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[21383] Re:歴史の数理モデル化・中国の軍師・その他の歴史話など返信 削除
2017/10/25 (水) 22:06:28 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
> 要するに、「個人的な好み」で選んだのが、第一印象によるランキング版で、
> 「一般的な評価」で選んだのが、採点方式でのランキング版ですね。

個人的視点からでですが、採点方式でのランキングと聞いたところでなぜかあまり興味が湧かない、というか存在意義に疑問符が。
しっかり知りたいなら「一般的な評価」よりもそれぞれの人の「個人的な好み」で評価をいろいろ聞いてみたいものです。
でも、知っている人の場合は数字評価したところでそういうことじゃないんだよなぁ感がありますが、
知らない人を知り始めるきっかけには役に立つような気もしてきました。
点数で付けるのも、例えるなら辞書の索引みたいに入口には必要なものなのかなぁ。

> 個人的な「好き嫌い」と、全体的な「良い悪い」は、全く異なる価値基準ですからねえ。
  〜
> でもまあ、この辺の話まで始めてしまうと、なかなか纏まらないのも事実でしょうね。
存在するものとしてはそうなのでしょうけど、全体的な良い悪いというのは個人が正しく認識できるものにも思えないというのはあります。
なので全体的な評価を評するというのは厳密な意味では無理でしょうね。
ただその方向性の概要を掴もうとするというのは必要ですし、分けて考えることも必要ですから、そういう意味でなんとなく伝わりますが、
全体的なことを評するのはちょっと苦手というかそんなことしていいのかなと引け目を感じるところもあります。
自分が一般的とされる評価より個人個人の好みの方に興味があるのはそういうのもあるのかな?

> > それで思ったのですが、名将と呼ばれる基準とはどのようなものがあるのでしょうね。
> それを一般化しようとしたのが、前の採点で設けた5項目ですね。

ちょっと考えた結果、自分で身もふたもないことを言いますが、名将に普遍的な条件はないと思い至りました。
名将と認識される間では名将ということになる、と。どこか胡散臭い表現ですが。
それとは別として、知る手段として採点評価はあってもいいと思います。

> そういう意味では、これだけコンピューターが発達した現代であれば、
> 天賦の才とされてきた軍事的才覚も、今後は訓練で格段に伸ばす事が可能かも知れません。
> ただ、そうは言っても、それを活かす場というのが、現代の戦場では少なそうですし、
> それこそAIがここまで進歩してくると、そちら頼りになるような気がしますね(笑)。

確かに人間は能力を伸ばすことができますし、ただそれでもAI自体の方が賢いとなればそうなりそうです。
話が脇道に行きますが、分野限らずAIに判断を任せてしまうか、人間を補助する材料として使うかは、悩ましい課題だと思います。
ただ自分は人間の補助止まりであってほしいですね。
判断がどのくらい正しいかどうか自体より、その誤差が気持ちとして納得できるか、ということで考えて、
AIが誤判定した場合(もし人間より判断が正しかった可能性が高いとしても)、納得はできなさそうです。
ある意味AIを人間より下に見ているということかもしれませんが。
でもこの先、AIと人間が対等な権利を有するべきとかいったことになっていくのかなというのはよぎります。
それは別として、軍事ではAIに積極的に判断が任せられそうとは思います。

> 三国志をはじめ、戦乱の時代を統一する王朝の「建国ゲーム」は多く有りますが、
> 泰平の時代を続けるべく国家を運営する王朝の「存続ゲーム」であったり、
> 王朝が興亡を繰り返す歴史全体の流れを楽しむ「通史ゲーム」は、なかなか有りません。

言われてみればそのようです。
それぞれ違った特徴がありますし、それぞれあればよりよいですね。
しかし、通史となると「それっぽい」を作るのは建国ものよりかなり骨が折れそうです。
興味自体はあるのですが、自分は作るとなるとそこまでの熱意は今ありませんね。
作れるとしても優先順位的にも後になりそうですし、他力本願という感じです。

> (ちなみに、飛蝗発生と農民移住の数理モデル化は、随分と昔に試作してみた事があります)
アイディア自体あって理屈はなんとなく理解できていても、大変でも具現化するというのは得られるものがありますから、
自分はなかなか腰が重いのですが、そうやって行動してみるというのは見習いたいです。
どういう理屈で詰めていったのか、興味深いです。

> こうした歴史の観察方法は、歴史好きな理系ならではの方法のような気がします!!(笑)
そうかもしれませんね、できることならならではのことをやっていきたいとは思います。

> う〜ん、奇策・・・なんですかねえ?
> 確かに場合によっては、奇策と映る事や、悪手を誘うように見える事もあるでしょうけど、
> しかし実際は、誰よりもシンプルに原理原則に従ったるだけのようにも感じられます。

うーむ、それだけ私の考えの想定が狭いという裏返しかもしれませんね。
凡人には天才を評することさえまともにできないものなのかもしれません。

> ただ、ぶっちゃけた話をすると、1番大きいのは司馬遷の存在でしょうけどね(笑)。
> 記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
> どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。

なるほど、言われてみればそうですね。
司馬遷自身ももともと尊敬の対象となる人物ですが、そう考えると改めて司馬遷様様です。

> いや〜、私も韓信贔屓ではあるものの、やはりカンナエの戦いだけは別格ですからねえ。
> 未だに軍事の教科書では、「包囲殲滅戦の手本」として扱われる程の完璧な戦術ですし、
> 戦争の時代を生きた近現代の軍人達も、このカンナエの再現を望んで止みませんでしたが、
> それでも、ハンニバルほどの完成度を見せた用兵は、遂に1度も現れませんでした。

そうなんですね。
私もそれが凄いことだと思いますが、何と言いますか、理想像まであと一つでした。
調べてみた感じでみると、臨機応変の妙はあると思いますが、あと一つ知恵が見たかったのです。
そういう意味では、韓信の方は「あとこうだったらもっと」というのが浮かばないので、ケチをつけようにもつけることもできない、ということでした。
まあ書いていてカンナエの戦いについてもこう評論することすら僭越な感じもしてはきますが。
再現というのに関しては、近現代は組織の構成自体違うと思うので、そういう意味でもまずまともには無理だろうとは思います。

> 図解雑学シリーズ『名将に学ぶ 世界の戦術(ナツメ社)』
> https://www.amazon.co.jp/dp/4816348220/

欲しい本がどんどん増えていきますw

> もちろん、見ていて解りやすく、そして華々しいのは戦術面なのですが、
> 「戦術的勝利をいくら重ねても、戦略的不利を覆すのは困難」と、
> よく言われているように、やはり最後にモノを言うのは戦略面ですからねえ。
> どれだけドイツの技術力が高くても、アメリカの物量には敵わないのと同じです(笑)。

それが同じなのかは分かりませんでしたが説明としてはとても分かりやすかったです。

> > 野球だからということではなくてスポーツ全般詳しくないのでピンとこなかったと思います。
> あ〜、やはり今現在だと、そんな感じになっちゃいますか?
> まあ、ここ10年ほどの間に、日本だけでなく世界全体で、
> 競技面でも、観戦面でも、急速なスポーツ離れが進行中ですからねえ・・・・

全体的なものまでは私は分かりませんが、個人的にということではスポーツには疎いです。

> > 自分は自分で、一般的に数学と言われてイメージされそうな生の数字を使う分野とは違うので
> > (用語的に何というのか分かりませんが)、思ったより分野的に近いかもしれません。

> う〜ん、この「生の数字」の意味をどちらで取るかで、大きく変わってきますけど、
> 普遍的な心理を求めて、抽象的な概念を扱ってる分野でしたら「純粋数学」でしょうし、
> 机上ではなく現実の数値を集めて、具現化させる分野でしたら「数理統計学」でしょうから。

主に興味を持っている分野は「普遍的な心理を求めて、抽象的な概念を扱ってる分野」になると思います。
というか、この説明は理系に対して話すにはそもそも蛇足だったかも。
リアルで数学が好きと言うと、大体は「たくさん計算問題解いてるの?」みたいな返答が返ってくるもので。
式を解く方ではなくて構成を考える方ということをすんなり理解されることは稀でして。
でも理系同士ということならそういうことは考慮するのは却って余計だったかもしれません。

> まあ個人的には、「数字は文字であり、数学は言語である」って感覚ですね。
自分視点で考えると、数学に分類されるプログラミングが数学を感じず英文を打っているようにしか思えないのは、
数学は言語というのと似ているのかもしれません。

> こう書いた方が、却って解りやすいですかねえ?(笑)
> 「理系⊃理学≒理数系=数学+理科」

ありがとうございます!自分でもビックリするくらい解りやすい!
知識では便利だと知っていても、理解しにくかったことが一発で理解できるという実体験があると、やっぱり有難みが分かります。

> 司馬懿が軍事面でも有能であった事は、私も決して否定するモノではないのですが、
> しかし一方で、戦乱の時代であった三国志の時代には、
> 司馬懿以上の才能を見せた軍人が、他にも数多くいると思うんです。

そう言われればそうですね。
一人押すなら司馬懿で、軍事的才能もあるけれど、軍事的視点でいうなら上は居て、司馬懿を押す理由はそれ以外の方が大きい、
というまとめ方になるでしょうか。

> ちなみに、中国史の通史ですと、つい最近、
> 2年前に再販された『中国史 上・下巻(岩波文庫)』を読んでみたのですが、
> さすがは宮崎市定の著作だけあって、なかなか良かったですねえ。
> まあ全2巻なので超ダイジェスト版であり、話の展開としては凄く速くて、
> その点では物足りない部分があるものの、歴史の考察部分はやはり見事でした。

そういうのが欲しい!
欲しい本の数が…多くて嬉しいけど泣ける…。

> 欧州史全体をカバーする通史モノというのは、なかなか無いのが実状ですけど、
> 神聖ローマ帝国の皇帝であった「ハプスブルク家」の歴史を追って行けば、
> 中世から現代までの欧州史の基本的な流れは、結構見えてくるように思います。

