノで動く方が、結果的には成功しやすい気はしますけどね。
前者の目的だと、後者の嗜好を掴まない限り、肝となる部分が把握できないでしょうから。

そういう意味では、もし仮にガチで作るのであれば、
書店の本棚をそのまま再現するよりも、個人個人の本棚を再現する方が良さそうですね。
ネット上でリアル書店の雰囲気を体感させようというのは、
GoogleマップやYouTube動画で、観光気分を味合わせようと言うのに近いです(笑)。
もちろん、幾らかの慰みにはなるものの、現状では実際の観光には及ばないですよね?
しかし個人サイズなら、グッと小さく厳選されるので、こちらの方がデジタル向きかと。
それに、個人単位の方が書店以上に、如実に個性が表れてきますし、
人気のある人の本棚には、多くの人が感心を集めると思います。
ただ、個人の本棚というのは、その人の頭の中をそのまま反映してしまう為、
こうやってオープンにすると、「見せる為の本棚」になりそうですが、それはそれでご愛敬。
その本棚から、気になる本が注文できれば、それは1つのビジネスになるかも知れず、
また、その本棚の人にもインセンティブが入れば、喜んで本棚を公開する人も増えるかも?
コメントなども残せるようになれば、ちょっとしたサロンにもなりそうですし。

あとは、試し読みが出来ない点の改善方法ですよね。
デジタルだとデータが保存できてしまう為、どうしても全公開というのは困難です。
また、パラパラと覗く行為が出来ないのは、電子書籍も抱えている問題点です。
まあ後者に関しては、技術的に相当難しいので、一朝一夕の解決は無理でしょうけど、
前者に関しては、無料公開に舵を切る音楽業界の方法が使えるかも?
ネット化やデジタル化が起こった当初は、音楽業界も様々な規制で対抗しようとしましたが、
次第に、ネット視聴が可能となり、ダウンロード販売が始まり、
そして今ではYouTubeでのPV無料公開が一般化しつつありますからね。
要するに、従来モデルはCM手段として割り切り、他の所で稼ぐ方法を見つけたと。
そういう意味では、書籍の方でも「別の稼ぎ方」が見つかれば、大改革となる可能性はあります。
(陳腐なアイデアですけど、書籍内容のキーワードに応じたネット広告の添付とか?・苦笑)
いきなり新刊本とかは難しくとも、著作権切れ本や絶版本などは数多いので、
まずは、そこからチャレンジしてみる方法は有り得そうですね。

▼ 語れる場所
> > まあ、それはさて置くとして、サッカー日本代表なんてメジャーな題材が、
> > まもとに語られてる場所を見つけられないのは、私の拾い上げ方が悪いんですかねえ?
> > サッカーは門外漢かも知れませんけど、何処かにあったりします???

> 無いんですかねえ。

会員制のようなクローズドな所には、ひょっとしたら有るのかも知れませんけど、
少なくともオープンな場所では、一昔前に2chで話されてた程度の内容さえ、
今のネットでは見つける事が、私には出来ません・・・・
そして、クローズドだからといって、話されてる中身が濃いとは、
あまり思えないと言うのが、正直な所なんですよね。

> オタクの私は好きなアニメを語る場も歴史好きが集まる場も持っているので、
> 他の人もそういうもんだと思っていたのですが違うのでしょうか?
> ただライト層が集まる中間的な場所がなくなているというのは分かる気がします。
> 私が歴史好きで集まっているのも招待制のディスコードの部屋ですし、
> そういう意味で場に入るための努力みたいなものが求められる時代に合ったような気はします。
> 最近ではオンラインサロンなるものが流行っているらしいですしね。
> この辺私が関心薄いのは、オタクやっていればどこであれ
> そういう同志のいる場所にたどり着けるという自信があるからなんですが。

う〜ん、この辺はオタクが求める「濃さ」の違いが、
認識の違いを生んじゃってる感じもすれうんですよね。
同じ内容であっても、それで満足する人と、出来ない人とでは、
それに対する感想も、やはり異なってくるでしょうから。
例えば具体的に、アニメと歴史に関して、どんな話題が扱われているんですか?
個人的に、アニメよりは歴史の方が詳しいですけど、
話題の流れ的には、アニメの方が適当そうですし、
ともかく、実例を示していただけた方が、ハッキリ見えてくる所があろうかと。

あと、どちらにせよ「場所が無くなっている」のであれば、
それは文化的な後退だと私は感じるのですが、そうでは無いのでしょうか?

また、これは私の一方的な思い込みかも知れませんけど、
どうしても、閉じた空間でのコミュニケーションって、
語り合う事が「手段」ではなく、それ自体が「目的」化しちゃう印象があるんですよね。
まあ別に、その事自体が悪いという訳では無いのですが、
SNS世代にとっては、それがオタ活動と見なせても、
それ以前の世代には、それは単なるファン活動でオタ活動では無いだろ?となると思うので。
そして、中間的な場所は無くても、「上の場所は確かにある」と感じられていても、
もう一方からすると、「いや、それは下の場所でしょ」となると・・・・

▼ 新しい文化は無限にあります
> > > ですがそれも結局、古い文化が廃れ新たな文化が生まれているだけだなのでは?
> > > 新たに生まれてきている文化を知らない、あるいはついていけていないだけなのでは?と思ってしまいます。

> > で、逆に尋ねますと、ここ10年あまりで、具体的に「これ」といった新文化って何か生まれました?
> > 私が知らないだけだったり、付いていけてないだけなら、却って嬉しいんですよ!!
> > 過去を懐かしむよりは、見知らぬ未来にワクワクするタイプですから、
> > もしも気付けていないだけで、新しい刺激が存在するなら、是非とも知りたいので。

> ここ最近の新しい文化といえば、私の知る限りではやはりスマホゲームとVtuberでしょうか。

う〜ん、別に知り尽くしてるとは言えませんけど、
スマホゲームも、Vtuberも、百合も、何となくは把握しているつもりですね。

> スマホゲームに関してはゲーム性の弱さを文化の後退として否定的にとらえる論者も少なからずいますが、
> 私としてはスマホゲームはSNSと合わさった現代のコミュニケーションゲームは
> 一定の新しさと文化的価値を備えていると思うんですよね。

ゲーム性に関して言えば、発言の真偽はともあれ、
「任天堂の倒し方」というのが、端的に言い表してる気はしますね。
あとは、ガチャを含めた「課金」ですか。
まあ別に、ビジネスとしては、それを否定する気はないですけど、
それが文化を創造しているかと言えば、ちょっと私には思えないんですよね・・・・
逆に尋ねますと、一体どのような「新しい文化的価値」を生み出したのでしょうか?

> Vtuberのほうに関してはあまり詳しく知らないです。
> あれは何時間という配信が下手すると週に何度もあるという見る側もめちゃくちゃ大変な世界なので。

Vtuberの方に関しては、弁さんとの雑談↓の方が詳しい感じでしょうか?
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r22970
それまではキズナアイくらいしか知らなかった所を、
電脳少女シロやカルロ・ピノなど、10人くらいは解るようになりました(笑)。

ただ確かに、未だ発展途上の分野ではあるでしょうし、
「3DCGモデル」「モーション・キャプチャー」「地下アイドル」「ネット配信」など、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r22930
既存のモノが組み合わさった存在ではあるのですが、
こちらは「新しい文化」と言っても良いかも知れませんね!!
とは言え、私のアンテナに引っ掛かってなかった存在ではありませんし、
廃れた文化の代替足り得る文化かと言われると、ちょっと解りませんね・・・・

> でまあ布教して良い、という言質が取れたので遠慮なく布教させて貰えば、
> 「百合」(女性同性愛)はどうでしょうか?
> 元からたどれば吉屋信子の時代からある意味存在するのでしょうが、
> オタク的な文化として高まり始めるのは『マリア様がみている』や
> 『東方Project』などが流行し始めた04年あたりからです。
> オタク一般(なんて存在するのか?)に浸透していったのはその後10年代に入ってからなので、
> 新しい文化ではあるという条件はクリアしているかと。
> 最近だと普通のアニメ(百合ファン向けでない普通のオタク向けアニメ)にも
> そういった百合的な要素が入っていたりしますし、逆にそういう
> あからさまなものを入れて百合営業とかも言われたりしていますね。

マリみてが挙がるなら、まずはその前に「少女革命ウテナ」が来る気がしますし、
部分的には「セーラームーン」のウラヌスとネプチューンで、そうした要素が描かれており、
更にもっと言うと、既に実写映画の方で、1990年に「櫻の園」がありますよね?
この映画自体も少女漫画原作ですし、特筆して新しい文化と言えるかとなると・・・・
まあ、以前よりも更に一般化したと言えば、そうかも知れませんけど。
「ゆるゆり」もタイトル通りなら、日常系に緩く百合要素を加えた感じなのでしょうが、
あまりに一般化しているのか、「百合要素なんて入ってるか?」って感じですし。

・・・って、こんな話をしていたら、ついつい、
「ネコの反対って何?と問われて、焦るヤツは腐ってる(笑)」
というネタ話を思い出しました。
普通の人なら「えっ、犬?」とか、躊躇無く答えられるので。

▼ 鬼滅の刃ブーム
> > とは言え、私の受信アンテナが錆び付いてる可能性も、十分に有り得ます(笑)。
> > 鬼滅の刃が、何故ここまで小学生にウケているか、ちょっと解らなくなってますし。
> > いや、面白い作品だというのは、私にも解るのですが、
> > この作品だけが特別だという理由が、私には正直思い浮かんでいません。

> あと鬼滅の刃を牽引してるのはたぶん女性層ですよ。(データ見てないので想像ですが)
> 元々あの人たちは少年漫画大好きですし、多分劇場に何回も足運んだりしてるのも
> 彼女たちなんじゃないでしょか(いや小学生も見に来ているでしょうけど)。
> 小学生からお小遣いで商売しても大して儲かりませんが、
> それこそ結婚してない20代30代の女性ならジャンジャンお金使ってくれますし、
> それらが鬼滅の数字的な強さを作って、数字が強いから話題にもなる、という感じなのではないでしょうか?

いやいやいやいや、それは多分、今の世間の空気感をまるで読めていませんよ・・・・
これがまだ、年末年始の頃の話であれば、
「人気を牽引しているのは女性層」という見識も、ある程度納得できるのですが、
現在の、小学生における鬼滅人気は、本当に異常と呼べるレベルで、
これだけのブームはポケモン以来、二十数年ぶり。
今後、この鬼滅人気がどこまで続くかは解りませんけど、
瞬間風速で言えば、確実にポケモンの時以上のモノがあります!!
アナ雪とか、妖怪ウォッチのブームとも、ちょっと次元が違いますね。

それこそ、リアル書店とネット書店の違いじゃないですけど、
そうした空気感も含め、デジタル世界とは異なる情報量が、アナログ世界には豊富で、
意識して街中の様子とかを観察してもらえれば、異常な鬼滅人気がきっと解るはずです。
昭和の頃と違って、情報網も流通網も大きく発展した今日では、
地方だから、都会だからと、そこまでの差は以前ほど大きく無いはずなので。
日本の商業アニメの歴史は60年前後に及びますが、少なくとも私は、
これに比肩する程、小学生の間で爆発的ブームとなった作品を知りません。

実際、実写作品も含めた日本の映画興行収入で見た場合、
歴代1位は、308億円を記録した宮崎駿の「千と千尋の神隠し」なのですが、
今回の鬼滅劇場版は、わずか17日間で158億円を記録し、早くも日本歴代10位です。
「アバター」や「ラスト サムライ」、「ボヘミアン・ラプソディ」も既に超してます。
従来の女性サブカル・ファン層だけでは、とてもじゃないですが達しない数字ですよ。
少子化で子供の絶対数が減っているとは言え、さすがに、それら女性ファン数の比ではありませんし、
こんな爆発的なヒット、商売側だって絶対に予測できてなかったはずです。
逆に言えば、最初から小学生向けを狙って当てた商売では無いと。

> でまあ何が言いたいかといえば、少なくとも現代に生きるオタクからすれば
> ネットのおかげで面白いものは無限に溢れていて、むしろそれを楽しむ時間こそ足りないんですよね。

はい、それは解っていますよ(笑)。
特に近年は、一定金額を払えば対象作品が見放題となる「サブスク」市場が拡大した事で、
少ない金額で、多くの作品を楽しめる環境となっていますからね。
それはそれで一昔前に比べると、非常に恵まれていると言って良いかも知れません。
ある意味では、このコロナ禍の中で、私もそれを満喫しましたから(笑)。

しかし一方で、そうやって提供される範囲内の対象で、満足してしまう傾向も強く、
それは逆に、自ら枠を広げる機会を奪いがちな環境とも言えますし、
消費するモノが多すぎて、ただただ消費する存在に陥りがちだとも言えるんですよね。
そうなると、リアルタイムな文化生成としては、なかなか進んでいかないと・・・・
そして個人的には、主体性なく消費するだけでは、「オタク」とは呼べない気がする訳です。
もちろん、それは私の中での、オタクという単語の定義の問題かも知れませんが。
私が言う所の「ヲタ文化」が、旧トルコ担当さんが言う所の「オタク文化」に相当するのかも?
いつも厳密に使い分けている訳では無いですけど、個人的な用語としては、
バブルが崩壊した辺り、90年代初頭までのアナログ一辺倒な時代を「おたく文化」、
台頭してきたデジタルと、アナログが同居していた過渡期の時代を「オタク文化」、
東日本大震災に前後する、10年代辺りからのデジタル優勢な時代を「ヲタ文化」としてますね。
(場合によって、おたく・オタク・ヲタのサブカル総称として「オタク」を用いる事もありますが)

▼ オタクについて
> > > 自分はカルチャー寄りの人間なので、スピリッツがなくても生きていけるんですね
> > > コミケが多少商業化しようとも、あるいはコミケで惰性的、馴れ合い的にコミュニティで群れていても、
> > > そういった文化は好きなんですよね
> > > 別にスピリットがなくてもいいじゃん、と
> > > かつて岡田斗司夫さんと言う方が「オタク・イズ・デッド」という講演をしたことがあって、(現在はYouTubeで公開中)
> > > これもオタク「精神(スピリッツ)」の終焉宣言であり、オタク「文化」の終焉宣言ではなかったと思うんですよね

> > う〜ん、そこは用語の定義の話になってくるかと思いますが、
> > 「ファン」と「マニア」と「オタク」とを明確に区分した場合に、
> > 「精神性なき文化」というのは、果たしてオタク的だと言えるんですかねえ?
> > 個人的には、好きが高じて生じる、何らかの主体性があってこそのオタクだと思いますし、
> > ただ単に好きなだけだとか、受け身で消費するだけであるなら、
> > それはファンやマニアの範疇であって、オタクの世界では無い気がするんですよ。
> > ここでいうオタク文化が、サブカルやPOPカルチャーの事であれば、
> > まだ意味としては通じるんですけどね。

> この辺のオタク話はすごく興味あります。
> 多分エヴァとときめきメモリアルあたりからオタクが変わっていったと思うのですが、
> いかんせんそんな時代は生まれてもいないわけで、すごく知りたいんですよね。

繰り返しに為っちゃいますけど、私自身はオタクじゃないですよ(笑)。
特に、マンガ・アニメ・ゲームと言ったサブカル分野は、そこまで深く語れません。
その上での話という事になりますが、例えば前出のオタキングこと岡田斗司夫で言うと、
それこそオタクの人は、「王立宇宙軍」や「トップをねらえ」の頃から知っていたでしょうけど、
私自身が存在を知ったのは、岡田が東大の非常勤講師をしてた頃なので、90年代の中盤ですか。
(それと同時に、学生たちが講師を要望できる東大のシステムも凄いと思いました)

ただ、「オタク・イズ・デッド」と講演した2006年の頃には既に、
オタク界隈ではオワコン扱いされており、一般人相手にオタク専門家ビジネスをする人と見られ、
翌年にレコーディング・ダイエットが大ヒットした際も、冷笑の対象になってた認識ですね。
それはアニオタのみに限らず、オタク的な気質を持つ人たち全方向から。
なので、オタク・イズ・デッドという台詞にしても、
世間的には話題になっても、オタク的には「ふ〜ん」って雰囲気でしたから、
こうした話題で引用されると、恐らく当時のオタク世代は「えっ!?」という反応になるのでは?
「仮にもオタクを自称する人間が、そんな所から引っ張ってくるなよ」といった感じで。

で、ここからようやく「オタクの変質」についてですけど、
実を言うと、元々のオタク層が変質したと言うよりは、
その周囲にある社会の方が変質した印象ですよね。
当時はまだ子供でしたけど、私が初めて「おたく」というモノを意識したのは、
それこそ、昭和末から平成元年にかけて起こった宮崎勤事件であり、
幼女への連続誘拐殺人で、自宅に遺骨と声明文を送りつけるなど、劇場化していて、
犯人が捕まると、そのオタク的な嗜好により、バッシングの対象となったのは覚えています。
それまでも根暗なイメージはあったものの、犯罪者予備軍な扱いになりました。
つまり、オタク自体は変わらなくても、社会の見る目が変わった訳ですね。
当時はまだポリコレ的な制約が無かったので、マスコミの報道ぶりも凄かったですよ(苦笑)。
ただ私自身は、ウチの父親が映画好き&漫画好きだった事もあり、
ビデオテープも単行本も多くあった為、その論調に乗る所は無かったですね。

