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[23692] Re:中国のオタク文化について返信 削除
2021/9/14 (火) 19:37:28 徳翁導誉

> 中国政府がゲーム規制を強化しているようですね
> https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2108/31/news078.html
> 私はニュースをチェックしたりあまたりしない人間なので、
> このニュースがどれほどの意味を持つのかよくわかりませんし、
> 日本メディアが大げさに報道しているだけなのかもしれません。
> さらに現時点のニュースでしかないわけですから、今後中国でどの程度ゲーム規制が進むのかは
> 結局未来のことなので予測はできません。
> ただ仮に中国当局がゲーム規制を本当にしてしまえば、中国におけるゲーム文化は消滅してしまうでしょう。

そうですね。
やはり中国というのは、「法治主義」と言うよりも「人治主義」の側面が強く、
より正確に言うと、どんな法律が出されるか?より、どう法律が運用されるか?次第です。
まあ、この辺は程度の差こそあれ、同じ東アジアの国である日本も似た所はあるのですが、
ただ中国の場合、ちょっとレベルが違う感じですかね。

例えば極端な例だと、以前には「方言の使用禁止」というルールが出された事があり、
確かに全国を標準語で統一できれば便利なものの、広東語などが簡単に無くせる筈もなく、
アッと言う間に、そんな通知文など無かったかのように、有耶無耶となりました(笑)。
一応、通知文自体は取り消されないのですが、完全に死文化ですよね。
で、実際、中国では、とりあえず方針として法律を作ってみるけども、
現実に合わないようならば、そのうち無かったようになる事は、決して珍しくありません。
(その一方で、別件逮捕をした場合に、死文化されてた法律がいきなり適用されるケースも)
ですので結局は、「その後の結果を見てみるしかない」というのが、正直な所かと。

それに記事を読むと、18歳未満のオンライン・ゲーム利用に関して、
既に現段階で「平日1.5時間、休日3時間」というルールがあり、
それを今回、「休日1時間」とルールが厳しくなったという内容なので、
そもそも現行のルールが、どれだけ厳守されていたのかが解れば、
新ルールがどれだけ厳格に守られるかも、ある程度は予測できそうな気はします。
また、これと似た事例として、日本においても昨年、
香川県で「ネット・ゲーム依存症対策条例」というモノが出されていて、
「平日1時間、休日1.5時間」というルールが出されているんですよね。
(ついでに、日本では小学生のSNS利用が一応禁止されてますけど、実際に守られてるの?)
で、ぶっちゃけて言えば、なかなか改善されないから、厳しく改訂されるのでしょうし、
別に完全禁止ではなく、対象も18歳未満なので、「中国ゲーム文化の消滅」は大袈裟かな?
それこそ香川県の数字を見ても、そんな大した変化は見られませんので。

まあ、今回の中国での規制に関しては、プレー時間の制限よりも、
「エロ・暴力・BLの排除」の方が、厳しい対応を迫られるかも知れません。
(エロと暴力は欧米でも批判の的ですけど、そこに同性愛が加わるのが中国的かな・苦笑)

「ボーイズラブは不良文化? 中国政府がゲームを厳しく取り締まるのはなぜか?」
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakajimakei/20210911-00257680

ともかく、この夏に出された中国の教育新方針では、
「学習塾と宿題の規制」という一大転換が行われ、大激震が走りました。
現在の中国は、今の日本とは比べ物にならない程、「学歴社会」であり「受験地獄」なので、
子供たちは本当に、勉強漬けの毎日を強いられていて、その息抜きもゲーム漬けとなっており、
教育的に言うと、傍目から見てても、不健全すぎるのは事実なんですよね。
(小学校の頃から、睡眠時間を削って、深夜まで勉強というのは、ハッキリ言って異常な光景)
で、極端から極端に走ろうとするのが、まさしく中国的とも言えそうですが(苦笑)、
「営利目的の塾も、塾の新設も認めない」とした事で、中国の受験産業は壊滅的な現状です。
しかし、それでも、学歴社会の方まで改められた訳では無いので、
結局は、家庭教師を付けられる富裕層との差が広まるばかりであったり、
どうにか抜け道を探して、闇に隠れて学習塾が開かれていたりすると・・・・
まあ、こちらも、無茶な規制であったとなれば、直に済し崩しとなって行くのかな?
と言う事で、オンライン・ゲームの規制に関しても、
「子供たちの生活の健全化政策」の一環であり、そのオマケみたいなモノですね。

> 私としては、今後中国がますます伸びていく中で、日本のオタク文化が中国に輸出され、
> それを土台に新しい文化が海の向こう側で生まれるのを非常に楽しみにしていました。
> 日本のサブカル、オタク文化もアメリカの影響が根本にはありますから、
> 経済大国の地位がアメリカ→日本→中国と移っていく中で、
> 中国ではどんな文化が誕生するのだろうか、というのは非常に期待していたんですよね。

恐らく、そこまで目を見張るほど「新しい(異なった)作品」は産まれ難いかと?
これは中国産だけでなく、韓国産にも言える事でしょうけど、
日本と中国・韓国とは、ただでさえ文化的に近い上に、
アニメやマンガに関しては日本の影響を多大に受けている為、
以前にも言いましたけど、「日本サブカルの分家」的な感じだと思うので。

例えば今年だと、東京MX・BS11・WOWOWで「魔導祖師」が放送されていたように、
5年ほど前から、中国産アニメは年に数本ペースで、既に日本で放送されてるんですよ。
パッと見た感じだと、中国産だという違和感は、そこまで無いかな?
考えてみれば、今の日本アニメ制作って、下請けを韓国や中国に頼ってますし、
既に技術は持っている事を思えば、違和感が無いのも当然なのかも知れません。
特に欧米だと、東アジア内の細かい文化の差など解り難いですから、
日本産か中国・韓国産かに関係無く、一括りに「アニメ」という認識ですから。

また、少ない予算で量産される深夜アニメに対して、
ディズニー作品のように、大きな予算を掛けて作られるアニメとなると、
安さよりも質が求められる為、アニメーターの給与は日本の数倍になってるそうで、
日本人アニメーターが現地採用されたり、逆に日本側に外注をしたりと、
既に大作アニメ作品では、下請けの逆転現象が起こり始めており、
それどころか、中国側に求められた質を、日本側が応えられないケースもあるのだとか・・・・
まあ考えてみると、市場的には日本よりも、人口10倍の中国の方が大きくなってますし、
海外向けの大型プロジェクトも、今では中国の方に分があるような現状ですからねえ(泣)。

あと、中国や韓国のサブカル生産が成熟していけば、良作も増えてくるでしょうし、
時には新たな作品も生まれるかも知れませんけど、それは異文化だからと言うよりも、
確率論的な話であって、日本から新たな作品が生まれる事と大差ない気がします。
そういう意味では、画期的な何かが新たに生まれる事を期待するなら、
ゲームやアニメとは異なる、全く新しいジャンルが、成熟した中国や韓国から生まれる事かな?

> 日本アニメがいずれ中国に負ける、なんということを悲観する人もいますが、
> 私としてはその結果面白いアニメが生まれればあまり関係ないと思うんですよ。
> 日本のオタク文化だって、SFもファンタジーも特撮もアニメも、元をたどればアメリカにその源流が大体あります。
> 60年代、70年代はまだまだ今よりもずっと国産文化が弱くて、アメリカ人の書いたSF小説を翻訳して読み、
> アメリカで出版されたボードゲームを翻訳して遊び、アメリカ映画を翻訳して観て、ということが当たり前でした。
> だから20年後、日本人が中国のアニメに夢中になっている姿というのは私には悪い未来像にはあまり見えませんし、
> 極端に言えば早くそうなってほしいとさえ思っていました。
> むしろ80、90年代以降の面白いコンテンツは皆国産という状況が異常だったと思います。

いや〜、それはグローバル化された ここ十数年の感覚で、
それ以前の時代を、誤って見ている感じがしますね。
冷戦があり、ネットやLCCも無かった時代、人や情報の交流も限定的で、
今みたいに簡単に、文化や作品が国境を越えるような時代ではありませんでした。
なので、日本で国産コンテンツが多かったのは、当時の日本文化が凄かったと言うよりは、
文化コンテンツの出来に関係無く、世界的にそういう社会だったんですよ。

ですが、そんな中でも、冷戦下の西側諸国において、アメリカ文化の流入だけは例外的にあり、
しかも、アメリカの占領統治を受け、西側で2番目の経済成長を遂げた日本には、
世界的に見ても、図抜けてアメリカ文化が流入した所はあったかと。
在日米軍の軍人が持ち込んだり、彼らの需要に応えるため作られたモノもあるので。
ただ、どれほどアメリカ文化が凄くても、いつまでも輸入&翻訳だけじゃ済まないんですよね。
それは言語の壁以上に、文化の違いがあるので・・・・
そういう意味では、大量に流入したアメリカ文化を吸い込んだ上で、
日本文化に合わせてローカライズ出来たからこそ、日本のサブカル文化が発展したとも言えますし、
逆に言えば、直輸入そのままでは、なかなかフィットしないのも事実だと思うんですよね。

ですから、日本アニメがあった上で、中国アニメや韓国アニメも楽しめるならまだしも、
日本アニメが無く、中国アニメや韓国アニメしか無かったら、日本人的にキツいと思うんですよ。
それは別に差別意識とかではなく、例えばラーメンやキムチ自体は好物であっても、
それしか食べられない(和食が無い)となると、多くの日本人は満足できない感覚に近いかと?
まあ確かに、文化作品よりも解りやすい例で、生活用品とかだと、
ローカライズされてない商品を使わざるを得ない人々は多いでしょうけど、
少なくとも現状の日本はそうで無い以上、それが失われた時のギャップは大きい気がしますし。

> それが当局の規制で中国産オタク文化の将来がなくなってしまうのは非常に悲しいことです。
> だからこそ、中国という巨大な花畑で咲くはずだった花が
> こうやって花を咲かせる前に摘み取られてしまうかもしれないというのは、本当に悲しいんですよね。
> 中国当局がゲームなどを徹底的に規制すれば、中国文化の本流は当局が規制しない文化に移っていくでしょうし、
> 中国人としてはその新しい文化を楽しむので問題ないのでしょうが。

う〜ん、それは中国人の民族性を、正確に掴めていないかも?(笑)
ザックリと言ってしまうと、日本って「タテ社会」の繋がりが強いのですが、
中国って思いっ切り「ヨコ社会」の繋がりが強いんですよ。
これはもう、日本史と中国史の違いを見比べても明らかですね!!
皇帝や共産党による、中央集権の独裁的なイメージが強いので、
ややもすると、日本以上にタテ社会であるような誤解をしがちなのですが、実際には正反対です。
要するに、当局の規制に唯々諾々と従うほど、中国人というのは中央に対して従順ではなく、
「お上の規制をモノともしない同人社会」という意味では、日本などよりも堅牢でしょうね。
つまり、本当にやりたければ、闇に潜っても やり続けるのが、中国の文化だと思います。

また、一方で考えると、規制が在ればこそ創意工夫が生まれる面もありますし、
日本のAVやフーゾクが世界に類を見ないほど多様化したのも、国の規制があったればこそです(笑)。
学校などでも、校則などの縛りがキツかった時代の方が、1人1人が個性を出そうとしていたかと。
それに、そんな事を言い始めれば、それこそ日本のアニメやゲームにしたって、
度重なる規制を受けた結果、その枠組み内で作られたのが、ここ十数年の作品ですし、
そちらの方が、旧トルコ担当さんの好みに合ってるんじゃ無かったでしたっけ?

> この辺は韓国のネットゲーム規制なんかも同じよう感じだったのでしょうか?
> あまり詳しくは知らないので間違っているかもしれませんが、
> 韓国も00年代前半にはオンラインゲームの世界で最先端を走っていたのに、
> 現在ではあまり韓国製ゲームというのは聞かない気がします。

まあ、私もそこまで詳しい訳では無いですけど、記憶を呼び戻して書くと、
韓国社会のIT化って、世界でもかなり速いスピードで進みましたし、
ゲーム大国であった日本が、オンラインに本腰を入れてない時期だった事もあり、
韓国のオンライン・ゲームが、「先発の利益」を享受できてた面はありますよね。
00年代前半と言えば、日本のPCゲーム業界が傾き出してた頃とも一致しますし、
(だからこそ、個人でこんなサイトを始めた側面はあったかも・苦笑)
そんな時代に、韓国から現れた「ディアブロ」は、ちょっと衝撃でした。

ただ、ネットの普及は進みますし、コンピューターの性能も上がっていき、
拡大するオンライン・ゲームの市場には、欧米や日本のメーカーが参入してきて、
更には、後から追ってきた中国メーカーなども台頭してくると、韓国側の優位性は消え、
しかも、韓国がメインとしていたPCゲーム市場が、次第にスマホへと移行されていった際、
「先発の投資」が却って転換の足枷となり、出遅れる形となった面はあったでしょうね。
韓国から生まれた「基本無料+追加課金」という、画期的なビジネス・モデルも、
後発組に真似されてしまえば、特に大したアドバンテージでも無くなりました。
また、カネが無ければ時間の浪費を強いられる このモデルは、「ネトゲ廃人」を生み出して、
それが韓国国内で社会問題となり、規制強化によって業界がダメージを受けた事も影響してますが、
でもそれは、原因の1つに過ぎないと言うか、サブ的な要因であったかと思われます。

そう考えると、やはり大きかったのはスマホの登場かも?
日本の家庭用ゲーム機も、そちらにシェアを奪われた面があったでしょうし、
それより市場規模が小さかったPCオンライン・ゲームは、尚更ダメージが大きかったかと。
しかも、生き残ったPCゲーム界は、要するPCの高性能&高額化が進んだ為、
ゲーム開発も巨大資本を要するようになり、こうなると米中に太刀打ち出来無そう・・・・
とは言え、もちろん往時の寡占状態ほどでは無いにせよ、
現在でもスマホ・ゲームの分野では、それなりに生き残ってるイメージはありますけどね。
ただ、PCゲームのプレイヤー層に比べると、好み的にローカル化が求められてると言うか、
国を越えて爆発的にヒットしてるスマホ・ゲーム自体が、それほど多くは無い気もしています。

> といいますか、そもそもがやはりオタク文化というもの自体が
> 日本の特殊な文化環境のみでしか咲くことができない花なのかもしれません。
> 絵に描かれた10代の女の子に欲情したり、女性が男同士のホモセックス漫画を描いたり、
> そういう文化は抑圧され規制されるのが世界の普通で、それが野放しにされている日本がむしろ異常であると。
> 宮崎事件なんかも、そういう意味ではあの程度で済んで良かったのかもしれません。
> いろいろ偏見の目で見られたようですが(私はその時代生きていないので詳細は分かりませんが)、
> でも結局は紙の上の女の子に欲情する行為は最終的に許容されたわけですし。

「宮崎事件も、あの程度で済んだ」が、どの程度を想定されてるのかは不明ですけど、
それはさておき、「紙の上の女の子に欲情する行為は許容された」という認識は、
恐らく一般社会の空気感を、思いっ切り読み間違えてる感じがします(苦笑)。

> 中国だけでなく、欧米の人権・ポリコレ関係の視線もオタク文化には非常に厳しいですし、
> こっちの線から海外のオタク文化が殺されていく可能性もあるのかもしれません。
> いやもしかしたら私が不勉強なだけで、既に殺されているのかもしれませんが。

私の印象としては、全くの逆かな?
無くなる所か、これから更に広まるだろうと見ています。
誤解を恐れず言ってしまえば、世界中の全ての人々がリア充な訳ではありません。
どんな地域の社会であっても、一定数の陰キャは存在しているはずで、
ネット環境の発達と共に、そんな彼らがオタク文化に触れる機会も増えるはずです。
そうなると、その内の幾人かは、確実にオタクの世界にハマって行くであろうと。
何だかんだ言って、オタク文化というのは、そうした満たされない陰キャな人々の心を、
掬い上げてきた受け皿的な側面があるのは事実ですからねえ。
そんな心の安息を、第三者から批判されて素直に手放す人ばかりかと言えば、
決してそうじゃないはずですし、どの程度までを「オタク文化」とするかは不明確ですが、
どれだけ骨抜きにされても、それ相応の作品が生まれ、それなりに消費されていくものかと。

> あるいは、中国当局のネット規制がなければ、もう既に日中のネットカルチャーなんかは往来が盛んだったのかな?
> bilibili動画なんかもせっかくニコニコ動画の強い影響下で生まれたのに、
> ニコニコとbilibiliが別サイトなのは、中国が民主国家だったらもっと違ってたのかな?

いや別に、「中国が民主国家だったら」とか、ほとんど関係無いのでは?
中国当局が、中国人ユーザーのニコニコ動画利用を規制した訳でも、
ニコニコ動画の中国進出を阻害した訳でも無いはずなので、
まあ単純に、時期の問題、ビジネスの問題、そして言語の壁の問題ですかね?
民主化が関係するなら、それこそ台湾とかは無障害なはずですけど、
言葉が不要なPixivなどとも比べて、ニコ動の普及率とかどうなんでしょ?

あと、ネット利用者が一般にまで広がるほど、却ってネットの言論はローカル化したというか、
国際交流を図る場として機能し難くなり、韓国や中国は排他の対象になった理由もあるのかな。
ネットの黎明期には「翻訳掲示板」というのがありまして、
当時の機械翻訳など、今の精度に比べればゴミみたいなレベルだったのですが、
それでも、日本語で書いた文章が、韓国語や中国語に翻訳され、
逆に、韓国語や中国語で書かれた文章が、日本語に翻訳される掲示板で、
当時のネットユーザーは、韓国人や中国人とも交流してましたからねえ。
文化や歴史の異なりや、翻訳機能の拙さから、言い争いや意思疎通の困難さもありましたけど、
ネットという新技術を通して、直に彼らと言葉を交わせる体験は、本当に刺激的でした!!
で、今の技術であれば、当時よりも遥かに正確に翻訳され、もっと機能できるはずですが、
しかし現実的には、双方から荒らされるのが目に見えており、まともに機能しないでしょうね。
実際、今では翻訳掲示板の多くが、閉鎖されてしまっていますので・・・・
ちなみに、掲示板ではありませんが、こちらの老舗ブログ↓は未だ健在!!

「日中文化交流と書いてオタ活動と読む」
http://blog.livedoor.jp/kashikou/archives/cat_50016981.html

まあ個人的には、昔のネットの雰囲気の方が好きでしたし、
閉じて同質に固まるより、開いて異質に交じった方が、
新しくて面白い事が、いろいろ出来そうな気がするんですけどね。
「快と楽」では、快の方が望ましいんですけど、それが成り立ちやすいのは少人数な世界で、
やはり大人数となると、どうしても楽の方に流れるモノなんだろうなぁ。


P.S.
最近、ひろゆきの影響から、YouTubeでは切り抜き動画が溢れており、
それにより、岡田斗司夫の切り抜き動画を、AIにオススメされる事が増え、
私も、岡田チャンネルの動画を見る機会が増えたんですよ。
で、それらの内、YouTuberの未来に関して語る動画の中に、
「無限にローカルか、無意味にグローバルか」というフレーズが登場したのですが、
https://ch.nicovideo.jp/ex/blomaga/ar1400465
以前、旧トルコ担当さんがおっしゃっていた
「無限にグローバルか、無限にローカルか」って、これが元ネタだったのでしょうか?
ただ、その意味合いとしては、ちょっと意味が異なる印象を受けましたけどね。


[23696] Re2:中国のオタク文化について返信 削除
2021/9/15 (水) 06:52:52 旧トルコ担当

> > 私としては、今後中国がますます伸びていく中で、日本のオタク文化が中国に輸出され、
> > それを土台に新しい文化が海の向こう側で生まれるのを非常に楽しみにしていました。
> > 日本のサブカル、オタク文化もアメリカの影響が根本にはありますから、
> > 経済大国の地位がアメリカ→日本→中国と移っていく中で、
> > 中国ではどんな文化が誕生するのだろうか、というのは非常に期待していたんですよね。

> 恐らく、そこまで目を見張るほど「新しい(異なった)作品」は産まれ難いかと?
> これは中国産だけでなく、韓国産にも言える事でしょうけど、
> 日本と中国・韓国とは、ただでさえ文化的に近い上に、
> アニメやマンガに関しては日本の影響を多大に受けている為、
> 以前にも言いましたけど、「日本サブカルの分家」的な感じだと思うので。


いえ、私個人としてはむしろそんな目新しい文化の誕生を望んではいませんよ。
せいぜい、オタクじゃない人から見ればどっちも一緒じゃん、と言われる程度のもので十分です。
むしろ全然違う文化が発展してしまえば、私が入っていかないでしょうし。

> > 日本アニメがいずれ中国に負ける、なんということを悲観する人もいますが、
> > 私としてはその結果面白いアニメが生まれればあまり関係ないと思うんですよ。
> > 日本のオタク文化だって、SFもファンタジーも特撮もアニメも、元をたどればアメリカにその源流が大体あります。
> > 60年代、70年代はまだまだ今よりもずっと国産文化が弱くて、アメリカ人の書いたSF小説を翻訳して読み、
> > アメリカで出版されたボードゲームを翻訳して遊び、アメリカ映画を翻訳して観て、ということが当たり前でした。
> > だから20年後、日本人が中国のアニメに夢中になっている姿というのは私には悪い未来像にはあまり見えませんし、
> > 極端に言えば早くそうなってほしいとさえ思っていました。
> > むしろ80、90年代以降の面白いコンテンツは皆国産という状況が異常だったと思います。

> いや〜、それはグローバル化された ここ十数年の感覚で、
> それ以前の時代を、誤って見ている感じがしますね。
> 冷戦があり、ネットやLCCも無かった時代、人や情報の交流も限定的で、
> 今みたいに簡単に、文化や作品が国境を越えるような時代ではありませんでした。
> なので、日本で国産コンテンツが多かったのは、当時の日本文化が凄かったと言うよりは、
> 文化コンテンツの出来に関係無く、世界的にそういう社会だったんですよ。


> ですが、そんな中でも、冷戦下の西側諸国において、アメリカ文化の流入だけは例外的にあり、
> しかも、アメリカの占領統治を受け、西側で2番目の経済成長を遂げた日本には、
> 世界的に見ても、図抜けてアメリカ文化が流入した所はあったかと。
> 在日米軍の軍人が持ち込んだり、彼らの需要に応えるため作られたモノもあるので。
> ただ、どれほどアメリカ文化が凄くても、いつまでも輸入&翻訳だけじゃ済まないんですよね。
> それは言語の壁以上に、文化の違いがあるので・・・・
> そういう意味では、大量に流入したアメリカ文化を吸い込んだ上で、
> 日本文化に合わせてローカライズ出来たからこそ、日本のサブカル文化が発展したとも言えますし、
> 逆に言えば、直輸入そのままでは、なかなかフィットしないのも事実だと思うんですよね。


もともとこの文章はこの掲示板に書くために書かれたわけではないので、文化の話はオタク文化的な意味限定なんですよね。
オタク文化以外の、様々なジャンルであったり、日本以外の国ではどうだったのかは私は勉強してないのでよく知りませんが、
少なくともオタク文化的には90年代初頭のTRPGブームを最後に、アメリカの文化が日本に入ってこなくなるんですよね。
私は未見ですが、90年代後半になるとアメリカ映画のほうで攻殻機動隊やエヴァンゲリオンに影響された作品が出てくるようになったらしく、オタク文化に限って言えばここ30年とそれ以前というのはだいぶ違うはずです。(その時代来ていないので、違うかもしれませんが)
あと、上記の文章では90年代以前は日本産のオタク文化が全く存在しなかったみたいな表現になっていますが、もちろんそんなことがないのも重々承知です。


[23698] ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/9/22 (水) 19:48:23 徳翁導誉

> > > 私としては、今後中国がますます伸びていく中で、日本のオタク文化が中国に輸出され、
> > > それを土台に新しい文化が海の向こう側で生まれるのを非常に楽しみにしていました。
> > > 日本のサブカル、オタク文化もアメリカの影響が根本にはありますから、
> > > 経済大国の地位がアメリカ→日本→中国と移っていく中で、
> > > 中国ではどんな文化が誕生するのだろうか、というのは非常に期待していたんですよね。

> > 恐らく、そこまで目を見張るほど「新しい(異なった)作品」は産まれ難いかと?
> > これは中国産だけでなく、韓国産にも言える事でしょうけど、
> > 日本と中国・韓国とは、ただでさえ文化的に近い上に、
> > アニメやマンガに関しては日本の影響を多大に受けている為、
> > 以前にも言いましたけど、「日本サブカルの分家」的な感じだと思うので。

> いえ、私個人としてはむしろそんな目新しい文化の誕生を望んではいませんよ。

う〜ん、この辺りは、世代間の差とかも関係してくるんですかねえ?
それこそ私が子供の頃は、TVゲームであったり、深夜アニメであったり、
様々なネット・コンテンツなどが、新たに姿を現した時代でしたし、
それらが切り開かれていき、新たなタイプの作品も次々と登場してたので、
どうしても、その時の感覚と比べてみてしまう所はあるかも知れません・・・・
それこそ、ここで挙げたゲーム・アニメ・ネットなんて、
旧トルコ担当さんから見れば、見慣れたド定番のオタク分野でしょうけど、
私からすると、それらが「目新しい文化」だった黎明期や成長期を知ってると。

言うなれば、想定評価と絶対評価との差なのかな?
全くの更地である新分野だと、その時に作られたモノが80点であっても、
そもそものベースが0点なので、衝撃度としては80ポイントある訳ですよね。
で、その分野が成熟し、技術の方も発展して、90点のモノが作られた場合、
絶対評価としては、80点よりも90点の方が高評価となる訳ですが、
80点を経験した上での90点だと、相対的な衝撃度としては10ポイントになってしまうと。
しかも後発組の場合、その分野の歴史が長くなれば長くなるほど、
それまでに登場した95点や100点のモノとも比較される為、やはり衝撃面では劣ってしまうと。

いや何も、私は後発作品それ自体を否定した訳では無く、
懐古主義によって、絶対評価さえ歪めてしまう考えは更々ありませんし、
例えば鬼滅ブームのように、その世代世代における「リアルタイム性」というのは、
非常に重要な要素であり、その立ち位置で相対評価が変化するのも重々承知しています。
ですが、それと同時に、新分野が切り開かれていく時に生ずる「圧倒的な熱量」というのも、
私の記憶の中には色濃く残っているので、その衝撃を求めてしまう面は、一方でありますね。

> せいぜい、オタクじゃない人から見ればどっちも一緒じゃん、と言われる程度のもので十分です。
> むしろ全然違う文化が発展してしまえば、私が入っていかないでしょうし。

そういう意味では、今回の中国の規制は、そんなに影響は無いかも知れませんよ。
別に中国政府にしたって、アニメ産業やゲーム産業を潰したい意向な訳では無いですし、
それどころか、国策レベルで産業育成している面もあります。
それこそディズニー的な大作主義の作品は、日本よりも却って将来性があるかも?
まあ、投じられた予算額や、関わった公権力の度合いに応じて、
作品内容が無難となり、健全化されてしまう傾向は、どうしても現れるでしょうけど、
そうした面での規制は、程度の差こそあれ、日本や欧米でだって生じてる訳で、
現状で、そこが別に気にならないのであれば、大した問題じゃないんじゃ無いですかねえ?
少なくとも、そのレベルの話であるなら、「文化の消滅」とはならないはずです。
ちょうど今週、中国で「ユニバーサル・スタジオ北京」が開業してますし(面積はUSJの2倍!)。

また、これは前回した話の繰り返しになってしまいますけど、
今後このまま、中国や韓国のサブカル産業が成熟化され、量産化されて行けば、
その中から誕生する名作は増えて行くでしょうし、それは日本のサブカルが源流にある以上、
日本とは異なる文化を下地に持つ、中国や韓国だからこそ生まれた名作と言うよりは、
その名作が、たまたま中国産だったとか、たまたま韓国産だったとなる気がします。
言い換えるなら、今までなら日本だけでしか生まれた名作が、中国や韓国でも生まれる反面、
それが中国産や韓国産である必然性はなく、従来通りに日本産である可能性はあると。
要するに、東京と大阪との違い・・・よりは大きいにしても、
国は違っても、同質的な文化の枠組みの中で、作品の方も画一化されていく気がするんですよね。


> > > 日本のオタク文化だって、SFもファンタジーも特撮もアニメも、元をたどればアメリカにその源流が大体あります。
> > > 60年代、70年代はまだまだ今よりもずっと国産文化が弱くて、アメリカ人の書いたSF小説を翻訳して読み、
> > > アメリカで出版されたボードゲームを翻訳して遊び、アメリカ映画を翻訳して観て、ということが当たり前でした。
> > > だから20年後、日本人が中国のアニメに夢中になっている姿というのは私には悪い未来像にはあまり見えませんし、
> > > 極端に言えば早くそうなってほしいとさえ思っていました。
> > > むしろ80、90年代以降の面白いコンテンツは皆国産という状況が異常だったと思います。

> > 冷戦があり、ネットやLCCも無かった時代、人や情報の交流も限定的で、
> > 今みたいに簡単に、文化や作品が国境を越えるような時代ではありませんでした。
> > なので、日本で国産コンテンツが多かったのは、当時の日本文化が凄かったと言うよりは、
> > 文化コンテンツの出来に関係無く、世界的にそういう社会だったんですよ。
> > ですが、そんな中でも、冷戦下の西側諸国において、アメリカ文化の流入だけは例外的にあり、
> > しかも、アメリカの占領統治を受け、西側で2番目の経済成長を遂げた日本には、
> > 世界的に見ても、図抜けてアメリカ文化が流入した所はあったかと。
> > ただ、どれほどアメリカ文化が凄くても、いつまでも輸入&翻訳だけじゃ済まないんですよね。
> > それは言語の壁以上に、文化の違いがあるので・・・・
> > そういう意味では、大量に流入したアメリカ文化を吸い込んだ上で、
> > 日本文化に合わせてローカライズ出来たからこそ、日本のサブカル文化が発展したとも言えますし、
> > 逆に言えば、直輸入そのままでは、なかなかフィットしないのも事実だと思うんですよね。

> もともとこの文章はこの掲示板に書くために書かれたわけではないので、
> 文化の話はオタク文化的な意味限定なんですよね。

いや私は、ハイ・カルチャーも、ポップ・カルチャーも、サブ・カルチャーも、
全て境界線の無い「カルチャー」として捉え、特に区別とかしてないので、
話が大きくなったり、脱線したりもしますけど、だからと言って、
決して、「オタク文化だから該当しない」という話はしてないつもりですよ!!

> オタク文化以外の、様々なジャンルであったり、
> 日本以外の国ではどうだったのかは私は勉強してないのでよく知りませんが、
> 少なくともオタク文化的には90年代初頭のTRPGブームを最後に、
> アメリカの文化が日本に入ってこなくなるんですよね。

え〜と、例えば90年代後半のアメコミ・ブームとかは、どうですか?
X-MENとか、スポーンとか、一部界隈では流行ってましたし、
あの時に築かれた下地が、実写版ハリウッド映画のヒットにも繋がっているかも?
また、当時のアメコミ・ブームに付随して、日本に流入したフィギュア(ガレージキット)が、
後に日本アニメと混じり合って、現在の「日本のフィギュア文化」を創り出したかと。
それまで、ソフビ人形やプラモ等はあっても、あんな精巧なフィギュアは日本に無かったので。

あと、これはネット文化ですし、プラットフォーム型なので、
旧トルコ担当さん的には、オタク文化に含まれないかも知れませんけど、
ニコニコ動画やmixiなども、今ではYouTubeやFacebookに飲み込まれちゃってますね・・・・
そして、ニコニコ動画に見受けられたオタク性って、YouTubeだと乏しい気がします。
って、同じネットであればオンライン・ゲームの方が、話題的に より適当なのかな?

> 私は未見ですが、90年代後半になるとアメリカ映画のほうで
> 攻殻機動隊やエヴァンゲリオンに影響された作品が出てくるようになったらしく、

う〜ん、攻殻の影響を受けたハリウッド作品としては、
世界的にも大ヒットした「マトリックス」が、やはり思い浮かびますけども、
エヴァの影響を受けた映画作品って・・・アメリカに在ったかなぁ?
私が知らないだけかも知れませんけど、パッとは思い浮かびませんね。

と言いますか、国産の映画でさえ、エヴァの影響って在るのか否か・・・・
もちろんTVアニメであれば、そこそこ思い浮かびますけども、
実写映画を始め、アニメ映画ですら在るのかなぁ?
エヴァからセカイ系が派生し、そのセカイ系が一般化されてヒットしたのが
昨今の新海誠作品だとすれば、間接的に影響を与えたとも言えそうですけど。
って、その辺りの話をすると、他の作品に影響を与えたと言う以上に、
シン・ゴジラが大ヒットしたのを見ても、庵野秀明の作家性が一般的に受け入れれた方が、
実状としては強いのかも知れません(ゴジラという素材的な土台があったとは言え)。

ただ、アニメ界の中で言えば、エヴァは確実に後続に影響を与えた作品であり、
その後、ヒットする作品はあっても、変化をもたらす作品は なかなか無い気がします。
特に、ここ10年くらいは、そうした傾向が顕著なのかな?
まあ技術の進化により、作画に関しては格段に良くなりましたし、
本当にダメな作品というのは減った反面、アベレージは良いけど特出しないと言うか、
作りが無難となり、全体の作品数が増えた事で、良作の数は増えたのかも知れませんが、
傑作や怪作は、生まれ難い環境にはなっているのかも知れませんね・・・・
しかも、新たな挑戦が乏しいと、どうしても過去の傑作と比べられちゃいますし、
似たような作品が量産されると、その状況に満足する層と満足しない層に分かれそう。
もちろん、その時々で見込める需要に最適化されていくのでしょうが、
目先の利益で見れば理に適っても、長い目で見れば多様性を欠いて先細る要因になるかも?

そういう意味では、ファスト・フードやファスト・ファッションなど、
昨今、世界的にも「ファスト文化」が幅を利かすようになってますけど、
こうしたファスト化の流れは、オタク文化にも及んでくるかも知れませんね。
と言いますか、考え様によっては、ソシャゲはゲームのファスト化かも知れず、
サブスクの電子コミックとかも、漫画のファスト化なのかも知れません。
映像も、映画からテレビ、そしてYouTubeにTiktokと移ってきてますし。
同じように考えると、アニメも今後はどんどんストーリー性が希薄となり、
1話25分という従来の規格ではなく、1話5分程度の作品となって、
その替わりに、週1配信ではなく、平日は毎日配信みたいな流れになるのかも?
それそこ、4コマ漫画原作の萌えアニメとかは、そちらの方が合いそうですし、
実写ドラマにも「NHK朝ドラ」みたいな方式が、既に実際ありますからね。
人気YouTuberとかを見ても、動画の内容以上に「視聴の習慣化」が重要そうなので。
・・・って、ファスト化されたオタク文化って、もうそれは、
オタクの為のコンテンツなのか微妙な感じもしますが(苦笑)。

> オタク文化に限って言えばここ30年とそれ以前というのはだいぶ違うはずです。
> (その時代来ていないので、違うかもしれませんが)

まあ確かに、アメリカ文化の影響度という点で言うと、
その辺りの時代に、1つの転換点があったというのは、別に間違ってはいないと思います。
ただ、オタク文化における変化って、別にそれだけでは無いのでは?
同じ30年前にしたって、また別の要因による変化もあったでしょうし、
30年前だけでなく、40年前や20年前にも、同じく大きな変化はあったはずです。
逆に言うと、それまでは絶えず何度も襲ってきた変化の波が、
ここ10年ほど、あまり目立った形で現れていない事の方が、ちょっと異例でしょうか?

> あと、上記の文章では90年代以前は日本産のオタク文化が全く存在しなかったみたいな表現になっていますが、
> もちろんそんなことがないのも重々承知です。

大丈夫ですよ。
元から、そのようには読解してなかったので(笑)。


[23712] Re:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/10/10 (日) 12:36:50 旧トルコ担当

返信遅れました。

> > > > 日本のオタク文化だって、SFもファンタジーも特撮もアニメも、元をたどればアメリカにその源流が大体あります。
> > > > 60年代、70年代はまだまだ今よりもずっと国産文化が弱くて、アメリカ人の書いたSF小説を翻訳して読み、
> > > > アメリカで出版されたボードゲームを翻訳して遊び、アメリカ映画を翻訳して観て、ということが当たり前でした。
> > > > だから20年後、日本人が中国のアニメに夢中になっている姿というのは私には悪い未来像にはあまり見えませんし、
> > > > 極端に言えば早くそうなってほしいとさえ思っていました。
> > > > むしろ80、90年代以降の面白いコンテンツは皆国産という状況が異常だったと思います。

> > > 冷戦があり、ネットやLCCも無かった時代、人や情報の交流も限定的で、
> > > 今みたいに簡単に、文化や作品が国境を越えるような時代ではありませんでした。
> > > なので、日本で国産コンテンツが多かったのは、当時の日本文化が凄かったと言うよりは、
> > > 文化コンテンツの出来に関係無く、世界的にそういう社会だったんですよ。
> > > ですが、そんな中でも、冷戦下の西側諸国において、アメリカ文化の流入だけは例外的にあり、
> > > しかも、アメリカの占領統治を受け、西側で2番目の経済成長を遂げた日本には、
> > > 世界的に見ても、図抜けてアメリカ文化が流入した所はあったかと。
> > > ただ、どれほどアメリカ文化が凄くても、いつまでも輸入&翻訳だけじゃ済まないんですよね。
> > > それは言語の壁以上に、文化の違いがあるので・・・・
> > > そういう意味では、大量に流入したアメリカ文化を吸い込んだ上で、
> > > 日本文化に合わせてローカライズ出来たからこそ、日本のサブカル文化が発展したとも言えますし、
> > > 逆に言えば、直輸入そのままでは、なかなかフィットしないのも事実だと思うんですよね。

> > もともとこの文章はこの掲示板に書くために書かれたわけではないので、
> > 文化の話はオタク文化的な意味限定なんですよね。

> いや私は、ハイ・カルチャーも、ポップ・カルチャーも、サブ・カルチャーも、
> 全て境界線の無い「カルチャー」として捉え、特に区別とかしてないので、
> 話が大きくなったり、脱線したりもしますけど、だからと言って、
> 決して、「オタク文化だから該当しない」という話はしてないつもりですよ!!
>
> > オタク文化以外の、様々なジャンルであったり、
> > 日本以外の国ではどうだったのかは私は勉強してないのでよく知りませんが、
> > 少なくともオタク文化的には90年代初頭のTRPGブームを最後に、
> > アメリカの文化が日本に入ってこなくなるんですよね。

> え〜と、例えば90年代後半のアメコミ・ブームとかは、どうですか?
> X-MENとか、スポーンとか、一部界隈では流行ってましたし、
> あの時に築かれた下地が、実写版ハリウッド映画のヒットにも繋がっているかも?
> また、当時のアメコミ・ブームに付随して、日本に流入したフィギュア(ガレージキット)が、
> 後に日本アニメと混じり合って、現在の「日本のフィギュア文化」を創り出したかと。
> それまで、ソフビ人形やプラモ等はあっても、あんな精巧なフィギュアは日本に無かったので。


正直に言いますと、アメコミブームに関しては全く存じておりませんでした。勉強不足です。
言い訳をすれば、「アメコミブームがあった」という情報さえ手に入れば、そこからネットでも書籍でも通じていくらでも勉強できるのですが、その最初の情報を手に入れるのが一番難しいんですよね。
とは言うものの、フィギュア文化は存在を認知していたので、フィギュア文化史の本をもっとちゃんと読んでおけばアメコミの話も出てきたのかな?

> そういう意味では、ファスト・フードやファスト・ファッションなど、
> 昨今、世界的にも「ファスト文化」が幅を利かすようになってますけど、
> こうしたファスト化の流れは、オタク文化にも及んでくるかも知れませんね。
> と言いますか、考え様によっては、ソシャゲはゲームのファスト化かも知れず、
> サブスクの電子コミックとかも、漫画のファスト化なのかも知れません。
> 映像も、映画からテレビ、そしてYouTubeにTiktokと移ってきてますし。
> 同じように考えると、アニメも今後はどんどんストーリー性が希薄となり、
> 1話25分という従来の規格ではなく、1話5分程度の作品となって、
> その替わりに、週1配信ではなく、平日は毎日配信みたいな流れになるのかも?
> それそこ、4コマ漫画原作の萌えアニメとかは、そちらの方が合いそうですし、
> 実写ドラマにも「NHK朝ドラ」みたいな方式が、既に実際ありますからね。
> 人気YouTuberとかを見ても、動画の内容以上に「視聴の習慣化」が重要そうなので。
> ・・・って、ファスト化されたオタク文化って、もうそれは、
> オタクの為のコンテンツなのか微妙な感じもしますが(苦笑)。


いやあ、ファスト化については既に私が同じことを指摘してたと思うのですが。

[23586] ネット時代の超ローカル文化と雑談 より抜粋
> > > あまり詳しくはないのですが、最近の音楽はサビから始まるなんていうのも、
> > > サビが始まるまでとりあえず聞いてみようという人が減ってきたからだと思いますし、

> > 「最近の音楽」と言いますか、その歴史は音楽界でも何度も繰り返されてる感じですね(笑)。
> > まあこれは音楽に限らず、顧客の数が増える「大衆化」を迎え、
> > ツカミやインパクト、解り易さなどを重視する「陳腐化」が起こり、
> > そして飽きられて沈んでいき、また時間が経って盛り上がり始めるサイクルを辿ると。
> > ですから、サビから始まる曲自体、カラオケ・ブームによりCDが馬鹿売れした90年代にも、
> > カラオケでの盛り上がりを重視して、やはり同じ様な傾向は見受けられましたし、
> > もっと言うと、縁遠いと高尚と思われがちなクラシック音楽の世界でさえ同様で、
> > 実はベートーベンというのは、そうやって大衆人気を得た人なんですよね!!
> > 「ジャジャジャジャーン」で始まる交響曲第5番「運命」など、ツカミ狙いの典型例です(笑)。

>
> まず、時間感覚の変化の要因は商業主義の浸透というよりも、スマホが要因だと私は考えています。
> 音楽を例にするとわかりやすいと思うのですが、
> かつて巨大なコンサートホールでクラッシック音楽が演奏されていた時代、人々はその場にふさわしい適当な服装をわざわざ着て来て、ホールまで歩いて(あるいは馬車などで)音楽を聴きに行きました。
> そういう時代の音楽というのは、演奏時間も数十分とか、下手すると数時間のような、長い曲ばかりだったわけですよ。
> なぜならば、ホールに行くのにも変えるのにも、それなりの時間と手間を使って、聴きに行き、なおかつ嫌いな曲がかかっても個人の好みで別の曲を演奏しろ、とヤジを飛ばすわけにはいかなかったからです。(強いて言えばホールを出て次の曲までタバコを吸っていることはできたのでしょうが)
> しかしそれがレコードの時代になると、別にホールまでわざわざ音楽を聴きに行く必要がなくなり、さらに気に入らない曲を無理に聞く必要もなくなったわけです。
> それでもまだレコードは何よりも値段が高かったわけですが、しかし現在はスマホによってその手間やコストというのがほぼゼロになってしまったんですよね。
> その結果、人々は少しでも気に入らないとその曲を全部聞き終わる前に別の曲の動画に切り替えてしまいますし、曲を聴く体勢も寝っ転がってパジャマのまま聴くようになったわけです。
> なので、「最近の音楽はサビから始まる」と。
>
> あるいは映像を例に例えるのであれば、
> 映画は当たり前のように2時間とか上映時間がありますが、それがテレビ番組になると30分番組が増え、YouTubeになると10分の動画や、TikTokだと15秒になってしまうと。これも、どれだけ手間がかかっているかが動画時間を決定しているわけです。
> 映画館に30分の映像を見に行こうとはあまり思いませんし、逆にYouTubeで2時間見ないと面白くない動画というのはウケないんですよ。
> 小説もそうですね。なろう小説をいくつか冒頭だけ読んでもらえればわかるのですが、ネット小説というのは特に最初のほうは展開がめちゃくちゃ早いんですよ。
> 当然ながら、最初の数ページで何かないと、続きを読んでもらえないからこそ、そうなるわけです。
> ネットコミュニケーションも同じです。ネット接続が高かった時代には、掲示板の書き込みを読み込んだらネット接続を切って、オフラインで返信を書くからこそ、遅いけど濃いやりとりができたわけです。
> それがツイッターのように140文字になると、感情的なやり取りに終始してしまうと。
>
> で、何もスマホが変えてしまったのはこういったコンテンツの時間間隔だけでなくて、現実の時間感覚そのものを変えてしまったと思うんですよね。


私が思うに、ファスト化の原因はスマホだと思うんですよね。
スマホって、家にいるときは皆、寝っ転がって使ってると思うんですよ。
ゲームも、家庭用ゲーム機がメインだった時代というのは、テレビにゲーム機をつなげて、座ってゲームをするので、1時間2時間とゲームに集中できました。
しかし、これがスマホゲームになると、寝転がってゲームをするので、そもそもその姿勢では集中できる時間って30分が限度です。
その30分でユーザーを楽しませないといけないから、スマホゲームはどうしても薄味になるしかない。

YouTubeもそうですね。
寝っ転がってYouTubeを見て、しかもYouTubeは次のおすすめ動画がどんどん表示されるから、ユーザーは少しでも退屈に感じたら、すぐに次の動画へ移ってしまう。
そして今やYouTubeすら拘束時間が長すぎて耐えられない人たちが、今度はTikTokの15秒動画を見るようになる。

インターネットの質が低下していったのも、PCからスマホへの移行が大きいと思うんです。
PCは座って使うけど、スマホは寝っ転がって使う。
寝っ転がってるから皆短絡的になって、煽りまとめサイトみたいなものばかりが溢れる。2ちゃんの時代はみな机に座ってPCで書き込んでいたはずです。

オタクの間でここ10年程イラストレーターがもてはやされるようになったのも、イラストは寝ながら見るのにピッタリだからだと思います。
アニメもテレビからネットへ大きく舵を切っている以上、時間が短くなるのはある程度避けられないと思うんですよね。

で、前にも指摘していますが、それは別に今に始まったことではなく、昔から技術革新が起こる度に起きてきたことだと思うんですよ。
現に私たちは、もう30分のオーケストラを聴くことができないじゃないですか。私も学校の課外授業でオーケストラを聞きに行くみたいなのがありましたが、途中寝てましたし。
でも昔の人たちはあれを退屈せず聴くことができたわけです。
技術革新が起きるたびに、何かを行う手間が減少して、その結果人々は長いコンテンツを受容できなくなる。
昔は音楽を聴くために、立派な服を着て、馬車に乗ってホールまで行ったから、30分の音楽を聴くことができた。
しかしそこにレコードだとか、CDだとかが出てくると、もう30分の音楽なんて聴くことができなくて、曲の時間は短くなる。
それでもCDは高かったし、高い金を出して買ったものだから何回も聞いたのですが、それが今スマホになって、少しでも気に入らなければすぐ次の曲に乗り換えられてしまう。

> > > > 私としては、今後中国がますます伸びていく中で、日本のオタク文化が中国に輸出され、
> > > > それを土台に新しい文化が海の向こう側で生まれるのを非常に楽しみにしていました。
> > > > 日本のサブカル、オタク文化もアメリカの影響が根本にはありますから、
> > > > 経済大国の地位がアメリカ→日本→中国と移っていく中で、
> > > > 中国ではどんな文化が誕生するのだろうか、というのは非常に期待していたんですよね。

> > > 恐らく、そこまで目を見張るほど「新しい(異なった)作品」は産まれ難いかと?
> > > これは中国産だけでなく、韓国産にも言える事でしょうけど、
> > > 日本と中国・韓国とは、ただでさえ文化的に近い上に、
> > > アニメやマンガに関しては日本の影響を多大に受けている為、
> > > 以前にも言いましたけど、「日本サブカルの分家」的な感じだと思うので。

> > いえ、私個人としてはむしろそんな目新しい文化の誕生を望んではいませんよ。

> う〜ん、この辺りは、世代間の差とかも関係してくるんですかねえ?
> それこそ私が子供の頃は、TVゲームであったり、深夜アニメであったり、
> 様々なネット・コンテンツなどが、新たに姿を現した時代でしたし、
> それらが切り開かれていき、新たなタイプの作品も次々と登場してたので、
> どうしても、その時の感覚と比べてみてしまう所はあるかも知れません・・・・
> それこそ、ここで挙げたゲーム・アニメ・ネットなんて、
> 旧トルコ担当さんから見れば、見慣れたド定番のオタク分野でしょうけど、
> 私からすると、それらが「目新しい文化」だった黎明期や成長期を知ってると。
>
> 言うなれば、想定評価と絶対評価との差なのかな?
> 全くの更地である新分野だと、その時に作られたモノが80点であっても、
> そもそものベースが0点なので、衝撃度としては80ポイントある訳ですよね。
> で、その分野が成熟し、技術の方も発展して、90点のモノが作られた場合、
> 絶対評価としては、80点よりも90点の方が高評価となる訳ですが、
> 80点を経験した上での90点だと、相対的な衝撃度としては10ポイントになってしまうと。
> しかも後発組の場合、その分野の歴史が長くなれば長くなるほど、
> それまでに登場した95点や100点のモノとも比較される為、やはり衝撃面では劣ってしまうと。
>
> いや何も、私は後発作品それ自体を否定した訳では無く、
> 懐古主義によって、絶対評価さえ歪めてしまう考えは更々ありませんし、
> 例えば鬼滅ブームのように、その世代世代における「リアルタイム性」というのは、
> 非常に重要な要素であり、その立ち位置で相対評価が変化するのも重々承知しています。
> ですが、それと同時に、新分野が切り開かれていく時に生ずる「圧倒的な熱量」というのも、
> 私の記憶の中には色濃く残っているので、その衝撃を求めてしまう面は、一方でありますね。


> 逆に言うと、それまでは絶えず何度も襲ってきた変化の波が、
> ここ10年ほど、あまり目立った形で現れていない事の方が、ちょっと異例でしょうか?


管理人さんの指摘も半分くらいは納得できますが、やっぱり違うんじゃないかな?という気はしますね。
ここ10年でも、VTuberやVRChatや、色々出てきていますし、文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するものなので。
90年代、00年代の萌えなんかも、突然出てきたものではなく、80年代にすでにその萌芽はありましたし、ロボットアニメやプラモデルやらなんでも同じでしょう。
20年後から見れば「2010年代に築かれたVTuberがオタク文化の転換点だったよね」なんて言われるかもしれません。特にVRはこれからの技術ですし。


[23715] Re2:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/10/11 (月) 22:24:59 徳翁導誉

> 返信遅れました。
いえいえ、お気になさらず(笑)。

> > > オタク文化以外の、様々なジャンルであったり、
> > > 日本以外の国ではどうだったのかは私は勉強してないのでよく知りませんが、
> > > 少なくともオタク文化的には90年代初頭のTRPGブームを最後に、
> > > アメリカの文化が日本に入ってこなくなるんですよね。

> > え〜と、例えば90年代後半のアメコミ・ブームとかは、どうですか?
> > X-MENとか、スポーンとか、一部界隈では流行ってましたし、
> > あの時に築かれた下地が、実写版ハリウッド映画のヒットにも繋がっているかも?
> > また、当時のアメコミ・ブームに付随して、日本に流入したフィギュア(ガレージキット)が、
> > 後に日本アニメと混じり合って、現在の「日本のフィギュア文化」を創り出したかと。
> > それまで、ソフビ人形やプラモ等はあっても、あんな精巧なフィギュアは日本に無かったので。

> 正直に言いますと、アメコミブームに関しては全く存じておりませんでした。勉強不足です。
> 言い訳をすれば、「アメコミブームがあった」という情報さえ手に入れば、
> そこからネットでも書籍でも通じていくらでも勉強できるのですが、
> その最初の情報を手に入れるのが一番難しいんですよね。

当たり前の話ですけど、知ってる事は知っていても、知らない事は知らない訳で、
知ってる事を増やす為には、知る機会を増やすしかない訳ですよね。
で、デジタル情報の場合、あらかじめ焦点を合わせた上で、深堀りするのは得意ですけど、
アナログ情報のように、意図せず視界に入り込む事には、あまり向いていません。
以前の雑談時にも触れた、リアル店舗などで得られる
アナログ的な「ノイズ」情報というのは、つまりは こういう事を言いたかった訳です。

例えば、リアル店舗の場合、お目当てのコーナーに辿り着くまでに、
自分には興味がないコーナーも、途中で横切ったりする訳ですが、
そこで、ふと目に入った情報により、新たな視野を得られる事も珍しくありません。
ですがネット店舗の場合、お目当てのコーナーまで直通ですから、
私が言う所の「ノイズ」のような情報に触れる機会は、まずありませんし、
特に近年はデータ解析の進歩によって、個々の好みの方向へ「誘導」する力が強まっており、
気を付けないと、自分でも知らず知らずの内に、視野狭窄へと陥りかねない実状にあると。

なので、ボンヤリとでも広く捉えられる「アナログな眼」と、
ピンポイントに深く捉えられる「デジタルな眼」の、両眼を駆使する事を意識出来れば、
知識の「幅」と「量」も、増えていくのだろうと思います。
(ちなみに、以前した文化における選択肢の幅と量の話も、この辺りに通じてきます)

> とは言うものの、フィギュア文化は存在を認知していたので、
> フィギュア文化史の本をもっとちゃんと読んでおけばアメコミの話も出てきたのかな?

あとはもう、「気付き」の問題ですよね。
アナログ情報にせよ、デジタル情報にせよ、全く同じ情報を得ていても、
その情報の中から「何を読み取れるか?」というのは、個々人ごとに千差万別ですから。

そして、「気付き(観察力の感度)」というのは、
「注意(意識)」と「経験(知識)」によって得られるモノかと?
例えば、小さな変化に気付ける人って、
それに対する関心(意識)があるからこそ、無意識の内にも注意して見ているのでしょうし、
これまでの経験で得た情報(知識)と比べてみる事で、小さな変化でも気付けるのだと思います。
そういう意味では、「コロンブスの卵」にも似た話なのかな?
他人から教えられれば気付くけど、自分から教えられずに気付ける人との違いって。
具体的に言えば、「何でだろう?」と引っ掛かる力と、それを調べる力ですかね。
で、引っ掛かる力はアナログ情報に多く、調べる力はデジタル情報に多い気がします。


> > そういう意味では、ファスト・フードやファスト・ファッションなど、
> > 昨今、世界的にも「ファスト文化」が幅を利かすようになってますけど、
> > こうしたファスト化の流れは、オタク文化にも及んでくるかも知れませんね。
> > と言いますか、考え様によっては、ソシャゲはゲームのファスト化かも知れず、
> > サブスクの電子コミックとかも、漫画のファスト化なのかも知れません。
> > 映像も、映画からテレビ、そしてYouTubeにTiktokと移ってきてますし。
> > ・・・って、ファスト化されたオタク文化って、もうそれは、
> > オタクの為のコンテンツなのか微妙な感じもしますが(苦笑)。

> いやあ、ファスト化については既に私が同じことを指摘してたと思うのですが。

はい、私も別に、その時の話は忘れてませんよ(笑)。
ただ今回の話は、そこの部分が本題では無く、あくまでも前振りというか前提です。
こうした近年の現象を、「ファスト化」という端的なキーワードで示した上で、
そうしたファスト化の波が、いわゆるオタク文化にまで及びつつあるのでは無いか?
そして、ファスト化されたオタク・コンテンツなどというのは、
ラベル的な名称がオタク文化なだけで、それはもう実質的なオタク文化では無いのでは?
と言うのが、あの文章の主旨というか、本題です。
だからこそ、投稿文のタイトルも「ファスト化されるオタク文化?」な訳ですね。
マクドナルド大好きな美食家とか、ユニクロを愛用する着道楽なんて、正直違和感ありますし(笑)、
ファスト文化とオタク文化というのは、そもそも対極的な立ち位置にあると、個人的に思うので。
(レディ・メイドを現代アートに昇華させた手法が、オタク界でも始まったのなら、話は別ですが)

で、ファスト化されたオタク・コンテンツでもOKという事であれば、
中国当局の規制があっても、そうしたモノは大体 残されるでしょうから、
それほど影響も無ければ、そんなに心配も要らないのでは?・・・という話だった訳です。
そして、話の流れ的に言えば、この部分↓に対する返信となっていると。
> > > > > だからこそ、中国という巨大な花畑で咲くはずだった花が
> > > > > こうやって花を咲かせる前に摘み取られてしまうかもしれないというのは、本当に悲しいんですよね。
> > > > > 中国当局がゲームなどを徹底的に規制すれば、中国文化の本流は当局が規制しない文化に移っていくでしょうし、
> > > > > 中国人としてはその新しい文化を楽しむので問題ないのでしょうが。

つまりは、「当局が規制しない文化」で、「楽しむので問題ない」というのは、
国ごとに多少の違いこそあれ、規制され、ファスト化された作品でOKという事であるなら、
何も「中国人」に限定される話ではなく、そうしたファスト化を受け入れた全て人々に言える事で、
それでも満足できるのであれば、やはり「悲しい」という事には為らないと思うんですよ。
それこそ、「花畑」という比喩を引き続き用いるとすれば、
そこに悲しみを覚えるのは、野草を愛でるような一部の層であって、
大部分の人々は、奇麗に整備された花壇の方を喜ぶでしょうからねえ。
高山のチングルマ、湿原のミズバショウ、道端のツユクサよりも、
やはり一般的に人気なのは、色とりどりのチューリップやパンジーです(笑)。

> [23586] ネット時代の超ローカル文化と雑談 より抜粋
とりあえず、リンクの方も貼っておきますかね↓
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23586#23586
> > > > あまり詳しくはないのですが、最近の音楽はサビから始まるなんていうのも、
> > > > サビが始まるまでとりあえず聞いてみようという人が減ってきたからだと思いますし、

> > > 「最近の音楽」と言いますか、その歴史は音楽界でも何度も繰り返されてる感じですね(笑)。
> > > まあこれは音楽に限らず、顧客の数が増える「大衆化」を迎え、
> > > ツカミやインパクト、解り易さなどを重視する「陳腐化」が起こり、
> > > そして飽きられて沈んでいき、また時間が経って盛り上がり始めるサイクルを辿ると。

> > まず、時間感覚の変化の要因は商業主義の浸透というよりも、スマホが要因だと私は考えています。
> > で、何もスマホが変えてしまったのはこういったコンテンツの時間間隔だけでなくて、
> > 現実の時間感覚そのものを変えてしまったと思うんですよね。

> 私が思うに、ファスト化の原因はスマホだと思うんですよね。
> スマホって、家にいるときは皆、寝っ転がって使ってると思うんですよ。
> ゲームも、家庭用ゲーム機がメインだった時代というのは、
> テレビにゲーム機をつなげて、座ってゲームをするので、1時間2時間とゲームに集中できました。
> しかし、これがスマホゲームになると、寝転がってゲームをするので、
> そもそもその姿勢では集中できる時間って30分が限度です。
> その30分でユーザーを楽しませないといけないから、スマホゲームはどうしても薄味になるしかない。
> YouTubeもそうですね。
> 寝っ転がってYouTubeを見て、しかもYouTubeは次のおすすめ動画がどんどん表示されるから、
> ユーザーは少しでも退屈に感じたら、すぐに次の動画へ移ってしまう。
> そして今やYouTubeすら拘束時間が長すぎて耐えられない人たちが、今度はTikTokの15秒動画を見るようになる。

起こってる現象としては、私もそれほど認識に違いはありません。
ただ、卵が先か?鶏が先か?みたいな話になっちゃうかも知れませんけど、
スマホが原因という以上に、ファスト化が生じた結果として、スマホに集約された部分もありそう。
もっと言うと、例えば食事にせよ、衣服にせよ、それら以外のファスト化という現象も、
全てがスマホを原因として生じていると言えるのでしょうか?
ファスト化という現象は、生活全般に及んでいるモノである以上、
それら全てを包括する要因でないと、根本原因と見なすのに無理があると思うんですよね。

スマホというのは、確かに便利ではあるのですが、あくまで端末に過ぎません。
では何故、スマホでソシャゲを遊び、YouTubeを視聴するのかと言えば、基本無料だからですよね?
であるとすれば、要因は端末であるスマホではなく、基本無料を可能とするビジネス・モデルにあります。
「寝転がって操作するから」というのも、結果ではあっても、原因では無いように思えます。
例えばゲームであれば、何年か前までは、携帯ゲーム機が幅を利かせていた訳ですし、
その頃は果たして「プレーは30分が限度」とか、本当に言ってましたかねえ?

> インターネットの質が低下していったのも、PCからスマホへの移行が大きいと思うんです。
> PCは座って使うけど、スマホは寝っ転がって使う。
> 寝っ転がってるから皆短絡的になって、煽りまとめサイトみたいなものばかりが溢れる。
> 2ちゃんの時代はみな机に座ってPCで書き込んでいたはずです。

何だかそれだと、まるで2chが高尚であったかの印象に(笑)。
2ch創設者の ひろゆきも、今では当時を知らない若者層の間で、
論破王などと呼ばれて、カリスマYouTuber(生主)になってますけど、
まあ2chなんて昔から、良くも悪くも、ネット上における「便所の落書き」ですし、
昔の多くのユーザーは、その事を自覚して利用してましたからねえ。
そもそも、まとめサイトにしたって、そのネタ元の多くは2chでしょうし。

あと、リアルが「オン」モードだとすれば、
ネットは昔から「オフ」モードが基本ですので(匿名なら尚更)、
座っていようが、寝転がっていようが、元から短絡的な発言は多かったですし、
もしもネットの質が低下したのだとしたら、その原因というのは、
それは利用姿勢の質の低下ではなく、利用者の質の低下なんじゃないですかねえ?
一般にまで普及し、利用者数が増えれば、平均点は下がるというのは、
別にネットに限らず、あらゆる分野でも見受けられる現象だと思うので。

って、そういう意味では「PCからスマホへの移行」というのも、
「ネット利用者を増やした」という面の方が、影響度としては大きい気がします。
あとは、PC時代と違って、スマホだと10代の利用者も増え、
ネットが世界に繋がってる認識が薄いまま、内輪気分で使ってしまったり、
また、手元にスマホがあれば、Twitterとかでも即座に発信できちゃうので、
一呼吸置かない、その場の思い付きが、簡単に投稿されていまい、
気付いたら大炎上なんてケースが、以前より増えた面もあるのかな?
もちろん、寝っ転がる事での気の緩みも、全く無いとは思いませんけど、
やはり、こういった側面の方が、スマホ利用の影響的には大きいんじゃないですかねえ。

> オタクの間でここ10年程イラストレーターがもてはやされるようになったのも、
> イラストは寝ながら見るのにピッタリだからだと思います。

いや〜、それは旧トルコ担当さん自身の主観を、全体に投影し過ぎてません?
言い換えるなら、自分がそうだからと言って、皆がそうだとは限らないと。
イラストというのは動画と違って、決まった拘束時間がある訳ではなく、
その楽しみ方にしたって様々あるはずで、寝ながら見る事を大きく捉え、
しかもそれを、人気爆発の秘訣とするのは、やはり強引なように思えますよ。

そもそも、イラスト文化とネット文化の関係性は、かなり前から深く、
通信速度やPC性能が、まだまだだった2000年代の中頃くらいまでは、
動画よりも画像の方が、ネットにおける映像コンテンツとしてはメインでした。
実際、YouTubeやニコニコ動画が登場するのも、それ以降の事で、
それまでは、動画というとFlashやGIFアニメが主でしたし、
当時は、画像投稿掲示板であったり、お絵かきチャットが賑わっていましたので。
また、個人サイトに自作のCGイラストを公開するなんて事もありましたか。

では、ここ10数程で、ネット上のイラスト文化に何が起きたかというと、
やはり最も大きかったのが、描画用のソフト・入力機器・ディスプレーの発展です。
この辺りの技術が飛躍的に発展して、しかも安価で利用できるようになった事により、
デジタルで描く事が非常に身近になりましたし、表現も豊かになりましたよね。
それに加えて、動画時代の到来により、写真誕生後の絵画界のように、
完成品だけでなく、その行程作業をも楽しむ「描いてみた動画」や、
聴覚的なボーカロイド楽曲との融合による、視覚的なイラスト需要の高まりなど、
従来の伝統的なイラスト文化とは一線を画す、新たなイラスト文化の誕生となります。
更には、Pixivのようなプラットフォームや、mixiから始まったSNSの登場により、
それまで個々の活動だったのが、1つの塊や繋がりとなり、イラスト社会が拡大したと。
解りやすく言えば、イラスト文化が広く一般化して、規模が大きくなったって事ですね。
(あと商業的に言うと、ソーシャルゲームの登場も、経済的利益に影響を与えたかな?)
もちろんスマホも、一般化に大きく貢献はしたでしょうけど、あくまで一要因に過ぎません。

> アニメもテレビからネットへ大きく舵を切っている以上、
> 時間が短くなるのはある程度避けられないと思うんですよね。

未だインターネットが普及する前の時代、
「テレビで面白いのは、素人が芸をやるか。玄人が私生活を見せるか。この2つ」だと語り、
そんな時代に自分は合わない芸人だからと、遠くない内に引退すると宣言して、
実際に58歳の若さで、上岡龍太郎が芸能界を去ってから、早21年。
もう今となっては、上岡の甥である、兄弟漫才コンビ「ミキ」の昴生と亜生の方が、
若い方には馴染み深いかも知れませんけど、数十年前の この発言は、
素人YouTuberが人気を集め、芸能人もYouTubeに参入する昨今、再び脚光を浴びていますね。
この発言のテレビの部分を、映像コンテンツに置き換えれば、まさしく未来を見通していたと。

ただ一方で、今回のコロナ禍の影響もあってか、芸能人のネット流入に引き続き、
最近では映像制作のプロもYouTubeなどに参入してきて、また一段階 進んだ印象を受けます。
例えば、テレビ東京が提供するYouTube独自の番組であったり、
テレビ朝日が出資するAbemaのオリジナル番組などは、
地上波みたいに時間や需要に囚われる事なく、比較的自由な番組制作が出来てますし、
今年の春、テレビ局を退社してフリーとなった、人気者の佐久間プロデューサーなどは、
自身のYouTubeチャンネルで、思うままに番組作り↓を始めちゃいましたからねえ!!(笑)
https://www.youtube.com/channel/UCaPJaMy0_OZlNjq7BVyTnkA
電波に乗せてしか、番組を送信できなかった時代には、こんなのは有り得なかった話です。
テレビ的な番組の枠内だと、1コーナーの時間も5分とか10分に収めて、
コンプライアンスであったり、視聴率なども気にしなければならなかった所が、
電波という金網から解き放たれた事で、テレビ番組よりも時間が長くなる、もう1つの流れも。

これは、言うなれば、「ネットのテレビ化」とでも言えるでしょうか?
今では地上波の番組も、ネット配信のTVerなどで視聴する人たちが増えてきていますし、
NetflixやAmazonプライムなどの台頭により、スマホだけでなくテレビもネット端末化が進み、
電波か?ネットか?という送信形式の違いなど、視聴者は気にしなくなってる所か、
自分の見たいタイミングで視聴できる配信方式の方が、好まれる時代になってる気がします。
配信方式であれば、今までみたいに、わざわざ録画予約をしなくても済みますからねえ。
そういう意味では、同時に「テレビのモニター化」も進んでいくのかなぁ?
(ただ、放映権料の高騰で、サッカーW杯予選がネット独占になったのは、好ましくない状況)

また、資金・技術・人員をもつ映像業界のプロ集団が、本格的に参入してくると、
素人や個人が同じ土俵で戦っては、なかなか太刀打ち出来無いでしょうし、
一定数は生き残れるにしても、多くのYouTuberは苦境に立たされるのかも知れません。
つまりは、現状の「短く、薄く、軽い」といったネット・コンテンツだけでなく、
今後は、逆方向の「長く、濃く、思い」ネット・コンテンツも、一方で台頭してくるかも?
まあ個人的には、前者よりも後者の方が好みなので、願望込みでの予測ですけど(笑)。
って、願望ついでに言うと、映像メインじゃない新コンテンツとかは登場しないのかなぁ・・・・
受け身で視聴しているだけだと、刺激的に足りない面は確かにあるんですよね。

> 現に私たちは、もう30分のオーケストラを聴くことができないじゃないですか。
> 私も学校の課外授業でオーケストラを聞きに行くみたいなのがありましたが、途中寝てましたし。
> でも昔の人たちはあれを退屈せず聴くことができたわけです。

ぶっちゃけた話、別に途中で寝ちゃっても、構わないとは思うんですけどね(笑)。
寝られるというのは、それだけリラックス出来てるって事でもあり、
これがロックやジャズだと、退屈であっても、なかなか寝付けないのでは?
そういう意味では、ついつい寝てしまうクラシックは、それはそれでアリなんです。
まあ日本だと、クラシックは敷居が高いし、料金も高い印象なので、
「寝るなんてトンデモない」って感じですけど、本場の欧州ではそこまでじゃない印象。
例えば歌舞伎とかも、今では高尚な文化みたいな扱いをされてますが、
100年くらいまでは、途中で出入りしたり、飲食したり、おしゃべりしたり、時には寝たり、
もっと庶民的な文化だった訳で、欧州でのクラシックもそれに近い感じかも?

ただ一方で、引用されてる以前の雑談時にも述べたように、
欧州のクラシックも、その客層が貴族から大衆へと移り変わるに従い、
やはり「退屈だ」という声が挙がり、そこに革命をもたらしたのがベートーベンであったと!!
第5番「運命」では「ジャジャジャジャーン」というインパクト抜群なツカミから入り、
第9番ではラストに大合唱を入れるなど、新たな顧客である大衆を飽きさせない工夫をしました。

そして現在の日本においては、もっとクラシックに触れてもらう機会を増やす為、
積極的に利用されているのが、アニメとのコラボレーションかも知れませんね。
例えばエヴァや銀英伝など、作中にクラシック音楽を用いる人気作があるので、
その作品のファンに向けた演奏会などは珍しくないですし、
オーケストラという事であれば、ジブリ作品などのアニメはもちろんの事、
ゴジラなどの特撮や、ドラクエなどのTVゲームなどの、交響楽コンサートもありますね。
と言うか、東京五輪の開会式(入場行進)でさえ、実際にやっちゃった感じも(苦笑)。

まあ、言うなれば、多くの場合、興味が湧かないから退屈に思える訳で、
関心を持てるようなキッカケさえ、上手く誘導や演出が行えれば、
多くの人々を魅了できるコンテンツである以上、ある程度は楽しめると思うんです。
それこそ、アニメやゲームのオーケストラであれば、後ろの大スクリーンに映像などが流れれば、
旧トルコ担当さんも、恐らく退屈しなかったのでは?(笑)
逆に言うと、演奏会にせよ、演劇にせよ、博物館や美術館にせよ、
楽しむポイントも事前に伝えず、ただただ連れて行くだけだから、退屈なんですよね。
どうせカリキュラム的に連れて行くなら、事前学習まで含めてカリキュラム化すべきなんです!!

> 技術革新が起きるたびに、何かを行う手間が減少して、その結果人々は長いコンテンツを受容できなくなる。
> 昔は音楽を聴くために、立派な服を着て、馬車に乗ってホールまで行ったから、30分の音楽を聴くことができた。

まあ、こういうのは「非日常性を楽しむ」演出効果としては、未だに残っていようかと。
その対象は今では、クラシック・コンサートでは無くなっているかも知れませんけど、
野球観戦やサッカー観戦にしたって、試合そのものだけが楽しみなのではなく、
スタジアムまでの行き帰りの小旅行であったり、スタジアム内での飲食であったり、
試合前後や試合中のショーであったり、それら全てを楽しむというコンテンツであって、
退屈な日々の日常の中で、ちょっとした非日常性の刺激を味わう為の道具であったりもしますので。
そして、コロナ禍の以前までは、社会のネット化に相対するように、
リアルに人々が集まるイベントの需要と言うも、一方で増えていってたんですよね。
このコロナ禍で、社会のネット化は更に進みましたけど、今後のリアル・イベントはどうなるのかな?

> しかしそこにレコードだとか、CDだとかが出てくると、
> もう30分の音楽なんて聴くことができなくて、曲の時間は短くなる。

完全に余談ですけど、CDの収録上限が74分になったのは、
70分ほどある、ベートーベンの第9番が1枚で入るようにした為ですね。
だからこそ、直径12cmの通常版CDとは別に、直径8cmのCDシングルも作られ、
歌謡曲の新曲では、当然ながら、CDシングルの方が使われるようになると。
レコードやCDが登場する以前から、1曲数十分もあるような歌謡曲なんて皆無だったので(笑)。

> それでもCDは高かったし、高い金を出して買ったものだから何回も聞いたのですが、
> それが今スマホになって、少しでも気に入らなければすぐ次の曲に乗り換えられてしまう。

「CDは高かった」というのは、それこそ今現在の視点から見た感覚なのでは?
そりゃ勿論、コピー戦争の果ての無料化や、配信による低額化やサブスク定額化など、
音楽に対する相場観が激変した現在と比べれば、確かに割高に感じるかも知れませんが、
新曲のCDシングルは大体1000円前後で、あの当時、そんな高い印象は無かったかと。
(小中学生をメインに狙ったCDだと、500円とかの値段設定もありましたね)
安く収めたかったら、CDレンタル(そしてカセットに録音)という方法もありましたし。
なので、「高い金を出したから、何回も聞く」という理解は、ちょっと違和感があります。

あと、90年代に、同じ曲が何回も聞かれ、CDはミリオン・ヒットを連発した理由としては、
当時の日本がカラオケ・ブームであった事と、無縁ではないでしょうね。
簡単に言えば、最新のヒット曲をCDで練習し、誰よりも早く完璧に歌いたかった訳です(笑)。
カラオケ・ボックスの売り上げって、90年代は2010年代の4〜5倍ほどあり、
今とは比べ物にならないくらい、人々の社交の場でしたからね。
また、当時は今みたいに、消費至上主義の時代では無かったという点もあります。
と言いますか、サブスク元年とか言われたのが2〜3年前の話なのですから、
「少しでも気に入らなければ、すぐ次へ」なんて、本当に ここ最近の傾向じゃないですか?
逆に言えば、その傾向がいつまで続くのかも、実際には不透明ですよ。


> > > > > 私としては、今後中国がますます伸びていく中で、日本のオタク文化が中国に輸出され、
> > > > > それを土台に新しい文化が海の向こう側で生まれるのを非常に楽しみにしていました。
> > > > > 日本のサブカル、オタク文化もアメリカの影響が根本にはありますから、
> > > > > 経済大国の地位がアメリカ→日本→中国と移っていく中で、
> > > > > 中国ではどんな文化が誕生するのだろうか、というのは非常に期待していたんですよね。

> > > > 恐らく、そこまで目を見張るほど「新しい(異なった)作品」は産まれ難いかと?
> > > > これは中国産だけでなく、韓国産にも言える事でしょうけど、
> > > > 日本と中国・韓国とは、ただでさえ文化的に近い上に、
> > > > アニメやマンガに関しては日本の影響を多大に受けている為、
> > > > 以前にも言いましたけど、「日本サブカルの分家」的な感じだと思うので。

> > > いえ、私個人としてはむしろそんな目新しい文化の誕生を望んではいませんよ。

> > う〜ん、この辺りは、世代間の差とかも関係してくるんですかねえ?
> > それこそ、ここで挙げたゲーム・アニメ・ネットなんて、
> > 旧トルコ担当さんから見れば、見慣れたド定番のオタク分野でしょうけど、
> > 私からすると、それらが「目新しい文化」だった黎明期や成長期を知ってると。
> > 逆に言うと、それまでは絶えず何度も襲ってきた変化の波が、
> > ここ10年ほど、あまり目立った形で現れていない事の方が、ちょっと異例でしょうか?

> 管理人さんの指摘も半分くらいは納得できますが、やっぱり違うんじゃないかな?という気はしますね。
> ここ10年でも、VTuberやVRChatや、色々出てきていますし、

結局、何度も繰り返しになっちゃいますけど、
どのレベルで「色々」かって話なんですよね。
VTuberやVRChatの誕生が、ゲーム・アニメ・ネットの誕生と同レベルだとは、
さすがに旧トルコ担当さんも、思われてはいないと思いますし、
「ある」という事であれば、実際に示してさえもらえれば、一発解決な訳で、
何度も言うように、「本当にあるなら知りたい」というのが、私の本意なのですから。

> 文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するものなので。
> 90年代、00年代の萌えなんかも、突然出てきたものではなく、80年代にすでにその萌芽はありましたし、
> ロボットアニメやプラモデルやらなんでも同じでしょう。

いや別に、突然変化するとも、突然出てくるとも、言ってませんけどね。
ただ、その変化の程度というのは、常に一定だとは限りません。
ずっと停滞し続ける事もあれば、一気に飛び抜ける場合もあります。
そして、そういった状況の変化を、つぶさに観測していない人たちにとっては、
突然変化したり、突然現れたりという感じに、映る事もあるとは思ってますが。
で、そうした激変が生じるケースというのは、臨界点を突破した時に見られるもので、
そこには技術的革新なり何なりの要素が、絡んでいる事も多いのが実際の所かと?

例えばAIとかも、ニューラルネット・ワークや遺伝的アルゴリズムなどの理論的部分は、
私が独学した20年前くらいから、そんな劇的に進歩してない印象を受けますけど、
しかし、コンピューター自体の性能アップというハード面の向上や、
ネットが世界レベルにまで普及した事による圧倒的なデータ収集量、
そして、GoogleやAmazonなどが投じた大規模資本によって、
ここ数年で、一般社会における影響力が、飛躍的に増したように感じます。
もちろん、個々の変化としては段階的ではあっても、
その全てが結び付き、社会に影響を与える「現象」として生じた際には、
やはり、「突然」のような衝撃を受けるのも、確かですよね。
囲碁AIとかも、あんなに一気に人間を追い抜くとは、正直思っていませんでしたし、
その上、日本のAI技術が、中国にアッサリと抜かれたのも、結構な衝撃でした・・・・

> 20年後から見れば「2010年代に築かれたVTuberがオタク文化の転換点だったよね」なんて言われるかもしれません。
う〜ん、その可能性は、恐らく望み薄かな?(苦笑)
昨年、VTuber好きな弁さんとの雑談時↓に、VTuberの話題も何度か出たのですが、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22867#22867
それこそ、今までの過去を見て、これからの未来を見据えると、
VTuberというのは、その時代を彩る1つの現象ではあっても、
オタク文化における歴史的な転換点には、とても為り得ないと思うんです・・・・

まず、日本の3DCGモデル技術において、大きな影響を与えたのが、
2000年頃の深夜に放送されていた、CGクリエーター発掘番組「D's Garage21」であり、
そこから更に普及させたのが、ボーカロイド文化(初音ミク)が登場した後、
それ用の3DCG作成ソフトとして、2008年に登場した「MMD(Miku Miku Dance)」でしょうか。
そして、モーション・キャプチャー技術の方は、
私の記憶が確かなら、1998年頃からゲーム開発に用いられるようになり、
一般化したのは、2010年にX-BOX360が「Kinect」を発売したあたりなのかな?
VTuberに欠かせない、この2つの技術が揃ったのが、今から10年くらい前の話です。

一方で、今から10年くらい前というと、「アイドル戦国時代」と呼ばれ始めた頃であり、
オタクの街となっていた秋葉原に、AKB48の劇場が誕生したのが2005年、
女性アイドルだけの大規模フェス「TOKYO IDOL FESTIVAL」が始まったのが2010年で、
アイドル冬の時代と呼ばれた平成前期を越え、アイドル市場が再び活気を取り戻した時代でした。
そしてAKBにも象徴されるように、平成後期のアイドル文化は、オタク文化ともリンクしていたと。
(ちなみに、昭和末期のアイドル文化は、ヤンキー文化とリンクしてましたね)
また、そうした伝統的なアイドル像とは別系統とでも言いますか、
もしくは、ベールに包まれた昔ながらのアイドル像が求められたのか、
声優のアイドル化が加速していくのも、丁度この頃からでしょうかね?
けいおんの「放課後ティータイム」結成が2009年で、ラブライブの「μ's」結成が2010年なので。
言うなれば、声優に求められたのは「アイドルの2.5次元化」だったのかも知れません。

更には、2010年頃になると、ネット普及率も75%を越えるようになり、
ネットが本格的に、社会一般にも利用される時代となりました。
こうした時代に、自分たちもアイドル活動をしたいと、
ネットを利用しながら現れたのが、いわゆる「地下アイドル」と呼ばれる人たちですね。
本物のアイドルや声優のように、大きな活躍の場も、大勢のファンも居ない替わりに、
巧みにネットを使う事で、少数であっても全国にファンを作っていき、
たまに行うイベントに集まってもらえれば、つかの間のアイドル気分を味わえると。
これには、メイド喫茶や、アイドル・アニメの登場も、少しは影響してたのかな?
で、そんな地下アイドルの中には、素顔を出さずに活動する人たちもいて、
特にネット上での活動では、その替わりにアニメ絵やCGを用いてたりしてたんですよ。

そういう意味では、私は個人的に「VTuber」という存在を、
「地下アイドルの延長線上」に見ていると言いますか、主戦場さえネットに移してしまい、
「会いに行けるアイドル」ならぬ、「交流できるデジタル地下アイドル」という印象なんです。
3DCGモデル&モーション・キャプチャーという、2つの技術の導入に加え、
YouTubeという配信環境が、一気にメジャー化した事によって、
一般的な感覚からすると、VTuberは衝撃的に現れたイメージかも知れませんけど、
旧トルコ担当さんの言葉を借りれば、それこそ「突然出てきたものではない」と。
(ニコニコ生主から転生組も居ますけど、個々の経緯はさておき、全体的な流れの話として)
実際、VTuberが出演するテレビ番組では、彼女たちのポジションというのが、
アイドルのそれを、そのまま踏襲する格好のモノが多いですからねえ。
ちなみに、弁さんから薦められたのが、
コチラの「超人女子戦士 ガリベンガーV」という番組です(笑)。
https://www.tv-asahi.co.jp/garibenv/

そして、今後のVTuberについて考えた時、上の方で行った
「プロのネット参入により、今後は素人YouTuberが淘汰されるかも?」という話と同じく、
VTuberの方も、今のままの状態が続くとは、ちょっと思えないんですよねえ・・・・
この事も、前述の弁さんとの雑談で語ったのですが、
声優というのは、キャラに声をあて、キャラを演じきるプロであり、
アイドル化した最近の声優は、ネット番組などでフリートークも磨かれているので、
彼女たちがビジネスとして、VTuberの中の人となった場合は、一体どうなるのか?
しかも、アニメ制作会社とも連携すれば、作品の3DCGモデルだって使える訳ですし、
その上、実際のアニメ作品とメディア・ミックスで展開されたら、
プロが作り、カネも掛け、その作品のファンまで巻き込むのですから、
余程の武器でもない限り、個人や素人では、とても太刀打ち出来ないんじゃないですかねえ?

また、アイドル的な活動とは別方向で、
VR風俗とか、VRキャバクラなんていうのも、近頃は現れ始めており、
こちらの分野は、まだこれからなので、新規参入の余地があるかも知れません。
ただやはり、こちらの分野に関しては、もっと技術が追い付く必要性があるかな?
会話での繋がりや、精神的な快楽・満足感も、重要な要素ではありますけど、
現状のVR技術は視覚と聴覚に特化していて、触覚・嗅覚・味覚は全然ですからね。
でもまあ、実写よりもアニメの方が良いという層が、一定数は居る訳で、
技術的に不十分であっても、そうしたターゲットに向けて、チャレンジする余地はありそう。
それこそVR風俗なんて、バ美肉のように、相手する嬢の中の人が男性であったり、
CGキャラだからこそ、人型に拘らず、ドラゴンやスライムと交わったり、
昨年始まったばかりなのに、既に新たな試みがいろいろ行われているらしいですよ(笑)。

11年前、エロゲーMMO「らぶデス555」が登場した際には、
「人類にはまだ早い!」って感じでしたけど(笑)、
http://asitagamienai.blog118.fc2.com/blog-entry-810.html
https://web.archive.org/web/20101127153103/http://www.game-style.jp/soft/201010/19/01ld5_tt.php
技術も高まり、VR風俗やVRキャバクラが始まった今であれば、却ってアリかも?
そもそも当時は、ニンテンドーDSの「ラブプラス」が流行ってた頃ですし、
今の技術でガチに作ったヴァーチャル彼女って、一体どんな感じになるのやら・・・・
ところで、店側やメーカー側が、実在のアイドルや、アニメ・キャラの画像を用意して、
相手をするキャラの顔にコラージュさせちゃうサービスは、さすがに違法なのでしょうけど、
客側の端末で、客が用意した画像データを組み込み、ディープ・フェイクさせちゃう分には、
個人利用の範疇とも考えられるので、法律的にどうなんでしょう?と、余計な事を考えてみる(笑)。

以上、VTuberに至るまでの過去と、こらからの未来について、
簡単にですが、ちょっと書いてみましたけど、
この上で、旧トルコ担当さん的には、
20年後に「2010年代に築かれたVTuberがオタク文化の転換点だったよね」
と思える時代が、実際に来ると思われますか?
そう思われて、私に何か欠けてる視点があるのであれば、是非とも知りたいです!!
いや、これは決して嫌味などではなく、純粋に好奇心として。

> 特にVRはこれからの技術ですし。
これに関しては、完全に同意ですね。
VR技術に関しては、まだまだ黎明期と言える段階ですし、
成長期に突入するには、更に幾つかのハードルを越えなければならないでしょうけど。
そして個人的に言うと、「その為には、どんな技術開発が必要か?」とか、
「それが為った場合、どのような活用が考えられるか?」という話題こそ、
好みなんですけどね(笑)。


P.S.
今回のコロナ禍により、10年ぶりくらいに再びアニメを見るようになり、
先月末も、ワクチン接種とシルバーウィークが重なった事で、
ここ最近、半年ぶりに何作か一気見とかしてるんですけど、
「俺ガイルは2010年代のエヴァだ」という以前の発言が、未だに少し気になってる所。
「何故そう思われるのか?」という理由を、伺いたい気持ちもありますが、
今となっては、旧トルコ担当さんの「アニメBEST10」とか、ちょっと聞いてみたいかな?
こういうランキングとかの方が、全体的な嗜好の傾向が掴めそうな感じがしますし、
私自身が「次に何見ようかな?」と思った時、参考になるかも知れないので。
もちろん、選ぶのが大変と言う事であれば、スルーして戴いて一向に構いませんし、
逆に、10作品じゃ収まらなければ、BEST30でもBEST50でもOKですよ(笑)。
(あそこまで評価した俺ガイルが、一体何位に入るのかとか、正直興味はあります)


[23718] Re3:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/10/12 (火) 13:23:26 旧トルコ担当


> > > そういう意味では、ファスト・フードやファスト・ファッションなど、
> > > 昨今、世界的にも「ファスト文化」が幅を利かすようになってますけど、
> > > こうしたファスト化の流れは、オタク文化にも及んでくるかも知れませんね。
> > > と言いますか、考え様によっては、ソシャゲはゲームのファスト化かも知れず、
> > > サブスクの電子コミックとかも、漫画のファスト化なのかも知れません。
> > > 映像も、映画からテレビ、そしてYouTubeにTiktokと移ってきてますし。
> > > ・・・って、ファスト化されたオタク文化って、もうそれは、
> > > オタクの為のコンテンツなのか微妙な感じもしますが(苦笑)。

> > いやあ、ファスト化については既に私が同じことを指摘してたと思うのですが。

> はい、私も別に、その時の話は忘れてませんよ(笑)。
> ただ今回の話は、そこの部分が本題では無く、あくまでも前振りというか前提です。
> こうした近年の現象を、「ファスト化」という端的なキーワードで示した上で、
> そうしたファスト化の波が、いわゆるオタク文化にまで及びつつあるのでは無いか?
> そして、ファスト化されたオタク・コンテンツなどというのは、
> ラベル的な名称がオタク文化なだけで、それはもう実質的なオタク文化では無いのでは?
> と言うのが、あの文章の主旨というか、本題です。
> だからこそ、投稿文のタイトルも「ファスト化されるオタク文化?」な訳ですね。
> マクドナルド大好きな美食家とか、ユニクロを愛用する着道楽なんて、正直違和感ありますし(笑)、
> ファスト文化とオタク文化というのは、そもそも対極的な立ち位置にあると、個人的に思うので。
> (レディ・メイドを現代アートに昇華させた手法が、オタク界でも始まったのなら、話は別ですが)
>
> で、ファスト化されたオタク・コンテンツでもOKという事であれば、
> 中国当局の規制があっても、そうしたモノは大体 残されるでしょうから、
> それほど影響も無ければ、そんなに心配も要らないのでは?・・・という話だった訳です。
>
> そして、話の流れ的に言えば、この部分↓に対する返信となっていると。
> > > > > > だからこそ、中国という巨大な花畑で咲くはずだった花が
> > > > > > こうやって花を咲かせる前に摘み取られてしまうかもしれないというのは、本当に悲しいんですよね。
> > > > > > 中国当局がゲームなどを徹底的に規制すれば、中国文化の本流は当局が規制しない文化に移っていくでしょうし、
> > > > > > 中国人としてはその新しい文化を楽しむので問題ないのでしょうが。

> つまりは、「当局が規制しない文化」で、「楽しむので問題ない」というのは、
> 国ごとに多少の違いこそあれ、規制され、ファスト化された作品でOKという事であるなら、
> 何も「中国人」に限定される話ではなく、そうしたファスト化を受け入れた全て人々に言える事で、
> それでも満足できるのであれば、やはり「悲しい」という事には為らないと思うんですよ。
> それこそ、「花畑」という比喩を引き続き用いるとすれば、
> そこに悲しみを覚えるのは、野草を愛でるような一部の層であって、
> 大部分の人々は、奇麗に整備された花壇の方を喜ぶでしょうからねえ。
> 高山のチングルマ、湿原のミズバショウ、道端のツユクサよりも、
> やはり一般的に人気なのは、色とりどりのチューリップやパンジーです(笑)。


この辺はもう、オタク文化をどう定義するかの違いになるのでしょうね。
個人的にはファスト化したオタク文化もなんだかんだ言って好きなので、オタクではなく萌えキャラ好きの変態と名乗ったほうが良いのかな?

> > [23586] ネット時代の超ローカル文化と雑談 より抜粋
> とりあえず、リンクの方も貼っておきますかね↓
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23586#23586
> > > > > あまり詳しくはないのですが、最近の音楽はサビから始まるなんていうのも、
> > > > > サビが始まるまでとりあえず聞いてみようという人が減ってきたからだと思いますし、

> > > > 「最近の音楽」と言いますか、その歴史は音楽界でも何度も繰り返されてる感じですね(笑)。
> > > > まあこれは音楽に限らず、顧客の数が増える「大衆化」を迎え、
> > > > ツカミやインパクト、解り易さなどを重視する「陳腐化」が起こり、
> > > > そして飽きられて沈んでいき、また時間が経って盛り上がり始めるサイクルを辿ると。

> > > まず、時間感覚の変化の要因は商業主義の浸透というよりも、スマホが要因だと私は考えています。
> > > で、何もスマホが変えてしまったのはこういったコンテンツの時間間隔だけでなくて、
> > > 現実の時間感覚そのものを変えてしまったと思うんですよね。

> > 私が思うに、ファスト化の原因はスマホだと思うんですよね。
> > スマホって、家にいるときは皆、寝っ転がって使ってると思うんですよ。
> > ゲームも、家庭用ゲーム機がメインだった時代というのは、
> > テレビにゲーム機をつなげて、座ってゲームをするので、1時間2時間とゲームに集中できました。
> > しかし、これがスマホゲームになると、寝転がってゲームをするので、
> > そもそもその姿勢では集中できる時間って30分が限度です。
> > その30分でユーザーを楽しませないといけないから、スマホゲームはどうしても薄味になるしかない。
> > YouTubeもそうですね。
> > 寝っ転がってYouTubeを見て、しかもYouTubeは次のおすすめ動画がどんどん表示されるから、
> > ユーザーは少しでも退屈に感じたら、すぐに次の動画へ移ってしまう。
> > そして今やYouTubeすら拘束時間が長すぎて耐えられない人たちが、今度はTikTokの15秒動画を見るようになる。

> 起こってる現象としては、私もそれほど認識に違いはありません。
> ただ、卵が先か?鶏が先か?みたいな話になっちゃうかも知れませんけど、
> スマホが原因という以上に、ファスト化が生じた結果として、スマホに集約された部分もありそう。
> もっと言うと、例えば食事にせよ、衣服にせよ、それら以外のファスト化という現象も、
> 全てがスマホを原因として生じていると言えるのでしょうか?
> ファスト化という現象は、生活全般に及んでいるモノである以上、
> それら全てを包括する要因でないと、根本原因と見なすのに無理があると思うんですよね。
>
> スマホというのは、確かに便利ではあるのですが、あくまで端末に過ぎません。
> では何故、スマホでソシャゲを遊び、YouTubeを視聴するのかと言えば、基本無料だからですよね?
> であるとすれば、要因は端末であるスマホではなく、基本無料を可能とするビジネス・モデルにあります。
> 「寝転がって操作するから」というのも、結果ではあっても、原因では無いように思えます。
> 例えばゲームであれば、何年か前までは、携帯ゲーム機が幅を利かせていた訳ですし、
> その頃は果たして「プレーは30分が限度」とか、本当に言ってましたかねえ?


ああ確かに、ファスト化自体はスマホ以前からの傾向なのかもしれませんね。
ゲームであっても、スマホ・携帯ゲーム以前の00年代に、家庭用機から携帯機への主戦場の移動があったわけで、それは携帯ゲーム機の高性能化というだけでなく、ファスト化の走りであったのかもしれません。

> > インターネットの質が低下していったのも、PCからスマホへの移行が大きいと思うんです。
> > PCは座って使うけど、スマホは寝っ転がって使う。
> > 寝っ転がってるから皆短絡的になって、煽りまとめサイトみたいなものばかりが溢れる。
> > 2ちゃんの時代はみな机に座ってPCで書き込んでいたはずです。

> 何だかそれだと、まるで2chが高尚であったかの印象に(笑)。
> 2ch創設者の ひろゆきも、今では当時を知らない若者層の間で、
> 論破王などと呼ばれて、カリスマYouTuber(生主)になってますけど、
> まあ2chなんて昔から、良くも悪くも、ネット上における「便所の落書き」ですし、
> 昔の多くのユーザーは、その事を自覚して利用してましたからねえ。
> そもそも、まとめサイトにしたって、そのネタ元の多くは2chでしょうし。
>
> あと、リアルが「オン」モードだとすれば、
> ネットは昔から「オフ」モードが基本ですので(匿名なら尚更)、
> 座っていようが、寝転がっていようが、元から短絡的な発言は多かったですし、
> もしもネットの質が低下したのだとしたら、その原因というのは、
> それは利用姿勢の質の低下ではなく、利用者の質の低下なんじゃないですかねえ?
> 一般にまで普及し、利用者数が増えれば、平均点は下がるというのは、
> 別にネットに限らず、あらゆる分野でも見受けられる現象だと思うので。
>
> って、そういう意味では「PCからスマホへの移行」というのも、
> 「ネット利用者を増やした」という面の方が、影響度としては大きい気がします。
> あとは、PC時代と違って、スマホだと10代の利用者も増え、
> ネットが世界に繋がってる認識が薄いまま、内輪気分で使ってしまったり、
> また、手元にスマホがあれば、Twitterとかでも即座に発信できちゃうので、
> 一呼吸置かない、その場の思い付きが、簡単に投稿されていまい、
> 気付いたら大炎上なんてケースが、以前より増えた面もあるのかな?
> もちろん、寝っ転がる事での気の緩みも、全く無いとは思いませんけど、
> やはり、こういった側面の方が、スマホ利用の影響的には大きいんじゃないですかねえ。


2chが便所の落書きというのは承知しています。世代ではないですが、過去ログくらいは読んだ経験があるので。
それでもSNSよりはマシだったでしょう。

寝っ転がりに関しては、スマホ化によるネットユーザーの増加などを前提とした上で、それだけでなくこんな現象も、という話なので、影響自体はネットユーザー増加の方が大きいでしょう。

> > オタクの間でここ10年程イラストレーターがもてはやされるようになったのも、
> > イラストは寝ながら見るのにピッタリだからだと思います。

> いや〜、それは旧トルコ担当さん自身の主観を、全体に投影し過ぎてません?
> 言い換えるなら、自分がそうだからと言って、皆がそうだとは限らないと。
> イラストというのは動画と違って、決まった拘束時間がある訳ではなく、
> その楽しみ方にしたって様々あるはずで、寝ながら見る事を大きく捉え、
> しかもそれを、人気爆発の秘訣とするのは、やはり強引なように思えますよ。
>
> そもそも、イラスト文化とネット文化の関係性は、かなり前から深く、
> 通信速度やPC性能が、まだまだだった2000年代の中頃くらいまでは、
> 動画よりも画像の方が、ネットにおける映像コンテンツとしてはメインでした。
> 実際、YouTubeやニコニコ動画が登場するのも、それ以降の事で、
> それまでは、動画というとFlashやGIFアニメが主でしたし、
> 当時は、画像投稿掲示板であったり、お絵かきチャットが賑わっていましたので。
> また、個人サイトに自作のCGイラストを公開するなんて事もありましたか。
>
> では、ここ10数程で、ネット上のイラスト文化に何が起きたかというと、
> やはり最も大きかったのが、描画用のソフト・入力機器・ディスプレーの発展です。
> この辺りの技術が飛躍的に発展して、しかも安価で利用できるようになった事により、
> デジタルで描く事が非常に身近になりましたし、表現も豊かになりましたよね。
> それに加えて、動画時代の到来により、写真誕生後の絵画界のように、
> 完成品だけでなく、その行程作業をも楽しむ「描いてみた動画」や、
> 聴覚的なボーカロイド楽曲との融合による、視覚的なイラスト需要の高まりなど、
> 従来の伝統的なイラスト文化とは一線を画す、新たなイラスト文化の誕生となります。
> 更には、Pixivのようなプラットフォームや、mixiから始まったSNSの登場により、
> それまで個々の活動だったのが、1つの塊や繋がりとなり、イラスト社会が拡大したと。
> 解りやすく言えば、イラスト文化が広く一般化して、規模が大きくなったって事ですね。
> (あと商業的に言うと、ソーシャルゲームの登場も、経済的利益に影響を与えたかな?)
> もちろんスマホも、一般化に大きく貢献はしたでしょうけど、あくまで一要因に過ぎません。


イラスト文化普及の最大の要因がファスト化だとは考えていませんよ。
あくまで、ファスト化の例として出しただけです。
たとえるなら、ファスト化の例としてマクドナルドを挙げているのであって、マクドナルド成功の要因がファスト化にあると主張しているわけではありません。

> > アニメもテレビからネットへ大きく舵を切っている以上、
> > 時間が短くなるのはある程度避けられないと思うんですよね。

> 未だインターネットが普及する前の時代、
> 「テレビで面白いのは、素人が芸をやるか。玄人が私生活を見せるか。この2つ」だと語り、
> そんな時代に自分は合わない芸人だからと、遠くない内に引退すると宣言して、
> 実際に58歳の若さで、上岡龍太郎が芸能界を去ってから、早21年。
> もう今となっては、上岡の甥である、兄弟漫才コンビ「ミキ」の昴生と亜生の方が、
> 若い方には馴染み深いかも知れませんけど、数十年前の この発言は、
> 素人YouTuberが人気を集め、芸能人もYouTubeに参入する昨今、再び脚光を浴びていますね。
> この発言のテレビの部分を、映像コンテンツに置き換えれば、まさしく未来を見通していたと。
>
> ただ一方で、今回のコロナ禍の影響もあってか、芸能人のネット流入に引き続き、
> 最近では映像制作のプロもYouTubeなどに参入してきて、また一段階 進んだ印象を受けます。
> 例えば、テレビ東京が提供するYouTube独自の番組であったり、
> テレビ朝日が出資するAbemaのオリジナル番組などは、
> 地上波みたいに時間や需要に囚われる事なく、比較的自由な番組制作が出来てますし、
> 今年の春、テレビ局を退社してフリーとなった、人気者の佐久間プロデューサーなどは、
> 自身のYouTubeチャンネルで、思うままに番組作り↓を始めちゃいましたからねえ!!(笑)
> https://www.youtube.com/channel/UCaPJaMy0_OZlNjq7BVyTnkA
> 電波に乗せてしか、番組を送信できなかった時代には、こんなのは有り得なかった話です。
> テレビ的な番組の枠内だと、1コーナーの時間も5分とか10分に収めて、
> コンプライアンスであったり、視聴率なども気にしなければならなかった所が、
> 電波という金網から解き放たれた事で、テレビ番組よりも時間が長くなる、もう1つの流れも。
>
> これは、言うなれば、「ネットのテレビ化」とでも言えるでしょうか?
> 今では地上波の番組も、ネット配信のTVerなどで視聴する人たちが増えてきていますし、
> NetflixやAmazonプライムなどの台頭により、スマホだけでなくテレビもネット端末化が進み、
> 電波か?ネットか?という送信形式の違いなど、視聴者は気にしなくなってる所か、
> 自分の見たいタイミングで視聴できる配信方式の方が、好まれる時代になってる気がします。
> 配信方式であれば、今までみたいに、わざわざ録画予約をしなくても済みますからねえ。
> そういう意味では、同時に「テレビのモニター化」も進んでいくのかなぁ?
> (ただ、放映権料の高騰で、サッカーW杯予選がネット独占になったのは、好ましくない状況)
>
> また、資金・技術・人員をもつ映像業界のプロ集団が、本格的に参入してくると、
> 素人や個人が同じ土俵で戦っては、なかなか太刀打ち出来無いでしょうし、
> 一定数は生き残れるにしても、多くのYouTuberは苦境に立たされるのかも知れません。
> つまりは、現状の「短く、薄く、軽い」といったネット・コンテンツだけでなく、
> 今後は、逆方向の「長く、濃く、思い」ネット・コンテンツも、一方で台頭してくるかも?
> まあ個人的には、前者よりも後者の方が好みなので、願望込みでの予測ですけど(笑)。
> って、願望ついでに言うと、映像メインじゃない新コンテンツとかは登場しないのかなぁ・・・・
> 受け身で視聴しているだけだと、刺激的に足りない面は確かにあるんですよね。


個人的な予測をすれば、「長く・濃く・重い」ネットコンテンツも、結局はYouTubeの切り抜き動画のように、一番面白いところを切り抜かれて、結局メジャーの流れは変わらないと思うんですよね。
新しいファッションブランドがトレンドを作ったとしても、結局はユニクロがそれを真似するので、結局みんなユニクロを着ていると。
ただし、ネット世界に限定すれば、ファスト化の反動で重たいコンテンツ優勢の時代が来るかもしれません。

> > > > > > 私としては、今後中国がますます伸びていく中で、日本のオタク文化が中国に輸出され、
> > > > > > それを土台に新しい文化が海の向こう側で生まれるのを非常に楽しみにしていました。
> > > > > > 日本のサブカル、オタク文化もアメリカの影響が根本にはありますから、
> > > > > > 経済大国の地位がアメリカ→日本→中国と移っていく中で、
> > > > > > 中国ではどんな文化が誕生するのだろうか、というのは非常に期待していたんですよね。

> > > > > 恐らく、そこまで目を見張るほど「新しい(異なった)作品」は産まれ難いかと?
> > > > > これは中国産だけでなく、韓国産にも言える事でしょうけど、
> > > > > 日本と中国・韓国とは、ただでさえ文化的に近い上に、
> > > > > アニメやマンガに関しては日本の影響を多大に受けている為、
> > > > > 以前にも言いましたけど、「日本サブカルの分家」的な感じだと思うので。

> > > > いえ、私個人としてはむしろそんな目新しい文化の誕生を望んではいませんよ。

> > > う〜ん、この辺りは、世代間の差とかも関係してくるんですかねえ?
> > > それこそ、ここで挙げたゲーム・アニメ・ネットなんて、
> > > 旧トルコ担当さんから見れば、見慣れたド定番のオタク分野でしょうけど、
> > > 私からすると、それらが「目新しい文化」だった黎明期や成長期を知ってると。
> > > 逆に言うと、それまでは絶えず何度も襲ってきた変化の波が、
> > > ここ10年ほど、あまり目立った形で現れていない事の方が、ちょっと異例でしょうか?

> > 管理人さんの指摘も半分くらいは納得できますが、やっぱり違うんじゃないかな?という気はしますね。
> > ここ10年でも、VTuberやVRChatや、色々出てきていますし、

> 結局、何度も繰り返しになっちゃいますけど、
> どのレベルで「色々」かって話なんですよね。
> VTuberやVRChatの誕生が、ゲーム・アニメ・ネットの誕生と同レベルだとは、
> さすがに旧トルコ担当さんも、思われてはいないと思いますし、
> 「ある」という事であれば、実際に示してさえもらえれば、一発解決な訳で、
> 何度も言うように、「本当にあるなら知りたい」というのが、私の本意なのですから。
>
> > 文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するものなので。
> > 90年代、00年代の萌えなんかも、突然出てきたものではなく、80年代にすでにその萌芽はありましたし、
> > ロボットアニメやプラモデルやらなんでも同じでしょう。

> いや別に、突然変化するとも、突然出てくるとも、言ってませんけどね。
> ただ、その変化の程度というのは、常に一定だとは限りません。
> ずっと停滞し続ける事もあれば、一気に飛び抜ける場合もあります。
> そして、そういった状況の変化を、つぶさに観測していない人たちにとっては、
> 突然変化したり、突然現れたりという感じに、映る事もあるとは思ってますが。
> で、そうした激変が生じるケースというのは、臨界点を突破した時に見られるもので、
> そこには技術的革新なり何なりの要素が、絡んでいる事も多いのが実際の所かと?
>
> 例えばAIとかも、ニューラルネット・ワークや遺伝的アルゴリズムなどの理論的部分は、
> 私が独学した20年前くらいから、そんな劇的に進歩してない印象を受けますけど、
> しかし、コンピューター自体の性能アップというハード面の向上や、
> ネットが世界レベルにまで普及した事による圧倒的なデータ収集量、
> そして、GoogleやAmazonなどが投じた大規模資本によって、
> ここ数年で、一般社会における影響力が、飛躍的に増したように感じます。
> もちろん、個々の変化としては段階的ではあっても、
> その全てが結び付き、社会に影響を与える「現象」として生じた際には、
> やはり、「突然」のような衝撃を受けるのも、確かですよね。
> 囲碁AIとかも、あんなに一気に人間を追い抜くとは、正直思っていませんでしたし、
> その上、日本のAI技術が、中国にアッサリと抜かれたのも、結構な衝撃でした・・・・
>
> > 20年後から見れば「2010年代に築かれたVTuberがオタク文化の転換点だったよね」なんて言われるかもしれません。
> う〜ん、その可能性は、恐らく望み薄かな?(苦笑)
> 昨年、VTuber好きな弁さんとの雑談時↓に、VTuberの話題も何度か出たのですが、
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22867#22867
> それこそ、今までの過去を見て、これからの未来を見据えると、
> VTuberというのは、その時代を彩る1つの現象ではあっても、
> オタク文化における歴史的な転換点には、とても為り得ないと思うんです・・・・
>
> まず、日本の3DCGモデル技術において、大きな影響を与えたのが、
> 2000年頃の深夜に放送されていた、CGクリエーター発掘番組「D's Garage21」であり、
> そこから更に普及させたのが、ボーカロイド文化(初音ミク)が登場した後、
> それ用の3DCG作成ソフトとして、2008年に登場した「MMD(Miku Miku Dance)」でしょうか。
> そして、モーション・キャプチャー技術の方は、
> 私の記憶が確かなら、1998年頃からゲーム開発に用いられるようになり、
> 一般化したのは、2010年にX-BOX360が「Kinect」を発売したあたりなのかな?
> VTuberに欠かせない、この2つの技術が揃ったのが、今から10年くらい前の話です。
>
> 一方で、今から10年くらい前というと、「アイドル戦国時代」と呼ばれ始めた頃であり、
> オタクの街となっていた秋葉原に、AKB48の劇場が誕生したのが2005年、
> 女性アイドルだけの大規模フェス「TOKYO IDOL FESTIVAL」が始まったのが2010年で、
> アイドル冬の時代と呼ばれた平成前期を越え、アイドル市場が再び活気を取り戻した時代でした。
> そしてAKBにも象徴されるように、平成後期のアイドル文化は、オタク文化ともリンクしていたと。
> (ちなみに、昭和末期のアイドル文化は、ヤンキー文化とリンクしてましたね)
> また、そうした伝統的なアイドル像とは別系統とでも言いますか、
> もしくは、ベールに包まれた昔ながらのアイドル像が求められたのか、
> 声優のアイドル化が加速していくのも、丁度この頃からでしょうかね?
> けいおんの「放課後ティータイム」結成が2009年で、ラブライブの「μ's」結成が2010年なので。
> 言うなれば、声優に求められたのは「アイドルの2.5次元化」だったのかも知れません。
>
> 更には、2010年頃になると、ネット普及率も75%を越えるようになり、
> ネットが本格的に、社会一般にも利用される時代となりました。
> こうした時代に、自分たちもアイドル活動をしたいと、
> ネットを利用しながら現れたのが、いわゆる「地下アイドル」と呼ばれる人たちですね。
> 本物のアイドルや声優のように、大きな活躍の場も、大勢のファンも居ない替わりに、
> 巧みにネットを使う事で、少数であっても全国にファンを作っていき、
> たまに行うイベントに集まってもらえれば、つかの間のアイドル気分を味わえると。
> これには、メイド喫茶や、アイドル・アニメの登場も、少しは影響してたのかな?
> で、そんな地下アイドルの中には、素顔を出さずに活動する人たちもいて、
> 特にネット上での活動では、その替わりにアニメ絵やCGを用いてたりしてたんですよ。
>
> そういう意味では、私は個人的に「VTuber」という存在を、
> 「地下アイドルの延長線上」に見ていると言いますか、主戦場さえネットに移してしまい、
> 「会いに行けるアイドル」ならぬ、「交流できるデジタル地下アイドル」という印象なんです。
> 3DCGモデル&モーション・キャプチャーという、2つの技術の導入に加え、
> YouTubeという配信環境が、一気にメジャー化した事によって、
> 一般的な感覚からすると、VTuberは衝撃的に現れたイメージかも知れませんけど、
> 旧トルコ担当さんの言葉を借りれば、それこそ「突然出てきたものではない」と。
> (ニコニコ生主から転生組も居ますけど、個々の経緯はさておき、全体的な流れの話として)
> 実際、VTuberが出演するテレビ番組では、彼女たちのポジションというのが、
> アイドルのそれを、そのまま踏襲する格好のモノが多いですからねえ。
> ちなみに、弁さんから薦められたのが、
> コチラの「超人女子戦士 ガリベンガーV」という番組です(笑)。
> https://www.tv-asahi.co.jp/garibenv/
>
> そして、今後のVTuberについて考えた時、上の方で行った
> 「プロのネット参入により、今後は素人YouTuberが淘汰されるかも?」という話と同じく、
> VTuberの方も、今のままの状態が続くとは、ちょっと思えないんですよねえ・・・・
> この事も、前述の弁さんとの雑談で語ったのですが、
> 声優というのは、キャラに声をあて、キャラを演じきるプロであり、
> アイドル化した最近の声優は、ネット番組などでフリートークも磨かれているので、
> 彼女たちがビジネスとして、VTuberの中の人となった場合は、一体どうなるのか?
> しかも、アニメ制作会社とも連携すれば、作品の3DCGモデルだって使える訳ですし、
> その上、実際のアニメ作品とメディア・ミックスで展開されたら、
> プロが作り、カネも掛け、その作品のファンまで巻き込むのですから、
> 余程の武器でもない限り、個人や素人では、とても太刀打ち出来ないんじゃないですかねえ?
>
> また、アイドル的な活動とは別方向で、
> VR風俗とか、VRキャバクラなんていうのも、近頃は現れ始めており、
> こちらの分野は、まだこれからなので、新規参入の余地があるかも知れません。
> ただやはり、こちらの分野に関しては、もっと技術が追い付く必要性があるかな?
> 会話での繋がりや、精神的な快楽・満足感も、重要な要素ではありますけど、
> 現状のVR技術は視覚と聴覚に特化していて、触覚・嗅覚・味覚は全然ですからね。
> でもまあ、実写よりもアニメの方が良いという層が、一定数は居る訳で、
> 技術的に不十分であっても、そうしたターゲットに向けて、チャレンジする余地はありそう。
> それこそVR風俗なんて、バ美肉のように、相手する嬢の中の人が男性であったり、
> CGキャラだからこそ、人型に拘らず、ドラゴンやスライムと交わったり、
> 昨年始まったばかりなのに、既に新たな試みがいろいろ行われているらしいですよ(笑)。
>
> 11年前、エロゲーMMO「らぶデス555」が登場した際には、
> 「人類にはまだ早い!」って感じでしたけど(笑)、
> http://asitagamienai.blog118.fc2.com/blog-entry-810.html
> https://web.archive.org/web/20101127153103/http://www.game-style.jp/soft/201010/19/01ld5_tt.php
> 技術も高まり、VR風俗やVRキャバクラが始まった今であれば、却ってアリかも?
> そもそも当時は、ニンテンドーDSの「ラブプラス」が流行ってた頃ですし、
> 今の技術でガチに作ったヴァーチャル彼女って、一体どんな感じになるのやら・・・・
> ところで、店側やメーカー側が、実在のアイドルや、アニメ・キャラの画像を用意して、
> 相手をするキャラの顔にコラージュさせちゃうサービスは、さすがに違法なのでしょうけど、
> 客側の端末で、客が用意した画像データを組み込み、ディープ・フェイクさせちゃう分には、
> 個人利用の範疇とも考えられるので、法律的にどうなんでしょう?と、余計な事を考えてみる(笑)。
>
> 以上、VTuberに至るまでの過去と、こらからの未来について、
> 簡単にですが、ちょっと書いてみましたけど、
> この上で、旧トルコ担当さん的には、
> 20年後に「2010年代に築かれたVTuberがオタク文化の転換点だったよね」
> と思える時代が、実際に来ると思われますか?
> そう思われて、私に何か欠けてる視点があるのであれば、是非とも知りたいです!!
> いや、これは決して嫌味などではなく、純粋に好奇心として。


まず前提として、私は新しい文化(形態)の登場の最大の要因は科学技術だと思っているので、そこは管理人さんとは多少違うのかな?

そのうえでのVRですが、今のVRって、VR環境で何かを作って、でも結局それを見るのはスマホPCという段階なので、だから既存の延長線上でしかないんじゃないですかね?
VRゴーグルみたいなものが普及すれば、今まで想像もしていなかった使われ方がするのだと思います。
オタク文化に限らず、VRペットとか、VR観光とか、そういったもののもっとオタク的な使い方があるかと。
その辺で最先端を走っているのが前も紹介したVRChatですね。おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。
コンピューターを発明した科学者たちも、まさか人類がここまでゲームに夢中になるとは思ってもいなかったように、これからドンドン目を覆いたくなるような使用法が編み出されていくのではないでしょうか。

あとVTuberがオタク文化的に大きいのは、なんだかんだで今まで萌えと相性の悪かったCGが、完全に萌えを再現したからだと思うんですよね。
もちろん今までもCGを使った萌えゲームなどもありましたが、それらは結局主流には成りえなかったわけで。
MMDみたいなものが出ようとも、結局萌えの主流はイラストであり、手書きのアニメであり、マンガであったわけです。
それがVTuberがCGというハンデを全く感じさせない形で、萌えの主戦戦に殴り込んできて一定の地位を確保したことは大きいかと。
それこそ今後は、VR(CG)を使ってマンガを描く、絵が一切描けないマンガ家なんてのが出てきてもおかしくはないでしょう。まあVRが動画なのに、あえてマンガにする意味が薄いので出てこないかもしれませんが。

ちなみに、「プロのネット参入により、今後は素人YouTuberが淘汰されるかも?」ということでしたら、もうすでに起きていますよ。
月野美兎の所属する「にじさんじ」は、伊藤忠資本ですし。
逆に声優程度では返り討ちじゃないでしょうか?
私の知り合いにも、VTuberになったおじさんがいますが、チャンネル登録者数が伸びているという話は聞きません。
Vに関しては「初めからプロがいたネットコンテンツ」だったと思います。
私がVTuberをこの時代の象徴と考えているのも、パソコン通信から始まって、パソコンマニアが始めたネット文化が、どんどん商業化していったその先の最終段階に、VTuberを位置付けているからなんです。
まだニコニコ動画が流行っていた時代には、ニコニコ動画に動画を挙げる人はみんなマニアで趣味人でした。
それがニコニコで人気になった歌い手が全国ツアーとかやるようになり、ネット発の歌手みたいのがドンドン出てきました。詳しくは知りませんが、フリーゲームとかが流行ったのもこの時代ですよね。
そしてそれが現在、有名芸能人がどんどんYouTubeに参戦し、ネット=非ビジネス・趣味人の世界という時代は終わったと。
Vに関して言えば、大手事務所は面接などの審査によって良い素材を発掘してきて、そうして発掘された逸材が「○○○○何期生」とか言われて、初配信の時点で何万人もの視聴者が見に来るわけです。
もちろん、本当に才能が有ればチャンネル登録者0人から初めて、成り上がっていくことも不可能ではないでしょうが、それができるような人材は絶対に大手の目利きのプロデューサーが見逃しているはずはないと。
もし見ていないのでしたら、ニコニコ動画で10分でわかる月野美兎をご覧になっては?
決してニコニコ動画初期のような、素人がやっているわけではないことがすぐに理解できると思いますよ。

話がズレますが、結局ネットの数十年を総括すると、やっぱり実力主義という意味でほかの世界とおんなじになっちゃったわけですね、ネットも。
昔みたく、素人が突然パットでで何かできるような世界ではない。
仮にプロのいないようなマイナーな世界であっても、プロに等しいようなすごい人たちが大勢いますから。
それでも、素人が自作ゲームをスマホアプリとして配信できたりするようになって、昔よりはましになったのかな?
ついでですが、この話って現代資本主義に似ているなあとは思います。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/interview_08.html
バブル崩壊以降、何が変わったのかを超絶雑にまとめれば、普通のパン屋の息子が「ウチ大学行く金はないから、親父のパン屋でも継ぐか」ということができなくなった。
やっぱり素人はなかなかチェーン飲食店に勝てないわけです。
いやまあ管理人さんが一番最初に指摘していたことなんですが。

> P.S.
> 今回のコロナ禍により、10年ぶりくらいに再びアニメを見るようになり、
> 先月末も、ワクチン接種とシルバーウィークが重なった事で、
> ここ最近、半年ぶりに何作か一気見とかしてるんですけど、
> 「俺ガイルは2010年代のエヴァだ」という以前の発言が、未だに少し気になってる所。
> 「何故そう思われるのか?」という理由を、伺いたい気持ちもありますが、
> 今となっては、旧トルコ担当さんの「アニメBEST10」とか、ちょっと聞いてみたいかな?
> こういうランキングとかの方が、全体的な嗜好の傾向が掴めそうな感じがしますし、
> 私自身が「次に何見ようかな?」と思った時、参考になるかも知れないので。
> もちろん、選ぶのが大変と言う事であれば、スルーして戴いて一向に構いませんし、
> 逆に、10作品じゃ収まらなければ、BEST30でもBEST50でもOKですよ(笑)。
> (あそこまで評価した俺ガイルが、一体何位に入るのかとか、正直興味はあります)


[23724] Re4:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/10/19 (火) 20:32:26 徳翁導誉

> > そして、ファスト化されたオタク・コンテンツなどというのは、
> > ラベル的な名称がオタク文化なだけで、それはもう実質的なオタク文化では無いのでは?
> > と言うのが、あの文章の主旨というか、本題です。
> > だからこそ、投稿文のタイトルも「ファスト化されるオタク文化?」な訳ですね。
> > マクドナルド大好きな美食家とか、ユニクロを愛用する着道楽なんて、正直違和感ありますし(笑)、
> > ファスト文化とオタク文化というのは、そもそも対極的な立ち位置にあると、個人的に思うので。

> この辺はもう、オタク文化をどう定義するかの違いになるのでしょうね。
> 個人的にはファスト化したオタク文化もなんだかんだ言って好きなので、
> オタクではなく萌えキャラ好きの変態と名乗ったほうが良いのかな?

要するに、オタク文化が生み出したコンテンツがファスト化され、
それを消費する行為まで含めて、「オタク文化」と呼んで良いのか?という事であり、
また、同じ消費であっても、向上や独自性などの成長サイクルが伴えば、消費も文化と呼べますが、
ファスト化された消費って、文化的欲求よりも経済的都合が原動力となって回るサイクルな為、
その消費自体が文化を生み出す構造には、為っていないと思うんですよねえ・・・・

結局は、「文化とは何ぞや?」「消費とは何ぞや?」「オタクとは何ぞや?」って事なんですけど、
もしも、何を言っているのか解らないという事であれば、
雑談の最初の方に出てきた、例の「オタク・イズ・デッド」という理解でも構いません(笑)。
まあ私の中では、厳密に言うと少し違う意見ではあるのですが、
大雑把なイメージ的には、似た感じで捉えてもらっても、そう大きな瑕疵は生じないと思うので。

ちなみに、消費や文化という事で言うと、
以前、少し話題にしたソーシャル・ゲームに関してですが、
あれって、よくよく考えてみると、面白い存在ですよね。
どれだけ時間とカネを投じても、サービスが終了してしまえば何も残らない訳ですし、
35年前に遊んだファミコン・ゲームは、実機やエミュで今でもプレー可能なものの、
3年前に遊んだソシャゲの方は、どう頑張ってもプレー不可能だったりするのでしょうから、
これを仮に文化とするなら、凄くファスト化された「無形文化財」って事なのかな?(笑)
ただ、音楽や演劇のように、その時間や空間を満喫したり、
桜の花見ように、散る事自体を愛でたりというのとは、また別なんでしょうけどね。
そもそもソシャゲが無形(サ終で消える)なのは、単純に経済的都合によるモノなので。

> > > 私が思うに、ファスト化の原因はスマホだと思うんですよね。
> > 起こってる現象としては、私もそれほど認識に違いはありません。
> > ただ、卵が先か?鶏が先か?みたいな話になっちゃうかも知れませんけど、
> > スマホが原因という以上に、ファスト化が生じた結果として、スマホに集約された部分もありそう。
> > もっと言うと、例えば食事にせよ、衣服にせよ、それら以外のファスト化という現象も、
> > 全てがスマホを原因として生じていると言えるのでしょうか?
> > ファスト化という現象は、生活全般に及んでいるモノである以上、
> > それら全てを包括する要因でないと、根本原因と見なすのに無理があると思うんですよね。

> ああ確かに、ファスト化自体はスマホ以前からの傾向なのかもしれませんね。
> ゲームであっても、スマホ・携帯ゲーム以前の00年代に、家庭用機から携帯機への主戦場の移動があったわけで、
> それは携帯ゲーム機の高性能化というだけでなく、ファスト化の走りであったのかもしれません。

そもそも、ファスト・フードやファスト・ファッションに関しては、
スマホの普及よりも、早い段階で起こってますからねえ。
そして、それらのファスト化を招いた要因こそ、
グローバル化&新自由主義化した世界経済でしょうし、
歴史的に言うと、冷戦の終結(社会主義社会の崩壊)と、
それに伴う、資本主義社会の勝者意識、および、その意識の暴走にあったかと?

まあ、ゲームやアニメの作品内容を語るのに、歴史だとか経済だとか持ち出すのは、
「何を小難しい感じに話をこじつけて(嘲笑)」と、普通は なるかと思うのですが(笑)、
単にゲームやアニメが好きで、それで数十年も作品に触れてきて、更にはオタク気質だからこそ、
何らかの変化が起これば、その理由をいろいろと分析したくはなるんですよね。
そして、その場合、視野を広く持った方が、全体像を見渡しやすい筈だと。
この辺りの感覚は、未だ変化を体験してないとか、1度しか変化を体験していないと、
なかなかに、実感し難い感覚なのかも知れません・・・・


> > > インターネットの質が低下していったのも、PCからスマホへの移行が大きいと思うんです。
> > > PCは座って使うけど、スマホは寝っ転がって使う。
> > > 寝っ転がってるから皆短絡的になって、煽りまとめサイトみたいなものばかりが溢れる。
> > > 2ちゃんの時代はみな机に座ってPCで書き込んでいたはずです。

> > 何だかそれだと、まるで2chが高尚であったかの印象に(笑)。
> > まあ2chなんて昔から、良くも悪くも、ネット上における「便所の落書き」ですし、
> > 昔の多くのユーザーは、その事を自覚して利用してましたからねえ。
> > そもそも、まとめサイトにしたって、そのネタ元の多くは2chでしょうし。
> > って、そういう意味では「PCからスマホへの移行」というのも、
> > 「ネット利用者を増やした」という面の方が、影響度としては大きい気がします。

> 2chが便所の落書きというのは承知しています。
> 世代ではないですが、過去ログくらいは読んだ経験があるので。

ふと思ったんですけど、最近はリアル便所の落書きって、なかなか目にする機会も減ってますし、
例えば若い人たちには、「落書きの内容が便所レベル」みたいな意味合いになりつつある気も?
もちろん、リアル便所の落書きというのは十中八九、ロクでもない下品や無意味な内容なのですが、
究極のプライベート空間で、それなりに時間を要する個室内だからこそ、
中には、無駄にメッセージ性があったり、意外と考えさせたり、クスッと笑える返しがあったりと、
そういうモノまで含めて、「便所の落書き」でしたからねえ。

だからこそ、2chが便所の落書きに例えられたのは、言い得て妙であったかと。
昔の2chにしても、価値のない様な発言が大半を占めていましたが、
そんな石コロだらけの中に、幾らかの「玉」的な書き込みはありましたからねえ。
その一方で、今のネットなどより遥かに無法地帯でしたから、
石や玉に交じって、糞や爆弾まで紛れ込んでいた感じかも?(笑)
でもまあ、ヤバい内容まである所も、ある意味ではリアル便所の落書きも一緒かな。

> それでもSNSよりはマシだったでしょう。
う〜ん、それも2chか?SNSか?という「場所の違い」以上に、
「時代の違い」の方が、影響としては大きかったりするんじゃ無いですかねえ?
要するに、現在は2chよりSNSの方が流行ってるから、結果的に そう見えるだけの話で。
それに、一言にSNSと言っても、LINEやFacebookみたいな形式だと荒れ難いですし、
オープン型であるTwitterも、結局は同質なバブルの中に集約されがちな為、
システム的に、SNSだから質が低下する・・・というモノでは無いかと。
言い方を換えれば、全体的な質が下がっていて、利用者の多いからSNSが目立つと言うか?

個人的には、SNSや2chなどより、最近はヤフコメの方が酷い気はしますね。
以前ほど圧倒的では無いにせよ、ネットを始める際のスタート・ページとして、
Yahooは未だに高い比率を誇ってますし、ライトなネット利用者ほど、その比率は高いはず。
そんなYahooで記事を読むと、そのすぐ下にはコメント欄が付いており、
LINEのように閉じられておらず、Twitterのように同質なバブルでもなく、
それでいて、記事まで含めた誘導(AIによる個々へのオススメの最適化)が行われていて、
その利用者の多さも相俟り、高齢層や若年層の右傾化(時には左傾化)させる玄関口として、
悪い意味で、物凄く大きな影響を与えていると思うんですよね・・・・
まがりなりにもアングラ系であった2chには、それこそ利用者に、
「嘘を嘘と見抜けない人には難しい」という、例の共通認識がありましたけど、
Yahooの利用者なんて、そんな警戒感も持たない一般人が多いでしょうし。

> 寝っ転がりに関しては、スマホ化によるネットユーザーの増加などを前提とした上で、
> それだけでなくこんな現象も、という話なので、影響自体はネットユーザー増加の方が大きいでしょう。

PCとスマホの違いで言うと、座るか?寝っ転がるか?だけでなく、
キーボード入力か否かというのも、それ以上に影響が大きい気が・・・・
もちろん、スマホのフリック入力であっても、文章は書けますけども、
やはり実際は、PCどころかガラケーと比べても、長文が打ち辛いと思うんです。
なので、「短絡的な発言」になるのも、そういった背景も一因にあるのでは?
短文で即応的に書くと、どうしたって文章は、あまり考えない直情的なモノになりそうですし。
それとニコニコ動画の方でも、PCからスマホへの利用者移行により、
ニコ動のコメント文化を変えたとの見方もあるようですが、実際どう感じられてます?

あと、余談ながら、姿勢に関してで言うと、
例えば読書する時とかって、座って読む人だけでなく、寝っ転がって読む人も居ますし、
文章を書く時も、椅子に座って書くのではなく、寝っ転がって書く人も居ます。
と言うか、私自身、常にではありませんが、寝っ転がっての事の方が多いです(笑)。
何というか、リラックスできる姿勢の方が、長時間 集中できるんですよね。
まあ、こういうのって人それぞれな所はありますし、
私のようなタイプが、例外中の例外であるとは思えないので、
一概に、「寝っ転がっるから皆短絡的になる」という訳でも無い気がするんです。
もちろん、リラックスできるから短絡的になるって人も、きっと多く居るでしょうけど(笑)。


> > > オタクの間でここ10年程イラストレーターがもてはやされるようになったのも、
> > > イラストは寝ながら見るのにピッタリだからだと思います。

> > いや〜、それは旧トルコ担当さん自身の主観を、全体に投影し過ぎてません?
> > 言い換えるなら、自分がそうだからと言って、皆がそうだとは限らないと。
> > そもそも、イラスト文化とネット文化の関係性は、かなり前から深く、
> > 通信速度やPC性能が、まだまだだった2000年代の中頃くらいまでは、
> > 動画よりも画像の方が、ネットにおける映像コンテンツとしてはメインでした。
> > 実際、YouTubeやニコニコ動画が登場するのも、それ以降の事で、
> > それまでは、動画というとFlashやGIFアニメが主でしたし、
> > 当時は、画像投稿掲示板であったり、お絵かきチャットが賑わっていましたので。
> > また、個人サイトに自作のCGイラストを公開するなんて事もありましたか。

「♪マウスで絵を描こう〜 マウスで色を塗ろう〜」
そんなCMソングに乗せ、任天堂がスーパーファミコン用ソフトとして、
「マリオペイント」を発売したのは、1992年の事。
当時はまだ、Windows95により革命が起こる3年も前であり、
多くの人が、マウスに触れた経験すら無かったような時代に、
あの任天堂が、マリオを用い、一般向けに、マウス同梱で発売したという事で、
このマリオペイントが、人生初のデジタルお絵描き体験だったという人も、
非デジタル・ネイティブ世代においては、きっと多かったんじゃないですかねえ?
そういう意味では、「CGイラストの歴史はここから始まった」と言っても、
決して過言では無いかも(笑)。

そして、それに続く転換点が、ペン・タブレットの一般化だと思います。
プロや余程の愛好家でも無い限り、手を出し難かったペン・タブレットが、
手頃な価格帯となり、しかも性能まで格段にアップしたのは、一体いつ頃だったか?
今では、ほとんどのプロ漫画家が、大なり小なりデジタルで作画を行ってるでしょうけど、
SF系などの一部例外を除き、プロのMac活用が始まったのが、00年代後半な気がするので、
う〜ん、一般趣味層への普及となると、まだ10年経ってないくらいなのかな。
・・・って、そう言えば、iPadの誕生が2010年でしたから、そこが2つ目の転換点!?
やはりPCだと主流はWindowsですが、Macの代替と成り得るiPadの登場により、
PC以外でのCGイラスト作画も可能となって、在野のデジタル絵師を一気に増やしたかも?
ちょっと価格は高いですけど、iPadならペンタブ機能も含まれていますし、
スマホしか持ってない若者層にとっては、更に高額なPCをわざわざ購入しなくて済むので。

> イラスト文化普及の最大の要因がファスト化だとは考えていませんよ。
> あくまで、ファスト化の例として出しただけです。
> たとえるなら、ファスト化の例としてマクドナルドを挙げているのであって、
> マクドナルド成功の要因がファスト化にあると主張しているわけではありません。

ちょっと解らなかったのですが、旧トルコ担当さんが想定されている
「イラスト文化のファスト化」とは、具体的にどんな意味なんでしょ?
大規模な資本が動くほど、現状のイラスト市場って、そこまで大きくはありませんし、
ネット投稿小説が異世界転生モノばかりになったように、経済面に関わらず、
ニーズに合わせた画一的な量産化の事を、ファスト化として表現しているのか?
それとも、もっと消費者目線で、短時間&低コストで楽しめるくらいの意味なのか?

あと、マクドナルドを出しての例えですが、その意味自体は解るものの、
ただ、マクドナルド成功の要因は、どう考えてもファスト化にある以上、
ここで例として用いるのは、あまりに不適当なのでは?(笑)
それこそマクドナルドなんて、ファスト化の代名詞的な存在な訳ですし。

> > ただ一方で、今回のコロナ禍の影響もあってか、芸能人のネット流入に引き続き、
> > 最近では映像制作のプロもYouTubeなどに参入してきて、また一段階 進んだ印象を受けます。
> > 例えば、テレビ東京が提供するYouTube独自の番組であったり、
> > テレビ朝日が出資するAbemaのオリジナル番組などは、
> > 地上波みたいに時間や需要に囚われる事なく、比較的自由な番組制作が出来てますし、
> > 今年の春、テレビ局を退社してフリーとなった、人気者の佐久間プロデューサーなどは、
> > 自身のYouTubeチャンネルで、思うままに番組作り↓を始めちゃいましたからねえ!!(笑)
> > https://www.youtube.com/channel/UCaPJaMy0_OZlNjq7BVyTnkA
> > また、資金・技術・人員をもつ映像業界のプロ集団が、本格的に参入してくると、
> > 素人や個人が同じ土俵で戦っては、なかなか太刀打ち出来無いでしょうし、
> > 一定数は生き残れるにしても、多くのYouTuberは苦境に立たされるのかも知れません。
> > つまりは、現状の「短く、薄く、軽い」といったネット・コンテンツだけでなく、
> > 今後は、逆方向の「長く、濃く、思い」ネット・コンテンツも、一方で台頭してくるかも?

> 個人的な予測をすれば、「長く・濃く・重い」ネットコンテンツも、
> 結局はYouTubeの切り抜き動画のように、一番面白いところを切り抜かれて、
> 結局メジャーの流れは変わらないと思うんですよね。

いや〜、それはどうでしょうかねえ?
例えば漫才とかの場合、最後のオチだけ聞いたって、決して面白くありません。
映画やドラマにしたって、簡単な粗筋を追うだけでは、感動も泣けもしません。
でも確かに、漫才や映画というコンテンツを楽しむ目的ではなく、
周囲と話を合わす目的であれば、オチや粗筋だけ知るのも意味がありますし、
実際、そういったニーズが一定量あるのも解ります。
かと言って、それが全てでは無いですよねえ?
漫才や映画自体を楽しみたいニーズだった、普通に存在するんです。

まあ簡単に言ってしまえば、それぞれはニーズの層とか方向性が異なるんですよ。
言うなれば、そうした切り抜き需要というのは、
「結論」だけを手っ取り早く知りたい層にとって、非常に価値があっても、
結論に至る「過程」にも価値を見出す層には、あまり有り難がるモノではありません。
それこそアニメにしたって、「総集編があれば、本編は不要」なんて、
そんな視聴者ばかりじゃ無いはずだと思いますけど?(笑)

う〜ん、何と言えば良いのか、「切り抜きだけで十分」という人たちは、
主な情報源が動画になっていて、動画の弱点である拘束時間の長さを少しでも削る意味でも、
結論や概要だけを知る為に、そうした切り抜きを重宝する傾向が強い気がするんです。
ですが、動画以外にも情報源を持つ人の場合、動画には動画だからこその価値を欲する訳で、
そうなると、拘束時間の長さには目を瞑ってでも、そこから欲しいモノを得ようとすると。
で、その場合、そうした重要なモノって、過程とか前振りからの積み上げの中にあるんですよね。
もちろん、全体的なニーズから言えば、後者よりも前者の方が多数派なのでしょうが、
しかし、それでも、後者にだって それなりのニーズがあるのも確かだと思うんです。


> > > 文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するものなので。
> > > 90年代、00年代の萌えなんかも、突然出てきたものではなく、80年代にすでにその萌芽はありましたし、
> > > ロボットアニメやプラモデルやらなんでも同じでしょう。

> > いや別に、突然変化するとも、突然出てくるとも、言ってませんけどね。
> > ただ、その変化の程度というのは、常に一定だとは限りません。
> > ずっと停滞し続ける事もあれば、一気に飛び抜ける場合もあります。
> > そして、そういった状況の変化を、つぶさに観測していない人たちにとっては、
> > 突然変化したり、突然現れたりという感じに、映る事もあるとは思ってますが。
> > で、そうした激変が生じるケースというのは、臨界点を突破した時に見られるもので、
> > そこには技術的革新なり何なりの要素が、絡んでいる事も多いのが実際の所かと?

> まず前提として、私は新しい文化(形態)の登場の最大の要因は科学技術だと思っているので、
> そこは管理人さんとは多少違うのかな?

んん? いや、いや、いや、いや。
技術革新の重要性に関しては、私の方がしつこく主張していたという認識だったのですが!?
文化と科学技術の関連性については、そこそこ触れてきたのに、ほぼスルーだったのは、
旧トルコ担当さんは理系じゃないみたいですし、そんなに関心ない話なのかと思ってましたけど、
詳細な内容以前に、その話の大枠すら、全く理解して貰えていなかったって事???
えっ、では一体、旧トルコ担当さんの解釈では、私ってどんな主張をしている事になってるんですか?

また、そうなると、以前おっしゃった
「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」
という旧トルコ担当さんの発言は、一体どのような主旨で述べられたのですか?
新しい文化の登場は、経済発展に全く寄与しないという考えなのですか?
それに前回、「文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するもの」
と述べられてましたけど、この発言との整合性はどの様に着けられてます?

> そのうえでのVRですが、今のVRって、VR環境で何かを作って、
> でも結局それを見るのはスマホPCという段階なので、だから既存の延長線上でしかないんじゃないですかね?
> VRゴーグルみたいなものが普及すれば、今まで想像もしていなかった使われ方がするのだと思います。

旧トルコ担当さんの求めるレベルに、未だ達していないという意味なのかも知れませんが、
ソニーがPlayStationVRを発売してから、もう5年以上が経過しているので、
VRゴーグルにしたって、延長線上でなく、既に「現在のVR環境」の一部なのでは?

でもまあ、今以上に技術的に進歩していけば、VR(仮想現実:Virtual Reality)を超えて、
MR(複合現実:Mixed Reality)や、 AR(拡張現実:Augmented Reality)まで、幅が広がるでしょうし、
「今まで想像もしていなかった」というよりは、
「今まで想像してたけど出来なかった」事が、可能となって行きそう。
そして、そこから更にステージを上げていくと、前回も話したように、
現状の、視覚と聴覚のみに特化した方式ではなく、
五感や心理、もっと言えば神経的な部分で、「体験」が可能になって行くであろうと。

> オタク文化に限らず、VRペットとか、VR観光とか、そういったもののもっとオタク的な使い方があるかと。
VR観光に関しては、このコロナ禍により、かなり出て来始めましたよ。
それこそ、大手旅行代理店までが、商品として取り扱うくらいに。
リアルな旅行が難しい昨今なので、その代替としての側面が未だ強いですけど、
失われた安土城を巡る歴史旅とか、VRならではの旅行企画も現れてますし、
アニメ関連で言えば、聖地巡礼のVR旅行に、作品の世界を組み込む試みも行われています。
この分野には「旅行業界」という、それで飯を食ってる人々が、既に多く存在してますから、
苦境を打破すべく、技術的にはまだまだでも、様々なチャレンジが今後も続くはずです。

続いて、VRペットの方は、そもそも90年代の時点で既に、
「たまごっち」や「AIBO」と言った、デジタルやロボットのペットが人気を得ており、
VRというのも、その1つの表現手段には為り得ても、革命的には為り得ないでしょうね。
特にロボットの場合は、実物として、そこに存在する訳ですから、その差は大きいですよ。
逆にVRの強味で考えると・・・生前のペットの再現とか、その辺りの需要でしょうか?
別にVRゴーグルを装着しなくても、スマホ画面にペットや彼女が居る方が便利ですし。

> その辺で最先端を走っているのが前も紹介したVRChatですね。
恐らく、VR利用の最先端は、チャットよりもAVなのでは?(笑)
技術面の話はさておき、利用者の多さで言えば、ダントツな気がします。
そして逆に、技術面での追求という事になると、同じくエロ方面でも、
前回 話したような、VR風俗の方向なんじゃないですかねえ?

> おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

では、もう1度 考えてみて下さい。
VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?
結局、プレイヤーも客も「人間」である以上、行動の根源には「欲求」があり、
そうした欲求のタイプは、それほどバリエーションが多くある訳ではなく、
枝葉で目新しさを演出するだけで、根幹は変わらないなんて事は、よくあるんですよ。

> コンピューターを発明した科学者たちも、
> まさか人類がここまでゲームに夢中になるとは思ってもいなかったように、

戦争の為の軍事目的で、コンピューターを開発した科学者たちが、
自分たちの娯楽目的で、そのコンピューターでゲームを開発し、
そして夢中になった所から、全てが始まっている以上、
実際に、どこまで「想定外」だったかは、ちょっと解りませんけどね(笑)。

> これからドンドン目を覆いたくなるような使用法が編み出されていくのではないでしょうか。
でもまあ、「技術の発展はエロと暴力(戦争)で進む」なんて話は、
昔から、よく言われてきた事なので(笑)。
それこそ、ビデオにせよ、ネットにせよ、
一般普及に多大な貢献をしたのは、エロ動画の存在ですからねえ。
また、余談を言うと、そもそもアメリカ国内で、日本アニメ作品の評判が悪かったのも、
80年代に同人輸入された第1弾が、「くりいむレモン」(エロ)と「北斗の拳」(暴力)であり、
確実なニーズは望めた一方で、子供を持つ親たちから非常に危険視された所為ですね。

あと個人的には、「目を覆いたくなるような使用法」という方を、
ただ口を開けて待つのではなく、どんな可能性が有り得るかを話題にしたいんですよね(笑)。
それはエロとか暴力に限らず、あらゆる将来の可能性に関してを!!

> あとVTuberがオタク文化的に大きいのは、なんだかんだで今まで萌えと相性の悪かったCGが、
> 完全に萌えを再現したからだと思うんですよね。
> もちろん今までもCGを使った萌えゲームなどもありましたが、それらは結局主流には成りえなかったわけで。
> MMDみたいなものが出ようとも、結局萌えの主流はイラストであり、手書きのアニメであり、マンガであったわけです。
> それがVTuberがCGというハンデを全く感じさせない形で、
> 萌えの主戦戦に殴り込んできて一定の地位を確保したことは大きいかと。

「人は何に萌えるのか?」というのは、結構哲学的な問いではありますよね。
姿なのか? 声なのか? 仕草なのか? 記号化された各属性(いわゆる萌え要素)なのか?
そう言えば10年以上前、私もこんな実験動画↓を作ってましたね(笑)。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm10416072

って、そんな話はさておき、VTuberの萌について考えた場合、
キャラとか、声とか、中の人の要素に依存している部分が大きくて、
CGの見た目というのは、あくまで「ハンデを感じさせない」に留まってません?
解りやすく言えば、3DCGによる見た目が、決して萌え的な売りに繋がっていないと。
もちろん、2.5次元という事から、アニメ的な見た目自体は重要な要素ですけど、
サムネとかでは、従来のデジタル手書きなイラストが多用されてる所を見る限り、
「3DCGだから見る」とか、「3DCGに萌える」など、武器にはなってませんよね。

そういう意味では、これってただ単に、慣れの問題なんじゃないですか?
1997年に「Dr.スランプ」が再アニメ化された際、
本格的にデジタル作画が採用された、初のメジャー作品となりましたけど、
その見慣れさ来る反発の声って、かなり凄いモノがありましたからねえ・・・・
でも、デジタル作画を見慣れた今となっては、一体何が問題だったのか気付けない。
同じように、3DCG作画に関しても、1998年にOVAで「青の6号」とかありましたけど、
一般作だと、2006年から3年間放送された少女アニメ「きらりんレボリューション」が、
(モーニング娘の久住小春が主役声優と主題歌を務め、OPは彼女のダンス映像でした)
3年目に入っていきなり、従来の2D作画から3DCGに替わって、一騒動がありました(笑)。

まあ正直な所、やはり最初の内というのは、技術的にも成熟してない面がありますし、
それに何より、表現拡大の為の新技術導入ではなく、制作費削減の為の導入だったので、
微妙な感じではありましたが、それでも現在になって見ると、そこまで気にならない。
これって結局、「見慣れた」ってだけの話だと思うんですよね。
そしてVTuberの存在も、こうした見慣れたに貢献した面はあるかも知れませんけど、
でも大部分は、見慣れた所で登場したというのが、実際なのでは無いですかねえ?

あと仮に、今後は3DCGでも萌えられる層が増えてくるとすれば、
ディズニーやピクサーみたいな作品でも、萌えるようになるんですかねえ?
そうなった場合、世界的な潮流としては、アニメの3DCG化が進んでいる一方、
日本的なアニメは、手書きアニメの2Dデジタル化という独自路線を進んでおり、
ガラケーがスマホに駆逐されたみたいな現象が、アニメでも起こり得る危険性も!?
実際、アニメよりも一足早く3DCG化が進んだゲーム業界では、
一時は世界を席巻した日本ゲームも、今は昔な状況になっちゃってますし・・・・
とは言え、Netflixが昨年配信した「攻殻機動隊2045」も、3DCGアニメで作られましたけど、
世界的潮流とかはともかく、前作からの流れもあって、個人的に馴染まなかったかな(苦笑)。

> それこそ今後は、VR(CG)を使ってマンガを描く、
> 絵が一切描けないマンガ家なんてのが出てきてもおかしくはないでしょう。
> まあVRが動画なのに、あえてマンガにする意味が薄いので出てこないかもしれませんが。

「VRを使ってマンガを描く」とか、「絵が一切描けないマンガ家」というのを、
どう思い浮かべて書いたのか、具体的に内容を伺ってみたい所ではありますが、
言葉の綾みたいなモノで、そこまでキチンと思い浮かべてもいないのかな?

ちなみに、読んでて私が思い浮かべた感じとしては、
「VRを使ってマンガを描く」の方だと、例えばスラムダンクの井上雄彦みたいに、
まるで画家のように、大きなキャンバスにマンガ絵を描く手法を用いて、
3Dのヴァーチャル空間の中で、彫刻のような3次元的なマンガ絵を、
描いてみた系のパフォーマンスとして行う事は可能でしょうね。
ある意味では、現代アートにおける「グラフィティ」のデジタル版とでも言うか、
絵だけでなく、その行為自体も含めて、1つの作品にしてしまうような感じで。

続いて「絵が一切描けないマンガ家」の方は、正直、どうVRと結び付くかは別として、
デジタル技術を用いた方法であれば、それほど突拍子も無い話ではありませんよね?
キャラをパーツ化して、それを配置していく手法であれば、
Flashアニメの時代から、既に重宝されていたりしますし、
もっとアナログな方法ですが、切り絵にしたパーツを福笑いの要領で動かして、
マンガならぬ、ストップモーション・アニメとして作られたのが、
1997年に生まれたアメリカの人気作「サウスパーク」です。

と言いますか、そもそも原作と作画の分業制マンガであれば、
マンガ家であっても絵が一切描けない人だって、昔から幾らでも居た訳ですよね。
で、そんな原作マンガ家な彼らが、デジタル技術やAI技術の力を借りる事により、
作画マンガ家を付けなくても、それなりの作品は努力次第で作れる時代であり、
それは何もマンガに限らず、音楽とか、アニメやゲームだってそうでしょう。
例えば音楽では、楽譜は読めない、楽器も演奏できないけど、作曲は行えるという時代で、
ボーカロイド登場により、歌声まで楽器化された事により、作曲法まで変化を与え、
それが巡り巡って普及し、現在のJ-POPにおける潮流を生んでますからねえ。
あとは、今は写真や動画も、マンガ的な手書き風イラストに変換できるアプリもある為、
VR上で自ら、各キャラのアバターを着ながら、演技指導的に3次元で動いた動画を、
2次元なマンガに落とし込むという技法は、考えられるかも知れませんね。
映画監督の中には、完璧な絵コンテを作った上で、
作業的に実写映像として落とし込む、そういった手法を用いるタイプも居ますが、
それとは正反対のパターンとして、3DCG映像を撮った上で、2D画像として切り取ると。

> ちなみに、「プロのネット参入により、今後は素人YouTuberが淘汰されるかも?」ということでしたら、
> もうすでに起きていますよ。
> 月野美兎の所属する「にじさんじ」は、伊藤忠資本ですし。
> 逆に声優程度では返り討ちじゃないでしょうか?
> もし見ていないのでしたら、ニコニコ動画で10分でわかる月野美兎をご覧になっては?
> 決してニコニコ動画初期のような、素人がやっているわけではないことがすぐに理解できると思いますよ。

え〜と、まず最初に、「素人YouTuber」という単語は用いましたけど、
「素人VTuber」なんて単語は、1度も用いていないので、
既にその段階で、解釈にズレが生じてる気がするんですよねえ・・・・
極端な話、カメラ1台さえあれば可能なYouTuberと違って、
VTuberにはCGが必要不可欠であり、それなりのモノを望めば、相応の経費を要する訳で、
ぶっちゃけた話、YouTuberよりもVTuberの方が、事務所など組織への依存度が高い存在です。
例えば昨年生じた、赤井はあと&桐生ココの「台湾発言」に伴う謹慎騒動も、
中国市場でも事業展開する、事務所側の裏事情があったればこその対応であり、
あまり詳しくないとは言っても、その程度くらいにはVTuber事情も把握してますよ(苦笑)。

あと他に、私が言ってる「プロ参入」のレベルを、どうも読み違えてる感じを受けます。
と言いますか、最近はテレビを見ない若者も増えている為、制作まで含めた芸能界における
そういった「プロ」の仕事のイメージって、あまり上手く浮かばないんですかねえ?
実例として挙げられている「にじさんじ」に関しては、私が言っている範疇でのプロではありません。
あの事業を展開しているのは、ANYCOLORという名のベンチャー企業であって、
伊藤忠は総合商社として、同社と資本業務提携を行っている関係であり、
それを「伊藤忠資本」と表現するのは、正直違うと思いますし、
仮に伊藤忠資本であったとしても、伊藤忠はこの業界のプロなんですか?
伊藤忠と言えば2000年前後、TVゲーム事業に参入してましたけど、実際成功しましたか?
と言いますか、そもそも成功云々を語れるほど、資本を投入してたんですかねえ?
私が言うプロとは、「餅は餅屋」と称せるレベルでのプロの事です。
どんなに資金力があっても、ノウハウやビジョンが乏しければ、成功するのは難しく、
実際、パナソニックやAppleであっても、次世代ゲーム機戦争に参戦して散ってますので。
それに、芸能人のYouTube参入というのも、それ自体は何年も前からあった事ですが、
ここ1年くらいは、参入する質も量も圧倒的に異なる為、
これだけ話題となり、そして流れを生んでいる訳で、私がしているのは そういう話です。

また、「声優程度では返り討ち」との事ですが、
そもそも、にじさんじの最初の募集って、声優限定で考えられてたみたいですけど?
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1801/12/news074.html
それに、起用する一般人のオーディションというのも、それこそ前回言ったように、
アイドル・フォーマットの延長線上にあるのでは?
で、最初の内は、無名声優や地下アイドルなどの一発逆転もあるでしょうけど、
市場が拡大していき、本格的にプロ勢が参戦した場合、一体どれだけの余地が残るのでしょう?
例えば、ゲーム「ときめきメモリアル」でブレイクした声優の金月真美のように、
ギャラの安い頃なら、ゲーム声優のような売れ方もありましたけど、
では現在、ゲーム声優をメイン活動にして売れた声優って、一体誰が居るんですかねえ?
掛けられる資本が大きくなる程、売れっ子の声優が、普通にゲームにも起用されてませんか?
アイドルにしても、時には零細事務所から出てくる子とか居ますけど、基本的に売れるのは大手です。
やはり、資本力やノウハウなどの実力が違ってきますから・・・・

とは言え、VTuberの仕事と言うのは、アイドルや声優とも完全にイコールではありませんので、
売れてないアイドルや声優の中から、VTuber活動に適した人材が発掘される事もあるでしょうし、
逆に言うと、人気のあるアイドルや声優が挑戦しても、必ず成功するモノでも無いはずです。
そう考えれば、売れない若手がメイド・カフェやガールズ・バーでバイトをして、
腕を磨いたり、そちらの方面で頭角を現す事だってある以上、VTuberで成功する人も居るでしょう。
ただ、声優人気が高じる事で、声優のアイドル化が加速した事を考えると、
ある程度まで人気が高まると、キャラクター性は当然として、
結局はVTuberも、中の人の顔や声の勝負になってくるかも知れません。
ぶっちゃけ、お客様であるユーザーが「人間」である限り、
余程の拘りが強いマニアで無ければ、最後は2次元から3次元に欲求は寄っていくので、
そこを更に乗り越えるには、バーチャルとリアルの垣根が無くなるレベルの技術革新しかありません。

> 話がズレますが、結局ネットの数十年を総括すると、
> やっぱり実力主義という意味でほかの世界とおんなじになっちゃったわけですね、ネットも。
> 昔みたく、素人が突然パットでで何かできるような世界ではない。
> 仮にプロのいないようなマイナーな世界であっても、プロに等しいようなすごい人たちが大勢いますから。
> それでも、素人が自作ゲームをスマホアプリとして配信できたりするようになって、昔よりはましになったのかな?
> ついでですが、この話って現代資本主義に似ているなあとは思います。
> https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/interview_08.html

リンク先を開いたら、いきなりアップの顔写真が出てきて、
「小熊英二も老けたなぁ・・・」と、まず最初に驚いちゃいました(笑)。
著書だけ読んでると、著者の見た目の変化とか、あまり意識しませんからねえ。
調べてみたら、もう来年には還暦という事で、当然と言えば当然の年齢なのかな?
ちなみに、20年以上前に出版された この本↓は、私の愛読書の1つ。

「日本人の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで」
https://www.amazon.co.jp/dp/4788506483/

あと、リンク先のインタビュー記事のような内容に興味があるなら、
一昨年に出版された、こちらの本↓は読み応えがあるかも?

「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」
https://www.amazon.co.jp/dp/4065154294/

って、ちょうど選挙期間中でもありますし、こうした話題にも関心があれば、
雑談的にも、少し触れてみても良かったんですけどね(笑)。


[23728] Re5:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/10/20 (水) 01:15:45 旧トルコ担当

▼ 文化って何

> > > そして、ファスト化されたオタク・コンテンツなどというのは、
> > > ラベル的な名称がオタク文化なだけで、それはもう実質的なオタク文化では無いのでは?
> > > と言うのが、あの文章の主旨というか、本題です。
> > > だからこそ、投稿文のタイトルも「ファスト化されるオタク文化?」な訳ですね。
> > > マクドナルド大好きな美食家とか、ユニクロを愛用する着道楽なんて、正直違和感ありますし(笑)、
> > > ファスト文化とオタク文化というのは、そもそも対極的な立ち位置にあると、個人的に思うので。

> > この辺はもう、オタク文化をどう定義するかの違いになるのでしょうね。
> > 個人的にはファスト化したオタク文化もなんだかんだ言って好きなので、
> > オタクではなく萌えキャラ好きの変態と名乗ったほうが良いのかな?

> 要するに、オタク文化が生み出したコンテンツがファスト化され、
> それを消費する行為まで含めて、「オタク文化」と呼んで良いのか?という事であり、
> また、同じ消費であっても、向上や独自性などの成長サイクルが伴えば、消費も文化と呼べますが、
> ファスト化された消費って、文化的欲求よりも経済的都合が原動力となって回るサイクルな為、
> その消費自体が文化を生み出す構造には、為っていないと思うんですよねえ・・・・
>
> 結局は、「文化とは何ぞや?」「消費とは何ぞや?」「オタクとは何ぞや?」って事なんですけど、
> もしも、何を言っているのか解らないという事であれば、
> 雑談の最初の方に出てきた、例の「オタク・イズ・デッド」という理解でも構いません(笑)。
> まあ私の中では、厳密に言うと少し違う意見ではあるのですが、
> 大雑把なイメージ的には、似た感じで捉えてもらっても、そう大きな瑕疵は生じないと思うので。


> > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> では、もう1度 考えてみて下さい。
> VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?
> 結局、プレイヤーも客も「人間」である以上、行動の根源には「欲求」があり、
> そうした欲求のタイプは、それほどバリエーションが多くある訳ではなく、
> 枝葉で目新しさを演出するだけで、根幹は変わらないなんて事は、よくあるんですよ。


パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?
逆に根幹の部分で全く新しかったものって何があったのでしょうか?具体例を提示していただきたいです。
以下の話にもつながることですし。

> 人間の欲求というのは、「五感と心の刺激」を求めるモノであり、
> それを如何に満たしていくかという方法論が、これで頭打ちだとは思えませんし、
> 今は存在しない「何か」が新たに誕生した折りには、また同じ事が起こりますよ!!
> だからこそ、その新しい「何か」を求めて、前回も私は話してた訳であり、
> 「幅」だの何だのという話も、それくらいの視野を含んでの話だったんですよね。
> 逆に言えば、旧トルコ担当さんの方は、そうした新しさが範疇の外であったとなると、
> 話が噛み合わないのも当然だろうなぁ・・・とは思います。
> ただ、若い人の方が、将来を見て語らないというのは、ちょっと問題かも?(笑)
> でもその辺りが、今の社会を覆う停滞感なのかも知れませんね・・・・
> (面白い事は真っ先に味わいたいというのは、育った時代の強欲性にも左右するのかな?)


▼ 切り抜きについて

> > > ただ一方で、今回のコロナ禍の影響もあってか、芸能人のネット流入に引き続き、
> > > 最近では映像制作のプロもYouTubeなどに参入してきて、また一段階 進んだ印象を受けます。
> > > 例えば、テレビ東京が提供するYouTube独自の番組であったり、
> > > テレビ朝日が出資するAbemaのオリジナル番組などは、
> > > 地上波みたいに時間や需要に囚われる事なく、比較的自由な番組制作が出来てますし、
> > > 今年の春、テレビ局を退社してフリーとなった、人気者の佐久間プロデューサーなどは、
> > > 自身のYouTubeチャンネルで、思うままに番組作り↓を始めちゃいましたからねえ!!(笑)
> > > https://www.youtube.com/channel/UCaPJaMy0_OZlNjq7BVyTnkA
> > > また、資金・技術・人員をもつ映像業界のプロ集団が、本格的に参入してくると、
> > > 素人や個人が同じ土俵で戦っては、なかなか太刀打ち出来無いでしょうし、
> > > 一定数は生き残れるにしても、多くのYouTuberは苦境に立たされるのかも知れません。
> > > つまりは、現状の「短く、薄く、軽い」といったネット・コンテンツだけでなく、
> > > 今後は、逆方向の「長く、濃く、思い」ネット・コンテンツも、一方で台頭してくるかも?

> > 個人的な予測をすれば、「長く・濃く・重い」ネットコンテンツも、
> > 結局はYouTubeの切り抜き動画のように、一番面白いところを切り抜かれて、
> > 結局メジャーの流れは変わらないと思うんですよね。


> いや〜、それはどうでしょうかねえ?
> 例えば漫才とかの場合、最後のオチだけ聞いたって、決して面白くありません。
> 映画やドラマにしたって、簡単な粗筋を追うだけでは、感動も泣けもしません。
> でも確かに、漫才や映画というコンテンツを楽しむ目的ではなく、
> 周囲と話を合わす目的であれば、オチや粗筋だけ知るのも意味がありますし、
> 実際、そういったニーズが一定量あるのも解ります。
> かと言って、それが全てでは無いですよねえ?
> 漫才や映画自体を楽しみたいニーズだった、普通に存在するんです。
>
> まあ簡単に言ってしまえば、それぞれはニーズの層とか方向性が異なるんですよ。
> 言うなれば、そうした切り抜き需要というのは、
> 「結論」だけを手っ取り早く知りたい層にとって、非常に価値があっても、
> 結論に至る「過程」にも価値を見出す層には、あまり有り難がるモノではありません。
> それこそアニメにしたって、「総集編があれば、本編は不要」なんて、
> そんな視聴者ばかりじゃ無いはずだと思いますけど?(笑)
>
> う〜ん、何と言えば良いのか、「切り抜きだけで十分」という人たちは、
> 主な情報源が動画になっていて、動画の弱点である拘束時間の長さを少しでも削る意味でも、
> 結論や概要だけを知る為に、そうした切り抜きを重宝する傾向が強い気がするんです。
> ですが、動画以外にも情報源を持つ人の場合、動画には動画だからこその価値を欲する訳で、
> そうなると、拘束時間の長さには目を瞑ってでも、そこから欲しいモノを得ようとすると。
> で、その場合、そうした重要なモノって、過程とか前振りからの積み上げの中にあるんですよね。
> もちろん、全体的なニーズから言えば、後者よりも前者の方が多数派なのでしょうが、
> しかし、それでも、後者にだって それなりのニーズがあるのも確かだと思うんです。


私は、切り抜き=情報源とは限らないと考えています。
それこそ、ゲーム実況がそのよい例ではないでしょうか?
自分で時間をかけてゲームをするよりも、誰かのやっているゲーム実況動画を見た方が手軽で、時間的な効率も良いと。
もちろん、ゲーム実況動画を見ただけでは実際にゲームをした時の30%程度しかその面白さを味わえないかもしれません。
しかし、その残り70%を味わうためにゲームを何時間もプレイするよりは、その時間で他のゲーム実況動画を見て新たな30%を得た方が時間当たりの効率は良いと。
また、ゲーム実況も大勢のプロが競い合っているフィールドですから、仮に自分が同じゲームを遊んだとしても、ゲーム実況動画のようなゲーム体験をできるとは限らず、実際にゲームをプレイすることがゲーム実況動画の劣化版にしかならないという面もあると思います。
エアプ勢なんていう言葉もありますし、ゲーム制作側では「実況で再生数が伸びる動画と、遊ばれる動画は必ずしも一致しない」という言説も出ていますから、いやいや少数派でしょ?とは言えないかと。
それこそ前に話題にした時間観の変化の話も、主原因はこうした時間コスパを意識したコンテンツが溢れているからだと私は考えています。

要は、ファスト化≒省時間化というのが私の見解ですね。
その原因は、IT化によりコンテンツの流通コストがほぼゼロになってしまったからだと。

▼ 科学の発展について

> > > > 文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するものなので。
> > > > 90年代、00年代の萌えなんかも、突然出てきたものではなく、80年代にすでにその萌芽はありましたし、
> > > > ロボットアニメやプラモデルやらなんでも同じでしょう。

> > > いや別に、突然変化するとも、突然出てくるとも、言ってませんけどね。
> > > ただ、その変化の程度というのは、常に一定だとは限りません。
> > > ずっと停滞し続ける事もあれば、一気に飛び抜ける場合もあります。
> > > そして、そういった状況の変化を、つぶさに観測していない人たちにとっては、
> > > 突然変化したり、突然現れたりという感じに、映る事もあるとは思ってますが。
> > > で、そうした激変が生じるケースというのは、臨界点を突破した時に見られるもので、
> > > そこには技術的革新なり何なりの要素が、絡んでいる事も多いのが実際の所かと?

> > まず前提として、私は新しい文化(形態)の登場の最大の要因は科学技術だと思っているので、
> > そこは管理人さんとは多少違うのかな?

> んん? いや、いや、いや、いや。
> 技術革新の重要性に関しては、私の方がしつこく主張していたという認識だったのですが!?
> 文化と科学技術の関連性については、そこそこ触れてきたのに、ほぼスルーだったのは、
> 旧トルコ担当さんは理系じゃないみたいですし、そんなに関心ない話なのかと思ってましたけど、
> 詳細な内容以前に、その話の大枠すら、全く理解して貰えていなかったって事???
> えっ、では一体、旧トルコ担当さんの解釈では、私ってどんな主張をしている事になってるんですか?
>
> また、そうなると、以前おっしゃった
> 「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」
> という旧トルコ担当さんの発言は、一体どのような主旨で述べられたのですか?
> 新しい文化の登場は、経済発展に全く寄与しないという考えなのですか?
> それに前回、「文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するもの」
> と述べられてましたけど、この発言との整合性はどの様に着けられてます?


私の考えを述べますと、まず
1)人間の欲望には限界がある
2)市品・サービスの質が限界に近づけば近づくほど、その差は大したものでなくなる(限界効用)
> 例えば、1950年代、普通の家庭に生まれた小学生の女の子が、お金持ちの友達の家に遊びに行った際、おやつにパイナップルが出てきて「世の中にはこんなにおいしいものがあるのか」と感動したという話を聞いたことがあるのですが、
> 今これって成立しないと思うんですよ。今の高いお菓子って、高級な味がするだけですから。

(年末年始にやっている、芸能人格付けチェックという番組があります。芸能人に高級なお菓子と、コンビニのお菓子を目隠しして食べ比べをさせて、どっちが高級品か判別できるのか?という内容ですが、あの番組が成立することが限界効用のもっとも良い例かと)
3)技術革新により、生産効率だけは上昇していっている
という3つの前提があった上で、1・2だけであれば大した問題は起こりませんが、実際にはIT化やAIにより、3の性質がますます進み、どんどん失業が進むのにも関わらず、大して有効な需要が創出できていない、というのが日本及び世界の先進国の現状であり、今後も続く傾向なのではないでしょうか?
「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」というのも、限界効用という壁がある以上、科学技術の発展は3の傾向をますます強めるだけであり、むしろ状況を悪化させると思うんですよね。
ということに関しては管理人さんの見解もそこまで食い違っているわけではないのでは?

> 私たちは資本主義社会に生きている以上、この無限ループからは逃れられませんし、
> 状況的に言うと、もう1つの対立軸として社会主義が存在していた冷戦期に比べ、
> そのループの進行スピードは、早さを増して行くばかりです・・・・
> そして、デジタル化とグローバル化により、仕事の集約が更に加速され、
> 新たな需要創出が、新たな余剰労働力をカバー出来なくなった時、対策方法としてあるのは、
> 無理にでも雇用を創出するか? 最低限の生活費を配るか? 手を差し伸べず見殺しにするか?
> でもまあ、そんな彼らも一方では消費者である事を考慮すると、
> 3番目の選択肢は無く(それでも個々人の心情的には、こんあ気になる人も増えるはず)、
> 1番目の方法が、従来方式のケインズ的な公共工事や、もしくは社会主義であり、
> 2番目の方法が、昨今 唱えられる機会も増えたベーシック・インカムですね。
> そして、以前の話の中で、社会における「政治・経済・文化」と「技術」の話をした際、
> 詳細までは語りませんでしたけど、私なりに考えてる方法が、1と2の中間みたいな感じかな?
> 時間と共に価値が減るデジタル地域通貨を、生活必需品との交換や、文化消費に用い、
> リアル・マネーを介在しない形での、需要と雇用を生み出すようなアイデアなので。


一方でだからこそ、楽観的に
> 人間の欲求というのは、「五感と心の刺激」を求めるモノであり、
> それを如何に満たしていくかという方法論が、これで頭打ちだとは思えませんし、
> 今は存在しない「何か」が新たに誕生した折りには、また同じ事が起こりますよ!!

と考えられるのが、私には理解できていないところです。
管理人さんがそうおっしゃる以上、何らかの根拠があると思うのですが、その根拠というか、具体例を示してほしいと。


[23735] Re6:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/10/26 (火) 22:41:26 徳翁導誉

> > > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> > では、もう1度 考えてみて下さい。
> > VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> > そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> > 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> > そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?

> パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、
> それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?

え〜と、「大抵のモノは同じ」とか、そこまで大きな意味で、言っている訳ではありませんよ。
例えば、VR恋愛とアニメ・ゲームとでは、異なる分野ですけど、
VR恋愛とキャバクラであれば、根っこは同じというくらいの話です。
ここで本質部分と言っているのは、それぞれに伴う「疑似恋愛」感情の事です。

まず始めに、VRゴーグルで恋愛ごっこが、
疑似恋愛を楽しむ行為である事は、特に説明を要しませんよね?
そもそも、ヴァーチャルが前提で楽しむ遊びですし、
美少女キャラを演じるのであれば、尚更、解った上での演技です。
まあ中には、本気になっちゃう人も居るでしょうけど、それはキャバクラだって一緒(笑)。
そしてキャバクラの方も、解った上での疑似恋愛を楽しむ場所ではあります。
単に性欲を発散したければ、ソープにでも行くでしょうし、
女の子との会話を楽しみたいのなら、バーとかがあるので。
女性客相手であれば、ホスト・クラブとかも、疑似恋愛を楽しむ場に該当するかな?
もっと言えば、アイドルの追っかけ活動とかも、似たような部分があります。

要するに、アナログか?デジタルか? 男性向けか?女性向けか? 一対一か?一対多数か?
その辺りの違いがあるだけで、疑似恋愛を楽し本質部分は同じという話です。
そして、VRであれば非人間型のキャラも扱えるのに、結局は美少女キャラに行き着くのも、
所詮は人間である以上、技術はデジタルでも、アナログな感情を脱しきれないんです。
また、ノンケな男性向けの百合AVと、ガチ同性愛者向けのレズAVが別物であるみたいに、
ユーザーが共に男性で、キャラが共に美少女であっても、それも結局は、
「中の人は女性が好き」という範疇を、なかなか超えるモノではありませんからねえ。
逆に言えば、だからこそ以前、その壁さえ突破しそうだった「らぶデス555」を紹介したんです。


> > > > ただ一方で、今回のコロナ禍の影響もあってか、芸能人のネット流入に引き続き、
> > > > 最近では映像制作のプロもYouTubeなどに参入してきて、また一段階 進んだ印象を受けます。
> > > > また、資金・技術・人員をもつ映像業界のプロ集団が、本格的に参入してくると、
> > > > 素人や個人が同じ土俵で戦っては、なかなか太刀打ち出来無いでしょうし、
> > > > 一定数は生き残れるにしても、多くのYouTuberは苦境に立たされるのかも知れません。
> > > > つまりは、現状の「短く、薄く、軽い」といったネット・コンテンツだけでなく、
> > > > 今後は、逆方向の「長く、濃く、思い」ネット・コンテンツも、一方で台頭してくるかも?

> > > 個人的な予測をすれば、「長く・濃く・重い」ネットコンテンツも、
> > > 結局はYouTubeの切り抜き動画のように、一番面白いところを切り抜かれて、
> > > 結局メジャーの流れは変わらないと思うんですよね。

> > いや〜、それはどうでしょうかねえ?
> > 例えば漫才とかの場合、最後のオチだけ聞いたって、決して面白くありません。
> > 映画やドラマにしたって、簡単な粗筋を追うだけでは、感動も泣けもしません。
> > でも確かに、漫才や映画というコンテンツを楽しむ目的ではなく、
> > 周囲と話を合わす目的であれば、オチや粗筋だけ知るのも意味がありますし、
> > 実際、そういったニーズが一定量あるのも解ります。
> > かと言って、それが全てでは無いですよねえ?
> > 漫才や映画自体を楽しみたいニーズだった、普通に存在するんです。
> > まあ簡単に言ってしまえば、それぞれはニーズの層とか方向性が異なるんですよ。
> > 言うなれば、そうした切り抜き需要というのは、
> > 「結論」だけを手っ取り早く知りたい層にとって、非常に価値があっても、
> > 結論に至る「過程」にも価値を見出す層には、あまり有り難がるモノではありません。
> > う〜ん、何と言えば良いのか、「切り抜きだけで十分」という人たちは、
> > 主な情報源が動画になっていて、動画の弱点である拘束時間の長さを少しでも削る意味でも、
> > 結論や概要だけを知る為に、そうした切り抜きを重宝する傾向が強い気がするんです。
> > ですが、動画以外にも情報源を持つ人の場合、動画には動画だからこその価値を欲する訳で、
> > そうなると、拘束時間の長さには目を瞑ってでも、そこから欲しいモノを得ようとすると。

> 私は、切り抜き=情報源とは限らないと考えています。
> それこそ、ゲーム実況がそのよい例ではないでしょうか?
> 自分で時間をかけてゲームをするよりも、誰かのやっているゲーム実況動画を見た方が手軽で、時間的な効率も良いと。
> もちろん、ゲーム実況動画を見ただけでは実際にゲームをした時の30%程度しかその面白さを味わえないかもしれません。
> しかし、その残り70%を味わうためにゲームを何時間もプレイするよりは、
> その時間で他のゲーム実況動画を見て新たな30%を得た方が時間当たりの効率は良いと。

そもそも論として、ゲーム実況動画の視聴者って、何を目当てに観てるのでしょう。
ゲームの攻略法? 面白そうかの確認? プレーの疑似体験? 超絶技巧の堪能?
もちろん、それらも楽しみ方の1つだとは思います。
ですけど最も多いのは、その実況者のファンであり、その空間を楽しむ層だと思いますよ。
(と言うか、攻略法やゲーム紹介、超絶プレーや疑似体験は、実況とは また別種の配信者かと)
そういう意味では、誤解を恐れずに言うと、
プレーされるゲーム自体は、重要ではあっても道具に過ぎません。
何をプレーするかは、新規客を獲得する上では重要ですけども、
固定客が求めているのは、何をプレーするかよりも、誰がプレーするかなので、
言うなれば、実況者の魅力や話芸であったり、企画力などが、最大の売りとなります。

要するに、ゲーム実況の視聴者というのは、自身のプレーの代理作業を求めてるのではなくて、
一昔前で言えば、子供が友達の家に遊びに行き、他の人がするファミコンを一緒に見る感覚に近く、
それは別に、攻略法を学ぶとか、上手なプレーを見るとか、自分も遊んだ気になるとか以上に、
そこでワイワイやってる空気感が楽しいのであり、傍目で見つつマンガを読んでても良いんですよ。
まあ今の時代ですと、少子化で子供の数も少ないですし、習い事などで忙しい事も多く、
ゲームで遊ぶにしても、外で携帯機だったり、それこそオンライン対戦とかだったりで、
こうした昔は普通の光景が、現在だと、どれくらい行われているのかは解らないのですが、
でも結局、友達がリアルに集まるか、ファンがヴァーチャルに集まるかの違いだけで、本質は一緒かと?
また、そうしたワイワイした「空間の共有」こそ、ゲーム実況の最大の魅力なので、
配信時間も定期的で、しかも長時間になるのだと思います。

更に言えば、アナログしか無かった時代に、こうした大規模な空間の共有というと、
人気DJによる深夜ラジオが、それに該当したかと思います。
異なる点を言えば、公共の電波を任せられるDJは、実力充分なプロであるのに対して、
それこそネットは誰でも出来るので、実力に関わらずチャンネルを開設できますし、
ゲーム実況であれば、ネタとして語る話題探しの労力も、かなり軽減できます。
言うなれば、少人数の身内を笑わせる「クラスの人気者」と、
一方通行で不特定多数を笑わせる「プロ」とでは、実力の上では天と地の差ですが、
だからと言って、特定の個人が相手の場合、プロよりもクラスの人気者の方が面白い事もある。

つまり、ゲーム実況を始めとした配信者というのは、ネットという技術の登場によって、
学校という枠の外まで、クラスの人気者を広められるようになった存在であり、
プロほどの技量には乏しくても、友達とワイワイやる空気感を伝えられる人たちで、
友達の家に集まり、みんなでファミコンをして遊ぶような具合に、
少人数のファンを相手にする、ニッチ化された現代版のラジオDJだと感じるんですよ。
とは言え、この前にも言ったように、本格的にプロが参戦してくるとなると、
やはり今後は苦しくなってくると思うんです。
(ちなみに、ここで言う「プロ」とは、旧トルコ担当さんの言うプロ↓とは別の意味)
> また、ゲーム実況も大勢のプロが競い合っているフィールドですから
具体的に言えば、人気や実力のある芸能人によるゲーム実況ですよね。
芸能人的には小遣い稼ぎ程度の活動でも、既存の実況主はかなり苦境に立たされるのでは?
そもそもゲーム実況だって、18年続く長者番組、よゐこ有野の「ゲームセンターCX」が元祖ですし、
プロの真似事で上手く行くのは、プロが乗り込んでくる前まででかと。
逆に言えば、それでも引き続き生き残れるレベルの人が、真のプロと呼べるのかな。

> それこそ前に話題にした時間観の変化の話も、
> 主原因はこうした時間コスパを意識したコンテンツが溢れているからだと私は考えています。

でしたら、その実例として「ゲーム実況」を持ち出すのは、不適当なのでは?
ゲーム実況なんてネット配信でも、それこそ長時間コンテンツの代表格じゃありません?
一般的には、5〜10分くらいの動画が好まれる中、2〜3時間とかザラですし、
視聴者も真剣に観るよりは、BGM替わりというか、ながら見してる層が多いと思うんです。
というか、私自身は実際にそうしてます(笑)。
また、ゲーム実況って、そういったタイプの動画ですから、
神懸かったシーンだけを切り抜いた動画だと、やはり見え方は違ってくるかも?
これがまだ、実況名場面とかの切り抜きだと、雰囲気が伝わるんですけどね。

> 要は、ファスト化≒省時間化というのが私の見解ですね。
私が用いてる「ファスト化」の意味は、もう少し絞られてますかね。
もちろん、語源としては「早くて、安くて、手軽」なファスト・フードにあるのですが、
この風潮が、世界的に、あらゆる分野で広まった現象の事を、個人的には指しているので、
グローバル経済発展のもと、トレンドを取り入れた、均質的で低価格な商品が、
世界規模で大量生産・大量消費されるサイクルおよびシステムの事を想定して語っています。
そうじゃないと、単に早い意味だけでは、ファスト・ファッションとか意味不明になっちゃいますし。

> その原因は、IT化によりコンテンツの流通コストがほぼゼロになってしまったからだと。
で、私はそこから更に、
「では何故、コストがほぼゼロでも成り立つのか?」
という話をしていると。
その事が、ファスト化という現象にも大きく絡んでくるので。


> > > まず前提として、私は新しい文化(形態)の登場の最大の要因は科学技術だと思っているので、
> > > そこは管理人さんとは多少違うのかな?

> > んん? いや、いや、いや、いや。
> > 技術革新の重要性に関しては、私の方がしつこく主張していたという認識だったのですが!?
> > 文化と科学技術の関連性については、そこそこ触れてきたのに、ほぼスルーだったのは、
> > 旧トルコ担当さんは理系じゃないみたいですし、そんなに関心ない話なのかと思ってましたけど、
> > 詳細な内容以前に、その話の大枠すら、全く理解して貰えていなかったって事???
> > えっ、では一体、旧トルコ担当さんの解釈では、私ってどんな主張をしている事になってるんですか?
> > また、そうなると、以前おっしゃった
> > 「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」
> > という旧トルコ担当さんの発言は、一体どのような主旨で述べられたのですか?
> > 新しい文化の登場は、経済発展に全く寄与しないという考えなのですか?
> > それに前回、「文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するもの」
> > と述べられてましたけど、この発言との整合性はどの様に着けられてます?

> 私の考えを述べますと、まず
> 1)人間の欲望には限界がある
> 2)市品・サービスの質が限界に近づけば近づくほど、その差は大したものでなくなる(限界効用)
> 3)技術革新により、生産効率だけは上昇していっている

う〜ん、何だろう? この違和感の正体は・・・・
旧トルコ担当さんって、経済学部か経営学部の学生さんなのかな?
理路整然としてるのに、実感が伴ってないというか、自分の言葉で語ってない感じがして、
大好きなオタク文化の際は、自論と岡田論を組み合わせようと錯誤して語ってた一方、
今回の経済に関する語り方は、教科書の要約をコピペしたかのような味気無さで、
言うなれば、好奇心から身に付けた知識と、義務感で身に付けた知識の違いみたいな印象。
それでいて、目先の利益を求め、中長期の展望を犠牲にする、最近流行の理論を唱えつつ、
それなのに、将来的な雇用の事は気に掛けるという、アンバランスぶりが見られるのは、
現場で実践するような立場ではなく、学問として学んでいる立場だからな気がして、
となると、こんな自己正当化の御題目に過ぎ無そうなモノを、わざわざ大学で教わり、
それをそのまま信じてしまってる訳で・・・って、推測に推測を重ね過ぎだな(苦笑)。
もしそうなら、何だかヤバい感じがして、少し心配になっちゃったんですけど、
まあ、所詮は私の勝手な邪推からの流れなので、適当に聞き流して貰って構いません(笑)。

そんな与太話は兎も角、結局はいつもの如く、対象として考える規模の違いの話になるのかな。
旧トルコ担当さんのおっしゃっている規模の場合、例えば3に関して言うと、
それは技術の「改良」や「改善」であって、個人的に「革新」とは呼ばない感じですね。
既存品を品質改良や効率改善するのであれば、現在地点があり、目標地点があるので、
その差を埋める事を目指す、「引き算と割り算」の技術開発になるんです。
このケースであれば、述べられている内容も、そこまでおかしいとは思いません。
スタートとゴールが見えていると、手堅く利益を計算しやすい一方で、
効率化を進めるほど、その開発で見込める利益は小さくなるばかりでジリ貧であり、
少しくらい変わった所で、所詮は既存品ですから、大きく需要が増える訳でも無く、
この方法では、手を加えるにも限度があるので、確かに1や2も満たします。

ですけど、あくまでこれは、「引き算と割り算」の技術開発だからであり、
画期的な新商品を目指す、「足し算や掛け算」の技術開発だったら、どうでしょう?
既に持っているモノと、似たようなモノは2個も3個も要らないという意味では、
「人間の要望には限界がある」という主張は成り立ちますが、
1個も持っていない魅力的な新商品で、他の人たちが買い始めたならば、
やはり欲する願望が沸き上がるのが人というもので、1は満たさなくなります。
2に関しても、無限の広野に降り立った新商品なのですから、
向上の余地は豊富にあり、2のような問題が生じるのは先の話となります。
そして、新商品を生み出す革新は、効率をアップさせる3のような改善・改良とは別物です。
で、その元手となるのが研究開発への投資であって、ここを削れば目先の利益は上がりますが、
それは、タコが自分の足を食べるような行為であり、中長期的なジリ貧から脱せなくなります。
とは言え、ある程度の見当が付く「引き算と割り算」の技術開発とは違い、
「足し算や掛け算」の技術開発は、当たれば大きい変わりに、何が当たるかは見当も困難です。

まあ、旧トルコ担当さんの好みに合わせて、アニメ制作に例えれば、
「引き算と割り算」的なのがマンガ原作付きで、
「足し算や掛け算」的なのがオリジナル作品みたいな感じですね(笑)。
そして2に関しても、続編や同系統の作品ばかりだと、その内に頭打ちですが、
今まで見た事のないジャンルの作品が生まれれば、新たな裾野も広がりますし、
同じく1に関しても、甘いモノは別腹とばかりに、新ジャンルに飛び付くかも?
また、「アニメなど昔からあっただろ」という事であれば、
例えば、以前にも話題に上ったフィギュアとかは、近年に開拓された新市場ですし、
今後はリアルだけでなく、ヴァーチャルなコレクション市場だって広がる可能性もありそう。

って、もうちょっと具体的な例の方が良いのかな?
それこそ解りやすいのが、3丁目の夕日のような高度成長期ですけど、
テレビ・洗濯機・掃除機・冷蔵庫・炊飯器・クーラー・自家用車などなど、
次々と新商品が生まれた時代があった訳で、その頃のい人々は欲しいという願望まみれですし、
従来の家事を楽にする家電もあれば、生活に新たに加わった家電もあった訳です。
そして、それらの新商品が普及して、各社競争と大量生産がされるようになれば、
品質も良くなり、価格も安くなり、その点では上限もあるのでしょうが、
しかし一方で、白黒テレビからカラーテレビに、
ビデオからDVD そしてBlu-rayへとか、大きな転換点もあった訳ですし、
次々と新商品が生まれる為、洗濯機の次は冷蔵庫、その次はクーラーみたいな転換もあり、
国内の買い換え需要とかでも不十分なら、海外市場に打って出る手もありました。

「今は全てが満たされていて、何も無かった昔とは違う」と思われるかも知れません。
私も子供の頃は、少し前までと違って、今は何でも揃ってる時代だと感じてましたが、
それでも、電子レンジの登場が、冷凍食品という新たな分野を生み出しましたし、
それこそ、インターネットの登場により、PCやスマホが新たな家電として現れました!!
正直、「自分が子供の頃にネットがあったら」とは、よく考えちゃいますよ。
それくらい、ネット前とネット後とでは、人々の生活スタイルが一変したのも事実です。
「もう、これ以上は無いよ」と思われるかも知れませんけど、
恐らく、まだまだ新たなモノは産まれ続けて行くでしょうし、
バイオとか、ナノテクとか、AIとか、すぐ目の前まで来ている技術は多いです。
もっと具体的な実例を挙げるとすれば、ガソリン車から電気自動車への転換点が、
10年以内に訪れそうですし、そうなれば世界規模での買い換え需要が発生しますね。
まあ、自動車産業が柱な日本としては、ちょっと厳しい状況ですけども・・・・

> という3つの前提があった上で、1・2だけであれば大した問題は起こりませんが、
> 実際にはIT化やAIにより、3の性質がますます進み、どんどん失業が進むのにも関わらず、
> 大して有効な需要が創出できていない、というのが日本及び世界の先進国の現状であり、
> 今後も続く傾向なのではないでしょうか?

まあ確かに、新たな無駄を生むのでは無く、既にある無駄を削る一辺倒の、
現在のような儲け方が続くばかりであれば、需要や雇用の創出なんて難しいですよね。
そもそも、そんな事を考えて無いというか、却って逆方向のやり方なので。
とは言え、同じ様なやり方が何十年も続くかというと、それはそれで難しい所があり、
それは歴史的に見てもそうですし、変化のスピードが速い昨今なら尚更です。

ですけど、このままの流れで行くと、好転するよりは暗転する可能性が高そう・・・・
例えば、社会状況の悪化が続くと、自分だけは落ちまいと右傾化が起こりやすく、
まさしく現在は、そうした傾向が世界的にも見受けられると思いますが、
更に状況が悪化して、既に落ちてしまった人の数が増えれば、今度は左傾化しやすくなります。
100年前にロシア革命が起こり、世界を共産主義の波が襲ったのも、そんな時代でした。
ただ、感情よりも理性を重んじる左傾化は、理想は高邁でも実現は苦難でしょうし、
そうした動きが再び起こるにしても、どの程度の事が起き、どの程度まで実現できるかは未知数。
でもAIやITが組み合わされば、例えばベーシック・インカムとかも上手く回る可能性もあるかも?
ともかく、20年や30年でシステムが変わる流れを見ていると、
現行のシステムだけが不変だなんて思えませんし、そこまで絶対的に安定したシステムだとも感じません。

また、人類というのは、何度も何度も新たな技術を生み出して、
その度に、必要となる仕事の人手を減らし続けてきましたし、
それに反して、人口自体は増えていきましたけど、
社会が充実すると、求められる「新たな無駄」が現れ続けてきたと。
で、その新たな無駄の正体こそが「文化」であり、それが雇用を満たしてきましたからねえ。
とは言え、いつも すんなりと好転してきた訳では無く、紆余曲折は経てきているので、
有り難くは無い事でしょうけど、我々はそんな苦しい転換期の生き証人になれるかも?(苦笑)

> 「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」というのも、限界効用という壁がある以上、
> 科学技術の発展は3の傾向をますます強めるだけであり、むしろ状況を悪化させると思うんですよね。
> ということに関しては管理人さんの見解もそこまで食い違っているわけではないのでは?

まあ、私も所詮は門外漢ですから、そこまで別に気にしないのですが、
経済学で用いられる「限界」って、数学で言う所の「微分」の意味だと思いますけど、
「限界効用という壁」と表現してしまうと、一般的な「限度」の意味になっちゃいませんか?