アドバイスありがとうございます!
まだ腰が重いですが、機会があったら念頭に入れておこうと思います。

(明王朝、軍師
返信できる知識などの余地がないので返信はありませんが読みました。

(名宰相
> 期待値の段階なら高止まりする評価も、
そういう意味では三国志なら周瑜がそれっぽいですね。言われてみればそれもあると思います。

> まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
> 明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、

こうして読んで、自分の理想像と非常に似通っていることに驚きました。
どこでどういう発見があるか分からないものです。

(佐々木道誉について
こうして読んでみると、凄まじいインパクトがあります。ハチャメチャ具合が脳に刻みこまれました。

(「江戸幕府の三大改革」
> 改革であれば、中身や結果がどうであろうと、とにかく変えれば良いのですから(笑)。
そういう考え方もできるのでしたか。
ところで自分は詳しい知識がないままなんとなく思っているだけの状態で書いてしまいました。
時間をみて調べてみようと思います、…と言っても腰が上がらないことも正直多いのですが。

(心や魂
> で、「特別」なら文字通りに特別なので、それ以上は深く考える必要なんて無いんですよ。
> 何と言ったって、それは「特別」なのですから(笑)。
> 「なぜ特別なのか?」「本当に特別なのか?」と考えるのは、変わり者のやる事です。

そうなのですか、では自分は変わり者ですね。
うーん、でも印象では理系の人には特別視しない人が多いような気がしているのですけどね。

> それを絶対視する科学万能主義も、単なる信仰に近く、同じく科学というモノを理解してないんです。
自分もそれを常々思っています。
知ることができる、学問としてのものは人間の思考の及ぶ範囲で解釈しているものですからね。

正直、楽しいのですが文章長い…。


[21385] 世界の皇帝の系譜&中国の僭称皇帝たち返信 削除
2017/10/27 (金) 19:32:14 徳翁導誉

> > 要するに、「個人的な好み」で選んだのが、第一印象によるランキング版で、
> > 「一般的な評価」で選んだのが、採点方式でのランキング版ですね。

> 個人的視点からでですが、採点方式でのランキングと聞いたところで
> なぜかあまり興味が湧かない、というか存在意義に疑問符が。
> しっかり知りたいなら「一般的な評価」よりも
> それぞれの人の「個人的な好み」で評価をいろいろ聞いてみたいものです。
> でも、知っている人の場合は数字評価したところでそういうことじゃないんだよなぁ感がありますが、
> 知らない人を知り始めるきっかけには役に立つような気もしてきました。

う〜ん、それは恐らく掲示板に並べる上で、総合点のみ記載したのが影響してるかも?
大本の採点表には、各項目の点数と、その採点理由がありますし、
もしも正式に企画化された際には、生没年・所属国・肖像がなどの基本情報や、
数行程度の寸評も付ける予定ではありましたからねえ。
そして出来れば、他の方にも採点に参加してもらい、得点を調整する考えでした。
・・・と言いますか、単にランキングの一覧表を見せられても、
そこから話題を広げるのは、マニア同士でもないと厳しいのは一応理解しています(笑)。

> > 個人的な「好き嫌い」と、全体的な「良い悪い」は、全く異なる価値基準ですからねえ。
> > でもまあ、この辺の話まで始めてしまうと、なかなか纏まらないのも事実でしょうね。

> 存在するものとしてはそうなのでしょうけど、全体的な良い悪いというのは
> 個人が正しく認識できるものにも思えないというのはあります。
> なので全体的な評価を評するというのは厳密な意味では無理でしょうね。

確かに、おっしゃる事は私にも解ります。
好き嫌いは主観的な基準ですが、良い悪いは客観的な基準となる為、
「主観」と「客観」では、前者の方が、評者としてもダイレクトに理解できますので。
しかし一方で、「評価」という作業を行うとなると、
それは他者にも理解できるよう具現化する客観的な表現が必要となってきます。

つまり、評価するという、その段階まで含めて考えた場合、
「主観を客観的に表現」するのと、「客観を客観的に表現」するのとでは、
今度は後者の方が、より容易になってくると思うんですよねえ。
だからこそ、これだけ世間には採点方式や番付方式が溢れている訳ですし(実に江戸時代から)、
逆に言うと、主観を客観的に表現して伝えるのって、結構な高等技術であったりします。
そして、「主観を主観的に表現」された評価は・・・相手には伝わりにくい弱さがあります。
極端な例かも知れませんが、このサイトで行っている「批評ページ」でも時々、
「好きだから100点、嫌いだから0点」みたいな事を、平気で行う人が居たりしますが、
こうした評価内容は、他者からすると、ほとんど参考にはなりませんし、
それ所か、全体の平均点を考えると、この1人の影響で点数が乱高下しちゃうんですよね・・・・

> > > それで思ったのですが、名将と呼ばれる基準とはどのようなものがあるのでしょうね。
> > それを一般化しようとしたのが、前の採点で設けた5項目ですね。

> ちょっと考えた結果、自分で身もふたもないことを言いますが、
> 名将に普遍的な条件はないと思い至りました。
> 名将と認識される間では名将ということになる、と。どこか胡散臭い表現ですが。
> それとは別として、知る手段として採点評価はあってもいいと思います。

まあ、何らかの明確な定義でも与えられていない限り、
ほぼ全ての単語は、そんなモノだと思いますよ。
それは別に名将に限らず、例えば美人だとか、長身だとか、優しいとか、
「その人がそう認識するから、そうなんだ」と、結局は言えませんので。
そして反対に、明確に定義されているモノは、
「そう定義されているから、そうなんだ」という格好になります。
例えば「0の0乗」問題にしても、1だと定義すれば1になるくらいの話で。

ただ、そうは言っても、言葉というのは道具であり、
単語の意味の認識にしても、やはり最大公約数が求められるモノだと思います。
再び野球を例えに出して恐縮ですけど、これが「最多勝」や「最優秀防御率」であれば、
その1年間で最も勝利数を重ねた投手や、1試合辺りの失点数が少ない投手ですので、
これらは明確に定義されていおり、表彰基準が非常に単純明快です。
その一方で、その年のNo.1投手に送られる「沢村賞」は、表彰基準が途端に難しくなります。
No.1投手だとか、名投手なんてモノは、明確に定義されるモノではありませんからねえ。

その為、沢村賞は有識者による合議制で決定するのですが、以前までは、
巨人の選手だとか、実績があるとか、人間関係だとかが、選考に影響を与えていたりしました。
まあ昭和頃までなら、それでも大して問題にならなかったのですが、
さすがに近年はそうも行かず、選考方法は従来と変わらないものの、
あくまで参考基準ながら、目安となる7項目が設定されるようになりました。
最後は有識者の判断ですが、やはり目に見える形で客観性が保たれるのは、公平な形かと?
ここで選考委員の個人的な好き嫌いが、匙加減程度に影響するならまだしも、
「成績なら江川だけど、人間性で西本」みたいな選考をされては困るので・・・・
つまりは、5項目の採点による名将ランキングも、そんな感じだと思って下さい(笑)。


> > そういう意味では、これだけコンピューターが発達した現代であれば、
> > 天賦の才とされてきた軍事的才覚も、今後は訓練で格段に伸ばす事が可能かも知れません。
> > ただ、そうは言っても、それを活かす場というのが、現代の戦場では少なそうですし、
> > それこそAIがここまで進歩してくると、そちら頼りになるような気がしますね(笑)。

> 確かに人間は能力を伸ばすことができますし、
> ただそれでもAI自体の方が賢いとなればそうなりそうです。
> 話が脇道に行きますが、分野限らずAIに判断を任せてしまうか、
> 人間を補助する材料として使うかは、悩ましい課題だと思います。

まあAIに関する話は、囲碁や将棋の件も絡めて、
1年くらい前の雑談で、結構語り合った話題ですから、
もし興味がありましたら、そちらのスレッドを読んでみて下さい↓
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r20313
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r20677

> ただ自分は人間の補助止まりであってほしいですね。
> 判断がどのくらい正しいかどうか自体より、
> その誤差が気持ちとして納得できるか、ということで考えて、
> AIが誤判定した場合(もし人間より判断が正しかった可能性が高いとしても)、
> 納得はできなさそうです。
> ある意味AIを人間より下に見ているということかもしれませんが。
> でもこの先、AIと人間が対等な権利を有するべきとかいったことに
> なっていくのかなというのはよぎります。

しかし現実には、対等どころか、人間がAIに従属する形になりそうですけどね・・・・
要するに、判断はAIが下して、人間はその責任を取るだけの役回りになると。
例えば車の自動運転などは、そんな感じに落ち着いていくような気がします。
実際、飛行機の操縦なんて、もう既にそんな感じになっていますので。

> それは別として、軍事ではAIに積極的に判断が任せられそうとは思います。
軍事と比べるには、ルールがシンプルすぎるかも知れませんけど、
現在、囲碁や将棋の生中継は、観戦する視聴者側はAIの示す最善手を知っており、
実際に対局しているプロ棋士たちは、必死に悩み考えながら手を探し、
AIと一致すれば拍手が起こり、外れると悪手とみなされる状況になってますね・・・・
まあAI自体は、物流など各産業界でも効率化の為に、既に使われ出していますから、
軍事における配備計画や兵站管理などは、もうAIが一部を担っている可能性はあるかも?
国防総省の研究機関であるDARPAは、いろいろと技術開発を行っているみたいですし。

> > (ちなみに、飛蝗発生と農民移住の数理モデル化は、随分と昔に試作してみた事があります)
> アイディア自体あって理屈はなんとなく理解できていても、
> 大変でも具現化するというのは得られるものがありますから、
> 自分はなかなか腰が重いのですが、そうやって行動してみるというのは見習いたいです。
> どういう理屈で詰めていったのか、興味深いです。

いや別に、そこまで難しい事はやってませんよ(笑)。
数理モデルとか言っても、要は簡単なコンピューター・シミュレーションです。
言ってしまえば、ライフゲームの延長線上みたいな感じですね。

例えば、「20×20」のマスをまずは用意して、
その各マスには草とバッタの個数をランダムに振り分けます。
で、各ターンごとに、草の増殖と、草の個数に応じたバッタの増殖やマス移動の処理を行い、
あるマスでバッタが飢餓状態(過密化)に陥れば、そのマスのバッタを飛蝗化させます。
そしてターン更新の際に、通常だと隣のマスにしか移動できなかったバッタは、
飛蝗化する事によって、遠く離れたマスにも移動できるようにし、増殖率も高めると、
蝗害の現象を数理モデルとして再現する事が可能です。

あと、ここに農民の個数も各マスに加えると、
草地を潰して農地が増えるほど、人口の方も増えていき、
蝗害が発生して農地が潰されると、開墾地を求めて隣のマスへと移動していくと。
まあ今では、ゲーム用に100×100の中国HEXマップとかもありますし、
このモデルへ更に、中国の地形や気候といった要素も加えれば、よりリアルになりそうかも?
実際、大雨や干魃は蝗害を発生させるトリガーになっていますし、
こうした天災の存在は、中国農民の人口や移住にも大きな影響を与えましたからねえ。


> > う〜ん、奇策・・・なんですかねえ?
> > 確かに場合によっては、奇策と映る事や、悪手を誘うように見える事もあるでしょうけど、
> > しかし実際は、誰よりもシンプルに原理原則に従ったるだけのようにも感じられます。

> うーむ、それだけ私の考えの想定が狭いという裏返しかもしれませんね。
> 凡人には天才を評することさえまともにできないものなのかもしれません。

いや〜、天才とか凡人みたいな、そんな難しい話では無い気もしますがねえ。
でも、物理学というのが、原理原則をシンプルに追い求める学問なので、
余計な情報は出来るだけ排除するモノの見方を、自然としている可能性はあるかも?

