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[21328] Re:中国史の名将や名臣たち返信 削除
2017/9/20 (水) 20:46:31 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
> > 南方は県都だけだとスカスカなのは確かなので、
> > 周辺の地名が分からない場所などは例えば「□□城東部」とかいった表現になります。
> > 中原の密度に合わせることを考えるとこのくらいのマスにしたいのです。

> でもまあ逆説的に考えると、都市が密集せずスカスカな地域というのは、
> 地形の影響によって、多くの人口を養えなかったり、支配が及ばなかったりって事ですからねえ。
> そう考えれば、そうした地域は無理してマスを埋めようとせずに、
> 敢えて空白にする事により、山脈などの地形効果を表してみるのも、1つの方法かも?

山とか人口の居ないマスも作りますが、そこも名前を何かしら振るつもりです。
マップに名前を振り始めましたが、南方よりも匈奴や鮮卑の領域に名前を付けるのが難しいことに気づきました。
南蛮や羌は「城」の代わりに「聚」と名付けた場所をそれっぽい場所に配置してごまかしていますが、
匈奴や鮮卑がそもそもどういう暮らし方をしているのかイメージも湧かず、名前を付けるのに困ってしまいました。
中華の領域での戦乱を表現したいだけなのに鮮卑のほうで躓いたというのは皮肉な気もします。
マップは64×64で一旦作ってみますが、実際ゲームに使うとなると大きいとは思っているので、
作ってみてイメージを掴んだら縦横半分くらいのサイズに再構成しようかなと思っています。
ゲームのコンセプトとしては、「派閥もの」「何もかもが足りない」をイメージしています。
ちなみに作成に当たって言語はJavaを使っています。
プレイヤー以外の動き(昔の意味でのAI)を作る要領がまだわかっていないですが。
…雑談と言っても、こんなに色々ここに関係なさそうなことを書くと他の方に迷惑がられないかな、とは思っていますが…。

> > > 「中国歴史地図集」のサンプル地図が豊富に掲載されていたので、ついでに貼っておきます。
> > > http://www.guoxue123.com/other/map/zgmap/index.htm

> > これは良さそうです!
> > 本当にありがとうございます!

> お役に立ちそうであれば、良かったです。
> ただ、値段の事もありますけど、それ以上に大変そうなのは、
> 中国で出版された本を、日本の「書店で買う」というのが、なかなか難しい事ですよね?
> 神保町まで行けば、東方書店や内山書店など、中国語の書籍を専門的に扱う書店はありますけど、
> それ以外の所で、中国で発行された本を売ってる店を、私は見た事がありませんし・・・・

役に立っています!
いまのところ、そこのページの参照で足りていますが、買う価値は感じているので、
値段がまだ分かっていませんが、ネットで買えるならその手段も考えるべきかなと思っています。これから調べます。

> > でも、戦国七雄だと燕が一番好きなのは楽毅の存在が大きく貢献していると思います。
> > (燕でいうと郭隗の業績が大きいと思いますが楽毅のインパクトが強い)

> 「まずは隗より始めよ」の郭隗ですね(笑)。
> こうした文官エピソードがお気に入りという事であれば、
> 唐代の「貞観政要」と、宋代の「名臣言行録」がオススメですね。
> 両方とも歴史的な名著ですので、既にご存知かも知れませんが、
> 多くの名臣を輩出した両王朝の、文官エピソードをまとめた2冊です。
> 中国古典の翻訳本として、昔から何冊か出版されてますけど、
> 一昨年、ちくま学芸文庫から抄訳版が出版されて、より手にしやすくなったかと?

文官エピソードは多くは知っていないですが好きです。
ちくま学芸文庫からは以前、史記の抄訳本を買ったことがあるので、個人的には信頼度もありますし、欲しいものが増える一方ですw

> > 楚漢戦争期の韓信(淮陰侯とか言われるほう)と戦国末期の楽毅は印象に大きく残ります。
> > 別の時代にもそれぞれこういった怪物な人材はいると思いますが、
> > 知っている時代だとこの2名が凄く大きく見えます。

> 楚漢の時代ですと、やはりNo.1は韓信でしょうねえ。
> と言いますか、中国史上で見ても、韓信は一二を争う名将だと思います。
> かなり昔ですけど、ネットの雑談で「世界史の名将ランキング」を考えた時に、
> 個人的に5つの項目をもうけて、各将を採点した事があったのですが、
> 中国史からトップ10入りしたのが、韓信(楚漢)と李靖(唐初)の2人でしたので。

世界史上だとどういうランキングなのか気になります。
(物心ついた頃には中国史の本が家にあったのがきっかけで)現状知識が中国史寄りですが、他の地域のも知りたいというのはあるので。

> 以前も少し書きましたが、農耕民の住む中国大陸と、遊牧民の住むモンゴル高原の境に位置する上、
> その立地から、半農半牧の狩猟民である住む満州がすぐ側にあり、
> 加えて、渤海に突き出した半島が海への玄関口として、対岸の山東半島とも深く結びつき、
> 更には、朝鮮半島の付け根でもある為、そこから朝鮮や日本とも繋がってますからねえ。
> あまり意識される事はありませんけども、実は遼東と言うのは、
> 東洋における「文明の交差点」なんですよね!!

なるほど、言われると納得する一方、もっと知りたくなりました。知りたいことがたくさん見つかって嬉しい悲鳴です。

> > > ですから、「なぜ嫌いなんだろう?」と深く掘り下げて考えると、
> > > 思わぬ黒歴史の記憶を掘り起こしてしまうなんて事も、意外とあったりします(苦笑)。

> > すみませんが意味がちょっと分かりませんでした。詳しく聞きたいです。

> いや単純に、「好き」と感じるモノは、それに対する何らかの「良い記憶」が元になっており、
> 「嫌い」と感じるモノは、それに対する何らかの「悪い記憶」が元になってるって事ですね。
> で、嫌いの根元となる理由を自らの記憶から掘り返そうとすれば、
> 昔の腹立たしい出来事や恥ずかしい出来事など、封印していた記憶の扉を開けてしまう事になると(笑)。

なるほど…思い返せば腹立たしい出来事がいくらでも出てきますし、そういうのが無意識に反映されているかもしれません。

> で、その教科書を監修したのでも、このバッシング運動を行っているのも、
> 道徳の教科化を進めたのも、同じ人たちという事で、随分とキナ臭い世の中になったなぁと。

そうなのですね、さすがにこれは少し調べました。自分では見つけられませんでしたが。
こういうことにおいて、まずは「知る」ことが力になるのかなと思います。

> > こちらが知識を貰ってばかりになってしまっている感じがして恐縮です。
> > こうやって雑談しているからにはお互い得るところがあってほしいものですが…。

> いえいえ、ただの雑談なんですから、そんな恐縮とかしなくて良いですよ(笑)。
> まあ、こういうのも「巡り巡って」の一種なんだと思いますし、
> (「巡り巡って」より、「お互い様」や「情けは人の為ならず」の方が伝わりやすいかな?)
> それに実際、こうした雑談する事で、私の中でもバラバラだった情報が整理されたり、
> 改めて考えてみる事で、思わぬ発見とかがあったりするのも事実ですからねえ。
> また、知らない話を教えて貰ったり、新たな分野に関心を持つキッカケになったり、
> 思わぬ視点に気付かされたりなど、ここでの雑談から色々と得る機会も少なくありませんし。

そちらがそれでも大丈夫ということであれば安心しました。
身勝手かもしれませんがどうも自分では役に立てていない状態というのが耐えられないもので…。


[21338] 世界史の名将ランキング・日中十傑&遊牧民の生活返信 削除
2017/9/28 (木) 19:31:23 徳翁導誉

▼ 世界史の名将ランキング
> > > 楚漢戦争期の韓信(淮陰侯とか言われるほう)と戦国末期の楽毅は印象に大きく残ります。
> > > 別の時代にもそれぞれこういった怪物な人材はいると思いますが、
> > > 知っている時代だとこの2名が凄く大きく見えます。

> > 楚漢の時代ですと、やはりNo.1は韓信でしょうねえ。
> > と言いますか、中国史上で見ても、韓信は一二を争う名将だと思います。
> > かなり昔ですけど、ネットの雑談で「世界史の名将ランキング」を考えた時に、
> > 個人的に5つの項目をもうけて、各将を採点した事があったのですが、
> > 中国史からトップ10入りしたのが、韓信(楚漢)と李靖(唐初)の2人でしたので。

> 世界史上だとどういうランキングなのか気になります。

まず5項目というのは、こんな感じでしたね。
 1.歴史(巨大な帝国を築いたり、時代に影響を与える勝利を得た人物)
 2.名声(その時代や国家の象徴として、今でも人気や高名を博す人物)
 3.理論(戦術や兵器に革命を起こしたり、優れた組織運営を見せた人物)
 4.用兵(寡兵で大軍を破る采配や、勝機を逃さぬ決断ができた人物)
 5.戦績(数多くの勝利や生涯無敗など、勝敗面での成果を残した人物)

そして、この5項目をそれぞれ10点満点で採点して、合計点でランキング化したと。
ただ、こうして項目別に細分化して採点すると、客観的で平等な評価にはなるんですけど、
どうしても第一印象とは微妙にズレる傾向にあるのが、実際には少し難しい所・・・・
ちなみに以前、第一印象だけで並べた時は、こんな感じ↓でした。
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r12031
ともかく、見やすいように100点満点に置き換えた上で、70点以上の名将を並べてみました。
(厳格に採点したのは80点前後までで、70点代には未採点で漏れてる人物もまだ居るかと?)

 94点 ナポレオン(1769〜1821 フランス第一帝政)
 92点 アレクサンドロス大王(前356〜前323 マケドニア王国)
 90点 ハンニバル(前247〜前183 共和政カルタゴ)
 88点 チンギス・ハーン(1162〜1227 モンゴル帝国)
     大モルトケ(1800〜1891 プロイセン王国→ドイツ帝国)
 86点 李靖(571〜649 唐王朝)
     ネルソン提督(1758〜1805 グレートブリテン王国)
 84点 韓信(前231〜前196 漢王朝)
     グスタフ・アドルフ(1594〜1632 スウェーデン王国)
 82点 スキピオ・アフリカヌス(前236〜前183 共和政ローマ)
     ベリサリウス(505〜565 ビザンツ帝国)
     ティムール(1336〜1405 ティムール帝国)
 80点 テミストクレス(前524〜前459 都市国家アテネ[古代ギリシャ])
     スブタイ(1176〜1248 モンゴル帝国)
     スヴォーロフ(1729〜1800 ロシア帝国)
 78点 ハーリド・イブン・アル=ワリード(592〜642 イスラム帝国)
     バイバルス(1223〜1277 マムルーク朝[エジプト])
     フリードリヒ大王(1712〜1786 プロイセン王国)
     ダヴー(1770〜1823 フランス第一帝政)
 76点 キュロス大王(前600〜前529 アケメネス朝[古代ペルシャ])
     孫武(前544年〜紀元前496 呉[春秋])
     カエサル(前100〜前44 ローマ帝国)
     マウリッツ(1567〜1625 ネーデルラント共和国)
     ウェリントン公ウェルズリー(1769〜1852 グレートブリテン王国)
 74点 トトメス2世(前1400年代 古代エジプト第18王朝)
     エパミノンダス(前418〜前362 都市国家テーベ[古代ギリシャ])
     ゴンサロ・フェルナンデス(1453〜1515 スペイン王国)
     イスマーイール1世(1487〜1524 サファヴィー朝[ペルシャ])
     シャルンホルスト(1755〜1813 プロイセン王国)
 72点 サラディン(1137〜1193 アイユーブ朝[エジプト])
     徐達(1332〜1385 明王朝)
     ヤン・ジシュカ(1374〜1424 フス派教徒[ボヘミア])
     スレイマン1世(1494〜1566 オスマン帝国)
     ヴァレンシュタイン(1583〜1634 神聖ローマ帝国)
     マールバラ公チャーチル(1650〜1722 イングランド王国)
     プリンツ・オイゲン(1663〜1736 ハプスブルク帝国)
     ナーディル・シャー(1688〜1747 アフシャール朝[ペルシャ])
     ロバート・E・リー(1807〜1870 アメリカ合衆国→アメリカ連合国)
 70点 フィリッポス2世(前382〜前336 マケドニア王国)
     ターリク・イブン・ズィヤード(670〜720 ウマイヤ朝[イスラム帝国])
     カール大帝(742〜814 フランク王国)
     耶律大石(1087〜1143 遼王朝→西遼帝国)
     アクバル(1542〜1605 ムガル帝国)
     テュレンヌ(1611〜1675 フランス王国)
     グデーリアン(1888〜1954 ナチス・ドイツ)
     ヴォー・グエン・ザップ(1911〜2013 北ベトナム)

P.S.
各項目には、満点を超える11点と12点を付ける「伝説的な英雄」枠を、
以下のように、それぞれ1人ずつ設けてあります(要するに下駄を履かせてあると・笑)。
 歴史 12点:チンギス・ハーン 11点:ワシントン
 名声 12点:アレクサンドロス大王 11点:関羽
 理論 12点:ナポレオン 11点:大モルトケ
 用兵 12点:ハンニバル 11点:韓信
 戦績 12点:ベリサリウス 11点:スヴォーロフ

特別点を与えられてランク入りしなかった所だと、ワシントンが60点、関羽が50点でした。
それでも、軍人ワシントンがもたらした、アメリカ独立戦争での勝利は、
その後の世界の歴史に、多大なる影響を残したのは確かですし、
関羽にしても、史実はどうあれ、彼を神として祀る関帝廟が中国全土どころか、
中華街の拡大により、それこそ世界各地に建てられてる程ですからねえ。
特に日本の場合、もちろん横浜や神戸の中華街にも、立派な関帝廟がありますけど、
江戸初期に日本へ伝わり広まった仏教の黄檗宗に、関羽信仰が含まれていた為、
出版文化の発展に伴う中国史ブームも相まって、既に江戸時代から特別な人気がありました。

▼ 日本と中国の名将十傑?
> (物心ついた頃には中国史の本が家にあったのがきっかけで)現状知識が中国史寄りですが、
> 他の地域のも知りたいというのはあるので。

でも正直な所、私は理系ですし、現在みたいに世界史が必修化される前だったので、
ちゃんと学校で習った知識自体は、中学生レベルで止まっていたり(笑)。
それ以上は独学ですから、どうしても分野的な知識の偏りはあるでしょうし・・・・
という事で、私の歴史知識も、基本的には日本史と中国史に偏りがちですね。
最初は、司馬・陳・宮城谷の歴史小説や、コーエーの歴史ゲームの影響も大きかったかな?
(ただまあ今では、歴史小説も歴史ゲームも、すっかり御無沙汰ではありますど)
ちなみに、私の「徳翁導誉」というハンドル名であるも、
南北朝時代のバサラ大名・佐々木道誉の法名から採っていたりします。

ちなみに、上記の名将ランキングですが、
日本人のトップは66点で東郷平八郎、次いで64点で織田信長でした。
ランクインこそ逃しましたが、ただし「海将十傑」とか選ぶ形であれば、
誰が選んでも間違いなく、東郷はランクインしてくる人物だと思います。
東郷本人がどうあれ、日本海海戦は世界の海戦史上でもトップ5に入る勝利でしたので。
あと、個人的な第一印象では、古代なら阿倍比羅夫、源平なら木曽義仲、南北朝なら北畠顕家、
戦国なら小早川隆景、幕末明治なら立見尚文といった所が、パッと浮かぶのですが、
前述の通り、やはり項目分けして採点すると、微妙に順位は変わって来ちゃうんですよねえ(笑)。
(阿倍比羅夫の略説だけは、以前企画倒れに終わった日本名将TOP10のスレッドにあります)
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r12254
まあ逆に、一般的な人気や知名度から日本史上の十傑を選ぶとすれば、
源義経・楠木正成・武田信玄・上杉謙信・織田信長
大村益次郎・乃木希典・東郷平八郎・山本五十六・山下奉文って所が来るのかな?
(朝敵なので名将のイメージには合わないものの、知名度重視なら平将門inで山下out)

う〜ん、正直な所、日本史は身近で知り過ぎてる分、却ってスパッと単純には選び難いですし、
明治以前の日本史は、基本的に小さな島国の中での話で世界史的な影響度が小さい上に、
そもそも日本の社会自体が、1人の有能な人物がトップで仕切るよりも、
良くも悪くも組織で分担して動く文化なので、誰か1人を選ぶのは向かないんですよね。
って、「組織で動くから、個人での評価が難しい」という部分に関しては、
20世紀以降はWW1やWW2など、日本に限らず、近代国家はどこもそんな感じになりますけども。
加えて近現代の戦争は、物量と技術の効率的運用が勝敗を決める時代となって、
個人的才覚で戦局を好転させたりとか、まず困難になりましたし(悪転なら可能ですが・苦笑)。
逆に言うと、20世紀からランクインした2人に関しては、
グデーリアンが電撃戦の生みの親であり、ザップが近代ゲリラ戦の体現者だったからですね。
と、何だか途中から、「戦争の世紀」と言われ、有名人も多い20世紀から、
ランク入りした人物が少ない理由の説明みたいな感じで、少し話が脱線してしまいました・・・・

まあ、日本人がこうした順位を考える場合、日本史みたいに近過ぎず、世界史ほど縁遠くない、
適度な距離感と知識のある中国史の方が、意外と妥当な評価が行えるのかも知れませんね(笑)。
世間的な人気を加味しつつ、中国人(漢民族)の将軍十傑を選ぶと、こんな感じでしょうか?
一般人気だと、どうしても「救国の英雄」補正みたいなモノが掛かるのですが、
でも冷静に考えれば、そうした名声も「名将」には重要な要素であろうかと。
 孫武(春秋)・白起(戦国)・韓信(漢初)・霍去病(前漢)・周瑜(三国)
 李靖(唐初)・郭子儀(唐末)・岳飛(南宋)・徐達(明初)・袁崇煥(明末)

単に人気だけであれば、神格化の域に達した太公望・関羽・諸葛亮などは別格ですし、
(一応、太公望こと呂尚は羌族出身なので、今回みたいに漢民族縛りだと外れるのかな?)
君主もOKなら、後漢の劉秀・魏の曹操・唐の李世民・宋の趙匡胤・明の朱元璋といった開祖たちも居ます。
ただ、劉秀&岑彭、曹操&郭嘉、李世民&李靖、趙匡胤&曹彬、朱元璋&徐達みたいに、
君臣とも優秀だと、評価の線引きが難しい所(劉邦&韓信みたいな感じなら、解り易いんですけどね・笑)。
そして、開祖であり神格化もされてるという意味では・・・現王朝の毛沢東も入るのかな?(笑)
って、冗談っぽく言ってますけど、時代が近過ぎるから欠点がいろいろ見えてしまうだけで、
歴史として客観的に評価すれば、毛沢東も十分に優れた偉人である事は確かですがね。
あとは次点組として10人を挙げれば、このあたりが来る感じでしょうか?
 呉起(戦国)・班超(後漢)・陸遜(三国)・王猛(五胡)・劉裕(南北)
 柴栄(五代)・孟【王共】(宋末)・戚継光(明末)・左宗棠(清末)・朱徳(中共)

もちろん、三国志や春秋戦国のファンからすれば、もっと入れたい武将は挙がるでしょうし、
他にも歴史小説ファンの人でしたら、田中芳樹が「奔流」で描いた陳慶之(南北)や、
北方謙三が「楊家将」で描いた楊業(五代)あたりも、入れたがるかも知れませんけど。

▼ 遊牧民の生活
> > > 南方は県都だけだとスカスカなのは確かなので、
> > > 周辺の地名が分からない場所などは例えば「□□城東部」とかいった表現になります。
> > > 中原の密度に合わせることを考えるとこのくらいのマスにしたいのです。

> > でもまあ逆説的に考えると、都市が密集せずスカスカな地域というのは、
> > 地形の影響によって、多くの人口を養えなかったり、支配が及ばなかったりって事ですからねえ。
> > そう考えれば、そうした地域は無理してマスを埋めようとせずに、
> > 敢えて空白にする事により、山脈などの地形効果を表してみるのも、1つの方法かも?

> 山とか人口の居ないマスも作りますが、そこも名前を何かしら振るつもりです。
> マップに名前を振り始めましたが、南方よりも匈奴や鮮卑の領域に名前を付けるのが難しいことに気づきました。
> 南蛮や羌は「城」の代わりに「聚」と名付けた場所をそれっぽい場所に配置してごまかしていますが、

う〜ん、中華から見て辺境に位置する場所の名前となりますと、
直接支配が及ばない異民族の統治エリアは「○○部」(厳密には地域名ではなく部族名)、
中央から軍隊を派遣して支配の拠点化してるエリアは「○○鎮」みたいな感じでしょうか。
有力所だと、チャハル部とか、ハルハ部とか、タタル部とか、聞いた事は無いですかねえ?
ちなみにモンゴルという国名や地名も、チンギス・ハーンがモンゴル部の出身だった事に由来します。
一方で鎮の方は、後に隋や唐を建国する事となる武川鎮の軍閥とかが有名ですね。

でもまあ三国志の当時だと、そうした長城外の辺境地まで中華の支配は及んでませんから、
「○○部」だけの方が無難そうですけど、それでも当時から情報が少なかったのは事実で・・・・
特に北方の遊牧民は、あの頃、まだ文字を持ってませんでしたから、
どうしても中国側の文献頼りになるのですが、中国も内乱期でそれ所じゃなかったので、
記録に多く残っているのは、長城の内側に移住した南匈奴の事がほとんどだったり。
しかし逆に言えば、南匈奴の事は解ってる訳ですし(曹操は南匈奴を五部に分割して間接統治)、
もう思い切って、長城の外側に関してゲーム的に切り捨ててしまうのも一案かも?

> 匈奴や鮮卑がそもそもどういう暮らし方をしているのかイメージも湧かず、
> 名前を付けるのに困ってしまいました。

前述のように、当時の北方遊牧民は文字を持たず、自分たちで記録を残しませんでしたから、
どうしても解らない部分は多いのですが、それでも遊牧民の生活自体は結構解っています。
文字通り、遊牧の生活でしたから、農耕民みたいに定住する訳ではなく、
季節や天候などに応じて、牧草地を求めて各地の縄張りを転々として暮らしてました。
ですから、農耕民の土地みたいに、細かく地名が付けられる訳で無かったので、
中国側では便宜的に、そこを縄張りとする部族の名前で大雑把に呼ぶしか無かったのかと。
それに、部族名すら把握できてれば良い方で、影響力が乏しければ、それすら不明な時代もありました。

で、話を遊牧民の生活に戻しますと、基本的には数十人規模の家族集団があり、
自然に生えてる牧草をエサにして馬や羊などを飼い、時には狩猟などをして暮らしていたので、
次々に牧草を得る為にも定住する訳にも行かず、移動式テントで季節ごとに移住していました。
そして牧草地も農地と同じで、やはり良い土地もあれば、悪い土地もあるんですよね。
ですから、良い牧草地を自分たちの縄張りとし続けるには力が必要ですし、
天候不順の年とかになれば、縄張りとする牧草地を奪われる危険性も高まります。
だからこそ、移動生活をする家族集団は、部族という更に大きな集団に属する事になると。
まあ解りやすく言えば、ヤクザの組みたいなモノで、親分の庇護を受けるような感じです(笑)。
そして、遊牧民の社会が実力主義なのは、牧草地の有無が家族の生死に直結しているからでした!!

なので有能な大親分が現れると、寄らば大樹の陰とばかりに、一気に集団が巨大化する為、
中国側から見ると、いきなり遊牧民の大帝国が出現したかのように映ります。
戦闘上手と言われる遊牧民ですが、別に彼らも好き好んで流血沙汰をしたい訳ではなく、
実力ある大親分がキチンと利害を調整してくれるなら、それが理想的だったんですよね。
ですが一方で、頼るべき大親分が消えてしまえば、大帝国も嘘のように瓦解してしまうのですが、
瓦解しても部族集団や家族集団は残るので、新たな大親分が現れれば再び巨大勢力と化すと。
それを恐れて、時に中国側は部族や家族といった集団自体を潰そうとするのですが、
都市や農地を潰せば良い農耕民と違い、遊牧民は別の牧草地に移り住むだけで、徒労に終わるので、
まあ結局は、大親分が現れないよう内部分裂させておくのが、中国側の基本戦略になります。
しかし、そんな群雄割拠を勝ち抜く大親分が現れれると・・・中国側まで征服されるなんて事も(苦笑)。

そもそも遊牧民は馬上生活ですので、騎馬の機動力を存分に活かす事に長けてますし、
日常的に移動生活を行っているので、それこそ遠征なんて慣れたモノなんですよね。
そして攻撃力の方も、狩猟で用いてる弓矢が、そのまま遠距離攻撃の武器となる為、
いざ戦争となれば、男たちはすぐに優秀な兵士に変わり、家族もすぐに後方の兵站基地に変わります。
まあ言うなれば、家族や部族という生活集団が、簡単に戦闘集団へと転じられる仕組みな訳ですね。
しかも、遊牧民には防御すべき都市や農地も無いので、劣勢となれば家族ごと逃げてしまえば良いと。
農耕だと確かに多くの人口を養えますけど、その社会の維持に要する労力も多岐に渡る為、
定住者の兵士は全住民の3〜4%が限度と言われており、しかも遠征ともなれば経費も莫大となり、
その上、実力社会ではなく秩序社会の住人で、戦闘慣れもしてなければ、やはり兵士の強さが違います。
この力関係を逆転するには、鉄砲や大砲といった火器の発展を待たなければなりませんでした。

一方で、そんな遊牧民にも弱点があるとすれば、それは圧倒的な人口の少なさでしょうね。
やはり遊牧生活では、養える人口に自ずと限りが出てきます。
それでも農耕生活を行わなかったのは、寒冷で、水も不足し、痩せたモンゴル高原では、
農業をしようとしても上手く行かず、逆に言うと、牧草くらいしか育たないからでした。
しかし、遊牧生活だけでも生活に必要な最低限の品(羊の肉・毛・乳)は揃うものの、
ビタミン補給用の茶葉や、補食としての穀物、家を飾る工芸品などは、外部から入手する必要があり、
その為に彼らが行ったのが、機動力を活かした交易であり、攻撃力を活かした略奪や恐喝でした。

そして、時には金品だけでなく、職人や農民を連れ帰る事もありましたね。
まあ職人の方は、工芸品を自主生産する為なので解りやすいですけど、
農民を連れてくるのは、そんな高原地帯にも少しは農業に適した土地があり、
穀物も少しくらいは自主生産しようとした為でした(実際に作るのは漢民族の農奴ですけど)。
って、今の感覚からすると、随分と酷い話に聞こえますけど、彼らの論理からすれば、
勝手に入植してきて開墾を始め、自分たちの縄張りである牧草地を潰した漢民族を、
農耕に適した土地へと再入植させて、潰された農地の再生を待っただけの話なのかも?
逆に現在の共産党政権では、土地の特性を考慮しない大規模な開墾計画の失敗により、
農地どころか牧草地としても使えなくなり、砂漠化を進行させてしまいました(泣)。
そこで日本側の支援により、植林作業による緑化が進められているのですが、
そもそも「緑化=良い事」という発想自体が、農耕民の勝手な思い込みである為、
善意で行う日本の活動も、現地では思わぬ反感を買ってしまっている側面も・・・・

と、何だか少し話が脱線してしまいましたけど、こうした高原地帯で、
良い牧草地であったり、農耕に適した土地というのは、やはり水に恵まれた河畔や湖畔なんですよね。
という事で、地名として「○○部」と付けるのに抵抗があるようであれば、
河川や湖の名前は結構残っていますし、「○○河畔」や「○○湖畔」と付けるのはどうでしょう?
河畔上流部とか、湖畔北東部とか、小分けにすればエリア数も増やせますしね。

> 中華の領域での戦乱を表現したいだけなのに鮮卑のほうで躓いたというのは皮肉な気もします。
でもまあ、ある意味で中華文明の歴史というのは、
中原の農耕民だけでなく、「北方の遊牧民も居てこそ」という面はありますからねえ。
絶える事のない、農耕社会と遊牧社会の定期的な衝突や融合があったればこそ、
文明としての発展や拡大が続いた訳で、もしも、それが無ければ、
他の古代文明と同様に、早期の消滅や停滞は免れなかったかも知れません・・・・
そういう意味では、確かに三国志自体は中華の内部に限定された動乱でしたけど、
それは同時に、周囲の異民族が流入する五胡十六国時代のキッカケを作った訳で、
「魏晋南北朝」という1つの大きな時代として見た場合、三国志はまさにその導入部なんですよね。

▼ それら以外の話題
> マップは64×64で一旦作ってみますが、実際ゲームに使うとなると大きいとは思っているので、
> 作ってみてイメージを掴んだら縦横半分くらいのサイズに再構成しようかなと思っています。
> ゲームのコンセプトとしては、「派閥もの」「何もかもが足りない」をイメージしています。
> ちなみに作成に当たって言語はJavaを使っています。

JAVAですか、私も随分前に少し弄った事はありますね。
ただ私の場合、そこまで高級なプログラム言語は結局必要なかったので、
最終的には、ブラウザで動いてネットとの相性も良い、
JavaScriptの方がメインになってしまいましたけども(笑)。
でもまあ、ブラウザ上で動くJavaScriptというプログラム言語は、
ゲームをダウンロードしてもらうという、大きなハードルが無いので手軽ですし、
オープン・ソースですから、いろいろと意見を得やすいので、利点も結構多いです。
逆に言うと、製品版として販売しようとか考えたら、不向きな言語ですけども。

> プレイヤー以外の動き(昔の意味でのAI)を作る要領がまだわかっていないですが。
コンピューターの思考ルーチンに関しては、昔は「COM」とか呼んでましたね。
由来とか特に気にしてませんでしたが、恐らくコンピュータの頭文字なのかなぁ?
ともかくこの部分は、シミュレーション・ゲームを作る上で、最も困難な所だろうと思います。

「信長の野望」などの光栄ゲームは、この部分の貧弱さが、ユーザーには最も不評でしたし、
その為に、思考ルーチンの弱さを物量チートで補う方法が、更に不興を買っていました(笑)。
だからこそ逆に、思考ルーチンが強かった「天翔記」は、シリーズでも屈指の人気を誇り、
それでも満足できないユーザーは、更にシビアで手応えのある「天下統一」に流れていきました。
(おかげで、2001年に発売された天下統一3が酷い出来だった時は、阿鼻叫喚の地獄絵図に・苦笑)

で、インターネットの登場と普及により、同好の士を見つけ易くなった当時、
ユーザー間で語られていた内容と言えば、ライトな話題だと武将能力値の増減や新設とかで、
マニアックな方は「どうすれば手強いCOMで満足できるゲームになるか?」みたいな感じでした。
まあ当時は、今みたいにコンピューターの性能も良くなかったですし、
囲碁や将棋でAIが勝つなんて夢物語な頃でしたからねえ・・・・
という事で、最終的には「強いCOMを作れるゲーム・システム案」みたいな、
逆方向からのアプローチとかまでやってましたね。
要するに、コンピューターが得意とする分野から、ゲームを構築していけば強いはずと!!
その一方で私は、「手強い敵が欲しいなら、何もCOMに拘る必要もないのでは?」と、
人間が対戦相手となる、「多人数ゲーム」を試し始めたという経緯もあったり(笑)。

> …雑談と言っても、こんなに色々ここに関係なさそうなことを書くと
> 他の方に迷惑がられないかな、とは思っていますが…。

いやいや、もう十数年も前の事なので、私以外は誰も覚えてないと思いますけど、
そもそも、ここの掲示板は、そうした「歴史とゲーム」を語る場所でしたからねえ。
関係ないどころか、むしろ本来の設置理由だったりします!!(笑)
そして、長文で語っても他の記事の邪魔にならないよう採用されたのが、
今となっては珍しい、このツリー・スレッド形式の掲示板ですから、その点も大丈夫かと?

