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[23848] AIについて等(追記あり)返信 削除
2022/3/4 (金) 15:03:05 旧トルコ担当


▼AIについて

私の書き方が悪かったと思うのですが、私自身は「人工知能」としてのAI、という科学的、理系的な問いには興味ないんですよね。
それよりも、AIという技術が社会をどう変えるか、という問題のほうが興味がありますし、その技術が社会を変えるのならば、科学的に見てそれが大きな進歩なのかどうかは、心底どうでもいいです。
強いAIまで進歩しないと、人工知能と呼べる代物にはならない、というのは管理人さんがそういうのであれば、そうなんだろう、とは思うのですが、でも現在のAIであろうとも、社会は間違いなく変わるでしょうし。
一応、ちょこっとはAIの原理も勉強したつもりですので、理系の人間からすれば今のAIはただの計算機、統計処理に過ぎなくて、科学的に全然ワクワクしないのも、まあ分からなくもないですが。

(そういえば昔、科学技術史を勉強しようと思い、いくつか本を読んだことがあるのですが、それらの本って20世紀後半の章は大抵、原子力の話になるんですよね。
私からすれば、原子力なんて発電してるだけですし、そんなことよりも、もっと耐久消費財革命の話を聞かせてくれ、と思ったのですが、これも理系の視点と文系の視点の違いなんでしょうね。
社会からすれば原子力よりも耐久消費財革命のほうがインパクトは大きいけれど、科学者的には原子の世界という未知の世界の探求のほうがインパクトが大きいと)

そして、私がAIに期待しているのは「代替ではない」んですよね。
そもそも、代替=完全上位互換って難しいですよ。
何でもよいのですが、例えばある飲食店Aという店舗に対して、この店より儲かる店を作れ、というのと、この店の客を全部奪う店を作れ、というのはどちらが難しいのか、ということでしょうか?
仮に飲食店Aよりも儲かる店は作れたとしても、その店の客を全部奪うということになれば、あらゆる面で飲食店Aを上回る必要があるわけで、それは飲食店Aより儲かる店舗を作ることの何倍も難しいと思います。
これだけYouTubeやアマゾンプライム等のネット動画文化が栄えたとしても、テレビを見る人は残っていますし、
AIと人間の関係も、ネットとテレビと同じような分業だと思うんですよね。

そういう観点からすれば、管理人さんの例に出したゲームのグラフィックというのがよい例であり、
ファミコンのグラフィックは実際の風景とは比較にならないほど低画質ですが、それでも人間はファミコンに夢中になったわけで、
AIも性能が良いに越したことはないですが、人間並みの知能がないと人間は相手にしないということはないと思うんですよ。

現に漫画もアニメも、現実と比べれば低性能ですが、ちゃんと現実と分業に成功して、人々を夢中にさせているわけですし。
そこで必要なのは、見る側の見方が確立することだと思うんですよ。
ゲームで例えるなら、コンピューターの性能を上げることではなく、面白いゲームを作ることであり、マンガであれば面白いストーリーを考えることかな?

と、考えているのですが、管理人さんはどう思われますでしょうか?

▼VRとAIについて

先ほどのAIの話を踏まえ、さらに思い込みの激しい話になるのですが、
私は本能の上に、さらに感性というのがあると思っていまして、例えば食でいえば、食欲とは別に、個人ごとに味の好みというのがあり、味の好みがが感性だと考えています。

そして、そうした感性というのは、色々な要素に影響されますが、環境によって左右される要素が大きいと思うんですよね。
で、VRやAIというのは、その環境を自由に作り出せるツールになりえ、現実世界と違った環境がVRやAIにより提供されれば、自分自身の感性もかなり容易に変えられるようになるのではないか?と思っています。

具体的な例を挙げれば、こんな感じです
https://twitter.com/kemonoslime/status/1480139627285848064

今までもゲーム機やPCがそうした別空間を作ることを可能にしたと思うのですが、VRってその比ではないと思うんですよね。
AIも、完全な人工知能レベルには到達せずとも、現在の人工知能のもうちょっと面白い使い方が生み出されれば、VRと似たような感性を変えてしまうようなツールになりえるのではないでしょうか?

▼オウム事件のイメージについて

> > オウム事件は全く勉強してないですね。
> では逆に、予備知識が無い現段階で、オウム事件ってどんなイメージですか?
> 多分これって、リアルタイムで知らない世代が、後から知識を得ようとすると、
> 却って、当時の実状から懸け離れてしまう感じがするので・・・・
>
> 地下鉄サリンの前までは、オウムって非常にネタ的な存在で、面白おかしく扱われてましたし、
> 事件が起こった後も、かなり不謹慎な感じで弄られてたり、逆にヒステリックに糾弾されたり、
> そして何より、警察もマスコミも、自分たちが犯したミスには蓋という感じで、
> 今になってオウム事件を知ろうとすると、都合良く記憶を忘却したり、神妙ぶったりが目立ち、
> 当時の空気感というのが、まるで伝わらないんだろうなぁ・・・という感じはしているんですよね。
>
> まあ結局、人間社会などというのは、そんなモノなのでしょうけど、
> だからこそ「オウム事件」って、そうした課題を考える上での、格好の題材だと思うんです。


「勉強してない」というのは本で調べたりして、積極的に学びに行っていない、という意味合いであり、オウムに関する情報が皆無というわけではないんですよね。
個人的なオウムのイメージは、小学生くらいの時に見たテレビのドキュメンタリー番組で形成されているので、管理人さん的にはありきたりでつまらないものだと思いますよ。

とはいえ、振り返ってみれば小学生のころにはオウムをネタにしたギャグを披露する同級生がいたので、案外そういった雰囲気って残っているものなのかも?

▼新自由主義について

私的に色々考えてみた結果、私が新自由主義に肯定的なのは、中学生の時に自由主義を絶対の価値としておいてしまったからだ、という結論に落ち着きました。

というのも、私自身は極端な進歩主義者で、社会をよりよくするために極端な社会改造をやれ、といった考え方に共感しがちなんですよね。
しかし、そうした過激な考えを実行に移したフランス革命やナチスドイツ、文化大革命はどれも悲惨なことになっているわけで、
だからこそ中学生くらいの時に徹底的な、それこそ社会保障制度にすら否定的なリバタリアン思想を、自身の極端な社会改造思想のアンチテーゼとして持つようになったという経緯がありました。
で、そのリバタリアンの足枷が今も外れていないからこそ、新自由主義にはどうしても肯定的な見方しかできないんですよね。

▼勉強について

> > もちろん、新自由主義崩壊の過程で暴力的なことが起きる可能性は十分ありますし、
> > ポスト新自由主義が必ずしも今よりも良い時代かどうかは疑問ですが、

> 自由主義がリバイバルして、新自由主義の時代になった事を思うと、
> 次に来るのは、社会主義をリバイバルしての「新社会主義」なのか?
> はたまた、ケインズ主義をリバイバルしての「新ケインズ主義」なのか?
> 新社会主義であれば、ベーシック・インカム(BI)がキーワードになるかも知れませんし
> 新ケインズ主義であれば、現代貨幣理論(MMT)がキーワードになるかも知れません。
> まあ別に、BIも、MMTも、新自由主義でだって導入するメリットがあるのですが、
> どのシステムで導入されるかによって、その意味合いは大きく変化しそう・・・・
>
> って、リバイバル自体は別に否定しませんけど、
> それしか出てこないのは、やはり新たな発想力に乏しい時代なのか?
> それとも、私の知らない何処かで、最先端の理論が生まれていたりもするのかな?
> それこそ旧トルコ担当さんの方が、そういうのは専門なんじゃありません?


いやいや、私は全く経済については疎いですよ。
経済学部ではなく、商学部なので、大学の勉強もいかに良い経営をするのか、みたいなのが多いですし。
私が人生で一番勉強したのはオタクの歴史であって、それも本を100冊、ネット情報を同じくらい集めたというだけです。

ちなみに、管理人さんが考える「専門」ってどれくらいのレベルのことを指すのでしょうか?
もっと言えば、管理人さんって私から見ると何でも知っているように見えるのですが、実際どれくらい勉強しているのでしょうか?例えば本でいえば年何冊くらい読まれますか?

▼ オタクと純粋性

> > まあ、いい子ちゃんといいますか、世間知らずのお嬢様みたいなもんなんですよね。
> > で最近、自分があまりに純粋すぎるんだな、というのをようやく自覚するに至り、恥ずかしいなあ、と。

> でも、状況把握を欠いた善意や純粋性というのは、
> 一転すると、無責任な攻撃性にも繋がるんですよねえ・・・・
> 自分の正義を信じて疑わない人ほど、他者への危険な言動が目立つタイプは居ませんし、
> また、それこそ上述の人権カードの話のように、
> 自分の純粋性というか、心地よさを守ろうと思えば、
> 集団でバッシングする側に回るのが1番という真理もあったりします(苦笑)。
>
> 例えば、「大津いじめ自殺事件」とか、「日大アメフト問題」みたいに、
> 正義の鉄槌を振るって悦に浸る事で、加害者と見なした人々に集団リンチを行い、
> 結果的には、世間が大いなる加害者となりながら、全く自覚が無いなんて事態も生じており、
> それこそ最近なら、北京五輪に関連して、いま騒がれてるウイグルでの人権問題とかも、
> 本気でウイグル人の為を思って訴え、状況改善を最優先する人が、一体どれだけ居るのか・・・・
> この場合、「利用してやろう」と悪意をもって動く人間の方が、自覚を出来てる分だけ、
> 無自覚なまま善意で行動して「利用される」人間よりも、遥かにマシだったりします。
> 意図的な悪人は、利益の出る範囲内でしか害悪を起こしませんが、
> 無自覚な善人は、無制限に害悪を撒き散らし続けるモノですからねえ。
> もう少し解りやすく説明すると、例えば、善意からデマを拡散するようなタイプは、
> 積極的に拡散に荷担しますし、同じ過ちを何度だって繰り返す、みたいな話です。
>
> いや別に、旧トルコ担当さん自身が、そうだと言っている訳では全然無いのですが、
> もう自覚が出来ていて、恥ずかしいとも感じられる段階であるのなら、
> 「純粋すぎる」なんてコーティングは、早く剥がせた方が良いかも?みたいな話ですね。
> 逆に今の社会って、元々は判断力のある まともな人だったのに、
> ドンドンと「ネットde真実」に取り込まれていって、デマ拡散器みたいになってる人が、
> 引退した団塊世代を中心に、地味に社会問題化していたりもしますからねえ。
> 気付いたのなら、抗っていかないと、そのまま時流に押し流されちゃうかも知れませんよ。


いやあ、もうこれはヒシヒシと感じていまして、個人的に一番衝撃だったのは「宇崎ちゃん論争」の時のTwitterでした。
Twitterでフォローしている、オタクの人たちが、かなり理性的ではない方向に流れていて、自分のフォロワーでもこうなのか、と思わされました。
主張していること自体は、そこまでおかしなことではないのですが、その発信の仕方が、酷かったんですよね。
そういう意味で、嵐がもうそこまで迫ってきているのは凄く感じるんです。
トランプ旋風は決して対岸の火事ではないし、
今は宇崎ちゃん論争程度であろうとも、何かの要因でそれが別の方向に向かった時、本当にどうなってしまうのだろうか、というのはリアルなものとして感じています。

今はもうあまりTwitter見てないのですが、チラッと見る限りウクライナ情勢に関しても、あまり良い感じではないですね。
個人的には、昨年のアメリカ軍撤退後の飢えているアフガニスタンには金銭支援をしなかったのに、今になってウクライナにお金を送金するのはどうかと思っています。
まあ、どっちにも金出してない人間が言うことではないですが。

▼ 岡田斗司夫とホリエモン

> いや〜、想定していた以上に、旧トルコ担当さんのホリエモン評価が高くてビックリ!!(笑)
> ここまで認識が違うのって、2006年のライブドア事件とか、リアルタイムで知らないからですかねえ?


評価は高くないですよ。オタクなので起業家には興味ないですし、ホリエモンの実績というのはライブドア事件含め全く知りません。
個人的に好きだ、というだけです。
ホリエモン的にはこういう奴が一番いやな奴なんでしょうね。金も落とさないしw

> ハッキリ言ってしまえば、当時のホリエモンって、
> 自分が逮捕されるリスクを冒してるというか、その危険性があった事に、まるで気付いてませんでした。
> 「想定内」が口癖な彼でしたが、自分が逮捕されるなんて、まさしく「想定外」だった訳で、
> そういう意味では、「リスクを背負える男気ある人」ではなく、単純に見えてなかったんですよ。


ホリエモンってリスクに動じない人だな、と思ったのは、警察の捜査があった後、裁判が始まる前だったかの、岡田斗司夫とホリエモンの対談動画を見て抱いた感想ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=mLxhR6xeqMc&list=PLC4EAB28D3812487D

> テレビ出演が多かった時代も、同じく「こんな事も出来ないの?」って態度で、
> しかし、いざ自分がやる番になると、結局は上手くできない事も珍しくなく、
> それで居て、ちょっとシュンとしながら、多少の言い訳をして、
> そして時間が経てば、再び「こんな事も出来ないの?」って感じだったんですよね。
> でもまあ、それが意外と憎めないというか、愛嬌がある感じで、
> これは前述の「自己評価が高すぎる」という話とも絡むのですが、
> そんなズレた所が、お茶の間でも人気を得られた秘訣ではあったと思うんです(笑)。


ホリエモンがお茶の間で人気があったというのは意外。
何というか、自分だけが知っているクラスの可愛い女の子だと思っていた子が、実は結構人気だった、みたいな、勝手に裏切られた気持ちw

> 釈放後のホリエモンは、以前よりも明らかに情緒不安的な感じですし、最近では、
> マスク拒否騒動から、個人の餃子店を閉店にまで追い込んだのは、さすがに常軌を逸してます。
> (旧トルコ担当さん的には、この一連の件って どう映っているのでしょう?)


> ところで、ふと思ったのですが、「人権カード」で傷付くくらいナイーブなのに、
> こういうオタキングの人間性に関して、旧トルコ担当さんの中で、どう折り合いを着けてるんですか?
> まあ私の場合、「それはそれ、これはこれ」と分けられちゃうタイプなので、別に大丈夫ですけども。


餃子店でホリエモンがなんか炎上していたのは知っていましたが、個人の店を閉店にまで追い込んだんですね。
岡田斗司夫もホリエモンも、ひとりの人間としてはなっていないのでしょうが、個人的にはそれと関係なく好きですね。
これって結局、私自身が岡田斗司夫もホリエモンに割と近い、自分さえ良ければいい主義の人間なので、彼らのそういうところがあまり気にならないんだと思います。
もちろん、岡田斗司夫もホリエモンが正しいとは絶対に言いませんし、私自身が自分勝手な行動をしないようには気を付けているのですが、
そういった理性の部分とは別に、私の感情にはエゴイズムというのは確実に存在するので。せめて彼らのような行動には移さないよう、気を付けています。
とはいえ、エゴイズムという観点では光源氏の方が岡田斗司夫もホリエモンなどよりもはるかに自分勝手ですし。
やはり中学生の時に源氏物語を読んだというのは、色々感性がずれる要因になっているのかな?

あとまあ、私自身が自分勝手な人間だからこそ、他人も自分勝手なものだと勝手に思い込み、他人をを信用できず、
だからこそ人権のような社会システムに期待をしているという面もあるのかな?

> > そして、評価経済という方向での岡田斗司夫の主張は、
> > 「今や大企業の正社員になったとしても、将来は安泰じゃない。
> > かといって、色んな会社に転職できるスキルを持ち合わせろ、というのも万人にとっては現実的ではない。
> > だから、特別な能力がなくても、お前だったら雇ってやるよ、という人間関係を作れ」ということだと思うんですよね。

> え〜と、私の考えと似てるとは言え、やはり違うのは こういう部分なんだろうなぁ・・・・
> 自助や公助だけでなく、互助や共助を同じく想定してるとは思うのですが、
> 私のは人々が対等なのに対して、岡田案だと人同士に上下関係が出来てるんですよねえ。
> そして、「その上に鎮座するのは自分だ」という思いが、
> 自覚的か無自覚かはともかく、何とな〜くですが感じ取れてしまいますし、
> それって結局、自分を教祖とした「新興宗教のビジネス・モデル」を抱いてるのかな?とも。
> 要するに、「助け合いの精神」がテーマではなく、釣り文句であり、
> 大量のカモがネギを背負ってやってくる、岡田自身にとっての理想的な社会像とでも言いますか(苦笑)。


良く知りませんが、その辺やってるのがキングコングの西野亮廣なんですかね?
興味ないので全く把握してませんが。

▼(追記)ホワイト革命について

いちゃらぶものってご存じですか?
オタクジャンルの中で、主人公とヒロイン(あるいは同性カプ)がいちゃいちゃしているものを指して、アニメや漫画よりも同人マンガや二次創作小説などで使われる言葉なんですが、
こういうものが一定の地位を占めるのって、00年代以降のオタクの傷つきたくないという気持ちが理由であり、イコールいちゃらぶものが流行っているのはオタクジャンルの中だけだと思っていたのですが、
実は小学生の間でも人気ならしいんですよ。

『りぼん』編集部に聞く!「小学生の恋愛」は少女漫画でどう描かれてる?親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?(https://lee.hpplus.jp/column/2113728/
Q 親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?
昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
また、つき合うことへのハードルが下がっていて、“つき合った後”が描かれることが多いです。
親世代は片思いの間のすれ違いを大事にしていたので、これは大きな違い。主人公がイチャイチャしているところ、幸せそうな様子が見たい、というのが今の子どもたちの気分のようです。

ちなみに、少女小説でも00年代後半からいちゃらぶものが増え、一部では姫嫁作品などと呼ばれているようです。
特徴としては、この時期の少女小説はメインの10代読者層をラノベやケータイ小説に奪われ、高齢化が進んだ時期であるということでしょうか。
「背景には長引く不況の中で、現実につかれた社会人がロマンティックでハッピーエンドな恋愛に癒しを求めているということが考えられている」(コバルト文庫で辿る少女小説変遷史)

恋愛ものにおいても、「片思いの間のすれ違い」といった恋愛の辛い部分が描かれにくくなり、幸せないちゃいちゃのみが描かれる。
これもホワイト革命の一つだと思います。
本当にすごく面白い時代です。


[23853] 私の読書の仕方について(その1)返信 削除
2022/3/8 (火) 22:09:06 徳翁導誉

▼VRとAIについて
> 先ほどのAIの話を踏まえ、さらに思い込みの激しい話になるのですが、
> 私は本能の上に、さらに感性というのがあると思っていまして、

本能と感性では、本能の方が上なのでは?
・・・って、まあこれは、実際の脳の構造を考えた場合に、
中心部に向かうほど、理性から感性、そして本能となっていくという見方であり、
これを逆に、中核から外縁へと視点を変えると、脳の進化にも繋がるので、
これはこれで、どちらが正解とか、間違いとかでも無いのかな?(笑)
でもまあ、断面図をピラミッド構造で見立てるなら、
やはり外縁部が底辺にあたり、中核部が頂点になるとは思いますけどね。

> 例えば食でいえば、食欲とは別に、個人ごとに味の好みというのがあり、味の好みがが感性だと考えています。
> そして、そうした感性というのは、色々な要素に影響されますが、環境によって左右される要素が大きいと思うんですよね。
> で、VRやAIというのは、その環境を自由に作り出せるツールになりえ、現実世界と違った環境がVRやAIにより提供されれば、
> 自分自身の感性もかなり容易に変えられるようになるのではないか?と思っています。

まあ、VRに関しては、そうだと思いますよ。
随分前かと思いますが、「電脳ドラッグ」が云々という話をしたのも、つまりはこういう話で、
例えば、何らかの音が聞こえれば、それが画面上に色や形として反映される遊び方だとか、
第11芸術として挙げた「デジタル・アート」というのも、将来的にはこっち方向の話ですし、
もっと言うと、現状の五感というセンサーから更に拡張して、もっと感覚の数を増やしたり、
そもそも論として、脳の処理段階でいろいろ弄ろうというのは、ここから更に先の話でした。
正直な所、イメージはし難いですから、どこまで伝わってるかは不明ですけども・・・・

あと、VRで環境を変えるというのは、まだ何となく解るのですが、
「AIで環境を変える」って、具体的にどんなモノを想定されてるのでしょう?
具体例とかが無いので、旧トルコ担当さんの抱くイメージ像を、ちょっと把握しかねるんですよねえ。

> 今までもゲーム機やPCがそうした別空間を作ることを可能にしたと思うのですが、VRってその比ではないと思うんですよね。
> AIも、完全な人工知能レベルには到達せずとも、現在の人工知能のもうちょっと面白い使い方が生み出されれば、
> VRと似たような感性を変えてしまうようなツールになりえるのではないでしょうか?

え〜と、ひょっとしたら、勘違いされてるかも知れませんけど、
私は何も、理論的な話だけが楽しいのではなく、実用的な話だって好きなんですよ(笑)。
それこそAIなんて、理論的な面は勿論ありますけど、結局 最終的には道具な訳ですから、
これに関しては、「実際にどう使おう?」という話の方が、ずっと楽しいはずです!!
ですから、私自身は、そうした事を否定した事は、今まで一切ありませんし、
もっと言うと、漠然とした印象論で終わるのではなく、更に踏み込んだ実用論を語りたいんですよね。
そして、その為の土台というか、大前提として、理論的な話を振ってる所はあります。
だって、その辺りが曖昧なままだと、具体的な実用論には全く進めないと感じるので。

・・・と、何だか回りくどい言い方をしてしまいましたが、
まあ簡単に言えば、「ちょっと面白い使い方」とか、「感性を変えてしまうツール」など、
具体的にどんなモノかを、具象化させて深堀りしたいですし、
もしも可能であれば、それを実現化したいじゃないですか!って話ですね(笑)。


▼オウム事件のイメージについて
> > > オウム事件は全く勉強してないですね。
> > では逆に、予備知識が無い現段階で、オウム事件ってどんなイメージですか?
> > 多分これって、リアルタイムで知らない世代が、後から知識を得ようとすると、
> > 却って、当時の実状から懸け離れてしまう感じがするので・・・・
> > 地下鉄サリンの前までは、オウムって非常にネタ的な存在で、面白おかしく扱われてましたし、
> > 事件が起こった後も、かなり不謹慎な感じで弄られてたり、逆にヒステリックに糾弾されたり、
> > そして何より、警察もマスコミも、自分たちが犯したミスには蓋という感じで、
> > 今になってオウム事件を知ろうとすると、都合良く記憶を忘却したり、神妙ぶったりが目立ち、
> > 当時の空気感というのが、まるで伝わらないんだろうなぁ・・・という感じはしているんですよね。

> 「勉強してない」というのは本で調べたりして、積極的に学びに行っていない、という意味合いであり、
> オウムに関する情報が皆無というわけではないんですよね。
> 個人的なオウムのイメージは、小学生くらいの時に見たテレビのドキュメンタリー番組で形成されているので、
> 管理人さん的にはありきたりでつまらないものだと思いますよ。
> とはいえ、振り返ってみれば小学生のころにはオウムをネタにしたギャグを披露する同級生がいたので、
> 案外そういった雰囲気って残っているものなのかも?

事件の直後で、死者だった数多く出てるのに、
テレビで島田紳助が「ポアするぞ!」とツッコミをし、
それで芸人たちが笑うなんて映像が、普通に流れてましたからねえ。
(個人的には、テレビでやるのは駄目だろう…とは感じましたが)

でもまあ、インパクトの強いオウム関連のワードなんて、
もしも、忖度ないリアル流行語大賞でもあれば、確実に複数ランクインするくらい、
世間でもネタ的に使われていて、みんな普通にケラケラと笑ってたんですよ。
公の場所でもなければ、そこまで不謹慎って感じでもなかったですね、実際。
ちなみに私は、ネタとして発言したりはしなかったものの、
オウムが独自に行っていたラジオ放送は、たまに聴いてたりしました(苦笑)。

あとは、殺害された弁護士一家は、警察の不正資金問題も扱ってた事もあり、
警察側は全くやる気が無かったというか、
まともに事件として取り合わなかったのは、子供ながら明確に覚えてますし、
松本サリン事件では、マスコミと一緒になって、冤罪を作り出してしまった事で、
それまでは信じて疑わなかった、警察の捜査や、マスコミの報道に対して、
「人間のやる事だから、当然ミスはある」と見られるようになりましたね。
(警察もマスコミも嘘ばかりだと、真逆に振れるほどガキでもありませんでした・笑)

とは言え、その事以上に「怖いな」「駄目だな」と感じさせたのは、
こういうミスがあったのだから、今後は尚更慎重にあるべきと思っていた所に、
オウムに関する捜査や報道が、更に常軌を逸したモノとなり、
世間も、それを喝采した事に対してだったんですよね・・・・
まあマスコミは、国民から糾弾される格好で、それなりに反省を強いられたのに対して、
警察の方は、それを行うべきマスコミがこの調子なので、そこまでの反省は無く、
そして何より、冤罪事件を一緒に叩きながら、手のひら返しでマスコミや警察を批判し、
その事に全くの自制心もないまま、今度はオウムをネタにしつつも叩くという、
大人(一般国民)の無責任さというモノが、非常に愚かしく思えたのは覚えていますね。

ですが一方で、「自分たちの国を作る」という中二的な世界観を、
本当に実行してしまったオウムという存在に、同調とかは全くしなくても、
その行為自体には、かなり深い関心を抱いたのは、偽らざる本音でしたね。
ひょっとしたら、ラノベ的な世界観が受け入れられてる現在の方が、
仮に同じ事件が起こった場合、もっと大きなフィーバーを生んでいたかも?
逆説的に言えば、そうした妄想を掻き立てられた世代が、ある程度の年を重ねて、
作品として世に生み出されたモノも、公言されないだけで、意外と在るかも知れません。


▼新自由主義について
> 私的に色々考えてみた結果、私が新自由主義に肯定的なのは、
> 中学生の時に自由主義を絶対の価値としておいてしまったからだ、という結論に落ち着きました。

まあ、そういうのは仕方無いというか、結構普通に多いですよね。
価値観の変化や多層化とか、なかなか機会が得難いものですし、
それこそ今の中高生だと、「首相は安倍さんしか知らない」感じでしょうから、
そこが知らず知らずに基準となってしまい、今の岸田総理を見ても、
「何か違う」と違和感を抱いてしまいがちだと。

これは何も、今の世代だからとかは関係無く、
夫婦別姓に対して強硬に反対する戦前・戦中派の人たちも、
「夫婦同姓が当たり前」な時代に育ったから、それを絶対的に感じるだけで、
彼らの祖父母世代の頃は、まだ夫婦別姓の時代だった(東アジアは伝統的に別姓)なんて事は、
少し気にすれば気付けても、基本的には関心の範囲外ですからねえ・・・・

ハッキリ言えば、多くの人にとって、「あるべき本来の社会像」とは、
その人が10代前半だった頃の社会像が、そのまま引き写されてるモノだと思うんですよ。
でも私の場合、都会から田舎まで、転勤族として日本各地を点々とした上に、
昭和から平成に変わり、冷戦も終結して、国際化が一気に進んだた時代だった為、
価値観なんて土地や世代で様々だし、それも状況次第で一変すると感じて育ったかな?
とは言え、同世代が必ずしも同じ感覚では無いので、やはり私独自な所もあるかも。

> というのも、私自身は極端な進歩主義者で、社会をよりよくするために極端な社会改造をやれ、
> といった考え方に共感しがちなんですよね。

「20歳までに共産主義にかぶれない者は、情熱が足りないが、
 20歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は、知能が足りない」
な〜んて事を、あのチャーチルも言ったとか、言わないとか(笑)。
(引用は数多く見ても、出典は見た事がないので、真偽は不明)

> しかし、そうした過激な考えを実行に移したフランス革命やナチスドイツ、
> 文化大革命はどれも悲惨なことになっているわけで、
> だからこそ中学生くらいの時に徹底的な、それこそ社会保障制度にすら否定的なリバタリアン思想を、
> 自身の極端な社会改造思想のアンチテーゼとして持つようになったという経緯がありました。
> で、そのリバタリアンの足枷が今も外れていないからこそ、
> 新自由主義にはどうしても肯定的な見方しかできないんですよね。

まあ私の場合は、とりあえずの理想像は掲げた上で、
それを何処まで引き下げれば実現可能か?を、現実に合わせて摺り合わせていく思想かな?
そういう意味では、理想主義者でもあり、現実主義者でもあるかも知れませんね。
現実性のない理想論などは絵空事に過ぎない一方、成長性のない現実論では茹でガエルに陥ると。


▼ 私の読書の仕方について
> > > もちろん、新自由主義崩壊の過程で暴力的なことが起きる可能性は十分ありますし、
> > > ポスト新自由主義が必ずしも今よりも良い時代かどうかは疑問ですが、

> > 自由主義がリバイバルして、新自由主義の時代になった事を思うと、
> > 次に来るのは、社会主義をリバイバルしての「新社会主義」なのか?
> > はたまた、ケインズ主義をリバイバルしての「新ケインズ主義」なのか?
> > 新社会主義であれば、ベーシック・インカム(BI)がキーワードになるかも知れませんし
> > 新ケインズ主義であれば、現代貨幣理論(MMT)がキーワードになるかも知れません。
> > まあ別に、BIも、MMTも、新自由主義でだって導入するメリットがあるのですが、
> > どのシステムで導入されるかによって、その意味合いは大きく変化しそう・・・・
> > って、リバイバル自体は別に否定しませんけど、
> > それしか出てこないのは、やはり新たな発想力に乏しい時代なのか?
> > それとも、私の知らない何処かで、最先端の理論が生まれていたりもするのかな?
> > それこそ旧トルコ担当さんの方が、そういうのは専門なんじゃありません?

> いやいや、私は全く経済については疎いですよ。
> 経済学部ではなく、商学部なので、大学の勉強もいかに良い経営をするのか、みたいなのが多いですし。

何となくのイメージですが、経済学と経営学の関係は、
理学と工学の関係に近いと、個人的には考えているのですが、
工学部であっても、道具としての理学は学ぶように、
経営学部では、道具としての経済学を学ぶ事って無いんですかねえ?

そういう意図も含めての「専門」という単語だったのですが、
でもまあ、日本の経済&経営学って、理系ではなく文系扱いですし、
この辺りって、私の想像以上にバラバラに分かれてる分野なのかな?
私の中だと、マクロ経済学とミクロ経済学の間に、明確な線引きが困難なように、
ミクロ経済学と経営学の間も、明確な線引きは困難だろうと見ているので、
大きな視点から見ると、これら3つは境目無く繋がってるのかな?という印象なのですが。

> 私が人生で一番勉強したのはオタクの歴史であって、それも本を100冊、ネット情報を同じくらい集めたというだけです。
それは「勉強」ではなく、「学習」なのでは?と思いつつも、
まあ、ほとんどの人は、勉強と学習を区別してないでしょうし、
そこは別に、変に拘らなくても良いのかな?(笑)

・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?
そして、その本のタイトルとかって、伺えたりします?
面白い本があり、それは私が読んでなかったり、存在すら知らなかったりするなら、
実際に読む読まないは別として、情報として知っておきたい気持ちがあります!!(笑)
私が未だ出会えていない名著は、それこそ山のようにあると思うので。

> ちなみに、管理人さんが考える「専門」ってどれくらいのレベルのことを指すのでしょうか?
う〜ん、何となくですが、大学の「専門課程」が最低限レベルですかねえ?
高校レベルの知識では、その分野に関して、大した話は出来ないでしょうし。

> もっと言えば、管理人さんって私から見ると何でも知っているように見えるのですが、
> 実際どれくらい勉強しているのでしょうか?
> 例えば本でいえば年何冊くらい読まれますか?

「何でもは知らないわよ。知ってることだけ。」 by 羽川翼(笑)

でもまあ、本当にそんな感じですよね。
当たり前ですが、知ってる事は知っていても、知らない事は知りません。
例えば、私はペーパー・ドライバーなので、車の事は詳しくありません。
同じく、酒やタバコは嗜まないので、数々ある銘柄も疎いです。
あとは、ドラマなんて大河くらいしか見ないので、特に女優の違いが解りませんし、
ハリウッド映画も見ないので、海外の役者は顔どころか、名前すら知らない事も多いかな?
同様に、歌手とかも、ほとんど解らないですね。
この辺りの知識は、私より詳しい人が、そこら中に居ると思いますよ。

また、もっと勉強的な分野で言うと、
小説も読んでませんし、星座や神話の知識も少ないですし、植物や岩石の種類も判別できません。
と言いますか、そもそも極めた分野なんて1つもありませんので、
全ての分野において、知らない事ばかりですよ、本当に・・・・
「無知の知」などと言えば格好良く聞こえますが、自分の未熟さを恥じ入るばかりですし、
正直な所、若い頃にもっと勉強しておけば良かったと、今ではつくづく感じます。
今の時代はネットがあって良いなぁと羨む反面、格差社会というモノが広がってるようなので、
私自身はもう遅いにしても、若い人たちに何らかの協力が出来ればと、本気で考えたりもします。

って、こんな愚痴を聞きたい訳じゃないですよね(笑)。
勉強は・・・そんなに得意じゃないかな?
私の失敗が糧になった面もありますけど、
少なくとも勉強に関しては、弟の方がずっと上ですね。

でもまあ、これは何度も語ってると思いますけど、私が好きな分野って、
「スポーツ」「科学」「歴史」「文化(アート)」の4つなので、
これをいろいろと組み合わせると、結構広い範囲をカバー出来てる面はあるかな?
とは言え、「オタク関連の本を100冊」とか、そんなに手広くは読めてませんよ。
1つの分野に関してだと、精々5冊とか、多くても10冊とか。
とは言え、異なる人が書いた同じ題材の新書を2〜3冊読み比べたり、
名著とされる専門書を、1冊でもキチンと読み切れば、
もうそれだけで、そこそこ詳しくなれる気はするんですけどねえ。
(ただし、この程度では「専門」だなんて、とても称せませんが)

それこそ日本の大学生なんて、まともに勉強する人など一握りでしょうし、
現役の大学生であれば、大学図書館で各分野の専門書を借りたい放題ですから、
様々な学部や学科の平均レベルくらいは、いろいろと拾得出来るのでは?
折角 高い授業料を払ってるんですし、使い潰して元を取るくらいじゃないと、損ですよ(笑)。
今更ながらに、私自身は「損したなぁ」と後悔してますので。

あとは・・・読んだ本の冊数とかは、そこまで多くないですよ。
そもそも私の場合、小中学生の頃に読んだ本なんて、片手でお釣り来ますし、
本を読む習慣が身に付いていなかったので、今でも読むのが非常に遅いんです・・・・
速読術などというのは、理解力が伴わなければ、ただの曲芸だと思ってますけど、
せめてもう少し、読む速度が速ければ、もっと多くの本を読めるかな?とは思います。
単純にスピードが遅いだけで、別に熟読してるって訳では無いので。
とは言え、本の文章と対話しながら読む事はあるので、そういう時は仕方無いかな?

まあ、具体的に冊数を述べるとすれば、
私が「読書モード」と読んでるタイミングにハマった時は、
週に3〜4冊読んだりしますけど、基本的には月に1〜2冊って所ですかねえ?
つまりは年単位でいうと、20冊行くか行かないかくらいだと思いますよ。
出来る事なら週1冊で年に50冊、理想を言えば週3冊で年に150冊くらい行きたい所ですが、
実際は こんな感じなので、読みたい本は数多いものの、なかなか手を付けられません。
ですから、個人的に、読書で心掛けている事と言えば、
出来るだけ良い本を引き当てる確率を上げる事でしょうか?
詰まる所、読書というのは、「何冊読んだか?」という数の事よりも、
「どれだけ情報を得られたか?」という量の方が重要だと思うので、
時間と気力と財力があれば、手当たり次第に読んでみるのも良いでしょうけど、
現実的に、それが限られるなら、可能な限り効率良く成果を上げたいと(笑)。

要するに、野球に例えると(今は野球に例えるのは時代遅れかな?・苦笑)、
とにかく「打席数」を稼ぎ、何でもかんでも振り回すのではなく、
じっくりとボールを見極めて、少ない打席数でも、ヒットを増やす「打率」を気にして、
その上で、同じヒットなら、単打よりも「長打」、そして「ホームラン」が良いと、
ホームラン級の名著を探すって感じですかねえ?
とは言え、いきなりホームランを狙うのは困難な事がほとんどなので、
その場合は、ヒット→2塁打→3塁打→ホームランと、順を追ってくべきでしょう。
って、こんな話をすると、「量より質」という話をしてると思われるかも知れませんが、
実際は、量も質も大事というか、もっと言えば「量×質」ですよね。
野球の例えを続ければ、結果的に「何点取れたか?」が重要という事です。
ですから、1万打席で100得点するのと、100打席で80得点するのとでは、
効率の問題さえ置くとすれば、1万打席でも100得点できる方が上です。
まあ理想は、出来るだけ得点する為に、出来るだけ打席に立つのが正解かな?

それと、以前の私は、「読む本は買うべきである」という思想でしたが、
それだと資金が飛んでくだけでなく、置き場所にも困るようになりますし、
それに何より、試し読みも含めて、手を出せる範囲が非常に狭くなる為、
神保町などで長年探していた絶版本が、近くの図書館に収蔵されてたのを知った機に、
気になる本は、とりあえず借りてみる路線に変更しましたね。
丁度その頃、動画作りを始めた事もあって、
手当たり次第に参考文献を調べる上で、非常に助かりました。
また、買ったら「いつでも読める」が、結果的に「いつになっても読まない」となりがちな為、
2週間という返却期限がある事は、「期間内に読まなきゃ」と動機付けるのに役立ってます(笑)。

そして、私自身の読み方として、1つオススメなのが、
全く異なる分野の本を、同時進行で3冊読むってスタンスですね。
まあ正直、常にそうやって読んでる訳では無く、基本的に読書モードの時ですけど、
こうやって読むと、知識が立体的に構築されるというか、
異なる分野同士の知識でも、脳内で上手くリンクが張られる感じがあるんですよね。
また、一気に読むと、情報が脳内で整理できなかったりするので、
1冊当たり50〜100ページ程度、それを気分転換の意味も兼ねて3冊、読んでく感じかな?
1冊を1日2日で読み上げてしまうと、意外と記憶に残りませんから、
知識の咀嚼じゃないですけど、少しずつ味わって消化した方が、結果的には良い気がします。
また、難しい専門書であれば、それこそ1日10ページずつでも良いでしょうし、
本当に良い本に関しては、やはり購入した方が良いかも知れませんね。

それに、異なる分野の本を同時進行する事で、更に異なる分野へと関心が向く機会が増え、
次の週には、そうして気になった3分野の本を、再び手にするって感じで繰り返せば、
知識的にカバーできる範囲が、かなり広がるような気はしますね。
通常、人間の発想力というのは、ゼロから生み出すなんて実際は皆無で、
何かを観察した上で、そこに新たなモノを付け加えたり、別の場所に植え替えたり、
異なる2種を組み合わせたりなど、知識の園芸というか、品種改良に近い感覚があります。
あとは、私自身は抵抗感があって出来ないのですが、本に適切な書き込みを入れるのは良いでしょうし、
今更なので行っていませんが、読んだ本をデータとしてまとめ、その本の基本情報は勿論、
個人的な採点や、抱いた疑問、気に入った箇所、思った感想などを、書き込んだノート作りも良さそう。
と、大体こんな所ですかね、私の読書法としては。


▼ オタクと純粋性
> > > まあ、いい子ちゃんといいますか、世間知らずのお嬢様みたいなもんなんですよね。
> > > で最近、自分があまりに純粋すぎるんだな、というのをようやく自覚するに至り、恥ずかしいなあ、と。

> > でも、状況把握を欠いた善意や純粋性というのは、
> > 一転すると、無責任な攻撃性にも繋がるんですよねえ・・・・
> > 自分の正義を信じて疑わない人ほど、他者への危険な言動が目立つタイプは居ませんし、
> > また、それこそ上述の人権カードの話のように、
> > 自分の純粋性というか、心地よさを守ろうと思えば、
> > 集団でバッシングする側に回るのが1番という真理もあったりします(苦笑)。

> いやあ、もうこれはヒシヒシと感じていまして、個人的に一番衝撃だったのは「宇崎ちゃん論争」の時のTwitterでした。
> Twitterでフォローしている、オタクの人たちが、かなり理性的ではない方向に流れていて、自分のフォロワーでもこうなのか、と思わされました。
> 主張していること自体は、そこまでおかしなことではないのですが、その発信の仕方が、酷かったんですよね。
> そういう意味で、嵐がもうそこまで迫ってきているのは凄く感じるんです。

宇崎ちゃん論争ですか〜、そんな騒動もありましたねえ(笑)。
まあ正直な所、私自身の意見としては、
どれだけオタク文化が「市民権を得た」とは言われていても、
それはあくまで、人口の数%だった存在が、1割2割になった程度の話であり、
基本的には、そうじゃない人口の方が、圧倒的に多数派なのですからねえ。

ですから、身内でのノリと、社会でのノリは、当然ながら使い分けるべきだと考えてますし、
それはオタク文化に限らず、全ての分野において、共通で言える事だと思いますけど、
どうも、その辺りの線引き感覚が鈍いと、やはりトラブルは生じがちですよね。
宇崎ちゃんの献血ポスターに関しては、微妙な所かな?と感じますけど、
同時期にあった、ストパンの自衛官募集ポスターの件は・・・自重しろよと素直に感じました(苦笑)。

何だか近年、公的機関や大手企業の広報活動で、
「よくは知らないけど、何だか人気あるんでしょ?」という軽い感じや、
「お堅く見えて、意外と柔軟だよ」という空気の読めてない悪ノリが、
頻繁に見受けられるようになり、正直な所、
「プロなら、プロの仕事をしろよ!」と思う事が増えましたね。
個人的に作品が好きな事と、それが社会的題材として用いるのに適当か否かは、全くの別問題ですし。

> トランプ旋風は決して対岸の火事ではないし、
> 今は宇崎ちゃん論争程度であろうとも、何かの要因でそれが別の方向に向かった時、
> 本当にどうなってしまうのだろうか、というのはリアルなものとして感じています。

これは、「社会の不寛容化」という事ですかねえ?
う〜ん、そうした昨今の風潮は私も、少なからず感じ取ってますね。
社会学者によると、こうした傾向は2010年代後半から強まり、
それは日本だけでなく、世界的にも見られる傾向であって、
その主要因となっているのが、SNSの利用だ・・・って感じの話でした。

まあ確かに、SNSって自然と、自分と同意見な人同士が繋がっていきますし、
そういう仕組みである事を意識しないと、それが あたかも「全て」であるかのように誤解し、
更には、1人1人の顔が見えないまま、多数で特定の人物を集中攻撃するのにも長けている為、
無自覚で無責任に、集団リンチに参加しやすい構造になっちゃってるんですよね・・・・

で、これはクダらぬ持論なのですが、だから時代劇が衰退したのかな?と(笑)。
だって、作り物の勧善懲悪劇を見て、スカッとするなんて事をしなくても、
こうしたネット上での集団リンチって、誰もが簡単に勧善懲悪劇の参加者になれ、
単なる視聴者とは異なる、ずっと大きな快感を得られるので、
日夜ターゲットを探してバッシングする行為が、知らず知らずに娯楽化してる気がするんです。

ネットが普及し始めた頃、これは世界の多様性を体感できる、夢の道具だったはずなのに、
それが普及しきった事で、却って不寛容化を促進させる道具に変化するとは、
皮肉な話だと思う反面、人間社会の本性というのは、所詮そんなモノかな?という思いも・・・・
理想論と現実は逆で、オープンなほど人の心は疲れますし、クローズなほど人の心は安まるので。

> 今はもうあまりTwitter見てないのですが、チラッと見る限りウクライナ情勢に関しても、あまり良い感じではないですね。
> 個人的には、昨年のアメリカ軍撤退後の飢えているアフガニスタンには金銭支援をしなかったのに、
> 今になってウクライナにお金を送金するのはどうかと思っています。
> まあ、どっちにも金出してない人間が言うことではないですが。

ウクライナ戦争の話は、既に別のスレッド内で行われてますし、
こちらでも話したら長くなっちゃうので、ここでは止めておきますね(笑)。
などと言いつつ、少しだけ語ると、今のウクライナが本当に欲しいのって、
資金などよりも武器や食料であり、それ以上に欲しいのが援軍でしょうけど。

そして、アフガニスタンに関して言うと、「タリバン関係者は全て悪」として、
一介の役人とかまで、全て切り捨ててしまえば、そりゃ行政組織として回りませんよ。
そこに大金を投じ、軍事力でバックアップして、何とか体裁だけ整えていても、
現地の協力者だって、将来的な身の安全を考え、とにかく蓄財できるだけ貯めたいのが人情ですし、
そんな状況では、政治腐敗が常態化して、資金を投じた分だけ妬みや嫉みが生じる構図となり、
そうして米軍が引くとなれば、実際に引く前から、アッと言う間に崩れてしまったと・・・・
まあ、そもそもが砂上の楼閣だったので、予想通りと言えば、そうなのですが。
ちなみにタリバン政権に関しては、日本語の情報源としては珍しく、
そちら目線から書かれた本が、半年前に出てますので、ちょっと紹介しておきますね。
正直、ちょっと美化し過ぎな印象は受けましたが、視野を広げるのに、読んでおいて損は無いかも?

「タリバン 復権の真実」
https://www.amazon.co.jp/dp/4584126119/


▼ 岡田斗司夫とホリエモン
> > いや〜、想定していた以上に、旧トルコ担当さんのホリエモン評価が高くてビックリ!!(笑)
> > ここまで認識が違うのって、2006年のライブドア事件とか、リアルタイムで知らないからですかねえ?

> 評価は高くないですよ。オタクなので起業家には興味ないですし、
> ホリエモンの実績というのはライブドア事件含め全く知りません。
> 個人的に好きだ、というだけです。

ちなみに、私がサイト立ち上げ時に、初めて使ったAAAcafeサーバーは、
その後、ホリエモンのlivedoorに買収され、しかも直後に逮捕劇があった事で、
絶賛放置→サービス終了となり、サーバー移転を余儀なくされましたね(苦笑)。
いや別に、ホリエモンを恨んでるとかは無いんですけど、
微々たるモノですが、私もあの事件に巻き込まれた1人だったと言えるかも(笑)。

> > ハッキリ言ってしまえば、当時のホリエモンって、
> > 自分が逮捕されるリスクを冒してるというか、その危険性があった事に、まるで気付いてませんでした。
> > 「想定内」が口癖な彼でしたが、自分が逮捕されるなんて、まさしく「想定外」だった訳で、
> > そういう意味では、「リスクを背負える男気ある人」ではなく、単純に見えてなかったんですよ。

> ホリエモンってリスクに動じない人だな、と思ったのは、警察の捜査があった後、裁判が始まる前だったかの、
> 岡田斗司夫とホリエモンの対談動画を見て抱いた感想ですね。
> https://www.youtube.com/watch?v=mLxhR6xeqMc&list=PLC4EAB28D3812487D

動画には「2010/5/12」とあるので、一審・二審は既に終わっていて、
最高裁判決が出て、実際に収監される事となる、ちょうど1年前の頃ですね。
そういう意味では、往時の無鉄砲さは影を潜めたものの、
疑心暗鬼というか、羮に懲りて膾を吹くようになったのは、この動画から更に3年後ですね。
そういう意味では、ライブドア事件(2006年)以前のホリエモンの動画があれば、
これ以上に自信満々なホリエモンの姿を拝めるかも?(笑)

> > でもまあ、それが意外と憎めないというか、愛嬌がある感じで、
> > これは前述の「自己評価が高すぎる」という話とも絡むのですが、
> > そんなズレた所が、お茶の間でも人気を得られた秘訣ではあったと思うんです(笑)。

> ホリエモンがお茶の間で人気があったというのは意外。
> 何というか、自分だけが知っているクラスの可愛い女の子だと思っていた子が、
> 実は結構人気だった、みたいな、勝手に裏切られた気持ちw

ホリエモンが和田アキ子と、ゴールデンにクイズ番組をやってたと聞いたら、
今までのイメージが変わっちゃいますかねえ?(笑)

ホリエモンって天然系な所があり、弄ると結構面白いタイプなのですが、
天然であるが故に 当人にその自覚はなく、プライドも高いので弄り難い人でもあり、
そこを、芸能界のドンである和田アキ子が、上手いことホリエモンを弄る事で、
ヒルズ族の嫌なイメージとは異なる一面が引き出され、その人間味は悪く映らなかったかと。
そして、そんなホリエモンの可愛らしさを、和田アキ子は気に入ってましたし、
逮捕後、皆が手のひらを返す中、何だかんだで気に掛けており、
保釈後にも声を掛けたという話を聞くと、そうした人情家な側面が結果的に、
浮き沈みの激しい芸能界において、和田アキ子を「ドン」と呼ばれるまでにしたのかな?と。

もっと言うと、もしも あのまま逮捕されず、
和田アキ子の下で、良い意味でトゲが抜けて丸みを帯びていたら、
ホリエモンも、もっと違う姿を見られたかも?と思うと、ちょっと残念かな。
それこそ、ひろゆきなんかも、自身に子供が生まれて、丸くなった事で、
2ch時代を知らない若者層から、人気を得るようになった気がしますし。
(逆に言うと、当時のイメージのままな人は、あまり良いイメージは持って無さそう・笑)

> > 釈放後のホリエモンは、以前よりも明らかに情緒不安的な感じですし、最近では、
> > マスク拒否騒動から、個人の餃子店を閉店にまで追い込んだのは、さすがに常軌を逸してます。
> > (旧トルコ担当さん的には、この一連の件って どう映っているのでしょう?)

> 餃子店でホリエモンがなんか炎上していたのは知っていましたが、個人の店を閉店にまで追い込んだんですね。

まあホリエモン的には、最初にトラブったのは本人ではなくマネージャーであり、
彼は彼なりの男気で、マネージャーを守ろうとした側面はあるのでしょうし、
その後、店へ数々の迷惑行為をしたのも、本人では無いのも事実です。
しかし店主の側からすれば、ここまで騒動を大きくしたのはホリエモン自身であり、
そういう意味では、「自分には責任が無い」とするホリエモンの態度は、決して褒められません。
その上、ひろゆきが支援した事で、通販や無人販売での再出発が上手く行くと、
「利用された、ハメられた」と逆恨みし出し、陰謀論まで唱え始めたのは・・・ガチで引きました。

> 岡田斗司夫もホリエモンも、ひとりの人間としてはなっていないのでしょうが、個人的にはそれと関係なく好きですね。
> これって結局、私自身が岡田斗司夫もホリエモンに割と近い、
> 自分さえ良ければいい主義の人間なので、彼らのそういうところがあまり気にならないんだと思います。
> もちろん、岡田斗司夫もホリエモンが正しいとは絶対に言いませんし、
> 私自身が自分勝手な行動をしないようには気を付けているのですが、
> そういった理性の部分とは別に、私の感情にはエゴイズムというのは確実に存在するので。
> せめて彼らのような行動には移さないよう、気を付けています。

でもまあ、それぐらい際立ったエゴイズムがあればこそ、
人とは違う事が出来るという面はあるので、それはそれで社会の重要な1ピースですよね。
身近に居られたら、きっと迷惑な存在なのでしょうけど(笑)、
遠い場所にいて、そんな彼らの成果を得られるのなら、決して悪い話では無いと。

> とはいえ、エゴイズムという観点では光源氏の方が岡田斗司夫もホリエモンなどよりもはるかに自分勝手ですし。
> やはり中学生の時に源氏物語を読んだというのは、色々感性がずれる要因になっているのかな?

一昔前の不良文化が全盛だった学校文化とかでさえ、
当時は普通の事でも、今の感覚では異常な事って多いでしょうし、
それが1000年前の価値観となれば、今とは大違いで当然でしょうね(笑)。

> > ところで、ふと思ったのですが、「人権カード」で傷付くくらいナイーブなのに、
> > こういうオタキングの人間性に関して、旧トルコ担当さんの中で、どう折り合いを着けてるんですか?

> あとまあ、私自身が自分勝手な人間だからこそ、他人も自分勝手なものだと勝手に思い込み、他人をを信用できず、
> だからこそ人権のような社会システムに期待をしているという面もあるのかな?

となると、見ず知らずの人たちまで想定した「みんなの人権」と言うよりは、
何よりも「俺自身の人権」を守ってくれ!って感じなんですかねえ?(笑)

> > え〜と、私の考えと似てるとは言え、やはり違うのは こういう部分なんだろうなぁ・・・・
> > 自助や公助だけでなく、互助や共助を同じく想定してるとは思うのですが、
> > 私のは人々が対等なのに対して、岡田案だと人同士に上下関係が出来てるんですよねえ。
> > そして、「その上に鎮座するのは自分だ」という思いが、
> > 自覚的か無自覚かはともかく、何とな〜くですが感じ取れてしまいますし、
> > それって結局、自分を教祖とした「新興宗教のビジネス・モデル」を抱いてるのかな?とも。
> > 要するに、「助け合いの精神」がテーマではなく、釣り文句であり、
> > 大量のカモがネギを背負ってやってくる、岡田自身にとっての理想的な社会像とでも言いますか(苦笑)。

> 良く知りませんが、その辺やってるのがキングコングの西野亮廣なんですかね?
> 興味ないので全く把握してませんが。

「信者ビジネス」という意味では、キンコン西野とかは確実にそうですね。
ゴッドタンで西野が見せる、劇団ひとりとの絡みとかは、最高に面白いとは思うのですが、
でもこれも、劇団ひとりが居ればこそと考えれば、やはり芸人的には実力不足だったのかな?
とは言え、芸人として、そこそこであろうとも人気が得られる人って、
世間的に見れば、途轍もなく優秀なタイプですし、だからこそ上手く行っている面もあり、
信者ビジネスと言うと聞こえは悪いですが、「一緒に夢を見させる商売」だと捉えれば、
アイドルとか、プロ・スポーツとかとも、ある意味では同じ土俵なのかも知れませんよね。
ある意味、オリラジ中田とかに比べると、内容的には薄い為、却って宗教的に見えるとか。

ちなみに、昨今の信者ビジネスのメイン舞台が「オンライン・サロン」なのだとしたら、
それを日本で最初に始めたのが岡田斗司夫であり、最初に活かしたのがキンコン西野だと考えれば、
この2人は似ているとも言えますし、違うとも言えるのかな?
まあ結局は、どういった視点から見るか?ですよね。
そして、一見すると、より宗教的に映るのはキンコン西野の方なのでしょうが、
彼はあくまでも道具として、それを用いてるだけであり、
その道具を作った人間の方が、目立ちはしないものの、その特性を熟知していると捉えると、
却って岡田斗司夫の方が、皮を剥いた内側の部分では、真に宗教的なのかも知れません。

と言いますか、あの後、YouTubeの切り抜き動画だったと思いますけど、
「もしも自分が今20代なら、庵野たちと一緒に、アニメじゃなくて新興宗教を作る」とか、
「自分の母親は、新興宗教ビジネスで神様をやってて、自分たちも儀式に付き合わされた」
などという話を、岡田本人が語っているのを見た事で、
根拠の無い漠然としたイメージでしかなかったモノが、裏打ちされた気分になりました(笑)。


[23866] 私の読書の仕方について(その2)返信 削除
2022/3/15 (火) 21:56:28 徳翁導誉

スレッドが分岐すると返信しにくいかと思い、場所を変更して再投稿。
ついでに、追記箇所への返信も追加しました。

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> 20日までは五輪観戦モードとのことですが、書けたので投稿しておきます。
> 返信をせかす意図はありません。

あれっ・・・すみません。
五輪期間中だった為かも知れませんが、完全に返信を見落としてました!
意図的に遅くなったのではなく、単純に今まで気付いておらず、
「AIについて等」の返信が付いた事で、初めて気が付いた次第です。

> 個人的なことなのですが、今の文章量ですとどうにも返信に時間がかかるため、
> 話題ごとに時間かけて少しづつ返信することにします。
> 今までは、夜中にその場の勢いで返信を書いてしまうことが多く、それが色々良くなかったと思うので、
> 返信量を削減する分、時間をかけて、しっかり考えた文章で返信していきたいと思います。

申し訳ありません(笑)。
以前ならもっと、読む人の負担を考え、返信文を削ってたのですが、
もう最近は、その作業すら面倒臭くなって、無編集に書き殴ってます。
そういう意味では、私の方こそ、その場の勢いで書いてる感じですね。


▼ 俺ガイルについて
> 管理人さんの感想を読んで正直に思ったことを書けば、「おんなじ作品を見たのに、こうも違うのか」でした。
> 今までの話は、経済にしてもオタク話にしても、持っている情報に違いがあるという前提だったため、
> 管理人さんと意見がズレても当たり前だと思っていましたが、
> 全く同じ作品を見てこうも見え方が違ってくるのか、というのは衝撃的でした。

う〜ん、この際だから、旧トルコ担当さんの為にも、ハッキリ言っておいた方が良いのかな?
そもそも論として、その「前提」自体に間違っているので、話が噛み合わない事が多々あるのに、
それを自覚できていない為に、同じ事が何度も繰り返されるって印象なんですよね、私からすると。

もう少し解りやすく説明すると、人はそれぞれ独自の視点を持っているモノであり、
同じ状況下でも、AさんにはAの、BさんにはBの、CさんにはCのモノの見え方の違いがあるんです。
ですから普通は、「自分的には こうだ」という認識はあるにしても、
「あの人的には ああだろうし、この人的には こうだろうな」という想定を行うものなのですが、
どうも旧トルコ担当さんの場合は、「自分的には こうだ」に続いて、
「だから、あの人も、この人も、そうだろう」と、ついつい見てしまいがちな傾向が見受けられます。
恐らく本人的には、「いや、そんな事はないよ!」って感じだとは思いますが、
これはもう、20年以上サイトを続けてきて、多くの人達と触れ合ってきた上での、私なりの実感ですね。

情報量が違うから、ズレが生じるんじゃないんです。
人間なんて個々に別々なのですから、最初からズレがあるのが当たり前であり、
その上で、ズレとは立ち位置(視点)の違いによって生じるモノである以上、
自分側の立ち位置と、相手側の立ち位置を、キチンと把握出来ていれば、
客観的な距離や状況の違いを認識できて、近付けずとも、溝の方は埋められるんです。
ですが、そこを把握出来ずに、相手も自分と同じ立ち位置だと思い込んだまま、話を進めると、
相手との距離感も取れず、溝も埋まらず、ズレているの何でだろう?と陥る事になり、
更には、立ち位置が異なるという、平面的な違いだと認識できずに、
自分基準の立ち位置を前提に、高さの違いだと誤解しがちになる気がするんですよね。

でもまあ、実を言えば、こういう人って結構多いです。
もしかしたら、世の中の大半の人は、そうなのかも知れません。
そして旧トルコ担当さんが、元々の性格タイプ的に そうなのか?
はたまた、大人への成長過程だから そうなのか?
その辺りは解りませんけど、とりあえず、自覚や納得は出来ないかも知れませんが、
「そういう指摘を受けた」という事は、覚えておいて損は無いかと思います。
人間なんて、誰もが問題や欠点を抱えているモノで、それをなかなか自分では気付けませんが、
何らかのトラブルが生じた際、「もしかしたら自分に原因が?」と疑えるか否かで、
その解決能力というのは、そうでない人とは天と地ほどの開きが生じると思うので!!
これは何も、自虐的であるという事ではなく、視野を広く持とうという事ですね。

> > それでは具体的に、この新しい層とは何かとなると、
> > 「1人で居る事を見られるのが苦痛な人たち」とでも言えば良いのでしょうか?
> > 適切では無いかも知れませんが、もっと解りやすい表現を用いるなら、
> > 「便所メシをするような人たち」の登場って事ですね。

> これですが、
> まず明確に、主人公及び俺ガイルを支持している層(私を含め)は、
> 便所飯をする層、する可能性のある層とは明確に違いますよ。
>   (中略)
> こういった感覚が一切伝わらないのって、世代差はやはり大きいんですね。

あ〜、やはり こういう受け取り方になったかぁ・・・・
「便所メシ」という単語が、負のパワーワードとして強すぎる為、
話の内容よりも、そちらの強烈なイメージに引っ張られる危険性は、正直感じてましたけども、
時代が変わっても変わらないモノと、その時代ならではのモノと、その時代から始まったモノの差が、
客観的&俯瞰的に見ていかないと、なかなか理解は出来ないだろうと思ったので、
その辺りの回りくどい説明は省き、理解しやすい単語を敢えて用いたのですが・・・うん、
まあ、そうなっちゃいますよね(苦笑)。

まあ、この部分に関しては、作品自体の本題から逸れる話題でしたし、
私自身の「オタク史観」的な視点から話なので、
あまりキチンと伝えるつもりで書いてない(要するに詳しくは説明してない)文章なので、
その点に関しては、確かに言葉足らずなので、申し訳なかったと、今更ながらに感じます。
私としては、「便所メシ」自体をどうこう言っているのではなく、
あの当時の時代性を象徴する1つのワードとして、それを用いたのであり、
何よりも言いたかったのは、「歌は世につれ 世は歌につれ」などという言葉が示すように、
その作品がヒットした理由の背景にある、社会的な「時勢」の話なんですよね。

う〜ん、正直に言うと、これって普通に作品を楽しむ感覚とは違って、
もっとメタ的に見ちゃってる感覚なので、一般的な視点からだと意味不明な自覚はありますし、
これが正しい楽しみ方だとは、私自身も全く思ってはいないんです。
ですから、「世代差」とか、「感覚が伝わらない」とか言うのとも、ちょっと違う気がして、
恐らく、旧トルコ担当さんが想定されている以上には、理解できてると思うんですよ。
その上で、個別の実例としてではなく、いろいろ並べて全体の傾向を見ている感じで、
言うなれば、「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字に過ぎない」というのに近く、
統計的に語ってるからと言って、別に1人1人の死を悲しまない人間という訳では無いんです。
それと一点、旧トルコ担当さんも、私の発言の主旨を理解できていないよ、という事だけは、
最後にキチンと伝えておこうかとは思います。
理解の方はともなく、誤解されたままだと あれなので(笑)。

> 小中学生ならともかく、高校生にもなれば、一人で居る事を見られること程度には慣れきってしまうんですよね。
> そして、上手い関係を作れないからどのグループにも属さないというよりも、
> 面倒だからどのグループにも属さない、というのがボッチの心理ですね。

これなんて、まさに端的な例なのかな?
では、なぜ「面倒」と感じるんでしょう?
それは小中学生の頃から? もしくは幼稚園児の頃から、既にそうだったのでしょうか?
もちろん、中には そういう人も居るでしょうけど、ほとんどは そうじゃないでしょうし、
人間関係なんて、そもそも面倒くさいのが大前提であり、
その上で、人間は群れを作って暮らす生物だからこそ、自然とグループを作る訳で、
それを「面倒」なんて理由付けをしている時点で、既に「上手い関係を作れない」状態だと思いますよ。

> まさか管理人さんがアニメ全部見るとは思っていなかったので、
その想定が、そもそも甘いです(笑)。

> では、俺ガイルがどうリアルなのか、ということなのですが、
> 何回か書いてみたのですが、なかなか伝えるのが難しいので、少なくとも今回は待ってください。
> もしかしたら、次回以降、書けるかもしれません。

はい、では、待ってます(笑)。

でもまあ、個人的には結局、その時代の「等身大」を描く事で、
それを「リアルタイム」に触れた思春期世代が、「これは俺達の物語だ!」と感じたというのが、
「リアルさ」の正体だろうとは思いますけどね。

> 小説とアニメで終わり方が違うことはありませんし、
> あの終わり方はやはり「ずっと一緒エンド」だと私は思っています。

リアルがどうこうという話になったので、脱線気味になったかも知れませんが、
作品的に言えば、私もそうだと思いますよ。

> > 例えば、1期の文化祭での屋上シーンとか(原作だと6巻に相当?)、
> > 一見キツそうですが、実は爽快感の得られる作りで、その意図が見えてると激甘に感じ、
> > 「単なる快楽以上のもの」どころか、「快楽以外の何物でもない」ように映りました。

> 屋上シーンの解釈も、私から言わせれば、表面しか見てない気がします。

抽象的な話に終始していても何ですから、試しに、
具体的な話として、ここを深堀りしてみましょうか?(笑)
ちなみに旧トルコ担当さん的には、あの屋上シーンって、どのように映っているのでしょう?

> > それに、「ifルートの想定自体が難しい」との事でしたけど、想定ルートは結構あった気が!?
> ifルートの話って、俺ガイルはifルートを作者が書いてるんだよね、って話から始まってませんでしたっけ?
> 俺ガイルはifルートあるけど、他のラノベとかではifルートの想定って難しいよね、という話だったと思います。

あ〜、なるほど、そうですね。
「他のラノベじゃ難しいけど、俺ガイルは特別」って話でしたっけ。
すみません、何だか途中で、その辺りの話がゴッチャになってました(笑)。
でもまあ、他のラノベでも可能な感じは、私はしちゃうんですけどね。


▼ 校園四覇について
> > という事で、ちょっと調べてみた所・・・なんと中国オタク界隈では、
> > 「校園四覇」なんて括り↓で呼ばれてるみたいです!?(笑)
> > http://i2.hdslb.com/bfs/archive/00febf8e0edee2d0af707970d38c7cb23d057355.jpg
> >  【自爆】 比企谷八幡 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」
> >  【節能】 折木奉太郎 「氷菓」
> >  【騒話】 梓川咲太  「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」
> >  【無情】 綾小路清隆 「ようこそ実力至上主義の教室へ」
> > あと余談ながら、旧トルコ担当さんは、この校園四覇は制覇されてます?
> > と言いますか、この4人の括りって、実際的確に映りますでしょうか?

> 俺ガイル、よう実は読んでいましたが、氷菓と青ブタは見てないなと思い、書店で買ってきたのですが、

おっ!?
中国経由という思わぬルートから、旧トルコ担当さんの範囲が広がりましたか(笑)。
個人的に、こういう繋がりみたいなのって、凄く好きなんですよね!!

> そして、校園四覇は人気作品をまとめたというより、主人公のダメさ加減を茶化している感じだと思いますよ。
> 「トラウマを作らない」ことが目標にもかかわらず、「自爆」してトラウマを作る比企谷八幡に、
> 自分を好きになってくれた女の子を退学に追い込む「無情」な綾小路清隆。
> このあだ名は結構笑えました。

それは良かったです(笑)。
「自爆」と「無情」が、2打数2安打でヒットしたならば、
「節能」や「騒話」の方も、同じくヒットするかも知れませんね。
と言うか、「退学に追い込む」って、よう実って、そんなストーリーなんですか?

> ただ一方で、中国の若者が俺ガイルを評価しているのか、というのは正直怪しいと思います。
> 青春ファンタジーをやっている、普通の青春系オタクコンテンツが中国で受容されるのは分かるのですが、
> 俺ガイルって現代の日本の学校文化の中でしか通用しない、非常に特殊な作品だと思うので、
> 特に経済が成長している中国では通用しなさそうなイメージ。
> 経済が成長していれば、モテるモテないも、容姿より学歴がもっと関わってきそうですし。

う〜ん、その辺りの事は、日本ならではの特殊性、中国ならでは特殊性、
そして日中で通ずる普遍性を、それぞれ把握出来てない限り、
ちょっと断言は出来ないでしょうねえ・・・・
私が抱く中国のイメージと、旧トルコ担当さんが抱く中国のイメージでも、
結構違いそうな感じは ありますので。

> もっと言えば、大人社会に肯定的なイメージが無いからこそ、
> 高校生=人生で最も輝いている時期、という図式が成立するわけであり、
> 高校生=人生で最も輝いている時期、という図式が成立するからこそ、
> その高校時代に青春出来ない=負け組、という俺ガイルの語られすらしない根本原理が成立するので。

この図式が、「日本だけ」とか、「今の時代だけ」と思われているのであれば、
それはちょっと、認識が間違ってるかな?という気はしますね。
これって恐らく、現代社会においては、かなりの普遍性をもつ図式ですよ。

> もちろん、俺ガイルはモテが全てだ、という価値観の作品ではありませんが(むしろ友情の方がテーマ)、
友情・・・って、男同士の方ですか?
それとも、男女間での方ですか?
もちろん、そういった描写はあったと思いますけど、
「友情の方がテーマ」な作品かと言われると・・・そういう印象は受けなかったかな?
具体的には、どのようなシーンが、それに当たると思われます?

> 高校でどんな負け組であろうと、そんなものが可愛いくらいの超超経済格差社会の中国においては、
> 高校出た後に勝ち組になれるかの方が重要でしょうし、そういう世界で俺ガイルって共感されるのでしょうか?

では、その超超経済格差社会って、どのように選抜されるのでしょうねえ?
勿体ぶった言い方を止めれば、そんな逆転劇、日本以上に起こらない社会ですよ!!
中国が超x2経済格差社会だとすれば、それ以前に超x3学歴社会ですし、
更には超x4地域格差社会であり、究極的に超x5階級格差社会なのが実状です。

そして、そうした中国社会の中で、日本のオタク文化を楽しんでる層というのは、
今現在は ちょっと解りませんけど、少なくとも5年10年前くらいまでは、
一握りの勝ち組中の勝ち組な大学生か、そこを目指す勝つ組の高校生に限られており、
その勝ち組の中での負け組・・・というか、受験勉強が今の日本以上に苛烈過ぎて、
「青春出来ない=負け組」であるなら、大部分の受験生がそうだという感じでしたからねえ・・・・
逆に言えば、だからこそ彼らに、日本のオタク文化が刺さりまくったのかも知れませんが。

> 中国のオタク文化受容って実際どうなのでしょう?
> 個人的な見方では、中国人の一部に日本マニアがいて、
> でも人口が10倍だから日本から見るとそのマニアの多さに圧倒される、というだけであり、
> 何も中国人の若者の間にそこまでオタクが多いとは思えないんですよね。

はい、それは私もそうだと思いますよ。
そもそも日本国内だって、オタク文化の受容者なんて、国民全体からすれば一部ですし、
いくら「市民権を得た!」と唱えた所で、元々がサブカルなんですから、
ニッチな存在であるのは、当然な事と言えば、当然なんだと思います。

とは言え一方で、それが日本限定のニッチかと言えば、個人的には そうは思っていなくって、
比率は日本以上に下がるものの、各国で多少でも需要はあると見てるんです。
それは1%でも、0.1%でも良いのですが、確実に存在するでしょうし、是非とも掴みたい所(笑)。
だって、人口1000万人の国であれば、1%で10万人、0.1%で1万人ですからねえ。
比率で見れば微々たる数字でも、人数で見れば、やはり大きいですよ!!
そして中国人というのは、欧米人や、その他の外国人に比べれば、
文化的にも日本と近いですし、諸外国より、その比率を高められる下地があると。
そんな感じの話ですね、私がしているのは。
簡単に言ってしまえば、日本発のグローバルなネットワークを築きたいって事ですね。

> 私は、オタク史を勉強しようと思った一番初めの時に、ひとまず国内だけやって海外は手を出さないと決めたので、
> 海外情勢は一切知らないんですよね。

えっ!?
だとすると、このスレッドの始まりは、そもそも何ですか?
「中国のオタク文化について」じゃ無かったんですか?
中国のオタク文化に期待とか、別に日本産には拘らないという話も、一体何処に行くのでしょう?
それに「オタク史」という事であれば、そもそも海外の話が出てくるなんて最近の話だけで、
基本的には、そのほとんどが国内完結だと思いますよ、始めからして。


▼ 学校文化の昨今
> > > 前にスクールカーストの話が出てきていたと思うのですが、
> > > 私の中学校では、だいたい顔の良い順に成績もよかったのですが(特に上位層)、昔もそんなもんだったんですかね?
> > > だいたい、成績の良い上位3分の1のグループのうち、3分の2は、容姿の良い上位3分の1のグループとメンバーが共通でした。

> 中学の時に考えた理由としては、
> 見た目が良ければ、自分はできる奴だ、という自信が生まれるため、
> 当然勉強も自分は周囲の奴よりもできるはずだ、と思い、勉強するため実際に成績が良くなる。
> 逆に、容姿が悪ければ自己評価も低くなりがちであり、テストの点も相応で満足してしまう。
> という感じです。

うん、失礼ですけど、正直言って、
「これは無いな」というのが、私の素直な感想(笑)。
この理屈が通りなら、勉強の出来るのは見た目が良いヤツではなく、
自意識過剰なヤツ(要するにナルシスト)になると思いますよ。

> > 多分これって、デジタル・ネイティブで、みんなが普通に繋がっていたり、
> > 社会的に成熟して喧嘩も減り、みんなが良くも悪くも優しく接するようになり、
> > それでいて、兄弟は減り、放課後に集まって友達と遊ぶ機会も減り、ついでに小遣いも減りと、
> > ある意味では、こうして子供の間の隔たりが薄れてきたからこそ、価値基準の画一化してしまい、
> > スクール・カーストのようなピラミッド化が、勝ち組・負け組の明確な線引きが起きたとすれば、
> > 一昔前までの学生生活や人間関係と比べると、相当に隔世の感があるような気がしますね。

> 逆ですよ。文化的に完全に分断されてしまったからこそ、スクール・カーストが発生したんです。
> 90年代の島宇宙化の果てにあるのがスクール・カーストです。
> そういう意味においては、スクール・カーストは勝ち組・負け組がある格差ではなく、
> 互いが別の世界に住む階級といった方が良いのかな?

え〜と、すみません。
そういうのはスクール・カーストとは呼ばず、「クリーク」と呼ばれる枠組みです。
「島宇宙化」というワードが出てきているので、恐らくは宮台真司からの受け売りでしょうけど、
その話って方々から、「それはスクール・カーストとは違うよ」と指摘されてた気がします。
それとも旧トルコ担当さん的には、島宇宙が重なり合って、
カースト的な階層構造が生まれたという解釈をしているのかな?

ちなみに、学校内でのカーストもクリークも、根っ子の部分では一緒なのでしょうが、
学校ごと・・・というか、それこそ旧トルコ担当さんの言葉を借りれば「偏差値」によって、
校内の雰囲気や秩序というのも、大きく変わるでしょうし、
イジメだとか、解りやすい上下関係が見て取れる環境になる程、
グループが階層化して「カースト」となり、
そうでならなければ「クリーク」って感じなのかと?

簡単に言ってしまえば、これは何も学校生活に限らず、
人間とは基本的に「群れ」を作って暮らす生物であり、余裕がある時は良いものの、
ギスギスした環境になる程、群れの中では勿論、群れ同士の間でも、力関係が明確化していき、
そして環境が改まれば、力による統制が緩んで、もっとフワッとした集団になると。
動物社会だって そうなのですから、人間社会だって 恐らくそうですよ(笑)。

> 個人の間に格差があるというより、個人の属するグループの間に上下が存在している感じです。
> そして、上の者が必ずしも得をするわけではなく、むしろカースト上位の方が大変そうなのも階級っぽいところかな?
> 格差であれば勝ち組の方が間違いなく得ですが、階級となれば一概に上の方が得とも言い切れませんし。

う〜ん、旧トルコ担当さんが言わんとしてる所は解りますし、
それに関しては、私の見解も そこまで大きな違いは無いのですが、
「逆ですよ。」という反応を見ると、そもそも私の方の話の意図は、
あまり旧トルコ担当さんには、キチンと伝わってない感じがするんですよねえ・・・・

> ちなみに、私は全く知らないのですが、インドのカースト制というのはどんな感じなのでしょうか?
インドのカースト制について話し出したら、
それはそれで長い話になるので、今回は割愛します(笑)。
恐らくは旧トルコ担当さんも、そこまで関心があって振った話では無いでしょうし、
不可触民の話とか、大事な事ですけど、やはり凄く重いテーマですよ。
とは言え、ちょうど今年の3月は、日本でも「水平社宣言」が出されて100年の区切りなので、
もしも機会があれば、いろいろと語ってみても良いのかなぁ・・・・

> もしかしたら、カーストという名前が管理人さんに誤解を与えているのかも。
どちらかと言うと、インドのカースト制そのものというよりは、
アメリカの学園ドラマで見られるような、ピラミッドの構造の方ですよね。
「スクール・カースト」と聞いて、抱くイメージとしては。
アメフトQBのジョックと、チア・トップのクイーン・ビーが頂点に君臨し、
オタク的な人たちとしては、ナードが居て、ギークが居て・・・というのが典型例↓
https://america-info.site/wp-content/uploads/2020/07/school-caste-america.jpg
https://america-info.site/school-caste
これを俺ガイルに当てハメるなら、葉山がジョックで、優美子がクイーン・ビー、
由比ヶ浜は優美子のサイドキックスかプリーザーであり、
主人公の比企谷はカースト外・・・に見えて、実は隠れワナビーなんじゃ?という感じ。


▼ ホワイト革命
> > > 確かにそれは分かるんですけど、これに関してはどうしたら良いのでしょうか。
> > > 一応、いいひと戦略は心がけているのですが。

> > ところで、その「いいひと戦略」とやらは、
> > ここでの雑談時にも、発動していたりはするのでしょうか?(笑)
> > ・・・って言うか、いいひと戦略って具体的に何!?
> > そもそも、目指すべき「いいひと」像のイメージってあるんですか?

> いいひと戦略の前提には、現代の日本は見た目至上主義だよね、という認識があり、
> そのうえで、評価経済+見た目至上主義=いいひと戦略
> だったのですが、
> 最近その見た目至上主義論が「ホワイト革命論」というものに進化して、滅茶苦茶面白い論になっているのでおススメですよ。

いや、え〜と、そういう動画のリンクを貼るとかいう話では無く、
具体的に、旧トルコ担当さん自身が、その「いいひと戦略」というのを、
どのように理解し、どのような実践を試みているのか?という話なんですけどね。
正直な所、単にコピペしているだけで、自分の中で消化出来てないのでは?と感じますし、
そうでないなら、もっと「自分の言葉」で語ってみましょうよ!?
別に、間違っていても、上手く説明できなくても良いんです。
旧トルコ担当さん自身が感心したのなら、それを「自分なりの解釈」で伝えてみて下さい!!

まあ実際、それらの動画を視聴して、「面白い!」と感じたのは事実なのでしょう。
それが響いて、自分でも実践してみようとなったのは解るんです。
ですが、本当にそうであれば、自分なりに理解した言葉で、「いいひと戦略」の中身が語れるはずですし、
「いいひと戦略は心がけている」との事でしたら、具体例の2つや3つは簡単に挙げられると思うんですよ。
私としては、その事に関して尋ねている訳でして、
基となった岡田斗司夫の説自体は、実はそこまで関心が無いんです・・・・

「いいひと戦略」から「ホワイト革命論」への進化とかは、ハッキリ言って把握してませんが、
少なくとも、「評価経済」や「見た目至上主義」の話は、以前に動画だか本だかで触れた記憶があり、
同意できる面は確かにあったものの、「そこは微妙だな」という面も正直あったんですよね。
特に、見た目に関する話とかは、岡田斗司夫がダイエットした際に、
各地でいろいろと述べてましたし、それが一部から失笑を買っていたのも覚えているので、
今にして思うと、オタクたちから見下されるキッカケになった言説じゃないですかねえ?
解りやすく言えば、岡田斗司夫が「一般人相手にオタク・ビジネスをやってる人」扱いになったのは、
ダイエット自慢をして、見た目至上主義なんて話をし出した頃が、転換点だったかも知れません。
「言ってる事は解るが、その他 大勢が対象の薄い話など、俺達オタクは興味ない」って感じで。

> ホワイト革命論 https://www.youtube.com/watch?v=k_zV08mCfFI
> いいひと戦略論 https://www.youtube.com/watch?v=hB5ncWZvVbw

2つ合わせて、2時間弱かぁ・・・・
時間の都合が付けば、見られなくは無い長さですけど、
岡田動画は切り抜きも多いですし、出来れば、そちらの方が見やすいかも?(笑)

「評価経済」や「見た目至上主義」は、既にイメージ出来ているので、
ダイジェストでも、それなりに内容は解るでしょうし、正直に言うと、
単純に時間の長さよりも、情報密度(時間当たりの情報量)の方が気になるかな。
同じ岡田動画でも、ジブリ解説とかであれば、長時間でも見られる気がしますけど、
あれらの話の延長上となると、個人的には、時間の長さが苦痛に感じそうで・・・・

▼(追記)ホワイト革命について
> いちゃらぶものってご存じですか?
> オタクジャンルの中で、主人公とヒロイン(あるいは同性カプ)がいちゃいちゃしているものを指して、
> アニメや漫画よりも同人マンガや二次創作小説などで使われる言葉なんですが、
> こういうものが一定の地位を占めるのって、00年代以降のオタクの傷つきたくないという気持ちが理由であり、
> イコールいちゃらぶものが流行っているのはオタクジャンルの中だけだと思っていたのですが、
> 実は小学生の間でも人気ならしいんですよ。

御存知というか、「イチャラブ」という略語としてはまだしも、
ラブラブは50年前、イチャイチャに至っては250年前から、世間的に用いられてきた単語であり、
そういう概念が生まれるという事は、それを満たす作品だって、昔から普通にありますからねえ。
同性愛モノでも、ヤマ無し、オチ無し、意味無しな「やおい」が、ある意味では当てハマりそうですし。

それとも、昔とは比べ物にならないくらい、隆盛を極めているとか?
だとすれば、流行ってる代表作って、例えば どんなタイトルがあるのでしょう?
いや別に、需要自体はあるんだろうなぁ・・・と、私も思いますけど、
傷つきたくないオタクの心を満たした、それ系統の作品というのは、
恋愛モノも確かにあるのでしょうが、萌え系や日常系の方が顕著だったと思うので。

あと、「小学生の間で」というのは、ちょっと解る気はします。
20〜30年前の男子・女子の関係と、今の男子・女子の関係って、
時代性であったり、少子化なども影響してか、随分と変わりましたからねえ。
2000年頃までは、小学生(特に高学年)の男女の壁(溝?)って、
今とは比べモノにならないくらい、大きかったですし(笑)。
ただ一方で、少女漫画の早熟化や過激化の流れって、今に始まった事では無いので、
そちらに関しては、「そんなモノだろうなぁ」と、何となくは思いますね。

> ちなみに、少女小説でも00年代後半からいちゃらぶものが増え、一部では姫嫁作品などと呼ばれているようです。
> 特徴としては、この時期の少女小説はメインの10代読者層をラノベやケータイ小説に奪われ、高齢化が進んだ時期であるということでしょうか。
> 「背景には長引く不況の中で、現実につかれた社会人がロマンティックでハッピーエンドな恋愛に癒しを求めているということが考えられている」
> (コバルト文庫で辿る少女小説変遷史)

「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)


▼ アニメ
> > ・・・って、今更ながらに気になったのですが、
> > 旧トルコ担当さんって、どこでアニメ(特に新作)を視聴されてます?

> 昔はテレビで見てましたが、今はサブスクで見てます。
> それと、新作アニメはほとんど見ないかな。チェックはしてるのですが。

サブスク・・・というか、ネット配信なのは予想してましたが、
「新作アニメはほとんど見ない」というのは、正直意外でしたね。
オタクを称しており、しかも大学生となると、
普通に、新作の視聴がベースかと考えていたので。

ちなみに、この調子ですと、旧トルコ担当さんって、
「リアルタイムで新作を追う」という時期は、以前から無かったんですか?
また、途中で打ち切ったのであれば、それは何年くらいからですか?
そして、そうなるキッカケが何かあったのでしょうか?


[23890] ホワイト革命について返信 削除
2022/3/31 (木) 23:14:30 旧トルコ担当


長らく放置していました。すみません。
返信を書くのに時間がかかっているのですが、あまり長時間放置すると、私の方が「いつでもいいか」という気になり、1年くらい放置しそうなので、ひとまず書けた分から投稿していきます。

▼ ホワイト革命

> > > > 確かにそれは分かるんですけど、これに関してはどうしたら良いのでしょうか。
> > > > 一応、いいひと戦略は心がけているのですが。

> > > ところで、その「いいひと戦略」とやらは、
> > > ここでの雑談時にも、発動していたりはするのでしょうか?(笑)
> > > ・・・って言うか、いいひと戦略って具体的に何!?
> > > そもそも、目指すべき「いいひと」像のイメージってあるんですか?

> > いいひと戦略の前提には、現代の日本は見た目至上主義だよね、という認識があり、
> > そのうえで、評価経済+見た目至上主義=いいひと戦略
> > だったのですが、
> > 最近その見た目至上主義論が「ホワイト革命論」というものに進化して、滅茶苦茶面白い論になっているのでおススメですよ。

> いや、え〜と、そういう動画のリンクを貼るとかいう話では無く、
> 具体的に、旧トルコ担当さん自身が、その「いいひと戦略」というのを、
> どのように理解し、どのような実践を試みているのか?という話なんですけどね。
> 正直な所、単にコピペしているだけで、自分の中で消化出来てないのでは?と感じますし、
> そうでないなら、もっと「自分の言葉」で語ってみましょうよ!?
> 別に、間違っていても、上手く説明できなくても良いんです。
> 旧トルコ担当さん自身が感心したのなら、それを「自分なりの解釈」で伝えてみて下さい!!
>
> まあ実際、それらの動画を視聴して、「面白い!」と感じたのは事実なのでしょう。
> それが響いて、自分でも実践してみようとなったのは解るんです。
> ですが、本当にそうであれば、自分なりに理解した言葉で、「いいひと戦略」の中身が語れるはずですし、
> 「いいひと戦略は心がけている」との事でしたら、具体例の2つや3つは簡単に挙げられると思うんですよ。
> 私としては、その事に関して尋ねている訳でして、
> 基となった岡田斗司夫の説自体は、実はそこまで関心が無いんです・・・・


私のいいひと戦略の実践に関しては、ホワイト革命論を聞く前と聞いた後でかなり変わっていますし、
今の実践法ってホワイト革命論を聞いてもらわないと、あまり理解できない気がします。
それでも伝わらない前提で書くならば、自分の中のホワイト精神全開(=共感力全開)で相手と接する、ということですね。
私もホワイト革命世代の人間ですので、ホワイト精神は持っていますし、基本的にこれに従っていれば、少なくとも大きなミスはないだろう、というのが現状です。
岡田斗司夫は、いいひと戦略を防御と攻撃の2種に分けていますが、何事もミスした時の損失は、成功した時の利益を大きく上回りますので、まずはミスしないこと(防御)が重要ですし。
あとは、人の悪口に参加しないことですね。
リアルに限らず、ネットでも。
悪口を言うことが周囲に嫌われるから、というよりも、悪口を言ったり聞いたりすると、自分の中のホワイト精神が消えていってしまうので。

> 「いいひと戦略」から「ホワイト革命論」への進化とかは、ハッキリ言って把握してませんが、
> 少なくとも、「評価経済」や「見た目至上主義」の話は、以前に動画だか本だかで触れた記憶があり、
> 同意できる面は確かにあったものの、「そこは微妙だな」という面も正直あったんですよね。
> 特に、見た目に関する話とかは、岡田斗司夫がダイエットした際に、
> 各地でいろいろと述べてましたし、それが一部から失笑を買っていたのも覚えているので、
> 今にして思うと、オタクたちから見下されるキッカケになった言説じゃないですかねえ?
> 解りやすく言えば、岡田斗司夫が「一般人相手にオタク・ビジネスをやってる人」扱いになったのは、
> ダイエット自慢をして、見た目至上主義なんて話をし出した頃が、転換点だったかも知れません。
> 「言ってる事は解るが、その他 大勢が対象の薄い話など、俺達オタクは興味ない」って感じで。


ああ、普通の人にはそう見えるんですね。勉強になりました。
普通の人からすれば、相手に気を使うというのは、戦略とか以前に常識の範囲内ですし、
岡田斗司夫の、「これからの人類社会では、明らかに実力でどうこうするよりも、他人に気に入られた方が得だから、皆さんも容姿くらいは気を付けましょう」という論は、
多くの常識人からすれば、「他人に嫌われないよう、容姿に気を使うなんて当たり前でしょ」となるんでしょうね。

> > ホワイト革命論 https://www.youtube.com/watch?v=k_zV08mCfFI
> > いいひと戦略論 https://www.youtube.com/watch?v=hB5ncWZvVbw

> 2つ合わせて、2時間弱かぁ・・・・
> 時間の都合が付けば、見られなくは無い長さですけど、
> 岡田動画は切り抜きも多いですし、出来れば、そちらの方が見やすいかも?(笑)
>
> 「評価経済」や「見た目至上主義」は、既にイメージ出来ているので、
> ダイジェストでも、それなりに内容は解るでしょうし、正直に言うと、
> 単純に時間の長さよりも、情報密度(時間当たりの情報量)の方が気になるかな。
> 同じ岡田動画でも、ジブリ解説とかであれば、長時間でも見られる気がしますけど、
> あれらの話の延長上となると、個人的には、時間の長さが苦痛に感じそうで・・・・


いいひと戦略はこの際どうでもよいので、ホワイト革命だけは見た方が良いと思いますよ。
いや、俺ガイル見てたり、オタク史の本を知っておきたいなんて言ってる場合ではないです。コッチの方が、はるかに現代史を知る上で参考になるのでは?