う〜ん、日本からノーベル経済学賞が出ないのは、
日本の経済学が、理系ではなく文系に属しているからだとか、聞いたりしますけど、
同じ概念でも用語がバラバラなのは兎も角、経済学の数学乖離は何とかしたい所かも。
数学的とは言いませんけど、まだマルクス経済学とかも一緒に学んでた時代なら、
もう少し、科学的に経済学の捉える傾向もあったのでしょうけど、
今時は経済専攻でもマルクスなど学ばないでしょうし(さすがにケインズは学ぶ?)、
経済学に関心があるなら、せめて長沼伸一郎の著書くらいは、読んでおいても良さそう。
(物理学が専門な人が書いた経済学の本なので、少なくとも私には読みやすかったです)

「現代経済学の直観的方法」
https://www.amazon.co.jp/dp/4065195039/
「経済数学の直観的方法」
https://www.amazon.co.jp/dp/4062579847/
https://www.amazon.co.jp/dp/4062579855/

って、経済学は法学の次に興味がない私が、こんな事を言っても説得力が無いですけど(苦笑)。

> 例えば、1950年代、普通の家庭に生まれた小学生の女の子が、お金持ちの友達の家に遊びに行った際、
> おやつにパイナップルが出てきて「世の中にはこんなにおいしいものがあるのか」と
> 感動したという話を聞いたことがあるのですが、

前回読んだ時は、まあ個人の感想なので何とも言えないものの、
「当時のパイナップルって、感動できるほど美味しかったのだろうか?」と、
ちょっと引っ掛かってしまったのですが、
今回読んで、ようやく気付きましたけど、これって恐らく、
パイナップルそのものではなく、砂糖シロップ漬けのパイン缶ですね。
でしたら、時代を考えても、何となく納得(笑)。
考えてみたら、果物が急激に甘くなったのは、ここ20年くらいの話で、
昭和の頃なんて、果物缶の味はパインに限らず、ほぼシロップの甘みでしたから。

> 今これって成立しないと思うんですよ。今の高いお菓子って、高級な味がするだけですから。
う〜ん、それはどうなんですかねえ?
味の感動というのは、経験に依存するモノでしょうから。

90年代にイタリア料理が普及し、00年代に韓国料理が普及したみたいに、
日本の社会レベルで見ても、馴染みの薄かった味の発見は起こり得ますし、
我々はまだ、世界中の料理を味わい尽くした訳でも無い上、
新たな食材や料理法との出会いが、新たな料理を生み出す可能性だって充分に有り得ます。
それに今では、甘味・塩味・苦味・酸味・旨味を分析できる機会も現れており、
食感・匂い・見た目も合わせ、自分好みのオリジナルな調合も、近い将来は現れるかも?

そして何より、どれだけ社会的に普及していたとしても、
全ては各々の個人的な体験次第ですから、世間的には珍しくない料理でも、
初めて食べて感動するなんて事は、普通に起こり得る気がするんですよね。
タピオカ・ブームみたいに、世代が1周すると、定期的に再燃するモノもありますし。

> (年末年始にやっている、芸能人格付けチェックという番組があります。
>  芸能人に高級なお菓子と、コンビニのお菓子を目隠しして食べ比べをさせて、
>  どっちが高級品か判別できるのか?という内容ですが、

どうでも良い話ですけど、コンビニのお菓子が登場した回ってありましたっけ?
あの番組で食べ物だと、牛肉とか刺身など、素材系の出題が多いイメージで、
お菓子となると、待合い室で食べてたり、お菓子で出来たフェイク盆栽の記憶しか無い(笑)。
元日のゴールデン帯なんて、家族一同で見られる番組なんて限られてますし、
(2016年の「芸人キャノンボール」は面白かったですが、家族向けではなく、録画して見ました)
ちゃんと見てる訳じゃないですけど、ほぼ確実にチャンネルは点いてたはず・・・・

って、コンビニでお菓子と言うから、スナック菓子みたいなのを想像しましたが、
パティシエが作る高級菓子と食べ比べるのであれば、いわゆるコンビニ・スイーツの事かな?
私自身は見た記憶が無いけど、それなら有り得そうな気はしました。
という事で、何だか気になり検索してみたら、
どうやら2013年の放送で、コンビニのプリンが登場したみたいですね。
2013年の正月となると、父親が大きな手術をして入院し、バタバタしてた時で、
しかもチャンネルを回してたのは、いつも父親でしたから、その年は見てなかったのかも?
な〜んて、どうでも良い方向に、考えが脱線(苦笑)。
ちなみに「芸能人格付けチェック」は、特番出演を賭けた芸人予選の方が好きだったので、
昨年から その放送枠が無くなってしまい、個人的には面白さが半減。

>  あの番組が成立することが限界効用のもっとも良い例かと)
う〜ん、もっとも良い例・・・ですか?
ビールは最初の1杯が一番旨いとか、ポテチは最後の1枚が一番旨いみたいな方が、
価値は同等でも、満足度が異なる例として、解りやすい気はしますけどね(笑)。
それに、何でも金額ベースで語ってしまうと、薄っぺらい感じになりますし、
限界を微分と捉えれば、この「1杯」「1枚」という表現こそ、限界の意味が深まると。

でもまあ、言いたい事は、何となく解るんですよ。
例えば、100万円のワインを、1万円のワインと飲み比べても、
別に100万円のワインが100倍 美味しい訳じゃない、みたいな話ですよね?
格付けチェック風に言うなら、タラバガニとカニカマの味の違いも解らないなら、
格段に安いカニカマ食って満足しとけや・・・みたいな感じで(笑)。
確かに最近は、一昔前の「安かろう悪かろう」という時代とは違い、
100均の充実を始め、「安くても品質そこそこ」な商品が増えたのは事実です。
(とは言え、だから、あのような番組が成り立つというのは、ちょっと違う気はしますけど)

それこそコンビニ・スイーツとかも、「この値段で、この味が出せるか」と、
感心させられる事はありますし、その企業努力は素直に賞賛するんですけども、
とは言え、それなりの値段を払えば、相応に美味しいスイーツが食べられるのも事実ですし、
その辺りの充実ぶりこそが、世界に誇れる日本(特に東京)の文化的強味であろうかと?

ちなみに、「値段が2倍になると、味は2割増しになる」というのが、私の個人的な経験則(笑)。
あとは各個人で、どの辺りが満足できる最大値かって事ですよね。
同じ値段なら、2個食べられる方が良いのか? より美味しい方を1個食べるのか?
それこそ余裕のある人なら、美味しければ、どれだけ高くても構わない人も居るでしょうし、
逆に、食に対する拘りが乏しければ、カネはあっても安物で充分だという人も居るでしょう。
結局は、人それぞれの価値観に基づく「コスパ」が求められれば充分なんです!!
しかし現状は、経済的事情も相俟って、コスパ自体の選択肢が狭まり、
「コスパ=妥協できうる最安値のモノ」の意味合いになりつつあると・・・・


> 一方でだからこそ、楽観的に
> > 人間の欲求というのは、「五感と心の刺激」を求めるモノであり、
> > それを如何に満たしていくかという方法論が、これで頭打ちだとは思えませんし、
> > 今は存在しない「何か」が新たに誕生した折りには、また同じ事が起こりますよ!!

> と考えられるのが、私には理解できていないところです。
> 管理人さんがそうおっしゃる以上、何らかの根拠があると思うのですが、
> その根拠というか、具体例を示してほしいと。

歴史的に、そして科学的に見れば、当たり前の話だと思うからですよ。
それが「楽観的」と映るのは、悲観的と言うよりも「独善的」なモノの見方なのでは?

冷戦終結の直後、日系アメリカ人の政治経済学者フランシス・フクヤマが記した
「歴史の終わり(原題:The End of History and the Last Man)」という本が、
世界的にヒットして、欧米を中心に広く受け入れられてました。
その内容を簡単に要約すると、民主主義と自由経済が冷戦に勝利した事で、
我々人類の政治体制は、安定的な最終形態、つまりは完成形へと遂に達して、
今後の世界は、小さな変化や事件などは起きても、大きな変動は起こり得ない。
つまり、我々は成長を体験した人類最後の世代であり、現代社会は上限に達し、
大きな意味での「歴史」というのは、ここに終わったのだ・・・という主張ですね。
では実際、あれから30年あまりが経ちますけど、
未だ「歴史は終わった」と考えている人が、どれほど居るかといえば・・・・(苦笑)
と言いますか、こうした考え方自体が「奢り」であるという事は、
冷戦の勝利に浮かれていた人でも無ければ、当時でも解っていたはずです。
冷戦直後だけでなく、人類は何度だって、そんな同じ誤解を繰り返してきましたから。

「人間の欲望には限界がある」 「商品やサービスに限界がある」
では、人類の歴史を見てみた時に、そんな時代が過去に、いつあったのですか?
それとも、このタイミングで、歴史は終わってしまったのですか?
もちろん、長い歴史を振り返ると、数十年と停滞した時代は実際ありますよ。
直近で言うと、18世紀の後半とかが、それに当てはまるんですかねえ。
しかし、その停滞がいつまでも固定化されたかと言えば、決してそんな事は無く、
市民革命の時代、そして帝国主義から世界大戦・冷戦へと、歴史は激変して行くんです!!
その時点では限界に思えた事も、実際に時が経てば、既に超えてる事は往々にあります。

まあ確かに、世界市場は大部分が開拓され、世界的にも少子高齢化が進む
21世紀の中期というのは、300年ぶりの「停滞の時代」を迎えるのかも知れません。
そういう意味では、現時点と近未来を見て「停滞=限界」と捉える事もあるでしょうが、
だからと言って、そんな停滞の数十年が、未来の全てでは無いですよ。
人類の歴史とまでは言わなくても、人生100年時代とか称される昨今、
20年後30年後の世界など、別に自分には関係無い事だとか、ならないはずです。
これはもう時間の巡り合わせであり、青少年期に成長の時代を迎えるか、
青少年期は停滞の時代だったが、中高年期に成長の時代が来るとかは、運次第です。

それに、人間の欲望には限界があり、商品やサービスに限界があるだなんて、
そんな社会全体が悟った世界、一体どこに存在するんですか?(笑)
本当に存在するなら、共産主義だって、こんなに簡単に瓦解してないですよ・・・・
諦めや無知で満足ラインが低い事と、欲望に限界がある事とは、根本的に違います。
そして、今の社会に見られる症状は、基本的に後者ではなく前者の方です。

また、科学目線で言うと、生存欲・生殖欲・食欲・睡眠欲など、
人間に限らず、生命体を動かす仕組みこそが「欲求」であり、
見方を変えれば、我々が欲求と呼ぶような強い衝動というか、行動原理が、
個や群れを存続させる上で、非常に適しており、
そして残り、増えたモノの事を、生命体と呼ぶとでも言えば良いのでしょうか。
そういう意味では、そもそも生命体と欲求は切り離せないモノなのですが、
そんな欲求の存在を自覚できる生物となると、人間以外に居るのかな?
まあ、それは兎も角として、自覚できるからこそ「願望」が生まれる訳で、
欲求の願望、つまりは欲望こそが、人を人たらしめているとも言えます。

ですから、現実と摺り合わせて、妥協できるラインを探る事はあっても、
人間に欲望自体の限界があるかと問われれば、答えはノーだと思うんです。
その欲望の存在を知っていて、それが実現可能であるなら、
基本的に人というのは それを行いますし、需要があれば供給を行おうとしますよ。
あとは、経済的事情と科学技術によって決まるモノで、
そこさえ乗り越えられれば、妥協ラインなんて固定式ではなく可変式です。
逆に言うと、状況や環境の悪化で、そのラインは固定や低下されたりもしますが、
それ自体は「限界」というのとは、また別次元で決まります。

あと、工学的に言うのであれば、
ああいう技術があれば、こういう技術があれば、というモノの数々が、
今すぐとは言わないまでも、かなり実現まで近付いている実感があるからですね。
要するに、既に願望はあるものの、技術的な制約によって叶わない実状に対して、
もしも、それが実現されれば、現時点の限界を突き抜ける事も可能です。
例えば夢を見る原理で、眼を介さずに視覚情報を得られれば、VR技術は一変します。
そういう意味では、望遠鏡では見えてはいるけど、到達できてない新大陸が存在するのに、
自分の足下だけを見て、限界だ何だという風な考え方にはなりませんし、
ここにあるのは技術的な制約であって、それは欲望の限界とは完全に別物ですからねえ。


[23740] Re7:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/10/27 (水) 02:36:46 旧トルコ担当


> > > > まず前提として、私は新しい文化(形態)の登場の最大の要因は科学技術だと思っているので、
> > > > そこは管理人さんとは多少違うのかな?

> > > んん? いや、いや、いや、いや。
> > > 技術革新の重要性に関しては、私の方がしつこく主張していたという認識だったのですが!?
> > > 文化と科学技術の関連性については、そこそこ触れてきたのに、ほぼスルーだったのは、
> > > 旧トルコ担当さんは理系じゃないみたいですし、そんなに関心ない話なのかと思ってましたけど、
> > > 詳細な内容以前に、その話の大枠すら、全く理解して貰えていなかったって事???
> > > えっ、では一体、旧トルコ担当さんの解釈では、私ってどんな主張をしている事になってるんですか?
> > > また、そうなると、以前おっしゃった
> > > 「科学技術の発展が日本の経済発展に貢献するんですかね?」
> > > という旧トルコ担当さんの発言は、一体どのような主旨で述べられたのですか?
> > > 新しい文化の登場は、経済発展に全く寄与しないという考えなのですか?
> > > それに前回、「文化というのは突然変化するものではなく、ゆっくり変化するもの」
> > > と述べられてましたけど、この発言との整合性はどの様に着けられてます?

> > 私の考えを述べますと、まず
> > 1)人間の欲望には限界がある
> > 2)市品・サービスの質が限界に近づけば近づくほど、その差は大したものでなくなる(限界効用)
> > 3)技術革新により、生産効率だけは上昇していっている

> う〜ん、何だろう? この違和感の正体は・・・・
> 旧トルコ担当さんって、経済学部か経営学部の学生さんなのかな?
> 理路整然としてるのに、実感が伴ってないというか、自分の言葉で語ってない感じがして、
> 大好きなオタク文化の際は、自論と岡田論を組み合わせようと錯誤して語ってた一方、
> 今回の経済に関する語り方は、教科書の要約をコピペしたかのような味気無さで、
> 言うなれば、好奇心から身に付けた知識と、義務感で身に付けた知識の違いみたいな印象。
> それでいて、目先の利益を求め、中長期の展望を犠牲にする、最近流行の理論を唱えつつ、
> それなのに、将来的な雇用の事は気に掛けるという、アンバランスぶりが見られるのは、
> 現場で実践するような立場ではなく、学問として学んでいる立場だからな気がして、
> となると、こんな自己正当化の御題目に過ぎ無そうなモノを、わざわざ大学で教わり、
> それをそのまま信じてしまってる訳で・・・って、推測に推測を重ね過ぎだな(苦笑)。
> もしそうなら、何だかヤバい感じがして、少し心配になっちゃったんですけど、
> まあ、所詮は私の勝手な邪推からの流れなので、適当に聞き流して貰って構いません(笑)。


こちらの予測に関しては大体あっていますね。
ですが、大学の教授に影響されているわけではなく、勝手に読んだ本で勝手に影響されているだけですw

自分としても、論理だけでドンドン進むと一面的としては合っていても、実際には現実と乖離している考えが出来上がるのは気づいていますし、経済に対しては実際の知識が大いに不足しているのは承知しているんですよね。
だからこそ、じゃあ昔どうだったの?という具体的な例を管理人さんに聞いたつもりでした。

欲望の限界ということに関しては、ある程度、管理人さんの論も理解できたつもりです。
それでも完全に賛同できているわけではないのですが、その賛同できない違和感みたいなものは、私自身もまだあやふやなものなので、時間をかけて考えたいと思います。
何となく、(私の言う)ファスト化がカギだとは思うのですが。
自分なりに、コウだ!というものが作れたら、また掲示板に投稿するかも?(迷惑かもですがw)

というか、そもそもこの件も元はゲーム制作の話であったわけで、もう1年もたってしまいましたが、そっちの方も書き込んでいきたいと思います。
銀英伝の方でも少し関連した話も出てきていますし。


追記

ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。

1位 響け!ユーフォニアム
2位 言の葉の庭
3位 夏雪のランデブー
4位 月がきれい


さらに追記
> > > > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > > > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> > > では、もう1度 考えてみて下さい。
> > > VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> > > そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> > > 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> > > そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?

> > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、
> > それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?

> え〜と、「大抵のモノは同じ」とか、そこまで大きな意味で、言っている訳ではありませんよ。
> 例えば、VR恋愛とアニメ・ゲームとでは、異なる分野ですけど、
> VR恋愛とキャバクラであれば、根っこは同じというくらいの話です。
> ここで本質部分と言っているのは、それぞれに伴う「疑似恋愛」感情の事です。
>
> まず始めに、VRゴーグルで恋愛ごっこが、
> 疑似恋愛を楽しむ行為である事は、特に説明を要しませんよね?
> そもそも、ヴァーチャルが前提で楽しむ遊びですし、
> 美少女キャラを演じるのであれば、尚更、解った上での演技です。
> まあ中には、本気になっちゃう人も居るでしょうけど、それはキャバクラだって一緒(笑)。
> そしてキャバクラの方も、解った上での疑似恋愛を楽しむ場所ではあります。
> 単に性欲を発散したければ、ソープにでも行くでしょうし、
> 女の子との会話を楽しみたいのなら、バーとかがあるので。
> 女性客相手であれば、ホスト・クラブとかも、疑似恋愛を楽しむ場に該当するかな?
> もっと言えば、アイドルの追っかけ活動とかも、似たような部分があります。
>
> 要するに、アナログか?デジタルか? 男性向けか?女性向けか? 一対一か?一対多数か?
> その辺りの違いがあるだけで、疑似恋愛を楽し本質部分は同じという話です。
> そして、VRであれば非人間型のキャラも扱えるのに、結局は美少女キャラに行き着くのも、
> 所詮は人間である以上、技術はデジタルでも、アナログな感情を脱しきれないんです。
> また、ノンケな男性向けの百合AVと、ガチ同性愛者向けのレズAVが別物であるみたいに、
> ユーザーが共に男性で、キャラが共に美少女であっても、それも結局は、
> 「中の人は女性が好き」という範疇を、なかなか超えるモノではありませんからねえ。
> 逆に言えば、だからこそ以前、その壁さえ突破しそうだった「らぶデス555」を紹介したんです。


この感じだともしかして管理人さんはVRChatが「女の子になりたい願望」をかなえる装置だということに気づいていないののでしょうか?
いえ、気づいたうえでの発言でば申し訳ありません。
前に百合の話題の時にも指摘したように、00年代の萌えも、10年代以降の百合も、実は萌えキャラのような可愛い女の子になりたい、という欲望が隠されていると私は考えていまして、VRChatはそれを叶える、変身道具なわけです。
もちろん、VR恋愛という意味では、外側がVRになっただけで結局あまり変わっていないということも事実です。
しかし、人間は7割を視覚情報に頼っているなんて言われますし、VRChatで女装しているおじさんたちが必ずしもVR恋愛をしているわけではないことを踏まえると、VR恋愛の本質は恋愛というより女装の方にあると思うんですよね。
人間の魂をそのままに、体だけ入れ替えるなんていう技術はまだまだ開発される見込みがないため、自分の身体とは違う体・姿を求める人々の欲望は現在のところVRChatが叶えていると。
そしてもっと言えば、VR恋愛というのは単にVRで恋愛をするという意味ではなく、男でありながら百合恋愛するということなんです。
ですから、VRChatはちゃんと、らぶデス555の正統な進化系だと思います。

VTuberも同じです。
アレは一般人からすれば、YouTuberのCG版に過ぎないのでしょうが、萌えオタからすれば「アニメキャラがYouTuberになった」ということなんです。
そもそも萌えオタがドラマではなくアニメを見ることからも分かるように、オタクからすれば3次元よりも2次元のほうがよかったわけです。
それまではそうした2次元のかわいいキャラクターはマンガやアニメ等で創作されるしかなかったわけですが、それがYouTubeという形態でも現れたわけで、それは明らかに手段が増えてると思うんですよね。
ちなみに、管理人さんの唱える「かわいさ:アニメ・イラスト>VTuber(CG)であり、VTuberのCGは代用品」という説も私は否定的です。
といいますか、それは適当なVの切り抜き動画でも見れば明らかでは?
もちろん人によって好みなどはあると思いますが、一概にアニメ・イラスト>VTuber(CG)とは言えないと思います。


[23749] Re8:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/11/3 (水) 00:25:34 徳翁導誉

> > う〜ん、何だろう? この違和感の正体は・・・・
> > 旧トルコ担当さんって、経済学部か経営学部の学生さんなのかな?
> > 理路整然としてるのに、実感が伴ってないというか、自分の言葉で語ってない感じがして、
> > 大好きなオタク文化の際は、自論と岡田論を組み合わせようと錯誤して語ってた一方、
> > 今回の経済に関する語り方は、教科書の要約をコピペしたかのような味気無さで、
> > 言うなれば、好奇心から身に付けた知識と、義務感で身に付けた知識の違いみたいな印象。
> > それでいて、目先の利益を求め、中長期の展望を犠牲にする、最近流行の理論を唱えつつ、
> > それなのに、将来的な雇用の事は気に掛けるという、アンバランスぶりが見られるのは、
> > 現場で実践するような立場ではなく、学問として学んでいる立場だからな気がして、
> > となると、こんな自己正当化の御題目に過ぎ無そうなモノを、わざわざ大学で教わり、
> > それをそのまま信じてしまってる訳で・・・って、推測に推測を重ね過ぎだな(苦笑)。
> > もしそうなら、何だかヤバい感じがして、少し心配になっちゃったんですけど、
> > まあ、所詮は私の勝手な邪推からの流れなので、適当に聞き流して貰って構いません(笑)。

> こちらの予測に関しては大体あっていますね。
> ですが、大学の教授に影響されているわけではなく、勝手に読んだ本で勝手に影響されているだけですw

すみません・・・・
この推測に関しては、一旦は書いたものの、さすがに失礼かと思い、
後で消すつもりでいたのですが、他の作業が思いのほか手間取ってしまった為、
削除し忘れて、そのまま投稿しちゃってたみたいです。
本当に、申し訳ありません。

> 自分としても、論理だけでドンドン進むと一面的としては合っていても、
> 実際には現実と乖離している考えが出来上がるのは気づいていますし、
> 経済に対しては実際の知識が大いに不足しているのは承知しているんですよね。
> だからこそ、じゃあ昔どうだったの?という具体的な例を管理人さんに聞いたつもりでした。

私に答えられる事でしたら、出来る限り お答えしますよ。
と言いますか、一昔前の実例や実感を知りたいのだろうなと感じるので、
聞かれてもいない昔話まで、「余計かな?」と思いつつも、結構書いたりしてますけど(笑)。

> 欲望の限界ということに関しては、ある程度、管理人さんの論も理解できたつもりです。
> それでも完全に賛同できているわけではないのですが、その賛同できない違和感みたいなものは、
> 私自身もまだあやふやなものなので、時間をかけて考えたいと思います。
> 何となく、(私の言う)ファスト化がカギだとは思うのですが。
> 自分なりに、コウだ!というものが作れたら、また掲示板に投稿するかも?(迷惑かもですがw)

いえいえ、迷惑とかは全く感じてませんよ(笑)。
何かあれば、自由に書いていただいて構いませんし、
個人的には異論とか反論とかある方が、却って有り難い部分も。
そういう意見に接する事で、私自身の考えが深まる機会にもなりますので。

また、逆に言えば、私の方があまりにズケズケとモノを言い過ぎて、
相手方を傷付けたりしてないかな?というのは、いつも気にして書いてはいます。
まあ、そうは言っても、リアルみたいに気疲れはしたくないので、
ここは私のサイトだからこそ、結構本音でぶっちゃけて話してる所はありますし(笑)、
そうは言っても、相手を傷付けたり、マントを取りたいとかは全く無いので、
もし私に不快な言動などがありましたら、本当に気兼ねせず おっしゃって下さいね。

> というか、そもそもこの件も元はゲーム制作の話であったわけで、
> もう1年もたってしまいましたが、そっちの方も書き込んでいきたいと思います。
> 銀英伝の方でも少し関連した話も出てきていますし。

了解です!!


> > 今時は経済専攻でもマルクスなど学ばないでしょうし(さすがにケインズは学ぶ?)、
> > 経済学に関心があるなら、せめて長沼伸一郎の著書くらいは、読んでおいても良さそう。
> > (物理学が専門な人が書いた経済学の本なので、少なくとも私には読みやすかったです)
> > 「現代経済学の直観的方法」
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4065195039/
> > 「経済数学の直観的方法」
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4062579847/
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4062579855/

別に、求められて無いかも知れませんが(笑)、
私が実際に読んでみて、良かったと思える内容の本だったので、
前回の啓蒙書3冊から、更にもう1歩進む入門書として、以下2冊を紹介。

「動学マクロ経済学へのいざない」
https://www.amazon.co.jp/dp/453555949X

「増補版 金融・証券のためのブラック・ショールズ微分方程式」
https://www.amazon.co.jp/dp/4489020406

この辺の啓蒙書や入門書を押さえてから、教科書や専門書を読むのと、
いきなり教科書や専門書を読むのとでは、やはり理解の深みが変わってくるかも?
・・・って、実を言うと、これらのラインナップは、
以前の旧トルコ担当さんとの雑談もキッカケの1つで、読んでみた本なんですけどね(笑)。

> > > > 最近では映像制作のプロもYouTubeなどに参入してきて、また一段階 進んだ印象を受けます。
> > > > 例えば、テレビ東京が提供するYouTube独自の番組であったり、
> > > > テレビ朝日が出資するAbemaのオリジナル番組などは、
> > > > 地上波みたいに時間や需要に囚われる事なく、比較的自由な番組制作が出来てますし、

続いて、以前のこの話↑とも関連しつつ、経営学ネタという事で、
つい先日、テレビ東京のYouTube番組で、こんな動画がアップされてました。

「ガンダムに学ぶ経営学」
https://www.youtube.com/watch?v=oawWgJu9Km8

ただし、第2弾と第3弾の動画まで見たら、良い所で動画が途切れて、
「後半パートはテレ東の有料アプリで」という、実は宣伝用コンテンツだった(笑)。
https://www.youtube.com/watch?v=-7qJ9F1sG4Q
https://www.youtube.com/watch?v=7cZEwBnWPwE
でもまあ、逆に言えば、客寄せ目的だったからこそ、
出演者のノリも いつもとは異なり、ちょっと砕けた感じの配信回だったのでしょうね。
少なくとも、ガンダムを知っていて、経済学に関心のある方には、結構オススメな内容!!
って、旧トルコ担当さんは以前、岡田斗司夫のガンダム全話解説について触れられてましたし、
オタクを称される以上、ファースト・ガンダムは当然 押さえているだろうと思ったものの、
これまでの「オタクの定義」の相違を踏まえると、必ずしも、そうとは言い切れないのかな?

まあ、それはさておき、「ゲームやアニメで学ぶ」という勉強方法は、
やはり有効だろうなと、改めて感じさせられましたね(笑)。
それこそ、「この分野はこれで学べ!」という作品紹介と、それに伴う漫談的な学術解説。
そして、既存のゲームやアニメでは扱われていない、隙間を埋めるようなコンテンツを、
一括に提供するようなサイトがあれば、それなりに需要は在るかも知れません。
言うなれば、仕事的に義務感で学ぶ「勉強」から、趣味的に楽しく学ぶ「学習」への移行ですね。
同じ内容を学ぶにしても、勉強と学習とでは、効率も身に付き方も異なってくるでしょうし。

> > > > > PCは座って使うけど、スマホは寝っ転がって使う。
> > > > > 寝っ転がってるから皆短絡的になって、煽りまとめサイトみたいなものばかりが溢れる。
> > > > > 2ちゃんの時代はみな机に座ってPCで書き込んでいたはずです。

> > > > 何だかそれだと、まるで2chが高尚であったかの印象に(笑)。
> > > > まあ2chなんて昔から、良くも悪くも、ネット上における「便所の落書き」ですし、
> > > > 昔の多くのユーザーは、その事を自覚して利用してましたからねえ。

> > > 2chが便所の落書きというのは承知しています。
> > > 世代ではないですが、過去ログくらいは読んだ経験があるので。

更に引き続き、今度はABEMAの番組の方で、たまたま2chの話題を扱ってまして、
https://www.youtube.com/watch?v=c-vvqp6580Q
https://www.youtube.com/watch?v=C7KkS1BKC5Q
「2ch開設当初の利用者は、理系大学生や若手技術者が多かった為、
 ネタ的な嘘には寛容でも、ソースの無いデマには厳しい文化だった」
というのは、私としても「言われてみれば」という感じがしました。

ちなみに私は今年の初め、昔から気になってはいたものの、長らく未見だった
「シュタインズ・ゲート」を一気見して、今更ながらにハマったりしたのですが(笑)、
もちろん内容自体も面白かったものの、それ以外に、既に10年も前の作品という事で、
放送当時のネットや秋葉原の雰囲気が作中に保存されていて、そこも懐かしく楽しめました。
ただ一方で、当時のネットや秋葉原を知らない世代が見た場合には、
一体どんな感じに映るのだろうか?というのも、少し気になったりもしたんですよね。


> > > > 「俺ガイルは2010年代のエヴァだ」という以前の発言が、未だに少し気になってる所。
> > > > 「何故そう思われるのか?」という理由を、伺いたい気持ちもありますが、
> > > > 今となっては、旧トルコ担当さんの「アニメBEST10」とか、ちょっと聞いてみたいかな?
> > > > こういうランキングとかの方が、全体的な嗜好の傾向が掴めそうな感じがしますし、
> > > > 私自身が「次に何見ようかな?」と思った時、参考になるかも知れないので。

> ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。
> 1位 響け!ユーフォニアム
> 2位 言の葉の庭
> 3位 夏雪のランデブー
> 4位 月がきれい

まずは、オススメありがとうございます。
で、開口一番ですけど、俺ガイルは入ってこないタイプの作品なのでしょうか?
以前の「2010年代のエヴァ」という発言から、旧トルコ担当さんの中での、
俺ガイルというのを、ちょっと知りたかった部分は大きかったので、結構意外でした。

この中で言うと、「月がきれい」が初耳なタイトルだったかな。
調べてみたら、2017年のアニメ・オリジナル作品で、監督は岸誠二なんですね。
「I love you をそう訳したのは、太宰だったか、漱石だったか…」
というキャッチコピーも、舞台が近隣の川越なのも、個人的には興味を引きます。
これは、いつか見ようの候補リスト入りですね(笑)。
ご紹介、ありがとうございました!!

あと、残る上位3作品に関しては、ちゃんとは見ていないものの、
作品の内容とかは、何となく把握してます。
特に「夏雪ランデブー」に関しては、ノイタミナ枠だった事もあり、
たまたま何話か見た記憶がありますね。
と言いますか、この3作に俺ガイルの1期・2期も加えて、
おおよそ2013年前後に、オススメの作品が集中してません!?
これってつまり、この頃が、旧トルコ担当さんにとっての、アニメ激熱期だったって事なのかな?
・・・って、最初に前回の推測を謝罪しておきながら、この反応はマズいか(笑)。


> > > > > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > > > > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> > > > では、もう1度 考えてみて下さい。
> > > > VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> > > > そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> > > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> > > > 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> > > > そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?

> > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、
> > > それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?

> > え〜と、「大抵のモノは同じ」とか、そこまで大きな意味で、言っている訳ではありませんよ。
> > 例えば、VR恋愛とアニメ・ゲームとでは、異なる分野ですけど、
> > VR恋愛とキャバクラであれば、根っこは同じというくらいの話です。
> > ここで本質部分と言っているのは、それぞれに伴う「疑似恋愛」感情の事です。
> > 要するに、アナログか?デジタルか? 男性向けか?女性向けか? 一対一か?一対多数か?
> > その辺りの違いがあるだけで、疑似恋愛を楽し本質部分は同じという話です。
> > そして、VRであれば非人間型のキャラも扱えるのに、結局は美少女キャラに行き着くのも、
> > 所詮は人間である以上、技術はデジタルでも、アナログな感情を脱しきれないんです。

> この感じだともしかして管理人さんは
> VRChatが「女の子になりたい願望」をかなえる装置だということに気づいていないののでしょうか?
> いえ、気づいたうえでの発言でば申し訳ありません。

3DCGを用いたVRが、変身願望を叶えられる道具である事は、当然そうだと思いますよ。
CGやVRの視覚機能により、没入感が増すというのも事実でしょう。
でもこれって、手軽に行えるようになったという変化があるだけの話で、
そもそもネットの社会自体、匿名性が高いからこそ、昔から普通にあった文化ですからねえ。

男性が女性のフリをする「ネカマ」然り、オンライン・ゲームの女性キャラ・プレイヤー然り。
最初は釣り目的で始めたものの、チヤホヤされる内にハマった人も居たでしょうし、
そうした存在が認知されて以降は、チヤホヤされたい目的で始めた人も居たでしょう。
MMOでは、男性プレイヤー同士が、ゲーム内で結婚する事も珍しくは無かったので。
しかし、だからと言って、VRChatにしてもそうでしょうけど、
そうした願望も叶えられる事と、そうした願望がメインだと言うのとでは、まるで違います。

> 前に百合の話題の時にも指摘したように、00年代の萌えも、10年代以降の百合も、
> 実は萌えキャラのような可愛い女の子になりたい、という欲望が隠されていると私は考えていまして、

それは針小棒大というか、一部を全部と誤解してる気がするんですよ、私には。
まあ確かに、そうした層も中には一定数いたであろう事は、私も否定しませんよ。
それこそ00年代後半から10年代以前に掛けて、「男の娘」ブームがあって、
「こんな可愛い子が女の子のはずがない」なんてフレーズが流行ってましたし、
ハーレム系作品の一角に、そうした男の娘キャラが加わってた事自体、
一定のニーズがあったのは事実だと思いますけど、だからと言って主流ではありません(笑)。

普通だと、これらは草食系男子の流れから、語られる事の方が多いかと思われます。
そもそも草食系は、社会的に定義された流行単語なのですが、
偏見を恐れず言うと、オタクな人々というのは、十中八九 草食系なはずで(笑)、
そんな男性ファンたちの趣向傾向が、ハーレム的にモテまくりたい所から、
対象年齢が下がるロリ化、そもそも男が不要だという萌え化、
でも恋愛要素は欲しいという百合化という風に、流れていったという解釈が一般的かと?

例えば、少年マンガに腐女子のファンが付くケースは増えてますけど、
だからと言って、少年マンガのファンの大多数は、変わらず一般的な男性なのと同じかな?
悪目立ちするから、それを実態以上に大きく捉えてるだけな気がしますね。

> VRChatはそれを叶える、変身道具なわけです。
> もちろん、VR恋愛という意味では、外側がVRになっただけで結局あまり変わっていないということも事実です。
> しかし、人間は7割を視覚情報に頼っているなんて言われますし、
> VRChatで女装しているおじさんたちが必ずしもVR恋愛をしているわけではないことを踏まえると、
> VR恋愛の本質は恋愛というより女装の方にあると思うんですよね。
> 人間の魂をそのままに、体だけ入れ替えるなんていう技術はまだまだ開発される見込みがないため、
> 自分の身体とは違う体・姿を求める人々の欲望は現在のところVRChatが叶えていると。
> そしてもっと言えば、VR恋愛というのは単にVRで恋愛をするという意味ではなく、
> 男でありながら百合恋愛するということなんです。

別に、体を入れ替える技術なんて、そこまで必要じゃありませんよ。
重要なのは「体」ではなく、「心」の部分なのです。
そして私としては、そうした表層的な話をしている訳ではなく、
「そうした願望の根源とは何か?」という話をしているのであって、
だからこそ前回、品のない例え話ではあったものの、わざわざ こんな話↓までした訳で・・・・
> > また、ノンケな男性向けの百合AVと、ガチ同性愛者向けのレズAVが別物であるみたいに、
> > ユーザーが共に男性で、キャラが共に美少女であっても、それも結局は、
> > 「中の人は女性が好き」という範疇を、なかなか超えるモノではありませんからねえ。

要するに、女装しているだとか、女性キャラを演じているとか、そうした見た目の部分の話ではなく、
その人自身の「リビドー(本能的な性衝動)」が、どちらに向いているのか?という話であり、
そこの根幹部分が一緒であれば、どれだけ外側の見た目は違っても、内側の心は同じなんです。
ですから、旧トルコ担当さんにとっては、大きな違いなのかも知れませんが、
少なくとも私には、小さな違いにしか映りませんし、もっと大きな違いのある世界もあると見ています。
何と言えば良いのか、結局は「戯れ」の範疇での行動でしか無いと言いますか、
もっと伝わるよう、解りやすく説明したいのですが・・・更に品のない例え話しか浮かばない(苦笑)。

> ですから、VRChatはちゃんと、らぶデス555の正統な進化系だと思います。
いやいや、「らぶデス555」なんて、
ゲームの歴史に名を留めない、徒花的な存在な訳で、
だからこそネタになるのに、それを「正統な進化系」とか言われると・・・・
何というか、どこを面白がってネタにしているとかが、全く理解されないまま、
しかも、「解りますよ」と言われている気分になっちゃいますね(笑)。

> VTuberも同じです。
> アレは一般人からすれば、YouTuberのCG版に過ぎないのでしょうが、
> 萌えオタからすれば「アニメキャラがYouTuberになった」ということなんです。

それって、どんなアニメのキャラが、YouTuberになったのですか?
あくまでも、アニメ的なキャラクター性を持ったYouTuberが現れたという事で、
それは「YouTuberのCG版」というのと、具体的に、どのような違いがあるのでしょうか?

また、「アニメキャラがYouTuberになった」というのが強味なのだとしたら、
それこそ以前にも言ったように、実際のアニメからVTuberが派生すれば、
それだけで強力なコンテンツになりそうに思えますけども、
その話をした際には、「返り討ちにされる」という返信をされてますよねえ?
この辺に関しては、一体どのように捉えられているのでしょうか?

> そもそも萌えオタがドラマではなくアニメを見ることからも分かるように、
> オタクからすれば3次元よりも2次元のほうがよかったわけです。
> それまではそうした2次元のかわいいキャラクターはマンガやアニメ等で創作されるしかなかったわけですが、
> それがYouTubeという形態でも現れたわけで、それは明らかに手段が増えてると思うんですよね。

「手段が増えた」というのは、私も確かに そうだと思いますけど、
だからと言って、アニメやマンガの表現方法を、超えた訳では無いですよねえ?
それに、この発言ですと、VTuberの「中の人」の存在に関して、
ほとんど意識が向けられていない気がするのですが、その辺りの捉え方はどうなのですか?

例えばアニメですと、声優がキャラを越えて主張するなど、基本はありませんけど、
VTuberに関して言うと、中の人について触れるメタ発言は、よくあるパターンですよねえ。
確かに、中にはキャラに徹底している人も居るのでしょうけど、
マスコット業界のように徹底された世界に比べれば、どうしたって見劣ります。
言い方を換えれば、VTuberにとって、中の人の存在って、当然な設定になってる気がするんです。
そうなると、2次元からキャラが飛び出したと言うよりは、
3次元が2次元のアバターを被ったという方が、実状としては適当に思えます。

> ちなみに、管理人さんの唱える「かわいさ:アニメ・イラスト>VTuber(CG)であり、
> VTuberのCGは代用品」という説も私は否定的です。
> といいますか、それは適当なVの切り抜き動画でも見れば明らかでは?
> もちろん人によって好みなどはあると思いますが、
> 一概にアニメ・イラスト>VTuber(CG)とは言えないと思います。

これに関しては、明確に「NO」を主張しておきましょうかねえ?(笑)
そもそもの話として、私は一言も「VTuberのCGは代用品」とは言ってませんけど、
まあ、その事をひとまず置いておくとして、
これは表現方法として考えた場合、至って当たり前の話をしてるんですよ。

まず我々は、当然ながら3次元の世界の住人として、物事を見ており、
3次元の事物に対する親和性みたいなモノは、非常に高いんです。
いろいろ文句を言われながらも、アニメよりも実写の方が需要が多いのは、
この辺りの事情が、影響しているのかも知れませんね。
その一方で、3次元というのは非常にデータ量が多いですし、
人間の脳というのも、効率的に処理を行うべく、かなり情報量を削ぎ落とすんです。
実際の写真よりも、似顔絵やイラストの方が、特徴を捉えやすいのも、
脳で情報を削ぎ落とす作業を、視覚から情報が入る前段階で行ってくれている為ですね。

そして、アニメやマンガにおける、視覚的な表現方法というのは、
3次元から2次元に落とし込む事によって、大幅な情報量の削減を行うと共に、
特徴を際立たせるような、デフォルメされた演出効果を用いているんです。
で、アニメやマンガだと、極端なまでのデフォルメが許容できるのは、
私たちが2次元の住人ではなく、3次元の住人なので、
2次元におけるデフォルメの許容度が、3次元よりも遥かに大きいんです。
3次元的に考えれば、比率や構図がおかしくても、特に気にならないのは その為であり、
これを逆に捉えると、2次元の表現方法のまま、3次元化してしまうと非常に違和感があると。
ですから、3DCGモデルの黎明期というのは、相当の試行錯誤が繰り返されたんですよ。

こうして成熟していったのが、現在のCG表現であり、2.5次元の世界なのですが、
しかし、だからと言って、根本的な3DCGの弱点が解決された訳では無いですし、
2次元表現が持ち得ていた強味を、2.5次元が獲得できた訳でも当然ありません。
悪く言ってしまえば、違和感を抱かせるような部分を隠す技術が発達したと共に、
2次元レベルでのデフォルメを諦めたというだけの事情だったりします。
また、2次元の3次元化した所で、実物の3次元には叶うはずもありません。
まあ、技術の革新次第で、可能性はあると思ってますけど、少なくとも現状では そうです。
結局の所、3DCGモデルというのは、表現方法としては中途半端な段階に留まっており、
だからこそ、敢えて2DのCGモデルを作るという動きも、昨今では見受けられますね。

逆に お尋ねしますと、旧トルコ担当さんが思われる
「3DCGならではの強味」というのは、いったい何なんでしょうか?
「見れば明らか」との事ですが、では、「明らか」である事を示してみて下さい。

例えば、「私はコレが好きだ」という事だけでしたら、私も別に否定などはしませんよ。
人にはそれぞれの多様性がありますし、私としても、
「Aは6割、Bは3割、Cは1割」みたいに、物事を捉えているだけなので、
個々の人がAか?Cか?という部分は、それほど関心は無いんです。
別に、多数派だから優れているとか、少数派だから劣っているとか、そんな見方もしてません。
とは言え、少数派であるCの人が、自分がそうだからと言って、他の人まで同じだと捉える事、
つまりはCこそが多数派だと唱える意見があれば、私は否定する立場に回るでしょうし、
もしも私の見方が間違っている言われれば、自説を覆すに足る客観的な根拠を求めます。
その上で、そちらの方が正しそうであれば、今までの自説など、あっさり放棄しますね(笑)。
私にとって重要なのは、感情や立場に固執する事ではなく、より真相に近付く事なので。

そういう意味では、「アニメ・イラスト<VTuber(CG)」と感じる人が居る事を、
別に否定している訳では無いですし、そうした感想をダメ出ししている訳ではありません。
ですけど、そもそも我々は3次元の住人なので、大部分の人は3次元が1番です。
それでも、中にはアニメやマンガの方が良いと言う、2次元が1番な人も少なからず居ます。
しかし、2.5次元が1番となると、やはり人数は限られるでしょうねえ・・・・
そもそも論として、2.5次元へと辿り着く過程自体が、
まずは3次元からスターとして、次に2次元へ進み、更には2.5次元にというルートですし、
3次元ならではの自然な可愛さや、2次元ならではデフォルメされた可愛さに対して、
それに対抗できうる、2.5次元ならでは可愛さがあるのか?となると、難しい所です。

もちろん、「自分は2.5次元が1番だ」という人の存在は否定しません。
でも、それが多数派かとなれば、やはり明確に違うと思うんですよ。
では、VTuberのファンというのは、そうしたニッチな層の集まりなのでしょうか?
これに関しても、やはり私は違う気がします。
そりゃ勿論、世間一般に比べれば、2.5次元が1番な人の割合も高いでしょうけど、
3次元や2次元が1番でも、VTuberのファンだというは、普通に居る筈なんです。
自分がそうだからと言って、回りも皆そうだとは限らないんです。

では、そうした3次元や2次元が1番な層は、なぜ楽しめいるかと言えば、
人は何も、1番でしか楽しめない訳ではありませんし、
一部で劣ってはいても、それを補う部分があれば、それでも楽しめるんです。
まあ、この辺りの話が、「VTuberのCGは代用品」と誤解させた箇所なんでしょうね。
例えば食べ物にしても、最も大事なのは味ですけど、実際は味だけで料理を判断しません。
確かに味は1番手の要素かも知れませんけど、見た目や匂いや食感も重要です。
特に日本人の場合、「菓子なんて甘ければ充分」みたいな、大雑把な国民性では無い為(笑)、
様々な楽しみ方が出来る人たちが多いと思うんですよ。
言うなれば、見た目や匂いや食感が武器の料理だからと言って、
必ずしも味が悪いという訳で無いですし、当然ながら代用品などと呼ぶモノでは無いと。


[23760] Re9:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/11/9 (火) 16:14:10 旧トルコ担当

▼ 歴史と経済の話

> > > > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > > > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> > > では、もう1度 考えてみて下さい。
> > > VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> > > そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> > > 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> > > そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?

> > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、
> > それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?

> え〜と、「大抵のモノは同じ」とか、そこまで大きな意味で、言っている訳ではありませんよ。
> 例えば、VR恋愛とアニメ・ゲームとでは、異なる分野ですけど、
> VR恋愛とキャバクラであれば、根っこは同じというくらいの話です。
> ここで本質部分と言っているのは、それぞれに伴う「疑似恋愛」感情の事です。
>
> まず始めに、VRゴーグルで恋愛ごっこが、
> 疑似恋愛を楽しむ行為である事は、特に説明を要しませんよね?
> そもそも、ヴァーチャルが前提で楽しむ遊びですし、
> 美少女キャラを演じるのであれば、尚更、解った上での演技です。
> まあ中には、本気になっちゃう人も居るでしょうけど、それはキャバクラだって一緒(笑)。
> そしてキャバクラの方も、解った上での疑似恋愛を楽しむ場所ではあります。
> 単に性欲を発散したければ、ソープにでも行くでしょうし、
> 女の子との会話を楽しみたいのなら、バーとかがあるので。
> 女性客相手であれば、ホスト・クラブとかも、疑似恋愛を楽しむ場に該当するかな?
> もっと言えば、アイドルの追っかけ活動とかも、似たような部分があります。
>
> 要するに、アナログか?デジタルか? 男性向けか?女性向けか? 一対一か?一対多数か?
> その辺りの違いがあるだけで、疑似恋愛を楽し本質部分は同じという話です。
> そして、VRであれば非人間型のキャラも扱えるのに、結局は美少女キャラに行き着くのも、
> 所詮は人間である以上、技術はデジタルでも、アナログな感情を脱しきれないんです。
> また、ノンケな男性向けの百合AVと、ガチ同性愛者向けのレズAVが別物であるみたいに、
> ユーザーが共に男性で、キャラが共に美少女であっても、それも結局は、
> 「中の人は女性が好き」という範疇を、なかなか超えるモノではありませんからねえ。


前々回の話になりますが、確かに「疑似恋愛を楽しむ本質部分は同じ」というのは理解できるのですが、逆に言えば本質的に新しかったもの、それまで全く存在しなかったもの、というのは今までの歴史の中で存在したのでしょうか?
例えるならば、江戸時代の落語も、現代の漫才も、笑いという本質部分は一緒ですよね。
結局人類文化の歴史というのは、本質部分では大した変わりはなく、せいぜいそのバリエーションが増えたり、一部の人々しか楽しめなかったものが庶民でも楽しめるようになったり、という程度なのではないでしょうか?
これに関して、本質部分が異なった文化が新しく誕生した例を何でも良いので教えて欲しいです。

▼ アニメの話

> > ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。
> > 1位 響け!ユーフォニアム
> > 2位 言の葉の庭
> > 3位 夏雪のランデブー
> > 4位 月がきれい

> まずは、オススメありがとうございます。
> で、開口一番ですけど、俺ガイルは入ってこないタイプの作品なのでしょうか?
> 以前の「2010年代のエヴァ」という発言から、旧トルコ担当さんの中での、
> 俺ガイルというのを、ちょっと知りたかった部分は大きかったので、結構意外でした。
>
> この中で言うと、「月がきれい」が初耳なタイトルだったかな。
> 調べてみたら、2017年のアニメ・オリジナル作品で、監督は岸誠二なんですね。
> 「I love you をそう訳したのは、太宰だったか、漱石だったか…」
> というキャッチコピーも、舞台が近隣の川越なのも、個人的には興味を引きます。
> これは、いつか見ようの候補リスト入りですね(笑)。
> ご紹介、ありがとうございました!!
>
> あと、残る上位3作品に関しては、ちゃんとは見ていないものの、
> 作品の内容とかは、何となく把握してます。
> 特に「夏雪ランデブー」に関しては、ノイタミナ枠だった事もあり、
> たまたま何話か見た記憶がありますね。
> と言いますか、この3作に俺ガイルの1期・2期も加えて、
> おおよそ2013年前後に、オススメの作品が集中してません!?
> これってつまり、この頃が、旧トルコ担当さんにとっての、アニメ激熱期だったって事なのかな?
> ・・・って、最初に前回の推測を謝罪しておきながら、この反応はマズいか(笑)。


作品が2013年に偏っているのは偶然です。リアタイではほとんど見ないので。

俺ガイルがランキングに入ってこないのは、私が原作厨で、原作ラノベの縮小再生産にしかなっていないアニメをあまり評価していないというのと、
好きなアニメランキングではなくおススメできる作品ランキングだからですね。

ガンダムは一応見てますよ。
世代ではないですが、ヤマト、ガンダム、エヴァ、ハルヒは一応抑えています。マクロスは見てないですが。

俺ガイルについて少しその特殊性を説明すれば、俺ガイルってオタク文化でほとんど唯一ウソが存在しない作品なんですよ。
普通はどんなオタク作品にも、オタクに都合の良いファンタジーが入ってきます。
「なれるSE」というシステム・エンジニアのお仕事ものライトノベルがあるのですが、それですら、やはり物語が進んでいくと、話がどんどんファンタジーになっていくんですよ。
第13巻では入社2年目の主人公が、マイクロソフト元社長との商談中に、「ソーゴー商社は日本経済の要だ。君はそれを海外に売り渡そうというのかね?君に愛国心はないのかね?」と言われるんです。
私はこのセリフかっこよくて好きなんですけど、やっぱり2年目の新入社員がそんな商談してるはずがないわけで。
お仕事ものでも、オタク文化のリアリティっていうのはこのレベルなんですよ。
ところが、俺ガイルっていうのは徹底的にに全てがリアル。
例えば俺ガイルのヒロインに雪ノ下雪乃という、オタクの好きなお嬢様系の女の子がいるんですけど、彼は千葉の県議会議員の娘なんですよね。
で、舞台は千葉市の県立トップの高校。
確かに、県議会議員の娘ならお嬢様だし、しかも普通の家の出の主人公でも、県立トップの高校ならば2人が同じ学校に通っていてもおかしくない。
お嬢様キャラがちゃんとリアルなんですよ。
ですが、俺ガイルは徹底的にリアルだから、そんなお嬢様と普通のオタクの主人公が偶然接点を持ったとしても、恋愛になんか発展しないw
それでいて、ちゃんとラノベとして面白いイベントが起きる。
10数巻のちゃんとヒロインと恋愛もするし、ハーレム作る。
さらにその上で、エヴァのような消費者に対して単なる快楽以上のものを投げつけてくるんですよね。

もし俺ガイルに興味があるのでしたら、原作読んでみてはいかがでしょうか?
とりあえず、1巻読んで、飛ばして4巻読めば、とりあえず普通のラノベではないことは分かると思います。


[23765] Re10:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/11/16 (火) 19:35:52 徳翁導誉

すみません。
前回、投稿直前の新着記事を見落としていた為、
返信が1週間遅くなってしまいました。

> > > > > > そういう意味では、私は個人的に「VTuber」という存在を、
> > > > > > 「地下アイドルの延長線上」に見ていると言いますか、主戦場さえネットに移してしまい、
> > > > > > 「会いに行けるアイドル」ならぬ、「交流できるデジタル地下アイドル」という印象なんです。
> > > > > > また、アイドル的な活動とは別方向で、
> > > > > > VR風俗とか、VRキャバクラなんていうのも、近頃は現れ始めており、
> > > > > > こちらの分野は、まだこれからなので、新規参入の余地があるかも知れません。

> > > > > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > > > > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> > > > では、もう1度 考えてみて下さい。
> > > > VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> > > > そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> > > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> > > > 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> > > > そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?

> > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、
> > > それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?

> > え〜と、「大抵のモノは同じ」とか、そこまで大きな意味で、言っている訳ではありませんよ。
> > 例えば、VR恋愛とアニメ・ゲームとでは、異なる分野ですけど、
> > VR恋愛とキャバクラであれば、根っこは同じというくらいの話です。
> > ここで本質部分と言っているのは、それぞれに伴う「疑似恋愛」感情の事です。
> > 要するに、アナログか?デジタルか? 男性向けか?女性向けか? 一対一か?一対多数か?
> > その辺りの違いがあるだけで、疑似恋愛を楽し本質部分は同じという話です。

> 前々回の話になりますが、確かに「疑似恋愛を楽しむ本質部分は同じ」というのは理解できるのですが、
> 逆に言えば本質的に新しかったもの、それまで全く存在しなかったもの、
> というのは今までの歴史の中で存在したのでしょうか?
> 例えるならば、江戸時代の落語も、現代の漫才も、笑いという本質部分は一緒ですよね。
> 結局人類文化の歴史というのは、本質部分では大した変わりはなく、せいぜいそのバリエーションが増えたり、
> 一部の人々しか楽しめなかったものが庶民でも楽しめるようになったり、という程度なのではないでしょうか?

まあ、大きく捉えてしまえば、私も同意見ですよ(笑)。
古代人だろうと、現代人だろうと、人間の本質なんてほぼ変わらないでしょうし、
そこが大差ない以上、求められるモノにしたって、それほど大きくは変わらないかと。
特に「笑い」などという、泣く、怒るなどと同じく、超基本的な感情の1つですし、
まさに おっしゃられる通り、このレベルだと「バリエーションが増える」くらいの話で、
「恋愛」に関しても、性欲や生殖欲に繋がる、非常に根幹的な欲求に由来しており、
突き詰めれば人間の社会なんて、今でも「気持ち良い・便利・儲かる」の3つで、ほぼ語れますから。

また、科学的に言ってしまえば、感情を司っているのは脳であり、
その脳にしても、ドーパミン・セロトニン・エンドルフィン・オキシトシン・ノルアドレナリンなど、
情報ごとに伝達物質を受け取り、化学反応的に信号を送ってるだけの事ですからねえ。
究極的に言えば、そうした伝達物質を如何に分泌させるか?という、「手段」の話だったりします。

> これに関して、本質部分が異なった文化が新しく誕生した例を何でも良いので教えて欲しいです。
結局の所、どの地点を基準にして「新しい」のか?
どの程度の違いによって「異なる」のか?
そのラインを具体的に定められてないと、やはりハッキリはしませんよね。
前にあったパイン缶詰の話も、食欲とか甘味への欲求という意味では、新しくはありませんが、
戦後になって、料理のバリエーションが増えたという意味では、新しいに該当するでしょうし、
例えばこれは、今年もコンビニ・スイーツの新商品が出たとか、そのレベルの新しさとは違うと。
また、仮に同じ事柄でも、それが手段であるか、目的であるかで、意味合いも変わりますからねえ。
正直、この辺の前提が曖昧だと、「教えて欲しい」と言われても漠然とし過ぎですし、
そもそも論を言えば、「既存の延長線上ではない」って発言されたのは、
もっと言うとVR恋愛とキャバクラを結び付けたのも、旧トルコ担当さんの方な気がしますけど、
(まあ、私の見解ともそこまでズレていなかったので、そのまま話に乗っかりましたが)
でもまあ、興味深いテーマだとは思うので、一緒に考えてみましょうか(笑)。

例えば食べ物にしても、太古の昔から、食事という行為は行われ続けてきた訳で、
生命活動に直結するからこそ、その行為で快楽や満足感が得られてた所は変わりません。
センサーである味覚にしたって、時代と共に進化した訳ではありませんから。
とは言え、新しい料理の登場というのは、たびたび起こっていて、
その都度、人間は新たな刺激を得てきたのですから、そのレベルなら「あった」とも言える。
また、江戸や明治の頃までは、日本の地理的な条件などもあり、
完全に「新しい」というモノもありそうですが、戦後や平成以降でとなると難しいかな?
未知の海外食品とか、新技術で可能となった調理法とか、そういうのなら在りそうですが。

う〜ん、パッと思い付くレベルで言うと、他にはスポーツとかですが、
例えばサッカー観戦なんて、Jリーグ誕生やW杯出場までは、一般的では無かったものの、
今では、W杯の日本代表戦なんて、最高視聴率を叩き出すコンテンツになっています。
自分で行うスポーツだと、ランニングが流行したのも、ここ10年くらいの話でしょうか?
もちろん、「走る」という行為自体は、人類の誕生以前から存在しますし、
鍛錬の為に走ったり、必要があって走ったりはしましたけど、
大人が娯楽として走るなど、最近までは、あまり一般的では無かったはず。
一昔前までは、代表サポーターも、皇居ランナーも、ほとんど居らず、
そういう意味では、新しい事は新しいですし、異なる事は異なるかと。
それこそスポーツなんて、ルール次第で、新しいモノは幾らでも誕生し得ますし、
ルールを知らない人が見れば、単なる遊びに過ぎないモノであっても、
一旦普及すれば、多くの人々を惹き付けて止まない存在となります。
「スポーツ観戦の興奮も、スポーツをする快楽も、狩猟や戦争の延長線上だ」と、
極端に見る事も可能ではあるのですが、やはり、どのレベルで語るかですよね、そこは。

昨今は、e-Sportsなどとも呼ばれる「TVゲーム」にしても、
電子機器が発達するまでは、自らの動作に、計算して反応してくれる装置など存在せず、
アナログなゲームは在ったにせよ、新しくて異なったモノであったのは確かですよね。
解りやすく言えば、対人戦でも無い限り、それまで双方向なゲームは有り得なかったと。
そう考えると、アニメだって新しいですし、そもそも映画だって そうです。
だからこそ、映画が登場した際、フランスの文化人の間では、
「建築・彫刻・絵画・音楽・演劇・舞踏・文学」という、伝統的な7つの芸術に対して、
新たな芸術の誕生という意味で、映画は「第8芸術」と称されましたし、
(演劇と舞踏を1つに数えて映画は第7とか、写真を第7に入れて映画は第8という意見も)
その半世紀前には、写真の登場により、存在意義を問われる事となった絵画芸術が、
印象派やキュビズムなど、写真とは違う、独自の表現方法を模索するようになりました。
また再び、フランスの文化史観的な見方を引用すると、
写真や映画が、古代から固定されてきた芸術世界に、突如登場した新ジャンルであり、
そこに更に続いたのが、アニメであり、TVゲームであったという見方なんですよね。
ですから中には、アニメを第9芸術、TVゲームを第10芸術と捉えている人たちも居ます。

ちなみに、そんな彼らが第11芸術と呼んでいるのが「デジタル・アート」ですね。
古代から続く伝統芸術に対する、新芸術が近代以降に誕生した背景には、
それを可能とする科学技術の発展が、もちろん含まれているのですが、
これは、その最たるモノで、デジタル表現をリアル空間に投影する事により、
デジタルとリアルを融合して、画面越しではなく、実体験で味わうアートというのが、
最近では流行ってきてますし、現在進行形の「新しくて異なる」モノなのかも?
例えば、お台場や豊洲にある、チーム・ラボが提供するアート施設がそうでしょうし、
建物の形状に合わせて映像を投影する、プロダクション・マッピングもありますね。
もっと身近な例だと、映画の4DXとかも、これに少し近い感じなのかな?
私が、VRの先にあるARやMRについて言及するのも、こうした流れがある為です。
それこそ旧トルコ担当さんの言葉を借りれば、アニメ・キャラが2.5次元どころか、
3次元にまで飛び出し、しかも一対多ではなく、一対一で独自に相手をするとなれば、
これは表現方法として、今までとは、かなり違って見えるのでは無いでしょうか?

あと、科学技術が生み出す新分野という話とは、少し異なりますけども、
「紙の上の女の子に欲情する」というのも、実は「新しくて異なる」モノのかも?(笑)
もちろん、江戸時代の頃から、日本には春画があった訳ですし、
エロい絵画なんて、それこそ今東西を問わず、存在していたのは事実です。
でも それって、基本的には3次元の延長線上と言うか、代替物であったでしょうし、
「リアルの女なんて糞だ!2次元こそ萌える」という現象は、比較的に新しい気がします。

いや、でも結局、「異性に興奮を覚える」という点では、基本 変わらないので、
もう少し視点を変えて考えてみると・・・「素数に興奮する数学マニア」とか、
「ただの石に宇宙を見てしまう水石マニア」みたいな、そういう世界はどうでしょう?
捉えようによっては、フィギュアとかも、これに該当するのかな。
これらはフェチの方向性が、トンデモない方に進んでしまったという事で、
強引に解釈すれば「歪んだ性欲」と捉える事も、一応は可能でしょうけど、
この辺りならOKという事であれば、こうした世界は今後もドンドン生まれるはずです。
さすがに大衆文化にまでは発展せずとも、一定数の愛好家が居れば、文化は文化なので。
(ちなみに私は、マニアでは無いものの、素数も水石もフィギュアも好きです・笑)

でもまあ、突き詰めて考えると、脳の伝達物質を引き出す為の「ネタ探し」なんですよね。
で、こうした伝達物質を過剰分泌させたり、逆に抑え込んだりする為に、
化学的に物質を用いるのが、要するに「ドラッグ(麻薬)」な訳ですが、
このまま技術開発が進めば、伝達物質のコントロールだって行えるようになるでしょうし、
もっと進めば、伝達物質の受け渡しなど不要で、信号を直接コントロールする事でしょう。
こうなると、感情を変化させる道具としてのネタは、別に必要なくなるので、
脳の処理としては同じでも、文化としては根幹から変わるかも知れません。
何らかのネタを用いるにしても、それはリアルではなく、ヴァーチャルでも良い訳ですし、
早ければ十数年後、遅くても今世紀中には、実現しそうな気がします。
で、仮に実現出来たとして、その時に、これは第何芸術と呼ばれてるんですかねえ?(笑)
(要するに、それまでの間に、一体いくつの新芸術が登場するのかな?という話)

最後に整理すると、まずは根源的な欲求として、「暴食」や「買春」などがあり、
そこから派生し、興奮用のネタとして、「格闘」とか「賭事」などがあり、
また同時に、化学的にもたらすのが、「飲酒」であり「喫煙」であり「麻薬」であり、
人類が文明を築くと共に、「絵画」や「演劇」といった、伝統的な芸術が生まれ、
そこから近代に至ると、「映画」などの技術革新による新たな芸術や、
都市集中や労働者化の影響として、「スポーツ」の進化や、それに伴う「プロ競技」が生まれ、
そこから、趣向の多様化や、技術の進歩によって、様々なコンテンツが増えたのが現代であり、
一方で、フェチの新規開拓や、化学的なコントロールには、まだまだ無限の広野が広がっていると。

・・・って、これだと話が抽象的で、もうちょっと具体的に語った方が良いのかなぁ?
多分、私の話が伝わり難いのって、物事に関するレベルの階層分けが行われているからで、
普通の人だと、その辺りは結構フィーリング的というか、明確に細かく分類してないと思うんです。

と言う事で、例えば食事をした際、「おいしー」と幸福感に包まれるのは、
身体に必要な栄養素を摂取する事により、神経伝達物質が分泌されるからですね。
仮にこれを、第1段階(レベルとか階層と言っても良いです)としましょう。
続いて、伝達物質の信号を受けて、嬉しいとか満足といった感情が発生します。
実際においしいと感じるのは、この第2段階ですね。
で、食事で得られる感情とは、基本的に快楽ですから、それを再び得たい欲求が生じると。
これが要するに食欲というモノで、これは第3段階に相当します。
更に、人間くらい知能が発達すると、食事という行為自体や、それに付随する喜びも含め、
そこに楽しさを覚えるモノで、これを第4段階とします。
また、肉を食べたいとか、野菜を食べたいというのと同じレベルで、
甘いスイーツを食べたいという欲求があり、これを第5段階としましょう。
そして、そのスイーツの中にも、チョコやケーキ、饅頭など、
様々な種類があって、これを第6段階とします。
最後に、チョコというジャンルの中でも、各メーカーは新商品を出してきます。
こうした商品の豊富さが、第7段階にあたる感じですね。

前置きが長くなりましたが、こうした7層のピラミッド構造だと考えてみて下さい。
まず、私が「文化」と言っているのは、おおよそ第4段階から下の話であり、
広義の意味では第7段階まで含みますが、断りが無ければ狭義的に第4〜5段階くらいかな?
(まあ、第4段階は文明レベルで、第5段階くらいから文化なのかも知れませんけど)
で、私の中では「VR」って、あくまでも手段であり、道具であって、
この7つの段階の、どこかに属すると言うよりは、
各段階の物事に付属して、変化をもたらしてるレベルの捉え方ですね。

そういう意味では、まずはVTuberって、基本的にYouTubeという動画コンテンツに属するモノで、
YouTube自体は、動画を誰でも制作でき、そして発信できるという点では画期的だったものの、
それは他の一般商品に例えると、生産と流通に革命をもたらしたというレベルの話で、
動画それ自体は、種類が膨大だというだけで、テレビ番組とは違う画期的な何かには乏しいです。
現状の人気はともかく、動画にコメントを乗せたニコニコ動画の方が、その点ではYouTubeより上かな?
その辺りを考えると、物語や交流を楽しみたいなどの欲求が第4段階で、
そうした要素を含む、動画を見たいという欲求が第5段階くらいにあり、
YouTubeやテレビというのは、それを実現する為の道具であって、
各番組のカテゴリーが第6段階にあたり、
VTuberというのは、この6と7との間くらいにある存在かなぁ?と。
(例えばチョコでも、第6.5段階くらいに、ビターとかクリーミーとかタイプがある感じ)
「既に1つのカテゴリーだよ」と見なしても、それでもまだ第6段階ですよね。
少なくとも、私が求めるような、第4〜5段階(狭義的な文化)の新しさとは違うかな・・・・
あと、疑似恋愛に関しても言うと、
性欲や生殖欲が第3段階に、恋愛そのものが第4段階にあって、
疑似恋愛が第5段階、VR恋愛やキャバクラが第6段階って感じかな?

ところで現在のVRが、後々に見て、転換点に成り得るかというと、
2016年の「VR元年」という単語は、その時代を表す用語として、自然発生した訳ではなく、
「これからVR市場を発展させていこう!」という、業界側の合い言葉みたいなモノでしたし、
実際の「転換点」というのは、もっと爆発的な現象なんですよね。
例えば、Windowsとか、PlayStationの起こした突風というのは、「後から見れば」ではなく、
「その時点で見ても」・・・と言うか、現在進行形だからこそ如実に体感するんです。
そういう意味では、転換点となる前から、地道な技術開発は続けられていて、
転換点の後にも、緩やかな技術発達は続いていくのは確かですし、
一連の流れの中、本当にピンポイントで「ここが転換点!」と指定するのは困難でも、
こうした技術の普及というのは、基本的に、追憶ではなく体感で解ると思うんですよ。
そう考えると、今のVRが、一般的にそこまでインパクトを残せてるようには見えませんし、
だからと言って、ゼロをイチに、そして二に、という段階は終わっていますから、
これから成長する前の、雌伏している状況って感じじゃないですかねえ?
今後、大きく変わるにしても、それはVRから一段上がって、ARやMRの頃だと思いますので。

続いて、今回の例にあった「お笑い」に関して言うと、
そもそも笑うという行為自体は、第4段階に属しており、
お笑いとは、それを意図的に誘発する行為ですので、第5段階あたりかな。
笑いを誘発するトリガーも、ギャップや逆転だったり、緊張からの弛緩だったり、
満足感や愉悦、時には侮蔑の笑いだったりと、様々なタイプがありますし、
その中で、落語や漫才などのジャンルは、第6段階に当てはまるのかなぁ?
まあ、この辺りは笑いのネタとして、第5段階の要素を用いるので、
縦割りでキレイに区分されてるって訳では無さそうですけどね。
ただ、個々の芸人やネタに関しては、第7段階に属すると見なして良いと思いますし、
第1世代の萩本欽一、第2世代のビートたけし、第3世代の松本人志あたりが、
画期的だったという部分も、あくまで6と7との間くらい話でしょうかねえ。
いや勿論、それはそれで凄い事ですし、賞賛されるに充分な功績はあったと考えてますけど、
コントや漫才のブームは起こしても、コントや漫才に並ぶ新ジャンルを生んだ訳では無く、
ましてや、今までになった笑いのトリガーを、新たに見出した訳でも無かったですからね。
例えば、シュールな笑いとかは、まだまだ未成熟で開拓の余地がありそうですけど、
しかし一方で、お笑いというのは大衆向けの面が強いので、結局の所、
売れる為に芸風を変えるか? 売れずに突っ走って消えるか? で、長続きしない印象。

ちなみに、以前あった戦後のパイナップルの話で行くと、
エピソード的な感じだと、これは一見、第6段階の事のように感じられます。
ですが実際は、当時の社会状況を踏まえると、日本は深刻な砂糖不足にあった頃であり、
目新しいフルーツに衝撃を受けたという以上に、何より甘味に飢えていた時代でしたから、
恐らく衝撃の中身としては、実際の所、第3〜5段階のレベルだったと思うんですよ。
戦前にフルーツが無かった訳では無く、平成以降も新しいフルーツは登場してたので。
そういう意味では、確かに現在、そうした甘味の商品不足は考え難いですから、
「今は成立しない」という、旧トルコ担当さんの意見も解るんです。
ですが一方で、先進国においても、貧富の格差や、食のファスト化により、
値段が割高である、新鮮な野菜や果物を食さない(食せない)人が増えており、
特にアメリカでは、広大な国土に伴う輸送コストの経済的事情とも相俟って、
深刻な社会問題となっていて、対策にあたったオバマ大統領夫人も空回ってました・・・・
(学校給食の改善に乗り出すも、企業圧力で「ピザは野菜」なんて認定に・苦笑)
https://www.excite.co.jp/news/article/Mogumogunews_252/
なので、アイスやチョコの味は知っていても、無加工なフルーツの味を知らない子供たちが、
それを初めて食べて、衝撃を受けるなんて事もあるかも知れませんし、
そして何より、平和な今を基準に考えるから、一見そう思えるだけで、
何らかの有事により、砂糖不足が発生する事態だって、絶対に無いとは言い切れませんからねえ。

ついでに、旧トルコ担当さんが以前、私に見た「楽観的」の正体を言うと、
まずはアートが、第4段階に属しているとすれば、
アニメやTVゲームなど、新旧芸術の各ジャンルが第5段階にあり、
今ならデジタル・アートが成長しているように、このレベルの話であれば、
まだまだ頭打ちだとは思っていませんし、更に新しいモノが今後も生まれると思います。
そして何より、これとは次元の異なるレベルで、現在研究中の科学技術では、
第1段階や第2段階で、今までに無い新たな分野が、人工的に切り開かれつつあり、
そういう意味では、何十年後の話かは解りませんけども、
そこから生まれる第3段階以降のモノも、格段に増えていくだろうと考えています。
ですから2つの意味で、今後も新たな可能性がある見ている訳ですね。

言うなれば、動物界・脊椎動物門・哺乳綱・霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒト種である
ホモ・サピエンスの事を、我々は「人間(人類)」と呼んでいる訳ですが、
その人間も更に、黄色人種で、日本人で、○○県民で、××市民でとなり、
それらを、どの段階で見るかによって、話は異なって来るって感じでしょうか?
「同じ国民だから一緒」と言うのと、「同じ霊長類だから一緒」と言うのでは、
同じ一緒でも、その中身はかなり違ってきますからね。

> > > ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。
> > > 1位 響け!ユーフォニアム
> > > 2位 言の葉の庭
> > > 3位 夏雪のランデブー
> > > 4位 月がきれい

> > まずは、オススメありがとうございます。
> > で、開口一番ですけど、俺ガイルは入ってこないタイプの作品なのでしょうか?
> > 以前の「2010年代のエヴァ」という発言から、旧トルコ担当さんの中での、
> > 俺ガイルというのを、ちょっと知りたかった部分は大きかったので、結構意外でした。
> > と言いますか、この3作に俺ガイルの1期・2期も加えて、
> > おおよそ2013年前後に、オススメの作品が集中してません!?
> > これってつまり、この頃が、旧トルコ担当さんにとっての、アニメ激熱期だったって事なのかな?

> 作品が2013年に偏っているのは偶然です。リアタイではほとんど見ないので。

という事は、2013年頃の流行というか作風が、
旧トルコ担当さんの好みに、合っていたという感じですかねえ?

> 俺ガイルがランキングに入ってこないのは、私が原作厨で、
> 原作ラノベの縮小再生産にしかなっていないアニメをあまり評価していないというのと、

となると、アニメ版の俺ガイルは、
旧トルコ担当さん的には、あまり評価していないという事?
「2010年代のエヴァ」と言っていたので、てっきりアニメの話かと思ってました。
エヴァはアニメのオリジナル作品ですし(漫画連載があったのは知ってますよ)。

一応、いつでも見られるようにと、念の為に録画しておいたディスク群の中から、
1期から3期までの分を探し出して、手元に置いてはあるんですけどね(苦笑)。
(ビデオ時代から、デジタル時代となり、見ないけど録ってある作品が山のように・・・)
もしも、「アニメ版はオススメじゃないよ」という事でしたら、
いつか見たいと思いつつ、未だ見れてない作品も、まだまだありますので、
候補リスト内の優先順位を、下げてしまっても良いのかも知れませんね。
ちなみに最近は、ここ数週間は止まっていますけど、今更ながら「化物語」シリーズを新規視聴中。

> 好きなアニメランキングではなくおススメできる作品ランキングだからですね。
「好きな作品」と「オススメ作品」とは、別である事を解っているのに、
好きな作品を尋ねられて、敢えてオススメ作品を書いた意図は、少し気になるかも?(笑)
だって、好きな作品とオススメ作品は違うという事が解っているのなら、
好きな作品を紹介するよりも、オススメ作品を紹介する方が、
ずっと難しい作業である事は理解できてるでしょうし、
その割には・・・言っては悪いのですが、その点で苦心した感じを見て取れなかったので。

失礼ながら、ぶっちゃけて言うと、私の好みなど全く考慮されてないでしょうし、
私特定ではなく、一般向けであっても、どこか似通った作品ラインナップに思えました。
何と言うか、「無理なく実写ドラマ化が可能な作品が並んでる」といった印象。
そういう意味では、普段アニメは見ないけど、ドラマなら見るよという人を想定して、
オススメするラインナップとしては、妥当な気もしますけど、
もし そうなら、「ここまでオタク話をしてきて、今更?」といった話にも(笑)。
となると、そういった系列の作品が、旧トルコ担当さんの好みであり、
「オススメできる」ではなく、「オススメしたい」って感じなのかなぁ?と。

> > って、旧トルコ担当さんは以前、岡田斗司夫のガンダム全話解説について触れられてましたし、
> > オタクを称される以上、ファースト・ガンダムは当然 押さえているだろうと思ったものの、
> > これまでの「オタクの定義」の相違を踏まえると、必ずしも、そうとは言い切れないのかな?

> ガンダムは一応見てますよ。
> 世代ではないですが、ヤマト、ガンダム、エヴァ、ハルヒは一応抑えています。マクロスは見てないですが。

おお、なるほど!!
でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。

一昔前までは、夕方や夏休みに、アニメの再放送枠があったので、
名作は世代を超えて、視聴される傾向がありましたけども、
今の世代だと、わざわざ見る気がなければ、なかなか視聴しないでしょうからねえ。
でも逆に言えば、ネット配信がここまで盛んになった事で、
その気さえあれば、却って視聴しやすい環境になったとも言えそう。

と言うか、私自身も、そうやって未視聴だった10年前の名作とかを、
ネット配信とかの機会を得る事で、ようやく視聴するケースが増えてきてますし、
配信期限があるので、視聴順はそちらが優先されやすい一方、
期限が設けられているから、実際に視聴する行動に移されるんでしょうね。
それこそ、個人的に録画しておいた作品の方だと、
いつでも見られるからこそ、いつになっても見ませんから(苦笑)。
ただ一方で、なまじ配信期限があると、「配信終了までには見なければ」と、
半ば義務感と言うか、脅迫的な感じになり、消費や消化といった感覚に近くなる事も・・・・
こうなってしまうと、視聴はしても、鑑賞には なって無かったりするんですよね。
実際に私も現在、年内いっぱいで配信期限が切れる作品を、
「早く見ないと」と、少し急かされた気分になってますし(笑)。
(放送当時の録画ディスクはあるのですが、画質も操作性も配信の方が上なので)
また、ビデオ時代は見る為に録ってましたけど、
今では、恐らく見ないだろうけど、コレクション的に録ってる所があり、
そういう意味では、「手段の目的化」という沼に、私自身もハマってますね(苦笑)。

あと、ネット配信で一気見するようになって、改めて気が付いた事は、
新作の放送時に、毎週1話ずつ見るのと、
再放送とかで、月〜金で毎日1話ずつ見るのと、
配信などで、まとめて一気に全話見るのとでは、
同じ作品を見ても、作品を味わえる総量というか、記憶の残り方が明確に違いますよね。
まあ最近は、1クール作品も多いですし、続編が数年後とかも普通なので、
熱量や没入感を途切れさせずに楽しむには、一気も良いですし、何より手軽ですが、
しかしそれは、作品をゆっくり咀嚼する機会を、同時に失ってはいるんですよね。
これは漫画でも、連載で読むか? 単行本で読むか? 完結してから読むか?
という事は起こるのですが、アニメは漫画以上に視聴が受動的だからこそ、
視聴タイプの差が、かなり濃厚に出るような気がするんです。

> 俺ガイルについて少しその特殊性を説明すれば、
> 俺ガイルってオタク文化でほとんど唯一ウソが存在しない作品なんですよ。
> 普通はどんなオタク作品にも、オタクに都合の良いファンタジーが入ってきます。
> ところが、俺ガイルっていうのは徹底的にに全てがリアル。
> それでいて、ちゃんとラノベとして面白いイベントが起きる。
> 10数巻のちゃんとヒロインと恋愛もするし、ハーレム作る。
> さらにその上で、エヴァのような消費者に対して単なる快楽以上のものを投げつけてくるんですよね。
> もし俺ガイルに興味があるのでしたら、原作読んでみてはいかがでしょうか?
> とりあえず、1巻読んで、飛ばして4巻読めば、とりあえず普通のラノベではないことは分かると思います。

そもそも私は、ラノベ以前に、小説自体をほぼ読まないですからねえ。
「I love you をそう訳したのは、太宰だったか、漱石だったか…」と、前回引用したものの、
太宰の「人間失格」も、昨年ようやく読んだくらいですし、
漱石の「坊っちゃん」などは、未だに読めていなかったりしますので。
いや、著名作家の代表作くらいは、せめて押さえておきたい気はあるんですけど、
弁さんとの雑談時↓にも書きましたが、今までに読んだ小説となると、ほぼ歴史小説ばかりです。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c22815

数少ない、私が読んだ事あるラノベも、この掲示板で、
セシウさんからオススメされた「Fate/Zero」が最後なので、
かれこれ10年は読んでいませんね、私のラノベ読書履歴的には。
まあ、私の正直な気持ちを言うと、わざわざ活字で小説を読むのに、
ライトな内容というのを、あまり望んでいないという所はあるのかも?(笑)
私は、作品の世界観に入り込むより、本の内容と対話しながら読むタイプなので、
特に小説の場合などは、作品を通して、作者の頭の中を覗く感じになっちゃうんですよね。
なので、世界観自体を楽しむとなると、余程の出来の作品でも無い限りは、
アニメの方が入りやすいという事情が、私個人に関して言うと、あるでしょうか。

アニメは絵や色が付き、キャラも動いて話すから、取っ付きやすい面がありますし、
だからこそ、受動的な態度でも作品を楽しめるので、手軽ではあるんですよね。
逆に漫画や小説だと、そもそも「見る」よりも「読む」の方が、自発性が高い上に、
脳内で補う要素も強くなるので、気になる箇所があると、引っ掛かりやすくなると。
勝手にストーリーが進むのではなく、自分で進めないとストーリーが進まないので。
これが良い方向に作用すれば、深く考えさせられたり、世界観に浸ったり出来るのですが、
でも大概は、作品の穴や粗が目立つ感じなので、欠点になっちゃうケースが多いのかな?
例えば、最近流行の東京リベンジャーズとかも、アニメだったので見れましたが、
あれが仮にノベル版だったら、ツッコミまくりで読み進められなかった気がします(苦笑)。

また、「俺ガイルに興味がある」と言うよりは、
旧トルコ担当さんが「2010年代のエヴァ」と言った、理由の方に関心があったので、
今回の返信により、その点も ある程度は掴めましたから、
残念ながら、わざわざ原作を読むまでの熱量は、ちょっと無さそうですね。
しかも学園モノである事を踏まえれば、そもそも私の年齢的に、
現役学生の読者層とかと比べると、そこに投影される熱量自体も違ってきますし。

とは言え、「オタク作品なのにファンタジーが入らない」という理由は、
「なるほど」と、少し腑に落ちた感じ!!
いや個人的には、エヴァの存在って、もっとアニメ史とかオタク文化史的に捉えているので、
客観的に言えば、「2010年代のエヴァという表現は適当じゃないだろ?」と思いますし、
「そこで挙げるなら、2010年代なら まどマギの方が妥当かな?」とも思うんですよ。
でも同時に、それこそ鬼滅ブームのキーワードとして挙げたように、
「リアルタイム性」という点を踏まえると、旧トルコ担当さん自身は解りませんが、
直撃世代の人たちにとっては、何となく、大きな存在の作品である事は伝わってきました。
言うなれば、「2010年代のエヴァ」と言うよりは、
「2010年代が思春期の世代にとってのエヴァ的に刺さった作品」という意味合いで。
(とは言え、四半世紀後に劇場版が公開され、「卒業式」と評されるような事は無さそう)

まあ元々、今の20代前半くらいの世代が、ちょうど中高生だった2010年代中盤、
ラノベ原作の人気アニメは、「SAO・リゼロ・俺ガイル」がトップ3という印象でしたけど、
今回、その人気の理由みたいなモノは、少し掴めたかな?といった感じです。
異世界転生系や、俺TUEEE系の作品が量産される昨今、
読者(視聴者)を悦にさせる作風というのは、何だかんだで人気だと思うんですよ。
でもトップ3の作品って、オタク層を喜ばせるような世界観を用意しつつも、
実は結構、主人公に厳しいというか、読者(視聴者)に対するメッセージ性がありそうな感じ。
俺ガイルは見てないので解りませんが、まさしくリゼロはそんな感じがしましたし、
SAOは最初の数話しか見てませんけど、それっぽい気はしたんですよね。
う〜ん、何というか、意外に甘やかしてくれない感じとでも言いますか、そんなイメージ(笑)。
それこそエヴァから引用するなら、萌えとか、俺TUEEEとか、受け身ハーレムとか、
消費者を夢の世界に導こうとする作品が席巻した、2010年代の当時、
「逃げちゃダメだ」と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだったのかな?と。
(俺TUEEE系も全否定はしてませんよ、「魔王学院の不適合者」とか意外に面白かったですし・笑)

ただ、一昔前の作品を考えれば、それって別に珍しい事じゃありませんでしたけどね。
それこそ戦後昭和な世界は、日本社会自体も右肩上がりの頃で、
リアルの方もスポ根的なノリで、大体の物事は上手く行く時代でしたので、
娯楽作品の方でも、「友情・努力・勝利」みたいなジャンプ3原則が大手を振っていました。
しかし、失われた平成の30年間を経て、日本社会が停滞から衰退の時代へと移りつつある昨今、
現実が厳しいからこそ、娯楽に現実逃避要素が求められる傾向もあるのでしょうから、
本来的なファンタジーとは意味の異なる、ご都合主義的なファンタジー要素が含まれるのは、
時代のニーズだと言えば、そうなんだと思うんですよね。
それは何も娯楽コンテンツに限らず、ヤバい事に、リアルな政治や報道などに於いても・・・・
ですけど、そんな中でも、そうした作品に人気が集まるなら、決して捨てたモノでも無いのかな?
って、ちゃんと見たのはリゼロだけなのに、推測で物事を語り過ぎたかな?(笑)

ちなみに余談ながら、リゼロのタイム・リープの系譜について脱線すると、
元々タイム・リープって、小説や映画では珍しくないネタではありましたが、
それがオタク文化に根付いたのは、エロゲーが泣きゲー化した際、
シナリオ分岐による複数のストーリーと、それに伴うイラストを、
効率良く味わって(収集して)もらう手法として、導入されたイメージですね。
で、それを同人作品でサスペンス・ホラーと組み合わせたのが ひぐらし、
それを家庭用ゲームに用い、後にアニメ化もされたのがシュタゲで、
ひぐらしやシュタゲを、異世界転生モノとしてラノベ化したのがリゼロ、
リゼロをマガジン伝統のヤンキー漫画化したのが、今年ヒットした東リベって印象。

あと、最後に茶々を入れる意図は無いのですが、
「嘘の混じらない作品」って、確かにラノベでは少なそうな気がするものの、
青少年向けのジュブナイル小説まで、広い意味でのラノベに含めるとすれば、
等身大の世界観の作品なんて、それほど珍しくない気はしちゃうんですけどね(笑)。
そもそもラノベ自体、本来の意味でのファンタジー要素が強い作品群でしょうし、
だからこそ、他作品との差別化が図れる面とかもありそうですが、
それを敢えてラノベで行うのは、若い読者には取っ付き易さとか、
作者自身がオタク世代だとか、そういう事情もあるのかな?
まあ、SAOはオンライン・ゲーム上の世界をメイン舞台にしてますし、
リゼロは異世界転生モノな上に、ラノベ的にはタイム・リープ系の走りなので、
世界観的にも、物語的にも、ファンタジー要素が含まれないというのは、
痛快さが求められる娯楽作品に於いて、俺ガイルならではの特徴なのかも知れませんけど。

って、こんな話をしていたら急に、「僕の人生には事件が起きない」という
ハライチ岩井が書いた、エッセイ集のタイトルを思い出しました。
日常の生活に特別な事などまず無い、というイメージの連想なのだろうか?
・・・と言うか、1ヶ月前に発売されたエッセイ集・第2弾のタイトルが、
「どうやら僕の日常生活はまちがっている」らしいので、
世代的には30代前半ですけど、彼もオタクな事を踏まえれば、完全に狙ってそう(笑)。
こうして改めて見ると、第1弾のタイトルも、どことなくラノベっぽく感じてくるなぁ。
でもこれって、20代前半から1回り上の世代にも波及するくらい、影響力があったと言う事?
世間的な認知度で言えば、相方の澤部の方がダントツでも、
お笑い好きには岩井が人気なのは、この辺りの感性に要因があるのかな。
ちなみに、ハライチの「澤部じゃない方」扱いだった岩井を、人気者にしたのが、
以前名前を出した、テレビ東京・佐久間プロデューサーの「ゴットタン」でした。

> 「なれるSE」というシステム・エンジニアのお仕事ものライトノベルがあるのですが、
> それですら、やはり物語が進んでいくと、話がどんどんファンタジーになっていくんですよ。

でもまあ、充実した学生生活を送ってもらおうと、
3年間のスケジュールが、きっちり出来上がって用意されてる学園モノと違って、
物語上のイベントの並びを、作者が組み立てる必要がある訳ですから、
自由にストーリーを構成できる反面、物語のインフレ化は避け難い実状もありますよね。
逆に言えば、誰もが共通体験として持っている学園モノという題材は、
予備知識を説明する必要も無く、それでいてイベント豊富な、最強コンテンツなんです。

例えば、同じ野球マンガを描くにしても、
プロ野球を題材にするより、高校野球を題材にした方が、
作品として ずっと作りやすいですし、人気も出やすいと(笑)。
だからこそ、インフレ化の呪縛からも、逃れやすい側面はありますよね。
だって、テンプレ的なストーリー展開が既に用意されていて、
それを なぞるだけでも、それなりに面白く出来ちゃいますから。

> 第13巻では入社2年目の主人公が、マイクロソフト元社長との商談中に、
> 「ソーゴー商社は日本経済の要だ。君はそれを海外に売り渡そうというのかね?
>  君に愛国心はないのかね?」と言われるんです。
> 私はこのセリフかっこよくて好きなんですけど、
> やっぱり2年目の新入社員がそんな商談してるはずがないわけで。

う〜ん、まあ、「普通は無いよね」ってレベルの話かとは思いますが、
だからと言って、「絶対に起こり得ない」というレベルの話でも無いはずで、
結局は、その世界観の設定次第なのかな?と、実際の所は。
だって、これくらいであれば、立志伝が語られるような成功者の話なら、
リアルにあっても、そこまで受け入れられないエピソードでは無い気がします。
コツコツ積み上げるタイプも多いでしょうけど、一気に出世するタイプも実在するので。

言うなれば、有り得るレベルが10%とか1%くらいの話に対して、
無い方の90%や99%を見るか、有る方の10%や1%を見るかって事ですし、
リアルでも、その10%や1%を掴む人は実在する訳で、
架空世界の娯楽作品なら、別に構わないのでは?という思いも、個人的にはあるかな。
少なくとも、99%無いのと、100%無いのとでは、かなり異なる事なので。
それこそ、メジャーリーグで活躍する大谷の二刀流とかも、
野球マンガで描けばファンタジー認定でしょうけど、リアルにそれをやってる訳で、
逆に言えば、だからこそファンたちは大熱狂する訳ですよね!!
「プロで二刀流など無理」と、初めから決め付けていたら、あの興奮は存在しなかったと。
また、あそこまで極端な例では無くとも、例えばスポーツ漫画とかで、
高校生がプロ級のプレーをするのは、リアルと映るか? ファンタジーと映るか?
実現可能というレベルではリアルですし、プロと高校生の差を考えればファンタジーです。
ただ、プロでも即戦力な超高校級という選手は、実際に出てくる事がありますし、
作品で扱われる世界の基準はトップ・クラスの事だと思えば、それほど違和感は無いかも?

後はまあ、一個人が「これが現実」だと認識している範囲なんて、
全体の現実からすれば、極一部に過ぎ無いでしょうし、変に悟らない方が却って良い場合も?
例えば、その作品を読んで、「スゲー」と思う人より、「ネーヨ」と思う人の方が、
痛い目を見る確率は低いのでしょうけど、成功する人は結局前者の方から出る事が多い気がします。
もっと言っちゃえば、宝くじだって、買わなければ当たらないのと同じように、
事前の確率の数字だけ見て、解った風に、挑戦の機会を逃してしまうくらいなら、
無知でも果敢に挑んだ方が、意外と上手く行くなんて事も、実際あるでしょうし、
失敗覚悟に思い切って飛び込めるのも、若い内の特権ですよ・・・な〜んて話を、
元若者のオッサン的な立場から、ちょっと偉そうに伝えてみる遊び(笑)。

あと、その作品の世界設定が解らないので、ハッキリとは言えませんが、
もし仮に、主人公の会社が、急成長中のベンチャー企業とかでしたら、
2年目でも現場の重要人物という場合はあり、商談に挑むケースだって無くは無いでしょうし、
それに、マイクロソフトという大企業の現社長となると、ちょっと無さそうですが、
あくまでも「元社長」という事であれば、今は小さな企業の経営していたり、
若手ベンチャーを支援する、エンジェル投資家みたいな立場であるかも知れず、
そういう相手だったら、身軽に商談に出てくる事だって、別に有り得そうな感じはしますね。
この段階の人だと半ば道楽的に、半端な実績よりも、実際に人物を見て判断しそうですから。

また、その作品の主人公は恐らく男性でしょうけど、これが美人な女性であれば、
言い方は悪いですが、その場を彩る「花」として、若手が加わる事は有り得そう・・・・
もしくは、これが元社長側からの売り込み企画で、受けた会社側が重要視しなかった場合、
経験を積ませる意味でも、その仕事を若手に任せてしまうケースも、普通にある気がします。
例えば、元大物が自らの自伝を出版したいと持ち込んだとして、
そんな著書の優先順位は低い出版社側が、元大物の御用聞きに若手を送ったら、
その若手が、そこからコネクションを広げて、一気に偉くなったなんて話もあったかな。
実際、政治家に着いて回る番記者は、体力的にも若手の起用が多いですが、
そこで取材対象に気に入られ、記者から政治家に転身するなんて事も、珍しくありませんし、
時には、虎の威を借る狐のように、その政治家の威光をバックに社内で出世する記者もいます。

まあSEであれば、「技術的な事は、コイツしか解らない」と、若手でも加わる事はあるのでは?
そうなれば、契約面の話はともかく、技術面での話は、その若手と重ねる事になるかと。
・・・って、結局は、その作品の設定次第ですけどね、リアリティーがあるか否かは。
リアルな意味で「総合商社を売却する若手SE」って話なら、確かに有り得ないとは思いますし、
大手企業同士の大きな商談であれば、若手SEが出てくる幕など無いでしょうけど、
これがどんな場面で出た台詞で、どういう意味合いなのか、いまいち把握できてませんからね。

それと、「マイクロソフト元社長」というキーワードを聞くと、
その肩書き以外に、特に目立った功績を知らない、コメンテイターの成毛眞を思い出す(笑)。
これが、初代社長の古川享とかであれば、人間的に面白い人でしたし、
ビル・ゲイツの信任も厚くて、アメリカ本社の副社長まで兼ねてましたから、
「元社長」などという肩書きだけで、わざわざ語る事も無いかな?といった印象。
オタク文化史的に言うと、マイクロソフトのゲーム機参入(X-BOX)にも関わってた人で、
ゲーム機から撤退する「SEGA後継機としてのX-BOX」という構想が、もしも実現していたら、
日本のゲーム業界が歩む、その後の歴史も、少しは違ったのかな?とも妄想しますね。
また、マイクロソフト日本法人の社長という経歴は、確か無かった気はしますが、
アスキー創業者の1人であり、マイクロソフト草創期の中心メンバーだった西和彦も、
マイクロソフト本社の副社長でしたけど、技術畑での実績や、経営者としての経歴があり、
こちらも、元社長とか元副社長という肩書きだけでは、あまり語られないかな。
同じくオタク文化史的に言うと、画期的だったPCの共通規格「MSX」の生みの親ですし。

と言いますか、ラノベ作品なのに、マイクロソフトとか実名で登場するんですか!?
ラノベとは言え商業作品だと、その辺りは全て架空の企業名になりそうな気がしますが、
少し調べてみると、その作品の出版社はアスキー系列の電撃文庫ですし、
昔のアスキーは、マイクロソフトと深い関係にある企業でしたから、
今でも何らかの関係性が残ってるんですかねえ・・・・
もしくは、あくまでも「元」なら、アスキーからマイクロソフトに移った人も多いので、
そこから更にアスキーへと出戻り、自らの武勇伝を作中で代弁させている可能性も?(笑)
まあ、作品制作の為の取材協力って事でしたら、その辺りは容易にアポが取れそうですし。

ところで、「総合商社」という事で言うと、以前の話題にも名前が出てきた伊藤忠ですけど、
私が高校生の頃、毎年行われる卒業生の講演行事で、伊藤忠の社長が来た事があり、
それこそ「総合商社は日本経済の要だ」みたいな話をして、在校生を勧誘してましたが、
当時の私は伊藤忠という会社を詳しく知らず、「ふ〜ん」って感じで聞いてましたね(苦笑)。
同じく、財務省の主計局長が来た年も、「へ〜」ってくらいの感じだったのですが、
著名なニュースキャスターが来た年は、「おぉ、有名人!」とミーハー的に思いました(笑)。
高校生だった当時は、世間知らずだった事もあり、よく理解してませんでしたが、
大人になって思い返すと、卒業生たちの肩書きが凄いなぁと、再認識させられましたし、
忙しい中、わざわざ時間を割いて、地方にある母校に来てくれていたのかと、感心しました。
(とは言え、面白い話や関心する話をしてくれた記憶も、ほとんどありませんけどね)
また当時、OBの教師が「○○に依頼したら、講演料を要求しやがった!!」と怒っていた事も、
急に思い出して、恐らく交通費くらいしか出してなかった事に、今更ながら気が付くと(笑)。
愛校精神が相当強い校風だったので、無給奉仕が当たり前って感覚だったんでしょうね。
それに講演する卒業生の側も、故郷に錦を飾るみたいな感じで、誰もが上機嫌だったかな。

まあ、中学3年の夏に他県から引っ越してきて、よく解らぬまま入学した高校でしたけど、
今になって思い起こすと、多分、一般的な高校とは ちょっと違ってたんだろうなぁ・・・・
一県立高校なのに、OBたちの寄付金で、立派な図書館まで校舎と別棟で建ててましたし、
修学旅行や林間学校などは無く、替わりに「鍛錬合宿」があるような学校だったので(苦笑)。
「下履きは下駄とする(ただし革靴・運動靴は可)」なんて校則、他にある所あるの?
日露戦争の日本海海戦を祝して始まったボート競争が、春の恒例行事として残ってましたし、
恐らく、100年を超えるような伝統校だと、かなり風変わりな校風が意外と残ってる気がします。
って、こんなエピソード集を語ると、旧トルコ担当さんからファンタジー扱いされそうですが、
これにしたって、普通じゃないでしょうけど、実在する高校の話ではありますからね!!(笑)

> お仕事ものでも、オタク文化のリアリティっていうのはこのレベルなんですよ。
でもまあ、一昔前の団塊世代のオッサンたちも、
「サラリーマン金太郎」や「島耕作」とかを喜んで読んでた訳で、
必ずしも、オタク文化だから、このレベルのリアリティーって事でも無いのかも?
例えリアルでは無くても、「相棒」を楽しんでみてる警察官だって多いでしょうし、
時代劇を見て、「江戸時代って、こうだったのか」と思う人も少ないでしょう。
結局の所、娯楽作品であるのだから、面白い事が最重要であり、
リアリティーがどうかとか、その辺りには主眼が置かれていないと思うんですよね。

もっと言えば、リアリティーだけでない、ファンタジーだけでない、
有り得そうな話と、無さそうな話を、巧みに融合している作品こそが、
大きな人気を得る秘訣だったりしませんかねえ?
「半沢直樹」とかも、原作者の池井戸潤は元銀行員なので、
細かい部分や、あるあるネタでは、経験者ならではのリアリティーを出しつつも、
特にドラマ版においては、エンタメに徹して、時代劇や歌舞伎の要素を取り込み、
大枠では、痛快なファンタジー作品に仕上げられていて、
だからこそ、あそこまでの大ヒットを記録したのだと思いますよ。

それと上の方で、受動的なアニメ視聴と、自発的なノベル読書の話をしたように、
もしも作中に、少し気になる点があっても、手を止めて考えてしまう小説版と違い、
映像版だと勢いで押し流せる為、ファンタジーでも違和感を抱かせない特徴はあるでしょうし、
そういった意味では、同じ作品であっても、媒体ごとに見せ方を変える事もあるのかな?と。
逆に言えば、その作品も、ラノベだから気になった点があったとしても、
アニメ化されてしまうと、意外に気にならないなんて事だって、有り得るかも知れませんね。

また、リアルなSEを題材としたオタク作品となると、
漫画で「ぼく、オタリーマン。」とか、既にありますしね。
というか、作者は本職がSEで、趣味で漫画をネット公開してた人で、
実録モノに近い作品でしたから、ファンタジーも別に無かったかな?
オタク&SEの等身大な あるあるネタが、作品の中心だった印象。
続編にあたる「理系の人々」は、実写ドラマ化もされてたはずで、
10年くらい前には、世間的にも少し話題になって作品でしたよ。
まだ当時は、完全デジタルで描かれた漫画も、珍しい時代でしたし。


P.S.
今回は2010年代アニメの話も多かったので、ついでに聞いてしまいますが、
「教養としての10年代アニメ」って、旧トルコ担当さんは既に読まれました?
https://www.amazon.co.jp/dp/459115338X
https://www.amazon.co.jp/dp/4591158322

近畿大学の名物講義が、こうして書籍化されてたのは知ってましたけど、
「受講条件は週20本の深夜アニメ視聴」などという謳い文句(笑)を見て、
個人的に2010年代は、ほとんどアニメを見ていなかった事もあり、
今まで読んでは来なかったのですが、今回こうして2010年代アニメを話題にしましたし、
実際に見てない作品が多くても、読んでみる価値がある本なのかなぁ?と。
特に第1巻では、まどマギやSAOと並び、俺ガイルにも1章が割かれてましたので。


[23775] Re11:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/11/28 (日) 00:54:41 旧トルコ担当

> すみません。
> 前回、投稿直前の新着記事を見落としていた為、
> 返信が1週間遅くなってしまいました。


こちらも、1週間間を空けてしまいすみません。
時間かけて文章を練ろうと思ったのですが、時間かかても特によくならないというw

> > > > > > > そういう意味では、私は個人的に「VTuber」という存在を、
> > > > > > > 「地下アイドルの延長線上」に見ていると言いますか、主戦場さえネットに移してしまい、
> > > > > > > 「会いに行けるアイドル」ならぬ、「交流できるデジタル地下アイドル」という印象なんです。
> > > > > > > また、アイドル的な活動とは別方向で、
> > > > > > > VR風俗とか、VRキャバクラなんていうのも、近頃は現れ始めており、
> > > > > > > こちらの分野は、まだこれからなので、新規参入の余地があるかも知れません。

> > > > > > おっさんがVRゴーグルで美少女キャラクターになって、美少女キャラクター(おっさん)と恋愛するというのは、
> > > > > > 既存のキャバクラの延長線上ではないでしょう。

> > > > > では、もう1度 考えてみて下さい。
> > > > > VRゴーグルで恋愛する際、プレイヤーが求める本質部分って何ですか?
> > > > > そして、既存のキャバクラも、客が求める本質部分って何ですか?
> > > > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ事は、
> > > > > 冷静に考えれば充分に解ると思いますし、それが解らないとなると、
> > > > > そもそもVR恋愛の方も、外見部分しか把握できてないって事になりません?

> > > > パッと見の外観は大きく異なったとしても、中身の根幹がまるで同じ、ということは理解できますが、
> > > > それを言ってしまえば大抵のものはそうなのでは?

> > > え〜と、「大抵のモノは同じ」とか、そこまで大きな意味で、言っている訳ではありませんよ。
> > > 例えば、VR恋愛とアニメ・ゲームとでは、異なる分野ですけど、
> > > VR恋愛とキャバクラであれば、根っこは同じというくらいの話です。
> > > ここで本質部分と言っているのは、それぞれに伴う「疑似恋愛」感情の事です。
> > > 要するに、アナログか?デジタルか? 男性向けか?女性向けか? 一対一か?一対多数か?
> > > その辺りの違いがあるだけで、疑似恋愛を楽し本質部分は同じという話です。

> > 前々回の話になりますが、確かに「疑似恋愛を楽しむ本質部分は同じ」というのは理解できるのですが、
> > 逆に言えば本質的に新しかったもの、それまで全く存在しなかったもの、
> > というのは今までの歴史の中で存在したのでしょうか?
> > 例えるならば、江戸時代の落語も、現代の漫才も、笑いという本質部分は一緒ですよね。
> > 結局人類文化の歴史というのは、本質部分では大した変わりはなく、せいぜいそのバリエーションが増えたり、
> > 一部の人々しか楽しめなかったものが庶民でも楽しめるようになったり、という程度なのではないでしょうか?

> まあ、大きく捉えてしまえば、私も同意見ですよ(笑)。
> 古代人だろうと、現代人だろうと、人間の本質なんてほぼ変わらないでしょうし、
> そこが大差ない以上、求められるモノにしたって、それほど大きくは変わらないかと。
> 特に「笑い」などという、泣く、怒るなどと同じく、超基本的な感情の1つですし、
> まさに おっしゃられる通り、このレベルだと「バリエーションが増える」くらいの話で、
> 「恋愛」に関しても、性欲や生殖欲に繋がる、非常に根幹的な欲求に由来しており、
> 突き詰めれば人間の社会なんて、今でも「気持ち良い・便利・儲かる」の3つで、ほぼ語れますから。
>
> また、科学的に言ってしまえば、感情を司っているのは脳であり、
> その脳にしても、ドーパミン・セロトニン・エンドルフィン・オキシトシン・ノルアドレナリンなど、
> 情報ごとに伝達物質を受け取り、化学反応的に信号を送ってるだけの事ですからねえ。
> 究極的に言えば、そうした伝達物質を如何に分泌させるか?という、「手段」の話だったりします。
>
> > これに関して、本質部分が異なった文化が新しく誕生した例を何でも良いので教えて欲しいです。
> 結局の所、どの地点を基準にして「新しい」のか?
> どの程度の違いによって「異なる」のか?
> そのラインを具体的に定められてないと、やはりハッキリはしませんよね。
> 前にあったパイン缶詰の話も、食欲とか甘味への欲求という意味では、新しくはありませんが、
> 戦後になって、料理のバリエーションが増えたという意味では、新しいに該当するでしょうし、
> 例えばこれは、今年もコンビニ・スイーツの新商品が出たとか、そのレベルの新しさとは違うと。
> また、仮に同じ事柄でも、それが手段であるか、目的であるかで、意味合いも変わりますからねえ。
> 正直、この辺の前提が曖昧だと、「教えて欲しい」と言われても漠然とし過ぎですし、
> そもそも論を言えば、「既存の延長線上ではない」って発言されたのは、
> もっと言うとVR恋愛とキャバクラを結び付けたのも、旧トルコ担当さんの方な気がしますけど、
> (まあ、私の見解ともそこまでズレていなかったので、そのまま話に乗っかりましたが)
> でもまあ、興味深いテーマだとは思うので、一緒に考えてみましょうか(笑)。
>
> 例えば食べ物にしても、太古の昔から、食事という行為は行われ続けてきた訳で、
> 生命活動に直結するからこそ、その行為で快楽や満足感が得られてた所は変わりません。
> センサーである味覚にしたって、時代と共に進化した訳ではありませんから。
> とは言え、新しい料理の登場というのは、たびたび起こっていて、
> その都度、人間は新たな刺激を得てきたのですから、そのレベルなら「あった」とも言える。
> また、江戸や明治の頃までは、日本の地理的な条件などもあり、
> 完全に「新しい」というモノもありそうですが、戦後や平成以降でとなると難しいかな?
> 未知の海外食品とか、新技術で可能となった調理法とか、そういうのなら在りそうですが。
>
> う〜ん、パッと思い付くレベルで言うと、他にはスポーツとかですが、
> 例えばサッカー観戦なんて、Jリーグ誕生やW杯出場までは、一般的では無かったものの、
> 今では、W杯の日本代表戦なんて、最高視聴率を叩き出すコンテンツになっています。
> 自分で行うスポーツだと、ランニングが流行したのも、ここ10年くらいの話でしょうか?
> もちろん、「走る」という行為自体は、人類の誕生以前から存在しますし、
> 鍛錬の為に走ったり、必要があって走ったりはしましたけど、
> 大人が娯楽として走るなど、最近までは、あまり一般的では無かったはず。
> 一昔前までは、代表サポーターも、皇居ランナーも、ほとんど居らず、
> そういう意味では、新しい事は新しいですし、異なる事は異なるかと。
> それこそスポーツなんて、ルール次第で、新しいモノは幾らでも誕生し得ますし、
> ルールを知らない人が見れば、単なる遊びに過ぎないモノであっても、
> 一旦普及すれば、多くの人々を惹き付けて止まない存在となります。
> 「スポーツ観戦の興奮も、スポーツをする快楽も、狩猟や戦争の延長線上だ」と、
> 極端に見る事も可能ではあるのですが、やはり、どのレベルで語るかですよね、そこは。
>
> 昨今は、e-Sportsなどとも呼ばれる「TVゲーム」にしても、
> 電子機器が発達するまでは、自らの動作に、計算して反応してくれる装置など存在せず、
> アナログなゲームは在ったにせよ、新しくて異なったモノであったのは確かですよね。
> 解りやすく言えば、対人戦でも無い限り、それまで双方向なゲームは有り得なかったと。
> そう考えると、アニメだって新しいですし、そもそも映画だって そうです。
> だからこそ、映画が登場した際、フランスの文化人の間では、
> 「建築・彫刻・絵画・音楽・演劇・舞踏・文学」という、伝統的な7つの芸術に対して、
> 新たな芸術の誕生という意味で、映画は「第8芸術」と称されましたし、
> (演劇と舞踏を1つに数えて映画は第7とか、写真を第7に入れて映画は第8という意見も)
> その半世紀前には、写真の登場により、存在意義を問われる事となった絵画芸術が、
> 印象派やキュビズムなど、写真とは違う、独自の表現方法を模索するようになりました。
> また再び、フランスの文化史観的な見方を引用すると、
> 写真や映画が、古代から固定されてきた芸術世界に、突如登場した新ジャンルであり、
> そこに更に続いたのが、アニメであり、TVゲームであったという見方なんですよね。
> ですから中には、アニメを第9芸術、TVゲームを第10芸術と捉えている人たちも居ます。
>
> ちなみに、そんな彼らが第11芸術と呼んでいるのが「デジタル・アート」ですね。
> 古代から続く伝統芸術に対する、新芸術が近代以降に誕生した背景には、
> それを可能とする科学技術の発展が、もちろん含まれているのですが、
> これは、その最たるモノで、デジタル表現をリアル空間に投影する事により、
> デジタルとリアルを融合して、画面越しではなく、実体験で味わうアートというのが、
> 最近では流行ってきてますし、現在進行形の「新しくて異なる」モノなのかも?
> 例えば、お台場や豊洲にある、チーム・ラボが提供するアート施設がそうでしょうし、
> 建物の形状に合わせて映像を投影する、プロダクション・マッピングもありますね。
> もっと身近な例だと、映画の4DXとかも、これに少し近い感じなのかな?
> 私が、VRの先にあるARやMRについて言及するのも、こうした流れがある為です。
> それこそ旧トルコ担当さんの言葉を借りれば、アニメ・キャラが2.5次元どころか、
> 3次元にまで飛び出し、しかも一対多ではなく、一対一で独自に相手をするとなれば、
> これは表現方法として、今までとは、かなり違って見えるのでは無いでしょうか?
>
> あと、科学技術が生み出す新分野という話とは、少し異なりますけども、
> 「紙の上の女の子に欲情する」というのも、実は「新しくて異なる」モノのかも?(笑)
> もちろん、江戸時代の頃から、日本には春画があった訳ですし、
> エロい絵画なんて、それこそ今東西を問わず、存在していたのは事実です。
> でも それって、基本的には3次元の延長線上と言うか、代替物であったでしょうし、
> 「リアルの女なんて糞だ!2次元こそ萌える」という現象は、比較的に新しい気がします。
>
> いや、でも結局、「異性に興奮を覚える」という点では、基本 変わらないので、
> もう少し視点を変えて考えてみると・・・「素数に興奮する数学マニア」とか、
> 「ただの石に宇宙を見てしまう水石マニア」みたいな、そういう世界はどうでしょう?
> 捉えようによっては、フィギュアとかも、これに該当するのかな。
> これらはフェチの方向性が、トンデモない方に進んでしまったという事で、
> 強引に解釈すれば「歪んだ性欲」と捉える事も、一応は可能でしょうけど、
> この辺りならOKという事であれば、こうした世界は今後もドンドン生まれるはずです。
> さすがに大衆文化にまでは発展せずとも、一定数の愛好家が居れば、文化は文化なので。
> (ちなみに私は、マニアでは無いものの、素数も水石もフィギュアも好きです・笑)
>
> でもまあ、突き詰めて考えると、脳の伝達物質を引き出す為の「ネタ探し」なんですよね。
> で、こうした伝達物質を過剰分泌させたり、逆に抑え込んだりする為に、
> 化学的に物質を用いるのが、要するに「ドラッグ(麻薬)」な訳ですが、
> このまま技術開発が進めば、伝達物質のコントロールだって行えるようになるでしょうし、
> もっと進めば、伝達物質の受け渡しなど不要で、信号を直接コントロールする事でしょう。
> こうなると、感情を変化させる道具としてのネタは、別に必要なくなるので、
> 脳の処理としては同じでも、文化としては根幹から変わるかも知れません。
> 何らかのネタを用いるにしても、それはリアルではなく、ヴァーチャルでも良い訳ですし、
> 早ければ十数年後、遅くても今世紀中には、実現しそうな気がします。
> で、仮に実現出来たとして、その時に、これは第何芸術と呼ばれてるんですかねえ?(笑)
> (要するに、それまでの間に、一体いくつの新芸術が登場するのかな?という話)
>
> 最後に整理すると、まずは根源的な欲求として、「暴食」や「買春」などがあり、
> そこから派生し、興奮用のネタとして、「格闘」とか「賭事」などがあり、
> また同時に、化学的にもたらすのが、「飲酒」であり「喫煙」であり「麻薬」であり、
> 人類が文明を築くと共に、「絵画」や「演劇」といった、伝統的な芸術が生まれ、
> そこから近代に至ると、「映画」などの技術革新による新たな芸術や、
> 都市集中や労働者化の影響として、「スポーツ」の進化や、それに伴う「プロ競技」が生まれ、
> そこから、趣向の多様化や、技術の進歩によって、様々なコンテンツが増えたのが現代であり、
> 一方で、フェチの新規開拓や、化学的なコントロールには、まだまだ無限の広野が広がっていると。
>
> ・・・って、これだと話が抽象的で、もうちょっと具体的に語った方が良いのかなぁ?
> 多分、私の話が伝わり難いのって、物事に関するレベルの階層分けが行われているからで、
> 普通の人だと、その辺りは結構フィーリング的というか、明確に細かく分類してないと思うんです。
>
> と言う事で、例えば食事をした際、「おいしー」と幸福感に包まれるのは、
> 身体に必要な栄養素を摂取する事により、神経伝達物質が分泌されるからですね。
> 仮にこれを、第1段階(レベルとか階層と言っても良いです)としましょう。
> 続いて、伝達物質の信号を受けて、嬉しいとか満足といった感情が発生します。
> 実際においしいと感じるのは、この第2段階ですね。
> で、食事で得られる感情とは、基本的に快楽ですから、それを再び得たい欲求が生じると。
> これが要するに食欲というモノで、これは第3段階に相当します。
> 更に、人間くらい知能が発達すると、食事という行為自体や、それに付随する喜びも含め、
> そこに楽しさを覚えるモノで、これを第4段階とします。
> また、肉を食べたいとか、野菜を食べたいというのと同じレベルで、
> 甘いスイーツを食べたいという欲求があり、これを第5段階としましょう。
> そして、そのスイーツの中にも、チョコやケーキ、饅頭など、
> 様々な種類があって、これを第6段階とします。
> 最後に、チョコというジャンルの中でも、各メーカーは新商品を出してきます。
> こうした商品の豊富さが、第7段階にあたる感じですね。
>
> 前置きが長くなりましたが、こうした7層のピラミッド構造だと考えてみて下さい。
> まず、私が「文化」と言っているのは、おおよそ第4段階から下の話であり、
> 広義の意味では第7段階まで含みますが、断りが無ければ狭義的に第4〜5段階くらいかな?
> (まあ、第4段階は文明レベルで、第5段階くらいから文化なのかも知れませんけど)
> で、私の中では「VR」って、あくまでも手段であり、道具であって、
> この7つの段階の、どこかに属すると言うよりは、
> 各段階の物事に付属して、変化をもたらしてるレベルの捉え方ですね。
>
> そういう意味では、まずはVTuberって、基本的にYouTubeという動画コンテンツに属するモノで、
> YouTube自体は、動画を誰でも制作でき、そして発信できるという点では画期的だったものの、
> それは他の一般商品に例えると、生産と流通に革命をもたらしたというレベルの話で、
> 動画それ自体は、種類が膨大だというだけで、テレビ番組とは違う画期的な何かには乏しいです。
> 現状の人気はともかく、動画にコメントを乗せたニコニコ動画の方が、その点ではYouTubeより上かな?
> その辺りを考えると、物語や交流を楽しみたいなどの欲求が第4段階で、
> そうした要素を含む、動画を見たいという欲求が第5段階くらいにあり、
> YouTubeやテレビというのは、それを実現する為の道具であって、
> 各番組のカテゴリーが第6段階にあたり、
> VTuberというのは、この6と7との間くらいにある存在かなぁ?と。
> (例えばチョコでも、第6.5段階くらいに、ビターとかクリーミーとかタイプがある感じ)
> 「既に1つのカテゴリーだよ」と見なしても、それでもまだ第6段階ですよね。
> 少なくとも、私が求めるような、第4〜5段階(狭義的な文化)の新しさとは違うかな・・・・
> あと、疑似恋愛に関しても言うと、
> 性欲や生殖欲が第3段階に、恋愛そのものが第4段階にあって、
> 疑似恋愛が第5段階、VR恋愛やキャバクラが第6段階って感じかな?


おおよそ同じような認識です。
前回は、管理人さんが「かつては、恋愛レベルの新しい文化がドンドン登場していたが、現在はそうではない」というようなことを言っているのかと思っての書き込みでしたが、私の誤解でした。すみません。

ただ、VRに関しては私は可能性はあると思っています。(といっても、第5,6段階くらいの「新しい」ですが)
現在はまだVRで作ったVTuberをスマホで二次元映像として見るという段階ですが、VRゴーグルが普及すれば、コミュニケーションの仕方が変わると思うんですよね。
例えばVRChatで美少女に扮しているおっさんが、言葉の語尾に「〜だにゃ」とつけるようになるとか。
人間は情報の7割を視覚から得ているなんていいますし、自分の見た目を変えられるVRであれば、自分は○○である、という自意識を変えることが可能になると。
それは別にVR以前にもインターネットの出現で起こったことではあります。
現に、大学生に過ぎない私が、私の2倍か3倍の年齢の管理人さんと対等(?)に話せているのも、掲示板という文字のみのコミュニケーションだからですし。
あるいは、リアルではごく普通の人が、ネットでは人格が変わったように炎上している人を叩く、ということであったり。
平成ネット史では、2ちゃんによって、それまで男性9割で女性がなかなか入っていきにくいような話題でも、匿名だからこそ女でもマニアックな話ができた、なんていうことも紹介されていました。
ただ、VRはスマホやPCと違って没入感が違いますから、そういったネット世界の第二人格を得る人ってどんどん増えると思うんですよね。
それこそ、自分の容姿に自信のない人なんか、VRでイケメンや美少女になって、同じく美少女やイケメンと会話したり、恋愛したりできるなんて言ことになれば、「もうリアルの恋愛はいいや」と思う人の数って、もっと増えるんじゃないですかね?
ねほりんぱほりんのバ美肉の回では、それまでおっさんだった人がVTuberで美少女になって皆にちやほやされていると、おっさんでも少女の心を持つようになる、という話が紹介されていました。
その元おっさんVTuberの配信中に少しスカートの中が見えそうになって、視聴者が「見え」なんてコメントすると、おっさんは「私のこと、そんな目で見ていたの」という風に、性的な視線で見られたことに対して(おっさんなのに)嫌悪感を示すと。
それは逆に言えば、ちょっとグロテスクなことに興味のある普通の人が、VRで殺人ゲームをしているうちに、感覚がマヒしていって、最終的にリアルで殺人を犯す、ということになってしまうわけですが。
ただどちらにせよ、今まで他人とのコミュニケーションは自分の容姿であったり、年齢であったり、社会的地位だったりに、どうしても左右されていたものが、そこから完全に自由になる、というのは結構新しい変化になると思うんですよね。
今の社会でも、大学生が私服で受ける大学の講義は学生はだらっとしていますが、スーツを着ると突然ビシッとしますからね。葬式には皆が黒い服を着ていくことで、その場の雰囲気が出るわけですし。

と思っていたら、そういうのは「メタバース」っていうんですね。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211122/k10013357101000.html?utm_int=detail_contents_tokushu_003

なんだかんだで、人間の最大の文化って他人との会話だと思いますし、それが根本的に変わるとすれば、かなり巨大な変化になるんじゃないでしょうか。

▼ 好きなアニメについて

> > > > ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。
> > > > 1位 響け!ユーフォニアム
> > > > 2位 言の葉の庭
> > > > 3位 夏雪のランデブー
> > > > 4位 月がきれい

> > > まずは、オススメありがとうございます。
> > > で、開口一番ですけど、俺ガイルは入ってこないタイプの作品なのでしょうか?
> > > 以前の「2010年代のエヴァ」という発言から、旧トルコ担当さんの中での、
> > > 俺ガイルというのを、ちょっと知りたかった部分は大きかったので、結構意外でした。
> > > と言いますか、この3作に俺ガイルの1期・2期も加えて、
> > > おおよそ2013年前後に、オススメの作品が集中してません!?
> > > これってつまり、この頃が、旧トルコ担当さんにとっての、アニメ激熱期だったって事なのかな?

> > 作品が2013年に偏っているのは偶然です。リアタイではほとんど見ないので。

> という事は、2013年頃の流行というか作風が、
> 旧トルコ担当さんの好みに、合っていたという感じですかねえ?
>
> > 俺ガイルがランキングに入ってこないのは、私が原作厨で、
> > 原作ラノベの縮小再生産にしかなっていないアニメをあまり評価していないというのと、

> となると、アニメ版の俺ガイルは、
> 旧トルコ担当さん的には、あまり評価していないという事?
> 「2010年代のエヴァ」と言っていたので、てっきりアニメの話かと思ってました。
> エヴァはアニメのオリジナル作品ですし(漫画連載があったのは知ってますよ)。
>
> 一応、いつでも見られるようにと、念の為に録画しておいたディスク群の中から、
> 1期から3期までの分を探し出して、手元に置いてはあるんですけどね(苦笑)。
> (ビデオ時代から、デジタル時代となり、見ないけど録ってある作品が山のように・・・)
> もしも、「アニメ版はオススメじゃないよ」という事でしたら、
> いつか見たいと思いつつ、未だ見れてない作品も、まだまだありますので、
> 候補リスト内の優先順位を、下げてしまっても良いのかも知れませんね。
> ちなみに最近は、ここ数週間は止まっていますけど、今更ながら「化物語」シリーズを新規視聴中。


> > 好きなアニメランキングではなくおススメできる作品ランキングだからですね。
> 「好きな作品」と「オススメ作品」とは、別である事を解っているのに、
> 好きな作品を尋ねられて、敢えてオススメ作品を書いた意図は、少し気になるかも?(笑)
> だって、好きな作品とオススメ作品は違うという事が解っているのなら、
> 好きな作品を紹介するよりも、オススメ作品を紹介する方が、
> ずっと難しい作業である事は理解できてるでしょうし、
> その割には・・・言っては悪いのですが、その点で苦心した感じを見て取れなかったので。
>
> 失礼ながら、ぶっちゃけて言うと、私の好みなど全く考慮されてないでしょうし、
> 私特定ではなく、一般向けであっても、どこか似通った作品ラインナップに思えました。
> 何と言うか、「無理なく実写ドラマ化が可能な作品が並んでる」といった印象。
> そういう意味では、普段アニメは見ないけど、ドラマなら見るよという人を想定して、
> オススメするラインナップとしては、妥当な気もしますけど、
> もし そうなら、「ここまでオタク話をしてきて、今更?」といった話にも(笑)。
> となると、そういった系列の作品が、旧トルコ担当さんの好みであり、
> 「オススメできる」ではなく、「オススメしたい」って感じなのかなぁ?と。


いやぁ、自分の一番好きな作品を他人に宣言するのって、恥ずかしくないですかね?
他のオタクの人はどうなのでしょうか?
もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

おススメできるアニメランキングは、私の好きなアニメの中から
(1)好きな作品と宣言して恥ずかしくないもの
(2)個人的に好きなだけでなく、客観的にクオリティが高いもの
(3)アニメ版が一番良いもの(漫画原作アニメで、原作漫画の方が出来が良いものなどは除外)
という3つのフィルターをかけて、作成したランキングになります。
そしていざそれを作ってみると、案外数が残らなかったという。
逆にそれだけ選んだ作品なので、おススメ度はどれも高く、どの作品を見るか?という参考には十分なるという自信はあるのですが。

そして、「無理なく実写ドラマ化が可能な作品が並んでる」「ここまでオタク話をしてきて、今更?」とのことですが、一応はそれでも私の好みが反映されたランキングになってはいます。
見ての通り4作品中3作品が恋愛もので、私は中学生の時に源氏物語を読んで以来、ずっと恋愛ものは好きですからね。今まで読んできた(見てきた)恋愛ものの中では、どれも非常にレベルが高い作品です。
ただ、それが相手の好みの合うかはわかりませんし、あくまで「参考」ということで。

> > > って、旧トルコ担当さんは以前、岡田斗司夫のガンダム全話解説について触れられてましたし、
> > > オタクを称される以上、ファースト・ガンダムは当然 押さえているだろうと思ったものの、
> > > これまでの「オタクの定義」の相違を踏まえると、必ずしも、そうとは言い切れないのかな?

> > ガンダムは一応見てますよ。
> > 世代ではないですが、ヤマト、ガンダム、エヴァ、ハルヒは一応抑えています。マクロスは見てないですが。

> おお、なるほど!!
> でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
> 旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。


うーん、この辺はどうなんでしょうね。
確かに、オタク史的に名作とされるアニメを見ることは価値もありますが、やりすぎれば結局、流行りものを追っかけているJKと変わらないと思うんですよね。
いや、流行りものを追っかけること自体は別に好きにやればいいと思うのですが、周囲に流されて自分で判断しない姿勢というのは、オタクとは呼べないと思うんですよね。
日本全体が高齢化していて、かつSNSで全部見えてしまう今の時代、数に従えば昔の名作アニメの方に流されるのは当然でもありますし。
ふと気になって調べてみたところ、エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

まあ、私の独断と偏見で言わせれば「オタクとは自分の好きなものを突き詰める人間」なのであって、何も昔の名作アニメを履修する必要性はないと思っているんですよね。
あと、中国のオタク文化に期待を寄せているのも、結局は人口問題があるからだったりします。

▼ 俺ガイル

> また、「俺ガイルに興味がある」と言うよりは、
> 旧トルコ担当さんが「2010年代のエヴァ」と言った、理由の方に関心があったので、
> 今回の返信により、その点も ある程度は掴めましたから、
> 残念ながら、わざわざ原作を読むまでの熱量は、ちょっと無さそうですね。
> しかも学園モノである事を踏まえれば、そもそも私の年齢的に、
> 現役学生の読者層とかと比べると、そこに投影される熱量自体も違ってきますし。
>
> とは言え、「オタク作品なのにファンタジーが入らない」という理由は、
> 「なるほど」と、少し腑に落ちた感じ!!
> いや個人的には、エヴァの存在って、もっとアニメ史とかオタク文化史的に捉えているので、
> 客観的に言えば、「2010年代のエヴァという表現は適当じゃないだろ?」と思いますし、
> 「そこで挙げるなら、2010年代なら まどマギの方が妥当かな?」とも思うんですよ。
> でも同時に、それこそ鬼滅ブームのキーワードとして挙げたように、
> 「リアルタイム性」という点を踏まえると、旧トルコ担当さん自身は解りませんが、
> 直撃世代の人たちにとっては、何となく、大きな存在の作品である事は伝わってきました。
> 言うなれば、「2010年代のエヴァ」と言うよりは、
> 「2010年代が思春期の世代にとってのエヴァ的に刺さった作品」という意味合いで。
> (とは言え、四半世紀後に劇場版が公開され、「卒業式」と評されるような事は無さそう)


「2010年代のエヴァ」というのは布教用の宣伝文句ですので。
俺ガイルとエヴァでは、そもそもファン人口が1桁くらい違いますし。
ですが、このワードによって管理人さんにも興味を持ってもらえたわけですし、布教戦略としては有効なワードだったのかな?

▼ ラノベ論?

> まあ元々、今の20代前半くらいの世代が、ちょうど中高生だった2010年代中盤、
> ラノベ原作の人気アニメは、「SAO・リゼロ・俺ガイル」がトップ3という印象でしたけど、
> 今回、その人気の理由みたいなモノは、少し掴めたかな?といった感じです。
> 異世界転生系や、俺TUEEE系の作品が量産される昨今、
> 読者(視聴者)を悦にさせる作風というのは、何だかんだで人気だと思うんですよ。
> でもトップ3の作品って、オタク層を喜ばせるような世界観を用意しつつも、
> 実は結構、主人公に厳しいというか、読者(視聴者)に対するメッセージ性がありそうな感じ。
> 俺ガイルは見てないので解りませんが、まさしくリゼロはそんな感じがしましたし、
> SAOは最初の数話しか見てませんけど、それっぽい気はしたんですよね。
> う〜ん、何というか、意外に甘やかしてくれない感じとでも言いますか、そんなイメージ(笑)。
> それこそエヴァから引用するなら、萌えとか、俺TUEEEとか、受け身ハーレムとか、
> 消費者を夢の世界に導こうとする作品が席巻した、2010年代の当時、
> 「逃げちゃダメだ」と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだったのかな?と。
> (俺TUEEE系も全否定はしてませんよ、「魔王学院の不適合者」とか意外に面白かったですし・笑)
>
> ただ、一昔前の作品を考えれば、それって別に珍しい事じゃありませんでしたけどね。
> それこそ戦後昭和な世界は、日本社会自体も右肩上がりの頃で、
> リアルの方もスポ根的なノリで、大体の物事は上手く行く時代でしたので、
> 娯楽作品の方でも、「友情・努力・勝利」みたいなジャンプ3原則が大手を振っていました。
> しかし、失われた平成の30年間を経て、日本社会が停滞から衰退の時代へと移りつつある昨今、
> 現実が厳しいからこそ、娯楽に現実逃避要素が求められる傾向もあるのでしょうから、
> 本来的なファンタジーとは意味の異なる、ご都合主義的なファンタジー要素が含まれるのは、
> 時代のニーズだと言えば、そうなんだと思うんですよね。
> それは何も娯楽コンテンツに限らず、ヤバい事に、リアルな政治や報道などに於いても・・・・
> ですけど、そんな中でも、そうした作品に人気が集まるなら、決して捨てたモノでも無いのかな?
> って、ちゃんと見たのはリゼロだけなのに、推測で物事を語り過ぎたかな?(笑)


「『逃げちゃダメだ』と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだった」というのは否だと思います。
一応3作品とも見ましたが、(SAO、俺ガイルは何度も読み返しており、リゼロはアニメを1度見ました)
これらの作品って、そもそも「友情・努力・勝利」みたいなジャンプ3原則とは、倫理観とか理想観が違って、岡田斗司夫の言葉を借りれば「自分の気持ち至上主義」なんですよね。
(多少ネタバレになりますが)例えば俺ガイルであれば、俺ガイルはハルヒの流れを継ぐ謎部活ものなんですが、最終的にこの話はその3人だけの部活の、主人公とダブルヒロインの友達関係をどう維持するのか?ということがテーマになっていきます。
それは何も特別な事情ではなく、もう高校2年の3学期で、高3になれば受験があり、そのあとはきっと大学別々のところに進学することになるよね、というだけの話です。
だから、この3人の関係性はもうそろそろ終わりだし、どう終わらせるか考えなきゃね、というだけなのですが、紆余曲折合った末の結論は「ずっとこのまま」なんです。
いや、これ本当にどうするんでしょうね。
大学3人で同じところに行くんですかね?まだ中学生ならそれもアリかもしれないし、俺ガイルがよくあるオタク・ファンタジーならばそういう結論もアリかもしれませんが、俺ガイルって徹底的にリアルなんですよ。
まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、同じ大学に行くくらい大したことないのかもしれませんが。
ソードアート・オンラインも、大勢の命を奪った大犯罪者の茅場明彦に非常に同情的なんですよ。
それもやはり、「彼がやりたかったんだから、しょうがないじゃん」という。
まあ簡単に言えば、80年代は努力・競争・勝利だった価値観が、現代は友達にやさしく(気持ちを分かってあげて)・自分の気持ちを大切に、という道徳観に変化しており、あくまでその道徳観の中の作品であると。
だから、SAOや俺ガイルでも主人公は壁にぶち当たるんですけど、それは「自分の気持ち」を守れない、という壁か、あるいは「自分の親しい誰かの気持ちを叶えてあげられない」という壁なんですよね。
そういう意味で甘やかしてくれない、というのは「自分の気持ちに妥協をするな」というメッセージですし、「親しい誰かのあきらめてしまった表情を、見て見ぬふりをするな」というメッセージになります。

追記
俺ガイルの作者が書いた上下巻完結のラノベに「どうでもいい、世界なんて」というラノベがあります。
ジャンルとしては異能力モノで、アンノウンという使徒みたいな怪物が表れて人類文明が一度崩壊しかけた世界で、異能力に目覚めた少年少女が戦うという、ここだけ見るとよくある設定なのですが、
このラノベでは、既にアンノウンという一度は人類文明を滅ぼしかけた怪物が、既に異能力に目覚めた少年少女にとっては雑魚になっており、それでも定期的に湧き出てくるアンノウンを少年少女たちがスコア目的に駆るだけのルーティーンになっているんですよね。
この日常となったアンノウン狩りで活躍するとスコアが貰え、高いスコアで卒業すると、その後の人生を国家に保証された特権階級として生きることができるのですが、主人公は持っている能力が使えねーということで、戦闘部隊から外され生産部隊に回されます。
その出向先(このラノベには出向という単語が出てきます)は、釣瓶朝顔というJKが生産課課長として仕切っており、部下たちに厳しいノルマを課しているのですが、
物語中盤で、釣瓶朝顔は「ほとんど戦闘課にしか与えられないスコアの査定基準を変えて、戦闘課で活躍できるような異能力に恵まれなった人たちでも、それ以外の部署で頑張れば一定のスコアが得られるようにしたい」という理想を持っており、
「そのために生産課でバンバン魅力的な商品を開発して、存在感を高めて、形骸化している選挙制度を利用して、初めての戦闘課出身ではない生徒として初の主席になって、理想を達成したい」と生産課の部下たちに告白するんですよね。
結局、この形骸化選挙制度を利用した合法的クーデターはあらぬところからの一撃で失敗に終わり、内戦やったうえで妥協政権が成立するのですが、
タイトルの通り、それでも主人公の態度は「どうでもいい、世界なんて」なんですよね。
この作者はテーマを深く掘り下げるためにアンチテーマを肯定するという手法をよく使うのですが、釣瓶朝顔ちゃんもこの物語では結局、アンチテーマ役でしかないんですよね。

> ちなみに余談ながら、リゼロのタイム・リープの系譜について脱線すると、
> 元々タイム・リープって、小説や映画では珍しくないネタではありましたが、
> それがオタク文化に根付いたのは、エロゲーが泣きゲー化した際、
> シナリオ分岐による複数のストーリーと、それに伴うイラストを、
> 効率良く味わって(収集して)もらう手法として、導入されたイメージですね。
> で、それを同人作品でサスペンス・ホラーと組み合わせたのが ひぐらし、
> それを家庭用ゲームに用い、後にアニメ化もされたのがシュタゲで、
> ひぐらしやシュタゲを、異世界転生モノとしてラノベ化したのがリゼロ、
> リゼロをマガジン伝統のヤンキー漫画化したのが、今年ヒットした東リベって印象。


俺ガイルも既に2シリーズほどシナリオ分岐(?)的なif展開を作者が書いてますね。

▼ マイクロソフト元社長

> それと、「マイクロソフト元社長」というキーワードを聞くと、
> その肩書き以外に、特に目立った功績を知らない、コメンテイターの成毛眞を思い出す(笑)。
> これが、初代社長の古川享とかであれば、人間的に面白い人でしたし、
> ビル・ゲイツの信任も厚くて、アメリカ本社の副社長まで兼ねてましたから、
> 「元社長」などという肩書きだけで、わざわざ語る事も無いかな?といった印象。
> オタク文化史的に言うと、マイクロソフトのゲーム機参入(X-BOX)にも関わってた人で、
> ゲーム機から撤退する「SEGA後継機としてのX-BOX」という構想が、もしも実現していたら、
> 日本のゲーム業界が歩む、その後の歴史も、少しは違ったのかな?とも妄想しますね。
> また、マイクロソフト日本法人の社長という経歴は、確か無かった気はしますが、
> アスキー創業者の1人であり、マイクロソフト草創期の中心メンバーだった西和彦も、
> マイクロソフト本社の副社長でしたけど、技術畑での実績や、経営者としての経歴があり、
> こちらも、元社長とか元副社長という肩書きだけでは、あまり語られないかな。
> 同じくオタク文化史的に言うと、画期的だったPCの共通規格「MSX」の生みの親ですし。
>
> と言いますか、ラノベ作品なのに、マイクロソフトとか実名で登場するんですか!?
> ラノベとは言え商業作品だと、その辺りは全て架空の企業名になりそうな気がしますが、
> 少し調べてみると、その作品の出版社はアスキー系列の電撃文庫ですし、
> 昔のアスキーは、マイクロソフトと深い関係にある企業でしたから、
> 今でも何らかの関係性が残ってるんですかねえ・・・・
> もしくは、あくまでも「元」なら、アスキーからマイクロソフトに移った人も多いので、
> そこから更にアスキーへと出戻り、自らの武勇伝を作中で代弁させている可能性も?(笑)
> まあ、作品制作の為の取材協力って事でしたら、その辺りは容易にアポが取れそうですし。


すみません、元マイクロソフト社長というのは、話を分かりやすくするための表現であり、実際は実名ではなかったと思います。

▼ 「教養としての10年代アニメ」

> P.S.
> 今回は2010年代アニメの話も多かったので、ついでに聞いてしまいますが、
> 「教養としての10年代アニメ」って、旧トルコ担当さんは既に読まれました?
> https://www.amazon.co.jp/dp/459115338X
> https://www.amazon.co.jp/dp/4591158322
>
> 近畿大学の名物講義が、こうして書籍化されてたのは知ってましたけど、
> 「受講条件は週20本の深夜アニメ視聴」などという謳い文句(笑)を見て、
> 個人的に2010年代は、ほとんどアニメを見ていなかった事もあり、
> 今まで読んでは来なかったのですが、今回こうして2010年代アニメを話題にしましたし、
> 実際に見てない作品が多くても、読んでみる価値がある本なのかなぁ?と。
> 特に第1巻では、まどマギやSAOと並び、俺ガイルにも1章が割かれてましたので。


読んでないですね。読む予定もないです。
そもそも、こういう本を読む時間があれば1本でも10年代アニメを見た方がよいと思いますし、まあしょせんは学術系の人間だろ?と。
彼らは経済のこととか、社会のことを語っていればいいのに、なぜわざわざ自身の専門領域から出てきて、アニメの話をしてしまうのか。
餅屋は餅屋、アニメの話はオタクに任せとけばいいと思うんですよね。
というのが半分、もう半分は、この手の作品の解釈論の本を読むと、自分で作品の解釈をしなくなってしまうので、あえて読まないという意味もありますね。
せっかく自分でオリジナルな作品解釈を作り上げてる最中なのに、完成品を持ってきてしまえば自分の解釈作業がそこで終わってしまいますので。
それこそ、この手の本を読めば質は高いのでしょうが、各オタクごとに存在した偏見交じりのオリジナルな解釈が失われてしまうという話は、本題である文化の幅が失われている、という話と直結するかと?
自分も、なんだかんだで岡田斗司夫の二番煎じしか言えてない、みたいな部分は自覚していますので。
まあ社会論は岡田斗司夫の二番煎じでもよいのですが、さすがにオタクを自称している以上、アニメくらいは自分のオリジナル解釈があってもよいと思うんですよね。


[23778] Re12:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2021/11/30 (火) 22:40:59 徳翁導誉

> > すみません。
> > 前回、投稿直前の新着記事を見落としていた為、
> > 返信が1週間遅くなってしまいました。

> こちらも、1週間間を空けてしまいすみません。
> 時間かけて文章を練ろうと思ったのですが、時間かかても特によくならないというw

でも、練ろうとした行為は、外部出力として上手く纏まらなかったとしても、
脳の内部処理としては良い刺激になっているはずで、
そうした「脳の筋トレ」みたいな事を続けていくのは、
その時には小さな変化に気付かなくても、後々に好影響を及ぼすかも?
また、もうオッサンの時間感覚だと、週1も、月1も、そんな大差が無いので、
返信に関しては、旧トルコ担当さんの好きなペースでOKですよ。
それに、そもそも雑談ですからね(笑)。


> 前回は、管理人さんが「かつては、恋愛レベルの新しい文化がドンドン登場していたが、現在はそうではない」
> というようなことを言っているのかと思っての書き込みでしたが、私の誤解でした。すみません。

まあ、私の長文癖だと、詳しく説明しようと長文化する事で、
却って本旨を、しっかり理解して貰えないケースが、まま有りますからねえ(苦笑)。
なので、別に気にしてませんよ。

> 人間は情報の7割を視覚から得ているなんていいますし、
> 自分の見た目を変えられるVRであれば、自分は○○である、という自意識を変えることが可能になると。

数値が一人歩きしている感はありますが、カリフォルニア大学の研究によると、
脳がインプットする情報量は、「視覚83%・聴覚11%・嗅覚3.5%・触覚1.5%・味覚1%」なのだとか。
また、聞いた話によると、脳が認識している視覚情報というのは、
目からの直接的なインプット情報が1割ほどで、残る9割は脳内補正された情報らしいです。
実際、寝ている時に見る夢などは、目からの直接的な情報はゼロなのに、
それでも鮮明な映像として見られるのは、如何に脳の働きが大きいかを表していると。
極端な話をすれば、私たちは目で見る以上に、脳で見ている訳ですね!!
(そして、直接 脳に見せる映像技術も、遠くない未来に実現しそう)

そういう意味では、ファミコン時代のドット画でも、当時の子供たちが熱狂できたのは、
映像的な刺激よりも、脳内妄想を掻き立てさせるトリガーとしての刺激が強かった為です。
で、これを逆に捉えると、どれほどグラフィックスが美麗に進歩しても、
それはあくまで、わずか1割程度しかない部分の向上であって、
その部分だけに囚われ、却って脳内トリップさせる要素が減じてしまうようだと、
結果的に、「映像は凄いけど、興奮できない」作品になってしまう事も・・・・

そういう意味では、没入感の高いVRって、トリップさせる道具としては、
従来の平面モニターよりは、格段に優れていると思いますし、
現在では大型ビジョン一辺倒の4K・8K技術も、実はVRゴーグルに活路がある気がしますが、
まあ、それはさておき、どんない優れていても、道具は道具なんですよね。
つまりは、VRゴーグルを使わせる事で、満足してしまう作品ではなく、
VRゴーグルという手段を用いて、如何に満足させる作品が作れるか?であると。
例えば映画の3Dや4DXにしても、結局は「用いるだけ」の作品ばかりなので、
費用対効果の面からも、特に邦画では下火になってしまった印象があります。

> それは別にVR以前にもインターネットの出現で起こったことではあります。
> 現に、大学生に過ぎない私が、私の2倍か3倍の年齢の管理人さんと対等(?)に話せているのも、
> 掲示板という文字のみのコミュニケーションだからですし。

いやいや3倍も上なら、還暦になっちゃいますけど!?(苦笑)
そこまで上だったら、自称もオッサンではなく、ジジイとしてるでしょうし、
実際には、2倍前後ですよ。
まあ、それでも充分に上の年齢ですし、
このサイトが21歳なので、サイトより年下の方も居るでしょうね。

その一方で、古参の方の中には、私よりも年上の人も居ますし、
そもそもサイト開設当時から、上は還暦過ぎから、下は小学生まで居て、
おっしゃられる通り、そうした年代の幅広さは、ネットを始めた当時、
学年主義の日本においては特に、「ネットならでは」の空間を認識させられました。
また、北は北海道から、南は沖縄まで・・・どころか、
一時期は、アジア・アメリカ・ヨーロッパからのゲーム参加者などもいて、
時には英語や中国語まで、プレイヤー間で飛び交ってましたから、
そうした地理的な広さもまた、ネット以前に比べて、衝撃ではありましたね。

あと、「文字のみのコミュニケーションだから」という面では、
しっかりとした中学生も居れば、身勝手なオッサンも居てと、
年功序列な日本において、「実年齢よりも精神年齢」の重要さを、
デジタルなネットの世界だからこそ、まざまざと感じさせられたかな?(笑)
そこはサイト管理者なので、いろいろとトラブル処理する事も多かったですし、
恐らく一般的なネット・ユーザーよりも、如実に実感していると思います。

> ねほりんぱほりんのバ美肉の回では、それまでおっさんだった人がVTuberで美少女になって皆にちやほやされていると、
> おっさんでも少女の心を持つようになる、という話が紹介されていました。
> その元おっさんVTuberの配信中に少しスカートの中が見えそうになって、
> 視聴者が「見え」なんてコメントすると、おっさんは「私のこと、そんな目で見ていたの」という風に、
> 性的な視線で見られたことに対して(おっさんなのに)嫌悪感を示すと。

あれは、ねほりんぱほりんの中でも、神回の1つでしたし、
だからこそ印象的だったのか、岡田斗司夫の切り抜き動画でも、
まさしく、その回の話が出てましたよね。
変身願望を叶えるという意味では、これほど手軽なツールというのは、
今までは、なかなか無かったとも言えますし。

ただ一方で、これで得られるのは、あくまでも疑似体験ですし、
多くの場合、演じる側も、一時の戯れとして楽しんでいる範疇の話であって、
例えば、これをキッカケに、本気で性転換を望むような人は皆無だと思うんですよ。
(もともと性同一性障害の人が、ヴァーチャルに性を取り戻すケースは別として)
だからこそ、この件に関しては、リビドーがどうのとか、そういう話してた訳です。
娯楽としての変身や匿名性というのは、昔から多くあった行為ですし、
それがデジタル化したり、ヴァーチャル性が増したという以上の事は、特に感じられなかったので。
やはり我々はリアルな身体に持つ為に、どうしても精神性も縛られるモノですし、
現状のヴァーチャル技術では、そこを切り離して変質させるレベルにまでは、未だ達せておらず、
それ故に、そこで得られる新しさというのは、自ずと限界がある・・・という話を今までしていたと。

> それは逆に言えば、ちょっとグロテスクなことに興味のある普通の人が、
> VRで殺人ゲームをしているうちに、感覚がマヒしていって、
> 最終的にリアルで殺人を犯す、ということになってしまうわけですが。

う〜ん、こうしたケースは皆無では無いのでしょうけど、
実際に、どれくらい起こり得るかとなると・・・・
このレベルの話を認めてしまうと、
「アニメやゲームの所為で、殺人やレイプを起こす人が!」という意見を、
全く否定できなくなりますよねえ?

> ただどちらにせよ、今まで他人とのコミュニケーションは自分の容姿であったり、
> 年齢であったり、社会的地位だったりに、どうしても左右されていたものが、
> そこから完全に自由になる、というのは結構新しい変化になると思うんですよね。

いや〜、それもちょっと微妙かなぁ・・・・
結局の所、他人との関係を築いていく上で、コミュニケーション能力というのは、
容姿よりも、年齢よりも、地位よりも、圧倒的なパワーを発揮すると思いますし(笑)。

まあ確かに、それらの要素が大なり小なり、関係性を左右させる事もあるでしょうけど、
ヴァーチャル空間で無ければ、それを切り離せないかとなると、そうでも無い気はします。
例えば大人なら、飲み屋であったり、雀荘であったり、町内会やPTAであったり、
子供でも、塾であったり、スポーツ・クラブであったり、趣味の場であったりで、
会社や学校、家庭での関係とは、また異なった関係を作れる場は、普通にありますからねえ。
もちろん、その中でもネット空間というのは、特に手軽で付加要素も少ないとは思いますが、
デジタルであるが故に、リアルと違って欠落する要素もありますから、
そこまで「新しい変化」をもたらすかとなると・・・・
って、これも結局は、その「新しさ」を、どの程度に見積もるかの違いなんでしょうけどね。

> 今の社会でも、大学生が私服で受ける大学の講義は学生はだらっとしていますが、
> スーツを着ると突然ビシッとしますからね。

と言う事は、スーツで授業を受けるようになれば、大学の講義もビシッとなるのかな?
高校生は制服を着ていますが、必ずしも、そうでは無い気がしますけど(苦笑)。
まあ最初の内は、そうした部分もあるとは思いますけど、
一度慣れてしまえば、ビシッとした状態なんて続かないでしょうし、
見も蓋もない事を言うと、ビシッとすべき場だから、ビシッとするだけな感じも。

> 葬式には皆が黒い服を着ていくことで、その場の雰囲気が出るわけですし。
「葬式って初めていくと意外とみんな明るくてビックリする」
銀魂・第231話 サブタイより(笑)

という事で、旧トルコ担当さんって今までに、どのくらい葬式に出られてます?
まだ若いと、なかなか機会も少ないでしょうから、意外に思われるかも知れませんが、
早世や急逝で無ければ、同窓会や宴会みたいな雰囲気になる事も多いんですよ、葬式って(笑)。
それに、地方によっても違いますけど、
しっかりした服装だと、その人が死ぬのを待っていた意味になりかねない為、
告別式はまだしも、お通夜に関しては、平服で行く所も珍しくはありませんね。
それに男の人の場合、スーツも、学生服も、どのみち黒系統が多いですし、
葬式は服装がどうこうよりも、遺族の振る舞いが、雰囲気を作る所はあるかな?

> と思っていたら、そういうのは「メタバース」っていうんですね。
> https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211122/k10013357101000.html?utm_int=detail_contents_tokushu_003

GAFAの一角であるFacebookが、社名を「Meta」と変更したのを機に、再び盛り上がってる話題ですよね。
ただ、この「再び」というのが、実はミソでして、
20年近く前にあった、「セカンド・ライフ」の狂騒を覚えていると、
盛り上がり的には、あの時と比べるまでも無いほど小さいですし、
技術面は向上していますが、それ以外に飛躍的な発展があったかとなると・・・・
正直、Facebookが一枚噛んでいるから、話題になってる側面が強い気がしますし、
デジタル・アートの世界でも、資産価値として「NFT」という概念が普及しつつあるのは確かですが、
ああしたモノが、一定以上の人数が集まる世界でも成り立つかとなると、私は懐疑的ですかね?

もちろん、仮想世界で過ごす快適性が、今後も上がり続ければ、
それを満喫するユーザーの数というのも、確実に増えていくとは思うのですが、
上でも少し触れたように、我々にはリアルな身体がある以上、
ヴァーチャル空間というのは、あくまでもヴァーチャルの枠組みを超えられないんです。
言い方を換えるなら、リアルの持つ強味に、ヴァーチャルはなかなか勝てないと・・・・
セカンド・ライフ失敗の原因は、いろいろと語られているとは思うのですが、
身も蓋もない事を言ってしまえば、現実逃避した先のヴァーチャル空間よりも、
何だかんだ言って、現実社会の方が楽しいんですよ(苦笑)。

「格差社会」という言葉が広がり始めた当時、
ヴァーチャル空間で第2の人生を送るというコンセプトは、
良い悪いは別として、非常に有望な新フィールドだと見なされていましたが、
現実には、自分の世界からは距離のあるリアルが、ヴァーチャル化したとでも言いますか、
解りやすく言いますと、ヘイトやバッシングやリンチが娯楽化した印象なんですよね。
それまでは、例えば時代劇のように、作り物の世界で溜飲を下げていたのが、
標的となるターゲットが指定されると、傍観的なテレビ視聴者から、
安全な位置(と思い込んでる所)から、実際に自分も参加できるアトラクションが生まれたと。
リアルに存在するけど、縁遠くて実感は伴わない人物に対して、追い落とす快楽を得られて、
そうした自身の行為を正当化する情報は、ネットの海に溢れており、
同じ思考をする仲間が集められた仮想的なバブルの中で、それを現実だと誤解する。
リアルな社会で報われないからと、ヴァーチャルな世界で努力するよりも、
ヴァーチャル感覚で、リアルな人間を追い落とす方が、ずっと手軽で快楽も大きいですし、
ヴァーチャルな世界だって大きくなれば、リアル世界の経済力がモノを言う事になるはずです。

で、メタバースの可能性となると、サークル規模の人数であったり、リモートの延長であったり、
そのくらいが関の山で、そこまで大きな世界には育たない気がするんですよね、個人的には。
それこそ、身体性を切り離せるくらい、リアルな感覚のヴァーチャル技術が生まれれば別ですけど、
逆に言えば、そこまで技術的に進歩した場合、敢えてデジタルに人間関係を結ぶ必要性があるのか?と。
まあ、この話題に関しては、この後に続きます。

> なんだかんだで、人間の最大の文化って他人との会話だと思いますし、
> それが根本的に変わるとすれば、かなり巨大な変化になるんじゃないでしょうか。

会話を始め、「コミュニケーションこそが最大の娯楽」というのは、
古今東西を問わず、普遍的な真理ではありますよね。

ただ一方で、今までだとコミュニケーションというのは、対人でなければ不可能なモノでしたが、
AIやロボットやVRが進歩すれば、その限りでは無くなる可能性も出てくる訳で、
もしそうなれば、それこそ「巨大な変化」なのかな?
それこそ、コンピューターの知性を計るチューリング・テストのように、
文字だけの会話や、音声だけの会話、実写ではないCG映像での会話などで、
仮に画面の向こうの相手が、人間ではなくAIだったとして、その事に会話相手が気が付かなければ、
別に対人でなくても、コミュニケーションの満足感は変わらず得られると思うんです!!
例えば今でも、SNSの承認欲求くらいであれば、いいねボタンを押して、適当なコメントを付ければ、
それを行ったのが人間ではなくAIであっても、知らなければ満足感は同じだろうと(苦笑)。

また、対人のコミュニケーションの場合は、
それを成り立たせるにも、相手への気遣いが必要になりますが、
そうした気遣いは、基本的には利益ではなく、必要経費的な損失であって、
非対人コミュニケーションであれば、そうした負担は背負わずに、
コミュニケーションで得られる快楽さえ貰えれば良いと考えれば、
相手は人間でもAIでも構わなかったり、却ってAIの方が良いなんてケース・・・・
それこそ、リアル恋愛に伴う煩わしさを思うと、手軽な疑似恋愛が良い事もあり、
そうした需要が高まれば、これまたビジネスとして成り立ちますからねえ。
しかもAIであれば、最も費用が嵩む人件費も不要ですし(笑)、
ビッグ・データによって、個々人に最適化されたサービスを受けられるかも?
そう考えれば、巨大なビジネス・チャンスが転がっている市場とも言えそうな気がします。
まあ個人的には、ディストピアな印象は拭えませんけどね(苦笑)。
同じ「もうリアルの恋愛はいいや」でも、VR越しの対人と、AI相手とでは、また次元が違うので。
言うなれば、一線を越えてしまった「ラブプラス」なのかな?


> > > > > ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。
> > > > > 1位 響け!ユーフォニアム
> > > > > 2位 言の葉の庭
> > > > > 3位 夏雪のランデブー
> > > > > 4位 月がきれい

> > > > まずは、オススメありがとうございます。
> > > > で、開口一番ですけど、俺ガイルは入ってこないタイプの作品なのでしょうか?
> > > > と言いますか、この3作に俺ガイルの1期・2期も加えて、
> > > > おおよそ2013年前後に、オススメの作品が集中してません!?
> > > > これってつまり、この頃が、旧トルコ担当さんにとっての、アニメ激熱期だったって事なのかな?

> > > 作品が2013年に偏っているのは偶然です。リアタイではほとんど見ないので。

> > という事は、2013年頃の流行というか作風が、
> > 旧トルコ担当さんの好みに、合っていたという感じですかねえ?
> > となると、そういった系列の作品が、旧トルコ担当さんの好みであり、
> > 「オススメできる」ではなく、「オススメしたい」って感じなのかなぁ?と。

> いやぁ、自分の一番好きな作品を他人に宣言するのって、恥ずかしくないですかね?
> 他のオタクの人はどうなのでしょうか?

特定分野への好きが高まり過ぎ、隙あらば漏れ出すのがオタクというモノであり、
「自分の好きを語らずして、何がオタクか!?」という思い込みがあった為、
関係性が薄い一般人が相手ならまだしも、これだけ話を重ねてきた上で、
「好きを宣言するのが恥ずかしい」という反応が返ってくるとは、正直 想定外でした(笑)。

それに、そんな事を言われてしまうと、既に前回の雑談スレッドの段階で、
「私の好きなアニメTOP3」0↓とか貼ってる私が、まるで恥知らずな感じにも(苦笑)。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23598#23598
> > ちなみに、5年前の雑談時に書いた、私の好きなアニメ・ランキングはこんな感じ↓
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20466#20466
> > ただ、このコロナ禍で、結構な作品数を一気見しましたから、
> > 今だと近年の作品も加わり、もう少しランキングも変わってくるのかな?
> > 当時と現在とで、微妙に評価が変動した作品だってあるでしょうし。

ちなみに その後の視聴で、「シュタゲ」が20位以内、「Dr.STONE」が30位以内、
「ゴールデンカムイ・ぼくらの・リゼロ」が40位以内、「弱ペダ」が50位以内に入った感じ。
でもまあ、少なくとも「自分の嫌い」を語るよりは健全かな?と思ってますけどね。

そもそも「オタク」という言葉の語源自体、
「オタクはどうなの?」というような、2人称から来ており、
となれば当然、「対話」や「主張」が大前提になる訳ですからねえ。
その一方で、マイノリティーな趣味で在ればこそ、なかなか語る機会を得られず、
逆に一度機会を得れば、空気も読めずに多弁となりがちなのが、
ステレオタイプとしての、オタクのイメージな訳ですし(笑)、
そう思うと、機会があるなら、語ってナンボの人種な気はしますけどね、個人的に。

ただ、恥ずかしいと考えられてるとは、露にも想定していなかった為、
その点に関しては、配慮を欠いていた事を謝罪いたします。
申し訳ありませんでした・・・・

> もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、
> オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
> 世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
80年代のオタク作品だから、今みたいに上手く隠せていないと言うか、
「周りから白眼視されても、素直に好きだと言えるヤツだけ付いてこい」みたいな感じが、
あの当時の作品だからこそ、却って溢れているとでも言いますか・・・・
「オマエら、こんなの好きだろ!」って感じの、開き直った てんこ盛りで、
言うなれば、変にカモフラージュせず、オタク的な欲望を剥き出しにしている所が、
今のオタク世代からすると、気恥ずかしく感じさせるというか、そんな具合なんですかねえ?

でも、今の時代はオタクを公言しても恥ずかしくないとする一方で、
オタク丸出しな作品は、自分で見ても恥ずかしく感じるというのは、
何だか面白いというか、実に興味深い指摘ですね!!
そうか〜、一般人はまだしも、今やオタクが見ても、恥ずかしく感じるのかぁ・・・・
こうなると、どの辺りのラインまで来れば、これが恥ずかしく感じなくなるのかも、
ちょっと興味が湧いてきてしまいました(笑)。
となると、90年代の「機動戦艦ナデシコ」とか、どうなんでしょ?
同じ90年代でも、「真ゲッターロボ」みたいな振り方の作品なら、大丈夫ですよねえ?
って、そもそもナデシコや真ゲッターを視聴済みかどうかも、解らない所ではありますが。

> おススメできるアニメランキングは、私の好きなアニメの中から
> (1)好きな作品と宣言して恥ずかしくないもの
> (2)個人的に好きなだけでなく、客観的にクオリティが高いもの
> (3)アニメ版が一番良いもの(漫画原作アニメで、原作漫画の方が出来が良いものなどは除外)
> という3つのフィルターをかけて、作成したランキングになります。
> そしていざそれを作ってみると、案外数が残らなかったという。
> 逆にそれだけ選んだ作品なので、おススメ度はどれも高く、
> どの作品を見るか?という参考には十分なるという自信はあるのですが。

となると、1位のユーフォニアムなんて、特にオススメという事ですか。
同じ京アニで、女子高生の音楽モノとなると、既に「けいおん」があったので、
あそこからキャラを増やし、ストーリーにも重みを加えたとは言え、
実を言うと、そこまで食指が動くタイトルでは無かったんですよねえ・・・・
また、これも別物なんでしょうけど、「ラブライブ」とか人気が高かったものの、
個人的には正直イマイチな感じでしたし(スノハレの演出は凄いなと感心しましたけど)、
ストーリー系で音楽モノとなると、「のだめ」という高い壁がありますので。

> 私は中学生の時に源氏物語を読んで以来、ずっと恋愛ものは好きですからね。
源氏物語かぁ・・・
気にはなるけど、読んでないなぁ・・・・
何となく粗筋は把握しているものの、漫画「あさきゆめみし」すら読んでませんね。
ちなみに旧トルコ担当さんは、誰の現代訳版で読まれたんですか?
それとも、まさかの岩波や角川あたりの原文版?

と、こうした何気無い「好き」の一言からも、話題というのは広がっていきますし、
逆に言うと、だからこそ、私も余計な補足情報とか書き加えてる面はあります(笑)。

> ただ、それが相手の好みの合うかはわかりませんし、あくまで「参考」ということで。
今期の覇権アニメは、再放送中の「カブトボーグ」という好みです。
一応、参考までに(苦笑)。

って、今の時代は新作が溢れすぎてて、とにかく数をこなす傾向が高まってますけど、
私なんて古い世代ですから、好きな作品だと平気で何周もしちゃうんですよね。
まあ、私ですら そんな感じなので、これがオタクともなれば深堀りなど当たり前で、
だからこそ、今の人から見ると、昔のオタクの方が濃い印象になるのかも?
そもそも当時は作品数自体が限られていたので、大量の中から厳選する作業も要らず、
好きを突き詰めようとすると、自ずと深堀りになるような時代でしたから。

> > > > って、旧トルコ担当さんは以前、岡田斗司夫のガンダム全話解説について触れられてましたし、
> > > > オタクを称される以上、ファースト・ガンダムは当然 押さえているだろうと思ったものの、
> > > > これまでの「オタクの定義」の相違を踏まえると、必ずしも、そうとは言い切れないのかな?

> > > ガンダムは一応見てますよ。
> > > 世代ではないですが、ヤマト、ガンダム、エヴァ、ハルヒは一応抑えています。マクロスは見てないですが。

> > おお、なるほど!!
> > でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
> > 旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。

> うーん、この辺はどうなんでしょうね。
> 確かに、オタク史的に名作とされるアニメを見ることは価値もありますが、
> やりすぎれば結局、流行りものを追っかけているJKと変わらないと思うんですよね。
> いや、流行りものを追っかけること自体は別に好きにやればいいと思うのですが、
> 周囲に流されて自分で判断しない姿勢というのは、オタクとは呼べないと思うんですよね。

まあ私としても別に、「あれも、これも」と言っている訳ではなく、
例えばオタク文化に限らず、あらゆる分野においても、
「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」
みたいなモノは、いくつか在ったりしますからねえ。
そういうレベルでの話ですね、この前の話は。
で、少なくともガンダムというのは、アニオタを称するなら押さえておくべき古典だろうと。
ただ、これに関しても、全話隈無く押さえろと言うよりは、
総集編くらい見て、大体の基本情報とかは押さえておこう程度の感覚ですね。

> ふと気になって調べてみたところ、
> エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
> そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

でも、単純に人口比の数字だけで言うのであれば、
今から20年後に劇場公開して、470万人(シン・エヴァの7割)を動員できる作品が、
2010年代アニメの中に、果たして在るのか?って事でもありますよね。
以前にも少し書きましたが、秋葉原が電気街から「オタクの街」に変えたのは、
エヴァの存在が非常に大きかった訳で、あのクラスの作品はなかなか無いですよ。

> まあ、私の独断と偏見で言わせれば「オタクとは自分の好きなものを突き詰める人間」なのであって、
> 何も昔の名作アニメを履修する必要性はないと思っているんですよね。

う〜ん、単に「大好き」ってだけであれば、そこまでする必要性は無いでしょうけど、
「突き詰める」という部分まで加わってくると、外せない古典を押さえる必要は出てきそうですし、
そうした義務感が無くても、「面白い作品があるなら、古くても気にしない」とか、
自らの好きを体系化していけば、どうしたって歴史(過去作)に至るのは必然だと思うんですよ。
それは何もアニメに限らず、映画であれ、小説であれ、絵画であれ、音楽であれ。
なので、「自分は2010年代アニメのオタクだ」と、範囲を限定とかしない限りは、
やはり、押さえておくべき作品というのは、幾らか存在するモノだと私は思います。

だって例えば、オタク同士で語り合う場合に、
一般人とは異なる、オタク同士ならでは共通認識は当然ある訳で、
その段階で、オタク的には一般教養的な知識を、実は知らないとなれば、
相手側からすれば「えっ!?」ってなるでしょうし、一旦そうなってしまえば、
「オタク同士の会話」という大前提が、そもそも崩れて仕舞いかねません。
で、そうなった場合、相手から「本当にオタクなの?」と疑われても致し方ないかも知れず、
そうした不信を覆すには、それを上回る別の何かを見せる必要が出てきますからねえ。

言うなれば、ファンと ほぼ同義語と化した、現代のオタクの定義ではなく、
昔ながらのオタクの定義で行くならば、オタクとは自称ではなく他称なので、
自分でオタクと思う以上に、相手側からオタクと思われてこそ、やはりオタクと言えるものかと。
例えば今回の話でも、ここまで来て、もしも「実はエヴァって見た事ない」と言われたら、
私だって、気持ち的に ずっこけるでしょうし(笑)。

> あと、中国のオタク文化に期待を寄せているのも、結局は人口問題があるからだったりします。
まあ時代が違うので、中国から手塚治虫や宮本茂が現れるのは難しい気がしますが、
それでも、現在の良作レベルの作品であれば、そのうち中国でも多く生まれる気がします。
そもそも中国自体は、数千年に及ぶ文化先進国であった訳で、
アニメやゲームといった、比較的に新しい文化であっても、
それを嗜む人口が増えれば、自然と作品だって充実してくるはずであり、
このまま成長を続けていけば、あとは時間の問題な感じがします。
例えば現代アートの世界なんて、今では日本よりも中国の方が完全にリードしてますし、
また、産業面から見ると、中国政府としても、国産育成に力を注いでいますからねえ。

ただし、これも繰り返しになりますけど、
欧米人からすれば、日本風味も、中国風味も、それほど違いは感じないでしょうけど、
私たちは日本人である以上、他の人々より、違いに敏感に反応してしまう訳で、
日本の作品が国際競争に負け、衰退していくような事があると、正直厳しい所だと・・・・

> > また、「俺ガイルに興味がある」と言うよりは、
> > 旧トルコ担当さんが「2010年代のエヴァ」と言った、理由の方に関心があったので、

> 「2010年代のエヴァ」というのは布教用の宣伝文句ですので。
> 俺ガイルとエヴァでは、そもそもファン人口が1桁くらい違いますし。
> ですが、このワードによって管理人さんにも興味を持ってもらえたわけですし、
> 布教戦略としては有効なワードだったのかな?

いや〜、それで結局、誇大広告だと感じられれば、却って反感を生む訳ですし、
最初に、期待値のハードルを上げてしまうと、合格点も上がってしまうので、
期待させずに見せて「面白かったよ!」と言わせるのが、最良の宣伝方法かと(笑)。

でもまあ、わざわざ録画ディスクは探し出した訳ですし、
原作ラノベの方を読む事は、まず無いと思うので、
「気が向いた時に見られれば」って感じですね、現状だと。
とりあえず早くても、年明けの視聴にはなるのかな?
前回も少し書きましたけど、年内で配信期限を迎える未見作品が多いので(苦笑)。
(って、それらの多くも、本放送時に録画してはありますから、いつでも見られるのですが)


> > まあ元々、今の20代前半くらいの世代が、ちょうど中高生だった2010年代中盤、
> > ラノベ原作の人気アニメは、「SAO・リゼロ・俺ガイル」がトップ3という印象でしたけど、
> > 今回、その人気の理由みたいなモノは、少し掴めたかな?といった感じです。
> > 異世界転生系や、俺TUEEE系の作品が量産される昨今、
> > 読者(視聴者)を悦にさせる作風というのは、何だかんだで人気だと思うんですよ。
> > でもトップ3の作品って、オタク層を喜ばせるような世界観を用意しつつも、
> > 実は結構、主人公に厳しいというか、読者(視聴者)に対するメッセージ性がありそうな感じ。
> > う〜ん、何というか、意外に甘やかしてくれない感じとでも言いますか、そんなイメージ(笑)。
> > それこそエヴァから引用するなら、萌えとか、俺TUEEEとか、受け身ハーレムとか、
> > 消費者を夢の世界に導こうとする作品が席巻した、2010年代の当時、
> > 「逃げちゃダメだ」と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだったのかな?と。
> > (俺TUEEE系も全否定はしてませんよ、「魔王学院の不適合者」とか意外に面白かったですし・笑)
> > って、ちゃんと見たのはリゼロだけなのに、推測で物事を語り過ぎたかな?(笑)

> 「『逃げちゃダメだ』と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだった」というのは否だと思います。
> 一応3作品とも見ましたが、(SAO、俺ガイルは何度も読み返しており、リゼロはアニメを1度見ました)

まあ別に私としても、「俺ガイルは2010年代のエヴァ」という所から、
無理矢理に引っ張ってきただけの話なので、そこまで本気で言ってる訳では無いかな?(笑)

ただ、リゼロに関して言うと、18話の自己否定シーンとか、
2期の前半にあった転生前の回想シーンとかって、視聴者的にどうなんだろう?と感じたのは事実。
あとは、視聴前から、異常なレム人気の高さは把握してましたけど、
実際に1期を見て、完全にメイン・ヒロインを喰ってるなと実感した反面(笑)、
よ〜く見ると、思いっ切り男の尻を叩くタイプのキャラなので、
そこまで含めての人気なのか? そこを見ないでの人気なのか? そこは謎として残ったかな。

> これらの作品って、そもそも「友情・努力・勝利」みたいなジャンプ3原則とは、
> 倫理観とか理想観が違って、岡田斗司夫の言葉を借りれば「自分の気持ち至上主義」なんですよね。

よく読んでもらえれば解ると思いますけど、
その3作品がジャンプ3原則的だなんて、私自身も全く言っていませんし、
そもそも、引き合い元となったエヴァ自体が、別にジャンプ的な作品では無いでしょ!?

> (多少ネタバレになりますが)例えば俺ガイルであれば、俺ガイルはハルヒの流れを継ぐ謎部活ものなんですが、
> 最終的にこの話はその3人だけの部活の、主人公とダブルヒロインの友達関係をどう維持するのか?
> ということがテーマになっていきます。

何とな〜くですが、俺ガイルのストーリーは把握しているんですよ。
と言いますか、「はがない」に似た感じを受けたので、今まで見なかった主な要因かも?
いや勿論、別の作品ですから、異なる部分なんて山のようにあるのは解っていますけど、
私自身の嗜好として、ラブコメはOKでも、「ハーレム系は苦手」という事情があるので・・・・

まあ今時のアニメって、美少女キャラが多数登場する作品なんて一般的ですし、
どの辺りからハーレム系と見なすかは、個々人によっても違ってくるのでしょうけど、
最近で言うと、「五等分の花嫁」の人気がやたらと高い事は把握していた為、
その理由を知りたくて2期まで視聴したものの、ストーリー的に動き出したのは2期の後半で、
正直な所、そこまではかなりの苦行だったんですよねえ(苦笑)。
なので、その苦手を上回る何かが無い限り、似た系統はそんなに要らない感じがありました。

> だから、この3人の関係性はもうそろそろ終わりだし、どう終わらせるか考えなきゃね、
> というだけなのですが、紆余曲折合った末の結論は「ずっとこのまま」なんです。
> いや、これ本当にどうするんでしょうね。

え〜と、これはエンドを考えさせる事で、私に興味を持たせようという手法なのか?
それとも、本当に未決着エンドだったのか? どちらの意味の文章なんでしょう(笑)。
でも、ifルートがあるという事は、前者の意味合いなんですかねえ。

> 大学3人で同じところに行くんですかね?まだ中学生ならそれもアリかもしれないし、
> 俺ガイルがよくあるオタク・ファンタジーならばそういう結論もアリかもしれませんが、
> 俺ガイルって徹底的にリアルなんですよ。

う〜ん、同じ大学に行くのも、ファンタジー扱いなんですかぁ・・・・
まあ、地方であったり、学区制が厳しい県だったりすると、選択の幅が狭く、
同じ中学から、同じ高校に進む人数も、結構多かったりするのですが、
しかし一方で都会の高校ですと、選択肢が多すぎて、結構バラけるんですよねえ。

それに高校だと、似た様な学力の生徒が集まりますから、
特に進学校とかだと、同じ高校から数十人も同じ大学に行く事が珍しくない反面、
単に同じ地域の住民という集まりの公立中学では、なかなか高校が一緒にならない事も。
だって高校って、1学年あたり200〜300人って所でしょうけど、
大学だと1学年1万人を超える所もあり、学部や学科を問わなければ、意外と被りますよ。

また、地方から東京に上京する場合なら、「同じ大学に行く」だけでなく、
「一緒に東京に行く」というだけでも、繋がりは続きますからねえ。
同棲とか、ルーム・シェアとかまで行かずとも、互いに近所に住むだけで、
知り合いも居ない土地で暮らすなら、関係性がより深まっても おかしくないですし。

> まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、
> 法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、

一応、念の為に言っておくと、私の中にある「有り得る基準」って、
身近な件だと1割、実例という意味では1%が最低ラインなので、
こういうケースがあるのは知ってますけど、これをリアルだとは感じませんよ(笑)。
2股、3股なんて例ならまだしも、リアル・ハーレム婚は日本だと希少例すぎますから。
とは言え、これが洗脳や調教を扱った話題であれば、その限りではありませんけどね。
例えば、漫画だと「奴隷日記」とかは、ある程度のリアリティーを感じましたし。

> > ちなみに余談ながら、リゼロのタイム・リープの系譜について脱線すると、
> > 元々タイム・リープって、小説や映画では珍しくないネタではありましたが、
> > それがオタク文化に根付いたのは、エロゲーが泣きゲー化した際、
> > シナリオ分岐による複数のストーリーと、それに伴うイラストを、
> > 効率良く味わって(収集して)もらう手法として、導入されたイメージですね。
> > で、それを同人作品でサスペンス・ホラーと組み合わせたのが ひぐらし、
> > それを家庭用ゲームに用い、後にアニメ化もされたのがシュタゲで、
> > ひぐらしやシュタゲを、異世界転生モノとしてラノベ化したのがリゼロ、
> > リゼロをマガジン伝統のヤンキー漫画化したのが、今年ヒットした東リベって印象。

> 俺ガイルも既に2シリーズほどシナリオ分岐(?)的なif展開を作者が書いてますね。

1つの物語として、作品を仕上げる感覚が強かった、一昔前までは、
ifルートを公式で扱ってしまうのは、一種のタブー的な認識があったかと思いますけど、
そういう意識が薄れてきたのって、描き手がゲーマー世代になったからなのか?
はたまた、プロ作家の同人活動が珍しく無くなってきたからなのか?

> > と言いますか、ラノベ作品なのに、マイクロソフトとか実名で登場するんですか!?
> > ラノベとは言え商業作品だと、その辺りは全て架空の企業名になりそうな気がしますが、
> > 少し調べてみると、その作品の出版社はアスキー系列の電撃文庫ですし、
> > 昔のアスキーは、マイクロソフトと深い関係にある企業でしたから、
> > 今でも何らかの関係性が残ってるんですかねえ・・・・
> > もしくは、あくまでも「元」なら、アスキーからマイクロソフトに移った人も多いので、
> > そこから更にアスキーへと出戻り、自らの武勇伝を作中で代弁させている可能性も?(笑)
> > まあ、作品制作の為の取材協力って事でしたら、その辺りは容易にアポが取れそうですし。

> すみません、元マイクロソフト社長というのは、
> 話を分かりやすくするための表現であり、実際は実名ではなかったと思います。

なるほど、さすがに実名では無かったのですね。
でもまあ、電撃文庫がアスキー系列である事を思えば、
モデルとして用いるのに、最も身近な例だった可能性はありそうですね。


> > 今回は2010年代アニメの話も多かったので、ついでに聞いてしまいますが、
> > 「教養としての10年代アニメ」って、旧トルコ担当さんは既に読まれました?
> > https://www.amazon.co.jp/dp/459115338X
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4591158322

> 読んでないですね。読む予定もないです。
> そもそも、こういう本を読む時間があれば1本でも10年代アニメを見た方がよいと思いますし、
> まあしょせんは学術系の人間だろ?と。

了解しました。

> 彼らは経済のこととか、社会のことを語っていればいいのに、
> なぜわざわざ自身の専門領域から出てきて、アニメの話をしてしまうのか。
> 餅屋は餅屋、アニメの話はオタクに任せとけばいいと思うんですよね。

この本の著者に関しては、私も正直把握していないのですが、
でも東浩紀とか見ていると、「オタクが学者になった」パターンだと思うので、
学術方面から、研究題材としてオタク文化を選んだという人たちとも、
また ちょっと違う気はするんですよね。
彼らは、学者になる前の根っこの部分が、そもそもオタクなので。

解りやすく言うと、「自分の好き」を探求すれば、それがオタクでしょうし、
そこから更に、自分だけでなく「みんなの好き」を探求すると、それは学問になると。
勿論、作品を見て「楽しい」と感じる事を直接理解できるのは、自分自身の心だけですので、
そういう意味では、「小難しい事は考えず、楽しければ良いんだよ」というのも正解ですし、
だからと言って、「なぜ自分は楽しく感じるのか?」と考察するのも、決して間違いではなく、
そして、「自分だけでなく、みんなも楽しんでるのは何故?」と分析するのも、アリな気はします。
まあ確かに、オタク文化への理解もないまま、都合良く自論に用いるのはウンザリにしても、
オタク文化の普及や歴史的長さを踏まえると、
オタクが学者になるパターンも、今では珍しくないようには思えるんですよね。

> というのが半分、もう半分は、この手の作品の解釈論の本を読むと、
> 自分で作品の解釈をしなくなってしまうので、あえて読まないという意味もありますね。
> せっかく自分でオリジナルな作品解釈を作り上げてる最中なのに、
> 完成品を持ってきてしまえば自分の解釈作業がそこで終わってしまいますので。
> それこそ、この手の本を読めば質は高いのでしょうが、
> 各オタクごとに存在した偏見交じりのオリジナルな解釈が失われてしまうという話は、
> 本題である文化の幅が失われている、という話と直結するかと?

あ〜、なるほど、なるほど!!
私などは、もう年齢的に、良くも悪くも、
自分なりの「モノの見方の軸」が定まっている感じなので、
あくまでも参考意見として、変に振り回されずに情報を得る事が可能なのですが、
旧トルコ担当さんは「軸を定めてる途上」であるのなら、
他者に影響され過ぎる不安感を抱くのも理解できますし、
そうした警戒感があるというのは、却って良い傾向かも知れませんね。
特に昨今は情報過多な時代な事もあって、「信じられる情報」よりも、
「信じたい情報」を無自覚に集め、踊らされてしまう人が非常に増えていますから、
自らの危うさもキチンと認識できているというのは、それだけで既に強味かも?

また、そうした事情を踏まえて、改めて考えてみると、
私の発言に対して、「半ば同意」みたいな反応が返ってくるのも、
心理的なバッファー部分というか、敢えて全面肯定しない思惑とかが含まれていたのかな?
こちらとしては、半ば同意と言われると、
「では、同意できなかった部分は?」とか、「同意できなかった理由は?」みたいに、
不明な箇所を知りたかったり、間違いや異なる視点があるなら把握したい思いから、
具体的な話を聞きたいと、尋ねるような返信を書いていたのですが、
なかなか返答が来なかったのは、問い詰めるような感じで気分を害したのでは無く。

> 自分も、なんだかんだで岡田斗司夫の二番煎じしか言えてない、みたいな部分は自覚していますので。
ちなみに、「教養としての10年代アニメ」は、
近畿大学での講義を、書籍化したモノらしいのですが、
四半世紀前、東京大学で岡田斗司夫が行った講義も、
「東大オタク学講座」として書籍化されてますけど、
https://www.amazon.co.jp/dp/4062759381
こちらに関しては、旧トルコ担当さん的に、どのような扱いなのでしょう?
大学での講義として、オタク文化を語っているから、同じ穴の狢?
それとも、岡田斗司夫の講義であれば、また別格?

> まあ社会論は岡田斗司夫の二番煎じでもよいのですが、
「岡田斗司夫の社会論」という点では、旧トルコ担当さんに感謝ですね(笑)。
こうして話題に上り、実際に動画を見るようになるまでは、
オタキングという側面以外にも、いろいろ考察を述べていた事は知りませんでした。
まあ正直な所、オタク以外の分野だと、「う〜ん」と首を傾げる割合も増すものの、
杓子定規なモノの見方では無いので、面白い視点から語る事も多いですし、
特に「評価経済社会」論に関しては、私が15年くらい前から漠然と感じていた内容を、
既に25年も前に著述していた事には、正直 驚かされましたからねえ!!
不遜の物言いですけど、岡田斗司夫を再評価する、良いキッカケになりました。
ありがとうございます(笑)。

> さすがにオタクを自称している以上、
> アニメくらいは自分のオリジナル解釈があってもよいと思うんですよね。

この一文は、大きな示唆を含んでいると言いますか、
今まで、話の噛み合わなかった部分の原因が、解った気分ですね(笑)。
旧トルコ担当さんの見解で、これまでに何度か引っ掛かっていたのは、
「個人的な感想が強く、普遍性が弱い」ケースが、時に見受けられる事だったのですが、
主観と客観とを分けるという以前に、まずは主観で語っていくスタイルだったのかな?


[23800] Re13:ファスト化されるオタク文化?返信 削除
2022/1/6 (木) 22:10:36 旧トルコ担当


けっこうな期間放置してしまいました。
すみません。

> > 葬式には皆が黒い服を着ていくことで、その場の雰囲気が出るわけですし。
> 「葬式って初めていくと意外とみんな明るくてビックリする」
> 銀魂・第231話 サブタイより(笑)
>
> という事で、旧トルコ担当さんって今までに、どのくらい葬式に出られてます?
> まだ若いと、なかなか機会も少ないでしょうから、意外に思われるかも知れませんが、
> 早世や急逝で無ければ、同窓会や宴会みたいな雰囲気になる事も多いんですよ、葬式って(笑)。
> それに、地方によっても違いますけど、
> しっかりした服装だと、その人が死ぬのを待っていた意味になりかねない為、
> 告別式はまだしも、お通夜に関しては、平服で行く所も珍しくはありませんね。
> それに男の人の場合、スーツも、学生服も、どのみち黒系統が多いですし、
> 葬式は服装がどうこうよりも、遺族の振る舞いが、雰囲気を作る所はあるかな?


1度行ったくらいですね。それも結構幼い時に。
正直あんまり覚えていないというか、ほとんど別室でゲームやってて、ってなった記憶がw

> また、対人のコミュニケーションの場合は、
> それを成り立たせるにも、相手への気遣いが必要になりますが、
> そうした気遣いは、基本的には利益ではなく、必要経費的な損失であって、
> 非対人コミュニケーションであれば、そうした負担は背負わずに、
> コミュニケーションで得られる快楽さえ貰えれば良いと考えれば、
> 相手は人間でもAIでも構わなかったり、却ってAIの方が良いなんてケース・・・・
> それこそ、リアル恋愛に伴う煩わしさを思うと、手軽な疑似恋愛が良い事もあり、
> そうした需要が高まれば、これまたビジネスとして成り立ちますからねえ。
> しかもAIであれば、最も費用が嵩む人件費も不要ですし(笑)、
> ビッグ・データによって、個々人に最適化されたサービスを受けられるかも?
> そう考えれば、巨大なビジネス・チャンスが転がっている市場とも言えそうな気がします。
> まあ個人的には、ディストピアな印象は拭えませんけどね(苦笑)。
> 同じ「もうリアルの恋愛はいいや」でも、VR越しの対人と、AI相手とでは、また次元が違うので。
> 言うなれば、一線を越えてしまった「ラブプラス」なのかな?


会話できるAIは、恋人じゃなくて娘になると思うんですよね。

ちょっと長い話になるのですが、
まず、私は幸せとは不足が満たされることだと考えています。
お腹が減っているときに、おいしいものを食べると幸せなのも、不足が満たされるからだと。
この考え方で、「なぜ現代のオタクの間で、BLや百合が流行るのか?」ということを考えると、
「イケメンキャラや美少女キャラは、既に飽食の状態にあると。もうイケメンや美少女にみんなお腹いっぱいで、食べ飽きている。
美少女キャラが溢れているからこそ、自分は新しく出てきた萌えキャラにガチ恋できない。
満たされているからこそ、幸せにはなれない。
そこで、他人の恋愛に共感することで、不足を自身の中に作り出しているのがBLや百合である。
ある女の子にガチ恋している女の子に共感することで、自分はガチ恋できない女の子に、疑似的にガチ恋でき、そしてそれが満たされることで、自分も幸せになれる。
だからオタクの間で、BLや百合が流行る」と考えているのですが、
AIも同じで、
恋人AIも最初はすごく楽しいだろうけど、あっという間にそれが氾濫して、AI恋人は食べ飽きると思うんですよね。
しかし、AIを娘にすれば、そのAIの娘の幸せに共感することで、自分も幸せになれるんじゃないですか。
大学生の勝手な見解ですが、おじさんになっても生きがいを感じて何かに打ち込んでる人って、自分のために、よりも誰かのためにやっている人が多いと思うんですよね。
それは人間の遺伝子本能的にも、一定以上の年齢を過ぎれば、自身の子供を作れ、という命令から、自身の子供を守り育てろ、に変わるわけで。
高齢化社会だからこそ、AIは娘だと思うんですよね。

ひろゆきが昔、金も、社会的地位も、家族も持たない無敵の人が増えて、犯罪が増えるから、政府は彼らにペットを配れ、みたいなことを言っていたと思うんですが、
AI娘がいた方が社会が安定する、という考え方もあるんじゃないですかね。

ゲームも、チートコードを使って何でもできるようにしてしまうと、面白くないじゃないですか。
プレイヤーは新しいステージを開放するためにゲームをやるんですけど、実は新しいステージを開放するということはどうでもよくて、その過程でゲームという作業を楽しむことのほうが目的なわけです。
近未来の人類は、AI娘を喜ばせるために働いたり、色んな場所に行ったり、何らかの作業をして、その過程で人生の喜びを得るんじゃないんですかね。

> > > > > > ちなみに、お勧めできるアニメであれば、こんな感じです。
> > > > > > 1位 響け!ユーフォニアム
> > > > > > 2位 言の葉の庭
> > > > > > 3位 夏雪のランデブー
> > > > > > 4位 月がきれい

> > > > > まずは、オススメありがとうございます。
> > > > > で、開口一番ですけど、俺ガイルは入ってこないタイプの作品なのでしょうか?
> > > > > と言いますか、この3作に俺ガイルの1期・2期も加えて、
> > > > > おおよそ2013年前後に、オススメの作品が集中してません!?
> > > > > これってつまり、この頃が、旧トルコ担当さんにとっての、アニメ激熱期だったって事なのかな?

> > > > 作品が2013年に偏っているのは偶然です。リアタイではほとんど見ないので。

> > > という事は、2013年頃の流行というか作風が、
> > > 旧トルコ担当さんの好みに、合っていたという感じですかねえ?
> > > となると、そういった系列の作品が、旧トルコ担当さんの好みであり、
> > > 「オススメできる」ではなく、「オススメしたい」って感じなのかなぁ?と。

> > いやぁ、自分の一番好きな作品を他人に宣言するのって、恥ずかしくないですかね?
> > 他のオタクの人はどうなのでしょうか?

> 特定分野への好きが高まり過ぎ、隙あらば漏れ出すのがオタクというモノであり、
> 「自分の好きを語らずして、何がオタクか!?」という思い込みがあった為、
> 関係性が薄い一般人が相手ならまだしも、これだけ話を重ねてきた上で、
> 「好きを宣言するのが恥ずかしい」という反応が返ってくるとは、正直 想定外でした(笑)。
> それに、そんな事を言われてしまうと、既に前スレッドの段階で、
> 「私の好きなアニメTOP3」0↓とか貼ってる私が、まるで恥知らずな感じにも(苦笑)。
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20466#20466
> ちなみに その後の視聴で、シュタゲが20位以内、Dr.STONEが30位以内、
> ゴールデンカムイ・ぼくらの・リゼロが40位以内、弱ペダが50位以内に入った感じ。
> でもまあ、少なくとも「自分の嫌い」を語るよりは健全かな?と思ってますけどね。
>
> ただ、恥ずかしいと考えられてるとは、露にも想定していなかった為、
> その点に関しては、配慮を欠いていた事を謝罪いたします。
> 申し訳ありませんでした・・・・


いえいえ、謝るようなことではないと思います。

> > もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、
> > オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
> > 世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

> あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
> 80年代のオタク作品だから、今みたいに上手く隠せていないと言うか、
> 「周りから白眼視されても、素直に好きだと言えるヤツだけ付いてこい」みたいな感じが、
> あの当時の作品だからこそ、却って溢れているとでも言いますか・・・・
> 「オマエら、こんなの好きだろ!」って感じの、開き直った てんこ盛りで、
> 言うなれば、変にカモフラージュせず、オタク的な欲望を剥き出しにしている所が、
> 今のオタク世代からすると、気恥ずかしく感じさせるというか、そんな具合なんですかねえ?
> でも、今の時代はオタクを公言しても恥ずかしくないとする一方で、
> オタク丸出しな作品は、自分で見ても恥ずかしく感じるというのは、
> 何だか面白いというか、実に興味深い指摘ですね!!
> そうか〜、一般人はまだしも、今やオタクが見ても、恥ずかしく感じるのかぁ・・・・


> こうなると、どの辺りのラインまで来れば、これが恥ずかしく感じなくなるのかも、
> ちょっと興味が湧いてきてしまいました(笑)。
> となると、90年代の「機動戦艦ナデシコ」とか、どうなんでしょ?
> 同じ90年代でも、「真ゲッターロボ」みたいな振り方の作品なら、大丈夫ですよねえ?
> って、そもそもナデシコや真ゲッターを視聴済みかどうかも、解らない所ではありますが。


未見です。
昔のアニメで見てるのって、ヤマト・ガンダム・エヴァ以外では、「未来少年コナン」「バビル2世」「銀河鉄道999(半分くらい)」くらいですかね。
あとは銀英伝は2周しましたが。

どの作品だから恥ずかしく感じる、というより、本気で好きな作品が恥ずかしいと感じますね。
例えば萌えアニメは、客観的に見ればすごく恥ずかしいものですが、私は萌えアニメではそこまで恥ずかしくならなくて、それはメッチャ萌えアニメが好き、というわけではないからなんですよね。
ですが、本当に好きな作品というのは、その本気の分だけ、やっぱり恥ずかしくなるので。作品そのものの性質より、個人的な思い入れの強さが影響しますね。

> > おススメできるアニメランキングは、私の好きなアニメの中から
> > (1)好きな作品と宣言して恥ずかしくないもの
> > (2)個人的に好きなだけでなく、客観的にクオリティが高いもの
> > (3)アニメ版が一番良いもの(漫画原作アニメで、原作漫画の方が出来が良いものなどは除外)
> > という3つのフィルターをかけて、作成したランキングになります。
> > そしていざそれを作ってみると、案外数が残らなかったという。
> > 逆にそれだけ選んだ作品なので、おススメ度はどれも高く、
> > どの作品を見るか?という参考には十分なるという自信はあるのですが。

> となると、1位のユーフォニアムなんて、特にオススメという事ですか。
> 同じ京アニで、女子高生の音楽モノとなると、既に「けいおん」があったので、
> あそこからキャラを増やし、ストーリーにも重みを加えたとは言え、
> 実を言うと、そこまで食指が動くタイトルでは無かったんですよねえ・・・・
> また、これも別物なんでしょうけど、「ラブライブ」とか人気が高かったものの、
> 個人的には正直イマイチな感じでしたし(スノハレの演出は凄いなと感心しましたけど)、
> ストーリー系で音楽モノとなると、「のだめ」という高い壁がありますので。
>
> > 私は中学生の時に源氏物語を読んで以来、ずっと恋愛ものは好きですからね。
> 源氏物語かぁ・・・
> 気にはなるけど、読んでないなぁ・・・・
> 何となく粗筋は把握しているものの、漫画「あさきゆめみし」すら読んでませんね。
> ちなみに旧トルコ担当さんは、誰の現代訳版で読まれたんですか?
> それとも、まさかの岩波や角川あたりの原文版?