> > > でも、戦国七雄だと燕が一番好きなのは楽毅の存在が大きく貢献していると思います。
> > > (燕でいうと郭隗の業績が大きいと思いますが楽毅のインパクトが強い)

> > 「まずは隗より始めよ」の郭隗ですね(笑)。
> > こうした文官エピソードがお気に入りという事であれば、
> > 唐代の「貞観政要」と、宋代の「名臣言行録」がオススメですね。
> > 両方とも歴史的な名著ですので、既にご存知かも知れませんが、
> > 多くの名臣を輩出した両王朝の、文官エピソードをまとめた2冊です。

> 文官エピソードは多くは知っていないですが好きです。

ならば、やはり気軽に読めるのは陳舜臣「小説 十八史略」ですね(笑)。
あの作品は戦乱期だけでなく、泰平期も時代として扱っているので、
そうした泰平の時代は、当然ながら文官エピソードが話のメインとなります。
また、もっと手っ取り早く読みたいとなれば、宮城谷昌光の作品群に、
「春秋名臣列伝」「戦国名臣列伝」「楚漢名臣列伝」の3部作もありますし、
余計な物語など要らなければ、「中国古典の言行録」なんていう1冊もあります。
どちらも有名作家による文庫本なので、手に入れやすく安いのも魅力の1つです(笑)。

> > 中国古典の翻訳本として、昔から何冊か出版されてますけど、
> > 一昨年、ちくま学芸文庫から抄訳版が出版されて、より手にしやすくなったかと?

> ちくま学芸文庫からは以前、史記の抄訳本を買ったことがあるので、
> 個人的には信頼度もありますし、欲しいものが増える一方ですw

文庫は「中公文庫・ちくま学芸文庫・講談社学術文庫・岩波文庫」が四天王ですね(笑)。
(ちなみに新書の方だと、「中公新書・講談社現代新書・岩波新書」が御三家かな?)
この中の4レーベルだと、ちくま学芸文庫は新参者ですけど、
1999年に中央公論が読売新聞に買収されて以降は、中公文庫の質も落ち来ていているので、
(学術的価値は高いけど、売れない本を多産した事で、中公の経営が傾いたとも言えますが・苦笑)
私個人の印象だと、文庫御三家の地位は、既に交代している感じですね。
特に、ちくま学芸文庫の青版(科学系)のラインナップは、理系の私としては本当に頭が下がります。
あと、既に廃刊となってますが「学研M文庫」も、海外の戦史関連に意外と掘り出し物が多いです。
「南北戦争 49の作戦図で読む詳細戦記」などは、私の蔵書の中でもトップ10入りしています。

> > 以前も少し書きましたが、農耕民の住む中国大陸と、遊牧民の住むモンゴル高原の境に位置する上、
> > その立地から、半農半牧である狩猟民の住む満州がすぐ側にあり、
> > 加えて、渤海に突き出した半島が海への玄関口として、対岸の山東半島とも深く結びつき、
> > 更には、朝鮮半島の付け根でもある為、そこから朝鮮や日本とも繋がってますからねえ。
> > あまり意識される事はありませんけども、実は遼東と言うのは、
> > 東洋における「文明の交差点」なんですよね!!

> なるほど、言われると納得する一方、もっと知りたくなりました。
> 知りたいことがたくさん見つかって嬉しい悲鳴です。

知的好奇心は成長の原動力だと思いますので、
「知りたい事が、たくさん見つかる」というのは、
大変かも知れませんが、それはそれで良い事なのでは?(笑)

> > いや単純に、「好き」と感じるモノは、それに対する何らかの「良い記憶」が元になっており、
> > 「嫌い」と感じるモノは、それに対する何らかの「悪い記憶」が元になってるって事ですね。
> > で、嫌いの根元となる理由を自らの記憶から掘り返そうとすれば、
> > 昔の腹立たしい出来事や恥ずかしい出来事など、封印していた記憶の扉を開けてしまう事になると(笑)。

> なるほど…思い返せば腹立たしい出来事がいくらでも出てきますし、
> そういうのが無意識に反映されているかもしれません。

まあ私は専門が物理なので、全ての結果には原因がある(いわゆる因果律)と思っており、
心や魂でさえ、所詮は脳内の化学反応でしかないと考えてますからねえ・・・・
ですから感情に関しても、脳がそう処理しているからであり、
脳がそう処理するのにも、何らかの理由があって事であると見ています。
で、その理由こそが、アレルギーなどの身体的反応か、過去の体験からの精神的反応かであると。

> > で、その教科書を監修したのでも、このバッシング運動を行っているのも、
> > 道徳の教科化を進めたのも、同じ人たちという事で、随分とキナ臭い世の中になったなぁと。

> そうなのですね、さすがにこれは少し調べました。自分では見つけられませんでしたが。
> こういうことにおいて、まずは「知る」ことが力になるのかなと思います。

最初に見た記事は、確か、Yahooニュースで見掛けたような気がするのですが、
それ自体は見付からなかったので、Yahooに転載された元記事の方を貼っておきますね。
(身内による擁護記事なので、そこから情報を読み取るにはテクニックを要しますけど・笑)
http://www.sankei.com/life/news/170908/lif1709080005-n2.html

> > > こちらが知識を貰ってばかりになってしまっている感じがして恐縮です。
> > > こうやって雑談しているからにはお互い得るところがあってほしいものですが…。

> > いえいえ、ただの雑談なんですから、そんな恐縮とかしなくて良いですよ(笑)。
> > まあ、こういうのも「巡り巡って」の一種なんだと思いますし、
> > それに実際、こうした雑談する事で、私の中でもバラバラだった情報が整理されたり、
> > 改めて考えてみる事で、思わぬ発見とかがあったりするのも事実ですからねえ。

> そちらがそれでも大丈夫ということであれば安心しました。
> 身勝手かもしれませんがどうも自分では役に立てていない状態というのが耐えられないもので…。

繰り返しになりますけど、まあ雑談なんですから、
そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ(笑)。


[21349] Re:世界史の名将ランキング・日中十傑&遊牧民の生活返信 削除
2017/10/5 (木) 02:01:40 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
> > > > 楚漢戦争期の韓信(淮陰侯とか言われるほう)と戦国末期の楽毅は印象に大きく残ります。
> > > > 別の時代にもそれぞれこういった怪物な人材はいると思いますが、
> > > > 知っている時代だとこの2名が凄く大きく見えます。

> > > 楚漢の時代ですと、やはりNo.1は韓信でしょうねえ。
> > > と言いますか、中国史上で見ても、韓信は一二を争う名将だと思います。
> > > かなり昔ですけど、ネットの雑談で「世界史の名将ランキング」を考えた時に、
> > > 個人的に5つの項目をもうけて、各将を採点した事があったのですが、
> > > 中国史からトップ10入りしたのが、韓信(楚漢)と李靖(唐初)の2人でしたので。

> > 世界史上だとどういうランキングなのか気になります。

(第一印象)
>1位 韓信
(点数化ランキング)
> 94点 ナポレオン(1769〜1821 フランス第一帝政)
>〜

第一印象だと、韓信は世界史上でも1位につけていたのですね。
点数化したらナポレオンが一位になったと。
ナポレオンについては、詳しく背景は知らないのですが、
分進してくる総数2倍だったか3倍だったかの敵を先制、各個撃破したというのは聞いたことがあります。
それ以外は具体的な場面が浮かばないですが、機動力を活かす能力に長けていた印象があります。
名将といえば機動力という印象があるので、そういう意味で自分も納得です。

韓信といえば優劣を覆す用兵が印象的ですが、個人的には用兵以外でも有能だと思います。
本国から増援がないばかりか逆に兵を送りながら諸国を平定し、趙攻略前に3万だった軍が最後30万で垓下の戦いに参加しているというのは、
降伏分をある程度吸収していたとしても、自前で兵を集める能力自体も充分に持っていたということだと思います。
劣勢でも勝っている印象ですが、そもそも劣勢でなくても戦える状況を作れる、と見えるのが底知れぬ能力に思えます。
(もし損害が同じでも兵がより多く集められるのが有能だと思っていますので、個人的に、大軍で勝つ>寡兵で勝つ
 とはいえ、実際に大軍で勝つ、は注目されないので、大軍で勝つ<大軍集めれるけど寡兵で勝つ、になってるという解釈の苦悩)

話の軸からは外れてしまいましたが、楽毅は、
(燕に行ってからのものとして)戦術は変わったものがないみたいですが、戦略的に勝てる状況を作り出した(ただし不完全燃焼)ので、
そういう意味では、大軍で勝つ、に分類されるでしょうか。

> > (物心ついた頃には中国史の本が家にあったのがきっかけで)現状知識が中国史寄りですが、
> > 他の地域のも知りたいというのはあるので。

> でも正直な所、私は理系ですし、現在みたいに世界史が必修化される前だったので、
> ちゃんと学校で習った知識自体は、中学生レベルで止まっていたり(笑)。
> それ以上は独学ですから、どうしても分野的な知識の偏りはあるでしょうし・・・・

そもそも学校ではあまり内容のあるものを習った記憶がないですし、それ以外で学んだもののほうが興味深いです。
あと、自分も(自称)理数系です。
…といっても「理」と「数」で言うと「数」寄りですので「理系」という徳翁導誉さんとはまた違うかもしれません。

> ちなみに、私の「徳翁導誉」というハンドル名であるも、
> 南北朝時代のバサラ大名・佐々木道誉の法名から採っていたりします

そうなんですね、佐々木道誉という人名をそもそも知りませんでした。

> う〜ん、正直な所、日本史は身近で知り過ぎてる分、却ってスパッと単純には選び難いですし、
> 明治以前の日本史は、基本的に小さな島国の中での話で世界史的な影響度が小さい上に、
> そもそも日本の社会自体が、1人の有能な人物がトップで仕切るよりも、
> 良くも悪くも組織で分担して動く文化なので、誰か1人を選ぶのは向かないんですよね。

同感です。

> 世間的な人気を加味しつつ、中国人(漢民族)の将軍十傑を選ぶと、こんな感じでしょうか?
> 一般人気だと、どうしても「救国の英雄」補正みたいなモノが掛かるのですが、
> でも冷静に考えれば、そうした名声も「名将」には重要な要素であろうかと。
>  孫武(春秋)・白起(戦国)・韓信(漢初)・霍去病(前漢)・周瑜(三国)
>  李靖(唐初)・郭子儀(唐末)・岳飛(南宋)・徐達(明初)・袁崇煥(明末)

ありがとうございます、これから読み進めていくに当たって参考になりそうです。

> もちろん、三国志や春秋戦国のファンからすれば、もっと入れたい武将は挙がるでしょうし、
他の時代の枠を取ってまで入れるつもりはありませんが、三国志なら自分は司馬懿を押します。
人気とか名将という表現なのかとか考えると疑問はありますが、能力で選ぶなら。

> > マップに名前を振り始めましたが、南方よりも匈奴や鮮卑の領域に名前を付けるのが難しいことに気づきました。
> > 南蛮や羌は「城」の代わりに「聚」と名付けた場所をそれっぽい場所に配置してごまかしていますが、

> う〜ん、中華から見て辺境に位置する場所の名前となりますと、
> 直接支配が及ばない異民族の統治エリアは「○○部」(厳密には地域名ではなく部族名)、
> 中央から軍隊を派遣して支配の拠点化してるエリアは「○○鎮」みたいな感じでしょうか。

ありがとうございます、手掛かりになりました。

> > 中華の領域での戦乱を表現したいだけなのに鮮卑のほうで躓いたというのは皮肉な気もします。
> でもまあ、ある意味で中華文明の歴史というのは、
> 中原の農耕民だけでなく、「北方の遊牧民も居てこそ」という面はありますからねえ。

確かにそう思います。

> > 文官エピソードは多くは知っていないですが好きです。
> ならば、やはり気軽に読めるのは陳舜臣「小説 十八史略」ですね(笑)。

「十八史略(講談社学術文庫)」、「宋名臣言行録(ちくま学芸文庫)」、「貞観政要(ちくま学芸文庫)」
(ついでに「韓非子(徳間書店)」も)買いました。
陳舜臣「小説 十八史略」を勧めて頂きましたが、創作が多分に含まれているとのことなので忠実な訳に近いらしいのを買いました。
これから本格的に読みますが、ここでの話がきっかけでいい買い物ができたと思っています。

> まあ私は専門が物理なので、全ての結果には原因がある(いわゆる因果律)と思っており、
> 心や魂でさえ、所詮は脳内の化学反応でしかないと考えてますからねえ・・・・
> ですから感情に関しても、脳がそう処理しているからであり、
> 脳がそう処理するのにも、何らかの理由があって事であると見ています。

自分も普通にそう思います、というか他の解釈って何だろうって思ってしまいますが…。

> > そちらがそれでも大丈夫ということであれば安心しました。
> > 身勝手かもしれませんがどうも自分では役に立てていない状態というのが耐えられないもので…。

> 繰り返しになりますけど、まあ雑談なんですから、
> そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ(笑)。

ありがとうございます。


[21353] ついでに日中の名宰相も、各時代ごとに選考(笑)返信 削除
2017/10/6 (金) 19:00:16 徳翁導誉

> > > > かなり昔ですけど、ネットの雑談で「世界史の名将ランキング」を考えた時に、
> > > > 個人的に5つの項目をもうけて、各将を採点した事があったのですが、
> > > > 中国史からトップ10入りしたのが、韓信(楚漢)と李靖(唐初)の2人でしたので。

> > > 世界史上だとどういうランキングなのか気になります。

> (第一印象)
> > 1位 韓信
> (点数化ランキング)
> > 94点 ナポレオン(1769〜1821 フランス第一帝政)
> >〜

> 第一印象だと、韓信は世界史上でも1位につけていたのですね。
> 点数化したらナポレオンが一位になったと。

まあ第一印象の方は、「用兵」という要素を最重視したのに対して、
点数化した方が、用兵も5項目ある内の1つでしたからねえ。
ある意味で、異なるランキングになっても、当然と言えば当然とも言えます。
言い方を換えれば、用兵重視というのは、あくまでも私個人の名将イメージであり、
5項目を作って点数化した方は、個々人でバラバラな名将イメージを標準化したモノであると。

あと、第一印象のランキングに関しても、あれから既に10年くらい経ってますから、
今の感覚で並べ直すと、韓信は3位くらいかも知れません(笑)。
点数化の作業を経た結果かも知れませんが、最近は用兵だけでなく、
名声や歴史的偉業なども、名将には重要な要素だと考えるようになりましたので。

> ナポレオンについては、詳しく背景は知らないのですが、
> 分進してくる総数2倍だったか3倍だったかの敵を先制、各個撃破したというのは聞いたことがあります。
> それ以外は具体的な場面が浮かばないですが、機動力を活かす能力に長けていた印象があります。

ナポレオンを軍事面から語る場合、外せないのが「三兵戦術の完成者」という点ですね。
三兵戦術とは、基本となる歩兵、機動力のある騎兵、遠距離攻撃ができる砲兵という
3つの兵科に分けてを、それを有効に活用する戦術の事です。
ちなみに、韓信と並んで84点だった スウェーデンのグスタフ・アドルフや、
孫武と並んで76点だった オランダのマウリッツは、この三兵戦術の基礎を築いた人でした。

そのナポレオンが、オーストリア&ロシアの連合軍を破った「アウステルリッツの三帝会戦」は、
アレクサンドロス大王の「ガウガメラの戦い」や、ハンニバルの「カンナエの戦い」と共に、
欧米の軍事史では、「戦争芸術の極み」として認識されています。
近代兵器による総力戦と消耗戦の時代に突入した、20世紀以降の戦争では、
悲惨さだけが増してしまい、芸術とまで評価される戦闘は、もう生まれないでしょうねえ・・・・
そして現在では、騎兵は姿を消し、砲兵の役割も変わったので、三兵戦術そのものは衰退しましたが、
歩兵は未だ基本であり、戦闘機や戦車などの機動力を活かし、ミサイルで長距離攻撃をする事を思うと、
ある意味で三兵戦術の理念は、戦術から戦略へとシフト・チェンジしたと言えるのかも知れません。

> 名将といえば機動力という印象があるので、そういう意味で自分も納得です。
特に騎兵というのは、打撃力に優れる反面、防御力では弱さがありますからねえ。
これを上手く活用できるというのは、攻撃において多大な成果を出せる局面であり、
逆に守勢に回る展開では、一発逆転や逃亡の手段としてしか有効に使えません。
そういう意味で、より効率良く勝てるのが騎兵の活用であり、勝利するからこそ名将と呼ばれると。
まあ孫子も、「兵は拙速を聞くも、未だ巧久なるを見ず」とか言ってますし、
(要するに、不十分でも速くて勝つ事はあっても、完璧でも遅ければ勝てないと)
これは洋の東西や時代を問わず、基本的な原理なんだと思います。

そして、この事を物理学的に解釈すれば、
ニュートンの運動方程式に通ずる気が、私はしてるんですよねえ(笑)。
力は質量に比例し、速度の2乗に比例するというヤツです。
つまり、これを野球に例えるなら、バットの重さを2割増しにするよりも、
バットを振る速度を2割増しにした方が、打球は遠くへ飛んでくれる訳です。
それは戦闘での打撃力も同じで、兵を増やすよりも、兵を迅速に動かす方が有益だと。


> 韓信といえば優劣を覆す用兵が印象的ですが、個人的には用兵以外でも有能だと思います。
> 本国から増援がないばかりか逆に兵を送りながら諸国を平定し、
> 趙攻略前に3万だった軍が最後30万で垓下の戦いに参加しているというのは、
> 降伏分をある程度吸収していたとしても、
> 自前で兵を集める能力自体も充分に持っていたということだと思います。
> 劣勢でも勝っている印象ですが、そもそも劣勢でなくても戦える状況を作れる、
> と見えるのが底知れぬ能力に思えます。

私が特に韓信を評価したのは、「背水の陣」と「暗渡陳倉」ですね。

まずは暗渡陳倉ですが、そもそも劉邦は項羽への恭順の意志を示す為に、
関中と蜀とを結ぶ木造の桟道を焼き払ったのですが、韓信はこの桟道の再建工事を始め、
優秀な敵将・章邯の目を桟道方面(黄河の南岸)へ釘付けにしている隙を突き、
韓信の軍は旧道を長駆迂回して、陳倉の地から密かに黄河の北側に渡り、
章邯の軍に奇襲を仕掛け、秦の旧都・咸陽を落として、関中を手に入れました。
これは、あの「兵法三十六計」の第八計にも、暗渡陳倉の計として載っているほどです。
(まあ一般的には、ことわざの「三十六計、逃げるに如かず」しか知られてないでしょうけど・笑)

続いて背水の陣ですが、逃げ場の無いこの布陣は、セオリー的に言うと愚策であり、
そして敵将の陳余も優秀な武将でしたから、こんなミスは当然見逃さない訳です。
ただ韓信の軍は、兵数の上で劣勢であり、しかも戦意に欠ける寄せ集めの軍だった為、
敢えて奇策に走った上で、兵たちの逃げ場を奪う事で、無理矢理にでも戦意を高めたんですよね。
しかも、自らを囮にする事で陳余の軍を城より引っ張り出して、機動力ある小部隊で城を落とし、
城に自軍の旗を大量に掲げさせ、敵軍が怯んだ所を前後から挟み撃ちにして壊滅ですからねえ。

愚将を相手に快勝する例は結構ありますが、章邯・陳余・龍且・項羽といった当代の名将を、
次々と破っての連戦連勝というのは、ちょっと例が無いと思います。
韓信は、世界史上の名将と名高いハンニバルと、ほぼ同じ時代を生きた人物ですけど、
この2人が同時期に、ユーラシア大陸の東西両端に居た事は、本当に歴史上の奇跡だと私は思います。
(ちなみに、カンナエの戦いが紀元前216年で、井ケイの戦いが紀元前204年)

そして、これが地味に大きいのですが、韓信の用兵はこのように詳細が残されている事です。
中国の戦史において、「寡兵で大軍を破った」みたいな記述は多く残されてますけど、
では実際に、どのような布陣や用兵を行ったかという記録は、意外と少ないんですよね・・・・
中国では伝統的に、文官を重んじて武官を軽んじる風潮があり、
しかも記録を残すのが文官でしたから、戦史を詳細に残す考えが無かったのかも?
ただやはり、こうして歴史として評価を下す際には、記録の有無というのは本当に大きいです。
記録が残されていないモノは、どうしたって、評価する事が難しいですからねえ。

その点、西欧の戦史はかなり記録が残されているので、古い時代の戦いであっても論じ易いと。
更に記録の有無というのは、戦争技術の発展という意味でも、大きく影響を及ぼしてきます。
後世の軍人たちも、過去の詳細な戦争記録が残されていれば、そこから色々と学ぶ事が出来ますけど、
学習できる教材が無いのでしたら、過去の経験を上手く積み重ねていくのは困難です。
そういう意味では、記録が残らないから戦術レベルもあまり発達せず、
戦術レベルが低いままだから、敢えて記録に残す必要も無いという、スパイラルに填った可能性も?