その後、世間の風向きが変わり始めたのが、90年代の中盤だったでしょうか?
まさしく前述した、岡田斗司夫のオタク学講義が東大で行われた頃ですね。
具体的には、団塊ジュニア世代が成人年齢を向かえて、
子供の人口が減る事で、夕方やゴールデン帯のアニメ放送枠が減ると共に、
1997年の「ベルセルク」を契機に、深夜アニメが急増し始めた事もありましたし、
宮崎駿の世間的認知度が徐々に高まるに連れ、「宮崎アニメだけは別」という認識が広まり、
興行収入が100億円を超えて200億円に迫った、1997年の「もののけ姫」が転換点となりました。
(逆にトトロ・ナウシカ・ラピュタなどは、興行収入が15億円にすら達していません)
そういう意味では、宮崎勤が悪化させたイメージを、宮崎駿が改善させたんですよね。

そして、そんなタイミングで登場したのが「新世紀エヴァンゲリオン」でした。
放送開始1995年でしたけど、当時はほとんど話題になってませんでしたね。
いや勿論、ナディアを手掛けたGAINAXの新作という事で、一部のコア層は注目してたでしょうけど、
少なくとも私の周りから、「エヴァ」という単語は1度も耳にしませんでした。
なので、私も1人でひっそりと楽しんでましたよ(笑)。
まあ当時は、ネットの普及前で、上述のようにサブカルへの風当たりも強い時代だった為、
そんな一般的に、アニメの話題が上るなんて事は無かったですからね。
ですから、放送終了後の1996年春に秋葉原へ初めて行った際、
エヴァのビデオ発売のポスターを見掛けて、凄く驚いたんです。
「あんなマニアックな作品に注目する人たちが自分以外にも居たとは!!」と。

で、その後くらいから、書店などでジワジワと人気の高まりを感じていたのですが、
個人的には「この作品なら、こんな終わり方もアリだろう」と、妙に納得していた最後の2話が、
オタク一般的(笑)には、やはりインパクトが大きかったようで、
この2話を劇場版でリメイクするという流れになり、人気の方が更に加速。
そして劇場版公開を前にした1997年に、深夜帯で一挙再放送が行われると、
非オタク層の若者世代にも人気が拡大し、劇場2作品の後編が制作の遅れで公開延期となると、
その渇望感から注目度が更に増して、ついには一般マスコミまでブームを報じ始めました。
そういう意味では、世間がイメージを改善させたかは別として、
ガンダム以来、およそ20年ぶりのアニメ・ブームを世間が認知したり、
非オタク層にまで新規ファンを開拓したという点では、確かに転換的な作品だったでしょうね。
実際、私自身もエヴァ以前とエヴァ以後で、アニメに対する見識が一変しましたから。

また、1998年に「カードキャプターさくら」がNHK-BSで放送開始され、
そっち系のファン層を拡大させた面がありますし、
民放キー局以外でアニメ視聴が広がったのも、この作品がキッカケだったかな?
そして、2000年頃から新作アニメの数が急増してきたり、
インターネットの普及によって、ファン同士の繋がりや情報なども豊富となり、
家庭用ゲーム業界では、「次世代ゲーム機戦争」の勃発によって活況を呈するなど、
サブカル自体に、凄く勢いがあったのは確かですね。
家電の街だった秋葉原が、PCの街を経て、サブカルの街へと変貌していくのも、
ちょうど、この頃だったかと記憶しています。
社会的にも、1998年に長野五輪があり、2002年には日韓W杯があって、
バブル崩壊以後の30年間に限って見ると、妙に熱気があった時代でした。

それに続き、世間のオタクに対するイメージが変わったのが、
2005年の実写ドラマ「電車男」のヒットでしたね。
まあドラマですので、作品自体のオタク描写は、オーバーでコミカルなモノでしたけど、
宮崎事件以来あったネガティブなイメージは、ここで一変した感じでした。
更には、「サブカル」が「POPカルチャー」として認識される転換点にもなったかな?
要するに、J-POPやドラマを楽しむ感覚で、ゲームやアニメも楽しむと。
旧トルコ担当さんが言う所の「オタク文化」が、大衆化された契機と言えるかも知れません。
この事で、秋葉原に非オタク層やライト層も集うようになり、
良く言えば活気があり、悪く言えば一般化され、そして2008年の通り魔事件に至ると・・・・
そういう意味では、2006年の「オタク・イズ・デッド」宣言というのは、確かに当て填るかも?
別に私自身はオタクではないので、そこまでオタキングを過度に排斥もしません(笑)。

あとは、オタク文化内の話ですと、00年代の後半に一世を風靡した京アニ作品の登場は、
文化内の空気感を「まったり」したモノに変質したかも知れませんね。
言い換えるなら、一般層にも受け入れられる、キモオタ作品のマイルド化かな?
ジブリ作品ほどでは無いにせよ、京アニ作品は表面的なイメージ改善には繋がり、
奇しくも、あの放火事件の悲劇が、世間におけるその傾向を更に強めた感じがします。
声優アイドル化の流れも、昭和の頃からあったのは事実ですが、
「けいおん」を境目にして、加速されていった印象ですよね。
ここに作品の量産化が加わると共に、ネットの一般化によって、
「コミュニケーション・ツールとしてのコンテンツ消費」という楽しみ方が生まれると、
それはある意味で新しい文化ですけど、従来のファン層からすると面白くないですよね。
世間から白い目を向けられる中、今まで自分たちが築き上げてきた文化が、
数の力によって食い荒らされてるように映るでしょうから・・・・
言うなれば、与えられたモノを食べるだけの「オタクの家畜化」って感じなのかな?
正直な所、そんな層は昔から多くいたのでしょうけど、サブカルの大衆化により、
今では圧倒的多数となって、飲み込まれてしまったかのようですからね。

ちなみに、「ときメモ」はどうだったのかなぁ?
私はギャルゲーをやった事が無いので、そこまで詳しくないんですよね。
ただ、サブカル層に新たな市場を開拓したのは事実ですし、確かに人気もありましたが、
世間一般のイメージ改善という点では、ちょっと足を引っ張ったかな(笑)。
オタク文化的に言うと、2000年前後にあったエロゲー・ブームの方が大きかったかも?
70年代の日活ロマンポルノが、映画界の若きクリエーターを多く輩出したように、
この時のエロゲー・ブームは、まどマギやFate、京アニ初期作を生むキッカケになる訳ですし、
エロ要素さえ入れれば、自由な創作が認められていたので、隠れた名作も多いらしいです。
(ロマンポルノはWOWOWで何作か見ましたけど、エロゲーは1本もプレーしてませんね)
あと、ギャルゲー方面で言うと「ラブプラス」あたりから、風当たりがマシになったのかな?
そして2015年の「刀剣乱舞」が、女性向けの乙女ゲー人気に火を付けると共に、
「艦これ」と共に、ブラウザ・スマホゲーの火付け役にもなり、
「テニプリ」から始まった2.5次元ミュージカルの立て役者にもなりましたから、
オタク文化と言って良いかは解りませんけど、刀剣乱舞の影響力は大きかったかも知れませんね。
美術館の方でも、刀剣乱舞は日本刀ブームを起こしてくれましたし(笑)。
いや本当、名刀展示の機会を増やし、お金まで落としてくれて、凄く有り難いんですよ。

以上、ザックリと尋ねられたので、ザックリとしか答えられませんけど、
とりあえず、こんな感じですね。
私の場合はオタクじゃないので、良くも悪くも客観視した当時の情報ですけど、
それで宜しければ、具体的に質問がありましたら、可能な限りお答えしますよ。


[23407] オタク文化の今昔&鬼滅の刃ブーム(その2)返信 削除
2020/11/4 (水) 18:45:37 徳翁導誉

※ 容量が大きすぎたので、2分割で投稿 ※

▼ SNSと場
> > また、「そんな世界は残っていないのでは?」というのも、
> > 時が移ろい、栄枯盛衰がある以上は、そんなおかしな話では無いかと思います。
> > 成長期や過渡期の状況もまた、永続するなんて事は無いのでしょうからね。
> > それに、この発言自体は、文化や担い手がどうこうという話と言うよりも、
> > もっと単純に「集える場所の喪失」という意味で用いていますし、

> いやいや、それこそSNSは集える場を生んでいるのでは?(昔を知らないのでry)
> かつての年に数回だけ同好の士と会うことができ、
> あとは手紙とか雑誌の投稿欄とかでやりとりしていた時代と比べれば、
> 集える場所こそ一番発展したのではないでしょうか?
> (それゆえにいろいろなトラブルもあるようですが)

これって恐らく、デジタル・ネイティブ世代であるが故に、
「SNS」というモノが、広大すぎるネット世界に現れた「閉じられた空間」である事が、
当たり前すぎていて、意識できていないという事なのでしょうね。
喩えるなら、鎖国前の日本を知っていると、鎖国された日本はクローズな空間に映るけど、
鎖国が当然の世代だと、クローズな空間とは藩であり、日本とはオープンな空間に映ると。
良い悪いの話ではなく、これはもう仕方のない事なのかも知れません・・・・
サロンのように、更に閉じた空間と比較して、SNSの解放性を感じるのと、
閉じたネットとしてSNSがあり、サロンもその延長線上にあるだけと感じるのも、
結局は立ち位置が異なる事によって、生じる認識の差でしょうからね。
とりあえず個人的には、フランス上流社会の閉じられた社交場であった「サロン」よりも、
ギリシャの公共広場に開かれた言論の集会場である「アゴラ」を、ネットに求める感じですね。
もちろん、両方あれば理想ですけど、サロンがあればアゴラは不要というモノでは無いかと。

あと、これは何度も繰り返しになりますけど、
別に私は、ネット化により得られた利便性は大いに認めています。
それこそ、前述の「おたく文化・オタク文化・ヲタ文化」で言えば、
私自身はオタク文化の世代であり、現代のヲタ文化と比較しているのは、基本的にこの時代です。
ですから、おたく文化とヲタ文化の比較となれば、
双方に「長所もあれば、短所もある」と語っているだけで、
現代の長所ばかりを挙げられても、それはそれで認めているものの、
過去の長所まで否定する考えはないと言うだけの事なんですよね。
例えば、他者と常時繋がれてる環境は、全てにおいて万々歳とも言えず、
それは個の時間や空間の消失を、促す側面も持っていたりしますからね。

要するに、アナログ時代には無かった繋がりが、デジタル時代に生まれたなんて話は百も承知なんです。
それこそ、それをリアルタイムで体感した世代なのですから。
その一方で、アナログ時代にあった繋がりが、デジタル時代により消えてしまった面もあり、
それらをデジタルの新たな繋がりが、代替し得るとは限らないと言う話なんです。
ただし、私が主に言っているのは、そうした私よりも前の世代の話ではなく、
アナログとデジタルの過渡期であった私自身の世代の世界の事を言っているんです。
アナログの文化があり、デジタルの文化があるだけでなく、両方が融合した文化があり、
「そんな世界」とは、広く言うと、この3つの文化があった世界であり、
狭く言うと、アナログとデジタルが融合した文化があった世界の事ではあります。
前の世代のアナログ文化だけでなく、過渡期だからこそ有り得た徒花なのかも知れませんが、
融合した文化までが消えてしまい、ほとんどデジタル文化しか残っていないと。
それでも、衰退した2つの文化を補って余りあるくらい、新文化が隆盛していれば別ですが、
経済的事情もあってか、穴埋めできている実感はしないのが、正直な所なんですよね。

▼ 無限にグローバルか無限にローカルか
> > あとは、ある所で滅びがあっても、別の所で興りがあれば良いんですけど、
> > グローバル化と新自由主義により、文化の消費サイクルさえ加速度を増していて、
> > 最近は、行き過ぎた焼畑農法が、砂漠化を招くような状況を、生んでいる気がするんですよ。
> > 次から次へと大群で食い荒らしていくという意味では、「蝗害」に喩えても良いのかな?
> > どちらかと言うと、そちらの方がより深刻で、私が心配している部分かも知れません。

> これは半分賛成ですね。
> 結局今の文化って、無限にグローバルか無限にローカルかしかないと思うんですよ。
> 20年かそこらか前には日本の中で文化的グローバリズムが進み、
> いずれは世界的にものすごいグローバルな文化により世界の半分は統一されると。
> そしてマクドナルドが世界を席巻したように、
> いずれは世界中の町がどこもかしこも似たり寄ったりの風景になるんでしょうね。

「文化」というのは、ローカルな習俗に根ざした多様的なモノであり、
「文明」というのは、地域の枠を超えて広がる普遍的なモノだとすると、
地域すら超えて世界に広がる「グローバルな文化」というのは、
用語的に言うと、何だか おかしな感じもあるのですが(笑)、
でもまあ、グローバル経済と結び付いた消費文化は、
良くも悪くも、まさしくグローバルな文化なんですよね。

> 20年前には日本の都市がプチ東京になって地方ごとの特色が失われたわけですが、
> 20年後には世界中の都市が似たり寄ったりの風景になると。
> で、無限にグローバルな側では、焼畑農業的な、凄まじい速度での文化消費が起きているですけど、
> 一方には無限にローカルな場所もあると思うんですよ。
> ところがこのローカルはローカルが故になかなか見えてこないので、
> まるで新しい文化がないかのように見えるんですが、実はあるんです。

「半分賛成」と言う事は、「ローカルな場所もある」というのが反論の部分なのかな?
まあ別に、私もローカルなモノが完全に無くなるとは考えていませんし、
それこそ転勤族として育ったので、各地の地方都市の事も知っており、
まだ地方に活気のあった昭和の頃も、朧気ながら覚えてはいますから、
個人的な実体験があったり、思い入れがあったりするのも事実です。

ただ一方で、それらが急速に失われ、全国が均一化されていく流れも見ているんですよね。
方言の強さなど顕著で、子供と大人と高齢者では、かなり異なりました。
そういう意味では、さすがに絶滅するとまでは思いませんけども、
選択肢の中に個人商店が入らなくなるとか、姿を消してる実状はあると思います。
そして地方だけでなく都心にしても、以前にも書きましたように、
秋葉原・神保町・渋谷などの個性的な街まで、均一化で特徴を失いつつあると。
・・・って、この辺の事を語り出すと長くなるものの、
今まで語ってきた「娯楽文化」と、日常的な暮らしとしての「生活文化」は、
同じ「文化」という枠組みとは言え、ちょっと方向性が異なりますし、
そこまで話題を広げると、更に混乱の元になりませんかねえ?(笑)
多分この箇所も、「そんな世界は残っていないのでは?」を誤って引っ張ってる感じがするので。
という事で、今回はとりあえず、2年前の書き込み↓を貼って、お茶を濁そうかな。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c21943

> そして何がないかといえば、中間がない。
「中間がない」
おっ、そのキーワードが出ましたか!?
実を言うと前回くらいから、私が話題や例え話を広げ過ぎた所為もあってか、
何だか少し、話が噛み合わなくなってる気がしていたので、
逆に今回は余分なモノを一気に絞ろうかとも考えていたのですが、
その場合の軸となるワードが「中間層の喪失」だったんですよ!!

まあこれは、グローバルとローカルの間ではなく、
生産者と消費者の間という話で、その中間層こそが所謂「オタク」であり、
そこが空洞化しつつあるのでは?という事だったんですよね。
で、それも、オタクの絶対数が減ったと言いたいのでは無く、
減る所か、恐らく増えてはいるのだと思います。
ですが、サブカルの大衆化や、グローバル化、情報社会化によって、
オタク以上に消費者の数が圧倒的に増えた上、生産者のレベルも上がった事で、
巨大になった市場ピラミッドでは、生産者層と消費者層との2極化が生じてしまい、
その中間を埋めていたオタク層が、相対的にスカスカになった気がするんですよね。

それにより、小さなピラミッドだった頃は、距離が近くて繋がる事が出来たオタク同士も、
距離が離れると繋がり難くなり、消費者層からスムーズに移行する割合も減ったと。
もちろん、消費者層が広くて分厚くなった事で、
その中での上位に当たるマニア層も、確実に増えたと感じるのですが、
「そこは中間層ではない」と線引きすると、オタクの増加には繋がっていないんです。
まあ、この辺は言葉の定義と感じられるかも知れませんが、
マニアもオタクに含めても、それでスカスカとなった中間部分が埋まる訳では無く、
やはり、個々に上下の差はあっても、消費者であり生産者でもある層が充実する事で、
最上部の生産者層と言うのは、質が高くなっていくモノだと思うんですよね。
近年は様々な世界で、「選択と集中」とか言ったりしますが、
実際は、たくさん種を撒いて、そこから育つのを待つ方法に優るモノはなく、
目先の利益ばかりを追いかけていくと、長期的には先細りしてしまうモノなのでしょう。

ちなみに、余分なモノは絞ると言いつつ、最後に付け加えてしまうと(笑)、
こうしたピラミッド構造は、人口の年齢ピラミッドのそれと非常に酷似してると感じるんです。
時代が進むほど、人口は増えていき、ピラミッド自体のサイズも大きくなりますが、
更に社会の成熟も進むと、ピラミッドの形は「富士山型→釣り鐘型→壺型」と推移していく一方、
釣り鐘型になるとサイズが停滞し、壺型になるとサイズが減少に転ずる傾向があります。
そして、これは私の予測なのですが、壺型から更に進むと、壺の首部分が切り離され、
上部の小さな丸と、下部の大きな丸とに分かれて、2極化しちゃうと思うんですよね。
近未来では遺伝子治療などが進み、高額な医療費を払える一握りの富裕層のみが、
異常に長生きできる時代が到来するような気がしますから。
で、こうした傾向は、年収ピラミッドの方でも遅れてやってくると思うんです。
年齢では先進医療が上下を分けましたが、年収ではAIやロボットが中間層を担い、
これまた一握りの勝ち組と、それ以外の大量の労働者かつ消費者とに分ける感じに。
そして文化コンテンツも、生産層と消費層とに分かれ、中間のオタク層はスカスカになり、
その一方で、消費層は球体となって、その中での質は上がっていきそうと。

> 追記:興味ないかもですが、同人文化に関して面白い資料が手に入ったいので少し
> というのも、ここ20年くらいの同人誌即売会では
> オールジャンル即売会(どんな同人誌でもOKのイベント)が減少し、
> オンリージャンル(特定のジャンル限定の同人誌即売会、例えば鬼滅の刃のBL同人誌専門イベントみたいなもの)
> ばかりになっていると
> コミケが商業化していく裏では、本来マニアックだった同人の世界が
> 更にマニアックな世界へ小さく小さく分裂して行っているようです

いえいえ、興味ないとか無いですよ(笑)。
と言いますか、これこそまさに、前回のこの発言↓を如実に表しているのでは?
> > 基本的に文化とは消耗品で、乱雑に扱われるほど、その寿命も短いモノです。
> > 原理主義的に死守しようとした所で、先鋭化して、分裂して、先細るのが関の山ですしね。
> > まあ、どんな分野であれ、最初には地を這う黎明期があり、
> > そこからグングン伸びる成長期があり、それがピークを迎える最盛期があり、
> > 腐り始めだけど芳しい爛熟期があって、最後には腐り落ちる没落期がある訳ですが、
> > 大衆化されるのは最盛期の後半で、最も人口が多いのが爛熟期な一方、
> > 最も楽しいのは成長期で、本当に好きな人は黎明期から居るモノだと思うんです。
> > コミケの同人文化拡大を言われてますが、それは既に爛熟期に入ってる状況かも知れませんよ?