色々読んでますが、「紫の結び」というのが一番長いやつかな。
その前に、もっと短いやつで大方の内容を把握してはいましたが。
何度か全訳にもチャレンジしたのですが、あまりの長さにいつも1巻の半分くらい挫折してます。

> と、こうした何気無い「好き」の一言からも、話題というのは広がっていきますし、
> 逆に言うと、だからこそ、私も余計な補足情報とか書き加えてる面はあります(笑)。
>
> > ただ、それが相手の好みの合うかはわかりませんし、あくまで「参考」ということで。
> 今期の覇権アニメは、再放送中の「カブトボーグ」という好みです。
> 一応、参考までに(苦笑)。
>
> って、今の時代は新作が溢れすぎてて、とにかく数をこなす傾向が高まってますけど、
> 私なんて古い世代ですから、好きな作品だと平気で何周もしちゃうんですよね。
> まあ、私ですら そんな感じなので、これがオタクともなれば深堀りなど当たり前で、
> だからこそ、今の人から見ると、昔のオタクの方が濃い印象になるのかも?
> そもそも当時は作品数自体が限られていたので、大量の中から厳選する作業も要らず、
> 好きを突き詰めようとすると、自ずと深堀りになるような時代でしたから。
>
> > > > > って、旧トルコ担当さんは以前、岡田斗司夫のガンダム全話解説について触れられてましたし、
> > > > > オタクを称される以上、ファースト・ガンダムは当然 押さえているだろうと思ったものの、
> > > > > これまでの「オタクの定義」の相違を踏まえると、必ずしも、そうとは言い切れないのかな?

> > > > ガンダムは一応見てますよ。
> > > > 世代ではないですが、ヤマト、ガンダム、エヴァ、ハルヒは一応抑えています。マクロスは見てないですが。

> > > おお、なるほど!!
> > > でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
> > > 旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。

> > うーん、この辺はどうなんでしょうね。
> > 確かに、オタク史的に名作とされるアニメを見ることは価値もありますが、
> > やりすぎれば結局、流行りものを追っかけているJKと変わらないと思うんですよね。
> > いや、流行りものを追っかけること自体は別に好きにやればいいと思うのですが、
> > 周囲に流されて自分で判断しない姿勢というのは、オタクとは呼べないと思うんですよね。

> まあ私としても別に、「あれも、これも」と言っている訳ではなく、
> 例えばオタク文化に限らず、あらゆる分野においても、
> 「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」
> みたいなモノは、いくつか在ったりしますからねえ。
> そういうレベルでの話ですね、この前の話は。
> で、少なくともガンダムというのは、アニオタを称するなら押さえておくべき古典だろうと。
> ただ、これに関しても、全話隈無く押さえろと言うよりは、
> 総集編くらい見て、大体の基本情報とかは押さえておこう程度の感覚ですね。


個人的には、現在のオタク文化って、
(1)萌え登場以降のオタク文化(95年以降)
(2)おおざっぱに昭和のオタク文化(75年以降)
(3)それ以前の昭和子供文化(手塚治虫など)や、アメリカ文化など
の3層構造でできていると思っているので、「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」的なものって、現在のオタクだと(1)がメインな気がするんですよね。
要は、ぶっちゃけガンダムは古いと。
私自身はガンダムは好きですし、現在は「サンダーボルト」というガンダム漫画をずっと読んでいるのですが、そういうガンダムとか、プラモデルとか、そういう系のものは別カテゴリ感があるんですよね。
といいますか、私もいろいろ勉強する前は、オタク=萌える人であり、ガンダムファンがオタクだとは思っていませんでしたので。
そういう意味で、オタク的な教養はせいぜいエヴァまでな気はします。

> > ふと気になって調べてみたところ、
> > エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
> > そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

> でも、単純に人口比の数字だけで言うのであれば、
> 今から20年後に劇場公開して、470万人(シン・エヴァの7割)を動員できる作品が、
> 2010年代アニメの中に、果たして在るのか?って事でもありますよね。
> 以前にも少し書きましたが、秋葉原が電気街から「オタクの街」に変えたのは、
> エヴァの存在が非常に大きかった訳で、あのクラスの作品はなかなか無いですよ。


もちろん、世代動員率とでも名付けるべき値がエヴァは非常に高かったというのも承知しています。
ですが、世代動員率には世代の総人口が必ずかかっているわけであり、世代の総人口が減れば文化的な厚みは減って当然ですよね。

> > まあ、私の独断と偏見で言わせれば「オタクとは自分の好きなものを突き詰める人間」なのであって、
> > 何も昔の名作アニメを履修する必要性はないと思っているんですよね。

> う〜ん、単に「大好き」ってだけであれば、そこまでする必要性は無いでしょうけど、
> 「突き詰める」という部分まで加わってくると、外せない古典を押さえる必要は出てきそうですし、
> そうした義務感が無くても、「面白い作品があるなら、古くても気にしない」とか、
> 自らの好きを体系化していけば、どうしたって歴史(過去作)に至るのは必然だと思うんですよ。
> それは何もアニメに限らず、映画であれ、小説であれ、絵画であれ、音楽であれ。
> なので、「自分は2010年代アニメのオタクだ」と、範囲を限定とかしない限りは、
> やはり、押さえておくべき作品というのは、幾らか存在するモノだと私は思います。
>
> だって例えば、オタク同士で語り合う場合に、
> 一般人とは異なる、オタク同士ならでは共通認識は当然ある訳で、
> その段階で、オタク的には一般教養的な知識を、実は知らないとなれば、
> 相手側からすれば「えっ!?」ってなるでしょうし、一旦そうなってしまえば、
> 「オタク同士の会話」という大前提が、そもそも崩れて仕舞いかねません。
> で、そうなった場合、相手から「本当にオタクなの?」と疑われても致し方ないかも知れず、
> そうした不信を覆すには、それを上回る別の何かを見せる必要が出てきますからねえ。
>
> 言うなれば、ファンと ほぼ同義語と化した、現代のオタクの定義ではなく、
> 昔ながらのオタクの定義で行くならば、オタクとは自称ではなく他称なので、
> 自分でオタクと思う以上に、相手側からオタクと思われてこそ、やはりオタクと言えるものかと。
> 例えば今回の話でも、ここまで来て、もしも「実はエヴァって見た事ない」と言われたら、
> 私だって、気持ち的に ずっこけるでしょうし(笑)。


実は私はオタク友達はほとんどいないので、そういったオタトーク的なものはほとんど経験ないんですよね。
そのうえ、大学生にもなってくると、ようやくですが自分の好きなものも表面的なジャンルではなく、本質として分かってくるようになり、そうするとますます好き嫌い、見る見ないがはっきりして、中心ゾーンからずれていってしまうとw

あと、私が「昔の名作アニメを履修する」ことをやたら否定的にとらえているのも、かなりオタク文化自体の高齢化を見させられているからなんですよね。
特にSNSで世代関係なく情報が流通するようになった結果、世代の人口差重力が非常に強く影響するようになったと思います。
新エヴァだって、SNSで盛り上がってたから見に行ったという若年オタクは多いでしょうし、それは結局オタク文化全体の高齢化にしかならないと思うんですよね。
もちろん、ある程度であれば旧作リバイバルも別に否定しないのですが。

> > > また、「俺ガイルに興味がある」と言うよりは、
> > > 旧トルコ担当さんが「2010年代のエヴァ」と言った、理由の方に関心があったので、

> > 「2010年代のエヴァ」というのは布教用の宣伝文句ですので。
> > 俺ガイルとエヴァでは、そもそもファン人口が1桁くらい違いますし。
> > ですが、このワードによって管理人さんにも興味を持ってもらえたわけですし、
> > 布教戦略としては有効なワードだったのかな?

> いや〜、それで結局、誇大広告だと感じられれば、却って反感を生む訳ですし、
> 最初に、期待値のハードルを上げてしまうと、合格点も上がってしまうので、
> 期待させずに見せて「面白かったよ!」と言わせるのが、最良の宣伝方法かと(笑)。
>
> でもまあ、わざわざ録画ディスクは探し出した訳ですし、
> 原作ラノベの方を読む事は、まず無いと思うので、
> 「気が向いた時に見られれば」って感じですね、現状だと。
> とりあえず早くても、年明けの視聴にはなるのかな?
> 前回も少し書きましたけど、年内で配信期限を迎える未見作品が多いので(苦笑)。
> (って、それらの多くも、本放送時に録画してはありますから、いつでも見られるのですが)
>
>
> > > まあ元々、今の20代前半くらいの世代が、ちょうど中高生だった2010年代中盤、
> > > ラノベ原作の人気アニメは、「SAO・リゼロ・俺ガイル」がトップ3という印象でしたけど、
> > > 今回、その人気の理由みたいなモノは、少し掴めたかな?といった感じです。
> > > 異世界転生系や、俺TUEEE系の作品が量産される昨今、
> > > 読者(視聴者)を悦にさせる作風というのは、何だかんだで人気だと思うんですよ。
> > > でもトップ3の作品って、オタク層を喜ばせるような世界観を用意しつつも、
> > > 実は結構、主人公に厳しいというか、読者(視聴者)に対するメッセージ性がありそうな感じ。
> > > う〜ん、何というか、意外に甘やかしてくれない感じとでも言いますか、そんなイメージ(笑)。
> > > それこそエヴァから引用するなら、萌えとか、俺TUEEEとか、受け身ハーレムとか、
> > > 消費者を夢の世界に導こうとする作品が席巻した、2010年代の当時、
> > > 「逃げちゃダメだ」と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだったのかな?と。
> > > (俺TUEEE系も全否定はしてませんよ、「魔王学院の不適合者」とか意外に面白かったですし・笑)
> > > って、ちゃんと見たのはリゼロだけなのに、推測で物事を語り過ぎたかな?(笑)

> > 「『逃げちゃダメだ』と言ってくれたのが、SAOであり、リゼロであり、俺ガイルだった」というのは否だと思います。
> > 一応3作品とも見ましたが、(SAO、俺ガイルは何度も読み返しており、リゼロはアニメを1度見ました)

> まあ別に私としても、「俺ガイルは2010年代のエヴァ」という所から、
> 無理矢理に引っ張ってきただけの話なので、そこまで本気で言ってる訳では無いかな?(笑)
>
> ただ、リゼロに関して言うと、18話の自己否定シーンとか、
> 2期の前半にあった転生前の回想シーンとかって、視聴者的にどうなんだろう?と感じたのは事実。


ええと、SAOや俺ガイルがリゼロと同じ類の作品というのは否定しますが、
リゼロは『逃げちゃダメだ』と言ってくれた作品、というのは否定しません。

> > (多少ネタバレになりますが)例えば俺ガイルであれば、俺ガイルはハルヒの流れを継ぐ謎部活ものなんですが、
> > 最終的にこの話はその3人だけの部活の、主人公とダブルヒロインの友達関係をどう維持するのか?
> > ということがテーマになっていきます。

> 何とな〜くですが、俺ガイルのストーリーは把握しているんですよ。
> と言いますか、「はがない」に似た感じを受けたので、今まで見なかった主な要因かも?
> いや勿論、別の作品ですから、異なる部分なんて山のようにあるのは解っていますけど、
> 私自身の嗜好として、ラブコメはOKでも、「ハーレム系は苦手」という事情があるので・・・・
>
> まあ今時のアニメって、美少女キャラが多数登場する作品なんて一般的ですし、
> どの辺りからハーレム系と見なすかは、個々人によっても違ってくるのでしょうけど、
> 最近で言うと、「五等分の花嫁」の人気がやたらと高い事は把握していた為、
> その理由を知りたくて2期まで視聴したものの、ストーリー的に動き出したのは2期の後半で、
> 正直な所、そこまではかなりの苦行だったんですよねえ(苦笑)。
> なので、その苦手を上回る何かが無い限り、似た系統はそんなに要らない感じがありました。


ハーレム系とは言えないと思ってます。
最終的にそうなるというだけであって、それまでに散々関係がこじれますので。
原作第3巻では、ダブルヒロインの片方が部活の関係が気まずくなって、そのまま何も言わず部活に来なくなっちゃったりしますし。
五等分の花嫁よりは間違いなく苦行ではないと思います。
私もハーレムアニメが苦行というのはわかりますし、そこは保証できるかと。

> > だから、この3人の関係性はもうそろそろ終わりだし、どう終わらせるか考えなきゃね、
> > というだけなのですが、紆余曲折合った末の結論は「ずっとこのまま」なんです。
> > いや、これ本当にどうするんでしょうね。

> え〜と、これはエンドを考えさせる事で、私に興味を持たせようという手法なのか?
> それとも、本当に未決着エンドだったのか? どちらの意味の文章なんでしょう(笑)。
> でも、ifルートがあるという事は、前者の意味合いなんですかねえ。


原作はそこで終わりですね。
未決着エンドといいますか、悩んだ末に回答が出たので、それで作品としては完結、ということでしょうか。
3人の関係性を維持する、という方針さえ決まれば、あとは同じ大学に進学するにしろ、別大学に通って近隣に住むにしろ、手段と実行の問題ですから、そこは別に描く必要ないということです。

> > 大学3人で同じところに行くんですかね?まだ中学生ならそれもアリかもしれないし、
> > 俺ガイルがよくあるオタク・ファンタジーならばそういう結論もアリかもしれませんが、
> > 俺ガイルって徹底的にリアルなんですよ。

> う〜ん、同じ大学に行くのも、ファンタジー扱いなんですかぁ・・・・
> まあ、地方であったり、学区制が厳しい県だったりすると、選択の幅が狭く、
> 同じ中学から、同じ高校に進む人数も、結構多かったりするのですが、
> しかし一方で都会の高校ですと、選択肢が多すぎて、結構バラけるんですよねえ。
>
> それに高校だと、似た様な学力の生徒が集まりますから、
> 特に進学校とかだと、同じ高校から数十人も同じ大学に行く事が珍しくない反面、
> 単に同じ地域の住民という集まりの公立中学では、なかなか高校が一緒にならない事も。
> だって高校って、1学年あたり200〜300人って所でしょうけど、
> 大学だと1学年1万人を超える所もあり、学部や学科を問わなければ、意外と被りますよ。
>
> また、地方から東京に上京する場合なら、「同じ大学に行く」だけでなく、
> 「一緒に東京に行く」というだけでも、繋がりは続きますからねえ。
> 同棲とか、ルーム・シェアとかまで行かずとも、互いに近所に住むだけで、
> 知り合いも居ない土地で暮らすなら、関係性がより深まっても おかしくないですし。
>
> > まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、
> > 法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、

> 一応、念の為に言っておくと、私の中にある「有り得る基準」って、
> 身近な件だと1割、実例という意味では1%が最低ラインなので、
> こういうケースがあるのは知ってますけど、これをリアルだとは感じませんよ(笑)。
> 2股、3股なんて例ならまだしも、リアル・ハーレム婚は日本だと希少例すぎますから。
> とは言え、これが洗脳や調教を扱った話題であれば、その限りではありませんけどね。
> 例えば、漫画だと「奴隷日記」とかは、ある程度のリアリティーを感じましたし。


さすがに、ハーレム婚が希少だというのはわかってますよ。
アニメとか、ラノベって社会規範に対してはかなり保守的ですし、その中で、「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」という社会規範を否定したのは、かなり衝撃的だったと思うんですよね。

> > > ちなみに余談ながら、リゼロのタイム・リープの系譜について脱線すると、
> > > 元々タイム・リープって、小説や映画では珍しくないネタではありましたが、
> > > それがオタク文化に根付いたのは、エロゲーが泣きゲー化した際、
> > > シナリオ分岐による複数のストーリーと、それに伴うイラストを、
> > > 効率良く味わって(収集して)もらう手法として、導入されたイメージですね。
> > > で、それを同人作品でサスペンス・ホラーと組み合わせたのが ひぐらし、
> > > それを家庭用ゲームに用い、後にアニメ化もされたのがシュタゲで、
> > > ひぐらしやシュタゲを、異世界転生モノとしてラノベ化したのがリゼロ、
> > > リゼロをマガジン伝統のヤンキー漫画化したのが、今年ヒットした東リベって印象。

> > 俺ガイルも既に2シリーズほどシナリオ分岐(?)的なif展開を作者が書いてますね。

> 1つの物語として、作品を仕上げる感覚が強かった、一昔前までは、
> ifルートを公式で扱ってしまうのは、一種のタブー的な認識があったかと思いますけど、
> そういう意識が薄れてきたのって、描き手がゲーマー世代になったからなのか?
> はたまた、プロ作家の同人活動が珍しく無くなってきたからなのか?


それもありますが、そもそもifルートを書いて面白いラノベといもの自体が珍しいと思うんですよね。
ラノベとして商業出版する以上、ifルートも一定以上面白くないといけないわけで、それってなかなか難しいですし。

> > 彼らは経済のこととか、社会のことを語っていればいいのに、
> > なぜわざわざ自身の専門領域から出てきて、アニメの話をしてしまうのか。
> > 餅屋は餅屋、アニメの話はオタクに任せとけばいいと思うんですよね。

> この本の著者に関しては、私も正直把握していないのですが、
> でも東浩紀とか見ていると、「オタクが学者になった」パターンだと思うので、
> 学術方面から、研究題材としてオタク文化を選んだという人たちとも、
> また ちょっと違う気はするんですよね。
> 彼らは、学者になる前の根っこの部分が、そもそもオタクなので。
>
> 解りやすく言うと、「自分の好き」を探求すれば、それがオタクでしょうし、
> そこから更に、自分だけでなく「みんなの好き」を探求すると、それは学問になると。
> 勿論、作品を見て「楽しい」と感じる事を直接理解できるのは、自分自身の心だけですので、
> そういう意味では、「小難しい事は考えず、楽しければ良いんだよ」というのも正解ですし、
> だからと言って、「なぜ自分は楽しく感じるのか?」と考察するのも、決して間違いではなく、
> そして、「自分だけでなく、みんなも楽しんでるのは何故?」と分析するのも、アリな気はします。
> まあ確かに、オタク文化への理解もないまま、都合良く自論に用いるのはウンザリにしても、
> オタク文化の普及や歴史的長さを踏まえると、
> オタクが学者になるパターンも、今では珍しくないようには思えるんですよね。
>
> > というのが半分、もう半分は、この手の作品の解釈論の本を読むと、
> > 自分で作品の解釈をしなくなってしまうので、あえて読まないという意味もありますね。
> > せっかく自分でオリジナルな作品解釈を作り上げてる最中なのに、
> > 完成品を持ってきてしまえば自分の解釈作業がそこで終わってしまいますので。
> > それこそ、この手の本を読めば質は高いのでしょうが、
> > 各オタクごとに存在した偏見交じりのオリジナルな解釈が失われてしまうという話は、
> > 本題である文化の幅が失われている、という話と直結するかと?

> あ〜、なるほど、なるほど!!
> 私などは、もう年齢的に、良くも悪くも、
> 自分なりの「モノの見方の軸」が定まっている感じなので、
> あくまでも参考意見として、変に振り回されずに情報を得る事が可能なのですが、
> 旧トルコ担当さんは「軸を定めてる途上」であるのなら、
> 他者に影響され過ぎる不安感を抱くのも理解できますし、
> そうした警戒感があるというのは、却って良い傾向かも知れませんね。
> 特に昨今は情報過多な時代な事もあって、「信じられる情報」よりも、
> 「信じたい情報」を無自覚に集め、踊らされてしまう人が非常に増えていますから、
> 自らの危うさもキチンと認識できているというのは、それだけで既に強味かも?
>
> また、そうした事情を踏まえて、改めて考えてみると、
> 私の発言に対して、「半ば同意」みたいな反応が返ってくるのも、
> 心理的なバッファー部分というか、敢えて全面肯定しない思惑とかが含まれていたのかな?
> こちらとしては、半ば同意と言われると、
> 「では、同意できなかった部分は?」とか、「同意できなかった理由は?」みたいに、
> 不明な箇所を知りたかったり、間違いや異なる視点があるなら把握したい思いから、
> 具体的な話を聞きたいと、尋ねるような返信を書いていたのですが、
> なかなか返答が来なかったのは、問い詰めるような感じで気分を害したのでは無く。


「半ば同意」となるのは、もうグラデーションの問題ですね。
管理人さんはA70%でB30%と言っていても、私としては半々くらいじゃない?みたいに思っていて、あとそこまでくれば、大筋話は出尽くしたからいいかな、という感じで半ば同意という感じです。

> > 自分も、なんだかんだで岡田斗司夫の二番煎じしか言えてない、みたいな部分は自覚していますので。
> ちなみに、「教養としての10年代アニメ」は、
> 近畿大学での講義を、書籍化したモノらしいのですが、
> 四半世紀前、東京大学で岡田斗司夫が行った講義も、
> 「東大オタク学講座」として書籍化されてますけど、
> https://www.amazon.co.jp/dp/4062759381
> こちらに関しては、旧トルコ担当さん的に、どのような扱いなのでしょう?
> 大学での講義として、オタク文化を語っているから、同じ穴の狢?
> それとも、岡田斗司夫の講義であれば、また別格?


「東大オタク学講座」はそんなに面白くなかった印象。
やはり、オタク人としての岡田斗司夫の最高傑作はYouTubeのジブリ解説と、ガンダム講座でしょう。
あと、岡田斗司夫自身はアカデミズム系ではない人間が、たまたま東大で講師をやったという認識ですね。

> > まあ社会論は岡田斗司夫の二番煎じでもよいのですが、
> 「岡田斗司夫の社会論」という点では、旧トルコ担当さんに感謝ですね(笑)。
> こうして話題に上り、実際に動画を見るようになるまでは、
> オタキングという側面以外にも、いろいろ考察を述べていた事は知りませんでした。
> まあ正直な所、オタク以外の分野だと、「う〜ん」と首を傾げる割合も増すものの、
> 杓子定規なモノの見方では無いので、面白い視点から語る事も多いですし、
> 特に「評価経済社会」論に関しては、私が15年くらい前から漠然と感じていた内容を、
> 既に25年も前に著述していた事には、正直 驚かされましたからねえ!!
> 不遜の物言いですけど、岡田斗司夫を再評価する、良いキッカケになりました。
> ありがとうございます(笑)。
>
> > さすがにオタクを自称している以上、
> > アニメくらいは自分のオリジナル解釈があってもよいと思うんですよね。

> この一文は、大きな示唆を含んでいると言いますか、
> 今まで、話の噛み合わなかった部分の原因が、解った気分ですね(笑)。
> 旧トルコ担当さんの見解で、これまでに何度か引っ掛かっていたのは、
> 「個人的な感想が強く、普遍性が弱い」ケースが、時に見受けられる事だったのですが、
> 主観と客観とを分けるという以前に、まずは主観で語っていくスタイルだったのかな?


いやあ、歴史とか社会評論的なもの、つまりここに書き込んだものは、客観性を目指してい書いていますよ。できていませんがw
逆に主観的なものは、言語化が難しいので、人にはあまり話さないですね。

▼ 80年代後半から、90年代前半のオタク文化について

80年代後半から、90年代前半のオタク文化って、個人的にどうしても印象が薄いんですよね。
それ以前の70年代後半から80年代前半であれば、ヤマトがあり、ガンダムがあり、アニメ雑誌が創刊され、コミケが生まれ、オタク文化が誕生した時代ですし、
それ以降の、90年代後半から00年代前半であれば、エロゲから始まり、アニメ、ラノベなどで、萌えが確立された時代であり、明確なカラーが存在するのですが、
どうにも80年代後半から、90年代前半というのは印象が薄いと。
まあ、ゲームの黄金時代は明らかにこの時代ですし、ジャンプなど少年マンガが最盛期を迎えているわけですし、オタク文化自体は盛り上がっていて、単に私が関心のないジャンルだからかもしれませんが。
それでも、私が関心を持たないというのは、イコール今のオタク文化にあまり影響を与えていないということでもあると思うんですよね。
この時代って第二次ベビーブーム世代が10代後半になった時代であり、人口から考えると、もっと新しいものが色々出てきても良いと思うんですけどねえ。
逆に、人口が多かったこの時代に、現在まで影響を与えるような、革新的なものが生まれていなかったとしたならば、文化の新しさと人口は関連性が低いということとなり、これからの時代にも期待が持てるのかも?
まあ、わずか10年程度の、それもオタク文化に限った話では、ケーススタディとしてあまりに範囲が狭すぎるかもしれませんが。

あと考えられる可能性としては、
(1)70年代後半から80年代前半だって、そもそも現在のオタク文化にそこまで影響を与えておらず、のちの時代まで影響を与えることなんてほとんどないじゃないか説
(2)ファンタジーがあるよ説
くらいですかね?
ちなみに、これも教養かと思い、『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ』を第1巻のみ読んでみたのですが、正直あまり面白くなかったんですよね。
まあ、好みもありますし、私が上記2作の面白さを理解できるだけの能力がなかったということかもしれませんが、結構前に管理人さんがおっしゃっていた『スレイヤーズ』の革新性ってどの辺だったのでしょうか?

▼ ニコニコ動画

> それとニコニコ動画の方でも、PCからスマホへの利用者移行により、
> ニコ動のコメント文化を変えたとの見方もあるようですが、実際どう感じられてます?


自分はGINZA時代(13年10月頃から18年6月下旬まで)の真ん中あたりからしかニコニコを見ていないので、正直スマホ化の影響はよくわかりません。
ただ、それ以前にもはやニコニコ動画はもはや廃墟ですね。
私はほぼ毎日、ニコニコ動画の24時間ランキング(https://www.nicovideo.jp/ranking/genre/all?video_ranking_menu)をチェックしているのですが、
いつ頃からか忘れましたが、(YouTubeを追放された)ワクチン陰謀論とか、アダルト動画の切り抜きとか、昆虫が昆虫を食べる動画とかがランキング100位以内に上がってくるようになりました。
この記事を書いている12月12日9日朝9時現在では、「これがハーレムsm39721415」(アダルト系)が16位、「ジュニアアイドル時代に伝説となり、後に風俗嬢、AV女優へと堕ちたあの子sm39722222」が36位ですね。
その他にも、明らかにYouTubeに同時投稿してそうな動画とか、明らかにYouTubeの釣りサムネっぽい動画とかが当たり前のようにランキングの多数を占めています。
この類の動画の源流って、(ランキング見てる限りでは)VTuberの切り抜き動画なんでしょうね。ここから雰囲気が変わって、つべの転載動画が伸びるようになっていきました。
個人的には、「ニコニコ動画の世紀 2019(sm36069424)」に書き込まれた、「ニコニコが発信する場ではなく吸収する場になったんやなって」というコメントが最適な表現かと。
そういう意味で、ニコニコ動画の転換の年は16年であったと思います。
もちろん、それ以前にも色々な転換点はあったのでしょうが、GINZA時代(13年10月頃から18年6月下旬まで)の真ん中あたりからニコニコを見ている自分としては、そう感じます。
その理由としては、まず1つに翌年の年末あたりにVTuberが急速に台頭し、ニコニコの中心層であるオタクがYouTubeに流れていったこと。
その証拠に、ニコニコ全体での動画再生数は17年ごろに3分の2程度まで落ち込み、増えなくなっていたプレミアム会員も17年から減少が始まります。(ニコニコ動画統計データハンドブック2019より、以下のデータも同出展)
まあ、動画のクオリティ自体は上がっていますし、昔の動画を見ればいいので、見てるほうとしてはそこまで困らないというのが本音ですが。
私はニコニコのタグ検索に慣れきってしまっているので、いまだにYouTubeでどう検索すればよい動画が見つかるのか分からず、そこまで動画を見たいという欲求もないので、結局YouTubeには移住せずじまいで、過疎化したニコニコ島に今も取り残されてます。


[23802] オタクの教養と古典の素養(その1)返信 削除
2022/1/12 (水) 21:16:12 徳翁導誉

> けっこうな期間放置してしまいました。
> すみません。

いえいえ、実を言うと私の方も、年末年始は結構バタバタしてたので、
どうしても長文化してしまう返信を避けられ、却って助かった側面も(笑)。
結局、昨年内までだった配信アニメも、あれから1作品も見れませんでしたし、
年越し前までに読んでおきたかった本も、全く読めませんでしたし、
別スレッドで語っていたゲーム作りも、完成まで あと1歩の段階まで進みながら、
この1ヶ月、完全放置になっちゃってたので・・・・
(とか言いつつ、気分転換に、巨大な「世界HEXマップ」とか作っちゃってましたが・苦笑)


▼ デジタルな恋人・娘・ペットの可能性
> > それこそ、リアル恋愛に伴う煩わしさを思うと、手軽な疑似恋愛が良い事もあり、
> > そうした需要が高まれば、これまたビジネスとして成り立ちますからねえ。
> > しかもAIであれば、最も費用が嵩む人件費も不要ですし(笑)、
> > ビッグ・データによって、個々人に最適化されたサービスを受けられるかも?

> 会話できるAIは、恋人じゃなくて娘になると思うんですよね。
> まず、私は幸せとは不足が満たされることだと考えています。
> お腹が減っているときに、おいしいものを食べると幸せなのも、不足が満たされるからだと。

これは、半分正解ですけど、もう半分が足りないかな?
凄い簡単に話をすると、まず人間には「喜怒哀楽」という4つの基本的な感情があります。
そして、この「不足が満たされる」とは、ここで言う所の「楽」に該当します。
しかし、これだけでは、決して「喜」の方の感情は満たされないんですよね。
それこそ食事の例え話を続ければ、確かに空腹が満たされる事で得られる満足感はありますが、
ただ単に腹を満たすだけ満足が足りるかとなると、なかなかそうはなりません・・・・
具体的に言えば、「おいしい」という方面の満足も欲するのが、人間というモノです。

ここで、喜怒哀楽という感情を簡単に解説すると、
まず最初に、縦軸に「正(プラス)」と「負(マイナス)」の感情があり、
続いて、横軸に「動」と「静」の感情があると考えてみて下さい。
そして、喜とは「正&動」、怒とは「負&動」、哀とは「負&静」、楽とは「正&静」な感情で、
喜と楽は、同じ正の感情ではあるものの、動と静では正反対の感情でもあります。
ですから、どれだけ満腹を重ねても、決して美味しいには辿り着かないんですよね。
下手をすれば、「怒り過ぎて笑えてくる」とか、「号泣したら楽になった」など、
動と静が同方向の方が、負から正へと転じやすいモノなのかも知れません、感情というのは。

それを踏まえると、そう単純な話では無いものの、
「恋人」と「娘」というのは、また別物なんじゃないですかねえ?
例えば、どれだけ娘を溺愛してる男性でも、
だからと言って、浮気をしないというモノでも無いでしょうし(笑)。

> この考え方で、「なぜ現代のオタクの間で、BLや百合が流行るのか?」ということを考えると、
> 「イケメンキャラや美少女キャラは、既に飽食の状態にあると。
> もうイケメンや美少女にみんなお腹いっぱいで、食べ飽きている。
> 美少女キャラが溢れているからこそ、自分は新しく出てきた萌えキャラにガチ恋できない。
> 満たされているからこそ、幸せにはなれない。
> そこで、他人の恋愛に共感することで、不足を自身の中に作り出しているのがBLや百合である。
> ある女の子にガチ恋している女の子に共感することで、自分はガチ恋できない女の子に、疑似的にガチ恋でき、
> そしてそれが満たされることで、自分も幸せになれる。
> だからオタクの間で、BLや百合が流行る」と考えているのですが、

う〜ん、こちらに関しても、半分正解で半分不足かな?
確かに、作品数などのコンテンツ面で言えば、飽和状態にあるのは事実でしょうけど、
その一方で、平成前半の生まれを「さとり世代」などと呼ぶように、
満たされてるから満足してるのでは無く、満たされてないから満足点が低く設定されていて、
良く言えば手堅くて堅実、悪く言えば挑戦や冒険を避けがちな傾向がある為、
共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じるんですよね、私には。
だって、人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無いでしょうし、
結果は同じであっても、自ら進んで選んだのと、環境的に選ばざるを得なかったのは別ですけど、
しかし一方で人間は、自分の心理的負担を減らす為に、自ら選んだと思い込もうとしがちだと。

> 大学生の勝手な見解ですが、おじさんになっても生きがいを感じて何かに打ち込んでる人って、
> 自分のために、よりも誰かのためにやっている人が多いと思うんですよね。

こちらも、半分正解、半分不足って感じでしょうかね(笑)。
「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上」なんて言葉を、後藤新平も残してますし、
「自分の事よりも、他人の事」って姿勢の偉い人は多いのでしょうが、
でもこれも、「情けは人の為ならず」と似たようなモノで、
「自分の為に、他人を助ける」という側面は、実際にあると思うんですよね。
人一人がカバーできる範囲など、高が知れていますし、
自分だけの満足を追うより、他者の満足まで自分の一部に加えた方が、
結果的に、より大きな満足度を得られるモノですからねえ。
だからこそ、組織とは腐す対象にするよりも、上手く活用する方が賢いと!
もしくは、もっと単純に、「満足感のお裾分けを得る」という側面もあるでしょうか。

> それは人間の遺伝子本能的にも、一定以上の年齢を過ぎれば、
> 自身の子供を作れ、という命令から、自身の子供を守り育てろ、に変わるわけで。

いや〜、それは本能や遺伝子とかいうレベルの話ではなく、
育った社会の道徳や規範に依るモノなんじゃないですかねえ?
例えば、江戸時代の日本においては、家の存続が何よりも最優先事項であり、
その為にも、自分よりも子供を守る考え方が一般化しましたけど、
お隣の中国では、1人っ子政策以降の現代中国はまだしも、
それ以前の儒教的な社会においては、親あっての子供であり、
だからこそ、劉邦や劉備が逃げる為に子供を捨てるエピソードがある訳です。

また、赤ん坊を守ろうとする母親とかは別として、
他の動物で、群れを守る以上の感じで、実子を特別に守る行動が見られるかとなると、
少なくとも私は知らないですし、そんな遺伝子が見つかったという話も聞かないので、
そう断言される根拠が、何かあるのでしたら、是非とも伺い所ではありますね。

> 高齢化社会だからこそ、AIは娘だと思うんですよね。
正直、リアルな娘を守るが如く、AIの娘を守ると思います?
また、バーチャルな存在であろうAIの娘を「守る」というのは、
具体的に、どのような行動を指すのでしょうか?

ぶっちゃけた話、AIの娘なんて言うのは、
デジタルなプログラムであり、データですよねえ。
そんなモノを守る事を、リアルの自分を守る事に優先させるんですか?
それにそもそも、プログラムやデータを襲う、それほどに真剣な危険って何?
「子育てクイズ マイエンジェル」を、更に進化させるのは面白そうですが、
でもそれも、結局はゲームに過ぎませんし、どれだけハマり込めるモノなのか・・・・
いや勿論、1つのゲームのテーマとしては、凄く面白い要素ではあるでしょうけど、
ダビスタで競走馬を育てるのと、馬主や調教師がリアルに育てるのは、まるで別でしょうし、
逆に言えば、だからこそ世界中の金持ちは、馬主や球団オーナーになりたがると!

> ひろゆきが昔、金も、社会的地位も、家族も持たない無敵の人が増えて、犯罪が増えるから、
> 政府は彼らにペットを配れ、みたいなことを言っていたと思うんですが、

ほ〜、その意見は初耳ですが、なかなか理に適ってると思いますよ。

それこそ最近、無敵の人による、社会を巻き込んだ事件が増えてますが、
これらの事件に対して、「1人で勝手に死ね」とか、「他人を巻き込むな」など、
厳しい意見が反乱するのは、気持ちは解るものの、あまり良い風潮ではなく、
そういった不寛容で無理解な意見こそが、こうした事件を増やす遠因にありますからねえ。
しかも、こうして厳しい意見を述べる人たちこそ、自らの状況が悪化した場合、
そうした事件を起こしかねない予備軍である事を、本人たちは全く自覚できてないはずで、
無敵の人による事件というのは、減る所か、今後ますます増えていく一方だと思います。

逆に言えば、そうした事件の発生を減らそうと思うのであれば、
端的に言うと、「無敵」状態を抑え込む、何らかの「縛り」を用意すべきであり、
この場合、アメとムチや、北風と太陽で言うなら、ムチや北風が効かない無敵状態ですから、
言い方は悪いかも知れませんけど、アメや太陽で縛り上げるしかないと。
まあ具体的には、何も持っていないからこそ無敵である以上、
まずは心理的なり、実利的なりの「依存物」を与え、それを失う恐怖を餌に縛るのが有効で、
そう考えると、ペットを配るというのは、1つの方法としてはアリかと思いますよ。
「繋がり」と「しがらみ」は、物事の表裏に過ぎませんし。
ただ実際、それを現実的に、政策として行おうとすると、いろいろ困難でしょうけどね。
可愛がりはしても、世話をしないタイプは相当数居るでしょうし、
野良猫や鳩などに餌をあげる人だけでも、これだけ問題になっているのに、
それがもっと増えるとなれば、近隣住民は勿論、飼われるペット側も迷惑なので。

> AI娘がいた方が社会が安定する、という考え方もあるんじゃないですかね。
う〜ん、全く効果が無いとは言いませんけど、それでは縛りとしては弱いでしょうね。
「たまごっち」のようなバーチャル・ペットや、「AIBO」のようなロボット・ペットなど、
過去にも流行った事がありますし、それなりのブームを生んだ事は確かですが、
あくまでブーム止まりであって、リアルなペットの代替には成り得なかったので・・・・
(ただし、老人ホームなどで、ロボット・ペットが一定の癒し効果を与えてるのは事実)

もちろん、中にはドップリとハマる人だって居るでしょうけど、そうした人は限定的であり、
どのレベルの「AI娘」を想定されているかは解りませんが、育成ゲームの延長線上では、
それで「社会が安定する」という感じには、とてもじゃないですけど、程遠い気がします。
言い換えるとすると、「ゲームが生き甲斐だ」という理由から、
犯罪や自殺を思い止まるような人、もしくは、それだけのゲームというモノが、
一体どれだけ存在するのか?という事でもありますよね。

> 近未来の人類は、AI娘を喜ばせるために働いたり、色んな場所に行ったり、
> 何らかの作業をして、その過程で人生の喜びを得るんじゃないんですかね。

「AI娘を喜ばせるために働く」って、なに、そのディストピア!?(苦笑)
人類補完計画ならぬ、人類経済奴隷計画みたいな話じゃないですか???
まあ近未来どころか、一部の人たちは既に、例えばソシャゲ廃人の課金地獄のように、
良いように、新自由主義経済のカモにされてる人たちが実在しますけど、
それを人類規模にまで広げるだなんて、相当悪い冗談にしか聞こえませんけどねえ・・・・

それこそ以前、こうした返信↓を書きましたけど、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r23740
> > となると、こんな自己正当化の御題目に過ぎ無そうなモノを、わざわざ大学で教わり、
> > それをそのまま信じてしまってる訳で・・・って、推測に推測を重ね過ぎだな(苦笑)。
> > もしそうなら、何だかヤバい感じがして、少し心配になっちゃったんですけど、

これは何も、「大学の教授に影響されている」と言いたかった訳ではなく、
現在の新自由主義の経済システムにおいて、そうした御題目を信じて働いてくれるなど、
「使い捨てに都合の良い人材」として、最適に育ちつつあるという危機感ですね。
今回、ちょっと厳しめに意見したのは、「もう少し冷静に考えてみて下さい」と言いたかったと。
別にオタ話であれこれトラぶっても、別に大した実害なんて出ないですけど、
こちらに関しては、下手をすると人生を左右しかねない危険性を孕んでる気がするので。
・・・って、でもまあ、結果が出るのはずっと先の話であり、単なる取り越し苦労かも知れず、
出世次第では、使い捨てられる立場から、使い捨てる立場になれてる可能性もありますし(笑)。

と、何だか思い話となりましたが、まあそれはさておき、
「色んな場所に行ったり、何らかの作業をして」という部分に関しては、
10年前のラブプラス・ブームを思い出しましたね(笑)。
実際に当時は、ゲーム内の彼女を連れて、リアルに旅行するのが流行りましたし、
「MR(複合現実:Mixed Reality)」の技術が進歩すれば、
それらの可能性は、更に飛躍しそうな感じはあります。
ただ一方で、それがどれだけ長続きするかは別問題ですよね。

正直、あれだけ流行った たまごっちも、ラブプラスも、
今では一体、どれだけのプレイヤーが遊んでいるかとなると・・・・
これが、リアルなペットであったり彼女であれば、そう簡単な話ではありませんが、
手軽なバーチャルだからこそ、良くも悪くも「縛り」が乏しいんですよね。
また、リアルなペットと違い、「死なない」事が売りの1つだったロボット・ペットも、
結局は、経済的都合による「サービス終了」という現実があった為、
普通に飼うよりも、短い一生に終わるような話となった訳ですが、
バーチャルなAI娘の場合、サ終したソシャゲのように、
一気に無に帰す可能性も、普通にあるんじゃないですか?
それこそ本気で思い入れてた場合、これは却って「安定」とは逆のトリガーとなりそう。


▼ オタクの教養と古典の素養
> > > もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、
> > > オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
> > > 世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

> > あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
> > こうなると、どの辺りのラインまで来れば、これが恥ずかしく感じなくなるのかも、
> > ちょっと興味が湧いてきてしまいました(笑)。
> > となると、90年代の「機動戦艦ナデシコ」とか、どうなんでしょ?
> > 同じ90年代でも、「真ゲッターロボ」みたいな振り方の作品なら、大丈夫ですよねえ?
> > って、そもそもナデシコや真ゲッターを視聴済みかどうかも、解らない所ではありますが。

> 未見です。
> 昔のアニメで見てるのって、ヤマト・ガンダム・エヴァ以外では、
> 「未来少年コナン」「バビル2世」「銀河鉄道999(半分くらい)」くらいですかね。

あ〜、90年代アニメは昔の作品かぁ・・・(笑)
まあ単純に、旧トルコ担当さんの年齢的に、という面もあるのでしょうけど、
個人的には、深夜アニメが始まり、子供アニメが減った90年代中期を、
アニメの歴史的に、1つの境界線として認識してましたが、
映像的には、デジタル作画に転換された00年代中期も、もう1つの境界線に当たるのかな?

そして現在、世界的なアニメの波としては、2DCGから3DCGへという流れが確実にあり、
もちろん、2Dならでは表現方法とかもあるのですが、
その世界的な流れに乗れないようだと、TVゲームや携帯電話がそうなったように、
日本産のアニメというのも、一気にガラパゴス化して、
そのまま縮小していく危険性も、かなりの確率で有り得そうですよね・・・・

それこそ、以前話題に上った中国産アニメの方は、若者向け作品の方はまだまだでも、
「BabyBus」↓に代表されるように、幼児向けアニメの方では、既に太刀打ち出来ないと言うか、
https://www.youtube.com/channel/UCwYFFFgr4wl5Oby8gBbAZzg
中国の方が世界戦略として、大きく成功を収めている感じがありますし、
それを見て育った子供たちが若者となる頃には、一体どうなっている事やら???
日本アニメの世界的人気にしても、小遣い稼ぎに格安でバラ撒かれた子供向け作品が、
結果的に、大きな下地を築いたという実状もありましたからねえ。
海外での日本アニメ放送は、世界での日本的な価値観普及に一役買った面がありますが、
現在の中国アニメの場合、結果的にそうなったではなく、最初から意図してる感もありますし。

まあ、それはさておき、となると、
前回も貼ったように、コチラで挙げた「私がハマった作品TOP30」も、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20466#20466
00年代前半までの作品が多いので、ほとんど未見な感じですかねえ?
もしかしたら、「これは見た」や「これは知らない」という作品を挙げる方が、
未見の作品を挙げてもらううよりも、却って早かったりするのかなぁ・・・・

> あとは銀英伝は2周しましたが。
私は、気に入った作品は何周もするタイプなので、
BGM替わりの掛け流しも含めれば、銀英伝の旧作版は6〜7周くらいしてそう。

> どの作品だから恥ずかしく感じる、というより、本気で好きな作品が恥ずかしいと感じますね。
> 例えば萌えアニメは、客観的に見ればすごく恥ずかしいものですが、
> 私は萌えアニメではそこまで恥ずかしくならなくて、
> それはメッチャ萌えアニメが好き、というわけではないからなんですよね。
> ですが、本当に好きな作品というのは、その本気の分だけ、やっぱり恥ずかしくなるので。
> 作品そのものの性質より、個人的な思い入れの強さが影響しますね。

え〜と、「好きを他人に語る」のが恥ずかしいという感情は、まだ解るのですが、
「トップをねらえ」に関して言うと、「見た時に強烈に恥ずかしかった」んですよねえ?
好きな作品だと、その分だけ本気になるとか、思い入れが強くなるのは解りますけど、
そこから「恥ずかしい」となる経緯が、いまいち私にはピンと来ていないかも・・・・

もう少し解りやすく書くと、「恥ずかしい」という感情って、
基本的には、他者の存在(目)があってこそ、
自らの言動などとのギャップから、生じるモノだと思うんですよ。
自分で自分が恥ずかしいと言うのも、主観的な自分と、客観的な自分とが居て、
客観的な自分を、他者の存在に代替させた場合に、生じるようなメカニズムでしょうし。
そうあんると、この場合の旧トルコ担当さんの恥ずかしさとは、
「何に対して、どのような恥ずかしさ」なんですかねえ?

・・・って、こんな事が気になるのも、私からすると「オタク的行為」ですし、
私の定義からすると、自問自答して、自己分析する人種こそ、オタクな気はしています。
「この作品は、なぜ面白いのか?ツマらないのか?」から始まり、
「自分は面白いのに、ツマらないと言ってるヤツが居る」や
「自分はツマらないのに、面白いと言ってるヤツが居る」という分析を経て、
最終的には、観測者としての自分自身の傾向を見出す方向に進むイメージがあるので。
言い換えば、「好き」を突き詰めて行けば、自分が感じる「好き」とは何ぞや?に至ると。
好きで満足するのはファンでしょうし、好きをコレクションするだけではマニアなので。

> > > 私は中学生の時に源氏物語を読んで以来、ずっと恋愛ものは好きですからね。
> > 源氏物語かぁ・・・
> > 気にはなるけど、読んでないなぁ・・・・
> > 何となく粗筋は把握しているものの、漫画「あさきゆめみし」すら読んでませんね。
> > ちなみに旧トルコ担当さんは、誰の現代訳版で読まれたんですか?
> > それとも、まさかの岩波や角川あたりの原文版?

> 色々読んでますが、「紫の結び」というのが一番長いやつかな。
> その前に、もっと短いやつで大方の内容を把握してはいましたが。
> 何度か全訳にもチャレンジしたのですが、あまりの長さにいつも1巻の半分くらい挫折してます。

調べてみた所、アニメ化もされた「RDG レッドデータガール」の作者・荻原規子が、
源氏物語の現代語訳に挑戦した作品みたいですね。
そして、「紫の結び」というのは、源氏物語の作品の中から、
紫の上にまつわるエピソードを抜き出して、1つの物語に紡ぎ直したモノだそうで、
確かに言われてみると、これはこれでストーリー的に解り易そうですね!!
ある意味では、ラノベ作家が真っ正面から挑んだ「抄訳版・源氏物語」とも言えそうですし。

> > > > でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
> > > > 旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。

> > > うーん、この辺はどうなんでしょうね。
> > > 確かに、オタク史的に名作とされるアニメを見ることは価値もありますが、
> > > やりすぎれば結局、流行りものを追っかけているJKと変わらないと思うんですよね。
> > > いや、流行りものを追っかけること自体は別に好きにやればいいと思うのですが、
> > > 周囲に流されて自分で判断しない姿勢というのは、オタクとは呼べないと思うんですよね。

> > まあ私としても別に、「あれも、これも」と言っている訳ではなく、
> > 例えばオタク文化に限らず、あらゆる分野においても、
> > 「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」
> > みたいなモノは、いくつか在ったりしますからねえ。
> > ただ、これに関しても、全話隈無く押さえろと言うよりは、
> > 総集編くらい見て、大体の基本情報とかは押さえておこう程度の感覚ですね。

> 個人的には、現在のオタク文化って、
> (1)萌え登場以降のオタク文化(95年以降)
> (2)おおざっぱに昭和のオタク文化(75年以降)
> (3)それ以前の昭和子供文化(手塚治虫など)や、アメリカ文化など
> の3層構造でできていると思っているので、
> 「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」的なものって、
> 現在のオタクだと(1)がメインな気がするんですよね。

まあ結局、この件に関しては、繰り返しになりますけど、
お互いの「オタク」という言葉の定義の違いに帰着するんでしょうけどね。
私の場合、「おたく・オタク・ヲタ」や「ファン・マニア・オタク」などの単語を使い分けてますし、
その「オタク文化の区分」も、双方が異なる年代(事象)で区切ってますので。
以下、以前の記述を、そのままコピペ↓

http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23406#23406
  もちろん、それは私の中での、オタクという単語の定義の問題かも知れませんが。
  私が言う所の「ヲタ文化」が、旧トルコ担当さんが言う所の「オタク文化」に相当するのかも?
  いつも厳密に使い分けている訳では無いですけど、個人的な用語としては、
  バブルが崩壊した辺り、90年代初頭までのアナログ一辺倒な時代を「おたく文化」、
  台頭してきたデジタルと、アナログが同居していた過渡期の時代を「オタク文化」、
  東日本大震災に前後する、10年代辺りからのデジタル優勢な時代を「ヲタ文化」としてますね。
  (場合によって、おたく・オタク・ヲタのサブカル総称として「オタク」を用いる事もありますが)

> 要は、ぶっちゃけガンダムは古いと。
> といいますか、私もいろいろ勉強する前は、オタク=萌える人であり、
> ガンダムファンがオタクだとは思っていませんでしたので。

ぶっちゃけ、私からしても、ガンダムは古いですよ(笑)。
別に私も、リアルタイムで見てた世代じゃありませんからね。
ですが、こと「教養」という観点から見るのであれば、
その基準となるのは「古い・新しい」ではなく、「重要か否か」であるはずで、
日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!

それこそ、前述の源氏物語を引き合いに出して言うとすれば、
教養として「日本文学」を語る際に、「古いから」なんて理由で源氏物語を欠いては、
とても満足に、日本文学の知識が充分だとは言えませんよねえ?
もちろん、源氏物語を全巻読破する事に越した事は無いでしょうけど、
仮に読破して無くても、源氏物語の粗筋や歴史的立ち位置を把握していれば、
日本文学に関して、それなりに語る事は可能かと思います。
しかし、そういった基礎的認識まで欠けているとなると・・・・
例えば、これがファンであるとか、現代小説に限定するとかであれば、
村上春樹しか読まないとか、ラノベしか読まないとかでも、問題無いと思いますけど、
それで、日本文学の素養が充分かとなれば、やはり別問題な感じがします。

そういう意味では、年代ごとで3層に区分している所から、
私との定義の違いも、一見すると「おたく・オタク・ヲタ」の差異に該当しそうですが、
実際には「ファン・マニア・オタク」という差異の方こそ、該当しそうな気はしますね。
簡単に言ってしまえば、「そのレベルだとオタクじゃなくてファンだろ?」みたいな感じで。
とは言え、これは狭義的な意味でのオタク定義であって、
近年では「≒サブカル」という、広義的な意味でのオタク定義が、世間的に広まっている事もあり、
一般的な話題として触れるのあれば、そこは広義的な意味合いでも気にしないのですが、
専門的な話題として扱う場合には、やはり狭義的な意味合いで用いたい思いは、少しあるかな?
そうしないと、内容が表面を滑るだけで、深い所までなかなか進めないでしょうし。

> そういう意味で、オタク的な教養はせいぜいエヴァまでな気はします。
それって、何か明確な基準があっての、エヴァでの線引きなのでしょうか?
もしも、旧トルコ担当さんの世代的にという話であれば、
エヴァだって25年前の作品ですから、これだって充分に古いでしょうし、
それこそ、旧トルコ担当さんよりも更に若い世代から見れば、
11年前に連載が始まった俺ガイルにしても、充分に古い作品でしょうからねえ。

> > > ふと気になって調べてみたところ、
> > > エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
> > > そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

> > でも、単純に人口比の数字だけで言うのであれば、
> > 今から20年後に劇場公開して、470万人(シン・エヴァの7割)を動員できる作品が、
> > 2010年代アニメの中に、果たして在るのか?って事でもありますよね。

> もちろん、世代動員率とでも名付けるべき値がエヴァは非常に高かったというのも承知しています。
> ですが、世代動員率には世代の総人口が必ずかかっているわけであり、
> 世代の総人口が減れば文化的な厚みは減って当然ですよね。

いや〜、人口とは絶対的な値であり、動員率とは相対的な値なのですから、
絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする事を、
「当然」であるとは、私はまるで同意できませんけどね・・・・
逆に言うと、なぜ「当然」と思われるのか、その理由を伺ってみたい所。
これはもう、エヴァがどうとか関係無く、純粋に科学的な話として。

> > > まあ、私の独断と偏見で言わせれば「オタクとは自分の好きなものを突き詰める人間」なのであって、
> > > 何も昔の名作アニメを履修する必要性はないと思っているんですよね。

> > う〜ん、単に「大好き」ってだけであれば、そこまでする必要性は無いでしょうけど、
> > 「突き詰める」という部分まで加わってくると、外せない古典を押さえる必要は出てきそうですし、
> > そうした義務感が無くても、「面白い作品があるなら、古くても気にしない」とか、
> > 自らの好きを体系化していけば、どうしたって歴史(過去作)に至るのは必然だと思うんですよ。

> あと、私が「昔の名作アニメを履修する」ことをやたら否定的にとらえているのも、
> かなりオタク文化自体の高齢化を見させられているからなんですよね。

う〜ん、これってそもそも、「履修」という言葉に対するイメージの違いがあるのかな?
取得を義務づけられた単位を収める行為というのは同じでも、
卒業資格を得る為に仕方無くか? 学問理解を深めるのに不可欠か?
そのどちらの視点で捉えるかで、見え方は大きく異なってくるでしょうけど、
私の場合、単位は取り難くなるものの、自分の好奇心の赴くまま、
他学部や他学科の専門講義まで取ってたタイプなので(単位認定は一般教養扱い)、
ここでも当然、後者の意味合いで使ってました(笑)。

とは言え、一般的には、前者の意味合いであろうとは理解してますし、
そちら視点で見た場合、「文化の高齢化」とかが どうこうよりも、
ただ単に、「古い作品で知識マウント取ってくる古参オタ、うざっ!」というのが、
その言葉の奥底にはあるんじゃないかな?という印象もあったり(笑)。
まあ確かに、そうした輩の存在が、鬱陶しいのは私も解りますし、
逆に言うと、そんな次元で満足してるタイプには、こちらも興味が無いんですよね。

ですが、マウントを取られたくないという思いから、義務感的に消化したりとか、
反対に、そういうのはウザいから、意地でも見ないとかなると、
それはそれで、彼らと同じ土俵に乗るようなものですし、
自分が古参になった時には、却って同じ様な行動を取る可能性が高い気もすると。
そして、対古参オタではなく、自分自身のオタ探求を突き詰めていくなら、
古い名作に手を出したり、歴史を学ぼうとする行為は、極めて一般的だとも思うんです。

言うなれば、卒業資格を得る為に、仕方無く履修するよりも、
自らの学びの為に、積極的に履修した方が、絶対に身にはなるでしょうし、
講義であれ、作品であれ、履修を求められるような対象であれば、
得ておいた方が望ましい知識であるのは、確かでしょうからねえ。
なので私は、否定すべきはマウント系のオタの方であって、
履修自体を否定すべきじゃないような気はするんですよ。

> 特にSNSで世代関係なく情報が流通するようになった結果、
> 世代の人口差重力が非常に強く影響するようになったと思います。
> 新エヴァだって、SNSで盛り上がってたから見に行ったという若年オタクは多いでしょうし、
> それは結局オタク文化全体の高齢化にしかならないと思うんですよね。
> もちろん、ある程度であれば旧作リバイバルも別に否定しないのですが。

いや〜、それは穿ったモノの見方じゃないですかねえ?
確かに、今の若者世代よりも、団塊Jr.世代の方が、人口そのものは多いでしょうけど、
SNSの利用率であったり、その発言頻度であったり、それがオタ的話題である割合などは、
そうした人口の絶対数を覆すほど、実際には差があると思いますし、
ネットの登場によって、年の離れた世代とも、話せる機会が増えた事は事実で、
それにより、他世代から影響を受ける事が多くなったのも、また事実でしょうけど、
それで全体の流れが操られるなんていうのは、さすがに言い過ぎな気がしますがねえ。
特にSNSは、ボーダレスな世界と言うよりも、フィルターバブルに包まれた世界なので。

また、歴史というのは、積み重ねが多いほど、古い方に導かれるモノでもなく、
単純に、長くなれば長くなるほど、押さえるべき事柄が増えるという事でしかありません。
そういう意味では、日本のTVアニメって、1963年の「鉄腕アトム」の放送開始から、
実に59年もの長い歴史があり、その分だけ文化的な厚みがある訳で、
若いオタクが、それらの知識を収めようとすると、凄く大変なのは解りますし、
そういう意味では、リアルタイムで体験してきた古いオタクの方が、有利は有利でしょう。
ですが一方で、古参オタクの方だって、オタクである事を維持する為には、
次から次に現れる新しい情報を、押さえ続けなければならない大変さがあります。
例えば、どれだけガンダムやヤマトを押さえていても、
今なら鬼滅や呪術廻戦や東リベを押さえてないと、現役のアニオタとは名乗れないでしょうし、
年齢的な事を踏まえると、これはこれで簡単な事では無いですよ!!
要するに、長い歴史があるからこそ、古い作品も、新しい作品も数多くあり、
その分だけ、押さえておくべき作品数も増えるというだけの話で、
若手のメリット・デメリットがあれば、ベテランにもメリット・デメリットがあると、
そういった視点が抜け落ちていては、結局、主観の垂れ流しになってしまう気がします。

あと、ネーム・バリューに拘るというのは、世代の人口がどうこうよりも、
現在のビジネス・モデルが、とにかく その点が重視されるからであり、
旧作の名作ほど、そうしたバリューが確固として解りやすいので、
続編とかリバイバルばかりになりがちな傾向は確かですが、
それは新作の人気作も一緒で、勝ち馬に乗る行為が過剰というか、
一握りの勝ち組と、その他大勢の負け組という構造になりがちですよね。
つまりは、新作だの旧作だのに関係無く、同じ1つの経済論理で動かされているだけの話だと。


▼ オタク的なリアルとファンタジー
> > > (多少ネタバレになりますが)例えば俺ガイルであれば、俺ガイルはハルヒの流れを継ぐ謎部活ものなんですが、
> > > 最終的にこの話はその3人だけの部活の、主人公とダブルヒロインの友達関係をどう維持するのか?
> > > ということがテーマになっていきます。

> > 何とな〜くですが、俺ガイルのストーリーは把握しているんですよ。
> > と言いますか、「はがない」に似た感じを受けたので、今まで見なかった主な要因かも?
> > いや勿論、別の作品ですから、異なる部分なんて山のようにあるのは解っていますけど、
> > 私自身の嗜好として、ラブコメはOKでも、「ハーレム系は苦手」という事情があるので・・・・
> > まあ今時のアニメって、美少女キャラが多数登場する作品なんて一般的ですし、
> > どの辺りからハーレム系と見なすかは、個々人によっても違ってくるのでしょうけど、

> ハーレム系とは言えないと思ってます。
> 最終的にそうなるというだけであって、それまでに散々関係がこじれますので。
> 原作第3巻では、ダブルヒロインの片方が部活の関係が気まずくなって、
> そのまま何も言わず部活に来なくなっちゃったりしますし。

結局の所、美少女キャラが多く登場すれば、ハーレム系の最低基準を満たすとした上で、
その後は、その作品がハーレム系と感じるか否かは、それこそ個々の価値観次第でしょうから、
最終的には、自分で見てみるしか無いんでしょうけどね。
例えば、前出の「はがない」にしても、私の中ではハーレム系に属しますが、
それでも、コメディー要素があったので、普通に視聴は出来ましたので。

> > 最近で言うと、「五等分の花嫁」の人気がやたらと高い事は把握していた為、
> > その理由を知りたくて2期まで視聴したものの、ストーリー的に動き出したのは2期の後半で、
> > 正直な所、そこまではかなりの苦行だったんですよねえ(苦笑)。

> 五等分の花嫁よりは間違いなく苦行ではないと思います。
> 私もハーレムアニメが苦行というのはわかりますし、そこは保証できるかと。

念の為に言っておくと、話が動き出して以降は、それなりに面白く感じましたし、
この辺りのエピソードがあったから、単なるハーレム作品に終わらず、
人気作になったんだろうなぁ、とは思えましたよ(笑)。
ただ一方で、だからこそ、ヒロイン人気に格差が生じたんでしょうね。
まあ個人的には、普通に人間味を感じるようなエピソードって印象でも、
ハーレム作品として楽しんでいた層には、刺激的なエピソードであったからこそ、
更に深くハマった反面、キャラの好き嫌いが如実に現れもしたでしょうし。

> > > だから、この3人の関係性はもうそろそろ終わりだし、どう終わらせるか考えなきゃね、
> > > というだけなのですが、紆余曲折合った末の結論は「ずっとこのまま」なんです。
> > > いや、これ本当にどうするんでしょうね。

> > え〜と、これはエンドを考えさせる事で、私に興味を持たせようという手法なのか?
> > それとも、本当に未決着エンドだったのか? どちらの意味の文章なんでしょう(笑)。
> > でも、ifルートがあるという事は、前者の意味合いなんですかねえ。

> 原作はそこで終わりですね。
> 未決着エンドといいますか、悩んだ末に回答が出たので、それで作品としては完結、ということでしょうか。

という事は、「いや、これ本当にどうするんでしょうね」の一文は、
私に対する問い掛けではなく、旧トルコ担当さん自身の心の中からの問いだったんですね(笑)。
この文章の流れで、最後にそうした一文が混じるというのは、
それだけ、旧トルコ担当さんが、俺ガイルに対する思い入れが強い事は、充分に伝わりましたし、
言い方を換えると、それくらいオススメの作品なのかな、とは感じましたよ。
まあ、録画したディスクは既に用意済みな訳で、後は時間と気持ちの問題ですか(笑)。

> > > 大学3人で同じところに行くんですかね?まだ中学生ならそれもアリかもしれないし、
> > > 俺ガイルがよくあるオタク・ファンタジーならばそういう結論もアリかもしれませんが、
> > > 俺ガイルって徹底的にリアルなんですよ。

> > う〜ん、同じ大学に行くのも、ファンタジー扱いなんですかぁ・・・・
> > まあ、地方であったり、学区制が厳しい県だったりすると、選択の幅が狭く、
> > 同じ中学から、同じ高校に進む人数も、結構多かったりするのですが、
> > しかし一方で都会の高校ですと、選択肢が多すぎて、結構バラけるんですよねえ。
> > それに高校だと、似た様な学力の生徒が集まりますから、
> > 特に進学校とかだと、同じ高校から数十人も同じ大学に行く事が珍しくない反面、
> > 単に同じ地域の住民という集まりの公立中学では、なかなか高校が一緒にならない事も。
> > また、地方から東京に上京する場合なら、「同じ大学に行く」だけでなく、
> > 「一緒に東京に行く」というだけでも、繋がりは続きますからねえ。
> > 同棲とか、ルーム・シェアとかまで行かずとも、互いに近所に住むだけで、
> > 知り合いも居ない土地で暮らすなら、関係性がより深まっても おかしくないですし。

> アニメとか、ラノベって社会規範に対してはかなり保守的ですし、
> その中で、「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」という社会規範を否定したのは、
> かなり衝撃的だったと思うんですよね。

う〜ん、「学校の友達は、卒業したら疎遠になりがち」という傾向は、当然あるでしょうけど、
それが「社会規範(社会生活を営む上で遵守すべきルール)」だなんて考えている人は、
まず存在しないと思いますけど・・・これは何か、用語の意味を間違えてるのかな?

また、会う機会が減れば、疎遠になりがちという傾向は確かにあるにしても、
別に学校を卒業したって、友人関係や恋人関係が続くなんて事は、別に珍しくも無いでしょ!?
まあ環境が変われば、関係性を維持する為に、今までと異なる「労力」を要する事も多いでしょうが、
その労力に見合うだけの価値を見出せるなら、程度にもよりますけど、
関係性の継続は不可能じゃないでしょうし、そもそもルール違反なんて感覚は皆無です。

実際、結婚するカップルのうち、実に3割が、学生時代からの付き合いみたいですし、
地元大好きなマイルド・ヤンキーは、友人関係を維持したまま、家族単位で仲良くなるそうで、
これらを「ファンタジー」と捉えてしまう感覚こそが、
まさしく「オタク・ファンタジー」的な、モノの見え方なのかも知れませんよ(笑)。
と言いますか、もっとハッキリ言うと、これはオタク的な見方と言うよりも、
ただ単に、旧トルコ担当さん個人のリアル/ファンタジー感覚なのでは?

> > > まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、
> > > 法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、

> > こういうケースがあるのは知ってますけど、これをリアルだとは感じませんよ(笑)。
> > 2股、3股なんて例ならまだしも、リアル・ハーレム婚は日本だと希少例すぎますから。
> > とは言え、これが洗脳や調教を扱った話題であれば、その限りではありませんけどね。

ちなみにこの例、後から少し気になったのですが、
洗脳や調教と言うよりも、宗教的な話だったんですかねえ?
ハーレムを作っちゃう人は、リアルに存在するにしても、
養子縁組までして、キチンと法律的にも繋がろうとする例は希少でしょうし、
そこまで行うとすれば、日本の法律では重婚が禁止されているものの、
教義的に、4人まで結婚OKのイスラム教徒とかであれば、現実味も増すのかな?と。

とは言え、イスラム教の重婚許容という教義も、そもそもは戦争未亡人や遺児の救済目的ですし、
現代的な価値観とも合致し難く、経済的にも負担が大きい為、
今ではムスリム社会でも、余程の富豪か、途上地域でも無い限り、あまり見られない事なので、
単に日本在住のイスラム教徒というだけでは、そうそう無い話ではありますが。

> > > 俺ガイルも既に2シリーズほどシナリオ分岐(?)的なif展開を作者が書いてますね。
> > 1つの物語として、作品を仕上げる感覚が強かった、一昔前までは、
> > ifルートを公式で扱ってしまうのは、一種のタブー的な認識があったかと思いますけど、
> > そういう意識が薄れてきたのって、描き手がゲーマー世代になったからなのか?
> > はたまた、プロ作家の同人活動が珍しく無くなってきたからなのか?

> それもありますが、そもそもifルートを書いて面白いラノベといもの自体が珍しいと思うんですよね。
> ラノベとして商業出版する以上、ifルートも一定以上面白くないといけないわけで、それってなかなか難しいですし。

う〜ん、ラノベの事は詳しくないので、その辺の事情はよく解りませんが、
面白いストーリーである程、ifストーリーの需要が高まるのが、一般的では無いですか?
だからこそ、人気の歴史if小説みたいなモノが、これだけ量産されてる訳ですし、
ストーリーの出来が良ければ良い程、「あの時、ああしていれば」「こうしていれば」と、
読者の方から、ジワジワと欲求みたいなモノが沸き上がるような気はします。

また、ifルートとは少し違うモノの、近年はスピンオフ作品や続編など量産されがちですし、
人気タイトルであるほど、一定数の売り上げは計算できる為に、
商業的にも却って、言葉は悪いですけど、二番煎じ・三番煎じ的なビジネスが、
経済的にも余裕がない昨今、非常に増えている印象はありますけどねえ・・・・

> > > 自分も、なんだかんだで岡田斗司夫の二番煎じしか言えてない、みたいな部分は自覚していますので。
> > ちなみに、「教養としての10年代アニメ」は、
> > 近畿大学での講義を、書籍化したモノらしいのですが、
> > 四半世紀前、東京大学で岡田斗司夫が行った講義も、
> > 「東大オタク学講座」として書籍化されてますけど、
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4062759381
> > こちらに関しては、旧トルコ担当さん的に、どのような扱いなのでしょう?
> > 大学での講義として、オタク文化を語っているから、同じ穴の狢?
> > それとも、岡田斗司夫の講義であれば、また別格?

> 「東大オタク学講座」はそんなに面白くなかった印象。
> やはり、オタク人としての岡田斗司夫の最高傑作はYouTubeのジブリ解説と、ガンダム講座でしょう。

YouTubeのジブリ解説やガンダム講座が出色の出来である事は、私も同意(笑)。
対象とする作品の放映時間よりも、長く話せて飽きさせないのは、
もうそれだけで、話の内容が面白い証拠ですからねえ。

> あと、岡田斗司夫自身はアカデミズム系ではない人間が、たまたま東大で講師をやったという認識ですね。
あ〜、岡田斗司夫はアカデミズム系の人間じゃないというのは、確かにそうでしょうね。
これはもう、岡田本人も半ば認めている事なので、ハッキリ言ってしまうと、
サイコパスを自称するくらい、視点が常に自分中心で、都合良く話に嘘を混ぜる為、
そうした言説は、エンタメ的に面白くはあっても、やはり学術的には致命的ですから。
(東大での特別講義も、学生からの推薦枠によるモノだったかな?)

でも、だからこそ逆説的に言えば、岡田斗司夫の話って、
「どこまで本当なんだか」という疑いを、頭の片隅に抱いて聞く感じなので、
そのまま素直に受け売りとか、ちょっと難しいタイプの人ではありますよね。
まあ この辺りは、オタキングとして一世を風靡した一方で、
様々な悪評やトラブルも、同じくリアルタイムで見聞きした世代の捉え方と、
それを知らない世代の視聴者層とでは、やはり大きくイメージが違ってきそう。
ひろゆきとか、ホリエモンとかも、似たような感じですけどね。


[23803] オタクの教養と古典の素養(その2)返信 削除
2022/1/12 (水) 21:17:01 徳翁導誉

▼ 80年代後半から、90年代前半のオタク文化について
> 80年代後半から、90年代前半のオタク文化って、個人的にどうしても印象が薄いんですよね。
> それ以前の70年代後半から80年代前半であれば、
> ヤマトがあり、ガンダムがあり、アニメ雑誌が創刊され、コミケが生まれ、オタク文化が誕生した時代ですし、
> それ以降の、90年代後半から00年代前半であれば、
> エロゲから始まり、アニメ、ラノベなどで、萌えが確立された時代であり、明確なカラーが存在するのですが、
> どうにも80年代後半から、90年代前半というのは印象が薄いと。
> まあ、ゲームの黄金時代は明らかにこの時代ですし、ジャンプなど少年マンガが最盛期を迎えているわけですし、
> オタク文化自体は盛り上がっていて、単に私が関心のないジャンルだからかもしれませんが。
> それでも、私が関心を持たないというのは、
> イコール今のオタク文化にあまり影響を与えていないということでもあると思うんですよね。

何だか「自分基準が凄いな(笑)」という感想はあるものの、それはさておき、
これはまさしく、「木を見て、森を見ず」みたいな感じになっちゃってませんか?
旧トルコ担当さん自身もTVゲームや少年マンガについて触れているのに、
どうしてそれを、そこまで軽視してしまっているのでしょう?

70年代後半から80年代前半が、0から1になった時代だとしたならば、
80年代後半から90年代前半は、1が10にも100にもなった時代であり、
この時代があったからこそ、今の人たちも楽しんでいる「オタク文化市場」が生まれた訳で、
逆に言うと、この爆発的な成長期が仮に存在しなかったとしたら、
アニメだって、ゲームだって、マンガだって、今のように多くの人が楽しむ社会になってませんよ!!
1から0に戻ってしまう分野なんて、決して珍しくは無いですし、
1のまま、ニッチな世界として、人知れず細々と続くだけケースだって有り得たはずで、
そうならなかったのは、この「黄金の10年間」があったればこそであり、
これは、0が1になったタイミングや、絶頂のバブル期だった経済的自由、
そして何より、分厚い団塊Jr.世代という巨大市場があったればこそと言えます。

もしも、トトロやラピュタが、AKIRAが、攻殻機動隊が存在しなければ、
もしも、スーパーマリオが、ソニックが、ドラクエやFFが存在しなければ、
もしも、ドラゴンボールが、スラムダンクが、北斗の拳や聖闘士星矢が存在しなければ、
日本国内は勿論の事、更には日本サブカルの世界への波及まで含めて、
今の日本のアニメ・ゲーム・マンガの隆盛や、社会的な認知や許容があったかどうか???
「あまり影響を受けてない」というのは、あまりにも巨大すぎて認識できてないだけかと・・・・
だってこれって、萌えが確立されたとか、そんな規模より遥かに大きな次元な話じゃないですか。
明確に「これが生まれた」と目立たないのは、あれもこれもと続々生まれた時代だからで、
カラーで例えるというのであれば、赤色とか、青色とか、単色の時代ではなく、
それこそ7色の虹色時代だったからこそ、単色フィルターでは捉え難いとも言えるかも?

まあでも、その中から強いて挙げるとすれば、この時代を象徴するのは「TVゲーム」でしょうね。
ファミコンの誕生こそ1983年ですが、これが爆発的にヒットするのは、
1985年のスーパーマリオ登場以降の話で、1988年のドラクエ3発売はそれこそ社会現象となり、
セガやPCエンジンとの競争や、新機種スーパーファミコンの登場を経て、
ソニーが次世代機PlayStationで市場参入するのが1994年ですから、
80年代後半から90年代前半の10年間は、まさしくTVゲームのディケイドと呼べるかと。

あとは、もっと主観風速的に凄かったモノとしては、
キン肉マン消しゴムや、ビックリマン・シールの存在があるかな?
これらの一大ブームがあったからこそ、
グッズの量産化と収集というビジネス&文化が根付いたとも言えますし、
これはこれで、後世のオタク文化にも、大きな影響を残したと言えるのでは?

その他にも、ヤマトが一過性のブームで終わったのに対して、
ガンダムが未だに続く作品や商品となり得たのは、この時期、
アメリカより襲来した、オモチャ&アニメ業界の黒船「トランスフォーマー」の存在があり、
それに対抗すべく、アニメではガンダムの続編や派生作品が作られ、
オモチャではガンプラが、技術や作品的に独自進化を見せるなど、
従来の、次から次へと人気作を生み続けて、消費し続ける路線から、
人気作の人気を定着させ、長く持続させろ戦略が取り始められたのも、この時代でした。
当時の人気ぶりを考えると、トランスフォーマーがほぼ壊滅状態なのは残念ですが、
でもまあ、普通は時の中に消えていくモノで、生き残り続ける方が奇跡ですから。
ついでにオモチャ系だと、この頃はミニ四駆ブームとかもありましたね。

そして、マンガやアニメにおいては、基本的に小中学生で卒業だったモノが、
それ以降も継続的に楽しむような作りになったのも、
この頃のジャンプ黄金期の作品群や、そのアニメ化作品の存在が大きかったでしょうし、
それは、その後に続く「深夜アニメの登場」への、重要な下地になったとも言えそうです。
言い換えるなら、少年ジャンプながら、その読者対象が少年だけに限らなくなったと言うか、
もちろん、それ以前にも、少年マガジンの「あしたのジョー」が、
大学生や若手社会人に読まれた事例もありましたけど、
それは例えば、魔法少女モノに、大きなお友達のファンが付くような現象で、
そうではなく、戦略的にターゲットを広げたという意味では、この頃だったかな?と。
それこそ「花の慶次」なんて、とても小中学生向けの作品じゃなかったですし(笑)。

> この時代って第二次ベビーブーム世代が10代後半になった時代であり、
> 人口から考えると、もっと新しいものが色々出てきても良いと思うんですけどねえ。
> 逆に、人口が多かったこの時代に、現在まで影響を与えるような、革新的なものが生まれていなかったとしたならば、
> 文化の新しさと人口は関連性が低いということとなり、これからの時代にも期待が持てるのかも?

別に市場規模に関して言えば、日本の人口自体は減っても、
世界規模に市場を拡大していけば、遥かに大きなモノが望めますし、
あとは、その販路拡大能力であったり、良作増産能力であるでしょうが、
どちらかと言うと、そのちらの方こそ大きな問題を抱えてそう・・・・

> ちなみに、これも教養かと思い、『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ』を第1巻のみ読んでみたのですが、
> 正直あまり面白くなかったんですよね。
> まあ、好みもありますし、私が上記2作の面白さを理解できるだけの能力がなかったということかもしれませんが、
> 結構前に管理人さんがおっしゃっていた『スレイヤーズ』の革新性ってどの辺だったのでしょうか?

ハハハッ、そりゃ今、スレイヤーズを読んでも、あまり面白くは無いでしょうね(笑)。
当時は、「RPG的なファンタジー世界って、こんな感じだよね」という、
王道的な作品しか無かった時代に、王道作品における「お約束」をことごとく破り、
まだ「厨二病」なんて単語も存在しない頃に、厨二心をくすぐる要素を詰め込んだ作品でしたからねえ。

今ではもう、王道的な作品の方が絶滅危惧種であり、
「お約束破り」や「お約束弄り」こそが主流な時代となってしまいましたが、
それを1番最初に行った作品こそが、スレイヤーズだったという訳ですね。
同じく、読者の厨二心をくすぐる手法などは、今では当たり前すぎて意識されない程ですが、
今現在から見れば、よくある設定の作品ですし、古い作品なので稚拙さなども目立つでしょうが、
「それら全ての作品の源流となった作品」と見たならば、それが如何に「革新的」だったかが解るかと!!
だってスレイヤーズ以前には、お約束破りをする作品も、厨二心をくすぐる作品も、存在しなかったのですから。
本流ではなく亜流であり、道徳的ではなく娯楽的である、中高生向けの小説として、
従来までのジュブナイルという呼称ではなく、新たにライトノベルという呼称が、
ここから始まったという記念碑的作品であると考えれば、今読んで面白いとかじゃないんです。

 「黄昏よりも昏きもの 血の流れより紅きもの
  時の流れに埋もれし、偉大な汝の名において、我ここに闇に誓わん
  我らが前に立ち塞がりし、全ての愚かなる者に
  我と汝が力もて、等しく滅びを与えんことを」

このドラグ・スレイブの詠唱は、今でもかなりの人が、諳んじられるんじゃないでしょうか(笑)。

解りやすい例え話かは兎も角、お笑いの歴史に例えてみると、
萩本欽一やドリフといった王道の笑いが、お茶の間を席巻していた時代に、
それをブチ壊すような、ビートたけしが現れた感じに近いんですかねえ?
もちろん、確固とした王道があればこそ、こうした邪道は輝きを増すモノですし、
「8時だよ全員集合」のような王道コントは、時代を越えても それなりにウケますが、
「ひょうきん族」のような邪道コントは、その時の瞬間風速は凄くても、時代が経つほどに色褪せるモノです。
しかし、だからと言って、当時のたけしや、ひょうきん族が作った(壊した)笑いが否定される訳ではなく、
それ所か、現在のお笑いというのは、そうした邪道路線の延長線上に存在するモノなので、
それを1番最初に切り開いたビートたけしの「革新性」というのは、やはり大いに評価されて然るべきであると。

もう少し例え話を続けるなら、「今の当たり前を作った凄さ」とでも言えば良いですかねえ?
例えば以前、知人から、世界遺産に認定された西洋美術館に関して、
「こんな何処にでも在る普通の建物の、一体何が凄いのかが解らない」
と言われた事があるのですが、
その「普通」と感じさせる事こそが、「何よりの凄さ」の証であると!!
近代建築において、何処でも見られるような当たり前の5原則が、
初めて この世に現れたモノこそ、ル・コルビュジエの建てた作品群であり、
だからこそ、世界遺産として選ばれた訳ですからねえ。
そして、今までに存在しなかったモノが、当たり前になる過程を体験した世代と、
既に当たり前となった現在しか知らない世代とでは、
同じモノを見ても、感じ方はまるで異なるでしょうし、
こればかりは、いくら言葉で説明しても、なかなか実感は伴わない気がしますね。
それこそ、「歴史の目」というモノを、養わない限りは・・・・

また、原作を読むのがキツいと言う事であれば、
それこそ、手軽な「アニメ版」の出番じゃないですかねえ?(笑)
もちろん原書こそ理想なんでしょうけど、無用な原作至上主義に陥らなければ、
原作に拘って未読よりも、アニメであっても観た方が、知識量として上回りますし、
そもそも基本的に、どんな作品も、マンガ版やラノベ版の読者より、
アニメ版の視聴者の方が、確実に人数は多いですので。


▼ ニコニコ動画
> > それとニコニコ動画の方でも、PCからスマホへの利用者移行により、
> > ニコ動のコメント文化を変えたとの見方もあるようですが、実際どう感じられてます?

> 自分はGINZA時代(13年10月頃から18年6月下旬まで)の真ん中あたりからしかニコニコを見ていないので、
> 正直スマホ化の影響はよくわかりません。

その頃がニコ動デビューとなると、私とは完全に入れ違いですね。
GINZA時代の頃となると、もう個人投稿もコメント職人もツマらなくなってた頃で、
個人的には「将棋電王戦」とか、限られたコンテンツしか視聴しておらず、
2016年頃からは、ほとんど視聴しなくなったので・・・・

ちなみに、視聴開始の時期となると、それこそ私の場合、
ニコニコ動画やYouTubeのサイト開設以前から、Flash動画を作っていた世代なので、
これらの動画投稿サイトは、開設直後から興味本位で利用していましたね。
YouTubeがまだGoogleに買収される前で、詐欺サイトの広告を平気で貼っていたりとか、
ニコ動にまだ動画投稿機能が無く、YouTubeに寄生してた頃も覚えています。
高画質になった今では、全画面表示ボタンで4K動画を楽しむような時代になってますが、
同時はあまりに低画質な為、逆に「画面縮小ボタン」がYouTubeに付いてたりしたんですよ!!(笑)

また、一方通行的なYouTubeの動画に対して、コメントを介して双方向的に繋がるニコ動の方が、
いろいろと問題を抱えながらも、面白さの面ではYouTubeを一時圧倒していたのですが、
今ではもう、あっさりと逆転されて、天と地ほどの差になってますね・・・・
私自身、今ではYouTubeの方を見てますけど、それでもやはり一抹の寂しさや物足り無さは正直あります。
YouTubeって、番組数は超大量でもあっても、基本的にはテレビとあまり違わず、目新しさは乏しいですし、
中には掘り出し物な動画も数多くあるものの、質の面ではテレビ番組とは比べ物になりませんから。

> ただ、それ以前にもはやニコニコ動画はもはや廃墟ですね。
> 私はほぼ毎日、ニコニコ動画の24時間ランキング
> (https://www.nicovideo.jp/ranking/genre/all?video_ranking_menu)をチェックしているのですが、
> いつ頃からか忘れましたが、(YouTubeを追放された)ワクチン陰謀論とか、アダルト動画の切り抜きとか、
> 昆虫が昆虫を食べる動画とかがランキング100位以内に上がってくるようになりました。
> その他にも、明らかにYouTubeに同時投稿してそうな動画とか、
> 明らかにYouTubeの釣りサムネっぽい動画とかが当たり前のようにランキングの多数を占めています。
> 個人的には、「ニコニコ動画の世紀 2019(sm36069424)」に書き込まれた、
> 「ニコニコが発信する場ではなく吸収する場になったんやなって」というコメントが最適な表現かと。
> そういう意味で、ニコニコ動画の転換の年は16年であったと思います。

あまりキチンとは覚えていないので、記憶違いもあるかも知れませんが、
昔の24時間ランキングって、1日経てばガラリと作品が入れ替わる感じで、
私自身の好みがマニアックな事もあり、すぐに沈んでしまう面白い作品を見逃さぬよう、
だからこそ私も、毎日のようにチェックしてた時期はありましたね。

黎明期から成長期に掛けての時期というのは、それこそカンブリア大爆発のように、
誰もが手探りの中、様々な実験的な作品が生まれ続けた頃でしたし、
「新しいモノを発見できる」楽しさとしては、本当に満ちあふれてた時代だったかな?
そして、成長期から成熟期への転換点を象徴が、2012年に始まった「ニコニコ超会議」だったかも。
ネットに限らず、アニメやゲーム、そして世の中の様々な事柄が そうなのですが、
挑戦や実験を繰り返すフェイズから、安定や拡大を求めるフェイズに移り変わると、
ファンの数は急拡大していくものの、同時に新しい面白味は失われていっちゃうんですよね・・・・
まあそれ自体は、個人的には少し寂しいモノですが、社会的には致し方ない面はありますし、
人を選ぶ尖った楽しみは減っても、多くの人が楽しめるモノに変異するのは、悪い事ではありません。

ただニコ動の場合、それによって生じる固定化やマンネリ化により、陳腐化していくスピードが、
一般的な事例に比べても、恐ろしく早かった気はするんです(泣)。
それこそ、ネット上のバーチャルな空間に存在したニコニコ動画が、
超会議をキッカケに、リアルなイメージを持ってしまったが故に、
人気・収益・影響力などを拡大する面で、あまりにも安易な方向に流れてしまったと言うか、
「創作と消費」のバランスを自ら進んで崩し、イナゴの大群を招き入れてしまったと言うか・・・・

もう少し具体的に言うと、「アニメ・将棋」と並び「政治」を3大コンテンツとした為、
2chとかもそうなのですが、そっち方面の人々が大量投下されて場を荒らされると、
サブカル・アングラ・アカデミックな面々は、自然と足が遠退いてしまいがちですし、
それ以外にも、コメントも含めての動画であった為、面白い発言にはセンスが要求されましたが、
当人は面白いと思ってるテンプレ・コメントに溢れ出すと、それがツマらない層は姿を消しますし、
ボカロ動画と歌ってみた動画の融合により、「歌い手」の人気が高まっていくと、
動画自体よりも個人にファンが付き、それが流動的だったニコ動内の空気を固定化する作用が働き、
結果的に、変動されないランキングや、似た動画ばかりに埋め尽くされるランキングなど、
塊の中の人々は楽しくても、それ以外の人々は飽き飽きする状態へとなっていったんです。
それが多分、私の感覚だと2013〜15年くらいの時期だったかなぁ?
なので私は、この頃から徐々に、ニコニコ動画を見なくなっていったんですよね。
だって私にとって、「(コメント込みで)面白い動画」というのが、ほとんど姿を消してしまったから。

ちなみに、私個人としては「ニコニコ技術部」系の動画とか好きでしたけど、
旧トルコ担当さん的には、一体どんな系統の動画が好みだったんですか?

あと、余談ついでに話を加えると、2011年の東日本大震災を境に、
その前と後とでは、日本社会全体の空気感というか、日本人の考え方みたいなモノが、
上手くは言えませんけど、ちょっと一変してしまった感じはあるので、
ニコニコ動画の方も、その影響を受けた可能性は・・・多少なりとも、あるかも知れませんね。
ただまあ、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、「東日本大震災以前の日本社会」のイメージが、
どれだけしっかり記憶されているかは、ちょっと微妙な所ではあるのでしょうが。

> 私はニコニコのタグ検索に慣れきってしまっているので、
> いまだにYouTubeでどう検索すればよい動画が見つかるのか分からず、
> そこまで動画を見たいという欲求もないので、
> 結局YouTubeには移住せずじまいで、過疎化したニコニコ島に今も取り残されてます。

検索に関しては、普通に自分自身が興味あるワードで調べれば、良いと思いますよ。
まあ、サジェスト機能で提示されるワードで検索しても、
大勢が視聴してるだけの、あまり面白く無い動画が出てくるのが、関の山ですし(苦笑)。
動画数自体は大量にあるので、マニアックなワードで検索しても、たまに引っ掛かる動画がありますし、
時には、その中から掘り出し物的な動画を見つける事もあります。
最近で言うと、個人的には「ゆる言語ラジオ」↓が掘り出し物だったかな?
https://www.youtube.com/channel/UCmpkIzF3xFzhPez7gXOyhVg
「古代日本語の発音」に関して検索した際、たまたま見つけたのですが、
当時はまだ4〜5本しか動画が無かったものの、内容の質的には非常に高く、
そういった良質なチャンネルが、案の定 成長していくと、ちょっと嬉しかったり(笑)。

また、YouTubeは長く使い続けていくと、それこそGoogleグループなだけあって、
AIがドンドンと最適化され、オススメ動画の質も上がって来るんですよね(笑)。
私の趣味嗜好はちょっと特殊なので、的外れなオススメもありますし、
AIに好みを管理されると言うのも、あまり気分が良くない面も少しあるのですが、
それでも、自分からは見なかったであろう動画を知る機会は、確実に作ってくれており、
これはこれで便利だと思いますよ(AIに好みや認知を誘導される危険性はありますが)。


[23807] Re:オタクの教養と古典の素養(その1)返信 削除
2022/1/15 (土) 15:24:14 旧トルコ担当


▼ デジタルな恋人・娘・ペットの可能性

> > 近未来の人類は、AI娘を喜ばせるために働いたり、色んな場所に行ったり、
> > 何らかの作業をして、その過程で人生の喜びを得るんじゃないんですかね。

> 「AI娘を喜ばせるために働く」って、なに、そのディストピア!?(苦笑)
> 人類補完計画ならぬ、人類経済奴隷計画みたいな話じゃないですか???
> まあ近未来どころか、一部の人たちは既に、例えばソシャゲ廃人の課金地獄のように、
> 良いように、新自由主義経済のカモにされてる人たちが実在しますけど、
> それを人類規模にまで広げるだなんて、相当悪い冗談にしか聞こえませんけどねえ・・・・
>
> それこそ以前、こうした返信↓を書きましたけど、
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r23740
> > > となると、こんな自己正当化の御題目に過ぎ無そうなモノを、わざわざ大学で教わり、
> > > それをそのまま信じてしまってる訳で・・・って、推測に推測を重ね過ぎだな(苦笑)。
> > > もしそうなら、何だかヤバい感じがして、少し心配になっちゃったんですけど、

> これは何も、「大学の教授に影響されている」と言いたかった訳ではなく、
> 現在の新自由主義の経済システムにおいて、そうした御題目を信じて働いてくれるなど、
> 「使い捨てに都合の良い人材」として、最適に育ちつつあるという危機感ですね。
> 今回、ちょっと厳しめに意見したのは、「もう少し冷静に考えてみて下さい」と言いたかったと。
> 別にオタ話であれこれトラぶっても、別に大した実害なんて出ないですけど、
> こちらに関しては、下手をすると人生を左右しかねない危険性を孕んでる気がするので。
> ・・・って、でもまあ、結果が出るのはずっと先の話であり、単なる取り越し苦労かも知れず、
> 出世次第では、使い捨てられる立場から、使い捨てる立場になれてる可能性もありますし(笑)。


いえ、私はAIに支配される近未来社会を肯定しているつもりも、支持しているつもりもないです。
ただ、こうなって欲しいとか、こうならないで欲しい、ということを抜きにして考えると、AIは恋人より娘といった関係に落ち着くのではないか、ということです。

この辺も、私が抽象←→具体で、私が抽象寄りの人間なので、「AIは恋人より娘になる」といった抽象的な表現をしてしまうので混乱の元となってしまっているのですが、
「AIは恋人より娘になる」ということは、AIは人々に共感される存在になるのではないか、ということが言いたかったことです。

それがどれだけ普及するのかは私は分かりませんし、娘AIに入れ込むような人は少数派なのかもしれませんが、可能性としてはあり得ないことではないと思うんですよね。

> > それは人間の遺伝子本能的にも、一定以上の年齢を過ぎれば、
> > 自身の子供を作れ、という命令から、自身の子供を守り育てろ、に変わるわけで。

> いや〜、それは本能や遺伝子とかいうレベルの話ではなく、
> 育った社会の道徳や規範に依るモノなんじゃないですかねえ?
> 例えば、江戸時代の日本においては、家の存続が何よりも最優先事項であり、
> その為にも、自分よりも子供を守る考え方が一般化しましたけど、
> お隣の中国では、1人っ子政策以降の現代中国はまだしも、
> それ以前の儒教的な社会においては、親あっての子供であり、
> だからこそ、劉邦や劉備が逃げる為に子供を捨てるエピソードがある訳です。
>
> また、赤ん坊を守ろうとする母親とかは別として、
> 他の動物で、群れを守る以上の感じで、実子を特別に守る行動が見られるかとなると、
> 少なくとも私は知らないですし、そんな遺伝子が見つかったという話も聞かないので、
> そう断言される根拠が、何かあるのでしたら、是非とも伺い所ではありますね。


本能・遺伝子至上主義論のようなものを唱えているわけではないですよ。
ですが、子どもをかわいく感じる程度には人間の本能は我々に影響を与えているわけであって、AI娘をかわいく感じるのは本能的に当然ではないか、というだけのことです。

> > 高齢化社会だからこそ、AIは娘だと思うんですよね。
> 正直、リアルな娘を守るが如く、AIの娘を守ると思います?
> また、バーチャルな存在であろうAIの娘を「守る」というのは、
> 具体的に、どのような行動を指すのでしょうか?
>
> ぶっちゃけた話、AIの娘なんて言うのは、
> デジタルなプログラムであり、データですよねえ。
> そんなモノを守る事を、リアルの自分を守る事に優先させるんですか?
> それにそもそも、プログラムやデータを襲う、それほどに真剣な危険って何?
> 「子育てクイズ マイエンジェル」を、更に進化させるのは面白そうですが、
> でもそれも、結局はゲームに過ぎませんし、どれだけハマり込めるモノなのか・・・・
> いや勿論、1つのゲームのテーマとしては、凄く面白い要素ではあるでしょうけど、
> ダビスタで競走馬を育てるのと、馬主や調教師がリアルに育てるのは、まるで別でしょうし、
> 逆に言えば、だからこそ世界中の金持ちは、馬主や球団オーナーになりたがると!


> > ひろゆきが昔、金も、社会的地位も、家族も持たない無敵の人が増えて、犯罪が増えるから、
> > 政府は彼らにペットを配れ、みたいなことを言っていたと思うんですが、

> ほ〜、その意見は初耳ですが、なかなか理に適ってると思いますよ。
>
> それこそ最近、無敵の人による、社会を巻き込んだ事件が増えてますが、
> これらの事件に対して、「1人で勝手に死ね」とか、「他人を巻き込むな」など、
> 厳しい意見が反乱するのは、気持ちは解るものの、あまり良い風潮ではなく、
> そういった不寛容で無理解な意見こそが、こうした事件を増やす遠因にありますからねえ。
> しかも、こうして厳しい意見を述べる人たちこそ、自らの状況が悪化した場合、
> そうした事件を起こしかねない予備軍である事を、本人たちは全く自覚できてないはずで、
> 無敵の人による事件というのは、減る所か、今後ますます増えていく一方だと思います。
>
> 逆に言えば、そうした事件の発生を減らそうと思うのであれば、
> 端的に言うと、「無敵」状態を抑え込む、何らかの「縛り」を用意すべきであり、
> この場合、アメとムチや、北風と太陽で言うなら、ムチや北風が効かない無敵状態ですから、
> 言い方は悪いかも知れませんけど、アメや太陽で縛り上げるしかないと。
> まあ具体的には、何も持っていないからこそ無敵である以上、
> まずは心理的なり、実利的なりの「依存物」を与え、それを失う恐怖を餌に縛るのが有効で、
> そう考えると、ペットを配るというのは、1つの方法としてはアリかと思いますよ。
> 「繋がり」と「しがらみ」は、物事の表裏に過ぎませんし。
> ただ実際、それを現実的に、政策として行おうとすると、いろいろ困難でしょうけどね。
> 可愛がりはしても、世話をしないタイプは相当数居るでしょうし、
> 野良猫や鳩などに餌をあげる人だけでも、これだけ問題になっているのに、
> それがもっと増えるとなれば、近隣住民は勿論、飼われるペット側も迷惑なので。
>
> > AI娘がいた方が社会が安定する、という考え方もあるんじゃないですかね。
> う〜ん、全く効果が無いとは言いませんけど、それでは縛りとしては弱いでしょうね。
> 「たまごっち」のようなバーチャル・ペットや、「AIBO」のようなロボット・ペットなど、
> 過去にも流行った事がありますし、それなりのブームを生んだ事は確かですが、
> あくまでブーム止まりであって、リアルなペットの代替には成り得なかったので・・・・
> (ただし、老人ホームなどで、ロボット・ペットが一定の癒し効果を与えてるのは事実)
>
> もちろん、中にはドップリとハマる人だって居るでしょうけど、そうした人は限定的であり、
> どのレベルの「AI娘」を想定されているかは解りませんが、育成ゲームの延長線上では、
> それで「社会が安定する」という感じには、とてもじゃないですけど、程遠い気がします。
> 言い換えるとすると、「ゲームが生き甲斐だ」という理由から、
> 犯罪や自殺を思い止まるような人、もしくは、それだけのゲームというモノが、
> 一体どれだけ存在するのか?という事でもありますよね。


リアルよりAI娘を優先させる、とも思っていないですし、具体的にどう「守る」というのも無いでしょう。
ひろゆきの話は、例として出したのであって、私自身がその意見に賛同しているわけではありません。

ですが育成ゲームの延長線上というのも、スケールが小さすぎないですかね?
ご存じかもしれませんが、aiのべりすと(https://ai-novel.com/index.php)というものがあり、もう文章の創作すらも、でも面白い文章が書けるかは別問題だよね、というレベルに来ています。

で、そうしたレベルに達したAIはもう道具やツールではなく、一つの仮想人格だと思うんですよね。
仮想人格だからこそ、それに奉仕することで快楽を得る人も出てくるでしょうし、AIが戦争を煽ることもあれば、AIが逆に戦争の和平を仲介することだってあるかも?

▼ BL・百合の背景

> > この考え方で、「なぜ現代のオタクの間で、BLや百合が流行るのか?」ということを考えると、
> > 「イケメンキャラや美少女キャラは、既に飽食の状態にあると。
> > もうイケメンや美少女にみんなお腹いっぱいで、食べ飽きている。
> > 美少女キャラが溢れているからこそ、自分は新しく出てきた萌えキャラにガチ恋できない。
> > 満たされているからこそ、幸せにはなれない。
> > そこで、他人の恋愛に共感することで、不足を自身の中に作り出しているのがBLや百合である。
> > ある女の子にガチ恋している女の子に共感することで、自分はガチ恋できない女の子に、疑似的にガチ恋でき、
> > そしてそれが満たされることで、自分も幸せになれる。
> > だからオタクの間で、BLや百合が流行る」と考えているのですが、

> う〜ん、こちらに関しても、半分正解で半分不足かな?
> 確かに、作品数などのコンテンツ面で言えば、飽和状態にあるのは事実でしょうけど、
> その一方で、平成前半の生まれを「さとり世代」などと呼ぶように、
> 満たされてるから満足してるのでは無く、満たされてないから満足点が低く設定されていて、
> 良く言えば手堅くて堅実、悪く言えば挑戦や冒険を避けがちな傾向がある為、
> 共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じるんですよね、私には。
> だって、人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無いでしょうし、
> 結果は同じであっても、自ら進んで選んだのと、環境的に選ばざるを得なかったのは別ですけど、
> しかし一方で人間は、自分の心理的負担を減らす為に、自ら選んだと思い込もうとしがちだと。


百合・BL論は例として語ったのであって、本気で唱えているわけではないです。
実際に百合・BLが広がった最大の要因は、異性に求めるハードルが高くなりすぎ、同時に中途半端な現実よりも完璧なファンタジーの方が良いという、価値観が拡大したからでしょうし。(岡田斗司夫風に言うなら、ドリーム・ファースト)
BLがコミケで拡大したのが80年代後半、BL雑誌の創刊ラッシュがあったのは90年以降、それ以降BL市場自体が拡大しているわけではない(『BL進化論』15年初版)ことから、少なくともBLはさとり世代以前の普及ですし。

あとは自己嫌悪と同性嫌悪から、異性にファンタジーを求める、というのも大きいでしょう。
個人的な偏見では、異性へのあこがれより同性への嫌悪の方が強いのがBL、同性嫌悪より異性へのあこがれが強いのが百合だと思っていますが、これはさすがに根拠に乏しいかな?
特に百合は女性ファンも一定数いますし。

「人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無い」という意味においては、
恋愛結婚が少数派だった時代には、手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、ファンタジーとしてロマンチックに語られ、
そしてそれがいざ手に入る時代が来ると、自由恋愛の嫌な点が目に付くようになり、今度は同性愛が手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、ファンタジーとしてロマンチックに語られるようになっている、ということでしょうか。

という風に、私には百合・BLはポスト大量消費社会の一つとして見えているんですが、管理人さんには退化に見えるのかぁ。
いやでも、さすがに百合やBLをさとり世代と関連付けるのは違うと思いますけどねえ。何でもかんでも経済的困窮が原因としてしまうのはさすがにどうなんでしょう?

ちなみに、私は詳しくないですが、異性との恋愛が何らかの要因でうまくいかなくなった時には、同性との恋愛がオッケーになっていくのは普遍的な法則なのでしょうか?
平安貴族も、平安後期には異性間の恋愛の事由がなくなり、男同士の恋愛ごっこに夢中になっていったようですし。

▼ 新自由主義の未来

そこまで深く考えているわけではないですが、結局新自由主義も、加速して、行くところまでいった末の崩壊が無いと終わらないんじゃないですかね?
プロレタリア独裁も、ファシズムもそうでしたし。
もしその予測が正しいのであれば、今は新自由主義がドンドン加速して行っている段階から、社会の矛盾が大きくなっていく段階の途中にあり、次には対立と悲劇的な結果、そして新自由主義の反省があるんでしょうね。
今大学生の私の場合、あと数十年間でその一連の流れがあり、人生100年時代なら50歳から70歳くらいで、新自由主義の消え去った次の時代を目撃できるのかな?
まあしっかりとデータ集めて、考えた論ではありませんが。

▼ オタクの教養と古典の素養
> > > > もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、
> > > > オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
> > > > 世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

> > > あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
> > > こうなると、どの辺りのラインまで来れば、これが恥ずかしく感じなくなるのかも、
> > > ちょっと興味が湧いてきてしまいました(笑)。
> > > となると、90年代の「機動戦艦ナデシコ」とか、どうなんでしょ?
> > > 同じ90年代でも、「真ゲッターロボ」みたいな振り方の作品なら、大丈夫ですよねえ?
> > > って、そもそもナデシコや真ゲッターを視聴済みかどうかも、解らない所ではありますが。

> > 未見です。
> > 昔のアニメで見てるのって、ヤマト・ガンダム・エヴァ以外では、
> > 「未来少年コナン」「バビル2世」「銀河鉄道999(半分くらい)」くらいですかね。

> あ〜、90年代アニメは昔の作品かぁ・・・(笑)
> まあ単純に、旧トルコ担当さんの年齢的に、という面もあるのでしょうけど、
> 個人的には、深夜アニメが始まり、子供アニメが減った90年代中期を、
> アニメの歴史的に、1つの境界線として認識してましたが、
> 映像的には、デジタル作画に転換された00年代中期も、もう1つの境界線に当たるのかな?
>
> そして現在、世界的なアニメの波としては、2DCGから3DCGへという流れが確実にあり、
> もちろん、2Dならでは表現方法とかもあるのですが、
> その世界的な流れに乗れないようだと、TVゲームや携帯電話がそうなったように、
> 日本産のアニメというのも、一気にガラパゴス化して、
> そのまま縮小していく危険性も、かなりの確率で有り得そうですよね・・・・
>
> それこそ、以前話題に上った中国産アニメの方は、若者向け作品の方はまだまだでも、
> 「BabyBus」↓に代表されるように、幼児向けアニメの方では、既に太刀打ち出来ないと言うか、
> https://www.youtube.com/channel/UCwYFFFgr4wl5Oby8gBbAZzg
> 中国の方が世界戦略として、大きく成功を収めている感じがありますし、
> それを見て育った子供たちが若者となる頃には、一体どうなっている事やら???
> 日本アニメの世界的人気にしても、小遣い稼ぎに格安でバラ撒かれた子供向け作品が、
> 結果的に、大きな下地を築いたという実状もありましたからねえ。
> 海外での日本アニメ放送は、世界での日本的な価値観普及に一役買った面がありますが、
> 現在の中国アニメの場合、結果的にそうなったではなく、最初から意図してる感もありますし。
>
> まあ、それはさておき、となると、
> 前回も貼ったように、コチラで挙げた「私がハマった作品TOP30」も、
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20466#20466
> 00年代前半までの作品が多いので、ほとんど未見な感じですかねえ?
> もしかしたら、「これは見た」や「これは知らない」という作品を挙げる方が、
> 未見の作品を挙げてもらううよりも、却って早かったりするのかなぁ・・・・


その中だと、見てるのはエヴァ・まどマギ・銀英伝・school daysくらいですね。

> > どの作品だから恥ずかしく感じる、というより、本気で好きな作品が恥ずかしいと感じますね。
> > 例えば萌えアニメは、客観的に見ればすごく恥ずかしいものですが、
> > 私は萌えアニメではそこまで恥ずかしくならなくて、
> > それはメッチャ萌えアニメが好き、というわけではないからなんですよね。
> > ですが、本当に好きな作品というのは、その本気の分だけ、やっぱり恥ずかしくなるので。
> > 作品そのものの性質より、個人的な思い入れの強さが影響しますね。

> え〜と、「好きを他人に語る」のが恥ずかしいという感情は、まだ解るのですが、
> 「トップをねらえ」に関して言うと、「見た時に強烈に恥ずかしかった」んですよねえ?
> 好きな作品だと、その分だけ本気になるとか、思い入れが強くなるのは解りますけど、
> そこから「恥ずかしい」となる経緯が、いまいち私にはピンと来ていないかも・・・・
>
> もう少し解りやすく書くと、「恥ずかしい」という感情って、
> 基本的には、他者の存在(目)があってこそ、
> 自らの言動などとのギャップから、生じるモノだと思うんですよ。
> 自分で自分が恥ずかしいと言うのも、主観的な自分と、客観的な自分とが居て、
> 客観的な自分を、他者の存在に代替させた場合に、生じるようなメカニズムでしょうし。
> そうあんると、この場合の旧トルコ担当さんの恥ずかしさとは、
> 「何に対して、どのような恥ずかしさ」なんですかねえ?


個人的には、トップを見て恥ずかしくなるのがオタクで、そうならないのが何だかんだでオタクの世界にも来てるけど、オタクの世界に住んでない人、だと思っているのですが、
「トップをねらえ!」っていうのは、オレ達オタクってこういう奴らだよな、っていう作品なんですよ。
宇宙怪獣が地球に攻めてきた、地球を守るためにロボットに乗って戦う。
その設定自体が子供っぽい。
別にガイナックスがそんな頭の悪い設定しか考えられないというわけではないんです。
現に、物語後半では、
「宇宙にも自然界の食物連鎖のような仕組みが存在して、それを知的生命体は壊してしまう。
だから、あの宇宙怪獣はそうした宇宙の仕組みを破壊する知的生命体をやっつける、白血球のような存在なのだ」
という頭の良い設定が出てきますし。
ではなぜ、あえて頭の悪い設定でアニメを作るのかといえば、結局オタクが根本的に幼稚だからなんですよね。
いい年こいて、ありもしない戦闘ロボットが好きで、地球をかけた戦いみたいなシチュエーションが好きで、なぜかロボットを操縦するのは美少女。
それを頭のいい設定でごまかすのではなく、徹底的にやる。
だってそれが好きなんだもん。
そりゃ、もっとベトナム戦争とかそういった社会の現実に目を向けろ、とか言って来るおじさんには、「ガンダムも戦争を描いていて、SFという仮定をすることで、戦争の本質だったりを描くことが〜」みたいな論理武装をするわけですが、
でもそれって、やっぱり嘘ですよ。
おたくが本当に好きなのは、もっと子供っぽい幼稚なもの。

そして、それを作者の告白にとどめるのではなく、
「お前らも分かるよな?だってオレ達おたくじゃん」と言ってくれるのが「トップをねらえ!」なんですよ。
なんていう本だったかな?日本アニメ史の本でトップをレビューしている記事に、「展開が唐突」という評価がったのですが、
違うんですよ。あれは総集編なんですよ。
「トップをねらえ!」というのは、本当は1960、70年代のアニメのような、一年間で放送する子ども向けのおもちゃ販促アニメで、
OVAの「トップをねらえ!」は、あの時代の劇場版総集編アニメ、という設定なんですよ。
もちろん、そんなことは一言も書いてない。
でも分かるだろ、オレ達オタクじゃん。あの、青春時代の60年代、70年代のアニメを見て、いまだにそれが忘れられないじゃん。
そんな俺たちなら、こういうアニメを作っても、展開が唐突なんて言わないよな。
一言も説明しなくても、総集編だってわかってくれるよなって。
そう言ってくるのが「トップをねらえ!」なんですよ。
ちなみに、この話は私の妄想というわけではなく、岡田斗司夫が言うには「1〜4話が総集編、5話・6話は特撮で作られた続編、だから6話は(あの時代の特撮なので)白黒になる」だそうです。

私は世代ではないので、60・70年代のアニメはほとんど見てないし、だからトップも見逃している部分がほとんどだと思うのですが、(アニメ夜話の岡田斗司夫曰く「トップは全カットに元ネタがある、トップにオリジナルなし」)
でも、その気持ちはよく分かる。
だって、私の好きな作品も全部全部子どもっぽいし、自分の一番好きな作品は、この掲示板にかけないくらい、子どもっぽくて恥ずかしいんですよ。
その「トップをねらえ!」という作品の本質は、30年以上の時を超えてもなお、私にちゃんと届いたんですよね。
だから、トップは他のあらゆる作品と、決定的に異なるんです。

しかし残念なことに、そんな素晴らしいオタクの時代は、89年の宮崎事件で終わりを告げてしまうわけです。
小さな世界で、オレ達こういう幼稚なアニメ好きだよねって、言っていられる時代は終わり、闘いの時代が始まったわけです。
エヴァンゲリオンはトップとは真逆を行く、「最高にクールで、知的な感じのする」アニメでした。
それは言ってしまえば、もうそういう、外に見せても恥ずかしくないアニメじゃないと駄目だった、そういうアニメでオタク文化を守らないと、未来がなかった時代だということだと思うんですよね。
だから、私はエヴァよりもトップの方が好きですね。

ということは、管理人さんも分かっていたのかな、と思っていたのですが、トップが恥ずかしいというのが分からないということは、そうではなかったのでしょうか?
やっぱりオタクじゃないというのは本当なのかな?

> ・・・って、こんな事が気になるのも、私からすると「オタク的行為」ですし、
> 私の定義からすると、自問自答して、自己分析する人種こそ、オタクな気はしています。
> 「この作品は、なぜ面白いのか?ツマらないのか?」から始まり、
> 「自分は面白いのに、ツマらないと言ってるヤツが居る」や
> 「自分はツマらないのに、面白いと言ってるヤツが居る」という分析を経て、
> 最終的には、観測者としての自分自身の傾向を見出す方向に進むイメージがあるので。
> 言い換えば、「好き」を突き詰めて行けば、自分が感じる「好き」とは何ぞや?に至ると。
> 好きで満足するのはファンでしょうし、好きをコレクションするだけではマニアなので。


好きを突き詰めるって、どんな感じなんでしょうねえ?
といいますか、基本的にほかのオタクの人とはコミュニケーションとっていないので、あまり濃さとか分からないんですよね。

> > > > > でしたら、私の古いイメージ像での「オタク定義」でも、
> > > > > 旧トルコ担当さんの場合、そこまでズレたりはしないのかも(笑)。

> > > > うーん、この辺はどうなんでしょうね。
> > > > 確かに、オタク史的に名作とされるアニメを見ることは価値もありますが、
> > > > やりすぎれば結局、流行りものを追っかけているJKと変わらないと思うんですよね。
> > > > いや、流行りものを追っかけること自体は別に好きにやればいいと思うのですが、
> > > > 周囲に流されて自分で判断しない姿勢というのは、オタクとは呼べないと思うんですよね。

> > > まあ私としても別に、「あれも、これも」と言っている訳ではなく、
> > > 例えばオタク文化に限らず、あらゆる分野においても、
> > > 「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」
> > > みたいなモノは、いくつか在ったりしますからねえ。
> > > ただ、これに関しても、全話隈無く押さえろと言うよりは、
> > > 総集編くらい見て、大体の基本情報とかは押さえておこう程度の感覚ですね。

> > 個人的には、現在のオタク文化って、
> > (1)萌え登場以降のオタク文化(95年以降)
> > (2)おおざっぱに昭和のオタク文化(75年以降)
> > (3)それ以前の昭和子供文化(手塚治虫など)や、アメリカ文化など
> > の3層構造でできていると思っているので、
> > 「この世界に身を置くなら、最低限、これだけは押さえておけ」的なものって、
> > 現在のオタクだと(1)がメインな気がするんですよね。

> まあ結局、この件に関しては、繰り返しになりますけど、
> お互いの「オタク」という言葉の定義の違いに帰着するんでしょうけどね。
> 私の場合、「おたく・オタク・ヲタ」や「ファン・マニア・オタク」などの単語を使い分けてますし、
> その「オタク文化の区分」も、双方が異なる年代(事象)で区切ってますので。
> 以下、以前の記述を、そのままコピペ↓
>
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23406#23406
>   もちろん、それは私の中での、オタクという単語の定義の問題かも知れませんが。
>   私が言う所の「ヲタ文化」が、旧トルコ担当さんが言う所の「オタク文化」に相当するのかも?
>   いつも厳密に使い分けている訳では無いですけど、個人的な用語としては、
>   バブルが崩壊した辺り、90年代初頭までのアナログ一辺倒な時代を「おたく文化」、
>   台頭してきたデジタルと、アナログが同居していた過渡期の時代を「オタク文化」、
>   東日本大震災に前後する、10年代辺りからのデジタル優勢な時代を「ヲタ文化」としてますね。
>   (場合によって、おたく・オタク・ヲタのサブカル総称として「オタク」を用いる事もありますが)
>
> > 要は、ぶっちゃけガンダムは古いと。
> > といいますか、私もいろいろ勉強する前は、オタク=萌える人であり、
> > ガンダムファンがオタクだとは思っていませんでしたので。

> ぶっちゃけ、私からしても、ガンダムは古いですよ(笑)。
> 別に私も、リアルタイムで見てた世代じゃありませんからね。
> ですが、こと「教養」という観点から見るのであれば、
> その基準となるのは「古い・新しい」ではなく、「重要か否か」であるはずで、
> 日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!
>
> それこそ、前述の源氏物語を引き合いに出して言うとすれば、
> 教養として「日本文学」を語る際に、「古いから」なんて理由で源氏物語を欠いては、
> とても満足に、日本文学の知識が充分だとは言えませんよねえ?
> もちろん、源氏物語を全巻読破する事に越した事は無いでしょうけど、
> 仮に読破して無くても、源氏物語の粗筋や歴史的立ち位置を把握していれば、
> 日本文学に関して、それなりに語る事は可能かと思います。
> しかし、そういった基礎的認識まで欠けているとなると・・・・
> 例えば、これがファンであるとか、現代小説に限定するとかであれば、
> 村上春樹しか読まないとか、ラノベしか読まないとかでも、問題無いと思いますけど、
> それで、日本文学の素養が充分かとなれば、やはり別問題な感じがします。
>
> そういう意味では、年代ごとで3層に区分している所から、
> 私との定義の違いも、一見すると「おたく・オタク・ヲタ」の差異に該当しそうですが、
> 実際には「ファン・マニア・オタク」という差異の方こそ、該当しそうな気はしますね。
> 簡単に言ってしまえば、「そのレベルだとオタクじゃなくてファンだろ?」みたいな感じで。
> とは言え、これは狭義的な意味でのオタク定義であって、
> 近年では「≒サブカル」という、広義的な意味でのオタク定義が、世間的に広まっている事もあり、
> 一般的な話題として触れるのあれば、そこは広義的な意味合いでも気にしないのですが、
> 専門的な話題として扱う場合には、やはり狭義的な意味合いで用いたい思いは、少しあるかな?
> そうしないと、内容が表面を滑るだけで、深い所までなかなか進めないでしょうし。


「日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!」というのはもちろん賛同しますが、
日本アニメ史やサブカル史って現在の平均的なオタクの興味の対象なんですかね?
萌えアニメの歴史や教養であればオタクとして押さえておけよ、というのは理解できますが、日本アニメ史まで範囲を拡大するの?という感じです。

だからこそ、
> > (1)萌え登場以降のオタク文化(95年以降)
> > (2)おおざっぱに昭和のオタク文化(75年以降)
> > (3)それ以前の昭和子供文化(手塚治虫など)や、アメリカ文化など

と分類したわけであって、
普通の萌え系のオタクであれば、
(A)最新の流行 今季アニメやソシャゲ等
(B)常識的名作 けいおん!(07)、まどマギ(11)、ソードアート・オンライン(12)辺りのアニメ、東方等
(C)古典的教養 エヴァ、エロゲ、ハルヒ等
がジャンルとしての体系であり、
ガンダム等は(D)さらに過去の古典、くらいでしょうか。
大学の講義風に言えば、ABCは選択必修であり、全部とは言わずとも3つとも最低限何割くらいは見とかなきゃね、ABばかりでCがゼロじゃねえ、というのに対して、
Dは任意選択の科目であり、取っていればプラス査定だけど、必ずしも取っている必要はない感じでしょうか。
(ついでに書けば、(E)専攻科目くらいがラノベや、百合や、声優等々ですかね)

もちろん、オタクにも色々いますし、萌えアニメは全然見なくて、高畑アニメが一番好きです、というオタクであれば全然違ってくるのでしょうし、
萌え系アニメを今見ていても、90年代のオタク第二世代であれば、攻殻機動隊やAKIRAは必須だろ、とかなるのでしょうし、
はたまた声優やらのオタクであれば、また全然変わってくるのでしょうが、
今の萌え系の中心ということであればこの辺ではないでしょうか?

そういう意味では、私の思う萌え系のオタクは、管理人さんの言うアニメオタクとはある程度違うイメージ。
ガチのアニメオタクというと、私のイメージでは、宮崎キャラの走り方と高畑キャラの走り方の違いかを語っている、本当の意味でアニメーションが好きな人ですね。

この辺、管理人さんとしてはどう思われるのでしょうか?
管理人さんとしては、ABC押さえたうえで、いやガンダムも見ろよなのか、いやエロゲとかはそこまで重要ではないでしょ、ということなのか。
あと、ガンダムは必須として、手塚治虫とか、戦後アメリカのSFとかはどうなんでしょう?オタクならそこまで押さえとくべき?

> > そういう意味で、オタク的な教養はせいぜいエヴァまでな気はします。
> それって、何か明確な基準があっての、エヴァでの線引きなのでしょうか?
> もしも、旧トルコ担当さんの世代的にという話であれば、
> エヴァだって25年前の作品ですから、これだって充分に古いでしょうし、
> それこそ、旧トルコ担当さんよりも更に若い世代から見れば、
> 11年前に連載が始まった俺ガイルにしても、充分に古い作品でしょうからねえ。


今の作品=今アニメで放送されている作品、あるいは今後2期、3期が来そうな作品、というのが今のオタク的な感覚ではないでしょうか?
なので、俺ガイルはアニメ最新作が20年放送で、原作ラノベが現在も刊行されているから今の作品。
ソードアート・オンラインも映画が続編製作中で、原作も刊行中なので今の作品。
ポケモンも新作が作られ続ける限りは今の作品という扱いです。

> > > > ふと気になって調べてみたところ、
> > > > エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
> > > > そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

> > > でも、単純に人口比の数字だけで言うのであれば、
> > > 今から20年後に劇場公開して、470万人(シン・エヴァの7割)を動員できる作品が、
> > > 2010年代アニメの中に、果たして在るのか?って事でもありますよね。

> > もちろん、世代動員率とでも名付けるべき値がエヴァは非常に高かったというのも承知しています。
> > ですが、世代動員率には世代の総人口が必ずかかっているわけであり、
> > 世代の総人口が減れば文化的な厚みは減って当然ですよね。

> いや〜、人口とは絶対的な値であり、動員率とは相対的な値なのですから、
> 絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする事を、
> 「当然」であるとは、私はまるで同意できませんけどね・・・・
> 逆に言うと、なぜ「当然」と思われるのか、その理由を伺ってみたい所。
> これはもう、エヴァがどうとか関係無く、純粋に科学的な話として。


何でしょう、書き方が悪かったのでしょうか?
「絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする」という趣旨ではなかったのですが。
例えば、アニメ人口100万人の90年代中期にアニメA、B、Cが放送されていたとして、
アニメAを80万人が見て、Bを10万人、Cを10万人が見ていた。
同じく現在、アニメa、b、cが放送されていたとして、
アニメ人口が50万人ならば、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人見ていたとすると、
各アニメの世代動員率(=人気集中率)がどうであれ、全体の母数の100万人、50万人というのは変わらない、ということを言いたかっただけです。

> > > > まあ、私の独断と偏見で言わせれば「オタクとは自分の好きなものを突き詰める人間」なのであって、
> > > > 何も昔の名作アニメを履修する必要性はないと思っているんですよね。

> > > う〜ん、単に「大好き」ってだけであれば、そこまでする必要性は無いでしょうけど、
> > > 「突き詰める」という部分まで加わってくると、外せない古典を押さえる必要は出てきそうですし、
> > > そうした義務感が無くても、「面白い作品があるなら、古くても気にしない」とか、
> > > 自らの好きを体系化していけば、どうしたって歴史(過去作)に至るのは必然だと思うんですよ。

> > あと、私が「昔の名作アニメを履修する」ことをやたら否定的にとらえているのも、
> > かなりオタク文化自体の高齢化を見させられているからなんですよね。

> う〜ん、これってそもそも、「履修」という言葉に対するイメージの違いがあるのかな?
> 取得を義務づけられた単位を収める行為というのは同じでも、
> 卒業資格を得る為に仕方無くか? 学問理解を深めるのに不可欠か?
> そのどちらの視点で捉えるかで、見え方は大きく異なってくるでしょうけど、
> 私の場合、単位は取り難くなるものの、自分の好奇心の赴くまま、
> 他学部や他学科の専門講義まで取ってたタイプなので(単位認定は一般教養扱い)、
> ここでも当然、後者の意味合いで使ってました(笑)。
>
> とは言え、一般的には、前者の意味合いであろうとは理解してますし、
> そちら視点で見た場合、「文化の高齢化」とかが どうこうよりも、
> ただ単に、「古い作品で知識マウント取ってくる古参オタ、うざっ!」というのが、
> その言葉の奥底にはあるんじゃないかな?という印象もあったり(笑)。
> まあ確かに、そうした輩の存在が、鬱陶しいのは私も解りますし、
> 逆に言うと、そんな次元で満足してるタイプには、こちらも興味が無いんですよね。
>
> ですが、マウントを取られたくないという思いから、義務感的に消化したりとか、
> 反対に、そういうのはウザいから、意地でも見ないとかなると、
> それはそれで、彼らと同じ土俵に乗るようなものですし、
> 自分が古参になった時には、却って同じ様な行動を取る可能性が高い気もすると。
> そして、対古参オタではなく、自分自身のオタ探求を突き詰めていくなら、
> 古い名作に手を出したり、歴史を学ぼうとする行為は、極めて一般的だとも思うんです。
>
> 言うなれば、卒業資格を得る為に、仕方無く履修するよりも、
> 自らの学びの為に、積極的に履修した方が、絶対に身にはなるでしょうし、
> 講義であれ、作品であれ、履修を求められるような対象であれば、
> 得ておいた方が望ましい知識であるのは、確かでしょうからねえ。
> なので私は、否定すべきはマウント系のオタの方であって、
> 履修自体を否定すべきじゃないような気はするんですよ。


私も履修自体を否定しているわけではありませんし、今絶賛ガンダムを見ているのですが、別に義務感で見ているわけでもないです。
ついでに言うと、知識マウント取ってくる古参オタクは岡田斗司夫だけですねw

> > 特にSNSで世代関係なく情報が流通するようになった結果、
> > 世代の人口差重力が非常に強く影響するようになったと思います。
> > 新エヴァだって、SNSで盛り上がってたから見に行ったという若年オタクは多いでしょうし、
> > それは結局オタク文化全体の高齢化にしかならないと思うんですよね。
> > もちろん、ある程度であれば旧作リバイバルも別に否定しないのですが。

> いや〜、それは穿ったモノの見方じゃないですかねえ?
> 確かに、今の若者世代よりも、団塊Jr.世代の方が、人口そのものは多いでしょうけど、
> SNSの利用率であったり、その発言頻度であったり、それがオタ的話題である割合などは、
> そうした人口の絶対数を覆すほど、実際には差があると思いますし、
> ネットの登場によって、年の離れた世代とも、話せる機会が増えた事は事実で、
> それにより、他世代から影響を受ける事が多くなったのも、また事実でしょうけど、
> それで全体の流れが操られるなんていうのは、さすがに言い過ぎな気がしますがねえ。
> 特にSNSは、ボーダレスな世界と言うよりも、フィルターバブルに包まれた世界なので。


もちろん理屈の上では、SNSの利用率等の影響もうけるということも分かっていますが、
実際の私の感覚からすると、そうした理屈とは別に、実際の動きとして、若い世代はそれなりに影響を受けている気がするんですよね。
もちろん、私がSNSで見ている世界が狭いということも理解していますが、
これに関しては、複数のSNSアカウントのタイムラインでそういった傾向がみられる、リアルの友人関係からもそうした傾向がみられるなど、ある程度自信のある分析(のつもり)です。
現在だと、うる星やつらのリメイク発表で盛り上がった感じかな。
まあ、単純に私が年上のオタクばかりフォローしているからだけ、という説もありますが。(この掲示板も含め)

▼ オタク的なリアルとファンタジー

> > > > 大学3人で同じところに行くんですかね?まだ中学生ならそれもアリかもしれないし、
> > > > 俺ガイルがよくあるオタク・ファンタジーならばそういう結論もアリかもしれませんが、
> > > > 俺ガイルって徹底的にリアルなんですよ。

> > > う〜ん、同じ大学に行くのも、ファンタジー扱いなんですかぁ・・・・
> > > まあ、地方であったり、学区制が厳しい県だったりすると、選択の幅が狭く、
> > > 同じ中学から、同じ高校に進む人数も、結構多かったりするのですが、
> > > しかし一方で都会の高校ですと、選択肢が多すぎて、結構バラけるんですよねえ。
> > > それに高校だと、似た様な学力の生徒が集まりますから、
> > > 特に進学校とかだと、同じ高校から数十人も同じ大学に行く事が珍しくない反面、
> > > 単に同じ地域の住民という集まりの公立中学では、なかなか高校が一緒にならない事も。
> > > また、地方から東京に上京する場合なら、「同じ大学に行く」だけでなく、
> > > 「一緒に東京に行く」というだけでも、繋がりは続きますからねえ。
> > > 同棲とか、ルーム・シェアとかまで行かずとも、互いに近所に住むだけで、
> > > 知り合いも居ない土地で暮らすなら、関係性がより深まっても おかしくないですし。

> > アニメとか、ラノベって社会規範に対してはかなり保守的ですし、
> > その中で、「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」という社会規範を否定したのは、
> > かなり衝撃的だったと思うんですよね。

> う〜ん、「学校の友達は、卒業したら疎遠になりがち」という傾向は、当然あるでしょうけど、
> それが「社会規範(社会生活を営む上で遵守すべきルール)」だなんて考えている人は、
> まず存在しないと思いますけど・・・これは何か、用語の意味を間違えてるのかな?


> また、会う機会が減れば、疎遠になりがちという傾向は確かにあるにしても、
> 別に学校を卒業したって、友人関係や恋人関係が続くなんて事は、別に珍しくも無いでしょ!?
> まあ環境が変われば、関係性を維持する為に、今までと異なる「労力」を要する事も多いでしょうが、
> その労力に見合うだけの価値を見出せるなら、程度にもよりますけど、
> 関係性の継続は不可能じゃないでしょうし、そもそもルール違反なんて感覚は皆無です。


> 実際、結婚するカップルのうち、実に3割が、学生時代からの付き合いみたいですし、
> 地元大好きなマイルド・ヤンキーは、友人関係を維持したまま、家族単位で仲良くなるそうで、
> これらを「ファンタジー」と捉えてしまう感覚こそが、
> まさしく「オタク・ファンタジー」的な、モノの見え方なのかも知れませんよ(笑)。
> と言いますか、もっとハッキリ言うと、これはオタク的な見方と言うよりも、
> ただ単に、旧トルコ担当さん個人のリアル/ファンタジー感覚なのでは?


私の説明が不十分でしたが、と言いますか読んでない方に十分な説明をしなかったのが悪いのですが、
俺ガイルの3人(主人公と、ダブルヒロイン)って、建前として「私たちは部活だけの関係で、お互いそんな仲良くないよね」という体で人間関係やってるんですよね。
なので、この3人が部活動の範囲を超えて、個人的な友達として学校を出て遊びに行くときは、毎回毎回何らかの「だったらしょうがないよね」という理由を用意して遊びに行くんですよ。
大抵は、主人公の妹が空気を読んで、何らかの学校外で遊ぶ理由を用意してくれるのですが。(自分で文章にすると、改めてその異常性を確認させられますw)
ところが、高校の部活動が無くなれば、その3人がお互いに会うための建前もなくなってしまうわけで。
だから誰かが、この3人が一緒にいるための建前を作っていけなきゃダメなんです。
そうやって建前作らないと、お互いの本音をぶつけ合った時に、その回答が3人で異なった結果、この関係性が壊れてしまうかもしれない、というリスクがあり、それが恐ろしいわけです。
もちろん、マイルド・ヤンキー的な、学校卒業しても大学生暇だし、普通に遊びに行けばよくね?という価値観も知っていますが、
それはオタクでぼっちを気取って、リア充爆発しろと建前で言っている主人公にはできないし、
安易に「どっか遊びに行かない?」と誘った瞬間、それは「自分はあなたと友達になりたいです」と宣言しているに等しいわけで、それは今の関係を変えてしまいかねない。

そして、社会規範という表現が出てきたのは、この3人は一緒の大学に進学するの?ということに対してであり、
友達と一緒の大学に行きたいから、志望校を下げる、というのはかなりリアルな問題でしょう。

> > > > まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、
> > > > 法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、

> > > こういうケースがあるのは知ってますけど、これをリアルだとは感じませんよ(笑)。
> > > 2股、3股なんて例ならまだしも、リアル・ハーレム婚は日本だと希少例すぎますから。
> > > とは言え、これが洗脳や調教を扱った話題であれば、その限りではありませんけどね。

> ちなみにこの例、後から少し気になったのですが、
> 洗脳や調教と言うよりも、宗教的な話だったんですかねえ?
> ハーレムを作っちゃう人は、リアルに存在するにしても、
> 養子縁組までして、キチンと法律的にも繋がろうとする例は希少でしょうし、
> そこまで行うとすれば、日本の法律では重婚が禁止されているものの、
> 教義的に、4人まで結婚OKのイスラム教徒とかであれば、現実味も増すのかな?と。
>
> とは言え、イスラム教の重婚許容という教義も、そもそもは戦争未亡人や遺児の救済目的ですし、
> 現代的な価値観とも合致し難く、経済的にも負担が大きい為、
> 今ではムスリム社会でも、余程の富豪か、途上地域でも無い限り、あまり見られない事なので、
> 単に日本在住のイスラム教徒というだけでは、そうそう無い話ではありますが。


宗教的、ということは無いですよ。
主人公は千葉県のオタクの高校生であり、文化祭やったり、修学旅行へ行ったりする、ごく普通の平和な話です。
ですけど、この3人の関係性の行きつく先という意味においては、監禁したり、とかそういう未来も多少はあり得たのかも?
監禁はあり得ないにしても、というかあり得るとしたら精神的な束縛ですかね。
口で明確に言葉にしないにしろ、何となくの雰囲気で相手を拘束する、といことは普通に現実でも恋愛とかでありますし(彼氏がショートの髪型好きだから、ショートにするみたいな)、
髪型程度なら大した問題でないものの、そうした雰囲気による精神的な支配は、行きつくところまで行きつけば、実質的な監禁にだってなり得る可能性はありますし。
ブラック企業で、辞めた元社員を現役社員同士で非難し合い、逃げられない雰囲気を社内に作る、なんていうのはある意味では監禁でしょう。

書いておきながら「これ伝わんねえわ」という気しかしない文章ですみません。
個人的には、管理人さんのマイルド・ヤンキーでは普通でしょ?という指摘から、また作品に対する考察が深まって勝手に楽しめました。

> > > > 俺ガイルも既に2シリーズほどシナリオ分岐(?)的なif展開を作者が書いてますね。
> > > 1つの物語として、作品を仕上げる感覚が強かった、一昔前までは、
> > > ifルートを公式で扱ってしまうのは、一種のタブー的な認識があったかと思いますけど、
> > > そういう意識が薄れてきたのって、描き手がゲーマー世代になったからなのか?
> > > はたまた、プロ作家の同人活動が珍しく無くなってきたからなのか?

> > それもありますが、そもそもifルートを書いて面白いラノベといもの自体が珍しいと思うんですよね。
> > ラノベとして商業出版する以上、ifルートも一定以上面白くないといけないわけで、それってなかなか難しいですし。

> う〜ん、ラノベの事は詳しくないので、その辺の事情はよく解りませんが、
> 面白いストーリーである程、ifストーリーの需要が高まるのが、一般的では無いですか?
> だからこそ、人気の歴史if小説みたいなモノが、これだけ量産されてる訳ですし、
> ストーリーの出来が良ければ良い程、「あの時、ああしていれば」「こうしていれば」と、
> 読者の方から、ジワジワと欲求みたいなモノが沸き上がるような気はします。


物語として、背後の流れみたいなものが出来上がっていれば、そういったifルートも作りやすいのかもしれませんが、
今の作品はキャラクターありきだからか、ifルート想定すること自体が難しい気がしますが。

> > > > 自分も、なんだかんだで岡田斗司夫の二番煎じしか言えてない、みたいな部分は自覚していますので。
> > > ちなみに、「教養としての10年代アニメ」は、
> > > 近畿大学での講義を、書籍化したモノらしいのですが、
> > > 四半世紀前、東京大学で岡田斗司夫が行った講義も、
> > > 「東大オタク学講座」として書籍化されてますけど、
> > > https://www.amazon.co.jp/dp/4062759381
> > > こちらに関しては、旧トルコ担当さん的に、どのような扱いなのでしょう?
> > > 大学での講義として、オタク文化を語っているから、同じ穴の狢?
> > > それとも、岡田斗司夫の講義であれば、また別格?

> > 「東大オタク学講座」はそんなに面白くなかった印象。
> > やはり、オタク人としての岡田斗司夫の最高傑作はYouTubeのジブリ解説と、ガンダム講座でしょう。

> YouTubeのジブリ解説やガンダム講座が出色の出来である事は、私も同意(笑)。
> 対象とする作品の放映時間よりも、長く話せて飽きさせないのは、
> もうそれだけで、話の内容が面白い証拠ですからねえ。


> でも、だからこそ逆説的に言えば、岡田斗司夫の話って、
> 「どこまで本当なんだか」という疑いを、頭の片隅に抱いて聞く感じなので、
> そのまま素直に受け売りとか、ちょっと難しいタイプの人ではありますよね。
> まあ この辺りは、オタキングとして一世を風靡した一方で、
> 様々な悪評やトラブルも、同じくリアルタイムで見聞きした世代の捉え方と、
> それを知らない世代の視聴者層とでは、やはり大きくイメージが違ってきそう。
> ひろゆきとか、ホリエモンとかも、似たような感じですけどね。


私は、評価経済論などは、何となく正しい気はするけど、実際のところよく分からない、けど面白い。
みたいな感覚なのですが、評価経済っていうのはどういうことなんでしょうか?
それこそ評価経済が正しい未来予測なのであれば、私も普通の会社で匿名の社員をやるより、今は不安定でもいいから、とにかく私自身の名前を認知してもらえるような仕事をした方が、良いということになりますし。
実際、評価経済社会って、今のインフルエンサー程度が終着点なのか、それとも本当にお金よりも評価が優位になる社会が来るのでしょうか?


[23808] Re2:オタクの教養と古典の素養(その2)返信 削除
2022/1/15 (土) 15:25:00 旧トルコ担当

▼ 80年代後半から、90年代前半のオタク文化について
> > 80年代後半から、90年代前半のオタク文化って、個人的にどうしても印象が薄いんですよね。
> > それ以前の70年代後半から80年代前半であれば、
> > ヤマトがあり、ガンダムがあり、アニメ雑誌が創刊され、コミケが生まれ、オタク文化が誕生した時代ですし、
> > それ以降の、90年代後半から00年代前半であれば、
> > エロゲから始まり、アニメ、ラノベなどで、萌えが確立された時代であり、明確なカラーが存在するのですが、
> > どうにも80年代後半から、90年代前半というのは印象が薄いと。
> > まあ、ゲームの黄金時代は明らかにこの時代ですし、ジャンプなど少年マンガが最盛期を迎えているわけですし、
> > オタク文化自体は盛り上がっていて、単に私が関心のないジャンルだからかもしれませんが。
> > それでも、私が関心を持たないというのは、
> > イコール今のオタク文化にあまり影響を与えていないということでもあると思うんですよね。

> 何だか「自分基準が凄いな(笑)」という感想はあるものの、それはさておき、
> これはまさしく、「木を見て、森を見ず」みたいな感じになっちゃってませんか?
> 旧トルコ担当さん自身もTVゲームや少年マンガについて触れているのに、
> どうしてそれを、そこまで軽視してしまっているのでしょう?
>
> 70年代後半から80年代前半が、0から1になった時代だとしたならば、
> 80年代後半から90年代前半は、1が10にも100にもなった時代であり、
> この時代があったからこそ、今の人たちも楽しんでいる「オタク文化市場」が生まれた訳で、
> 逆に言うと、この爆発的な成長期が仮に存在しなかったとしたら、
> アニメだって、ゲームだって、マンガだって、今のように多くの人が楽しむ社会になってませんよ!!
> 1から0に戻ってしまう分野なんて、決して珍しくは無いですし、
> 1のまま、ニッチな世界として、人知れず細々と続くだけケースだって有り得たはずで、
> そうならなかったのは、この「黄金の10年間」があったればこそであり、
> これは、0が1になったタイミングや、絶頂のバブル期だった経済的自由、
> そして何より、分厚い団塊Jr.世代という巨大市場があったればこそと言えます。
>
> もしも、トトロやラピュタが、AKIRAが、攻殻機動隊が存在しなければ、
> もしも、スーパーマリオが、ソニックが、ドラクエやFFが存在しなければ、
> もしも、ドラゴンボールが、スラムダンクが、北斗の拳や聖闘士星矢が存在しなければ、
> 日本国内は勿論の事、更には日本サブカルの世界への波及まで含めて、
> 今の日本のアニメ・ゲーム・マンガの隆盛や、社会的な認知や許容があったかどうか???
> 「あまり影響を受けてない」というのは、あまりにも巨大すぎて認識できてないだけかと・・・・
> だってこれって、萌えが確立されたとか、そんな規模より遥かに大きな次元な話じゃないですか。
> 明確に「これが生まれた」と目立たないのは、あれもこれもと続々生まれた時代だからで、
> カラーで例えるというのであれば、赤色とか、青色とか、単色の時代ではなく、
> それこそ7色の虹色時代だったからこそ、単色フィルターでは捉え難いとも言えるかも?
>
> まあでも、その中から強いて挙げるとすれば、この時代を象徴するのは「TVゲーム」でしょうね。
> ファミコンの誕生こそ1983年ですが、これが爆発的にヒットするのは、
> 1985年のスーパーマリオ登場以降の話で、1988年のドラクエ3発売はそれこそ社会現象となり、
> セガやPCエンジンとの競争や、新機種スーパーファミコンの登場を経て、
> ソニーが次世代機PlayStationで市場参入するのが1994年ですから、
> 80年代後半から90年代前半の10年間は、まさしくTVゲームのディケイドと呼べるかと。
>
> あとは、もっと主観風速的に凄かったモノとしては、
> キン肉マン消しゴムや、ビックリマン・シールの存在があるかな?
> これらの一大ブームがあったからこそ、
> グッズの量産化と収集というビジネス&文化が根付いたとも言えますし、
> これはこれで、後世のオタク文化にも、大きな影響を残したと言えるのでは?
>
> その他にも、ヤマトが一過性のブームで終わったのに対して、
> ガンダムが未だに続く作品や商品となり得たのは、この時期、
> アメリカより襲来した、オモチャ&アニメ業界の黒船「トランスフォーマー」の存在があり、
> それに対抗すべく、アニメではガンダムの続編や派生作品が作られ、
> オモチャではガンプラが、技術や作品的に独自進化を見せるなど、
> 従来の、次から次へと人気作を生み続けて、消費し続ける路線から、
> 人気作の人気を定着させ、長く持続させろ戦略が取り始められたのも、この時代でした。
> 当時の人気ぶりを考えると、トランスフォーマーがほぼ壊滅状態なのは残念ですが、
> でもまあ、普通は時の中に消えていくモノで、生き残り続ける方が奇跡ですから。
> ついでにオモチャ系だと、この頃はミニ四駆ブームとかもありましたね。
>
> そして、マンガやアニメにおいては、基本的に小中学生で卒業だったモノが、
> それ以降も継続的に楽しむような作りになったのも、
> この頃のジャンプ黄金期の作品群や、そのアニメ化作品の存在が大きかったでしょうし、
> それは、その後に続く「深夜アニメの登場」への、重要な下地になったとも言えそうです。
> 言い換えるなら、少年ジャンプながら、その読者対象が少年だけに限らなくなったと言うか、
> もちろん、それ以前にも、少年マガジンの「あしたのジョー」が、
> 大学生や若手社会人に読まれた事例もありましたけど、
> それは例えば、魔法少女モノに、大きなお友達のファンが付くような現象で、
> そうではなく、戦略的にターゲットを広げたという意味では、この頃だったかな?と。
> それこそ「花の慶次」なんて、とても小中学生向けの作品じゃなかったですし(笑)。


「1が10にも100にもなった時代」、なるほどそういうことだったんですね。
というのも、何となく80年代後半から90年代前半は、「アニメ冬の時代」のイメージが強く、
というのはオタク第1世代史観が強く反映されていたからなんでしょうかね。

長いので読む必要ありませんが、下のリンクのアニメの冬論争とか、
http://www12.plala.or.jp/sikoukairo/90history01.htm
あとはhttps://note.com/found/n/neba42110b6bfなど
図書館で読んだ本なんかも、どうしてもオタク誕生の70年代後半をメインに扱った書籍が多く、
そうするとどうしても80年代後半からは、テレビでのアニメブームが終わり、OVAの時代、みたいな感じになりがちでした。
でもこれって、明らかに70年代後半にオタクになった、第一世代の史観なんですよね。
オタクの歴史系の本でも、80年代後半から90年代前半のアニメ等があまり扱われないのって、逆にメジャーすぎて「あえて書く必要ある?」という感じだったのかな?

いやー、長年の疑問がかなり整理されました。
前々から、数字でオタク史見なきゃいけないとは思っていたのですが、なかなかそんな数字は出てこないんですよね。

「当時(注:70年代後半)オタクは100人の村であった」という氷川隆介さんの発言や、
「オタク第二世代(80年代後半から90年代前半あたり)からオタク・グッズが出てきて、自分たちの時にはグッズなんてなかった」という岡田斗司夫の発言も、
自分としてはかなり謎発言だったのですが、なるほどそういうことだったんですね。
第一世代のオタクはみんなお坊ちゃん・お嬢ちゃんというのも、確かに納得。
70年代後半から80年代後半のオタク史のイメージも結構変わりました。
そうか、ガイナックスもそういう時代にアニメ作ってたんですねえ。
そうか、逆に90年代中期くらいがオタク文化の1つの最盛期と捉えることも可能なんですね。
オタク第二世代についても、正直よく分かっていなかったのですが、なるほど確かにオタク第一世代とは結構違いますね。

あと、80年代後半〜90年代前半のオタク史が分かってくると、管理人さんの新しい文化が生まれてきていない、というのも確かに結構納得できます。
まあ私が思うには、新しい文化自体は生まれているけど、それが高齢化によりパワー不足になっている、という気がしますが。

> > この時代って第二次ベビーブーム世代が10代後半になった時代であり、
> > 人口から考えると、もっと新しいものが色々出てきても良いと思うんですけどねえ。
> > 逆に、人口が多かったこの時代に、現在まで影響を与えるような、革新的なものが生まれていなかったとしたならば、
> > 文化の新しさと人口は関連性が低いということとなり、これからの時代にも期待が持てるのかも?

> 別に市場規模に関して言えば、日本の人口自体は減っても、
> 世界規模に市場を拡大していけば、遥かに大きなモノが望めますし、
> あとは、その販路拡大能力であったり、良作増産能力であるでしょうが、
> どちらかと言うと、そのちらの方こそ大きな問題を抱えてそう・・・・
>
> > ちなみに、これも教養かと思い、『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ』を第1巻のみ読んでみたのですが、
> > 正直あまり面白くなかったんですよね。
> > まあ、好みもありますし、私が上記2作の面白さを理解できるだけの能力がなかったということかもしれませんが、
> > 結構前に管理人さんがおっしゃっていた『スレイヤーズ』の革新性ってどの辺だったのでしょうか?

> ハハハッ、そりゃ今、スレイヤーズを読んでも、あまり面白くは無いでしょうね(笑)。
> 当時は、「RPG的なファンタジー世界って、こんな感じだよね」という、
> 王道的な作品しか無かった時代に、王道作品における「お約束」をことごとく破り、
> まだ「厨二病」なんて単語も存在しない頃に、厨二心をくすぐる要素を詰め込んだ作品でしたからねえ。
>
> 今ではもう、王道的な作品の方が絶滅危惧種であり、
> 「お約束破り」や「お約束弄り」こそが主流な時代となってしまいましたが、
> それを1番最初に行った作品こそが、スレイヤーズだったという訳ですね。
> 同じく、読者の厨二心をくすぐる手法などは、今では当たり前すぎて意識されない程ですが、
> 今現在から見れば、よくある設定の作品ですし、古い作品なので稚拙さなども目立つでしょうが、
> 「それら全ての作品の源流となった作品」と見たならば、それが如何に「革新的」だったかが解るかと!!
> だってスレイヤーズ以前には、お約束破りをする作品も、厨二心をくすぐる作品も、存在しなかったのですから。
> 本流ではなく亜流であり、道徳的ではなく娯楽的である、中高生向けの小説として、
> 従来までのジュブナイルという呼称ではなく、新たにライトノベルという呼称が、
> ここから始まったという記念碑的作品であると考えれば、今読んで面白いとかじゃないんです。
>
>  「黄昏よりも昏きもの 血の流れより紅きもの
>   時の流れに埋もれし、偉大な汝の名において、我ここに闇に誓わん
>   我らが前に立ち塞がりし、全ての愚かなる者に
>   我と汝が力もて、等しく滅びを与えんことを」
>
> このドラグ・スレイブの詠唱は、今でもかなりの人が、諳んじられるんじゃないでしょうか(笑)。
>
> 解りやすい例え話かは兎も角、お笑いの歴史に例えてみると、
> 萩本欽一やドリフといった王道の笑いが、お茶の間を席巻していた時代に、
> それをブチ壊すような、ビートたけしが現れた感じに近いんですかねえ?
> もちろん、確固とした王道があればこそ、こうした邪道は輝きを増すモノですし、
> 「8時だよ全員集合」のような王道コントは、時代を越えても それなりにウケますが、
> 「ひょうきん族」のような邪道コントは、その時の瞬間風速は凄くても、時代が経つほどに色褪せるモノです。
> しかし、だからと言って、当時のたけしや、ひょうきん族が作った(壊した)笑いが否定される訳ではなく、
> それ所か、現在のお笑いというのは、そうした邪道路線の延長線上に存在するモノなので、
> それを1番最初に切り開いたビートたけしの「革新性」というのは、やはり大いに評価されて然るべきであると。
>
> もう少し例え話を続けるなら、「今の当たり前を作った凄さ」とでも言えば良いですかねえ?
> 例えば以前、知人から、世界遺産に認定された西洋美術館に関して、
> 「こんな何処にでも在る普通の建物の、一体何が凄いのかが解らない」
> と言われた事があるのですが、
> その「普通」と感じさせる事こそが、「何よりの凄さ」の証であると!!
> 近代建築において、何処でも見られるような当たり前の5原則が、
> 初めて この世に現れたモノこそ、ル・コルビュジエの建てた作品群であり、
> だからこそ、世界遺産として選ばれた訳ですからねえ。
> そして、今までに存在しなかったモノが、当たり前になる過程を体験した世代と、
> 既に当たり前となった現在しか知らない世代とでは、
> 同じモノを見ても、感じ方はまるで異なるでしょうし、
> こればかりは、いくら言葉で説明しても、なかなか実感は伴わない気がしますね。
> それこそ、「歴史の目」というモノを、養わない限りは・・・・


この辺は私の場合、庵野爆発で実感しましたね。
凄いと言われた庵野秀明の爆発を期待してみても、案外すごくない。
けど、庵野以前の爆発を見たらビックリするくらいお粗末なんですよね。

で、スレイヤーズ以前のお約束破りをしない作品や、厨二心をくすぐらない作品ってどんな感じだったんでしょう?
あるいは具体的な作品名としては何になるのでしょうか?

▼ ニコニコ動画
> > > それとニコニコ動画の方でも、PCからスマホへの利用者移行により、
> > > ニコ動のコメント文化を変えたとの見方もあるようですが、実際どう感じられてます?

> > 自分はGINZA時代(13年10月頃から18年6月下旬まで)の真ん中あたりからしかニコニコを見ていないので、
> > 正直スマホ化の影響はよくわかりません。

> その頃がニコ動デビューとなると、私とは完全に入れ違いですね。
> GINZA時代の頃となると、もう個人投稿もコメント職人もツマらなくなってた頃で、
> 個人的には「将棋電王戦」とか、限られたコンテンツしか視聴しておらず、
> 2016年頃からは、ほとんど視聴しなくなったので・・・・
>
> ちなみに、視聴開始の時期となると、それこそ私の場合、
> ニコニコ動画やYouTubeのサイト開設以前から、Flash動画を作っていた世代なので、
> これらの動画投稿サイトは、開設直後から興味本位で利用していましたね。
> YouTubeがまだGoogleに買収される前で、詐欺サイトの広告を平気で貼っていたりとか、
> ニコ動にまだ動画投稿機能が無く、YouTubeに寄生してた頃も覚えています。
> 高画質になった今では、全画面表示ボタンで4K動画を楽しむような時代になってますが、
> 同時はあまりに低画質な為、逆に「画面縮小ボタン」がYouTubeに付いてたりしたんですよ!!(笑)
>
> また、一方通行的なYouTubeの動画に対して、コメントを介して双方向的に繋がるニコ動の方が、
> いろいろと問題を抱えながらも、面白さの面ではYouTubeを一時圧倒していたのですが、
> 今ではもう、あっさりと逆転されて、天と地ほどの差になってますね・・・・
> 私自身、今ではYouTubeの方を見てますけど、それでもやはり一抹の寂しさや物足り無さは正直あります。
> YouTubeって、番組数は超大量でもあっても、基本的にはテレビとあまり違わず、目新しさは乏しいですし、
> 中には掘り出し物な動画も数多くあるものの、質の面ではテレビ番組とは比べ物になりませんから。
>
> > ただ、それ以前にもはやニコニコ動画はもはや廃墟ですね。
> > 私はほぼ毎日、ニコニコ動画の24時間ランキング
> > (https://www.nicovideo.jp/ranking/genre/all?video_ranking_menu)をチェックしているのですが、
> > いつ頃からか忘れましたが、(YouTubeを追放された)ワクチン陰謀論とか、アダルト動画の切り抜きとか、
> > 昆虫が昆虫を食べる動画とかがランキング100位以内に上がってくるようになりました。
> > その他にも、明らかにYouTubeに同時投稿してそうな動画とか、
> > 明らかにYouTubeの釣りサムネっぽい動画とかが当たり前のようにランキングの多数を占めています。
> > 個人的には、「ニコニコ動画の世紀 2019(sm36069424)」に書き込まれた、
> > 「ニコニコが発信する場ではなく吸収する場になったんやなって」というコメントが最適な表現かと。
> > そういう意味で、ニコニコ動画の転換の年は16年であったと思います。

> あまりキチンとは覚えていないので、記憶違いもあるかも知れませんが、
> 昔の24時間ランキングって、1日経てばガラリと作品が入れ替わる感じで、
> 私自身の好みがマニアックな事もあり、すぐに沈んでしまう面白い作品を見逃さぬよう、
> だからこそ私も、毎日のようにチェックしてた時期はありましたね。
>
> 黎明期から成長期に掛けての時期というのは、それこそカンブリア大爆発のように、
> 誰もが手探りの中、様々な実験的な作品が生まれ続けた頃でしたし、
> 「新しいモノを発見できる」楽しさとしては、本当に満ちあふれてた時代だったかな?
> そして、成長期から成熟期への転換点を象徴が、2012年に始まった「ニコニコ超会議」だったかも。
> ネットに限らず、アニメやゲーム、そして世の中の様々な事柄が そうなのですが、
> 挑戦や実験を繰り返すフェイズから、安定や拡大を求めるフェイズに移り変わると、
> ファンの数は急拡大していくものの、同時に新しい面白味は失われていっちゃうんですよね・・・・
> まあそれ自体は、個人的には少し寂しいモノですが、社会的には致し方ない面はありますし、
> 人を選ぶ尖った楽しみは減っても、多くの人が楽しめるモノに変異するのは、悪い事ではありません。
>
> ただニコ動の場合、それによって生じる固定化やマンネリ化により、陳腐化していくスピードが、
> 一般的な事例に比べても、恐ろしく早かった気はするんです(泣)。
> それこそ、ネット上のバーチャルな空間に存在したニコニコ動画が、
> 超会議をキッカケに、リアルなイメージを持ってしまったが故に、
> 人気・収益・影響力などを拡大する面で、あまりにも安易な方向に流れてしまったと言うか、
> 「創作と消費」のバランスを自ら進んで崩し、イナゴの大群を招き入れてしまったと言うか・・・・
>
> もう少し具体的に言うと、「アニメ・将棋」と並び「政治」を3大コンテンツとした為、
> 2chとかもそうなのですが、そっち方面の人々が大量投下されて場を荒らされると、
> サブカル・アングラ・アカデミックな面々は、自然と足が遠退いてしまいがちですし、
> それ以外にも、コメントも含めての動画であった為、面白い発言にはセンスが要求されましたが、
> 当人は面白いと思ってるテンプレ・コメントに溢れ出すと、それがツマらない層は姿を消しますし、
> ボカロ動画と歌ってみた動画の融合により、「歌い手」の人気が高まっていくと、
> 動画自体よりも個人にファンが付き、それが流動的だったニコ動内の空気を固定化する作用が働き、
> 結果的に、変動されないランキングや、似た動画ばかりに埋め尽くされるランキングなど、
> 塊の中の人々は楽しくても、それ以外の人々は飽き飽きする状態へとなっていったんです。
> それが多分、私の感覚だと2013〜15年くらいの時期だったかなぁ?
> なので私は、この頃から徐々に、ニコニコ動画を見なくなっていったんですよね。
> だって私にとって、「(コメント込みで)面白い動画」というのが、ほとんど姿を消してしまったから。


情報ソースは忘れてしまいましたが、超会議は超会議で儲け重視というより、新しい文化をさらに開花させるための投資だった、という印象。
超会議で赤字になり、その赤字により社員をリストラせざるを得ず、それでも超会議はやり続けたらしいですし。
ただ、どこかのタイミングでニコニコ自体がニコニコを見捨てたのも事実でしょう。
ただそのタイミングは16年以降じゃなかったけな?

> ちなみに、私個人としては「ニコニコ技術部」系の動画とか好きでしたけど、
> 旧トルコ担当さん的には、一体どんな系統の動画が好みだったんですか?


結構何でも見てますけどね。
ニコニコは1アカウントでフォローできる上限が600であるので、仕方なく私は2つ目のアカウントを作ったのですが、両アカウントで700以上フォローしてますからね。
ニコニコ見るなら、最低限の教養としてハルヒ、ローゼンメイデン、らき☆すた、くらいは押さえとかなきゃダメでしょ、と思って全部見たくらいにはニコニコにどっぷりでした。
ただ、アイマスはさすがに沼が深すぎて、オールスターズ押さえるくらいにとどまってますね。
東方も一応原作ゲームを少し遊ぶ程度には押さえましたし。東方も沼が深すぎますが。

見たジャンル:ゲーム実況(ゆっくり、ボイスロイド)、TRPG、音MAD、MMD、アイマス、東方、アニメ(二次創作っぽい動画)、替え歌
多少嗜んでいるジャンル:解説系
見て無いジャンル:ボーカロイド、歌ってみた、ゲーム実況(生声)、技術部

> あと、余談ついでに話を加えると、2011年の東日本大震災を境に、
> その前と後とでは、日本社会全体の空気感というか、日本人の考え方みたいなモノが、
> 上手くは言えませんけど、ちょっと一変してしまった感じはあるので、
> ニコニコ動画の方も、その影響を受けた可能性は・・・多少なりとも、あるかも知れませんね。
> ただまあ、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、「東日本大震災以前の日本社会」のイメージが、
> どれだけしっかり記憶されているかは、ちょっと微妙な所ではあるのでしょうが。


東日本以前の社会というのがほぼイメージゼロですね。
私は、東日本ちょっと前くらいから小学生にして池上彰にハマっており、名前の知らない、顔も知らない人たちで構成されている社会というのを意識するようになったのがこの辺であり、
私が政治や社会や歴史に興味を抱くきっかけになったのがこのあたりですからねえ。

> > 私はニコニコのタグ検索に慣れきってしまっているので、
> > いまだにYouTubeでどう検索すればよい動画が見つかるのか分からず、
> > そこまで動画を見たいという欲求もないので、
> > 結局YouTubeには移住せずじまいで、過疎化したニコニコ島に今も取り残されてます。

> 検索に関しては、普通に自分自身が興味あるワードで調べれば、良いと思いますよ。
> まあ、サジェスト機能で提示されるワードで検索しても、
> 大勢が視聴してるだけの、あまり面白く無い動画が出てくるのが、関の山ですし(苦笑)。
> 動画数自体は大量にあるので、マニアックなワードで検索しても、たまに引っ掛かる動画がありますし、
> 時には、その中から掘り出し物的な動画を見つける事もあります。
> 最近で言うと、個人的には「ゆる言語ラジオ」↓が掘り出し物だったかな?
> https://www.youtube.com/channel/UCmpkIzF3xFzhPez7gXOyhVg
> 「古代日本語の発音」に関して検索した際、たまたま見つけたのですが、
> 当時はまだ4〜5本しか動画が無かったものの、内容の質的には非常に高く、
> そういった良質なチャンネルが、案の定 成長していくと、ちょっと嬉しかったり(笑)。
>
> また、YouTubeは長く使い続けていくと、それこそGoogleグループなだけあって、
> AIがドンドンと最適化され、オススメ動画の質も上がって来るんですよね(笑)。
> 私の趣味嗜好はちょっと特殊なので、的外れなオススメもありますし、
> AIに好みを管理されると言うのも、あまり気分が良くない面も少しあるのですが、
> それでも、自分からは見なかったであろう動画を知る機会は、確実に作ってくれており、
> これはこれで便利だと思いますよ(AIに好みや認知を誘導される危険性はありますが)。


YouTubeAIは嫌いなんですよね。
頭の悪そうな解説動画ばかりおススメしてくる。
しかも、それが面白そうなんですよね。
なので、この動画をおススメしないボタンを使ってAIが変なものをお勧めしないようにしてます。
多分、ここでAIにおススメされる動画ばかりを見るようになると、自分でものを考えない人間にさせられる気がするんですよね。


[23809] Re3:オタクの教養と古典の素養(その1)返信 削除
2022/1/19 (水) 21:16:40 徳翁導誉

▼ デジタルな恋人・娘・ペットの可能性
> > > 近未来の人類は、AI娘を喜ばせるために働いたり、色んな場所に行ったり、
> > > 何らかの作業をして、その過程で人生の喜びを得るんじゃないんですかね。

> > 「AI娘を喜ばせるために働く」って、なに、そのディストピア!?(苦笑)
> > 人類補完計画ならぬ、人類経済奴隷計画みたいな話じゃないですか???
> > まあ近未来どころか、一部の人たちは既に、例えばソシャゲ廃人の課金地獄のように、
> > 良いように、新自由主義経済のカモにされてる人たちが実在しますけど、
> > それを人類規模にまで広げるだなんて、相当悪い冗談にしか聞こえませんけどねえ・・・・

> いえ、私はAIに支配される近未来社会を肯定しているつもりも、支持しているつもりもないです。

でしょうね、だと思いますよ。
逆に言うと、だからこそ、敢えて苦言を呈するようなキツい書き方を前回しましたし、
解ってて意図的に言っているのではなく、無自覚に発言していて、
その事を指摘されても、恐らくは認識されないであろう状況の方こそ、根が深い問題であると。
でもまあ、こればっかりは、他人がどうこう出きる話ではなく、
結局は本人次第なので、この話はここまでという事で!!(笑)
今は意味は解らないかも知れませんが、今後 何らかのタイミングで ふと思い出した際、
多少なりとも、安全ブレーキとして働けば良いなぁ・・・くらいの気持ちで、私も書いた程度ですからね。

> ですが育成ゲームの延長線上というのも、スケールが小さすぎないですかね?
> で、そうしたレベルに達したAIはもう道具やツールではなく、一つの仮想人格だと思うんですよね。
> 仮想人格だからこそ、それに奉仕することで快楽を得る人も出てくるでしょうし、
> AIが戦争を煽ることもあれば、AIが逆に戦争の和平を仲介することだってあるかも?

え〜と、こういう発言をすると、何だかマウント取りみたいな感じで嫌なのですが、
濁さす言った方が伝わりやすいと思うので、ハッキリと述べてしまうと、
それこそ私は、旧トルコ担当さんの年齢と同じくらいの年月、
人工知能に関して、本職では無いものの、関心を持って学び続けていますから、
「スケールが小さすぎる」と言うよりは、AIを漠然としたイメージとしてではなく、
より明確なイメージ像で捉えて語っている為、恐らくは話が噛み合わない気がするんですよね。

例えば、「AIはもう道具やツールではなく」と発言されてますが、
私からすると、「近年ようやく、道具やツールとして使えるレベルになってきた」感じですし、
人工の知能を考える上で、人間の知能や感情もかなり調べたり考えてきましたから、
既に「一つの仮想人格」という言葉は、人工知能の事も、人間の知能の事も、軽く見すぎな気がして、
いつかは それを実現したい願いや、そこまでの道のりの遠さや困難さを思うと、
「まあ世間一般のAIイメージって、そんなモノだよな」という、感覚は一応あるものの、
「そんな簡単に言ってくれるなよ・・・」という所は、正直言ってありますね(笑)。

あとは、「本能・遺伝子」とか、「当然」とか言われると、
AIに対する思いが深いからこそ、私自身が科学的に反応してしまうというだけで、
旧トルコ担当さんが言わんとしてる所も、決して解らない訳では無いんですよ。
人間が、AIに感情移入するという事も、普通にあると考えてますし、
何なら、自分たちの手で、そうしたモノを作り上げたい願望だって正直あります(笑)。
だからこそ、この当たりの話題を続けるのであれば、私も本気になってしまうでしょうし、
逆に言うと、何となくのイメージで雑談を重ねるには、ちょっとキツい題材でもあると・・・・

ぶっちゃけ、これ以上に深く話を進めるのであれば、
相応の前提知識を、旧トルコ担当さんにも求める事になるでしょうし、
それに掛かる負担を思うと、却って、この話題はここで切り上げた方が良いのかな?とも。
そうでない話題設定としては、「育成ゲームの延長線上」あたりになりそうですが、
「スケール小さすぎ」と言われちゃいましたし(苦笑)、
もっと言うと、実際に育成ゲームをプレーされた上での返信なのかも、ちょっと解りかねてますので。
ちなみに、90年代ゲームの「森川君2号」とか「シーマン」あたりは、御存知なのでしょうか?


▼ BL・百合の背景
> > > この考え方で、「なぜ現代のオタクの間で、BLや百合が流行るのか?」ということを考えると、
> > > 「イケメンキャラや美少女キャラは、既に飽食の状態にあると。
> > > もうイケメンや美少女にみんなお腹いっぱいで、食べ飽きている。
> > > 美少女キャラが溢れているからこそ、自分は新しく出てきた萌えキャラにガチ恋できない。
> > > 満たされているからこそ、幸せにはなれない。
> > > そこで、他人の恋愛に共感することで、不足を自身の中に作り出しているのがBLや百合である。
> > > ある女の子にガチ恋している女の子に共感することで、自分はガチ恋できない女の子に、疑似的にガチ恋でき、
> > > そしてそれが満たされることで、自分も幸せになれる。
> > > だからオタクの間で、BLや百合が流行る」と考えているのですが、

> > う〜ん、こちらに関しても、半分正解で半分不足かな?
> > 確かに、作品数などのコンテンツ面で言えば、飽和状態にあるのは事実でしょうけど、
> > その一方で、平成前半の生まれを「さとり世代」などと呼ぶように、
> > 満たされてるから満足してるのでは無く、満たされてないから満足点が低く設定されていて、
> > 良く言えば手堅くて堅実、悪く言えば挑戦や冒険を避けがちな傾向がある為、
> > 共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じるんですよね、私には。

> 百合・BL論は例として語ったのであって、本気で唱えているわけではないです。
> 実際に百合・BLが広がった最大の要因は、異性に求めるハードルが高くなりすぎ、
> 同時に中途半端な現実よりも完璧なファンタジーの方が良いという、価値観が拡大したからでしょうし。
> (岡田斗司夫風に言うなら、ドリーム・ファースト)
> あとは自己嫌悪と同性嫌悪から、異性にファンタジーを求める、というのも大きいでしょう。

でしたら、私としても、そこまで異論は無しかな?

> 個人的な偏見では、異性へのあこがれより同性への嫌悪の方が強いのがBL、
> 同性嫌悪より異性へのあこがれが強いのが百合だと思っていますが、これはさすがに根拠に乏しいかな?
> 特に百合は女性ファンも一定数いますし。

BLの方はまだしも、百合に関しては、そこまで見当違いじゃ無いと思いますよ。
と言いますか、これってBLや百合というジャンル特性が どうこうという以上に、
各ジャンルのターゲットが、男性メインか? 女性メインか? の違いが大きい気がします。

あと、「百合は女性ファンも一定数いる」と言うのは、確かにそうでしょうけど、
数は少ないかも知れませんが、それはBLだって同じでしょうし、
BLアニメが地上波に登場し始めた頃、ちょっとした「純情ロマンチカ」ブームがあり、
実際、私も普通に恋愛モノとして、楽しんでみてましたからねえ(笑)。
と言いますか、旧トルコ担当さんって、BLアニメは見てます?
逆に言うと、御自身が百合アニメを観るから、女性ファンの存在に気付くのであって、
BLアニメの方は観ないから、男性ファンの存在に気付かないような気もしたのですけど?

また、「同性嫌悪」だと表現的に過剰な気がするので、「同性不要」くらいに止めますけど、
これに関しても、メイン・ターゲットが男性か女性かで、ちょっと異なる感覚。
と言いますか、女性向け作品の場合、別にBLに限らずとも、
そもそも同性不要な作品が多いと言いますか、
女性キャラは基本、主人公以外は要らない傾向が強い気はするんですよね。
少年マンガだと、スポーツ系を中心に、男同士の繋がりを描く作品は多いですが、
少女マンガでは、女同士の繋がりを軸に据えた作品は、そこまで無い気がしますし、
女同士の繋がりを扱う作品となると、主に萌え系が多いと感じるので。
で、そうした萌え系作品の場合には、今度は、読者層と同じ男性が不要になりがちだと(笑)。
この違いは、男性同士は婚姻の競争相手ではあると同時に、集団で狩りを行う仲間である一方、
女性同士だと婚姻の競争相手であり、仲間ではあっても、考えの基本単位が家族だからかと?

> 「人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無い」という意味においては、
> 恋愛結婚が少数派だった時代には、手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、ファンタジーとしてロマンチックに語られ、
> そしてそれがいざ手に入る時代が来ると、自由恋愛の嫌な点が目に付くようになり、
> 今度は同性愛が手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、
> ファンタジーとしてロマンチックに語られるようになっている、ということでしょうか。

う〜ん、これって以前にも散々説明しませんでしたっけ・・・・
「本質的」というのは、そんな表層的な話をしているつもりは無いのですが、
これを繰り返すとなると、「人間の本質的な欲求」という話は、今後避けた方が無難なのかな?
恐らく、旧トルコ担当さん的には、前出の「本能」とか「遺伝子」という用語も、
そこまで深い意味で用いてる訳じゃないでしょうし、
逆に言うと、それだと私の言いたい事って、まるで伝わらないと思いますので(泣)。

> という風に、私には百合・BLはポスト大量消費社会の一つとして見えているんですが、
> 管理人さんには退化に見えるのかぁ。

「退化」なんて単語、私が1度でも良いから使いましたっけ???
これだけ言葉を尽くして尚、それくらいの理解のされ方だとなると、
正直、かなりの徒労感に襲われるのですが・・・・
まあ、私の書く文章って、お世辞にも読みやすくは無いと、自分でも自覚してますけども。

> ちなみに、私は詳しくないですが、異性との恋愛が何らかの要因でうまくいかなくなった時には、
> 同性との恋愛がオッケーになっていくのは普遍的な法則なのでしょうか?
> 平安貴族も、平安後期には異性間の恋愛の事由がなくなり、男同士の恋愛ごっこに夢中になっていったようですし。

「普遍的な法則」とまで言うと強いですが、まあ普通にある事ですよね。
その理由は主に2つあり、1つ目は性欲や恋愛欲求を晴らす為の、異性代替の同性愛。
そして2つ目が、群れ内部の調和や集団戦闘の団結を計る為の、コミュニケーション的な同性愛。
こうした同性愛(特に男同士)行為は、人間だけでなく、動物においても意外と多く見られますね。
で、この場合は、1つ目のそれに該当するのかな。

例えば現代でも、刑務所とかは男性だけ、女性だけの収監となる為、
そこで同性同士の恋愛関係に発展するケースは、決して珍しい事例ではないと聞きます。
また、古くは古代ギリシャのスパルタとか、日本でも戦国・江戸の衆道などがあり、
戦前戦中の軍隊生活とかでも、そこは男性ばかりの世界ですから、そこで男色を覚え、
戦後の上野公園は、ハッテン場(男性同士の出会いの場)としても栄えてたんですよ。

ちなみに、なぜ上野だったかと言うと、江戸時代の頃から、寛永寺の門前町として栄え、
大勢居る僧侶相手の男娼売春宿も、多くあったという歴史の流れと、
鉄道の路線的に、上野が東北の玄関口だったという関係からですね。
数年前に、 豪華寝台特急「四季島」の特別ホーム開設で撤去されるまで、
上野駅の13番線ホームにあった男子トイレは、行きずりのヤリ場として有名でしたし、
不忍池のほとりに建つ、日本最大のポルノ映画館の2階席は、
暗黙の了解として、ゲイによる痴漢行為が平然と行われる場所でしたし、
昭和の終わり頃まで、世界遺産となった西洋美術館と上野駅との間には、
「竹の台会館(通称おかま長屋)」という、男娼窟が存在してましたからねえ。

今でこそ、ゲイの街と言えば「新宿2丁目」が有名ですけど、
あの辺りは元々、江戸郊外の宿場時代からの遊郭街(当時は宿場と売春宿は同義)であり、
そこが戦後の赤線(半ば公的な買春黙認地帯)廃止で廃れた所に、
上野浄化作戦で追われた男娼たちが、逃げ込んで発展した歴史があるらしく、
それでも未だに上野は、新宿2丁目に次ぐ日本第2のゲイ・タウンなんだそうです。
・・・って、ちょっと余談というか、話が脱線し過ぎたかな?(笑)


▼ 新自由主義の未来
> そこまで深く考えているわけではないですが、結局新自由主義も、加速して、
> 行くところまでいった末の崩壊が無いと終わらないんじゃないですかね?
> プロレタリア独裁も、ファシズムもそうでしたし。

ここは、私も同じ見立てですね。
人類の歴史なんて、その繰り返しとも言えますし。

> もしその予測が正しいのであれば、今は新自由主義がドンドン加速して行っている段階から、
> 社会の矛盾が大きくなっていく段階の途中にあり、
> 次には対立と悲劇的な結果、そして新自由主義の反省があるんでしょうね。

こちらに関しては、ちょっとだけ私の見立てとズレているかな?
社会の矛盾が大きくなっていく「途中」ではなく、
現在はまさしく、その「段階」に至っている感覚でいます。
まあ確かに、日本国内に限って言えば、そこまででは無いものの、
グローバル社会な現在、世界を見渡せば、確実にそうなってる気がしますからねえ。

> 今大学生の私の場合、あと数十年間でその一連の流れがあり、
> 人生100年時代なら50歳から70歳くらいで、新自由主義の消え去った次の時代を目撃できるのかな?
> まあしっかりとデータ集めて、考えた論ではありませんが。

そして、最も見立てが異なる部分が、ここかな?(笑)
この文章ですと、ポスト新自由主義は「30〜50年先」の話と捉えているように感じますが、
歴史を見れば、ファシズムは20年、冷戦も40年そこそこで終わってるんですよ!?
ケインズ経済の盛衰とかを見ても、1つの社会システムって、現代世界では、
だいたいは1世代(20年)、長くても2世代(40年)で限界に達するイメージがありますし、
時代変化のスピードが早まっている現在においては、
1つの周期が短くなる事はあっても、逆に長くなる可能性は低いと思うんです。

日本視点だと小泉改革以降の20年、世界視点だと冷戦終結以降の30年、
米英視点だとレーガンやサッチャー以降の40年が、新自由主義の時代と呼べますが、
果たして、これが更に30年も50年も続くかとなると、私はかなり懐疑的ですし、
既に問題が表面化している時点で、内部ではもっと進行していると見るのが無難であり、
冷戦の時もそうでしたけど、瓦解する時というのは、本当に一気に進むモノなんです・・・・
ゆっくりとジワジワ崩壊なんて、そんな悠長な例は、近現代史的に見ても稀ですので。
一連の流れが数十年も続くだなんて見立ては、相当甘いとしか思えませんよ。
数十年って、大日本帝国(77年)も、ソ連(69年)も、誕生して崩壊する長さですから(笑)。

また、歴史的な経験則だけでなく、実際の市場拡大を見ても、
ここ30年の間で、東欧・旧ソ連・東南アジア・中国・中南米・南アジア・中東の順に広げ、
今や、最後のアフリカも半ば手を着けてしまった段階に至っており、
多くの先進国では人口が減少し、世界的な人口増加も そろそろ頭打ちになりつつある昨今、
世界規模で、限られたパイの争奪戦が、今後も繰り返されるとすれば、
格差(負け組の割合)は更に広がる一方なはずで、新自由主義はかなり限界に来ている印象です。
まあ当分は、グローバルな大企業が、コスト削減で未成熟な既存市場を喰らい更に膨れ上がったり、
そうした弱肉強食な世界からこぼれ落ちた、ニッチな隙間産業に余地があるかも知れませんが、
それらだって大きな視点で見れば、別に全体のパイ自体が増えてる訳じゃないですからねえ・・・・
逆に尋ねるとすれば、一体どうすれば、新自由主義が今後も存続可能になるでしょうか?

それに、私の感覚で言うと、新自由主義はポスト冷戦とセットだと見ている為、
今後、アメリカ一極体制が終焉を迎えたとすれば、新自由主義の寿命も尽きるだろうと見ています。
そういう意味では、従来の覇権国家と、台頭する新興国家は、衝突を起こす確率が高いという
歴史法則「トゥキディデスの罠」に、米中関係がまさしくハマりつつある昨今、
このままで30年も50年も、動きのないまま続くはずが無い・・・という見立てで居ますね。
(これは、仮に米中衝突がアメリカの勝利で終わっても、衝突した時点で時代は転換点を迎えます)
数年前に流行ったピケティの「21世紀の資本」じゃないですけど、
戦争や革命という形で、歪みの補正が暴力的に行われる可能性は、今後十分あるでしょうし、
変な話、新自由主義のシステムが延命すればするほど、不満の風船も膨らみ続ける為、
それが破裂した時の反動も、風船が大きくなる程に、威力を増すだろうと推測されます。
このコロナ禍でさえも、ソフト・ランディングの機会として活かせませんでしたから。

あと、前回も含め、私の発言の主旨としては、
新自由主義システムの未来が、どうこうと言う以前に、
どんなシステムにも「建前(理想)と本音(現実)」があり、
建前(理想)の方を信じてしまうと、結果的に痛い目を見やすい忠告なんですよね。
現在進行形である、新自由主義に関しての話だと、ちょっと解り難いかも知れませんが、
例えば50年前に、共産主義の理想や建前を信じて、熱心に行動した若者が、
一体どのような末路を辿ったか・・・みたいな事を見れば、自ずと解るような気もします。
そして一方で、戦前くらいならまだしも、70年代くらいであれば、
その気になれば、相応の情報だって得られたでしょうに、それでも盲信してしまった危うさを、
今の時代に繰り返すべきではない・・・みたいな話でもありますね。
まあ、余計なお世話かも知れませんけど、これも何かの縁ですし。


▼ オタクの教養と古典の素養
> > > > > もちろん、私もオタク同士であればどの作品が一番好きか話せますが、
> > > > > オタクっぽくても本質的にそうでない人に対してだとやっぱり恥ずかしいですね。
> > > > > 世代ではないですが、「トップをねらえ!」を一回目見た時も、強烈に恥ずかしかったですし。

> > > > あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
> > > > こうなると、どの辺りのラインまで来れば、これが恥ずかしく感じなくなるのかも、
> > > > ちょっと興味が湧いてきてしまいました(笑)。
> > > > となると、90年代の「機動戦艦ナデシコ」とか、どうなんでしょ?
> > > > 同じ90年代でも、「真ゲッターロボ」みたいな振り方の作品なら、大丈夫ですよねえ?
> > > > って、そもそもナデシコや真ゲッターを視聴済みかどうかも、解らない所ではありますが。

> > > 未見です。
> > > 昔のアニメで見てるのって、ヤマト・ガンダム・エヴァ以外では、
> > > 「未来少年コナン」「バビル2世」「銀河鉄道999(半分くらい)」くらいですかね。

> > あ〜、90年代アニメは昔の作品かぁ・・・(笑)
> > まあ、それはさておき、となると、
> > 前回も貼ったように、コチラで挙げた「私がハマった作品TOP30」も、
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20466#20466
> > 00年代前半までの作品が多いので、ほとんど未見な感じですかねえ?
> > もしかしたら、「これは見た」や「これは知らない」という作品を挙げる方が、
> > 未見の作品を挙げてもらううよりも、却って早かったりするのかなぁ・・・・

> その中だと、見てるのはエヴァ・まどマギ・銀英伝・school daysくらいですね。

30作品中で4作品となると、想像してた以上に少ない印象かな?
マニアックな好みの作品も含まれてますが、多くはメジャー所だと思いますし、
ガンダムやエヴァほどでは無いにせよ、その内の幾つかは、
オタク的に押さえておいた方が良いような作品も、結構並んでる気はするんですけどね。

「カウボーイビバップ」や「トライガン」などは、
普段はアニメなど見ないような大人の男性層にも、普通に薦められる作品ですし、
逆に、子供向け作品でありながら、大人(制作陣)が本気で悪ふざけしている
「カブトボーグ」や「はれ ときどき ぶた」は、1周回ってオタクにオススメかな?(笑)
でもまあ、以前に旧トルコ担当さんが薦めてくれた作品タイプを見ると、
あまり、旧トルコ担当さん好みの作品というのは、少ないのかも知れませんね。

> > > どの作品だから恥ずかしく感じる、というより、本気で好きな作品が恥ずかしいと感じますね。
> > > 例えば萌えアニメは、客観的に見ればすごく恥ずかしいものですが、
> > > 私は萌えアニメではそこまで恥ずかしくならなくて、
> > > それはメッチャ萌えアニメが好き、というわけではないからなんですよね。
> > > ですが、本当に好きな作品というのは、その本気の分だけ、やっぱり恥ずかしくなるので。
> > > 作品そのものの性質より、個人的な思い入れの強さが影響しますね。

> > え〜と、「好きを他人に語る」のが恥ずかしいという感情は、まだ解るのですが、
> > 「トップをねらえ」に関して言うと、「見た時に強烈に恥ずかしかった」んですよねえ?
> > 好きな作品だと、その分だけ本気になるとか、思い入れが強くなるのは解りますけど、
> > そこから「恥ずかしい」となる経緯が、いまいち私にはピンと来ていないかも・・・・

> 個人的には、トップを見て恥ずかしくなるのがオタクで、
> そうならないのが何だかんだでオタクの世界にも来てるけど、オタクの世界に住んでない人、だと思っているのですが、
> 「トップをねらえ!」っていうのは、オレ達オタクってこういう奴らだよな、っていう作品なんですよ。
>   (中略)
> ということは、管理人さんも分かっていたのかな、と思っていたのですが、

え〜と、そもそも前々回の段階で、既に私はこう書いてる↓んですけど、
> > > > あ〜、何だか解る気はしますねえ(笑)。
> > > > 80年代のオタク作品だから、今みたいに上手く隠せていないと言うか、
> > > > 「周りから白眼視されても、素直に好きだと言えるヤツだけ付いてこい」みたいな感じが、
> > > > あの当時の作品だからこそ、却って溢れているとでも言いますか・・・・
> > > > 「オマエら、こんなの好きだろ!」って感じの、開き直った てんこ盛りで、
> > > > 言うなれば、変にカモフラージュせず、オタク的な欲望を剥き出しにしている所が、
> > > > 今のオタク世代からすると、気恥ずかしく感じさせるというか、そんな具合なんですかねえ?

返信が1ヶ月以上空いて、年を越した事で、話の流れとか忘れちゃいましたか?(笑)
少なくとも私としては、今回の旧トルコ担当さんの主張と、同じ事を述べたつもりなのですが・・・・
と言いますか、その辺りの事情は百も承知の上で、
更にもう1歩踏み込み、なぜ「本気で好きな作品が恥ずかしいと感じる」のか?を、
自問自答の機会を与える意味も込めて、敢えて問うてみた側面もあったんですけどね。

例えば、今回出てきたキーワードからすると、
「子供っぽいから」とか、「幼稚だから」とかいう理由で、恥ずかしく感じるんですか?
でもそれって、前回の繰り返しになりますけど、世間の目を気にするからで、
自分の内面から発する「好き」という感情に、素直に向き合った場合、
好きは能動的で、恥ずかしいは受動的なのですから、分けて考える事も出来ますし、
オタク趣味って客観性よりも主観性ですから、結局は受動性より能動性が勝ると思うんですよ。
まあ確かに、「恥ずかしい」と思う部分も実際あるかとは思うのですが、
でも本当に、そんな気持ちが強くあるのなら、例えば庵野も学生時代に、
マスクを被らないウルトラマンの自主制作映像なんて、絶対に撮ってないはずなんです(笑)。
アニメが話題だと感情が交じり、冷静に観察し難いという事であれば、仮に食べ物の話をすると、
子供ってハンバーグが大好きですけど、大人になってもハンバーグが1番は恥ずかしいかも知れませんが、
でも「本気で好き」であるのなら、わざわざ恥ずかしがる必要なんて無いじゃないですか!?
ハッキリ言ってしまうと、「おたく、かくあるべし」との格言を知ってしまったが故に、
「自分もそうあろう」と、却って自らを縛ってる印象も、正直少し受けるんですよ。

そもそも今の時代って、「漫画・アニメは子供のモノ」という価値観が、相当薄れたと言うか、
そもそもアニメなんて基本的に深夜枠しか無く、本来のメイン・ターゲットであった子供たちも、
今では深夜帯に放送されたアニメを、ネット配信とかで見てる時代じゃないですか?
アニメとは全く関係のない商品のCMでも、アニメ・キャラが起用されたり、
自衛官の募集ポスターに「ストパン」が、政府広報CMに「東リベ」が使われるような(苦笑)、
ワンピースやドラゴンボールのフィギュアを、普通に恥ずかしく感じず買えるような時代です。
となると、「トップをねらえ」が制作された、80年代当時と同じ「恥ずかしさ」というのが、
果たして今でも、同じように存在するのか?は、やはり1つのテーマに成り得るとは思うんですよ。
ただし今回、旧トルコ担当さんの返信というか回答は、
文章に熱量があって、そこは非常にオタクっぽくって好印象だったものの、
でも この内容は、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、相当量が自分自身の考えではなく、
コピペ的というか、誰かの受け売り比率が高い気がしちゃうんですよねえ・・・・
それって結局、自分の「好き」を突き詰めるオタ活動とは、内面的にズレる行為でしょうし、
それをこの熱量で行ってしまうのは、ちょっとマズい進路方向なのかな?という印象も・・・・
簡単に言ってしまうと、もっと自分らしい言葉で語って良いんじゃないですかねえ?(笑)

> トップが恥ずかしいというのが分からないということは、そうではなかったのでしょうか?
上述の通り、「トップが恥ずかしい」といのは、別に解らない訳では無いのですが、
では実際、私自身が視聴した際に、恥ずかしかったかと言うと・・・恥ずかしいは恥ずかしいでも、
それは自分自身が恥ずかしいというよりは、他者の恥ずかしい行為で自分も恥ずかしくなる感じで、
正直に言えば、好意的な意味での「恥ずかしいヤツらめ!」って感じですね(笑)。
これは、「好きなヤツなら、滅茶苦茶ハマりそうだな」というのもありますが、
それを狙って作り、それこそ前々回にも書きましたけど、
制作側の「オマエら、こんなの好きだろ!」という意図が、透けて見えてしまったので、
何だか、その辺りのイヤらしさも込みで、「恥ずかしいなぁ」って感想でした。
どちらかと言うと、90年代のナデシコの方が、その辺りのイヤらしさを、
巧みに隠そうとしている感じが読み取れて、ちょっとした嫌悪感も抱いたかな?
いや別に、トップも、ナデシコも、どちらも作品として普通に楽しめましたけどね。

> ちなみに、この話は私の妄想というわけではなく、岡田斗司夫が言うには
> 「1〜4話が総集編、5話・6話は特撮で作られた続編、だから6話は(あの時代の特撮なので)白黒になる」だそうです。

う〜ん、白黒の部分に関しては、ちょっと後付けの理由ぽいなぁ・・・・
まあ実際、「ぶっちゃけ、やってみたいから やっただけ」って
インタビュー記事も読んだ記憶がありますし、
(制作費や作画作業の圧縮も念頭にあったものの、効果は無かったなんて話も・笑)
計画的に歴史の順を追うだけなら、5話が白黒で、6話はカラーでも良かったはずです。
ですから、多分に演出的な意味合いも大きかったと思いますよ、あの白黒演出は。
特撮の歴史が動とかに関係無く、「カレカノ」の最終話でも、同じ手法を使ってませんでしたっけ?