逆に、これがテストで高得点を取る為の受験勉強として物理を学ぶと、
原理原則から導き出された公式の方を、とにかく当て填めたがるようになる為、
それが成り立つ前提条件が崩れていても、平気で公式を適用して失敗するのだと思います。
単に公式の使い方だけでなく、その公式がどう作られたかまで理解すれば、
そうした失敗は起きないんでしょうけどね・・・・
これは何も物理に限った話ではなく、例えば政治や経済など他の分野であっても、
常識だから、セオリーだからと、深く考えずに実行に移したり、
留学や大学で学んだ知識を、現実に則さず実行すると、やはり失敗しがちです。
「すぐに役立つ知識は、すぐ役に立たなくなる」とも言われますし、
短期的ではなく、長期的に行くのであれば、やはり根本部分こそ大事になって来るかと?
な〜んて考えるのは、そこを重視する物理屋の悪い癖なのかも知れませんけどね(笑)。

> > ただ、ぶっちゃけた話をすると、1番大きいのは司馬遷の存在でしょうけどね(笑)。
> > 記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
> > どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。

> なるほど、言われてみればそうですね。
> 司馬遷自身ももともと尊敬の対象となる人物ですが、そう考えると改めて司馬遷様様です。

そして日本史には、司馬遷が居なかったと・・・・
下手をすると、日本でそれに相当するのは、司馬遼太郎ですからねえ。
まあ、司馬遼太郎のペンネーム自体が、
「司馬遷には遼(はるか)に及ばぬ1人の日本人(太郎)」という意味らしいですけど。

ただ明治以前となると、頼山陽・新井白石・本居宣長など、江戸中興期に若干名しかおらず、
どうしても明治以降の学者の比重が高まる以上、そんな彼らの研究を下敷きにして、
庶民でも手軽に楽しく歴史に触れられる作品を量産した 戦後の歴史小説家たちの存在は、
まさに現代におけるミニ司馬遷の集合体だったのかも知れませんね?
坂本龍馬であれ、宮本武蔵であれ、そうした人気小説が無ければ、
ここまで世間に知られる存在では無かったでしょうし。

> というか、この説明は理系に対して話すにはそもそも蛇足だったかも。
> リアルで数学が好きと言うと、大体は
> 「たくさん計算問題解いてるの?」みたいな返答が返ってくるもので。
> 式を解く方ではなくて構成を考える方ということをすんなり理解されることは稀でして。
> でも理系同士ということならそういうことは考慮するのは却って余計だったかもしれません。

まあ結局の所、現行の教育システムですと、各教科の本質それ自体よりも、
「いかにペーパー・テストで高得点を取るか?」に重点が寄り過ぎているので、
各教科のイメージとなると、どうしてもテスト問題のイメージになりがちなんですよね・・・・

そもそも、100年以上昔に出来上がった教育フォーマットを、
ほとんど変える事なく現在も使っている事が、全ての元凶と言えるのかも知れません。
例えば英語とかも、確かに明治時代の当時であれば、洋書を翻訳・読解する為にも、
英文法を重視するやり方は妥当でしたでしょうけど、今はそんな時代じゃないですからねえ。
数学にしても、究極的には「論理的な思考法」を学ぶ目的の教科である所が、
こちらは明治どころか江戸時代の読み・書き・算盤を引きずっているのか、
とにかく計算問題重視になっちゃってますからねえ(算数の段階ならそれで良いとは思いますが)。

> > まあ個人的には、「数字は文字であり、数学は言語である」って感覚ですね。
> 自分視点で考えると、数学に分類されるプログラミングが
> 数学を感じず英文を打っているようにしか思えないのは、
> 数学は言語というのと似ているのかもしれません。

プログラム言語というのは、一般言語と数学の間にある存在なのかも知れませんね。
ただ私自身の感覚だと、かなり数学側に寄ってると感じてはいますが(笑)。
ところでプログラミングと言えば、2020年から小学校で必修化される予定らしいですけど、
一体どんな感じの授業にする構想なんですかねえ?

中学生ならまだしも、算数段階の小学生でプログラミングを教えるとなると、
従来通りの勉強法では合わないでしょうし、もっと感覚的に扱う為には、
例えばPlayStationの「カルネージ・ハート」みたいな学習ソフトが必要な気がします。
・・・って、スポーツと同様に、ゲームやマンガ、アニメの話題というのも、
10年くらいまでは当たり前に通じる部分がありましたが、今だとやはり厳しいかな?
ちなみに、カルネージ・ハートはこんな感じ↓のゲームです。
http://feigling.tank.jp/b/2010/12/65.html

でもまあ、小学生対象でしたら、何もコンピューター使用に拘らず、
中学生プロ棋士の藤井四段が愛用していた一躍有名となった知育玩具。
積み木の「cuboro」みたいなアナログの方法でも構わないかも?
http://sakidori-ch.com/cuboro
学校の授業で、NHK教育の「ピタゴラスイッチ」が出来たら楽しいでしょうし(笑)。

> > こう書いた方が、却って解りやすいですかねえ?(笑)
> > 「理系⊃理学≒理数系=数学+理科」

> ありがとうございます!自分でもビックリするくらい解りやすい!
> 知識では便利だと知っていても、理解しにくかったことが
> 一発で理解できるという実体験があると、やっぱり有難みが分かります。

「掲載される数式の数が増えるほど、その本の売り上げは落ちる」
なんて言われているくらい、世間一般では数式って嫌われ者な存在ですけど(笑)、
しかし解るようになってしまえば、これほど便利な道具も無いんですよね。
まあ今回は日本語の単語でしたけど、通常であれば数字や記号なので、
それこそ異なる言語の人同士でも、数式であれば共通理解が可能ですから。


> > 中国の通史を、始皇帝から溥儀まで、連綿と続いた皇帝たちの歴史として見た場合、
> > ローマ帝国からフランク王、そしてハプスブルク帝国へと繋がる帝位を軸にすれば、
> > そこから見えてくる歴史は、西欧の通史と言っても過言では無いかも知れません。
> > ちなみに、ローマ帝国からビザンツ帝国、そしてロシア&オスマン両帝国へと繋がる、
> > もう一方の帝位の方も追っていけば、東欧の歴史もカバーできますしね。

こんな話をしていたら、何だか皇帝の系譜を纏めてみたくななっちゃいました(笑)。
という事で、大雑把に書くと、こんな感じでしょうか?

▼ 世界・皇帝の系譜 ▼
                  日本────────────────┬(北朝)┬──────(大日本帝国)┬─日本──
                                                │      │                大韓帝国┘
                                                └(南朝)┴─後南朝(1473)
                                                                  ベトナム帝国 (1945)
                     柔然─突厥─回鶻─┐    モンゴル帝国(元)┬北元┐
                                     遼(契丹)──┐    │    │    │        満洲帝国 (1934-45)
                                                 金──┤    │    ├清(後金)──── (1912)
           ┌魏┐  ┌五胡─北朝┐        ┌五代┐      │    │    │    │
   秦─漢─┼蜀┼晋┤          ├隋─唐─┤    ├北宋┬┘    │    ├明─┘
           └呉┘  └東晋─南朝┘        └十国┘    └南宋─┘    │
                                                       ├ムガル帝国─[英領]インド帝国 (1947)
                               イスラム帝国────────┐    │
. 古代ペルシャ帝国・諸王朝──────┘                       └┐  ├ペルシャ帝国・諸王朝───── (1979)
                                          ┌ラテン帝国..┐.   │  │
                                          │          │... .│  └ロシア帝国────── (1917)
.                ┌東ローマ帝国┬┬──────┼─────┴─────┤
.                │           ││            │            └──オスマン帝国───── (1922)
.   ローマ帝国──┤           ││            └トレビゾンド帝国 ────┘
.         │     │           ││                                    ┌フランス帝国─ (1870)
.         │     └西ローマ帝国┘└フランク王国─神聖ローマ帝国─────┼オーストリア帝国── (1918)
.         │                                              └────ドイツ帝国─ (1918)
古代エジプト┘
                             エチオピア帝国・諸王朝───[伊領]東アフリカ帝国─エチオピア帝国 (1974)
                                                              中央アフリカ帝国 (1976-79)
                                     インカ帝国─── (1533)
                                                         ハイチ帝国 (1804-06/1849-59)
                                                         メキシコ帝国 (1822-23/1864-67)
                                                         ブラジル帝国 (1822-1889)