▼ いちゃらぶ革命

> > いちゃらぶものってご存じですか?
> > オタクジャンルの中で、主人公とヒロイン(あるいは同性カプ)がいちゃいちゃしているものを指して、
> > アニメや漫画よりも同人マンガや二次創作小説などで使われる言葉なんですが、
> > こういうものが一定の地位を占めるのって、00年代以降のオタクの傷つきたくないという気持ちが理由であり、
> > イコールいちゃらぶものが流行っているのはオタクジャンルの中だけだと思っていたのですが、
> > 実は小学生の間でも人気ならしいんですよ。

> 御存知というか、「イチャラブ」という略語としてはまだしも、
> ラブラブは50年前、イチャイチャに至っては250年前から、世間的に用いられてきた単語であり、
> そういう概念が生まれるという事は、それを満たす作品だって、昔から普通にありますからねえ。
> 同性愛モノでも、ヤマ無し、オチ無し、意味無しな「やおい」が、ある意味では当てハマりそうですし。
>
> それとも、昔とは比べ物にならないくらい、隆盛を極めているとか?
> だとすれば、流行ってる代表作って、例えば どんなタイトルがあるのでしょう?
> いや別に、需要自体はあるんだろうなぁ・・・と、私も思いますけど、
> 傷つきたくないオタクの心を満たした、それ系統の作品というのは、
> 恋愛モノも確かにあるのでしょうが、萌え系や日常系の方が顕著だったと思うので。


いちゃらぶ自体は昔からありましたが、現在はいちゃらぶが既存の恋愛ものにとって変わるようになってきている、ということです。

で、上記の文は、岡田斗司夫のホワイト革命論の動画を見たうえでの話なので、趣旨が伝わってないと思うのですが、
要はホワイト革命によって、恋愛ものも大きく変化してる、ホワイト時代の恋愛ものはいちゃらぶになるのではないか、という話です。

偶然、参考になりそうなツイートを見つけました↓
https://twitter.com/cicada3301_kig/status/1509305422565752837
私も自信をもってラブコメアニメに詳しいと言えるまでにはラブコメに詳しくないのですが、確かに最近の恋愛ものってあまあまなんですよね。

例えば『かぐや様は告らせたい 』というラブコメマンガがあるのですが(マンガ全館ドットコムでは単行本が1750万部)、
この漫画は、主人公の白金御行とヒロインの四宮かぐやが、お互い好き同士なのに、羞恥心から告白できないでいる、という設定です。
誰と誰がくっついて、誰と誰が別れるのか、その恋愛が成就した時の喜びと、フラれたときの悲しみが恋愛ものの醍醐味だと私は思うのですが、
もう今の世代は登場人物がフラれて悲しくなるような恋愛ものは読みたくないということだと思います。

> あと、「小学生の間で」というのは、ちょっと解る気はします。
> 20〜30年前の男子・女子の関係と、今の男子・女子の関係って、
> 時代性であったり、少子化なども影響してか、随分と変わりましたからねえ。
> 2000年頃までは、小学生(特に高学年)の男女の壁(溝?)って、
> 今とは比べモノにならないくらい、大きかったですし(笑)。
> ただ一方で、少女漫画の早熟化や過激化の流れって、今に始まった事では無いので、
> そちらに関しては、「そんなモノだろうなぁ」と、何となくは思いますね。


私も元々は小学生の恋愛の早熟化の方で調べていたのですが、それ自体は既に語られてますし、
それよりも私が驚いたのは、ホワイト精神が小学生の恋愛ものにも入ってきているということなんですよね。
おそらく、あと20年もすれば「恋愛もの=彼氏彼女のいちゃいちゃを描くジャンル」ということになるんじゃないでしょうか?
失恋や別れを描いた恋愛ものが「昭和っぽい、平成っぽい」と言われる時代が来るのではないか、ということです。

 (再掲載)『りぼん』編集部に聞く!「小学生の恋愛」は少女漫画でどう描かれてる?親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?(https://lee.hpplus.jp/column/2113728/
 Q 親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?
 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
 また、つき合うことへのハードルが下がっていて、“つき合った後”が描かれることが多いです。
 親世代は片思いの間のすれ違いを大事にしていたので、これは大きな違い。主人公がイチャイチャしているところ、幸せそうな様子が見たい、というのが今の子どもたちの気分のようです。

この辺含め、ここ数十年くらいの恋愛ものの変遷についても調べたら面白いことになりそうな感じがしてるんですよね。
もし何か面白そうなことが分かれば、ここに書くかもしれません。

> > ちなみに、少女小説でも00年代後半からいちゃらぶものが増え、一部では姫嫁作品などと呼ばれているようです。
> > 特徴としては、この時期の少女小説はメインの10代読者層をラノベやケータイ小説に奪われ、高齢化が進んだ時期であるということでしょうか。
> > 「背景には長引く不況の中で、現実につかれた社会人がロマンティックでハッピーエンドな恋愛に癒しを求めているということが考えられている」
> > (コバルト文庫で辿る少女小説変遷史)

> 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)


そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。


[23891] AI等について返信 削除
2022/4/1 (金) 18:35:21 旧トルコ担当

▼VRとAIについて

> > 例えば食でいえば、食欲とは別に、個人ごとに味の好みというのがあり、味の好みがが感性だと考えています。
> > そして、そうした感性というのは、色々な要素に影響されますが、環境によって左右される要素が大きいと思うんですよね。
> > で、VRやAIというのは、その環境を自由に作り出せるツールになりえ、現実世界と違った環境がVRやAIにより提供されれば、
> > 自分自身の感性もかなり容易に変えられるようになるのではないか?と思っています。

> まあ、VRに関しては、そうだと思いますよ。
> 随分前かと思いますが、「電脳ドラッグ」が云々という話をしたのも、つまりはこういう話で、
> 例えば、何らかの音が聞こえれば、それが画面上に色や形として反映される遊び方だとか、
> 第11芸術として挙げた「デジタル・アート」というのも、将来的にはこっち方向の話ですし、
> もっと言うと、現状の五感というセンサーから更に拡張して、もっと感覚の数を増やしたり、
> そもそも論として、脳の処理段階でいろいろ弄ろうというのは、ここから更に先の話でした。
> 正直な所、イメージはし難いですから、どこまで伝わってるかは不明ですけども・・・・


「デジタル・アート」という話は全然理解できていませんでした。
「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。

> あと、VRで環境を変えるというのは、まだ何となく解るのですが、
> 「AIで環境を変える」って、具体的にどんなモノを想定されてるのでしょう?
> 具体例とかが無いので、旧トルコ担当さんの抱くイメージ像を、ちょっと把握しかねるんですよねえ。


でもまあ、「AIで環境を変える」って既に起きていることじゃないですか?
例えばYouTubeのアプリを開いて、まずどんな動画がおすすめされるかって、あれはAIが決めているわけですし、
それを見て陰謀論などにハマっていくのって、本人に素質があったという面もあるでしょうが、
大半の人はYouTubeがそうした動画をおススメしなければそんなことにはならなかったと思うんですよね。

GoogleAIが自殺願望のある人に、自殺を進めるような記事をおススメしていたため、アルゴリズムを修正した、
といったニュースも何年か前に見た記憶がありますし、
AIのデータ分析が2016年の大統領選挙でトランプを勝利させた、という話も聞きますし。

> > 誤読させる文章だと自分でも思うのですが、
> > 「AIはもう道具やツールではなく一つの仮想人格」というのは、
> > 最低でも5年以上先の話を、想定していました。

> 5年でも・・・難しいんじゃないですかねえ?
> 単なる実用性で言えば、「知能とは何か?感情とは何か?」とはまで行く必要はなく、
> それこそチューリング・テストのように、受話器やモニターの向こう側にいる利用者が、
> 対応相手が人間か?AIか?を区別できないレベルまで行けば充分でしょう。
> 例えば、お客様サポートなどのサービスが、
> 人ではなくAIで可能となれば、企業的には大助かりだと思いますけど、
> マニュアル対応の範囲内ならまだしも、臨機応変な対応は当分困難だと思うんですよねえ・・・・
> もちろん、マニュアル対応すら出来てない人も珍しく無いのは、もう一面で事実ですけど(苦笑)、
> AIを導入する以上は、底辺レベルよりマシではなく、平均以上は求められるはずなので。


そうなんですね。
お客様サポートが技術的に難しいとなれば、確かに今のAIってまだまだショボいと思います。
私は理系は全然なので、岡田斗司夫が言う「10年後はAIYouTuberの時代」という話を割と信じていたのですが、
管理人さん的には、この辺が岡田斗司夫の専門外の話には適当なことを言っている点なのでしょうか?

> 要するに、何が言いたいかと言えば、まだ弱いAIの内は、
> 「5年後には知能になってる」と予想されていても、いざ実現すれば「道具」扱いであり、
> 本当に知能と見なされるには、強いAIまで行かないと無理だろうな・・・という話です。
> そして、だからこそ「AI娘」なども、そんな簡単な話では無いだろうと。
> 「このまま技術が進んで5年も経てば」という台詞は、恐らく5年後にも言ってるはずです(笑)。


強いAIに課しては、私も5年では無理だと思いますよ。最低でも、5年ですので。
間違いなくあと何段階かのブレイクスルーが必要でしょうし。

> それこそゲームで言えば、グラフィックの進歩というのは非常に目覚ましいモノであり、
> PlayStation時代や、ファミコン時代などと比べれば、まさしく隔世の感がありますし、
> もしも当時、今のレベルのCGを見せられたら、きっと実写かと勘違いしたかも知れませんが、
> でも実際、我々が今のゲーム画面を見て、本当に実写と区別できないかと言えば、そうではありません。
> グラフィックですら そうなのですから、人間の知能だなんて尚更ですよ


でもこれって、もう管理人さん自身が答えを出していません?
確かに、ゲームのグラフィックも現実と見分けがつかないわけではないですが、でもそれに夢中になれてるじゃないですか。
AIも同じで、確かに人間と完璧に同じものを作り上げるのは難しいのかもしれませんが、
そこまで高度なものでなくとも、夢中になる人間は私含めていると思うんですよね。
それこそ高齢者の孤独死のような状況もあるわけですし。

▼コロナと物流について

それと、ホワイト革命論の動画の中でチラッと出てくるのですが、
岡田斗司夫が主張する「コロナ=グローバリズム時代の終わり論」ってどう思われますか?

何となく掲示板を見ていたら、管理人さんも「世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?」
と書かれていましたし、
私の無い世界史知識を動員すれば、モンゴル帝国もまたユーラシア大陸の交通網を整備し、グローバル化を進めた結果
ペストによりその試みは失敗に追いやられたはずですし、今回のコロナをペストに例えることも可能なのでしょうか?


[23893] オタク話返信 削除
2022/4/5 (火) 19:51:37 旧トルコ担当

▼ オタク史について

> > 私が人生で一番勉強したのはオタクの歴史であって、それも本を100冊、ネット情報を同じくらい集めたというだけです。
> それは「勉強」ではなく、「学習」なのでは?と思いつつも、
> まあ、ほとんどの人は、勉強と学習を区別してないでしょうし、
> そこは別に、変に拘らなくても良いのかな?(笑)
>
> ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?
> そして、その本のタイトルとかって、伺えたりします?
> 面白い本があり、それは私が読んでなかったり、存在すら知らなかったりするなら、
> 実際に読む読まないは別として、情報として知っておきたい気持ちがあります!!(笑)
> 私が未だ出会えていない名著は、それこそ山のようにあると思うので。


オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、
また私の場合は、全くのゼロ知識からのスタートでしたが、管理人さんは一応その世代の人間として、基礎的な情報を抑えたうえでの話だと思うので、面白いと思う内容は結構違うのではないかと。

その上でおススメを聞かれたら「いや、100冊全部おススメだよ」というのが本気の答えですがw
さすがにそれでは答えになっていないので、絞るならこんな感じですね↓
https://dotup.org/uploda/dotup.org2765555.txt.html パスワードは「otaku」

といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?

▼ アニメ

> > > ・・・って、今更ながらに気になったのですが、
> > > 旧トルコ担当さんって、どこでアニメ(特に新作)を視聴されてます?

> > 昔はテレビで見てましたが、今はサブスクで見てます。
> > それと、新作アニメはほとんど見ないかな。チェックはしてるのですが。

> サブスク・・・というか、ネット配信なのは予想してましたが、
> 「新作アニメはほとんど見ない」というのは、正直意外でしたね。
> オタクを称しており、しかも大学生となると、
> 普通に、新作の視聴がベースかと考えていたので。
>
> ちなみに、この調子ですと、旧トルコ担当さんって、
> 「リアルタイムで新作を追う」という時期は、以前から無かったんですか?
> また、途中で打ち切ったのであれば、それは何年くらいからですか?
> そして、そうなるキッカケが何かあったのでしょうか?


アニメを見るようになったのは高校生からですが(中学まではラノベのみでした)、その時から新作アニメは追っていませんでした。
なぜかと言われれば、自分の好きなものを追っかけるのがオタクであって、流行りものを追っかけるのはオタクじゃないでしょ、と思っているからですね。

一応、毎季ごとにアニメの新作はチェックはするんですが、チェックだけしてほぼ見ないです。
実際問題、アトム以来50年以上テレビアニメが作られ続けているわけであって、良い作品を探すのであれば今季作品の中から探すより、過去の作品を掘り返した方が効率的ですし。
あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

▼ 物語シリーズについて

原田陽平さんの『ヤンキー経済』を読んでいると、最近はマイルドヤンキーでもアニメを見る、という記述があり、
それ自体は「まあ、そんなもんだろう」と私も思っていたのですが、
例えばどんなアニメを見ているか、という例で出てきたのが化物語だったんですよね。

私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
管理人さんはどっちでしたか?


[23894] 「ホワイト革命」の動画を見ての感想返信 削除
2022/4/5 (火) 23:58:12 徳翁導誉

> 長らく放置していました。すみません。
いえいえ、こちらこそ、
前回は少しキツめの意見を述べてしまった事を、正直 気にはしてはいたので、
気分を害されての遅延でなければ、とりあえず安心できます(笑)。

> 返信を書くのに時間がかかっているのですが、あまり長時間放置すると、
> 私の方が「いつでもいいか」という気になり、1年くらい放置しそうなので、ひとまず書けた分から投稿していきます。

でもまあ、数ヶ月前にも実際、
1年以上 時間が経ってから返信とかありましたし、
もしそうなっても、私の方はあまり気にしませんけどね(笑)。
最近は光陰矢の如しというか、数年も、数ヶ月も、あまり体感的に変わらないので(苦笑)。

▼ ホワイト革命
> > いや、え〜と、そういう動画のリンクを貼るとかいう話では無く、
> > 具体的に、旧トルコ担当さん自身が、その「いいひと戦略」というのを、
> > どのように理解し、どのような実践を試みているのか?という話なんですけどね。
> > 正直な所、単にコピペしているだけで、自分の中で消化出来てないのでは?と感じますし、
> > そうでないなら、もっと「自分の言葉」で語ってみましょうよ!?
> > 別に、間違っていても、上手く説明できなくても良いんです。
> > 旧トルコ担当さん自身が感心したのなら、それを「自分なりの解釈」で伝えてみて下さい!!

> 私のいいひと戦略の実践に関しては、ホワイト革命論を聞く前と聞いた後でかなり変わっていますし、
> 今の実践法ってホワイト革命論を聞いてもらわないと、あまり理解できない気がします。
> それでも伝わらない前提で書くならば、自分の中のホワイト精神全開(=共感力全開)で相手と接する、ということですね。

う〜ん、これはもう、伝わる伝わらない以前の話になってる気がするので、
実際に私が動画を見ない限り、これ以上話は進まなそう・・・・

> 私もホワイト革命世代の人間ですので、ホワイト精神は持っていますし、
> 基本的にこれに従っていれば、少なくとも大きなミスはないだろう、というのが現状です。
> 岡田斗司夫は、いいひと戦略を防御と攻撃の2種に分けていますが、
> 何事もミスした時の損失は、成功した時の利益を大きく上回りますので、まずはミスしないこと(防御)が重要ですし。

「ホワイト革命世代」とか「ホワイト精神」という話は、定義がされてないので解りませんけど、
とりあえず、「ミスした時の損失は、成功した時の利益を上回る」という事に関しては、私も同意かな?
より正確に言えば、小さな成功は努力で結構計算できるので、小さなミスなら充分に補填が可能だけど、
大きな成功と、大きな失敗では、後者の方が断然 発生確率が高い為、そこだけは注意して避けるべきであり、
かと言って、小さなミスさえ恐れて何も挑戦しないようだと、そもそも成功が得られないって感じで。

> あとは、人の悪口に参加しないことですね。
> リアルに限らず、ネットでも。
> 悪口を言うことが周囲に嫌われるから、というよりも、
> 悪口を言ったり聞いたりすると、自分の中のホワイト精神が消えていってしまうので。

まあ個人的には、他人の悪口とか言っても楽しくないので、この感覚は解らなくも無い反面、
「ホワイト精神が消えるから」なんて理由だと、何だかちょっと宗教っぽくなるイメージ(笑)。

それに世の中には、「他人の不幸は蜜の味」という人たちも、かなり多いですし、
秘密の共有じゃないですけど、互いに愚痴をこぼし合ったりする方が、信頼関係が深まったり、
例えば先生とか上司とか、共通の敵(笑)の悪口を言い合って盛り上がるのは、よくある事なので、
あまり潔癖すぎるのも、上手く行かないかな?という気はしますね。
ホワイト精神とは何なのか、まだ知らない状態ですけど、イメージ的な話をすれば、
ホワイトに徹するよりも、適度にグレーで居た方が、この世の中は過ごしやすいような気はします。
それこそ、「白河の清きに魚も棲みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」って感じで(笑)。

> > 「いいひと戦略」から「ホワイト革命論」への進化とかは、ハッキリ言って把握してませんが、
> > 少なくとも、「評価経済」や「見た目至上主義」の話は、以前に動画だか本だかで触れた記憶があり、
> > 同意できる面は確かにあったものの、「そこは微妙だな」という面も正直あったんですよね。
> > 特に、見た目に関する話とかは、岡田斗司夫がダイエットした際に、
> > 各地でいろいろと述べてましたし、それが一部から失笑を買っていたのも覚えているので、

> ああ、普通の人にはそう見えるんですね。勉強になりました。
> 普通の人からすれば、相手に気を使うというのは、戦略とか以前に常識の範囲内ですし、
> 岡田斗司夫の、「これからの人類社会では、明らかに実力でどうこうするよりも、
> 他人に気に入られた方が得だから、皆さんも容姿くらいは気を付けましょう」という論は、
> 多くの常識人からすれば、「他人に嫌われないよう、容姿に気を使うなんて当たり前でしょ」となるんでしょうね。

まあ、「容姿に気を使うのは当たり前」と言うのは、普通の感覚かも知れません(笑)。
とは言え、「オタクは身だしなみを整えない」というイメージも、
一昔前に比べれば、かなり改善されたというか、そんなに目立たなくなった気もするんですよね。

> > > ホワイト革命論 https://www.youtube.com/watch?v=k_zV08mCfFI
> > > いいひと戦略論 https://www.youtube.com/watch?v=hB5ncWZvVbw

> > 2つ合わせて、2時間弱かぁ・・・・
> > 時間の都合が付けば、見られなくは無い長さですけど、
> > 岡田動画は切り抜きも多いですし、出来れば、そちらの方が見やすいかも?(笑)

> いいひと戦略はこの際どうでもよいので、ホワイト革命だけは見た方が良いと思いますよ。
> いや、俺ガイル見てたり、オタク史の本を知っておきたいなんて言ってる場合ではないです。
> コッチの方が、はるかに現代史を知る上で参考になるのでは?

「現代史を知る上で参考になる」とは、また大きく出たなぁと思いつつも(笑)、
まあ1本だけであれば、時間さえ見繕えば、見られなくは無さそう。
「いいひと戦略」の方は、どうやら本が出てるみたいなので、こっち優先かな?と思いましたけど、
「ホワイト革命」の方が進化形であり、コチラこそがオススメとなれば、優先順位は逆転ですね。

・・・という事で、ここまで返信を書いた所で、ホワイト革命の動画を見てみましたよ!!(笑)
で、これ、そんなに他人へ説明するのが難しい内容ですかねえ?
既に動画の中で、ホワイト革命の「3つのキーワード」が挙げられているのですから、
まずは、それを書き出してみれば良かったのでは無いでしょうか?

 1.美しいモノは正しい
 2.汚いモノは正しくない
 3.コロナは第3次世界大戦である

そして、これが「現代史を知る上で参考になる」かとなると・・・申し訳ありませんが、正直なりませんでした。
う〜ん、何でしょう? 全ての見方が過剰だって印象ですかねえ?
言っている事は、そこまで的外れでは無いと思うものの、
それが「革命」と呼べるレベルまで大きいかとなると、ハッキリ言って同意しかねると。
「当たり前の傾向」と「当たり前の変化」が、大袈裟に感じ取れてるって感じでしょうか。

まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?
もちろん、時にはバンカラ文化や不良文化などが、一部で流行ったりもしましたが、
それにしたっって、あくまでもアンチテーゼとしてのカウンター・カルチャーであり、
そうしたモノが流行るのは、それだけ急速に生活レベルが上がってる証拠なんですよね。
向上が急スピードだからこそ、敢えて逆らおうとする反骨心の現れでもありますし、
逆に言えば、そうしたカウンターが生じないのは、それだけ勢いが乏しい時代だと言えるかも知れません。

また、「好き/嫌い」と「良い/悪い」は本来 別の概念ですけど、
(「良い」と「正しい」も異なりますが、話が面倒になるので割愛・笑)
ここでは、それを混同しているのは、岡田斗司夫自身が区別できていないのか?
はたまた、区別できないレベルの人々を、想定しているのか?

まあ、それはさておき、この1と2で実例として挙げた「おにぎり」と「不倫」の例も、
私自身はしっくり来なかったと言うか、正直言って、正しく認識できてない印象を受けました。
そもそも岡田本人がサイコパスを自称しているくらいなので、
自分の損得が関わらない限り、他人の心の機微を読み取るのは、恐らく不得意な人だと思いますし、
そういう正確だからこそ、却って自分に都合良く解釈している感じはするんですよ・・・・
オタクとして「作品考察」する分には面白いですし、主観的な解釈でも構わない世界ですが、
しかし、社会における「人間観察」というのは、主観性が客観性の邪魔をしてたらダメでしょうね。

「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられない」という有吉の話も、
実を言えば、私も少し苦手意識があるので解るのですが(苦笑)、
あれって、その感覚が解らなかったり、深く考えたりしない人だと、衛生面の問題だと誤解するのですが、
実際はそうではなくて、心理的な壁、つまりは「ATフィールド」の話なんですよ!!(笑)
自分のお母さんの手が衛生的だから、安心して おにぎりを食べられるという事ではなく、
家族という同じグループの一体感(安心感)から食べられるので、
よそのお母さんは、異なる家族というグループに属するから、心に境界線が生じるんです。
そして、核家族化や地域社会の疎遠化により、一体視できるグループの範囲は年々縮小していると。
ですから、別に おにぎりでなくても、加熱された手料理だってNGなんですよね。
手料理は心が籠もる(魂が宿る)為、心を許せていれば心地良い反面、心を許してなければ障害になるので。
職人やコンビニの料理なら大丈夫なのは、衛生面の問題以上に、そこに余計な愛情が含まれないからなんです。
品の無い例えですけど、「風俗は不倫じゃない」みたいな話の感覚に似ているかな?
って、私自身で言うと、職人が握った寿司にしても、少し苦手意識はありますが(苦笑)、
だからと言って、職人がビニール手袋を着けて握っていても、そこまで意識は変わらない気がしますし、
実際、有吉自身も番組開始当初、夏目アナの手料理の差し入れを「迷惑!」と切り捨てていましたけど、
いざ夏目アナと結婚すると、彼女が握った おにぎりも、普通に食べると言ってましたからね(笑)。

続いて、不倫話に関して言うと、不倫してる人が全てバッシングされる訳じゃないんです。
元々アンチ層を抱えてる芸能人が不祥事を起こして、心置きなく叩ける免罪符を得られたり、
大して好きではなかったが、好感度で商売していたタレントが、それに反するような行為をしたり、
初めから不祥事の肩書きを背負い、「こいつは叩いてもOK」な扱いで登場するから、炎上するのであって、
実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。
逆に、雨上がり宮迫は、芸達者であっても、格好付けな性格が昔から嫌われてもいた為、
闇営業の問題で あそこまでのバッシングを受け、そんな性格が事態を更に悪化させたのですが、
あの問題を、ここまでの大事件に発展させてしまったロンブー亮は、そこまで叩かれていないと。
結局、良い悪いという判断の話も、好き嫌いという感情の話に帰着してしまうんですよね・・・・
そして、こうした判断と感情を混同する人の割合は、今の時代になって増えたと言うよりも、
ネットの時代になって、存在が目立つようになり、悪い意味での影響力も増しただけだと思うんです。

また、Twitterで悪口がミュートされるという例にしても、
悪い内容だから弾かれるのではなく、不愉快な内容だから弾かれる訳ですね。
ネットの使われ方が変わったと言うよりは、当時は利用者が一部に限られていたモノが、
今ではそれだけ、一般にもネットが、広く普及したという事かと思われます。
そして、ここでいう「悪口」とは、社会通念的に悪いと認識されている発言と言うよりは、
個人的に「不快」となる発言が悪であり、例え悪口でも「快感」を得られれば善となると。
だって、行き過ぎたバッシングだって、充分に悪口に該当するでしょうけど、
バッシング集団の中に身を置けば、自分たちこそが正義であり、自分たちの行為は正当化される。
言うなれば、社会全体の空気感を読んで、正義とか常識を自らの損得に摺り合わせてた時代から、
始めから自らの損得を出発点に、正義や常識を自由にセレクトしたり、カスタマイズする時代となり、
そういう意味では、自身の攻撃対象とさせない、攻撃対象となっても炎上させない為にも、
ここで言う「ホワイト化」は意義があるかも知れません。
しかし、それはあくまでも道具や材料に過ぎ無い事も、キチンと認識しておくのが重要かと?
要するに、原因と結果を取り違えるべきでは無いというか、
革命的な変化が起こっているのだとすれば、それは「正義の娯楽化・個人化」であり、
綺麗にしてれば安全とか、脛に傷があるとヤバいとか、そう単純な話でも無いって事ですね。
そもそも、本当にそんな時代となれば、岡田斗司夫も完全排除される側の人間ですし(笑)。

そして最後に、「コロナは第3次世界大戦」って話ですけど、これは何なんですかねえ?
初めに世界大戦の定義を行っていないので、その主旨が全く伝わってこないのですが、
そもそも主観的なイメージを語っているだけと捉えれば、深く突っ込むの野暮なのでしょうか。
確かに、このコロナ禍によって、世界は大混乱し、多くの人命も失われましたけど、
程度の話で言えば、とても2度の世界大戦と比べられるレベルでは無いはずです。
また、動画自体はウクライナ戦争が始まる前の投稿であっても、
あの段階にあって、もう大きな戦争は起きないから、コロナ禍が世界大戦級という見方であれば、
正直言って、世界の政治情勢に関しては、かなり認識が甘かったと言えるかと?
ああして、わずか1〜2週間の間に、1000万人以上もの国外避難民が発生している時点で、
仕事や勉強の為に外国へ行くのとも違う、あれも1つの「負のグローバル現象」なんですよね。
向上心からのポジティブな人流ではなく、恐怖心からネガティブな人流は、
既に10年前から起こっていますし、国際社会の不安定化に比例して、こちらは更に増す可能性があります。

また、社会制度や科学技術が大きな転換を迎える事を、「世界大戦」という単語に求めるのであれば、
コロナ以前に、「冷戦」が第3次世界大戦と呼ばれる事がありますし、
あの頃にどれだけの変化があったかは、ロケット好きな岡田斗司夫はよく知ってるはずなんです。
この「3つの世界大戦」があったからこそ、私たち人類は、
わずか66年で、初飛行から月面着陸にまで辿り着いた訳ですからねえ。
逆説的に問えば、確かに今回のコロナ禍でも様々な変化はありましたけど、本当にこのレベルの変化でしょうか?
正直な所、世界大戦という響きがキャッチーだからこそ、都合良く用いてるだけな印象を受けますし、
4番目の世界大戦としないのも、冷戦がジワジワと長く続いた戦争だったからでしょう。
要するに、「コロナは4年で終わる」という自説にとって、都合が悪かったから、無視したのだろうと。

でも、「第1次も第2次も4年で終わったから、第3次も4年で終わる」って、実際に説得力を感じます?
だって、戦争とパンデミックって、全く別の現象じゃないですか。
それを「同じだ」と捉えられるのは、自分で「同じ世界大戦」と括っているのが根拠であり、
そもそも世界大戦の定義さえしてないのですから、結局はご都合主義な考え方だとは思うんですよね。
それに、一応突っ込んでおくと、日本が参戦しての「太平洋戦争」が4年なだけで、
第2次世界大戦自体は、その2年前から始まっているので、6年ですし(苦笑)。

そして、価値観の変化という話も、いつの世だって同じ事なんですよね。
これだけ変化のスピードが速い時代になると、1世代違えば、価値観だって かなり変わります。
それは別に、コロナ禍が有ろうが無かろうが、以前から そうですし、
1度変わった価値観が元に戻らないのも同様です(長い年月で輪廻する事はありますけど)。
う〜ん、まあ確かに、これという明確な変化のポイントがあった方が、解りやすいのは事実でしょうけど、
10年掛けてジワジワと変わった量と、1年でガラリと変わり そのまま9年続いた量とは、
インパクト的には後者の方が強くても、客観的な変化量としては結局変わりませんからねえ。
要するに、2度の世界大戦に関しては、劇的に時計の針を進めましたけど、
今回のコロナ禍は、変化の前倒しが起こった感じはありますが、
これが将来的な時計の針まで一気に進めたか?となると、正直そこまででも無い気がするんです。

まあ、仮に大きな変化が起こるとしても、この経験をした子供たちが大人になって以降の話でしょうから、
15年とか20年くらいは、世界大戦に比するような大きな変化は無いんじゃないですか?
基本的に、社会の価値観の変化というのは、子供が大人となり、大人が老人となる事で、
世代交代と同時に進むのが世の常なのですが、世界大戦は現役の大人の価値観すら変える変化だったんです。
でも、今の私たちって、そこまで劇的な価値観の変化を強いられてますか?
大人が従来の価値観を書き換えるというのは、並大抵の事ではありませんからねえ・・・・
リモートが増えたとか、手洗い・除菌が徹底されたとか、その程度の事じゃなくて。

それと、1&2と3は、全く纏まりの無い括りのように感じるのですが、
恐らくは、心理的な「潔癖主義」と、物理的な「潔癖主義」を、同じモノとして捉えて、
潔癖から「潔白」を連想しての、「ホワイト革命」という表現なんですかねえ?

▼ いちゃらぶ革命
> いちゃらぶ自体は昔からありましたが、
> 現在はいちゃらぶが既存の恋愛ものにとって変わるようになってきている、ということです。
> 偶然、参考になりそうなツイートを見つけました↓
> https://twitter.com/cicada3301_kig/status/1509305422565752837
> 私も自信をもってラブコメアニメに詳しいと言えるまでにはラブコメに詳しくないのですが、
> 確かに最近の恋愛ものってあまあまなんですよね。
> 例えば『かぐや様は告らせたい 』というラブコメマンガがあるのですが

「かぐや様」のアニメは1期も2期も見てますし、今週から始まる3期も見る予定ですよ(笑)。
といいますか、前回、「いちゃらぶモノが流行ってる」という話が出た際に、
「かぐや様は違うな」と、すぐさまパッと浮かびましたもん!!
だって、あの作品、原作マンガの方はまだしも、アニメ版では未だカップルにすらなっていませんし、
双方の内面描画によって、秘めた「スキスキ」(すとぷりの曲じゃないですよ・笑)は存分に描かれているものの、
別に作品的には、イチャイチャも、ラブラブもしてませんからねえ。

また、視聴者や読者は神目線で、両想いな事が解っているから、ニヤニヤしながら楽しめる作品であれば、
それこそ昔から、数多くあると思いますしね。
ですから「かぐや様」も、面白い作品だとは思いますけど、
別に目新しいとか、今風だよなと感じる事は、ハッキリ言って無いですね、少なくとも私は。
イチャラブという事なら、昭和に人気だった「かぼちゃワイン」の方が、まだ当てハマる気がしますし、
最近の作品であれば・・・私はあまりマンガを読まないので、詳しくないものの、
「大正の献立」なんて、ほっこり系かつ、イチャラブ夫婦な感じもあるかと思います。

> 誰と誰がくっついて、誰と誰が別れるのか、その恋愛が成就した時の喜びと、
> フラれたときの悲しみが恋愛ものの醍醐味だと私は思うのですが、
> もう今の世代は登場人物がフラれて悲しくなるような恋愛ものは読みたくないということだと思います。

醍醐味・・・というか、そういう感じの方がストーリーを作りやすいんですよね。
そして、ストーリーを作りやすいからこそ、人気の方も出やすいと。
でも、だからと言って、そればかりでは飽きてしまうのは実際の所でしょうし、
作者の腕さえあれば、小さなエピソードでも、充分に楽しませる事も可能です。

例えば、近年では制作費の事もあって、テレビから姿を消してしまいましたが、
主婦向けに毎日お昼に放送される帯ドラマ、通称「昼ドラ」というモノがありましたけど、
これは「昼ドラ的」という言葉も生まれるくらい、ドロドロの愛憎劇が多かったんですよ。
ぶっちゃけ、そういうストーリーは作りやすいですし、人気も得やすいので。
ですけど時には、「ぽっかぽか」のように、ほのぼの夫婦のイチャラブ系な作品もあり、
これはこれで人気を博したものの、やはり悪人が出てこない作品って、物凄く作り難いんですよね。
苦労して作っても、結局はヒューマン・ドラマみたいに所に落ち着いちゃう作品も多いですし。
また、6年前のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」は当時、一躍世間でヒットしましたけど、
恐らく多くの視聴者は、「星野源(平匡)×新垣結衣(みくり)」のカップルに感情移入して見てたでしょうし、
オトナの人だと、サブ・ストーリーの「石田ゆり子(百合)×大谷亮平(風見)」の存在も大きかったでしょうが、
しかし、まさしく恋愛劇を繰り広げていたのは、ゲイの「古田新太(沼田)×成田凌(梅原)」だったみたいな(笑)、
楽しみ方と言っても、やはり、それぞれあると思うんですよ。
って、そういうえば「ぽっかぽか」も「逃げ恥」も、ドラマとして有名ですが、原作はマンガ作品でしたね。

もちろん、ドラマに限らずマンガやアニメも、歴史が長く、それだけに作品数が多すぎて、
今更 ベタな作品を手掛けるのも、何かと難しい時代で、いろいろと工夫が必要であったり、
昨今は視聴者も「傷つきたくない」傾向も強いので、そっち系の作品が増えたのは確かでしょうね。
それこそ、ここへ更に「考えたくない(ストレスNG)」が加わって、
萌え系や日常系、ハーレム系の作品なども、人気を博するジャンルにまで成長したと思いますから。
でも、萌えやハーレムに比べると、やはりイチャラブは作品的に作り難いのも事実かな?
「バカップル」なんて言葉もありますけど、これをラブコメ化したら、コメディ要素が強くなりますし、
本気で恋愛の熱に浮かされると、それこそ「ヤマ無し、オチ無し、意味無し」ですから、
異性同士であれ、同性同士であれ、結局は恋愛モノと言うよりは、性的な方向へ進みがちになると・・・・

いやこれ、本当に作品的に作ろうと思えば、難しいんですよ!!
リアルのバカップルだって、大体は長続きせず、パッと燃え上がって、すぐに終わるケースが多いですから。
これは、ドラッグ使用にも似た快楽性が、恋愛の初期には脳内で起こるからであり、
だからこそ中毒的に、熱愛と破局を繰り返す人たちもいる訳ですが、
でも、作品としてイチャラブを楽しみたい人って、そんな「快楽的な恋愛」を求めてる訳じゃないですよねえ?
ですから、リンク先のTwitterにもある通り、ツンデレとか鈍感などの演出的ギミックが必要となりますが、
ただこれも、効果的にストーリー性を発揮すれば する程、やはりイチャラブから遠離る気もします。

いや、こうなると結局、創作物はリアルに勝てないような気もしてきますし、
考えてみると、こうした需要を満たしてるのって、アニメやマンガよりも、
今だとカップル系YouTuberの動画なんじゃないですかねえ?
まあ、「恋愛リアリティ・ショー」って、オタク系男子からの需要は兎も角(笑)、
若い女性には、非常に人気のあるジャンルですので。
って、恋愛リアリティ系の需要で考えると、別にそこまでイチャラブ系は多く無いというか、
良く言えばドキドキ、悪く言えば出演者の心を弄ぶような、そういった番組の方が人気な感じはしますね。

> > あと、「小学生の間で」というのは、ちょっと解る気はします。
> > 20〜30年前の男子・女子の関係と、今の男子・女子の関係って、
> > 時代性であったり、少子化なども影響してか、随分と変わりましたからねえ。
> > 2000年頃までは、小学生(特に高学年)の男女の壁(溝?)って、
> > 今とは比べモノにならないくらい、大きかったですし(笑)。
> > ただ一方で、少女漫画の早熟化や過激化の流れって、今に始まった事では無いので、
> > そちらに関しては、「そんなモノだろうなぁ」と、何となくは思いますね。

> この辺含め、ここ数十年くらいの恋愛ものの変遷についても調べたら面白いことになりそうな感じがしてるんですよね。
> もし何か面白そうなことが分かれば、ここに書くかもしれません。

はい、了解しました(笑)。

> > 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> > 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> > 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> > これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)

> そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。

それって結局、流行ってはいない証だと思うんですよね。
何らかの概念が生まれ、それが人の口を膾炙するには、
やはり、それを簡潔に示す「単語」の存在が不可欠なので、
広く出回ってる単語が無いという事は、そうした共有が行われていない事を意味するかと。

▼ VRとAIについて
> > まあ、VRに関しては、そうだと思いますよ。
> > 随分前かと思いますが、「電脳ドラッグ」が云々という話をしたのも、つまりはこういう話で、
> > 例えば、何らかの音が聞こえれば、それが画面上に色や形として反映される遊び方だとか、
> > 第11芸術として挙げた「デジタル・アート」というのも、将来的にはこっち方向の話ですし、
> > もっと言うと、現状の五感というセンサーから更に拡張して、もっと感覚の数を増やしたり、
> > そもそも論として、脳の処理段階でいろいろ弄ろうというのは、ここから更に先の話でした。
> > 正直な所、イメージはし難いですから、どこまで伝わってるかは不明ですけども・・・・

> 「デジタル・アート」という話は全然理解できていませんでした。

現時点だと、最も体験しやすいのは、チームラボのデジタルアート・ミュージアムですかねえ?
お台場会場は今年の8月まで、豊洲会場は今年の12月まで開催される予定です。

> 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> > あと、VRで環境を変えるというのは、まだ何となく解るのですが、
> > 「AIで環境を変える」って、具体的にどんなモノを想定されてるのでしょう?
> > 具体例とかが無いので、旧トルコ担当さんの抱くイメージ像を、ちょっと把握しかねるんですよねえ。

> でもまあ、「AIで環境を変える」って既に起きていることじゃないですか?
> 例えばYouTubeのアプリを開いて、まずどんな動画がおすすめされるかって、あれはAIが決めているわけですし、
> それを見て陰謀論などにハマっていくのって、本人に素質があったという面もあるでしょうが、
> 大半の人はYouTubeがそうした動画をおススメしなければそんなことにはならなかったと思うんですよね。
> > それこそゲームで言えば、グラフィックの進歩というのは非常に目覚ましいモノであり、
> > PlayStation時代や、ファミコン時代などと比べれば、まさしく隔世の感がありますし、
> > もしも当時、今のレベルのCGを見せられたら、きっと実写かと勘違いしたかも知れませんが、
> > でも実際、我々が今のゲーム画面を見て、本当に実写と区別できないかと言えば、そうではありません。

> でもこれって、もう管理人さん自身が答えを出していません?
> 確かに、ゲームのグラフィックも現実と見分けがつかないわけではないですが、でもそれに夢中になれてるじゃないですか。
> AIも同じで、確かに人間と完璧に同じものを作り上げるのは難しいのかもしれませんが、
> そこまで高度なものでなくとも、夢中になる人間は私含めていると思うんですよね。

う〜ん、これはもう何度も繰り返している話ですけど、
結局の所、旧トルコ担当さんと私とでは、想定している「新しさ」や「変化」の大きさが違うんですよね。
失礼な物言いかも知れませんが、旧トルコ担当さんが想定される新しさや変化だと、
年長者で歴史好きな私からすると、正直、「その程度」と映るレベルの新しさや変化なんです。
更に言えば、AIにせよ、VRにせよ、それよりも遥かに大きな事が出来る可能性を秘めているからこそ、
それくらいの小さなモノでは満足できないと言うか、
現状のモノは まだ従来品の改良程度にしか映らないと言うか・・・・
言うなれば、「次世代のiPhoneは凄いよ!」と どんなに力説されても、心情的には理解できるものの、
iPhone登場時の衝撃度と比べてしまうと、どうしたって上回らないだろう?みたいな話ですね。

> > 単なる実用性で言えば、「知能とは何か?感情とは何か?」とはまで行く必要はなく、
> > それこそチューリング・テストのように、受話器やモニターの向こう側にいる利用者が、
> > 対応相手が人間か?AIか?を区別できないレベルまで行けば充分でしょう。
> > 例えば、お客様サポートなどのサービスが、
> > 人ではなくAIで可能となれば、企業的には大助かりだと思いますけど、
> > マニュアル対応の範囲内ならまだしも、臨機応変な対応は当分困難だと思うんですよねえ・・・・

> そうなんですね。
> お客様サポートが技術的に難しいとなれば、確かに今のAIってまだまだショボいと思います。
> 私は理系は全然なので、岡田斗司夫が言う「10年後はAIYouTuberの時代」という話を割と信じていたのですが、
> 管理人さん的には、この辺が岡田斗司夫の専門外の話には適当なことを言っている点なのでしょうか?

AI YouTuberみたいなモノに対して、それにハマる人々が現れるか?という話なら「YES」、
それが人気の大勢を占めるか?という話なら「NO」って感じでしょうか。
言うなれば、ニッチであっても人気があるなら、それも1つの時代だとは言えるでしょうけど、
でもまあ、一般的に「○○の時代」と呼ばれるには、皆がハマるレベルだと思われるので、
そうだとするなら、個人的には過剰評価だとは思いますけどね。

例えば今の技術なら、さすがにAIは難しくても、凄いCGは作れますよねえ?
では実際、そうしたCGのグラビアが世間を席巻しているか?となれば、決してそんな事はなく、
実在するリアルな女の子のグラビアの方が、圧倒的に人気であるかと思います。
CGの女の子であればシミ1つありませんし、個々の好みにカスタマイズが出来ても、
写真かと見紛うばかりの出来であっても、やはり そうでは無いんです!!
それは何故かと言うと、人間というのは、単なる見た目の美だけを追い求めている訳では無く、
感情というフィルターを介して物事を見る為、人間とCGでは感情移入の部分で大きな差が生じるんです。
多くの人は、見た目やら、発言などを介して、その奥にある「人間像」を味わっているので。

で、逆説的に言えば、人間とCG、もしくは人間とAIの区別さえ出来ないレベルとなれば、
ビジネス的に、かなりの可能性は生まれるとは思うのですが、
しかし一方で、YouTuberの動画を楽しむという行為は、仕事ではなく娯楽の世界であり、
そうなると、これって実はCGやAIなのでは?と疑念を抱くと、素直に楽しめないはずなんです。
「区別が付かなきゃ、どちらでもOK」という人も居るでしょうが、大部分の人は違います。
だとすると、結局は、SNSを利用する有名人の「本人認証」のように、
人間である事の証明する機能が求められる気がしますし、
そうなってしまえば、やはりCGやAIの価値というのは、その程度という話になります。
もちろん、「2次元やアニメ画こそ至高」って人たちも居ますが、決して多数派には成り得ません。
つまりは、「時代を作る」というレベルにまでは至らないと。

それこそ、芸能人に「なりすまし」したTwitterやInstagramを見ていたとして、
それを本人によるモノと信じている内は、確かに楽しめるのでしょうが、
それが本人では無いと解った段階で、楽しい所か不快な気持ちに包まれます。
内容的に楽しめたから、本物でも偽物でも構わないなんて感じる人は、ほんの一握りなはず。
また、始めから、なりすましの演技として、楽しむような人も居るでしょうけど、
そういう人が、社会の大多数を占めるとは到底思えないので、やはりニッチな世界で終わるかと?

▼ コロナと物流について
> 岡田斗司夫が主張する「コロナ=グローバリズム時代の終わり論」ってどう思われますか?
> 何となく掲示板を見ていたら、管理人さんも「世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?」
> と書かれていましたし、

前後の文脈とかもあるので、「どこで書いたっけ?」と検索してみたら、
2年くらい前の、コロナ第1波が終わった頃の書き込み↓ですね(笑)。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23132#23132

で、「グローバリズムが終焉するか?」という問いに関して、
個人的には、その答えは「NO」ですかねえ。
もちろん、このコロナ禍によって、世界的な人の流れは落ち込んでいますし、
リモート技術の普及により、元に戻らない分野もあるとは思います。
ですけど、やはりコロナが終息して時間が経てば、人流も戻ってくるとは思いますし、
そして何より、「どこか遠くへ行きたい」「安くて良い物が欲しい」などの欲求は、
世界的な経済発展と共に、今後も広がる一方だと思うんですよ。
世界全体の大きな価値観を、先進国、特に日本だけの価値観で測ると、きっと読み間違えます。

ちなみに、引用元で私が書いてた内容というのは、
「グローバリズム」というよりも、「新自由主義」に関する話だったんですよね。
ポスト冷戦時代において、この2つの概念は急速に世界へ広まると共に、
互いに密接にリンクしている概念であるので、ついつい勘違いしがちでしょうけど、
本来的には、これらは それぞれ別の概念です。
私としては、このコロナ禍によって、行き過ぎた新自由主義経済に、
ブレーキが掛かる可能性を呈示しただけであって、それは必ずしも終焉とイコールではなく、
更には、それがグローバリズムに関しても一緒かとなると、そういう事ではありません。

そもそもグローバリズムとは、何も経済や政治だけに限らず、
人々の交流や文化においても、当てハマるような概念でなんです。
例えば、私たちがネットを介して、YouTubeやNETFLIXを楽しんだり、
どこかの外国人と友達になるのも、グローバリズムの一環ですし、
それらが今後、後退していくとは、ちょっと思えないんですよね。

また、実際の人流におけるグローバリズムについて言うと、
その3本柱は「ビジネス目的・留学目的・観光目的」なのですが、
ビジネス目的は、リモート会議などの増加によって、恐らくグッとは減ります。
しかし留学目的は、リモート授業も一般化しつつある昨今、確かにリモート留学も増えるでしょうけど、
その反面、リアルな学生生活の不足から、それだけでは物足りなく感じてる学生が多いのも事実で、
リアル留学の価値は、却って高まるかも知れませんし、
リモート留学も含めて、世界的な学生の奪い合いが加速するとなれば、それも1つのグローバル社会です。
そして最後に、観光目的に関しては、やはり実際に現地へ赴いてこそナンボですからねえ。
もちろん、リモートとかでも旅行気分が楽しめたりもするのでしょうが、
例えば、ネット上にはいくらでも動画や画像が見られますけど、人々は美術館や動物園に足を運びます。

ソフトバンク・楽天・DeNAみたいな企業が、わざわざプロ野球チームを所有するのも、
ネットやデジタルが普及したからこそ、リアルの付加価値というのが非常に高まってるからなんですよね。
このコロナ禍により、いったん足を止めた客の中には、戻ってこない人たちも居るでしょうけど、
世界規模で考えた場合、今はまだ貧しくて、これから豊かになる人々も大勢居るでしょうから、
その減少分と増加分を踏まえれば、恐らく全体的には増えるでしょうし、少なくとも終焉とはなりませんよ。

そして、経済面でのグローバリズムに関しては、
「反グローバル」な動きというのは、何もコロナ禍によって始まった訳では無いですからねえ。
既に2001年のジェノヴァ・サミットの時点で、デモ隊が20万人も集まりましたし、
グローバル化や新自由主義化が進む一方で、格差社会というのも色濃く現れてきましたから、
このコロナ禍における動きも、こうした大きな流れの1ページだとは言えます。
もちろん、それは同じ1ページでも、とても大きな1ページではあるのですが。

それに これって、岡田の自説であり、旧トルコ担当さんも同意していた
「無意味にグローバル&無限にローカル」という主張と相反しませんか?
それとも、これはグローバリズムが終焉するのは、物流限定の話?
物流だけ切り離せるかは、とりあえず置いておくにしても(私は無理だと思う)、
実例として、最近起きたマクドナルドのポテト不足の話をしてましたけど、
なぜ常態化すると思うのか?の具体的な説明を欠いていた為、納得感はありませんでした。

> 私の無い世界史知識を動員すれば、
一応、今の若い世代は、高校時代に世界史が必修だったはずですけどね(笑)。
って、確か本年度から、安倍教育改革の一環で、世界史は必修から除外されたんでしたっけ?

> モンゴル帝国もまたユーラシア大陸の交通網を整備し、グローバル化を進めた結果
> ペストによりその試みは失敗に追いやられたはずですし、

う〜ん、遊牧民族は通商民族の側面も持ちますし、
モンゴル帝国の成立によって、巨大なユーラシア経済圏が作られたのも事実ですが、
かと言って、「試み」とか「失敗」とか言うほど、大規模で計画的なモノでも無かったでしょうし、
その一方で、こうして作られた経済圏の体験が、後の大航海時代にも繋がっている事を思えば、
大きな人類史の流れとして、そこまでネガティブな評価もしてませんね。
「真の世界史はモンゴル帝国から始まる」みたいな事も、よく言われたりしますので。

> 今回のコロナをペストに例えることも可能なのでしょうか?
中世のペストと、現代の新型コロナとでは、ちょっと比較にならない気はしますね。
当時に比べれば、医療技術も格段に進歩してますし、そもそも世界の総人口が違いすぎるので、
パンデミックが起きても、社会に与える影響は、今の方が遥かに限定的です。
まあ確かに、今回のコロナ禍によって、私たちは息苦しい生活を強いられてますし、
格段に発達した交通網により、即座に世界的な流行ともなったのですが、
社会を劇的に変化させる、古代や中世までのパンデミックとは、やはり意味合いが異なりますよ。
もちろん今回のパンデミックも、社会に変化を与えましたけど、それとはレベル的に別次元です。
感染症対策の参考にはなっても、そのまま未来予測に繋げるとかは、難しいんじゃないですかねえ?

▼ オタク史について
> > ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> > オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> > さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> > 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?

> オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、

なるほど、諸々含めて100冊って事ですか。

> その上でおススメを聞かれたら「いや、100冊全部おススメだよ」というのが本気の答えですがw
という事は、今までにハズレの本は無かったと!?(笑)
何段階くらいに分けるかは人それぞれですけど、
普通は漠然とでも、評価のランク分けとかしませんか?

> さすがにそれでは答えになっていないので、絞るならこんな感じですね↓
> https://dotup.org/uploda/dotup.org2765555.txt.html パスワードは「otaku」

まずは、ありがとうございます。
ただ・・・なんでダウンロード方式なんでしょう?(笑)
これなら別に、そのまま掲示板に書いちゃった方が早いのに?とか思いますけど、
大っぴらにするのは恥ずかしいとか、そういった感じだったのでしょうか?
って、これだと返信も書き難いですね・・・・
とりあえず、同人誌は無理にしても、何冊か個人的なリストに入れておきました。
もう1度になりますけど、ありがとうございました。

> といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?
う〜ん、あまりパッと思い浮かばないかなぁ・・・・
私としては、「文化論」としてよりも、「文化」の方への興味が強いので、
どちらかと言えば、作品そのものが先に浮かんできますし。

でもまあ、1冊で網羅的にであれば、以前の雑談スレッド時にも紹介しましたけど、
「オタク的想像力のリミット 歴史・空間・交流から問う」は良かったですよ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
様々な人が書いた 30ページくらいの小論文が、14本掲載されています。
あとは、「思想地図β vol.1」とかは、
https://www.amazon.co.jp/dp/4990524306/
創刊号という事で、採算度外視で好きな事を詰め込んだ感が、個人的に面白く思えたので、
その編集を務めた東浩紀の半生記とかは、オタク的かはともかく、読んでみて損は無いかと?
「ゲンロン戦記 知の観客をつくる」
https://www.amazon.co.jp/dp/4121507096/
昨年ヒットした新書の1つなので、一般的な評価も悪くないと思いますし。
って、旧トルコ担当さん的には、先にこっちを視聴した方が、スムーズかな?
「東浩紀×岡田斗司夫 本当に初めての対談〜ニコ生トークセッション」
https://www.youtube.com/watch?v=gC82nG_gFi0
東が酔いながら必死になって、岡田にハルヒ視聴を薦める姿は、ちょっと愉快です(笑)。

▼ アニメ
> > 「新作アニメはほとんど見ない」というのは、正直意外でしたね。
> > オタクを称しており、しかも大学生となると、
> > 普通に、新作の視聴がベースかと考えていたので。
> > ちなみに、この調子ですと、旧トルコ担当さんって、
> > 「リアルタイムで新作を追う」という時期は、以前から無かったんですか?

> アニメを見るようになったのは高校生からですが(中学まではラノベのみでした)、その時から新作アニメは追っていませんでした。

ほ〜、なるほど、なるほど。
ちなみにラノベに関しても、別に新作は追ってなかったんですかねえ?

> なぜかと言われれば、自分の好きなものを追っかけるのがオタクであって、
> 流行りものを追っかけるのはオタクじゃないでしょ、と思っているからですね。
> 一応、毎季ごとにアニメの新作はチェックはするんですが、チェックだけしてほぼ見ないです。
> 実際問題、アトム以来50年以上テレビアニメが作られ続けているわけであって、
> 良い作品を探すのであれば今季作品の中から探すより、過去の作品を掘り返した方が効率的ですし。

う〜ん、確かに作品の内容だけを楽しむなら、それもアリかと思います。
とは言え、作品の楽しみ方というのは、それ以外にもいろいろとある訳で、
特に「リアルタイム感」に関しては、その時で無いと味わえないモノですからねえ・・・・
例えば料理とかも、単に味だけでなく、匂いや見た目、その場の雰囲気やシチュエーションなどで、
「おいしさ」も大きく変わってきますし、記憶への残り方とかも違ってきます。
その辺りまで踏まえれば、全てとは言わないものの、幾らかはリアルタイムを味わわないと、
せっかく、その時代を生きているのに、「もったいない」みたいな感じも同時にすると。

また、「過去の作品を掘り返す」にしても、その方法論の話が出てきますよね。
自発的にグングン掘り進めるならまだしも、結局は評価や知名度とかを基準にするなら、
現在進行形か? 過去か?の違いだけで、やってる行為自体は大差なくなりますし、
別に話題作だからと追う必要はなく、面白そうだなと思えば追えば良いんだと思いますよ。

とは言え、すぐ下でも触れますが、コミュニケーション・ツールと化した今のアニメ作品だと、
リアルタイム感の強味って、それこそ「ブーム」的な側面しか持たなくなっているのかな?
そう思うと、別に無理して追う必要もないか?と思う反面、
必ずしも、全てがそういう作品ばかりだとは限らないので、
逃がした魚があった時に、追わなかった事を後から悔いる事もあるかも知れませんが、
でもまあ、「効率的(コスパ)」を重視するとなれば、損をしても時間の方が大事だったりするかも。

とは言え、コスパ重視という価値観もまた、今風の流行と言えば そうなので、難しい所・・・・
コスパ重視になってしまう、現在の社会状況というのも充分に解るのですが、
その一方で、それでは新しいモノや面白いモノに、なかなか出会えない現実もあるんですよね。
って、個人が1人で気を張った所で、社会全体の風潮がそうなら、抗っても詮無いだけかも知れませんけど。

> あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。

でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。
そういう意味では、「孤独なオタク」同士がネット上や秋葉原などで繋がれてた、
2000年前後の一時って、本当に一瞬の徒花みたいな時間だったのかもしれませんね、今になって思えば。

▼ 物語シリーズについて
> 原田陽平さんの『ヤンキー経済』を読んでいると、最近はマイルドヤンキーでもアニメを見る、という記述があり、
> それ自体は「まあ、そんなもんだろう」と私も思っていたのですが、
> 例えばどんなアニメを見ているか、という例で出てきたのが化物語だったんですよね。

まあ、あの当時の西尾維新作品って、純文学とラノベの中間あたりに位置していて、
書店とかでも、独立してコーナーを設けられるくらい、人気のある作家でしたからねえ。
言うなれば、そういう絶妙な立ち位置にあって、
ラノベ寄りなのが西尾維新、純文学寄りなのが村上春樹って感じでしょうか?(笑)
軽妙な会話のキャッチボールとかは、心地良いです。
また、アニメ化に関しても、新房昭之&シャフトという組み合わせであり、
同じタッグだった「まどかマギカ」とかもそうですけど、やはり映像がスタイリッシュなんですよね。
なので、実際にマイルド・ヤンキー層が好むような作品かは さておき、
(それこそ今なら、「東京リベンジャーズ」とか好きそう)
少なくとも、原田陽平は好きそうだよなぁ・・・とは思いました(笑)。

> 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> 管理人さんはどっちでしたか?

オタクじゃない人たちから見れば・・・キモいんじゃないですか?
そもそも化物語以前に、萌えキャラとか出ているアニメは、全てキモいと感じるでしょうし、
アニメ耐性が無く、子供を持つ母親たちからすれば、犯罪者予備軍にも映るかも(苦笑)。
とは言え、そうした反応を強く示すのは、恐らくインテリ系ママ層に多い気もするので、
比較するならマイルド・ヤンキー層の方が、嫌悪感は低いかも知れませんね。
ステレオタイプなイメージですが、スキンシップ大好きで、結婚・出産とかも早いですし。
ただ、ひとたび嫌だとなれば、あからさまに嫌悪感を隠さないのは、却ってコチラの層かも。

で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
まあ、あの頃は化物語なんて可愛いぐらい、本当にキモいロリコン・アニメとかも多かったですし、
そこから更に10年も遡れば、おっぱい描写も、パンツ描写も、普通に溢れてたので・・・・
藤子不二雄アニメとか、そういう子供向け作品でも、普通にエロがありましたし、
それに何より、小中学生女子の全裸モロ出しヌード・グラビアとかが、
当たり前にコンビニで立ち読みできる日本の社会だったので、感覚がバグってる所はあります(苦笑)。

あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。
確かにペド的な作品は、もう見掛ける事もありませんし、
萌え描写というのも、マイルドというか、既に記号化された感があるので、
一言に「ロリコン・アニメ」と言っても、現在と、10年前と、20年前とでは、かなり感覚が違うのかも?

▼ ウクライナ戦争の余談
昨今のウクライナ戦争に関し、真面目な話題は別スレッドに譲るとして(笑)、
戦争物のアニメとして思い浮かんだのが、「火垂るの墓」と「最終兵器彼女」でした。
ちなみに この両作品も、「何歳くらいで見るか?」で、見え方が大きく変わる作品かと思われます。
メッセージ性が高い作品だからこそ、そこには当然、高レベルな作為性が存在しますからねえ。

特に最終兵器彼女の方は、作者も最終巻の あとがきで、
「たとえば五年経ったら この本はその誰かにとって もう意味のないものになっているでしょう。
 そんな時がきたら どうか、この本を誰かに譲ってください。」
とまで書いているので、計算的に演出されているのは明らかでしょうし。

あと、こちらは少し不謹慎なネタかも知れませんが、
若き日の岡田斗司夫や庵野秀明が手掛けた、特撮パロディ「愛国戦隊 大日本」のテーマ曲から、
「♪もしも日本が弱ければ〜 ロシアはたちまち攻めてくる〜」というフレーズや、
https://www.youtube.com/watch?v=6d8romXBRTg
十数年前に、ニコニコ動画で流行った空耳曲「金正日・プーチン 友好の歌」から、
「♪キムジョンイ〜ル、プーチ〜ン プーチ〜ン、キムジョンイ〜ル」というフレーズを、
https://www.youtube.com/watch?v=Bgw2xTYAOio
最近、ついつい無意識の内に、鼻歌で口ずさんでる自分に気付いたり(苦笑)。


[23903] Re:「ホワイト革命」の動画を見ての感想(一部追記)返信 削除
2022/4/14 (木) 00:00:49 旧トルコ担当


▼ ホワイト革命

> 言っている事は、そこまで的外れでは無いと思うものの、
> それが「革命」と呼べるレベルまで大きいかとなると、ハッキリ言って同意しかねると。
> 「当たり前の傾向」と「当たり前の変化」が、大袈裟に感じ取れてるって感じでしょうか。


なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。
そうすると、後半全部なしになるので、感想としては中途半端になるのも納得。
申し訳ないです、おススメした私のミスでした。

簡単に後半の内容を紹介すると
https://twitter.com/hayaokiinoue/status/1472724635141963776/photo/1

(1)社会意識のさらなる向上
今多くの人が普通にやっているような、人前でちょっと悪口を言ったり、不平不満を言うことは、犯罪者予備軍として見られるようになる
現在のアニメ等もまた、美男美女しか出てこないのは差別的だ、と言われるようになる
(2)排除の時代
それでもなお、他人の悪口を言ったり、ルッキズム的な発言をしたりする人は、まともな社会から排除される
 (例えば、AIによりネットの裏アカウントなどが特定されるようになり、裏カウントで差別的なことをツイートしてる人は、就職・転職面接でこっそり排除される)
つまりは、現在、有名人が差別的な発言をすると叩かれ、社会的地位がはく奪されるのと同じようなことが、一般人相手にも行われるようになる
かつての家柄社会から学歴社会へ社会が移り変わったように、これからは学歴社会、実力社会から、ホワイト社会(ホワイトかどうかによって、社会的地位が決まる社会)になる
(3)ネットも同じ
かつての2ちゃんのような、リアルで言えないえげつない悪口も、ネットでなら言える、という時代は過去のものになりつつあり、
そうした悪口を言うようなSNSアカウントは、不快なのでみんなからだんたんミュートされている(が、本人たちは気づいていない)
(4)ホワイト世代の台頭
こうしたホワイト革命の担い手は、現在の30代以下〜10代後半以下のホワイト世代である
彼らは、マンガやアニメなどの綺麗ごとを肯定する物語を見てきた世代のため、前の世代と比較して非常に良い子化が進んでいる

という感じです

> まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?


そうですね。
「生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変(の法則)」
というのは、私も同意です。

映像の世紀を見ていると「1960年代ってこんなに汚かったのか!」と衝撃を受けますし、
生活レベルが上がれば、衛生に対する意識から、人権などの意識まで向上する、というのは私もホワイト革命の動画を見る前だって思っていました。

しかしその上で、ホワイト革命が衝撃だったのは、
その法則を現代にも適用すると、ちょっと先の未来はどうなるのか、ということを予測した点だったと思います。
私たちは過去のことは客観的に見れても、自分たちのことは客観的に見つめられませので。

> それと、1&2と3は、全く纏まりの無い括りのように感じるのですが、
> 恐らくは、心理的な「潔癖主義」と、物理的な「潔癖主義」を、同じモノとして捉えて、
> 潔癖から「潔白」を連想しての、「ホワイト革命」という表現なんですかねえ?


そうだと思いますよ。

> まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?
> もちろん、時にはバンカラ文化や不良文化などが、一部で流行ったりもしましたが、
> それにしたっって、あくまでもアンチテーゼとしてのカウンター・カルチャーであり、
> そうしたモノが流行るのは、それだけ急速に生活レベルが上がってる証拠なんですよね。
> 向上が急スピードだからこそ、敢えて逆らおうとする反骨心の現れでもありますし、
> 逆に言えば、そうしたカウンターが生じないのは、それだけ勢いが乏しい時代だと言えるかも知れません。
>
> また、「好き/嫌い」と「良い/悪い」は本来 別の概念ですけど、
> (「良い」と「正しい」も異なりますが、話が面倒になるので割愛・笑)
> ここでは、それを混同しているのは、岡田斗司夫自身が区別できていないのか?
> はたまた、区別できないレベルの人々を、想定しているのか?
>
> まあ、それはさておき、この1と2で実例として挙げた「おにぎり」と「不倫」の例も、
> 私自身はしっくり来なかったと言うか、正直言って、正しく認識できてない印象を受けました。
> そもそも岡田本人がサイコパスを自称しているくらいなので、
> 自分の損得が関わらない限り、他人の心の機微を読み取るのは、恐らく不得意な人だと思いますし、
> そういう正確だからこそ、却って自分に都合良く解釈している感じはするんですよ・・・・
> オタクとして「作品考察」する分には面白いですし、主観的な解釈でも構わない世界ですが、
> しかし、社会における「人間観察」というのは、主観性が客観性の邪魔をしてたらダメでしょうね。
>
> 「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられない」という有吉の話も、
> 実を言えば、私も少し苦手意識があるので解るのですが(苦笑)、
> あれって、その感覚が解らなかったり、深く考えたりしない人だと、衛生面の問題だと誤解するのですが、
> 実際はそうではなくて、心理的な壁、つまりは「ATフィールド」の話なんですよ!!(笑)
> 自分のお母さんの手が衛生的だから、安心して おにぎりを食べられるという事ではなく、
> 家族という同じグループの一体感(安心感)から食べられるので、
> よそのお母さんは、異なる家族というグループに属するから、心に境界線が生じるんです。
> そして、核家族化や地域社会の疎遠化により、一体視できるグループの範囲は年々縮小していると。
> ですから、別に おにぎりでなくても、加熱された手料理だってNGなんですよね。
> 手料理は心が籠もる(魂が宿る)為、心を許せていれば心地良い反面、心を許してなければ障害になるので。
> 職人やコンビニの料理なら大丈夫なのは、衛生面の問題以上に、そこに余計な愛情が含まれないからなんです。
> 品の無い例えですけど、「風俗は不倫じゃない」みたいな話の感覚に似ているかな?
> って、私自身で言うと、職人が握った寿司にしても、少し苦手意識はありますが(苦笑)、
> だからと言って、職人がビニール手袋を着けて握っていても、そこまで意識は変わらない気がしますし、
> 実際、有吉自身も番組開始当初、夏目アナの手料理の差し入れを「迷惑!」と切り捨てていましたけど、
> いざ夏目アナと結婚すると、彼女が握った おにぎりも、普通に食べると言ってましたからね(笑)。
>
> 続いて、不倫話に関して言うと、不倫してる人が全てバッシングされる訳じゃないんです。
> 元々アンチ層を抱えてる芸能人が不祥事を起こして、心置きなく叩ける免罪符を得られたり、
> 大して好きではなかったが、好感度で商売していたタレントが、それに反するような行為をしたり、
> 初めから不祥事の肩書きを背負い、「こいつは叩いてもOK」な扱いで登場するから、炎上するのであって、
> 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。
> 逆に、雨上がり宮迫は、芸達者であっても、格好付けな性格が昔から嫌われてもいた為、
> 闇営業の問題で あそこまでのバッシングを受け、そんな性格が事態を更に悪化させたのですが、
> あの問題を、ここまでの大事件に発展させてしまったロンブー亮は、そこまで叩かれていないと。
> 結局、良い悪いという判断の話も、好き嫌いという感情の話に帰着してしまうんですよね・・・・
> そして、こうした判断と感情を混同する人の割合は、今の時代になって増えたと言うよりも、
> ネットの時代になって、存在が目立つようになり、悪い意味での影響力も増しただけだと思うんです。
>
> また、Twitterで悪口がミュートされるという例にしても、
> 悪い内容だから弾かれるのではなく、不愉快な内容だから弾かれる訳ですね。


この辺も、申し訳ありません。ホワイト革命論が前半のみで中途半端なため、論の趣旨が伝わらず、言葉のニュアンスが伝わってないんでしょうね。
とはいえ、ホワイト革命論っている内容って、かなり抽象度の高い話ですので、岡田斗司夫の言っていることを解釈しないと、話が分からないと思うんですよね。

「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられないのは、清潔度ではなく、ATフィールドだから」という話も、岡田斗司夫はおそらく、分かっていると思います。
そのうえで、細かく正確な話というより、全体をつかむ大雑把な話として、おにぎりの話を清潔度の例として持ってきたのだと思いますし。

不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

> また、Twitterで悪口がミュートされるという例にしても、
> 悪い内容だから弾かれるのではなく、不愉快な内容だから弾かれる訳ですね。
> ネットの使われ方が変わったと言うよりは、当時は利用者が一部に限られていたモノが、
> 今ではそれだけ、一般にもネットが、広く普及したという事かと思われます。
> そして、ここでいう「悪口」とは、社会通念的に悪いと認識されている発言と言うよりは、
> 個人的に「不快」となる発言が悪であり、例え悪口でも「快感」を得られれば善となると。
> だって、行き過ぎたバッシングだって、充分に悪口に該当するでしょうけど、
> バッシング集団の中に身を置けば、自分たちこそが正義であり、自分たちの行為は正当化される。
> 言うなれば、社会全体の空気感を読んで、正義とか常識を自らの損得に摺り合わせてた時代から、
> 始めから自らの損得を出発点に、正義や常識を自由にセレクトしたり、カスタマイズする時代となり、
> そういう意味では、自身の攻撃対象とさせない、攻撃対象となっても炎上させない為にも、
> ここで言う「ホワイト化」は意義があるかも知れません。
> しかし、それはあくまでも道具や材料に過ぎ無い事も、キチンと認識しておくのが重要かと?
> 要するに、原因と結果を取り違えるべきでは無いというか、
> 革命的な変化が起こっているのだとすれば、それは「正義の娯楽化・個人化」であり、
> 綺麗にしてれば安全とか、脛に傷があるとヤバいとか、そう単純な話でも無いって事ですね。


この辺も、私の認識は異なりますね。
確かに、正義の娯楽化+正義や常識を自由にセレクトしたり、カスタマイズする時代というのはSNSで一時期ものすごく盛り上がったんですよ。
ただもうそれは既に数年前くらいに次の段階に来ていて、SNSによりものすごい勢いで毎日のように正義論争が起きた結果、正義の共通見解ができたんですよ。
それはどういった共通見解かというと、完全な1ミリも間違っていない正論です。
ちょっとの悪でも許さない、絶対的な正義、きれいごと、これがコロナ前からのSNSの正義論争の終着点なんですよね。
もちろん、たまには「奥さんを侮辱されたハリウッドスターが、侮辱した司会者を殴った。正しいのはどちら?」みたいな、意見が割れるような論争も起きるのですが、
基本的にそういった(面白い)事件が起こることはまれです。

私の印象ですが、まだ2チャンネルとかには、そういったオレの正義的な雰囲気は残ってるんでしょうね。
オリンピックのエンブレム問題なんかも、火をつけたのは、2ちゃんねらーでしたし。
2チャンネルみたいな、板があって、スレッドがあって、そこで住人同士のすみ分けが行われている世界では、そういった排他的な正義が生まれるのですが、
SNSは意外とそれが難しいんですよね。
ある程度盛り上がれば、どうしても他の文化圏の人間が入ってきてしまう。
そうすると、排他的な正義なんて言うのは意外と成立しにくいんですよね。
(そういう意味では、実はSNSによる社会の分断なんて言うのも、実は昔から意見の隔たりはあって、SNSによってそれが可視化されただけという面もあるのかも?)

で、私がTwitterを見ている範囲では、政治ツイートなんかも、昔に比べて盛り上がらなくなってきている印象があります。
それこそ、前に例示した「宇崎ちゃん論争」の時なんかも、
Twitterではオタクとフェミニスト(?)の人たちが物凄いリプ合戦をしてたんですよ。
で、そういう意見が異なる者同士の争いというのはドンドン過激になっていき、両方とも相手へのバッシングや、集団での嫌がらせになっていくと。
ですが、こういうことって、された方も精神的にきついですが、意外とする方も精神的にきついんですよね。
結果として、私の狭い観測範囲の中でも、「もうTwitterで政治の話はしません」みたいな宣言をする人が何人かいますし。
そうして残されるのは、過激な嫌がらせをするのにもされるのにも精神的に耐えられるような、ある意味タフな人たちだけなので、
より過激になっていき、ですが大衆からはもう支持されないと。
(追記ここから)つまりミュートされるわけですね。
で、自身もまた、誰かの発言に怒るようなツイートもしないし、そもそもそういった自分の心を怒らせるようなものをミュートするので、
自分自身もまた、怒りの感情自体が沸いてこなくなる。これがホワイト化だと思います。(追記ここまで)
私はTwitterしか知りませんし(それもほんの一部ですが)、他SNSや、あるいはトランプが大統領にまでなってしまったアメリカなんかは違うのでしょうが、
管理人さんの印象ほど、バッシング集団の中だけで固まるのって、簡単じゃないと思うんですよね。

ふと思い出してみれば、下記のツイートがされたころには、もうTwitterは正義論争が起きてたんですよね。
https://twitter.com/sovietunion1945/status/1090349608377638912
上記のツイートの通り、何も最初からそうだったわけではなく、いつからか急激に変わりだしだしたんですよ。
確か、トランプ以前にはあまりそういう傾向ってなかった気がするので、2016年〜2019年の間くらいだったかな。

岡田斗司夫曰く「若者が高齢者以上に自民党よりなのは、野党の政権批判が汚く感じられるからだ。
野党はもっと与党批判のやり方を変えて、『私たちは自民党の味方ですよ。一緒に日本をよくしていきましょう。
ですが、自民党には自民党さんでいいにくいこととかあるでしょ。だからそれを私たちが代わりに言ってあげますよ。』
みたいな方向に転換した方が、より選挙戦略として正しい」とのことですが、
私も結構これには賛成ですね。
いってしまえば、野党の公明党化みたいなものでしょうか?
かつては安保運動の雰囲気みたいなものがあって、太平洋戦争で軍部に流されてしまった反省があったからこそ、
反体制=正義であり、体制側を厳しい言葉で非難することには、特に左寄りの人たちからは支持されたのですが、
今の若者からすれば、厳しい言葉を使っている時点で、攻撃的な嫌な人、という印象を持たれ、不利なんですよね。

> そもそも、本当にそんな時代となれば、岡田斗司夫も完全排除される側の人間ですし(笑)。

そうですね。岡田斗司夫自身、私は排除されてもいいんですw、と有料部分で言ってますw
ホワイト社会の完成は2030年代から40年代というのが岡田斗司夫の予測ですが、そのころにはもう本人は70代80代ですし。

▼ いちゃらぶ革命

いちゃらぶ革命の話も、あまりうまく伝わっていないようだったので、説明しなおすと、
「ホワイト革命世代は、恋愛ものというジャンルにおいても、誰かが傷つくような失恋の話を好まず、
いちゃらぶのような登場人物が幸せになれるような話しか望んでいない。
私の予測では、おそらく20年後には失恋もののアニメやマンガ、ドラマなどが、『平成っぽい・昭和っぽい』と言われるようになる」ということです。

とはいえ、話の重点は「いちゃらぶが増えていること」や「失恋ものが描かれなくなっていること」ではなく、
「登場人物が幸せになるような話しか望まれていない」ということですので、いちゃらぶ革命という名称が適切でないかもしれません。
例えば失恋を描かず、なあなあの友達以上関係をずっと維持するという方法もあります(俺ガイルはある意味これですし)。

例えるなら、モノを欲しがらない若者世代における、ミニマリストのようなものでしょうか。
全体として、モノを欲しがらない若者世代がいて、それが若者の車離れだとか言われるわけですが、そうした傾向の最も極端な形がミニマリストであると。
同じように、登場人物が幸せになる物語しか見たがらない世代が台頭しつつあり、それが失恋離れにつながっており、その再極端に位置するのがいちゃらぶであると。

その具体的な証拠として、
・最近のりぼんでは、失恋からいちゃいちゃへ大きくシフトしている
 (再掲載)『りぼん』編集部に聞く!「小学生の恋愛」は少女漫画でどう描かれてる?親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?(https://lee.hpplus.jp/column/2113728/
 Q 親世代の作品と、最近の人気漫画の違いは?
 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
 また、つき合うことへのハードルが下がっていて、“つき合った後”が描かれることが多いです。
 親世代は片思いの間のすれ違いを大事にしていたので、これは大きな違い。主人公がイチャイチャしているところ、幸せそうな様子が見たい、というのが今の子どもたちの気分のようです。
・2000年代後半の少女小説でも、姫嫁作品と呼ばれる、一話完結で、ヒロインと主人公のカップリングが最初から確定している恋愛ものが出現している
 「背景には長引く不況の中で、現実につかれた社会人がロマンティックでハッピーエンドな恋愛に癒しを求めているということが考えられている」(コバルト文庫で辿る少女小説変遷史)
・かぐや様もまた、失恋要素がうまく削られ、いちゃいちゃっぽくないか?
といった点を挙げています

あと更に追加として証拠を挙げるなら、
・「逃げるは恥だが役に立つ」はどうなんでしょう?私は見てないのですが、これもちょっと調べた感じでは失恋という感じではないですし……
 逃げ恥がいちゃらぶと呼べるかはともかく、バブル期の「東京ラブストーリー」はハッピーエンドではなかったらしいですし、
 恋愛ドラマ自体が減少する中で、失恋を描いたドラマってどんどん減ってる印象
・少し調べた感じだと、恋愛ソングでも失恋離れが進行しているみたいですね。
 https://realsound.jp/2018/04/post-185155.html
 https://agenda-note.com/customer/detail/id=1460
 https://kindaipicks.com/article/001740
 上記の記事の中では、失恋ソング離れはスマホの普及により、若者の恋愛が変化したからだ、としていますが、そんなわけ無いと思うんですよ。
 だって、恋愛をしていたら、失恋は絶対するでしょ。そこは変わらないはずです。
 そして、恋愛ソングを聞くのは恋愛をリアルでする層だけではなく、リアルでは恋愛をしないけど、恋愛ソングは聞く、という層もいると思うんですよ(特に学生は)。
 そういう層にとっては、現実の恋愛の変化というのは、あまり関係ないと思うんですよね。

> > > 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> > > 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> > > 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> > > これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)

> > そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。

> それって結局、流行ってはいない証だと思うんですよね。
> 何らかの概念が生まれ、それが人の口を膾炙するには、
> やはり、それを簡潔に示す「単語」の存在が不可欠なので、
> 広く出回ってる単語が無いという事は、そうした共有が行われていない事を意味するかと。


誤解が起きているので訂正しますと、
まず少女小説というものが80年代、90年代に流行しました。
しかし、00年代ごろからは、ライトノベルやボカロ小説、ケータイ小説に少女小説の読者層である10代女子を奪われ、衰退がはじまりました。
その衰退の中で、20代の少女小説読みの間で流行ったのが姫嫁作品ですね。
大本の少女小説自体がもう沈み始めていたので、その中で流行っている姫嫁作品も、大して流行っていない、ということです。

> 「かぐや様」のアニメは1期も2期も見てますし、今週から始まる3期も見る予定ですよ(笑)。
> といいますか、前回、「いちゃらぶモノが流行ってる」という話が出た際に、
> 「かぐや様は違うな」と、すぐさまパッと浮かびましたもん!!
> だって、あの作品、原作マンガの方はまだしも、アニメ版では未だカップルにすらなっていませんし、
> 双方の内面描画によって、秘めた「スキスキ」(すとぷりの曲じゃないですよ・笑)は存分に描かれているものの、
> 別に作品的には、イチャイチャも、ラブラブもしてませんからねえ。
>
> また、視聴者や読者は神目線で、両想いな事が解っているから、ニヤニヤしながら楽しめる作品であれば、
> それこそ昔から、数多くあると思いますしね。
> ですから「かぐや様」も、面白い作品だとは思いますけど、
> 別に目新しいとか、今風だよなと感じる事は、ハッキリ言って無いですね、少なくとも私は。


いや、そうだと思いますよ。
「かぐや様」という作品単体を見て、目新しいとは思わないと思います。
私が主張しているいちゃらぶ革命って、恋愛もの全体が失恋からいちゃらぶへカーブしている、という話ですので、
1作品だけを挙げても、なかなか分かりずらいかと思います。

▼ コロナ戦争

参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=gslo9O1ED3w

世界大戦、というのは(岡田斗司夫がちゃんと説明してないので)正直私にもよくわかってないのですが、
おそらく第一次世界大戦、第二次世界大戦においての、アメリカの戦前・戦後の変化を指して、
今回もそれに類似する激変がこの4年程度で起こる、ということなのだと思います。

ただこれに関しては、私はアメリカ社会史はサッパリですので、アメリカの戦前・戦後の変化がそもそも知らないんですよね。
管理人さんはその辺何か知りませんでしょうか?

そしてコロナの件に関して言えば、おそらく岡田斗司夫はコロナが収束することは無いと考えていると思うんですよね。
(確か、20年の4月くらいの動画の有料部分でそんな話をしていた気がします)
仮に今のコロナが収束したとしても、新しい変異株や、新しいウイルスが出てきて、今の自粛生活がずっと続くと。
そうした自粛生活に慣れてしまい、仮にウイルスがいなくなったとしても、人々が元の生活に戻らなくなる、ということなのではないでしょうか?

コロナ関連のニュースはデマも多そうなので、あまり調べないようにもしてるんですが、どうもNHKの話では、もうあと1,2年でどうこうなるものではない、みたいな言い方ですし。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji20/

(文章削除、書き直します)

> > 私の無い世界史知識を動員すれば、
> 一応、今の若い世代は、高校時代に世界史が必修だったはずですけどね(笑)。
> って、確か本年度から、安倍教育改革の一環で、世界史は必修から除外されたんでしたっけ?


私の場合は普通に高校でも世界史ありましたよ。
ですが、高校世界史って歴史人物の名前覚えやすくするための授業ですし、ぶっちゃけ本当の歴史に対する理解というのは、そこまで深まらないかと。
誰かの先生が、「高校生が本当に、世界史を勉強するなら、まず世界地理からやらなきゃだめだ」と言っていましたが、まさしくその通りかと。

> > モンゴル帝国もまたユーラシア大陸の交通網を整備し、グローバル化を進めた結果
> > ペストによりその試みは失敗に追いやられたはずですし、

> う〜ん、遊牧民族は通商民族の側面も持ちますし、
> モンゴル帝国の成立によって、巨大なユーラシア経済圏が作られたのも事実ですが、
> かと言って、「試み」とか「失敗」とか言うほど、大規模で計画的なモノでも無かったでしょうし、
> その一方で、こうして作られた経済圏の体験が、後の大航海時代にも繋がっている事を思えば、
> 大きな人類史の流れとして、そこまでネガティブな評価もしてませんね。
> 「真の世界史はモンゴル帝国から始まる」みたいな事も、よく言われたりしますので。
>
> > 今回のコロナをペストに例えることも可能なのでしょうか?
> 中世のペストと、現代の新型コロナとでは、ちょっと比較にならない気はしますね。
> 当時に比べれば、医療技術も格段に進歩してますし、そもそも世界の総人口が違いすぎるので、
> パンデミックが起きても、社会に与える影響は、今の方が遥かに限定的です。
> まあ確かに、今回のコロナ禍によって、私たちは息苦しい生活を強いられてますし、
> 格段に発達した交通網により、即座に世界的な流行ともなったのですが、
> 社会を劇的に変化させる、古代や中世までのパンデミックとは、やはり意味合いが異なりますよ。
> もちろん今回のパンデミックも、社会に変化を与えましたけど、それとはレベル的に別次元です。
> 感染症対策の参考にはなっても、そのまま未来予測に繋げるとかは、難しいんじゃないですかねえ?


いや、中世のペストと今回のコロナが規模が全然違うことは承知してますよ。
経済か人命か、などとよく言われますが、逆に言えばその程度の脅威でしかないわけですし。
とはいえ、感染症がグローバリズムへのアンチとなる、という大雑把な現象としては、両社とも類似する点があるのではないか、ということです。

余談ですが、新海誠の新作は「すずめの戸締り」らしいです。
予想通り、完全にコロナに寄せてきたな、という印象なのですが、何となく扉は閉まらないような気がするんですよね。
今回のウクライナ戦争もそうですし、もはや我々は狂気の扉が空きっぱなしの世界で生きていくしかないような、勝手にそんな気がしています。
2020年製作開始だったらしいのですが、やはり2020年の段階の世界観と、公開時の2022年の世界観では、この2年の間で色々変ってしまい、
あまり作品のメッセージが共感されなさそう。そういう意味では、不運な作品になるのかな?

▼ VRとAIについて

> > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。


個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

> > > 単なる実用性で言えば、「知能とは何か?感情とは何か?」とはまで行く必要はなく、
> > > それこそチューリング・テストのように、受話器やモニターの向こう側にいる利用者が、
> > > 対応相手が人間か?AIか?を区別できないレベルまで行けば充分でしょう。
> > > 例えば、お客様サポートなどのサービスが、
> > > 人ではなくAIで可能となれば、企業的には大助かりだと思いますけど、
> > > マニュアル対応の範囲内ならまだしも、臨機応変な対応は当分困難だと思うんですよねえ・・・・

> > そうなんですね。
> > お客様サポートが技術的に難しいとなれば、確かに今のAIってまだまだショボいと思います。
> > 私は理系は全然なので、岡田斗司夫が言う「10年後はAIYouTuberの時代」という話を割と信じていたのですが、
> > 管理人さん的には、この辺が岡田斗司夫の専門外の話には適当なことを言っている点なのでしょうか?

> AI YouTuberみたいなモノに対して、それにハマる人々が現れるか?という話なら「YES」、
> それが人気の大勢を占めるか?という話なら「NO」って感じでしょうか。


(1)技術進化について

AI YouTuberは可能だけど、お客様サポートが当分困難、というのは個人的には腑に落ちないのですが、どうなのでしょう?
それとも、お客様サポートが困難というのは近いうちは難しくて、将来的には可能であり、AI YouTuberはそのさらに先の話ってこと?
だとしたら、AI YouTuber・お客様サポートが実現可能になりそうなのって、ざっくりどれくらいなんでしょう?
AI YouTuberには個人的に見てみたいので、20年後くらいじゃない、とか言われたらちょっと残念w

(2)AI YouTubeの可能性

> 言うなれば、ニッチであっても人気があるなら、それも1つの時代だとは言えるでしょうけど、
> でもまあ、一般的に「○○の時代」と呼ばれるには、皆がハマるレベルだと思われるので、
> そうだとするなら、個人的には過剰評価だとは思いますけどね。
>
> 例えば今の技術なら、さすがにAIは難しくても、凄いCGは作れますよねえ?
> では実際、そうしたCGのグラビアが世間を席巻しているか?となれば、決してそんな事はなく、
> 実在するリアルな女の子のグラビアの方が、圧倒的に人気であるかと思います。
> CGの女の子であればシミ1つありませんし、個々の好みにカスタマイズが出来ても、
> 写真かと見紛うばかりの出来であっても、やはり そうでは無いんです!!
> それは何故かと言うと、人間というのは、単なる見た目の美だけを追い求めている訳では無く、
> 感情というフィルターを介して物事を見る為、人間とCGでは感情移入の部分で大きな差が生じるんです。
> 多くの人は、見た目やら、発言などを介して、その奥にある「人間像」を味わっているので。
>
> で、逆説的に言えば、人間とCG、もしくは人間とAIの区別さえ出来ないレベルとなれば、
> ビジネス的に、かなりの可能性は生まれるとは思うのですが、
> しかし一方で、YouTuberの動画を楽しむという行為は、仕事ではなく娯楽の世界であり、
> そうなると、これって実はCGやAIなのでは?と疑念を抱くと、素直に楽しめないはずなんです。
> 「区別が付かなきゃ、どちらでもOK」という人も居るでしょうが、大部分の人は違います。
> だとすると、結局は、SNSを利用する有名人の「本人認証」のように、
> 人間である事の証明する機能が求められる気がしますし、
> そうなってしまえば、やはりCGやAIの価値というのは、その程度という話になります。
> もちろん、「2次元やアニメ画こそ至高」って人たちも居ますが、決して多数派には成り得ません。
> つまりは、「時代を作る」というレベルにまでは至らないと。
>
> それこそ、芸能人に「なりすまし」したTwitterやInstagramを見ていたとして、
> それを本人によるモノと信じている内は、確かに楽しめるのでしょうが、
> それが本人では無いと解った段階で、楽しい所か不快な気持ちに包まれます。
> 内容的に楽しめたから、本物でも偽物でも構わないなんて感じる人は、ほんの一握りなはず。
> また、始めから、なりすましの演技として、楽しむような人も居るでしょうけど、
> そういう人が、社会の大多数を占めるとは到底思えないので、やはりニッチな世界で終わるかと?