あと、中国史の場合は、内乱が発生するような政情であれば、必然的に流民も多く、
練度は低いものの、とにかく兵数で押し切れてしまう場合が多く、
そして外患となると、その多くは北方の遊牧民による侵攻であり、
基本的に戦いは、都市を囲む城壁を頼っての籠城戦なので、戦術が発展し難かったのかも知れません。
また、小国が林立していて、小競り合いが絶えなかった欧州に比べると、
中華王朝の場合、国境の周辺を除けば、意外と戦争とは縁遠かった事も影響してそうですね。
国境警備にしも、万里の長城がありましたから、外征しなければ籠城戦と同様でしたでしょうし。

> (もし損害が同じでも兵がより多く集められるのが有能だと思っていますので、
> 個人的に、大軍で勝つ>寡兵で勝つ
>  とはいえ、実際に大軍で勝つ、は注目されないので、
> 大軍で勝つ<大軍集めれるけど寡兵で勝つ、になってるという解釈の苦悩)

この辺は、戦術と戦略とを明確に区分すると、結構解りやすいかも知れません。
個々の戦いに勝つのは戦術の範囲ですけど、兵を多く集めるのは戦略の範囲ですからねえ。
これをプロ野球に例えれば、その1試合を勝つ為に采配するのが「戦術」であり、
1年間戦って優勝を目指す采配が「戦略」であると言えます。
近代軍事学の古典的名著であるジョミニの「戦争概論」では、
戦術と戦略に「兵站」を合わせて、戦争における三大要素と言っていますが、
この兵站を、同じくプロ野球に例えるなら、まさに資金力ですね(笑)。
戦争で兵站を語るのは難しいと言われますが、プロ野球に置き換えれば実にシンプルです。
(分業制だと、試合に勝つのは監督の、戦力を整えるのはGMの、カネを集めるのはフロントの仕事)
あと、戦術と戦略の中間にある規模のを「作戦」と言ったりしますが、
再びプロ野球に例えると、作戦に当たるのが短期決戦の日本シリーズとかでしょうね。

そして、プロ野球の監督もまた、「名将」と呼ばれる対象であるのですが、
では、どういった監督が名将なのかとなると、これまた難しい話です。
分厚い戦力で手堅く戦い、確実に優勝回数を重ねた川上監督や森監督が名将なのか?
常に弱小球団を率いながら、それでも優勝させる野村監督こそ名将なのか?
1試合を勝つ采配は稚拙でも、球団の豊富な資金力と自らの絶大な人気をバックに、
何度もリーグ優勝や日本一を成し遂げた長嶋監督や王監督は名将なのか?
極端な放任主義の仰木監督や、極端な管理主義の広岡監督も、結果を残したから名将なのか?
熱血指導の人情家で選手に慕われるも、日本一にはなれなかった西本監督は名将なのか?
采配は微妙だが、とにかく金集めが上手く、選手家族への配慮も凄い星野監督は名将なのか?
とにかく勝利至上主義で、上層部・OB・マスコミを全て敵に回した落合監督は名将なのか?
そもそも、半年以上を戦うシーズンと、短期決戦のプレーオフとでは、
同じく勝利を目指すにしても、その戦い方はまるで違ってきますからねえ・・・・

それでも、「寡兵で大軍を破る将と、大軍で確実に勝つ将。どちらが名将か?」と問われるよりは、
「野村監督と、森監督。どちらが名将か?」と問われた方が、まだ答えやすい気がします(笑)。
で、真の名将というモノがあるのだとしたら、弱小球団でも常勝球団でも優勝に導き、
長丁場の戦いも短期決戦も強く、選手やファンからも愛され、球団との関係も良好という感じでしょうか?
でもまあ、そんな完璧な監督は、長いプロ野球の歴史の中でも、誰1人として思い浮かびませんけどね(笑)。
・・・って、ここまで書いて、ふと思ったのですが、
毎日のように巨人戦が地上波で放送されてた、10年前なら いざ知らず、
今となっては、こうしたプロ野球の例え話が通じるのか、少し不安になってきました。
まあ、話が解らなければ、聞き流しておいて下さい。

> 話の軸からは外れてしまいましたが、楽毅は、
> (燕に行ってからのものとして)戦術は変わったものがないみたいですが、
> 戦略的に勝てる状況を作り出した(ただし不完全燃焼)ので、
> そういう意味では、大軍で勝つ、に分類されるでしょうか。

結局、楽毅の場合は、小国の燕で大国の斉を滅亡寸前にまで追いやったのは、確かに凄いのですが、
名宰相の孟嘗君を追放して混迷する斉に対して、燕・趙・魏・韓・秦の五大国連合で打ち破った訳で、
連合軍を卒なく率いたのは高く評価できても、やはり外向的勝利である面は拭えませんからねえ。
しかも、これまた政治闘争な側面とは言え、斉を滅ぼす前に楽毅は解任され、
逆に斉は、わずか2城を残す所から、旧領を回復するまでに復興しちゃいましたし、
これにより戦国七雄のパワー・バランスが崩れ、長期的には燕の滅亡にまで繋がる事を思うと、
確かに、春秋戦国時代や中国史の中では、それなりの高評価を与える事は出来ても、
世界史全体としての評価となった場合、ランキング入りさせるのは難しいように感じます。

う〜ん、再び野球に例えて恐縮ですけど、楽毅の戦績というのは、
即席のチームでWBC準優勝した、侍ジャパンの監督みたいな感じですかねえ?(笑)
急ごしらえで、各球団のスター選手をまとめ上げたのは評価できるし、
準優勝という成績も凄いモノではあるけれど、決して手放しで喜べないような感じで、
しかも1度きりの短期決戦なので、プロ野球の監督みたいに長期的な評価も出来ないみたいな・・・・

とは言え、私が個人的に、日本の戦国時代No.1と評価している小早川隆景にしても、
実績としては、楽毅の評価と似たり寄ったりな所はあるんですけどね(笑)。
生涯無敗と言われる父・毛利元就の下で戦功を残したものの、それだけでは評価できませんし、
兄・吉川元春と共に毛利家の双璧となった後も、その功績の多くは外交的なモノが目立ち、
これではなかなか、「戦国No.1」とまでは言えないと思います。
ですが隆景は、秀吉による朝鮮出兵の際に、歴戦の雄である戦国大名たちを上手く纏め上げ、
特に碧蹄館の戦いでは、明軍の反撃を受けて撤退を重ね、日本軍が敗走状態にある中、
朝鮮の都・漢城の手前にある碧蹄館で、勢いに乗る明軍を迎え撃ち、見事な用兵で撃退します。
もちろん、この戦術的な勝利だけでは、戦略的な劣勢を挽回する事など不可能でしたが、
明軍の勢いもこれにより鈍り、最終的には講話へと繋がった事を思えば、とても重要な勝利でした。
さすがは、毛利分家の身でありながら、秀吉の五大老に名を連ねた小早川隆景とも言えます!!
そして文禄・慶長の役は、内戦ではなく世界史上の戦いであった事も、評価を高めた一因ですね。
・・・って、実際こうして説明してみると、何だか楽毅よりも評価して良い気がしてきました(笑)。


> > でも正直な所、私は理系ですし、現在みたいに世界史が必修化される前だったので、
> > ちゃんと学校で習った知識自体は、中学生レベルで止まっていたり(笑)。
> > それ以上は独学ですから、どうしても分野的な知識の偏りはあるでしょうし・・・・

> そもそも学校ではあまり内容のあるものを習った記憶がないですし、
> それ以外で学んだもののほうが興味深いです。
> あと、自分も(自称)理数系です。
> …といっても「理」と「数」で言うと「数」寄りですので
> 「理系」という徳翁導誉さんとはまた違うかもしれません。

いや、理系の中でも私は物理で、しかも実験系ではなく理論系でしたから、
数学に関しても、かなり近い存在でしたよ。
特にウチの大学の場合、物理学科の数学科目は数学科との合同授業でしたし。
ただ正直な所、授業内容の方はチンプンカンプンだった為、もしも数学の話題を振られても、
「ああ、名前は聞いた事ある、内容までは知らんけど」って感じになりそう(笑)。

それと私の学年では、他学部の専門授業を受けられる制度が試験的に導入されたお陰で、
専門の物理とも、一般教養とも、また違う内容の授業を、いろいろと受ける事が出来ました。
ちなみにその試験的制度は、わずか3年で終了したので、恐らく失敗だったんでしょうね(笑)。
まあ単に「単位を取る」という面から見れば、これほど効率の悪い取り方も無いですから。

あと、ここからは日本語の話になりますけども、
「理系」というのは、理学・工学・医学・歯学・薬学を一纏めにした用語で、
基本的には、「文系」に対する対義語として使われる感じですね。
まあ2つに分けられるのは、理学と工学を合わせた「理工系」という用語の場合でしょうか?
そして「理数系」とは、理科と数学を合わせた用語で、理学系とほぼ同じ意味だと思います。
ですから、理科系・数学系と分ける事はあっても、理系・数系と分ける事は無い気がします。

> > ちなみに、私の「徳翁導誉」というハンドル名であるも、
> > 南北朝時代のバサラ大名・佐々木道誉の法名から採っていたりします

> そうなんですね、佐々木道誉という人名をそもそも知りませんでした。

佐々木道誉は、日本史上でも一二を争うほど面白い人物ですよ(笑)。
鎌倉末期から南北朝に至る動乱の時代、政治に、軍事に、文化にと活躍(暗躍?)した人物です。
三国志の曹操を、もっとダークで派手好きな性格にした感じの道誉が、
足利尊氏の盟友であり、2代将軍・義詮の後見役を務めた為・・・室町時代は、ああなったと(苦笑)。
戦国時代の動乱も、下克上の気風も、派手な桃山文化も、茶道や華道などさえも、
その源流として、佐々木道誉の存在は、切手も切り離せないように思います。
とは言え、私も最初に興味を持ったキッカケは、1991年に放送された大河ドラマ「太平記」で、
道誉役を演じた陣内孝則の怪演に魅せられたからなんですけどね(笑)。
(私が今まで見てきたNHK大河の中でも、各人の配役が最もハマってた作品が太平記でした)

また、戦国時代に詳しい人なら、北近江の京極氏の実質的初代と言えば解り易いですかねえ?
もともと鎌倉時代から、近江の守護職は佐々木家だったのですが、
倒幕時に、佐々木道誉が足利尊氏に協力して活躍した為、
室町幕府では、佐々木家の本家・六角氏より、道誉の分家・京極氏が重用され(四職家の1つ)、
近江の守護職も、北半分が京極氏、南半分が六角氏という感じになりました。
その後、浅井氏の下克上を受けて零落した後も、秀吉によって再び大名に取り立てられ、
しかも浅井三姉妹の次女の嫁ぎ先になったのは、京極氏が道誉に繋がる名門であったからかも?
京極氏が浅井氏の旧主家にあたり、京極氏の娘が秀吉の側室として寵愛を受けていたとは言え、
長女の夫が豊臣秀吉、次女の夫が京極高次、三女の夫が徳川秀忠って、やはりバランスがおかしい(笑)。
・・・って、そんな女たちの七光りで出世し、当時から蛍大名と馬鹿にされてた末裔よりも、
戦国初期の梟雄として知られる尼子経久の方が、道誉の末裔として紹介するには適当だったかな?


> > 世間的な人気を加味しつつ、中国人(漢民族)の将軍十傑を選ぶと、こんな感じでしょうか?
> > 一般人気だと、どうしても「救国の英雄」補正みたいなモノが掛かるのですが、
> > でも冷静に考えれば、そうした名声も「名将」には重要な要素であろうかと。
> >  孫武(春秋)・白起(戦国)・韓信(漢初)・霍去病(前漢)・周瑜(三国)
> >  李靖(唐初)・郭子儀(唐末)・岳飛(南宋)・徐達(明初)・袁崇煥(明末)

> ありがとうございます、これから読み進めていくに当たって参考になりそうです。

十八史略の扱う範囲だと南宋までなので、登場するのは岳飛まででしょうか?
誰の著作だったかは忘れましたが、日本の有名学者が書いた中国通史も、
中国史の範疇に収まらないモンゴル帝国の登場により、そこで執筆が止まってしまいましたし、
それ以降の元・明・清の3王朝の歴史と、中華民国から中華人民共和国に至る流れは、
想像している以上に、日本人にとっては縁遠い存在なのかも知れませんね・・・・
モンゴル帝国に対抗する為、漢民族への啓蒙目的で作られたのが十八史略ですけど、
江戸後期に日本外史が登場するまで、日本史には啓蒙的な通史本が存在しませんでしたから、
幕末の前までは、日本人なのに中国史の方が詳しいという逆転現象まで起きまてしたし(笑)。

ちなみに、こうして名将について考えてる時に、「解散だ、選挙だ」という報道も流れた事で、
日中の名将(将軍)だけでなく、名相(宰相)の方まで、何となく考えてしまう状態に(苦笑)。
でもまあ、細かく採点するとか、十傑に絞るとか、そういうのは面倒なので、
個人的にパッと思いつくまま、1時代に1人の基準で選んでみました。
とは言え、やはり偏りがある為、何人も浮かんで誰を選ぶか悩んだ時代もあれば、
高評価な人物が思い浮かばず、少し無理やりに選んだ時代もありますね(笑)。

中国史・各時代の名宰相
  伊尹(殷)・周公旦(周)・管仲(春秋)・商鞅(戦国)・李斯(秦)
  蕭何(前漢)・ケ禹(後漢)・諸葛亮(三国)・王導(晋)・王猛(五胡)
  高ケイ(隋)・狄仁傑(唐)・馮道(五代)・包拯(北宋)・秦檜(南宋)
  アフマド(元)・張居正(明)・ドルゴン(清)・顔恵慶(民国)・周恩来(中共)
  ※ 皇帝もアリなら、後漢は光武帝(劉秀)、清は雍正帝かな? ※

日本史・各時代の名宰相
  大伴金村(古墳)・蘇我馬子(飛鳥)・藤原不比等(奈良)・菅原道真(平安)
  北条泰時(鎌倉)・細川頼之(室町)・石田三成(戦国)・田沼意次(江戸)
  大久保利通(明治)・西園寺公望(大正)・田中角栄(昭和)・小渕恵三(平成)

まあ、もう少し落ち着いて決めれば、また違った選考になるかも知れませんし、
複数の政治家が思い浮かんだ時は、個人的な評価が高い方を選んだので、
他の人が選んだり、いろいろ話し合って決めたりすれば、また違う結果になるでしょうね。
ただ、それにしても、こうして実際に選んでみた日本史側のメンツを見てみると、
暗殺されたり、左遷されたり、悪評が定着してたりと、何だか散々な人が多い気がします(笑)。
逆に考えると、そうした日本の風土こそが、政治を難しくしているのかも知れません・・・・

例えば、江戸時代には何度か改革が試みられましたけども、
その中でも、時代遅れな懐古主義的政策で、失敗を重ねた享保・寛政・天保の改革を、
「江戸幕府の三大改革」として教えているのは、個人的に違和感があるんですよねえ。
もちろん、江戸幕府の視点に立てば、そうした先祖帰り的な政策こそ正義だったかも知れませんが、
それは信念的な話であって、歴史として客観的に学ぶのとは、少し事情が違うように思うんです。
いま現在も、「増税や緊縮財政で、財政再建して、経済成長しよう」とか言ってますけど、
少なくとも私の知識の中では、それで上手く行った例を知りません・・・・

> > もちろん、三国志や春秋戦国のファンからすれば、もっと入れたい武将は挙がるでしょうし、
> 他の時代の枠を取ってまで入れるつもりはありませんが、三国志なら自分は司馬懿を押します。
> 人気とか名将という表現なのかとか考えると疑問はありますが、能力で選ぶなら。

単純に「三国志で評価する武将を1人挙げろ」となれば、恐らく私も司馬懿ですね。
軍事的実績はそこまでなので、名将と呼べるか否かは置いておくにしても、
何だかんだ言って、やはりあの戦乱の最終勝利者ではありますし、
棚ボタ的に天下を手にできた訳でもないので、政治家としては大きく評価できるかと?
(兵法書の編集・注釈や、建安文学を推進など、文化面での功績も加味すれば曹操ですがね)

ところで三国志と言えば、曹操が築かせた「銅雀台」という大宮殿がありますが、
その柱を飾っていた「獅子の石像」が、実は東京にあるのは御存知でしょうか?
まあ、この石像自体は、曹操の建立時よりも後に付け加えられたモノらしいのですが、
それでも「あの銅雀台にあった」という事実だけで、私などは凄く感じ入ってしまいました。
ちなみに通常であれば、ホテルオークラ内の大倉集古館に収蔵されていますけど、
東京五輪に向けて5年に及ぶ大改修中な為、現在は東京国立博物館で寄託展示されています。
同じく大倉集古館より、春秋戦国時代の謎の巨大漆器も寄託されていて、
そうとは知らずに両展示を見掛けた時には、とても得をした気分になりました(笑)。

> > > 中華の領域での戦乱を表現したいだけなのに鮮卑のほうで躓いたというのは皮肉な気もします。
> > でもまあ、ある意味で中華文明の歴史というのは、
> > 中原の農耕民だけでなく、「北方の遊牧民も居てこそ」という面はありますからねえ。

> 確かにそう思います。

別に構いませんけど、意外にサラリと流されてしまった(笑)。
実は私自身が遊牧民好きなのですが、前回の段階で既に長文だった事もあり、
モンゴル帝国など制服王朝による中国統治や、文明同士の化学反応といった話は、
次回以降にでもと割愛した経緯があった為、1人で勝手に肩透かしにあった感じに・・・・
でもまあ、衆議院が解散された事で、恒例の「衆院選 予想大会」も急遽準備せねばならず、
時間的に少し厳しい部分もありましたから、ちょうど良かったかも知れませんけどね(笑)。


> > > > こうした文官エピソードがお気に入りという事であれば、
> > > > 唐代の「貞観政要」と、宋代の「名臣言行録」がオススメですね。

> > > 文官エピソードは多くは知っていないですが好きです。

> > ならば、やはり気軽に読めるのは陳舜臣「小説 十八史略」ですね(笑)。

> 「十八史略(講談社学術文庫)」、「宋名臣言行録(ちくま学芸文庫)」、「貞観政要(ちくま学芸文庫)」
> これから本格的に読みますが、ここでの話がきっかけでいい買い物ができたと思っています。

おおっ、一気に買われたのですね!(笑)
私の方は「あの本は良かったなぁ」と、思い出話半分で気軽に語っていたので、
何だか恐縮すると共に、「果たして満足してもらえるか?」と、少し不安にもなってきました。
如何せん、実際に私が読んだのは、もう10年以上も前ですからねえ・・・・
面白かったという記憶は残っていても、具体的な中身の方はほとんど覚えていませんし(苦笑)。

> (ついでに「韓非子(徳間書店)」も)買いました。
いや〜、ここまで春秋戦国の話をしてましたけど、まさかこの部分で通じ合おうとは!?
春秋戦国時代が、その他の、どの戦乱時代とも大きく異なる点は、
まさにこの、「諸子百家」と呼ばれる多種多様な思想が生まれた所だと思うんです。
そしてその中でも、個人的に特に大きく感じているのが、実はこの「法家」だったりします。
(法学嫌いな私にさえ、そう感じさせるのですから、それほどに凄い存在だと・笑)

古代バビロンのハンムラビ法典とか、古代ローマ法の十二表法など、
成文法の歴史で言えば、これより古いモノは世界史的にもありますが、
習慣法の延長ではなく、法哲学による体系という意味において、
商鞅から韓非を経て李斯に至る流れは、人類史において画期的であったと思います。
ソクラテス・プラトン・アリストテレスといった古代ギリシャの流れも、確かに凄いですけど、
近現代の西欧中心史観により、東洋のそれが軽視されるのは、個人的に残念でなりません・・・・
まあ、欧米人の方は仕方ないにしても、日本人や中国人まで追随する必要は無いはずです。

とは言え、ここで語っているのも、欧米と東アジア、あっても少し中東くらいで、
あれだけの文明を持つインドに関して、まるで触れて来なかった為、
4年前に復刊され、手に入れやすくなった「実利論(岩波文庫)」を戯れに紹介。
https://www.amazon.co.jp/dp/4003326318
中国には孫子や韓非子があり、西欧には君主論や戦争論があるように、
インドには実利論があると言われる1冊です(日本には特に無いのが少し残念)。
紀元前に書かれたと伝わる著作ですし、孫子のような普遍性にも欠けるのですが、
戦争・統治・外交などの話から、怪しげな秘術に、暗殺のやり方まで、あらゆる事が指南されており、
逆に言うと、古代インドの社会や文化などもよく解るので、好きな人には堪らない1冊ですね。
そういう癖のある本ですので、オススメではなく、あくまでも紹介に止めておきます(笑)。
実際、私も興味ある箇所を摘み食いしただけで、読破は出来ませんでしたし・・・・

> 陳舜臣「小説 十八史略」を勧めて頂きましたが、創作が多分に含まれているとのことなので
> 忠実な訳に近いらしいのを買いました。

創作の部分が多いと言いますか、十八史略そのものを翻訳をした訳ではなく、
扱う時代を合わせてタイトルを拝借しただけの、基本的には完全に別物の作品です(笑)。
ですから、翻訳本や解説本とは、また別の魅力を帯びた作品であるとも言えますね。

また陳舜臣というのは、東洋史学の世界的大家である宮崎市定の孫弟子でもある為、
ハードボイルドやSFなど、近年多い文筆他分野からの転向組とは違って、
歴史内容の記述が、学術的にそこまで突飛では無い事も特徴の1つとしてあります。
(歴史学を学んだ人気の歴史小説家となると、最近では佐藤賢一くらいかな?)
司馬史観などという言葉を残した司馬作品よりも、陳作品の方が歴史的には忠実かと?
とは言え、そこはやはり学術書ではなく小説ですから、創作的な部分はもちろん多いですけどね。
例えば歴史上の空白部分があった時に、何も語れなくなるのが学者であり、
そこで話を上手く膨らませるのが小説家ですから、根拠の薄い仮説も自由自在です(笑)。


> > まあ私は専門が物理なので、全ての結果には原因がある(いわゆる因果律)と思っており、
> > 心や魂でさえ、所詮は脳内の化学反応でしかないと考えてますからねえ・・・・
> > ですから感情に関しても、脳がそう処理しているからであり、
> > 脳がそう処理するのにも、何らかの理由があって事であると見ています。

> 自分も普通にそう思います、というか他の解釈って何だろうって思ってしまいますが…。

いや、やはり一般的な感覚だと、心や魂などは特別な存在だと思われてる気がしますよ。
幽霊や死後の世界すら信じてる日本人が、だいたい6〜7割と言われていますし、
(世界的には、日本よりも宗教意識の強い地域がほとんどなので、全人類だと大多数?)
心や魂を「脳内の化学反応」と割り切って見てる人なんて、日本で1割も居ない印象ですね。


[21368] Re:ついでに日中の名宰相も、各時代ごとに選考(笑)返信 削除
2017/10/15 (日) 23:17:24 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
> > 第一印象だと、韓信は世界史上でも1位につけていたのですね。
> > 点数化したらナポレオンが一位になったと。

> まあ第一印象の方は、「用兵」という要素を最重視したのに対して、
> 点数化した方が、用兵も5項目ある内の1つでしたからねえ。
> ある意味で、異なるランキングになっても、当然と言えば当然とも言えます。
> 言い方を換えれば、用兵重視というのは、あくまでも私個人の名将イメージであり、
> 5項目を作って点数化した方は、個々人でバラバラな名将イメージを標準化したモノであると。

個人的には情報落ちした数値で見るよりもどこに重きを置いて考えたかというのが興味深いですが、
広く伝えるには点数化したほうがいいのかな?
徳翁導誉さんはランキング作成時点で用兵を重視して付けていた、ということみたいですね。
自分はランキングを付けるならインパクトで付けそうです。
…と言っても、「名将」と銘打っているのでそれにふさわしい基準でつけるべきでしょうか。
インパクトで付けるならインパクトがある将と銘打つのが自然かもしれません。
それで思ったのですが、名将と呼ばれる基準とはどのようなものがあるのでしょうね。

> ナポレオンを軍事面から語る場合、外せないのが「三兵戦術の完成者」という点ですね。
長短ある要素を上手く組み合わせることに長けていたということであれば、
凡人と天才で大きく異なる「臨機応変」というのに長けていたと考えていいのかな。
その三兵戦術というのが才能の差が大きく表に出るものだったのでしょうね。

> 歩兵は未だ基本であり、戦闘機や戦車などの機動力を活かし、ミサイルで長距離攻撃をする事を思うと、
> ある意味で三兵戦術の理念は、戦術から戦略へとシフト・チェンジしたと言えるのかも知れません。

私もそう思います。

> > 名将といえば機動力という印象があるので、そういう意味で自分も納得です。
> 特に騎兵というのは、打撃力に優れる反面、防御力では弱さがありますからねえ。
> そういう意味で、より効率良く勝てるのが騎兵の活用であり、勝利するからこそ名将と呼ばれると。

より効率良く勝てる、ですか。
考えてみれば名将の評価の上ではただ勝つことよりも効率良くというのが大きい気がします。
それが機動力というのと深く関わっていると考えると繋がりますね。

> そして、この事を物理学的に解釈すれば、
> ニュートンの運動方程式に通ずる気が、私はしてるんですよねえ(笑)。
> 力は質量に比例し、速度の2乗に比例するというヤツです。

なんか共感しました。
考えてもなぜそれがしっくりくるのか分かりませんが、直感的に入ってきました。

> 私が特に韓信を評価したのは、「背水の陣」と「暗渡陳倉」ですね。
> これは、あの「兵法三十六計」の第八計にも、暗渡陳倉の計として載っているほどです。
> (まあ一般的には、ことわざの「三十六計、逃げるに如かず」しか知られてないでしょうけど・笑)

兵法三十六計の解説本を持っているので一応載っているのは知っていました。
個人的には韓信を語るなら濰水の水攻めや垓下の四面楚歌も削れないです。(削るというのは難しい工程ですね)
韓信の用兵は「奇策」の言葉に尽きると思っています。
決して理論的に最善の手ではないけれど相手に決定的な悪手を出すように誘っている、という印象ですね。
それによって、最善の手の時の期待値を遥かに上回る成果を常に挙げているという。
一見かなりリスキーなことを敢行しているので、敵の心理状態まで読んでいるのではと思ってしまいます。

> そして、これが地味に大きいのですが、韓信の用兵はこのように詳細が残されている事です。
韓信自身、戦においても情報を重視している部分が窺えますが、こうして情報が後々まで残っていることも、
韓信自身が詳細に情報を収集し、そして勝った、というのが繋がっているように思ってしまいます。

> 韓信は、世界史上の名将と名高いハンニバルと、ほぼ同じ時代を生きた人物ですけど、
> この2人が同時期に、ユーラシア大陸の東西両端に居た事は、本当に歴史上の奇跡だと私は思います。
> (ちなみに、カンナエの戦いが紀元前216年で、井ケイの戦いが紀元前204年)

ハンニバルも名高い名将というのは知っていましたが、具体的な場面を知りませんでした。
せっかく話題に出てきたので「カンナエの戦い」を検索で調べてきました。
なるほど正面から戦って劣勢側が大勝したというのはなかなかないことですね。
…でも、知っている量が違うからかもしれませんが現状、開戦の前に一仕事行っているのが見える韓信の方がより光って見えます。

> > (もし損害が同じでも兵がより多く集められるのが有能だと思っていますので、
> > 個人的に、大軍で勝つ>寡兵で勝つ
> >  とはいえ、実際に大軍で勝つ、は注目されないので、
> > 大軍で勝つ<大軍集めれるけど寡兵で勝つ、になってるという解釈の苦悩)

> この辺は、戦術と戦略とを明確に区分すると、結構解りやすいかも知れません。

なるほど、一括りにしようと思うからぐちゃぐちゃになってしまうのですね。

> 今となっては、こうしたプロ野球の例え話が通じるのか、少し不安になってきました。
> まあ、話が解らなければ、聞き流しておいて下さい。

すみませんほとんど解りませんでした。

(楽毅について)
> これにより戦国七雄のパワー・バランスが崩れ、長期的には燕の滅亡にまで繋がる事を思うと、
そうなんですよね。2強から秦の1強になってしまったので結果的に滅亡の遠因を作っているという。
燕目線でいうと勝たなかった方が国が存続して都合がよかったのかもしれません。

> う〜ん、再び野球に例えて恐縮ですけど、楽毅の戦績というのは、
やっぱりピンとこなかったです…。
野球だからということではなくてスポーツ全般詳しくないのでピンとこなかったと思います。

> いや、理系の中でも私は物理で、しかも実験系ではなく理論系でしたから、
> 数学に関しても、かなり近い存在でしたよ。

自分は自分で、一般的に数学と言われてイメージされそうな生の数字を使う分野とは違うので
(用語的に何というのか分かりませんが)、思ったより分野的に近いかもしれません。

> ただ正直な所、授業内容の方はチンプンカンプンだった為、もしも数学の話題を振られても、
> 「ああ、名前は聞いた事ある、内容までは知らんけど」って感じになりそう(笑)。

公式とかのことだったら自分も覚えてませんw

>あと、ここからは日本語の話になりますけども、
>「理系」というのは、理学・工学・医学・歯学・薬学を一纏めにした用語で、
>基本的には、「文系」に対する対義語として使われる感じですね。
>まあ2つに分けられるのは、理学と工学を合わせた「理工系」という用語の場合でしょうか?
>そして「理数系」とは、理科と数学を合わせた用語で、理学系とほぼ同じ意味だと思います。
>ですから、理科系・数学系と分ける事はあっても、理系・数系と分ける事は無い気がします。

そうだったのですね。
呑み込めたような呑み込み切れてないような…。
文系と理系という対比があって、理科系も数学系も理系の中に含まれるということでしょうか。
勘違いして用語を使っていたみたいですみませんでした、指摘して下さり助かりました。

> 佐々木道誉は、日本史上でも一二を争うほど面白い人物ですよ(笑)。
> 鎌倉末期から南北朝に至る動乱の時代、政治に、軍事に、文化にと活躍(暗躍?)した人物です。
> 三国志の曹操を、もっとダークで派手好きな性格にした感じの道誉が、
> 足利尊氏の盟友であり、2代将軍・義詮の後見役を務めた為・・・室町時代は、ああなったと(苦笑)。

曹操をもっとダークで派手好きな性格にした、とは恐ろしい。
知識の不足で分かりにくいところもありましたが、良くも悪くも歴史に大きな影響を与えたことはわかりました。

(中国史について)
文化圏というのが割とはっきりあった時代があり、まとまった書物が存在したことが学ぶ上で都合が良い気がします。
中国史でも、モンゴル帝国など外因の歴史の比重が増してきてからは、それ以前とは学び方が違う気がします。
ヨーロッパの方はそういう意味でまとまった書物が見当たらないのが、自分にとって敷居がまだ高いのかもしれません。

(各時代の名宰相について)
知らない人も入っていますが昔の区分のほうが知っている率が高かったり。
(平成と区分されているのに小渕恵三が何をした人か知らないという)

> 例えば、江戸時代には何度か改革が試みられましたけども、
> その中でも、時代遅れな懐古主義的政策で、失敗を重ねた享保・寛政・天保の改革を、
> 「江戸幕府の三大改革」として教えているのは、個人的に違和感があるんですよねえ。

やっぱり違和感ありますよね…。
私の意見と徳翁導誉さんの意見も色々違いはあると思いますが、
私はそもそも「改革」という言葉が相応しいかどうかから疑問です。

> 単純に「三国志で評価する武将を1人挙げろ」となれば、恐らく私も司馬懿ですね。
> 軍事的実績はそこまでなので、名将と呼べるか否かは置いておくにしても、
> 何だかんだ言って、やはりあの戦乱の最終勝利者ではありますし、
> 棚ボタ的に天下を手にできた訳でもないので、政治家としては大きく評価できるかと?