                                                         ※ アメリカ合衆国 (1859-80) ※

日本は天皇、中国は皇帝、蒙古はハーン(可汗)、欧州はエンペラー(カエサル)、イスラム・スンニ圏はカリフ、
そして諸王の王という意味で、ペルシャがシャーハンシャー、エチオピアがネグサ・ナガストなどという具合です。
ちなみに、途中でカリフの系譜がグチャッと折れ曲がっているのは、
実権を失った後も、日本の天皇みたいに、諸王朝に担がれる象徴として生き残ったカリフが、
モンゴル帝国の侵攻により一旦消滅し、それをエジプトのマムルーク朝が復活させて、
更にはトルコのオスマン帝国がエジプトを征服した際に、カリフの地位も受け継いだ格好だからですね。

それにしても、こうして書いてみると、歴史的には つい最近まで多く居た皇帝達も、
今では世界中でも、日本の天皇だけなんだなぁ・・・と、改めて実感。
海外サイトでサッカー情報を見ていて、他の国は「King's Cup(国王杯)」なのに、
日本だけ「Emperor's Cup(天皇杯)」な時も、これと同じ事を感じました。
(ただし天皇家も、50歳未満の男性皇族が悠仁親王しか居ない為、存続危機ではありますが)

それと、モンゴル帝国(ここでは継承国も内包)の存在感は、やはり凄いですよね!!
あと、後方でオマケのように加えられている短命な新帝国の皇帝達も、
幾つかは世界史Flash化するくらい、個人的には結構好みです(笑)。
また、ナポレオンが皇帝に即位して以降、欧州各国に皇帝が誕生・承認される中で、
イギリス国王はインド皇帝位を、イタリア国王が東アフリカ皇帝位を得るやり方は、
何だか裏技みたいな感じで、なかなか興味深い所がありますし、
独裁大統領が皇帝を称した中央アフリカ帝国なんて、格好の歴史ネタとして扱われています。
【中央アフリカ帝国 皇帝即位式】 https://www.youtube.com/watch?v=kCU14yl-WO8#t=6m50s

ちなみに、一番最後に※印付きであるアメリカ合衆国というのは、完全にネタ枠でして、
サンフランシスコの一市民でありながら、アメリカの皇帝を自称したノートン1世という奇人がおり、
これが意外と人気者なので(コチラも世界史Flash化)、一応ですが付け加えておきました。
でもまあ、ノートンほど人気を得る例は珍しくても、皇帝を称する例は結構ありますね。
ただ基本的にはネタ扱いで、世間からは相手にされず終わるのがほとんどなものの、
中には、GHQ占領下の熊沢天皇(後南朝の末裔を自称)や、ロシア大動乱時代の偽ドミトリーなど、
世間を騒がせたり、時には本当に即位してしまうような例さえありました。
(後南朝史は若狭さんが、ロシア大動乱時代はナポレオンさんが、それぞれ世界史Flash化)
あと、これは僭称とは呼べないかも知れませんが、幕末の戊辰戦争の際、
寛永寺貫主であった能久親王が、彰義隊や奥羽越列藩同盟の盟主として擁立され、
この時に、「東武皇帝」として即位したとも言われていますね。
(降伏後の能久親王は、謹慎処分が明けるとドイツへ留学し、日清戦争時に台湾で戦没)

という事で、世界的にも珍しくはない、王位や皇位の僭称者ですが、
その数を特に量産しているのが、実は中国史なんですよねえ。
何故ならば、中国には血統に拠らない「易姓革命」という特有の概念がある為です。
中華世界の皇帝である天子は、天命によって天下を治める地位を与えられ、
天子の徳が衰えた時には、新たに別の者へ天命が下されるという思想ですから、
社会が乱れれば、雨後のタケノコのように、我も我もと次の皇帝を称する者が現れて、
その中から勝ち上がった1人の勝者が、正式に新皇帝として認められる一方、
途中で敗れ去った者達は、皇帝の僭称者として記録される事になります。

う〜ん、こうして書いていると、中国史の僭称皇帝というのも、
何やら面白そうな題材に感じられてきました(笑)。
帝国の建国者として、変に美化されて記録されていない事もあり、
頂点に辿り着けなかった敗北者たちは、なかなかキャラが立っていそうかと?
という事で、そんな僭称皇帝たちの主立った面々を、最後に少し列記してみますね。
(権力闘争や滅亡期に蜂起・擁立された皇族や、正史的に黙認されてる戦乱期の諸王朝は除く)

▼ 中国・僭称皇帝たち ▼
 陳勝(秦末の人、国号は「張楚」前209 ※)
 義帝(秦末の人、国号は「西楚」前207-前206)
 項羽(秦末の人、国号は「西楚」前206-前202 ※)
 袁術(後漢末の人、国号は「仲」197-199)
 桓玄(東晋末の人、国号は「楚」403-404[405])
 侯景(南北朝期の人、国号は「漢」551-552)
 朱粲(隋末の人、国号は「楚」615-619)
 林士弘(隋末の人、国号は「楚」616-622)
 薛挙(隋末の人、国号は「秦」617-618)
 劉武周(隋末の人、国号は「定楊」617-621)
 梁師都(隋末の人、国号は「梁」617-628)
 宇文化及(隋末の人、国号は「許」618-619)
 李軌(隋末の人、国号は「涼」618-619)
 蕭銑(隋末の人、国号は「梁」618-621)
 李子通(隋末の人、国号は「呉」619-621)
 王世充(隋末の人、国号は「鄭」619-621)
 輔公セキ(隋末の人、国号は「宋」623-624)
 武則天(唐前期の人、国号は「周」690-705)
 安禄山(唐中期の人、国号は「燕」756-757[763])
 朱(唐中期の人、国号は「秦→漢」783-784)
 李希烈(唐中期の人、国号は「楚」784-786)
 黄巣(唐末の人、国号は「斉」880-884)
 李茂貞(唐末の人、国号は「岐」901-924 ※)
 劉守光(唐末の人、国号は「燕」911-913)
 張邦昌(北宋末の人、国号は「楚」1127)
 劉豫(北宋末の人、国号は「斉」1130-37)
 徐寿輝(元末の人、国号は「天完」1351-60)
 張士誠(元末の人、国号は「周→呉」1354-57/1363-67 ※)
 韓林児(元末の人、国号は「宋」1355-66)
 陳友諒(元末の人、国号は「漢」1360-63[64])
 明玉珍(元末の人、国号は「夏」1363-66[71])
 李自成(明末の人、国号は「順」1644-45)
 張献忠(明末の人、国号は「西」1644-46)
 呉三桂(清初の人、国号は「周」1678[-81])
 洪秀全(清末の人、国号は「太平天国」1851-64 ※)
 袁世凱(清末の人、国号は「中華帝国」1915-16)
        ※印付きの僭称者は、皇帝ではなく王号を使用
        国号の後の数字は在位で、[ ]はその王朝の滅亡年

う〜ん、いざ書き出してみると、思っていた以上に多いなぁ・・・・
皇帝僭称者の跡を継いだ2代目以降を除いても、これだけの数ですから。
名将・名宰相・軍師の時は、名前を列記するだけだったので、
今回は略説くらい付けようかと考えていたのですが、ちょっと途中で諦めました(笑)。

それにしても隋末唐初と元末明初は、他の王朝末期に比べても、かなり多いですね。
特に隋末唐初は、三国志から南北朝まで中国の分裂が300年間も続き、
ようやく再統一を果たした隋王朝も、わずか30年あまりで崩壊した実状が、
こうした自称皇帝の林立する混乱状態にも、よく現れているように思えます。
それを考えると、この状況を収拾した唐の李淵や、明の朱元璋はやはり英雄でしょうし、
開祖の没後に、李世民や朱棣がクーデターで即位した事実も、偶然の一致では無いのかも?
要するに、それだけ生易しい時代では無かったという事ですね。

そして、後漢末や唐末が思いのほか少ないのは、
その後に五胡十六国や五代十国の戦乱期となり、却って僭称扱いが減る為です。
例えば三国志ですと、袁術は僭称者扱いになりますが、
魏の曹操・蜀の劉備・呉の孫権は、王朝が続くので僭称者扱いにはならないと。
また、前漢は王莽の政変により、即座に新王朝へと替わってしまい、
その新もわずか15年で倒れるので、後漢建国時は漢王族の蜂起がほとんどでしたし、
南宋の滅亡は、モンゴル帝国の侵攻によるモノでしたから、王朝末期の動乱とは無縁でした。
同じく北宋の時も、金王朝の侵攻を受けた結果でしたが、この時は非常に特殊で、
張邦昌や劉豫は、金が華北を間接統治する目的で作られた傀儡国家でした。
要するに彼らは、征服者の都合によって「僭称させられた皇帝」という事ですね。

最後に、この中で歴史的に重要な人物となると、
正史の文脈的に認められてないだけの項羽や武則天、袁世凱あたりは別格として、
あとは陳勝・安禄山・黄巣・李自成・洪秀全くらい押さえておけば、とりあえず充分ですかねえ?
歴史ネタ好きには、皇帝即位前に「宇宙大将軍」と称した侯景も愛されていますが(笑)。


> > 図解雑学シリーズ『名将に学ぶ 世界の戦術(ナツメ社)』
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4816348220/

> 欲しい本がどんどん増えていきますw
> > ちなみに、中国史の通史ですと、つい最近、
> > 2年前に再販された『中国史 上・下巻(岩波文庫)』を読んでみたのですが、
> > さすがは宮崎市定の著作だけあって、なかなか良かったですねえ。

> そういうのが欲しい!
> 欲しい本の数が…多くて嬉しいけど泣ける…。

あっ・・・すみません。
「図書カードが余ってるから、ドンドン紹介して欲しい」
と言われたのは、また別の方との雑談でしたね。
完全に混同しちゃってました(笑)。

> > もちろん、見ていて解りやすく、そして華々しいのは戦術面なのですが、
> > 「戦術的勝利をいくら重ねても、戦略的不利を覆すのは困難」と、
> > よく言われているように、やはり最後にモノを言うのは戦略面ですからねえ。
> > どれだけドイツの技術力が高くても、アメリカの物量には敵わないのと同じです(笑)。

> それが同じなのかは分かりませんでしたが説明としてはとても分かりやすかったです。

簡単に言うと、技術は主に戦術に関わり、物量は主に戦略に関わるからですね。
って、この辺を説明し出すと、また長くなっちゃいますよ(笑)。

> > 司馬懿が軍事面でも有能であった事は、私も決して否定するモノではないのですが、
> > しかし一方で、戦乱の時代であった三国志の時代には、
> > 司馬懿以上の才能を見せた軍人が、他にも数多くいると思うんです。