私の考えは反対ですね。
AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。
AI YouTuberもマンガのキャラクターだと思えば、リアルYouTuberの人間味に対しても、キャラクター性で勝負可能だと。
そもそも、芸能人やYouTuberも、結局は商売であるため、観客は「でもこれって演技だよな……」と思ってしまいますし、
売れてるYouTuberほど、視聴者は「作ってるんじゃないの?」と疑ってしまうと。
で、演技かもしれないけど、演技であることを受け入れて芸能人やYouTuberを見るようになれば、
それはもう人間味ではなく、キャラクター性だと思うんですよね。

グラビアだってCGではなくリアルだからみんな見る、とのことですが、ではこれってエロ漫画はどうなのでしょう?
エロ漫画だってコンビニで売られてるくらいに、需要はあったと思います。
別にリアルの人間である必要って、そんなにないのでは?

AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。
だってみんなそんなに人間味を求めているなら、こんな文字だけの掲示板よりもYouTube見るでしょ。

(3)AIの可能性

もしAI YouTuberが可能なくらいAIに技術的可能性があるのであれば、AIはYouTuberなどではなく、やはり娘になると思いますよ。

私が見ていたVtuberの生配信で「こんな可愛い女の子と一緒にゲームしたい」というようなコメントがあったのですが、
まずゲームのNPCにAIが搭載されて、一緒にゲームができるAIが出現すると思うんですよね。
ゲームなら環境的にもAIが作りやすいでしょうし、そういうのを求めてる層も、やりたいのはAI美少女と一緒に外出するとかではなく、
一緒にゲームすることだと思うので。(ラブプラスがブームで終わったのも、オタクを無理に外に出そうとしたからなのでは?)
そういうものが日常になっていけば、AIにだって情は沸きますので、いつしかAIに喜ばされるだけではなく、AIを喜ばせるようになる(=娘化する)のではないでしょうか。

私は知能とか、知性とか、そっちの勉強はしていませんので、それでもそんなAIは本当の人工知能ではないのでしょうが、
でも別にそれで問題ないんじゃないんですかね。
AIの対応が不十分なら、人間の側が慣れて、AIがうまく返しやすい範囲内の話題でおしゃべりすればいいわけです。
別に、人間相手だって、相手によって話題は選びますし……
それでもAIは充分需要はあるでしょうし、というかそっちに慣れてしまえば、もうリアルの女の子とつきあうとか、ストレスが多すぎてできなさそう。

▼ 物語シリーズについて

> > 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> > 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> > オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> > 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> > はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> > ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> > 管理人さんはどっちでしたか?


> で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
> 今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
> 正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
> まあ、あの頃は化物語なんて可愛いぐらい、本当にキモいロリコン・アニメとかも多かったですし、
> そこから更に10年も遡れば、おっぱい描写も、パンツ描写も、普通に溢れてたので・・・・
> 藤子不二雄アニメとか、そういう子供向け作品でも、普通にエロがありましたし、
> それに何より、小中学生女子の全裸モロ出しヌード・グラビアとかが、
> 当たり前にコンビニで立ち読みできる日本の社会だったので、感覚がバグってる所はあります(苦笑)。
>
> あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
> かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。
> 確かにペド的な作品は、もう見掛ける事もありませんし、
> 萌え描写というのも、マイルドというか、既に記号化された感があるので、
> 一言に「ロリコン・アニメ」と言っても、現在と、10年前と、20年前とでは、かなり感覚が違うのかも?


いや、物語シリーズのロリ愛は本気度高いですよ。
もちろん、あれよりも過激なロリものって、おっぱいだろうと、兄弟セックスだろうと、今でもDLsiteとかPixivにはいくらでもありますが、
それらって描写が過激なだけですよ。
そういったテンプレではなく、物語シリーズは作ってる側が「ロリのこういうところがいいんですよ!!」という声が聞こえてきそうなんですよね。

個人的に本気度高いな、と感じた物語シリーズのロリ描写を上げるのであれば、
二人の妹がお兄ちゃんみたいな男とつきあっている、という設定ですね。
「お兄ちゃん愛してる」でもなく、「妹とつき合ってる」でもなく、
妹が他の男とつきあうことを許容しながら、でもつきあうのは兄に似てる男子という辺りが、
「こういう妹がいて欲しい!!」という製作者側の気持ちが伝わってきました。

いや、こういうこと書くと、お前の性癖の話かよ、と思われそうですが、私はそっちのロリには全然興味ないんですよ。
で、普通はそういうのって、その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらないと思うのですが、
物語シリーズってその辺のロリ愛が、そうでない人間にも伝わってきたので、
これオタク以外の人にも分かっちゃうんじゃないのかなあ、と感じたのですが、
やはり普通の人には伝わってなかった感じですね。

> まあ、あの当時の西尾維新作品って、純文学とラノベの中間あたりに位置していて、
> 書店とかでも、独立してコーナーを設けられるくらい、人気のある作家でしたからねえ。
> 言うなれば、そういう絶妙な立ち位置にあって、
> ラノベ寄りなのが西尾維新、純文学寄りなのが村上春樹って感じでしょうか?(笑)
> 軽妙な会話のキャッチボールとかは、心地良いです。
> また、アニメ化に関しても、新房昭之&シャフトという組み合わせであり、
> 同じタッグだった「まどかマギカ」とかもそうですけど、やはり映像がスタイリッシュなんですよね。
> なので、実際にマイルド・ヤンキー層が好むような作品かは さておき、
> (それこそ今なら、「東京リベンジャーズ」とか好きそう)
> 少なくとも、原田陽平は好きそうだよなぁ・・・とは思いました(笑)。


> オタクじゃない人たちから見れば・・・キモいんじゃないですか?
> そもそも化物語以前に、萌えキャラとか出ているアニメは、全てキモいと感じるでしょうし、
> アニメ耐性が無く、子供を持つ母親たちからすれば、犯罪者予備軍にも映るかも(苦笑)。
> とは言え、そうした反応を強く示すのは、恐らくインテリ系ママ層に多い気もするので、
> 比較するならマイルド・ヤンキー層の方が、嫌悪感は低いかも知れませんね。
> ステレオタイプなイメージですが、スキンシップ大好きで、結婚・出産とかも早いですし。
> ただ、ひとたび嫌だとなれば、あからさまに嫌悪感を隠さないのは、却ってコチラの層かも。


話の本題は、マイルドヤンキーの人たちも化物語なんか見るの?ということでしたが、
管理人さんの解釈としては、あれはマイルドヤンキーの人たちが好きなのではなくて、
原田陽平の個人的な趣味っていうことであってますか?
そうであれば、原田陽平はマーケティング分析本に自分の趣味を入れる、結構な人物ということになってしまいますが。

▼ オタク史について

> > > ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> > > オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> > > さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> > > 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?

> > オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、

> なるほど、諸々含めて100冊って事ですか。
>
> > その上でおススメを聞かれたら「いや、100冊全部おススメだよ」というのが本気の答えですがw
> という事は、今までにハズレの本は無かったと!?(笑)
> 何段階くらいに分けるかは人それぞれですけど、
> 普通は漠然とでも、評価のランク分けとかしませんか?


ランク分けはしますが、そのうえでAランクからCランクまで全部おススメだよ、ということですね。
そのくらいオタク史にはハマっている、ということです。

> > といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?
> う〜ん、あまりパッと思い浮かばないかなぁ・・・・
> 私としては、「文化論」としてよりも、「文化」の方への興味が強いので、
> どちらかと言えば、作品そのものが先に浮かんできますし。
>
> でもまあ、1冊で網羅的にであれば、以前の雑談スレッド時にも紹介しましたけど、
> 「オタク的想像力のリミット 歴史・空間・交流から問う」は良かったですよ。
> https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
> 様々な人が書いた 30ページくらいの小論文が、14本掲載されています。
> あとは、「思想地図β vol.1」とかは、
> https://www.amazon.co.jp/dp/4990524306/
> 創刊号という事で、採算度外視で好きな事を詰め込んだ感が、個人的に面白く思えたので、
> その編集を務めた東浩紀の半生記とかは、オタク的かはともかく、読んでみて損は無いかと?
> 「ゲンロン戦記 知の観客をつくる」
> https://www.amazon.co.jp/dp/4121507096/
> 昨年ヒットした新書の1つなので、一般的な評価も悪くないと思いますし。
> って、旧トルコ担当さん的には、先にこっちを視聴した方が、スムーズかな?
> 「東浩紀×岡田斗司夫 本当に初めての対談〜ニコ生トークセッション」
> https://www.youtube.com/watch?v=gC82nG_gFi0
> 東が酔いながら必死になって、岡田にハルヒ視聴を薦める姿は、ちょっと愉快です(笑)。


ああ、やはり評論系が多いんですね。
私としては、評論系は割と適当なこと言ってる本も多いので苦手なのですが、まあ多少は手を出してみようかな、と思いました。
ありがとうございます。

▼ アニメ

> > > 「新作アニメはほとんど見ない」というのは、正直意外でしたね。
> > > オタクを称しており、しかも大学生となると、
> > > 普通に、新作の視聴がベースかと考えていたので。
> > > ちなみに、この調子ですと、旧トルコ担当さんって、
> > > 「リアルタイムで新作を追う」という時期は、以前から無かったんですか?

> > アニメを見るようになったのは高校生からですが(中学まではラノベのみでした)、その時から新作アニメは追っていませんでした。

> ほ〜、なるほど、なるほど。
> ちなみにラノベに関しても、別に新作は追ってなかったんですかねえ?


そこまで新作は追っていませんでしたね。
といいますか、アニメは今期のアニメ中心に放送されますが、ラノベって書店の本棚見てるだけでは何が新作か分かりませんし、
ラノベで新作追っかけている人って、ある程度コアなファンのイメージ。
テレビ放送と、書店の本棚という形態の違いですね。

> > なぜかと言われれば、自分の好きなものを追っかけるのがオタクであって、
> > 流行りものを追っかけるのはオタクじゃないでしょ、と思っているからですね。
> > 一応、毎季ごとにアニメの新作はチェックはするんですが、チェックだけしてほぼ見ないです。
> > 実際問題、アトム以来50年以上テレビアニメが作られ続けているわけであって、
> > 良い作品を探すのであれば今季作品の中から探すより、過去の作品を掘り返した方が効率的ですし。

> う〜ん、確かに作品の内容だけを楽しむなら、それもアリかと思います。
> とは言え、作品の楽しみ方というのは、それ以外にもいろいろとある訳で、
> 特に「リアルタイム感」に関しては、その時で無いと味わえないモノですからねえ・・・・
> 例えば料理とかも、単に味だけでなく、匂いや見た目、その場の雰囲気やシチュエーションなどで、
> 「おいしさ」も大きく変わってきますし、記憶への残り方とかも違ってきます。
> その辺りまで踏まえれば、全てとは言わないものの、幾らかはリアルタイムを味わわないと、
> せっかく、その時代を生きているのに、「もったいない」みたいな感じも同時にすると。
>
> また、「過去の作品を掘り返す」にしても、その方法論の話が出てきますよね。
> 自発的にグングン掘り進めるならまだしも、結局は評価や知名度とかを基準にするなら、
> 現在進行形か? 過去か?の違いだけで、やってる行為自体は大差なくなりますし、
> 別に話題作だからと追う必要はなく、面白そうだなと思えば追えば良いんだと思いますよ。
>
> とは言え、すぐ下でも触れますが、コミュニケーション・ツールと化した今のアニメ作品だと、
> リアルタイム感の強味って、それこそ「ブーム」的な側面しか持たなくなっているのかな?
> そう思うと、別に無理して追う必要もないか?と思う反面、
> 必ずしも、全てがそういう作品ばかりだとは限らないので、
> 逃がした魚があった時に、追わなかった事を後から悔いる事もあるかも知れませんが、
> でもまあ、「効率的(コスパ)」を重視するとなれば、損をしても時間の方が大事だったりするかも。
>
> とは言え、コスパ重視という価値観もまた、今風の流行と言えば そうなので、難しい所・・・・
> コスパ重視になってしまう、現在の社会状況というのも充分に解るのですが、
> その一方で、それでは新しいモノや面白いモノに、なかなか出会えない現実もあるんですよね。
> って、個人が1人で気を張った所で、社会全体の風潮がそうなら、抗っても詮無いだけかも知れませんけど。


まあ、コスパ重視というほどのものでもないと思いますが。
何も、過去の話題作だけを追いかけているというわけではなく、稀にニッチな昔のアニメ見てたりもしますし。
新作も多少は見ますよ。リゼロとかはリアルタイムで見てましたし。

> > あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> > 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> > 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> > コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

> まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
> アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
> 目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
> とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
> だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。
>
> でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
> これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
> それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。


うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。
とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

あとこれ考えていてわかりましたが、オタク・イズ・デッドって、このタコツボ化のことなんでしょうね。
昔はネットがなく、オタク人口も少なかったので、オタク同士が仮に出会えたとしても、趣味が異なり、結果として相手の趣味も理解せざるを得ないと。
「おたくのビデオ」(アニメ)ではまさしく、マンガおたくや、ガンマニアや、アイドルおたくなどが1つの部屋に集い、互いの好きなものを教え合うシーンがありましたし、
でも今ではオタク同士の交流が簡単なので、マンガおたくならマンガおたくとしか交流しないと。
そういう意味では、寒い時代……、なんでしょうね。

> そういう意味では、「孤独なオタク」同士がネット上や秋葉原などで繋がれてた、
> 2000年前後の一時って、本当に一瞬の徒花みたいな時間だったのかもしれませんね、今になって思えば。


個人的には秋葉原よりも90年代のパソコン通信とかの方があこがれがありますね。
パソ通自体が敷居の高いものでしたから、濃いオタクが多そうな印象。氷川隆介さんなんかはここ出身らしいですし。
過去ログがないのが残念です。


[23904] コロナと物流について返信 削除
2022/4/15 (金) 13:41:15 旧トルコ担当

▼ コロナと物流について

> ちなみに、引用元で私が書いてた内容というのは、
> 「グローバリズム」というよりも、「新自由主義」に関する話だったんですよね。

(中略)
> 私としては、このコロナ禍によって、行き過ぎた新自由主義経済に、
> ブレーキが掛かる可能性を呈示しただけであって、それは必ずしも終焉とイコールではなく、
> 更には、それがグローバリズムに関しても一緒かとなると、そういう事ではありません。


> それに これって、岡田の自説であり、旧トルコ担当さんも同意していた
> 「無意味にグローバル&無限にローカル」という主張と相反しませんか?
> それとも、これはグローバリズムが終焉するのは、物流限定の話?
> 物流だけ切り離せるかは、とりあえず置いておくにしても(私は無理だと思う)、
> 実例として、最近起きたマクドナルドのポテト不足の話をしてましたけど、
> なぜ常態化すると思うのか?の具体的な説明を欠いていた為、納得感はありませんでした。


岡田斗司夫のグローバル化終焉論は、物流の話でしょう。
「自由貿易の前提が崩れつつあるんですよ。(中略)
このコロナ戦争によって、各国それぞれの思惑とか、管理、それは健康にしても衛生にしても、が違いすぎて
それによって、よりグローバルであるのが当たり前だということで、
この20年間くらい、ひたすらひたすら流れるようにしてきたものが、今崩れつつある」岡田斗司夫ゼミ#425 (30分ごろ)

で、管理人さんが第一波が終わった後に書いていたことも、新自由主義の話だけではなく、物流の話もしていたと思うのですが、違うのでしょうか?

> あと、今回はリーマンショックや世界恐慌などと違い、
> 人為的に経済を止めただけなので、すぐに回復できるという意見もありますが、
> 世界規模で数ヶ月に亘り経済を止めて、ダメージが無いわけ無い気がしますし、
> 自粛生活によって、世界的に消費マインドが落ち込んでしまったり、
> 世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?など、
> 経済分野に疎い私でも、そんな気安く楽観視できない状況にあると思うんですけどね。

Re:コロナ後の世界とベーシック・インカム

ふと目に入った資料では、コロナとウクライナ危機でサプライチェーンの脆弱性が明らかになった、とありますし、
米中貿易戦争やロシアの国際貿易の排除なんてことも起きてしまったわけで、
本当に、このコロナの自粛生活が当たり前になるのであれば、まあ物流規制の状態化というのもあり得るのでしょうか?
http://www3.keizaireport.com/report.php/RID/491214/

コロナが明ければ元に戻る、というのも日本人だけの考えで、
マスク無しが当たり前になっている海外では、既にコロナが明けている、という意識なのかな?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220414/k10013581791000.html

日本人からすれば
コロナ前→今もコロナ禍→コロナが空ければ、国内の規制(マスクなど)も、海外との規制もなくなる
と考えがちですが、
外国人は
コロナ前→コロナ禍→今は国内規制の無い段階→将来的に海外との規制もなくなる?なくならない?
という風に見えてるのかもしれない、ということです。



[23908] 返信は、また次回返信 削除
2022/4/18 (月) 21:32:55 徳翁導誉

申し訳ありません・・・・
ワクチン接種の副反応により、未だ本調子では無い為、
不要不急である雑談スレの返信に関しては、また後日という事で。
2回目接種の際も、1週間ほどで完全復調となったので、
恐らく、次週なら大丈夫かと思われます。


[23920] ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その1)返信 削除
2022/4/26 (火) 21:09:26 徳翁導誉

▼ ホワイト革命
> > 言っている事は、そこまで的外れでは無いと思うものの、
> > それが「革命」と呼べるレベルまで大きいかとなると、ハッキリ言って同意しかねると。
> > 「当たり前の傾向」と「当たり前の変化」が、大袈裟に感じ取れてるって感じでしょうか。

> なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
> ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。

という事は、旧トルコ担当さんは、岡田斗司夫サロンの有料会員なんですね!
そこまでしているとは、なかなか入れ込んでますねえ(笑)。
ちなみに、他にも誰かのサロンの有料会員になってるのですか? それとも岡田斗司夫だけ?

> そうすると、後半全部なしになるので、感想としては中途半端になるのも納得。
> 申し訳ないです、おススメした私のミスでした。
> 簡単に後半の内容を紹介すると
> https://twitter.com/hayaokiinoue/status/1472724635141963776/photo/1

このリンクって、「図解ボード(グラレコ)」を紹介したいのでしょうか?
これでしたら、動画内で詳しく解説はされてなかったものの、チラチラ映ってはいましたから、
一時停止をして、視聴時に既に目は通していますね。
ですから、これを紹介されても、私自身の認識としては別に変わらないかな?
その「有料の後半部分」において、前半部分を大きく覆すような話があるならまだしも、
恐らくは前半の延長線上の話でしょうし、後半が補足や詳説の程度であれば、そんなに大差ないです。

あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。

> > まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> > 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> > 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> > 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?

> そうですね。
> 「生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変(の法則)」
> というのは、私も同意です。
> しかしその上で、ホワイト革命が衝撃だったのは、
> その法則を現代にも適用すると、ちょっと先の未来はどうなるのか、ということを予測した点だったと思います。
> 私たちは過去のことは客観的に見れても、自分たちのことは客観的に見つめられませので。

それは決して、「ホワイト革命」という概念が衝撃的だったのではなく、
そう言った、「未来を予測する見方」というモノに、衝撃を受けたのでは?
その辺りを混同されると、話の方向性が滅茶苦茶になってしまうと思いますよ。

あと、そもそも私の専門である「物理学」自体が、
「過去から法則を見出し、そこから未来を予測する」学問であるとも言えるので、
個人的には、全く目新しさを感じないというか、「全ての基本だよ」という感覚はあります。
物理学って何も、投げたボールの放物線の軌道だけを予測する学問じゃないんですよ(笑)。
例えば、この手法を金融市場で用いてる物理学者や数学者たちは「クオンツ」と呼ばれて、
今ではウォール街を支配する人々になってますし、
以前、私が「歴史物理学」という話をしたのも、そういうような内容だったんですよ!?
この感じだと、その意図は全く伝わっていなかったみたいですが・・・・

逆に言えば、そうしたアカデミックな思考法に慣れ親しんでいるからこそ、
「当たり前の話」とか、「論拠が不十分」とか、「不適当な飛躍」って感じに映るんでしょうね。
それこそ以前、旧トルコ担当さんも おっしゃってましたが、
岡田斗司夫の論調って、別にアカデミックな感じではなく、「個人の感想」レベルの話なので。

> > まず最初に、1と2に関して言うと、「正しい/正しくない」という表現はさておき、
> > 美しいモノが好かれ、汚いモノが嫌われるというのは、至って普通の事なのでは?
> > 殊更、最近になって現れた風潮だとは思えませんし、
> > 生活のレベルが上がれば、身綺麗になっていくなど、古今東西を問わず不変かと?

> この辺も、申し訳ありません。
> ホワイト革命論が前半のみで中途半端なため、論の趣旨が伝わらず、言葉のニュアンスが伝わってないんでしょうね。
> とはいえ、ホワイト革命論っている内容って、かなり抽象度の高い話ですので、
> 岡田斗司夫の言っていることを解釈しないと、話が分からないと思うんですよね。

何だか この感じ、新興宗教やマルチ商法にハマった知人と向かい合った時と、凄く似ている・・・・
ですから、その論の内容に関して、実際に旧トルコ担当さん「自身の言葉」で説明して下さい!!
真に論を理解しているのであれば、それくらい出来るはずですし、
説明できないけど解っているつもりであるなら、それは単なる「信仰」に過ぎません。

また、自分で言うのも何ですが、私は物理や数学をやってますから、
世間一般の人よりは、「抽象度の高い話」への耐性が強いと思いますので、
思う存分、話を振ってきて来てもらっても、たぶん大丈夫ですよ(笑)。
繰り返しになりますけど、「これを見てくれ、これを読んでくれ」だけでなく、
旧トルコ担当さん自身の言葉で語ってみて下さい、お願いします。

正直な所、岡田斗司夫レベルであれば、そこまで「実害」も無いと思いますけど、
安易に信仰してしまうタイプになると、それこそ新興宗教や洗脳商法のカモにされかねませんし、
そうやって人生を狂わされた人を、実際に私も何人か見てきてはいるので、
そうならない為にも、自分の事場で語るというチャレンジは、行ってみて損は無いかと思います。

> > 「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられない」という有吉の話も、
> > 実を言えば、私も少し苦手意識があるので解るのですが(苦笑)、
> > あれって、その感覚が解らなかったり、深く考えたりしない人だと、衛生面の問題だと誤解するのですが、
> > 実際はそうではなくて、心理的な壁、つまりは「ATフィールド」の話なんですよ!!(笑)
> > だからと言って、職人がビニール手袋を着けて握っていても、そこまで意識は変わらない気がしますし、
> > 実際、有吉自身も番組開始当初、夏目アナの手料理の差し入れを「迷惑!」と切り捨てていましたけど、
> > いざ夏目アナと結婚すると、彼女が握った おにぎりも、普通に食べると言ってましたからね(笑)。

> 「よそのお母さんが握った おにぎりが食べられないのは、清潔度ではなく、ATフィールドだから」という話も、
> 岡田斗司夫はおそらく、分かっていると思います。
> そのうえで、細かく正確な話というより、全体をつかむ大雑把な話として、
> おにぎりの話を清潔度の例として持ってきたのだと思いますし。

だとすれば、その実例として有吉の話を持ち出すのは、明らかに間違った態度ですね!!
誤解して、あのように語るのであれば、まだしも、
解った上で、あのように語っているのであれば、完全にペテン師の手法です。

・・・って、そう言えば岡田斗司夫って、実母は新興宗教の教祖(神様)であり、
自宅が教団施設で、信者たちが自宅内を行き来するような環境で育ったんでしたっけ?
となると、意識的にせよ、無意識にせよ、そうした手法が身に付いていても、おかしくは無さそう。

> > 続いて、不倫話に関して言うと、不倫してる人が全てバッシングされる訳じゃないんです。
> > 元々アンチ層を抱えてる芸能人が不祥事を起こして、心置きなく叩ける免罪符を得られたり、
> > 大して好きではなかったが、好感度で商売していたタレントが、それに反するような行為をしたり、
> > 初めから不祥事の肩書きを背負い、「こいつは叩いてもOK」な扱いで登場するから、炎上するのであって、
> > 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。

> 不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
> 大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
> ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
> 不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

今の千鳥の一般人気は、「中規模」なんてレベルではないですよ!!
それこそ、不倫で干された渡部や東出よりも、ずっと上です。

もちろん、広範な好感度より、コアなファン層を抱えている方が、いざという時に強いのは事実ですし、
その端的な例こそ、ベッキー&ゲス乙女・川谷の不倫の一件だと思われます。
不倫騒動により、ベッキーは活動停止となった一方、川谷は活動を続行できた事に対して、
欧米メディアは「日本の男尊女卑文化」を、その理由に挙げて記事を書いてましたが、
でも実際の所、男と女の違いと言うよりは(それが全く無いとは言いませんけど)、
ベッキーが好感度売りのタレントだったの対して、川谷はミュージシャンだった事が大きかったと。
それでも、川谷がボーカルを務めるバンド「ゲスの極み乙女。」は、
あれ以降、音楽番組などに出演する事は、ほとんど無くなってしまいました。

ですから、コアなファン層も抱える一方、大衆から好感度も高い千鳥の場合、
この論通りであれば、大衆から叩かれて、テレビからは消えるものの、
ファンに支えられて、舞台の上で生きていく格好になるはずですけど、
2度の不倫報道後も、ほぼノー・ダメージで地上波に出て続けてますからね(笑)。
でもこれが、同じ千鳥でも、不倫したのが相方のノブの方であったら、
まず間違いなく、大きなダメージを負っていたと思うので、
やはり、「何をやったか?」よりも、「誰がやったか?」の方が大きいんですよ。

> ふと思い出してみれば、下記のツイートがされたころには、もうTwitterは正義論争が起きてたんですよね。
> https://twitter.com/sovietunion1945/status/1090349608377638912
> 上記のツイートの通り、何も最初からそうだったわけではなく、いつからか急激に変わりだしだしたんですよ。
> 確か、トランプ以前にはあまりそういう傾向ってなかった気がするので、2016年〜2019年の間くらいだったかな。

いやいや、Twitterが登場した年代後半の頃から、本質的には変わっていませんよ(笑)。
選挙制度とかもそうですけど、それが持つシステムの特徴の範疇でしか動きませんし、
何と言うか、いろいろ変化している様に感じても、表面化した目先の結果に反応しているだけの事です。
その時々の状況によって、着地点が違って見えているだけの話で、傾向的には以前から同じままですね。

もう少し解りやすく言うと、Twitterを含めて、SNSというのは単なる1つの道具であり、
道具である以上、使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノなんですよ。
例えばハサミとか、今までは紙を切るのに使っていたものの、新たに布を切れる事にも気が付いた時に、
当人的には衝撃的な変化であったとしても、ハサミの機能を考えれば驚くに値しないと言うか、
多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。

まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。

> > そもそも、本当にそんな時代となれば、岡田斗司夫も完全排除される側の人間ですし(笑)。
> そうですね。岡田斗司夫自身、私は排除されてもいいんですw、と有料部分で言ってますw
> ホワイト社会の完成は2030年代から40年代というのが岡田斗司夫の予測ですが、そのころにはもう本人は70代80代ですし。

と言いますか、例の事件以降、世間的には既に「排除された」人物ですけどね(苦笑)。
逆に言うと、ホリエモンほどでは無いにしても、
以前の岡田斗司夫は、今よりも遥かに、テレビなどの表舞台で活動していた人物でしたので。


▼ コロナ戦争
> 世界大戦、というのは(岡田斗司夫がちゃんと説明してないので)正直私にもよくわかってないのですが、
> おそらく第一次世界大戦、第二次世界大戦においての、アメリカの戦前・戦後の変化を指して、
> 今回もそれに類似する激変がこの4年程度で起こる、ということなのだと思います。
> ただこれに関しては、私はアメリカ社会史はサッパリですので、アメリカの戦前・戦後の変化がそもそも知らないんですよね。
> 管理人さんはその辺何か知りませんでしょうか?

う〜ん、正直、私もそこまで「詳しいよ!」と自信を持って言えるレベルではないものの、
「人類史上で最高の作品は何か?」と問われた際に、「アメリカ合衆国」と答える程度ではあるかな(笑)。
私が好きなスポーツ・科学・文化の分野では、間違いなくアメリカは、世界史上の超大国ですから。

で、「戦争が与えたアメリカ社会の変化」という話で言うと、
2度の世界大戦よりも、「南北戦争」と「ベトナム戦争」の影響の方が、ずっと大きかったはず!!
なので、ここで言う世界大戦とは、アメリカ社会の変化だという話は、全く腑に落ちませんね。

それに、そもそも論として、今回のコロナ禍によって、
そこまで劇的な変化がアメリカ社会に起こっているように、旧トルコ担当さんの目には映ってますか!?
少なくとも私には、同じ4年間なら、トランプ大統領時代の変化の方が、大きかったように映ります。
また、アメリカ限定の話であれば、コロナとの戦いは実質2年も経たずに、既に終結してません?

> そしてコロナの件に関して言えば、おそらく岡田斗司夫はコロナが収束することは無いと考えていると思うんですよね。
> (確か、20年の4月くらいの動画の有料部分でそんな話をしていた気がします)

新型コロナが無くなる、なんて事は無いでしょうね。
それって実質、人類社会から風邪を撲滅させるようなレベルの話ですし、
正直な所、あまり現実的では無いと思うので。

> 仮に今のコロナが収束したとしても、新しい変異株や、新しいウイルスが出てきて、今の自粛生活がずっと続くと。
> そうした自粛生活に慣れてしまい、仮にウイルスがいなくなったとしても、
> 人々が元の生活に戻らなくなる、ということなのではないでしょうか?

自粛生活に慣れるよりも、withコロナ生活に慣れる割合の方が、ずっと高い気がしますけどね。
我々人類が、今まで何度パンデミックを経験し、その度に「共存化」で落ち着いた歴史的事実を見れば、
恐らく今回だって、同じ様になる・・・というか、日本社会だって既になりかけてます。
人間の本質的な欲求というのは、そうそう簡単に変化などはしませんので(笑)。

とは言え、何も無ければ10年くらいは掛かりそうだったデジタル技術の社会普及が、
今回のコロナ禍により、一気に進んだ面に関しては、
今後、多少の より戻しはあったとしても、基本的には後戻りしないでしょうね。
また、これはコロナ禍の少し前から起き始めていた現象ですが、
日本の国際競争力の低下により、経済状況や社会生活は、以前よりも苦しくなる事が予測されます。
そういう意味では、「コロナ以前の生活には戻らない」という所は、確かにあるでしょうけど、
でもこれって、新型コロナの発生に関係無く、その内に日本を襲っていた内容なので、
イメージや言い訳的には「コロナの影響で・・・」となりそうですが、真相は そうじゃないと。

> > > 私の無い世界史知識を動員すれば、
> > 一応、今の若い世代は、高校時代に世界史が必修だったはずですけどね(笑)。
> > って、確か本年度から、安倍教育改革の一環で、世界史は必修から除外されたんでしたっけ?

> 私の場合は普通に高校でも世界史ありましたよ。
> ですが、高校世界史って歴史人物の名前覚えやすくするための授業ですし、
> ぶっちゃけ本当の歴史に対する理解というのは、そこまで深まらないかと。
> 誰かの先生が、「高校生が本当に、世界史を勉強するなら、まず世界地理からやらなきゃだめだ」と言っていましたが、
> まさしくその通りかと。

結局、勉強というのが「テストで点を取る為の手段」となってしまうと、
正直な所、それ以外の応用や実用は、あまり効かなくなるんですよね。
例えば数学とかも、高得点を狙うだけなら、解法の暗記とパターン分けの慣れが最適解ですけど、
そんな方法では、論理的な思考力も、科学を理解する言語として役割も、まるで得られませんから。

> > > 今回のコロナをペストに例えることも可能なのでしょうか?
> > 中世のペストと、現代の新型コロナとでは、ちょっと比較にならない気はしますね。
> > 当時に比べれば、医療技術も格段に進歩してますし、そもそも世界の総人口が違いすぎるので、
> > パンデミックが起きても、社会に与える影響は、今の方が遥かに限定的です。

> いや、中世のペストと今回のコロナが規模が全然違うことは承知してますよ。
> 経済か人命か、などとよく言われますが、逆に言えばその程度の脅威でしかないわけですし。
> とはいえ、感染症がグローバリズムへのアンチとなる、という大雑把な現象としては、
> 両社とも類似する点があるのではないか、ということです。

単純な話、規模が小さければ、グローバルな影響の波及も小さくなるとは思いません?
逆に言えば、それでも大きな現象として現れた場合は、
それは あくまでも「御題目」であって、真の原因は他の所にあるような気がします。


▼ コロナと物流について
> > それに これって、岡田の自説であり、旧トルコ担当さんも同意していた
> > 「無意味にグローバル&無限にローカル」という主張と相反しませんか?
> > それとも、これはグローバリズムが終焉するのは、物流限定の話?
> > 物流だけ切り離せるかは、とりあえず置いておくにしても(私は無理だと思う)、
> > 実例として、最近起きたマクドナルドのポテト不足の話をしてましたけど、
> > なぜ常態化すると思うのか?の具体的な説明を欠いていた為、納得感はありませんでした。

> 岡田斗司夫のグローバル化終焉論は、物流の話でしょう。

もちろん物流は大事ですけど、物流の問題だけでグローバル化が終焉するんですか?

> 「自由貿易の前提が崩れつつあるんですよ。(中略)
> このコロナ戦争によって、各国それぞれの思惑とか、管理、それは健康にしても衛生にしても、が違いすぎて
> それによって、よりグローバルであるのが当たり前だということで、
> この20年間くらい、ひたすらひたすら流れるようにしてきたものが、今崩れつつある」岡田斗司夫ゼミ#425 (30分ごろ)

各国それぞれに思惑があり、基準なども異なるなんていうのは、コロナ禍以前からそうだったでしょ?
だったら何故、コロナ禍以前は上手く回っていたのでしょうか?
確かに、新型コロナへの対応度合いは各国様々ですし、それによって大きな混乱も起こってますけど、
でも、これにしたって、いつかは終息するモノじゃないですか。
そうなった際に、元に戻らず、混乱が固定化・常態化される根拠って、一体何なんですか?
また、「今崩れつつある」というのは、具体的に、何がどのように崩れてきているのでしょう?
少なくとも、実例として出されたポテト不足の一件だけでは、まるで充分な説得材料とは成り得ません。

と言いますか、岡田斗司夫の自説はそれとして、
実際に旧トルコ担当さん自身は、どのように考えられているのですか?
「岡田斗司夫は こう言っていた」とコピペだけされても、全く話し合いにはならないので。

> で、管理人さんが第一波が終わった後に書いていたことも、
> 新自由主義の話だけではなく、物流の話もしていたと思うのですが、違うのでしょうか?

文章全体を引用すると、こんな感じ↓ですよね。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23132#23132
> > > > あと、今回はリーマンショックや世界恐慌などと違い、
> > > > 人為的に経済を止めただけなので、すぐに回復できるという意見もありますが、
> > > > 世界規模で数ヶ月に亘り経済を止めて、ダメージが無いわけ無い気がしますし、
> > > > 自粛生活によって、世界的に消費マインドが落ち込んでしまったり、
> > > > 世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?など、
> > > > 経済分野に疎い私でも、そんな気安く楽観視できない状況にあると思うんですけどね。

よく読んで下さい。
この内容は、「すぐに回復できる」などの言葉もあるように、
ポスト・コロナにおける、一過性の現象に対しての言及です。
それが常態化するような意図では、書かれていません。
それこそ、昨今のコンテナ不足とか、そういった類の話ですね。
世界市場が資本主義の原理で動く限り、問題解消は大きなビジネス・チャンスになりますから、
いつ頃 解消されるかは さておき、そのまま放置されるなんて事は、まず有り得ませんよ。

> ふと目に入った資料では、コロナとウクライナ危機でサプライチェーンの脆弱性が明らかになった、とありますし、
> 米中貿易戦争やロシアの国際貿易の排除なんてことも起きてしまったわけで、
> 本当に、このコロナの自粛生活が当たり前になるのであれば、まあ物流規制の状態化というのもあり得るのでしょうか?
> http://www3.keizaireport.com/report.php/RID/491214/

「グローバル企業は国家よりも強い」なんて意見が、罷り通ってたりもしますが、
これって「世界市場&世界工場」というモノが成り立つから、出来る事なのであり、
その大前提として、世界各国が「市場や工場を開放している」からこそなんですよね!!
つまりは、ある国家の政府が、その国での市場や工場へのアクセス権を閉じてしまえば、
どれほど巨大なグローバル企業であっても、全く太刀打ちできないです。
そんな当たり前の事が、昨今の米中対立やウクライナ戦争により、
ようやく目に見える形で、明らかになってきたかな?という感じはあります。

で、目先の利益ばかりを追い、現在の状況が不変だと勘違いしていると、
目の前で起こる変化に、右往左往し過ぎる人たちは、大勢居る事でしょうし、
そのパニックに踊ったまま、今度は「グローバル化時代の終焉」とか言ってしまうのは、
明らかに、冷静で大局的な視点が欠けているように感じられます。
(それこそ前出の勉強の話で言えば、公式の暗記で数学を乗り切ってたタイプに多そう・笑)
まあ実際、大きな障害が幾つか姿を現した事で、従来みたいにスムーズに事は進まないでしょうけど、
全体的に見れば、グローバル化の流れ自体は、止まる気配が無いですし、
ペースが鈍化しても、確実に進んでいるようにしか見えませんね、個人的には。
(微分で言うなら、傾きがプラスな限り、増加は続くみたいなイメージ)

それが後退する事があるとすれば、世界大戦のような巨大障害の登場による強制停止か、
このコロナ時代に育った子供たちが、大人になった時代の価値観変化くらいな気がします。
新自由主義的な世界経済が、いきなりガラッと変わるとも思えませんし、
傾向としては、当分 続くと思いますよ。

> コロナが明ければ元に戻る、というのも日本人だけの考えで、
> マスク無しが当たり前になっている海外では、既にコロナが明けている、という意識なのかな?
> https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220414/k10013581791000.html

「明けている」とまでは言いませんけど、
既に欧米では、「共存の時代(withコロナ)」に入ったんだと思いますよ。
そもそもコロナは、アデノやライナと並び、いわゆる風邪の3大ウイルスの1つですし、
その中で「新型が現れた」というだけの話ですから、出現当初は「ただの風邪」とは言えずとも、
いったん蔓延して定着してしまえば、「普通の風邪」の仲間入りみたいな所はありますので。

> 日本人からすれば
> コロナ前→今もコロナ禍→コロナが空ければ、国内の規制(マスクなど)も、海外との規制もなくなる
> と考えがちですが、
> 外国人は
> コロナ前→コロナ禍→今は国内規制の無い段階→将来的に海外との規制もなくなる?なくならない?
> という風に見えてるのかもしれない、ということです。

かも知れないと言うか、そのまんま、その通りだと思いますよ。
と言いますか、欧米よりも東アジアの方が、規制解除まで時間を要しそうなので、
必然的に、そうした流れとなろうかと。

あとは日本国内の場合、感染対策というよりは、
世間の目みたいなモノを気にして、皆がマスクを着けている所があるので、
マスク解除のタイミングが、一体どのようにして行われるのかは、かなり興味がある所(笑)。
欧米社会のように、ルールで規制を行っていたのなら、ルール撤廃と共に規制解除となりますが、
日本社会の場合、周囲の空気を読んでの自粛による精神的な規制ですから、
明確に「解除!」となるには、それ相応の仕掛け(キッカケ)が必要になってきますし、
それが仕掛けられないとなると、長い時間を掛けて、済し崩し的にジワジワ緩んで行くしか無さそう・・・・


[23921] ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その2)返信 削除
2022/4/26 (火) 21:09:54 徳翁導誉


▼ いちゃらぶ革命
> とはいえ、話の重点は「いちゃらぶが増えていること」や「失恋ものが描かれなくなっていること」ではなく、
> 「登場人物が幸せになるような話しか望まれていない」ということですので、
> いちゃらぶ革命という名称が適切でないかもしれません。

ですね。
そうした傾向を示したいのであれば、適切な名称とは思えません。
神聖ローマ帝国の事を、「神聖でも、ローマでも、帝国でもない」と揶揄する言葉がありますが、
その言葉を借りれば、「イチャイチャでも、ラブラブでも、革命でもない」って所でしょうか(笑)。
強いて言うなら、メタ視点(神様視点)からの「ニヤニヤ系」くらいの表現が適当かも?
この表現であれば、例として挙げられた「かぐや様」も該当するかと。

> > > > 「姫嫁」という単語は初耳だったので、ちょっと検索してみた所、
> > > > 一番最初に出てきたのが、引用元である著者のインタビュー記事であり、
> > > > 投稿サイトのタグもありましたが、「小説家になろう」で1件、「小説を読もう」で4件と、
> > > > これは一部で・・・と言うよりは、その著者の独自単語に近いのでは!?(笑)

> > > そうねんですよ。でも、姫嫁作品に代わる単語がこれしかないので、私はこの単語使ってますね。

> > それって結局、流行ってはいない証だと思うんですよね。
> > 何らかの概念が生まれ、それが人の口を膾炙するには、
> > やはり、それを簡潔に示す「単語」の存在が不可欠なので、
> > 広く出回ってる単語が無いという事は、そうした共有が行われていない事を意味するかと。

> 誤解が起きているので訂正しますと、
> まず少女小説というものが80年代、90年代に流行しました。
> しかし、00年代ごろからは、ライトノベルやボカロ小説、ケータイ小説に
> 少女小説の読者層である10代女子を奪われ、衰退がはじまりました。
> その衰退の中で、20代の少女小説読みの間で流行ったのが姫嫁作品ですね。
> 大本の少女小説自体がもう沈み始めていたので、その中で流行っている姫嫁作品も、大して流行っていない、ということです。

う〜ん、そういう話をしている訳では無いのですが・・・まあ、それはそれとして、
でしたら具体的に、その「姫嫁作品」の代表作って、実際どんな作品名が挙がるのでしょうか?
私は全く知らないので、ちょっと知ってみたい所。

> > 「かぐや様」のアニメは1期も2期も見てますし、今週から始まる3期も見る予定ですよ(笑)。
> > といいますか、前回、「いちゃらぶモノが流行ってる」という話が出た際に、
> > 「かぐや様は違うな」と、すぐさまパッと浮かびましたもん!!

> いや、そうだと思いますよ。
> 「かぐや様」という作品単体を見て、目新しいとは思わないと思います。
> 私が主張しているいちゃらぶ革命って、恋愛もの全体が失恋からいちゃらぶへカーブしている、という話ですので、
> 1作品だけを挙げても、なかなか分かりずらいかと思います。

ハッキリ言って、「昔の恋愛モノ=失恋系」という、旧トルコ担当さんの見方自体が、
固定観念というか、そもそも話が噛み合わない原因だと思いますよ。

それこそ昔から、ラブラブ系やら、ドロドロ系やら、片思い系やら、失恋系やら、
一言に「恋愛モノ」と言っても、様々なジャンルの作品があったと思いますし、
そうしたジャンルの種類自体は、別に昔から変わらないと言うか、
最近になって、新たに登場したジャンルというのも、特に無い気がするんです。
あるとすれば、それは時代のニーズに合わせた、各ジャンルの割合の変化くらいの話で、
それだって劇的な変化でもなければ、あくまでも「傾向」であって、とても「革命」などとは呼べないと。

まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、
別に私も、その事実自体を否定するつもりは、毛頭ありません。
ただ、旧トルコ担当さんの意見は、ちょっと強調しすぎというか、偏って見てる印象を受けるんですよね。
白黒ハッキリさせた方が解りやすいでしょうけど、現実ってグレーがほとんどでしょうし、
その中で、グレーの色の濃淡を見る方が、より正確に状況を把握できるかと思われます。


▼ VRとAIについて
> > > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> > いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> > デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> > マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> > 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> > 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> 個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
> それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

正直、SAOは最初の数話を見ただけなので、断言は出来ませんけど、
恐らく、旧トルコ担当さんが想定しているモノとは、全く違うと思いますよ・・・・
仮想空間にフル・ダイブして楽しむとか、そういう話では無いので。
って、それとも本当に、SAOの中にも、そんな描写があるのかな?
もし あるのだとすれば、具体的に何話くらいのエピソードですか?

> (1)技術進化について
> AI YouTuberは可能だけど、お客様サポートが当分困難、というのは個人的には腑に落ちないのですが、どうなのでしょう?
> それとも、お客様サポートが困難というのは近いうちは難しくて、将来的には可能であり、AI YouTuberはそのさらに先の話ってこと?
> だとしたら、AI YouTuber・お客様サポートが実現可能になりそうなのって、ざっくりどれくらいなんでしょう?
> AI YouTuberには個人的に見てみたいので、20年後くらいじゃない、とか言われたらちょっと残念w

YouTuberは基本的に、「一方通行」の発信であるのに対して、
お客様サポートは、「双方向」のコミュニケーションだからですね。
そして、対象となる相手も、お客様サポートだと多種多様な想定を強いられますが、
YouTuberのファンであれば、それが限定されるという話です(合わなければ離脱するだけなので)。
要するに、求められる技術のレベルが、かなり違うって感じでしょうか?

逆に言うと、AI YouTuberが登場したとしても、人気の大勢を占めないだろうと言うのは、
そこまで狙える技術レベルとなると、単に登場させるよりも、遥かに高いモノが求められるからです。
また、その一方で、一方通行なデジタル音声や録音音声による
お客様サポートは、既に実用化されてはいるものの、充分に実用的であるとは言えないレベルであると。
でもまあ、相当に技術が進歩していけば、その内どちらも実現可能であるとは思いますけどね。

で、それがいつ頃 実現しそうか?となると・・・明確な根拠とかはありませんが、
私の皮膚感覚で述べるなら、お客様サポートの方は10年掛からないかなぁ?
言っても、普通の会話と違って、業務対応の会話なら内容が絞れるでしょうし。
そしてAI YouTuberの方は、万人ウケではなく、一部にファンを獲得できるレベルであれば、
それほど時間を要さないと言うか、求める完成度の程度にも拠りますけど、
今の技術でも、それなりのモノは作れそうな気はするので、5年以内には現れるのでは?
と言いますか、年内に現れても、それほど驚きはしないと思います。

> (2)AI YouTubeの可能性
> 私の考えは反対ですね。
> AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

えっ!?
マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。
だからこそ、いつも不満ばかり言われるのに、実写化の流れは止まらないんです(笑)。
そりゃ、一握りの話題作とかは別ですけど、基本的には市場規模がまるで違います。

> グラビアだってCGではなくリアルだからみんな見る、とのことですが、ではこれってエロ漫画はどうなのでしょう?
> エロ漫画だってコンビニで売られてるくらいに、需要はあったと思います。
> 別にリアルの人間である必要って、そんなにないのでは?

こちらも、同じ話の繰り返しになりますけど、
確かに需要があるのは事実ですが、その需要の規模はまるで違います。
例えばAVにしても、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要は確実にあるものの、
だからと言って、「別にノーマル系である必要はない」とは、ならないのと同じ事です。

一昔前ほどでは無いにせよ、オタク文化というのは、未だにマニアックな世界であるという認識は、
それなりに持っておいて然るべきかとは思いますよ(笑)。

> AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
もし本気でそう思われているのなら、大きなビジネス・チャンスですから挑戦されてみれば?
仮に実現出来たなら、アッと言う間に億万長者になれるはず(笑)。

と、茶々を入れるのは、この辺にしておいて、
以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。
そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、
少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
今だと、せいぜい「大喜利AI」程度でしょうか?
でもこれも、膨大なデータ・ベースの中から、突拍子もない返しが来るから面白いのであり、
人が聞き入るレベルの会話となると、とてもじゃ無いですが無理です・・・・

と言いますか、AIがどうこうという以前に、そもそも人間同士の会話において、
どうすれば上手く伝わり、どうすれば興味を持ってもらえ、どうすれば面白いかなど、
その「難しさ」というのは、充分に理解できそうな気がするのですが、
仮に、それすら気付けていないとなると、
天性のコミュニケーション能力が半端ない人間か? それとは正反対の人間か?
そのどちらかのタイプになりません?(笑)

> だってみんなそんなに人間味を求めているなら、こんな文字だけの掲示板よりもYouTube見るでしょ。
掲示板よりも、YouTubeを見てるのは、事実かと(笑)。

> (3)AIの可能性
> もしAI YouTuberが可能なくらいAIに技術的可能性があるのであれば、
> AIはYouTuberなどではなく、やはり娘になると思いますよ。
> そういうものが日常になっていけば、AIにだって情は沸きますので、
> いつしかAIに喜ばされるだけではなく、AIを喜ばせるようになる(=娘化する)のではないでしょうか。
> 別に、人間相手だって、相手によって話題は選びますし……
> それでもAIは充分需要はあるでしょうし、というかそっちに慣れてしまえば、
> もうリアルの女の子とつきあうとか、ストレスが多すぎてできなさそう。

まあ、言いたい事としては理解できますし、そこまで否定する気もないんですけどね。
要するに、感情移入が出来る対象であれば良い訳で、
逆に言うなら、別に「娘」とか「恋人」みたいな、既存の形態に拘る必要も無いと。

で、この場合に用いる単語としては、「娘」というのも悪くはないと思うものの、
実質的には、「ペット感覚」の方が近い感じはするんですよね。
言い方は悪いですが、愛玩用の人間とでも言いますか、
倫理的に、奴隷文化が廃れた現代社会においては、
その欲望を叶えられそうな技術として、AIなりロボットなりが発達中であり、
もっと言うなら、娘とか恋人に喩えるには不適当なくらい、そこには本質的な暗い欲求が存在すると。
言うなれば、AVが視覚的な刺激を与える商品だとすれば、こちらは精神的な刺激を与える感じでしょうかね。
(ちょっと難しい話ですけど、これは別に、ストレートな性的刺激に限定される話ではありません)
もちろん、この分野は今後、大きな市場と成り得る可能性は持っていると思いますよ。

って、こんな何歩も先を行き過ぎた話をすると、また内容や意図が誤解されそう(笑)。
う〜ん、もう少し解りやすく、その手前の話題をするとすれば、
「虚しさ」を抱いた時に生じるマイナス面の影響が、ほとんど考慮されてない点を指摘すれば良いのかな?
あとは、「繋がり」と「しがらみ」って表裏一体なモノなので、
ストレス回避ばかり気にしていると、上澄みみたいな薄いプラスしか得られない部分もあるかな?
とりあえず、旧トルコ担当さんの主張するプラス面に関しては、私も同意できる部分は多々あるものの、
物事(特に商品)というのは、正負両面をトータルで見ないと、語れないモノですからねえ。
そして、隙間を埋める需要と、ガシッとメインを押さえる需要とは、かなり異なる事も認識しておくべきかと。


▼ 物語シリーズについて
> > > 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> > > 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> > > オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> > > 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> > > はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> > > ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> > > 管理人さんはどっちでしたか?

> > で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
> > 今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
> > 正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
> > あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
> > かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。

> いや、こういうこと書くと、お前の性癖の話かよ、と思われそうですが、私はそっちのロリには全然興味ないんですよ。
> で、普通はそういうのって、その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらないと思うのですが、
> 物語シリーズってその辺のロリ愛が、そうでない人間にも伝わってきたので、
> これオタク以外の人にも分かっちゃうんじゃないのかなあ、と感じたのですが、
> やはり普通の人には伝わってなかった感じですね。

う〜ん、気を使って回りくどい表現をした為に、まるで伝わってないみたいですね・・・・
解りやすいようハッキリ言ってしまうと、旧トルコ担当さんが感じるような事は、
いわゆる「普通の人」にだって、当たり前ですけど、充分に伝わってますよ(笑)。
だって、旧トルコ担当さんの抱いている「感覚」って、
当人的には「オタク的な感覚」と思われているようですが、明らかに「普通の人の感覚」なので。
逆に、ガチロリ勢の感覚からすれば、「あの程度で『本気のロリ愛』ってwww」という感じかと。

それこそ御自身でも、既に表明してるじゃないですか?
「ロリには全然興味ない」とか、「その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらない」って。
それなのに何故、こうも自信満々と「自分は解っている!」つもりに、なれるのでしょうか?
これは全快の私の書き方が悪かった部分もあるのでしょうが、
「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。
って、世間一般の感覚からすると、そんなの理解できる必要なんて、全く無いんですけど(苦笑)。

> > まあ、あの当時の西尾維新作品って、純文学とラノベの中間あたりに位置していて、
> > 書店とかでも、独立してコーナーを設けられるくらい、人気のある作家でしたからねえ。
> > また、アニメ化に関しても、新房昭之&シャフトという組み合わせであり、
> > 同じタッグだった「まどかマギカ」とかもそうですけど、やはり映像がスタイリッシュなんですよね。
> > なので、実際にマイルド・ヤンキー層が好むような作品かは さておき、
> > (それこそ今なら、「東京リベンジャーズ」とか好きそう)
> > 少なくとも、原田陽平は好きそうだよなぁ・・・とは思いました(笑)。

> 話の本題は、マイルドヤンキーの人たちも化物語なんか見るの?ということでしたが、
> 管理人さんの解釈としては、あれはマイルドヤンキーの人たちが好きなのではなくて、
> 原田陽平の個人的な趣味っていうことであってますか?
> そうであれば、原田陽平はマーケティング分析本に自分の趣味を入れる、結構な人物ということになってしまいますが。

いや〜、そこまで強い主張はしていませんよ(笑)。
え〜と、何と言えば良いですかねえ?
簡単に言えば、「見る」と「好き」とは別ですし、
同じ「好き」にも度合いの違いがあるって感じでしょうか。
ぶっちゃけ、流行ってるから見る・・・それ以上でも、それ以下でも無いかと?
例えば、エヴァが流行ってるから、エヴァを見るのであって、
考察談義に花を咲かせるようなオタク的な楽しみ方は、別に、ほぼしていないと思うんです。
で、前述した通り、当時の西尾維新は、かなり人気がありましたからねえ。

そういう意味では、マイルド・ヤンキー層が、特出して好んだという事ではなく、
世間と同程度に、マイルド・ヤンキー層の中にも、見た人が居たってだけの話だと思いますよ。
それに、「彼らに趣味を尋ねると、暴走行為よりも、アニメ鑑賞が多いんです!」って、
今の時代、「そりゃそうだろ」としか思いませんけどね(笑)。
あくまでも「マイルド」なんですし、暴走族なんて今や絶滅危惧種じゃないですか?

また原田陽平って、私的には、面白い話や目新しい話は特にしない印象ですが、
その一方、世間ウケはしそうな表層的な話を、好んで多用する感じはあるので、
ああいうオシャレな感じの作品は、気に入ってそうだよな・・・って具合です。
でもまあ、マーケターというのは、それで良いんでしょうけどね(笑)。
ブームの波に乗ってサーフィンするのが、彼らの仕事なのでしょうし。


▼ オタク史について
> > > > ・・・って、「オタク関連の本を100冊」という方が、もっと気になる所。
> > > > オタク文化について書かれた本って、100冊もありますっけ!?
> > > > さすがに、その全てを挙げるのは大変でしょうから、無理強いはしないものの、
> > > > 100冊読んでみた中で、「これは!」と思える本って、何冊くらいありました?

> > > オタク史の本というよりも、多くは各サブジャンルの歴史の話ですし(マンガの歴史、アニメの歴史、BLの歴史など)、

> > なるほど、諸々含めて100冊って事ですか。

> そのくらいオタク史にはハマっている、ということです。
> > > といいますか、管理人さんは何かオタク方面で良さげな本って知ってませんか?
> > う〜ん、あまりパッと思い浮かばないかなぁ・・・・
> > でもまあ、1冊で網羅的にであれば、以前の雑談スレッド時にも紹介しましたけど、
> > 「オタク的想像力のリミット 歴史・空間・交流から問う」は良かったですよ。
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4480867244
> > 様々な人が書いた 30ページくらいの小論文が、14本掲載されています。
> > あとは、「思想地図β vol.1」とかは、
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4990524306/
> > 創刊号という事で、採算度外視で好きな事を詰め込んだ感が、個人的に面白く思えたので、
> > その編集を務めた東浩紀の半生記とかは、オタク的かはともかく、読んでみて損は無いかと?

> ああ、やはり評論系が多いんですね。
> 私としては、評論系は割と適当なこと言ってる本も多いので苦手なのですが、まあ多少は手を出してみようかな、と思いました。
> ありがとうございます。

そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。

また、「評論系は割と適当」との事ですが、ああいうのって、
自分とは異なる「こういう見方があるのか」と気付かされたり、
自分の中で纏まらない考えを、スッと的確に表現していて腑に落ちるだとか、
そうしたモノを求めて読むモノなので、そもそも読み方を間違えているというか、
旧トルコ担当さんの場合、誰から「正解をもらう」事を、求めすぎてる感じがするんですよね・・・・
「歴史の本」にしたって、別にそこに書かれてる内容が、全て正解って訳でもありませんし、
単なる受け売りだけでは、「歴史を調べる」行為にはならないので。
(本とは絵の具であり、歴史って、それらを用いて全体像を描いていく作業に近いかも?)


▼ アニメ
> > ちなみにラノベに関しても、別に新作は追ってなかったんですかねえ?
> そこまで新作は追っていませんでしたね。
> といいますか、アニメは今期のアニメ中心に放送されますが、ラノベって書店の本棚見てるだけでは何が新作か分かりませんし、
> ラノベで新作追っかけている人って、ある程度コアなファンのイメージ。
> テレビ放送と、書店の本棚という形態の違いですね。

出版されてる巻数が少ないのに、目立つよう平積みされていれば、
それが「話題の新作」って事では、あるんでしょうけどね。
とは言え確かに、確かな人気を得てから、作品化されるアニメとは違って、
ラノベだと「発見」が大変でしょうし、コアなファンのイメージになるのは解ります。
発見するには、「探索」に掛ける労力も必要になってきますので。

> > 必ずしも、全てがそういう作品ばかりだとは限らないので、
> > 逃がした魚があった時に、追わなかった事を後から悔いる事もあるかも知れませんが、
> > でもまあ、「効率的(コスパ)」を重視するとなれば、損をしても時間の方が大事だったりするかも。
> > とは言え、コスパ重視という価値観もまた、今風の流行と言えば そうなので、難しい所・・・・
> > コスパ重視になってしまう、現在の社会状況というのも充分に解るのですが、
> > その一方で、それでは新しいモノや面白いモノに、なかなか出会えない現実もあるんですよね。

> まあ、コスパ重視というほどのものでもないと思いますが。
> 何も、過去の話題作だけを追いかけているというわけではなく、稀にニッチな昔のアニメ見てたりもしますし。

ちなみに、過去の話題作なら まだしも、
「ニッチな昔のアニメ」となると、一体どのように辿り着くんですか?
具体的に言えば、どういうキッカケで、それを見ようと思うのでしょう?

> 新作も多少は見ますよ。リゼロとかはリアルタイムで見てましたし。
特にリゼロの第1期は、週1でリアルタイムに観る方が、味わいが深くなりそう(笑)。

> > > あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> > > 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> > > 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> > > コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

> > まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
> > アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
> > 目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
> > とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
> > だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。
> > でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
> > これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
> > それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。

> うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、
> 悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
> Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
> 昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
> それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
> 一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
> 1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。

う〜ん、そうとも言えますし、そうとも言えない面もあるのかな?
テレビやビデオしか無かった時代に比べると、作品の寿命が延びたというか、
ピークが過ぎ去った後の「低空飛行な人気」というのが、非常に長くなったのは事実だと思います。

でも一方で、作品が消耗品として、大量生産されるような時代でもありますし、
ストレスの多い現代社会を反映して、噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りましたから、
1作1作のピークの高さや、その長さ自体は、やはり小さくなってる気はするんですよね。
解りやすく言うと、「老後」の期間が凄く伸びた感じなので、
そういう意味では、単純に「1作あたりの寿命が延びた」と捉えて良いのか否か・・・・

> とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、
> それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
> 私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
> 私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
> とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
> そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

これは上述の「消耗品化したアニメ作品」という話とも繋がるのですが、
今の時代って、言うほど1つの作品を、深掘りとかしてますかねえ?
同じ1つの作品を見続けたとしても、それは時代劇や新喜劇を見る感じに近くても、
要するに「安心感」を得るような行為であって、
旧来のオタク的な楽しみ方とは、また別物かな?という気もします。

> あとこれ考えていてわかりましたが、オタク・イズ・デッドって、このタコツボ化のことなんでしょうね。
私のイメージだと、「タコツボ化」というのは、
旧トルコ担当さんのイメージする以上に、もっと狭い範囲の専門化を想定するので、
このまま話を続けると、噛み合わなそうな感じはしますね(笑)。
上述の例のように、「アニメだけが好き」みたいなレベルであれば、
タコツボ化と言うよりは、ジャンル化くらいの方が適当な気がしますし、
タコツボ化と言われると、「この作品の このキャラが好き」くらいまで限定されそう。

あと、これが「オタク・イズ・デッド」という話に繋がるかとなると・・・私は繋がらないと思います。
後述する通り、確かに一昔前のオタク層の方が、広範な知識を持っている傾向はありましたが、
でも、だからと言って、そうじゃ無ければオタクじゃ無いという訳でも無かったはず。
要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。
もっと言えば、ジャンルの限定化とかは関係無く、深堀りをする事を止めてしまい、
提供される大量のコンテンツの、単なる消費者となったが故の、オタク・イズ・デッドな気がします。

例えば欧米だと、「リベラル・アーツ」と呼ばれる、広範な一般教養の知識を土台にして、
その上で、自らの専門分野を築く事が理想とされていますけど、
それでも、他の分野には目もくれず、専門分野を徹底的に極めた人が、充分に尊敬はされます。
リベラル・アーツが伴ってないなんて理由で、「あいつは専門家じゃない」とは言われませんよ(笑)。
対象分野における体系的な知識に欠けているから、専門家では無いと見なされるだけの話で。

> 昔はネットがなく、オタク人口も少なかったので、
> オタク同士が仮に出会えたとしても、趣味が異なり、結果として相手の趣味も理解せざるを得ないと。
> 「おたくのビデオ」(アニメ)ではまさしく、マンガおたくや、ガンマニアや、アイドルおたくなどが1つの部屋に集い、
> 互いの好きなものを教え合うシーンがありましたし、
> でも今ではオタク同士の交流が簡単なので、マンガおたくならマンガおたくとしか交流しないと。
> そういう意味では、寒い時代……、なんでしょうね。

まあ確かに、一昔前のオタクたちの方が、
概して「知識の守備範囲」が広いイメージはありますね。
おっしゃれるように、各分野のオタクが横断的に触れ合っていた面もありますが、
それ以外にも、好きな分野を深堀りするには、その周辺分野の知識も必要となる為、
「あれも知っておけ、これも知っておけ」みたいな風潮があったのも事実かと。
(そういう意味では、私も昔ながらの気質のタイプでしょうか・笑)

で、ネットで何時でも誰とでも気軽に繋がれる時代では無かったからこそ、
合える貴重な時間で情報を交換し、その情報を深く摂取する時間が充分に取れたのかも?
今の時代、圧倒的な情報量の処理やコミュニケーションに押し流されて、
「1人で考え抜く」という行為が、かなり疎かになってる感覚もありますし。

> > そういう意味では、「孤独なオタク」同士がネット上や秋葉原などで繋がれてた、
> > 2000年前後の一時って、本当に一瞬の徒花みたいな時間だったのかもしれませんね、今になって思えば。

> 個人的には秋葉原よりも90年代のパソコン通信とかの方があこがれがありますね。
> パソ通自体が敷居の高いものでしたから、濃いオタクが多そうな印象。氷川隆介さんなんかはここ出身らしいですし。
> 過去ログがないのが残念です。

パソコン通信は・・・私も少し触れた程度で、ほぼ経験が無いと言って良いかな?
とは言え、Windows95や98が発売され、ネット網が急拡大した「BBS時代」は、
パソ通の雰囲気を残しつつも、そのまま繋がりが大きくなった感じがするので、
「2chの一強化」までの90年代後半の数年間は、濃度と情報量が両立できてた一瞬だったかと。

パソ通はパソ通で、中身は濃くても、1つ1つの規模としては小さかった印象ですし、
逆に、2chを経てSNSの時代になっていくと、規模は超巨大でも、中身は薄くなった印象。
また、そんなネットが、リアルとも結び付いた、あの時代の秋葉原というのも、やはり特別ですよ。
これは別に懐古趣味的な話では無く、歴史の転換点みたいな話であり、
2つの色が混じり合う時の景色は、完全に色が混ざり合った今しか知らないと、ちょっと想像しにくいかも。


[23926] Re:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか返信 削除
2022/4/26 (火) 23:55:24 旧トルコ担当


▼ 考え方、意見交換の意義について

> あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。


そうなのですか。
私の考えとしては、「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」といいますか、
「互いに情報を共有すれば、相手がどうしてそう考えるのか、理解しあえるはず」というように考えています。

例えば、(ここで引き合いに出すのは失礼かもしれませんが、)ウクライナ戦争のスレッドの聖職者さんの話が分かりやすい例だと思っています。

> > NATOは、北大西洋条約機構という名前ですから、
> > そもそも北大西洋に面していない国の加盟も私個人的に昔から疑問でした。
> > かの孔子もおしゃっていましたが「名を正す」ことが必要です。
> > 言葉も名分も正していかないとごまかしがはびこり、諸言論の筋が通らなくなり、様々な政事がきちんと正しく達成されなくなり、
> > 社会秩序から人々の思想まですべてが滅茶苦茶になるからです。

> それは、内陸国は加盟するな!という事?
> 例えばルクセンブルクは、北大西洋条約の前身となる「ブリュッセル条約」からの加盟国ですが、
> 内陸国で北大西洋に面してないから、北大西洋条約からは除外すべきだと!?
> 更に言うと、北海も、バルト海も、地中海も、黒海も、全て北大西洋の一部なのですから、
> 旧東欧諸国であるポーランド・ブルガリア・ルーマニアどころか、
> 旧ソ連のバルト3国、そしてウクライナやロシアでさえ、北大西洋に面した国ですよ(笑)。
>
> そもそも、ここで言う「北大西洋」とは、「欧米」くらいの意味に過ぎませんし、
> 東側のワルシャワ条約同様、締結地にちなんで「ワシントン条約」の別名でも呼ばれます。
> ただワシントン条約ですと、戦前の海軍軍縮や、野生動物の保護など、他にも様々な条約がある為、
> そことの混同を避けるべく、地理的な名称を付ける事自体はおかしくなく、
> もっと言うと、一般的な呼称って通称の場合が多く、
> 実際の条約や法律などの名前って、抽象的で、やたらと長いのが普通ですからねえ。
>
> 例えば、前出のワルシャワ条約の正式名称は、これ↓ですけども、
> 「アルバニア人民共和国、ブルガリア人民共和国、ハンガリー人民共和国、ドイツ民主共和国、ポーランド人民共和国、
>  ルーマニア人民共和国、ソヴィエト社会主義共和国連邦、チェコスロバキア共和国間の友好、協力及び相互援助条約」
> 別に聖職者さんも、「名を正す」と言って、こちらの名称は用いはしないでしょ?(笑)
> ちなみに北大西洋条約の場合、珍しく、こうした長ったらしい正式名が付されていないのですが、
> 同条約の前身となるブリュッセル条約の正式名称が、これ↓でしたから、
> 「経済的、社会的及び文化的協力並びに集団的自衛のための条約」
> ある意味では、これが実質的な正式名称なのかも?
> だとすれば、ここで重要なのは、地理的概念よりも自由主義&資本主義の方なのでしょうね。
>
> また、仮に「名と実」にギャップが生じたのだとすれば、
> 実の方に合わせて、名の方を変えるのが一般的であり、
> そこを、名に合わせて、実の方を変えろというのでは、本末転倒かと?
> まずは実があり、それを表すモノとして名があるのですから。
> とは言え、一般論はそれとして、聖職者さん自身の思考パターン的に、
> 名前の方に引っ張られる傾向がある事も、私は重々承知していますけどね。


聖職者さんが「こういう理由で、NATOは名前を正すべきであった」という指摘をするのに対して、
管理人さんが「こういう理由で、名前なんか関係ない」と指摘することで、互いの考えが理解でき、結果として考えが近づくわけです。
(もちろん、互いの情報=そう考える根拠、をすべて共有することは時間的に不可能であるため、どうしても考えが必ず一致するわけではありませんが)

と、考えていたのですが、管理人さんとしては私のこうした考えの、どの辺が間違っているのでしょうか?

> その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。

ここでいう「立ち位置や状況」ってどんなものを想定されているのでしょうか?
抽象的な指摘だと分からないので、具体例があると非常にありがたいです。

管理人さんの言い方ですと、まるで議論しても意見が一致することは無いから、意味がない、みたいな印象すら受けます。

▼ 岡田斗司夫

> > なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
> > ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。

> という事は、旧トルコ担当さんは、岡田斗司夫サロンの有料会員なんですね!
> そこまでしているとは、なかなか入れ込んでますねえ(笑)。
> ちなみに、他にも誰かのサロンの有料会員になってるのですか? それとも岡田斗司夫だけ?


> 何だか この感じ、新興宗教やマルチ商法にハマった知人と向かい合った時と、凄く似ている・・・・
> ですから、その論の内容に関して、実際に旧トルコ担当さん「自身の言葉」で説明して下さい!!
> 真に論を理解しているのであれば、それくらい出来るはずですし、
> 説明できないけど解っているつもりであるなら、それは単なる「信仰」に過ぎません。
>
> また、自分で言うのも何ですが、私は物理や数学をやってますから、
> 世間一般の人よりは、「抽象度の高い話」への耐性が強いと思いますので、
> 思う存分、話を振ってきて来てもらっても、たぶん大丈夫ですよ(笑)。
> 繰り返しになりますけど、「これを見てくれ、これを読んでくれ」だけでなく、
> 旧トルコ担当さん自身の言葉で語ってみて下さい、お願いします。
>
> 正直な所、岡田斗司夫レベルであれば、そこまで「実害」も無いと思いますけど、
> 安易に信仰してしまうタイプになると、それこそ新興宗教や洗脳商法のカモにされかねませんし、
> そうやって人生を狂わされた人を、実際に私も何人か見てきてはいるので、
> そうならない為にも、自分の事場で語るというチャレンジは、行ってみて損は無いかと思います。


岡田斗司夫以外には、特に他の有料サロン等には入っていませんよ。
(ちなみに、ご存じかもしれませんが、岡田斗司夫の有料会員は動画が配信されるだけで、サロン機能はありません)

私自身、「誰かに自分の絶対的な師匠になって欲しい」という欲望があることは小学生の時くらいから把握していたため、
あえてそういった師匠になりそうな人間とか、崇拝されている感じの人間とか、そういうのには近づかないようにしていましたし。
私がYouTubeを見ないのも、変な動画に引っ掛かりたくないからですね。
(岡田斗司夫の場合は、わざわざニッチなニコニコ動画という場所で動画を投稿していたのが、私がハマるきっかけになっていますし)

> 繰り返しになりますけど、「これを見てくれ、これを読んでくれ」だけでなく、
> 旧トルコ担当さん自身の言葉で語ってみて下さい、お願いします。


うーん、ホワイト革命の件については、ツイッターの例でかなり上手に自分の言葉にできたと、個人的には思っていたんですけどね。

と、いいつつ、極論では、新興宗教にハマるくらいなら、別にそこまで悪いことではないような気もするんですけどね。
ナショナリズムとかいう新興宗教が世界中で流行っていますが、アレだってみんなが信じているから国民国家が事実になっているだけでしょ。
アリもしないものを見せている、という点では、新興宗教もナショナリズムも一緒だと思います。
まあ、新興宗教は少数派になるため奇異な目で見られますし、マルチ商法はお金をだまし取られるため、損得でいえば引っかからない方が得ですが。
また、鍛えればそういったものに騙されなくなるということもなく、ナチスなんかは時の知識人たちも多くだましましたし。

> ・・・って、そう言えば岡田斗司夫って、実母は新興宗教の教祖(神様)であり、
> 自宅が教団施設で、信者たちが自宅内を行き来するような環境で育ったんでしたっけ?
> となると、意識的にせよ、無意識にせよ、そうした手法が身に付いていても、おかしくは無さそう。


そうなんですか?
岡田斗司夫の実母が新興宗教の教祖、という話は、母が税務署から税金を取られるのが悔しくて、
会社を宗教法人にして、上手く脱税するための方法だった
(が宗教法人にした辺りからまったく別件で事業がうまくいかなくなったので、あまり意味はなかった)、
という認識なのですが、あれって本物の信者とかいたんですか?

▼ ホワイト革命

> > > 続いて、不倫話に関して言うと、不倫してる人が全てバッシングされる訳じゃないんです。
> > > 元々アンチ層を抱えてる芸能人が不祥事を起こして、心置きなく叩ける免罪符を得られたり、
> > > 大して好きではなかったが、好感度で商売していたタレントが、それに反するような行為をしたり、
> > > 初めから不祥事の肩書きを背負い、「こいつは叩いてもOK」な扱いで登場するから、炎上するのであって、
> > > 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。

> > 不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
> > 大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
> > ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
> > 不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

> 今の千鳥の一般人気は、「中規模」なんてレベルではないですよ!!
> それこそ、不倫で干された渡部や東出よりも、ずっと上です。


えっと、中規模有名人最強論の話は、今回の話とは別です。
前に語ったことがある、というだけの話で、今回の千鳥さんを岡田斗司夫が中規模有名人と言っているわけではないのでは?

> もう少し解りやすく言うと、Twitterを含めて、SNSというのは単なる1つの道具であり、
> 道具である以上、使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノなんですよ。
> 例えばハサミとか、今までは紙を切るのに使っていたものの、新たに布を切れる事にも気が付いた時に、
> 当人的には衝撃的な変化であったとしても、ハサミの機能を考えれば驚くに値しないと言うか、
> 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。


道具が考え方を変えることもあるんじゃないんですか?
テレビは一番最初、自宅映画館としての使用法が想定されていらしいですが、
後に家で見るのに映画みたいな長いものは向いていないということが分かり、
今のバラエティ番組を寝っ転がってだらだら見るというスタイルが確立されましたし。

印刷術が識字率の爆発的増加を起こし、新聞がナショナリズムを作ったことは、人類の歴史に決定的な影響を与えましたが、
それも初めから想定されていた使い方、というわけではないでしょう。

そのうえで、管理人さんが「使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノ」だと考えるのって、なぜなのでしょうか?
ハサミの例だと抽象度が高すぎてよく分からないため、もう少し具体的な例で説明していただけると助かります。

> 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。

メタ視点だと、どんな感じで見えるのでしょうか?

> まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
> そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
> 現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
> 俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。


どんな視点なのでしょうか?

正直、管理人さんって言いっぱなしというか、その時文章を読んで自分が感じたことをそのまま描いただけってことが多いと思います。
まあ私の理解力が低いのも事実ですし、私に理解する気がないのかもしれませんが、
私としては管理人さんの文章は毎回3回以上は読み返していると思いますし、返信もかなり推敲して文章書いてるんですよね(してないときもありますが)。
って私がこれだけ苦労してるんだkら、そっちも多少は報いろ、なんて論理はネットでは主張することではありませんが、
本当にもうちょっとだけ詳しく説明してもらえればうれしいです。
枝葉末節の論はどうでもいいので、
ひとまず「使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノ」「俯瞰的な、3次元の視野で見えてくるもの」については非常に興味あるので、
ヒントをもらえればありがたいです。
返信を返したり返さなかったりするやつの言うことではないかもしれませんが。

> > しかしその上で、ホワイト革命が衝撃だったのは、
> > その法則を現代にも適用すると、ちょっと先の未来はどうなるのか、ということを予測した点だったと思います。
> > 私たちは過去のことは客観的に見れても、自分たちのことは客観的に見つめられませので。

> それは決して、「ホワイト革命」という概念が衝撃的だったのではなく、
> そう言った、「未来を予測する見方」というモノに、衝撃を受けたのでは?
> その辺りを混同されると、話の方向性が滅茶苦茶になってしまうと思いますよ。
>
> あと、そもそも私の専門である「物理学」自体が、
> 「過去から法則を見出し、そこから未来を予測する」学問であるとも言えるので、
> 個人的には、全く目新しさを感じないというか、「全ての基本だよ」という感覚はあります。
> 物理学って何も、投げたボールの放物線の軌道だけを予測する学問じゃないんですよ(笑)。
> 例えば、この手法を金融市場で用いてる物理学者や数学者たちは「クオンツ」と呼ばれて、
> 今ではウォール街を支配する人々になってますし、
> 以前、私が「歴史物理学」という話をしたのも、そういうような内容だったんですよ!?
> この感じだと、その意図は全く伝わっていなかったみたいですが・・・・


> 「未来を予測する見方」というモノに、衝撃を受けたのでは?

とのことですが、
過去の歴史から法則性を見出し、未来を予測する、という歴史好きなら誰でも考えているけど、実際にはとても難しいことを実行したことに衝撃を受けました。

> 「物理学」自体が、「過去から法則を見出し、そこから未来を予測する」学問である

とのことですが、私は文系ですが、一応高校の文系物理学程度は習いましたので、物理学がそういった学問であることは承知していますし。

> 以前、私が「歴史物理学」という話をしたのも、そういうような内容だったんですよ!?

歴史物理学というのも、承知していますよ。
といいますか、私が前に書いたアシモフの小説「ファウンデーション」に出てくるハリ・セルダンも、歴史物理学を使って人類を歴史的危機から救う、という話ですし。
(小説内では、歴史物理学ではなく、心理歴史学という名前)

▼ コロナ戦争

> > で、管理人さんが第一波が終わった後に書いていたことも、
> > 新自由主義の話だけではなく、物流の話もしていたと思うのですが、違うのでしょうか?

> 文章全体を引用すると、こんな感じ↓ですよね。
> http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23132#23132
> > > > > あと、今回はリーマンショックや世界恐慌などと違い、
> > > > > 人為的に経済を止めただけなので、すぐに回復できるという意見もありますが、
> > > > > 世界規模で数ヶ月に亘り経済を止めて、ダメージが無いわけ無い気がしますし、
> > > > > 自粛生活によって、世界的に消費マインドが落ち込んでしまったり、
> > > > > 世界流通を基本とした現行の経済システムが、今まで通りに機能するのか?など、
> > > > > 経済分野に疎い私でも、そんな気安く楽観視できない状況にあると思うんですけどね。

> よく読んで下さい。
> この内容は、「すぐに回復できる」などの言葉もあるように、
> ポスト・コロナにおける、一過性の現象に対しての言及です。
> それが常態化するような意図では、書かれていません。
> それこそ、昨今のコンテナ不足とか、そういった類の話ですね。
> 世界市場が資本主義の原理で動く限り、問題解消は大きなビジネス・チャンスになりますから、
> いつ頃 解消されるかは さておき、そのまま放置されるなんて事は、まず有り得ませんよ。


ああ、やはりそうなんですね。
私の考えとしても、管理人さんの考えとはあまり変わりませんよ。
だからこそ、岡田斗司夫のコロナ戦争論がよく分からなかったのであり、管理人さんなら何か補助線を引いてくれるのではないか、と思い書き込んだ感じですので。

▼ いちゃらぶ革命

> ハッキリ言って、「昔の恋愛モノ=失恋系」という、旧トルコ担当さんの見方自体が、
> 固定観念というか、そもそも話が噛み合わない原因だと思いますよ。
>
> それこそ昔から、ラブラブ系やら、ドロドロ系やら、片思い系やら、失恋系やら、
> 一言に「恋愛モノ」と言っても、様々なジャンルの作品があったと思いますし、


はい、さすがに「昔は恋愛ものは全部失恋ものだった」とは思っていませんよ。
そこまで物事が見れない人間ではないです。

> そうしたジャンルの種類自体は、別に昔から変わらないと言うか、
> 最近になって、新たに登場したジャンルというのも、特に無い気がするんです。
> あるとすれば、それは時代のニーズに合わせた、各ジャンルの割合の変化くらいの話で、
> それだって劇的な変化でもなければ、あくまでも「傾向」であって、とても「革命」などとは呼べないと。
>
> まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
> 癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、
> 別に私も、その事実自体を否定するつもりは、毛頭ありません。
> ただ、旧トルコ担当さんの意見は、ちょっと強調しすぎというか、偏って見てる印象を受けるんですよね。
> 白黒ハッキリさせた方が解りやすいでしょうけど、現実ってグレーがほとんどでしょうし、
> その中で、グレーの色の濃淡を見る方が、より正確に状況を把握できるかと思われます。


白が黒に変った、なんて私も思っていませんし、現実はグレーなのは承知していますよ。
「癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にある」から、という風に私も思っていましたし、
とはいえ、昨今の急激な失恋コンテンツの減少とか、ちょっと異常じゃありませんか?

▼ VR

> > > > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> > > いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> > > デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> > > マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> > > 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> > > 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> > 個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
> > それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

> 正直、SAOは最初の数話を見ただけなので、断言は出来ませんけど、
> 恐らく、旧トルコ担当さんが想定しているモノとは、全く違うと思いますよ・・・・
> 仮想空間にフル・ダイブして楽しむとか、そういう話では無いので。
> って、それとも本当に、SAOの中にも、そんな描写があるのかな?
> もし あるのだとすれば、具体的に何話くらいのエピソードですか?


脳の感覚中枢(なんてあるのか?文系(を言い訳にしている人間)には全く分からないw)みたいなところに、直接信号を送る、みたいな話なのでは?
違うのでしょうか?

▼ AI

> YouTuberは基本的に、「一方通行」の発信であるのに対して、
> お客様サポートは、「双方向」のコミュニケーションだからですね。
> そして、対象となる相手も、お客様サポートだと多種多様な想定を強いられますが、
> YouTuberのファンであれば、それが限定されるという話です(合わなければ離脱するだけなので)。
> 要するに、求められる技術のレベルが、かなり違うって感じでしょうか?


ああ、確かに言われてみれば、一方通行と双方向では全然違いますね。

> > AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> > AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

> そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
> もし本気でそう思われているのなら、大きなビジネス・チャンスですから挑戦されてみれば?
> 仮に実現出来たなら、アッと言う間に億万長者になれるはず(笑)。
>
> と、茶々を入れるのは、この辺にしておいて、
> 以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
> 「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
> そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。
> そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、
> 少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
> 今だと、せいぜい「大喜利AI」程度でしょうか?
> でもこれも、膨大なデータ・ベースの中から、突拍子もない返しが来るから面白いのであり、
> 人が聞き入るレベルの会話となると、とてもじゃ無いですが無理です・・・・


コスト、はよほどのニッチAIでなければ、開発費にいくらかかろうと、確実に安くなるのでは?
そうなると、後クリアすべき場所はレベルだけですし、
そのレベルもGoogle翻訳→みらい翻訳→AIのべりすと、みたいな進化を見ると、そう遠い未来じゃあなさそうな気はしています。
10年……まあ、そんな感じなんですかね。

> そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
私も知りませんよ、そんなAI。

▼ オタク文化

> > 私の考えは反対ですね。
> > AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> > であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

> えっ!?
> マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。
> だからこそ、いつも不満ばかり言われるのに、実写化の流れは止まらないんです(笑)。
> そりゃ、一握りの話題作とかは別ですけど、基本的には市場規模がまるで違います。


90年代のジャンプ黄金時代には、クラスの男子の半分は(毎週でないにしろ)ジャンプを読んでた、というイメージなのですが、これって結構違いますか?
ゲームも私が小学生の時にはクラスの半分はポケモンしてたイメージですが、実はこれって私が結構偏った場所に住んでたってこと?

> いや〜、そこまで強い主張はしていませんよ(笑)。
> え〜と、何と言えば良いですかねえ?
> 簡単に言えば、「見る」と「好き」とは別ですし、
> 同じ「好き」にも度合いの違いがあるって感じでしょうか。
> ぶっちゃけ、流行ってるから見る・・・それ以上でも、それ以下でも無いかと?
> 例えば、エヴァが流行ってるから、エヴァを見るのであって、
> 考察談義に花を咲かせるようなオタク的な楽しみ方は、別に、ほぼしていないと思うんです。
> で、前述した通り、当時の西尾維新は、かなり人気がありましたからねえ。
>
> そういう意味では、マイルド・ヤンキー層が、特出して好んだという事ではなく、
> 世間と同程度に、マイルド・ヤンキー層の中にも、見た人が居たってだけの話だと思いますよ。
> それに、「彼らに趣味を尋ねると、暴走行為よりも、アニメ鑑賞が多いんです!」って、
> 今の時代、「そりゃそうだろ」としか思いませんけどね(笑)。
> あくまでも「マイルド」なんですし、暴走族なんて今や絶滅危惧種じゃないですか?


ああ、そういうことだったんですね。
そこまで流行ってたんですね、西尾維新。

> 「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
> 精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。


では管理人さんのフェチズム(精神的な嗜好性)理解ってどんな感じなのでしょうか?
いや、聞かれていませんし、自ら表明することでもないですから言いませんでしたが、私もフェチズムの一つや二つは嗜んでますし、
そこまで全面否定されるのであれば、逆にもっとそのディープな世界は教えて欲しいですw

ちなみに前回の文意としては、ロリにしても何にしても、とりあえず脱がせておけば買ってくれるだろ、みたいな商業主義が見え隠れするものが多いので、
「そんなのは描写が過激なだけ」と言ってるだけですね。
ロリ系はそんなのが特に多いですし。

> そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
> 実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
> 歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
> 特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
> 自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。


それが理想なのは分かっているのですが、それって膨大な時間を必要としますし、また実際に見てみると案外面白くないことも多いので。
「宇宙戦艦ヤマト」は私は好きですが、あれ見ただけでアニメ史の知識などがなければ、なぜヤマトが時代を代表する作品になりえたのかなんて、分かりっこないですし、
知識から入る、というのはベストではないものの、現実的な選択肢だとは思います。

> > うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、
> > 悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
> > Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
> > 昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
> > それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
> > 一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
> > 1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。

> う〜ん、そうとも言えますし、そうとも言えない面もあるのかな?
> テレビやビデオしか無かった時代に比べると、作品の寿命が延びたというか、
> ピークが過ぎ去った後の「低空飛行な人気」というのが、非常に長くなったのは事実だと思います。
>
> でも一方で、作品が消耗品として、大量生産されるような時代でもありますし、
> ストレスの多い現代社会を反映して、噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りましたから、
> 1作1作のピークの高さや、その長さ自体は、やはり小さくなってる気はするんですよね。
> 解りやすく言うと、「老後」の期間が凄く伸びた感じなので、
> そういう意味では、単純に「1作あたりの寿命が延びた」と捉えて良いのか否か・・・・
>
> > とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、
> > それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
> > 私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
> > 私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
> > とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
> > そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

> これは上述の「消耗品化したアニメ作品」という話とも繋がるのですが、
> 今の時代って、言うほど1つの作品を、深掘りとかしてますかねえ?
> 同じ1つの作品を見続けたとしても、それは時代劇や新喜劇を見る感じに近くても、
> 要するに「安心感」を得るような行為であって、
> 旧来のオタク的な楽しみ方とは、また別物かな?という気もします。


> あと、これが「オタク・イズ・デッド」という話に繋がるかとなると・・・私は繋がらないと思います。
> 後述する通り、確かに一昔前のオタク層の方が、広範な知識を持っている傾向はありましたが、
> でも、だからと言って、そうじゃ無ければオタクじゃ無いという訳でも無かったはず。
> 要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
> 「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。
> もっと言えば、ジャンルの限定化とかは関係無く、深堀りをする事を止めてしまい、
> 提供される大量のコンテンツの、単なる消費者となったが故の、オタク・イズ・デッドな気がします。
>
> 例えば欧米だと、「リベラル・アーツ」と呼ばれる、広範な一般教養の知識を土台にして、
> その上で、自らの専門分野を築く事が理想とされていますけど、
> それでも、他の分野には目もくれず、専門分野を徹底的に極めた人が、充分に尊敬はされます。
> リベラル・アーツが伴ってないなんて理由で、「あいつは専門家じゃない」とは言われませんよ(笑)。
> 対象分野における体系的な知識に欠けているから、専門家では無いと見なされるだけの話で。
>
> > 昔はネットがなく、オタク人口も少なかったので、
> > オタク同士が仮に出会えたとしても、趣味が異なり、結果として相手の趣味も理解せざるを得ないと。
> > 「おたくのビデオ」(アニメ)ではまさしく、マンガおたくや、ガンマニアや、アイドルおたくなどが1つの部屋に集い、
> > 互いの好きなものを教え合うシーンがありましたし、
> > でも今ではオタク同士の交流が簡単なので、マンガおたくならマンガおたくとしか交流しないと。
> > そういう意味では、寒い時代……、なんでしょうね。

> まあ確かに、一昔前のオタクたちの方が、
> 概して「知識の守備範囲」が広いイメージはありますね。
> おっしゃれるように、各分野のオタクが横断的に触れ合っていた面もありますが、
> それ以外にも、好きな分野を深堀りするには、その周辺分野の知識も必要となる為、
> 「あれも知っておけ、これも知っておけ」みたいな風潮があったのも事実かと。
> (そういう意味では、私も昔ながらの気質のタイプでしょうか・笑)
>
> で、ネットで何時でも誰とでも気軽に繋がれる時代では無かったからこそ、
> 合える貴重な時間で情報を交換し、その情報を深く摂取する時間が充分に取れたのかも?
> 今の時代、圧倒的な情報量の処理やコミュニケーションに押し流されて、
> 「1人で考え抜く」という行為が、かなり疎かになってる感覚もありますし。


この辺はもう、オタクに対してどんなイメージを持っているか、という違いなんでしょうね。
私の場合は、結構腐女子の人に対してもあこがれがあるので、そういう作品の消費の仕方もオタク的と分類しているのですが、
この辺は管理人さんの定義するオタクではなさそう。



[23931] Re2:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか返信 削除
2022/5/1 (日) 05:01:53 旧トルコ担当


掲示板を読み返していると、追加で返信したいことが増え、それを全部書いていたら、とてもまとまりのない文章になりました。
すみません。

▼ 伝えることについて

> あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。


ああ、まあ、管理人さんの指摘も分からなくは無いです。
同じ情報を得たとしても、見解が変わって来るのは当然であり、
「自分と見解が違う→これは、持ってる情報が違うからに違いない、同じ情報を得れば、同じ見解になるはず」という思考では、
相手の理解をする努力が全くされていないと。
それでは、堂々巡りだよね、ということですよね?