私は司馬懿は軍事的実績も充分あると思っています。
上庸の孟達攻め(間違ってたらすみません)とかは個人的に名将と呼べる枠に入りそうです。
ただ、襄平戦役とかでイメージが悪いので、名声的な意味で「名将」表現は疑問符ですが。

> ところで三国志と言えば、曹操が築かせた「銅雀台」という大宮殿がありますが、
> その柱を飾っていた「獅子の石像」が、実は東京にあるのは御存知でしょうか?

知らなかったです。
そういうところで現在も繋がっているのを知ると、一段と歴史に思いを馳せます。

> > > でもまあ、ある意味で中華文明の歴史というのは、
> > > 中原の農耕民だけでなく、「北方の遊牧民も居てこそ」という面はありますからねえ。

> > 確かにそう思います。

> 別に構いませんけど、意外にサラリと流されてしまった(笑)。

すみません、思ったより長文で返答が面倒になってきていたのが出てしまったようです。
まともに返答付けれるかどうかは分かりませんが、語りたいことなら読んでみたいです。

> > 「十八史略(講談社学術文庫)」、「宋名臣言行録(ちくま学芸文庫)」、「貞観政要(ちくま学芸文庫)」
> > これから本格的に読みますが、ここでの話がきっかけでいい買い物ができたと思っています。

> おおっ、一気に買われたのですね!(笑)
> 私の方は「あの本は良かったなぁ」と、思い出話半分で気軽に語っていたので、
> 何だか恐縮すると共に、「果たして満足してもらえるか?」と、少し不安にもなってきました。
> 如何せん、実際に私が読んだのは、もう10年以上も前ですからねえ・・・・
> 面白かったという記憶は残っていても、具体的な中身の方はほとんど覚えていませんし(苦笑)。

あまり読み進められていませんが、読んだ限りでは悪くないと思います。ただちょっと退屈な感じが。

> > (ついでに「韓非子(徳間書店)」も)買いました。
> いや〜、ここまで春秋戦国の話をしてましたけど、まさかこの部分で通じ合おうとは!?
> 春秋戦国時代が、その他の、どの戦乱時代とも大きく異なる点は、
> まさにこの、「諸子百家」と呼ばれる多種多様な思想が生まれた所だと思うんです。
> そしてその中でも、個人的に特に大きく感じているのが、実はこの「法家」だったりします。
> (法学嫌いな私にさえ、そう感じさせるのですから、それほどに凄い存在だと・笑)

今までまとまって持っていなかったので買いましたが、韓非子はやはり刺激が強い。
これだけは他の本より読み進んでます。
ただ、「韓非子をビジネスに生かそう」みたいな本があるみたいですが、それは違和感があります。
自分は歴史の一部として学ぼうと思って買いました。
法学うんぬんはよく分かりませんが、そのまま現代に適用したらちょっとおかしい内容でしょうね。

> > 陳舜臣「小説 十八史略」を勧めて頂きましたが、創作が多分に含まれているとのことなので
> > 忠実な訳に近いらしいのを買いました。

> 創作の部分が多いと言いますか、十八史略そのものを翻訳をした訳ではなく、
> 扱う時代を合わせてタイトルを拝借しただけの、基本的には完全に別物の作品です(笑)。
> ですから、翻訳本や解説本とは、また別の魅力を帯びた作品であるとも言えますね。

そうなのですか。
ちなみにすみません話がそれますが、小説読まない…というか嫌いなんです。

>いや、やはり一般的な感覚だと、心や魂などは特別な存在だと思われてる気がしますよ。
>幽霊や死後の世界すら信じてる日本人が、だいたい6〜7割と言われていますし、
>(世界的には、日本よりも宗教意識の強い地域がほとんどなので、全人類だと大多数?)
>心や魂を「脳内の化学反応」と割り切って見てる人なんて、日本で1割も居ない印象ですね。

そうなのですか。
私自身も、普段は意識することはないですが、考えるとだた物理法則だよね…という感じです。
うーん、でもそれ以外の考え方があるということが理解できなくてちょっと苦しいです。

文章の最後になりましたが返信遅れてしまいすみません。


[21376] 歴史の数理モデル化・中国の軍師・その他の歴史話など返信 削除
2017/10/21 (土) 16:33:29 徳翁導誉

> > > 第一印象だと、韓信は世界史上でも1位につけていたのですね。
> > > 点数化したらナポレオンが一位になったと。

> > まあ第一印象の方は、「用兵」という要素を最重視したのに対して、
> > 点数化した方が、用兵も5項目ある内の1つでしたからねえ。
> > ある意味で、異なるランキングになっても、当然と言えば当然とも言えます。
> > 言い方を換えれば、用兵重視というのは、あくまでも私個人の名将イメージであり、
> > 5項目を作って点数化した方は、個々人でバラバラな名将イメージを標準化したモノであると。

> 個人的には情報落ちした数値で見るよりもどこに重きを置いて考えたかというのが興味深いですが、
> 広く伝えるには点数化したほうがいいのかな?
> 徳翁導誉さんはランキング作成時点で用兵を重視して付けていた、ということみたいですね。
> 自分はランキングを付けるならインパクトで付けそうです。
> …と言っても、「名将」と銘打っているのでそれにふさわしい基準でつけるべきでしょうか。
> インパクトで付けるならインパクトがある将と銘打つのが自然かもしれません。

要するに、「個人的な好み」で選んだのが、第一印象によるランキング版で、
「一般的な評価」で選んだのが、採点方式でのランキング版ですね。
結構、ごっちゃにしている人も多いんですけど、そもそも、
個人的な「好き嫌い」と、全体的な「良い悪い」は、全く異なる価値基準ですからねえ。

例えばアートで言うと、私はピカソの作品があまり好きではありませんが、
それでもアートの文脈として見た時には、ピカソを評価しないなんて事はありませんし、
そこら辺の小学生が描いた自由な発想の絵に、衝撃を受ける事はあっても、
その子の事を、アートの文脈上で評価する事は、恐らくしません。
もっと言うと、この全体的な「良い悪い」というのも、
技術的にとか、社会的にとか、利害的や道徳的になど、様々な基準で細分化されるんですよね。
核開発などにしても、技術的には素晴らしいけど、社会的には許されないみたいに、
軍人を評価する上で、多くの敵兵を殺すのはプラスか?マイナスか?という問題点もあります。
でもまあ、この辺の話まで始めてしまうと、なかなか纏まらないのも事実でしょうね。

> それで思ったのですが、名将と呼ばれる基準とはどのようなものがあるのでしょうね。
それを一般化しようとしたのが、前の採点で設けた5項目ですね。
個々人がイメージするバラバラな名将像をまとめると、こんな感じに集約されると思います。

 1.歴史(巨大な帝国を築いたり、時代に影響を与える勝利を得た人物)
 2.名声(その時代や国家の象徴として、今でも人気や高名を博す人物)
 3.理論(戦術や兵器に革命を起こしたり、優れた組織運営を見せた人物)
 4.用兵(寡兵で大軍を破る采配や、勝機を逃さぬ決断ができた人物)
 5.戦績(数多くの勝利や生涯無敗など、勝敗面での成果を残した人物)

> > ナポレオンを軍事面から語る場合、外せないのが「三兵戦術の完成者」という点ですね。
> 長短ある要素を上手く組み合わせることに長けていたということであれば、
> 凡人と天才で大きく異なる「臨機応変」というのに長けていたと考えていいのかな。
> その三兵戦術というのが才能の差が大きく表に出るものだったのでしょうね。

もちろん、三兵戦術自体は、長い軍事史の積み重ねにより誕生した理論ですが、
それを上手く用いるというのは、やはり才能による所が大きいでしょうねえ。
机上の理論としては熟知していても、実際に現場でそれを使いこなせるかは、別の話なので。

それでも「軍事」というのは、単純明快な結果が出るモノであり、
言うなれば、人間の活動の中で最も、物理現象に近い存在だと思うんです。
そういう意味では、これだけコンピューターが発達した現代であれば、
天賦の才とされてきた軍事的才覚も、今後は訓練で格段に伸ばす事が可能かも知れません。
ただ、そうは言っても、それを活かす場というのが、現代の戦場では少なそうですし、
それこそAIがここまで進歩してくると、そちら頼りになるような気がしますね(笑)。
それに、戦場において状況を左右するのは、「戦場の霧」と呼ばれる情報の不確定要素であり、
結局は、そんな軍事的才覚よりも、物量と情報量が勝敗を決めるという話でもあります。
ですから、戦場でAIが活躍する場合は、こちらの情報面の方が大きな比重を占めるかも?

> > > 名将といえば機動力という印象があるので、そういう意味で自分も納得です。
> > 特に騎兵というのは、打撃力に優れる反面、防御力では弱さがありますからねえ。
> > そういう意味で、より効率良く勝てるのが騎兵の活用であり、勝利するからこそ名将と呼ばれると。

> より効率良く勝てる、ですか。
> 考えてみれば名将の評価の上ではただ勝つことよりも効率良くというのが大きい気がします。
> それが機動力というのと深く関わっていると考えると繋がりますね。

まあ、その時々の状況次第ではあるものの、
どれだけ勝利を重ねた所で、その度に兵力を大量に消耗していたら、
最終的な勝利はおぼつかないのも、実際の所ですからねえ・・・・
楚漢戦争の項羽や、南北戦争のリー将軍は、このタイプであったと思います。
(南軍の戦争目標と兵力不足を考慮すると、リーには厳しい評価かも知れませんが)

> > そして、この事を物理学的に解釈すれば、
> > ニュートンの運動方程式に通ずる気が、私はしてるんですよねえ(笑)。
> > 力は質量に比例し、速度の2乗に比例するというヤツです。

> なんか共感しました。
> 考えてもなぜそれがしっくりくるのか分かりませんが、直感的に入ってきました。

まあ、こういう発想は、何となく漠然と思い浮かべてるモノではありますが、
ゲーム制作であったり、数理モデル化などで、
この辺の感じ、上手く利用できないかなぁ?とかも考えます(笑)。

例えば、以前、三国志ゲームにおけるマップ作りの話をしましたけど、
三国志をはじめ、戦乱の時代を統一する王朝の「建国ゲーム」は多く有りますが、
泰平の時代を続けるべく国家を運営する王朝の「存続ゲーム」であったり、
王朝が興亡を繰り返す歴史全体の流れを楽しむ「通史ゲーム」は、なかなか有りません。
そんなゲームがあれば、天下統一後に劉邦や朱元璋が行った大粛清も、体感できるそうです(笑)。
(日本が舞台であれば、戦国後も幕府運営が続くゲームといった感じでしょうか?)
で、そうした存続ゲームや通史ゲームを考えた場合、
舞台となる中国大陸と、北方のモンゴル&満州さえあれば、中国史はほとんど表現できます。
東方の朝鮮・日本や、南方の東南アジア、西方の中央アジアなどとの関係は、
長い中国の歴史において、ある意味オマケみたいなモノでからねえ(苦笑)。
以前の雑談では、北方マップの扱いについて困ってらっしましたけども、
つまり、中国大陸と北方のマップを作ってしまえば、全時代に対応できる訳なんです!!

もちろん、日本人としてゲームを楽しむ事を考え、そのマップに東方も加えれば、
4世紀(倭・高句麗戦争)から20世紀(日中戦争)まで、広い時代を扱う事も可能となります。
それに直接的な影響では無くとも、元は元寇の失敗により、
明は秀吉の朝鮮出兵により、清は日清戦争により、中華民国は太平洋戦争により、
それぞれ消耗を強いられ、日本との衝突が国家滅亡の遠因ともなっていますからねえ・・・・
まあ日本側も、元寇で鎌倉幕府が、朝鮮出兵で豊臣政権が、太平洋戦争で大日本帝国が滅んでますが。
う〜ん、そうやって改めて考えてみると、近世以降は東方マップも必須な気がしてきました(笑)。
それでも近代は日本だけでなく、イギリス・フランス・ロシアなども中国に押し寄せましたし、
モンゴルや満州と違って、中国側から打ち出す事が出来なかった事を思えば、
いっその事、その辺りは割り切って、イベント的に表現する事も十分に可能かとは思いますが。

あと、これは一般的なゲームとは少し違いますけど、
多くのマス目で座標マップ的に中国を表すのであれば、プレイヤーは神の視点に立ちながら、
軍事力や文化力の数値を決め、どのマスに首都を置いたり、たまには天災を起こしたりなどして、
自分で設定した王朝が、どのように繁栄し、そして滅びるかを眺めるゲームとか、どうでしょう?
まあ一言で言ってしまえば、「中国史の数理モデル」ですよね。
それこそ、王朝史ではなく通史という視点で見て行けば、上記のような神目線の介入も行わず、
最初は黄河流域で文明が起こり、そして文明の進歩により長江流域での疫病問題を克服する事で、
耕作適地である南部でも爆発的に人口が増え、中国大陸の全域に中華文明が拡散し、
時には北方から強力な騎馬民族が侵入して来るも、時間経過と共に彼らも文明的に同化させ、
海からは倭冦が来たり、時には天災や飛蝗が襲ったりなど、そうした変動をただただ眺めながら、
数理モデル的に、とにかく「中国史っぽい」歴史の流れを再現してみるという感じで。

もちろん、実際の歴史とは異なる流れも多々現れるでしょうが、
ある程度はリアルに感じられるモデルは作れると思えますし、
毎回展開は違うものの、いかにも有り得そうな流れを、ぼんやりと眺めるゲームですね(笑)。
逆に言うと、中国史だけに限定せず、人類史の普遍的な数理モデルを作れれば、
マップの違い(地形や気候などの違い)によって、欧州や中東などの歴史モデル化も可能かと?
地政学・・・と言うには、時間的なスパンが長すぎるかも知れませんが、
例えば、中国は統一王朝が誕生し、欧州は小国が林立するみたいな歴史的傾向を、
1つの数理モデルでも、マップ条件の違いによって、それを再現させる事は可能だと思うんですよ。
『国家興亡の方程式 歴史に対する数学的アプローチ(Discover社)』という挑戦的な本もあり、
先日読んだ『感染症と文明 共生への道(岩波新書)』も、なかなか興味深い内容でしたので、
対象を限定して、人類拡散や伝染病流行の数理モデル化とかでも、シンプルながら面白そう。
(ちなみに、飛蝗発生と農民移住の数理モデル化は、随分と昔に試作してみた事があります)
こうした歴史の観察方法は、歴史好きな理系ならではの方法のような気がします!!(笑)
恐らく文系の人だと、歴史を数式で表現しようだなんて、まず考えないでしょうからねえ。


> > 私が特に韓信を評価したのは、「背水の陣」と「暗渡陳倉」ですね。
> > これは、あの「兵法三十六計」の第八計にも、暗渡陳倉の計として載っているほどです。

> 韓信の用兵は「奇策」の言葉に尽きると思っています。
> 決して理論的に最善の手ではないけれど相手に決定的な悪手を出すように誘っている、という印象ですね。
> それによって、最善の手の時の期待値を遥かに上回る成果を常に挙げているという。
> 一見かなりリスキーなことを敢行しているので、敵の心理状態まで読んでいるのではと思ってしまいます。

う〜ん、奇策・・・なんですかねえ?
確かに場合によっては、奇策と映る事や、悪手を誘うように見える事もあるでしょうけど、
しかし実際は、誰よりもシンプルに原理原則に従ったるだけのようにも感じられます。

例えば将棋の羽生さんなど、別に本人は策に走る訳ではなく、シンプルに指してるだけでも、
相手の想定を超えていれば、その指し手は奇策にも映るでしょうし、
逆に相手が考え過ぎて自爆すると、悪手を誘ったかのように見えるかも知れません。
ですから韓信に関しても、私はそんな感じがするんですよねえ・・・・
学校の勉強とかでも、解の公式を丸暗記すれば、テストの点数は取れそうですけど、
何故その公式が成り立つかまで理解しないと、応用の場面では役に立たないのと同じ事かも?

> > そして、これが地味に大きいのですが、韓信の用兵はこのように詳細が残されている事です。
> 韓信自身、戦においても情報を重視している部分が窺えますが、
> こうして情報が後々まで残っていることも、
> 韓信自身が詳細に情報を収集し、そして勝った、というのが繋がっているように思ってしまいます。

ただ、ぶっちゃけた話をすると、1番大きいのは司馬遷の存在でしょうけどね(笑)。
記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。
そういう意味では、韓信の死から50年後に、あの史記を書いた司馬遷が生まれた事は、
韓信が伝説として語り継がれていく上で、非常に幸運な巡り合わせだったと思います。
司馬遷と言えば、ヘロドトスと並び称される、東西の歴史学における2大巨頭ですからねえ!!
しかも年数的に、感情は排除されつつ情報は残っているという、ちょうど良い頃合いだったと。

まあ韓信の場合は、別に本人も意図していなかった幸運ですけども、
アレクサンドロス大王に関しては、あの大哲学者・アリストテレスの弟子だった事もあり、
その点を理解した上で、自ら意識的に、かなり記録を残させている面がありますね。
一方で、大王が愛した英雄アキレスの伝説も、吟遊詩人ホメロスの存在があればこそと考えており、
これほど記録を残して尚、それを伝え広めてくれる英才の不在を嘆いたのだとか・・・・
しかし、ハンニバル・カエサル・ナポレオンといった後世の英雄達から賞賛されたのも、
自らの偉業を記録させたからこそだと思えば、当人が望んだ伝説化も成功したと言えるのかな?

記録が多く残る近現代でさえも、日記などで当時の詳細な情報を残してくれた人物は、
研究者にとって非常に有り難い存在なので、どうしても評価が高くなりがちですし、
そしてそれは、何も偉人だけに限らず、例えば一般市民が残した記録であっても、
例えばアンネの日記みたいに、その価値を見出される(付加される?)モノはあります。
ですから、現時点ではあまり注目されてないような個人ブログとかでも、
後世の歴史研究者から見た場合に、価値の高い記録と評価されるモノも現れるかも?
って、何だか最後は、韓信の話題から大きく脱線しちゃいましたね(笑)。

> > 韓信は、世界史上の名将と名高いハンニバルと、ほぼ同じ時代を生きた人物ですけど、
> > この2人が同時期に、ユーラシア大陸の東西両端に居た事は、本当に歴史上の奇跡だと私は思います。
> > (ちなみに、カンナエの戦いが紀元前216年で、井ケイの戦いが紀元前204年)

> ハンニバルも名高い名将というのは知っていましたが、具体的な場面を知りませんでした。
> せっかく話題に出てきたので「カンナエの戦い」を検索で調べてきました。
> なるほど正面から戦って劣勢側が大勝したというのはなかなかないことですね。
> …でも、知っている量が違うからかもしれませんが
> 現状、開戦の前に一仕事行っているのが見える韓信の方がより光って見えます。

いや〜、私も韓信贔屓ではあるものの、やはりカンナエの戦いだけは別格ですからねえ。
未だに軍事の教科書では、「包囲殲滅戦の手本」として扱われる程の完璧な戦術ですし、
戦争の時代を生きた近現代の軍人達も、このカンナエの再現を望んで止みませんでしたが、
それでも、ハンニバルほどの完成度を見せた用兵は、遂に1度も現れませんでした。
・・・って、もうこの辺は、本を読んでもらった方が早い気がします(笑)。
という事で、個人的にはこれがオススメ↓

図解雑学シリーズ『名将に学ぶ 世界の戦術(ナツメ社)』
https://www.amazon.co.jp/dp/4816348220/

46個もの合戦がそれぞれ、文字通りに図解入りで解説されており、
予備知識とかが無くても、パッと見て凄く解りやすい構成になっています。
他には、『世界戦史 歴史を動かした7つの戦い(学研M文庫)』とかも、
絶版にさえなっていなければ、なかなか悪くない内容なんですけどね。

> (楽毅について)
> > これにより戦国七雄のパワー・バランスが崩れ、長期的には燕の滅亡にまで繋がる事を思うと、
> そうなんですよね。2強から秦の1強になってしまったので結果的に滅亡の遠因を作っているという。
> 燕目線でいうと勝たなかった方が国が存続して都合がよかったのかもしれません。

まあ流石に、一武将でしかない楽毅に、そこまで求めるのは酷な話ですけど、
これがトップの人間であれば、やはり評価に大きく関わってくると思うんですよねえ。

ムガル帝国の6代皇帝・アウラングゼーブは、インド史上でも最大の版図を築きましたけど、
その積極的な軍事行動と、厳格すぎる反融和的な政策姿勢は、
彼の死後、急速な帝国の衰退を招きましたからねえ・・・・
もっと身近に日本史で見ても、例えば武田信玄などは戦国大名として評価されてますが、
信玄が積み残した政策上のツケは、息子・勝頼の代で支払わされた側面もあり、
その結果だけ見て「信玄は有能で、勝頼は無能」と、単純に言い切れるモノでは無いかと?


> > > (もし損害が同じでも兵がより多く集められるのが有能だと思っていますので、
> > > 個人的に、大軍で勝つ>寡兵で勝つ
> > >  とはいえ、実際に大軍で勝つ、は注目されないので、
> > > 大軍で勝つ<大軍集めれるけど寡兵で勝つ、になってるという解釈の苦悩)

> > この辺は、戦術と戦略とを明確に区分すると、結構解りやすいかも知れません。

> なるほど、一括りにしようと思うからぐちゃぐちゃになってしまうのですね。

もちろん、見ていて解りやすく、そして華々しいのは戦術面なのですが、
「戦術的勝利をいくら重ねても、戦略的不利を覆すのは困難」と、
よく言われているように、やはり最後にモノを言うのは戦略面ですからねえ。
どれだけドイツの技術力が高くても、アメリカの物量には敵わないのと同じです(笑)。

例えば織田信長にしても、有名なのは、寡兵で大軍を破った桶狭間の戦いですけど、
これは今川軍の侵攻を受けての、止むに止まれぬ奇襲作戦であっただけで、
その後の信長の戦争は、自軍の優勢を築いた上で実行に移される作戦がほとんどでした。
・・・って、それでも金ヶ崎や本能寺の時みたいに、たまにヤラかすのですが(笑)、
でもまあ、桶狭間みたいな成功体験を1度してしまうと、その後も調子に乗り、
無茶な博打で身を滅ぼすタイプも多い事を思えば、信長は意外と堅実派なんですよね。

> > 今となっては、こうしたプロ野球の例え話が通じるのか、少し不安になってきました。
> > まあ、話が解らなければ、聞き流しておいて下さい。

> すみませんほとんど解りませんでした。
> 野球だからということではなくてスポーツ全般詳しくないのでピンとこなかったと思います。

あ〜、やはり今現在だと、そんな感じになっちゃいますか?
まあ、ここ10年ほどの間に、日本だけでなく世界全体で、
競技面でも、観戦面でも、急速なスポーツ離れが進行中ですからねえ・・・・

もちろん若い世代にも、スポーツ好きや詳しい人は大勢居るのは確かですけど、
しかし10年ちょっと前までなら、その辺の主婦とかでも、
巨人軍やサッカー日本代表の主力選手は、普通に認知されてるレベルでした。
なので男性同士の会話となると、程度の差こそあれ、野球やサッカーは知ってて当然でしたし、
そんな状況でしたから、「戦術・戦略・兵站」を野球に例えると凄く伝わり易かったのですが、
う〜ん、そろそろ時代に合わせて、別の説明方法を考えなきゃダメな頃合いなのかも?

ただ一方で、スポーツ好きな私としては、ちょっと寂しい時代ではあります(泣)。
リアルの雑談でも、スポーツが話題になる機会は、めっきり減ってしまいましたし、
ネットの方でも、以前は試合後の感想戦とかも、もっと技術的な話が多かったのですが、
今では、試合内容とは懸け離れた選手個人への誹謗中傷だったり、
挙げ句の果てには、その競技とは全く関係ない政治的主張が溢れる始末・・・・
もちろん、そうした書き込みは以前から有ったものの、埋め尽くされる程では無かったです。
これもまた、ある意味で「悪貨は良貨を駆逐する」の一例なのかも知れませんね。
サッカーW杯予選の裏で同時進行中のアジア杯予選の話とか、そうしたマニアな話題も、
以前なら、ネット上で物好きが語り合ってましたけど、今では見掛けなくなりましたし、
そうした頃のネット黎明期が好きだった私としては、これまた寂しい限りです。

> > いや、理系の中でも私は物理で、しかも実験系ではなく理論系でしたから、
> > 数学に関しても、かなり近い存在でしたよ。

> 自分は自分で、一般的に数学と言われてイメージされそうな生の数字を使う分野とは違うので
> (用語的に何というのか分かりませんが)、思ったより分野的に近いかもしれません。

う〜ん、この「生の数字」の意味をどちらで取るかで、大きく変わってきますけど、
普遍的な心理を求めて、抽象的な概念を扱ってる分野でしたら「純粋数学」でしょうし、
机上ではなく現実の数値を集めて、具現化させる分野でしたら「数理統計学」でしょうから。
ちなみに理論物理で用いるのは、その中間に位置する「応用数学」が多いのかな?
フーリエ級数とか、テイラー展開とか、ゼータ関数とか、やってた記憶があります。

まあ個人的には、「数字は文字であり、数学は言語である」って感覚ですね。
つまり、世界で最も普及している言語は、英語ではなく、実は数学であると(笑)。
・・・って、そんな事を言っても、世間的にはなかなか理解されないかも知れませんが、
世界で最も普及している文字は、アルファベットではなく、アラビア数字と言えば、
納得してくれる人も、それなりには居るように思えます。

> > あと、ここからは日本語の話になりますけども、
> > 「理系」というのは、理学・工学・医学・歯学・薬学を一纏めにした用語で、
> > 基本的には、「文系」に対する対義語として使われる感じですね。
> > そして「理数系」とは、理科と数学を合わせた用語で、理学系とほぼ同じ意味だと思います。
> > ですから、理科系・数学系と分ける事はあっても、理系・数系と分ける事は無い気がします。

> そうだったのですね。
> 呑み込めたような呑み込み切れてないような…。
> 文系と理系という対比があって、理科系も数学系も理系の中に含まれるということでしょうか。

理系の人であれば、下手に文章で説明されるよりも、
こう書いた方が、却って解りやすいですかねえ?(笑)

 「理系⊃理学≒理数系=数学+理科」


> > > > 世間的な人気を加味しつつ、中国人(漢民族)の将軍十傑を選ぶと、こんな感じでしょうか?
> > > >  孫武(春秋)・白起(戦国)・韓信(漢初)・霍去病(前漢)・周瑜(三国)
> > > >  李靖(唐初)・郭子儀(唐末)・岳飛(南宋)・徐達(明初)・袁崇煥(明末)
> > > > もちろん、三国志や春秋戦国のファンからすれば、もっと入れたい武将は挙がるでしょうし、

> > > 他の時代の枠を取ってまで入れるつもりはありませんが、三国志なら自分は司馬懿を押します。
> > > 人気とか名将という表現なのかとか考えると疑問はありますが、能力で選ぶなら。

> > 単純に「三国志で評価する武将を1人挙げろ」となれば、恐らく私も司馬懿ですね。
> > 軍事的実績はそこまでなので、名将と呼べるか否かは置いておくにしても、
> > 何だかんだ言って、やはりあの戦乱の最終勝利者ではありますし、
> > 棚ボタ的に天下を手にできた訳でもないので、政治家としては大きく評価できるかと?