> そう言われればそうですね。
> 一人押すなら司馬懿で、軍事的才能もあるけれど、軍事的視点でいうなら上は居て、
> 司馬懿を押す理由はそれ以外の方が大きい、というまとめ方になるでしょうか。

そうですね。
私の見解では、そんな感じです。

> (明王朝、軍師
> 返信できる知識などの余地がないので返信はありませんが読みました。

長文に付き合わせてしまい、申し訳ありません。
返信を書いてる途中に、自分の文章からも、
頭の中で、脱線する話題が思い浮かんでしまうもので・・・・
上記の皇帝の系譜&僭称皇帝なんていうのも、まさにそんな感じですね。
ですので、そちらも読み飛ばしで構いません(笑)。
それに「名将→名宰相→軍師→皇帝&僭称者」と、行き着く所まで来た感じなので、
この方向では、もうこれ以上脱線しないと思いますし。

> (名宰相
> > 期待値の段階なら高止まりする評価も、
> そういう意味では三国志なら周瑜がそれっぽいですね。言われてみればそれもあると思います。

まあ周瑜の場合は赤壁で実績を残していますけど、
早世したという意味では、評価が高止まりしたとも言えますね。
もしも長生きをしていたら、どこかで大きなミスを犯してた可能性もありますし。

でも実際、特に英雄とか偉人とか言われる人物に関しては、
死ぬ時期というのも、意外と重要や要素であったりはします。
例えば、悪の権化みたいな扱いを受けるヒトラーも、
1936年のベルリン五輪の直後に急死していれば、評価は大きく違ったでしょうし、
逆に坂本龍馬あたりが明治まで生きていたら、贈収賄事件とか起こしていそう(笑)。

現在でも、トルコのエルドアン大統領などは、2期目の首相までで終わっていれば、
それこそ「イスラム世界の理想的リーダー」として記憶されたでしょうけど、
リーマン・ショックの余波でトルコ経済が落ち込んで以降は、
内政・外交ともに強硬姿勢へと変わり、今では着々と独裁体制を固めていますからねえ。
まあ、外から客観的に見てる分には、幅の広い人間像が見えて興味深いですけど、
実際に強権体制下にある国民からすると、そんな悠長な事は言ってられないでしょうし。

> > まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
> > 明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、

> こうして読んで、自分の理想像と非常に似通っていることに驚きました。
> どこでどういう発見があるか分からないものです。

ただし「託される」というのは、やり甲斐もある反面、やはり重労働だったそうですし、
しかも一旦怒らせると非常に恐ろしく、裏切りには冷徹なまでに処断するタイプなので、
重用された部下たちにすると、想像以上に仕事はキツかったみたいですけどね(笑)。
しかも、戦時中は軍の諜報活動を担っていた叔父の薫陶を受けた事で、
日本人が軽視しがちな「情報」の取り扱いを、非常に重要視していたらしく、
定期報告を疎かにすると激昂されたそうで、全く気の抜けない上司だったみたいです。
前回、「古い東洋型のリーダー」と紹介しましたけど、そういう意味では、
もし仮に小渕が中国に生まれていても、共産党幹部として大成していた気がします(笑)。

> (佐々木道誉について
> > 権力者に取り入っては操り、機会があれば得になる方へと簡単に寝返り、
> > 対立する相手がいれば、どんな手段を使っても追い落とし、
> > 朝廷だろうが、幕府だろうが、大寺院だろうが、気に食わなければ平気で喧嘩を売り、
> > それで一時的に立場を悪くしても、実力があるので結局は許されて出世を重ねると。
> > そして、彼の評価を更に高めているのは、彼が文化人としても超一級の人物だったからです。

> こうして読んでみると、凄まじいインパクトがあります。
> ハチャメチャ具合が脳に刻みこまれました。

佐々木道誉は、私が日本史で特に好きな人物なので、
覚えてもらえれば、私も嬉しいです(笑)。

> (心や魂
> > で、「特別」なら文字通りに特別なので、それ以上は深く考える必要なんて無いんですよ。
> > 何と言ったって、それは「特別」なのですから(笑)。
> > 「なぜ特別なのか?」「本当に特別なのか?」と考えるのは、変わり者のやる事です。

> そうなのですか、では自分は変わり者ですね。
> うーん、でも印象では理系の人には特別視しない人が多いような気がしているのですけどね。

大学進学率が5割で、その中で理系が3割なのですから、
全体的に見ますと、そもそも理系の人自体が15%くらいしか居ません。
そして例え理系の人であっても、自分の専門以外は大差ない(下手したら疎い)モノですし、
自分の周囲がそうだからと言って、それを基準に考えるのは世間とズレを生む素かと?(笑)
この辺の構図は、過激化しやすいネットの意見に似ているかも知れませんね。
「ネットでは皆そう言っているから、メディアの報道は嘘だらけ」となるのも、
「自分が出入りするサイトではそうだ」という事を、世間全体の意見と思い違うからですし。


> 正直、楽しいのですが文章長い…。
すみません(笑)。
さすがに前回は、私自身も「長過ぎだ」と思いました。
通常の会話なら、脱線してもそちらに話題が移行するだけですけど、
文章ですと、本線分も脱線分も同時に拾えてしまうので、
気を付けてセーブしないと、ネズミ算的に話題が増えちゃうんですよね・・・・


[21390] Re:世界の皇帝の系譜&中国の僭称皇帝たち返信 削除
2017/11/8 (水) 21:07:46 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
(名将ランキングについて
> > 個人的視点からでですが、採点方式でのランキングと聞いたところで
> > なぜかあまり興味が湧かない、というか存在意義に疑問符が。
> > しっかり知りたいなら「一般的な評価」よりも
> > それぞれの人の「個人的な好み」で評価をいろいろ聞いてみたいものです。
> > でも、知っている人の場合は数字評価したところでそういうことじゃないんだよなぁ感がありますが、
> > 知らない人を知り始めるきっかけには役に立つような気もしてきました

> う〜ん、それは恐らく掲示板に並べる上で、総合点のみ記載したのが影響してるかも?
> そして出来れば、他の方にも採点に参加してもらい、得点を調整する考えでした。
> ・・・と言いますか、単にランキングの一覧表を見せられても、
> そこから話題を広げるのは、マニア同士でもないと厳しいのは一応理解しています(笑)。

自分も片足を突っ込んでいる状態ではありますが、熱意が湧いてこないのですみませんが力にはなれそうにありません。

> 逆に言うと、主観を客観的に表現して伝えるのって、結構な高等技術であったりします。
> そして、「主観を主観的に表現」された評価は・・・相手には伝わりにくい弱さがあります。

言われてみると、そうだと思います。
自分の場合はどちらかというと「主観を主観的に表現」されたものをどんどん聞きたいというところですが。
今気づいたのですが、焦点を伝えたい場合?には対比して書くという手段があるのですね。
これから文章を書くときにはこの手法は参考になりそうです。

> > ちょっと考えた結果、自分で身もふたもないことを言いますが、
> > 名将に普遍的な条件はないと思い至りました。
> > 名将と認識される間では名将ということになる、と。どこか胡散臭い表現ですが。

> まあ、何らかの明確な定義でも与えられていない限り、
> ほぼ全ての単語は、そんなモノだと思いますよ。
> ただ、そうは言っても、言葉というのは道具であり、
> 単語の意味の認識にしても、やはり最大公約数が求められるモノだと思います。
> 「成績なら江川だけど、人間性で西本」みたいな選考をされては困るので・・・・
> つまりは、5項目の採点による名将ランキングも、そんな感じだと思って下さい(笑)。

項目での採点も、客観的に伝えるための試行錯誤の途中経過というところでしょうか。
(「成績なら江川だけど、人間性で西本」の部分は軽くですが聞いたことがあるので伝わりました)

(AIについて
> > ただ自分は人間の補助止まりであってほしいですね。
> > でもこの先、AIと人間が対等な権利を有するべきとかいったことに
> > なっていくのかなというのはよぎります。

>しかし現実には、対等どころか、人間がAIに従属する形になりそうですけどね・・・・
>要するに、判断はAIが下して、人間はその責任を取るだけの役回りになると。
>例えば車の自動運転などは、そんな感じに落ち着いていくような気がします。
>実際、飛行機の操縦なんて、もう既にそんな感じになっていますので。

あー、そんな感じになっているらしいですね。
現状では、AIに判断を任せるかどうかの判断は人間にありますし、実体を伴った個体ではなく、
AIを改変する余地が人間にあるのでそれで持っていると思いますが、
その壁が取り払われていったときにどうなるのかは興味深いですね。
短絡的な評だとは思いますが、「ローマは奴隷にあらゆるものを任せたため滅んだ」みたいな言葉を聞いたことがあるので、
それが頭の中で重なってきます。
でもだからと言って、個人的にはそれに抵抗する気力もありませんが。

(飛蝗発生と農民移住の数理モデル化
> 例えば、「20×20」のマスをまずは用意して、 〜
ありがとうございます。こういう話はとても楽しいです。
こういうものと今作り始めている三国志ゲームを繋げられたらどれだけ幸せかとは思いますが、
時間がとても掛かりそうなので道のりは遠そうです。

> 「すぐに役立つ知識は、すぐ役に立たなくなる」とも言われますし、
なるほど、皮肉ですがよく分かります。

> 短期的ではなく、長期的に行くのであれば、やはり根本部分こそ大事になって来るかと?
> な〜んて考えるのは、そこを重視する物理屋の悪い癖なのかも知れませんけどね(笑)。

自分は物理屋とは思っていませんが考え方は共感できます。
ちなみに公式とかについては都度導き出せればいいと思っているのでそもそも覚えてもいません。
というか、名前を付ける意味がピンときません。
そのおかげで知識問題においてテストの点数は冴えませんでしたが。
まあルールを覚えれば知識は要求されない(と思っている)ので数学、プログラミングに興味が移ったのかもしれません。
逆に言えば、覚えることは苦手意識があるので。