ちなみに、ずっと白黒映像で、最後にカラーを入れる事で、より劇的に見せる演出方法は、
日本映画だと、1963年の黒澤作品「天国と地獄」であったり、
もっと古い例だと、戦中戦後に撮られたソ連映画「イワン雷帝(第2部)」で、用いられてる手法ですね。
そういう意味では、まさしく「トップにオリジナルなし」なのかな?(笑)
(でもまあ、こういうのって、開拓者の後を進む第2世代以降の自虐・自嘲でもあるんですよ)
私は幼稚園児の頃、ゴジラが大好きだったので、白黒の特撮映画とかも見てましたし、
作品の出来さえ良ければ、別に白黒作品でも、別に避けたりする事も無いかな?
実際、私のランキングの中でも、3位に白黒アニメの「佐武と市」を入れてますしね。

> だって、私の好きな作品も全部全部子どもっぽいし、
> 自分の一番好きな作品は、この掲示板にかけないくらい、子どもっぽくて恥ずかしいんですよ。

そこまで言われると、却って気になるじゃないですかぁ!!(笑)
無理にとは言いませんけど、やはり作品名を聞きたくなりますよ。
まあ、「恥ずかしがる事が、恥ずかしい」みたいな事は言うかも知れませんけど、
少なくとも、「子供っぽい」なんて理由で、馬鹿にするような事は無いですよ。

と言いますか、私個人のランキングの中でも、
大学時代にハマった「おじゃる丸」を4位に入れてる時点で、
他人の事を「子供っぽい」とか、どうこう茶化せる立場でも無いですしね(苦笑)。
(おじゃる丸のオモチャ欲しさに、マクドナルドでハッピーセットを頼みまくってました時期も)

> しかし残念なことに、そんな素晴らしいオタクの時代は、89年の宮崎事件で終わりを告げてしまうわけです。
> 小さな世界で、オレ達こういう幼稚なアニメ好きだよねって、言っていられる時代は終わり、
> 闘いの時代が始まったわけです。

あの頃の記憶はありますけど、そんな「素晴らしい」時代だったかなぁ???(苦笑)
宮崎勤事件の前も後も、オタク趣味が白眼視されてた事に違いはありませんし、
違いを言えば、事件前は「変な人」扱いで、事件後は「危ない人」扱いだった事か?
事件を機に、世間の風当たりが更に強くなったのは確かでしょうけど、
人の噂も75日じゃ無いですけど、イメージの悪化はあったとは言え、
悪い意味での世間の関心は、それほど長続きもしなかった記憶ですけどねえ。
まあウチの場合、衝撃的に報じられた宮崎勤のビデオ部屋以上に、
我が家には、映画好きな父のビデオが大量に溢れていたので、印象はさほど(苦笑)。

ちなみに、事件の逮捕劇があった1989年(平成元年)7月って、
ちょうど「魔女の宅急便」が劇場公開された時でもありまして、
前作の「トトロ&火垂るの墓」から、興行収入が4倍に急増するヒット作となった事により、
「アニメの中にも素晴らしい作品がある」とか、「ジブリだけは別」って認識になってましたし、
(ちなみに、世間の風が完全に一変したのは、2001年の「もののけ姫」大ヒット以降かな?)
マンガの方も、1990〜1995年が少年ジャンプ500万部超えの時期に当たるので、
言われているほど「暗黒時代」って訳でも無かったんですよ(笑)。
そもそも、少数派が肩身の狭い思いをするのは、いつの世だって変わらない傾向ですからね。
しかも、多くの人が楽しむ大衆作品は存在したので、徹底的な弾圧があった訳でもありません。

まあ実際の所、センセーションで悲劇的・残虐的な事件ではありましたし、
物事の流れを簡潔に説明しようとすれば、格好のポイントであったのは確かですけど、
(「10万人の宮崎勤」デマなんてあったように、オタク側的にも象徴化させやすい事件でした)
世間のネガティブなオタク・イメージを定着&増強させたのって、
直接的な事件の影響以上に、あの事件に便乗する形で、
世間が望むキモオタ像を、まさしく体現する演出で売れっ子となった
批評家でタレントの「宅八郎」の影響が、非常に大きかったとは思うんですよね。
今風に言えば、世間が望む迷惑系YouTuber像を演じる事で、人気者となった感じに近く、
実際に宅八郎も、風体的なキモさを見せるだけでなく、数々の炎上事件を起こしたんです。
へずまりゅう じゃないですけど、こうして自らを道化化する事で、悪い意味での世間の要望に応えたと。

もっと言うと、当時のオタク世代にとって、真の意味での黒歴史というのは、
解りやすく批判しやすい、宮崎勤事件などよりも、
当時の新興宗教ブームにおける、「オウム真理教に対するシンパシー」の方でしょうね。
・・・って、シンパシーというと近過ぎるので、親和性とか類似性とかの方が無難かな?
まあ ともかく、新興宗教ブームの中で、そこにオタク文化やサブカルを取り入れたのがオウムであり、
彼らの勧誘場所も、秋葉原やコミケ会場だったりした訳で、
近い存在だったからこそ、ヤバさも世間以上に実感できてた反面、
そのまま惹かれて入信・・・ってケースも、決して皆無では無かったはず。
エヴァの放送開始は、地下鉄サリン事件の半年後でしたが、当時のインタビューで庵野は、
「自分たちのオウム的な部分は、作品として昇華させた」みたいに語ってたはずですし
オウム事件が歴史となった現在においては、この辺りに触れるのはタブーな話題でしょうけど、
当時の空気としては、普通に理解できる感覚の発言ではあったんですよね。
ある意味、オタク的な妄想をリアル社会で実現させてしまったのが、数々のオウム事件なので。

> エヴァンゲリオンはトップとは真逆を行く、「最高にクールで、知的な感じのする」アニメでした。
> それは言ってしまえば、もうそういう、外に見せても恥ずかしくないアニメじゃないと駄目だった、
> そういうアニメでオタク文化を守らないと、未来がなかった時代だということだと思うんですよね。

う〜ん、エヴァが「クールで知的」なアニメかぁ・・・・
いや、別に解らなくは無いんですけど、
私的にはエヴァって、良い意味で「キモいオタアニメ」認識だったので(苦笑)。
それこそ当時は、「子供っぽいけど好き」と同じ様に、「キモいけど好き」って感じでしたけど、
椎名林檎を、素直に「かっこいい」と感じるか、メタ的に「ダサかっこいい」と見るかみたいに、
同じ作品を楽しんでいても、感じ方は人それぞれって面はありますからね。
あの衒学的な雰囲気や、昭和映画から持ち込んだスタイリッシュな演出、クラシックのBGMなど、
素直に「かっこいい」と楽しんだ人も、当時から多かったですし(ブームになって以降は特に)、
四半世紀を経た今となっては、そういう感想になったりもするのかな?

ただ、少なくとも私個人としては、「トップとは真逆」という感じは持っていませんね。
同系統・・・とまでは言いませんけど、オタク的に好きなモノを色々詰め込んだ作風は、
同じGAINAX制作な事もあって、かなり似た印象を、私的には受けましたし、
トップと同系統となると、エヴァと同時期に作られた「機動戦艦ナデシコ」の方なのかな?
制作年代も違えば、製作会社も違い、OVAと地上波の違いもあるので、もちろん同じじゃないですけど。

> やっぱりオタクじゃないというのは本当なのかな?
別に私は、「自分はオタクじゃない」と嘘を付いてる訳じゃありませんよ(笑)。
少なくとも私自身は、自分の事を、オタクではないと思ってます(オタク的ではあるけども)。
まあ実際、アニメも漫画もゲームも好きなので、「ファン」であるのは確実ですが、
自分をオタクと呼ぶには、圧倒的に「好きの熱量が足りない」と感じているので。

ですが、その一方で、自分で言うのも何ですけど、
知識量で言うなら、それなりに有る方なんじゃない無いですかねえ?
少なくとも、一般的なファンのレベルは超えているでしょうし、
逆に言うと、オタクを称する人には、非オタな私以上の知識量は正直欲しい所(笑)。
でもまあ、オタクって本来、知識の量を競い合う世界じゃないと思ってますし、
その界隈の一般教養レベルの知識は、持ってた方が良いとは考えてますけど、
しかし最も重要なのは、その分野への熱量であったり、独自の世界観構築だと思うんですよ!!

そういう意味では、普通の「好き」を超える熱量を持ってた分野って、
私にとっては、「野球とサッカー」だったでしょうし、
そこから遠く離れて、「科学」「歴史」「文化(アート)」の3分野という感じ。
で、私がサブカル分野の知識も、ある程度は持っているのも、
人並みにアニメ・漫画・ゲームが好きだった事に加えて、
「歴史」と「文化」の視点が、そこへ更に加わっているからですね。
ですから、同じ様な感じで、「科学」と「歴史」の知識から、
鉄道オタクの友人とも、普通に鉄道オタ話が出来るのですが、
しかし、だからと言って、私は別に鉄道オタクという訳ではありません。
とは言え勿論、そうしたオタ話を楽しめる程には、鉄道好きではありますけどね。

それと、以前も少し書きましたが、元々「オタク」って自称ではなく他称なので、
私自身はオタクだと思って無くても、もしも旧トルコ担当さんがオタクだと感じているのなら、
それはそれで、私の事をオタクだと思ってくれていても、別に構いませんよ(笑)。

> > ・・・って、こんな事が気になるのも、私からすると「オタク的行為」ですし、
> > 私の定義からすると、自問自答して、自己分析する人種こそ、オタクな気はしています。
> > 「この作品は、なぜ面白いのか?ツマらないのか?」から始まり、
> > 「自分は面白いのに、ツマらないと言ってるヤツが居る」や
> > 「自分はツマらないのに、面白いと言ってるヤツが居る」という分析を経て、
> > 最終的には、観測者としての自分自身の傾向を見出す方向に進むイメージがあるので。
> > 言い換えば、「好き」を突き詰めて行けば、自分が感じる「好き」とは何ぞや?に至ると。
> > 好きで満足するのはファンでしょうし、好きをコレクションするだけではマニアなので。

> 好きを突き詰めるって、どんな感じなんでしょうねえ?

150年くらい前まで、アカデミック(学問)とオタク(娯楽)って未分離だったというか、
そもそも「博物学」あたりは、当時の「オタク・コレクション」みたいなモノでしたから、
基本的には、学問的な知識の追求と、そんなにスタンスは違わないと思うんですよ。
それが産業革命を契機に、社会の近代化によって、学術的に求められる知識の枠組みが確立され、
アカデミックとオタクとは、明確に線引きされる事になる訳ですが、
この両者を分けたモノって、何を探求の中心に据えたかの違いであって、
アカデミックは「客観的な正しさ」を、オタクは「主観的な楽しさ」を軸にしたと。
そういう意味では、中心軸の設定が異なるだけで、「知の体系化」という追求の仕方は一緒かな?

> > > 要は、ぶっちゃけガンダムは古いと。
> > > といいますか、私もいろいろ勉強する前は、オタク=萌える人であり、
> > > ガンダムファンがオタクだとは思っていませんでしたので。

> > ぶっちゃけ、私からしても、ガンダムは古いですよ(笑)。
> > 別に私も、リアルタイムで見てた世代じゃありませんからね。
> > ですが、こと「教養」という観点から見るのであれば、
> > その基準となるのは「古い・新しい」ではなく、「重要か否か」であるはずで、
> > 日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!

> 「日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!」
> というのはもちろん賛同しますが、
> 日本アニメ史やサブカル史って現在の平均的なオタクの興味の対象なんですかね?
> 萌えアニメの歴史や教養であればオタクとして押さえておけよ、というのは理解できますが、
> 日本アニメ史まで範囲を拡大するの?という感じです。

それは「アニメのオタク(アニオタ)」ではなく、「萌えアニメのオタク(萌え豚)」なのでは?
(伝わりやすいよう略称を用いただけで、別に萌えアニメのオタクを腐す意図はありません)
野球界で例えるなら、プロ野球ファンと巨人ファンは別だというのと同じですね。
当然、プロ野球ファンであり、なおかつ巨人ファンであるという人は大勢居ますけども、
巨人ファンだからと言って、必ずしもプロ野球ファンであるとは限りません。
熱烈な巨人ファンであっても、パ・リーグの球団名は全て言えない人は居るでしょうが、
「プロ野球ファンを名乗る以上は、全12球団は言えて当然」みたいな感覚があるように、
萌え系は現在、アニメ界の巨人や阪神に相当する人気かも知れませんけど、
アニオタを自称するなら、それ以外の系統も最低限の知識は必要だよね、という話です。

> そういう意味では、私の思う萌え系のオタクは、管理人さんの言うアニメオタクとはある程度違うイメージ。
> ガチのアニメオタクというと、私のイメージでは、
> 宮崎キャラの走り方と高畑キャラの走り方の違いかを語っている、本当の意味でアニメーションが好きな人ですね。
> この辺、管理人さんとしてはどう思われるのでしょうか?
> 管理人さんとしては、ABC押さえたうえで、いやガンダムも見ろよなのか、
> いやエロゲとかはそこまで重要ではないでしょ、ということなのか。
> あと、ガンダムは必須として、手塚治虫とか、戦後アメリカのSFとかはどうなんでしょう?
> オタクならそこまで押さえとくべき?

1つ1つの作品の要不要を問うよりは、もっとザックリしたイメージで言うと、
オタク同士で話していて、出てくる用語や作品の説明をわざわざする必要が無く、
共通認識として語れるレベルって感じですね、個人的には。
そういう意味では、どの程度のオタクを目指すかという事なので、
要したり、欲したりする知識量は、個々人や各分野ごとに異なるでしょうし、
「自分はどの当たりで満足するか?」 「相手には最低限、どの程度を望むか?」
というのは、自ずと出てくる課題ですよね。

もう少し解りやすく言うと、学校に例えるならば、
小学生レベルか? 中学生レベルか? 高校生レベルか? 大学生レベルか? 研究者レベルか?
自分自身が現在どのレベルに居て、どのレベルを目指し、
相手がどのレベルだと、ストレス無くオタク話を楽しめるか・・・みたいな感じで、
前者の方で求められる知識量が決まり、後者の方でその人がオタクと認めるラインが定まると。
一言に「数学が得意だ」と言っても、中学レベルの数学と、大学レベルの数学は違いますし、
英語は大学レベルだけど、理科は小学レベルの人は、総合的に大学レベルと呼べるのか?とか、
コンピュータは扱えなくても、生物学を極めていれば、その人は理系だよね、って具合でしょうか。

・・・と、これだけでは話が抽象的でしょうし、具体的に質問に答えると、
もう何度も繰り返して言ってますけど、現在では、
広義的な意味での「オタク」という単語使用が広まり、
「ファン」と同じ様な意味で使われることが増えているので、
それをどうこう言うつもりは一切無いんですよ、言葉は生き物ですし。

ただ一方で、私が個人的に「この人はオタクだなぁ」と感じるラインとなると、
少なくとも私自身は、自分の事を「オタクと呼べるレベルにはない」と見なしているので、
私よりも上のレベルの人と言うか、その人のオタク分野の知識や活動を聞いた時に、
関心させられるレベルの人を、オタクだと見ている感じですね。
そういう意味では、手塚治虫も、SFも、エロゲも、ガンダムも、
私が気遣いする事なく、わざわざ説明せずとも話が通じる相手であれば理想ですけど、
その辺りの知識がごっそり欠けていても、専門分野の知識が豊富であれば充分ですよ。

もう少し具体例を述べるなら、それこそ上段で「トップのねらえ」の話題が出ましたけど、
そこで私は、「ナデシコ」とか「真ゲッター」の名前も既に出してましたから、
もしも旧トルコ担当さんが、これらの作品を視聴済みであったり、
少なくとも、どういった感じの作品で、どういう系統の代表作を把握していれば、
互いに共通認識となる土台を築けていたので、無駄な空回りする展開を避けられたと(笑)。
まあ、オタク分野に限らず、何らかの専門的な話をする際って、
この辺りの前提知識を共有できていた方が、深い話をする際にスムーズで良いんですよね。
それこそ、全く同じテーマに関して語り合うにしても、
中学生同士と、大学生同士と、研究者同士とでは、それぞれ話の密度が変わってくるみたいな。

また、特定分野の知識しか持ち合わせないと、
「凄いモノを見た!」「新しいモノが現れた!」と感動しても、
「それって○○からの流用だよ」という事は、実際には非常に多いですし、
ただ単に、個々の作品を楽しむだけなら、別に知る必要ない知識かも知れませんが、
好きを追求するというか、ファンではなくオタクだという事であれば、
その辺りも押さえておきたい所ですし、
結果的には、そちらの方が「更なる面白さ」に繋がると思うんですよね。
(百合関連の話題の際に少し触れましたけど、寺山修司の実験的な試みとか、今でも面白いですよ)
例えば学校生活では、遠足で博物館や美術館だったり、修学旅行で名所旧跡を訪れますけど、
同じ「行く」にしても、知識があるか否かで、楽しみのレベルが異なってきますし、
皆でワイワイやって楽しいだけでも良いですが、オタクなら そこの楽しさも欲しい所だと。
知識を持った上で、馬鹿をやりながらも、真面目もあった方が、同じワイワイにも幅が出ますし、
そこで楽しさを覚えたなら、学校行事だけでなく、自発的にも行きだして良いんです!!

例えば、評判のラーメン屋に行き、「これは美味しい」とリピーターになるのも良いですけど、
そこから更に、「もっと美味しいラーメンを知りたい」と、自らラーメン屋歩きを始める事が、
好きの追求というか、オタク的な在り方のようにも思えるんですよね。

> > > そういう意味で、オタク的な教養はせいぜいエヴァまでな気はします。
> > それって、何か明確な基準があっての、エヴァでの線引きなのでしょうか?
> > もしも、旧トルコ担当さんの世代的にという話であれば、
> > エヴァだって25年前の作品ですから、これだって充分に古いでしょうし、
> > それこそ、旧トルコ担当さんよりも更に若い世代から見れば、
> > 11年前に連載が始まった俺ガイルにしても、充分に古い作品でしょうからねえ。

> 今の作品=今アニメで放送されている作品、あるいは今後2期、3期が来そうな作品、
> というのが今のオタク的な感覚ではないでしょうか?
> なので、俺ガイルはアニメ最新作が20年放送で、原作ラノベが現在も刊行されているから今の作品。
> ソードアート・オンラインも映画が続編製作中で、原作も刊行中なので今の作品。
> ポケモンも新作が作られ続ける限りは今の作品という扱いです。

・・・となると、「ぶっちゃけガンダムは古い」という、最初の話が揺るぎませんか?
最近だって、「ハサウェイ」や「オリジン」があった訳ですし、
そういう意味ならばガンダムも、現在進行形の「今の作品」となるはずですが(笑)。

> > > > > ふと気になって調べてみたところ、
> > > > > エヴァ放送時に20〜15歳だったエヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。
> > > > > そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然ですね。

> > > > でも、単純に人口比の数字だけで言うのであれば、
> > > > 今から20年後に劇場公開して、470万人(シン・エヴァの7割)を動員できる作品が、
> > > > 2010年代アニメの中に、果たして在るのか?って事でもありますよね。

> > > もちろん、世代動員率とでも名付けるべき値がエヴァは非常に高かったというのも承知しています。
> > > ですが、世代動員率には世代の総人口が必ずかかっているわけであり、
> > > 世代の総人口が減れば文化的な厚みは減って当然ですよね。

> > いや〜、人口とは絶対的な値であり、動員率とは相対的な値なのですから、
> > 絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする事を、
> > 「当然」であるとは、私はまるで同意できませんけどね・・・・
> > 逆に言うと、なぜ「当然」と思われるのか、その理由を伺ってみたい所。
> > これはもう、エヴァがどうとか関係無く、純粋に科学的な話として。

> 何でしょう、書き方が悪かったのでしょうか?
> 「絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする」という趣旨ではなかったのですが。
> 例えば、アニメ人口100万人の90年代中期にアニメA、B、Cが放送されていたとして、
> アニメAを80万人が見て、Bを10万人、Cを10万人が見ていた。
> 同じく現在、アニメa、b、cが放送されていたとして、
> アニメ人口が50万人ならば、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人見ていたとすると、
> 各アニメの世代動員率(=人気集中率)がどうであれ、
> 全体の母数の100万人、50万人というのは変わらない、ということを言いたかっただけです。

では、「全体の母数は変わらない」という話が、
「エヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然」
という最初の話に、一体どのように繋がるんですか?
もっと言うと、そもそも「盛り上がる」とは、どのような意味合いで用いてるんですか?
要するに、厳しい言い方をすると、「書き方が悪い」と言うよりも、
明確な定義を欠いたまま、ふわっとしたイメージで用語を用いてる為に、
その時々で、意味合いがコロコロ変わってる印象を受けちゃうんですよね。

それこそ上述の例で言うならば、
アニメ人口100万人だと、アニメAを80万人、Bを10万人、Cを10万人が見ていて、
アニメ人口50万人だと、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人が見ていたとしてますけど、
これは何故、単純に半減して「アニメaを40万人、bを5万人、cを5万人」じゃダメなんでしょう?
「人気集中率がどうであれ」と言いたいだけなら、「アニメaを45万人」だって良いはずで、
これだと80万人という絶対的値では劣るものの、比率は80%と90%なので相対的値では逆に勝ります。
ではこの場合、人口50万人の方は、盛り上がれていない事になるのでしょうか?
そして、そう見なすのは、果たして当然の事なのでしょうか?

> > > あと、私が「昔の名作アニメを履修する」ことをやたら否定的にとらえているのも、
> > > かなりオタク文化自体の高齢化を見させられているからなんですよね。

> > う〜ん、これってそもそも、「履修」という言葉に対するイメージの違いがあるのかな?
> > 取得を義務づけられた単位を収める行為というのは同じでも、
> > 卒業資格を得る為に仕方無くか? 学問理解を深めるのに不可欠か?

> 私も履修自体を否定しているわけではありませんし、
> 今絶賛ガンダムを見ているのですが、別に義務感で見ているわけでもないです。

でもきっと、義務感から昔の名作を「押さえる」べく視聴する、若手オタクは多いでしょうし、
逆に、置いてかれない為、流行の話題作を「押さえる」べく視聴する古参オタクも居るはずで、
視点を変えれば、昔の名作だけでなく、現在の話題作だって「履修」の対象に成り得ると。
それこそ昨今であれば鬼滅なんて、それを見てるだけではオタクと呼ばれませんが、
それを見ていないと、さすがにオタクとは呼べない気がしますからねえ(たとえ興味の対象外であっても)。


[23810] Re4:オタクの教養と古典の素養(その2)返信 削除
2022/1/19 (水) 21:17:15 徳翁導誉

▼ オタク的なリアルとファンタジー
> 俺ガイルの3人(主人公と、ダブルヒロイン)って、建前として
> 「私たちは部活だけの関係で、お互いそんな仲良くないよね」という体で人間関係やってるんですよね。
> なので、この3人が部活動の範囲を超えて、個人的な友達として学校を出て遊びに行くときは、
> 毎回毎回何らかの「だったらしょうがないよね」という理由を用意して遊びに行くんですよ。
> 大抵は、主人公の妹が空気を読んで、何らかの学校外で遊ぶ理由を用意してくれるのですが。
> (自分で文章にすると、改めてその異常性を確認させられますw)

まあ確かに、リアルの世界で考えれば、レア(異常)な感じかも知れませんけど、
でもオタク作品の世界観だと、結構よく見る設定じゃないですか?(笑)
非リア充な主人公が、非リア充というスタンスを維持したまま、
それでもリア充的な体験をさせるには、いろいろ設定を組まなきゃいけないですし、
それこそ、以前に名前を挙げた「はがない」とかも、似たような設定じゃありません?
また最近は、少女漫画の恋愛モノでも、この手の設定は増えてるような気はします。

> そして、社会規範という表現が出てきたのは、この3人は一緒の大学に進学するの?ということに対してであり、
> 友達と一緒の大学に行きたいから、志望校を下げる、というのはかなりリアルな問題でしょう。

そもそも、今回の件に関して言うと、俺ガイルの設定やストーリーがどうこうでは無く、
この「社会規範」という、旧トルコ担当さん自身のワード選択に対して、
ツッコミを入れてる面が大きかったんですけどね(笑)。
(言い換えれば、作品自体のリアルさではなく、旧トルコ担当さんのリアル感覚が主題)
社会規範って平易に言い換えると、モラルとか常識という意味なので、
「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」なんてモラルや常識が、社会に存在するか?
という事を、問い直してみた訳ですね、前回の話の主旨的には。

あと、日本って良い悪いは別として、未だに男性中心社会なので、
「彼女と同じ大学に行きたくて、志望校を下げる」という例は少なくても、
「彼氏と同じ大学に行きたくて、志望校を下げる」という例は結構ありそう。
もっと言えば、下げる方向ではなく、彼氏・彼女・友達と同じ大学に行くべく、
「頑張って勉強して、志望校を上げる」というのは、普通によくありますよ。
こういう共通目標の設定は、受験勉強のモチベーション・アップに、非常に効果的ですし、
ある意味、そこでWヒロインの片方だけ落ちれば、その時点で実質決着エンドかと?(笑)

それに、大学の数自体は日本国内に多くあれど、
「現実的な選択肢って、それほど多いか?」というのも、ありますね。
俺ガイルの学力設定がどうなってるかは解りませんが、ある程度の進学校になると、
上京しないのであれば、地元の国立大学を狙うのが一般的ですし、
上京するのであれば、私立大学だと、まずは早慶って感じですからねえ。
MARCHとか、日東駒専とか、同程度の偏差値帯にある大学群は、それほど数ある訳じゃなく、
同程度の偏差値帯であれば、余程の拘りの学校が無い限り、仲間と同じ大学で良いのでは?
まあ、旧帝レベルを目指すとなると、少し事情は違って来ますけども、
リアルにその辺を狙うとなると、ドラゴン桜みたいに、また別の要素が作品に加わりそう(笑)。

> > > > > まあ世の中には1人の男性が3人の女性と夫婦になり、
> > > > > 法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になるなんて言う人もいますから、

> > ちなみにこの例、後から少し気になったのですが、
> > 洗脳や調教と言うよりも、宗教的な話だったんですかねえ?
> > ハーレムを作っちゃう人は、リアルに存在するにしても、
> > 養子縁組までして、キチンと法律的にも繋がろうとする例は希少でしょうし、
> > そこまで行うとすれば、日本の法律では重婚が禁止されているものの、
> > 教義的に、4人まで結婚OKのイスラム教徒とかであれば、現実味も増すのかな?と。

> 宗教的、ということは無いですよ。
> 主人公は千葉県のオタクの高校生であり、文化祭やったり、修学旅行へ行ったりする、ごく普通の平和な話です。

いや別に、これは俺ガイルの話をしてる訳じゃ無いですよ(笑)。
旧トルコ担当さんが以前挙げた「1人の男性が3人の女性と夫婦になり」という実例に対してです。

逆に言えば、そんな宗教性を帯びたと言うか、異世界モノならまだしも、現代社会モノで、
ハーレムを正当化する為に、宗教まで持ち出すラノベ(オタク作品)というのが、
本当に存在するのであれば、それはそれで少し興味深いなと、ちょっと思っちゃいました(笑)。
Wヒロインとの重婚エンドは、50年前の「いなかっぺ大将」から既にありますけど、
宗教的な事由とか、法律的なケジメまで付けてる作品を、少なくとも私は知りませんからね。

> 個人的には、管理人さんのマイルド・ヤンキーでは普通でしょ?という指摘から、
> また作品に対する考察が深まって勝手に楽しめました。

まあ正直、転勤族として日本各地を数年おきに転々として育ち、
「地元」というモノを持てなかった私にとっては、
「地元大好き」で、子供の頃からずっと関係が続く人々というのは、羨ましくもあるんですよね。
私は地方暮らしも経験している為、マイルド・ヤンキーとかで無くても、
地元に残った人というのは、リアルにそんな感じな事は、実例として知っていますし、
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」と歌った室生犀星にさえ、
「望郷の念に涙ぐめるだけ、まだ恵まれてるよ」と思ってしまう(苦笑)。

> > > それもありますが、そもそもifルートを書いて面白いラノベといもの自体が珍しいと思うんですよね。
> > > ラノベとして商業出版する以上、ifルートも一定以上面白くないといけないわけで、それってなかなか難しいですし。

> > う〜ん、ラノベの事は詳しくないので、その辺の事情はよく解りませんが、
> > 面白いストーリーである程、ifストーリーの需要が高まるのが、一般的では無いですか?
> > だからこそ、人気の歴史if小説みたいなモノが、これだけ量産されてる訳ですし、
> > ストーリーの出来が良ければ良い程、「あの時、ああしていれば」「こうしていれば」と、
> > 読者の方から、ジワジワと欲求みたいなモノが沸き上がるような気はします。

> 物語として、背後の流れみたいなものが出来上がっていれば、そういったifルートも作りやすいのかもしれませんが、
> 今の作品はキャラクターありきだからか、ifルート想定すること自体が難しい気がしますが。

いや〜、キャラ立ちしていれば、しているほど、
ifルートに限らず、舞台設定さえ与えれば、
キャラが勝手に転がりだして、ストーリーが出来上がるモノだと思うのですが、
まあこれは結局、個々の作家の創作法次第かも知れませんね。

それこそ、今月亡くなった水島新司など、三振のシーンを描いてたつもりが、
キャラが勝手にホームランを打ってしまう事があったそうで(笑)、
さすがに、そこまでの例は珍しくとも、
「このキャラなら、この場面で、こう動くよな」くらいまで、キャラ作りできてると、
その場の状況と顔触れで、独りでにストーリーが決まって来るという話は、よく聞きますし。


▼ 評価経済社会とベーシック・インカム
> 私は、評価経済論などは、何となく正しい気はするけど、実際のところよく分からない、けど面白い。
> みたいな感覚なのですが、評価経済っていうのはどういうことなんでしょうか?

まあ将来の事など誰も解りませんし、これはあくまで私の個人的な見解ですが、
ネットの発展、特にSNSの登場によって、多くの人からの「評価」を手軽に得られるようになった昨今、
「いいね!」を求める承認欲求というのは、高まっていく一方な社会状況ですし、
社会格差の拡大により、経済的な満足感が得難い時代となって行くなら、
この傾向は、更に強まっていく事が予測されますからねえ。
逆説的に言うと、それだけ今後は、「評価」による心理的な満足感の価値が高まりそうだと。

ただ、その「評価」が、「経済」と呼べるようなモノにまで発展するかは、ちょっと不透明そう。
ある意味でそれって、ネットを介した物々交換の世界でしょうし、
交換される商品は、昔のような実用品に限らず、オタク的やアート的な嗜好品であったり、
それこそ実物など存在しないような評価や関係性であっったりなど、かなりのレベルアップが必要で、
それを上手く回して、経済や社会と呼べる程までにシステムを完成させるのは、結構至難の業かと?

で、私が考え付く範囲で、その方法論を探ろうとすると、
ベーシック・インカムの導入は不可欠だと思いますし、
そこに、アメリカにあるような食糧クーポンや、欧州にあるような地域通貨の仕組み、
更には、電子マネー化が容易となるであろう、時間と共に価値が減る通貨を組み合わせていくと、
配るお金は従来通りの通貨ではなく、言うなれば「地域発行の仮想通貨」でも良いんですよね。
こうやって、活きていく上で必要な最低限の経済通貨を、リアル通貨とは切り離して存在させられれば、
その生活に満足して、あとは心理的満足感を求めるのであれば、評価経済社会も成り立つでしょうし、
物々交換ではなく、評価の数値化をその仮想通貨に組み合わせば、実現性はもっと増しそう。
言うなれば、リアル通貨の方は、勝ち組生活者の経済的満足感を満たす為に存続し、
負け組生活者の「健康で文化的な最低限度の生活を営む」通貨として、
新たに、評価経済や仮想通貨を用いるようなイメージですかね?

・・・って、よくよく考えると、学生とは言え、
旧トルコ担当さんの方が、経済を専門として学ばれているのですから、
経済に関して疎い私があれこれ語るのも、何だか妙な構図かな?(笑)

> それこそ評価経済が正しい未来予測なのであれば、私も普通の会社で匿名の社員をやるより、
> 今は不安定でもいいから、とにかく私自身の名前を認知してもらえるような仕事をした方が、良いということになりますし。
> 実際、評価経済社会って、今のインフルエンサー程度が終着点なのか、
> それとも本当にお金よりも評価が優位になる社会が来るのでしょうか?

え〜と、何だか危なっかしい感じなので、ハッキリと言ってしまうと、
悪い事は言いませんから、まずはシッカリと「普通の会社員」をやりましょう!!(笑)
(ちなみにこれって、匿名の社員じゃなくて、無名な社員の事ですよねえ?)
前回も少し書きましたけど、余程の能力や行動力のある人間でも無い限り、
微少な個人が、大きな力や守りを得るには、何よりも組織に属するのが重要であり、
組織に属さず個人活動するよりは、組織に属した上で個人活動する方が、圧倒的に有利です。
とりあえず最初は組織に属し、後から独立してフリーになるルートはあっても、
最初がフリーで始まり、後から組織に入るルートというのは、日本だと ほぼ存在しませんしね。

それこそ現在の新自由主義が、今後も30年50年と続くと考えておられるなら、尚更の事!!
だって、仮に評価経済社会が広がる時代になったとすれば、
従来の貨幣経済とは共存可能であったとしても、少なくとも新自由主義の崩壊は必須条件でしょうし、
逆説的に言えば、新自由主義が存続する限りは、まず間違いなく評価経済社会なんて訪れませんよ。
まあ、新自由主義が続いた上で、「評価こそが生き甲斐」という社会は築かれるかも知れませんが、
でもそれは、そこしか縋る糧のない、大量の経済的奴隷(負け組)を生み出す社会であり、
少なくとも、評価と社会との間に、「経済」が入り込むようなモノには、成り得ようも無いはずです。

オタキングやホリエモンの主張に共通するのって、その他大勢にとっては実現困難でも、
当人は可能であれば、それがあたかも社会的・普遍的に当てハマるかのように語る所であり、
実現性を真面目に考えて、そこを指摘してくる意見には、
「そんなの知らねぇ」と切り捨ててしまう印象があるんですよね(笑)。
まあ、それくらい自分本位な人の方が、行動力としては高くなるのでしょうけど、
何か大きな仕事をしようとする場合、広範な人々の事を考慮できない為、実現力は落ちるのかな?
な〜んて、それ以下な人間が偉そうに語っちゃってるのですが(苦笑)、
でもまあ彼らは、そこそこのポジションを築いていて、発信力などもあり、
その気になれば相応の仕事が可能である事を思うと、その辺りが実に残念ではあるんですよね。


▼ 80年代後半から90年代前半のオタク文化
> > > 80年代後半から、90年代前半のオタク文化って、個人的にどうしても印象が薄いんですよね。
> > 70年代後半から80年代前半が、0から1になった時代だとしたならば、
> > 80年代後半から90年代前半は、1が10にも100にもなった時代であり、
> > この時代があったからこそ、今の人たちも楽しんでいる「オタク文化市場」が生まれた訳で、
> > 逆に言うと、この爆発的な成長期が仮に存在しなかったとしたら、
> > アニメだって、ゲームだって、マンガだって、今のように多くの人が楽しむ社会になってませんよ!!

> 「1が10にも100にもなった時代」、なるほどそういうことだったんですね。
> というのも、何となく80年代後半から90年代前半は、「アニメ冬の時代」のイメージが強く、
> というのはオタク第1世代史観が強く反映されていたからなんでしょうかね。
> 図書館で読んだ本なんかも、どうしてもオタク誕生の70年代後半をメインに扱った書籍が多く、
> そうするとどうしても80年代後半からは、テレビでのアニメブームが終わり、OVAの時代、みたいな感じになりがちでした。
> でもこれって、明らかに70年代後半にオタクになった、第一世代の史観なんですよね。
> オタクの歴史系の本でも、80年代後半から90年代前半のアニメ等があまり扱われないのって、
> 逆にメジャーすぎて「あえて書く必要ある?」という感じだったのかな?
> いやー、長年の疑問がかなり整理されました。
> 前々から、数字でオタク史見なきゃいけないとは思っていたのですが、なかなかそんな数字は出てこないんですよね。

まあ歴史的に語ろうとする場合、どうしても転換点となった「ポイント」に目が行きがちですが、
成長や没落するタイミングや その前後であったり、変化の度合いや速度というのは、
数学的に言えば微分みたいな感じで、「傾き」具合に注目する観測方法もあるんですよね。
とは言え、「この頃の傾斜角度がエグい!」とかよりも、
「この時、傾斜がプラスからマイナスに転じた」という方が、劇的なのは確かですし、
言い換えると、「萌芽から成長」や「成長から停滞」は語りやすくても、
「順調に成長中」というのは、意外と語りにくい面はあるような気がします。
それこそ、ブームという現象は語りやすく、ブームの定着後は語りにくいみたいな感じで。

それこそ、80年代後半から90年代前半の時期というのは、
旧トルコ担当さんもおっしゃられた通り、ジャンプ黄金期にあたる訳で、
そんなジャンプの名作が次々とアニメ化され、テレビ各局のゴールデン帯を席巻してた頃、
団塊Jr.世代は分厚かった為、夕方も夜も、今とは違ってアニメ番組ばかりで、
言うなれば、「全局テレ東状態」みたいな感じだった訳です(笑)。
(夕方枠は再放送も多かった為、自然と過去の名作も押さえてました)
ドラゴンボールも、北斗の拳も、スラムダンクも、聖闘士星矢も、こうしてアニメ化され、
あのジョジョでさえ、アニメ化の順番が回って来なかった時代ですからねえ・・・・
なので、決して「アニメ冬の時代」であったとは、個人的には思わないかな?
もちろん、「新たな変化」という観点から語るなら、OVA勃興の時代だと私も思いますけど。

> 「当時(注:70年代後半)オタクは100人の村であった」という氷川隆介さんの発言や、
> 「オタク第二世代(80年代後半から90年代前半あたり)からオタク・グッズが出てきて、
>  自分たちの時にはグッズなんてなかった」という岡田斗司夫の発言も、
> 自分としてはかなり謎発言だったのですが、なるほどそういうことだったんですね。
> 第一世代のオタクはみんなお坊ちゃん・お嬢ちゃんというのも、確かに納得。
> 70年代後半から80年代後半のオタク史のイメージも結構変わりました。
> そうか、ガイナックスもそういう時代にアニメ作ってたんですねえ。

当たり前の話かも知れませんけど、オタク第1世代当時の作品群というのは、
制作者はオタクじゃないですし、オタク向けの市場というのも皆無だった訳ですが、
そこから育った彼らオタク層が、まずは消費者として、続いて制作者として、
新たに作られる作品への関与が深まるごとに、作品内容も市場も変わっていった面はありますよね。
そして、そんなオタク的な制作者の第1世代に、GAINAXも含まれていたと言って良いかも。

> そうか、逆に90年代中期くらいがオタク文化の1つの最盛期と捉えることも可能なんですね。
最盛期と言うよりは「一般化」と呼ぶ方が、個人的には しっくり来るかな?
まあこれも、「オタク文化」の定義次第かも知れませんが(笑)。

> オタク第二世代についても、正直よく分かっていなかったのですが、
> なるほど確かにオタク第一世代とは結構違いますね。

言うなれば、初期の信長の野望シリーズに似た関係かも?(笑)
信長の野望シリーズは、奇数作品で新しいシステムに挑戦して、
偶数作品でシステムが成熟したみたいに、
オタク第1世代が切り開いたモノを、オタク第2世代が享受した感じですよね。
この構図は、オタク第3世代(ネット第1世代)と、オタク第4世代(ネット第2世代)でも、
見受けられる傾向かもありませんね。

> あと、80年代後半〜90年代前半のオタク史が分かってくると、
> 管理人さんの新しい文化が生まれてきていない、というのも確かに結構納得できます。
> まあ私が思うには、新しい文化自体は生まれているけど、
> それが高齢化によりパワー不足になっている、という気がしますが。

いや〜、たぶん読み違えてるようなぁ・・・(苦笑)
私が言ってる「新しい文化」って、この話で言えば「第1世代」に相当するモノで、
深夜アニメの第1世代ではあっても、アニメ自体の第1世代では無いですからね。
もちろん、マンガやアニメの黄金期のようなモノは体験できたかも知れませんが、
決して、マンガやアニメの第1世代的な「新体験」が味わえた訳ではありません。
ですが一方で、TVゲームやネットの第1世代では有り得ましたし、
格的には一段落ちるものの、深夜アニメやライトノベルの第1世代でもあったのかな?

そういう意味では、逆説的に問うとすると、
今でも「新しい文化」が生まれているのだとすれば、
今の世代って、具体的に何の第1世代なのでしょう?
また、新しい文化って基本的には、その時々の若者が先導するモノだと思いますし、
少子化の影響はあるかも知れませんが、高齢化というのは、ちょっと違うかな?とも。
「若者の高齢化」となると、正直、意味が解らないですし(笑)。
とは言え、「若者らしさを抑え込まれた若者」という事でしたら、充分に有り得るでしょうし、
それこそが、「さとり世代」などという呼ばれ方で現れているんじゃないですかねえ?
要するに、若者であるのにアクティブで在り難い、現在の社会状況の影響があると・・・・

> > > ちなみに、これも教養かと思い、『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ』を第1巻のみ読んでみたのですが、
> > > 正直あまり面白くなかったんですよね。
> > > まあ、好みもありますし、私が上記2作の面白さを理解できるだけの能力がなかったということかもしれませんが、
> > > 結構前に管理人さんがおっしゃっていた『スレイヤーズ』の革新性ってどの辺だったのでしょうか?

> > ハハハッ、そりゃ今、スレイヤーズを読んでも、あまり面白くは無いでしょうね(笑)。
> > 当時は、「RPG的なファンタジー世界って、こんな感じだよね」という、
> > 王道的な作品しか無かった時代に、王道作品における「お約束」をことごとく破り、
> > まだ「厨二病」なんて単語も存在しない頃に、厨二心をくすぐる要素を詰め込んだ作品でしたからねえ。
> > 今現在から見れば、よくある設定の作品ですし、古い作品なので稚拙さなども目立つでしょうが、
> > 「それら全ての作品の源流となった作品」と見たならば、それが如何に「革新的」だったかが解るかと!!

> この辺は私の場合、庵野爆発で実感しましたね。
> 凄いと言われた庵野秀明の爆発を期待してみても、案外すごくない。
> けど、庵野以前の爆発を見たらビックリするくらいお粗末なんですよね。

まあ現実的に、どんなに画期的で新しいモノであっても、
素晴らしければ素晴らしいほど、普及・定着すれば多用されますし、
そこから更に、洗練されたモノになって行きますから、
そこまでの発展過程を遡らないと、在り来たりや、古ぼけて見えるでしょうね。
これは全ての分野に関して、言える事だと思いますよ。

> で、スレイヤーズ以前のお約束破りをしない作品や、厨二心をくすぐらない作品ってどんな感じだったんでしょう?
> あるいは具体的な作品名としては何になるのでしょうか?

これはラノベじゃないですけど、多くの日本人ファンにとって、
こういった世界観の原型的なイメージとなっている作品って、
恐らく、ファミコンの「ドラゴンクエスト」だと思うんですよ。
そして王道的なストーリー展開というのは、
主人公は男の勇者で、冒険を重ねてドンドン成長していき、最後に魔王を倒す感じですが、
スレイヤーズの場合、主人公は女の魔法使いで、始めから最強魔法をブッ放し、
しかも いきなり、本来ならクライマックスに来るべき魔王戦が訪れるというのは、
まさしく「お約束破り」と言うか、王道路線の逆張りを意図的に行ってヒットした作品であったと。


▼ ニコニコ動画とドワンゴ
> > 黎明期から成長期に掛けての時期というのは、それこそカンブリア大爆発のように、
> > 誰もが手探りの中、様々な実験的な作品が生まれ続けた頃でしたし、
> > 「新しいモノを発見できる」楽しさとしては、本当に満ちあふれてた時代だったかな?
> > そして、成長期から成熟期への転換点を象徴が、2012年に始まった「ニコニコ超会議」だったかも。
> > ネットに限らず、アニメやゲーム、そして世の中の様々な事柄が そうなのですが、
> > 挑戦や実験を繰り返すフェイズから、安定や拡大を求めるフェイズに移り変わると、
> > ファンの数は急拡大していくものの、同時に新しい面白味は失われていっちゃうんですよね・・・・
> > まあそれ自体は、個人的には少し寂しいモノですが、社会的には致し方ない面はありますし、
> > 人を選ぶ尖った楽しみは減っても、多くの人が楽しめるモノに変異するのは、悪い事ではありません。

> 情報ソースは忘れてしまいましたが、超会議は超会議で儲け重視というより、
> 新しい文化をさらに開花させるための投資だった、という印象。
> 超会議で赤字になり、その赤字により社員をリストラせざるを得ず、それでも超会議はやり続けたらしいですし。

いや、別に私も、ドワンゴが超会議で儲ける気でいたとは、考えていませんよ(笑)。
そうではなく、マニア向けから大衆向けへと客層を広げて、
ビジネスの拡大化と安定化を狙っていたのだろうな、と考えています。

2014年の角川買収とかも、その一環戦略だったでしょうし、
ネットやデジタルに囚われず、リアルやアナログともリンクさせるというのは、
狙いとして、決して間違った方向では無かったはずで、それなりに期待もしてたんですよ。
ですけど、その両方を上手く繋げる所か、元々の足場さえ揺るがしてしまった・・・・
要するに「ビジネス的にも失敗した」というのが、私の印象ですね。

一方で角川の方は、今後も出版業界は大変でしょうけど、
1年ほど前に「角川武蔵野ミュージアム」をオープンさせるなど、
ちょっと興味深い動きは見せていますね。
鷲宮神社(らきすた)や神田明神(ラブライブ)のように、
オタク文化の人気に便乗した神社は数あれど、自社作品の宣伝も兼ねたとは言え、
実際に神社まで作った例↓は、他に無さそう(笑・のぼり旗に書かれた文字に注目)。
https://partner-web.jp/image/main.php?id=2280

> ただ、どこかのタイミングでニコニコ自体がニコニコを見捨てたのも事実でしょう。
> ただそのタイミングは16年以降じゃなかったけな?

ちなみに、「ニコニコ自体がニコニコを見捨てた」というのは、
具体的に、どのような事象を指しての事でしょうか?
また、それが2016年以降の事だというのも、同じく何か具体的な事象があるのでしょうか?
正直な所、私自身はそれ以前にニコニコ動画を見捨ててしまったので(苦笑)、
仮に何かあったのだとしても、全く知らないんですよねえ・・・・

> > ちなみに、私個人としては「ニコニコ技術部」系の動画とか好きでしたけど、
> > 旧トルコ担当さん的には、一体どんな系統の動画が好みだったんですか?

> 結構何でも見てますけどね。
> ニコニコは1アカウントでフォローできる上限が600であるので、
> 仕方なく私は2つ目のアカウントを作ったのですが、両アカウントで700以上フォローしてますからね。

ひょっとしたら、こういう楽しみ方自体、既に違いが現れているのかも?
当時の他の視聴者がどうだったかは断定できませんが、少なくとも私の場合、
あくまでも主役は動画であって、特定の投稿主をフォローする意識は希薄だったというか、
ニコ動は2chの流れを汲んでいたので、元々は匿名文化っぽい空気があった気がします。
そういう意味では、フォロー上限の600を超えるというのは、ちょっと驚きがありました!

> ニコニコ見るなら、最低限の教養として
> ハルヒ、ローゼンメイデン、らき☆すた、くらいは押さえとかなきゃダメでしょ、
> と思って全部見たくらいにはニコニコにどっぷりでした。
> ただ、アイマスはさすがに沼が深すぎて、オールスターズ押さえるくらいにとどまってますね。
> 東方も一応原作ゲームを少し遊ぶ程度には押さえましたし。東方も沼が深すぎますが。

その時々の外部の流行を取り込み、それがニコ動的に調理され、
コンテンツとして少しずつ積もり貯まっていく様子を、リアルタイムに味わっていた世代からすると、
1歩ずつ進んでいたので、「押さえなきゃ」とか「深すぎる」とか、特に感じ無かったのですが、
貯まりに貯まったものを一気に取り込もうとすれば、それは凄く大変でしょうねえ・・・・
何となく、夏休みの宿題をイメージしてしまいました(笑)。
毎日 少しずつ行えば楽でも、最終日に まとめて行うのは苦しいみたいな感じに。

ちなみに「らきすた」って、同時の時代性も反映されての人気作だと思うのですが、
あの作品って、10年くらい後から見て、楽しめるモノなのでしょうか?

> > > 私はニコニコのタグ検索に慣れきってしまっているので、
> > > いまだにYouTubeでどう検索すればよい動画が見つかるのか分からず、
> > > そこまで動画を見たいという欲求もないので、
> > > 結局YouTubeには移住せずじまいで、過疎化したニコニコ島に今も取り残されてます。

> > また、YouTubeは長く使い続けていくと、それこそGoogleグループなだけあって、
> > AIがドンドンと最適化され、オススメ動画の質も上がって来るんですよね(笑)。
> > AIに好みを管理されると言うのも、あまり気分が良くない面も少しあるのですが、
> > それでも、自分からは見なかったであろう動画を知る機会は、確実に作ってくれており、
> > これはこれで便利だと思いますよ(AIに好みや認知を誘導される危険性はありますが)。

> YouTubeAIは嫌いなんですよね。
> 頭の悪そうな解説動画ばかりおススメしてくる。

確かに私も、最初の内は、そうした動画紹介が嫌だったのですが、
使っていくうちに、良くも悪くも、私向けに最適化さていき、
それ以降は、そうした動画の紹介頻度はかなり低くなりましたね。
なので、単純に再生回数や高評価の多さ(信者の多さ)だけで、オススメしてくる訳ではなく、
それほど機会は無いものの、自分では見なかったであろう動画を紹介してくれて、
それが面白かったりする事も時々あるので、「価値はあるな」と思うようになりました。

解りやすく言えば、何本もの動画を薦めてくれたとして、
そのうち7割が微妙で、しかも2〜3割りは不快でも、数本の当たりがあれば、
情報源の1つとして許容できる範囲内とでも言いますか、
言うなれば、昔の2chみたいな感覚なのかも知れませんね(笑)。
駄スレや糞スレが大量にあっても、その中に光る良スレも含まれれば、目を通す価値はあり、
逆に、駄スレや糞スレばかりで、良スレが見当たらなければ、目を通す価値は無いみたいな感じで、
そしてYouTube AIの打率は・・・個人的には、満足とは行かずとも、使用可能なレベルかな?と。

> しかも、それが面白そうなんですよね。
> なので、この動画をおススメしないボタンを使ってAIが変なものをお勧めしないようにしてます。
> 多分、ここでAIにおススメされる動画ばかりを見るようになると、
> 自分でものを考えない人間にさせられる気がするんですよね。

まあ実際には、そういう人が大多数だからこそ、そうした動画の再生数が凄いのでしょうし、
ほとんどの視聴者は、そんな事さえ考えずに、動画を楽しんでいるでしょうから、
自分自身で「危なそうだな」と意識できる分だけ、かなりマシだと思いますよ。
そうした思いが頭の片隅にあれば、誘惑に流されないよう注意するだけで、そう騙されない気もしますし。


▼ 池上彰とニュース解説番組
> > あと、余談ついでに話を加えると、2011年の東日本大震災を境に、
> > その前と後とでは、日本社会全体の空気感というか、日本人の考え方みたいなモノが、
> > 上手くは言えませんけど、ちょっと一変してしまった感じはあるので、
> > ニコニコ動画の方も、その影響を受けた可能性は・・・多少なりとも、あるかも知れませんね。
> > ただまあ、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、「東日本大震災以前の日本社会」のイメージが、
> > どれだけしっかり記憶されているかは、ちょっと微妙な所ではあるのでしょうが。

> 東日本以前の社会というのがほぼイメージゼロですね。

小学生の頃となると、私にとっての「冷戦終結」に相当するのかな?
とは言え、冷戦時代の社会イメージは子供ながらに持っていたので、
(だって、次の日 起きたら、世界が終わってるかも知れない時代でしたからね)
その前後というか、価値観がガラッと変わる原体験は、私の方が強かったのかも。
って、維新や敗戦でガラッと変わった世代に比べれば、これでも大した事ないですけど(笑)、
ただし、多くの人が抱く「今の仕組みが今後も続く」という錯覚は、子供ながらに拭えた感じ。

> 私は、東日本ちょっと前くらいから小学生にして池上彰にハマっており、
その頃となると番組は、火曜夜7時のテレビ朝日「学べるニュース」かな?
確か当初は、2011年3月をもって、池上彰は充電休養の為に番組卒業の予定が、
卒業直前に大震災が発生してしまい、却って特番連発になっちゃったんですよね。
まあ現在は、一時休養から復帰した池上が、同局の土曜夜8時に後継番組をやってますけど、
劇団ひとり&土田晃之が脇を固めていた「学べるニュース」の方が、個人的には好きだったかな?

今の番組は出演者との関係が、先生と生徒みたいな感じで、一方通行っぽいですが、
以前の番組は、劇団ひとりと土田の2人が、もう少しバランスを取っていたと言いますか、
そもそも番組開始時は、実を言うと、劇団ひとりがメイン・キャスターであり、
池上が時事ニュース担当で、土田が芸能ニュース担当だったのですが、
池上のニュース解説コーナーが人気を博すと、途中でメイン交代になっちゃうんですよね(笑)。
劇団ひとりは自身の結婚すら、この番組で発表&密着取材させるくらい、身を切っていたのに(苦笑)。
でもまあ、池上彰の認知度が急激にアップしたのは、この番組キッカケでしたし、
その後の世間的な影響力を考えると、価値ある交代劇ではあったのかな?

池上解説は、いろいろと文句を言われる事はありますけど、
あの当時、2匹目のドジョウを狙って、新坊治郎など多くの人がニュース解説に挑戦しましたが、
結局、池上以外はことごとく失敗してますし、池上解説って意外と「独自色」が薄いんですよね。
逆に言うと、他の人たちが失敗するのは、どうしても自分の意見や解釈を混ぜ込むからで、
それだと同意見の人からは評価されても、他の意見をもつ人からは批判されますし、
一部の人は批判しても、大多数から評価されると言うのは、かなり難しい事です。
批判する事は簡単ですが、自分で解説する事を想定すれば、どれだけ難しいかは解りますし、
それすら想定できない人ほど、却って安易に批判してるかな?という印象もあります。
ぶっちゃけ、自分が言いたい事だけ言えば良いって役割では無いですし、
実際の所、フジテレビや日本テレビの出演時には、池上のスタンスも少し変わっており、
これは各局・各番組ごとに、求められる方向性のニュース解説を、プロとして行っているからなんですよね。
こうした違いって、それほど視聴者には意識されていない気がします。

もっと言っちゃうと、そもそも池上自身の専門分野って「ソ連経済」なので、
冷戦終結やソ連崩壊後は、専門を活かせる場を失ってしまった記者・キャスターであり、
だからこそ、NHK時代は子供向けニュース番組に回されたり、定年後に解説委員として局に残れなかったりして、
フリーになった後も、その頃の経験が活きたとは言え、専門外のニュースを解説する立ち位置となった訳で、
そういう意味では、解説の独自色が薄いのも納得ですし、そこが却って良かったのかも知れません。
とは言え一方で、充電休養中に、ひっそりとBSで放送された
池上彰のロシア現地取材特番は、なかなか良い出来だった記憶がありますし、
きっと世間的な需要は低いのでしょうが、冷戦時代と社会主義を扱った池上彰の番組を見てみたい所(笑)。

> 名前の知らない、顔も知らない人たちで構成されている社会というのを意識するようになったのがこの辺であり、
> 私が政治や社会や歴史に興味を抱くきっかけになったのがこのあたりですからねえ。

私の場合、そこまで早熟じゃなかったかな(笑)。
確かに、周囲の同年代と比べれば、ニュースとかに詳しい面はありましたが、
それは決して自発的ではなく、テレビが一家に1台だった当時、
父親が絶対的なチャンネル権を握っていて、子供番組を見る機会が少なかったからですし、
その反動で、1人暮らしを始めてからアニメ視聴が増えた為、
オタクという程では無いものの、普通の人よりはアニメに詳しいと(苦笑)。

同じく、私の歴史知識の下地としては、父親が見ていた大河ドラマが確実にありますけど、
自分自身から歴史に興味を抱いたのは、高校の夏休みに「信長の野望」にハマったのが始まりで、
そこから歴史小説も読み始め、ついでに私の読書歴も、ここからスタートした次第です。
それまでは本当、野球&サッカーが、私の中の9割以上を占めてましたし(笑)。
ついでに言うと、政治や社会に関しては、歴史(現代史)の一環程度の関心度合いで、
特に東日本大震災後の変化以降は、両方とも、ほぼ関心を失ってしまいましたね・・・・
子供の頃から習慣化していたニュース番組視聴も、今では全くしてませんし、
ネットから得られる情報だけだと、把握してない大きなニュースとかも結構多そう。


[23813] オタク話(追記あり)返信 削除
2022/1/22 (土) 22:42:52 旧トルコ担当

▼ 百合とBL
> > 個人的な偏見では、異性へのあこがれより同性への嫌悪の方が強いのがBL、
> > 同性嫌悪より異性へのあこがれが強いのが百合だと思っていますが、これはさすがに根拠に乏しいかな?
> > 特に百合は女性ファンも一定数いますし。

> BLの方はまだしも、百合に関しては、そこまで見当違いじゃ無いと思いますよ。
> と言いますか、これってBLや百合というジャンル特性が どうこうという以上に、
> 各ジャンルのターゲットが、男性メインか? 女性メインか? の違いが大きい気がします。
>
> あと、「百合は女性ファンも一定数いる」と言うのは、確かにそうでしょうけど、
> 数は少ないかも知れませんが、それはBLだって同じでしょうし、
> BLアニメが地上波に登場し始めた頃、ちょっとした「純情ロマンチカ」ブームがあり、
> 実際、私も普通に恋愛モノとして、楽しんでみてましたからねえ(笑)。
> と言いますか、旧トルコ担当さんって、BLアニメは見てます?
> 逆に言うと、御自身が百合アニメを観るから、女性ファンの存在に気付くのであって、
> BLアニメの方は観ないから、男性ファンの存在に気付かないような気もしたのですけど?


百合ファンは男性7:女性3程度なのに対して、BLは9割女性な印象。しっかり調べたわけではないですが。
あと私はBLアニメもマンガも読みませんが、ラノベは勝手にBL妄想してたりします。
BLは好きか嫌いかでいえば好きではありますが、そこまで入れ込んでは無いですね。
腐女子の友達もいませんし。

> また、「同性嫌悪」だと表現的に過剰な気がするので、「同性不要」くらいに止めますけど、
> これに関しても、メイン・ターゲットが男性か女性かで、ちょっと異なる感覚。
> と言いますか、女性向け作品の場合、別にBLに限らずとも、
> そもそも同性不要な作品が多いと言いますか、
> 女性キャラは基本、主人公以外は要らない傾向が強い気はするんですよね。
> 少年マンガだと、スポーツ系を中心に、男同士の繋がりを描く作品は多いですが、
> 少女マンガでは、女同士の繋がりを軸に据えた作品は、そこまで無い気がしますし、
> 女同士の繋がりを扱う作品となると、主に萌え系が多いと感じるので。
> で、そうした萌え系作品の場合には、今度は、読者層と同じ男性が不要になりがちだと(笑)。
> この違いは、男性同士は婚姻の競争相手ではあると同時に、集団で狩りを行う仲間である一方、
> 女性同士だと婚姻の競争相手であり、仲間ではあっても、考えの基本単位が家族だからかと?


個人的な主観というか偏見ですが、女性の方が共感性が高く、男性の方が低いので、
結果的に女性向けはBL以前の普通のマンガや小説でも男キャラが多く、逆に男性向けは女キャラはサブキャラ止まりな印象。
だからこそ、同性愛は女性オタクの方がファンが多く、時期的にも早く取り入れられたのに対して、
男オタクの同性愛は女性オタクに比べ時期も遅く、ファンも比較的少数。

> > 「人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無い」という意味においては、
> > 恋愛結婚が少数派だった時代には、手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、ファンタジーとしてロマンチックに語られ、
> > そしてそれがいざ手に入る時代が来ると、自由恋愛の嫌な点が目に付くようになり、
> > 今度は同性愛が手の届かない恋愛結婚があこがれとなり、
> > ファンタジーとしてロマンチックに語られるようになっている、ということでしょうか。

> う〜ん、これって以前にも散々説明しませんでしたっけ・・・・
> 「本質的」というのは、そんな表層的な話をしているつもりは無いのですが、
> これを繰り返すとなると、「人間の本質的な欲求」という話は、今後避けた方が無難なのかな?
> 恐らく、旧トルコ担当さん的には、前出の「本能」とか「遺伝子」という用語も、
> そこまで深い意味で用いてる訳じゃないでしょうし、
> 逆に言うと、それだと私の言いたい事って、まるで伝わらないと思いますので(泣)。


余計なことを書いて、重要な部分書かなかったので誤解を招いてしまっていて申し訳ないのですが、
「人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無い」というのは賛同する一方、
たかがエンターテイメントごときの好き嫌いに、本質的な欲求まで深く関係するか?とは考えています。
それこそ、BLや百合が流行って同性愛カップルが続々表れているというのであれば話は別ですが、
BLや百合の流行を論じるために、本質的な欲求とまで持ち出すのは、ラーメンの旨い旨くないに、食欲本能からして〜、と論じるようなナンセンスさを感じるのですが、どうでしょうか?

とは書いてみたものの、結婚に関しては昔と比較して結婚しない人が当たり前になっているわけで、その点からすれば本質的な欲求も結構変わるのでしょうか?
まあ昔だってもちろん、結婚しない人たちがいなかったわけではないのは理解してますが。

> > という風に、私には百合・BLはポスト大量消費社会の一つとして見えているんですが、
> > 管理人さんには退化に見えるのかぁ。

> 「退化」なんて単語、私が1度でも良いから使いましたっけ???
> これだけ言葉を尽くして尚、それくらいの理解のされ方だとなると、
> 正直、かなりの徒労感に襲われるのですが・・・・
> まあ、私の書く文章って、お世辞にも読みやすくは無いと、自分でも自覚してますけども。


> う〜ん、こちらに関しても、半分正解で半分不足かな?
> 確かに、作品数などのコンテンツ面で言えば、飽和状態にあるのは事実でしょうけど、
> その一方で、平成前半の生まれを「さとり世代」などと呼ぶように、
> 満たされてるから満足してるのでは無く、満たされてないから満足点が低く設定されていて、
> 良く言えば手堅くて堅実、悪く言えば挑戦や冒険を避けがちな傾向がある為、
> 共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じるんですよね、私には。
> だって、人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無いでしょうし、
> 結果は同じであっても、自ら進んで選んだのと、環境的に選ばざるを得なかったのは別ですけど、
> しかし一方で人間は、自分の心理的負担を減らす為に、自ら選んだと思い込もうとしがちだと。


「退化」というのは「共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じる」という辺りから、勝手に解釈していたのですが、どういった意図だったのでしょうか?

▼ 80年代後半から90年代前半のオタク文化

> > オタク第二世代についても、正直よく分かっていなかったのですが、
> > なるほど確かにオタク第一世代とは結構違いますね。

> 言うなれば、初期の信長の野望シリーズに似た関係かも?(笑)
> 信長の野望シリーズは、奇数作品で新しいシステムに挑戦して、
> 偶数作品でシステムが成熟したみたいに、
> オタク第1世代が切り開いたモノを、オタク第2世代が享受した感じですよね。
> この構図は、オタク第3世代(ネット第1世代)と、オタク第4世代(ネット第2世代)でも、
> 見受けられる傾向かもありませんね。


前回の「1が、10にも100にもなった時代」というのと合わせて、かなりこの時代のイメージが掴めました。
そういう意味では、私がそれまで抱いていた、何となく80年代後半から90年代前半ってオタク史の暗黒時代だよねっていうのは、そこまで間違った印象でもなかったんですね。

> > あと、80年代後半〜90年代前半のオタク史が分かってくると、
> > 管理人さんの新しい文化が生まれてきていない、というのも確かに結構納得できます。
> > まあ私が思うには、新しい文化自体は生まれているけど、
> > それが高齢化によりパワー不足になっている、という気がしますが。

> いや〜、たぶん読み違えてるようなぁ・・・(苦笑)
> 私が言ってる「新しい文化」って、この話で言えば「第1世代」に相当するモノで、
> 深夜アニメの第1世代ではあっても、アニメ自体の第1世代では無いですからね。
> もちろん、マンガやアニメの黄金期のようなモノは体験できたかも知れませんが、
> 決して、マンガやアニメの第1世代的な「新体験」が味わえた訳ではありません。


読み違えていました。

> > で、スレイヤーズ以前のお約束破りをしない作品や、厨二心をくすぐらない作品ってどんな感じだったんでしょう?
> > あるいは具体的な作品名としては何になるのでしょうか?

> これはラノベじゃないですけど、多くの日本人ファンにとって、
> こういった世界観の原型的なイメージとなっている作品って、
> 恐らく、ファミコンの「ドラゴンクエスト」だと思うんですよ。
> そして王道的なストーリー展開というのは、
> 主人公は男の勇者で、冒険を重ねてドンドン成長していき、最後に魔王を倒す感じですが、
> スレイヤーズの場合、主人公は女の魔法使いで、始めから最強魔法をブッ放し、
> しかも いきなり、本来ならクライマックスに来るべき魔王戦が訪れるというのは、
> まさしく「お約束破り」と言うか、王道路線の逆張りを意図的に行ってヒットした作品であったと。


ああ、なるほど。
児童文学とかそっち系の「少年の冒険と成長の物語」的な流れの強かったファンタジーに、いきなり俺強えええ設定を持ってきた、みたいな感じだったのでしょうか?
ドラクエが日本のファンタジー文化の事実上の元祖、という話は理解しているつもりでしたが、ドラクエが元祖と言うことは、同時にファンタジー=冒険と成長的なイメージを持たせたのかな?

> > しかし残念なことに、そんな素晴らしいオタクの時代は、89年の宮崎事件で終わりを告げてしまうわけです。
> > 小さな世界で、オレ達こういう幼稚なアニメ好きだよねって、言っていられる時代は終わり、
> > 闘いの時代が始まったわけです。

> あの頃の記憶はありますけど、そんな「素晴らしい」時代だったかなぁ???(苦笑)
> 宮崎勤事件の前も後も、オタク趣味が白眼視されてた事に違いはありませんし、
> 違いを言えば、事件前は「変な人」扱いで、事件後は「危ない人」扱いだった事か?
> 事件を機に、世間の風当たりが更に強くなったのは確かでしょうけど、
> 人の噂も75日じゃ無いですけど、イメージの悪化はあったとは言え、
> 悪い意味での世間の関心は、それほど長続きもしなかった記憶ですけどねえ。
> まあウチの場合、衝撃的に報じられた宮崎勤のビデオ部屋以上に、
> 我が家には、映画好きな父のビデオが大量に溢れていたので、印象はさほど(苦笑)。
>
> ちなみに、事件の逮捕劇があった1989年(平成元年)7月って、
> ちょうど「魔女の宅急便」が劇場公開された時でもありまして、
> 前作の「トトロ&火垂るの墓」から、興行収入が4倍に急増するヒット作となった事により、
> 「アニメの中にも素晴らしい作品がある」とか、「ジブリだけは別」って認識になってましたし、
> (ちなみに、世間の風が完全に一変したのは、2001年の「もののけ姫」大ヒット以降かな?)
> マンガの方も、1990〜1995年が少年ジャンプ500万部超えの時期に当たるので、
> 言われているほど「暗黒時代」って訳でも無かったんですよ(笑)。
> そもそも、少数派が肩身の狭い思いをするのは、いつの世だって変わらない傾向ですからね。
> しかも、多くの人が楽しむ大衆作品は存在したので、徹底的な弾圧があった訳でもありません。
>
> まあ実際の所、センセーションで悲劇的・残虐的な事件ではありましたし、
> 物事の流れを簡潔に説明しようとすれば、格好のポイントであったのは確かですけど、
> (「10万人の宮崎勤」デマなんてあったように、オタク側的にも象徴化させやすい事件でした)
> 世間のネガティブなオタク・イメージを定着&増強させたのって、
> 直接的な事件の影響以上に、あの事件に便乗する形で、
> 世間が望むキモオタ像を、まさしく体現する演出で売れっ子となった
> 批評家でタレントの「宅八郎」の影響が、非常に大きかったとは思うんですよね。
> 今風に言えば、世間が望む迷惑系YouTuber像を演じる事で、人気者となった感じに近く、
> 実際に宅八郎も、風体的なキモさを見せるだけでなく、数々の炎上事件を起こしたんです。
> へずまりゅう じゃないですけど、こうして自らを道化化する事で、悪い意味での世間の要望に応えたと。


推測ですが、一番不幸だったのは、あの時代に学生時代を過ごし、親にオタク趣味を禁止された人たちなんでしょうね。

> もっと言うと、当時のオタク世代にとって、真の意味での黒歴史というのは、
> 解りやすく批判しやすい、宮崎勤事件などよりも、
> 当時の新興宗教ブームにおける、「オウム真理教に対するシンパシー」の方でしょうね。
> ・・・って、シンパシーというと近過ぎるので、親和性とか類似性とかの方が無難かな?
> まあ ともかく、新興宗教ブームの中で、そこにオタク文化やサブカルを取り入れたのがオウムであり、
> 彼らの勧誘場所も、秋葉原やコミケ会場だったりした訳で、
> 近い存在だったからこそ、ヤバさも世間以上に実感できてた反面、
> そのまま惹かれて入信・・・ってケースも、決して皆無では無かったはず。
> エヴァの放送開始は、地下鉄サリン事件の半年後でしたが、当時のインタビューで庵野は、
> 「自分たちのオウム的な部分は、作品として昇華させた」みたいに語ってたはずですし
> オウム事件が歴史となった現在においては、この辺りに触れるのはタブーな話題でしょうけど、
> 当時の空気としては、普通に理解できる感覚の発言ではあったんですよね。
> ある意味、オタク的な妄想をリアル社会で実現させてしまったのが、数々のオウム事件なので。


オウム事件は全く勉強してないですね。
いつだかにTwitterに流れてきた「オウムとオタクは両方とも常に家のカーテンを閉めている」というのは反論できないなw、と思っていましたが。

> > エヴァンゲリオンはトップとは真逆を行く、「最高にクールで、知的な感じのする」アニメでした。
> > それは言ってしまえば、もうそういう、外に見せても恥ずかしくないアニメじゃないと駄目だった、
> > そういうアニメでオタク文化を守らないと、未来がなかった時代だということだと思うんですよね。

> う〜ん、エヴァが「クールで知的」なアニメかぁ・・・・
> いや、別に解らなくは無いんですけど、
> 私的にはエヴァって、良い意味で「キモいオタアニメ」認識だったので(苦笑)。
> それこそ当時は、「子供っぽいけど好き」と同じ様に、「キモいけど好き」って感じでしたけど、
> 椎名林檎を、素直に「かっこいい」と感じるか、メタ的に「ダサかっこいい」と見るかみたいに、
> 同じ作品を楽しんでいても、感じ方は人それぞれって面はありますからね。
> あの衒学的な雰囲気や、昭和映画から持ち込んだスタイリッシュな演出、クラシックのBGMなど、
> 素直に「かっこいい」と楽しんだ人も、当時から多かったですし(ブームになって以降は特に)、
> 四半世紀を経た今となっては、そういう感想になったりもするのかな?


エヴァは実際そんな感じだったんですねぇ。
この辺は完全にNHKの戦後日本サブカルチャー史に、エヴァ観見たいのものを引っ張られています。

> ただし今回、旧トルコ担当さんの返信というか回答は、
> 文章に熱量があって、そこは非常にオタクっぽくって好印象だったものの、
> でも この内容は、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、相当量が自分自身の考えではなく、
> コピペ的というか、誰かの受け売り比率が高い気がしちゃうんですよねえ・・・・
> それって結局、自分の「好き」を突き詰めるオタ活動とは、内面的にズレる行為でしょうし、
> それをこの熱量で行ってしまうのは、ちょっとマズい進路方向なのかな?という印象も・・・・
> 簡単に言ってしまうと、もっと自分らしい言葉で語って良いんじゃないですかねえ?(笑)


完全にコピペというわけではないものの、オタクの歴史を調べるにあたり、書籍だけで100冊程度は読みましたので、色々勉強にはなった分、そこで得た知識には引っ張られてしまうんですよね。
まずまっさらな状態で作品を見てから、というのが理想だとは分かっていましたが、オタク史全部を知ろうとすると全作品を見るわけにもいかず、先にいろいろ情報を知ってから見た作品も少なくないです。
それこそ、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は合計5回くらいネタバレ食らいましたしw

> > 「日本のアニメ史やサブカル史として見た場合、ガンダムは決して欠かせない作品のはずです!!」
> > というのはもちろん賛同しますが、
> > 日本アニメ史やサブカル史って現在の平均的なオタクの興味の対象なんですかね?
> > 萌えアニメの歴史や教養であればオタクとして押さえておけよ、というのは理解できますが、
> > 日本アニメ史まで範囲を拡大するの?という感じです。

> それは「アニメのオタク(アニオタ)」ではなく、「萌えアニメのオタク(萌え豚)」なのでは?
> (伝わりやすいよう略称を用いただけで、別に萌えアニメのオタクを腐す意図はありません)
> 野球界で例えるなら、プロ野球ファンと巨人ファンは別だというのと同じですね。
> 当然、プロ野球ファンであり、なおかつ巨人ファンであるという人は大勢居ますけども、
> 巨人ファンだからと言って、必ずしもプロ野球ファンであるとは限りません。
> 熱烈な巨人ファンであっても、パ・リーグの球団名は全て言えない人は居るでしょうが、
> 「プロ野球ファンを名乗る以上は、全12球団は言えて当然」みたいな感覚があるように、
> 萌え系は現在、アニメ界の巨人や阪神に相当する人気かも知れませんけど、
> アニオタを自称するなら、それ以外の系統も最低限の知識は必要だよね、という話です。


何となく察していましたが、やはりアニメオタクというのは何を指すのか色々ずれますよね。

> > 今の作品=今アニメで放送されている作品、あるいは今後2期、3期が来そうな作品、
> > というのが今のオタク的な感覚ではないでしょうか?
> > なので、俺ガイルはアニメ最新作が20年放送で、原作ラノベが現在も刊行されているから今の作品。
> > ソードアート・オンラインも映画が続編製作中で、原作も刊行中なので今の作品。
> > ポケモンも新作が作られ続ける限りは今の作品という扱いです。

> ・・・となると、「ぶっちゃけガンダムは古い」という、最初の話が揺るぎませんか?
> 最近だって、「ハサウェイ」や「オリジン」があった訳ですし、
> そういう意味ならばガンダムも、現在進行形の「今の作品」となるはずですが(笑)。


追記:まあ、私の言葉の定義は曖昧、というか私の都合によって変わっている部分があり、管理人さんの指摘も分かりますが、
しかし、特にSNSを基準で考えれば、ハサウェイは今の作品だけど、ファーストガンダムは古くて、みたいな感覚って通じませんかね?
人間の感覚なんて適当なものですし、そこをあまり厳密に定義するのは、かえって本末転倒な気がします。
古い昔の作品も、昔でいえば再放送されたり、今でいえばリメイクされることで、今の作品化され話題になり、多くの人が見ることになるので、
厳密にいえば各アニメも、1期と2期の放送中は今の作品でも、その間の期間は古い作品扱いですし。

> > 何でしょう、書き方が悪かったのでしょうか?
> > 「絶対的な値の変動が、そのまま相対的な値の変動にリンクする」という趣旨ではなかったのですが。
> > 例えば、アニメ人口100万人の90年代中期にアニメA、B、Cが放送されていたとして、
> > アニメAを80万人が見て、Bを10万人、Cを10万人が見ていた。
> > 同じく現在、アニメa、b、cが放送されていたとして、
> > アニメ人口が50万人ならば、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人見ていたとすると、
> > 各アニメの世代動員率(=人気集中率)がどうであれ、
> > 全体の母数の100万人、50万人というのは変わらない、ということを言いたかっただけです。

> では、「全体の母数は変わらない」という話が、
> 「エヴァ世代の男性は400万人、現在の20〜15歳は280万人。そりゃ、エヴァの最終作が盛り上がるのも当然」
> という最初の話に、一体どのように繋がるんですか?
> もっと言うと、そもそも「盛り上がる」とは、どのような意味合いで用いてるんですか?
> 要するに、厳しい言い方をすると、「書き方が悪い」と言うよりも、
> 明確な定義を欠いたまま、ふわっとしたイメージで用語を用いてる為に、
> その時々で、意味合いがコロコロ変わってる印象を受けちゃうんですよね。


> それこそ上述の例で言うならば、
> アニメ人口100万人だと、アニメAを80万人、Bを10万人、Cを10万人が見ていて、
> アニメ人口50万人だと、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人が見ていたとしてますけど、
> これは何故、単純に半減して「アニメaを40万人、bを5万人、cを5万人」じゃダメなんでしょう?
> 「人気集中率がどうであれ」と言いたいだけなら、「アニメaを45万人」だって良いはずで、
> これだと80万人という絶対的値では劣るものの、比率は80%と90%なので相対的値では逆に勝ります。
> ではこの場合、人口50万人の方は、盛り上がれていない事になるのでしょうか?
> そして、そう見なすのは、果たして当然の事なのでしょうか?


これに関しては、100万人のうち80万人の方が、50万人のうちの45万人よりも盛り上がっていると思います。
もちろん、そのジャンルで圧倒的な存在を持つ作品というのも分かりますが、やはり人口力こそ長期的に見れば絶対なんじゃないんですかね?
「盛り上がる」というのは、今回は単純にSNSでバズってるという程度の意味合いで使っています。

▼ ニコニコ動画

> > ニコニコは1アカウントでフォローできる上限が600であるので、
> > 仕方なく私は2つ目のアカウントを作ったのですが、両アカウントで700以上フォローしてますからね。

> ひょっとしたら、こういう楽しみ方自体、既に違いが現れているのかも?
> 当時の他の視聴者がどうだったかは断定できませんが、少なくとも私の場合、
> あくまでも主役は動画であって、特定の投稿主をフォローする意識は希薄だったというか、
> ニコ動は2chの流れを汲んでいたので、元々は匿名文化っぽい空気があった気がします。
> そういう意味では、フォロー上限の600を超えるというのは、ちょっと驚きがありました!


ニコ動も初期は匿名の2ch文化が強かった、という話は聞いたことがありますが、匿名文化が強かった時代というのはフォロー自体が今より重視されてなかったんですね。
なるほど。

> > ニコニコ見るなら、最低限の教養として
> > ハルヒ、ローゼンメイデン、らき☆すた、くらいは押さえとかなきゃダメでしょ、
> > と思って全部見たくらいにはニコニコにどっぷりでした。
> > ただ、アイマスはさすがに沼が深すぎて、オールスターズ押さえるくらいにとどまってますね。
> > 東方も一応原作ゲームを少し遊ぶ程度には押さえましたし。東方も沼が深すぎますが。

> その時々の外部の流行を取り込み、それがニコ動的に調理され、
> コンテンツとして少しずつ積もり貯まっていく様子を、リアルタイムに味わっていた世代からすると、
> 1歩ずつ進んでいたので、「押さえなきゃ」とか「深すぎる」とか、特に感じ無かったのですが、
> 貯まりに貯まったものを一気に取り込もうとすれば、それは凄く大変でしょうねえ・・・・
> 何となく、夏休みの宿題をイメージしてしまいました(笑)。
> 毎日 少しずつ行えば楽でも、最終日に まとめて行うのは苦しいみたいな感じに。


そんなに大変という訳ではなかったですけどね。
その辺を押さえれば、やる夫スレなどの存在も知り、そっちも読むようになりましたし。
東方とアイマスは、そのあともシリーズ展開が続いているので、自分は知ったときに既に「なんかキャラがメッチャいるワケわからんコンテンツ」だったのですが、そっかぁ、ニコニコ初期だと東方もまだまだキャラ数が少なかったんですね。

> ちなみに「らきすた」って、同時の時代性も反映されての人気作だと思うのですが、
> あの作品って、10年くらい後から見て、楽しめるモノなのでしょうか?


自分は普通に楽しめましたが。
ただ、存在に気づいていないネタなどはあったかもしれません。

> > ただ、どこかのタイミングでニコニコ自体がニコニコを見捨てたのも事実でしょう。
> > ただそのタイミングは16年以降じゃなかったけな?

> ちなみに、「ニコニコ自体がニコニコを見捨てた」というのは、
> 具体的に、どのような事象を指しての事でしょうか?
> また、それが2016年以降の事だというのも、同じく何か具体的な事象があるのでしょうか?
> 正直な所、私自身はそれ以前にニコニコ動画を見捨ててしまったので(苦笑)、
> 仮に何かあったのだとしても、全く知らないんですよねえ・・・・


すみません、ニュースソースはもう忘れてしまったのですが、スマホ普及に伴い、ニコニコ既存層ではなく、スマホユーザーの新規開拓に走った、というような内容だったと思います。
しかも、16年以降ではなく、おそらく16年以前ですね。
で、その後は本当にYouTubeに既存層が流れ始め、ヤバいと思ったのか、劇的に視聴環境が改善していったのが、18年くらいからだったかな?
とはいっても、会員登録せず動画が視聴できるようになったとか、なんで今までそんな単純なことしなかったんだよ、というレベルの話でしたが。

▼ YouTube

> > YouTubeAIは嫌いなんですよね。
> > 頭の悪そうな解説動画ばかりおススメしてくる。

> 確かに私も、最初の内は、そうした動画紹介が嫌だったのですが、
> 使っていくうちに、良くも悪くも、私向けに最適化さていき、
> それ以降は、そうした動画の紹介頻度はかなり低くなりましたね。
> なので、単純に再生回数や高評価の多さ(信者の多さ)だけで、オススメしてくる訳ではなく、
> それほど機会は無いものの、自分では見なかったであろう動画を紹介してくれて、
> それが面白かったりする事も時々あるので、「価値はあるな」と思うようになりました。
>
> 解りやすく言えば、何本もの動画を薦めてくれたとして、
> そのうち7割が微妙で、しかも2〜3割りは不快でも、数本の当たりがあれば、
> 情報源の1つとして許容できる範囲内とでも言いますか、
> 言うなれば、昔の2chみたいな感覚なのかも知れませんね(笑)。
> 駄スレや糞スレが大量にあっても、その中に光る良スレも含まれれば、目を通す価値はあり、
> 逆に、駄スレや糞スレばかりで、良スレが見当たらなければ、目を通す価値は無いみたいな感じで、
> そしてYouTube AIの打率は・・・個人的には、満足とは行かずとも、使用可能なレベルかな?と。
>
> > しかも、それが面白そうなんですよね。
> > なので、この動画をおススメしないボタンを使ってAIが変なものをお勧めしないようにしてます。
> > 多分、ここでAIにおススメされる動画ばかりを見るようになると、
> > 自分でものを考えない人間にさせられる気がするんですよね。

> まあ実際には、そういう人が大多数だからこそ、そうした動画の再生数が凄いのでしょうし、
> ほとんどの視聴者は、そんな事さえ考えずに、動画を楽しんでいるでしょうから、
> 自分自身で「危なそうだな」と意識できる分だけ、かなりマシだと思いますよ。
> そうした思いが頭の片隅にあれば、誘惑に流されないよう注意するだけで、そう騙されない気もしますし。


なるほど、YouTubeAIはなかなか扱いが難しそうですね。
使いこなせる人はそうやって使いこなせるのでしょうが、簡単ではない印象。
そして私の場合は、リラックスしたい時に動画を見るので、ちょっとでも見たくないものを見せられると、すぐミュートするんですよね。
そういう意味でも、管理人さんのような使い方は合ってないかな。
といいますか、2chをちょっと覗いてみたときも、似たような理由で使わなかったんですよね。

▼ オタク的なリアルとファンタジー

> > 俺ガイルの3人(主人公と、ダブルヒロイン)って、建前として
> > 「私たちは部活だけの関係で、お互いそんな仲良くないよね」という体で人間関係やってるんですよね。
> > なので、この3人が部活動の範囲を超えて、個人的な友達として学校を出て遊びに行くときは、
> > 毎回毎回何らかの「だったらしょうがないよね」という理由を用意して遊びに行くんですよ。
> > 大抵は、主人公の妹が空気を読んで、何らかの学校外で遊ぶ理由を用意してくれるのですが。
> > (自分で文章にすると、改めてその異常性を確認させられますw)

> まあ確かに、リアルの世界で考えれば、レア(異常)な感じかも知れませんけど、
> でもオタク作品の世界観だと、結構よく見る設定じゃないですか?(笑)
> 非リア充な主人公が、非リア充というスタンスを維持したまま、
> それでもリア充的な体験をさせるには、いろいろ設定を組まなきゃいけないですし、
> それこそ、以前に名前を挙げた「はがない」とかも、似たような設定じゃありません?
> また最近は、少女漫画の恋愛モノでも、この手の設定は増えてるような気はします。


同じ話になってしまいますが、
確かに、オタク作品だとよく見る設定なのですが、俺ガイルはリアリティレベルが現実とほぼ一緒なので、そのリアリティでこれやられると、すごい異常感があるんですよ。
「はがない」は読んでいないのですが、同作者の「妹さえいればいい。」は読んでるので、そこから推測するに、はがないも結局はオタク・ファンタジーでしょ、と。

> Wヒロインとの重婚エンドは、50年前の「いなかっぺ大将」から既にありますけど、
> 宗教的な事由とか、法律的なケジメまで付けてる作品を、少なくとも私は知りませんからね。


法的ケジメうんぬんより、やはり気持ち的な問題が大きいかと?
恋愛ならともかく、結婚ともなればやはり重婚というのはハードルが高く、もっと言えばそこまで責任取れるの?ということでしょう。
好きな相手だからこそ、相手の将来の幸不幸まで考えてしまいますし。

> > そして、社会規範という表現が出てきたのは、この3人は一緒の大学に進学するの?ということに対してであり、
> > 友達と一緒の大学に行きたいから、志望校を下げる、というのはかなりリアルな問題でしょう。

> そもそも、今回の件に関して言うと、俺ガイルの設定やストーリーがどうこうでは無く、
> この「社会規範」という、旧トルコ担当さん自身のワード選択に対して、
> ツッコミを入れてる面が大きかったんですけどね(笑)。
> (言い換えれば、作品自体のリアルさではなく、旧トルコ担当さんのリアル感覚が主題)
> 社会規範って平易に言い換えると、モラルとか常識という意味なので、
> 「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」なんてモラルや常識が、社会に存在するか?
> という事を、問い直してみた訳ですね、前回の話の主旨的には。
>
> あと、日本って良い悪いは別として、未だに男性中心社会なので、
> 「彼女と同じ大学に行きたくて、志望校を下げる」という例は少なくても、
> 「彼氏と同じ大学に行きたくて、志望校を下げる」という例は結構ありそう。
> もっと言えば、下げる方向ではなく、彼氏・彼女・友達と同じ大学に行くべく、
> 「頑張って勉強して、志望校を上げる」というのは、普通によくありますよ。
> こういう共通目標の設定は、受験勉強のモチベーション・アップに、非常に効果的ですし、
> ある意味、そこでWヒロインの片方だけ落ちれば、その時点で実質決着エンドかと?(笑)
>
> それに、大学の数自体は日本国内に多くあれど、
> 「現実的な選択肢って、それほど多いか?」というのも、ありますね。
> 俺ガイルの学力設定がどうなってるかは解りませんが、ある程度の進学校になると、
> 上京しないのであれば、地元の国立大学を狙うのが一般的ですし、
> 上京するのであれば、私立大学だと、まずは早慶って感じですからねえ。
> MARCHとか、日東駒専とか、同程度の偏差値帯にある大学群は、それほど数ある訳じゃなく、
> 同程度の偏差値帯であれば、余程の拘りの学校が無い限り、仲間と同じ大学で良いのでは?
> まあ、旧帝レベルを目指すとなると、少し事情は違って来ますけども、
> リアルにその辺を狙うとなると、ドラゴン桜みたいに、また別の要素が作品に加わりそう(笑)。


「高校の友達は卒業したら別れるのが普通」なんてモラルや常識だとは思っていませんけど、「高校生にもなって友達と同じ大学行こうとする」のはちょっと待ってって感じじゃないんですかね?
確かに、自分の見てきた世界なんて狭いですし、拘りがなければ同じ大学で良いのでは?というのも分からなくはないですが、大卒サラリーマン家庭の世界で育ってきた身としては「大学受験でそれは無いんじゃない?」としか思えないですね。
作品の舞台も千葉の学域内トップ公立高校ですし。
これが彼氏・彼女なら、まだ分かりますが、そうなると今度は、2又かけることになり、やはり社会規範的にどうよ?って話ですし。

▼ 私にとって、オタクが恥ずかしい理由

> あと、前回も含め、私の発言の主旨としては、
> 新自由主義システムの未来が、どうこうと言う以前に、
> どんなシステムにも「建前(理想)と本音(現実)」があり、
> 建前(理想)の方を信じてしまうと、結果的に痛い目を見やすい忠告なんですよね。
> 現在進行形である、新自由主義に関しての話だと、ちょっと解り難いかも知れませんが、
> 例えば50年前に、共産主義の理想や建前を信じて、熱心に行動した若者が、
> 一体どのような末路を辿ったか・・・みたいな事を見れば、自ずと解るような気もします。
> そして一方で、戦前くらいならまだしも、70年代くらいであれば、
> その気になれば、相応の情報だって得られたでしょうに、それでも盲信してしまった危うさを、
> 今の時代に繰り返すべきではない・・・みたいな話でもありますね。
> まあ、余計なお世話かも知れませんけど、これも何かの縁ですし。


俺ガイルにしても、90年代のジャンプ作品にしても、オタク(サブカル)作品というのは「本当の友情とか、人を好きになる気持ち」とかをどんなところまでも肯定しますし、
もちろん、現実はそんなファンタジーじゃないんですが、オタクっぽい=子供っぽい作品をバンバン吸収すると、世間知らずになると言いますか、よく言えば純粋になるんですよね。
新自由主義に対しても、おそらく私が純粋だからこそ、無根拠に人間の善意を信じてるだけだと思うんですよ。現実とラノベをごっちゃにして。
それに恥ずかしさとか、気後れを感じると、BLや百合の世界に入っていくんですよね。
自分では信じられないけど、異性という自分から離れた世界にすることで、純粋性を肯定するといいますか、コッチの世界ではそうじゃないけど、アッチの世界はそうだよ、と。
だから、百合が好き、BLが好き、というのはまだ言えるのですが、男で同年代くらいの主人公の作品の名前を出すのは恥ずかしいんです(俺ガイルもそうですが)。

地政学10箇条

第3条、善悪は擬装の道具である。
第2条の続きとも言えますが、国際政治は生存競争である以上、
生き残るためには、善悪に関係なくどんな手段でも実行すべきです。
所詮善悪は、自身を正当化したり、相手を非難したりするだけの道具です。
現在、「人権カード」はこれのもっとも最たるものでしょう。

なので、こういう風に「人権カード」とか書かれると、割と本気で傷つくんですよw
自分の信じている善意を否定されたみたいでw
まあ、いい子ちゃんといいますか、世間知らずのお嬢様みたいなもんなんですよね。

で最近、自分があまりに純粋すぎるんだな、というのをようやく自覚するに至り、恥ずかしいなあ、と。

▼学校文化の昨今

前にスクールカーストの話が出てきていたと思うのですが、
私の中学校では、だいたい顔の良い順に成績もよかったのですが(特に上位層)、昔もそんなもんだったんですかね?
追記:すみません、これ数字入れないと伝わらないですね。だいたい、成績の良い上位3分の1のグループのうち、3分の2は、容姿の良い上位3分の1のグループとメンバーが共通でした。

オタク史はまあ、ある程度把握したかな、みたいなところがあるので、今は学校文化の歴史に興味があるのですが、なかなか良い参考資料がないんですよね。
例えば、夏休みにカップルが花火大会に行く、みたいなお約束は、いつ頃成立したのか?おそらく70年代、80年代だと思うのですが、その辺の成立過程とか興味あるんですよね。


[23814] 社会の話返信 削除
2022/1/22 (土) 22:45:39 旧トルコ担当

▼AIについて

> それこそ私は、旧トルコ担当さんの年齢と同じくらいの年月、
> 人工知能に関して、本職では無いものの、関心を持って学び続けていますから、


> だからこそ、この当たりの話題を続けるのであれば、私も本気になってしまうでしょうし、
> 逆に言うと、何となくのイメージで雑談を重ねるには、ちょっとキツい題材でもあると・・・・
>
> ぶっちゃけ、これ以上に深く話を進めるのであれば、
> 相応の前提知識を、旧トルコ担当さんにも求める事になるでしょうし、
> それに掛かる負担を思うと、却って、この話題はここで切り上げた方が良いのかな?とも。


誤読させる文章だと自分でも思うのですが、「AIはもう道具やツールではなく一つの仮想人格」というのは、最低でも5年以上先の話を、想定していました。

私のAIに対する理解レベルとしては、大学で1講座AIの授業を取ったレベルですが、私のAIに対する理解レベルを共有するため、私のAI観を述べますと、
試しにGoogle翻訳で英語のWikipediaの記事を翻訳させてみたところ、AIといっても所詮は単語を暗記してるレベルで、使い物にならないな、といった印象を受けたのが7,8年くらい前。
それから、Twitterで洋ゲー翻訳界隈の方たちから「Deeple翻訳」と「みらい翻訳」の存在を知り、翻訳精度の高さに衝撃を受けたのが、3,4年前。
さらにそれを超え、小説の創作をAIができるようになったというのを私が知ったのがAIのべりすと。
そういう意味で、「近年ようやく、道具やツールとして使えるレベルになってきた」感じというのは共有しているつもりです。
これからの予測としては、あらゆる産業の省力化にAIが使われだすのが現在からの時代、
さらにAIが単純労働だけでなく、人間との会話などができるレベルにまで進化するとすれば、どんなに短くても数年は必要、
さらにそこから、AIの画像認識や映像認識、そして身体感覚機能を利用して、本当のAI、ドラえもんのような人工知能がもし本当に出来るとすれば、少なく見積もっても20年以上、といった感じでしょうか。(これに関しては実現性は未知数ですが)
AIの技術理解としては、ディープラーニングは構想としては昔から存在していたが、コンピューターの計算速度向上により近年ようやく実用可能になった、
AI(人工知能)と言われているが、実際はただの計算機に過ぎず、本当の知性があるわけではない、といったレベルです。
管理人さんの理解には全然追いついていないでしょうし、AIだけでなく、知能とは何か?感情とは何か?といった方面は一切考えても勉強してもいません。
で、このレベルの理解では実際どうなのでしょうか?個人的には、最低限くらいは押さえているのかな?と思っているのですが。まだまだ頓珍漢なことを言っているレベルですかね?
いえ、そうなのであればハッキリそう言っていただきたいです。

> もっと言うと、実際に育成ゲームをプレーされた上での返信なのかも、ちょっと解りかねてますので。
> ちなみに、90年代ゲームの「森川君2号」とか「シーマン」あたりは、御存知なのでしょうか?


森川君2号は存在程度は知っていました。
育成ゲームは、一応たまごっちはちょっと遊んだことがある程度です。

▼新自由主義について

> > もしその予測が正しいのであれば、今は新自由主義がドンドン加速して行っている段階から、
> > 社会の矛盾が大きくなっていく段階の途中にあり、
> > 次には対立と悲劇的な結果、そして新自由主義の反省があるんでしょうね。

> こちらに関しては、ちょっとだけ私の見立てとズレているかな?
> 社会の矛盾が大きくなっていく「途中」ではなく、
> 現在はまさしく、その「段階」に至っている感覚でいます。
> まあ確かに、日本国内に限って言えば、そこまででは無いものの、
> グローバル社会な現在、世界を見渡せば、確実にそうなってる気がしますからねえ。
>
> > 今大学生の私の場合、あと数十年間でその一連の流れがあり、
> > 人生100年時代なら50歳から70歳くらいで、新自由主義の消え去った次の時代を目撃できるのかな?
> > まあしっかりとデータ集めて、考えた論ではありませんが。

> そして、最も見立てが異なる部分が、ここかな?(笑)
> この文章ですと、ポスト新自由主義は「30〜50年先」の話と捉えているように感じますが、
> 歴史を見れば、ファシズムは20年、冷戦も40年そこそこで終わってるんですよ!?
> ケインズ経済の盛衰とかを見ても、1つの社会システムって、現代世界では、
> だいたいは1世代(20年)、長くても2世代(40年)で限界に達するイメージがありますし、
> 時代変化のスピードが早まっている現在においては、
> 1つの周期が短くなる事はあっても、逆に長くなる可能性は低いと思うんです。
>
> 日本視点だと小泉改革以降の20年、世界視点だと冷戦終結以降の30年、
> 米英視点だとレーガンやサッチャー以降の40年が、新自由主義の時代と呼べますが、
> 果たして、これが更に30年も50年も続くかとなると、私はかなり懐疑的ですし、
> 既に問題が表面化している時点で、内部ではもっと進行していると見るのが無難であり、
> 冷戦の時もそうでしたけど、瓦解する時というのは、本当に一気に進むモノなんです・・・・
> ゆっくりとジワジワ崩壊なんて、そんな悠長な例は、近現代史的に見ても稀ですので。
> 一連の流れが数十年も続くだなんて見立ては、相当甘いとしか思えませんよ。
> 数十年って、大日本帝国(77年)も、ソ連(69年)も、誕生して崩壊する長さですから(笑)。
>
> また、歴史的な経験則だけでなく、実際の市場拡大を見ても、
> ここ30年の間で、東欧・旧ソ連・東南アジア・中国・中南米・南アジア・中東の順に広げ、
> 今や、最後のアフリカも半ば手を着けてしまった段階に至っており、
> 多くの先進国では人口が減少し、世界的な人口増加も そろそろ頭打ちになりつつある昨今、
> 世界規模で、限られたパイの争奪戦が、今後も繰り返されるとすれば、
> 格差(負け組の割合)は更に広がる一方なはずで、新自由主義はかなり限界に来ている印象です。
> まあ当分は、グローバルな大企業が、コスト削減で未成熟な既存市場を喰らい更に膨れ上がったり、
> そうした弱肉強食な世界からこぼれ落ちた、ニッチな隙間産業に余地があるかも知れませんが、
> それらだって大きな視点で見れば、別に全体のパイ自体が増えてる訳じゃないですからねえ・・・・
> 逆に尋ねるとすれば、一体どうすれば、新自由主義が今後も存続可能になるでしょうか?
>
> それに、私の感覚で言うと、新自由主義はポスト冷戦とセットだと見ている為、
> 今後、アメリカ一極体制が終焉を迎えたとすれば、新自由主義の寿命も尽きるだろうと見ています。
> そういう意味では、従来の覇権国家と、台頭する新興国家は、衝突を起こす確率が高いという
> 歴史法則「トゥキディデスの罠」に、米中関係がまさしくハマりつつある昨今、
> このままで30年も50年も、動きのないまま続くはずが無い・・・という見立てで居ますね。
> (これは、仮に米中衝突がアメリカの勝利で終わっても、衝突した時点で時代は転換点を迎えます)
> 数年前に流行ったピケティの「21世紀の資本」じゃないですけど、
> 戦争や革命という形で、歪みの補正が暴力的に行われる可能性は、今後十分あるでしょうし、
> 変な話、新自由主義のシステムが延命すればするほど、不満の風船も膨らみ続ける為、
> それが破裂した時の反動も、風船が大きくなる程に、威力を増すだろうと推測されます。
> このコロナ禍でさえも、ソフト・ランディングの機会として活かせませんでしたから。


まあ、「50歳から70歳くらいで、新自由主義の消え去った次の時代を目撃できる」というのは自分にとっては新自由主義の時代が長く続いたうえに、崩壊にも巻き込まれるという一番悲観的な予測をしておこうということであり、
新自由主義の崩壊が予想していたより早い、というのは多少楽観的になれました。
もちろん、新自由主義崩壊の過程で暴力的なことが起きる可能性は十分ありますし、ポスト新自由主義が必ずしも今よりも良い時代かどうかは疑問ですが、
それでも崩壊するなら、数十年後に崩壊されるよりも、早く崩壊された方が、まだマシですし。

▼評価経済について

> ネットの発展、特にSNSの登場によって、多くの人からの「評価」を手軽に得られるようになった昨今、
> 「いいね!」を求める承認欲求というのは、高まっていく一方な社会状況ですし、
> 社会格差の拡大により、経済的な満足感が得難い時代となって行くなら、
> この傾向は、更に強まっていく事が予測されますからねえ。
> 逆説的に言うと、それだけ今後は、「評価」による心理的な満足感の価値が高まりそうだと。
>
> ただ、その「評価」が、「経済」と呼べるようなモノにまで発展するかは、ちょっと不透明そう。


> ただ、その「評価」が、「経済」と呼べるようなモノにまで発展するかは、ちょっと不透明そう。
> ある意味でそれって、ネットを介した物々交換の世界でしょうし、
> 交換される商品は、昔のような実用品に限らず、オタク的やアート的な嗜好品であったり、
> それこそ実物など存在しないような評価や関係性であっったりなど、かなりのレベルアップが必要で、
> それを上手く回して、経済や社会と呼べる程までにシステムを完成させるのは、結構至難の業かと?


そこまで違った認識ではなかったので安心しました。
確かに、評価の力が強いのは分かる一方で、実際それだけで社会を回そうとするのはちょっと難しいというか、そこまで評価には馬力は無いよなあという感じの認識です。

▼ホリエモンと岡田斗司夫

> オタキングやホリエモンの主張に共通するのって、その他大勢にとっては実現困難でも、
> 当人は可能であれば、それがあたかも社会的・普遍的に当てハマるかのように語る所であり、
> 実現性を真面目に考えて、そこを指摘してくる意見には、
> 「そんなの知らねぇ」と切り捨ててしまう印象があるんですよね(笑)。
> まあ、それくらい自分本位な人の方が、行動力としては高くなるのでしょうけど、
> 何か大きな仕事をしようとする場合、広範な人々の事を考慮できない為、実現力は落ちるのかな?
> な〜んて、それ以下な人間が偉そうに語っちゃってるのですが(苦笑)、
> でもまあ彼らは、そこそこのポジションを築いていて、発信力などもあり、
> その気になれば相応の仕事が可能である事を思うと、その辺りが実に残念ではあるんですよね。


ホリエモンの主張って第一に「リスクを恐れず挑戦しろ」だと思うんですが、これってホリエモンの行動に照らし合わせれば、牢屋にぶち込まれるようなレベルのリスク、ということだと思うんですよね。
ホリエモンの言っていること成功法則的なものが普遍的かどうか以前に、まず逮捕されるようなレベルのリスクはさすがに誰も負いたくないんですよ。
ホリエモンと、ホリエモンの話を聞いている人の間で、まずそこに認識のズレがある。
そして、ホリエモン自身は牢屋にぶち込まれるリスクを背負える、大変男気のある人なんですよね。
そこが私はかっこいいなあと思うのですが。

いやだって、ホリエモンって小学生のころから「テレビの芸能人とか、女優さんとかと、自分は会えるだろう、だってこの世界は自分のものだし」って思い続けて、今もそう思っているらしいんですよ。
なんて気が狂っているんでしょう。ふつうは小学生も高学年か、遅くとも中学生にもなれば、この世界は自分中心に回ってるわけじゃ人だって気づくと思うんですけど。
そして、本当にその能力と強運によって、それを実現してしまう。
だから私にとってホリエモンっていうのはアイドルなんですよね。
世の中のちょっと顔が良かったり、ちょっと歌がうまい程度のアイドルよりも、よっぽど彼の方が応援しがいがあると思うんですけどねえ。
そいういう文脈において、ホリエモンにはぜひ人類の寿命を1000年くらいに伸ばして、宇宙人に会うという夢を実現して欲しいんですよね。
両方とも、みんな子供のころには考えるけど、現実を知り、あきらめることを知って大人になると、忘れてしまう夢ですかねえ。

で、岡田斗司夫の主張は「夢をあきらめろ」だと思うんですよね。
それは声優になりたい、みたいな夢から、正社員になりたい、とかそのレベルの話まで、岡田斗司夫にとっては夢なんですよ。
だから、就活生には「就職なんて無理にしなくてもいいよ」(https://www.amazon.co.jp/dp/B00SOVUJ2G/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)と言ってしまうし、
ニートの人には「働かなくていいよ」(https://www.nicovideo.jp/watch/sm15792198)と言ってしまう。
就職ができない、ニートを脱出できない、なんていうのはもう個人の努力の問題ではなく、社会システムが狂っているからだし、
岡田斗司夫からすれば、そんな狂った社会で、就活生に対して「こうやったら就活上手くいくよ」というようなことを言って目の前の学生の就活をサポートしても意味がない。
結局、正社員の雇用枠は世の中全体で決まっていますから。
だから、岡田斗司夫がすることは、正社員になれという親の期待に反することになって、暗い気持ちになっている就活生に対して、「就職なんかしなくていいよ」と言ってあげることだし、
ニートを脱出できない人たちに対して、「ニート、そういう生き方もアリじゃない?」と言ってあげることなんですよねえ。
そういってあげれば、とりあえずは目の前の落ち込んでいる彼らの気持ちを楽にしてあげられる。
いずれ、そのつけを払うこととなっても、それ自体はもうしょうがないことであり、だったらせめて無駄な落ち込みだけでもしない方がマシ、というのが岡田斗司夫の主張だと思うんですよね。

そして、評価経済という方向での岡田斗司夫の主張は、
「今や大企業の正社員になったとしても、将来は安泰じゃない。
かといって、色んな会社に転職できるスキルを持ち合わせろ、というのも万人にとっては現実的ではない。
だから、特別な能力がなくても、お前だったら雇ってやるよ、という人間関係を作れ」ということだと思うんですよね。
確かにそれは分かるんですけど、これに関してはどうしたら良いのでしょうか。
一応、いいひと戦略は心がけているのですが。


[23815] オタク・学校・経済・AIの話(その1)返信 削除
2022/1/26 (水) 21:13:14 徳翁導誉

▼ 百合とBL
> > > 個人的な偏見では、異性へのあこがれより同性への嫌悪の方が強いのがBL、
> > > 同性嫌悪より異性へのあこがれが強いのが百合だと思っていますが、これはさすがに根拠に乏しいかな?
> > > 特に百合は女性ファンも一定数いますし。

> > あと、「百合は女性ファンも一定数いる」と言うのは、確かにそうでしょうけど、
> > 数は少ないかも知れませんが、それはBLだって同じでしょうし、
> > 逆に言うと、御自身が百合アニメを観るから、女性ファンの存在に気付くのであって、
> > BLアニメの方は観ないから、男性ファンの存在に気付かないような気もしたのですけど?

> 百合ファンは男性7:女性3程度なのに対して、BLは9割女性な印象。しっかり調べたわけではないですが。

まあ、大体そんな感じですかねえ?
私も別に、調べた事がある訳じゃ無いですけど(笑)。
ただ、BLの男性ファンよりも、百合の女性ファンの方が、人数も割合も多いのは確かかと。
これが、ゲイやレズと言ったガチ向けのアダルト・コンテンツまで含めると、
もう少し話は違ってくるのでしょうけど(直接的なコンテンツは男性層の方が好む傾向アリ)、
BLや百合という表現になると、ソフトでストーリー性も重視される感じになりますし、
そうなると、女性層や一般的ノンケ層でも、コンテンツとして楽しめる人が増える印象があるので。

> > また、「同性嫌悪」だと表現的に過剰な気がするので、「同性不要」くらいに止めますけど、
> > これに関しても、メイン・ターゲットが男性か女性かで、ちょっと異なる感覚。
> > と言いますか、女性向け作品の場合、別にBLに限らずとも、
> > そもそも同性不要な作品が多いと言いますか、
> > 女性キャラは基本、主人公以外は要らない傾向が強い気はするんですよね。

> 個人的な主観というか偏見ですが、女性の方が共感性が高く、男性の方が低いので、

私も偏見で述べると、恐らく女性というのは、
「他人に共感したい」のではなく、「自分に共感してもらいたい」生き物であり、
だからこそ共感するような態度は見せても、それはあくまでもコミュニケーション手段であって、
自分自身が楽しむコンテンツにまで、共感する事を求めるかとなると、どうなんでしょうかね?

> 結果的に女性向けはBL以前の普通のマンガや小説でも男キャラが多く、
> 逆に男性向けは女キャラはサブキャラ止まりな印象。

これって、「女性は共感性が高く、男性は低い」という話と、一体どう繋がるんですか?

> だからこそ、同性愛は女性オタクの方がファンが多く、時期的にも早く取り入れられたのに対して、
> 男オタクの同性愛は女性オタクに比べ時期も遅く、ファンも比較的少数。

ここで単に「同性愛」という単語を使われると、ゲイの事だか、レズの事だか解らなくなる(笑)。
でもまあ、薔薇族が先にあった上で、後から百合族という事が生まれたように、
男性向けのゲイ・コンテンツは、女性向けのレズ・コンテンツよりも、時期も早くて数も多いでしょうし、
その一方で、男性向けのレズ・コンテンツも、AVとかで昔から一定の需要があったでしょうから、
そういう意味では、女性向けのゲイ・コンテンツである「BL」というのは、実は後発組で、
それまで需要が低かったからこそ、オタク的な分野で隙間産業的に発展した印象もあるんですよね。

とは言え、1982年の段階で、土曜の夜7時半に「パタリロ」なんて放送していた事を思うと、
ある意味では、ガチ勢以外に向けての娯楽コンテンツ化は早かったと言いますか、
先鋭的だったのか? はたまた配慮が足りなかったのか?(苦笑)
そう言えば5年前、とんねるずの「みなさんのおかげでした」30周年特番として、
昔人気だった「保毛尾田保毛男」というキャラが復活した際には、抗議で大炎上してましたね。

> > う〜ん、これって以前にも散々説明しませんでしたっけ・・・・
> > 「本質的」というのは、そんな表層的な話をしているつもりは無いのですが、
> > これを繰り返すとなると、「人間の本質的な欲求」という話は、今後避けた方が無難なのかな?

> 余計なことを書いて、重要な部分書かなかったので誤解を招いてしまっていて申し訳ないのですが、
> 「人間の本質的な欲求なんて、そんな時代でコロコロ変わるモノでも無い」というのは賛同する一方、
> たかがエンターテイメントごときの好き嫌いに、本質的な欲求まで深く関係するか?とは考えています。

その逆ですよ、逆。
「たかがエンターテイメントごとき」だからこそ、本能的な欲求に応えようとするんです!!
理性や倫理観に基づいて作られたエンタメなんて、一体どれだけの人が面白いと感じるんですか?
大多数の人にウケようとすれば するほど、そうした本能的な欲求への表現が直接的になりますし、
そこまでダイレクトだと下品だと感じる層には、より婉曲的となりますが、それだけ伝わり難くなります。
深いと言うよりも「根幹」だからこそ、全ての中心であり、代替が効かないんですよ。

もうちょっと具体的に書けば、まずは「食欲」と「性欲」であり、
そこが満たされれば、「喜」や「楽」といった心の充足になります。
そして、食欲や性欲から派生するのが、「独占欲(支配欲)」や「収集欲」であったり、
また、シンプルな喜や楽に慣れてしまうと、怒からの喜や、哀からの楽など、演出を求めるようになると。
あとは、その表現手法が複雑化していくと言うだけの話ですよ、結局はエンタメというのは。

> それこそ、BLや百合が流行って同性愛カップルが続々表れているというのであれば話は別ですが、
「話は別」と言う事は、「実際には そうじゃない」って事ですよねえ?
だったら尚更、私の言う通りだと思いますけど・・・・

要するにそれって、同性愛のガチ勢では無いという事であり、
では何故、そうしたコンテンツを求めるのかとなると、有り得る主な理由は2つ。
その1つ目は、嘲笑や弄りを目的としたモノですけど、少なくとも今回の話題はこれでは無い。
(とは言え、男性のBLファンの中には、こうした層も一定数は居ますけどね)
なので、もう1つの方である、「異性恋愛の代替としての同性愛」に当たるのだろうと。
そして、今まで語っていた「人間の本質的な欲求」というのは、ここで言えば「異性恋愛」の事であり、
そもそも、それをコンテンツとして楽しむ恋愛モノ自体が、当人的には単なる観客に過ぎ無いのに、
それすら耐えられないから、わざわざ同性愛を求めるのですが、
それにしたも、本当に同性愛を求めているのではなく、結局は異性恋愛の代替であると。

でもこれって、どれだけ遠回りしてるの?って話ですし、
しかし一方では、最終的なゴールは別に変わっていない事でもある訳です。
で、それが美食に飽きてのゲテモノ食いであったり、マニアックな趣味を満たす目的ならまだしも、
そうした遠回りに走らせる原因があって、それが満たされるのも一定数がニーズがあるからで、
そこを突き詰めると、単なる趣味嗜好の多様化なんて話だけでは無さそうだ・・・という事なんです。
「歌は世につれ、世は歌につれ」などとも言われるように、
コンテンツの人気や需要というのは、時勢の影響を受けて変化する「指標」でもありますからねえ。
どういった作品が好まれるかは、その時代性を表す鏡でもあるんですよ。
人間が求める根幹的なモノは変わらなくても、その時々の状況下で、置かれた心理状況は変わるので。

> BLや百合の流行を論じるために、本質的な欲求とまで持ち出すのは、
> ラーメンの旨い旨くないに、食欲本能からして〜、と論じるようなナンセンスさを感じるのですが、どうでしょうか?

料理というのは、「味付けはサイエンス、盛り付けはアート」ですよ!(笑)
「ウマけりゃ良いじゃん!」というのも1つの真理ですが、それでは単なる客に過ぎません。
そこをナンセンスと感じるのって、結局はオタクではなく、ファンである証なのでは?
ウマいと感じるからには、何らかの理由が絶対に存在しますからねえ。

それは、何か特別な食材を使ってるからかも知れませんし、
調味料の絶妙なバランスであったり、苦心の上に見つけた調理法があるのかも知れません。
でもそれは、舌というセンサーが感じるからこそ、それぞれの味を感じられる訳で、
その舌のセンサーも、基本となる5つの味覚に、触覚や嗅覚などが反応したモノであり、
センサーを最も敏感に反応させるのは、それが身体に効果を表す物質や分量だからなんです。

例えば前回、「子供はハンバーグが大好き」という話をしましたけど、
「なんでハンバーグが好きなの?」と子供に尋ねても、「おいしいから」としか答えないですよ(笑)。
でも科学的に見れば、子供は体を大きく成長させる為に、大人よりも高い割合でタンパク質や脂質を欲しますし、
その一方で、咀嚼する力はまだ弱く、肉の歯ごたえを楽しむなんて余裕もありませんから、
ステーキ肉ではなく、あらかじめ粗挽きしてくれた肉を好む訳ですね。
私たちの食欲というのは、無自覚ではあっても、体が求めるだけの栄養素の種類と分量を欲しますし、
逆に言うと、そこから逆算するような形で、狙って美味しいモノを作れたりもするんですよ!!

まあ、実際の料理人というのは、そこまで科学的ではなく、経験則に基づいて試行錯誤しますが、
それにしたって、何故そこに辿り着いたかを問えば、科学的な答えが求まる話でもあり、
とある料理の美味しさの秘訣を知りたい場合には、舌を通して「味の因数分解」を行ったりするんです。
そして この場合、因数分解の方法を知っていてば、答えに辿り着くのが非常に容易になると。
(野球だと、私が変化球を覚える際は、とにかく投げ込みではなく、科学的にアプローチしてました)
・・・って、単純に「ウマい!」で終わるなら、そんな小難しい知識は不要ですけどね(笑)。
あとは結構、蘊蓄を垂れるのが好きな層は居ますが、そういうのはオタクのマウント取りと同類なので、
それで満たされるのは個人の自由ですが、少なくとも私の興味の範疇外ではあるかな?

また、これは非常に重要な事ですが、それこそ蘊蓄満足に陥らない為にも、
貯め込んだ知識で味わおうとするのではなく、それを頭の隅に追いやる事も重要です。
「蒼天航路」第6巻(70話)で、曹操の軍師・荀ケが修行の旅から帰国した際、
「あらいゆるものを見聞し 頭の中に天下をおさめて
 しかもそれらをすっかり忘れて 戻ってまいりました」
と報告する名場面があるのですが、これなんて実に最たるモノかと?
ちなみに この台詞、アニメ化された際にはカットされていて、
その程度の理解度のスタッフが手掛けたからかは解りませんけど、
恐らくは「ベルセルク」に続く深夜アニメの大作として、日テレから期待を掛けられ、
潤沢な制作予算と、「4クール+α」という放送枠を与えられながら、
あまりの評判(出来)の悪さに、わずか半年で打ち切りの憂き目にあっちゃうんですよね・・・・

と、そんな話はさておき、博物館や美術館、名所旧跡などを訪れる時もそうですが、
最初は何の予備知識も持たず、先入観に捕らわれない、真っさらな心で眺め、
2回目は、その時代背景や作者の意図などを、事前に頭に入れてから学び、
そして3回目以降は、それらを一旦忘れて、自らの血肉とした上で楽しむと、
そこからは、相当いろんな事が見えるようになってくるんですよ!!
これくらいしないと、面白い気付きとかは、なかなか得られませんしね。
で、こういう手法というのは、サブカルを深めるオタクにも有効だと思います。
少なくとも、何の意図もなく1作品を何周もするよりは、理解が深まるんじゃないですか?

> とは書いてみたものの、結婚に関しては昔と比較して結婚しない人が当たり前になっているわけで、
> その点からすれば本質的な欲求も結構変わるのでしょうか?
> まあ昔だってもちろん、結婚しない人たちがいなかったわけではないのは理解してますが。

そもそも論で言うと、昔だって結婚しないと言うか、結婚できない人は多く居ました。
それは、得られる富の中から、暮らせる人数が限られていた為で、次男三男となると結婚も難しく、
その状況が一変したのが、産業革命や農業革命による近代化であり、富国強兵の為の人口増進政策でした。
そういう意味では、結婚したければ出来る社会状況となったのは、ここ100年とか150年の話であり、
別に結婚しなくても良いのに、結婚する人の割合が95%を優に超えたのは、それが本質的な欲求だからで、
逆に言うと、男性の生涯未婚率が25%を超えてる現状って、一体どうなんでしょう?
結婚を望まない人がそれだけ増えたのか? はたまた、再び結婚できない人の割合が増えたのか?
旧トルコ担当さんは、果たして どちらの要因の方が大きいと思われます?

> > > > 確かに、作品数などのコンテンツ面で言えば、飽和状態にあるのは事実でしょうけど、
> > > > その一方で、平成前半の生まれを「さとり世代」などと呼ぶように、
> > > > 満たされてるから満足してるのでは無く、満たされてないから満足点が低く設定されていて、
> > > > 良く言えば手堅くて堅実、悪く言えば挑戦や冒険を避けがちな傾向がある為、
> > > > 共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じるんですよね、私には。

> > > という風に、私には百合・BLはポスト大量消費社会の一つとして見えているんですが、
> > > 管理人さんには退化に見えるのかぁ。

> > 「退化」なんて単語、私が1度でも良いから使いましたっけ???
> > これだけ言葉を尽くして尚、それくらいの理解のされ方だとなると、
> > 正直、かなりの徒労感に襲われるのですが・・・・
> > まあ、私の書く文章って、お世辞にも読みやすくは無いと、自分でも自覚してますけども。

> 「退化」というのは「共感や投影というのは、実の所、積極的な前進ではなく、消極的な後退に感じる」という辺りから、
> 勝手に解釈していたのですが、どういった意図だったのでしょうか?

「消極的な後退」は、上段の「挑戦や冒険を避けがちな傾向」に掛かっており、
こうした傾向を自己正当化する為の手段として、
「共感や投影」という名目が用いられている、という意味の文章ですね。
って、何だか国語の授業みたいですけど(苦笑)。


▼ 80年代後半から90年代前半のオタク文化
> > > オタク第二世代についても、正直よく分かっていなかったのですが、
> > > なるほど確かにオタク第一世代とは結構違いますね。

> > 言うなれば、初期の信長の野望シリーズに似た関係かも?(笑)
> > 信長の野望シリーズは、奇数作品で新しいシステムに挑戦して、
> > 偶数作品でシステムが成熟したみたいに、
> > オタク第1世代が切り開いたモノを、オタク第2世代が享受した感じですよね。
> > この構図は、オタク第3世代(ネット第1世代)と、オタク第4世代(ネット第2世代)でも、
> > 見受けられる傾向かもありませんね。

> 前回の「1が、10にも100にもなった時代」というのと合わせて、かなりこの時代のイメージが掴めました。
> そういう意味では、私がそれまで抱いていた、
> 何となく80年代後半から90年代前半ってオタク史の暗黒時代だよねっていうのは、
> そこまで間違った印象でもなかったんですね。

結局、ここでも重要となるのが「オタクの定義」なんです。
解りやすく言えば、コアなオタク層からすれば、試行錯誤に挑戦されてる時代が好みで、
それが成熟して、良作でも既知感ある作品が量産されてるのは退屈でしょうけど、
しかし一方で、ライトなオタク層からすれば、そちらの方が満足度が高いと。
そういう意味では、その人それぞれの視点というか濃度・密度によって、
同じ時代であっても、「黄金時代」にも見えれば、「暗黒時代」にも見えるのだと思います。

> > > で、スレイヤーズ以前のお約束破りをしない作品や、厨二心をくすぐらない作品ってどんな感じだったんでしょう?
> > > あるいは具体的な作品名としては何になるのでしょうか?

> > これはラノベじゃないですけど、多くの日本人ファンにとって、
> > こういった世界観の原型的なイメージとなっている作品って、
> > 恐らく、ファミコンの「ドラゴンクエスト」だと思うんですよ。

> ドラクエが日本のファンタジー文化の事実上の元祖、という話は理解しているつもりでしたが、
> ドラクエが元祖と言うことは、同時にファンタジー=冒険と成長的なイメージを持たせたのかな?

ドラクエって、キャラクター・デザインに鳥山明が関わってるくらい、
少年ジャンプとの関係性が深い作品でしたから、
明確に「友情・努力・勝利」を掲げてたとまでは言いませんけど、
ジャンプ読者が喜ぶような世界観作りというのは、恐らく念頭にあったと思いますよ。

> > そして王道的なストーリー展開というのは、
> > 主人公は男の勇者で、冒険を重ねてドンドン成長していき、最後に魔王を倒す感じですが、
> > スレイヤーズの場合、主人公は女の魔法使いで、始めから最強魔法をブッ放し、
> > しかも いきなり、本来ならクライマックスに来るべき魔王戦が訪れるというのは、
> > まさしく「お約束破り」と言うか、王道路線の逆張りを意図的に行ってヒットした作品であったと。

> ああ、なるほど。
> 児童文学とかそっち系の「少年の冒険と成長の物語」的な流れの強かったファンタジーに、
> いきなり俺強えええ設定を持ってきた、みたいな感じだったのでしょうか?

まあ確かに、見方によっては、スレイヤーズって俺TUEEE系の元祖的な所もあるのですけど、
そこに爽快感を求めるようなタイプの作品でも無いので、
恐らくファンからすると、そう言われるのは嫌がりそうなイメージがあります(苦笑)。

> > もっと言うと、当時のオタク世代にとって、真の意味での黒歴史というのは、
> > 解りやすく批判しやすい、宮崎勤事件などよりも、
> > 当時の新興宗教ブームにおける、「オウム真理教に対するシンパシー」の方でしょうね。
> > ・・・って、シンパシーというと近過ぎるので、親和性とか類似性とかの方が無難かな?

> オウム事件は全く勉強してないですね。

では逆に、予備知識が無い現段階で、オウム事件ってどんなイメージですか?
多分これって、リアルタイムで知らない世代が、後から知識を得ようとすると、
却って、当時の実状から懸け離れてしまう感じがするので・・・・

地下鉄サリンの前までは、オウムって非常にネタ的な存在で、面白おかしく扱われてましたし、
事件が起こった後も、かなり不謹慎な感じで弄られてたり、逆にヒステリックに糾弾されたり、
そして何より、警察もマスコミも、自分たちが犯したミスには蓋という感じで、
今になってオウム事件を知ろうとすると、都合良く記憶を忘却したり、神妙ぶったりが目立ち、
当時の空気感というのが、まるで伝わらないんだろうなぁ・・・という感じはしているんですよね。

まあ結局、人間社会などというのは、そんなモノなのでしょうけど、
だからこそ「オウム事件」って、そうした課題を考える上での、格好の題材だと思うんです。

> > > エヴァンゲリオンはトップとは真逆を行く、「最高にクールで、知的な感じのする」アニメでした。
> > > それは言ってしまえば、もうそういう、外に見せても恥ずかしくないアニメじゃないと駄目だった、
> > > そういうアニメでオタク文化を守らないと、未来がなかった時代だということだと思うんですよね。

> > う〜ん、エヴァが「クールで知的」なアニメかぁ・・・・
> > いや、別に解らなくは無いんですけど、
> > 私的にはエヴァって、良い意味で「キモいオタアニメ」認識だったので(苦笑)。
> > それこそ当時は、「子供っぽいけど好き」と同じ様に、「キモいけど好き」って感じでしたけど、

> エヴァは実際そんな感じだったんですねぇ。

繰り返しますけど、もちろん当時も感じ方は人それぞれですよ。
それに、世間的にもブームとなった以上は、クールで知的と感じた人たちも多かったはず。
逆に言えば、私自身がオタク的だったからこそ、「キモいオタアニメ」だと、
見ていて、認識してしまうと言いますか・・・(苦笑)
でもまあ実際、旧劇場版のラストって、「気持ち悪い」というアスカの一言で終わりますからね。

確かに、戦略自衛隊の戦闘シーンや、エヴァ量産機の登場シーンなどは、
格好良くってテンションも上がるんですけど、その辺りの描写も含めて、
やはりオタク好みな作りですし、当時のオタクが置かれていた社会環境を考えても、
「キモいオタアニメ」という当時の見立ては、そこまで見当外れでは無い気がしています。

> > ただし今回、旧トルコ担当さんの返信というか回答は、
> > 文章に熱量があって、そこは非常にオタクっぽくって好印象だったものの、
> > でも この内容は、旧トルコ担当さんの年齢を考えると、相当量が自分自身の考えではなく、
> > コピペ的というか、誰かの受け売り比率が高い気がしちゃうんですよねえ・・・・
> > それって結局、自分の「好き」を突き詰めるオタ活動とは、内面的にズレる行為でしょうし、
> > それをこの熱量で行ってしまうのは、ちょっとマズい進路方向なのかな?という印象も・・・・
> > 簡単に言ってしまうと、もっと自分らしい言葉で語って良いんじゃないですかねえ?(笑)

> 完全にコピペというわけではないものの、オタクの歴史を調べるにあたり、
> 書籍だけで100冊程度は読みましたので、色々勉強にはなった分、そこで得た知識には引っ張られてしまうんですよね。

もちろん、リアルタイムで体験してない世代なのですから、それは仕方無いと思うのですが、
いくら勉強したとしても、実際に体験した事にはならないので、そこには一定の線引きが必要と言いますか、
断定口調にならず、あくまで伝聞情報として客観的に語った方が、より信頼してもらえると思うんですよね。
熱量があるのは良い事なんですが、度が過ぎると それこそ、
「講釈師 見てきたような 嘘を言い」みたいに なっちゃいますし、
しかも今回の話題の場合、私の方は曲がりなりにも、実際に「見てきた」世代ですので、
見てない世代にズレた話を断定口調でされると、正直「おいおい」とは感じますよ(笑)。

> まずまっさらな状態で作品を見てから、というのが理想だとは分かっていましたが、
> オタク史全部を知ろうとすると全作品を見るわけにもいかず、
> 先にいろいろ情報を知ってから見た作品も少なくないです。

これはもう、しょうがない事ですよね。
それこそ、今から「タッチ」や「あしたのジョー」を見ようと思っても、
メインキャラの衝撃的な死を、既に知った状態で見ざるを得ない情報環境ですし、
素直に楽しむよりも、「あのシーンは何処で来るんだ?」と、どうしても身構えそうですから(苦笑)。

> それこそ、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は合計5回くらいネタバレ食らいましたしw
ビューティフル・ドリーマーって、そこまでネタバレ云々なタイプの話でしたっけ?
ちなみに、宮崎駿のルパン3世「カリオストロの城」とかもそうですけど、
この辺りの「1つの映画としては面白いものの、原作の世界観は壊してる」作品というのは、
評価する上で、本当に難しくなりますよね(笑)。
純粋に単なる映画ファンであれば、作品の面白さだけで評価するでしょうけど、
アニメ・漫画のオタクとなると、原作クラッシャーの側面を無視は出来ないでしょうし、
一方で押井作品や出崎作品は、その改変っぷりこそが、作品の新たな魅力にもなっているので難しい所。

> > > 萌えアニメの歴史や教養であればオタクとして押さえておけよ、というのは理解できますが、
> > > 日本アニメ史まで範囲を拡大するの?という感じです。

> > それは「アニメのオタク(アニオタ)」ではなく、「萌えアニメのオタク(萌え豚)」なのでは?

> 何となく察していましたが、やはりアニメオタクというのは何を指すのか色々ずれますよね。

例えば、「私は大の日本文化オタクだ!」って外国人が居たとして、
話を聞いてみたら、日本のアニメしか知らなかったら、
別に悪い人とは思いませんけど、オタクとしての評価は疑問符が付きません?
確かにアニメは、日本文化の一部ではあっても、アニメだけで日本文化な訳じゃないので。
そういう意味では、アニメ全体と、萌えアニメという1ジャンルを、一緒くたでは語れませんよ。

「ガンダムは古いので、エヴァから押さえておけば」というのも、
例えば、ある人が巨人ファンだったとして、
過去の名選手を一切知らなくても、今現在のチームを熱烈に応援する事は出来ますし、
それが決して悪いという事ではなく、そうした楽しみ方もアリだとは思うんすよ。
でも一般的な感覚に、相手が「私は熱烈な巨人ファンだ」と自ら称していれば、
普通、「王や長島の事は知っていて当然」という前提で話すと思うんです。
別にそれは、「熱狂的ファンなら巨人の歴史を押さえておけ!」とか、大層な話ではなく、
実際にリアルタイムでは見ていなくても、最低限 把握しておくべきレジェンド選手は居ると。

で、ガンダムという作品は、それこそアニメ界における王・長島的な存在だと思いますし、
そこで「今なら原以降を知っていれば良い」と言われても、やはり不十分に感じる上、
そもそも原以降という基準自体が、その人の個人的な基準に映る訳ですね。
もちろん、「原は現在の監督だから」とか、いろいろ理由付けは出来るでしょうけど、
しかし、それだったら「松井や由伸以降」という基準も、同程度に説得力があるはずで、
そこまで行くなら、「現役選手だけでOK」という基準の方が、却ってスッキリするかと。

また、ついでなので、この際ハッキリ尋ねてしまうと、
「ファン・マニア・オタク」の区分けに関して、
もう世間的には、ほとんど区別されなくなってる事は、私だって理解してますけど、
では実際、旧トルコ担当さん自身は、これら3つの使い分けってしてます?
世間が抱くオタク像であるなら まだしも、オタクが抱くオタク像であるなら、
この辺りの区別を、キチンとした上で語れた方が、話の内容が深まると考えていますけども。
(要するに、一般用語で話をするより、専門用語で話をする方が、より適してそうという話)

> > > > > そういう意味で、オタク的な教養はせいぜいエヴァまでな気はします。
> > > > それって、何か明確な基準があっての、エヴァでの線引きなのでしょうか?
> > > > もしも、旧トルコ担当さんの世代的にという話であれば、
> > > > エヴァだって25年前の作品ですから、これだって充分に古いでしょうし、
> > > > それこそ、旧トルコ担当さんよりも更に若い世代から見れば、
> > > > 11年前に連載が始まった俺ガイルにしても、充分に古い作品でしょうからねえ。

> > > 今の作品=今アニメで放送されている作品、あるいは今後2期、3期が来そうな作品、
> > > というのが今のオタク的な感覚ではないでしょうか?
> > > なので、俺ガイルはアニメ最新作が20年放送で、原作ラノベが現在も刊行されているから今の作品。
> > > ソードアート・オンラインも映画が続編製作中で、原作も刊行中なので今の作品。
> > > ポケモンも新作が作られ続ける限りは今の作品という扱いです。

> > ・・・となると、「ぶっちゃけガンダムは古い」という、最初の話が揺るぎませんか?
> > 最近だって、「ハサウェイ」や「オリジン」があった訳ですし、
> > そういう意味ならばガンダムも、現在進行形の「今の作品」となるはずですが(笑)。

> 追記:まあ、私の言葉の定義は曖昧、というか私の都合によって変わっている部分があり、管理人さんの指摘も分かりますが、
> しかし、特にSNSを基準で考えれば、ハサウェイは今の作品だけど、ファーストガンダムは古くて、みたいな感覚って通じませんかね?
> 人間の感覚なんて適当なものですし、そこをあまり厳密に定義するのは、かえって本末転倒な気がします。

え〜と、ここで本来 問うているのは、
「古い」という言葉の意味を、厳密に定義しようという意図では全く無く、
それこそ古いと感じるか否かなど、人それぞれである事を踏まえた上で、
あくまでも旧トルコ担当さん個人の「古い」という感覚を、
あたかも一般的な「古さ」の基準として、混同しているのではないか?という指摘をしているんですよ。

俺ガイルという作品が、今の20代前半くらいオタク層に、絶大な影響を与えた作品なのは知ってますし、
その時代を象徴する作品の1つ捉えても過言では無いでしょうけど、
だからこそ逆に、今の10代前半くらいオタク層からすれば、どう考えたって「古い作品」扱いですよ。
世間的にも「十年一昔」なんて言葉があるくらいですし、
20代前半の10年と、10代前半の10年とでは、感覚的な長さがまるで違いますからねえ。
それは別に、完結編となるアニメ第3期が2020年に放送されたからとか、そういうのとは関係無いんです。
例えば「キン肉マン」や「キャプテン翼」も、未だに連載は続いていますけども、
やはり これらの作品は、ジャンプ黄金時代を支えた「80年代の代表作」と見なすのが普通でしょうし、
連載期間が長期化する昨今は特に、作品としての「ピーク」で見るべきではないでしょうか?
そして一般的には、アニメ化・第1期の頃がピークという作品が大部分なのかな。
シーズンを重ねる事に面白さが増していき、ファンも増えていく作品って、そうは無いので。

なので、私の感覚からすれば、ガンダムやエヴァが古い作品であるのは勿論の事、
昨年 劇場公開されたからと言って、シン・エヴァも、ハサウェイも、
さすがに古いとは言いませんが、今の若者層がメイン・ターゲットと言うよりは、
当時の古いファン層を、主に狙った作品ではあると思いますよ。

また、ついでなので、ここで「オタク的な教養」という話を続けるならば、
ハサウェイに関して、「主人公のハサウェイって誰?」となった時に、
「ブライトの息子だよ」という一言の説明で、どんな作品かを ある程度 想像できれば、
別にZZや逆シャアまで全話押さえて無くても、それはオタク的な教養があると言えるでしょうし、
「そもそもブライトって誰よ?」と聞き返すようなら、それはオタク的な教養が無いように映ると。
これがまだ、ガンダム自体を完全無視であるなら、そういう世代のオタクと見なせす事も可能ですが、
「ガンダムの新作映画には興味ある」オタクであれば、ブライトは知っていて当然の知識となります。
ブライトの息子の存在を忘れてる人は居ても、さすがにブライトを忘れるオタクなど皆無でしょうから。

> 古い昔の作品も、昔でいえば再放送されたり、今でいえばリメイクされることで、
> 今の作品化され話題になり、多くの人が見ることになるので、

そういう意味では、ネット配信が全盛となった現在って、
「今」とか「古い」とかの分類も、かなり ぼやけて来てると思うんですよね!
まあ、毎週1話ずつリアルタイムに追ってる作品は別にしても、
前クールに終わった作品も、10年前に終わってる作品も、
ネット配信で一気見する分には、そこまでの違いは無いと思いますし。

> 厳密にいえば各アニメも、1期と2期の放送中は今の作品でも、その間の期間は古い作品扱いですし。
いや〜、この定義が厳密だとは、個人的には同意しかねるかなぁ・・・・
これだと、分割2クールの作品って、中断中は古くなっちゃうんですか?(笑)

そもそも「古い」というのは、相対的な感覚ですからねえ。
それこそ、明確に定義なんて出来ないモノですよ。
例えば、50歳の人にとっての1年は50分の1でも、10歳児の1年は10分の1であり、
絶対的には同じ1年であっても、相対的には10歳の1年は50歳の5倍長いです。
まあ こう言うのを、「ジャネーの法則」だとか、「光陰 矢の如し」とか言うのでしょうが、
イメージ的には、物心が付いて以降の年数の3割を越えると、「古い」って感じる気がします。
幼稚園児とか、小学1・2年生って、1年前を普通に「昔」と表現しますしね(苦笑)。

> > それこそ上述の例で言うならば、
> > アニメ人口100万人だと、アニメAを80万人、Bを10万人、Cを10万人が見ていて、
> > アニメ人口50万人だと、アニメaを20万人、bを15万人、cを15万人が見ていたとしてますけど、
> > これは何故、単純に半減して「アニメaを40万人、bを5万人、cを5万人」じゃダメなんでしょう?
> > 「人気集中率がどうであれ」と言いたいだけなら、「アニメaを45万人」だって良いはずで、
> > これだと80万人という絶対的値では劣るものの、比率は80%と90%なので相対的値では逆に勝ります。
> > ではこの場合、人口50万人の方は、盛り上がれていない事になるのでしょうか?
> > そして、そう見なすのは、果たして当然の事なのでしょうか?

> これに関しては、100万人のうち80万人の方が、50万人のうちの45万人よりも盛り上がっていると思います。
> もちろん、そのジャンルで圧倒的な存在を持つ作品というのも分かりますが、
> やはり人口力こそ長期的に見れば絶対なんじゃないんですかね?
> 「盛り上がる」というのは、今回は単純にSNSでバズってるという程度の意味合いで使っています。

盛り上がるが「SNSでバズってる」程度の意味合いであるのなら、
8割(100万人のうち80万人)よりも、9割(50万人のうちの45万人)の方が、
確実に「盛り上がってる」と言えるはずですけど???

そもそも この話って、四半世紀の時間的ギャップがある前提で、両者を比較しているのですから、
ここで問題となるのは、人数よりも割合になってくるはずなんです。
1人の人間が処理できる情報量なんて、高が知れている以上、
80万人と45万人の違いなど、なかなか実感できるモノではありませんし、
ここで仮に、現在8割を占めてる話題と、20年後に9割を占めてる話題を比べた場合に、
一体どちらが「盛り上がってる」と感じられるかとなれば、明らかに後者の9割なはずです。
もしも人数こそが基準となると、SNSは英語ユーザーが圧倒的多数なのですから、
少数派である日本語ユーザーの間で「SNSでバズる事はない」と、言い換えられてしまいますよ!?
言うならば、盛り上がりというのは、スープの量ではなく、スープの濃さの話なので。


[23816] オタク・学校・経済・AIの話(その2)返信 削除
2022/1/26 (水) 21:14:24 徳翁導誉

▼ ニコニコ動画とYouTube
> > > ニコニコは1アカウントでフォローできる上限が600であるので、
> > > 仕方なく私は2つ目のアカウントを作ったのですが、両アカウントで700以上フォローしてますからね。

> > ひょっとしたら、こういう楽しみ方自体、既に違いが現れているのかも?
> > 当時の他の視聴者がどうだったかは断定できませんが、少なくとも私の場合、
> > あくまでも主役は動画であって、特定の投稿主をフォローする意識は希薄だったというか、
> > ニコ動は2chの流れを汲んでいたので、元々は匿名文化っぽい空気があった気がします。
> > そういう意味では、フォロー上限の600を超えるというのは、ちょっと驚きがありました!

> ニコ動も初期は匿名の2ch文化が強かった、という話は聞いたことがありますが、
> 匿名文化が強かった時代というのはフォロー自体が今より重視されてなかったんですね。

「これスゲー」→「自分もやりたい」→「やってみた」
という好循環のループが、初期の頃にはあった感じですかねえ?
気の利いたコメントをするにも、当然センスが求められましたし、
そういう意味では、需要と供給の間というか、需給双方に股を架けた
古い時代の「オタク的な世界」が、ネット上にも具現化されてた感じだったかも。

その一方で、昨今のように、消費者(需要)と創作者(供給)が明確に2分化されてしまうと、
「これスゲー」となった後、自分もやりたいではなく、「同じ様なのを もっと見たい」となるでしょうし、
だからこそ、フォローという行為に主眼が置かれたり、
匿名の作品ではなく、特定の作者に、目が行くようになる気がします。
こうなると、「再生産」から「消費」の文化へと移っていきますし、
消費者傾向が強まるほど、YouTubeに対する分は悪くなる一方であると・・・・
交流の場ではなく、発信の場が求められるなら、規模の勝負になりますからねえ。

> > > ニコニコ見るなら、最低限の教養として
> > > ハルヒ、ローゼンメイデン、らき☆すた、くらいは押さえとかなきゃダメでしょ、
> > > と思って全部見たくらいにはニコニコにどっぷりでした。
> > > ただ、アイマスはさすがに沼が深すぎて、オールスターズ押さえるくらいにとどまってますね。
> > > 東方も一応原作ゲームを少し遊ぶ程度には押さえましたし。東方も沼が深すぎますが。

> > その時々の外部の流行を取り込み、それがニコ動的に調理され、
> > コンテンツとして少しずつ積もり貯まっていく様子を、リアルタイムに味わっていた世代からすると、
> > 1歩ずつ進んでいたので、「押さえなきゃ」とか「深すぎる」とか、特に感じ無かったのですが、
> > 貯まりに貯まったものを一気に取り込もうとすれば、それは凄く大変でしょうねえ・・・・

> そんなに大変という訳ではなかったですけどね。
> その辺を押さえれば、やる夫スレなどの存在も知り、そっちも読むようになりましたし。

そう言えば、前回の時も少し気になったのですが、
アイマス・東方や、ハルヒ・らきすたほど、圧倒的では無いものの、
ニコニコ内で、そこそこ人気のあった「カブトボーグ」は押さえてませんでしたね。

まあ実際問題、このレベルの人気題材まで押さえるとなると、凄く大変ではあるのでしょうけど、
本放送時はBSテレ東のみで 地上波放送が無く、1年モノながら ほぼ無名だった この作品が、
それなりの知名度を得たのは、コメントでツッコミできるニコニコ動画で人気を高めたからであり、
「ニコニコ動画の歴史の1ページ」として、第1話とベスト10ランキングくらいは押さえて損は無いかも?
ちょうど数ヶ月前から、再配信が始まったタイミングでもありますからね。
https://www.nicovideo.jp/watch/so39063160
https://www.nicovideo.jp/watch/sm5774115

・・・って、今更ながらに気になったのですが、
旧トルコ担当さんって、どこでアニメ(特に新作)を視聴されてます?
一昔前までは、それこそテレビ放送一択でしたけども、
今では正直、ネット配信の方が視聴しやすいでしょうし、
ニコニコ動画とかだと、コメント付きでの視聴も可能ですよねえ?
と言いますか、そもそもコメ付きでアニメを視聴したりします?
ちなみに私は、1回目はテレビで、2回目はニコニコでって時期もあったかな(笑)。
もちろん、気に入った作品かつ、コメ付き視聴に合うアニメである事は前提として。
ちなみにカブトボーグは、コメントがあった方が断然面白いタイプのアニメでしたし、
だからこそ、ニコニコ動画との相性も良く、ここから再注目されたとも言えますね。

> 東方とアイマスは、そのあともシリーズ展開が続いているので、
> 自分は知ったときに既に「なんかキャラがメッチャいるワケわからんコンテンツ」だったのですが、
> そっかぁ、ニコニコ初期だと東方もまだまだキャラ数が少なかったんですね。

どんな作品でも、最初はそうですよね(笑)。
歴史の長い作品ほど、新キャラ登場が何度も繰り返されてるだけの話であり、
仮に、最初から大勢キャラを用意しても、注目を浴びるのは、その中の一握りですから。

アイドル・グループのファンとかも、実際そうだよなぁ・・・とか思いましたが、
でも一方で、自分の子供の頃を思い出すと、プロ野球選手とかって、
毎年毎年の入団選手と引退選手は限定的なので、更新作業は楽なモノでしたけど、
しかし1番最初は、自然とですけど、全球団の全選手を覚える作業をしてるんですよね(笑)。
それを思うと、どんなに数が多くたって、本当に のめり込んでいれば、結構覚えられるのかな?
ポケモンや遊戯王の情報をコンプリートしてる子供なんて、そこら中に居た事でしょうし。

> で、その後は本当にYouTubeに既存層が流れ始め、ヤバいと思ったのか、
> 劇的に視聴環境が改善していったのが、18年くらいからだったかな?
> とはいっても、会員登録せず動画が視聴できるようになったとか、
> なんで今までそんな単純なことしなかったんだよ、というレベルの話でしたが。

でも結局、大勢の視聴者を抱えようと思うなら、
仕様はマニア向けよりも、一般向けに最適化した方が良い訳で、
そうなると、再生環境が安定していて、高画質で、動作も軽い事が求められるでしょうし、
その為には、設備投資の資本力がモノを言ってくるでしょうから、
今からYouTubeに対抗しようとしても、既に無理ゲーではあるのでしょうが・・・・
また、こうした一般化の流れは避けられないので、次第にマニアは居場所を失うと(苦笑)。

> なるほど、YouTubeAIはなかなか扱いが難しそうですね。
> そして私の場合は、リラックスしたい時に動画を見るので、

旧トルコ担当さんの好みとは、異なるかも知れませんけど、
YouTubeって、環境映像やBGM音楽も非常に充実しているので、
そういう意味で「リラックスしたい時に見る動画」としても良いですよ!!
少し前までは、NHK-BS深夜の「フィラー(穴埋め番組)」くらいしか無かった為、
それこそYouTubeは、4K/8Kの高画質な映像コンテンツが最も豊富な所と言って良いかと。


▼ オタク的なリアルとファンタジー
> > > 俺ガイルの3人(主人公と、ダブルヒロイン)って、建前として
> > > 「私たちは部活だけの関係で、お互いそんな仲良くないよね」という体で人間関係やってるんですよね。
> > > なので、この3人が部活動の範囲を超えて、個人的な友達として学校を出て遊びに行くときは、
> > > 毎回毎回何らかの「だったらしょうがないよね」という理由を用意して遊びに行くんですよ。
> > > 大抵は、主人公の妹が空気を読んで、何らかの学校外で遊ぶ理由を用意してくれるのですが。
> > > (自分で文章にすると、改めてその異常性を確認させられますw)

> > まあ確かに、リアルの世界で考えれば、レア(異常)な感じかも知れませんけど、
> > でもオタク作品の世界観だと、結構よく見る設定じゃないですか?(笑)
> > 非リア充な主人公が、非リア充というスタンスを維持したまま、
> > それでもリア充的な体験をさせるには、いろいろ設定を組まなきゃいけないですし、
> > それこそ、以前に名前を挙げた「はがない」とかも、似たような設定じゃありません?

> 同じ話になってしまいますが、
> 確かに、オタク作品だとよく見る設定なのですが、俺ガイルはリアリティレベルが現実とほぼ一緒なので、
> そのリアリティでこれやられると、すごい異常感があるんですよ。

なるほど。
「異常」というのは、そのオタク的な世界観の設定自体ではなく、
その設定を、比較的リアルな世界観の作品に持ち込んだという事に関してなんですね。

> 「はがない」は読んでいないのですが、同作者の「妹さえいればいい。」は読んでるので、
> そこから推測するに、はがないも結局はオタク・ファンタジーでしょ、と。

まあ確かに、同じ学園モノでも、オタク・ファンタジーではあると思いますよ。
ですが一方で、「妹が空気を読む」の部分を、「妹の為に」と書き換えれば、
そこまでの説明文って、そのまんま、はがない でも使えちゃう無いようなんですよね(笑)。

そういう意味では、この「リアリティ」という所がポイントなんでしょうけど、
でもこれって、ラノベである事を考えると、「オタクがリアルと感じるリアリティ」かも知れませんし、
(「卒業したら友達と別れる社会規範を否定したのが衝撃的」という評価が、何より引っ掛かります)
繰り返しになってしまいますけど、リアルな創作作品という舞台設定になると、
小説や映画などともバッティングするので、どのレベルでの話か?っていうのも出て来るんですよね。
「ラノベでは新しいけど、小説では珍しくないよ」って事だと、
私はオタク系のジャンルしか触れない訳では無いので、そこでの目新しさや衝撃度は薄くなるので。
・・・って、もうここまで来ると、アニメ版でも実際に見ないと、これ以上は無責任に語れ無さそう(笑)。

あと、別に私的には構わないんですけど、
そこまで俺ガイルに入れ込んだ世代のオタクなのに、
2年しか違わない・・・と言うか、2年先んじてる「はがない」を押さえていないのは、
「オタク的な教養」という面では、一体どう捉えられているのでしょうか?
設定は似ていても、その切り口は別でしょうし、作風も異なるでしょうから、
はがない700万部、俺ガイル1000万部なので、後発である事を考えても、
単純に「楽しむ」だけなら、先に俺ガイルに触れていれば、
はがないを今更消化する必要は薄いかも知れませんが、
それでも後発だからこそ、間違いなく大なり小なりの影響は受けているはずで、
そこを把握する意味でも、手を出してみるのがオタクのような気はするんですけどね、個人的に。
これ系の作品の先駆者として、「ラノベ界の未来の為に」と、映画実写化も為された訳ですし。

と、考えてみれば、俺ガイルってそこまで「リアルさ」が売りであるなら、
何でも実写化したがる今の時代に、映画化なり、ドラマ化なりの話って無いんですかねえ?
もちろん、ラノベやアニメのファンは、基本的に実写化なんて望んでないのは百も承知ですが、
実写市場って規模が違いますし、初めから「別物」と割り切れば、そんな悪い事では無いですけど。

> > Wヒロインとの重婚エンドは、50年前の「いなかっぺ大将」から既にありますけど、
> > 宗教的な事由とか、法律的なケジメまで付けてる作品を、少なくとも私は知りませんからね。

> 法的ケジメうんぬんより、やはり気持ち的な問題が大きいかと?
> 恋愛ならともかく、結婚ともなればやはり重婚というのはハードルが高く、
> もっと言えばそこまで責任取れるの?ということでしょう。
> 好きな相手だからこそ、相手の将来の幸不幸まで考えてしまいますし。

恐らく途中で、作品的な話とリアルの話がゴッチャになってる感じもしますけど、
実例として持ってきたのって、一昔前の妾(愛人)の話だったのですか!?
「1人の男性が3人の女性と夫婦になり、法律上では女性2人の方が養子になって4人で家族になる」
との話から、共同生活を営んでるくらいのイメージではいましたけど?

でもまあ、それでしたら、昭和の終わりくらいまでは、不倫にうるさい今と違って、
一角の人物であれば、2号さん、3号さんと居るのが、別に珍しくも無かったですし、
自分が死んだ後の事を考え、財産分与が為されるように、養子縁組をしておくケースはありましたね。
子供が居るならまだしも、そうでなければ、法的には1円も残せませんから。

> 「高校生にもなって友達と同じ大学行こうとする」のはちょっと待ってって感じじゃないんですかね?
> 確かに、自分の見てきた世界なんて狭いですし、拘りがなければ同じ大学で良いのでは?というのも分からなくはないですが、
> 大卒サラリーマン家庭の世界で育ってきた身としては「大学受験でそれは無いんじゃない?」としか思えないですね。
> 作品の舞台も千葉の学域内トップ公立高校ですし。

そこまで言うから、モデルとなった高校の「合格実績(昨年度)」を調べちゃいましたよ(笑)。
  日本大学 96人
  立教大学 71人
  法政大学 64人
  明治大学 62人
  東洋大学 62人

  東京大学 1人
  早稲田大 31人
  慶應義塾 12人

もちろん、無理して同じレベルの大学に行く必要は無いですけど、
同じ高校から これだけの合格者が居て、似たような偏差値グループである事を考えると、
同じ大学に通う事が、そこまでのレア・ケースであるとは、私には思えないんですよね。
千葉から東京に通うとなると、多少の偏差値の差よりも、
自宅からの通い易さというのも、大学を選ぶ重要なファクターになってきますし、
同じ地域の高校に通っているなら、その辺りの地理的条件が被る事だって普通ですから、
正直、「大卒サラリーマン家庭で育った」とかは、あまり関係無い気がします。

まあ確かに、これで東大に受かった1人が、
友達と同じ大学に行く為に、東大の合格を蹴るとかは無いでしょうし、
逆に、合格者数の上位5校も併願なはずで、皆が進学する訳じゃないでしょうけど、
でもこの感じだと、早慶に受かった子は、そのまま進学する子が多そうな気がするので、
1つの高校から早大30人くらいであれば、作中の3人がそこに入る事だってあるのでは?

アニメ画からの判断で申し訳ないですが、黒髪ロングは勉強できそうな典型キャラに映るので、
もしそうなら、女子より男子が出来るパターンよりも、男子より女子が出来るパターンの方が、
追っかける側の成績が上がりやすい印象があるので、一緒の大学を目指すのは好材料になりますよ。
ラノベ主人公だと、全くヤル気は無いけど、ちょっと本気出せばスゲー出来る演出されそうですし。
ただ一方で、もう片方のピンク髪は、逆に勉強できなそうなキャラっぽいデザイン。
女子が女子に教える、しかも双方の関係が微妙ともなれば、それほど急成長は望め無さそうですが、
それだと大学進学ルートでヒロイン決定ですし、主人公の成績が上がれば猛烈に追い上げるタイプかな?
・・・って、ここまでキャラデザのテンプレから勝手に推測しましたけど、大外れだったりして(笑)。
賢そうで逆にとか、馬鹿っぽいけど実は、ってパターンも最近は有り得るのです。
あと、ついでにですが、Wヒロイン以外の女性キャラは、ほぼ端役みたいな話でしたけど、
この他にもう1人、茶髪の存在感が強いのですが、これはメイン・キャラじゃないんですか?
ひょっとして、これが前出の「空気を読む妹?」とも思いましたが、キャラデザ的に違いそうな感じ。

> これが彼氏・彼女なら、まだ分かりますが、
> そうなると今度は、2又かけることになり、やはり社会規範的にどうよ?って話ですし。

こちらの「社会規範」は、私的にも使い方が合ってます(笑)。
って、「彼氏・彼女なら、まだ分かる」という事であれば、
俺ガイルって、メイン3人はこっち寄りではなく、友達関係なんですか?

あと、「ズッ友(ずっと友達だよ!の略)」という言葉が、定着して随分経つので、
実際そうなれるかは別として、最近の意識としては強いんじゃないですかねえ?
「おな中(同じ中学出身の略)」なんて言葉も、昔はヤンキー用語であり、
聞かなくなって久しかったのが、最近は結構 耳にしたりしますし、
社会のデジタル化が進む昨今、人同士の直接的な繋がりが薄れがちだからこそ、
学生時代の繋がりを担保しておこうとする傾向は、確実に増してる印象があります。


▼ 私にとって、オタクが恥ずかしい理由
> > あと、前回も含め、私の発言の主旨としては、
> > 新自由主義システムの未来が、どうこうと言う以前に、
> > どんなシステムにも「建前(理想)と本音(現実)」があり、
> > 建前(理想)の方を信じてしまうと、結果的に痛い目を見やすい忠告なんですよね。
> > まあ、余計なお世話かも知れませんけど、これも何かの縁ですし。

> 俺ガイルにしても、90年代のジャンプ作品にしても、オタク(サブカル)作品というのは
> 「本当の友情とか、人を好きになる気持ち」とかをどんなところまでも肯定しますし、

う〜ん、最近であれば、そうじゃない作品もありそうですけどねえ?
いや別に、具体的に作品名を挙げられるほど詳しくはないですけど、
タモリと林修が「友達不要論」で盛り上がったのが、確か8年くらい前ですし、
まだ当時は、ぼっちを隠したがる「便所メシ」な時代ですけど、
今だと「ぼっち肯定」な人も、かなり増えてるような感じはするので、
そうした層が一定数居るのであれば、そっち系の需要を満たす作品も現れているはずかと。

> もちろん、現実はそんなファンタジーじゃないんですが、オタクっぽい=子供っぽい作品をバンバン吸収すると、
> 世間知らずになると言いますか、よく言えば純粋になるんですよね。

でもこれって、順序的にはどうなんですかねえ?
それを既に自覚しちゃってる時点で、最初はそうでも、途中からは逆転して、
オタクっぽい作品をバンバン吸収するから、純粋なのではなく、
純粋性を保ちたいから、世間知らずを装い、オタクっぽい作品に逃げ込んでるかも?

だからこそ昔のアニメとかって、「あくまでも子供の為の作品」というスタンスでしたし、
「大人になる為のステップ」とか、「大人になったら卒業しろ」というメッセージ性が込められ、
それは恐らく、エヴァくらいまでは残ってた空気感だとは思うんです。
ですが、深夜アニメの登場により、良くも悪くもターゲット層が高齢化した為、
そんな説教臭いメッセージ性は、あまり好まれないようになり、
純粋に欲望に応えつつ、時代のニーズにも合わせて、萌え系やBL系が成長した気もするんですよね。
ハッキリ言えば、現実逃避の為の消費財だって良いじゃないか?と。
奇しくも現実社会は、「明日は今日より良くなる!」なんて時代じゃなくなってますし。

> 新自由主義に対しても、おそらく私が純粋だからこそ、無根拠に人間の善意を信じてるだけだと思うんですよ。
> 現実とラノベをごっちゃにして。

新自由主義って、「人間の善意」とかどうとかではなく、
欲望むき出しというか、それを是とするような思想じゃありません?
「みんなで助け合おう」という、社会主義的な政策が機能不全を起こしたからこそ、
世界恐慌の破滅劇で一旦は引っ込んだ自由主義を、リバイバルして再登場させたモノなので。

> それに恥ずかしさとか、気後れを感じると、BLや百合の世界に入っていくんですよね。
> 自分では信じられないけど、異性という自分から離れた世界にすることで、純粋性を肯定するといいますか、
> コッチの世界ではそうじゃないけど、アッチの世界はそうだよ、と。
> だから、百合が好き、BLが好き、というのはまだ言えるのですが、
> 男で同年代くらいの主人公の作品の名前を出すのは恥ずかしいんです(俺ガイルもそうですが)。

となると、具体的に作品名を聞いた所で、他の人からすれば普通な印象でも、
旧トルコ担当さんの中では、恥ずかしい思いをする感じなのかなぁ?

私の場合で言うと、中学生の時に初めてラピュタを見て、凄く興奮して感動した反面、
「オマエはもう、ここまで純粋じゃないだろ」と責められてる感じで、自己嫌悪にも覆われ、
また同時に少しだけ、上手く言えないけど、作り手としての宮崎駿の作為的なイヤらしさも感じ取って、
「とても面白いけども、嫌な気持ちにもさせられ、少し見え透いた作品」という印象になったんですよね。
その時点で、既に視聴済みだったトトロや火垂るの墓では、ここまで複雑に心を揺らされなかったので、
ある意味では、私にとっての宮崎作品・ジブリ作品の中で、ラピュタというのは原点的なのですが、
であるが故に、好きであると同時に見たくないという思いも、正直あったりするんですよね。
でもまあ、世間一般の普通の感覚で言えば、ラピュタってそんな作品扱いじゃないですし(笑)、
「あまり見たくない作品」としてラピュタを挙げても、恐らく大多数の人は「???」なんだと思うんです。

あと、中原中也とか、梶井基次郎あたりの、100年近く前の作家が、
そうした壊れやすい、不安定な心の内からの叫びみたいな作品を、既に残したりしてません?
「汚れっちまった悲しみに」や「檸檬」などは、国語の授業でも習いそうですけど。
って、よくよく考えると、この2人って「文豪ストレイドッグス」に出てくるのかな?(笑)
まあ私は作品自体、マンガ未読&アニメ未視聴なのですが、
「名前を借りてるだけで、作家や作品への敬意が足りない」とか批判も聞くものの、
でもこうやって、知られる機会が増えるというのは、良い事だとは思うんですよね。
これで10人に1人でも、実際に作品に触れてくれれば、ファンだった増えるでしょうし、
作家とは、誰からも忘れられた時に死ぬモノだと考えれば、その事は非常に重要でもあると。

>   地政学10箇条
>   第3条、善悪は擬装の道具である。
>   第2条の続きとも言えますが、国際政治は生存競争である以上、
>   生き残るためには、善悪に関係なくどんな手段でも実行すべきです。
>   所詮善悪は、自身を正当化したり、相手を非難したりするだけの道具です。
>   現在、「人権カード」はこれのもっとも最たるものでしょう。
> なので、こういう風に「人権カード」とか書かれると、割と本気で傷つくんですよw
> 自分の信じている善意を否定されたみたいでw

そもそも、この突然出てきた文章は、一体何処からの引用?・・・と思い、
ネットで検索した所、17年前に私が纏めたモノですね、これ(苦笑)。
自分で目にするのも15年ぶりくらいなので、存在自体を完全に忘れてましたよ。
でもまあ、考えてみると、これを書いた頃がちょうど、
今の旧トルコ担当さんの年齢と同じくらいなじゃないですかねえ?
我ながら、「随分と稚拙な文言が並んでるなぁ」と、本気で思っちゃいます・・・・

ちなみに、これを書いた2005年当時というのは、小泉郵政選挙のあった年で、
政治のネット利用(工作)が、本格的に始まった時期でもあり、
人権カードへのカウンター戦略として、「自己責任論」の嵐が吹き荒れてた頃でしたね。
ブッシュJr.が父親の雪辱戦として始め、小泉政権も支持に回ったイラク戦争が終わった後、
治安が悪化する一途だったイラクに、人道支援や取材目的で日本人が入国していたのですが、
身代金目的での誘拐事件や、原理主義グループによる殺害事件が発生すると、
「日本国民を守れ」という人権カードが、政権への攻撃材料となるのを防ぐべく、
「危ないと解ってて行った奴らが悪い!」と、被害者をバッシングする空気を作ったんです。
そういう意味では、人権カードくらいで傷付いてたら、今の時代は大変ですよ(苦笑)。

> まあ、いい子ちゃんといいますか、世間知らずのお嬢様みたいなもんなんですよね。
> で最近、自分があまりに純粋すぎるんだな、というのをようやく自覚するに至り、恥ずかしいなあ、と。

でも、状況把握を欠いた善意や純粋性というのは、
一転すると、無責任な攻撃性にも繋がるんですよねえ・・・・
自分の正義を信じて疑わない人ほど、他者への危険な言動が目立つタイプは居ませんし、
また、それこそ上述の人権カードの話のように、
自分の純粋性というか、心地よさを守ろうと思えば、
集団でバッシングする側に回るのが1番という真理もあったりします(苦笑)。

例えば、「大津いじめ自殺事件」とか、「日大アメフト問題」みたいに、
正義の鉄槌を振るって悦に浸る事で、加害者と見なした人々に集団リンチを行い、
結果的には、世間が大いなる加害者となりながら、全く自覚が無いなんて事態も生じており、
それこそ最近なら、北京五輪に関連して、いま騒がれてるウイグルでの人権問題とかも、
本気でウイグル人の為を思って訴え、状況改善を最優先する人が、一体どれだけ居るのか・・・・
この場合、「利用してやろう」と悪意をもって動く人間の方が、自覚を出来てる分だけ、
無自覚なまま善意で行動して「利用される」人間よりも、遥かにマシだったりします。
意図的な悪人は、利益の出る範囲内でしか害悪を起こしませんが、
無自覚な善人は、無制限に害悪を撒き散らし続けるモノですからねえ。
もう少し解りやすく説明すると、例えば、善意からデマを拡散するようなタイプは、
積極的に拡散に荷担しますし、同じ過ちを何度だって繰り返す、みたいな話です。

いや別に、旧トルコ担当さん自身が、そうだと言っている訳では全然無いのですが、
もう自覚が出来ていて、恥ずかしいとも感じられる段階であるのなら、
「純粋すぎる」なんてコーティングは、早く剥がせた方が良いかも?みたいな話ですね。
逆に今の社会って、元々は判断力のある まともな人だったのに、
ドンドンと「ネットde真実」に取り込まれていって、デマ拡散器みたいになってる人が、
引退した団塊世代を中心に、地味に社会問題化していたりもしますからねえ。
気付いたのなら、抗っていかないと、そのまま時流に押し流されちゃうかも知れませんよ。


▼学校文化の昨今
> 前にスクールカーストの話が出てきていたと思うのですが、
> 私の中学校では、だいたい顔の良い順に成績もよかったのですが(特に上位層)、昔もそんなもんだったんですかね?
> だいたい、成績の良い上位3分の1のグループのうち、3分の2は、容姿の良い上位3分の1のグループとメンバーが共通でした。

無いでしょ、そんなの(笑)。

昔というのが、一体どの辺りを指すかは解りませんが、
例えば80年代から90年代前半にかけては、ヤンキー全盛時代でしたから、
解りやすく言えば、「ビー・バップ・ハイスクール」や「今日から俺は」な世界で、
顔が良いの定義にも依りますけど、モテるのは「不良」という感じだったかと?
そんな時代は、勉強の出来るヤツなんて、ステレオタイプ的には陰キャであり、
カーストというのとは少し違いますけど、リア充基準で見るなら底辺扱いですよ(笑)。
日本経済も絶好調期で、別に学歴なんて無くたって、それなりに食えた時代ですし、
逆に言うと、そこまでガリ勉しても、一億総中流なので高が知れてると。
って、そもそも「ガリ勉」という呼び名自体、ネガティブな印象ですからね。

と言いますか、そもそも「顔の良さ」と「成績の良さ」って、どんな相関関係があるんですか?
顔の良さと成績の良さ、双方に働く何らかの遺伝子でもあると思われてます?
まあ成績の良さは、家庭の経済状況(学習環境)に結構依存するので、
恵まれた環境に育つと、生活習慣が正しく、身なりも綺麗だし、表情も明るいとか、
そうした雰囲気の良さが、顔の良さのように感じたりするんですかねえ?
だって、普通に考えれば、そんな所に繋がりは無いはずで、
たまたま、旧トルコ担当さんの1例が、そうだったというだけかも知れませんし、
もっと言えば、そう思っていたから、そう見えていただけかも知れませんよ(笑)。
もしくは、これって実は「俺は顔&頭が良い一員だったけどね!」という隠れアピール?(笑)

まあ、強引に こじつければ、稼ぎのある父親なら、奥さんが美人の割合が高く、
その間に産まれた子供は、勉強もできるし、顔も良い・・・とか言えそうですけど、
恐らく、そんな遺伝的な話では無いでしょうからねえ。
一昔前のように、悪っぽいとか、運動が出来るとか、評価基準が幾つもある時代じゃ無いですし、
結局の所、成績が良いと自信を持てて、表情も良くなる程度の話なんじゃないですか?
「優秀な子には、キラキラネームが少ない」という方が、まだ相関関係がある気がします(笑)。

とは言え、よくよく考えてみると、20年くらい前までは逆に、
これは女性限定の話ですけど、「顔の良さ」と「成績の良さ」は両立しないと言うか、
顔が良ければ、別に勉強なんて出来る必要が無かったですし、
顔も良くて頭も良いと、却って男性から敬遠されると、バカを演じる傾向はあったかな?
そうした変化を思うと、何だかんだ言って、男女平等の方向へ進んではいるんでしょうね。
勉強は出来るけど、結婚の事を考えて、敢えて偏差値を下げた大学を選ぶとか、
今の感覚では、ちょっと想像もしにくいでしょうし・・・・

> オタク史はまあ、ある程度把握したかな、みたいなところがあるので、
> 今は学校文化の歴史に興味があるのですが、なかなか良い参考資料がないんですよね。

対象となる時代はいつ頃で、学校文化とは具体的に何を指すのかで、
いろいろと条件は変わってくるでしょうけど、
例えば戦前なら、こんな本があるみたいですよ↓

「学校文化の史的探究」(2015 東京大学出版会)
http://www.utp.or.jp/book/b306985.html

あとは戦後であれば、まだ歴史では無く、記憶の範囲でしょうから、
研究対象として、1つにまとまった本は無いかも知れませんけど、
それこそ個別の体験記であれば、却って山のように出てくるのでは?
また、ネットを探せば、生の声だって聞けるでしょうしね。

とは言え、そんな本気の研究みたいな事はしたくないとなれば(笑)、
モデルとなる1つの時代を選んで、現在と比較してみれば良いんですよ。
そうすれば、変わった部分と、変わってない部分が見つかりますし、
変化した部分の変遷を追っていくのであれば、調査対象が具体的なので調べやすく、
そして、幾つかの時代をポイントとして、その点々を結んでいけば、大体の流れは追えるかと。
データは膨大にある時代なので、あとは検索のテクニック次第かな?

もしくは、もっとライトな知識で良いよ、という事であれば、
その時代時代のニュース映像とか漁れば、当時の空気って意外と知れるモノですよ。
ローカル・ニュースだと、意外と生活密着な映像とかも多いですし、
当時のアナウンスの口調では、「さも当然」といった語り口でも、
今の人から見れば、「えっ!?」って情報に溢れてたりしますので。
例えば先週、電車内で喫煙する男性を注意した高校生が、暴行を受ける事件があり、
世間的にも「何て異常な事件だ!」といった感じになってますけど、
鉄道各社が電車内を禁煙化したのは90年代後半ですから、
平成初頭のニュース映像を見ると、みんな普通にスパスパやってます(笑)。

> 例えば、夏休みにカップルが花火大会に行く、みたいなお約束は、いつ頃成立したのか?
> おそらく70年代、80年代だと思うのですが、その辺の成立過程とか興味あるんですよね。

対象としては、具体的に「中高生」あたりですかねえ?
だとすると、そもそも90年代くらいまでは、普通に「男女交際禁止」の校則が残ってましたからねえ。
性的交渉が禁止なのではなく、そもそも付き合うのが禁止なんです。
例えば、芸能人が通う事でも有名な堀越高校では、この校則が未だに存続しており、
2019年11月、当時3年生の女子生徒が、同級生との交際が発覚した為、
自主退学を迫られ、大学進学の推薦も取り消されたなんてケースがありました。
で、この女子生徒が「退学は不当!」と裁判に訴えたから、ニュースになっただけで、
さすがに退学は極端でも、未だに男女交際禁止の校則を掲げる学校は、意外と残っていそう。
進学率アップを狙う学校だと、「成績上位なら交際容認」の餌をブラ下げる所もありますし(笑)。

また、花火大会に関して言うと、日本で最も有名なのは、
江戸から続く「隅田川花火大会」でしょうけど、明治維新以降は中断と再開を繰り返し、
今の形で再開されたのは1978年の事ですから、花火大会自体の歴史が意外と浅いかも?
戦後になってから、各地に桜が植えられて、どこでも花見が楽しめるようになったように、
花火大会というのも、企業からの協力金が不可欠な事を思うと、増えたのは高度経済成長以降かな?
打ち上げが派手になったのは、バブル以降なイメージ(ちゃんと調べてはいませんけども)。
そして、ここ10年くらいは、縮小の一途といった感じで、個人的には寂しい限り。
更には、そこにコロナ禍まで襲ってきて、一旦休止となった花火大会の幾つが再開できるのか・・・・

と、それはさておき、唯でさえ男女交際禁止が当然な風潮の時代に、
夏休みとは言え、夜中に子供だけで外へ出掛ける訳ですから(当時は門限も厳しい時代)、
恐らく、旧トルコ担当さんが想像される以上に、中高生の花火大会デートって、
90年代くらいまでは、「不良(ヤンキー)」のイメージも強かったような気がします。
花火大会の治安の悪さって、今もありますけど、当時は現在の比じゃなかったですし・・・・
いや勿論、だからと言って、非ヤンキーの花火大会デートが無かった訳では無く、
それこそ「社会規範」に反する行為だったからこそ、却って盛り上がった側面もあり(笑)、
そういう意味では、当時の作品で描かれてるのは、願望的なファンタジーかも?
まあ、そうしたファンタジーで育った世代が出てくると、それが一般化する傾向はありそう。
(実際、AVの普及によって、風俗でのプレーが一般にまで広がったりしましたので)

何となくですが、この辺り変化は感覚的に、中高生のケータイ所持率の上昇と被るイメージ。
それまでは、子供の個人情報って、基本的に親が管理してましたけど、
ケータイ保有が中高生にまで及ぶ事で、管理が行き届かなくなった面は確実にありますし、
子供の人権や自立性などを尊重する風潮以上に、そういった現実面も大きかったかも?
その一方、家庭の懐事情が苦しくなってたり、スマホ利用料が別途掛かったりで、
子供の小遣いは減額傾向が続いているみたいですし、
これによって、子供がトラブルに巻き込まれやすい世の中に、なっているかも知れません。
別に遊興費だけの話ではなく、借金して大学に進学する子供の割合が、
1996年の2割から、2010年の5割超まで、急拡大したまま高止まりが続いてますからねえ。


[23817] オタク・学校・経済・AIの話(その3)返信 削除
2022/1/26 (水) 21:14:55 徳翁導誉

▼AIについて
> 誤読させる文章だと自分でも思うのですが、
> 「AIはもう道具やツールではなく一つの仮想人格」というのは、
> 最低でも5年以上先の話を、想定していました。

5年でも・・・難しいんじゃないですかねえ?
単なる実用性で言えば、「知能とは何か?感情とは何か?」とはまで行く必要はなく、
それこそチューリング・テストのように、受話器やモニターの向こう側にいる利用者が、
対応相手が人間か?AIか?を区別できないレベルまで行けば充分でしょう。
例えば、お客様サポートなどのサービスが、
人ではなくAIで可能となれば、企業的には大助かりだと思いますけど、
マニュアル対応の範囲内ならまだしも、臨機応変な対応は当分困難だと思うんですよねえ・・・・
もちろん、マニュアル対応すら出来てない人も珍しく無いのは、もう一面で事実ですけど(苦笑)、
AIを導入する以上は、底辺レベルよりマシではなく、平均以上は求められるはずなので。

あと、結構 元も子もない話をしてしまうと、
一旦技術が確立して定着してしまえば、それは「知能」とは見なされない実状もあります。
例えば、AIが囲碁でプロに勝利すると言うのは、10年前の段階だと夢物語みたいな感じだったので、
その頃に、「プロに勝てる囲碁AI」と言えば、それは知能だと認識されたと思うんですよ。
しかし実際こうやって、そんなAIが実現してしまえば、それはもう、
モンテカルロ探索や畳み込みニューラルネットワークといった「技法」と見なされて、
誰でも使える反面、それは知能として見なされなくなる現状があるんですよね。
言うなれば、どんなに凄かったプロの職人技でも、
それを実現させる機械と、素人でも使えるマニュアルが出来てしまえば、
あまりに一般化してしまう為、もうプロの職人技として敬意が払われなくなる感じに似てるかな?

要するに、何が言いたいかと言えば、まだ弱いAIの内は、
「5年後には知能になってる」と予想されていても、いざ実現すれば「道具」扱いであり、
本当に知能と見なされるには、強いAIまで行かないと無理だろうな・・・という話です。
そして、だからこそ「AI娘」なども、そんな簡単な話では無いだろうと。
「このまま技術が進んで5年も経てば」という台詞は、恐らく5年後にも言ってるはずです(笑)。
それこそゲームで言えば、グラフィックの進歩というのは非常に目覚ましいモノであり、
PlayStation時代や、ファミコン時代などと比べれば、まさしく隔世の感がありますし、
もしも当時、今のレベルのCGを見せられたら、きっと実写かと勘違いしたかも知れませんが、
でも実際、我々が今のゲーム画面を見て、本当に実写と区別できないかと言えば、そうではありません。
グラフィックですら そうなのですから、人間の知能だなんて尚更ですよ

そもそも「子育て」なんて、拘束時間やプレー時間は激長で、課金総額もバカ高で、
バランス調整も超絶破綻してるような超超クソゲーですけど、
だからこその超超超神ゲーでもあると思うんです(笑)。
ですから、それをバーチャルなAIで代替をしようと言うのは、
現実の子育て以上の満足感を得られない限り、ハッキリ言って無理ですよ!!
育成ゲームのパワーアップ版くらいのイメージならまだしも、
リアル・ペットの代替レベルを目指すにしても、そう簡単な話ではありません。

と言いますか、そもそも現在って、そんな中途半端な育成ゲームに需要は在るんですかねえ?
今は誰もがスマホを常に携帯し、機械の性能としても格段に進歩しているので、
その気になれば、以前よりも優れた育成ゲームは、作成可能だと思うんですが、
ハッキリ言うと、そういった束縛要素のあるゲームって、そんなに望まれてないと思うんです。
もっと言っちゃえば、放置したまま、勝手にレベルアップしてくれると助かるみたいな感じで、
課金ゲーに育成要素があるモノは多くても、純粋にゲームの魅力として、
育成パートが楽しいゲームというのは、一体どれだけ在るのでしょうか?

逆に尋ねると、例えばAI娘が、リアル・ペットの代替レベルに辿り着くまでに、
今後、どういったステップが必要だと、具体的に考えられてます?
ゲームであれば、飽きたら止めれば良いですし、
企業側も、儲からなければ平然とサービス終了にしますけど、
命のある生き物だと、そんな簡単には行かない「縛り」が発生しますし、
ある意味では、その縛りの強さの分だけ、心の結び付きに繋がる訳ですが、
そういった感じの仕組みを、AI娘では一体どのように表現するイメージなのでしょうか?
リアル・ペットの代替が務まらなければ、リアル娘の代替など夢のまた夢ですので。

> 試しにGoogle翻訳で英語のWikipediaの記事を翻訳させてみたところ、
> AIといっても所詮は単語を暗記してるレベルで、使い物にならないな、といった印象を受けたのが7,8年くらい前。
> それから、Twitterで洋ゲー翻訳界隈の方たちから「Deeple翻訳」と「みらい翻訳」の存在を知り、
> 翻訳精度の高さに衝撃を受けたのが、3,4年前。

翻訳精度の進歩は、実際凄いですよ!!
20年前とは、本当に比べ物にならないレベルです。
まあ正直言えば、長文とかになると、まだまだ怪しいレベルかとは思いますけど、
原文と見比べながら、定型文を訳す程度であれば、充分に道具レベルには達しているかと。
ですので、このまま進めば・・・という期待も持っている反面、
30点から40点50点と上げていくのは比較的に楽でも、
70点から80点90点を目指す道のりは至難ですから、
私が期待するレベルとなると、まだ時間は掛かりそうかな?という感じも。

また、一言に「日本が出来る」といっても、
小学生の話す日本語と、大学生の話す日本語とでは、当然レベルが違いますし、
優秀な大学生と、そうでない大学生の間でも、相当の開きがあるのは事実です。
そういう意味では、どのレベルでの実用性かでも、話は変わってきますよね。
しかし一方で、AI翻訳にはAI翻訳ならではの癖や個性がある為、
日本語を英文に変換したい時などは、敢えてAI翻訳向きな文章を書く場合もあり、
こういった文章を書けるのは、却って難しい日本語を用いる優秀な大学生の方なので、
過渡期の道具として見なした場合は、どのレベルでの実用性が高いかは難しい所かも?

って、ぶっちゃけた話、私は英語が大の苦手ですから、
もしも日本語と遜色無いレベルで翻訳されるなら、本当に大助かりなんですよ!!
英語の情報量って、日本語よりも遥かに多いですし、
英語っぽい言い回しとかって、正直、私は把握できてませんから・・・・

そして、出来る事であれば、今の子供たちが英語の勉強など不要になるくらい、
翻訳機能が急成長してくれれば、本当に良いとは思うんですけどねえ。
残念ながら、日本の国際競争力というのは、これからも落ちていく一方でしょうし、
そうなると今までみたいに、日本語さえ出来れば充分なんて時代は、
本当に終わりを告げるかも知れません(旧植民地諸国では普通の事ですけども)。
ですから、日本で働くにせよ、海外に移住するにせよ、日本語以外の取得が必要とされた時に、
メガネを使うような感覚で、翻訳機を時代となれば、どれだけ日本人は助かるか・・・・
いや、本音を言えば、そうならないよう日本が頑張れれば理想ですけど、
仮に踏ん張れたとしても、人口減少&高齢化により、国内市場の縮小は避けられない為、
どのみち英語は必要となってくるでしょうから、翻訳機が出来るに越した事はないと!!

あと、ここまで話しておいて何ですけど、前述にもある通り、
翻訳機能って、実用的な使い道が見えてる段階なので、
これはもう、知能と言うよりは「道具」って印象ですかねえ、個人的には(笑)。

> さらにそれを超え、小説の創作をAIができるようになったというのを私が知ったのがAIのべりすと。
「AIのべりすと」は知ってますけど、まだオモチャでしょ?
小説の創作が出来るレベルと呼ぶには、まだまだ程遠いと感じますし、
こうした試み自体は、以前から行われ続けてきてますからねえ。
データ量が増え、処理能力も向上すれば、ますます「それっぽい文章」は並べられるでしょうけど、
技術的な進歩も伴わなければ、物語を紡ぐ段階には達せられないと思いますよ。
でもまあ、それもあくまで日本語レベルの話であり、英語だと現状どうなんでしょう?
AI開発って、日本は既に周回遅れになりつつあると感じるので、
日本語だけでAI技術を見ていると、完全に認識遅れに陥る危険性はありそうです・・・・

> 私のAIに対する理解レベルとしては、大学で1講座AIの授業を取ったレベルですが、
>   (中略)
> AIだけでなく、知能とは何か?感情とは何か?といった方面は一切考えても勉強してもいません。
> で、このレベルの理解では実際どうなのでしょうか?
> 個人的には、最低限くらいは押さえているのかな?と思っているのですが。
> まだまだ頓珍漢なことを言っているレベルですかね?
> いえ、そうなのであればハッキリそう言っていただきたいです。

恐らく、「知能とは何か?」というレベルを押さえていないと、
どれだけ知識を得ても、それは「道具としてのAI」を超える段階には進めないと思いますよ。
逆説的に言えば、「本当のAI」の具体的なイメージを描けないと、自分が想像するAI像を語る事しか出来ず、
それはSF的な話題ではOKでも、少なくとも科学的な話には繋がらないでしょうね、残念ながら・・・・
これは所謂、「強いAI」と「弱いAI」の違いです(AIの授業を取ったなら、出てきましたよねえ?)。
でもまあ実際の所、今後我々がAIに触れたり用いたりする機会が増えたとしても、
それって結局、道具としてのAIがほとんどでしょうから、別に困らないとも言えます。
私たちの生活は機械に溢れてますが、その使い方は熟知していても、その中身には無知な事は多いですし、
消費者や使用者の立場である限りは、それで充分だし構わないとも言えるので。


▼新自由主義について
> > > 今大学生の私の場合、あと数十年間でその一連の流れがあり、
> > > 人生100年時代なら50歳から70歳くらいで、新自由主義の消え去った次の時代を目撃できるのかな?
> > > まあしっかりとデータ集めて、考えた論ではありませんが。

> > この文章ですと、ポスト新自由主義は「30〜50年先」の話と捉えているように感じますが、
> > 歴史を見れば、ファシズムは20年、冷戦も40年そこそこで終わってるんですよ!?
> > 日本視点だと小泉改革以降の20年、世界視点だと冷戦終結以降の30年、
> > 米英視点だとレーガンやサッチャー以降の40年が、新自由主義の時代と呼べますが、
> > 果たして、これが更に30年も50年も続くかとなると、私はかなり懐疑的ですし、

> まあ、「50歳から70歳くらいで、新自由主義の消え去った次の時代を目撃できる」というのは
> 自分にとっては新自由主義の時代が長く続いたうえに、
> 崩壊にも巻き込まれるという一番悲観的な予測をしておこうということであり、
> 新自由主義の崩壊が予想していたより早い、というのは多少楽観的になれました。

別に、新自由主義が良いとも思ってませんけど、
でも一般的に人間というのは、変化を恐れるモノじゃありません?
しかも、それがどう変化するか見当も付かない場合は、尚更。

例えば、50歳から70歳くらいで幕府崩壊に巻き込また武士と、
20歳から30歳くらいで幕府崩壊に巻き込また武士では、一体どちらが大変でしょう?
変化する時流に乗って、機会を掴める人など恐らくは一握りで、
大部分の人は、却って大変な思いをするのが、変革期の常だと思うのですが、
旧トルコ担当さんは、思ってた以上に野心家な方なのでしょうか?(笑)

もっと言うと、ここ10年あまりの日本社会全体が、
変化の必要性は感じながらも、その方法論も、その決断力も持ち合わせていない為、
抗う事なく、緩やかに衰えてく様も、皆で眺めながら時を過ごしてる感じですし、
新自由主義の到来も、世界は欧米に比べて10年、日本は20年遅れだった事を思えば、
日本社会のポスト新自由主義への移行も、10年20年と遅れる可能性はありそうですね。
逆に言うと、その場合は、日本だけ10年20年と新自由主義が長く続くのかも?
岸田政権は現在、ポスト安倍への方針転換を図り、「新しい資本主義」を掲げましたが、
未だに看板だけで、具体的な青写真までは示せてませんし、仮に示せたとしても、
そこまでに至るロードマップの策定と、実行こそが最大の難関ですからねえ・・・・
頑張って貰いたい思いはありますが、多分無理です(苦笑)。

> もちろん、新自由主義崩壊の過程で暴力的なことが起きる可能性は十分ありますし、
> ポスト新自由主義が必ずしも今よりも良い時代かどうかは疑問ですが、

自由主義がリバイバルして、新自由主義の時代になった事を思うと、
次に来るのは、社会主義をリバイバルしての「新社会主義」なのか?
はたまた、ケインズ主義をリバイバルしての「新ケインズ主義」なのか?
新社会主義であれば、ベーシック・インカム(BI)がキーワードになるかも知れませんし
新ケインズ主義であれば、現代貨幣理論(MMT)がキーワードになるかも知れません。
まあ別に、BIも、MMTも、新自由主義でだって導入するメリットがあるのですが、
どのシステムで導入されるかによって、その意味合いは大きく変化しそう・・・・

って、リバイバル自体は別に否定しませんけど、
それしか出てこないのは、やはり新たな発想力に乏しい時代なのか?
それとも、私の知らない何処かで、最先端の理論が生まれていたりもするのかな?
それこそ旧トルコ担当さんの方が、そういうのは専門なんじゃありません?

ちなみに近年では、マルクスを再評価する動きが、世界の一部でも現れていて、
実際に日本でも、昨年の「新書大賞2021」で1位に輝いたのが、
「人新世の資本論」という1冊でした(個人的には正直微妙でしたけどね・苦笑)。
https://www.amazon.co.jp/dp/4087211355/

> それでも崩壊するなら、数十年後に崩壊されるよりも、早く崩壊された方が、まだマシですし。
本当に、そう言えます?(笑)
崩壊がここ10年以内に来て、それで戦争勃発なんて最悪シナリオになった場合、
旧トルコ担当さんの年齢だと、普通に徴兵されるかも知れませんけど!?