文化に限らず、学問の世界とかもそうなのですが、
ある分野が成長を遂げた時に、そこから更に研究を進めようとした場合、
専門分野の「蛸壺化」という現象を起こすのが、典型的なパターンなんです・・・・
一方で、最も活気のある成長期ほど、様々な分野に横断しており、
こうした蛸壺の袋小路に陥った際、そこから打破していくには、
枝を伸ばし続ける事を考えるのでなく、種を作って新たな芽を吹かせるか、
その木を異なる分野の土地に植え替えるしか無いと思うんですよね。
って、同人誌界隈の場合は、それが具体的にどういう方法になるのか、
私には、ちょっとイメージが湧きませんけども(笑)。

▼ 少子高齢化と人口問題
> > 我々の世界は20〜40年後、未開地が無くなると共に、人口が減少するという、
> > 人類初の時代を迎えるとも危惧されており、そんな未曾有の停滞時代に、
> > 「果たして文化の発展はどうなるのか?」 日本だけでなく、世界規模でも未知数です。

> これは新しい視点だと思います。
> もしかしたら世界的な高齢化の波は人類文化の停滞を招くのかもしれませんね。

まあこの点は、文化もそうなのですが、経済がヤバいんですよね。
資本主義というのは、市場のパイが大きくならないと、うまく機能しないシステムなので、
未開地が無くなり、人口は減り、更には高齢化して、新たな文化創造も停滞するとなれば、
資本主義は機能不全を起こすでしょうし、そうなれば社会不安に直結すると・・・・
そして、そんな社会から生まれる文化が皆無とは言いませんけども、
消えていく文化との差し引きで言えば、マイナスになるのは間違いないでしょうからね。

また、新自由主義な見方で、文化コンテンツの消費も捉えた場合にも、
それこそ、新自由主義な資本主義が機能不全に陥った際に、
そちらの消費形態がどうなっていくのか、未知数な所があるかと思います。
って、20〜40年後ともなれば、何事も起こらなくても、大きく変わるでしょうけど(笑)。
ただし、その進む方向性は、いろいろと影響を及ぼされる可能性はありそうですね。

▼ 国力と文化力
> > これは何もサブカル分野に限らず、スポーツでも、学術でも、政治でも、起業でも同じかと?
> > 草サッカーの経験があるだけでも、ただ見るだけのファンとは見方が変わるはずですし、
> > ピラミッドの底辺が広くなれば広くなるほど、その高さも大きさも増していくはずですから。
> > でもそれらは、あくまでもプレイヤーとしての裾野の広さであって、
> > 消費者や観客としての裾野は、プレイヤーを育てる養分という面では意味があっても、
> > その辺は海外にだって求められますし、逆に海外から養分にされる事だってあります。
> > 例えばゲーム業界なんか、家庭用ゲーム機の事を一般名詞として、
> > 北米では「NINTENDO」、西欧では「PlayStation」と呼ばれるくらい、
> > 以前は隆盛を誇っていたのも、今では昔の話ですからねえ・・・・
> > 現在進行形で、今の日本が世界を魅了している分野って、実際に何かあるのかなぁ?
> > まあ世界はさておき、絶えずサブカルを産み続けた日本の国内的土壌が、
> > かなり危機的な状況にあるのでは?というのが、私自身の肌感覚なんですよね。
> > もっと言うと、どうすれば衰退を回避し、繁栄の道を築けるのか、方法を知りたくはあります。

> うーん、日本文化にこだわる必要はないんですよね。

いや〜、そこまで割り切られてしまうと、返す言葉もありません(笑)。
確かに、例えばこの世から日本食が消滅した所で、日本人が飢え死にする訳では無く、
ハンバーガーやピザだけ食べていても、それで生き続けられるのは事実です。
でも、それでは寂しすぎると言うのが、偽らざる私の本音ですね・・・・

> 例えば、20世紀中盤にはアメリカ文化が世界を席巻しましたが、
> 20世紀後半にはアメリカ文化は世界の中で徐々に力を落としていきました。
> で、それはアメリカ文化そのものの後退を示すのか?と言われればそうではないと思うんですよ。
> そもそもアメリカ文化が世界の中で強い影響力を持っていたのは
> アメリカが世界の中で圧倒的に豊かであったからであり、
> 20世紀後半にアメリカ以外の国々(日本など)が豊かになっていくと
> アメリカの文化的影響力は相対的に下がらざるを得ないと。

まあ、それ自体は否定しないものの、
日本とアメリカの場合は、占領政策や実質的な属国化が背景にあった為、
諸外国と比べると、ちょっと特殊な例ではありますし、影響度合いも特に濃密ですよね。
ただし、後述しますけど、それが全てだとは思いませんし、
また、20世紀においてアメリカは、近代化のトップ・ランナーであり、
そうした文明の面まで含めて、文化として捉えてしまっている感じも受けます。

> 私が子供のころに見た中国映画なんて本当にひどいものでしたが、
> 最近見た中国のアニメは結構おもしろかったんですよね。

う〜ん、文革期のプロパガンダ映画とかならともかく、
「紅いコーリャン」や「覇王別姫」など、日本でも話題となった中国映画はありますし、
(文革後に登場した若き監督たちを、中国映画の第5世代と呼ぶらしいです)
日本の黒澤作品にしたって、「羅生門」「生きる」「七人の侍」あたりは、
終戦から10年も経っていない貧しい時代のモノでしたから、
必ずしも、そこが直結するとは限らないと思いますよ。
インド映画にしても、インド経済が急成長する前から活況を呈してましたので。

> で、中国が豊かになって中国のアニメが面白くなればなるほど
> 中国における日本文化の影響力は低下していきますが、
> それは日本文化がつまらなくなることとイコールではないわけです。

それって、成長した中国作品が、日本市場を席巻しない大前提なんですか?
仮に今後、そうした事になった場合には、国内市場が喰われる訳で、
国産の作品は苦しくなり、日本文化がツマらなくなるかも知れませんよ。
(例えばフランス映画では、ハリウッド作品に対する保護主義的な支援策を行ってます)
また、外国がどうこうとか無関係に、日本文化がツマらなくなる場合だってあり、
その結果として、例えば中国作品が、その穴埋めをする展開だって有り得ますよね?

> 人口の多い国に経済力でかなわないのと同様に、文化力でも人口こそが絶対正義です。
これに関しては、明らかに言い過ぎでしょうね。
確かに経済では、人口が多いほど有利なのは確かでしょうし、
文化に関しても、ある程度は有利になる面があるとは思います。
ですが、それだけで決まるほど、単純なモノとは無い気がするんですよね。

例えばこれを「国と人口」から「企業と資金力」に置き換えれば、解りやすいかも知れませんが、
資金に恵まれた大企業ほど、その業界を席巻する可能性が高いのは事実でしょうし、
それと同時に、そうした大企業がヒット商品が生むケースも多い事でしょう。
ですが、大企業だって経営を誤れば倒産する事だってありますし、
必ずヒット商品が作れるかと言えば、そんな簡単な話ではありません・・・・
逆に、小さな企業であっても、思わぬ大ヒット商品を生む事だってあります。
新たな文化の誕生というのは、非常に確率的なモノなので、
人口が多くなれば確率は上がるでしょうけど、それが「絶対正義」とまでは言えない筈なんです。

それに、単純な人数だけでなく、個々の質というのも大きく影響してきます。
文化というのは、大量生産して、どうにかなる分野では無いですからねえ。
それこそ、世界には数千万の人口を抱える大都市圏が幾つも存在しますけど、
1人1人は生活に伴う消費活動を行いますから、確かに経済面だと人口も大きいですが、
1人1人の娯楽に伴う消費活動を考えると、質の差が大きな差となって表れてきます。
別に娯楽文化というのは、生きていく上で必須の要素ではありませんので・・・・
そういう意味では、東京の住民と、マニラやダッカ、ラゴスの住民とでは、
生み出される文化の量も、消費される文化の量も、やはり違ってくるものです。
もちろん、マニラやダッカ、ラゴスにしたって、次第に豊かになっていけば、
それに比例していく感じで、文化の量というのも増えていくとは思いますがね。

> 任天堂やプレステが世界を席巻できたのは一時的な過渡期のことで、
> 正常な世界においては世界70億人の中のたった1億人に過ぎない日本人の文化が
> 世界を席巻するなんてありえないはずです。

たった1億2000万人って、日本の質の高さを考慮すると、世界的にもかなりの数ですよ。
それこそ今までの日本の強さって、「質の高い1億人市場」でしたから。
それに、人口こそが絶対正義であるなら、アメリカだって3億2000万人な訳で、
(平成初めは日本の2倍でしたが、平成30年間で8000万人増は途轍もないです!)
アメリカの影響力が日本の2.5倍程度なはずですけど、現実はそうじゃ無いでしょうし、
グローバル化やネット化がここまで進んだのに、なぜGAFAは全て米国企業なのでしょう?
世界人口比だと、アメリカ4.2%、日本1.5%ですけど、その程度の影響度では無いかと。

> かつて70年代くらいのイギリスでは英国病なんてことが盛んに議論されたらしいですが、
> あれも要は産業革命を他国が吸収した結果、
> 英国のあるべき位置(それは人口に決まる)が正常な位置に落ち着いたということでしょう?
> 別にイギリスの経済力が衰えたわけではないんです。

トップを走っていた者が、後続に追い付かれる事で、
先発の優位を失ってしまう事自体は、実際にある事ですし、
産業革命後のイギリスに関しても、そうした面があるのは事実です。
とは言え、「衰えた訳ではない」というのは、ちょっと違うでしょうね。
先発の優位というのは、道を切り開く為の投資と引き替えに得たモノであり、
その苦労が軽く済んだ後発組に追い付かれた際には、その部分が損失となりますし、
そして何より、他に先んじたからこそ、構造疲労もいち早く発生しますからねえ。
またイギリスの場合は、大戦による損害と、植民地の独立がありましたし、
それに何より、戦後の英国病というのは、社会主義的な政策の影響が大きかったので、
単純に、人口の適性規模に落ち着いた話だけでは無いと思います。
(もちろん、人口が経済力や市場規模を決める大きな要素ではある事は否定しませんけどね)

> で、これから中国で面白いゲームが生まれてくるならば我々は素直にそれを楽しめばよいと思うんですよね。
> 現在でもイラストレーターなんかは言語に関係なく活動できるので、
> 中国や韓国のイラストレーターがどんどん日本で活躍していますし、
> 逆に我々が中国のアニメを見ることも昔に比べてはるかに簡単になったと。
> そんな時代に無理に日本という中途半端な文化単位にこだわることはあまり意味がないと思うんですよね。

別に、国産じゃなきゃヤダなんて、そんな事はありませんよ(笑)。
私が1番好きなアニメ作品の「アレクサンダー戦記」にしたって、
ソウル生まれの韓国系アメリカ人であるピーター・チョンが、キャラクター・デザインを担当してますし、
私の歴史の基礎は、ぶっちゃけ、日本史ではなく中国史から作られています。
また、嫌韓でも無いので、素直に韓流の事は評価してますし、
北朝鮮の作品にしたって、「プルガサリ」は結構お気に入りですよ(笑)。
もっと言うと、科学の世界では、そんな国境とか関係ないですからね。

ですけど、そうしていろいろ楽しめるのも、あくまで日本文化という土台があってこそで、
それが無くても楽しめるにしても、その楽しめる充実度は、やはり違ってくると思います。
そういう意味では、アイデンティティなき「文化的植民地」だとキツいと思うんですよね。

> ただまあ結局は文化の豊かさというのをどこに基準を置くのかにもよると思います。
> 私は一応、他文化(多民族であったり他宗教であったり)にどれだけ影響力を与えられるかが
> その文化の豊かさを測る基準だと思っているのですが、それも結局は外側から勝手に言ってるだけですからね。
> たとえ歴史的には長く愛好されなかったり、ほかの文化圏には影響を与えなかったりした文化であろうとも、
> その文化圏の人たちが楽しければ、それをどうこう言うのはナンセンスなのかもしれません。

ここに関しては、完全同意しておきます!!
そして願わくば、私自身が、そんな文化大国の一員でありたいですし、
日本という国には、それだけのポテンシャルがあると信じてはいるんですよね。
だからこそ、現状が口惜しかったりする訳です・・・・
極端な話、私は学問&文化の至上主義者的な側面がありますから(笑)。

ちなみに、私たち日本人というのは、その地理と歴史の影響から、
極東の人間として、東洋の文化をそれなりに理解できる一方で、
極西の人間として、西洋の文化をそれなりに理解できる上、
島国の人間として、独自の文化も持ち合わせているんですよね。
つまりは、普通なら1つしか持ち得ない価値観を、3つも持てている訳で、
これは非常に恵まれていると言うか、日本人の武器になり得る特徴だと思うんです。
日本人の東洋理解も、西洋理解も、「それなり」ですけども、
西洋人は東洋を、東洋人は西洋を、根本的には理解できてませんから。
そういう意味では、日本人って、楽しめる文化のレンジが広いと言えますし、
翻って言うと、生み出せる文化の幅も広いと言えるのでは無いでしょうか?
言うなれば、多様だけど混ざらないニューヨークが「文化のサラダボウル」だとすれば、
ルーツが何処でも和風化してしまう東京は「文化の味噌汁」という感じで(笑)。


[23428] 現在のオタク文化事情返信 削除
2020/11/12 (木) 18:50:00 旧トルコ担当

文章を練っていたら返信遅れました。

話がだいぶ散らかって、混乱していますので、一度整理してみたいと思います。

で、徳翁導誉さんの主張の中心は以下のことだと思っています。

> 要するに、アナログ時代には無かった繋がりが、デジタル時代に生まれたなんて話は百も承知なんです。
> それこそ、それをリアルタイムで体感した世代なのですから。
> その一方で、アナログ時代にあった繋がりが、デジタル時代により消えてしまった面もあり、
> それらをデジタルの新たな繋がりが、代替し得るとは限らないと言う話なんです。
> ただし、私が主に言っているのは、そうした私よりも前の世代の話ではなく、
> アナログとデジタルの過渡期であった私自身の世代の世界の事を言っているんです。
> アナログの文化があり、デジタルの文化があるだけでなく、両方が融合した文化があり、
> 「そんな世界」とは、広く言うと、この3つの文化があった世界であり、
> 狭く言うと、アナログとデジタルが融合した文化があった世界の事ではあります。
> 前の世代のアナログ文化だけでなく、過渡期だからこそ有り得た徒花なのかも知れませんが、
> 融合した文化までが消えてしまい、ほとんどデジタル文化しか残っていないと。
> それでも、衰退した2つの文化を補って余りあるくらい、新文化が隆盛していれば別ですが、
> 経済的事情もあってか、穴埋めできている実感はしないのが、正直な所なんですよね。


で、まあここでは日本の経済事情や資本主義の置かれている状況については主題からずれるので置いておくとして、
確かにアナログ文化や、アナログ・デジタル融合文化は消滅しましたが、新しいデジタル文化はその分隆盛していると思うんですよね。
ですが、デジタル文化はアナログ文化に比べて圧倒的に見えずらいんです。
書籍にしても、リアルな書店であればどのような本が売れているのかは、実際にそのジャンルの本棚に行けば一目瞭然ですが、Amazonであればなかなか分かりません。
その上、デジタルの場合は仮に新しい文化が実際に数字などが見えたとしても、その背景がまた見えずらいわけです。

例えば前回出た百合ですが、これも量的拡大の中で起きている質的変化が十分に理解されていないと思います。

> マリみてが挙がるなら、まずはその前に「少女革命ウテナ」が来る気がしますし、
> 部分的には「セーラームーン」のウラヌスとネプチューンで、そうした要素が描かれており、
> 更にもっと言うと、既に実写映画の方で、1990年に「櫻の園」がありますよね?
> この映画自体も少女漫画原作ですし、特筆して新しい文化と言えるかとなると・・・・
> まあ、以前よりも更に一般化したと言えば、そうかも知れませんけど。
> 「ゆるゆり」もタイトル通りなら、日常系に緩く百合要素を加えた感じなのでしょうが、
> あまりに一般化しているのか、「百合要素なんて入ってるか?」って感じですし。