(記録することについて
> > > 記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
> > > どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。

> > なるほど、言われてみればそうですね。
> > 司馬遷自身ももともと尊敬の対象となる人物ですが、そう考えると改めて司馬遷様様です。

> そして日本史には、司馬遷が居なかったと・・・・

読んでいて感慨に浸ってしまいました。

(教育について
> 数学にしても、究極的には「論理的な思考法」を学ぶ目的の教科である所が、
> こちらは明治どころか江戸時代の読み・書き・算盤を引きずっているのか、
> とにかく計算問題重視になっちゃってますからねえ(算数の段階ならそれで良いとは思いますが)。

思考力をつけるための計算を解くという手段が目的になってしまったというところでしょうか。
力をつけることを主眼にすべきなのに、作業と化してますね…。
確かに数学は好きでも学校の数学教育は好きではありませんでした。

(コンピュータプログラミングについて
> プログラム言語というのは、一般言語と数学の間にある存在なのかも知れませんね。
> ただ私自身の感覚だと、かなり数学側に寄ってると感じてはいますが(笑)。

言語によりけりかもしれませんね。
C#やJAVAをやっている限りでは数学をまず意識しませんし、COBOLなんかは全く要素を感じられませんが、
Haskellは数学っぽいなとは思いました。

> ところでプログラミングと言えば、2020年から小学校で必修化される予定らしいですけど、
> 一体どんな感じの授業にする構想なんですかねえ?
> 中学生ならまだしも、算数段階の小学生でプログラミングを教えるとなると、
> 従来通りの勉強法では合わないでしょうし、もっと感覚的に扱う為には、
> 例えばPlayStationの「カルネージ・ハート」みたいな学習ソフトが必要な気がします。

うーん、自分はしっかり入ってほしいですね、VisualBasicみたいなところが軽めでいいなと思います。
…って言うのは主観が強いでしょうか。

(数式について
> しかし解るようになってしまえば、これほど便利な道具も無いんですよね。
> まあ今回は日本語の単語でしたけど、通常であれば数字や記号なので、
> それこそ異なる言語の人同士でも、数式であれば共通理解が可能ですから。

念頭にありませんでしたが、異なる言語の人同士でも通じるというのはすごい強みですね。
それこそ、新しくできた言語と表現するべきかもしれません。

(指導者について
> > > まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
> > > 明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、

> > こうして読んで、自分の理想像と非常に似通っていることに驚きました。
> > どこでどういう発見があるか分からないものです。

> ただし「託される」というのは、やり甲斐もある反面、やはり重労働だったそうですし、
> しかも一旦怒らせると非常に恐ろしく、裏切りには冷徹なまでに処断するタイプなので、
> 重用された部下たちにすると、想像以上に仕事はキツかったみたいですけどね(笑)。

読んでいる限りでは理想像にとても近いですが、「古い東洋型のリーダー」と言われる、というのはどういうことかなと引っ掛かります。
欲をいえばそういう人に付きたいですし、もっと欲をいえばそういう人になりたいです。

(心や魂の見方について
> > うーん、でも印象では理系の人には特別視しない人が多いような気がしているのですけどね。
> 大学進学率が5割で、その中で理系が3割なのですから、
> 全体的に見ますと、そもそも理系の人自体が15%くらいしか居ません。

あっ、そうなんですね。
考えてみれば、理系の人が周りにも1割もいない気がします。
とまで言うと、自分と違う理系を理系と認識できていない可能性も考えられますが。
ちなみに余談ですが自分は大学を出ていませんけどね。

自分はあまり熱意のある人間ではないのですが、徳翁導誉さんからは熱意を感じます。
熱意を持ちたいと思いながらできていないので、そういう意味で尊敬します。

後になりましたが、返信遅れましてすみません。
先に言っておくと、来週は都合により返信できそうにありません。


[21391] AIやプログラムの学校教育に関して返信 削除
2017/11/9 (木) 23:56:26 徳翁導誉

> (名将ランキングについて
> > > 個人的視点からでですが、採点方式でのランキングと聞いたところで
> > > なぜかあまり興味が湧かない、というか存在意義に疑問符が。

> > ・・・と言いますか、単にランキングの一覧表を見せられても、
> > そこから話題を広げるのは、マニア同士でもないと厳しいのは一応理解しています(笑)。

> 自分も片足を突っ込んでいる状態ではありますが、
> 熱意が湧いてこないのですみませんが力にはなれそうにありません。

まあ、ランキングの対象が「名将」でしたから、ちょっと取っ付き難く感じるだけで、
これが例えば、アニメやアイドルを対象にしていれば、
それが好きな人同士なら、ランキングの順位だけで充分に話は盛り上がりますし、
逆に詳しくない人も、気軽に「知らねーよw」と言えるような気がします(笑)。

> > 逆に言うと、主観を客観的に表現して伝えるのって、結構な高等技術であったりします。
> > そして、「主観を主観的に表現」された評価は・・・相手には伝わりにくい弱さがあります。

> 言われてみると、そうだと思います。
> 自分の場合はどちらかというと「主観を主観的に表現」されたものをどんどん聞きたいというところですが。

そうしたモノが大量に溢れているのが、まさに「芸術の世界」じゃないですかねえ?
文芸・音楽・絵画・演劇・建築・彫刻・舞踊に次ぐ8番目の芸術として、映画を「第八芸術」と呼んだり、
それに付随する形で、マンガの事を第九芸術などという人も居たりするのですが、
まあともかく、文学であれ、アートであれ、音楽やダンスであれ、
「主観を主観的に表現」できる最も身近な分野こそ、芸術の分野であり、
だからこそ、そこで活躍する彼らの事を「表現者」と呼ぶのだろうと思います。
逆に言えば、世間的に理解されない表現者など、一般には「変人・狂人」としか映らないかと?(笑)

> 今気づいたのですが、焦点を伝えたい場合?には対比して書くという手段があるのですね。
> これから文章を書くときにはこの手法は参考になりそうです。

例えばこれは、写真を撮る時などは一般的な手法ですよね。
被写体の横に、携帯電話や硬貨などを並べておくと、その大きさが良く伝わります。
そう考えると私の文章って、今まで意識した事が無かったですけど、
意外と、アートのやり方を用いてる面があるのかも?
いろいろな方向から対象を捉えたり、光と影から実態を浮かび上がらせるのは、
考え様によっては、デッサンの手法 そのままですし、
議論の肉付けや削ぎ落とす作業は、塑像や彫像を作る感覚と重なりますから。

> > つまりは、5項目の採点による名将ランキングも、そんな感じだと思って下さい(笑)。
> 項目での採点も、客観的に伝えるための試行錯誤の途中経過というところでしょうか。

途中経過かはさておき、例えば学校の成績表などは、
客観的な相対評価から、主観的な絶対評価に変わった事で、却って不平等になった気がします。
もちろん理想論で言えば、各生徒の習熟度に応じて、絶対評価が行えれば良いのですが、
その評価を行う教師や学校の基準がバラバラでは、全体的には大きなバラつきが生じてしまい、
結果的には、クラスの上位1割が5、下位1割が1、中間4割が3と成績を付け、
それを各学校のレベルに応じて補正する旧来のやり方の方が、全体的なバランスは取れたはずです。
ですから、言うなれば、5項目の採点による名将ランキングというのも、
ある意味では、そうした相対評価による成績表を付けてる感覚に近いかも知れませんね。


> (AIについて
> > > ただ自分は人間の補助止まりであってほしいですね。
> > > でもこの先、AIと人間が対等な権利を有するべきとかいったことに
> > > なっていくのかなというのはよぎります。

> >しかし現実には、対等どころか、人間がAIに従属する形になりそうですけどね・・・・
> >要するに、判断はAIが下して、人間はその責任を取るだけの役回りになると。
> >例えば車の自動運転などは、そんな感じに落ち着いていくような気がします。
> >実際、飛行機の操縦なんて、もう既にそんな感じになっていますので。

> あー、そんな感じになっているらしいですね。

まあ、自動運転くらいなら、そんな感じかぁとか思っていられますけど、
最近では、企業の人材採用や人事異動にAIの判断が用いられたり、
株式市場や為替市場では、AIに大部分を委ねる状況になってますからねえ・・・・
そしてAIが高度化する程、その中身はブラック・ボックス化していくと。

> 現状では、AIに判断を任せるかどうかの判断は人間にありますし、実体を伴った個体ではなく、
> AIを改変する余地が人間にあるのでそれで持っていると思いますが、
> その壁が取り払われていったときにどうなるのかは興味深いですね。

と言いますか、囲碁や将棋のAI開発では、既にその壁が取り払われて久しいですね。
以前であれば、プログラマーの棋力が高いほど、強いAIソフトを作れる傾向がありましたが、
コンピューター自身に反復訓練させる「機械学習」の方法が一般化されてからは、
例え囲碁や将棋に詳しくなくても、強いAIソフトが作れるようになりましたし、
プロの力量さえ超えて強くなったソフトは、どうして強いのかがブラック・ボックス化しました。
要するに、コンピューターがどう学習して強くなったかの経緯が、まるで謎であると。
そして今では、過去の名人達が残した棋譜の数々まで、AIには無駄な情報扱いとなり、
ゲームのルールを教えた後は、ひたすら機械学習させたAIの方が、強いという時代に至っています。

一方、どれだけコンピューターが強くなった所で、人間の実力はあまり上がらず、
随分昔に抜かれたオセロやチェスなども、そこまで大きな棋力の変化は無いみたいです。
ただ、それでも、ネットやAIの発達により、強い相手と手軽に対局できるようになった事で、
全体的なレベルは驚くほど上がってるらしいですし、新戦術の寿命とかも凄く短くなってるそうです。
そういう意味では、トップの実力上限に大きな変化はなくても、
トップ周辺の実力密度というのは、非常に濃いモノになっていくのかも知れませんね。