▼評価経済について
> > 逆説的に言うと、それだけ今後は、「評価」による心理的な満足感の価値が高まりそうだと。
> > ただ、その「評価」が、「経済」と呼べるようなモノにまで発展するかは、ちょっと不透明そう。
> > ある意味でそれって、ネットを介した物々交換の世界でしょうし、

> そこまで違った認識ではなかったので安心しました。
> 確かに、評価の力が強いのは分かる一方で、実際それだけで社会を回そうとするのはちょっと難しいというか、
> そこまで評価には馬力は無いよなあという感じの認識です。

う〜ん、馬力と言うよりも、それを成り立たせる為の仕組み作りに、手間が必要って事ですね。
逆に言うと、そのハードルさえクリアー出来るのであれば、
評価が「通貨」や「商品」になる世界も、決して有り得ない話では無い気がします。
そして、一旦動き出してしまえば、動力としては充分なポテンシャルは秘めているかと?
聖書にも「人はパンのみに生きるにあらず」と、書かれてますからねえ。
逆説的に言えば、パンさえ保証されるなら、「やり甲斐」重視の社会が作れるかも知れません。

例えば、それこそ社会主義社会が存続していた時代に、今のデジタル技術に達していたなら、
こうした方向の可能性だって、もしかしたら存在し得たかも知れませんし、
デジタル社会主義なり、AI共産主義なりが、今後本当に登場してくるとすれば、
これからでも、可能性としては充分にあると思いますよ。
ただ、その大前提となる、デジタル社会主義やAI共産主義のシステム構築、そしてその実践が、
評価経済の導入以上に、ずっと高いハードルだと言うだけで・・・・
また、そんな社会が本当に実現したとして、その社会の一員になりたいかは別問題(笑)。

まあ現実的には、もしもベーシック・インカムが導入されて、
誰でも、最低限の生活保障が為される社会になるようであれば、
経済とまでは呼ばないものの、評価が高価値を持つ社会になるかも知れませんね。
これを、古代ローマの政策である「パンとサーカス」を用いて説明するなら、
どんな華々しい戦車競走や剣闘士戦も、腹が減っていては楽しめませんけど、
腹さえ満たされていれば、これほど充足感を与えてくれるショーも無い訳で、
現代社会においても、ベーシック・インカムがパンが供給されたならば、
評価を求める行動が、現代人のサーカスに成り得る可能性は充分にあると思いますよ。
ちなみに、以前の喜怒哀楽の話と繋げれば、食糧が「楽」であり、娯楽が「喜」に相当します。

もっと言えば、ベーシック・インカムだと公助なので、実現へのハードルが高いのですが、
デジタル・ネットワークを用いた「互助・共助」の仕組みが可能なら、ハードルは更に低くなりますし、
そのサークル内での通貨や商品として、「評価」というモノを組み込めれば、
評価と互助・共助との親和性は高いので、もっと上手く回せるかも知れません。
でも、これを公的機関以外が独自に行おうとなると、どうしても宗教っぽくなる上に、
上手く転がり出すと、一握りの上層部が大量のカモを相手に、儲けを独占する構図に陥りやすく、
そうさせない為には、やはり公助レベルまで広げる必要があるのかな?
まあ、昔ながらの「ムラ社会」というと、悪いイメージの方が先行しがちですが、
ムラが担っていた互助や共助が失われ、自助と公助の両端しか残っていないというのも、
ハッキリ言って、あまり望ましい社会構造では無いように思えるので、
そういう意味では、「デジタル・ムラ社会」みたいなモノが求められてる時代かも知れませんし、
そこの通貨や商品として、「評価」が価値を持つのもアリかも知れませんよ。

って、ムラ社会よりも、もう少しイメージしやすい言葉に置き換えるとすれば、
「デジタル江戸社会」なんていうのも、面白いかな?(笑)
江戸時代って、それこそ今風に言えば、当時のオタク文化が花開くくらい充実した社会であり、
飢饉の恐れさえ取り除ければ、別に貧しくたって、庶民的には幸福な時代であったとは言えます。
少なくとも、デジタル古代ローマよりは、搾取前提でないので現実的ですし、
こちらの方が日本人にも馴染み深く、そして時代的にも近くてイメージしやすいでしょうし、
ムラ社会とは一味違った、マチ社会ならではの互助や共助の仕組みがあったので、
いま現在の社会システムを考えると、こちらの方が親和性は高そうな気がします。

で、最近、恐らくは ひろゆき との共演動画からの繋がりなのでしょうが、
YouTubeのAIが、成田悠輔という人の切り抜き動画を薦めてくる事が増え、
たまたま見た動画の中に、日本の新たな鎖国「ネオ江戸社会」という話があり、
内容は異なりますが、切り口は似ていたので、「面白いなぁ」と少し注目してますね。
(どうやら感じ的に、視聴者の多数は「論破!」みたいな所に関心があるっぽいですけど)


▼ホリエモン
> まず逮捕されるようなレベルのリスクはさすがに誰も負いたくないんですよ。
> ホリエモンと、ホリエモンの話を聞いている人の間で、まずそこに認識のズレがある。
> そして、ホリエモン自身は牢屋にぶち込まれるリスクを背負える、大変男気のある人なんですよね。
> そこが私はかっこいいなあと思うのですが。
>   (中略)
> だから私にとってホリエモンっていうのはアイドルなんですよね。

いや〜、想定していた以上に、旧トルコ担当さんのホリエモン評価が高くてビックリ!!(笑)
ここまで認識が違うのって、2006年のライブドア事件とか、リアルタイムで知らないからですかねえ?
いや別に私も、世間一般的な「逮捕されたから悪いヤツ」なんて、単純な見方はしてませんし、
(ホリエモンはまだしも、村上世彰 逮捕の方は巻き込まれたに近い印象)
確かに犯罪ではあっても、社会的制裁まで含めた処罰の部分は、正直過剰だったと思ってますけど、
でも一方で、「そりゃ狙い撃ちされるだろ!」という感じは、私でも持ってましたからねえ。

ハッキリ言ってしまえば、当時のホリエモンって、
自分が逮捕されるリスクを冒してるというか、その危険性があった事に、まるで気付いてませんでした。
「想定内」が口癖な彼でしたが、自分が逮捕されるなんて、まさしく「想定外」だった訳で、
そういう意味では、「リスクを背負える男気ある人」ではなく、単純に見えてなかったんですよ。
それは、行け行けドンドンで調子付いていて、周りが見えてなかった事もあるでしょうし、
本人はいろいろ解ってるつもりでも、社会の常識とか、あまり解ってなかったんですよね。
だからこそ、常識に囚われない行動力があった反面、常識に欠けるので簡単に転んだと・・・・

解りやすく例えるなら、スピード違反なんて多くのドライバーがしてますし、
それで逮捕されて、「他の奴もヤってるだろ、何で逮捕しないんだ!?」と吠えた所で、
裁判になれば勿論有罪になりますし、「何で自分だけ…」なんて思いは意味がありません。
もちろん、他の多くのドライバーが、スピード違反で捕まってないのは確かですが、
そもそもド派手な改造車に乗って爆走してれば、悪目立ちするのは当たり前で、
そこまでしていても尚、逮捕されるのは嫌なら、充分に気を付けて然るべきなのに、
単純に、そこまで気が回ってなかっただけの事でしたからねえ。
暴走族のように「逮捕上等!」と、覚悟を持ち突っ走ってた訳ではありませんでした。

実際、釈放された後からのホリエモンって、
刑務所暮らしがトラウマというか、公権力の恐ろしさを身に浸みて覚えたみたいで、
以前と変わらず、舌鋒鋭く批判している様でありながら、
「羮に懲りて膾を吹く」じゃないですけど、権力の虎の尾を踏む事を必要以上に恐れていて、
その反動なのか、相手を選んだ上での攻撃性が、前より目立つ感じになったかな?
逮捕前はもっと怖いモノ知らずで、良くも悪くも、相手を選ばずにガンガン行ってましたけど、
心理的に仕方無いのかも知れませんが、今では疑心暗鬼や被害妄想は目立つようになったかな?
釈放後のホリエモンは、以前よりも明らかに情緒不安的な感じですし、最近では、
マスク拒否騒動から、個人の餃子店を閉店にまで追い込んだのは、さすがに常軌を逸してます。
(旧トルコ担当さん的には、この一連の件って どう映っているのでしょう?)

とは言え、ライブドア事件が起こった際、ホリエモン側近の野口英昭さんが、
沖縄のホテルで変死を遂げる事件などもありましたので(警察は自殺として処理)、
公権力以上に怖い闇の力みたいなモノを、ひょっとしたら垣間見たのかも・・・・
ちなみに旧トルコ担当さんは、この変死事件の存在は御存知ですか?

ちなみに逮捕前のホリエモンは、それこそ「IT時代の寵児」といった感じで、
近鉄球団買収計画および新球団設立計画に、ニッポン放送&フジテレビ買収計画、
そして小泉郵政選挙での刺客候補としての立候補と、
わずか1年の間に、次々とホリエモン劇場を起こしてみせたんですけどね。
この当時のホリエモンって、IT長者なヒルズ族として有名で、
イメージ的には「優秀な若き実業家」として売ってましたけど、
実際は、実業家としてよりも、TVタレント(広告塔)として優秀であり、
そうやって名前と顔を売り、資金を集める事が、最大のビジネス戦略と感じでした。
まあ、規模は まるで違うけども、炎上商法や信者ビジネス的な やり方は、
今も、昔も、それほど変わっていないかな?
解りやすく言えば、ホリエモンの客層って、それで踊らされる人たちなので。

まあ こんな具合なので、テレビを通じて多くのファンを生んだのは事実ですが
でも結局、世間を騒がしはするものの、大仕掛けの計画で成功したモノは無く、
球団やテレビ局の買収後や、選挙当選後の構想に関しても、特に面白い事は語っておらず、
そして何より、外部ではファンを増やしても、内部では敵ばかり増やしてましたからねえ。
この辺りの常識というか、人間関係を真っ当に築くだけの能力があれば、
あのパフォーマンス力や発信力も込みで、もっと大きな仕事だって出来たでしょうけど、
そもそも、カネ集めは何かを為すための手段ではなく、カネ集め自体が目的だった時点で、
行動力はあるけど空気は読めない性格が、悪い結果を招くのは時間の問題だったのかな?
「球団を持ったら、ああするぞ!」
「テレビ局を持ったら、こうするぞ!」
「国会議員になったら、これをするぞ!」
という魅力的な夢を嘘でも良いから語れれば、仮に内容や実力を伴わなくても、
もっと仲間を増やせて、いろいろと事を成せたかもしれませんけど・・・・

あと、もう1つ言えるのは、これは当時も今も変わらない所ですが、
「自己評価が高すぎる」というのは、ホリエモンの特徴の1つですよね。
もちろん、決して無能な人じゃないですし、そこそこ優秀な人ではあるのですが、
実際の能力は80点なのに、自分での評価は100点なんですよね、この人。
だからこそ、良い所まで行っても、常に失敗を繰り返しますし、
きっと、周囲の人間は皆、自分より下のように映っているのでしょうけど、
それは ただ単に、自分の目線より上を認識する事が出来ないと言うか、
これも「常識がない」とか「空気が読めない」に繋がる気がしますが、
恐らく、自分の事は理解できていても、他人の事が理解できないタイプなんだと思います。

あれだけ注目を集めれば、自分よりも優秀な人材だって、集まってきてたかも知れませんが、
結局は使いこなせないので、自分にとって都合が良いというか、
もっと悪く言うと、ホリエモンを利用しようとする人間しか、周囲に残らなくなると。
今ではN国党の広告塔となり、本人は自分から乗ってるつもりでも、完全に乗せられてますが、
もしも自己評価があったなら、逮捕されずに今頃、自民党内でそれなりの地位を築けてたかも?
ホリエモンの人生のターニング・ポイントって、自己評価の高さから、落選濃厚な選挙区を敢えて選び、
案の定 苦しくなると、場当たり的な行動を次々と見せ、結局は落選して ただの人のまま終わり、
自ら、狙い撃ちされる標的としての価値を上げると共に、狩りの難易度が下げた所なので。

・・・で、この際だから、ついでに言ってしまうと、
YouTubeのAIは最初の内、再生数は多いけど、ツマらない動画を薦めてくる話をしましたが、
私にとって、その最たる例の1つが、実を言うと「ホリエモン動画」だったんです(笑)。
まあ大体、どの動画も、サムネとタイトルから、その内容を幾らか予想してから見るので、
その想定を上回ったり、反したり、明後日の方向に行ったりすると、面白く感じるのですが、
ホリエモンの動画って、20〜30本くらいは見てみたと思いますけど、
「それは発想は良い!」とか、「その視点は無かった!」とかが1度も無いんですよね・・・・
決まったように、いつも想定した低い所の答えが来て、まるで面白味を感じない。
だからと言って、「情報が簡潔にまとめられてる」みたいに関心する事もなく、
独断と偏見ならまだしも、平気で誤った情報や解釈も混ざりますし、
それでいて、「こんな事も知らないの?」態度ですから、あまり得るモノは無いと。

テレビ出演が多かった時代も、同じく「こんな事も出来ないの?」って態度で、
しかし、いざ自分がやる番になると、結局は上手くできない事も珍しくなく、
それで居て、ちょっとシュンとしながら、多少の言い訳をして、
そして時間が経てば、再び「こんな事も出来ないの?」って感じだったんですよね。
でもまあ、それが意外と憎めないというか、愛嬌がある感じで、
これは前述の「自己評価が高すぎる」という話とも絡むのですが、
そんなズレた所が、お茶の間でも人気を得られた秘訣ではあったと思うんです(笑)。
恐らく本人は、そんな事など全く自覚してなかったでしょうし、
もちろん中には、ホリエモンの有能アピールに、素直に惹かれてた人も居たでしょうけど。
という事で、私自身も「ツマらない動画だから薦めてくれるな」という思いは在りつつ、
別に不快って程ではなく、時にはタイトルに引っ掛かって視聴するのも、
ホリエモンを見ていて、そんなに嫌に感じる事は少ないからかも知れませんね。
そういう意味では、やはり魅力のある人物なんだろうなぁ、とは思います。

> そいういう文脈において、ホリエモンにはぜひ人類の寿命を1000年くらいに伸ばして、
> 宇宙人に会うという夢を実現して欲しいんですよね。
> 両方とも、みんな子供のころには考えるけど、現実を知り、
> あきらめることを言って大人になると、忘れてしまう夢ですかねえ。

そういう「夢」を語ってる事は知りませんでしたが、
ツマらない大人というか、科学の話をすると、まあ夢物語ですよね(笑)。
それでも、その確率を0.1%でも、0.01%でも上げようとするのが、
理系的な人間の「夢」の抱き方かも知れませんけど、
ただホリエモンは、完全に文系で、理系知識は正直イマイチなんですよねえ・・・・

とは言え、逮捕前から含めても、ホリエモンの手掛ける事業で唯一、
彼なりの「夢」を感じられたのが、現在も続けているロケット事業ですし、
まあ現実的に、あれでは事業として本格的に成功する可能性など皆無に近いでしょうが、
それでもまあ、そこで見せる子供っぽいホリエモンの「無垢さ」も、憎めない所なのかな?


▼ 岡田斗司夫
> 岡田斗司夫からすれば、そんな狂った社会で、就活生に対して
> 「こうやったら就活上手くいくよ」というようなことを言って
> 目の前の学生の就活をサポートしても意味がない。

いや〜、本当であれば、岡田斗司夫の発言内容に関して語るべきなのでしょうが、
「学生をサポート」とか言われてしまうと、
岡田斗司夫が7年前に大学内で犯した、あの事件を思い出してしまう(苦笑)。
う〜ん、サポートかぁ・・・・
まあ違う目的とかもあって、いろいろ親身にサポートしたんだろうなぁ・・・・
逆に言うと、自他共に認めるサイコパスな人ですから、そういう別の目的でも無ければ、
仕事だからと言っても客員なので、そこまで他人の為に働くタイプでは無いでしょうし。

「学生の就活」と言う事は、岡田斗司夫が大阪芸術大学で客員教授をしていた頃の話でしょうけど、
旧トルコ担当さんも御存知かも知れませんが、一応 念の為に説明しておくと、
教授と学生という力関係を背景に、受講した女子学生10人あまりと次々に性的関係を結び、
その1人1人を「童顔・巨乳・処女・名器・便利」などの項目で採点し、仲間内で公開していて、
それが週刊誌報道によって表沙汰になると、「全ては妄想の産物」と苦しい弁明をした上で、
急病を理由に雲隠れしてしまい、大学もクビになって、表舞台から姿を消す騒動があったんです。

まあこの件を、岡田斗司夫は現在、「モテた」とか「恋人がたくさん居た」と吹聴し、
この事を問題視する意見には、「モテない男の僻み」だと嘯いている訳ですが、
これが現在のように、パワハラや性犯罪にうるさい時代であったり、
当時であっても、大学側が騒動の揉み消しではなく、本気で対応に動いていれば、
未成年の生徒も居て、性的被害から声を上げにくく、洗脳的手法が用いられていたとしても、
何人かの学生が、実際に被害を訴え出てた可能性はあったでしょうし、
もしそうなれば、今頃 岡田斗司夫は、塀の向こう側の住人だったかも知れません・・・・

また、表舞台から姿を消したと言っても、今はYouTubeやニコ動などネットがあるのが幸いして、
元気に活動できてますから、社会的制裁を受けたと言えるかというと、正直微妙な所。
もちろん、オタク解説の動画とかは、今見ても素直に関心するレベルなのは確かですが、
その一方で、人間性は破綻しているというか、真性のクズである事も間違い無いんですよね(苦笑)。
とにかく蒐集したがる感じや、細かくデータを残す所は、実に「オタク的」ですけど、
「狂った社会」以上に狂っているのは、岡田斗司夫という人物じゃないですかねえ?
ところで、ふと思ったのですが、「人権カード」で傷付くくらいナイーブなのに、
こういうオタキングの人間性に関して、旧トルコ担当さんの中で、どう折り合いを着けてるんですか?
まあ私の場合、「それはそれ、これはこれ」と分けられちゃうタイプなので、別に大丈夫ですけども。

> 結局、正社員の雇用枠は世の中全体で決まっていますから。
> だから、岡田斗司夫がすることは、正社員になれという親の期待に反することになって、
> 暗い気持ちになっている就活生に対して、「就職なんかしなくていいよ」と言ってあげることだし、
> ニートを脱出できない人たちに対して、「ニート、そういう生き方もアリじゃない?」と言ってあげることなんですよねえ。
> そういってあげれば、とりあえずは目の前の落ち込んでいる彼らの気持ちを楽にしてあげられる。
> いずれ、そのつけを払うこととなっても、それ自体はもうしょうがないことであり、
> だったらせめて無駄な落ち込みだけでもしない方がマシ、というのが岡田斗司夫の主張だと思うんですよね。

う〜ん、一面では間違ってませんよね。
抗っても、頑張っても、必ずしも報われる時代じゃ 今は無いですし、
そういう意味では、「無駄な抵抗をするくらいなら、心穏やかに居た方がマシ」というのは、
1つの真理ではあると思うんです。
しかし一方で、抗い、頑張る事で、報われる人たちも一定以上いる訳ですし、
それに何より、現在の心のつかえと、将来のツケとを比較した場合、どちらが大きいか?かな。

あとは・・・穿った見方をしてしまうと、そういう甘い言葉を用いた方が、
岡田斗司夫の客層的に、より稼げそうかな?という印象も(笑)。
ツケを払う段階での将来的な彼らは、別に客としての対象では無いでしょうし。
まあ、普通の人の発言なら、さすがにここまでは考えませんけど、
サイコパスって、全ての思考が「自分の利益」を中心にスタートする人たちの事なので。

> そして、評価経済という方向での岡田斗司夫の主張は、
> 「今や大企業の正社員になったとしても、将来は安泰じゃない。
> かといって、色んな会社に転職できるスキルを持ち合わせろ、というのも万人にとっては現実的ではない。
> だから、特別な能力がなくても、お前だったら雇ってやるよ、という人間関係を作れ」ということだと思うんですよね。

え〜と、私の考えと似てるとは言え、やはり違うのは こういう部分なんだろうなぁ・・・・
自助や公助だけでなく、互助や共助を同じく想定してるとは思うのですが、
私のは人々が対等なのに対して、岡田案だと人同士に上下関係が出来てるんですよねえ。
そして、「その上に鎮座するのは自分だ」という思いが、
自覚的か無自覚かはともかく、何とな〜くですが感じ取れてしまいますし、
それって結局、自分を教祖とした「新興宗教のビジネス・モデル」を抱いてるのかな?とも。
要するに、「助け合いの精神」がテーマではなく、釣り文句であり、
大量のカモがネギを背負ってやってくる、岡田自身にとっての理想的な社会像とでも言いますか(苦笑)。

本当の意味で、「評価を経済のように回す」のならば、
俺はオマエを雇うけど、オマエも俺を雇って、みたいな感じになる気がします。
そして、より具体的に方法論を考えると、長い歴史の中では人口の9割が農家でしたが、
農業が近代化した現在では、数%の農家が居れば、全ての食料を賄える時代であり、
だからこそ逆に、絶対に必要である食料を確保する為、農家を如何に巻き込むかが最重要ですし、
農家が食料を配りたくなる対価を、この「評価」によって、新たに生み出す必要があろうかと?
「オマエを雇ってやる」では縁故採用で、それでは一昔前のムラ社会的な論理に過ぎず、
しかも、正社員や大企業が安泰じゃない将来像を描いているのでしたら、
「雇ってやる」で雇える、そんな中小企業が一体どれだけ存続しているのか?とか、
そうした中小企業で、一体どれだけの雇用数を雇用数を確保できるのか?という、
そちらの側での将来像を、どのように描いているのか・・・って話もありますよね。

> 確かにそれは分かるんですけど、これに関してはどうしたら良いのでしょうか。
> 一応、いいひと戦略は心がけているのですが。

ぶっちゃけた話、将来的に「評価経済が成立した社会」が確実に到来するなら、
それを前提とした準備を、今からしていて損は無いかも知れませんけど、
現在の延長線上にある社会を想定し、そこまでの大改革が起こる可能性は低いと見れば、
「人間関係で生きられるスキル」って、「転職できるスキル」よりも、取得ハードルが高そう(笑)。
と言いますか、どうしたら?とか、いい人戦略をと言ってる時点で、もう無理な気が・・・・
そういう人って、天然の人たらしか、一角の成功者か、余程努力して関係を構築した人でしょうし、
「卒業したら友達と別れる社会規範」なんて、まさしく対極的な考え方なのでは?

でもまあ、それだけでは身も蓋もない話なので、もう少し考えると、
命綱と成り得る人間関係に絞って、縁を強化する戦略ですかねえ?
それこそ、まずは1番に必要なのが食料ですから、農家の友人を作るとか、
いっその事、自分で農業を始めてしまうとか。
評価を介した物々交換であると解釈するなら、食料を求める立場よりも、
自分自身が食料を持ってる立場で、そこから各方面に交換を打診していく方がスムーズそう?
社会レベルで行うなら、ロシアのダーチャ(郊外別荘)の仕組みを活用してみるとか、
大きな枠組みで、いろいろと方法論はありそうですけども、
個人レベルでとなると、出来る事って、やはり限られてますしねえ・・・・

ところで、その「いいひと戦略」とやらは、
ここでの雑談時にも、発動していたりはするのでしょうか?(笑)
・・・って言うか、いいひと戦略って具体的に何!?
そもそも、目指すべき「いいひと」像のイメージってあるんですか?
「良い人」というのは、「都合の良い人」か「どうでも良い人」って言葉もありますし、
こういうケースで求められるのは、良い人よりも「いる人(必要な人)」だと思いますけどね。
もしくは、同じ「いいひと」でも、「良い人」ではなく「好い人」かな。
ちなみに私は、この掲示板の中だと、少しばかり暴言モードを発動(笑)。
リアルの私なら、こんなにズケズケとは指摘や発言はしないですし。


P.S.
来週の金曜日から「北京冬季五輪(2/4〜20)」が始まる為、
恐らくはその間、私は五輪観戦モードに突入し、
不要不急の返信は滞るかと思われますので、事前に御了承下さい(笑)。
また、その替わりって訳ではないですけど、今回の長文は歴代最長です(苦笑)。


[23821] アニメ版「俺ガイル」(全3期)を見ての感想返信 削除
2022/2/1 (火) 21:18:20 徳翁導誉

> > > > > ところが、俺ガイルっていうのは徹底的にに全てがリアル。
> > > > > 例えば俺ガイルのヒロインに雪ノ下雪乃という、オタクの好きなお嬢様系の女の子がいるんですけど、彼は千葉の県議会議員の娘なんですよね。
> > > > > で、舞台は千葉市の県立トップの高校。
> > > > > 確かに、県議会議員の娘ならお嬢様だし、しかも普通の家の出の主人公でも、県立トップの高校ならば2人が同じ学校に通っていてもおかしくない。
> > > > > お嬢様キャラがちゃんとリアルなんですよ。
> > > > > ですが、俺ガイルは徹底的にリアルだから、そんなお嬢様と普通のオタクの主人公が偶然接点を持ったとしても、恋愛になんか発展しないw
> > > > > それでいて、ちゃんとラノベとして面白いイベントが起きる。
> > > > > 10数巻のちゃんとヒロインと恋愛もするし、ハーレム作る。
> > > > > さらにその上で、エヴァのような消費者に対して単なる快楽以上のものを投げつけてくるんですよね。
> > > > > もし俺ガイルに興味があるのでしたら、原作読んでみてはいかがでしょうか?
> > > > > とりあえず、1巻読んで、飛ばして4巻読めば、とりあえず普通のラノベではないことは分かると思います。

> > > > (多少ネタバレになりますが)例えば俺ガイルであれば、俺ガイルはハルヒの流れを継ぐ謎部活ものなんですが、最終的にこの話はその3人だけの部活の、主人公とダブルヒロインの友達関係をどう維持するのか?ということがテーマになっていきます。
> > > > それは何も特別な事情ではなく、もう高校2年の3学期で、高3になれば受験があり、そのあとはきっと大学別々のところに進学することになるよね、というだけの話です。
> > > > だから、この3人の関係性はもうそろそろ終わりだし、どう終わらせるか考えなきゃね、というだけなのですが、紆余曲折合った末の結論は「ずっとこのまま」なんです。
> > > > いや、これ本当にどうするんでしょうね。
> > > > 大学3人で同じところに行くんですかね?まだ中学生ならそれもアリかもしれないし、俺ガイルがよくあるオタク・ファンタジーならばそういう結論もアリかもしれませんが、俺ガイルって徹底的にリアルなんですよ。

> > > それはオタクでぼっちを気取って、リア充爆発しろと建前で言っている主人公にはできないし、
> > > 安易に「どっか遊びに行かない?」と誘った瞬間、それは「自分はあなたと友達になりたいです」と宣言しているに等しいわけで、それは今の関係を変えてしまいかねない。
> > > 物語として、背後の流れみたいなものが出来上がっていれば、そういったifルートも作りやすいのかもしれませんが、
> > > 今の作品はキャラクターありきだからか、ifルート想定すること自体が難しい気がしますが。

> > 同じ話になってしまいますが、
> > 確かに、オタク作品だとよく見る設定なのですが、俺ガイルはリアリティレベルが現実とほぼ一緒なので、
> > そのリアリティでこれやられると、すごい異常感があるんですよ。
> > 「はがない」は読んでいないのですが、同作者の「妹さえいればいい。」は読んでるので、
> > そこから推測するに、はがないも結局はオタク・ファンタジーでしょ、と。

> そういう意味では、この「リアリティ」という所がポイントなんでしょうけど、
> でもこれって、ラノベである事を考えると、「オタクがリアルと感じるリアリティ」かも知れませんし、
> 「ラノベでは新しいけど、小説では珍しくないよ」って事だと、
> 私はオタク系のジャンルしか触れない訳では無いので、そこでの目新しさや衝撃度は薄くなるので。
> ・・・って、もうここまで来ると、アニメ版でも実際に見ないと、これ以上は無責任に語れ無さそう(笑)。

という事で、北京冬季五輪が始まってしまうと、当分は時間も取れないでしょうし、
蔓延防止処置の影響で、幾つか事前の予定が飛び、ちょうど時間もありましたから、
少し大変でしたけど、この1週間で、アニメ版(全3期)を一気に見ましたよ!!(笑)

え〜と、で、実際に見てみた感想としましては、
「百聞は一見如かず」とは、よく言ったものとでも言いますか、
旧トルコ担当さんの話を聞いて、私なりにイメージしてた作品像とは、かなり違いました(笑)。
逆に、そういう意味では、やはり実際に見てみるに超した事は無いですね!!
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている(俺ガイル)」という作品が、
一部に熱狂的なファンを生み、一時代を築いた理由も、何となくでしたが解りましたし、
旧トルコ担当さんが「2010年代のエヴァ」と呼んだ理由も、朧気ながら感じ取れました。

そして、予想以上に「全然リアルじゃないじゃん!」というのが、正直な感想でしたね。
いや本当、今までは何となく、共通認識がある前提でお互いに話してましたけど、
「ファンタジー」と「リアル」の定義について、もう1度キチンと再確認した方が良いように感じました。
リアルの定義は難しいにしても、ファンタジーの線引きって、どの辺りからのか???
例として持ち出された「県議会議員の娘」という設定も、別にリアルさを感じさせないというか、
私的にはオタク・ファンタジーって印象でした・・・・
大きな真実の中に小さな嘘が混ざるよりも、大きな嘘の中に小さく真実を混ぜる方が、
人間というのはリアリティーを感じやすいモノであり、
これはペテン師の常套手段かつ、作劇法の基本ではありますね。
今回の件で言えば、「県議会議員の家ってこんな感じ」というイメージを、
具体的に想像できるか否かも、感じる「リアルさ」の違いになってる可能性はありそう。

って、あくまでもラノベなのですから、それが別に悪いという話では無いんですけど、
事前に「徹底的にに全てがリアル」と説明されていただけに、却って気になってしまったかも?
異世界じゃないですし、転生もしませんし、魔法や突飛な発明品も出てきませんけど、
普通によくある、学園モノ作品の設定だな・・・という感じで、リアルさの点は特に。
まあ、原作ラノベは読んではいないので、あくまでもアニメ版からの印象ですけど、
比べるのは何ですけど、あれだと「けいおん」とかの方が、よりリアルに私は感じたかな。
残念ながら、少なくとも「普通のラノベではないことは分かる」とは、なりませんでした。

また、他にも「聞いてたイメージとは違うな」という点を上げると、
まずは、「普通のオタクの主人公」との事でしたが、
少なくともアニメ版では、主人公のオタク的な描写は皆無な感じでしたね。
第1期の後半とかは、オタク的なネタ・ツッコミが幾つかありましたけど、
あれは主人公のオタク性というよりも、作品自体のオタク性でしょうし、
ちょっと取って付けた感もあったので、原作にも実際にあるのかは解りません。
例えば、体育祭での騎馬戦のシーンで「マスターアジア」の名前が出てきましたが、
あれって、原作の方でも、実際ある発言なんですかねえ?
以前の「好きというのが恥ずかしい作品」という話の際、
「ガンダム・シリーズの中で、異端なGガンダムが実は1番好き」とかいう感じの事?と、
ふと思ったもので(実際に私もGガンが1番だったり・笑)。
って、恐らくは好みのタイプ的に、旧トルコ担当さんはGガンダムを見て無さそう。

それと、「ずっとこのまま」エンドとの事でしたけど、全然違うじゃないですか!?(笑)
明確に断言まではされてませんけど、あれって普通に決着付いてません?
ひょっとして、原作ラノベとアニメ版とでは、終わり方って違ってます?
少なくとも、そういった情報は耳にしてませんが、原作は未読なので解りません。
それに、3年に進級するから「終わらせる」と言うよりも、
1年間の積み重ねが出来たからこそ、このままの状態では居られなくなり、
放置はもう無理なので、何らかの形で現状を「終わらせ」ざるを得ない感じなのでしょうし、
まだまだ、高校3年生の1年間がまるまる残っているのに、あの結論って、
卒業後の事に思いを馳せる以前に、もしもリアルであの選択をしたならば、
地獄のような高3生活の未来図しか見えませんよ、私には(苦笑)。
逆に言うと、あれで成り立つ世界であるなら、やはりファンタジーだと思いますね。

それに、「ifルートの想定自体が難しい」との事でしたけど、想定ルートは結構あった気が!?
Wヒロイン以外にも、何本かフラグは立てられていましたし、
実際、様々なエンドが用意された、ギャルゲー的なゲーム版は好評のようなので(笑)、
旧トルコ担当さんは「難しい」と思うくらい、作品に入れ込んだ&納得したって事なのかな。

続いて、遊びに誘った瞬間、友達なりたい宣言となり、今の関係が変わるって、
最初の方はまだしも、もう作品の中盤くらいから、そんな関係じゃなくなってません?
アニメ版の1期・2期・3期が、ちょうど作品的にも3パートに分かれてる感じというか、
キャラ同士の人間関係や描写はもちろん、パートごとに作品自体のテーマ性も変わってる感じで、
恥ずかしいから誘い難いはあっても、それは少し違うんじゃないの?という印象でした。
どちらかと言うと、そうしたテーマで最後まで突っ走るのが「僕は友達が少ない」な気がします。
というか、この作品、タイトルに「青春ラブコメ」って入ってますけど、
青春はしているものの、ラブコメはしてるか・・・となると、正直微妙じゃありません?
いや、少しずつ少しずつ気持ちは紡がれて行きますし、最後の最後で恋の話が出てきますけど、
作品的には「もう終わっちゃったのかな?」 でも、
恋愛的には「まだ始まっちゃいねぇよ」って感じでした(笑)。

もうちょっと踏み込むと、Wヒロインでありながら、三角関係に陥る訳では無く、
そもそも最初から最後まで、揺れる事のない王道ルートな上に、
キチンと恋したのは振られた側で、主人公もメイン・ヒロインもそこまで至っておらず、
もっと言えば、主人公はメイン・ヒロインすら見ないで、徹頭徹尾 自分を見ており、
恋愛どころか自己愛(良く言えば成長物語)に終始されてませんか、この作品って?
「間違っている」だから良いのかな?とも思いつつ、間違うとか言う以前の話な気も・・・・


あと、旧トルコ担当さんが、この作品をエヴァと並べて語る件に関しては、
萌え系やハーレム系などのように、視聴者に対して安らぎや快楽を与えるだけでなく、
主人公の内面描写を介して、見る側の心さえグサッとエグるような陰鬱っぽい所に、
両作品の共通点を見出したのだろうなぁ、と感じました。
確かに、頭を空っぽにして楽しめるというよりは、見ていて疲れる作品だと思います。
ですけど、エヴァと俺ガイルでは、やはり決定的に違うと思うんですよね。
それは、エヴァやリゼロの主人公は「自分の事が大嫌い」なのに対して、
俺ガイルの主人公は「自分の事が大好き」な作品だからであり、
同じく心をエグっているようでいて、その度合いや目的がまるで異なります。

言うなれば、料理の味付けで、同じ塩を降るにしても、
塩辛さを求めるか? 甘味を引き立たせる塩味を求めるか?くらいに違うでしょうか。
例えば、1期の文化祭での屋上シーンとか(原作だと6巻に相当?)、
一見キツそうですが、実は爽快感の得られる作りで、その意図が見えてると激甘に感じ、
「単なる快楽以上のもの」どころか、「快楽以外の何物でもない」ように映りました。
これがまだ、旧トルコ担当さん的に、
「自分にとってのエヴァ」だと言う事であるなら、私も充分に受け入れられるのですが、
「2010年代のエヴァ」だとなると、より普遍化された話となる為、私的には否となりますね。

また、思春期の人間関係と成長模様、主人公の内面描写や語り、リアルで心をエグる作風など、
そういう俺ガイルで見られたモノって、「彼氏彼女の事情(1998)」で既に、
より高い完成度で見せられてますからねえ(少女マンガ原作な上に、GAINAX制作のアニメなので)。
つまり、その辺りの要素では、特に新しいモノを見たという感動がありませんし、
同じくラノベ原作だと、主人公の独り語りで展開するのは「涼宮ハルヒの憂鬱(2006)」で、
シリアス要素のあるラブコメであれば「とらドラ(2008)」で、
変化球なオタク系ハーレムであれば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない(2010)」で、
ぼっち系・残念系の設定であれば「僕は友達が少ない(2011)」でと、既に行われていましたから、
では一体、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている(2013)」ならではの要素とは、何でしょう?

いや勿論、あれだけヒットした作品なのですから、何かはあるはずなんですよ。
で、実際にアニメ版を見てみて感じた、私なりの答えというのは、
簡単に言っちゃうと、鬼滅ヒットの理由にも求めた「リアルタイム性」なんですけど、
より詳しく述べるとすれば、その当時に現れた「新たな層」に対して、
「これは自分だ!」と感じさせた最初の作品こそ、この俺ガイルだったのでは?と思うんです。
要するに、新しく現れた層ですから、そんな彼らの需要を満たす作品など、既存には まだ無く、
そこへ初めて、それを満たす作品が供給されたから、多くの人たちが食い付いたと。
もちろん、それは限られた中だけに起きた現象だったのかも知れませんが、
しかし飢えていただけに、その中では物凄く熱い現象となったって感じですかね。

それでは具体的に、この新しい層とは何かとなると、
「1人で居る事を見られるのが苦痛な人たち」とでも言えば良いのでしょうか?
適切では無いかも知れませんが、もっと解りやすい表現を用いるなら、
「便所メシをするような人たち」の登場って事ですね。
これは実際に、便所メシをしてるか否かという話ではなく、
そういう状況になれば、そうした発想に至る層という意味です。
今までにも、1人の状況を嫌がる人や、ぼっちである人というのは、普通に居たんですけど、
1人である事自体ではなく、それが他人の目から どう映るかを気にして、
トイレで飯を食うにまで至るのは、ここ10年15年くらいの現象なので・・・・
便所メシという単語が登場したのは2005年頃の話で、その時は半ば「都市伝説」な扱いでしたが、
2015年頃になると、便所メシ経験者が1割を超え、確実に一定の層を形成するようになりました。

で、俺ガイルの特に第1期を見て、最初に感じた設定というのが、
まさしく、「便所メシしそうなタイプだな」って事だったんです。
いや勿論、作中では便所メシをしている訳じゃありませんけど、
昔ながらの「ぼっち」とも違って、心の奥底では陽キャ・グループを意識しながらも、
上手い距離感や望んだ位置が得られないが故に、そこには属する事が出来ず、
かと言って、陰キャ・グループに属する事は、自らの自尊心が許さず、
孤高を気取ってはみるものの、他人の目が気になって仕方がない・・・って感じかな?
上でも少し触れましたけど、こういうタイプって結局、「自分の事が好き」なので、
諦めないし、妥協もしないし、頑張りもしないので、宙ぶらりんで終わるというか、
そういうモヤモヤ感を抱く人たちの所へ、「これは自分だ!」と感じさせる主人公を用意してやり、
彼らの理想郷的な展開を見せてやる事で、熱烈な支持を受けた・・・というように映るんです。
従来の ぼっち系だと、近い時代に「四畳半神話大系(2010)」がありましたが、やはり別系統ですし、
正直な所、上条当麻の「不幸さ」くらいですね、比企谷八幡の「ぼっちさ」と言うのは(笑)。

つまりこれは、「これは自分だ!」と感じさせる箇所に、
その層が感じる「リアルさ」があるというだけの話であって、
決して、あの世界観にリアルさがあるという話ではなく、
その世界へ主観的に入れ込めば、リアルのように錯覚する描写というかは、
外から客観的に見ると、却って思いっ切りファンタジーに映る感じで、
言うなれば、ディズニーランドを満喫している最中の人と、そうでない人の差があると・・・・
それこそ作中の台詞を借りるなら、「君は酔えない」どころか、
この俺ガイルの設定に「酔える」タイプじゃないと、この作品にはハマれないですよ。
これ以上は言葉遊びになるかも知れませんが、真に孤高なら「酔わない」となりますし、
「酔えない」というのは、そこには「酔いたい」という願望が込められており、
もっと言えば、周囲に溶け込んで酔えなくても、既に自分自身には酔っていると。
転勤族として育った私は、常に途中から入り、途中で出ていく存在だったので、
どこでも基本は「余所者」でしたから、「ぼっち」と「ぼっちぶる」の違いは解るんですよ。

後は まあ、その人が作品に触れた際の年齢(環境や状況)もありますよね。
そこは、やはりラノベですし、しかも青春ラブコメ(?)らしいので、
仮に、同じ人が、同じ作品に接しても、10代と20代と30代とでは、感じ方がまるで異なるはずで、
青少年向け作品というのは、当然ながら青少年時代に味わってこそ、最もガツン!と来るモノかと。
そういう意味では、既にオッサンな私が今更 見た所で、中高生のようにハマるのは困難ですし、
便所メシが「都市伝説」だった世代の人間からすると、理解は出来ても共感は難しい・・・・
そういう意味では、全く「自分向け」の作品では無いって事なんですよね、結局は。
多分これって、デジタル・ネイティブで、みんなが普通に繋がっていたり、
社会的に成熟して喧嘩も減り、みんなが良くも悪くも優しく接するようになり、
それでいて、兄弟は減り、放課後に集まって友達と遊ぶ機会も減り、ついでに小遣いも減りと、
ある意味では、こうして子供の間の隔たりが薄れてきたからこそ、価値基準の画一化してしまい、
スクール・カーストのようなピラミッド化が、勝ち組・負け組の明確な線引きが起きたとすれば、
一昔前までの学生生活や人間関係と比べると、相当に隔世の感があるような気がしますね。

でもまあ、時代の巨大な壁が、20世紀と21世紀の世代を境に存在するなら、
逆に言うと、21世紀世代(平成後半&令和世代)の間であれば、
多少の時代の違いは関係無く、共感できたりする部分は多くなるかも知れません。
それこそ、俺ガイルは10年前に生まれた作品なので、
令和世代が古く感じたとしても、別に おかしくなという持論は、ここでも変わりませんが、
だからと言って、令和世代の中にも、俺ガイルが響く人は確実に居るとも思ってますよ。
例えば、「これは自分だ!」という思いを、読者に与える作品として、
70年前に太宰治が書いた小説「人間失格」がありますけど、
あれが古い作品であるのは事実な一方、未だに感化される若者がいる作品なのも、また事実。
「中二病」という言葉自体が生まれたのは、1999年の伊集院光の深夜ラジオでしたけど、
そんな言葉が生まれる以前から中二病は存在し、そして未だに健在であると実感させてくれる作品です!!
って、人間失格もオッサンになってから読んだので、思春期にでも読んでたら私もカブれたのかなぁ?
いや、でも多分、その頃でも、太宰にはハマれなかった気がする・・・・


ちなみに、俺ガイルの設定を聞くだけの段階では、「はがない」に近そうな印象でしたけど、
主人公がこういう拗らせ方をしてる感じだと、「氷菓」の方が近いですかねえ?
氷菓は未見ながら、何となく、そんなイメージ。
という事で、ちょっと調べてみた所・・・なんと中国オタク界隈では、
「校園四覇」なんて括り↓で呼ばれてるみたいです!?(笑)
http://i2.hdslb.com/bfs/archive/00febf8e0edee2d0af707970d38c7cb23d057355.jpg
 【自爆】 比企谷八幡 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」
 【節能】 折木奉太郎 「氷菓」
 【騒話】 梓川咲太  「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」
 【無情】 綾小路清隆 「ようこそ実力至上主義の教室へ」

漢字2文字の愛称まで付けて呼ばれてる所は、三国志っぽくって無駄に格好良いですし、
国境や文化の壁まで越えながら、日本のオタク文化と、この拗らせ思春期な価値観が、
伝わり、広まり、共有できている事実に、ちょっと感動までしました!!
漢字の「冬」をモチーフにした、今回の北京冬季五輪のエンブレムを見ても思いましたけど、
これって恐らく、全世界の中でも、日本人と中国人の間だけで存在するシンパシーであり、
現状では互いに反日的・反中的な風潮が目立つものの、この存在は将来的に面白いかも知れません。
だって、世代の異なる日本人同士よりも、世代が同じ日本人と中国人の方が、
1つの作品に対して共感し合えるって、これは冷静に考えると、本当に凄い事なので!!
また、四天王とか作りたくなる中2的センスが、海を越えてるのも嬉しい(笑)。
って、仏教がインドから中国を通って日本に伝わった事を思えば、共通の根を持っているのかな。

あと余談ながら、旧トルコ担当さんは、この校園四覇は制覇されてます?
と言いますか、この4人の括りって、実際的確に映りますでしょうか?
正直、私の方は、今回ようやく俺ガイルを突破しただけで、
特に、「よう実」と「青ブタ」に関しては、一定の人気がある事は知ってたものの、
これらが一括りにされる扱いの作品だという事は、今回初めて把握しました(笑)。
でもまあ、これらは単に、中国でウケた作品群ってだけで、
氷菓以外はラノベとして、そこまで尖った作品で実際無いのかも知れませんけど、
この2作品も、ちょっとだけ「私、気になります」レベルには格上げされたかな?(笑)
アニメ版なら、共に1クールで済むみたいですし。
・・・って、同じ1クール作品ならば、まずはそれらより、
弁さんとの雑談時に紹介された「映像研には手を出すな」を見るのが、先かも知れませんね。

ところで、ちょっと話は脱線しますけど、AIとかの話題とも絡んで、
心や記憶を題材としたアニメとして、「カイバ(2008)」や「lain(1998)」がありますけど、
ある意味、エヴァとかとは違う方向性ながら、見る者にダメージを与えるような怪作って、
旧トルコ担当さん的には、どんな感じというか、位置付けになるのでしょうか?
テーマがテーマだけに、ファンタジーな世界観だからこそ、よりリアルになると言うか、
だからこそ見ていて疲れる作品なんですけど、こういうのは好みとは別ですかねえ??
まあカイバの方は、WOWOWで放送されたアニメなので、知る人ぞ知る系の作品ですけど、
lainの方は、ちょうどネットが普及し始めた頃の実験的作品であり、
PSゲーム版も含めて、かなり挑戦的な試みが為され、一部でカルト的な人気を博しましたから、
当時のオタク文化に興味があれば、当時のネット・ログも込みで、押さえておいて損は無いかも。
・・・と、書いてますけど、実際に見ずとも、そういう作品があるという知識だけで、
オタクの教養という意味では、半歩なりとも前進だと思うので、一応紹介しているだけですね。
全く気に掛けてないのと、多少は気に掛けているのとでは、やはり大きく違うと思いますし。


そして最後に、年齢も、世代も、タイプも異なる為か、
旧トルコ担当さんのように、この作品にハマる事は無かったですけど、
それでも、全3期を1週間で一気見できるレベルの作品ではありましたし、
(私は後半に進むほど見やすかったですけど、前期のファンは結構途中離脱してるのでは?)
こうした機会でも無いと、撮り貯めた作品って、なかなか見られずに終わりますから、
そのキッカケを作っていただき、ありがとうございました。
以前から気になっていた「俺ガイル人気の理由」というのも、私なりに答えが得られましたし、
中国人のと間にまで、同じオタク文化が共感できてた事実を知れたのは、新たな発見でした。


[23834] Re:アニメ版「俺ガイル」(全3期)を見ての感想返信 削除
2022/2/15 (火) 04:03:30 旧トルコ担当


20日までは五輪観戦モードとのことですが、書けたので投稿しておきます。
返信をせかす意図はありません。

▼返信について

個人的なことなのですが、今の文章量ですとどうにも返信に時間がかかるため、話題ごとに時間かけて少しづつ返信することにします。
今までは、夜中にその場の勢いで返信を書いてしまうことが多く、それが色々良くなかったと思うので、返信量を削減する分、時間をかけて、しっかり考えた文章で返信していきたいと思います。
しっかり考える癖をつけないと、頭悪くなるな、とも思ったので。

▼俺ガイルについて

管理人さんの感想を読んで正直に思ったことを書けば、「おんなじ作品を見たのに、こうも違うのか」でした。
今までの話は、経済にしてもオタク話にしても、持っている情報に違いがあるという前提だったため、管理人さんと意見がズレても当たり前だと思っていましたが、
全く同じ作品を見てこうも見え方が違ってくるのか、というのは衝撃的でした。

例えば、

> それでは具体的に、この新しい層とは何かとなると、
> 「1人で居る事を見られるのが苦痛な人たち」とでも言えば良いのでしょうか?
> 適切では無いかも知れませんが、もっと解りやすい表現を用いるなら、
> 「便所メシをするような人たち」の登場って事ですね。
> これは実際に、便所メシをしてるか否かという話ではなく、
> そういう状況になれば、そうした発想に至る層という意味です。
> 今までにも、1人の状況を嫌がる人や、ぼっちである人というのは、普通に居たんですけど、
> 1人である事自体ではなく、それが他人の目から どう映るかを気にして、
> トイレで飯を食うにまで至るのは、ここ10年15年くらいの現象なので・・・・
> 便所メシという単語が登場したのは2005年頃の話で、その時は半ば「都市伝説」な扱いでしたが、
> 2015年頃になると、便所メシ経験者が1割を超え、確実に一定の層を形成するようになりました。


> で、俺ガイルの特に第1期を見て、最初に感じた設定というのが、
> まさしく、「便所メシしそうなタイプだな」って事だったんです。
> いや勿論、作中では便所メシをしている訳じゃありませんけど、
> 昔ながらの「ぼっち」とも違って、心の奥底では陽キャ・グループを意識しながらも、
> 上手い距離感や望んだ位置が得られないが故に、そこには属する事が出来ず、
> かと言って、陰キャ・グループに属する事は、自らの自尊心が許さず、
> 孤高を気取ってはみるものの、他人の目が気になって仕方がない・・・って感じかな?


これですが、
まず明確に、主人公及び俺ガイルを支持している層(私を含め)は、便所飯をする層、する可能性のある層とは明確に違いますよ。

全くもって、一人で居る事を見られるのが苦痛でない、というわけではありませんが、
そもそもボッチにとっては、まずいじめの対象にならないだけで天国ですし、
小中学生ならともかく、高校生にもなれば、一人で居る事を見られること程度には慣れきってしまうんですよね。
そして、上手い関係を作れないからどのグループにも属さないというよりも、面倒だからどのグループにも属さない、というのがボッチの心理ですね。

「ヲタクに恋は難しい」(https://comic.pixiv.net/works/1530)というマンガに出てくるキャラクターがちょうど説明しやすいのですが、
俺ガイルの主人公は二藤君タイプで、便所飯するのはこう君タイプであり、
このタイプは、ボッチという点では同じでも、それを気にしているのかしていないのかという面で、実は真逆なんですよね。

これは俺ガイルという作品を読むうえで、ベースとなる認識で、ここの認識が異なってくると、作品の解釈が全部ずれてくるんです。

重要な点なので、もっと例を挙げれば、
私も高校生時代は教室で堂々と一人で食事してましたし、同じクラスにも女子生徒でそういう子がいました。
私もオタクですし、女子生徒の方も確か、腐女子でした。
クラスにもオタクグループみたいなのはあったのですが、別にそことも仲よくしたりはしませんし。
それこそ女子生徒の方は、夏休み前の一学期の音楽のテストで、先生の前で一人ずつ歌うという試験があったのですが、
その試験の後、クラスの男子に「○○さんの声初めて聞いたわ」って陰で言われていましたし。
もしかしたら偏差値の低い高校では、そんなことをしていればいじめの対象になったのかもしれませんが、
私はそれが嫌で、まあこの高校なら変なことは起きないだろう、というレベルの高校に行きましたし、
なのでクラスメイトもみんないいやつで、不干渉でいてくれるんですよね。(そういう意味で、俺ガイルの舞台が学区域内トップの公立校というのは重要なポイントです)
ですけど、友達がいないのが原因で夏休み以降くらいから不登校になってしまったクラスメイトもいました(特にいじめなどがあったわけではありません)。
おそらく、便所飯するタイプって後者だと思います。

といいますか、便所飯をするタイプって管理人さんが想定しているよりも何倍も繊細な人たちだと思います。
そんな、ぼっちぶるなんてことができるのであれば、便所飯なんてしませんよ。
こういった感覚が一切伝わらないのって、世代差はやはり大きいんですね。

> そして、予想以上に「全然リアルじゃないじゃん!」というのが、正直な感想でしたね。
> いや本当、今までは何となく、共通認識がある前提でお互いに話してましたけど、
> 「ファンタジー」と「リアル」の定義について、もう1度キチンと再確認した方が良いように感じました。
> リアルの定義は難しいにしても、ファンタジーの線引きって、どの辺りからのか???
> 例として持ち出された「県議会議員の娘」という設定も、別にリアルさを感じさせないというか、
> 私的にはオタク・ファンタジーって印象でした・・・・
> 大きな真実の中に小さな嘘が混ざるよりも、大きな嘘の中に小さく真実を混ぜる方が、
> 人間というのはリアリティーを感じやすいモノであり、
> これはペテン師の常套手段かつ、作劇法の基本ではありますね。
> 今回の件で言えば、「県議会議員の家ってこんな感じ」というイメージを、
> 具体的に想像できるか否かも、感じる「リアルさ」の違いになってる可能性はありそう。
>
> って、あくまでもラノベなのですから、それが別に悪いという話では無いんですけど、
> 事前に「徹底的にに全てがリアル」と説明されていただけに、却って気になってしまったかも?
> 異世界じゃないですし、転生もしませんし、魔法や突飛な発明品も出てきませんけど、
> 普通によくある、学園モノ作品の設定だな・・・という感じで、リアルさの点は特に。
> まあ、原作ラノベは読んではいないので、あくまでもアニメ版からの印象ですけど、
> 比べるのは何ですけど、あれだと「けいおん」とかの方が、よりリアルに私は感じたかな。
> 残念ながら、少なくとも「普通のラノベではないことは分かる」とは、なりませんでした。


俺ガイルがリアル、という件については申し訳ないですが、誤解を与えたと思います。
俺ガイルのリアルさというのは、状況設定の客観性(あり得る度)、というよりも、主人公の心情のリアルさ、という意味で使っていました。
例えば、親が金持ちで、散財しなければ一生働かずに暮らせる、という人の存在は、世の中に実際ある程度はいる、という意味では状況設定の客観性(あり得る度)は高いのですが、
読者にとって近い存在か、読者にとってあり得ることなのか、という意味においては、リアルではないわけです。
極端に言えば、少年がイスラム国の戦士になる、というのも、自分から遠いという意味でリアルでないと。
まさか管理人さんがアニメ全部見るとは思っていなかったので、雑な説明になってしまっていました。

では、俺ガイルがどうリアルなのか、ということなのですが、何回か書いてみたのですが、なかなか伝えるのが難しいので、少なくとも今回は待ってください。
もしかしたら、次回以降、書けるかもしれません。

一応、「もっと冷めてるんだと思っていました。」という、ディズニーランドの後のシーンのセリフの意味を考えてもらえれば、分かりやすいのではないでしょうか?
ちなみに冷めていると思っていたのは、人間関係全般に対する態度のことです。

小説とアニメで終わり方が違うことはありませんし、あの終わり方はやはり「ずっと一緒エンド」だと私は思っています。
屋上シーンの解釈も、私から言わせれば、表面しか見てない気がします。

偉そうに書きましたが、わざわざアニメを見るほど俺ガイル人気の理由を知りたいということであれば、もう少し俺ガイルを理解できた方が、よりメタ的な意味でも面白がれるのではと思い、色々書いてみました。

> それに、「ifルートの想定自体が難しい」との事でしたけど、想定ルートは結構あった気が!?

ifルートの話って、俺ガイルはifルートを作者が書いてるんだよね、って話から始まってませんでしたっけ?
俺ガイルはifルートあるけど、他のラノベとかではifルートの想定って難しいよね、という話だったと思います。

▼校園四覇について

> ちなみに、俺ガイルの設定を聞くだけの段階では、「はがない」に近そうな印象でしたけど、
> 主人公がこういう拗らせ方をしてる感じだと、「氷菓」の方が近いですかねえ?
> 氷菓は未見ながら、何となく、そんなイメージ。
> という事で、ちょっと調べてみた所・・・なんと中国オタク界隈では、
> 「校園四覇」なんて括り↓で呼ばれてるみたいです!?(笑)
> http://i2.hdslb.com/bfs/archive/00febf8e0edee2d0af707970d38c7cb23d057355.jpg
>  【自爆】 比企谷八幡 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」
>  【節能】 折木奉太郎 「氷菓」
>  【騒話】 梓川咲太  「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」
>  【無情】 綾小路清隆 「ようこそ実力至上主義の教室へ」
>
> 漢字2文字の愛称まで付けて呼ばれてる所は、三国志っぽくって無駄に格好良いですし、
> 国境や文化の壁まで越えながら、日本のオタク文化と、この拗らせ思春期な価値観が、
> 伝わり、広まり、共有できている事実に、ちょっと感動までしました!!
>
> あと余談ながら、旧トルコ担当さんは、この校園四覇は制覇されてます?
> と言いますか、この4人の括りって、実際的確に映りますでしょうか?
> 正直、私の方は、今回ようやく俺ガイルを突破しただけで、
> 特に、「よう実」と「青ブタ」に関しては、一定の人気がある事は知ってたものの、
> これらが一括りにされる扱いの作品だという事は、今回初めて把握しました(笑)。
> でもまあ、これらは単に、中国でウケた作品群ってだけで、
> 氷菓以外はラノベとして、そこまで尖った作品で実際無いのかも知れませんけど、
> この2作品も、ちょっとだけ「私、気になります」レベルには格上げされたかな?(笑)
> アニメ版なら、共に1クールで済むみたいですし。
> ・・・って、同じ1クール作品ならば、まずはそれらより、
> 弁さんとの雑談時に紹介された「映像研には手を出すな」を見るのが、先かも知れませんね。


俺ガイル、よう実は読んでいましたが、氷菓と青ブタは見てないなと思い、書店で買ってきたのですが、氷菓は中学の時に読んでますね。内容ほとんど覚えてないですが。
氷菓は本の装丁からしてラノベではない感じなので、これは先にアニメ版を観た方がよさげなかんじですね。京アニですし。

そして、校園四覇は人気作品をまとめたというより、主人公のダメさ加減を茶化している感じだと思いますよ。
「トラウマを作らない」ことが目標にもかかわらず、「自爆」してトラウマを作る比企谷八幡に、
自分を好きになってくれた女の子を退学に追い込む「無情」な綾小路清隆。
このあだ名は結構笑えました。

ただ一方で、中国の若者が俺ガイルを評価しているのか、というのは正直怪しいと思います。
青春ファンタジーをやっている、普通の青春系オタクコンテンツが中国で受容されるのは分かるのですが、
俺ガイルって現代の日本の学校文化の中でしか通用しない、非常に特殊な作品だと思うので、特に経済が成長している中国では通用しなさそうなイメージ。
経済が成長していれば、モテるモテないも、容姿より学歴がもっと関わってきそうですし。

もっと言えば、大人社会に肯定的なイメージが無いからこそ、高校生=人生で最も輝いている時期、という図式が成立するわけであり、
高校生=人生で最も輝いている時期、という図式が成立するからこそ、その高校時代に青春出来ない=負け組、という俺ガイルの語られすらしない根本原理が成立するので。
アニメにあったかは忘れましたが、主人公が中3の川崎大志に言っている、「中学から高校になって変わる点は、みんなが高校生っぽくふるまうようになるだけだ」というのはそういった意味ですね。
もちろん、俺ガイルはモテが全てだ、という価値観の作品ではありませんが(むしろ友情の方がテーマ)、ただそういう背景が違えば、根本的に色々ずれてくる気はするんですよね。
高校でどんな負け組であろうと、そんなものが可愛いくらいの超超経済格差社会の中国においては、高校出た後に勝ち組になれるかの方が重要でしょうし、そういう世界で俺ガイルって共感されるのでしょうか?

> 漢字の「冬」をモチーフにした、今回の北京冬季五輪のエンブレムを見ても思いましたけど、
> これって恐らく、全世界の中でも、日本人と中国人の間だけで存在するシンパシーであり、
> 現状では互いに反日的・反中的な風潮が目立つものの、この存在は将来的に面白いかも知れません。
> だって、世代の異なる日本人同士よりも、世代が同じ日本人と中国人の方が、
> 1つの作品に対して共感し合えるって、これは冷静に考えると、本当に凄い事なので!!
> また、四天王とか作りたくなる中2的センスが、海を越えてるのも嬉しい(笑)。
> って、仏教がインドから中国を通って日本に伝わった事を思えば、共通の根を持っているのかな。


中国のオタク文化受容って実際どうなのでしょう?
個人的な見方では、中国人の一部に日本マニアがいて、でも人口が10倍だから日本から見るとそのマニアの多さに圧倒される、というだけであり、
何も中国人の若者の間にそこまでオタクが多いとは思えないんですよね。
日本史の崩し字を翻訳するAIの制度を競うコンテストを開いたら、優勝したのが中国人のチームだったということがあったらしいのですが、それに近いのかな?
ただ、私の大学の中国人留学生も日本のアニメ大好きですし(スマホのホーム画面が萌えキャラでこっちが恥ずかしいw)、やはり中国でも大きな勢力なのでしょうか?
私は、オタク史を勉強しようと思った一番初めの時に、ひとまず国内だけやって海外は手を出さないと決めたので、海外情勢は一切知らないんですよね。

▼学校文化の昨今

> > 前にスクールカーストの話が出てきていたと思うのですが、
> > 私の中学校では、だいたい顔の良い順に成績もよかったのですが(特に上位層)、昔もそんなもんだったんですかね?
> > だいたい、成績の良い上位3分の1のグループのうち、3分の2は、容姿の良い上位3分の1のグループとメンバーが共通でした。

> 無いでしょ、そんなの(笑)。


まあ、中学生の時の印象ですしから誤って可能性も十分あります。

> と言いますか、そもそも「顔の良さ」と「成績の良さ」って、どんな相関関係があるんですか?
> 顔の良さと成績の良さ、双方に働く何らかの遺伝子でもあると思われてます?
> まあ成績の良さは、家庭の経済状況(学習環境)に結構依存するので、
> 恵まれた環境に育つと、生活習慣が正しく、身なりも綺麗だし、表情も明るいとか、
> そうした雰囲気の良さが、顔の良さのように感じたりするんですかねえ?
> だって、普通に考えれば、そんな所に繋がりは無いはずで、
> たまたま、旧トルコ担当さんの1例が、そうだったというだけかも知れませんし、
> もっと言えば、そう思っていたから、そう見えていただけかも知れませんよ(笑)。
> もしくは、これって実は「俺は顔&頭が良い一員だったけどね!」という隠れアピール?(笑)


中学の時に考えた理由としては、
見た目が良ければ、自分はできる奴だ、という自信が生まれるため、当然勉強も自分は周囲の奴よりもできるはずだ、と思い、勉強するため実際に成績が良くなる。
逆に、容姿が悪ければ自己評価も低くなりがちであり、テストの点も相応で満足してしまう。
という感じです。
中学レベルの勉強なんて、やるかやらないかですし、ですがそのやるかやらないか、というのは他者と比較して「自分はできるはずだ」と思うか、「自分はこんなものだ」と思うかどうかじゃないんですかね。
そういった自己評価には色々な要素がも関わっているのですが、クラス内でどの場所に自分が位置しているのか、という自己評価に関しては容姿というのは大きなウェイトを占めてると思うんですよね。

> 多分これって、デジタル・ネイティブで、みんなが普通に繋がっていたり、
> 社会的に成熟して喧嘩も減り、みんなが良くも悪くも優しく接するようになり、
> それでいて、兄弟は減り、放課後に集まって友達と遊ぶ機会も減り、ついでに小遣いも減りと、
> ある意味では、こうして子供の間の隔たりが薄れてきたからこそ、価値基準の画一化してしまい、
> スクール・カーストのようなピラミッド化が、勝ち組・負け組の明確な線引きが起きたとすれば、
> 一昔前までの学生生活や人間関係と比べると、相当に隔世の感があるような気がしますね。


逆ですよ。文化的に完全に分断されてしまったからこそ、スクール・カーストが発生したんです。
90年代の島宇宙化の果てにあるのがスクール・カーストです。
そういう意味においては、スクール・カーストは勝ち組・負け組がある格差ではなく、互いが別の世界に住む階級といった方が良いのかな?
個人の間に格差があるというより、個人の属するグループの間に上下が存在している感じです。
そして、上の者が必ずしも得をするわけではなく、むしろカースト上位の方が大変そうなのも階級っぽいところかな?
格差であれば勝ち組の方が間違いなく得ですが、階級となれば一概に上の方が得とも言い切れませんし。
ちなみに、私は全く知らないのですが、インドのカースト制というのはどんな感じなのでしょうか?
もしかしたら、カーストという名前が管理人さんに誤解を与えているのかも。

▼ ホワイト革命

> ところで、その「いいひと戦略」とやらは、
> ここでの雑談時にも、発動していたりはするのでしょうか?(笑)
> ・・・って言うか、いいひと戦略って具体的に何!?
> そもそも、目指すべき「いいひと」像のイメージってあるんですか?


いいひと戦略の前提には、現代の日本は見た目至上主義だよね、という認識があり、
そのうえで、評価経済+見た目至上主義=いいひと戦略
だったのですが、
最近その見た目至上主義論が「ホワイト革命論」というものに進化して、滅茶苦茶面白い論になっているのでおススメですよ。

ホワイト革命論 https://www.youtube.com/watch?v=k_zV08mCfFI
いいひと戦略論 https://www.youtube.com/watch?v=hB5ncWZvVbw

> > もちろん、現実はそんなファンタジーじゃないんですが、オタクっぽい=子供っぽい作品をバンバン吸収すると、
> > 世間知らずになると言いますか、よく言えば純粋になるんですよね。

> でもこれって、順序的にはどうなんですかねえ?
> それを既に自覚しちゃってる時点で、最初はそうでも、途中からは逆転して、
> オタクっぽい作品をバンバン吸収するから、純粋なのではなく、
> 純粋性を保ちたいから、世間知らずを装い、オタクっぽい作品に逃げ込んでるかも?
>
> だからこそ昔のアニメとかって、「あくまでも子供の為の作品」というスタンスでしたし、
> 「大人になる為のステップ」とか、「大人になったら卒業しろ」というメッセージ性が込められ、
> それは恐らく、エヴァくらいまでは残ってた空気感だとは思うんです。
> ですが、深夜アニメの登場により、良くも悪くもターゲット層が高齢化した為、
> そんな説教臭いメッセージ性は、あまり好まれないようになり、
> 純粋に欲望に応えつつ、時代のニーズにも合わせて、萌え系やBL系が成長した気もするんですよね。
> ハッキリ言えば、現実逃避の為の消費財だって良いじゃないか?と。
> 奇しくも現実社会は、「明日は今日より良くなる!」なんて時代じゃなくなってますし。


ホワイト革命という意味においては、私の「純粋」というのも、私だけの属性でもなく、ましてやオタクだけの性質でもなく、
単なる時代精神であり、それがちょっと強いだけ、という側面もあるんでしょうね。

▼ アニメ

簡単に返信できるので、ここだけ返信しておきます。

> ・・・って、今更ながらに気になったのですが、
> 旧トルコ担当さんって、どこでアニメ(特に新作)を視聴されてます?
> 一昔前までは、それこそテレビ放送一択でしたけども、
> 今では正直、ネット配信の方が視聴しやすいでしょうし、
> ニコニコ動画とかだと、コメント付きでの視聴も可能ですよねえ?
> と言いますか、そもそもコメ付きでアニメを視聴したりします?
> ちなみに私は、1回目はテレビで、2回目はニコニコでって時期もあったかな(笑)。
> もちろん、気に入った作品かつ、コメ付き視聴に合うアニメである事は前提として。
> ちなみにカブトボーグは、コメントがあった方が断然面白いタイプのアニメでしたし、
> だからこそ、ニコニコ動画との相性も良く、ここから再注目されたとも言えますね。


昔はテレビで見てましたが、今はサブスクで見てます。
ただ月額課金となると、どうしても色々観なきゃ損という気分になり、そこまで興味もないゾンビ映画とかまで見ちゃうんで、見たいものがあるときだけサブスクに入ってますね。
それと、新作アニメはほとんど見ないかな。チェックはしてるのですが。



[23848] AIについて等(追記あり)返信 削除
2022/3/4 (金) 15:03:05 旧トルコ担当


▼AIについて

私の書き方が悪かったと思うのですが、私自身は「人工知能」としてのAI、という科学的、理系的な問いには興味ないんですよね。
それよりも、AIという技術が社会をどう変えるか、という問題のほうが興味がありますし、その技術が社会を変えるのならば、科学的に見てそれが大きな進歩なのかどうかは、心底どうでもいいです。
強いAIまで進歩しないと、人工知能と呼べる代物にはならない、というのは管理人さんがそういうのであれば、そうなんだろう、とは思うのですが、でも現在のAIであろうとも、社会は間違いなく変わるでしょうし。
一応、ちょこっとはAIの原理も勉強したつもりですので、理系の人間からすれば今のAIはただの計算機、統計処理に過ぎなくて、科学的に全然ワクワクしないのも、まあ分からなくもないですが。

(そういえば昔、科学技術史を勉強しようと思い、いくつか本を読んだことがあるのですが、それらの本って20世紀後半の章は大抵、原子力の話になるんですよね。
私からすれば、原子力なんて発電してるだけですし、そんなことよりも、もっと耐久消費財革命の話を聞かせてくれ、と思ったのですが、これも理系の視点と文系の視点の違いなんでしょうね。
社会からすれば原子力よりも耐久消費財革命のほうがインパクトは大きいけれど、科学者的には原子の世界という未知の世界の探求のほうがインパクトが大きいと)

そして、私がAIに期待しているのは「代替ではない」んですよね。
そもそも、代替=完全上位互換って難しいですよ。
何でもよいのですが、例えばある飲食店Aという店舗に対して、この店より儲かる店を作れ、というのと、この店の客を全部奪う店を作れ、というのはどちらが難しいのか、ということでしょうか?
仮に飲食店Aよりも儲かる店は作れたとしても、その店の客を全部奪うということになれば、あらゆる面で飲食店Aを上回る必要があるわけで、それは飲食店Aより儲かる店舗を作ることの何倍も難しいと思います。
これだけYouTubeやアマゾンプライム等のネット動画文化が栄えたとしても、テレビを見る人は残っていますし、
AIと人間の関係も、ネットとテレビと同じような分業だと思うんですよね。

そういう観点からすれば、管理人さんの例に出したゲームのグラフィックというのがよい例であり、
ファミコンのグラフィックは実際の風景とは比較にならないほど低画質ですが、それでも人間はファミコンに夢中になったわけで、
AIも性能が良いに越したことはないですが、人間並みの知能がないと人間は相手にしないということはないと思うんですよ。

現に漫画もアニメも、現実と比べれば低性能ですが、ちゃんと現実と分業に成功して、人々を夢中にさせているわけですし。
そこで必要なのは、見る側の見方が確立することだと思うんですよ。
ゲームで例えるなら、コンピューターの性能を上げることではなく、面白いゲームを作ることであり、マンガであれば面白いストーリーを考えることかな?

と、考えているのですが、管理人さんはどう思われますでしょうか?

▼VRとAIについて

先ほどのAIの話を踏まえ、さらに思い込みの激しい話になるのですが、
私は本能の上に、さらに感性というのがあると思っていまして、例えば食でいえば、食欲とは別に、個人ごとに味の好みというのがあり、味の好みがが感性だと考えています。

そして、そうした感性というのは、色々な要素に影響されますが、環境によって左右される要素が大きいと思うんですよね。
で、VRやAIというのは、その環境を自由に作り出せるツールになりえ、現実世界と違った環境がVRやAIにより提供されれば、自分自身の感性もかなり容易に変えられるようになるのではないか?と思っています。

具体的な例を挙げれば、こんな感じです
https://twitter.com/kemonoslime/status/1480139627285848064

今までもゲーム機やPCがそうした別空間を作ることを可能にしたと思うのですが、VRってその比ではないと思うんですよね。
AIも、完全な人工知能レベルには到達せずとも、現在の人工知能のもうちょっと面白い使い方が生み出されれば、VRと似たような感性を変えてしまうようなツールになりえるのではないでしょうか?

▼オウム事件のイメージについて

> > オウム事件は全く勉強してないですね。
> では逆に、予備知識が無い現段階で、オウム事件ってどんなイメージですか?
> 多分これって、リアルタイムで知らない世代が、後から知識を得ようとすると、
> 却って、当時の実状から懸け離れてしまう感じがするので・・・・
>
> 地下鉄サリンの前までは、オウムって非常にネタ的な存在で、面白おかしく扱われてましたし、
> 事件が起こった後も、かなり不謹慎な感じで弄られてたり、逆にヒステリックに糾弾されたり、
> そして何より、警察もマスコミも、自分たちが犯したミスには蓋という感じで、
> 今になってオウム事件を知ろうとすると、都合良く記憶を忘却したり、神妙ぶったりが目立ち、
> 当時の空気感というのが、まるで伝わらないんだろうなぁ・・・という感じはしているんですよね。
>
> まあ結局、人間社会などというのは、そんなモノなのでしょうけど、
> だからこそ「オウム事件」って、そうした課題を考える上での、格好の題材だと思うんです。


「勉強してない」というのは本で調べたりして、積極的に学びに行っていない、という意味合いであり、オウムに関する情報が皆無というわけではないんですよね。
個人的なオウムのイメージは、小学生くらいの時に見たテレビのドキュメンタリー番組で形成されているので、管理人さん的にはありきたりでつまらないものだと思いますよ。

とはいえ、振り返ってみれば小学生のころにはオウムをネタにしたギャグを披露する同級生がいたので、案外そういった雰囲気って残っているものなのかも?

▼新自由主義について

私的に色々考えてみた結果、私が新自由主義に肯定的なのは、中学生の時に自由主義を絶対の価値としておいてしまったからだ、という結論に落ち着きました。

というのも、私自身は極端な進歩主義者で、社会をよりよくするために極端な社会改造をやれ、といった考え方に共感しがちなんですよね。
しかし、そうした過激な考えを実行に移したフランス革命やナチスドイツ、文化大革命はどれも悲惨なことになっているわけで、
だからこそ中学生くらいの時に徹底的な、それこそ社会保障制度にすら否定的なリバタリアン思想を、自身の極端な社会改造思想のアンチテーゼとして持つようになったという経緯がありました。
で、そのリバタリアンの足枷が今も外れていないからこそ、新自由主義にはどうしても肯定的な見方しかできないんですよね。

▼勉強について

> > もちろん、新自由主義崩壊の過程で暴力的なことが起きる可能性は十分ありますし、
> > ポスト新自由主義が必ずしも今よりも良い時代かどうかは疑問ですが、

> 自由主義がリバイバルして、新自由主義の時代になった事を思うと、
> 次に来るのは、社会主義をリバイバルしての「新社会主義」なのか?
> はたまた、ケインズ主義をリバイバルしての「新ケインズ主義」なのか?
> 新社会主義であれば、ベーシック・インカム(BI)がキーワードになるかも知れませんし
> 新ケインズ主義であれば、現代貨幣理論(MMT)がキーワードになるかも知れません。
> まあ別に、BIも、MMTも、新自由主義でだって導入するメリットがあるのですが、
> どのシステムで導入されるかによって、その意味合いは大きく変化しそう・・・・
>
> って、リバイバル自体は別に否定しませんけど、
> それしか出てこないのは、やはり新たな発想力に乏しい時代なのか?
> それとも、私の知らない何処かで、最先端の理論が生まれていたりもするのかな?
> それこそ旧トルコ担当さんの方が、そういうのは専門なんじゃありません?


いやいや、私は全く経済については疎いですよ。
経済学部ではなく、商学部なので、大学の勉強もいかに良い経営をするのか、みたいなのが多いですし。
私が人生で一番勉強したのはオタクの歴史であって、それも本を100冊、ネット情報を同じくらい集めたというだけです。

ちなみに、管理人さんが考える「専門」ってどれくらいのレベルのことを指すのでしょうか?
もっと言えば、管理人さんって私から見ると何でも知っているように見えるのですが、実際どれくらい勉強しているのでしょうか?例えば本でいえば年何冊くらい読まれますか?

▼ オタクと純粋性

> > まあ、いい子ちゃんといいますか、世間知らずのお嬢様みたいなもんなんですよね。
> > で最近、自分があまりに純粋すぎるんだな、というのをようやく自覚するに至り、恥ずかしいなあ、と。

> でも、状況把握を欠いた善意や純粋性というのは、
> 一転すると、無責任な攻撃性にも繋がるんですよねえ・・・・
> 自分の正義を信じて疑わない人ほど、他者への危険な言動が目立つタイプは居ませんし、
> また、それこそ上述の人権カードの話のように、
> 自分の純粋性というか、心地よさを守ろうと思えば、
> 集団でバッシングする側に回るのが1番という真理もあったりします(苦笑)。
>
> 例えば、「大津いじめ自殺事件」とか、「日大アメフト問題」みたいに、
> 正義の鉄槌を振るって悦に浸る事で、加害者と見なした人々に集団リンチを行い、
> 結果的には、世間が大いなる加害者となりながら、全く自覚が無いなんて事態も生じており、
> それこそ最近なら、北京五輪に関連して、いま騒がれてるウイグルでの人権問題とかも、
> 本気でウイグル人の為を思って訴え、状況改善を最優先する人が、一体どれだけ居るのか・・・・
> この場合、「利用してやろう」と悪意をもって動く人間の方が、自覚を出来てる分だけ、
> 無自覚なまま善意で行動して「利用される」人間よりも、遥かにマシだったりします。
> 意図的な悪人は、利益の出る範囲内でしか害悪を起こしませんが、
> 無自覚な善人は、無制限に害悪を撒き散らし続けるモノですからねえ。
> もう少し解りやすく説明すると、例えば、善意からデマを拡散するようなタイプは、
> 積極的に拡散に荷担しますし、同じ過ちを何度だって繰り返す、みたいな話です。
>
> いや別に、旧トルコ担当さん自身が、そうだと言っている訳では全然無いのですが、
> もう自覚が出来ていて、恥ずかしいとも感じられる段階であるのなら、
> 「純粋すぎる」なんてコーティングは、早く剥がせた方が良いかも?みたいな話ですね。
> 逆に今の社会って、元々は判断力のある まともな人だったのに、
> ドンドンと「ネットde真実」に取り込まれていって、デマ拡散器みたいになってる人が、
> 引退した団塊世代を中心に、地味に社会問題化していたりもしますからねえ。
> 気付いたのなら、抗っていかないと、そのまま時流に押し流されちゃうかも知れませんよ。


いやあ、もうこれはヒシヒシと感じていまして、個人的に一番衝撃だったのは「宇崎ちゃん論争」の時のTwitterでした。
Twitterでフォローしている、オタクの人たちが、かなり理性的ではない方向に流れていて、自分のフォロワーでもこうなのか、と思わされました。
主張していること自体は、そこまでおかしなことではないのですが、その発信の仕方が、酷かったんですよね。
そういう意味で、嵐がもうそこまで迫ってきているのは凄く感じるんです。
トランプ旋風は決して対岸の火事ではないし、
今は宇崎ちゃん論争程度であろうとも、何かの要因でそれが別の方向に向かった時、本当にどうなってしまうのだろうか、というのはリアルなものとして感じています。

今はもうあまりTwitter見てないのですが、チラッと見る限りウクライナ情勢に関しても、あまり良い感じではないですね。
個人的には、昨年のアメリカ軍撤退後の飢えているアフガニスタンには金銭支援をしなかったのに、今になってウクライナにお金を送金するのはどうかと思っています。
まあ、どっちにも金出してない人間が言うことではないですが。

▼ 岡田斗司夫とホリエモン

> いや〜、想定していた以上に、旧トルコ担当さんのホリエモン評価が高くてビックリ!!(笑)
> ここまで認識が違うのって、2006年のライブドア事件とか、リアルタイムで知らないからですかねえ?


評価は高くないですよ。オタクなので起業家には興味ないですし、ホリエモンの実績というのはライブドア事件含め全く知りません。
個人的に好きだ、というだけです。
ホリエモン的にはこういう奴が一番いやな奴なんでしょうね。金も落とさないしw

> ハッキリ言ってしまえば、当時のホリエモンって、
> 自分が逮捕されるリスクを冒してるというか、その危険性があった事に、まるで気付いてませんでした。
> 「想定内」が口癖な彼でしたが、自分が逮捕されるなんて、まさしく「想定外」だった訳で、
> そういう意味では、「リスクを背負える男気ある人」ではなく、単純に見えてなかったんですよ。


ホリエモンってリスクに動じない人だな、と思ったのは、警察の捜査があった後、裁判が始まる前だったかの、岡田斗司夫とホリエモンの対談動画を見て抱いた感想ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=mLxhR6xeqMc&list=PLC4EAB28D3812487D

> テレビ出演が多かった時代も、同じく「こんな事も出来ないの?」って態度で、
> しかし、いざ自分がやる番になると、結局は上手くできない事も珍しくなく、
> それで居て、ちょっとシュンとしながら、多少の言い訳をして、
> そして時間が経てば、再び「こんな事も出来ないの?」って感じだったんですよね。
> でもまあ、それが意外と憎めないというか、愛嬌がある感じで、
> これは前述の「自己評価が高すぎる」という話とも絡むのですが、
> そんなズレた所が、お茶の間でも人気を得られた秘訣ではあったと思うんです(笑)。


ホリエモンがお茶の間で人気があったというのは意外。
何というか、自分だけが知っているクラスの可愛い女の子だと思っていた子が、実は結構人気だった、みたいな、勝手に裏切られた気持ちw

> 釈放後のホリエモンは、以前よりも明らかに情緒不安的な感じですし、最近では、
> マスク拒否騒動から、個人の餃子店を閉店にまで追い込んだのは、さすがに常軌を逸してます。
> (旧トルコ担当さん的には、この一連の件って どう映っているのでしょう?)


> ところで、ふと思ったのですが、「人権カード」で傷付くくらいナイーブなのに、
> こういうオタキングの人間性に関して、旧トルコ担当さんの中で、どう折り合いを着けてるんですか?
> まあ私の場合、「それはそれ、これはこれ」と分けられちゃうタイプなので、別に大丈夫ですけども。


餃子店でホリエモンがなんか炎上していたのは知っていましたが、個人の店を閉店にまで追い込んだんですね。
岡田斗司夫もホリエモンも、ひとりの人間としてはなっていないのでしょうが、個人的にはそれと関係なく好きですね。
これって結局、私自身が岡田斗司夫もホリエモンに割と近い、自分さえ良ければいい主義の人間なので、彼らのそういうところがあまり気にならないんだと思います。
もちろん、岡田斗司夫もホリエモンが正しいとは絶対に言いませんし、私自身が自分勝手な行動をしないようには気を付けているのですが、
そういった理性の部分とは別に、私の感情にはエゴイズムというのは確実に存在するので。せめて彼らのような行動には移さないよう、気を付けています。
とはいえ、エゴイズムという観点では光源氏の方が岡田斗司夫もホリエモンなどよりもはるかに自分勝手ですし。
やはり中学生の時に源氏物語を読んだというのは、色々感性がずれる要因になっているのかな?

あとまあ、私自身が自分勝手な人間だからこそ、他人も自分勝手なものだと勝手に思い込み、他人をを信用できず、
だからこそ人権のような社会システムに期待をしているという面もあるのかな?

> > そして、評価経済という方向での岡田斗司夫の主張は、
> > 「今や大企業の正社員になったとしても、将来は安泰じゃない。
> > かといって、色んな会社に転職できるスキルを持ち合わせろ、というのも万人にとっては現実的ではない。
> > だから、特別な能力がなくても、お前だったら雇ってやるよ、という人間関係を作れ」ということだと思うんですよね。

> え〜と、私の考えと似てるとは言え、やはり違うのは こういう部分なんだろうなぁ・・・・
> 自助や公助だけでなく、互助や共助を同じく想定してるとは思うのですが、
> 私のは人々が対等なのに対して、岡田案だと人同士に上下関係が出来てるんですよねえ。
> そして、「その上に鎮座するのは自分だ」という思いが、
> 自覚的か無自覚かはともかく、何とな〜くですが感じ取れてしまいますし、
> それって結局、自分を教祖とした「新興宗教のビジネス・モデル」を抱いてるのかな?とも。
> 要するに、「助け合いの精神」がテーマではなく、釣り文句であり、
> 大量のカモがネギを背負ってやってくる、岡田自身にとっての理想的な社会像とでも言いますか(苦笑)。


良く知りませんが、その辺やってるのがキングコングの西野亮廣なんですかね?
興味ないので全く把握してませんが。

▼(追記)ホワイト革命について

いちゃらぶものってご存じですか?
オタクジャンルの中で、主人公とヒロイン(あるいは同性カプ)がいちゃいちゃしているものを指して、アニメや漫画よりも同人マンガや二次創作小説などで使われる言葉なんですが、
こういうものが一定の地位を占めるのって、00年代以降のオタクの傷つきたくないという気持ちが理由であり、イコールいちゃらぶものが流行っているのはオタクジャンルの中だけだと思っていたのですが、
実は小学生の間でも人気ならしいんですよ。

『りぼん』編集部に聞く!「小学生の恋愛」は少女漫画でどう描かれてる?親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?(https://lee.hpplus.jp/column/2113728/
Q 親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?
昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
また、つき合うことへのハードルが下がっていて、“つき合った後”が描かれることが多いです。
親世代は片思いの間のすれ違いを大事にしていたので、これは大きな違い。主人公がイチャイチャしているところ、幸せそうな様子が見たい、というのが今の子どもたちの気分のようです。

ちなみに、少女小説でも00年代後半からいちゃらぶものが増え、一部では姫嫁作品などと呼ばれているようです。
特徴としては、この時期の少女小説はメインの10代読者層をラノベやケータイ小説に奪われ、高齢化が進んだ時期であるということでしょうか。
「背景には長引く不況の中で、現実につかれた社会人がロマンティックでハッピーエンドな恋愛に癒しを求めているということが考えられている」(コバルト文庫で辿る少女小説変遷史)

恋愛ものにおいても、「片思いの間のすれ違い」といった恋愛の辛い部分が描かれにくくなり、幸せないちゃいちゃのみが描かれる。
これもホワイト革命の一つだと思います。
本当にすごく面白い時代です。


[23853] 私の読書の仕方について(その1)返信 削除
2022/3/8 (火) 22:09:06 徳翁導誉

▼VRとAIについて
> 先ほどのAIの話を踏まえ、さらに思い込みの激しい話になるのですが、
> 私は本能の上に、さらに感性というのがあると思っていまして、

本能と感性では、本能の方が上なのでは?
・・・って、まあこれは、実際の脳の構造を考えた場合に、
中心部に向かうほど、理性から感性、そして本能となっていくという見方であり、
これを逆に、中核から外縁へと視点を変えると、脳の進化にも繋がるので、
これはこれで、どちらが正解とか、間違いとかでも無いのかな?(笑)
でもまあ、断面図をピラミッド構造で見立てるなら、
やはり外縁部が底辺にあたり、中核部が頂点になるとは思いますけどね。

> 例えば食でいえば、食欲とは別に、個人ごとに味の好みというのがあり、味の好みがが感性だと考えています。
> そして、そうした感性というのは、色々な要素に影響されますが、環境によって左右される要素が大きいと思うんですよね。
> で、VRやAIというのは、その環境を自由に作り出せるツールになりえ、現実世界と違った環境がVRやAIにより提供されれば、
> 自分自身の感性もかなり容易に変えられるようになるのではないか?と思っています。

まあ、VRに関しては、そうだと思いますよ。
随分前かと思いますが、「電脳ドラッグ」が云々という話をしたのも、つまりはこういう話で、
例えば、何らかの音が聞こえれば、それが画面上に色や形として反映される遊び方だとか、
第11芸術として挙げた「デジタル・アート」というのも、将来的にはこっち方向の話ですし、
もっと言うと、現状の五感というセンサーから更に拡張して、もっと感覚の数を増やしたり、
そもそも論として、脳の処理段階でいろいろ弄ろうというのは、ここから更に先の話でした。
正直な所、イメージはし難いですから、どこまで伝わってるかは不明ですけども・・・・

あと、VRで環境を変えるというのは、まだ何となく解るのですが、
「AIで環境を変える」って、具体的にどんなモノを想定されてるのでしょう?
具体例とかが無いので、旧トルコ担当さんの抱くイメージ像を、ちょっと把握しかねるんですよねえ。

> 今までもゲーム機やPCがそうした別空間を作ることを可能にしたと思うのですが、VRってその比ではないと思うんですよね。
> AIも、完全な人工知能レベルには到達せずとも、現在の人工知能のもうちょっと面白い使い方が生み出されれば、
> VRと似たような感性を変えてしまうようなツールになりえるのではないでしょうか?

え〜と、ひょっとしたら、勘違いされてるかも知れませんけど、
私は何も、理論的な話だけが楽しいのではなく、実用的な話だって好きなんですよ(笑)。
それこそAIなんて、理論的な面は勿論ありますけど、結局 最終的には道具な訳ですから、
これに関しては、「実際にどう使おう?」という話の方が、ずっと楽しいはずです!!
ですから、私自身は、そうした事を否定した事は、今まで一切ありませんし、
もっと言うと、漠然とした印象論で終わるのではなく、更に踏み込んだ実用論を語りたいんですよね。
そして、その為の土台というか、大前提として、理論的な話を振ってる所はあります。
だって、その辺りが曖昧なままだと、具体的な実用論には全く進めないと感じるので。

・・・と、何だか回りくどい言い方をしてしまいましたが、
まあ簡単に言えば、「ちょっと面白い使い方」とか、「感性を変えてしまうツール」など、
具体的にどんなモノかを、具象化させて深堀りしたいですし、
もしも可能であれば、それを実現化したいじゃないですか!って話ですね(笑)。


▼オウム事件のイメージについて
> > > オウム事件は全く勉強してないですね。
> > では逆に、予備知識が無い現段階で、オウム事件ってどんなイメージですか?
> > 多分これって、リアルタイムで知らない世代が、後から知識を得ようとすると、
> > 却って、当時の実状から懸け離れてしまう感じがするので・・・・
> > 地下鉄サリンの前までは、オウムって非常にネタ的な存在で、面白おかしく扱われてましたし、
> > 事件が起こった後も、かなり不謹慎な感じで弄られてたり、逆にヒステリックに糾弾されたり、
> > そして何より、警察もマスコミも、自分たちが犯したミスには蓋という感じで、
> > 今になってオウム事件を知ろうとすると、都合良く記憶を忘却したり、神妙ぶったりが目立ち、
> > 当時の空気感というのが、まるで伝わらないんだろうなぁ・・・という感じはしているんですよね。

> 「勉強してない」というのは本で調べたりして、積極的に学びに行っていない、という意味合いであり、
> オウムに関する情報が皆無というわけではないんですよね。
> 個人的なオウムのイメージは、小学生くらいの時に見たテレビのドキュメンタリー番組で形成されているので、
> 管理人さん的にはありきたりでつまらないものだと思いますよ。
> とはいえ、振り返ってみれば小学生のころにはオウムをネタにしたギャグを披露する同級生がいたので、
> 案外そういった雰囲気って残っているものなのかも?

事件の直後で、死者だった数多く出てるのに、
テレビで島田紳助が「ポアするぞ!」とツッコミをし、
それで芸人たちが笑うなんて映像が、普通に流れてましたからねえ。
(個人的には、テレビでやるのは駄目だろう…とは感じましたが)

でもまあ、インパクトの強いオウム関連のワードなんて、
もしも、忖度ないリアル流行語大賞でもあれば、確実に複数ランクインするくらい、
世間でもネタ的に使われていて、みんな普通にケラケラと笑ってたんですよ。
公の場所でもなければ、そこまで不謹慎って感じでもなかったですね、実際。
ちなみに私は、ネタとして発言したりはしなかったものの、
オウムが独自に行っていたラジオ放送は、たまに聴いてたりしました(苦笑)。

あとは、殺害された弁護士一家は、警察の不正資金問題も扱ってた事もあり、
警察側は全くやる気が無かったというか、
まともに事件として取り合わなかったのは、子供ながら明確に覚えてますし、
松本サリン事件では、マスコミと一緒になって、冤罪を作り出してしまった事で、
それまでは信じて疑わなかった、警察の捜査や、マスコミの報道に対して、
「人間のやる事だから、当然ミスはある」と見られるようになりましたね。
(警察もマスコミも嘘ばかりだと、真逆に振れるほどガキでもありませんでした・笑)

とは言え、その事以上に「怖いな」「駄目だな」と感じさせたのは、
こういうミスがあったのだから、今後は尚更慎重にあるべきと思っていた所に、
オウムに関する捜査や報道が、更に常軌を逸したモノとなり、
世間も、それを喝采した事に対してだったんですよね・・・・
まあマスコミは、国民から糾弾される格好で、それなりに反省を強いられたのに対して、
警察の方は、それを行うべきマスコミがこの調子なので、そこまでの反省は無く、
そして何より、冤罪事件を一緒に叩きながら、手のひら返しでマスコミや警察を批判し、
その事に全くの自制心もないまま、今度はオウムをネタにしつつも叩くという、
大人(一般国民)の無責任さというモノが、非常に愚かしく思えたのは覚えていますね。

ですが一方で、「自分たちの国を作る」という中二的な世界観を、
本当に実行してしまったオウムという存在に、同調とかは全くしなくても、
その行為自体には、かなり深い関心を抱いたのは、偽らざる本音でしたね。
ひょっとしたら、ラノベ的な世界観が受け入れられてる現在の方が、
仮に同じ事件が起こった場合、もっと大きなフィーバーを生んでいたかも?
逆説的に言えば、そうした妄想を掻き立てられた世代が、ある程度の年を重ねて、
作品として世に生み出されたモノも、公言されないだけで、意外と在るかも知れません。


▼新自由主義について
> 私的に色々考えてみた結果、私が新自由主義に肯定的なのは、
> 中学生の時に自由主義を絶対の価値としておいてしまったからだ、という結論に落ち着きました。

まあ、そういうのは仕方無いというか、結構普通に多いですよね。
価値観の変化や多層化とか、なかなか機会が得難いものですし、
それこそ今の中高生だと、「首相は安倍さんしか知らない」感じでしょうから、
そこが知らず知らずに基準となってしまい、今の岸田総理を見ても、
「何か違う」と違和感を抱いてしまいがちだと。

これは何も、今の世代だからとかは関係無く、
夫婦別姓に対して強硬に反対する戦前・戦中派の人たちも、
「夫婦同姓が当たり前」な時代に育ったから、それを絶対的に感じるだけで、
彼らの祖父母世代の頃は、まだ夫婦別姓の時代だった(東アジアは伝統的に別姓)なんて事は、
少し気にすれば気付けても、基本的には関心の範囲外ですからねえ・・・・

ハッキリ言えば、多くの人にとって、「あるべき本来の社会像」とは、
その人が10代前半だった頃の社会像が、そのまま引き写されてるモノだと思うんですよ。
でも私の場合、都会から田舎まで、転勤族として日本各地を点々とした上に、
昭和から平成に変わり、冷戦も終結して、国際化が一気に進んだた時代だった為、
価値観なんて土地や世代で様々だし、それも状況次第で一変すると感じて育ったかな?
とは言え、同世代が必ずしも同じ感覚では無いので、やはり私独自な所もあるかも。

> というのも、私自身は極端な進歩主義者で、社会をよりよくするために極端な社会改造をやれ、
> といった考え方に共感しがちなんですよね。

「20歳までに共産主義にかぶれない者は、情熱が足りないが、
 20歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は、知能が足りない」
な〜んて事を、あのチャーチルも言ったとか、言わないとか(笑)。
(引用は数多く見ても、出典は見た事がないので、真偽は不明)

> しかし、そうした過激な考えを実行に移したフランス革命やナチスドイツ、
> 文化大革命はどれも悲惨なことになっているわけで、
> だからこそ中学生くらいの時に徹底的な、それこそ社会保障制度にすら否定的なリバタリアン思想を、
> 自身の極端な社会改造思想のアンチテーゼとして持つようになったという経緯がありました。
> で、そのリバタリアンの足枷が今も外れていないからこそ、
> 新自由主義にはどうしても肯定的な見方しかできないんですよね。

まあ私の場合は、とりあえずの理想像は掲げた上で、
それを何処まで引き下げれば実現可能か?を、現実に合わせて摺り合わせていく思想かな?
そういう意味では、理想主義者でもあり、現実主義者でもあるかも知れませんね。
現実性のない理想論などは絵空事に過ぎない一方、成長性のない現実論では茹でガエルに陥ると。


▼ 私の読書の仕方について
> > > もちろん、新自由主義崩壊の過程で暴力的なことが起きる可能性は十分ありますし、
> > > ポスト新自由主義が必ずしも今よりも良い時代かどうかは疑問ですが、

> > 自由主義がリバイバルして、新自由主義の時代になった事を思うと、
> > 次に来るのは、社会主義をリバイバルしての「新社会主義」なのか?
> > はたまた、ケインズ主義をリバイバルしての「新ケインズ主義」なのか?
> > 新社会主義であれば、ベーシック・インカム(BI)がキーワードになるかも知れませんし
> > 新ケインズ主義であれば、現代貨幣理論(MMT)がキーワードになるかも知れません。
> > まあ別に、BIも、MMTも、新自由主義でだって導入するメリットがあるのですが、
> > どのシステムで導入されるかによって、その意味合いは大きく変化しそう・・・・
> > って、リバイバル自体は別に否定しませんけど、
> > それしか出てこないのは、やはり新たな発想力に乏しい時代なのか?
> > それとも、私の知らない何処かで、最先端の理論が生まれていたりもするのかな?
> > それこそ旧トルコ担当さんの方が、そういうのは専門なんじゃありません?

> いやいや、私は全く経済については疎いですよ。
> 経済学部ではなく、商学部なので、大学の勉強もいかに良い経営をするのか、みたいなのが多いですし。

何となくのイメージですが、経済学と経営学の関係は、
理学と工学の関係に近いと、個人的には考えているのですが、
工学部であっても、道具としての理学は学ぶように、
経営学部では、道具としての経済学を学ぶ事って無いんですかねえ?

そういう意図も含めての「専門」という単語だったのですが、
でもまあ、日本の経済&経営学って、理系ではなく文系扱いですし、
この辺りって、私の想像以上にバラバラに分かれてる分野なのかな?
私の中だと、マクロ経済学とミクロ経済学の間に、明確な線引きが困難なように、
ミクロ経済学と経営学の間も、明確な線引きは困難だろうと見ているので、
大きな視点から見ると、これら3つは境目無く繋がってるのかな?という印象なのですが。

> 私が人生で一番勉強したのはオタクの歴史であって、それも本を100冊、ネット情報を同じくらい集めたというだけです。
それは「勉強」ではなく、「学習」なのでは?と思いつつも、
まあ、ほとんどの人は、勉強と学習を区別してないでしょうし、
そこは別に、変に拘らなくても良いのかな?(笑)

・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?
そして、その本のタイトルとかって、伺えたりします?
面白い本があり、それは私が読んでなかったり、存在すら知らなかったりするなら、
実際に読む読まないは別として、情報として知っておきたい気持ちがあります!!(笑)
私が未だ出会えていない名著は、それこそ山のようにあると思うので。

> ちなみに、管理人さんが考える「専門」ってどれくらいのレベルのことを指すのでしょうか?
う〜ん、何となくですが、大学の「専門課程」が最低限レベルですかねえ?
高校レベルの知識では、その分野に関して、大した話は出来ないでしょうし。

> もっと言えば、管理人さんって私から見ると何でも知っているように見えるのですが、
> 実際どれくらい勉強しているのでしょうか?
> 例えば本でいえば年何冊くらい読まれますか?

「何でもは知らないわよ。知ってることだけ。」 by 羽川翼(笑)

でもまあ、本当にそんな感じですよね。
当たり前ですが、知ってる事は知っていても、知らない事は知りません。
例えば、私はペーパー・ドライバーなので、車の事は詳しくありません。
同じく、酒やタバコは嗜まないので、数々ある銘柄も疎いです。
あとは、ドラマなんて大河くらいしか見ないので、特に女優の違いが解りませんし、
ハリウッド映画も見ないので、海外の役者は顔どころか、名前すら知らない事も多いかな?
同様に、歌手とかも、ほとんど解らないですね。
この辺りの知識は、私より詳しい人が、そこら中に居ると思いますよ。

また、もっと勉強的な分野で言うと、
小説も読んでませんし、星座や神話の知識も少ないですし、植物や岩石の種類も判別できません。
と言いますか、そもそも極めた分野なんて1つもありませんので、
全ての分野において、知らない事ばかりですよ、本当に・・・・
「無知の知」などと言えば格好良く聞こえますが、自分の未熟さを恥じ入るばかりですし、
正直な所、若い頃にもっと勉強しておけば良かったと、今ではつくづく感じます。
今の時代はネットがあって良いなぁと羨む反面、格差社会というモノが広がってるようなので、
私自身はもう遅いにしても、若い人たちに何らかの協力が出来ればと、本気で考えたりもします。

って、こんな愚痴を聞きたい訳じゃないですよね(笑)。
勉強は・・・そんなに得意じゃないかな?
私の失敗が糧になった面もありますけど、
少なくとも勉強に関しては、弟の方がずっと上ですね。

でもまあ、これは何度も語ってると思いますけど、私が好きな分野って、
「スポーツ」「科学」「歴史」「文化(アート)」の4つなので、
これをいろいろと組み合わせると、結構広い範囲をカバー出来てる面はあるかな?
とは言え、「オタク関連の本を100冊」とか、そんなに手広くは読めてませんよ。
1つの分野に関してだと、精々5冊とか、多くても10冊とか。
とは言え、異なる人が書いた同じ題材の新書を2〜3冊読み比べたり、
名著とされる専門書を、1冊でもキチンと読み切れば、
もうそれだけで、そこそこ詳しくなれる気はするんですけどねえ。
(ただし、この程度では「専門」だなんて、とても称せませんが)

それこそ日本の大学生なんて、まともに勉強する人など一握りでしょうし、
現役の大学生であれば、大学図書館で各分野の専門書を借りたい放題ですから、
様々な学部や学科の平均レベルくらいは、いろいろと拾得出来るのでは?
折角 高い授業料を払ってるんですし、使い潰して元を取るくらいじゃないと、損ですよ(笑)。
今更ながらに、私自身は「損したなぁ」と後悔してますので。

あとは・・・読んだ本の冊数とかは、そこまで多くないですよ。
そもそも私の場合、小中学生の頃に読んだ本なんて、片手でお釣り来ますし、
本を読む習慣が身に付いていなかったので、今でも読むのが非常に遅いんです・・・・
速読術などというのは、理解力が伴わなければ、ただの曲芸だと思ってますけど、
せめてもう少し、読む速度が速ければ、もっと多くの本を読めるかな?とは思います。
単純にスピードが遅いだけで、別に熟読してるって訳では無いので。
とは言え、本の文章と対話しながら読む事はあるので、そういう時は仕方無いかな?

まあ、具体的に冊数を述べるとすれば、
私が「読書モード」と読んでるタイミングにハマった時は、
週に3〜4冊読んだりしますけど、基本的には月に1〜2冊って所ですかねえ?
つまりは年単位でいうと、20冊行くか行かないかくらいだと思いますよ。
出来る事なら週1冊で年に50冊、理想を言えば週3冊で年に150冊くらい行きたい所ですが、
実際は こんな感じなので、読みたい本は数多いものの、なかなか手を付けられません。
ですから、個人的に、読書で心掛けている事と言えば、
出来るだけ良い本を引き当てる確率を上げる事でしょうか?
詰まる所、読書というのは、「何冊読んだか?」という数の事よりも、
「どれだけ情報を得られたか?」という量の方が重要だと思うので、
時間と気力と財力があれば、手当たり次第に読んでみるのも良いでしょうけど、
現実的に、それが限られるなら、可能な限り効率良く成果を上げたいと(笑)。

要するに、野球に例えると(今は野球に例えるのは時代遅れかな?・苦笑)、
とにかく「打席数」を稼ぎ、何でもかんでも振り回すのではなく、
じっくりとボールを見極めて、少ない打席数でも、ヒットを増やす「打率」を気にして、
その上で、同じヒットなら、単打よりも「長打」、そして「ホームラン」が良いと、
ホームラン級の名著を探すって感じですかねえ?
とは言え、いきなりホームランを狙うのは困難な事がほとんどなので、
その場合は、ヒット→2塁打→3塁打→ホームランと、順を追ってくべきでしょう。
って、こんな話をすると、「量より質」という話をしてると思われるかも知れませんが、
実際は、量も質も大事というか、もっと言えば「量×質」ですよね。
野球の例えを続ければ、結果的に「何点取れたか?」が重要という事です。
ですから、1万打席で100得点するのと、100打席で80得点するのとでは、
効率の問題さえ置くとすれば、1万打席でも100得点できる方が上です。
まあ理想は、出来るだけ得点する為に、出来るだけ打席に立つのが正解かな?

それと、以前の私は、「読む本は買うべきである」という思想でしたが、
それだと資金が飛んでくだけでなく、置き場所にも困るようになりますし、
それに何より、試し読みも含めて、手を出せる範囲が非常に狭くなる為、
神保町などで長年探していた絶版本が、近くの図書館に収蔵されてたのを知った機に、
気になる本は、とりあえず借りてみる路線に変更しましたね。
丁度その頃、動画作りを始めた事もあって、
手当たり次第に参考文献を調べる上で、非常に助かりました。
また、買ったら「いつでも読める」が、結果的に「いつになっても読まない」となりがちな為、
2週間という返却期限がある事は、「期間内に読まなきゃ」と動機付けるのに役立ってます(笑)。

そして、私自身の読み方として、1つオススメなのが、
全く異なる分野の本を、同時進行で3冊読むってスタンスですね。
まあ正直、常にそうやって読んでる訳では無く、基本的に読書モードの時ですけど、
こうやって読むと、知識が立体的に構築されるというか、
異なる分野同士の知識でも、脳内で上手くリンクが張られる感じがあるんですよね。
また、一気に読むと、情報が脳内で整理できなかったりするので、
1冊当たり50〜100ページ程度、それを気分転換の意味も兼ねて3冊、読んでく感じかな?
1冊を1日2日で読み上げてしまうと、意外と記憶に残りませんから、
知識の咀嚼じゃないですけど、少しずつ味わって消化した方が、結果的には良い気がします。
また、難しい専門書であれば、それこそ1日10ページずつでも良いでしょうし、
本当に良い本に関しては、やはり購入した方が良いかも知れませんね。

それに、異なる分野の本を同時進行する事で、更に異なる分野へと関心が向く機会が増え、
次の週には、そうして気になった3分野の本を、再び手にするって感じで繰り返せば、
知識的にカバーできる範囲が、かなり広がるような気はしますね。
通常、人間の発想力というのは、ゼロから生み出すなんて実際は皆無で、
何かを観察した上で、そこに新たなモノを付け加えたり、別の場所に植え替えたり、
異なる2種を組み合わせたりなど、知識の園芸というか、品種改良に近い感覚があります。
あとは、私自身は抵抗感があって出来ないのですが、本に適切な書き込みを入れるのは良いでしょうし、
今更なので行っていませんが、読んだ本をデータとしてまとめ、その本の基本情報は勿論、
個人的な採点や、抱いた疑問、気に入った箇所、思った感想などを、書き込んだノート作りも良さそう。
と、大体こんな所ですかね、私の読書法としては。


▼ オタクと純粋性
> > > まあ、いい子ちゃんといいますか、世間知らずのお嬢様みたいなもんなんですよね。
> > > で最近、自分があまりに純粋すぎるんだな、というのをようやく自覚するに至り、恥ずかしいなあ、と。

> > でも、状況把握を欠いた善意や純粋性というのは、
> > 一転すると、無責任な攻撃性にも繋がるんですよねえ・・・・
> > 自分の正義を信じて疑わない人ほど、他者への危険な言動が目立つタイプは居ませんし、
> > また、それこそ上述の人権カードの話のように、
> > 自分の純粋性というか、心地よさを守ろうと思えば、
> > 集団でバッシングする側に回るのが1番という真理もあったりします(苦笑)。

> いやあ、もうこれはヒシヒシと感じていまして、個人的に一番衝撃だったのは「宇崎ちゃん論争」の時のTwitterでした。
> Twitterでフォローしている、オタクの人たちが、かなり理性的ではない方向に流れていて、自分のフォロワーでもこうなのか、と思わされました。
> 主張していること自体は、そこまでおかしなことではないのですが、その発信の仕方が、酷かったんですよね。
> そういう意味で、嵐がもうそこまで迫ってきているのは凄く感じるんです。

宇崎ちゃん論争ですか〜、そんな騒動もありましたねえ(笑)。
まあ正直な所、私自身の意見としては、
どれだけオタク文化が「市民権を得た」とは言われていても、
それはあくまで、人口の数%だった存在が、1割2割になった程度の話であり、
基本的には、そうじゃない人口の方が、圧倒的に多数派なのですからねえ。

ですから、身内でのノリと、社会でのノリは、当然ながら使い分けるべきだと考えてますし、
それはオタク文化に限らず、全ての分野において、共通で言える事だと思いますけど、
どうも、その辺りの線引き感覚が鈍いと、やはりトラブルは生じがちですよね。
宇崎ちゃんの献血ポスターに関しては、微妙な所かな?と感じますけど、
同時期にあった、ストパンの自衛官募集ポスターの件は・・・自重しろよと素直に感じました(苦笑)。

何だか近年、公的機関や大手企業の広報活動で、
「よくは知らないけど、何だか人気あるんでしょ?」という軽い感じや、
「お堅く見えて、意外と柔軟だよ」という空気の読めてない悪ノリが、
頻繁に見受けられるようになり、正直な所、
「プロなら、プロの仕事をしろよ!」と思う事が増えましたね。
個人的に作品が好きな事と、それが社会的題材として用いるのに適当か否かは、全くの別問題ですし。

> トランプ旋風は決して対岸の火事ではないし、
> 今は宇崎ちゃん論争程度であろうとも、何かの要因でそれが別の方向に向かった時、
> 本当にどうなってしまうのだろうか、というのはリアルなものとして感じています。

これは、「社会の不寛容化」という事ですかねえ?
う〜ん、そうした昨今の風潮は私も、少なからず感じ取ってますね。
社会学者によると、こうした傾向は2010年代後半から強まり、
それは日本だけでなく、世界的にも見られる傾向であって、
その主要因となっているのが、SNSの利用だ・・・って感じの話でした。

まあ確かに、SNSって自然と、自分と同意見な人同士が繋がっていきますし、
そういう仕組みである事を意識しないと、それが あたかも「全て」であるかのように誤解し、
更には、1人1人の顔が見えないまま、多数で特定の人物を集中攻撃するのにも長けている為、
無自覚で無責任に、集団リンチに参加しやすい構造になっちゃってるんですよね・・・・

で、これはクダらぬ持論なのですが、だから時代劇が衰退したのかな?と(笑)。
だって、作り物の勧善懲悪劇を見て、スカッとするなんて事をしなくても、
こうしたネット上での集団リンチって、誰もが簡単に勧善懲悪劇の参加者になれ、
単なる視聴者とは異なる、ずっと大きな快感を得られるので、
日夜ターゲットを探してバッシングする行為が、知らず知らずに娯楽化してる気がするんです。

ネットが普及し始めた頃、これは世界の多様性を体感できる、夢の道具だったはずなのに、
それが普及しきった事で、却って不寛容化を促進させる道具に変化するとは、
皮肉な話だと思う反面、人間社会の本性というのは、所詮そんなモノかな?という思いも・・・・
理想論と現実は逆で、オープンなほど人の心は疲れますし、クローズなほど人の心は安まるので。

> 今はもうあまりTwitter見てないのですが、チラッと見る限りウクライナ情勢に関しても、あまり良い感じではないですね。
> 個人的には、昨年のアメリカ軍撤退後の飢えているアフガニスタンには金銭支援をしなかったのに、
> 今になってウクライナにお金を送金するのはどうかと思っています。
> まあ、どっちにも金出してない人間が言うことではないですが。

ウクライナ戦争の話は、既に別のスレッド内で行われてますし、
こちらでも話したら長くなっちゃうので、ここでは止めておきますね(笑)。
などと言いつつ、少しだけ語ると、今のウクライナが本当に欲しいのって、
資金などよりも武器や食料であり、それ以上に欲しいのが援軍でしょうけど。

そして、アフガニスタンに関して言うと、「タリバン関係者は全て悪」として、
一介の役人とかまで、全て切り捨ててしまえば、そりゃ行政組織として回りませんよ。
そこに大金を投じ、軍事力でバックアップして、何とか体裁だけ整えていても、
現地の協力者だって、将来的な身の安全を考え、とにかく蓄財できるだけ貯めたいのが人情ですし、
そんな状況では、政治腐敗が常態化して、資金を投じた分だけ妬みや嫉みが生じる構図となり、
そうして米軍が引くとなれば、実際に引く前から、アッと言う間に崩れてしまったと・・・・
まあ、そもそもが砂上の楼閣だったので、予想通りと言えば、そうなのですが。
ちなみにタリバン政権に関しては、日本語の情報源としては珍しく、
そちら目線から書かれた本が、半年前に出てますので、ちょっと紹介しておきますね。
正直、ちょっと美化し過ぎな印象は受けましたが、視野を広げるのに、読んでおいて損は無いかも?

「タリバン 復権の真実」
https://www.amazon.co.jp/dp/4584126119/


▼ 岡田斗司夫とホリエモン
> > いや〜、想定していた以上に、旧トルコ担当さんのホリエモン評価が高くてビックリ!!(笑)
> > ここまで認識が違うのって、2006年のライブドア事件とか、リアルタイムで知らないからですかねえ?

> 評価は高くないですよ。オタクなので起業家には興味ないですし、
> ホリエモンの実績というのはライブドア事件含め全く知りません。
> 個人的に好きだ、というだけです。

ちなみに、私がサイト立ち上げ時に、初めて使ったAAAcafeサーバーは、
その後、ホリエモンのlivedoorに買収され、しかも直後に逮捕劇があった事で、
絶賛放置→サービス終了となり、サーバー移転を余儀なくされましたね(苦笑)。
いや別に、ホリエモンを恨んでるとかは無いんですけど、
微々たるモノですが、私もあの事件に巻き込まれた1人だったと言えるかも(笑)。

> > ハッキリ言ってしまえば、当時のホリエモンって、
> > 自分が逮捕されるリスクを冒してるというか、その危険性があった事に、まるで気付いてませんでした。
> > 「想定内」が口癖な彼でしたが、自分が逮捕されるなんて、まさしく「想定外」だった訳で、
> > そういう意味では、「リスクを背負える男気ある人」ではなく、単純に見えてなかったんですよ。

> ホリエモンってリスクに動じない人だな、と思ったのは、警察の捜査があった後、裁判が始まる前だったかの、
> 岡田斗司夫とホリエモンの対談動画を見て抱いた感想ですね。
> https://www.youtube.com/watch?v=mLxhR6xeqMc&list=PLC4EAB28D3812487D

動画には「2010/5/12」とあるので、一審・二審は既に終わっていて、
最高裁判決が出て、実際に収監される事となる、ちょうど1年前の頃ですね。
そういう意味では、往時の無鉄砲さは影を潜めたものの、
疑心暗鬼というか、羮に懲りて膾を吹くようになったのは、この動画から更に3年後ですね。
そういう意味では、ライブドア事件(2006年)以前のホリエモンの動画があれば、
これ以上に自信満々なホリエモンの姿を拝めるかも?(笑)

> > でもまあ、それが意外と憎めないというか、愛嬌がある感じで、
> > これは前述の「自己評価が高すぎる」という話とも絡むのですが、
> > そんなズレた所が、お茶の間でも人気を得られた秘訣ではあったと思うんです(笑)。

> ホリエモンがお茶の間で人気があったというのは意外。
> 何というか、自分だけが知っているクラスの可愛い女の子だと思っていた子が、
> 実は結構人気だった、みたいな、勝手に裏切られた気持ちw

ホリエモンが和田アキ子と、ゴールデンにクイズ番組をやってたと聞いたら、
今までのイメージが変わっちゃいますかねえ?(笑)

ホリエモンって天然系な所があり、弄ると結構面白いタイプなのですが、
天然であるが故に 当人にその自覚はなく、プライドも高いので弄り難い人でもあり、
そこを、芸能界のドンである和田アキ子が、上手いことホリエモンを弄る事で、
ヒルズ族の嫌なイメージとは異なる一面が引き出され、その人間味は悪く映らなかったかと。
そして、そんなホリエモンの可愛らしさを、和田アキ子は気に入ってましたし、
逮捕後、皆が手のひらを返す中、何だかんだで気に掛けており、
保釈後にも声を掛けたという話を聞くと、そうした人情家な側面が結果的に、
浮き沈みの激しい芸能界において、和田アキ子を「ドン」と呼ばれるまでにしたのかな?と。

もっと言うと、もしも あのまま逮捕されず、
和田アキ子の下で、良い意味でトゲが抜けて丸みを帯びていたら、
ホリエモンも、もっと違う姿を見られたかも?と思うと、ちょっと残念かな。
それこそ、ひろゆきなんかも、自身に子供が生まれて、丸くなった事で、
2ch時代を知らない若者層から、人気を得るようになった気がしますし。
(逆に言うと、当時のイメージのままな人は、あまり良いイメージは持って無さそう・笑)

> > 釈放後のホリエモンは、以前よりも明らかに情緒不安的な感じですし、最近では、
> > マスク拒否騒動から、個人の餃子店を閉店にまで追い込んだのは、さすがに常軌を逸してます。
> > (旧トルコ担当さん的には、この一連の件って どう映っているのでしょう?)

> 餃子店でホリエモンがなんか炎上していたのは知っていましたが、個人の店を閉店にまで追い込んだんですね。

まあホリエモン的には、最初にトラブったのは本人ではなくマネージャーであり、
彼は彼なりの男気で、マネージャーを守ろうとした側面はあるのでしょうし、
その後、店へ数々の迷惑行為をしたのも、本人では無いのも事実です。
しかし店主の側からすれば、ここまで騒動を大きくしたのはホリエモン自身であり、
そういう意味では、「自分には責任が無い」とするホリエモンの態度は、決して褒められません。
その上、ひろゆきが支援した事で、通販や無人販売での再出発が上手く行くと、
「利用された、ハメられた」と逆恨みし出し、陰謀論まで唱え始めたのは・・・ガチで引きました。

> 岡田斗司夫もホリエモンも、ひとりの人間としてはなっていないのでしょうが、個人的にはそれと関係なく好きですね。
> これって結局、私自身が岡田斗司夫もホリエモンに割と近い、
> 自分さえ良ければいい主義の人間なので、彼らのそういうところがあまり気にならないんだと思います。
> もちろん、岡田斗司夫もホリエモンが正しいとは絶対に言いませんし、
> 私自身が自分勝手な行動をしないようには気を付けているのですが、
> そういった理性の部分とは別に、私の感情にはエゴイズムというのは確実に存在するので。
> せめて彼らのような行動には移さないよう、気を付けています。

でもまあ、それぐらい際立ったエゴイズムがあればこそ、
人とは違う事が出来るという面はあるので、それはそれで社会の重要な1ピースですよね。
身近に居られたら、きっと迷惑な存在なのでしょうけど(笑)、
遠い場所にいて、そんな彼らの成果を得られるのなら、決して悪い話では無いと。

> とはいえ、エゴイズムという観点では光源氏の方が岡田斗司夫もホリエモンなどよりもはるかに自分勝手ですし。
> やはり中学生の時に源氏物語を読んだというのは、色々感性がずれる要因になっているのかな?

一昔前の不良文化が全盛だった学校文化とかでさえ、
当時は普通の事でも、今の感覚では異常な事って多いでしょうし、
それが1000年前の価値観となれば、今とは大違いで当然でしょうね(笑)。

> > ところで、ふと思ったのですが、「人権カード」で傷付くくらいナイーブなのに、
> > こういうオタキングの人間性に関して、旧トルコ担当さんの中で、どう折り合いを着けてるんですか?

> あとまあ、私自身が自分勝手な人間だからこそ、他人も自分勝手なものだと勝手に思い込み、他人をを信用できず、
> だからこそ人権のような社会システムに期待をしているという面もあるのかな?

となると、見ず知らずの人たちまで想定した「みんなの人権」と言うよりは、
何よりも「俺自身の人権」を守ってくれ!って感じなんですかねえ?(笑)

> > え〜と、私の考えと似てるとは言え、やはり違うのは こういう部分なんだろうなぁ・・・・
> > 自助や公助だけでなく、互助や共助を同じく想定してるとは思うのですが、
> > 私のは人々が対等なのに対して、岡田案だと人同士に上下関係が出来てるんですよねえ。
> > そして、「その上に鎮座するのは自分だ」という思いが、
> > 自覚的か無自覚かはともかく、何とな〜くですが感じ取れてしまいますし、
> > それって結局、自分を教祖とした「新興宗教のビジネス・モデル」を抱いてるのかな?とも。
> > 要するに、「助け合いの精神」がテーマではなく、釣り文句であり、
> > 大量のカモがネギを背負ってやってくる、岡田自身にとっての理想的な社会像とでも言いますか(苦笑)。

> 良く知りませんが、その辺やってるのがキングコングの西野亮廣なんですかね?
> 興味ないので全く把握してませんが。

「信者ビジネス」という意味では、キンコン西野とかは確実にそうですね。
ゴッドタンで西野が見せる、劇団ひとりとの絡みとかは、最高に面白いとは思うのですが、
でもこれも、劇団ひとりが居ればこそと考えれば、やはり芸人的には実力不足だったのかな?
とは言え、芸人として、そこそこであろうとも人気が得られる人って、
世間的に見れば、途轍もなく優秀なタイプですし、だからこそ上手く行っている面もあり、
信者ビジネスと言うと聞こえは悪いですが、「一緒に夢を見させる商売」だと捉えれば、
アイドルとか、プロ・スポーツとかとも、ある意味では同じ土俵なのかも知れませんよね。
ある意味、オリラジ中田とかに比べると、内容的には薄い為、却って宗教的に見えるとか。

ちなみに、昨今の信者ビジネスのメイン舞台が「オンライン・サロン」なのだとしたら、
それを日本で最初に始めたのが岡田斗司夫であり、最初に活かしたのがキンコン西野だと考えれば、
この2人は似ているとも言えますし、違うとも言えるのかな?
まあ結局は、どういった視点から見るか?ですよね。
そして、一見すると、より宗教的に映るのはキンコン西野の方なのでしょうが、
彼はあくまでも道具として、それを用いてるだけであり、
その道具を作った人間の方が、目立ちはしないものの、その特性を熟知していると捉えると、
却って岡田斗司夫の方が、皮を剥いた内側の部分では、真に宗教的なのかも知れません。

と言いますか、あの後、YouTubeの切り抜き動画だったと思いますけど、
「もしも自分が今20代なら、庵野たちと一緒に、アニメじゃなくて新興宗教を作る」とか、
「自分の母親は、新興宗教ビジネスで神様をやってて、自分たちも儀式に付き合わされた」
などという話を、岡田本人が語っているのを見た事で、
根拠の無い漠然としたイメージでしかなかったモノが、裏打ちされた気分になりました(笑)。


[23866] 私の読書の仕方について(その2)返信 削除
2022/3/15 (火) 21:56:28 徳翁導誉

スレッドが分岐すると返信しにくいかと思い、場所を変更して再投稿。
ついでに、追記箇所への返信も追加しました。

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> 20日までは五輪観戦モードとのことですが、書けたので投稿しておきます。
> 返信をせかす意図はありません。

あれっ・・・すみません。
五輪期間中だった為かも知れませんが、完全に返信を見落としてました!
意図的に遅くなったのではなく、単純に今まで気付いておらず、
「AIについて等」の返信が付いた事で、初めて気が付いた次第です。

> 個人的なことなのですが、今の文章量ですとどうにも返信に時間がかかるため、
> 話題ごとに時間かけて少しづつ返信することにします。
> 今までは、夜中にその場の勢いで返信を書いてしまうことが多く、それが色々良くなかったと思うので、
> 返信量を削減する分、時間をかけて、しっかり考えた文章で返信していきたいと思います。

申し訳ありません(笑)。
以前ならもっと、読む人の負担を考え、返信文を削ってたのですが、
もう最近は、その作業すら面倒臭くなって、無編集に書き殴ってます。
そういう意味では、私の方こそ、その場の勢いで書いてる感じですね。


▼ 俺ガイルについて
> 管理人さんの感想を読んで正直に思ったことを書けば、「おんなじ作品を見たのに、こうも違うのか」でした。
> 今までの話は、経済にしてもオタク話にしても、持っている情報に違いがあるという前提だったため、
> 管理人さんと意見がズレても当たり前だと思っていましたが、
> 全く同じ作品を見てこうも見え方が違ってくるのか、というのは衝撃的でした。

う〜ん、この際だから、旧トルコ担当さんの為にも、ハッキリ言っておいた方が良いのかな?
そもそも論として、その「前提」自体に間違っているので、話が噛み合わない事が多々あるのに、
それを自覚できていない為に、同じ事が何度も繰り返されるって印象なんですよね、私からすると。

もう少し解りやすく説明すると、人はそれぞれ独自の視点を持っているモノであり、
同じ状況下でも、AさんにはAの、BさんにはBの、CさんにはCのモノの見え方の違いがあるんです。
ですから普通は、「自分的には こうだ」という認識はあるにしても、
「あの人的には ああだろうし、この人的には こうだろうな」という想定を行うものなのですが、
どうも旧トルコ担当さんの場合は、「自分的には こうだ」に続いて、
「だから、あの人も、この人も、そうだろう」と、ついつい見てしまいがちな傾向が見受けられます。
恐らく本人的には、「いや、そんな事はないよ!」って感じだとは思いますが、
これはもう、20年以上サイトを続けてきて、多くの人達と触れ合ってきた上での、私なりの実感ですね。

情報量が違うから、ズレが生じるんじゃないんです。
人間なんて個々に別々なのですから、最初からズレがあるのが当たり前であり、
その上で、ズレとは立ち位置(視点)の違いによって生じるモノである以上、
自分側の立ち位置と、相手側の立ち位置を、キチンと把握出来ていれば、
客観的な距離や状況の違いを認識できて、近付けずとも、溝の方は埋められるんです。
ですが、そこを把握出来ずに、相手も自分と同じ立ち位置だと思い込んだまま、話を進めると、
相手との距離感も取れず、溝も埋まらず、ズレているの何でだろう?と陥る事になり、
更には、立ち位置が異なるという、平面的な違いだと認識できずに、
自分基準の立ち位置を前提に、高さの違いだと誤解しがちになる気がするんですよね。

でもまあ、実を言えば、こういう人って結構多いです。
もしかしたら、世の中の大半の人は、そうなのかも知れません。
そして旧トルコ担当さんが、元々の性格タイプ的に そうなのか?
はたまた、大人への成長過程だから そうなのか?
その辺りは解りませんけど、とりあえず、自覚や納得は出来ないかも知れませんが、
「そういう指摘を受けた」という事は、覚えておいて損は無いかと思います。
人間なんて、誰もが問題や欠点を抱えているモノで、それをなかなか自分では気付けませんが、
何らかのトラブルが生じた際、「もしかしたら自分に原因が?」と疑えるか否かで、
その解決能力というのは、そうでない人とは天と地ほどの開きが生じると思うので!!
これは何も、自虐的であるという事ではなく、視野を広く持とうという事ですね。

> > それでは具体的に、この新しい層とは何かとなると、
> > 「1人で居る事を見られるのが苦痛な人たち」とでも言えば良いのでしょうか?
> > 適切では無いかも知れませんが、もっと解りやすい表現を用いるなら、
> > 「便所メシをするような人たち」の登場って事ですね。

> これですが、
> まず明確に、主人公及び俺ガイルを支持している層(私を含め)は、
> 便所飯をする層、する可能性のある層とは明確に違いますよ。
>   (中略)
> こういった感覚が一切伝わらないのって、世代差はやはり大きいんですね。

あ〜、やはり こういう受け取り方になったかぁ・・・・
「便所メシ」という単語が、負のパワーワードとして強すぎる為、
話の内容よりも、そちらの強烈なイメージに引っ張られる危険性は、正直感じてましたけども、
時代が変わっても変わらないモノと、その時代ならではのモノと、その時代から始まったモノの差が、
客観的&俯瞰的に見ていかないと、なかなか理解は出来ないだろうと思ったので、
その辺りの回りくどい説明は省き、理解しやすい単語を敢えて用いたのですが・・・うん、
まあ、そうなっちゃいますよね(苦笑)。

まあ、この部分に関しては、作品自体の本題から逸れる話題でしたし、
私自身の「オタク史観」的な視点から話なので、
あまりキチンと伝えるつもりで書いてない(要するに詳しくは説明してない)文章なので、
その点に関しては、確かに言葉足らずなので、申し訳なかったと、今更ながらに感じます。
私としては、「便所メシ」自体をどうこう言っているのではなく、
あの当時の時代性を象徴する1つのワードとして、それを用いたのであり、
何よりも言いたかったのは、「歌は世につれ 世は歌につれ」などという言葉が示すように、
その作品がヒットした理由の背景にある、社会的な「時勢」の話なんですよね。

う〜ん、正直に言うと、これって普通に作品を楽しむ感覚とは違って、
もっとメタ的に見ちゃってる感覚なので、一般的な視点からだと意味不明な自覚はありますし、
これが正しい楽しみ方だとは、私自身も全く思ってはいないんです。
ですから、「世代差」とか、「感覚が伝わらない」とか言うのとも、ちょっと違う気がして、
恐らく、旧トルコ担当さんが想定されている以上には、理解できてると思うんですよ。
その上で、個別の実例としてではなく、いろいろ並べて全体の傾向を見ている感じで、
言うなれば、「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字に過ぎない」というのに近く、
統計的に語ってるからと言って、別に1人1人の死を悲しまない人間という訳では無いんです。
それと一点、旧トルコ担当さんも、私の発言の主旨を理解できていないよ、という事だけは、
最後にキチンと伝えておこうかとは思います。
理解の方はともなく、誤解されたままだと あれなので(笑)。

> 小中学生ならともかく、高校生にもなれば、一人で居る事を見られること程度には慣れきってしまうんですよね。
> そして、上手い関係を作れないからどのグループにも属さないというよりも、
> 面倒だからどのグループにも属さない、というのがボッチの心理ですね。

これなんて、まさに端的な例なのかな?
では、なぜ「面倒」と感じるんでしょう?
それは小中学生の頃から? もしくは幼稚園児の頃から、既にそうだったのでしょうか?
もちろん、中には そういう人も居るでしょうけど、ほとんどは そうじゃないでしょうし、
人間関係なんて、そもそも面倒くさいのが大前提であり、
その上で、人間は群れを作って暮らす生物だからこそ、自然とグループを作る訳で、
それを「面倒」なんて理由付けをしている時点で、既に「上手い関係を作れない」状態だと思いますよ。

> まさか管理人さんがアニメ全部見るとは思っていなかったので、
その想定が、そもそも甘いです(笑)。

> では、俺ガイルがどうリアルなのか、ということなのですが、
> 何回か書いてみたのですが、なかなか伝えるのが難しいので、少なくとも今回は待ってください。
> もしかしたら、次回以降、書けるかもしれません。

はい、では、待ってます(笑)。

でもまあ、個人的には結局、その時代の「等身大」を描く事で、
それを「リアルタイム」に触れた思春期世代が、「これは俺達の物語だ!」と感じたというのが、
「リアルさ」の正体だろうとは思いますけどね。

> 小説とアニメで終わり方が違うことはありませんし、
> あの終わり方はやはり「ずっと一緒エンド」だと私は思っています。

リアルがどうこうという話になったので、脱線気味になったかも知れませんが、
作品的に言えば、私もそうだと思いますよ。

> > 例えば、1期の文化祭での屋上シーンとか(原作だと6巻に相当?)、
> > 一見キツそうですが、実は爽快感の得られる作りで、その意図が見えてると激甘に感じ、
> > 「単なる快楽以上のもの」どころか、「快楽以外の何物でもない」ように映りました。

> 屋上シーンの解釈も、私から言わせれば、表面しか見てない気がします。

抽象的な話に終始していても何ですから、試しに、
具体的な話として、ここを深堀りしてみましょうか?(笑)
ちなみに旧トルコ担当さん的には、あの屋上シーンって、どのように映っているのでしょう?

> > それに、「ifルートの想定自体が難しい」との事でしたけど、想定ルートは結構あった気が!?
> ifルートの話って、俺ガイルはifルートを作者が書いてるんだよね、って話から始まってませんでしたっけ?
> 俺ガイルはifルートあるけど、他のラノベとかではifルートの想定って難しいよね、という話だったと思います。

あ〜、なるほど、そうですね。
「他のラノベじゃ難しいけど、俺ガイルは特別」って話でしたっけ。
すみません、何だか途中で、その辺りの話がゴッチャになってました(笑)。
でもまあ、他のラノベでも可能な感じは、私はしちゃうんですけどね。


▼ 校園四覇について
> > という事で、ちょっと調べてみた所・・・なんと中国オタク界隈では、
> > 「校園四覇」なんて括り↓で呼ばれてるみたいです!?(笑)
> > http://i2.hdslb.com/bfs/archive/00febf8e0edee2d0af707970d38c7cb23d057355.jpg
> >  【自爆】 比企谷八幡 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」
> >  【節能】 折木奉太郎 「氷菓」
> >  【騒話】 梓川咲太  「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」
> >  【無情】 綾小路清隆 「ようこそ実力至上主義の教室へ」
> > あと余談ながら、旧トルコ担当さんは、この校園四覇は制覇されてます?
> > と言いますか、この4人の括りって、実際的確に映りますでしょうか?

> 俺ガイル、よう実は読んでいましたが、氷菓と青ブタは見てないなと思い、書店で買ってきたのですが、

おっ!?
中国経由という思わぬルートから、旧トルコ担当さんの範囲が広がりましたか(笑)。
個人的に、こういう繋がりみたいなのって、凄く好きなんですよね!!

> そして、校園四覇は人気作品をまとめたというより、主人公のダメさ加減を茶化している感じだと思いますよ。
> 「トラウマを作らない」ことが目標にもかかわらず、「自爆」してトラウマを作る比企谷八幡に、
> 自分を好きになってくれた女の子を退学に追い込む「無情」な綾小路清隆。
> このあだ名は結構笑えました。

それは良かったです(笑)。
「自爆」と「無情」が、2打数2安打でヒットしたならば、
「節能」や「騒話」の方も、同じくヒットするかも知れませんね。
と言うか、「退学に追い込む」って、よう実って、そんなストーリーなんですか?

> ただ一方で、中国の若者が俺ガイルを評価しているのか、というのは正直怪しいと思います。
> 青春ファンタジーをやっている、普通の青春系オタクコンテンツが中国で受容されるのは分かるのですが、
> 俺ガイルって現代の日本の学校文化の中でしか通用しない、非常に特殊な作品だと思うので、
> 特に経済が成長している中国では通用しなさそうなイメージ。
> 経済が成長していれば、モテるモテないも、容姿より学歴がもっと関わってきそうですし。

う〜ん、その辺りの事は、日本ならではの特殊性、中国ならでは特殊性、
そして日中で通ずる普遍性を、それぞれ把握出来てない限り、
ちょっと断言は出来ないでしょうねえ・・・・
私が抱く中国のイメージと、旧トルコ担当さんが抱く中国のイメージでも、
結構違いそうな感じは ありますので。

> もっと言えば、大人社会に肯定的なイメージが無いからこそ、
> 高校生=人生で最も輝いている時期、という図式が成立するわけであり、
> 高校生=人生で最も輝いている時期、という図式が成立するからこそ、
> その高校時代に青春出来ない=負け組、という俺ガイルの語られすらしない根本原理が成立するので。

この図式が、「日本だけ」とか、「今の時代だけ」と思われているのであれば、
それはちょっと、認識が間違ってるかな?という気はしますね。
これって恐らく、現代社会においては、かなりの普遍性をもつ図式ですよ。

> もちろん、俺ガイルはモテが全てだ、という価値観の作品ではありませんが(むしろ友情の方がテーマ)、
友情・・・って、男同士の方ですか?
それとも、男女間での方ですか?
もちろん、そういった描写はあったと思いますけど、
「友情の方がテーマ」な作品かと言われると・・・そういう印象は受けなかったかな?
具体的には、どのようなシーンが、それに当たると思われます?

> 高校でどんな負け組であろうと、そんなものが可愛いくらいの超超経済格差社会の中国においては、
> 高校出た後に勝ち組になれるかの方が重要でしょうし、そういう世界で俺ガイルって共感されるのでしょうか?

では、その超超経済格差社会って、どのように選抜されるのでしょうねえ?
勿体ぶった言い方を止めれば、そんな逆転劇、日本以上に起こらない社会ですよ!!
中国が超x2経済格差社会だとすれば、それ以前に超x3学歴社会ですし、
更には超x4地域格差社会であり、究極的に超x5階級格差社会なのが実状です。

そして、そうした中国社会の中で、日本のオタク文化を楽しんでる層というのは、
今現在は ちょっと解りませんけど、少なくとも5年10年前くらいまでは、
一握りの勝ち組中の勝ち組な大学生か、そこを目指す勝つ組の高校生に限られており、
その勝ち組の中での負け組・・・というか、受験勉強が今の日本以上に苛烈過ぎて、
「青春出来ない=負け組」であるなら、大部分の受験生がそうだという感じでしたからねえ・・・・
逆に言えば、だからこそ彼らに、日本のオタク文化が刺さりまくったのかも知れませんが。

> 中国のオタク文化受容って実際どうなのでしょう?
> 個人的な見方では、中国人の一部に日本マニアがいて、
> でも人口が10倍だから日本から見るとそのマニアの多さに圧倒される、というだけであり、
> 何も中国人の若者の間にそこまでオタクが多いとは思えないんですよね。

はい、それは私もそうだと思いますよ。
そもそも日本国内だって、オタク文化の受容者なんて、国民全体からすれば一部ですし、
いくら「市民権を得た!」と唱えた所で、元々がサブカルなんですから、
ニッチな存在であるのは、当然な事と言えば、当然なんだと思います。

とは言え一方で、それが日本限定のニッチかと言えば、個人的には そうは思っていなくって、
比率は日本以上に下がるものの、各国で多少でも需要はあると見てるんです。
それは1%でも、0.1%でも良いのですが、確実に存在するでしょうし、是非とも掴みたい所(笑)。
だって、人口1000万人の国であれば、1%で10万人、0.1%で1万人ですからねえ。
比率で見れば微々たる数字でも、人数で見れば、やはり大きいですよ!!
そして中国人というのは、欧米人や、その他の外国人に比べれば、
文化的にも日本と近いですし、諸外国より、その比率を高められる下地があると。
そんな感じの話ですね、私がしているのは。
簡単に言ってしまえば、日本発のグローバルなネットワークを築きたいって事ですね。

> 私は、オタク史を勉強しようと思った一番初めの時に、ひとまず国内だけやって海外は手を出さないと決めたので、
> 海外情勢は一切知らないんですよね。

えっ!?
だとすると、このスレッドの始まりは、そもそも何ですか?
「中国のオタク文化について」じゃ無かったんですか?
中国のオタク文化に期待とか、別に日本産には拘らないという話も、一体何処に行くのでしょう?
それに「オタク史」という事であれば、そもそも海外の話が出てくるなんて最近の話だけで、
基本的には、そのほとんどが国内完結だと思いますよ、始めからして。


▼ 学校文化の昨今
> > > 前にスクールカーストの話が出てきていたと思うのですが、
> > > 私の中学校では、だいたい顔の良い順に成績もよかったのですが(特に上位層)、昔もそんなもんだったんですかね?
> > > だいたい、成績の良い上位3分の1のグループのうち、3分の2は、容姿の良い上位3分の1のグループとメンバーが共通でした。

> 中学の時に考えた理由としては、
> 見た目が良ければ、自分はできる奴だ、という自信が生まれるため、
> 当然勉強も自分は周囲の奴よりもできるはずだ、と思い、勉強するため実際に成績が良くなる。
> 逆に、容姿が悪ければ自己評価も低くなりがちであり、テストの点も相応で満足してしまう。
> という感じです。

うん、失礼ですけど、正直言って、
「これは無いな」というのが、私の素直な感想(笑)。
この理屈が通りなら、勉強の出来るのは見た目が良いヤツではなく、
自意識過剰なヤツ(要するにナルシスト)になると思いますよ。

> > 多分これって、デジタル・ネイティブで、みんなが普通に繋がっていたり、
> > 社会的に成熟して喧嘩も減り、みんなが良くも悪くも優しく接するようになり、
> > それでいて、兄弟は減り、放課後に集まって友達と遊ぶ機会も減り、ついでに小遣いも減りと、
> > ある意味では、こうして子供の間の隔たりが薄れてきたからこそ、価値基準の画一化してしまい、
> > スクール・カーストのようなピラミッド化が、勝ち組・負け組の明確な線引きが起きたとすれば、
> > 一昔前までの学生生活や人間関係と比べると、相当に隔世の感があるような気がしますね。

> 逆ですよ。文化的に完全に分断されてしまったからこそ、スクール・カーストが発生したんです。
> 90年代の島宇宙化の果てにあるのがスクール・カーストです。
> そういう意味においては、スクール・カーストは勝ち組・負け組がある格差ではなく、
> 互いが別の世界に住む階級といった方が良いのかな?

え〜と、すみません。
そういうのはスクール・カーストとは呼ばず、「クリーク」と呼ばれる枠組みです。
「島宇宙化」というワードが出てきているので、恐らくは宮台真司からの受け売りでしょうけど、
その話って方々から、「それはスクール・カーストとは違うよ」と指摘されてた気がします。
それとも旧トルコ担当さん的には、島宇宙が重なり合って、
カースト的な階層構造が生まれたという解釈をしているのかな?

ちなみに、学校内でのカーストもクリークも、根っ子の部分では一緒なのでしょうが、
学校ごと・・・というか、それこそ旧トルコ担当さんの言葉を借りれば「偏差値」によって、
校内の雰囲気や秩序というのも、大きく変わるでしょうし、
イジメだとか、解りやすい上下関係が見て取れる環境になる程、
グループが階層化して「カースト」となり、
そうでならなければ「クリーク」って感じなのかと?

簡単に言ってしまえば、これは何も学校生活に限らず、
人間とは基本的に「群れ」を作って暮らす生物であり、余裕がある時は良いものの、
ギスギスした環境になる程、群れの中では勿論、群れ同士の間でも、力関係が明確化していき、
そして環境が改まれば、力による統制が緩んで、もっとフワッとした集団になると。
動物社会だって そうなのですから、人間社会だって 恐らくそうですよ(笑)。

> 個人の間に格差があるというより、個人の属するグループの間に上下が存在している感じです。
> そして、上の者が必ずしも得をするわけではなく、むしろカースト上位の方が大変そうなのも階級っぽいところかな?
> 格差であれば勝ち組の方が間違いなく得ですが、階級となれば一概に上の方が得とも言い切れませんし。

う〜ん、旧トルコ担当さんが言わんとしてる所は解りますし、
それに関しては、私の見解も そこまで大きな違いは無いのですが、
「逆ですよ。」という反応を見ると、そもそも私の方の話の意図は、
あまり旧トルコ担当さんには、キチンと伝わってない感じがするんですよねえ・・・・

> ちなみに、私は全く知らないのですが、インドのカースト制というのはどんな感じなのでしょうか?
インドのカースト制について話し出したら、
それはそれで長い話になるので、今回は割愛します(笑)。
恐らくは旧トルコ担当さんも、そこまで関心があって振った話では無いでしょうし、
不可触民の話とか、大事な事ですけど、やはり凄く重いテーマですよ。
とは言え、ちょうど今年の3月は、日本でも「水平社宣言」が出されて100年の区切りなので、
もしも機会があれば、いろいろと語ってみても良いのかなぁ・・・・

> もしかしたら、カーストという名前が管理人さんに誤解を与えているのかも。
どちらかと言うと、インドのカースト制そのものというよりは、
アメリカの学園ドラマで見られるような、ピラミッドの構造の方ですよね。
「スクール・カースト」と聞いて、抱くイメージとしては。
アメフトQBのジョックと、チア・トップのクイーン・ビーが頂点に君臨し、
オタク的な人たちとしては、ナードが居て、ギークが居て・・・というのが典型例↓
https://america-info.site/wp-content/uploads/2020/07/school-caste-america.jpg
https://america-info.site/school-caste
これを俺ガイルに当てハメるなら、葉山がジョックで、優美子がクイーン・ビー、
由比ヶ浜は優美子のサイドキックスかプリーザーであり、
主人公の比企谷はカースト外・・・に見えて、実は隠れワナビーなんじゃ?という感じ。


▼ ホワイト革命
> > > 確かにそれは分かるんですけど、これに関してはどうしたら良いのでしょうか。
> > > 一応、いいひと戦略は心がけているのですが。

> > ところで、その「いいひと戦略」とやらは、
> > ここでの雑談時にも、発動していたりはするのでしょうか?(笑)
> > ・・・って言うか、いいひと戦略って具体的に何!?
> > そもそも、目指すべき「いいひと」像のイメージってあるんですか?

> いいひと戦略の前提には、現代の日本は見た目至上主義だよね、という認識があり、
> そのうえで、評価経済+見た目至上主義=いいひと戦略
> だったのですが、
> 最近その見た目至上主義論が「ホワイト革命論」というものに進化して、滅茶苦茶面白い論になっているのでおススメですよ。

いや、え〜と、そういう動画のリンクを貼るとかいう話では無く、
具体的に、旧トルコ担当さん自身が、その「いいひと戦略」というのを、
どのように理解し、どのような実践を試みているのか?という話なんですけどね。
正直な所、単にコピペしているだけで、自分の中で消化出来てないのでは?と感じますし、
そうでないなら、もっと「自分の言葉」で語ってみましょうよ!?
別に、間違っていても、上手く説明できなくても良いんです。
旧トルコ担当さん自身が感心したのなら、それを「自分なりの解釈」で伝えてみて下さい!!

まあ実際、それらの動画を視聴して、「面白い!」と感じたのは事実なのでしょう。
それが響いて、自分でも実践してみようとなったのは解るんです。
ですが、本当にそうであれば、自分なりに理解した言葉で、「いいひと戦略」の中身が語れるはずですし、
「いいひと戦略は心がけている」との事でしたら、具体例の2つや3つは簡単に挙げられると思うんですよ。
私としては、その事に関して尋ねている訳でして、
基となった岡田斗司夫の説自体は、実はそこまで関心が無いんです・・・・

「いいひと戦略」から「ホワイト革命論」への進化とかは、ハッキリ言って把握してませんが、
少なくとも、「評価経済」や「見た目至上主義」の話は、以前に動画だか本だかで触れた記憶があり、
同意できる面は確かにあったものの、「そこは微妙だな」という面も正直あったんですよね。
特に、見た目に関する話とかは、岡田斗司夫がダイエットした際に、
各地でいろいろと述べてましたし、それが一部から失笑を買っていたのも覚えているので、
今にして思うと、オタクたちから見下されるキッカケになった言説じゃないですかねえ?
解りやすく言えば、岡田斗司夫が「一般人相手にオタク・ビジネスをやってる人」扱いになったのは、
ダイエット自慢をして、見た目至上主義なんて話をし出した頃が、転換点だったかも知れません。
「言ってる事は解るが、その他 大勢が対象の薄い話など、俺達オタクは興味ない」って感じで。

> ホワイト革命論 https://www.youtube.com/watch?v=k_zV08mCfFI
> いいひと戦略論 https://www.youtube.com/watch?v=hB5ncWZvVbw

2つ合わせて、2時間弱かぁ・・・・
時間の都合が付けば、見られなくは無い長さですけど、
岡田動画は切り抜きも多いですし、出来れば、そちらの方が見やすいかも?(笑)

「評価経済」や「見た目至上主義」は、既にイメージ出来ているので、
ダイジェストでも、それなりに内容は解るでしょうし、正直に言うと、
単純に時間の長さよりも、情報密度(時間当たりの情報量)の方が気になるかな。
同じ岡田動画でも、ジブリ解説とかであれば、長時間でも見られる気がしますけど、
あれらの話の延長上となると、個人的には、時間の長さが苦痛に感じそうで・・・・

▼(追記)ホワイト革命について
> いちゃらぶものってご存じですか?
> オタクジャンルの中で、主人公とヒロイン(あるいは同性カプ)がいちゃいちゃしているものを指して、
> アニメや漫画よりも同人マンガや二次創作小説などで使われる言葉なんですが、
> こういうものが一定の地位を占めるのって、00年代以降のオタクの傷つきたくないという気持ちが理由であり、
> イコールいちゃらぶものが流行っているのはオタクジャンルの中だけだと思っていたのですが、
> 実は小学生の間でも人気ならしいんですよ。

御存知というか、「イチャラブ」という略語としてはまだしも、
ラブラブは50年前、イチャイチャに至っては250年前から、世間的に用いられてきた単語であり、
そういう概念が生まれるという事は、それを満たす作品だって、昔から普通にありますからねえ。
同性愛モノでも、ヤマ無し、オチ無し、意味無しな「やおい」が、ある意味では当てハマりそうですし。

それとも、昔とは比べ物にならないくらい、隆盛を極めているとか?
だとすれば、流行ってる代表作って、例えば どんなタイトルがあるのでしょう?
いや別に、需要自体はあるんだろうなぁ・・・と、私も思いますけど、
傷つきたくないオタクの心を満たした、それ系統の作品というのは、
恋愛モノも確かにあるのでしょうが、萌え系や日常系の方が顕著だったと思うので。

あと、「小学生の間で」というのは、ちょっと解る気はします。
20〜30年前の男子・女子の関係と、今の男子・女子の関係って、
時代性であったり、少子化なども影響してか、随分と変わりましたからねえ。
2000年頃までは、小学生(特に高学年)の男女の壁(溝?)って、
今とは比べモノにならないくらい、大きかったですし(笑)。
ただ一方で、少女漫画の早熟化や過激化の流れって、今に始まった事では無いので、
そちらに関しては、「そんなモノだろうなぁ」と、何となくは思いますね。

> ちなみに、少女小説でも00年代後半からいちゃらぶものが増え、一部では姫嫁作品などと呼ばれているようです。
> 特徴としては、この時期の少女小説はメインの10代読者層をラノベやケータイ小説に奪われ、高齢化が進んだ時期であるということでしょうか。
> 「背景には長引く不況の中で、現実につかれた社会人がロマンティックでハッピーエンドな恋愛に癒しを求めているということが考えられている」
> (コバルト文庫で辿る少女小説変遷史)

「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)


▼ アニメ
> > ・・・って、今更ながらに気になったのですが、
> > 旧トルコ担当さんって、どこでアニメ(特に新作)を視聴されてます?

> 昔はテレビで見てましたが、今はサブスクで見てます。
> それと、新作アニメはほとんど見ないかな。チェックはしてるのですが。

サブスク・・・というか、ネット配信なのは予想してましたが、
「新作アニメはほとんど見ない」というのは、正直意外でしたね。
オタクを称しており、しかも大学生となると、
普通に、新作の視聴がベースかと考えていたので。

ちなみに、この調子ですと、旧トルコ担当さんって、
「リアルタイムで新作を追う」という時期は、以前から無かったんですか?
また、途中で打ち切ったのであれば、それは何年くらいからですか?
そして、そうなるキッカケが何かあったのでしょうか?


[23890] ホワイト革命について返信 削除
2022/3/31 (木) 23:14:30 旧トルコ担当


長らく放置していました。すみません。
返信を書くのに時間がかかっているのですが、あまり長時間放置すると、私の方が「いつでもいいか」という気になり、1年くらい放置しそうなので、ひとまず書けた分から投稿していきます。

▼ ホワイト革命

> > > > 確かにそれは分かるんですけど、これに関してはどうしたら良いのでしょうか。
> > > > 一応、いいひと戦略は心がけているのですが。

> > > ところで、その「いいひと戦略」とやらは、
> > > ここでの雑談時にも、発動していたりはするのでしょうか?(笑)
> > > ・・・って言うか、いいひと戦略って具体的に何!?
> > > そもそも、目指すべき「いいひと」像のイメージってあるんですか?

> > いいひと戦略の前提には、現代の日本は見た目至上主義だよね、という認識があり、
> > そのうえで、評価経済+見た目至上主義=いいひと戦略
> > だったのですが、
> > 最近その見た目至上主義論が「ホワイト革命論」というものに進化して、滅茶苦茶面白い論になっているのでおススメですよ。

> いや、え〜と、そういう動画のリンクを貼るとかいう話では無く、
> 具体的に、旧トルコ担当さん自身が、その「いいひと戦略」というのを、
> どのように理解し、どのような実践を試みているのか?という話なんですけどね。
> 正直な所、単にコピペしているだけで、自分の中で消化出来てないのでは?と感じますし、
> そうでないなら、もっと「自分の言葉」で語ってみましょうよ!?
> 別に、間違っていても、上手く説明できなくても良いんです。
> 旧トルコ担当さん自身が感心したのなら、それを「自分なりの解釈」で伝えてみて下さい!!
>
> まあ実際、それらの動画を視聴して、「面白い!」と感じたのは事実なのでしょう。
> それが響いて、自分でも実践してみようとなったのは解るんです。
> ですが、本当にそうであれば、自分なりに理解した言葉で、「いいひと戦略」の中身が語れるはずですし、
> 「いいひと戦略は心がけている」との事でしたら、具体例の2つや3つは簡単に挙げられると思うんですよ。
> 私としては、その事に関して尋ねている訳でして、
> 基となった岡田斗司夫の説自体は、実はそこまで関心が無いんです・・・・


私のいいひと戦略の実践に関しては、ホワイト革命論を聞く前と聞いた後でかなり変わっていますし、
今の実践法ってホワイト革命論を聞いてもらわないと、あまり理解できない気がします。
それでも伝わらない前提で書くならば、自分の中のホワイト精神全開(=共感力全開)で相手と接する、ということですね。
私もホワイト革命世代の人間ですので、ホワイト精神は持っていますし、基本的にこれに従っていれば、少なくとも大きなミスはないだろう、というのが現状です。
岡田斗司夫は、いいひと戦略を防御と攻撃の2種に分けていますが、何事もミスした時の損失は、成功した時の利益を大きく上回りますので、まずはミスしないこと(防御)が重要ですし。
あとは、人の悪口に参加しないことですね。
リアルに限らず、ネットでも。
悪口を言うことが周囲に嫌われるから、というよりも、悪口を言ったり聞いたりすると、自分の中のホワイト精神が消えていってしまうので。

> 「いいひと戦略」から「ホワイト革命論」への進化とかは、ハッキリ言って把握してませんが、
> 少なくとも、「評価経済」や「見た目至上主義」の話は、以前に動画だか本だかで触れた記憶があり、
> 同意できる面は確かにあったものの、「そこは微妙だな」という面も正直あったんですよね。
> 特に、見た目に関する話とかは、岡田斗司夫がダイエットした際に、
> 各地でいろいろと述べてましたし、それが一部から失笑を買っていたのも覚えているので、
> 今にして思うと、オタクたちから見下されるキッカケになった言説じゃないですかねえ?
> 解りやすく言えば、岡田斗司夫が「一般人相手にオタク・ビジネスをやってる人」扱いになったのは、
> ダイエット自慢をして、見た目至上主義なんて話をし出した頃が、転換点だったかも知れません。
> 「言ってる事は解るが、その他 大勢が対象の薄い話など、俺達オタクは興味ない」って感じで。


ああ、普通の人にはそう見えるんですね。勉強になりました。
普通の人からすれば、相手に気を使うというのは、戦略とか以前に常識の範囲内ですし、
岡田斗司夫の、「これからの人類社会では、明らかに実力でどうこうするよりも、他人に気に入られた方が得だから、皆さんも容姿くらいは気を付けましょう」という論は、
多くの常識人からすれば、「他人に嫌われないよう、容姿に気を使うなんて当たり前でしょ」となるんでしょうね。

> > ホワイト革命論 https://www.youtube.com/watch?v=k_zV08mCfFI
> > いいひと戦略論 https://www.youtube.com/watch?v=hB5ncWZvVbw

> 2つ合わせて、2時間弱かぁ・・・・
> 時間の都合が付けば、見られなくは無い長さですけど、
> 岡田動画は切り抜きも多いですし、出来れば、そちらの方が見やすいかも?(笑)
>
> 「評価経済」や「見た目至上主義」は、既にイメージ出来ているので、
> ダイジェストでも、それなりに内容は解るでしょうし、正直に言うと、
> 単純に時間の長さよりも、情報密度(時間当たりの情報量)の方が気になるかな。
> 同じ岡田動画でも、ジブリ解説とかであれば、長時間でも見られる気がしますけど、
> あれらの話の延長上となると、個人的には、時間の長さが苦痛に感じそうで・・・・


いいひと戦略はこの際どうでもよいので、ホワイト革命だけは見た方が良いと思いますよ。
いや、俺ガイル見てたり、オタク史の本を知っておきたいなんて言ってる場合ではないです。コッチの方が、はるかに現代史を知る上で参考になるのでは?

▼ いちゃらぶ革命

> > いちゃらぶものってご存じですか?
> > オタクジャンルの中で、主人公とヒロイン(あるいは同性カプ)がいちゃいちゃしているものを指して、
> > アニメや漫画よりも同人マンガや二次創作小説などで使われる言葉なんですが、
> > こういうものが一定の地位を占めるのって、00年代以降のオタクの傷つきたくないという気持ちが理由であり、
> > イコールいちゃらぶものが流行っているのはオタクジャンルの中だけだと思っていたのですが、
> > 実は小学生の間でも人気ならしいんですよ。

> 御存知というか、「イチャラブ」という略語としてはまだしも、
> ラブラブは50年前、イチャイチャに至っては250年前から、世間的に用いられてきた単語であり、
> そういう概念が生まれるという事は、それを満たす作品だって、昔から普通にありますからねえ。
> 同性愛モノでも、ヤマ無し、オチ無し、意味無しな「やおい」が、ある意味では当てハマりそうですし。
>
> それとも、昔とは比べ物にならないくらい、隆盛を極めているとか?
> だとすれば、流行ってる代表作って、例えば どんなタイトルがあるのでしょう?
> いや別に、需要自体はあるんだろうなぁ・・・と、私も思いますけど、
> 傷つきたくないオタクの心を満たした、それ系統の作品というのは、
> 恋愛モノも確かにあるのでしょうが、萌え系や日常系の方が顕著だったと思うので。


いちゃらぶ自体は昔からありましたが、現在はいちゃらぶが既存の恋愛ものにとって変わるようになってきている、ということです。

で、上記の文は、岡田斗司夫のホワイト革命論の動画を見たうえでの話なので、趣旨が伝わってないと思うのですが、
要はホワイト革命によって、恋愛ものも大きく変化してる、ホワイト時代の恋愛ものはいちゃらぶになるのではないか、という話です。

偶然、参考になりそうなツイートを見つけました↓
https://twitter.com/cicada3301_kig/status/1509305422565752837
私も自信をもってラブコメアニメに詳しいと言えるまでにはラブコメに詳しくないのですが、確かに最近の恋愛ものってあまあまなんですよね。

例えば『かぐや様は告らせたい 』というラブコメマンガがあるのですが(マンガ全館ドットコムでは単行本が1750万部)、
この漫画は、主人公の白金御行とヒロインの四宮かぐやが、お互い好き同士なのに、羞恥心から告白できないでいる、という設定です。
誰と誰がくっついて、誰と誰が別れるのか、その恋愛が成就した時の喜びと、フラれたときの悲しみが恋愛ものの醍醐味だと私は思うのですが、
もう今の世代は登場人物がフラれて悲しくなるような恋愛ものは読みたくないということだと思います。

> あと、「小学生の間で」というのは、ちょっと解る気はします。
> 20〜30年前の男子・女子の関係と、今の男子・女子の関係って、
> 時代性であったり、少子化なども影響してか、随分と変わりましたからねえ。
> 2000年頃までは、小学生(特に高学年)の男女の壁(溝?)って、
> 今とは比べモノにならないくらい、大きかったですし(笑)。
> ただ一方で、少女漫画の早熟化や過激化の流れって、今に始まった事では無いので、
> そちらに関しては、「そんなモノだろうなぁ」と、何となくは思いますね。


私も元々は小学生の恋愛の早熟化の方で調べていたのですが、それ自体は既に語られてますし、
それよりも私が驚いたのは、ホワイト精神が小学生の恋愛ものにも入ってきているということなんですよね。
おそらく、あと20年もすれば「恋愛もの=彼氏彼女のいちゃいちゃを描くジャンル」ということになるんじゃないでしょうか?
失恋や別れを描いた恋愛ものが「昭和っぽい、平成っぽい」と言われる時代が来るのではないか、ということです。

 (再掲載)『りぼん』編集部に聞く!「小学生の恋愛」は少女漫画でどう描かれてる?親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?(https://lee.hpplus.jp/column/2113728/
 Q 親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?
 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
 また、つき合うことへのハードルが下がっていて、“つき合った後”が描かれることが多いです。
 親世代は片思いの間のすれ違いを大事にしていたので、これは大きな違い。主人公がイチャイチャしているところ、幸せそうな様子が見たい、というのが今の子どもたちの気分のようです。

この辺含め、ここ数十年くらいの恋愛ものの変遷についても調べたら面白いことになりそうな感じがしてるんですよね。
もし何か面白そうなことが分かれば、ここに書くかもしれません。

> > ちなみに、少女小説でも00年代後半からいちゃらぶものが増え、一部では姫嫁作品などと呼ばれているようです。
> > 特徴としては、この時期の少女小説はメインの10代読者層をラノベやケータイ小説に奪われ、高齢化が進んだ時期であるということでしょうか。
> > 「背景には長引く不況の中で、現実につかれた社会人がロマンティックでハッピーエンドな恋愛に癒しを求めているということが考えられている」
> > (コバルト文庫で辿る少女小説変遷史)

> 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)


そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。


[23891] AI等について返信 削除
2022/4/1 (金) 18:35:21 旧トルコ担当

▼VRとAIについて

> > 例えば食でいえば、食欲とは別に、個人ごとに味の好みというのがあり、味の好みがが感性だと考えています。
> > そして、そうした感性というのは、色々な要素に影響されますが、環境によって左右される要素が大きいと思うんですよね。
> > で、VRやAIというのは、その環境を自由に作り出せるツールになりえ、現実世界と違った環境がVRやAIにより提供されれば、
> > 自分自身の感性もかなり容易に変えられるようになるのではないか?と思っています。

> まあ、VRに関しては、そうだと思いますよ。
> 随分前かと思いますが、「電脳ドラッグ」が云々という話をしたのも、つまりはこういう話で、
> 例えば、何らかの音が聞こえれば、それが画面上に色や形として反映される遊び方だとか、
> 第11芸術として挙げた「デジタル・アート」というのも、将来的にはこっち方向の話ですし、
> もっと言うと、現状の五感というセンサーから更に拡張して、もっと感覚の数を増やしたり、
> そもそも論として、脳の処理段階でいろいろ弄ろうというのは、ここから更に先の話でした。
> 正直な所、イメージはし難いですから、どこまで伝わってるかは不明ですけども・・・・


「デジタル・アート」という話は全然理解できていませんでした。
「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。

> あと、VRで環境を変えるというのは、まだ何となく解るのですが、
> 「AIで環境を変える」って、具体的にどんなモノを想定されてるのでしょう?
> 具体例とかが無いので、旧トルコ担当さんの抱くイメージ像を、ちょっと把握しかねるんですよねえ。


でもまあ、「AIで環境を変える」って既に起きていることじゃないですか?
例えばYouTubeのアプリを開いて、まずどんな動画がおすすめされるかって、あれはAIが決めているわけですし、
それを見て陰謀論などにハマっていくのって、本人に素質があったという面もあるでしょうが、
大半の人はYouTubeがそうした動画をおススメしなければそんなことにはならなかったと思うんですよね。

GoogleAIが自殺願望のある人に、自殺を進めるような記事をおススメしていたため、アルゴリズムを修正した、
といったニュースも何年か前に見た記憶がありますし、
AIのデータ分析が2016年の大統領選挙でトランプを勝利させた、という話も聞きますし。

> > 誤読させる文章だと自分でも思うのですが、
> > 「AIはもう道具やツールではなく一つの仮想人格」というのは、
> > 最低でも5年以上先の話を、想定していました。

> 5年でも・・・難しいんじゃないですかねえ?
> 単なる実用性で言えば、「知能とは何か?感情とは何か?」とはまで行く必要はなく、
> それこそチューリング・テストのように、受話器やモニターの向こう側にいる利用者が、
> 対応相手が人間か?AIか?を区別できないレベルまで行けば充分でしょう。
> 例えば、お客様サポートなどのサービスが、
> 人ではなくAIで可能となれば、企業的には大助かりだと思いますけど、
> マニュアル対応の範囲内ならまだしも、臨機応変な対応は当分困難だと思うんですよねえ・・・・
> もちろん、マニュアル対応すら出来てない人も珍しく無いのは、もう一面で事実ですけど(苦笑)、
> AIを導入する以上は、底辺レベルよりマシではなく、平均以上は求められるはずなので。


そうなんですね。
お客様サポートが技術的に難しいとなれば、確かに今のAIってまだまだショボいと思います。
私は理系は全然なので、岡田斗司夫が言う「10年後はAIYouTuberの時代」という話を割と信じていたのですが、
管理人さん的には、この辺が岡田斗司夫の専門外の話には適当なことを言っている点なのでしょうか?

> 要するに、何が言いたいかと言えば、まだ弱いAIの内は、
> 「5年後には知能になってる」と予想されていても、いざ実現すれば「道具」扱いであり、
> 本当に知能と見なされるには、強いAIまで行かないと無理だろうな・・・という話です。
> そして、だからこそ「AI娘」なども、そんな簡単な話では無いだろうと。
> 「このまま技術が進んで5年も経てば」という台詞は、恐らく5年後にも言ってるはずです(笑)。


強いAIに課しては、私も5年では無理だと思いますよ。最低でも、5年ですので。
間違いなくあと何段階かのブレイクスルーが必要でしょうし。

> それこそゲームで言えば、グラフィックの進歩というのは非常に目覚ましいモノであり、
> PlayStation時代や、ファミコン時代などと比べれば、まさしく隔世の感がありますし、
> もしも当時、今のレベルのCGを見せられたら、きっと実写かと勘違いしたかも知れませんが、
> でも実際、我々が今のゲーム画面を見て、本当に実写と区別できないかと言えば、そうではありません。
> グラフィックですら そうなのですから、人間の知能だなんて尚更ですよ


でもこれって、もう管理人さん自身が答えを出していません?
確かに、ゲームのグラフィックも現実と見分けがつかないわけではないですが、でもそれに夢中になれてるじゃないですか。
AIも同じで、確かに人間と完璧に同じものを作り上げるのは難しいのかもしれませんが、
そこまで高度なものでなくとも、夢中になる人間は私含めていると思うんですよね。
それこそ高齢者の孤独死のような状況もあるわけですし。

▼コロナと物流について

それと、ホワイト革命論の動画の中でチラッと出てくるのですが、
岡田斗司夫が主張する「コロナ=グローバリズム時代の終わり論」ってどう思われますか?

何となく掲示板を見ていたら、管理人さんも「世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?」
と書かれていましたし、
私の無い世界史知識を動員すれば、モンゴル帝国もまたユーラシア大陸の交通網を整備し、グローバル化を進めた結果
ペストによりその試みは失敗に追いやられたはずですし、今回のコロナをペストに例えることも可能なのでしょうか?


[23893] オタク話返信 削除
2022/4/5 (火) 19:51:37 旧トルコ担当

▼ オタク史について

> > 私が人生で一番勉強したのはオタクの歴史であって、それも本を100冊、ネット情報を同じくらい集めたというだけです。
> それは「勉強」ではなく、「学習」なのでは?と思いつつも、
> まあ、ほとんどの人は、勉強と学習を区別してないでしょうし、
> そこは別に、変に拘らなくても良いのかな?(笑)
>
> ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?
> そして、その本のタイトルとかって、伺えたりします?
> 面白い本があり、それは私が読んでなかったり、存在すら知らなかったりするなら、
> 実際に読む読まないは別として、情報として知っておきたい気持ちがあります!!(笑)
> 私が未だ出会えていない名著は、それこそ山のようにあると思うので。


オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、
また私の場合は、全くのゼロ知識からのスタートでしたが、管理人さんは一応その世代の人間として、基礎的な情報を抑えたうえでの話だと思うので、面白いと思う内容は結構違うのではないかと。

その上でおススメを聞かれたら「いや、100冊全部おススメだよ」というのが本気の答えですがw
さすがにそれでは答えになっていないので、絞るならこんな感じですね↓
https://dotup.org/uploda/dotup.org2765555.txt.html パスワードは「otaku」

といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?

▼ アニメ

> > > ・・・って、今更ながらに気になったのですが、
> > > 旧トルコ担当さんって、どこでアニメ(特に新作)を視聴されてます?

> > 昔はテレビで見てましたが、今はサブスクで見てます。
> > それと、新作アニメはほとんど見ないかな。チェックはしてるのですが。

> サブスク・・・というか、ネット配信なのは予想してましたが、
> 「新作アニメはほとんど見ない」というのは、正直意外でしたね。
> オタクを称しており、しかも大学生となると、
> 普通に、新作の視聴がベースかと考えていたので。
>
> ちなみに、この調子ですと、旧トルコ担当さんって、
> 「リアルタイムで新作を追う」という時期は、以前から無かったんですか?
> また、途中で打ち切ったのであれば、それは何年くらいからですか?
> そして、そうなるキッカケが何かあったのでしょうか?


アニメを見るようになったのは高校生からですが(中学まではラノベのみでした)、その時から新作アニメは追っていませんでした。
なぜかと言われれば、自分の好きなものを追っかけるのがオタクであって、流行りものを追っかけるのはオタクじゃないでしょ、と思っているからですね。

一応、毎季ごとにアニメの新作はチェックはするんですが、チェックだけしてほぼ見ないです。
実際問題、アトム以来50年以上テレビアニメが作られ続けているわけであって、良い作品を探すのであれば今季作品の中から探すより、過去の作品を掘り返した方が効率的ですし。
あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

▼ 物語シリーズについて

原田陽平さんの『ヤンキー経済』を読んでいると、最近はマイルドヤンキーでもアニメを見る、という記述があり、
それ自体は「まあ、そんなもんだろう」と私も思っていたのですが、
例えばどんなアニメを見ているか、という例で出てきたのが化物語だったんですよね。

私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
管理人さんはどっちでしたか?


[23894] 「ホワイト革命」の動画を見ての感想返信 削除
2022/4/5 (火) 23:58:12 徳翁導誉

> 長らく放置していました。すみません。
いえいえ、こちらこそ、
前回は少しキツめの意見を述べてしまった事を、正直 気にはしてはいたので、
気分を害されての遅延でなければ、とりあえず安心できます(笑)。

> 返信を書くのに時間がかかっているのですが、あまり長時間放置すると、
> 私の方が「いつでもいいか」という気になり、1年くらい放置しそうなので、ひとまず書けた分から投稿していきます。

でもまあ、数ヶ月前にも実際、
1年以上 時間が経ってから返信とかありましたし、
もしそうなっても、私の方はあまり気にしませんけどね(笑)。
最近は光陰矢の如しというか、数年も、数ヶ月も、あまり体感的に変わらないので(苦笑)。

▼ ホワイト革命
> > いや、え〜と、そういう動画のリンクを貼るとかいう話では無く、
> > 具体的に、旧トルコ担当さん自身が、その「いいひと戦略」というのを、
> > どのように理解し、どのような実践を試みているのか?という話なんですけどね。
> > 正直な所、単にコピペしているだけで、自分の中で消化出来てないのでは?と感じますし、
> > そうでないなら、もっと「自分の言葉」で語ってみましょうよ!?
> > 別に、間違っていても、上手く説明できなくても良いんです。
> > 旧トルコ担当さん自身が感心したのなら、それを「自分なりの解釈」で伝えてみて下さい!!

> 私のいいひと戦略の実践に関しては、ホワイト革命論を聞く前と聞いた後でかなり変わっていますし、
> 今の実践法ってホワイト革命論を聞いてもらわないと、あまり理解できない気がします。
> それでも伝わらない前提で書くならば、自分の中のホワイト精神全開(=共感力全開)で相手と接する、ということですね。

う〜ん、これはもう、伝わる伝わらない以前の話になってる気がするので、
実際に私が動画を見ない限り、これ以上話は進まなそう・・・・

> 私もホワイト革命世代の人間ですので、ホワイト精神は持っていますし、
> 基本的にこれに従っていれば、少なくとも大きなミスはないだろう、というのが現状です。
> 岡田斗司夫は、いいひと戦略を防御と攻撃の2種に分けていますが、
> 何事もミスした時の損失は、成功した時の利益を大きく上回りますので、まずはミスしないこと(防御)が重要ですし。

「ホワイト革命世代」とか「ホワイト精神」という話は、定義がされてないので解りませんけど、
とりあえず、「ミスした時の損失は、成功した時の利益を上回る」という事に関しては、私も同意かな?
より正確に言えば、小さな成功は努力で結構計算できるので、小さなミスなら充分に補填が可能だけど、
大きな成功と、大きな失敗では、後者の方が断然 発生確率が高い為、そこだけは注意して避けるべきであり、
かと言って、小さなミスさえ恐れて何も挑戦しないようだと、そもそも成功が得られないって感じで。

> あとは、人の悪口に参加しないことですね。
> リアルに限らず、ネットでも。
> 悪口を言うことが周囲に嫌われるから、というよりも、
> 悪口を言ったり聞いたりすると、自分の中のホワイト精神が消えていってしまうので。

まあ個人的には、他人の悪口とか言っても楽しくないので、この感覚は解らなくも無い反面、
「ホワイト精神が消えるから」なんて理由だと、何だかちょっと宗教っぽくなるイメージ(笑)。

それに世の中には、「他人の不幸は蜜の味」という人たちも、かなり多いですし、
秘密の共有じゃないですけど、互いに愚痴をこぼし合ったりする方が、信頼関係が深まったり、
例えば先生とか上司とか、共通の敵(笑)の悪口を言い合って盛り上がるのは、よくある事なので、
あまり潔癖すぎるのも、上手く行かないかな?という気はしますね。
ホワイト精神とは何なのか、まだ知らない状態ですけど、イメージ的な話をすれば、
ホワイトに徹するよりも、適度にグレーで居た方が、この世の中は過ごしやすいような気はします。
それこそ、「白河の清きに魚も棲みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」って感じで(笑)。

> > 「いいひと戦略」から「ホワイト革命論」への進化とかは、ハッキリ言って把握してませんが、
> > 少なくとも、「評価経済」や「見た目至上主義」の話は、以前に動画だか本だかで触れた記憶があり、
> > 同意できる面は確かにあったものの、「そこは微妙だな」という面も正直あったんですよね。
> > 特に、見た目に関する話とかは、岡田斗司夫がダイエットした際に、
> > 各地でいろいろと述べてましたし、それが一部から失笑を買っていたのも覚えているので、

> ああ、普通の人にはそう見えるんですね。勉強になりました。
> 普通の人からすれば、相手に気を使うというのは、戦略とか以前に常識の範囲内ですし、
> 岡田斗司夫の、「これからの人類社会では、明らかに実力でどうこうするよりも、
> 他人に気に入られた方が得だから、皆さんも容姿くらいは気を付けましょう」という論は、
> 多くの常識人からすれば、「他人に嫌われないよう、容姿に気を使うなんて当たり前でしょ」となるんでしょうね。

まあ、「容姿に気を使うのは当たり前」と言うのは、普通の感覚かも知れません(笑)。
とは言え、「オタクは身だしなみを整えない」というイメージも、
一昔前に比べれば、かなり改善されたというか、そんなに目立たなくなった気もするんですよね。

> > > ホワイト革命論 https://www.youtube.com/watch?v=k_zV08mCfFI
> > > いいひと戦略論 https://www.youtube.com/watch?v=hB5ncWZvVbw

> > 2つ合わせて、2時間弱かぁ・・・・
> > 時間の都合が付けば、見られなくは無い長さですけど、
> > 岡田動画は切り抜きも多いですし、出来れば、そちらの方が見やすいかも?(笑)

> いいひと戦略はこの際どうでもよいので、ホワイト革命だけは見た方が良いと思いますよ。
> いや、俺ガイル見てたり、オタク史の本を知っておきたいなんて言ってる場合ではないです。
> コッチの方が、はるかに現代史を知る上で参考になるのでは?

「現代史を知る上で参考になる」とは、また大きく出たなぁと思いつつも(笑)、
まあ1本だけであれば、時間さえ見繕えば、見られなくは無さそう。
「いいひと戦略」の方は、どうやら本が出てるみたいなので、こっち優先かな?と思いましたけど、
「ホワイト革命」の方が進化形であり、コチラこそがオススメとなれば、優先順位は逆転ですね。

・・・という事で、ここまで返信を書いた所で、ホワイト革命の動画を見てみましたよ!!(笑)
で、これ、そんなに他人へ説明するのが難しい内容ですかねえ?
既に動画の中で、ホワイト革命の「3つのキーワード」が挙げられているのですから、
まずは、それを書き出してみれば良かったのでは無いでしょうか?

 1.美しいモノは正しい
 2.汚いモノは正しくない
 3.コロナは第3次世界大戦である

そして、これが「現代史を知る上で参考になる」かとなると・・・申し訳ありませんが、正直なりませんでした。
う〜ん、何でしょう? 全ての見方が過剰だって印象ですかねえ?
言っている事は、そこまで的外れでは無いと思うものの、
それが「革命」と呼べるレベルまで大きいかとなると、ハッキリ言って同意しかねると。
「当たり前の傾向」と「当たり前の変化」が、大袈裟に感じ取れてるって感じでしょうか。

まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?
もちろん、時にはバンカラ文化や不良文化などが、一部で流行ったりもしましたが、
それにしたっって、あくまでもアンチテーゼとしてのカウンター・カルチャーであり、
そうしたモノが流行るのは、それだけ急速に生活レベルが上がってる証拠なんですよね。
向上が急スピードだからこそ、敢えて逆らおうとする反骨心の現れでもありますし、
逆に言えば、そうしたカウンターが生じないのは、それだけ勢いが乏しい時代だと言えるかも知れません。

また、「好き/嫌い」と「良い/悪い」は本来 別の概念ですけど、
(「良い」と「正しい」も異なりますが、話が面倒になるので割愛・笑)
ここでは、それを混同しているのは、岡田斗司夫自身が区別できていないのか?
はたまた、区別できないレベルの人々を、想定しているのか?

まあ、それはさておき、この1と2で実例として挙げた「おにぎり」と「不倫」の例も、
私自身はしっくり来なかったと言うか、正直言って、正しく認識できてない印象を受けました。
そもそも岡田本人がサイコパスを自称しているくらいなので、
自分の損得が関わらない限り、他人の心の機微を読み取るのは、恐らく不得意な人だと思いますし、
そういう正確だからこそ、却って自分に都合良く解釈している感じはするんですよ・・・・
オタクとして「作品考察」する分には面白いですし、主観的な解釈でも構わない世界ですが、
しかし、社会における「人間観察」というのは、主観性が客観性の邪魔をしてたらダメでしょうね。

「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられない」という有吉の話も、
実を言えば、私も少し苦手意識があるので解るのですが(苦笑)、
あれって、その感覚が解らなかったり、深く考えたりしない人だと、衛生面の問題だと誤解するのですが、
実際はそうではなくて、心理的な壁、つまりは「ATフィールド」の話なんですよ!!(笑)
自分のお母さんの手が衛生的だから、安心して おにぎりを食べられるという事ではなく、
家族という同じグループの一体感(安心感)から食べられるので、
よそのお母さんは、異なる家族というグループに属するから、心に境界線が生じるんです。
そして、核家族化や地域社会の疎遠化により、一体視できるグループの範囲は年々縮小していると。
ですから、別に おにぎりでなくても、加熱された手料理だってNGなんですよね。
手料理は心が籠もる(魂が宿る)為、心を許せていれば心地良い反面、心を許してなければ障害になるので。
職人やコンビニの料理なら大丈夫なのは、衛生面の問題以上に、そこに余計な愛情が含まれないからなんです。
品の無い例えですけど、「風俗は不倫じゃない」みたいな話の感覚に似ているかな?
って、私自身で言うと、職人が握った寿司にしても、少し苦手意識はありますが(苦笑)、
だからと言って、職人がビニール手袋を着けて握っていても、そこまで意識は変わらない気がしますし、
実際、有吉自身も番組開始当初、夏目アナの手料理の差し入れを「迷惑!」と切り捨てていましたけど、
いざ夏目アナと結婚すると、彼女が握った おにぎりも、普通に食べると言ってましたからね(笑)。

続いて、不倫話に関して言うと、不倫してる人が全てバッシングされる訳じゃないんです。
元々アンチ層を抱えてる芸能人が不祥事を起こして、心置きなく叩ける免罪符を得られたり、
大して好きではなかったが、好感度で商売していたタレントが、それに反するような行為をしたり、
初めから不祥事の肩書きを背負い、「こいつは叩いてもOK」な扱いで登場するから、炎上するのであって、
実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。
逆に、雨上がり宮迫は、芸達者であっても、格好付けな性格が昔から嫌われてもいた為、
闇営業の問題で あそこまでのバッシングを受け、そんな性格が事態を更に悪化させたのですが、
あの問題を、ここまでの大事件に発展させてしまったロンブー亮は、そこまで叩かれていないと。
結局、良い悪いという判断の話も、好き嫌いという感情の話に帰着してしまうんですよね・・・・
そして、こうした判断と感情を混同する人の割合は、今の時代になって増えたと言うよりも、
ネットの時代になって、存在が目立つようになり、悪い意味での影響力も増しただけだと思うんです。

また、Twitterで悪口がミュートされるという例にしても、
悪い内容だから弾かれるのではなく、不愉快な内容だから弾かれる訳ですね。
ネットの使われ方が変わったと言うよりは、当時は利用者が一部に限られていたモノが、
今ではそれだけ、一般にもネットが、広く普及したという事かと思われます。
そして、ここでいう「悪口」とは、社会通念的に悪いと認識されている発言と言うよりは、
個人的に「不快」となる発言が悪であり、例え悪口でも「快感」を得られれば善となると。
だって、行き過ぎたバッシングだって、充分に悪口に該当するでしょうけど、
バッシング集団の中に身を置けば、自分たちこそが正義であり、自分たちの行為は正当化される。
言うなれば、社会全体の空気感を読んで、正義とか常識を自らの損得に摺り合わせてた時代から、
始めから自らの損得を出発点に、正義や常識を自由にセレクトしたり、カスタマイズする時代となり、
そういう意味では、自身の攻撃対象とさせない、攻撃対象となっても炎上させない為にも、
ここで言う「ホワイト化」は意義があるかも知れません。
しかし、それはあくまでも道具や材料に過ぎ無い事も、キチンと認識しておくのが重要かと?
要するに、原因と結果を取り違えるべきでは無いというか、
革命的な変化が起こっているのだとすれば、それは「正義の娯楽化・個人化」であり、
綺麗にしてれば安全とか、脛に傷があるとヤバいとか、そう単純な話でも無いって事ですね。
そもそも、本当にそんな時代となれば、岡田斗司夫も完全排除される側の人間ですし(笑)。

そして最後に、「コロナは第3次世界大戦」って話ですけど、これは何なんですかねえ?
初めに世界大戦の定義を行っていないので、その主旨が全く伝わってこないのですが、
そもそも主観的なイメージを語っているだけと捉えれば、深く突っ込むの野暮なのでしょうか。
確かに、このコロナ禍によって、世界は大混乱し、多くの人命も失われましたけど、
程度の話で言えば、とても2度の世界大戦と比べられるレベルでは無いはずです。
また、動画自体はウクライナ戦争が始まる前の投稿であっても、
あの段階にあって、もう大きな戦争は起きないから、コロナ禍が世界大戦級という見方であれば、
正直言って、世界の政治情勢に関しては、かなり認識が甘かったと言えるかと?
ああして、わずか1〜2週間の間に、1000万人以上もの国外避難民が発生している時点で、
仕事や勉強の為に外国へ行くのとも違う、あれも1つの「負のグローバル現象」なんですよね。
向上心からのポジティブな人流ではなく、恐怖心からネガティブな人流は、
既に10年前から起こっていますし、国際社会の不安定化に比例して、こちらは更に増す可能性があります。

また、社会制度や科学技術が大きな転換を迎える事を、「世界大戦」という単語に求めるのであれば、
コロナ以前に、「冷戦」が第3次世界大戦と呼ばれる事がありますし、
あの頃にどれだけの変化があったかは、ロケット好きな岡田斗司夫はよく知ってるはずなんです。
この「3つの世界大戦」があったからこそ、私たち人類は、
わずか66年で、初飛行から月面着陸にまで辿り着いた訳ですからねえ。
逆説的に問えば、確かに今回のコロナ禍でも様々な変化はありましたけど、本当にこのレベルの変化でしょうか?
正直な所、世界大戦という響きがキャッチーだからこそ、都合良く用いてるだけな印象を受けますし、
4番目の世界大戦としないのも、冷戦がジワジワと長く続いた戦争だったからでしょう。
要するに、「コロナは4年で終わる」という自説にとって、都合が悪かったから、無視したのだろうと。

でも、「第1次も第2次も4年で終わったから、第3次も4年で終わる」って、実際に説得力を感じます?
だって、戦争とパンデミックって、全く別の現象じゃないですか。
それを「同じだ」と捉えられるのは、自分で「同じ世界大戦」と括っているのが根拠であり、
そもそも世界大戦の定義さえしてないのですから、結局はご都合主義な考え方だとは思うんですよね。
それに、一応突っ込んでおくと、日本が参戦しての「太平洋戦争」が4年なだけで、
第2次世界大戦自体は、その2年前から始まっているので、6年ですし(苦笑)。

そして、価値観の変化という話も、いつの世だって同じ事なんですよね。
これだけ変化のスピードが速い時代になると、1世代違えば、価値観だって かなり変わります。
それは別に、コロナ禍が有ろうが無かろうが、以前から そうですし、
1度変わった価値観が元に戻らないのも同様です(長い年月で輪廻する事はありますけど)。
う〜ん、まあ確かに、これという明確な変化のポイントがあった方が、解りやすいのは事実でしょうけど、
10年掛けてジワジワと変わった量と、1年でガラリと変わり そのまま9年続いた量とは、
インパクト的には後者の方が強くても、客観的な変化量としては結局変わりませんからねえ。
要するに、2度の世界大戦に関しては、劇的に時計の針を進めましたけど、
今回のコロナ禍は、変化の前倒しが起こった感じはありますが、
これが将来的な時計の針まで一気に進めたか?となると、正直そこまででも無い気がするんです。

まあ、仮に大きな変化が起こるとしても、この経験をした子供たちが大人になって以降の話でしょうから、
15年とか20年くらいは、世界大戦に比するような大きな変化は無いんじゃないですか?
基本的に、社会の価値観の変化というのは、子供が大人となり、大人が老人となる事で、
世代交代と同時に進むのが世の常なのですが、世界大戦は現役の大人の価値観すら変える変化だったんです。
でも、今の私たちって、そこまで劇的な価値観の変化を強いられてますか?
大人が従来の価値観を書き換えるというのは、並大抵の事ではありませんからねえ・・・・
リモートが増えたとか、手洗い・除菌が徹底されたとか、その程度の事じゃなくて。

それと、1&2と3は、全く纏まりの無い括りのように感じるのですが、
恐らくは、心理的な「潔癖主義」と、物理的な「潔癖主義」を、同じモノとして捉えて、
潔癖から「潔白」を連想しての、「ホワイト革命」という表現なんですかねえ?