なぜそもそも「ウテナ」ではなく「マリみて」なのかといえば、男性オタクに百合が発見されて、新しい百合文化が誕生し始めたのが「マリみて」からだったからなんです。
もちろん、女性の間では24年組が描いてきた暗い百合の時代から百合は存在するのですが、あくまでそれは少女文化の中の小さいシーンに過ぎなかったと。
それが80年代末から90年代あたりで、まず男女雇用機会均等法(85年)などの影響もあって、女性にとって男性に選ばれることが至上価値でなくなります。
それが女同士の関係性を変化させるわけで、それが指摘にある「櫻の園」などですね。
で、その路線が拡大されていったのが90年代の「ウテナ」や「セーラームーン」などなのですが、ここまでは主に女性、特に少女文化の中での話なわけです。
で、これがオタク文化の中に輸出され始め、新しい形態をもって受容されるきっかけとなったのが、「マリみて」なわけです。

『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』より
「元々コバルト文庫内には一定数男性読者もおり、男性ファンがいること自体は珍しいわけではない。(中略)(注:マリみては)ファンの男女比が通常のコバルト作品とは異なっていた」
「『マリみて』はコバルト文庫の系譜にある伝統的な要素を受け継いだ作品である一方で、その需要のされ方は極めてイレギュラーな形で行われている。」

『百合ジャンルの歴史を考察してみた』より
…同性愛とは違う、しかし緊密で繊細な心の繋がりにも、「百合」の香りが存在するのだという事を探り当て、世間に示したのがこの「マリア様がみてる」でした。
親愛、憧憬を中心としつつ、読者にはもっと踏み込んだ関係を妄想させる、「ソフトな百合」と形容されたこの作品は、後の百合に絶大な影響を及ぼします。
極言すれば「マリみて」でレズから「百合」と呼ばれる概念が分化し、確立したと考えてもいいでしょう。

でこの背景にあるのは90年代後半から隆盛し、00年代前半に確立した萌えという概念です。
マリみてが隆盛した00年代前半にある種確立した萌えは、その後「らき☆すた」や「けいおん!」のような少女しか登場しない、男主人公不在の作品が人気になります。
でこの「らき☆すた」や「けいおん!」で作られた今までとは少し違う形の萌えが、マリみて以降、特に00年代後半から10年代にかけて百合を普及させていくわけです。
それは吉屋信子に始まり、24年組が描いたり、90年代を通して描かれてきた少女文化の中の女性同性愛とは大きく異なるものです。
(ちなみに女性の場合は萌えから百合に入ってくるパターンと、BLから百合に入ってくるパターンがあるそうです)

で、百合が分かりずらいのは、オタク内部で百合的に受容されている作品には、初めから百合として作られている作品と、百合としては作られていないのだけど、百合として受容されていえる作品があるわけです。
例えば今季アニメの「安達としまむら」という作品は初めから百合として作られている百合作品ですが、前回紹介した「東方Project」は百合として作られていないにもかかわらず、原作者の意図を超えて百合として受容されている作品です。
元々「東方Project」は昔のゲーセンによく合ったシューティングゲームで、ゲームに出てくるキャラクターもストーリーも本来おまけでしかないのですが、二次創作によって「マリみて」と同時期に百合を広く普及させました。
それは現在も同様で、おそらく百合として受容されている作品の半分は本来百合ではない作品だと思います。艦これやラブライブ、アイドルマスターやFGOとかがそうですね。
これらの作品は一見すると既存の萌え作品と変わらないわけですが、需要のされ方が大きく変わったわけですね。

こんな感じで、例えば百合というジャンルに関してもここ10年20年でかなりの質的変化があるのですが、ちょっと書店のマンガ・ラノベコーナーを覗いた程度では、現在の百合が、既存の少女文化内の同性愛作品と大きく異なることに気づかないわけです。
これが実態とは異なって現在新しい文化が隆盛していないと思われる原因なのだと思います。

もう一つ例を取り上げてみたいと思います。

> > スマホゲームに関してはゲーム性の弱さを文化の後退として否定的にとらえる論者も少なからずいますが、
> > 私としてはスマホゲームはSNSと合わさった現代のコミュニケーションゲームは
> > 一定の新しさと文化的価値を備えていると思うんですよね。

> ゲーム性に関して言えば、発言の真偽はともあれ、
> 「任天堂の倒し方」というのが、端的に言い表してる気はしますね。
> あとは、ガチャを含めた「課金」ですか。
> まあ別に、ビジネスとしては、それを否定する気はないですけど、
> それが文化を創造しているかと言えば、ちょっと私には思えないんですよね・・・・
> 逆に尋ねますと、一体どのような「新しい文化的価値」を生み出したのでしょうか?


課金というのはスマホゲームの一部に過ぎません。
ビジネス側面に注目すればそこにどうして目が行きますが、そもそもユーザーに今まで無料で遊んでいたゲームに課金させたいと思わせなければならないわけで、それを作っているのはキャラクターの魅力です。
で、そのキャラクターの魅力を作っているのが、ここ10年で普及した中心の公式コンテンツと周辺の二次創作という構造だと思います。
例えば艦これですが、1キャラクターに対して公式(ゲーム側)で用意されているのは画像が2種、セリフが50種程度です。(人気キャラは後からセリフなどが追加されますが)
それが他の萌えキャラクターが出てくるゲームと比べて競争力を持てているのは、二次創作によってキャラクターの魅力が創作されていった点にあります。
特に艦これの場合はキャラクターが歴史という膨大なデータベースを持っていたため、二次創作という点で非常に有利でした。
もう一つ例を出せば、アイドルマスターというスマホゲームも、公式より二次創作が主体で人気が作られていってます。
アイドルマスターの場合、ニコニコ動画が開設された時期にコンテンツを拡大でき、また比較的初期の競争者が少ない段階でスマホゲームに進出したため、二次創作的な活動が活発になりました。
もともと二次創作なんて言うのはマンガが描ける一部の同人作家の文化に過ぎなかったわけですが、ニコニコ動画やネット小説という環境が整うに従い、
それまで絵の描けなかった人が動画や小説といった形で、新たな二次創作の形態を開拓することで二次創作の裾野が広がりました。
アイドルマスターの場合、キャラクターに声優がついていないキャラというのが存在し(つまり絵と字幕だけ)、課金でもらえる投票券で上位を獲得したキャラに声優がつくという選挙まで存在します。
そういったボイスなしのキャラクターでも人気が出るのは(そして選挙が盛り上がるのは)、二次創作でキャラクターの魅力が創造されるためなわけです。
ただこれも結局、ネットを用いて二次創作が作られるようになると、その二次創作の量も膨大となりますし、またキャラクターの解釈の幅も多様になってきますので、どんどん中心が見えなくなっていくんですよね。
つまり、外から見ると萌えキャラの出てくるゲームに信者が課金しているという部分しか見えてこないと。しかしその外側には(見えにくいですが)膨大かつ多様な文化圏が存在するわけです。

追記:刀剣乱舞とかもそうですね。あれがイケメンゲームとして需要する層と、BLとして受容する層を両方取り込めているのは、ゲーム自体よりもその周辺にコンテンツとしての魅力があるからなわけです。

結局例がオタク文化しか出てこないのでいまいち説得力に欠けますね。


オタクの変質について、まあだいたい宮崎事件からのオタク史に関しては自分で調べて出てきた結果と認識がほとんど一致していて安心しました。
その時代を知らない人間が後から調べると、どうしてもそれがあっているのか間違っているのかチェックができないので。
あと分からないのは、大塚英志や宮台真司あたりの言説や書籍はどんな感じで受け入れられたのでしょうか?
私が読んだ感じでは二人ともオタク文化を語っているという割には扱う範囲が限定的過ぎて、この二人の言うことはぶっちゃけあてにならないなぁと思っているのですが、実際にはどんな感じだったのでしょう?
あと秋葉原の通り魔事件って「オタク的に」大きかったのでしょうか?
大きな事件ではあったのだと思いますし、秋葉原にとっては大きかったのかもしれませんが、オタクという範囲で見たときには正直どうでもよいような気もするのですが。


[23445] 現在のオタク文化事情(追記)返信 削除
2020/12/8 (火) 14:52:27 旧トルコ担当


現在のスマホゲームの雰囲気について説明している記事を思い出したので、リンク張っておきます。
https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/200408a

あと鬼滅が千と千尋を追い越して日本映画歴代1位になるのが時間の問題になっていますが、ここまで鬼滅が流行ったのはSNS時代だからだと思います。
ゲームでも「集まれどうぶつの森」とか、「Fall Guys」とか、今だと「イナサクヒメ」ですが、定期的にSNSで大流行が起こっては、YouTuberなどが実況動画を作り、短期間に消費されるというループが繰り返されています。鬼滅もそういった感じでバズッたのでしょう。
私が前に言った無限にグローバルの側がこれですね。
で、こういったネットの流行もあと最長で5年もすれば、世界的な流行に飲まれていくと思います。
既に「スマッシュブラザーズ」なんかが発売された時は、一瞬世界的に流行した後、急激に世界中で話題にならなくなりましたからね。

(備忘録:スプラトゥーン、荒野行動、ポケモンGO)


[23493] 百合文化史の話&秋葉原通り魔事件の影響返信 削除
2021/2/23 (火) 21:31:03 徳翁導誉

遅くなってしまい、申し訳ありません。
ようやく、返信できました(笑)。


▼ 話のテーマに関して
> 話がだいぶ散らかって、混乱していますので、一度整理してみたいと思います。
> で、徳翁導誉さんの主張の中心は以下のことだと思っています。
> > 要するに、アナログ時代には無かった繋がりが、デジタル時代に生まれたなんて話は百も承知なんです。
> > それこそ、それをリアルタイムで体感した世代なのですから。
> > その一方で、アナログ時代にあった繋がりが、デジタル時代により消えてしまった面もあり、
> > それらをデジタルの新たな繋がりが、代替し得るとは限らないと言う話なんです。
> > ただし、私が主に言っているのは、そうした私よりも前の世代の話ではなく、
> > アナログとデジタルの過渡期であった私自身の世代の世界の事を言っているんです。
> > アナログの文化があり、デジタルの文化があるだけでなく、両方が融合した文化があり、
> > 「そんな世界」とは、広く言うと、この3つの文化があった世界であり、
> > 狭く言うと、アナログとデジタルが融合した文化があった世界の事ではあります。
> > 前の世代のアナログ文化だけでなく、過渡期だからこそ有り得た徒花なのかも知れませんが、
> > 融合した文化までが消えてしまい、ほとんどデジタル文化しか残っていないと。
> > それでも、衰退した2つの文化を補って余りあるくらい、新文化が隆盛していれば別ですが、
> > 経済的事情もあってか、穴埋めできている実感はしないのが、正直な所なんですよね。

> で、まあここでは日本の経済事情や資本主義の置かれている状況については主題からずれるので置いておくとして、

いやいや、そこは根本原因なので、そこを置いてしまうと、
結果として表面化したモノのみを語る事になっちゃいますよ!?
と言いますか、そもそも「ビジネス化とお客様化」の話から始まったのでは?
まあ、旧トルコ担当さんが、そちらの話題が良いのでしたら、別に私は構いませんが。

で、その場合に私が何より言いたかったのは「場の喪失」なんです。
ただしコチラの話も、ここまで説明して上手く伝わってない所を見ると、
これ以上に言葉を労しても、進展は無いのかも知れません・・・・
ただであえ、「有ったモノが無くなった」感覚を、
「初めから無かった」世界しか知らない方に伝えるのは、ただでさえ難しいのに、
「いやいや、今でも有るよ」という前提で捉えられてる気がするんです。

そして結局の所、この後の「新しい文化」という話にも繋がるのですが、
それを指す言葉の定義というか、サイズ感が、あまりに異なり過ぎていて、
まずはそこを認識してもらえないと、上手く会話として成立しないと思いますし、
何でしたら、私の方が旧トルコ担当さんの話題に合わせちゃう方が早いのかも知れません。


▼ 百合文化の話
> 例えば前回出た百合ですが、これも量的拡大の中で起きている質的変化が十分に理解されていないと思います。
> > マリみてが挙がるなら、まずはその前に「少女革命ウテナ」が来る気がしますし、
> > 部分的には「セーラームーン」のウラヌスとネプチューンで、そうした要素が描かれており、
> > 更にもっと言うと、既に実写映画の方で、1990年に「櫻の園」がありますよね?
> > この映画自体も少女漫画原作ですし、特筆して新しい文化と言えるかとなると・・・・
> > まあ、以前よりも更に一般化したと言えば、そうかも知れませんけど。
> > 「ゆるゆり」もタイトル通りなら、日常系に緩く百合要素を加えた感じなのでしょうが、
> > あまりに一般化しているのか、「百合要素なんて入ってるか?」って感じですし。

> なぜそもそも「ウテナ」ではなく「マリみて」なのかといえば、
> 男性オタクに百合が発見されて、新しい百合文化が誕生し始めたのが「マリみて」からだったからなんです。
> もちろん、女性の間では24年組が描いてきた暗い百合の時代から百合は存在するのですが、
> あくまでそれは少女文化の中の小さいシーンに過ぎなかったと。
> それが80年代末から90年代あたりで、まず男女雇用機会均等法(85年)などの影響もあって、
> 女性にとって男性に選ばれることが至上価値でなくなります。
> それが女同士の関係性を変化させるわけで、それが指摘にある「櫻の園」などですね。
> で、その路線が拡大されていったのが90年代の「ウテナ」や「セーラームーン」などなのですが、
> ここまでは主に女性、特に少女文化の中での話なわけです。
> で、これがオタク文化の中に輸出され始め、
> 新しい形態をもって受容されるきっかけとなったのが、「マリみて」なわけです。

いや〜、その認識はちょっと間違ってると思いますよ。
特にセーラームーンの存在に関しては、軽視しすぎてる気がします。
確かにセーラームーン自体は、女の子向けの作品であるのは確かです。
ですが一方で、いわゆる「大きなお友達」を引き込んだのは、
間違いなくセーラームーンであり、その後に続く「カードキャプターさくら」でした。
もちろん、それ以前から「ミンキーモモ」や「クリィミーマミ」など、
密かに愛好されていたのは確かですけど、転換点としては、やはりセーラームーンですね。

そもそも、従来からあった「魔法少女モノ」に、「戦隊モノ」の枠組みを持ち込んだ事で、
本来の客層である女の子にとっても革命的だっただけでなく、
元々、戦隊モノが由来である大きなお友達にも慣れ親しんだ構造であり、
更にそこへ「萌え」のサターンと、「百合」のネプチューン&ウラヌスが加わって、
この作品がファースト・インパクトとなるオタクたちを、大量に生み出しました。
もちろん、マリみてはマリみてで、百合アニメ史的には大きな作品ですけど、
やはり、その大前提として、セーラームーンという作品の存在があるんです。
また、そうしたセーラームーンでの成功を踏まえた上で、
幾原監督が今度は狙った上で作ったのがウテナだと思いますし、
確かに、マリみてとは世界観の違いがあるかも知れませんけども、
やはり百合アニメ史的として語り始めるのであれば、コチラからだと思いますよ。

それに、「百合アニメ」と限定せず、「百合文化」として捉えた場合、
それこそ前述の櫻の園があり、更には戦前女学校の「エス(Sisterの略)」文化がある訳で、
アニメしか見ない視聴者にとっては目新しくても、映画や小説に触れてる層からすると・・・・
前者はサブカルであり、後者はメイン・カルチャーであるという関係もありますし、
守備範囲の広かった従来のオタク文化からすれば、そこまで大きくは捉えられませんよね。
繰り返しますけど、作品自体の出来や人気は私も認めますけど、それとは別次元の話として。

あと、男女雇用機会均等法とかの話ですけど・・・・
恐らくは何処かからの引用なのでしょうが、ちょっと冷静になって考えてみて下さい。
法律が人々の価値観を変え、それが映画に反映されてって、本当にそんな事あると思います?
例えば社会学者とかが、詳しくない人を納得させる、それっぽいストーリーとしては、
何だか説得力ある論調に映りそうでうが、逆に多少なりとも知識がある相手だと、
却って、胡散臭いヤツだと見られかねないかと思いますよ(しかも断定口調でし)。
あの法律って、女性の残業・休日出勤・深夜労働などの解禁が主でしたが、
それが実際、どのように「櫻の園」という作品に繋がるのでしょうか?
「ウイルスという見えない敵と戦っている昨今だから、
 鬼を祓う鬼滅や、悪霊を祓う呪術廻戦が流行っている」
なんて言説も、以前何かで見ましたけど、
詳しくない人なら納得できても、アニメ好きからしたら「はぁ?」でしょ。

> 『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』より
> 「元々コバルト文庫内には一定数男性読者もおり、男性ファンがいること自体は珍しいわけではない。
> (中略)(注:マリみては)ファンの男女比が通常のコバルト作品とは異なっていた」
> 「『マリみて』はコバルト文庫の系譜にある伝統的な要素を受け継いだ作品である一方で、
> その需要のされ方は極めてイレギュラーな形で行われている。」

えっ、「コバルト文庫で辿る」のでしたら、それはそうでしょうけど、
別に今は、コバルト文庫限定で話してる訳じゃないですよねえ?
根拠として引用するには、ちょっと弱いと思いますよ。

> 『百合ジャンルの歴史を考察してみた』より
> …同性愛とは違う、しかし緊密で繊細な心の繋がりにも、「百合」の香りが存在するのだという事を探り当て、
> 世間に示したのがこの「マリア様がみてる」でした。
> 親愛、憧憬を中心としつつ、読者にはもっと踏み込んだ関係を妄想させる、
> 「ソフトな百合」と形容されたこの作品は、後の百合に絶大な影響を及ぼします。
> 極言すれば「マリみて」でレズから「百合」と呼ばれる概念が分化し、確立したと考えてもいいでしょう。