とはいえ、ハッキリ言わせて貰えば、それは誤解です。
私は管理人さんの文章を何度も読み返していますし、
それでも尚理解できないから、「私にはこう見えていますよ、私はこう思うのですが、管理人さんはどう思われますか?」
という意図で自分の主張とその根拠を繰り返し別の角度から書いているんですよね。

> まあ、最近の長文癖の悪化は、自分自身も「酷いな」と感じてますので(苦笑)、
> 返信はいつでも結構ですし、全てに返信しようと思われなくても大丈夫ですよ。
> 以前までは、投稿文を読んで、頭に浮かんだ内容の2〜3割を返信文に起こしてたのですが、
> 最近は、ほぼ無編集に9割方、読んで思い浮かんだまま垂れ流してる感じ・・・・


長文は全然構わないと言いますか、むしろ大歓迎なのですが、
問題は管理人さんが自分でしか分からない文章になっていることだと思うんですよね。
例えば、管理人さんがAという情報を見てBということを考えた際に、
掲示板ではA→Bという発言になるのですが、脳内ではそのAとBとの間に、暗黙の思考としてCやDが隠れていると。
「中国で少子化が急激に進んでいる」というニュースを見て「中国この先大丈夫だろうか?」という感想を抱いたとしても、
その間には暗黙の思考として、「中国はまだ経済成長の途上にあり、貧しい人がまだまだ多い」というものがあるはずです。
ところが、「中国この先大丈夫だろうか?」という結論だけ書かれると、
私には間の「中国はまだ経済成長の途上にあり、貧しい人がまだまだ多い」が分かっていないため、なんでそういう結論になるのか、こちらにはよく分からないと。

> 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。

> まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
> そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
> 現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
> 俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。


少なくとも、これ↑では何が言いたいのか、よく分からない、ということですね。

前の文化の衰退の話の時も、文化の幅というキーワードが出て来るまで、全く管理人さんの主張って分かりませんでしたし。

偉そうにすみません。
この文章は実は前にも似たような文を下書きしたのですが、失礼かと思い投稿しなかったんですよね。
ただ今の返信状況だと、早めに書いておけば良かったと思います。

前の文化の話の時とかも、「文化の幅」というキーワードが出てくるまで、何度読み返しても管理人さんがなにを言いたいのか全く分からんかったので。

我ながら生意気だなあw

後は、今回のホワイト革命の動画の後半部分を追加で説明したのは、私が最初にホワイト革命の話を聞いたのが有料の別動画であり、
管理人さんにリンクを貼った動画だけを見たのでは、印象が異なるかもしれない、と思ったからなんですよね。
岡田斗司夫って、たまに前後半セットの動画を、前半だけ無料公開することがあるので(前半だけ見せられた視聴者は何の話なのか分からないはず)、
今回もその手の動画であったことを後から思い出したので、細く説明として後半部分を追加で説明したんですよね。

といいつつ、まあそんなことは管理人さんも分かってるんですかね?
その上で、また足りねーよ、ということなのかもしれません。

> もう少し解りやすく説明すると、人はそれぞれ独自の視点を持っているモノであり、
> 同じ状況下でも、AさんにはAの、BさんにはBの、CさんにはCのモノの見え方の違いがあるんです。
> ですから普通は、「自分的には こうだ」という認識はあるにしても、
> 「あの人的には ああだろうし、この人的には こうだろうな」という想定を行うものなのですが、
> どうも旧トルコ担当さんの場合は、「自分的には こうだ」に続いて、
> 「だから、あの人も、この人も、そうだろう」と、ついつい見てしまいがちな傾向が見受けられます。
> 恐らく本人的には、「いや、そんな事はないよ!」って感じだとは思いますが、
> これはもう、20年以上サイトを続けてきて、多くの人達と触れ合ってきた上での、私なりの実感ですね。


「そんなことないよ」とは思ってませんよ。
私は頑固者ですし、自分の考えを曲げたことは、おそらく人生で一度もありませんw
とはいえ、相手の説明を聞いて「自分の考えが違ったな」と思うことはありますし、逆に言えばそう思うまで考えを変えないと。
正直言えば、掲示板でやり取りをする中で、管理人さんの話をちゃんと読めていなかったな、読解力が足りていなかったな、
とは思っていますので、前に比べれば、今の方が実はまだ、聞く耳としては改善されていると思います。
とはいえ、私の根底には、「見解が異なるのは、持ってる情報が違うからだ」という考えは依然強いですし、
だからこそ「互いに持ってる情報を全部出せ」という発想になるんですよね。
これを言い出すと、ほぼ100%付き合ってられない、という反応になるのですが。

▼ ホワイト革命

ホワイト革命について自分の言葉で語ってみろ、とのことですので、
Twitter以外にもうひとつ例を挙げるとすれば、「推し」だと思うんですよね。
「推し」という言葉には、推してる自分と推す対象との間にちょっと距離感があると思うのですが、
その距離感って「自分の住んでいるこちら側の汚い世界と、推しの住んでいる尊い世界」みたいな価値観が前提にあると思うんですよね。

若者の恋愛離れとかも、ここ10年に限れば、この辺の影響も受けてると思うんですよね。
自分の好きな人はホワイトであってほしいし、だから好きな人と自分が付き合うなんてありえない、と。
だって自分はそんなにホワイトじゃないから。
そうなると行き着く先はCP厨だと思うんですよ。
遠くから、尊い二人を見ていたいとなるので。
おそらくですが、BLの拡大にはこの価値観が影響しているはずです。
で、これもホワイト化の一種だと。
(逆に言えば、なんで腐女子の人たちは80年代というかなり早い時期に推しカプという概念にたどり着いたんですかね?
まあ、女の子は小学生のころから割と他人の恋愛話に興味がある、というのはありますが)

nhkのねほりんぱほりんに出演していたイケメンキャラ好きの女性が
「リアルの男は毛深いのが生理的に無理」「リアルの男はウンコするのがイヤ」
って言っていましたけど、これもホワイト革命においては、割りと極端とは言えない価値観だと思うんですよね。

まあ、後は『千歳くんはラムネ瓶の中』というラノベがあり、まだ1巻しか読んでないのですが、ホワイト化を感じましたね。
ラムネ瓶は私よりももう数歳年下世代がメインターゲットだと思うのですが、わずか数年の差でこんなにも価値観が違うのかと。
内容としては、オタクの引きこもり高校生が、クラスの女の子をとっかえひっかえしているリア充野郎に不登校を矯正されるというだけで一巻が終わるのですが、
私の世代であれば、もっとリア充とかへのやっかみとか、逆張りでリア充はクズ、みたいなのがあったのですが、それがないんですよね。リア充全肯定。
これもまた、リア充=ホワイトの側、という価値観が浸透してるからだと思います。(ちなみに、リア充の側もメッチャいい奴w)

私にとって岡田斗司夫のホワイト革命論が衝撃的だったのは、割りと上記みたいな価値観って、オタク的な価値観だと思っていたのですが、
それが若い世代ではかなり普遍的だということを知ったからでした。

ちなみに、前に出した、顔の良しあしが成績に影響しているのではないか、という話もこの辺が前提にあります。
自己肯定感とか、メンヘラなんて言うのも、この辺をこじらせているのでしょうね。
そういう意味で、私は本当にデブでなくて良かったと思っているんですよ。
もし私がオタクな上に太ってたら、おそらく自己肯定感とかが壊滅していて、今頃はどうしようもない無気力状態にあったと思うので。
太るか太らないかはDNAが大きく影響しているらしいですが、本当に太るDNAを受け継がなくて良かったと思っています。

まあ、管理人さんの「選挙だって、今の時代だけ見ればトランプは民主主義の終わりくらいに巨大な存在に見えても、歴史的、ミクロ的にはよくあるパターンでしょ。
同じように私の言うSNSのホワイト化も、数ある流行パターンのひとつにすぎない」というのも分からなくはないんですよね。

管理人さんがホワイト革命論をあまり大きな変化と捉えないのって、結局は視点の違いなのかな?
私の場合、岡田斗司夫のホワイト革命論を聞いた際に、「あれもそうだ、これもそうだ、確かにホワイト化されている」となったのですが
(今まで書いた例以外にも、まだまだいくらでも例示できます)、
なまじ最新の若者文化には触れてないだろう管理人さんからすれば、ミクロな視点がない分、
かえってマクロな視点からしか見てしまい、そんなにか?ということになってる、ということなのでしょうか?
いや別に、若者文化なんて分からないのが当然だと思いますので。
私も「エヴァンゲリオン」を見て、まあまあ面白かった以上は、「95年のオタクはこんなのが好きだったんだな〜」としか思えませんでしたし、
私が25年前のオタクの若者の気持ちを分からなかったのだから、管理人さんが今の若者の気持ちを分からなくても、当然だと。

で、ホワイト革命って、結局は
「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」
ということだと思うのですが、このことに対してはどう思われますか?

▼ オタク史

> そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
> 実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
> 歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
> 特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
> 自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。


当時の作品にいきなり触れても、結構分からないものですよ。
例えば前に挙げた『ロードス島戦記』(88〜93年)は第1巻を読んでみましたが、最後まで面白さは分かりませんでした。
『きまぐれオレンジロード』(84〜87年)も無料公開されているので読んでみましたが、第2巻の途中で挫折していますし。
(https://www.sukima.me/book/title/kimagureorangeroad/)
まあ、好みとは違ったというのもありますし、
今は面白さが分からなくても、まず最後まで読んでみろ、そしたら面白さが分かるはずだ、というのもありますが、
それよりも30年、40年の年月というのはそれだけ大きいということだと思うんですよね。
だからこそ、その当時の受け取られ方を知るということが重要なんです。
『宇宙戦艦ヤマト』なんかも、SFブームだとか、アニメ史といった背景を知ってから見れば、
ああなるほど、ヤマトはこういう風に面白いんだな、というのが分かり、ちゃんと楽しめましたし。

で、こういう作品の見方って、もう芸術作品の見方と同じなんですよ。
私は中学生のころに源氏物語を読んだときは、初めは面白さが分からなかったのですが、
中学生であまり他の娯楽を知らなかったこともあり、分からなくても読み続けていると、
段々と平安時代の習慣とか、恋愛観とか、短歌の読み方が分かるようになり、面白さが分かるようになりました。
オタク作品も、これと同じやり方が必要なんですよね。

私の場合は、そういった勉強をせずにナチュラルに楽しめる範囲って、00年代前半〜90年代後半くらいが限界点ですね。
それ以前になると、最低限は「この作品は名作と言われているんだから、どこかに面白い部分があるはず」という覚悟を持って、
多少分からなくても我慢しないと見れません。

まあ、だってオタク命名が1983年、もう40年近く昔です。
この40年間、あまり日本社会が変化していないから、なんか感覚が狂いますが、
39年前って、2022年-1983年-1944年-1905年-1866年ですよ。
可視化されないだけで、結構な変化が内的にはあるはずなんですよね。

▼ 作品の大量消費化

> > > > あと、この辺がオタクの偏屈さなのですが、今季アニメを見ていろいろ言ってる奴らって、
> > > > 結局はアニメオタク同士で盛り上がりたいだけでしょ。
> > > > 孤独になって自分の好きなものを追いかけなければオタクとは言えないでしょうし、
> > > > コミュニケーションツールとしてアニメを使うのは、少なくとも私の憧れたオタクの姿ではないと。

> > > まあ確かに、ここ10年くらいの間で、
> > > アニメを楽しむ為の、手段としてのコミュニケーションだったモノが、
> > > 目的がコミュニケーションであり、アニメは道具化・手段化した感じはしますよね。
> > > とは言え、「コミュニケーションこそ人類最大の娯楽」である事を思えば、
> > > だからこそ、オタク文化は一般層へと広がり、以前に比べれば社会から受け入れられた側面もあると。
> > > でも、それはオタク文化の商品化とも同義であって、一昔前のようなオタク的楽しみ方は、
> > > これだけネットが発達して便利になったはずなのに、却って難しくなったような実感はありますね。
> > > それこそ、全体の人数が増えれば、密度は薄くなると同時に、悪貨が良貨を駆逐していくような感じで。

> > うーん、ネットによるオタクへの影響という意味では、
> > 悪貨が良貨を駆逐していってライト化が進む、というよりも、タコツボ化の方が大きい印象。
> > Twitterとかで、同じアニメのファンとは格段につながりやすくなったと思いますし、
> > 昔のアニメサークルとかでは、アニメ好きくらいの括りでは集まれたとしても、完全に趣味が一致するオタクとは合えなさそうな印象。
> > それこそ、Twitterならば24時間365日同じアニメのファンと交流できますので、pixivの二次創作や、Twitterでの作品語りを含め、
> > 一つの作品を無限に楽しめるようになりましたし。昔はコミケとかまで行かないと、そういうことってできなかったと思うので。
> > 1作品当たりの寿命は凄く伸びたのかな。

> う〜ん、そうとも言えますし、そうとも言えない面もあるのかな?
> テレビやビデオしか無かった時代に比べると、作品の寿命が延びたというか、
> ピークが過ぎ去った後の「低空飛行な人気」というのが、非常に長くなったのは事実だと思います。
>
> でも一方で、作品が消耗品として、大量生産されるような時代でもありますし、
> ストレスの多い現代社会を反映して、噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りましたから、
> 1作1作のピークの高さや、その長さ自体は、やはり小さくなってる気はするんですよね。
> 解りやすく言うと、「老後」の期間が凄く伸びた感じなので、
> そういう意味では、単純に「1作あたりの寿命が延びた」と捉えて良いのか否か・・・・


まあ、この辺は「低空飛行な人気」というのをどう捉えるかにもよるんでしょうね。
私のオタク観では、BLというジャンルを下から、つまり商業的な上からではなく、ファンの方の下から作った、
80年代後半の腐女子たちこそ、オタクの中のオタクだと思っていますし、
なので、低空飛行期に行われる同人活動とか、pixivに二次創作小説を投稿したり、ツイッターで作品の解釈をツイートしたり、
というのが、オタク度の高い行為だと評価しています。80年代後半の腐女子も同じ事をやっていたと思いますので。

> 噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りました

これは半分くらい間違っていますね。
今のオタクにとっては、今の作品こそ、スルメ的な読みごたえがあるんですよ。
作品の見え方が違うということですね。
まあ、管理人さんの言うような、旧来的な意味での読み応えのある作品、という意味では減っているのも事実ですが。

> あと、これが「オタク・イズ・デッド」という話に繋がるかとなると・・・私は繋がらないと思います。
> 後述する通り、確かに一昔前のオタク層の方が、広範な知識を持っている傾向はありましたが、
> でも、だからと言って、そうじゃ無ければオタクじゃ無いという訳でも無かったはず。
> 要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
> 「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。
> もっと言えば、ジャンルの限定化とかは関係無く、深堀りをする事を止めてしまい、
> 提供される大量のコンテンツの、単なる消費者となったが故の、オタク・イズ・デッドな気がします。
>
> 例えば欧米だと、「リベラル・アーツ」と呼ばれる、広範な一般教養の知識を土台にして、
> その上で、自らの専門分野を築く事が理想とされていますけど、
> それでも、他の分野には目もくれず、専門分野を徹底的に極めた人が、充分に尊敬はされます。
> リベラル・アーツが伴ってないなんて理由で、「あいつは専門家じゃない」とは言われませんよ(笑)。
> 対象分野における体系的な知識に欠けているから、専門家では無いと見なされるだけの話で。


うーん、オタク・イズ・デッドって、オタクの劣化とか、作品の大量消費化とか、そういう話ではないですよ。
往々にして、そういう風に誤解されますが。(岡田斗司夫の話が長いのが全部悪いんですw)
オタク・イズ・デッドというのは、オタクという共通意識の喪失であり、ジャンルが違うオタク同士が仲間意識を持たなくなったことを指しています。
ですので、
> 要するに、その人の守備範囲が狭くても、自分の好きな分野はトコトン深堀りしていれば「オタク」な訳で、
> 「タコツボ化したからオタクじゃない」とは言い切れないと思います。

というわけではなく、タコツボ化した結果、マンガオタクがSFオタクが何が好きかを知らない、興味もない、となったからオタクが死んだんです。
別に、オタクが自分の好きなジャンルのことしか知らないのは昔からそうですが、それでも昔はオタク同士が巡り合える確率が低かったため、
必然的に、何となく今美少女フィギュアでこんなのが人気だ、とか、そういう話を聞いたことぐらいあったんだろうし、だから何となくの共通意識もあったのだと思います。
でも、ネットでショートカットができるようになった結果、興味のない美少女フィギュアの話は、一般人と同じレベルの認識しかないオタクが増えた。だからオタクは死んだのだと思います。

▼ ホワイトコンテンツ

> まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
> 癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、


うーん、ストレスの多い社会になっている、というのは本当なんですかねえ?
昭和の方が週休1日で、上司との飲みに付き合わされたりするのも多そうで、ストレスが溜まりそうなイメージですけど。
結局、昭和の方がストレスが溜まっても、それでも給料が上がるから我慢できた、希望が持てた、ということなんでしょうね。
うーん、やはり昭和って今といろいろ違うんだろうなあ。

あと、ここがやはり世代差なのかもしれませんが、正直そういった消極的な理由のみでこうした作品が選ばれている、というのは間違いだと思いますよ。
伝わるかどうかわかりませんが、今のアニメとかの見方って、下のツイートにあるように、涙を流しながら見るような部分があるので。
https://twitter.com/Ui0518/status/1520312033333628929
ホワイト化って、こういうことなんですよ。
どう書けば伝わるのか分かりませんが、要は徹底的に登場人物に感情移入して、涙を流したりするので。
これってアニメに限らず、私がちょっとやったソシャゲのストーリーもそうでしたし、
私はHoneyWorksという女子中学生くらい向けの音楽ユニットが好きなんですけど、ハニワもそうなんですよ。
繰り返しになりますが、これって単純に私の趣味とか、昨今のオタクの傾向くらいに捉えていたのですが、
岡田斗司夫のホワイト革命が衝撃だったのは、これがむしろ今のスタンダードで、別にそこまで極端にオタク的な傾向ではない、という点だったので。
言ってしまえば、ホワイトコンテンツとでも命名すべき、マンガやアニメやゲーム(のストーリー)が生まれてきている、ということなんでしょうね。

ホワイトコンテンツがどんなものかを説明するため、銀英伝をホワイト化した、ホワイト銀英伝なるものを妄想するなら、
銀英伝のフォーク准将とか、門閥貴族とかって、ヘイトキャラなんですよ。ああいうのはミュートの対象なので、そもそも作品に出さない。
あるいは、作品に出てきたとしても、主人公をはじめとするホワイトキャラ達とは、一線が引く。
じゃあ悪者なしでどうやって物語を動かすのかと言えば、基本的には物語後半の、ロイエンタールとミッターマイヤーの対立のような、
ホワイトキャラ同士の問題や、誤解による対立で物語を動かしていきます。

具体例を出したので、より抽象的なホワイトコンテンツの特徴を挙げると、
・ヘイトキャラが出てこない、出てきても他のホワイトキャラとは一線が引かれている
・物語を動かすために=主人公たちに試練を与えるために、出てくるキャラクターは3パターンに分かれ、
 ・単純なヘイトキャラ(昔風に言えば悪役)、出てきたとしてもホワイトキャラとは一線が引かれる
 ・ホワイトキャラ同士の誤解や、信念の対立、往々にして対立の後にはお互いの誤解が解け、仲直りする

こういう見方って、一番早くそれをやり始めたのが、腐女子の人たちだと思うのですが、あれが一番最初に流行ったのは80年代後半からですし、
バブル崩壊で世知辛い社会になって、だからそういう傾向のコンテンツが流行っているのだとすれば、バブル崩壊前の80年代にBLが流行り始めたことは説明がつかないと思うので、
単純に世知辛くストレスが多い社会になったとか、そういう面だけじゃないと思いますよ。

> で、逆に尋ねますと、ここ10年あまりで、具体的に「これ」といった新文化って何か生まれました?
> 私が知らないだけだったり、付いていけてないだけなら、却って嬉しいんですよ!!
> 過去を懐かしむよりは、見知らぬ未来にワクワクするタイプですから、
> もしも気付けていないだけで、新しい刺激が存在するなら、是非とも知りたいので。
> 平成の30年間で、最初の10年間は、土台にあった戦後昭和の文化が成熟期から爛熟期を迎え、
> 続く中間の10年間は、ネットという新しい環境の変化が、様々な文化を生み出しました。
> しかし、平成最後の10年間となると・・・少なくとも私には思い浮かばないんですよね(泣)。


そういう意味で、この10年の新しい刺激って、ホワイトコンテンツなんでしょうね。
であれば、管理人さんも、無理して新しい文化を知る必要もないのではないですか?
私も、オタクの歴史を勉強する中で、「オタク史の色々な本で紹介されているのだから、きっと凄い作品に違いない」と思って見た作品が、
「あれ、案外面白くないな。凄い作品なのは分かるけど。20年、30年前の作品って、やっぱり面白く感じられないものなのか」という経験がありましたし、
(エヴァンゲリオンなんかそうでした)、私は過去の作品を見て、案外面白くないな、でしたけど、
これって逆に言えば、未来の作品もまた、案外面白くないな、と思うということだとも思うので。
だって、かぐや様も見てて、リゼロも見てて、それでホワイト革命に否定的ならば、世代差による見え方の違いだと思うので。
逆に、それが嫌なら勉強しましょう。勉強すれば、世代が違っても分かるようになること「も」あります。
かぐや様を読んでいるのであれば、同作者の『推しの子』というマンガはどうでしょうか?
5〜7巻あたりの、2.5次元舞台編はかなりホワイト的な価値観全開ですので、勉強としては格好の題材かと。
(一応追加説明しておけば、推しの子はホワイトコンテンツの中でも、部分ミュート型なので、ヘイトキャラが多少出てきていますが、
基本的にはヘイトキャラとホワイトキャラの間に一線が引かれています。
あるいは、ヘイトだった側のキャラが自ら反省すること、誤解が解けることによって、ホワイトの側にくる場合もありますが)

と、言いつつも、別に若者文化が全てホワイトコンテンツなわけではなく、
前に出てきた「よう実」なんかは、割とそういったホワイト文化的なものに対しては、一定の距離を取っています。
とはいえ、よう実の場合は、そういったホワイトコンテンツ的な考え方は出てきていますし、
それもまた完全に否定されているわけでもないので。

ちなみに、あらゆる社会論って、
・論の概要 (既存の社会認識と異なる、新たな社会認識の提唱)
・具体例
・変化の要因 (なぜそのような社会変化が起きているのか)
の3つの要素から構成されると思うのですが、
岡田斗司夫のホワイト革命論って、具体例と変化の要因の説明がなく、
論の概要だけがかろうじて「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」
と説明されているんですよね。
でも、それだけで視聴者は「ああ、確かに、私の周りでもこんな例とか、あんな例がある、あれ全部ホワイト革命で説明できる!!」
となるのだと思うんですよね。
で、「ああ、確かに」が無い時点で、管理人さんが新しいホワイト文化に気づいていないだけではないのか、と判断しています。

といいつつ、ホワイトコンテンツなんて言うものが幻想であり、昔からあったものなのかな?
正直、私もメチャクチャ昔の作品に詳しい、とかではありませんし。
少なくとも、岡田斗司夫のホワイト革命論がなければ、
ホワイトコンテンツ論に対しては、いやそんなの昔からあったでしょ、と反応していたでしょうし。

とはいえ、恋愛コンテンツでいえば、明らかに
バブル期の失恋ものが割合として多かった時代→90年代後半から00年代前半の、悲劇的な恋愛が多かった時代→昨今のハッピーエンドが多い時代
というのがありますし、自分で作品を追っていても、10年前と傾向が違うよな、というのはあるんですよね。
やはり論を展開するには、当たるべき作品の数が圧倒的に足りてない気がする。

▼ ロリコン

> > > > 私が「物語シリーズ」のアニメを見たときは、
> > > > 小学生以下の女の子に対する本気の愛が伝わってきて、「なかなかの本気のロリコンアニメだなあ」と感じたのですが、
> > > > オタクじゃない人たちにとってこれはどう見えているのでしょうか?
> > > > 物語シリーズのロリ愛を分かったうえでそもそも気にならないのか、
> > > > はたまた、ジャンルが違えど、そういう作っている側の本気度に気づいてしまうのはオタクだけであり、
> > > > ちょっとアニメを見る普通の人には見えていないのか?
> > > > 管理人さんはどっちでしたか?

> > > で、逆にオタク層から見た場合・・・この程度はガチのロリコンじゃないでしょ!?(笑)
> > > 今の基準から見たら さておき、当時の基準で言えばファッション・ロリって感じで、
> > > 正直な所、八九寺とか妹たちとも、やりすぎ感はあっても、じゃれ合ってるレベルに映りますね。
> > > あれで「本気のロリ愛」と感じるとなると、10年くらい前から始まった「浄化作戦」は、
> > > かなりの成果を上げたと捉えて良いんでしょうね。

> > いや、こういうこと書くと、お前の性癖の話かよ、と思われそうですが、私はそっちのロリには全然興味ないんですよ。
> > で、普通はそういうのって、その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらないと思うのですが、
> > 物語シリーズってその辺のロリ愛が、そうでない人間にも伝わってきたので、
> > これオタク以外の人にも分かっちゃうんじゃないのかなあ、と感じたのですが、
> > やはり普通の人には伝わってなかった感じですね。


> う〜ん、気を使って回りくどい表現をした為に、まるで伝わってないみたいですね・・・・
> 解りやすいようハッキリ言ってしまうと、旧トルコ担当さんが感じるような事は、
> いわゆる「普通の人」にだって、当たり前ですけど、充分に伝わってますよ(笑)。
> だって、旧トルコ担当さんの抱いている「感覚」って、
> 当人的には「オタク的な感覚」と思われているようですが、明らかに「普通の人の感覚」なので。
> 逆に、ガチロリ勢の感覚からすれば、「あの程度で『本気のロリ愛』ってwww」という感じかと。


ああ、やはり伝わっているんですね。

> それこそ御自身でも、既に表明してるじゃないですか?
> 「ロリには全然興味ない」とか、「その手の趣味を持ってる者同士でしか伝わらない」って。
> それなのに何故、こうも自信満々と「自分は解っている!」つもりに、なれるのでしょうか?
> これは全快の私の書き方が悪かった部分もあるのでしょうが、
> 「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
> 精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。
> って、世間一般の感覚からすると、そんなの理解できる必要なんて、全く無いんですけど(苦笑)。


ロリコン系って、フェチズム的な、精神的な部分って少ないと思います。
幼児体系なんて言葉があるように、体がメインであって、心は別に欲していないというか。
だからロリコン系のエロって、レイプ系が多いのではないでしょうか?
ロリコンに精神的なフェチズムが求められているなら、いちゃらぶ的なロリコン作品もこんなに少ないわけないですし。
(もちろん、フェチズムだからこそ、あえてレイプ系が好きな人もいるでしょうが)
あと、ロリコン系エロがレイプ、特におじさんによるレイプになりがちなのって、ロリコンに対する罪悪感の表れだと思うんですよね。
罪悪感があるからこそ、自らおじさんがレイプするという方向のマンガが選ばれ、いちゃらぶのロリエロが選ばれないと。

それでも時代が下るにつれ、ロリ系のいちゃらぶも増えてるのかな?
00年代の妹モノも、レイプ系ではないですし。
『化物語』はそれが他人のロリに対しても広がった、ということなのかな?
あるいは罪悪感のリミッターが外されたというか、それだけ世間体を無視して、オタクの理想の世界を描いているんですよね。
個人的には、そういったロリといちゃいちゃすることに何の疑問もない、理想のオタクワールドを描いている部分が、化物語に本気度を感じましたね。

▼ マスク

> > コロナが明ければ元に戻る、というのも日本人だけの考えで、
> > マスク無しが当たり前になっている海外では、既にコロナが明けている、という意識なのかな?
> > https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220414/k10013581791000.html

> 「明けている」とまでは言いませんけど、
> 既に欧米では、「共存の時代(withコロナ)」に入ったんだと思いますよ。
> そもそもコロナは、アデノやライナと並び、いわゆる風邪の3大ウイルスの1つですし、
> その中で「新型が現れた」というだけの話ですから、出現当初は「ただの風邪」とは言えずとも、
> いったん蔓延して定着してしまえば、「普通の風邪」の仲間入りみたいな所はありますので。
>
> > 日本人からすれば
> > コロナ前→今もコロナ禍→コロナが空ければ、国内の規制(マスクなど)も、海外との規制もなくなる
> > と考えがちですが、
> > 外国人は
> > コロナ前→コロナ禍→今は国内規制の無い段階→将来的に海外との規制もなくなる?なくならない?
> > という風に見えてるのかもしれない、ということです。

> かも知れないと言うか、そのまんま、その通りだと思いますよ。
> と言いますか、欧米よりも東アジアの方が、規制解除まで時間を要しそうなので、
> 必然的に、そうした流れとなろうかと。
>
> あとは日本国内の場合、感染対策というよりは、
> 世間の目みたいなモノを気にして、皆がマスクを着けている所があるので、
> マスク解除のタイミングが、一体どのようにして行われるのかは、かなり興味がある所(笑)。
> 欧米社会のように、ルールで規制を行っていたのなら、ルール撤廃と共に規制解除となりますが、
> 日本社会の場合、周囲の空気を読んでの自粛による精神的な規制ですから、
> 明確に「解除!」となるには、それ相応の仕掛け(キッカケ)が必要になってきますし、
> それが仕掛けられないとなると、長い時間を掛けて、済し崩し的にジワジワ緩んで行くしか無さそう・・・・


マスクは、し続けるんじゃないですか?あと5年か、もしかしたら10年くらい。
コロナに明確な終わりがない以上、マスク圧力は続きそうですし、また現在既にその価値観変化、が起きているというか、
「完全に元に戻る」ということはないかと。
マスクに離れたし、もうこれが普通という感覚の人は結構いそう。

大学のリモート授業なんかも、「ああこの教授は、コロナ明けてもリモートでやるだろうな」という人はいますし。
(逆に大学から命令されない限り対面に拘る教授もいますが。)
何がいいたいかと言えば、コロナ明けても教授によってはリモートを続けるのと同様に、
コロナが明けてもマスクをし続ける人はし続けるので、「完全に元に戻る」ということはないのではないか、ということです。

▼ AIYouTuber

(1)AIYouTuberが受け入れられる可能性

> > 私の考えは反対ですね。
> > AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> > であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

> えっ!?
> マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。
> だからこそ、いつも不満ばかり言われるのに、実写化の流れは止まらないんです(笑)。
> そりゃ、一握りの話題作とかは別ですけど、基本的には市場規模がまるで違います。
>
> > グラビアだってCGではなくリアルだからみんな見る、とのことですが、ではこれってエロ漫画はどうなのでしょう?
> > エロ漫画だってコンビニで売られてるくらいに、需要はあったと思います。
> > 別にリアルの人間である必要って、そんなにないのでは?

> こちらも、同じ話の繰り返しになりますけど、
> 確かに需要があるのは事実ですが、その需要の規模はまるで違います。
> 例えばAVにしても、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要は確実にあるものの、
> だからと言って、「別にノーマル系である必要はない」とは、ならないのと同じ事です。
>
> 一昔前ほどでは無いにせよ、オタク文化というのは、未だにマニアックな世界であるという認識は、
> それなりに持っておいて然るべきかとは思いますよ(笑)。


アニメやマンガよりも、映画やバラエティ番組など、本物の人間が出ている方が圧倒的に市場規模が大きいというのは事実ですけど、
とはいえ「一握りの話題作」という話を管理人さんもしているように、マンガやアニメを一切見ない人、全くハマったことがない人、というのも少数派だと思います。
それっていわば、マンガやアニメにのキャラクターものに対する教養というか、それらを楽しむための土台は多くの人が持っているということなので、
そちらのクオリティが上がれば、そっちに流れる人もたくさんいると思うんですよね。
例えるなら自動車免許みたいなものでしょうか?
皆が自動車免許を持っていないのであれば、いくら安くて高性能な車を作っても売れないでしょうが、
自動車免許は持っているけど、車は持っていないという状態であれば、車の性能向上と価格低下で市場が拡大する余地はあると。
少なくとも、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要、とかとは完全に異なるはずです。
だって、あれはほとんどの人が一度も見たことないものでしょ。

(2)AIの技術的可能性

> > AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> > AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

> そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
> もし本気でそう思われているのなら、大きなビジネス・チャンスですから挑戦されてみれば?
> 仮に実現出来たなら、アッと言う間に億万長者になれるはず(笑)。
>
> と、茶々を入れるのは、この辺にしておいて、
> 以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
> 「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
> そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。
> そして現状、それで飯を食ってるプロよりも、面白いネタを話せるAIだなんて、
> 少なくとも私は、全く存在を知りませんね。
> 今だと、せいぜい「大喜利AI」程度でしょうか?
> でもこれも、膨大なデータ・ベースの中から、突拍子もない返しが来るから面白いのであり、
> 人が聞き入るレベルの会話となると、とてもじゃ無いですが無理です・・・・
>
> と言いますか、AIがどうこうという以前に、そもそも人間同士の会話において、
> どうすれば上手く伝わり、どうすれば興味を持ってもらえ、どうすれば面白いかなど、
> その「難しさ」というのは、充分に理解できそうな気がするのですが、
> 仮に、それすら気付けていないとなると、
> 天性のコミュニケーション能力が半端ない人間か? それとは正反対の人間か?
> そのどちらかのタイプになりません?(笑)


しゃべりの技術が難しいというのは確かにそうですが、
AIってコンピュータの計算速度さえお金を出して向上させれば、いくらでも動画を作れるので、
例えば1日に1万本の動画を作る、みたいなことも可能だと思うんですよね。
で、1万本も作れば、中には偶然面白いものが生まれることもあると。
数うちゃ当たる戦法は、それこそ自動運転や電話対応では使えませんが、
YouTubeなどでは使える戦法ですし、
どれだけしゃべりの技術を向上させても、人間には寿命というものがあり、
1日24時間に投稿できる動画数には限界があるということを考慮すれば、
人間がそこまで優位性を持っているともはあまり思えないんですよね。

▼ おたく評論

> また、「評論系は割と適当」との事ですが、ああいうのって、
> 自分とは異なる「こういう見方があるのか」と気付かされたり、
> 自分の中で纏まらない考えを、スッと的確に表現していて腑に落ちるだとか、
> そうしたモノを求めて読むモノなので、そもそも読み方を間違えているというか、
> 旧トルコ担当さんの場合、誰から「正解をもらう」事を、求めすぎてる感じがするんですよね・・・・
> 「歴史の本」にしたって、別にそこに書かれてる内容が、全て正解って訳でもありませんし、
> 単なる受け売りだけでは、「歴史を調べる」行為にはならないので。
> (本とは絵の具であり、歴史って、それらを用いて全体像を描いていく作業に近いかも?)


評論が嫌いなのは、オタクの歴史を勉強する中で、本当にどうしようもないような低レベルの評論も初期には一生懸命読んでいたからなんですよね。
それこそ、「ラノベ読者は表紙の絵にしか興味はなく、なんと本文は読んでいなかったのだー」とか書いてしまう大学教授とかの文章とかも読んでいたので。
あとまあ、本当に作品の解釈などというものがあるのであれば、それはアカデミズムなんかよりも、オタクの方がちゃんとできているはずです。
オタクはそれにある意味人生かけているわけですし、また人数としても、オタク作品を評論する先生の数よりも、作品を解釈するオタクの数の方が圧倒的に多いはずなので。
まあ、そうした評論というか、作品解釈をある程度読んだうえで、ではアカデミズムという違った立場からはどう見えるのか、ということであれば、
そういう評論も役に立つのかな?

▼ おたくの作品の見方

> > とはいえ良いことばかりだけではなく、悪いこともあるわけで、
> > それが自分の好きな作品の隣にある作品が見えなくなる、ということなんでしょうね。
> > 私がオタク史を調べ始めたのも、そういう自分が好きかもしれない、ちょっと昔の作品を知るすべがあまりなかったからでもあり、
> > 私の場合は宇宙戦艦ヤマトはオタク史を調べる中で作品を見ましたが、昔であれば先輩オタクに進められてとっくに視聴していたかも。
> > とはいえ、これもTwitterで同じアニメが好きな人をフォローしていれば、いずれはその人も別のアニメにハマるようになり、
> > そうなれば自分の好きなアニメの隣にあるアニメも見えてくるのですが。

> これは上述の「消耗品化したアニメ作品」という話とも繋がるのですが、
> 今の時代って、言うほど1つの作品を、深掘りとかしてますかねえ?
> 同じ1つの作品を見続けたとしても、それは時代劇や新喜劇を見る感じに近くても、
> 要するに「安心感」を得るような行為であって、
> 旧来のオタク的な楽しみ方とは、また別物かな?という気もします。


失敗したくないから、安心感を求めて、同じ作品を見る傾向がある、というのは理解できます。
とはいえ、例えばアイドルマスターで10年間同じ女の子キャラの担当してます、みたいなオタクもいますし、
そういった、旧来のオタク的な楽しみ方とも、効率重視とも違う意味での、同じ1つの作品を見続ける、というのもあるかと。

▼ 経済

> > もちろん、新自由主義崩壊の過程で暴力的なことが起きる可能性は十分ありますし、
> > ポスト新自由主義が必ずしも今よりも良い時代かどうかは疑問ですが、

> 自由主義がリバイバルして、新自由主義の時代になった事を思うと、
> 次に来るのは、社会主義をリバイバルしての「新社会主義」なのか?
> はたまた、ケインズ主義をリバイバルしての「新ケインズ主義」なのか?
> 新社会主義であれば、ベーシック・インカム(BI)がキーワードになるかも知れませんし
> 新ケインズ主義であれば、現代貨幣理論(MMT)がキーワードになるかも知れません。
> まあ別に、BIも、MMTも、新自由主義でだって導入するメリットがあるのですが、
> どのシステムで導入されるかによって、その意味合いは大きく変化しそう・・・・
>
> って、リバイバル自体は別に否定しませんけど、
> それしか出てこないのは、やはり新たな発想力に乏しい時代なのか?
> それとも、私の知らない何処かで、最先端の理論が生まれていたりもするのかな?
> それこそ旧トルコ担当さんの方が、そういうのは専門なんじゃありません?


専門ではないですよ、という話は確かしたと思いますが、
専門外として適当なことを言わせてもらえば、
新自由主義が導入されたのって80年代らしいですが、これってつまり70年代には資本主義経済があまりうまくいかなくなってた、
ということですよね?
うまくいっていたのであれば、あえて変えようとするはずがありませんし。
で、新自由主義もまた、全然良い経済体制ではなかったんですよね?
ということは、資本主義ってこの半世紀ほど上手くいっていないってこと?
もちろん、新自由主義がうまくいっていないと言っても、経済が崩壊したわけではないでしょうし、
むしろスマホやらPCやらが普及して生活が豊かになったのも事実ではあるでしょうけど、
それらは科学技術の発展によるものであり、
経済理論的にはこの半世紀失敗続きであるとするのであれば、
資本主義って思っていたほど強固な体制ではないのかも。


[23935] Re3:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その1)返信 削除
2022/5/4 (水) 21:38:37 徳翁導誉

▼ 考え方、意見交換の意義について
> > あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> > 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> > 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> > その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> > 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> > 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> > その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> > まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。

> そうなのですか。
> 私の考えとしては、「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」といいますか、
> 「互いに情報を共有すれば、相手がどうしてそう考えるのか、理解しあえるはず」というように考えています。

物事の対象次第ですけど、まあ論理的には可能かな?
とは言え、人間には、感情や能力の側面も絡みますし、
完全に情報を共有させる事自体、そもそも現実的には不可能ですからねえ。
それこそBLEACHでも、藍染が言ってるじゃないですか?
「憧れは 理解から最も遠い感情だよ」と(笑)。

それに、「理解しあえる」と本音の部分では、
「相手を理解できる」事よりも、「自分を理解してもらえる」事への望みが伺えるので、
その姿勢のままでは、恐らく、理解し合える事は無いでしょうね・・・・
逆説的に言えば、自分を理解してもらいたい願望を捨て去る程に、
相手への理解が深まる傾向があると言えますし。

> > あと、この際なので、厳しい事を言わせてもらいますけど、
> > 以前にも指摘したかと思いますけど、旧トルコ担当さんの考え方として、
> > 「自分と同じ情報を得れば、自分と同じ認識になるはず」という思い込みが、そもそも大間違いなんです!!
> > その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> > 「聞く耳がない」という指摘を以前に行いましたけど、今回の件に関しても、
> > 「後半部分を見てなかったからだ」という都合良く解釈するのは、正直「逃げ」に映りますし、
> > その感じで「理解する気はある」と言われても、現実的に「他者を理解する」事は不可能ですよ!!
> > まずは、その態度を改める・・・というか、そもそも自覚しないと、いつまで経っても堂々巡りなはず。

> ああ、まあ、管理人さんの指摘も分からなくは無いです。
> 同じ情報を得たとしても、見解が変わって来るのは当然であり、
> 「自分と見解が違う→これは、持ってる情報が違うからに違いない、同じ情報を得れば、同じ見解になるはず」という思考では、
> 相手の理解をする努力が全くされていないと。
> それでは、堂々巡りだよね、ということですよね?
> とはいえ、ハッキリ言わせて貰えば、それは誤解です。
> 私は管理人さんの文章を何度も読み返していますし、
> それでも尚理解できないから、「私にはこう見えていますよ、私はこう思うのですが、管理人さんはどう思われますか?」

ハッキリ言って、「それは誤解です」というスタンスから始まってる時点で、
「私は1歩も動くつもりがありません!」と宣言しているようなモノですから、
もうそこで、私が旧トルコ担当さんへ同調しない限り、「堂々巡り」確定なんですよね・・・・
そんな態度では、私がどれだけ言葉を費やした所で、その内容が理解できる事は無いですから。

> という意図で自分の主張とその根拠を繰り返し別の角度から書いているんですよね。
いや、私から見ると、別に角度は変わっていないんですよね。
と言いますか、より厳密に言うと、変えるべき角度の部分が そもそも違うと言いますか、
だからこそ例え話で、2次元がどうの、3次元がこうの・・・と述べた側面があります。
同じ座標に居たまま、角度だけを変えるのと、
座標を変える事で、自然と角度も変わるのとでは、まるで異なりますからねえ。
恐らく、こういう話をすると、「抽象的すぎて解らない」と言われると思うので(笑)、
まあ別に、この話は、聞き流してもらって構いませんけども。

> > その人ごとに立ち位置や状況などが異なれば、同じモノを見たって、捉え方が変わるのは当たり前です。
> ここでいう「立ち位置や状況」ってどんなものを想定されているのでしょうか?
> 抽象的な指摘だと分からないので、具体例があると非常にありがたいです。

具体例も何も、そもそも、それが「俺ガイル」や「ホワイト革命」の感想の話じゃないですか!?

> 管理人さんの言い方ですと、まるで議論しても意見が一致することは無いから、意味がない、みたいな印象すら受けます。
う〜ん、どちらかと言えば、因果が逆かな?
まあ別に、議論の目的として、「意見の一致」など求めてはいませんけど、
少なくとも、「意見の理解」くらいはして貰いたいなと思って、話し合いをするのですが、
最初から「結論ありき」なのであれば、そもそも話し合う「意味がない」とは考えていますね、私自身は。

って、こういう事を言うと、大体は「結論ありきじゃないよ!」という反応が返ってくるのですが、
「自分の認識を常に疑う」事が出来ていない人の場合、
自覚できてないだけで、結局は結論ありきで考えがちなんですよね。
信じたい場合は疑って掛かり、疑いたい場合は信じて掛かるというのが、
「背理法」を用いた、論理的な思考法であり、
これが行えていないと、最終的には感情論に行き着いてしまうので。
とは言え、こんな思考法で物事を見ている人の方が、少数派である事は解っています(笑)。
まあ世間的には、論理よりも感情で動くケースの方が圧倒的に多く、それが悪いとも思っていませんし、
私自身も、自分の理系的な人格が論理的なだけで、アート的な人格の方は世間以上に感情的なので(苦笑)。

> > まあ、最近の長文癖の悪化は、自分自身も「酷いな」と感じてますので(苦笑)、
> > 返信はいつでも結構ですし、全てに返信しようと思われなくても大丈夫ですよ。
> > 以前までは、投稿文を読んで、頭に浮かんだ内容の2〜3割を返信文に起こしてたのですが、
> > 最近は、ほぼ無編集に9割方、読んで思い浮かんだまま垂れ流してる感じ・・・・

> 長文は全然構わないと言いますか、むしろ大歓迎なのですが、
> 問題は管理人さんが自分でしか分からない文章になっていることだと思うんですよね。
> 例えば、管理人さんがAという情報を見てBということを考えた際に、
> 掲示板ではA→Bという発言になるのですが、脳内ではそのAとBとの間に、暗黙の思考としてCやDが隠れていると。
> 前の文化の衰退の話の時も、文化の幅というキーワードが出て来るまで、全く管理人さんの主張って分かりませんでしたし。

正直言ってしまうと、ここ最近、私の文章が以前にも増して長文化しているのは、
半分以上、旧トルコ担当さんの影響というか、所為なんですけどね(苦笑)。

このサイトを始めて、既に20年以上が経過してますけど、
容量オーバーで返信が分割になったのは、それ以前に3度しか↓ありませんでしたが、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20420#20420
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23343#23343
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s23555#23555
前回の雑談スレッド以降、分割投稿が頻発しちゃってます(笑)。
「解らない、でも解りたい」とか、「深い話や、当時の話を知りたい」との事だったので、
それまでは読みやすさを優先して、カットしていた部分や、触れなかった話題などを、
出来るだけ情報量を増やすべく、削らなくなった事で、自分でも収拾が付かなくなってしまったと。

そういう意味では、本来なら もっとポンポンと間を飛ばす所も、冗長的に書くようになりましたし、
あまり適当では無いかも知れない例え話も、理解の助けになればと、付け加えるようにしたんですけどね。
まあ、例え話の増加に関しては、却って意味不明にさせてしまった面があるかも知れませんけど(笑)、
基本的には例え話、何となくイメージが共有できるモノだけを摂取して、
ピンと来ないモノに関しては、そのままスルーする方がベストな気がします。
コチラとしても、ピンと来なかった例え話まで解説するのは、正直キツい所がありますので・・・・

ちなみに、それでも話が飛んでいる事があるとすれば、
そこの詳細に関しては、以前にも同様の事を述べている事が多いですね。
正直な所、私は同じ説明を3回以上繰り返すのが好きじゃ無いというか、美しくないと感じており、
そういう場合は、言い換えを行ったり、詳細を省いたりする傾向は、確かにあるかと思われます(苦笑)。
そこは悪癖として、リアルでも時々問題になるので、一応 気を付けてはいるのですが、
雑談スレッドで それを行うと、更に長文化してくるので、あまり行いたくない所もあったりするかな?

相手側が どこまで解ってるかが解らず、ことごとく説明を入れていくと、結局 解り難くなりますし、
ぶっちゃけた話、「何が解らないか」を示してもらうと、こちらも詳細に説明できるのですが、
何が解らないかが解っている「無知の知」って、意外とハイレベルで身に付き辛いモノであると!!
もっと言うと、厳しい話をすれば、旧トルコ担当さんの「解ります」発言は、
私から見ると「解ってない」と映る事が、しばしばなんですよね・・・・
実例として出された「文化の幅」の件も、私の中では「結局 伝わらなかったな」という認識になってますし。

> 我ながら生意気だなあw
別に、生意気だとは感じてませんよ(笑)。
ネット上・・・というか、このサイト内だと、皆さんから どう見られているか解りませんが、
少なくともリアルの私は、上からは恐がられる反面、下からはナメられるタイプの人間なので(笑)、
この程度では、自分の方から「生意気」なんて単語自体が、頭の中に浮かんでは来ませんから。

> 後は、今回のホワイト革命の動画の後半部分を追加で説明したのは、私が最初にホワイト革命の話を聞いたのが有料の別動画であり、
> 管理人さんにリンクを貼った動画だけを見たのでは、印象が異なるかもしれない、と思ったからなんですよね。
> 岡田斗司夫って、たまに前後半セットの動画を、前半だけ無料公開することがあるので(前半だけ見せられた視聴者は何の話なのか分からないはず)、
> 今回もその手の動画であったことを後から思い出したので、細く説明として後半部分を追加で説明したんですよね。
> といいつつ、まあそんなことは管理人さんも分かってるんですかね?

少なくとも、私の中では、そういう認識かな?

> その上で、また足りねーよ、ということなのかもしれません。
で、本音を言うなら、「足りねーよ!」ではなく、「もう充分だろ?」って感じかと。
「一を聞いて十を知る」じゃないですけど、
限られた情報量であっても、そこから意図を読み取ろうとする習慣が身に付いてますからね。
そして、更に情報の追加を求めているのは、
岡田斗司夫の主張ではなく、旧トルコ担当さんの主張を知りたいからなんです。
「あの人は、こう言っていた」なんて伝聞情報だけでは、会話のキャッチボールが成立しないですし、
「自分は、こう信じる」という話になると、「ああ、そうですか」で話が終わってしまうので。

> > もう少し解りやすく説明すると、人はそれぞれ独自の視点を持っているモノであり、
> > 同じ状況下でも、AさんにはAの、BさんにはBの、CさんにはCのモノの見え方の違いがあるんです。
> > ですから普通は、「自分的には こうだ」という認識はあるにしても、
> > 「あの人的には ああだろうし、この人的には こうだろうな」という想定を行うものなのですが、
> > どうも旧トルコ担当さんの場合は、「自分的には こうだ」に続いて、
> > 「だから、あの人も、この人も、そうだろう」と、ついつい見てしまいがちな傾向が見受けられます。
> > 恐らく本人的には、「いや、そんな事はないよ!」って感じだとは思いますが、
> > これはもう、20年以上サイトを続けてきて、多くの人達と触れ合ってきた上での、私なりの実感ですね。

> 「そんなことないよ」とは思ってませんよ。
> 私は頑固者ですし、自分の考えを曲げたことは、おそらく人生で一度もありませんw
> とはいえ、相手の説明を聞いて「自分の考えが違ったな」と思うことはありますし、逆に言えばそう思うまで考えを変えないと。

ですから、そういう所の話ですって・・・・
正直言って、私だって世間的に見れば、かなりの頑固者ですよ(笑)。
でも、頑固者である事と、異なる視点で物事を見る事とは、全く別の話です。
頑固であるのと、偏屈であるのは、一見似ているようでも、まるで異なりますからねえ。

もう少し言い方を換えるなら、別にいきなり、意見を変える必要なんて無いんですよ。
変えるのは見解ではなく視点であり、それも恒常的にではなく一時的で良いんです。
要するに、一時的に相手の視点に立ってみて、そこから異なる景色を認識し、
そして再び、元居た場所へと戻ってくれば良くて、
その時に多少なりとも、以前よりも全体像が異なって見えたなら、
意識的に意見を変えるのではなく、自然と意見が変わってるモノなんです。

簡単に言えば、シミュレートしてみるって事ですよね!
例えば、将棋や囲碁をしていて、自分の側から「ああしよう、こうしよう」と考えるだけでなく、
時には相手の側から、「もしも自分を攻めるなら」という見方をしてみる事で、
自らの弱点であったり、相手の狙いであったり、そうした全体像が見えてくると。
逆に言えば、自分側の事ばかりに目が捕らわれていると、勝てる勝負も落としてしまいます。

って、旧トルコ担当さん向けに、岡田斗司夫の言葉を借りるなら、
どこかの動画で見掛けた「脳内学級委員会」の話に近いですよね。
漫画のネタを用いるなら、「秘技マサル会議」です(笑)。
つまりは自分の脳内に、リトルひろゆきだと、様々な別人を飼う事で、
自分と異なる複数の視点を確保して、同じモノでも多角的に捉えるという話です。
とは言え、それらはあくまでも参考意見であって、中心となるのは自分自身である事は重要!!

ですけど、旧トルコ担当さんの現状は、何と言いますか、
リトル岡田斗司夫だけが頭の中にいて、しかも主導権まで握られている感じとでも言いますか、
そうなってしまうと、「そんな事はないよ」と思っていないと言っても、結局は同じ事なんですよ。
また、時には意見が変わる事があると言っても、それは視点が変わるのではなく、見る対象が変わる感じで、
言うなれば、リトル岡田斗司夫から、リトル・ホリエモンに乗り換えたとか、そういう感じになるような気がします。
でもそれって、本人的には大きく変わった認識でも、他人から見れば大して変わってないように見えると・・・・
「自分の事場で語りましょうよ!」と、口うるさく言うのも、
「判断の主導権を自分に取り戻せ!」と言っているのと、基本的には同義ですね。
とは言え、今回の返信を読むと、それは旧トルコ担当さん自身が望んでいない印象も受けるかな?

> 正直言えば、掲示板でやり取りをする中で、管理人さんの話をちゃんと読めていなかったな、読解力が足りていなかったな、
> とは思っていますので、前に比べれば、今の方が実はまだ、聞く耳としては改善されていると思います。
> とはいえ、私の根底には、「見解が異なるのは、持ってる情報が違うからだ」という考えは依然強いですし、
> だからこそ「互いに持ってる情報を全部出せ」という発想になるんですよね。

では仮に、同じ情報量を得れば、同じ認識になると仮定して、
情報処理能力が同じで無かったとしても、その仮定は成り立つのでしょうか?

> > もう少し解りやすく言うと、Twitterを含めて、SNSというのは単なる1つの道具であり、
> > 道具である以上、使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノなんですよ。

> 道具が考え方を変えることもあるんじゃないんですか?
> テレビは一番最初、自宅映画館としての使用法が想定されていらしいですが、
> 後に家で見るのに映画みたいな長いものは向いていないということが分かり、
> 今のバラエティ番組を寝っ転がってだらだら見るというスタイルが確立されましたし。
> 印刷術が識字率の爆発的増加を起こし、新聞がナショナリズムを作ったことは、人類の歴史に決定的な影響を与えましたが、
> それも初めから想定されていた使い方、というわけではないでしょう。

それでも、テレビは映像と音声で、新聞は文字で、情報を伝える根幹部は変わりませんし、
どれだけ視聴者や読者の意見を採り入れようと努力しても、基本的には一方通行な配信メディアです。
ですから、双方向で やり取りしようとか、情報伝達以外の利用をしようとかしても、
あまり上手く行かないと言うのが、「そんなに使用用途を逸脱しない」の意図ですね。

これは以前にも用いた例なので、繰り返し用いるのは避けたかったのですが、
例えばTwitterとかは、「ネット上の拡声器」であると、私は考えているんですよ。
拡声器というのは、1人が大人数に話す際には便利ですし、
開けた場所で、遠くの相手と言葉を交わす時などにも、使えるかも知れません。
しかし一方で、近くの人と会話をする際に、拡声器なんて使っても邪魔なだけですし、
同じ空間で、同時に複数の人が拡声器で話すと、うるさくて話の内容なんて頭に入ってきません。
そういう意味では、拡声器が使用される場面って、その機能的に自然と集約されてくると。

で、それはTwitterにおいても、同じ事であるという話ですね。
みんなでワーワー騒いでいても収拾が付かないので、敵と味方に分かれて次第に収束していき、
また別の揉める題材が現れると、その度に離合集散を繰り返していく感じでしょうか?
まあ、それ自体は、Twitterの開設当初から変わっていませんし、
利用人数が増えた事で、自らも当事者となる確率が、自然と高まったくらいの話かな。
その繰り返しに辟易して、Twitterからは去ったとしても、
ネット自体には留まって、また別のSNSなりアプリを使っていれば、それは大局的に同じ事ですし、
人間社会には必然的に、そうした需要が一定数あるからこそ、結局は逃れられないんですよね。
そんな事が可能であるのなら、そもそもTwitterなどのSNSが、ここまで流行はしなかったはずなので。

> > 多分これって、ユーザー視点か? メタ視点か? みたいな感じの話に近いのかも。
> メタ視点だと、どんな感じで見えるのでしょうか?

一言で言ってしまえば、「エコー・チェンバー」や「フィルター・バブル」の事ですね。
SNS利用者の感覚からすると、「確かに、そう見えるのだろうな」と思えるのですが、
SNS全体を俯瞰的に見れば、「それだけじゃ無いでしょ」と映るという感じです。

局地的な現象としては、決して間違った認識はしていないと思いますけど、
森の中では木だけが見えて、森自体は見えないというか、
より具体的に言えば、「正義の共通見解ができた」などというのは幻想であり、
実際は、掲げる正義ごとにブロック化が進んだだけ、という話ですね。
まあ利用者ごとに、そのブロック化の程度は異なるのですけど、
SNSのデータ的に見ても、そうした傾向は普通に見て取れます。

また、SNSの世界にも、サイレント・マジョリティはあるでしょうし、
そんな誰も彼もが、意見を一致だなんて、現実的には出来ませんよ・・・・
ただ単に、2chよりもヤフコメの方が、ヤフコメよりもTwitterの方が、
それが見辛い仕組みというか、見易いように人為的に整備されているだけの話であり、
整備された中から視点では気付けなくても、他が存在しない訳でも消滅した訳でも無いと。

> > まあ正直な所、旧トルコ担当さんの話も解るのですが、
> > そこからの視点だと、私の話は解らない気がするんですよね・・・・
> > 現場的な、2次元の視野からだと、確かにそう映るのでしょうけど、
> > 俯瞰的な、3次元の視野からだと、また異なる景色が見えてくるモノなので。

> どんな視点なのでしょうか?

例えば、富士山について語る時に、
静岡側から見れば、裏側にある宝永火口は見えませんし、
山梨側から見れば、海越しの姿は見えません。
なので、富士山の全貌を知るためには、ぐるりと1周する必要があるのですが、
常日頃から富士山を見ている静岡県民や山梨県民は、いつも見ている為の固定観念から、
「富士山はこうだ!」と、1面だけの姿を、まるで全てであるかのように誤解しがちって事ですね。
そして、例え富士山を1周したとしても、山頂にある火口の中の様子は解りませんし、
そうなると、本当に富士山の全貌が知りたければ、高さを含めた3次元で見る必要があり、
時には、近景や遠景の違いや、時間帯や季節の違いなども、考慮が必要になってくると。

まあ、そこまで行かないにしても、仮に富士山を1周していれば、
静岡側から見た富士山の景色も、その人は理解する事が出来ますけど、
静岡から動かず、宝永火口を見た事がない人には、
幾ら富士山を見た回数は多くても、別の富士山の姿を思い浮かべられないみたいな話かな?
その場に止まったまま、何度理解しようとしても、それはやはり難しいですよね。
結局は、自らが動いて視点を変えてみないと、見えないモノは基本的に解らないんです。

って、これは単なる例え話であり、
「いつもと異なる視点から物事を見よう!」というだけの事なんですけどね、主旨としては。

> 正直、管理人さんって言いっぱなしというか、
> その時文章を読んで自分が感じたことをそのまま描いただけってことが多いと思います。

まあ最近は特に、読んだその場から書いてますので、その傾向は否定できないと思います(苦笑)。
とは言え、もともと私の中に考え方の軸のようなモノに、沿いながら書き進めているので、
話のたびに、言っている内容が変わるという事は、ほとんど無いとは思っていますよ。
もしも違って見える事があるとすれば、それは見る角度を変えてみたり、
前提条件を変えてみたりして、語っているケースがほとんどかな?
自分自身の考え方を大きく変える際には、言い訳じゃないですけど、一応 表明はしていますし。

> まあ私の理解力が低いのも事実ですし、私に理解する気がないのかもしれませんが、
> 私としては管理人さんの文章は毎回3回以上は読み返していると思いますし、

う〜ん、そもそも繰り返して読むような、大層な文章を私も書いていませんし(笑)、
もっと言うと、それ以上に根幹的な部分で、話が噛み合っていない印象がありますから、
「解らないから」と、何度も読み返す行為は、正直あまり効果的では無いかも?
何と言いますか、論理的と言うよりも、もっと感覚的に理解してもらおうとして、
無題に長文化している側面も、あったりしますからねえ・・・・

> 返信もかなり推敲して文章書いてるんですよね(してないときもありますが)。
> って私がこれだけ苦労してるんだkら、そっちも多少は報いろ、なんて論理はネットでは主張することではありませんが、
> 本当にもうちょっとだけ詳しく説明してもらえればうれしいです。

こう言っては何ですけど、通常なら全返信を一晩くらいで書き終える所を、
旧トルコ担当さんへの返信があると、それだけでプラス一晩 費やすと言うか、
だいたいは、その都度、読書予定の時間を潰しているのが現状ですし、
もともと長文な上に、なかなか会話のキャッチボールが成り立たない為、
同じ文章量でも、恐らく通常返信の2〜3倍くらいの時間を掛けて、というか掛かって、
こちらも一応 苦労しながら、返信を書いてはいるんですけどねえ・・・・
まあ、それでも確かに、私自身も至らない返信内容になっている自覚はありますし、その点は申し訳なく思っていますが。

> 枝葉末節の論はどうでもいいので、
> ひとまず「使用用途というのは基本的に、そんなに逸脱しないモノ」
> 「俯瞰的な、3次元の視野で見えてくるもの」については非常に興味あるので、
> ヒントをもらえればありがたいです。

いやいや、その部分自体が「枝葉末節」なので・・・・
と言いますか、本来 私は「根幹部分」を中心に語りたいタイプなんですよ。
物理学って、事象を大胆にシンプル化しても、物事の本質を探る感じの学問ですので。
しかし旧トルコ担当さんの場合、それだと伝わらないケースが非常に多いですし、
それでも「解りたい」という反応を示されるから、結果的に枝葉末節の話が増えている訳で、
実際、根幹よりも枝葉の方が、旧トルコ担当さんの食い付きも良いですからね。
ぶっちゃけ、私なりに旧トルコ担当さんへ合わせた事で、こういう感じになっているのに、
「枝葉末節の論はどうでもいい」と言われてしまうと、正直 私も「えっ!?」とはなります(苦笑)。

まあ、お望み通り、本質的な話をするのであれば、
自分と異なる見解と接した際に、その相手の立場に立って考えない見えない所はあるし、
自分の立場から見るだけだと、必ず見誤るという事を言っているだけですね、最初から。
そして、あくまでも自分の立場を変えようとしない人は、
幾ら言葉で「見る意思はある」と言っても、実際に見ようという「行動に移していない」状態であると。
簡単に言えば、「見たいなら動け、動かないなら見る気がない」という話です。

▼ 岡田斗司夫
> > > なんでこんな感想になるんだろう、と思い動画を見返したところ、
> > > ホワイト革命の動画って前後半ワンセットなのですが、無料公開されてるのって前半のみでした。

> > という事は、旧トルコ担当さんは、岡田斗司夫サロンの有料会員なんですね!
> > そこまでしているとは、なかなか入れ込んでますねえ(笑)。
> > ちなみに、他にも誰かのサロンの有料会員になってるのですか? それとも岡田斗司夫だけ?

> 岡田斗司夫以外には、特に他の有料サロン等には入っていませんよ。
> (ちなみに、ご存じかもしれませんが、岡田斗司夫の有料会員は動画が配信されるだけで、サロン機能はありません)

となると、やはり旧トルコ担当さんにとって、
岡田斗司夫というのは、「特別な存在」って事なのでしょうね。

> > 正直な所、岡田斗司夫レベルであれば、そこまで「実害」も無いと思いますけど、
> > 安易に信仰してしまうタイプになると、それこそ新興宗教や洗脳商法のカモにされかねませんし、
> > そうやって人生を狂わされた人を、実際に私も何人か見てきてはいるので、
> > そうならない為にも、自分の事場で語るというチャレンジは、行ってみて損は無いかと思います。

> 私自身、「誰かに自分の絶対的な師匠になって欲しい」という欲望があることは小学生の時くらいから把握していたため、
> あえてそういった師匠になりそうな人間とか、崇拝されている感じの人間とか、そういうのには近づかないようにしていましたし。
> 私がYouTubeを見ないのも、変な動画に引っ掛かりたくないからですね。
> (岡田斗司夫の場合は、わざわざニッチなニコニコ動画という場所で動画を投稿していたのが、私がハマるきっかけになっていますし)

つまりは現状だと、岡田斗司夫が「絶対的な師匠」になった感じなのかな?
でも、その一方で、「変な動画に引っ掛かりたくない」みたいに情報を制限していると、
ますます情報の隘路に迷い込むと言いますか、
却って、変な所にハマりやすい体質になる気がしますけどねえ・・・・
方向性こそ違えど、「ネットde真実」でネトウヨにハマる人たちも、似た傾向がありますし。

> > 繰り返しになりますけど、「これを見てくれ、これを読んでくれ」だけでなく、
> > 旧トルコ担当さん自身の言葉で語ってみて下さい、お願いします。

> うーん、ホワイト革命の件については、ツイッターの例でかなり上手に自分の言葉にできたと、個人的には思っていたんですけどね。

もう、その反応自体が、客観的に見ると、
「理解よりも、信仰を優先している」ように映るので、
自分の見解と異なる意見を、理解しようという体制が整っていない感じになりますね。

> と、いいつつ、極論では、新興宗教にハマるくらいなら、別にそこまで悪いことではないような気もするんですけどね。
> ナショナリズムとかいう新興宗教が世界中で流行っていますが、
> アレだってみんなが信じているから国民国家が事実になっているだけでしょ。
> アリもしないものを見せている、という点では、新興宗教もナショナリズムも一緒だと思います。
> まあ、新興宗教は少数派になるため奇異な目で見られますし、マルチ商法はお金をだまし取られるため、
> 損得でいえば引っかからない方が得ですが。
> また、鍛えればそういったものに騙されなくなるということもなく、ナチスなんかは時の知識人たちも多くだましましたし。

今の依存対象が大丈夫だからと言って、体質的に本人が変わらなければ、
後々、そういったモノにハマる危険性が、普通の人よりも高い訳なんですけど、
でもまあ、こういう態度であるのなら、今更他人が何と言っても無理なんでしょうね・・・・

> > ・・・って、そう言えば岡田斗司夫って、実母は新興宗教の教祖(神様)であり、
> > 自宅が教団施設で、信者たちが自宅内を行き来するような環境で育ったんでしたっけ?
> > となると、意識的にせよ、無意識にせよ、そうした手法が身に付いていても、おかしくは無さそう。

> そうなんですか?
> 岡田斗司夫の実母が新興宗教の教祖、という話は、母が税務署から税金を取られるのが悔しくて、
> 会社を宗教法人にして、上手く脱税するための方法だった
> (が宗教法人にした辺りからまったく別件で事業がうまくいかなくなったので、あまり意味はなかった)、
> という認識なのですが、あれって本物の信者とかいたんですか?

すみません・・・・私の勘違いですね。

恐らくはソースは、同じ動画だようなぁ?と思い、再チェックしてみた所、
最初は脱税目的だったモノが、新興宗教ビジネスの人たちに乗せられていく内に、
自分には本当に神様が付いてると思い込むようになり、
母親を満足させる為に、家族が信者の役をやらされたって話でした。

で、話の「白装束で家の中をウロウロ」という表現が出てきて、特に主語が無かったので、
その前文に「新興宗教ビジネスの人たち」とあった所から、オウムやパナウェーブの画が浮かび、
白装束で家の中をウロウロしていた人を、「信者たち」と脳内補完していたのですが、
改め聞いてみると、この主語は、教祖である母親であり、信者役である家族たちの事ですね。
という事で、赤の他人という意味での「信者」は、どうやら居なかったみたいです。

▼ ホワイト革命
> > > > 実際、例えば千鳥 大悟などは、不倫報道があっても、ほぼノー・ダメージのままです(笑)。
> > > 不倫の話は、岡田斗司夫もかつて「中規模有名人最強論」といった話をしたことがあり、
> > > 大衆からの何となくの好感度で支えられている大規模有名人よりも、
> > > ファンの数で支えられている中規模有名人の方がこれからは強いのではないか、といった話をしたことがあり、
> > > 不倫をしても全員がダメージを受けるわけではないことは承知しているのではないでしょうか?

> > 今の千鳥の一般人気は、「中規模」なんてレベルではないですよ!!
> > それこそ、不倫で干された渡部や東出よりも、ずっと上です。

> えっと、中規模有名人最強論の話は、今回の話とは別です。
> 前に語ったことがある、というだけの話で、
> 今回の千鳥さんを岡田斗司夫が中規模有名人と言っているわけではないのでは?

まあ、「中規模有名人最強論」って、私が持ち出してきた話題では無いですし、
別に私は岡田論の信者では無いので、別の話なら、別の話で構わないのですが、
では何故、千鳥 大悟の不倫は叩かれないのでしょう?
その理由を「ホワイト革命」的に、是非とも説明して戴きたい所です!!

> > 「未来を予測する見方」というモノに、衝撃を受けたのでは?
> とのことですが、
> 過去の歴史から法則性を見出し、未来を予測する、という歴史好きなら誰でも考えているけど、
> 実際にはとても難しいことを実行したことに衝撃を受けました。

予測した事が「実現」したからではなく、「実行」した事が衝撃なのですか!?
でしたら、今回のウクライナ戦争に関する報道でも、
近未来の展望予測なんて、それこそ、星の数ほど行われていませんか?

> 「推し」という言葉には、推してる自分と推す対象との間にちょっと距離感があると思うのですが、
> その距離感って「自分の住んでいるこちら側の汚い世界と、推しの住んでいる尊い世界」みたいな価値観が前提にあると思うんですよね。
> 若者の恋愛離れとかも、ここ10年に限れば、この辺の影響も受けてると思うんですよね。
> 自分の好きな人はホワイトであってほしいし、だから好きな人と自分が付き合うなんてありえない、と。
> だって自分はそんなにホワイトじゃないから。
>  (中略)
> 「リアルの男は毛深いのが生理的に無理」「リアルの男はウンコするのがイヤ」
> って言っていましたけど、これもホワイト革命においては、割りと極端とは言えない価値観だと思うんですよね。

80年代のアイドル文化が、割と そんな感じだったかと?
だから今更、目新しく映らないのかも知れませんね。

> (逆に言えば、なんで腐女子の人たちは80年代というかなり早い時期に推しカプという概念にたどり着いたんですかね?
> まあ、女の子は小学生のころから割と他人の恋愛話に興味がある、というのはありますが)

カップリングの原点かぁ・・・・
百合に関しては、明治以降の女学校に原点があると思われますし、
BL的なモノも、恐らくは そこから派生した事が想像されますけど、
確かに、カップリングとなると、私もパッとは歴史的に思い浮かびませんね。

歌舞伎の世界に、それに近い源流はあったかも知れませんが、それが直接的に繋がる気もしませんし、
子供を産む側の性である女性は、誰がくっついたとか、そういう恋愛話が大好きなのも事実ですけど、
東京タワーとエッフェル塔では、どちらが攻めで、どちらが受けか?なんて、
そんなレベルにまで飛躍したルートは、かなり謎な感じがします。
例えば同人イベントとかで、どこが最初に、何をやったかとかは、詳しく調べれば解るかも知れませんけど、
それも結局、現象として表面化した瞬間というだけあり、
それ以前の流れというのは、他に確実にあるはずですからねえ・・・・

> 管理人さんがホワイト革命論をあまり大きな変化と捉えないのって、結局は視点の違いなのかな?
> 私の場合、岡田斗司夫のホワイト革命論を聞いた際に、
> 「あれもそうだ、これもそうだ、確かにホワイト化されている」となったのですが
> (今まで書いた例以外にも、まだまだいくらでも例示できます)、

繰り返しになりますけど、程度の差こそあれ、そうした現象は私にも見えてはいるんですよ。
ただし、それと同時に、それと同じ事は、20年前にも30年前にもあったし、
逆に現在においても、それに当てはまらないケースが、あれこれ ある事も見えていると言うだけの話です。
だから別に、衝撃とかは受けませんし、革命なんて表現は大袈裟だと感じると。

> なまじ最新の若者文化には触れてないだろう管理人さんからすれば、ミクロな視点がない分、
まあ確かに、大学生に関しては、そうかな?(笑)
でも一方で、小中学生に関しては、恐らく私の方が触れ合う機会が多いと思います。
それに、鬼滅ブームの話題になった際も、却って私の方が正確に認識できていた印象を受けましたし。

> かえってマクロな視点からしか見てしまい、そんなにか?ということになってる、ということなのでしょうか?
「ミクロとマクロ」と言うよりは、「短期的と長期的」という方が適当かな?
ちょっとした事でも、10年後20年後まで想定して考える癖は、充分に世間ズレしている自覚があります(笑)。
とは言え、それは年齢的なモノと言うよりは、科学や歴史やアートが好きだからでしょうね。

> いや別に、若者文化なんて分からないのが当然だと思いますので。
> 私も「エヴァンゲリオン」を見て、まあまあ面白かった以上は、
> 「95年のオタクはこんなのが好きだったんだな〜」としか思えませんでしたし、
> 私が25年前のオタクの若者の気持ちを分からなかったのだから、管理人さんが今の若者の気持ちを分からなくても、当然だと。

この仮定で納得できている内は、
恐らく、私の考え方は理解できないと思いますよ(笑)。
いや、これって、世間一般の人に対するステレオタイプな見立てとしては、かなり当てはまると思いますけど、
自分で言うのも何ですけど、上述の通り、私の感覚って世間一般から大きくズレてますからね・・・・

でもまあ、お言葉を返す様ですけど、
もう解らないなら解らないで、無理して解ろうとする必要も無いんじゃないですか?

> で、ホワイト革命って、結局は
> 「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、
> 若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」
> ということだと思うのですが、このことに対してはどう思われますか?

話を単純化しすぎだし、昭和も長かったから一言に世代と言っても様々だわな、という思いはありつつ、
そういう細かいツッコミを抜きにして語るのであれば(笑)、
不良が子猫を拾う姿を見てキュンとするみたいな、
いわゆる「ギャップ・ルール」が、未だに健在であるのであれば、
これは単なる、置かれた環境の違いであって、本質的な部分は全く変わってないって所でしょうね。

もう少し解りやすく言うと、山あり谷ありのジェット・コースターに乗るのと、
平坦でカーブも少ないゴーカートに乗るのとでは、どちらが楽しいか?って感じかな。
そして、汚れるとか、綺麗なままだとか、そういうのは単なる道程の結果であって、
そもそも、その部分にジェット・コースターやゴーカートの、楽しさの本質がある訳ではありません!!
また、昭和の頃なら、山あり谷ありでも、最終的には終始がトントンや多少プラスであっても、
令和の今は、谷があったら落ちっぱなしで終了な社会である事を踏まえると、
本当にジェット・コースターよりも、ゴーカートの方が楽しいと思って選んだのか?という疑問も出てきます。

でもまあ、結局の所、人間なんていうのは置かれた環境次第で、
善人にも悪人にもなるモノでしょうし、誰もが最初から その両面を内包していて、
状況により、そのどちらの面が、より色濃く現れるかだけの話であると考えるなら、
昭和世代と令和世代の違いは、単に昭和社会と令和社会の違いと、見なせるかも知れませんね。

▼ ホワイトコンテンツ
> > まあ今の時代、全般的に余裕が無いというか、世知辛くストレスの高い社会になっており、
> > 癒される作品やハッピーな作品、頭や心が疲れない作品などが、好まれる傾向にあるのは事実ですし、

> うーん、ストレスの多い社会になっている、というのは本当なんですかねえ?
> 昭和の方が週休1日で、上司との飲みに付き合わされたりするのも多そうで、ストレスが溜まりそうなイメージですけど。
> 結局、昭和の方がストレスが溜まっても、それでも給料が上がるから我慢できた、希望が持てた、ということなんでしょうね。
> うーん、やはり昭和って今といろいろ違うんだろうなあ。

まあ確かに、昭和の方がストレス負荷の度合いが、高かったのは事実かな?(笑)
でも一方で、ストレス解消の度合いも、今とは比べ物にならないくらい高かったと。
だから、正負のトータルで見ると、現在の方がストレスの多い・・・というか、
より厳密に言うと、ストレスが貯まる社会であるのが、正しい認識ではないでしょうか?
もしくは、ストレスが解消できないストレスというのも、精神面をかなり傷付けるモノではありますし、
子供たちの教育環境の変化などもあり、全体的にストレス耐性が弱くなっている事まで思うと、
ストレスの総量よりは、ストレスによる「ダメージ量」の問題なのかも知れません。

で、それは結局、身も蓋もない事を言ってしまえば、
経済が右肩上がりか? 右肩下がりか?による社会背景の違いが、最も大きかったとは思うのですが、
そうした事情はさておき、やはり市民感覚からすれば、
ネガティブに生きているよりも、ポジティブに生きている方が、ずっと楽しいのは事実ですからね。
「明日は今日よりも良くなる」というのを、誰もが常識として暮らしてた社会は、
将来の不安に怯えながら暮らしてる社会よりも、精神的に遥かに健全ですよ!!

また、以前にも言いましたけど、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体ですからねえ。
これはもう、その人の気持ち次第で、プラスにも、マイナスにもなるでしょうし、
精神的に余裕が持てていたからこそ、それらの多くはプラスに転じていたとも言えます。
逆に言えば、今の時代は、それがマイナスに転じる事が多い社会と言えるのかな?
そういう意味では、今の感覚だけだと、マイナス要因としか映らない事象も、
当時の感覚になると、プラス要因であった事が理解できないかも知れませんね。
「給料が上がるから我慢」というのとは、ちょっと違った感覚です。

上司との飲みの席も、ストレスがある反面、やはり楽しさもあるから、みんな飲んでた感じです。
まあ私は、子供として付いて行くだけでしたけど、会社の慰安旅行や運動会などの空気感は、
学校の修学旅行や体育祭とも通じる所があって、楽しい雰囲気が漂っていた事は覚えています。
でも今の時代、学校の修学旅行や体育祭でさえ、ネガティブ・イベントと捉えている人も増えましたし、
ストレスが貯まると、解消しにくい時代背景だからこそ、「ノー・ストレス」が推奨され、
その傾向が却って、ストレス解消のキャパを狭めていく、負のスパイラルに陥っている面も・・・・

> 私はHoneyWorksという女子中学生くらい向けの音楽ユニットが好きなんですけど、ハニワもそうなんですよ。
「CHiCO with HoneyWorks」という形であれば、
銀魂のOP曲やED曲を3度担当しているので、一応 私も知ってますね。
とは言え、あくまでも「with」側ですから、実質 知らないようなモノなのかな?(笑)

> ちなみに、あらゆる社会論って、
> ・論の概要 (既存の社会認識と異なる、新たな社会認識の提唱)
> ・具体例
> ・変化の要因 (なぜそのような社会変化が起きているのか)
> の3つの要素から構成されると思うのですが、

これだと、最も大事な「反証可能性の検討」が抜けていると思います。
そこが欠けると、簡単に陰謀論レベルの話が、罷り通ってしまいますので。

> 岡田斗司夫のホワイト革命論って、具体例と変化の要因の説明がなく、
> 論の概要だけがかろうじて「昭和世代は綺麗ごとは薄っぺらく、汚いものに本質があると考えるのに対して、
> 若い世代は綺麗ごとが正しく、汚いものは汚いだけと考える」と説明されているんですよね。
> でも、それだけで視聴者は「ああ、確かに、私の周りでもこんな例とか、あんな例がある、あれ全部ホワイト革命で説明できる!!」
> となるのだと思うんですよね。
> で、「ああ、確かに」が無い時点で、管理人さんが新しいホワイト文化に気づいていないだけではないのか、と判断しています。

何度も繰り返しになりますけど、「ああ、確かに」が見えないんじゃなくて、
「以前にもあったな」や、「この場合は当てはまらないな」というのが、同時に見えているだけです。

因果関係が無いのに、あたかも因果関係があるかのように見える「疑似相関」とか、
「原因と結果」や「手段と目的」を逆に解釈したり、
「必要条件」と「十分条件」を誤って取ったりなど、
そういうミスを避けようとする思考が、自然と身に付いている所はあるでしょうね。

扱う対象が数字では無いから、あまりピンとは来ない人が大多数なのですが、
こういう思考法って、何も専門的ではなく、学校の数学の授業で習う概念なんですよ!!
「高校で物理を習ったので解ります」とか言うのも、
ここまで理解して、初めて「習った」と言えるのかな?とも。

> といいつつ、ホワイトコンテンツなんて言うものが幻想であり、昔からあったものなのかな?
> 正直、私もメチャクチャ昔の作品に詳しい、とかではありませんし。

結論から言うと、昔から普通にあったと思います。
ただし、旧トルコ担当さん個人の好みとして、
昔から存在していても、それを楽しめないのであれば、結局は同じ事かな?
とは言え、それはあくまでも、旧トルコ担当さん個人に限定される話であって、
それがあたかも、普遍的であるかのように感じるのは、ハッキリ言って幻想かと思われます。

> 少なくとも、岡田斗司夫のホワイト革命論がなければ、
> ホワイトコンテンツ論に対しては、いやそんなの昔からあったでしょ、と反応していたでしょうし。

それはつまり、旧トルコ担当さん自身は、
そうした過去の存在を、認識なり、想像なり、出来ていたという話ですよねえ?
では何故、ホワイト革命論を知った事で、それは覆ってのでしょうか?
より具体的に問うと、ホワイト革命論で示された、過去の類似物との明確な「相違点」とは何ですか?

> とはいえ、恋愛コンテンツでいえば、明らかに
> バブル期の失恋ものが割合として多かった時代→
> 90年代後半から00年代前半の、悲劇的な恋愛が多かった時代→
> 昨今のハッピーエンドが多い時代というのがありますし、

「明らかに」という事でしたので、
各時代の代表作を幾つか、具体的に明示して戴けないでしょうか?
正直、現状では、どうも腑に落ちない感じですけど、
実際に示していただければ、「ああ、確かに!」と納得できると思うので!!(笑)


[23936] Re3:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか(その2)返信 削除
2022/5/4 (水) 21:39:06 徳翁導誉

▼ オタク文化
> > > 私の考えは反対ですね。
> > > AIには人間味がないから、多数派の人は人間YouTuberを見る、という主張ですが、
> > > であれば、マンガやアニメってもっと少数派の趣味になると思うんですよ。

> > えっ!?
> > マンガやアニメのファンって、世間的に見れば少数派ですよ。

> 90年代のジャンプ黄金時代には、クラスの男子の半分は(毎週でないにしろ)ジャンプを読んでた、
> というイメージなのですが、これって結構違いますか?
> ゲームも私が小学生の時にはクラスの半分はポケモンしてたイメージですが、
> 実はこれって私が結構偏った場所に住んでたってこと?

別に、それ自体は間違っていませんよ。
とは言え、それって「子供」の話ですよねえ?
それこそ、マンガも、アニメも、ゲームも、昔からありますけども、
それはあくまで子供が楽しむモノであって、大人が楽しむようになったのは、
もっと言うと、大人向けに作品が大量生産され出すのは、ここ10年とか20年の話です。
ですから、昔に比べれば一定の層は形成していても、やはり少数派である事実は変わらないですよ。
例えば、そのクールの覇権アニメとかって、大人はどれくらいの人が見ているのでしょう?
正直な話、数パーセント程度で、1割を超える事もないと思います。

> > 「描写が過激なだけ」云々という方向の返信をしている時点で、フェチズムが解ってない感じというか、
> > 精神的な嗜好性(変態性)について、まるで理解できてはいない印象を受けるんですよね。

> では管理人さんのフェチズム(精神的な嗜好性)理解ってどんな感じなのでしょうか?
> いや、聞かれていませんし、自ら表明することでもないですから言いませんでしたが、私もフェチズムの一つや二つは嗜んでますし、
> そこまで全面否定されるのであれば、逆にもっとそのディープな世界は教えて欲しいですw

自分では語らないのに、先に相手の方から語れと!?(笑)

> ロリコン系って、フェチズム的な、精神的な部分って少ないと思います。
> 幼児体系なんて言葉があるように、体がメインであって、心は別に欲していないというか。
> だからロリコン系のエロって、レイプ系が多いのではないでしょうか?
> ロリコンに精神的なフェチズムが求められているなら、いちゃらぶ的なロリコン作品もこんなに少ないわけないですし。
> (もちろん、フェチズムだからこそ、あえてレイプ系が好きな人もいるでしょうが)
> あと、ロリコン系エロがレイプ、特におじさんによるレイプになりがちなのって、ロリコンに対する罪悪感の表れだと思うんですよね。
> 罪悪感があるからこそ、自らおじさんがレイプするという方向のマンガが選ばれ、いちゃらぶのロリエロが選ばれないと。

「アニメなんて見てるオタクなんて、社会不適合者で、犯罪者予備軍!」くらいの
偏見に満ち溢れた見方をしてますね、ロリコンに対して(笑)。
でもまあ、ここまで言われると、「オタク的な感覚ではなく、一般人的な感覚で見てるよね」という、
前回の指摘は、やはり間違ってなかったのだな・・・と実感できます。
となると、化物語レベルで「本気のロリ愛」を感じてしまうのも、致し方ないのかな?とは思いますね。
って、逆に言うと、旧トルコ担当さんにとっては、「化物語」って そういう作品扱いなのかぁ・・・・(苦笑)

ただ、自らの見解に固執しがちなタイプの方が、これだけ偏見に満ちた状態だとなると、
こういうヤバめ系の話題を真剣に語っても、こちらがダメージを負うだけというか、
正直な所、こういう相手に、あまり真面目に語っても損だな・・・と思ってしまいました。

・・・と、これだと何だか言い放しになってしまうので、少しだけ語ると、
ロリコンって別に、必ずしも性的嗜好(エロ)とは限りません。
そこがイコールで結ばれるのは、どちらかと言えばペドフィリアの方かな?
イメージ的に言うと、ロリコンは「幼女萌え」の方が、感覚的に近いかも知れません。
もちろん、だからと言ってエロを含まない訳では無いですし、正直内包もしてますけど、
「レイプになりがち」とか、そういう捉え方に関しては、
アニオタを「リアルの女の子に接触できず、2次元の妄想に逃げてる人たち」と見なすのと同じで、
まあ確かに、そういう人も少なからず居るとは思いますけど、だからと言ってイコールでは無いと。
そんな感じですかねえ?