> 私は司馬懿は軍事的実績も充分あると思っています。
> 上庸の孟達攻め(間違ってたらすみません)とかは個人的に名将と呼べる枠に入りそうです。
> ただ、襄平戦役とかでイメージが悪いので、名声的な意味で「名将」表現は疑問符ですが。

う〜ん、確かに司馬懿は、孟達の反乱蜂起も早期に解決していますし、
諸葛亮の北伐をその度に跳ね返してますし、遼東への遠征も卒なくこなしています。
そういう意味では、軍事的実績も充分にあるという意見も、もちろん解るのですが、
ただ、ここでの大前提として、中国史を代表する意味での「名将」を語っていますからねえ。

司馬懿が軍事面でも有能であった事は、私も決して否定するモノではないのですが、
しかし一方で、戦乱の時代であった三国志の時代には、
司馬懿以上の才能を見せた軍人が、他にも数多くいると思うんです。
そんな彼らを差し置いて、三国志No.1の名将を司馬懿とするには、やはり実績が少ないのでは?
物語的なライバルとされる諸葛亮と比べても、魏と蜀の国力差を排除して見た場合、
入蜀・南征・北伐の軍事的実績は、司馬懿のそれを上回るような気がしますからねえ。

> > ところで三国志と言えば、曹操が築かせた「銅雀台」という大宮殿がありますが、
> > その柱を飾っていた「獅子の石像」が、実は東京にあるのは御存知でしょうか?

> 知らなかったです。
> そういうところで現在も繋がっているのを知ると、一段と歴史に思いを馳せます。

こうした歴史や美術のコレクションの充実度で言うと、
さすがにイギリス・フランス・アメリカには圧倒されるものの、
日本もなかなかのモノで、ドイツに次いで世界でも5番目くらいだと思います。
イタリア・スペイン・ロシア・オランダ・中国なども、自国作品のコレクションは凄いものの、
地域や時代を超えて網羅している面では、やはり上位5ヶ国と比べると見劣りするかと?

まあこの辺は、歴史的な善悪は置いておくとして、近代の日本が列強国であった事に起因します。
近世までですと、他国からのコレクション収集は限定的なモノでしたし、
現代となると、国外への流出が厳しく規制され、購入可能でも金額が莫大になりましたので、
近代に日本がそうした地位にあった事は、充実度の面で非常に有利に働きました。
逆に言うと、今の日本人はそれだけ恵まれた環境にあるのですから、
それを味わわないのは損なんですよね(笑)。
(しかも娯楽文化の面で言うと、東京はニューヨークに次ぎ世界でも2位の存在ですから)
ただ一方で、その辺の思いが強すぎると、維新や敗戦で流出・強奪された作品群は悔しく、
そこを思うと、相手国を差し置いて日本が保有していて良いのか?という気分にも・・・・

> > 十八史略の扱う範囲だと南宋までなので、登場するのは岳飛まででしょうか?
> > 誰の著作だったかは忘れましたが、日本の有名学者が書いた中国通史も、
> > 中国史の範疇に収まらないモンゴル帝国の登場により、そこで執筆が止まってしまいましたし、

> 文化圏というのが割とはっきりあった時代があり、
> まとまった書物が存在したことが学ぶ上で都合が良い気がします。
> 中国史でも、モンゴル帝国など外因の歴史の比重が増してきてからは、
> それ以前とは学び方が違う気がします。

ちなみに、中国史の通史ですと、つい最近、
2年前に再販された『中国史 上・下巻(岩波文庫)』を読んでみたのですが、
さすがは宮崎市定の著作だけあって、なかなか良かったですねえ。
まあ全2巻なので超ダイジェスト版であり、話の展開としては凄く速くて、
その点では物足りない部分があるものの、歴史の考察部分はやはり見事でした。
しかも、それを半世紀近く前に行っているのですから、やはり感嘆の一言に尽きます。
とは言え、そこは40年前に出版された本なので、当時は冷戦の最中でしたし、
特に現代史(中華人民共和国)の記述は、今から見ると的外れな箇所もありますが(笑)、
そこを差し引いても、結構オススメできる内容でしたね。

> ヨーロッパの方はそういう意味でまとまった書物が見当たらないのが、
> 自分にとって敷居がまだ高いのかもしれません。

う〜ん、ヨーロッパの通史モノとなると・・・正直、思い浮かびませんねえ。
そもそも欧州自体が、幾つもの国に分かれている訳で、
例えばこれが、日本や中国、タイにベトナムも一緒に扱う、
東アジアの通史モノが存在しないのと、同じ事なのかも知れません。
まあ各国史であれば、一応、山川出版社からいろいろ出されてはいますし、
世界史の通史だと、少し読み物的ですけど、W.H.マクニールの作品群がありますけどね。
それでも強いて、ヨーロッパの通史モノを挙げるとすれば、
EUが編纂した『ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書(東京書籍)』というのがあります。
ただこれは、図版が豊富な全頁カラーの大型本なので、読むというよりは見る感じかも?

ちなみに、読むというよりは見る感じの大型本ですと、
こちらは欧州史限定ではなく、世界史全般となりますけど、
『クロニック世界全史(講談社)』は、超が付くほどのお気に入りですね!!
カラフルな作りは眺めているだけで楽しく、年代ごとに出来事が並べられている為、
通史として流れを掴みやすいだけでなく、同時代の別の出来事も把握する事が出来ます。
ただ、大型本で1000ページを超えるので、どうしても場所を取りますし、
四半世紀前の本なので、既に絶版で、中古市場でしか手に入らないでしょうから、
気軽にオススメとは言えませんけど、歴史好きなら必ず気に入る1冊だと思います。
(出版当時は高額な値段もネックでしたが、今は古本で結構手頃な価格になっています)
このシリーズには他にも、「日本全史」「戦国全史」「20世紀全記録」があり、
それらも出来は悪くないものの、やはりスケール感では「世界全史」が圧倒してますね。

・・・って、何だか少し脱線してしまいましたので、話を元に戻しますと、
欧州史全体をカバーする通史モノというのは、なかなか無いのが実状ですけど、
神聖ローマ帝国の皇帝であった「ハプスブルク家」の歴史を追って行けば、
中世から現代までの欧州史の基本的な流れは、結構見えてくるように思います。
オーストリアやスペインの王であり、ドイツ・イタリア・オランダなどに領地を持ち、
周辺国としてイギリス・フランス・ロシア・トルコなどとの関係もありましたからねえ。
主役であれ、敵役であれ、脇役であれ、中世以降の欧州史にはほぼ関わってくる一族です。
まあハプスブルク帝国自体は、第一次大戦により崩壊するのですが、
その時の皇太子は、第二次大戦後の冷戦期に、欧州議会の中心人物として活動し、
東欧の民主化や、EUの欧州統合では、主導的な役割を果たしましたからねえ。
この一族の歴史を軸として、後は英・仏・露・土からの歴史を肉付けしておけば、
ここ1000年の欧州史は、だいたい押さえられるかと思います。

で、それ以前となると、ヨーロッパはいわゆる「暗黒時代」ですから、
ローマ帝国と、その後継国である西のフランク王国&東のビザンツ帝国を押さえておけば、
とりあえずは充分な気もしますね(もちろん歴史は流れなので、暗黒時代も欠かせませんが)。
中国の通史を、始皇帝から溥儀まで、連綿と続いた皇帝たちの歴史として見た場合、
ローマ帝国からフランク王、そしてハプスブルク帝国へと繋がる帝位を軸にすれば、
そこから見えてくる歴史は、西欧の通史と言っても過言では無いかも知れません。
ちなみに、ローマ帝国からビザンツ帝国、そしてロシア&オスマン両帝国へと繋がる、
もう一方の帝位の方も追っていけば、東欧の歴史もカバーできますしね。
要するに、全ての道がローマに通ずるが如く、欧州の歴史もローマに通ずるんです(笑)。

ちなみに、ハプスブルク関連の書籍は、講談社現代新書がなかなか充実してまして、
江村洋『ハプスブルク家』『ハプスブルク家の女たち』
菊池良生『神聖ローマ帝国』『戦うハプスブルク家』『ハプスブルクをつくった男』
などが、良書として知られています。
あと、こちらは私自身まだ読んでいないのですが、つい先日も、
岩崎周一『ハプスブルク帝国』という、若手研究者による通史本が出版されたみたいです。
ネットの書評を見ると、なかなか良さそうなので、そのうち機会があれば読むと思いますが、
前の両名は昭和世代の研究者なので、今だと、こちらの方が文章的に読みやすい可能性も?
でもまあ、ハプスブルク関連の書籍は意外と数が出ている一方で、
一般層はあまり食い付かない題材なので、どれを手に取っても悪書は少ない気がします。


> > それ以降の元・明・清の3王朝の歴史と、中華民国から中華人民共和国に至る流れは、
> > 想像している以上に、日本人にとっては縁遠い存在なのかも知れませんね・・・・

と言いますか、よくよく考えてみますと私自身も、
明王朝の知識って、スポッと抜けてる時期な気がします(序中盤は特に)。
古代からモンゴル帝国までは、それこそ十八史略のお陰もあり、一連の流れが入っており、
明末清初も秀吉の朝鮮出兵に始まり、日中ハーフの英雄・鄭成功も登場しますし、
清王朝は私が好きな王朝の1つな上、文明の十字路に居た満州族の存在は実に興味深く、
清末から中華民国、そして中国共産党と至る近現代史は、日本も大きく関わりますからねえ。
しかも明王朝は、モンゴル統治の粗野さが残る宋王朝の劣化コピーという評価が一般的で、
中国歴代王朝の中でも「最も魅力に欠ける王朝」と見なされていますからねえ・・・・

開祖の朱元璋にしても、450年ぶりに中国全土を漢民族の手に取り戻し、
孤児ホームレスから皇帝にまで出世した、世界史上でも前代未聞な英雄なのですが、
功臣に恵まれた事もあり、わずか10年ほどで乱世を平定したのが、却って物語性に欠け、
しかも皇帝即位後には、その功臣たちのほとんどを、一族郎党に至るまで皆殺しにした為、
いまいち人気が出ないだけでなく、その重い空気感が宮廷や世間を支配し続けるんですよね。
その中には、燕王・朱棣(後の永楽帝)による軍事クーデターなんてモノもありました。
中国の歴史上、易姓革命は何度も起きてますけど、皇族が武力で皇位を簒奪するのは、
あまり例が無いように思います(武力蜂起させて潰したり、そのまま内乱化はありますが)。
正直な所、この皇位簒奪の内乱期まで含めた、元末明初の動乱というのは、
数ある中国史の群雄割拠の中でも、個人的に最も知識の浅い題材になっちゃってます。
(モンゴルの中国支配が終わる時代であった事も、遊牧民好きな私には影響したのかも?)

でも、ここまで来ると、何だか逆に元末明初の事を知りたくなってきました(笑)。
元王朝にしても、中国の領土を失ったものの、北方の本拠地モンゴルに帰っただけで、
王朝自体は通称「北元」と呼ばれて、その後も存続しましたからねえ。
ゲームの題材として捉えた場合も、元末明初は意外に面白い時代かも知れません。
特に「ココ・テムルvs.徐達」みたいな名将同士の対決は、世界史的にも希少ですし。
ちなみに元王朝の玉璽(皇帝の印章)は、このモンゴル北帰から約250年後に、
急速に勢力を拡大していた満州族へと降る際、この玉璽が満州族の王に献上されました。
それにより、満州・漢・蒙古の3民族を統べる皇帝として即位したのが、清王朝の始まりです。

・・・って、明から更に進んで清の話になっちゃいましたが、この明にしても、
燕地方(燕雲十六州)を4世紀半ぶりに、漢民族の手に取り戻したのが初代皇帝・朱元璋で、
その地を治め、北帰したモンゴルに睨みを利かせていたのが、息子の燕王・朱棣でした。
そして父親の死から数年の後、北の国境を守る兵を率いて首都・南京へと攻め込み、
甥の2代皇帝から皇位を奪うと、永楽帝として即位して、自らの本拠地である北京に遷都。
まあ当時としては、中国大陸の北端であり、騎馬民族圏の南端でもある「燕」は、
元にとっても、明にとっても、清にとっても、重要な土地であったのでしょうが、
(余談ですけど、極東であり、極西でもある日本も、世界的には面白い存在です)
その戦略的意味が薄れた現代においても尚、そこが中国の首都なんですよねえ・・・・

それにしても、雑談の最初の方で、燕と楽毅の話をしてましたけど、
あの辺境国であった燕の都・薊が、今では中国の首都だというのも凄い話です(笑)。
正直な所、単に中国を統治するだけであれば、北京は端っこ過ぎるので、
立地的には南京の方が良さそうですが(実際、中華民国は南京を首都にしましたし)、
まあこの辺は、歴史上の成り行きとしか言えないんでしょうかね?
もしも永楽帝がクーデターを起こさず、北京への遷都が行われていなければ、
こうして未だに、あの北端に中国の首都がある展開にはならなかったかも知れません。
そういう意味では、漢民族の歴史にとっての明王朝は、思う以上に重要な存在なのかも?
また日本からしても、日本が中華王朝の冊封体制に組み込まれるは、
卑弥呼や倭の五王などを除くと、この明王朝と室町幕府(永楽帝と足利義満)の頃だけですし、
この時の交流により中国の文物が大量に流入して、日本文化の成熟に繋がった事を思うと、
(私個人の趣味に走るなら、芸術作品や科学発見のランキングも作ってみたい所・笑)
日本人の歴史にとっても、意外と明王朝は重要な存在だったりするかも知れません。

まあ明朝末期には、豊臣秀吉や鄭成功だけでなく、徳川家光さえ少し関わりますしね。
清に抵抗する南明政権から幕府へ援軍要請があり、徳川御三家などは出兵に乗り気でしたが、
幕閣重鎮の松平信綱や井伊直孝は派兵に反対で、最終的には将軍家光の判断で見送りとなりました。
ですが、当時はまだ大坂の陣より30年ほどしか経っておらず、戦国の気風も色濃く残り、
そして何より大量の浪人問題が深刻でしたから、援軍派兵も決して有り得ない話では無かったかと?
もし本当に出兵となれば、家康の末子である水戸家・徳川頼房が先陣を務める話が出ており、
その跡継ぎである徳川光圀(水戸黄門)も、中国の地で初陣を迎えてたんでしょうね。
if設定ではあるものの、ちょっと妄想を掻き立てられる題材でもあります(笑)。
ただ結局、派兵は行われなかったものの、実際の光圀は朱舜水など明からの亡命者を招き入れ、
それが水戸学の誕生に結び付く一方で、やがては幕末の尊皇攘夷運動に繋がる事にもなります。
これはこれで、歴史の流れとしては面白い話ですよね。


> > 個人的にパッと思いつくまま、1時代に1人の基準で選んでみました。
> > とは言え、やはり偏りがある為、何人も浮かんで誰を選ぶか悩んだ時代もあれば、
> > 高評価な人物が思い浮かばず、少し無理やりに選んだ時代もありますね(笑)。
> >
> > 中国史・各時代の名宰相
> >   伊尹(殷)・周公旦(周)・管仲(春秋)・商鞅(戦国)・李斯(秦)
> >   蕭何(前漢)・ケ禹(後漢)・諸葛亮(三国)・王導(晋)・王猛(五胡)
> >   高ケイ(隋)・狄仁傑(唐)・馮道(五代)・包拯(北宋)・秦檜(南宋)
> >   アフマド(元)・張居正(明)・ドルゴン(清)・顔恵慶(民国)・周恩来(中共)
> >   ※ 皇帝もアリなら、後漢は光武帝(劉秀)、清は雍正帝かな? ※

名将ランキングで韓信を語り、名宰相として蕭何を選考すると、
楚漢戦争が好きな私としては、やはり張良も入れてあげたくなる所(笑)。
という事で、ついでに今度は各時代の軍師でも・・・と思ったのですが、
こうして考えると、そもそも「軍師」と呼ばれる人自体、意外と少ない事に気が付きました。
(軍師とは本来、従軍する占い師や祈祷師の事でしたが、ここでは参謀的な軍略家の意味で使用)
近代になって参謀制度が始まるまで、一般的にイメージされるような軍師の存在は、
全く無かった訳ではないものの、ほぼ中国史だけに限定されますからねえ。
西洋の場合、偉くなるほど後方に控える東洋と違い、自ら先頭に立ち引っ張るのが理想像ですし、
まあ日本の戦国時代だと、何人かは名前が挙がるものの、実際ほとんどは講談の創作ですので。
しかも本家の中国においても、基本的に軍師が必要となるのは、戦乱期か建国期に限られる為、
ランキング化しようとすれば、選ぶどころか、全て挙げてみる作業になるかも知れません(笑)。
という事で、たくさん挙がりそうな三国志はメジャー所だけに限定しますと、

 呂尚[太公望](周・文王)、伍子胥(呉・闔閭)、范蠡(越・勾践)、呉起(魏・文侯)、
 孫ピン(斉・威王)、范増(西楚・項羽)、張良&陳平(漢・劉邦)、韓キン(後漢・宰相 ケ禹)、
 荀攸&郭嘉など(曹魏・曹操)、周瑜&魯粛など(孫呉・孫権)、諸葛亮など(蜀漢・劉備)、
 張賓(後趙・石勒)、王猛(前秦・苻堅)、尹緯(後秦・姚萇)、王買徳(胡夏・赫連勃勃)、
 房玄齢&杜如晦(唐・李世民)、李振(後梁・朱全忠)、趙普(宋・趙匡胤)、
 劉基(明・朱元璋)、姚広孝[道衍](明・永楽帝)、洪承疇(清・摂政ドルゴン)

って感じでしょうか?
建国期であっても、異民族による征服王朝の場合は、あまり見当たりません。
ただし例外として、中国に入植した異民族が初めて王朝を建てた五胡十六国の時代は、
異民族であっても中国の文化に詳しく、漢民族の統べる上でも漢人登用は有益だった為、
却って積極的に、政策や軍略のブレーンとして用いていた印象ですね。
あと、滅んだり敗れたりした勢力にも、参謀的な存在は居たのでしょうが、
イメージの問題として、そうした人材はあまり軍師とは呼ばれないと(笑)。
それと、これだけ戦乱期や建国期の人物が並ぶ中で、ただ1人、
皇位を簒奪した永楽帝と共に策謀を練った、僧侶で軍師の道衍は少し異色な存在かも?

> > 日本史・各時代の名宰相
> >   大伴金村(古墳)・蘇我馬子(飛鳥)・藤原不比等(奈良)・菅原道真(平安)
> >   北条泰時(鎌倉)・細川頼之(室町)・石田三成(戦国)・田沼意次(江戸)
> >   大久保利通(明治)・西園寺公望(大正)・田中角栄(昭和)・小渕恵三(平成)

> 知らない人も入っていますが昔の区分のほうが知っている率が高かったり。
> (平成と区分されているのに小渕恵三が何をした人か知らないという)

平成なんて、まさに前言の「少し無理やりに選んだ時代」ですね。
宰相という事であれば、今の時代だと首相から選ぶのが妥当でしょうけど、
平成の首相で凄い人が居たかというと・・・日本の国家的にも「失われた時代」とされており、
その状況を打開できた人物も居ませんでしたから、結局は消去法なんですよね。
まあ、その中でも小渕を選んだのは、特に何かを成し遂げたからではなく、
色々やろうとしたものの、道半ばで任期中に急死してしまったからなんです・・・・
期待値の段階なら高止まりする評価も、実際に行って失敗すれば評価は下がりますし、
何も行う意欲が無ければ評価などされず、意欲はあっても悪い方向に進めれば論外なので。

まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、古い東洋的タイプのリーダーでしたから、
欧米メディアから「冷めたピザ」と揶揄されるなど、海外からは評価されませんでしたし、
見た目は凡庸で、何事にも根回しを重視する姿勢は、国民ウケも最初は良くありませんでした。
ただ華々しさには欠けても、その着実な実行力、堅実で大胆な政策力、バランスの取れた外交力は、
今になると、「あのまま小渕政権が続いていれば」と、思わせる所があるのは確かですね。
と言いますか、その後は失言連発で支持率1ケタの森政権に、政治を劇場化させた小泉政権と続き、
首相の座をタライ回しにした後、民主党政権のドタバタがあり、そして今の安倍政権ですから、
ちゃんとした「政治家」が日本の首相を務めたのは、この時が最後だったのかも?

国防・治安・愛国を重視したけど右翼ではなく(周辺事態法、通信傍受法、国旗国歌法を制定)、
教育・環境・沖縄を重視したけど左翼ではなく(沖縄サミットや、左右対立を超えた教育方針)、
中国・韓国・ASEAN諸国とは媚びない友好関係を結び(左右極端な外交姿勢は国益を損ないます)、
生活インフラとしての大容量ネットの整備を目指し(郵政族の小渕が居なくなると有耶無耶に)、
断腸の思いで赤字国債や派遣法改正を実施(しかし後の政権が安易に拡大して日本は滅茶苦茶に)。
公明党との連立とか、議員定数の削減とか、対人地雷の全面禁止とか、男女平等の急速推進など、
賛否の別れる政策もありましたが、何より小渕は、選挙に強くない事もあってか常に謙虚でした。
(定数4議席で同じ選挙区に、首相の福田&中曽根や、社会党書記長の山口が居ましたからねえ)
う〜ん、こうして改めて振り返ると、1年半あまりの短い在任ではありましたが、
平成時代の総理大臣としては、いろいろと成し遂げた方なのかも知れませんね?


> > 佐々木道誉は、日本史上でも一二を争うほど面白い人物ですよ(笑)。
> > 鎌倉末期から南北朝に至る動乱の時代、政治に、軍事に、文化にと活躍(暗躍?)した人物です。
> > 三国志の曹操を、もっとダークで派手好きな性格にした感じの道誉が、
> > 足利尊氏の盟友であり、2代将軍・義詮の後見役を務めた為・・・室町時代は、ああなったと(苦笑)。

> 曹操をもっとダークで派手好きな性格にした、とは恐ろしい。
> 知識の不足で分かりにくいところもありましたが、
> 良くも悪くも歴史に大きな影響を与えたことはわかりました。

権力者に取り入っては操り、機会があれば得になる方へと簡単に寝返り、
対立する相手がいれば、どんな手段を使っても追い落とし、
朝廷だろうが、幕府だろうが、大寺院だろうが、気に食わなければ平気で喧嘩を売り、
それで一時的に立場を悪くしても、実力があるので結局は許されて出世を重ねると。
こうして改めて書いてみても、やはりロクでも無い人物ですね、佐々木道誉は(笑)。

ですが、如何に動乱の時代とは言え、こんな傍若無人ぶりが罷り通ったのも、
政治面でも、軍事面でも、謀略面でも、道誉は頼りになる一級の人物だったからであり、
そして、彼の評価を更に高めているのは、彼が文化人としても超一級の人物だったからです。
もし道誉が居なければ、茶道・生け花・俳句なども、今と違ったモノになってたかも知れませんし、
彼の派手好みは、戦国の安土桃山文化を経て、世界遺産の日光東照宮に繋がってますからねえ。
具体的に何かを残した人物では無いですけど、大きな下地を築いた人物ではあります。

> > 例えば、江戸時代には何度か改革が試みられましたけども、
> > その中でも、時代遅れな懐古主義的政策で、失敗を重ねた享保・寛政・天保の改革を、
> > 「江戸幕府の三大改革」として教えているのは、個人的に違和感があるんですよねえ。

> やっぱり違和感ありますよね…。
> 私の意見と徳翁導誉さんの意見も色々違いはあると思いますが、
> 私はそもそも「改革」という言葉が相応しいかどうかから疑問です。

う〜ん、まあ改革は改革だと思いますよ。
改良や改悪であれば、その中身や結果で判断されますけど、
改革であれば、中身や結果がどうであろうと、とにかく変えれば良いのですから(笑)。

> > > > でもまあ、ある意味で中華文明の歴史というのは、
> > > > 中原の農耕民だけでなく、「北方の遊牧民も居てこそ」という面はありますからねえ。

> > > 確かにそう思います。

> > 別に構いませんけど、意外にサラリと流されてしまった(笑)。

> すみません、思ったより長文で返答が面倒になってきていたのが出てしまったようです。
> まともに返答付けれるかどうかは分かりませんが、語りたいことなら読んでみたいです。

いえいえ、こうして匈奴や鮮卑の話題が挙げられ事で、
遊牧民好きな私が、それに食い付き気味になっただけの話であり、
自分の方から進んで語るというのは・・・あまり得意では無いんですよねえ(苦笑)。
私には長文癖がある為か、どうも勘違いされる事が多いのですが、
正直な所、自分から語るよりも、相手の話を聞く方が好きなタイプの人間ですし、
長文になってしまうのも、あれこれ話題を振る事で、少しでも反応が欲しいからですね。
もしも自分から発信したいタイプであれば、掲示板ではなくブログをやってると思います(笑)。
それに、ここまでの長文になってしまうと・・・更に長くなる話題は、避けた方が得策かと?