検索してみた所は、これは・・・同人誌なのかな?
https://booth.pm/ja/items/721102
って、一文目からセーラームーンって書かれてるようですが(笑)。

 セーラーウラヌス&セーラーネプチューンから、ラヴィニア・ウェイトリーまで。
 多くの百合ファンや二次創作を産んだ作品を「百合ジャンル」と名付け、
 その歴史をまとめて考察した本です。

とりあえず、内容的にはコチラ↓と、ほぼ同じって認識で良いのかな。
https://togetter.com/li/1176970

> で、百合が分かりずらいのは、オタク内部で百合的に受容されている作品には、
> 初めから百合として作られている作品と、
> 百合としては作られていないのだけど、百合として受容されていえる作品があるわけです。
> 例えば今季アニメの「安達としまむら」という作品は初めから百合として作られている百合作品ですが、
> 前回紹介した「東方Project」は百合として作られていないにもかかわらず、
> 原作者の意図を超えて百合として受容されている作品です。
>  (中略)
> これらの作品は一見すると既存の萌え作品と変わらないわけですが、需要のされ方が大きく変わったわけですね。
> こんな感じで、例えば百合というジャンルに関してもここ10年20年でかなりの質的変化があるのですが、
> ちょっと書店のマンガ・ラノベコーナーを覗いた程度では、
> 現在の百合が、既存の少女文化内の同性愛作品と大きく異なることに気づかないわけです。
> これが実態とは異なって現在新しい文化が隆盛していないと思われる原因なのだと思います。

「十分に理解されていない」との想定ですが、恐らくそこから既に大きくズレちゃってますね(笑)。
正直言って、上記レベルの話は把握した上での前回の返信でした。
と言いますか、あの流れでわざわざ「ゆるゆり」について触れてる時点で、
もうちょっと正確に想定されてても良かった気が・・・・
「男性キャラの不在化」と「視聴者・読者の傍観者化」いう流れの中で、
元々は別のジャンルだった「萌え系・百合系・日常系」などが、次第に結び付いていき、
女の子たちがキャッキャウフフするジャンルを、総じて「百合」と呼ぶようになったのは、
本来的な百合要素は薄いのに、自ら作品名で名乗った「ゆるゆり」がキッカケでしょうからね。
言い換えれば、この辺りから「百合」の意味が広くなり過ぎ、収拾が付かなくなった気はします。
妄想カップリングとかではなく、そのまま深い結び付きの女友達まで含むようになり、
「ごちうさ」や「きんモザ」まで、百合アニメの代表作と捉えられるようになった現状、
昔の「エースをねらえ」さえ、今の定義なら百合に含まれるかと(ひねた見方ではなく)。

う〜ん、あとは何か別の分野でも、例えた方が伝わりやすいのかなぁ?
私からすると、昨今の「タピオカ・ブーム」を見ている感じでしょうか。
これが初体験という若者層からすると、これは「新しい文化」に映るかも知れませんが、
90年代や00年代を知っている世代からすると、今回のは第3次ブームですし、
過去2回との違いを強調されても、「新しい文化」と呼ぶには厳しいと感じるんですよね。
もちろん、文化は文化ですし、新しい要素もあるのですが、それが小さいと。
イタリアや韓国の料理が入ってきたり、特別な食べ物だった寿司が一般化されたりと、
そうした大きな変化を体験していると、ちょっと比べるまでも無いと思えちゃうんです。
まあ私の場合、歴史好きという側面もあるので、長い目で見過ぎちゃいますし・・・・

って、だからと言って、昔が凄くて、今がダメなんていう、
懐古主義に陥っている訳ではありませんよ。
私はスポーツも好きなので、その競技を開拓した過去の選手たちに敬意は表しますが、
記録的に見ても、技術的に見ても、現在の方が高いのが現実ですからね。
ですが、その一方で、昔はレベルが低かったとも言いません。
それは時代の積み重ねの上に、今という時代があるというだけの話であり、
しかも、時代に関係なく、やはり超一流の選手は凄いモノですからねえ。
「呪術廻戦」だろうと、「BLEACH」だろうと、「幽遊白書」だろうと、
先行作品には先行作品の長所と短所があり、後続作品には後続作品の長所と短所があるだけで、
どの作品も素晴らしい作品でしょうし、どの作品が一番好きは個々人の好み次第です。

ですが、こと「新しさ」という事になると、やはり時代性が大きく関わってきます。
手塚作品に劣らぬ作品は、それこそ数多く存在するでしょうけど、
日本の漫画・アニメ界を切り開いたのは、やはり手塚治虫ですから、
文化としての新しさで言うと、どうしたって後続のクリエーターは敵わないんです。
それと同じ様な話で、TVゲームの普及や、ネットの普及などを経験している以上、
百合アニメの変化というのが、そのインパクトと同レベルかとなると・・・・
いや別に、変化が無いと言っている訳でも、作品的にダメだと言っている訳でも無く、
私が思い浮かべる所の「新しい文化」と呼ぶには、不十分だというだけの話ですね。
アニメに関して言えば、子供向けではない深夜アニメの登場とか覚えていると、
その辺りは新しい文化と言うよりも、傾向とか新要素くらいの言葉が適当な気がします。

文化というのは、幅や時間や厚みを持った、もっと大きな枠組みのモノであり、
キツイ言い方になってしまいますけど、そもそも「新しい文化は無限にある」だなんて、
そんな小さな意味合いで「文化」という概念を、少なくとも私は捉えていません。
例えば無数に存在するのは、文化を構成する個々の作品とかであって、
文化自体が、決して無数に存在している訳では無いでしょうからねえ。


▼ 昨今のスマホゲーム事情
> もう一つ例を取り上げてみたいと思います。
> > > スマホゲームに関してはゲーム性の弱さを文化の後退として否定的にとらえる論者も少なからずいますが、
> > > 私としてはスマホゲームはSNSと合わさった現代のコミュニケーションゲームは
> > > 一定の新しさと文化的価値を備えていると思うんですよね。

> > ゲーム性に関して言えば、発言の真偽はともあれ、
> > 「任天堂の倒し方」というのが、端的に言い表してる気はしますね。
> > あとは、ガチャを含めた「課金」ですか。
> > まあ別に、ビジネスとしては、それを否定する気はないですけど、
> > それが文化を創造しているかと言えば、ちょっと私には思えないんですよね・・・・
> > 逆に尋ねますと、一体どのような「新しい文化的価値」を生み出したのでしょうか?

> 課金というのはスマホゲームの一部に過ぎません。
> ビジネス側面に注目すればそこにどうして目が行きますが、
> そもそもユーザーに今まで無料で遊んでいたゲームに課金させたいと思わせなければならないわけで、
> それを作っているのはキャラクターの魅力です。
> で、そのキャラクターの魅力を作っているのが、
> ここ10年で普及した中心の公式コンテンツと周辺の二次創作という構造だと思います。

え〜と、課金面以外のスマホゲームの文化性を語ると言いつつ、
結局は2次創作の話になっちゃってませんか?(笑)
私も昔はニコニコ動画に投稿していましたから、
艦これ辺りは微妙でも、東方やアイマスの2次創作はガッツリ知ってますよ。
(ニコニコ動画がここまで落ちぶれてしまったのは、個人的にも寂しい限り)
で、スマホゲーにも2次創作があるというのが、どのような「新しい文化的価値」を生み出したのでしょ?
既に確立されてる2次創作という文化を組み込んで、そこに何か新しい価値が生まれているんですか?

> 現在のスマホゲームの雰囲気について説明している記事を思い出したので、リンク張っておきます。
> https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/200408a

情報、ありがとうございます。
シナリオ制作の環境に、変化が生じているんですね。
ただ、シナリオの魅力というのが、そこまで大きく評価できるかとなると、
正直な所、未だに腑に落ちない感じではあります・・・・
そこまでシナリオが素晴らしいのであれば、課金が無くても成立しそうですが、
仮定の話になりますけど、コンテンツとしての出来だけで本当に惹き付けられると思います?
例えば、35年くらい前に流行った「ビックリマン・シール」なども、
シールの裏に書かれたストーリーを紡ぐ事で、大きな世界観を味わう仕組みがありましたけど、
だからと言って実際、シール収集のコレクション要素よりも、
そちらのゲーム・シナリオの方を深く覚えてる人って、果たして多いのでしょうか?
結局は、「課金させる為の味付け」という認識を、これでは脱する事が出来ませんでした。


▼ オタク文化史論の話
> オタクの変質について、まあだいたい宮崎事件からのオタク史に関しては
> 自分で調べて出てきた結果と認識がほとんど一致していて安心しました。
> その時代を知らない人間が後から調べると、
> どうしてもそれがあっているのか間違っているのかチェックができないので。

まあ、大きなモノの流れというのは、後から追っても、そこまで大きくはズレないかと。
当時の人に聞かないと解らない部分というのは、そういった大枠よりも、
その時の「空気感」とか、大枠では語られにくい「流行」とかの部分ですかねえ?

例えばサブカル史的に言うと、わずか1年半の放送でしたが、
フジテレビ「ウゴウゴルーガ」の人気ぶりや影響の大きさとかは、
当時を知る世代には当然でも、それを知らない世代には大して伝わってない気がしますし、
もっと大きく、社会史的に言うと、オウム真理教や麻原彰晃に対するイメージとかも、
今から見れば不謹慎な当時の空気感は、意図的に消されたり、書き換えたりされているので、
キチンと当時の情報に触れない限り、なかなか把握できない現状かと思われます。

> あと分からないのは、大塚英志や宮台真司あたりの言説や書籍はどんな感じで受け入れられたのでしょうか?
> 私が読んだ感じでは二人ともオタク文化を語っているという割には扱う範囲が限定的過ぎて、
> この二人の言うことはぶっちゃけあてにならないなぁと思っているのですが、実際にはどんな感じだったのでしょう?

宮台真司は何とくイメージがありますけど、大塚英志はちょっと解らないなぁ・・・・
って、宮台の方も別に詳しく知っている訳では無いのですが、
少なくとも、あの人自身はオタクなんですか?
個人的な認識では、あくまでも「社会学者」として、現状のオタク文化を研究しているだけで、
ターゲットとする客層は、彼と同年代である50〜60代のオジサンがメインでしょうから、
それを踏まえた上で、社会学者としての論説的に「違うなぁ」と感じているのか、
はたまた、単に若い世代のオタク層として「違うなぁ」と感じているとのでは、
話が大きく変わってくると思うのですが、一体どちらなのでしょう?
もし後者の話でしたら、同じ対象物であっても、それぞれ異なる立場や視点から見ているので、
その見え方が大きく異なっていたとしても、それはそれで当然とは言えるかと思います。

ちなみに、例えば、ここで挙げた両名に関して、
「違うなぁ」と感じさせた書籍とかは、実際にどんなモノがあるのでしょうか?
正直、私自身は両名に関して詳しく知らないので、具体的な著書名をいくつか挙げてもらえると、
それを読む事で、私の方からも、もっと詳しい返信が行えるかと思えます。


▼ 秋葉原通り魔事件の影響
> あと秋葉原の通り魔事件って「オタク的に」大きかったのでしょうか?
> 大きな事件ではあったのだと思いますし、秋葉原にとっては大きかったのかもしれませんが、
> オタクという範囲で見たときには正直どうでもよいような気もするのですが。

秋葉原で通り魔事件が発生したのが2008年。
麻生政権による児童ポルノ法の改正案が同じく2008年で、
石原都政による青少年健全育成条例の改正が2010年でしたか。
あの事件1つが、大きく時代を動かしたという事はありませんけど、
時代変化のスピードを加速させたという意味では、影響が無かった訳ではありません。
では何が変わったかというと、一言で言えば、アニメや漫画の「健全化」ですね。

元々、日本のサブカルというのは、エロ・グロの要素を含んでいたのですが、
90年代後半に拡大した深夜アニメは、その放送時間帯もあって、エロ要素が強く、
普通の作品でも不必要にパンチラがあったり、エロゲ原作の作品も珍しくなかったり、
パンツ・アニメと言っても良い、ド直球な作品も多かったんですよね。
そうなれば当然、コスプレイヤーの衣装も性的に過剰な露出へと進み、
秋葉原の地元住民が眉を顰めるほど、歩行者天国が無法化していたりもしました。
それと同時に、2005年のドラマ「電車男」の放送を境に、オタク以外の人たちも入ってきて、
秋葉原が観光地化され、オタク文化が一般的にも広まり、海外輸出の面で注目され始めると、
こうした従来のエロ・グロ要素というのは、排斥の対象となり始めます。
オタク側の視点からすると、世間から蔑まれつつも、今まで育んできたサブカルの文化が、
カネの匂いを漂わせ始めた途端、政治や経済が乗り込んできて、健全化を唱え始め、
そして、それを一気に進める格好の大義名分となったのが、この「通り魔事件」でした!!

そもそもは、不良たちがオタクを恐喝する意味だった「オタク狩り」という言葉が、
警察官がオタクに職務質問を行い、点数稼ぎに連行する意味合いに変わったのも、
ちょうど、この事件が転換点だったと言って良いと思います。
気弱なオタクという存在は、不良にも、警察官にも、格好のターゲットだったと(苦笑)。
石原都政の東京浄化政策により、警察官も過剰なノルマが課せられ、
事件以前からあった事はあるのですが、人権も絡むので派手には行えなかったものが、
あの事件を契機に大義名分を得て、大手を振って行われるようになりました。
まあ、「もののけ姫」で喩えますと(笑)、
シシ神が討たれる前と後で、同じ森でも様相が一変してしまったように、
あの通り魔事件の前と後で、オタク文化が健全化されたって感じかも?
人を寄せ付けぬ森が、人の手により管理されるようになったように、
オタク文化も資本や権力に管理され、「サブカル」という呼称も合わなくなったかな。

考えてみると、アニオタとネトウヨの親和性が高まったのも、丁度この頃かも知れません。
それまでは「サブカル」と言うくらいなので、反体制と言うか、非権力な文化背景があり、
クリエーター層まで行くと、明確に左寄りな人が多かった印象があるのですが、
この健全化の中、表現規制に反対する声と、「石原閣下!麻生閣下!」という声に2分され、
(規制反対派は必ずしも、パンツ・アニメに肯定的だった訳ではありませんでした)
そして、健全化と経済化、右傾化や政治家の波に飲み込まれていった感じでしょうか・・・・
もちろん、全てが全てそうなったという意味ではなく、全体の傾向としての話ではありますが。
ちなみに、百合や萌えというのも、直接的なエロ表現が制限された為に、
発展した1つの表現手段かも知れません(日本のAVや風俗が独自進化したのと同じ要領で・笑)。


▼ 鬼滅ブームの話
> あと鬼滅が千と千尋を追い越して日本映画歴代1位になるのが時間の問題になっていますが、
> ここまで鬼滅が流行ったのはSNS時代だからだと思います。
> ゲームでも「集まれどうぶつの森」とか、「Fall Guys」とか、
> 今だと「イナサクヒメ」ですが、定期的にSNSで大流行が起こっては、
> YouTuberなどが実況動画を作り、短期間に消費されるというループが繰り返されています。
> 鬼滅もそういった感じでバズッたのでしょう。

う〜ん、何なんでしょうかねぇ?
この「ズレてるなぁ」と感じさせる、違和感の正体は・・・・
ぶっちゃけた話、最近テレビとか視聴されてますか?