> > まあ確かに、一昔前のオタクたちの方が、
> > 概して「知識の守備範囲」が広いイメージはありますね。
> > おっしゃれるように、各分野のオタクが横断的に触れ合っていた面もありますが、
> > それ以外にも、好きな分野を深堀りするには、その周辺分野の知識も必要となる為、
> > 「あれも知っておけ、これも知っておけ」みたいな風潮があったのも事実かと。
> > (そういう意味では、私も昔ながらの気質のタイプでしょうか・笑)
> > で、ネットで何時でも誰とでも気軽に繋がれる時代では無かったからこそ、
> > 合える貴重な時間で情報を交換し、その情報を深く摂取する時間が充分に取れたのかも?
> > 今の時代、圧倒的な情報量の処理やコミュニケーションに押し流されて、
> > 「1人で考え抜く」という行為が、かなり疎かになってる感覚もありますし。

> この辺はもう、オタクに対してどんなイメージを持っているか、という違いなんでしょうね。
> 私の場合は、結構腐女子の人に対してもあこがれがあるので、そういう作品の消費の仕方もオタク的と分類しているのですが、
> この辺は管理人さんの定義するオタクではなさそう。

このスレッド内でも、以前に少し書いたかと思いますが、
私にとってオタクとは、自分の「好きを体系化」している人の事ですね。
上述の引用部から持ち出せば、「好きな分野を深堀り」する人と言い換えても構いません。
それは別に、範囲が広いとか、狭いとかに関係無く、とにかく愛情の深さみたいな話かな?
昨今のオタク定義との違いを言うなら、オタクとは「ディープ」であってこそオタクだと考えているので、
「ライトなオタク」なんていうのは、「それはオタクじゃなくて、ファンだろ!」という感覚はあります(笑)。

そういう意味では、別に腐女子であっても、我が道を貫いているのであれば、充分にオタクでしょう。
これは何も知識量に限定される話では無く、常人離れした妄想力とかでもアリです。
要するに、その人にとっての「ディープな世界観」さえ築けていれば!!
例えば、実写ドラマ『グラップラー刃牙はBLではないかと考え続けた乙女の記録ッッ』とか、
https://www.telasa.jp/series/11866
https://filmarks.com/dramas/10707/14930
たまたま本屋で原作書籍↓を見つけた際には、タイトルを目にしただけで、
https://www.amazon.co.jp/dp/4309028438/
今まで無かった視点でしたけど、「ああ、確かに!」と思わず心の中で叫んでしましたし(笑)、
まさか、それが実写ドラマ化されるだなんて驚きで、しかも なかなか出来が良かったんですよね。
ああいった世界観を築けているのなら、腐女子も充分にオタクかとは思います。
(同時に、あれが実写化される事自体、何だかんだで日本のオタク文化は凄いと再認識も・笑)

とは言え、個人的には、腐女子だからと言って、必ずしもオタクとは限らないと言うか、
オタク分野の1ジャンルではあっても、オタクだけに限定されないってイメージもありますね、腐女子の世界は。
う〜ん、何というか、例えばアイドルもオタク分野の1つではあると思いますし、
アイドル・オタクという人たちが確実にいる反面、
熱狂的なアイドル・ファンだからと言って、必ずしもアイドル・オタクとは限らない感覚に近いのかなぁ?

> > そこまで「オタクの歴史」に興味があるのであれば、誰かが纏めたモノに触れるよりも、
> > 実際に自分自身で、当時の作品に触れる方が、圧倒的に近道な気がしますけどねえ。
> > 歴史研究というのは、「出来るだけ一次資料に当たれ!」というのが大原則ですし、
> > 特にマンガ・アニメ・ゲームなどは、今でも簡単に古い作品に触れられ、そういう意味では恵まれてる分野なので、
> > 自分なりに歴史を紐解いてみて、その過程で気になった点を、改めて調べてみるのも良いかと思います。

> 当時の作品にいきなり触れても、結構分からないものですよ。
> 例えば前に挙げた『ロードス島戦記』(88〜93年)は第1巻を読んでみましたが、最後まで面白さは分かりませんでした。
> 『きまぐれオレンジロード』(84〜87年)も無料公開されているので読んでみましたが、第2巻の途中で挫折していますし。
> 今は面白さが分からなくても、まず最後まで読んでみろ、そしたら面白さが分かるはずだ、というのもありますが、

歴史を知りたいのか? 面白さを味わいたいのか?
その目的が異なるだけで、作品への接し方だって大きく変わりますよ!
昔の名作が「最後まで読めば面白いか?」となるかと言えば、必ずしも そうとは限りませんし、
正直言って、そのやり方だと、どちらも中途半端に終わる気がします・・・・

> それよりも30年、40年の年月というのはそれだけ大きいということだと思うんですよね。
> だからこそ、その当時の受け取られ方を知るということが重要なんです。
> 『宇宙戦艦ヤマト』なんかも、SFブームだとか、アニメ史といった背景を知ってから見れば、
> ああなるほど、ヤマトはこういう風に面白いんだな、というのが分かり、ちゃんと楽しめましたし。

結局の所、歴史自体に興味があるというよりは、
昔の作品を楽しむ為の「スパイス」として、歴史的な知識を欲している印象を受けるかも?
って、まあそれはそれで、別に悪い楽しみ方では無いですけどね(笑)。

とは言え、これは全ての分野に関して言える事なのですが、
歴史を調べる事が、目的ではなく手段であった場合、
どうしても、自分にとって都合の良い説を拾い集めがちになると言うか、
政治系だと、陰謀論にハマる人の黄金パターンなので、
一応、自覚というか、注意だけはしておいた方が良いかも?

> で、こういう作品の見方って、もう芸術作品の見方と同じなんですよ。
> 私は中学生のころに源氏物語を読んだときは、初めは面白さが分からなかったのですが、
> 中学生であまり他の娯楽を知らなかったこともあり、分からなくても読み続けていると、
> 段々と平安時代の習慣とか、恋愛観とか、短歌の読み方が分かるようになり、面白さが分かるようになりました。
> オタク作品も、これと同じやり方が必要なんですよね。

もし、過去の文章に対して、それが行えるのだとすれば、
なぜ、他人の意見に対して、それが行わないのでしょう?
現在進行形の事だから? それとも自分が関わる事だから?
「やらないんじゃない、出来ないんだ」という話と、これは相反する気がしますけど?

> 私の場合は、そういった勉強をせずにナチュラルに楽しめる範囲って、00年代前半〜90年代後半くらいが限界点ですね。
> それ以前になると、最低限は「この作品は名作と言われているんだから、どこかに面白い部分があるはず」という覚悟を持って、
> 多少分からなくても我慢しないと見れません。

言わんとしている所は解ります。
と言うか、オタクとして良いか否かは別として、それって実に「普通の感覚」ですよね。
ほとんどの人にとっては、やはり自分が育った地域や時代の価値観が、絶対的に基準となりますし、
そこから外れるほど、親しみ難くなるというのは、正直あるかと思われます。
そういう意味では、時代の変革期に、各地を転々としながら育った私は、
異なる価値観も、結構すんなり受け入れらますけど、そういうタイプは少数派なのでしょう。

もちろん、時代や文化の背景が解らないと楽しめない作品も、当然ありますけど、
時代や文化の違いを越えても、「面白い作品」というはも、数多くあるじゃないですか?
な〜んて思うのも、私がそういうタイプだからなのかも知れませんね(笑)。
例えば私は、白黒アニメの「佐武と市」とかも、純粋に凄い好きですけど、
デジタル作画が当たり前になった世代だと、アナログ作画というだけ拒否反応を示すとか、
そういったケースも、決して珍しい事では無いですから。

ちなみに、旧トルコ担当さんは「グレンラガン」って視聴済みですか?
あの作品は全4部構成で、第1部が70年代、第2部が80年代、第3部が90年代、第4部が00年代と、
それぞれの時代のロボット・アニメの作風を意識して作られており、
視聴者によって「第何部が好きか?」とかが分かれていて、結構面白い作品なんですよね。
・・・って、旧トルコ担当さんは、あまりロボット・アニメとか見て無さそうな印象ですし、
恐らくメインは10年代前半だろうと考えると、そもそも作品自体が合わなかったりして?(苦笑)

> まあ、だってオタク命名が1983年、もう40年近く昔です。
> この40年間、あまり日本社会が変化していないから、なんか感覚が狂いますが、

いや いや いや いや、ここ10年という話なら まだしも、
40年間という事であれば、めちゃくちゃ変化してますよ、日本の社会も!?
「昭和から平成、そして令和へ」という一言だけでも、それが容易に想像できるかと(笑)。

> > 噛み応えのあるスルメ的な内容の作品って、本当に減りました
> これは半分くらい間違っていますね。
> 今のオタクにとっては、今の作品こそ、スルメ的な読みごたえがあるんですよ。
> 作品の見え方が違うということですね。
> まあ、管理人さんの言うような、旧来的な意味での読み応えのある作品、という意味では減っているのも事実ですが。

「スルメ的に楽しむ」事と、「スルメ的な内容」である事とは、まるで違うと思いますけど?

> うーん、オタク・イズ・デッドって、オタクの劣化とか、作品の大量消費化とか、そういう話ではないですよ。
> 往々にして、そういう風に誤解されますが。(岡田斗司夫の話が長いのが全部悪いんですw)
> オタク・イズ・デッドというのは、オタクという共通意識の喪失であり、
> ジャンルが違うオタク同士が仲間意識を持たなくなったことを指しています。

まあ、「オタク・イズ・デッド」自体が、岡田斗司夫の自説ですし、
私自身は別に、旧トルコ担当さんほど、岡田斗司夫に拘ってはいないので、
旧トルコ担当さんがそう解釈されているのなら、それはそれで、正直 特に言う事は無いです。

> > また、「評論系は割と適当」との事ですが、ああいうのって、
> > 自分とは異なる「こういう見方があるのか」と気付かされたり、
> > 自分の中で纏まらない考えを、スッと的確に表現していて腑に落ちるだとか、
> > そうしたモノを求めて読むモノなので、そもそも読み方を間違えているというか、
> > 旧トルコ担当さんの場合、誰から「正解をもらう」事を、求めすぎてる感じがするんですよね・・・・

> 評論が嫌いなのは、オタクの歴史を勉強する中で、本当にどうしようもないような
> 低レベルの評論も初期には一生懸命読んでいたからなんですよね。
> それこそ、「ラノベ読者は表紙の絵にしか興味はなく、なんと本文は読んでいなかったのだー」とか
> 書いてしまう大学教授とかの文章とかも読んでいたので。

その文章自体を読んでいないので、正直 何とも言えないのですが、
始めから目的の作品を買いに行くのではなく、本屋で何となく新たな作品に手を出す場合、
中身の文章をパラパラ眺めて選ぶ人よりも、表紙絵とタイトルで選ぶ人の方が、
アンケート調査の結果からも、実際に多かったように記憶してますからねえ。

> あとまあ、本当に作品の解釈などというものがあるのであれば、
> それはアカデミズムなんかよりも、オタクの方がちゃんとできているはずです。

それって、論評がどうこう、オタクがどうこうという話では無く、
ただ単に、旧トルコ担当さん自身の中で、情報の取捨選択が上手く行かなかっただけなのでは?
別に、著者の肩書きが大学教授であったとしても、ビジネス目的で一丁噛みしてる本なんて幾らでもありますけど、
それをもって「アカデミック」と指すのは、認識として間違っている気がしますし、
そもそも同じ様な事は、著者がオタクであっても、普通に起こり得る事じゃないですか??

と言いますか、真面目に書いていても暴走する確率は、却ってオタクの方が高いと思いますし、
それでもオタク著者の方が、圧倒的にマトモに見えるのだすれば、
結局の所、オタク的な視点を共有という「同調性」だけの話であって、
逆説的に言えば、自分に合うモノだけ好んで選んでいると、
「歴史」を見るという意味では、最も重要な「客観性」を失ってしまうような気がします。

▼ いちゃらぶ革命
> > そうしたジャンルの種類自体は、別に昔から変わらないと言うか、
> > 最近になって、新たに登場したジャンルというのも、特に無い気がするんです。
> > あるとすれば、それは時代のニーズに合わせた、各ジャンルの割合の変化くらいの話で、
> > それだって劇的な変化でもなければ、あくまでも「傾向」であって、とても「革命」などとは呼べないと。

> とはいえ、昨今の急激な失恋コンテンツの減少とか、ちょっと異常じゃありませんか?

それでは、昨今の「恋愛リアリティー・ショー」人気の高さとかは、
旧トルコ担当さん的に、どのように映っているのでしょうか?
ネット配信では、アニメと並んで高い人気を誇ってますけど、
あくまでも、オタク界隈限定の話をされているんですかねえ?

▼ VR
> > > > > 「電脳ドラッグ」の方は、伝わっていましたよ。
> > > > いや〜、たぶん電脳ドラッグの方が、伝わりにくいと思うんですよねえ・・・・
> > > > デジタルアートほど、一般的に用いられてる単語ではありませんし、
> > > > マンガ版の「攻殻機動隊」とか読んでいないと、普通の人は想像しにくい概念かと?
> > > > 言うなれば、ドラッグ使用によって生じる快楽を、
> > > > 脳とコンピューターを直結させて操作し、人為的に快楽を起こそう・・・みたいな話なので。

> > > 個人的には、デジタルアートよりもこっちの方が分かりやすいですね。
> > > それこそ、ソードアート・オンラインの世界でしょ?ということですし。

> > 正直、SAOは最初の数話を見ただけなので、断言は出来ませんけど、
> > 恐らく、旧トルコ担当さんが想定しているモノとは、全く違うと思いますよ・・・・
> > 仮想空間にフル・ダイブして楽しむとか、そういう話では無いので。

> 脳の感覚中枢(なんてあるのか?文系(を言い訳にしている人間)には全く分からないw)みたいなところに、
> 直接信号を送る、みたいな話なのでは?
> 違うのでしょうか?

う〜ん、技術的な話としては、その通りなんですけど、
「SAOの世界の事でしょ?」と言われると、やはり違うという感じがする(笑)。
見出しが「VR」となってますけど、バーチャル体験ではあっても、リアリティー体験では無い為、
VRと言えばVRかも知れませんが、少なくとも、現在イメージされるVRとも大きく異なりますからね。

それこそ、前述に例として、マンガ版「攻殻機動隊」の話を出しましたけど、
草薙素子が「ナメクジの交尾(レズ3P)」をしている際に、電脳にアクセスしたバトーが、
「自分の体に無い器官からの体感情報を脳に受けて苦しんでいる」シーンが、最も解りやすい気がします。
で、この場合、私が言う電脳ドラッグとは、レズ3Pの方よりも、バトーが苦しむ体感の方ですね。

既存の神経系を、デジタルな信号で人為的に刺激し、快楽を得るというのも、
電脳ドラッグの1つだとは思うのですが、それはあくまでもアナログ的なドラッグの代替に過ぎず、
この分野の発展性としては、脳自体を機械と繋いで、新たなデジタル処理が行えるようにする事で、
既存の快楽とは異なる、また新たな刺激を得られる可能性・・・みたいな話ですね。
例えば、五感の刺激を直接的に脳に送り込むだけでは、五感から得られる延長線上の快楽しかなく、
ここへ新たに、6番目や7番目の感覚を開発する事で、今までに無い快楽を得られるみたいな感じかな?

▼ AI
> > > AIの力をもってすれば、人間YouTuberよりも面白いネタをしゃべることは簡単でしょうし、
> > > AIよりつまらないネタをしゃべる人間YouTuberの動画を見続けるとはそんなに思わないんですよね。

> > そんな「簡単」な話であれば、とっくに実現してますよ!!
> > 以前にも言ったと思いますけど、機械化の際に求められるレベルって、
> > 「ダメな人間に比べればマシ」程度では、基本的に用途を満たさないんですよ。
> > そこそこの人間よりも上で、しかも費用的に安く抑えられない限り、実用化なんてしません。

> コスト、はよほどのニッチAIでなければ、開発費にいくらかかろうと、確実に安くなるのでは?

それは、人間の持つ能力をあまりに低く見積もり過ぎです・・・・
と言うか、あまりに低く見積もってたから、AIでも簡単だと思えたのかな?

AIだと少しイメージし難いでしょうから、作業用ロボットの話をすると、
もちろん、ロボットは長時間労働をこなせて、文句だって言いませんから、
採算が合うのであれば、人など雇わずに、ロボットに仕事を任せた方が得です。
でも、単純作業ではあっても、細かな仕事が必要となってくる場合、
ロボットにも可能な作業ではあっても、その制作費や運用費を考えると、
結局は、人を雇った方が安上がりという事も、多々あるのは事実なんです。
単純作業ですら そうなのですから、頭脳労働など尚更ですよ!!

> アニメやマンガよりも、映画やバラエティ番組など、
> 本物の人間が出ている方が圧倒的に市場規模が大きいというのは事実ですけど、
> とはいえ「一握りの話題作」という話を管理人さんもしているように、
> マンガやアニメを一切見ない人、全くハマったことがない人、というのも少数派だと思います。
> それっていわば、マンガやアニメにのキャラクターものに対する教養というか、
> それらを楽しむための土台は多くの人が持っているということなので、
> そちらのクオリティが上がれば、そっちに流れる人もたくさんいると思うんですよね。

ジブリ作品を見たからと言って、その人が深夜アニメまで見始めるか別の話。
例えばサッカーも、4年の1度のワールドカップは、それこそ国民的な関心を集めますが、
だからと言って、その人たちがサッカーにハマって、Jリーグの試合まで見に来るかとなると、
皆無とは言わないものの、それほど影響が無い事は、データ的にも既に示されているんですよね。

それと同じように、「一握りの話題作」というのも、
「話題作」だから多くの人が見に行くのであって、
その内の大部分は、「アニメ作品」である事を意識して、見に行ってる訳じゃないんですよ。
ですから、「そっちに流れる人もたくさんいる」というのは、恐らく幻想でしょうね・・・・

> 少なくとも、スカトロとか 獣姦とか ふたなりなど、アブノーマル系の需要、とかとは完全に異なるはずです。
> だって、あれはほとんどの人が一度も見たことないものでしょ。

テレビ視聴者における、深夜アニメ視聴者の割合とか、
マンガ読者における、エロ漫画読者の割合なんて、
AV視聴者における、アブノーマル系視聴者の割合と、多分そんなに変わりませんよ?
恐らく、旧トルコ担当さんの立ち居から見て、近い・遠いで違って見えているだけで、
平均的な一般層から見れば、どれも「キモい」分野と映る事かと思います(笑)。

> AIってコンピュータの計算速度さえお金を出して向上させれば、いくらでも動画を作れるので、
> 例えば1日に1万本の動画を作る、みたいなことも可能だと思うんですよね。
> で、1万本も作れば、中には偶然面白いものが生まれることもあると。
> どれだけしゃべりの技術を向上させても、人間には寿命というものがあり、
> 1日24時間に投稿できる動画数には限界があるということを考慮すれば、
> 人間がそこまで優位性を持っているともはあまり思えないんですよね。

正直、「無限の猿定理」みたいな印象を受けますね。
「猿がランダムにキーボードを叩けば、そのうちシェイクスピアの作品を打ち出す」みたいな。

まあ、それはさておき、では仮にそうして面白い傑作が偶然生まれたとして、
恐らくは駄作の山であろう1万本の中から、どのように傑作が発掘されるんですか?
動画を見る方の人間だって、時間や人数は有限なんですよ!?


▼ マスク
> マスクは、し続けるんじゃないですか?あと5年か、もしかしたら10年くらい。
> コロナに明確な終わりがない以上、マスク圧力は続きそうですし、また現在既にその価値観変化、が起きているというか、
> 「完全に元に戻る」ということはないかと。
> マスクに離れたし、もうこれが普通という感覚の人は結構いそう。

いや〜、5年10年というのは、さすがに無いかな?
別に、皆が皆、マスクをしたくて している訳でも無いでしょうし、
恐らく大多数の人たちは、同調圧力というか、周囲に合わせてマスクをしているはずで、
マスクをしなくても許される空気となれば、する人の数は明らかに減ると思われます。

もちろん、だからと言って、コロナ禍以前の状態に「完全に元に戻る」とまでは言いません。
化粧の手間が省けるとか、感染云々より相手の飛沫が嫌とか、潔癖性やホコリ対策などで、
マスクをしたい人たちも一定数は居り、そして今や、マスクを着けられる大義名分がありますからねえ。
それこそコロナ騒動が始まる1ヶ月前、イオンが従業員に対して「マスク着用の原則禁止」方針を打ち出し、
客目線と従業員目線とで、賛否両論の分かれる大きな話題となっていましたけど、
コロナ以後は、マスクをしたい従業員も、大手を振ってマスクを着けながら働けるはずです。
しかし一方で、そうした方針が示されるくらい、マスクを嫌がる人たちが居る事も事実なんですよね。

マスク生活に慣れたと言っても、何だかんだ言って、マスクは暑苦しくて邪魔臭いですから、
別にマスクをしなくてもOKとなれば、やはり多くの人は外す気がします。
そういう意味では、完全ではなくても、「ある程度は元に戻る」って感じかな?
新聞社のアンケート調査によると、終息後もマスク着用すると答えた人が4割弱だったそうで、
現状ですら その数なのですから、実際に周囲の人たちがマスクを外しだした頃には、
1割とか2割って数になってるんじゃないですかねえ?
実際、100年前のスペイン風邪の際も、マスクを着ける日常生活が行われていましたが、
その生活が現在まで続いていたかとなると、そうじゃ無いのは知っての通りです。
マスクを外して、素顔を見せるのは恥ずかしい行為とか、それくらい世間の認識が変わらない限り、
マスク着用が常識化する事は無いかと思われます。

では、どのタイミングでマスクが外されるかとなると・・・テレビの力が大きいのかなぁ?
恐らく目安は、首相や都知事が会見時に、マスクや衝立を外した時でしょうね。
例えば国際会議の場とかで、海外メディアの取材にはマスク無しで答えるも、
国内メディアの取材にはマスクを着けるとか、そういうギャップが映像化されると、
それを見ている視聴者の側も、何だか馬鹿らしい気持ちになってくるでしょうし、
また、現在の保守派・・・というかネトウヨ系って「反マスク、反ワクチン」の傾向が強く、
自民党内からも、「そろそろマスクを外しては?」という圧力が、そのうち掛かりそうな気がします。

で、昨今のテレビ業界って、かなり政権の顔色をうかがって報道してますので、
首相や大臣たちがマスクや衝立を外せば、ニュース番組の方も恐らくは同調してくるでしょうし、
そうなるとバラエティー番組の方も、喜んでマスクや衝立を外すでしょうから、
ニュースの視聴者よりも、バラエティーの視聴者が、次第にマスクを外し始め、
そこから次第に人々がマスクを外していくのかな?・・・というのが、私が想像する1つのシナリオ(笑)。
ニュース番組で「本日の感染者数」が報じられなくなった時が、頃合いとなるような気もします。

> 大学のリモート授業なんかも、「ああこの教授は、コロナ明けてもリモートでやるだろうな」という人はいますし。
> (逆に大学から命令されない限り対面に拘る教授もいますが。)

ちなみに、旧トルコ担当さんの大学では現状、
授業の何割が対面で、何割がリモートなんですか?
また、リモート授業のメリット or デメリットって、旧トルコ担当さん的には どんな感じです?

自分の学生時代を思い浮かべると、授業1コマの為に大学へ行くのは面倒でしたし(笑)、
自宅から遠距離通学している友人とか、めちゃくちゃ大変そうだなぁ、と見えていたのですが、
これだけリモート授業が増えると、そういうケースって増えている印象があり、
ますます、大学へ足を伸ばす機会が減っちゃいそうなイメージですけど、実際どうなんでしょう?
リアルに集まる機会が減ると、サークル活動とかも支障を来しそうですけど、そちらの方は?
それと、対面授業とリモート授業が連続する時とかって、
リモートでも大学内で受講するしか無い気がするんですけど、それだけの設備って整っているんですか?

あと、まあ理系ですと、実験であったり、TAのサポート抜きには理解が困難な授業があるので、
今でも対面形式の時間は、それなりに多そうな気がするのですが、
これが文系ですと、かなりリモートでも大丈夫な感じがしますけど、こちらも どうなんでしょう?
解りやすく言うと、将来的にリモートのみでも成り立ちそうなレベルですかねえ?
もし そうなれば、日本に居たまま、通信で海外の大学に入学とか、今後は増えそうな気がしますし、
逆に言うと、英米名門校の少人数対面ゼミの価値が、更に上昇しそうな気もします。

ちなみに、もともと出席も取らない、大教室で行うような授業だと、
あれをリモートで行う場合、学生側のカメラ画像って、わざわざ写してたりするんですか?
受講生も大勢いるでしょうから、そこにスペースを割くと画面的にうるさそうですし、
そもそも一方通行な講義スタイルなので、やはり映像を垂れ流すような感じなのでしょうか?

▼ 経済
> 新自由主義が導入されたのって80年代らしいですが、
> これってつまり70年代には資本主義経済があまりうまくいかなくなってた、
> ということですよね?
> うまくいっていたのであれば、あえて変えようとするはずがありませんし。

資本主義経済が・・・と言うよりは、
アメリカやイギリスの経済が、上手く行っていなかったイメージ。
逆に日本はその当時、資本主義経済による繁栄を謳歌していた訳で、
国際的な経済システムが どうこうではなく、
負け組に陥った国が、勝ち組となるべく変革を仕掛けた感じの方が、適当な気がします。

> で、新自由主義もまた、全然良い経済体制ではなかったんですよね?
見も蓋もない事を言えば、勝ち組にとっては、良いシステムですよ(笑)。
逆説的に言えば、不満を貯め込む負け組が増えるほど、
「悪いシステムだ!」との声が大きくなるだけで。

結局、どんなシステムだって、長所と短所があるモノですし、
その時々で、不満の声が最も少なくなった時のシステムが、
結果論として、「良いシステムだ!」と呼ばれるだけの話かと考えています。

> ということは、資本主義ってこの半世紀ほど上手くいっていないってこと?
> 経済理論的にはこの半世紀失敗続きであるとするのであれば、
> 資本主義って思っていたほど強固な体制ではないのかも。

共産主義の終焉が見え始めた80〜90年代の頃、
「共産主義は20世紀最大の宗教だった」という意見が出てきたんですよね。
まあ実際、その論評は そこまで的外れでは無かったと、私も思います。
で、その言葉と対をなすような感じで、
「資本主義は21世紀最大の宗教となるだろう」とも言われていたと。
そして、それから30年あまりが経ち、こちらの指摘も存外 的外れじゃなかった気がするんです。

とは言え、資本主義(信仰?)の時代は、まだまだ続きそうですし、
少なくとも、「この半世紀」で見たならば、共産主義に打ち勝った時代でもあるので、
そこで過信や傲慢さが生まれた、負の側面も確かにあるものの、
「上手くいかなかった」とまでは、さすがに言え無い気はしますね。
冷戦終結後のグローバル経済が、途上国を発展させたのは、紛れもない事実ですし、
先進国が受けたダメージも、富の独占が崩れたというのと、同義であったりもしますので。

> もちろん、新自由主義がうまくいっていないと言っても、経済が崩壊したわけではないでしょうし、
> むしろスマホやらPCやらが普及して生活が豊かになったのも事実ではあるでしょうけど、

この「豊かさ」というのが、ちょっと難しい所ではあるんですけどね。
確かに、一昔前に比べると現在は、便利で、安価で、手軽となった商品が多いですし、
経済格差・地域格差・情報格差などによって、それらを今まで享受できなかった人たちにとっては、
「豊かになった」というのも、決して間違いでは無いと思うんです。
しかし、これらって基本的に、効率化などを進める事によって得られたモノであり、
言うなれば、トップとの差を詰める「引き算と割り算の経済」なんですよね。

でも一方で、その方法は、新たな商品を生み出すような「足し算や掛け算の経済」では無い為、
社会全体の「平均点」としての豊かさは、確実に上昇していたとしても、
社会全体の「最高点」としての豊かさは、果たして上昇できているのか?というのはあります。
で、中間層や下位層が上昇基調の頃は良いにしても、その上昇が一定まで達して鈍化し始めると、
社会全体がマンネリ化して、行き詰まってしまう可能性が、かなり在るようには思えます。
なので、その停滞ムードを破る為にも、足し算や掛け算による「積み上げ」が必要な気がしますが、
しかし現状、AI時代だ何だと言われていますので、そこに至るのは まだまだ時間が掛かりそう・・・・
正直、今の技術のAIは、引き算と割り算に特化している為、
こちらの方向で進んでも、「更なる効率化!」を求める袋小路に入り込みそうですし、
勝ち組と負け組の格差拡大・・・というか、負け組の増産化が進みそうな気がするんですよね。


P.S.
ゴールデンウィークが明けたら、そろそろゲーム作りを再開したいな、という思いがある為、
今後の雑談返信は、短く&遅くなるかも知れません。
御了承下さい。
ちなみに、「この箇所は特に返信が欲しいな」みたいな所があった場合、
それを示していただければ、そこを重点的に返信いたします。


[23942] Re4:ホワイト革命とか、ロリとか、AIとか返信 削除
2022/5/6 (金) 07:33:03 旧トルコ担当

突然で申し訳ありませんが、基本的に返信はこれにて終了とさせてください。
理由は色々ありますが、最大の要因は、だんだん感情的な攻撃になっていき、
であれば対話するメリットよりもデメリットの方が大きいだろうな、と感じたからです。

管理人さんも、多少の性格の悪さはありそうですがw、元はこんな人じゃなかったと思うんですよね。
ですが、私が色々返信するうちに、どんどん良くない方向へ、話が進んでいってしまいました。
私の場合は、結構こういうことは多いので。

これでも昔に比べれば、他人を怒らせないこと、他人の意見を聞き入れることも改善した方なんですけどね。
ふと思い出しましたが、中学生のころは、音楽なんて訳のわからんものを聞いている奴は、全員頭おかしいと思っていましたしw

とはいえ、突然返信を辞めるのもあれなので、1回500文字という制限付きで、返信は行いますが、何か希望などあります?

個人的に気になったのは、ロリの話ですね。
私は管理人さんのいう「幼女萌え」は「きらら系」という、ロリとはまた別のジャンルだと考えています。
物語シリーズは、ロリでありながら、女の子に主人公が言い訳なしで接近していくのが新しかった点ですね。

(一応、返信作成中です。10日には上げられるかと。返信するのであれば、それ以降が望ましいです。)


[23948] 今後の返信に関して返信 削除
2022/5/10 (火) 19:35:32 徳翁導誉

> 突然で申し訳ありませんが、基本的に返信はこれにて終了とさせてください。
> 理由は色々ありますが、最大の要因は、だんだん感情的な攻撃になっていき、
> であれば対話するメリットよりもデメリットの方が大きいだろうな、と感じたからです。

はい、了解しました。

> 管理人さんも、多少の性格の悪さはありそうですがw、元はこんな人じゃなかったと思うんですよね。
> ですが、私が色々返信するうちに、どんどん良くない方向へ、話が進んでいってしまいました。
> 私の場合は、結構こういうことは多いので。

別に私が、根っからの善人で無い事は否定しませんけども(笑)、
「こんな人じゃなかった」というのは、明らかに間違いでしょうね。
この年齢になって、今更そうそう性格なんて変わりませんよ。
実際、一昨年から始まった、前回の雑談スレッド↓の際もそうでしたでしょ?
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r23361
あの時も、「理解と信仰は違う」という話をして、そこで実質スレッドが終わりましたし、
「理解と賛同は違う」という事が伝わらないのも、あの頃から変わって無いじゃないですか?
「自分の意見が通らない=相手が間違っている」という考え方は、本当に改めた方が良いと思いますよ。

それこそ、「こんな人じゃなかった」というのは典型ですよね。
「こうであって欲しい」という自身の思いを投影するから、相手の事を見誤るんですし、
投影した相手像と、実際の相手像との間に、ギャップが生じた際、
見て取れる実像側に寄せるのではなく、思い描く虚像側に寄せるから、「こうじゃなかった」となるんです。
でもこれ、本来的には、「こんなはずじゃなかった」という、自らの誤算なのでしょうけど、
無意識な自己保身から、相手に責任転嫁をしてしまう思考法に陥っていると・・・・
いや本当、これを続けている内は、自分自身の固定観念や先入観から逃れられないと思いますし、
そうなると、異なる視点を持つだとか、他の人の立場になって考えるとか、まず無理ですよ!!
「自分を信じ、相手を疑う」という姿勢は、人として一般的ではあるものの、
「自分を疑い、相手を信じる」事で意図的にバランスを取らないと、客観性は養えないかな?
もっと言えば、自分で自分自身を見つめられなければ、他人である相手など尚更理解できないと。

まあ、「考え方が大人になる」というのは、「自らの型を増やす」事だと私は思いますし、
型を作る事により、情報の処理が、軽い負荷で、ブレが少なく、素早く行えるのですが、
その一方で、この型とは、固定観念や先入観になってしまうのも、事実なんですよね。
(型という表現が解り難ければ、方程式とか関数とかポリシーなどでも良いです)
ちなみに思春期とは、その型を作る為に試行錯誤する製作期間であり、
前頭前野の成長スピードと、線条体や扁桃体の成長スピードが異なる事とも相俟って、
いわゆる「中2病」という、アンバランスな自意識を生み出すのだと思うのですが、
既に大学生である旧トルコ担当さんは、もう中2病の時期は過ぎたにせよ、
自らの「型」をく固めてしまうには早いですし、まだまだ柔軟に修正が行える年齢だと思うんです。
せっかく形になってきた型をすぐに見直すのは苦痛でも、鉄は熱いうちに打てとも言いますし、
人間って、年齢を重ねるほど、自分を変えられなくなりますからねえ・・・・

と、こんな教訓じみた話をした所で、余計な お世話かも知れませんし、
こういう大所高所な話って、実践方法も解り難く、あまりピンとは来ないかと思われます。
その意味では、より具体的なアドバイスをすると、
自分が「面白い/面白そう」と思える範囲を、貪欲に広げていくのが1番な気がするんです。
人間が行動を起こす原動力には、物心の両面があって、
モノで強いのは金銭欲や物欲などがありますが、ココロで強いのは何よりも好奇心です。
(イメージしやすいようモノとココロと言いますが、より正確には外的報酬と内的報酬の方が適当かな?)
そしてオタクというのは、世間一般の人よりも「好奇心が強い人種」だと私は思いますし、
コンテンツ過多で「飽食」な今の時代だと、「飢え」や「渇望」って なかなか生じ難いとは思いますが、
そこを自らの意思で切り開いていった先には、今とは違う景色も様々に見えると思うんですよ!!

どんなに歪な形をしていても、特定の分野に偏っていても、
そうやって「自らの型」を作る事が、これからの時代は更に重要になってくる気がしますし、
適宜ライブラリーを用いたり、慣れない内はリード役に頼ったりするのは、まだしも、
この型作りを他人に委ねて、安易にコピペやアウトソーシングしてしまうのは、
短期的には楽でも、長期的には苦労するかと?(苦労を自覚しなければ、問題は無いのと一緒とも言えますが)

モノの方を満たす方向は、新自由主義経済とか、グローバル社会とか、AI技術とかで進んでいるので、
ココロの方を満たす方向が重要となり、それこそ今後は「オタクの時代」が来るかも知れず、
そういう意味では、モノ作りをしていた一昔前のオタク像と、モノを動かす事に慣れた現在のオタク像が、
上手い感じに融合して、物心両面の原動力を、サイクルとして巧みに回して行ければ、
日本の将来も、まだまだ捨てたもんじゃない・・・となる可能性だって、残されてる気はするんです。
で、私がここまで言うのも、旧トルコ担当さんであれば、
そうなる事も可能だと思っているからこそ、言っている訳ですね。
始めから「無理だろうな」と思う相手には、正直ここまで言ってないと思いますよ(笑)。

そして最後に、岡田斗司夫の述べるホワイト革命じゃないですが、
私が見立てる、未来のキーワードは「楽しいの お裾分け」ですね!!
まあ お裾分けされるのは、嬉しいとか、安らぐとか、いろいろ感情があるでしょうし、
感情に限らず、対象となるモノは様々あるでしょうけど、
ともかく、資本主義と共産主義、モノとココロ、デジタルとアナログ等々、
これらを全て繋ぐというか、その中間にあるような存在として、
上手くは説明できませんけども、お裾分けは、とても重要なテーマになってくる気はするんですよ。

> これでも昔に比べれば、他人を怒らせないこと、他人の意見を聞き入れることも改善した方なんですけどね。
> ふと思い出しましたが、中学生のころは、音楽なんて訳のわからんものを聞いている奴は、全員頭おかしいと思っていましたしw

正直な所、私の方は別に「怒っている」という事は全く無いんですよ(笑)。
旧トルコ担当さんが、次第に感情的になってきていたのが理解した上で、
そのテンションに合わせていったというのが、実際の所ですから。

まあ、私の方が年長者でもあるので、相手がヒートアップした場合、
逆に自分は冷静になる事で、バランスを保つ方が、大人な対応なのかも知れませんけど、
それはそれで両者間のギャップは広がるばかりですし、
どうせ伝わり難いにせよ、まだ同調させる方が却って伝わるかな?と。
これは別に仕事ではなく、趣味の雑談ですので、表面だけ繕っても不毛ですからねえ(笑)。

それに、自分で言うのも何ですけど、私自身の根幹的性格は「反骨心の高い天の邪鬼」ですから、
ぶっちゃけた話、旧トルコ担当さんは、私が「怒り」を向ける対象外な人ではありますし、
最近は年齢的に、「親父の小言」的な側面は実際あるのでしょうが(苦笑)、
基本的には、自分は別に嫌われても良いので、相手にとって良かれと思える忠告をしているつもりなんですよ。
私も結構なコミュ障なので、なかなか真意が上手く伝わらない事も多いですけど、
せっかく縁あって 私のサイトに来て下さった方々ですし、何よりも若者には これから未来があるので!!

> とはいえ、突然返信を辞めるのもあれなので、1回500文字という制限付きで、返信は行いますが、何か希望などあります?
いえいえ、私の方からは、これと言って特にありませんよ。
これだけ長文癖があって何ですけど、基本的に私の返信は受け身姿勢なので(笑)。
ただ、強いて問うのであれば、コロナ下におけるリモート授業や学生生活に関してですかね?
せっかくの「生の声」が聞ける機会ではありますし。

> 個人的に気になったのは、ロリの話ですね。
> 私は管理人さんのいう「幼女萌え」は「きらら系」という、ロリとはまた別のジャンルだと考えています。
> 物語シリーズは、ロリでありながら、女の子に主人公が言い訳なしで接近していくのが新しかった点ですね。

いや、あの話は、「ロリコンはペドよりも、萌えに近い」と言いたかっただけで、
必ずしも、同じジャンルであると言っている訳では無いですよ。
端的に述べると、ペドは性欲であり、ロリは信仰なので、愛しさを抱く萌えの感情の方が近いと。
(正確性には欠きますが、哲学的に言うなら、萌えはエトス、ロリはパトス、ペドはリビドーって感じ?)
前回はイメージしやすいようにと、「幼女萌え」という言葉を用いましたが、
より厳密に、一言で表すのなら、「少女崇拝」という方が適当かも知れませんね。
でもまあ、全ては明確に区分できる訳では無く、逆に混在もしていますから、解り難いのも確かです。

そういう意味では、アニメで「ロリコン」を語る際に、人それぞれ見方が分かれるという点で、
もっとも適当な題材というのは、「ガンスリンガー・ガール」なのかなぁ?とは思います。
第1期の放送が2003年と、20年近く前ですから、旧トルコ担当さんが御覧になってるかは解りませんけど、
あの作品が「どう映るか?」で、その人のロリコン観も測れるような気はします。


[23959] Re:今後の返信に関して返信 削除
2022/5/14 (土) 22:02:03 旧トルコ担当


▼ ロリコン

> 当時の基準で言えばファッション・ロリ
> あの頃は化物語なんて可愛いぐらい、本当にキモいロリコン・アニメとかも多かった


とのことですが、00年代前半だと、ロリ系のアニメってどんなのがあるんですかね?
ちょっと調べた感じでは出てこなかったので。
おそらく「ガンスリンガーガール」はそういう作品ではないでしょうし。

私のロリコン観はラノベからの影響が強いので、
化物語もラノベの文脈で見ていますし、
アニメの世界に別のロリコンがあるのであれば、多少は興味はありますね。


▼ 大学のリモート化

> > 大学のリモート授業なんかも、「ああこの教授は、コロナ明けてもリモートでやるだろうな」という人はいますし。
> > (逆に大学から命令されない限り対面に拘る教授もいますが。)

> ちなみに、旧トルコ担当さんの大学では現状、
> 授業の何割が対面で、何割がリモートなんですか?
> また、リモート授業のメリット or デメリットって、旧トルコ担当さん的には どんな感じです?


ざっくり、対面のみ・隔週で対面オンラインが交代(大学推奨)・対面オンライン自由(生徒の多くはオンライン)が、1:1:1:くらいですね。

> 自分の学生時代を思い浮かべると、授業1コマの為に大学へ行くのは面倒でしたし(笑)、
> 自宅から遠距離通学している友人とか、めちゃくちゃ大変そうだなぁ、と見えていたのですが、
> これだけリモート授業が増えると、そういうケースって増えている印象があり、
> ますます、大学へ足を伸ばす機会が減っちゃいそうなイメージですけど、実際どうなんでしょう?


多くの学生の声としては、
「オンラインの方が楽」
「せめて、オンラインか、対面か、はっきりして欲しい」
(1限はオンラインだけど、2限は対面なので、大学のPCルームから授業受ける、みたいなことも多いので)
という感じだと思います。

> リアルに集まる機会が減ると、サークル活動とかも支障を来しそうですけど、そちらの方は?

私はサークルは参加していないので、ネットで調べた方が良いレベルの話しかできないです。

> それと、対面授業とリモート授業が連続する時とかって、
> リモートでも大学内で受講するしか無い気がするんですけど、それだけの設備って整っているんですか?


設備というか、機材は無理やりにでも整えてるみたいですね。
逆に言えば、今回のコロナで多くの会社や大学でリモート環境が整ったのって、大きいのでしょうね。

> あと、まあ理系ですと、実験であったり、TAのサポート抜きには理解が困難な授業があるので、
> 今でも対面形式の時間は、それなりに多そうな気がするのですが、
> これが文系ですと、かなりリモートでも大丈夫な感じがしますけど、こちらも どうなんでしょう?
> 解りやすく言うと、将来的にリモートのみでも成り立ちそうなレベルですかねえ?


リモートのみでも、成り立つ授業は成り立つと思いますよ。
普通の、教授が90分間しゃべる形式のものであれば。
まあ、そういった授業はレベルが低い授業なのかもしれませんがw

あと、唯一(?)リモートで良かった講座が「哲学入門」で、
一度聞いただけでは教授が何言っているのか全く分からず、動画を何回も見直せたのは、非常に良かったです。

> ちなみに、もともと出席も取らない、大教室で行うような授業だと、
> あれをリモートで行う場合、学生側のカメラ画像って、わざわざ写してたりするんですか?
> 受講生も大勢いるでしょうから、そこにスペースを割くと画面的にうるさそうですし、
> そもそも一方通行な講義スタイルなので、やはり映像を垂れ流すような感じなのでしょうか?


映像を垂れ流す感じですね。
教授の姿か、下手するとスライドしか移さず、教授は声のみということもあります。


[23961] Re2:今後の返信に関して返信 削除
2022/5/16 (月) 20:49:36 徳翁導誉

▼ ロリコン
> > 当時の基準で言えばファッション・ロリ
> > あの頃は化物語なんて可愛いぐらい、本当にキモいロリコン・アニメとかも多かった

> とのことですが、00年代前半だと、ロリ系のアニメってどんなのがあるんですかね?
> ちょっと調べた感じでは出てこなかったので。

う〜ん、正直な所、別に私も好んで見ていた分野では無い為、
それほど詳しい話が出来ないのが、実際の所ではあるのですが(笑)、
最もメジャーなのは、『まったく、小学生は最高だぜ!!』という台詞でしょうか?
とは言え、この台詞が登場する「ロウきゅーぶ」は、
アニメ化が2011年ですから、今回の「00年代前半」という縛りだと、対象外なのかな。
(近年で作品を挙げるなら、2018年アニメ化の「りゅうおうのおしごと」がありますね)

00年代となると・・・「りぜるまいん」が2002年で、
「こどものじかん」や「こはるびより」が2007年ですか。
すみません、もっとあるはずですけど、パッとは浮かびません(苦笑)。
(最近は加齢の所為か、頭の中で画は浮かぶのに、名前が出てこない事も、日常茶飯事)

90年代末に、深夜アニメの急拡大と、「CCさくら」のアニメ開始があり、
そこから2010年頃に規制が始まるまでが、パンツ・アニメ全盛時代でもありましたし、
あとは、萌え系やエロゲ原作の作品が台頭&量産されたのも、ちょうど この頃ですよね。
そういう意味では、当時の作品は全体的に「ロリ的であった」と言って、差し支え無い気はします。
2001年には、深夜アニメで「ちっちゃな雪使いシュガー」の放送がありましたし、
00年代、秋葉原の象徴であった「でじこ」の巨大看板でも知られる
「デ・ジ・キャラット」のアニメ放送があったのが、まさしく00年代前半(1999〜2006)ですね。

あと、世間から見て「キモい」と感じさせる点で言うと、
ヒロインが少女や幼女というだけでなく、「実妹エンド」が時々ある所でしょうか?
これは、一般的な感覚からすると、やはり異端と映るように思われます。

> おそらく「ガンスリンガーガール」はそういう作品ではないでしょうし。
いやいや、あの作品は、原作者のガチロリ度が かなり高いんですよ!!(笑)
それは決して、腐女子が妄想カップリングで、作品を ねじ曲げて解釈したり、
本来は少女向けの番組を、「大きなお友達」が異なる視線で見つめたりするのとは違い、
何と言いますか、自然と滲み出てくるモノがあるんですよね。
それこそ以前、旧トルコ担当さん自身が おっしゃっていたように、
「見る人が見れば解る」という世界観が、この「ガンスリンガー・ガール」には、確かにあるんです。

で、更に言ってしまうと、そうした自身のロリコン的な変態性というモノに関して、
まあ恐らく、当人的には「自分が好きなモノを好きに描いてる」だけで、
原作者本人は、かなり無自覚なんですよね。
一方で、アニメ・スタッフの方は、そこを客観的に感じ取れている為、
その変態性をアート的に昇華させる事で、隠したり除いたりせず映像化が出来ていて、
だからこそ、アニメ1期は作品として非常に評価が高かった反面、原作者との衝突を生んだと。
それはファッションではなく、互いに「本気」だったからこそ、激しく対立した訳ですね。
そして、作中に潜むテーマ描写を避けなかったので、多くのロリコン兼アニオタが反応し、
そこまでの知名度は無いものの、かなりの話題作になったのだと思われます!!

また、この作品は、担当官と義体少女が兄妹的な関係で繋がり、
投薬を用いて、精神的な従属を強いていたり、
身体を弄って、物理的な支配を行っていたりなど、
性的描写は皆無でも、ロリコン的な欲求が、根幹の作品設定に詰め込まれているんですよね。
(原作は、アニメ1期の重苦しさや儚さは薄いが、少女達の「道具」視が強まってる感じ)
という事で、例えば「化物語」は、別にロリ要素とか無くても、作品的に成立しますけど、
「ガンスリンガー・ガール」の方は、ロリ要素を除くと、完全に別物な作品となるはずです。

って、「おそらく、そういう作品ではない」との事でしたから、
旧トルコ担当さんは、きっと未視聴だと思われますが、
やはり、こればっかりは、実際に観てもらった早い感じはしますけどねえ・・・・
視聴した上で、どこまで感じ取れるか否か?
でも別に、観てみた上で、「やっぱロリは感じない」という事であれば、それはそれで良いと思います。
以前の旧トルコ担当さんの話には、反してしまうかも知れませんけど、
同じモノを見たからといって、必ずしも、同じコトを感じるとは限らないので。


▼ 大学のリモート化
> > ちなみに、旧トルコ担当さんの大学では現状、
> > 授業の何割が対面で、何割がリモートなんですか?
> > また、リモート授業のメリット or デメリットって、旧トルコ担当さん的には どんな感じです?

> ざっくり、対面のみ・隔週で対面オンラインが交代(大学推奨)・対面オンライン自由(生徒の多くはオンライン)が、1:1:1:くらいですね。

あ〜、なるほど!!
「隔週で対面オンラインが交代」というのは盲点でした。
言われてみれば、そうですよね。
「密を避ける為」のオンライン授業であるならば、
半数ずつ入れ替え制にする事で、教室内の人数を半分に減らせる訳ですし。

また、これは大学ごとに、事情は異なるのかも知れませんけど、
教室無しの「完全オンライン授業」というのは、意外と無いんですね!?
そうなると、単なる移行期間なのかも知れませんが、
現状だと、オンラインは代替で、あくまでも「教室での講義が基本」って所ですか。

> > 自分の学生時代を思い浮かべると、授業1コマの為に大学へ行くのは面倒でしたし(笑)、
> > 自宅から遠距離通学している友人とか、めちゃくちゃ大変そうだなぁ、と見えていたのですが、
> > これだけリモート授業が増えると、そういうケースって増えている印象があり、
> > ますます、大学へ足を伸ばす機会が減っちゃいそうなイメージですけど、実際どうなんでしょう?

> 多くの学生の声としては、
> 「オンラインの方が楽」
> 「せめて、オンラインか、対面か、はっきりして欲しい」
> (1限はオンラインだけど、2限は対面なので、大学のPCルームから授業受ける、みたいなことも多いので)
> という感じだと思います。

やはり、オンラインと対面がゴチャ混ぜだと、面倒臭いんですね(笑)。
とは言え、大学の講義(特に一般教養)は選択制なので、時間割は各人バラバラでしょうし、
オンライン/対面の隔週交代が「大学推奨」となると、なかなか上手く噛み合わなそう・・・・

> > リアルに集まる機会が減ると、サークル活動とかも支障を来しそうですけど、そちらの方は?
> 私はサークルは参加していないので、ネットで調べた方が良いレベルの話しかできないです。

この辺りは、コロナ以前の大学生活を知っているか?知らないか?というのも、
地味に影響してくる部分かも知れませんね。
コロナ下の学生生活しか知らないと、そこが基準となってしまいますし。

って、それはさておき、何となく解っては居ましたけど、
大学内のオタ系サークルとかには、やはり参加されていないんですね。
学校を卒業すると、リアルに繋がる事って、非常に難しくなりますし、
そういう意味では、今が最後の機会かも知れませんが、あまり乗り気にはなれない所なのかな?
まあ、ネットがあれば充分って所かも知れませんけど、リアルにはリアルの良さもあるはずかと。
例えば、私とのやり取りだって、こんな文字だけよりも、リアルなら もっと情報交換できるでしょうから(笑)。

> > それと、対面授業とリモート授業が連続する時とかって、
> > リモートでも大学内で受講するしか無い気がするんですけど、それだけの設備って整っているんですか?

> 設備というか、機材は無理やりにでも整えてるみたいですね。
> 逆に言えば、今回のコロナで多くの会社や大学でリモート環境が整ったのって、大きいのでしょうね。

でも、それでPCルームの数は足りているのでしょうか?
PCの台数に関しては、出費は嵩むとは言え、購入すれば何とかなるにしても、
教室の数なんて簡単に増やせず、そこまで余っている訳でも無いでしょうから、
緊急対応だから致し方ないとは言え、無理矢理PCルームを増設してるイメージがありますし、
そんな感じだと、尚更、学生の学習意欲を欠く印象があると・・・・

って、最初から出欠確認など無く、学期末のテストかレポートで成績が決まる授業だと、
そもそも講義動画なんて1回も見ず、単位を取得する事も多いのかな?
これは別にコロナ前から、出席率の低さ(教室の埋まり具合)とかを考えれば、
良い悪いはともかく、それほど珍しい事では無かったですし、
せっかく大学まで行ったから、授業中の教室で寝ていたり、スマホを弄ってた学生たちは、
リモート授業になった際、わざわざ自宅のPCを前に、寝たりスマホを弄るのか?となると(苦笑)。
ただ一方で、授業の合間や、授業の最中(迷惑ですが)の おしゃべりも、必然的に減るので、
このコロナ禍は、「ぼっち学生」を、更に増やしているかも知れませんね。

> > あと、まあ理系ですと、実験であったり、TAのサポート抜きには理解が困難な授業があるので、
> > 今でも対面形式の時間は、それなりに多そうな気がするのですが、
> > これが文系ですと、かなりリモートでも大丈夫な感じがしますけど、こちらも どうなんでしょう?
> > 解りやすく言うと、将来的にリモートのみでも成り立ちそうなレベルですかねえ?

> リモートのみでも、成り立つ授業は成り立つと思いますよ。
> 普通の、教授が90分間しゃべる形式のものであれば。
> まあ、そういった授業はレベルが低い授業なのかもしれませんがw

レベルが低い・・・というよりも、そうした一方通行な大講義のスタイルって、
既に明確な正解があり、それを多人数に身に付けさせるには、効率的ではあるのですが、
そういうのって、「追いつけ!追い越せ!」な途上国に向いている所があり、
逆に言うと、だからこそ英米の名門大学では、後追いではなく先頭に立つ人材を育てるべく、
少人数によるディスカッション形式や、1対1に近いレクチャー形式が多いのだと思われます。

> あと、唯一(?)リモートで良かった講座が「哲学入門」で、
> 一度聞いただけでは教授が何言っているのか全く分からず、動画を何回も見直せたのは、非常に良かったです。

講義を何度も見直せるのは、確かにアナログな授業には無い魅力ですね!
また、特に出欠確認とかが無ければ、自分の好きな時間に受講するのも可能でしょうし!!

> > ちなみに、もともと出席も取らない、大教室で行うような授業だと、
> > あれをリモートで行う場合、学生側のカメラ画像って、わざわざ写してたりするんですか?
> > 受講生も大勢いるでしょうから、そこにスペースを割くと画面的にうるさそうですし、
> > そもそも一方通行な講義スタイルなので、やはり映像を垂れ流すような感じなのでしょうか?

> 映像を垂れ流す感じですね。
> 教授の姿か、下手するとスライドしか移さず、教授は声のみということもあります。

こうなると、放送大学やNHK教育、学習系のYouTubeチャンネルとかと、大差が無くなってくるのかな?
で、そうした授業動画の方が、キチンと作り込まれていて、完成度としては高そうですし、
一方通行な講義が大部分を占めるなら、「通信制大学」の需要は今後ますます高まりそうな気はしますね。
毎年同じ講義内容で行うなら、しっかりと1本を作り上げれば良い訳なので。

あとは・・・本の付箋や書き込みじゃないですけど、
ニコニコ動画やYouTubeチャットのように、講義動画にコメント機能が加われば、
単なる「一方通行な垂れ流し」に、ならずに済む気がしますし、
これはこれで、講師側も緊張感が持てるので、面白い授業スタイルになるかも?(笑)
コメントと学生番号が紐付いていれば、そうそう荒れる事も無いでしょうから。


[24008] 若者論とロリコン論返信 削除
2022/7/22 (金) 01:14:49 旧トルコ担当

▼ 若者論

『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』という本を読みました。
(正確には本屋で斜め未読みしただけですが)

現代の大学生=いい子化が進んでいる、という内容だったのですが、非常に面白かったです。
何より、管理人さんの俺ガイルの感想(http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c23821)で便所飯を例に出しているのも、この本読んで腑に落ちました。
私自身はそこまでこの本で指摘されているような"いい子"ではないですが、それでも傷つきたくないあまり他人の目を気にしすぎるというのは、多かれ少なかれ自分にも当てはまっているといいますか、
やはり世代的な傾向として「傷つきたくない」というのがあり、それは世代内でのみ比較すれば「いや、自分は違うよ」となりますが、世代間に渡って見ると私も傷つきたくない人間に分類されるんでしょうね。

「響け!ユーフォニアム」の続編に「リズと青い鳥」という映画があります。
ネタバレにならない範囲であらすじを紹介すれば、吹奏楽部内でのぞみという女の子を好きなみぞれという女の子がいるのですが、みぞれがのぞみに「遊びにいこう」も「一緒に帰ろう」も言えないんですよね。
私としては、この作品を女の子の独特な世界の作品として解釈していたんですが、そうではなくて、これって今の若者全体に共通する部分があるんでしょうね。
嫌われたらどうしようとか、そういうことで一歩を踏み出せなかったり、怖気づいてしまう若者がいるからこそ、こういう作品が出てくると。

・容姿学力比例論

私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

・若者の失恋離れ

これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」(https://toyokeizai.net/articles/-/598230)
が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
かなり納得しました。


▼ ロリコン論

「ガンスリンガーガール」は相変わらず未見ですが、ツイッターから「ろりともだち」(2012)(東浩紀絶賛)を知り読んでみたのですが、管理人さんの化物語にロリの本気度を感じないというのも納得しました。
確かに、00年代のロリって「投薬を用いて、精神的な従属を強いていたり、身体を弄って、物理的な支配を行っていたりなど、性的描写は皆無でも、ロリコン的な欲求が、根幹の作品設定に」みたいな感じですよね。

確かに、10年代に入った辺りから、ロリコンの健全化と言いますか、レイプ的なものが減ったイメージは私にもあります(管理人さんに言わせれば、浄化作戦は成果を挙げたと)。
とはいえ、ネット漁ればロリレイプなんていくらでも出てくるわけで、原因としては浄化作戦というよりオタク側の趣味の変化の方が大きそうな感じはうけますが。
(とはいえ、その趣味の変化も浄化作戦の影響を受けているという可能性はあります)

その上で「化物語」に対して私が感じた本気度というのは、作品の「リアリティ」レベルの問題で、普通のロリものはリアリティが低くて、ファンタジー的なんですよね。
「ガンスリーガールズ」は現実ではありえない設定がされていますし、「ろりともだち」もなかなかそこまでする気持ちにはなれないというか、実際に手を出すのはちょっとファンタジーだと思うんですよね。
「ロウきゅーぶ!」はファンタジーな設定の出てこない、リアリティレベルが高い作品ですが、「いや、小学生にバスケ教えるだけだから」という言い訳ますし。
でも、物語シリーズは仙石撫子ちゃんとお家デートしちゃうじゃないですか。
もちろん、物語シリーズ自体は怪異が出てくるロー・ファンタジーですが、そうした怪異とはそこまで関係なく、「妹の友達」と仲良くなっちゃうので。
ちょっと前に「娘の友達」というおっさんが娘の友達に手を出すマンガが話題になっていましたが、中年おっさんの下劣な欲望が娘の友達の女子高生ならば、ロリコンオタクの下劣な欲望が妹の友達なはずなんですよね。
私には妹はいませんでしたので、妹の友達の女の子もいませんでしたが、下級生の女の子はいましたし、
小学生くらいの頃は(ロリコン的なというのはおかしいかもしれませんが、)確かにそういう視線で下級生の女の子を見ていたのを、「化物語」は思い出させるんですよね。
それこそ、女の子側からはちょっと年上のお兄さんというのは恋愛対象として普通にマンガとかでもありふれていますし、いやおっさんがJK落とすのは無理というか都合が良すぎですけど、
妹の友達というのはワンチャンありそうなところが、背徳的なんですよね。


結局何が言いたいかというと、俺ガイルにしても、ロリコンにしても、管理人さんに指摘されないと、偶然その答えが目に入ってもスルーしていたと思うので、
管理人さんのおかげで勉強になり、ありがとうございます。


[24009] Re:若者論とロリコン論返信 削除
2022/7/26 (火) 20:54:53 徳翁導誉

▼ 若者論
> 『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』という本を読みました。
> (正確には本屋で斜め未読みしただけですが)

おっ、ちょっと面白そうな本ですね。
ちょうど今、私自身が読書モードに入っている最中なので、近々読んでみようかと思います。
紹介ありがとうございました(笑)。

ちなみに私の方は、2ヶ月ほど前にコチラの本↓を読んだのですが、

「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ -コンテンツ消費の現在形-」
https://www.amazon.co.jp/dp/4334046002/

その時の感想が、「旧トルコ担当さんに紹介したいな」と思ったんですよね(笑)。
以前、このスレッドで語っていた内容が、うまく纏まってる感じで、
この本を読んでもらった方が、私の話したかった意図が、上手く伝わるかも知れませんし、
その後、今月始めの「岡田斗司夫ゼミ #447」で、ちょうど この本が取り扱われていた為、
尚更、旧トルコ担当さんにはオススメかな?と感じてた所だったんですよ。
なので、こうして伝えられる機会が得られて、私も少し嬉しかったり(笑)。

> 現代の大学生=いい子化が進んでいる、という内容だったのですが、非常に面白かったです。
> 何より、管理人さんの俺ガイルの感想(http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c23821)
> 便所飯を例に出しているのも、この本読んで腑に落ちました。
> 私自身はそこまでこの本で指摘されているような"いい子"ではないですが、
> それでも傷つきたくないあまり他人の目を気にしすぎるというのは、
> 多かれ少なかれ自分にも当てはまっているといいますか、
> やはり世代的な傾向として「傷つきたくない」というのがあり、
> それは世代内でのみ比較すれば「いや、自分は違うよ」となりますが、
> 世代間に渡って見ると私も傷つきたくない人間に分類されるんでしょうね。

今だから言ってしまうと、この辺りの話に関しては、
私も、ちょっと説明下手だったかな?とは、反省していたんですけどね。
亀の甲より年の功とか言いますけど、やはり私の方が年齢が倍ですし、
今だからこそ、自分の世代と他の世代とを比較して見られる訳で、
例えば、同じく私が大学生の頃、そこまで客観的に物事が見られていたか?と考えれば、
必ずしも、現在ほどでは無かったはずなので、そこは配慮が足りなかったかなと。

でもまあ、多少なりとも、こうして話の意図が伝わった訳で、
不快な思いをさせるかも知れないのは覚悟で、敢えて述べてみた甲斐はあったのかも?(笑)
「折角の縁だし、仮に嫌われても、長い目で相手の役に立つなら」と、
当たり障りのある(笑)余計な お世話をするのは、私の悪癖のようなモノですが、
とは言え、真意の程が伝わらず、嫌われるだけで終わるのは、やはりキツイ所があるので(苦笑)。

・・・って、そんな独り語りはさておき、
今の時代と、一昔前の時代の、違いを上手く示しているという意味では、
それこそ前述の「映画を早送りで観る人たち」も、それが上手く描けていたかと思います。
作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
(昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)
旧トルコ担当さん自身も、そうした現状を苦々しく見つつ、
思考的には、そうした今の時代性を土台に立ってる面が伺えるのは、
第3者でオッサンである私から見て取れるものの、なかなか自分では気付けないと思うんですよ。
やはり、余程の変人(笑)・・・と言うか、個の強い人でも無い限り、
時代には無意識に流されたり、少なくとも影響は受けたりするモノですから・・・・
と、そうした面を客観視する意味でも、この本はオススメかも知れません。

ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。
あと、好きなシーンだけを繰り返し見る傾向は、これ自体は昔からあったものの、
世知辛い時代で、誰もが心の癒しを求めているからこそ、特に目立つようになってきたのかな?

> ・容姿学力比例論
> 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。

もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?
解り難いかも知れませんが、子供たちの情報格差・経済格差・環境格差など、
家庭的に「恵まれているか?否か?」で生じる差が、一昔前よりも、格段に大きくなっているんです。
例えば今年の大学受験では、国立理系の合格者のうち、
中学時代から大学受験の勉強を始めた子の割合が、ついに半分を超えたそうなんです。

要するに、中高一貫校などで、事前に大人にレールを敷いてもらわない限り、
国立理系に合格するのは、なかなか難しい時代になってしまったと・・・・
だって、普通の中学生が、高校受験を控えた段階で、
大学受験の事まで先を見据え、自発的に行動し始めるなんて、まず無理ですよ。
となると、中高一貫校の子の半分くらいの勉強時間で、同じだけの成果が出せなければ受からず、
それが可能な子というのは、本当に優秀な一握りに限られてきてしまう事でしょう。

昨今は「メリトクラシー」と言って、能力至上主義的な傾向になっており、
能力が絶対的な基準とされるのは、一見、平等のようにも映りますが、
子供が能力を伸ばせるか否かって、かなり家庭環境に左右されますからねえ。
言い方を換えれば、なかなか直接的な見た目では現れ難い
「持っている人(恵まれた子)と、持っていない人(恵まれない子)との差」が、
容姿とか、学力とか、自信という形になって、表面化してるような気がするんです。

これと似たような話は、以前読んだ「無理ゲー社会」にも書かれてたかな?
https://www.amazon.co.jp/dp/409825400X/
正直、個人的にはライトな内容で、そこまで響く1冊では無かったものの、
世間的には、この本が突き刺さる人も多いようなので、
一応、参考までに紹介しておきますね。
話下手な私の文章よりも、プロの方が格段に読みやすい(頭に入って来やすい)のは確かですし、
事前に知識の下地が整えば、何を言っているか解り難い私の話も、意外にスッと入って来るかも?(笑)

> ・若者の失恋離れ
> これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> かなり納得しました。

リンク先の東洋経済の記事を読みましたが、
う〜ん・・・そこまで反論という所までは行かないものの、
「それは結果であって、原因では無いかな?」というのが、個人的な素直な感想。
まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。

そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。
例えば、「最近は安定志向が強まり、公務員人気が高まった」とか言われますが、
戦後昭和の時代は、多くの民間企業だって「安定的だ」と思われていた訳で、
安定志向は昔から高く、今の時代は安定的な職の数が減っただけの話であると・・・・

言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。
とは言え、それはそれで、社会システム的に言うと、
ただ大人しく搾取される側に回り、それが固定化され、そこから抜け出せなくなる構図にある為、
ミスで解りやすく奈落に落ちない替わりにに、静かに茹でガエルとなるだけの違いなのかも?
ピケティの論調じゃないですけど、変化無き平和な時代の持続は、格差の拡大と固定化を招くので。


▼ ロリコン論
> 「ガンスリンガーガール」は相変わらず未見ですが、
> ツイッターから「ろりともだち」(2012)(東浩紀絶賛)を知り読んでみたのですが、
> 管理人さんの化物語にロリの本気度を感じないというのも納得しました。
> 確かに、00年代のロリって「投薬を用いて、精神的な従属を強いていたり、身体を弄って、
> 物理的な支配を行っていたりなど、性的描写は皆無でも、ロリコン的な欲求が、根幹の作品設定に」みたいな感じですよね。
> 確かに、10年代に入った辺りから、ロリコンの健全化と言いますか、
> レイプ的なものが減ったイメージは私にもあります(管理人さんに言わせれば、浄化作戦は成果を挙げたと)。

え〜と、こちらに関しては誤解が続いていると言いますか、
ロリコンというのは、性欲や支配欲が中心ではなく、もっと精神的なモノなんですよね。
肯定的にせよ、否定的にせよ、少女の成長途上を愛でるのが根幹にあり、
体型だの、支配だのは、個別の感情の発露に過ぎ無いとでも言いますか、
それもロリコンの一部ではあるものの、必ずしもロリコンとイコールではない、みたいな感じかと。
(こうした集合論的な話って、数学的な考え方の土台が無いと、意外に伝わり難いのかな?)

そういう意味では、クジラックスとか心島咲などのエロ漫画って、
一見すると、その過激なロリ性描写こそが、人気の秘訣のように映るかも知れませんけど、
恐らく、彼らの作品が人気なのって、そういった部分以上に、
事前・事後の心理描写や、行為に及ぶまでのストーリー描写が丁寧だからなのでは?
例えば、周防正行の監督デビュー作である「変態家族 兄貴の嫁さん」とかも、
「あの周防正行による、小津安二郎風味のポルノ映画」という
キャッチーな見方だけでは、表層的な評価のように感じるのと似てるかも。
これだけ語り継がれるのは、やはり単純に、作品として魅力が在るからなんですよね。

東浩紀が評価しているのも、ロリとかレイプとかが混ざるから解り難いですけど、
実際の所は、青春友情物語としての完成度の高さに関して触れている訳で、
言うなれば、強盗や殺人を繰り返しつつ、逃避行を続けたボニー&クライドの青春恋愛物語が、
残虐な犯罪者カップルでありながら、一部で熱狂的な支持を受け、何度も映画化された事に近いかと。
それこそ、後述の旧トルコ担当さんの言葉を借りるなら、
ワンピースのような冒険譚を、より「リアリティ」を上げたような感じですね!!(笑)
もちろん、行うのは義賊的な海賊行為ではなく、ガチでクズな犯罪行為なんですけども(苦笑)。

> とはいえ、ネット漁ればロリレイプなんていくらでも出てくるわけで、
> 原因としては浄化作戦というよりオタク側の趣味の変化の方が大きそうな感じはうけますが。
> (とはいえ、その趣味の変化も浄化作戦の影響を受けているという可能性はあります)

別に私も統計とかは取ってませんけど、肌感覚的に言えば、
レイプ題材の作品って、エロ作品やAVとかでも、確実に需要が減少してる気がしますよ。
恐らく、「無理矢理 思い通りにする」というのが、今の時代にあまり合わないのでは?
って、ただ単純に、昨今はコンプラ云々がうるさいので、
相応の利益が望めないのなら、敢えて作ろうとしないというだけの話かも知れませんが。

> その上で「化物語」に対して私が感じた本気度というのは、作品の「リアリティ」レベルの問題で、
> 普通のロリものはリアリティが低くて、ファンタジー的なんですよね。
> 「ガンスリーガールズ」は現実ではありえない設定がされていますし、
> 「ろりともだち」もなかなかそこまでする気持ちにはなれないというか、
> 実際に手を出すのはちょっとファンタジーだと思うんですよね。
> 「ロウきゅーぶ!」はファンタジーな設定の出てこない、リアリティレベルが高い作品ですが、
> 「いや、小学生にバスケ教えるだけだから」という言い訳ますし。
> でも、物語シリーズは仙石撫子ちゃんとお家デートしちゃうじゃないですか。
> もちろん、物語シリーズ自体は怪異が出てくるロー・ファンタジーですが、そうした怪異とはそこまで関係なく、
> 「妹の友達」と仲良くなっちゃうので。

う〜ん、こういう話となると、私が考えていた前提とは違ってくるのかな?
「本気のロリ愛」という事でしたので、化物語のそれは、
「倫理的には知らんが、俺はこういうのが好きなんだ!」という、作り手側の欲情が描かれているのではなく、
「君たちロリコンは、こういうのが好きなんでしょ?」という、作り手側の嫌らしさが透けて見える感じで、
あれを本気のロリ愛と呼ぶのは違うだろうし、まんまと踊らされる層は本当にロリか?という疑問を抱いたんです。

でもまあ、現実的か否かを問う「リアリティ」の話をするのであれば、
怪異であったり、軽妙な会話などを除けば、確かに化物語はリアルな作品なのかも知れません。
ただ、その事が作品として、本当にそこまで重要な事か?と問われると、ちょっと解らないかな?
もちろん、私たちの日常生活に近い設定の方が、感情移入をしやすい面はあるでしょうけど、
作品にとって重要なのは、それで伝えたいメッセージ性やテーマであって、
その事を考えると、却って非日常的な世界観の方が、心理描写などが立つ側面もあるんですよね!!

例えば、映画「バトル・ロワイヤル」とかも、中学生に殺し合いをさせるという過激な設定から、
国会でも取り上げられ、R-15指定による劇場公開となりましたけど、
内容的には青春群像劇であり、学徒動員で戦争を体験した深作欣二の思いも詰まった作品で、
それこそ、却って中学生にこそ、観てもらいたいような作品だったんです。
そういう意味では、そうした表面的なリアルさというのは、
私個人としては、正直、あまり重きは置いていないと言うのが、実際の所かも知れませんね。
もちろん、リアルさがテーマの作品であるならば、話はまた違ってきますけども。

> 結局何が言いたいかというと、俺ガイルにしても、ロリコンにしても、
> 管理人さんに指摘されないと、偶然その答えが目に入ってもスルーしていたと思うので、
> 管理人さんのおかげで勉強になり、ありがとうございます。

お役に立てたのなら、何よりです(笑)。
私の主旨としても、異なる視点への「引っ掛かり」を与えようという所がある為、
以前の指摘が、こうして巡って、気付きのキッカケになったのであれば、
まさにそれこそ、望んでいた結果でもありますしね!!

ちなみに、私がアート鑑賞を好むのも、そうした「引っ掛かり」を得やすいからであり、
逆に言うと、日本のアート教育って、こういう部分が抜け落ちていると言いますか、
お上品な教養的に、「この作品は何年の誰々の作品で…」と、知識偏重に陥っているから、
欧米などに比べると、一般庶民から縁遠い存在になってしまっている気はしますね。
海外から名作が来日して大行列が出来ても、実物から何かを感じるより、
とにかく「実物を見た」という体感イベントとしての側面が強い気が・・・・
でも、アートって基本的に、言語を用いない自己表現ですから、
地域・時代・趣向の違いを越えて、作者の思いがダイレクトに伝わって来やすい世界なんです。
もう少し解りやすく言えば、他者の主張から何らかの「引っ掛かり」を得る機会であると。

また、以前にも少し書きましたが、私がリアル店舗を大事だと言っていたのも、
ネット店舗に比べて、こうした「引っ掛かり」を得やすい場所だからなんです。
一目で入ってくる余計な情報量(雑音)は、アナログな方が段違いに多いですし、
自分好みにカスタマイズされてないからこそ、他の人々の好みも入って来やすいと。
もともと好きなジャンルで、新たに面白い作品を見つけるのも良いですけど、
興味が無かったり、却って苦手だったジャンルで、新たに面白い作品を見つける方が、
自分の「楽しいの範囲」が確実に広がりますし、新規開拓の期待感も伴いますから嬉しく、
そして、その第1歩となるのが、まさしく、この「引っ掛かり」という感覚なんですよね!!

で、その年齢で「引っ掛かり」という「気付きのフック」の感覚を掴めたというのは、
偉そうな言い方ですが、今後の旧トルコ担当さんの成長に、何かと活きてくるかも?
この感覚は一生身に付かない人も多いですし、視野の広がりは それだけで大きな武器になるので。


P.S.
話は逸れますが、昨年から早稲田の政経学部が入試で数学を必須化したように、
デジタル化が加速する近年は、理系以外でも「数学の重要性」が認識されるようになり、
(と言いますか、日本は経済学が文系扱いなので、ノーベル賞が取れないとの話も?)
日本の大学の経済学部や商学部でも、「数学の必修が増えた」との噂を聞くのですが、
実際の所、どんな感じなのでしょうか?
具体的には、どれだけのコマ数が数学に割かれ、どのレベルの数学をやっているのかな?と。

特に私立文系の場合、大学受験対策として、ほぼ数学を学ばない高校も珍しくなく、
そうなると、「大学(経済学部や商学部)で数学を学ぶ」と言っても、
理系の高校数学と大差ないレベルなのかな?とか、少し気になったので。


[24014] 「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/8/15 (月) 22:09:58 徳翁導誉

> > 『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』という本を読みました。
> > (正確には本屋で斜め未読みしただけですが)

> おっ、ちょっと面白そうな本ですね。
> ちょうど今、私自身が読書モードに入っている最中なので、近々読んでみようかと思います。
> 紹介ありがとうございました(笑)。

という事で、「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了しました。
「横並び志向」「事なかれ主義」「マニュアル依存」「承認欲求の高さ」などと言った
近年の若者層の特徴自体は、私も読む前から、それなりに掴んではいましたが、
そこは著者が大学教授なだけあって、具体的な実例は目から鱗でした(笑)。

講義における「座席の埋まり方」↓とか、「1限だから1限に出る」といった
https://m.media-amazon.com/images/S/aplus-media-library-service-media/5bb5f869-c75a-4a96-ad04-0fb755d44efd.__CR0,0,970,600_PT0_SX970_V1___.jpg
一昔前までの学生との感性の違いとかは、「なるほど、そうなるのか!?」って感じでしたし、
特に、「最も公正な分配基準は?」の答えの違いは、かなり印象に残りましたね!!

 【Q.最も公正な分配基準は?】
   2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
   2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
   2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%

まあ、アメリカの方の結果は、メリトクラシーにより格差増大が是認される一方、
その反動として、一部にサンダースやオカシオ・コルテスの人気が高まっている現状を、
まさしく、イメージ通りに現した数字といった感じかな?
日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。

一律な平等分配が半数を超えてるって、本当・・・というか、本気なんですかねえ?
戦後昭和の「日本型社会主義」においては、平等や必要性は言及されて無くても、
それなりの分配はされていた上で、「努力すれば報われる」という雰囲気が醸し出され、
それでも実際のボーナス加算分は、実績差に比べると微々たるモノという感じで、
現実的に どう分配されていたかではなく、当時の感覚的な部分が数値化されてる印象ですが、
2020年頃の数値に関しても、そういったイメージ的なモノなのかなぁ?
昨今の世知辛さから、平等分配を求める声が、以前に比べて増してる面は確かにあるでしょうけど、
ここまで数値が高いとなると、もしも本気の声であれば、もっと共産主義の再台頭があって良いはずで、
そうした現象が特に見られない以上は、これも外面を気にした建前的なモノで、本音とは違うのでは?
う〜ん、何というか、「ぼっち」を気取りながらも、他者からの「承認欲求」は高いという、
当人も無自覚な「建前と本音の使い分け」というのが、そこには潜んでいるような気がするんですよね。

右肩下がりの時代で、「チャレンジのコスパが悪い」昨今、
「今の若者は〜」とか言うのは、社会の問題を、若者に責任転嫁しているだけな気がしますが、
その一方で、「損はしても、せめて平均以下には落ちたくない」という意識が強すぎて、
自らの事を「横並び志向」だと思いつつも、
「目さえ付けられなければ、得したい」という本心が隠れているというか、
足の引っ張り合いが強くなった現状を、平等とか横並びという言葉に置き換えてるだけな気もします。
そういう意味では、「良い子症候群」と言うよりも、「傷つきたくない症候群」という感じかな?
もっと言えば、一度傷つくと、なかなか立ち直れない社会状況で育った若者層という事かも・・・・

最後に、おしなべて面白い本だとは思いましたけど、強いて難点を挙げるなら、
著者の視点が表面的で局所的というか、現象やハード面ばかりを追ってる感じで、
広く社会全体で見つつ、根本的な部分から解き明かしていく感じでは、無かった点ですかねえ?
まあ、そこは著者も自身で語っている通り、
歴史が苦手で、元々は物性物理の出身という所が、そうした物足りなさを招いているのかも。
とは言え、やはり人それぞれ得手・不得手はありますし、あまり1人に求めすぎてもアレかな?(笑)
ともかく、面白い本を紹介していただき、ありがとうございました!!
返信の有無は構わないとして、一応 報告までに。


> > ・容姿学力比例論
> > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
> もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?
> 解り難いかも知れませんが、子供たちの情報格差・経済格差・環境格差など、
> 家庭的に「恵まれているか?否か?」で生じる差が、一昔前よりも、格段に大きくなっているんです。

先日たまたま、書店でこんな新刊↓を発見して、読了。

「ペアレントクラシー 親格差時代の衝撃」
https://www.amazon.co.jp/dp/4022951826/

タイトル以上のインパクトは、内容的に無かったのですが(個人的には正直イマイチな1冊)、
「教育格差」の問題に関して、関心はあるけど知らない方には、そこそこの1冊ではあるかと?
「親ガチャ」なる単語が流行っている昨今、
社会システムが安定したまま、メリトクラシー(能力主義)が続けば、
当然の帰結として、人々は、システム上の最適解を求めるでしょうし、
その結論として、親(保護者)が如何に整えるかで、子供の生育環境が左右されるという
「ペアレントクラシー」なる答えに辿り着くのは、当たり前と言えば、当たり前なのでしょう。

と、これ以上 続けると、教育方面の話題に脱線しそうなので、話を元に戻しますが(苦笑)、
同書にもあった、現在は「見えざる壁(格差)」の時代だという意見は、私も同調しました。
簡単に言えば、近代以前の階級社会では、まさしく格差が「見える壁」として存在し、
それを壊そうとして、能力主義が台頭してきた訳ですが、これだけ長く続くと、
効力の良い能力の高め方というノウハウに加えて、
教育面への新自由主義の侵食であったり、ネット普及が却って招いた情報格差であったり、
そうした諸々の要素が合わさって、一見しただけでは判らない「壁」が、確実に生じつつあると・・・・

まあ、同じ学校の中ですと、名門校と底辺校との「違い」ほど如実じゃない為、
生徒同士の明確な違いは、もしかしたら見出し難いかも知れませんが、
何でも持ってる生徒と、何も持ってない生徒との差が、実際に存在するのであれば、
それこそが恐らく、「見えない格差」が表面化したモノなんじゃないですかねえ?

また、こうした事の心理面を読み解く場合、
確かに「自信」も、1つの要素ではあるものの、
それ以上に大きいのは、あらゆる面においての「余裕」でしょうね。
自信自体は、行動の大きな推進力には成り得るのですが、
全ての物事を、滞り無く進めるのに大事なのは、何よりも余裕なので。


> 日本の大学の経済学部や商学部でも、「数学の必修が増えた」との噂を聞くのですが、
> 実際の所、どんな感じなのでしょうか?
> 具体的には、どれだけのコマ数が数学に割かれ、どのレベルの数学をやっているのかな?と。

この流れで、USJを再建させた立て役者の本↓を読んでみました。

「確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力」
https://www.amazon.co.jp/dp/4041041422/

一般読者向けに、数式とかは飛ばしても読める内容になってましたけど、
具体的には、「ポアソン分布」とか「負の二項定理」などが出てきてました。
クオンツたちが活躍する金融工学の世界とも、また異なるのでしょうし、
経営判断として、おおよその目安さえ解ればOKという使用目的を考えると、
これくらいの数学レベルで充分だという事なのでしょうね。
内容は悪くありませんでしたし、旧トルコ担当さんは商学部との事でしたので、
既に読まれてるかも知れませんが、一応オススメしておきます!!
この立場の人が、手の内を明かすような本を書くこと自体、なかなか珍しいですから。

もっと言うと、自らの経営体験の実例を、
大量に演習問題として用いた、教科書を書いて欲しい所かも?(笑)
まあ立場的に難しければ、一線を退いてからでも良いので。
やはり演習問題の有無というのは、知識としての定着度に差を生みますし、
かと言って、無味乾燥な例題ばかりを解かされても、基本的には面白くないですから、
成功体験であれ、失敗体験であれ、興味を惹くような実例から問題が作られていれば、
頭に入ってくる情報量も、大きく違ってくると思うんですよ!!

と言いますか、既に実際に、そういった本って在ったりするのかな?
もし御存知でしたら、是非とも紹介して戴ければ有り難いです!!(笑)


[24016] Re:「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/8/18 (木) 23:43:22 旧トルコ担当



> ・・・って、そんな独り語りはさておき、
> 今の時代と、一昔前の時代の、違いを上手く示しているという意味では、
> それこそ前述の「映画を早送りで観る人たち」も、それが上手く描けていたかと思います。
> 作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
> (昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)


日本人が皆巨人ファンだった時代があったのは知っていましたが、月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。


> 旧トルコ担当さん自身も、そうした現状を苦々しく見つつ、
> 思考的には、そうした今の時代性を土台に立ってる面が伺えるのは、
> 第3者でオッサンである私から見て取れるものの、なかなか自分では気付けないと思うんですよ。
> やはり、余程の変人(笑)・・・と言うか、個の強い人でも無い限り、
> 時代には無意識に流されたり、少なくとも影響は受けたりするモノですから・・・・
> と、そうした面を客観視する意味でも、この本はオススメかも知れません。
>
> ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
> いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
> 情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
> 逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
> わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
> そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
> 早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。
> あと、好きなシーンだけを繰り返し見る傾向は、これ自体は昔からあったものの、
> 世知辛い時代で、誰もが心の癒しを求めているからこそ、特に目立つようになってきたのかな?


私の場合は、アニメや映画などを倍速視聴することは無いですが、ニコニコやYouTubeは基本2倍速視聴しています。
この手のパターンは割と多いのではないのでしょうか?
何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。


> > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
>
> もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?


私は、そういった格差などの世知辛い現実を見ないようにしてきた人間なので、
自信がないことが家庭環境の格差にあるのかは全く分かんないんですよね。
昔の時代も知りませんし。

オタクやってるのも、アニメの話してるときはそういったものが関係なくなるから、という側面もありますし。
これも無自覚な時代適応なんでしょうね。


> > ・若者の失恋離れ
> > これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> > ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> > が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> > 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> > かなり納得しました。

> リンク先の東洋経済の記事を読みましたが、
> う〜ん・・・そこまで反論という所までは行かないものの、
> 「それは結果であって、原因では無いかな?」というのが、個人的な素直な感想。
> まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
> 時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
> 世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。
>
> そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
> 日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
> ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。
> 例えば、「最近は安定志向が強まり、公務員人気が高まった」とか言われますが、
> 戦後昭和の時代は、多くの民間企業だって「安定的だ」と思われていた訳で、
> 安定志向は昔から高く、今の時代は安定的な職の数が減っただけの話であると・・・・
>
> 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。
> とは言え、それはそれで、社会システム的に言うと、
> ただ大人しく搾取される側に回り、それが固定化され、そこから抜け出せなくなる構図にある為、
> ミスで解りやすく奈落に落ちない替わりにに、静かに茹でガエルとなるだけの違いなのかも?
> ピケティの論調じゃないですけど、変化無き平和な時代の持続は、格差の拡大と固定化を招くので。


個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
基本的には各種値が変化した時期と一致します。

私が一緒にゲームしているおじさん曰く、
「若者の草食化は今に始まったことではなく、日本の若者は昔から恋愛が苦手。
なぜなら、内婚制の社会においては結婚は親が取り決めるものであったから。
今いるのは恋愛できない若者ではなく、子どもに結婚圧力をかけられない親がいるだけ」
とのことですが、お見合い結婚に関しては全く詳しくありませんが、割とこの辺が事実なのかなと私も思っています。


> 例えば今年の大学受験では、国立理系の合格者のうち、
> 中学時代から大学受験の勉強を始めた子の割合が、ついに半分を超えたそうなんです。
>
> 要するに、中高一貫校などで、事前に大人にレールを敷いてもらわない限り、
> 国立理系に合格するのは、なかなか難しい時代になってしまったと・・・・
> だって、普通の中学生が、高校受験を控えた段階で、
> 大学受験の事まで先を見据え、自発的に行動し始めるなんて、まず無理ですよ。
> となると、中高一貫校の子の半分くらいの勉強時間で、同じだけの成果が出せなければ受からず、
> それが可能な子というのは、本当に優秀な一握りに限られてきてしまう事でしょう。
>
> 昨今は「メリトクラシー」と言って、能力至上主義的な傾向になっており、
> 能力が絶対的な基準とされるのは、一見、平等のようにも映りますが、
> 子供が能力を伸ばせるか否かって、かなり家庭環境に左右されますからねえ。
> 言い方を換えれば、なかなか直接的な見た目では現れ難い
> 「持っている人(恵まれた子)と、持っていない人(恵まれない子)との差」が、
> 容姿とか、学力とか、自信という形になって、表面化してるような気がするんです。


ああ、現状の大学入試ってそんな感じなんですね(恥ずかしながら、最近大学受験したばかりなのに全く知りませんでした)。
日本ですらそういった状況なのであれば、アメリカなどはより深刻な状況にあるのでしょうね。

最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
・乳児死亡率においてはアメリカはロシアよりも高く、
・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
など、のことが指摘されており、
ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、
西側民主主義世界そのものが行き詰っているのだなと感じさせられました。
本書では、後半
・形式的な制度ではなく実態として、英米はリベラル寡頭制であり、むしろ露中の方が権威的民主主義である
とまで断言していますし、
これまでにもトッドは
・初等教育の普及が平等の潜在意識を与え、高等教育の(不平等な)普及が不平等の潜在意識を産む
・私はもう高齢なのでその答えを見ることはできないと思うが、ヨーロッパで民主主義は失われるのだろうか?
など指摘しており、
ああ、本当にそういう民主主義の存続すら危うい時代なんだな、と思わされました。


> 話は逸れますが、昨年から早稲田の政経学部が入試で数学を必須化したように、
> デジタル化が加速する近年は、理系以外でも「数学の重要性」が認識されるようになり、
> (と言いますか、日本は経済学が文系扱いなので、ノーベル賞が取れないとの話も?)
> 日本の大学の経済学部や商学部でも、「数学の必修が増えた」との噂を聞くのですが、
> 実際の所、どんな感じなのでしょうか?
> 具体的には、どれだけのコマ数が数学に割かれ、どのレベルの数学をやっているのかな?と。
>
> 特に私立文系の場合、大学受験対策として、ほぼ数学を学ばない高校も珍しくなく、
> そうなると、「大学(経済学部や商学部)で数学を学ぶ」と言っても、
> 理系の高校数学と大差ないレベルなのかな?とか、少し気になったので。


私の大学はハッキリ言ってレベルの高い大学ではないので、数学の講座はありませんね。
それこそ、ネットでシラバスなど検索すればある程度出てくるのでは?


> 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。
> とは言え、それはそれで、社会システム的に言うと、
> ただ大人しく搾取される側に回り、それが固定化され、そこから抜け出せなくなる構図にある為、
> ミスで解りやすく奈落に落ちない替わりにに、静かに茹でガエルとなるだけの違いなのかも?