> > > 「十八史略(講談社学術文庫)」、「宋名臣言行録(ちくま学芸文庫)」、「貞観政要(ちくま学芸文庫)」
> > > これから本格的に読みますが、ここでの話がきっかけでいい買い物ができたと思っています。

> > おおっ、一気に買われたのですね!(笑)
> > 私の方は「あの本は良かったなぁ」と、思い出話半分で気軽に語っていたので、
> > 何だか恐縮すると共に、「果たして満足してもらえるか?」と、少し不安にもなってきました。

> あまり読み進められていませんが、読んだ限りでは悪くないと思います。ただちょっと退屈な感じが。

まあ、これらの書籍はエピソード集みたいなモノですし、
そもそも古典をオリジナルに近い形で読むというのは、実際、味気ない事も多いと思います(笑)。
言うなれば、野菜をそのまま生で食べる行為に近いですからねえ。
ですから、ドレッシングを掛けてサラダで食べるみたいに、解説本の方を読んでみたり、
調理をして野菜炒めで食べるみたいに、物語化された小説版を読むといった方法があります。

研究対象として読む場合だと、なかなかそうは行かないでしょうけど、
趣味で読むのであれば、いろいろと食べ比べてみて、自分に合う方法を探してみるの一手かと?
宋名臣言行録や貞観政要であれば、どちらも山本七平の解説本がありますし、
個々人の好み次第ですが、そうした一手間加えられたモノの方が、味わい易い場合もあります。
もちろん、人の手が加わるほどオリジナルからは乖離する為、そのまま味わえれば最良ですけど、
結局は、どの方法が最も自分の栄養になるか?というのが一番ですからねえ。
例えば洋書を読む場合でも、背伸びして英語の原書版を読んでみた所で、
翻訳版を読んだ方がずっと理解が出来るのなら、原書に拘る意味はあまり無いでしょうし。

> 今までまとまって持っていなかったので買いましたが、韓非子はやはり刺激が強い。
> これだけは他の本より読み進んでます。
> ただ、「韓非子をビジネスに生かそう」みたいな本があるみたいですが、それは違和感があります。
> 自分は歴史の一部として学ぼうと思って買いました。
> 法学うんぬんはよく分かりませんが、そのまま現代に適用したらちょっとおかしい内容でしょうね。

う〜ん、それはなかなか難しい所ではありますねえ・・・・
確かに、歴史便乗のビジネス本や自己啓発本などには、酷い内容のモノも多いですけど、
その一方で、たまに掘り出し物もあったりするので、一概には言えない所。
以前話題にした、大手出版社とマイナー出版社の書籍の話にも通ずる部分があると思いますが、
敷居の低い本だからこそ、無名だったり専門外だったりする人にも書く機会が与えられ、
それにより、新しい視点から語られたり、シンプルで大胆に語られたりする事もあります。
(本のタイトルは出版社側が付ける為、書名と内容が乖離しているケースもありますしね)

そして、原書のエッセンスを的確に抜き出して、纏められていれば、
却ってそちらの方が、本質的な部分を理解しやすい場合もありますし、
そこに普遍性があるのなら、現代での応用も決して出来ない訳では無いと思います。
時代や場所が変われば、社会のルールも変わりますけど、人間の本質的部分はあまり変わらないので。
・・・って、そうは言っても、やはり駄作が多い事実に変わりはありませんけどね(笑)。

> > > 陳舜臣「小説 十八史略」を勧めて頂きましたが、創作が多分に含まれているとのことなので
> > > 忠実な訳に近いらしいのを買いました。

> > 創作の部分が多いと言いますか、十八史略そのものを翻訳をした訳ではなく、
> > 扱う時代を合わせてタイトルを拝借しただけの、基本的には完全に別物の作品です(笑)。
> > ですから、翻訳本や解説本とは、また別の魅力を帯びた作品であるとも言えますね。

> そうなのですか。
> ちなみにすみません話がそれますが、小説読まない…というか嫌いなんです。

いえいえ、私も小説はほとんど読みませんので(最近は特に)。

> > いや、やはり一般的な感覚だと、心や魂などは特別な存在だと思われてる気がしますよ。
> > 幽霊や死後の世界すら信じてる日本人が、だいたい6〜7割と言われていますし、
> > (世界的には、日本よりも宗教意識の強い地域がほとんどなので、全人類だと大多数?)
> > 心や魂を「脳内の化学反応」と割り切って見てる人なんて、日本で1割も居ない印象ですね。

> そうなのですか。
> 私自身も、普段は意識することはないですが、考えるとだた物理法則だよね…という感じです。
> うーん、でもそれ以外の考え方があるということが理解できなくてちょっと苦しいです。

「心や魂の存在は特別」「命の存在は特別」「自分の存在は特別」「人類の存在は特別」
宗教を信仰していれば、教義的にそうなってる事は多く、とにかく疑わずに信じるだけですし、
そこまでの宗教意識のない日本人であっても、漠然とそう考えてる人は多数派だと思います。
で、「特別」なら文字通りに特別なので、それ以上は深く考える必要なんて無いんですよ。
何と言ったって、それは「特別」なのですから(笑)。
「なぜ特別なのか?」「本当に特別なのか?」と考えるのは、変わり者のやる事です。

ただ一方で、「特別なんだから特別なんだよ」で止まってしまう多数派の人は、
科学というモノに対して、どうも偏見と言いますか、正しい見方をしていないように感じます。
科学というのは、まず大前提として自然界の存在があり、
それを現時点の技術で見た時に、最も妥当な解釈であろう見方を「科学」と呼ぶのであって、
自然界の法則に反する科学だとか、妥当性に欠ける科学なんて、そもそも存在しないんですよね。
また、現時点ではそう解釈しているだけの不完全な存在が科学なので、
それを絶対視する科学万能主義も、単なる信仰に近く、同じく科学というモノを理解してないんです。
例えば心霊現象とかも、それが最も妥当な解釈であれば、それを認めるのも科学だと思うんです。
逆に言えば、そうした妥当性に欠けるからこそ、心霊現象は科学的に否定されるだけの話であり、
だからと言って、それを完全否定できる証拠も無い為、絶対に有り得ないとは言わないのも科学かと?

> 文章の最後になりましたが返信遅れてしまいすみません。
いや、それは構いませんよ(笑)。
長文癖のある私と付き合うのも大変でしょうし、
今回みたいに、私の方も返信が遅れる事はありますから。

と言いますか、何だかボケーッと返信を書いていたら、
削る作業を忘れてしまい、トンデモない長文になってしまいました・・・・
今週は、エアレースで日本人初となる室屋の劇的な世界王者獲得や、
10年ぶりとなる浦和レッズのACL決勝進出に、U-17W杯での日本惜敗、
プロ野球や大リーグのポストシーズンの激戦などがあり、
知らず知らずの間に、私の中のテンションも上がっていたのかも知れません(笑)。


[21383] Re:歴史の数理モデル化・中国の軍師・その他の歴史話など返信 削除
2017/10/25 (水) 22:06:28 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
> 要するに、「個人的な好み」で選んだのが、第一印象によるランキング版で、
> 「一般的な評価」で選んだのが、採点方式でのランキング版ですね。

個人的視点からでですが、採点方式でのランキングと聞いたところでなぜかあまり興味が湧かない、というか存在意義に疑問符が。
しっかり知りたいなら「一般的な評価」よりもそれぞれの人の「個人的な好み」で評価をいろいろ聞いてみたいものです。
でも、知っている人の場合は数字評価したところでそういうことじゃないんだよなぁ感がありますが、
知らない人を知り始めるきっかけには役に立つような気もしてきました。
点数で付けるのも、例えるなら辞書の索引みたいに入口には必要なものなのかなぁ。

> 個人的な「好き嫌い」と、全体的な「良い悪い」は、全く異なる価値基準ですからねえ。
  〜
> でもまあ、この辺の話まで始めてしまうと、なかなか纏まらないのも事実でしょうね。
存在するものとしてはそうなのでしょうけど、全体的な良い悪いというのは個人が正しく認識できるものにも思えないというのはあります。
なので全体的な評価を評するというのは厳密な意味では無理でしょうね。
ただその方向性の概要を掴もうとするというのは必要ですし、分けて考えることも必要ですから、そういう意味でなんとなく伝わりますが、
全体的なことを評するのはちょっと苦手というかそんなことしていいのかなと引け目を感じるところもあります。
自分が一般的とされる評価より個人個人の好みの方に興味があるのはそういうのもあるのかな?

> > それで思ったのですが、名将と呼ばれる基準とはどのようなものがあるのでしょうね。
> それを一般化しようとしたのが、前の採点で設けた5項目ですね。

ちょっと考えた結果、自分で身もふたもないことを言いますが、名将に普遍的な条件はないと思い至りました。
名将と認識される間では名将ということになる、と。どこか胡散臭い表現ですが。
それとは別として、知る手段として採点評価はあってもいいと思います。

> そういう意味では、これだけコンピューターが発達した現代であれば、
> 天賦の才とされてきた軍事的才覚も、今後は訓練で格段に伸ばす事が可能かも知れません。
> ただ、そうは言っても、それを活かす場というのが、現代の戦場では少なそうですし、
> それこそAIがここまで進歩してくると、そちら頼りになるような気がしますね(笑)。

確かに人間は能力を伸ばすことができますし、ただそれでもAI自体の方が賢いとなればそうなりそうです。
話が脇道に行きますが、分野限らずAIに判断を任せてしまうか、人間を補助する材料として使うかは、悩ましい課題だと思います。
ただ自分は人間の補助止まりであってほしいですね。
判断がどのくらい正しいかどうか自体より、その誤差が気持ちとして納得できるか、ということで考えて、
AIが誤判定した場合(もし人間より判断が正しかった可能性が高いとしても)、納得はできなさそうです。
ある意味AIを人間より下に見ているということかもしれませんが。
でもこの先、AIと人間が対等な権利を有するべきとかいったことになっていくのかなというのはよぎります。
それは別として、軍事ではAIに積極的に判断が任せられそうとは思います。

> 三国志をはじめ、戦乱の時代を統一する王朝の「建国ゲーム」は多く有りますが、
> 泰平の時代を続けるべく国家を運営する王朝の「存続ゲーム」であったり、
> 王朝が興亡を繰り返す歴史全体の流れを楽しむ「通史ゲーム」は、なかなか有りません。

言われてみればそのようです。
それぞれ違った特徴がありますし、それぞれあればよりよいですね。
しかし、通史となると「それっぽい」を作るのは建国ものよりかなり骨が折れそうです。
興味自体はあるのですが、自分は作るとなるとそこまでの熱意は今ありませんね。
作れるとしても優先順位的にも後になりそうですし、他力本願という感じです。

> (ちなみに、飛蝗発生と農民移住の数理モデル化は、随分と昔に試作してみた事があります)
アイディア自体あって理屈はなんとなく理解できていても、大変でも具現化するというのは得られるものがありますから、
自分はなかなか腰が重いのですが、そうやって行動してみるというのは見習いたいです。
どういう理屈で詰めていったのか、興味深いです。

> こうした歴史の観察方法は、歴史好きな理系ならではの方法のような気がします!!(笑)
そうかもしれませんね、できることならならではのことをやっていきたいとは思います。

> う〜ん、奇策・・・なんですかねえ?
> 確かに場合によっては、奇策と映る事や、悪手を誘うように見える事もあるでしょうけど、
> しかし実際は、誰よりもシンプルに原理原則に従ったるだけのようにも感じられます。

うーむ、それだけ私の考えの想定が狭いという裏返しかもしれませんね。
凡人には天才を評することさえまともにできないものなのかもしれません。

> ただ、ぶっちゃけた話をすると、1番大きいのは司馬遷の存在でしょうけどね(笑)。
> 記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
> どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。

なるほど、言われてみればそうですね。
司馬遷自身ももともと尊敬の対象となる人物ですが、そう考えると改めて司馬遷様様です。

> いや〜、私も韓信贔屓ではあるものの、やはりカンナエの戦いだけは別格ですからねえ。
> 未だに軍事の教科書では、「包囲殲滅戦の手本」として扱われる程の完璧な戦術ですし、
> 戦争の時代を生きた近現代の軍人達も、このカンナエの再現を望んで止みませんでしたが、
> それでも、ハンニバルほどの完成度を見せた用兵は、遂に1度も現れませんでした。

そうなんですね。
私もそれが凄いことだと思いますが、何と言いますか、理想像まであと一つでした。
調べてみた感じでみると、臨機応変の妙はあると思いますが、あと一つ知恵が見たかったのです。
そういう意味では、韓信の方は「あとこうだったらもっと」というのが浮かばないので、ケチをつけようにもつけることもできない、ということでした。
まあ書いていてカンナエの戦いについてもこう評論することすら僭越な感じもしてはきますが。
再現というのに関しては、近現代は組織の構成自体違うと思うので、そういう意味でもまずまともには無理だろうとは思います。

> 図解雑学シリーズ『名将に学ぶ 世界の戦術(ナツメ社)』
> https://www.amazon.co.jp/dp/4816348220/

欲しい本がどんどん増えていきますw

> もちろん、見ていて解りやすく、そして華々しいのは戦術面なのですが、
> 「戦術的勝利をいくら重ねても、戦略的不利を覆すのは困難」と、
> よく言われているように、やはり最後にモノを言うのは戦略面ですからねえ。
> どれだけドイツの技術力が高くても、アメリカの物量には敵わないのと同じです(笑)。

それが同じなのかは分かりませんでしたが説明としてはとても分かりやすかったです。

> > 野球だからということではなくてスポーツ全般詳しくないのでピンとこなかったと思います。
> あ〜、やはり今現在だと、そんな感じになっちゃいますか?
> まあ、ここ10年ほどの間に、日本だけでなく世界全体で、
> 競技面でも、観戦面でも、急速なスポーツ離れが進行中ですからねえ・・・・

全体的なものまでは私は分かりませんが、個人的にということではスポーツには疎いです。

> > 自分は自分で、一般的に数学と言われてイメージされそうな生の数字を使う分野とは違うので
> > (用語的に何というのか分かりませんが)、思ったより分野的に近いかもしれません。

> う〜ん、この「生の数字」の意味をどちらで取るかで、大きく変わってきますけど、
> 普遍的な心理を求めて、抽象的な概念を扱ってる分野でしたら「純粋数学」でしょうし、
> 机上ではなく現実の数値を集めて、具現化させる分野でしたら「数理統計学」でしょうから。

主に興味を持っている分野は「普遍的な心理を求めて、抽象的な概念を扱ってる分野」になると思います。
というか、この説明は理系に対して話すにはそもそも蛇足だったかも。
リアルで数学が好きと言うと、大体は「たくさん計算問題解いてるの?」みたいな返答が返ってくるもので。
式を解く方ではなくて構成を考える方ということをすんなり理解されることは稀でして。
でも理系同士ということならそういうことは考慮するのは却って余計だったかもしれません。

> まあ個人的には、「数字は文字であり、数学は言語である」って感覚ですね。
自分視点で考えると、数学に分類されるプログラミングが数学を感じず英文を打っているようにしか思えないのは、
数学は言語というのと似ているのかもしれません。

> こう書いた方が、却って解りやすいですかねえ?(笑)
> 「理系⊃理学≒理数系=数学+理科」

ありがとうございます!自分でもビックリするくらい解りやすい!
知識では便利だと知っていても、理解しにくかったことが一発で理解できるという実体験があると、やっぱり有難みが分かります。

> 司馬懿が軍事面でも有能であった事は、私も決して否定するモノではないのですが、
> しかし一方で、戦乱の時代であった三国志の時代には、
> 司馬懿以上の才能を見せた軍人が、他にも数多くいると思うんです。

そう言われればそうですね。
一人押すなら司馬懿で、軍事的才能もあるけれど、軍事的視点でいうなら上は居て、司馬懿を押す理由はそれ以外の方が大きい、
というまとめ方になるでしょうか。

> ちなみに、中国史の通史ですと、つい最近、
> 2年前に再販された『中国史 上・下巻(岩波文庫)』を読んでみたのですが、
> さすがは宮崎市定の著作だけあって、なかなか良かったですねえ。
> まあ全2巻なので超ダイジェスト版であり、話の展開としては凄く速くて、
> その点では物足りない部分があるものの、歴史の考察部分はやはり見事でした。

そういうのが欲しい!
欲しい本の数が…多くて嬉しいけど泣ける…。

> 欧州史全体をカバーする通史モノというのは、なかなか無いのが実状ですけど、
> 神聖ローマ帝国の皇帝であった「ハプスブルク家」の歴史を追って行けば、
> 中世から現代までの欧州史の基本的な流れは、結構見えてくるように思います。

アドバイスありがとうございます!
まだ腰が重いですが、機会があったら念頭に入れておこうと思います。

(明王朝、軍師
返信できる知識などの余地がないので返信はありませんが読みました。

(名宰相
> 期待値の段階なら高止まりする評価も、
そういう意味では三国志なら周瑜がそれっぽいですね。言われてみればそれもあると思います。

> まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
> 明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、

こうして読んで、自分の理想像と非常に似通っていることに驚きました。
どこでどういう発見があるか分からないものです。

(佐々木道誉について
こうして読んでみると、凄まじいインパクトがあります。ハチャメチャ具合が脳に刻みこまれました。

(「江戸幕府の三大改革」
> 改革であれば、中身や結果がどうであろうと、とにかく変えれば良いのですから(笑)。
そういう考え方もできるのでしたか。
ところで自分は詳しい知識がないままなんとなく思っているだけの状態で書いてしまいました。
時間をみて調べてみようと思います、…と言っても腰が上がらないことも正直多いのですが。

(心や魂
> で、「特別」なら文字通りに特別なので、それ以上は深く考える必要なんて無いんですよ。
> 何と言ったって、それは「特別」なのですから(笑)。
> 「なぜ特別なのか?」「本当に特別なのか?」と考えるのは、変わり者のやる事です。

そうなのですか、では自分は変わり者ですね。
うーん、でも印象では理系の人には特別視しない人が多いような気がしているのですけどね。

> それを絶対視する科学万能主義も、単なる信仰に近く、同じく科学というモノを理解してないんです。
自分もそれを常々思っています。
知ることができる、学問としてのものは人間の思考の及ぶ範囲で解釈しているものですからね。

正直、楽しいのですが文章長い…。


[21385] 世界の皇帝の系譜&中国の僭称皇帝たち返信 削除
2017/10/27 (金) 19:32:14 徳翁導誉

> > 要するに、「個人的な好み」で選んだのが、第一印象によるランキング版で、
> > 「一般的な評価」で選んだのが、採点方式でのランキング版ですね。

> 個人的視点からでですが、採点方式でのランキングと聞いたところで
> なぜかあまり興味が湧かない、というか存在意義に疑問符が。
> しっかり知りたいなら「一般的な評価」よりも
> それぞれの人の「個人的な好み」で評価をいろいろ聞いてみたいものです。
> でも、知っている人の場合は数字評価したところでそういうことじゃないんだよなぁ感がありますが、
> 知らない人を知り始めるきっかけには役に立つような気もしてきました。

う〜ん、それは恐らく掲示板に並べる上で、総合点のみ記載したのが影響してるかも?
大本の採点表には、各項目の点数と、その採点理由がありますし、
もしも正式に企画化された際には、生没年・所属国・肖像がなどの基本情報や、
数行程度の寸評も付ける予定ではありましたからねえ。
そして出来れば、他の方にも採点に参加してもらい、得点を調整する考えでした。
・・・と言いますか、単にランキングの一覧表を見せられても、
そこから話題を広げるのは、マニア同士でもないと厳しいのは一応理解しています(笑)。

> > 個人的な「好き嫌い」と、全体的な「良い悪い」は、全く異なる価値基準ですからねえ。
> > でもまあ、この辺の話まで始めてしまうと、なかなか纏まらないのも事実でしょうね。

> 存在するものとしてはそうなのでしょうけど、全体的な良い悪いというのは
> 個人が正しく認識できるものにも思えないというのはあります。
> なので全体的な評価を評するというのは厳密な意味では無理でしょうね。

確かに、おっしゃる事は私にも解ります。
好き嫌いは主観的な基準ですが、良い悪いは客観的な基準となる為、
「主観」と「客観」では、前者の方が、評者としてもダイレクトに理解できますので。
しかし一方で、「評価」という作業を行うとなると、
それは他者にも理解できるよう具現化する客観的な表現が必要となってきます。

つまり、評価するという、その段階まで含めて考えた場合、
「主観を客観的に表現」するのと、「客観を客観的に表現」するのとでは、
今度は後者の方が、より容易になってくると思うんですよねえ。
だからこそ、これだけ世間には採点方式や番付方式が溢れている訳ですし(実に江戸時代から)、
逆に言うと、主観を客観的に表現して伝えるのって、結構な高等技術であったりします。
そして、「主観を主観的に表現」された評価は・・・相手には伝わりにくい弱さがあります。
極端な例かも知れませんが、このサイトで行っている「批評ページ」でも時々、
「好きだから100点、嫌いだから0点」みたいな事を、平気で行う人が居たりしますが、
こうした評価内容は、他者からすると、ほとんど参考にはなりませんし、
それ所か、全体の平均点を考えると、この1人の影響で点数が乱高下しちゃうんですよね・・・・

> > > それで思ったのですが、名将と呼ばれる基準とはどのようなものがあるのでしょうね。
> > それを一般化しようとしたのが、前の採点で設けた5項目ですね。

> ちょっと考えた結果、自分で身もふたもないことを言いますが、
> 名将に普遍的な条件はないと思い至りました。
> 名将と認識される間では名将ということになる、と。どこか胡散臭い表現ですが。
> それとは別として、知る手段として採点評価はあってもいいと思います。

まあ、何らかの明確な定義でも与えられていない限り、
ほぼ全ての単語は、そんなモノだと思いますよ。
それは別に名将に限らず、例えば美人だとか、長身だとか、優しいとか、
「その人がそう認識するから、そうなんだ」と、結局は言えませんので。
そして反対に、明確に定義されているモノは、
「そう定義されているから、そうなんだ」という格好になります。
例えば「0の0乗」問題にしても、1だと定義すれば1になるくらいの話で。

ただ、そうは言っても、言葉というのは道具であり、
単語の意味の認識にしても、やはり最大公約数が求められるモノだと思います。
再び野球を例えに出して恐縮ですけど、これが「最多勝」や「最優秀防御率」であれば、
その1年間で最も勝利数を重ねた投手や、1試合辺りの失点数が少ない投手ですので、
これらは明確に定義されていおり、表彰基準が非常に単純明快です。
その一方で、その年のNo.1投手に送られる「沢村賞」は、表彰基準が途端に難しくなります。
No.1投手だとか、名投手なんてモノは、明確に定義されるモノではありませんからねえ。

その為、沢村賞は有識者による合議制で決定するのですが、以前までは、
巨人の選手だとか、実績があるとか、人間関係だとかが、選考に影響を与えていたりしました。
まあ昭和頃までなら、それでも大して問題にならなかったのですが、
さすがに近年はそうも行かず、選考方法は従来と変わらないものの、
あくまで参考基準ながら、目安となる7項目が設定されるようになりました。
最後は有識者の判断ですが、やはり目に見える形で客観性が保たれるのは、公平な形かと?
ここで選考委員の個人的な好き嫌いが、匙加減程度に影響するならまだしも、
「成績なら江川だけど、人間性で西本」みたいな選考をされては困るので・・・・
つまりは、5項目の採点による名将ランキングも、そんな感じだと思って下さい(笑)。


> > そういう意味では、これだけコンピューターが発達した現代であれば、
> > 天賦の才とされてきた軍事的才覚も、今後は訓練で格段に伸ばす事が可能かも知れません。
> > ただ、そうは言っても、それを活かす場というのが、現代の戦場では少なそうですし、
> > それこそAIがここまで進歩してくると、そちら頼りになるような気がしますね(笑)。

> 確かに人間は能力を伸ばすことができますし、
> ただそれでもAI自体の方が賢いとなればそうなりそうです。
> 話が脇道に行きますが、分野限らずAIに判断を任せてしまうか、
> 人間を補助する材料として使うかは、悩ましい課題だと思います。

まあAIに関する話は、囲碁や将棋の件も絡めて、
1年くらい前の雑談で、結構語り合った話題ですから、
もし興味がありましたら、そちらのスレッドを読んでみて下さい↓
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r20313
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r20677

> ただ自分は人間の補助止まりであってほしいですね。
> 判断がどのくらい正しいかどうか自体より、
> その誤差が気持ちとして納得できるか、ということで考えて、
> AIが誤判定した場合(もし人間より判断が正しかった可能性が高いとしても)、
> 納得はできなさそうです。
> ある意味AIを人間より下に見ているということかもしれませんが。
> でもこの先、AIと人間が対等な権利を有するべきとかいったことに
> なっていくのかなというのはよぎります。

しかし現実には、対等どころか、人間がAIに従属する形になりそうですけどね・・・・
要するに、判断はAIが下して、人間はその責任を取るだけの役回りになると。
例えば車の自動運転などは、そんな感じに落ち着いていくような気がします。
実際、飛行機の操縦なんて、もう既にそんな感じになっていますので。

> それは別として、軍事ではAIに積極的に判断が任せられそうとは思います。
軍事と比べるには、ルールがシンプルすぎるかも知れませんけど、
現在、囲碁や将棋の生中継は、観戦する視聴者側はAIの示す最善手を知っており、
実際に対局しているプロ棋士たちは、必死に悩み考えながら手を探し、
AIと一致すれば拍手が起こり、外れると悪手とみなされる状況になってますね・・・・
まあAI自体は、物流など各産業界でも効率化の為に、既に使われ出していますから、
軍事における配備計画や兵站管理などは、もうAIが一部を担っている可能性はあるかも?
国防総省の研究機関であるDARPAは、いろいろと技術開発を行っているみたいですし。

> > (ちなみに、飛蝗発生と農民移住の数理モデル化は、随分と昔に試作してみた事があります)
> アイディア自体あって理屈はなんとなく理解できていても、
> 大変でも具現化するというのは得られるものがありますから、
> 自分はなかなか腰が重いのですが、そうやって行動してみるというのは見習いたいです。
> どういう理屈で詰めていったのか、興味深いです。

いや別に、そこまで難しい事はやってませんよ(笑)。
数理モデルとか言っても、要は簡単なコンピューター・シミュレーションです。
言ってしまえば、ライフゲームの延長線上みたいな感じですね。

例えば、「20×20」のマスをまずは用意して、
その各マスには草とバッタの個数をランダムに振り分けます。
で、各ターンごとに、草の増殖と、草の個数に応じたバッタの増殖やマス移動の処理を行い、
あるマスでバッタが飢餓状態(過密化)に陥れば、そのマスのバッタを飛蝗化させます。
そしてターン更新の際に、通常だと隣のマスにしか移動できなかったバッタは、
飛蝗化する事によって、遠く離れたマスにも移動できるようにし、増殖率も高めると、
蝗害の現象を数理モデルとして再現する事が可能です。

あと、ここに農民の個数も各マスに加えると、
草地を潰して農地が増えるほど、人口の方も増えていき、
蝗害が発生して農地が潰されると、開墾地を求めて隣のマスへと移動していくと。
まあ今では、ゲーム用に100×100の中国HEXマップとかもありますし、
このモデルへ更に、中国の地形や気候といった要素も加えれば、よりリアルになりそうかも?
実際、大雨や干魃は蝗害を発生させるトリガーになっていますし、
こうした天災の存在は、中国農民の人口や移住にも大きな影響を与えましたからねえ。


> > う〜ん、奇策・・・なんですかねえ?
> > 確かに場合によっては、奇策と映る事や、悪手を誘うように見える事もあるでしょうけど、
> > しかし実際は、誰よりもシンプルに原理原則に従ったるだけのようにも感じられます。

> うーむ、それだけ私の考えの想定が狭いという裏返しかもしれませんね。
> 凡人には天才を評することさえまともにできないものなのかもしれません。

いや〜、天才とか凡人みたいな、そんな難しい話では無い気もしますがねえ。
でも、物理学というのが、原理原則をシンプルに追い求める学問なので、
余計な情報は出来るだけ排除するモノの見方を、自然としている可能性はあるかも?

逆に、これがテストで高得点を取る為の受験勉強として物理を学ぶと、
原理原則から導き出された公式の方を、とにかく当て填めたがるようになる為、
それが成り立つ前提条件が崩れていても、平気で公式を適用して失敗するのだと思います。
単に公式の使い方だけでなく、その公式がどう作られたかまで理解すれば、
そうした失敗は起きないんでしょうけどね・・・・
これは何も物理に限った話ではなく、例えば政治や経済など他の分野であっても、
常識だから、セオリーだからと、深く考えずに実行に移したり、
留学や大学で学んだ知識を、現実に則さず実行すると、やはり失敗しがちです。
「すぐに役立つ知識は、すぐ役に立たなくなる」とも言われますし、
短期的ではなく、長期的に行くのであれば、やはり根本部分こそ大事になって来るかと?
な〜んて考えるのは、そこを重視する物理屋の悪い癖なのかも知れませんけどね(笑)。

> > ただ、ぶっちゃけた話をすると、1番大きいのは司馬遷の存在でしょうけどね(笑)。
> > 記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
> > どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。

> なるほど、言われてみればそうですね。
> 司馬遷自身ももともと尊敬の対象となる人物ですが、そう考えると改めて司馬遷様様です。

そして日本史には、司馬遷が居なかったと・・・・
下手をすると、日本でそれに相当するのは、司馬遼太郎ですからねえ。
まあ、司馬遼太郎のペンネーム自体が、
「司馬遷には遼(はるか)に及ばぬ1人の日本人(太郎)」という意味らしいですけど。

ただ明治以前となると、頼山陽・新井白石・本居宣長など、江戸中興期に若干名しかおらず、
どうしても明治以降の学者の比重が高まる以上、そんな彼らの研究を下敷きにして、
庶民でも手軽に楽しく歴史に触れられる作品を量産した 戦後の歴史小説家たちの存在は、
まさに現代におけるミニ司馬遷の集合体だったのかも知れませんね?
坂本龍馬であれ、宮本武蔵であれ、そうした人気小説が無ければ、
ここまで世間に知られる存在では無かったでしょうし。

> というか、この説明は理系に対して話すにはそもそも蛇足だったかも。
> リアルで数学が好きと言うと、大体は
> 「たくさん計算問題解いてるの?」みたいな返答が返ってくるもので。
> 式を解く方ではなくて構成を考える方ということをすんなり理解されることは稀でして。
> でも理系同士ということならそういうことは考慮するのは却って余計だったかもしれません。

まあ結局の所、現行の教育システムですと、各教科の本質それ自体よりも、
「いかにペーパー・テストで高得点を取るか?」に重点が寄り過ぎているので、
各教科のイメージとなると、どうしてもテスト問題のイメージになりがちなんですよね・・・・

そもそも、100年以上昔に出来上がった教育フォーマットを、
ほとんど変える事なく現在も使っている事が、全ての元凶と言えるのかも知れません。
例えば英語とかも、確かに明治時代の当時であれば、洋書を翻訳・読解する為にも、
英文法を重視するやり方は妥当でしたでしょうけど、今はそんな時代じゃないですからねえ。
数学にしても、究極的には「論理的な思考法」を学ぶ目的の教科である所が、
こちらは明治どころか江戸時代の読み・書き・算盤を引きずっているのか、
とにかく計算問題重視になっちゃってますからねえ(算数の段階ならそれで良いとは思いますが)。

> > まあ個人的には、「数字は文字であり、数学は言語である」って感覚ですね。
> 自分視点で考えると、数学に分類されるプログラミングが
> 数学を感じず英文を打っているようにしか思えないのは、
> 数学は言語というのと似ているのかもしれません。

プログラム言語というのは、一般言語と数学の間にある存在なのかも知れませんね。
ただ私自身の感覚だと、かなり数学側に寄ってると感じてはいますが(笑)。
ところでプログラミングと言えば、2020年から小学校で必修化される予定らしいですけど、
一体どんな感じの授業にする構想なんですかねえ?