もちろん今の時代、SNSを始めとしたネットでの口コミが、
大きな流行の波を生むのは、一面では事実ですけど、
逆に言えば、そうした要素があるのは既に大前提な世界な訳で、
今回の鬼滅ブームという社会現象は、そのレベルで収まる話じゃないんですよね。
そうした現状は、アニメとかに詳しくないオジさん・オバさん層でさえ、
ニュース番組やワイドショーなどを介して、結構把握されてると思うのですが、
ネット頼りだと情報は溢れてるものの、気を付けないと却って視野が狭くなる事もある為、
何だか旧トルコ担当さんが、そこに陥っちゃってる印象を受けるんですよね。

女性ファン層とか、SNSによる人気拡大とか、決して間違っている訳では無いのですが、
それは今で言うと、「呪術廻戦」に見られるような人気の分析であって、
社会現象になった鬼滅ブームの担い手は、やはり小学生なんですよ。
子供たちに人気となり、それが子供たちの間に留まらず、家庭内でも広がる事で、
親世代や祖父母世代にまで拡大した為、これだけの大きな現象になっている訳です。
実際、人気が爆発した程には、Twitterでの呟き件数増えていないのも、
基本的に小学生は、SNSを利用してないですからね(要するにリアルな口コミがメイン)。

で、ここまで爆発的なヒットになった原因は、
新型コロナによる外出自粛が、大きく影響していたのは事実なのですが、
その前提として、コロナ禍以前より、小学生の間で鬼滅人気はジワジワと広がっており、
それが「何故か?」というのが、私の理解できていない部分であると。
鬼滅人気の第1波はアニメ終盤の頃で、その頃の人気を支えたのは、
若者層であり、女性ファン層であり、SNSがそれを支えたのも確かなのですが、
そこから小学生へと人気が波及して、第2波が発生した流れが掴めてないんですよね。
若者層がお兄ちゃんでとか、女性ファン層がお母さんでとか、そういった流れだとしても、
それでは何故、他のアニメでは同様の事が起こらないのか?の説明が付きませんし。


[23502] Re:百合文化史の話&秋葉原通り魔事件の影響返信 削除
2021/2/26 (金) 14:47:09 旧トルコ担当


久しぶりの返信とても面白かったです。
やはりこう、年上の方と話すのは浅はかな知識がバレそうになったりして怖くはありますが、自分には無い視点が得られてとても刺激的です。

▼ 「場の喪失」とお客様化について

> > で、まあここでは日本の経済事情や資本主義の置かれている状況については主題からずれるので置いておくとして、
> いやいや、そこは根本原因なので、そこを置いてしまうと、
> 結果として表面化したモノのみを語る事になっちゃいますよ!?
> と言いますか、そもそも「ビジネス化とお客様化」の話から始まったのでは?
> まあ、旧トルコ担当さんが、そちらの話題が良いのでしたら、別に私は構いませんが。
>
> で、その場合に私が何より言いたかったのは「場の喪失」なんです。
> ただしコチラの話も、ここまで説明して上手く伝わってない所を見ると、
> これ以上に言葉を労しても、進展は無いのかも知れません・・・・
> ただであえ、「有ったモノが無くなった」感覚を、
> 「初めから無かった」世界しか知らない方に伝えるのは、ただでさえ難しいのに、
> 「いやいや、今でも有るよ」という前提で捉えられてる気がするんです。
>
> そして結局の所、この後の「新しい文化」という話にも繋がるのですが、
> それを指す言葉の定義というか、サイズ感が、あまりに異なり過ぎていて、
> まずはそこを認識してもらえないと、上手く会話として成立しないと思いますし、
> 何でしたら、私の方が旧トルコ担当さんの話題に合わせちゃう方が早いのかも知れません。


多分としか言えませんが、私は「初めから無かった」世界しか知らないので、管理人さんの言う「場の喪失」というのは理解できていないと思います。
で、その私でもかろうじてコレじゃないかな、と思えるのがプラモデルなので、よろしければプラモデルを例に説明してもらえないでしょうか?
私の雑な認識だと、昭和の時代には町のプラモデル屋さんというものが存在して、そこは単にプラモデルを売買するだけの場所ではなく、プラモデルのファン(おたく)が集まるコミュニティだったと。
それが(90年代くらいからでしょうか?)、町のプラモデル屋さんは徐々に衰退していってビックカメラみたいな店舗でプラモデルが売り買いされるようになった。
もちろん、今でもビックカメラなりAmazonなりでプラモデルを買おうと思えば買えるのですが、プラモデルの「場」であった町のプラモデル屋さんは消滅し、お客様だけが残った。
「場の喪失」というのはこんな感じなのでしょうか?
私としては町のプラモデル屋さんをほとんど知らない人間なので(それでも小学生の時に親と車に乗ってプラモデル屋さんに通っていた経験はあります)、いやプラモデルファンのコミュニティならSNSでプラモデルファン同士交流すればいいし、別にプラモデルファンの集う町のプラモデル屋がなくなっても「場」はあるじゃん。と思うのですが。どうでしょう?
これ以外だと私の知っている範囲では、ゲームセンターなんかも「場」だったのでしょうか?
80・90年代にはSTGファンがスコアを競ったり、格ゲーファンが対戦をしたりでにぎわっていたそうですが、これも(90年代後半くらいからかな?)衰退を通り越して消滅しかかっています。
ただこっちは本格的に行ったことがないので、具体例で説明されても理解できるかどうか自信がないです。

▼ 文化について

> ですが、こと「新しさ」という事になると、やはり時代性が大きく関わってきます。
> 手塚作品に劣らぬ作品は、それこそ数多く存在するでしょうけど、
> 日本の漫画・アニメ界を切り開いたのは、やはり手塚治虫ですから、
> 文化としての新しさで言うと、どうしたって後続のクリエーターは敵わないんです。
> それと同じ様な話で、TVゲームの普及や、ネットの普及などを経験している以上、
> 百合アニメの変化というのが、そのインパクトと同レベルかとなると・・・・
> いや別に、変化が無いと言っている訳でも、作品的にダメだと言っている訳でも無く、
> 私が思い浮かべる所の「新しい文化」と呼ぶには、不十分だというだけの話ですね。
> アニメに関して言えば、子供向けではない深夜アニメの登場とか覚えていると、
> その辺りは新しい文化と言うよりも、傾向とか新要素くらいの言葉が適当な気がします。
>
> 文化というのは、幅や時間や厚みを持った、もっと大きな枠組みのモノであり、
> キツイ言い方になってしまいますけど、そもそも「新しい文化は無限にある」だなんて、
> そんな小さな意味合いで「文化」という概念を、少なくとも私は捉えていません。
> 例えば無数に存在するのは、文化を構成する個々の作品とかであって、
> 文化自体が、決して無数に存在している訳では無いでしょうからねえ。


申し訳ありませんが、この辺の規模感については正直よくわかりません。
多分管理人さんは私よりもより高い位置から色々な現象を見渡せているのだと思いますが、私自身まだまだ勉強不足なので、科学技術の発展や社会形態みたいなより具体的なものならばまだわかるんですが、文化とは何か?(傾向やブームとは何が違うのか)みたいな抽象性の高い話には全くついていけないんですよね。
投げやりに返信しているとかではなく、本当にその視点から言われるとどうしようもないんですよね。

なんとなく、文化が発展するのは貧しさが背景にあるような気はしています。
例えば日本は島国で魚がたくさん取れたから魚料理の文化が発展したわけですが、これはつまり魚以外の食材(例えば肉なんか)が手に入りにくかったからこそ色々な魚の食べ方が発展したわけで、これが最初から現代みたく肉でも魚でも菓子でも保存し放題であれば、ここまで魚の食べ方が発展しなかったと思うんですよね。

▼ 百合について

その上で(文化が分からないと言った上で)百合について言えば、もちろんセーラームーンも転換点ではありますが、同程度にマリみても転換点だと思います。
管理人さんが「ゆるゆり」や「ごちうさ」、「きんモザ」等の作品が挙げられている辺り、もしかしたらアイマスやラブライブ、艦これ等の流れが目に入ってないような気がするのですが、どうでしょう?(気づいていればすみません)
もちろんオタクの世界に初めて百合を持ち込んだのはセーラームーンなんですが、やはりマリみて以降の流れがなければ、今でも百合は大きいお友達と、きらら系・難民系の範囲に限定されていたと思います。

▼ 宮台真司と大塚英志について

> 宮台真司は何とくイメージがありますけど、大塚英志はちょっと解らないなぁ・・・・
> って、宮台の方も別に詳しく知っている訳では無いのですが、
> 少なくとも、あの人自身はオタクなんですか?
> 個人的な認識では、あくまでも「社会学者」として、現状のオタク文化を研究しているだけで、
> ターゲットとする客層は、彼と同年代である50〜60代のオジサンがメインでしょうから、
> それを踏まえた上で、社会学者としての論説的に「違うなぁ」と感じているのか、
> はたまた、単に若い世代のオタク層として「違うなぁ」と感じているとのでは、
> 話が大きく変わってくると思うのですが、一体どちらなのでしょう?
> もし後者の話でしたら、同じ対象物であっても、それぞれ異なる立場や視点から見ているので、
> その見え方が大きく異なっていたとしても、それはそれで当然とは言えるかと思います。


後者の単に若い世代のオタク層として「違うなぁ」と感じている、というだけなのでまあ言われてみれば当然ですよね。
オタクという主語が大きすぎるのが問題なのでしょうが、まあその辺はマーケティング上オタク第1世代は〜みたいなことにならないのも理解できます。

> ちなみに、例えば、ここで挙げた両名に関して、
> 「違うなぁ」と感じさせた書籍とかは、実際にどんなモノがあるのでしょうか?
> 正直、私自身は両名に関して詳しく知らないので、具体的な著書名をいくつか挙げてもらえると、
> それを読む事で、私の方からも、もっと詳しい返信が行えるかと思えます。


いやいや、私自身もきっちり読んだわけではないので、そこまでされなくても結構ですよ。

▼ 秋葉原通り魔事件の影響

> 秋葉原で通り魔事件が発生したのが2008年。
> 麻生政権による児童ポルノ法の改正案が同じく2008年で、
> 石原都政による青少年健全育成条例の改正が2010年でしたか。
> あの事件1つが、大きく時代を動かしたという事はありませんけど、
> 時代変化のスピードを加速させたという意味では、影響が無かった訳ではありません。
> では何が変わったかというと、一言で言えば、アニメや漫画の「健全化」ですね。
>
> 元々、日本のサブカルというのは、エロ・グロの要素を含んでいたのですが、
> 90年代後半に拡大した深夜アニメは、その放送時間帯もあって、エロ要素が強く、
> 普通の作品でも不必要にパンチラがあったり、エロゲ原作の作品も珍しくなかったり、
> パンツ・アニメと言っても良い、ド直球な作品も多かったんですよね。
> そうなれば当然、コスプレイヤーの衣装も性的に過剰な露出へと進み、
> 秋葉原の地元住民が眉を顰めるほど、歩行者天国が無法化していたりもしました。
> それと同時に、2005年のドラマ「電車男」の放送を境に、オタク以外の人たちも入ってきて、
> 秋葉原が観光地化され、オタク文化が一般的にも広まり、海外輸出の面で注目され始めると、
> こうした従来のエロ・グロ要素というのは、排斥の対象となり始めます。
> オタク側の視点からすると、世間から蔑まれつつも、今まで育んできたサブカルの文化が、
> カネの匂いを漂わせ始めた途端、政治や経済が乗り込んできて、健全化を唱え始め、
> そして、それを一気に進める格好の大義名分となったのが、この「通り魔事件」でした!!
>
> そもそもは、不良たちがオタクを恐喝する意味だった「オタク狩り」という言葉が、
> 警察官がオタクに職務質問を行い、点数稼ぎに連行する意味合いに変わったのも、
> ちょうど、この事件が転換点だったと言って良いと思います。
> 気弱なオタクという存在は、不良にも、警察官にも、格好のターゲットだったと(苦笑)。
> 石原都政の東京浄化政策により、警察官も過剰なノルマが課せられ、
> 事件以前からあった事はあるのですが、人権も絡むので派手には行えなかったものが、
> あの事件を契機に大義名分を得て、大手を振って行われるようになりました。
> まあ、「もののけ姫」で喩えますと(笑)、
> シシ神が討たれる前と後で、同じ森でも様相が一変してしまったように、
> あの通り魔事件の前と後で、オタク文化が健全化されたって感じかも?
> 人を寄せ付けぬ森が、人の手により管理されるようになったように、
> オタク文化も資本や権力に管理され、「サブカル」という呼称も合わなくなったかな。
>
> 考えてみると、アニオタとネトウヨの親和性が高まったのも、丁度この頃かも知れません。
> それまでは「サブカル」と言うくらいなので、反体制と言うか、非権力な文化背景があり、
> クリエーター層まで行くと、明確に左寄りな人が多かった印象があるのですが、
> この健全化の中、表現規制に反対する声と、「石原閣下!麻生閣下!」という声に2分され、
> (規制反対派は必ずしも、パンツ・アニメに肯定的だった訳ではありませんでした)
> そして、健全化と経済化、右傾化や政治家の波に飲み込まれていった感じでしょうか・・・・
> もちろん、全てが全てそうなったという意味ではなく、全体の傾向としての話ではありますが。
> ちなみに、百合や萌えというのも、直接的なエロ表現が制限された為に、
> 発展した1つの表現手段かも知れません(日本のAVや風俗が独自進化したのと同じ要領で・笑)。


なるほど、そういう時代があったんですね。
私はそういう時代を全く知らず、むしろコミケなんか行けばパンチラなんか比べ物にならないほどのエロ・グロ本が売ってるのを見ているので、表現規制なんかは規制側に多少同情的だったりしたのですが、時代が違えばこうも違うんですね。
なんとなく90年代後半のアニメはパンチラが多いみたいな話は聞いていましたが、アニメにエロシーンが昔はそんなにあったんですね。

あと、「百合や萌えというのも、直接的なエロ表現が制限された為に、発展した1つの表現手段かも知れません」ということですが、これは違うと思いますよ。
08年時点では既にエロゲの衰退は顕著でしたし、エロゲもエロよりも売りはシナリオでしたから(だからこそラノベの台頭でエロゲが衰退してしまうわけで)。
(と言いつつエロゲに関しても管理人さんの突っ込みが来ると怖いのですが、エロゲには詳しくないんですよね)

▼ 鬼滅ブームの話

> う〜ん、何なんでしょうかねぇ?
> この「ズレてるなぁ」と感じさせる、違和感の正体は・・・・
> ぶっちゃけた話、最近テレビとか視聴されてますか?
>
> もちろん今の時代、SNSを始めとしたネットでの口コミが、
> 大きな流行の波を生むのは、一面では事実ですけど、
> 逆に言えば、そうした要素があるのは既に大前提な世界な訳で、
> 今回の鬼滅ブームという社会現象は、そのレベルで収まる話じゃないんですよね。
> そうした現状は、アニメとかに詳しくないオジさん・オバさん層でさえ、
> ニュース番組やワイドショーなどを介して、結構把握されてると思うのですが、
> ネット頼りだと情報は溢れてるものの、気を付けないと却って視野が狭くなる事もある為、
> 何だか旧トルコ担当さんが、そこに陥っちゃってる印象を受けるんですよね。
>
> 女性ファン層とか、SNSによる人気拡大とか、決して間違っている訳では無いのですが、
> それは今で言うと、「呪術廻戦」に見られるような人気の分析であって、
> 社会現象になった鬼滅ブームの担い手は、やはり小学生なんですよ。
> 子供たちに人気となり、それが子供たちの間に留まらず、家庭内でも広がる事で、
> 親世代や祖父母世代にまで拡大した為、これだけの大きな現象になっている訳です。
> 実際、人気が爆発した程には、Twitterでの呟き件数増えていないのも、
> 基本的に小学生は、SNSを利用してないですからね(要するにリアルな口コミがメイン)。
>
> で、ここまで爆発的なヒットになった原因は、
> 新型コロナによる外出自粛が、大きく影響していたのは事実なのですが、
> その前提として、コロナ禍以前より、小学生の間で鬼滅人気はジワジワと広がっており、
> それが「何故か?」というのが、私の理解できていない部分であると。
> 鬼滅人気の第1波はアニメ終盤の頃で、その頃の人気を支えたのは、
> 若者層であり、女性ファン層であり、SNSがそれを支えたのも確かなのですが、
> そこから小学生へと人気が波及して、第2波が発生した流れが掴めてないんですよね。
> 若者層がお兄ちゃんでとか、女性ファン層がお母さんでとか、そういった流れだとしても、
> それでは何故、他のアニメでは同様の事が起こらないのか?の説明が付きませんし。


テレビはほとんど見ていませんが新聞は読んでいるので、オジさん・オバさん層でさえニュース番組やワイドショーなどを介して、結構把握されてる、というのは共通認識として持っています。
で、はじめは管理人さんはあまりオタク方面とかそっち系に詳しくないのかなーと思っていたので、いや鬼滅は小学生人気だけじゃないですよ、ということでいろんな例を出したんですけど、この辺は私なんかよりもよっぽど詳しくて正直管理人さんの疑問にはあった答えられません。


[23506] Re2:百合文化史の話&秋葉原通り魔事件の影響返信 削除
2021/3/2 (火) 22:48:58 徳翁導誉

> 久しぶりの返信とても面白かったです。
> やはりこう、年上の方と話すのは浅はかな知識がバレそうになったりして怖くはありますが、
> 自分には無い視点が得られてとても刺激的です。

私が子供の頃も、50年前とか100年前くらいの事であれば、
それこそ歴史の教科書に載っていて、学校とかでも習うのですが、
自分が物心付く前の10年前とか20年前くらいの事って、
大人たちにとっては「ちょっと前の過去(記憶)」である為、却って解らない事が多く、
たまに聞いても、感情的なバイアスが思いっ切り掛かってる印象が強かったんですよね。
だからこそ逆の立場になった現在、出来るだけ客観的かつ正確に、当時の事を伝えたい気持ちはあります。
幸か不幸か、私は昭和をギリギリ覚えている世代なので、
平成からしか知らない弟とは、その短い間だけでもギャップがあったりしますし。
(って、観察力や記憶力の違いで、同年代でも普通にギャップとかあったりはしますが・笑)

20年前の9・11テロや日韓W杯、10年前の東日本大震災なども、
それを覚えている私からすれば、「あの時の!」という話になりますけれど、
物心付く前や生まれてなかった世代には、「どの時の?」って感じになりますからねえ。
実際、いま鬼滅の刃にハマっている子供たちは、あの大震災を知らない世代な訳ですし。
ただ近年は、こうやって当時のニュース番組↓がそのままアップされてたりするので、
【3・11震災】 https://www.youtube.com/watch?v=iwOLsVmxdO8
【9・11テロ】 https://www.youtube.com/watch?v=5H-UEQe063w

ちょっと疑似体験するような事は、可能になってますよね。
それこそ当時の人たちも多くは、こうしてテレビを見て情報を得るしか出来ませんでしたから。
一方で、何だかショーを見ている感覚で、次々増えていく死者の数に興奮を覚えたりとか、
その当時の不謹慎な空気感などは、多くの人は忘却してしまいがちな為、
悲惨さとかだけでなく、その辺りも正確に伝えたい考えもあったりはするんですよね。
神話化も、悲劇化も、物語としては面白くなっても、それが進むほど真実からは遠離るので。


> > で、その場合に私が何より言いたかったのは「場の喪失」なんです。
> > ただしコチラの話も、ここまで説明して上手く伝わってない所を見ると、
> > これ以上に言葉を労しても、進展は無いのかも知れません・・・・
> > ただであえ、「有ったモノが無くなった」感覚を、
> > 「初めから無かった」世界しか知らない方に伝えるのは、ただでさえ難しいのに、
> > 「いやいや、今でも有るよ」という前提で捉えられてる気がするんです。

> 多分としか言えませんが、私は「初めから無かった」世界しか知らないので、
> 管理人さんの言う「場の喪失」というのは理解できていないと思います。

「百聞は一見にしかず」と言えば良いのか、
「亀の甲より年の功」と言えば良いのか(笑)。

例えば、ネットを始めとしたデジタル技術にしても、
大人になってから導入された世代と、子供の時に導入された世代と、
生まれた時には既にあった世代とでは、それぞれ違うでしょうからね。
デジタル技術を使いこなす上では、私などはネイティブ世代に敵わないでしょうけど、
逆に言うと、ネイティブ世代だとアナログ技術に触れる機会が乏しくなる為、
この点に関して言えば、デジタルに偏り過ぎると、却ってデメリットになるでしょうし。

> で、その私でもかろうじてコレじゃないかな、と思えるのがプラモデルなので、
> よろしければプラモデルを例に説明してもらえないでしょうか?
> 私の雑な認識だと、昭和の時代には町のプラモデル屋さんというものが存在して、
> そこは単にプラモデルを売買するだけの場所ではなく、プラモデルのファン(おたく)が集まるコミュニティだったと。
> それが(90年代くらいからでしょうか?)、町のプラモデル屋さんは徐々に衰退していって
> ビックカメラみたいな店舗でプラモデルが売り買いされるようになった。
> もちろん、今でもビックカメラなりAmazonなりでプラモデルを買おうと思えば買えるのですが、
> プラモデルの「場」であった町のプラモデル屋さんは消滅し、お客様だけが残った。
> 「場の喪失」というのはこんな感じなのでしょうか?