私自身、大学生になりバイトを始め、高校時代と比べ物にならないお小遣いを手に入れましたが、
結局ラノベしか買わず、残りは貯金しているので、高校生時代と使う金額はほぼ変化がないんですよね。
それでも読み切れない量のラノベがあり、「お金不足よりは時間不足だよな」と感じるくらいには我慢しているという感覚はない半面、
もし日本経済がこれからも上向き続けると確信していたら、余っているお金で余計なもの(そこまで欲しいわけではないもの)を買って、
バイト代は全部使いきっていただろうな、とは思います。
ニコニコ大百科の掲示板かなんかに、「今の若者は金のかかる遊びを知らない」という指摘がありましたが、
管理人さん的にはどう思われます?
私としてはあまり実感わかないのですが。


>  【Q.最も公正な分配基準は?】
>    2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
>    2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
>    2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%
>
> まあ、アメリカの方の結果は、メリトクラシーにより格差増大が是認される一方、
> その反動として、一部にサンダースやオカシオ・コルテスの人気が高まっている現状を、
> まさしく、イメージ通りに現した数字といった感じかな?
> 日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
> 機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
> そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。
>
> 一律な平等分配が半数を超えてるって、本当・・・というか、本気なんですかねえ?
> 戦後昭和の「日本型社会主義」においては、平等や必要性は言及されて無くても、
> それなりの分配はされていた上で、「努力すれば報われる」という雰囲気が醸し出され、
> それでも実際のボーナス加算分は、実績差に比べると微々たるモノという感じで、
> 現実的に どう分配されていたかではなく、当時の感覚的な部分が数値化されてる印象ですが、
> 2020年頃の数値に関しても、そういったイメージ的なモノなのかなぁ?
> 昨今の世知辛さから、平等分配を求める声が、以前に比べて増してる面は確かにあるでしょうけど、
> ここまで数値が高いとなると、もしも本気の声であれば、もっと共産主義の再台頭があって良いはずで、
> そうした現象が特に見られない以上は、これも外面を気にした建前的なモノで、本音とは違うのでは?
> う〜ん、何というか、「ぼっち」を気取りながらも、他者からの「承認欲求」は高いという、
> 当人も無自覚な「建前と本音の使い分け」というのが、そこには潜んでいるような気がするんですよね。


相変わらず同書は斜め読みしただけですが、
私の感覚だと、上記のデータは「まあ、そんなもんだろうな」という感じですね。
それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

むしろ管理人さんにとっては、このデータが衝撃であったという点の方が衝撃というか、
半数が努力、4分の1が実績を元にした分配を良いものだと感じていた、2000年のデータもそうですけど、
やはりこの20年って凄い変化があったんでしょうね。
2000年代って個人的にイメージ薄いんですけど、そんな時代だったんですね。


> と、これ以上 続けると、教育方面の話題に脱線しそうなので、話を元に戻しますが(苦笑)、
> 同書にもあった、現在は「見えざる壁(格差)」の時代だという意見は、私も同調しました。
> 簡単に言えば、近代以前の階級社会では、まさしく格差が「見える壁」として存在し、
> それを壊そうとして、能力主義が台頭してきた訳ですが、これだけ長く続くと、
> 効力の良い能力の高め方というノウハウに加えて、
> 教育面への新自由主義の侵食であったり、ネット普及が却って招いた情報格差であったり、
> そうした諸々の要素が合わさって、一見しただけでは判らない「壁」が、確実に生じつつあると・・・・


見えない壁が増えている、というのは私も一定程度そうなんだろうなあ、と思っていますが、
個人的には、格差というか能力の差がインターネットによって見える化された、という部分も大きいと思うんですよね。

例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

あるいはこの掲示板でも、自分なりの教養みたいなものがある管理人さんは、同じ本を読んで色々考えられるのに対して、
私はまだまだ「ふーん」で終わってるよなあ、と感じさせられますし。
とはいえ、こういうことはもっと本読んだり、自分で考えたり、ということを繰り返せば、後々自分なりの見方とか考え方を手に入れられると思うので、
あまり悲観してはいないのですが。

私はあまり周囲を見ない・見ていない人間なので、こうした感覚がどの程度普遍的なのかは分かりませんが、
例えばYouTubeのゲーム配信なんかも、そうした勝者側が敗者におこぼれを与えているというか、
ゲームを楽しむ才能も、時間も、金も、面白い遊び方も、一緒に遊ぶ友達も持っているYouTuberが、それらが無い敗者に対して、
その様子を動画にすることで疑似体験をさせているという様にも見えるんですよね。
鈴原るるという今は引退したVTuberの生放送に「こんな可愛い子と一緒にゲームしたいな」というコメントがあったのですが、
それを持っている側を見せつけられるのがインターネットの一つの性質だと思うんですよね。

> 「確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力」
> https://www.amazon.co.jp/dp/4041041422/
>
> 一般読者向けに、数式とかは飛ばしても読める内容になってましたけど、
> 具体的には、「ポアソン分布」とか「負の二項定理」などが出てきてました。
> クオンツたちが活躍する金融工学の世界とも、また異なるのでしょうし、
> 経営判断として、おおよその目安さえ解ればOKという使用目的を考えると、
> これくらいの数学レベルで充分だという事なのでしょうね。
> 内容は悪くありませんでしたし、旧トルコ担当さんは商学部との事でしたので、
> 既に読まれてるかも知れませんが、一応オススメしておきます!!
> この立場の人が、手の内を明かすような本を書くこと自体、なかなか珍しいですから。
>
> もっと言うと、自らの経営体験の実例を、
> 大量に演習問題として用いた、教科書を書いて欲しい所かも?(笑)
> まあ立場的に難しければ、一線を退いてからでも良いので。
> やはり演習問題の有無というのは、知識としての定着度に差を生みますし、
> かと言って、無味乾燥な例題ばかりを解かされても、基本的には面白くないですから、
> 成功体験であれ、失敗体験であれ、興味を惹くような実例から問題が作られていれば、
> 頭に入ってくる情報量も、大きく違ってくると思うんですよ!!
>
> と言いますか、既に実際に、そういった本って在ったりするのかな?
> もし御存知でしたら、是非とも紹介して戴ければ有り難いです!!(笑)


商学とか、経営学の本はほとんど読んでいません。
前にも書いたとおり、オタク史の本を200冊くらい読んだのが私の読書の大半なので。
なのでおススメもできないのですが、
経営戦略の講義は基本的な経営戦略を学びつつ、それらを活かした企業の例も教科書に載っていました。


[24018] Re2:「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/8/23 (火) 19:42:03 徳翁導誉

> > 作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
> > (昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)

> 日本人が皆巨人ファンだった時代があったのは知っていましたが、

中日ファンの私が、一応指摘しておくと(笑)、
さすがに、「日本人が皆」というのは大袈裟にしても、
ライトなファンまで含めれば、「国民の半分」くらいは巨人ファンな時代がありましたね。
(主婦層とかでも、巨人の中心選なら、、普通に何人も名前を挙げられるくらい)

十数年前までは、地上波で毎日のように巨人戦が放送されていて、高視聴率を取ってましたし、
特に男性の場合、コミュニケーション・ツールの一環として、
野球に関心が無い人でも、とりあえず巨人の情報は押さえておくという時代が長かったです。
ニュース番組で未だに、巨人戦の試合結果が詳しく報じられるのは、その頃からの名残ですね。

> 月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
> 東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。

先日、小学生は「SMAP」の存在を知らなくて驚いたので(まあ、解散が6年前ですからね)、
「月9」に関しても、そんな感じかな?・・・と一瞬思ったのですが、
でも旧トルコ担当さんの年齢を考えると、単に世間への関心が薄かっただけかも!?(笑)
確かに、5年くらい前は視聴率1ケタを連発していましたが、
10年くらい前までは普通に10%台後半を取ってましたし、今では2ケタを確保してるので。

一昔前の月9枠は、特に若い女性層向けで、
視聴率20%台(最終回は30%超)が当たり前だった当時は、
中高生だと恐らく、クラスの女子生徒の過半数は見ていた感じでしたが、
でもまあ、逆に考えると、ちょうど旧トルコ担当さんが中高生だった頃、
月9枠は「暗黒期」を迎えていたので、クラス内でも話題になる機会が無かったのかも?
(2018年を境に、従来の恋愛ドラマ路線から転換して、視聴率的には復調傾向)

そういう意味では、旧トルコ担当さんの少し前くらいから、
「世間(クラス)共通の話題」という存在が、急速に失われた世代かも知れませんね。

> > ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
> > いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
> > 情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
> > 逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
> > わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
> > そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
> > 早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。

> 私の場合は、アニメや映画などを倍速視聴することは無いですが、ニコニコやYouTubeは基本2倍速視聴しています。
> この手のパターンは割と多いのではないのでしょうか?

でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。

> 何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。
それは、そうでしょうね。
特にビジネスの場合、需要があってこその供給という面も強く、
「作品を当てたい」思いがあるならば、ニーズに合わせるのは常套手段なので。
例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。
で、こうした解りやすいモノばかり量産される環境になると、深みのあるモノは産まれ難くなると・・・・

逆に言うと、戦後昭和の頃は、買った人の数%しか読まないような全集とかが、
見栄やステータスとして、それなりに売れる時代だった事もあり、
一部のマニアしか喜ばないようなコアなモノも、
格好付けで買うだけの大多数の人たちに支えられて、産み続けられる環境ではあったんですよね。
言い方を換えれば、そうした自己満足な虚栄心による消費が可能なくらい、
人々の懐事情余裕があった時代とも言えますし、
今はそれだけの余裕が無いからこそ、無駄な出費は抑えられ、
それなりにニーズのあるモノしか、生き残れない傾向が強くなっているかも?

> > > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> > う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> > 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> > 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> > ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> > その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
> > もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> > 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?

> 私は、そういった格差などの世知辛い現実を見ないようにしてきた人間なので、
> 自信がないことが家庭環境の格差にあるのかは全く分かんないんですよね。
> 昔の時代も知りませんし。

まあ、これは旧トルコ担当さんの話を聞いた上での、私の仮説に過ぎませんけどね。

それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・

90年代から00年代前半に産まれ、不況下に育った「欲がない」若者層の事を、
ネットやメディアでは、10年くらい前に「さとり世代」と呼んでいたのですが、
この「悟り」の正体って、実は「諦観」なのだろうと、私などは見ているんです。
だからこそ、学業にせよ、容姿にせよ、「こんなモノだろう」という所で妥協すると。
で、そうした妥協点の高低基準が、分野ごとではなく、人ごとになっているから、
何でも持っている人と、何も持っていない人との差が、大きくなっているんじゃないですかねえ?

> オタクやってるのも、アニメの話してるときはそういったものが関係なくなるから、という側面もありますし。
> これも無自覚な時代適応なんでしょうね。

う〜ん、そういう側面もあるのかも知れませんね。
確かにアニメって、現実とは切り離された「架空の世界」を楽しむ娯楽ですし、
良くも悪くも、観ていて疲れる「重い作品」というのも、近年は好まれなくなったのは、
ストレス解消の清涼剤的な役割が、特に強く求められるようになったからかも?

> > > ・若者の失恋離れ
> > > これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> > > ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> > > が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> > > 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> > > かなり納得しました。

> > まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
> > 時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
> > 世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。
> > そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
> > 日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
> > ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> > そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。

> 個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
> 未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、
> 00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
> 経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
> 出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
> 未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

う〜ん、何だか話が脱線している気はしますけど、それは別に良いとして(笑)、
この感じだと、経済と景気の違いが区別されていないと言うか、
経済の成長は社会のシステムを変容させ、それは出生率にも影響を及ぼすという、
大きな要素としては、「経済こそ主要因」と見なして良いと思うんです。

その一方で、景気の善し悪しが、結婚や出産に影響を及ぼす面も、確かにあるのですが、
こちらの影響は部分的というか、小さな要素ですよね。
そういう意味では、「景気が主要因」とまでは言えないのですが、
しかし日本の新卒一括採用システムの場合、決して無視できないのも事実です。

・・・って、この辺りの話題を続けると、
「歴史人口学」や「人口統計学」など、テーマが大きく成り過ぎてしまうので、
少し話を合わせる感じで語りますと、ここで1つ、旧トルコ担当さんに質問(笑)。

では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?

> > 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> > 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> > リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> > 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> > しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。

> おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
> 時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
> 私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
> 基本的には各種値が変化した時期と一致します。

「ソースが少女マンガなの!?」というツッコミはさておき(笑)、
見合い結婚と恋愛結婚の「比率」の変化は、こんな感じ↓
https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-10.gif
見合い結婚と恋愛結婚の「総数」の変化は、こんな感じ↓
https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-11.gif
恋愛結婚が、見合い結婚を上回るのは、60年代半ばって所ですね。

> 私が一緒にゲームしているおじさん曰く、
さらりと書いてますが、どういう繋がりで知り合ったオジサンか気になる所(笑)。
・・・って、別にリアルではなく、オンライン上の話なのかな?
ファミコン世代からすると、「一緒にゲーム」と言われた場合、
イコールで「同じ空間を共有」と考えてしまうモノで・・・・

> 「若者の草食化は今に始まったことではなく、日本の若者は昔から恋愛が苦手。
> なぜなら、内婚制の社会においては結婚は親が取り決めるものであったから。
> 今いるのは恋愛できない若者ではなく、子どもに結婚圧力をかけられない親がいるだけ」
> とのことですが、お見合い結婚に関しては全く詳しくありませんが、割とこの辺が事実なのかなと私も思っています。

お節介ババァや説教ジジィの存在が、実は社会を円滑に回していたというのは、
確かに一面では真理なので、そういう要素も勿論あると私も思いますよ。
とは言え、それって別に、日本に限った話でも無いと言いますか、
その辺りの条件は踏まえた上で、更に話している所ではあるんですけどね、私的には。

例えば、1990〜2000年代の「恋人あり率」というのは、
1980年代や2010年代に比べますと、「25%」ほど高い数値が出ています↓
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/arakawakazuhisa/00258826/image-1631925907243.jpeg
1980〜2010年代と言いますと、
前出の恋愛結婚率を見た場合、そこまで大きな違いは現れていない期間です。
そう考えると、この25%のアップ&ダウンというのは、何の有意性を持たない数値なのでしょうか?

ちなみに、このリンク先の著者は「独身研究家」という事で、
「こんなのは誤差の範囲」「40年前の水準に戻っただけ」という論調ですけど(笑)、
今年、急速な円安により、円の実力が50年前の水準に戻った事が話題になりましたが、
「こんなのは誤差の範囲」「50年前の水準に戻っただけ」と、皆が見ているか?って話ですね。
恐らく、「日本の国際競争力が落ちた」と認識する人が、多数派かと思われます。
それと同じく、「昔から恋愛が苦手」というのは、その通りだとしても、
その一方で、「ここ10年で恋愛に奥手となった」という傾向は、確実に見受けられるかと?

> 最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
最近のトッドの著作は・・・あまり、まともに読んでないかなぁ?
それこそ、「第三次世界大戦はもう始まっている」も、
本屋の立ち読み(斜め読み)で済ましちゃいました。
年齢の所為かも知れませんけど、正直、最近のトッドが書く内容って、
フランス中心主義の主観的な感情論が多く、あまり得る所を感じないんですよね。
日本についての論評も、「相変わらずズレた事言ってるなぁ」って感じですし(苦笑)。

> ・乳児死亡率においてはアメリカはロシアよりも高く、
「アメリカの平均寿命は、非難しているキューバよりも低い」って、
昔から、よく揶揄されてましたからねえ(苦笑)。
アメリカの医療レベルは確かに世界一ですが、それがアメリカ国民に行き渡ってる訳ではありません。
日米で比べると、個人負担額も、公費負担額も、アメリカの方が上ですけども、
アメリカ人の大多数は、国民皆保険制度のある日本並みの医療を受けられないのが現実かと。
それなのに、「日本もアメリカの医療制度を取り入れろ」と要求してくる訳ですから・・・・

> ・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
> ・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
> など、のことが指摘されており、
> ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、

民主党が「資本家・インテリ層・黒人」の党へと路線転換したのは、
もう100年以上も前の事なので、今更と言えば今更の話ですし、
国内人口比における有色人種、特にラテン系の割合が増え続けている昨今、
時が経つほど、民主党有利&共和党不利になるのは、既定路線として語られており、
そうした流れへの悪あがきというか、最後のカウンター行動として、
極端だけど、団結させやすい、トランプのような論調が現れた部分はあるんですよね。

でもまあ、非白人層だって一枚岩で民主党支持って訳でも無いですし、
白人回帰路線を共和党が捨てられるなら、結局モノを言うのは経済なので、
その時々の景気次第で、民主党の黄金時代が到来するって訳でも無さそうですが。
(景気が悪くて失業者が増えた場合、貧困層の批判の声は、富裕層へと向かうでしょうし)

> 西側民主主義世界そのものが行き詰っているのだなと感じさせられました。
> 本書では、後半
> ・形式的な制度ではなく実態として、英米はリベラル寡頭制であり、むしろ露中の方が権威的民主主義である
> とまで断言していますし、
> これまでにもトッドは
> ・私はもう高齢なのでその答えを見ることはできないと思うが、ヨーロッパで民主主義は失われるのだろうか?
> など指摘しており、
> ああ、本当にそういう民主主義の存続すら危うい時代なんだな、と思わされました。

民主主義のメリットだけを見て、民主主義と見なすか?
民主主義のデメリットも含めて、民主主義と見なすか?
どちらの立場を取るかで、「民主主義の危機」への答えは変わってくるでしょうね。
衆愚政治と化したり、ポピュリズムに陥るのも、また民主主義の特徴の1つなので(苦笑)。

> ・初等教育の普及が平等の潜在意識を与え、高等教育の(不平等な)普及が不平等の潜在意識を産む
階級社会の風潮が、未だに色濃く残るイギリスの大学制度、
一握りのエリート校と、その他とが極端に分かれるフランスの大学制度、
学校間の実力差を無くし、良くも悪くも平等が貫かれるドイツの大学制度など、
同じヨーロッパであっても、各国ごとに大学制度は大きく異なりますからねえ。
ドイツを敵視し、フランスの視点でばかり語る、昨今のトッドの論調からすると、
そうした欧州内での違いさえ、あまり念頭に置かず、語っちゃってるんじゃないですか?
まあ、トッドが言わんとしていている所は、決して解らなくは無いですけども・・・・

> 「お金不足よりは時間不足だよな」と感じるくらいには我慢しているという感覚はない半面、
> もし日本経済がこれからも上向き続けると確信していたら、余っているお金で余計なもの(そこまで欲しいわけではないもの)を買って、
> バイト代は全部使いきっていただろうな、とは思います。
> ニコニコ大百科の掲示板かなんかに、「今の若者は金のかかる遊びを知らない」という指摘がありましたが、
> 管理人さん的にはどう思われます?
> 私としてはあまり実感わかないのですが。

「時間はあるけど、カネが無い」というのが、一昔前までの大学生像でしたけど、
ここ四半世紀で、仕送り額は3分の2に減り、逆に学費の方は増えている事を考えると、
「(遊ぶ為の)カネがない」だったモノが、「(通う為の)カネがない」になりつつあり、
実に半数の学生が、平均300万円くらいの借金を背負い、大学に行く時代になってますからねえ。

旧トルコ担当さん自身の生活環境は解りませんけど、こんな状況では、
「遊びにカネを使わない」と言うよりは、「遊びにカネを使えない」と言う方が適当かも?
まあ、そもそも日本って、一億総中流な戦後昭和の時代だけでなく、天下泰平の江戸時代の頃から、
世界的に見ても、「庶民の文化」というのが非常に充実した社会でしたし、
その反面、金持ちのパトロンが支える「大掛かりな文化」が、あまり育たなかった所があり、
「小金で楽しむ遊び」は豊富なものの、「大金で楽しむ遊び」が貧弱という素地が元々あるんですよ。

そういう意味では、例えばバブルの時代に、金額に見合う楽しみがあったか?は正直疑問ですが、
一方で、相応の出費で楽しむというのは、近年 減ってきてるかも知れませんね。
それこそアニメやゲームにしても、「安かろう悪かろう」な一昔前まで比べると、
タダだったり、少額な定額で楽しめる娯楽の質は、格段に上がったのは事実だと思うんです。
しかし反動として、娯楽の為に、それなりの金額を支払う機会が減り(ハードルが上がり)、
その分だけ、作品制作に投じられる金額が減ってしまう訳で、
そこそこの良作は増えても、心に残る傑作や奇作は産まれ難くなるという感じでしょうか?
また、大金を投じた超大作というモノは、却って近年の方が多いのですが、
そういう作品って必然的に、大多数にウケる内容に集約して、結局は良作止まりになりがちだと。

・・・と、何だか少し話は逸れてしまいましたが、
「金のかかる遊びを知らない」と言うよりかは、
「金をかける遊びが選択肢に入らない」と言う方が、何となく適当な気がしますね。
アニメで言うなら、見られるサブスク作品の中から、見たい作品を選ぶ感じ今と、
わざわざレンタル店まで足を運び、見たい作品を金を払って選んでた昔の違いであり、
カネを払い、自ら選んだからこそ、「意地でも楽しんでやろう」という気持ちで見るのと、
見ても見なくても金額的には同じだから、「時間の方が大事」と、
ツマらなそうなら、簡単に切る気持ちで見るのとでは、
同じ作品を見ても、やはり違いますよ!!
簡単に言えば、選択肢として頭に浮かばない以上、実感なんて湧かないはずです。

それに現状、「収集癖」とかがない限り、あまり散財する機会が乏しいというか、
湯水のようにカネを払うオタク向けのビジネス・モデルって、今は昔の話って感じも強く、
そもそも、カネをかける選択肢(商品やサービス)自体が、激減している面もありそう。
(強いて在っても、ソシャゲへの課金くらいでしょうか?)
要するに、選択肢として頭には浮かんでも、実際に選択肢として提供されてないって感じで、
そう考えると、需要と供給の両面から、「今の若者は金のかかる遊びを知らない」となるのかも。

> >  【Q.最も公正な分配基準は?】
> >    2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
> >    2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
> >    2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%
> > 日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
> > 機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
> > そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。

> 相変わらず同書は斜め読みしただけですが、
> 私の感覚だと、上記のデータは「まあ、そんなもんだろうな」という感じですね。
> それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。
言い方を換えれば、自分の見えない所で、知らない内に、
可哀想な敗者が居る分には気にならないと言うか・・・実は、どこまでも利己的な感じ。
日本レベルの話とは言え、個人主義の強まりというのも、ここ十数年でかなり進みましたし、
近年は「公」が叫ばれる割に、逆に「公」への意識はかなり薄まったというか、
公私の分別が乏しくなって、私を公と称するケースが非常に増えている印象さえあります。
従来の「集団主義の中の個人志向」と、現在の「個人主義の中の集団志向」の違いとでも言うのか・・・・

う〜ん、何と説明すれば、もっと伝わるのか、
そもそも「平等」には、「(見知らぬ者への)助け合い」というのが、
暗黙の内に含まれているモノだと、私なんかは思うんですけど、
どうも、ここで50%を超えている「平等」には、それが含まれてない印象を受けちゃうんですよね。
平等に扱って欲しい「自分」は念頭にあっても、平等に扱って欲しい「他人」は埒外と言うか、
この「平等」には、血肉が通ったリアリティーを感じないんですよ、個人的に。
王陽明の「知行合一」じゃないですけど、思いと行動に差は生じるのは仕方無いとしても、
本当に今の若者層に、そこまで「思い」があるなら、実際の「行動」があまりに少なすぎて、
だからこそ、私自身、この数字に対する引っかかりが生じているのかと?
(「良い子症候群」という呼び名に しっくり来ないのも、この辺りの感覚が原因なのでしょう)

恐らく、この引っかかりというか、違和感の正体というのは、
十数年前に、小泉政権が政治的な意図をもって、
日本社会に定着させた「自己責任論」が、大きく関わっていると思うんです。
私などは世代的に、自己責任論が唱えられる前の日本も、そう塗り替えられていく過程の日本も、
既に定着してしまった現在と同様、それらの日本社会の姿を、しっかり覚えているのですが、
定着後の日本しか知らない世代だと、この感覚はなかなか伝わらない気がするんです・・・・
それが当たり前すぎて、何が おかしいとか違うとかが、なかなか実感できないと思うので。

まあ私に言わせれば、「自己責任論かつ平等」なんてモノは有り得ないので、
「平等」を目指すのであれば、現在の「自己責任論」は改めるべき前提なのですが、
自己責任論が前提で育った世代には、それを覆そうとする考えが伴っていないというか、
共存し得ないモノを掲げているので、画餅に映るというか、本気度を感じないんでしょうね。
結果の平等って、他者の為に、自己の損失すら甘受を求められるシステムなのに、
結局の所、そこまでの覚悟を感じないと言うか、自分可愛さでは絶対に無理なモノですし、
もっと言うと、共産主義国が実在し、資本主義国も少なからず
社会主義的な政策を行った冷戦当時の肌感覚が、良くも悪くも無い為に、
「平等」のリアルなイメージが、なかなか現実的には浮かんで来ないのかも?
もしくは、「平等であって欲しい」という思いの先として、
能動的に「平等にしよう」ではなく、受動的に「平等にして」って感じなのかな。

> むしろ管理人さんにとっては、このデータが衝撃であったという点の方が衝撃というか、
> 半数が努力、4分の1が実績を元にした分配を良いものだと感じていた、2000年のデータもそうですけど、
> やはりこの20年って凄い変化があったんでしょうね。
> 2000年代って個人的にイメージ薄いんですけど、そんな時代だったんですね。

2000年代が そうだった・・・と言うよりは、90年代までは長らく そうで、
2000年あたりを境に、徐々に変化していく途上にあったのですが、
社会が変わり始めた時期だった事もあり、人々の意識まではまだ変わっていない、最後の頃だったかと?
日本が世界に存在感を示せていた、最後の頃だったと言っても良いかも知れません。

> > と、これ以上 続けると、教育方面の話題に脱線しそうなので、話を元に戻しますが(苦笑)、
> > 同書にもあった、現在は「見えざる壁(格差)」の時代だという意見は、私も同調しました。
> > 簡単に言えば、近代以前の階級社会では、まさしく格差が「見える壁」として存在し、
> > それを壊そうとして、能力主義が台頭してきた訳ですが、これだけ長く続くと、
> > 効力の良い能力の高め方というノウハウに加えて、
> > 教育面への新自由主義の侵食であったり、ネット普及が却って招いた情報格差であったり、
> > そうした諸々の要素が合わさって、一見しただけでは判らない「壁」が、確実に生じつつあると・・・・

> 見えない壁が増えている、というのは私も一定程度そうなんだろうなあ、と思っていますが、
> 個人的には、格差というか能力の差がインターネットによって見える化された、という部分も大きいと思うんですよね。

う〜ん、それは今回の話題で挙げている「格差」や「壁」とは、また別の話なんですけど、
とは言え、そうした「トップとの差」が、ネットによって身近化したのは、一面で事実ですね!!

それこそ一昔前までは、一般人でもトップの世界が覗けるのって、
例えばプロ野球であったりとか、本当に一部の分野に限定されていました。
逆に言えば、大部分のトップの世界って、縁遠くて見えないモノであったと。
それがネットの普及により、どんな分野であっても、様々な情報が見られるようになりましたし、
ネットを介する事で、非常に身近な存在として、人々の映るようになったと思うんです。

でも、これには一長一短があって、例えば将棋や囲碁の世界などは、
強い相手と戦わなければ強くなれない為、今までは地域間格差というモノが大きかったですが、
ネットが登場した事で、地方や外国であっても、強い相手と気軽に対戦できるようになり、
その上、強力なAIの出現によって、多くの子供がトントン拍子で強くなったりもしています。
一方で、全国とか世界でも一握りしか居ないような実力者が、あまりにも身近な存在となってしまい、
その人との実力差を比べる事で、悲観的な勘違いに陥るというか、安易に諦めやすくもなっていると。
「凄い人は凄い」とか、「凄い人も最初から凄かった訳じゃない」という、実に当たり前の事が、
当たり前だと解る前の精神年齢で触れてしまうと、簡単に絶望しちゃうんですよね・・・・
以前は、凄い人に触れる機会や、凄いという事を理解できる能力も、
当人がそれなりに凄くならなければ、なかなか得られないモノでしたし。

> 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・

デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
(この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)

ただ、この「楽しい」というのは、今後の社会における重要なカギだと思うんですよね!!
それこそ以前の雑談時、最後にチラッと書きました↓けども、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c23948
「楽しいの お裾分け」というのが、これからのキーワードであろうと、私自身は考えているので。

> あるいはこの掲示板でも、自分なりの教養みたいなものがある管理人さんは、同じ本を読んで色々考えられるのに対して、
> 私はまだまだ「ふーん」で終わってるよなあ、と感じさせられますし。
> とはいえ、こういうことはもっと本読んだり、自分で考えたり、ということを繰り返せば、
> 後々自分なりの見方とか考え方を手に入れられると思うので、
> あまり悲観してはいないのですが。

それこそ、前々回にも書いた、異なる視点への「引っ掛かり」次第ですよね。
この「引っ掛かり」を育てず、ただ漠然と読書量を増やしたとしても、
単に「情報」が増えるだけで、整理された「データ」や、体系立った「知識」にはならないと思うので。

また、「自分で考える」というのも、
「自分の中の別視点」を、いくつ作れるか?という所でもあるんですよね。
いくら自分なりに考えても、それが感情的な主観1つだけであれば、独善的な見方へと陥りますし。

> 私はあまり周囲を見ない・見ていない人間なので、こうした感覚がどの程度普遍的なのかは分かりませんが、
> 例えばYouTubeのゲーム配信なんかも、そうした勝者側が敗者におこぼれを与えているというか、
> ゲームを楽しむ才能も、時間も、金も、面白い遊び方も、一緒に遊ぶ友達も持っているYouTuberが、それらが無い敗者に対して、
> その様子を動画にすることで疑似体験をさせているという様にも見えるんですよね。
> 鈴原るるという今は引退したVTuberの生放送に「こんな可愛い子と一緒にゲームしたいな」というコメントがあったのですが、
> それを持っている側を見せつけられるのがインターネットの一つの性質だと思うんですよね。

「勝者」とか、「敗者」とか、「おこぼれ」などと言うと、また少し感じ方が変わりますが、
こういうのも、上述の「楽しいの お裾分け」だと見なしてますね、個人的には。

生活するのに大きな不自由は無いけど、特に何らかの満足感を得られる事も無く、
そうした状況下では、「楽しい」と感じられる事が、何よりの欲求となるものの、
飼い殺される社会システムの中だと、餌付け的に与えられる以上の楽しみは、自発的に得るのが難しく、
それが出来る人間が、自分の「楽しい」を、他人にも疑似体験として「お裾分け」する事が、
これからの時代に、かなりの価値を持つ・・・みたいな話ですね。

でもまあ、自分から「楽しい」を作ってる側にしても、
苦しんだり、辛かったりするかは別として、相応の苦労や努力はしているはずで、
その部分を感じ取らずに、安易に羨んだり、嫉妬したりするのは、ちょっと違うかな?という気も。
それこそプロの野球選手やサッカー選手だって、好きな事でメシを食えてるのは憧れますけど、
あれが、どれほど高いレベルで、どれほどの頑張りや競争の結晶であるかを解っているか否かで、
その見方だって大きく異なってくるでしょうし、小学生のように安直な思考には戻れないかな。
「スポーツ推薦で名門大学に入るのはズルい」なんて意見も、
スポーツでそのレベル目指すくらいなら、勉強で入る方が遥かに楽な事が解っていれば、
そう簡単には、そんな考えにも至らないとは思うんですよね(苦笑)。
大学への貢献度で言っても、スポーツ選手を上回る一般学生なんて、ほぼ皆無でしょうし。


[24026] Re3:「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」を読了返信 削除
2022/9/19 (月) 23:34:13 旧トルコ担当


すみません、返信が大変遅れました。
唐突に自身の考えを短くまとめられるようになったので、読みやすくはなっていると思います。

> > > 作品自体を楽しむ「鑑賞」から、仲間内のコミュニケーション用に「消化」するようになった昨今、
> > > (昔は世間全体で巨人戦や月9ドラマが担ってたモノが、各グループごとに多様化した感じ)

> > 日本人が皆巨人ファンだった時代があったのは知っていましたが、

> 中日ファンの私が、一応指摘しておくと(笑)、
> さすがに、「日本人が皆」というのは大袈裟にしても、
> ライトなファンまで含めれば、「国民の半分」くらいは巨人ファンな時代がありましたね。
> (主婦層とかでも、巨人の中心選なら、、普通に何人も名前を挙げられるくらい)
>
> 十数年前までは、地上波で毎日のように巨人戦が放送されていて、高視聴率を取ってましたし、
> 特に男性の場合、コミュニケーション・ツールの一環として、
> 野球に関心が無い人でも、とりあえず巨人の情報は押さえておくという時代が長かったです。
> ニュース番組で未だに、巨人戦の試合結果が詳しく報じられるのは、その頃からの名残ですね。
>
> > 月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
> > 東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。

> 先日、小学生は「SMAP」の存在を知らなくて驚いたので(まあ、解散が6年前ですからね)、
> 「月9」に関しても、そんな感じかな?・・・と一瞬思ったのですが、
> でも旧トルコ担当さんの年齢を考えると、単に世間への関心が薄かっただけかも!?(笑)
> 確かに、5年くらい前は視聴率1ケタを連発していましたが、
> 10年くらい前までは普通に10%台後半を取ってましたし、今では2ケタを確保してるので。
>
> 一昔前の月9枠は、特に若い女性層向けで、
> 視聴率20%台(最終回は30%超)が当たり前だった当時は、
> 中高生だと恐らく、クラスの女子生徒の過半数は見ていた感じでしたが、
> でもまあ、逆に考えると、ちょうど旧トルコ担当さんが中高生だった頃、
> 月9枠は「暗黒期」を迎えていたので、クラス内でも話題になる機会が無かったのかも?
> (2018年を境に、従来の恋愛ドラマ路線から転換して、視聴率的には復調傾向)
>
> そういう意味では、旧トルコ担当さんの少し前くらいから、
> 「世間(クラス)共通の話題」という存在が、急速に失われた世代かも知れませんね。


これに関しては、私が世間(クラス)に関心が低かっただけという説が濃厚です。

> > > ちなみに私自身は、映画を「早送り」や「ネタバレ済み」で観る感覚は理解できる一方、
> > > いざ自分が視聴する際には、早送りも、ネタバレも、基本しない感じではありますね。
> > > 情報収集の為に視聴するなら別ですが、やはり楽しみたいが故に視聴するスタンスですし、
> > > 逆に言うと、早送りやネタバレしてもOKな程度の作品なら、
> > > わざわざ時間を割いてまで、その作品を見ようとは思わないでしょうから・・・・
> > > そういう意味では、コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)を異常に拘る時代なのに、
> > > 早送りやネタバレまでして見るのは、今は情報収集的な側面が強いのかな?とも。

> > 私の場合は、アニメや映画などを倍速視聴することは無いですが、ニコニコやYouTubeは基本2倍速視聴しています。
> > この手のパターンは割と多いのではないのでしょうか?

> でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
> アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
> まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
> だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。


ファスト化は情報収集の一環ではないですね。
ファスト化とか、タイパ意識っていうのは、俯瞰するとそういった言葉になるのですが、
それらの行為を個人の感覚としては「待てない」というだけだと思うんですよね。
この映画が、いつ面白くなるのか。面白いシーンまで待てないし、つまらないシーンは飛ばすし、
2時間の映画を飛ばし飛ばしで見てしまったとしても、サブスクなので他に映画はいくらでもあるというだけだと思います。

> > 何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。
> それは、そうでしょうね。
> 特にビジネスの場合、需要があってこその供給という面も強く、
> 「作品を当てたい」思いがあるならば、ニーズに合わせるのは常套手段なので。
> 例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
> 報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。


最近、カノッサの屈辱(テレビ番組)のテレビの歴史をYouTubeで見て、初めてニュースのワイドショー化という話を知りました。
私が生まれたころには既にああだったので、昔からそんなものだと思っていましたが、昔はもっとテレビも真面目だったんですね。

> > > > 私は 容姿が悪い→自身が無くなる→学力低下 と考えていたのですが、
> > > > どうもこの本を読む限り、容姿に関係なく自信がない、ということなんでしょうね。

> > > う〜ん、「自信がない」というのも、確かに一面なのでしょうけど、
> > > 強いて理由を考えるなら、これも「格差の問題」なんじゃないですかねえ?
> > > 一昔前までであれば、格差って、もっと解りやすい見た目で把握出来てたんですよ。
> > > ですが今の時代って、そういうのがパッと見では解り難くなってません?
> > > その一方で、努力さえすれば相応に報われ、逆転だって可能という時代では無くなったと。
> > > もう少し解りやすく言うと、見た感じでは格差も乏しく、皆が同条件に見えるのに、
> > > 格差が非視覚化したからこそ、内面や結果として現れた際に、格差が視覚化される感じでしょうか?

> > 私は、そういった格差などの世知辛い現実を見ないようにしてきた人間なので、
> > 自信がないことが家庭環境の格差にあるのかは全く分かんないんですよね。
> > 昔の時代も知りませんし。

> まあ、これは旧トルコ担当さんの話を聞いた上での、私の仮説に過ぎませんけどね。
>
> それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
> 厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
> チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
> 目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
> 簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・
>
> 90年代から00年代前半に産まれ、不況下に育った「欲がない」若者層の事を、
> ネットやメディアでは、10年くらい前に「さとり世代」と呼んでいたのですが、
> この「悟り」の正体って、実は「諦観」なのだろうと、私などは見ているんです。
> だからこそ、学業にせよ、容姿にせよ、「こんなモノだろう」という所で妥協すると。
> で、そうした妥協点の高低基準が、分野ごとではなく、人ごとになっているから、
> 何でも持っている人と、何も持っていない人との差が、大きくなっているんじゃないですかねえ?


ああ、諦めというのはありそうですね。
それこそ、低い位置であっても"まあまあ"な娯楽がある分、努力してまで手に入れたいとか、思わなくなりがちですし。

> > > > ・若者の失恋離れ
> > > > これに関しては、東洋経済:若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」
> > > > ( https://toyokeizai.net/articles/-/598230 )
> > > > が正解と言いますか、うまくまとめている気がします。
> > > > 失恋離れというのも、それ単体で見るよりも、自身がない・傷つきたくないという現象の中の一部なんでしょうね。
> > > > かなり納得しました。

> > > まあ私自身、「人間の本質なんて、今も昔も大して変わらない」と思っているので、
> > > 時代ごとの違いというのも、その世代の特徴と言うよりは、その時の社会の特徴だと捉えていて、
> > > 世代の特徴は、その時々の社会の違いを投影したモノに過ぎ無いと考えているんですよね。
> > > そういう意味では、安定志向だとか、自信が無いとか、目立たぬようにとか、
> > > 日本人の民族性として、それは別に、今に始まった話では無いはずです!!
> > > ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> > > そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。

> > 個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
> > 未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、
> > 00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
> > 経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
> > 出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
> > 未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

> う〜ん、何だか話が脱線している気はしますけど、それは別に良いとして(笑)、
> この感じだと、経済と景気の違いが区別されていないと言うか、
> 経済の成長は社会のシステムを変容させ、それは出生率にも影響を及ぼすという、
> 大きな要素としては、「経済こそ主要因」と見なして良いと思うんです。


社会システムの変化まで「経済」として扱っていた、ということだったのですね。
わたし的には、社会システムの変化まで来ると経済ではなく「社会」のつもりだったので、景気論の話だと誤解していました。

> では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
> 「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
> https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
> 出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
> 出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
> その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?


私の意見も特別なものではなく、ごく普通の「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」という辺りだと思っています。
消えた第3次ベビーブームから既に約30年ですし、「なぜかられ彼女らが結婚を選択しなかったのか?」はインタビューなどできる内容ですので、
世間や学問の世界であまりに的外れな論が展開されていれば、当事者たちからそれは違うだろとなるはずであり、
よって今の世間一般の主流の考えが正解だと思っています。

> > > 言い換えるなら、草食系だ何だと言った所で、
> > > 生物の根源的な欲求として、性欲とか繁殖欲が、そう簡単に人から失われるはずもなく、
> > > リスク回避の志向というのも、1度ミスすると立て直すのが困難という
> > > 余裕の失われた今の社会背景を、何とか乗り切ろうとする知恵のように映るんです。
> > > しかも今の時代、多くを求めなければ、それなりのモノは得られる時代になってますし。

> > おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
> > 時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
> > 私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
> > 基本的には各種値が変化した時期と一致します。

> 「ソースが少女マンガなの!?」というツッコミはさておき(笑)、


ソースが少女マンガくらいしか無いんですよね。
管理人さんの話でいえば、オウム真理教をめぐる当時の雰囲気みたいな、
そういった空気感・価値観みたいなものが一番残らないものなので、
当時の結婚や恋愛をめぐる価値観を調べようとしても、なかなか信頼できる文献が無いんですよね。

> > 私が一緒にゲームしているおじさん曰く、
> さらりと書いてますが、どういう繋がりで知り合ったオジサンか気になる所(笑)。
> ・・・って、別にリアルではなく、オンライン上の話なのかな?
> ファミコン世代からすると、「一緒にゲーム」と言われた場合、
> イコールで「同じ空間を共有」と考えてしまうモノで・・・・


オンラインですね。
最近はDiscordでゲームしていますが、昔はスカイプ通話、もっと昔は掲示板だったそうです。

> > 最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
> 最近のトッドの著作は・・・あまり、まともに読んでないかなぁ?
> それこそ、「第三次世界大戦はもう始まっている」も、
> 本屋の立ち読み(斜め読み)で済ましちゃいました。
> 年齢の所為かも知れませんけど、正直、最近のトッドが書く内容って、
> フランス中心主義の主観的な感情論が多く、あまり得る所を感じないんですよね。
> 日本についての論評も、「相変わらずズレた事言ってるなぁ」って感じですし(苦笑)。


フランス中心主義というと、多文化主義の観点から、フランスの文化的同化政策を称賛してる件ですかね?
日本についてはまあ、「90年代に日本の結婚がキリスト教会で行われるようになったのは、日本の脱宗教化ではないか」
みたいなことを言っていて、ズレてますよね。(上記はゼクシイ等結婚雑誌の普及と、晩婚化に伴うカップルのお金持ち化が理由らしいです)

> > ・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
> > ・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
> > など、のことが指摘されており、
> > ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、

> 民主党が「資本家・インテリ層・黒人」の党へと路線転換したのは、
> もう100年以上も前の事なので、今更と言えば今更の話ですし、
> 国内人口比における有色人種、特にラテン系の割合が増え続けている昨今、
> 時が経つほど、民主党有利&共和党不利になるのは、既定路線として語られており、
> そうした流れへの悪あがきというか、最後のカウンター行動として、
> 極端だけど、団結させやすい、トランプのような論調が現れた部分はあるんですよね。


私が不勉強みたいですが、私のイメージではトランプ以前は民主党が貧困層より、共和党が富裕層寄りで、
トランプがそれを逆転させた、というイメージだったのですが、この辺も実態はもっと複雑なのでしょうか?

> > ・初等教育の普及が平等の潜在意識を与え、高等教育の(不平等な)普及が不平等の潜在意識を産む
> 階級社会の風潮が、未だに色濃く残るイギリスの大学制度、
> 一握りのエリート校と、その他とが極端に分かれるフランスの大学制度、
> 学校間の実力差を無くし、良くも悪くも平等が貫かれるドイツの大学制度など、
> 同じヨーロッパであっても、各国ごとに大学制度は大きく異なりますからねえ。
> ドイツを敵視し、フランスの視点でばかり語る、昨今のトッドの論調からすると、
> そうした欧州内での違いさえ、あまり念頭に置かず、語っちゃってるんじゃないですか?
> まあ、トッドが言わんとしていている所は、決して解らなくは無いですけども・・・・


これに関しては、全世界の、それも数世紀単位のマクロの話をしているので、
欧州の個々の教育事情をトッドが理解していない、というわけではないと思いますよ。
私が脱文脈化しているので、管理人さんに誤解させてしまったようです。

> > >  【Q.最も公正な分配基準は?】
> > >    2000年頃 (日本)  平等 6.4%  必要性 9.5%  実績 23.5%  努力 56.7%
> > >    2020年頃 (日本)  平等 51.1%  必要性 5.7%  実績 18.1%  努力 25.2%
> > >    2020年頃 (米国)  平等 1.4%  必要性 29.0%  実績 56.5%  努力 13.0%
> > > 日本に関しても、戦後昭和の感覚が、まだ多少なりとも残っていた2000年頃の数字は、
> > > 機会平等でも結果平等でも無い、一億総中流的な感じが如実に出てますね。
> > > そして、現代の日本に関しては・・・ちょっと驚いたと言うか、「本当に!?」とは思いました。

> > 相変わらず同書は斜め読みしただけですが、
> > 私の感覚だと、上記のデータは「まあ、そんなもんだろうな」という感じですね。
> > それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> > もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> > というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

> ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
> 「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
> 「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。
> 言い方を換えれば、自分の見えない所で、知らない内に、
> 可哀想な敗者が居る分には気にならないと言うか・・・実は、どこまでも利己的な感じ。
> 日本レベルの話とは言え、個人主義の強まりというのも、ここ十数年でかなり進みましたし、
> 近年は「公」が叫ばれる割に、逆に「公」への意識はかなり薄まったというか、
> 公私の分別が乏しくなって、私を公と称するケースが非常に増えている印象さえあります。
> 従来の「集団主義の中の個人志向」と、現在の「個人主義の中の集団志向」の違いとでも言うのか・・・・
>
> う〜ん、何と説明すれば、もっと伝わるのか、
> そもそも「平等」には、「(見知らぬ者への)助け合い」というのが、
> 暗黙の内に含まれているモノだと、私なんかは思うんですけど、
> どうも、ここで50%を超えている「平等」には、それが含まれてない印象を受けちゃうんですよね。
> 平等に扱って欲しい「自分」は念頭にあっても、平等に扱って欲しい「他人」は埒外と言うか、
> この「平等」には、血肉が通ったリアリティーを感じないんですよ、個人的に。
> 王陽明の「知行合一」じゃないですけど、思いと行動に差は生じるのは仕方無いとしても、
> 本当に今の若者層に、そこまで「思い」があるなら、実際の「行動」があまりに少なすぎて、
> だからこそ、私自身、この数字に対する引っかかりが生じているのかと?
> (「良い子症候群」という呼び名に しっくり来ないのも、この辺りの感覚が原因なのでしょう)


「可哀想な敗者を見るのが辛い」だけ、というのはまさしくそうだと思います。
私としては、割とそういう感覚が当たり前だと思っていたのですが、割と最近の個人主義的な感覚なんですかね。

> 恐らく、この引っかかりというか、違和感の正体というのは、
> 十数年前に、小泉政権が政治的な意図をもって、
> 日本社会に定着させた「自己責任論」が、大きく関わっていると思うんです。
> 私などは世代的に、自己責任論が唱えられる前の日本も、そう塗り替えられていく過程の日本も、
> 既に定着してしまった現在と同様、それらの日本社会の姿を、しっかり覚えているのですが、
> 定着後の日本しか知らない世代だと、この感覚はなかなか伝わらない気がするんです・・・・
> それが当たり前すぎて、何が おかしいとか違うとかが、なかなか実感できないと思うので。


政権が自己責任論を定着させるなど、そういうことって出来るのでしょうか?
多くの大衆はそもそも政治に関してあまり興味がありませんし、
そういった人々の価値観は言論というより、ライフスタイルや社会の雰囲気などで、ゆっくり変化していくものでしょうし。
まあ政策を決めるのは政治に興味のある層なので、政権が何か言えば、政治に興味のある人の間で論争がおこり、
自己責任論的な政治論調が強くなっていくというのはあるのかもしれませんが。

> もしくは、「平等であって欲しい」という思いの先として、
> 能動的に「平等にしよう」ではなく、受動的に「平等にして」って感じなのかな。


若者に関しては、まさしくその通りだと思います。
(とはいえ私も偏った人間なので、私の若者像もあまり信用できないですが)

> > 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> > 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> > 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> > そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> > 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

> いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
> より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・
>
> デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
> 探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
> 前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
> 一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
> 能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
> その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
> (この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)


これに関しては、私は完全に否定的ですね。
確かに、マニュアル依存というか、手っ取り早く、自分の頭で考えず、みたいな層が増えているというのも分かりますが、
例えば腐女子の人たちが日々得ている、推しカプのキスを見て脳内麻薬がドバドバ出るのって、快楽としてはかなり上位に位置すると思いますし、
それは手っ取り早く快楽を得られるから選ばれているだけではないと思うんですよね。
おそらく「推し」というのも、同様なのではないでしょうか?

私自身も、アニメのキャラで勝手に百合妄想とかしていると、その時の感覚は本当に人生で圧倒的に一番幸せを感じますし、
毎日のようにそういった感覚が続く腐女子の人たちは、本当に人生の質が違うんだろうな、と思います。

ちなみに、管理人さんのイメージしている「努力(費やした時間や労力)の差」による「アニメを楽しめるかどうか」って具体的にどういったイメージですか?


[24027] テレビ報道と政治・階級差と個人主義・発想力と学習量返信 削除
2022/9/21 (水) 21:04:51 徳翁導誉

> すみません、返信が大変遅れました。
> 唐突に自身の考えを短くまとめられるようになったので、読みやすくはなっていると思います。

いや、所詮は雑談なのですから、
書きたい時に書く感じでOKですよ(笑)。

> > > 月9ドラマは存在自体全然知りませんでした。
> > > 東京ラブストーリーとかもこの枠だったんですね。

> > 先日、小学生は「SMAP」の存在を知らなくて驚いたので(まあ、解散が6年前ですからね)、
> > 「月9」に関しても、そんな感じかな?・・・と一瞬思ったのですが、
> > でも旧トルコ担当さんの年齢を考えると、単に世間への関心が薄かっただけかも!?(笑)

> これに関しては、私が世間(クラス)に関心が低かっただけという説が濃厚です。

まあ最近は、若者のテレビ離れとかも顕著ですし、
月9の存在を知らなくても、特に不都合とかは無いかと思われますが、
「平成の文化史」という観点から見れば、知っておくべき用語ではあるでしょうね。

そして、月9の代名詞的な俳優が、それこそSMAPの木村拓哉でした。
「あすなろ白書('93)」で人気を得て以降、
「ロングバケーション('96)」「ラブジェネレーション('97)」「HERO('01)」と、
視聴率30%超えのドラマを連発してました。

> > でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
> > アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
> > まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
> > だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。

> ファスト化は情報収集の一環ではないですね。
> ファスト化とか、タイパ意識っていうのは、俯瞰するとそういった言葉になるのですが、
> それらの行為を個人の感覚としては「待てない」というだけだと思うんですよね。
> この映画が、いつ面白くなるのか。面白いシーンまで待てないし、つまらないシーンは飛ばすし、
> 2時間の映画を飛ばし飛ばしで見てしまったとしても、サブスクなので他に映画はいくらでもあるというだけだと思います。

それって既に、サブスクの弊害にハマってる人の見方なのでは!?(笑)
本来なら、定額で多くの作品を見られるというメリットが、
多くの作品を見ないと損した気分になったり、損しないよう作品視聴をこなす事が目的化すると、
それはもう、作品数が多いというメリットが、デメリットに転じてしまってる気がするんです。

いや、でも別に、楽しみ方というのは、人それぞれに様々ありますし、
量をこなす事で得られる満足感というのも、決して解らなくは無いんですよ。
私だってルーチン・ワークをこなす際には、そうした部分に楽しみ方を見出したりしますので。
また、レスポンスの速い今の時代、2時間も受け身で見続けるのは、集中力が切れたり、苦痛な人も居るはずで、
映画館ならまだしも、自宅のモニターでリモコン操作が可能なら、ついつい飛ばすのが人情かも知れず、
倍速視聴で面白さが半分に落ちても、2時間見て結局ツマらなかった時よりは、マシという感覚であれば、
尚の事、倍速やスキップでの視聴の方が楽と意見があっても、そこまで驚きはありません。
ですけど、少なくとも私自身が映画やアニメを視聴するのは、そうした目的の為では無いですからねえ。
(これに関しては、アニメや映画は倍速視聴しない旧トルコ担当さんも、恐らく同様なのでは?)

倍速やスキップで視聴しても、大して面白さが減じなかったとしても、
逆説的に言えば、その程度の内容の作品を見て、本当に満足できるのか?という事でもあります。
仮に面白味に欠けるシーンでも、それは何らかの布石や演出である事が多く、
そこを飛ばしてしまっては、見せ場での醍醐味を、大きく欠く事にも繋がりかねませんし、
もしも本当に、無意味なシーンの連続であるなら、そんなのは別に見る必要のない駄作です(笑)。
読書とかも そうですけど、斜め読みで充分な本って、所詮はその程度の内容ですからねえ。
(その反対に、歯応えある数学や物理の本だと、1時間で数ページしか読み進められない事も・笑)
激安商品を買うよりも お得なのは、欲しくない商品は無駄に買わない事でしょうし、
本当に時間が貴重であるなら、早送りしてまで見るのでは無く、その程度の作品は見ないに限るかと?

> > > 何なら動画制作者自身が、「倍速視聴される前提で作っています」みたいなことを言ってる人もいますし。
> > それは、そうでしょうね。
> > 特にビジネスの場合、需要があってこその供給という面も強く、
> > 「作品を当てたい」思いがあるならば、ニーズに合わせるのは常套手段なので。
> > 例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
> > 報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。

> 最近、カノッサの屈辱(テレビ番組)のテレビの歴史をYouTubeで見て、初めてニュースのワイドショー化という話を知りました。

カノッサの屈辱かぁ・・・懐かしいですね(笑)。
バブル当時のテレビ局って、本当に制作費が有り余っていて、
「JOCX-TV2」という、当時のフジテレビの深夜枠では、
いろいろと実験的・挑戦的な番組が作られていて、本当に面白かったですよ。
このサイトでオンライン対戦化した「征服王」↓も、そうした番組の1つでしたし、
http://kakolog01.g1.xrea.com/conqueror/ichiran.html
麻雀アニメ「スーパーヅガン('92)」は、深夜アニメの走りみたいな所がありました。

・・・って、話が脱線してしまったので、元に戻しますと(笑)、
「ニュース番組のワイドショー化」との事ですが、
恐らく、旧トルコ担当さんが抱いているイメージも、ちょっと違うかなぁ?って感じですね。
カノッサの屈辱の放送当時('90)の事を考えると、たぶん番組内で触れられていたのは、
「久米宏とニュースステーションの登場('85)」に関してだと思うのですが、
確かにニュースステーションが、夜のニュース番組に革命をもたらしたのは事実です。

それまでは、それこそ中年サラリーマンが視聴する、お堅いNHKニュースしか無かった所に、
今風に言えば「池上解説」みたいな感じで、フリップや模型やCGなどを用いて、
若者層や女性層にも「解りやすいニュース番組」を作ったのは、本当に画期的な事でした。
その一方で、久米宏が個人的な意見を述べたり、BGMやテロップを用いた演出を行うなど、
そうした部分が「ワイドショー的だ!」として批判されたのも、また事実です。
とは言え、現在の「ワイドショー的なニュース」とは、かなり次元が異なっていたかと?
それこそ、お堅いNHKニュースしか比較対称が無かった時代の事ですし、
後継番組である「報道ステーション」なんて、今や民放ニュースの代名詞的な存在ですからね。

ちなみに、その当時のワイドショーというのは、
それこそ週刊誌をテレビ番組化したような、芸能ゴシップだらけ放送内容であり、
暇を持て余す主婦層や高齢層に向け、今の感覚だと目を背けたくなるようなゲスい事を報じてました(笑)。
例えば、「宮崎勤事件('89)」なんかも、まさしく当時は格好のターゲットだった訳ですね。
でも一方で、平成(90年代)に入った辺りから、統一教会やオウム真理教の騒動など、
芸能ゴシップだけでなく、社会問題に触れるケースも、徐々に増えていった感じかな?
と言いますか、新興宗教の広告塔として、芸能人とかが巻き込まれていくので、
(統一教会の騒動で言えば、桜田淳子と山崎浩子などの合同結婚式への参加など)
その辺が上手くリンクしていった側面もあったかも知れません。
また、「芸能人でもプライバシーは尊重すべき」という意識の高まりや、
バッシングを避けようと、芸能人自体の火遊びも大人しくなっていった事で、
バッシングの対象が、事件・不祥事・失態などを犯した個人に対する、
メディア・リンチに移っていった時代でもあったかも。

その後、2000年前後くらいから、ワイドショーでの芸能ゴシップの報道割合が減り、
オウム報道での失態により、TBSがワイドショーから撤退した事も相俟って、
社会問題から芸能情報まで幅広い題材を扱う「情報番組」へと、ワイドショーはその姿を変えていき、
テレビ局の予算削減に伴う、生放送番組の増加により、情報番組の放送枠は拡大の一途を辿りました。
解りやすく言えば、ここ十数年くらいの間に、
ニュース番組とワイドショーの中間に位置する「情報番組」が急速に増えた事で、
報道番組と情報番組の違いを意識しないと、「ニュースのワイドショー化」した印象を受けたかと?
物凄く解りやすい言い方をすれば、「ワイドショーもニュースを扱う」ようになった為、
そうした番組では、当然ながら「ニュースがワイドショー化」する訳であり、
特に政治(政局)ニュースに関して言うと、その端緒となったのは、「2001年の自民党総裁選」でした。

それこそ、それまでの総裁選というのは、従来のニュース番組しか扱いませんでしたし、
立候補した政治家たちも、当たり前のようにニュース番組にしか出ませんでした。
言ってしまうと、いくらニュースステーションが間口を広げたとは言っても、
やはり政治ニュースに関心を持つのは、未だに中年サラリーマン層が主であり、
そして、当時の政治力学では「橋本龍太郎の返り咲き」が既定路線と見られてたんです。
しかし、今までは自民党内の変わり者に過ぎ無かった小泉純一郎が、
国民(特に主婦層や高齢層)に人気の高かった田中真紀子とタッグを組み、
街頭演説やテレビ出演を繰り返して、総裁選の投票権のない一般市民の支持を集めていき、
「小泉を総理に!」という世論を、急速に盛り上げていったんですよ。
そこからですよね、ワイドショーも政治ニュースを扱い、政治家もワイドショーに出るようになったのは。
小泉&真紀子コンビは、それこそワイドショー視聴者層にぴったりハマりましたし、
彼らだって選挙で同じく1票を持ってますが、それまでは未開拓な票田だったとも言えます。

そういう意味では、政治家の側だって「ニュースのワイドショー化」を促した訳で、
そして何より、ワイドショー視聴者がニュースを見るようになったからこそ、
「ニュースがワイドショー化した」とも言えるんですよね。
基本的にテレビ番組というのは、視聴者のニーズに応えるべく、放送内容が変わるのですから。
しかも現在は、バラエティー番組までもが、政治ニュースを扱うようになり、
ニュースに触れる機会が増えたという点では、昔より増えた状況ですけど、
ニュースを扱う番組の質に関して言うと、昔より落ちたのは紛れもない事実でしょうね。

これはどんな分野でもそうですが、一部のコア層しか関心を持たなかったモノが、
ライト層にまでニーズを広げていくと、影響力は強まる反面、どうしたって質は落ちていくんです。
つまり、安易に「マスゴミ!」と叫ぶ視聴者こそが、ニュースの質を落としてる張本人であると(苦笑)。
また、ニュース番組は「権力の監視者」意識が強い事もあり、
どんな大物政治家が出演しても、相手の嫌がる厳しい質問をブツけたりしますが、
テレビ局内でのヒエラルキーが低い、ワイドショーやバラエティー番組だと、
大物政治家が出てくれるだけで、かなりの持ち上げようになりますし、
政治家本人は勿論、その支持者たちも、ニュース番組に出るより気持ち良い空間でしょうね。
逆に言えば、だからこそ、「それに比べて、ニュース番組はけしからん!」となりがちな気がします。

> 私が生まれたころには既にああだったので、昔からそんなものだと思っていましたが、
> 昔はもっとテレビも真面目だったんですね。

もう少し正確に言うと、「住み分けられてた」って感じですかね?
新聞で言えば、一般紙(高級紙)と夕刊紙(大衆紙)の読者が、住み分けられてたように、
ニュース番組は、今よりも お堅かった反面、
バラエティー番組やワイドショー番組は、今より遥かに下品だったので(笑)。
そういう意味では、現在のテレビ番組って、
バラエティー番組やワイドショー番組は上品になった一方で、当然ツマらなくなり、
ニュースの扱いに関しては、報道番組はまだしも、情報番組は行き過ぎた部分が目に付くと。

時代的に言うと、2000年を過ぎた辺りから、徐々にそうした傾向が強まっていき、
今から10年ほど前、大震災が落ち着いてきた辺りから、完全にそうなった感じかな?
なので、今のようになったのは、精々「ここ10年くらい」の話ですね。
そして、それは丁度、安倍政権の返り咲きとピタリと合うのですが、
これは別に、安倍政権が世間をそうした風潮にしたというよりは、
世間の風潮がそうなったから、安倍政権が長続きした面の方が強いかも知れません。
(もちろん、両者が相乗効果となって、そうした傾向を促進させた部分も否めませんけど)

> > それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
> > 厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
> > チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
> > 目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
> > 簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・

> ああ、諦めというのはありそうですね。
> それこそ、低い位置であっても"まあまあ"な娯楽がある分、努力してまで手に入れたいとか、思わなくなりがちですし。

あと言うと、「努力して得られるモノ」の質というのが、明らかに下がった部分もあります。
言うなれば、最低点は上がったけど、最高点は下がったとでも言えば良いのか、
そうした両面を含めての「挑戦や努力のコスパが悪い時代」って意味ですね。

例えば、解りやすい例でゲームの話をすると、
一昔前に比べれば、無料で遊べるゲームの質って、物凄く上がったと思うんですよ。
ですが一方で、実際に6000円とか8000円とかカネを払って買うゲームの質は、
遊んでて味わえるワクワク感などは、昔の方が遥かに大きかった気がするんです。
(グラフィック面などは格段に向上していますけど、そこが楽しさの本質では無いので)
そうなれば、「無料ゲームで充分」となる気持ちも理解できますが、
かと言って、昔の若者ほどゲーム自体を楽しめて(興奮・熱狂できて)いるか?となると・・・・

> > > > ただ単純に、日本の社会自体が不安定化し、自信を得難く、余裕が無くなってきた為、
> > > > そうした社会に適応を強いられて、それらの特徴が際立って映るようになっただけの事で。

> > > 個人的には、必ずしも経済は主要因ではないのかな?とは思っています。
> > > 未婚率にしても、特殊出生率にしても、変化は80年代には既に起きており、
> > > 00年代にはむしろ悪い値で変化が止まっているので。
> > > 経済が原因であれば、本格悪化は00年代からなはずです。
> > > 出生率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
> > > 未婚率 https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-08.html

> > う〜ん、何だか話が脱線している気はしますけど、それは別に良いとして(笑)、
> > この感じだと、経済と景気の違いが区別されていないと言うか、
> > 経済の成長は社会のシステムを変容させ、それは出生率にも影響を及ぼすという、
> > 大きな要素としては、「経済こそ主要因」と見なして良いと思うんです。

> 社会システムの変化まで「経済」として扱っていた、ということだったのですね。
> わたし的には、社会システムの変化まで来ると経済ではなく「社会」のつもりだったので、景気論の話だと誤解していました。

う〜ん、と言うよりかは、
「経済が変わるから、社会も変わる」と言った方が、もっと正確ですかね。
それこそ、未婚率や特殊出生率の値が変化するのは、
経済システムの変換が、社会システムの変換をもたらすからです。

で、ここが旧トルコ担当さん的には、解り難かった点かも知れませんけど、
数年単位で変動する景気レベルの要素と、世代単位で変動する経済レベルの要素とがあり、
その時々での「結果」としては、両要素を足し算して、述べているのですが、
「要因」として語る際には、これら2つの要素を切り分けて、述べている感じですね。
ちょっと難しいですが、そうしないと、物事の本質というのは なかなか掴めないモノなので。

解りやすい例・・・かは解りませんけど、要するに「波の重ね合わせ」みたいな話です。
合成波の性質を知りたければ、個々の成分波の特徴を把握する事が重要ですし、
合成波の数値を知りたければ、個々の成分波を足し合わす必要が出てきます。
こうする事で、一見すると複雑な現象も、予測や解明が行えるようになる訳ですね!
昨今のAIブームなんかも、人力ではなくコンピューターに、こうした作業をやらせてる感じです。

> > では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
> > 「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
> > https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
> > 出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
> > 出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
> > その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?

> 私の意見も特別なものではなく、ごく普通の「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」という辺りだと思っています。
> 消えた第3次ベビーブームから既に約30年ですし、「なぜかられ彼女らが結婚を選択しなかったのか?」はインタビューなどできる内容ですので、
> 世間や学問の世界であまりに的外れな論が展開されていれば、当事者たちからそれは違うだろとなるはずであり、
> よって今の世間一般の主流の考えが正解だと思っています。

ですから、バブル崩壊に伴う平成不況により生じた「就職氷河期」が、団塊ジュニア世代を直撃し、
安定した職を得らず、結婚や出産に踏み切れなかった人たちを大量に生み出した事こそが、
その「世間一般の主流の考え」であり、それを「正解」だと旧トルコ担当さんが思われるのなら、
旧トルコ担当さんの「必ずしも経済は主要因ではない」という意見とは、明らかに矛盾してませんか!?

また、「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」との見解も、
団塊ジュニア世代は絶対的に人数が多いのですから、
結婚や出産が、なだらかに減少し続けただけであれば、低くなっても山は生じるはずで、
現実的に そうでない以上、団塊ジュニア世代の時だけ出産率が下がった理由を示す必要があります。
と言いますか、団塊ジュニア世代が出産適齢期を迎えた頃に、
特殊出産率が底を打ち、そこからジワジワ回復傾向にあるのは、数値を見ても明らかな訳で、
その点に関する説明というか、認識が、完全に欠けていたのでは?

もっと厳しい言い方をすると、旧トルコ担当さんが、どのような意見や見解を持たれても自由ですが、
それを「ごく普通の」と述べるのであれば、他の人の意見をキチンと知った上で述べるべきですし、
それをせぬまま、自らの見解を「世間一般の主流の考え」と捉えて、「正解」と見なした印象を正直受けます。
結局の所、これは後述の「個人主義」や「自己責任論」の話とも、少し被って来ますけど、
「自分は正しい」という所から、物事の理解をスタートする、昨今の悪しき風潮に、
旧トルコ担当さん自身も、ドップリとハマってしまってはいませんか?

> > > おそらくですが、未婚化の原因って自由恋愛だと思うんですよね。
> > > 時代背景の勉強が充分ではないかもしれませんが、
> > > 私の知る限り、少女マンガや少女小説で自由恋愛が堂々と出てくるのは70年代〜80年代らしいので。
> > > 基本的には各種値が変化した時期と一致します。

> > 「ソースが少女マンガなの!?」というツッコミはさておき(笑)、

> ソースが少女マンガくらいしか無いんですよね。
> 管理人さんの話でいえば、オウム真理教をめぐる当時の雰囲気みたいな、
> そういった空気感・価値観みたいなものが一番残らないものなので、
> 当時の結婚や恋愛をめぐる価値観を調べようとしても、なかなか信頼できる文献が無いんですよね。

いやいや、結婚や恋愛というのは、人類にとって大きな関心事ですし、
調べれば文献なんて、幾らでも出てくるモノじゃないですか!?
前回、「近年の若者層の特徴」としても語ったように、
それこそ、手っ取り早いマニュアル本を探すような感覚に陥ってません?
> > 見合い結婚と恋愛結婚の「比率」の変化は、こんな感じ↓
> > https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-10.gif
> > 見合い結婚と恋愛結婚の「総数」の変化は、こんな感じ↓
> > https://www.garbagenews.com/img16/gn-20161009-11.gif

前回示した2つのグラフ↑からだって、それなりに読み取れる内容はあるでしょうし、
上記の「第3次ベビーブーム」の件でも そうでしたが、「先に結論ありき」なってませんか?

> > > 最近、エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んだのですが、
> > 最近のトッドの著作は・・・あまり、まともに読んでないかなぁ?
> > それこそ、「第三次世界大戦はもう始まっている」も、
> > 本屋の立ち読み(斜め読み)で済ましちゃいました。
> > 年齢の所為かも知れませんけど、正直、最近のトッドが書く内容って、
> > フランス中心主義の主観的な感情論が多く、あまり得る所を感じないんですよね。
> > 日本についての論評も、「相変わらずズレた事言ってるなぁ」って感じですし(苦笑)。

> フランス中心主義というと、多文化主義の観点から、フランスの文化的同化政策を称賛してる件ですかね?

と言うよりかは、フランス人、特にパリ住民に多い傾向として、
フランス革命(民主主義)の中心地であるという、強烈な自負というか、
「フランス版の中華思想」みたいなモノが、彼らには根底に強くあるんですよ。
そうしたフランス人の国民性が、トッドにも変わらずあると言いますか、
トッドの加齢と、EU内におけるドイツの伸張(フランスの存在感低下)が相俟って、
近年の主張には、そうした鼻持ちならない部分が、隠されなくなってきた印象ですね。

> 日本についてはまあ、「90年代に日本の結婚がキリスト教会で行われるようになったのは、日本の脱宗教化ではないか」
> みたいなことを言っていて、ズレてますよね。(上記はゼクシイ等結婚雑誌の普及と、晩婚化に伴うカップルのお金持ち化が理由らしいです)

それこそ、日本を始めとした東アジアの世界では、
トッドが言うように「直系家族」志向が、今のヨーロッパよりも残っているのは事実です。
ですが、それをあまりに過大評価したり、アジアを理解しないまま紋切り型で捉えているのは、
やはり「解っていないなぁ」というのが、正直な私の評価ですね。

結局、東洋人が西洋人を理解している程には、西洋人は東洋人を理解できてないんですよ。
これは近代史において、支配する側と支配される側であった、立場の違いが大きいかと思われます。
例えば、日本の少子化問題を解消する為の提言でも、
「日本は直系家族社会だから、天皇が移民受け入れと出生率上昇を国民に訴えれば良い」なんて、
まともに日本の事を理解していれば、まず出てこない内容ですからね(笑)。

> > > ・黒人の90%近くが民主党に投票し、黒人が民主党の傭兵のような存在になっている
> > > ・民主党は超富裕層、高学歴者、黒人が結託した党になっている
> > > など、のことが指摘されており、
> > > ああ、トランプ当選は偶然ではなく必然であったんだなと思わされると同時に、

> > 民主党が「資本家・インテリ層・黒人」の党へと路線転換したのは、
> > もう100年以上も前の事なので、今更と言えば今更の話ですし、
> > 国内人口比における有色人種、特にラテン系の割合が増え続けている昨今、
> > 時が経つほど、民主党有利&共和党不利になるのは、既定路線として語られており、
> > そうした流れへの悪あがきというか、最後のカウンター行動として、
> > 極端だけど、団結させやすい、トランプのような論調が現れた部分はあるんですよね。

> 私が不勉強みたいですが、私のイメージではトランプ以前は民主党が貧困層より、共和党が富裕層寄りで、
> トランプがそれを逆転させた、というイメージだったのですが、この辺も実態はもっと複雑なのでしょうか?

複雑と言えば、複雑なのかな?
でもまあ、物凄く簡単に言ってしまうと、
民主党は「理想主義」であり、共和党は「実益主義」であると考え、
社会階層を「上・中・下(更に各階層内での上・中・下)」の9段階に分ければ、理解しやすいです。

例えば、民主党が唱えるように「貧困層を救え!」となった場合、
それに賛同する層って、本当に困っている貧困層も そうなのですが、
あとは、全く困っていない富裕層であったり、信念で動きたいインテリ層や学生層などです。
言うなれば、これを支持するのって、理想論で救って欲しい「下の下」であり、
理想論で優越感を得たい、経済的や知識的に「上の上」の人たちであると言った所でしょうか。

その一方で、実益的な共和党の支持者層というのは、
生活は苦しくても、物乞いまでは落ちたく無いというプライドのある「下の上」な人々や、
経済的に成功していても、もっと稼いで成り上がりたい「上の下」な財界人であったり、
学生時代は理想に燃えてたけど、今では実益第一に転じたビジネスマンなどだったりします。

そして、大多数を占める中間層というのは、
自分たちの生活に余裕がある時は、「困っている人が居るなら助けよう」と理想に傾く一方、
自分たちの生活に余裕が無くなると、「とにかく私たちを何とかしてくれ!」と実益に傾く感じ。
要するに、図で表すなら、こんなイメージになるのかな↓

  貧困層    <<<  中間層  >>>    富裕層
   民主党  共和党   無党派   共和党  民主党

で、人々が右傾化する、いわゆる「トランプ現象」というのは、
社会が2極化して、中間層が薄くなるに従い、
「下の上」「中の下」な貧困層予備軍や、「上の下」「中の上」な富裕層予備軍が増加し、
とは言え、彼らは昨今の社会的変化によって流入した新たな層なので、
従来の伝統的な共和党支持層とも、性格が少し異なり、
そこをで上手く拾い上げたのが、トランプであったという事なんですよね。
もともと低所得であり、今でもそうな人々には、彼らなりの伝統的なプライドがある訳ですが、
中所得から低所得に落ちた人々は、「これ以上は落ちたくない」「また元に戻りたい」という思いが強く、
過激なパフォーマンスに、ホイホイと乗ってしまいがちな傾向が見て取れるので。
特にアメリカ社会の場合、社会階層が人種ともリンクしてますから、
「白人貧困層(下の上)は、黒人貧困層(下の下)と同レベルになるのが嫌」みたいな意識もあります。

ちなみに、人々が左傾化する、いわゆる「サンダース現象」みたいな方は、
社会の2極化に伴い、今までは「中の下」や「下の上」に居た人たちが、
「下の下」や「下の中」まで落ちてきたので、起こっている現象ではありますね。
しかし現状では、その数は上記の「新たな貧困層予備軍」に比べると、まだまだ少ない状況で、
だからこそ、動きとしては目立っていても、そこまで大きな成果は招いていない現状です。
とは言え、社会の2極化が更に進み、貧困層の割合も今以上に増していけば、
人々は右傾化から極左化へと転じるか? はたまた、極右化へと突っ走るか? そのどちらかに至るかと?
実際、100年前の「共産革命」であり、「ファシズム」というのは、そうした歴史の流れで生じましたからね。
こうした人々の心の動きは、何もアメリカだけの話では無く、世界的にも不偏な傾向ではあるかと思われます。

> > > それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> > > もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> > > というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

> > ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
> > 「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
> > 「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。

> 「可哀想な敗者を見るのが辛い」だけ、というのはまさしくそうだと思います。
> 私としては、割とそういう感覚が当たり前だと思っていたのですが、割と最近の個人主義的な感覚なんですかね。

う〜ん、私としては、そう感じてますね。
ここ10年20年で、良くも悪くも、日本のムラ社会的な価値観は薄れてきましたが、
(ムラ社会は戦前まで続き、戦後は会社がムラの代替として機能するも、バブル崩壊に伴い瓦解)
「自助・互助・共助・公助」とある中で、互助を担ってきた「ムラ」構造が消滅した事で、
「自助」の占める割合が、物凄く高くなった実感はありますね。

今の日本社会には、キリスト教やイスラム教の社会が担う「共助」の部分が欠けていますし、
(と言うか、明治維新により、多少なりとも寺社が担っていた部分が失われた側面も)
北欧諸国のように、高福祉&高負担な「公助」の国でも無いですから、その部分も弱い。
だから結局、自助への負担が大きくなり、それでは支えきれない為に、
「集団主義の希薄化」に伴う、「個人主義の弊害」として映るのだと思います。
要するに、昨今の日本では個人主義が強まったというのは、一面では事実なのですが、
それ以上に大きいのは、集団主義が薄まった事で、個人主義の割合が相対的に高まった方が大きいかな?
でもまあ、相対的にせよ、絶対的にせよ、「個人主義的になった」のは事実でしょうね。

で、「日本は集団主義、欧米は個人主義」だと言うと、
昨今では、「それはステレオ・タイプなイメージ過ぎる」と言われますが、
でも結局、大前提として集団主義があるからこそ、その中においての個人主義的な心理が働き、
大前提として個人主義があるからこそ、その中においての集団主義的な心理が働くモノだと思うんです。
そして、欧米や中東は個人主義が大前提だからこそ、その安全装置としての「教会」の機能であったり、
個人主義でも社会として機能させる為の「教義」があり、なので「宗教は絶対的な存在」なのですが、
日本の場合、集団主義な「ムラ社会」が、教会や教義の面を担っていたからこそ、
いわゆる「無宗教」でも上手く回ってきたと。
(逆説的に言えば、だから海外で「自分は無宗教だ」と言うと、危険視される訳です)

もっと言うと、伝統的な「互助」のシステムというのは、別に日本だけに限らず、
それぞれ形式は異なっても、東アジアでは結構普通に見られた社会構造なんですよね。
例えば中国なども、幇や朋といった横の繋がりが、安全装置として機能していた訳ですが、
近代化の波により、西洋的な価値観が広がる事で、従来の互助的な仕組みが壊れる一方、
西洋社会のように宗教による共助の仕組みが無く、共産主義による公助も失われつつある。
その為、現在の中国では、世界的な新自由主義経済の潮流とも相俟って、
「個人主義の台頭」が非常に悪目立ちしている訳ですが、
これも別に、中国人の中で急速に、個人主義的な意識が高まったと言うよりは、
それ以外の部分が急速に薄まった事で、消去法的に残された個人主義が、目立つだけな気がするんです。

そう考えると、日本も含め、今後の東アジア社会というのは、何かと苦労するかも知れません。
ムラ社会の互助であれ、教会による共助であれ、掟や教義などによって、
理屈や感情ではなく、当然の感覚として「手を差し伸べる」という自動ルーチンが失われると、
強い思想・信念から「手を差し伸べるべき」とでも、ならない限りは、
「可哀想」と思った時に、「だから助ける」と「だから遠ざける」の差が薄くなりがちなんですよね。
もちろん、助けないよりは助けた方が、当人的にも満足感が違うのですが、
その為に要するコストまで考えた場合、結局、自分が心理的に楽になりたいだけなら、
大きなコストを掛けてませ助けるなら、小さなコストで遠ざける方が、メリットになる場合も多いので。
逆に言うと、掟や教義という「縛り」が存在する場合、助けない事によるデメリットが生じるようになると。

> > 恐らく、この引っかかりというか、違和感の正体というのは、
> > 十数年前に、小泉政権が政治的な意図をもって、
> > 日本社会に定着させた「自己責任論」が、大きく関わっていると思うんです。
> > 私などは世代的に、自己責任論が唱えられる前の日本も、そう塗り替えられていく過程の日本も、
> > 既に定着してしまった現在と同様、それらの日本社会の姿を、しっかり覚えているのですが、
> > 定着後の日本しか知らない世代だと、この感覚はなかなか伝わらない気がするんです・・・・
> > それが当たり前すぎて、何が おかしいとか違うとかが、なかなか実感できないと思うので。

> 政権が自己責任論を定着させるなど、そういうことって出来るのでしょうか?
> 多くの大衆はそもそも政治に関してあまり興味がありませんし、
> そういった人々の価値観は言論というより、ライフスタイルや社会の雰囲気などで、ゆっくり変化していくものでしょうし。
> まあ政策を決めるのは政治に興味のある層なので、政権が何か言えば、政治に興味のある人の間で論争がおこり、
> 自己責任論的な政治論調が強くなっていくというのはあるのかもしれませんが。

「郵政選挙」が2005年ですから、17年前の事となると、解らなくても当然かも知れませんね。
ところで旧トルコ担当さんは、「B層」という用語は御存知でしょうか?


これは小泉自民党が、選挙での宣伝戦略として、広告代理店の力を借りた際、
「構造改革に肯定的か?否定的か?」「IQが高いか?低いか?」を2つの軸として、
有権者のタイプをA層からD層までの4つに分けたんです。
そして、構造改革に肯定的だが、IQの低いと見なした、主婦層・若者層・高齢層を、
「具体的な事はよく解らないが、小泉純一郎のキャラクターを支持する層」としてB層と名付け、
ここをマーケティング戦略のメイン・ターゲット層として、
「リテラシー」なんて言葉が普及していなかった当時、時には工作紛いの事まで行いながら、
ワイドショーやネットを積極的に活用して、国政選挙に、かつてない熱狂を生み出したんですよね!!

今までは、選挙や政治に無関心だった主婦層や若者層は、まさしく新規の大票田であり、
前任の森政権では支持率1ケタを記録し、再度の下野は時間の問題と見られていた自民党は、
小泉総理のもと、この郵政選挙によって歴史的な大勝を収める事となります。
こうした、解散から選挙に至る一連の流れは、「小泉劇場」と呼ばれ、
郵政民営化に反対した自民党議員を追放すると共に、対抗馬となる「刺客候補」を立てると、
この内ゲバ劇に国民は熱狂し、野党の存在感は完全に埋没する事となりました。
ちなみに、この時に刺客候補として立てられ、一躍有名となったのが、
小池百合子・ホリエモン・片山さつき・佐藤ゆかり・高市早苗・稲田朋美といった面々でした。
(女性刺客が注目を集めた為、当時のヒット映画と掛けて、「くノ一(女忍者)」候補との呼び方も)
ある意味、「政治のワイドショー化」は、ここから本格化したと言っても良いのかな?
政治がワイドショー化したのですから、ニュースがワイドショー化するのも、必然だったかと(苦笑)。

ちなみに、「自己責任論」に関しても少し述べておくと、その端緒となったのは、
郵政選挙に先立つ事 1年前、イラクで日本人3人が人質として誘拐された事件の発生でした。
この一件が、小泉政権の強行した「イラクへの自衛隊派遣」にまで飛び火する事を恐れた為、
「イラクへ渡航した彼らが悪い(=政府に責任はない)」とする「自己責任論」を展開し、
メディア世論に批判的だったネット世論を巻き込む形で、自己責任論が拡大していったんですよね。
しかも当時は、小泉政権による「小さな政府&企業の規制緩和」の政策方針から、
民間でも、「コンプラ重視」という名の「責任回避(下への責任押し付け)」が始まった頃ですし、
まあ正直な所、危険なイラクまで出向きボランティア活動をするのは、意識の高い左系な人たちであり、
被害者家族の政府批判も相俟って、右傾化しつつあったネット世論は、政府擁護&人質非難の論調でした。
と言いますか、自民党のIPアドレスから、政府擁護&人質非難の書き込みが、大量投稿されてた記憶が・・・・
ネット活動(工作?)という点では先進的だった一方、まだまだ稚拙でもあった時代です(苦笑)。

> > > 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> > > 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> > > 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> > > そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> > > 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

> > いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
> > より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・
> > デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
> > 探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
> > 前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
> > 一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
> > 能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
> > その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
> > (この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)

> これに関しては、私は完全に否定的ですね。
> 確かに、マニュアル依存というか、手っ取り早く、自分の頭で考えず、みたいな層が増えているというのも分かりますが、
> 例えば腐女子の人たちが日々得ている、推しカプのキスを見て脳内麻薬がドバドバ出るのって、快楽としてはかなり上位に位置すると思いますし、
> それは手っ取り早く快楽を得られるから選ばれているだけではないと思うんですよね。
> おそらく「推し」というのも、同様なのではないでしょうか?
> 私自身も、アニメのキャラで勝手に百合妄想とかしていると、その時の感覚は本当に人生で圧倒的に一番幸せを感じますし、
> 毎日のようにそういった感覚が続く腐女子の人たちは、本当に人生の質が違うんだろうな、と思います。

いや、ですから、そうした妄想力が豊かな腐女子の人たちというのも、
天賦の才なんて形で、何も努力せず、最初から豊かな妄想力を得ている訳では無く、
莫大な情熱を傾け、相応の時間なり労力を費やしたからこそ、それだけの妄想力を得ているのでは?
何事でも そうだと思いますけど、手っ取り早く、インスタントに、才能なんて開花しませんよ!!

最近、私は脳科学にハマっているので、少し専門的な話をすると(笑)、
「豊かな発想」をしようとする場合、まず必要となるのは、その材料となる豊富な情報量です。
まともに材料が揃わなければ、大したモノは構築出来ませんし、細部も描けませんからねえ。
そして、大量に得た情報は、それぞれを頭の中でグループ分けして、特徴に合わせて整理し、
何と何とが上手く繋がるかといった「学習(神経回路を強化・整理するヘブ則)」を重ねなければ、
新しい連想などは生まれず、つまりは「豊かな発想」も生じません。
つまりは、「情報収集」と「学習」が何よりも必要ですから、弛まぬ努力は欠かせません!!

また、最初から「人とは違うモノが見える」事を、「豊かな発想力」と表現するのであれば、
一見すると、それは「天才」と思えるかも知れませんし、そうした捉え方も可能ではあるでしょう。
ですが、先天的に「人とは違うモノが見える」と言うのは、
「多くの人が普通に見えてるモノが見えない」事と同義である為、
言い方を換えると、良く言えば「個性」ですけど、悪く言えば「病気」や「障害」となります。
正直な所、著名な芸術家の中には、こうしたタイプの人物も確かに居るのですが、
そうした人って、プライベートな面で多くのトラブルを起こし、その当人も苦労していたりするので、
恐らくは、旧トルコ担当さんが求めているモノとは、違いますよねえ?

そうなると結局は、「普通の見え方も出来て、異なる見え方も出来る」となると、
それだけの多くの経験を重ねる事が必要となり、
その為には、多くの時間や労力を費やして、学習や情報収集を努力する形となります。
そして、対象となる事が好きであるほど、努力を苦痛と感じる程度は落ちていきますが、
どんな創作活動であれ、レベルが上がるほど、それを生み出す苦悩は比例して増していく為、
凄ければ凄い人であるほど、そうそう簡単に成果を得ている訳では無いはずですよ。
「幸せ」という観点から言えば、その絶対量は、上のレベルに行くほど高いかも知れませんけど、
苦痛や苦悩も含めた「相対量の幸せ」で測ると、平均より少し上と言う「中の上」レベルが一番かも?

「上の下」まで行くと、上の世界を覗けるメリットがある反面、
上位グループ内における劣等感に苛まれるデメリットも生じかねませんし、
上に行けば行くほど 幸せか?となると、必ずしも そうとは言い切れないと・・・・
ちょっと話は違いますが、年収と幸福度の関係性を見ても、
億万長者であるからと言って、幸せであるとは限らず、
結局は年収1000万円くらいが、最も幸せな人たちが多いみたいな感じに似ているかも?
そう思うと、例えばオタ活動で言えば、下手に同人誌を創作する側に回らず、
コミケで心置きなく蒐集に勤しめるレベルくらいが、最も幸せを感じられるかも知れませんね(笑)。
もちろん、創作活動でしか得られないコアな充実感もあるでしょうし、
無料で多少のアニメやゲームを嗜むライトさでも、それなりの満足感は得られるでしょうけども。

> ちなみに、管理人さんのイメージしている「努力(費やした時間や労力)の差」による
> 「アニメを楽しめるかどうか」って具体的にどういったイメージですか?

う〜ん、例えば、同じ作品の視聴を何周もする事により、
初見時には気付かなかった描写や設定など、作品の細部に知れる事もあるでしょうし、
同じ作家の作品や、同じ分野の作品を、網羅的に視聴する事によって、
その作家や分野に関して、体系的な見方が出来るようになる事もあるでしょうね。

でもまあ、それらの行為って、余程好きでも無ければ単なる苦行でしょうし、
コアなオタクであっても、常に楽しんでいるとは限らず、
時には、使命感や義務感で行う事もあるかと思います。
ですが、それを乗り越えた先には、満足感や知見を得られる事が想像できる為、頑張れると。

ある意味では、受験勉強とも、通ずる部分はあるでしょうね。
偏差値が30や40の段階であれば、少し努力するだけで、10くらいは簡単に上がるでしょうけど、
偏差値も60を超えると、かなり努力しても、1や2くらい上げるのに苦労するようになり、
それでも、更に頑張る事によって、トップの大学を狙う事が可能となりますし、
逆に言うと、そこそこの努力で、それなりに名の通った大学に受かる方が、コスパは良いかも知れません。

これはもう結局、個々人の理想や価値観の話かと思いますけど、
私の考えで言うと、オタク的に楽しめる層って、受験で言えばエリート層に相当するので(笑)、
知識の量が多く、感性が豊かなほど、同じ名画や歴史名所などを見ても、より深く楽しめるのと同様、
アニメの視聴に関しても、事前学習による知識と感性が高ければ、それだけ楽しみの幅が増えるのでは?
それこそ、前出の「カノッサの屈辱」にしても、歴史風味のパロディー番組として、
世界史の知識があった方が、それが無いよりも、確実に1つ上のレベルで楽しめるはずですし、
「このシーンは、あの作品のオマージュだな」とか読み解れば、アニメの視聴も同じ感じになるはずで、
腐女子的な「豊かな妄想力」とかも、こうした「深読み」や「邪推」から派生するモノな気がします(笑)。


[24031] Re:テレビ報道と政治・階級差と個人主義・発想力と学習量返信 削除
2022/9/25 (日) 04:40:41 旧トルコ担当

> > > でも、ラストのネタバレまで含む「ファスト映画」の隆盛ぶりを見る限り、
> > > アニメや映画にしても、早送りやスキップでの視聴も、かなり増えている気はしますよ。
> > > まあ私も、ニュースみたいに情報収集がメインな視聴なら、普通に早送りもしますし、
> > > だからこそ、逆に言えば、彼らにとってはアニメや映画も、そうした情報収集の一環なのかな?と。

> > ファスト化は情報収集の一環ではないですね。
> > ファスト化とか、タイパ意識っていうのは、俯瞰するとそういった言葉になるのですが、
> > それらの行為を個人の感覚としては「待てない」というだけだと思うんですよね。
> > この映画が、いつ面白くなるのか。面白いシーンまで待てないし、つまらないシーンは飛ばすし、
> > 2時間の映画を飛ばし飛ばしで見てしまったとしても、サブスクなので他に映画はいくらでもあるというだけだと思います。


> それって既に、サブスクの弊害にハマってる人の見方なのでは!?(笑)
> 本来なら、定額で多くの作品を見られるというメリットが、
> 多くの作品を見ないと損した気分になったり、損しないよう作品視聴をこなす事が目的化すると、
> それはもう、作品数が多いというメリットが、デメリットに転じてしまってる気がするんです。


サブスクの弊害というよりは、YouTubeやInstagramなど、それら含めたインターネットの影響では?
YouTubeにはほぼ無限の動画が存在しますし、サブスクよりもYouTubeの方が影響は明らかに大きいでしょうからね。
最近Instagramを初めて使ってみたのですが、あのアプリの時間感覚には驚かされました。
YouTubeもショート動画に力を入れてるみたいですし。

> いや、でも別に、楽しみ方というのは、人それぞれに様々ありますし、
> 量をこなす事で得られる満足感というのも、決して解らなくは無いんですよ。
> 私だってルーチン・ワークをこなす際には、そうした部分に楽しみ方を見出したりしますので。
> また、レスポンスの速い今の時代、2時間も受け身で見続けるのは、集中力が切れたり、苦痛な人も居るはずで、
> 映画館ならまだしも、自宅のモニターでリモコン操作が可能なら、ついつい飛ばすのが人情かも知れず、
> 倍速視聴で面白さが半分に落ちても、2時間見て結局ツマらなかった時よりは、マシという感覚であれば、
> 尚の事、倍速やスキップでの視聴の方が楽と意見があっても、そこまで驚きはありません。
> ですけど、少なくとも私自身が映画やアニメを視聴するのは、そうした目的の為では無いですからねえ。
> (これに関しては、アニメや映画は倍速視聴しない旧トルコ担当さんも、恐らく同様なのでは?)