> でもだからと言って、個人的にはそれに抵抗する気力もありませんが。
まあ正直な話、抵抗は無理だと思います(笑)。
あとはどれだけ、上手く活用していくかの話で。

> ちなみに公式とかについては都度導き出せればいいと思っているのでそもそも覚えてもいません。
可能であれば、それが一番良い方法なんですけどねえ。
でも、テストで高得点を取る方向に目的が行ってしまうと、
とにかく多くの公式を覚えて、それを使う訓練ばかりになってしまい、
「どうして、その公式が成り立つのか?」という所までは意識が回らず、
結果的に、偏差値型の秀才ほど、公式の正しさを盲信してしまう状況を生んでいると・・・・

今後のAI化社会では、「AIがそう言ってるから、正しいんでしょ」と信じて疑わない事で、
いろいろと多くの問題が発生してくるのかも知れませんね?
例えば、AIが評価する関数の値を、少し弄ってみるだけでも、
求められる解答が変わる事があるのは、AIの事を知ってる人は理解してますけど、
AIだからと盲信するタイプだと、出された解答が絶対だと思い込んでしまいそうですし。

> というか、名前を付ける意味がピンときません。
固有名詞が必要となってくるのは、他人にそれを伝えたい時ですね。
ですから、自己完結で済む無いようであれば、特に名前を覚える必要は無いと私も思います。
ただ、これが分野によっては、そうも言ってられないモノがあり、
例えば私の実体験ですと、周辺の道路とかは、ほぼ地図として頭の中に入っていて、
自分でどこかに行く際は、別にそれで何ら困る事など無いのですが、
誰かに道を教える時など、道の名前が頭に入ってないので、伝えるのに苦労した覚えがあります。
その道の特徴とか細かく伝えても、ナビの指示で運転してる人は、そんな所を見てないみたいですし、
それを体験すると、「国道○○号」なんて味気ない名称も、実にありがたく見えてきましたね(笑)。

> (記録することについて
> > > > 記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
> > > > どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。

> > > なるほど、言われてみればそうですね。
> > > 司馬遷自身ももともと尊敬の対象となる人物ですが、そう考えると改めて司馬遷様様です。

> > そして日本史には、司馬遷が居なかったと・・・・

> 読んでいて感慨に浸ってしまいました。

一方で日本ほど、一般人が書き残した私的な記録が多い国は、なかなか無いように思えます。
庶民の識字率が高く、安価で良質な紙が手に入り、戦火や焚書による消失が少なかったのが理由かな?
まあ要するに、日本史に司馬遷は1人も居なかったが、アンネ・フランクは数多く居たと(笑)。
日本が世界に誇る庶民文化のレベルの高さも、古くはこの辺りから始まってる気がしますし、
ブログやインスタなど、一個人が残す記録量が膨大に膨れ上がっている現状は、
後世の歴史研究者から見た場合、とても有益なビッグ・データとなるのかも知れません。


> (教育について
> > 数学にしても、究極的には「論理的な思考法」を学ぶ目的の教科である所が、
> > こちらは明治どころか江戸時代の読み・書き・算盤を引きずっているのか、
> > とにかく計算問題重視になっちゃってますからねえ(算数の段階ならそれで良いとは思いますが)。

> 思考力をつけるための計算を解くという手段が目的になってしまったというところでしょうか。
> 力をつけることを主眼にすべきなのに、作業と化してますね…。
> 確かに数学は好きでも学校の数学教育は好きではありませんでした。

結局、手段が目的化してしまうと、結果的に有らぬ方向に進んでしまうんですよね。
学校教育で言えば、その成熟度を測る手段でしかないテストが、
進路決定などとリンクする事で、テストで高得点を取る事が目的化してしまい、
それが却って、その教科を学ぶ本来の目的を見失わせていたりします。
例えば柔道ですと、武道として先ずは自分の身を守る為、最初に教えられるべき受け身が、
スポーツ競技の場では逆に負けに繋がり易くなる為、受け身を教えなかったりしますからねえ・・・・
成績評価を伴う道徳の教科化にしても、同じ様な危険性を孕んでいる気がします。

それを思うと、戦前の満州国における最高学府・建国大学(要するに満州版の東大)では、
そうした弊害を排除する目的で、「試験も成績表も一切なし」としたのは、実に面白い試みだったかと。
と言いますか、日本人・朝鮮人・中国人・モンゴル人・ロシア人などの学生たちを、
民族ゴチャ混ぜにして、20人1部屋の学生寮で共同生活をさせたり、
国内では禁書の本も自由に読めて、3・1運動で独立宣言を起草した崔南善を教授に据え、
ガンジーやトロツキーまで招聘しようとするなど、かなり特殊な教育機関でした。
そんな大学の卒業生たちの戦後を追ったインタビュー・ルポである
『五色の虹(集英社)』は、昨年読んだ本の中で、最も記憶に残った1冊でしたね。
https://www.amazon.co.jp/dp/4087815978

> (コンピュータプログラミングについて
> > プログラム言語というのは、一般言語と数学の間にある存在なのかも知れませんね。
> > ただ私自身の感覚だと、かなり数学側に寄ってると感じてはいますが(笑)。

> 言語によりけりかもしれませんね。
> C#やJAVAをやっている限りでは数学をまず意識しませんし、COBOLなんかは全く要素を感じられませんが、
> Haskellは数学っぽいなとは思いました。

思い起こして考えてみると、私の場合は、
応用数学用のプログラム言語であるFortranから入った為、
尚更、数学に近い印象になっているのか知れませんね。

> > ところでプログラミングと言えば、2020年から小学校で必修化される予定らしいですけど、
> > 一体どんな感じの授業にする構想なんですかねえ?
> > 中学生ならまだしも、算数段階の小学生でプログラミングを教えるとなると、
> > 従来通りの勉強法では合わないでしょうし、もっと感覚的に扱う為には、
> > 例えばPlayStationの「カルネージ・ハート」みたいな学習ソフトが必要な気がします。

> うーん、自分はしっかり入ってほしいですね、

でもそれだと、小学生にはまだ早い気がするんですよねえ・・・・
例えば、小学校から英語教育を始めるという話にしても、
従来通りのやり方で、いきなり英文法から入るのは、あの年代に合わないと思うんです。
そうなると、歌やパズルなどで英語に触れる所から始める方が適当でしょうし、
プログラム教育にしても、小学生が相手なら、同様の事が言えるような気がします。
・・・って、そもそも論になってしまいますけど、まあ個人的には、
小学校教育に、プログラムや英語の授業は、特に必要ないと考えてますけどね(笑)。
プログラムも英語も所詮は道具であって、それよりは、情報や異文化への理解が先決かと?

> VisualBasicみたいなところが軽めでいいなと思います。
BASICと言えば、私の頃のセンター試験の数学だと、自由に問題分野を選択できる中に、
代数や幾何などと並んで、コンピューター計算(BASIC)の項目もあり、
少し知識があれば楽勝な難易度だった為、隠れた狙い目として知られてましたけど、
今では、どうなっているんですかねえ?
(後にプログラムを知ってから過去問を見てみると、実際に簡単だった記憶が・笑)

・・・って、当時はプログラム問題を「得点を取るための裏技」としか見てませんでしたけど、
これって実は、選択分野の1つとして、以前より高校の数学に含まれてた証でもあるんですよね。
つまり逆に言うと、一応入れてはあったけど、ほぼ誰も選択していなかったと(苦笑)。
でもまあ、これはある程度、仕方のない事だったのかも知れませんね。
例えば中学・高校の外国語教科にしても、ドイツ語・フランス語・中国語・韓国語も選択可能ですが、
現実的には、ほぼ英語一択になってますからねえ(英語が選択科目である事を知らない人も多いかと)。
それを思うと数学でも、学校はBASICを教えるより、代数や幾何の授業を優先して行うでしょうし。


> (指導者について
> > > > まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
> > > > 明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、

> > > こうして読んで、自分の理想像と非常に似通っていることに驚きました。

> > ただし「託される」というのは、やり甲斐もある反面、やはり重労働だったそうですし、
> > しかも一旦怒らせると非常に恐ろしく、裏切りには冷徹なまでに処断するタイプなので、
> > 重用された部下たちにすると、想像以上に仕事はキツかったみたいですけどね(笑)。

> 読んでいる限りでは理想像にとても近いですが、
> 「古い東洋型のリーダー」と言われる、というのはどういうことかなと引っ掛かります。

う〜ん、具体的に挙げると、大石内蔵助や西郷隆盛みたいなイメージでしょうか?
ちょうど今週末の12日(日)に、地上波で初放送されますけども、
昨年大ヒットした「シン・ゴジラ」で、作中後半に登場する平泉成が演じた臨時総理に、
小渕元総理を思い出した人は、少なくともネットを見ると、私だけでは無かったみたいです。
モデルという訳ではないでしょうけど、あんな感じのリーダーでした。
西洋人からすると、ちょっと理解に苦しむタイプのリーダー像だと思います。
そういう意味でも、「古い東洋型」という表現を用いました。

> 自分はあまり熱意のある人間ではないのですが、徳翁導誉さんからは熱意を感じます。
> 熱意を持ちたいと思いながらできていないので、そういう意味で尊敬します。

いや〜、私に一番足りてないのが「熱量」だと思ってるんですけどね。
身近で弟とか見ていると、それをまざまざを見せ付けられます(笑)。
人が何かを成し遂げる上で、最も重要なのは熱量だと思うのですが、
自分にはそれが決定的に欠けているなぁ・・・・と。
そして、そんな少ない熱量も、年々減少している事を実感してますし。

> 後になりましたが、返信遅れましてすみません。
> 先に言っておくと、来週は都合により返信できそうにありません。

はい、了解しました。
あと繰り返しになりますけど、所詮は雑談ですので、
返信が遅れる事になっても、別に気にする事はありませんよ(笑)。
2〜3週間隔で返信される方とかも、今まで普通に居られましたしね。


[21411] Re:AIやプログラムの学校教育に関して返信 削除
2017/11/25 (土) 12:38:50 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
出先だったり体調を崩していたりで遅くなりました。

(プログラミング教育について
> プログラムも英語も所詮は道具であって、それよりは、情報や異文化への理解が先決かと?
そう言われればそうですね。
プログラミングも導入されるなら嬉しいという感情はありますが、
背景の理解がされなければ結局それも作業と化してしまいそうです。