▼ いちゃらぶ革命
> いちゃらぶ自体は昔からありましたが、
> 現在はいちゃらぶが既存の恋愛ものにとって変わるようになってきている、ということです。
> 偶然、参考になりそうなツイートを見つけました↓
> https://twitter.com/cicada3301_kig/status/1509305422565752837
> 私も自信をもってラブコメアニメに詳しいと言えるまでにはラブコメに詳しくないのですが、
> 確かに最近の恋愛ものってあまあまなんですよね。
> 例えば『かぐや様は告らせたい 』というラブコメマンガがあるのですが

「かぐや様」のアニメは1期も2期も見てますし、今週から始まる3期も見る予定ですよ(笑)。
といいますか、前回、「いちゃらぶモノが流行ってる」という話が出た際に、
「かぐや様は違うな」と、すぐさまパッと浮かびましたもん!!
だって、あの作品、原作マンガの方はまだしも、アニメ版では未だカップルにすらなっていませんし、
双方の内面描画によって、秘めた「スキスキ」(すとぷりの曲じゃないですよ・笑)は存分に描かれているものの、
別に作品的には、イチャイチャも、ラブラブもしてませんからねえ。

また、視聴者や読者は神目線で、両想いな事が解っているから、ニヤニヤしながら楽しめる作品であれば、
それこそ昔から、数多くあると思いますしね。
ですから「かぐや様」も、面白い作品だとは思いますけど、
別に目新しいとか、今風だよなと感じる事は、ハッキリ言って無いですね、少なくとも私は。
イチャラブという事なら、昭和に人気だった「かぼちゃワイン」の方が、まだ当てハマる気がしますし、
最近の作品であれば・・・私はあまりマンガを読まないので、詳しくないものの、
「大正の献立」なんて、ほっこり系かつ、イチャラブ夫婦な感じもあるかと思います。

> 誰と誰がくっついて、誰と誰が別れるのか、その恋愛が成就した時の喜びと、
> フラれたときの悲しみが恋愛ものの醍醐味だと私は思うのですが、
> もう今の世代は登場人物がフラれて悲しくなるような恋愛ものは読みたくないということだと思います。

醍醐味・・・というか、そういう感じの方がストーリーを作りやすいんですよね。
そして、ストーリーを作りやすいからこそ、人気の方も出やすいと。
でも、だからと言って、そればかりでは飽きてしまうのは実際の所でしょうし、
作者の腕さえあれば、小さなエピソードでも、充分に楽しませる事も可能です。

例えば、近年では制作費の事もあって、テレビから姿を消してしまいましたが、
主婦向けに毎日お昼に放送される帯ドラマ、通称「昼ドラ」というモノがありましたけど、
これは「昼ドラ的」という言葉も生まれるくらい、ドロドロの愛憎劇が多かったんですよ。
ぶっちゃけ、そういうストーリーは作りやすいですし、人気も得やすいので。
ですけど時には、「ぽっかぽか」のように、ほのぼの夫婦のイチャラブ系な作品もあり、
これはこれで人気を博したものの、やはり悪人が出てこない作品って、物凄く作り難いんですよね。
苦労して作っても、結局はヒューマン・ドラマみたいに所に落ち着いちゃう作品も多いですし。
また、6年前のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」は当時、一躍世間でヒットしましたけど、
恐らく多くの視聴者は、「星野源(平匡)×新垣結衣(みくり)」のカップルに感情移入して見てたでしょうし、
オトナの人だと、サブ・ストーリーの「石田ゆり子(百合)×大谷亮平(風見)」の存在も大きかったでしょうが、
しかし、まさしく恋愛劇を繰り広げていたのは、ゲイの「古田新太(沼田)×成田凌(梅原)」だったみたいな(笑)、
楽しみ方と言っても、やはり、それぞれあると思うんですよ。
って、そういうえば「ぽっかぽか」も「逃げ恥」も、ドラマとして有名ですが、原作はマンガ作品でしたね。

もちろん、ドラマに限らずマンガやアニメも、歴史が長く、それだけに作品数が多すぎて、
今更 ベタな作品を手掛けるのも、何かと難しい時代で、いろいろと工夫が必要であったり、
昨今は視聴者も「傷つきたくない」傾向も強いので、そっち系の作品が増えたのは確かでしょうね。
それこそ、ここへ更に「考えたくない(ストレスNG)」が加わって、
萌え系や日常系、ハーレム系の作品なども、人気を博するジャンルにまで成長したと思いますから。
でも、萌えやハーレムに比べると、やはりイチャラブは作品的に作り難いのも事実かな?
「バカップル」なんて言葉もありますけど、これをラブコメ化したら、コメディ要素が強くなりますし、
本気で恋愛の熱に浮かされると、それこそ「ヤマ無し、オチ無し、意味無し」ですから、
異性同士であれ、同性同士であれ、結局は恋愛モノと言うよりは、性的な方向へ進みがちになると・・・・

いやこれ、本当に作品的に作ろうと思えば、難しいんですよ!!
リアルのバカップルだって、大体は長続きせず、パッと燃え上がって、すぐに終わるケースが多いですから。
これは、ドラッグ使用にも似た快楽性が、恋愛の初期には脳内で起こるからであり、
だからこそ中毒的に、熱愛と破局を繰り返す人たちもいる訳ですが、
でも、作品としてイチャラブを楽しみたい人って、そんな「快楽的な恋愛」を求めてる訳じゃないですよねえ?
ですから、リンク先のTwitterにもある通り、ツンデレとか鈍感などの演出的ギミックが必要となりますが、
ただこれも、効果的にストーリー性を発揮すれば する程、やはりイチャラブから遠離る気もします。

いや、こうなると結局、創作物はリアルに勝てないような気もしてきますし、
考えてみると、こうした需要を満たしてるのって、アニメやマンガよりも、
今だとカップル系YouTuberの動画なんじゃないですかねえ?
まあ、「恋愛リアリティ・ショー」って、オタク系男子からの需要は兎も角(笑)、
若い女性には、非常に人気のあるジャンルですので。
って、恋愛リアリティ系の需要で考えると、別にそこまでイチャラブ系は多く無いというか、
良く言えばドキドキ、悪く言えば出演者の心を弄ぶような、そういった番組の方が人気な感じはしますね。

> > あと、「小学生の間で」というのは、ちょっと解る気はします。
> > 20〜30年前の男子・女子の関係と、今の男子・女子の関係って、
> > 時代性であったり、少子化なども影響してか、随分と変わりましたからねえ。
> > 2000年頃までは、小学生(特に高学年)の男女の壁(溝?)って、
> > 今とは比べモノにならないくらい、大きかったですし(笑)。
> > ただ一方で、少女漫画の早熟化や過激化の流れって、今に始まった事では無いので、
> > そちらに関しては、「そんなモノだろうなぁ」と、何となくは思いますね。

> この辺含め、ここ数十年くらいの恋愛ものの変遷についても調べたら面白いことになりそうな感じがしてるんですよね。
> もし何か面白そうなことが分かれば、ここに書くかもしれません。

はい、了解しました(笑)。

> > 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> > 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> > 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> > これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)

> そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。

それって結局、流行ってはいない証だと思うんですよね。
何らかの概念が生まれ、それが人の口を膾炙するには、
やはり、それを簡潔に示す「単語」の存在が不可欠なので、
広く出回ってる単語が無いという事は、そうした共有が行われていない事を意味するかと。

▼ VRとAIについて
> > まあ、VRに関しては、そうだと思いますよ。
> > 随分前かと思いますが、「電脳ドラッグ」が云々という話をしたのも、つまりはこういう話で、
> > 例えば、何らかの音が聞こえれば、それが画面上に色や形として反映される遊び方だとか、
> > 第11芸術として挙げた「デジタル・アート」というのも、将来的にはこっち方向の話ですし、
> > もっと言うと、現状の五感というセンサーから更に拡張して、もっと感覚の数を増やしたり、
> > そもそも論として、脳の処理段階でいろいろ弄ろうというのは、ここから更に先の話でした。
> > 正直な所、イメージはし難いですから、どこまで伝わってるかは不明ですけども・・・・

> 「デジタル・アート」という話は全然理解できていませんでした。

現時点だと、最も体験しやすいのは、チームラボのデジタルアート・ミュージアムですかねえ?
お台場会場は今年の8月まで、豊洲会場は今年の12月まで開催される予定です。

> 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> > あと、VRで環境を変えるというのは、まだ何となく解るのですが、
> > 「AIで環境を変える」って、具体的にどんなモノを想定されてるのでしょう?
> > 具体例とかが無いので、旧トルコ担当さんの抱くイメージ像を、ちょっと把握しかねるんですよねえ。

> でもまあ、「AIで環境を変える」って既に起きていることじゃないですか?
> 例えばYouTubeのアプリを開いて、まずどんな動画がおすすめされるかって、あれはAIが決めているわけですし、
> それを見て陰謀論などにハマっていくのって、本人に素質があったという面もあるでしょうが、
> 大半の人はYouTubeがそうした動画をおススメしなければそんなことにはならなかったと思うんですよね。
> > それこそゲームで言えば、グラフィックの進歩というのは非常に目覚ましいモノであり、
> > PlayStation時代や、ファミコン時代などと比べれば、まさしく隔世の感がありますし、
> > もしも当時、今のレベルのCGを見せられたら、きっと実写かと勘違いしたかも知れませんが、
> > でも実際、我々が今のゲーム画面を見て、本当に実写と区別できないかと言えば、そうではありません。

> でもこれって、もう管理人さん自身が答えを出していません?
> 確かに、ゲームのグラフィックも現実と見分けがつかないわけではないですが、でもそれに夢中になれてるじゃないですか。
> AIも同じで、確かに人間と完璧に同じものを作り上げるのは難しいのかもしれませんが、
> そこまで高度なものでなくとも、夢中になる人間は私含めていると思うんですよね。

う〜ん、これはもう何度も繰り返している話ですけど、
結局の所、旧トルコ担当さんと私とでは、想定している「新しさ」や「変化」の大きさが違うんですよね。
失礼な物言いかも知れませんが、旧トルコ担当さんが想定される新しさや変化だと、
年長者で歴史好きな私からすると、正直、「その程度」と映るレベルの新しさや変化なんです。
更に言えば、AIにせよ、VRにせよ、それよりも遥かに大きな事が出来る可能性を秘めているからこそ、
それくらいの小さなモノでは満足できないと言うか、
現状のモノは まだ従来品の改良程度にしか映らないと言うか・・・・
言うなれば、「次世代のiPhoneは凄いよ!」と どんなに力説されても、心情的には理解できるものの、
iPhone登場時の衝撃度と比べてしまうと、どうしたって上回らないだろう?みたいな話ですね。

> > 単なる実用性で言えば、「知能とは何か?感情とは何か?」とはまで行く必要はなく、
> > それこそチューリング・テストのように、受話器やモニターの向こう側にいる利用者が、
> > 対応相手が人間か?AIか?を区別できないレベルまで行けば充分でしょう。
> > 例えば、お客様サポートなどのサービスが、
> > 人ではなくAIで可能となれば、企業的には大助かりだと思いますけど、
> > マニュアル対応の範囲内ならまだしも、臨機応変な対応は当分困難だと思うんですよねえ・・・・

> そうなんですね。
> お客様サポートが技術的に難しいとなれば、確かに今のAIってまだまだショボいと思います。
> 私は理系は全然なので、岡田斗司夫が言う「10年後はAIYouTuberの時代」という話を割と信じていたのですが、
> 管理人さん的には、この辺が岡田斗司夫の専門外の話には適当なことを言っている点なのでしょうか?

AI YouTuberみたいなモノに対して、それにハマる人々が現れるか?という話なら「YES」、
それが人気の大勢を占めるか?という話なら「NO」って感じでしょうか。
言うなれば、ニッチであっても人気があるなら、それも1つの時代だとは言えるでしょうけど、
でもまあ、一般的に「○○の時代」と呼ばれるには、皆がハマるレベルだと思われるので、
そうだとするなら、個人的には過剰評価だとは思いますけどね。

例えば今の技術なら、さすがにAIは難しくても、凄いCGは作れますよねえ?
では実際、そうしたCGのグラビアが世間を席巻しているか?となれば、決してそんな事はなく、
実在するリアルな女の子のグラビアの方が、圧倒的に人気であるかと思います。
CGの女の子であればシミ1つありませんし、個々の好みにカスタマイズが出来ても、
写真かと見紛うばかりの出来であっても、やはり そうでは無いんです!!
それは何故かと言うと、人間というのは、単なる見た目の美だけを追い求めている訳では無く、
感情というフィルターを介して物事を見る為、人間とCGでは感情移入の部分で大きな差が生じるんです。
多くの人は、見た目やら、発言などを介して、その奥にある「人間像」を味わっているので。

で、逆説的に言えば、人間とCG、もしくは人間とAIの区別さえ出来ないレベルとなれば、
ビジネス的に、かなりの可能性は生まれるとは思うのですが、
しかし一方で、YouTuberの動画を楽しむという行為は、仕事ではなく娯楽の世界であり、
そうなると、これって実はCGやAIなのでは?と疑念を抱くと、素直に楽しめないはずなんです。
「区別が付かなきゃ、どちらでもOK」という人も居るでしょうが、大部分の人は違います。
だとすると、結局は、SNSを利用する有名人の「本人認証」のように、
人間である事の証明する機能が求められる気がしますし、
そうなってしまえば、やはりCGやAIの価値というのは、その程度という話になります。
もちろん、「2次元やアニメ画こそ至高」って人たちも居ますが、決して多数派には成り得ません。
つまりは、「時代を作る」というレベルにまでは至らないと。

それこそ、芸能人に「なりすまし」したTwitterやInstagramを見ていたとして、
それを本人によるモノと信じている内は、確かに楽しめるのでしょうが、
それが本人では無いと解った段階で、楽しい所か不快な気持ちに包まれます。
内容的に楽しめたから、本物でも偽物でも構わないなんて感じる人は、ほんの一握りなはず。
また、始めから、なりすましの演技として、楽しむような人も居るでしょうけど、
そういう人が、社会の大多数を占めるとは到底思えないので、やはりニッチな世界で終わるかと?

▼ コロナと物流について
> 岡田斗司夫が主張する「コロナ=グローバリズム時代の終わり論」ってどう思われますか?
> 何となく掲示板を見ていたら、管理人さんも「世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?」
> と書かれていましたし、

前後の文脈とかもあるので、「どこで書いたっけ?」と検索してみたら、
2年くらい前の、コロナ第1波が終わった頃の書き込み↓ですね(笑)。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23132#23132

で、「グローバリズムが終焉するか?」という問いに関して、
個人的には、その答えは「NO」ですかねえ。
もちろん、このコロナ禍によって、世界的な人の流れは落ち込んでいますし、
リモート技術の普及により、元に戻らない分野もあるとは思います。
ですけど、やはりコロナが終息して時間が経てば、人流も戻ってくるとは思いますし、
そして何より、「どこか遠くへ行きたい」「安くて良い物が欲しい」などの欲求は、
世界的な経済発展と共に、今後も広がる一方だと思うんですよ。
世界全体の大きな価値観を、先進国、特に日本だけの価値観で測ると、きっと読み間違えます。

ちなみに、引用元で私が書いてた内容というのは、
「グローバリズム」というよりも、「新自由主義」に関する話だったんですよね。
ポスト冷戦時代において、この2つの概念は急速に世界へ広まると共に、
互いに密接にリンクしている概念であるので、ついつい勘違いしがちでしょうけど、
本来的には、これらは それぞれ別の概念です。
私としては、このコロナ禍によって、行き過ぎた新自由主義経済に、
ブレーキが掛かる可能性を呈示しただけであって、それは必ずしも終焉とイコールではなく、
更には、それがグローバリズムに関しても一緒かとなると、そういう事ではありません。

そもそもグローバリズムとは、何も経済や政治だけに限らず、
人々の交流や文化においても、当てハマるような概念でなんです。
例えば、私たちがネットを介して、YouTubeやNETFLIXを楽しんだり、
どこかの外国人と友達になるのも、グローバリズムの一環ですし、
それらが今後、後退していくとは、ちょっと思えないんですよね。

また、実際の人流におけるグローバリズムについて言うと、
その3本柱は「ビジネス目的・留学目的・観光目的」なのですが、
ビジネス目的は、リモート会議などの増加によって、恐らくグッとは減ります。
しかし留学目的は、リモート授業も一般化しつつある昨今、確かにリモート留学も増えるでしょうけど、
その反面、リアルな学生生活の不足から、それだけでは物足りなく感じてる学生が多いのも事実で、
リアル留学の価値は、却って高まるかも知れませんし、
リモート留学も含めて、世界的な学生の奪い合いが加速するとなれば、それも1つのグローバル社会です。
そして最後に、観光目的に関しては、やはり実際に現地へ赴いてこそナンボですからねえ。
もちろん、リモートとかでも旅行気分が楽しめたりもするのでしょうが、
例えば、ネット上にはいくらでも動画や画像が見られますけど、人々は美術館や動物園に足を運びます。

ソフトバンク・楽天・DeNAみたいな企業が、わざわざプロ野球チームを所有するのも、
ネットやデジタルが普及したからこそ、リアルの付加価値というのが非常に高まってるからなんですよね。
このコロナ禍により、いったん足を止めた客の中には、戻ってこない人たちも居るでしょうけど、
世界規模で考えた場合、今はまだ貧しくて、これから豊かになる人々も大勢居るでしょうから、
その減少分と増加分を踏まえれば、恐らく全体的には増えるでしょうし、少なくとも終焉とはなりませんよ。

そして、経済面でのグローバリズムに関しては、
「反グローバル」な動きというのは、何もコロナ禍によって始まった訳では無いですからねえ。
既に2001年のジェノヴァ・サミットの時点で、デモ隊が20万人も集まりましたし、
グローバル化や新自由主義化が進む一方で、格差社会というのも色濃く現れてきましたから、
このコロナ禍における動きも、こうした大きな流れの1ページだとは言えます。
もちろん、それは同じ1ページでも、とても大きな1ページではあるのですが。

それに これって、岡田の自説であり、旧トルコ担当さんも同意していた
「無意味にグローバル&無限にローカル」という主張と相反しませんか?
それとも、これはグローバリズムが終焉するのは、物流限定の話?
物流だけ切り離せるかは、とりあえず置いておくにしても(私は無理だと思う)、
実例として、最近起きたマクドナルドのポテト不足の話をしてましたけど、
なぜ常態化すると思うのか?の具体的な説明を欠いていた為、納得感はありませんでした。

> 私の無い世界史知識を動員すれば、
一応、今の若い世代は、高校時代に世界史が必修だったはずですけどね(笑)。
って、確か本年度から、安倍教育改革の一環で、世界史は必修から除外されたんでしたっけ?

> モンゴル帝国もまたユーラシア大陸の交通網を整備し、グローバル化を進めた結果
> ペストによりその試みは失敗に追いやられたはずですし、

う〜ん、遊牧民族は通商民族の側面も持ちますし、
モンゴル帝国の成立によって、巨大なユーラシア経済圏が作られたのも事実ですが、
かと言って、「試み」とか「失敗」とか言うほど、大規模で計画的なモノでも無かったでしょうし、
その一方で、こうして作られた経済圏の体験が、後の大航海時代にも繋がっている事を思えば、
大きな人類史の流れとして、そこまでネガティブな評価もしてませんね。
「真の世界史はモンゴル帝国から始まる」みたいな事も、よく言われたりしますので。

> 今回のコロナをペストに例えることも可能なのでしょうか?
中世のペストと、現代の新型コロナとでは、ちょっと比較にならない気はしますね。
当時に比べれば、医療技術も格段に進歩してますし、そもそも世界の総人口が違いすぎるので、
パンデミックが起きても、社会に与える影響は、今の方が遥かに限定的です。
まあ確かに、今回のコロナ禍によって、私たちは息苦しい生活を強いられてますし、
格段に発達した交通網により、即座に世界的な流行ともなったのですが、
社会を劇的に変化させる、古代や中世までのパンデミックとは、やはり意味合いが異なりますよ。
もちろん今回のパンデミックも、社会に変化を与えましたけど、それとはレベル的に別次元です。
感染症対策の参考にはなっても、そのまま未来予測に繋げるとかは、難しいんじゃないですかねえ?

▼ オタク史について
> > ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> > オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> > さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> > 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?

> オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、

なるほど、諸々含めて100冊って事ですか。

> その上でおススメを聞かれたら「いや、100冊全部おススメだよ」というのが本気の答えですがw
という事は、今までにハズレの本は無かったと!?(笑)
何段階くらいに分けるかは人それぞれですけど、
普通は漠然とでも、評価のランク分けとかしませんか?

> さすがにそれでは答えになっていないので、絞るならこんな感じですね↓
> https://dotup.org/uploda/dotup.org2765555.txt.html パスワードは「otaku」

まずは、ありがとうございます。
ただ・・・なんでダウンロード方式なんでしょう?(笑)
これなら別に、そのまま掲示板に書いちゃった方が早いのに?とか思いますけど、
大っぴらにするのは恥ずかしいとか、そういった感じだったのでしょうか?
って、これだと返信も書き難いですね・・・・
とりあえず、同人誌は無理にしても、何冊か個人的なリストに入れておきました。
もう1度になりますけど、ありがとうございました。

> といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?
う〜ん、あまりパッと思い浮かばないかなぁ・・・・
私としては、「文化論」としてよりも、「文化」の方への興味が強いので、
どちらかと言えば、作品そのものが先に浮かんできますし。

でもまあ、1冊で網羅的にであれば、以前の雑談スレッド時にも紹介しましたけど、
「オタク的想像力のリミット 歴史・空間・交流から問う」は良かったですよ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
様々な人が書いた 30ページくらいの小論文が、14本掲載されています。
あとは、「思想地図β vol.1」とかは、
https://www.amazon.co.jp/dp/4990524306/
創刊号という事で、採算度外視で好きな事を詰め込んだ感が、個人的に面白く思えたので、
その編集を務めた東浩紀の半生記とかは、オタク的かはともかく、読んでみて損は無いかと?
「ゲンロン戦記 知の観客をつくる」
https://www.amazon.co.jp/dp/4121507096/
昨年ヒットした新書の1つなので、一般的な評価も悪くないと思いますし。
って、旧トルコ担当さん的には、先にこっちを視聴した方が、スムーズかな?
「東浩紀×岡田斗司夫 本当に初めての対談〜ニコ生トークセッション」
https://www.youtube.com/watch?v=gC82nG_gFi0
東が酔いながら必死になって、岡田にハルヒ視聴を薦める姿は、ちょっと愉快です(笑)。

▼ アニメ
> > 「新作アニメはほとんど見ない」というのは、正直意外でしたね。
> > オタクを称しており、しかも大学生となると、
> > 普通に、新作の視聴がベースかと考えていたので。
> > ちなみに、この調子ですと、旧トルコ担当さんって、
> > 「リアルタイムで新作を追う」という時期は、以前から無かったんですか?

> アニメを見るようになったのは高校生からですが(中学まではラノベのみでした)、その時から新作アニメは追っていませんでした。

ほ〜、なるほど、なるほど。
ちなみにラノベに関しても、別に新作は追ってなかったんですかねえ?

> なぜかと言われれば、自分の好きなものを追っかけるのがオタクであって、
> 流行りものを追っかけるのはオタクじゃないでしょ、と思っているからですね。
> 一応、毎季ごとにアニメの新作はチェックはするんですが、チェックだけしてほぼ見ないです。
> 実際問題、アトム以来50年以上テレビアニメが作られ続けているわけであって、
> 良い作品を探すのであれば今季作品の中から探すより、過去の作品を掘り返した方が効率的ですし。

う〜ん、確かに作品の内容だけを楽しむなら、それもアリかと思います。
とは言え、作品の楽しみ方というのは、それ以外にもいろいろとある訳で、
特に「リアルタイム感」に関しては、その時で無いと味わえないモノですからねえ・・・・
例えば料理とかも、単に味だけでなく、匂いや見た目、その場の雰囲気やシチュエーションなどで、
「おいしさ」も大きく変わってきますし、記憶への残り方とかも違ってきます。
その辺りまで踏まえれば、全てとは言わないものの、幾らかはリアルタイムを味わわないと、
せっかく、その時代を生きているのに、「もったいない」みたいな感じも同時にすると。

また、「過去の作品を掘り返す」にしても、その方法論の話が出てきますよね。
自発的にグングン掘り進めるならまだしも、結局は評価や知名度とかを基準にするなら、
現在進行形か? 過去か?の違いだけで、やってる行為自体は大差なくなりますし、
別に話題作だからと追う必要はなく、面白そうだなと思えば追えば良いんだと思いますよ。

とは言え、すぐ下でも触れますが、コミュニケーション・ツールと化した今のアニメ作品だと、
リアルタイム感の強味って、それこそ「ブーム」的な側面しか持たなくなっているのかな?
そう思うと、別に無理して追う必要もないか?と思う反面、
必ずしも、全てがそういう作品ばかりだとは限らないので、
逃がした魚があった時に、追わなかった事を後から悔いる事もあるかも知れませんが、
でもまあ、「効率的(コスパ)」を重視するとなれば、損をしても時間の方が大事だったりするかも。

とは言え、コスパ重視という価値観もまた、今風の流行と言えば そうなので、難しい所・・・・
コスパ重視になってしまう、現在の社会状況というのも充分に解るのですが、
その一方で、それでは新しいモノや面白いモノに、なかなか出会えない現実もあるんですよね。
って、個人が1人で気を張った所で、社会全体の風潮がそうなら、抗っても詮無いだけかも知れませんけど。

> あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。

でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。
そういう意味では、「孤独なオタク」同士がネット上や秋葉原などで繋がれてた、
2000年前後の一時って、本当に一瞬の徒花みたいな時間だったのかもしれませんね、今になって思えば。

▼ 物語シリーズについて
> 原田陽平さんの『ヤンキー経済』を読んでいると、最近はマイルドヤンキーでもアニメを見る、という記述があり、
> それ自体は「まあ、そんなもんだろう」と私も思っていたのですが、
> 例えばどんなアニメを見ているか、という例で出てきたのが化物語だったんですよね。

まあ、あの当時の西尾維新作品って、純文学とラノベの中間あたりに位置していて、
書店とかでも、独立してコーナーを設けられるくらい、人気のある作家でしたからねえ。
言うなれば、そういう絶妙な立ち位置にあって、
ラノベ寄りなのが西尾維新、純文学寄りなのが村上春樹って感じでしょうか?(笑)
軽妙な会話のキャッチボールとかは、心地良いです。
また、アニメ化に関しても、新房昭之&シャフトという組み合わせであり、
同じタッグだった「まどかマギカ」とかもそうですけど、やはり映像がスタイリッシュなんですよね。
なので、実際にマイルド・ヤンキー層が好むような作品かは さておき、
(それこそ今なら、「東京リベンジャーズ」とか好きそう)
少なくとも、原田陽平は好きそうだよなぁ・・・とは思いました(笑)。

> 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> 管理人さんはどっちでしたか?

オタクじゃない人たちから見れば・・・キモいんじゃないですか?
そもそも化物語以前に、萌えキャラとか出ているアニメは、全てキモいと感じるでしょうし、
アニメ耐性が無く、子供を持つ母親たちからすれば、犯罪者予備軍にも映るかも(苦笑)。
とは言え、そうした反応を強く示すのは、恐らくインテリ系ママ層に多い気もするので、
比較するならマイルド・ヤンキー層の方が、嫌悪感は低いかも知れませんね。
ステレオタイプなイメージですが、スキンシップ大好きで、結婚・出産とかも早いですし。
ただ、ひとたび嫌だとなれば、あからさまに嫌悪感を隠さないのは、却ってコチラの層かも。

で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
まあ、あの頃は化物語なんて可愛いぐらい、本当にキモいロリコン・アニメとかも多かったですし、
そこから更に10年も遡れば、おっぱい描写も、パンツ描写も、普通に溢れてたので・・・・
藤子不二雄アニメとか、そういう子供向け作品でも、普通にエロがありましたし、
それに何より、小中学生女子の全裸モロ出しヌード・グラビアとかが、
当たり前にコンビニで立ち読みできる日本の社会だったので、感覚がバグってる所はあります(苦笑)。

あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。
確かにペド的な作品は、もう見掛ける事もありませんし、
萌え描写というのも、マイルドというか、既に記号化された感があるので、
一言に「ロリコン・アニメ」と言っても、現在と、10年前と、20年前とでは、かなり感覚が違うのかも?

▼ ウクライナ戦争の余談
昨今のウクライナ戦争に関し、真面目な話題は別スレッドに譲るとして(笑)、
戦争物のアニメとして思い浮かんだのが、「火垂るの墓」と「最終兵器彼女」でした。
ちなみに この両作品も、「何歳くらいで見るか?」で、見え方が大きく変わる作品かと思われます。
メッセージ性が高い作品だからこそ、そこには当然、高レベルな作為性が存在しますからねえ。

特に最終兵器彼女の方は、作者も最終巻の あとがきで、
「たとえば五年経ったら この本はその誰かにとって もう意味のないものになっているでしょう。
 そんな時がきたら どうか、この本を誰かに譲ってください。」
とまで書いているので、計算的に演出されているのは明らかでしょうし。

あと、こちらは少し不謹慎なネタかも知れませんが、
若き日の岡田斗司夫や庵野秀明が手掛けた、特撮パロディ「愛国戦隊 大日本」のテーマ曲から、
「♪もしも日本が弱ければ〜 ロシアはたちまち攻めてくる〜」というフレーズや、
https://www.youtube.com/watch?v=6d8romXBRTg
十数年前に、ニコニコ動画で流行った空耳曲「金正日・プーチン 友好の歌」から、
「♪キムジョンイ〜ル、プーチ〜ン プーチ〜ン、キムジョンイ〜ル」というフレーズを、
https://www.youtube.com/watch?v=Bgw2xTYAOio
最近、ついつい無意識の内に、鼻歌で口ずさんでる自分に気付いたり(苦笑)。


[23903] Re:「ホワイト革命」の動画を見ての感想(一部追記)返信 削除
2022/4/14 (木) 00:00:49 旧トルコ担当


▼ ホワイト革命

> 言っている事は、そこまで的外れでは無いと思うものの、
> それが「革命」と呼べるレベルまで大きいかとなると、ハッキリ言って同意しかねると。
> 「当たり前の傾向」と「当たり前の変化」が、大袈裟に感じ取れてるって感じでしょうか。


なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。
そうすると、後半全部なしになるので、感想としては中途半端になるのも納得。
申し訳ないです、おススメした私のミスでした。

簡単に後半の内容を紹介すると
https://twitter.com/hayaokiinoue/status/1472724635141963776/photo/1

(1)社会意識のさらなる向上
今多くの人が普通にやっているような、人前でちょっと悪口を言ったり、不平不満を言うことは、犯罪者予備軍として見られるようになる
現在のアニメ等もまた、美男美女しか出てこないのは差別的だ、と言われるようになる
(2)排除の時代
それでもなお、他人の悪口を言ったり、ルッキズム的な発言をしたりする人は、まともな社会から排除される
 (例えば、AIによりネットの裏アカウントなどが特定されるようになり、裏カウントで差別的なことをツイートしてる人は、就職・転職面接でこっそり排除される)
つまりは、現在、有名人が差別的な発言をすると叩かれ、社会的地位がはく奪されるのと同じようなことが、一般人相手にも行われるようになる
かつての家柄社会から学歴社会へ社会が移り変わったように、これからは学歴社会、実力社会から、ホワイト社会(ホワイトかどうかによって、社会的地位が決まる社会)になる
(3)ネットも同じ
かつての2ちゃんのような、リアルで言えないえげつない悪口も、ネットでなら言える、という時代は過去のものになりつつあり、
そうした悪口を言うようなSNSアカウントは、不快なのでみんなからだんたんミュートされている(が、本人たちは気づいていない)
(4)ホワイト世代の台頭
こうしたホワイト革命の担い手は、現在の30代以下〜10代後半以下のホワイト世代である
彼らは、マンガやアニメなどの綺麗ごとを肯定する物語を見てきた世代のため、前の世代と比較して非常に良い子化が進んでいる

という感じです

> まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?


そうですね。
「生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変(の法則)」
というのは、私も同意です。

映像の世紀を見ていると「1960年代ってこんなに汚かったのか!」と衝撃を受けますし、
生活レベルが上がれば、衛生に対する意識から、人権などの意識まで向上する、というのは私もホワイト革命の動画を見る前だって思っていました。

しかしその上で、ホワイト革命が衝撃だったのは、
その法則を現代にも適用すると、ちょっと先の未来はどうなるのか、ということを予測した点だったと思います。
私たちは過去のことは客観的に見れても、自分たちのことは客観的に見つめられませので。

> それと、1&2と3は、全く纏まりの無い括りのように感じるのですが、
> 恐らくは、心理的な「潔癖主義」と、物理的な「潔癖主義」を、同じモノとして捉えて、
> 潔癖から「潔白」を連想しての、「ホワイト革命」という表現なんですかねえ?


そうだと思いますよ。

> まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?
> もちろん、時にはバンカラ文化や不良文化などが、一部で流行ったりもしましたが、
> それにしたっって、あくまでもアンチテーゼとしてのカウンター・カルチャーであり、
> そうしたモノが流行るのは、それだけ急速に生活レベルが上がってる証拠なんですよね。
> 向上が急スピードだからこそ、敢えて逆らおうとする反骨心の現れでもありますし、
> 逆に言えば、そうしたカウンターが生じないのは、それだけ勢いが乏しい時代だと言えるかも知れません。
>
> また、「好き/嫌い」と「良い/悪い」は本来 別の概念ですけど、
> (「良い」と「正しい」も異なりますが、話が面倒になるので割愛・笑)
> ここでは、それを混同しているのは、岡田斗司夫自身が区別できていないのか?
> はたまた、区別できないレベルの人々を、想定しているのか?
>
> まあ、それはさておき、この1と2で実例として挙げた「おにぎり」と「不倫」の例も、
> 私自身はしっくり来なかったと言うか、正直言って、正しく認識できてない印象を受けました。
> そもそも岡田本人がサイコパスを自称しているくらいなので、
> 自分の損得が関わらない限り、他人の心の機微を読み取るのは、恐らく不得意な人だと思いますし、
> そういう正確だからこそ、却って自分に都合良く解釈している感じはするんですよ・・・・
> オタクとして「作品考察」する分には面白いですし、主観的な解釈でも構わない世界ですが、
> しかし、社会における「人間観察」というのは、主観性が客観性の邪魔をしてたらダメでしょうね。
>
> 「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられない」という有吉の話も、
> 実を言えば、私も少し苦手意識があるので解るのですが(苦笑)、
> あれって、その感覚が解らなかったり、深く考えたりしない人だと、衛生面の問題だと誤解するのですが、
> 実際はそうではなくて、心理的な壁、つまりは「ATフィールド」の話なんですよ!!(笑)
> 自分のお母さんの手が衛生的だから、安心して おにぎりを食べられるという事ではなく、
> 家族という同じグループの一体感(安心感)から食べられるので、
> よそのお母さんは、異なる家族というグループに属するから、心に境界線が生じるんです。
> そして、核家族化や地域社会の疎遠化により、一体視できるグループの範囲は年々縮小していると。
> ですから、別に おにぎりでなくても、加熱された手料理だってNGなんですよね。
> 手料理は心が籠もる(魂が宿る)為、心を許せていれば心地良い反面、心を許してなければ障害になるので。
> 職人やコンビニの料理なら大丈夫なのは、衛生面の問題以上に、そこに余計な愛情が含まれないからなんです。
> 品の無い例えですけど、「風俗は不倫じゃない」みたいな話の感覚に似ているかな?
> って、私自身で言うと、職人が握った寿司にしても、少し苦手意識はありますが(苦笑)、
> だからと言って、職人がビニール手袋を着けて握っていても、そこまで意識は変わらない気がしますし、
> 実際、有吉自身も番組開始当初、夏目アナの手料理の差し入れを「迷惑!」と切り捨てていましたけど、
> いざ夏目アナと結婚すると、彼女が握った おにぎりも、普通に食べると言ってましたからね(笑)。
>
> 続いて、不倫話に関して言うと、不倫してる人が全てバッシングされる訳じゃないんです。
> 元々アンチ層を抱えてる芸能人が不祥事を起こして、心置きなく叩ける免罪符を得られたり、
> 大して好きではなかったが、好感度で商売していたタレントが、それに反するような行為をしたり、
> 初めから不祥事の肩書きを背負い、「こいつは叩いてもOK」な扱いで登場するから、炎上するのであって、
> 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。
> 逆に、雨上がり宮迫は、芸達者であっても、格好付けな性格が昔から嫌われてもいた為、
> 闇営業の問題で あそこまでのバッシングを受け、そんな性格が事態を更に悪化させたのですが、
> あの問題を、ここまでの大事件に発展させてしまったロンブー亮は、そこまで叩かれていないと。
> 結局、良い悪いという判断の話も、好き嫌いという感情の話に帰着してしまうんですよね・・・・
> そして、こうした判断と感情を混同する人の割合は、今の時代になって増えたと言うよりも、
> ネットの時代になって、存在が目立つようになり、悪い意味での影響力も増しただけだと思うんです。
>
> また、Twitterで悪口がミュートされるという例にしても、
> 悪い内容だから弾かれるのではなく、不愉快な内容だから弾かれる訳ですね。


この辺も、申し訳ありません。ホワイト革命論が前半のみで中途半端なため、論の趣旨が伝わらず、言葉のニュアンスが伝わってないんでしょうね。
とはいえ、ホワイト革命論っている内容って、かなり抽象度の高い話ですので、岡田斗司夫の言っていることを解釈しないと、話が分からないと思うんですよね。

「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられないのは、清潔度ではなく、ATフィールドだから」という話も、岡田斗司夫はおそらく、分かっていると思います。
そのうえで、細かく正確な話というより、全体をつかむ大雑把な話として、おにぎりの話を清潔度の例として持ってきたのだと思いますし。

不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

> また、Twitterで悪口がミュートされるという例にしても、
> 悪い内容だから弾かれるのではなく、不愉快な内容だから弾かれる訳ですね。
> ネットの使われ方が変わったと言うよりは、当時は利用者が一部に限られていたモノが、
> 今ではそれだけ、一般にもネットが、広く普及したという事かと思われます。
> そして、ここでいう「悪口」とは、社会通念的に悪いと認識されている発言と言うよりは、
> 個人的に「不快」となる発言が悪であり、例え悪口でも「快感」を得られれば善となると。
> だって、行き過ぎたバッシングだって、充分に悪口に該当するでしょうけど、
> バッシング集団の中に身を置けば、自分たちこそが正義であり、自分たちの行為は正当化される。
> 言うなれば、社会全体の空気感を読んで、正義とか常識を自らの損得に摺り合わせてた時代から、
> 始めから自らの損得を出発点に、正義や常識を自由にセレクトしたり、カスタマイズする時代となり、
> そういう意味では、自身の攻撃対象とさせない、攻撃対象となっても炎上させない為にも、
> ここで言う「ホワイト化」は意義があるかも知れません。
> しかし、それはあくまでも道具や材料に過ぎ無い事も、キチンと認識しておくのが重要かと?
> 要するに、原因と結果を取り違えるべきでは無いというか、
> 革命的な変化が起こっているのだとすれば、それは「正義の娯楽化・個人化」であり、
> 綺麗にしてれば安全とか、脛に傷があるとヤバいとか、そう単純な話でも無いって事ですね。


この辺も、私の認識は異なりますね。
確かに、正義の娯楽化+正義や常識を自由にセレクトしたり、カスタマイズする時代というのはSNSで一時期ものすごく盛り上がったんですよ。
ただもうそれは既に数年前くらいに次の段階に来ていて、SNSによりものすごい勢いで毎日のように正義論争が起きた結果、正義の共通見解ができたんですよ。
それはどういった共通見解かというと、完全な1ミリも間違っていない正論です。
ちょっとの悪でも許さない、絶対的な正義、きれいごと、これがコロナ前からのSNSの正義論争の終着点なんですよね。
もちろん、たまには「奥さんを侮辱されたハリウッドスターが、侮辱した司会者を殴った。正しいのはどちら?」みたいな、意見が割れるような論争も起きるのですが、
基本的にそういった(面白い)事件が起こることはまれです。

私の印象ですが、まだ2チャンネルとかには、そういったオレの正義的な雰囲気は残ってるんでしょうね。
オリンピックのエンブレム問題なんかも、火をつけたのは、2ちゃんねらーでしたし。
2チャンネルみたいな、板があって、スレッドがあって、そこで住人同士のすみ分けが行われている世界では、そういった排他的な正義が生まれるのですが、
SNSは意外とそれが難しいんですよね。
ある程度盛り上がれば、どうしても他の文化圏の人間が入ってきてしまう。
そうすると、排他的な正義なんて言うのは意外と成立しにくいんですよね。
(そういう意味では、実はSNSによる社会の分断なんて言うのも、実は昔から意見の隔たりはあって、SNSによってそれが可視化されただけという面もあるのかも?)

で、私がTwitterを見ている範囲では、政治ツイートなんかも、昔に比べて盛り上がらなくなってきている印象があります。
それこそ、前に例示した「宇崎ちゃん論争」の時なんかも、
Twitterではオタクとフェミニスト(?)の人たちが物凄いリプ合戦をしてたんですよ。
で、そういう意見が異なる者同士の争いというのはドンドン過激になっていき、両方とも相手へのバッシングや、集団での嫌がらせになっていくと。
ですが、こういうことって、された方も精神的にきついですが、意外とする方も精神的にきついんですよね。
結果として、私の狭い観測範囲の中でも、「もうTwitterで政治の話はしません」みたいな宣言をする人が何人かいますし。
そうして残されるのは、過激な嫌がらせをするのにもされるのにも精神的に耐えられるような、ある意味タフな人たちだけなので、
より過激になっていき、ですが大衆からはもう支持されないと。
(追記ここから)つまりミュートされるわけですね。
で、自身もまた、誰かの発言に怒るようなツイートもしないし、そもそもそういった自分の心を怒らせるようなものをミュートするので、
自分自身もまた、怒りの感情自体が沸いてこなくなる。これがホワイト化だと思います。(追記ここまで)
私はTwitterしか知りませんし(それもほんの一部ですが)、他SNSや、あるいはトランプが大統領にまでなってしまったアメリカなんかは違うのでしょうが、
管理人さんの印象ほど、バッシング集団の中だけで固まるのって、簡単じゃないと思うんですよね。

ふと思い出してみれば、下記のツイートがされたころには、もうTwitterは正義論争が起きてたんですよね。
https://twitter.com/sovietunion1945/status/1090349608377638912
上記のツイートの通り、何も最初からそうだったわけではなく、いつからか急激に変わりだしだしたんですよ。
確か、トランプ以前にはあまりそういう傾向ってなかった気がするので、2016年〜2019年の間くらいだったかな。

岡田斗司夫曰く「若者が高齢者以上に自民党よりなのは、野党の政権批判が汚く感じられるからだ。
野党はもっと与党批判のやり方を変えて、『私たちは自民党の味方ですよ。一緒に日本をよくしていきましょう。
ですが、自民党には自民党さんでいいにくいこととかあるでしょ。だからそれを私たちが代わりに言ってあげますよ。』
みたいな方向に転換した方が、より選挙戦略として正しい」とのことですが、
私も結構これには賛成ですね。
いってしまえば、野党の公明党化みたいなものでしょうか?
かつては安保運動の雰囲気みたいなものがあって、太平洋戦争で軍部に流されてしまった反省があったからこそ、
反体制=正義であり、体制側を厳しい言葉で非難することには、特に左寄りの人たちからは支持されたのですが、
今の若者からすれば、厳しい言葉を使っている時点で、攻撃的な嫌な人、という印象を持たれ、不利なんですよね。

> そもそも、本当にそんな時代となれば、岡田斗司夫も完全排除される側の人間ですし(笑)。

そうですね。岡田斗司夫自身、私は排除されてもいいんですw、と有料部分で言ってますw
ホワイト社会の完成は2030年代から40年代というのが岡田斗司夫の予測ですが、そのころにはもう本人は70代80代ですし。

▼ いちゃらぶ革命

いちゃらぶ革命の話も、あまりうまく伝わっていないようだったので、説明しなおすと、
「ホワイト革命世代は、恋愛ものというジャンルにおいても、誰かが傷つくような失恋の話を好まず、
いちゃらぶのような登場人物が幸せになれるような話しか望んでいない。
私の予測では、おそらく20年後には失恋もののアニメやマンガ、ドラマなどが、『平成っぽい・昭和っぽい』と言われるようになる」ということです。

とはいえ、話の重点は「いちゃらぶが増えていること」や「失恋ものが描かれなくなっていること」ではなく、
「登場人物が幸せになるような話しか望まれていない」ということですので、いちゃらぶ革命という名称が適切でないかもしれません。
例えば失恋を描かず、なあなあの友達以上関係をずっと維持するという方法もあります(俺ガイルはある意味これですし)。

例えるなら、モノを欲しがらない若者世代における、ミニマリストのようなものでしょうか。
全体として、モノを欲しがらない若者世代がいて、それが若者の車離れだとか言われるわけですが、そうした傾向の最も極端な形がミニマリストであると。
同じように、登場人物が幸せになる物語しか見たがらない世代が台頭しつつあり、それが失恋離れにつながっており、その再極端に位置するのがいちゃらぶであると。

その具体的な証拠として、
・最近のりぼんでは、失恋からいちゃいちゃへ大きくシフトしている
 (再掲載)『りぼん』編集部に聞く!「小学生の恋愛」は少女漫画でどう描かれてる?親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?(https://lee.hpplus.jp/column/2113728/
 Q 親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?
 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
 また、つき合うことへのハードルが下がっていて、“つき合った後”が描かれることが多いです。
 親世代は片思いの間のすれ違いを大事にしていたので、これは大きな違い。主人公がイチャイチャしているところ、幸せそうな様子が見たい、というのが今の子どもたちの気分のようです。
・2000年代後半の少女小説でも、姫嫁作品と呼ばれる、一話完結で、ヒロインと主人公のカップリングが最初から確定している恋愛ものが出現している
 「背景には長引く不況の中で、現実につかれた社会人がロマンティックでハッピーエンドな恋愛に癒しを求めているということが考えられている」(コバルト文庫で辿る少女小説変遷史)
・かぐや様もまた、失恋要素がうまく削られ、いちゃいちゃっぽくないか?
といった点を挙げています

あと更に追加として証拠を挙げるなら、
・「逃げるは恥だが役に立つ」はどうなんでしょう?私は見てないのですが、これもちょっと調べた感じでは失恋という感じではないですし……
 逃げ恥がいちゃらぶと呼べるかはともかく、バブル期の「東京ラブストーリー」はハッピーエンドではなかったらしいですし、
 恋愛ドラマ自体が減少する中で、失恋を描いたドラマってどんどん減ってる印象
・少し調べた感じだと、恋愛ソングでも失恋離れが進行しているみたいですね。
 https://realsound.jp/2018/04/post-185155.html
 https://agenda-note.com/customer/detail/id=1460
 https://kindaipicks.com/article/001740
 上記の記事の中では、失恋ソング離れはスマホの普及により、若者の恋愛が変化したからだ、としていますが、そんなわけ無いと思うんですよ。
 だって、恋愛をしていたら、失恋は絶対するでしょ。そこは変わらないはずです。
 そして、恋愛ソングを聞くのは恋愛をリアルでする層だけではなく、リアルでは恋愛をしないけど、恋愛ソングは聞く、という層もいると思うんですよ(特に学生は)。
 そういう層にとっては、現実の恋愛の変化というのは、あまり関係ないと思うんですよね。

> > > 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> > > 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> > > 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> > > これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)

> > そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。

> それって結局、流行ってはいない証だと思うんですよね。
> 何らかの概念が生まれ、それが人の口を膾炙するには、
> やはり、それを簡潔に示す「単語」の存在が不可欠なので、
> 広く出回ってる単語が無いという事は、そうした共有が行われていない事を意味するかと。


誤解が起きているので訂正しますと、
まず少女小説というものが80年代、90年代に流行しました。
しかし、00年代ごろからは、ライトノベルやボカロ小説、ケータイ小説に少女小説の読者層である10代女子を奪われ、衰退がはじまりました。
その衰退の中で、20代の少女小説読みの間で流行ったのが姫嫁作品ですね。
大本の少女小説自体がもう沈み始めていたので、その中で流行っている姫嫁作品も、大して流行っていない、ということです。

> 「かぐや様」のアニメは1期も2期も見てますし、今週から始まる3期も見る予定ですよ(笑)。
> といいますか、前回、「いちゃらぶモノが流行ってる」という話が出た際に、
> 「かぐや様は違うな」と、すぐさまパッと浮かびましたもん!!
> だって、あの作品、原作マンガの方はまだしも、アニメ版では未だカップルにすらなっていませんし、
> 双方の内面描画によって、秘めた「スキスキ」(すとぷりの曲じゃないですよ・笑)は存分に描かれているものの、
> 別に作品的には、イチャイチャも、ラブラブもしてませんからねえ。
>
> また、視聴者や読者は神目線で、両想いな事が解っているから、ニヤニヤしながら楽しめる作品であれば、
> それこそ昔から、数多くあると思いますしね。
> ですから「かぐや様」も、面白い作品だとは思いますけど、
> 別に目新しいとか、今風だよなと感じる事は、ハッキリ言って無いですね、少なくとも私は。


いや、そうだと思いますよ。
「かぐや様」という作品単体を見て、目新しいとは思わないと思います。
私が主張しているいちゃらぶ革命って、恋愛もの全体が失恋からいちゃらぶへカーブしている、という話ですので、
1作品だけを挙げても、なかなか分かりずらいかと思います。

▼ コロナ戦争

参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=gslo9O1ED3w

世界大戦、というのは(岡田斗司夫がちゃんと説明してないので)正直私にもよくわかってないのですが、
おそらく第一次世界大戦、第二次世界大戦においての、アメリカの戦前・戦後の変化を指して、
今回もそれに類似する激変がこの4年程度で起こる、ということなのだと思います。

ただこれに関しては、私はアメリカ社会史はサッパリですので、アメリカの戦前・戦後の変化がそもそも知らないんですよね。
管理人さんはその辺何か知りませんでしょうか?

そしてコロナの件に関して言えば、おそらく岡田斗司夫はコロナが収束することは無いと考えていると思うんですよね。
(確か、20年の4月くらいの動画の有料部分でそんな話をしていた気がします)
仮に今のコロナが収束したとしても、新しい変異株や、新しいウイルスが出てきて、今の自粛生活がずっと続くと。
そうした自粛生活に慣れてしまい、仮にウイルスがいなくなったとしても、人々が元の生活に戻らなくなる、ということなのではないでしょうか?

コロナ関連のニュースはデマも多そうなので、あまり調べないようにもしてるんですが、どうもNHKの話では、もうあと1,2年でどうこうなるものではない、みたいな言い方ですし。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji20/

(文章削除、書き直します)

> > 私の無い世界史知識を動員すれば、
> 一応、今の若い世代は、高校時代に世界史が必修だったはずですけどね(笑)。
> って、確か本年度から、安倍教育改革の一環で、世界史は必修から除外されたんでしたっけ?


私の場合は普通に高校でも世界史ありましたよ。
ですが、高校世界史って歴史人物の名前覚えやすくするための授業ですし、ぶっちゃけ本当の歴史に対する理解というのは、そこまで深まらないかと。
誰かの先生が、「高校生が本当に、世界史を勉強するなら、まず世界地理からやらなきゃだめだ」と言っていましたが、まさしくその通りかと。

> > モンゴル帝国もまたユーラシア大陸の交通網を整備し、グローバル化を進めた結果
> > ペストによりその試みは失敗に追いやられたはずですし、

> う〜ん、遊牧民族は通商民族の側面も持ちますし、
> モンゴル帝国の成立によって、巨大なユーラシア経済圏が作られたのも事実ですが、
> かと言って、「試み」とか「失敗」とか言うほど、大規模で計画的なモノでも無かったでしょうし、
> その一方で、こうして作られた経済圏の体験が、後の大航海時代にも繋がっている事を思えば、
> 大きな人類史の流れとして、そこまでネガティブな評価もしてませんね。
> 「真の世界史はモンゴル帝国から始まる」みたいな事も、よく言われたりしますので。
>
> > 今回のコロナをペストに例えることも可能なのでしょうか?
> 中世のペストと、現代の新型コロナとでは、ちょっと比較にならない気はしますね。
> 当時に比べれば、医療技術も格段に進歩してますし、そもそも世界の総人口が違いすぎるので、
> パンデミックが起きても、社会に与える影響は、今の方が遥かに限定的です。
> まあ確かに、今回のコロナ禍によって、私たちは息苦しい生活を強いられてますし、
> 格段に発達した交通網により、即座に世界的な流行ともなったのですが、
> 社会を劇的に変化させる、古代や中世までのパンデミックとは、やはり意味合いが異なりますよ。
> もちろん今回のパンデミックも、社会に変化を与えましたけど、それとはレベル的に別次元です。
> 感染症対策の参考にはなっても、そのまま未来予測に繋げるとかは、難しいんじゃないですかねえ?


いや、中世のペストと今回のコロナが規模が全然違うことは承知してますよ。
経済か人命か、などとよく言われますが、逆に言えばその程度の脅威でしかないわけですし。
とはいえ、感染症がグローバリズムへのアンチとなる、という大雑把な現象としては、両社とも類似する点があるのではないか、ということです。

余談ですが、新海誠の新作は「すずめの戸締り」らしいです。
予想通り、完全にコロナに寄せてきたな、という印象なのですが、何となく扉は閉まらないような気がするんですよね。
今回のウクライナ戦争もそうですし、もはや我々は狂気の扉が空きっぱなしの世界で生きていくしかないような、勝手にそんな気がしています。
2020年製作開始だったらしいのですが、やはり2020年の段階の世界観と、公開時の2022年の世界観では、この2年の間で色々変ってしまい、
あまり作品のメッセージが共感されなさそう。そういう意味では、不運な作品になるのかな?

▼ VRとAIについて

> > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。


個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

> > > 単なる実用性で言えば、「知能とは何か?感情とは何か?」とはまで行く必要はなく、
> > > それこそチューリング・テストのように、受話器やモニターの向こう側にいる利用者が、
> > > 対応相手が人間か?AIか?を区別できないレベルまで行けば充分でしょう。
> > > 例えば、お客様サポートなどのサービスが、
> > > 人ではなくAIで可能となれば、企業的には大助かりだと思いますけど、
> > > マニュアル対応の範囲内ならまだしも、臨機応変な対応は当分困難だと思うんですよねえ・・・・

> > そうなんですね。
> > お客様サポートが技術的に難しいとなれば、確かに今のAIってまだまだショボいと思います。
> > 私は理系は全然なので、岡田斗司夫が言う「10年後はAIYouTuberの時代」という話を割と信じていたのですが、
> > 管理人さん的には、この辺が岡田斗司夫の専門外の話には適当なことを言っている点なのでしょうか?

> AI YouTuberみたいなモノに対して、それにハマる人々が現れるか?という話なら「YES」、
> それが人気の大勢を占めるか?という話なら「NO」って感じでしょうか。


(1)技術進化について

AI YouTuberは可能だけど、お客様サポートが当分困難、というのは個人的には腑に落ちないのですが、どうなのでしょう?
それとも、お客様サポートが困難というのは近いうちは難しくて、将来的には可能であり、AI YouTuberはそのさらに先の話ってこと?
だとしたら、AI YouTuber・お客様サポートが実現可能になりそうなのって、ざっくりどれくらいなんでしょう?
AI YouTuberには個人的に見てみたいので、20年後くらいじゃない、とか言われたらちょっと残念w

(2)AI YouTubeの可能性

> 言うなれば、ニッチであっても人気があるなら、それも1つの時代だとは言えるでしょうけど、
> でもまあ、一般的に「○○の時代」と呼ばれるには、皆がハマるレベルだと思われるので、
> そうだとするなら、個人的には過剰評価だとは思いますけどね。
>
> 例えば今の技術なら、さすがにAIは難しくても、凄いCGは作れますよねえ?
> では実際、そうしたCGのグラビアが世間を席巻しているか?となれば、決してそんな事はなく、
> 実在するリアルな女の子のグラビアの方が、圧倒的に人気であるかと思います。
> CGの女の子であればシミ1つありませんし、個々の好みにカスタマイズが出来ても、
> 写真かと見紛うばかりの出来であっても、やはり そうでは無いんです!!
> それは何故かと言うと、人間というのは、単なる見た目の美だけを追い求めている訳では無く、
> 感情というフィルターを介して物事を見る為、人間とCGでは感情移入の部分で大きな差が生じるんです。
> 多くの人は、見た目やら、発言などを介して、その奥にある「人間像」を味わっているので。
>
> で、逆説的に言えば、人間とCG、もしくは人間とAIの区別さえ出来ないレベルとなれば、
> ビジネス的に、かなりの可能性は生まれるとは思うのですが、
> しかし一方で、YouTuberの動画を楽しむという行為は、仕事ではなく娯楽の世界であり、
> そうなると、これって実はCGやAIなのでは?と疑念を抱くと、素直に楽しめないはずなんです。
> 「区別が付かなきゃ、どちらでもOK」という人も居るでしょうが、大部分の人は違います。
> だとすると、結局は、SNSを利用する有名人の「本人認証」のように、
> 人間である事の証明する機能が求められる気がしますし、
> そうなってしまえば、やはりCGやAIの価値というのは、その程度という話になります。
> もちろん、「2次元やアニメ画こそ至高」って人たちも居ますが、決して多数派には成り得ません。
> つまりは、「時代を作る」というレベルにまでは至らないと。
>
> それこそ、芸能人に「なりすまし」したTwitterやInstagramを見ていたとして、
> それを本人によるモノと信じている内は、確かに楽しめるのでしょうが、
> それが本人では無いと解った段階で、楽しい所か不快な気持ちに包まれます。
> 内容的に楽しめたから、本物でも偽物でも構わないなんて感じる人は、ほんの一握りなはず。
> また、始めから、なりすましの演技として、楽しむような人も居るでしょうけど、
> そういう人が、社会の大多数を占めるとは到底思えないので、やはりニッチな世界で終わるかと?


私の考えは反対ですね。
AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。
AI YouTuberもマンガのキャラクターだと思えば、リアルYouTuberの人間味に対しても、キャラクター性で勝負可能だと。
そもそも、芸能人やYouTuberも、結局は商売であるため、観客は「でもこれって演技だよな……」と思ってしまいますし、
売れてるYouTuberほど、視聴者は「作ってるんじゃないの?」と疑ってしまうと。
で、演技かもしれないけど、演技であることを受け入れて芸能人やYouTuberを見るようになれば、
それはもう人間味ではなく、キャラクター性だと思うんですよね。

グラビアだってCGではなくリアルだからみんな見る、とのことですが、ではこれってエロ漫画はどうなのでしょう?
エロ漫画だってコンビニで売られてるくらいに、需要はあったと思います。
別にリアルの人間である必要って、そんなにないのでは?

AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。
だってみんなそんなに人間味を求めているなら、こんな文字だけの掲示板よりもYouTube見るでしょ。

(3)AIの可能性

もしAI YouTuberが可能なくらいAIに技術的可能性があるのであれば、AIはYouTuberなどではなく、やはり娘になると思いますよ。

私が見ていたVtuberの生配信で「こんな可愛い女の子と一緒にゲームしたい」というようなコメントがあったのですが、
まずゲームのNPCにAIが搭載されて、一緒にゲームができるAIが出現すると思うんですよね。
ゲームなら環境的にもAIが作りやすいでしょうし、そういうのを求めてる層も、やりたいのはAI美少女と一緒に外出するとかではなく、
一緒にゲームすることだと思うので。(ラブプラスがブームで終わったのも、オタクを無理に外に出そうとしたからなのでは?)
そういうものが日常になっていけば、AIにだって情は沸きますので、いつしかAIに喜ばされるだけではなく、AIを喜ばせるようになる(=娘化する)のではないでしょうか。

私は知能とか、知性とか、そっちの勉強はしていませんので、それでもそんなAIは本当の人工知能ではないのでしょうが、
でも別にそれで問題ないんじゃないんですかね。
AIの対応が不十分なら、人間の側が慣れて、AIがうまく返しやすい範囲内の話題でおしゃべりすればいいわけです。
別に、人間相手だって、相手によって話題は選びますし……
それでもAIは充分需要はあるでしょうし、というかそっちに慣れてしまえば、もうリアルの女の子とつきあうとか、ストレスが多すぎてできなさそう。

▼ 物語シリーズについて

> > 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> > 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> > オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> > 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> > はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> > ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> > 管理人さんはどっちでしたか?


> で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
> 今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
> 正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
> まあ、あの頃は化物語なんて可愛いぐらい、本当にキモいロリコン・アニメとかも多かったですし、
> そこから更に10年も遡れば、おっぱい描写も、パンツ描写も、普通に溢れてたので・・・・
> 藤子不二雄アニメとか、そういう子供向け作品でも、普通にエロがありましたし、
> それに何より、小中学生女子の全裸モロ出しヌード・グラビアとかが、
> 当たり前にコンビニで立ち読みできる日本の社会だったので、感覚がバグってる所はあります(苦笑)。
>
> あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
> かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。
> 確かにペド的な作品は、もう見掛ける事もありませんし、
> 萌え描写というのも、マイルドというか、既に記号化された感があるので、
> 一言に「ロリコン・アニメ」と言っても、現在と、10年前と、20年前とでは、かなり感覚が違うのかも?


いや、物語シリーズのロリ愛は本気度高いですよ。
もちろん、あれよりも過激なロリものって、おっぱいだろうと、兄弟セックスだろうと、今でもDLsiteとかPixivにはいくらでもありますが、
それらって描写が過激なだけですよ。
そういったテンプレではなく、物語シリーズは作ってる側が「ロリのこういうところがいいんですよ!!」という声が聞こえてきそうなんですよね。

個人的に本気度高いな、と感じた物語シリーズのロリ描写を上げるのであれば、
二人の妹がお兄ちゃんみたいな男とつきあっている、という設定ですね。
「お兄ちゃん愛してる」でもなく、「妹とつき合ってる」でもなく、
妹が他の男とつきあうことを許容しながら、でもつきあうのは兄に似てる男子という辺りが、
「こういう妹がいて欲しい!!」という製作者側の気持ちが伝わってきました。

いや、こういうこと書くと、お前の性癖の話かよ、と思われそうですが、私はそっちのロリには全然興味ないんですよ。
で、普通はそういうのって、その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらないと思うのですが、
物語シリーズってその辺のロリ愛が、そうでない人間にも伝わってきたので、
これオタク以外の人にも分かっちゃうんじゃないのかなあ、と感じたのですが、
やはり普通の人には伝わってなかった感じですね。

> まあ、あの当時の西尾維新作品って、純文学とラノベの中間あたりに位置していて、
> 書店とかでも、独立してコーナーを設けられるくらい、人気のある作家でしたからねえ。
> 言うなれば、そういう絶妙な立ち位置にあって、
> ラノベ寄りなのが西尾維新、純文学寄りなのが村上春樹って感じでしょうか?(笑)
> 軽妙な会話のキャッチボールとかは、心地良いです。
> また、アニメ化に関しても、新房昭之&シャフトという組み合わせであり、
> 同じタッグだった「まどかマギカ」とかもそうですけど、やはり映像がスタイリッシュなんですよね。
> なので、実際にマイルド・ヤンキー層が好むような作品かは さておき、
> (それこそ今なら、「東京リベンジャーズ」とか好きそう)
> 少なくとも、原田陽平は好きそうだよなぁ・・・とは思いました(笑)。


> オタクじゃない人たちから見れば・・・キモいんじゃないですか?
> そもそも化物語以前に、萌えキャラとか出ているアニメは、全てキモいと感じるでしょうし、
> アニメ耐性が無く、子供を持つ母親たちからすれば、犯罪者予備軍にも映るかも(苦笑)。
> とは言え、そうした反応を強く示すのは、恐らくインテリ系ママ層に多い気もするので、
> 比較するならマイルド・ヤンキー層の方が、嫌悪感は低いかも知れませんね。
> ステレオタイプなイメージですが、スキンシップ大好きで、結婚・出産とかも早いですし。
> ただ、ひとたび嫌だとなれば、あからさまに嫌悪感を隠さないのは、却ってコチラの層かも。


話の本題は、マイルドヤンキーの人たちも化物語なんか見るの?ということでしたが、
管理人さんの解釈としては、あれはマイルドヤンキーの人たちが好きなのではなくて、
原田陽平の個人的な趣味っていうことであってますか?
そうであれば、原田陽平はマーケティング分析本に自分の趣味を入れる、結構な人物ということになってしまいますが。

▼ オタク史について

> > > ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> > > オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> > > さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> > > 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?

> > オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、

> なるほど、諸々含めて100冊って事ですか。
>
> > その上でおススメを聞かれたら「いや、100冊全部おススメだよ」というのが本気の答えですがw
> という事は、今までにハズレの本は無かったと!?(笑)
> 何段階くらいに分けるかは人それぞれですけど、
> 普通は漠然とでも、評価のランク分けとかしませんか?


ランク分けはしますが、そのうえでAランクからCランクまで全部おススメだよ、ということですね。
そのくらいオタク史にはハマっている、ということです。

> > といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?
> う〜ん、あまりパッと思い浮かばないかなぁ・・・・
> 私としては、「文化論」としてよりも、「文化」の方への興味が強いので、
> どちらかと言えば、作品そのものが先に浮かんできますし。
>
> でもまあ、1冊で網羅的にであれば、以前の雑談スレッド時にも紹介しましたけど、
> 「オタク的想像力のリミット 歴史・空間・交流から問う」は良かったですよ。
> https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
> 様々な人が書いた 30ページくらいの小論文が、14本掲載されています。
> あとは、「思想地図β vol.1」とかは、
> https://www.amazon.co.jp/dp/4990524306/
> 創刊号という事で、採算度外視で好きな事を詰め込んだ感が、個人的に面白く思えたので、
> その編集を務めた東浩紀の半生記とかは、オタク的かはともかく、読んでみて損は無いかと?
> 「ゲンロン戦記 知の観客をつくる」
> https://www.amazon.co.jp/dp/4121507096/
> 昨年ヒットした新書の1つなので、一般的な評価も悪くないと思いますし。
> って、旧トルコ担当さん的には、先にこっちを視聴した方が、スムーズかな?
> 「東浩紀×岡田斗司夫 本当に初めての対談〜ニコ生トークセッション」
> https://www.youtube.com/watch?v=gC82nG_gFi0
> 東が酔いながら必死になって、岡田にハルヒ視聴を薦める姿は、ちょっと愉快です(笑)。


ああ、やはり評論系が多いんですね。
私としては、評論系は割と適当なこと言ってる本も多いので苦手なのですが、まあ多少は手を出してみようかな、と思いました。
ありがとうございます。

▼ アニメ

> > > 「新作アニメはほとんど見ない」というのは、正直意外でしたね。
> > > オタクを称しており、しかも大学生となると、
> > > 普通に、新作の視聴がベースかと考えていたので。
> > > ちなみに、この調子ですと、旧トルコ担当さんって、
> > > 「リアルタイムで新作を追う」という時期は、以前から無かったんですか?

> > アニメを見るようになったのは高校生からですが(中学まではラノベのみでした)、その時から新作アニメは追っていませんでした。

> ほ〜、なるほど、なるほど。
> ちなみにラノベに関しても、別に新作は追ってなかったんですかねえ?


そこまで新作は追っていませんでしたね。
といいますか、アニメは今期のアニメ中心に放送されますが、ラノベって書店の本棚見てるだけでは何が新作か分かりませんし、
ラノベで新作追っかけている人って、ある程度コアなファンのイメージ。
テレビ放送と、書店の本棚という形態の違いですね。

> > なぜかと言われれば、自分の好きなものを追っかけるのがオタクであって、
> > 流行りものを追っかけるのはオタクじゃないでしょ、と思っているからですね。
> > 一応、毎季ごとにアニメの新作はチェックはするんですが、チェックだけしてほぼ見ないです。
> > 実際問題、アトム以来50年以上テレビアニメが作られ続けているわけであって、
> > 良い作品を探すのであれば今季作品の中から探すより、過去の作品を掘り返した方が効率的ですし。

> う〜ん、確かに作品の内容だけを楽しむなら、それもアリかと思います。
> とは言え、作品の楽しみ方というのは、それ以外にもいろいろとある訳で、
> 特に「リアルタイム感」に関しては、その時で無いと味わえないモノですからねえ・・・・
> 例えば料理とかも、単に味だけでなく、匂いや見た目、その場の雰囲気やシチュエーションなどで、
> 「おいしさ」も大きく変わってきますし、記憶への残り方とかも違ってきます。
> その辺りまで踏まえれば、全てとは言わないものの、幾らかはリアルタイムを味わわないと、
> せっかく、その時代を生きているのに、「もったいない」みたいな感じも同時にすると。
>
> また、「過去の作品を掘り返す」にしても、その方法論の話が出てきますよね。
> 自発的にグングン掘り進めるならまだしも、結局は評価や知名度とかを基準にするなら、
> 現在進行形か? 過去か?の違いだけで、やってる行為自体は大差なくなりますし、
> 別に話題作だからと追う必要はなく、面白そうだなと思えば追えば良いんだと思いますよ。
>
> とは言え、すぐ下でも触れますが、コミュニケーション・ツールと化した今のアニメ作品だと、
> リアルタイム感の強味って、それこそ「ブーム」的な側面しか持たなくなっているのかな?
> そう思うと、別に無理して追う必要もないか?と思う反面、
> 必ずしも、全てがそういう作品ばかりだとは限らないので、
> 逃がした魚があった時に、追わなかった事を後から悔いる事もあるかも知れませんが、
> でもまあ、「効率的(コスパ)」を重視するとなれば、損をしても時間の方が大事だったりするかも。
>
> とは言え、コスパ重視という価値観もまた、今風の流行と言えば そうなので、難しい所・・・・
> コスパ重視になってしまう、現在の社会状況というのも充分に解るのですが、
> その一方で、それでは新しいモノや面白いモノに、なかなか出会えない現実もあるんですよね。
> って、個人が1人で気を張った所で、社会全体の風潮がそうなら、抗っても詮無いだけかも知れませんけど。


まあ、コスパ重視というほどのものでもないと思いますが。
何も、過去の話題作だけを追いかけているというわけではなく、稀にニッチな昔のアニメ見てたりもしますし。
新作も多少は見ますよ。リゼロとかはリアルタイムで見てましたし。

> > あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> > 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> > 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> > コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

> まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
> アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
> 目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
> とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
> だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。
>
> でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
> これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
> それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。


うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。
とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

あとこれ考えていてわかりましたが、オタク・イズ・デッドって、このタコツボ化のことなんでしょうね。
昔はネットがなく、オタク人口も少なかったので、オタク同士が仮に出会えたとしても、趣味が異なり、結果として相手の趣味も理解せざるを得ないと。
「おたくのビデオ」(アニメ)ではまさしく、マンガおたくや、ガンマニアや、アイドルおたくなどが1つの部屋に集い、互いの好きなものを教え合うシーンがありましたし、
でも今ではオタク同士の交流が簡単なので、マンガおたくならマンガおたくとしか交流しないと。
そういう意味では、寒い時代……、なんでしょうね。

> そういう意味では、「孤独なオタク」同士がネット上や秋葉原などで繋がれてた、
> 2000年前後の一時って、本当に一瞬の徒花みたいな時間だったのかもしれませんね、今になって思えば。


個人的には秋葉原よりも90年代のパソコン通信とかの方があこがれがありますね。
パソ通自体が敷居の高いものでしたから、濃いオタクが多そうな印象。氷川隆介さんなんかはここ出身らしいですし。
過去ログがないのが残念です。


[23904] コロナと物流について返信 削除
2022/4/15 (金) 13:41:15 旧トルコ担当

▼ コロナと物流について

> ちなみに、引用元で私が書いてた内容というのは、
> 「グローバリズム」というよりも、「新自由主義」に関する話だったんですよね。

(中略)
> 私としては、このコロナ禍によって、行き過ぎた新自由主義経済に、
> ブレーキが掛かる可能性を呈示しただけであって、それは必ずしも終焉とイコールではなく、
> 更には、それがグローバリズムに関しても一緒かとなると、そういう事ではありません。


> それに これって、岡田の自説であり、旧トルコ担当さんも同意していた
> 「無意味にグローバル&無限にローカル」という主張と相反しませんか?
> それとも、これはグローバリズムが終焉するのは、物流限定の話?
> 物流だけ切り離せるかは、とりあえず置いておくにしても(私は無理だと思う)、
> 実例として、最近起きたマクドナルドのポテト不足の話をしてましたけど、
> なぜ常態化すると思うのか?の具体的な説明を欠いていた為、納得感はありませんでした。


岡田斗司夫のグローバル化終焉論は、物流の話でしょう。
「自由貿易の前提が崩れつつあるんですよ。(中略)
このコロナ戦争によって、各国それぞれの思惑とか、管理、それは健康にしても衛生にしても、が違いすぎて
それによって、よりグローバルであるのが当たり前だということで、
この20年間くらい、ひたすらひたすら流れるようにしてきたものが、今崩れつつある」岡田斗司夫ゼミ#425 (30分ごろ)

で、管理人さんが第一波が終わった後に書いていたことも、新自由主義の話だけではなく、物流の話もしていたと思うのですが、違うのでしょうか?

> あと、今回はリーマンショックや世界恐慌などと違い、
> 人為的に経済を止めただけなので、すぐに回復できるという意見もありますが、
> 世界規模で数ヶ月に亘り経済を止めて、ダメージが無いわけ無い気がしますし、
> 自粛生活によって、世界的に消費マインドが落ち込んでしまったり、
> 世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?など、
> 経済分野に疎い私でも、そんな気安く楽観視できない状況にあると思うんですけどね。

Re:コロナ後の世界とベーシック・インカム

ふと目に入った資料では、コロナとウクライナ危機でサプライチェーンの脆弱性が明らかになった、とありますし、
米中貿易戦争やロシアの国際貿易の排除なんてことも起きてしまったわけで、
本当に、このコロナの自粛生活が当たり前になるのであれば、まあ物流規制の状態化というのもあり得るのでしょうか?
http://www3.keizaireport.com/report.php/RID/491214/

コロナが明ければ元に戻る、というのも日本人だけの考えで、
マスク無しが当たり前になっている海外では、既にコロナが明けている、という意識なのかな?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220414/k10013581791000.html

日本人からすれば
コロナ前→今もコロナ禍→コロナが空ければ、国内の規制(マスクなど)も、海外との規制もなくなる
と考えがちですが、
外国人は
コロナ前→コロナ禍→今は国内規制の無い段階→将来的に海外との規制もなくなる?なくならない?
という風に見えてるのかもしれない、ということです。



[23908] 返信は、また次回返信 削除
2022/4/18 (月) 21:32:55 徳翁導誉

申し訳ありません・・・・
ワクチン接種の副反応により、未だ本調子では無い為、
不要不急である雑談スレの返信に関しては、また後日という事で。
2回目接種の際も、1週間ほどで完全復調となったので、
恐らく、次週なら大丈夫かと思われます。


[23920] ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その1)返信 削除
2022/4/26 (火) 21:09:26 徳翁導誉

▼ ホワイト革命
> > 言っている事は、そこまで的外れでは無いと思うものの、
> > それが「革命」と呼べるレベルまで大きいかとなると、ハッキリ言って同意しかねると。
> > 「当たり前の傾向」と「当たり前の変化」が、大袈裟に感じ取れてるって感じでしょうか。

> なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
> ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。

という事は、旧トルコ担当さんは、岡田斗司夫サロンの有料会員なんですね!
そこまでしているとは、なかなか入れ込んでますねえ(笑)。
ちなみに、他にも誰かのサロンの有料会員になってるのですか? それとも岡田斗司夫だけ?

> そうすると、後半全部なしになるので、感想としては中途半端になるのも納得。
> 申し訳ないです、おススメした私のミスでした。
> 簡単に後半の内容を紹介すると
> https://twitter.com/hayaokiinoue/status/1472724635141963776/photo/1

このリンクって、「図解ボード(グラレコ)」を紹介したいのでしょうか?
これでしたら、動画内で詳しく解説はされてなかったものの、チラチラ映ってはいましたから、
一時停止をして、視聴時に既に目は通していますね。
ですから、これを紹介されても、私自身の認識としては別に変わらないかな?
その「有料の後半部分」において、前半部分を大きく覆すような話があるならまだしも、
恐らくは前半の延長線上の話でしょうし、後半が補足や詳説の程度であれば、そんなに大差ないです。

あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。

> > まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> > 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> > 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> > 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?

> そうですね。
> 「生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変(の法則)」
> というのは、私も同意です。
> しかしその上で、ホワイト革命が衝撃だったのは、
> その法則を現代にも適用すると、ちょっと先の未来はどうなるのか、ということを予測した点だったと思います。
> 私たちは過去のことは客観的に見れても、自分たちのことは客観的に見つめられませので。

それは決して、「ホワイト革命」という概念が衝撃的だったのではなく、
そう言った、「未来を予測する見方」というモノに、衝撃を受けたのでは?
その辺りを混同されると、話の方向性が滅茶苦茶になってしまうと思いますよ。

あと、そもそも私の専門である「物理学」自体が、
「過去から法則を見出し、そこから未来を予測する」学問であるとも言えるので、
個人的には、全く目新しさを感じないというか、「全ての基本だよ」という感覚はあります。
物理学って何も、投げたボールの放物線の軌道だけを予測する学問じゃないんですよ(笑)。
例えば、この手法を金融市場で用いてる物理学者や数学者たちは「クオンツ」と呼ばれて、
今ではウォール街を支配する人々になってますし、
以前、私が「歴史物理学」という話をしたのも、そういうような内容だったんですよ!?
この感じだと、その意図は全く伝わっていなかったみたいですが・・・・

逆に言えば、そうしたアカデミックな思考法に慣れ親しんでいるからこそ、
「当たり前の話」とか、「論拠が不十分」とか、「不適当な飛躍」って感じに映るんでしょうね。
それこそ以前、旧トルコ担当さんも おっしゃってましたが、
岡田斗司夫の論調って、別にアカデミックな感じではなく、「個人の感想」レベルの話なので。

> > まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> > 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> > 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> > 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?

> この辺も、申し訳ありません。
> ホワイト革命論が前半のみで中途半端なため、論の趣旨が伝わらず、言葉のニュアンスが伝わってないんでしょうね。
> とはいえ、ホワイト革命論っている内容って、かなり抽象度の高い話ですので、
> 岡田斗司夫の言っていることを解釈しないと、話が分からないと思うんですよね。

何だか この感じ、新興宗教やマルチ商法にハマった知人と向かい合った時と、凄く似ている・・・・
ですから、その論の内容に関して、実際に旧トルコ担当さん「自身の言葉」で説明して下さい!!
真に論を理解しているのであれば、それくらい出来るはずですし、
説明できないけど解っているつもりであるなら、それは単なる「信仰」に過ぎません。

また、自分で言うのも何ですが、私は物理や数学をやってますから、
世間一般の人よりは、「抽象度の高い話」への耐性が強いと思いますので、
思う存分、話を振ってきて来てもらっても、たぶん大丈夫ですよ(笑)。
繰り返しになりますけど、「これを見てくれ、これを読んでくれ」だけでなく、
旧トルコ担当さん自身の言葉で語ってみて下さい、お願いします。

正直な所、岡田斗司夫レベルであれば、そこまで「実害」も無いと思いますけど、
安易に信仰してしまうタイプになると、それこそ新興宗教や洗脳商法のカモにされかねませんし、
そうやって人生を狂わされた人を、実際に私も何人か見てきてはいるので、
そうならない為にも、自分の事場で語るというチャレンジは、行ってみて損は無いかと思います。

> > 「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられない」という有吉の話も、
> > 実を言えば、私も少し苦手意識があるので解るのですが(苦笑)、
> > あれって、その感覚が解らなかったり、深く考えたりしない人だと、衛生面の問題だと誤解するのですが、
> > 実際はそうではなくて、心理的な壁、つまりは「ATフィールド」の話なんですよ!!(笑)
> > だからと言って、職人がビニール手袋を着けて握っていても、そこまで意識は変わらない気がしますし、
> > 実際、有吉自身も番組開始当初、夏目アナの手料理の差し入れを「迷惑!」と切り捨てていましたけど、
> > いざ夏目アナと結婚すると、彼女が握った おにぎりも、普通に食べると言ってましたからね(笑)。

> 「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられないのは、清潔度ではなく、ATフィールドだから」という話も、
> 岡田斗司夫はおそらく、分かっていると思います。
> そのうえで、細かく正確な話というより、全体をつかむ大雑把な話として、
> おにぎりの話を清潔度の例として持ってきたのだと思いますし。

だとすれば、その実例として有吉の話を持ち出すのは、明らかに間違った態度ですね!!
誤解して、あのように語るのであれば、まだしも、
解った上で、あのように語っているのであれば、完全にペテン師の手法です。

・・・って、そう言えば岡田斗司夫って、実母は新興宗教の教祖(神様)であり、
自宅が教団施設で、信者たちが自宅内を行き来するような環境で育ったんでしたっけ?
となると、意識的にせよ、無意識にせよ、そうした手法が身に付いていても、おかしくは無さそう。

> > 続いて、不倫話に関して言うと、不倫してる人が全てバッシングされる訳じゃないんです。
> > 元々アンチ層を抱えてる芸能人が不祥事を起こして、心置きなく叩ける免罪符を得られたり、
> > 大して好きではなかったが、好感度で商売していたタレントが、それに反するような行為をしたり、
> > 初めから不祥事の肩書きを背負い、「こいつは叩いてもOK」な扱いで登場するから、炎上するのであって、
> > 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。

> 不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
> 大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
> ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
> 不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

今の千鳥の一般人気は、「中規模」なんてレベルではないですよ!!
それこそ、不倫で干された渡部や東出よりも、ずっと上です。

もちろん、広範な好感度より、コアなファン層を抱えている方が、いざという時に強いのは事実ですし、
その端的な例こそ、ベッキー&ゲス乙女・川谷の不倫の一件だと思われます。
不倫騒動により、ベッキーは活動停止となった一方、川谷は活動を続行できた事に対して、
欧米メディアは「日本の男尊女卑文化」を、その理由に挙げて記事を書いてましたが、
でも実際の所、男と女の違いと言うよりは(それが全く無いとは言いませんけど)、
ベッキーが好感度売りのタレントだったの対して、川谷はミュージシャンだった事が大きかったと。
それでも、川谷がボーカルを務めるバンド「ゲスの極み乙女。」は、
あれ以降、音楽番組などに出演する事は、ほとんど無くなってしまいました。

ですから、コアなファン層も抱える一方、大衆から好感度も高い千鳥の場合、
この論通りであれば、大衆から叩かれて、テレビからは消えるものの、
ファンに支えられて、舞台の上で生きていく格好になるはずですけど、
2度の不倫報道後も、ほぼノー・ダメージで地上波に出て続けてますからね(笑)。
でもこれが、同じ千鳥でも、不倫したのが相方のノブの方であったら、
まず間違いなく、大きなダメージを負っていたと思うので、
やはり、「何をやったか?」よりも、「誰がやったか?」の方が大きいんですよ。

> ふと思い出してみれば、下記のツイートがされたころには、もうTwitterは正義論争が起きてたんですよね。
> https://twitter.com/sovietunion1945/status/1090349608377638912
> 上記のツイートの通り、何も最初からそうだったわけではなく、いつからか急激に変わりだしだしたんですよ。
> 確か、トランプ以前にはあまりそういう傾向ってなかった気がするので、2016年〜2019年の間くらいだったかな。

いやいや、Twitterが登場した年代後半の頃から、本質的には変わっていませんよ(笑)。
選挙制度とかもそうですけど、それが持つシステムの特徴の範疇でしか動きませんし、
何と言うか、いろいろ変化している様に感じても、表面化した目先の結果に反応しているだけの事です。
その時々の状況によって、着地点が違って見えているだけの話で、傾向的には以前から同じままですね。

もう少し解りやすく言うと、Twitterを含めて、SNSというのは単なる1つの道具であり、
道具である以上、使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノなんですよ。
例えばハサミとか、今までは紙を切るのに使っていたものの、新たに布を切れる事にも気が付いた時に、
当人的には衝撃的な変化であったとしても、ハサミの機能を考えれば驚くに値しないと言うか、
多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。

まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。

> > そもそも、本当にそんな時代となれば、岡田斗司夫も完全排除される側の人間ですし(笑)。
> そうですね。岡田斗司夫自身、私は排除されてもいいんですw、と有料部分で言ってますw
> ホワイト社会の完成は2030年代から40年代というのが岡田斗司夫の予測ですが、そのころにはもう本人は70代80代ですし。

と言いますか、例の事件以降、世間的には既に「排除された」人物ですけどね(苦笑)。
逆に言うと、ホリエモンほどでは無いにしても、
以前の岡田斗司夫は、今よりも遥かに、テレビなどの表舞台で活動していた人物でしたので。


▼ コロナ戦争
> 世界大戦、というのは(岡田斗司夫がちゃんと説明してないので)正直私にもよくわかってないのですが、
> おそらく第一次世界大戦、第二次世界大戦においての、アメリカの戦前・戦後の変化を指して、
> 今回もそれに類似する激変がこの4年程度で起こる、ということなのだと思います。
> ただこれに関しては、私はアメリカ社会史はサッパリですので、アメリカの戦前・戦後の変化がそもそも知らないんですよね。
> 管理人さんはその辺何か知りませんでしょうか?

う〜ん、正直、私もそこまで「詳しいよ!」と自信を持って言えるレベルではないものの、
「人類史上で最高の作品は何か?」と問われた際に、「アメリカ合衆国」と答える程度ではあるかな(笑)。
私が好きなスポーツ・科学・文化の分野では、間違いなくアメリカは、世界史上の超大国ですから。

で、「戦争が与えたアメリカ社会の変化」という話で言うと、
2度の世界大戦よりも、「南北戦争」と「ベトナム戦争」の影響の方が、ずっと大きかったはず!!
なので、ここで言う世界大戦とは、アメリカ社会の変化だという話は、全く腑に落ちませんね。

それに、そもそも論として、今回のコロナ禍によって、
そこまで劇的な変化がアメリカ社会に起こっているように、旧トルコ担当さんの目には映ってますか!?
少なくとも私には、同じ4年間なら、トランプ大統領時代の変化の方が、大きかったように映ります。
また、アメリカ限定の話であれば、コロナとの戦いは実質2年も経たずに、既に終結してません?

> そしてコロナの件に関して言えば、おそらく岡田斗司夫はコロナが収束することは無いと考えていると思うんですよね。
> (確か、20年の4月くらいの動画の有料部分でそんな話をしていた気がします)

新型コロナが無くなる、なんて事は無いでしょうね。
それって実質、人類社会から風邪を撲滅させるようなレベルの話ですし、
正直な所、あまり現実的では無いと思うので。

> 仮に今のコロナが収束したとしても、新しい変異株や、新しいウイルスが出てきて、今の自粛生活がずっと続くと。
> そうした自粛生活に慣れてしまい、仮にウイルスがいなくなったとしても、
> 人々が元の生活に戻らなくなる、ということなのではないでしょうか?

自粛生活に慣れるよりも、withコロナ生活に慣れる割合の方が、ずっと高い気がしますけどね。
我々人類が、今まで何度パンデミックを経験し、その度に「共存化」で落ち着いた歴史的事実を見れば、
恐らく今回だって、同じ様になる・・・というか、日本社会だって既になりかけてます。
人間の本質的な欲求というのは、そうそう簡単に変化などはしませんので(笑)。

とは言え、何も無ければ10年くらいは掛かりそうだったデジタル技術の社会普及が、
今回のコロナ禍により、一気に進んだ面に関しては、
今後、多少の より戻しはあったとしても、基本的には後戻りしないでしょうね。
また、これはコロナ禍の少し前から起き始めていた現象ですが、
日本の国際競争力の低下により、経済状況や社会生活は、以前よりも苦しくなる事が予測されます。
そういう意味では、「コロナ以前の生活には戻らない」という所は、確かにあるでしょうけど、
でもこれって、新型コロナの発生に関係無く、その内に日本を襲っていた内容なので、
イメージや言い訳的には「コロナの影響で・・・」となりそうですが、真相は そうじゃないと。

> > > 私の無い世界史知識を動員すれば、
> > 一応、今の若い世代は、高校時代に世界史が必修だったはずですけどね(笑)。
> > って、確か本年度から、安倍教育改革の一環で、世界史は必修から除外されたんでしたっけ?

> 私の場合は普通に高校でも世界史ありましたよ。
> ですが、高校世界史って歴史人物の名前覚えやすくするための授業ですし、
> ぶっちゃけ本当の歴史に対する理解というのは、そこまで深まらないかと。
> 誰かの先生が、「高校生が本当に、世界史を勉強するなら、まず世界地理からやらなきゃだめだ」と言っていましたが、
> まさしくその通りかと。

結局、勉強というのが「テストで点を取る為の手段」となってしまうと、
正直な所、それ以外の応用や実用は、あまり効かなくなるんですよね。
例えば数学とかも、高得点を狙うだけなら、解法の暗記とパターン分けの慣れが最適解ですけど、
そんな方法では、論理的な思考力も、科学を理解する言語として役割も、まるで得られませんから。

> > > 今回のコロナをペストに例えることも可能なのでしょうか?
> > 中世のペストと、現代の新型コロナとでは、ちょっと比較にならない気はしますね。
> > 当時に比べれば、医療技術も格段に進歩してますし、そもそも世界の総人口が違いすぎるので、
> > パンデミックが起きても、社会に与える影響は、今の方が遥かに限定的です。

> いや、中世のペストと今回のコロナが規模が全然違うことは承知してますよ。
> 経済か人命か、などとよく言われますが、逆に言えばその程度の脅威でしかないわけですし。
> とはいえ、感染症がグローバリズムへのアンチとなる、という大雑把な現象としては、
> 両社とも類似する点があるのではないか、ということです。

単純な話、規模が小さければ、グローバルな影響の波及も小さくなるとは思いません?
逆に言えば、それでも大きな現象として現れた場合は、
それは あくまでも「御題目」であって、真の原因は他の所にあるような気がします。


▼ コロナと物流について
> > それに これって、岡田の自説であり、旧トルコ担当さんも同意していた
> > 「無意味にグローバル&無限にローカル」という主張と相反しませんか?
> > それとも、これはグローバリズムが終焉するのは、物流限定の話?
> > 物流だけ切り離せるかは、とりあえず置いておくにしても(私は無理だと思う)、
> > 実例として、最近起きたマクドナルドのポテト不足の話をしてましたけど、
> > なぜ常態化すると思うのか?の具体的な説明を欠いていた為、納得感はありませんでした。

> 岡田斗司夫のグローバル化終焉論は、物流の話でしょう。

もちろん物流は大事ですけど、物流の問題だけでグローバル化が終焉するんですか?

> 「自由貿易の前提が崩れつつあるんですよ。(中略)
> このコロナ戦争によって、各国それぞれの思惑とか、管理、それは健康にしても衛生にしても、が違いすぎて
> それによって、よりグローバルであるのが当たり前だということで、
> この20年間くらい、ひたすらひたすら流れるようにしてきたものが、今崩れつつある」岡田斗司夫ゼミ#425 (30分ごろ)

各国それぞれに思惑があり、基準なども異なるなんていうのは、コロナ禍以前からそうだったでしょ?
だったら何故、コロナ禍以前は上手く回っていたのでしょうか?
確かに、新型コロナへの対応度合いは各国様々ですし、それによって大きな混乱も起こってますけど、
でも、これにしたって、いつかは終息するモノじゃないですか。
そうなった際に、元に戻らず、混乱が固定化・常態化される根拠って、一体何なんですか?
また、「今崩れつつある」というのは、具体的に、何がどのように崩れてきているのでしょう?
少なくとも、実例として出されたポテト不足の一件だけでは、まるで充分な説得材料とは成り得ません。

と言いますか、岡田斗司夫の自説はそれとして、
実際に旧トルコ担当さん自身は、どのように考えられているのですか?
「岡田斗司夫は こう言っていた」とコピペだけされても、全く話し合いにはならないので。

> で、管理人さんが第一波が終わった後に書いていたことも、
> 新自由主義の話だけではなく、物流の話もしていたと思うのですが、違うのでしょうか?

文章全体を引用すると、こんな感じ↓ですよね。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23132#23132
> > > > あと、今回はリーマンショックや世界恐慌などと違い、
> > > > 人為的に経済を止めただけなので、すぐに回復できるという意見もありますが、
> > > > 世界規模で数ヶ月に亘り経済を止めて、ダメージが無いわけ無い気がしますし、
> > > > 自粛生活によって、世界的に消費マインドが落ち込んでしまったり、
> > > > 世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?など、
> > > > 経済分野に疎い私でも、そんな気安く楽観視できない状況にあると思うんですけどね。

よく読んで下さい。
この内容は、「すぐに回復できる」などの言葉もあるように、
ポスト・コロナにおける、一過性の現象に対しての言及です。
それが常態化するような意図では、書かれていません。
それこそ、昨今のコンテナ不足とか、そういった類の話ですね。
世界市場が資本主義の原理で動く限り、問題解消は大きなビジネス・チャンスになりますから、
いつ頃 解消されるかは さておき、そのまま放置されるなんて事は、まず有り得ませんよ。

> ふと目に入った資料では、コロナとウクライナ危機でサプライチェーンの脆弱性が明らかになった、とありますし、
> 米中貿易戦争やロシアの国際貿易の排除なんてことも起きてしまったわけで、
> 本当に、このコロナの自粛生活が当たり前になるのであれば、まあ物流規制の状態化というのもあり得るのでしょうか?
> http://www3.keizaireport.com/report.php/RID/491214/

「グローバル企業は国家よりも強い」なんて意見が、罷り通ってたりもしますが、
これって「世界市場&世界工場」というモノが成り立つから、出来る事なのであり、
その大前提として、世界各国が「市場や工場を開放している」からこそなんですよね!!
つまりは、ある国家の政府が、その国での市場や工場へのアクセス権を閉じてしまえば、
どれほど巨大なグローバル企業であっても、全く太刀打ちできないです。
そんな当たり前の事が、昨今の米中対立やウクライナ戦争により、
ようやく目に見える形で、明らかになってきたかな?という感じはあります。

で、目先の利益ばかりを追い、現在の状況が不変だと勘違いしていると、
目の前で起こる変化に、右往左往し過ぎる人たちは、大勢居る事でしょうし、
そのパニックに踊ったまま、今度は「グローバル化時代の終焉」とか言ってしまうのは、
明らかに、冷静で大局的な視点が欠けているように感じられます。
(それこそ前出の勉強の話で言えば、公式の暗記で数学を乗り切ってたタイプに多そう・笑)
まあ実際、大きな障害が幾つか姿を現した事で、従来みたいにスムーズに事は進まないでしょうけど、
全体的に見れば、グローバル化の流れ自体は、止まる気配が無いですし、
ペースが鈍化しても、確実に進んでいるようにしか見えませんね、個人的には。
(微分で言うなら、傾きがプラスな限り、増加は続くみたいなイメージ)

それが後退する事があるとすれば、世界大戦のような巨大障害の登場による強制停止か、
このコロナ時代に育った子供たちが、大人になった時代の価値観変化くらいな気がします。
新自由主義的な世界経済が、いきなりガラッと変わるとも思えませんし、
傾向としては、当分 続くと思いますよ。

> コロナが明ければ元に戻る、というのも日本人だけの考えで、
> マスク無しが当たり前になっている海外では、既にコロナが明けている、という意識なのかな?
> https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220414/k10013581791000.html

「明けている」とまでは言いませんけど、
既に欧米では、「共存の時代(withコロナ)」に入ったんだと思いますよ。
そもそもコロナは、アデノやライナと並び、いわゆる風邪の3大ウイルスの1つですし、
その中で「新型が現れた」というだけの話ですから、出現当初は「ただの風邪」とは言えずとも、
いったん蔓延して定着してしまえば、「普通の風邪」の仲間入りみたいな所はありますので。

> 日本人からすれば
> コロナ前→今もコロナ禍→コロナが空ければ、国内の規制(マスクなど)も、海外との規制もなくなる
> と考えがちですが、
> 外国人は
> コロナ前→コロナ禍→今は国内規制の無い段階→将来的に海外との規制もなくなる?なくならない?
> という風に見えてるのかもしれない、ということです。

かも知れないと言うか、そのまんま、その通りだと思いますよ。
と言いますか、欧米よりも東アジアの方が、規制解除まで時間を要しそうなので、
必然的に、そうした流れとなろうかと。

あとは日本国内の場合、感染対策というよりは、
世間の目みたいなモノを気にして、皆がマスクを着けている所があるので、
マスク解除のタイミングが、一体どのようにして行われるのかは、かなり興味がある所(笑)。
欧米社会のように、ルールで規制を行っていたのなら、ルール撤廃と共に規制解除となりますが、
日本社会の場合、周囲の空気を読んでの自粛による精神的な規制ですから、
明確に「解除!」となるには、それ相応の仕掛け(キッカケ)が必要になってきますし、
それが仕掛けられないとなると、長い時間を掛けて、済し崩し的にジワジワ緩んで行くしか無さそう・・・・


[23921] ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その2)返信 削除
2022/4/26 (火) 21:09:54 徳翁導誉


▼ いちゃらぶ革命
> とはいえ、話の重点は「いちゃらぶが増えていること」や「失恋ものが描かれなくなっていること」ではなく、
> 「登場人物が幸せになるような話しか望まれていない」ということですので、
> いちゃらぶ革命という名称が適切でないかもしれません。

ですね。
そうした傾向を示したいのであれば、適切な名称とは思えません。
神聖ローマ帝国の事を、「神聖でも、ローマでも、帝国でもない」と揶揄する言葉がありますが、
その言葉を借りれば、「イチャイチャでも、ラブラブでも、革命でもない」って所でしょうか(笑)。
強いて言うなら、メタ視点(神様視点)からの「ニヤニヤ系」くらいの表現が適当かも?
この表現であれば、例として挙げられた「かぐや様」も該当するかと。

> > > > 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> > > > 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> > > > 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> > > > これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)

> > > そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。

> > それって結局、流行ってはいない証だと思うんですよね。
> > 何らかの概念が生まれ、それが人の口を膾炙するには、
> > やはり、それを簡潔に示す「単語」の存在が不可欠なので、
> > 広く出回ってる単語が無いという事は、そうした共有が行われていない事を意味するかと。

> 誤解が起きているので訂正しますと、
> まず少女小説というものが80年代、90年代に流行しました。
> しかし、00年代ごろからは、ライトノベルやボカロ小説、ケータイ小説に
> 少女小説の読者層である10代女子を奪われ、衰退がはじまりました。
> その衰退の中で、20代の少女小説読みの間で流行ったのが姫嫁作品ですね。
> 大本の少女小説自体がもう沈み始めていたので、その中で流行っている姫嫁作品も、大して流行っていない、ということです。

う〜ん、そういう話をしている訳では無いのですが・・・まあ、それはそれとして、
でしたら具体的に、その「姫嫁作品」の代表作って、実際どんな作品名が挙がるのでしょうか?
私は全く知らないので、ちょっと知ってみたい所。

> > 「かぐや様」のアニメは1期も2期も見てますし、今週から始まる3期も見る予定ですよ(笑)。
> > といいますか、前回、「いちゃらぶモノが流行ってる」という話が出た際に、
> > 「かぐや様は違うな」と、すぐさまパッと浮かびましたもん!!

> いや、そうだと思いますよ。
> 「かぐや様」という作品単体を見て、目新しいとは思わないと思います。
> 私が主張しているいちゃらぶ革命って、恋愛もの全体が失恋からいちゃらぶへカーブしている、という話ですので、
> 1作品だけを挙げても、なかなか分かりずらいかと思います。

ハッキリ言って、「昔の恋愛モノ=失恋系」という、旧トルコ担当さんの見方自体が、
固定観念というか、そもそも話が噛み合わない原因だと思いますよ。

それこそ昔から、ラブラブ系やら、ドロドロ系やら、片思い系やら、失恋系やら、
一言に「恋愛モノ」と言っても、様々なジャンルの作品があったと思いますし、
そうしたジャンルの種類自体は、別に昔から変わらないと言うか、
最近になって、新たに登場したジャンルというのも、特に無い気がするんです。
あるとすれば、それは時代のニーズに合わせた、各ジャンルの割合の変化くらいの話で、
それだって劇的な変化でもなければ、あくまでも「傾向」であって、とても「革命」などとは呼べないと。

まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、
別に私も、その事実自体を否定するつもりは、毛頭ありません。
ただ、旧トルコ担当さんの意見は、ちょっと強調しすぎというか、偏って見てる印象を受けるんですよね。
白黒ハッキリさせた方が解りやすいでしょうけど、現実ってグレーがほとんどでしょうし、
その中で、グレーの色の濃淡を見る方が、より正確に状況を把握できるかと思われます。


▼ VRとAIについて
> > > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> > いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> > デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> > マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> > 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> > 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> 個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
> それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

正直、SAOは最初の数話を見ただけなので、断言は出来ませんけど、
恐らく、旧トルコ担当さんが想定しているモノとは、全く違うと思いますよ・・・・
仮想空間にフル・ダイブして楽しむとか、そういう話では無いので。
って、それとも本当に、SAOの中にも、そんな描写があるのかな?
もし あるのだとすれば、具体的に何話くらいのエピソードですか?

> (1)技術進化について
> AI YouTuberは可能だけど、お客様サポートが当分困難、というのは個人的には腑に落ちないのですが、どうなのでしょう?
> それとも、お客様サポートが困難というのは近いうちは難しくて、将来的には可能であり、AI YouTuberはそのさらに先の話ってこと?
> だとしたら、AI YouTuber・お客様サポートが実現可能になりそうなのって、ざっくりどれくらいなんでしょう?
> AI YouTuberには個人的に見てみたいので、20年後くらいじゃない、とか言われたらちょっと残念w

YouTuberは基本的に、「一方通行」の発信であるのに対して、
お客様サポートは、「双方向」のコミュニケーションだからですね。
そして、対象となる相手も、お客様サポートだと多種多様な想定を強いられますが、
YouTuberのファンであれば、それが限定されるという話です(合わなければ離脱するだけなので)。
要するに、求められる技術のレベルが、かなり違うって感じでしょうか?

逆に言うと、AI YouTuberが登場したとしても、人気の大勢を占めないだろうと言うのは、
そこまで狙える技術レベルとなると、単に登場させるよりも、遥かに高いモノが求められるからです。
また、その一方で、一方通行なデジタル音声や録音音声による
お客様サポートは、既に実用化されてはいるものの、充分に実用的であるとは言えないレベルであると。
でもまあ、相当に技術が進歩していけば、その内どちらも実現可能であるとは思いますけどね。

で、それがいつ頃 実現しそうか?となると・・・明確な根拠とかはありませんが、
私の皮膚感覚で述べるなら、お客様サポートの方は10年掛からないかなぁ?
言っても、普通の会話と違って、業務対応の会話なら内容が絞れるでしょうし。
そしてAI YouTuberの方は、万人ウケではなく、一部にファンを獲得できるレベルであれば、
それほど時間を要さないと言うか、求める完成度の程度にも拠りますけど、
今の技術でも、それなりのモノは作れそうな気はするので、5年以内には現れるのでは?
と言いますか、年内に現れても、それほど驚きはしないと思います。

> (2)AI YouTubeの可能性
> 私の考えは反対ですね。
> AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

えっ!?
マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。
だからこそ、いつも不満ばかり言われるのに、実写化の流れは止まらないんです(笑)。
そりゃ、一握りの話題作とかは別ですけど、基本的には市場規模がまるで違います。

> グラビアだってCGではなくリアルだからみんな見る、とのことですが、ではこれってエロ漫画はどうなのでしょう?
> エロ漫画だってコンビニで売られてるくらいに、需要はあったと思います。
> 別にリアルの人間である必要って、そんなにないのでは?

こちらも、同じ話の繰り返しになりますけど、
確かに需要があるのは事実ですが、その需要の規模はまるで違います。
例えばAVにしても、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要は確実にあるものの、
だからと言って、「別にノーマル系である必要はない」とは、ならないのと同じ事です。

一昔前ほどでは無いにせよ、オタク文化というのは、未だにマニアックな世界であるという認識は、
それなりに持っておいて然るべきかとは思いますよ(笑)。

> AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
もし本気でそう思われているのなら、大きなビジネス・チャンスですから挑戦されてみれば?
仮に実現出来たなら、アッと言う間に億万長者になれるはず(笑)。

と、茶々を入れるのは、この辺にしておいて、
以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。
そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、
少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
今だと、せいぜい「大喜利AI」程度でしょうか?
でもこれも、膨大なデータ・ベースの中から、突拍子もない返しが来るから面白いのであり、
人が聞き入るレベルの会話となると、とてもじゃ無いですが無理です・・・・

と言いますか、AIがどうこうという以前に、そもそも人間同士の会話において、
どうすれば上手く伝わり、どうすれば興味を持ってもらえ、どうすれば面白いかなど、
その「難しさ」というのは、充分に理解できそうな気がするのですが、
仮に、それすら気付けていないとなると、
天性のコミュニケーション能力が半端ない人間か? それとは正反対の人間か?
そのどちらかのタイプになりません?(笑)

> だってみんなそんなに人間味を求めているなら、こんな文字だけの掲示板よりもYouTube見るでしょ。
掲示板よりも、YouTubeを見てるのは、事実かと(笑)。

> (3)AIの可能性
> もしAI YouTuberが可能なくらいAIに技術的可能性があるのであれば、
> AIはYouTuberなどではなく、やはり娘になると思いますよ。
> そういうものが日常になっていけば、AIにだって情は沸きますので、
> いつしかAIに喜ばされるだけではなく、AIを喜ばせるようになる(=娘化する)のではないでしょうか。
> 別に、人間相手だって、相手によって話題は選びますし……
> それでもAIは充分需要はあるでしょうし、というかそっちに慣れてしまえば、
> もうリアルの女の子とつきあうとか、ストレスが多すぎてできなさそう。

まあ、言いたい事としては理解できますし、そこまで否定する気もないんですけどね。
要するに、感情移入が出来る対象であれば良い訳で、
逆に言うなら、別に「娘」とか「恋人」みたいな、既存の形態に拘る必要も無いと。

で、この場合に用いる単語としては、「娘」というのも悪くはないと思うものの、
実質的には、「ペット感覚」の方が近い感じはするんですよね。
言い方は悪いですが、愛玩用の人間とでも言いますか、
倫理的に、奴隷文化が廃れた現代社会においては、
その欲望を叶えられそうな技術として、AIなりロボットなりが発達中であり、
もっと言うなら、娘とか恋人に喩えるには不適当なくらい、そこには本質的な暗い欲求が存在すると。
言うなれば、AVが視覚的な刺激を与える商品だとすれば、こちらは精神的な刺激を与える感じでしょうかね。
(ちょっと難しい話ですけど、これは別に、ストレートな性的刺激に限定される話ではありません)
もちろん、この分野は今後、大きな市場と成り得る可能性は持っていると思いますよ。

って、こんな何歩も先を行き過ぎた話をすると、また内容や意図が誤解されそう(笑)。
う〜ん、もう少し解りやすく、その手前の話題をするとすれば、
「虚しさ」を抱いた時に生じるマイナス面の影響が、ほとんど考慮されてない点を指摘すれば良いのかな?
あとは、「繋がり」と「しがらみ」って表裏一体なモノなので、
ストレス回避ばかり気にしていると、上澄みみたいな薄いプラスしか得られない部分もあるかな?
とりあえず、旧トルコ担当さんの主張するプラス面に関しては、私も同意できる部分は多々あるものの、
物事(特に商品)というのは、正負両面をトータルで見ないと、語れないモノですからねえ。
そして、隙間を埋める需要と、ガシッとメインを押さえる需要とは、かなり異なる事も認識しておくべきかと。


▼ 物語シリーズについて
> > > 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> > > 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> > > オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> > > 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> > > はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> > > ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> > > 管理人さんはどっちでしたか?

> > で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
> > 今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
> > 正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
> > あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
> > かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。

> いや、こういうこと書くと、お前の性癖の話かよ、と思われそうですが、私はそっちのロリには全然興味ないんですよ。
> で、普通はそういうのって、その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらないと思うのですが、
> 物語シリーズってその辺のロリ愛が、そうでない人間にも伝わってきたので、
> これオタク以外の人にも分かっちゃうんじゃないのかなあ、と感じたのですが、
> やはり普通の人には伝わってなかった感じですね。

う〜ん、気を使って回りくどい表現をした為に、まるで伝わってないみたいですね・・・・
解りやすいようハッキリ言ってしまうと、旧トルコ担当さんが感じるような事は、
いわゆる「普通の人」にだって、当たり前ですけど、充分に伝わってますよ(笑)。
だって、旧トルコ担当さんの抱いている「感覚」って、
当人的には「オタク的な感覚」と思われているようですが、明らかに「普通の人の感覚」なので。
逆に、ガチロリ勢の感覚からすれば、「あの程度で『本気のロリ愛』ってwww」という感じかと。

それこそ御自身でも、既に表明してるじゃないですか?
「ロリには全然興味ない」とか、「その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらない」って。
それなのに何故、こうも自信満々と「自分は解っている!」つもりに、なれるのでしょうか?
これは全快の私の書き方が悪かった部分もあるのでしょうが、
「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。
って、世間一般の感覚からすると、そんなの理解できる必要なんて、全く無いんですけど(苦笑)。

> > まあ、あの当時の西尾維新作品って、純文学とラノベの中間あたりに位置していて、
> > 書店とかでも、独立してコーナーを設けられるくらい、人気のある作家でしたからねえ。
> > また、アニメ化に関しても、新房昭之&シャフトという組み合わせであり、
> > 同じタッグだった「まどかマギカ」とかもそうですけど、やはり映像がスタイリッシュなんですよね。
> > なので、実際にマイルド・ヤンキー層が好むような作品かは さておき、
> > (それこそ今なら、「東京リベンジャーズ」とか好きそう)
> > 少なくとも、原田陽平は好きそうだよなぁ・・・とは思いました(笑)。

> 話の本題は、マイルドヤンキーの人たちも化物語なんか見るの?ということでしたが、
> 管理人さんの解釈としては、あれはマイルドヤンキーの人たちが好きなのではなくて、
> 原田陽平の個人的な趣味っていうことであってますか?
> そうであれば、原田陽平はマーケティング分析本に自分の趣味を入れる、結構な人物ということになってしまいますが。

いや〜、そこまで強い主張はしていませんよ(笑)。
え〜と、何と言えば良いですかねえ?
簡単に言えば、「見る」と「好き」とは別ですし、
同じ「好き」にも度合いの違いがあるって感じでしょうか。
ぶっちゃけ、流行ってるから見る・・・それ以上でも、それ以下でも無いかと?
例えば、エヴァが流行ってるから、エヴァを見るのであって、
考察談義に花を咲かせるようなオタク的な楽しみ方は、別に、ほぼしていないと思うんです。
で、前述した通り、当時の西尾維新は、かなり人気がありましたからねえ。

そういう意味では、マイルド・ヤンキー層が、特出して好んだという事ではなく、
世間と同程度に、マイルド・ヤンキー層の中にも、見た人が居たってだけの話だと思いますよ。
それに、「彼らに趣味を尋ねると、暴走行為よりも、アニメ鑑賞が多いんです!」って、
今の時代、「そりゃそうだろ」としか思いませんけどね(笑)。
あくまでも「マイルド」なんですし、暴走族なんて今や絶滅危惧種じゃないですか?

また原田陽平って、私的には、面白い話や目新しい話は特にしない印象ですが、
その一方、世間ウケはしそうな表層的な話を、好んで多用する感じはあるので、
ああいうオシャレな感じの作品は、気に入ってそうだよな・・・って具合です。
でもまあ、マーケターというのは、それで良いんでしょうけどね(笑)。
ブームの波に乗ってサーフィンするのが、彼らの仕事なのでしょうし。


▼ オタク史について
> > > > ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> > > > オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> > > > さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> > > > 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?

> > > オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、

> > なるほど、諸々含めて100冊って事ですか。

> そのくらいオタク史にはハマっている、ということです。
> > > といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?
> > う〜ん、あまりパッと思い浮かばないかなぁ・・・・
> > でもまあ、1冊で網羅的にであれば、以前の雑談スレッド時にも紹介しましたけど、
> > 「オタク的想像力のリミット 歴史・空間・交流から問う」は良かったですよ。
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
> > 様々な人が書いた 30ページくらいの小論文が、14本掲載されています。
> > あとは、「思想地図β vol.1」とかは、
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4990524306/
> > 創刊号という事で、採算度外視で好きな事を詰め込んだ感が、個人的に面白く思えたので、
> > その編集を務めた東浩紀の半生記とかは、オタク的かはともかく、読んでみて損は無いかと?

> ああ、やはり評論系が多いんですね。
> 私としては、評論系は割と適当なこと言ってる本も多いので苦手なのですが、まあ多少は手を出してみようかな、と思いました。
> ありがとうございます。

そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。

また、「評論系は割と適当」との事ですが、ああいうのって、
自分とは異なる「こういう見方があるのか」と気付かされたり、
自分の中で纏まらない考えを、スッと的確に表現していて腑に落ちるだとか、
そうしたモノを求めて読むモノなので、そもそも読み方を間違えているというか、
旧トルコ担当さんの場合、誰から「正解をもらう」事を、求めすぎてる感じがするんですよね・・・・
「歴史の本」にしたって、別にそこに書かれてる内容が、全て正解って訳でもありませんし、
単なる受け売りだけでは、「歴史を調べる」行為にはならないので。
(本とは絵の具であり、歴史って、それらを用いて全体像を描いていく作業に近いかも?)


▼ アニメ
> > ちなみにラノベに関しても、別に新作は追ってなかったんですかねえ?
> そこまで新作は追っていませんでしたね。
> といいますか、アニメは今期のアニメ中心に放送されますが、ラノベって書店の本棚見てるだけでは何が新作か分かりませんし、
> ラノベで新作追っかけている人って、ある程度コアなファンのイメージ。
> テレビ放送と、書店の本棚という形態の違いですね。

出版されてる巻数が少ないのに、目立つよう平積みされていれば、
それが「話題の新作」って事では、あるんでしょうけどね。
とは言え確かに、確かな人気を得てから、作品化されるアニメとは違って、
ラノベだと「発見」が大変でしょうし、コアなファンのイメージになるのは解ります。
発見するには、「探索」に掛ける労力も必要になってきますので。

> > 必ずしも、全てがそういう作品ばかりだとは限らないので、
> > 逃がした魚があった時に、追わなかった事を後から悔いる事もあるかも知れませんが、
> > でもまあ、「効率的(コスパ)」を重視するとなれば、損をしても時間の方が大事だったりするかも。
> > とは言え、コスパ重視という価値観もまた、今風の流行と言えば そうなので、難しい所・・・・
> > コスパ重視になってしまう、現在の社会状況というのも充分に解るのですが、
> > その一方で、それでは新しいモノや面白いモノに、なかなか出会えない現実もあるんですよね。

> まあ、コスパ重視というほどのものでもないと思いますが。
> 何も、過去の話題作だけを追いかけているというわけではなく、稀にニッチな昔のアニメ見てたりもしますし。

ちなみに、過去の話題作なら まだしも、
「ニッチな昔のアニメ」となると、一体どのように辿り着くんですか?
具体的に言えば、どういうキッカケで、それを見ようと思うのでしょう?

> 新作も多少は見ますよ。リゼロとかはリアルタイムで見てましたし。
特にリゼロの第1期は、週1でリアルタイムに観る方が、味わいが深くなりそう(笑)。

> > > あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> > > 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> > > 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> > > コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

> > まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
> > アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
> > 目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
> > とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
> > だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。
> > でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
> > これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
> > それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。

> うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、
> 悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
> Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
> 昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
> それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
> 一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
> 1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。

う〜ん、そうとも言えますし、そうとも言えない面もあるのかな?
テレビやビデオしか無かった時代に比べると、作品の寿命が延びたというか、
ピークが過ぎ去った後の「低空飛行な人気」というのが、非常に長くなったのは事実だと思います。

でも一方で、作品が消耗品として、大量生産されるような時代でもありますし、
ストレスの多い現代社会を反映して、噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りましたから、
1作1作のピークの高さや、その長さ自体は、やはり小さくなってる気はするんですよね。
解りやすく言うと、「老後」の期間が凄く伸びた感じなので、
そういう意味では、単純に「1作あたりの寿命が延びた」と捉えて良いのか否か・・・・

> とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、
> それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
> 私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
> 私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
> とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
> そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

これは上述の「消耗品化したアニメ作品」という話とも繋がるのですが、
今の時代って、言うほど1つの作品を、深掘りとかしてますかねえ?
同じ1つの作品を見続けたとしても、それは時代劇や新喜劇を見る感じに近くても、
要するに「安心感」を得るような行為であって、
旧来のオタク的な楽しみ方とは、また別物かな?という気もします。

> あとこれ考えていてわかりましたが、オタク・イズ・デッドって、このタコツボ化のことなんでしょうね。
私のイメージだと、「タコツボ化」というのは、
旧トルコ担当さんのイメージする以上に、もっと狭い範囲の専門化を想定するので、
このまま話を続けると、噛み合わなそうな感じはしますね(笑)。
上述の例のように、「アニメだけが好き」みたいなレベルであれば、
タコツボ化と言うよりは、ジャンル化くらいの方が適当な気がしますし、
タコツボ化と言われると、「この作品の このキャラが好き」くらいまで限定されそう。

あと、これが「オタク・イズ・デッド」という話に繋がるかとなると・・・私は繋がらないと思います。
後述する通り、確かに一昔前のオタク層の方が、広範な知識を持っている傾向はありましたが、
でも、だからと言って、そうじゃ無ければオタクじゃ無いという訳でも無かったはず。
要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。
もっと言えば、ジャンルの限定化とかは関係無く、深堀りをする事を止めてしまい、
提供される大量のコンテンツの、単なる消費者となったが故の、オタク・イズ・デッドな気がします。

例えば欧米だと、「リベラル・アーツ」と呼ばれる、広範な一般教養の知識を土台にして、
その上で、自らの専門分野を築く事が理想とされていますけど、
それでも、他の分野には目もくれず、専門分野を徹底的に極めた人が、充分に尊敬はされます。
リベラル・アーツが伴ってないなんて理由で、「あいつは専門家じゃない」とは言われませんよ(笑)。
対象分野における体系的な知識に欠けているから、専門家では無いと見なされるだけの話で。

> 昔はネットがなく、オタク人口も少なかったので、
> オタク同士が仮に出会えたとしても、趣味が異なり、結果として相手の趣味も理解せざるを得ないと。
> 「おたくのビデオ」(アニメ)ではまさしく、マンガおたくや、ガンマニアや、アイドルおたくなどが1つの部屋に集い、
> 互いの好きなものを教え合うシーンがありましたし、
> でも今ではオタク同士の交流が簡単なので、マンガおたくならマンガおたくとしか交流しないと。
> そういう意味では、寒い時代……、なんでしょうね。

まあ確かに、一昔前のオタクたちの方が、
概して「知識の守備範囲」が広いイメージはありますね。
おっしゃれるように、各分野のオタクが横断的に触れ合っていた面もありますが、
それ以外にも、好きな分野を深堀りするには、その周辺分野の知識も必要となる為、
「あれも知っておけ、これも知っておけ」みたいな風潮があったのも事実かと。
(そういう意味では、私も昔ながらの気質のタイプでしょうか・笑)

で、ネットで何時でも誰とでも気軽に繋がれる時代では無かったからこそ、
合える貴重な時間で情報を交換し、その情報を深く摂取する時間が充分に取れたのかも?
今の時代、圧倒的な情報量の処理やコミュニケーションに押し流されて、
「1人で考え抜く」という行為が、かなり疎かになってる感覚もありますし。

> > そういう意味では、「孤独なオタク」同士がネット上や秋葉原などで繋がれてた、
> > 2000年前後の一時って、本当に一瞬の徒花みたいな時間だったのかもしれませんね、今になって思えば。

> 個人的には秋葉原よりも90年代のパソコン通信とかの方があこがれがありますね。
> パソ通自体が敷居の高いものでしたから、濃いオタクが多そうな印象。氷川隆介さんなんかはここ出身らしいですし。
> 過去ログがないのが残念です。

パソコン通信は・・・私も少し触れた程度で、ほぼ経験が無いと言って良いかな?
とは言え、Windows95や98が発売され、ネット網が急拡大した「BBS時代」は、
パソ通の雰囲気を残しつつも、そのまま繋がりが大きくなった感じがするので、
「2chの一強化」までの90年代後半の数年間は、濃度と情報量が両立できてた一瞬だったかと。

パソ通はパソ通で、中身は濃くても、1つ1つの規模としては小さかった印象ですし、
逆に、2chを経てSNSの時代になっていくと、規模は超巨大でも、中身は薄くなった印象。
また、そんなネットが、リアルとも結び付いた、あの時代の秋葉原というのも、やはり特別ですよ。
これは別に懐古趣味的な話では無く、歴史の転換点みたいな話であり、
2つの色が混じり合う時の景色は、完全に色が混ざり合った今しか知らないと、ちょっと想像しにくいかも。


[23926] Re:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか返信 削除
2022/4/26 (火) 23:55:24 旧トルコ担当


▼ 考え方、意見交換の意義について

> あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。


そうなのですか。
私の考えとしては、「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」といいますか、
「互いに情報を共有すれば、相手がどうしてそう考えるのか、理解しあえるはず」というように考えています。

例えば、(ここで引き合いに出すのは失礼かもしれませんが、)ウクライナ戦争のスレッドの聖職者さんの話が分かりやすい例だと思っています。

> > NATOは、北大西洋条約機構という名前ですから、
> > そもそも北大西洋に面していない国の加盟も私個人的に昔から疑問でした。
> > かの孔子もおしゃっていましたが「名を正す」ことが必要です。
> > 言葉も名分も正していかないとごまかしがはびこり、諸言論の筋が通らなくなり、様々な政事がきちんと正しく達成されなくなり、
> > 社会秩序から人々の思想まですべてが滅茶苦茶になるからです。

> それは、内陸国は加盟するな!という事?
> 例えばルクセンブルクは、北大西洋条約の前身となる「ブリュッセル条約」からの加盟国ですが、
> 内陸国で北大西洋に面してないから、北大西洋条約からは除外すべきだと!?
> 更に言うと、北海も、バルト海も、地中海も、黒海も、全て北大西洋の一部なのですから、
> 旧東欧諸国であるポーランド・ブルガリア・ルーマニアどころか、
> 旧ソ連のバルト3国、そしてウクライナやロシアでさえ、北大西洋に面した国ですよ(笑)。
>
> そもそも、ここで言う「北大西洋」とは、「欧米」くらいの意味に過ぎませんし、
> 東側のワルシャワ条約同様、締結地にちなんで「ワシントン条約」の別名でも呼ばれます。
> ただワシントン条約ですと、戦前の海軍軍縮や、野生動物の保護など、他にも様々な条約がある為、
> そことの混同を避けるべく、地理的な名称を付ける事自体はおかしくなく、
> もっと言うと、一般的な呼称って通称の場合が多く、
> 実際の条約や法律などの名前って、抽象的で、やたらと長いのが普通ですからねえ。
>
> 例えば、前出のワルシャワ条約の正式名称は、これ↓ですけども、
> 「アルバニア人民共和国、ブルガリア人民共和国、ハンガリー人民共和国、ドイツ民主共和国、ポーランド人民共和国、
>  ルーマニア人民共和国、ソヴィエト社会主義共和国連邦、チェコスロバキア共和国間の友好、協力及び相互援助条約」
> 別に聖職者さんも、「名を正す」と言って、こちらの名称は用いはしないでしょ?(笑)
> ちなみに北大西洋条約の場合、珍しく、こうした長ったらしい正式名が付されていないのですが、
> 同条約の前身となるブリュッセル条約の正式名称が、これ↓でしたから、
> 「経済的、社会的及び文化的協力並びに集団的自衛のための条約」
> ある意味では、これが実質的な正式名称なのかも?
> だとすれば、ここで重要なのは、地理的概念よりも自由主義&資本主義の方なのでしょうね。
>
> また、仮に「名と実」にギャップが生じたのだとすれば、
> 実の方に合わせて、名の方を変えるのが一般的であり、
> そこを、名に合わせて、実の方を変えろというのでは、本末転倒かと?
> まずは実があり、それを表すモノとして名があるのですから。
> とは言え、一般論はそれとして、聖職者さん自身の思考パターン的に、
> 名前の方に引っ張られる傾向がある事も、私は重々承知していますけどね。


聖職者さんが「こういう理由で、NATOは名前を正すべきであった」という指摘をするのに対して、
管理人さんが「こういう理由で、名前なんか関係ない」と指摘することで、互いの考えが理解でき、結果として考えが近づくわけです。
(もちろん、互いの情報=そう考える根拠、をすべて共有することは時間的に不可能であるため、どうしても考えが必ず一致するわけではありませんが)

と、考えていたのですが、管理人さんとしては私のこうした考えの、どの辺が間違っているのでしょうか?

> その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。

ここでいう「立ち位置や状況」ってどんなものを想定されているのでしょうか?
抽象的な指摘だと分からないので、具体例があると非常にありがたいです。

管理人さんの言い方ですと、まるで議論しても意見が一致することは無いから、意味がない、みたいな印象すら受けます。

▼ 岡田斗司夫

> > なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
> > ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。

> という事は、旧トルコ担当さんは、岡田斗司夫サロンの有料会員なんですね!
> そこまでしているとは、なかなか入れ込んでますねえ(笑)。
> ちなみに、他にも誰かのサロンの有料会員になってるのですか? それとも岡田斗司夫だけ?


> 何だか この感じ、新興宗教やマルチ商法にハマった知人と向かい合った時と、凄く似ている・・・・
> ですから、その論の内容に関して、実際に旧トルコ担当さん「自身の言葉」で説明して下さい!!
> 真に論を理解しているのであれば、それくらい出来るはずですし、
> 説明できないけど解っているつもりであるなら、それは単なる「信仰」に過ぎません。
>
> また、自分で言うのも何ですが、私は物理や数学をやってますから、
> 世間一般の人よりは、「抽象度の高い話」への耐性が強いと思いますので、
> 思う存分、話を振ってきて来てもらっても、たぶん大丈夫ですよ(笑)。
> 繰り返しになりますけど、「これを見てくれ、これを読んでくれ」だけでなく、
> 旧トルコ担当さん自身の言葉で語ってみて下さい、お願いします。
>
> 正直な所、岡田斗司夫レベルであれば、そこまで「実害」も無いと思いますけど、
> 安易に信仰してしまうタイプになると、それこそ新興宗教や洗脳商法のカモにされかねませんし、
> そうやって人生を狂わされた人を、実際に私も何人か見てきてはいるので、
> そうならない為にも、自分の事場で語るというチャレンジは、行ってみて損は無いかと思います。


岡田斗司夫以外には、特に他の有料サロン等には入っていませんよ。
(ちなみに、ご存じかもしれませんが、岡田斗司夫の有料会員は動画が配信されるだけで、サロン機能はありません)

私自身、「誰かに自分の絶対的な師匠になって欲しい」という欲望があることは小学生の時くらいから把握していたため、
あえてそういった師匠になりそうな人間とか、崇拝されている感じの人間とか、そういうのには近づかないようにしていましたし。
私がYouTubeを見ないのも、変な動画に引っ掛かりたくないからですね。
(岡田斗司夫の場合は、わざわざニッチなニコニコ動画という場所で動画を投稿していたのが、私がハマるきっかけになっていますし)

> 繰り返しになりますけど、「これを見てくれ、これを読んでくれ」だけでなく、
> 旧トルコ担当さん自身の言葉で語ってみて下さい、お願いします。


うーん、ホワイト革命の件については、ツイッターの例でかなり上手に自分の言葉にできたと、個人的には思っていたんですけどね。

と、いいつつ、極論では、新興宗教にハマるくらいなら、別にそこまで悪いことではないような気もするんですけどね。
ナショナリズムとかいう新興宗教が世界中で流行っていますが、アレだってみんなが信じているから国民国家が事実になっているだけでしょ。
アリもしないものを見せている、という点では、新興宗教もナショナリズムも一緒だと思います。
まあ、新興宗教は少数派になるため奇異な目で見られますし、マルチ商法はお金をだまし取られるため、損得でいえば引っかからない方が得ですが。
また、鍛えればそういったものに騙されなくなるということもなく、ナチスなんかは時の知識人たちも多くだましましたし。

> ・・・って、そう言えば岡田斗司夫って、実母は新興宗教の教祖(神様)であり、
> 自宅が教団施設で、信者たちが自宅内を行き来するような環境で育ったんでしたっけ?
> となると、意識的にせよ、無意識にせよ、そうした手法が身に付いていても、おかしくは無さそう。


そうなんですか?
岡田斗司夫の実母が新興宗教の教祖、という話は、母が税務署から税金を取られるのが悔しくて、
会社を宗教法人にして、上手く脱税するための方法だった
(が宗教法人にした辺りからまったく別件で事業がうまくいかなくなったので、あまり意味はなかった)、
という認識なのですが、あれって本物の信者とかいたんですか?

▼ ホワイト革命

> > > 続いて、不倫話に関して言うと、不倫してる人が全てバッシングされる訳じゃないんです。
> > > 元々アンチ層を抱えてる芸能人が不祥事を起こして、心置きなく叩ける免罪符を得られたり、
> > > 大して好きではなかったが、好感度で商売していたタレントが、それに反するような行為をしたり、
> > > 初めから不祥事の肩書きを背負い、「こいつは叩いてもOK」な扱いで登場するから、炎上するのであって、
> > > 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。

> > 不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
> > 大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
> > ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
> > 不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

> 今の千鳥の一般人気は、「中規模」なんてレベルではないですよ!!
> それこそ、不倫で干された渡部や東出よりも、ずっと上です。


えっと、中規模有名人最強論の話は、今回の話とは別です。
前に語ったことがある、というだけの話で、今回の千鳥さんを岡田斗司夫が中規模有名人と言っているわけではないのでは?

> もう少し解りやすく言うと、Twitterを含めて、SNSというのは単なる1つの道具であり、
> 道具である以上、使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノなんですよ。
> 例えばハサミとか、今までは紙を切るのに使っていたものの、新たに布を切れる事にも気が付いた時に、
> 当人的には衝撃的な変化であったとしても、ハサミの機能を考えれば驚くに値しないと言うか、
> 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。


道具が考え方を変えることもあるんじゃないんですか?
テレビは一番最初、自宅映画館としての使用法が想定されていらしいですが、
後に家で見るのに映画みたいな長いものは向いていないということが分かり、
今のバラエティ番組を寝っ転がってだらだら見るというスタイルが確立されましたし。

印刷術が識字率の爆発的増加を起こし、新聞がナショナリズムを作ったことは、人類の歴史に決定的な影響を与えましたが、
それも初めから想定されていた使い方、というわけではないでしょう。

そのうえで、管理人さんが「使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノ」だと考えるのって、なぜなのでしょうか?
ハサミの例だと抽象度が高すぎてよく分からないため、もう少し具体的な例で説明していただけると助かります。

> 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。

メタ視点だと、どんな感じで見えるのでしょうか?

> まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
> そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
> 現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
> 俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。


どんな視点なのでしょうか?

正直、管理人さんって言いっぱなしというか、その時文章を読んで自分が感じたことをそのまま描いただけってことが多いと思います。
まあ私の理解力が低いのも事実ですし、私に理解する気がないのかもしれませんが、
私としては管理人さんの文章は毎回3回以上は読み返していると思いますし、返信もかなり推敲して文章書いてるんですよね(してないときもありますが)。
って私がこれだけ苦労してるんだkら、そっちも多少は報いろ、なんて論理はネットでは主張することではありませんが、
本当にもうちょっとだけ詳しく説明してもらえればうれしいです。
枝葉末節の論はどうでもいいので、
ひとまず「使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノ」「俯瞰的な、3次元の視野で見えてくるもの」については非常に興味あるので、
ヒントをもらえればありがたいです。
返信を返したり返さなかったりするやつの言うことではないかもしれませんが。

> > しかしその上で、ホワイト革命が衝撃だったのは、
> > その法則を現代にも適用すると、ちょっと先の未来はどうなるのか、ということを予測した点だったと思います。
> > 私たちは過去のことは客観的に見れても、自分たちのことは客観的に見つめられませので。

> それは決して、「ホワイト革命」という概念が衝撃的だったのではなく、
> そう言った、「未来を予測する見方」というモノに、衝撃を受けたのでは?
> その辺りを混同されると、話の方向性が滅茶苦茶になってしまうと思いますよ。
>
> あと、そもそも私の専門である「物理学」自体が、
> 「過去から法則を見出し、そこから未来を予測する」学問であるとも言えるので、
> 個人的には、全く目新しさを感じないというか、「全ての基本だよ」という感覚はあります。
> 物理学って何も、投げたボールの放物線の軌道だけを予測する学問じゃないんですよ(笑)。
> 例えば、この手法を金融市場で用いてる物理学者や数学者たちは「クオンツ」と呼ばれて、
> 今ではウォール街を支配する人々になってますし、
> 以前、私が「歴史物理学」という話をしたのも、そういうような内容だったんですよ!?
> この感じだと、その意図は全く伝わっていなかったみたいですが・・・・


> 「未来を予測する見方」というモノに、衝撃を受けたのでは?

とのことですが、
過去の歴史から法則性を見出し、未来を予測する、という歴史好きなら誰でも考えているけど、実際にはとても難しいことを実行したことに衝撃を受けました。

> 「物理学」自体が、「過去から法則を見出し、そこから未来を予測する」学問である

とのことですが、私は文系ですが、一応高校の文系物理学程度は習いましたので、物理学がそういった学問であることは承知していますし。

> 以前、私が「歴史物理学」という話をしたのも、そういうような内容だったんですよ!?

歴史物理学というのも、承知していますよ。
といいますか、私が前に書いたアシモフの小説「ファウンデーション」に出てくるハリ・セルダンも、歴史物理学を使って人類を歴史的危機から救う、という話ですし。
(小説内では、歴史物理学ではなく、心理歴史学という名前)

▼ コロナ戦争

> > で、管理人さんが第一波が終わった後に書いていたことも、
> > 新自由主義の話だけではなく、物流の話もしていたと思うのですが、違うのでしょうか?

> 文章全体を引用すると、こんな感じ↓ですよね。
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23132#23132
> > > > > あと、今回はリーマンショックや世界恐慌などと違い、
> > > > > 人為的に経済を止めただけなので、すぐに回復できるという意見もありますが、
> > > > > 世界規模で数ヶ月に亘り経済を止めて、ダメージが無いわけ無い気がしますし、
> > > > > 自粛生活によって、世界的に消費マインドが落ち込んでしまったり、
> > > > > 世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?など、
> > > > > 経済分野に疎い私でも、そんな気安く楽観視できない状況にあると思うんですけどね。

> よく読んで下さい。
> この内容は、「すぐに回復できる」などの言葉もあるように、
> ポスト・コロナにおける、一過性の現象に対しての言及です。
> それが常態化するような意図では、書かれていません。
> それこそ、昨今のコンテナ不足とか、そういった類の話ですね。
> 世界市場が資本主義の原理で動く限り、問題解消は大きなビジネス・チャンスになりますから、
> いつ頃 解消されるかは さておき、そのまま放置されるなんて事は、まず有り得ませんよ。


ああ、やはりそうなんですね。
私の考えとしても、管理人さんの考えとはあまり変わりませんよ。
だからこそ、岡田斗司夫のコロナ戦争論がよく分からなかったのであり、管理人さんなら何か補助線を引いてくれるのではないか、と思い書き込んだ感じですので。

▼ いちゃらぶ革命

> ハッキリ言って、「昔の恋愛モノ=失恋系」という、旧トルコ担当さんの見方自体が、
> 固定観念というか、そもそも話が噛み合わない原因だと思いますよ。
>
> それこそ昔から、ラブラブ系やら、ドロドロ系やら、片思い系やら、失恋系やら、
> 一言に「恋愛モノ」と言っても、様々なジャンルの作品があったと思いますし、


はい、さすがに「昔は恋愛ものは全部失恋ものだった」とは思っていませんよ。
そこまで物事が見れない人間ではないです。

> そうしたジャンルの種類自体は、別に昔から変わらないと言うか、
> 最近になって、新たに登場したジャンルというのも、特に無い気がするんです。
> あるとすれば、それは時代のニーズに合わせた、各ジャンルの割合の変化くらいの話で、
> それだって劇的な変化でもなければ、あくまでも「傾向」であって、とても「革命」などとは呼べないと。
>
> まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
> 癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、
> 別に私も、その事実自体を否定するつもりは、毛頭ありません。
> ただ、旧トルコ担当さんの意見は、ちょっと強調しすぎというか、偏って見てる印象を受けるんですよね。
> 白黒ハッキリさせた方が解りやすいでしょうけど、現実ってグレーがほとんどでしょうし、
> その中で、グレーの色の濃淡を見る方が、より正確に状況を把握できるかと思われます。


白が黒に変った、なんて私も思っていませんし、現実はグレーなのは承知していますよ。
「癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にある」から、という風に私も思っていましたし、
とはいえ、昨今の急激な失恋コンテンツの減少とか、ちょっと異常じゃありませんか?

▼ VR

> > > > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> > > いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> > > デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> > > マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> > > 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> > > 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> > 個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
> > それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

> 正直、SAOは最初の数話を見ただけなので、断言は出来ませんけど、
> 恐らく、旧トルコ担当さんが想定しているモノとは、全く違うと思いますよ・・・・
> 仮想空間にフル・ダイブして楽しむとか、そういう話では無いので。
> って、それとも本当に、SAOの中にも、そんな描写があるのかな?
> もし あるのだとすれば、具体的に何話くらいのエピソードですか?


脳の感覚中枢(なんてあるのか?文系(を言い訳にしている人間)には全く分からないw)みたいなところに、直接信号を送る、みたいな話なのでは?
違うのでしょうか?

▼ AI

> YouTuberは基本的に、「一方通行」の発信であるのに対して、
> お客様サポートは、「双方向」のコミュニケーションだからですね。
> そして、対象となる相手も、お客様サポートだと多種多様な想定を強いられますが、
> YouTuberのファンであれば、それが限定されるという話です(合わなければ離脱するだけなので)。
> 要するに、求められる技術のレベルが、かなり違うって感じでしょうか?


ああ、確かに言われてみれば、一方通行と双方向では全然違いますね。

> > AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> > AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

> そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
> もし本気でそう思われているのなら、大きなビジネス・チャンスですから挑戦されてみれば?
> 仮に実現出来たなら、アッと言う間に億万長者になれるはず(笑)。
>
> と、茶々を入れるのは、この辺にしておいて、
> 以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
> 「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
> そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。
> そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、
> 少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
> 今だと、せいぜい「大喜利AI」程度でしょうか?
> でもこれも、膨大なデータ・ベースの中から、突拍子もない返しが来るから面白いのであり、
> 人が聞き入るレベルの会話となると、とてもじゃ無いですが無理です・・・・


コスト、はよほどのニッチAIでなければ、開発費にいくらかかろうと、確実に安くなるのでは?
そうなると、後クリアすべき場所はレベルだけですし、
そのレベルもGoogle翻訳→みらい翻訳→AIのべりすと、みたいな進化を見ると、そう遠い未来じゃあなさそうな気はしています。
10年……まあ、そんな感じなんですかね。

> そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
私も知りませんよ、そんなAI。

▼ オタク文化

> > 私の考えは反対ですね。
> > AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> > であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

> えっ!?
> マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。
> だからこそ、いつも不満ばかり言われるのに、実写化の流れは止まらないんです(笑)。
> そりゃ、一握りの話題作とかは別ですけど、基本的には市場規模がまるで違います。


90年代のジャンプ黄金時代には、クラスの男子の半分は(毎週でないにしろ)ジャンプを読んでた、というイメージなのですが、これって結構違いますか?
ゲームも私が小学生の時にはクラスの半分はポケモンしてたイメージですが、実はこれって私が結構偏った場所に住んでたってこと?

> いや〜、そこまで強い主張はしていませんよ(笑)。
> え〜と、何と言えば良いですかねえ?
> 簡単に言えば、「見る」と「好き」とは別ですし、
> 同じ「好き」にも度合いの違いがあるって感じでしょうか。
> ぶっちゃけ、流行ってるから見る・・・それ以上でも、それ以下でも無いかと?
> 例えば、エヴァが流行ってるから、エヴァを見るのであって、
> 考察談義に花を咲かせるようなオタク的な楽しみ方は、別に、ほぼしていないと思うんです。
> で、前述した通り、当時の西尾維新は、かなり人気がありましたからねえ。
>
> そういう意味では、マイルド・ヤンキー層が、特出して好んだという事ではなく、
> 世間と同程度に、マイルド・ヤンキー層の中にも、見た人が居たってだけの話だと思いますよ。
> それに、「彼らに趣味を尋ねると、暴走行為よりも、アニメ鑑賞が多いんです!」って、
> 今の時代、「そりゃそうだろ」としか思いませんけどね(笑)。
> あくまでも「マイルド」なんですし、暴走族なんて今や絶滅危惧種じゃないですか?


ああ、そういうことだったんですね。
そこまで流行ってたんですね、西尾維新。

> 「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
> 精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。


では管理人さんのフェチズム(精神的な嗜好性)理解ってどんな感じなのでしょうか?
いや、聞かれていませんし、自ら表明することでもないですから言いませんでしたが、私もフェチズムの一つや二つは嗜んでますし、
そこまで全面否定されるのであれば、逆にもっとそのディープな世界は教えて欲しいですw

ちなみに前回の文意としては、ロリにしても何にしても、とりあえず脱がせておけば買ってくれるだろ、みたいな商業主義が見え隠れするものが多いので、
「そんなのは描写が過激なだけ」と言ってるだけですね。
ロリ系はそんなのが特に多いですし。

> そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
> 実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
> 歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
> 特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
> 自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。


それが理想なのは分かっているのですが、それって膨大な時間を必要としますし、また実際に見てみると案外面白くないことも多いので。
「宇宙戦艦ヤマト」は私は好きですが、あれ見ただけでアニメ史の知識などがなければ、なぜヤマトが時代を代表する作品になりえたのかなんて、分かりっこないですし、
知識から入る、というのはベストではないものの、現実的な選択肢だとは思います。

> > うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、
> > 悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
> > Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
> > 昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
> > それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
> > 一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
> > 1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。

> う〜ん、そうとも言えますし、そうとも言えない面もあるのかな?
> テレビやビデオしか無かった時代に比べると、作品の寿命が延びたというか、
> ピークが過ぎ去った後の「低空飛行な人気」というのが、非常に長くなったのは事実だと思います。
>
> でも一方で、作品が消耗品として、大量生産されるような時代でもありますし、
> ストレスの多い現代社会を反映して、噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りましたから、
> 1作1作のピークの高さや、その長さ自体は、やはり小さくなってる気はするんですよね。
> 解りやすく言うと、「老後」の期間が凄く伸びた感じなので、
> そういう意味では、単純に「1作あたりの寿命が延びた」と捉えて良いのか否か・・・・
>
> > とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、
> > それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
> > 私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
> > 私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
> > とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
> > そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

> これは上述の「消耗品化したアニメ作品」という話とも繋がるのですが、
> 今の時代って、言うほど1つの作品を、深掘りとかしてますかねえ?
> 同じ1つの作品を見続けたとしても、それは時代劇や新喜劇を見る感じに近くても、
> 要するに「安心感」を得るような行為であって、
> 旧来のオタク的な楽しみ方とは、また別物かな?という気もします。


> あと、これが「オタク・イズ・デッド」という話に繋がるかとなると・・・私は繋がらないと思います。
> 後述する通り、確かに一昔前のオタク層の方が、広範な知識を持っている傾向はありましたが、
> でも、だからと言って、そうじゃ無ければオタクじゃ無いという訳でも無かったはず。
> 要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
> 「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。
> もっと言えば、ジャンルの限定化とかは関係無く、深堀りをする事を止めてしまい、
> 提供される大量のコンテンツの、単なる消費者となったが故の、オタク・イズ・デッドな気がします。
>
> 例えば欧米だと、「リベラル・アーツ」と呼ばれる、広範な一般教養の知識を土台にして、
> その上で、自らの専門分野を築く事が理想とされていますけど、
> それでも、他の分野には目もくれず、専門分野を徹底的に極めた人が、充分に尊敬はされます。
> リベラル・アーツが伴ってないなんて理由で、「あいつは専門家じゃない」とは言われませんよ(笑)。
> 対象分野における体系的な知識に欠けているから、専門家では無いと見なされるだけの話で。
>
> > 昔はネットがなく、オタク人口も少なかったので、
> > オタク同士が仮に出会えたとしても、趣味が異なり、結果として相手の趣味も理解せざるを得ないと。
> > 「おたくのビデオ」(アニメ)ではまさしく、マンガおたくや、ガンマニアや、アイドルおたくなどが1つの部屋に集い、
> > 互いの好きなものを教え合うシーンがありましたし、
> > でも今ではオタク同士の交流が簡単なので、マンガおたくならマンガおたくとしか交流しないと。
> > そういう意味では、寒い時代……、なんでしょうね。

> まあ確かに、一昔前のオタクたちの方が、
> 概して「知識の守備範囲」が広いイメージはありますね。
> おっしゃれるように、各分野のオタクが横断的に触れ合っていた面もありますが、
> それ以外にも、好きな分野を深堀りするには、その周辺分野の知識も必要となる為、
> 「あれも知っておけ、これも知っておけ」みたいな風潮があったのも事実かと。
> (そういう意味では、私も昔ながらの気質のタイプでしょうか・笑)
>
> で、ネットで何時でも誰とでも気軽に繋がれる時代では無かったからこそ、
> 合える貴重な時間で情報を交換し、その情報を深く摂取する時間が充分に取れたのかも?
> 今の時代、圧倒的な情報量の処理やコミュニケーションに押し流されて、
> 「1人で考え抜く」という行為が、かなり疎かになってる感覚もありますし。


この辺はもう、オタクに対してどんなイメージを持っているか、という違いなんでしょうね。
私の場合は、結構腐女子の人に対してもあこがれがあるので、そういう作品の消費の仕方もオタク的と分類しているのですが、
この辺は管理人さんの定義するオタクではなさそう。



[23931] Re2:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか返信 削除
2022/5/1 (日) 05:01:53 旧トルコ担当


掲示板を読み返していると、追加で返信したいことが増え、それを全部書いていたら、とてもまとまりのない文章になりました。
すみません。

▼ 伝えることについて

> あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。


ああ、まあ、管理人さんの指摘も分からなくは無いです。
同じ情報を得たとしても、見解が変わって来るのは当然であり、
「自分と見解が違う→これは、持ってる情報が違うからに違いない、同じ情報を得れば、同じ見解になるはず」という思考では、
相手の理解をする努力が全くされていないと。
それでは、堂々巡りだよね、ということですよね?

とはいえ、ハッキリ言わせて貰えば、それは誤解です。
私は管理人さんの文章を何度も読み返していますし、
それでも尚理解できないから、「私にはこう見えていますよ、私はこう思うのですが、管理人さんはどう思われますか?」
という意図で自分の主張とその根拠を繰り返し別の角度から書いているんですよね。

> まあ、最近の長文癖の悪化は、自分自身も「酷いな」と感じてますので(苦笑)、
> 返信はいつでも結構ですし、全てに返信しようと思われなくても大丈夫ですよ。
> 以前までは、投稿文を読んで、頭に浮かんだ内容の2〜3割を返信文に起こしてたのですが、
> 最近は、ほぼ無編集に9割方、読んで思い浮かんだまま垂れ流してる感じ・・・・


長文は全然構わないと言いますか、むしろ大歓迎なのですが、
問題は管理人さんが自分でしか分からない文章になっていることだと思うんですよね。
例えば、管理人さんがAという情報を見てBということを考えた際に、
掲示板ではA→Bという発言になるのですが、脳内ではそのAとBとの間に、暗黙の思考としてCやDが隠れていると。
「中国で少子化が急激に進んでいる」というニュースを見て「中国この先大丈夫だろうか?」という感想を抱いたとしても、
その間には暗黙の思考として、「中国はまだ経済成長の途上にあり、貧しい人がまだまだ多い」というものがあるはずです。
ところが、「中国この先大丈夫だろうか?」という結論だけ書かれると、
私には間の「中国はまだ経済成長の途上にあり、貧しい人がまだまだ多い」が分かっていないため、なんでそういう結論になるのか、こちらにはよく分からないと。

> 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。

> まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
> そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
> 現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
> 俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。


少なくとも、これ↑では何が言いたいのか、よく分からない、ということですね。

前の文化の衰退の話の時も、文化の幅というキーワードが出て来るまで、全く管理人さんの主張って分かりませんでしたし。

偉そうにすみません。
この文章は実は前にも似たような文を下書きしたのですが、失礼かと思い投稿しなかったんですよね。
ただ今の返信状況だと、早めに書いておけば良かったと思います。

前の文化の話の時とかも、「文化の幅」というキーワードが出てくるまで、何度読み返しても管理人さんがなにを言いたいのか全く分からんかったので。

我ながら生意気だなあw

後は、今回のホワイト革命の動画の後半部分を追加で説明したのは、私が最初にホワイト革命の話を聞いたのが有料の別動画であり、
管理人さんにリンクを貼った動画だけを見たのでは、印象が異なるかもしれない、と思ったからなんですよね。
岡田斗司夫って、たまに前後半セットの動画を、前半だけ無料公開することがあるので(前半だけ見せられた視聴者は何の話なのか分からないはず)、
今回もその手の動画であったことを後から思い出したので、細く説明として後半部分を追加で説明したんですよね。

といいつつ、まあそんなことは管理人さんも分かってるんですかね?
その上で、また足りねーよ、ということなのかもしれません。

> もう少し解りやすく説明すると、人はそれぞれ独自の視点を持っているモノであり、
> 同じ状況下でも、AさんにはAの、BさんにはBの、CさんにはCのモノの見え方の違いがあるんです。
> ですから普通は、「自分的には こうだ」という認識はあるにしても、
> 「あの人的には ああだろうし、この人的には こうだろうな」という想定を行うものなのですが、
> どうも旧トルコ担当さんの場合は、「自分的には こうだ」に続いて、
> 「だから、あの人も、この人も、そうだろう」と、ついつい見てしまいがちな傾向が見受けられます。
> 恐らく本人的には、「いや、そんな事はないよ!」って感じだとは思いますが、
> これはもう、20年以上サイトを続けてきて、多くの人達と触れ合ってきた上での、私なりの実感ですね。


「そんなことないよ」とは思ってませんよ。
私は頑固者ですし、自分の考えを曲げたことは、おそらく人生で一度もありませんw
とはいえ、相手の説明を聞いて「自分の考えが違ったな」と思うことはありますし、逆に言えばそう思うまで考えを変えないと。
正直言えば、掲示板でやり取りをする中で、管理人さんの話をちゃんと読めていなかったな、読解力が足りていなかったな、
とは思っていますので、前に比べれば、今の方が実はまだ、聞く耳としては改善されていると思います。
とはいえ、私の根底には、「見解が異なるのは、持ってる情報が違うからだ」という考えは依然強いですし、
だからこそ「互いに持ってる情報を全部出せ」という発想になるんですよね。
これを言い出すと、ほぼ100%付き合ってられない、という反応になるのですが。

▼ ホワイト革命

ホワイト革命について自分の言葉で語ってみろ、とのことですので、
Twitter以外にもうひとつ例を挙げるとすれば、「推し」だと思うんですよね。
「推し」という言葉には、推してる自分と推す対象との間にちょっと距離感があると思うのですが、
その距離感って「自分の住んでいるこちら側の汚い世界と、推しの住んでいる尊い世界」みたいな価値観が前提にあると思うんですよね。

若者の恋愛離れとかも、ここ10年に限れば、この辺の影響も受けてると思うんですよね。
自分の好きな人はホワイトであってほしいし、だから好きな人と自分が付き合うなんてありえない、と。
だって自分はそんなにホワイトじゃないから。
そうなると行き着く先はCP厨だと思うんですよ。
遠くから、尊い二人を見ていたいとなるので。
おそらくですが、BLの拡大にはこの価値観が影響しているはずです。
で、これもホワイト化の一種だと。
(逆に言えば、なんで腐女子の人たちは80年代というかなり早い時期に推しカプという概念にたどり着いたんですかね?
まあ、女の子は小学生のころから割と他人の恋愛話に興味がある、というのはありますが)

nhkのねほりんぱほりんに出演していたイケメンキャラ好きの女性が
「リアルの男は毛深いのが生理的に無理」「リアルの男はウンコするのがイヤ」
って言っていましたけど、これもホワイト革命においては、割りと極端とは言えない価値観だと思うんですよね。

まあ、後は『千歳くんはラムネ瓶の中』というラノベがあり、まだ1巻しか読んでないのですが、ホワイト化を感じましたね。
ラムネ瓶は私よりももう数歳年下世代がメインターゲットだと思うのですが、わずか数年の差でこんなにも価値観が違うのかと。
内容としては、オタクの引きこもり高校生が、クラスの女の子をとっかえひっかえしているリア充野郎に不登校を矯正されるというだけで一巻が終わるのですが、
私の世代であれば、もっとリア充とかへのやっかみとか、逆張りでリア充はクズ、みたいなのがあったのですが、それがないんですよね。リア充全肯定。
これもまた、リア充=ホワイトの側、という価値観が浸透してるからだと思います。(ちなみに、リア充の側もメッチャいい奴w)

私にとって岡田斗司夫のホワイト革命論が衝撃的だったのは、割りと上記みたいな価値観って、オタク的な価値観だと思っていたのですが、
それが若い世代ではかなり普遍的だということを知ったからでした。

ちなみに、前に出した、顔の良しあしが成績に影響しているのではないか、という話もこの辺が前提にあります。
自己肯定感とか、メンヘラなんて言うのも、この辺をこじらせているのでしょうね。
そういう意味で、私は本当にデブでなくて良かったと思っているんですよ。
もし私がオタクな上に太ってたら、おそらく自己肯定感とかが壊滅していて、今頃はどうしようもない無気力状態にあったと思うので。
太るか太らないかはDNAが大きく影響しているらしいですが、本当に太るDNAを受け継がなくて良かったと思っています。

まあ、管理人さんの「選挙だって、今の時代だけ見ればトランプは民主主義の終わりくらいに巨大な存在に見えても、歴史的、ミクロ的にはよくあるパターンでしょ。
同じように私の言うSNSのホワイト化も、数ある流行パターンのひとつにすぎない」というのも分からなくはないんですよね。

管理人さんがホワイト革命論をあまり大きな変化と捉えないのって、結局は視点の違いなのかな?
私の場合、岡田斗司夫のホワイト革命論を聞いた際に、「あれもそうだ、これもそうだ、確かにホワイト化されている」となったのですが
(今まで書いた例以外にも、まだまだいくらでも例示できます)、
なまじ最新の若者文化には触れてないだろう管理人さんからすれば、ミクロな視点がない分、
かえってマクロな視点からしか見てしまい、そんなにか?ということになってる、ということなのでしょうか?
いや別に、若者文化なんて分からないのが当然だと思いますので。
私も「エヴァンゲリオン」を見て、まあまあ面白かった以上は、「95年のオタクはこんなのが好きだったんだな〜」としか思えませんでしたし、
私が25年前のオタクの若者の気持ちを分からなかったのだから、管理人さんが今の若者の気持ちを分からなくても、当然だと。

で、ホワイト革命って、結局は
「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」
ということだと思うのですが、このことに対してはどう思われますか?

▼ オタク史

> そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
> 実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
> 歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
> 特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
> 自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。


当時の作品にいきなり触れても、結構分からないものですよ。
例えば前に挙げた『ロードス島戦記』(88〜93年)は第1巻を読んでみましたが、最後まで面白さは分かりませんでした。
『きまぐれオレンジロード』(84〜87年)も無料公開されているので読んでみましたが、第2巻の途中で挫折していますし。
(https://www.sukima.me/book/title/kimagureorangeroad/)
まあ、好みとは違ったというのもありますし、
今は面白さが分からなくても、まず最後まで読んでみろ、そしたら面白さが分かるはずだ、というのもありますが、
それよりも30年、40年の年月というのはそれだけ大きいということだと思うんですよね。
だからこそ、その当時の受け取られ方を知るということが重要なんです。
『宇宙戦艦ヤマト』なんかも、SFブームだとか、アニメ史といった背景を知ってから見れば、
ああなるほど、ヤマトはこういう風に面白いんだな、というのが分かり、ちゃんと楽しめましたし。

で、こういう作品の見方って、もう芸術作品の見方と同じなんですよ。
私は中学生のころに源氏物語を読んだときは、初めは面白さが分からなかったのですが、
中学生であまり他の娯楽を知らなかったこともあり、分からなくても読み続けていると、
段々と平安時代の習慣とか、恋愛観とか、短歌の読み方が分かるようになり、面白さが分かるようになりました。
オタク作品も、これと同じやり方が必要なんですよね。

私の場合は、そういった勉強をせずにナチュラルに楽しめる範囲って、00年代前半〜90年代後半くらいが限界点ですね。
それ以前になると、最低限は「この作品は名作と言われているんだから、どこかに面白い部分があるはず」という覚悟を持って、
多少分からなくても我慢しないと見れません。

まあ、だってオタク命名が1983年、もう40年近く昔です。
この40年間、あまり日本社会が変化していないから、なんか感覚が狂いますが、
39年前って、2022年-1983年-1944年-1905年-1866年ですよ。
可視化されないだけで、結構な変化が内的にはあるはずなんですよね。

▼ 作品の大量消費化

> > > > あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> > > > 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> > > > 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> > > > コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

> > > まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
> > > アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
> > > 目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
> > > とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
> > > だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。
> > > でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
> > > これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
> > > それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。

> > うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、
> > 悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
> > Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
> > 昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
> > それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
> > 一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
> > 1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。

> う〜ん、そうとも言えますし、そうとも言えない面もあるのかな?
> テレビやビデオしか無かった時代に比べると、作品の寿命が延びたというか、
> ピークが過ぎ去った後の「低空飛行な人気」というのが、非常に長くなったのは事実だと思います。
>
> でも一方で、作品が消耗品として、大量生産されるような時代でもありますし、
> ストレスの多い現代社会を反映して、噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りましたから、
> 1作1作のピークの高さや、その長さ自体は、やはり小さくなってる気はするんですよね。
> 解りやすく言うと、「老後」の期間が凄く伸びた感じなので、
> そういう意味では、単純に「1作あたりの寿命が延びた」と捉えて良いのか否か・・・・


まあ、この辺は「低空飛行な人気」というのをどう捉えるかにもよるんでしょうね。
私のオタク観では、BLというジャンルを下から、つまり商業的な上からではなく、ファンの方の下から作った、
80年代後半の腐女子たちこそ、オタクの中のオタクだと思っていますし、
なので、低空飛行期に行われる同人活動とか、pixivに二次創作小説を投稿したり、ツイッターで作品の解釈をツイートしたり、
というのが、オタク度の高い行為だと評価しています。80年代後半の腐女子も同じ事をやっていたと思いますので。

> 噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りました

これは半分くらい間違っていますね。
今のオタクにとっては、今の作品こそ、スルメ的な読みごたえがあるんですよ。
作品の見え方が違うということですね。
まあ、管理人さんの言うような、旧来的な意味での読み応えのある作品、という意味では減っているのも事実ですが。

> あと、これが「オタク・イズ・デッド」という話に繋がるかとなると・・・私は繋がらないと思います。
> 後述する通り、確かに一昔前のオタク層の方が、広範な知識を持っている傾向はありましたが、
> でも、だからと言って、そうじゃ無ければオタクじゃ無いという訳でも無かったはず。
> 要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
> 「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。
> もっと言えば、ジャンルの限定化とかは関係無く、深堀りをする事を止めてしまい、
> 提供される大量のコンテンツの、単なる消費者となったが故の、オタク・イズ・デッドな気がします。
>
> 例えば欧米だと、「リベラル・アーツ」と呼ばれる、広範な一般教養の知識を土台にして、
> その上で、自らの専門分野を築く事が理想とされていますけど、
> それでも、他の分野には目もくれず、専門分野を徹底的に極めた人が、充分に尊敬はされます。
> リベラル・アーツが伴ってないなんて理由で、「あいつは専門家じゃない」とは言われませんよ(笑)。
> 対象分野における体系的な知識に欠けているから、専門家では無いと見なされるだけの話で。


うーん、オタク・イズ・デッドって、オタクの劣化とか、作品の大量消費化とか、そういう話ではないですよ。
往々にして、そういう風に誤解されますが。(岡田斗司夫の話が長いのが全部悪いんですw)
オタク・イズ・デッドというのは、オタクという共通意識の喪失であり、ジャンルが違うオタク同士が仲間意識を持たなくなったことを指しています。
ですので、
> 要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
> 「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。

というわけではなく、タコツボ化した結果、マンガオタクがSFオタクが何が好きかを知らない、興味もない、となったからオタクが死んだんです。
別に、オタクが自分の好きなジャンルのことしか知らないのは昔からそうですが、それでも昔はオタク同士が巡り合える確率が低かったため、
必然的に、何となく今美少女フィギュアでこんなのが人気だ、とか、そういう話を聞いたことぐらいあったんだろうし、だから何となくの共通意識もあったのだと思います。
でも、ネットでショートカットができるようになった結果、興味のない美少女フィギュアの話は、一般人と同じレベルの認識しかないオタクが増えた。だからオタクは死んだのだと思います。

▼ ホワイトコンテンツ

> まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
> 癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、


うーん、ストレスの多い社会になっている、というのは本当なんですかねえ?
昭和の方が週休1日で、上司との飲みに付き合わされたりするのも多そうで、ストレスが溜まりそうなイメージですけど。
結局、昭和の方がストレスが溜まっても、それでも給料が上がるから我慢できた、希望が持てた、ということなんでしょうね。
うーん、やはり昭和って今といろいろ違うんだろうなあ。

あと、ここがやはり世代差なのかもしれませんが、正直そういった消極的な理由のみでこうした作品が選ばれている、というのは間違いだと思いますよ。
伝わるかどうかわかりませんが、今のアニメとかの見方って、下のツイートにあるように、涙を流しながら見るような部分があるので。
https://twitter.com/Ui0518/status/1520312033333628929
ホワイト化って、こういうことなんですよ。
どう書けば伝わるのか分かりませんが、要は徹底的に登場人物に感情移入して、涙を流したりするので。
これってアニメに限らず、私がちょっとやったソシャゲのストーリーもそうでしたし、
私はHoneyWorksという女子中学生くらい向けの音楽ユニットが好きなんですけど、ハニワもそうなんですよ。
繰り返しになりますが、これって単純に私の趣味とか、昨今のオタクの傾向くらいに捉えていたのですが、
岡田斗司夫のホワイト革命が衝撃だったのは、これがむしろ今のスタンダードで、別にそこまで極端にオタク的な傾向ではない、という点だったので。
言ってしまえば、ホワイトコンテンツとでも命名すべき、マンガやアニメやゲーム(のストーリー)が生まれてきている、ということなんでしょうね。

ホワイトコンテンツがどんなものかを説明するため、銀英伝をホワイト化した、ホワイト銀英伝なるものを妄想するなら、
銀英伝のフォーク准将とか、門閥貴族とかって、ヘイトキャラなんですよ。ああいうのはミュートの対象なので、そもそも作品に出さない。
あるいは、作品に出てきたとしても、主人公をはじめとするホワイトキャラ達とは、一線が引く。
じゃあ悪者なしでどうやって物語を動かすのかと言えば、基本的には物語後半の、ロイエンタールとミッターマイヤーの対立のような、
ホワイトキャラ同士の問題や、誤解による対立で物語を動かしていきます。

具体例を出したので、より抽象的なホワイトコンテンツの特徴を挙げると、
・ヘイトキャラが出てこない、出てきても他のホワイトキャラとは一線が引かれている
・物語を動かすために=主人公たちに試練を与えるために、出てくるキャラクターは3パターンに分かれ、
 ・単純なヘイトキャラ(昔風に言えば悪役)、出てきたとしてもホワイトキャラとは一線が引かれる
 ・ホワイトキャラ同士の誤解や、信念の対立、往々にして対立の後にはお互いの誤解が解け、仲直りする

こういう見方って、一番早くそれをやり始めたのが、腐女子の人たちだと思うのですが、あれが一番最初に流行ったのは80年代後半からですし、
バブル崩壊で世知辛い社会になって、だからそういう傾向のコンテンツが流行っているのだとすれば、バブル崩壊前の80年代にBLが流行り始めたことは説明がつかないと思うので、
単純に世知辛くストレスが多い社会になったとか、そういう面だけじゃないと思いますよ。

> で、逆に尋ねますと、ここ10年あまりで、具体的に「これ」といった新文化って何か生まれました?
> 私が知らないだけだったり、付いていけてないだけなら、却って嬉しいんですよ!!
> 過去を懐かしむよりは、見知らぬ未来にワクワクするタイプですから、
> もしも気付けていないだけで、新しい刺激が存在するなら、是非とも知りたいので。
> 平成の30年間で、最初の10年間は、土台にあった戦後昭和の文化が成熟期から爛熟期を迎え、
> 続く中間の10年間は、ネットという新しい環境の変化が、様々な文化を生み出しました。
> しかし、平成最後の10年間となると・・・少なくとも私には思い浮かばないんですよね(泣)。


そういう意味で、この10年の新しい刺激って、ホワイトコンテンツなんでしょうね。
であれば、管理人さんも、無理して新しい文化を知る必要もないのではないですか?
私も、オタクの歴史を勉強する中で、「オタク史の色々な本で紹介されているのだから、きっと凄い作品に違いない」と思って見た作品が、
「あれ、案外面白くないな。凄い作品なのは分かるけど。20年、30年前の作品って、やっぱり面白く感じられないものなのか」という経験がありましたし、
(エヴァンゲリオンなんかそうでした)、私は過去の作品を見て、案外面白くないな、でしたけど、
これって逆に言えば、未来の作品もまた、案外面白くないな、と思うということだとも思うので。
だって、かぐや様も見てて、リゼロも見てて、それでホワイト革命に否定的ならば、世代差による見え方の違いだと思うので。
逆に、それが嫌なら勉強しましょう。勉強すれば、世代が違っても分かるようになること「も」あります。
かぐや様を読んでいるのであれば、同作者の『推しの子』というマンガはどうでしょうか?
5〜7巻あたりの、2.5次元舞台編はかなりホワイト的な価値観全開ですので、勉強としては格好の題材かと。
(一応追加説明しておけば、推しの子はホワイトコンテンツの中でも、部分ミュート型なので、ヘイトキャラが多少出てきていますが、
基本的にはヘイトキャラとホワイトキャラの間に一線が引かれています。
あるいは、ヘイトだった側のキャラが自ら反省すること、誤解が解けることによって、ホワイトの側にくる場合もありますが)

と、言いつつも、別に若者文化が全てホワイトコンテンツなわけではなく、
前に出てきた「よう実」なんかは、割とそういったホワイト文化的なものに対しては、一定の距離を取っています。
とはいえ、よう実の場合は、そういったホワイトコンテンツ的な考え方は出てきていますし、
それもまた完全に否定されているわけでもないので。

ちなみに、あらゆる社会論って、
・論の概要 (既存の社会認識と異なる、新たな社会認識の提唱)
・具体例
・変化の要因 (なぜそのような社会変化が起きているのか)
の3つの要素から構成されると思うのですが、
岡田斗司夫のホワイト革命論って、具体例と変化の要因の説明がなく、
論の概要だけがかろうじて「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」
と説明されているんですよね。
でも、それだけで視聴者は「ああ、確かに、私の周りでもこんな例とか、あんな例がある、あれ全部ホワイト革命で説明できる!!」
となるのだと思うんですよね。
で、「ああ、確かに」が無い時点で、管理人さんが新しいホワイト文化に気づいていないだけではないのか、と判断しています。

といいつつ、ホワイトコンテンツなんて言うものが幻想であり、昔からあったものなのかな?
正直、私もメチャクチャ昔の作品に詳しい、とかではありませんし。
少なくとも、岡田斗司夫のホワイト革命論がなければ、
ホワイトコンテンツ論に対しては、いやそんなの昔からあったでしょ、と反応していたでしょうし。

とはいえ、恋愛コンテンツでいえば、明らかに
バブル期の失恋ものが割合として多かった時代→90年代後半から00年代前半の、悲劇的な恋愛が多かった時代→昨今のハッピーエンドが多い時代
というのがありますし、自分で作品を追っていても、10年前と傾向が違うよな、というのはあるんですよね。
やはり論を展開するには、当たるべき作品の数が圧倒的に足りてない気がする。

▼ ロリコン

> > > > 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> > > > 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> > > > オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> > > > 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> > > > はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> > > > ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> > > > 管理人さんはどっちでしたか?

> > > で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
> > > 今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
> > > 正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
> > > あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
> > > かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。

> > いや、こういうこと書くと、お前の性癖の話かよ、と思われそうですが、私はそっちのロリには全然興味ないんですよ。
> > で、普通はそういうのって、その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらないと思うのですが、
> > 物語シリーズってその辺のロリ愛が、そうでない人間にも伝わってきたので、
> > これオタク以外の人にも分かっちゃうんじゃないのかなあ、と感じたのですが、
> > やはり普通の人には伝わってなかった感じですね。


> う〜ん、気を使って回りくどい表現をした為に、まるで伝わってないみたいですね・・・・
> 解りやすいようハッキリ言ってしまうと、旧トルコ担当さんが感じるような事は、
> いわゆる「普通の人」にだって、当たり前ですけど、充分に伝わってますよ(笑)。
> だって、旧トルコ担当さんの抱いている「感覚」って、
> 当人的には「オタク的な感覚」と思われているようですが、明らかに「普通の人の感覚」なので。
> 逆に、ガチロリ勢の感覚からすれば、「あの程度で『本気のロリ愛』ってwww」という感じかと。


ああ、やはり伝わっているんですね。

> それこそ御自身でも、既に表明してるじゃないですか?
> 「ロリには全然興味ない」とか、「その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらない」って。
> それなのに何故、こうも自信満々と「自分は解っている!」つもりに、なれるのでしょうか?
> これは全快の私の書き方が悪かった部分もあるのでしょうが、
> 「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
> 精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。
> って、世間一般の感覚からすると、そんなの理解できる必要なんて、全く無いんですけど(苦笑)。


ロリコン系って、フェチズム的な、精神的な部分って少ないと思います。
幼児体系なんて言葉があるように、体がメインであって、心は別に欲していないというか。
だからロリコン系のエロって、レイプ系が多いのではないでしょうか?
ロリコンに精神的なフェチズムが求められているなら、いちゃらぶ的なロリコン作品もこんなに少ないわけないですし。
(もちろん、フェチズムだからこそ、あえてレイプ系が好きな人もいるでしょうが)
あと、ロリコン系エロがレイプ、特におじさんによるレイプになりがちなのって、ロリコンに対する罪悪感の表れだと思うんですよね。
罪悪感があるからこそ、自らおじさんがレイプするという方向のマンガが選ばれ、いちゃらぶのロリエロが選ばれないと。

それでも時代が下るにつれ、ロリ系のいちゃらぶも増えてるのかな?
00年代の妹モノも、レイプ系ではないですし。
『化物語』はそれが他人のロリに対しても広がった、ということなのかな?
あるいは罪悪感のリミッターが外されたというか、それだけ世間体を無視して、オタクの理想の世界を描いているんですよね。
個人的には、そういったロリといちゃいちゃすることに何の疑問もない、理想のオタクワールドを描いている部分が、化物語に本気度を感じましたね。

▼ マスク

> > コロナが明ければ元に戻る、というのも日本人だけの考えで、
> > マスク無しが当たり前になっている海外では、既にコロナが明けている、という意識なのかな?
> > https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220414/k10013581791000.html

> 「明けている」とまでは言いませんけど、
> 既に欧米では、「共存の時代(withコロナ)」に入ったんだと思いますよ。
> そもそもコロナは、アデノやライナと並び、いわゆる風邪の3大ウイルスの1つですし、
> その中で「新型が現れた」というだけの話ですから、出現当初は「ただの風邪」とは言えずとも、
> いったん蔓延して定着してしまえば、「普通の風邪」の仲間入りみたいな所はありますので。
>
> > 日本人からすれば
> > コロナ前→今もコロナ禍→コロナが空ければ、国内の規制(マスクなど)も、海外との規制もなくなる
> > と考えがちですが、
> > 外国人は
> > コロナ前→コロナ禍→今は国内規制の無い段階→将来的に海外との規制もなくなる?なくならない?
> > という風に見えてるのかもしれない、ということです。

> かも知れないと言うか、そのまんま、その通りだと思いますよ。
> と言いますか、欧米よりも東アジアの方が、規制解除まで時間を要しそうなので、
> 必然的に、そうした流れとなろうかと。
>
> あとは日本国内の場合、感染対策というよりは、
> 世間の目みたいなモノを気にして、皆がマスクを着けている所があるので、
> マスク解除のタイミングが、一体どのようにして行われるのかは、かなり興味がある所(笑)。
> 欧米社会のように、ルールで規制を行っていたのなら、ルール撤廃と共に規制解除となりますが、
> 日本社会の場合、周囲の空気を読んでの自粛による精神的な規制ですから、
> 明確に「解除!」となるには、それ相応の仕掛け(キッカケ)が必要になってきますし、
> それが仕掛けられないとなると、長い時間を掛けて、済し崩し的にジワジワ緩んで行くしか無さそう・・・・


マスクは、し続けるんじゃないですか?あと5年か、もしかしたら10年くらい。
コロナに明確な終わりがない以上、マスク圧力は続きそうですし、また現在既にその価値観変化、が起きているというか、
「完全に元に戻る」ということはないかと。
マスクに離れたし、もうこれが普通という感覚の人は結構いそう。

大学のリモート授業なんかも、「ああこの教授は、コロナ明けてもリモートでやるだろうな」という人はいますし。
(逆に大学から命令されない限り対面に拘る教授もいますが。)
何がいいたいかと言えば、コロナ明けても教授によってはリモートを続けるのと同様に、
コロナが明けてもマスクをし続ける人はし続けるので、「完全に元に戻る」ということはないのではないか、ということです。

▼ AIYouTuber

(1)AIYouTuberが受け入れられる可能性

> > 私の考えは反対ですね。
> > AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> > であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

> えっ!?
> マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。
> だからこそ、いつも不満ばかり言われるのに、実写化の流れは止まらないんです(笑)。
> そりゃ、一握りの話題作とかは別ですけど、基本的には市場規模がまるで違います。
>
> > グラビアだってCGではなくリアルだからみんな見る、とのことですが、ではこれってエロ漫画はどうなのでしょう?
> > エロ漫画だってコンビニで売られてるくらいに、需要はあったと思います。
> > 別にリアルの人間である必要って、そんなにないのでは?

> こちらも、同じ話の繰り返しになりますけど、
> 確かに需要があるのは事実ですが、その需要の規模はまるで違います。
> 例えばAVにしても、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要は確実にあるものの、
> だからと言って、「別にノーマル系である必要はない」とは、ならないのと同じ事です。
>
> 一昔前ほどでは無いにせよ、オタク文化というのは、未だにマニアックな世界であるという認識は、
> それなりに持っておいて然るべきかとは思いますよ(笑)。


アニメやマンガよりも、映画やバラエティ番組など、本物の人間が出ている方が圧倒的に市場規模が大きいというのは事実ですけど、
とはいえ「一握りの話題作」という話を管理人さんもしているように、マンガやアニメを一切見ない人、全くハマったことがない人、というのも少数派だと思います。
それっていわば、マンガやアニメにのキャラクターものに対する教養というか、それらを楽しむための土台は多くの人が持っているということなので、
そちらのクオリティが上がれば、そっちに流れる人もたくさんいると思うんですよね。
例えるなら自動車免許みたいなものでしょうか?
皆が自動車免許を持っていないのであれば、いくら安くて高性能な車を作っても売れないでしょうが、
自動車免許は持っているけど、車は持っていないという状態であれば、車の性能向上と価格低下で市場が拡大する余地はあると。
少なくとも、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要、とかとは完全に異なるはずです。
だって、あれはほとんどの人が一度も見たことないものでしょ。

(2)AIの技術的可能性

> > AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> > AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

> そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
> もし本気でそう思われているのなら、大きなビジネス・チャンスですから挑戦されてみれば?
> 仮に実現出来たなら、アッと言う間に億万長者になれるはず(笑)。
>
> と、茶々を入れるのは、この辺にしておいて、
> 以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
> 「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
> そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。
> そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、
> 少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
> 今だと、せいぜい「大喜利AI」程度でしょうか?
> でもこれも、膨大なデータ・ベースの中から、突拍子もない返しが来るから面白いのであり、
> 人が聞き入るレベルの会話となると、とてもじゃ無いですが無理です・・・・
>
> と言いますか、AIがどうこうという以前に、そもそも人間同士の会話において、
> どうすれば上手く伝わり、どうすれば興味を持ってもらえ、どうすれば面白いかなど、
> その「難しさ」というのは、充分に理解できそうな気がするのですが、
> 仮に、それすら気付けていないとなると、
> 天性のコミュニケーション能力が半端ない人間か? それとは正反対の人間か?
> そのどちらかのタイプになりません?(笑)


しゃべりの技術が難しいというのは確かにそうですが、
AIってコンピュータの計算速度さえお金を出して向上させれば、いくらでも動画を作れるので、
例えば1日に1万本の動画を作る、みたいなことも可能だと思うんですよね。
で、1万本も作れば、中には偶然面白いものが生まれることもあると。
数うちゃ当たる戦法は、それこそ自動運転や電話対応では使えませんが、
YouTubeなどでは使える戦法ですし、
どれだけしゃべりの技術を向上させても、人間には寿命というものがあり、
1日24時間に投稿できる動画数には限界があるということを考慮すれば、
人間がそこまで優位性を持っているともはあまり思えないんですよね。

▼ おたく評論

> また、「評論系は割と適当」との事ですが、ああいうのって、
> 自分とは異なる「こういう見方があるのか」と気付かされたり、
> 自分の中で纏まらない考えを、スッと的確に表現していて腑に落ちるだとか、
> そうしたモノを求めて読むモノなので、そもそも読み方を間違えているというか、
> 旧トルコ担当さんの場合、誰から「正解をもらう」事を、求めすぎてる感じがするんですよね・・・・
> 「歴史の本」にしたって、別にそこに書かれてる内容が、全て正解って訳でもありませんし、
> 単なる受け売りだけでは、「歴史を調べる」行為にはならないので。
> (本とは絵の具であり、歴史って、それらを用いて全体像を描いていく作業に近いかも?)


評論が嫌いなのは、オタクの歴史を勉強する中で、本当にどうしようもないような低レベルの評論も初期には一生懸命読んでいたからなんですよね。
それこそ、「ラノベ読者は表紙の絵にしか興味はなく、なんと本文は読んでいなかったのだー」とか書いてしまう大学教授とかの文章とかも読んでいたので。
あとまあ、本当に作品の解釈などというものがあるのであれば、それはアカデミズムなんかよりも、オタクの方がちゃんとできているはずです。
オタクはそれにある意味人生かけているわけですし、また人数としても、オタク作品を評論する先生の数よりも、作品を解釈するオタクの数の方が圧倒的に多いはずなので。
まあ、そうした評論というか、作品解釈をある程度読んだうえで、ではアカデミズムという違った立場からはどう見えるのか、ということであれば、
そういう評論も役に立つのかな?

▼ おたくの作品の見方

> > とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、
> > それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
> > 私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
> > 私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
> > とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
> > そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

> これは上述の「消耗品化したアニメ作品」という話とも繋がるのですが、
> 今の時代って、言うほど1つの作品を、深掘りとかしてますかねえ?
> 同じ1つの作品を見続けたとしても、それは時代劇や新喜劇を見る感じに近くても、
> 要するに「安心感」を得るような行為であって、
> 旧来のオタク的な楽しみ方とは、また別物かな?という気もします。


失敗したくないから、安心感を求めて、同じ作品を見る傾向がある、というのは理解できます。
とはいえ、例えばアイドルマスターで10年間同じ女の子キャラの担当してます、みたいなオタクもいますし、
そういった、旧来のオタク的な楽しみ方とも、効率重視とも違う意味での、同じ1つの作品を見続ける、というのもあるかと。

▼ 経済

> > もちろん、新自由主義崩壊の過程で暴力的なことが起きる可能性は十分ありますし、
> > ポスト新自由主義が必ずしも今よりも良い時代かどうかは疑問ですが、

> 自由主義がリバイバルして、新自由主義の時代になった事を思うと、
> 次に来るのは、社会主義をリバイバルしての「新社会主義」なのか?
> はたまた、ケインズ主義をリバイバルしての「新ケインズ主義」なのか?
> 新社会主義であれば、ベーシック・インカム(BI)がキーワードになるかも知れませんし
> 新ケインズ主義であれば、現代貨幣理論(MMT)がキーワードになるかも知れません。
> まあ別に、BIも、MMTも、新自由主義でだって導入するメリットがあるのですが、
> どのシステムで導入されるかによって、その意味合いは大きく変化しそう・・・・
>
> って、リバイバル自体は別に否定しませんけど、
> それしか出てこないのは、やはり新たな発想力に乏しい時代なのか?
> それとも、私の知らない何処かで、最先端の理論が生まれていたりもするのかな?
> それこそ旧トルコ担当さんの方が、そういうのは専門なんじゃありません?


専門ではないですよ、という話は確かしたと思いますが、
専門外として適当なことを言わせてもらえば、
新自由主義が導入されたのって80年代らしいですが、これってつまり70年代には資本主義経済があまりうまくいかなくなってた、
ということですよね?
うまくいっていたのであれば、あえて変えようとするはずがありませんし。
で、新自由主義もまた、全然良い経済体制ではなかったんですよね?
ということは、資本主義ってこの半世紀ほど上手くいっていないってこと?
もちろん、新自由主義がうまくいっていないと言っても、経済が崩壊したわけではないでしょうし、
むしろスマホやらPCやらが普及して生活が豊かになったのも事実ではあるでしょうけど、
それらは科学技術の発展によるものであり、
経済理論的にはこの半世紀失敗続きであるとするのであれば、
資本主義って思っていたほど強固な体制ではないのかも。


[23935] Re3:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その1)返信 削除
2022/5/4 (水) 21:38:37 徳翁導誉

▼ 考え方、意見交換の意義について
> > あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> > 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> > 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> > その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> > 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> > 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> > その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> > まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。

> そうなのですか。
> 私の考えとしては、「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」といいますか、
> 「互いに情報を共有すれば、相手がどうしてそう考えるのか、理解しあえるはず」というように考えています。

物事の対象次第ですけど、まあ論理的には可能かな?
とは言え、人間には、感情や能力の側面も絡みますし、
完全に情報を共有させる事自体、そもそも現実的には不可能ですからねえ。
それこそBLEACHでも、藍染が言ってるじゃないですか?
「憧れは 理解から最も遠い感情だよ」と(笑)。

それに、「理解しあえる」と本音の部分では、
「相手を理解できる」事よりも、「自分を理解してもらえる」事への望みが伺えるので、
その姿勢のままでは、恐らく、理解し合える事は無いでしょうね・・・・
逆説的に言えば、自分を理解してもらいたい願望を捨て去る程に、
相手への理解が深まる傾向があると言えますし。

> > あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> > 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> > 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> > その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> > 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> > 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> > その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> > まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。

> ああ、まあ、管理人さんの指摘も分からなくは無いです。
> 同じ情報を得たとしても、見解が変わって来るのは当然であり、
> 「自分と見解が違う→これは、持ってる情報が違うからに違いない、同じ情報を得れば、同じ見解になるはず」という思考では、
> 相手の理解をする努力が全くされていないと。
> それでは、堂々巡りだよね、ということですよね?
> とはいえ、ハッキリ言わせて貰えば、それは誤解です。
> 私は管理人さんの文章を何度も読み返していますし、
> それでも尚理解できないから、「私にはこう見えていますよ、私はこう思うのですが、管理人さんはどう思われますか?」

ハッキリ言って、「それは誤解です」というスタンスから始まってる時点で、
「私は1歩も動くつもりがありません!」と宣言しているようなモノですから、
もうそこで、私が旧トルコ担当さんへ同調しない限り、「堂々巡り」確定なんですよね・・・・
そんな態度では、私がどれだけ言葉を費やした所で、その内容が理解できる事は無いですから。

> という意図で自分の主張とその根拠を繰り返し別の角度から書いているんですよね。
いや、私から見ると、別に角度は変わっていないんですよね。
と言いますか、より厳密に言うと、変えるべき角度の部分が そもそも違うと言いますか、
だからこそ例え話で、2次元がどうの、3次元がこうの・・・と述べた側面があります。
同じ座標に居たまま、角度だけを変えるのと、
座標を変える事で、自然と角度も変わるのとでは、まるで異なりますからねえ。
恐らく、こういう話をすると、「抽象的すぎて解らない」と言われると思うので(笑)、
まあ別に、この話は、聞き流してもらって構いませんけども。

> > その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> ここでいう「立ち位置や状況」ってどんなものを想定されているのでしょうか?
> 抽象的な指摘だと分からないので、具体例があると非常にありがたいです。

具体例も何も、そもそも、それが「俺ガイル」や「ホワイト革命」の感想の話じゃないですか!?

> 管理人さんの言い方ですと、まるで議論しても意見が一致することは無いから、意味がない、みたいな印象すら受けます。
う〜ん、どちらかと言えば、因果が逆かな?
まあ別に、議論の目的として、「意見の一致」など求めてはいませんけど、
少なくとも、「意見の理解」くらいはして貰いたいなと思って、話し合いをするのですが、
最初から「結論ありき」なのであれば、そもそも話し合う「意味がない」とは考えていますね、私自身は。

って、こういう事を言うと、大体は「結論ありきじゃないよ!」という反応が返ってくるのですが、
「自分の認識を常に疑う」事が出来ていない人の場合、
自覚できてないだけで、結局は結論ありきで考えがちなんですよね。
信じたい場合は疑って掛かり、疑いたい場合は信じて掛かるというのが、
「背理法」を用いた、論理的な思考法であり、
これが行えていないと、最終的には感情論に行き着いてしまうので。
とは言え、こんな思考法で物事を見ている人の方が、少数派である事は解っています(笑)。
まあ世間的には、論理よりも感情で動くケースの方が圧倒的に多く、それが悪いとも思っていませんし、
私自身も、自分の理系的な人格が論理的なだけで、アート的な人格の方は世間以上に感情的なので(苦笑)。

> > まあ、最近の長文癖の悪化は、自分自身も「酷いな」と感じてますので(苦笑)、
> > 返信はいつでも結構ですし、全てに返信しようと思われなくても大丈夫ですよ。
> > 以前までは、投稿文を読んで、頭に浮かんだ内容の2〜3割を返信文に起こしてたのですが、
> > 最近は、ほぼ無編集に9割方、読んで思い浮かんだまま垂れ流してる感じ・・・・

> 長文は全然構わないと言いますか、むしろ大歓迎なのですが、
> 問題は管理人さんが自分でしか分からない文章になっていることだと思うんですよね。
> 例えば、管理人さんがAという情報を見てBということを考えた際に、
> 掲示板ではA→Bという発言になるのですが、脳内ではそのAとBとの間に、暗黙の思考としてCやDが隠れていると。
> 前の文化の衰退の話の時も、文化の幅というキーワードが出て来るまで、全く管理人さんの主張って分かりませんでしたし。

正直言ってしまうと、ここ最近、私の文章が以前にも増して長文化しているのは、
半分以上、旧トルコ担当さんの影響というか、所為なんですけどね(苦笑)。

このサイトを始めて、既に20年以上が経過してますけど、
容量オーバーで返信が分割になったのは、それ以前に3度しか↓ありませんでしたが、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20420#20420
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23343#23343
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23555#23555
前回の雑談スレッド以降、分割投稿が頻発しちゃってます(笑)。
「解らない、でも解りたい」とか、「深い話や、当時の話を知りたい」との事だったので、
それまでは読みやすさを優先して、カットしていた部分や、触れなかった話題などを、
出来るだけ情報量を増やすべく、削らなくなった事で、自分でも収拾が付かなくなってしまったと。

そういう意味では、本来なら もっとポンポンと間を飛ばす所も、冗長的に書くようになりましたし、
あまり適当では無いかも知れない例え話も、理解の助けになればと、付け加えるようにしたんですけどね。
まあ、例え話の増加に関しては、却って意味不明にさせてしまった面があるかも知れませんけど(笑)、
基本的には例え話、何となくイメージが共有できるモノだけを摂取して、
ピンと来ないモノに関しては、そのままスルーする方がベストな気がします。
コチラとしても、ピンと来なかった例え話まで解説するのは、正直キツい所がありますので・・・・

ちなみに、それでも話が飛んでいる事があるとすれば、
そこの詳細に関しては、以前にも同様の事を述べている事が多いですね。
正直な所、私は同じ説明を3回以上繰り返すのが好きじゃ無いというか、美しくないと感じており、
そういう場合は、言い換えを行ったり、詳細を省いたりする傾向は、確かにあるかと思われます(苦笑)。
そこは悪癖として、リアルでも時々問題になるので、一応 気を付けてはいるのですが、
雑談スレッドで それを行うと、更に長文化してくるので、あまり行いたくない所もあったりするかな?

相手側が どこまで解ってるかが解らず、ことごとく説明を入れていくと、結局 解り難くなりますし、
ぶっちゃけた話、「何が解らないか」を示してもらうと、こちらも詳細に説明できるのですが、
何が解らないかが解っている「無知の知」って、意外とハイレベルで身に付き辛いモノであると!!
もっと言うと、厳しい話をすれば、旧トルコ担当さんの「解ります」発言は、
私から見ると「解ってない」と映る事が、しばしばなんですよね・・・・
実例として出された「文化の幅」の件も、私の中では「結局 伝わらなかったな」という認識になってますし。

> 我ながら生意気だなあw
別に、生意気だとは感じてませんよ(笑)。
ネット上・・・というか、このサイト内だと、皆さんから どう見られているか解りませんが、
少なくともリアルの私は、上からは恐がられる反面、下からはナメられるタイプの人間なので(笑)、
この程度では、自分の方から「生意気」なんて単語自体が、頭の中に浮かんでは来ませんから。

> 後は、今回のホワイト革命の動画の後半部分を追加で説明したのは、私が最初にホワイト革命の話を聞いたのが有料の別動画であり、
> 管理人さんにリンクを貼った動画だけを見たのでは、印象が異なるかもしれない、と思ったからなんですよね。
> 岡田斗司夫って、たまに前後半セットの動画を、前半だけ無料公開することがあるので(前半だけ見せられた視聴者は何の話なのか分からないはず)、
> 今回もその手の動画であったことを後から思い出したので、細く説明として後半部分を追加で説明したんですよね。
> といいつつ、まあそんなことは管理人さんも分かってるんですかね?

少なくとも、私の中では、そういう認識かな?

> その上で、また足りねーよ、ということなのかもしれません。
で、本音を言うなら、「足りねーよ!」ではなく、「もう充分だろ?」って感じかと。
「一を聞いて十を知る」じゃないですけど、
限られた情報量であっても、そこから意図を読み取ろうとする習慣が身に付いてますからね。
そして、更に情報の追加を求めているのは、
岡田斗司夫の主張ではなく、旧トルコ担当さんの主張を知りたいからなんです。
「あの人は、こう言っていた」なんて伝聞情報だけでは、会話のキャッチボールが成立しないですし、
「自分は、こう信じる」という話になると、「ああ、そうですか」で話が終わってしまうので。

> > もう少し解りやすく説明すると、人はそれぞれ独自の視点を持っているモノであり、
> > 同じ状況下でも、AさんにはAの、BさんにはBの、CさんにはCのモノの見え方の違いがあるんです。
> > ですから普通は、「自分的には こうだ」という認識はあるにしても、
> > 「あの人的には ああだろうし、この人的には こうだろうな」という想定を行うものなのですが、
> > どうも旧トルコ担当さんの場合は、「自分的には こうだ」に続いて、
> > 「だから、あの人も、この人も、そうだろう」と、ついつい見てしまいがちな傾向が見受けられます。
> > 恐らく本人的には、「いや、そんな事はないよ!」って感じだとは思いますが、
> > これはもう、20年以上サイトを続けてきて、多くの人達と触れ合ってきた上での、私なりの実感ですね。

> 「そんなことないよ」とは思ってませんよ。
> 私は頑固者ですし、自分の考えを曲げたことは、おそらく人生で一度もありませんw
> とはいえ、相手の説明を聞いて「自分の考えが違ったな」と思うことはありますし、逆に言えばそう思うまで考えを変えないと。

ですから、そういう所の話ですって・・・・
正直言って、私だって世間的に見れば、かなりの頑固者ですよ(笑)。
でも、頑固者である事と、異なる視点で物事を見る事とは、全く別の話です。
頑固であるのと、偏屈であるのは、一見似ているようでも、まるで異なりますからねえ。

もう少し言い方を換えるなら、別にいきなり、意見を変える必要なんて無いんですよ。
変えるのは見解ではなく視点であり、それも恒常的にではなく一時的で良いんです。
要するに、一時的に相手の視点に立ってみて、そこから異なる景色を認識し、
そして再び、元居た場所へと戻ってくれば良くて、
その時に多少なりとも、以前よりも全体像が異なって見えたなら、
意識的に意見を変えるのではなく、自然と意見が変わってるモノなんです。

簡単に言えば、シミュレートしてみるって事ですよね!
例えば、将棋や囲碁をしていて、自分の側から「ああしよう、こうしよう」と考えるだけでなく、
時には相手の側から、「もしも自分を攻めるなら」という見方をしてみる事で、
自らの弱点であったり、相手の狙いであったり、そうした全体像が見えてくると。
逆に言えば、自分側の事ばかりに目が捕らわれていると、勝てる勝負も落としてしまいます。

って、旧トルコ担当さん向けに、岡田斗司夫の言葉を借りるなら、
どこかの動画で見掛けた「脳内学級委員会」の話に近いですよね。
漫画のネタを用いるなら、「秘技マサル会議」です(笑)。
つまりは自分の脳内に、リトルひろゆきだと、様々な別人を飼う事で、
自分と異なる複数の視点を確保して、同じモノでも多角的に捉えるという話です。
とは言え、それらはあくまでも参考意見であって、中心となるのは自分自身である事は重要!!