スキップ視聴するくらいなら、見ない方がマシというのは同意見ですね。

> > > 例えば、テレビ番組がテロップだらけになったのも、そうしたニーズがあったからですし、
> > > 報道内容の低レベル化も、安易に「マスゴミ」と批判するレベルの人に合わせた結果です(苦笑)。

> > 最近、カノッサの屈辱(テレビ番組)のテレビの歴史をYouTubeで見て、初めてニュースのワイドショー化という話を知りました。

> カノッサの屈辱かぁ・・・懐かしいですね(笑)。
> バブル当時のテレビ局って、本当に制作費が有り余っていて、
> 「JOCX-TV2」という、当時のフジテレビの深夜枠では、
> いろいろと実験的・挑戦的な番組が作られていて、本当に面白かったですよ。
> このサイトでオンライン対戦化した「征服王」↓も、そうした番組の1つでしたし、
> http://kakolog01.g1.xrea.com/conqueror/ichiran.html
> 麻雀アニメ「スーパーヅガン('92)」は、深夜アニメの走りみたいな所がありました。
>
> ・・・って、話が脱線してしまったので、元に戻しますと(笑)、
> 「ニュース番組のワイドショー化」との事ですが、
> 恐らく、旧トルコ担当さんが抱いているイメージも、ちょっと違うかなぁ?って感じですね。
> カノッサの屈辱の放送当時('90)の事を考えると、たぶん番組内で触れられていたのは、
> 「久米宏とニュースステーションの登場('85)」に関してだと思うのですが、
> 確かにニュースステーションが、夜のニュース番組に革命をもたらしたのは事実です。
>
> それまでは、それこそ中年サラリーマンが視聴する、お堅いNHKニュースしか無かった所に、
> 今風に言えば「池上解説」みたいな感じで、フリップや模型やCGなどを用いて、
> 若者層や女性層にも「解りやすいニュース番組」を作ったのは、本当に画期的な事でした。
> その一方で、久米宏が個人的な意見を述べたり、BGMやテロップを用いた演出を行うなど、
> そうした部分が「ワイドショー的だ!」として批判されたのも、また事実です。
> とは言え、現在の「ワイドショー的なニュース」とは、かなり次元が異なっていたかと?
> それこそ、お堅いNHKニュースしか比較対称が無かった時代の事ですし、
> 後継番組である「報道ステーション」なんて、今や民放ニュースの代名詞的な存在ですからね。
>
> ちなみに、その当時のワイドショーというのは、
> それこそ週刊誌をテレビ番組化したような、芸能ゴシップだらけ放送内容であり、
> 暇を持て余す主婦層や高齢層に向け、今の感覚だと目を背けたくなるようなゲスい事を報じてました(笑)。
> 例えば、「宮崎勤事件('89)」なんかも、まさしく当時は格好のターゲットだった訳ですね。
> でも一方で、平成(90年代)に入った辺りから、統一教会やオウム真理教の騒動など、
> 芸能ゴシップだけでなく、社会問題に触れるケースも、徐々に増えていった感じかな?
> と言いますか、新興宗教の広告塔として、芸能人とかが巻き込まれていくので、
> (統一教会の騒動で言えば、桜田淳子と山崎浩子などの合同結婚式への参加など)
> その辺が上手くリンクしていった側面もあったかも知れません。
> また、「芸能人でもプライバシーは尊重すべき」という意識の高まりや、
> バッシングを避けようと、芸能人自体の火遊びも大人しくなっていった事で、
> バッシングの対象が、事件・不祥事・失態などを犯した個人に対する、
> メディア・リンチに移っていった時代でもあったかも。
>
> その後、2000年前後くらいから、ワイドショーでの芸能ゴシップの報道割合が減り、
> オウム報道での失態により、TBSがワイドショーから撤退した事も相俟って、
> 社会問題から芸能情報まで幅広い題材を扱う「情報番組」へと、ワイドショーはその姿を変えていき、
> テレビ局の予算削減に伴う、生放送番組の増加により、情報番組の放送枠は拡大の一途を辿りました。
> 解りやすく言えば、ここ十数年くらいの間に、
> ニュース番組とワイドショーの中間に位置する「情報番組」が急速に増えた事で、
> 報道番組と情報番組の違いを意識しないと、「ニュースのワイドショー化」した印象を受けたかと?
> 物凄く解りやすい言い方をすれば、「ワイドショーもニュースを扱う」ようになった為、
> そうした番組では、当然ながら「ニュースがワイドショー化」する訳であり、
> 特に政治(政局)ニュースに関して言うと、その端緒となったのは、「2001年の自民党総裁選」でした。
>
> それこそ、それまでの総裁選というのは、従来のニュース番組しか扱いませんでしたし、
> 立候補した政治家たちも、当たり前のようにニュース番組にしか出ませんでした。
> 言ってしまうと、いくらニュースステーションが間口を広げたとは言っても、
> やはり政治ニュースに関心を持つのは、未だに中年サラリーマン層が主であり、
> そして、当時の政治力学では「橋本龍太郎の返り咲き」が既定路線と見られてたんです。
> しかし、今までは自民党内の変わり者に過ぎ無かった小泉純一郎が、
> 国民(特に主婦層や高齢層)に人気の高かった田中真紀子とタッグを組み、
> 街頭演説やテレビ出演を繰り返して、総裁選の投票権のない一般市民の支持を集めていき、
> 「小泉を総理に!」という世論を、急速に盛り上げていったんですよ。
> そこからですよね、ワイドショーも政治ニュースを扱い、政治家もワイドショーに出るようになったのは。
> 小泉&真紀子コンビは、それこそワイドショー視聴者層にぴったりハマりましたし、
> 彼らだって選挙で同じく1票を持ってますが、それまでは未開拓な票田だったとも言えます。
>
> そういう意味では、政治家の側だって「ニュースのワイドショー化」を促した訳で、
> そして何より、ワイドショー視聴者がニュースを見るようになったからこそ、
> 「ニュースがワイドショー化した」とも言えるんですよね。
> 基本的にテレビ番組というのは、視聴者のニーズに応えるべく、放送内容が変わるのですから。
> しかも現在は、バラエティー番組までもが、政治ニュースを扱うようになり、
> ニュースに触れる機会が増えたという点では、昔より増えた状況ですけど、
> ニュースを扱う番組の質に関して言うと、昔より落ちたのは紛れもない事実でしょうね。
>
> これはどんな分野でもそうですが、一部のコア層しか関心を持たなかったモノが、
> ライト層にまでニーズを広げていくと、影響力は強まる反面、どうしたって質は落ちていくんです。
> つまり、安易に「マスゴミ!」と叫ぶ視聴者こそが、ニュースの質を落としてる張本人であると(苦笑)。
> また、ニュース番組は「権力の監視者」意識が強い事もあり、
> どんな大物政治家が出演しても、相手の嫌がる厳しい質問をブツけたりしますが、
> テレビ局内でのヒエラルキーが低い、ワイドショーやバラエティー番組だと、
> 大物政治家が出てくれるだけで、かなりの持ち上げようになりますし、
> 政治家本人は勿論、その支持者たちも、ニュース番組に出るより気持ち良い空間でしょうね。
> 逆に言えば、だからこそ、「それに比べて、ニュース番組はけしからん!」となりがちな気がします。
>
> > 私が生まれたころには既にああだったので、昔からそんなものだと思っていましたが、
> > 昔はもっとテレビも真面目だったんですね。

> もう少し正確に言うと、「住み分けられてた」って感じですかね?
> 新聞で言えば、一般紙(高級紙)と夕刊紙(大衆紙)の読者が、住み分けられてたように、
> ニュース番組は、今よりも お堅かった反面、
> バラエティー番組やワイドショー番組は、今より遥かに下品だったので(笑)。
> そういう意味では、現在のテレビ番組って、
> バラエティー番組やワイドショー番組は上品になった一方で、当然ツマらなくなり、
> ニュースの扱いに関しては、報道番組はまだしも、情報番組は行き過ぎた部分が目に付くと。
>
> 時代的に言うと、2000年を過ぎた辺りから、徐々にそうした傾向が強まっていき、
> 今から10年ほど前、大震災が落ち着いてきた辺りから、完全にそうなった感じかな?
> なので、今のようになったのは、精々「ここ10年くらい」の話ですね。
> そして、それは丁度、安倍政権の返り咲きとピタリと合うのですが、
> これは別に、安倍政権が世間をそうした風潮にしたというよりは、
> 世間の風潮がそうなったから、安倍政権が長続きした面の方が強いかも知れません。
> (もちろん、両者が相乗効果となって、そうした傾向を促進させた部分も否めませんけど)


ああ、そんな感じだったんですね。
そういえば、昔岡田斗司夫が
「報道番組と言っても、テレビ局内部では真剣な報道番組と、視聴率追いかけ番組に分かれていて、
視聴率対策ではなく、本当に重要だと思うことを伝えなければいけない、みたいなスタッフの意識も、その番組がどっちなのかにより全然違う」
みたいなことを言っていたのを思い出しました。

> > > それと、「自信がない」と言うよりは、「諦め」の感情という方が、より適当な気がするんです。
> > > 厳密に言えば、「自信がない」と「諦め」はイコールでは無いのですが、
> > > チャレンジのコスパが悪い今の時代にあっては、実質イコールとなっているでしょうし、
> > > 目に見える格差じゃないからこそ、諦めてる自覚すら乏しいように思えるんですよ。
> > > 簡単に言えば、始めから「そういうモノだ」と受け入れていて、それ自体を疑わないと言うか・・・・

> > ああ、諦めというのはありそうですね。
> > それこそ、低い位置であっても"まあまあ"な娯楽がある分、努力してまで手に入れたいとか、思わなくなりがちですし。

> あと言うと、「努力して得られるモノ」の質というのが、明らかに下がった部分もあります。
> 言うなれば、最低点は上がったけど、最高点は下がったとでも言えば良いのか、
> そうした両面を含めての「挑戦や努力のコスパが悪い時代」って意味ですね。
>
> 例えば、解りやすい例でゲームの話をすると、
> 一昔前に比べれば、無料で遊べるゲームの質って、物凄く上がったと思うんですよ。
> ですが一方で、実際に6000円とか8000円とかカネを払って買うゲームの質は、
> 遊んでて味わえるワクワク感などは、昔の方が遥かに大きかった気がするんです。
> (グラフィック面などは格段に向上していますけど、そこが楽しさの本質では無いので)
> そうなれば、「無料ゲームで充分」となる気持ちも理解できますが、
> かと言って、昔の若者ほどゲーム自体を楽しめて(興奮・熱狂できて)いるか?となると・・・・


本当に好きなら金を出してるはず、というのは分かりますね。
無料だから遊ぶゲームは、所詮その程度しか好きでないと。
ソシャゲの課金というのは、ある意味ガチ勢からライト層までを抱合する上手い仕組みだなとは思います。

> > > では、団塊Jr.世代が適齢期を迎えた2000年頃、
> > > 「第3次ベビーブーム」が起こらなかったのは、何故なのでしょう?
> > > https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/img/zh1-1-03.gif
> > > 出生率や婚姻率が同程度に推移しても、絶対的な人口数は多いのですから、
> > > 出生数における、それなりの山は出来て然るべきなのに、それが全く現れていないんです。
> > > その理由を、旧トルコ担当さん的には、どのように お考えですか?

> > 私の意見も特別なものではなく、ごく普通の「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」という辺りだと思っています。
> > 消えた第3次ベビーブームから既に約30年ですし、「なぜかられ彼女らが結婚を選択しなかったのか?」はインタビューなどできる内容ですので、
> > 世間や学問の世界であまりに的外れな論が展開されていれば、当事者たちからそれは違うだろとなるはずであり、
> > よって今の世間一般の主流の考えが正解だと思っています。

> ですから、バブル崩壊に伴う平成不況により生じた「就職氷河期」が、団塊ジュニア世代を直撃し、
> 安定した職を得らず、結婚や出産に踏み切れなかった人たちを大量に生み出した事こそが、
> その「世間一般の主流の考え」であり、それを「正解」だと旧トルコ担当さんが思われるのなら、
> 旧トルコ担当さんの「必ずしも経済は主要因ではない」という意見とは、明らかに矛盾してませんか!?


あっそうなんですか?
ちょっとネットで調べてみたところ、「若者の恋愛離れ」という言説がいつ始まったのかは確認できませんでしたが、(やはりネットにはロクな情報が載ってない)
「草食男子」はどうも06年〜09年ごろに流行した言葉らしく、
確かに団塊ジュニア世代とはズレてますね。(06年で団塊世代は30代半ばごろ、30代半ばは若者とはあまり呼びませんし)

私は現在大学生なので、どうしても自身が物心つく以前のことは時代感覚が曖昧で、1990年代〜2010年くらいまでを全部同じ感じで認識している節がありますし、
テレビ番組などでも、"現在"の出生率低下についての話題になると、若者の恋愛離れの話が出てくるので、
てっきり世間の認識でも、第2次ベビーブーム世代=若者の恋愛離れなのだと思っていました。

> また、「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」との見解も、
> 団塊ジュニア世代は絶対的に人数が多いのですから、
> 結婚や出産が、なだらかに減少し続けただけであれば、低くなっても山は生じるはずで、
> 現実的に そうでない以上、団塊ジュニア世代の時だけ出産率が下がった理由を示す必要があります。
> と言いますか、団塊ジュニア世代が出産適齢期を迎えた頃に、
> 特殊出産率が底を打ち、そこからジワジワ回復傾向にあるのは、数値を見ても明らかな訳で、
> その点に関する説明というか、認識が、完全に欠けていたのでは?


私の知っている限られた情報から判断すれば、やはり「団塊ジュニア世代の恋愛に対する理想の高さ」という要因はあると思うんですよね。
簡単に言えば、バブルを知っているかどうか?ということです。
例えば少女小説の歴史でいえば、80年代後半は少女小説の大ブーム期であり、
ティーンズハート文庫が中心となって、読みやすい文体(国語の先生からすれば眉唾な文体で)多くの読者を獲得し、
それまでクラスのおとなしい子が読んでいる、みたいなイメージであった少女小説が、クラスのメインカルチャーになって、女の子同士のコミュニケーションの道具になった時代です。
で、そうした少女小説が題材にしていたのは、ほぼ異性恋愛でした。
それがバブル崩壊に遭い、期待していたものが裏切られれば、そりゃあ世の中を恨むし、結婚だって妥協できないだろうなあと。
なんせ一番多感な中高生時代にバブルのあの雰囲気を見せられてしまったわけですから。
その辺は、諦めることに慣れてしまった私の世代と、ジェネレーションギャップを非常に感じますし、
私の世代の方がもっと悪化した日本を押し付けられて損をさせられてるのかもしれませんが、やはり団塊ジュニア世代ほど世の中を恨む気持ちというのは少ないと思うんですよね。
(ちなみに少女小説は90年代に入ると、BLが一部入ってきます。団塊ジュニア世代よりも、中高生のころからBLを読んでる90年代女子中高生の方が、大人になった時には妥協結婚をしやすそう)

> > > > それは本音と建前の使い分けというより、単純に共感性が強く、敗者のいない横並び一線を求めてることだと思います。
> > > > もちろん仲間外れになるのも嫌だけど、仲間外れも作りたくないというか、敗者がかわいそうだから、
> > > > というのが平等が50%の要因ではないでしょうか?

> > > ぶっちゃけた話、「本音と建前」すら無自覚なのが、今の世代の特徴なのでは?
> > > 「敗者が可哀想」というのも、当人さえ本気でそう思い込んでるだけで、
> > > 「可哀想な敗者を見るのが辛い」という、自分視点からの意見と感じるんです、実際には。

> > 「可哀想な敗者を見るのが辛い」だけ、というのはまさしくそうだと思います。
> > 私としては、割とそういう感覚が当たり前だと思っていたのですが、割と最近の個人主義的な感覚なんですかね。

> う〜ん、私としては、そう感じてますね。
> ここ10年20年で、良くも悪くも、日本のムラ社会的な価値観は薄れてきましたが、
> (ムラ社会は戦前まで続き、戦後は会社がムラの代替として機能するも、バブル崩壊に伴い瓦解)
> 「自助・互助・共助・公助」とある中で、互助を担ってきた「ムラ」構造が消滅した事で、
> 「自助」の占める割合が、物凄く高くなった実感はありますね。
>
> 今の日本社会には、キリスト教やイスラム教の社会が担う「共助」の部分が欠けていますし、
> (と言うか、明治維新により、多少なりとも寺社が担っていた部分が失われた側面も)
> 北欧諸国のように、高福祉&高負担な「公助」の国でも無いですから、その部分も弱い。
> だから結局、自助への負担が大きくなり、それでは支えきれない為に、
> 「集団主義の希薄化」に伴う、「個人主義の弊害」として映るのだと思います。
> 要するに、昨今の日本では個人主義が強まったというのは、一面では事実なのですが、
> それ以上に大きいのは、集団主義が薄まった事で、個人主義の割合が相対的に高まった方が大きいかな?
> でもまあ、相対的にせよ、絶対的にせよ、「個人主義的になった」のは事実でしょうね。
>
> で、「日本は集団主義、欧米は個人主義」だと言うと、
> 昨今では、「それはステレオ・タイプなイメージ過ぎる」と言われますが、
> でも結局、大前提として集団主義があるからこそ、その中においての個人主義的な心理が働き、
> 大前提として個人主義があるからこそ、その中においての集団主義的な心理が働くモノだと思うんです。
> そして、欧米や中東は個人主義が大前提だからこそ、その安全装置としての「教会」の機能であったり、
> 個人主義でも社会として機能させる為の「教義」があり、なので「宗教は絶対的な存在」なのですが、
> 日本の場合、集団主義な「ムラ社会」が、教会や教義の面を担っていたからこそ、
> いわゆる「無宗教」でも上手く回ってきたと。
> (逆説的に言えば、だから海外で「自分は無宗教だ」と言うと、危険視される訳です)
>
> もっと言うと、伝統的な「互助」のシステムというのは、別に日本だけに限らず、
> それぞれ形式は異なっても、東アジアでは結構普通に見られた社会構造なんですよね。
> 例えば中国なども、幇や朋といった横の繋がりが、安全装置として機能していた訳ですが、
> 近代化の波により、西洋的な価値観が広がる事で、従来の互助的な仕組みが壊れる一方、
> 西洋社会のように宗教による共助の仕組みが無く、共産主義による公助も失われつつある。
> その為、現在の中国では、世界的な新自由主義経済の潮流とも相俟って、
> 「個人主義の台頭」が非常に悪目立ちしている訳ですが、
> これも別に、中国人の中で急速に、個人主義的な意識が高まったと言うよりは、
> それ以外の部分が急速に薄まった事で、消去法的に残された個人主義が、目立つだけな気がするんです。
>
> そう考えると、日本も含め、今後の東アジア社会というのは、何かと苦労するかも知れません。
> ムラ社会の互助であれ、教会による共助であれ、掟や教義などによって、
> 理屈や感情ではなく、当然の感覚として「手を差し伸べる」という自動ルーチンが失われると、
> 強い思想・信念から「手を差し伸べるべき」とでも、ならない限りは、
> 「可哀想」と思った時に、「だから助ける」と「だから遠ざける」の差が薄くなりがちなんですよね。
> もちろん、助けないよりは助けた方が、当人的にも満足感が違うのですが、
> その為に要するコストまで考えた場合、結局、自分が心理的に楽になりたいだけなら、
> 大きなコストを掛けてませ助けるなら、小さなコストで遠ざける方が、メリットになる場合も多いので。
> 逆に言うと、掟や教義という「縛り」が存在する場合、助けない事によるデメリットが生じるようになると。


本当かどうか知りませんけど、欧米には存在する寄付の文化が日本には存在しないという話は聞きますし、
欧米の方がもともと個人主義的であり、かつ先に近代化しムラ社会が無くなった分、そうした状況へ対応するための社会的基盤がより分厚いというのはありそうですね。

> ちなみに、「自己責任論」に関しても少し述べておくと、その端緒となったのは、
> 郵政選挙に先立つ事 1年前、イラクで日本人3人が人質として誘拐された事件の発生でした。
> この一件が、小泉政権の強行した「イラクへの自衛隊派遣」にまで飛び火する事を恐れた為、
> 「イラクへ渡航した彼らが悪い(=政府に責任はない)」とする「自己責任論」を展開し、
> メディア世論に批判的だったネット世論を巻き込む形で、自己責任論が拡大していったんですよね。
> しかも当時は、小泉政権による「小さな政府&企業の規制緩和」の政策方針から、
> 民間でも、「コンプラ重視」という名の「責任回避(下への責任押し付け)」が始まった頃ですし、
> まあ正直な所、危険なイラクまで出向きボランティア活動をするのは、意識の高い左系な人たちであり、
> 被害者家族の政府批判も相俟って、右傾化しつつあったネット世論は、政府擁護&人質非難の論調でした。
> と言いますか、自民党のIPアドレスから、政府擁護&人質非難の書き込みが、大量投稿されてた記憶が・・・・
> ネット活動(工作?)という点では先進的だった一方、まだまだ稚拙でもあった時代です(苦笑)。


ああ、自己責任論はそんな感じだったんですね。

> > > > 例えば同じアニメを見ても、私が面白かったな、で終わるだけのところを、
> > > > 「こうこうこうで、めちゃ面白かった」とか感想言っている人を見ると、アニメを楽しめる感性と言いますか、
> > > > 何かに熱中してハマって楽しめる才能の差みたいなものを如実に感じさせられます。
> > > > そういう意味で、腐女子の人たちは毎日が楽しそうで羨ましいですし、私にももっとアニメを楽しむ才能があれば、
> > > > 人生もっとナノしいのになあ、と思うんですよね。

> > > いや〜、それは「才能の差」と言うよりも、「経験の差」と言いますか、
> > > より噛み砕いて言うと、「努力(費やした時間や労力)の差」だと思うんですよねえ・・・・
> > > デジタル・ネイティブな世代というのは、どうも手軽に答えを得たがると言うか、
> > > 探せば何処かに正解があり、それが見つかれば簡単に自分も出来るようになると、考えがちな感じがして、
> > > 前回、近年の若者層の特徴の1つに「マニュアル依存」を挙げたのも、
> > > 一昔前までのマニュアル依存とは また違って、コピペで それっぽく取り繕うのに慣れているというか、
> > > 能力を得る為に払うコスト(努力)を、軽視するというか、避けようとする傾向がある気がするんです。
> > > その結果、オタクには憧れるけど、努力するのは嫌なので、「推し」という結論に至ったのでは無いかと?
> > > (この事は確か、同著内でも指摘されてましたよね)

> > これに関しては、私は完全に否定的ですね。
> > 確かに、マニュアル依存というか、手っ取り早く、自分の頭で考えず、みたいな層が増えているというのも分かりますが、
> > 例えば腐女子の人たちが日々得ている、推しカプのキスを見て脳内麻薬がドバドバ出るのって、快楽としてはかなり上位に位置すると思いますし、
> > それは手っ取り早く快楽を得られるから選ばれているだけではないと思うんですよね。
> > おそらく「推し」というのも、同様なのではないでしょうか?
> > 私自身も、アニメのキャラで勝手に百合妄想とかしていると、その時の感覚は本当に人生で圧倒的に一番幸せを感じますし、
> > 毎日のようにそういった感覚が続く腐女子の人たちは、本当に人生の質が違うんだろうな、と思います。

> いや、ですから、そうした妄想力が豊かな腐女子の人たちというのも、
> 天賦の才なんて形で、何も努力せず、最初から豊かな妄想力を得ている訳では無く、
> 莫大な情熱を傾け、相応の時間なり労力を費やしたからこそ、それだけの妄想力を得ているのでは?
> 何事でも そうだと思いますけど、手っ取り早く、インスタントに、才能なんて開花しませんよ!!
>
> 最近、私は脳科学にハマっているので、少し専門的な話をすると(笑)、
> 「豊かな発想」をしようとする場合、まず必要となるのは、その材料となる豊富な情報量です。
> まともに材料が揃わなければ、大したモノは構築出来ませんし、細部も描けませんからねえ。
> そして、大量に得た情報は、それぞれを頭の中でグループ分けして、特徴に合わせて整理し、
> 何と何とが上手く繋がるかといった「学習(神経回路を強化・整理するヘブ則)」を重ねなければ、
> 新しい連想などは生まれず、つまりは「豊かな発想」も生じません。
> つまりは、「情報収集」と「学習」が何よりも必要ですから、弛まぬ努力は欠かせません!!
>
> また、最初から「人とは違うモノが見える」事を、「豊かな発想力」と表現するのであれば、
> 一見すると、それは「天才」と思えるかも知れませんし、そうした捉え方も可能ではあるでしょう。
> ですが、先天的に「人とは違うモノが見える」と言うのは、
> 「多くの人が普通に見えてるモノが見えない」事と同義である為、
> 言い方を換えると、良く言えば「個性」ですけど、悪く言えば「病気」や「障害」となります。
> 正直な所、著名な芸術家の中には、こうしたタイプの人物も確かに居るのですが、
> そうした人って、プライベートな面で多くのトラブルを起こし、その当人も苦労していたりするので、
> 恐らくは、旧トルコ担当さんが求めているモノとは、違いますよねえ?
>
> そうなると結局は、「普通の見え方も出来て、異なる見え方も出来る」となると、
> それだけの多くの経験を重ねる事が必要となり、
> その為には、多くの時間や労力を費やして、学習や情報収集を努力する形となります。
> そして、対象となる事が好きであるほど、努力を苦痛と感じる程度は落ちていきますが、
> どんな創作活動であれ、レベルが上がるほど、それを生み出す苦悩は比例して増していく為、
> 凄ければ凄い人であるほど、そうそう簡単に成果を得ている訳では無いはずですよ。
> 「幸せ」という観点から言えば、その絶対量は、上のレベルに行くほど高いかも知れませんけど、
> 苦痛や苦悩も含めた「相対量の幸せ」で測ると、平均より少し上と言う「中の上」レベルが一番かも?
>
> 「上の下」まで行くと、上の世界を覗けるメリットがある反面、
> 上位グループ内における劣等感に苛まれるデメリットも生じかねませんし、
> 上に行けば行くほど 幸せか?となると、必ずしも そうとは言い切れないと・・・・
> ちょっと話は違いますが、年収と幸福度の関係性を見ても、
> 億万長者であるからと言って、幸せであるとは限らず、
> 結局は年収1000万円くらいが、最も幸せな人たちが多いみたいな感じに似ているかも?
> そう思うと、例えばオタ活動で言えば、下手に同人誌を創作する側に回らず、
> コミケで心置きなく蒐集に勤しめるレベルくらいが、最も幸せを感じられるかも知れませんね(笑)。
> もちろん、創作活動でしか得られないコアな充実感もあるでしょうし、
> 無料で多少のアニメやゲームを嗜むライトさでも、それなりの満足感は得られるでしょうけども。


(1)なるほど、腐女子の人たちも積み上げがあるのか
(2)いや、そうやって積み上げられるのも才能であり、腐女子の人たちも楽しいから積み上げを行ってきたわけで、積み上げができない時点で才能の差だよ
の両方とも思いましたね。

あとはまあ、題材というのは重要なのかなと。
それこそ、腐女子的な発想の原点はクラスメイトの男子だと思いますし、
キモイかもしれませんが、私もほんのちょっとだけBLが分かるようになってからは、クラスメイトの男子でカップリングもしてました。
そういう意味で、やはり学生というのはオタク妄想力を伸ばすという意味でも、特権的な環境だったなと。

> > ちなみに、管理人さんのイメージしている「努力(費やした時間や労力)の差」による
> > 「アニメを楽しめるかどうか」って具体的にどういったイメージですか?

> う〜ん、例えば、同じ作品の視聴を何周もする事により、
> 初見時には気付かなかった描写や設定など、作品の細部に知れる事もあるでしょうし、
> 同じ作家の作品や、同じ分野の作品を、網羅的に視聴する事によって、
> その作家や分野に関して、体系的な見方が出来るようになる事もあるでしょうね。
>
> でもまあ、それらの行為って、余程好きでも無ければ単なる苦行でしょうし、
> コアなオタクであっても、常に楽しんでいるとは限らず、
> 時には、使命感や義務感で行う事もあるかと思います。
> ですが、それを乗り越えた先には、満足感や知見を得られる事が想像できる為、頑張れると。
>
> ある意味では、受験勉強とも、通ずる部分はあるでしょうね。
> 偏差値が30や40の段階であれば、少し努力するだけで、10くらいは簡単に上がるでしょうけど、
> 偏差値も60を超えると、かなり努力しても、1や2くらい上げるのに苦労するようになり、
> それでも、更に頑張る事によって、トップの大学を狙う事が可能となりますし、
> 逆に言うと、そこそこの努力で、それなりに名の通った大学に受かる方が、コスパは良いかも知れません。
>
> これはもう結局、個々人の理想や価値観の話かと思いますけど、
> 私の考えで言うと、オタク的に楽しめる層って、受験で言えばエリート層に相当するので(笑)、
> 知識の量が多く、感性が豊かなほど、同じ名画や歴史名所などを見ても、より深く楽しめるのと同様、
> アニメの視聴に関しても、事前学習による知識と感性が高ければ、それだけ楽しみの幅が増えるのでは?
> それこそ、前出の「カノッサの屈辱」にしても、歴史風味のパロディー番組として、
> 世界史の知識があった方が、それが無いよりも、確実に1つ上のレベルで楽しめるはずですし、
> 「このシーンは、あの作品のオマージュだな」とか読み解れば、アニメの視聴も同じ感じになるはずで、
> 腐女子的な「豊かな妄想力」とかも、こうした「深読み」や「邪推」から派生するモノな気がします(笑)。


私も好きなマンガ・ラノベに関しては、登場人物の関係図+出来事の因果関係を描いた図を作ったりしており、やはりかなりいろいろ気づけて楽しいです。
ですので、そういうのは把握したうえでの、「腐女子だったらもっと人生楽しいのになあ」でした。
それこそ、SNSでつながっている現在、その人のツイート頻度にもよりますが、ある程度私生活は把握済みというか(さすがに大げさ)、
その人が好きなアニメに対してどんなこと考えて、裏でどんなことしてるかも、ある程度分かってしまうんですよね(本人が自分でツイートするので)。
そうした割と裏側まで見えてしまった上での、「腐女子だったら」なんですよね。

> でもまあ、自分から「楽しい」を作ってる側にしても、
> 苦しんだり、辛かったりするかは別として、相応の苦労や努力はしているはずで、
> その部分を感じ取らずに、安易に羨んだり、嫉妬したりするのは、ちょっと違うかな?という気も。
> それこそプロの野球選手やサッカー選手だって、好きな事でメシを食えてるのは憧れますけど、
> あれが、どれほど高いレベルで、どれほどの頑張りや競争の結晶であるかを解っているか否かで、
> その見方だって大きく異なってくるでしょうし、小学生のように安直な思考には戻れないかな。
> 「スポーツ推薦で名門大学に入るのはズルい」なんて意見も、
> スポーツでそのレベル目指すくらいなら、勉強で入る方が遥かに楽な事が解っていれば、
> そう簡単には、そんな考えにも至らないとは思うんですよね(苦笑)。
> 大学への貢献度で言っても、スポーツ選手を上回る一般学生なんて、ほぼ皆無でしょうし。


その人の人生の一部だけを垣間見て羨んでいるわけではなく、ある程度まで見えてしまうのが、インターネットの悲劇だと。
この人毎日楽しそうだな、の毎日は、SNSの場合、本当に"毎日"を見て、楽しそうだなと思っている場合もあると。
まあ実際は、毎日が楽しそうな人より、「こいついっつも後ろ向きなことばっかり考えてんな」とか「こいつ毎日韓国人の悪口言ってるな」という方が見えてしまいがちですがw


[24032] 団塊ジュニア世代とバブル崩壊返信 削除
2022/9/28 (水) 21:56:57 徳翁導誉

> > > ファスト化は情報収集の一環ではないですね。
> > > ファスト化とか、タイパ意識っていうのは、俯瞰するとそういった言葉になるのですが、
> > > それらの行為を個人の感覚としては「待てない」というだけだと思うんですよね。
> > > この映画が、いつ面白くなるのか。面白いシーンまで待てないし、つまらないシーンは飛ばすし、
> > > 2時間の映画を飛ばし飛ばしで見てしまったとしても、サブスクなので他に映画はいくらでもあるというだけだと思います。

> > それって既に、サブスクの弊害にハマってる人の見方なのでは!?(笑)
> > 本来なら、定額で多くの作品を見られるというメリットが、
> > 多くの作品を見ないと損した気分になったり、損しないよう作品視聴をこなす事が目的化すると、
> > それはもう、作品数が多いというメリットが、デメリットに転じてしまってる気がするんです。

> サブスクの弊害というよりは、YouTubeやInstagramなど、それら含めたインターネットの影響では?
> YouTubeにはほぼ無限の動画が存在しますし、サブスクよりもYouTubeの方が影響は明らかに大きいでしょうからね。
> 最近Instagramを初めて使ってみたのですが、あのアプリの時間感覚には驚かされました。
> YouTubeもショート動画に力を入れてるみたいですし。

う〜ん、YouTubeやインスタ、TikTokなどの「短時間な動画」の隆盛に関しては、
ファスト化と言うよりも、「ショート化」と言った方が適当かも?
「ファスト化」と言うのは、ファスト・フードやファスト・ファッションなどもそうですが、
「手軽で速い」というだけでなく、そこには「経済性(新自由主義的な価値観)」も含まれる為、
定額料金を支払うサブスクであったり、本来なら入場料を払うべき映画などは、そこに該当しても、
基本無料なネット投稿動画に関しては、単に動画の時間が「短い」ってだけの話だと思うので。

とは言え、ファスト化とか、ショートかと言った、用語の違いを抜きにするなら、
昨今の若者たちが、「2時間の映画作品は長い」と感じるのは、確かにそうでしょうし、
もっと言えば、大人だって、今の時短文化に浸っていると、同様に感じる人も珍しくないかと?
映画どころか音楽でさえ、イントロ部分を冗長的と感じて、
いきなりサビ部分を求める傾向が、年々強まっているのは実感しています。
まあ、それはそれで、無駄なく「美味しい所を食べたい」という気持ちは解るのですが、
一方で、フリや前振りに懸ける為、「美味しさの最大値」は下がる一方でもあるんですよね。
その落ちた最大値の分を、果たして量で補えるのか?となると・・・そこは個々の趣向次第なのかな。
少なくとも私は、10本の良作よりは、1本の傑作の方に、作品価値の重みを置いてる所はあります。

> > いや、でも別に、楽しみ方というのは、人それぞれに様々ありますし、
> > 量をこなす事で得られる満足感というのも、決して解らなくは無いんですよ。
> > 尚の事、倍速やスキップでの視聴の方が楽と意見があっても、そこまで驚きはありません。
> > ですけど、少なくとも私自身が映画やアニメを視聴するのは、そうした目的の為では無いですからねえ。
> > (これに関しては、アニメや映画は倍速視聴しない旧トルコ担当さんも、恐らく同様なのでは?)

> スキップ視聴するくらいなら、見ない方がマシというのは同意見ですね。

あとは、個々人の視聴スタイルの違いというのも、あるでしょうね。
例えば、何か気に入るアニメ作品と出会った後に、
それと似た感じの作品を、次々と見たいというタイプの方も居るじゃないですか?

似た作品同士だと、ストーリーや世界観などは「テンプレ化」や「記号化」しがちなので、
設定の違いや、気に入るシーンさえ押さえてさえしまえば、
あとは早送りという感覚も、まあ解らなくも無いんですよね・・・・
恐らく、そういう方のアニメ視聴って、「喜怒哀楽」で言う所の
「喜(ワクワク感)」では無く、「楽(やすらぎ)」の方を求めているのでしょうし。
とは言え、私自身が「楽」を味わいたい際には、ゆっくり時間を掛けたい方かな?

> > 解りやすく言えば、ここ十数年くらいの間に、
> > ニュース番組とワイドショーの中間に位置する「情報番組」が急速に増えた事で、
> > 報道番組と情報番組の違いを意識しないと、「ニュースのワイドショー化」した印象を受けたかと?
> > 物凄く解りやすい言い方をすれば、「ワイドショーもニュースを扱う」ようになった為、
> > そうした番組では、当然ながら「ニュースがワイドショー化」する訳であり、
> > > 私が生まれたころには既にああだったので、昔からそんなものだと思っていましたが、
> > > 昔はもっとテレビも真面目だったんですね。

> > もう少し正確に言うと、「住み分けられてた」って感じですかね?
> > 新聞で言えば、一般紙(高級紙)と夕刊紙(大衆紙)の読者が、住み分けられてたように、
> > ニュース番組は、今よりも お堅かった反面、
> > バラエティー番組やワイドショー番組は、今より遥かに下品だったので(笑)。
> > そういう意味では、現在のテレビ番組って、
> > バラエティー番組やワイドショー番組は上品になった一方で、当然ツマらなくなり、
> > ニュースの扱いに関しては、報道番組はまだしも、情報番組は行き過ぎた部分が目に付くと。

> ああ、そんな感じだったんですね。
> そういえば、昔岡田斗司夫が
> 「報道番組と言っても、テレビ局内部では真剣な報道番組と、視聴率追いかけ番組に分かれていて、
> 視聴率対策ではなく、本当に重要だと思うことを伝えなければいけない、みたいなスタッフの意識も、その番組がどっちなのかにより全然違う」
> みたいなことを言っていたのを思い出しました。

ここで言われている「真剣な報道番組」というのが、いわゆる「報道番組」の事で、
「視聴率追いかけ番組」の方が、ワイドショーから発展した「情報番組」の事なのでしょうね。
まあ一般的に、芸能人がコメンテイターを務めるのが、
情報番組(旧ワイドショー系)だという、解りやすい指標もありますけど、
近年では、日本テレビを中心に、ジャニーズを起用するニュース番組が現れているので、
そういう意味では、「ニュース番組のワイドショー化」も、確かに進んでいるのかな?
(ニュース番組に縁遠い、女性視聴者層を少しでも増やしたい意図なのは解りますが)

> > 例えば、解りやすい例でゲームの話をすると、
> > 一昔前に比べれば、無料で遊べるゲームの質って、物凄く上がったと思うんですよ。
> > ですが一方で、実際に6000円とか8000円とかカネを払って買うゲームの質は、
> > 遊んでて味わえるワクワク感などは、昔の方が遥かに大きかった気がするんです。
> > (グラフィック面などは格段に向上していますけど、そこが楽しさの本質では無いので)

> 本当に好きなら金を出してるはず、というのは分かりますね。
> 無料だから遊ぶゲームは、所詮その程度しか好きでないと。
> ソシャゲの課金というのは、ある意味ガチ勢からライト層までを抱合する上手い仕組みだなとは思います。

ただ課金というのは、ゲーム自体の面白さ(先払いなので実際は期待値)にカネを払う以上に、
射幸心や競争心、蒐集欲などを刺激されて、次から次にカネを投じてる側面の方が強いですからね。
とは言え、苦労して人気作の続編を作るよりも、
人気作を課金ゲー化する方が、ビジネス的には遥かに利益となる為、
余裕のない今の日本ゲーム業界の実状を思うと、そう無碍に批判ばかりも出来ませんし、
課金ゲーで上げた利益で、利益率の低い新作も出せるのであれば、出せないよりはマシかな?と。
「採算性や確実性よりも夢重視!」なんて冒険は、なかなか今では許されない状況でしょうから。

> > また、「その時代の若者が結婚や育児などを面倒に感じ始めた」との見解も、
> > 団塊ジュニア世代は絶対的に人数が多いのですから、
> > 結婚や出産が、なだらかに減少し続けただけであれば、低くなっても山は生じるはずで、
> > 現実的に そうでない以上、団塊ジュニア世代の時だけ出産率が下がった理由を示す必要があります。
> > と言いますか、団塊ジュニア世代が出産適齢期を迎えた頃に、
> > 特殊出産率が底を打ち、そこからジワジワ回復傾向にあるのは、数値を見ても明らかな訳で、
> > その点に関する説明というか、認識が、完全に欠けていたのでは?

> 私の知っている限られた情報から判断すれば、やはり「団塊ジュニア世代の恋愛に対する理想の高さ」という要因はあると思うんですよね。
> 簡単に言えば、バブルを知っているかどうか?ということです。
> 例えば少女小説の歴史でいえば、80年代後半は少女小説の大ブーム期であり、
> ティーンズハート文庫が中心となって、読みやすい文体(国語の先生からすれば眉唾な文体で)多くの読者を獲得し、
> それまでクラスのおとなしい子が読んでいる、みたいなイメージであった少女小説が、クラスのメインカルチャーになって、女の子同士のコミュニケーションの道具になった時代です。
> で、そうした少女小説が題材にしていたのは、ほぼ異性恋愛でした。

80〜90年代に、女性向けの「恋愛モノ」作品が大ブームとなったのは事実です。
まあそれは、解りやすく極端に言ってしまうと、
世の中の雰囲気が「男尊女卑」から「男女平等」へと移り変わっていく中で、
それまでは、男性視点で作られた作品(映画・音楽・テレビなど)が多かった所に、
女性を消費者ターゲットとした作品が、現れ始めたって事でもあるんですよね。
あの当時、オシャレで甘ったるい、少女マンガ的な恋愛劇を中心とした
数々の「トレンディー・ドラマ」がヒットしたのも、まさに時代の潮流を写す鏡でしたし、
逆に言うと、そうした若い女性向け作品に、嫌悪感を抱く男性層(特にオジサン)も多く居ました(笑)。

とは言え、だから「少女小説がメイン・カルチャー」だったかとなると、決して そうでは無いかと。
もちろん、それなりに売れてはいたでしょうし、その業界的には大きかったかも知れませんが、
バブル前後というのは、若者が多く、景気が良かったので、何でもかんでも馬鹿売れしてましたからねえ。
少女小説が「累計」で数千万部とかいう記録は、確かに今と比べると凄い数字だと思いますけど、
週刊少年ジャンプなんて、毎週600万部とか売れていましたし、
それこそ、月9を始めとした人気ドラマは、毎週 数千万人が観ていた時代なので、
クラス内の存在感なんて次元が違うというか、競うレベルでも無かったはずですよ!?

ハッキリ言うと、その時代を生きてなかったから仕方無いとは言え、
旧トルコ担当さんの場合、頼る情報源が偏っている印象を受ける上、
にも関わらず、断言・・・までは強くなくても、かなり決め付けてみていると言うか、
偏っている一部の情報源を、さも、それが「全て」であったかのように、誤解しがちな感じがします。
正直、「月9ドラマの存在を知らなかった」という時点で、相当にバランスを欠いていますし、
そうなるのは致し方ないにしても、せめて、もう少し謙虚と言うか、安易に「判断」しない方が適切かと?
ぶっちゃけ、「団塊ジュニア世代の恋愛に対する理想の高さ」という見解も、
「えっ!?何言ってるの? まるで解ってないのに、決め付け良くない!」って感じです(笑)。

ちなみに、「クラス内での存在感」という意味では、
恐らくは現在の「ラノベ」の方が、遥かに高いように思えますし、
その一方で、皆が皆、ラノベを読み、アニメを観てるか・・・となると、
市民権を得る程度には広がっていても、多数派と呼べる程では未だに無いのでは?
クラス内で、ラノベ好きやアニメ好きを見つけるのは、別に苦労しない時代かも知れませんけど、
だからと言って、クラスの大多数が、ラノベやアニメを楽しんでいるとも思えないので。
と言いますか、今は一昔前に比べると、「メイン」と呼べる存在が、現れ難くなっている気もしますし、
そういう意味では、メインの実体験が乏しいが故に、メインの存在感を想像し難い所はあるのかも?

> それがバブル崩壊に遭い、期待していたものが裏切られれば、そりゃあ世の中を恨むし、結婚だって妥協できないだろうなあと。
> なんせ一番多感な中高生時代にバブルのあの雰囲気を見せられてしまったわけですから。
> その辺は、諦めることに慣れてしまった私の世代と、ジェネレーションギャップを非常に感じますし、

とりあえず、旧トルコ担当さんは、
「アッシー君」「メッシー君」「ミツグ君」などの、当時の単語は御存知ですか?

クリスマス・イブの日には、まだ彼女は居なくても、
1年前から「赤プリ(赤坂プリンスホテル)」の部屋を予約して、
当日は、宿泊代・食事代・プレゼント代などで、15〜20万円の予算を投じるのが「相場」だとか、
そんなトチ狂った「バブル期の恋愛」の雰囲気を、カネも無い学生たちが、憧れて見てたとでも思ってません?
もちろん、中には憧れを抱く人たちだって居たでしょうけど、
結構な人たち(特に男性)は、絶望をもって見ていたような時代なんです・・・・
だからこそ、本命の彼氏にはなれないにしても、せめて女性に対して、
車で送り迎えしたり(アッシー)、ご飯を奢ったり(メッシー)、プレゼントを贈ったり(ミツグ)する事で、
疑似恋愛と言いますか、相手にとって都合の良い交友関係を結び、心を慰めていた時代です。
「理想が高いから、妥協が出来ない」世代という認識は、相当にズレていると思いますよ!!
もっと言うなら、想像力や思いやりが足りないとでも言えば良いのかな?(笑)

団塊ジュニア世代は、各世代においても格段に同世代の人数が多かった為、
受験競争は「地獄」と評される程に過酷を極め、そこから こぼれ落ちた層は荒れに荒れ、
苦労して大学生になっても、世の中の経済感覚がブッ壊れていて、恋愛すら出来ず、
ようやく自分たちも社会人になれると思ったら、今度は平成不況の煽りで就職氷河期を迎え、
新卒一括採用ルールの影響で、結婚も出来ず、子供も作れず、非正規で頑張ってた所に、
後からルールが変わるかのように、世間では「自己責任論」の嵐が吹き溢れて、負け犬扱いされ、
そして、リーマン・ショックや東日本大震災で、切り捨てられる中年となった世代なんですよ・・・・
もう少し言うと、こうしたシワ寄せを、後の世代に先送りするのではなく、
この世代に全て追わせて犠牲にする事で、後の世代は、多少なりともマシな扱いを得られた訳ですし、
(リーマン・ショック直撃世代や、コロナ直撃世代は、似たような感じになりましたが)
「自分たちの方が悲惨」みたいな捉え方は、正直、ちょっと違うのかな?というように感じました。

> 私の世代の方がもっと悪化した日本を押し付けられて損をさせられてるのかもしれませんが、
> やはり団塊ジュニア世代ほど世の中を恨む気持ちというのは少ないと思うんですよね。

日本全体が右肩下がりなので、若い人ほど割を食ってるイメージかも知れませんが、
「世代」という括りで見ると、そう単純な下降直線でも無いんですよ。
新卒一括採用の日本社会において、どの世代が割を食わされたか?は、
大学生の就職率の推移↓を見ると、そこそこ掴めるかと思います。
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/fuwaraizo/00183016/image02.gif
新卒一括採用と終身雇用が合わさると、就活時の景気次第で、
その世代の人たちの一生が左右される「運ゲー」社会なんですよね、実は日本のシステムって。

あと、団塊ジュニア世代を犠牲にした結果、
団塊世代の雇用は守られ、その後の世代の就職率も数字上は持ち直しましたが、
日本の人口減少のスピードは、明らかに増してしまいましたし、
彼らが高齢者になった時、物凄い負担となってしまうという、
将来における「大きな爆弾」を、作り上げてしまった面はあるんですよねえ・・・・
それを決めた政治家たちや、その恩恵を受けた団塊世代は、
もう この世に居ませんから、自分たちは無事に逃げ切れるとしても、
「今後の日本社会」の事を思うと、相当にヤバい置き土産を、先送りして残していった事になります。
この件に関しては、若い世代の人たちも、決して他人事では居られませんよ!!
団塊ジュニア世代は人数が多いという事は、それだけ票数も多いという事であり、
民主主義を続けていく限り、大票田となる彼らの存在を、今度は「切り捨てる」事など出来ませんから。

> > 今の日本社会には、キリスト教やイスラム教の社会が担う「共助」の部分が欠けていますし、
> > (と言うか、明治維新により、多少なりとも寺社が担っていた部分が失われた側面も)
> > 北欧諸国のように、高福祉&高負担な「公助」の国でも無いですから、その部分も弱い。
> > だから結局、自助への負担が大きくなり、それでは支えきれない為に、
> > 「集団主義の希薄化」に伴う、「個人主義の弊害」として映るのだと思います。

> 本当かどうか知りませんけど、欧米には存在する寄付の文化が日本には存在しないという話は聞きますし、
> 欧米の方がもともと個人主義的であり、かつ先に近代化しムラ社会が無くなった分、
> そうした状況へ対応するための社会的基盤がより分厚いというのはありそうですね。

そもそも聖書には「収入の1割を献納せよ(10分の1税)」と書かれてますし、
イスラム教における「喜捨(貧者への施し)」は、5つある義務の1つであり、
仏教にだって、「浄財(布教活動や庶民救済への寄付)」というモノがありますからねえ。
「宗教の教義とは、社会を安定させるモラルを説いている」のだと解せば、
宗教的な社会であるほど、寄付の文化が根付いている傾向は、確かにあるでしょうね。

逆に言うと、日本の現代社会というのは、明治維新と敗戦による2度の変革で、
社会生活における、そうした宗教の要素が、かなり抜け落ちた面は実際あるんですよ。
例えば、昨今の旧統一教会の話題に関しても、
世間一般的に、「非常に気持ちの悪い存在」として映っているのは、
彼らが行ってきた霊感商法の件だけでなく、宗教的なモノへの嫌悪感がある気はします。
戦後の日本社会における、「無宗教的な感覚」に伴う空気感とでも言いますか、
特に、戦前世代も多かった20世紀までと、ほぼ戦後世代となった21世紀とも、
「戦後の宗教観」という内容面では大差ないものの、その純度は明らかに増したかと。

> > > 私自身も、アニメのキャラで勝手に百合妄想とかしていると、その時の感覚は本当に人生で圧倒的に一番幸せを感じますし、
> > > 毎日のようにそういった感覚が続く腐女子の人たちは、本当に人生の質が違うんだろうな、と思います。

> > いや、ですから、そうした妄想力が豊かな腐女子の人たちというのも、
> > 天賦の才なんて形で、何も努力せず、最初から豊かな妄想力を得ている訳では無く、
> > 莫大な情熱を傾け、相応の時間なり労力を費やしたからこそ、それだけの妄想力を得ているのでは?
> > 何事でも そうだと思いますけど、手っ取り早く、インスタントに、才能なんて開花しませんよ!!

> (1)なるほど、腐女子の人たちも積み上げがあるのか
> (2)いや、そうやって積み上げられるのも才能であり、腐女子の人たちも楽しいから積み上げを行ってきたわけで、積み上げができない時点で才能の差だよ
> の両方とも思いましたね。

ぶっちゃけた話、産まれながらの「先天的な腐女子」って、どれくらい居るんでしょう?
基本的には、育っていく環境の中でジワジワと、「後天的に腐女子」になっていくのでは?(笑)

例えば、ピアノやバイオリンの演奏など、幼い頃から親などが習わせない限り、
大人になってから自発的に習おうと始めても、そうそう上手く弾けるものではありません。
では、こうした楽器の演奏が「才能」に拠るか?となると、
本当にトップ・レベルまで行けば、才能の差というモノは如実に存在するでしょうけど、
ある程度のレベルまでは、ほぼ「環境」で決まりますし、後はそれを如何に「努力」するかです。
楽しく練習を積んだにせよ、嫌々ながら練習を積んだにせよ(恐らく後者が多数派)、
今では、どんなに楽しそうに楽器を弾いていても、
そこまで楽器が弾けるまでには、相応の練習が必要な訳で、
他人が現状だけを見て、「才能だ」とか「楽しく積み上げた」と、簡単に言うのは違うかな?とも。

まあ、「自分では、どうしようも出来ないモノ」として、才能と環境は似ているかも知れませんが、
才能は先天的であり、環境は後天的である事を思えば、客観的に見た場合に、やはり別物でしょうし、
「努力できるのも才能」などという言葉も、「自分が出来る最大限の努力」を行った上で、
そうした事を言っている人って、私自身は見た事が無いんですよねえ・・・・
極限まで行けば、そうした部分もあるのでしょうが、
でも実際の所、「努力をしたくない為の言い訳」として用いられるのが、ほとんどな印象ですので。

それに、「空想力の豊かさ」なんていうのも、「空想が楽しかったから」という以前に、
様々な環境の要因により、「空想するしか無かった」りする事の方が多いので、
「積み上げられるのも才能」とか、「楽しいから積み上げてきた」などと、安易に考えるのも、
それはそれで、ちょっと違うのかな?という感じは、正直しますけどねえ・・・・
「空想の世界へ、ポジティブに飛び込んでるのか?」
「空想の世界へ、ネガティブに逃げ込んでいるのか?」
傍目には同じに見えても、当人の中では大きく違ったりしますし、
空想とリアルの境目が曖昧だった幼少期はまだしも、自我が確立した上で、
リアルが満たされた上で、空想力まで豊というのが、一体どれだけ可能なのかは???

これは「腐女子」の件にしても同じで、
確かに腐女子となった今は、そうした妄想を満喫しているかも知れませんけど、
そうなる以前の段階として、「腐女子となった過程」が必ず存在している訳であり、
そこまで含めて、本当に全てが「楽しい」モノだったんですかねえ?
その人の屈折度合いが増せば増すほど、腐女子としての腐りっぷりの魅力も高まる気がしますが、
「腐る」、つまりは、それだけ「屈折」するほどの何かが、そこにはあったはずで、
その世界ドップリ浸かり込むほどの何かもあったと考えると、
繰り返しになりますけど、才能だとか、楽しそうだとか、安易に言えなくなる気がするんですよ。

・・・って、そもそもの話、「羨ましい程の腐女子」のレベル設定が、
根本的に、私と旧トルコ担当さんとでは、大きく異なってる可能性もありますけどね(笑)。
私が羨望や嫉妬を抱くのは、世間的には「ヤバい」レベルの人たちですし、
どんな分野であれ、ガチ勢というのは、多かれ少なかれ「強迫観念」に突き動かされてる面がありますが、
ライトに楽しんでいる限りであれば、そうした「闇の側面」と無縁である事も充分ありますので。

> > > ちなみに、管理人さんのイメージしている「努力(費やした時間や労力)の差」による
> > > 「アニメを楽しめるかどうか」って具体的にどういったイメージですか?

> > う〜ん、例えば、同じ作品の視聴を何周もする事により、
> > 初見時には気付かなかった描写や設定など、作品の細部に知れる事もあるでしょうし、
> > 同じ作家の作品や、同じ分野の作品を、網羅的に視聴する事によって、
> > その作家や分野に関して、体系的な見方が出来るようになる事もあるでしょうね。
> > でもまあ、それらの行為って、余程好きでも無ければ単なる苦行でしょうし、
> > コアなオタクであっても、常に楽しんでいるとは限らず、
> > 時には、使命感や義務感で行う事もあるかと思います。
> > ですが、それを乗り越えた先には、満足感や知見を得られる事が想像できる為、頑張れると。

> 私も好きなマンガ・ラノベに関しては、登場人物の関係図+出来事の因果関係を描いた図を作ったりしており、やはりかなりいろいろ気づけて楽しいです。
> ですので、そういうのは把握したうえでの、「腐女子だったらもっと人生楽しいのになあ」でした。
> それこそ、SNSでつながっている現在、その人のツイート頻度にもよりますが、ある程度私生活は把握済みというか(さすがに大げさ)、
> その人が好きなアニメに対してどんなこと考えて、裏でどんなことしてるかも、ある程度分かってしまうんですよね(本人が自分でツイートするので)。
> そうした割と裏側まで見えてしまった上での、「腐女子だったら」なんですよね。

そもそも論として、オタクか否かの以前に、旧トルコ担当さんは「女子」じゃないですよねえ?(笑)
(このサイトの女性比率など皆無に近いと思っているので、そういう想定で語ってますけど)
「オタクである」とか、「腐っている」とか、そういう大きな要素が腐女子にはあるのですが、
それ以上の大前提として、その特徴は、土台や中核の部分を為す「女の子である」事に依拠しているです。
スイーツやファッションに熱を上げ、恋愛話や他女子の悪口に大盛り上がるように、
例えば、カップリングの妄想なんかも、その方向性は違えど、
それと同じ様な女子特有のノリであるのが、「腐女子」の世界だと思われますけど、
旧トルコ担当さんの「腐女子だったら」というのは、そこまで念頭に置いた上での発言なのでしょうか?

う〜ん、何と言いますか、女子には女子なりのメリットがありデメリットがあり、
男子には男子なりのメリットがありデメリットがあるモノですが、
男子側からは女子のメリットが、女子側からは男子のメリットがよく見えても、
男子側から女子のデメリットは、女子側から男子のデメリットはよく見えない事が多く、
「隣の芝生は青く見える」じゃないですけど、メリットとデメリットは表裏一体な所があるのに、
どうも実感が伴わない為か、ついつい「異性だったら」と、安易に捉えがちな面があると思うんです。
「割と裏側まで見えて」との事でしたが、本当に、ここまで見られての発言なのでしょうか?
SNS発信というのは、ある意味で究極の「表」なのですから、
表の発信を大量に浴びたとしても、それは裏側まで見た事とイコールではありません。

ちょっと話が解り難いかも知れませんけど、腐女子が「あのように楽しめる」のは、
彼女たちが多分に女子だからであり、性別の違いを越えて、「あのように楽しめたら」というのは、
上手く言えませんけど、「そこまでのコストを払うつもりがあるの?」という気持ちになります。
簡単に言えば、自分が男子のまま、女子のメリットを欲するのは、相応の苦労を要するでしょうし、
立場を逆にすれば、彼女たちだって、仮に男子のメリットを欲しても、なかなか難しいモノかと?
少なくとも、男子が要する労力以上のモノを、彼女たちは払わなければならないはずです。

> > でもまあ、自分から「楽しい」を作ってる側にしても、
> > 苦しんだり、辛かったりするかは別として、相応の苦労や努力はしているはずで、
> > その部分を感じ取らずに、安易に羨んだり、嫉妬したりするのは、ちょっと違うかな?という気も。

> その人の人生の一部だけを垣間見て羨んでいるわけではなく、ある程度まで見えてしまうのが、インターネットの悲劇だと。
> この人毎日楽しそうだな、の毎日は、SNSの場合、本当に"毎日"を見て、楽しそうだなと思っている場合もあると。
> まあ実際は、毎日が楽しそうな人より、「こいついっつも後ろ向きなことばっかり考えてんな」とか
> 「こいつ毎日韓国人の悪口言ってるな」という方が見えてしまいがちですがw

でも実際の所、「楽しいばかりの毎日」なんて、リアリティーがあります!?
まあ、世の中を探せば居るのかも知れませんけど、そんな人は圧倒的に少数派なはずで、
それって結局、SNSでは「楽しい」部分しか発信してないって事でしょうし、
発信のベクトル(方向性)が異なるだけで、後ろ向きや悪口ばかりの発信と、実は大差ないのかも?

とは言え、大きなリターンには、それ相応のコストを要するのは、そうとして、
「小さな幸せ」であれば、苦労は少なめで、コスパ良く得ている人たちも居るでしょうから、
満足度のラインが下がっている昨今なら尚更、そういう志向もアリかも知れませんね!
それこそ、前にも言いましたけど、現在って「努力や挑戦のコスパが悪い」時代ですし。

例えば、そろそろサッカーW杯の開幕が迫ってきましたけど、
毎回4年に1度、W杯の時だけ、サッカーに盛り上がる層は結構な数が居て、
ずっと追い続けてる立場からすれば、美味しい所を取るだけで、何だかズルく感じられるものの、
予選で味合わされた、キリキリやイライラした感情を抜きに、
単純に「楽しむ」だけに徹せられるのも、それはそれで「羨ましい」部分もあるのかな?(笑)。
でも逆に言えば、ずっと追い続ける方が、長い時間を掛けて、酸いも甘いも味わえる訳で、
そうした積み重ねの上でのW杯観戦は、その時だけの「摘み食い」で得られるモノとも違うでしょうし、
もっと言うと、小さな大会まで現地に駆け付けて応援するような、熱狂的なサポーターには、
また別の次元での、「羨ましさ」を感じる部分もあるんですよね!!
コアなファンに対しては、その羨ましさの中に、憧れや嫉妬が混じりますけど、
にわかファンに対しては、そういった感情は混じらず、ただ単に「楽しそう」と感じるだけかな。
要するに、コア層にも、ライト層にも、「人生を満喫してる感」は同じく感じても、
その中身というのが、正反対というか、まるで異なるモノだろうな・・・という事です。


[24047] 私から見る80,90年代返信 削除
2022/10/13 (木) 03:33:02 旧トルコ担当


納得いくまで書き直していると、いつまでたっても投稿できないので、書けたところだけ投稿します。


管理人さんの話を聞いていると、80,90年代というのはすごくパワフルな時代だったんですねぇ、としか思えないです。
80年代に学校が荒れたのは、地獄の受験戦争をドロップアウトした組が、ある種のルサンチマンとして暴れてたというのも、競争に負けてドロップアウトしたにもかかわらず、「まだ暴れる元気があるのかあ……」というのが正直な感想ですし。今の世代であれば、受験戦争からドロップアウトすれば引きこもるでしょう。
アニメ版カイジ1期のED曲(https://www.youtube.com/watch?v=7F8xpgcw8oM)が、「あの娘は彼氏候補の男と グループでスノボに行った 残された俺たちはつぼ八で飲みました」という、モテないことへの屈折した感情を歌ってる曲なんですけど、今だったらつぼ八で男だけで楽しく飲んで楽しい思い出で終わりそうです(モテたいとか、そんなこと考えなさそう)(カイジは原作が96年〜)。


ですがまあ私より若い世代は、小学生女子の読むマンガでさえ「両思い」ではなく「つき合う」らしいので、まだまだ私の世代は恋愛に夢や希望を抱いているのでしょうかね。
両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。
私は「小学生のころからそんなに大人にならなくてもいいじゃん」なんて思うのですが、私より下の世代からすれば、私の世代はパワフル……というより、イタいんのでしょうね。
私の場合はちょうど中学生のころにLINEとスマホが普及し始め、そういった技術進歩による社会の変化を感じられて、歴史好きとしては面白い時代に生まれた半面、
まだまだYouTubeではなくテレビに思い入れのある上の世代ともジェネレーションギャップを感じますし、一方で小学生のころからLINEやYouTubeを使ってきた世代とも、大きなジェネレーションギャップを感じるんですよね。
もちろん、どの世代だってそんなものなのかもしれませんが、やはりここ十数年の技術進歩の速度は世界史でも有数の速さだと思いますし。
仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ(世代間人口比の問題で非常にゆっくりとした速度でだとは思いますが)。
私から見れば、80年代の学校が荒れていた時代こそパワフルだなあ、と思うのですが、おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。


[24050] Re:私から見る80,90年代返信 削除
2022/10/18 (火) 21:16:40 徳翁導誉

> 管理人さんの話を聞いていると、80,90年代というのはすごくパワフルな時代だったんですねぇ、としか思えないです。
あっ、それは確かに、そうでしょうね!!
何と言っても当時は、世界的にも「Japan as No.1」と言われて、
日本人の多くも、本気で「アメリカ越え」を狙っていた時代でしたから、
もう社会全体が、今とは比べ物にならないくらい、活気と自信に溢れていたのは事実です。
恐らくは現在の中国以上に、「行け行けドンドン」な感じでしたね、当時の日本と日本人は。

> 80年代に学校が荒れたのは、地獄の受験戦争をドロップアウトした組が、ある種のルサンチマンとして暴れてたというのも、
> 競争に負けてドロップアウトしたにもかかわらず、「まだ暴れる元気があるのかあ……」というのが正直な感想ですし。
> 今の世代であれば、受験戦争からドロップアウトすれば引きこもるでしょう。

「集団レイプする人は、まだ元気があるから良い。まだ正常に近いんじゃないか」という
太田誠一(元農水大臣)の発言を、何だか思い出してしまった(苦笑)。

まあ、それはさておき、暴れる元気があるというか、
同級生にせよ、兄弟にせよ、とにかく人数が多い世代ですから、
暴れでもしないと、誰も自分を見てくれないとか、
より派手に暴れないと、自分に注目が集まらないとか、そういう心理は確実にあったのでしょう。
そういう意味では、現在とは表現手段が異なると言うだけで、
その行動原理が「承認欲求」にあるという意味では、人間ってそれほど変わらないですよね。

逆に言うと、今は少子化の影響もあり、当時より遥かに1人1人に目が届く時代ですから、
だからこそ、「そのままだと埋もれるから、悪目立ちでも良いから目立ちたい」ではなく、
「そのままだと目立つから、悪目立ちしないよう埋もれたい」と、なるのかも?
でもこれって、結果としての行動は正反対でも、最初のスタート地点が異なるだけで、
人間の行動原理としては、似たり寄ったりな感じはしますけどね。

あとは、当時は今と違って、経済状況が良かったですから、
別に、受験戦争でドロップアウトしても、余程の道の外し方でもしない限り、
土木関係の労働者として、働き口は豊富にあり、それで人並みの生活を送れたので、
「俺も昔は悪くてさぁ」なんて毎晩飲みながら、それでも普通に家庭を持てる時代でした。
そういう意味では、現在の「ドロップアウト観」とは、大きく異なるのも事実でしょうね。

> アニメ版カイジ1期のED曲(https://www.youtube.com/watch?v=7F8xpgcw8oM)が、
細かいツッコミですが、これは「破戒録篇」なので、1期ではなく2期のエンディング曲ですね。

> 「あの娘は彼氏候補の男と グループでスノボに行った 残された俺たちはつぼ八で飲みました」という、
> モテないことへの屈折した感情を歌ってる曲なんですけど、
> 今だったらつぼ八で男だけで楽しく飲んで楽しい思い出で終わりそうです

個人的なイメージで言っちゃいますけど、
今の若い世代って、そもそも、集まって居酒屋とか行きます?
いや、もちろん行く人は行くんでしょうし、昔より頻度が減ってるだけかも知れませんけど、
ここ十数年くらいの間で、若者のファミレス離れや居酒屋離れが、かなり進んだ印象なので。
しかも、ここ2〜3年はコロナ禍もあり、その傾向が更に加速してそう・・・・

> ですがまあ私より若い世代は、小学生女子の読むマンガでさえ「両思い」ではなく「つき合う」らしいので、
> まだまだ私の世代は恋愛に夢や希望を抱いているのでしょうかね。

んん!?
この一文↓を何度も引用していたのは、旧トルコ担当さん自身なのでは?
> > > 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
> > > https://lee.hpplus.jp/column/2113728/

これって結局、例えば「オタク」という単語が、
「コア層」を指す言葉から、意味が拡大して、「ファン全般」を指す言葉へと変化したように、
「付き合う」という言葉も、意味が拡大して、「両想い」の状態も含む言葉となった・・・という話なのでは?
言うなれば、まだ恋人段階である彼氏や彼女の事を、旦那とか嫁と呼ぶ、昨今の感覚とも似た感じかと。
(オタクが「○○は俺の嫁」とか言ったりするのも、ここからの派生ですね)
要するに、単純に言葉の意味が拡大されたと言うよりは、
自分に対する「特別感」を演出したいが故に、敢えて一段高い言葉を用いる訳ですが、
そうした用法が多発される事で、次第に言葉の特別感は薄れてしまい、済し崩し的に意味が拡大される具合かな。

実際の所、小学生の「付き合う」って、具体的な「行動」として何を行うんでしょ?
それこそ昔は、好きと付き合うは明確な区別があり、「恋愛のABC」などと言われましたが、
(念の為に言っておくと、Aはキス、Bはペッティング、Cはセックスを指す隠語)
現在は、そこを分ける隔たりが、希薄になってきたというだけの話な気はしますね。

> 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
まあ「結婚」であれば、明確に契約ですし、法律的な効力が発生する為に、
それは一面において、「社会的関係」とも言えるかも知れませんが、
「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

それこそ、別に恋愛でなくても、「買い物に付き合う」みたいな表現をするじゃないですか?
例えば これが、阪神タイガースのファンの話であれば、
両想いというのは、お互いが阪神ファンである事を認識した状態の事を指します。
そして付き合うとは、「じゃあ今度、一緒に甲子園球場へ行こうか」みたいな事です。
同じファン同士、阪神についての会話をするのが楽しい・・・くらいのレベルは、
両想いだけど付き合ってはいない、みたいな感じですよね。
(両想いを付き合うと表現するのは、会話レベルまで「行動」の対象に含めるイメージ)
逆に言うと、別に両想いじゃなくても、付き合う事は可能なように、
別に阪神ファン同士じゃなくても、一緒に甲子園へ野球観戦に行く事は可能です。

> 私は「小学生のころからそんなに大人にならなくてもいいじゃん」なんて思うのですが、
> 私より下の世代からすれば、私の世代はパワフル……というより、イタいんのでしょうね。

つまり、上記の結論からすると、
私と旧トルコ担当さんとで、「オタク」という言葉の定義が異なるのと同じように、
旧トルコ担当さんと今の小学生とで、「付き合う」の言葉の定義が異なるのに、
そこを同一と捉えてしまうから、「そんなに大人に」という感想を抱くのでは?

いや勿論、時代と共に、子供たちの認識も、どんどんマセていくのは事実なのでしょうけどね。
それこそ戦前までは、「男女七歳にして席を同じうせず」みたいな感覚があったでしょうし、
戦後昭和の頃も、男子と女子の間に、大きな壁があったのは確かですが、
今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> 私の場合はちょうど中学生のころにLINEとスマホが普及し始め、
> そういった技術進歩による社会の変化を感じられて、歴史好きとしては面白い時代に生まれた半面、
> まだまだYouTubeではなくテレビに思い入れのある上の世代ともジェネレーションギャップを感じますし、
> 一方で小学生のころからLINEやYouTubeを使ってきた世代とも、大きなジェネレーションギャップを感じるんですよね。

まあ、生まれた時からネットがある「デジタル・ネイティブ世代」という意味では、
今の大学生も、小学生も、同じ括りになるのかも知れませんが、
20年くらい前はデジタル黎明期であり、ここ10年ほどでデジタル技術も飛躍的に進歩した事を思うと、
確かに、全く同じという訳ではありませんよね。

それこそ、再来年からは小学校でデジタル教科書が本格導入される予定ですし、
現段階においても、まだ平仮名の練習をしている小学1年生が、
ノートPCを開いて、先生から送信された学校の宿題をしていたりするのを見ると、
紙の教科書しか無かった世代とは、また違ってくるのでしょう・・・・
ちなみに、数年前の文科省の計画では、再来年度の共通テスト(旧センター試験)から、
キーボード入力での回答に移行する予定もありましたが・・・まあ、間に合わないでしょうね(笑)。
英語はTOEICやTOEFLに完全移行し、共通テストから英語科目を除外する予定も、現状では頓挫してますし。

とは言え、アナログしか無かった時代を知ってる私世代からすると、
デジタル世代間のギャップなんて、そこまで大きなモノとは感じませんけどね(笑)。
それ以上に、アナログ世代とデジタル世代のギャップの方が、遥かに大きいですから。

> もちろん、どの世代だってそんなものなのかもしれませんが、
> やはりここ十数年の技術進歩の速度は世界史でも有数の速さだと思いますし。

でも、それって、今後は更に凄いスピードで動くのでしょうけどね。
技術の進歩というのは、加速度的に勢いを増して行っていますから。
そういう意味では、これまでの10年より、これからの10年の方が速く、
これからの10年より、更にそこからの10年の方が速いはず。

あと、同じく「技術」と言っても、「発明的な技術」と「改良的な技術」とがあり、
社会に与えるインパクトという点では、前者の方が格段に大きかったりします。
そうした観点からすれば、確かに ここ10年ほどの進歩は大きいとは言っても、
それで大きく変わったのは、利便性や安さであったり、選択肢の数であったりが中心で、
「今まで出来なかった事が、何か新たに出来るようになったか?」と問われると・・・・

もう少し、解りやすい指標に置き換えるとすれば、
では世界史的に見て、今の人々は、過去の人々と比べ物にならないほど、
技術の進歩に「熱狂」しているか?となると、決して、そうとは言い切れませんからねえ。
そう考えると、絶対的な変化量ならまだしも、相対的な変化量として、今が本当に凄いのか否か?
例えば、100年後、200年後とかに、20世紀や21世紀を俯瞰的に歴史として見た際、
「2010年代の進歩は凄いな!」となるかとなれば、正直、そうはならない気がするんですよ。
身も蓋もない言い方をするなら、人類史的に「凄い時代だった」と言うよりも、
旧トルコ担当さんの個人史的に「凄い時代だった」という所に、落ち着きそうな感じがします(笑)。

> おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

いや〜、正直言って私には、
岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。
例えば、今で言う「推しが尊い」みたいな感覚は、80年代のアイドル文化にもありましたし。


[24071] Re2:私から見る80,90年代返信 削除
2022/10/30 (日) 03:04:58 旧トルコ担当

> > 「あの娘は彼氏候補の男と グループでスノボに行った 残された俺たちはつぼ八で飲みました」という、
> > モテないことへの屈折した感情を歌ってる曲なんですけど、
> > 今だったらつぼ八で男だけで楽しく飲んで楽しい思い出で終わりそうです

> 個人的なイメージで言っちゃいますけど、
> 今の若い世代って、そもそも、集まって居酒屋とか行きます?
> いや、もちろん行く人は行くんでしょうし、昔より頻度が減ってるだけかも知れませんけど、
> ここ十数年くらいの間で、若者のファミレス離れや居酒屋離れが、かなり進んだ印象なので。
> しかも、ここ2〜3年はコロナ禍もあり、その傾向が更に加速してそう・・・・


ああ、やはり居酒屋離れも進んでるんですね。
私もさすがにちょっと高すぎるようなと感じましたし、やはり若者の金銭感覚はそんな感じなんですね。

> > ですがまあ私より若い世代は、小学生女子の読むマンガでさえ「両思い」ではなく「つき合う」らしいので、
> > まだまだ私の世代は恋愛に夢や希望を抱いているのでしょうかね。

> んん!?
> この一文↓を何度も引用していたのは、旧トルコ担当さん自身なのでは?
> > > > 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
> > > > https://lee.hpplus.jp/column/2113728/

> これって結局、例えば「オタク」という単語が、
> 「コア層」を指す言葉から、意味が拡大して、「ファン全般」を指す言葉へと変化したように、
> 「付き合う」という言葉も、意味が拡大して、「両想い」の状態も含む言葉となった・・・という話なのでは?
> 言うなれば、まだ恋人段階である彼氏や彼女の事を、旦那とか嫁と呼ぶ、昨今の感覚とも似た感じかと。
> (オタクが「○○は俺の嫁」とか言ったりするのも、ここからの派生ですね)
> 要するに、単純に言葉の意味が拡大されたと言うよりは、
> 自分に対する「特別感」を演出したいが故に、敢えて一段高い言葉を用いる訳ですが、
> そうした用法が多発される事で、次第に言葉の特別感は薄れてしまい、済し崩し的に意味が拡大される具合かな。
>
> 実際の所、小学生の「付き合う」って、具体的な「行動」として何を行うんでしょ?
> それこそ昔は、好きと付き合うは明確な区別があり、「恋愛のABC」などと言われましたが、
> (念の為に言っておくと、Aはキス、Bはペッティング、Cはセックスを指す隠語)
> 現在は、そこを分ける隔たりが、希薄になってきたというだけの話な気はしますね。


何をしているかはむしろ問題にしていないんですよね。
行為・行動そのものの進み具合としては、私より若い世代ではむしろ積極的に恋愛のいろはを歩んでなさそうなイメージ。
私が問題にしているのは、行っている行動・行為は同じであっても、それを何と呼ぶか(命名するか)というのが違う、というところの微妙なニュアンスの問題なんですよね。
同じ親から生まれた関係を、日本では兄弟姉妹と呼び、アメリカではbrother/sisterと呼ぶ、というのは若干のニュアンスの違いがありますから、正確には兄弟=brotherでないのと同じように、
男女の相思相愛の状態を「両想い」と呼ぶのと「付き合っている」と呼ぶのでは、ニュアンスが異なると思うんですよね。

これって、私がラノベを読む程度には文学系の人だからそう考えるのですかね。
管理人さんは小説は読まないようですし。

> > 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> > チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

> う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
> まあ「結婚」であれば、明確に契約ですし、法律的な効力が発生する為に、
> それは一面において、「社会的関係」とも言えるかも知れませんが、
> 「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
> その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
> 結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。


そりゃ結婚と比較すれば、付き合うというのは大して社会的関係ではないかもしれませんが、
単なる気持である両想いと比較すると、付き合うというのは、互いに「付き合うってだいたいこういうことだよね」というおおよその共通理解があり、自分たちもそういった関係だよね、と確認するということですからね。
例えば、付き合っているのに別の誰かを好きになれば、それは少なからず裏切りになるでしょうし。
あと、付き合うというのはその関係をオープンにすることであり、周囲のクラスメイトなどから、そういった扱いを受ける、というニュアンスも含まれています。

付き合う、という状態を互いで確認しあったり、あるいは周囲に宣言したりするのは、
「人間心理、人間関係は複雑で、両者の思い違いとか、すれ違いとか、そういったものがある」と認識するからこそ、互いの気持ち・認識をすり合わせるために行うと思うんですよね。
両想いという言葉では、そういった認識の共有という点が抜けている分、無条件に自分の気持ちと相手の気持ちは同じだと思っていて、あとあと「私の思っていたのと違う」ということが起こるということをまだ想定できていないと。
それを想定して、私達つきあってるよね、と言葉で共通認識を作る行為そのものが、大人っぽいなと感じるわけです。

> それこそ、別に恋愛でなくても、「買い物に付き合う」みたいな表現をするじゃないですか?
> 例えば これが、阪神タイガースのファンの話であれば、
> 両想いというのは、お互いが阪神ファンである事を認識した状態の事を指します。
> そして付き合うとは、「じゃあ今度、一緒に甲子園球場へ行こうか」みたいな事です。
> 同じファン同士、阪神についての会話をするのが楽しい・・・くらいのレベルは、
> 両想いだけど付き合ってはいない、みたいな感じですよね。
> (両想いを付き合うと表現するのは、会話レベルまで「行動」の対象に含めるイメージ)
> 逆に言うと、別に両想いじゃなくても、付き合う事は可能なように、
> 別に阪神ファン同士じゃなくても、一緒に甲子園へ野球観戦に行く事は可能です。
>
> > 私は「小学生のころからそんなに大人にならなくてもいいじゃん」なんて思うのですが、
> > 私より下の世代からすれば、私の世代はパワフル……というより、イタいんのでしょうね。

> つまり、上記の結論からすると、
> 私と旧トルコ担当さんとで、「オタク」という言葉の定義が異なるのと同じように、
> 旧トルコ担当さんと今の小学生とで、「付き合う」の言葉の定義が異なるのに、
> そこを同一と捉えてしまうから、「そんなに大人に」という感想を抱くのでは?
>
> いや勿論、時代と共に、子供たちの認識も、どんどんマセていくのは事実なのでしょうけどね。
> それこそ戦前までは、「男女七歳にして席を同じうせず」みたいな感覚があったでしょうし、
> 戦後昭和の頃も、男子と女子の間に、大きな壁があったのは確かですが、


戦後になってから、女の子が男の子を「くん」で呼ぶようになったらしいのですが、https://toyokeizai.net/articles/-/88313
この辺のニュアンスといいますか、意義っていうのは管理人さんは知りませんかね?なかなか探してもピンポイントで情報が出てくることはないので。

> 今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
> 一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
> 異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?


確かに私も異性の友達が当たり前の世代ですので、友達の延長線としての異性関係というのも非常になじみ深いので、
だからこそ、「両想い」ではなく「付き合う」という言葉が当てはめられているあたりに、あ〜あという気がするんですよね。

> > おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
> エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
> と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
> 却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。


いや世間一般からすればずっとキモかったのでしょうけど、オタク層の年下世代からもそう思われるだろう、ということです。
これはエヴァに限らず、その後のセカイ系や今のなろう系、あるいは萌え系そのものも含めて、キモイと言われるだろうということなんですよね。

> > 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> > 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> > それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> > おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

> いや〜、正直言って私には、
> 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
> 何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。


管理人さんも、ホワイト化の調査のためにアニメ等を見るわけでもないでしょうし、自分の目に入る範囲内で考えるとホワイト化の傾向が見えないと仮定すれば、確かにそんなものかもしれません。
人口比で若者人口が減っているという点を置いておいても、そもそも普通は自分と同じ年齢帯を対象としたコンテンツしか見ませんし。
アニメはなんだかんだでオタク層の広い範囲を扱っていますのでホワイト化傾向はそこまで高くないですが、ソシャゲのイベント付属のストーリー等はもう異常なまでにホワイトですよ。
子ども向けの絵本のようなストーリーを萌えキャラがやってますからね。

オタク系だと、「アイドルマスター シャイニーカラーズ」(2018〜)というソシャゲがあり、
キャラ数が増えすぎて新規層の参入が困難になるのを防ぐため、定期的に行われるアイマスの新世代向け新作シリーズの一つなのですが、
これを見たときに一番衝撃を受けたのがキャラデザなんですよね。
なんというか、全然オタクコンテンツっぽくないと。
初期キャラクターのうち、櫻木真乃、風野灯織、八宮めぐるはいつものアイマス信号機の典型的なキャラなのでいいとして、
杜野凛世、園田智代子、小宮果穂、西城樹里、有栖川夏葉の放課後クライマックスガールズと、
月岡恋鐘、田中摩美々、白瀬咲耶、三峰結華、幽谷霧子のL'Anticaは、全然オタクコンテンツのキャラじゃなくて、明確に非オタク層(なんちゃってオタク層)を狙っている感じが出ていると。
(杜野凛世と月岡恋鐘だけは、男性主人公大好きキャラと、長崎弁の巨乳キャラでオタク向けっぽいですが)
残った大崎甘奈、大崎甜花、桑山千雪のALSTROEMERIAはオタク向けですが、これはこれでオタク向けはオタク向けでも、割と百合に近いような浄化されたオタクコンテンツのキャラなんですよね。
具体的には、キャラ同士のいちゃいちゃで完結していて、男主人公が挟まる余地が無いと。
何というか、新世代のファンを取り込むにあたってマーケティングされたキャラクターたちとして「これが正解なのかあ」と。
なのでそういった違和感みたいなものは、岡田斗司夫のホワイト革命論以前から何となく感じていたことなんですよね。
岡田斗司夫のホワイト革命論以前は、こういう変化をオタクコンテンツが過度に非オタク層へ向けて制作されるようになったからなのだと思っていました。
シンデレラガールズの時にはいた、橘ありすのようなロリキャラもいなくなり、代わりにの小宮果穂はロリというより子どもっぽい元気系のキャラですし。
橘ありすは二次創作でも人気ですし、ロリキャラは人気がないというわけではないと思うんですけど、マーケティング的判断から、やめておこうということなんでしょうね。

全然見てませんが、ラブライブも男性主人公不在の作品ですよね。
ライトノベルも、例えばソードアート・オンラインはネットでの発表が02年で、電撃文庫での第1巻出版が09年、現在も連載中ですけど、シリーズ通して新しいものほどホワイト化の傾向は非常によく感じます。

岡田斗司夫のホワイト革命論も、「先生、みなの前でほめないでください」も、私としては「あ〜あるある」というのが多分に含まれていたんですよね。
私は「スカッとジャパン」みたいなものが凄く嫌いなんですけど、岡田斗司夫のホワイト革命論に触れるまでは、私だけの個人的なものだと思っていましたし。
今の世代にとって「スカッとジャパン」みたいなものは朝鮮人差別や中国人差別に近いので、若者から嫌われたくない年上の人は絶対見るのやめた方がいいと思うんですけど、その辺の理解が進んでいないんですよね。
私としては、それがちょっと年上の世代の人を見ていて、ちょっとかわいそうに思えるんですよね。
「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

> 例えば、今で言う「推しが尊い」みたいな感覚は、80年代のアイドル文化にもありましたし。

推しが尊いというよりは、まぶしいという感覚の方がよりホワイト化傾向を表していると思いますね。
恋愛している人はまぶしいですし、夫婦で子供育てている人はまぶしいですし、アニメのキャラもまぶしいですし、リア充もまぶしいんですよね。
リア充の方がちゃんと友達もいて、彼女もいて、それでオタクに当たりがきついのが昔のリア充なのでしょうが、今じゃオタクにも優しかったりするので、もうこっちが生きててすみませんでした、と頭を下げるしかないんですよね。
このあたりが若者の自己肯定感の低さというやつなのでしょう。


[24073] Re3:私から見る80,90年代返信 削除
2022/11/8 (火) 20:12:17 徳翁導誉

> > > ですがまあ私より若い世代は、小学生女子の読むマンガでさえ「両思い」ではなく「つき合う」らしいので、
> > > まだまだ私の世代は恋愛に夢や希望を抱いているのでしょうかね。

> > んん!?
> > この一文↓を何度も引用していたのは、旧トルコ担当さん自身なのでは?
> > > > > 昔は「両思い」と呼んでいた状態が、「つき合う」という言葉で表現されている印象があります。
> > > > > https://lee.hpplus.jp/column/2113728/

> 同じ親から生まれた関係を、日本では兄弟姉妹と呼び、アメリカではbrother/sisterと呼ぶ、というのは
> 若干のニュアンスの違いがありますから、正確には兄弟=brotherでないのと同じように、
> 男女の相思相愛の状態を「両想い」と呼ぶのと「付き合っている」と呼ぶのでは、ニュアンスが異なると思うんですよね。

ニュアンスの違いというか、本来的には全くの別物ですよ。
見も蓋も無い言い方をすると、別に「両想い(好き)」じゃなくても、「付き合う」事は可能ですし、
実際、年齢を重ねたオトナの恋愛ほど、そうした打算的なモノになっていくもので、
逆に、「恋愛≒両想い」な傾向が強まるほど、年齢も下がっていくような気がします。

> > > > 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> > > > チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

> > う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
> > 「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
> > その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
> > 結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

> 例えば、付き合っているのに別の誰かを好きになれば、それは少なからず裏切りになるでしょうし。
> あと、付き合うというのはその関係をオープンにすることであり、
> 周囲のクラスメイトなどから、そういった扱いを受ける、というニュアンスも含まれています。

あ〜、なるほど。 何だか解りました。
これは以前にも話題とした、「便所メシ」世代の話と通ずる部分があるかも?
こうした認識が、若い世代に共通なのか、それとも旧トルコ担当さん個人の感覚かは解りませんけど、
そもそも恋愛というのは1対1の個人的関係であり、そこに第3者を交えるかは関係無いはずです。
ですけど、周囲の目を気にする事が、無自覚の内に大前提となっているが故、
上記のようなニュアンスも含むと決め付けてしまい、「社会的関係」であると思い込んでいるのかも?
言ってしまえば、自分(たち)の常識が、必ずしも世間の常識とは限らないと言う話ですね。

それこそ一昔前までは、中高生の恋愛って校則で禁じられてたりしましたし、
であればこそ、実際に付き合っていたからと言って、
その関係性をオープンにするとか、周囲に認知させるとか、そうした事はイコールではありませんでした。
では、それは昔の話であり、今は違うのかとなると、必ずしも そうとは言い切れず、
まあ中高生はまだしも、会社内とか大学サークル内とかの恋愛は、周囲に余計な気遣いを生じさせる為、
今の時代であっても、「隠れて付き合う」というのは、決して珍しい事では無いはずですよ。

と言いますか、何度も繰り返すようですが、
付き合うというのは1対1の「個人的関係」なので、
そこに第3者が介在するような「社会的関係」が、大前提では決して無いですからねえ。
解りやすく言えば、そういうケースも確かにあるかも知れませんが、それが全てではありませんし、
便所メシの件もそうですけど、飯を食うのに、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのと同じく、
1対1の恋愛に、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのは、正直あります。

> > いや勿論、時代と共に、子供たちの認識も、どんどんマセていくのは事実なのでしょうけどね。
> > それこそ戦前までは、「男女七歳にして席を同じうせず」みたいな感覚があったでしょうし、
> > 戦後昭和の頃も、男子と女子の間に、大きな壁があったのは確かですが、

> 戦後になってから、女の子が男の子を「くん」で呼ぶようになったらしいのですが、https://toyokeizai.net/articles/-/88313
> この辺のニュアンスといいますか、意義っていうのは管理人さんは知りませんかね?
> なかなか探してもピンポイントで情報が出てくることはないので。

これは、「くん付け」に関しての質問って事で良いですかねえ?
確か一般的に、相手を「○○君」と呼び始めたのは、幕末の志士たちだったと思いますよ。
それまでの日本社会って、封建社会でしたから、全てが上下関係を基準としていましたが、
志士たちというのは、双方の身分に囚われず、対等な立場からの議論を求めましたから、
そこで新たに生まれた敬称こそが、「○○君」という呼び方であり、
それが明治維新の後、学問や政治の場でも用いられるようになったはずかと。

ですが、戦前の日本社会は、市民平等を唱う世ではあったものの、
普通選挙が導入されても、選挙権を有するの男性のみだったように、男女平等な世では未だ無く、
それが戦後となって、男女平等を目指す、アメリカ主導の新しい世となった際、
女性が男性と対等の立場になった事を示す意味でも、「くん付け」が推奨されたのかな?
「さん付け」は、目上にも目下にも使いますし、逆に言うと、
今は解りませんが、部活の先輩を「くん付け」などしたら、折檻モノでしたね。
とは言え、私も「男子には くん付け、女子には さん付け」を当たり前に育った世代なので、
正直な所、あまり詳しくは知らないと言うか、変化の体験談みたいなモノはありません(笑)。

ただ、昨今の小学校では、イジメ防止&男女平等の観点から、
「あだ名禁止&さん付け奨励」な所も多いので、
男の子であっても、「○○さん」と呼ぶようになってますね。
で、小学校の高学年や中学になると、下の名前を呼び捨てにする事が増え、
昔よりも男女の垣根が低いので、女子でも男子を呼び捨てにする事が多いかな?