う〜ん、私はプラモとは縁遠かった為、これで具体的な説明は少し難しそうですし、
説明としては、既に書店とかネット上でのサッカー話とかの例を交えながら書きましたので、
上手く伝えるには、今までの説明とは違って視点が必要になるのかなぁ・・・・

> 私としては町のプラモデル屋さんをほとんど知らない人間なので
> (それでも小学生の時に親と車に乗ってプラモデル屋さんに通っていた経験はあります)、
> いやプラモデルファンのコミュニティならSNSでプラモデルファン同士交流すればいいし、
> 別にプラモデルファンの集う町のプラモデル屋がなくなっても「場」はあるじゃん。と思うのですが。どうでしょう?

とりあえず、町のプラモ屋さんみたいなのは、
朧気かも知れませんけど、一応は御存知なんですよねえ?
でしたら、Amazonで買う時の事と、リアル店舗で買う時の事を、
まずは御自身の中で、その違いを整理されてみては如何でしょうか?
どちらも全く同じという事は、恐らく無いと思うので。

・・・って、これだけだと何だか丸投げみたいな感じなので(笑)、
私の方からも考えてみると、まずは「交流」ってワードは、とりあえず外しておきましょう。
正直な所、そこを「場」としてのメインには置いていないので。
そして、結論から先に言ってしまうと、
Amazonに無くて、リアル店舗に有るのは、「無駄」という存在だと思うんですよ。
それこそ例えば、欲しい商品の「購入」のみが目的であれば、
実際に店舗へ足を運んで購入するよりも、ネット通販でポチる方が遥かに便利です。
で、買い物が単なる「作業」であるならば、便利である事が何より優先かも知れません。
しかし、好きなモノを買うのって、本当に作業という側面だけなのでしょうか?
そこには、買い物という行為に「娯楽性」という側面も含まれているはずなんです。
そう考えた時、この無駄こそが、一転して面白さの源となる為、
逆に言うと、無駄の少ない便利さは、その面での楽しみ方に欠ける気がするんです。
例えば、ウィンドー・ショッピングには有って、ネット・ショッピングには無いモノがあると。

ハッキリ言ってしまえば、その両方とも存在するのが理想なんです。
それこそ、以前した書店の話であれば、
品揃えが豊富な大型書店も、便利なネット書店も、店主こだわりの街の小さな書店も、
全てが共存できていれば、その時々で使い分けられて助かります。
ですが現実は、どうしたって経済競争における淘汰は生じますし、
縮小していく日本の社会と市場により、その変化は急速で極端に現れています。
その結果として、やはり市場原理が全てに勝ってしまうんですよね。
買い物の話の続きをすると、娯楽としての回数より、作業としての回数の方が多いですから。
そして、その結果、リアル店舗という空間が、経済的都合により失われてしまうと。

と、まあ、あれこれ難しい事を考えなくても、
商品が山のように陳列されてるリアル空間って、やはりネットとは違いますよねえ?
買う買わないは別として、その空間に身を置くだけで心地よいとかあるじゃないですか。
確かにネット・ショッピングでも、ポチるまで何時間も掛ける事はあるでしょうけど、
それって、リアル店舗で何時間も過ごすというのとは、根本的に異なる気がするんです。
また、目的の商品に一直線なネットと違って、リアルは無駄な情報が多いからこそ、
別の商品に目移りしたり、思わぬ商品を見つけたり、他の客の会話に影響されてしまったりと、
そういった事が起こるのも、ネットよりリアルの方が断然多いはずです。

あと、これは何もアナログに限らず、デジタル空間でも同じ様な事が言えて、
ここでようやく「交流」というワードを戻すと、これは以前にも書いたのですが、
マニアな世界であった一昔前のネットって、あくまでも交流は手段であり、
そのネット世界が広く一般化した事で、交流が手段から目的に転じたと思うんですよね。
もちろん、これにしたって、どちらが良い悪いという話では無いですし、
理想を言えば、どちらも存在できる共存状態が一番なのですが、
やはり現実は大が小を飲み込むように、交流が目的化された世界がネットを覆いました。
でも、昔からネットにいる私たちが欲しいのって、
自分の中での「なるほど!」であって、他人からの「いいね!」じゃないんです。

SNSを利用すれば、確かに多くのファン同士を見つける事が出来るのでしょうけど、
ハッキリ言って、自分と同じ価値観をもつファン同士が繋がった所で、
そこから新たに得られるモノは少ないのは、交流が目的ではなく手段だからなのでしょうね。
それこそ求めるのは、自分の殻を打ち破ってくれるような、思わぬ雑音の存在なのでしょうけど、
しかしSNSというのは、同じ様な意見を集めて、雑音をカットするには向いているからこそ、
その正反対には層には、まるで満足感を得られない世界であると感じるんですよ・・・・
だからこそ、逆説的に言えば、SNSが幅を利かせれば利かせるほど、場が失われて行くと。

> これ以外だと私の知っている範囲では、ゲームセンターなんかも「場」だったのでしょうか?
> 80・90年代にはSTGファンがスコアを競ったり、格ゲーファンが対戦をしたりでにぎわっていたそうですが、
> これも(90年代後半くらいからかな?)衰退を通り越して消滅しかかっています。
> ただこっちは本格的に行ったことがないので、具体例で説明されても理解できるかどうか自信がないです。

そうですね、確かにゲームセンターとかは、解りやすい「場」の例かも知れません。
格闘ゲームにしても、オンラインで対戦したり、観戦したりは確かに可能なのですが、
やはり同じ空間に集って、対戦したり、観戦したりとは、一味も二味も違いますからね。
時代と言えばそれまでですけど、平成の30年間で5分の1にまで激減したのは、やはり寂しいですよ。
世界的なe-Sports化の流れに乗り遅れなければ、もう少し違った現実も有り得たのかなぁ?

音楽業界とかもそうでうけど、市場のデジタル化が急速に進んだ一方で、
リアルの価値というのも物凄く上がり、コロナ禍まではライブとか拡大の一途でしたし、
日本のオタク文化発信を考えるのであれば、アニメとネットの親和性の高さだけでなく、
実際に日本間で足を運ばないと体感できない、リアルの価値を高める戦略があっても良いと思うんです。
正直、秋葉原に関しても、表層的な観光地化をする促進する以前に、もっと何かあったはずですが、
でも現実には、ゲームや家電での日本の存在感って、ここ十数年でかなり落ちてるからなぁ・・・・

> > 文化というのは、幅や時間や厚みを持った、もっと大きな枠組みのモノであり、
> > キツイ言い方になってしまいますけど、そもそも「新しい文化は無限にある」だなんて、
> > そんな小さな意味合いで「文化」という概念を、少なくとも私は捉えていません。
> > 例えば無数に存在するのは、文化を構成する個々の作品とかであって、
> > 文化自体が、決して無数に存在している訳では無いでしょうからねえ。

> 申し訳ありませんが、この辺の規模感については正直よくわかりません。
> 多分管理人さんは私よりもより高い位置から色々な現象を見渡せているのだと思いますが、
> 私自身まだまだ勉強不足なので、科学技術の発展や社会形態みたいなより
> 具体的なものならばまだわかるんですが、文化とは何か?
> (傾向やブームとは何が違うのか)みたいな抽象性の高い話には全くついていけないんですよね。
> 投げやりに返信しているとかではなく、本当にその視点から言われるとどうしようもないんですよね。

はい、投げやりな対応だとか、そうで無いのは解ってますよ(笑)。
まあこの辺は、私が理系の人間という事もあり、
「言葉の定義にうるさい」って面があるんだと思います。
普通はもっと、フワッとした感じで言葉を用いてるでしょうからね。

ただ、感想なら主観で書けますけど、論評となれば客観性が不可欠でしょうし、
世間一般の感覚だと、そんなのは「面倒な事」と捉えられるにしても、
そこを突き進むのが、学問やオタクの世界だろうと個人的には考えています。
別の言い方をすれば、主観的な「好き嫌い」と、客観的な「良い悪い」を、
キチンと分けて考えられるか否かって感じですかねえ?
個人的に楽しむだけなら、「好き嫌い=良い悪い」でも構わないのですが、
オタクを自称する以上は、それではダメかな?と。

「文化」の意味というのは非常に広いので、ちょっと説明が難しいのですが、
例え話を用いるとすれば、1つ1つの「学校」みたいな単位でしょうか?
そして、その地域の学校群みたいな存在が「文明」であり、
学校内のクラスや部活などの組織が、文化の中の「小さな文化」と言って良いかも。
言うなれば、日本文化とかフランス文化とかが、それぞれの学校単位のようなモノで、
その大きな集合体として、東アジア文明や西ヨーロッパ文明みたいなのがあり、
学校に相当する日本文化の中に、クラスに相当する和食文化だったり、
部活に相当するアニメ文化があったりするイメージですかね。
ちなみに、ここで用いたクラスと部活の使い分けは、
クラスは基本的に学校内で完結する組織であるのに対して、
部活というのは、サッカー部とか野球部とか他校との横の繋がりもある感じ。
メイン・カルチャーとサブカルとかは、運動部と文化部くらいの枠組みに相当するかな?

で、これまでの書き込みで、旧トルコ担当さんがおっしゃっていた「文化」の対象は、
それよりも小さく、個々の生徒であったり、仲良しグループくらいの単位に見えたので、
「それは学校や部活とは同規模じゃないでしょ!?」となった訳ですね。
ここで言う生徒は「作品」に相当し、グループは「ジャンルや傾向」に相当するでしょうか。
言ってしまうと、例えば近年は、商業高校や工業高校などが次々と無くなり、
「どこもかしこも似たような普通科高校ばかりになってしまった」と話してる時に、
「でも私のグループには、○○君が加わって雰囲気が一変したよ」と返されても、
「いや、そういう話をしているんじゃないから・・・」となる感じですかねえ?
これはもちろん、生徒がどうこうとか、グループがどうこうという話ではなく、
それこそ繰り返してになってしまいますが、対象とする規模の違いがあると。
まあ確かに、生徒個々に凄い人が居たり、グループでまとまり行動したりなど、
それだけで何かを生み出す場合には、その規模でも「小さな文化」と呼べるケースはありますが、
やはりそれは特異な例だと思うので、基本的にはそぐわないでしょうね。

・・・って、こんな例え話で、どれだけ伝わるモノか、
自分でもちょっと自信が無いですけども(苦笑)。

> なんとなく、文化が発展するのは貧しさが背景にあるような気はしています。
> 例えば日本は島国で魚がたくさん取れたから魚料理の文化が発展したわけですが、
> これはつまり魚以外の食材(例えば肉なんか)が手に入りにくかったからこそ色々な魚の食べ方が発展したわけで、
> これが最初から現代みたく肉でも魚でも菓子でも保存し放題であれば、
> ここまで魚の食べ方が発展しなかったと思うんですよね。

確かに、そういった側面も1つにはあると思いますよ。
例えば高校とかも、制服があり、校則があるからこそ、
そこをどうに掻い潜って着崩してやろうとして、個性が生まれる事はありますし、
逆に私服でもOKとかだと、みんな却ってキチンと制服を着たりしますからね。
また、前回も少し触れましたが、それこそ日本のAVや風俗が独自進化したのも、
日本ではAVにモザイクが必須だったり、風俗で本番行為が禁じられていた事が、
海外と違って、挿入すればOKという単純さを生まなかった理由とされていますので。
(って、エロ浮世絵の種類の豊富さを考えると、それだけが理由では無さそうですが・笑)

ただ一方で、「島国で魚がたくさん取れたから魚料理の文化が発展した」との一文は、
それこそ「貧しさ」だけでなく、「豊かさ」も表してますよね?
肉視点で見れば貧しくても、魚視点で見れば豊かだったので、発展したと。
なので、文化が発展する要因というのも様々かと思われます。
また、これは以前にも書きましたが、文化であれ何であれ、
常に一定という事はなく、時代に応じた盛衰のサイクルというモノは存在しますから、
一言に日本の食文化と言っても、変化はいろいろとありましたね。
そもそも論になっちゃいますけど、日本人がたくさん魚を食べるようになったのは、
冷蔵・冷凍技術が発展してからの事なので、そんなに古い歴史がある訳では無いので・・・・
前回も少し触れましたけど、ここまで一般的に大トロや中トロが食されるようになったのは、
平成に入ってからの事だと記憶してますね(それまでは値段が高くて特別な存在でした)。

あと、これを根拠に「貧しくとも文化は発展する」と言いたいのかも知れませんが、
それこそ日本では、ここ10年くらいで100円ショップが急成長して、その品揃えや品質とかも、
売れ残り品を安く仕入れて売っていた、一昔の百均とは比べ物にならないレベルになっています。
そういう意味では、これは確かに新たな文化と言って良いとは思いますし、
「このレベルの商品が100円で」と、驚かされる事が多々あるのも事実です。
それはそれとして、もちろん認める所ではあるのですが、
しかし一方で、やはり「100円で売っても利益が出る」レベルの品質なんですよね。
そして、その事によって、百均以外の雑貨はかなり壊滅状態となった実状があり、
1億総中流と呼ばれた頃の日本では、様々な価格帯と品質の商品があり、
ちょっと背伸びをすると、結構良い商品が買えたりしたんです。
ですが現在、国際競争力も落ち、2極化されつつある社会も反映されてか、
店も商品も、高くて凄く良いモノと、安くてまあまあのモノとに2極化してきました。

もちろん、これは経済的には正しいですし、そうなるのも必然でしょう。
また、安い商品同士で比べれば、昔より今の方が優れているのは確かです。
ですが、中間であったり、そのちょっと上というのが、すっぽり消え失せてしまった現状って、
日本社会全体の文化として捉えた場合には、果たしてプラスになっているんですかねえ?
昔の「Japan as No.1」と呼ばれた時代を覚えてるだけに、
今の「日本スゴイ」ブームとかって、凄く虚しくて寂しく映っちゃいます。
貧しくとも発展する文化はありますけど、豊かだからこそ発展する文化の方が更に大きく、
「武士は食わねど高楊枝」とは言いますけど、やはり「貧すれば鈍する」んですよ。
そういう意味では、経済だけとか、文化だけとか、自分さえ良ければではなく、
ドンドン貧しくなる負の循環よりも、ドンドン豊かになる正の循環を求めたいんですよね。
それは、経済的にも、文化的にも、精神的にも。

> その上で(文化が分からないと言った上で)百合について言えば、もちろんセーラームーンも転換点ではありますが、
> 同程度にマリみても転換点だと思います。
> 管理人さんが「ゆるゆり」や「ごちうさ」、「きんモザ」等の作品が挙げられている辺り、
> もしかしたらアイマスやラブライブ、艦これ等の流れが目に入ってないような気がするのですが、どうでしょう?
> (気づいていればすみません)
> もちろんオタクの世界に初めて百合を持ち込んだのはセーラームーンなんですが、やはりマリみて以降の流れがなければ、
> 今でも百合は大きいお友達と、きらら系・難民系の範囲に限定されていたと思います。

「ラブライブ」や「アイマス」は、ある程度は知ってますけど、
う〜ん、私自身は別に百合ファンとかで無いので(そもそもアニオタですらない)、
本当の意味で「解っているか?」と問われると、ちょっと断言は出来ないかな(笑)。
とりあえず、「ことうみ」とか「のぞえり」とか「にこまき」くらいは知ってますけど、
その「流れ」の中身を、もうちょっと具体的に書いてもらえないと、
どのレベルの話をされているのかが、正直、私には伝わらない感じですね。

あと個人的な事を言うと、「艦これ」は作品自体をあまり把握してません。
ウチの場合、海軍で3人戦死しているので、あの題材はちょっと・・・・
私の世代ですと、子供の頃の高齢者って、イコール戦争経験者であり、
自分自身では体験していないものの、戦争との距離は近かったですが(冷戦中でもありましたし)、
今では戦場を知る方々も100歳を超えており、急速に戦争のリアル感が遠離ってる感じでしょうか。
まあ、楽しんでる人を非難したりはしませんけど、私的には対象外な作品ですね。
ここのサイトですと「WW2オンライン」を作る時も、そうした心の葛藤は正直ありましたし。