中学生ならまだしも、算数段階の小学生でプログラミングを教えるとなると、
従来通りの勉強法では合わないでしょうし、もっと感覚的に扱う為には、
例えばPlayStationの「カルネージ・ハート」みたいな学習ソフトが必要な気がします。
・・・って、スポーツと同様に、ゲームやマンガ、アニメの話題というのも、
10年くらいまでは当たり前に通じる部分がありましたが、今だとやはり厳しいかな?
ちなみに、カルネージ・ハートはこんな感じ↓のゲームです。
http://feigling.tank.jp/b/2010/12/65.html

でもまあ、小学生対象でしたら、何もコンピューター使用に拘らず、
中学生プロ棋士の藤井四段が愛用していた一躍有名となった知育玩具。
積み木の「cuboro」みたいなアナログの方法でも構わないかも?
http://sakidori-ch.com/cuboro
学校の授業で、NHK教育の「ピタゴラスイッチ」が出来たら楽しいでしょうし(笑)。

> > こう書いた方が、却って解りやすいですかねえ?(笑)
> > 「理系⊃理学≒理数系=数学+理科」

> ありがとうございます!自分でもビックリするくらい解りやすい!
> 知識では便利だと知っていても、理解しにくかったことが
> 一発で理解できるという実体験があると、やっぱり有難みが分かります。

「掲載される数式の数が増えるほど、その本の売り上げは落ちる」
なんて言われているくらい、世間一般では数式って嫌われ者な存在ですけど(笑)、
しかし解るようになってしまえば、これほど便利な道具も無いんですよね。
まあ今回は日本語の単語でしたけど、通常であれば数字や記号なので、
それこそ異なる言語の人同士でも、数式であれば共通理解が可能ですから。


> > 中国の通史を、始皇帝から溥儀まで、連綿と続いた皇帝たちの歴史として見た場合、
> > ローマ帝国からフランク王、そしてハプスブルク帝国へと繋がる帝位を軸にすれば、
> > そこから見えてくる歴史は、西欧の通史と言っても過言では無いかも知れません。
> > ちなみに、ローマ帝国からビザンツ帝国、そしてロシア&オスマン両帝国へと繋がる、
> > もう一方の帝位の方も追っていけば、東欧の歴史もカバーできますしね。

こんな話をしていたら、何だか皇帝の系譜を纏めてみたくななっちゃいました(笑)。
という事で、大雑把に書くと、こんな感じでしょうか?

▼ 世界・皇帝の系譜 ▼
                  日本────────────────┬(北朝)┬──────(大日本帝国)┬─日本──
                                                │      │                大韓帝国┘
                                                └(南朝)┴─後南朝(1473)
                                                                  ベトナム帝国 (1945)
                     柔然─突厥─回鶻─┐    モンゴル帝国(元)┬北元┐
                                     遼(契丹)──┐    │    │    │        満洲帝国 (1934-45)
                                                 金──┤    │    ├清(後金)──── (1912)
           ┌魏┐  ┌五胡─北朝┐        ┌五代┐      │    │    │    │
   秦─漢─┼蜀┼晋┤          ├隋─唐─┤    ├北宋┬┘    │    ├明─┘
           └呉┘  └東晋─南朝┘        └十国┘    └南宋─┘    │
                                                       ├ムガル帝国─[英領]インド帝国 (1947)
                               イスラム帝国────────┐    │
. 古代ペルシャ帝国・諸王朝──────┘                       └┐  ├ペルシャ帝国・諸王朝───── (1979)
                                          ┌ラテン帝国..┐.   │  │
                                          │          │... .│  └ロシア帝国────── (1917)
.                ┌東ローマ帝国┬┬──────┼─────┴─────┤
.                │           ││            │            └──オスマン帝国───── (1922)
.   ローマ帝国──┤           ││            └トレビゾンド帝国 ────┘
.         │     │           ││                                    ┌フランス帝国─ (1870)
.         │     └西ローマ帝国┘└フランク王国─神聖ローマ帝国─────┼オーストリア帝国── (1918)
.         │                                              └────ドイツ帝国─ (1918)
古代エジプト┘
                             エチオピア帝国・諸王朝───[伊領]東アフリカ帝国─エチオピア帝国 (1974)
                                                              中央アフリカ帝国 (1976-79)
                                     インカ帝国─── (1533)
                                                         ハイチ帝国 (1804-06/1849-59)
                                                         メキシコ帝国 (1822-23/1864-67)
                                                         ブラジル帝国 (1822-1889)

                                                         ※ アメリカ合衆国 (1859-80) ※

日本は天皇、中国は皇帝、蒙古はハーン(可汗)、欧州はエンペラー(カエサル)、イスラム・スンニ圏はカリフ、
そして諸王の王という意味で、ペルシャがシャーハンシャー、エチオピアがネグサ・ナガストなどという具合です。
ちなみに、途中でカリフの系譜がグチャッと折れ曲がっているのは、
実権を失った後も、日本の天皇みたいに、諸王朝に担がれる象徴として生き残ったカリフが、
モンゴル帝国の侵攻により一旦消滅し、それをエジプトのマムルーク朝が復活させて、
更にはトルコのオスマン帝国がエジプトを征服した際に、カリフの地位も受け継いだ格好だからですね。

それにしても、こうして書いてみると、歴史的には つい最近まで多く居た皇帝達も、
今では世界中でも、日本の天皇だけなんだなぁ・・・と、改めて実感。
海外サイトでサッカー情報を見ていて、他の国は「King's Cup(国王杯)」なのに、
日本だけ「Emperor's Cup(天皇杯)」な時も、これと同じ事を感じました。
(ただし天皇家も、50歳未満の男性皇族が悠仁親王しか居ない為、存続危機ではありますが)

それと、モンゴル帝国(ここでは継承国も内包)の存在感は、やはり凄いですよね!!
あと、後方でオマケのように加えられている短命な新帝国の皇帝達も、
幾つかは世界史Flash化するくらい、個人的には結構好みです(笑)。
また、ナポレオンが皇帝に即位して以降、欧州各国に皇帝が誕生・承認される中で、
イギリス国王はインド皇帝位を、イタリア国王が東アフリカ皇帝位を得るやり方は、
何だか裏技みたいな感じで、なかなか興味深い所がありますし、
独裁大統領が皇帝を称した中央アフリカ帝国なんて、格好の歴史ネタとして扱われています。
【中央アフリカ帝国 皇帝即位式】 https://www.youtube.com/watch?v=kCU14yl-WO8#t=6m50s

ちなみに、一番最後に※印付きであるアメリカ合衆国というのは、完全にネタ枠でして、
サンフランシスコの一市民でありながら、アメリカの皇帝を自称したノートン1世という奇人がおり、
これが意外と人気者なので(コチラも世界史Flash化)、一応ですが付け加えておきました。
でもまあ、ノートンほど人気を得る例は珍しくても、皇帝を称する例は結構ありますね。
ただ基本的にはネタ扱いで、世間からは相手にされず終わるのがほとんどなものの、
中には、GHQ占領下の熊沢天皇(後南朝の末裔を自称)や、ロシア大動乱時代の偽ドミトリーなど、
世間を騒がせたり、時には本当に即位してしまうような例さえありました。
(後南朝史は若狭さんが、ロシア大動乱時代はナポレオンさんが、それぞれ世界史Flash化)
あと、これは僭称とは呼べないかも知れませんが、幕末の戊辰戦争の際、
寛永寺貫主であった能久親王が、彰義隊や奥羽越列藩同盟の盟主として擁立され、
この時に、「東武皇帝」として即位したとも言われていますね。
(降伏後の能久親王は、謹慎処分が明けるとドイツへ留学し、日清戦争時に台湾で戦没)

という事で、世界的にも珍しくはない、王位や皇位の僭称者ですが、
その数を特に量産しているのが、実は中国史なんですよねえ。
何故ならば、中国には血統に拠らない「易姓革命」という特有の概念がある為です。
中華世界の皇帝である天子は、天命によって天下を治める地位を与えられ、
天子の徳が衰えた時には、新たに別の者へ天命が下されるという思想ですから、
社会が乱れれば、雨後のタケノコのように、我も我もと次の皇帝を称する者が現れて、
その中から勝ち上がった1人の勝者が、正式に新皇帝として認められる一方、
途中で敗れ去った者達は、皇帝の僭称者として記録される事になります。

う〜ん、こうして書いていると、中国史の僭称皇帝というのも、
何やら面白そうな題材に感じられてきました(笑)。
帝国の建国者として、変に美化されて記録されていない事もあり、
頂点に辿り着けなかった敗北者たちは、なかなかキャラが立っていそうかと?
という事で、そんな僭称皇帝たちの主立った面々を、最後に少し列記してみますね。
(権力闘争や滅亡期に蜂起・擁立された皇族や、正史的に黙認されてる戦乱期の諸王朝は除く)

▼ 中国・僭称皇帝たち ▼
 陳勝(秦末の人、国号は「張楚」前209 ※)
 義帝(秦末の人、国号は「西楚」前207-前206)
 項羽(秦末の人、国号は「西楚」前206-前202 ※)
 袁術(後漢末の人、国号は「仲」197-199)
 桓玄(東晋末の人、国号は「楚」403-404[405])
 侯景(南北朝期の人、国号は「漢」551-552)
 朱粲(隋末の人、国号は「楚」615-619)
 林士弘(隋末の人、国号は「楚」616-622)
 薛挙(隋末の人、国号は「秦」617-618)
 劉武周(隋末の人、国号は「定楊」617-621)
 梁師都(隋末の人、国号は「梁」617-628)
 宇文化及(隋末の人、国号は「許」618-619)
 李軌(隋末の人、国号は「涼」618-619)
 蕭銑(隋末の人、国号は「梁」618-621)
 李子通(隋末の人、国号は「呉」619-621)
 王世充(隋末の人、国号は「鄭」619-621)
 輔公セキ(隋末の人、国号は「宋」623-624)
 武則天(唐前期の人、国号は「周」690-705)
 安禄山(唐中期の人、国号は「燕」756-757[763])
 朱(唐中期の人、国号は「秦→漢」783-784)
 李希烈(唐中期の人、国号は「楚」784-786)
 黄巣(唐末の人、国号は「斉」880-884)
 李茂貞(唐末の人、国号は「岐」901-924 ※)
 劉守光(唐末の人、国号は「燕」911-913)
 張邦昌(北宋末の人、国号は「楚」1127)
 劉豫(北宋末の人、国号は「斉」1130-37)
 徐寿輝(元末の人、国号は「天完」1351-60)
 張士誠(元末の人、国号は「周→呉」1354-57/1363-67 ※)
 韓林児(元末の人、国号は「宋」1355-66)
 陳友諒(元末の人、国号は「漢」1360-63[64])
 明玉珍(元末の人、国号は「夏」1363-66[71])
 李自成(明末の人、国号は「順」1644-45)
 張献忠(明末の人、国号は「西」1644-46)
 呉三桂(清初の人、国号は「周」1678[-81])
 洪秀全(清末の人、国号は「太平天国」1851-64 ※)
 袁世凱(清末の人、国号は「中華帝国」1915-16)
        ※印付きの僭称者は、皇帝ではなく王号を使用
        国号の後の数字は在位で、[ ]はその王朝の滅亡年

う〜ん、いざ書き出してみると、思っていた以上に多いなぁ・・・・
皇帝僭称者の跡を継いだ2代目以降を除いても、これだけの数ですから。
名将・名宰相・軍師の時は、名前を列記するだけだったので、
今回は略説くらい付けようかと考えていたのですが、ちょっと途中で諦めました(笑)。

それにしても隋末唐初と元末明初は、他の王朝末期に比べても、かなり多いですね。
特に隋末唐初は、三国志から南北朝まで中国の分裂が300年間も続き、
ようやく再統一を果たした隋王朝も、わずか30年あまりで崩壊した実状が、
こうした自称皇帝の林立する混乱状態にも、よく現れているように思えます。
それを考えると、この状況を収拾した唐の李淵や、明の朱元璋はやはり英雄でしょうし、
開祖の没後に、李世民や朱棣がクーデターで即位した事実も、偶然の一致では無いのかも?
要するに、それだけ生易しい時代では無かったという事ですね。

そして、後漢末や唐末が思いのほか少ないのは、
その後に五胡十六国や五代十国の戦乱期となり、却って僭称扱いが減る為です。
例えば三国志ですと、袁術は僭称者扱いになりますが、
魏の曹操・蜀の劉備・呉の孫権は、王朝が続くので僭称者扱いにはならないと。
また、前漢は王莽の政変により、即座に新王朝へと替わってしまい、
その新もわずか15年で倒れるので、後漢建国時は漢王族の蜂起がほとんどでしたし、
南宋の滅亡は、モンゴル帝国の侵攻によるモノでしたから、王朝末期の動乱とは無縁でした。
同じく北宋の時も、金王朝の侵攻を受けた結果でしたが、この時は非常に特殊で、
張邦昌や劉豫は、金が華北を間接統治する目的で作られた傀儡国家でした。
要するに彼らは、征服者の都合によって「僭称させられた皇帝」という事ですね。

最後に、この中で歴史的に重要な人物となると、
正史の文脈的に認められてないだけの項羽や武則天、袁世凱あたりは別格として、
あとは陳勝・安禄山・黄巣・李自成・洪秀全くらい押さえておけば、とりあえず充分ですかねえ?
歴史ネタ好きには、皇帝即位前に「宇宙大将軍」と称した侯景も愛されていますが(笑)。


> > 図解雑学シリーズ『名将に学ぶ 世界の戦術(ナツメ社)』
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4816348220/

> 欲しい本がどんどん増えていきますw
> > ちなみに、中国史の通史ですと、つい最近、
> > 2年前に再販された『中国史 上・下巻(岩波文庫)』を読んでみたのですが、
> > さすがは宮崎市定の著作だけあって、なかなか良かったですねえ。

> そういうのが欲しい!
> 欲しい本の数が…多くて嬉しいけど泣ける…。

あっ・・・すみません。
「図書カードが余ってるから、ドンドン紹介して欲しい」
と言われたのは、また別の方との雑談でしたね。
完全に混同しちゃってました(笑)。

> > もちろん、見ていて解りやすく、そして華々しいのは戦術面なのですが、
> > 「戦術的勝利をいくら重ねても、戦略的不利を覆すのは困難」と、
> > よく言われているように、やはり最後にモノを言うのは戦略面ですからねえ。
> > どれだけドイツの技術力が高くても、アメリカの物量には敵わないのと同じです(笑)。

> それが同じなのかは分かりませんでしたが説明としてはとても分かりやすかったです。

簡単に言うと、技術は主に戦術に関わり、物量は主に戦略に関わるからですね。
って、この辺を説明し出すと、また長くなっちゃいますよ(笑)。

> > 司馬懿が軍事面でも有能であった事は、私も決して否定するモノではないのですが、
> > しかし一方で、戦乱の時代であった三国志の時代には、
> > 司馬懿以上の才能を見せた軍人が、他にも数多くいると思うんです。

> そう言われればそうですね。
> 一人押すなら司馬懿で、軍事的才能もあるけれど、軍事的視点でいうなら上は居て、
> 司馬懿を押す理由はそれ以外の方が大きい、というまとめ方になるでしょうか。

そうですね。
私の見解では、そんな感じです。

> (明王朝、軍師
> 返信できる知識などの余地がないので返信はありませんが読みました。

長文に付き合わせてしまい、申し訳ありません。
返信を書いてる途中に、自分の文章からも、
頭の中で、脱線する話題が思い浮かんでしまうもので・・・・
上記の皇帝の系譜&僭称皇帝なんていうのも、まさにそんな感じですね。
ですので、そちらも読み飛ばしで構いません(笑)。
それに「名将→名宰相→軍師→皇帝&僭称者」と、行き着く所まで来た感じなので、
この方向では、もうこれ以上脱線しないと思いますし。

> (名宰相
> > 期待値の段階なら高止まりする評価も、
> そういう意味では三国志なら周瑜がそれっぽいですね。言われてみればそれもあると思います。

まあ周瑜の場合は赤壁で実績を残していますけど、
早世したという意味では、評価が高止まりしたとも言えますね。
もしも長生きをしていたら、どこかで大きなミスを犯してた可能性もありますし。

でも実際、特に英雄とか偉人とか言われる人物に関しては、
死ぬ時期というのも、意外と重要や要素であったりはします。
例えば、悪の権化みたいな扱いを受けるヒトラーも、
1936年のベルリン五輪の直後に急死していれば、評価は大きく違ったでしょうし、
逆に坂本龍馬あたりが明治まで生きていたら、贈収賄事件とか起こしていそう(笑)。

現在でも、トルコのエルドアン大統領などは、2期目の首相までで終わっていれば、
それこそ「イスラム世界の理想的リーダー」として記憶されたでしょうけど、
リーマン・ショックの余波でトルコ経済が落ち込んで以降は、
内政・外交ともに強硬姿勢へと変わり、今では着々と独裁体制を固めていますからねえ。
まあ、外から客観的に見てる分には、幅の広い人間像が見えて興味深いですけど、
実際に強権体制下にある国民からすると、そんな悠長な事は言ってられないでしょうし。

> > まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
> > 明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、

> こうして読んで、自分の理想像と非常に似通っていることに驚きました。
> どこでどういう発見があるか分からないものです。

ただし「託される」というのは、やり甲斐もある反面、やはり重労働だったそうですし、
しかも一旦怒らせると非常に恐ろしく、裏切りには冷徹なまでに処断するタイプなので、
重用された部下たちにすると、想像以上に仕事はキツかったみたいですけどね(笑)。
しかも、戦時中は軍の諜報活動を担っていた叔父の薫陶を受けた事で、
日本人が軽視しがちな「情報」の取り扱いを、非常に重要視していたらしく、
定期報告を疎かにすると激昂されたそうで、全く気の抜けない上司だったみたいです。
前回、「古い東洋型のリーダー」と紹介しましたけど、そういう意味では、
もし仮に小渕が中国に生まれていても、共産党幹部として大成していた気がします(笑)。

> (佐々木道誉について
> > 権力者に取り入っては操り、機会があれば得になる方へと簡単に寝返り、
> > 対立する相手がいれば、どんな手段を使っても追い落とし、
> > 朝廷だろうが、幕府だろうが、大寺院だろうが、気に食わなければ平気で喧嘩を売り、
> > それで一時的に立場を悪くしても、実力があるので結局は許されて出世を重ねると。
> > そして、彼の評価を更に高めているのは、彼が文化人としても超一級の人物だったからです。

> こうして読んでみると、凄まじいインパクトがあります。
> ハチャメチャ具合が脳に刻みこまれました。

佐々木道誉は、私が日本史で特に好きな人物なので、
覚えてもらえれば、私も嬉しいです(笑)。

> (心や魂
> > で、「特別」なら文字通りに特別なので、それ以上は深く考える必要なんて無いんですよ。
> > 何と言ったって、それは「特別」なのですから(笑)。
> > 「なぜ特別なのか?」「本当に特別なのか?」と考えるのは、変わり者のやる事です。

> そうなのですか、では自分は変わり者ですね。
> うーん、でも印象では理系の人には特別視しない人が多いような気がしているのですけどね。

大学進学率が5割で、その中で理系が3割なのですから、
全体的に見ますと、そもそも理系の人自体が15%くらいしか居ません。
そして例え理系の人であっても、自分の専門以外は大差ない(下手したら疎い)モノですし、
自分の周囲がそうだからと言って、それを基準に考えるのは世間とズレを生む素かと?(笑)
この辺の構図は、過激化しやすいネットの意見に似ているかも知れませんね。
「ネットでは皆そう言っているから、メディアの報道は嘘だらけ」となるのも、
「自分が出入りするサイトではそうだ」という事を、世間全体の意見と思い違うからですし。


> 正直、楽しいのですが文章長い…。
すみません(笑)。
さすがに前回は、私自身も「長過ぎだ」と思いました。
通常の会話なら、脱線してもそちらに話題が移行するだけですけど、
文章ですと、本線分も脱線分も同時に拾えてしまうので、
気を付けてセーブしないと、ネズミ算的に話題が増えちゃうんですよね・・・・


[21390] Re:世界の皇帝の系譜&中国の僭称皇帝たち返信 削除
2017/11/8 (水) 21:07:46 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
(名将ランキングについて
> > 個人的視点からでですが、採点方式でのランキングと聞いたところで
> > なぜかあまり興味が湧かない、というか存在意義に疑問符が。
> > しっかり知りたいなら「一般的な評価」よりも
> > それぞれの人の「個人的な好み」で評価をいろいろ聞いてみたいものです。
> > でも、知っている人の場合は数字評価したところでそういうことじゃないんだよなぁ感がありますが、
> > 知らない人を知り始めるきっかけには役に立つような気もしてきました

> う〜ん、それは恐らく掲示板に並べる上で、総合点のみ記載したのが影響してるかも?
> そして出来れば、他の方にも採点に参加してもらい、得点を調整する考えでした。
> ・・・と言いますか、単にランキングの一覧表を見せられても、
> そこから話題を広げるのは、マニア同士でもないと厳しいのは一応理解しています(笑)。

自分も片足を突っ込んでいる状態ではありますが、熱意が湧いてこないのですみませんが力にはなれそうにありません。

> 逆に言うと、主観を客観的に表現して伝えるのって、結構な高等技術であったりします。
> そして、「主観を主観的に表現」された評価は・・・相手には伝わりにくい弱さがあります。

言われてみると、そうだと思います。
自分の場合はどちらかというと「主観を主観的に表現」されたものをどんどん聞きたいというところですが。
今気づいたのですが、焦点を伝えたい場合?には対比して書くという手段があるのですね。
これから文章を書くときにはこの手法は参考になりそうです。

> > ちょっと考えた結果、自分で身もふたもないことを言いますが、
> > 名将に普遍的な条件はないと思い至りました。
> > 名将と認識される間では名将ということになる、と。どこか胡散臭い表現ですが。

> まあ、何らかの明確な定義でも与えられていない限り、
> ほぼ全ての単語は、そんなモノだと思いますよ。
> ただ、そうは言っても、言葉というのは道具であり、
> 単語の意味の認識にしても、やはり最大公約数が求められるモノだと思います。
> 「成績なら江川だけど、人間性で西本」みたいな選考をされては困るので・・・・
> つまりは、5項目の採点による名将ランキングも、そんな感じだと思って下さい(笑)。

項目での採点も、客観的に伝えるための試行錯誤の途中経過というところでしょうか。
(「成績なら江川だけど、人間性で西本」の部分は軽くですが聞いたことがあるので伝わりました)

(AIについて
> > ただ自分は人間の補助止まりであってほしいですね。
> > でもこの先、AIと人間が対等な権利を有するべきとかいったことに
> > なっていくのかなというのはよぎります。

>しかし現実には、対等どころか、人間がAIに従属する形になりそうですけどね・・・・
>要するに、判断はAIが下して、人間はその責任を取るだけの役回りになると。
>例えば車の自動運転などは、そんな感じに落ち着いていくような気がします。
>実際、飛行機の操縦なんて、もう既にそんな感じになっていますので。

あー、そんな感じになっているらしいですね。
現状では、AIに判断を任せるかどうかの判断は人間にありますし、実体を伴った個体ではなく、
AIを改変する余地が人間にあるのでそれで持っていると思いますが、
その壁が取り払われていったときにどうなるのかは興味深いですね。
短絡的な評だとは思いますが、「ローマは奴隷にあらゆるものを任せたため滅んだ」みたいな言葉を聞いたことがあるので、
それが頭の中で重なってきます。
でもだからと言って、個人的にはそれに抵抗する気力もありませんが。

(飛蝗発生と農民移住の数理モデル化
> 例えば、「20×20」のマスをまずは用意して、 〜
ありがとうございます。こういう話はとても楽しいです。
こういうものと今作り始めている三国志ゲームを繋げられたらどれだけ幸せかとは思いますが、
時間がとても掛かりそうなので道のりは遠そうです。

> 「すぐに役立つ知識は、すぐ役に立たなくなる」とも言われますし、
なるほど、皮肉ですがよく分かります。

> 短期的ではなく、長期的に行くのであれば、やはり根本部分こそ大事になって来るかと?
> な〜んて考えるのは、そこを重視する物理屋の悪い癖なのかも知れませんけどね(笑)。

自分は物理屋とは思っていませんが考え方は共感できます。
ちなみに公式とかについては都度導き出せればいいと思っているのでそもそも覚えてもいません。
というか、名前を付ける意味がピンときません。
そのおかげで知識問題においてテストの点数は冴えませんでしたが。
まあルールを覚えれば知識は要求されない(と思っている)ので数学、プログラミングに興味が移ったのかもしれません。
逆に言えば、覚えることは苦手意識があるので。

(記録することについて
> > > 記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
> > > どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。

> > なるほど、言われてみればそうですね。
> > 司馬遷自身ももともと尊敬の対象となる人物ですが、そう考えると改めて司馬遷様様です。

> そして日本史には、司馬遷が居なかったと・・・・

読んでいて感慨に浸ってしまいました。

(教育について
> 数学にしても、究極的には「論理的な思考法」を学ぶ目的の教科である所が、
> こちらは明治どころか江戸時代の読み・書き・算盤を引きずっているのか、
> とにかく計算問題重視になっちゃってますからねえ(算数の段階ならそれで良いとは思いますが)。

思考力をつけるための計算を解くという手段が目的になってしまったというところでしょうか。
力をつけることを主眼にすべきなのに、作業と化してますね…。
確かに数学は好きでも学校の数学教育は好きではありませんでした。

(コンピュータプログラミングについて
> プログラム言語というのは、一般言語と数学の間にある存在なのかも知れませんね。
> ただ私自身の感覚だと、かなり数学側に寄ってると感じてはいますが(笑)。

言語によりけりかもしれませんね。
C#やJAVAをやっている限りでは数学をまず意識しませんし、COBOLなんかは全く要素を感じられませんが、
Haskellは数学っぽいなとは思いました。

> ところでプログラミングと言えば、2020年から小学校で必修化される予定らしいですけど、
> 一体どんな感じの授業にする構想なんですかねえ?
> 中学生ならまだしも、算数段階の小学生でプログラミングを教えるとなると、
> 従来通りの勉強法では合わないでしょうし、もっと感覚的に扱う為には、
> 例えばPlayStationの「カルネージ・ハート」みたいな学習ソフトが必要な気がします。

うーん、自分はしっかり入ってほしいですね、VisualBasicみたいなところが軽めでいいなと思います。
…って言うのは主観が強いでしょうか。

(数式について
> しかし解るようになってしまえば、これほど便利な道具も無いんですよね。
> まあ今回は日本語の単語でしたけど、通常であれば数字や記号なので、
> それこそ異なる言語の人同士でも、数式であれば共通理解が可能ですから。