ですけど、旧トルコ担当さんの現状は、何と言いますか、
リトル岡田斗司夫だけが頭の中にいて、しかも主導権まで握られている感じとでも言いますか、
そうなってしまうと、「そんな事はないよ」と思っていないと言っても、結局は同じ事なんですよ。
また、時には意見が変わる事があると言っても、それは視点が変わるのではなく、見る対象が変わる感じで、
言うなれば、リトル岡田斗司夫から、リトル・ホリエモンに乗り換えたとか、そういう感じになるような気がします。
でもそれって、本人的には大きく変わった認識でも、他人から見れば大して変わってないように見えると・・・・
「自分の事場で語りましょうよ!」と、口うるさく言うのも、
「判断の主導権を自分に取り戻せ!」と言っているのと、基本的には同義ですね。
とは言え、今回の返信を読むと、それは旧トルコ担当さん自身が望んでいない印象も受けるかな?

> 正直言えば、掲示板でやり取りをする中で、管理人さんの話をちゃんと読めていなかったな、読解力が足りていなかったな、
> とは思っていますので、前に比べれば、今の方が実はまだ、聞く耳としては改善されていると思います。
> とはいえ、私の根底には、「見解が異なるのは、持ってる情報が違うからだ」という考えは依然強いですし、
> だからこそ「互いに持ってる情報を全部出せ」という発想になるんですよね。

では仮に、同じ情報量を得れば、同じ認識になると仮定して、
情報処理能力が同じで無かったとしても、その仮定は成り立つのでしょうか?

> > もう少し解りやすく言うと、Twitterを含めて、SNSというのは単なる1つの道具であり、
> > 道具である以上、使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノなんですよ。

> 道具が考え方を変えることもあるんじゃないんですか?
> テレビは一番最初、自宅映画館としての使用法が想定されていらしいですが、
> 後に家で見るのに映画みたいな長いものは向いていないということが分かり、
> 今のバラエティ番組を寝っ転がってだらだら見るというスタイルが確立されましたし。
> 印刷術が識字率の爆発的増加を起こし、新聞がナショナリズムを作ったことは、人類の歴史に決定的な影響を与えましたが、
> それも初めから想定されていた使い方、というわけではないでしょう。

それでも、テレビは映像と音声で、新聞は文字で、情報を伝える根幹部は変わりませんし、
どれだけ視聴者や読者の意見を採り入れようと努力しても、基本的には一方通行な配信メディアです。
ですから、双方向で やり取りしようとか、情報伝達以外の利用をしようとかしても、
あまり上手く行かないと言うのが、「そんなに使用用途を逸脱しない」の意図ですね。

これは以前にも用いた例なので、繰り返し用いるのは避けたかったのですが、
例えばTwitterとかは、「ネット上の拡声器」であると、私は考えているんですよ。
拡声器というのは、1人が大人数に話す際には便利ですし、
開けた場所で、遠くの相手と言葉を交わす時などにも、使えるかも知れません。
しかし一方で、近くの人と会話をする際に、拡声器なんて使っても邪魔なだけですし、
同じ空間で、同時に複数の人が拡声器で話すと、うるさくて話の内容なんて頭に入ってきません。
そういう意味では、拡声器が使用される場面って、その機能的に自然と集約されてくると。

で、それはTwitterにおいても、同じ事であるという話ですね。
みんなでワーワー騒いでいても収拾が付かないので、敵と味方に分かれて次第に収束していき、
また別の揉める題材が現れると、その度に離合集散を繰り返していく感じでしょうか?
まあ、それ自体は、Twitterの開設当初から変わっていませんし、
利用人数が増えた事で、自らも当事者となる確率が、自然と高まったくらいの話かな。
その繰り返しに辟易して、Twitterからは去ったとしても、
ネット自体には留まって、また別のSNSなりアプリを使っていれば、それは大局的に同じ事ですし、
人間社会には必然的に、そうした需要が一定数あるからこそ、結局は逃れられないんですよね。
そんな事が可能であるのなら、そもそもTwitterなどのSNSが、ここまで流行はしなかったはずなので。

> > 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。
> メタ視点だと、どんな感じで見えるのでしょうか?

一言で言ってしまえば、「エコー・チェンバー」や「フィルター・バブル」の事ですね。
SNS利用者の感覚からすると、「確かに、そう見えるのだろうな」と思えるのですが、
SNS全体を俯瞰的に見れば、「それだけじゃ無いでしょ」と映るという感じです。

局地的な現象としては、決して間違った認識はしていないと思いますけど、
森の中では木だけが見えて、森自体は見えないというか、
より具体的に言えば、「正義の共通見解ができた」などというのは幻想であり、
実際は、掲げる正義ごとにブロック化が進んだだけ、という話ですね。
まあ利用者ごとに、そのブロック化の程度は異なるのですけど、
SNSのデータ的に見ても、そうした傾向は普通に見て取れます。

また、SNSの世界にも、サイレント・マジョリティはあるでしょうし、
そんな誰も彼もが、意見を一致だなんて、現実的には出来ませんよ・・・・
ただ単に、2chよりもヤフコメの方が、ヤフコメよりもTwitterの方が、
それが見辛い仕組みというか、見易いように人為的に整備されているだけの話であり、
整備された中から視点では気付けなくても、他が存在しない訳でも消滅した訳でも無いと。

> > まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
> > そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
> > 現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
> > 俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。

> どんな視点なのでしょうか?

例えば、富士山について語る時に、
静岡側から見れば、裏側にある宝永火口は見えませんし、
山梨側から見れば、海越しの姿は見えません。
なので、富士山の全貌を知るためには、ぐるりと1周する必要があるのですが、
常日頃から富士山を見ている静岡県民や山梨県民は、いつも見ている為の固定観念から、
「富士山はこうだ!」と、1面だけの姿を、まるで全てであるかのように誤解しがちって事ですね。
そして、例え富士山を1周したとしても、山頂にある火口の中の様子は解りませんし、
そうなると、本当に富士山の全貌が知りたければ、高さを含めた3次元で見る必要があり、
時には、近景や遠景の違いや、時間帯や季節の違いなども、考慮が必要になってくると。

まあ、そこまで行かないにしても、仮に富士山を1周していれば、
静岡側から見た富士山の景色も、その人は理解する事が出来ますけど、
静岡から動かず、宝永火口を見た事がない人には、
幾ら富士山を見た回数は多くても、別の富士山の姿を思い浮かべられないみたいな話かな?
その場に止まったまま、何度理解しようとしても、それはやはり難しいですよね。
結局は、自らが動いて視点を変えてみないと、見えないモノは基本的に解らないんです。

って、これは単なる例え話であり、
「いつもと異なる視点から物事を見よう!」というだけの事なんですけどね、主旨としては。

> 正直、管理人さんって言いっぱなしというか、
> その時文章を読んで自分が感じたことをそのまま描いただけってことが多いと思います。

まあ最近は特に、読んだその場から書いてますので、その傾向は否定できないと思います(苦笑)。
とは言え、もともと私の中に考え方の軸のようなモノに、沿いながら書き進めているので、
話のたびに、言っている内容が変わるという事は、ほとんど無いとは思っていますよ。
もしも違って見える事があるとすれば、それは見る角度を変えてみたり、
前提条件を変えてみたりして、語っているケースがほとんどかな?
自分自身の考え方を大きく変える際には、言い訳じゃないですけど、一応 表明はしていますし。

> まあ私の理解力が低いのも事実ですし、私に理解する気がないのかもしれませんが、
> 私としては管理人さんの文章は毎回3回以上は読み返していると思いますし、

う〜ん、そもそも繰り返して読むような、大層な文章を私も書いていませんし(笑)、
もっと言うと、それ以上に根幹的な部分で、話が噛み合っていない印象がありますから、
「解らないから」と、何度も読み返す行為は、正直あまり効果的では無いかも?
何と言いますか、論理的と言うよりも、もっと感覚的に理解してもらおうとして、
無題に長文化している側面も、あったりしますからねえ・・・・

> 返信もかなり推敲して文章書いてるんですよね(してないときもありますが)。
> って私がこれだけ苦労してるんだkら、そっちも多少は報いろ、なんて論理はネットでは主張することではありませんが、
> 本当にもうちょっとだけ詳しく説明してもらえればうれしいです。

こう言っては何ですけど、通常なら全返信を一晩くらいで書き終える所を、
旧トルコ担当さんへの返信があると、それだけでプラス一晩 費やすと言うか、
だいたいは、その都度、読書予定の時間を潰しているのが現状ですし、
もともと長文な上に、なかなか会話のキャッチボールが成り立たない為、
同じ文章量でも、恐らく通常返信の2〜3倍くらいの時間を掛けて、というか掛かって、
こちらも一応 苦労しながら、返信を書いてはいるんですけどねえ・・・・
まあ、それでも確かに、私自身も至らない返信内容になっている自覚はありますし、その点は申し訳なく思っていますが。

> 枝葉末節の論はどうでもいいので、
> ひとまず「使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノ」
> 「俯瞰的な、3次元の視野で見えてくるもの」については非常に興味あるので、
> ヒントをもらえればありがたいです。

いやいや、その部分自体が「枝葉末節」なので・・・・
と言いますか、本来 私は「根幹部分」を中心に語りたいタイプなんですよ。
物理学って、事象を大胆にシンプル化しても、物事の本質を探る感じの学問ですので。
しかし旧トルコ担当さんの場合、それだと伝わらないケースが非常に多いですし、
それでも「解りたい」という反応を示されるから、結果的に枝葉末節の話が増えている訳で、
実際、根幹よりも枝葉の方が、旧トルコ担当さんの食い付きも良いですからね。
ぶっちゃけ、私なりに旧トルコ担当さんへ合わせた事で、こういう感じになっているのに、
「枝葉末節の論はどうでもいい」と言われてしまうと、正直 私も「えっ!?」とはなります(苦笑)。

まあ、お望み通り、本質的な話をするのであれば、
自分と異なる見解と接した際に、その相手の立場に立って考えない見えない所はあるし、
自分の立場から見るだけだと、必ず見誤るという事を言っているだけですね、最初から。
そして、あくまでも自分の立場を変えようとしない人は、
幾ら言葉で「見る意思はある」と言っても、実際に見ようという「行動に移していない」状態であると。
簡単に言えば、「見たいなら動け、動かないなら見る気がない」という話です。

▼ 岡田斗司夫
> > > なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
> > > ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。

> > という事は、旧トルコ担当さんは、岡田斗司夫サロンの有料会員なんですね!
> > そこまでしているとは、なかなか入れ込んでますねえ(笑)。
> > ちなみに、他にも誰かのサロンの有料会員になってるのですか? それとも岡田斗司夫だけ?

> 岡田斗司夫以外には、特に他の有料サロン等には入っていませんよ。
> (ちなみに、ご存じかもしれませんが、岡田斗司夫の有料会員は動画が配信されるだけで、サロン機能はありません)

となると、やはり旧トルコ担当さんにとって、
岡田斗司夫というのは、「特別な存在」って事なのでしょうね。

> > 正直な所、岡田斗司夫レベルであれば、そこまで「実害」も無いと思いますけど、
> > 安易に信仰してしまうタイプになると、それこそ新興宗教や洗脳商法のカモにされかねませんし、
> > そうやって人生を狂わされた人を、実際に私も何人か見てきてはいるので、
> > そうならない為にも、自分の事場で語るというチャレンジは、行ってみて損は無いかと思います。

> 私自身、「誰かに自分の絶対的な師匠になって欲しい」という欲望があることは小学生の時くらいから把握していたため、
> あえてそういった師匠になりそうな人間とか、崇拝されている感じの人間とか、そういうのには近づかないようにしていましたし。
> 私がYouTubeを見ないのも、変な動画に引っ掛かりたくないからですね。
> (岡田斗司夫の場合は、わざわざニッチなニコニコ動画という場所で動画を投稿していたのが、私がハマるきっかけになっていますし)

つまりは現状だと、岡田斗司夫が「絶対的な師匠」になった感じなのかな?
でも、その一方で、「変な動画に引っ掛かりたくない」みたいに情報を制限していると、
ますます情報の隘路に迷い込むと言いますか、
却って、変な所にハマりやすい体質になる気がしますけどねえ・・・・
方向性こそ違えど、「ネットde真実」でネトウヨにハマる人たちも、似た傾向がありますし。

> > 繰り返しになりますけど、「これを見てくれ、これを読んでくれ」だけでなく、
> > 旧トルコ担当さん自身の言葉で語ってみて下さい、お願いします。

> うーん、ホワイト革命の件については、ツイッターの例でかなり上手に自分の言葉にできたと、個人的には思っていたんですけどね。

もう、その反応自体が、客観的に見ると、
「理解よりも、信仰を優先している」ように映るので、
自分の見解と異なる意見を、理解しようという体制が整っていない感じになりますね。

> と、いいつつ、極論では、新興宗教にハマるくらいなら、別にそこまで悪いことではないような気もするんですけどね。
> ナショナリズムとかいう新興宗教が世界中で流行っていますが、
> アレだってみんなが信じているから国民国家が事実になっているだけでしょ。
> アリもしないものを見せている、という点では、新興宗教もナショナリズムも一緒だと思います。
> まあ、新興宗教は少数派になるため奇異な目で見られますし、マルチ商法はお金をだまし取られるため、
> 損得でいえば引っかからない方が得ですが。
> また、鍛えればそういったものに騙されなくなるということもなく、ナチスなんかは時の知識人たちも多くだましましたし。

今の依存対象が大丈夫だからと言って、体質的に本人が変わらなければ、
後々、そういったモノにハマる危険性が、普通の人よりも高い訳なんですけど、
でもまあ、こういう態度であるのなら、今更他人が何と言っても無理なんでしょうね・・・・

> > ・・・って、そう言えば岡田斗司夫って、実母は新興宗教の教祖(神様)であり、
> > 自宅が教団施設で、信者たちが自宅内を行き来するような環境で育ったんでしたっけ?
> > となると、意識的にせよ、無意識にせよ、そうした手法が身に付いていても、おかしくは無さそう。

> そうなんですか?
> 岡田斗司夫の実母が新興宗教の教祖、という話は、母が税務署から税金を取られるのが悔しくて、
> 会社を宗教法人にして、上手く脱税するための方法だった
> (が宗教法人にした辺りからまったく別件で事業がうまくいかなくなったので、あまり意味はなかった)、
> という認識なのですが、あれって本物の信者とかいたんですか?

すみません・・・・私の勘違いですね。

恐らくはソースは、同じ動画だようなぁ?と思い、再チェックしてみた所、
最初は脱税目的だったモノが、新興宗教ビジネスの人たちに乗せられていく内に、
自分には本当に神様が付いてると思い込むようになり、
母親を満足させる為に、家族が信者の役をやらされたって話でした。

で、話の「白装束で家の中をウロウロ」という表現が出てきて、特に主語が無かったので、
その前文に「新興宗教ビジネスの人たち」とあった所から、オウムやパナウェーブの画が浮かび、
白装束で家の中をウロウロしていた人を、「信者たち」と脳内補完していたのですが、
改め聞いてみると、この主語は、教祖である母親であり、信者役である家族たちの事ですね。
という事で、赤の他人という意味での「信者」は、どうやら居なかったみたいです。

▼ ホワイト革命
> > > > 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。
> > > 不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
> > > 大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
> > > ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
> > > 不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

> > 今の千鳥の一般人気は、「中規模」なんてレベルではないですよ!!
> > それこそ、不倫で干された渡部や東出よりも、ずっと上です。

> えっと、中規模有名人最強論の話は、今回の話とは別です。
> 前に語ったことがある、というだけの話で、
> 今回の千鳥さんを岡田斗司夫が中規模有名人と言っているわけではないのでは?

まあ、「中規模有名人最強論」って、私が持ち出してきた話題では無いですし、
別に私は岡田論の信者では無いので、別の話なら、別の話で構わないのですが、
では何故、千鳥 大悟の不倫は叩かれないのでしょう?
その理由を「ホワイト革命」的に、是非とも説明して戴きたい所です!!

> > 「未来を予測する見方」というモノに、衝撃を受けたのでは?
> とのことですが、
> 過去の歴史から法則性を見出し、未来を予測する、という歴史好きなら誰でも考えているけど、
> 実際にはとても難しいことを実行したことに衝撃を受けました。

予測した事が「実現」したからではなく、「実行」した事が衝撃なのですか!?
でしたら、今回のウクライナ戦争に関する報道でも、
近未来の展望予測なんて、それこそ、星の数ほど行われていませんか?

> 「推し」という言葉には、推してる自分と推す対象との間にちょっと距離感があると思うのですが、
> その距離感って「自分の住んでいるこちら側の汚い世界と、推しの住んでいる尊い世界」みたいな価値観が前提にあると思うんですよね。
> 若者の恋愛離れとかも、ここ10年に限れば、この辺の影響も受けてると思うんですよね。
> 自分の好きな人はホワイトであってほしいし、だから好きな人と自分が付き合うなんてありえない、と。
> だって自分はそんなにホワイトじゃないから。
>  (中略)
> 「リアルの男は毛深いのが生理的に無理」「リアルの男はウンコするのがイヤ」
> って言っていましたけど、これもホワイト革命においては、割りと極端とは言えない価値観だと思うんですよね。

80年代のアイドル文化が、割と そんな感じだったかと?
だから今更、目新しく映らないのかも知れませんね。

> (逆に言えば、なんで腐女子の人たちは80年代というかなり早い時期に推しカプという概念にたどり着いたんですかね?
> まあ、女の子は小学生のころから割と他人の恋愛話に興味がある、というのはありますが)

カップリングの原点かぁ・・・・
百合に関しては、明治以降の女学校に原点があると思われますし、
BL的なモノも、恐らくは そこから派生した事が想像されますけど、
確かに、カップリングとなると、私もパッとは歴史的に思い浮かびませんね。

歌舞伎の世界に、それに近い源流はあったかも知れませんが、それが直接的に繋がる気もしませんし、
子供を産む側の性である女性は、誰がくっついたとか、そういう恋愛話が大好きなのも事実ですけど、
東京タワーとエッフェル塔では、どちらが攻めで、どちらが受けか?なんて、
そんなレベルにまで飛躍したルートは、かなり謎な感じがします。
例えば同人イベントとかで、どこが最初に、何をやったかとかは、詳しく調べれば解るかも知れませんけど、
それも結局、現象として表面化した瞬間というだけあり、
それ以前の流れというのは、他に確実にあるはずですからねえ・・・・

> 管理人さんがホワイト革命論をあまり大きな変化と捉えないのって、結局は視点の違いなのかな?
> 私の場合、岡田斗司夫のホワイト革命論を聞いた際に、
> 「あれもそうだ、これもそうだ、確かにホワイト化されている」となったのですが
> (今まで書いた例以外にも、まだまだいくらでも例示できます)、

繰り返しになりますけど、程度の差こそあれ、そうした現象は私にも見えてはいるんですよ。
ただし、それと同時に、それと同じ事は、20年前にも30年前にもあったし、
逆に現在においても、それに当てはまらないケースが、あれこれ ある事も見えていると言うだけの話です。
だから別に、衝撃とかは受けませんし、革命なんて表現は大袈裟だと感じると。

> なまじ最新の若者文化には触れてないだろう管理人さんからすれば、ミクロな視点がない分、
まあ確かに、大学生に関しては、そうかな?(笑)
でも一方で、小中学生に関しては、恐らく私の方が触れ合う機会が多いと思います。
それに、鬼滅ブームの話題になった際も、却って私の方が正確に認識できていた印象を受けましたし。

> かえってマクロな視点からしか見てしまい、そんなにか?ということになってる、ということなのでしょうか?
「ミクロとマクロ」と言うよりは、「短期的と長期的」という方が適当かな?
ちょっとした事でも、10年後20年後まで想定して考える癖は、充分に世間ズレしている自覚があります(笑)。
とは言え、それは年齢的なモノと言うよりは、科学や歴史やアートが好きだからでしょうね。

> いや別に、若者文化なんて分からないのが当然だと思いますので。
> 私も「エヴァンゲリオン」を見て、まあまあ面白かった以上は、
> 「95年のオタクはこんなのが好きだったんだな〜」としか思えませんでしたし、
> 私が25年前のオタクの若者の気持ちを分からなかったのだから、管理人さんが今の若者の気持ちを分からなくても、当然だと。

この仮定で納得できている内は、
恐らく、私の考え方は理解できないと思いますよ(笑)。
いや、これって、世間一般の人に対するステレオタイプな見立てとしては、かなり当てはまると思いますけど、
自分で言うのも何ですけど、上述の通り、私の感覚って世間一般から大きくズレてますからね・・・・

でもまあ、お言葉を返す様ですけど、
もう解らないなら解らないで、無理して解ろうとする必要も無いんじゃないですか?

> で、ホワイト革命って、結局は
> 「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、
> 若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」
> ということだと思うのですが、このことに対してはどう思われますか?

話を単純化しすぎだし、昭和も長かったから一言に世代と言っても様々だわな、という思いはありつつ、
そういう細かいツッコミを抜きにして語るのであれば(笑)、
不良が子猫を拾う姿を見てキュンとするみたいな、
いわゆる「ギャップ・ルール」が、未だに健在であるのであれば、
これは単なる、置かれた環境の違いであって、本質的な部分は全く変わってないって所でしょうね。

もう少し解りやすく言うと、山あり谷ありのジェット・コースターに乗るのと、
平坦でカーブも少ないゴーカートに乗るのとでは、どちらが楽しいか?って感じかな。
そして、汚れるとか、綺麗なままだとか、そういうのは単なる道程の結果であって、
そもそも、その部分にジェット・コースターやゴーカートの、楽しさの本質がある訳ではありません!!
また、昭和の頃なら、山あり谷ありでも、最終的には終始がトントンや多少プラスであっても、
令和の今は、谷があったら落ちっぱなしで終了な社会である事を踏まえると、
本当にジェット・コースターよりも、ゴーカートの方が楽しいと思って選んだのか?という疑問も出てきます。

でもまあ、結局の所、人間なんていうのは置かれた環境次第で、
善人にも悪人にもなるモノでしょうし、誰もが最初から その両面を内包していて、
状況により、そのどちらの面が、より色濃く現れるかだけの話であると考えるなら、
昭和世代と令和世代の違いは、単に昭和社会と令和社会の違いと、見なせるかも知れませんね。

▼ ホワイトコンテンツ
> > まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
> > 癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、

> うーん、ストレスの多い社会になっている、というのは本当なんですかねえ?
> 昭和の方が週休1日で、上司との飲みに付き合わされたりするのも多そうで、ストレスが溜まりそうなイメージですけど。
> 結局、昭和の方がストレスが溜まっても、それでも給料が上がるから我慢できた、希望が持てた、ということなんでしょうね。
> うーん、やはり昭和って今といろいろ違うんだろうなあ。

まあ確かに、昭和の方がストレス負荷の度合いが、高かったのは事実かな?(笑)
でも一方で、ストレス解消の度合いも、今とは比べ物にならないくらい高かったと。
だから、正負のトータルで見ると、現在の方がストレスの多い・・・というか、
より厳密に言うと、ストレスが貯まる社会であるのが、正しい認識ではないでしょうか?
もしくは、ストレスが解消できないストレスというのも、精神面をかなり傷付けるモノではありますし、
子供たちの教育環境の変化などもあり、全体的にストレス耐性が弱くなっている事まで思うと、
ストレスの総量よりは、ストレスによる「ダメージ量」の問題なのかも知れません。

で、それは結局、身も蓋もない事を言ってしまえば、
経済が右肩上がりか? 右肩下がりか?による社会背景の違いが、最も大きかったとは思うのですが、
そうした事情はさておき、やはり市民感覚からすれば、
ネガティブに生きているよりも、ポジティブに生きている方が、ずっと楽しいのは事実ですからね。
「明日は今日よりも良くなる」というのを、誰もが常識として暮らしてた社会は、
将来の不安に怯えながら暮らしてる社会よりも、精神的に遥かに健全ですよ!!

また、以前にも言いましたけど、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体ですからねえ。
これはもう、その人の気持ち次第で、プラスにも、マイナスにもなるでしょうし、
精神的に余裕が持てていたからこそ、それらの多くはプラスに転じていたとも言えます。
逆に言えば、今の時代は、それがマイナスに転じる事が多い社会と言えるのかな?
そういう意味では、今の感覚だけだと、マイナス要因としか映らない事象も、
当時の感覚になると、プラス要因であった事が理解できないかも知れませんね。
「給料が上がるから我慢」というのとは、ちょっと違った感覚です。

上司との飲みの席も、ストレスがある反面、やはり楽しさもあるから、みんな飲んでた感じです。
まあ私は、子供として付いて行くだけでしたけど、会社の慰安旅行や運動会などの空気感は、
学校の修学旅行や体育祭とも通じる所があって、楽しい雰囲気が漂っていた事は覚えています。
でも今の時代、学校の修学旅行や体育祭でさえ、ネガティブ・イベントと捉えている人も増えましたし、
ストレスが貯まると、解消しにくい時代背景だからこそ、「ノー・ストレス」が推奨され、
その傾向が却って、ストレス解消のキャパを狭めていく、負のスパイラルに陥っている面も・・・・

> 私はHoneyWorksという女子中学生くらい向けの音楽ユニットが好きなんですけど、ハニワもそうなんですよ。
「CHiCO with HoneyWorks」という形であれば、
銀魂のOP曲やED曲を3度担当しているので、一応 私も知ってますね。
とは言え、あくまでも「with」側ですから、実質 知らないようなモノなのかな?(笑)

> ちなみに、あらゆる社会論って、
> ・論の概要 (既存の社会認識と異なる、新たな社会認識の提唱)
> ・具体例
> ・変化の要因 (なぜそのような社会変化が起きているのか)
> の3つの要素から構成されると思うのですが、

これだと、最も大事な「反証可能性の検討」が抜けていると思います。
そこが欠けると、簡単に陰謀論レベルの話が、罷り通ってしまいますので。

> 岡田斗司夫のホワイト革命論って、具体例と変化の要因の説明がなく、
> 論の概要だけがかろうじて「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、
> 若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」と説明されているんですよね。
> でも、それだけで視聴者は「ああ、確かに、私の周りでもこんな例とか、あんな例がある、あれ全部ホワイト革命で説明できる!!」
> となるのだと思うんですよね。
> で、「ああ、確かに」が無い時点で、管理人さんが新しいホワイト文化に気づいていないだけではないのか、と判断しています。

何度も繰り返しになりますけど、「ああ、確かに」が見えないんじゃなくて、
「以前にもあったな」や、「この場合は当てはまらないな」というのが、同時に見えているだけです。

因果関係が無いのに、あたかも因果関係があるかのように見える「疑似相関」とか、
「原因と結果」や「手段と目的」を逆に解釈したり、
「必要条件」と「十分条件」を誤って取ったりなど、
そういうミスを避けようとする思考が、自然と身に付いている所はあるでしょうね。

扱う対象が数字では無いから、あまりピンとは来ない人が大多数なのですが、
こういう思考法って、何も専門的ではなく、学校の数学の授業で習う概念なんですよ!!
「高校で物理を習ったので解ります」とか言うのも、
ここまで理解して、初めて「習った」と言えるのかな?とも。

> といいつつ、ホワイトコンテンツなんて言うものが幻想であり、昔からあったものなのかな?
> 正直、私もメチャクチャ昔の作品に詳しい、とかではありませんし。

結論から言うと、昔から普通にあったと思います。
ただし、旧トルコ担当さん個人の好みとして、
昔から存在していても、それを楽しめないのであれば、結局は同じ事かな?
とは言え、それはあくまでも、旧トルコ担当さん個人に限定される話であって、
それがあたかも、普遍的であるかのように感じるのは、ハッキリ言って幻想かと思われます。

> 少なくとも、岡田斗司夫のホワイト革命論がなければ、
> ホワイトコンテンツ論に対しては、いやそんなの昔からあったでしょ、と反応していたでしょうし。

それはつまり、旧トルコ担当さん自身は、
そうした過去の存在を、認識なり、想像なり、出来ていたという話ですよねえ?
では何故、ホワイト革命論を知った事で、それは覆ってのでしょうか?
より具体的に問うと、ホワイト革命論で示された、過去の類似物との明確な「相違点」とは何ですか?

> とはいえ、恋愛コンテンツでいえば、明らかに
> バブル期の失恋ものが割合として多かった時代→
> 90年代後半から00年代前半の、悲劇的な恋愛が多かった時代→
> 昨今のハッピーエンドが多い時代というのがありますし、

「明らかに」という事でしたので、
各時代の代表作を幾つか、具体的に明示して戴けないでしょうか?
正直、現状では、どうも腑に落ちない感じですけど、
実際に示していただければ、「ああ、確かに!」と納得できると思うので!!(笑)


[23936] Re3:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その2)返信 削除
2022/5/4 (水) 21:39:06 徳翁導誉

▼ オタク文化
> > > 私の考えは反対ですね。
> > > AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> > > であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

> > えっ!?
> > マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。

> 90年代のジャンプ黄金時代には、クラスの男子の半分は(毎週でないにしろ)ジャンプを読んでた、
> というイメージなのですが、これって結構違いますか?
> ゲームも私が小学生の時にはクラスの半分はポケモンしてたイメージですが、
> 実はこれって私が結構偏った場所に住んでたってこと?

別に、それ自体は間違っていませんよ。
とは言え、それって「子供」の話ですよねえ?
それこそ、マンガも、アニメも、ゲームも、昔からありますけども、
それはあくまで子供が楽しむモノであって、大人が楽しむようになったのは、
もっと言うと、大人向けに作品が大量生産され出すのは、ここ10年とか20年の話です。
ですから、昔に比べれば一定の層は形成していても、やはり少数派である事実は変わらないですよ。
例えば、そのクールの覇権アニメとかって、大人はどれくらいの人が見ているのでしょう?
正直な話、数パーセント程度で、1割を超える事もないと思います。

> > 「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
> > 精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。

> では管理人さんのフェチズム(精神的な嗜好性)理解ってどんな感じなのでしょうか?
> いや、聞かれていませんし、自ら表明することでもないですから言いませんでしたが、私もフェチズムの一つや二つは嗜んでますし、
> そこまで全面否定されるのであれば、逆にもっとそのディープな世界は教えて欲しいですw

自分では語らないのに、先に相手の方から語れと!?(笑)

> ロリコン系って、フェチズム的な、精神的な部分って少ないと思います。
> 幼児体系なんて言葉があるように、体がメインであって、心は別に欲していないというか。
> だからロリコン系のエロって、レイプ系が多いのではないでしょうか?
> ロリコンに精神的なフェチズムが求められているなら、いちゃらぶ的なロリコン作品もこんなに少ないわけないですし。
> (もちろん、フェチズムだからこそ、あえてレイプ系が好きな人もいるでしょうが)
> あと、ロリコン系エロがレイプ、特におじさんによるレイプになりがちなのって、ロリコンに対する罪悪感の表れだと思うんですよね。
> 罪悪感があるからこそ、自らおじさんがレイプするという方向のマンガが選ばれ、いちゃらぶのロリエロが選ばれないと。

「アニメなんて見てるオタクなんて、社会不適合者で、犯罪者予備軍!」くらいの
偏見に満ち溢れた見方をしてますね、ロリコンに対して(笑)。
でもまあ、ここまで言われると、「オタク的な感覚ではなく、一般人的な感覚で見てるよね」という、
前回の指摘は、やはり間違ってなかったのだな・・・と実感できます。
となると、化物語レベルで「本気のロリ愛」を感じてしまうのも、致し方ないのかな?とは思いますね。
って、逆に言うと、旧トルコ担当さんにとっては、「化物語」って そういう作品扱いなのかぁ・・・・(苦笑)

ただ、自らの見解に固執しがちなタイプの方が、これだけ偏見に満ちた状態だとなると、
こういうヤバめ系の話題を真剣に語っても、こちらがダメージを負うだけというか、
正直な所、こういう相手に、あまり真面目に語っても損だな・・・と思ってしまいました。

・・・と、これだと何だか言い放しになってしまうので、少しだけ語ると、
ロリコンって別に、必ずしも性的嗜好(エロ)とは限りません。
そこがイコールで結ばれるのは、どちらかと言えばペドフィリアの方かな?
イメージ的に言うと、ロリコンは「幼女萌え」の方が、感覚的に近いかも知れません。
もちろん、だからと言ってエロを含まない訳では無いですし、正直内包もしてますけど、
「レイプになりがち」とか、そういう捉え方に関しては、
アニオタを「リアルの女の子に接触できず、2次元の妄想に逃げてる人たち」と見なすのと同じで、
まあ確かに、そういう人も少なからず居るとは思いますけど、だからと言ってイコールでは無いと。
そんな感じですかねえ?

> > まあ確かに、一昔前のオタクたちの方が、
> > 概して「知識の守備範囲」が広いイメージはありますね。
> > おっしゃれるように、各分野のオタクが横断的に触れ合っていた面もありますが、
> > それ以外にも、好きな分野を深堀りするには、その周辺分野の知識も必要となる為、
> > 「あれも知っておけ、これも知っておけ」みたいな風潮があったのも事実かと。
> > (そういう意味では、私も昔ながらの気質のタイプでしょうか・笑)
> > で、ネットで何時でも誰とでも気軽に繋がれる時代では無かったからこそ、
> > 合える貴重な時間で情報を交換し、その情報を深く摂取する時間が充分に取れたのかも?
> > 今の時代、圧倒的な情報量の処理やコミュニケーションに押し流されて、
> > 「1人で考え抜く」という行為が、かなり疎かになってる感覚もありますし。

> この辺はもう、オタクに対してどんなイメージを持っているか、という違いなんでしょうね。
> 私の場合は、結構腐女子の人に対してもあこがれがあるので、そういう作品の消費の仕方もオタク的と分類しているのですが、
> この辺は管理人さんの定義するオタクではなさそう。

このスレッド内でも、以前に少し書いたかと思いますが、
私にとってオタクとは、自分の「好きを体系化」している人の事ですね。
上述の引用部から持ち出せば、「好きな分野を深堀り」する人と言い換えても構いません。
それは別に、範囲が広いとか、狭いとかに関係無く、とにかく愛情の深さみたいな話かな?
昨今のオタク定義との違いを言うなら、オタクとは「ディープ」であってこそオタクだと考えているので、
「ライトなオタク」なんていうのは、「それはオタクじゃなくて、ファンだろ!」という感覚はあります(笑)。

そういう意味では、別に腐女子であっても、我が道を貫いているのであれば、充分にオタクでしょう。
これは何も知識量に限定される話では無く、常人離れした妄想力とかでもアリです。
要するに、その人にとっての「ディープな世界観」さえ築けていれば!!
例えば、実写ドラマ『グラップラー刃牙はBLではないかと考え続けた乙女の記録ッッ』とか、
https://www.telasa.jp/series/11866
https://filmarks.com/dramas/10707/14930
たまたま本屋で原作書籍↓を見つけた際には、タイトルを目にしただけで、
https://www.amazon.co.jp/dp/4309028438/
今まで無かった視点でしたけど、「ああ、確かに!」と思わず心の中で叫んでしましたし(笑)、
まさか、それが実写ドラマ化されるだなんて驚きで、しかも なかなか出来が良かったんですよね。
ああいった世界観を築けているのなら、腐女子も充分にオタクかとは思います。
(同時に、あれが実写化される事自体、何だかんだで日本のオタク文化は凄いと再認識も・笑)

とは言え、個人的には、腐女子だからと言って、必ずしもオタクとは限らないと言うか、
オタク分野の1ジャンルではあっても、オタクだけに限定されないってイメージもありますね、腐女子の世界は。
う〜ん、何というか、例えばアイドルもオタク分野の1つではあると思いますし、
アイドル・オタクという人たちが確実にいる反面、
熱狂的なアイドル・ファンだからと言って、必ずしもアイドル・オタクとは限らない感覚に近いのかなぁ?

> > そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
> > 実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
> > 歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
> > 特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
> > 自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。

> 当時の作品にいきなり触れても、結構分からないものですよ。
> 例えば前に挙げた『ロードス島戦記』(88〜93年)は第1巻を読んでみましたが、最後まで面白さは分かりませんでした。
> 『きまぐれオレンジロード』(84〜87年)も無料公開されているので読んでみましたが、第2巻の途中で挫折していますし。
> 今は面白さが分からなくても、まず最後まで読んでみろ、そしたら面白さが分かるはずだ、というのもありますが、

歴史を知りたいのか? 面白さを味わいたいのか?
その目的が異なるだけで、作品への接し方だって大きく変わりますよ!
昔の名作が「最後まで読めば面白いか?」となるかと言えば、必ずしも そうとは限りませんし、
正直言って、そのやり方だと、どちらも中途半端に終わる気がします・・・・

> それよりも30年、40年の年月というのはそれだけ大きいということだと思うんですよね。
> だからこそ、その当時の受け取られ方を知るということが重要なんです。
> 『宇宙戦艦ヤマト』なんかも、SFブームだとか、アニメ史といった背景を知ってから見れば、
> ああなるほど、ヤマトはこういう風に面白いんだな、というのが分かり、ちゃんと楽しめましたし。

結局の所、歴史自体に興味があるというよりは、
昔の作品を楽しむ為の「スパイス」として、歴史的な知識を欲している印象を受けるかも?
って、まあそれはそれで、別に悪い楽しみ方では無いですけどね(笑)。

とは言え、これは全ての分野に関して言える事なのですが、
歴史を調べる事が、目的ではなく手段であった場合、
どうしても、自分にとって都合の良い説を拾い集めがちになると言うか、
政治系だと、陰謀論にハマる人の黄金パターンなので、
一応、自覚というか、注意だけはしておいた方が良いかも?

> で、こういう作品の見方って、もう芸術作品の見方と同じなんですよ。
> 私は中学生のころに源氏物語を読んだときは、初めは面白さが分からなかったのですが、
> 中学生であまり他の娯楽を知らなかったこともあり、分からなくても読み続けていると、
> 段々と平安時代の習慣とか、恋愛観とか、短歌の読み方が分かるようになり、面白さが分かるようになりました。
> オタク作品も、これと同じやり方が必要なんですよね。

もし、過去の文章に対して、それが行えるのだとすれば、
なぜ、他人の意見に対して、それが行わないのでしょう?
現在進行形の事だから? それとも自分が関わる事だから?
「やらないんじゃない、出来ないんだ」という話と、これは相反する気がしますけど?

> 私の場合は、そういった勉強をせずにナチュラルに楽しめる範囲って、00年代前半〜90年代後半くらいが限界点ですね。
> それ以前になると、最低限は「この作品は名作と言われているんだから、どこかに面白い部分があるはず」という覚悟を持って、
> 多少分からなくても我慢しないと見れません。

言わんとしている所は解ります。
と言うか、オタクとして良いか否かは別として、それって実に「普通の感覚」ですよね。
ほとんどの人にとっては、やはり自分が育った地域や時代の価値観が、絶対的に基準となりますし、
そこから外れるほど、親しみ難くなるというのは、正直あるかと思われます。
そういう意味では、時代の変革期に、各地を転々としながら育った私は、
異なる価値観も、結構すんなり受け入れらますけど、そういうタイプは少数派なのでしょう。

もちろん、時代や文化の背景が解らないと楽しめない作品も、当然ありますけど、
時代や文化の違いを越えても、「面白い作品」というはも、数多くあるじゃないですか?
な〜んて思うのも、私がそういうタイプだからなのかも知れませんね(笑)。
例えば私は、白黒アニメの「佐武と市」とかも、純粋に凄い好きですけど、
デジタル作画が当たり前になった世代だと、アナログ作画というだけ拒否反応を示すとか、
そういったケースも、決して珍しい事では無いですから。

ちなみに、旧トルコ担当さんは「グレンラガン」って視聴済みですか?
あの作品は全4部構成で、第1部が70年代、第2部が80年代、第3部が90年代、第4部が00年代と、
それぞれの時代のロボット・アニメの作風を意識して作られており、
視聴者によって「第何部が好きか?」とかが分かれていて、結構面白い作品なんですよね。
・・・って、旧トルコ担当さんは、あまりロボット・アニメとか見て無さそうな印象ですし、
恐らくメインは10年代前半だろうと考えると、そもそも作品自体が合わなかったりして?(苦笑)

> まあ、だってオタク命名が1983年、もう40年近く昔です。
> この40年間、あまり日本社会が変化していないから、なんか感覚が狂いますが、

いや いや いや いや、ここ10年という話なら まだしも、
40年間という事であれば、めちゃくちゃ変化してますよ、日本の社会も!?
「昭和から平成、そして令和へ」という一言だけでも、それが容易に想像できるかと(笑)。

> > 噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りました
> これは半分くらい間違っていますね。
> 今のオタクにとっては、今の作品こそ、スルメ的な読みごたえがあるんですよ。
> 作品の見え方が違うということですね。
> まあ、管理人さんの言うような、旧来的な意味での読み応えのある作品、という意味では減っているのも事実ですが。

「スルメ的に楽しむ」事と、「スルメ的な内容」である事とは、まるで違うと思いますけど?

> うーん、オタク・イズ・デッドって、オタクの劣化とか、作品の大量消費化とか、そういう話ではないですよ。
> 往々にして、そういう風に誤解されますが。(岡田斗司夫の話が長いのが全部悪いんですw)
> オタク・イズ・デッドというのは、オタクという共通意識の喪失であり、
> ジャンルが違うオタク同士が仲間意識を持たなくなったことを指しています。

まあ、「オタク・イズ・デッド」自体が、岡田斗司夫の自説ですし、
私自身は別に、旧トルコ担当さんほど、岡田斗司夫に拘ってはいないので、
旧トルコ担当さんがそう解釈されているのなら、それはそれで、正直 特に言う事は無いです。

> > また、「評論系は割と適当」との事ですが、ああいうのって、
> > 自分とは異なる「こういう見方があるのか」と気付かされたり、
> > 自分の中で纏まらない考えを、スッと的確に表現していて腑に落ちるだとか、
> > そうしたモノを求めて読むモノなので、そもそも読み方を間違えているというか、
> > 旧トルコ担当さんの場合、誰から「正解をもらう」事を、求めすぎてる感じがするんですよね・・・・

> 評論が嫌いなのは、オタクの歴史を勉強する中で、本当にどうしようもないような
> 低レベルの評論も初期には一生懸命読んでいたからなんですよね。
> それこそ、「ラノベ読者は表紙の絵にしか興味はなく、なんと本文は読んでいなかったのだー」とか
> 書いてしまう大学教授とかの文章とかも読んでいたので。

その文章自体を読んでいないので、正直 何とも言えないのですが、
始めから目的の作品を買いに行くのではなく、本屋で何となく新たな作品に手を出す場合、
中身の文章をパラパラ眺めて選ぶ人よりも、表紙絵とタイトルで選ぶ人の方が、
アンケート調査の結果からも、実際に多かったように記憶してますからねえ。

> あとまあ、本当に作品の解釈などというものがあるのであれば、
> それはアカデミズムなんかよりも、オタクの方がちゃんとできているはずです。

それって、論評がどうこう、オタクがどうこうという話では無く、
ただ単に、旧トルコ担当さん自身の中で、情報の取捨選択が上手く行かなかっただけなのでは?
別に、著者の肩書きが大学教授であったとしても、ビジネス目的で一丁噛みしてる本なんて幾らでもありますけど、
それをもって「アカデミック」と指すのは、認識として間違っている気がしますし、
そもそも同じ様な事は、著者がオタクであっても、普通に起こり得る事じゃないですか??

と言いますか、真面目に書いていても暴走する確率は、却ってオタクの方が高いと思いますし、
それでもオタク著者の方が、圧倒的にマトモに見えるのだすれば、
結局の所、オタク的な視点を共有という「同調性」だけの話であって、
逆説的に言えば、自分に合うモノだけ好んで選んでいると、
「歴史」を見るという意味では、最も重要な「客観性」を失ってしまうような気がします。

▼ いちゃらぶ革命
> > そうしたジャンルの種類自体は、別に昔から変わらないと言うか、
> > 最近になって、新たに登場したジャンルというのも、特に無い気がするんです。
> > あるとすれば、それは時代のニーズに合わせた、各ジャンルの割合の変化くらいの話で、
> > それだって劇的な変化でもなければ、あくまでも「傾向」であって、とても「革命」などとは呼べないと。

> とはいえ、昨今の急激な失恋コンテンツの減少とか、ちょっと異常じゃありませんか?

それでは、昨今の「恋愛リアリティー・ショー」人気の高さとかは、
旧トルコ担当さん的に、どのように映っているのでしょうか?
ネット配信では、アニメと並んで高い人気を誇ってますけど、
あくまでも、オタク界隈限定の話をされているんですかねえ?

▼ VR
> > > > > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> > > > いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> > > > デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> > > > マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> > > > 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> > > > 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> > > 個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
> > > それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

> > 正直、SAOは最初の数話を見ただけなので、断言は出来ませんけど、
> > 恐らく、旧トルコ担当さんが想定しているモノとは、全く違うと思いますよ・・・・
> > 仮想空間にフル・ダイブして楽しむとか、そういう話では無いので。

> 脳の感覚中枢(なんてあるのか?文系(を言い訳にしている人間)には全く分からないw)みたいなところに、
> 直接信号を送る、みたいな話なのでは?
> 違うのでしょうか?

う〜ん、技術的な話としては、その通りなんですけど、
「SAOの世界の事でしょ?」と言われると、やはり違うという感じがする(笑)。
見出しが「VR」となってますけど、バーチャル体験ではあっても、リアリティー体験では無い為、
VRと言えばVRかも知れませんが、少なくとも、現在イメージされるVRとも大きく異なりますからね。

それこそ、前述に例として、マンガ版「攻殻機動隊」の話を出しましたけど、
草薙素子が「ナメクジの交尾(レズ3P)」をしている際に、電脳にアクセスしたバトーが、
「自分の体に無い器官からの体感情報を脳に受けて苦しんでいる」シーンが、最も解りやすい気がします。
で、この場合、私が言う電脳ドラッグとは、レズ3Pの方よりも、バトーが苦しむ体感の方ですね。

既存の神経系を、デジタルな信号で人為的に刺激し、快楽を得るというのも、
電脳ドラッグの1つだとは思うのですが、それはあくまでもアナログ的なドラッグの代替に過ぎず、
この分野の発展性としては、脳自体を機械と繋いで、新たなデジタル処理が行えるようにする事で、
既存の快楽とは異なる、また新たな刺激を得られる可能性・・・みたいな話ですね。
例えば、五感の刺激を直接的に脳に送り込むだけでは、五感から得られる延長線上の快楽しかなく、
ここへ新たに、6番目や7番目の感覚を開発する事で、今までに無い快楽を得られるみたいな感じかな?

▼ AI
> > > AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> > > AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

> > そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
> > 以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
> > 「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
> > そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。

> コスト、はよほどのニッチAIでなければ、開発費にいくらかかろうと、確実に安くなるのでは?

それは、人間の持つ能力をあまりに低く見積もり過ぎです・・・・
と言うか、あまりに低く見積もってたから、AIでも簡単だと思えたのかな?

AIだと少しイメージし難いでしょうから、作業用ロボットの話をすると、
もちろん、ロボットは長時間労働をこなせて、文句だって言いませんから、
採算が合うのであれば、人など雇わずに、ロボットに仕事を任せた方が得です。
でも、単純作業ではあっても、細かな仕事が必要となってくる場合、
ロボットにも可能な作業ではあっても、その制作費や運用費を考えると、
結局は、人を雇った方が安上がりという事も、多々あるのは事実なんです。
単純作業ですら そうなのですから、頭脳労働など尚更ですよ!!

> アニメやマンガよりも、映画やバラエティ番組など、
> 本物の人間が出ている方が圧倒的に市場規模が大きいというのは事実ですけど、
> とはいえ「一握りの話題作」という話を管理人さんもしているように、
> マンガやアニメを一切見ない人、全くハマったことがない人、というのも少数派だと思います。
> それっていわば、マンガやアニメにのキャラクターものに対する教養というか、
> それらを楽しむための土台は多くの人が持っているということなので、
> そちらのクオリティが上がれば、そっちに流れる人もたくさんいると思うんですよね。

ジブリ作品を見たからと言って、その人が深夜アニメまで見始めるか別の話。
例えばサッカーも、4年の1度のワールドカップは、それこそ国民的な関心を集めますが、
だからと言って、その人たちがサッカーにハマって、Jリーグの試合まで見に来るかとなると、
皆無とは言わないものの、それほど影響が無い事は、データ的にも既に示されているんですよね。

それと同じように、「一握りの話題作」というのも、
「話題作」だから多くの人が見に行くのであって、
その内の大部分は、「アニメ作品」である事を意識して、見に行ってる訳じゃないんですよ。
ですから、「そっちに流れる人もたくさんいる」というのは、恐らく幻想でしょうね・・・・

> 少なくとも、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要、とかとは完全に異なるはずです。
> だって、あれはほとんどの人が一度も見たことないものでしょ。

テレビ視聴者における、深夜アニメ視聴者の割合とか、
マンガ読者における、エロ漫画読者の割合なんて、
AV視聴者における、アブノーマル系視聴者の割合と、多分そんなに変わりませんよ?
恐らく、旧トルコ担当さんの立ち居から見て、近い・遠いで違って見えているだけで、
平均的な一般層から見れば、どれも「キモい」分野と映る事かと思います(笑)。

> AIってコンピュータの計算速度さえお金を出して向上させれば、いくらでも動画を作れるので、
> 例えば1日に1万本の動画を作る、みたいなことも可能だと思うんですよね。
> で、1万本も作れば、中には偶然面白いものが生まれることもあると。
> どれだけしゃべりの技術を向上させても、人間には寿命というものがあり、
> 1日24時間に投稿できる動画数には限界があるということを考慮すれば、
> 人間がそこまで優位性を持っているともはあまり思えないんですよね。

正直、「無限の猿定理」みたいな印象を受けますね。
「猿がランダムにキーボードを叩けば、そのうちシェイクスピアの作品を打ち出す」みたいな。

まあ、それはさておき、では仮にそうして面白い傑作が偶然生まれたとして、
恐らくは駄作の山であろう1万本の中から、どのように傑作が発掘されるんですか?
動画を見る方の人間だって、時間や人数は有限なんですよ!?


▼ マスク
> マスクは、し続けるんじゃないですか?あと5年か、もしかしたら10年くらい。
> コロナに明確な終わりがない以上、マスク圧力は続きそうですし、また現在既にその価値観変化、が起きているというか、
> 「完全に元に戻る」ということはないかと。
> マスクに離れたし、もうこれが普通という感覚の人は結構いそう。

いや〜、5年10年というのは、さすがに無いかな?
別に、皆が皆、マスクをしたくて している訳でも無いでしょうし、
恐らく大多数の人たちは、同調圧力というか、周囲に合わせてマスクをしているはずで、
マスクをしなくても許される空気となれば、する人の数は明らかに減ると思われます。

もちろん、だからと言って、コロナ禍以前の状態に「完全に元に戻る」とまでは言いません。
化粧の手間が省けるとか、感染云々より相手の飛沫が嫌とか、潔癖性やホコリ対策などで、
マスクをしたい人たちも一定数は居り、そして今や、マスクを着けられる大義名分がありますからねえ。
それこそコロナ騒動が始まる1ヶ月前、イオンが従業員に対して「マスク着用の原則禁止」方針を打ち出し、
客目線と従業員目線とで、賛否両論の分かれる大きな話題となっていましたけど、
コロナ以後は、マスクをしたい従業員も、大手を振ってマスクを着けながら働けるはずです。
しかし一方で、そうした方針が示されるくらい、マスクを嫌がる人たちが居る事も事実なんですよね。

マスク生活に慣れたと言っても、何だかんだ言って、マスクは暑苦しくて邪魔臭いですから、
別にマスクをしなくてもOKとなれば、やはり多くの人は外す気がします。
そういう意味では、完全ではなくても、「ある程度は元に戻る」って感じかな?
新聞社のアンケート調査によると、終息後もマスク着用すると答えた人が4割弱だったそうで、
現状ですら その数なのですから、実際に周囲の人たちがマスクを外しだした頃には、
1割とか2割って数になってるんじゃないですかねえ?
実際、100年前のスペイン風邪の際も、マスクを着ける日常生活が行われていましたが、
その生活が現在まで続いていたかとなると、そうじゃ無いのは知っての通りです。
マスクを外して、素顔を見せるのは恥ずかしい行為とか、それくらい世間の認識が変わらない限り、
マスク着用が常識化する事は無いかと思われます。

では、どのタイミングでマスクが外されるかとなると・・・テレビの力が大きいのかなぁ?
恐らく目安は、首相や都知事が会見時に、マスクや衝立を外した時でしょうね。
例えば国際会議の場とかで、海外メディアの取材にはマスク無しで答えるも、
国内メディアの取材にはマスクを着けるとか、そういうギャップが映像化されると、
それを見ている視聴者の側も、何だか馬鹿らしい気持ちになってくるでしょうし、
また、現在の保守派・・・というかネトウヨ系って「反マスク、反ワクチン」の傾向が強く、
自民党内からも、「そろそろマスクを外しては?」という圧力が、そのうち掛かりそうな気がします。

で、昨今のテレビ業界って、かなり政権の顔色をうかがって報道してますので、
首相や大臣たちがマスクや衝立を外せば、ニュース番組の方も恐らくは同調してくるでしょうし、
そうなるとバラエティー番組の方も、喜んでマスクや衝立を外すでしょうから、
ニュースの視聴者よりも、バラエティーの視聴者が、次第にマスクを外し始め、
そこから次第に人々がマスクを外していくのかな?・・・というのが、私が想像する1つのシナリオ(笑)。
ニュース番組で「本日の感染者数」が報じられなくなった時が、頃合いとなるような気もします。

> 大学のリモート授業なんかも、「ああこの教授は、コロナ明けてもリモートでやるだろうな」という人はいますし。
> (逆に大学から命令されない限り対面に拘る教授もいますが。)

ちなみに、旧トルコ担当さんの大学では現状、
授業の何割が対面で、何割がリモートなんですか?
また、リモート授業のメリット or デメリットって、旧トルコ担当さん的には どんな感じです?

自分の学生時代を思い浮かべると、授業1コマの為に大学へ行くのは面倒でしたし(笑)、
自宅から遠距離通学している友人とか、めちゃくちゃ大変そうだなぁ、と見えていたのですが、
これだけリモート授業が増えると、そういうケースって増えている印象があり、
ますます、大学へ足を伸ばす機会が減っちゃいそうなイメージですけど、実際どうなんでしょう?
リアルに集まる機会が減ると、サークル活動とかも支障を来しそうですけど、そちらの方は?
それと、対面授業とリモート授業が連続する時とかって、
リモートでも大学内で受講するしか無い気がするんですけど、それだけの設備って整っているんですか?

あと、まあ理系ですと、実験であったり、TAのサポート抜きには理解が困難な授業があるので、
今でも対面形式の時間は、それなりに多そうな気がするのですが、
これが文系ですと、かなりリモートでも大丈夫な感じがしますけど、こちらも どうなんでしょう?
解りやすく言うと、将来的にリモートのみでも成り立ちそうなレベルですかねえ?
もし そうなれば、日本に居たまま、通信で海外の大学に入学とか、今後は増えそうな気がしますし、
逆に言うと、英米名門校の少人数対面ゼミの価値が、更に上昇しそうな気もします。

ちなみに、もともと出席も取らない、大教室で行うような授業だと、
あれをリモートで行う場合、学生側のカメラ画像って、わざわざ写してたりするんですか?
受講生も大勢いるでしょうから、そこにスペースを割くと画面的にうるさそうですし、
そもそも一方通行な講義スタイルなので、やはり映像を垂れ流すような感じなのでしょうか?

▼ 経済
> 新自由主義が導入されたのって80年代らしいですが、
> これってつまり70年代には資本主義経済があまりうまくいかなくなってた、
> ということですよね?
> うまくいっていたのであれば、あえて変えようとするはずがありませんし。

資本主義経済が・・・と言うよりは、
アメリカやイギリスの経済が、上手く行っていなかったイメージ。
逆に日本はその当時、資本主義経済による繁栄を謳歌していた訳で、
国際的な経済システムが どうこうではなく、
負け組に陥った国が、勝ち組となるべく変革を仕掛けた感じの方が、適当な気がします。

> で、新自由主義もまた、全然良い経済体制ではなかったんですよね?
見も蓋もない事を言えば、勝ち組にとっては、良いシステムですよ(笑)。
逆説的に言えば、不満を貯め込む負け組が増えるほど、
「悪いシステムだ!」との声が大きくなるだけで。

結局、どんなシステムだって、長所と短所があるモノですし、
その時々で、不満の声が最も少なくなった時のシステムが、
結果論として、「良いシステムだ!」と呼ばれるだけの話かと考えています。

> ということは、資本主義ってこの半世紀ほど上手くいっていないってこと?
> 経済理論的にはこの半世紀失敗続きであるとするのであれば、
> 資本主義って思っていたほど強固な体制ではないのかも。

共産主義の終焉が見え始めた80〜90年代の頃、
「共産主義は20世紀最大の宗教だった」という意見が出てきたんですよね。
まあ実際、その論評は そこまで的外れでは無かったと、私も思います。
で、その言葉と対をなすような感じで、
「資本主義は21世紀最大の宗教となるだろう」とも言われていたと。
そして、それから30年あまりが経ち、こちらの指摘も存外 的外れじゃなかった気がするんです。

とは言え、資本主義(信仰?)の時代は、まだまだ続きそうですし、
少なくとも、「この半世紀」で見たならば、共産主義に打ち勝った時代でもあるので、
そこで過信や傲慢さが生まれた、負の側面も確かにあるものの、
「上手くいかなかった」とまでは、さすがに言え無い気はしますね。
冷戦終結後のグローバル経済が、途上国を発展させたのは、紛れもない事実ですし、
先進国が受けたダメージも、富の独占が崩れたというのと、同義であったりもしますので。

> もちろん、新自由主義がうまくいっていないと言っても、経済が崩壊したわけではないでしょうし、
> むしろスマホやらPCやらが普及して生活が豊かになったのも事実ではあるでしょうけど、

この「豊かさ」というのが、ちょっと難しい所ではあるんですけどね。
確かに、一昔前に比べると現在は、便利で、安価で、手軽となった商品が多いですし、
経済格差・地域格差・情報格差などによって、それらを今まで享受できなかった人たちにとっては、
「豊かになった」というのも、決して間違いでは無いと思うんです。
しかし、これらって基本的に、効率化などを進める事によって得られたモノであり、
言うなれば、トップとの差を詰める「引き算と割り算の経済」なんですよね。

でも一方で、その方法は、新たな商品を生み出すような「足し算や掛け算の経済」では無い為、
社会全体の「平均点」としての豊かさは、確実に上昇していたとしても、
社会全体の「最高点」としての豊かさは、果たして上昇できているのか?というのはあります。
で、中間層や下位層が上昇基調の頃は良いにしても、その上昇が一定まで達して鈍化し始めると、
社会全体がマンネリ化して、行き詰まってしまう可能性が、かなり在るようには思えます。
なので、その停滞ムードを破る為にも、足し算や掛け算による「積み上げ」が必要な気がしますが、
しかし現状、AI時代だ何だと言われていますので、そこに至るのは まだまだ時間が掛かりそう・・・・
正直、今の技術のAIは、引き算と割り算に特化している為、
こちらの方向で進んでも、「更なる効率化!」を求める袋小路に入り込みそうですし、
勝ち組と負け組の格差拡大・・・というか、負け組の増産化が進みそうな気がするんですよね。


P.S.
ゴールデンウィークが明けたら、そろそろゲーム作りを再開したいな、という思いがある為、
今後の雑談返信は、短く&遅くなるかも知れません。
御了承下さい。
ちなみに、「この箇所は特に返信が欲しいな」みたいな所があった場合、
それを示していただければ、そこを重点的に返信いたします。


[23942] Re4:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか返信 削除
2022/5/6 (金) 07:33:03 旧トルコ担当

突然で申し訳ありませんが、基本的に返信はこれにて終了とさせてください。
理由は色々ありますが、最大の要因は、だんだん感情的な攻撃になっていき、
であれば対話するメリットよりもデメリットの方が大きいだろうな、と感じたからです。

管理人さんも、多少の性格の悪さはありそうですがw、元はこんな人じゃなかったと思うんですよね。
ですが、私が色々返信するうちに、どんどん良くない方向へ、話が進んでいってしまいました。
私の場合は、結構こういうことは多いので。

これでも昔に比べれば、他人を怒らせないこと、他人の意見を聞き入れることも改善した方なんですけどね。
ふと思い出しましたが、中学生のころは、音楽なんて訳のわからんものを聞いている奴は、全員頭おかしいと思っていましたしw

とはいえ、突然返信を辞めるのもあれなので、1回500文字という制限付きで、返信は行いますが、何か希望などあります?

個人的に気になったのは、ロリの話ですね。
私は管理人さんのいう「幼女萌え」は「きらら系」という、ロリとはまた別のジャンルだと考えています。
物語シリーズは、ロリでありながら、女の子に主人公が言い訳なしで接近していくのが新しかった点ですね。

(一応、返信作成中です。10日には上げられるかと。返信するのであれば、それ以降が望ましいです。)


[23948] 今後の返信に関して返信 削除
2022/5/10 (火) 19:35:32 徳翁導誉

> 突然で申し訳ありませんが、基本的に返信はこれにて終了とさせてください。
> 理由は色々ありますが、最大の要因は、だんだん感情的な攻撃になっていき、
> であれば対話するメリットよりもデメリットの方が大きいだろうな、と感じたからです。

はい、了解しました。

> 管理人さんも、多少の性格の悪さはありそうですがw、元はこんな人じゃなかったと思うんですよね。
> ですが、私が色々返信するうちに、どんどん良くない方向へ、話が進んでいってしまいました。
> 私の場合は、結構こういうことは多いので。

別に私が、根っからの善人で無い事は否定しませんけども(笑)、
「こんな人じゃなかった」というのは、明らかに間違いでしょうね。
この年齢になって、今更そうそう性格なんて変わりませんよ。
実際、一昨年から始まった、前回の雑談スレッド↓の際もそうでしたでしょ?
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r23361
あの時も、「理解と信仰は違う」という話をして、そこで実質スレッドが終わりましたし、
「理解と賛同は違う」という事が伝わらないのも、あの頃から変わって無いじゃないですか?
「自分の意見が通らない=相手が間違っている」という考え方は、本当に改めた方が良いと思いますよ。

それこそ、「こんな人じゃなかった」というのは典型ですよね。
「こうであって欲しい」という自身の思いを投影するから、相手の事を見誤るんですし、
投影した相手像と、実際の相手像との間に、ギャップが生じた際、
見て取れる実像側に寄せるのではなく、思い描く虚像側に寄せるから、「こうじゃなかった」となるんです。
でもこれ、本来的には、「こんなはずじゃなかった」という、自らの誤算なのでしょうけど、
無意識な自己保身から、相手に責任転嫁をしてしまう思考法に陥っていると・・・・
いや本当、これを続けている内は、自分自身の固定観念や先入観から逃れられないと思いますし、
そうなると、異なる視点を持つだとか、他の人の立場になって考えるとか、まず無理ですよ!!
「自分を信じ、相手を疑う」という姿勢は、人として一般的ではあるものの、
「自分を疑い、相手を信じる」事で意図的にバランスを取らないと、客観性は養えないかな?
もっと言えば、自分で自分自身を見つめられなければ、他人である相手など尚更理解できないと。

まあ、「考え方が大人になる」というのは、「自らの型を増やす」事だと私は思いますし、
型を作る事により、情報の処理が、軽い負荷で、ブレが少なく、素早く行えるのですが、
その一方で、この型とは、固定観念や先入観になってしまうのも、事実なんですよね。
(型という表現が解り難ければ、方程式とか関数とかポリシーなどでも良いです)
ちなみに思春期とは、その型を作る為に試行錯誤する製作期間であり、
前頭前野の成長スピードと、線条体や扁桃体の成長スピードが異なる事とも相俟って、
いわゆる「中2病」という、アンバランスな自意識を生み出すのだと思うのですが、
既に大学生である旧トルコ担当さんは、もう中2病の時期は過ぎたにせよ、
自らの「型」をく固めてしまうには早いですし、まだまだ柔軟に修正が行える年齢だと思うんです。
せっかく形になってきた型をすぐに見直すのは苦痛でも、鉄は熱いうちに打てとも言いますし、
人間って、年齢を重ねるほど、自分を変えられなくなりますからねえ・・・・

と、こんな教訓じみた話をした所で、余計な お世話かも知れませんし、
こういう大所高所な話って、実践方法も解り難く、あまりピンとは来ないかと思われます。
その意味では、より具体的なアドバイスをすると、
自分が「面白い/面白そう」と思える範囲を、貪欲に広げていくのが1番な気がするんです。
人間が行動を起こす原動力には、物心の両面があって、
モノで強いのは金銭欲や物欲などがありますが、ココロで強いのは何よりも好奇心です。
(イメージしやすいようモノとココロと言いますが、より正確には外的報酬と内的報酬の方が適当かな?)
そしてオタクというのは、世間一般の人よりも「好奇心が強い人種」だと私は思いますし、
コンテンツ過多で「飽食」な今の時代だと、「飢え」や「渇望」って なかなか生じ難いとは思いますが、
そこを自らの意思で切り開いていった先には、今とは違う景色も様々に見えると思うんですよ!!

どんなに歪な形をしていても、特定の分野に偏っていても、
そうやって「自らの型」を作る事が、これからの時代は更に重要になってくる気がしますし、
適宜ライブラリーを用いたり、慣れない内はリード役に頼ったりするのは、まだしも、
この型作りを他人に委ねて、安易にコピペやアウトソーシングしてしまうのは、
短期的には楽でも、長期的には苦労するかと?(苦労を自覚しなければ、問題は無いのと一緒とも言えますが)

モノの方を満たす方向は、新自由主義経済とか、グローバル社会とか、AI技術とかで進んでいるので、
ココロの方を満たす方向が重要となり、それこそ今後は「オタクの時代」が来るかも知れず、
そういう意味では、モノ作りをしていた一昔前のオタク像と、モノを動かす事に慣れた現在のオタク像が、
上手い感じに融合して、物心両面の原動力を、サイクルとして巧みに回して行ければ、
日本の将来も、まだまだ捨てたもんじゃない・・・となる可能性だって、残されてる気はするんです。
で、私がここまで言うのも、旧トルコ担当さんであれば、
そうなる事も可能だと思っているからこそ、言っている訳ですね。
始めから「無理だろうな」と思う相手には、正直ここまで言ってないと思いますよ(笑)。

そして最後に、岡田斗司夫の述べるホワイト革命じゃないですが、
私が見立てる、未来のキーワードは「楽しいの お裾分け」ですね!!
まあ お裾分けされるのは、嬉しいとか、安らぐとか、いろいろ感情があるでしょうし、
感情に限らず、対象となるモノは様々あるでしょうけど、
ともかく、資本主義と共産主義、モノとココロ、デジタルとアナログ等々、
これらを全て繋ぐというか、その中間にあるような存在として、
上手くは説明できませんけども、お裾分けは、とても重要なテーマになってくる気はするんですよ。

> これでも昔に比べれば、他人を怒らせないこと、他人の意見を聞き入れることも改善した方なんですけどね。
> ふと思い出しましたが、中学生のころは、音楽なんて訳のわからんものを聞いている奴は、全員頭おかしいと思っていましたしw

正直な所、私の方は別に「怒っている」という事は全く無いんですよ(笑)。
旧トルコ担当さんが、次第に感情的になってきていたのが理解した上で、
そのテンションに合わせていったというのが、実際の所ですから。

まあ、私の方が年長者でもあるので、相手がヒートアップした場合、
逆に自分は冷静になる事で、バランスを保つ方が、大人な対応なのかも知れませんけど、
それはそれで両者間のギャップは広がるばかりですし、
どうせ伝わり難いにせよ、まだ同調させる方が却って伝わるかな?と。
これは別に仕事ではなく、趣味の雑談ですので、表面だけ繕っても不毛ですからねえ(笑)。

それに、自分で言うのも何ですけど、私自身の根幹的性格は「反骨心の高い天の邪鬼」ですから、
ぶっちゃけた話、旧トルコ担当さんは、私が「怒り」を向ける対象外な人ではありますし、
最近は年齢的に、「親父の小言」的な側面は実際あるのでしょうが(苦笑)、
基本的には、自分は別に嫌われても良いので、相手にとって良かれと思える忠告をしているつもりなんですよ。
私も結構なコミュ障なので、なかなか真意が上手く伝わらない事も多いですけど、
せっかく縁あって 私のサイトに来て下さった方々ですし、何よりも若者には これから未来があるので!!

> とはいえ、突然返信を辞めるのもあれなので、1回500文字という制限付きで、返信は行いますが、何か希望などあります?
いえいえ、私の方からは、これと言って特にありませんよ。
これだけ長文癖があって何ですけど、基本的に私の返信は受け身姿勢なので(笑)。
ただ、強いて問うのであれば、コロナ下におけるリモート授業や学生生活に関してですかね?
せっかくの「生の声」が聞ける機会ではありますし。

> 個人的に気になったのは、ロリの話ですね。
> 私は管理人さんのいう「幼女萌え」は「きらら系」という、ロリとはまた別のジャンルだと考えています。
> 物語シリーズは、ロリでありながら、女の子に主人公が言い訳なしで接近していくのが新しかった点ですね。

いや、あの話は、「ロリコンはペドよりも、萌えに近い」と言いたかっただけで、
必ずしも、同じジャンルであると言っている訳では無いですよ。
端的に述べると、ペドは性欲であり、ロリは信仰なので、愛しさを抱く萌えの感情の方が近いと。
(正確性には欠きますが、哲学的に言うなら、萌えはエトス、ロリはパトス、ペドはリビドーって感じ?)
前回はイメージしやすいようにと、「幼女萌え」という言葉を用いましたが、
より厳密に、一言で表すのなら、「少女崇拝」という方が適当かも知れませんね。
でもまあ、全ては明確に区分できる訳では無く、逆に混在もしていますから、解り難いのも確かです。

そういう意味では、アニメで「ロリコン」を語る際に、人それぞれ見方が分かれるという点で、
もっとも適当な題材というのは、「ガンスリンガー・ガール」なのかなぁ?とは思います。
第1期の放送が2003年と、20年近く前ですから、旧トルコ担当さんが御覧になってるかは解りませんけど、
あの作品が「どう映るか?」で、その人のロリコン観も測れるような気はします。


[23959] Re:今後の返信に関して返信 削除
2022/5/14 (土) 22:02:03 旧トルコ担当


▼ ロリコン

> 当時の基準で言えばファッション・ロリ
> あの頃は化物語なんて可愛いぐらい、本当にキモいロリコン・アニメとかも多かった


とのことですが、00年代前半だと、ロリ系のアニメってどんなのがあるんですかね?
ちょっと調べた感じでは出てこなかったので。
おそらく「ガンスリンガーガール」はそういう作品ではないでしょうし。

私のロリコン観はラノベからの影響が強いので、
化物語もラノベの文脈で見ていますし、
アニメの世界に別のロリコンがあるのであれば、多少は興味はありますね。


▼ 大学のリモート化

> > 大学のリモート授業なんかも、「ああこの教授は、コロナ明けてもリモートでやるだろうな」という人はいますし。
> > (逆に大学から命令されない限り対面に拘る教授もいますが。)

> ちなみに、旧トルコ担当さんの大学では現状、
> 授業の何割が対面で、何割がリモートなんですか?
> また、リモート授業のメリット or デメリットって、旧トルコ担当さん的には どんな感じです?


ざっくり、対面のみ・隔週で対面オンラインが交代(大学推奨)・対面オンライン自由(生徒の多くはオンライン)が、1:1:1:くらいですね。

> 自分の学生時代を思い浮かべると、授業1コマの為に大学へ行くのは面倒でしたし(笑)、
> 自宅から遠距離通学している友人とか、めちゃくちゃ大変そうだなぁ、と見えていたのですが、
> これだけリモート授業が増えると、そういうケースって増えている印象があり、
> ますます、大学へ足を伸ばす機会が減っちゃいそうなイメージですけど、実際どうなんでしょう?


多くの学生の声としては、
「オンラインの方が楽」
「せめて、オンラインか、対面か、はっきりして欲しい」
(1限はオンラインだけど、2限は対面なので、大学のPCルームから授業受ける、みたいなことも多いので)
という感じだと思います。

> リアルに集まる機会が減ると、サークル活動とかも支障を来しそうですけど、そちらの方は?

私はサークルは参加していないので、ネットで調べた方が良いレベルの話しかできないです。

> それと、対面授業とリモート授業が連続する時とかって、
> リモートでも大学内で受講するしか無い気がするんですけど、それだけの設備って整っているんですか?


設備というか、機材は無理やりにでも整えてるみたいですね。
逆に言えば、今回のコロナで多くの会社や大学でリモート環境が整ったのって、大きいのでしょうね。

> あと、まあ理系ですと、実験であったり、TAのサポート抜きには理解が困難な授業があるので、
> 今でも対面形式の時間は、それなりに多そうな気がするのですが、
> これが文系ですと、かなりリモートでも大丈夫な感じがしますけど、こちらも どうなんでしょう?
> 解りやすく言うと、将来的にリモートのみでも成り立ちそうなレベルですかねえ?


リモートのみでも、成り立つ授業は成り立つと思いますよ。
普通の、教授が90分間しゃべる形式のものであれば。
まあ、そういった授業はレベルが低い授業なのかもしれませんがw

あと、唯一(?)リモートで良かった講座が「哲学入門」で、
一度聞いただけでは教授が何言っているのか全く分からず、動画を何回も見直せたのは、非常に良かったです。

> ちなみに、もともと出席も取らない、大教室で行うような授業だと、
> あれをリモートで行う場合、学生側のカメラ画像って、わざわざ写してたりするんですか?
> 受講生も大勢いるでしょうから、そこにスペースを割くと画面的にうるさそうですし、
> そもそも一方通行な講義スタイルなので、やはり映像を垂れ流すような感じなのでしょうか?


映像を垂れ流す感じですね。
教授の姿か、下手するとスライドしか移さず、教授は声のみということもあります。


[23961] Re2:今後の返信に関して返信 削除
2022/5/16 (月) 20:49:36 徳翁導誉

▼ ロリコン
> > 当時の基準で言えばファッション・ロリ
> > あの頃は化物語なんて可愛いぐらい、本当にキモいロリコン・アニメとかも多かった

> とのことですが、00年代前半だと、ロリ系のアニメってどんなのがあるんですかね?
> ちょっと調べた感じでは出てこなかったので。

う〜ん、正直な所、別に私も好んで見ていた分野では無い為、
それほど詳しい話が出来ないのが、実際の所ではあるのですが(笑)、
最もメジャーなのは、『まったく、小学生は最高だぜ!!』という台詞でしょうか?
とは言え、この台詞が登場する「ロウきゅーぶ」は、
アニメ化が2011年ですから、今回の「00年代前半」という縛りだと、対象外なのかな。
(近年で作品を挙げるなら、2018年アニメ化の「りゅうおうのおしごと」がありますね)

00年代となると・・・「りぜるまいん」が2002年で、
「こどものじかん」や「こはるびより」が2007年ですか。
すみません、もっとあるはずですけど、パッとは浮かびません(苦笑)。
(最近は加齢の所為か、頭の中で画は浮かぶのに、名前が出てこない事も、日常茶飯事)

90年代末に、深夜アニメの急拡大と、「CCさくら」のアニメ開始があり、
そこから2010年頃に規制が始まるまでが、パンツ・アニメ全盛時代でもありましたし、
あとは、萌え系やエロゲ原作の作品が台頭&量産されたのも、ちょうど この頃ですよね。
そういう意味では、当時の作品は全体的に「ロリ的であった」と言って、差し支え無い気はします。
2001年には、深夜アニメで「ちっちゃな雪使いシュガー」の放送がありましたし、
00年代、秋葉原の象徴であった「でじこ」の巨大看板でも知られる
「デ・ジ・キャラット」のアニメ放送があったのが、まさしく00年代前半(1999〜2006)ですね。

あと、世間から見て「キモい」と感じさせる点で言うと、
ヒロインが少女や幼女というだけでなく、「実妹エンド」が時々ある所でしょうか?
これは、一般的な感覚からすると、やはり異端と映るように思われます。

> おそらく「ガンスリンガーガール」はそういう作品ではないでしょうし。
いやいや、あの作品は、原作者のガチロリ度が かなり高いんですよ!!(笑)
それは決して、腐女子が妄想カップリングで、作品を ねじ曲げて解釈したり、
本来は少女向けの番組を、「大きなお友達」が異なる視線で見つめたりするのとは違い、
何と言いますか、自然と滲み出てくるモノがあるんですよね。
それこそ以前、旧トルコ担当さん自身が おっしゃっていたように、
「見る人が見れば解る」という世界観が、この「ガンスリンガー・ガール」には、確かにあるんです。

で、更に言ってしまうと、そうした自身のロリコン的な変態性というモノに関して、
まあ恐らく、当人的には「自分が好きなモノを好きに描いてる」だけで、
原作者本人は、かなり無自覚なんですよね。
一方で、アニメ・スタッフの方は、そこを客観的に感じ取れている為、
その変態性をアート的に昇華させる事で、隠したり除いたりせず映像化が出来ていて、
だからこそ、アニメ1期は作品として非常に評価が高かった反面、原作者との衝突を生んだと。
それはファッションではなく、互いに「本気」だったからこそ、激しく対立した訳ですね。
そして、作中に潜むテーマ描写を避けなかったので、多くのロリコン兼アニオタが反応し、
そこまでの知名度は無いものの、かなりの話題作になったのだと思われます!!

また、この作品は、担当官と義体少女が兄妹的な関係で繋がり、
投薬を用いて、精神的な従属を強いていたり、
身体を弄って、物理的な支配を行っていたりなど、
性的描写は皆無でも、ロリコン的な欲求が、根幹の作品設定に詰め込まれているんですよね。
(原作は、アニメ1期の重苦しさや儚さは薄いが、少女達の「道具」視が強まってる感じ)
という事で、例えば「化物語」は、別にロリ要素とか無くても、作品的に成立しますけど、
「ガンスリンガー・ガール」の方は、ロリ要素を除くと、完全に別物な作品となるはずです。

って、「おそらく、そういう作品ではない」との事でしたから、
旧トルコ担当さんは、きっと未視聴だと思われますが、
やはり、こればっかりは、実際に観てもらった早い感じはしますけどねえ・・・・
視聴した上で、どこまで感じ取れるか否か?
でも別に、観てみた上で、「やっぱロリは感じない」という事であれば、それはそれで良いと思います。
以前の旧トルコ担当さんの話には、反してしまうかも知れませんけど、
同じモノを見たからといって、必ずしも、同じコトを感じるとは限らないので。


▼ 大学のリモート化
> > ちなみに、旧トルコ担当さんの大学では現状、
> > 授業の何割が対面で、何割がリモートなんですか?
> > また、リモート授業のメリット or デメリットって、旧トルコ担当さん的には どんな感じです?

> ざっくり、対面のみ・隔週で対面オンラインが交代(大学推奨)・対面オンライン自由(生徒の多くはオンライン)が、1:1:1:くらいですね。

あ〜、なるほど!!
「隔週で対面オンラインが交代」というのは盲点でした。
言われてみれば、そうですよね。
「密を避ける為」のオンライン授業であるならば、
半数ずつ入れ替え制にする事で、教室内の人数を半分に減らせる訳ですし。

また、これは大学ごとに、事情は異なるのかも知れませんけど、
教室無しの「完全オンライン授業」というのは、意外と無いんですね!?
そうなると、単なる移行期間なのかも知れませんが、
現状だと、オンラインは代替で、あくまでも「教室での講義が基本」って所ですか。

> > 自分の学生時代を思い浮かべると、授業1コマの為に大学へ行くのは面倒でしたし(笑)、
> > 自宅から遠距離通学している友人とか、めちゃくちゃ大変そうだなぁ、と見えていたのですが、
> > これだけリモート授業が増えると、そういうケースって増えている印象があり、
> > ますます、大学へ足を伸ばす機会が減っちゃいそうなイメージですけど、実際どうなんでしょう?

> 多くの学生の声としては、
> 「オンラインの方が楽」
> 「せめて、オンラインか、対面か、はっきりして欲しい」
> (1限はオンラインだけど、2限は対面なので、大学のPCルームから授業受ける、みたいなことも多いので)
> という感じだと思います。

やはり、オンラインと対面がゴチャ混ぜだと、面倒臭いんですね(笑)。
とは言え、大学の講義(特に一般教養)は選択制なので、時間割は各人バラバラでしょうし、
オンライン/対面の隔週交代が「大学推奨」となると、なかなか上手く噛み合わなそう・・・・

> > リアルに集まる機会が減ると、サークル活動とかも支障を来しそうですけど、そちらの方は?
> 私はサークルは参加していないので、ネットで調べた方が良いレベルの話しかできないです。

この辺りは、コロナ以前の大学生活を知っているか?知らないか?というのも、
地味に影響してくる部分かも知れませんね。
コロナ下の学生生活しか知らないと、そこが基準となってしまいますし。

って、それはさておき、何となく解っては居ましたけど、
大学内のオタ系サークルとかには、やはり参加されていないんですね。
学校を卒業すると、リアルに繋がる事って、非常に難しくなりますし、
そういう意味では、今が最後の機会かも知れませんが、あまり乗り気にはなれない所なのかな?
まあ、ネットがあれば充分って所かも知れませんけど、リアルにはリアルの良さもあるはずかと。
例えば、私とのやり取りだって、こんな文字だけよりも、リアルなら もっと情報交換できるでしょうから(笑)。

> > それと、対面授業とリモート授業が連続する時とかって、
> > リモートでも大学内で受講するしか無い気がするんですけど、それだけの設備って整っているんですか?

> 設備というか、機材は無理やりにでも整えてるみたいですね。
> 逆に言えば、今回のコロナで多くの会社や大学でリモート環境が整ったのって、大きいのでしょうね。

でも、それでPCルームの数は足りているのでしょうか?
PCの台数に関しては、出費は嵩むとは言え、購入すれば何とかなるにしても、
教室の数なんて簡単に増やせず、そこまで余っている訳でも無いでしょうから、
緊急対応だから致し方ないとは言え、無理矢理PCルームを増設してるイメージがありますし、
そんな感じだと、尚更、学生の学習意欲を欠く印象があると・・・・

って、最初から出欠確認など無く、学期末のテストかレポートで成績が決まる授業だと、
そもそも講義動画なんて1回も見ず、単位を取得する事も多いのかな?
これは別にコロナ前から、出席率の低さ(教室の埋まり具合)とかを考えれば、
良い悪いはともかく、それほど珍しい事では無かったですし、
せっかく大学まで行ったから、授業中の教室で寝ていたり、スマホを弄ってた学生たちは、
リモート授業になった際、わざわざ自宅のPCを前に、寝たりスマホを弄るのか?となると(苦笑)。
ただ一方で、授業の合間や、授業の最中(迷惑ですが)の おしゃべりも、必然的に減るので、
このコロナ禍は、「ぼっち学生」を、更に増やしているかも知れませんね。

> > あと、まあ理系ですと、実験であったり、TAのサポート抜きには理解が困難な授業があるので、
> > 今でも対面形式の時間は、それなりに多そうな気がするのですが、
> > これが文系ですと、かなりリモートでも大丈夫な感じがしますけど、こちらも どうなんでしょう?
> > 解りやすく言うと、将来的にリモートのみでも成り立ちそうなレベルですかねえ?

> リモートのみでも、成り立つ授業は成り立つと思いますよ。
> 普通の、教授が90分間しゃべる形式のものであれば。
> まあ、そういった授業はレベルが低い授業なのかもしれませんがw

レベルが低い・・・というよりも、そうした一方通行な大講義のスタイルって、
既に明確な正解があり、それを多人数に身に付けさせるには、効率的ではあるのですが、
そういうのって、「追いつけ!追い越せ!」な途上国に向いている所があり、
逆に言うと、だからこそ英米の名門大学では、後追いではなく先頭に立つ人材を育てるべく、
少人数によるディスカッション形式や、1対1に近いレクチャー形式が多いのだと思われます。

> あと、唯一(?)リモートで良かった講座が「哲学入門」で、
> 一度聞いただけでは教授が何言っているのか全く分からず、動画を何回も見直せたのは、非常に良かったです。

講義を何度も見直せるのは、確かにアナログな授業には無い魅力ですね!
また、特に出欠確認とかが無ければ、自分の好きな時間に受講するのも可能でしょうし!!

> > ちなみに、もともと出席も取らない、大教室で行うような授業だと、
> > あれをリモートで行う場合、学生側のカメラ画像って、わざわざ写してたりするんですか?
> > 受講生も大勢いるでしょうから、そこにスペースを割くと画面的にうるさそうですし、
> > そもそも一方通行な講義スタイルなので、やはり映像を垂れ流すような感じなのでしょうか?

> 映像を垂れ流す感じですね。
> 教授の姿か、下手するとスライドしか移さず、教授は声のみということもあります。

こうなると、放送大学やNHK教育、学習系のYouTubeチャンネルとかと、大差が無くなってくるのかな?
で、そうした授業動画の方が、キチンと作り込まれていて、完成度としては高そうですし、
一方通行な講義が大部分を占めるなら、「通信制大学」の需要は今後ますます高まりそうな気はしますね。
毎年同じ講義内容で行うなら、しっかりと1本を作り上げれば良い訳なので。

あとは・・・本の付箋や書き込みじゃないですけど、
ニコニコ動画やYouTubeチャットのように、講義動画にコメント機能が加われば、
単なる「一方通行な垂れ流し」に、ならずに済む気がしますし、
これはこれで、講師側も緊張感が持てるので、面白い授業スタイルになるかも?(笑)
コメントと学生番号が紐付いていれば、そうそう荒れる事も無いでしょうから。


[24008] 若者論とロリコン論返信 削除
2022/7/22 (金) 01:14:49 旧トルコ担当

▼ 若者論

『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』という本を読みました。
(正確には本屋で斜め未読みしただけですが)

現代の大学生=いい子化が進んでいる、という内容だったのですが、非常に面白かったです。
何より、管理人さんの俺ガイルの感想(http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c23821)で便所飯を例に出しているのも、この本読んで腑に落ちました。
私自身はそこまでこの本で指摘されているような"いい子"ではないですが、それでも傷つきたくないあまり他人の目を気にしすぎるというのは、多かれ少なかれ自分にも当てはまっているといいますか、
やはり世代的な傾向として「傷つきたくない」というのがあり、それは世代内でのみ比較すれば「いや、自分は違うよ」となりますが、世代間に渡って見ると私も傷つきたくない人間に分類されるんでしょうね。

「響け!ユーフォニアム」の続編に「リズと青い鳥」という映画があります。
ネタバレにならない範囲であらすじを紹介すれば、吹奏楽部内でのぞみという女の子を好きなみぞれという女の子がいるのですが、みぞれがのぞみに「遊びにいこう」も「一緒に帰ろう」も言えないんですよね。
私としては、この作品を女の子の独特な世界の作品として解釈していたんですが、そうではなくて、これって今の若者全体に共通する部分があるんでしょうね。
嫌われたらどうしようとか、そういうことで一歩を踏み出せなかったり、怖気づいてしまう若者がいるからこそ、こういう作品が出てくると。

・容姿学力比例論

私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

・若者の失恋離れ

これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」(https://toyokeizai.net/articles/-/598230)
が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
かなり納得しました。


▼ ロリコン論

「ガンスリンガーガール」は相変わらず未見ですが、ツイッターから「ろりともだち」(2012)(東浩紀絶賛)を知り読んでみたのですが、管理人さんの化物語にロリの本気度を感じないというのも納得しました。
確かに、00年代のロリって「投薬を用いて、精神的な従属を強いていたり、身体を弄って、物理的な支配を行っていたりなど、性的描写は皆無でも、ロリコン的な欲求が、根幹の作品設定に」みたいな感じですよね。

確かに、10年代に入った辺りから、ロリコンの健全化と言いますか、レイプ的なものが減ったイメージは私にもあります(管理人さんに言わせれば、浄化作戦は成果を挙げたと)。
とはいえ、ネット漁ればロリレイプなんていくらでも出てくるわけで、原因としては浄化作戦というよりオタク側の趣味の変化の方が大きそうな感じはうけますが。
(とはいえ、その趣味の変化も浄化作戦の影響を受けているという可能性はあります)

その上で「化物語」に対して私が感じた本気度というのは、作品の「リアリティ」レベルの問題で、普通のロリものはリアリティが低くて、ファンタジー的なんですよね。
「ガンスリーガールズ」は現実ではありえない設定がされていますし、「ろりともだち」もなかなかそこまでする気持ちにはなれないというか、実際に手を出すのはちょっとファンタジーだと思うんですよね。
「ロウきゅーぶ!」はファンタジーな設定の出てこない、リアリティレベルが高い作品ですが、「いや、小学生にバスケ教えるだけだから」という言い訳ますし。
でも、物語シリーズは仙石撫子ちゃんとお家デートしちゃうじゃないですか。
もちろん、物語シリーズ自体は怪異が出てくるロー・ファンタジーですが、そうした怪異とはそこまで関係なく、「妹の友達」と仲良くなっちゃうので。
ちょっと前に「娘の友達」というおっさんが娘の友達に手を出すマンガが話題になっていましたが、中年おっさんの下劣な欲望が娘の友達の女子高生ならば、ロリコンオタクの下劣な欲望が妹の友達なはずなんですよね。
私には妹はいませんでしたので、妹の友達の女の子もいませんでしたが、下級生の女の子はいましたし、
小学生くらいの頃は(ロリコン的なというのはおかしいかもしれませんが、)確かにそういう視線で下級生の女の子を見ていたのを、「化物語」は思い出させるんですよね。
それこそ、女の子側からはちょっと年上のお兄さんというのは恋愛対象として普通にマンガとかでもありふれていますし、いやおっさんがJK落とすのは無理というか都合が良すぎですけど、
妹の友達というのはワンチャンありそうなところが、背徳的なんですよね。


結局何が言いたいかというと、俺ガイルにしても、ロリコンにしても、管理人さんに指摘されないと、偶然その答えが目に入ってもスルーしていたと思うので、
管理人さんのおかげで勉強になり、ありがとうございます。


[24009] Re:若者論とロリコン論返信 削除
2022/7/26 (火) 20:54:53 徳翁導誉

▼ 若者論
> 『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』という本を読みました。
> (正確には本屋で斜め未読みしただけですが)

おっ、ちょっと面白そうな本ですね。
ちょうど今、私自身が読書モードに入っている最中なので、近々読んでみようかと思います。
紹介ありがとうございました(笑)。

ちなみに私の方は、2ヶ月ほど前にコチラの本↓を読んだのですが、

「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ -コンテンツ消費の現在形-」
https://www.amazon.co.jp/dp/4334046002/

その時の感想が、「旧トルコ担当さんに紹介したいな」と思ったんですよね(笑)。
以前、このスレッドで語っていた内容が、うまく纏まってる感じで、
この本を読んでもらった方が、私の話したかった意図が、上手く伝わるかも知れませんし、
その後、今月始めの「岡田斗司夫ゼミ #447」で、ちょうど この本が取り扱われていた為、
尚更、旧トルコ担当さんにはオススメかな?と感じてた所だったんですよ。
なので、こうして伝えられる機会が得られて、私も少し嬉しかったり(笑)。

> 現代の大学生=いい子化が進んでいる、という内容だったのですが、非常に面白かったです。
> 何より、管理人さんの俺ガイルの感想(http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c23821)
> 便所飯を例に出しているのも、この本読んで腑に落ちました。
> 私自身はそこまでこの本で指摘されているような"いい子"ではないですが、
> それでも傷つきたくないあまり他人の目を気にしすぎるというのは、
> 多かれ少なかれ自分にも当てはまっているといいますか、
> やはり世代的な傾向として「傷つきたくない」というのがあり、
> それは世代内でのみ比較すれば「いや、自分は違うよ」となりますが、
> 世代間に渡って見ると私も傷つきたくない人間に分類されるんでしょうね。

今だから言ってしまうと、この辺りの話に関しては、
私も、ちょっと説明下手だったかな?とは、反省していたんですけどね。
亀の甲より年の功とか言いますけど、やはり私の方が年齢が倍ですし、
今だからこそ、自分の世代と他の世代とを比較して見られる訳で、
例えば、同じく私が大学生の頃、そこまで客観的に物事が見られていたか?と考えれば、
必ずしも、現在ほどでは無かったはずなので、そこは配慮が足りなかったかなと。

でもまあ、多少なりとも、こうして話の意図が伝わった訳で、
不快な思いをさせるかも知れないのは覚悟で、敢えて述べてみた甲斐はあったのかも?(笑)
「折角の縁だし、仮に嫌われても、長い目で相手の役に立つなら」と、
当たり障りのある(笑)余計な お世話をするのは、私の悪癖のようなモノですが、
とは言え、真意の程が伝わらず、嫌われるだけで終わるのは、やはりキツイ所があるので(苦笑)。

・・・って、そんな独り語りはさておき、
今の時代と、一昔前の時代の、違いを上手く示しているという意味では、
それこそ前述の「映画を早送りで観る人たち」も、それが上手く描けていたかと思います。
作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
(昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)
旧トルコ担当さん自身も、そうした現状を苦々しく見つつ、
思考的には、そうした今の時代性を土台に立ってる面が伺えるのは、
第3者でオッサンである私から見て取れるものの、なかなか自分では気付けないと思うんですよ。
やはり、余程の変人(笑)・・・と言うか、個の強い人でも無い限り、
時代には無意識に流されたり、少なくとも影響は受けたりするモノですから・・・・
と、そうした面を客観視する意味でも、この本はオススメかも知れません。

ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。
あと、好きなシーンだけを繰り返し見る傾向は、これ自体は昔からあったものの、
世知辛い時代で、誰もが心の癒しを求めているからこそ、特に目立つようになってきたのかな?

> ・容姿学力比例論
> 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。

もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?
解り難いかも知れませんが、子供たちの情報格差・経済格差・環境格差など、
家庭的に「恵まれているか?否か?」で生じる差が、一昔前よりも、格段に大きくなっているんです。
例えば今年の大学受験では、国立理系の合格者のうち、
中学時代から大学受験の勉強を始めた子の割合が、ついに半分を超えたそうなんです。

要するに、中高一貫校などで、事前に大人にレールを敷いてもらわない限り、
国立理系に合格するのは、なかなか難しい時代になってしまったと・・・・
だって、普通の中学生が、高校受験を控えた段階で、
大学受験の事まで先を見据え、自発的に行動し始めるなんて、まず無理ですよ。
となると、中高一貫校の子の半分くらいの勉強時間で、同じだけの成果が出せなければ受からず、
それが可能な子というのは、本当に優秀な一握りに限られてきてしまう事でしょう。

昨今は「メリトクラシー」と言って、能力至上主義的な傾向になっており、
能力が絶対的な基準とされるのは、一見、平等のようにも映りますが、
子供が能力を伸ばせるか否かって、かなり家庭環境に左右されますからねえ。
言い方を換えれば、なかなか直接的な見た目では現れ難い
「持っている人(恵まれた子)と、持っていない人(恵まれない子)との差」が、
容姿とか、学力とか、自信という形になって、表面化してるような気がするんです。

これと似たような話は、以前読んだ「無理ゲー社会」にも書かれてたかな?
https://www.amazon.co.jp/dp/409825400X/
正直、個人的にはライトな内容で、そこまで響く1冊では無かったものの、
世間的には、この本が突き刺さる人も多いようなので、
一応、参考までに紹介しておきますね。
話下手な私の文章よりも、プロの方が格段に読みやすい(頭に入って来やすい)のは確かですし、
事前に知識の下地が整えば、何を言っているか解り難い私の話も、意外にスッと入って来るかも?(笑)

> ・若者の失恋離れ
> これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> かなり納得しました。

リンク先の東洋経済の記事を読みましたが、
う〜ん・・・そこまで反論という所までは行かないものの、
「それは結果であって、原因では無いかな?」というのが、個人的な素直な感想。
まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。

そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。
例えば、「最近は安定志向が強まり、公務員人気が高まった」とか言われますが、
戦後昭和の時代は、多くの民間企業だって「安定的だ」と思われていた訳で、
安定志向は昔から高く、今の時代は安定的な職の数が減っただけの話であると・・・・

言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。
とは言え、それはそれで、社会システム的に言うと、
ただ大人しく搾取される側に回り、それが固定化され、そこから抜け出せなくなる構図にある為、
ミスで解りやすく奈落に落ちない替わりにに、静かに茹でガエルとなるだけの違いなのかも?
ピケティの論調じゃないですけど、変化無き平和な時代の持続は、格差の拡大と固定化を招くので。


▼ ロリコン論
> 「ガンスリンガーガール」は相変わらず未見ですが、
> ツイッターから「ろりともだち」(2012)(東浩紀絶賛)を知り読んでみたのですが、
> 管理人さんの化物語にロリの本気度を感じないというのも納得しました。
> 確かに、00年代のロリって「投薬を用いて、精神的な従属を強いていたり、身体を弄って、
> 物理的な支配を行っていたりなど、性的描写は皆無でも、ロリコン的な欲求が、根幹の作品設定に」みたいな感じですよね。
> 確かに、10年代に入った辺りから、ロリコンの健全化と言いますか、
> レイプ的なものが減ったイメージは私にもあります(管理人さんに言わせれば、浄化作戦は成果を挙げたと)。

え〜と、こちらに関しては誤解が続いていると言いますか、
ロリコンというのは、性欲や支配欲が中心ではなく、もっと精神的なモノなんですよね。
肯定的にせよ、否定的にせよ、少女の成長途上を愛でるのが根幹にあり、
体型だの、支配だのは、個別の感情の発露に過ぎ無いとでも言いますか、
それもロリコンの一部ではあるものの、必ずしもロリコンとイコールではない、みたいな感じかと。
(こうした集合論的な話って、数学的な考え方の土台が無いと、意外に伝わり難いのかな?)

そういう意味では、クジラックスとか心島咲などのエロ漫画って、
一見すると、その過激なロリ性描写こそが、人気の秘訣のように映るかも知れませんけど、
恐らく、彼らの作品が人気なのって、そういった部分以上に、
事前・事後の心理描写や、行為に及ぶまでのストーリー描写が丁寧だからなのでは?
例えば、周防正行の監督デビュー作である「変態家族 兄貴の嫁さん」とかも、
「あの周防正行による、小津安二郎風味のポルノ映画」という
キャッチーな見方だけでは、表層的な評価のように感じるのと似てるかも。
これだけ語り継がれるのは、やはり単純に、作品として魅力が在るからなんですよね。

東浩紀が評価しているのも、ロリとかレイプとかが混ざるから解り難いですけど、
実際の所は、青春友情物語としての完成度の高さに関して触れている訳で、
言うなれば、強盗や殺人を繰り返しつつ、逃避行を続けたボニー&クライドの青春恋愛物語が、
残虐な犯罪者カップルでありながら、一部で熱狂的な支持を受け、何度も映画化された事に近いかと。
それこそ、後述の旧トルコ担当さんの言葉を借りるなら、
ワンピースのような冒険譚を、より「リアリティ」を上げたような感じですね!!(笑)
もちろん、行うのは義賊的な海賊行為ではなく、ガチでクズな犯罪行為なんですけども(苦笑)。

> とはいえ、ネット漁ればロリレイプなんていくらでも出てくるわけで、
> 原因としては浄化作戦というよりオタク側の趣味の変化の方が大きそうな感じはうけますが。
> (とはいえ、その趣味の変化も浄化作戦の影響を受けているという可能性はあります)

別に私も統計とかは取ってませんけど、肌感覚的に言えば、
レイプ題材の作品って、エロ作品やAVとかでも、確実に需要が減少してる気がしますよ。
恐らく、「無理矢理 思い通りにする」というのが、今の時代にあまり合わないのでは?
って、ただ単純に、昨今はコンプラ云々がうるさいので、
相応の利益が望めないのなら、敢えて作ろうとしないというだけの話かも知れませんが。

> その上で「化物語」に対して私が感じた本気度というのは、作品の「リアリティ」レベルの問題で、
> 普通のロリものはリアリティが低くて、ファンタジー的なんですよね。
> 「ガンスリーガールズ」は現実ではありえない設定がされていますし、
> 「ろりともだち」もなかなかそこまでする気持ちにはなれないというか、
> 実際に手を出すのはちょっとファンタジーだと思うんですよね。
> 「ロウきゅーぶ!」はファンタジーな設定の出てこない、リアリティレベルが高い作品ですが、
> 「いや、小学生にバスケ教えるだけだから」という言い訳ますし。
> でも、物語シリーズは仙石撫子ちゃんとお家デートしちゃうじゃないですか。
> もちろん、物語シリーズ自体は怪異が出てくるロー・ファンタジーですが、そうした怪異とはそこまで関係なく、
> 「妹の友達」と仲良くなっちゃうので。

う〜ん、こういう話となると、私が考えていた前提とは違ってくるのかな?
「本気のロリ愛」という事でしたので、化物語のそれは、
「倫理的には知らんが、俺はこういうのが好きなんだ!」という、作り手側の欲情が描かれているのではなく、
「君たちロリコンは、こういうのが好きなんでしょ?」という、作り手側の嫌らしさが透けて見える感じで、
あれを本気のロリ愛と呼ぶのは違うだろうし、まんまと踊らされる層は本当にロリか?という疑問を抱いたんです。

でもまあ、現実的か否かを問う「リアリティ」の話をするのであれば、
怪異であったり、軽妙な会話などを除けば、確かに化物語はリアルな作品なのかも知れません。
ただ、その事が作品として、本当にそこまで重要な事か?と問われると、ちょっと解らないかな?
もちろん、私たちの日常生活に近い設定の方が、感情移入をしやすい面はあるでしょうけど、
作品にとって重要なのは、それで伝えたいメッセージ性やテーマであって、
その事を考えると、却って非日常的な世界観の方が、心理描写などが立つ側面もあるんですよね!!

例えば、映画「バトル・ロワイヤル」とかも、中学生に殺し合いをさせるという過激な設定から、
国会でも取り上げられ、R-15指定による劇場公開となりましたけど、
内容的には青春群像劇であり、学徒動員で戦争を体験した深作欣二の思いも詰まった作品で、
それこそ、却って中学生にこそ、観てもらいたいような作品だったんです。
そういう意味では、そうした表面的なリアルさというのは、
私個人としては、正直、あまり重きは置いていないと言うのが、実際の所かも知れませんね。
もちろん、リアルさがテーマの作品であるならば、話はまた違ってきますけども。

> 結局何が言いたいかというと、俺ガイルにしても、ロリコンにしても、
> 管理人さんに指摘されないと、偶然その答えが目に入ってもスルーしていたと思うので、
> 管理人さんのおかげで勉強になり、ありがとうございます。

お役に立てたのなら、何よりです(笑)。
私の主旨としても、異なる視点への「引っ掛かり」を与えようという所がある為、
以前の指摘が、こうして巡って、気付きのキッカケになったのであれば、
まさにそれこそ、望んでいた結果でもありますしね!!

ちなみに、私がアート鑑賞を好むのも、そうした「引っ掛かり」を得やすいからであり、
逆に言うと、日本のアート教育って、こういう部分が抜け落ちていると言いますか、
お上品な教養的に、「この作品は何年の誰々の作品で…」と、知識偏重に陥っているから、
欧米などに比べると、一般庶民から縁遠い存在になってしまっている気はしますね。
海外から名作が来日して大行列が出来ても、実物から何かを感じるより、
とにかく「実物を見た」という体感イベントとしての側面が強い気が・・・・
でも、アートって基本的に、言語を用いない自己表現ですから、
地域・時代・趣向の違いを越えて、作者の思いがダイレクトに伝わって来やすい世界なんです。
もう少し解りやすく言えば、他者の主張から何らかの「引っ掛かり」を得る機会であると。

また、以前にも少し書きましたが、私がリアル店舗を大事だと言っていたのも、
ネット店舗に比べて、こうした「引っ掛かり」を得やすい場所だからなんです。
一目で入ってくる余計な情報量(雑音)は、アナログな方が段違いに多いですし、
自分好みにカスタマイズされてないからこそ、他の人々の好みも入って来やすいと。
もともと好きなジャンルで、新たに面白い作品を見つけるのも良いですけど、
興味が無かったり、却って苦手だったジャンルで、新たに面白い作品を見つける方が、
自分の「楽しいの範囲」が確実に広がりますし、新規開拓の期待感も伴いますから嬉しく、
そして、その第1歩となるのが、まさしく、この「引っ掛かり」という感覚なんですよね!!

で、その年齢で「引っ掛かり」という「気付きのフック」の感覚を掴めたというのは、
偉そうな言い方ですが、今後の旧トルコ担当さんの成長に、何かと活きてくるかも?
この感覚は一生身に付かない人も多いですし、視野の広がりは それだけで大きな武器になるので。


P.S.
話は逸れますが、昨年から早稲田の政経学部が入試で数学を必須化したように、
デジタル化が加速する近年は、理系以外でも「数学の重要性」が認識されるようになり、
(と言いますか、日本は経済学が文系扱いなので、ノーベル賞が取れないとの話も?)
日本の大学の経済学部や商学部でも、「数学の必修が増えた」との噂を聞くのですが、
実際の所、どんな感じなのでしょうか?
具体的には、どれだけのコマ数が数学に割かれ、どのレベルの数学をやっているのかな?と。

特に私立文系の場合、大学受験対策として、ほぼ数学を学ばない高校も珍しくなく、
そうなると、「大学(経済学部や商学部)で数学を学ぶ」と言っても、
理系の高校数学と大差ないレベルなのかな?とか、少し気になったので。


[24014] 「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/8/15 (月) 22:09:58 徳翁導誉

> > 『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』という本を読みました。
> > (正確には本屋で斜め未読みしただけですが)

> おっ、ちょっと面白そうな本ですね。
> ちょうど今、私自身が読書モードに入っている最中なので、近々読んでみようかと思います。
> 紹介ありがとうございました(笑)。

という事で、「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了しました。
「横並び志向」「事なかれ主義」「マニュアル依存」「承認欲求の高さ」などと言った
近年の若者層の特徴自体は、私も読む前から、それなりに掴んではいましたが、
そこは著者が大学教授なだけあって、具体的な実例は目から鱗でした(笑)。

講義における「座席の埋まり方」↓とか、「1限だから1限に出る」といった
https://m.media-amazon.com/images/S/aplus-media-library-service-media/5bb5f869-c75a-4a96-ad04-0fb755d44efd.__CR0,0,970,600_PT0_SX970_V1___.jpg
一昔前までの学生との感性の違いとかは、「なるほど、そうなるのか!?」って感じでしたし、
特に、「最も公正な分配基準は?」の答えの違いは、かなり印象に残りましたね!!

 【Q.最も公正な分配基準は?】
   2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
   2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
   2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%

まあ、アメリカの方の結果は、メリトクラシーにより格差増大が是認される一方、
その反動として、一部にサンダースやオカシオ・コルテスの人気が高まっている現状を、
まさしく、イメージ通りに現した数字といった感じかな?
日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。

一律な平等分配が半数を超えてるって、本当・・・というか、本気なんですかねえ?
戦後昭和の「日本型社会主義」においては、平等や必要性は言及されて無くても、
それなりの分配はされていた上で、「努力すれば報われる」という雰囲気が醸し出され、
それでも実際のボーナス加算分は、実績差に比べると微々たるモノという感じで、
現実的に どう分配されていたかではなく、当時の感覚的な部分が数値化されてる印象ですが、
2020年頃の数値に関しても、そういったイメージ的なモノなのかなぁ?
昨今の世知辛さから、平等分配を求める声が、以前に比べて増してる面は確かにあるでしょうけど、
ここまで数値が高いとなると、もしも本気の声であれば、もっと共産主義の再台頭があって良いはずで、
そうした現象が特に見られない以上は、これも外面を気にした建前的なモノで、本音とは違うのでは?
う〜ん、何というか、「ぼっち」を気取りながらも、他者からの「承認欲求」は高いという、
当人も無自覚な「建前と本音の使い分け」というのが、そこには潜んでいるような気がするんですよね。

右肩下がりの時代で、「チャレンジのコスパが悪い」昨今、
「今の若者は〜」とか言うのは、社会の問題を、若者に責任転嫁しているだけな気がしますが、
その一方で、「損はしても、せめて平均以下には落ちたくない」という意識が強すぎて、
自らの事を「横並び志向」だと思いつつも、
「目さえ付けられなければ、得したい」という本心が隠れているというか、
足の引っ張り合いが強くなった現状を、平等とか横並びという言葉に置き換えてるだけな気もします。
そういう意味では、「良い子症候群」と言うよりも、「傷つきたくない症候群」という感じかな?
もっと言えば、一度傷つくと、なかなか立ち直れない社会状況で育った若者層という事かも・・・・

最後に、おしなべて面白い本だとは思いましたけど、強いて難点を挙げるなら、
著者の視点が表面的で局所的というか、現象やハード面ばかりを追ってる感じで、
広く社会全体で見つつ、根本的な部分から解き明かしていく感じでは、無かった点ですかねえ?
まあ、そこは著者も自身で語っている通り、
歴史が苦手で、元々は物性物理の出身という所が、そうした物足りなさを招いているのかも。
とは言え、やはり人それぞれ得手・不得手はありますし、あまり1人に求めすぎてもアレかな?(笑)
ともかく、面白い本を紹介していただき、ありがとうございました!!
返信の有無は構わないとして、一応 報告までに。


> > ・容姿学力比例論
> > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
> もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?
> 解り難いかも知れませんが、子供たちの情報格差・経済格差・環境格差など、
> 家庭的に「恵まれているか?否か?」で生じる差が、一昔前よりも、格段に大きくなっているんです。

先日たまたま、書店でこんな新刊↓を発見して、読了。

「ペアレントクラシー 親格差時代の衝撃」
https://www.amazon.co.jp/dp/4022951826/

タイトル以上のインパクトは、内容的に無かったのですが(個人的には正直イマイチな1冊)、
「教育格差」の問題に関して、関心はあるけど知らない方には、そこそこの1冊ではあるかと?
「親ガチャ」なる単語が流行っている昨今、
社会システムが安定したまま、メリトクラシー(能力主義)が続けば、
当然の帰結として、人々は、システム上の最適解を求めるでしょうし、
その結論として、親(保護者)が如何に整えるかで、子供の生育環境が左右されるという
「ペアレントクラシー」なる答えに辿り着くのは、当たり前と言えば、当たり前なのでしょう。

と、これ以上 続けると、教育方面の話題に脱線しそうなので、話を元に戻しますが(苦笑)、
同書にもあった、現在は「見えざる壁(格差)」の時代だという意見は、私も同調しました。
簡単に言えば、近代以前の階級社会では、まさしく格差が「見える壁」として存在し、
それを壊そうとして、能力主義が台頭してきた訳ですが、これだけ長く続くと、
効力の良い能力の高め方というノウハウに加えて、
教育面への新自由主義の侵食であったり、ネット普及が却って招いた情報格差であったり、
そうした諸々の要素が合わさって、一見しただけでは判らない「壁」が、確実に生じつつあると・・・・

まあ、同じ学校の中ですと、名門校と底辺校との「違い」ほど如実じゃない為、
生徒同士の明確な違いは、もしかしたら見出し難いかも知れませんが、
何でも持ってる生徒と、何も持ってない生徒との差が、実際に存在するのであれば、
それこそが恐らく、「見えない格差」が表面化したモノなんじゃないですかねえ?

また、こうした事の心理面を読み解く場合、
確かに「自信」も、1つの要素ではあるものの、
それ以上に大きいのは、あらゆる面においての「余裕」でしょうね。
自信自体は、行動の大きな推進力には成り得るのですが、
全ての物事を、滞り無く進めるのに大事なのは、何よりも余裕なので。


> 日本の大学の経済学部や商学部でも、「数学の必修が増えた」との噂を聞くのですが、
> 実際の所、どんな感じなのでしょうか?
> 具体的には、どれだけのコマ数が数学に割かれ、どのレベルの数学をやっているのかな?と。

この流れで、USJを再建させた立て役者の本↓を読んでみました。

「確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力」
https://www.amazon.co.jp/dp/4041041422/

一般読者向けに、数式とかは飛ばしても読める内容になってましたけど、
具体的には、「ポアソン分布」とか「負の二項定理」などが出てきてました。
クオンツたちが活躍する金融工学の世界とも、また異なるのでしょうし、
経営判断として、おおよその目安さえ解ればOKという使用目的を考えると、
これくらいの数学レベルで充分だという事なのでしょうね。
内容は悪くありませんでしたし、旧トルコ担当さんは商学部との事でしたので、
既に読まれてるかも知れませんが、一応オススメしておきます!!
この立場の人が、手の内を明かすような本を書くこと自体、なかなか珍しいですから。

もっと言うと、自らの経営体験の実例を、
大量に演習問題として用いた、教科書を書いて欲しい所かも?(笑)
まあ立場的に難しければ、一線を退いてからでも良いので。
やはり演習問題の有無というのは、知識としての定着度に差を生みますし、
かと言って、無味乾燥な例題ばかりを解かされても、基本的には面白くないですから、
成功体験であれ、失敗体験であれ、興味を惹くような実例から問題が作られていれば、
頭に入ってくる情報量も、大きく違ってくると思うんですよ!!

と言いますか、既に実際に、そういった本って在ったりするのかな?
もし御存知でしたら、是非とも紹介して戴ければ有り難いです!!(笑)


[24016] Re:「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/8/18 (木) 23:43:22 旧トルコ担当



> ・・・って、そんな独り語りはさておき、
> 今の時代と、一昔前の時代の、違いを上手く示しているという意味では、
> それこそ前述の「映画を早送りで観る人たち」も、それが上手く描けていたかと思います。
> 作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
> (昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)


日本人が皆巨人ファンだった時代があったのは知っていましたが、月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。


> 旧トルコ担当さん自身も、そうした現状を苦々しく見つつ、
> 思考的には、そうした今の時代性を土台に立ってる面が伺えるのは、
> 第3者でオッサンである私から見て取れるものの、なかなか自分では気付けないと思うんですよ。
> やはり、余程の変人(笑)・・・と言うか、個の強い人でも無い限り、
> 時代には無意識に流されたり、少なくとも影響は受けたりするモノですから・・・・
> と、そうした面を客観視する意味でも、この本はオススメかも知れません。
>
> ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
> いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
> 情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
> 逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
> わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
> そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
> 早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。
> あと、好きなシーンだけを繰り返し見る傾向は、これ自体は昔からあったものの、
> 世知辛い時代で、誰もが心の癒しを求めているからこそ、特に目立つようになってきたのかな?


私の場合は、アニメや映画などを倍速視聴することは無いですが、ニコニコやYouTubeは基本2倍速視聴しています。
この手のパターンは割と多いのではないのでしょうか?
何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。


> > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
>
> もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?


私は、そういった格差などの世知辛い現実を見ないようにしてきた人間なので、
自信がないことが家庭環境の格差にあるのかは全く分かんないんですよね。
昔の時代も知りませんし。

オタクやってるのも、アニメの話してるときはそういったものが関係なくなるから、という側面もありますし。
これも無自覚な時代適応なんでしょうね。


> > ・若者の失恋離れ
> > これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> > ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> > が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> > 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> > かなり納得しました。

> リンク先の東洋経済の記事を読みましたが、
> う〜ん・・・そこまで反論という所までは行かないものの、
> 「それは結果であって、原因では無いかな?」というのが、個人的な素直な感想。
> まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
> 時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
> 世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。
>
> そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
> 日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
> ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。
> 例えば、「最近は安定志向が強まり、公務員人気が高まった」とか言われますが、
> 戦後昭和の時代は、多くの民間企業だって「安定的だ」と思われていた訳で、
> 安定志向は昔から高く、今の時代は安定的な職の数が減っただけの話であると・・・・
>
> 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。
> とは言え、それはそれで、社会システム的に言うと、
> ただ大人しく搾取される側に回り、それが固定化され、そこから抜け出せなくなる構図にある為、
> ミスで解りやすく奈落に落ちない替わりにに、静かに茹でガエルとなるだけの違いなのかも?
> ピケティの論調じゃないですけど、変化無き平和な時代の持続は、格差の拡大と固定化を招くので。


個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
基本的には各種値が変化した時期と一致します。

私が一緒にゲームしているおじさん曰く、
「若者の草食化は今に始まったことではなく、日本の若者は昔から恋愛が苦手。
なぜなら、内婚制の社会においては結婚は親が取り決めるものであったから。
今いるのは恋愛できない若者ではなく、子どもに結婚圧力をかけられない親がいるだけ」
とのことですが、お見合い結婚に関しては全く詳しくありませんが、割とこの辺が事実なのかなと私も思っています。


> 例えば今年の大学受験では、国立理系の合格者のうち、
> 中学時代から大学受験の勉強を始めた子の割合が、ついに半分を超えたそうなんです。
>
> 要するに、中高一貫校などで、事前に大人にレールを敷いてもらわない限り、
> 国立理系に合格するのは、なかなか難しい時代になってしまったと・・・・
> だって、普通の中学生が、高校受験を控えた段階で、
> 大学受験の事まで先を見据え、自発的に行動し始めるなんて、まず無理ですよ。
> となると、中高一貫校の子の半分くらいの勉強時間で、同じだけの成果が出せなければ受からず、
> それが可能な子というのは、本当に優秀な一握りに限られてきてしまう事でしょう。
>
> 昨今は「メリトクラシー」と言って、能力至上主義的な傾向になっており、
> 能力が絶対的な基準とされるのは、一見、平等のようにも映りますが、
> 子供が能力を伸ばせるか否かって、かなり家庭環境に左右されますからねえ。
> 言い方を換えれば、なかなか直接的な見た目では現れ難い
> 「持っている人(恵まれた子)と、持っていない人(恵まれない子)との差」が、
> 容姿とか、学力とか、自信という形になって、表面化してるような気がするんです。


ああ、現状の大学入試ってそんな感じなんですね(恥ずかしながら、最近大学受験したばかりなのに全く知りませんでした)。
日本ですらそういった状況なのであれば、アメリカなどはより深刻な状況にあるのでしょうね。

最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
・乳児死亡率においてはアメリカはロシアよりも高く、
・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
など、のことが指摘されており、
ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、
西側民主主義世界そのものが行き詰っているのだなと感じさせられました。
本書では、後半
・形式的な制度ではなく実態として、英米はリベラル寡頭制であり、むしろ露中の方が権威的民主主義である
とまで断言していますし、
これまでにもトッドは
・初等教育の普及が平等の潜在意識を与え、高等教育の(不平等な)普及が不平等の潜在意識を産む
・私はもう高齢なのでその答えを見ることはできないと思うが、ヨーロッパで民主主義は失われるのだろうか?
など指摘しており、
ああ、本当にそういう民主主義の存続すら危うい時代なんだな、と思わされました。


> 話は逸れますが、昨年から早稲田の政経学部が入試で数学を必須化したように、
> デジタル化が加速する近年は、理系以外でも「数学の重要性」が認識されるようになり、
> (と言いますか、日本は経済学が文系扱いなので、ノーベル賞が取れないとの話も?)
> 日本の大学の経済学部や商学部でも、「数学の必修が増えた」との噂を聞くのですが、
> 実際の所、どんな感じなのでしょうか?
> 具体的には、どれだけのコマ数が数学に割かれ、どのレベルの数学をやっているのかな?と。
>
> 特に私立文系の場合、大学受験対策として、ほぼ数学を学ばない高校も珍しくなく、
> そうなると、「大学(経済学部や商学部)で数学を学ぶ」と言っても、
> 理系の高校数学と大差ないレベルなのかな?とか、少し気になったので。


私の大学はハッキリ言ってレベルの高い大学ではないので、数学の講座はありませんね。
それこそ、ネットでシラバスなど検索すればある程度出てくるのでは?


> 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。
> とは言え、それはそれで、社会システム的に言うと、
> ただ大人しく搾取される側に回り、それが固定化され、そこから抜け出せなくなる構図にある為、
> ミスで解りやすく奈落に落ちない替わりにに、静かに茹でガエルとなるだけの違いなのかも?


私自身、大学生になりバイトを始め、高校時代と比べ物にならないお小遣いを手に入れましたが、
結局ラノベしか買わず、残りは貯金しているので、高校生時代と使う金額はほぼ変化がないんですよね。
それでも読み切れない量のラノベがあり、「お金不足よりは時間不足だよな」と感じるくらいには我慢しているという感覚はない半面、
もし日本経済がこれからも上向き続けると確信していたら、余っているお金で余計なもの(そこまで欲しいわけではないもの)を買って、
バイト代は全部使いきっていただろうな、とは思います。
ニコニコ大百科の掲示板かなんかに、「今の若者は金のかかる遊びを知らない」という指摘がありましたが、
管理人さん的にはどう思われます?
私としてはあまり実感わかないのですが。


>  【Q.最も公正な分配基準は?】
>    2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
>    2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
>    2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%
>
> まあ、アメリカの方の結果は、メリトクラシーにより格差増大が是認される一方、
> その反動として、一部にサンダースやオカシオ・コルテスの人気が高まっている現状を、
> まさしく、イメージ通りに現した数字といった感じかな?
> 日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
> 機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
> そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。
>
> 一律な平等分配が半数を超えてるって、本当・・・というか、本気なんですかねえ?
> 戦後昭和の「日本型社会主義」においては、平等や必要性は言及されて無くても、
> それなりの分配はされていた上で、「努力すれば報われる」という雰囲気が醸し出され、
> それでも実際のボーナス加算分は、実績差に比べると微々たるモノという感じで、
> 現実的に どう分配されていたかではなく、当時の感覚的な部分が数値化されてる印象ですが、
> 2020年頃の数値に関しても、そういったイメージ的なモノなのかなぁ?
> 昨今の世知辛さから、平等分配を求める声が、以前に比べて増してる面は確かにあるでしょうけど、
> ここまで数値が高いとなると、もしも本気の声であれば、もっと共産主義の再台頭があって良いはずで、
> そうした現象が特に見られない以上は、これも外面を気にした建前的なモノで、本音とは違うのでは?
> う〜ん、何というか、「ぼっち」を気取りながらも、他者からの「承認欲求」は高いという、
> 当人も無自覚な「建前と本音の使い分け」というのが、そこには潜んでいるような気がするんですよね。


相変わらず同書は斜め読みしただけですが、
私の感覚だと、上記のデータは「まあ、そんなもんだろうな」という感じですね。
それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

むしろ管理人さんにとっては、このデータが衝撃であったという点の方が衝撃というか、
半数が努力、4分の1が実績を元にした分配を良いものだと感じていた、2000年のデータもそうですけど、
やはりこの20年って凄い変化があったんでしょうね。
2000年代って個人的にイメージ薄いんですけど、そんな時代だったんですね。


> と、これ以上 続けると、教育方面の話題に脱線しそうなので、話を元に戻しますが(苦笑)、
> 同書にもあった、現在は「見えざる壁(格差)」の時代だという意見は、私も同調しました。
> 簡単に言えば、近代以前の階級社会では、まさしく格差が「見える壁」として存在し、
> それを壊そうとして、能力主義が台頭してきた訳ですが、これだけ長く続くと、
> 効力の良い能力の高め方というノウハウに加えて、
> 教育面への新自由主義の侵食であったり、ネット普及が却って招いた情報格差であったり、
> そうした諸々の要素が合わさって、一見しただけでは判らない「壁」が、確実に生じつつあると・・・・


見えない壁が増えている、というのは私も一定程度そうなんだろうなあ、と思っていますが、
個人的には、格差というか能力の差がインターネットによって見える化された、という部分も大きいと思うんですよね。

例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

あるいはこの掲示板でも、自分なりの教養みたいなものがある管理人さんは、同じ本を読んで色々考えられるのに対して、
私はまだまだ「ふーん」で終わってるよなあ、と感じさせられますし。
とはいえ、こういうことはもっと本読んだり、自分で考えたり、ということを繰り返せば、後々自分なりの見方とか考え方を手に入れられると思うので、
あまり悲観してはいないのですが。

私はあまり周囲を見ない・見ていない人間なので、こうした感覚がどの程度普遍的なのかは分かりませんが、
例えばYouTubeのゲーム配信なんかも、そうした勝者側が敗者におこぼれを与えているというか、
ゲームを楽しむ才能も、時間も、金も、面白い遊び方も、一緒に遊ぶ友達も持っているYouTuberが、それらが無い敗者に対して、
その様子を動画にすることで疑似体験をさせているという様にも見えるんですよね。
鈴原るるという今は引退したVTuberの生放送に「こんな可愛い子と一緒にゲームしたいな」というコメントがあったのですが、
それを持っている側を見せつけられるのがインターネットの一つの性質だと思うんですよね。

> 「確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力」
> https://www.amazon.co.jp/dp/4041041422/
>
> 一般読者向けに、数式とかは飛ばしても読める内容になってましたけど、
> 具体的には、「ポアソン分布」とか「負の二項定理」などが出てきてました。
> クオンツたちが活躍する金融工学の世界とも、また異なるのでしょうし、
> 経営判断として、おおよその目安さえ解ればOKという使用目的を考えると、
> これくらいの数学レベルで充分だという事なのでしょうね。
> 内容は悪くありませんでしたし、旧トルコ担当さんは商学部との事でしたので、
> 既に読まれてるかも知れませんが、一応オススメしておきます!!
> この立場の人が、手の内を明かすような本を書くこと自体、なかなか珍しいですから。
>
> もっと言うと、自らの経営体験の実例を、
> 大量に演習問題として用いた、教科書を書いて欲しい所かも?(笑)
> まあ立場的に難しければ、一線を退いてからでも良いので。
> やはり演習問題の有無というのは、知識としての定着度に差を生みますし、
> かと言って、無味乾燥な例題ばかりを解かされても、基本的には面白くないですから、
> 成功体験であれ、失敗体験であれ、興味を惹くような実例から問題が作られていれば、
> 頭に入ってくる情報量も、大きく違ってくると思うんですよ!!
>
> と言いますか、既に実際に、そういった本って在ったりするのかな?
> もし御存知でしたら、是非とも紹介して戴ければ有り難いです!!(笑)


商学とか、経営学の本はほとんど読んでいません。
前にも書いたとおり、オタク史の本を200冊くらい読んだのが私の読書の大半なので。
なのでおススメもできないのですが、
経営戦略の講義は基本的な経営戦略を学びつつ、それらを活かした企業の例も教科書に載っていました。


[24018] Re2:「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/8/23 (火) 19:42:03 徳翁導誉

> > 作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
> > (昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)

> 日本人が皆巨人ファンだった時代があったのは知っていましたが、

中日ファンの私が、一応指摘しておくと(笑)、
さすがに、「日本人が皆」というのは大袈裟にしても、
ライトなファンまで含めれば、「国民の半分」くらいは巨人ファンな時代がありましたね。
(主婦層とかでも、巨人の中心選なら、、普通に何人も名前を挙げられるくらい)

十数年前までは、地上波で毎日のように巨人戦が放送されていて、高視聴率を取ってましたし、
特に男性の場合、コミュニケーション・ツールの一環として、
野球に関心が無い人でも、とりあえず巨人の情報は押さえておくという時代が長かったです。
ニュース番組で未だに、巨人戦の試合結果が詳しく報じられるのは、その頃からの名残ですね。

> 月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
> 東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。

先日、小学生は「SMAP」の存在を知らなくて驚いたので(まあ、解散が6年前ですからね)、
「月9」に関しても、そんな感じかな?・・・と一瞬思ったのですが、
でも旧トルコ担当さんの年齢を考えると、単に世間への関心が薄かっただけかも!?(笑)
確かに、5年くらい前は視聴率1ケタを連発していましたが、
10年くらい前までは普通に10%台後半を取ってましたし、今では2ケタを確保してるので。

一昔前の月9枠は、特に若い女性層向けで、
視聴率20%台(最終回は30%超)が当たり前だった当時は、
中高生だと恐らく、クラスの女子生徒の過半数は見ていた感じでしたが、
でもまあ、逆に考えると、ちょうど旧トルコ担当さんが中高生だった頃、
月9枠は「暗黒期」を迎えていたので、クラス内でも話題になる機会が無かったのかも?
(2018年を境に、従来の恋愛ドラマ路線から転換して、視聴率的には復調傾向)

そういう意味では、旧トルコ担当さんの少し前くらいから、
「世間(クラス)共通の話題」という存在が、急速に失われた世代かも知れませんね。

> > ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
> > いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
> > 情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
> > 逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
> > わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
> > そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
> > 早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。

> 私の場合は、アニメや映画などを倍速視聴することは無いですが、ニコニコやYouTubeは基本2倍速視聴しています。
> この手のパターンは割と多いのではないのでしょうか?

でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。

> 何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。
それは、そうでしょうね。
特にビジネスの場合、需要があってこその供給という面も強く、
「作品を当てたい」思いがあるならば、ニーズに合わせるのは常套手段なので。
例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。
で、こうした解りやすいモノばかり量産される環境になると、深みのあるモノは産まれ難くなると・・・・

逆に言うと、戦後昭和の頃は、買った人の数%しか読まないような全集とかが、
見栄やステータスとして、それなりに売れる時代だった事もあり、
一部のマニアしか喜ばないようなコアなモノも、
格好付けで買うだけの大多数の人たちに支えられて、産み続けられる環境ではあったんですよね。
言い方を換えれば、そうした自己満足な虚栄心による消費が可能なくらい、
人々の懐事情余裕があった時代とも言えますし、
今はそれだけの余裕が無いからこそ、無駄な出費は抑えられ、
それなりにニーズのあるモノしか、生き残れない傾向が強くなっているかも?

> > > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> > う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> > 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> > 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> > ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> > その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
> > もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> > 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?

> 私は、そういった格差などの世知辛い現実を見ないようにしてきた人間なので、
> 自信がないことが家庭環境の格差にあるのかは全く分かんないんですよね。
> 昔の時代も知りませんし。

まあ、これは旧トルコ担当さんの話を聞いた上での、私の仮説に過ぎませんけどね。

それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・

90年代から00年代前半に産まれ、不況下に育った「欲がない」若者層の事を、
ネットやメディアでは、10年くらい前に「さとり世代」と呼んでいたのですが、
この「悟り」の正体って、実は「諦観」なのだろうと、私などは見ているんです。
だからこそ、学業にせよ、容姿にせよ、「こんなモノだろう」という所で妥協すると。
で、そうした妥協点の高低基準が、分野ごとではなく、人ごとになっているから、
何でも持っている人と、何も持っていない人との差が、大きくなっているんじゃないですかねえ?

> オタクやってるのも、アニメの話してるときはそういったものが関係なくなるから、という側面もありますし。
> これも無自覚な時代適応なんでしょうね。

う〜ん、そういう側面もあるのかも知れませんね。
確かにアニメって、現実とは切り離された「架空の世界」を楽しむ娯楽ですし、
良くも悪くも、観ていて疲れる「重い作品」というのも、近年は好まれなくなったのは、
ストレス解消の清涼剤的な役割が、特に強く求められるようになったからかも?

> > > ・若者の失恋離れ
> > > これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> > > ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> > > が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> > > 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> > > かなり納得しました。

> > まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
> > 時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
> > 世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。
> > そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
> > 日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
> > ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> > そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。

> 個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
> 未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、
> 00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
> 経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
> 出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
> 未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

う〜ん、何だか話が脱線している気はしますけど、それは別に良いとして(笑)、
この感じだと、経済と景気の違いが区別されていないと言うか、
経済の成長は社会のシステムを変容させ、それは出生率にも影響を及ぼすという、
大きな要素としては、「経済こそ主要因」と見なして良いと思うんです。

その一方で、景気の善し悪しが、結婚や出産に影響を及ぼす面も、確かにあるのですが、
こちらの影響は部分的というか、小さな要素ですよね。
そういう意味では、「景気が主要因」とまでは言えないのですが、
しかし日本の新卒一括採用システムの場合、決して無視できないのも事実です。

・・・って、この辺りの話題を続けると、
「歴史人口学」や「人口統計学」など、テーマが大きく成り過ぎてしまうので、
少し話を合わせる感じで語りますと、ここで1つ、旧トルコ担当さんに質問(笑)。

では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?

> > 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> > 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> > リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> > 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> > しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。

> おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
> 時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
> 私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
> 基本的には各種値が変化した時期と一致します。

「ソースが少女マンガなの!?」というツッコミはさておき(笑)、
見合い結婚と恋愛結婚の「比率」の変化は、こんな感じ↓
https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-10.gif
見合い結婚と恋愛結婚の「総数」の変化は、こんな感じ↓
https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-11.gif
恋愛結婚が、見合い結婚を上回るのは、60年代半ばって所ですね。

> 私が一緒にゲームしているおじさん曰く、
さらりと書いてますが、どういう繋がりで知り合ったオジサンか気になる所(笑)。
・・・って、別にリアルではなく、オンライン上の話なのかな?
ファミコン世代からすると、「一緒にゲーム」と言われた場合、
イコールで「同じ空間を共有」と考えてしまうモノで・・・・

> 「若者の草食化は今に始まったことではなく、日本の若者は昔から恋愛が苦手。
> なぜなら、内婚制の社会においては結婚は親が取り決めるものであったから。
> 今いるのは恋愛できない若者ではなく、子どもに結婚圧力をかけられない親がいるだけ」
> とのことですが、お見合い結婚に関しては全く詳しくありませんが、割とこの辺が事実なのかなと私も思っています。

お節介ババァや説教ジジィの存在が、実は社会を円滑に回していたというのは、
確かに一面では真理なので、そういう要素も勿論あると私も思いますよ。
とは言え、それって別に、日本に限った話でも無いと言いますか、
その辺りの条件は踏まえた上で、更に話している所ではあるんですけどね、私的には。

例えば、1990〜2000年代の「恋人あり率」というのは、
1980年代や2010年代に比べますと、「25%」ほど高い数値が出ています↓
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/arakawakazuhisa/00258826/image-1631925907243.jpeg
1980〜2010年代と言いますと、
前出の恋愛結婚率を見た場合、そこまで大きな違いは現れていない期間です。
そう考えると、この25%のアップ&ダウンというのは、何の有意性を持たない数値なのでしょうか?

ちなみに、このリンク先の著者は「独身研究家」という事で、
「こんなのは誤差の範囲」「40年前の水準に戻っただけ」という論調ですけど(笑)、
今年、急速な円安により、円の実力が50年前の水準に戻った事が話題になりましたが、
「こんなのは誤差の範囲」「50年前の水準に戻っただけ」と、皆が見ているか?って話ですね。
恐らく、「日本の国際競争力が落ちた」と認識する人が、多数派かと思われます。
それと同じく、「昔から恋愛が苦手」というのは、その通りだとしても、
その一方で、「ここ10年で恋愛に奥手となった」という傾向は、確実に見受けられるかと?

> 最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
最近のトッドの著作は・・・あまり、まともに読んでないかなぁ?
それこそ、「第三次世界大戦はもう始まっている」も、
本屋の立ち読み(斜め読み)で済ましちゃいました。
年齢の所為かも知れませんけど、正直、最近のトッドが書く内容って、
フランス中心主義の主観的な感情論が多く、あまり得る所を感じないんですよね。
日本についての論評も、「相変わらずズレた事言ってるなぁ」って感じですし(苦笑)。

> ・乳児死亡率においてはアメリカはロシアよりも高く、
「アメリカの平均寿命は、非難しているキューバよりも低い」って、
昔から、よく揶揄されてましたからねえ(苦笑)。
アメリカの医療レベルは確かに世界一ですが、それがアメリカ国民に行き渡ってる訳ではありません。
日米で比べると、個人負担額も、公費負担額も、アメリカの方が上ですけども、
アメリカ人の大多数は、国民皆保険制度のある日本並みの医療を受けられないのが現実かと。
それなのに、「日本もアメリカの医療制度を取り入れろ」と要求してくる訳ですから・・・・

> ・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
> ・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
> など、のことが指摘されており、
> ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、

民主党が「資本家・インテリ層・黒人」の党へと路線転換したのは、
もう100年以上も前の事なので、今更と言えば今更の話ですし、
国内人口比における有色人種、特にラテン系の割合が増え続けている昨今、
時が経つほど、民主党有利&共和党不利になるのは、既定路線として語られており、
そうした流れへの悪あがきというか、最後のカウンター行動として、
極端だけど、団結させやすい、トランプのような論調が現れた部分はあるんですよね。

でもまあ、非白人層だって一枚岩で民主党支持って訳でも無いですし、
白人回帰路線を共和党が捨てられるなら、結局モノを言うのは経済なので、
その時々の景気次第で、民主党の黄金時代が到来するって訳でも無さそうですが。
(景気が悪くて失業者が増えた場合、貧困層の批判の声は、富裕層へと向かうでしょうし)

> 西側民主主義世界そのものが行き詰っているのだなと感じさせられました。
> 本書では、後半
> ・形式的な制度ではなく実態として、英米はリベラル寡頭制であり、むしろ露中の方が権威的民主主義である
> とまで断言していますし、
> これまでにもトッドは
> ・私はもう高齢なのでその答えを見ることはできないと思うが、ヨーロッパで民主主義は失われるのだろうか?
> など指摘しており、
> ああ、本当にそういう民主主義の存続すら危うい時代なんだな、と思わされました。

民主主義のメリットだけを見て、民主主義と見なすか?
民主主義のデメリットも含めて、民主主義と見なすか?
どちらの立場を取るかで、「民主主義の危機」への答えは変わってくるでしょうね。
衆愚政治と化したり、ポピュリズムに陥るのも、また民主主義の特徴の1つなので(苦笑)。

> ・初等教育の普及が平等の潜在意識を与え、高等教育の(不平等な)普及が不平等の潜在意識を産む
階級社会の風潮が、未だに色濃く残るイギリスの大学制度、
一握りのエリート校と、その他とが極端に分かれるフランスの大学制度、
学校間の実力差を無くし、良くも悪くも平等が貫かれるドイツの大学制度など、
同じヨーロッパであっても、各国ごとに大学制度は大きく異なりますからねえ。
ドイツを敵視し、フランスの視点でばかり語る、昨今のトッドの論調からすると、
そうした欧州内での違いさえ、あまり念頭に置かず、語っちゃってるんじゃないですか?
まあ、トッドが言わんとしていている所は、決して解らなくは無いですけども・・・・

> 「お金不足よりは時間不足だよな」と感じるくらいには我慢しているという感覚はない半面、
> もし日本経済がこれからも上向き続けると確信していたら、余っているお金で余計なもの(そこまで欲しいわけではないもの)を買って、
> バイト代は全部使いきっていただろうな、とは思います。
> ニコニコ大百科の掲示板かなんかに、「今の若者は金のかかる遊びを知らない」という指摘がありましたが、
> 管理人さん的にはどう思われます?
> 私としてはあまり実感わかないのですが。

「時間はあるけど、カネが無い」というのが、一昔前までの大学生像でしたけど、
ここ四半世紀で、仕送り額は3分の2に減り、逆に学費の方は増えている事を考えると、
「(遊ぶ為の)カネがない」だったモノが、「(通う為の)カネがない」になりつつあり、
実に半数の学生が、平均300万円くらいの借金を背負い、大学に行く時代になってますからねえ。

旧トルコ担当さん自身の生活環境は解りませんけど、こんな状況では、
「遊びにカネを使わない」と言うよりは、「遊びにカネを使えない」と言う方が適当かも?
まあ、そもそも日本って、一億総中流な戦後昭和の時代だけでなく、天下泰平の江戸時代の頃から、
世界的に見ても、「庶民の文化」というのが非常に充実した社会でしたし、
その反面、金持ちのパトロンが支える「大掛かりな文化」が、あまり育たなかった所があり、
「小金で楽しむ遊び」は豊富なものの、「大金で楽しむ遊び」が貧弱という素地が元々あるんですよ。

そういう意味では、例えばバブルの時代に、金額に見合う楽しみがあったか?は正直疑問ですが、
一方で、相応の出費で楽しむというのは、近年 減ってきてるかも知れませんね。
それこそアニメやゲームにしても、「安かろう悪かろう」な一昔前まで比べると、
タダだったり、少額な定額で楽しめる娯楽の質は、格段に上がったのは事実だと思うんです。
しかし反動として、娯楽の為に、それなりの金額を支払う機会が減り(ハードルが上がり)、
その分だけ、作品制作に投じられる金額が減ってしまう訳で、
そこそこの良作は増えても、心に残る傑作や奇作は産まれ難くなるという感じでしょうか?
また、大金を投じた超大作というモノは、却って近年の方が多いのですが、
そういう作品って必然的に、大多数にウケる内容に集約して、結局は良作止まりになりがちだと。

・・・と、何だか少し話は逸れてしまいましたが、
「金のかかる遊びを知らない」と言うよりかは、
「金をかける遊びが選択肢に入らない」と言う方が、何となく適当な気がしますね。
アニメで言うなら、見られるサブスク作品の中から、見たい作品を選ぶ感じ今と、
わざわざレンタル店まで足を運び、見たい作品を金を払って選んでた昔の違いであり、
カネを払い、自ら選んだからこそ、「意地でも楽しんでやろう」という気持ちで見るのと、
見ても見なくても金額的には同じだから、「時間の方が大事」と、
ツマらなそうなら、簡単に切る気持ちで見るのとでは、
同じ作品を見ても、やはり違いますよ!!
簡単に言えば、選択肢として頭に浮かばない以上、実感なんて湧かないはずです。

それに現状、「収集癖」とかがない限り、あまり散財する機会が乏しいというか、
湯水のようにカネを払うオタク向けのビジネス・モデルって、今は昔の話って感じも強く、
そもそも、カネをかける選択肢(商品やサービス)自体が、激減している面もありそう。
(強いて在っても、ソシャゲへの課金くらいでしょうか?)
要するに、選択肢として頭には浮かんでも、実際に選択肢として提供されてないって感じで、
そう考えると、需要と供給の両面から、「今の若者は金のかかる遊びを知らない」となるのかも。

> >  【Q.最も公正な分配基準は?】
> >    2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
> >    2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
> >    2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%
> > 日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
> > 機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
> > そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。

> 相変わらず同書は斜め読みしただけですが、
> 私の感覚だと、上記のデータは「まあ、そんなもんだろうな」という感じですね。
> それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。
言い方を換えれば、自分の見えない所で、知らない内に、
可哀想な敗者が居る分には気にならないと言うか・・・実は、どこまでも利己的な感じ。
日本レベルの話とは言え、個人主義の強まりというのも、ここ十数年でかなり進みましたし、
近年は「公」が叫ばれる割に、逆に「公」への意識はかなり薄まったというか、
公私の分別が乏しくなって、私を公と称するケースが非常に増えている印象さえあります。
従来の「集団主義の中の個人志向」と、現在の「個人主義の中の集団志向」の違いとでも言うのか・・・・

う〜ん、何と説明すれば、もっと伝わるのか、
そもそも「平等」には、「(見知らぬ者への)助け合い」というのが、
暗黙の内に含まれているモノだと、私なんかは思うんですけど、
どうも、ここで50%を超えている「平等」には、それが含まれてない印象を受けちゃうんですよね。
平等に扱って欲しい「自分」は念頭にあっても、平等に扱って欲しい「他人」は埒外と言うか、
この「平等」には、血肉が通ったリアリティーを感じないんですよ、個人的に。
王陽明の「知行合一」じゃないですけど、思いと行動に差は生じるのは仕方無いとしても、
本当に今の若者層に、そこまで「思い」があるなら、実際の「行動」があまりに少なすぎて、
だからこそ、私自身、この数字に対する引っかかりが生じているのかと?
(「良い子症候群」という呼び名に しっくり来ないのも、この辺りの感覚が原因なのでしょう)

恐らく、この引っかかりというか、違和感の正体というのは、
十数年前に、小泉政権が政治的な意図をもって、
日本社会に定着させた「自己責任論」が、大きく関わっていると思うんです。
私などは世代的に、自己責任論が唱えられる前の日本も、そう塗り替えられていく過程の日本も、
既に定着してしまった現在と同様、それらの日本社会の姿を、しっかり覚えているのですが、
定着後の日本しか知らない世代だと、この感覚はなかなか伝わらない気がするんです・・・・
それが当たり前すぎて、何が おかしいとか違うとかが、なかなか実感できないと思うので。

まあ私に言わせれば、「自己責任論かつ平等」なんてモノは有り得ないので、
「平等」を目指すのであれば、現在の「自己責任論」は改めるべき前提なのですが、
自己責任論が前提で育った世代には、それを覆そうとする考えが伴っていないというか、
共存し得ないモノを掲げているので、画餅に映るというか、本気度を感じないんでしょうね。
結果の平等って、他者の為に、自己の損失すら甘受を求められるシステムなのに、
結局の所、そこまでの覚悟を感じないと言うか、自分可愛さでは絶対に無理なモノですし、
もっと言うと、共産主義国が実在し、資本主義国も少なからず
社会主義的な政策を行った冷戦当時の肌感覚が、良くも悪くも無い為に、
「平等」のリアルなイメージが、なかなか現実的には浮かんで来ないのかも?
もしくは、「平等であって欲しい」という思いの先として、
能動的に「平等にしよう」ではなく、受動的に「平等にして」って感じなのかな。

> むしろ管理人さんにとっては、このデータが衝撃であったという点の方が衝撃というか、
> 半数が努力、4分の1が実績を元にした分配を良いものだと感じていた、2000年のデータもそうですけど、
> やはりこの20年って凄い変化があったんでしょうね。
> 2000年代って個人的にイメージ薄いんですけど、そんな時代だったんですね。

2000年代が そうだった・・・と言うよりは、90年代までは長らく そうで、
2000年あたりを境に、徐々に変化していく途上にあったのですが、
社会が変わり始めた時期だった事もあり、人々の意識まではまだ変わっていない、最後の頃だったかと?
日本が世界に存在感を示せていた、最後の頃だったと言っても良いかも知れません。

> > と、これ以上 続けると、教育方面の話題に脱線しそうなので、話を元に戻しますが(苦笑)、
> > 同書にもあった、現在は「見えざる壁(格差)」の時代だという意見は、私も同調しました。
> > 簡単に言えば、近代以前の階級社会では、まさしく格差が「見える壁」として存在し、
> > それを壊そうとして、能力主義が台頭してきた訳ですが、これだけ長く続くと、
> > 効力の良い能力の高め方というノウハウに加えて、
> > 教育面への新自由主義の侵食であったり、ネット普及が却って招いた情報格差であったり、
> > そうした諸々の要素が合わさって、一見しただけでは判らない「壁」が、確実に生じつつあると・・・・

> 見えない壁が増えている、というのは私も一定程度そうなんだろうなあ、と思っていますが、
> 個人的には、格差というか能力の差がインターネットによって見える化された、という部分も大きいと思うんですよね。

う〜ん、それは今回の話題で挙げている「格差」や「壁」とは、また別の話なんですけど、
とは言え、そうした「トップとの差」が、ネットによって身近化したのは、一面で事実ですね!!

それこそ一昔前までは、一般人でもトップの世界が覗けるのって、
例えばプロ野球であったりとか、本当に一部の分野に限定されていました。
逆に言えば、大部分のトップの世界って、縁遠くて見えないモノであったと。
それがネットの普及により、どんな分野であっても、様々な情報が見られるようになりましたし、
ネットを介する事で、非常に身近な存在として、人々の映るようになったと思うんです。

でも、これには一長一短があって、例えば将棋や囲碁の世界などは、
強い相手と戦わなければ強くなれない為、今までは地域間格差というモノが大きかったですが、
ネットが登場した事で、地方や外国であっても、強い相手と気軽に対戦できるようになり、
その上、強力なAIの出現によって、多くの子供がトントン拍子で強くなったりもしています。
一方で、全国とか世界でも一握りしか居ないような実力者が、あまりにも身近な存在となってしまい、
その人との実力差を比べる事で、悲観的な勘違いに陥るというか、安易に諦めやすくもなっていると。
「凄い人は凄い」とか、「凄い人も最初から凄かった訳じゃない」という、実に当たり前の事が、
当たり前だと解る前の精神年齢で触れてしまうと、簡単に絶望しちゃうんですよね・・・・
以前は、凄い人に触れる機会や、凄いという事を理解できる能力も、
当人がそれなりに凄くならなければ、なかなか得られないモノでしたし。

> 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・

デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
(この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)

ただ、この「楽しい」というのは、今後の社会における重要なカギだと思うんですよね!!
それこそ以前の雑談時、最後にチラッと書きました↓けども、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c23948
「楽しいの お裾分け」というのが、これからのキーワードであろうと、私自身は考えているので。

> あるいはこの掲示板でも、自分なりの教養みたいなものがある管理人さんは、同じ本を読んで色々考えられるのに対して、
> 私はまだまだ「ふーん」で終わってるよなあ、と感じさせられますし。
> とはいえ、こういうことはもっと本読んだり、自分で考えたり、ということを繰り返せば、
> 後々自分なりの見方とか考え方を手に入れられると思うので、
> あまり悲観してはいないのですが。

それこそ、前々回にも書いた、異なる視点への「引っ掛かり」次第ですよね。
この「引っ掛かり」を育てず、ただ漠然と読書量を増やしたとしても、
単に「情報」が増えるだけで、整理された「データ」や、体系立った「知識」にはならないと思うので。

また、「自分で考える」というのも、
「自分の中の別視点」を、いくつ作れるか?という所でもあるんですよね。
いくら自分なりに考えても、それが感情的な主観1つだけであれば、独善的な見方へと陥りますし。

> 私はあまり周囲を見ない・見ていない人間なので、こうした感覚がどの程度普遍的なのかは分かりませんが、
> 例えばYouTubeのゲーム配信なんかも、そうした勝者側が敗者におこぼれを与えているというか、
> ゲームを楽しむ才能も、時間も、金も、面白い遊び方も、一緒に遊ぶ友達も持っているYouTuberが、それらが無い敗者に対して、
> その様子を動画にすることで疑似体験をさせているという様にも見えるんですよね。
> 鈴原るるという今は引退したVTuberの生放送に「こんな可愛い子と一緒にゲームしたいな」というコメントがあったのですが、
> それを持っている側を見せつけられるのがインターネットの一つの性質だと思うんですよね。

「勝者」とか、「敗者」とか、「おこぼれ」などと言うと、また少し感じ方が変わりますが、
こういうのも、上述の「楽しいの お裾分け」だと見なしてますね、個人的には。

生活するのに大きな不自由は無いけど、特に何らかの満足感を得られる事も無く、
そうした状況下では、「楽しい」と感じられる事が、何よりの欲求となるものの、
飼い殺される社会システムの中だと、餌付け的に与えられる以上の楽しみは、自発的に得るのが難しく、
それが出来る人間が、自分の「楽しい」を、他人にも疑似体験として「お裾分け」する事が、
これからの時代に、かなりの価値を持つ・・・みたいな話ですね。

でもまあ、自分から「楽しい」を作ってる側にしても、
苦しんだり、辛かったりするかは別として、相応の苦労や努力はしているはずで、
その部分を感じ取らずに、安易に羨んだり、嫉妬したりするのは、ちょっと違うかな?という気も。
それこそプロの野球選手やサッカー選手だって、好きな事でメシを食えてるのは憧れますけど、
あれが、どれほど高いレベルで、どれほどの頑張りや競争の結晶であるかを解っているか否かで、
その見方だって大きく異なってくるでしょうし、小学生のように安直な思考には戻れないかな。
「スポーツ推薦で名門大学に入るのはズルい」なんて意見も、
スポーツでそのレベル目指すくらいなら、勉強で入る方が遥かに楽な事が解っていれば、
そう簡単には、そんな考えにも至らないとは思うんですよね(苦笑)。
大学への貢献度で言っても、スポーツ選手を上回る一般学生なんて、ほぼ皆無でしょうし。


[24026] Re3:「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/9/19 (月) 23:34:13 旧トルコ担当


すみません、返信が大変遅れました。
唐突に自身の考えを短くまとめられるようになったので、読みやすくはなっていると思います。

> > > 作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
> > > (昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)

> > 日本人が皆巨人ファンだった時代があったのは知っていましたが、

> 中日ファンの私が、一応指摘しておくと(笑)、
> さすがに、「日本人が皆」というのは大袈裟にしても、
> ライトなファンまで含めれば、「国民の半分」くらいは巨人ファンな時代がありましたね。
> (主婦層とかでも、巨人の中心選なら、、普通に何人も名前を挙げられるくらい)
>
> 十数年前までは、地上波で毎日のように巨人戦が放送されていて、高視聴率を取ってましたし、
> 特に男性の場合、コミュニケーション・ツールの一環として、
> 野球に関心が無い人でも、とりあえず巨人の情報は押さえておくという時代が長かったです。
> ニュース番組で未だに、巨人戦の試合結果が詳しく報じられるのは、その頃からの名残ですね。
>
> > 月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
> > 東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。

> 先日、小学生は「SMAP」の存在を知らなくて驚いたので(まあ、解散が6年前ですからね)、
> 「月9」に関しても、そんな感じかな?・・・と一瞬思ったのですが、
> でも旧トルコ担当さんの年齢を考えると、単に世間への関心が薄かっただけかも!?(笑)
> 確かに、5年くらい前は視聴率1ケタを連発していましたが、
> 10年くらい前までは普通に10%台後半を取ってましたし、今では2ケタを確保してるので。
>
> 一昔前の月9枠は、特に若い女性層向けで、
> 視聴率20%台(最終回は30%超)が当たり前だった当時は、
> 中高生だと恐らく、クラスの女子生徒の過半数は見ていた感じでしたが、
> でもまあ、逆に考えると、ちょうど旧トルコ担当さんが中高生だった頃、
> 月9枠は「暗黒期」を迎えていたので、クラス内でも話題になる機会が無かったのかも?
> (2018年を境に、従来の恋愛ドラマ路線から転換して、視聴率的には復調傾向)
>
> そういう意味では、旧トルコ担当さんの少し前くらいから、
> 「世間(クラス)共通の話題」という存在が、急速に失われた世代かも知れませんね。


これに関しては、私が世間(クラス)に関心が低かっただけという説が濃厚です。

> > > ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
> > > いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
> > > 情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
> > > 逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
> > > わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
> > > そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
> > > 早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。

> > 私の場合は、アニメや映画などを倍速視聴することは無いですが、ニコニコやYouTubeは基本2倍速視聴しています。
> > この手のパターンは割と多いのではないのでしょうか?

> でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
> アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
> まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
> だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。


ファスト化は情報収集の一環ではないですね。
ファスト化とか、タイパ意識っていうのは、俯瞰するとそういった言葉になるのですが、
それらの行為を個人の感覚としては「待てない」というだけだと思うんですよね。
この映画が、いつ面白くなるのか。面白いシーンまで待てないし、つまらないシーンは飛ばすし、
2時間の映画を飛ばし飛ばしで見てしまったとしても、サブスクなので他に映画はいくらでもあるというだけだと思います。

> > 何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。
> それは、そうでしょうね。
> 特にビジネスの場合、需要があってこその供給という面も強く、
> 「作品を当てたい」思いがあるならば、ニーズに合わせるのは常套手段なので。
> 例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
> 報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。


最近、カノッサの屈辱(テレビ番組)のテレビの歴史をYouTubeで見て、初めてニュースのワイドショー化という話を知りました。
私が生まれたころには既にああだったので、昔からそんなものだと思っていましたが、昔はもっとテレビも真面目だったんですね。

> > > > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > > > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> > > う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> > > 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> > > 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> > > ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> > > その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
> > > もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> > > 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?

> > 私は、そういった格差などの世知辛い現実を見ないようにしてきた人間なので、
> > 自信がないことが家庭環境の格差にあるのかは全く分かんないんですよね。
> > 昔の時代も知りませんし。

> まあ、これは旧トルコ担当さんの話を聞いた上での、私の仮説に過ぎませんけどね。
>
> それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
> 厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
> チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
> 目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
> 簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・
>
> 90年代から00年代前半に産まれ、不況下に育った「欲がない」若者層の事を、
> ネットやメディアでは、10年くらい前に「さとり世代」と呼んでいたのですが、
> この「悟り」の正体って、実は「諦観」なのだろうと、私などは見ているんです。
> だからこそ、学業にせよ、容姿にせよ、「こんなモノだろう」という所で妥協すると。
> で、そうした妥協点の高低基準が、分野ごとではなく、人ごとになっているから、
> 何でも持っている人と、何も持っていない人との差が、大きくなっているんじゃないですかねえ?


ああ、諦めというのはありそうですね。
それこそ、低い位置であっても"まあまあ"な娯楽がある分、努力してまで手に入れたいとか、思わなくなりがちですし。

> > > > ・若者の失恋離れ
> > > > これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> > > > ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> > > > が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> > > > 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> > > > かなり納得しました。

> > > まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
> > > 時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
> > > 世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。
> > > そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
> > > 日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
> > > ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> > > そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。

> > 個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
> > 未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、
> > 00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
> > 経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
> > 出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
> > 未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

> う〜ん、何だか話が脱線している気はしますけど、それは別に良いとして(笑)、
> この感じだと、経済と景気の違いが区別されていないと言うか、
> 経済の成長は社会のシステムを変容させ、それは出生率にも影響を及ぼすという、
> 大きな要素としては、「経済こそ主要因」と見なして良いと思うんです。


社会システムの変化まで「経済」として扱っていた、ということだったのですね。
わたし的には、社会システムの変化まで来ると経済ではなく「社会」のつもりだったので、景気論の話だと誤解していました。

> では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
> 「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
> https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
> 出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
> 出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
> その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?


私の意見も特別なものではなく、ごく普通の「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」という辺りだと思っています。
消えた第3次ベビーブームから既に約30年ですし、「なぜかられ彼女らが結婚を選択しなかったのか?」はインタビューなどできる内容ですので、
世間や学問の世界であまりに的外れな論が展開されていれば、当事者たちからそれは違うだろとなるはずであり、
よって今の世間一般の主流の考えが正解だと思っています。

> > > 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> > > 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> > > リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> > > 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> > > しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。

> > おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
> > 時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
> > 私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
> > 基本的には各種値が変化した時期と一致します。

> 「ソースが少女マンガなの!?」というツッコミはさておき(笑)、


ソースが少女マンガくらいしか無いんですよね。
管理人さんの話でいえば、オウム真理教をめぐる当時の雰囲気みたいな、
そういった空気感・価値観みたいなものが一番残らないものなので、
当時の結婚や恋愛をめぐる価値観を調べようとしても、なかなか信頼できる文献が無いんですよね。

> > 私が一緒にゲームしているおじさん曰く、
> さらりと書いてますが、どういう繋がりで知り合ったオジサンか気になる所(笑)。
> ・・・って、別にリアルではなく、オンライン上の話なのかな?
> ファミコン世代からすると、「一緒にゲーム」と言われた場合、
> イコールで「同じ空間を共有」と考えてしまうモノで・・・・


オンラインですね。
最近はDiscordでゲームしていますが、昔はスカイプ通話、もっと昔は掲示板だったそうです。

> > 最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
> 最近のトッドの著作は・・・あまり、まともに読んでないかなぁ?
> それこそ、「第三次世界大戦はもう始まっている」も、
> 本屋の立ち読み(斜め読み)で済ましちゃいました。
> 年齢の所為かも知れませんけど、正直、最近のトッドが書く内容って、
> フランス中心主義の主観的な感情論が多く、あまり得る所を感じないんですよね。
> 日本についての論評も、「相変わらずズレた事言ってるなぁ」って感じですし(苦笑)。


フランス中心主義というと、多文化主義の観点から、フランスの文化的同化政策を称賛してる件ですかね?
日本についてはまあ、「90年代に日本の結婚がキリスト教会で行われるようになったのは、日本の脱宗教化ではないか」
みたいなことを言っていて、ズレてますよね。(上記はゼクシイ等結婚雑誌の普及と、晩婚化に伴うカップルのお金持ち化が理由らしいです)

> > ・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
> > ・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
> > など、のことが指摘されており、
> > ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、

> 民主党が「資本家・インテリ層・黒人」の党へと路線転換したのは、
> もう100年以上も前の事なので、今更と言えば今更の話ですし、
> 国内人口比における有色人種、特にラテン系の割合が増え続けている昨今、
> 時が経つほど、民主党有利&共和党不利になるのは、既定路線として語られており、
> そうした流れへの悪あがきというか、最後のカウンター行動として、
> 極端だけど、団結させやすい、トランプのような論調が現れた部分はあるんですよね。


私が不勉強みたいですが、私のイメージではトランプ以前は民主党が貧困層より、共和党が富裕層寄りで、
トランプがそれを逆転させた、というイメージだったのですが、この辺も実態はもっと複雑なのでしょうか?

> > ・初等教育の普及が平等の潜在意識を与え、高等教育の(不平等な)普及が不平等の潜在意識を産む
> 階級社会の風潮が、未だに色濃く残るイギリスの大学制度、
> 一握りのエリート校と、その他とが極端に分かれるフランスの大学制度、
> 学校間の実力差を無くし、良くも悪くも平等が貫かれるドイツの大学制度など、
> 同じヨーロッパであっても、各国ごとに大学制度は大きく異なりますからねえ。
> ドイツを敵視し、フランスの視点でばかり語る、昨今のトッドの論調からすると、
> そうした欧州内での違いさえ、あまり念頭に置かず、語っちゃってるんじゃないですか?
> まあ、トッドが言わんとしていている所は、決して解らなくは無いですけども・・・・


これに関しては、全世界の、それも数世紀単位のマクロの話をしているので、
欧州の個々の教育事情をトッドが理解していない、というわけではないと思いますよ。
私が脱文脈化しているので、管理人さんに誤解させてしまったようです。

> > >  【Q.最も公正な分配基準は?】
> > >    2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
> > >    2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
> > >    2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%
> > > 日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
> > > 機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
> > > そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。

> > 相変わらず同書は斜め読みしただけですが、
> > 私の感覚だと、上記のデータは「まあ、そんなもんだろうな」という感じですね。
> > それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> > もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> > というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

> ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
> 「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
> 「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。
> 言い方を換えれば、自分の見えない所で、知らない内に、
> 可哀想な敗者が居る分には気にならないと言うか・・・実は、どこまでも利己的な感じ。
> 日本レベルの話とは言え、個人主義の強まりというのも、ここ十数年でかなり進みましたし、
> 近年は「公」が叫ばれる割に、逆に「公」への意識はかなり薄まったというか、
> 公私の分別が乏しくなって、私を公と称するケースが非常に増えている印象さえあります。
> 従来の「集団主義の中の個人志向」と、現在の「個人主義の中の集団志向」の違いとでも言うのか・・・・
>
> う〜ん、何と説明すれば、もっと伝わるのか、
> そもそも「平等」には、「(見知らぬ者への)助け合い」というのが、
> 暗黙の内に含まれているモノだと、私なんかは思うんですけど、
> どうも、ここで50%を超えている「平等」には、それが含まれてない印象を受けちゃうんですよね。
> 平等に扱って欲しい「自分」は念頭にあっても、平等に扱って欲しい「他人」は埒外と言うか、
> この「平等」には、血肉が通ったリアリティーを感じないんですよ、個人的に。
> 王陽明の「知行合一」じゃないですけど、思いと行動に差は生じるのは仕方無いとしても、
> 本当に今の若者層に、そこまで「思い」があるなら、実際の「行動」があまりに少なすぎて、
> だからこそ、私自身、この数字に対する引っかかりが生じているのかと?
> (「良い子症候群」という呼び名に しっくり来ないのも、この辺りの感覚が原因なのでしょう)


「可哀想な敗者を見るのが辛い」だけ、というのはまさしくそうだと思います。
私としては、割とそういう感覚が当たり前だと思っていたのですが、割と最近の個人主義的な感覚なんですかね。

> 恐らく、この引っかかりというか、違和感の正体というのは、
> 十数年前に、小泉政権が政治的な意図をもって、
> 日本社会に定着させた「自己責任論」が、大きく関わっていると思うんです。
> 私などは世代的に、自己責任論が唱えられる前の日本も、そう塗り替えられていく過程の日本も、
> 既に定着してしまった現在と同様、それらの日本社会の姿を、しっかり覚えているのですが、
> 定着後の日本しか知らない世代だと、この感覚はなかなか伝わらない気がするんです・・・・
> それが当たり前すぎて、何が おかしいとか違うとかが、なかなか実感できないと思うので。


政権が自己責任論を定着させるなど、そういうことって出来るのでしょうか?
多くの大衆はそもそも政治に関してあまり興味がありませんし、
そういった人々の価値観は言論というより、ライフスタイルや社会の雰囲気などで、ゆっくり変化していくものでしょうし。
まあ政策を決めるのは政治に興味のある層なので、政権が何か言えば、政治に興味のある人の間で論争がおこり、
自己責任論的な政治論調が強くなっていくというのはあるのかもしれませんが。

> もしくは、「平等であって欲しい」という思いの先として、
> 能動的に「平等にしよう」ではなく、受動的に「平等にして」って感じなのかな。


若者に関しては、まさしくその通りだと思います。
(とはいえ私も偏った人間なので、私の若者像もあまり信用できないですが)

> > 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> > 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> > 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> > そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> > 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

> いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
> より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・
>
> デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
> 探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
> 前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
> 一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
> 能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
> その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
> (この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)


これに関しては、私は完全に否定的ですね。
確かに、マニュアル依存というか、手っ取り早く、自分の頭で考えず、みたいな層が増えているというのも分かりますが、
例えば腐女子の人たちが日々得ている、推しカプのキスを見て脳内麻薬がドバドバ出るのって、快楽としてはかなり上位に位置すると思いますし、
それは手っ取り早く快楽を得られるから選ばれているだけではないと思うんですよね。
おそらく「推し」というのも、同様なのではないでしょうか?

私自身も、アニメのキャラで勝手に百合妄想とかしていると、その時の感覚は本当に人生で圧倒的に一番幸せを感じますし、
毎日のようにそういった感覚が続く腐女子の人たちは、本当に人生の質が違うんだろうな、と思います。

ちなみに、管理人さんのイメージしている「努力(費やした時間や労力)の差」による「アニメを楽しめるかどうか」って具体的にどういったイメージですか?


[24027] テレビ報道と政治・階級差と個人主義・発想力と学習量返信 削除
2022/9/21 (水) 21:04:51 徳翁導誉

> すみません、返信が大変遅れました。
> 唐突に自身の考えを短くまとめられるようになったので、読みやすくはなっていると思います。

いや、所詮は雑談なのですから、
書きたい時に書く感じでOKですよ(笑)。

> > > 月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
> > > 東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。

> > 先日、小学生は「SMAP」の存在を知らなくて驚いたので(まあ、解散が6年前ですからね)、
> > 「月9」に関しても、そんな感じかな?・・・と一瞬思ったのですが、
> > でも旧トルコ担当さんの年齢を考えると、単に世間への関心が薄かっただけかも!?(笑)

> これに関しては、私が世間(クラス)に関心が低かっただけという説が濃厚です。

まあ最近は、若者のテレビ離れとかも顕著ですし、
月9の存在を知らなくても、特に不都合とかは無いかと思われますが、
「平成の文化史」という観点から見れば、知っておくべき用語ではあるでしょうね。

そして、月9の代名詞的な俳優が、それこそSMAPの木村拓哉でした。
「あすなろ白書('93)」で人気を得て以降、
「ロングバケーション('96)」「ラブジェネレーション('97)」「HERO('01)」と、
視聴率30%超えのドラマを連発してました。

> > でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
> > アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
> > まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
> > だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。

> ファスト化は情報収集の一環ではないですね。
> ファスト化とか、タイパ意識っていうのは、俯瞰するとそういった言葉になるのですが、
> それらの行為を個人の感覚としては「待てない」というだけだと思うんですよね。
> この映画が、いつ面白くなるのか。面白いシーンまで待てないし、つまらないシーンは飛ばすし、
> 2時間の映画を飛ばし飛ばしで見てしまったとしても、サブスクなので他に映画はいくらでもあるというだけだと思います。

それって既に、サブスクの弊害にハマってる人の見方なのでは!?(笑)
本来なら、定額で多くの作品を見られるというメリットが、
多くの作品を見ないと損した気分になったり、損しないよう作品視聴をこなす事が目的化すると、
それはもう、作品数が多いというメリットが、デメリットに転じてしまってる気がするんです。

いや、でも別に、楽しみ方というのは、人それぞれに様々ありますし、
量をこなす事で得られる満足感というのも、決して解らなくは無いんですよ。
私だってルーチン・ワークをこなす際には、そうした部分に楽しみ方を見出したりしますので。
また、レスポンスの速い今の時代、2時間も受け身で見続けるのは、集中力が切れたり、苦痛な人も居るはずで、
映画館ならまだしも、自宅のモニターでリモコン操作が可能なら、ついつい飛ばすのが人情かも知れず、
倍速視聴で面白さが半分に落ちても、2時間見て結局ツマらなかった時よりは、マシという感覚であれば、
尚の事、倍速やスキップでの視聴の方が楽と意見があっても、そこまで驚きはありません。
ですけど、少なくとも私自身が映画やアニメを視聴するのは、そうした目的の為では無いですからねえ。
(これに関しては、アニメや映画は倍速視聴しない旧トルコ担当さんも、恐らく同様なのでは?)

倍速やスキップで視聴しても、大して面白さが減じなかったとしても、
逆説的に言えば、その程度の内容の作品を見て、本当に満足できるのか?という事でもあります。
仮に面白味に欠けるシーンでも、それは何らかの布石や演出である事が多く、
そこを飛ばしてしまっては、見せ場での醍醐味を、大きく欠く事にも繋がりかねませんし、
もしも本当に、無意味なシーンの連続であるなら、そんなのは別に見る必要のない駄作です(笑)。
読書とかも そうですけど、斜め読みで充分な本って、所詮はその程度の内容ですからねえ。
(その反対に、歯応えある数学や物理の本だと、1時間で数ページしか読み進められない事も・笑)
激安商品を買うよりも お得なのは、欲しくない商品は無駄に買わない事でしょうし、
本当に時間が貴重であるなら、早送りしてまで見るのでは無く、その程度の作品は見ないに限るかと?

> > > 何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。
> > それは、そうでしょうね。
> > 特にビジネスの場合、需要があってこその供給という面も強く、
> > 「作品を当てたい」思いがあるならば、ニーズに合わせるのは常套手段なので。
> > 例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
> > 報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。

> 最近、カノッサの屈辱(テレビ番組)のテレビの歴史をYouTubeで見て、初めてニュースのワイドショー化という話を知りました。

カノッサの屈辱かぁ・・・懐かしいですね(笑)。
バブル当時のテレビ局って、本当に制作費が有り余っていて、
「JOCX-TV2」という、当時のフジテレビの深夜枠では、
いろいろと実験的・挑戦的な番組が作られていて、本当に面白かったですよ。
このサイトでオンライン対戦化した「征服王」↓も、そうした番組の1つでしたし、
http://kakolog01.g1.xrea.com/conqueror/ichiran.html
麻雀アニメ「スーパーヅガン('92)」は、深夜アニメの走りみたいな所がありました。

・・・って、話が脱線してしまったので、元に戻しますと(笑)、
「ニュース番組のワイドショー化」との事ですが、
恐らく、旧トルコ担当さんが抱いているイメージも、ちょっと違うかなぁ?って感じですね。
カノッサの屈辱の放送当時('90)の事を考えると、たぶん番組内で触れられていたのは、
「久米宏とニュースステーションの登場('85)」に関してだと思うのですが、
確かにニュースステーションが、夜のニュース番組に革命をもたらしたのは事実です。

それまでは、それこそ中年サラリーマンが視聴する、お堅いNHKニュースしか無かった所に、
今風に言えば「池上解説」みたいな感じで、フリップや模型やCGなどを用いて、
若者層や女性層にも「解りやすいニュース番組」を作ったのは、本当に画期的な事でした。
その一方で、久米宏が個人的な意見を述べたり、BGMやテロップを用いた演出を行うなど、
そうした部分が「ワイドショー的だ!」として批判されたのも、また事実です。
とは言え、現在の「ワイドショー的なニュース」とは、かなり次元が異なっていたかと?
それこそ、お堅いNHKニュースしか比較対称が無かった時代の事ですし、
後継番組である「報道ステーション」なんて、今や民放ニュースの代名詞的な存在ですからね。

ちなみに、その当時のワイドショーというのは、
それこそ週刊誌をテレビ番組化したような、芸能ゴシップだらけ放送内容であり、
暇を持て余す主婦層や高齢層に向け、今の感覚だと目を背けたくなるようなゲスい事を報じてました(笑)。
例えば、「宮崎勤事件('89)」なんかも、まさしく当時は格好のターゲットだった訳ですね。
でも一方で、平成(90年代)に入った辺りから、統一教会やオウム真理教の騒動など、
芸能ゴシップだけでなく、社会問題に触れるケースも、徐々に増えていった感じかな?
と言いますか、新興宗教の広告塔として、芸能人とかが巻き込まれていくので、
(統一教会の騒動で言えば、桜田淳子と山崎浩子などの合同結婚式への参加など)
その辺が上手くリンクしていった側面もあったかも知れません。
また、「芸能人でもプライバシーは尊重すべき」という意識の高まりや、
バッシングを避けようと、芸能人自体の火遊びも大人しくなっていった事で、
バッシングの対象が、事件・不祥事・失態などを犯した個人に対する、
メディア・リンチに移っていった時代でもあったかも。

その後、2000年前後くらいから、ワイドショーでの芸能ゴシップの報道割合が減り、
オウム報道での失態により、TBSがワイドショーから撤退した事も相俟って、
社会問題から芸能情報まで幅広い題材を扱う「情報番組」へと、ワイドショーはその姿を変えていき、
テレビ局の予算削減に伴う、生放送番組の増加により、情報番組の放送枠は拡大の一途を辿りました。
解りやすく言えば、ここ十数年くらいの間に、
ニュース番組とワイドショーの中間に位置する「情報番組」が急速に増えた事で、
報道番組と情報番組の違いを意識しないと、「ニュースのワイドショー化」した印象を受けたかと?
物凄く解りやすい言い方をすれば、「ワイドショーもニュースを扱う」ようになった為、
そうした番組では、当然ながら「ニュースがワイドショー化」する訳であり、
特に政治(政局)ニュースに関して言うと、その端緒となったのは、「2001年の自民党総裁選」でした。

それこそ、それまでの総裁選というのは、従来のニュース番組しか扱いませんでしたし、
立候補した政治家たちも、当たり前のようにニュース番組にしか出ませんでした。
言ってしまうと、いくらニュースステーションが間口を広げたとは言っても、
やはり政治ニュースに関心を持つのは、未だに中年サラリーマン層が主であり、
そして、当時の政治力学では「橋本龍太郎の返り咲き」が既定路線と見られてたんです。
しかし、今までは自民党内の変わり者に過ぎ無かった小泉純一郎が、
国民(特に主婦層や高齢層)に人気の高かった田中真紀子とタッグを組み、
街頭演説やテレビ出演を繰り返して、総裁選の投票権のない一般市民の支持を集めていき、
「小泉を総理に!」という世論を、急速に盛り上げていったんですよ。
そこからですよね、ワイドショーも政治ニュースを扱い、政治家もワイドショーに出るようになったのは。
小泉&真紀子コンビは、それこそワイドショー視聴者層にぴったりハマりましたし、
彼らだって選挙で同じく1票を持ってますが、それまでは未開拓な票田だったとも言えます。

そういう意味では、政治家の側だって「ニュースのワイドショー化」を促した訳で、
そして何より、ワイドショー視聴者がニュースを見るようになったからこそ、
「ニュースがワイドショー化した」とも言えるんですよね。
基本的にテレビ番組というのは、視聴者のニーズに応えるべく、放送内容が変わるのですから。
しかも現在は、バラエティー番組までもが、政治ニュースを扱うようになり、
ニュースに触れる機会が増えたという点では、昔より増えた状況ですけど、
ニュースを扱う番組の質に関して言うと、昔より落ちたのは紛れもない事実でしょうね。

これはどんな分野でもそうですが、一部のコア層しか関心を持たなかったモノが、
ライト層にまでニーズを広げていくと、影響力は強まる反面、どうしたって質は落ちていくんです。
つまり、安易に「マスゴミ!」と叫ぶ視聴者こそが、ニュースの質を落としてる張本人であると(苦笑)。
また、ニュース番組は「権力の監視者」意識が強い事もあり、
どんな大物政治家が出演しても、相手の嫌がる厳しい質問をブツけたりしますが、
テレビ局内でのヒエラルキーが低い、ワイドショーやバラエティー番組だと、
大物政治家が出てくれるだけで、かなりの持ち上げようになりますし、
政治家本人は勿論、その支持者たちも、ニュース番組に出るより気持ち良い空間でしょうね。
逆に言えば、だからこそ、「それに比べて、ニュース番組はけしからん!」となりがちな気がします。

> 私が生まれたころには既にああだったので、昔からそんなものだと思っていましたが、
> 昔はもっとテレビも真面目だったんですね。

もう少し正確に言うと、「住み分けられてた」って感じですかね?
新聞で言えば、一般紙(高級紙)と夕刊紙(大衆紙)の読者が、住み分けられてたように、
ニュース番組は、今よりも お堅かった反面、
バラエティー番組やワイドショー番組は、今より遥かに下品だったので(笑)。
そういう意味では、現在のテレビ番組って、
バラエティー番組やワイドショー番組は上品になった一方で、当然ツマらなくなり、
ニュースの扱いに関しては、報道番組はまだしも、情報番組は行き過ぎた部分が目に付くと。

時代的に言うと、2000年を過ぎた辺りから、徐々にそうした傾向が強まっていき、
今から10年ほど前、大震災が落ち着いてきた辺りから、完全にそうなった感じかな?
なので、今のようになったのは、精々「ここ10年くらい」の話ですね。
そして、それは丁度、安倍政権の返り咲きとピタリと合うのですが、
これは別に、安倍政権が世間をそうした風潮にしたというよりは、
世間の風潮がそうなったから、安倍政権が長続きした面の方が強いかも知れません。
(もちろん、両者が相乗効果となって、そうした傾向を促進させた部分も否めませんけど)

> > それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
> > 厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
> > チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
> > 目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
> > 簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・

> ああ、諦めというのはありそうですね。
> それこそ、低い位置であっても"まあまあ"な娯楽がある分、努力してまで手に入れたいとか、思わなくなりがちですし。

あと言うと、「努力して得られるモノ」の質というのが、明らかに下がった部分もあります。
言うなれば、最低点は上がったけど、最高点は下がったとでも言えば良いのか、
そうした両面を含めての「挑戦や努力のコスパが悪い時代」って意味ですね。

例えば、解りやすい例でゲームの話をすると、
一昔前に比べれば、無料で遊べるゲームの質って、物凄く上がったと思うんですよ。
ですが一方で、実際に6000円とか8000円とかカネを払って買うゲームの質は、
遊んでて味わえるワクワク感などは、昔の方が遥かに大きかった気がするんです。
(グラフィック面などは格段に向上していますけど、そこが楽しさの本質では無いので)
そうなれば、「無料ゲームで充分」となる気持ちも理解できますが、
かと言って、昔の若者ほどゲーム自体を楽しめて(興奮・熱狂できて)いるか?となると・・・・

> > > > ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> > > > そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。

> > > 個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
> > > 未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、
> > > 00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
> > > 経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
> > > 出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
> > > 未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

> > う〜ん、何だか話が脱線している気はしますけど、それは別に良いとして(笑)、
> > この感じだと、経済と景気の違いが区別されていないと言うか、
> > 経済の成長は社会のシステムを変容させ、それは出生率にも影響を及ぼすという、
> > 大きな要素としては、「経済こそ主要因」と見なして良いと思うんです。

> 社会システムの変化まで「経済」として扱っていた、ということだったのですね。
> わたし的には、社会システムの変化まで来ると経済ではなく「社会」のつもりだったので、景気論の話だと誤解していました。

う〜ん、と言うよりかは、
「経済が変わるから、社会も変わる」と言った方が、もっと正確ですかね。
それこそ、未婚率や特殊出生率の値が変化するのは、
経済システムの変換が、社会システムの変換をもたらすからです。

で、ここが旧トルコ担当さん的には、解り難かった点かも知れませんけど、
数年単位で変動する景気レベルの要素と、世代単位で変動する経済レベルの要素とがあり、
その時々での「結果」としては、両要素を足し算して、述べているのですが、
「要因」として語る際には、これら2つの要素を切り分けて、述べている感じですね。
ちょっと難しいですが、そうしないと、物事の本質というのは なかなか掴めないモノなので。

解りやすい例・・・かは解りませんけど、要するに「波の重ね合わせ」みたいな話です。
合成波の性質を知りたければ、個々の成分波の特徴を把握する事が重要ですし、
合成波の数値を知りたければ、個々の成分波を足し合わす必要が出てきます。
こうする事で、一見すると複雑な現象も、予測や解明が行えるようになる訳ですね!
昨今のAIブームなんかも、人力ではなくコンピューターに、こうした作業をやらせてる感じです。

> > では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
> > 「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
> > https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
> > 出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
> > 出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
> > その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?

> 私の意見も特別なものではなく、ごく普通の「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」という辺りだと思っています。
> 消えた第3次ベビーブームから既に約30年ですし、「なぜかられ彼女らが結婚を選択しなかったのか?」はインタビューなどできる内容ですので、
> 世間や学問の世界であまりに的外れな論が展開されていれば、当事者たちからそれは違うだろとなるはずであり、
> よって今の世間一般の主流の考えが正解だと思っています。

ですから、バブル崩壊に伴う平成不況により生じた「就職氷河期」が、団塊ジュニア世代を直撃し、
安定した職を得らず、結婚や出産に踏み切れなかった人たちを大量に生み出した事こそが、
その「世間一般の主流の考え」であり、それを「正解」だと旧トルコ担当さんが思われるのなら、
旧トルコ担当さんの「必ずしも経済は主要因ではない」という意見とは、明らかに矛盾してませんか!?

また、「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」との見解も、
団塊ジュニア世代は絶対的に人数が多いのですから、
結婚や出産が、なだらかに減少し続けただけであれば、低くなっても山は生じるはずで、
現実的に そうでない以上、団塊ジュニア世代の時だけ出産率が下がった理由を示す必要があります。
と言いますか、団塊ジュニア世代が出産適齢期を迎えた頃に、
特殊出産率が底を打ち、そこからジワジワ回復傾向にあるのは、数値を見ても明らかな訳で、
その点に関する説明というか、認識が、完全に欠けていたのでは?

もっと厳しい言い方をすると、旧トルコ担当さんが、どのような意見や見解を持たれても自由ですが、
それを「ごく普通の」と述べるのであれば、他の人の意見をキチンと知った上で述べるべきですし、
それをせぬまま、自らの見解を「世間一般の主流の考え」と捉えて、「正解」と見なした印象を正直受けます。
結局の所、これは後述の「個人主義」や「自己責任論」の話とも、少し被って来ますけど、
「自分は正しい」という所から、物事の理解をスタートする、昨今の悪しき風潮に、
旧トルコ担当さん自身も、ドップリとハマってしまってはいませんか?

> > > おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
> > > 時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
> > > 私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
> > > 基本的には各種値が変化した時期と一致します。

> > 「ソースが少女マンガなの!?」というツッコミはさておき(笑)、

> ソースが少女マンガくらいしか無いんですよね。
> 管理人さんの話でいえば、オウム真理教をめぐる当時の雰囲気みたいな、
> そういった空気感・価値観みたいなものが一番残らないものなので、
> 当時の結婚や恋愛をめぐる価値観を調べようとしても、なかなか信頼できる文献が無いんですよね。

いやいや、結婚や恋愛というのは、人類にとって大きな関心事ですし、
調べれば文献なんて、幾らでも出てくるモノじゃないですか!?
前回、「近年の若者層の特徴」としても語ったように、
それこそ、手っ取り早いマニュアル本を探すような感覚に陥ってません?
> > 見合い結婚と恋愛結婚の「比率」の変化は、こんな感じ↓
> > https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-10.gif
> > 見合い結婚と恋愛結婚の「総数」の変化は、こんな感じ↓
> > https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-11.gif

前回示した2つのグラフ↑からだって、それなりに読み取れる内容はあるでしょうし、
上記の「第3次ベビーブーム」の件でも そうでしたが、「先に結論ありき」なってませんか?

> > > 最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
> > 最近のトッドの著作は・・・あまり、まともに読んでないかなぁ?
> > それこそ、「第三次世界大戦はもう始まっている」も、
> > 本屋の立ち読み(斜め読み)で済ましちゃいました。
> > 年齢の所為かも知れませんけど、正直、最近のトッドが書く内容って、
> > フランス中心主義の主観的な感情論が多く、あまり得る所を感じないんですよね。
> > 日本についての論評も、「相変わらずズレた事言ってるなぁ」って感じですし(苦笑)。

> フランス中心主義というと、多文化主義の観点から、フランスの文化的同化政策を称賛してる件ですかね?

と言うよりかは、フランス人、特にパリ住民に多い傾向として、
フランス革命(民主主義)の中心地であるという、強烈な自負というか、
「フランス版の中華思想」みたいなモノが、彼らには根底に強くあるんですよ。
そうしたフランス人の国民性が、トッドにも変わらずあると言いますか、
トッドの加齢と、EU内におけるドイツの伸張(フランスの存在感低下)が相俟って、
近年の主張には、そうした鼻持ちならない部分が、隠されなくなってきた印象ですね。

> 日本についてはまあ、「90年代に日本の結婚がキリスト教会で行われるようになったのは、日本の脱宗教化ではないか」
> みたいなことを言っていて、ズレてますよね。(上記はゼクシイ等結婚雑誌の普及と、晩婚化に伴うカップルのお金持ち化が理由らしいです)

それこそ、日本を始めとした東アジアの世界では、
トッドが言うように「直系家族」志向が、今のヨーロッパよりも残っているのは事実です。
ですが、それをあまりに過大評価したり、アジアを理解しないまま紋切り型で捉えているのは、
やはり「解っていないなぁ」というのが、正直な私の評価ですね。

結局、東洋人が西洋人を理解している程には、西洋人は東洋人を理解できてないんですよ。
これは近代史において、支配する側と支配される側であった、立場の違いが大きいかと思われます。
例えば、日本の少子化問題を解消する為の提言でも、
「日本は直系家族社会だから、天皇が移民受け入れと出生率上昇を国民に訴えれば良い」なんて、
まともに日本の事を理解していれば、まず出てこない内容ですからね(笑)。

> > > ・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
> > > ・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
> > > など、のことが指摘されており、
> > > ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、

> > 民主党が「資本家・インテリ層・黒人」の党へと路線転換したのは、
> > もう100年以上も前の事なので、今更と言えば今更の話ですし、
> > 国内人口比における有色人種、特にラテン系の割合が増え続けている昨今、
> > 時が経つほど、民主党有利&共和党不利になるのは、既定路線として語られており、
> > そうした流れへの悪あがきというか、最後のカウンター行動として、
> > 極端だけど、団結させやすい、トランプのような論調が現れた部分はあるんですよね。

> 私が不勉強みたいですが、私のイメージではトランプ以前は民主党が貧困層より、共和党が富裕層寄りで、
> トランプがそれを逆転させた、というイメージだったのですが、この辺も実態はもっと複雑なのでしょうか?