そして最後に、これは繰り返しになってしまいますけど、
私も別に「マリみて」の存在を軽視している訳では決してありません。
ただ、元々の話の流れって、これ↓からですよねえ?
> > > オタク的な文化として高まり始めるのは『マリア様がみている』や
> > > 『東方Project』などが流行し始めた04年あたりからです。

まあそれ以前に、私と旧トルコ担当さんとの間で、
「オタク」や「文化」に定義の違いがある事は、もう何度も語っているのですが、
そこ以上に大きいのは、実在する「女子校」の存在感の違いなのかも知れません。

それこそ、戦前のエス文化とか、「櫻の園」の映画の話とかもしましたけども、
もっと根本的な話として、近年は少子化や共学化の流れにより急減してますけど、
90年代までは女子校って、もっと身近で一般的な存在だったんですよ。
なので、お嬢様学校に抱く理想化されたイメージとか、女の園における理想と現実ネタとかは、
別にオタク的な想像上の世界観ではなく、見え難いものの普通に存在してた世界なんです。
ですから、その世代の、アニメなどしか見ない層にとっては、
確かに、途轍もないインパクトを残した作品であるのは間違いないのですが、
ことオタク文化史の文脈で論じられると、やはり同程度には語れませんよ・・・・

う〜ん、何と言えば伝わりますかねえ?
例えば現在だと、女子生徒の体操着ってハーフパンツが一般的ですけど、
90年代後半から00年代前半くらいまでは、ハーフパンツじゃなくてブルマーだった訳です。
その為、ハーフパンツが当たり前の世代には、ブルマーの再発見が衝撃であったとしても、
当時を知ってる世代からすると、そこまでの衝撃度はない・・・みたいな感じで伝わるでしょうか。
まあ、これらは良い悪いの話ではなく、時代性といのは常に付きまとうモノなんですよ。
それこそ前回、ウゴウゴルーガの話とか少ししましたけど、
当時のサブカル界に与えた衝撃は大きかったですし、渋谷系を知らない層には尚更でした。
でも、それをサブカル史という文脈から見た場合には、やはり捉え方が違って来るんですよね。
あそこから刺激を受けたクリエーターは数多く居たとしても、それは時代的・世代的なモノであって、
そこを知らないからダメだとか、そういう話では無いと言いますか・・・・って、難しいなぁ(笑)。
それこそ、個人的な観測ではなく、もっと大きくて客観的な「流れ」の話なんですよね。


> > 宮台真司は何とくイメージがありますけど、大塚英志はちょっと解らないなぁ・・・・
> > 個人的な認識では、あくまでも「社会学者」として、現状のオタク文化を研究しているだけで、
> > ターゲットとする客層は、彼と同年代である50〜60代のオジサンがメインでしょうから、
> > > それを踏まえた上で、社会学者としての論説的に「違うなぁ」と感じているのか、
> > はたまた、単に若い世代のオタク層として「違うなぁ」と感じているとのでは、
> > 話が大きく変わってくると思うのですが、一体どちらなのでしょう?

> 後者の単に若い世代のオタク層として「違うなぁ」と感じている、
> というだけなのでまあ言われてみれば当然ですよね。

ちなみに、上述の宮台や大塚は60代の論客ですけども、
彼らより一回り若い、後述の東・北田・森川あたりは、どうですか?
まあ彼らも20年近く前戦にいるので、もう今年で50歳らしいですし、
逆に言うと、いま20〜30代の若手論客って、どんな人が居るんでしょう?

> > ちなみに、例えば、ここで挙げた両名に関して、
> > 「違うなぁ」と感じさせた書籍とかは、実際にどんなモノがあるのでしょうか?
> > 正直、私自身は両名に関して詳しく知らないので、具体的な著書名をいくつか挙げてもらえると、
> > それを読む事で、私の方からも、もっと詳しい返信が行えるかと思えます。

> いやいや、私自身もきっちり読んだわけではないので、そこまでされなくても結構ですよ。

でも、学者や論評家の意見に対して、漠然とした切り取りやイメージだけで、
安易にどうこうと、自分の意見は述べられませんからねえ。
戦前の天皇機関説事件しかり、昨今の愛知リコール不正事件しかり、
そういった安易な個々人の言動が、大きな社会不安をもたらす事だってありますから。
・・・って、まあ何だか、お堅い事を言ってますけども(笑)、
そういった拘りの強さこそが、学術的やオタク的な気質だろうと、私なんかは考えていますね。

とりあえず、これをキッカケに現在、宮台真司が監修した
「オタク的想像力のリミット」を読み始めましたけど、
https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
10人くらいのミニ論文集って感じで、なかなか良くまとまってる本ですよ。
宮台というとオタク評論よりも、援交・ブルセラ評論の人だったな、というのを思い出しましたし(笑)、
大塚本人による寄稿は無いものの、大塚が提唱した「物語消費論」に関しては触れられてましたね。
扱ってる時代の対象としては、今から10年くらい前までなので、
いま読むと少し古い感じもしますけど、それでも読んでて損は無い感じかな?
東浩紀の「動物化するポストモダン」とか、北田暁大の「嗤う日本のナショナリズム」とか、
森川嘉一郎の「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」など、オタク文化論では有名な著作の抜粋もあり、
各論文が30ページ前後なので個々に深堀りされてませんけど、「オタク論の総集編」って感じで、
その辺の全体像を手っ取り早く掴みたい人には、まあまあオススメな1冊かと。

> > 秋葉原で通り魔事件が発生したのが2008年。
> > 麻生政権による児童ポルノ法の改正案が同じく2008年で、
> > 石原都政による青少年健全育成条例の改正が2010年でしたか。
> > あの事件1つが、大きく時代を動かしたという事はありませんけど、
> > 時代変化のスピードを加速させたという意味では、影響が無かった訳ではありません。
> > では何が変わったかというと、一言で言えば、アニメや漫画の「健全化」ですね。
> > 考えてみると、アニオタとネトウヨの親和性が高まったのも、丁度この頃かも知れません。
> > それまでは「サブカル」と言うくらいなので、反体制と言うか、非権力な文化背景があり、
> > クリエーター層まで行くと、明確に左寄りな人が多かった印象があるのですが、
> > この健全化の中、表現規制に反対する声と、「石原閣下!麻生閣下!」という声に2分され、
> > (規制反対派は必ずしも、パンツ・アニメに肯定的だった訳ではありませんでした)
> > そして、健全化と経済化、右傾化や政治家の波に飲み込まれていった感じでしょうか・・・・
> > もちろん、全てが全てそうなったという意味ではなく、全体の傾向としての話ではありますが。

> なるほど、そういう時代があったんですね。
> 私はそういう時代を全く知らず、むしろコミケなんか行けば
> パンチラなんか比べ物にならないほどのエロ・グロ本が売ってるのを見ているので、
> 表現規制なんかは規制側に多少同情的だったりしたのですが、時代が違えばこうも違うんですね。
> なんとなく90年代後半のアニメはパンチラが多いみたいな話は聞いていましたが、
> アニメにエロシーンが昔はそんなにあったんですね。

だってコミケは、敢えてそこに行った人たちだけが居る閉じられた世界ですけど、
地上波で放送されるアニメは、子供たちであれ誰であれ、チャンネルを回せば見られる訳ですし、
歩行者天国の過激コスプレなんて、半ばストリップ的な事を路上で行い、
そこにカメラ小僧たちが寝がりながら、ローアングルで狙い群がっていた訳で、
電気店の目の前、しかも裏手には小学校がある立地を考えると、地元住民的にはねえ・・・・
コミケ内での表現と同じレベルでは語れませんよ、実際の所は。

ちなみに、当時はエロゲ原作のアニメ化という流れの中から、
実妹とのガチ恋愛や近親相姦モノが、1つのアニメ・ジャンルとして存在しましたが、
この時の規制ターゲットとして名指しされた為、今では壊滅状態にあるのかな?
まあ恐らく、エロゲーやAVの世界では生き残ってるのでしょうし、
作品単体としてなら、幾つか生き残っているのかも知れませんけどね。
一応言っておくと、「魔法科高校の劣等生」や「エロマンガ先生」に見られるような、
過度のシスコンとか、義理の妹など、そういったレベルの話ではありませんでした。

> > ちなみに、百合や萌えというのも、直接的なエロ表現が制限された為に、
> > 発展した1つの表現手段かも知れません(日本のAVや風俗が独自進化したのと同じ要領で・笑)。

> あと、「百合や萌えというのも、直接的なエロ表現が制限された為に、発展した1つの表現手段かも知れません」
> ということですが、これは違うと思いますよ。

あ〜、最後の「AVや風俗」と追加した部分が、誤解を与えちゃった感じですかね?
「直接的なエロ表現」というのも、私としては、別にエロゲーの話をしたのではなく、
その前からの流れで、パンツ・アニメとか、おっぱいアニメとかの意味で用いてました。
(おっぱいアニメというのも、乳袋が揺れるとかではなく、直接そのままの表現で)

で、草食的な流れとでも言いますか、従来のハーレム・アニメに対して、
竿役の男主人公キャラさえ邪魔だとか、彼女レースの勝敗結末は不要だとかいう要望があり、
そうした中から、女の子だらけの世界観を傍観するタイプの作品が生まれ、
それでもリビドーは湧くので、パンツも おっぱいも封じられた環境下で、
採り入れられ、発展した表現方法こそが「百合」ではないのか?って主旨でした。
「かんなぎ中古事件」を経て、女同士なら男キャラに邪魔されず安心となり、
(人気アニメの原作マンガに元カレ的キャラが登場し、非処女だなんだと大荒れした事件)
ガチ百合がキツい層には、友達以上恋人未満の友情的なベタ付きでハァハァできると(笑)。
「ストーリー性よりもキャラ萌え重視」という傾向も、強くはなりましたよね。

> 08年時点では既にエロゲの衰退は顕著でしたし、エロゲもエロよりも売りはシナリオでしたから
> (だからこそラノベの台頭でエロゲが衰退してしまうわけで)。

もちろん、エロゲー・ブーム当時の売りは、エロよりシナリオだったのは知ってますよ(笑)。
それこそ日活ロマン・ポルノが、多くの若手監督を世に生み出した構図と同じく、
低予算ながら、とにかくエロ要素さえ入れておけば、エロゲーも自由に作品が作れましたし、
そうなると次第に、そちら側にもファンが付いてきて、1つのムーブメントを起こすに至ると。
また、今では名高い京都アニメーションにしたって、
エロゲ原作のアニメ化で、評価を上げていった歴史がありますからね。

ただ、エロゲーの衰退原因をラノベの台頭に求めるのは、ちょっと違うかな?といった印象。
まあ元々が一過性のブームであった事とか、泣きゲーと抜きゲーで2分した事もありますけど、
一番大きかったのは、表現手段の多様化にあったのでしょうね。
そういう意味では、確かにラノベも、その1つだったかも知れませんが、
それより何より大きかったのは、ネットの普及だと思いますよ。

> (と言いつつエロゲに関しても管理人さんの突っ込みが来ると怖いのですが、エロゲには詳しくないんですよね)
正直な話、私だって別に詳しくありませんよ(笑)。
私が遊んでいたゲームって、歴史シミュレーション系ばかりですし、
それ自体も、そんなに大した数にはなりません。
推測になりますけど、恐らく旧トルコ担当さんの方が、
アニメやゲームなどは実際に多く知っていると思いますからね。


> > ぶっちゃけた話、最近テレビとか視聴されてますか?
> > もちろん今の時代、SNSを始めとしたネットでの口コミが、
> > 大きな流行の波を生むのは、一面では事実ですけど、
> > 逆に言えば、そうした要素があるのは既に大前提な世界な訳で、
> > 今回の鬼滅ブームという社会現象は、そのレベルで収まる話じゃないんですよね。

> で、はじめは管理人さんはあまりオタク方面とかそっち系に詳しくないのかなーと思っていたので、
> いや鬼滅は小学生人気だけじゃないですよ、ということでいろんな例を出したんですけど、
> この辺は私なんかよりもよっぽど詳しくて正直管理人さんの疑問にはあった答えられません。

なるほど、そういう事でしたか。


[23511] * No Subject *返信 削除
2021/3/3 (水) 09:13:34 伊豆大島のキョン

▼ 徳翁導誉さん

> 私が子供の頃も、50年前とか100年前くらいの事であれば、
> それこそ歴史の教科書に載っていて、学校とかでも習うのですが、
> 自分が物心付く前の10年前とか20年前くらいの事って、
> 大人たちにとっては「ちょっと前の過去(記憶)」である為、却って解らない事が多く、
> たまに聞いても、感情的なバイアスが思いっ切り掛かってる印象が強かったんですよね。
> だからこそ逆の立場になった現在、出来るだけ客観的かつ正確に、当時の事を伝えたい気持ちはあります。
> 幸か不幸か、私は昭和をギリギリ覚えている世代なので、
> 平成からしか知らない弟とは、その短い間だけでもギャップがあったりしますし。
> (って、観察力や記憶力の違いで、同年代でも普通にギャップとかあったりはしますが・笑)
>
> 20年前の9・11テロや日韓W杯、10年前の東日本大震災なども、
> それを覚えている私からすれば、「あの時の!」という話になりますけれど、
> 物心付く前や生まれてなかった世代には、「どの時の?」って感じになりますからねえ。
> 実際、いま鬼滅の刃にハマっている子供たちは、あの大震災を知らない世代な訳ですし。
> ただ近年は、こうやって当時のニュース番組↓がそのままアップされてたりするので、
> 【3・11震災】 https://www.youtube.com/watch?v=iwOLsVmxdO8
> 【9・11テロ】 https://www.youtube.com/watch?v=5H-UEQe063w


この10年、20年というのが、世代間ギャップを生むんですかね。私が子供のころの70年くらい前の戦争
といえば、第一次世界大戦だったんですが、それが今や第二次世界大戦ですからね。単なる想像なんですが
鬼滅の刃の時代設定に関する「大正」というのも彼らにとって一番身近な「歴史の世界」というところがうけ
た要因の一つかもしれないです。なんとなく、それ以前の世代における「明治」の役割を今「大正」が担って
いるという感じがします。




[23518] この3月11日で、東日本大震災から丸10年返信 削除
2021/3/9 (火) 23:32:56 徳翁導誉

> > 私が子供の頃も、50年前とか100年前くらいの事であれば、
> > それこそ歴史の教科書に載っていて、学校とかでも習うのですが、
> > 自分が物心付く前の10年前とか20年前くらいの事って、
> > 大人たちにとっては「ちょっと前の過去(記憶)」である為、却って解らない事が多く、
> > たまに聞いても、感情的なバイアスが思いっ切り掛かってる印象が強かったんですよね。
> > だからこそ逆の立場になった現在、出来るだけ客観的かつ正確に、当時の事を伝えたい気持ちはあります。
> > 20年前の9・11テロや日韓W杯、10年前の東日本大震災なども、
> > それを覚えている私からすれば、「あの時の!」という話になりますけれど、
> > 物心付く前や生まれてなかった世代には、「どの時の?」って感じになりますからねえ。
> > 実際、いま鬼滅の刃にハマっている子供たちは、あの大震災を知らない世代な訳ですし。
> > ただ近年は、こうやって当時のニュース番組↓がそのままアップされてたりするので、
> > 【3・11震災】 https://www.youtube.com/watch?v=iwOLsVmxdO8
> > 【9・11テロ】 https://www.youtube.com/watch?v=5H-UEQe063w

> この10年、20年というのが、世代間ギャップを生むんですかね。
> 私が子供のころの70年くらい前の戦争といえば、第一次世界大戦だったんですが、
> それが今や第二次世界大戦ですからね。
> 単なる想像なんですが鬼滅の刃の時代設定に関する「大正」というのも
> 彼らにとって一番身近な「歴史の世界」というところがうけた要因の一つかもしれないです。
> なんとなく、それ以前の世代における「明治」の役割を今「大正」が担っているという感じがします。

そもそも鬼滅の刃に、そこまで「大正時代感」が描かれているか?と問われると、
個人的には正直微妙な感じもするのですが(次の「遊郭編」とか少し騒ぎにはなってますけど・笑)、
それはさておき、10年20年と時間の針が進んでいく事により、
「昔のイメージ」も共に10年20年とズレていくというのは、あながち的外れな見解では無いのかも?
偶然かも知れませんけど、鬼滅の刃が連載されていた週刊少年ジャンプで、
ちょうど25年前に人気だったのは「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」でしたしね(笑)。

まあ個人的には、「100年過ぎたら歴史」という感じですけど、
記憶の伝達という側面からすると、人間の年齢的に70年くらい前が対象になるのかな?
例えば、子供たちから見た「おじいちゃん・おばあちゃんの時代」も、
当然ながら、時が進めば進むほど、ドンドン移り変わっていく訳で、
私世代だと「祖父母=戦争の時代」ですけど、今だと「祖父母=高度経済成長の時代」ですし、
10年後には「祖父母=バブルの時代」、20年後には「祖父母=ミレニアムの時代」になると。
子供たちの感想も「昔は大変だったね」から、「昔は良かったね」に変わっていくのかな?(笑)

でも本当、この3月11日で、東日本大震災から丸10年なんですよね。
今の小学生には10年前の東日本大震災が、今の大学生には20年前のアメリカ同時多発テロが、
私にとっての戦争や高度経済成長と同じく、自らが体験してない「歴史上の1ページ」であり、
今の幼稚園児も、1年前のコロナ禍以前の日常すら、きっと歴史上の風景になるのでしょうね。

P.S.
10年前、震災直後の掲示板投稿をちょっと貼っておきます↓
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r14346
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r14403

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