> > VisualBasicみたいなところが軽めでいいなと思います
> BASICと言えば、


> 今では、どうなっているんですかねえ?
VisualBasicと書きましたが、自分が書きたかったのは正確には「Microsoft Visual Basic .NET」と言うそうです。
「Visual Basic」と呼ばれている(他には「VB」、「VB.NET」など)のを聞いたのでそう書きましたが、検索だと違うのも引っかかるので一応。
昔ながらのBASIC自体については分かりませんが、これについてなら、
GUIを作るならデザイナーと呼ばれる機能がありコードを書き加えながらリアルタイムに実行時の外観が分かる(「Windows Forms」とか「WPF」とか「UWP」とか種類は複数ありますが)
という特徴があり、言語の基本を理解していれば電卓相当の機能のものならすぐ作れるそうです。
.NETという同じ基盤でC#という言語があり、自分はそちらなら使っていて、VBは大体読めるけど書けないという状態なのですが、
初心者ならVBの方が理解しやすいと聞いたのでそう書いてみました。
良いのか悪いのかですが、「それっぽい」プログラムならすぐ書けるそうです。
しっかり書けるようになるには時間はかかると思いますが。

なぜかあまり書けませんでしたが、これにて一旦返信とさせてください。
そちらの文章は全文読みました。


[21412] Re2:AIやプログラムの学校教育に関して返信 削除
2017/11/30 (木) 19:49:54 徳翁導誉

> 出先だったり体調を崩していたりで遅くなりました。
それは、お大事に・・・・
なんて言ってる私も、いま膝を痛めていて、地味にキツい状況だったり(苦笑)。


> (プログラミング教育について
> > プログラムも英語も所詮は道具であって、それよりは、情報や異文化への理解が先決かと?
> そう言われればそうですね。
> プログラミングも導入されるなら嬉しいという感情はありますが、
> 背景の理解がされなければ結局それも作業と化してしまいそうです。

それこそ、このままのペースでAIの研究開発が進めば、
そう遠くない未来には、プログラムも英語もAI任せに出来そうですからねえ。
そうなれば、プログラムを打てるとか、英語を話せるとかよりも、
情報をどう扱うか? 外国人と何を話すか? という方が、遥かに重要になるでしょうし、
学校教育の方でも、最適な方法というのが随分と変わるように思えます。

> > > VisualBasicみたいなところが軽めでいいなと思います
> > BASICと言えば、

> 〜
> > 今では、どうなっているんですかねえ?
> VisualBasicと書きましたが、自分が書きたかったのは正確には「Microsoft Visual Basic .NET」と言うそうです。
> .NETという同じ基盤でC#という言語があり、自分はそちらなら使っていて、
> VBは大体読めるけど書けないという状態なのですが、
> 初心者ならVBの方が理解しやすいと聞いたのでそう書いてみました。

あっ、すみません。
高校数学の授業でプログラムというと今まではBASICだったので、少し脱線しましたけど、
BASICとVBが結構違うという事は、私も理解しています。
と言いますか、結構古いバージョンですけど、VBとVCは持っています(笑)。
また、C#や.NETに関しては、実際に触った事はないものの、
このサイトを開設した頃、両方とも丁度開発中でしたので、当時の事は意外と覚えてますね。

> GUIを作るならデザイナーと呼ばれる機能があり
> コードを書き加えながらリアルタイムに実行時の外観が分かる
> (「Windows Forms」とか「WPF」とか「UWP」とか種類は複数ありますが)
> という特徴があり、言語の基本を理解していれば電卓相当の機能のものならすぐ作れるそうです。
> 良いのか悪いのかですが、「それっぽい」プログラムならすぐ書けるそうです。

で、そのGUI以上に、より直感的にプログラムが作れるが、
前に書いたPSゲーム「カルネージ・ハート」のシステムだったりします。
こちらの方が、プログラムの基礎知識とかもいらずに、
フローチャートを描く要領でプログラムが作れる為、小中学生には適当かなと?


> なぜかあまり書けませんでしたが、これにて一旦返信とさせてください。
> そちらの文章は全文読みました。

七国大戦のサーバー移転に伴うトラブルから話が始まり、
そのうち雑談の方がメインになってから、もう数ヶ月が経ってますし、
今では話題もかなり脱線してますので、そろそろ話を切り上げる頃合いかも知れませんね(笑)。

もちろん、ここで仕切り直して、例えば今度は公孫竜さんの方から、
雑談のネタを振って下さっても一向に構いませんけどね!!
ただその場合は、スレッドも随分伸びていますから、
「新規投稿」で新スレッドに移行した方が適当かも知れませんけど。

ちなみに、私からネタを振り始めた「朝鮮半島の前方後円墳」ですが、
あの時、この件にに関して興味を持っていた理由は、
高句麗系の移民を武蔵国に入植させて「高麗郡」を建てられてから、
去年で1300年目、今年で1300周年という、節目の年にあった為でした。
(先々月には両陛下が、高句麗王族の末裔が代々神主を務める高麗神社を参拝)
つまり、最初は日本列島に残る古代朝鮮人の痕跡から興味が始まり、
続いて、朝鮮半島に残る古代日本人の痕跡へと、その対象が移っていったと。

まあ元々、急速に国際化が進む現在の日本において(既に小中学生の4%がハーフや外国籍)、
実際に多民族国家であった、戦前の日本社会へも関心が及んでいたのですが、
これをキッカケに、古代の日本も多民族社会であった事を、改めて深く考えさせられました。
特に、唐&新羅により滅ぼされた百済や高句麗からの亡命者の存在は、
その後の日本の歴史にも、意外と深く関わって来たりしましたからねえ・・・・
さすがに1000年以上も経ってますので、民族としては血統的にも文化的にも同化済みですけど、
高麗郡は高麗川や高麗神社、百済郡は百済駅、新羅郡は訛って新座市などに、その名を残しています。


[21415] Re3:AIやプログラムの学校教育に関して返信 削除
2017/12/3 (日) 20:58:01 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
 (プログラミング教育について
> それこそ、このままのペースでAIの研究開発が進めば、
> そう遠くない未来には、プログラムも英語もAI任せに出来そうですからねえ。
> そうなれば、プログラムを打てるとか、英語を話せるとかよりも、
> 情報をどう扱うか? 外国人と何を話すか? という方が、遥かに重要になるでしょうし、
> 学校教育の方でも、最適な方法というのが随分と変わるように思えます。

未来にはそうなるでしょうねー。
しかし、それまでの間という意味で、プログラミング教育はあってほしいですけどね。(どのくらいの期間かは分かりませんが)
結局要らなくなったとしても、最初から要らないという訳ではないと思っています。
もちろん、ただ教科をこなせばいいという本末転倒した教育にはなってほしくはないですが。

> 七国大戦のサーバー移転に伴うトラブルから話が始まり、
> そのうち雑談の方がメインになってから、もう数ヶ月が経ってますし、
> 今では話題もかなり脱線してますので、そろそろ話を切り上げる頃合いかも知れませんね(笑)。

こちら、正直少々負担に思うようになってきていました。
すみませんがでは切り上げさせて頂きたいです。
していた雑談自体は楽しかったです、ありがとうございました。

> もちろん、ここで仕切り直して、例えば今度は公孫竜さんの方から、
> 雑談のネタを振って下さっても一向に構いませんけどね!!

ありがとうございます、ではまた機会があったらよろしくお願いします!


[21416] では、これにて雑談終了という事で(笑)返信 削除
2017/12/6 (水) 20:29:56 徳翁導誉

> > 七国大戦のサーバー移転に伴うトラブルから話が始まり、
> > そのうち雑談の方がメインになってから、もう数ヶ月が経ってますし、
> > 今では話題もかなり脱線してますので、そろそろ話を切り上げる頃合いかも知れませんね(笑)。

> こちら、正直少々負担に思うようになってきていました。
> すみませんがでは切り上げさせて頂きたいです。
> していた雑談自体は楽しかったです、ありがとうございました。
> > もちろん、ここで仕切り直して、例えば今度は公孫竜さんの方から、
> > 雑談のネタを振って下さっても一向に構いませんけどね!!

> ありがとうございます、ではまた機会があったらよろしくお願いします!

そうですね、また機会がありましたら(笑)。
ありがとうございました。


[21422] Re:では、これにて雑談終了という事で(笑)返信 削除
2017/12/8 (金) 22:05:28 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
> > > もちろん、ここで仕切り直して、例えば今度は公孫竜さんの方から、
> > > 雑談のネタを振って下さっても一向に構いませんけどね!!

> > ありがとうございます、ではまた機会があったらよろしくお願いします!

> そうですね、また機会がありましたら(笑)。
> ありがとうございました。

ありがとうございました。


[21429] Re2:では、これにて雑談終了という事で(笑)返信 削除
2017/12/14 (木) 19:30:53 徳翁導誉

> > そうですね、また機会がありましたら(笑)。
> > ありがとうございました。

> ありがとうございました。

すみません・・・・
最後に書き忘れがあったので、余談ながら少し追加。
雑談の流れ的に、このスレッド内に書いておきたかっただけで、
別に大した話ではないですから、返信は無くて構いません(笑)。

> > > あと、こちらは私自身まだ読んでいないのですが、つい先日も、
> > > 岩崎周一『ハプスブルク帝国』という、若手研究者による通史本が出版されたみたいです。
> > > ネットの書評を見ると、なかなか良さそうなので、そのうち機会があれば読むと思いますが、
> > > 前の両名は昭和世代の研究者なので、今だと、こちらの方が文章的に読みやすい可能性も?

という事で、先日この本を読了。
400ページを超える、新書としてはかなりのボリュームでしたが、
確かに評判通り、ハプスブルク家800年の歴史が、
コンパクトながら、実にバランス良く纏められていましたし、
啓蒙書と学術書の橋渡しを目的に書かれており、内容も非常に堅実でした。
もちろん、1冊で語る通史なので、どうしても話の展開はダイジェストとなり、
使用されてる用語も、高校の世界史レベルの予備知識は必要な感じでしたけど、
そうした事情を踏まえた上でしたら、十分にオススメできる1冊だと思いました。

岩崎周一「ハプスブルク帝国(講談社現代新書)」
https://www.amazon.co.jp/dp/4062884429

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