複雑と言えば、複雑なのかな?
でもまあ、物凄く簡単に言ってしまうと、
民主党は「理想主義」であり、共和党は「実益主義」であると考え、
社会階層を「上・中・下(更に各階層内での上・中・下)」の9段階に分ければ、理解しやすいです。

例えば、民主党が唱えるように「貧困層を救え!」となった場合、
それに賛同する層って、本当に困っている貧困層も そうなのですが、
あとは、全く困っていない富裕層であったり、信念で動きたいインテリ層や学生層などです。
言うなれば、これを支持するのって、理想論で救って欲しい「下の下」であり、
理想論で優越感を得たい、経済的や知識的に「上の上」の人たちであると言った所でしょうか。

その一方で、実益的な共和党の支持者層というのは、
生活は苦しくても、物乞いまでは落ちたく無いというプライドのある「下の上」な人々や、
経済的に成功していても、もっと稼いで成り上がりたい「上の下」な財界人であったり、
学生時代は理想に燃えてたけど、今では実益第一に転じたビジネスマンなどだったりします。

そして、大多数を占める中間層というのは、
自分たちの生活に余裕がある時は、「困っている人が居るなら助けよう」と理想に傾く一方、
自分たちの生活に余裕が無くなると、「とにかく私たちを何とかしてくれ!」と実益に傾く感じ。
要するに、図で表すなら、こんなイメージになるのかな↓

  貧困層    <<<  中間層  >>>    富裕層
   民主党  共和党   無党派   共和党  民主党

で、人々が右傾化する、いわゆる「トランプ現象」というのは、
社会が2極化して、中間層が薄くなるに従い、
「下の上」「中の下」な貧困層予備軍や、「上の下」「中の上」な富裕層予備軍が増加し、
とは言え、彼らは昨今の社会的変化によって流入した新たな層なので、
従来の伝統的な共和党支持層とも、性格が少し異なり、
そこをで上手く拾い上げたのが、トランプであったという事なんですよね。
もともと低所得であり、今でもそうな人々には、彼らなりの伝統的なプライドがある訳ですが、
中所得から低所得に落ちた人々は、「これ以上は落ちたくない」「また元に戻りたい」という思いが強く、
過激なパフォーマンスに、ホイホイと乗ってしまいがちな傾向が見て取れるので。
特にアメリカ社会の場合、社会階層が人種ともリンクしてますから、
「白人貧困層(下の上)は、黒人貧困層(下の下)と同レベルになるのが嫌」みたいな意識もあります。

ちなみに、人々が左傾化する、いわゆる「サンダース現象」みたいな方は、
社会の2極化に伴い、今までは「中の下」や「下の上」に居た人たちが、
「下の下」や「下の中」まで落ちてきたので、起こっている現象ではありますね。
しかし現状では、その数は上記の「新たな貧困層予備軍」に比べると、まだまだ少ない状況で、
だからこそ、動きとしては目立っていても、そこまで大きな成果は招いていない現状です。
とは言え、社会の2極化が更に進み、貧困層の割合も今以上に増していけば、
人々は右傾化から極左化へと転じるか? はたまた、極右化へと突っ走るか? そのどちらかに至るかと?
実際、100年前の「共産革命」であり、「ファシズム」というのは、そうした歴史の流れで生じましたからね。
こうした人々の心の動きは、何もアメリカだけの話では無く、世界的にも不偏な傾向ではあるかと思われます。

> > > それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> > > もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> > > というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

> > ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
> > 「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
> > 「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。

> 「可哀想な敗者を見るのが辛い」だけ、というのはまさしくそうだと思います。
> 私としては、割とそういう感覚が当たり前だと思っていたのですが、割と最近の個人主義的な感覚なんですかね。

う〜ん、私としては、そう感じてますね。
ここ10年20年で、良くも悪くも、日本のムラ社会的な価値観は薄れてきましたが、
(ムラ社会は戦前まで続き、戦後は会社がムラの代替として機能するも、バブル崩壊に伴い瓦解)
「自助・互助・共助・公助」とある中で、互助を担ってきた「ムラ」構造が消滅した事で、
「自助」の占める割合が、物凄く高くなった実感はありますね。

今の日本社会には、キリスト教やイスラム教の社会が担う「共助」の部分が欠けていますし、
(と言うか、明治維新により、多少なりとも寺社が担っていた部分が失われた側面も)
北欧諸国のように、高福祉&高負担な「公助」の国でも無いですから、その部分も弱い。
だから結局、自助への負担が大きくなり、それでは支えきれない為に、
「集団主義の希薄化」に伴う、「個人主義の弊害」として映るのだと思います。
要するに、昨今の日本では個人主義が強まったというのは、一面では事実なのですが、
それ以上に大きいのは、集団主義が薄まった事で、個人主義の割合が相対的に高まった方が大きいかな?
でもまあ、相対的にせよ、絶対的にせよ、「個人主義的になった」のは事実でしょうね。

で、「日本は集団主義、欧米は個人主義」だと言うと、
昨今では、「それはステレオ・タイプなイメージ過ぎる」と言われますが、
でも結局、大前提として集団主義があるからこそ、その中においての個人主義的な心理が働き、
大前提として個人主義があるからこそ、その中においての集団主義的な心理が働くモノだと思うんです。
そして、欧米や中東は個人主義が大前提だからこそ、その安全装置としての「教会」の機能であったり、
個人主義でも社会として機能させる為の「教義」があり、なので「宗教は絶対的な存在」なのですが、
日本の場合、集団主義な「ムラ社会」が、教会や教義の面を担っていたからこそ、
いわゆる「無宗教」でも上手く回ってきたと。
(逆説的に言えば、だから海外で「自分は無宗教だ」と言うと、危険視される訳です)

もっと言うと、伝統的な「互助」のシステムというのは、別に日本だけに限らず、
それぞれ形式は異なっても、東アジアでは結構普通に見られた社会構造なんですよね。
例えば中国なども、幇や朋といった横の繋がりが、安全装置として機能していた訳ですが、
近代化の波により、西洋的な価値観が広がる事で、従来の互助的な仕組みが壊れる一方、
西洋社会のように宗教による共助の仕組みが無く、共産主義による公助も失われつつある。
その為、現在の中国では、世界的な新自由主義経済の潮流とも相俟って、
「個人主義の台頭」が非常に悪目立ちしている訳ですが、
これも別に、中国人の中で急速に、個人主義的な意識が高まったと言うよりは、
それ以外の部分が急速に薄まった事で、消去法的に残された個人主義が、目立つだけな気がするんです。

そう考えると、日本も含め、今後の東アジア社会というのは、何かと苦労するかも知れません。
ムラ社会の互助であれ、教会による共助であれ、掟や教義などによって、
理屈や感情ではなく、当然の感覚として「手を差し伸べる」という自動ルーチンが失われると、
強い思想・信念から「手を差し伸べるべき」とでも、ならない限りは、
「可哀想」と思った時に、「だから助ける」と「だから遠ざける」の差が薄くなりがちなんですよね。
もちろん、助けないよりは助けた方が、当人的にも満足感が違うのですが、
その為に要するコストまで考えた場合、結局、自分が心理的に楽になりたいだけなら、
大きなコストを掛けてませ助けるなら、小さなコストで遠ざける方が、メリットになる場合も多いので。
逆に言うと、掟や教義という「縛り」が存在する場合、助けない事によるデメリットが生じるようになると。

> > 恐らく、この引っかかりというか、違和感の正体というのは、
> > 十数年前に、小泉政権が政治的な意図をもって、
> > 日本社会に定着させた「自己責任論」が、大きく関わっていると思うんです。
> > 私などは世代的に、自己責任論が唱えられる前の日本も、そう塗り替えられていく過程の日本も、
> > 既に定着してしまった現在と同様、それらの日本社会の姿を、しっかり覚えているのですが、
> > 定着後の日本しか知らない世代だと、この感覚はなかなか伝わらない気がするんです・・・・
> > それが当たり前すぎて、何が おかしいとか違うとかが、なかなか実感できないと思うので。

> 政権が自己責任論を定着させるなど、そういうことって出来るのでしょうか?
> 多くの大衆はそもそも政治に関してあまり興味がありませんし、
> そういった人々の価値観は言論というより、ライフスタイルや社会の雰囲気などで、ゆっくり変化していくものでしょうし。
> まあ政策を決めるのは政治に興味のある層なので、政権が何か言えば、政治に興味のある人の間で論争がおこり、
> 自己責任論的な政治論調が強くなっていくというのはあるのかもしれませんが。

「郵政選挙」が2005年ですから、17年前の事となると、解らなくても当然かも知れませんね。
ところで旧トルコ担当さんは、「B層」という用語は御存知でしょうか?


これは小泉自民党が、選挙での宣伝戦略として、広告代理店の力を借りた際、
「構造改革に肯定的か?否定的か?」「IQが高いか?低いか?」を2つの軸として、
有権者のタイプをA層からD層までの4つに分けたんです。
そして、構造改革に肯定的だが、IQの低いと見なした、主婦層・若者層・高齢層を、
「具体的な事はよく解らないが、小泉純一郎のキャラクターを支持する層」としてB層と名付け、
ここをマーケティング戦略のメイン・ターゲット層として、
「リテラシー」なんて言葉が普及していなかった当時、時には工作紛いの事まで行いながら、
ワイドショーやネットを積極的に活用して、国政選挙に、かつてない熱狂を生み出したんですよね!!

今までは、選挙や政治に無関心だった主婦層や若者層は、まさしく新規の大票田であり、
前任の森政権では支持率1ケタを記録し、再度の下野は時間の問題と見られていた自民党は、
小泉総理のもと、この郵政選挙によって歴史的な大勝を収める事となります。
こうした、解散から選挙に至る一連の流れは、「小泉劇場」と呼ばれ、
郵政民営化に反対した自民党議員を追放すると共に、対抗馬となる「刺客候補」を立てると、
この内ゲバ劇に国民は熱狂し、野党の存在感は完全に埋没する事となりました。
ちなみに、この時に刺客候補として立てられ、一躍有名となったのが、
小池百合子・ホリエモン・片山さつき・佐藤ゆかり・高市早苗・稲田朋美といった面々でした。
(女性刺客が注目を集めた為、当時のヒット映画と掛けて、「くノ一(女忍者)」候補との呼び方も)
ある意味、「政治のワイドショー化」は、ここから本格化したと言っても良いのかな?
政治がワイドショー化したのですから、ニュースがワイドショー化するのも、必然だったかと(苦笑)。

ちなみに、「自己責任論」に関しても少し述べておくと、その端緒となったのは、
郵政選挙に先立つ事 1年前、イラクで日本人3人が人質として誘拐された事件の発生でした。
この一件が、小泉政権の強行した「イラクへの自衛隊派遣」にまで飛び火する事を恐れた為、
「イラクへ渡航した彼らが悪い(=政府に責任はない)」とする「自己責任論」を展開し、
メディア世論に批判的だったネット世論を巻き込む形で、自己責任論が拡大していったんですよね。
しかも当時は、小泉政権による「小さな政府&企業の規制緩和」の政策方針から、
民間でも、「コンプラ重視」という名の「責任回避(下への責任押し付け)」が始まった頃ですし、
まあ正直な所、危険なイラクまで出向きボランティア活動をするのは、意識の高い左系な人たちであり、
被害者家族の政府批判も相俟って、右傾化しつつあったネット世論は、政府擁護&人質非難の論調でした。
と言いますか、自民党のIPアドレスから、政府擁護&人質非難の書き込みが、大量投稿されてた記憶が・・・・
ネット活動(工作?)という点では先進的だった一方、まだまだ稚拙でもあった時代です(苦笑)。

> > > 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> > > 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> > > 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> > > そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> > > 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

> > いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
> > より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・
> > デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
> > 探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
> > 前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
> > 一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
> > 能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
> > その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
> > (この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)

> これに関しては、私は完全に否定的ですね。
> 確かに、マニュアル依存というか、手っ取り早く、自分の頭で考えず、みたいな層が増えているというのも分かりますが、
> 例えば腐女子の人たちが日々得ている、推しカプのキスを見て脳内麻薬がドバドバ出るのって、快楽としてはかなり上位に位置すると思いますし、
> それは手っ取り早く快楽を得られるから選ばれているだけではないと思うんですよね。
> おそらく「推し」というのも、同様なのではないでしょうか?
> 私自身も、アニメのキャラで勝手に百合妄想とかしていると、その時の感覚は本当に人生で圧倒的に一番幸せを感じますし、
> 毎日のようにそういった感覚が続く腐女子の人たちは、本当に人生の質が違うんだろうな、と思います。

いや、ですから、そうした妄想力が豊かな腐女子の人たちというのも、
天賦の才なんて形で、何も努力せず、最初から豊かな妄想力を得ている訳では無く、
莫大な情熱を傾け、相応の時間なり労力を費やしたからこそ、それだけの妄想力を得ているのでは?
何事でも そうだと思いますけど、手っ取り早く、インスタントに、才能なんて開花しませんよ!!

最近、私は脳科学にハマっているので、少し専門的な話をすると(笑)、
「豊かな発想」をしようとする場合、まず必要となるのは、その材料となる豊富な情報量です。
まともに材料が揃わなければ、大したモノは構築出来ませんし、細部も描けませんからねえ。
そして、大量に得た情報は、それぞれを頭の中でグループ分けして、特徴に合わせて整理し、
何と何とが上手く繋がるかといった「学習(神経回路を強化・整理するヘブ則)」を重ねなければ、
新しい連想などは生まれず、つまりは「豊かな発想」も生じません。
つまりは、「情報収集」と「学習」が何よりも必要ですから、弛まぬ努力は欠かせません!!

また、最初から「人とは違うモノが見える」事を、「豊かな発想力」と表現するのであれば、
一見すると、それは「天才」と思えるかも知れませんし、そうした捉え方も可能ではあるでしょう。
ですが、先天的に「人とは違うモノが見える」と言うのは、
「多くの人が普通に見えてるモノが見えない」事と同義である為、
言い方を換えると、良く言えば「個性」ですけど、悪く言えば「病気」や「障害」となります。
正直な所、著名な芸術家の中には、こうしたタイプの人物も確かに居るのですが、
そうした人って、プライベートな面で多くのトラブルを起こし、その当人も苦労していたりするので、
恐らくは、旧トルコ担当さんが求めているモノとは、違いますよねえ?

そうなると結局は、「普通の見え方も出来て、異なる見え方も出来る」となると、
それだけの多くの経験を重ねる事が必要となり、
その為には、多くの時間や労力を費やして、学習や情報収集を努力する形となります。
そして、対象となる事が好きであるほど、努力を苦痛と感じる程度は落ちていきますが、
どんな創作活動であれ、レベルが上がるほど、それを生み出す苦悩は比例して増していく為、
凄ければ凄い人であるほど、そうそう簡単に成果を得ている訳では無いはずですよ。
「幸せ」という観点から言えば、その絶対量は、上のレベルに行くほど高いかも知れませんけど、
苦痛や苦悩も含めた「相対量の幸せ」で測ると、平均より少し上と言う「中の上」レベルが一番かも?

「上の下」まで行くと、上の世界を覗けるメリットがある反面、
上位グループ内における劣等感に苛まれるデメリットも生じかねませんし、
上に行けば行くほど 幸せか?となると、必ずしも そうとは言い切れないと・・・・
ちょっと話は違いますが、年収と幸福度の関係性を見ても、
億万長者であるからと言って、幸せであるとは限らず、
結局は年収1000万円くらいが、最も幸せな人たちが多いみたいな感じに似ているかも?
そう思うと、例えばオタ活動で言えば、下手に同人誌を創作する側に回らず、
コミケで心置きなく蒐集に勤しめるレベルくらいが、最も幸せを感じられるかも知れませんね(笑)。
もちろん、創作活動でしか得られないコアな充実感もあるでしょうし、
無料で多少のアニメやゲームを嗜むライトさでも、それなりの満足感は得られるでしょうけども。

> ちなみに、管理人さんのイメージしている「努力(費やした時間や労力)の差」による
> 「アニメを楽しめるかどうか」って具体的にどういったイメージですか?

う〜ん、例えば、同じ作品の視聴を何周もする事により、
初見時には気付かなかった描写や設定など、作品の細部に知れる事もあるでしょうし、
同じ作家の作品や、同じ分野の作品を、網羅的に視聴する事によって、
その作家や分野に関して、体系的な見方が出来るようになる事もあるでしょうね。

でもまあ、それらの行為って、余程好きでも無ければ単なる苦行でしょうし、
コアなオタクであっても、常に楽しんでいるとは限らず、
時には、使命感や義務感で行う事もあるかと思います。
ですが、それを乗り越えた先には、満足感や知見を得られる事が想像できる為、頑張れると。

ある意味では、受験勉強とも、通ずる部分はあるでしょうね。
偏差値が30や40の段階であれば、少し努力するだけで、10くらいは簡単に上がるでしょうけど、
偏差値も60を超えると、かなり努力しても、1や2くらい上げるのに苦労するようになり、
それでも、更に頑張る事によって、トップの大学を狙う事が可能となりますし、
逆に言うと、そこそこの努力で、それなりに名の通った大学に受かる方が、コスパは良いかも知れません。

これはもう結局、個々人の理想や価値観の話かと思いますけど、
私の考えで言うと、オタク的に楽しめる層って、受験で言えばエリート層に相当するので(笑)、
知識の量が多く、感性が豊かなほど、同じ名画や歴史名所などを見ても、より深く楽しめるのと同様、
アニメの視聴に関しても、事前学習による知識と感性が高ければ、それだけ楽しみの幅が増えるのでは?
それこそ、前出の「カノッサの屈辱」にしても、歴史風味のパロディー番組として、
世界史の知識があった方が、それが無いよりも、確実に1つ上のレベルで楽しめるはずですし、
「このシーンは、あの作品のオマージュだな」とか読み解れば、アニメの視聴も同じ感じになるはずで、
腐女子的な「豊かな妄想力」とかも、こうした「深読み」や「邪推」から派生するモノな気がします(笑)。


[24031] Re:テレビ報道と政治・階級差と個人主義・発想力と学習量返信 削除
2022/9/25 (日) 04:40:41 旧トルコ担当

> > > でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
> > > アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
> > > まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
> > > だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。

> > ファスト化は情報収集の一環ではないですね。
> > ファスト化とか、タイパ意識っていうのは、俯瞰するとそういった言葉になるのですが、
> > それらの行為を個人の感覚としては「待てない」というだけだと思うんですよね。
> > この映画が、いつ面白くなるのか。面白いシーンまで待てないし、つまらないシーンは飛ばすし、
> > 2時間の映画を飛ばし飛ばしで見てしまったとしても、サブスクなので他に映画はいくらでもあるというだけだと思います。


> それって既に、サブスクの弊害にハマってる人の見方なのでは!?(笑)
> 本来なら、定額で多くの作品を見られるというメリットが、
> 多くの作品を見ないと損した気分になったり、損しないよう作品視聴をこなす事が目的化すると、
> それはもう、作品数が多いというメリットが、デメリットに転じてしまってる気がするんです。


サブスクの弊害というよりは、YouTubeやInstagramなど、それら含めたインターネットの影響では?
YouTubeにはほぼ無限の動画が存在しますし、サブスクよりもYouTubeの方が影響は明らかに大きいでしょうからね。
最近Instagramを初めて使ってみたのですが、あのアプリの時間感覚には驚かされました。
YouTubeもショート動画に力を入れてるみたいですし。

> いや、でも別に、楽しみ方というのは、人それぞれに様々ありますし、
> 量をこなす事で得られる満足感というのも、決して解らなくは無いんですよ。
> 私だってルーチン・ワークをこなす際には、そうした部分に楽しみ方を見出したりしますので。
> また、レスポンスの速い今の時代、2時間も受け身で見続けるのは、集中力が切れたり、苦痛な人も居るはずで、
> 映画館ならまだしも、自宅のモニターでリモコン操作が可能なら、ついつい飛ばすのが人情かも知れず、
> 倍速視聴で面白さが半分に落ちても、2時間見て結局ツマらなかった時よりは、マシという感覚であれば、
> 尚の事、倍速やスキップでの視聴の方が楽と意見があっても、そこまで驚きはありません。
> ですけど、少なくとも私自身が映画やアニメを視聴するのは、そうした目的の為では無いですからねえ。
> (これに関しては、アニメや映画は倍速視聴しない旧トルコ担当さんも、恐らく同様なのでは?)


スキップ視聴するくらいなら、見ない方がマシというのは同意見ですね。

> > > 例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
> > > 報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。

> > 最近、カノッサの屈辱(テレビ番組)のテレビの歴史をYouTubeで見て、初めてニュースのワイドショー化という話を知りました。

> カノッサの屈辱かぁ・・・懐かしいですね(笑)。
> バブル当時のテレビ局って、本当に制作費が有り余っていて、
> 「JOCX-TV2」という、当時のフジテレビの深夜枠では、
> いろいろと実験的・挑戦的な番組が作られていて、本当に面白かったですよ。
> このサイトでオンライン対戦化した「征服王」↓も、そうした番組の1つでしたし、
> http://kakolog01.g1.xrea.com/conqueror/ichiran.html
> 麻雀アニメ「スーパーヅガン('92)」は、深夜アニメの走りみたいな所がありました。
>
> ・・・って、話が脱線してしまったので、元に戻しますと(笑)、
> 「ニュース番組のワイドショー化」との事ですが、
> 恐らく、旧トルコ担当さんが抱いているイメージも、ちょっと違うかなぁ?って感じですね。
> カノッサの屈辱の放送当時('90)の事を考えると、たぶん番組内で触れられていたのは、
> 「久米宏とニュースステーションの登場('85)」に関してだと思うのですが、
> 確かにニュースステーションが、夜のニュース番組に革命をもたらしたのは事実です。
>
> それまでは、それこそ中年サラリーマンが視聴する、お堅いNHKニュースしか無かった所に、
> 今風に言えば「池上解説」みたいな感じで、フリップや模型やCGなどを用いて、
> 若者層や女性層にも「解りやすいニュース番組」を作ったのは、本当に画期的な事でした。
> その一方で、久米宏が個人的な意見を述べたり、BGMやテロップを用いた演出を行うなど、
> そうした部分が「ワイドショー的だ!」として批判されたのも、また事実です。
> とは言え、現在の「ワイドショー的なニュース」とは、かなり次元が異なっていたかと?
> それこそ、お堅いNHKニュースしか比較対称が無かった時代の事ですし、
> 後継番組である「報道ステーション」なんて、今や民放ニュースの代名詞的な存在ですからね。
>
> ちなみに、その当時のワイドショーというのは、
> それこそ週刊誌をテレビ番組化したような、芸能ゴシップだらけ放送内容であり、
> 暇を持て余す主婦層や高齢層に向け、今の感覚だと目を背けたくなるようなゲスい事を報じてました(笑)。
> 例えば、「宮崎勤事件('89)」なんかも、まさしく当時は格好のターゲットだった訳ですね。
> でも一方で、平成(90年代)に入った辺りから、統一教会やオウム真理教の騒動など、
> 芸能ゴシップだけでなく、社会問題に触れるケースも、徐々に増えていった感じかな?
> と言いますか、新興宗教の広告塔として、芸能人とかが巻き込まれていくので、
> (統一教会の騒動で言えば、桜田淳子と山崎浩子などの合同結婚式への参加など)
> その辺が上手くリンクしていった側面もあったかも知れません。
> また、「芸能人でもプライバシーは尊重すべき」という意識の高まりや、
> バッシングを避けようと、芸能人自体の火遊びも大人しくなっていった事で、
> バッシングの対象が、事件・不祥事・失態などを犯した個人に対する、
> メディア・リンチに移っていった時代でもあったかも。
>
> その後、2000年前後くらいから、ワイドショーでの芸能ゴシップの報道割合が減り、
> オウム報道での失態により、TBSがワイドショーから撤退した事も相俟って、
> 社会問題から芸能情報まで幅広い題材を扱う「情報番組」へと、ワイドショーはその姿を変えていき、
> テレビ局の予算削減に伴う、生放送番組の増加により、情報番組の放送枠は拡大の一途を辿りました。
> 解りやすく言えば、ここ十数年くらいの間に、
> ニュース番組とワイドショーの中間に位置する「情報番組」が急速に増えた事で、
> 報道番組と情報番組の違いを意識しないと、「ニュースのワイドショー化」した印象を受けたかと?
> 物凄く解りやすい言い方をすれば、「ワイドショーもニュースを扱う」ようになった為、
> そうした番組では、当然ながら「ニュースがワイドショー化」する訳であり、
> 特に政治(政局)ニュースに関して言うと、その端緒となったのは、「2001年の自民党総裁選」でした。
>
> それこそ、それまでの総裁選というのは、従来のニュース番組しか扱いませんでしたし、
> 立候補した政治家たちも、当たり前のようにニュース番組にしか出ませんでした。
> 言ってしまうと、いくらニュースステーションが間口を広げたとは言っても、
> やはり政治ニュースに関心を持つのは、未だに中年サラリーマン層が主であり、
> そして、当時の政治力学では「橋本龍太郎の返り咲き」が既定路線と見られてたんです。
> しかし、今までは自民党内の変わり者に過ぎ無かった小泉純一郎が、
> 国民(特に主婦層や高齢層)に人気の高かった田中真紀子とタッグを組み、
> 街頭演説やテレビ出演を繰り返して、総裁選の投票権のない一般市民の支持を集めていき、
> 「小泉を総理に!」という世論を、急速に盛り上げていったんですよ。
> そこからですよね、ワイドショーも政治ニュースを扱い、政治家もワイドショーに出るようになったのは。
> 小泉&真紀子コンビは、それこそワイドショー視聴者層にぴったりハマりましたし、
> 彼らだって選挙で同じく1票を持ってますが、それまでは未開拓な票田だったとも言えます。
>
> そういう意味では、政治家の側だって「ニュースのワイドショー化」を促した訳で、
> そして何より、ワイドショー視聴者がニュースを見るようになったからこそ、
> 「ニュースがワイドショー化した」とも言えるんですよね。
> 基本的にテレビ番組というのは、視聴者のニーズに応えるべく、放送内容が変わるのですから。
> しかも現在は、バラエティー番組までもが、政治ニュースを扱うようになり、
> ニュースに触れる機会が増えたという点では、昔より増えた状況ですけど、
> ニュースを扱う番組の質に関して言うと、昔より落ちたのは紛れもない事実でしょうね。
>
> これはどんな分野でもそうですが、一部のコア層しか関心を持たなかったモノが、
> ライト層にまでニーズを広げていくと、影響力は強まる反面、どうしたって質は落ちていくんです。
> つまり、安易に「マスゴミ!」と叫ぶ視聴者こそが、ニュースの質を落としてる張本人であると(苦笑)。
> また、ニュース番組は「権力の監視者」意識が強い事もあり、
> どんな大物政治家が出演しても、相手の嫌がる厳しい質問をブツけたりしますが、
> テレビ局内でのヒエラルキーが低い、ワイドショーやバラエティー番組だと、
> 大物政治家が出てくれるだけで、かなりの持ち上げようになりますし、
> 政治家本人は勿論、その支持者たちも、ニュース番組に出るより気持ち良い空間でしょうね。
> 逆に言えば、だからこそ、「それに比べて、ニュース番組はけしからん!」となりがちな気がします。
>
> > 私が生まれたころには既にああだったので、昔からそんなものだと思っていましたが、
> > 昔はもっとテレビも真面目だったんですね。

> もう少し正確に言うと、「住み分けられてた」って感じですかね?
> 新聞で言えば、一般紙(高級紙)と夕刊紙(大衆紙)の読者が、住み分けられてたように、
> ニュース番組は、今よりも お堅かった反面、
> バラエティー番組やワイドショー番組は、今より遥かに下品だったので(笑)。
> そういう意味では、現在のテレビ番組って、
> バラエティー番組やワイドショー番組は上品になった一方で、当然ツマらなくなり、
> ニュースの扱いに関しては、報道番組はまだしも、情報番組は行き過ぎた部分が目に付くと。
>
> 時代的に言うと、2000年を過ぎた辺りから、徐々にそうした傾向が強まっていき、
> 今から10年ほど前、大震災が落ち着いてきた辺りから、完全にそうなった感じかな?
> なので、今のようになったのは、精々「ここ10年くらい」の話ですね。
> そして、それは丁度、安倍政権の返り咲きとピタリと合うのですが、
> これは別に、安倍政権が世間をそうした風潮にしたというよりは、
> 世間の風潮がそうなったから、安倍政権が長続きした面の方が強いかも知れません。
> (もちろん、両者が相乗効果となって、そうした傾向を促進させた部分も否めませんけど)


ああ、そんな感じだったんですね。
そういえば、昔岡田斗司夫が
「報道番組と言っても、テレビ局内部では真剣な報道番組と、視聴率追いかけ番組に分かれていて、
視聴率対策ではなく、本当に重要だと思うことを伝えなければいけない、みたいなスタッフの意識も、その番組がどっちなのかにより全然違う」
みたいなことを言っていたのを思い出しました。

> > > それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
> > > 厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
> > > チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
> > > 目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
> > > 簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・

> > ああ、諦めというのはありそうですね。
> > それこそ、低い位置であっても"まあまあ"な娯楽がある分、努力してまで手に入れたいとか、思わなくなりがちですし。

> あと言うと、「努力して得られるモノ」の質というのが、明らかに下がった部分もあります。
> 言うなれば、最低点は上がったけど、最高点は下がったとでも言えば良いのか、
> そうした両面を含めての「挑戦や努力のコスパが悪い時代」って意味ですね。
>
> 例えば、解りやすい例でゲームの話をすると、
> 一昔前に比べれば、無料で遊べるゲームの質って、物凄く上がったと思うんですよ。
> ですが一方で、実際に6000円とか8000円とかカネを払って買うゲームの質は、
> 遊んでて味わえるワクワク感などは、昔の方が遥かに大きかった気がするんです。
> (グラフィック面などは格段に向上していますけど、そこが楽しさの本質では無いので)
> そうなれば、「無料ゲームで充分」となる気持ちも理解できますが、
> かと言って、昔の若者ほどゲーム自体を楽しめて(興奮・熱狂できて)いるか?となると・・・・


本当に好きなら金を出してるはず、というのは分かりますね。
無料だから遊ぶゲームは、所詮その程度しか好きでないと。
ソシャゲの課金というのは、ある意味ガチ勢からライト層までを抱合する上手い仕組みだなとは思います。

> > > では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
> > > 「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
> > > https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
> > > 出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
> > > 出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
> > > その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?

> > 私の意見も特別なものではなく、ごく普通の「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」という辺りだと思っています。
> > 消えた第3次ベビーブームから既に約30年ですし、「なぜかられ彼女らが結婚を選択しなかったのか?」はインタビューなどできる内容ですので、
> > 世間や学問の世界であまりに的外れな論が展開されていれば、当事者たちからそれは違うだろとなるはずであり、
> > よって今の世間一般の主流の考えが正解だと思っています。

> ですから、バブル崩壊に伴う平成不況により生じた「就職氷河期」が、団塊ジュニア世代を直撃し、
> 安定した職を得らず、結婚や出産に踏み切れなかった人たちを大量に生み出した事こそが、
> その「世間一般の主流の考え」であり、それを「正解」だと旧トルコ担当さんが思われるのなら、
> 旧トルコ担当さんの「必ずしも経済は主要因ではない」という意見とは、明らかに矛盾してませんか!?


あっそうなんですか?
ちょっとネットで調べてみたところ、「若者の恋愛離れ」という言説がいつ始まったのかは確認できませんでしたが、(やはりネットにはロクな情報が載ってない)
「草食男子」はどうも06年〜09年ごろに流行した言葉らしく、
確かに団塊ジュニア世代とはズレてますね。(06年で団塊世代は30代半ばごろ、30代半ばは若者とはあまり呼びませんし)

私は現在大学生なので、どうしても自身が物心つく以前のことは時代感覚が曖昧で、1990年代〜2010年くらいまでを全部同じ感じで認識している節がありますし、
テレビ番組などでも、"現在"の出生率低下についての話題になると、若者の恋愛離れの話が出てくるので、
てっきり世間の認識でも、第2次ベビーブーム世代=若者の恋愛離れなのだと思っていました。

> また、「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」との見解も、
> 団塊ジュニア世代は絶対的に人数が多いのですから、
> 結婚や出産が、なだらかに減少し続けただけであれば、低くなっても山は生じるはずで、
> 現実的に そうでない以上、団塊ジュニア世代の時だけ出産率が下がった理由を示す必要があります。
> と言いますか、団塊ジュニア世代が出産適齢期を迎えた頃に、
> 特殊出産率が底を打ち、そこからジワジワ回復傾向にあるのは、数値を見ても明らかな訳で、
> その点に関する説明というか、認識が、完全に欠けていたのでは?


私の知っている限られた情報から判断すれば、やはり「団塊ジュニア世代の恋愛に対する理想の高さ」という要因はあると思うんですよね。
簡単に言えば、バブルを知っているかどうか?ということです。
例えば少女小説の歴史でいえば、80年代後半は少女小説の大ブーム期であり、
ティーンズハート文庫が中心となって、読みやすい文体(国語の先生からすれば眉唾な文体で)多くの読者を獲得し、
それまでクラスのおとなしい子が読んでいる、みたいなイメージであった少女小説が、クラスのメインカルチャーになって、女の子同士のコミュニケーションの道具になった時代です。
で、そうした少女小説が題材にしていたのは、ほぼ異性恋愛でした。
それがバブル崩壊に遭い、期待していたものが裏切られれば、そりゃあ世の中を恨むし、結婚だって妥協できないだろうなあと。
なんせ一番多感な中高生時代にバブルのあの雰囲気を見せられてしまったわけですから。
その辺は、諦めることに慣れてしまった私の世代と、ジェネレーションギャップを非常に感じますし、
私の世代の方がもっと悪化した日本を押し付けられて損をさせられてるのかもしれませんが、やはり団塊ジュニア世代ほど世の中を恨む気持ちというのは少ないと思うんですよね。
(ちなみに少女小説は90年代に入ると、BLが一部入ってきます。団塊ジュニア世代よりも、中高生のころからBLを読んでる90年代女子中高生の方が、大人になった時には妥協結婚をしやすそう)

> > > > それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> > > > もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> > > > というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

> > > ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
> > > 「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
> > > 「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。

> > 「可哀想な敗者を見るのが辛い」だけ、というのはまさしくそうだと思います。
> > 私としては、割とそういう感覚が当たり前だと思っていたのですが、割と最近の個人主義的な感覚なんですかね。

> う〜ん、私としては、そう感じてますね。
> ここ10年20年で、良くも悪くも、日本のムラ社会的な価値観は薄れてきましたが、
> (ムラ社会は戦前まで続き、戦後は会社がムラの代替として機能するも、バブル崩壊に伴い瓦解)
> 「自助・互助・共助・公助」とある中で、互助を担ってきた「ムラ」構造が消滅した事で、
> 「自助」の占める割合が、物凄く高くなった実感はありますね。
>
> 今の日本社会には、キリスト教やイスラム教の社会が担う「共助」の部分が欠けていますし、
> (と言うか、明治維新により、多少なりとも寺社が担っていた部分が失われた側面も)
> 北欧諸国のように、高福祉&高負担な「公助」の国でも無いですから、その部分も弱い。
> だから結局、自助への負担が大きくなり、それでは支えきれない為に、
> 「集団主義の希薄化」に伴う、「個人主義の弊害」として映るのだと思います。
> 要するに、昨今の日本では個人主義が強まったというのは、一面では事実なのですが、
> それ以上に大きいのは、集団主義が薄まった事で、個人主義の割合が相対的に高まった方が大きいかな?
> でもまあ、相対的にせよ、絶対的にせよ、「個人主義的になった」のは事実でしょうね。
>
> で、「日本は集団主義、欧米は個人主義」だと言うと、
> 昨今では、「それはステレオ・タイプなイメージ過ぎる」と言われますが、
> でも結局、大前提として集団主義があるからこそ、その中においての個人主義的な心理が働き、
> 大前提として個人主義があるからこそ、その中においての集団主義的な心理が働くモノだと思うんです。
> そして、欧米や中東は個人主義が大前提だからこそ、その安全装置としての「教会」の機能であったり、
> 個人主義でも社会として機能させる為の「教義」があり、なので「宗教は絶対的な存在」なのですが、
> 日本の場合、集団主義な「ムラ社会」が、教会や教義の面を担っていたからこそ、
> いわゆる「無宗教」でも上手く回ってきたと。
> (逆説的に言えば、だから海外で「自分は無宗教だ」と言うと、危険視される訳です)
>
> もっと言うと、伝統的な「互助」のシステムというのは、別に日本だけに限らず、
> それぞれ形式は異なっても、東アジアでは結構普通に見られた社会構造なんですよね。
> 例えば中国なども、幇や朋といった横の繋がりが、安全装置として機能していた訳ですが、
> 近代化の波により、西洋的な価値観が広がる事で、従来の互助的な仕組みが壊れる一方、
> 西洋社会のように宗教による共助の仕組みが無く、共産主義による公助も失われつつある。
> その為、現在の中国では、世界的な新自由主義経済の潮流とも相俟って、
> 「個人主義の台頭」が非常に悪目立ちしている訳ですが、
> これも別に、中国人の中で急速に、個人主義的な意識が高まったと言うよりは、
> それ以外の部分が急速に薄まった事で、消去法的に残された個人主義が、目立つだけな気がするんです。
>
> そう考えると、日本も含め、今後の東アジア社会というのは、何かと苦労するかも知れません。
> ムラ社会の互助であれ、教会による共助であれ、掟や教義などによって、
> 理屈や感情ではなく、当然の感覚として「手を差し伸べる」という自動ルーチンが失われると、
> 強い思想・信念から「手を差し伸べるべき」とでも、ならない限りは、
> 「可哀想」と思った時に、「だから助ける」と「だから遠ざける」の差が薄くなりがちなんですよね。
> もちろん、助けないよりは助けた方が、当人的にも満足感が違うのですが、
> その為に要するコストまで考えた場合、結局、自分が心理的に楽になりたいだけなら、
> 大きなコストを掛けてませ助けるなら、小さなコストで遠ざける方が、メリットになる場合も多いので。
> 逆に言うと、掟や教義という「縛り」が存在する場合、助けない事によるデメリットが生じるようになると。


本当かどうか知りませんけど、欧米には存在する寄付の文化が日本には存在しないという話は聞きますし、
欧米の方がもともと個人主義的であり、かつ先に近代化しムラ社会が無くなった分、そうした状況へ対応するための社会的基盤がより分厚いというのはありそうですね。

> ちなみに、「自己責任論」に関しても少し述べておくと、その端緒となったのは、
> 郵政選挙に先立つ事 1年前、イラクで日本人3人が人質として誘拐された事件の発生でした。
> この一件が、小泉政権の強行した「イラクへの自衛隊派遣」にまで飛び火する事を恐れた為、
> 「イラクへ渡航した彼らが悪い(=政府に責任はない)」とする「自己責任論」を展開し、
> メディア世論に批判的だったネット世論を巻き込む形で、自己責任論が拡大していったんですよね。
> しかも当時は、小泉政権による「小さな政府&企業の規制緩和」の政策方針から、
> 民間でも、「コンプラ重視」という名の「責任回避(下への責任押し付け)」が始まった頃ですし、
> まあ正直な所、危険なイラクまで出向きボランティア活動をするのは、意識の高い左系な人たちであり、
> 被害者家族の政府批判も相俟って、右傾化しつつあったネット世論は、政府擁護&人質非難の論調でした。
> と言いますか、自民党のIPアドレスから、政府擁護&人質非難の書き込みが、大量投稿されてた記憶が・・・・
> ネット活動(工作?)という点では先進的だった一方、まだまだ稚拙でもあった時代です(苦笑)。


ああ、自己責任論はそんな感じだったんですね。

> > > > 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> > > > 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> > > > 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> > > > そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> > > > 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

> > > いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
> > > より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・
> > > デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
> > > 探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
> > > 前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
> > > 一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
> > > 能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
> > > その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
> > > (この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)

> > これに関しては、私は完全に否定的ですね。
> > 確かに、マニュアル依存というか、手っ取り早く、自分の頭で考えず、みたいな層が増えているというのも分かりますが、
> > 例えば腐女子の人たちが日々得ている、推しカプのキスを見て脳内麻薬がドバドバ出るのって、快楽としてはかなり上位に位置すると思いますし、
> > それは手っ取り早く快楽を得られるから選ばれているだけではないと思うんですよね。
> > おそらく「推し」というのも、同様なのではないでしょうか?
> > 私自身も、アニメのキャラで勝手に百合妄想とかしていると、その時の感覚は本当に人生で圧倒的に一番幸せを感じますし、
> > 毎日のようにそういった感覚が続く腐女子の人たちは、本当に人生の質が違うんだろうな、と思います。

> いや、ですから、そうした妄想力が豊かな腐女子の人たちというのも、
> 天賦の才なんて形で、何も努力せず、最初から豊かな妄想力を得ている訳では無く、
> 莫大な情熱を傾け、相応の時間なり労力を費やしたからこそ、それだけの妄想力を得ているのでは?
> 何事でも そうだと思いますけど、手っ取り早く、インスタントに、才能なんて開花しませんよ!!
>
> 最近、私は脳科学にハマっているので、少し専門的な話をすると(笑)、
> 「豊かな発想」をしようとする場合、まず必要となるのは、その材料となる豊富な情報量です。
> まともに材料が揃わなければ、大したモノは構築出来ませんし、細部も描けませんからねえ。
> そして、大量に得た情報は、それぞれを頭の中でグループ分けして、特徴に合わせて整理し、
> 何と何とが上手く繋がるかといった「学習(神経回路を強化・整理するヘブ則)」を重ねなければ、
> 新しい連想などは生まれず、つまりは「豊かな発想」も生じません。
> つまりは、「情報収集」と「学習」が何よりも必要ですから、弛まぬ努力は欠かせません!!
>
> また、最初から「人とは違うモノが見える」事を、「豊かな発想力」と表現するのであれば、
> 一見すると、それは「天才」と思えるかも知れませんし、そうした捉え方も可能ではあるでしょう。
> ですが、先天的に「人とは違うモノが見える」と言うのは、
> 「多くの人が普通に見えてるモノが見えない」事と同義である為、
> 言い方を換えると、良く言えば「個性」ですけど、悪く言えば「病気」や「障害」となります。
> 正直な所、著名な芸術家の中には、こうしたタイプの人物も確かに居るのですが、
> そうした人って、プライベートな面で多くのトラブルを起こし、その当人も苦労していたりするので、
> 恐らくは、旧トルコ担当さんが求めているモノとは、違いますよねえ?
>
> そうなると結局は、「普通の見え方も出来て、異なる見え方も出来る」となると、
> それだけの多くの経験を重ねる事が必要となり、
> その為には、多くの時間や労力を費やして、学習や情報収集を努力する形となります。
> そして、対象となる事が好きであるほど、努力を苦痛と感じる程度は落ちていきますが、
> どんな創作活動であれ、レベルが上がるほど、それを生み出す苦悩は比例して増していく為、
> 凄ければ凄い人であるほど、そうそう簡単に成果を得ている訳では無いはずですよ。
> 「幸せ」という観点から言えば、その絶対量は、上のレベルに行くほど高いかも知れませんけど、
> 苦痛や苦悩も含めた「相対量の幸せ」で測ると、平均より少し上と言う「中の上」レベルが一番かも?
>
> 「上の下」まで行くと、上の世界を覗けるメリットがある反面、
> 上位グループ内における劣等感に苛まれるデメリットも生じかねませんし、
> 上に行けば行くほど 幸せか?となると、必ずしも そうとは言い切れないと・・・・
> ちょっと話は違いますが、年収と幸福度の関係性を見ても、
> 億万長者であるからと言って、幸せであるとは限らず、
> 結局は年収1000万円くらいが、最も幸せな人たちが多いみたいな感じに似ているかも?
> そう思うと、例えばオタ活動で言えば、下手に同人誌を創作する側に回らず、
> コミケで心置きなく蒐集に勤しめるレベルくらいが、最も幸せを感じられるかも知れませんね(笑)。
> もちろん、創作活動でしか得られないコアな充実感もあるでしょうし、
> 無料で多少のアニメやゲームを嗜むライトさでも、それなりの満足感は得られるでしょうけども。


(1)なるほど、腐女子の人たちも積み上げがあるのか
(2)いや、そうやって積み上げられるのも才能であり、腐女子の人たちも楽しいから積み上げを行ってきたわけで、積み上げができない時点で才能の差だよ
の両方とも思いましたね。

あとはまあ、題材というのは重要なのかなと。
それこそ、腐女子的な発想の原点はクラスメイトの男子だと思いますし、
キモイかもしれませんが、私もほんのちょっとだけBLが分かるようになってからは、クラスメイトの男子でカップリングもしてました。
そういう意味で、やはり学生というのはオタク妄想力を伸ばすという意味でも、特権的な環境だったなと。

> > ちなみに、管理人さんのイメージしている「努力(費やした時間や労力)の差」による
> > 「アニメを楽しめるかどうか」って具体的にどういったイメージですか?

> う〜ん、例えば、同じ作品の視聴を何周もする事により、
> 初見時には気付かなかった描写や設定など、作品の細部に知れる事もあるでしょうし、
> 同じ作家の作品や、同じ分野の作品を、網羅的に視聴する事によって、
> その作家や分野に関して、体系的な見方が出来るようになる事もあるでしょうね。
>
> でもまあ、それらの行為って、余程好きでも無ければ単なる苦行でしょうし、
> コアなオタクであっても、常に楽しんでいるとは限らず、
> 時には、使命感や義務感で行う事もあるかと思います。
> ですが、それを乗り越えた先には、満足感や知見を得られる事が想像できる為、頑張れると。
>
> ある意味では、受験勉強とも、通ずる部分はあるでしょうね。
> 偏差値が30や40の段階であれば、少し努力するだけで、10くらいは簡単に上がるでしょうけど、
> 偏差値も60を超えると、かなり努力しても、1や2くらい上げるのに苦労するようになり、
> それでも、更に頑張る事によって、トップの大学を狙う事が可能となりますし、
> 逆に言うと、そこそこの努力で、それなりに名の通った大学に受かる方が、コスパは良いかも知れません。
>
> これはもう結局、個々人の理想や価値観の話かと思いますけど、
> 私の考えで言うと、オタク的に楽しめる層って、受験で言えばエリート層に相当するので(笑)、
> 知識の量が多く、感性が豊かなほど、同じ名画や歴史名所などを見ても、より深く楽しめるのと同様、
> アニメの視聴に関しても、事前学習による知識と感性が高ければ、それだけ楽しみの幅が増えるのでは?
> それこそ、前出の「カノッサの屈辱」にしても、歴史風味のパロディー番組として、
> 世界史の知識があった方が、それが無いよりも、確実に1つ上のレベルで楽しめるはずですし、
> 「このシーンは、あの作品のオマージュだな」とか読み解れば、アニメの視聴も同じ感じになるはずで、
> 腐女子的な「豊かな妄想力」とかも、こうした「深読み」や「邪推」から派生するモノな気がします(笑)。


私も好きなマンガ・ラノベに関しては、登場人物の関係図+出来事の因果関係を描いた図を作ったりしており、やはりかなりいろいろ気づけて楽しいです。
ですので、そういうのは把握したうえでの、「腐女子だったらもっと人生楽しいのになあ」でした。
それこそ、SNSでつながっている現在、その人のツイート頻度にもよりますが、ある程度私生活は把握済みというか(さすがに大げさ)、
その人が好きなアニメに対してどんなこと考えて、裏でどんなことしてるかも、ある程度分かってしまうんですよね(本人が自分でツイートするので)。
そうした割と裏側まで見えてしまった上での、「腐女子だったら」なんですよね。

> でもまあ、自分から「楽しい」を作ってる側にしても、
> 苦しんだり、辛かったりするかは別として、相応の苦労や努力はしているはずで、
> その部分を感じ取らずに、安易に羨んだり、嫉妬したりするのは、ちょっと違うかな?という気も。
> それこそプロの野球選手やサッカー選手だって、好きな事でメシを食えてるのは憧れますけど、
> あれが、どれほど高いレベルで、どれほどの頑張りや競争の結晶であるかを解っているか否かで、
> その見方だって大きく異なってくるでしょうし、小学生のように安直な思考には戻れないかな。
> 「スポーツ推薦で名門大学に入るのはズルい」なんて意見も、
> スポーツでそのレベル目指すくらいなら、勉強で入る方が遥かに楽な事が解っていれば、
> そう簡単には、そんな考えにも至らないとは思うんですよね(苦笑)。
> 大学への貢献度で言っても、スポーツ選手を上回る一般学生なんて、ほぼ皆無でしょうし。


その人の人生の一部だけを垣間見て羨んでいるわけではなく、ある程度まで見えてしまうのが、インターネットの悲劇だと。
この人毎日楽しそうだな、の毎日は、SNSの場合、本当に"毎日"を見て、楽しそうだなと思っている場合もあると。
まあ実際は、毎日が楽しそうな人より、「こいついっつも後ろ向きなことばっかり考えてんな」とか「こいつ毎日韓国人の悪口言ってるな」という方が見えてしまいがちですがw


[24032] 団塊ジュニア世代とバブル崩壊返信 削除
2022/9/28 (水) 21:56:57 徳翁導誉

> > > ファスト化は情報収集の一環ではないですね。
> > > ファスト化とか、タイパ意識っていうのは、俯瞰するとそういった言葉になるのですが、
> > > それらの行為を個人の感覚としては「待てない」というだけだと思うんですよね。
> > > この映画が、いつ面白くなるのか。面白いシーンまで待てないし、つまらないシーンは飛ばすし、
> > > 2時間の映画を飛ばし飛ばしで見てしまったとしても、サブスクなので他に映画はいくらでもあるというだけだと思います。

> > それって既に、サブスクの弊害にハマってる人の見方なのでは!?(笑)
> > 本来なら、定額で多くの作品を見られるというメリットが、
> > 多くの作品を見ないと損した気分になったり、損しないよう作品視聴をこなす事が目的化すると、
> > それはもう、作品数が多いというメリットが、デメリットに転じてしまってる気がするんです。

> サブスクの弊害というよりは、YouTubeやInstagramなど、それら含めたインターネットの影響では?
> YouTubeにはほぼ無限の動画が存在しますし、サブスクよりもYouTubeの方が影響は明らかに大きいでしょうからね。
> 最近Instagramを初めて使ってみたのですが、あのアプリの時間感覚には驚かされました。
> YouTubeもショート動画に力を入れてるみたいですし。

う〜ん、YouTubeやインスタ、TikTokなどの「短時間な動画」の隆盛に関しては、
ファスト化と言うよりも、「ショート化」と言った方が適当かも?
「ファスト化」と言うのは、ファスト・フードやファスト・ファッションなどもそうですが、
「手軽で速い」というだけでなく、そこには「経済性(新自由主義的な価値観)」も含まれる為、
定額料金を支払うサブスクであったり、本来なら入場料を払うべき映画などは、そこに該当しても、
基本無料なネット投稿動画に関しては、単に動画の時間が「短い」ってだけの話だと思うので。

とは言え、ファスト化とか、ショートかと言った、用語の違いを抜きにするなら、
昨今の若者たちが、「2時間の映画作品は長い」と感じるのは、確かにそうでしょうし、
もっと言えば、大人だって、今の時短文化に浸っていると、同様に感じる人も珍しくないかと?
映画どころか音楽でさえ、イントロ部分を冗長的と感じて、
いきなりサビ部分を求める傾向が、年々強まっているのは実感しています。
まあ、それはそれで、無駄なく「美味しい所を食べたい」という気持ちは解るのですが、
一方で、フリや前振りに懸ける為、「美味しさの最大値」は下がる一方でもあるんですよね。
その落ちた最大値の分を、果たして量で補えるのか?となると・・・そこは個々の趣向次第なのかな。
少なくとも私は、10本の良作よりは、1本の傑作の方に、作品価値の重みを置いてる所はあります。

> > いや、でも別に、楽しみ方というのは、人それぞれに様々ありますし、
> > 量をこなす事で得られる満足感というのも、決して解らなくは無いんですよ。
> > 尚の事、倍速やスキップでの視聴の方が楽と意見があっても、そこまで驚きはありません。
> > ですけど、少なくとも私自身が映画やアニメを視聴するのは、そうした目的の為では無いですからねえ。
> > (これに関しては、アニメや映画は倍速視聴しない旧トルコ担当さんも、恐らく同様なのでは?)

> スキップ視聴するくらいなら、見ない方がマシというのは同意見ですね。

あとは、個々人の視聴スタイルの違いというのも、あるでしょうね。
例えば、何か気に入るアニメ作品と出会った後に、
それと似た感じの作品を、次々と見たいというタイプの方も居るじゃないですか?

似た作品同士だと、ストーリーや世界観などは「テンプレ化」や「記号化」しがちなので、
設定の違いや、気に入るシーンさえ押さえてさえしまえば、
あとは早送りという感覚も、まあ解らなくも無いんですよね・・・・
恐らく、そういう方のアニメ視聴って、「喜怒哀楽」で言う所の
「喜(ワクワク感)」では無く、「楽(やすらぎ)」の方を求めているのでしょうし。
とは言え、私自身が「楽」を味わいたい際には、ゆっくり時間を掛けたい方かな?

> > 解りやすく言えば、ここ十数年くらいの間に、
> > ニュース番組とワイドショーの中間に位置する「情報番組」が急速に増えた事で、
> > 報道番組と情報番組の違いを意識しないと、「ニュースのワイドショー化」した印象を受けたかと?
> > 物凄く解りやすい言い方をすれば、「ワイドショーもニュースを扱う」ようになった為、
> > そうした番組では、当然ながら「ニュースがワイドショー化」する訳であり、
> > > 私が生まれたころには既にああだったので、昔からそんなものだと思っていましたが、
> > > 昔はもっとテレビも真面目だったんですね。

> > もう少し正確に言うと、「住み分けられてた」って感じですかね?
> > 新聞で言えば、一般紙(高級紙)と夕刊紙(大衆紙)の読者が、住み分けられてたように、
> > ニュース番組は、今よりも お堅かった反面、
> > バラエティー番組やワイドショー番組は、今より遥かに下品だったので(笑)。
> > そういう意味では、現在のテレビ番組って、
> > バラエティー番組やワイドショー番組は上品になった一方で、当然ツマらなくなり、
> > ニュースの扱いに関しては、報道番組はまだしも、情報番組は行き過ぎた部分が目に付くと。

> ああ、そんな感じだったんですね。
> そういえば、昔岡田斗司夫が
> 「報道番組と言っても、テレビ局内部では真剣な報道番組と、視聴率追いかけ番組に分かれていて、
> 視聴率対策ではなく、本当に重要だと思うことを伝えなければいけない、みたいなスタッフの意識も、その番組がどっちなのかにより全然違う」
> みたいなことを言っていたのを思い出しました。

ここで言われている「真剣な報道番組」というのが、いわゆる「報道番組」の事で、
「視聴率追いかけ番組」の方が、ワイドショーから発展した「情報番組」の事なのでしょうね。
まあ一般的に、芸能人がコメンテイターを務めるのが、
情報番組(旧ワイドショー系)だという、解りやすい指標もありますけど、
近年では、日本テレビを中心に、ジャニーズを起用するニュース番組が現れているので、
そういう意味では、「ニュース番組のワイドショー化」も、確かに進んでいるのかな?
(ニュース番組に縁遠い、女性視聴者層を少しでも増やしたい意図なのは解りますが)

> > 例えば、解りやすい例でゲームの話をすると、
> > 一昔前に比べれば、無料で遊べるゲームの質って、物凄く上がったと思うんですよ。
> > ですが一方で、実際に6000円とか8000円とかカネを払って買うゲームの質は、
> > 遊んでて味わえるワクワク感などは、昔の方が遥かに大きかった気がするんです。
> > (グラフィック面などは格段に向上していますけど、そこが楽しさの本質では無いので)

> 本当に好きなら金を出してるはず、というのは分かりますね。
> 無料だから遊ぶゲームは、所詮その程度しか好きでないと。
> ソシャゲの課金というのは、ある意味ガチ勢からライト層までを抱合する上手い仕組みだなとは思います。

ただ課金というのは、ゲーム自体の面白さ(先払いなので実際は期待値)にカネを払う以上に、
射幸心や競争心、蒐集欲などを刺激されて、次から次にカネを投じてる側面の方が強いですからね。
とは言え、苦労して人気作の続編を作るよりも、
人気作を課金ゲー化する方が、ビジネス的には遥かに利益となる為、
余裕のない今の日本ゲーム業界の実状を思うと、そう無碍に批判ばかりも出来ませんし、
課金ゲーで上げた利益で、利益率の低い新作も出せるのであれば、出せないよりはマシかな?と。
「採算性や確実性よりも夢重視!」なんて冒険は、なかなか今では許されない状況でしょうから。

> > また、「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」との見解も、
> > 団塊ジュニア世代は絶対的に人数が多いのですから、
> > 結婚や出産が、なだらかに減少し続けただけであれば、低くなっても山は生じるはずで、
> > 現実的に そうでない以上、団塊ジュニア世代の時だけ出産率が下がった理由を示す必要があります。
> > と言いますか、団塊ジュニア世代が出産適齢期を迎えた頃に、
> > 特殊出産率が底を打ち、そこからジワジワ回復傾向にあるのは、数値を見ても明らかな訳で、
> > その点に関する説明というか、認識が、完全に欠けていたのでは?

> 私の知っている限られた情報から判断すれば、やはり「団塊ジュニア世代の恋愛に対する理想の高さ」という要因はあると思うんですよね。
> 簡単に言えば、バブルを知っているかどうか?ということです。
> 例えば少女小説の歴史でいえば、80年代後半は少女小説の大ブーム期であり、
> ティーンズハート文庫が中心となって、読みやすい文体(国語の先生からすれば眉唾な文体で)多くの読者を獲得し、
> それまでクラスのおとなしい子が読んでいる、みたいなイメージであった少女小説が、クラスのメインカルチャーになって、女の子同士のコミュニケーションの道具になった時代です。
> で、そうした少女小説が題材にしていたのは、ほぼ異性恋愛でした。

80〜90年代に、女性向けの「恋愛モノ」作品が大ブームとなったのは事実です。
まあそれは、解りやすく極端に言ってしまうと、
世の中の雰囲気が「男尊女卑」から「男女平等」へと移り変わっていく中で、
それまでは、男性視点で作られた作品(映画・音楽・テレビなど)が多かった所に、
女性を消費者ターゲットとした作品が、現れ始めたって事でもあるんですよね。
あの当時、オシャレで甘ったるい、少女マンガ的な恋愛劇を中心とした
数々の「トレンディー・ドラマ」がヒットしたのも、まさに時代の潮流を写す鏡でしたし、
逆に言うと、そうした若い女性向け作品に、嫌悪感を抱く男性層(特にオジサン)も多く居ました(笑)。

とは言え、だから「少女小説がメイン・カルチャー」だったかとなると、決して そうでは無いかと。
もちろん、それなりに売れてはいたでしょうし、その業界的には大きかったかも知れませんが、
バブル前後というのは、若者が多く、景気が良かったので、何でもかんでも馬鹿売れしてましたからねえ。
少女小説が「累計」で数千万部とかいう記録は、確かに今と比べると凄い数字だと思いますけど、
週刊少年ジャンプなんて、毎週600万部とか売れていましたし、
それこそ、月9を始めとした人気ドラマは、毎週 数千万人が観ていた時代なので、
クラス内の存在感なんて次元が違うというか、競うレベルでも無かったはずですよ!?

ハッキリ言うと、その時代を生きてなかったから仕方無いとは言え、
旧トルコ担当さんの場合、頼る情報源が偏っている印象を受ける上、
にも関わらず、断言・・・までは強くなくても、かなり決め付けてみていると言うか、
偏っている一部の情報源を、さも、それが「全て」であったかのように、誤解しがちな感じがします。
正直、「月9ドラマの存在を知らなかった」という時点で、相当にバランスを欠いていますし、
そうなるのは致し方ないにしても、せめて、もう少し謙虚と言うか、安易に「判断」しない方が適切かと?
ぶっちゃけ、「団塊ジュニア世代の恋愛に対する理想の高さ」という見解も、
「えっ!?何言ってるの? まるで解ってないのに、決め付け良くない!」って感じです(笑)。

ちなみに、「クラス内での存在感」という意味では、
恐らくは現在の「ラノベ」の方が、遥かに高いように思えますし、
その一方で、皆が皆、ラノベを読み、アニメを観てるか・・・となると、
市民権を得る程度には広がっていても、多数派と呼べる程では未だに無いのでは?
クラス内で、ラノベ好きやアニメ好きを見つけるのは、別に苦労しない時代かも知れませんけど、
だからと言って、クラスの大多数が、ラノベやアニメを楽しんでいるとも思えないので。
と言いますか、今は一昔前に比べると、「メイン」と呼べる存在が、現れ難くなっている気もしますし、
そういう意味では、メインの実体験が乏しいが故に、メインの存在感を想像し難い所はあるのかも?

> それがバブル崩壊に遭い、期待していたものが裏切られれば、そりゃあ世の中を恨むし、結婚だって妥協できないだろうなあと。
> なんせ一番多感な中高生時代にバブルのあの雰囲気を見せられてしまったわけですから。
> その辺は、諦めることに慣れてしまった私の世代と、ジェネレーションギャップを非常に感じますし、

とりあえず、旧トルコ担当さんは、
「アッシー君」「メッシー君」「ミツグ君」などの、当時の単語は御存知ですか?

クリスマス・イブの日には、まだ彼女は居なくても、
1年前から「赤プリ(赤坂プリンスホテル)」の部屋を予約して、
当日は、宿泊代・食事代・プレゼント代などで、15〜20万円の予算を投じるのが「相場」だとか、
そんなトチ狂った「バブル期の恋愛」の雰囲気を、カネも無い学生たちが、憧れて見てたとでも思ってません?
もちろん、中には憧れを抱く人たちだって居たでしょうけど、
結構な人たち(特に男性)は、絶望をもって見ていたような時代なんです・・・・
だからこそ、本命の彼氏にはなれないにしても、せめて女性に対して、
車で送り迎えしたり(アッシー)、ご飯を奢ったり(メッシー)、プレゼントを贈ったり(ミツグ)する事で、
疑似恋愛と言いますか、相手にとって都合の良い交友関係を結び、心を慰めていた時代です。
「理想が高いから、妥協が出来ない」世代という認識は、相当にズレていると思いますよ!!
もっと言うなら、想像力や思いやりが足りないとでも言えば良いのかな?(笑)

団塊ジュニア世代は、各世代においても格段に同世代の人数が多かった為、
受験競争は「地獄」と評される程に過酷を極め、そこから こぼれ落ちた層は荒れに荒れ、
苦労して大学生になっても、世の中の経済感覚がブッ壊れていて、恋愛すら出来ず、
ようやく自分たちも社会人になれると思ったら、今度は平成不況の煽りで就職氷河期を迎え、
新卒一括採用ルールの影響で、結婚も出来ず、子供も作れず、非正規で頑張ってた所に、
後からルールが変わるかのように、世間では「自己責任論」の嵐が吹き溢れて、負け犬扱いされ、
そして、リーマン・ショックや東日本大震災で、切り捨てられる中年となった世代なんですよ・・・・
もう少し言うと、こうしたシワ寄せを、後の世代に先送りするのではなく、
この世代に全て追わせて犠牲にする事で、後の世代は、多少なりともマシな扱いを得られた訳ですし、
(リーマン・ショック直撃世代や、コロナ直撃世代は、似たような感じになりましたが)
「自分たちの方が悲惨」みたいな捉え方は、正直、ちょっと違うのかな?というように感じました。

> 私の世代の方がもっと悪化した日本を押し付けられて損をさせられてるのかもしれませんが、
> やはり団塊ジュニア世代ほど世の中を恨む気持ちというのは少ないと思うんですよね。

日本全体が右肩下がりなので、若い人ほど割を食ってるイメージかも知れませんが、
「世代」という括りで見ると、そう単純な下降直線でも無いんですよ。
新卒一括採用の日本社会において、どの世代が割を食わされたか?は、
大学生の就職率の推移↓を見ると、そこそこ掴めるかと思います。
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/fuwaraizo/00183016/image02.gif
新卒一括採用と終身雇用が合わさると、就活時の景気次第で、
その世代の人たちの一生が左右される「運ゲー」社会なんですよね、実は日本のシステムって。

あと、団塊ジュニア世代を犠牲にした結果、
団塊世代の雇用は守られ、その後の世代の就職率も数字上は持ち直しましたが、
日本の人口減少のスピードは、明らかに増してしまいましたし、
彼らが高齢者になった時、物凄い負担となってしまうという、
将来における「大きな爆弾」を、作り上げてしまった面はあるんですよねえ・・・・
それを決めた政治家たちや、その恩恵を受けた団塊世代は、
もう この世に居ませんから、自分たちは無事に逃げ切れるとしても、
「今後の日本社会」の事を思うと、相当にヤバい置き土産を、先送りして残していった事になります。
この件に関しては、若い世代の人たちも、決して他人事では居られませんよ!!
団塊ジュニア世代は人数が多いという事は、それだけ票数も多いという事であり、
民主主義を続けていく限り、大票田となる彼らの存在を、今度は「切り捨てる」事など出来ませんから。

> > 今の日本社会には、キリスト教やイスラム教の社会が担う「共助」の部分が欠けていますし、
> > (と言うか、明治維新により、多少なりとも寺社が担っていた部分が失われた側面も)
> > 北欧諸国のように、高福祉&高負担な「公助」の国でも無いですから、その部分も弱い。
> > だから結局、自助への負担が大きくなり、それでは支えきれない為に、
> > 「集団主義の希薄化」に伴う、「個人主義の弊害」として映るのだと思います。

> 本当かどうか知りませんけど、欧米には存在する寄付の文化が日本には存在しないという話は聞きますし、
> 欧米の方がもともと個人主義的であり、かつ先に近代化しムラ社会が無くなった分、
> そうした状況へ対応するための社会的基盤がより分厚いというのはありそうですね。

そもそも聖書には「収入の1割を献納せよ(10分の1税)」と書かれてますし、
イスラム教における「喜捨(貧者への施し)」は、5つある義務の1つであり、
仏教にだって、「浄財(布教活動や庶民救済への寄付)」というモノがありますからねえ。
「宗教の教義とは、社会を安定させるモラルを説いている」のだと解せば、
宗教的な社会であるほど、寄付の文化が根付いている傾向は、確かにあるでしょうね。

逆に言うと、日本の現代社会というのは、明治維新と敗戦による2度の変革で、
社会生活における、そうした宗教の要素が、かなり抜け落ちた面は実際あるんですよ。
例えば、昨今の旧統一教会の話題に関しても、
世間一般的に、「非常に気持ちの悪い存在」として映っているのは、
彼らが行ってきた霊感商法の件だけでなく、宗教的なモノへの嫌悪感がある気はします。
戦後の日本社会における、「無宗教的な感覚」に伴う空気感とでも言いますか、
特に、戦前世代も多かった20世紀までと、ほぼ戦後世代となった21世紀とも、
「戦後の宗教観」という内容面では大差ないものの、その純度は明らかに増したかと。

> > > 私自身も、アニメのキャラで勝手に百合妄想とかしていると、その時の感覚は本当に人生で圧倒的に一番幸せを感じますし、
> > > 毎日のようにそういった感覚が続く腐女子の人たちは、本当に人生の質が違うんだろうな、と思います。

> > いや、ですから、そうした妄想力が豊かな腐女子の人たちというのも、
> > 天賦の才なんて形で、何も努力せず、最初から豊かな妄想力を得ている訳では無く、
> > 莫大な情熱を傾け、相応の時間なり労力を費やしたからこそ、それだけの妄想力を得ているのでは?
> > 何事でも そうだと思いますけど、手っ取り早く、インスタントに、才能なんて開花しませんよ!!

> (1)なるほど、腐女子の人たちも積み上げがあるのか
> (2)いや、そうやって積み上げられるのも才能であり、腐女子の人たちも楽しいから積み上げを行ってきたわけで、積み上げができない時点で才能の差だよ
> の両方とも思いましたね。

ぶっちゃけた話、産まれながらの「先天的な腐女子」って、どれくらい居るんでしょう?
基本的には、育っていく環境の中でジワジワと、「後天的に腐女子」になっていくのでは?(笑)

例えば、ピアノやバイオリンの演奏など、幼い頃から親などが習わせない限り、
大人になってから自発的に習おうと始めても、そうそう上手く弾けるものではありません。
では、こうした楽器の演奏が「才能」に拠るか?となると、
本当にトップ・レベルまで行けば、才能の差というモノは如実に存在するでしょうけど、
ある程度のレベルまでは、ほぼ「環境」で決まりますし、後はそれを如何に「努力」するかです。
楽しく練習を積んだにせよ、嫌々ながら練習を積んだにせよ(恐らく後者が多数派)、
今では、どんなに楽しそうに楽器を弾いていても、
そこまで楽器が弾けるまでには、相応の練習が必要な訳で、
他人が現状だけを見て、「才能だ」とか「楽しく積み上げた」と、簡単に言うのは違うかな?とも。

まあ、「自分では、どうしようも出来ないモノ」として、才能と環境は似ているかも知れませんが、
才能は先天的であり、環境は後天的である事を思えば、客観的に見た場合に、やはり別物でしょうし、
「努力できるのも才能」などという言葉も、「自分が出来る最大限の努力」を行った上で、
そうした事を言っている人って、私自身は見た事が無いんですよねえ・・・・
極限まで行けば、そうした部分もあるのでしょうが、
でも実際の所、「努力をしたくない為の言い訳」として用いられるのが、ほとんどな印象ですので。

それに、「空想力の豊かさ」なんていうのも、「空想が楽しかったから」という以前に、
様々な環境の要因により、「空想するしか無かった」りする事の方が多いので、
「積み上げられるのも才能」とか、「楽しいから積み上げてきた」などと、安易に考えるのも、
それはそれで、ちょっと違うのかな?という感じは、正直しますけどねえ・・・・
「空想の世界へ、ポジティブに飛び込んでるのか?」
「空想の世界へ、ネガティブに逃げ込んでいるのか?」
傍目には同じに見えても、当人の中では大きく違ったりしますし、
空想とリアルの境目が曖昧だった幼少期はまだしも、自我が確立した上で、
リアルが満たされた上で、空想力まで豊というのが、一体どれだけ可能なのかは???

これは「腐女子」の件にしても同じで、
確かに腐女子となった今は、そうした妄想を満喫しているかも知れませんけど、
そうなる以前の段階として、「腐女子となった過程」が必ず存在している訳であり、
そこまで含めて、本当に全てが「楽しい」モノだったんですかねえ?
その人の屈折度合いが増せば増すほど、腐女子としての腐りっぷりの魅力も高まる気がしますが、
「腐る」、つまりは、それだけ「屈折」するほどの何かが、そこにはあったはずで、
その世界ドップリ浸かり込むほどの何かもあったと考えると、
繰り返しになりますけど、才能だとか、楽しそうだとか、安易に言えなくなる気がするんですよ。

・・・って、そもそもの話、「羨ましい程の腐女子」のレベル設定が、
根本的に、私と旧トルコ担当さんとでは、大きく異なってる可能性もありますけどね(笑)。
私が羨望や嫉妬を抱くのは、世間的には「ヤバい」レベルの人たちですし、
どんな分野であれ、ガチ勢というのは、多かれ少なかれ「強迫観念」に突き動かされてる面がありますが、
ライトに楽しんでいる限りであれば、そうした「闇の側面」と無縁である事も充分ありますので。

> > > ちなみに、管理人さんのイメージしている「努力(費やした時間や労力)の差」による
> > > 「アニメを楽しめるかどうか」って具体的にどういったイメージですか?

> > う〜ん、例えば、同じ作品の視聴を何周もする事により、
> > 初見時には気付かなかった描写や設定など、作品の細部に知れる事もあるでしょうし、
> > 同じ作家の作品や、同じ分野の作品を、網羅的に視聴する事によって、
> > その作家や分野に関して、体系的な見方が出来るようになる事もあるでしょうね。
> > でもまあ、それらの行為って、余程好きでも無ければ単なる苦行でしょうし、
> > コアなオタクであっても、常に楽しんでいるとは限らず、
> > 時には、使命感や義務感で行う事もあるかと思います。
> > ですが、それを乗り越えた先には、満足感や知見を得られる事が想像できる為、頑張れると。

> 私も好きなマンガ・ラノベに関しては、登場人物の関係図+出来事の因果関係を描いた図を作ったりしており、やはりかなりいろいろ気づけて楽しいです。
> ですので、そういうのは把握したうえでの、「腐女子だったらもっと人生楽しいのになあ」でした。
> それこそ、SNSでつながっている現在、その人のツイート頻度にもよりますが、ある程度私生活は把握済みというか(さすがに大げさ)、
> その人が好きなアニメに対してどんなこと考えて、裏でどんなことしてるかも、ある程度分かってしまうんですよね(本人が自分でツイートするので)。
> そうした割と裏側まで見えてしまった上での、「腐女子だったら」なんですよね。

そもそも論として、オタクか否かの以前に、旧トルコ担当さんは「女子」じゃないですよねえ?(笑)
(このサイトの女性比率など皆無に近いと思っているので、そういう想定で語ってますけど)
「オタクである」とか、「腐っている」とか、そういう大きな要素が腐女子にはあるのですが、
それ以上の大前提として、その特徴は、土台や中核の部分を為す「女の子である」事に依拠しているです。
スイーツやファッションに熱を上げ、恋愛話や他女子の悪口に大盛り上がるように、
例えば、カップリングの妄想なんかも、その方向性は違えど、
それと同じ様な女子特有のノリであるのが、「腐女子」の世界だと思われますけど、
旧トルコ担当さんの「腐女子だったら」というのは、そこまで念頭に置いた上での発言なのでしょうか?

う〜ん、何と言いますか、女子には女子なりのメリットがありデメリットがあり、
男子には男子なりのメリットがありデメリットがあるモノですが、
男子側からは女子のメリットが、女子側からは男子のメリットがよく見えても、
男子側から女子のデメリットは、女子側から男子のデメリットはよく見えない事が多く、
「隣の芝生は青く見える」じゃないですけど、メリットとデメリットは表裏一体な所があるのに、
どうも実感が伴わない為か、ついつい「異性だったら」と、安易に捉えがちな面があると思うんです。
「割と裏側まで見えて」との事でしたが、本当に、ここまで見られての発言なのでしょうか?
SNS発信というのは、ある意味で究極の「表」なのですから、
表の発信を大量に浴びたとしても、それは裏側まで見た事とイコールではありません。

ちょっと話が解り難いかも知れませんけど、腐女子が「あのように楽しめる」のは、
彼女たちが多分に女子だからであり、性別の違いを越えて、「あのように楽しめたら」というのは、
上手く言えませんけど、「そこまでのコストを払うつもりがあるの?」という気持ちになります。
簡単に言えば、自分が男子のまま、女子のメリットを欲するのは、相応の苦労を要するでしょうし、
立場を逆にすれば、彼女たちだって、仮に男子のメリットを欲しても、なかなか難しいモノかと?
少なくとも、男子が要する労力以上のモノを、彼女たちは払わなければならないはずです。

> > でもまあ、自分から「楽しい」を作ってる側にしても、
> > 苦しんだり、辛かったりするかは別として、相応の苦労や努力はしているはずで、
> > その部分を感じ取らずに、安易に羨んだり、嫉妬したりするのは、ちょっと違うかな?という気も。

> その人の人生の一部だけを垣間見て羨んでいるわけではなく、ある程度まで見えてしまうのが、インターネットの悲劇だと。
> この人毎日楽しそうだな、の毎日は、SNSの場合、本当に"毎日"を見て、楽しそうだなと思っている場合もあると。
> まあ実際は、毎日が楽しそうな人より、「こいついっつも後ろ向きなことばっかり考えてんな」とか
> 「こいつ毎日韓国人の悪口言ってるな」という方が見えてしまいがちですがw

でも実際の所、「楽しいばかりの毎日」なんて、リアリティーがあります!?
まあ、世の中を探せば居るのかも知れませんけど、そんな人は圧倒的に少数派なはずで、
それって結局、SNSでは「楽しい」部分しか発信してないって事でしょうし、
発信のベクトル(方向性)が異なるだけで、後ろ向きや悪口ばかりの発信と、実は大差ないのかも?

とは言え、大きなリターンには、それ相応のコストを要するのは、そうとして、
「小さな幸せ」であれば、苦労は少なめで、コスパ良く得ている人たちも居るでしょうから、
満足度のラインが下がっている昨今なら尚更、そういう志向もアリかも知れませんね!
それこそ、前にも言いましたけど、現在って「努力や挑戦のコスパが悪い」時代ですし。

例えば、そろそろサッカーW杯の開幕が迫ってきましたけど、
毎回4年に1度、W杯の時だけ、サッカーに盛り上がる層は結構な数が居て、
ずっと追い続けてる立場からすれば、美味しい所を取るだけで、何だかズルく感じられるものの、
予選で味合わされた、キリキリやイライラした感情を抜きに、
単純に「楽しむ」だけに徹せられるのも、それはそれで「羨ましい」部分もあるのかな?(笑)。
でも逆に言えば、ずっと追い続ける方が、長い時間を掛けて、酸いも甘いも味わえる訳で、
そうした積み重ねの上でのW杯観戦は、その時だけの「摘み食い」で得られるモノとも違うでしょうし、
もっと言うと、小さな大会まで現地に駆け付けて応援するような、熱狂的なサポーターには、
また別の次元での、「羨ましさ」を感じる部分もあるんですよね!!
コアなファンに対しては、その羨ましさの中に、憧れや嫉妬が混じりますけど、
にわかファンに対しては、そういった感情は混じらず、ただ単に「楽しそう」と感じるだけかな。
要するに、コア層にも、ライト層にも、「人生を満喫してる感」は同じく感じても、
その中身というのが、正反対というか、まるで異なるモノだろうな・・・という事です。


[24047] 私から見る80,90年代返信 削除
2022/10/13 (木) 03:33:02 旧トルコ担当


納得いくまで書き直していると、いつまでたっても投稿できないので、書けたところだけ投稿します。


管理人さんの話を聞いていると、80,90年代というのはすごくパワフルな時代だったんですねぇ、としか思えないです。
80年代に学校が荒れたのは、地獄の受験戦争をドロップアウトした組が、ある種のルサンチマンとして暴れてたというのも、競争に負けてドロップアウトしたにもかかわらず、「まだ暴れる元気があるのかあ……」というのが正直な感想ですし。今の世代であれば、受験戦争からドロップアウトすれば引きこもるでしょう。
アニメ版カイジ1期のED曲(https://www.youtube.com/watch?v=7F8xpgcw8oM)が、「あの娘は彼氏候補の男と グループでスノボに行った 残された俺たちはつぼ八で飲みました」という、モテないことへの屈折した感情を歌ってる曲なんですけど、今だったらつぼ八で男だけで楽しく飲んで楽しい思い出で終わりそうです(モテたいとか、そんなこと考えなさそう)(カイジは原作が96年〜)。


ですがまあ私より若い世代は、小学生女子の読むマンガでさえ「両思い」ではなく「つき合う」らしいので、まだまだ私の世代は恋愛に夢や希望を抱いているのでしょうかね。
両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。
私は「小学生のころからそんなに大人にならなくてもいいじゃん」なんて思うのですが、私より下の世代からすれば、私の世代はパワフル……というより、イタいんのでしょうね。
私の場合はちょうど中学生のころにLINEとスマホが普及し始め、そういった技術進歩による社会の変化を感じられて、歴史好きとしては面白い時代に生まれた半面、
まだまだYouTubeではなくテレビに思い入れのある上の世代ともジェネレーションギャップを感じますし、一方で小学生のころからLINEやYouTubeを使ってきた世代とも、大きなジェネレーションギャップを感じるんですよね。
もちろん、どの世代だってそんなものなのかもしれませんが、やはりここ十数年の技術進歩の速度は世界史でも有数の速さだと思いますし。
仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ(世代間人口比の問題で非常にゆっくりとした速度でだとは思いますが)。
私から見れば、80年代の学校が荒れていた時代こそパワフルだなあ、と思うのですが、おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。


[24050] Re:私から見る80,90年代返信 削除
2022/10/18 (火) 21:16:40 徳翁導誉

> 管理人さんの話を聞いていると、80,90年代というのはすごくパワフルな時代だったんですねぇ、としか思えないです。
あっ、それは確かに、そうでしょうね!!
何と言っても当時は、世界的にも「Japan as No.1」と言われて、
日本人の多くも、本気で「アメリカ越え」を狙っていた時代でしたから、
もう社会全体が、今とは比べ物にならないくらい、活気と自信に溢れていたのは事実です。
恐らくは現在の中国以上に、「行け行けドンドン」な感じでしたね、当時の日本と日本人は。

> 80年代に学校が荒れたのは、地獄の受験戦争をドロップアウトした組が、ある種のルサンチマンとして暴れてたというのも、
> 競争に負けてドロップアウトしたにもかかわらず、「まだ暴れる元気があるのかあ……」というのが正直な感想ですし。
> 今の世代であれば、受験戦争からドロップアウトすれば引きこもるでしょう。

「集団レイプする人は、まだ元気があるから良い。まだ正常に近いんじゃないか」という
太田誠一(元農水大臣)の発言を、何だか思い出してしまった(苦笑)。

まあ、それはさておき、暴れる元気があるというか、
同級生にせよ、兄弟にせよ、とにかく人数が多い世代ですから、
暴れでもしないと、誰も自分を見てくれないとか、
より派手に暴れないと、自分に注目が集まらないとか、そういう心理は確実にあったのでしょう。
そういう意味では、現在とは表現手段が異なると言うだけで、
その行動原理が「承認欲求」にあるという意味では、人間ってそれほど変わらないですよね。

逆に言うと、今は少子化の影響もあり、当時より遥かに1人1人に目が届く時代ですから、
だからこそ、「そのままだと埋もれるから、悪目立ちでも良いから目立ちたい」ではなく、
「そのままだと目立つから、悪目立ちしないよう埋もれたい」と、なるのかも?
でもこれって、結果としての行動は正反対でも、最初のスタート地点が異なるだけで、
人間の行動原理としては、似たり寄ったりな感じはしますけどね。

あとは、当時は今と違って、経済状況が良かったですから、
別に、受験戦争でドロップアウトしても、余程の道の外し方でもしない限り、
土木関係の労働者として、働き口は豊富にあり、それで人並みの生活を送れたので、
「俺も昔は悪くてさぁ」なんて毎晩飲みながら、それでも普通に家庭を持てる時代でした。
そういう意味では、現在の「ドロップアウト観」とは、大きく異なるのも事実でしょうね。

> アニメ版カイジ1期のED曲(https://www.youtube.com/watch?v=7F8xpgcw8oM)が、
細かいツッコミですが、これは「破戒録篇」なので、1期ではなく2期のエンディング曲ですね。

> 「あの娘は彼氏候補の男と グループでスノボに行った 残された俺たちはつぼ八で飲みました」という、
> モテないことへの屈折した感情を歌ってる曲なんですけど、
> 今だったらつぼ八で男だけで楽しく飲んで楽しい思い出で終わりそうです

個人的なイメージで言っちゃいますけど、
今の若い世代って、そもそも、集まって居酒屋とか行きます?
いや、もちろん行く人は行くんでしょうし、昔より頻度が減ってるだけかも知れませんけど、
ここ十数年くらいの間で、若者のファミレス離れや居酒屋離れが、かなり進んだ印象なので。
しかも、ここ2〜3年はコロナ禍もあり、その傾向が更に加速してそう・・・・

> ですがまあ私より若い世代は、小学生女子の読むマンガでさえ「両思い」ではなく「つき合う」らしいので、
> まだまだ私の世代は恋愛に夢や希望を抱いているのでしょうかね。

んん!?
この一文↓を何度も引用していたのは、旧トルコ担当さん自身なのでは?
> > > 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
> > > https://lee.hpplus.jp/column/2113728/

これって結局、例えば「オタク」という単語が、
「コア層」を指す言葉から、意味が拡大して、「ファン全般」を指す言葉へと変化したように、
「付き合う」という言葉も、意味が拡大して、「両想い」の状態も含む言葉となった・・・という話なのでは?
言うなれば、まだ恋人段階である彼氏や彼女の事を、旦那とか嫁と呼ぶ、昨今の感覚とも似た感じかと。
(オタクが「○○は俺の嫁」とか言ったりするのも、ここからの派生ですね)
要するに、単純に言葉の意味が拡大されたと言うよりは、
自分に対する「特別感」を演出したいが故に、敢えて一段高い言葉を用いる訳ですが、
そうした用法が多発される事で、次第に言葉の特別感は薄れてしまい、済し崩し的に意味が拡大される具合かな。

実際の所、小学生の「付き合う」って、具体的な「行動」として何を行うんでしょ?
それこそ昔は、好きと付き合うは明確な区別があり、「恋愛のABC」などと言われましたが、
(念の為に言っておくと、Aはキス、Bはペッティング、Cはセックスを指す隠語)
現在は、そこを分ける隔たりが、希薄になってきたというだけの話な気はしますね。

> 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
まあ「結婚」であれば、明確に契約ですし、法律的な効力が発生する為に、
それは一面において、「社会的関係」とも言えるかも知れませんが、
「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

それこそ、別に恋愛でなくても、「買い物に付き合う」みたいな表現をするじゃないですか?
例えば これが、阪神タイガースのファンの話であれば、
両想いというのは、お互いが阪神ファンである事を認識した状態の事を指します。
そして付き合うとは、「じゃあ今度、一緒に甲子園球場へ行こうか」みたいな事です。
同じファン同士、阪神についての会話をするのが楽しい・・・くらいのレベルは、
両想いだけど付き合ってはいない、みたいな感じですよね。
(両想いを付き合うと表現するのは、会話レベルまで「行動」の対象に含めるイメージ)
逆に言うと、別に両想いじゃなくても、付き合う事は可能なように、
別に阪神ファン同士じゃなくても、一緒に甲子園へ野球観戦に行く事は可能です。

> 私は「小学生のころからそんなに大人にならなくてもいいじゃん」なんて思うのですが、
> 私より下の世代からすれば、私の世代はパワフル……というより、イタいんのでしょうね。

つまり、上記の結論からすると、
私と旧トルコ担当さんとで、「オタク」という言葉の定義が異なるのと同じように、
旧トルコ担当さんと今の小学生とで、「付き合う」の言葉の定義が異なるのに、
そこを同一と捉えてしまうから、「そんなに大人に」という感想を抱くのでは?

いや勿論、時代と共に、子供たちの認識も、どんどんマセていくのは事実なのでしょうけどね。
それこそ戦前までは、「男女七歳にして席を同じうせず」みたいな感覚があったでしょうし、
戦後昭和の頃も、男子と女子の間に、大きな壁があったのは確かですが、
今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> 私の場合はちょうど中学生のころにLINEとスマホが普及し始め、
> そういった技術進歩による社会の変化を感じられて、歴史好きとしては面白い時代に生まれた半面、
> まだまだYouTubeではなくテレビに思い入れのある上の世代ともジェネレーションギャップを感じますし、
> 一方で小学生のころからLINEやYouTubeを使ってきた世代とも、大きなジェネレーションギャップを感じるんですよね。

まあ、生まれた時からネットがある「デジタル・ネイティブ世代」という意味では、
今の大学生も、小学生も、同じ括りになるのかも知れませんが、
20年くらい前はデジタル黎明期であり、ここ10年ほどでデジタル技術も飛躍的に進歩した事を思うと、
確かに、全く同じという訳ではありませんよね。

それこそ、再来年からは小学校でデジタル教科書が本格導入される予定ですし、
現段階においても、まだ平仮名の練習をしている小学1年生が、
ノートPCを開いて、先生から送信された学校の宿題をしていたりするのを見ると、
紙の教科書しか無かった世代とは、また違ってくるのでしょう・・・・
ちなみに、数年前の文科省の計画では、再来年度の共通テスト(旧センター試験)から、
キーボード入力での回答に移行する予定もありましたが・・・まあ、間に合わないでしょうね(笑)。
英語はTOEICやTOEFLに完全移行し、共通テストから英語科目を除外する予定も、現状では頓挫してますし。

とは言え、アナログしか無かった時代を知ってる私世代からすると、
デジタル世代間のギャップなんて、そこまで大きなモノとは感じませんけどね(笑)。
それ以上に、アナログ世代とデジタル世代のギャップの方が、遥かに大きいですから。

> もちろん、どの世代だってそんなものなのかもしれませんが、
> やはりここ十数年の技術進歩の速度は世界史でも有数の速さだと思いますし。

でも、それって、今後は更に凄いスピードで動くのでしょうけどね。
技術の進歩というのは、加速度的に勢いを増して行っていますから。
そういう意味では、これまでの10年より、これからの10年の方が速く、
これからの10年より、更にそこからの10年の方が速いはず。

あと、同じく「技術」と言っても、「発明的な技術」と「改良的な技術」とがあり、
社会に与えるインパクトという点では、前者の方が格段に大きかったりします。
そうした観点からすれば、確かに ここ10年ほどの進歩は大きいとは言っても、
それで大きく変わったのは、利便性や安さであったり、選択肢の数であったりが中心で、
「今まで出来なかった事が、何か新たに出来るようになったか?」と問われると・・・・

もう少し、解りやすい指標に置き換えるとすれば、
では世界史的に見て、今の人々は、過去の人々と比べ物にならないほど、
技術の進歩に「熱狂」しているか?となると、決して、そうとは言い切れませんからねえ。
そう考えると、絶対的な変化量ならまだしも、相対的な変化量として、今が本当に凄いのか否か?
例えば、100年後、200年後とかに、20世紀や21世紀を俯瞰的に歴史として見た際、
「2010年代の進歩は凄いな!」となるかとなれば、正直、そうはならない気がするんですよ。
身も蓋もない言い方をするなら、人類史的に「凄い時代だった」と言うよりも、
旧トルコ担当さんの個人史的に「凄い時代だった」という所に、落ち着きそうな感じがします(笑)。

> おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

いや〜、正直言って私には、
岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。
例えば、今で言う「推しが尊い」みたいな感覚は、80年代のアイドル文化にもありましたし。


[24071] Re2:私から見る80,90年代返信 削除
2022/10/30 (日) 03:04:58 旧トルコ担当

> > 「あの娘は彼氏候補の男と グループでスノボに行った 残された俺たちはつぼ八で飲みました」という、
> > モテないことへの屈折した感情を歌ってる曲なんですけど、
> > 今だったらつぼ八で男だけで楽しく飲んで楽しい思い出で終わりそうです

> 個人的なイメージで言っちゃいますけど、
> 今の若い世代って、そもそも、集まって居酒屋とか行きます?
> いや、もちろん行く人は行くんでしょうし、昔より頻度が減ってるだけかも知れませんけど、
> ここ十数年くらいの間で、若者のファミレス離れや居酒屋離れが、かなり進んだ印象なので。
> しかも、ここ2〜3年はコロナ禍もあり、その傾向が更に加速してそう・・・・


ああ、やはり居酒屋離れも進んでるんですね。
私もさすがにちょっと高すぎるようなと感じましたし、やはり若者の金銭感覚はそんな感じなんですね。

> > ですがまあ私より若い世代は、小学生女子の読むマンガでさえ「両思い」ではなく「つき合う」らしいので、
> > まだまだ私の世代は恋愛に夢や希望を抱いているのでしょうかね。

> んん!?
> この一文↓を何度も引用していたのは、旧トルコ担当さん自身なのでは?
> > > > 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
> > > > https://lee.hpplus.jp/column/2113728/

> これって結局、例えば「オタク」という単語が、
> 「コア層」を指す言葉から、意味が拡大して、「ファン全般」を指す言葉へと変化したように、
> 「付き合う」という言葉も、意味が拡大して、「両想い」の状態も含む言葉となった・・・という話なのでは?
> 言うなれば、まだ恋人段階である彼氏や彼女の事を、旦那とか嫁と呼ぶ、昨今の感覚とも似た感じかと。
> (オタクが「○○は俺の嫁」とか言ったりするのも、ここからの派生ですね)
> 要するに、単純に言葉の意味が拡大されたと言うよりは、
> 自分に対する「特別感」を演出したいが故に、敢えて一段高い言葉を用いる訳ですが、
> そうした用法が多発される事で、次第に言葉の特別感は薄れてしまい、済し崩し的に意味が拡大される具合かな。
>
> 実際の所、小学生の「付き合う」って、具体的な「行動」として何を行うんでしょ?
> それこそ昔は、好きと付き合うは明確な区別があり、「恋愛のABC」などと言われましたが、
> (念の為に言っておくと、Aはキス、Bはペッティング、Cはセックスを指す隠語)
> 現在は、そこを分ける隔たりが、希薄になってきたというだけの話な気はしますね。


何をしているかはむしろ問題にしていないんですよね。
行為・行動そのものの進み具合としては、私より若い世代ではむしろ積極的に恋愛のいろはを歩んでなさそうなイメージ。
私が問題にしているのは、行っている行動・行為は同じであっても、それを何と呼ぶか(命名するか)というのが違う、というところの微妙なニュアンスの問題なんですよね。
同じ親から生まれた関係を、日本では兄弟姉妹と呼び、アメリカではbrother/sisterと呼ぶ、というのは若干のニュアンスの違いがありますから、正確には兄弟=brotherでないのと同じように、
男女の相思相愛の状態を「両想い」と呼ぶのと「付き合っている」と呼ぶのでは、ニュアンスが異なると思うんですよね。

これって、私がラノベを読む程度には文学系の人だからそう考えるのですかね。
管理人さんは小説は読まないようですし。

> > 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> > チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

> う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
> まあ「結婚」であれば、明確に契約ですし、法律的な効力が発生する為に、
> それは一面において、「社会的関係」とも言えるかも知れませんが、
> 「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
> その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
> 結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。


そりゃ結婚と比較すれば、付き合うというのは大して社会的関係ではないかもしれませんが、
単なる気持である両想いと比較すると、付き合うというのは、互いに「付き合うってだいたいこういうことだよね」というおおよその共通理解があり、自分たちもそういった関係だよね、と確認するということですからね。
例えば、付き合っているのに別の誰かを好きになれば、それは少なからず裏切りになるでしょうし。
あと、付き合うというのはその関係をオープンにすることであり、周囲のクラスメイトなどから、そういった扱いを受ける、というニュアンスも含まれています。

付き合う、という状態を互いで確認しあったり、あるいは周囲に宣言したりするのは、
「人間心理、人間関係は複雑で、両者の思い違いとか、すれ違いとか、そういったものがある」と認識するからこそ、互いの気持ち・認識をすり合わせるために行うと思うんですよね。
両想いという言葉では、そういった認識の共有という点が抜けている分、無条件に自分の気持ちと相手の気持ちは同じだと思っていて、あとあと「私の思っていたのと違う」ということが起こるということをまだ想定できていないと。
それを想定して、私達つきあってるよね、と言葉で共通認識を作る行為そのものが、大人っぽいなと感じるわけです。

> それこそ、別に恋愛でなくても、「買い物に付き合う」みたいな表現をするじゃないですか?
> 例えば これが、阪神タイガースのファンの話であれば、
> 両想いというのは、お互いが阪神ファンである事を認識した状態の事を指します。
> そして付き合うとは、「じゃあ今度、一緒に甲子園球場へ行こうか」みたいな事です。
> 同じファン同士、阪神についての会話をするのが楽しい・・・くらいのレベルは、
> 両想いだけど付き合ってはいない、みたいな感じですよね。
> (両想いを付き合うと表現するのは、会話レベルまで「行動」の対象に含めるイメージ)
> 逆に言うと、別に両想いじゃなくても、付き合う事は可能なように、
> 別に阪神ファン同士じゃなくても、一緒に甲子園へ野球観戦に行く事は可能です。
>
> > 私は「小学生のころからそんなに大人にならなくてもいいじゃん」なんて思うのですが、
> > 私より下の世代からすれば、私の世代はパワフル……というより、イタいんのでしょうね。

> つまり、上記の結論からすると、
> 私と旧トルコ担当さんとで、「オタク」という言葉の定義が異なるのと同じように、
> 旧トルコ担当さんと今の小学生とで、「付き合う」の言葉の定義が異なるのに、
> そこを同一と捉えてしまうから、「そんなに大人に」という感想を抱くのでは?
>
> いや勿論、時代と共に、子供たちの認識も、どんどんマセていくのは事実なのでしょうけどね。
> それこそ戦前までは、「男女七歳にして席を同じうせず」みたいな感覚があったでしょうし、
> 戦後昭和の頃も、男子と女子の間に、大きな壁があったのは確かですが、


戦後になってから、女の子が男の子を「くん」で呼ぶようになったらしいのですが、https://toyokeizai.net/articles/-/88313
この辺のニュアンスといいますか、意義っていうのは管理人さんは知りませんかね?なかなか探してもピンポイントで情報が出てくることはないので。

> 今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
> 一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
> 異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?


確かに私も異性の友達が当たり前の世代ですので、友達の延長線としての異性関係というのも非常になじみ深いので、
だからこそ、「両想い」ではなく「付き合う」という言葉が当てはめられているあたりに、あ〜あという気がするんですよね。

> > おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
> エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
> と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
> 却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。


いや世間一般からすればずっとキモかったのでしょうけど、オタク層の年下世代からもそう思われるだろう、ということです。
これはエヴァに限らず、その後のセカイ系や今のなろう系、あるいは萌え系そのものも含めて、キモイと言われるだろうということなんですよね。

> > 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> > 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> > それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> > おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

> いや〜、正直言って私には、
> 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
> 何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。


管理人さんも、ホワイト化の調査のためにアニメ等を見るわけでもないでしょうし、自分の目に入る範囲内で考えるとホワイト化の傾向が見えないと仮定すれば、確かにそんなものかもしれません。
人口比で若者人口が減っているという点を置いておいても、そもそも普通は自分と同じ年齢帯を対象としたコンテンツしか見ませんし。
アニメはなんだかんだでオタク層の広い範囲を扱っていますのでホワイト化傾向はそこまで高くないですが、ソシャゲのイベント付属のストーリー等はもう異常なまでにホワイトですよ。
子ども向けの絵本のようなストーリーを萌えキャラがやってますからね。

オタク系だと、「アイドルマスター シャイニーカラーズ」(2018〜)というソシャゲがあり、
キャラ数が増えすぎて新規層の参入が困難になるのを防ぐため、定期的に行われるアイマスの新世代向け新作シリーズの一つなのですが、
これを見たときに一番衝撃を受けたのがキャラデザなんですよね。
なんというか、全然オタクコンテンツっぽくないと。
初期キャラクターのうち、櫻木真乃、風野灯織、八宮めぐるはいつものアイマス信号機の典型的なキャラなのでいいとして、
杜野凛世、園田智代子、小宮果穂、西城樹里、有栖川夏葉の放課後クライマックスガールズと、
月岡恋鐘、田中摩美々、白瀬咲耶、三峰結華、幽谷霧子のL'Anticaは、全然オタクコンテンツのキャラじゃなくて、明確に非オタク層(なんちゃってオタク層)を狙っている感じが出ていると。
(杜野凛世と月岡恋鐘だけは、男性主人公大好きキャラと、長崎弁の巨乳キャラでオタク向けっぽいですが)
残った大崎甘奈、大崎甜花、桑山千雪のALSTROEMERIAはオタク向けですが、これはこれでオタク向けはオタク向けでも、割と百合に近いような浄化されたオタクコンテンツのキャラなんですよね。
具体的には、キャラ同士のいちゃいちゃで完結していて、男主人公が挟まる余地が無いと。
何というか、新世代のファンを取り込むにあたってマーケティングされたキャラクターたちとして「これが正解なのかあ」と。
なのでそういった違和感みたいなものは、岡田斗司夫のホワイト革命論以前から何となく感じていたことなんですよね。
岡田斗司夫のホワイト革命論以前は、こういう変化をオタクコンテンツが過度に非オタク層へ向けて制作されるようになったからなのだと思っていました。
シンデレラガールズの時にはいた、橘ありすのようなロリキャラもいなくなり、代わりにの小宮果穂はロリというより子どもっぽい元気系のキャラですし。
橘ありすは二次創作でも人気ですし、ロリキャラは人気がないというわけではないと思うんですけど、マーケティング的判断から、やめておこうということなんでしょうね。

全然見てませんが、ラブライブも男性主人公不在の作品ですよね。
ライトノベルも、例えばソードアート・オンラインはネットでの発表が02年で、電撃文庫での第1巻出版が09年、現在も連載中ですけど、シリーズ通して新しいものほどホワイト化の傾向は非常によく感じます。

岡田斗司夫のホワイト革命論も、「先生、みなの前でほめないでください」も、私としては「あ〜あるある」というのが多分に含まれていたんですよね。
私は「スカッとジャパン」みたいなものが凄く嫌いなんですけど、岡田斗司夫のホワイト革命論に触れるまでは、私だけの個人的なものだと思っていましたし。
今の世代にとって「スカッとジャパン」みたいなものは朝鮮人差別や中国人差別に近いので、若者から嫌われたくない年上の人は絶対見るのやめた方がいいと思うんですけど、その辺の理解が進んでいないんですよね。
私としては、それがちょっと年上の世代の人を見ていて、ちょっとかわいそうに思えるんですよね。
「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

> 例えば、今で言う「推しが尊い」みたいな感覚は、80年代のアイドル文化にもありましたし。

推しが尊いというよりは、まぶしいという感覚の方がよりホワイト化傾向を表していると思いますね。
恋愛している人はまぶしいですし、夫婦で子供育てている人はまぶしいですし、アニメのキャラもまぶしいですし、リア充もまぶしいんですよね。
リア充の方がちゃんと友達もいて、彼女もいて、それでオタクに当たりがきついのが昔のリア充なのでしょうが、今じゃオタクにも優しかったりするので、もうこっちが生きててすみませんでした、と頭を下げるしかないんですよね。
このあたりが若者の自己肯定感の低さというやつなのでしょう。


[24073] Re3:私から見る80,90年代返信 削除
2022/11/8 (火) 20:12:17 徳翁導誉

> > > ですがまあ私より若い世代は、小学生女子の読むマンガでさえ「両思い」ではなく「つき合う」らしいので、
> > > まだまだ私の世代は恋愛に夢や希望を抱いているのでしょうかね。

> > んん!?
> > この一文↓を何度も引用していたのは、旧トルコ担当さん自身なのでは?
> > > > > 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
> > > > > https://lee.hpplus.jp/column/2113728/

> 同じ親から生まれた関係を、日本では兄弟姉妹と呼び、アメリカではbrother/sisterと呼ぶ、というのは
> 若干のニュアンスの違いがありますから、正確には兄弟=brotherでないのと同じように、
> 男女の相思相愛の状態を「両想い」と呼ぶのと「付き合っている」と呼ぶのでは、ニュアンスが異なると思うんですよね。

ニュアンスの違いというか、本来的には全くの別物ですよ。
見も蓋も無い言い方をすると、別に「両想い(好き)」じゃなくても、「付き合う」事は可能ですし、
実際、年齢を重ねたオトナの恋愛ほど、そうした打算的なモノになっていくもので、
逆に、「恋愛≒両想い」な傾向が強まるほど、年齢も下がっていくような気がします。

> > > > 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> > > > チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

> > う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
> > 「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
> > その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
> > 結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

> 例えば、付き合っているのに別の誰かを好きになれば、それは少なからず裏切りになるでしょうし。
> あと、付き合うというのはその関係をオープンにすることであり、
> 周囲のクラスメイトなどから、そういった扱いを受ける、というニュアンスも含まれています。

あ〜、なるほど。 何だか解りました。
これは以前にも話題とした、「便所メシ」世代の話と通ずる部分があるかも?
こうした認識が、若い世代に共通なのか、それとも旧トルコ担当さん個人の感覚かは解りませんけど、
そもそも恋愛というのは1対1の個人的関係であり、そこに第3者を交えるかは関係無いはずです。
ですけど、周囲の目を気にする事が、無自覚の内に大前提となっているが故、
上記のようなニュアンスも含むと決め付けてしまい、「社会的関係」であると思い込んでいるのかも?
言ってしまえば、自分(たち)の常識が、必ずしも世間の常識とは限らないと言う話ですね。

それこそ一昔前までは、中高生の恋愛って校則で禁じられてたりしましたし、
であればこそ、実際に付き合っていたからと言って、
その関係性をオープンにするとか、周囲に認知させるとか、そうした事はイコールではありませんでした。
では、それは昔の話であり、今は違うのかとなると、必ずしも そうとは言い切れず、
まあ中高生はまだしも、会社内とか大学サークル内とかの恋愛は、周囲に余計な気遣いを生じさせる為、
今の時代であっても、「隠れて付き合う」というのは、決して珍しい事では無いはずですよ。

と言いますか、何度も繰り返すようですが、
付き合うというのは1対1の「個人的関係」なので、
そこに第3者が介在するような「社会的関係」が、大前提では決して無いですからねえ。
解りやすく言えば、そういうケースも確かにあるかも知れませんが、それが全てではありませんし、
便所メシの件もそうですけど、飯を食うのに、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのと同じく、
1対1の恋愛に、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのは、正直あります。

> > いや勿論、時代と共に、子供たちの認識も、どんどんマセていくのは事実なのでしょうけどね。
> > それこそ戦前までは、「男女七歳にして席を同じうせず」みたいな感覚があったでしょうし、
> > 戦後昭和の頃も、男子と女子の間に、大きな壁があったのは確かですが、

> 戦後になってから、女の子が男の子を「くん」で呼ぶようになったらしいのですが、https://toyokeizai.net/articles/-/88313
> この辺のニュアンスといいますか、意義っていうのは管理人さんは知りませんかね?
> なかなか探してもピンポイントで情報が出てくることはないので。

これは、「くん付け」に関しての質問って事で良いですかねえ?
確か一般的に、相手を「○○君」と呼び始めたのは、幕末の志士たちだったと思いますよ。
それまでの日本社会って、封建社会でしたから、全てが上下関係を基準としていましたが、
志士たちというのは、双方の身分に囚われず、対等な立場からの議論を求めましたから、
そこで新たに生まれた敬称こそが、「○○君」という呼び方であり、
それが明治維新の後、学問や政治の場でも用いられるようになったはずかと。

ですが、戦前の日本社会は、市民平等を唱う世ではあったものの、
普通選挙が導入されても、選挙権を有するの男性のみだったように、男女平等な世では未だ無く、
それが戦後となって、男女平等を目指す、アメリカ主導の新しい世となった際、
女性が男性と対等の立場になった事を示す意味でも、「くん付け」が推奨されたのかな?
「さん付け」は、目上にも目下にも使いますし、逆に言うと、
今は解りませんが、部活の先輩を「くん付け」などしたら、折檻モノでしたね。
とは言え、私も「男子には くん付け、女子には さん付け」を当たり前に育った世代なので、
正直な所、あまり詳しくは知らないと言うか、変化の体験談みたいなモノはありません(笑)。

ただ、昨今の小学校では、イジメ防止&男女平等の観点から、
「あだ名禁止&さん付け奨励」な所も多いので、
男の子であっても、「○○さん」と呼ぶようになってますね。
で、小学校の高学年や中学になると、下の名前を呼び捨てにする事が増え、
昔よりも男女の垣根が低いので、女子でも男子を呼び捨てにする事が多いかな?

> > 今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
> > 一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
> > 異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> 確かに私も異性の友達が当たり前の世代ですので、友達の延長線としての異性関係というのも非常になじみ深いので、
> だからこそ、「両想い」ではなく「付き合う」という言葉が当てはめられているあたりに、あ〜あという気がするんですよね。

まあ私は昭和世代なので、私が子供の頃は、
男子と女子が仲良く話すだけでも、冷やかされたり馬鹿にされたりした時代だったので、
正直言って、男女の間には壁があるというか、
ぶっちゃけて言うと、「敵対関係」「冷戦状態」みたいな感じでした(笑)。
また、先輩・後輩の上下関係や、教師・生徒の上下関係は、
今とは比べ物にならないくらい、厳しかったかな?

そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?

> > > おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
> > エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
> > と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
> > 却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> いや世間一般からすればずっとキモかったのでしょうけど、オタク層の年下世代からもそう思われるだろう、ということです。
> これはエヴァに限らず、その後のセカイ系や今のなろう系、あるいは萌え系そのものも含めて、
> キモイと言われるだろうということなんですよね。

例えばセカイ系なんて、今では新海誠が「国民的なアニメ監督」となってる時点で、
キモいと言われる所か、エヴァ以上に「一般化」してしまった印象すらありますけどね(笑)。
萌え系にしても、どこも かしこも それ系のマスコット・キャラが作られていますし・・・・

って、それはさておき、オタク内での話であったとしても、
やはり、エヴァがキモくて イタいのは、当時からだと思いますけどねえ(笑)。
旧劇場版における最後の台詞も、「気持ち悪い」という一言であり、
それは、アスカからシンジに向けられたメッセージであるだけでなく、
庵野監督からオタクたちに向けられたメッセージでもあるのでしょうし。

あと、時代や世代が変われば、評価だって様変わりするのも、当然と言えば当然の事で、
我々人類の文化は、そんな事を何度も繰り返してきてますから、
当時と現在だけをピックアップして、そこに特別な意味を込めさせる必要も無い気はします。

> > > 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> > > 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> > > それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> > > おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

> > いや〜、正直言って私には、
> > 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
> > 何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。

> 岡田斗司夫のホワイト革命論も、「先生、みなの前でほめないでください」も、
> 私としては「あ〜あるある」というのが多分に含まれていたんですよね。
> 私は「スカッとジャパン」みたいなものが凄く嫌いなんですけど、
> 岡田斗司夫のホワイト革命論に触れるまでは、私だけの個人的なものだと思っていましたし。
> 今の世代にとって「スカッとジャパン」みたいなものは朝鮮人差別や中国人差別に近いので、
> 若者から嫌われたくない年上の人は絶対見るのやめた方がいいと思うんですけど、その辺の理解が進んでいないんですよね。
> 私としては、それがちょっと年上の世代の人を見ていて、ちょっとかわいそうに思えるんですよね。

う〜ん、腑に落ちる感覚がして、スカッとするのは別に良いのですが、
その快楽に呑まれると言うか、確証バイアスみたいな感じで、全てを色眼鏡で見てしまい、
そこを指摘されると、自らを省みるより、相手が間違っていたり、認識不足を疑うのは、
思考の構図として、陰謀論などにハマるのと大差ありませんし、
それこそ対象や方向性が異なるだけで、嫌韓反中やQアノンと変わりませんよ・・・・
そうした事に、どれだけ自覚を持ててますか?

似たような内容の話は、これまでに何度も行っていますけど、
自分の中で腑に落ち「なるほど!」と思えた場合こそ、自分の中での反証が重要なんですって!!
「あれも当てはまる、これも当てはまる」と、都合良く証拠を追い求めてしまうと、
無自覚なまま、1しかないのに10に見えたり、当てはまらないモノは視界の外に追いやったり、
そうしながら、これが正しいと思い込んだ結論に、ハマってしまいがちなんです。

例えば、それこそ、この論法を用いる事により、
「スカッとジャパンが人気だったのも、ホワイト化の現れ!」と見なす事だって可能です。
ですが、この場合、旧トルコ担当さんの中で「この番組は嫌い」という感情がある為、
「これは当てはまらない」と、なるのでは無いでしょうか?(笑)
で、もしも実際、そう思われたとすれば、
それは何よりも、「ホワイト革命を恣意的に適用」していた証になろうかと。
要するに、あの番組内容にハマれずムカっとすれば、それを嫌う事がホワイト化と映るでしょうし、
逆に ハマれてスカッと出来れば、汚いヤツを裁く痛快劇としてホワイト化の象徴のように映るはず。

また、イヤミ課長役で人気を博した木下ほうかの、若手女優への性的強要が発覚した際の反応を見ても、
一定の若者人気(特に女性層)がある番組なのは感じ取れてましたから、
「中高年が好んで見ていて、若者は好まない番組」と決め付けているのは、正直 違うと思いますよ。
この部分に関しても、自分中心の視点で物事を判断しがちな傾向が顕れてませんか?
私からすると、「特定の世代」を反映してると言うよりは、「今の時代」を反映してる番組だと感じます。
ちなみに、一応 念の為に言っておくと、
「スカッとジャパン」は視聴率の低迷により、既に半年前に番組終了してますね。
あと、最後に言っておくと、あの番組は私も好きじゃありませんでした(笑)。

> 「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
> 私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、
> 会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
> これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

実は、「皆の前で褒めないで」というのが、
意外と曲者というか、深いモノがある気がします。

SNSにおける、異様な承認欲求の高さなどとも通じるのですが、
決して「褒めないで」ではなく、あくまでも「皆の前で」なんですよね。
つまり、物凄く褒めて貰いたい、認めて貰いたいという感情が、
根源的な部分には、見え隠れしていると(笑)。

そして更に言えば、皆の前で褒められるのが、本当に嫌なのかというと、
きっと恐らくは、褒められたくない訳では無く、それ所か内心では褒めて欲しいのが本音なのに、
期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など、
その事で他者から負わされる諸々の事を、負担に感じるというか、請け負える自信が乏しい為、
メリットとデメリットを秤に掛けて、逃げの方向に回避したくなるのが、実際の所なのでは?

逆に言えば、これだけ第3者からの目や評価を気にする世代なのですから、
それに答えられる自信さえあったなら、却って、
「皆の前で褒め欲しい」欲求が、どの世代よりも実は高かったりするかも?
更に邪推して言うなら、もしかすると「スカッとジャパン」が何故か嫌なのも、
そうした隠されてるくらい欲求を、中途半端に引きずり出され、
同族嫌悪に近い感情を、沸き立てさせられるからかも知れません(笑)。


[24081] Re4:私から見る80,90年代(追記あり)返信 削除
2022/11/9 (水) 23:59:53 旧トルコ担当


> > > > > 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> > > > > チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

> > > う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
> > > 「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
> > > その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
> > > 結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

> > 例えば、付き合っているのに別の誰かを好きになれば、それは少なからず裏切りになるでしょうし。
> > あと、付き合うというのはその関係をオープンにすることであり、
> > 周囲のクラスメイトなどから、そういった扱いを受ける、というニュアンスも含まれています。

> あ〜、なるほど。 何だか解りました。
> これは以前にも話題とした、「便所メシ」世代の話と通ずる部分があるかも?
> こうした認識が、若い世代に共通なのか、それとも旧トルコ担当さん個人の感覚かは解りませんけど、
> そもそも恋愛というのは1対1の個人的関係であり、そこに第3者を交えるかは関係無いはずです。
> ですけど、周囲の目を気にする事が、無自覚の内に大前提となっているが故、
> 上記のようなニュアンスも含むと決め付けてしまい、「社会的関係」であると思い込んでいるのかも?
> 言ってしまえば、自分(たち)の常識が、必ずしも世間の常識とは限らないと言う話ですね。
>
> それこそ一昔前までは、中高生の恋愛って校則で禁じられてたりしましたし、
> であればこそ、実際に付き合っていたからと言って、
> その関係性をオープンにするとか、周囲に認知させるとか、そうした事はイコールではありませんでした。
> では、それは昔の話であり、今は違うのかとなると、必ずしも そうとは言い切れず、
> まあ中高生はまだしも、会社内とか大学サークル内とかの恋愛は、周囲に余計な気遣いを生じさせる為、
> 今の時代であっても、「隠れて付き合う」というのは、決して珍しい事では無いはずですよ。
>
> と言いますか、何度も繰り返すようですが、
> 付き合うというのは1対1の「個人的関係」なので、
> そこに第3者が介在するような「社会的関係」が、大前提では決して無いですからねえ。
> 解りやすく言えば、そういうケースも確かにあるかも知れませんが、それが全てではありませんし、
> 便所メシの件もそうですけど、飯を食うのに、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのと同じく、
> 1対1の恋愛に、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのは、正直あります。


岡田斗司夫が10年くらい前の動画で「今の若い世代は告白という儀式があり、付き合っているというのを周囲に宣言する
昭和の時代はそんなへんてこな儀式なんかなくて、付き合うというのは当事者同士が宣言するものではなく、周囲が勝手に認定するものだった」
というようなことを言っていて、気になったので調べたところ、確かに「きまぐれオレンジ☆ロード」では周囲が勝手に主人公とヒロインを付き合っている認定していたんですよね。

何となくその辺の感覚がよく分からなかったのですが、やはり付き合うにしても周囲の視線を気にしすぎる世代なんですかねえ。
まあ隠れて付き合ってる的な感じもそりゃ今だっているでしょうけど(大学のサークルとか職場は特に)、
中高生くらいの恋愛と言えばオープンなのが当たり前というか、ひっそり付き合っているのは、何かおとなしめのタイプというイメージですね。
少なくとも恋愛マンガの題材にはなりにくそう。

> 今は解りませんが、部活の先輩を「くん付け」などしたら、折檻モノでしたね。
> とは言え、私も「男子には くん付け、女子には さん付け」を当たり前に育った世代なので、
> 正直な所、あまり詳しくは知らないと言うか、変化の体験談みたいなモノはありません(笑)。


私の時は部活の先輩に君付けはあり得ませんでしたよ。
とはいえ、管理人さんの話を聞く限りでは、今の小中学生はまた色々と違うようなので、これに関しては分かりませんが。

> > > 今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
> > > 一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
> > > 異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> > 確かに私も異性の友達が当たり前の世代ですので、友達の延長線としての異性関係というのも非常になじみ深いので、
> > だからこそ、「両想い」ではなく「付き合う」という言葉が当てはめられているあたりに、あ〜あという気がするんですよね。

> まあ私は昭和世代なので、私が子供の頃は、
> 男子と女子が仲良く話すだけでも、冷やかされたり馬鹿にされたりした時代だったので、
> 正直言って、男女の間には壁があるというか、
> ぶっちゃけて言うと、「敵対関係」「冷戦状態」みたいな感じでした(笑)。


確かに、小学生中学年くらいのまではそんな雰囲気ありました。

> そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
> 逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
> 言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?


根拠はないですけど、それはありそう。
「俺ガイル」だってその辺がテーマですし。

> > > > おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
> > > エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
> > > と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
> > > 却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> > いや世間一般からすればずっとキモかったのでしょうけど、オタク層の年下世代からもそう思われるだろう、ということです。
> > これはエヴァに限らず、その後のセカイ系や今のなろう系、あるいは萌え系そのものも含めて、
> > キモイと言われるだろうということなんですよね。

> 例えばセカイ系なんて、今では新海誠が「国民的なアニメ監督」となってる時点で、
> キモいと言われる所か、エヴァ以上に「一般化」してしまった印象すらありますけどね(笑)。
> 萌え系にしても、どこも かしこも それ系のマスコット・キャラが作られていますし・・・・
>
> って、それはさておき、オタク内での話であったとしても、
> やはり、エヴァがキモくて イタいのは、当時からだと思いますけどねえ(笑)。
> 旧劇場版における最後の台詞も、「気持ち悪い」という一言であり、
> それは、アスカからシンジに向けられたメッセージであるだけでなく、
> 庵野監督からオタクたちに向けられたメッセージでもあるのでしょうし。
>
> あと、時代や世代が変われば、評価だって様変わりするのも、当然と言えば当然の事で、
> 我々人類の文化は、そんな事を何度も繰り返してきてますから、
> 当時と現在だけをピックアップして、そこに特別な意味を込めさせる必要も無い気はします。


時代変化で作品の評価や受け取られ方が変わるのは当たり前ですけど、
やはりいざ自分の好きな作品やジャンルが衰退するかもしれないという恐怖を感じると、冷静ではいられないですね。
交通事故で死者が出るのは仕方ないことだと皆考えていますが、いざ自分が交通事故にあって障害が残るようなことになれば、そうは思わないでしょうし。

> > > > 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> > > > 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> > > > それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> > > > おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

> > > いや〜、正直言って私には、
> > > 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
> > > 何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。

> > 岡田斗司夫のホワイト革命論も、「先生、みなの前でほめないでください」も、
> > 私としては「あ〜あるある」というのが多分に含まれていたんですよね。
> > 私は「スカッとジャパン」みたいなものが凄く嫌いなんですけど、
> > 岡田斗司夫のホワイト革命論に触れるまでは、私だけの個人的なものだと思っていましたし。
> > 今の世代にとって「スカッとジャパン」みたいなものは朝鮮人差別や中国人差別に近いので、
> > 若者から嫌われたくない年上の人は絶対見るのやめた方がいいと思うんですけど、その辺の理解が進んでいないんですよね。
> > 私としては、それがちょっと年上の世代の人を見ていて、ちょっとかわいそうに思えるんですよね。

> う〜ん、腑に落ちる感覚がして、スカッとするのは別に良いのですが、
> その快楽に呑まれると言うか、確証バイアスみたいな感じで、全てを色眼鏡で見てしまい、
> そこを指摘されると、自らを省みるより、相手が間違っていたり、認識不足を疑うのは、
> 思考の構図として、陰謀論などにハマるのと大差ありませんし、
> それこそ対象や方向性が異なるだけで、嫌韓反中やQアノンと変わりませんよ・・・・
> そうした事に、どれだけ自覚を持ててますか?
>
> 似たような内容の話は、これまでに何度も行っていますけど、
> 自分の中で腑に落ち「なるほど!」と思えた場合こそ、自分の中での反証が重要なんですって!!
> 「あれも当てはまる、これも当てはまる」と、都合良く証拠を追い求めてしまうと、
> 無自覚なまま、1しかないのに10に見えたり、当てはまらないモノは視界の外に追いやったり、
> そうしながら、これが正しいと思い込んだ結論に、ハマってしまいがちなんです。
>
> 例えば、それこそ、この論法を用いる事により、
> 「スカッとジャパンが人気だったのも、ホワイト化の現れ!」と見なす事だって可能です。
> ですが、この場合、旧トルコ担当さんの中で「この番組は嫌い」という感情がある為、
> 「これは当てはまらない」と、なるのでは無いでしょうか?(笑)
> で、もしも実際、そう思われたとすれば、
> それは何よりも、「ホワイト革命を恣意的に適用」していた証になろうかと。
> 要するに、あの番組内容にハマれずムカっとすれば、それを嫌う事がホワイト化と映るでしょうし、
> 逆に ハマれてスカッと出来れば、汚いヤツを裁く痛快劇としてホワイト化の象徴のように映るはず。
>
> また、イヤミ課長役で人気を博した木下ほうかの、若手女優への性的強要が発覚した際の反応を見ても、
> 一定の若者人気(特に女性層)がある番組なのは感じ取れてましたから、
> 「中高年が好んで見ていて、若者は好まない番組」と決め付けているのは、正直 違うと思いますよ。
> この部分に関しても、自分中心の視点で物事を判断しがちな傾向が顕れてませんか?
> 私からすると、「特定の世代」を反映してると言うよりは、「今の時代」を反映してる番組だと感じます。
> ちなみに、一応 念の為に言っておくと、
> 「スカッとジャパン」は視聴率の低迷により、既に半年前に番組終了してますね。
> あと、最後に言っておくと、あの番組は私も好きじゃありませんでした(笑)。


管理人さんの言うことも分かりますし、
私も「仮説ですが」とか「私の知っている限られた情報から判断すれば」とか、ちょくちょく入れているんですよね。
とはいえ、私が(世代論など含め)歴史や社会科学が好きなのは、管理人さんの言うところの「腑に落ちる感覚がして、スカッとする」があるからなので、
この感覚のために時間を使って本読んだり色々考えたりしてるので、それを辞めるとなると歴史の勉強なんてやってられるか、みたいな気持ちはあります。
飲まなきゃやってらんねえよ、みたいな感じで。

私も自分の信じている仮説って本当に正しいのだろうかと不安になることはありますし、
なんなら最近は、勉強しても勉強しても、むしろ勉強すればするほど、「自分は何もわかっていないんじゃないのか」という不安が大きくなり、
正直歴史を勉強するのがしんどいんですよね。(そんなに本読んでないだろというツッコミはナシでお願いしますw)

私にとって岡田斗司夫が面白かった理由は、この"分かる感覚"を岡田斗司夫が簡単に与えてくれたからであり、
ある程度の論理性と、非凡な発想力、そして少し変わった表現力と、自信満々に断言する傲慢さが合わさり、奇跡のように"分かる感覚"を量産した人なんですよね。
とはいえ、岡田斗司夫は自分の仮説が外れても全然恥じない厚顔無恥の人間ですし、やはり胡散臭い人間ではあるのですがw(この辺も含めてあれは才能ですねw)

あとはまあ、結局は(社会)科学の力をあまり信じていないというのもあるのかな。
2015年の時点でアメリカがあんなことになるなんて予測していた人は少数派でしたでしょうし、
歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
(歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)
まあ、学問自体に期待していないので、私が多少科学的じゃなくても、どうせ学者だって似たり寄ったりだろ、みたいなことも"極論"思うようになりました。
反知性主義といわれるかもしれませんが、そのくらいの距離感が社会科学に対する丁度よい距離感なのかな、と。

1調べて「なるほど」と満足するのがダメで、
10調べて「分かった」と感じるのがダメで、
100調べても詳しい人を名乗ってもだめなら、
どれだけ調べれば私は気持ち良くなっていいんですかね?
数学はもうだいぶ忘れていますが、これって確か数学的帰納法じゃありませんでしたっけ(調べたら全然違いました)。

一応、私も200冊オタク関係の本を読んだ経験から、「テーマ史で新たな視点を獲得する」という方法論は持ち合わせています。
例えば戦後日本史は、「戦後日本史」的なタイトルの本だけ読んでいると、どの本にも「敗戦→高度経済成長→バブル→失われた30年」みたいなおなじみのパターンの話しか出てきませんが、
これを少女文化史とか、学校文化史とか、子ども文化史とか、そういったテーマ史で調べると、全然違った視点から戦後史を見ることができました。
あとはまあ、200冊読む過程で、最初に建てた仮説がいかにお粗末であるか、30冊くらいの時に建てた仮説がいかにピントがずれているか、を身をもって体感しましたので、
何事も何かを言い切るほどの傲慢さは持てなくなりましたね。
結局は、真実が知りたければ史料(表現が大げさ)に当たるしかないですし(なのですかっとジャパンは若者にも人気みたいなことを積み上げていくしかない)、
そして結構な時間を使って色々当たったとしても、当事者からすればまだトンチンカンなこと言っているレベルにしかならないのは、
それこそ管理人さんの書き込みで痛感しましたし。(みんな当たり前のことは文章にしないので、当たり前のことほど分からないんですよね)
そういう意味で、本当に200冊のオタク関係の本を読むという経験は非常に勉強になりました。

> > 「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
> > 私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、
> > 会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
> > これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

> 実は、「皆の前で褒めないで」というのが、
> 意外と曲者というか、深いモノがある気がします。
>
> SNSにおける、異様な承認欲求の高さなどとも通じるのですが、
> 決して「褒めないで」ではなく、あくまでも「皆の前で」なんですよね。
> つまり、物凄く褒めて貰いたい、認めて貰いたいという感情が、
> 根源的な部分には、見え隠れしていると(笑)。
>
> そして更に言えば、皆の前で褒められるのが、本当に嫌なのかというと、
> きっと恐らくは、褒められたくない訳では無く、それ所か内心では褒めて欲しいのが本音なのに、
> 期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など、
> その事で他者から負わされる諸々の事を、負担に感じるというか、請け負える自信が乏しい為、
> メリットとデメリットを秤に掛けて、逃げの方向に回避したくなるのが、実際の所なのでは?


これもそうですね。
何を今さら感が私にとっては強いのですが、当事者じゃないというのはそれだけ分からないということなんですよね。

追記
管理人さんの文章に引っ張られて、よく考えずに書いてしまったので訂正します。
若者は褒められたくないというのが私の私見です。
もちろんSNSなどの承認欲求というのもありますが、身近な人か好かれたい・嫌われたくないというのが若者の関心事項であり、
大学の教授に褒められるというのは、苦痛でしかないと思います。
また、仮に相手が身近な人であったとしても、褒められたいというよりも、その欲求というのはもっと消極的に存在を認めてほしい、程度であって
褒められたい、というのはやはりパワフルさというか、意識の高さみたいなものを感じます。


[24085] Re5:私から見る80,90年代(追記あり)返信 削除
2022/11/16 (水) 19:45:10 徳翁導誉

> > > > > > 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> > > > > > チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

> > > > う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
> > > > 「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
> > > > その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
> > > > 結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

> > > 例えば、付き合っているのに別の誰かを好きになれば、それは少なからず裏切りになるでしょうし。
> > > あと、付き合うというのはその関係をオープンにすることであり、
> > > 周囲のクラスメイトなどから、そういった扱いを受ける、というニュアンスも含まれています。

> > あ〜、なるほど。 何だか解りました。
> > これは以前にも話題とした、「便所メシ」世代の話と通ずる部分があるかも?
> > こうした認識が、若い世代に共通なのか、それとも旧トルコ担当さん個人の感覚かは解りませんけど、
> > そもそも恋愛というのは1対1の個人的関係であり、そこに第3者を交えるかは関係無いはずです。
> > ですけど、周囲の目を気にする事が、無自覚の内に大前提となっているが故、
> > 上記のようなニュアンスも含むと決め付けてしまい、「社会的関係」であると思い込んでいるのかも?
> > 言ってしまえば、自分(たち)の常識が、必ずしも世間の常識とは限らないと言う話ですね。

> 岡田斗司夫が10年くらい前の動画で「今の若い世代は告白という儀式があり、付き合っているというのを周囲に宣言する
> 昭和の時代はそんなへんてこな儀式なんかなくて、付き合うというのは当事者同士が宣言するものではなく、周囲が勝手に認定するものだった」
> というようなことを言っていて、気になったので調べたところ、
> 確かに「きまぐれオレンジ☆ロード」では周囲が勝手に主人公とヒロインを付き合っている認定していたんですよね。
> 何となくその辺の感覚がよく分からなかったのですが、やはり付き合うにしても周囲の視線を気にしすぎる世代なんですかねえ。
> まあ隠れて付き合ってる的な感じもそりゃ今だっているでしょうけど(大学のサークルとか職場は特に)、
> 中高生くらいの恋愛と言えばオープンなのが当たり前というか、ひっそり付き合っているのは、何かおとなしめのタイプというイメージですね。

「周囲が勝手に認定する」というのも、そうですが、
そもそも論として、1対1の個人的関係なので、周囲の存在は在っても無くても関係無く、
だからこそ、周囲の人間は推し量って判断する・・・って感じなのですかねえ?
いや別に、昔も交際宣言するカップルは居ましたけど、宣言は別に必須じゃありませんでした。
まあ、恋バナ大好きな女子たちは、友人内で交際を公にしている層も少なくなかったでしょうが、
男子だと、友人同士でも恥ずかしいというか、隠す訳じゃないけど敢えて言わない感覚が強かったかと。

> 少なくとも恋愛マンガの題材にはなりにくそう。
マンガであれ、リアルであれ、
障害があったり、禁止されていたりする方が、いろいろと盛り上がるモノです(笑)。
そういう意味では、昔は「不自由の中の自由さ」があり、
今は「自由の中の不自由さ」がある時代なのかも知れません。

> > 今は解りませんが、部活の先輩を「くん付け」などしたら、折檻モノでしたね。
> > とは言え、私も「男子には くん付け、女子には さん付け」を当たり前に育った世代なので、
> > 正直な所、あまり詳しくは知らないと言うか、変化の体験談みたいなモノはありません(笑)。

> 私の時は部活の先輩に君付けはあり得ませんでしたよ。
> とはいえ、管理人さんの話を聞く限りでは、今の小中学生はまた色々と違うようなので、これに関しては分かりませんが。

先輩を「くん付け」と呼ぶというので考えると、
ジャニーズとか、学校外のスポーツ・クラブ(特にサッカー)で、昔から、そんな文化がありますね。
とは言え、さすがに学校の運動部とかまでには、まだ現状でも、そこまで普及してないかも?

・・・って、そうやって改めて考えてみると、
戦後になって、女子が男子を「くん付け」する文化が浸透した事から見ても、
もともと明確な「上下関係」があった所に、形式上の「対等関係」を新たに築こうとした場合、
下側から上側に対する呼称として、都合が良い案配だったのが「くん付け」だったのかな。

> > > > 今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
> > > > 一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
> > > > 異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> > > 確かに私も異性の友達が当たり前の世代ですので、友達の延長線としての異性関係というのも非常になじみ深いので、
> > > だからこそ、「両想い」ではなく「付き合う」という言葉が当てはめられているあたりに、あ〜あという気がするんですよね。

> > まあ私は昭和世代なので、私が子供の頃は、
> > 男子と女子が仲良く話すだけでも、冷やかされたり馬鹿にされたりした時代だったので、
> > 正直言って、男女の間には壁があるというか、
> > ぶっちゃけて言うと、「敵対関係」「冷戦状態」みたいな感じでした(笑)。

> 確かに、小学生中学年くらいのまではそんな雰囲気ありました。

そういう意味では、旧トルコ担当さんも、過渡期の世代だったのかな?
今の小中学生って、昔に比べると、男女間が かなりフラットな関係に映りますし。

> > そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
> > 逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
> > 言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?

> 根拠はないですけど、それはありそう。
> 「俺ガイル」だってその辺がテーマですし。

逆に言うと、「全ての関係性で垣根が低い」からこそ、
対立とか衝突を乗り越えた上での、深くて強固な人間関係みたいなモノは、
却って今の時代の方が、築き難くなってるのかも知れませんね。
何度も言っていますが、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体の関係なので、
面倒さというデメリットを排せた反面で、絆の強さというメリットも失われてしまったと。
だからこそ、言葉による再確認とか、周囲の人間も巻き込んでの関係作りが、昔以上に重要なのかも?

> > > > > おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
> > > > エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
> > > > と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
> > > > 却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> > > いや世間一般からすればずっとキモかったのでしょうけど、オタク層の年下世代からもそう思われるだろう、ということです。
> > > これはエヴァに限らず、その後のセカイ系や今のなろう系、あるいは萌え系そのものも含めて、
> > > キモイと言われるだろうということなんですよね。

> > 例えばセカイ系なんて、今では新海誠が「国民的なアニメ監督」となってる時点で、
> > キモいと言われる所か、エヴァ以上に「一般化」してしまった印象すらありますけどね(笑)。
> > 萌え系にしても、どこも かしこも それ系のマスコット・キャラが作られていますし・・・・
> > あと、時代や世代が変われば、評価だって様変わりするのも、当然と言えば当然の事で、
> > 我々人類の文化は、そんな事を何度も繰り返してきてますから、
> > 当時と現在だけをピックアップして、そこに特別な意味を込めさせる必要も無い気はします。

> 時代変化で作品の評価や受け取られ方が変わるのは当たり前ですけど、
> やはりいざ自分の好きな作品やジャンルが衰退するかもしれないという恐怖を感じると、冷静ではいられないですね。

う〜ん、この辺りの感覚の違いは、私と旧トルコ担当さんの年齢の違いも影響してるかも?
未だ青春時代の途上にある旧トルコ担当さんの感覚だと、
もちろん、いろいろあるでしょうけど、基本的には全ての感覚が登り調子でしょうし、
それが衰退する事に対して、恐怖や冷静でいられない感覚に陥るのも、充分に理解できるんです。

一方で、私などは もうオッサン世代ですから、
人間だろうと、文化だろうと、あらゆるモノに栄枯盛衰がある事と実感済みであると(笑)。
まあ、特に私の場合、転勤族として育った事もあり、平均的な人よりも客観視する感覚が強く、
更には歴史好きであったり、理系人間である事も作用してか、それを ごく普通に受け入れてますね。

もちろん、喜んで「衰退」を受け入れる人なんて、まず居ないでしょうけど、
年齢的にも、性格的にも、それを「仕方がない事」として甘受する感覚は持っていますし、
逆に言えば、そこで抗おうとしたり、主観で突っ走ったりする事もないので、
良くも悪くも、「懐古主義に浸る」事が出来ないと(苦笑)。
でも、自分世代の青春時代を特別視しない感覚を持っているからこそ、
昔のモノも、今のモノも、あまり区別せず楽しめる下地が、出来ている気はします。
まあ恐らく、こういうタイプの人間というのは、世間的には少数派なのでしょうけど、
ネット配信の拡充で今と昔の垣根が低くなるなら、今後は同じタイプの人間も増えるのかな?
(ただし その反面、今後は同世代で、共通の懐古話に花を咲かせるのが難しくなるかも)

> 交通事故で死者が出るのは仕方ないことだと皆考えていますが、
> いざ自分が交通事故にあって障害が残るようなことになれば、そうは思わないでしょうし。

年齢差による「感覚の違い」という観点から、引き続いて述べると、
「死の身近さ」というのも、大きな違いがあるかも知れません。

核家族化が進み、兄弟姉妹も少なくなり、親戚関係や近所関係も疎遠化している昨今、
特に学生だと、周囲に同世代の子供たちしか居ない訳で、
葬式に出たり、家族や友人知人が亡くなるという経験は、あまりしない為、
「死」というモノが、非常に縁遠いというか、実感が乏しく、
だからこそ反面で、それに対する恐怖感や忌避感も、非常に強いと思うんですよ。

でも、社会に出て様々な年代と触れ合い、そして自分や周囲も年齢を重ねていけば、
どうしたって死は免れませんし、ドンドンと身近な存在へと変わっていき、
慣れが生じると共に、恐怖感や忌避感も次第に薄れていくのが、実際の所です。
いや本音を言えば、怖くない訳でも、嫌じゃない訳でもありませんが、
そこに個人差はあれど、「仕方がない事」として、徐々に受け入れていく感じになると。
オッサン世代になれば、同級生だって、もう何人も死んでますし。

> > う〜ん、腑に落ちる感覚がして、スカッとするのは別に良いのですが、
> > その快楽に呑まれると言うか、確証バイアスみたいな感じで、全てを色眼鏡で見てしまい、
> > そこを指摘されると、自らを省みるより、相手が間違っていたり、認識不足を疑うのは、
> > 思考の構図として、陰謀論などにハマるのと大差ありませんし、
> > それこそ対象や方向性が異なるだけで、嫌韓反中やQアノンと変わりませんよ・・・・
> > そうした事に、どれだけ自覚を持ててますか?

> 管理人さんの言うことも分かりますし、
> 私も「仮説ですが」とか「私の知っている限られた情報から判断すれば」とか、ちょくちょく入れているんですよね。
> とはいえ、私が(世代論など含め)歴史や社会科学が好きなのは、管理人さんの言うところの「腑に落ちる感覚がして、スカッとする」があるからなので、
> この感覚のために時間を使って本読んだり色々考えたりしてるので、それを辞めるとなると歴史の勉強なんてやってられるか、みたいな気持ちはあります。
> 飲まなきゃやってらんねえよ、みたいな感じで。
> 私も自分の信じている仮説って本当に正しいのだろうかと不安になることはありますし、
> なんなら最近は、勉強しても勉強しても、むしろ勉強すればするほど、「自分は何もわかっていないんじゃないのか」という不安が大きくなり、
> 正直歴史を勉強するのがしんどいんですよね。(そんなに本読んでないだろというツッコミはナシでお願いしますw)

ところで旧トルコ担当さんは、「ダニング=クルーガー効果の曲線」というのを ご存知でしょうか?
「知識」と「自信」の成長というのは、右肩上がりの一直線ではなく、こんな感じの曲線↓を描くというモノですね。


これは何も学問だけに限らず、あらゆる分野においても言える事であり、
実際、オタク界の中でも、「ガンダム チョットワカル」というネタ↓があったりします(笑)。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2107/01/news136.html


> 1調べて「なるほど」と満足するのがダメで、
> 10調べて「分かった」と感じるのがダメで、
> 100調べても詳しい人を名乗ってもだめなら、
> どれだけ調べれば私は気持ち良くなっていいんですかね?

何事でも そうですが、真面目に学ぼうとした場合、
新しい事を1つ知ると、解らない事が2つも3つも新たに出てくるモノですし、
学びを繰り返していけば、ネズミ算的に、解らない事が膨大に増えていくモノですから、
そういう意味では、学びというのは、非常に理不尽な世界です(笑)。

でも、そうやって「解らない事」の数が増えていくというのが、実はとても重要なんですよ!!
洋の東西を問わず、孔子もソクラテスも言及している、「無知の知」ってヤツですね。
「下手糞の上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目」と、
安西先生だって、言ってるじゃないですか(笑)。
(スラムダンクを基礎教養として見てる時点で、オタク相手以外なら老害認定ですけど)
「凄くできる人ほど謙虚だ」とか言ったりしますが、当人的には別に謙虚なのではなく、
自分の中での解る事と解らない事の線引きが、普通の人よりも明確なだけなんだと思います。

それこそ、上述のダニング=クルーガー効果の曲線に従えば、
「馬鹿の山(初心者)」→「絶望の谷(中級者)」→「啓蒙の坂(上級者)」→「継続の大地(達人)」
という成長曲線を描く訳で、
「何もわかっていないんじゃない不安」「勉強するのがしんどい」という、現状の旧トルコ担当さんの辛さも、
初心者レベルから中級者レベルへと脱皮する過程の、産みの苦しみだとも言えますし、
そういう意味では、偉そうに言うと、確実に成長中であるとも見なせるでしょう!!
逆に、手っ取り早く「気持ち良さ」を得たいのであれば、「永遠の初心者」である事ですね(笑)。
ぶっちゃけ、労力と快楽の割合で考えると、ニワカの立ち位置でライトに楽しむのが、最もコスパが良いので。

でも、快楽のコスパではなく、快楽の総量を求める場合、
山登りと同じで、より高くを目指すほど、快楽に倍する労力を要するようになりますし、
高くなれば なるほど、その1歩1歩の足取りも重くなっていきますから、それこそ茨の道ですよ。
身も蓋もない事を言ってしまえば、調べれば調べるほど苦痛になるのが、この道の行き先であり、
そこまで行かなければ見られない、美しい高原植物に出会える事(快楽)はあっても、
総体的に、達成感や充実感みたいなモノは得られても、そんな気持ちの良い未来は待っていないかと?
「なぜ山に登るのか? そこに山があるからだ」というのと同じように、
「なぜ調べるのか? そこに知らない事があるから…」という感じなので、
良くも悪くも、こうした衝動(義務感?)に突き動かされるタイプでなければ、
この道程の苦しさというのは、なかなか乗り越えられないかも知れませんね・・・・

一方で、「気持ち良さ」を最重視するのであれば、それこそ、
1つ2つ調べて「なるほど、解った!」という所で、足を止めれば良いと。
いわゆる「ネットde真実」みたいなのが、まさに このパターンでしょうか?
正直な所、嫌韓反中やQアノンなどの陰謀史観にハマるのは、
少ない労力で大きな快楽を得られますから、気持ち良さ的には、非常にコスパが良いと思いますよ。
で、こうなると、相手に対する「もっと勉強しろよ!」は、「自分に同調しろ!」と同義になりますし、
調べるという行為も、客観的な新情報を探すのではなく、持論の補強材料を探すモノとなります。
真相に近付きたいから調べるのではなく、気持ち良くなりたいから調べるので・・・・
(逆に言えば、知る事を快楽としつつ、安易な快楽を嫌悪すると、このルートを避けられるかな?)

> 私にとって岡田斗司夫が面白かった理由は、この"分かる感覚"を岡田斗司夫が簡単に与えてくれたからであり、
> ある程度の論理性と、非凡な発想力、そして少し変わった表現力と、
> 自信満々に断言する傲慢さが合わさり、奇跡のように"分かる感覚"を量産した人なんですよね。
> とはいえ、岡田斗司夫は自分の仮説が外れても全然恥じない厚顔無恥の人間ですし、
> やはり胡散臭い人間ではあるのですがw(この辺も含めてあれは才能ですねw)

そこはもう、エンタメとして聞くか? バイブルとして聴くか? の違いですかね(笑)。
別に私も、岡田斗司夫を全否定している訳では無いですし、
(と言いますか、ことオタク的な知見に関して言えば、やはり面白いですよ!)
エンタメとして割り切りながら、是々非々で楽しんでる感じでしょうか。

あと、客観性よりも主観性に偏り、何事も自分に都合良く解釈するタイプの人なので、
情報源としての信頼度は、かなり低く設定しているかな?
少なくとも、別な立場の人も同様の発言をしていない限り、
岡田斗司夫の発言だけでは、「信じられる情報」とは見なしてませんね、私自身は。

> あとはまあ、結局は(社会)科学の力をあまり信じていないというのもあるのかな。
> 2015年の時点でアメリカがあんなことになるなんて予測していた人は少数派でしたでしょうし、

「2015年の時点でアメリカが」というのは、いわゆる「トランプ現象」の事ですかね?
う〜ん、この「予測」というのが、実際に何を指すか次第で、その答えは変わるかな・・・・
簡単に言うと、大きな流れみたいなモノは、そこまで読み難いモノでは無いんですよ。
アメリカ政治で言うなら、2000年と2004年にブッシュJr.の大統領当選があり、
2010年前後のティーパーティー運動があった上での、あのトランプ現象でしたからねえ。
あの時期に、あの規模で顕れたのが予想外だっただけで、一連の流れとしては以前より在りました。

解りやすく喩えるなら、天気予報や、台風の進路予測に似た所があるかも?
6月は雨の日が多いとか、8〜9月は台風が多いとか、そうした大まかな予測は外しませんけど、
一方で、1ヶ月後の○月×日の天気や、台風の進路など、ピンポイントな予測的中は困難です。
それでも、今後1週間くらいの降水に関してなら、「確率」という形でそれなりに出せますし、
前線の関係で、雨の降る日が前後したり、降水量が予測から上下する事もありますが、ある程度は解ります。
要するに、速さ・大きさ・方向などで幾らかのズレは生じても、おおよその傾向は推測できると。
なので、必ず当たる訳では無い天気予報や台風予測も、活用次第で有用性が大きく変わるとも言えるかな?

で、政治や社会の予測に関して言うと、短期的な予測というのは非常に困難ですが、
中期的な予測は景気により、長期的な予測は人口によって、そこそこは見えてくる所があるのも事実です。
大統領選挙で言うなら、不景気だと次の選挙で政権交代が起こりやすいとか、
非白人の割合がジワジワ増えているので、大胆な路線転換を行わない限り、共和党はジリ貧だとか。
特に人口の場合、そんな簡単に、傾向が変化するモノでもないですし、
景気にしても、一夜で急激に好景気へ転じる事もなく、
バブルが弾けるタイミングは読めなくても、バブルが膨らんでるのは解るので。

つまり、これも天気予報や台風予測と同じように、的確に当てるのは困難でも、大まかな流れは掴めますし、
それをどれだけ活用するか? その為にどれだけ情報を収集するか? は、人それぞれであると。
出掛ける前に、ちょっと天気予報を確認するだけで、雨に濡れずに済む事だってありますし、
逆に、せっかく傘を持っていったのに、結局は雨が降らず、ただただ邪魔だったなんて事もありますから、
トータルで見て、それをどう評価するか?って事ですよね、結局は。
どちらが正解、不正解という話でもありません。

> 歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
> (歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)

いやいや、歴史に「必然性」を求める学者なんて、本当にそんなに居ますか?
「歴史にifは無い」と言いますが、その反面で、
「歴史とは様々あった可能性の1つに過ぎない」事は、学べば学ぶほど解る事でしょうし、
テレビに出ている、歴史学者ならぬ歴史家であったり、学者肩書きのコメンテイターでも無い限り、
そんな事は、普通に言わないと思いますけどねえ・・・・
まあ、中には御用学者とかも居ますし、その場その場で都合の良い発言をする人も居るでしょうけど、
そういう人は、特定の業界内では需要があっても、学術界では相手にされていないかと?

司馬遼太郎などの歴史小説家は、あくまでもエンタメの世界なので、
面白おかしく「必然性」を語る事もあるでしょうが(そちらの方が作品的に楽しいので)、
あれも別に、歴史学としてキチンと考察している訳では無いですからね。
「司馬史観」とか言って、有り難がってしまうのは、読者側のリテラシーの話だと思いますし。

> まあ、学問自体に期待していないので、私が多少科学的じゃなくても、
> どうせ学者だって似たり寄ったりだろ、みたいなことも"極論"思うようになりました。
> 反知性主義といわれるかもしれませんが、そのくらいの距離感が社会科学に対する丁度よい距離感なのかな、と。

学問とか、科学とかは、解らない事は普通に「解らない」と言いますし、
真摯な態度で語るなら、それこそ「解らない事だらけ」なので(笑)、
具体的な処方箋を呈示してくれるみたいな期待は、当然ながら応えられないかな?(苦笑)
例えば、地球温暖化の話にしたって、科学的・学術的に語るのであれば、
地球が本当に温暖化しているかも解らなければ、人間の出す二酸化炭素の所為かも解りません。

実際は、真っ当な学者ほど、安易な断言など絶対に行いませんし、
逆に言えば、科学的なデータを都合良く解釈&利用する政治家や運動家が居たり、
利益を得る為に、そこに おもねる御用学者が居るだけですね。
まあ実際問題、「解らない、解らない」だけじゃ、何も行えませんし、
解らなくても動かなければならないのが、政治であり社会であると考えるのであれば、
「科学的・学術的な正しさ」と「政治的・社会的な正しさ」とは、必ずしもイコールとは限りません。
そして更には、一般市民の感覚からすると、そんな事情も面倒で解り難いですから、
結局は、感情というかフィーリングで、「メディア報道を信じるか?否か?」になるのかな。
で、マスコミの報じる正しさが、本当に正しい訳では無いものの、
ネットde真実に比べれば、遥かにマシであろう事は確かですね(笑)。

> > > 「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
> > > 私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、
> > > 会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
> > > これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

> > 実は、「皆の前で褒めないで」というのが、
> > 意外と曲者というか、深いモノがある気がします。
> > SNSにおける、異様な承認欲求の高さなどとも通じるのですが、
> > 決して「褒めないで」ではなく、あくまでも「皆の前で」なんですよね。
> > つまり、物凄く褒めて貰いたい、認めて貰いたいという感情が、
> > 根源的な部分には、見え隠れしていると(笑)。
> > そして更に言えば、皆の前で褒められるのが、本当に嫌なのかというと、
> > きっと恐らくは、褒められたくない訳では無く、それ所か内心では褒めて欲しいのが本音なのに、
> > 期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など、
> > その事で他者から負わされる諸々の事を、負担に感じるというか、請け負える自信が乏しい為、
> > メリットとデメリットを秤に掛けて、逃げの方向に回避したくなるのが、実際の所なのでは?

> これもそうですね。
> 何を今さら感が私にとっては強いのですが、当事者じゃないというのはそれだけ分からないということなんですよね。

前出のように、恋愛と周囲の関係性とか、スカッとジャパンの視聴者層など、
自分の中で当然の認識だったモノも、実際に声に出してみる事で、それが改まる事だってありますし、
また、当事者だからと言って、と言うか当事者だからこそ、
主観に寄り過ぎて、客観性に欠くという事も珍しくは無いのですから、
いろいろと言葉にしてみる事は、それなりに良い事だと思いますよ(笑)。

> 追記
> 管理人さんの文章に引っ張られて、よく考えずに書いてしまったので訂正します。
> 若者は褒められたくないというのが私の私見です。
> もちろんSNSなどの承認欲求というのもありますが、身近な人か好かれたい・嫌われたくないというのが若者の関心事項であり、
> 大学の教授に褒められるというのは、苦痛でしかないと思います。
> また、仮に相手が身近な人であったとしても、褒められたいというよりも、
> その欲求というのはもっと消極的に存在を認めてほしい、程度であって
> 褒められたい、というのはやはりパワフルさというか、意識の高さみたいなものを感じます。

う〜ん、これに関しては、
「認める」という言葉の意味の誤用というか、解釈の拡大や意味の変容が起きている気がするんですよね。
個人的には、「認める」の方が重く、「褒める」の方がライトなので、「認める>褒める」という感じですが、
ここ数年の用法だと、「褒める>認める」みたいな用い方も目立ち始めてきた印象があります。

例えば、認めるには「認めざるを得ない」という用法がありますが、
これって、個人的には嫌いでも、その成果なり才能は、評価すべきモノがあるという表現ですが、
これが褒める野場合、個人的に嫌いであれば、「褒めざるを得ない」という表現にはなりません。
そういう意味では、主観的に感情も交じるライトな評価が「褒める」であり、
客観的に結果や能力を、純粋に評価するのが「認める」だと思うんですよ。
ただ、認めるの方には、ネガティブな評価をオブラートに包む時の表現としても用いられ、
例えば、「努力は認めるよ、努力は」と言う場合は、真意に「結果の否定」が含まれますし、
「ファイルの存在を認める」とかも、不祥事が発覚した際、既にファイルは処分済みだと発表して、
それが嘘だとバレた時に、「誤情報の修正」の意味として用いられます。

まあ、「消極的に存在を認めてほしい」というのも解りますが、それはあまりにネガティブというか、
逆に言えば、だからこそ、ポジティブ方向への意味や適用の拡大が、近年起きている気がするんです。
具体的に言うなら、発端は学校現場や教育関連なんですかねえ?
昭和は当たり前だった「叱る」教育から、平成になって「褒める」教育へのシフトが図らたものの、
その結果、勉強や部活などの「成果を褒める」方向へと行き着いた為、
令和では、成果ではなく過程や努力を「認める」教育が頻繁に提言されていると。
(いや別に、過程や努力を褒めても良いですし、アメとムチで叱るを全否定する必要も無いのですが・苦笑)

要するに、「褒める」に替わる別の用語として、「認める」を引っ張り出してきた感じに近いのかな?
でも、SNSにおける承認欲求の象徴とされる「いいね(Good)」ボタンとかも、
あれって、投稿内容や作品の「素晴らしさ」を認めるという、重い意味では無いでしょうから、
そういう意味では、もっと気軽な感じで、それこそ「いいね」と相槌的に褒めている気がするんですよね。
あなたが投稿した「事実」は認めるよ という、ネガティブな意図でも無いでしょうし。
・・・って、だからこそ、褒めるよりも更にライトな(責任を負わない)表現として、
「投稿を確認したよ」という事実確認という意味合いで、認めるという単語を用いているのかな。
現実の用法としても、そちらの方がシックリ来るきがしますので。

と、単語の意味的なモノを、長々と書いてしまいましたが、普通は興味ないですよね?(笑)
世間一般の感覚では、もっと漠然と言葉を用いているでしょうし。
まあ、それはさておき、文章の内容の方への返信を始めますと、
若者は「褒められたくない」というのは、本当にそうなんですかねえ?
より具体的に言うと、前回も指摘しましたけど、
褒めるに付随されると連想する「期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など」を、
避けたが為の「褒められたくない」であり、
「褒められる」という行為自体まで、本当に嫌だと言えるのでしょうか?

もっと言うと、どの世代よりも「周囲の評価を気にする」世代であればこそ、
ネガティブな意味での「認められる」よりも、
更に上位に位置する「褒められる」を心の底から嫌っていますか?
これはコスパ感覚と同じで、褒められる事で得られるメリットとデメリットを秤に掛けた場合、
デメリットの方が大きいと判断すれば、確かにノーでしょうけど、
メリットの方が大きいと判断したなら、その時はイエスとなる気がしますけどねえ。
で、メリットとデメリットのバランスが微妙な所にあるからこそ、
「皆の前で」という要素が加わると、デメリット面が膨らみ(背負わされるモノが増えて)、
「褒められたくない」方へと傾くというのが、実際の所であるかと考えています。

逆に言えば、デメリットを上回る、大きな「承認欲求」が得られるのであれば、
変な話、どの世代よりも、実は「褒められたがり」な世代なのではないか?とも(笑)。
いや本当、今の若い世代の「周囲の目の気にしぶり」って、かなり際立ってますからね。
以前にも指摘しましたけど、それこそ俺ガイル的な「ぼっち感」って、
ぼっちを称しながら、必要以上に周囲を気にして、出来れば そこに関わりたがる感じが、
それまでの「ガチぼっち」みたいなモノと比べると、何だか独特な感じがあると。

まあ、少子高齢化の影響により、若者の絶対数も減っていれば、大人と子供の割合も変化しており、
教育方針の変化とも相俟って、今の世代は昔以上に、良くも悪くも1人1人が見られている時代ですので、
どの世代の子供より、実は褒められたり、存在を確認されている世代でもあるのですが、
それが当たり前で育っていると、そこを自覚できないと言うか、スタート地点の違いとかもありますね。
内在的で抑え気味な「もっと、もっと」という願望と、それが困難な社会の実状との間に、ギャップがあったり、
主観的に「自分たちはこうだ」というのと、客観的に「あなたたちはこうだ」というのでも、ズレもありますし。
って、あれこれと勝手に分析・解釈されるって、あまり心地良いモノでは無いかも知れませんけど(苦笑)。

あと、これは余談みたいなモノですが、
「大学の教授」と言うか、ここでは「先生」という表現ですから、
想定されるのは中学・高校の担任とかであったり、
もしくは大学であっても、こぢんまりとしたゼミとかだと思われますし、
そうなると、これはもう、立場は教授であっても「身近な人」となるのでは?
大教室の講義とかで、顔と名前しか解らない教授から、
いきなり皆の前で褒められるケースなんて、普通はまず無いですので(笑)。


P.S.
来週からカタールW杯が始まりますので、
(今大会は異例の冬開催という事もあり、連日4試合の超過密日程)
私の方の返信は、今後 遅れるかと思います。
事前に御了承下さい。


[24095] Re6:私から見る80,90年代【追記あり】返信 削除
2022/11/30 (水) 03:24:00 旧トルコ担当

> > > う〜ん、腑に落ちる感覚がして、スカッとするのは別に良いのですが、
> > > その快楽に呑まれると言うか、確証バイアスみたいな感じで、全てを色眼鏡で見てしまい、
> > > そこを指摘されると、自らを省みるより、相手が間違っていたり、認識不足を疑うのは、
> > > 思考の構図として、陰謀論などにハマるのと大差ありませんし、
> > > それこそ対象や方向性が異なるだけで、嫌韓反中やQアノンと変わりませんよ・・・・
> > > そうした事に、どれだけ自覚を持ててますか?

> > 管理人さんの言うことも分かりますし、
> > 私も「仮説ですが」とか「私の知っている限られた情報から判断すれば」とか、ちょくちょく入れているんですよね。
> > とはいえ、私が(世代論など含め)歴史や社会科学が好きなのは、管理人さんの言うところの「腑に落ちる感覚がして、スカッとする」があるからなので、
> > この感覚のために時間を使って本読んだり色々考えたりしてるので、それを辞めるとなると歴史の勉強なんてやってられるか、みたいな気持ちはあります。
> > 飲まなきゃやってらんねえよ、みたいな感じで。
> > 私も自分の信じている仮説って本当に正しいのだろうかと不安になることはありますし、
> > なんなら最近は、勉強しても勉強しても、むしろ勉強すればするほど、「自分は何もわかっていないんじゃないのか」という不安が大きくなり、
> > 正直歴史を勉強するのがしんどいんですよね。(そんなに本読んでないだろというツッコミはナシでお願いしますw)

> ところで旧トルコ担当さんは、「ダニング=クルーガー効果の曲線」というのを ご存知でしょうか?
> 「知識」と「自信」の成長というのは、右肩上がりの一直線ではなく、こんな感じの曲線↓を描くというモノですね。
>
>
> これは何も学問だけに限らず、あらゆる分野においても言える事であり、
> 実際、オタク界の中でも、「ガンダム チョットワカル」というネタ↓があったりします(笑)。
> https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2107/01/news136.html
>
>
> > 1調べて「なるほど」と満足するのがダメで、
> > 10調べて「分かった」と感じるのがダメで、
> > 100調べても詳しい人を名乗ってもだめなら、
> > どれだけ調べれば私は気持ち良くなっていいんですかね?

> 何事でも そうですが、真面目に学ぼうとした場合、
> 新しい事を1つ知ると、解らない事が2つも3つも新たに出てくるモノですし、
> 学びを繰り返していけば、ネズミ算的に、解らない事が膨大に増えていくモノですから、
> そういう意味では、学びというのは、非常に理不尽な世界です(笑)。
>
> でも、そうやって「解らない事」の数が増えていくというのが、実はとても重要なんですよ!!
> 洋の東西を問わず、孔子もソクラテスも言及している、「無知の知」ってヤツですね。
> 「下手糞の上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目」と、
> 安西先生だって、言ってるじゃないですか(笑)。
> (スラムダンクを基礎教養として見てる時点で、オタク相手以外なら老害認定ですけど)
> 「凄くできる人ほど謙虚だ」とか言ったりしますが、当人的には別に謙虚なのではなく、
> 自分の中での解る事と解らない事の線引きが、普通の人よりも明確なだけなんだと思います。
>
> それこそ、上述のダニング=クルーガー効果の曲線に従えば、
> 「馬鹿の山(初心者)」→「絶望の谷(中級者)」→「啓蒙の坂(上級者)」→「継続の大地(達人)」
> という成長曲線を描く訳で、
> 「何もわかっていないんじゃない不安」「勉強するのがしんどい」という、現状の旧トルコ担当さんの辛さも、
> 初心者レベルから中級者レベルへと脱皮する過程の、産みの苦しみだとも言えますし、
> そういう意味では、偉そうに言うと、確実に成長中であるとも見なせるでしょう!!
> 逆に、手っ取り早く「気持ち良さ」を得たいのであれば、「永遠の初心者」である事ですね(笑)。
> ぶっちゃけ、労力と快楽の割合で考えると、ニワカの立ち位置でライトに楽しむのが、最もコスパが良いので。
>
> でも、快楽のコスパではなく、快楽の総量を求める場合、
> 山登りと同じで、より高くを目指すほど、快楽に倍する労力を要するようになりますし、
> 高くなれば なるほど、その1歩1歩の足取りも重くなっていきますから、それこそ茨の道ですよ。
> 身も蓋もない事を言ってしまえば、調べれば調べるほど苦痛になるのが、この道の行き先であり、
> そこまで行かなければ見られない、美しい高原植物に出会える事(快楽)はあっても、
> 総体的に、達成感や充実感みたいなモノは得られても、そんな気持ちの良い未来は待っていないかと?
> 「なぜ山に登るのか? そこに山があるからだ」というのと同じように、
> 「なぜ調べるのか? そこに知らない事があるから…」という感じなので、
> 良くも悪くも、こうした衝動(義務感?)に突き動かされるタイプでなければ、
> この道程の苦しさというのは、なかなか乗り越えられないかも知れませんね・・・・
>
> 一方で、「気持ち良さ」を最重視するのであれば、それこそ、
> 1つ2つ調べて「なるほど、解った!」という所で、足を止めれば良いと。
> いわゆる「ネットde真実」みたいなのが、まさに このパターンでしょうか?
> 正直な所、嫌韓反中やQアノンなどの陰謀史観にハマるのは、
> 少ない労力で大きな快楽を得られますから、気持ち良さ的には、非常にコスパが良いと思いますよ。
> で、こうなると、相手に対する「もっと勉強しろよ!」は、「自分に同調しろ!」と同義になりますし、
> 調べるという行為も、客観的な新情報を探すのではなく、持論の補強材料を探すモノとなります。
> 真相に近付きたいから調べるのではなく、気持ち良くなりたいから調べるので・・・・
> (逆に言えば、知る事を快楽としつつ、安易な快楽を嫌悪すると、このルートを避けられるかな?)


あとまあ、私の場合は学問としての歴史が好きなのではなく、ある種のSFとしての歴史が好きなんだというのに気づいてしまったというのもあるんですよね。
例えば優生学とか(支持しているとかではなく)あのエセ科学で当時の時代の雰囲気が感じられるのがめちゃくちゃ好きですし、
高校生くらいのころは歴史学"崇拝"があって、もっと歴史のまじめな本読んで自分も勉強しなくちゃいけないと思っていましたが、
今は好きなように適当に歴史をかじって、結果としてある程度間違った歴史認識だったとしても、自分が面白ければそれでいいや、と思うようになりましたね。
私はオタクであって知識人ではないので。
私の周囲には管理人さんのような知識人系の人が多いのですが、それに流されて本当に自分が好きなものを見失うのって、
オタクを自称する私が一番上から目線に見下してる、流行に流されて自分が好きなものを追わない一般人と同じですからね。

ちなみに、私の好きなコンテンツに「ドナウ連邦建国史」というのがあるのですが、管理人さんはご存知でしょうか?
第一次世界大戦でドイツが勝った世界線の架空史なのですが、筆者の豊富な歴史知識による作りこみが凄くておススメです。
以前管理人さんが妄想されていた、満州国が存続し続けていた世界線でもありますし。

> > まあ、学問自体に期待していないので、私が多少科学的じゃなくても、
> > どうせ学者だって似たり寄ったりだろ、みたいなことも"極論"思うようになりました。
> > 反知性主義といわれるかもしれませんが、そのくらいの距離感が社会科学に対する丁度よい距離感なのかな、と。

> 学問とか、科学とかは、解らない事は普通に「解らない」と言いますし、
> 真摯な態度で語るなら、それこそ「解らない事だらけ」なので(笑)、
> 具体的な処方箋を呈示してくれるみたいな期待は、当然ながら応えられないかな?(苦笑)
> 例えば、地球温暖化の話にしたって、科学的・学術的に語るのであれば、
> 地球が本当に温暖化しているかも解らなければ、人間の出す二酸化炭素の所為かも解りません。


何となく聞いたことはありましたが、やはり地球温暖化は怪しいんですね。
就活でカーボンニュートラルが〜とか散々聞いているので、あれが全部非科学的と言われれば、薄々感じていたこととはいえ、頭がバグりそうw
私は文系なので専門知識はさっぱりですが、地球って巨大ですし、その中で起きている化学反応や科学現象も多種多様でしょうから、
専門家でも実際に地球で何が起きているかというのは、分からないんだろうとは勝手に思っていました。
データだって無限の予算で世界各地に観測拠点を置くわけにはいかないでしょうし、過去のデータ何かは絶対に手に入りませんからね。
割と人体とかに近いのかな?人体の中でも様々な体の機能や反応が起きているはずで、おそらくその大部分は現代医学でも未解明なんでしょうね。

> > > > 「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
> > > > 私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、
> > > > 会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
> > > > これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

> > > 実は、「皆の前で褒めないで」というのが、
> > > 意外と曲者というか、深いモノがある気がします。
> > > SNSにおける、異様な承認欲求の高さなどとも通じるのですが、
> > > 決して「褒めないで」ではなく、あくまでも「皆の前で」なんですよね。
> > > つまり、物凄く褒めて貰いたい、認めて貰いたいという感情が、
> > > 根源的な部分には、見え隠れしていると(笑)。
> > > そして更に言えば、皆の前で褒められるのが、本当に嫌なのかというと、
> > > きっと恐らくは、褒められたくない訳では無く、それ所か内心では褒めて欲しいのが本音なのに、
> > > 期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など、
> > > その事で他者から負わされる諸々の事を、負担に感じるというか、請け負える自信が乏しい為、
> > > メリットとデメリットを秤に掛けて、逃げの方向に回避したくなるのが、実際の所なのでは?

> > これもそうですね。
> > 何を今さら感が私にとっては強いのですが、当事者じゃないというのはそれだけ分からないということなんですよね。

> 前出のように、恋愛と周囲の関係性とか、スカッとジャパンの視聴者層など、
> 自分の中で当然の認識だったモノも、実際に声に出してみる事で、それが改まる事だってありますし、
> また、当事者だからと言って、と言うか当事者だからこそ、
> 主観に寄り過ぎて、客観性に欠くという事も珍しくは無いのですから、
> いろいろと言葉にしてみる事は、それなりに良い事だと思いますよ(笑)。
>
> > 追記
> > 管理人さんの文章に引っ張られて、よく考えずに書いてしまったので訂正します。
> > 若者は褒められたくないというのが私の私見です。
> > もちろんSNSなどの承認欲求というのもありますが、身近な人か好かれたい・嫌われたくないというのが若者の関心事項であり、
> > 大学の教授に褒められるというのは、苦痛でしかないと思います。
> > また、仮に相手が身近な人であったとしても、褒められたいというよりも、
> > その欲求というのはもっと消極的に存在を認めてほしい、程度であって
> > 褒められたい、というのはやはりパワフルさというか、意識の高さみたいなものを感じます。

> う〜ん、これに関しては、
> 「認める」という言葉の意味の誤用というか、解釈の拡大や意味の変容が起きている気がするんですよね。
> 個人的には、「認める」の方が重く、「褒める」の方がライトなので、「認める>褒める」という感じですが、
> ここ数年の用法だと、「褒める>認める」みたいな用い方も目立ち始めてきた印象があります。
>
> 例えば、認めるには「認めざるを得ない」という用法がありますが、
> これって、個人的には嫌いでも、その成果なり才能は、評価すべきモノがあるという表現ですが、
> これが褒める野場合、個人的に嫌いであれば、「褒めざるを得ない」という表現にはなりません。
> そういう意味では、主観的に感情も交じるライトな評価が「褒める」であり、
> 客観的に結果や能力を、純粋に評価するのが「認める」だと思うんですよ。
> ただ、認めるの方には、ネガティブな評価をオブラートに包む時の表現としても用いられ、
> 例えば、「努力は認めるよ、努力は」と言う場合は、真意に「結果の否定」が含まれますし、
> 「ファイルの存在を認める」とかも、不祥事が発覚した際、既にファイルは処分済みだと発表して、
> それが嘘だとバレた時に、「誤情報の修正」の意味として用いられます。
>
> まあ、「消極的に存在を認めてほしい」というのも解りますが、それはあまりにネガティブというか、
> 逆に言えば、だからこそ、ポジティブ方向への意味や適用の拡大が、近年起きている気がするんです。
> 具体的に言うなら、発端は学校現場や教育関連なんですかねえ?
> 昭和は当たり前だった「叱る」教育から、平成になって「褒める」教育へのシフトが図らたものの、
> その結果、勉強や部活などの「成果を褒める」方向へと行き着いた為、
> 令和では、成果ではなく過程や努力を「認める」教育が頻繁に提言されていると。
> (いや別に、過程や努力を褒めても良いですし、アメとムチで叱るを全否定する必要も無いのですが・苦笑)
>
> 要するに、「褒める」に替わる別の用語として、「認める」を引っ張り出してきた感じに近いのかな?
> でも、SNSにおける承認欲求の象徴とされる「いいね(Good)」ボタンとかも、
> あれって、投稿内容や作品の「素晴らしさ」を認めるという、重い意味では無いでしょうから、
> そういう意味では、もっと気軽な感じで、それこそ「いいね」と相槌的に褒めている気がするんですよね。
> あなたが投稿した「事実」は認めるよ という、ネガティブな意図でも無いでしょうし。
> ・・・って、だからこそ、褒めるよりも更にライトな(責任を負わない)表現として、
> 「投稿を確認したよ」という事実確認という意味合いで、認めるという単語を用いているのかな。
> 現実の用法としても、そちらの方がシックリ来るきがしますので。
>
> と、単語の意味的なモノを、長々と書いてしまいましたが、普通は興味ないですよね?(笑)
> 世間一般の感覚では、もっと漠然と言葉を用いているでしょうし。
> まあ、それはさておき、文章の内容の方への返信を始めますと、
> 若者は「褒められたくない」というのは、本当にそうなんですかねえ?
> より具体的に言うと、前回も指摘しましたけど、
> 褒めるに付随されると連想する「期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など」を、
> 避けたが為の「褒められたくない」であり、
> 「褒められる」という行為自体まで、本当に嫌だと言えるのでしょうか?
>
> もっと言うと、どの世代よりも「周囲の評価を気にする」世代であればこそ、
> ネガティブな意味での「認められる」よりも、
> 更に上位に位置する「褒められる」を心の底から嫌っていますか?
> これはコスパ感覚と同じで、褒められる事で得られるメリットとデメリットを秤に掛けた場合、
> デメリットの方が大きいと判断すれば、確かにノーでしょうけど、
> メリットの方が大きいと判断したなら、その時はイエスとなる気がしますけどねえ。
> で、メリットとデメリットのバランスが微妙な所にあるからこそ、
> 「皆の前で」という要素が加わると、デメリット面が膨らみ(背負わされるモノが増えて)、
> 「褒められたくない」方へと傾くというのが、実際の所であるかと考えています。


褒められるというのは「行為とか成果が、他よりもより優れている」ということですよね。
ですが、今の若者の自信のなさは、大学の教授に褒められた程度で払拭される程度の中途半端なものではありませんから、
褒められたとしても、自分で自分の成果を他よりもより優れていると認められない以上、褒められるという行為自体が無意味なのではないでしょうか。

これは私の場合を基にした仮説なので(今までも大半そうですが)、説得力がないかもですが、
「周囲の評価を気にする」世代というより、自己否定が非常に強い世代という方が正しいと思うんですよね。
周囲の評価が気になるというのは、自分では自分を絶対に認められないから、
せめてもの渇きをいやすために、周囲にすがっているというか。

俺ガイルにしても、管理人さんの目にはどのように主人公が周囲の目を気にしているように見えるのかは分かりませんが、
周囲の視線が気になるというより、自分はこれでいいのかという、恐怖心があると思うんですよね。
だからこそ主人公は自分好きですし、逆に言えばそのくらい自分好きじゃないと、心のバランスが取れず、メンヘラみたくなってしまうんですよ。

私自身ふと自分の人生を振り返ると、体が太っていたり、ブサイクじゃなくて良かったなと、心の底から思うんですよね。
もし太っていたり、ブサイクだったら、心のバランスを崩して大変なことになっていただろうなあと。

バブリーの時代に、団塊ジュニア世代の男性たちが、赤プリ予約は当たり前な女性たちの要求に絶望していたという話が、
私には、なんて(当時の若者は)パワフルで、まっすぐで、かっこいいんだ、と思ってしまいますし、そっちには一生行けないな、と思ってしまうんですよね。
私はラノベを読み始めた中学生のころから一生独身で、生涯彼女なんかできないと覚悟を決めていましたし、
オタクであるにも関わらず、それを必死に隠そうとしたりして、どうにかして女の子にモテようと(というか、普通に女の子と話したりできる程度の地位を確保しようと)思っていたオタクのクラスメイトを、
覚悟と修業が足らんと思っていました(というか今でも思っています)。
まあ実際にはオタクでも結婚できる人はできますし、出来ない人でもやろうと本気で思えばやります(笑)。むしろ普通の恋愛結婚で結婚をしてる人なんて少数派でしょう(少数派ですよね?)。
それは高校生くらいになれば分かってきたのですが、でもやっぱりオタクの中でもまた色々なタイプがいますし、
オタクと言いつつ、なんだかんだで体育会系の部活に入っていたり、普通に友達がいたり、そういうオタク以外の世界もある人たちが、やっぱり結婚していくんですよね。
Twitter見てても、私が「この人は結婚するだろうな」と思った人が本当に結婚した率or実は既婚者だった率は今のところ100%的中していますし、この診断で行けば私は結婚できないタイプのオタクです。
いや、いいんですよ。結婚できなくても、生涯独身で最後は孤独老人として死ぬとしても。
それは私はオタクになったと時に、覚悟したことですし、私は人生ささげると(大げさではなく)決めたので。
ですけど、やはりふと本当にこのままでいいのかと、お前は人生から逃げているのではないかと、不安になるんですよね。
友達も作らず、女の子とも話さず、人生の思い出が全部ラノベとアニメしかない人生は、人間としてこの世の中にいていい存在じゃないんじゃないかと。
そういう不安感と自己否定があるからこそ、高校生のころからクラスメイトが眩しく見えるようになりましたし、
私が「響け!ユーフォニアム」とか、「Honey Works」が大好きなのも、あれはリア充コンテンツで、ああいうリア充(というか、普通に友達のいる人)を見て、その尊さに涙するコンテンツなんですよね。
普通の女の子や普通の男の子が普通に生きて生活しているだけで尊いですし、ハニワでイケメンリア充と可愛い女の子たちが恋愛しているのを見る(聴く)と涙が出てくるんですよね。(昔のオタクはイケメンへの呪詛を唱えていたわけですから)
最近だと、ソードアート・オンラインもかなりリア充の眩しい系のコンテンツになりつつありますね。

『どうか皆の前で』で若者は異常に貢献欲求が高く、会社に入っても、上司からごくごく単純な業務を任されただけで、
異様に張り切るというような話がありますが、
これも自己では補完しえない自分の存在意義を、今この上司から任された仕事をやっている瞬間だけは、
他人にとって自分は価値ある存在だと「自分で」思えるからなのではないでしょうか?

(ちなみに、だからこそ、俺ガイルは衝撃的だったんですよね。
普通のラノベではオタク主人公が女の子にモテまくったとしても、それは異世界の話であったり、ゲームの世界の話であったりして、
ちゃんとラノベを読んだ後にクラスで女の子から全く話さない状況を受け入れられるように防御線が入っているんですよ。
ですけど俺ガイルって、徹底的にあの時代のリアルなオタク高校生を主人公にしておきながら、
しかも第1巻では主人公が持てる気配なんか全く見せてなかったくせに、最後にはちゃんとハーレム作ってるんですから。
せっかくオタク山に入山して、俗世から隠居し、女の子がいなくても、友達がいなくても、ラノベがあればいいもん、という仙人生活をしていたのに、
俺ガイルはその修行僧たちに、「オタクと言いつつ、相手の女の子だって同じ高校生なんだから、可愛いこと仲良くなったり、付き合ったりするのが本当は絶対不可能ではないだろ、それはお前たちも分かってるだろ」
と言って、俗世の煩悩を思い出させようとしてくるんですから。
俗世は厳しくて、辛くて、オタクがそこに戻っても痛い目見るのがオチなのに、でもそのわずかな確率の成功例を俺ガイルは見せつけてくるんですもの。
本当にラノベとして超えてはいけない一線を越えた作品です)

> まあ、少子高齢化の影響により、若者の絶対数も減っていれば、大人と子供の割合も変化しており、
> 教育方針の変化とも相俟って、今の世代は昔以上に、良くも悪くも1人1人が見られている時代ですので、
> どの世代の子供より、実は褒められたり、存在を確認されている世代でもあるのですが、
> それが当たり前で育っていると、そこを自覚できないと言うか、スタート地点の違いとかもありますね。
> 内在的で抑え気味な「もっと、もっと」という願望と、それが困難な社会の実状との間に、ギャップがあったり、
> 主観的に「自分たちはこうだ」というのと、客観的に「あなたたちはこうだ」というのでも、ズレもありますし。
> って、あれこれと勝手に分析・解釈されるって、あまり心地良いモノでは無いかも知れませんけど(苦笑)。


いや、一周回って面白いですよw
なんだかんだで、私もこの世代の一員で、私の性格や個性は、しょせんこの世代の中のバリエーションに過ぎないんだな、という発見があるので。

最近、大学のキャリア支援センター(就職課)の方が「大学生がなかなかキャリア支援センターを利用してくれないので、なぜなのか調査したところ、
『キャリア支援センターは静かなので怖い』と思われているということが判明したのですが、キャリア支援センターは確かに静かですが、怖いところではありませんよ」
という話をしたという、冗談みたいな体験をして、今の大学生を上から目線に笑っていました。
しかし、後日映画を見にショッピングモールに行ったところ、ショッピングモールがあまりに家族連れだらけで、同じ大学生くらいの利用者もなんか陽キャな感じで、
割と本気で帰りたくなったんですよね(帰ったら映画見れないので帰りませんでしたが)。
「キャリア支援センターが怖い大学生をバカにしてすみませんでした、やっぱり私もショッピングモール怖いです」って感じですw
ちなみに私のTwitterのフォロワーの既婚者の方もやはりショッピングモールに居心地の悪さを感じるようで、陰キャ魂は結婚しても変わらないんだな、と思いました。
商学部なので最近はこういう考え方をするようになったのですが、ショッピングモールだって大予算かけて建設する分、入念なマーケティングの元建設してるはずですし、まさか最近の陰キャが居心地の悪さを感じているとは思っていないんでしょうね。
と書きつつ、ショッピングモールの陽キャ感に帰りたくなる現象というのは、もしかして最近の若者の感性ではなく、割と昔から存在しているもんなのでしょうか?もしかして私ってショッピングモールの客層じゃない?(もちろんメインターゲットは家族連れですが、陰キャはサブターゲットにもなってないんですかね)

イタい感じの自分語りっぽくなってしまいましたが、これしか参考になる話はできないので、あきらめてくださいw
おそらく私の体験を元にした、どこまで信用できるんだかわからない仮説を披露するよりも、元データを直接見てもらう方がよっぽどマシですw


[24097] 返信は、また後日返信 削除
2022/12/7 (水) 23:41:08 徳翁導誉

> > 来週からカタールW杯が始まりますので、
> > (今大会は異例の冬開催という事もあり、連日4試合の超過密日程)
> > 私の方の返信は、今後 遅れるかと思います。
> > 事前に御了承下さい。

日本代表の戦いは終わりましたが、
W杯の大会自体は、まだまだ続いてますので、
申し訳ありませんが、長文となる返信は来週か再来週にでも。
(決勝が12/18(日)なので、再来週には確実に出来るかと)


[24099] 追記返信 削除
2022/12/19 (月) 03:50:38 旧トルコ担当

> > 来週からカタールW杯が始まりますので、
> > (今大会は異例の冬開催という事もあり、連日4試合の超過密日程)
> > 私の方の返信は、今後 遅れるかと思います。
> > 事前に御了承下さい。


日本代表の戦いは終わりましたが、
W杯の大会自体は、まだまだ続いてますので、
申し訳ありませんが、長文となる返信は来週か再来週にでも。
(決勝が12/18(日)なので、再来週には確実に出来るかと)

いえいえ、気になさらず。
よくこんな好き勝手書いている文章に返信していただいてありがたいです。
文章にすることで自分の中でふわっと感じていたことが整理される、だから書いているという独り言みたいな側面もあるので。


> > 交通事故で死者が出るのは仕方ないことだと皆考えていますが、
> > いざ自分が交通事故にあって障害が残るようなことになれば、そうは思わないでしょうし。

> 年齢差による「感覚の違い」という観点から、引き続いて述べると、
> 「死の身近さ」というのも、大きな違いがあるかも知れません。
>
> 核家族化が進み、兄弟姉妹も少なくなり、親戚関係や近所関係も疎遠化している昨今、
> 特に学生だと、周囲に同世代の子供たちしか居ない訳で、
> 葬式に出たり、家族や友人知人が亡くなるという経験は、あまりしない為、
> 「死」というモノが、非常に縁遠いというか、実感が乏しく、
> だからこそ反面で、それに対する恐怖感や忌避感も、非常に強いと思うんですよ。
>
> でも、社会に出て様々な年代と触れ合い、そして自分や周囲も年齢を重ねていけば、
> どうしたって死は免れませんし、ドンドンと身近な存在へと変わっていき、
> 慣れが生じると共に、恐怖感や忌避感も次第に薄れていくのが、実際の所です。
> いや本音を言えば、怖くない訳でも、嫌じゃない訳でもありませんが、
> そこに個人差はあれど、「仕方がない事」として、徐々に受け入れていく感じになると。
> オッサン世代になれば、同級生だって、もう何人も死んでますし。


そうですね、私ももう大学生でありながら未だ葬式には1度しか出たことがありませんし、親戚家族関係の希薄化にともなって世代間交流がなくなっているんでしょうね。
私が知っている人が亡くなったのって、親戚と学校の先生とあとはTwitterのフォロワーくらいですね。親戚がなくなったときはまだ幼かったですし、知っている人が亡くなって一番ショックだったのがTwitterのフォロワーというのが"現代"なんでしょうね。


> > 歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
> > (歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)

> いやいや、歴史に「必然性」を求める学者なんて、本当にそんなに居ますか?
> 「歴史にifは無い」と言いますが、その反面で、
> 「歴史とは様々あった可能性の1つに過ぎない」事は、学べば学ぶほど解る事でしょうし、
> テレビに出ている、歴史学者ならぬ歴史家であったり、学者肩書きのコメンテイターでも無い限り、
> そんな事は、普通に言わないと思いますけどねえ・・・・
> まあ、中には御用学者とかも居ますし、その場その場で都合の良い発言をする人も居るでしょうけど、
> そういう人は、特定の業界内では需要があっても、学術界では相手にされていないかと?
>
> 司馬遼太郎などの歴史小説家は、あくまでもエンタメの世界なので、
> 面白おかしく「必然性」を語る事もあるでしょうが(そちらの方が作品的に楽しいので)、
> あれも別に、歴史学としてキチンと考察している訳では無いですからね。
> 「司馬史観」とか言って、有り難がってしまうのは、読者側のリテラシーの話だと思いますし。


例えばソ連の成立や戦後の植民地の独立にしても、そういった出来事が起きれば、なぜそれが起きたのかを考えるのが歴史学だと私は認識しています。
例えば、ソ連成立にロシアの外婚制共同体家族の影響を見たり、植民地独立に宗主国による近代化や識字率の影響を見るのが歴史学だと思うのですが、
これって出来事→要因(普遍性のある理論)を考えるの順番でできている以上、どうしてもそこから出てきた理論は現実の出来事に引っ張られると思うんですよね。
もしかしたら社会主義国家の成立は人類史を100回やって1回しか起こらないことかもしれませんし、ですが私たちの生きている世界はその1回が起きた世界なので、どうしても100回やったら少なくとも30回くらいは起こるだろうと予測してしまう、と思っているのですが、どうなのでしょうか?


完全に独り言ですが、ソードアート・オンラインは現在27巻出ていますが、9巻〜8巻のアリシゼーション編で主人公のキリトに男の親友が登場するんですよね。
やはりここがSAOの転換点で、それまではなんだかんだで、なろう小説のような、ぼっち主人公が実は最強でみんなが憧れの美少女ヒロインに好かれる、というラノベだったのですが、この男の親友が登場して以降、SAOが普通のラノベから、もっと別のリア充崇拝に近いような、まぶしい系のコンテンツに変わっていったんですよね。
主人公キリトは、第1巻ではボッチを気取っていてたのに、今では50人以上のゲーム仲間と言うか軍団のリーダーみたいなのやっていますし。


> > > そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
> > > 逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
> > > 言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?

> > 根拠はないですけど、それはありそう。
> > 「俺ガイル」だってその辺がテーマですし。

> 逆に言うと、「全ての関係性で垣根が低い」からこそ、
> 対立とか衝突を乗り越えた上での、深くて強固な人間関係みたいなモノは、
> 却って今の時代の方が、築き難くなってるのかも知れませんね。
> 何度も言っていますが、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体の関係なので、
> 面倒さというデメリットを排せた反面で、絆の強さというメリットも失われてしまったと。
> だからこそ、言葉による再確認とか、周囲の人間も巻き込んでの関係作りが、昔以上に重要なのかも?


私は友達、というか大学で定期的に話す同級生はいないのですが、Twitterでは普通にフォロワーと話してるんですよね。
ただTwitterは、話題ごとにアニメ用と歴史用でアカウント別にしていますし、フォロワーが見たくないようなことはツイートしないようしているんですよね。
人によっては鬱ツイートとか日常生活の嫌なことをツイートするひともいますが、あまりそれは求められていないので、そういうのはしない方がいいと思っています。

ですが、最近読んだラノベだと
「世界で一番けんかする人が恋人」カノジョの妹とキスをした
「友達はそんな役回りを引き受けるためにいる」マリア様がみてる 赤薔薇さま

こういうのも分かりはするんですよ。
相手が困っている時に助けたり、支えたりして、それに対価を求めないのが本当の友達や恋人だろ、という価値観も。

しかし、これって私のTwitterの使い方とは真逆ですし、岡田斗司夫のいうホワイト社会といい人戦略の「暗いことを言わない(例えば、Twitterで鬱ツイートをしない)」という、やはりこれも本当の友達や恋人とは真逆のものなんですのね。
もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。とはいえやはりひと昔前と比較して、人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに振る舞わなくてはならない、というのはより進んでいるのでしょうね。

それは、一方的に悪いことと言いたいわけではなく、
 困ってる友達を助けるべき ←→ トラブルメーカーとは関わりたくない、トラブルを起こすやつはダメな奴
常に社会の価値観はこの横軸のどこかに点を打っているはずであり、昔であればこの点がより左側に打たれていた、というだけであって、ある以上に不快な奴は昔だって、無視であったり、あるいは除け者、笑い物の対象だったと思うのですが、この基準がどんどん高くなってきているのでしょうね。
ある意味ではダメなやつ(嫌な奴)を互いに受け入れる同士から、自分の中の嫌な奴は排除していくという、共助から自助に代わっているとも言えます。

岡田斗司夫はホワイト社会の特徴として「ミュート」というのを挙げていますが、これもかつては笑い物であったり、いじめの対象であったりした不快沸点を超えた人たちが、ホワイト化でその対応がミュートになったという要因もあるのでしょうね。

いや、別に悪いことばかりではなく、その分えげつないイジメや学校で笑い物にされたり、というのは減っているはずですから、私としては昔の世界より今の世界の方が生きやすいと思うんですけど、ただそれは人間関係の希薄化とバーター取引であったと。
ミュートされるかもしれない、という恐怖が人を露骨に笑い物にしたりしない、という個人の民度を上げているので。皆が相手に求める基準が上がった分、皆が少しずつ良い人になったと。
経済だって、金が欲しいという私利私欲があるから一生懸命働くわけですし。

岡田斗司夫は「現代の20代以下は地獄を生きてきた世代」と言っていますが、私から見れば当たり前のように学校に暴力があった昔の時代の方が地獄ですね。


これは年上の方に対して失礼かもしれませんけど「ネットde真実」というのは、そういう陰謀論にハマっていく人たちを馬鹿にしすぎた表現では?と正直思います。
もちろん、確かにそういう人たちが愚かなことを言っているのは事実ですが、
少なくとも私の場合は、そういったネットの陰謀論に騙されずに済んでいるのは、周囲に知的に恵まれた環境(といっても父親が少し本を読む程度の一般家庭のもの範疇ですが)があったからですし、
対する陰謀論者の人たちは、そういった環境に恵まれなかっただけだと思うんですよね。
管理人さんがどういった環境で育ち、どうして陰謀論に騙されない程度のかしこさを得たのかは分かりませんが、
それは自分の努力だけで得られたものではおそらくないでしょうし、そうやって偶然得た能力で能力の低い人を見下すのはみっともないと思います。
そうやって知識人(っぽい人たち)が過剰に陰謀論を見下すからこそ、それを支持する人たちのプライドを余計に傷つけ、より戦闘的にしているというのもありそうですし。

まあでも知識のない人をこうやって擁護する時代こそ、おかしな時代なんですかね。
1960年代とかだともっと知識人崇拝というか、そういうのってありそうなイメージですし、以前のテレビ報道の話もそうですが、そうした知識を軽視する時代というのがおかしくて、知識が無いのは馬鹿にされるのが当然なんでしょうか。
あとはまあ、私はチアガールなんかを見ても、生まれ持った容姿で判断される女性の生きづらさを勝手に想像して、勝手に辛くなる人間なので、『皆の前でほめないで』同様に過剰に傷つきやすい世代のさらにナイーブな少数派の意見だというのは承知していますが。

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