> > 今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
> > 一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
> > 異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> 確かに私も異性の友達が当たり前の世代ですので、友達の延長線としての異性関係というのも非常になじみ深いので、
> だからこそ、「両想い」ではなく「付き合う」という言葉が当てはめられているあたりに、あ〜あという気がするんですよね。

まあ私は昭和世代なので、私が子供の頃は、
男子と女子が仲良く話すだけでも、冷やかされたり馬鹿にされたりした時代だったので、
正直言って、男女の間には壁があるというか、
ぶっちゃけて言うと、「敵対関係」「冷戦状態」みたいな感じでした(笑)。
また、先輩・後輩の上下関係や、教師・生徒の上下関係は、
今とは比べ物にならないくらい、厳しかったかな?

そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?

> > > おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
> > エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
> > と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
> > 却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> いや世間一般からすればずっとキモかったのでしょうけど、オタク層の年下世代からもそう思われるだろう、ということです。
> これはエヴァに限らず、その後のセカイ系や今のなろう系、あるいは萌え系そのものも含めて、
> キモイと言われるだろうということなんですよね。

例えばセカイ系なんて、今では新海誠が「国民的なアニメ監督」となってる時点で、
キモいと言われる所か、エヴァ以上に「一般化」してしまった印象すらありますけどね(笑)。
萌え系にしても、どこも かしこも それ系のマスコット・キャラが作られていますし・・・・

って、それはさておき、オタク内での話であったとしても、
やはり、エヴァがキモくて イタいのは、当時からだと思いますけどねえ(笑)。
旧劇場版における最後の台詞も、「気持ち悪い」という一言であり、
それは、アスカからシンジに向けられたメッセージであるだけでなく、
庵野監督からオタクたちに向けられたメッセージでもあるのでしょうし。

あと、時代や世代が変われば、評価だって様変わりするのも、当然と言えば当然の事で、
我々人類の文化は、そんな事を何度も繰り返してきてますから、
当時と現在だけをピックアップして、そこに特別な意味を込めさせる必要も無い気はします。

> > > 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> > > 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> > > それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> > > おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

> > いや〜、正直言って私には、
> > 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
> > 何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。

> 岡田斗司夫のホワイト革命論も、「先生、みなの前でほめないでください」も、
> 私としては「あ〜あるある」というのが多分に含まれていたんですよね。
> 私は「スカッとジャパン」みたいなものが凄く嫌いなんですけど、
> 岡田斗司夫のホワイト革命論に触れるまでは、私だけの個人的なものだと思っていましたし。
> 今の世代にとって「スカッとジャパン」みたいなものは朝鮮人差別や中国人差別に近いので、
> 若者から嫌われたくない年上の人は絶対見るのやめた方がいいと思うんですけど、その辺の理解が進んでいないんですよね。
> 私としては、それがちょっと年上の世代の人を見ていて、ちょっとかわいそうに思えるんですよね。

う〜ん、腑に落ちる感覚がして、スカッとするのは別に良いのですが、
その快楽に呑まれると言うか、確証バイアスみたいな感じで、全てを色眼鏡で見てしまい、
そこを指摘されると、自らを省みるより、相手が間違っていたり、認識不足を疑うのは、
思考の構図として、陰謀論などにハマるのと大差ありませんし、
それこそ対象や方向性が異なるだけで、嫌韓反中やQアノンと変わりませんよ・・・・
そうした事に、どれだけ自覚を持ててますか?

似たような内容の話は、これまでに何度も行っていますけど、
自分の中で腑に落ち「なるほど!」と思えた場合こそ、自分の中での反証が重要なんですって!!
「あれも当てはまる、これも当てはまる」と、都合良く証拠を追い求めてしまうと、
無自覚なまま、1しかないのに10に見えたり、当てはまらないモノは視界の外に追いやったり、
そうしながら、これが正しいと思い込んだ結論に、ハマってしまいがちなんです。

例えば、それこそ、この論法を用いる事により、
「スカッとジャパンが人気だったのも、ホワイト化の現れ!」と見なす事だって可能です。
ですが、この場合、旧トルコ担当さんの中で「この番組は嫌い」という感情がある為、
「これは当てはまらない」と、なるのでは無いでしょうか?(笑)
で、もしも実際、そう思われたとすれば、
それは何よりも、「ホワイト革命を恣意的に適用」していた証になろうかと。
要するに、あの番組内容にハマれずムカっとすれば、それを嫌う事がホワイト化と映るでしょうし、
逆に ハマれてスカッと出来れば、汚いヤツを裁く痛快劇としてホワイト化の象徴のように映るはず。

また、イヤミ課長役で人気を博した木下ほうかの、若手女優への性的強要が発覚した際の反応を見ても、
一定の若者人気(特に女性層)がある番組なのは感じ取れてましたから、
「中高年が好んで見ていて、若者は好まない番組」と決め付けているのは、正直 違うと思いますよ。
この部分に関しても、自分中心の視点で物事を判断しがちな傾向が顕れてませんか?
私からすると、「特定の世代」を反映してると言うよりは、「今の時代」を反映してる番組だと感じます。
ちなみに、一応 念の為に言っておくと、
「スカッとジャパン」は視聴率の低迷により、既に半年前に番組終了してますね。
あと、最後に言っておくと、あの番組は私も好きじゃありませんでした(笑)。

> 「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
> 私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、
> 会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
> これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

実は、「皆の前で褒めないで」というのが、
意外と曲者というか、深いモノがある気がします。

SNSにおける、異様な承認欲求の高さなどとも通じるのですが、
決して「褒めないで」ではなく、あくまでも「皆の前で」なんですよね。
つまり、物凄く褒めて貰いたい、認めて貰いたいという感情が、
根源的な部分には、見え隠れしていると(笑)。

そして更に言えば、皆の前で褒められるのが、本当に嫌なのかというと、
きっと恐らくは、褒められたくない訳では無く、それ所か内心では褒めて欲しいのが本音なのに、
期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など、
その事で他者から負わされる諸々の事を、負担に感じるというか、請け負える自信が乏しい為、
メリットとデメリットを秤に掛けて、逃げの方向に回避したくなるのが、実際の所なのでは?

逆に言えば、これだけ第3者からの目や評価を気にする世代なのですから、
それに答えられる自信さえあったなら、却って、
「皆の前で褒め欲しい」欲求が、どの世代よりも実は高かったりするかも?
更に邪推して言うなら、もしかすると「スカッとジャパン」が何故か嫌なのも、
そうした隠されてるくらい欲求を、中途半端に引きずり出され、
同族嫌悪に近い感情を、沸き立てさせられるからかも知れません(笑)。


[24081] Re4:私から見る80,90年代(追記あり)返信 削除
2022/11/9 (水) 23:59:53 旧トルコ担当


> > > > > 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> > > > > チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

> > > う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
> > > 「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
> > > その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
> > > 結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

> > 例えば、付き合っているのに別の誰かを好きになれば、それは少なからず裏切りになるでしょうし。
> > あと、付き合うというのはその関係をオープンにすることであり、
> > 周囲のクラスメイトなどから、そういった扱いを受ける、というニュアンスも含まれています。

> あ〜、なるほど。 何だか解りました。
> これは以前にも話題とした、「便所メシ」世代の話と通ずる部分があるかも?
> こうした認識が、若い世代に共通なのか、それとも旧トルコ担当さん個人の感覚かは解りませんけど、
> そもそも恋愛というのは1対1の個人的関係であり、そこに第3者を交えるかは関係無いはずです。
> ですけど、周囲の目を気にする事が、無自覚の内に大前提となっているが故、
> 上記のようなニュアンスも含むと決め付けてしまい、「社会的関係」であると思い込んでいるのかも?
> 言ってしまえば、自分(たち)の常識が、必ずしも世間の常識とは限らないと言う話ですね。
>
> それこそ一昔前までは、中高生の恋愛って校則で禁じられてたりしましたし、
> であればこそ、実際に付き合っていたからと言って、
> その関係性をオープンにするとか、周囲に認知させるとか、そうした事はイコールではありませんでした。
> では、それは昔の話であり、今は違うのかとなると、必ずしも そうとは言い切れず、
> まあ中高生はまだしも、会社内とか大学サークル内とかの恋愛は、周囲に余計な気遣いを生じさせる為、
> 今の時代であっても、「隠れて付き合う」というのは、決して珍しい事では無いはずですよ。
>
> と言いますか、何度も繰り返すようですが、
> 付き合うというのは1対1の「個人的関係」なので、
> そこに第3者が介在するような「社会的関係」が、大前提では決して無いですからねえ。
> 解りやすく言えば、そういうケースも確かにあるかも知れませんが、それが全てではありませんし、
> 便所メシの件もそうですけど、飯を食うのに、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのと同じく、
> 1対1の恋愛に、何故そこまで他人の存在を気にするの?というのは、正直あります。


岡田斗司夫が10年くらい前の動画で「今の若い世代は告白という儀式があり、付き合っているというのを周囲に宣言する
昭和の時代はそんなへんてこな儀式なんかなくて、付き合うというのは当事者同士が宣言するものではなく、周囲が勝手に認定するものだった」
というようなことを言っていて、気になったので調べたところ、確かに「きまぐれオレンジ☆ロード」では周囲が勝手に主人公とヒロインを付き合っている認定していたんですよね。

何となくその辺の感覚がよく分からなかったのですが、やはり付き合うにしても周囲の視線を気にしすぎる世代なんですかねえ。
まあ隠れて付き合ってる的な感じもそりゃ今だっているでしょうけど(大学のサークルとか職場は特に)、
中高生くらいの恋愛と言えばオープンなのが当たり前というか、ひっそり付き合っているのは、何かおとなしめのタイプというイメージですね。
少なくとも恋愛マンガの題材にはなりにくそう。

> 今は解りませんが、部活の先輩を「くん付け」などしたら、折檻モノでしたね。
> とは言え、私も「男子には くん付け、女子には さん付け」を当たり前に育った世代なので、
> 正直な所、あまり詳しくは知らないと言うか、変化の体験談みたいなモノはありません(笑)。


私の時は部活の先輩に君付けはあり得ませんでしたよ。
とはいえ、管理人さんの話を聞く限りでは、今の小中学生はまた色々と違うようなので、これに関しては分かりませんが。

> > > 今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
> > > 一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
> > > 異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> > 確かに私も異性の友達が当たり前の世代ですので、友達の延長線としての異性関係というのも非常になじみ深いので、
> > だからこそ、「両想い」ではなく「付き合う」という言葉が当てはめられているあたりに、あ〜あという気がするんですよね。

> まあ私は昭和世代なので、私が子供の頃は、
> 男子と女子が仲良く話すだけでも、冷やかされたり馬鹿にされたりした時代だったので、
> 正直言って、男女の間には壁があるというか、
> ぶっちゃけて言うと、「敵対関係」「冷戦状態」みたいな感じでした(笑)。


確かに、小学生中学年くらいのまではそんな雰囲気ありました。

> そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
> 逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
> 言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?


根拠はないですけど、それはありそう。
「俺ガイル」だってその辺がテーマですし。

> > > > おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
> > > エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
> > > と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
> > > 却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> > いや世間一般からすればずっとキモかったのでしょうけど、オタク層の年下世代からもそう思われるだろう、ということです。
> > これはエヴァに限らず、その後のセカイ系や今のなろう系、あるいは萌え系そのものも含めて、
> > キモイと言われるだろうということなんですよね。

> 例えばセカイ系なんて、今では新海誠が「国民的なアニメ監督」となってる時点で、
> キモいと言われる所か、エヴァ以上に「一般化」してしまった印象すらありますけどね(笑)。
> 萌え系にしても、どこも かしこも それ系のマスコット・キャラが作られていますし・・・・
>
> って、それはさておき、オタク内での話であったとしても、
> やはり、エヴァがキモくて イタいのは、当時からだと思いますけどねえ(笑)。
> 旧劇場版における最後の台詞も、「気持ち悪い」という一言であり、
> それは、アスカからシンジに向けられたメッセージであるだけでなく、
> 庵野監督からオタクたちに向けられたメッセージでもあるのでしょうし。
>
> あと、時代や世代が変われば、評価だって様変わりするのも、当然と言えば当然の事で、
> 我々人類の文化は、そんな事を何度も繰り返してきてますから、
> 当時と現在だけをピックアップして、そこに特別な意味を込めさせる必要も無い気はします。


時代変化で作品の評価や受け取られ方が変わるのは当たり前ですけど、
やはりいざ自分の好きな作品やジャンルが衰退するかもしれないという恐怖を感じると、冷静ではいられないですね。
交通事故で死者が出るのは仕方ないことだと皆考えていますが、いざ自分が交通事故にあって障害が残るようなことになれば、そうは思わないでしょうし。

> > > > 仮説ですが、オタク文化も新しい世代には受け入れられず浄化されていくと思うんですよ
> > > > 00年代の萌えとか、嫁とかも、今の推しというのは、読者でありアニメの視聴者である私の姿がより消えている言葉ですし、
> > > > それはオタクの気持ち悪い部分、萌えとか嫁とかに含まれていたものが浄化されているように見えるんですよね。
> > > > おそらく百合とも既に浄化がかなり進んだ結果普及したのだと勝手に思ってます。

> > > いや〜、正直言って私には、
> > > 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論に引っ張られ過ぎて、
> > > 何でも「浄化」のキーワードで解釈しようと、無茶している印象を受けますけどね(笑)。

> > 岡田斗司夫のホワイト革命論も、「先生、みなの前でほめないでください」も、
> > 私としては「あ〜あるある」というのが多分に含まれていたんですよね。
> > 私は「スカッとジャパン」みたいなものが凄く嫌いなんですけど、
> > 岡田斗司夫のホワイト革命論に触れるまでは、私だけの個人的なものだと思っていましたし。
> > 今の世代にとって「スカッとジャパン」みたいなものは朝鮮人差別や中国人差別に近いので、
> > 若者から嫌われたくない年上の人は絶対見るのやめた方がいいと思うんですけど、その辺の理解が進んでいないんですよね。
> > 私としては、それがちょっと年上の世代の人を見ていて、ちょっとかわいそうに思えるんですよね。

> う〜ん、腑に落ちる感覚がして、スカッとするのは別に良いのですが、
> その快楽に呑まれると言うか、確証バイアスみたいな感じで、全てを色眼鏡で見てしまい、
> そこを指摘されると、自らを省みるより、相手が間違っていたり、認識不足を疑うのは、
> 思考の構図として、陰謀論などにハマるのと大差ありませんし、
> それこそ対象や方向性が異なるだけで、嫌韓反中やQアノンと変わりませんよ・・・・
> そうした事に、どれだけ自覚を持ててますか?
>
> 似たような内容の話は、これまでに何度も行っていますけど、
> 自分の中で腑に落ち「なるほど!」と思えた場合こそ、自分の中での反証が重要なんですって!!
> 「あれも当てはまる、これも当てはまる」と、都合良く証拠を追い求めてしまうと、
> 無自覚なまま、1しかないのに10に見えたり、当てはまらないモノは視界の外に追いやったり、
> そうしながら、これが正しいと思い込んだ結論に、ハマってしまいがちなんです。
>
> 例えば、それこそ、この論法を用いる事により、
> 「スカッとジャパンが人気だったのも、ホワイト化の現れ!」と見なす事だって可能です。
> ですが、この場合、旧トルコ担当さんの中で「この番組は嫌い」という感情がある為、
> 「これは当てはまらない」と、なるのでは無いでしょうか?(笑)
> で、もしも実際、そう思われたとすれば、
> それは何よりも、「ホワイト革命を恣意的に適用」していた証になろうかと。
> 要するに、あの番組内容にハマれずムカっとすれば、それを嫌う事がホワイト化と映るでしょうし、
> 逆に ハマれてスカッと出来れば、汚いヤツを裁く痛快劇としてホワイト化の象徴のように映るはず。
>
> また、イヤミ課長役で人気を博した木下ほうかの、若手女優への性的強要が発覚した際の反応を見ても、
> 一定の若者人気(特に女性層)がある番組なのは感じ取れてましたから、
> 「中高年が好んで見ていて、若者は好まない番組」と決め付けているのは、正直 違うと思いますよ。
> この部分に関しても、自分中心の視点で物事を判断しがちな傾向が顕れてませんか?
> 私からすると、「特定の世代」を反映してると言うよりは、「今の時代」を反映してる番組だと感じます。
> ちなみに、一応 念の為に言っておくと、
> 「スカッとジャパン」は視聴率の低迷により、既に半年前に番組終了してますね。
> あと、最後に言っておくと、あの番組は私も好きじゃありませんでした(笑)。


管理人さんの言うことも分かりますし、
私も「仮説ですが」とか「私の知っている限られた情報から判断すれば」とか、ちょくちょく入れているんですよね。
とはいえ、私が(世代論など含め)歴史や社会科学が好きなのは、管理人さんの言うところの「腑に落ちる感覚がして、スカッとする」があるからなので、
この感覚のために時間を使って本読んだり色々考えたりしてるので、それを辞めるとなると歴史の勉強なんてやってられるか、みたいな気持ちはあります。
飲まなきゃやってらんねえよ、みたいな感じで。

私も自分の信じている仮説って本当に正しいのだろうかと不安になることはありますし、
なんなら最近は、勉強しても勉強しても、むしろ勉強すればするほど、「自分は何もわかっていないんじゃないのか」という不安が大きくなり、
正直歴史を勉強するのがしんどいんですよね。(そんなに本読んでないだろというツッコミはナシでお願いしますw)

私にとって岡田斗司夫が面白かった理由は、この"分かる感覚"を岡田斗司夫が簡単に与えてくれたからであり、
ある程度の論理性と、非凡な発想力、そして少し変わった表現力と、自信満々に断言する傲慢さが合わさり、奇跡のように"分かる感覚"を量産した人なんですよね。
とはいえ、岡田斗司夫は自分の仮説が外れても全然恥じない厚顔無恥の人間ですし、やはり胡散臭い人間ではあるのですがw(この辺も含めてあれは才能ですねw)

あとはまあ、結局は(社会)科学の力をあまり信じていないというのもあるのかな。
2015年の時点でアメリカがあんなことになるなんて予測していた人は少数派でしたでしょうし、
歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
(歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)
まあ、学問自体に期待していないので、私が多少科学的じゃなくても、どうせ学者だって似たり寄ったりだろ、みたいなことも"極論"思うようになりました。
反知性主義といわれるかもしれませんが、そのくらいの距離感が社会科学に対する丁度よい距離感なのかな、と。

1調べて「なるほど」と満足するのがダメで、
10調べて「分かった」と感じるのがダメで、
100調べても詳しい人を名乗ってもだめなら、
どれだけ調べれば私は気持ち良くなっていいんですかね?
数学はもうだいぶ忘れていますが、これって確か数学的帰納法じゃありませんでしたっけ(調べたら全然違いました)。

一応、私も200冊オタク関係の本を読んだ経験から、「テーマ史で新たな視点を獲得する」という方法論は持ち合わせています。
例えば戦後日本史は、「戦後日本史」的なタイトルの本だけ読んでいると、どの本にも「敗戦→高度経済成長→バブル→失われた30年」みたいなおなじみのパターンの話しか出てきませんが、
これを少女文化史とか、学校文化史とか、子ども文化史とか、そういったテーマ史で調べると、全然違った視点から戦後史を見ることができました。
あとはまあ、200冊読む過程で、最初に建てた仮説がいかにお粗末であるか、30冊くらいの時に建てた仮説がいかにピントがずれているか、を身をもって体感しましたので、
何事も何かを言い切るほどの傲慢さは持てなくなりましたね。
結局は、真実が知りたければ史料(表現が大げさ)に当たるしかないですし(なのですかっとジャパンは若者にも人気みたいなことを積み上げていくしかない)、
そして結構な時間を使って色々当たったとしても、当事者からすればまだトンチンカンなこと言っているレベルにしかならないのは、
それこそ管理人さんの書き込みで痛感しましたし。(みんな当たり前のことは文章にしないので、当たり前のことほど分からないんですよね)
そういう意味で、本当に200冊のオタク関係の本を読むという経験は非常に勉強になりました。

> > 「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
> > 私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、
> > 会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
> > これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

> 実は、「皆の前で褒めないで」というのが、
> 意外と曲者というか、深いモノがある気がします。
>
> SNSにおける、異様な承認欲求の高さなどとも通じるのですが、
> 決して「褒めないで」ではなく、あくまでも「皆の前で」なんですよね。
> つまり、物凄く褒めて貰いたい、認めて貰いたいという感情が、
> 根源的な部分には、見え隠れしていると(笑)。
>
> そして更に言えば、皆の前で褒められるのが、本当に嫌なのかというと、
> きっと恐らくは、褒められたくない訳では無く、それ所か内心では褒めて欲しいのが本音なのに、
> 期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など、
> その事で他者から負わされる諸々の事を、負担に感じるというか、請け負える自信が乏しい為、
> メリットとデメリットを秤に掛けて、逃げの方向に回避したくなるのが、実際の所なのでは?


これもそうですね。
何を今さら感が私にとっては強いのですが、当事者じゃないというのはそれだけ分からないということなんですよね。

追記
管理人さんの文章に引っ張られて、よく考えずに書いてしまったので訂正します。
若者は褒められたくないというのが私の私見です。
もちろんSNSなどの承認欲求というのもありますが、身近な人か好かれたい・嫌われたくないというのが若者の関心事項であり、
大学の教授に褒められるというのは、苦痛でしかないと思います。
また、仮に相手が身近な人であったとしても、褒められたいというよりも、その欲求というのはもっと消極的に存在を認めてほしい、程度であって
褒められたい、というのはやはりパワフルさというか、意識の高さみたいなものを感じます。


[24085] Re5:私から見る80,90年代(追記あり)返信 削除
2022/11/16 (水) 19:45:10 徳翁導誉

> > > > > > 両想い、という言葉は互いの気持ちを表す言葉ですが、つき合う、というのは社会的関係を表す言葉であり、
> > > > > > チャラい男が「ひとまず、オレ達付き合てみね?」みたいな使い方もできる言葉ですので。

> > > > う〜ん、「付き合う」の方の言葉の認識は、ちょっとズレている気も・・・・
> > > > 「恋愛」に関して言うと、確かに口約束レベルの契約的な側面もあるので、全否定はしないものの、
> > > > その関係性は社会的と言うより、明らかに個人的なモノであり、法律的な縛りもない以上、
> > > > 結局の所、一緒に何を行うかという、その「行動」に拠る言葉になると思うんですよね。

> > > 例えば、付き合っているのに別の誰かを好きになれば、それは少なからず裏切りになるでしょうし。
> > > あと、付き合うというのはその関係をオープンにすることであり、
> > > 周囲のクラスメイトなどから、そういった扱いを受ける、というニュアンスも含まれています。

> > あ〜、なるほど。 何だか解りました。
> > これは以前にも話題とした、「便所メシ」世代の話と通ずる部分があるかも?
> > こうした認識が、若い世代に共通なのか、それとも旧トルコ担当さん個人の感覚かは解りませんけど、
> > そもそも恋愛というのは1対1の個人的関係であり、そこに第3者を交えるかは関係無いはずです。
> > ですけど、周囲の目を気にする事が、無自覚の内に大前提となっているが故、
> > 上記のようなニュアンスも含むと決め付けてしまい、「社会的関係」であると思い込んでいるのかも?
> > 言ってしまえば、自分(たち)の常識が、必ずしも世間の常識とは限らないと言う話ですね。

> 岡田斗司夫が10年くらい前の動画で「今の若い世代は告白という儀式があり、付き合っているというのを周囲に宣言する
> 昭和の時代はそんなへんてこな儀式なんかなくて、付き合うというのは当事者同士が宣言するものではなく、周囲が勝手に認定するものだった」
> というようなことを言っていて、気になったので調べたところ、
> 確かに「きまぐれオレンジ☆ロード」では周囲が勝手に主人公とヒロインを付き合っている認定していたんですよね。
> 何となくその辺の感覚がよく分からなかったのですが、やはり付き合うにしても周囲の視線を気にしすぎる世代なんですかねえ。
> まあ隠れて付き合ってる的な感じもそりゃ今だっているでしょうけど(大学のサークルとか職場は特に)、
> 中高生くらいの恋愛と言えばオープンなのが当たり前というか、ひっそり付き合っているのは、何かおとなしめのタイプというイメージですね。

「周囲が勝手に認定する」というのも、そうですが、
そもそも論として、1対1の個人的関係なので、周囲の存在は在っても無くても関係無く、
だからこそ、周囲の人間は推し量って判断する・・・って感じなのですかねえ?
いや別に、昔も交際宣言するカップルは居ましたけど、宣言は別に必須じゃありませんでした。
まあ、恋バナ大好きな女子たちは、友人内で交際を公にしている層も少なくなかったでしょうが、
男子だと、友人同士でも恥ずかしいというか、隠す訳じゃないけど敢えて言わない感覚が強かったかと。

> 少なくとも恋愛マンガの題材にはなりにくそう。
マンガであれ、リアルであれ、
障害があったり、禁止されていたりする方が、いろいろと盛り上がるモノです(笑)。
そういう意味では、昔は「不自由の中の自由さ」があり、
今は「自由の中の不自由さ」がある時代なのかも知れません。

> > 今は解りませんが、部活の先輩を「くん付け」などしたら、折檻モノでしたね。
> > とは言え、私も「男子には くん付け、女子には さん付け」を当たり前に育った世代なので、
> > 正直な所、あまり詳しくは知らないと言うか、変化の体験談みたいなモノはありません(笑)。

> 私の時は部活の先輩に君付けはあり得ませんでしたよ。
> とはいえ、管理人さんの話を聞く限りでは、今の小中学生はまた色々と違うようなので、これに関しては分かりませんが。

先輩を「くん付け」と呼ぶというので考えると、
ジャニーズとか、学校外のスポーツ・クラブ(特にサッカー)で、昔から、そんな文化がありますね。
とは言え、さすがに学校の運動部とかまでには、まだ現状でも、そこまで普及してないかも?

・・・って、そうやって改めて考えてみると、
戦後になって、女子が男子を「くん付け」する文化が浸透した事から見ても、
もともと明確な「上下関係」があった所に、形式上の「対等関係」を新たに築こうとした場合、
下側から上側に対する呼称として、都合が良い案配だったのが「くん付け」だったのかな。

> > > > 今の子供たちって、意識の話だけでなく、少子化の影響もあるのかも知れませんけど、
> > > > 一昔前に比べると、本当に隔たりが薄いというか、異性の友達とか本当に居たりしますからね。
> > > > 異性の友達なんて、90年代くらいまで、半ば おとぎ噺に近い存在だったかと?

> > > 確かに私も異性の友達が当たり前の世代ですので、友達の延長線としての異性関係というのも非常になじみ深いので、
> > > だからこそ、「両想い」ではなく「付き合う」という言葉が当てはめられているあたりに、あ〜あという気がするんですよね。

> > まあ私は昭和世代なので、私が子供の頃は、
> > 男子と女子が仲良く話すだけでも、冷やかされたり馬鹿にされたりした時代だったので、
> > 正直言って、男女の間には壁があるというか、
> > ぶっちゃけて言うと、「敵対関係」「冷戦状態」みたいな感じでした(笑)。

> 確かに、小学生中学年くらいのまではそんな雰囲気ありました。

そういう意味では、旧トルコ担当さんも、過渡期の世代だったのかな?
今の小中学生って、昔に比べると、男女間が かなりフラットな関係に映りますし。

> > そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
> > 逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
> > 言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?

> 根拠はないですけど、それはありそう。
> 「俺ガイル」だってその辺がテーマですし。

逆に言うと、「全ての関係性で垣根が低い」からこそ、
対立とか衝突を乗り越えた上での、深くて強固な人間関係みたいなモノは、
却って今の時代の方が、築き難くなってるのかも知れませんね。
何度も言っていますが、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体の関係なので、
面倒さというデメリットを排せた反面で、絆の強さというメリットも失われてしまったと。
だからこそ、言葉による再確認とか、周囲の人間も巻き込んでの関係作りが、昔以上に重要なのかも?

> > > > > おそらく今のもっと若い世代からすれば、エヴァみたいなものこそ、パワフルでイタいなあと感じるものだと思うんです。
> > > > エヴァが、イタかったり、キモかったりするのは、放送当時から既にですよ(笑)。
> > > > と言いますか、テレビ放送から四半世紀が経ち、世間一般からの認知度が多いに高まった事で、
> > > > 却って現在の方が、イタかったり、キモかったりする存在として、認識されてない実感はありますね。

> > > いや世間一般からすればずっとキモかったのでしょうけど、オタク層の年下世代からもそう思われるだろう、ということです。
> > > これはエヴァに限らず、その後のセカイ系や今のなろう系、あるいは萌え系そのものも含めて、
> > > キモイと言われるだろうということなんですよね。

> > 例えばセカイ系なんて、今では新海誠が「国民的なアニメ監督」となってる時点で、
> > キモいと言われる所か、エヴァ以上に「一般化」してしまった印象すらありますけどね(笑)。
> > 萌え系にしても、どこも かしこも それ系のマスコット・キャラが作られていますし・・・・
> > あと、時代や世代が変われば、評価だって様変わりするのも、当然と言えば当然の事で、
> > 我々人類の文化は、そんな事を何度も繰り返してきてますから、
> > 当時と現在だけをピックアップして、そこに特別な意味を込めさせる必要も無い気はします。

> 時代変化で作品の評価や受け取られ方が変わるのは当たり前ですけど、
> やはりいざ自分の好きな作品やジャンルが衰退するかもしれないという恐怖を感じると、冷静ではいられないですね。

う〜ん、この辺りの感覚の違いは、私と旧トルコ担当さんの年齢の違いも影響してるかも?
未だ青春時代の途上にある旧トルコ担当さんの感覚だと、
もちろん、いろいろあるでしょうけど、基本的には全ての感覚が登り調子でしょうし、
それが衰退する事に対して、恐怖や冷静でいられない感覚に陥るのも、充分に理解できるんです。

一方で、私などは もうオッサン世代ですから、
人間だろうと、文化だろうと、あらゆるモノに栄枯盛衰がある事と実感済みであると(笑)。
まあ、特に私の場合、転勤族として育った事もあり、平均的な人よりも客観視する感覚が強く、
更には歴史好きであったり、理系人間である事も作用してか、それを ごく普通に受け入れてますね。

もちろん、喜んで「衰退」を受け入れる人なんて、まず居ないでしょうけど、
年齢的にも、性格的にも、それを「仕方がない事」として甘受する感覚は持っていますし、
逆に言えば、そこで抗おうとしたり、主観で突っ走ったりする事もないので、
良くも悪くも、「懐古主義に浸る」事が出来ないと(苦笑)。
でも、自分世代の青春時代を特別視しない感覚を持っているからこそ、
昔のモノも、今のモノも、あまり区別せず楽しめる下地が、出来ている気はします。
まあ恐らく、こういうタイプの人間というのは、世間的には少数派なのでしょうけど、
ネット配信の拡充で今と昔の垣根が低くなるなら、今後は同じタイプの人間も増えるのかな?
(ただし その反面、今後は同世代で、共通の懐古話に花を咲かせるのが難しくなるかも)

> 交通事故で死者が出るのは仕方ないことだと皆考えていますが、
> いざ自分が交通事故にあって障害が残るようなことになれば、そうは思わないでしょうし。

年齢差による「感覚の違い」という観点から、引き続いて述べると、
「死の身近さ」というのも、大きな違いがあるかも知れません。

核家族化が進み、兄弟姉妹も少なくなり、親戚関係や近所関係も疎遠化している昨今、
特に学生だと、周囲に同世代の子供たちしか居ない訳で、
葬式に出たり、家族や友人知人が亡くなるという経験は、あまりしない為、
「死」というモノが、非常に縁遠いというか、実感が乏しく、
だからこそ反面で、それに対する恐怖感や忌避感も、非常に強いと思うんですよ。

でも、社会に出て様々な年代と触れ合い、そして自分や周囲も年齢を重ねていけば、
どうしたって死は免れませんし、ドンドンと身近な存在へと変わっていき、
慣れが生じると共に、恐怖感や忌避感も次第に薄れていくのが、実際の所です。
いや本音を言えば、怖くない訳でも、嫌じゃない訳でもありませんが、
そこに個人差はあれど、「仕方がない事」として、徐々に受け入れていく感じになると。
オッサン世代になれば、同級生だって、もう何人も死んでますし。

> > う〜ん、腑に落ちる感覚がして、スカッとするのは別に良いのですが、
> > その快楽に呑まれると言うか、確証バイアスみたいな感じで、全てを色眼鏡で見てしまい、
> > そこを指摘されると、自らを省みるより、相手が間違っていたり、認識不足を疑うのは、
> > 思考の構図として、陰謀論などにハマるのと大差ありませんし、
> > それこそ対象や方向性が異なるだけで、嫌韓反中やQアノンと変わりませんよ・・・・
> > そうした事に、どれだけ自覚を持ててますか?

> 管理人さんの言うことも分かりますし、
> 私も「仮説ですが」とか「私の知っている限られた情報から判断すれば」とか、ちょくちょく入れているんですよね。
> とはいえ、私が(世代論など含め)歴史や社会科学が好きなのは、管理人さんの言うところの「腑に落ちる感覚がして、スカッとする」があるからなので、
> この感覚のために時間を使って本読んだり色々考えたりしてるので、それを辞めるとなると歴史の勉強なんてやってられるか、みたいな気持ちはあります。
> 飲まなきゃやってらんねえよ、みたいな感じで。
> 私も自分の信じている仮説って本当に正しいのだろうかと不安になることはありますし、
> なんなら最近は、勉強しても勉強しても、むしろ勉強すればするほど、「自分は何もわかっていないんじゃないのか」という不安が大きくなり、
> 正直歴史を勉強するのがしんどいんですよね。(そんなに本読んでないだろというツッコミはナシでお願いしますw)

ところで旧トルコ担当さんは、「ダニング=クルーガー効果の曲線」というのを ご存知でしょうか?
「知識」と「自信」の成長というのは、右肩上がりの一直線ではなく、こんな感じの曲線↓を描くというモノですね。


これは何も学問だけに限らず、あらゆる分野においても言える事であり、
実際、オタク界の中でも、「ガンダム チョットワカル」というネタ↓があったりします(笑)。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2107/01/news136.html


> 1調べて「なるほど」と満足するのがダメで、
> 10調べて「分かった」と感じるのがダメで、
> 100調べても詳しい人を名乗ってもだめなら、
> どれだけ調べれば私は気持ち良くなっていいんですかね?

何事でも そうですが、真面目に学ぼうとした場合、
新しい事を1つ知ると、解らない事が2つも3つも新たに出てくるモノですし、
学びを繰り返していけば、ネズミ算的に、解らない事が膨大に増えていくモノですから、
そういう意味では、学びというのは、非常に理不尽な世界です(笑)。

でも、そうやって「解らない事」の数が増えていくというのが、実はとても重要なんですよ!!
洋の東西を問わず、孔子もソクラテスも言及している、「無知の知」ってヤツですね。
「下手糞の上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目」と、
安西先生だって、言ってるじゃないですか(笑)。
(スラムダンクを基礎教養として見てる時点で、オタク相手以外なら老害認定ですけど)
「凄くできる人ほど謙虚だ」とか言ったりしますが、当人的には別に謙虚なのではなく、
自分の中での解る事と解らない事の線引きが、普通の人よりも明確なだけなんだと思います。

それこそ、上述のダニング=クルーガー効果の曲線に従えば、
「馬鹿の山(初心者)」→「絶望の谷(中級者)」→「啓蒙の坂(上級者)」→「継続の大地(達人)」
という成長曲線を描く訳で、
「何もわかっていないんじゃない不安」「勉強するのがしんどい」という、現状の旧トルコ担当さんの辛さも、
初心者レベルから中級者レベルへと脱皮する過程の、産みの苦しみだとも言えますし、
そういう意味では、偉そうに言うと、確実に成長中であるとも見なせるでしょう!!
逆に、手っ取り早く「気持ち良さ」を得たいのであれば、「永遠の初心者」である事ですね(笑)。
ぶっちゃけ、労力と快楽の割合で考えると、ニワカの立ち位置でライトに楽しむのが、最もコスパが良いので。

でも、快楽のコスパではなく、快楽の総量を求める場合、
山登りと同じで、より高くを目指すほど、快楽に倍する労力を要するようになりますし、
高くなれば なるほど、その1歩1歩の足取りも重くなっていきますから、それこそ茨の道ですよ。
身も蓋もない事を言ってしまえば、調べれば調べるほど苦痛になるのが、この道の行き先であり、
そこまで行かなければ見られない、美しい高原植物に出会える事(快楽)はあっても、
総体的に、達成感や充実感みたいなモノは得られても、そんな気持ちの良い未来は待っていないかと?
「なぜ山に登るのか? そこに山があるからだ」というのと同じように、
「なぜ調べるのか? そこに知らない事があるから…」という感じなので、
良くも悪くも、こうした衝動(義務感?)に突き動かされるタイプでなければ、
この道程の苦しさというのは、なかなか乗り越えられないかも知れませんね・・・・

一方で、「気持ち良さ」を最重視するのであれば、それこそ、
1つ2つ調べて「なるほど、解った!」という所で、足を止めれば良いと。
いわゆる「ネットde真実」みたいなのが、まさに このパターンでしょうか?
正直な所、嫌韓反中やQアノンなどの陰謀史観にハマるのは、
少ない労力で大きな快楽を得られますから、気持ち良さ的には、非常にコスパが良いと思いますよ。
で、こうなると、相手に対する「もっと勉強しろよ!」は、「自分に同調しろ!」と同義になりますし、
調べるという行為も、客観的な新情報を探すのではなく、持論の補強材料を探すモノとなります。
真相に近付きたいから調べるのではなく、気持ち良くなりたいから調べるので・・・・
(逆に言えば、知る事を快楽としつつ、安易な快楽を嫌悪すると、このルートを避けられるかな?)

> 私にとって岡田斗司夫が面白かった理由は、この"分かる感覚"を岡田斗司夫が簡単に与えてくれたからであり、
> ある程度の論理性と、非凡な発想力、そして少し変わった表現力と、
> 自信満々に断言する傲慢さが合わさり、奇跡のように"分かる感覚"を量産した人なんですよね。
> とはいえ、岡田斗司夫は自分の仮説が外れても全然恥じない厚顔無恥の人間ですし、
> やはり胡散臭い人間ではあるのですがw(この辺も含めてあれは才能ですねw)

そこはもう、エンタメとして聞くか? バイブルとして聴くか? の違いですかね(笑)。
別に私も、岡田斗司夫を全否定している訳では無いですし、
(と言いますか、ことオタク的な知見に関して言えば、やはり面白いですよ!)
エンタメとして割り切りながら、是々非々で楽しんでる感じでしょうか。

あと、客観性よりも主観性に偏り、何事も自分に都合良く解釈するタイプの人なので、
情報源としての信頼度は、かなり低く設定しているかな?
少なくとも、別な立場の人も同様の発言をしていない限り、
岡田斗司夫の発言だけでは、「信じられる情報」とは見なしてませんね、私自身は。

> あとはまあ、結局は(社会)科学の力をあまり信じていないというのもあるのかな。
> 2015年の時点でアメリカがあんなことになるなんて予測していた人は少数派でしたでしょうし、

「2015年の時点でアメリカが」というのは、いわゆる「トランプ現象」の事ですかね?
う〜ん、この「予測」というのが、実際に何を指すか次第で、その答えは変わるかな・・・・
簡単に言うと、大きな流れみたいなモノは、そこまで読み難いモノでは無いんですよ。
アメリカ政治で言うなら、2000年と2004年にブッシュJr.の大統領当選があり、
2010年前後のティーパーティー運動があった上での、あのトランプ現象でしたからねえ。
あの時期に、あの規模で顕れたのが予想外だっただけで、一連の流れとしては以前より在りました。

解りやすく喩えるなら、天気予報や、台風の進路予測に似た所があるかも?
6月は雨の日が多いとか、8〜9月は台風が多いとか、そうした大まかな予測は外しませんけど、
一方で、1ヶ月後の○月×日の天気や、台風の進路など、ピンポイントな予測的中は困難です。
それでも、今後1週間くらいの降水に関してなら、「確率」という形でそれなりに出せますし、
前線の関係で、雨の降る日が前後したり、降水量が予測から上下する事もありますが、ある程度は解ります。
要するに、速さ・大きさ・方向などで幾らかのズレは生じても、おおよその傾向は推測できると。
なので、必ず当たる訳では無い天気予報や台風予測も、活用次第で有用性が大きく変わるとも言えるかな?

で、政治や社会の予測に関して言うと、短期的な予測というのは非常に困難ですが、
中期的な予測は景気により、長期的な予測は人口によって、そこそこは見えてくる所があるのも事実です。
大統領選挙で言うなら、不景気だと次の選挙で政権交代が起こりやすいとか、
非白人の割合がジワジワ増えているので、大胆な路線転換を行わない限り、共和党はジリ貧だとか。
特に人口の場合、そんな簡単に、傾向が変化するモノでもないですし、
景気にしても、一夜で急激に好景気へ転じる事もなく、
バブルが弾けるタイミングは読めなくても、バブルが膨らんでるのは解るので。

つまり、これも天気予報や台風予測と同じように、的確に当てるのは困難でも、大まかな流れは掴めますし、
それをどれだけ活用するか? その為にどれだけ情報を収集するか? は、人それぞれであると。
出掛ける前に、ちょっと天気予報を確認するだけで、雨に濡れずに済む事だってありますし、
逆に、せっかく傘を持っていったのに、結局は雨が降らず、ただただ邪魔だったなんて事もありますから、
トータルで見て、それをどう評価するか?って事ですよね、結局は。
どちらが正解、不正解という話でもありません。

> 歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
> (歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)

いやいや、歴史に「必然性」を求める学者なんて、本当にそんなに居ますか?
「歴史にifは無い」と言いますが、その反面で、
「歴史とは様々あった可能性の1つに過ぎない」事は、学べば学ぶほど解る事でしょうし、
テレビに出ている、歴史学者ならぬ歴史家であったり、学者肩書きのコメンテイターでも無い限り、
そんな事は、普通に言わないと思いますけどねえ・・・・
まあ、中には御用学者とかも居ますし、その場その場で都合の良い発言をする人も居るでしょうけど、
そういう人は、特定の業界内では需要があっても、学術界では相手にされていないかと?

司馬遼太郎などの歴史小説家は、あくまでもエンタメの世界なので、
面白おかしく「必然性」を語る事もあるでしょうが(そちらの方が作品的に楽しいので)、
あれも別に、歴史学としてキチンと考察している訳では無いですからね。
「司馬史観」とか言って、有り難がってしまうのは、読者側のリテラシーの話だと思いますし。

> まあ、学問自体に期待していないので、私が多少科学的じゃなくても、
> どうせ学者だって似たり寄ったりだろ、みたいなことも"極論"思うようになりました。
> 反知性主義といわれるかもしれませんが、そのくらいの距離感が社会科学に対する丁度よい距離感なのかな、と。

学問とか、科学とかは、解らない事は普通に「解らない」と言いますし、
真摯な態度で語るなら、それこそ「解らない事だらけ」なので(笑)、
具体的な処方箋を呈示してくれるみたいな期待は、当然ながら応えられないかな?(苦笑)
例えば、地球温暖化の話にしたって、科学的・学術的に語るのであれば、
地球が本当に温暖化しているかも解らなければ、人間の出す二酸化炭素の所為かも解りません。

実際は、真っ当な学者ほど、安易な断言など絶対に行いませんし、
逆に言えば、科学的なデータを都合良く解釈&利用する政治家や運動家が居たり、
利益を得る為に、そこに おもねる御用学者が居るだけですね。
まあ実際問題、「解らない、解らない」だけじゃ、何も行えませんし、
解らなくても動かなければならないのが、政治であり社会であると考えるのであれば、
「科学的・学術的な正しさ」と「政治的・社会的な正しさ」とは、必ずしもイコールとは限りません。
そして更には、一般市民の感覚からすると、そんな事情も面倒で解り難いですから、
結局は、感情というかフィーリングで、「メディア報道を信じるか?否か?」になるのかな。
で、マスコミの報じる正しさが、本当に正しい訳では無いものの、
ネットde真実に比べれば、遥かにマシであろう事は確かですね(笑)。

> > > 「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
> > > 私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、
> > > 会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
> > > これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

> > 実は、「皆の前で褒めないで」というのが、
> > 意外と曲者というか、深いモノがある気がします。
> > SNSにおける、異様な承認欲求の高さなどとも通じるのですが、
> > 決して「褒めないで」ではなく、あくまでも「皆の前で」なんですよね。
> > つまり、物凄く褒めて貰いたい、認めて貰いたいという感情が、
> > 根源的な部分には、見え隠れしていると(笑)。
> > そして更に言えば、皆の前で褒められるのが、本当に嫌なのかというと、
> > きっと恐らくは、褒められたくない訳では無く、それ所か内心では褒めて欲しいのが本音なのに、
> > 期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など、
> > その事で他者から負わされる諸々の事を、負担に感じるというか、請け負える自信が乏しい為、
> > メリットとデメリットを秤に掛けて、逃げの方向に回避したくなるのが、実際の所なのでは?

> これもそうですね。
> 何を今さら感が私にとっては強いのですが、当事者じゃないというのはそれだけ分からないということなんですよね。

前出のように、恋愛と周囲の関係性とか、スカッとジャパンの視聴者層など、
自分の中で当然の認識だったモノも、実際に声に出してみる事で、それが改まる事だってありますし、
また、当事者だからと言って、と言うか当事者だからこそ、
主観に寄り過ぎて、客観性に欠くという事も珍しくは無いのですから、
いろいろと言葉にしてみる事は、それなりに良い事だと思いますよ(笑)。

> 追記
> 管理人さんの文章に引っ張られて、よく考えずに書いてしまったので訂正します。
> 若者は褒められたくないというのが私の私見です。
> もちろんSNSなどの承認欲求というのもありますが、身近な人か好かれたい・嫌われたくないというのが若者の関心事項であり、
> 大学の教授に褒められるというのは、苦痛でしかないと思います。
> また、仮に相手が身近な人であったとしても、褒められたいというよりも、
> その欲求というのはもっと消極的に存在を認めてほしい、程度であって
> 褒められたい、というのはやはりパワフルさというか、意識の高さみたいなものを感じます。

う〜ん、これに関しては、
「認める」という言葉の意味の誤用というか、解釈の拡大や意味の変容が起きている気がするんですよね。
個人的には、「認める」の方が重く、「褒める」の方がライトなので、「認める>褒める」という感じですが、
ここ数年の用法だと、「褒める>認める」みたいな用い方も目立ち始めてきた印象があります。

例えば、認めるには「認めざるを得ない」という用法がありますが、
これって、個人的には嫌いでも、その成果なり才能は、評価すべきモノがあるという表現ですが、
これが褒める野場合、個人的に嫌いであれば、「褒めざるを得ない」という表現にはなりません。
そういう意味では、主観的に感情も交じるライトな評価が「褒める」であり、
客観的に結果や能力を、純粋に評価するのが「認める」だと思うんですよ。
ただ、認めるの方には、ネガティブな評価をオブラートに包む時の表現としても用いられ、
例えば、「努力は認めるよ、努力は」と言う場合は、真意に「結果の否定」が含まれますし、
「ファイルの存在を認める」とかも、不祥事が発覚した際、既にファイルは処分済みだと発表して、
それが嘘だとバレた時に、「誤情報の修正」の意味として用いられます。

まあ、「消極的に存在を認めてほしい」というのも解りますが、それはあまりにネガティブというか、
逆に言えば、だからこそ、ポジティブ方向への意味や適用の拡大が、近年起きている気がするんです。
具体的に言うなら、発端は学校現場や教育関連なんですかねえ?
昭和は当たり前だった「叱る」教育から、平成になって「褒める」教育へのシフトが図らたものの、
その結果、勉強や部活などの「成果を褒める」方向へと行き着いた為、
令和では、成果ではなく過程や努力を「認める」教育が頻繁に提言されていると。
(いや別に、過程や努力を褒めても良いですし、アメとムチで叱るを全否定する必要も無いのですが・苦笑)

要するに、「褒める」に替わる別の用語として、「認める」を引っ張り出してきた感じに近いのかな?
でも、SNSにおける承認欲求の象徴とされる「いいね(Good)」ボタンとかも、
あれって、投稿内容や作品の「素晴らしさ」を認めるという、重い意味では無いでしょうから、
そういう意味では、もっと気軽な感じで、それこそ「いいね」と相槌的に褒めている気がするんですよね。
あなたが投稿した「事実」は認めるよ という、ネガティブな意図でも無いでしょうし。
・・・って、だからこそ、褒めるよりも更にライトな(責任を負わない)表現として、
「投稿を確認したよ」という事実確認という意味合いで、認めるという単語を用いているのかな。
現実の用法としても、そちらの方がシックリ来るきがしますので。

と、単語の意味的なモノを、長々と書いてしまいましたが、普通は興味ないですよね?(笑)
世間一般の感覚では、もっと漠然と言葉を用いているでしょうし。
まあ、それはさておき、文章の内容の方への返信を始めますと、
若者は「褒められたくない」というのは、本当にそうなんですかねえ?
より具体的に言うと、前回も指摘しましたけど、
褒めるに付随されると連想する「期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など」を、
避けたが為の「褒められたくない」であり、
「褒められる」という行為自体まで、本当に嫌だと言えるのでしょうか?

もっと言うと、どの世代よりも「周囲の評価を気にする」世代であればこそ、
ネガティブな意味での「認められる」よりも、
更に上位に位置する「褒められる」を心の底から嫌っていますか?
これはコスパ感覚と同じで、褒められる事で得られるメリットとデメリットを秤に掛けた場合、
デメリットの方が大きいと判断すれば、確かにノーでしょうけど、
メリットの方が大きいと判断したなら、その時はイエスとなる気がしますけどねえ。
で、メリットとデメリットのバランスが微妙な所にあるからこそ、
「皆の前で」という要素が加わると、デメリット面が膨らみ(背負わされるモノが増えて)、
「褒められたくない」方へと傾くというのが、実際の所であるかと考えています。

逆に言えば、デメリットを上回る、大きな「承認欲求」が得られるのであれば、
変な話、どの世代よりも、実は「褒められたがり」な世代なのではないか?とも(笑)。
いや本当、今の若い世代の「周囲の目の気にしぶり」って、かなり際立ってますからね。
以前にも指摘しましたけど、それこそ俺ガイル的な「ぼっち感」って、
ぼっちを称しながら、必要以上に周囲を気にして、出来れば そこに関わりたがる感じが、
それまでの「ガチぼっち」みたいなモノと比べると、何だか独特な感じがあると。

まあ、少子高齢化の影響により、若者の絶対数も減っていれば、大人と子供の割合も変化しており、
教育方針の変化とも相俟って、今の世代は昔以上に、良くも悪くも1人1人が見られている時代ですので、
どの世代の子供より、実は褒められたり、存在を確認されている世代でもあるのですが、
それが当たり前で育っていると、そこを自覚できないと言うか、スタート地点の違いとかもありますね。
内在的で抑え気味な「もっと、もっと」という願望と、それが困難な社会の実状との間に、ギャップがあったり、
主観的に「自分たちはこうだ」というのと、客観的に「あなたたちはこうだ」というのでも、ズレもありますし。
って、あれこれと勝手に分析・解釈されるって、あまり心地良いモノでは無いかも知れませんけど(苦笑)。

あと、これは余談みたいなモノですが、
「大学の教授」と言うか、ここでは「先生」という表現ですから、
想定されるのは中学・高校の担任とかであったり、
もしくは大学であっても、こぢんまりとしたゼミとかだと思われますし、
そうなると、これはもう、立場は教授であっても「身近な人」となるのでは?
大教室の講義とかで、顔と名前しか解らない教授から、
いきなり皆の前で褒められるケースなんて、普通はまず無いですので(笑)。


P.S.
来週からカタールW杯が始まりますので、
(今大会は異例の冬開催という事もあり、連日4試合の超過密日程)
私の方の返信は、今後 遅れるかと思います。
事前に御了承下さい。


[24095] Re6:私から見る80,90年代【追記あり】返信 削除
2022/11/30 (水) 03:24:00 旧トルコ担当

> > > う〜ん、腑に落ちる感覚がして、スカッとするのは別に良いのですが、
> > > その快楽に呑まれると言うか、確証バイアスみたいな感じで、全てを色眼鏡で見てしまい、
> > > そこを指摘されると、自らを省みるより、相手が間違っていたり、認識不足を疑うのは、
> > > 思考の構図として、陰謀論などにハマるのと大差ありませんし、
> > > それこそ対象や方向性が異なるだけで、嫌韓反中やQアノンと変わりませんよ・・・・
> > > そうした事に、どれだけ自覚を持ててますか?

> > 管理人さんの言うことも分かりますし、
> > 私も「仮説ですが」とか「私の知っている限られた情報から判断すれば」とか、ちょくちょく入れているんですよね。
> > とはいえ、私が(世代論など含め)歴史や社会科学が好きなのは、管理人さんの言うところの「腑に落ちる感覚がして、スカッとする」があるからなので、
> > この感覚のために時間を使って本読んだり色々考えたりしてるので、それを辞めるとなると歴史の勉強なんてやってられるか、みたいな気持ちはあります。
> > 飲まなきゃやってらんねえよ、みたいな感じで。
> > 私も自分の信じている仮説って本当に正しいのだろうかと不安になることはありますし、
> > なんなら最近は、勉強しても勉強しても、むしろ勉強すればするほど、「自分は何もわかっていないんじゃないのか」という不安が大きくなり、
> > 正直歴史を勉強するのがしんどいんですよね。(そんなに本読んでないだろというツッコミはナシでお願いしますw)

> ところで旧トルコ担当さんは、「ダニング=クルーガー効果の曲線」というのを ご存知でしょうか?
> 「知識」と「自信」の成長というのは、右肩上がりの一直線ではなく、こんな感じの曲線↓を描くというモノですね。
>
>
> これは何も学問だけに限らず、あらゆる分野においても言える事であり、
> 実際、オタク界の中でも、「ガンダム チョットワカル」というネタ↓があったりします(笑)。
> https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2107/01/news136.html
>
>
> > 1調べて「なるほど」と満足するのがダメで、
> > 10調べて「分かった」と感じるのがダメで、
> > 100調べても詳しい人を名乗ってもだめなら、
> > どれだけ調べれば私は気持ち良くなっていいんですかね?

> 何事でも そうですが、真面目に学ぼうとした場合、
> 新しい事を1つ知ると、解らない事が2つも3つも新たに出てくるモノですし、
> 学びを繰り返していけば、ネズミ算的に、解らない事が膨大に増えていくモノですから、
> そういう意味では、学びというのは、非常に理不尽な世界です(笑)。
>
> でも、そうやって「解らない事」の数が増えていくというのが、実はとても重要なんですよ!!
> 洋の東西を問わず、孔子もソクラテスも言及している、「無知の知」ってヤツですね。
> 「下手糞の上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目」と、
> 安西先生だって、言ってるじゃないですか(笑)。
> (スラムダンクを基礎教養として見てる時点で、オタク相手以外なら老害認定ですけど)
> 「凄くできる人ほど謙虚だ」とか言ったりしますが、当人的には別に謙虚なのではなく、
> 自分の中での解る事と解らない事の線引きが、普通の人よりも明確なだけなんだと思います。
>
> それこそ、上述のダニング=クルーガー効果の曲線に従えば、
> 「馬鹿の山(初心者)」→「絶望の谷(中級者)」→「啓蒙の坂(上級者)」→「継続の大地(達人)」
> という成長曲線を描く訳で、
> 「何もわかっていないんじゃない不安」「勉強するのがしんどい」という、現状の旧トルコ担当さんの辛さも、
> 初心者レベルから中級者レベルへと脱皮する過程の、産みの苦しみだとも言えますし、
> そういう意味では、偉そうに言うと、確実に成長中であるとも見なせるでしょう!!
> 逆に、手っ取り早く「気持ち良さ」を得たいのであれば、「永遠の初心者」である事ですね(笑)。
> ぶっちゃけ、労力と快楽の割合で考えると、ニワカの立ち位置でライトに楽しむのが、最もコスパが良いので。
>
> でも、快楽のコスパではなく、快楽の総量を求める場合、
> 山登りと同じで、より高くを目指すほど、快楽に倍する労力を要するようになりますし、
> 高くなれば なるほど、その1歩1歩の足取りも重くなっていきますから、それこそ茨の道ですよ。
> 身も蓋もない事を言ってしまえば、調べれば調べるほど苦痛になるのが、この道の行き先であり、
> そこまで行かなければ見られない、美しい高原植物に出会える事(快楽)はあっても、
> 総体的に、達成感や充実感みたいなモノは得られても、そんな気持ちの良い未来は待っていないかと?
> 「なぜ山に登るのか? そこに山があるからだ」というのと同じように、
> 「なぜ調べるのか? そこに知らない事があるから…」という感じなので、
> 良くも悪くも、こうした衝動(義務感?)に突き動かされるタイプでなければ、
> この道程の苦しさというのは、なかなか乗り越えられないかも知れませんね・・・・
>
> 一方で、「気持ち良さ」を最重視するのであれば、それこそ、
> 1つ2つ調べて「なるほど、解った!」という所で、足を止めれば良いと。
> いわゆる「ネットde真実」みたいなのが、まさに このパターンでしょうか?
> 正直な所、嫌韓反中やQアノンなどの陰謀史観にハマるのは、
> 少ない労力で大きな快楽を得られますから、気持ち良さ的には、非常にコスパが良いと思いますよ。
> で、こうなると、相手に対する「もっと勉強しろよ!」は、「自分に同調しろ!」と同義になりますし、
> 調べるという行為も、客観的な新情報を探すのではなく、持論の補強材料を探すモノとなります。
> 真相に近付きたいから調べるのではなく、気持ち良くなりたいから調べるので・・・・
> (逆に言えば、知る事を快楽としつつ、安易な快楽を嫌悪すると、このルートを避けられるかな?)


あとまあ、私の場合は学問としての歴史が好きなのではなく、ある種のSFとしての歴史が好きなんだというのに気づいてしまったというのもあるんですよね。
例えば優生学とか(支持しているとかではなく)あのエセ科学で当時の時代の雰囲気が感じられるのがめちゃくちゃ好きですし、
高校生くらいのころは歴史学"崇拝"があって、もっと歴史のまじめな本読んで自分も勉強しなくちゃいけないと思っていましたが、
今は好きなように適当に歴史をかじって、結果としてある程度間違った歴史認識だったとしても、自分が面白ければそれでいいや、と思うようになりましたね。
私はオタクであって知識人ではないので。
私の周囲には管理人さんのような知識人系の人が多いのですが、それに流されて本当に自分が好きなものを見失うのって、
オタクを自称する私が一番上から目線に見下してる、流行に流されて自分が好きなものを追わない一般人と同じですからね。

ちなみに、私の好きなコンテンツに「ドナウ連邦建国史」というのがあるのですが、管理人さんはご存知でしょうか?
第一次世界大戦でドイツが勝った世界線の架空史なのですが、筆者の豊富な歴史知識による作りこみが凄くておススメです。
以前管理人さんが妄想されていた、満州国が存続し続けていた世界線でもありますし。

> > まあ、学問自体に期待していないので、私が多少科学的じゃなくても、
> > どうせ学者だって似たり寄ったりだろ、みたいなことも"極論"思うようになりました。
> > 反知性主義といわれるかもしれませんが、そのくらいの距離感が社会科学に対する丁度よい距離感なのかな、と。

> 学問とか、科学とかは、解らない事は普通に「解らない」と言いますし、
> 真摯な態度で語るなら、それこそ「解らない事だらけ」なので(笑)、
> 具体的な処方箋を呈示してくれるみたいな期待は、当然ながら応えられないかな?(苦笑)
> 例えば、地球温暖化の話にしたって、科学的・学術的に語るのであれば、
> 地球が本当に温暖化しているかも解らなければ、人間の出す二酸化炭素の所為かも解りません。


何となく聞いたことはありましたが、やはり地球温暖化は怪しいんですね。
就活でカーボンニュートラルが〜とか散々聞いているので、あれが全部非科学的と言われれば、薄々感じていたこととはいえ、頭がバグりそうw
私は文系なので専門知識はさっぱりですが、地球って巨大ですし、その中で起きている化学反応や科学現象も多種多様でしょうから、
専門家でも実際に地球で何が起きているかというのは、分からないんだろうとは勝手に思っていました。
データだって無限の予算で世界各地に観測拠点を置くわけにはいかないでしょうし、過去のデータ何かは絶対に手に入りませんからね。
割と人体とかに近いのかな?人体の中でも様々な体の機能や反応が起きているはずで、おそらくその大部分は現代医学でも未解明なんでしょうね。

> > > > 「先生、みなの前でほめないでください」の場合、若者の貢献欲求という言葉がドキッとさせられましたね。
> > > > 私も貢献欲求高いので、バイトも安い給料で一生懸命働きますし、
> > > > 会社入っても上司から直接頼まれると(どうでもいい作業でも)張り切ってやる姿が想像できますし。
> > > > これも私だけでなく、今の世代みなそうなんだなあと。

> > > 実は、「皆の前で褒めないで」というのが、
> > > 意外と曲者というか、深いモノがある気がします。
> > > SNSにおける、異様な承認欲求の高さなどとも通じるのですが、
> > > 決して「褒めないで」ではなく、あくまでも「皆の前で」なんですよね。
> > > つまり、物凄く褒めて貰いたい、認めて貰いたいという感情が、
> > > 根源的な部分には、見え隠れしていると(笑)。
> > > そして更に言えば、皆の前で褒められるのが、本当に嫌なのかというと、
> > > きっと恐らくは、褒められたくない訳では無く、それ所か内心では褒めて欲しいのが本音なのに、
> > > 期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など、
> > > その事で他者から負わされる諸々の事を、負担に感じるというか、請け負える自信が乏しい為、
> > > メリットとデメリットを秤に掛けて、逃げの方向に回避したくなるのが、実際の所なのでは?

> > これもそうですね。
> > 何を今さら感が私にとっては強いのですが、当事者じゃないというのはそれだけ分からないということなんですよね。

> 前出のように、恋愛と周囲の関係性とか、スカッとジャパンの視聴者層など、
> 自分の中で当然の認識だったモノも、実際に声に出してみる事で、それが改まる事だってありますし、
> また、当事者だからと言って、と言うか当事者だからこそ、
> 主観に寄り過ぎて、客観性に欠くという事も珍しくは無いのですから、
> いろいろと言葉にしてみる事は、それなりに良い事だと思いますよ(笑)。
>
> > 追記
> > 管理人さんの文章に引っ張られて、よく考えずに書いてしまったので訂正します。
> > 若者は褒められたくないというのが私の私見です。
> > もちろんSNSなどの承認欲求というのもありますが、身近な人か好かれたい・嫌われたくないというのが若者の関心事項であり、
> > 大学の教授に褒められるというのは、苦痛でしかないと思います。
> > また、仮に相手が身近な人であったとしても、褒められたいというよりも、
> > その欲求というのはもっと消極的に存在を認めてほしい、程度であって
> > 褒められたい、というのはやはりパワフルさというか、意識の高さみたいなものを感じます。

> う〜ん、これに関しては、
> 「認める」という言葉の意味の誤用というか、解釈の拡大や意味の変容が起きている気がするんですよね。
> 個人的には、「認める」の方が重く、「褒める」の方がライトなので、「認める>褒める」という感じですが、
> ここ数年の用法だと、「褒める>認める」みたいな用い方も目立ち始めてきた印象があります。
>
> 例えば、認めるには「認めざるを得ない」という用法がありますが、
> これって、個人的には嫌いでも、その成果なり才能は、評価すべきモノがあるという表現ですが、
> これが褒める野場合、個人的に嫌いであれば、「褒めざるを得ない」という表現にはなりません。
> そういう意味では、主観的に感情も交じるライトな評価が「褒める」であり、
> 客観的に結果や能力を、純粋に評価するのが「認める」だと思うんですよ。
> ただ、認めるの方には、ネガティブな評価をオブラートに包む時の表現としても用いられ、
> 例えば、「努力は認めるよ、努力は」と言う場合は、真意に「結果の否定」が含まれますし、
> 「ファイルの存在を認める」とかも、不祥事が発覚した際、既にファイルは処分済みだと発表して、
> それが嘘だとバレた時に、「誤情報の修正」の意味として用いられます。
>
> まあ、「消極的に存在を認めてほしい」というのも解りますが、それはあまりにネガティブというか、
> 逆に言えば、だからこそ、ポジティブ方向への意味や適用の拡大が、近年起きている気がするんです。
> 具体的に言うなら、発端は学校現場や教育関連なんですかねえ?
> 昭和は当たり前だった「叱る」教育から、平成になって「褒める」教育へのシフトが図らたものの、
> その結果、勉強や部活などの「成果を褒める」方向へと行き着いた為、
> 令和では、成果ではなく過程や努力を「認める」教育が頻繁に提言されていると。
> (いや別に、過程や努力を褒めても良いですし、アメとムチで叱るを全否定する必要も無いのですが・苦笑)
>
> 要するに、「褒める」に替わる別の用語として、「認める」を引っ張り出してきた感じに近いのかな?
> でも、SNSにおける承認欲求の象徴とされる「いいね(Good)」ボタンとかも、
> あれって、投稿内容や作品の「素晴らしさ」を認めるという、重い意味では無いでしょうから、
> そういう意味では、もっと気軽な感じで、それこそ「いいね」と相槌的に褒めている気がするんですよね。
> あなたが投稿した「事実」は認めるよ という、ネガティブな意図でも無いでしょうし。
> ・・・って、だからこそ、褒めるよりも更にライトな(責任を負わない)表現として、
> 「投稿を確認したよ」という事実確認という意味合いで、認めるという単語を用いているのかな。
> 現実の用法としても、そちらの方がシックリ来るきがしますので。
>
> と、単語の意味的なモノを、長々と書いてしまいましたが、普通は興味ないですよね?(笑)
> 世間一般の感覚では、もっと漠然と言葉を用いているでしょうし。
> まあ、それはさておき、文章の内容の方への返信を始めますと、
> 若者は「褒められたくない」というのは、本当にそうなんですかねえ?
> より具体的に言うと、前回も指摘しましたけど、
> 褒めるに付随されると連想する「期待感か責任感、もしくは反感や羨望、嫉妬など」を、
> 避けたが為の「褒められたくない」であり、
> 「褒められる」という行為自体まで、本当に嫌だと言えるのでしょうか?
>
> もっと言うと、どの世代よりも「周囲の評価を気にする」世代であればこそ、
> ネガティブな意味での「認められる」よりも、
> 更に上位に位置する「褒められる」を心の底から嫌っていますか?
> これはコスパ感覚と同じで、褒められる事で得られるメリットとデメリットを秤に掛けた場合、
> デメリットの方が大きいと判断すれば、確かにノーでしょうけど、
> メリットの方が大きいと判断したなら、その時はイエスとなる気がしますけどねえ。
> で、メリットとデメリットのバランスが微妙な所にあるからこそ、
> 「皆の前で」という要素が加わると、デメリット面が膨らみ(背負わされるモノが増えて)、
> 「褒められたくない」方へと傾くというのが、実際の所であるかと考えています。


褒められるというのは「行為とか成果が、他よりもより優れている」ということですよね。
ですが、今の若者の自信のなさは、大学の教授に褒められた程度で払拭される程度の中途半端なものではありませんから、
褒められたとしても、自分で自分の成果を他よりもより優れていると認められない以上、褒められるという行為自体が無意味なのではないでしょうか。

これは私の場合を基にした仮説なので(今までも大半そうですが)、説得力がないかもですが、
「周囲の評価を気にする」世代というより、自己否定が非常に強い世代という方が正しいと思うんですよね。
周囲の評価が気になるというのは、自分では自分を絶対に認められないから、
せめてもの渇きをいやすために、周囲にすがっているというか。

俺ガイルにしても、管理人さんの目にはどのように主人公が周囲の目を気にしているように見えるのかは分かりませんが、
周囲の視線が気になるというより、自分はこれでいいのかという、恐怖心があると思うんですよね。
だからこそ主人公は自分好きですし、逆に言えばそのくらい自分好きじゃないと、心のバランスが取れず、メンヘラみたくなってしまうんですよ。

私自身ふと自分の人生を振り返ると、体が太っていたり、ブサイクじゃなくて良かったなと、心の底から思うんですよね。
もし太っていたり、ブサイクだったら、心のバランスを崩して大変なことになっていただろうなあと。

バブリーの時代に、団塊ジュニア世代の男性たちが、赤プリ予約は当たり前な女性たちの要求に絶望していたという話が、
私には、なんて(当時の若者は)パワフルで、まっすぐで、かっこいいんだ、と思ってしまいますし、そっちには一生行けないな、と思ってしまうんですよね。
私はラノベを読み始めた中学生のころから一生独身で、生涯彼女なんかできないと覚悟を決めていましたし、
オタクであるにも関わらず、それを必死に隠そうとしたりして、どうにかして女の子にモテようと(というか、普通に女の子と話したりできる程度の地位を確保しようと)思っていたオタクのクラスメイトを、
覚悟と修業が足らんと思っていました(というか今でも思っています)。
まあ実際にはオタクでも結婚できる人はできますし、出来ない人でもやろうと本気で思えばやります(笑)。むしろ普通の恋愛結婚で結婚をしてる人なんて少数派でしょう(少数派ですよね?)。
それは高校生くらいになれば分かってきたのですが、でもやっぱりオタクの中でもまた色々なタイプがいますし、
オタクと言いつつ、なんだかんだで体育会系の部活に入っていたり、普通に友達がいたり、そういうオタク以外の世界もある人たちが、やっぱり結婚していくんですよね。
Twitter見てても、私が「この人は結婚するだろうな」と思った人が本当に結婚した率or実は既婚者だった率は今のところ100%的中していますし、この診断で行けば私は結婚できないタイプのオタクです。
いや、いいんですよ。結婚できなくても、生涯独身で最後は孤独老人として死ぬとしても。
それは私はオタクになったと時に、覚悟したことですし、私は人生ささげると(大げさではなく)決めたので。
ですけど、やはりふと本当にこのままでいいのかと、お前は人生から逃げているのではないかと、不安になるんですよね。
友達も作らず、女の子とも話さず、人生の思い出が全部ラノベとアニメしかない人生は、人間としてこの世の中にいていい存在じゃないんじゃないかと。
そういう不安感と自己否定があるからこそ、高校生のころからクラスメイトが眩しく見えるようになりましたし、
私が「響け!ユーフォニアム」とか、「Honey Works」が大好きなのも、あれはリア充コンテンツで、ああいうリア充(というか、普通に友達のいる人)を見て、その尊さに涙するコンテンツなんですよね。
普通の女の子や普通の男の子が普通に生きて生活しているだけで尊いですし、ハニワでイケメンリア充と可愛い女の子たちが恋愛しているのを見る(聴く)と涙が出てくるんですよね。(昔のオタクはイケメンへの呪詛を唱えていたわけですから)
最近だと、ソードアート・オンラインもかなりリア充の眩しい系のコンテンツになりつつありますね。

『どうか皆の前で』で若者は異常に貢献欲求が高く、会社に入っても、上司からごくごく単純な業務を任されただけで、
異様に張り切るというような話がありますが、
これも自己では補完しえない自分の存在意義を、今この上司から任された仕事をやっている瞬間だけは、
他人にとって自分は価値ある存在だと「自分で」思えるからなのではないでしょうか?

(ちなみに、だからこそ、俺ガイルは衝撃的だったんですよね。
普通のラノベではオタク主人公が女の子にモテまくったとしても、それは異世界の話であったり、ゲームの世界の話であったりして、
ちゃんとラノベを読んだ後にクラスで女の子から全く話さない状況を受け入れられるように防御線が入っているんですよ。
ですけど俺ガイルって、徹底的にあの時代のリアルなオタク高校生を主人公にしておきながら、
しかも第1巻では主人公が持てる気配なんか全く見せてなかったくせに、最後にはちゃんとハーレム作ってるんですから。
せっかくオタク山に入山して、俗世から隠居し、女の子がいなくても、友達がいなくても、ラノベがあればいいもん、という仙人生活をしていたのに、
俺ガイルはその修行僧たちに、「オタクと言いつつ、相手の女の子だって同じ高校生なんだから、可愛いこと仲良くなったり、付き合ったりするのが本当は絶対不可能ではないだろ、それはお前たちも分かってるだろ」
と言って、俗世の煩悩を思い出させようとしてくるんですから。
俗世は厳しくて、辛くて、オタクがそこに戻っても痛い目見るのがオチなのに、でもそのわずかな確率の成功例を俺ガイルは見せつけてくるんですもの。
本当にラノベとして超えてはいけない一線を越えた作品です)

> まあ、少子高齢化の影響により、若者の絶対数も減っていれば、大人と子供の割合も変化しており、
> 教育方針の変化とも相俟って、今の世代は昔以上に、良くも悪くも1人1人が見られている時代ですので、
> どの世代の子供より、実は褒められたり、存在を確認されている世代でもあるのですが、
> それが当たり前で育っていると、そこを自覚できないと言うか、スタート地点の違いとかもありますね。
> 内在的で抑え気味な「もっと、もっと」という願望と、それが困難な社会の実状との間に、ギャップがあったり、
> 主観的に「自分たちはこうだ」というのと、客観的に「あなたたちはこうだ」というのでも、ズレもありますし。
> って、あれこれと勝手に分析・解釈されるって、あまり心地良いモノでは無いかも知れませんけど(苦笑)。


いや、一周回って面白いですよw
なんだかんだで、私もこの世代の一員で、私の性格や個性は、しょせんこの世代の中のバリエーションに過ぎないんだな、という発見があるので。

最近、大学のキャリア支援センター(就職課)の方が「大学生がなかなかキャリア支援センターを利用してくれないので、なぜなのか調査したところ、
『キャリア支援センターは静かなので怖い』と思われているということが判明したのですが、キャリア支援センターは確かに静かですが、怖いところではありませんよ」
という話をしたという、冗談みたいな体験をして、今の大学生を上から目線に笑っていました。
しかし、後日映画を見にショッピングモールに行ったところ、ショッピングモールがあまりに家族連れだらけで、同じ大学生くらいの利用者もなんか陽キャな感じで、
割と本気で帰りたくなったんですよね(帰ったら映画見れないので帰りませんでしたが)。
「キャリア支援センターが怖い大学生をバカにしてすみませんでした、やっぱり私もショッピングモール怖いです」って感じですw
ちなみに私のTwitterのフォロワーの既婚者の方もやはりショッピングモールに居心地の悪さを感じるようで、陰キャ魂は結婚しても変わらないんだな、と思いました。
商学部なので最近はこういう考え方をするようになったのですが、ショッピングモールだって大予算かけて建設する分、入念なマーケティングの元建設してるはずですし、まさか最近の陰キャが居心地の悪さを感じているとは思っていないんでしょうね。
と書きつつ、ショッピングモールの陽キャ感に帰りたくなる現象というのは、もしかして最近の若者の感性ではなく、割と昔から存在しているもんなのでしょうか?もしかして私ってショッピングモールの客層じゃない?(もちろんメインターゲットは家族連れですが、陰キャはサブターゲットにもなってないんですかね)

イタい感じの自分語りっぽくなってしまいましたが、これしか参考になる話はできないので、あきらめてくださいw
おそらく私の体験を元にした、どこまで信用できるんだかわからない仮説を披露するよりも、元データを直接見てもらう方がよっぽどマシですw


[24097] 返信は、また後日返信 削除
2022/12/7 (水) 23:41:08 徳翁導誉

> > 来週からカタールW杯が始まりますので、
> > (今大会は異例の冬開催という事もあり、連日4試合の超過密日程)
> > 私の方の返信は、今後 遅れるかと思います。
> > 事前に御了承下さい。

日本代表の戦いは終わりましたが、
W杯の大会自体は、まだまだ続いてますので、
申し訳ありませんが、長文となる返信は来週か再来週にでも。
(決勝が12/18(日)なので、再来週には確実に出来るかと)


[24099] 追記返信 削除
2022/12/19 (月) 03:50:38 旧トルコ担当

> > 来週からカタールW杯が始まりますので、
> > (今大会は異例の冬開催という事もあり、連日4試合の超過密日程)
> > 私の方の返信は、今後 遅れるかと思います。
> > 事前に御了承下さい。


日本代表の戦いは終わりましたが、
W杯の大会自体は、まだまだ続いてますので、
申し訳ありませんが、長文となる返信は来週か再来週にでも。
(決勝が12/18(日)なので、再来週には確実に出来るかと)

いえいえ、気になさらず。
よくこんな好き勝手書いている文章に返信していただいてありがたいです。
文章にすることで自分の中でふわっと感じていたことが整理される、だから書いているという独り言みたいな側面もあるので。


> > 交通事故で死者が出るのは仕方ないことだと皆考えていますが、
> > いざ自分が交通事故にあって障害が残るようなことになれば、そうは思わないでしょうし。

> 年齢差による「感覚の違い」という観点から、引き続いて述べると、
> 「死の身近さ」というのも、大きな違いがあるかも知れません。
>
> 核家族化が進み、兄弟姉妹も少なくなり、親戚関係や近所関係も疎遠化している昨今、
> 特に学生だと、周囲に同世代の子供たちしか居ない訳で、
> 葬式に出たり、家族や友人知人が亡くなるという経験は、あまりしない為、
> 「死」というモノが、非常に縁遠いというか、実感が乏しく、
> だからこそ反面で、それに対する恐怖感や忌避感も、非常に強いと思うんですよ。
>
> でも、社会に出て様々な年代と触れ合い、そして自分や周囲も年齢を重ねていけば、
> どうしたって死は免れませんし、ドンドンと身近な存在へと変わっていき、
> 慣れが生じると共に、恐怖感や忌避感も次第に薄れていくのが、実際の所です。
> いや本音を言えば、怖くない訳でも、嫌じゃない訳でもありませんが、
> そこに個人差はあれど、「仕方がない事」として、徐々に受け入れていく感じになると。
> オッサン世代になれば、同級生だって、もう何人も死んでますし。


そうですね、私ももう大学生でありながら未だ葬式には1度しか出たことがありませんし、親戚家族関係の希薄化にともなって世代間交流がなくなっているんでしょうね。
私が知っている人が亡くなったのって、親戚と学校の先生とあとはTwitterのフォロワーくらいですね。親戚がなくなったときはまだ幼かったですし、知っている人が亡くなって一番ショックだったのがTwitterのフォロワーというのが"現代"なんでしょうね。


> > 歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
> > (歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)

> いやいや、歴史に「必然性」を求める学者なんて、本当にそんなに居ますか?
> 「歴史にifは無い」と言いますが、その反面で、
> 「歴史とは様々あった可能性の1つに過ぎない」事は、学べば学ぶほど解る事でしょうし、
> テレビに出ている、歴史学者ならぬ歴史家であったり、学者肩書きのコメンテイターでも無い限り、
> そんな事は、普通に言わないと思いますけどねえ・・・・
> まあ、中には御用学者とかも居ますし、その場その場で都合の良い発言をする人も居るでしょうけど、
> そういう人は、特定の業界内では需要があっても、学術界では相手にされていないかと?
>
> 司馬遼太郎などの歴史小説家は、あくまでもエンタメの世界なので、
> 面白おかしく「必然性」を語る事もあるでしょうが(そちらの方が作品的に楽しいので)、
> あれも別に、歴史学としてキチンと考察している訳では無いですからね。
> 「司馬史観」とか言って、有り難がってしまうのは、読者側のリテラシーの話だと思いますし。


例えばソ連の成立や戦後の植民地の独立にしても、そういった出来事が起きれば、なぜそれが起きたのかを考えるのが歴史学だと私は認識しています。
例えば、ソ連成立にロシアの外婚制共同体家族の影響を見たり、植民地独立に宗主国による近代化や識字率の影響を見るのが歴史学だと思うのですが、
これって出来事→要因(普遍性のある理論)を考えるの順番でできている以上、どうしてもそこから出てきた理論は現実の出来事に引っ張られると思うんですよね。
もしかしたら社会主義国家の成立は人類史を100回やって1回しか起こらないことかもしれませんし、ですが私たちの生きている世界はその1回が起きた世界なので、どうしても100回やったら少なくとも30回くらいは起こるだろうと予測してしまう、と思っているのですが、どうなのでしょうか?


完全に独り言ですが、ソードアート・オンラインは現在27巻出ていますが、9巻〜8巻のアリシゼーション編で主人公のキリトに男の親友が登場するんですよね。
やはりここがSAOの転換点で、それまではなんだかんだで、なろう小説のような、ぼっち主人公が実は最強でみんなが憧れの美少女ヒロインに好かれる、というラノベだったのですが、この男の親友が登場して以降、SAOが普通のラノベから、もっと別のリア充崇拝に近いような、まぶしい系のコンテンツに変わっていったんですよね。
主人公キリトは、第1巻ではボッチを気取っていてたのに、今では50人以上のゲーム仲間と言うか軍団のリーダーみたいなのやっていますし。


> > > そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
> > > 逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
> > > 言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?

> > 根拠はないですけど、それはありそう。
> > 「俺ガイル」だってその辺がテーマですし。

> 逆に言うと、「全ての関係性で垣根が低い」からこそ、
> 対立とか衝突を乗り越えた上での、深くて強固な人間関係みたいなモノは、
> 却って今の時代の方が、築き難くなってるのかも知れませんね。
> 何度も言っていますが、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体の関係なので、
> 面倒さというデメリットを排せた反面で、絆の強さというメリットも失われてしまったと。
> だからこそ、言葉による再確認とか、周囲の人間も巻き込んでの関係作りが、昔以上に重要なのかも?


私は友達、というか大学で定期的に話す同級生はいないのですが、Twitterでは普通にフォロワーと話してるんですよね。
ただTwitterは、話題ごとにアニメ用と歴史用でアカウント別にしていますし、フォロワーが見たくないようなことはツイートしないようしているんですよね。
人によっては鬱ツイートとか日常生活の嫌なことをツイートするひともいますが、あまりそれは求められていないので、そういうのはしない方がいいと思っています。

ですが、最近読んだラノベだと
「世界で一番けんかする人が恋人」カノジョの妹とキスをした
「友達はそんな役回りを引き受けるためにいる」マリア様がみてる 赤薔薇さま

こういうのも分かりはするんですよ。
相手が困っている時に助けたり、支えたりして、それに対価を求めないのが本当の友達や恋人だろ、という価値観も。

しかし、これって私のTwitterの使い方とは真逆ですし、岡田斗司夫のいうホワイト社会といい人戦略の「暗いことを言わない(例えば、Twitterで鬱ツイートをしない)」という、やはりこれも本当の友達や恋人とは真逆のものなんですのね。
もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。とはいえやはりひと昔前と比較して、人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに振る舞わなくてはならない、というのはより進んでいるのでしょうね。

それは、一方的に悪いことと言いたいわけではなく、
 困ってる友達を助けるべき ←→ トラブルメーカーとは関わりたくない、トラブルを起こすやつはダメな奴
常に社会の価値観はこの横軸のどこかに点を打っているはずであり、昔であればこの点がより左側に打たれていた、というだけであって、ある以上に不快な奴は昔だって、無視であったり、あるいは除け者、笑い物の対象だったと思うのですが、この基準がどんどん高くなってきているのでしょうね。
ある意味ではダメなやつ(嫌な奴)を互いに受け入れる同士から、自分の中の嫌な奴は排除していくという、共助から自助に代わっているとも言えます。

岡田斗司夫はホワイト社会の特徴として「ミュート」というのを挙げていますが、これもかつては笑い物であったり、いじめの対象であったりした不快沸点を超えた人たちが、ホワイト化でその対応がミュートになったという要因もあるのでしょうね。

いや、別に悪いことばかりではなく、その分えげつないイジメや学校で笑い物にされたり、というのは減っているはずですから、私としては昔の世界より今の世界の方が生きやすいと思うんですけど、ただそれは人間関係の希薄化とバーター取引であったと。
ミュートされるかもしれない、という恐怖が人を露骨に笑い物にしたりしない、という個人の民度を上げているので。皆が相手に求める基準が上がった分、皆が少しずつ良い人になったと。
経済だって、金が欲しいという私利私欲があるから一生懸命働くわけですし。

岡田斗司夫は「現代の20代以下は地獄を生きてきた世代」と言っていますが、私から見れば当たり前のように学校に暴力があった昔の時代の方が地獄ですね。


これは年上の方に対して失礼かもしれませんけど「ネットde真実」というのは、そういう陰謀論にハマっていく人たちを馬鹿にしすぎた表現では?と正直思います。
もちろん、確かにそういう人たちが愚かなことを言っているのは事実ですが、
少なくとも私の場合は、そういったネットの陰謀論に騙されずに済んでいるのは、周囲に知的に恵まれた環境(といっても父親が少し本を読む程度の一般家庭のもの範疇ですが)があったからですし、
対する陰謀論者の人たちは、そういった環境に恵まれなかっただけだと思うんですよね。
管理人さんがどういった環境で育ち、どうして陰謀論に騙されない程度のかしこさを得たのかは分かりませんが、
それは自分の努力だけで得られたものではおそらくないでしょうし、そうやって偶然得た能力で能力の低い人を見下すのはみっともないと思います。
そうやって知識人(っぽい人たち)が過剰に陰謀論を見下すからこそ、それを支持する人たちのプライドを余計に傷つけ、より戦闘的にしているというのもありそうですし。

まあでも知識のない人をこうやって擁護する時代こそ、おかしな時代なんですかね。
1960年代とかだともっと知識人崇拝というか、そういうのってありそうなイメージですし、以前のテレビ報道の話もそうですが、そうした知識を軽視する時代というのがおかしくて、知識が無いのは馬鹿にされるのが当然なんでしょうか。
あとはまあ、私はチアガールなんかを見ても、生まれ持った容姿で判断される女性の生きづらさを勝手に想像して、勝手に辛くなる人間なので、『皆の前でほめないで』同様に過剰に傷つきやすい世代のさらにナイーブな少数派の意見だというのは承知していますが。

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