念頭にありませんでしたが、異なる言語の人同士でも通じるというのはすごい強みですね。
それこそ、新しくできた言語と表現するべきかもしれません。

(指導者について
> > > まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
> > > 明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、

> > こうして読んで、自分の理想像と非常に似通っていることに驚きました。
> > どこでどういう発見があるか分からないものです。

> ただし「託される」というのは、やり甲斐もある反面、やはり重労働だったそうですし、
> しかも一旦怒らせると非常に恐ろしく、裏切りには冷徹なまでに処断するタイプなので、
> 重用された部下たちにすると、想像以上に仕事はキツかったみたいですけどね(笑)。

読んでいる限りでは理想像にとても近いですが、「古い東洋型のリーダー」と言われる、というのはどういうことかなと引っ掛かります。
欲をいえばそういう人に付きたいですし、もっと欲をいえばそういう人になりたいです。

(心や魂の見方について
> > うーん、でも印象では理系の人には特別視しない人が多いような気がしているのですけどね。
> 大学進学率が5割で、その中で理系が3割なのですから、
> 全体的に見ますと、そもそも理系の人自体が15%くらいしか居ません。

あっ、そうなんですね。
考えてみれば、理系の人が周りにも1割もいない気がします。
とまで言うと、自分と違う理系を理系と認識できていない可能性も考えられますが。
ちなみに余談ですが自分は大学を出ていませんけどね。

自分はあまり熱意のある人間ではないのですが、徳翁導誉さんからは熱意を感じます。
熱意を持ちたいと思いながらできていないので、そういう意味で尊敬します。

後になりましたが、返信遅れましてすみません。
先に言っておくと、来週は都合により返信できそうにありません。


[21391] AIやプログラムの学校教育に関して返信 削除
2017/11/9 (木) 23:56:26 徳翁導誉

> (名将ランキングについて
> > > 個人的視点からでですが、採点方式でのランキングと聞いたところで
> > > なぜかあまり興味が湧かない、というか存在意義に疑問符が。

> > ・・・と言いますか、単にランキングの一覧表を見せられても、
> > そこから話題を広げるのは、マニア同士でもないと厳しいのは一応理解しています(笑)。

> 自分も片足を突っ込んでいる状態ではありますが、
> 熱意が湧いてこないのですみませんが力にはなれそうにありません。

まあ、ランキングの対象が「名将」でしたから、ちょっと取っ付き難く感じるだけで、
これが例えば、アニメやアイドルを対象にしていれば、
それが好きな人同士なら、ランキングの順位だけで充分に話は盛り上がりますし、
逆に詳しくない人も、気軽に「知らねーよw」と言えるような気がします(笑)。

> > 逆に言うと、主観を客観的に表現して伝えるのって、結構な高等技術であったりします。
> > そして、「主観を主観的に表現」された評価は・・・相手には伝わりにくい弱さがあります。

> 言われてみると、そうだと思います。
> 自分の場合はどちらかというと「主観を主観的に表現」されたものをどんどん聞きたいというところですが。

そうしたモノが大量に溢れているのが、まさに「芸術の世界」じゃないですかねえ?
文芸・音楽・絵画・演劇・建築・彫刻・舞踊に次ぐ8番目の芸術として、映画を「第八芸術」と呼んだり、
それに付随する形で、マンガの事を第九芸術などという人も居たりするのですが、
まあともかく、文学であれ、アートであれ、音楽やダンスであれ、
「主観を主観的に表現」できる最も身近な分野こそ、芸術の分野であり、
だからこそ、そこで活躍する彼らの事を「表現者」と呼ぶのだろうと思います。
逆に言えば、世間的に理解されない表現者など、一般には「変人・狂人」としか映らないかと?(笑)

> 今気づいたのですが、焦点を伝えたい場合?には対比して書くという手段があるのですね。
> これから文章を書くときにはこの手法は参考になりそうです。

例えばこれは、写真を撮る時などは一般的な手法ですよね。
被写体の横に、携帯電話や硬貨などを並べておくと、その大きさが良く伝わります。
そう考えると私の文章って、今まで意識した事が無かったですけど、
意外と、アートのやり方を用いてる面があるのかも?
いろいろな方向から対象を捉えたり、光と影から実態を浮かび上がらせるのは、
考え様によっては、デッサンの手法 そのままですし、
議論の肉付けや削ぎ落とす作業は、塑像や彫像を作る感覚と重なりますから。

> > つまりは、5項目の採点による名将ランキングも、そんな感じだと思って下さい(笑)。
> 項目での採点も、客観的に伝えるための試行錯誤の途中経過というところでしょうか。

途中経過かはさておき、例えば学校の成績表などは、
客観的な相対評価から、主観的な絶対評価に変わった事で、却って不平等になった気がします。
もちろん理想論で言えば、各生徒の習熟度に応じて、絶対評価が行えれば良いのですが、
その評価を行う教師や学校の基準がバラバラでは、全体的には大きなバラつきが生じてしまい、
結果的には、クラスの上位1割が5、下位1割が1、中間4割が3と成績を付け、
それを各学校のレベルに応じて補正する旧来のやり方の方が、全体的なバランスは取れたはずです。
ですから、言うなれば、5項目の採点による名将ランキングというのも、
ある意味では、そうした相対評価による成績表を付けてる感覚に近いかも知れませんね。


> (AIについて
> > > ただ自分は人間の補助止まりであってほしいですね。
> > > でもこの先、AIと人間が対等な権利を有するべきとかいったことに
> > > なっていくのかなというのはよぎります。

> >しかし現実には、対等どころか、人間がAIに従属する形になりそうですけどね・・・・
> >要するに、判断はAIが下して、人間はその責任を取るだけの役回りになると。
> >例えば車の自動運転などは、そんな感じに落ち着いていくような気がします。
> >実際、飛行機の操縦なんて、もう既にそんな感じになっていますので。

> あー、そんな感じになっているらしいですね。

まあ、自動運転くらいなら、そんな感じかぁとか思っていられますけど、
最近では、企業の人材採用や人事異動にAIの判断が用いられたり、
株式市場や為替市場では、AIに大部分を委ねる状況になってますからねえ・・・・
そしてAIが高度化する程、その中身はブラック・ボックス化していくと。

> 現状では、AIに判断を任せるかどうかの判断は人間にありますし、実体を伴った個体ではなく、
> AIを改変する余地が人間にあるのでそれで持っていると思いますが、
> その壁が取り払われていったときにどうなるのかは興味深いですね。

と言いますか、囲碁や将棋のAI開発では、既にその壁が取り払われて久しいですね。
以前であれば、プログラマーの棋力が高いほど、強いAIソフトを作れる傾向がありましたが、
コンピューター自身に反復訓練させる「機械学習」の方法が一般化されてからは、
例え囲碁や将棋に詳しくなくても、強いAIソフトが作れるようになりましたし、
プロの力量さえ超えて強くなったソフトは、どうして強いのかがブラック・ボックス化しました。
要するに、コンピューターがどう学習して強くなったかの経緯が、まるで謎であると。
そして今では、過去の名人達が残した棋譜の数々まで、AIには無駄な情報扱いとなり、
ゲームのルールを教えた後は、ひたすら機械学習させたAIの方が、強いという時代に至っています。

一方、どれだけコンピューターが強くなった所で、人間の実力はあまり上がらず、
随分昔に抜かれたオセロやチェスなども、そこまで大きな棋力の変化は無いみたいです。
ただ、それでも、ネットやAIの発達により、強い相手と手軽に対局できるようになった事で、
全体的なレベルは驚くほど上がってるらしいですし、新戦術の寿命とかも凄く短くなってるそうです。
そういう意味では、トップの実力上限に大きな変化はなくても、
トップ周辺の実力密度というのは、非常に濃いモノになっていくのかも知れませんね。

> でもだからと言って、個人的にはそれに抵抗する気力もありませんが。
まあ正直な話、抵抗は無理だと思います(笑)。
あとはどれだけ、上手く活用していくかの話で。

> ちなみに公式とかについては都度導き出せればいいと思っているのでそもそも覚えてもいません。
可能であれば、それが一番良い方法なんですけどねえ。
でも、テストで高得点を取る方向に目的が行ってしまうと、
とにかく多くの公式を覚えて、それを使う訓練ばかりになってしまい、
「どうして、その公式が成り立つのか?」という所までは意識が回らず、
結果的に、偏差値型の秀才ほど、公式の正しさを盲信してしまう状況を生んでいると・・・・

今後のAI化社会では、「AIがそう言ってるから、正しいんでしょ」と信じて疑わない事で、
いろいろと多くの問題が発生してくるのかも知れませんね?
例えば、AIが評価する関数の値を、少し弄ってみるだけでも、
求められる解答が変わる事があるのは、AIの事を知ってる人は理解してますけど、
AIだからと盲信するタイプだと、出された解答が絶対だと思い込んでしまいそうですし。

> というか、名前を付ける意味がピンときません。
固有名詞が必要となってくるのは、他人にそれを伝えたい時ですね。
ですから、自己完結で済む無いようであれば、特に名前を覚える必要は無いと私も思います。
ただ、これが分野によっては、そうも言ってられないモノがあり、
例えば私の実体験ですと、周辺の道路とかは、ほぼ地図として頭の中に入っていて、
自分でどこかに行く際は、別にそれで何ら困る事など無いのですが、
誰かに道を教える時など、道の名前が頭に入ってないので、伝えるのに苦労した覚えがあります。
その道の特徴とか細かく伝えても、ナビの指示で運転してる人は、そんな所を見てないみたいですし、
それを体験すると、「国道○○号」なんて味気ない名称も、実にありがたく見えてきましたね(笑)。

> (記録することについて
> > > > 記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
> > > > どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。

> > > なるほど、言われてみればそうですね。
> > > 司馬遷自身ももともと尊敬の対象となる人物ですが、そう考えると改めて司馬遷様様です。

> > そして日本史には、司馬遷が居なかったと・・・・

> 読んでいて感慨に浸ってしまいました。

一方で日本ほど、一般人が書き残した私的な記録が多い国は、なかなか無いように思えます。
庶民の識字率が高く、安価で良質な紙が手に入り、戦火や焚書による消失が少なかったのが理由かな?
まあ要するに、日本史に司馬遷は1人も居なかったが、アンネ・フランクは数多く居たと(笑)。
日本が世界に誇る庶民文化のレベルの高さも、古くはこの辺りから始まってる気がしますし、
ブログやインスタなど、一個人が残す記録量が膨大に膨れ上がっている現状は、
後世の歴史研究者から見た場合、とても有益なビッグ・データとなるのかも知れません。


> (教育について
> > 数学にしても、究極的には「論理的な思考法」を学ぶ目的の教科である所が、
> > こちらは明治どころか江戸時代の読み・書き・算盤を引きずっているのか、
> > とにかく計算問題重視になっちゃってますからねえ(算数の段階ならそれで良いとは思いますが)。

> 思考力をつけるための計算を解くという手段が目的になってしまったというところでしょうか。
> 力をつけることを主眼にすべきなのに、作業と化してますね…。
> 確かに数学は好きでも学校の数学教育は好きではありませんでした。

結局、手段が目的化してしまうと、結果的に有らぬ方向に進んでしまうんですよね。
学校教育で言えば、その成熟度を測る手段でしかないテストが、
進路決定などとリンクする事で、テストで高得点を取る事が目的化してしまい、
それが却って、その教科を学ぶ本来の目的を見失わせていたりします。
例えば柔道ですと、武道として先ずは自分の身を守る為、最初に教えられるべき受け身が、
スポーツ競技の場では逆に負けに繋がり易くなる為、受け身を教えなかったりしますからねえ・・・・
成績評価を伴う道徳の教科化にしても、同じ様な危険性を孕んでいる気がします。

それを思うと、戦前の満州国における最高学府・建国大学(要するに満州版の東大)では、
そうした弊害を排除する目的で、「試験も成績表も一切なし」としたのは、実に面白い試みだったかと。
と言いますか、日本人・朝鮮人・中国人・モンゴル人・ロシア人などの学生たちを、
民族ゴチャ混ぜにして、20人1部屋の学生寮で共同生活をさせたり、
国内では禁書の本も自由に読めて、3・1運動で独立宣言を起草した崔南善を教授に据え、
ガンジーやトロツキーまで招聘しようとするなど、かなり特殊な教育機関でした。
そんな大学の卒業生たちの戦後を追ったインタビュー・ルポである
『五色の虹(集英社)』は、昨年読んだ本の中で、最も記憶に残った1冊でしたね。
https://www.amazon.co.jp/dp/4087815978

> (コンピュータプログラミングについて
> > プログラム言語というのは、一般言語と数学の間にある存在なのかも知れませんね。
> > ただ私自身の感覚だと、かなり数学側に寄ってると感じてはいますが(笑)。

> 言語によりけりかもしれませんね。
> C#やJAVAをやっている限りでは数学をまず意識しませんし、COBOLなんかは全く要素を感じられませんが、
> Haskellは数学っぽいなとは思いました。

思い起こして考えてみると、私の場合は、
応用数学用のプログラム言語であるFortranから入った為、
尚更、数学に近い印象になっているのか知れませんね。

> > ところでプログラミングと言えば、2020年から小学校で必修化される予定らしいですけど、
> > 一体どんな感じの授業にする構想なんですかねえ?
> > 中学生ならまだしも、算数段階の小学生でプログラミングを教えるとなると、
> > 従来通りの勉強法では合わないでしょうし、もっと感覚的に扱う為には、
> > 例えばPlayStationの「カルネージ・ハート」みたいな学習ソフトが必要な気がします。

> うーん、自分はしっかり入ってほしいですね、

でもそれだと、小学生にはまだ早い気がするんですよねえ・・・・
例えば、小学校から英語教育を始めるという話にしても、
従来通りのやり方で、いきなり英文法から入るのは、あの年代に合わないと思うんです。
そうなると、歌やパズルなどで英語に触れる所から始める方が適当でしょうし、
プログラム教育にしても、小学生が相手なら、同様の事が言えるような気がします。
・・・って、そもそも論になってしまいますけど、まあ個人的には、
小学校教育に、プログラムや英語の授業は、特に必要ないと考えてますけどね(笑)。
プログラムも英語も所詮は道具であって、それよりは、情報や異文化への理解が先決かと?

> VisualBasicみたいなところが軽めでいいなと思います。
BASICと言えば、私の頃のセンター試験の数学だと、自由に問題分野を選択できる中に、
代数や幾何などと並んで、コンピューター計算(BASIC)の項目もあり、
少し知識があれば楽勝な難易度だった為、隠れた狙い目として知られてましたけど、
今では、どうなっているんですかねえ?
(後にプログラムを知ってから過去問を見てみると、実際に簡単だった記憶が・笑)

・・・って、当時はプログラム問題を「得点を取るための裏技」としか見てませんでしたけど、
これって実は、選択分野の1つとして、以前より高校の数学に含まれてた証でもあるんですよね。
つまり逆に言うと、一応入れてはあったけど、ほぼ誰も選択していなかったと(苦笑)。
でもまあ、これはある程度、仕方のない事だったのかも知れませんね。
例えば中学・高校の外国語教科にしても、ドイツ語・フランス語・中国語・韓国語も選択可能ですが、
現実的には、ほぼ英語一択になってますからねえ(英語が選択科目である事を知らない人も多いかと)。
それを思うと数学でも、学校はBASICを教えるより、代数や幾何の授業を優先して行うでしょうし。


> (指導者について
> > > > まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
> > > > 明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、

> > > こうして読んで、自分の理想像と非常に似通っていることに驚きました。

> > ただし「託される」というのは、やり甲斐もある反面、やはり重労働だったそうですし、
> > しかも一旦怒らせると非常に恐ろしく、裏切りには冷徹なまでに処断するタイプなので、
> > 重用された部下たちにすると、想像以上に仕事はキツかったみたいですけどね(笑)。

> 読んでいる限りでは理想像にとても近いですが、
> 「古い東洋型のリーダー」と言われる、というのはどういうことかなと引っ掛かります。

う〜ん、具体的に挙げると、大石内蔵助や西郷隆盛みたいなイメージでしょうか?
ちょうど今週末の12日(日)に、地上波で初放送されますけども、
昨年大ヒットした「シン・ゴジラ」で、作中後半に登場する平泉成が演じた臨時総理に、
小渕元総理を思い出した人は、少なくともネットを見ると、私だけでは無かったみたいです。
モデルという訳ではないでしょうけど、あんな感じのリーダーでした。
西洋人からすると、ちょっと理解に苦しむタイプのリーダー像だと思います。
そういう意味でも、「古い東洋型」という表現を用いました。

> 自分はあまり熱意のある人間ではないのですが、徳翁導誉さんからは熱意を感じます。
> 熱意を持ちたいと思いながらできていないので、そういう意味で尊敬します。

いや〜、私に一番足りてないのが「熱量」だと思ってるんですけどね。
身近で弟とか見ていると、それをまざまざを見せ付けられます(笑)。
人が何かを成し遂げる上で、最も重要なのは熱量だと思うのですが、
自分にはそれが決定的に欠けているなぁ・・・・と。
そして、そんな少ない熱量も、年々減少している事を実感してますし。

> 後になりましたが、返信遅れましてすみません。
> 先に言っておくと、来週は都合により返信できそうにありません。

はい、了解しました。
あと繰り返しになりますけど、所詮は雑談ですので、
返信が遅れる事になっても、別に気にする事はありませんよ(笑)。
2〜3週間隔で返信される方とかも、今まで普通に居られましたしね。


[21411] Re:AIやプログラムの学校教育に関して返信 削除
2017/11/25 (土) 12:38:50 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
出先だったり体調を崩していたりで遅くなりました。

(プログラミング教育について
> プログラムも英語も所詮は道具であって、それよりは、情報や異文化への理解が先決かと?
そう言われればそうですね。
プログラミングも導入されるなら嬉しいという感情はありますが、
背景の理解がされなければ結局それも作業と化してしまいそうです。

> > VisualBasicみたいなところが軽めでいいなと思います
> BASICと言えば、


> 今では、どうなっているんですかねえ?
VisualBasicと書きましたが、自分が書きたかったのは正確には「Microsoft Visual Basic .NET」と言うそうです。
「Visual Basic」と呼ばれている(他には「VB」、「VB.NET」など)のを聞いたのでそう書きましたが、検索だと違うのも引っかかるので一応。
昔ながらのBASIC自体については分かりませんが、これについてなら、
GUIを作るならデザイナーと呼ばれる機能がありコードを書き加えながらリアルタイムに実行時の外観が分かる(「Windows Forms」とか「WPF」とか「UWP」とか種類は複数ありますが)
という特徴があり、言語の基本を理解していれば電卓相当の機能のものならすぐ作れるそうです。
.NETという同じ基盤でC#という言語があり、自分はそちらなら使っていて、VBは大体読めるけど書けないという状態なのですが、
初心者ならVBの方が理解しやすいと聞いたのでそう書いてみました。
良いのか悪いのかですが、「それっぽい」プログラムならすぐ書けるそうです。
しっかり書けるようになるには時間はかかると思いますが。

なぜかあまり書けませんでしたが、これにて一旦返信とさせてください。
そちらの文章は全文読みました。


[21412] Re2:AIやプログラムの学校教育に関して返信 削除
2017/11/30 (木) 19:49:54 徳翁導誉

> 出先だったり体調を崩していたりで遅くなりました。
それは、お大事に・・・・
なんて言ってる私も、いま膝を痛めていて、地味にキツい状況だったり(苦笑)。


> (プログラミング教育について
> > プログラムも英語も所詮は道具であって、それよりは、情報や異文化への理解が先決かと?
> そう言われればそうですね。
> プログラミングも導入されるなら嬉しいという感情はありますが、
> 背景の理解がされなければ結局それも作業と化してしまいそうです。

それこそ、このままのペースでAIの研究開発が進めば、
そう遠くない未来には、プログラムも英語もAI任せに出来そうですからねえ。
そうなれば、プログラムを打てるとか、英語を話せるとかよりも、
情報をどう扱うか? 外国人と何を話すか? という方が、遥かに重要になるでしょうし、
学校教育の方でも、最適な方法というのが随分と変わるように思えます。

> > > VisualBasicみたいなところが軽めでいいなと思います
> > BASICと言えば、

> 〜
> > 今では、どうなっているんですかねえ?
> VisualBasicと書きましたが、自分が書きたかったのは正確には「Microsoft Visual Basic .NET」と言うそうです。
> .NETという同じ基盤でC#という言語があり、自分はそちらなら使っていて、
> VBは大体読めるけど書けないという状態なのですが、
> 初心者ならVBの方が理解しやすいと聞いたのでそう書いてみました。

あっ、すみません。
高校数学の授業でプログラムというと今まではBASICだったので、少し脱線しましたけど、
BASICとVBが結構違うという事は、私も理解しています。
と言いますか、結構古いバージョンですけど、VBとVCは持っています(笑)。
また、C#や.NETに関しては、実際に触った事はないものの、
このサイトを開設した頃、両方とも丁度開発中でしたので、当時の事は意外と覚えてますね。

> GUIを作るならデザイナーと呼ばれる機能があり
> コードを書き加えながらリアルタイムに実行時の外観が分かる
> (「Windows Forms」とか「WPF」とか「UWP」とか種類は複数ありますが)
> という特徴があり、言語の基本を理解していれば電卓相当の機能のものならすぐ作れるそうです。
> 良いのか悪いのかですが、「それっぽい」プログラムならすぐ書けるそうです。

で、そのGUI以上に、より直感的にプログラムが作れるが、
前に書いたPSゲーム「カルネージ・ハート」のシステムだったりします。
こちらの方が、プログラムの基礎知識とかもいらずに、
フローチャートを描く要領でプログラムが作れる為、小中学生には適当かなと?


> なぜかあまり書けませんでしたが、これにて一旦返信とさせてください。
> そちらの文章は全文読みました。

七国大戦のサーバー移転に伴うトラブルから話が始まり、
そのうち雑談の方がメインになってから、もう数ヶ月が経ってますし、
今では話題もかなり脱線してますので、そろそろ話を切り上げる頃合いかも知れませんね(笑)。

もちろん、ここで仕切り直して、例えば今度は公孫竜さんの方から、
雑談のネタを振って下さっても一向に構いませんけどね!!
ただその場合は、スレッドも随分伸びていますから、
「新規投稿」で新スレッドに移行した方が適当かも知れませんけど。

ちなみに、私からネタを振り始めた「朝鮮半島の前方後円墳」ですが、
あの時、この件にに関して興味を持っていた理由は、
高句麗系の移民を武蔵国に入植させて「高麗郡」を建てられてから、
去年で1300年目、今年で1300周年という、節目の年にあった為でした。
(先々月には両陛下が、高句麗王族の末裔が代々神主を務める高麗神社を参拝)
つまり、最初は日本列島に残る古代朝鮮人の痕跡から興味が始まり、
続いて、朝鮮半島に残る古代日本人の痕跡へと、その対象が移っていったと。

まあ元々、急速に国際化が進む現在の日本において(既に小中学生の4%がハーフや外国籍)、
実際に多民族国家であった、戦前の日本社会へも関心が及んでいたのですが、
これをキッカケに、古代の日本も多民族社会であった事を、改めて深く考えさせられました。
特に、唐&新羅により滅ぼされた百済や高句麗からの亡命者の存在は、
その後の日本の歴史にも、意外と深く関わって来たりしましたからねえ・・・・
さすがに1000年以上も経ってますので、民族としては血統的にも文化的にも同化済みですけど、
高麗郡は高麗川や高麗神社、百済郡は百済駅、新羅郡は訛って新座市などに、その名を残しています。


[21415] Re3:AIやプログラムの学校教育に関して返信 削除
2017/12/3 (日) 20:58:01 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
 (プログラミング教育について
> それこそ、このままのペースでAIの研究開発が進めば、
> そう遠くない未来には、プログラムも英語もAI任せに出来そうですからねえ。
> そうなれば、プログラムを打てるとか、英語を話せるとかよりも、
> 情報をどう扱うか? 外国人と何を話すか? という方が、遥かに重要になるでしょうし、
> 学校教育の方でも、最適な方法というのが随分と変わるように思えます。

未来にはそうなるでしょうねー。
しかし、それまでの間という意味で、プログラミング教育はあってほしいですけどね。(どのくらいの期間かは分かりませんが)
結局要らなくなったとしても、最初から要らないという訳ではないと思っています。
もちろん、ただ教科をこなせばいいという本末転倒した教育にはなってほしくはないですが。

> 七国大戦のサーバー移転に伴うトラブルから話が始まり、
> そのうち雑談の方がメインになってから、もう数ヶ月が経ってますし、
> 今では話題もかなり脱線してますので、そろそろ話を切り上げる頃合いかも知れませんね(笑)。

こちら、正直少々負担に思うようになってきていました。
すみませんがでは切り上げさせて頂きたいです。
していた雑談自体は楽しかったです、ありがとうございました。

> もちろん、ここで仕切り直して、例えば今度は公孫竜さんの方から、
> 雑談のネタを振って下さっても一向に構いませんけどね!!

ありがとうございます、ではまた機会があったらよろしくお願いします!


[21416] では、これにて雑談終了という事で(笑)返信 削除
2017/12/6 (水) 20:29:56 徳翁導誉

> > 七国大戦のサーバー移転に伴うトラブルから話が始まり、
> > そのうち雑談の方がメインになってから、もう数ヶ月が経ってますし、
> > 今では話題もかなり脱線してますので、そろそろ話を切り上げる頃合いかも知れませんね(笑)。

> こちら、正直少々負担に思うようになってきていました。
> すみませんがでは切り上げさせて頂きたいです。
> していた雑談自体は楽しかったです、ありがとうございました。
> > もちろん、ここで仕切り直して、例えば今度は公孫竜さんの方から、
> > 雑談のネタを振って下さっても一向に構いませんけどね!!

> ありがとうございます、ではまた機会があったらよろしくお願いします!

そうですね、また機会がありましたら(笑)。
ありがとうございました。


[21422] Re:では、これにて雑談終了という事で(笑)返信 削除
2017/12/8 (金) 22:05:28 公孫竜

▼ 徳翁導誉さん
> > > もちろん、ここで仕切り直して、例えば今度は公孫竜さんの方から、
> > > 雑談のネタを振って下さっても一向に構いませんけどね!!

> > ありがとうございます、ではまた機会があったらよろしくお願いします!

> そうですね、また機会がありましたら(笑)。
> ありがとうございました。

ありがとうございました。


[21429] Re2:では、これにて雑談終了という事で(笑)返信 削除
2017/12/14 (木) 19:30:53 徳翁導誉

> > そうですね、また機会がありましたら(笑)。
> > ありがとうございました。

> ありがとうございました。

すみません・・・・
最後に書き忘れがあったので、余談ながら少し追加。
雑談の流れ的に、このスレッド内に書いておきたかっただけで、
別に大した話ではないですから、返信は無くて構いません(笑)。

> > > あと、こちらは私自身まだ読んでいないのですが、つい先日も、
> > > 岩崎周一『ハプスブルク帝国』という、若手研究者による通史本が出版されたみたいです。
> > > ネットの書評を見ると、なかなか良さそうなので、そのうち機会があれば読むと思いますが、
> > > 前の両名は昭和世代の研究者なので、今だと、こちらの方が文章的に読みやすい可能性も?

という事で、先日この本を読了。
400ページを超える、新書としてはかなりのボリュームでしたが、
確かに評判通り、ハプスブルク家800年の歴史が、
コンパクトながら、実にバランス良く纏められていましたし、
啓蒙書と学術書の橋渡しを目的に書かれており、内容も非常に堅実でした。
もちろん、1冊で語る通史なので、どうしても話の展開はダイジェストとなり、
使用されてる用語も、高校の世界史レベルの予備知識は必要な感じでしたけど、
そうした事情を踏まえた上でしたら、十分にオススメできる1冊だと思いました。

岩崎周一「ハプスブルク帝国(講談社現代新書)」
https://www.amazon.co.jp/dp/4062884429

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